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学会からのお知らせ

第96回日本社会学会大会テーマセッションの詳細(5月26日追記)

【1】社会学における計算社会科学の可能性

①コーディネーター:佐藤嘉倫(京都先端科学大学)
②趣旨:
計算社会科学は世界的に急速に進展している研究分野である。そしてAmerican Journal of SociologyAmerican Sociological ReviewAnnual Review of Sociology等の世界的雑誌でも多くの論文が刊行されている。たとえば2021年にNatureに掲載された”Mobility network models of Covid-19 explain inequities and inform reopening”はコンピュータ・サイエンティストと社会学者の共同研究の成果であり、人々の移動データから社会的に不利な集団がすぐに移動を減らすことができず訪問先も混んでいるために感染リスクが高いことを予測するモデルを提示した。ビッグデータ解析を社会的不平等と結び付けた好事例である。
日本でも鳥海不二夫編著『計算社会科学入門』やマシュー・サルガニック『ビット・バイ・ビット』(瀧川裕貴他訳)のような教科書が刊行され、多くの研究成果が世に問われている。ただし社会科学の他の分野に比べて社会学の論文数はまだ少ない。しかしながら『社会学評論』がテキストマイニングの特集を組んだり、数理社会学会誌『理論と方法』や社会調査協会誌『社会と調査』が計算社会科学やビッグデータの特集を組んだりして、計算社会科学を社会学に取り入れる機運が高まっている。
本テーマセッションでは、このことを背景として、計算社会科学を社会学に導入することでどのように社会学的研究を高度化できるのか、また社計算社会科学を社会学に導入することで逆に計算社会科学の限界を明らかにし、その限界を超えるように計算社会科学の進展に貢献できるのかなどの問いに対する解答を探求する。具体的事例によって解答を提示する報告も理論的ないしはメタ理論的に計算社会科学と社会学の関係を考察する報告も歓迎する。
Computational social science is a rapidly growing area in the world, and many articles have been published in top journals such as American Journal of Sociology, American Sociological Review, and Annual Review of Sociology. An article titled ”Mobility network models of Covid-19 explain inequities and inform reopening” published in Nature in 2021 is a fruit of a collaboration between computer scientists and sociologists and proposes a model that predicts a higher infection risk among socially disadvantaged groups based on the analysis of mobility data. This is an excellent example of how big data analysis is applied to the study of social inequality.
In Japan good textbooks such as Introduction to Computational Social Science and the translation of Bit By Bit were published, and many articles have been published, too. The number of sociological articles using methods of computational social science, however, seems to be less than those in other areas in social science. Recently, however, momentum to promote computational social science has risen in sociology. Official journals of the Japan Sociological Society, Japanese Association for Mathematical Sociology, and Japanese Association for Social Research featured text mining, computational social science, and big data, respectively.
Following this academic movement, this thematic session seeks answers to the following questions: how computational social science advances and sophisticates sociological studies; how sociology clarifies the limitations of computational social science by introducing computational social science to sociology and helps computational social science to overcome the limitations. Empirical papers answering these questions by proposing concrete examples as well as theoretical and meta theoretical papers studying the relationship between computational social science and sociology are welcome to the session.
③使用言語:日本語と英語(日本語セッションだが英語での報告を認める)

 

【2】地方部における外国人の受け入れと社会的共生に関する諸課題

①コーディネーター:徳田剛(大谷大学)
②趣旨:
本セッションでは、「地方部への海外からの移住・定住」について取り上げる。大都市圏や外国人住民の集住地域などと比べると、比較的に最近になって外国人住民の増加を見た日本の地方部では、1)散住傾向により外国ルーツの住民が孤立しやすくサポートも届きにくい、2)先住移民やエスニックコミュニティが希少で同胞間のつながりが生じにくい、3)受け入れにあたっての活動資源(行政における専従の組織や人員・予算、地域国際化協会・ボランティアや市民団体等)および政策資源(条例や多文化共生推進プラン等の諸政策)の不足、4)ホスト社会の地域住民らにとって外来者を交えての地域社会の共同運営の経験が乏しい、などの課題がある。加えて、地方部は給与面や生活環境において「条件不利地」であり、外国人誘致競争が今後激しくなった際には来住者の減少や都市部等への転出のリスクも抱えている。そのため、実習先の変更が基本的に認められていない技能実習制度に「依存」せざるをえない状況にあるが問題点も多く、それに代わる方策の模索や試行も一部地域では始まっている(『都市問題』2月号掲載の拙稿を参照)。
こうした現状にある日本の地方部における、海外からの来住者の受け入れに関する先行研究は少なく、対象地域の共通性や多様性を十分に踏まえた上で知見を提示できる段階には至っていない。そこで本セッションでは、地方部への来住者の受け入れに照準した研究発表を広く募集する。具体的には、1)外国ルーツの住民の生活環境とそこに存在する諸問題、2)受け入れに際しての地域全体および行政、地域社会、企業・事業所、地域国際化協会、市民団体、宗教セクター等の諸アクターの立場から見た諸課題、3)「多文化共生推進プラン」等の受け入れ施策や地方への人口・労働力移入に向けた移民政策に関する諸課題についての研究成果の比較検討を行いたい。(比較的人口が少ない)地方在住の在日コリアンや日系南米人に関する研究や、海外の地方部での移民受け入れの事例研究等の発表も歓迎する。
③使用言語:原則、日本語とする(希望があれば英語での対応についても検討する)

 

【3】森岡清美の宗教社会学を捉え直す

①コーディネーター:大谷栄一(佛教大学)
②趣旨:
今、宗教社会学は何を問うべきなのか。そのことを、日本を代表する社会学者の一人である森岡清美(1923-2022)の研究を手がかりに考えてみたい。その重厚な研究は、家族社会学と宗教社会学の両輪から紡ぎ出されているが、本テーマセッションはとくに森岡の宗教社会学研究の全体像を確認し、その成果と積み残された課題を検討することを目的とする。
森岡の宗教社会学研究は、卒業論文として着手した農村の同族結合の研究(1947年)からスタートし、その後、真宗教団、キリスト教会、神社合祀、新宗教、近代仏教へと対象は拡がった。真宗大谷派の僧侶・井上豊忠のライフヒストリーや特攻隊員の遺書を対象としたコーホート分析など、広義の宗教性を扱った研究もある。
森岡の宗教社会学にみる主な研究関心を挙げると、農村同族団とルーラル・コミュニティ、真宗の教団制度ならびに門徒団と重層的寺檀関係(教団内婚制、血のみち(血統)、与力結合)、宮座と氏子集団、農村のキリスト教と文化変容、都市化と宗教的浮動層、集落神社の合祀、妙智會や立正佼成会などの新宗教運動(教団ライフサイクル論)、ライフコースのコーホート分析、華族の相続・婚姻(大イエ・大名家大イエ・将軍家巨大イエ・天皇家巨大イエ)など幅広く、集合ライフヒストリー法などの行為者の主観を重視するアプローチと、家・同族・村・国家(政策)などの客観的な制度を重視するアプローチを併用して研究は進められた。
このような宗教社会学のヘリテージというべき成果とどのように向き合うのか。森岡のリサーチ・ヘリテージについては、近年、「森岡清美調査資料群と戦後の社会調査の展開」(『一橋社会科学』第11巻別冊、2019年)という特集が組まれ、その社会調査が再注目されている。そうした研究動向も参照しながら、森岡のヘリテージを捉え直すことで、実証的な宗教社会学の現在の課題と今後の可能性を議論する場として、本テーマセッションを設けたい。
③使用言語:日本語

 

【4】犬社会学の逆襲w

①コーディネーター:大倉健宏(麻布大学)
②趣旨:
1. 第92回(2019年対面)および93回(2020年オンライン)大会では、動物・ペットとの社会的共生をメインテーマとしたセッションが行われた。第94回(2021年オンライン)および95回(2022年対面)大会では猫社会学をテーマとするセッションが行われた。両者を振り返ると、動物と人間、動物をはさんだ人間どうしの関係は、理論的にも実証的にも社会学的研究のニッチであることが示された。今後の研究展開可能性としては、家族、感情、文化、社会運動、社会問題、社会福祉、精神保健などにもおよぶであろう。さらには文明史、ポストヒューマン社会学にもおよぶことが想定される。
2. このテーマセッションではこれまでの延長線上で、理論的考察やフィールドワークの成果から新たな社会学の可能性を探ることを目指したいと考えている。92回では一つのきっかけとして「災害」における動物の問題が扱われた。その後、新型ウィルスの影響下にあり動物と人間をめぐる新たな条件が付加された。この点で私たちは動物と人間の関係を異なるフェイズから考察することが可能になり、この課題についての立体的な絵を描くことが可能になった。それでも、使役動物としてのサービス犬など、これまで論じられていない点は多い。この際とりあげる対象(推し!)は猫であれ、犬であれ、その他の動物であっても構わない。浮かび上がった図を共有しあいながら理論的に、実証的に考える機会を持ちたいと考えている。
3. 94回と95回では、理論と方法、そして応用と展開という転調が示された。このセッションでの転調を示すとすれば、ゆらぎと創造的展開ということになるだろうか。このセッションを通じて、理論研究は実証研究に、実証研究は理論研究に、あたかも猫と犬のように向き合うことになればと考えている。これまでの各報告を振り返ると、想定もし得なかった研究対象やユニークな方法による報告が行われた。このことはこのテーマセッションにおいても大切にしたい点である。さまざまな推しを有する社会学徒の参加を歓迎する。
③使用言語:日本語

 

【5】地域に関わる社会調査をめぐる調査倫理:その現代的課題と可能性

①コーディネーター:山本薫子(東京都立大学)
②趣旨:
近年、社会学に限らずより幅広い学問分野において特定の地理的範囲を対象にしてそこで生じているさまざまな事象に関する調査研究、データ収集への注目がなされ、またそうした機会も増えている。多くの場合、生活が営まれている場での調査となるため、個人情報、プライバシー保護への対応が重要になることから調査倫理をめぐる課題もたびたび指摘されてきた。その中には、従来の調査倫理教育の中で必ずしも対象としてこなかったような課題もある。
今日、各大学は調査倫理規定を設けているが、一般に調査対象とされる地域住民等にはその存在や内容はほとんど知られていない。調査の結果・成果が学内での発表、報告にとどまるなど、対象者が結果・成果について知らされない、アクセスできないということも未だ多くある。対象者から見た場合、自分たちがアクセスできない場で自分たちに関わる個人情報、プライバシーがどのように扱われ、自分たちに関わる評価や言説がどのように生み出され、どのように再生産されているかということは重要な問題であるが、そのあり方についてこれまであまり学会の場で広く議論されてはこなかった。同時に、社会学や社会調査の枠組みの外でも地域で行われるインタビューやアンケート、あるいは実質的に調査とほぼ同じ内容の活動(授業等)の機会も増えている。
海外では、地域住民らが調査者に対して調査倫理の対応を求める行動を行なった事例、調査公害の被害を経験した上で地域独自の調査倫理マニフェストを教育機関等の支援も受けながら住民らが策定した例もある。こうした取り組みは日本では可能だろうか?
以上のような状況を踏まえ、今日の日本における地域に関わる社会調査を対象に、調査倫理をめぐる課題と今後の取り組みの可能性について検討したい。課題の指摘だけにとどまらずより持続的、発展的な取り組みの提案、地域社会学・都市社会学に関わらず幅広い分野からの報告を歓迎する。
③使用言語:日本語

 

【6】「時間の社会学」と社会学的時間批判

①コーディネーター:梅村麦生(神戸大学)
②趣旨:
「メキシコから日本に帰ってしばらくのあいだ、奇妙なことがつづいた。バスを待っている時間が多くなったのだ。メキシコにゆくまえとおなじ団地のおなじバス停で、バスの間隔も昔どおりだ。それなのに昔のぼくは、このバス停の光の中の、安らいで充実した時間を知らなかったような気がする。どうしてだろう。帰って何週間もしてから、ようやく原因に思い当った。昔のぼくは家を出るまえに、バスの時間表をしらべて出たのだ。あるいはそれをあらかじめ頭に入れておいたのだ。……交通機関はもちろん正確であるほうがいい。しかしその正確な交通機関にのって、日本人は何をしにゆこうとするのか? 今という時がレアルでないならば、今でない時がいつおとずれるのか?」先年亡くなった社会学者の見田宗介は、主著の一つ『時間の比較社会学』に先立つ論考のなかで、このように自身のメキシコへの“旅”の以前と以後の時間意識の変化を手がかりに、時計時間に拘束され「時間の切迫性」の観念に突き動かされる近代の時間意識を、一つの「狂気」として描き出していた(「狂気としての近代――時間の比較社会学」『世界』1978年3月号、『青春朱夏白秋玄冬』ほか再録)。
このように、こんにち“時間の社会学”と呼ばれる諸研究のなかでは、近代の社会的病理がいわば時間的病理と目され、それに対する独自の処方箋も提示されてきた。例えばその見田の『時間の比較社会学』であれば、具体的な他者や自然との「共時性の感覚」の涵養、さらに言えばそうした「共時性の感覚」を可能にする自己と社会のあり方への変革、であった。あるいは『加速する社会』のハルトムート・ローザであれば、「加速」という近代社会の時間的構造に由来する疎外状況に対して、「共鳴」する世界関係の(再)構築を説いている。
しかしこうした、見田自身の言葉を借りれば“近代社会の存立構造”そのものに関わる大きな問いに対しては、当然ながら唯一の答えがあるわけではなく、“時間の社会学”に関わる諸研究のなかでも、さまざまな可能性が提示されてきた。さらには現代へと時代が移るにしたがって、問いの前提そのものが変化している、という見方もありうる。
そこで本テーマセッションでは、そうした“時間の社会学”の内外で行われてきた社会的時間の批判的研究を主題とする。その対象は、理論的、学説史的、経験的な研究の別を問わず、またもちろん、現状の分析を超えたオルタナティブの提示を志向しているかどうかも問わない。さまざまな角度からの研究によって、“時間を社会学的に研究する”ことの今日的な意義について考える機会としたい。
キーワード:時間の社会学、社会的時間、時間批判、近代批判
③使用言語:日本語

 

【7】計量歴史社会学の現代的展開

①コーディネーター:石島健太郎(東京都立大学)
②趣旨:
1998年、『理論と方法』において計量歴史社会学の特集が編まれた。当時はまだ計量と歴史の交差が「手術台の上のミシンとコウモリ傘のような異様さ」(佐藤 1998)をもつほど新奇だったこの領域は、しかし四半世紀を経た現在、ひとつの研究潮流をなすに至っている。それを可能にしたのは、データアーカイブの整備とデータの蓄積に加え、過去の質問紙原票の発掘と復元(撮影・入力)という手法の進展によるところが大きい。
たとえば、東京大学社会科学研究所に所蔵される戦後労働調査資料は、橋本健二や相澤真一らによって「発見」されてのち、『戦後日本の貧困と社会調査』(東京大学出版会・近刊)に代表される様々な二次分析の成果を生んできた。そこでは、調査当時には利用できなかった統計手法を用いた、文書資料や口述記録とは異なる角度からの歴史分析が行われている。近年では撮影機材の高品質・低廉化や、クラウドを用いたデータ管理・AIによる文字認識といったテクノロジーを追い風に、復元作業も洗練されてきている。一方、現代とは異なる調査設計に基づくデータの取り扱いや、当時を理解するための様々な資料との突き合わせなど、計量歴史社会学特有の課題もより明確に認識されるようになってきた。
そこで本セッションでは、こうした計量歴史社会学の現代的展開をめぐる多角的な議論を喚起したい。具体的には、社会調査データの二次分析に基づく報告はもちろんのこと、資料の発見・復元にともなう諸問題や、過去のデータの解釈をめぐって計量分析に示唆を与えうる、あるいはこれに触発されて展開された歴史社会学的研究など、この領域に関連する報告を広く募集する。それらの報告を種火として、計量歴史社会学の現段階の成果を広く共有するとともに、さらなる展開に向けた議論を行う場としたい。
文献
佐藤俊樹,1998,「特集 計量歴史社会学」『理論と方法』13(1): 1-4.
③使用言語:日本語

 

【8】遠隔コミュニケーションや仮想空間におけるテレプレゼンスの社会学

①コーディネーター:山崎晶子(東京工科大学)
②趣旨:
社会学者のC. HeathとP. Luffは、ビデオ会議システムにおいて、参加者の身体性が効果を失うという問題を指摘した(Disembodied Conduct: Interactional Asymmetries in Video-Mediated Communication, 1991)。それ以来身体性の問題は、遠隔会議や遠隔指示の問題に関心をもつ工学者のみならず社会学者にとっても共通の課題になった。同様に、実世界での作業を遠隔から支援するシステムや、遠隔操作ロボットを用いて実世界の活動に遠隔から参加するシステムにおける身体性の問題も、CSCW(コンピュータ支援の共同作業)やHRI(人間とロボットのインタラクション)の分野において社会学者と工学者の共同研究の対象になった。
コロナ禍で対面での接触が制限される中、ビデオを用いた遠隔会議や授業、実画像を用いた遠隔作業支援システムは、現在人々の日常の一つとなった。また、実空間だけでなく、メタバースのような仮想空間に自己の分身をもちいて参加するシステムが普及を始めている。さらに遠隔操作によるアバターだけでなく、AIが実空間や仮想空間で人々と相互行為を行うということも、普通に行われるようになってきた。そこで従来は遠隔操作ロボットを用いて実世界の活動に遠隔から参加するシステムに主に使われていたテレプレゼンスという概念を実画像やロボットやアバターやAI等の代理物を使って実世界や仮想世界に参加するシステムに拡張して社会学的にその社会に及ぼす影響を考える必要が出てきた。
本テーマセッションでは、ここにあげたテレプレゼンスと人間との関わりを社会学的に捉え、様々なテレプレゼンス技術と身体性の問題、テレプレゼンスが市民社会をどのように変容するか、さらにそれがもたらす未来像を議論する。
③使用言語:日本語

 

【9】アクション・リサーチの困難と可能性

①コーディネーター:平井太郎(弘前大学)
②趣旨:
アクション・リサーチは、日本では主に教育や看護の分野でその可能性が探索されてきたが、世界的には、またその起源に遡れば、地域や組織を主たる対象として展開されてきた。このセッションでは、そうした対象の違いを超えて、アクション・リサーチとしてどのような問いや方法を共有しうるかを、さまざまな対象や方法をとるみなさんとともに探りたい。
研究者がアクション・リサーチなるものに関心を惹かれ、またそこに一歩足を踏み出すのには、さまざまな背景がありうるだろう。研究それ自体を彫琢していってもどこか現実に届かないもどかしさ。目の前の人びとや状況にかいま見える閉塞や困難の切迫感。現場や当事者の方たちから得られる学びの深さ。こうした感覚はとりわけ、対象と近く、自らを社会のなかに埋め込まれていると考える社会学では、しばしば襲われるものだろう。
だが、そうしてアクション・リサーチを志向し実践したとしても、初発のもどかしさや切迫感は、容易に解きほぐせるものでもない。また、せっかくの現場や当事者の方たちからの学びの手応えを、オーソドックスな研究の文体で表現したり、学術共同体のなかで共有したりすることも簡単ではない。このセッションでは、そのようにアクション・リサーチを志し紡ぎ出そうとした研究者それぞれの経緯と、その先に横たわっているであろう困難をまずは共有したい。
そのうえで、そうした困難から何が生まれうるのかを探りたい。省みれば、社会学というものはもともと、採用すべき文体や学術共同体での評価軸がたやすく想像できるような学問であったのだろうか。つねに現実との距離や乖離とに悩み、方法や表現を模索しつづけてこなかったか。そうした模索からこそ何かが生まれてきはしなかったか。アクション・リサーチもまたそうした学問としての賭け金を積んだ営みであることを願って、アクション・リサーチなるものに懐疑的な方たちも含め、できるだけ幅広い立場のみなさんから、その可能性を探りたい。
③使用言語:日本語

 

【10】食の社会学の射程と輪郭

①コーディネーター:村井重樹(島根県立大学)
②趣旨:
社会学が食を独立した研究対象として取り上げる際にしばしば指摘されることの一つとして、その主題が学問内部で十分な位置づけを与えられてこなかったという点が挙げられる。それはおそらく、食という主題が非常に複雑かつ多様な側面を有していることとも関係しているだろう。これまで食に関わる研究は、農学、化学、栄養学、家政学、環境学は言うまでもなく、歴史学、人類学、倫理学、経済学、経営学に至るまで、むしろ社会学以外の学問のなかで積極的に進められてきたように見える。もちろん食の社会学は、食の領域に社会学的な理論や方法を用いてアプローチすることを目指す社会学の一分野であると言えるが、これらの隣接学問と並んだ場合にあるいは社会学内部に位置づけた場合に、それが描き出す分析の射程と輪郭は一体いかなるところにあると考えられるだろうか。言い換えれば、社会学が食を研究の俎上に載せる意義は何なのか。
第95回日本社会学会大会で開催されたテーマセッション「食を論じることの社会学的可能性」での議論を踏まえつつ、本セッションは、以上のような問題関心を念頭に置くことで、いまだ開拓の余地が大きいと考えられる食の社会学の展開可能性について広く議論する場にしたい。食の社会学が取り扱う主題や問題は多岐に渡り、そこで用いられる社会学理論や方法論ならびに調査手法や分析手法も様々なものが想定されるため、本セッションでは、これらに関して特に制約を設けることなく幅広い観点からの報告を募集する。それには、社会学において食がどう扱われてきたかを問う理論・学説研究から幅広い意味での食に焦点を当てた各種の経験的研究に至るまで、多数の社会学的研究が該当するだろう。本セッションでは、食を媒介として報告者各自が様々な社会学的研究を持ち寄ることで、食の社会学の射程と輪郭をあらためて問い、社会学がほかならぬ社会学として食の領域を対象化することの意味について検討するとともに、それらが切り開く食研究への新たな地平を展望することを試みたい。
③使用言語:日本語

 

【11】「新しい薬害」の外延を探る

①コーディネーター:本郷正武(桃山学院大学)
②趣旨:
本郷正武・佐藤哲彦編『薬害とはなにか――新しい薬害の社会学』(ミネルヴァ書房、2023年)では、医薬品による健康被害を薬害とする既存の定義を批判的に検証している。そこでは、健康被害に加えて、差別体験をはじめ、離職と高額医療費から派生した経済問題、家族関係の破綻などといった生活全般にわたる被害を追加した薬害理解が提示されている。この定義は、生物由来製品による健康被害(=薬害エイズ、薬害ヤコブ病)、添付文書の不備(=陣痛促進剤薬害)、ワクチンによる被害(=MMR薬害、HPV薬害)などと、こんにち薬害問題とされる諸問題が、胃腸薬として使用されたサリドマイド製剤により胎児に奇形が生じたサリドマイド薬害や、胃腸薬として使用されたキノホルム製剤による神経障害を生み出した薬害スモンから拡張している現状に適合したものである。
このような薬害概念の拡張とでも指摘するべき事態のはじまりに薬害エイズがある。薬害エイズの社会問題化は、薬害スモンとサリドマイド薬害の被害者たちに「薬害問題は終わっていない」ことを認識させるとともに、後続の健康被害問題を遍く薬害として理解する解釈フレームを提供した点において、日本の薬害史の画期をなしている。すなわち、薬害エイズが、薬害概念を広く普及させるとともに、自分たちの健康被害を理解し、意味づけるための概念として薬害概念を活用するはじまりであった。以後は「新しい薬害」をめぐる問題群と呼んで差し支えないであろう。
新しい薬害の出来は、さまざまな健康被害の理解に薬害概念が貢献することを意味する反面、薬害概念の定義を複雑にする可能性がある。そこで本テーマセッションでは、これまでに薬害と理解されている問題、さらには薬害として理解される可能性のある問題を突き合わせ、同じ俎上で議論することにより、薬害概念の外延の広がりを検討する。このたび、公害病や精神疾患など別様の問題枠組みで議論されてきた/される可能性のある問題を調査研究する会員に向け、広く報告者を募集する次第である。
③使用言語:日本語

 

【12】「共生」と「共感」の社会学

①コーディネーター:鈴木弥香子(日本学術振興会)
②趣旨:
このテーマセッションでは、「共感」を一つのキーワードとしながら、他者理解の可能性や、マイノリ ティとマジョリティ間の相互理解/相互変容の可能性について考えていきたい。多様な差異を包摂し、よりよい共生を実現するという課題を考える上で、共感は重要なキーワードの一つであるものの、慎重に検討をしなければならない概念である。共感は異なる人々の間に感情的な結びつきをつくり、より大きな連帯を形成すると考えられているが、批判的な検討が必要な問題も多い。例えば、他者の痛みを「わかる」とは何を指すのか、そもそも「わかる」ことは可能なのか。あるいは、共感という行為は共感する主体(マジョリティ)/共感される客体(マイノリティ)が暗黙のうちに前提とされているのではないか、 マジョリティがマイノリティを「理解できる」と考えるのは傲慢なのではないか、といった批判が考えられる。しかし、他者を理解しようとする試み、それ自体は否定されるべきではないだろう。マイノリティが直面する困難や差別、不公正を理解しようとし、彼らの痛みに寄り添おうとすることは、共生を実現する上で重要な営みである。他者の他者性や経験にどう向き合いうるのか、他者とどのように関係を取り結ぶべきなのか。どうしたらマジョリティが多様性や共生という課題を「他人ごと」ではなく「自分ごと」として考えられるか。そこにおいて共感や想像力はいかに寄与しうるか。こうした問いを通して、よりよい他者理解と共生の可能性について検討したい。
本セッションでは「共感」を一つのキーワードとして設定しているが、共感そのものを扱わなくとも、他者理解、マジョリティ/マイノリティ間の「分かり合い」や「変わり合い」などについて扱う研究を、広く募集する。また、多文化共生やフェミニズム、障害、LGBT/SOGIなど、様々なフィールドからの視点を歓迎する。それぞれのフィールドに関する理論や現状について持ち寄り、同じセッションで議論することで、共通する課題や固有の課題、インターセクショナリティについても論じられればと考えている。
③使用言語:日本語

 

【13】パーソナルドキュメントから戦後の労働社会・組合を再検証する

①コーディネーター:嶋﨑尚子(早稲田大学)
②趣旨:
2022年に、中澤秀雄・新藤慶・西城戸誠・玉野和志・大國充彦・久保ともえ著・翻刻 『戦後日本の出発と炭鉱労働組合:夕張・笠嶋一日記-1948-1984年』(御茶の水書房)が刊行された。本書は、夕張の炭鉱労働組合幹部であった笠嶋一氏(1929-2018)の初期の日記を翻刻・解説した書籍であり、戦後史研究・北海道地域研究・コミュニティ研究・生活史研究関係者から多くの反響が寄せられている。
本セッションでは、本書を手がかりに、戦後初期日本の労働社会ならびに労働運動の展開の再検証を試みる。この作業は、パーソナルドキュメントを用いて、その時代の社会変動との連接を見据えて、ミクローマクロを説得的にリンクさせる戦後史研究と位置づけられる。その際、本書の対象は石炭産業、炭鉱社会であるが、本セッションでは、他産業に着目した研究・検討も歓迎する。各産業・地域にかんしては、長期にわたる精緻な調査研究の蓄積がある。そうした研究成果を共有・交差させることは、上記ミクローマクロ連結に不可欠であり、喫緊の課題である。産業特性・産業固有の文化を説明変数とする労働・地域・家族・移動に関する社会科学研究は、近年減少傾向にある。本セッションがそうした領域の活性化の一助になることを期待している。
また、周知のとおり、社会学における日記を用いた分析研究は、『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(1918)や『小作農民の歴史社会学』(細谷昴2019)などわずかにとどまる。本セッションでは、戦後史研究(モノグラフ研究)におけるパーソナルドキュメント(日記にとどまらず手紙や家計簿など)や生活史データの活用にかんする方法論的検討もおこない、歴史学とは異なる社会学研究の可能性を探る機会としたい。
③使用言語:日本語

 

【14】ポストフォーディズムにおける生活と労働の比較社会学

①コーディネーター:松永伸太朗(長野大学)
②趣旨:
ポストフォーディズム論は、大量生産・大量消費の時代における経済活動からの変化を捉え、生産と消費が密接に結びつく社会を捉える視点を提供した。この議論は、人々の消費活動が生産領域における労働とより切り離しがたく存在し、ときには消費のあり方が労働者の苦境を強いるものとして社会を批判するための重要な足場となってきた。
本テーマセッションでは、こうしたポストフォーディズム論の批判的視座を踏まえつつも、まさにそうした機制のもとに置かれているとみることのできる人々の生活を捉え、画一的な消費と労働の結びつきに関する議論を相対化することを試みたい。ポストフォーディズム論は1980年代ごろから影響力を持ち続けている議論であり、そのもとで生活を営む人々には独自の実践が培われていると考えられる。
とくに下記の二点に関する報告を募りたい。第一に、見たところ収奪や搾取の構造のもとに置かれている労働者が、どのようにその就業を継続することを試みられているのかという問題についての議論である。たとえば非正規雇用やフリーランスは、長期雇用保障を欠くという意味において構造的な排除を受ける労働者としても考えられるが、こうした人々の生活は単純な搾取構造のもとでのみ捉えられるものなのか。第二に、ポストフォーディズム論の理論的な射程に関する議論についてである。たとえば近年のプラットフォーム労働の台頭などは、消費者と労働者の関係性だけではなく、そこにプラットフォーム企業や事業者(フードデリバリー事業におけるレストランなど)などが複雑に介在する形となっている。こうした現象はポストフォーディズムの図式とは非連続的な現象としても、むしろポストフォーディズムがより徹底された帰結としても捉えられる。プラットフォーム労働の事例に限らず、ポストフォーディズム論の外縁を問うような理論的・経験的研究を募りたい。
全体として、ポストフォーディズム論をふまえつつ、生活という視座に触れながら分析・考察を行った報告を募ることによって、現代社会における多様な消費と労働の実相を浮かび上がらせるような場を設けたい。
③使用言語:日本語

 

【15】中国帰国者研究と社会学

①コーディネーター:蘭信三(大和大学)
②趣旨:
1972年の日中国交正常化を契機として、中国に「残留」していた「残留孤児」や「残留婦人」という「日本人」とその家族の「帰国」が始まった。この中国からの帰国者(中国帰国者)は日本社会に様々な課題を突きつけた。とりわけ、中国東北という旧「満洲」からの日本人の「遅れた帰国」は、未完の戦後処理問題、日本社会における脱植民地化という課題を突きつけた。同時に、中国で生きた日本人とその家族という異なる文化を背景とする人びとの地域社会での定住化は、戦後初めて大量に迎えるポストコロニアルな「帰還移民」であり、90年入管法改正を契機とするグローバル化のなかで日本社会に流入する大量移民の先駆けとなった。就職や進学という適応問題、アイデンティティ問題、排除と差別の問題、集住地のエスニックコミュニティ化等「移民」としての課題を突きつけ、社会学的中国帰国者研究はこのような現実の進展のなかで産み育てられていった。
おりしも、90年代以降は日本社会学会で多くの移民研究が行われ国際社会学という新領域が確立され、同時にポストコロニアル研究という学際的研究も登場してきた。中国帰国者研究はまさにこの二研究領域の交差点にあり、その双方への貢献が期待されていた。残念ながら、それらの知見や研究視座がそのなかで十分に意識され、生かされてきたとは言い難い。しかしいま、第一世代から第二世代、日本生まれの第三世代へとその中心が移るという当事者の変化、かつ大国として国際社会にカムバックする中国の存在感、SNSによる分断と排除という新状況の出現のなかで、中国帰国者を取り巻く状況は変化し、その研究は新たな展開が待望されている。
そこで本セッションは、中国帰国者をポストコロニアル帰還移民と位置づけ、ポストコロニアル研究と社会学的移民研究の接合を意識し、中国帰国者をめぐる幅広い研究を募る。そして、社会学的中国帰国者研究がポストコロニアル研究にどのような貢献をもたらし、同時に国際社会学にどのような貢献をもたらしうるかを改めて問い直し、研究の回顧と展望を行いたい。
③使用言語:日本語

 

【16】科学社会学における計量分析と半構造化インタビューの射程と可能性

①コーディネーター:栗田宣義(甲南大学)
②趣旨:
科学社会学はこの半世紀以上もの間、長足の進歩ならびに関連諸学派の興隆によって大きな変貌を遂げた。しかしながら、SSK(sociology of scientific knowledge)、ANT(actor-network-theory)、STS(science and technology studies)ら諸学派が百家繚乱することによって、理論的および方法的「共有地」が不安定かつ曖昧な状態も続いている。科学社会学としての標準的リファレンスを目指した、松本(1998)、松本ほか(2021)、科学技術社会学のテキストとしての日比野ほか編(2021)などの努力が見られ、個別研究でも、松本(2009)、Matsumoto(2021)、山口ほか編(2009)、山口・福島(2019)などでは、精緻かつ豊穣な知見に支えられた学的貢献が多くなされてきたものの、一般には、当該学派における限られた理論と方法を前提とした過度な専門化志向へと進む傾向がある。科学社会学は現今、社会学ならびに社会諸科学に加えて人文学の共通言語に依拠し、確固たる理論的かつ方法的基盤を築く時期にあると考える。伝え聞くところに依れば、近年、マンハイム以来の知識社会学スキームに立ち戻り、科学者・知識人ならびに一般層に向けてランダムサンプリングかつ質問紙法による大規模パネル調査と、それに変動するかたちでの典型サンプルへの半構造化インタビューを併用するハイブリッド・スキームに基づくデュアル調査が企画されていると云う(栗田 2023近刊)。標準的なデータセットを用いての計量分析に加えてユニバーサルなサンプルに基づく質的研究は日本の科学社会学を飛躍的な知の高みに押し上げる。例えば、太郎丸(2021)、山本(2019)、渡辺(2022)などマートニアンを継承する計量分析、佐藤編(2018)による社会関係資本、池田(2019)による政治心理学、阿部(2006)による労働社会学、隠岐(2018)による科学史、磯部ほか(2020)の科学コミュニケーションなどの頑健かつ定評のある諸視座を組み込むことも有意味かつ有意義だろう。以上の問題意識のもとに、科学社会学を総合的かつ普遍的な知とする先鞭として、本テーマセッションを位置づける。御関心を持って頂ける会員諸氏からの意欲的な報告を広く募る。
③使用言語:日本語

 

【17】グローバルなポストコロニアル社会学の検討/Examining Global Postcolonial Sociology

①コーディネーター:森啓輔(専修大学)
②趣旨:
ポストコロニアル研究という言葉は日本語圏では久しく聞いていない。しかし近年、英語圏で歴史社会学者や知識社会学者を中心としてポストコロニアル社会学が徐々に存在感を増している。イギリスではイギリス社会学会会長のガルミンダー・K・バンブラが、啓蒙理性としての社会学のヨーロッパ中心的な歴史の相対化を試みている。バンブラらは、非ヨーロッパや旧植民地圏で同時代に展開した社会学者の実践や、著名な社会学者が植民地との相互的経験から社会学を構築してきたことに関心を寄せる(Bhambra and Holmwood, 2021)。バンブラは、社会学が普遍的な知であるのならば、その近代性はグローバルに展開してきたはずであり、このような観点から社会学を真にグローバルなものにすることを試みる。
他方アメリカでは、ジュリアン・ゴやジョージ・スタインメッツらシカゴ大学系の歴史社会学者が、「植民地なき」帝国としばしば名付けられる米国帝国主義や、イギリス・フランス・米国などによる事実上の植民地主義実践の歴史に関して、統治実践に加わった社会学者や社会理論を対象としながら研究を重ねている(Go, 2011: Steinmetz, 2023)。ゴは、ポストコロニアル研究が社会学で受容されなかった主要な理由は、そのポストモダン的懐疑主義だと述べ、これは社会(科)学の啓蒙主義的普遍主義と根本的に対立するため、この点に関しては受け入れられないとする。その上でもなお、ポストコロニアル研究の展望を社会学に批判的に吸収する必要があるのは、米国社会学における主流の研究が見落としてきた、米国史の「入植植民地」的性格や、米国自身による海外植民地の存在である(Go, 2018)。
セッションコーディネーターは主に戦後日本・沖縄歴史研究におけるグローバルなポスト・コロニアル社会学の有用性を考えているが、様々な角度からポストコロニアル社会学を探究する理論・実証的研究の応募が集まれば幸いである。
The term “postcolonial studies” has not been heard in the Japanese-speaking world for quite some time. In recent years, however, postcolonial sociology has gradually increased its presence in the English-speaking world, mainly among historical sociologists and sociologists of knowledge. In the United Kingdom, Garminder K. Bhambra, president of the British Sociological Association, is attempting to relativize the Eurocentric history of sociology as Enlightenment reason. Bhambra and others are interested in the practices of sociologists who developed contemporaneously in non-European and former colonial areas and in the way prominent sociologists have constructed sociology from their reciprocal experiences with colonies (Bhambra and Holmwood, 2021). Bhambra argues that if sociology is universal knowledge, its modernity must have developed globally, and from this perspective, she attempts to make sociology genuinely global.
In the United States, on the other hand, Chicago School historical sociologists, such as Julian Go and George Steinmetz, have studied the history of U.S. imperialism, often called the “non-colonial” empire, and the de facto colonialist practices of Britain, France, and the United States, targeting sociologists and social theories that participated in the practices of governance. (Go, 2011: Steinmetz, 2023). Go states that the main reason postcolonial studies have not been accepted in sociology is its postmodern skepticism, which is fundamentally opposed to the Enlightenment universalism of social (scientific) studies and, therefore, unacceptable in this regard. Even then, the “settlement colonial” character of U.S. history and the existence of overseas colonies by the U.S. itself has been overlooked by mainstream research in U.S. sociology, which still needs to critically absorb the postcolonial research perspective into sociology (Go, 2018).
While the session coordinators are primarily concerned with the utility of global post-colonial sociology for postwar Japanese and Okinawan histories, we aim to attract submissions of theoretical and empirical studies that explore postcolonial sociology from various angles.
③使用言語:日本語・英語