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学会からのお知らせ

第97回日本社会学会大会テーマセッションの詳細

【1】日本の子育て格差

①コーディネーター:打越文弥(プリンストン大学)
②趣旨:
近年、親学歴によって育児時間などの子どもへの関与(parenting)の格差が拡大していることが指摘されている(Kalil and Ryan 2020)。さらに、子育ての階層格差を通じて、子ども期の発達や教育的なアウトカムに対する親の社会階層の影響力が強まっていることが示唆されている(Doepke and Zilibotti 2019; Lareau 2011; McLanahan 2004)。日本を含む東アジアの文脈で、こうした命題を検証した研究はまだ限られるが(Raymo et al. 2023)、日本の事例は子育ての階層差と世代間の地位の連鎖を考えていく上で重要な知見を提供するだろう。
以上を踏まえ、本テーマセッションでは、子育てなどの家庭環境の階層差、及びそれらが子どもの学力・発達とどのような関係にあるかを包括的に検討する。具体的には、子育てに関連する複数の指標(例:子どもと過ごす時間、しつけ、学校外教育投資、教育期待など)と社会階層の関連を検討する報告を募集する。および、子育ての階層差と子どもの学力・発達の関連を検討する研究も募る。なお、親の学歴や所得といった伝統的な社会階層指標以外にも、家族構造(ひとり親かどうか)および学校や地域といったメゾレベルの要因に注目した研究も積極的に募集する。量的・質的アプローチの如何は問わない。日本の事例を用いた研究を中心に募るが、比較の視点で日本を含む研究も募りたい。
③使用言語:日本語

 

【2】現代社会学の継承と発展

①コーディネーター:金子勇(北海道大学)
②趣旨:
清水幾太郎が「幼く美しい処女作」とよび、終生愛したコントの「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」から200年間、内外の社会学の世界では碩学・先達・恩師をはじめとした膨大な業績が積み上げられてきた。
私たちシニア世代も直近の50年間でそれらを学び、世代間や大学間の違いを超えて、競い合いながら可能な限り実証面でも理論面でも独自の研究成果を出そうと心がけてきた。しかし教壇から去り、学会活動も控えるようになってから日本社会学界の動向を振り返ってみると、現代社会学はこの間に著しく裾野を広げる一方で、それぞれの応用領域において内部集団化があまりにも進んでしまったように感じられる。
具体的には、学問の進化に伴う個別細分化が深まった一方で、応用領域の相互浸透にもとづく研究成果の世代間継承ないしは融合と活用が滞ってしまった。とりわけ「人新世」といわれる時代において、ジョン・アーリのいうような「未知の未知(unknowns unknown)」に対して、創見に富んだ見解を提示し得た社会学は未だ立ちあらわれていない。
以上を念頭に、会員30名のご参加をいただき、類書を超えた新しい視点で、ジェンダーとジェネレーション、都市と福祉、そして環境と情報の6領域を主要な軸として、さらに「階層、格差、移動」を全巻に通底する基本的課題として取り込み、吉原直樹氏と共同企画・編集を試みた。6冊の主な狙いは、社会学的研究成果の世代間融合と総合性の模索にある。
それぞれの学説継承と世代間融合そして応用研究の到達点を明らかにし、そこから日本を含むグローバル資本主義社会の行く末を見通し、同時に近未来の社会学像を提示するため企画であった。本講座がほぼ完結された段階で、日本社会学会会員各位からのご意見をいただき、更なる段階を目ざした意見交換の場になることを願っている。
③使用言語:日本語

 

【3】社会学の研究成果を英語で発信することの意義と障壁(The significance and challenges of disseminating research findings of Japanese sociology in English)

①コーディネーター:志水洋人(エジンバラ大学)
②趣旨:
英語を主流言語とする英語圏社会学やそれに追随する言語文化圏の社会学と異なり、日本の社会学はその学問的水準や自律性、国内市場の規模などにより、日本語以外で研究・成果発信することの意義は必ずしも自明ではない。しかし、セッションコーディネーターの専門である医療社会学や他の多くの社会学領域において英語は重要な位置を占めている。例えば、キーとなる先行研究はしばしば英語圏のものである。これらの文献は研究の参照点としてそれ自体有用であるが、これらを用いた研究成果を英語で発表すれば、日本語での発表でのそれとは異なりながらもきわめて有意義な知的、人的交流が期待できる。言語の障壁を越えた交流は、社会学の学問的使命の一つである「馴染みを打破すること(making the familiar strange)」の促進にも直結すると思われる。このような試みは、国内外の社会学を相互作用的に発展させるポテンシャルをもつ。
英語での発信は既に一定の規模で行われているはずだが、それに関する交流や情報交換の機会は必ずしも多くない。また、近年、若手社会学者等を対象とした英語での発表ワークショップ等が時折開催されているが、比較的稀な試みに留まっているように見受けられる。そこで本セッションは、日本を拠点としながら社会学の研究成果を英語で発信することの意義と障壁に関する議論を深めることを目的とし、関心を共有する方々にとって有用な場とすることを目指している。
報告の具体的テーマや方向性に制限は設けない。例えば、大学院生や教員としてのキャリア形成との兼ね合い、国際学会参加や英文執筆に伴う各種のコストや困難やそれらへの対策(AIの活用を含む)といったプラクティカルな主題のほか、社会学の研究成果を英語で発信すること自体を社会学的分析の主題とする報告も歓迎する。幅広い立場からの応募が集まれば幸いである。
The significance of disseminating research findings in English is not always self-evident in Japanese sociology due to its academic standards, autonomy and the scale of the domestic market. However, in many areas of sociology, English holds a significant position. For example, key literature is often written in English. Presenting research in English based on this literature and receiving feedback can provide distinctive advantages. Furthermore, scholarly communications beyond linguistic barriers can promote one of sociology’s core pursuits of making the familiar strange: they facilitate analyses that challenge and question everyday norms, behaviors and social practices frequently taken for granted. This pursuit can advance international and domestic sociologies, but relevant collective discussion in Japanese sociology has been limited.
This session explores the significance and challenges of disseminating research findings of Japanese sociology in English. We welcome presentations on practical subjects, including (1) balancing career development as graduate students or faculty members, (2) various costs and difficulties associated with writing papers and international conference presentations and (3) the use of recent technologies such as artificial intelligence in supporting these undertakings. We also welcome presentations on sociological reflections on disseminating research findings of Japanese sociology in English per se.
③使用言語:主な使用言語は日本語を想定しているが、英語での応募・報告も歓迎する。We welcome presentations/expressions of interest in English.

 

【4】Future Sociologyに向けて:未来を予測し、構想し、創造する社会学の可能性

①コーディネーター:野宮大志郎(中央大学)
②趣旨:
本セッションの狙いは、社会学が今日までに創り出してきた未来社会についての議論を集め、その叡智の上に立ち、未来を創造する社会学としてFuture Sociologyの可能性を追求することにある。
社会学における未来の論じ方はどのようなものであったか。まず想起されるのが過去や現在から未来社会を予測することであろう。今日眼前する社会現象の原因を過去から引き出し、その原因があるかぎりこうした未来が待っていると論じる。これは、現在の社会的ダイナミズムの延長線上に未来があるとする議論である。
他方、現在や過去とは異なったダイナミズムで動く未来を構想する社会学もある。マルクスの共産主義社会をはじめユートピアを描く社会学の多くがそれであろう。社会運動が主張する「alternativeな/あるべき」社会、また災害などでかつての社会関係や共同体基盤を失ったもとで、新しい社会の構築を唱える議論がこれにあたろう。
これらの議論が重要であることは言を俟たない。事実、我々の日常の一部はこうした予測や構想で覆われ、またそれらに基づき我々は活動している。しかし翻って、これらの予測や構想が実際に新しい社会を創ってきたのだろうかと問うと、立ち止まらざるを得ない。災害後「レジリエントな社会」が提案され構想された。しかし、実践はどうだろうか。「未来像」とともに社会実装まで狙う社会学が今まであっただろうか。さほど見出せないとすれば、なぜなのか。社会現象の原因は多様でかつそれらの相互作用は複雑で、また現実の利害関係はややこしくて、合意が取れなくて、といった声が聞こえる。やはり社会の創造はできないことなのだろうか。
社会の未来を論じるという課題に際して、我々の社会学は現在どこにいるのか。Urry(2007=2019)が行ったように、やはり、多様な「未来像の作り方」を論じることが精一杯なのか。ユートピアは共同理念として据え置くだけなのか。社会実装までもおこなう、社会を創造する社会学Future Sociologyは可能なのか、それとも、できないのか。このテーマセッションでは、社会の未来に関する社会学の営為を振り返り、我々は未来についてどれだけ語り得るのかを議論したい。
This session aims at creating a new academic domain that evolves around future sociology. Future sociology is defined here as a specific genre of futurology that attempts to create a new and desirable society by integrates all our efforts and practices sociology has accumulated to the present.
While we find a host of future imaginations that vary in the coverage of time and space, they are roughly divided into three distinctive categories. First category is prediction. This category of practice shares as the base principle a well-known social scientific thinking: predicting a future society by extracting causes/causal mechanisms that are considered to bring about the present formation of the society and then thinking what will happen given that the same causes/causal mechanisms persist into the future.
Quite opposite to the first category, a second category of future imagination is based on the idea that different social dynamics work in the future. A prime example is Marx’s future society, which is to be molded by communist principles as a result of social revolution. It is described as the society that has a distinct mechanism away from our present capitalistic society. We find similar traits in a number of utopian imaginations, which depict society as “away from the present” toward a better future.
These imaginations are important. After all, we all act and live on the basis of our predictions and imaginations just described above. We begin to wonder, however, when we ask if these predictions and imaginations have helped us to create/construct a new society in our real world. The construction of a “resilient society” has been advocated and sought after in response to the successive devastations by severe natural disasters in recent years. In practice, however, have we succeeded, or even made a significant stride toward that direction? Do we have a sociology that both provides imaginations of a better future and at the same time an apparatus that can let us mount that imagination to the real society we have here today?
As Urry (2007) has done in his seminal work, the best we could possibly do is to describe how to create an imagination of future society? Should an utopia stay only as an ideal of the communal society? Is future sociology possible? This session examines what we have as our legacies in the field of the sociology of the future, and how much we have come close to the construction of future sociology.
③使用言語:日本語

 

【5】質的データのアーカイブ

①コーディネーター:渡辺克典(徳島大学)
②趣旨:
社会学において、質的データのアーカイブに関わる機運が高まっている。これは、統計調査データ(いわゆる「量的データ」)公開に加えて新たなアーカイブ活用の模索を意味しているが、研究活動とアーカイブ活動の両立も課題となっている。アーカイブは研究者の独占物ではなく広く多くの人びとがアクセス可能なものであるべきであり、研究と実践を両輪とした推進が重要である。
本企画では、①社会学における質的データのアーカイブ活用の可能性、②研究者・教育者・アーカイブ関係者等の多様な参加者による情報共有、③質的データのアーカイブを活用した具体的な教育場面等での実践の検討をテーマとしたセッションを提案する。具体的には、多様な質的データ(写真、動画、音声、文献などもふくむ)をめぐる研究活動、教育の場等でのアーカイブの活用方法(教材開発、ワークショップ、オンライン学習など)、活用場面での課題(倫理、著作権、アクセス方法など)について、収集や保存、分析の最新手法、アーカイブを用いた社会学教育の動向といった広いテーマを持ち寄り議論する場としたい。
なお、本企画は社会学教育委員会企画セッションとして2022年度から継続開催(2022年度のコーディネイターは当時の委員長であり2023年7月に逝去された立岩真也氏)されてきたテーマセッション「質的データのアーカイブ」の継続も企図している。このセッションを途切れさせることなく、社会学におけるアーカイブ活用の活性化、教育実践方法の開発、研究者・教育者・アーカイブ関係者等のネットワーク構築のため、2025年度以降の継続企画への展望を抱く若手研究者の参加を強く願う。
③使用言語:日本語

 

【6】団地

①コーディネーター:岡村圭子(獨協大学)
②趣旨:
住宅公団(現UR都市機構)による「団地」が誕生して60年。団地族の新しい生活スタイルや独自のコミュニティが関心を集める一方、近年、居住者の高齢化やインフラの老朽化、建て替えをめぐる問題が生じている。そうした経緯を振り返りつつ、団地を社会学的な視座から見つめ直し、現在の団地(市営や都営なども含む)で行われている様々な取り組みや団地の社会的な意義、団地イメージの変遷について考えてみたい。
③使用言語:日本語

 

【7】犬と猫と社会学と。

①コーディネーター:出口剛司(東京大学)
②趣旨:
第94回日本社会学会大会(2021年11月13日、東京都立大学)で「猫社会学の理論と方法」で初めて猫社会学のテーマセッションが開催され、第95回大会(2022年11月12日、大手門学院大学)では「猫社会学の応用と展開」、第96回大会(2023年10月9日、立正大学)では「犬社会学の逆襲w」と、猫や犬に関するテーマセッションが継続的に設置されるようになった。今年度も引き続き、猫社会学と犬社会学を展開していきたい。
ここ3年間のあいだに、さまざまなテーマが論じられてきた。順不同に挙げれば、ペット共生社会論、飼い主支援システム、ペット家族化論、猫島をめぐる移動研究、新聞漫画やSNSの猫表象、猫推しファン文化、ペット飼育の主体者間エンゲージメント、社会的カテゴリーとしての猫、猫/人間/自然の関係変容、ネコからみる現代インド、家畜化論と自己家畜化論、境界としての猫、猫の意味と社会問題の構築、野良犬・猫の社会問題、猫好き/犬好きの国際比較、世界関係性の社会学などである。
それらを受けて今年度は、犬や猫という存在を通して経験的な問題に取り組むことと、文明や社会と自然との関係を考えることのあいだに接点を見いだす営みを縦横無尽に展開したい。たとえば非言語コミュニケーションを中心とする人間と犬猫の相互行為を観察する(共鳴世界論)、犬・猫をめぐって人間同士が織りなす言語的コミュケーションを研究する(犬と猫をめぐる相互行為論・社会問題論・文化社会学)、犬猫をめぐって形成される知識や規範の歴史的変化・地理的多様性を明らかにする(犬猫の歴史社会学・比較社会学)、などが考えられるが、それ以外の研究も歓迎する。平将門ではないが、社会学界に猫と犬の独立国を築くつもりで取り組みたい。
③使用言語:日本語

 

【8】新聞記事のテキストマイニングに伴う法的、制度的諸課題

①コーディネーター:左古輝人(東京都立大学)
②趣旨:
テキストマイニング(計読、計量テキスト分析、テキストアナリティクス)、すなわち自然文の定量的な分析をとおして有意味な知見を得ようとする研究アプローチは、社会学においてすでに広く認知され、運用されている。しかし分析対象の取り扱いについて国法、データベース製作者の規約、研究者のニーズのあいだには齟齬が潜在する。
著作権法30条の4は「二 情報解析の用に供する場合」および「三 著作物の表現についての人の知覚による認識を伴うことなく当該著作物を電子計算機による情報処理の過程における利用その他の利用」を認めている。したがって日本では、どのようなDBであれ、製作者の権利を侵害することなくテキストマイニングをおこなうことが可能である。
しかし、その一方で、日本の主要新聞各社のオンラインDBは、規約により「日本語解析のため」の利用を禁じている。いずれも創刊まで遡る優れたDBであり、研究者にとっては研究素材の宝庫であるが、テキストマイニングによって有意味な知見を得るための前段階に事実上必須である日本語解析が禁止されているのである。ここで研究者は壁にぶつかってしまう。
各社が提供する光ディスク版DB(1年分の記事をまとめた)にはそのような制約がないものの、データは1980年代半ば以降に限られ、かつ高額である。これに加え、近年では、人工知能を開発する営利団体が大規模言語モデル構築のために新聞オンラインDBを無断利用することなどについての懸念が広がりつつあるなど、課題はさらに複雑性を増している。
研究者、DB提供者、司法関係者、所轄官庁をはじめ、こうした諸課題に関心を抱く人びとが一堂に会し、①これまでの経緯と現状、②諸外国の動向、③雑誌など他メディアの動向などを共有し、④今後の望ましい発展諸方向について自由に意見交換するセッションとしたい。
③使用言語:日本語

 

【9】社会学方法論としてのオートエスノグラフィー

①コーディネーター:桂悠介(日本学術振興会)
②趣旨:
社会学者のキャロリン・エリス、アーサー・ボクナーらの牽引により、2000年代以降の英語圏では、研究者自身の経験を焦点化するオートエスノグラフィー(AE)を用いた研究が興隆、発展してきた。日本でも近年AEへの注目が高まっているものの、未だその学術的、実践的意義が十分に理解されているとは言いがたい。そこで本セッションでは、以下の二つの角度からの報告を募り、社会学におけるAEの可能性を模索する。
一つ目が、学術的方法論としてのAEに関する議論である。AEへの実証主義的観点からの批判に対しては、客観性の担保を目指す「分析的AE」の立場が表明されている。他方で、あくまで主観的記述による受け手との共感を重視する「喚起的AE」の立場もある。前者が一般的な意味での理論的貢献を志向するのに対し、後者は「理論としての物語」の意義を強調し、理論の捉え方自体の再構成を試みる。理論に限らず、価値中立性、ポジショナリティ、マイノリティ/マジョリティ、当事者性をはじめとした諸概念がAEによっていかに再解釈されうるかが問われる。加えて、ライフヒストリー/ライフストーリー研究、アクションリサーチ、当事者研究等との連接や異同に関する議論も重要となる。
二つ目が、本セッション自体をAEの発表機会とすることである。これまで、上述の分析的AE、喚起的AEに加え、批判的AE、協働的AE、対話的AE、メタAE、パフォーマンスAEなど多様なアプローチが提起されてきた。これらのアプローチにより様々な研究主題について論じ、表現することで、新たな視座からの研究蓄積の契機とする。AEを通したオーディエンスとの相互作用、社会構造とエージェンシーとの関わり、他者および自己に対する倫理的課題との向き合い方、詩や映像、アートとの接合可能性などを実践的に探究する。
以上二つの角度からの報告と議論を通して、日本の社会学におけるAE研究ひいては質的研究の可能性を拡充する場としたい。

③使用言語:日本語

 

【10】歴史社会学の成果と課題:可視化と共有に向けて

①コーディネーター:宮部峻(立命館アジア太平洋大学)
②趣旨:
1990年代以降、日本の社会学では、研究手法を「歴史社会学」として位置づける研究が多く生み出されてきた。今日の歴史社会学は、社会学の下位領域として豊かな成果を生み出している。
日本の歴史社会学の諸成果を振り返ったとき、その特徴の一つとして挙げられるのは、方法と実践の多様性である。たとえば、歴史記述を通じて社会学の理論を批判的に再検討する研究もあれば、計量的手法・質的手法により、歴史学者とは異なる視座から歴史記述を試みる研究もある。このように「いかに歴史社会学するか」は、研究によって多様である。
だが、こうした方法と実践の多様性は豊かな成果を生み出す一方、「歴史社会学」と称することによる課題と困難も生じているのではないだろうか。歴史社会学の方法と実践は、研究者が依拠する分野・世代・研究者集団といったコンテクストに強く依存する形で選択されてきた。しかし、方法と実践を選択した理由や問題意識については必ずしも明示化されてこなかった。そのため、分野・世代・研究者集団を超えた「歴史社会学」の共通の基盤が確立されず、歴史社会学者が研究を相互参照したり議論することが困難にもなっている。方法と実践をローカルに独自に洗練化させたことは、国内的には豊かな研究成果を生み出したことにつながった反面、海外の研究者との問題意識の共有、国際的な研究発信の困難にもつながっている。
こうした課題を踏まえ、本テーマセッションでは、歴史社会学の方法と実践を軸に、歴史社会学の成果と課題・困難がどこにあるのかを可視化し、共有することを目指す。1)さまざまな社会学領域(医療、家族、教育、ジェンダー、戦争、都市、福祉、労働など)に根ざした歴史的研究の実践、2)歴史社会学の方法論を洗練させるなかで直面する実践上の成果や困難、等についての報告が期待される。
③使用言語:日本語

 

【11】科学コミュニティ・科学をめぐる価値意識・科学文明

①コーディネーター:栗田宣義(甲南大学)
②趣旨:
科学社会学は、いまや、周辺諸科学へと十二分に浸透し、競合パラダイムをもそのディシプリンに内包するまでに発展を遂げた。国内でのその証左として「科学・技術と社会の会」として発足した科学社会学会の存在や、科学研究費補助金審査区分において、「中区分8: 社会学およびその関連分野」としての社会学(8010)内側ではなく、「科学社会学および科学技術史関連」(1080)として、思想・芸術領域に独立して設けられていることからも窺えよう。加えて、学術出版においても、科学技術社会論など類縁キーワードを含めると、刊行点数は夥しく枚挙に遑がない。では、はたして、現今、科学社会学は、本当に、自立かつ自律したディシプリンたりえているのであろうか。連字符社会学と学際領域との両建を標榜しながらも、矮小化された集合住宅の「安楽な」一室に安住するリスクはないだろうか。そこで、科学、技術、社会、文明のミクロ水準、メゾ水準、マクロ水準の個別分析はもちろん、それらの相互連関やダイナミズムについて社会学的想像力を働かせ関心を抱く諸氏を知的冒険に誘いたい。研究遂行上の制度的ブレークスルーとしては、マートニアン系統の科学社会学、STS、ANT等の諸学派が相互交流を行い生産的に競い集う、オープンな共同研究プロジェクトの創出、それに基づいたSSMやJGSS等に並び準じる科学社会学領域における大規模標準化調査の実施計画の必要性が問われるが、それらに先立ち、知識社会学を思い描いたマンハイムも科学社会学を切り拓いたマートンも到底想像しえない2020年代なかばにおける、われわれの社会学的認識から、今後さらに発展させるべきこれまでの知的資産と乗り越えるべき課題を見極め、もう一度、科学社会学の再構成を行おうではないか。第一に、相互行為が展開されるミクロ水準。第二に、相互行為を励起発動させる諸セクター、制度の規範と価値のメゾ水準。第三に、これらの累積的帰結として、全体社会(whole society)の根幹を左右し、ユートピアという名のディストピアをも含む未来(future)を招きうる科学文明と云うマクロ水準。これら何れか、もしくは、その組み合わせについて、研究報告を行う有志を広く募ります。
③使用言語:日本語

 

【12】「時間の社会学」と社会学的時間批判Ⅱ

①コーディネーター:梅村麦生(神戸大学)
②趣旨:
時間に関する社会学的研究、いわゆる“時間の社会学”のなかで、つねに問われてきたのは、〈時間的なもの〉と〈社会的なもの〉との関わりである。“時間の社会学”の古典的研究から例を挙げると、エミール・デュルケームらのカテゴリー論では、時間カテゴリーという認識の枠組みが、その枠組みを共有する集団生活のリズム、ひいてはその集団の社会構造と結びついていることを示した。さらにピティリム・A・ソローキンとロバート・K・マートンによる社会的時間に関する論考では、都市化と社会分業の進展、交易網や交通網の拡大により、個々の地域とその自然環境や特定の活動による拘束を受けない時間体系が求められるようになり、古代文明の時代から天文学的時間と暦の体系が発展を続け、やがて近代になると時計時間が普及した、と論じている。
そして〈時間的なもの〉と〈社会的なもの〉との関わりが問われるなかで、つねに両儀的な評価を受けてきたのが、〈時間的なもの〉が〈社会的なもの〉に対してもたらす影響である。「時は金なり」と資本主義の精神、時間規律と産業化、抽象的時間概念による旧来の共同体や自然からの解放と疎外、「納期」「締切」による時間圧力、未来のリスクによる連帯の可能性、「共に年をとること」の人間学的意義……等々。
そこで本セッションでは、昨年度に開催されたテーマセッション「「時間の社会学」と社会学的時間批判」に続き、“時間の社会学”の内外で行われてきた社会的時間の批判的研究を主題とする。昨年度のセッションでは、社会的次元における「累積する時間」の構想、「コンサマトリー」概念の再考、プラグマティズムの時間論の系譜、バーバラ・アダムの複数時間論、ハルトムート・ローザの加速理論と共鳴理論、秩序と進歩の観念史、「圧縮された近代」と「非同時的なものの同時性」などのテーマが取り上げられた。本セッションでも昨年度と同様に、取り上げる対象は、理論的、学説史的、経験的な研究の別を問わず、またもちろん、現状の分析を超えたオルタナティブの提示を志向しているかどうかも問わない。さまざまな角度からの研究によって、“時間を社会学的に研究する”ことの今日的な意義について考える機会としたい。

キーワード:時間の社会学、社会的時間、社会学的時間批判、近代批判

③使用言語:日本語

 

【13】論文投稿と査読の社会学-社会学ジャーナリズムの試み

①コーディネーター:樫田美雄(摂南大学)
②趣旨:
本テーマセッション(以下TS)は,「社会学ジャーナリズム」の試みとして,「論文投稿と査読の社会学」の確立を目指すものである.現在の日本の社会学界には,社会学教育を学的に論じるべきニーズが存在している.にもかかわらず,そのニーズが十分に満たされていない.たとえば,法学には法と教育学会や臨床法学教育学会があり,経済学には経済教育学会があるが,社会学には類似の学会組織はない.この欠落を埋めるのに,「社会学教育学会」を組織する手もあるが,中等教育においては学的分野としての社会学は教育制度内に基盤を十分にもっていないため,中等教育教員の会員化をはかることが困難であり,その点を考えれば,日本社会学会内において,上記欠落を埋めることが至当に思われた.
ところで,日本社会学会大会内での発表は社会学研究の発表でなければならないという枠が存在する.しかし,本TSはこの条件を容易に満たすものである.なぜなら,現代社会学は「再帰性」に特別の注目をしてきているので「社会学教育の作動形態そのものの探求」は,「社会学研究」なのである.つまりそれは「社会学の社会学」なのである.そのような枠組で本TSは構想されている.
登壇者カテゴリーとしては,投稿者,査読者,学会誌編集委員経験者,投稿と査読の社会学の理論的研究者,投稿と査読の社会学の実証的研究者の各立場からのエントリーが可能であろう.奮って応募して頂きたい.
なお,この領域の先行研究としては,知識社会学,科学社会学,科学技術社会論,高等教育論等が考えられる.企画者の樫田自身は,『研究道-学的探求の道案内』(東信堂)の編者の一人として,論文執筆から掲載までの諸プロセスの検討に関心を持って研究を進めてきた.だが,今回のTSでは,よりメタレベルの議論(例えば,新しい学術領域が新雑誌の創刊によって成立していく状況の研究等)も歓迎したいと考えているので,まずはエントリーして頂きたい(TS全体としての統一感の保持のため,夏休みに登壇者zoomミーティングを1回開催する予定である).
③使用言語:日本語

 

【14】公共社会学の課題と可能性

①コーディネーター:長谷川公一(尚絅学院大学)
②趣旨:
2004年8月のアメリカ社会学会大会の会長講演で、当時の会長Michael Burawoy が「市民社会との対話」を重視した公共社会学(public sociology)を提唱してから、ちょうど20年になる。賛否両論はあるが、公共社会学という概念やそのような志向性は社会学の世界に定着したと言えよう。
公共社会学は、公共性をめぐる社会学的探究という含意で捉えることもできる。
日本では、この20年の間に公共社会学科を掲げる学部や公共社会学専攻を設置した大学院の開設などがあった。そのほか、公共性を軸とした学際的な科目群を配置して公共学コースを設ける大学院もある。
環境研究や災害・復興の研究、情報、市民社会、地域社会、社会福祉、ジェンダー、マイノリティー、格差や差別、SDGsをめぐる社会学的研究などは、いずれも公共社会学的な問題意識と志向性を内包している。
公共社会学の課題と可能性はどこにあるのか。本セッションでは、公共社会学をめぐる研究および社会学教育にかかわる意欲的な報告を募集したい。
③使用言語:日本語

 

【15】食の社会学にとって「食」とは何か

①コーディネーター:村井重樹(島根県立大学)
②趣旨:
第95回と第96回の日本社会学会大会では、「食を論じることの社会学的可能性」ならびに「食の社会学の射程と輪郭」というテーマセッションがそれぞれ開催された。過去2回の報告内容(計18本)を振り返ってみると、飲食業、骨董趣味、栄養科学・栄養言説、食物アレルギー、オーガニック食品、食肉代替食品、飲酒文化、ノンアルコール飲料、台所文化、子ども食堂、学校給食、食育など、食に関わる幅広い研究テーマが並んでいる。また、それだけでなく、そこでは多彩な研究テーマに対して様々な社会学の理論や調査法を用いた研究成果が発表されてきた。このことは、現代における食研究への関心の高まりと広がりを映し出していると同時に、食が社会学にとって重要な研究分野のひとつになっていることを明確に示している。
では、食の社会学は「食」をどのようなものとして対象化してきた/しているといえるだろうか。食それ自体が分析し記述されるべきひとつの社会現象なのか、それとも食はそれを通して社会のあり方を問うためのひとつの媒体なのかなど、社会学者が食を対象化する目的や意図には様々なものがありうる。そしてそれらには、各自が立脚する社会学理論や方法論だけでなく調査手法や分析手法なども密接に関係しているだろう。本セッションでは、こうした問題関心を導きの糸としながら、食の社会学にとっての「食」の位置づけをあらためて問い返すことで、食の社会学は何を結節点として寄り集まることが可能かについて議論したい。したがって本セッションでは、理論的研究/経験的研究を問わず、食に関わる社会学的研究を幅広く募集する。理論的であれ経験的であれ、食を対象化する意図や目的が何であれ、多様なアプローチに基づく研究を持ち寄り、食の社会学にとって「食」とは何かを検討することによって、今後それぞれが連携し協働する可能性を探るとともに、食の社会学の知見を集積していくための足がかりを築きたい。
③使用言語:日本語

 

【16】デジタル化と親密圏

①コーディネーター:塚越健司(城西大学)
②趣旨:
現代社会では、「デジタル革命」や「DX」といった言葉が示す通り、技術のあらゆる領域でデジタル化が進んでいる。社会学の分野においてもデジタル化を扱う研究が数多く蓄積されつつあるが、本セッションで特に注目したいのは、デジタル化が人々のコミュニケーション、人間関係、自己アイデンティティに及ぼす影響についての研究である。というのは、こうしたテーマがデジタル化の恩恵と負の影響の両面を視野に収めることができるからである。例えばアルゴリズムに基づくマッチングサービスの利用が親密な関係の維持コストを下げたり、SNSが表面的なつながりを多くの友人と保つことを容易にしたりしている一方、オンライン上の匿名の交流では深い信頼関係を築くのが困難になっているとの指摘がある。2023年にはアンソニー・エリオットが著書Algorithmic Intimacyを上梓し、デジタル化の中でも特にAI技術の浸透に注目しながら、親密性の領域を「デジタル化の社会学」の主要な研究対象の一つとして位置づけている。
こうした研究動向をふまえ、本セッションでは「デジタル化と親密圏」というテーマを設定する。親密性ではなく親密圏という言葉を用いることで、議論の対象をロマンティックな関係やセクシュアルな関係だけでなく、家族・友人・同僚など人間関係全般、ノンヒューマンな対象への愛着、あるいは全体主義に対する私的領域など、より多様なものへと拡張を試みる。そうすることで、家族関係や介護にかかわる問題から、ペットロボットや「2次元」といったテーマまで、デジタル化がもたらす影響を多面的に捉えることができるだろう。
デジタル技術には非常に幅広い側面がある。AIにしても、さまざまな形態と機能を持っている。こうした多様性をふまえ、建設的で多角的な論究を募集する。理論的・実証的研究に基づく報告はもちろん、新しい問題提起も歓迎したい。デジタル化が進展するなか、人間関係のあり方を問いなおす有意義な議論が展開されることを強く願っている。
③使用言語:日本語

 

【17】ポピュラー・カルチャーの文化社会学の「知」とその「場所」

①コーディネーター:永田大輔(明星大学等)
②趣旨:
近年マンガ・アニメ・ゲーム(そしてポピュラー音楽)などポピュラー・カルチャーを社会学の課題にすることは従来よりもそのハードルが大きく下がってきたように感じられる。こうした中でキャリアのはじめからポピュラー・カルチャー研究を行う文化社会学の研究者も増加してきている。このことに日本マンガ学会・日本アニメーション学会・ポピュラー音楽学会など各種関連学会の果たしてきた役割は少なくない。これらの学会の知見が積み重なり成熟することで国内に独自の研究領域が立ち現れている。一方でその成熟・独立によりマンガ研究とアニメ研究の関係など隣接研究同士の距離が開きつつある。また特撮や同人文化・アイドル研究など研究の蓄積はあるがこうした学会のみに包摂しきれない知のあり方も存在する。
一方でメディアミックス現象やキャラクター文化の隆盛やそれを横断的に消費するファンなどの現象を捉えるためにも、ポピュラー・カルチャーを横断的に捉える視点も必要になってきている。そうした中で日本メディア学会やカルチュラル・スタディーズ学会、コンテンツ文化史学会など広範なメディア現象・文化現象の中にポピュラー・カルチャーを位置づけようとする動きもあり、これらは国際的な広がりを持つものである。
こうした両面の動きの中でポピュラー・カルチャーを研究する研究者はマンガ研究・メディア研究・文化社会学など複合的な意識のもとに研究を行い、キャリア戦略を持つ必要がある。社会学はこうした知の配置の中でどのように議論を組み立てていけばよいのだろうか。こうした問題は知の学術的な基盤・集団化の問題とも強く関わるものであると同時に個々人の悩みでもあるはずだ。本セッションでは、広くマンガ・アニメ・ゲーム・特撮・アイドル・ポピュラー音楽などのポピュラー・カルチャーの文化社会学的研究を一同に集め、そこで共有できる論点(や悩み)は何であるかを模索できればと考えている。
③使用言語:日本語

 

【18】日本語支援が必要な外国ルーツの子どもの育ち―学校・支援団体・家族の実態調査を中心に―

①コーディネーター:平井晶子(神戸大学)
②趣旨:
近年、日本語指導が必要な外国ルーツの子どもが急増している。伝統的に外国人住民が多い神戸市のような地域においても、従来はそのような子どもがあまりいなかった地方社会においても、外国ルーツの子どもが増えている。量的な変化だけではなく、出身国の多様化、来日経緯の多様化など、質的な変化も著しい。そこでまずは実態調査にもとづく現状把握を進め、課題を明らかにすることが求められている。
本セッションでは、外国ルーツの子ども、とりわけ日本語支援が必要な子どもに焦点を当てた実証研究にもとづく報告を募集する。各地の様々な状況を共有するとともに、今後の支援の在り方について議論する場となることを目指す。
私たち神戸大学社会学研究室では、外国ルーツの子どもの育ち、とりわけ日本語指導が必要な子どもの育ちについて、兵庫県豊岡市ならびに神戸市において幅広く調査を実施してきた。学校については、教育委員会の協力を得ながら、外国ルーツの子どもがいる学校や、日本語指導が必要な児童・生徒が多い学校、人数は少ないけれど新たに日本語指導に取り組む必要が出てきた地域の学校など、60校以上に調査を行ってきた。支援団体についても、支援の実態や課題、学校との関係、親との関係など、10カ所以上で聞き取り調査を行った。
これらの調査を踏まえ、本セッションでは、支援のための制度の実情や問題点、運用状況、学校現場の取り組みや課題、支援団体の活動ならびに課題、(学校や支援の在り方についての)親の考えや希望などについて報告するとともに、他地域での実践的な調査研究についての報告も広く募集し、有意義な情報交換の場とすることを目ざす。
なお、本セッションでは、「日本語支援が必要な子どもの育ち」に関する実証的研究であれば、地域特性や子どもの年齢や、調査対象(学校か、支援団体か、家族など)を限定するものではないが、報告希望が多数の場合は、小中学校の児童・生徒に関する報告を、また非集住地域の報告を優先することが考えられる。
③使用言語:日本語

 

【19】今、なぜアクション・リサーチなのか

①コーディネーター:平井太郎(弘前大学)
②趣旨:
第96回大会では「アクション・リサーチの困難と可能性」と題するテーマ・セッションが開かれた。地域、災害、環境、ジェンダー、食農など多分野の、また当事者研究、オートエスノグラフィ、超学際研究、参加型調査など異なる方法論の報告者が集い、互いに、そしてフロアの人びとと語り合った。
報告者はみな困難を抱えていた。研究と実践それぞれに向き合うほど、その両立は難しく、また立場と応答責任が問われた。拠って立てるように見えた当事者とは誰で、誰の何に寄り添えばよいのかわからなくなっていた。課題は解決どころか複雑化していた。だが、そうした困難から目をそらさず、人びととの対話を続けたとき、可能性が開かれてもいた。それまでと異なる相互認識や集合知が生まれていた。企図を超え出る偶発的でコンサマトリーなプロセスであった。そうした出来事に触発され、記録し分かち合うことこそ、アクション・リサーチと呼べる営みであった。
このような認識が共有しえたのも、テーマ・セッションという対話の場の力に他ならない。そこで今回もその力を信じ幅広い背景をもつ方々と対話を重ねたい。特に、当事者研究をはじめアクション・リサーチと問いと方法を共有する方法論のみなさんに参加していただきたい。エンパワメントやアドボカシー、包摂や共創を志向する研究、生活環境主義や公共社会学、対話型組織開発やライフ・ヒストリーなど複数のアプローチが浮かぶ。それらの蓄積とアクション・リサーチとを重ね合わせたとき開かれる可能性を探究したい。
そのうえで今、なぜアクション・リサーチなのかを共有したい。気候危機や生物多様性をめぐる危機、ジェンダーや障害などをめぐる被害や差別、抑圧の再生産、格差や分断の構造化など厄介なアクチュアリティがありうる。それらに、アクション+リサーチというスモールスケールで困難な越境を通じて向き合うことの歴史性と可能性を確認したいのである。
③使用言語:日本語

 

【20】労働研究と文化研究を架橋する:フィールドと理論の視点から

①コーディネーター:松永伸太朗(長野大学)
②趣旨:
2022年から2023年にかけて、カルチュラル・スタディーズにおける重要な論者の1人であるアンジェラ・マクロビ-の著作の邦訳が続けて出版された。マクロビーの議論では新自由主義・文化産業・ジェンダーの関係性が議論され、文化研究のみならず労働研究としても自発的な働きすぎや労働条件の受容などについて理解するための手がかりが多く記されている。実際に英米圏の労働社会学においても、マクロビーの著作は少なくとも2000年代初頭から現在に至るまで参照され、批判的な乗り越えが試みられている。
これに対して日本国内の社会学の動向をみると、労働研究とカルチュラル・スタディーズ・文化社会学などの文化研究との相互参照関係が相対的には明確ではなかったように思われるが、近年は両者の接近も見られる。『社会学評論』292号の特集「文化社会学の快楽と困難」でも労働社会学分野の研究が言及され(髙橋・中村 2023)、文化生産の現場を捉えようとするプロダクションスタディーズが文化研究の文脈で注目されている。労働社会学の側からも、労働過程論の議論をVIPクラブでファッションモデル等が行う無償労働に応用したアシュリー・ミアーズの著作の翻訳などが近年出版されている。しかしこうした接近は端緒的なものであり、具体的にどのような理論的な関連性があるのかは、まだ体系的に論じられているとはいえない。
本テーマセッションでは、このような労働研究と文化研究が接近している流れを踏まえ通、両者が交差する地点に位置するような研究を集め、労働と文化を扱う研究において今後どのような論点や発展性があるのかについて広く議論したい。労働にとって文化を問うこと、あるいは文化にとって労働を問うことの意義を論じるような理論的研究と、特定のフィールドを通して労働と文化の交差を捉えようとする経験的研究の双方からのエントリーを歓迎する。セッションに寄せられた研究報告に基づき、労働と文化をめぐる多様な社会学的視点のあり方を考える場としたい。
③使用言語:日本語

 

【21】ケアの脱家族化をめざす:「家族からの排除/家族への排除」を越えて

①コーディネーター:高橋涼子(金沢大学)
②趣旨:
年齢、病いや障がいといった様々な要因により、日常生活を保ち支えるケアニーズの充足を他者に依存するヴァルネラブルな人々のケアを行う家族が抱える困難は、仕事との両立問題(近年はビジネスケアラーという語も登場した)、老々介護、8050問題、ヤングケアラー、ワンオペ育児、ダブルケア等々と呼ばれ繰り返し社会問題として提起されてきた。ケア役割と責任は家族メンバー間で均等に分配されてはおらず、暗黙の了解として成人女性に割り当てられることが多いが、それゆえにそれ以外の属性のメンバーが担うと周囲から認知・理解されにくく、社会問題として「発見」されにくいという事態を引き起こす。さらにケア責任を積極的に引き受ける/引き受けようとする家族メンバーが抱く強い責任感は、葛藤や苦悩をもたらすこともある。こうした現状を変えるためにはケアの脱家族化が必要だと考えるが、その射程は個々の家族の感情のありようから政策論まで幅広い。
本テーマセッションではケアの脱家族化の可能性を探るべく、家族によるケアや介護をめぐる具体的な事例を掘り下げるものから福祉政策の策定過程に分け入るものまで、多様な報告を広く募集し、日本の福祉政策の家族依存を支えてきたケアの家族責任を解きほぐし打開する議論を行いたい。筆者が2021年度の第94回日本社会学会大会に向けて応募したテーマセッション「家族からの排除/家族への排除:施設ケアのもつ意味と脱施設化の課題」(日本社会学会ニュースNO.232:9-10、残念ながら報告希望者数が基準に達せず成立しなかった)の問題意識=「家族のみがケアを抱え(家族への排除)、家族がケアしきれない場合には家族から切り離して入所型施設に収容する(家族からの排除)ことになる」現状が引き起こす「インフォーマルなケアラーとしての家族をそのケアの対象者もろとも地域社会から排除」するシステムの転換を構想する場となれば幸いである。
③使用言語:日本語

 

【22】「アーティスト」の社会学――現代社会における表現と創造から考える――

①コーディネーター:高橋かおり(立教大学)
②趣旨:
近年、表現や創造を行う人々=「アーティスト」の実態については、文化社会学を中心に複数の研究が蓄積されてきている。そこでは、彼らの実践の中身が様々な他者との相互行為や、コミュニティ、あるいは文化・芸術産業とのかかわりの中で検討されてきた。個別事例が持つ専門性や独自性はありつつも、不安定な労働形態や労働/非労働の境界の曖昧さ、不明瞭なキャリア、世代・ジェンダー・エスニシティによる格差など、「アーティスト」たちが置かれた現状や困難には、現代社会を反映した共通点が見られる。
一方「アーティスト」に期待される表現や創造の実践は、都市・地域、産業、教育、医療・福祉、家族、歴史、若者・高齢者など、社会学内の様々な領域での議論と接続可能である。例えば、ケアや社会運動におけるアートを用いた実践、創造都市論や美的労働の議論など、表現や創造が当該領域において重視されることで、何らかの変化を生みだしたり、現状打破の手段として作用したりする傾向がある。また、「アーティスト」の養成に関わる教育や、実践を継続する中での家族とのかかわりなども論点となろう。
本テーマセッションは、「アーティスト」が持ちうる様々な要素や機能に着目し、既存の文化社会学にとどまらず、他の連字符社会学に基づく研究も積極的に含めて、総合的な社会学的議論を展開する場としたい。そのうえで『創造的であれ(Be creative)』(McRobbie 2016=2023)といわれる現代社会において、「アーティスト」的役割とはいかなるもので、それを何が支えているのか、また社会学はそれらをどのように研究できるのかを検討する。なお、本テーマセッションでは「アーティスト」の定義をゆるく設定して、何を/誰を「アーティスト」とするのかは報告者に委ねる。多様な「アーティスト」の事例研究に加えて、理論的なアプローチやマクロレベルでの分析なども歓迎する。
③使用言語:日本語

 

【23】触覚の社会学

①コーディネーター:坂井愛理(追手門学院大学)
②趣旨:
本テーマセッションでは、「触覚」への着目が、社会学の理論的・経験的研究に対して与えるインパクトを議論する。近年、哲学や倫理学、美学、認知科学等の領域では、触覚をめぐって、心身二元論的な人間観や、テクノロジー、人間関係と感情のあり方、ならびに自己等の議論を捉えなおそうとする潮流がみられる。触覚には、「触れる」と同時に「触れられる」という相互性の契機がある。このことは、社会学の議論に対していかなる示唆をもたらすだろうか。
・エミール・デュルケム以来の社会学において、感覚性は社会学理論の論点となってきた。近年では、触覚的に生じる社会性についての経験的研究も存在する(Goodwin 2017)。感覚性は社会学理論のいかなるトピックたりうるだろうか。
・ジョナサン・クレーリー(1990=2005)やマーティン・ジェイ(1993=2017)をはじめとして、視覚テクノロジーとの関連から近代的主体について論じられてきた。それでは現代において、視覚を触覚と異なるテクノロジーとして論じること、あるいは複合的なテクノロジーとして位置付けることには、いかなる重要性があるだろうか。社会学の経験的研究は、これらのトピックにいかなる知見を提供しうるだろうか。
・触覚的相互行為が頻発する状況としてケアがある。家族内、友人間、あるいはヘルスケア専門職等とのコミュニケーションで、私たちは様々なやり方で人やモノに触れている。それらの触れ方は、そこでの知覚や情報伝達、指示、あるいは共感のいかなる方法となっているだろうか。経験的研究によって得られる知見は、「間身体性」を基盤とした共感にかんする既存の議論(たとえば、Fuchs 2017など)にいかなる視点を提供するだろうか。
・認知科学の知見と切り結び、現象学がミニマム・セルフ(知覚において生じる自己)の概念を提示して久しい(Gallagher 2000)。近年では知覚的経験とナラティブ・セルフ(時間的広がりを持つ自己)との関係性もまた探求されている(田中編 2023)。これらの議論は社会学の自己論に対していかなる示唆を与えるだろうか。
本テーマセッションは領域横断的な議論を行うことを目指している。経験的研究・理論的研究双方からの報告を期待している。
③使用言語:日本語

 

【24】グローバル時代の人の移動と送出国の役割 The Role of the Sending Country in Global Migration

①コーディネーター:竹中歩(一橋大学)
②趣旨:
社会学分野での移民研究は、受け入れ国の文脈を中心に分析されるものが多かったが、最近では、送り出し(出身)国の視点を取り入れることの重要性が言われるようになった。世界中で人の移動が活発化する今日、移民が受け入れ社会でどう適応するのかは喫緊の課題であるが、この過程を理解するためには、送り出し国の役割も見る必要がある。そもそも、どのような層の人が出国し、移民となっていくのか(移民出国の選別メカニズム)。移動先の社会で、移民は、どのように出身国と紐帯を維持し、そうした紐帯は世代と共にどう変化するのか。送り出し国と受け入れ国をつなぐ中間組織やネットワークには、どのようなものがあるのか。また近年、多くの送り出し側の政府が国外に離散する自国民(とその子孫)との関係を維持・強化しようとする「ディアスポラ政策」が顕著に見られるようになったが、実際、どのような関係が維持されているのか。本セッションでは、こうしたテーマを中心に、人が移動する過程や、移民が新たに社会の一員として適応していく上での送り出し国の役割を考察する。
送り出し国の役割を考えることは、送り出し国(出身国)とは何か、という問いを掲げることでもある。今日、送り出し国と受け入れ国の間を行き来する循環移民や、受け入れ国を経由して第三国へと移り住む再移民も増えている。受け入れ国での移民の受容のあり方が新たな移動を促すこともあり、また実際には、ほとんどの受け入れ国は、自国民を含む多くの人々を排出する送り出し国でもある。本セッションは、送り出し国と受け入れ国の関係を通して、複雑化する移民の形態を探ることを試みるが、日本の事例のみでなく、幅広くグローバルな文脈における研究を歓迎したい。
This session explores the role of the sending society in immigration research. Sociological research on immigration has tended to focus on the receiving context, examining issues such as immigrant assimilation and integration in the host society. Yet, the sending society also shapes the course of immigrant integration in the host society. That is partly because immigrants frequently maintain contact and relations with families and communities back home, and also because the sending state increasingly tries to reach out to ‘its’ diasporas (emigrants and their descendants) in an attempt to maintain and reinforce ties with those who left.
In this light, we solicit papers that address questions, such as (but not limited to):
• How do migrants’ ties to the country of origin affect the course of their integration in the host society?
• How do such ties become transformed over generations, and how do they shape the process of community and identity formation?
• How do the sending country’s policies toward emigrants affect immigrant integration?
• How do immigrants’ integration, in turn, affect the policies and actions of the sending country?
• How do host and home society institutions interact with each other and how are they implicated in the process of global migration?
In the context where the patterns and routes of global migration have grown more diverse and complex, it is important to bring in the role of the sending country as an actor. We also need to interrogate the meaning of the ‘sending’ country, as more and more migrants move back and forth or move on to a third country. Immigrants are simultaneously emigrants, and today’s receiving country may become tomorrow’s sending country.
We welcome papers that challenge the conventional framework of immigration research and focus on a variety of contexts, countries, and populations. A comparative, global perspective is particularly welcome.
③使用言語:日本語