大変残念なことにマイケル・ブラウォイ国際社会学会元会長が2025年2月3日に不慮の交通事故でお亡くなりになりました。私は2006年から2014年まで同学会理事としてブラウォイ氏と親しく交流していたので、彼の突然の死には衝撃を受けています。そして、日本社会学会会長として、2014年世界社会学会議横浜大会を大成功に導いてくれた彼の尽力にはいくら感謝してもしきれません。
そこで日本社会学会として心から哀悼の意を表するために、横浜大会組織委員長としてブラウォイ氏と親交があり、また公共社会学を推進する同志でもある長谷川公一会員に追悼文を執筆していただきました。この追悼文をお読みいただき、ブラウォイ氏の社会学者としての卓越した業績と温かいお人柄に触れていただければ幸いです。
(日本社会学会会長 佐藤嘉倫)
日本時間の2025年2月5日(水)22時23分、アメリカ社会学会会長名で、「マイケル・ブラウォイ元会長に関するメッセージ」という表題のメールが送られてきた。ブラウォイ氏が2月3日ひき逃げ事故にあい亡くなったというものだ。愕然とした。
ブラウォイ氏の突然の逝去は世界の社会学者に大きな衝撃を与えている。2022年に47年間在籍したカリフォルニア大学バークレー校の教授職を引退したとはいえ、77歳のブラウォイ氏は直前まで元気に活動していた。国際社会学会とアメリカ社会学会が主催し、2月8日オンラインで開かれた追悼のイベントでは、ブラウォイ氏と数日前に電話で話したとか、この間会ったばかりだとかいう話が出ていた。
マイケル・ブラウォイ教授(Michael Burawoy、以下敬称略)はアメリカ社会学会と国際社会学会の双方で会長を務められた。両学会の会長経験者は、国際社会学会の初代会長で、都市社会学者のルイス・ワース、ロバート・エンジェルとブラウォイの3名だけである。ブラウォイは公共社会学の提唱者、格差研究、労働社会学、マルクス社会学の理論研究などで著名だ。1947年生まれの彼は、アメリカにおける大学闘争世代を代表する社会学者でもある。
ブラウォイは世界社会学会議横浜大会開催が決定した2008年3月当時、国際社会学会の国際(National Associations)担当の副会長(2006〜10年)であり、2014年横浜大会開催時の会長(2010〜14年)だった。格差拡大の現状に焦点をあてた大会テーマ、Facing an Unequal World: Challenges for Global Sociology は、ブラウォイの発案によるものだ。2011年の東日本大震災、福島原発事故にもかかわらず、横浜大会は幸い100ヶ国から過去最大の6087人が参加し評判も良かったが、横浜大会成功の最大の立役者は、ブラウォイ会長である。2008年11月の日本社会学会大会(於・東北大学)、2010年12月の横浜会場の視察、2014年の大会本番と3回来日し、大会の盛り上げのために文字どおり全力で尽力くださった。ネオリベラリズム時代におけるグローバル・ソシオロジーと市民社会の関係を力説した開会式の会長講演も見事な力演だった。横浜大会を東アジアの大会としたいという日本側の企図を理解し、韓国・中国・台湾のそれぞれの社会学会と協働で開催したサイドイベントにもすべて出席され、スピーチもなさってくださった。大会運営をめぐって、開催国側の代表として、ときにメールなどで激論も交わしたが、終始、卓越した果断なリーダーシップを発揮された。ホスト国側の大会組織委員会の委員長としては、頼りがいのある会長だった。
2014年のアメリカ社会学会大会での会長講演での提唱以来、ブラウォイは公共社会学の牽引役となってきた。専門性に閉塞したアメリカ社会学の現状を批判し、何のための社会学なのかを鋭く問い、「市民社会との対話」を通じての「市民社会の防衛」という社会学の使命をあらためて提示したのである。
阪神淡路大震災、東日本大震災、福島原発事故などをはじめとする災害の現場で、また環境、ジェンダー、差別、貧困、福祉、医療などさまざまの社会問題の最前線で、日本の社会学者は、名もなき当事者の小さな声に耳を傾け、隠れた問題を地道に掘り起こしてきた。ボランティア的にNGOやNPO、地域団体や市民団体などの牽引役をはたしてきた社会学者も少なくない。こうした営為に光をあてたフレーミングこそ「公共社会学」の提唱だった。公共社会学という新たな名づけを得て、行動する社会学者は、またフィールドワーカーは、学問的な正統性と職業的アイデンティティーの再確認をはたすことができたのである。
国際社会学会会長就任後にはじめた新たなプロジェクトがGlobal Dialogue の刊行である(https://globaldialogue.isa-sociology.org/articles)。国際社会学会が2010年から年3回刊行し続けているオープンアクセスのオンライン・マガジンだ。世界各国の社会学や社会問題、社会運動などのカレント・トピックを取り上げる。矢澤修次郎日本社会学会会長(当時)にブラウォイ自らがインタビューした記事(2011年2月号)をはじめとして、2024年12月発行の最新号の「日本社会学会創立100周年記念特集」に至るまで、日本の社会学者も何度も登場している。
学会大会などのプレゼンテーションにおいて、ブラウォイはいつも熱弁を振るった。大きな身振り手振りで、聴衆の心に火を付けた。社会学に関する小話に聴衆が大爆笑したことは忘れられない。時間超過の常習者でもあった。閉幕すると、ブラウォイの周りにはいつも人だかりが出来ていた。決して偉ぶることなく、気さくに応対された。ジョークとユーモアが得意で、いつも当意即妙の返事がかえってきた。カリフォルニアと日本との間の17時間の時差にもかかわらず、ブラウォイからの返信はいつも素早かった。挨拶的な文章を依頼しても、すぐに洒脱な、気の利いた文章を送ってくださった。巨木のような存在感。人間的な味のある、大きな社会学者だった。突然の訃報を得て、世界中の多くの社会学者が、癒されがたい喪失感に苛まれている。
どの国においてもその内外で、さまざまな次元で格差が拡大し、分断と亀裂が深刻化する現代。とくにホワイトハウスが先導して、多様性・公平性・包括性(英語の頭文字からDEIとも表記される)の価値に対するバックラッシュが燃えさかる2025年2月。社会がブラウォイの叡智と発信力と勇気をもっとも必要としているまさにその折の突然の逝去は、かえすがえすも惜しまれてならない。
「過去は決して死なない。過ぎ去ることさえない」。自身の知的生涯を回顧したPublic Sociology(2021年)の序文で、ブラウォイは、作家フォークナーの言葉を引用している。社会学的な知の存在意義を根底から問いかけ、市民社会との対話、グローバルな対話を求め続けたブラウォイの精神も、公共社会学の理念もまた、この言葉のように、永遠に生き続け、語り継がれ、論じられ続けていくことだろう。心からご冥福を祈りたい。
(尚絅学院大学 長谷川 公一)