【1】日本の少子化:原因と帰結、比較によるアプローチ
①コーディネーター:打越文弥(ハーバード大学)
②趣旨:
高所得国で進む出生率の低下は社会の変化を理解する上でも、あるいは政策的にも重要なトピックである。低出生国の中でも、少子化の程度は著しい東アジアや南欧諸国は「超低出生」レジームにあるとされる。その中でも日本は、出生率の低下が早くに始まり、人口減少を迎えている。日本の少子化の直接的な要因として指摘されてきたのは未婚化・晩婚化であり、そうした変化を説明する際には、労働市場の変化や女性の高学歴化、あるいは根強い男女の不平等など、構造的な説明が中心的だった。一方で、ヨーロッパを中心とした少子化の理論は、個人主義的な価値観の浸透を強調する。さらに近年では、低出生国の中でも出生率が比較的高かった北欧諸国でも出生率が減少しており、将来に対する不確実性が拡大していることがその背景にあるとされる。このように、少子化の原因については「百花繚乱」ともいえる状況であるが、それぞれを比較考慮した研究は必ずしも多くない。さらに、「原因」に焦点を当てた研究は多いものの、少子化の「帰結」に着目した研究は少ない。以上を鑑みれば、日本における少子化がなぜ、どのように生じていて、そうした説明は国際的にみてどのように位置付けられるのか、および少子化の帰結として何が見逃されているのか、このような問いを広く考察することが重要であると考えられる。本テーマセッションでは、日本の少子化の理解に資する、新しい視点に基づく研究、とくに、日本とそれ以外の国を比較する研究、日本の中で地域間比較を試みる研究、あるいは学歴や年齢といった人口集団を比較するアプローチなど、広い意味での「比較」に基づいた研究を募りたい。研究手法は量的・質的は問わないが、経験的なデータに基づいた研究を求める。
③使用言語:日本語
【2】災間社会のアクションリサーチ
①コーディネーター:宮本匠(大阪大学大学院人間科学研究科)
②趣旨:
東日本大震災の後、社会学者の仁平典宏氏は、「災間」(さいかん)という概念を提唱した。これは、東日本大震災後の社会を、災「後」ではなく、来る大災害との間である「災間」と捉え、災害時に最も大きな被害を受けるような人たちをいかに支えることができるかという視点から、平時の社会を根本的につくりかえてみようという呼びかけであった。一方、東日本大震災の後の日本社会では、毎年のように、いや1年に複数の災害が起こるようにもなっている。さらに、これら頻発化、激甚化、広域化する災害に対して対応するための社会資源も減少しつつある。地方では、過疎・高齢化、人口減少により、都市では地域共同体の空洞化によって、人々が災害に対応することやそこから復興することが難しくなっている。また市町村合併や行財政改革により行政機能も縮小しており、かつてのようにきめ細やかな住民への支援も難しくなっている。そこで、本セッションでは、仁平氏の提唱した「災間」を、災害と災害の間というよりも、災害の間(なか)、つまり平時と災害時を区別することができずに、常に災害時にあるような状態を表す概念として位置づけなおす。その上で、災害をふくめて社会問題が増加、深刻化するにもかかわらず、それに対応する社会資源が減少するような状況を「災間社会」とし、「災間社会」にはどのような独特の課題が生じうるのか、それを捉える分析枠組みにはどのようなものがあるのか、そしてどのように乗りこえたり受容することができるのかについて、実践的な研究(アクションリサーチ)を通して議論したい。狭い意味での自然災害だけでなく、災害による被害をとりわけ弱者において拡大する人口減少やネオリベラリズム、グローバリゼーション、気候変動等のテーマを含むアクションリサーチを広く募集し、多様な視点からこの問題を考えてみたい。
③使用言語:日本語
【3】アセクシュアル/アロマンティックの社会学に向けて
①コーディネーター:松浦優(東京大学・日本学術振興会)
②趣旨:
近年では、性的マイノリティをめぐる議論の一環として、アセクシュアル(他者に性的惹かれを抱かないこと)やアロマンティック(他者に恋愛的惹かれを抱かないこと)などの人々が可視化されつつある。こうした人々の総称として、Aro/Aceという言葉が使われることもある。日本ではこの5年程度の間に、『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』(明石書店)をはじめ、Aro/Aceに関する入門書が複数刊行されている。
現在の日本の社会学においても、Aro/Aceに関する研究は少しずつ蓄積しつつある。しかしアクセスしやすい日本語での先行研究がいまだ少ないことや、そもそもAro/Ace研究者が少ないために議論の機会が乏しいことなど、研究上のハードルがあると思われる。また、Aro/Ace研究者以外でも、Aro/Aceに関する学術的知見に関心がある人は少なくないが、そうした人々が議論に参加する機会もかぎられている。
そのような状況を踏まえて、本企画ではAro/Aceに関する研究報告を募集したい。「Aro/Aceの人々を対象とした経験的調査」や「Aro/Aceに関する歴史的研究」だけでなく、「Aro/Aceに関連する理論研究」、あるいは「Aro/Aceの観点がさまざまな社会学的研究にもたらす知見や示唆」なども想定している。
Aro/Aceの観点からの研究や知見は、社会におけるセクシュアリティの規範や構造を照らし出すものでもある。さらにAro/Ace研究には、他の領域の社会学に新たな刺激をもたらすポテンシャルもあるだろう。今後のさまざまな研究の展開に向けて、本テーマセッションをAro/Aceに関する研究交流の場としたい。
③使用言語:日本語
【4】進化論と生物学と社会学2.0: 人間行動の総合科学をもとめて、、、
①コーディネーター:尾上正人(奈良大学)
②趣旨:
当テーマセッションは、2018年の第91回日本社会学会において櫻井芳生氏(鹿児島大学)がコーディネートしたテーマセッション「進化論と生物学と社会学」の続編として企図している。この7年間では、その櫻井氏を中心とした科研費研究の成果として『遺伝子社会学の試み』(日本評論社、2021年)が上梓された。大きなトピックとしては2022年に、現生人類とネアンデルタール人の交雑に関するスヴァンテ・ペーボ氏の研究(古代DNAの解析)が、人類学として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した。
また2023年には、ケヴィン・レイランド著Darwin’s Unfinished Symphony(2017年)の邦訳が『人間性の進化的起源』(勁草書房)として出版された。原題の「未完成交響曲」とは、晩年のダーウィンも関心を向けた文化領域における進化論、つまり文化進化論が未だ完成されていないという意味である。が、実際には文化進化論は、今世紀に入って長足の進歩を遂げており、今や社会学や人類学の理論・諸命題をバリバリの理系研究者が数理モデル等を駆使して検証する時代となっている(黒船はもう、すぐそばまで来ている)。
同じレイランドは別の共著Sense and Nonsenseの第2版(2011年)において、人間行動をテーマとする現代進化論を「5つのアプローチ」に整理している。すなわち、人間社会生物学、人間行動生態学、進化心理学、文化進化論、遺伝子-文化共進化(二重継承理論)の5つである。この並びはいくぶん時系列的でもあり、人間行動を割と直接的な適応進化の論理で説明しようとした潮流から、文化の持つ行動への独自の影響力を十分に考慮に入れようとする潮流への、世代交代も示唆されている。そうした新世代の旗手たちが例えばジョゼフ・ヘンリックや、自己家畜化説のヘア&ウッズ夫妻、またエリート過剰生産説のピーター・ターチンだったりする。
このように今世紀の進化論は、従来の生物学的と目されてきた領域を大きく越える発展を見せており、社会学の伝統的領域をも包摂するような越境の科学、総合科学としての様相を呈しつつある。こうした新時代の息吹を感じられるような、多方面からのご報告(批判的な内容も含めて)を期待する。
③使用言語:日本語
【5】デジタル時代の身体データと自己理解: 社会学からの学際的アプローチによる社会調査の新展開
①コーディネーター:志水洋人(名古屋大学)
②趣旨:
現代社会では、センサー技術や小型デバイスの進歩により、個人の身体に関する詳細なデータの収集と分析が可能となった。これには生体信号や生理情報だけでなく、認知、情動、行動に関するデータも含まれる。この現象は、個人の自己理解や健康管理に新たな次元をもたらすとともに、社会学を含む学際的研究にも新たな視座を提供している。
本セッションでは、デジタル技術を介した身体データの収集・分析と、それに基づく自己理解の深化に焦点を当て、その可能性と限界を社会学的観点から検討する。特に、自然科学や工学との対話を視野に入れつつ、身体データを活用した新しい社会調査の手法や、それらがもたらす倫理的・方法論的課題について議論を深める。
具体的には、以下の点について探究する:
1. 身体データの収集・分析技術と、それに基づく自己理解の深化の可能性と限界
2. 身体データを活用した社会学的研究の方法論と混合研究法の可能性
3. 身体データの収集・分析における倫理的配慮、プライバシー保護、データガバナンス
4. デジタル技術を介した身体データの活用が個人のアイデンティティ形成や健康関連行動、社会関係に与える影響
5. 身体データに基づく自己理解と、医療機関、研究機関、企業などによるデータ活用との相互作用
本セッションは公募形式で行い、主に社会学者からの応募を歓迎するが、関連する他分野からの応募も検討する。これにより、社会学の視点を軸としつつ、学際的な観点を取り入れた分析を目指す。
本セッションを通じて、社会学からの学際的アプローチに基づく新たな社会調査の方向性を探り、身体、自己、社会の相互作用に関する洞察を深めることで、この新興領域における社会学研究の発展に寄与することを目的とする。
なお、本セッションのオーガナイザーは、医工連携の研究室・プロジェクトにおいて「ELSI」(Ethical, Legal, and Social Implications:科学技術の倫理的・法的・社会的含意)担当のエスノグラファーとして所属する社会学者である。この背景を活かし、社会学と自然科学・工学の対話の場を提供する。
③使用言語:日本語
【6】現代社会における対面性(face to face)とその変容
①コーディネーター:木村雅史(作新学院大学)
②趣旨:
人が人と直接に会い、対面するとはどのようなことなのか。それには固有の社会的機能があるのか、またはないのか。それは現代社会でどのように変容しているのか。
コロナ禍以降、私たちは対面で行ってきた活動をオンラインに置き換える経験をしてきた。授業や会議、面接、営業、診療、観光などオンライン実施が選択肢に入るようになった活動は数多い。ただ、だからこそ、私たちは、対面でしか果たせない目的、味わえない感情といったものをより意識するようになった。そして近年のAIの登場は、人との相互作用で固有なものは何かを問う必要を生み出している。
対面的相互行為に固有の秩序を想定し、その解明を社会学の主題に据えたのは、アーヴィング・ゴフマンである。対面性の境界が揺らいでいる現在の文脈において、ゴフマンの問いはさらにその重要性を増している。ジョシュア・メイロウィッツがアメリカにおけるテレビ普及の社会的影響を題材に論じたように、新しいメディアがもたらす情報フローは、伝統的な役割や権威を相対化し、公共圏と親密圏の境界を曖昧化するなど、物理的な場所と対面的相互行為が担ってきた社会的機能を弱め、破壊すると捉えられてきた。さらに、オンライン・コミュニケーションが組み込まれた対面的相互行為、いわゆる「セカンドオフライン」状況をふまえれば、対面的相互行為とオンラインを区別する前提自体を問い直すことが必要になってくる。他方で、専門的知識のような抽象的システムに対する信頼形成、集団的アイデンティティや親密性の形成・維持、集合的沸騰による社会の活性化など対面的関係が担い続けている重要な社会的機能を指摘する議論もある。
本テーマセッションでは、以上の理論的な関心のもと、次のような研究報告の交流の場にしたい。フィールドを対面の場面においている研究、たとえば看護や介護の感情労働、対面授業、対人サービス業、地域における居場所の研究。またはSNSなどのコミュニケーションの特質を対面的関係との対比で考察する研究。フィールドワークや参与観察、インタビューのように対面が重視される調査活動や、対面性そのものを理論的に考察する研究。こうした多様な領域から「対面性とは何か、どのような社会的機能を担うのか」を一緒に考える報告を募集したい。
③使用言語:日本語
【7】「インターセクショナリティ」の可能性
①コーディネーター:佐藤文香(一橋大学)
②趣旨:
社会学は、さまざまな差別や不平等に実証的に取り組み、学知を通じて平等で公正な社会の実現に寄与してきた。近年、とくに日本では2020年代に入ってから、「インターセクショナリティ」という概念がその重要な軸となっている。多くの研究会やシンポジウム、訳書や論集、特集号などでこの概念が取り扱われるようになった。
しかし、「インターセクショナリティ」が何を指すのかについては、先行する英語圏の研究においても、「パラダイム」「概念」「フレームワーク」「発見的装置」「分析的感性」等、統一された定義はない。よく引用されるのは、「人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、民族、ネイション、障害の有無、年齢が、一元的で相互に排他的な存在としてではなく、互いに構築し合う現象として作用し、複雑な社会的不平等を形成しているという重要な洞察」のような説明であるが、この概念を理論的、あるいは、実証的な方法論としてどのように用いていくべきなのかについてはいまだ道筋が見えにくい。
「インターセクショナリティ」概念は、とくにフェミニズム・ジェンダーの分野で、もっとも頻繁に言及されている。日本語圏で隆盛をきわめていく一方、これまでに培われてきた諸概念との接続や経験的研究への応用をどうするのかといった課題も多く残されている。ブラックフェミニズムの思索を起源とするインターセクショナリティ概念を日本に持ち込む際に留意すべきポイントとは何か?単なる差異の記述を超えてインターセクショナリティを経験研究に応用するにはどうすべきか?インターセクショナリティを掲げるフェミニズムに陥穽が存在するとすればどのようなことか?本セッションでは、さまざまな角度からの社会学的考察を通じて「インターセクショナリティ」概念をブラッシュアップし、その可能性を探究してみたい。
③使用言語:日本語
【8】社会学のアニマル・ターンをめざして
①コーディネーター:赤川学(東京大学)
②趣旨:
本セッションでは、社会学におけるアニマル・ターンを目指したい。アニマル・ターン(動物論的転回)とは、歴史学、人類学、文学、美学など人文科学ではすでによく知られた概念であり、社会学では、動物を権利や福祉の主体とみなしたり、人間と(人間以外の)動物の関係を分析することによって、自らの人間中心主義を問い直すポストヒューマン社会論に近い関心領域といえよう。
本学会でも、ヒトと動物の社会的共生を構想するペット共生社会論(第92回、94回)、猫と人間の関係深化を基本仮説とする猫社会学(第94回、95回)、犬社会学の逆襲w(第96回)、犬社会学と猫社会学の合同セッション「犬と猫と社会学と。」(第97回)など、猫や犬を中心としながらも、動物と人間の関係に関するテーマセッションが継続的に開催されてきた。今年度はこれまでの展開を踏まえつつ、猫と犬以外の動物にも対象を拡大して、社会学のアニマル・ターンという観点からの報告を期待したい。
とはいえ、一から始める必要はなく、社会学にも人間と動物の関係を扱ってきた先行研究は少なくない。犬社会学を牽引する大倉健宏の報告(2024年)によれば、①種としての動物論(真木悠介2008=2020,ましこひでのり2013,橋本和孝2023)、②ペットロス研究(大村英昭2008, 新島典子2014, 2015)、③家族社会学におけるペット研究(山田昌弘2004=2007,田淵六郎 1998)、④獣害論(丸山康司1997, 牧野篤史2011, 閻美芳2017)、⑤災害避難(梶原はづき2019)、⑥新たな社会学におけるペット研究(大倉健宏2016, 遠藤薫 2023,赤川学ほか2024)など複数の水脈がある。これら先行研究の肩の上に乗りながら、人間と動物の関係について記述し、考察し、分析する研究であれば、広くアニマル・ターンの一翼を担うことができるであろう。属性や専門分野の壁を越えた、幅広い参加を期待したい。
③使用言語:日本語
【9】国立地域の障害者をめぐる運動と地域
①コーディネーター:三井さよ(法政大学)
②趣旨:
今回大会会場(一橋大学)のある国立市は、障害者運動の歴史においてもしばしば言及される地であり、2015年には「国立市誰もがあたりまえに暮らすまちにするための「しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言」の条例」が制定されるなど、先進的な取り組みが多くなされてきた地域である。このような国立市はいかにして育まれてきたのか。本テーマセッションでは、その軌跡をたどりたい。
具体的には、障害者運動団体や支援団体から、あるいは公民館をはじめとしたさまざまな場づくりの試みから、また滝乃川学園などの入所施設の側からなど、多角的な視野から障害者をめぐる運動と地域の歴史を捉えかえしていけたらと考えている。
いわゆる障害者運動というと、CILなど身体障害者を中心としたものがクローズアップされがちだが、障害者本人やその周囲には、より多様な人たちが存在しており、それぞれがそれぞれの形で、障害者が「あたりまえに暮らす」ことを模索してきた。それらの動きは、お互いに反目することもあったり、批判し合うこともあったりし、「運動」と自らを名乗らないものも多い。だが、ひとつの地域という観点からすれば、実は相互にかなり影響し合っており、「運動」と名乗らない動きもまた「運動」に影響を与え、「運動」から強い影響を受けてもいる。国立市とその周辺というひとつの地域に絞って取り上げることで、これらの具体的な相互影響を明らかにし、障害者をめぐる「運動」や「地域」について、より深く考察することができるのではないか。
また、大会会場の地元の活動を取り上げることにより、社会学と地域との関係を育む手がかりのひとつとなるだろう。テーマセッションに採択された場合は、日本社会学会に普段はかかわらない人たちにも広く参加を呼び掛けたい。
③使用言語:日本語
【10】Future Sociologyに向けて(再論):未来への応答と社会学
①コーディネーター:立川雅司(名古屋大学)
②趣旨:
本セッションは、昨年度大会のテーマセッション「Future Sociologyに向けて:未来を予測し、構想し、創造する社会学の可能性」を受けて、さらに検討を深めるセッションとしたい。昨年のセッションでは、未来を創造する社会学としてFuture Sociologyの可能性を追求することを目的として、社会構想の社会学の系譜と課題、フューチャーデザイン(FD)の提案とその社会実装の可能性(未来省の構想など)、デジタル民主主義、市民社会論の可能性などの論点が報告された。その後の討論では、FDと民主主義との関係(将来世代の独裁?)、未来の構想と歴史観との関連、実験経済学的視点と社会学との違いなど、未来をだれがどのような立場で構想しうるのか、社会学はそうした構想にどのように関与しうるのか、活発な議論がなされた。
社会学は、その出発点から社会の変動に際して、ありうべき社会を構想しようとしてきたが、そうした新たな社会における個人のあり方にはそれほど関心を向けてこなかった。この点、FDは、仮想将来世代人を演じる人々に価値観の変化が生じたことを実験的に見出しており、その意味で、マクロ/ミクロの知見における補完性が生じているともいえる。
しかし、昨年も議論された、熟議民主主義や市民社会との関連、社会学が関心を寄せてきた社会構造や制度・文化との接続、さらには地球環境問題が要請する強い持続可能性と行為主体性との関連、Non-Humanなアクターの役割など、人新世におけるFuture Sociologyに向けて議論すべき論点は多い。
フューチャーデザインとの関連に限らず、未来(とその構想)に対して社会学がどのように応答しうるのか、改めて多角的な議論を行う機会としたい。
③使用言語:日本語
【11】日本における食の社会学の確立にむけて
①コーディネーター:安井大輔(立命館大学)
②趣旨:
第95回日本社会学会大会(2022年11月12日、追手門学院大学)で「食を論じることの社会学的可能性」で食に関するテーマセッションを開催して以来、第96回大会(2023年10月8日、立正大学)では「食の社会学の射程と輪郭」、第97回大会(2024年11月9日、京都産業大学)では「食の社会学にとって「食」とは何か」と、食の社会学のテーマセッションを継続してきた。今年度も引き続き、食研究を展開していきたい。
過去3年間にさまざまなテーマが論じられてきた。ざっと概観すると、
・食と科学的知識・制度(牛乳配給事業と栄養科学、家庭料理における栄養学の浸透、結核患者の食事療法、飲食産業におけるジャンル成立の要件、再帰的近代化と日本の食、イタリアの国民アイデンティティと食)
・食物摂取をめぐる課題・新技術(食物アレルギーのある子ども・成人へのケア、食肉代替食品をめぐる社会意識)
・食をめぐるモノ・空間・場所(骨董雑誌にみる食器の趣味、民藝運動における器と食の雑誌分析、オーセンティックバーにおける酩酊経験、サードプレイスとしてのモクテルバー、システムキッチンをめぐる冷戦史、食事実践と社会関係、福祉レジーム論における子ども食堂)
などがある。研究対象だけでなく、対象に対するアプローチにおいても、実証的な質的・量的な社会調査に加え、史資料批判や理論構築、思想史・言説分析など、非常に多彩な方法による分析が行われてきた。
今年度もこの流れを受けて食に関する社会学的研究を広く募集したい。食物をめぐるモノ論・文化論、場所論、食事をめぐる相互行為論、社会問題論、歴史社会学、地域比較・国際比較など、多彩な対象・方法の研究を想定しているが、農林漁業、フードシステム、身体、健康、動物、環境など食と関連して論じられる研究発表についても、引き続き歓迎する。
本セッションはこれまで国内・海外の食の社会学研究を紹介し、食に関心を持つ研究者たちの発表の場として機能してきた。今後は、個々の研究の目的や方法を俯瞰し、日本における食の社会学の可能性や、食を論じる社会学的分析の妥当性についても協議していく必要があると考えており、セッションはそうした議論を共有する場になることも期待している。
③使用言語:日本語
【12】何をすることが歴史社会学なのか:実践間の対話を目指して
①コーディネーター:坂井晃介(神戸大学)
②趣旨:
社会学の様々な実践のなかでも、歴史的アプローチはその位置づけが困難なもののひとつである。日本語圏では「歴史社会学」という下位分野が一貫して発展してきたとは言い難く、むしろ教育や家族、宗教といった各領域の内部で歴史的分析が進められてきた側面がある。他方でアプローチ面でも、言説分析や構築主義、オーラルヒストリー、計量分析など、様々な方法論や方法を駆使した史資料・データを用いる社会学的な歴史研究が個別に発展してきた。しかしその個別的蓄積ゆえに、諸実践の広がりや特性のバリエーションを全体として把握するには見通しが悪くなっている。さらにはこうした事情から、「歴史社会学」という呼称そのものへの忌避や懐疑もみられ、その結果、歴史研究を「社会学的に」遂行するとはいかなることかについての議論が十分になされてこなかった。
そこで本テーマセッションでは、社会学的な歴史研究の諸実践に関する報告を幅広く募集する。例えば重要なテーマとなりうるのは次の点である。
(1)史資料・データの扱い方:非刊行史料やオーラルデータ、過去の社会調査データなどを収集・分析することの可能性や限界・課題、あるいは「一次史料/二次史料」といった史資料上の性質に基づく区別がはらむ問題とはいかなるものか。(2)理論や方法の複数の位相:理論や方法の役割はいかなるものであり、記述・分析の中にとってどのような意味を持つのか。(3)研究の文脈化:他分野における歴史研究の蓄積の中でいかに「社会学的な」歴史研究として自身の実践を位置付けるのか。
こうした論点を主題化する報告だけでなく、個別の研究実践のなかでこれらの論点を遂行的に浮かび上がらせる報告も期待する。「歴史社会学」という呼称にこだわることなく、幅広く社会学分野で歴史的な視座から研究を進める研究者が対話を通じて議論を深める場としたい。
③使用言語:日本語
【13】「地域活性化」を問い直す
①コーディネーター:芦田裕介(神奈川大学)
②趣旨:
日本社会においては、人口減少に伴う少子高齢化の進展、生産年齢人口の減少により、国内需要の減少による経済規模の縮小、労働力不足、医療・介護費の増大、自治体の財政難、そして地域社会の担い手の減少など、様々な社会的課題の深刻化が危惧されている。こうした現状に対し、各地域では多様な主体が地域の課題を解決することで「地域活性化」を目指す流れがある。それらは例えば、移住・定住の促進、地域資源の活用、観光コンテンツの開発など、さまざまな「まちづくり」「地域づくり」の動きとして現れている。実際に地域社会で暮らす人々は、本人の意向に関わらず、このような動向と無関係ではいられない。また、こうした状況を背景として、全国各地の大学においては「地域貢献」が求められており、社会学の研究者も「地域活性化」の動きに否応なく巻き込まれることになる。
現代社会においては、このように地域の存続・発展を是とし、そのために課題の解決をおこなっていくことが肝要であるという、地域の活性化をめぐる知の枠組みが、人々の志向(思考)を規定している。本テーマセッションでは、このような知の枠組みを、「地域活性化フレーム」(渡邉ほか編2023)と呼ぶ。地域活性化フレームの問題点は、地域の人々の多様な実践を、「活性化に寄与するか否か」という狭い枠に押し込めて評価し、起こっている現実をゆがめて解釈・提示してしまう恐れがあるというところにある。さらに地域活性化フレームに基づいた国の政策や人びとの言動が、ときに人びとの多様な生き方を否定し、生きづらさにつながるという問題点も存在する。
本セッションでは、こうした「地域活性化フレーム」を批判的に捉え、地域活性化を取り巻く力学について多角的な視点から検討することを目的とする。本セッションにおける研究報告については、事例研究のみならず、政策やメディアの言説の分析、歴史や理論に関する検討、大学教育における地域との関わりの問題なども含め、幅広く「地域活性化」を問い直すような内容を対象とする。
③使用言語:日本語
【14】科学・技術の担い手たちとその変動:コミュニティ・ネットワーク・価値意識・文明論の観点から
①コーディネーター:立石裕二(関西学院大学)
②趣旨:
本セッションは、2023年・2024年のテーマセッション「科学コミュニティ・科学をめぐる価値意識・科学文明」の問題意識を引き継ぎ、現代社会における科学・技術のあり方をさまざまな角度から問い直す機会としたい。今日では、「スマホ育児」に象徴されるように、あらゆる人間関係に科学・技術が深く浸透している一方、それらを生み出し、担っている人々の姿が見えにくくなっている。職業分類でいう「専門的・技術的職業従事者」の割合は増えているにもかかわらず、かつてマンハイムやブルアが論じた、(細分化された領域の“専門家”という枠を超えた)公的な論争の主体としての「知識人」「科学者」「技術者」は見えにくくなり、集団としての自己認識や価値意識も弱まっているように思われる。また、公の場で発言を行ったとしても、その影響力は著しく低下している。こうした科学者や技術者のあり方に対する批判的分析を担う科学社会学においても、知識社会学やマクロ社会分析といった文脈から切り離して科学知識を論じる傾向が見受けられたり、社会理論の変革を明確に志向していたB・ラトゥールのアクターネットワーク理論を、ラボ研究のひとつの方法論として受容するにとどまるなど、より広い社会的視野がもとめられる場合が少なからず存在する。本セッションでは、科学・技術・社会・文明の相互連関に関わり、社会学的想像力を働かせる研究を広く募りたい。具体的には、(1)相互行為が展開されるミクロ水準、(2)相互行為を励起・発動する制度や諸セクターの規範と価値が関わるメゾ水準、(3)それらの累積的帰結として、全体社会(whole society)の根幹を左右し、時にユートピアあるいはディストピアを招きうる科学文明というマクロ水準――のいずれか、あるいはそれらを組み合わせた視角(こうした水準分けの妥当性を問い直す視角)からの研究報告を歓迎する。「科学社会学」という領域社会学にとどまらず、科学・技術と社会の境界において生じている社会現象に関心をもつ幅広い方々の積極的な応募・参加をお待ちしております。
③使用言語:日本語
【15】戦後日本における質的社会調査の豊かな<鉱脈>を掘り起こす
①コーディネーター:小林多寿子(一橋大学)
②趣旨:
戦後日本において多種多様な質的調査がおこなわれてきた。それらは社会学の領域にとどまるものではない。隣接関連領域を含め、社会学内外において質的調査研究は、着手され、多くの蓄積を残してきた。
このセッションは、戦後日本でおこなわれてきた質的社会調査の豊かさに目を向け、それらの現在的な意義を考えることを目的とする。たとえば1977年に出版された中野卓の『口述の生活史』は、「ライフヒストリーの社会学」、そして「フィールドとしての個人」(佐藤健二 1995)という研究領域を切り拓く契機となり、日本の社会学における質的調査の可能性を広げるものとなった。しかし、「生活史」や「生活」への着目は、中野卓の研究から始まったわけではない。個人の歴史に注目し、生活を記述しようとする試みは、農村研究や労働研究、貧困などを把握する営みにおいて戦前よりなされてきたし、生活綴方運動や生活記録運動といった民衆運動としても展開されてきた。また、「生活史」調査は戦争体験を明らかにするための手法としても用いられてきた。
本セッションでは、戦後日本でおこなわれてきた質的調査――とくに当該の領域や専門以外ではあまり光を当てられることのなかった調査や日本の社会学が他の隣接領域と未分化であった時代の調査研究――の豊穣さに着目し、それぞれの視点と方法を再検討していく。当時の質的社会調査の視点と方法は、現代日本の社会学においてどのように受け継がれているのだろうか。あるいは、どの視点や方法が受け継がれ、いかなる部分が忘却されてきたのだろうか。それらをいま一度再考し、現在の質的調査研究の展開につらなる系譜のなかに位置づけなおし、新たな継承可能性を考える。
多種多様な質的調査を単線的な「社会調査史」として描くのではなく、いくつもの質的調査の営みをそれぞれ豊かな<鉱脈>として掘り起こす。それを通じて、過去におこなわれた質的調査は現代日本においていかなる意味を持ちうるのかを議論していきたい。
③使用言語:日本語
【16】さまざまな運動行為の記述・分析
①コーディネーター:濱西栄司(ノートルダム清心女子大学文学部)
②趣旨:
本テーマセッションでは、社会を変えようとしてなされる具体的な活動そのもの(運動行為)をとりあげる。 公的空間でのデモ行進や抗議集会のように、政府や世論に広く影響を与えようとする活動もあれば、不利な立場に置かれた人々への・によるサービスや商品の提供活動(ソーシャルビジネス、クリティカルビジネス)もある。政治家や影響力のある個人に直接、働きかけるロビー活動もあれば、裁判や署名の活動、勉強会や屋内集会、様々な対話的実践もあるだろう。独裁国家や権威主義体制における様々な日常的抵抗もあれば、SNS上のアクションもある。変えようという意図があるのであれば、実際に変えられる・変えられたのかどうかは問わない。 他方で、当事者の意図に関わらず、その活動の存在が社会を変える効果を持つような逸脱的行動や群衆的行動、ビジネス、また社会センターや組合事務所の維持の活動もあるだろう。それらも本テーマセッションの対象に含まれる。社会が変わるのを止めようとする活動も、歴史的な事例も、もちろん対象になる。 その上で、本セッションでは、<社会を変えようとする人々がじっさいに行う多種多様な運動行為そのものの様子・展開を一つ一つ、ある程度、具体的に、丁寧に記述するような報告(少なくとも記述を一部に含む報告)>をしていただければありがたい。これまでの研究では、国内外問わず、実はあまりそのような記述がなされてこなかったからである。今後、運動行為のより本格的な分析を進めるうえでも土台になるはずである。 参考 Graeber, D., 2009, Direct Action: An Ethnography, AK. Press. 山口周、2024、『クリティカル・ビジネス・パラダイム:社会運動とビジネスの交わるところ』プレジデント社 濱西栄司、2025、『社会運動は何を行うのか:運動行為論の構築へ向けて』新泉社
③使用言語:日本語
【17】「団地の社会学」の現在
①コーディネーター:新田雅子(札幌学院大学)
②趣旨:
終戦直後は引き揚げや戦災による圧倒的な住宅難への対策、その後高度経済成長期にかけては都市に流入した労働者世帯への住宅供給をねらいとして開発・供給された各地の大規模住宅団地は、きわめて多様な視角から、社会学的探究のフィールドとなっている。 その由来から都市と農村という区別で言えば都市社会学の対象といえるが、社会変動とともにコミュニティが形成され、変容し、再生が目指される場としては地域社会学の主題でもある。2000年代に入ってからは特に、団地での単身中高年者の孤独死がクローズアップされ、外国人居住者の割合が急激に増加した大都市部の団地においては異文化間摩擦が社会的問題化した。また、公営住宅はセーフティネットとしての機能を有するため、高齢者をはじめとする福祉的ニーズの高い層が集まりやすく、福祉社会学の領域としても位置づけられる。その立場からは、公営/UR(旧公団)/公社の区分と、分譲/賃貸の区別を抜きにした団地研究はあり得ない。 他方で、今にいたる大規模住宅団地は建築学や都市工学の成果であり、立て替えを含めた地区計画や、商店街も巻き込んでのまちづくり、あるいは多様な連携や協働によるリノベーション等々、新たな「工学系」の取り組みが各地の団地で行われている。そうした団地再生の文脈には、昭和ノスタルジア的な意味合いを超えた、暮らしの場としての再評価が含まれるようになってきた。すなわち、少子高齢化を伴う人口減少が急激に進むなかで、徒歩圏で生活の基盤が整う団地の機能性や、顔が見える関係を可能にする構造的有意性などが価値を増しつつある。文化装置としての団地を対象とする文化社会学あるいは歴史社会学的な研究は、レトロスペクティヴでありながら未来志向の研究成果を提供している。 また、大規模住宅団地のロケーションはニュータウン開発とともに郊外進出した大学と近接する場合が多く、それもあって団地と大学との連携事業が全国各地で行われている。ここまで述べてきた、団地がもたらす多角的なテーマ性は、社会学の実践教育のフィールドとしての意義を体現している。 以上のように、「団地の社会学」という大箱に詰め込める素材は多岐にわたる。その中身は未だ出そろっているとは言えないし、この場に集った研究も、まったく別方向を向いたままで終わるかもしれない。しかし集まってみた結果として、何か大きな理論ないし思想に繋がる道筋が見える可能性も無くはないだろう。
③使用言語:日本語
【18】鶴見俊輔の社会学的再評価にむけて
①コーディネーター:寺田征也(明星大学)
②趣旨:
鶴見俊輔の仕事はどこか社会学的な雰囲気を纏っている。かれはいわゆる「社会学者」ではないが、その仕事の一端は社会学者たちにとって魅力的であり続けてきていると言ってよいだろう。 限界芸術論は大衆文化を論じるなかでしばしば言及され(例えば粟谷 2018)、ディスコミュニケーション論は社会学的なコミュニケーション論や自己論に取り入れられることがある(例えば奥村 2013)。「社会学」では無いものを「社会学」として読むこともまた「社会学」であると言えなくもないが、いずれにせよ鶴見の多岐にわたる仕事は「社会学」を豊かにする「何か」を有しているのだろう。その「何か」が明示ないし言語化されないままに。 2015年の逝去以降、評伝(黒川 2018)や新たな鶴見論(例えば谷川 2022)が刊行されてきた。そのなかには、社会学者による論考もみられる(粟谷 2023、寺田 2024、松井 2024)。今日、鶴見俊輔を「社会学」として再評価する機運が高まっているといえる。かれの仕事や思想の社会学的な可能性および社会学としての再評価に向けた本格的な議論がいま必要である。 鶴見俊輔に迫るには、哲学、大衆文化論(漫画論など)、社会運動論(ベ平連など)、プラグマティズム・記号論、教育論、アメリカ論、政治思想、宗教論、カルチュラル・スタディーズ…など種々の切り口がある。本テーマセッションは、それらを「いとぐち」としながら、近年の研究状況の流れを踏まえつつ「改めて、鶴見俊輔の仕事はどのような社会学であるのか?」を議論していきたい。その上で、社会学(者)が鶴見の何に社会学的な魅力を感取しているのかを考えていきたい。 今年2025年は鶴見の没後10年である。そのことを機会に、鶴見俊輔の再評価(および再批判?)と社会学的可能性を深める場となること、また今後の持続的な鶴見俊輔研究とそのための研究者同士の関係形成の場になることを期待する。
③使用言語:日本語
【19】批判理論の新潮流 ーフランクフルト社会研究所創設100年から批判理論次の100年へー
①コーディネーター:出口剛司(東京大学)
②趣旨:
現代の批判理論は、いかなる新たな社会認識の地平を切り拓くのか。 創設100周年を迎えたフランクフルト社会研究所の歴史の中でも、1930年代のM. ホルクハイマーの定式以来、いわゆるフランクフルト学派は「批判理論(Kritische Theorie)」と呼ばれる独自の理論形式によって、同時の批判的考察及びその病理診断に取り組んできた。こうした営為の遺産は、古典的な批判概念である「疎外」「物象化」にはじまり、批判理論独自の視座に支えられた命題「自由からの闘争」「啓蒙の弁証法」「システムによる生活世界の植民地化」「承認をめぐる闘争」として社会学においても広く共有されている。 しかし、現代世界に眼を転じると、欧米諸国では新自由主義が定着すると同時に自国第一主義、極右勢力が台頭し、国際社会全体を見渡せば、欧米に対抗する力学として中国、インド、グローバルサウスの影響力がますます強まっている。 それらに対峙する批判理論の内部でも、福祉国家における「生活世界の植民地化」に対し、新自由委主義的な「公的」領域の後退を意味する「再封建化テーゼ」、福祉国家から新自由主義への転換を解明する「資本主義的近代化のパラドクス」、さらには権威主義的ポピュリズムの批判的分析、自然環境との関係性を問い直す「世界関係の社会学」「生活形式論」などが生み出されている。さらに理論的傾向として、近年の存在論的転回に呼応する唯物論の再評価、グローバル化の現実を踏まえたポストコロニアル的視座の取り込みなども指摘できる。 本セッションでは、こうした内外の現実をにらみ、批判理論の歴史やその遺産を解明し、新たな可能性を日本から構想し、発信する試みを募集したい。その先駆けとして、すでに『思想』上において「特集・フランクフルト学派と社会研究所創設の100年」が企画・発行されている(『思想』2024年12月号No.1208、岩波書店)。
③使用言語:日本語
【20】障害学における「障害の社会モデル」と他領域の間の対話
①コーディネーター:岡村逸郎(東京家政学院大学)
②趣旨:
本セッションでは,障害学で議論が蓄積される「障害の社会モデル」と,他領域における「障害の社会モデル」を参照する研究や同型の発想にもとづく研究の間の対話を試みる.「障害の社会モデル」は,ジェンダー/フェミニズム研究などの影響を受けている.他領域では,現在,「障害の社会モデル」の影響を受けた研究上の展開がある.たとえば,批判的犯罪学や教育研究における議論だ.それらの議論は,各領域のキーワードを使い,「〇〇の社会モデル」と名づけられることもある.こうした議論においては,問題の個人化が拒否され,「社会の問題」が問われることが多い.他領域における社会モデルに関する議論と,本来の「障害の社会モデル」の主張の関係性は,検討される必要がある. 障害研究の領域でも,「障害の社会モデル」が再検討の対象になっている.「障害の社会モデル」は,日本でも法制度に導入された.だがその法制度は,「障害の個人モデル」が密輸されているため,社会モデル的な把握が不徹底であることが指摘される(飯野ほか 2022).「障害の社会モデル」は,理論上も,それ自体に対する批判を経由した状況のもとで,再検討の対象になっている.その過程で障害学に蓄積された豊富な知見は,他領域において「社会モデル」的な展開を図るうえで,有用だろう.「障害の社会モデル」をキーワードにする領域横断的な対話を行なうことは,社会学理論の洗練や社会的な実践の進展に役立つ可能性がある. 「障害の社会モデル」に学ぶ研究は,社会学のさまざまな領域で行なわれていそうだ.本テーマセッションでは,複数の専門領域の間の架橋を試みる.そのため,十全に組み立てられた議論を最初から目指すのではなく,誤りをおそれずに挑戦する姿勢を重視する.多様な領域の研究者に広く議論への参加を呼びかけたい. [引用文献] 飯野由里子・星加良司・西倉実季,2022,『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方』生活書院.
③使用言語:日本語
【21】社会学方法論としてのオートエスノグラフィー
①コーディネーター:桂悠介(日本学術振興会)
②趣旨:
2000年代以降、研究者自身の経験を焦点化するオートエスノグラフィー(AE)による研究が増加し、日本でも近年、学際的なコミュニティができつつある。しかし、英語圏ではキャロリン・エリス、アーサー・ボクナーら社会学者がAEを牽引したのに対し、日本では社会学的方法論としてまとまった議論が十分に行われてきたとは言いがたい。そこで本セッションでは、以下の二つの角度から報告を募り、社会学におけるAE、ひいては質的研究法の可能性を議論・共有する。 一つ目は、AEの方法論的検討である。研究手法としてのAEへの批判に対しては、客観性の担保を目指す「分析的AE」の立場が表明されてきた。他方で、感情や主観性の記述、および受け手との対話を重視する「喚起的AE」の立場もある。前者が一般的な意味での理論的貢献を志向するのに対し、後者は「理論としての物語」の意義を強調し、「理論」自体の意味を捉えなおす。さらに、価値中立性、ポジショナリティ、マイノリティ/マジョリティ、当事者性といった諸概念が、AEによってどのように再解釈されうるかも問われる。加えて、ライフヒストリー/ストーリー研究、アクションリサーチ、当事者研究等との連接や異同も重要となる。 二つ目として、本セッション自体を多様なAEの発表機会とする。これまでに喚起的AE、分析的AEに加え、批判的AE、協働的AE、対話的AE、パフォーマンスAE、熟慮的AE、アブダクティブAEなど様々なアプローチが提起されている(土元・桂・サトウ編 2025)。多様なAEのアプローチにより各々の研究主題を論じ、表現することで、新たな知見の提起、オーディエンスとの相互作用、社会構造とエージェンシーの関係性の提示、倫理的課題の検討、詩や映像、アートとの接合可能性などを実践的に探究する場とする。 土元哲平・桂悠介・サトウタツヤ編 2025(近刊) 『ワードマップ オートエスノグラフィー・マッピング』新曜社。
③使用言語:日本語
【22】表現基盤の(文化)社会学に向けて
①コーディネーター:永田大輔(明治学院大学等)
②趣旨:
これまで文学や音楽・映像文化や芸術などの表現に関する様々な文化について、例えば文学社会学や音楽社会学・芸術社会学等は文学・音楽学・美学などとは異なる形で社会学的な研究のアプローチが目指されてきた。近年ではそうした動向の一つとして芸術生産に関する社会学的な研究や文化産業を支える労働者等にも研究上の注目が集まってきている。本セッションではそうした研究動向も念頭に置きつつ、表現を支える様々なアクターに注目しその知見を拡張していくことを試みる。具体的には本セッションでは、様々な表現について、その「基盤」となるものに注目するという視点からの様々な研究を募集する。 この基盤という言葉ではその担い手となる表現者はもちろんのこと、様々な周辺の生産を支える労働者への注目や、技術や放送網などのインフラ、ウェブサービスのアーキテクチャーといった点も含意している。またポピュラーカルチャーであればその表現の受け手・消費者への意識の問題やその消費者に対して情報がどのような形で届くのかという流通などもこの「基盤」という語で念頭に置いている。また表現と知の関係、例えば表現を研究する上での知の場所(やグローバルに表現が展開される中での知の地政学)的な議論や表現とそのメタ表現(批評)との関係も含めうるだろう。 こうした課題は様々な領域の分断を乗り越えて取り組まれる必要がある。例えばカルチュラル・スタディーズの研究と労働研究はこれまで断絶して取り組まれてきたし、消費者の研究と表現の作り手の研究は断絶して取り組まれてきた。しかし、現代の複雑化する文化を考えるうえではこうした分断が乗り越えて取り組んでいく必要がある。そうした点から様々な分野からの表現の基盤に関する多様な議論を持ち寄ってくれる方々の応募を期待する。
③使用言語:日本語
【23】触覚の社会学(2)
①コーディネーター:坂井愛理(追手門学院大学)
②趣旨:
近年、哲学や倫理学、美学、認知科学等の領域では、触覚をめぐって、心身二元論的な人間観や、テクノロジー、人間関係と感情のあり方、ならびに自己等の議論を捉えなおそうとする潮流がみられる。触覚には、「触れる」と同時に「触れられる」という相互性の契機がある。このことは、社会学の議論に対していかなる示唆をもたらすだろうか。本テーマセッションでは、「触覚」への着目が、社会学の理論的・経験的研究に対して与えるインパクトを議論する。 2回目となる本年度は、触覚と他の知覚・感覚様式、あるいはモノや技術との関係について考える。メルロ=ポンティは『知覚の現象学』の中で、視覚・触覚・嗅覚などを独立した感官として捉えるのではなく、それらが混ざり合う「共感覚」について論じている。エスノメソドロジー・会話分析は、様式転換(modality transformation, Nishizaka and Suzuki 2024)の概念に代表されるように、触覚と視覚・聴覚・運動感覚などの結びつきを媒介とした方法論を提唱している。あるいは昨今のモビリティ・スタディーズをはじめとして、社会空間を物質性の側から記述しなおす試みもなされている。それでは、私たちが見る(観察する)とき、触覚はどのように用いられているのだろうか?あるいは、私たちは見ることで、どのように他者の触覚、あるいはモノの肌触りを理解しているのだろうか?触覚は、私たちの見ることにとっていかなるインターフェイスになりうるだろうか? 本テーマセッションは領域横断的な議論を行うことを目指している。「感覚するものと感覚されるもの」との関係について、さまざまな領域からの報告を期待する。
③使用言語:日本語
【24】「持続可能な社会」のための社会学
①コーディネーター:湯浅陽一(関東学院大学)
②趣旨:
SDGs(持続可能な開発諸目標)に代表されるように、「持続可能性」や「持続可能な社会」は、環境問題を中心にしつつも、その枠を超えた多様な社会問題に関わるキーワードになっている。持続可能な社会へと現在の社会を作り変えることで、多くの社会問題が解決できると考えられているのである。ではいかにすれば、それを実現することができるのか。この課題に対して、社会学はいかに貢献することができるのか。 持続可能な社会の実現に向けては、この社会がどのようなものであり、今の方法でそれが可能であるのかどうかから考えなければならない。SDGsは、環境問題などの諸問題の解決と経済成長が両立しうることを前提としているようにみえるが、環境と経済について言えば、両立可能であるという裏づけがあるわけではない。さらには何をもって持続可能であるというのかという定義すら、必ずしも明確ではない。道のりはかなり険しいと言わざるをえない。 産業革命を契機とする近代化を「結果として」生じた社会変動とするのであれば、SDGsなどによる持続可能な社会への転換は、国際社会で広く目標を共有し、そこへ向かって「意図的に」社会変動を引き起こしていこうという試みである。これは、社会変動や社会計画、環境社会学などにおける蓄積のある社会学が、積極的に研究すべき対象である。 海外の研究では、エコロジー的近代化論(Ecological Modernization)や、持続可能な社会への転換論(Sustainable Transition)などの形で理論的に体系化しようという試みがなされてきた。日本の状況をみると、個別の問題に対する丁寧な研究の蓄積は多いが、それらを集約して体系化・理論化しようという志向性はあまり強くなかった。 本セッションでは、「持続可能な社会への転換」をキーワードに知見を持ち寄り、その体系化・理論化を図りながら持続可能な社会を捉え直し、社会学の視点から、実現に至る道筋を考えていく。
③使用言語:日本語
【25】日本におけるポストフェミニズム論/第三波フェミニズムのゆくえ
①コーディネーター:中村香住
②趣旨:
1990年代初頭から英米圏で起こってきた新たなフェミニズムの波であるとされる「第三波フェミニズム」は、その前提とされるポストフェミニズム状況を踏まえつつ、2010年代以降ようやく日本語圏でも本格的にその理論が紹介され、ポストフェミニズム論/第三波フェミニズムの立場からの研究が登場してきた。具体的には、特に社会学の立場から論じられたものとして、田中東子,2012,『メディア文化とジェンダーの政治学――第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社)、菊地夏野,2019,『日本のポストフェミニズム』(大月書店)、髙橋幸,2020,『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』(晃洋書房)などが挙げられる。 こうした影響もあり、現在では、ポストフェミニズム論や第三波フェミニズムを前提とした労働研究や文化研究が日本語圏でも少しずつ見られるようになってきた。ただし、その広がりはまだ十分とは言えないように思われる。 また、もともと英米圏で興った第三波フェミニズムの理論をそのまま日本の状況に当てはめられるかという重大な問題もある。言い換えれば、日本には第三波フェミニズムに当たるフェミニズムの波や実践が存在してきたのかどうかという問題である。この点については、たとえば「ギャル(文化)」と第三波フェミニズムとの近接性を論じた文献もある(関根麻里恵,2020,「「ギャル(文化)」と「正義」と「エンパワメント」――『GALS!』に憧れたすべての「ギャル」へ」『現代思想』48(4): 77-84)。他にも日本における第三波フェミニズムと言える文化事象/思想実践がありうるかもしれない。 本テーマセッションでは、こうした状況を踏まえつつ、日本におけるポストフェミニズム論/第三波フェミニズムの現在とそのゆくえについて検討する報告を広く募集する。
③使用言語:日本語
【26】アートベース・リサーチの実践と未来
①コーディネーター:灰咲光那(慶應義塾大学/非常勤講師)
②趣旨:
本セッションでは、科学と芸術を融合させる新たな研究手法である「アートベース・リサーチ(ABR)」を取り上げる。2015年に慶應義塾大学・岡原正幸研究室で始まった「Keio ABR」活動の10周年を記念し、この10年間の成果と今後の展望を考察する機会とする。 近年、ABRは美術教育の分野を超え、国内外の多くの学問領域において大きな広がりを見せている。社会学におけるABRの先駆者であるパトリシア・リーヴィーの『アートベース・リサーチ・ハンドブック』(福村出版)が翻訳され、その第二版では日本における取り組みが取り上げられるなど、国内の研究会の増加もその発展の証である。 人文社会科学の研究にアートを取り入れることによって、客観的な言語や分析だけでは捉えきれない、感情や身体的感覚に迫る可能性を探り、アートが研究となり、研究そのものがアートであるという新たな視点を提示する。 本セッションでは、あらゆる分野・視点からABRにアプローチする報告を募集する。報告時間内の映像上映、パフォーマンス、朗読、演劇なども歓迎し、学問の新たなステージへと参加者を誘う場とする。なお、英語での報告も受け付ける。 This session will focus on “Art-Based Research (ABR),” an innovative research methodology that integrates science and art. Marking the 10th anniversary of the “Keio ABR” initiative, which began in 2015 in Professor Masayuki Okahara’s lab at Keio University, this session will provide an opportunity to reflect on the achievements of the past decade and explore future directions. In recent years, ABR has expanded beyond the field of art education and gained significant recognition across various academic disciplines in Japan and internationally. By incorporating art into research in the humanities and social sciences, ABR seeks to explore emotions and embodied experiences that cannot be fully captured through objective language or analysis alone. It challenges conventional research paradigms by proposing that art itself can become research and that research, in turn, can be art. This session invites presentations that approach ABR from diverse disciplines and perspectives. We welcome contributions that include film screenings, performances, readings, or theatrical presentations within the allotted presentation time, fostering a more performative and immersive academic experience.
③使用言語:日本語
【27】質的データのアーカイブ
①コーディネーター:伊東香純(立命館大学)
②趣旨:
質的データのアーカイブは、教育研究に関わる機関や個人のみならず市民社会組織等によって、必ずしも教育、研究を目的とせずにおこなわれてきた。社会学においても、質的データのアーカイブに関わる機運が高まっている。このような状況を受けて本セッションは、社会学の教育や研究、社会活動における質的データの収集、整理、保存、公開、利用等に関して、各個人や機関の現状や展望を持ち寄り議論する場としたい。 質的データのアーカイブは、科学的な再現性の向上や、研究協力者の負担の軽減等に有効とされている。他方で、匿名化や十分な事前説明の困難、データの収集者でない研究者が解釈、分析することの妥当性等の問題が指摘されてきた。質的データは、統計的データと比較して、より雑多でそれぞれが少量であり、大規模に統一的な方法でアーカイブすることが難しい。このため個人や機関が、それぞれの目的や能力に応じて、多様な取り組みをおこなってきた。その実践は、そのデータに関するテーマを扱う人たちのあいだで共有されることはあれ、アーカイブというタイトルのもとに異なるテーマのデータを扱う人が議論する場は不十分であるように思われる。本セッションでは、アーカイブの経緯や背景、扱っているデータの特徴、それに付随する困難とその対応策、活用の仕方、され方といったことについて、情報共有や意見交換をおこないたい。 なお、本企画は、2022年度から社会学教育委員会企画セッションとして、また2024年度には一般研究報告Ⅲ(テーマセッション)として開催されてきたテーマセッション「質的データのアーカイブ」の継続も企図している。アーカイブは、単発のイベントではなく、日常的な作業が重要であるとともに、継続に困難を抱えがちである。さまざまなアーカイブ関係者のネットワークを構築、維持し、社会学における議論や実践の継続に意欲的な研究者の参加を強く願う。
③使用言語:日本語
【28】恋愛社会学―恋愛至上主義の揺らぎと新たな関係性
①コーディネーター:永田夏来(兵庫教育大学大学院)
②趣旨:
恋愛は個人的な感情の問題であると同時に、社会的な規範や制度によって形作されるものである。現代社会においては、恋愛を中心としたパートナーシップが理想とされ、しばしば人生における最重要関係として位置づけられる。しかし一方で、それと異なる関係性のあり方を求める人々や恋愛を望まない個人は社会的に可視化されにくい状況にある。こうした背景を踏まえて、Brake(2012=2019)は「アマトノーマティビティ(amatonormativity)」という概念を提唱し、恋愛関係が最も重要視される規範により非恋愛的な関係性や個人の選択肢が制限されていることを指摘している。 本セッションでは、恋愛至上主義をアマトノーマティビティの観点から捉え直し、社会のさまざまな領域でこれがいかに機能し、個人や集団の選択・行動を方向づけているのかを検討する。また、そうした規範に対する抵抗や、より多様な関係性のかたちがどのように生み出されつつあるのかにも注目したい。 昨今、若者の恋愛観の変化やアイドル、二次元キャラクターとの関係性など「多様な恋愛」経験が広く取り上げられ、恋愛至上主義を相対化する視点の重要性が増している。本セッションでは、これらの動向を社会学的視点から多角的に分析し、恋愛という枠組みに特権的価値が与えられる規範や制度を問い直すとともに、非恋愛的な関係性の社会的意義を明らかにしたい。さらに、SNS・マッチングアプリなどのデジタル環境がもたらす恋愛観の変容についても検討を深め、現代社会における恋愛と親密性の多様性について再考する場を目指す。 恋愛至上主義の構造的/文化的/歴史的背景やジェンダーとの交差性、家族や友情といった他の関係との比較など、多様な視点からの研究発表を量的・質的アプローチのいずれからも広く募集する。社会学理論や調査データを活用した実証的研究はもちろん、実践的・批判的考察を含む多様なアプローチを歓迎する。
③使用言語:日本語
【29】食とマイノリティ
①コーディネーター:佐々木祐(神戸大学)
②趣旨:
現在、食べモノ(Food)と食べる行為(Eating)双方を含む範疇としての「食」を対象とした学際的な研究潮流が、フードスタディーズという名のもとで形成されてきている(安井大輔,2024,「分野別研究動向」『社会学評論』75(3).)。食を巡るアイデンティティ形成や「食の不平等」、フードシステムにおける分断労働市場などのトピックと関連して、マイノリティと食との結びつきを問うものが多い。 他方で日本においても、移民研究では在日外国人と食の関係が部分的にであれ論じられてきたし、農学にバックグラウンドを持つ研究者からも農業・食品産業における外国人労働者の役割や被差別部落出身者の営農、在日ベトナム人の食材調達など、食とマイノリティの結びつきを明らかにする研究が提起されはじめている。だが、それらが食という結節点のもとに分野を跨いで相互参照され、ひとつの潮流を形成してきたとは言いがたい。本セッションはこれまでの研究を参照項としながら、日本社会における食とマイノリティとの結びつきを探る研究を広く募集し、その特徴や傾向を探ることを試みる。 マイノリティとして生きることにおいて、食にかかわる営みを紡ぐこと(あるいは十分に紡げないこと)の意味はなにか?それは、彼・彼女らのおかれたいかなる歴史的・現代的状況を反映しているのか?ひるがえって、この社会の食の生産・供給やその多様性においてマイノリティはどのような役割を担い、いかなる条件を負わされてきているのか?それは現代の食料システムや食生活のどのような性質・側面に由来しているのか? 例えばこれらの問いに関連する研究を交差させることを通して、食との結びつきが映すマイノリティと現代日本社会の関係性を探ってみたい。 なお、食の社会学では食べる行為に注目した研究が多いように見受けられるが、本セッションでは「食べモノ」の生産・加工・流通・消費・廃棄など一連の食連鎖の段階を射程に収めることとする。
③使用言語:日本語
【30】マネジメントとその(学)知をめぐる社会学
①コーディネーター:松永伸太朗(長野大学)
②趣旨:
「人を通じて物事を達成する方法」(フォレット)を一般に意味するところのマネジメントの概念は、経営学を中心に盛んに議論されてきたが、組織・集団における分業・協働・管理などを扱う社会学でもさまざまに参照されてきた。一方で社会学にとってマネジメントをめぐる知は人々を組織に従属させたり、資本主義社会に適合した主体化を促すようなものでもあり、実際にマネジメントをめぐる思想や言説は社会学的な批判の対象ともなっている。このようにマネジメントの概念は社会学にとってさまざまな関心を喚起するものであるが、個別の研究が依拠する理論や方法論、さらには知見の宛先の差異などにより、互いを関連づけるような議論が十分されてこなかった。加えて、マネジメントはビジネス的な文脈だけではなく、個人が生活を維持していくための方法にも関わるものであり、より広い対象においてその概念の可能性を考察する余地も残されている。 本テーマセッションは、マネジメントに関連して幅広い問題関心から行われた実践・理論・言説などについての社会学的研究を集め、社会学の立場からマネジメントについて考える可能性や課題についての見通しを得ることを目的とする。具体的には以下のような主題を扱うことを意図している。第一に、経営学あるいは経営に関する知と社会学の関係を考えるような研究である。ここには、経営者の言説や経営学説に見られるマネジメントの理念を捉えるような研究や、社会学の議論が経営の言説や学説にフィードバックされる構図を描くような研究が含まれる。第二に、組織はもちろん、家族や個人などの多様な対象においてみられる、マネジメントに関連した実践を描く研究である。ここにはいわゆる労務管理の実態を描く研究から、不可視化しているさまざまな仕事や関係性の調整などを描く研究、そして広い意味での生活をやりくりする工夫などについての研究が含まれる。これらに加えて、マネジメントに関連するとみられる主題の研究であれば広く受け入れ、マネジメントに関心を持つ研究者同士での知的交流の場を構築したい。
③使用言語:日本語
【31】2025年からの差別論——カテゴリーの本質化とバックラッシュに抗う
①コーディネーター:鈴木弥香子(東邦大学)
②趣旨:
近年「多様性推進」に対するバックラッシュが強まりつつあったが、第二次トランプ政権成立以降、この動向は一層強まり、「行きすぎた多様性」への批判が公然と正当化される状況が生まれている。性別は男性と女性の二つしかないという大統領令の発令、社会的マイノリティ関連予算の大幅な削減、さらには多くの企業がDEI(Diversity, Equity, and Inclusion)への取り組みを廃止するなど、急速に事態は悪化している。企業によるDEIの取り組みは、新自由主義的な差異の管理に過ぎないと批判されてきたが、現在ではその建前すら放棄されつつある。 こうした逆風を受けて、差別に取り組むことは一層難しくなっていると言える。ただ、この際に決して忘れてはならないのは、カテゴリーの本質化に抗う視点である。社会運動において、特定のカテゴリーに基づく共通性を強調することは連帯を築く上で有効に見えるが、それが固定化されると、カテゴリー内の差異が無視され、運動自体が排他的なものになりかねない。運動を持続可能にしていくためには、インターセクショナルな視点を持ち、そのカテゴリー内の多様性や権力勾配に絶えず目を向け、差別や抑圧を均一化しないことなのではないか。 本セッションでは、このような課題を踏まえながら、いかにカテゴリーの本質化、バックラッシュに抵抗しつつ、差別に取り組めるかについて議論していきたい。本セッションでは、多文化共生やフェミニズム、障害、LGBT/SOGIなど、様々なフィールドからの視点を歓迎する。それぞれのフィールドに関する理論や現状について持ち寄り、同じセッションで議論することで、2025年以降の反差別を考える上で、共通する課題や固有の課題、インターセクショナリティについても論じられればと考えている。
③使用言語:日本語
【32】社会学ジャーナリズムの観点からみる社会学試験の検討
①コーディネーター:樫田美雄(摂南大学現代社会学部)
②趣旨:
(1)社会学系の試験は、たくさん存在している。社会学系の大学入試のほか(主として、公共分野)に、国家公務員試験、裁判所書記官試験、社会福祉士試験、等である。 (2)これらの試験の内容や差違や変化は、社会の変化と社会学の変化のメルクマールとして、あるいは、社会と社会学の関係の理解のための資源として大変に重要であるが、これまでほとんど、社会学的に研究されてきていない。 (3)本テーマセッションでは、これらの試験の出題に関わっている社会学者、これらの試験の受験生の立場となった関係者、これらの試験にかかわる行政担当者(の研究者)が、ひとつの場所に集うことで、「社会学ジャーナリズムの観点からみる社会学試験」を浮き彫りにしていきたい。 (4)これは、知識社会学の研究であるとどうじに、社会学ジャーナリズムという、社会学の関連学問分野の先駆ともなるものだろう。 (5)上記の議論を集中的におこなうために、今回は、大学学内での社会学試験(たとえば、大学院入試における社会学や、社会調査士の試験、は含めない。 振るっての参加をもとめる。とりわけ、実際の試験出題経験者には、是非とも、学会での情報の共有のために、積極的な登壇を求めたいと考えている。
③使用言語:日本語
【33】Political communication and artificial intelligence
①コーディネーター:N’GUESSAN DJEMIS JEAN ELVIS GHISLAIN (University Felix Houphouët-Boigny)
②趣旨:
The advent of digital technology and by extension the revolution in artificial intelligence tools are leading to changes in political and organizational communication. In the field of sociology, too, there is a growing accumulation of research on artificial intelligence, but what we would like to focus in this session is research on the social effects of AI and digitalization on political communication and human relationships. This is because these themes allow us to consider social effects AI.
In light of these research trends, this session will be held under the theme of “political communication and artificial intelligence”. In this way, we will be able to capture the multifaceted impact of digitalization and AI, from issues related to contemporary political regimes and others social organisations”.
We are calling for constructive and multifaceted discussions. We would also welcome reports based on theoretical and empirical research, as well as new problem proposals. As digitization and AI progresse, we strongly hope that meaningful discussions will be held to reexamine the nature of political communication and organisations.
③使用言語:英語