関西社会学会若手企画 ②
「日本の近代を〈宗教的なるもの〉との関わりで考える――戦後の社会学者、思想家、文学者の残した可能性」
公開研究会
日時:2025年3月29日(土)14時~17時
開催地:神戸大学文学部B132教室(視聴覚室)
主催:「日本の近代を〈宗教的なるもの〉との関わりで考える―戦後の社会学者、思想家、文学者の残した可能性—」研究班
招聘コメンテーター:出口剛司先生(東京大学大学院人文社会系研究科 教授)
当日の研究会タイトル:
「近代日本の知識人は宗教をどのように論じたのか―贖罪・救済と鎮めの文化/原理主義とナショナリズムとの対比から」
概要:
近代日本の知識人は宗教を議論する際、戦争犯罪をめぐる贖罪と救済、人びとの欲望を鎮静化する「鎮めの文化」としての側面、あるいは原理主義やナショナリズムという対比のように、宗教の教義それ自体よりも、宗教が社会にとってもつ意味や機能が論じられてきたと言える。その際、例えば作田啓一は戦犯受刑者の遺書を通じてキリスト教と仏教における「罪」と「救い」を、大村英昭は仏教論において「煽り」と「鎮め」を、戦後の柳田国男は祖霊信仰論で「土着」と「制度」という対立軸をつうじて、この点を議論している。
そこで本研究会では、3人の報告者が、それぞれ、作田啓一の初期研究における”罪責感”に含まれる意味と可能性、大村英昭による浄土真宗論を通した「鎮めの文化論」、戦後の柳田国男が国家主義と対比させた民間の祖霊信仰論という3つの各報告を行う。そしてコメンテーターに、『作田啓一vs.見田宗介』(2016)で、作田社会学を同時代の知識人のテーマであった「近代の超克」と関連させ論じ、作田啓一『価値の社会学』の解説も担当した東京大学大学院人文社会系研究科教授の出口剛司氏を招聘する。最終的に、近代日本の知識人が宗教をどのように論じ、そこから何を得ようとしたのかを議論する。
報告者:佐藤裕亮(立教大学 教育研究コーディネーター)
報告タイトル:「初期作田社会学における”罪責感”の諸相」(仮)
報告者:松本隆(関西学院大学社会学部非常勤講師)
報告タイトル:「大村英昭「鎮めの文化論」再検討ー「中途半端」であることの見直し、原理主義への誘惑に対する戒め」(仮)
報告者:松野靖子(関西学院大学社会学研究科研究員)
報告タイトル:「柳田国男の祖霊信仰論ーナショナリズムとの比較」(仮)
一般参加可・事前予約不要
代表者:松野靖子(関西学院大学社会学研究科研究員)
お問い合わせ先 メール アドレス hzr31290@kwansei.ac.jp