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第94回日本社会学会大会 報告要旨(11月13日(土)15:00~18:00)

報告番号100

「私」の超越というユートピア――ジグムント・バウマンの後期理論におけるユートピアの構想をめぐって
東京大学大学院 呉先珍

【1.目的】 本報告は、ジグムント・バウマンの批判理論を描くにあたって最も主要なテーマとなりつつある他者との倫理的出会いや道徳的主体への議論との関連で、バウマン後期理論をそこにおいて集大成するディストピアとして見出された「レトロトピア」の概念構成を批判的に検討することを目的とする。 【2.方法】 まず、他者との出会いにおける「私」の超越というユートピアがいかにしてユートピア足りうるかを明確化する。そのため、意識主体の自己同一性という問題系における「超越」について、バウマンが最も顕著に影響を受けたエマニュエル・レヴィナスの議論に遡ると同時に、その「私」と他性をめぐる二元論的概念構成の意義を説明するべく、アガンベンが「可能態」と「現勢態」を中和する位相として注目する「使用」への議論を引き合いに出して深めていく。この作業により、バウマン自身によるホモ・サケル論に再び光を当て、従来「一般化された他者」への眼差しに過ぎないという批判を免れられなかった他者との出会いに関するバウマンの議論が、単なるリキッド・モダンの社会状況への記述なのではなく無化できない「私」と他性の隔たりの本質に迫る可能性をもつことを提示する。次に、以上の論証を踏まえ、バウマンの実質的な遺作である『レトロトピア——退行の時代を生きる』(Bauman 2017=2018)を中心に、バウマンの描く「レトロトピア」の複雑に絡み合う諸相を1)「万人の万人への闘争」および同族主義への回帰2)孤独やナルシシズムの二つのパースペクティブにおいて検討し、そのユートピア観と照合して議論を深めていく。 【3.結果・結論】 初期バウマンにおいては、社会主義がユートピアとして提示されていた。そうしたユートピア像は、「今ある現実に立ち向かう」(Bauman 1976:109)というキーフレーズに見受けられるように、社会主義として具現化された政治体制にではなく、「社会主義」への熱望がその潜勢力としてもっていた、「常に未だ到来していない」希望やオルタナティブを求める熱望そのものとして読まれるべきである。89年刊行の『近代とホロコースト』を境に、バウマン批判理論は「倫理への転回」を果たしているが、こうしたユートピア像はエマニュエル・レヴィナスを参照することによって自己同一性の存立構造として、および、そこにおける「私」の超越として再定義される。  社会主義への考察に由来し「超越」へ結晶するユートピア像は、「私」という自己同一性の再帰的運動を「私」をして他性へ開く「超越」との関連で読み解くことを可能にする。そのため、個人化社会において前景化する孤独やナルシシズムの「レトロトピア」に真っ向から対峙し、そこからの解放の道筋にアプローチできる可能性が開かれる。だが一方で、「レトロトピア」の概念構成は「万人の万人に対する闘争」への回帰を主たる問題とし、問題の原因を経済的不安に帰責することで解決に向けようとする側面をもち、「超越」する「私」との間で理論内在的な矛盾を回避することに対しては一定の限界を呈する。 参考文献 Bauman, Zygmunt, 1976, Socialism: The Active Utopia, London: Allen and Unwin. ————, 2017, Retrotopia, Cambridge: Polity Press.(=伊藤茂訳『退行の時代を生きる——人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』青土社。)

報告番号101

Wikipedia研究実践と再帰持続的(reflexive)権威性について
元武蔵大学 藤田哲司

[目的・手段] 今日、Wikipediaの「認知的(知識的)権威」、「再帰持続的権威」としての役割が問われている。例えば『知識の社会史』でP.パークはブリタニカとの比較の中でWikipediaを「自己反省する(reflexive)百科事典」と述べ、新たな特性の誕生を指摘する。また「Wikipedia:情報源の信憑性、信用、権威の間のリンクの再考の好機」を著した情報科学者のサハット(Sahut)によれば、Wikipediaは認知的権威であり、それは「再帰持続性」によって達成されているという。では、Wikipediaを権威たらしめている「再帰持続性」とは、具体的にいかなるプロセスであると考えればよいだろうか。本報告では、この問いをめぐる先行研究を紹介しつつ、それら理論の実践の1つである“WikiGAP”について具体的にみていく。 [結果・結論] サハット(2017)の議論によれば、「下向きの権威」であるブリタニカなど従来型の百科事典をはじめとする20世紀までのほとんどすべての知識的権威と違いWikipediaは、「上向きの権威」であり、編集プロセスの公開自体の可視化が権威の源泉となっている。百科事典の編集、記事項目執筆、記事項目自体における男女比率のアンバランスは、従来型の知識的権威では放置されてきたのに対して、WikipediaはWikiGAP(男女バランス是正ワークショップ)を通じて、再帰持続的に百科事典項目自体を修正し続けている。このWikipediaの再帰持続性こそ、ベックのいう「第2近代」の特徴の目に見える形での顕現であり、百科事典の「民主化」という第1近代の原理の徹底化(民主化が政治領域ばかりでなく知識生産にまで浸透した)と捉えることができるのではないだろうか。 文献: ・藤田哲司 2011『権威の社会現象学 人はなぜ権威を求めるのか』東信堂 ・Gajewski, K. 2016 「Wikipediaと著者性の問題 スワーツの仮説(Wikipedia and the Problem of Authorship. Aaron Swartz’s Hypothesis Polish Academy of Science)」 ・Konieczny, P. 2012「教育ツールとしてのWikiとWikipedia(Wikis and Wikipedia as a teaching tool: five years later First Monday )」 ・Mesgari, M., et al. 2014「“人間知識の総計”:Wikipediaの内容に関する学術研究の系統的レビュー(“The sum of all human knowledge”: A systematic review of scholarly research on the content of Wikipedia Journal of the American Society for Information Science and Technology)」 ・Reagle, J. 2011「Wikipediaとブリタニカのジェンダーバイアス(Gender Bias in Wikipedia and Britannica International Journal of Communication 5 )」 ・Rieh, S. 2002「Webにおける情報の品質と認知的権威による判断 (Judgment of Information Quality and Cognitive Authority in the Web)」 ・Rieh, S. 2010「情報の信憑性と認知的権威( Credibility and Cognitive Authority of Information, Encyclopedia of Library and Information Sciences )」 ・Sahut, G. 2017 「Wikipedia:情報源の信憑性、信用、権威の間のリンクの再考の好機(Wikipedia: An opportunity to rethink the links between sources’ credibility, trust, and authority)」 ・Wilson, Patrick 1983 『2次中古知識:認知的権威の探求(SECOND-HAND KNOWLEDGE : AN INQUIRY INTO COGNITIVE AUTHORITY)』

報告番号102

マルクス『資本論』の背後仮説と社会学的な「人間」理解の問題
国立大学法人 静岡大学 藤井史朗

【1.目的】本報告は、現代社会の勤労者の存在形態の社会学的把握の側から、マルクス『資本論』の論理構造を、その「背後仮説」(A・W・グールドナー)の次元を含めて、批判的に相対化する試みである。  現在、地球環境破壊・貧富の差の拡大・不安定就労層の増大などの状況に対し、それらを「新自由主義」の行き過ぎとして批判し、資本主義克服の理論としてのマルクス理論への再評価が進んでいる。それらは、晩期マルクスの研究ノートの検討から、エコロジーに通ずる「物質代謝」へのマルクスの関心を指摘するもの、経済形態だけでなく「素材」研究者としての姿に焦点を当てるもの、廣松渉氏以来の「物象化論」としての理解を強調するもの、さらに、金融の先端事象や不安定就労層の理解に向けて、マルクス的思考の現代的「進化」の必要を示唆するものなどからなるが、全体として、(初期マルクスではなく)後期の『資本論』の論理構造に焦点を当てているという特徴がある。しかしこれらの論調においては、かつての国家社会主義の専制体制構築や暴力的マルクス主義の主導理念としても機能したマルクス理論の側面についての省察は不十分であり、特に初期マルクス研究ではなお意識されていた「人間」主体についての考究はいわば意識的に避けられている。  本報告では、『資本論』に見られるマルクス理論の全論理構造が、勤労者としての「人間」の姿を捉える上で、いかなる限界と問題を有しているのか、社会学的視点から浮き彫りにしてみたい。それは、「物象化論」など、なお『資本論』が同時に人間のあり方をも示唆しているかのように暗示していることの問題性を明視するためにも必要と考える。 【2.方法】その要点は、マルクス理論の「背後仮説」として、①エピクロスの批判的受容以来のマルクスの基底的な自然哲学が、「盲目的自然」としての欲望的要素の否定を前提とし、外的自然との交渉のうちに自然的「人間」を措定するものであること(動物性を有する人間の否定)。②この初期マルクスの自然哲学の延長として『資本論』の「使用価値」や「労働過程」概念が捉えられ、対自然的な一般的な労働者(階級)像に連なっていること。③初期マルクス以来の市場的交換を人間にとって非本来的なものとして価値的に措定する思考が、商品の「交換価値」の展開とその流れでの「資本」の展開として具体化されていること。④初期マルクスの「疎外された労働」の論理が、「搾取」関係の経済的根拠を示す、労働者の「労働力商品」(の所有者)としての把握として『資本論』体系の中に位置づけられていること、などである。 【3.結論】こうした『資本論』の全論理体系は、初期マルクス以来のマルクスの価値志向の延長として組み上げられており、「資本主義」の内側を、適応的・肯定的に生きつつ、部分社会と自己とを漸進的に変革させている勤労者の現実への着目はない。本報告では、自己準拠(ルーマン)的に生きる人間としての勤労者把握の側から、『資本論』マルクスの論理構造が持つ限界を批判的に指摘する。

報告番号103

日常生活世界における文化中毒者とは何者か
早稲田大学大学院 松井怜雄

1.目的  H. ガーフィンケルが示した「文化中毒者(cultural dope)」(Garfinkel [1967] 1984: 68=1995: 76)という概念は、その概念的な検討がほとんど行われないままに様々な理論領域にて使用されている。たとえば、組織論における文化中毒者とは、既存の組織文化を自然で、合理的で、自明なものとして眺め、社会的現実を創造するオルタナティブな仕方を考えることを控える者とされている(Alvesson 2013: 153)。しかしながら、ガーフィンケルが文化中毒者概念によって当初問題化したのは、自身の理論枠組の内で行為者を仕立てる際の研究者の(恣意的な)態度であり、それゆえ、そこでは日常生活世界において文化中毒者の存在を実際に想定できるかどうかは不問にされていた。  そこで、本報告では、日常生活世界において文化中毒者の存在を実際に想定できるとすれば、かれらをどのように描くことができるか、この問いに対して現象学的社会学の観点から答えることを目的とする。 2.方法  日常生活において文化中毒者の存在を想定しようとした山田富秋(2000)によると、文化中毒者とは、「常識に忠実なメンバーとして振る舞うことによって、可変的な現実に対応する判断力を喪失し」た者である(山田 2000: 19)。しかしながら、この状態は自然的態度の内にあるあらゆる人びとにもまたあてはまり得る。したがって、本報告では、自然的態度の内にある「通常の」人びとと文化中毒者、両者の境界を浮き彫りにすることで文化中毒者とは何者かを明らかにする。 3.結果  日常生活世界をルーティン状況と問題的状況とに分けて考えた場合(Schütz and Luckmann 2003: 168-9=2015: 247-8)、ルーティン状況においては「通常の」人びとと文化中毒者の境界は不明瞭となる。しかしながら、問題的状況に陥るや否や、両者の境界が浮き彫りとなる。そしてその境界はつまるところ、「熟慮(deliberation)」(Schutz 1962: 68=1983: 137)の有無という点に見出せる。 4.結論  結論として、文化中毒者は、常識という「処方箋」(Schütz and Luckmann 2003: 42-3=2015: 63)を摂り続ける(doping)ことで「健康で正常な社会成員」であり続けているが、その反面、問題的状況に陥ったとしても、熟慮を放棄し常識に依存することで自らの生きる世界を絶対視しようとし続ける、常識に憑りつかれた(obsessed)判断力喪失者として描くことができる。 文献 Alvesson, M., 2013, Understanding Organizational Culture, 2nd ed., London: Sage Publications. Garfinkel, H., [1967] 1984, Studies in Ethnomethodology, Cambridge: Polity Press.(北澤裕・西阪仰訳,1995,「日常活動の基盤――『当り前を見る』」『日常性の解剖学――知と会話』マルジュ社,31-92.) Schutz, A., 1962, Collected Papers I: The Problem of Social Reality, M. Natanson ed., Hague: Martinus Nijhoff.(渡部光・那須壽・西原和久訳,1983,『アルフレッド・シュッツ著作集 第1巻 社会的現実の問題〔I〕』マルジュ社.) Schütz, A. and T. Luckmann, 2003, Strukturen der Lebenswelt, Konstanz: UVK Verlagsgesellschaf.(那須壽監訳,2015,『生活世界の構造』筑摩書房.) 山田富秋,2000,『日常性批判――シュッツ・ガーフィンケル・フーコー』せりか書房.

報告番号104

ウェブ先行の逐次型複合モード調査(1)――設計標本と回収標本構成の比較
群馬県立女子大学 歸山亜紀

1.目的  われわれの研究グループでは、これまでにサーベイリサーチの質の向上に資するCASIC(Computer Assisted Survey Information Collection)型複合モードの実装を目指して、いくつかの複合モードデザインでの実験的調査を行ってきた。 これまでに得られた知見としては、回答方法(モード)を複数準備することで全体の回収率を高められる可能性、単位無回答(unit nonresponse)の偏りを低減できる可能性があげられる。また、web法では項目無回答(item nonresponse)の発生を抑えたり、データ入力プロセスにおけるヒューマンエラーを削減できたりするため、データの質が向上する可能性も示された。これらから、複合モードデザインのなかでもweb法での回収比率が高くなるweb先行逐次型複合モード(第1モードとしてweb法を提示し、未回答者に第2モードとして郵送法を提示)が効果的だと考えられる。 本報告は連携報告である。第1報告では、回収標本構成と設計標本構成を比較することによって、このデザインの有効性を検討する。第2報告では、ワーディング効果の分析(複数のワーディングを回答者毎にランダムに表示できるのはweb法などコンピュータ支援型モードのメリットの一つである)、第3報告では、東京オリンピック・パラリンピックについての意識の分析を報告する。 2.データ・方法 この連携報告で用いるのは、2021年1月にweb先行逐次型複合モードデザインで実施された「withコロナとデジタル時代の多文化共生アンケート」データである。この調査は、東京都(島嶼部を除く)・千葉県・埼玉県・神奈川県・愛知県の満18 歳~70歳(2020年10月末時点)の人びとを母集団とした確率標本調査である。サンプルサイズは2,000、全体の回収数(率)は967(48.4%)であった。 3.結果と結論 3-1 回答モードと回収率  全体の回収数(率)は967(48.4%)で、このうち第1モードとして提示したweb法での回収数は761で、設計標本数にたいする回収率38.1%、回収標本に占める割合78.1%であった。第2モードとして提示した郵送法での回収数は206で、設計標本数にたいする回収率10.3%、回収標本に占める割合21.3%であった。 3-2 設計標本構成と回答者構成  標本情報として使える変数は性別、年齢、都県、層化に用いた都市規模である。これらのうち、設計標本と回収標本構成が異なったのは、性別と年齢のみであった。設計標本の性別構成は男性53.2%、女性46.9%で、回答者全体では男性49.5%、女性50.5%と回答者では女性比率がやや高い。年齢について、設計標本構成では18-29歳が17.0 %、60-70歳が20.0%、回答者全体では18-29歳が15.2 %、60-70歳が23.8%で若年層の回収がやや少なく、高齢層の回収がやや多い。年齢は、第1モードのweb回答者では設計標本構成と異ならないが、第2モードの郵送回答で高齢層からの回収が多いことが影響した。   【謝辞】本研究はJSPS科研費18H03649の助成を受けたものです。

報告番号105

ウェブ先行の逐次型複合モード調査(2)――多文化共生態度へのワーディング効果
お茶の水女子大学 杉野勇

1. 目的  ワーディングなどを少し変えた2つのヴァージョンの質問項目を調査対象者に無作為に割り付けて回答傾向の違いを検討する手法は,スプリット・バロットなどと呼ばれて古くから用いられているが,ウェブが多用されるようになると共に広範に用いられるようになった.  グローバル化と呼ばれる社会変化に伴い,好むと好まざるとにかかわらず多文化化や排外主義の問題性は重要性を増しており,東京オリンピックとCovid-19によってますます「国際」「外国人」が人々の意識に上る事が増えた.  人々の「排外主義」(多文化共生態度)を質問紙調査によって調べる場合,「あなたが生活している地域に外国人が増えることに―」(JGSS 2017 Q35)を一例として,「外国人」という表現が用いられる事が多い.「外国人と言っても色んな外国人によって日本人の態度は異なる…」と思いつつやむを得ずこうした質問をしていると思われるが,どこかでこの点を確認する必要も出てくる.例えば田辺俊介らの「国際化と市民の政治参加に関する世論調査」(2009)や「国際化と市民の政治参加に関する世論調査」(2013)では,アメリカ人/中国人/韓国人など6~7種類に分けて態度を尋ねている(SSJDAでの調査票閲覧による).ただしこれはマトリックス質問であり,選択肢相互の影響関係も懸念される点が無作為提示とは異なる. 2. 方法  東京都(島嶼部を除く)・千葉県・埼玉県・神奈川県・愛知県の満18 歳~70歳の男女を母集団とし,主に選挙人名簿から層化二段系統抽出した標本2000人に対して,2021年1月~2月にウェブから郵送の逐次複合モードで実施した「withコロナとデジタル時代の多文化共生アンケート」(PS)のデータを主に用いる.比較の為に2020年9月の非確率オンラインパネル(NPOP)にも言及する。  ウェブ調査票では,「( )家族がとなりに引っ越して来たらかなり気になる」「日本に住む()は日本のやり方に従うべきだ」「定住する為に来る( )が増えると,日本の福祉の負担になる」「日本経済は( )労働者によって支えられている」「日本に来る( )によって日本文化は豊かになっている」の5つの質問に対して,( )に「外国人/中国人/アメリカ人/韓国人」のいずれかを無作為割当した(回答者一人に対しては5か所で同一).これによって,文脈効果の無い形で,分布の違いを比較する事が出来た. 3. 結果と結論  「となりに引っ越し―」「日本のやり方に―」「福祉の負担」については「外国人」と「アメリカ人」の結果は近いが「中国人」の場合はやや厳しい態度になる(「韓国人」は中間).それに対して「労働者によって支えられ―」は「外国人」と「アメリカ人」の隔たりが最大であるが,「中国人」ですらやや隔たっている.もっと別の国からの外国人労働力がイメージされていると言える.「日本文化は豊かに―」は「外国人」と「アメリカ人」が近く,「中国人」に対して最も否定的,「韓国人」はやはりやや否定的な回答となった.文字通りには同じ「外国人」が,問われている事柄によって異なって思い浮かべられる事が確認できた.これはNPOPでもほぼ同様に確認された.  当日は,他二つの無作為化項目(「革新―保守」と「リベラル―保守」,「自分の権利を犠牲/市民の自由を制約」)の結果も取り上げる. 【謝辞】本研究はJSPS科研費18H03649の助成を受けたものです。

報告番号106

ウェブ先行の逐次型複合モード調査(3)――東京オリンピック・パラリンピックについての意識
金沢大学 轟亮

1.目的 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京五輪)は、パンデミックを受けて、2020年3月に「1年程度の延期」、2021年7月23日からの開催予定が発表された。その後、現在(2021年6月)まで、東京五輪の開催、方法をめぐる議論が続いている。日本の感染状況は、10月頃から再拡大の傾向をみせ、その後急拡大となる。2021年1月2日、一都三県の知事は政府に緊急事態宣言の検討を要請、1月7日には菅総理大臣が(1月8日から2月7日まで)の緊急事態宣言を出した(13日に愛知県を含む二府五県に拡大)。われわれの調査はまさにこの時期に実施された。本報告では、一都三県および愛知県住民が東京五輪にどのような考えを有していたのかを示したい。 2.方法 東京五輪関連の質問は、次の5項目である。問3「あなたは、東京オリンピック・パラリンピックを楽しみにしていますか」(4段階:たいへん、ある程度、それほど、まったく)【楽しみ】。そして、問4「あなたは、2021年の東京オリンピック・パラリンピック開催について、どのようにお考えですか」として、「海外からの旅行者が増えることで日本国内で感染拡大がおこるのが不安だ」【不安】、「日本社会の多文化共生が促進される」【多文化共生】、「新型コロナウィルスに打ち勝ったことを示す上で大きな意味がある」【勝利】、「2021年中は開催すべきではない」【中止再延期】について5段階で回答を得た。回答分布を確認し、基本的属性等との関連を検討した。 3.結果と結論 【中止再延期】では、強く賛成する者37.4%、賛成する者31.8%、中間回答20.3%、反対する者(開催に賛成)7.5%、強く反対する者3.0%であった。都県ごとの分布をクロス表で検討したが、有意差はみられなかった。朝日新聞社の1月全国調査(RDD)では、中止または再延期が計86%、「今年夏に開催」が11%である。われわれの調査は中間回答を設定した点が異なるが、この時点で7月開催への賛成が1割程度であったことは確かであろう。続いて、本調査は逐次型複合モードであるが、先行するウェブ回答者と、その後の郵送回答者で【中止再延期】の分布に有意差はなかった。属性との関連では、男女差がみられ(カイ2乗値20.5、p<0.05)、女性が中止再延期に賛成するという弱い傾向がみられる。年齢差、教育経験による差はみられなかった。【中止再延期】に影響する要因として、【不安】【多文化共生】【勝利】を説明変数とする重回帰分析を行ったところ、標準偏回帰係数は順に、0.500、-0.124、-0.239であった(いずれも1%水準で有意)。つまり、海外から観光客による感染拡大に不安であるほど、中止再延期に賛成となる、コロナに打ち勝ったことの証となると考えるほど、開催に賛成となる、多文化共生の実現を促進すると考えるほど、他の2つと比べて弱いものの、開催に賛成する、という傾向を確認できる。このように、理解可能な、筋道だった判断がなされていることがわかる。また当時、どのような認識がより強く開催についての判断に影響していたのかを知ることができる。報告当日は、他の変数を考慮した分析結果も示す予定である。 【謝辞】本研究はJSPS科研費18H03649, 16H03689, 21H00768の助成を受けたものです。

報告番号107

家族関係における幸福と不幸の両義性――アジア型ウェルビーイングと家族(1)
台南應用科技大学 矢崎慶太郎

【1.目的】 本報告は、家族が幸福と不幸に与える効果について、日本で実施した量的調査(SoWSA: Social Well-Being Survey in Asia)と質的調査(SoWIA: Social Well-Being Interview in Asia)の両方の結果を用いて考察する。 【2.方法】 本報告では、日本での調査結果を分析対象とし、まず量的調査(SoWSA)において家族関係が個人の幸福度に与える効果を概観しながら、この結果が質的調査(SoWIA)とどのように関連するのかについて考察する。「幸福」と「不幸」に関するそれぞれのインタビュー記録を参照し、両者のトピックごとに、それぞれどのような単語がどのような頻度によって出現するか、コーディングを行いながら分析する。また幸福に関する単語の意味連関が、農村や都市、性別、世代によって異なるか否かも明らかにする。 【3.結果】 量的調査(SoWSA)では、家族関係は主観的幸福の強い規定要因であることが、日本のみならず韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ベトナム、タイにおいても確認された。これは世界の多くの国々で共通する普遍的な要因であることは他の調査も示唆している。 しかし、家族は人々を幸福にする万能薬として考えてもよいのだろうか。SoWSA調査の日本データが示したように、家族への信頼が高い人は全体平均よりも高い幸福度を示すが、家族への信頼が低い人たちは、全体平均よりも低い幸福度を示す。つまり家族関係は幸福と不幸を切り分ける分岐点として機能している。それに対して、社会関係資本の指標のひとつとされてきた「たいていの人への信頼」は、たとえ低くても幸福度が全体平均を下回ることはなかった。この種の信頼は、幸せな人をより幸福にするものであり、この信頼の欠如は不幸に結びつくわけではない。 こうした傾向は、今回実施したインタビュー調査においても明らかになった。幸福についてのインタビューでは、多くの回答者が家族関係の話題に集中した。しかし今回の調査で改めて見えてきたのは、家族における幸福と不幸の両義性である。結婚や出産といった家族イベントはそのまま個人の幸福を上昇させるが、他方で介護や家族の抱える精神的トラブル、また家系の継承がうまく行かないことはそのまま個人の不幸に直結する。 【4.結論】 今日、個人の幸福感(individual well-being)の社会的・政策的追求の可能性が様々な領域において検討されてきた。しかし、もし家族が個人の幸福に極めて効果的であるなら、私たちはこうした良好な家族関係の維持を政策的に後押しするべきなのであろうか。家族は一方で個人に幸福をもたらすが、他方で個人の意思を超えて個人を束縛していく側面も持つ。本報告では、個人の幸福感の社会的拘束性について指摘し、幸福度向上を社会的・政策的に追求する際に、家族の問題をどのように考えるべきなのかについての考察を広げていく。 ※本研究はJSPS科研費(19H01570)およびROIS-DS-JOINT(028RP2020)の助成を受けたものです。

報告番号108

ジェンダー規範・役割の感情要素への影響――アジア型ウェルビーイングと家族(2)
専修大学 飯沼健子

【1.目的】  本報告の目的は、ジェンダー規範・役割が主観的ウェルビーイングに与える影響の特徴を明らかにすることである。ジェンダー規範・役割は男女の主観的ウェルビーイングに異なる影響を与えることが、これまでの量的調査に基づく研究で示されてきた。また特に伝統的な規範と性別役割分業の傾向が強い社会において、家庭内役割を担うことを期待されている女性のウェルビーイングに対して、負の影響を与えやすいことが指摘されてきた。しかし、具体的にジェンダー規範・役割をとりまくどのような状況下で個々人が正負の感情を増幅させるのか、主観的ウェルビーイングの諸要因における位置付けはどの程度なのか、アジアは伝統的なジェンダー規範が根強いとされるが具体的な実情を踏まえて理解する必要がある。本研究では、アジア5ヵ国における質的調査に基づき、ジェンダー規範・役割が主観的ウェルビーイングを構成する感情要素につながる動態を検証する。 【2.方法】  アジア諸国における幸福感の特徴と多様性をテーマとし、半構造化調査および簡易な調査票調査を組み合わせた「ソーシャル・ウェルビーイング・アジア・インタビュー(Social Well-Being Interview in Asia, SoWIA)」を行った。2019-2020年実施分の東アジア(日本20名・韓国24名)、北東アジア(モンゴル12名)、東南アジア(インドネシア24名・ベトナム12名)におけるインタビューの質的データを用い、家事・育児・介護を中心に家庭内のジェンダー規範・分業をめぐる語りのテキストマイニングによる感情分析を行う。また、主観的ウェルビーイングの諸要因における重み付け分析から、個々人の総合的なウェルビーイングにおけるジェンダー規範・役割要因の位置付けを検証する。 【3.結果】  通常は、ジェンダー規範・役割は個人の総合的な主観的ウェルビーイングを規定する要因の中での重みは大きくはないが、一端子供や老人が病気などによりケアを必要とする状況に陥ると、殆どの場合女性がその対応にあたることから女性の負の感情が増大する。伝統的な性別役割分業の下で家事を担ってきた女性の病気や死により、娘が家事負担を引き受けざるを得ないことで負の感情要素が顕著となる。伝統的な性別役割分業を越えて男性が特に介護といったケアの領域に積極的に関わることは、女性の正の感情に大きく作用する。個人の総合的な主観的ウェルビーイングにおける重要性は必ずしも大きくはないが、男性の育児への関わりは男性の正の感情に作用し、逆に子育て期に子供を相手にしなかったことが後に男性の悔悟の感情として残る側面が見られた。  調査対象のいずれの社会でも病人・老人のケアは女性の感情要素への負の作用がある。個別の特徴としては、日本と韓国で家事と介護の影響が感情要素に顕著に表出する傾向が見られる。 【4.結論】  ジェンダー規範・役割は通常時には正負の感情要素の増幅にはつながりにくいが、家庭内のケアの必要性が生じる、または通常よりも必要性が増すと共に、ケアの主な担い手である女性の負の感情要素が顕著に増大する。総合的ウェルビーイング要因におけるジェンダー規範・役割要因の位置付けはこのように家族構成員の年齢と個別の状況によるところが大きい。 【付記】  本研究はJSPS科研費(19H01570)およびROIS-DS-JOINT(028RP2020)の助成を受けたものです。

報告番号109

姉家督による家系の継承と幸福感――アジア型ウェルビーイングと家族(3)
専修大学 嶋根克己

【1.目的】 波平恵美子は「日本の継承家族stem familyは、日本だけで発達したといえる特殊な形態」であると述べる。また永野由紀子は「具体的な生活の『場』に生きる庶民の生活実態としての『家』に着目し」、農家を「家産としての農地を相続によって継承して、家業としての農業を営む人々の生活様式」と規定した。少子高齢化のなかで大きく生活様式を変えた現代の「農家」において、女性が「家」を継承することのライフサイクル上の意味を、「姉家督」(男子の継承者がいない家において長女が婿養子をとることによって家を継承する)によって家を存続しよう/した二人の女性の語りから明らかにする。両者は幼少時から姉家督として家を継承するということを期待され、ある意味で制約のある人生を送ってきたが、現時点での幸福度は比較的高いことが確認された。個であることの自由と引き換えに得ることができた、「家」に包摂されることの幸福について考察する。 【2.方法】 本研究は、アジアにおけるウェルビーイングの社会的メカニズムの特徴と多様性を、ライフコースにおける中間集団/社会関係資本とのかかわりに着目して解明することを目的として日本、韓国、台湾、モンゴル、インドネシア、ベトナムで実施された質的調査(科学研究費補助金基盤研究(B)「アジア型ウェルビーイングの社会的メカニズムを解明する国際共同研究」(2019~21年度、19H01570、研究代表者:金井雅之)の成果の一部である。本報告では茨城県農村部在住の対象者に半構造化インタビュー調査と簡易な調査票調査をおこなった。 【3.結果】 ここで対象者は、Aさん(60歳代・元保育士・現農業従事)ならびにBさん(40歳代・教師)である。両者は継承すべき代々の家屋敷ならびに土地があった。人生に起伏はあったものの現在は子供に恵まれ比較的幸福度は高い。姉家督によって家を継承することを期待されて育ってきた。そして家を出ること(自由恋愛によって嫁に行くはもちろん、自宅外に生活の拠点を持つこと)を制約されたという共通点がある。「私はね、2人姉妹なんですよ。妹がいて、小さい時から祖父母にも母にも言われていたし。…もし私が(嫁に)出るようなことになったらこれはまずいからとおもってわたしはそのお付き合いはしなかったっていうのは何回も…」(Aさん)。「(家を継ぐことは)大変なものもありますけど…親戚を含めた人間関係、家族がよかったからですかね。B家を取り巻く環境が良かった。…ここで暮らしていくのは自分には合ってるんだなっていうことも、自分で受け入れられるようになったので。…ここで地道に暮らしていく方が自分には合っている」(Bさん) 【4.結論】  両者には一世代ほどの年齢の開きはあるが、姉家督による家の継承を期待され、それに応えてきた。そして「家」を自分のアイデンティティーの重要な一部として受け入れている。当日の報告では、相続すべき「家」を、居住する家や土地のみならず、過去-現在-未来をつなぐ墓や祀りを含む共同体意識の観点から分析してみたい。 【文献】 永野由紀子(2003)「『家』・『村』理論の射程をめぐる論点と課題」 波平恵美子(1994)「『継承のイデオロギー』に関する考察 -農村調査の事例より-」 【付記】 本研究はJSPS科研費(19H01570)およびROIS-DS-JOINT(028RP2020)の助成を受けたものです。

報告番号110

社会調査から男性性規範を探る ――感情表現と性別役割分業観に着目して
お茶の水女子大学 相川頌子

1. 研究の背景と目的  「夫は外で働き,妻は家庭を守るべきである」という性別役割分業に「反対」もしくは「どちらかといえば反対」と回答した男性は,55.6%と約半数にのぼっている(内閣府男女共同参画局 2020).こうした男性の役割に対する意識の変化を受け,男性学・男性性研究においては,男性性規範の変容が指摘されるようになった.たとえばSeidler(2006)は,従来の男性性では,若い世代の男性性を説明することに限界があるとしている.また諸外国の動向に目を向けると,欧州のジェンダー政策では,稼得役割にかわって,男性の世話役割に基づく新しいモデルとしてケアする男性性(caring masculinities)を推進している(European Commission 2012; 多賀 2018). European Commission(2012: 2)によれば,ケアする男性性は既に内面化されている可能性があり,ケアの概念をセルフケア(健康,感情表現,友人関係,リスク行動)まで拡大することで,男性への直接的な利益も提示できるという.以上から本研究では,ケアする男性性概念のうち感情表現に着目し,年代ごとの傾向とその規定要因について検討する. 2. データと分析方法  使用データは,2018年3月に笹川平和財団「新しい男性の役割に関する提言」事業が行った「男性の役割についての調査」である.同調査は,東京,東北,北陸,九州,沖縄に在住する20~69歳の男性5,000名を対象としてデータを収集した.調査の実施は株式会社インテージに委託し,インテージ社のモニターに登録している男性からインターネットを通じて回答を得ている.分析の対象者は,現在有職の男性で,使用変数に欠損がない3,479名である.分析方法は重回帰分析で,性別役割分業観(そう思う→4,そう思わない→1),雇用状況,職業,企業規模,学歴,年収,年代,婚姻状況,日常的に連絡を取り合う人数,生活満足度,居住地域を独立変数,感情表現(かなり当てはまる→4,全く当てはまらない→1)を従属変数として用いた. 3. 結果  分析の結果,性別役割分業観が伝統的であるほど,感情表現に肯定的であることが示された.また社会経済的地位と感情表現については,統計的に有意な関連がみられないが,他の年代に比べて20代は,感情表現に抵抗が少ないことが確認された.さらに既婚である,日常的に連絡を取り合う人数が多い,生活満足度が高いほど,感情表現に肯定的であることもわかった. 4. 参考文献 European Commission, 2012, The Role of Men in Gender Equality: European Strategies and Insights. 内閣府男女共同参画局,2020,「男女共同参画白書 令和2年版」. Seidler, 2006, Young Men and Masculinities: Global Cultures and Intimate Lives. London, UK: Zed Books. 多賀太, 2018,「国際社会における男性ジェンダー政策の展開――『ケアする男性性』と『参画する男性』」『人権問題研究室紀要』76: 1-17. 謝辞  分析にあたり,関西大学文学部 多賀太教授を座長とする笹川平和財団「新しい男性の役割に関する提言事業」により実施された「男性の役割についての調査」の個票データの提供を受けました.記して感謝申し上げます. (キーワード:男性性,感情表現,性別役割分業観)

報告番号111

日本と欧米データの比較から見る男性の育児・家事頻度とジェンダー意識
お茶の水女子大学 石井クンツ昌子

1. 目的 日本では1990年代から男性の育児などの「ケア」役割の重要性が指摘されてきた。また2000年代の後半からは「育メン」が注目を浴びてきている。欧州連合(EU)では「ケアリング・マスキュリニティ」(ケアする男性性)の概念についての議論が活発化してきており、男性のケア行動を促進するための諸施策が展開されている。このような動向を踏まえて、本研究では日本と欧米の男性の属性や性別分業意識がどのように家事や育児などのケア行動頻度に影響を与えているのかについての国際比較を行うことを主な目的とする。 2. 方法 データは笹川平和財団が組織した「新しい男性の役割に関する研究会」がアンケートを作成し、インテージ社に業務を委託して、東京、ニューヨーク、ローマ、ベルリン及びノルウェーに住む20歳から69歳の男性を対象としたWeb調査により2018年6月〜2020年3月に収集された。サンプル数は各国約1000名(ノルウェーは約300名)の合計4922名であるが、本研究では育児・家事頻度に注目するために、既婚子有り男性のデータを分析した(東京332名、ニューヨーク412名、ローマ433名、ベルリン317名、ノルウェー114名の合計1608名)。調査対象者の平均年齢は40代前半から50代前半で、多くが大卒である。本分析では男性の家事と育児の規定要因を探るために共分散構造分析(SEM)手法を使った。独立変数には主な属性を投入して、仕事での競争意識、職場の女性観、家庭における性別分業観を媒介変数とした。 3. 結果 ① 東京在住男性の家事頻度は、「子ども数」が多いほど低くなり、「配偶者の収入」が多いほど、「職場の女性観」が差別的なほど高くなる。育児頻度は、「末子年齢」が高いほど低くなり、「配偶者の収入」が多いほど高くなる。 ② ニューヨーク在住男性の家事頻度は「配偶者の収入」が多いほど、「職場の女性観」が差別的なほど高くなる。育児頻度は「本人の学歴」が高いほど低くなり、「配偶者の学歴」が高いほど多くなる。 ③ ローマ在住男性の家事頻度は、「配偶者の収入」が多いほど、「職場での女性観」が差別的なほど高くなる。育児頻度は、「末子年齢」が低いほど、「配偶者の収入」が多いほど、「仕事における競争意識」が強いほど高くなる。 ④ ベルリン在住男性の家事頻度は、「仕事における競争意識」が強いほど、「職場における女性観」が差別的なほど高くなる。育児頻度は、「本人の年齢」が高いほど減少するが、「配偶者の収入」が多いほど増える。 ⑤ ノルウェー在住男性の家事頻度は就業している男性ほど、「本人の収入」が少ないほど増える。また「職場の女性観」が差別的なほど家事頻度が高いが、反対に「家庭における性別分業観」が伝統的なほど、家事頻度は低い。育児頻度に有意な影響を与えている要因は本分析に含んだ変数の中には見られなかった。 4. 結論 全ての国・都市において、共通して既婚子どもあり男性の家事頻度を高めているのは、職場の女性観が差別的であることだった。東京、ローマ、ベルリンでは共通して、配偶者の収入が多いことが男性の育児頻度を高めていた。他にも末子年齢が低いことも、一部の都市で共通して男性の育児頻度を高めていた。家事への影響要因として顕著であった職場の女性観からの育児頻度へは有意な影響が見られず、唯一、ローマの男性で仕事での競争意識が強いことがより頻繁な育児参加に関連していた。

報告番号112

親の生活時間調整の負担は子の成長によって緩和されるのか?
東京都立大学大学院 柳下実

1. 目的】本稿の目的は子どもが成長するに伴い母親・父親の生活時間調整の負担が緩和されるのかを明らかにすることにある.子どもの成長が父親・母親の生活にとって重要になる点は,幼い子は世話や見守りが必要であるためである.特に,子どもの預け先が見つかるかどうか,さらにお迎えの時間に間に合うかどうかという3歳の壁(保育園)や小1・小4の壁(学童)がある(小栗・田中 2013; 保育園を考える親の会編 2015).就業構造基本調査からも,末子年齢3歳や末子が小学校の低学年で母親の離職数が多く,継続就業の妨げとなっていることが推察される(平川・浅田 2018).子どもが成長することによって数年ごとに送り出し・送り迎えの時間が変わり,親もそれに応じた生活リズムや就業の調整が必要となると考えられる.本研究では縦断的に子どもの成長が親の生活時間調整の負担を緩和するのか,そこに男女差はあるのかを検討する. 【2. 方法】利用するデータは東京大学社会科学研究所が2007年からおこなっている働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査である.従属変数は,起床時刻,家を出る時刻,帰宅時刻,就寝時刻といった生活時刻である.分析できるサンプルはこれらの時刻が決まっていると回答した人に限られる.独立変数は3月・4月時点の同居長子年齢・同居末子年齢および女性ダミーの主効果と交互作用項である.統制変数は,同居子数,婚姻状態,就業形態,職種,労働時間,通勤時間,本人収入,家事頻度,健康状態,waveダミーである.固定効果モデルで推定した. 【3. 結果】固定効果モデルの結果から,子どもが幼少の際に男性の就寝時刻が早くなることを除き,同居長子年齢は男性の生活時刻にほぼ影響を持たないことが示された.女性では家を出る時刻を除き,子どもがいると起床,帰宅,就寝時刻が早い.こうした傾向は帰宅・就寝では同居長子年齢が14歳まで,起床では17歳まで見られた.末子年齢についても,同様の結果が得られた. 【4. 結論】パネル調査を用いた分析の結果から,子どもの成長によって男性の負担は緩和されるが,女性の負担が緩和されるのは,帰宅・就寝では中学卒業以降,起床は高校卒業以降であることが明らかになった.子どもを持つことによって,生活時間調整のジェンダー不平等な負担が生じ,その後男性の負担軽減は早いが,女性の負担軽減が遅いという,負担軽減のジェンダー不平等も明らかになった. 【文献】 平河茉璃絵・浅田義久,2018,「学童保育の拡大が女性の就業率に与える影響」『日本労働研究雑誌』60(2): 59-71. 保育園を考える親の会編,2015,『「小1のカベ」に勝つ』実務教育出版. 小栗ショウコ・田中聖華,2013,『だれも教えてくれなかったほんとうは楽しい仕事 & 子育て両立ガイド』ディスカヴァー・トゥウェンティワン. 【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204),基盤研究(S)(18103003, 22223005)の助成を受けたものである.東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては,社会科学研究所研究資金,株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた.パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた.本研究の遂行にあたって日本経済研究センター2020年度研究奨励金の支援を受けた.

報告番号113

性の記憶の場としての映画館 ――関西のポルノ映画館を題材として
上智大学 石井由香理

1 目的  本報告の目的は,かつての労働者の街にある昭和的なポルノ映画館が,どういった場であり,都市に住む人々にどのようなものとして認識され,どういった人たちにいかに利用されてきたのか,そしてそこに変化があるとすればそれが何であるのかについて考察することである.こうした映画館については,セクシュアルなものに対するタブー意識や,非異性愛・シスジェンダーに対する意識から,強くスティグマ化されており,研究の蓄積がほとんどなされてこなかった.しかし,労働者たちにとって,ポルノ映画館は,街の記憶や生活,人との出会いと結びついたものであり,調査が求められる状況にある. 2 方法  本報告では,2017年9月から2019年3月の間に関西の下町エリアを中心に行われたフィールドワーク,および,半構造化面接法による調査データを用いた分析を行う.半構造化面接法の調査時間は90分から300分程度であり,9名が女装者,3名が女装者愛好男性である.年齢層は女装者が20代から60代まで,女装者愛好男性が30代から50代である.また,映画館のスタッフや新しい業種として女装者向けのサービスを始めた,ビデオボックスの店長,街の町内会長にも聞き取りを行っている. 3 結果  関西の下町にある映画館は,主にブルーカラーの男性が出入りする場であった.また,特に男性同士や,女装者,女装者愛好男性たちの出会いの場としても存在していたが,シネマコンプレックスの台頭やメディアの個人化,施設の老朽化にともない,客層が高齢化している.映画館の外装や客層,アクセスのし難さのために,女性や若年者,外国人,ホワイトカラー層などの入館が制限されたり,排除される.ポルノ映画館と入り口が共通のため,客層が絞られることにより,中で一般映画を観るブルーカラー高齢男性たちの居場所にもなっている.映画館に関わる性暴力の被害は問題化されにくい. 4 結論  下町にある映画館の記憶は,性や社会のアウトサイダーと結びついているために,研究資料が乏しく,また公にも場の機能がいかなるものか語られてこなかった.だが,女装者を含む,生誕時に割り振られた性が男性である人たち,特に中高年のブルーカラー層にとって,この場所は重要である.ジェントリフィケーションが進む街のなかで,映画館のかつての活気を記憶する人たちは,同じく記憶を有する他者がいる,失われゆく居場所に通い続けている. 謝辞 本研究は,日本学術振興会若手研究(B)(17K13849)および,若手研究(20K13705)の研究成果の一部である.

報告番号114

〈他者〉との出会いは、公共圏に何をもたらすのか ――「ビッグイシュー」を事例として
京都大学文学研究科 八鍬加容子

【1. 目的】  公共圏に関する先行研究は、ユルゲン・ハーバマス(1962=1973)とハンナ・アーレント(1958=1973)が礎となっているが、両者ともに公共圏において階級・ジェンダー・民族などに基づく排除がなされてきたことに自覚的でなかったと批判されている(Calhoun ed. 1992)。また近年、公共圏の議論は「公共」に力点が置かれ、「空間」からとらえる議論の蓄積が不足しているという指摘もある(篠原 2007)。  そこで、本研究においては、「社会によって異質化された他者」(西澤 2010: 165)と言えるホームレスの人々と市民との公共空間における出会いと相互行為に着目し、公共圏のもつ可能性をとらえ直すことを目的とする。本研究は、ホームレスの人々と市民が公共空間での雑誌の売買を通して交流する「ビッグイシュー」を事例として、この点に関して実証的に解明した。 【2. 方法】  本研究は、2017年から2021年にかけて行われた主に関西圏における「ビッグイシュー」販売場所での参与観察と、読者50人への聞き取り調査が元になっている。雑誌販売を通して、公共空間でホームレスの人々と出会うことが、読者である市民の意識をどのように変容させたかを追跡した。その調査結果を元に、ホームレスという〈他者〉との出会いからどのように市民の意識が変容を遂げ、その意識の変容が何を公共圏にもたらすのかを考察した。 【3. 結果】  雑誌販売を通して、ホームレスの人々と出会い交流することより、読者のホームレス観は固定観念を脱し、「〇〇さん」という人対人の関係性へと変化を遂げていた。また「なぜホームレス状態に陥ったのか」の過程を知ることで、「他人事ではない」と感じたり、自らの脆弱性に気づいたりする人もいた。結果として、「ホームレス問題」の原因を本人に帰するのではなく、社会構造にあると考える傾向が見られるようになり、そこから「ホームレス状態」が単なる個人的苦境ではなく、公的な問題であると考える公共圏の萌芽が見られた。 【4. 結論】  結論としては、公共空間における〈他者〉との出会いと相互行為には、固定観念から脱却させる力があると考えられる。またそのような出会いと相互行為の結果、個人的苦境を公的な問題として考える回路もつくられていく兆しが見られ、それは公共圏の萌芽とも言えるものだった。だが一方で、同じ公共空間に居合わせても、この出会いと相互行為にかかわる人はごく一部であり、圧倒的多数の人々はただ通り過ぎるのみであることには注意が必要である。 【参考文献】 Arendt, Hannah, [1958] 1998, The Human Condition, University of Chicago Press.(志水速雄訳,[1973] 1994,『人間の条件』筑摩書房.) Calhoun, Craig ed., 1992, Habermas and the Public Sphere, MIT Press (1999,山本啓・新田滋訳,『ハーバマスと公共圏』未来社.) Habermas, Jürgen, [1962] 1990, Strukturwandel der Öffentlichkeit : Untersuchungen zu einer Kategorie der bürgerlichen Gesellschaft, Suhrkamp ([1973] 1994,細谷貞雄・山田正行訳,『公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探求』第2版,未来社.) 西澤晃彦, 2010,『貧者の領域』河出書房新書. 篠原雅武, 2007, 『公的空間の政治理論』, 人文書院.

報告番号115

東京都江東区・清澄白河はいかにして「コーヒーとアートの街」になったか――雑誌分析から見る東京インナーシティの空間再編
成蹊大学 金善美

1.目的 本研究では、東京都江東区・清澄白河を事例に、昨今の脱工業化・グローバル化・情報社会化の下、東京インナーシティが直面する空間再編の具体像とその意味を明らかにする。かつて横山源之助(1899)が「細民の最も多く住居する地」と書いた旧深川区に含まれる清澄白河は、それから100年以上が経った現在、庶民・細民のイメージとは程遠い「コーヒーとアートの街」として知られるようになった場所である。「コーヒー」と「アート」はともに広域からの集客を前提にしており、そのため、近年の変化に関する考察は、こうした外からのまなざしという要因を抜きにしては語れない。報告では、雑誌記事の分析を通じて言説空間における地域イメージの変遷を追いながら、現実に見られる社会経済的再編との関連性を探る。 2.方法 大宅壮一文庫のデータベース「Web OYA-bunko」を利用し、1990年から2020年11月までの間、タイトルに「清澄白河」(地名)または「深川」(地名)を含む雑誌記事を対象に数量・内容分析を行った。雑誌記事を用いる理由は、第一に、雑誌というメディアの記述を通して地域の再編過程を外部との相互作用の中で重層的に把握できる点、第二に、消費文化やライフスタイルと密に連動する現代都市の展開を活字やビジュアルを通じてわかりやすく映し出している点にある。分析では、誰のまなざしから、現実のどのような要素が言説空間における「清澄白河」像として選択されていき、それがいかなる修辞法で表現されるのかに着目する。 3.結果 言説空間における「清澄白河」イメージの変遷には、首都圏在住の女性を主な読者層とする地域情報誌が一定の役割を果たしてきた。2000年代以降、記事タイトルにつく地名は「清澄白河」が「深川」を上回っていき、また、「歴史」「伝統」「記憶」の代わりに「新」「奥・隠れ」「私・ひとり」「ゆったり・癒し」などの修辞が登場するようになる。内容面では、どの時期も「下町」というキーワードが持続的に使われてはいるが、それを物語る具体的な要素は歴史や地形、史跡、文学などから来街者が主観的に認識する「情緒」「風情」に移り変わってきた。分析からは、東京都現代美術館の開館(1995)や清澄白河駅の開業(2000)、「ブルーボトルコーヒー」の出店(2015)など地域をめぐる現実の変化と連動しながら、清澄白河が女性を主な消費者とする都市観光の新たな目的地として浮上しつつあることが示される。 4.結論 現代の都市観光において重視されるのは過去の歴史性・文脈性というよりは個人の感覚や趣味嗜好であり、雑誌を含むメディアから得た情報をもとにカフェや美術館、ギャラリー、雑貨屋、本屋などをめぐる来街者は特定の商品や場所が織りなすネットワークを「清澄白河」として認識・経験する。「コーヒーとアートの街」は、このような今日の都市観光の在り方を前提に、女性という消費者層の好みに合わせてより多様化・細分化された下町イメージの一種として解釈できる。こうした地域イメージの変化は長らく停滞してきた下町エリアの「復興」「復権」の兆しとしての可能性を持つと同時に、活発な再開発によって流入した新住民の欲望を反映しているという点で、東京インナーシティを対象とする近年のジェントリフィケーション研究とも接点を持つ。

報告番号116

都市政治における改革のジレンマ?――「大阪都構想」住民投票に関する労働組合員意識調査の分析
公益社団法人国際経済労働研究所 山本耕平

【1. 目的】日本の都市部において「改革派首長」が高い支持を得る現象は、学術的にも注目を集め、ポピュリズムやポスト55年体制といった観点から、彼ら・彼女らが社会階層横断的に支持を集めていることや、既存の政治システムや行政への不満・不信といった意識との関連が指摘されてきた。一方、いわゆる「大阪都構想」をめぐる住民投票において、僅差ではあれ2回とも反対が過半数を占めたことが示すように、改革派首長への高い支持と、彼ら・彼女らが実行する改革にたいする住民の態度とは必ずしも一致しない。本研究は、2020年に住民投票が行われたいわゆる「大阪都構想」をめぐる争点への態度を分析することで、改革派首長が実行する改革にたいする支持の構造を検討することを目的とする。 【2. 方法】先行研究の検討から、「居住年数が短いほど(年齢とは独立して)、賛成派が強調した争点に強く反応し、反対派が強調した争点には反応しない」(仮説1)、「居住年数が短いほど賛成派が強調した争点に反応するが、自治体の問題に無関心である場合にはその傾向は弱まる」(仮説2)、という2つの仮説を導出した。 2020年末から2021年2月にかけて、大阪市に在住する労働組合員の協力のもと質問紙調査を実施した。日本労働組合総連合会大阪府連合会の構成組織において、労働組合員に調査票を配布・回収し、2143件の有効回答を得た(有効回収率42.9%)。大阪市の有権者から無作為抽出されたサンプルではないため、結果の一般化には慎重である必要があるが、本研究で着目する居住年数や自治体への関心と争点態度との関連について一般市民と労働組合員との間に極端な乖離があるとは考えがたく、少なくとも今後の研究に示唆を与える知見を導くことは可能だと考えられるので、本研究ではこのデータを使用している。 【3. 結果】住民投票の争点にたいする態度の因子分析から3つの因子を抽出した。そのうち、「二重行政のコストが残ること」など賛成派が強調した争点と関連する「コスト懸念」因子と、「福祉サービスの質が下がること」など反対派が強調した争点と関連する「サービス懸念」因子について、各回答者の因子得点を求めた。 コスト懸念とサービス懸念をそれぞれ従属変数とする多変量解析の結果から、居住年数が年齢とは独立にそれぞれの意識と関連していることが示された(仮説1を支持)。また、これらの関連は、改革志向や市長への信頼といった意識によって媒介されていた。コスト懸念にたいする居住年数および自治体への関心との間には交互作用が認められ、居住年数の長短によるコスト懸念の差は自治体への関心が高い場合においてのみ見られた(仮説2を支持)。 【4. 結論】分析の結果、改革派首長は、居住年数が短いために従来の行政サービスの損失を忌避する傾向が弱い住民の改革志向に訴えることで、人口移動が流動的な都市部において一定の支持を獲得できるが、一方でそのような住民は自治体の問題に無関心であるために改革案に積極的には反応しないことも多いため、十分な支持を得るにはいたらない、ということが示唆された。

報告番号117

景観に観る合意形成
経済総合分析株式会社 木下博之

1. 目的  日本の景観に対して残念であると指摘する声は大きい。その真因を合意形成の深さに照らして探っていきたい。きわだつからおさまるへと、景観を変革していきたいという、建築家を中心とした景観論(井口)を目にした。彼らが企図したお台場の景観などが挙げられている。彼らなりの理想と意図とは分かるのだが、例えば、当方が挙げるのであれば戦前は美しかったと言われる現在のマニラであるし、当たらずも遠からずのニアピンであって判然としないものも感じるのである。そこで、社会的な合意形成の面から政治と経済の軸を交えて、今一度、景観について捉えてみたい。 2. 方法  権威主義から民主主義にかけての軸を、横軸としてt軸と名付け、計画主義から自由主義にかけての軸を、縦軸としてv軸と名付ける。それらは、政治的な軸と経済的な軸である。そこに、彼らの景観論を位置づけて評価していく。また、能力は、スキルといわれるが、これは、知能と技能、ソフトスキルとハードスキルに分類されることが多い。これらは、コインの表裏の関係にあり、互いに補完する関係にある。くわえて、これらのスキルの良し悪しの推移を描くと、このvt平面において、対角の直行を成す。政治と経済とが、互いに独立次元にあるということと、より実りある合意形成とは、民主主義的であって自由主義的である、ということは半ば実証はされている(フランツ)のであるが、本論においては、仮定であると認識して検証しつつ、ソフトスキル上の理想であるとして分析を進めていく。 3. 結果 きわだつは、自由主義的でかつ権威主義的、おさまるは、計画主義的かつ民主主義的である。民主主義と自由主義を理想とするならば、これらはいずれも、ソフトスキル上の理想と反理想との間の境界線上にある。彼らの論においては、合意形成よりも建築技術と利益誘導の方に意識があるようである。建設計画が回る状態というのは、その境界線上にあるのだろう。彼らは彼らにとっての価値観に根ざしたハードスキル上の理想に向かって論を進めている。 4. 結論  自由な経済活動が民主的な合意とともに為されることが理想である。先に挙げたマニラの街並みはバランガイという民主的な枠組みの上に成り立っている。一方で、ゴーストタウンには一見美しいものもあるが、権威主義的であり、計画主義的であり、全くの反理想的なディストピアであり、巨額に投じられたコストの割には実際のところ入居者が現れないのもこう分類すると明解である。ソフトスキルの上での理想とはハードスキルの道を歩む実務家にとっては青臭く参照するに足りないとする見解もあるなかで、民主的であり自由であり、合意形成がより深まっていくということの意義を体感的にも科学的にも実証し議論し合意して、共有して広めていきたいものである。きわだつのかおさまるのかは趣味の問題であり、選択肢として提示できれば良いのである。文理融合とは、こうしたコインの裏表を認知して、実践していくことである。 参考文献 井口勝文 他『都市のデザインー”きわだつ”から”おさまる”へ』2002年、学芸出版社。 E・フランツ『権威主義:独裁政治の歴史と変貌』2021年、白水社。

報告番号118

地域共有物を管理する社会システムとしてのコミュニティ――災害社会研究の観点から
九州大学 三隅一人

1.目的 災害研究ではレジリエンスの単位として、コミュニティへの言及が頻繁になされるようになった。しかしながら、コミュニティ概念そのものの精緻化はなく、現代日本のように地域社会が弱体化した状況では、そこでいうコミュニティがいかなる現実的様態をとりうるのかが問われる。そこで本報告では、コミュニティの重要な機能が地域的な公共財・準公共財の供給であることに着目して、コミュニティ概念を再考する。 2.方法 まず、人びとの地域生活の安全や住みやすさにとって不可欠な非物質的な公共財・準公共財として、地域共有物を考える。具体的には地域の安全、レジリエンス、防災力、まちの活気、地域教育力、衛生、景観、自然環境等である。これらは、MacIverがいう共同関心が具体的に対象化されたものであり、非競合性、排除不可能性の双方ないしどちらかを満たしやすい点で、広義の公共財といえる。したがってその管理にはフリーライダー問題がともなう。ただし、現実的には多くの地域共有物は、利害関心が強い人たちが貢献し、利害関心が薄い人たちは何ほどかフリーライディングする形で維持されている。ここでは、そうしたコアな貢献者を中心とした部分社会システムを、コミュニティモジュールとよぶ。そうするとコミュニティは、複数の異なるコミュニティモジュールが分業・分担する、いわばモジュール複合として捉えられる。以上をふまえ、災害と地域社会の観点から、地域共有物を管理する社会システムとしてのコミュニティ概念を再考する。 3.結果 災害時は、市場・流通の機能低下によって、各種私財の公共財的供給の必要性が高まる。にもかかわらず定常的なコミュニティモジュールは消滅ないし弱体化する。そのため全体的に人びとの危機意識が高まり、地域共有物に対する協力閾値が低下する。これが定常的なフリ-ライダー層から協力を引き出す。とくに避難所や仮設住宅等においては、分断された各種モジュールの構成員が一定期間混在しやすく、彼らが臨時的に多機能モジュール(断片モジュールの合体適応)を構築することがある。いわゆる災害コミュニティ(ユートピア)の出現メカニズムは、こうしてこの概念枠組みから説明される。 より長期的な視点、すなわち災害の長期化や復興に関しては、課題が広域化するとともに選択性が増し、個別条件の差異が顕在化しやすい中で、住民が一丸となって対応することの重要性が指摘されている。これは、復旧・復興が地域全体の生活と生計の場の再建・維持に関わるからであり、その点は防災も同じである。そしてこれは、緊急的な災害コミュニティではなく、常態的なコミュニティの問題である。本報告の枠組みでいえば、「住民一丸」は復旧・復興・防災を地域共有物の問題として処することを意味する。ただし、「一丸」の中身は地域の実情によって多様でありうる。地域住民がもつ社会関係資本の状況を、行政やNPO支援との連携、さらに市場供給による補完も含めて、分析的に捉えていく必要がある。 4.結論 災害と地域社会の関係は、コミュニティの捉え方に重要な示唆を投げかけている。本稿ではそれを上記のように、理念的に善きコミュニティを置くことなく、地域共有物管理との関係でそれを分析的に捉える枠組みを示した。当日は、具体的なコミュニティ現状分析例も示して説明したい。

報告番号119

公共住宅政策の特別目的自治体「ハウジングオーソリティ」の組織イノベーション ――「賃貸業務から開発・福祉主体への転換」における地域コミュニティへのインパクト
福山市立大学 前山総一郎

【1.目的】  ハウジングオーソリティ制度(housing authority)は,ニューディール期のローズベルト政権により,小回りの利くミニ自治体である特別目的自治体(special purpose government)として設計され・創設され,米国公共住宅政策の柱となったものである。  第二次大戦後は,ハウジングオーソリティの扱う住宅サイトは,スラム化し沈滞した。その後,連邦議会が提起したHOPE VI戦略(1992年)を基としつつ,全米で約4000のハウジングオーソリティは,それまで賃貸事業に特化していた組織機構のありかたを,組織改革・開発力改革をへて2000年頃から本格的に自己改革した。また,低所得者のみの住宅サイトから「所得が混在したコミュニティ」(mixed-income community)」が目指された。現在,多くのハウジングオーソリティが,該当するエリアでの居住者コミュニティ(Resident Council)の設置支援や,低所得居住者の家族自立支援(FSS事業)という地区密着での福祉サービスの供給機能をおびて,住宅開発の主体,地区住民への福祉供給事業の主体となることとなったとされる。  現実的には,どのような組織イノベーションがあり,それがどのように地域コミュニティの支援と福祉供給につながることとなっているのか。これまでの現地調査,またヒアリング調査等を通じて,このダイナミクスに迫ることを試みる。  <本研究の目的> 公共住宅の担い手組織「ハウジングオーソリティ」がおこなった組織改革の結果,どのように具体的に,地域開発機能を身に着け,とりわけ地域コミュニティの形成(各該当エリアにおけるCommunity Councilの設立支援)とそこでの福祉供給機能を獲得していったのかを明らかにする。 【2.方法】 複数のハウジングオーソリティ(Tacoma Housing Authorityなど)をベンチマークとして,①住民協議会の立ち上げ支援の実際(設立件数,契機,リーダー,課題),②FSS事業を核とした福祉供給事業の実際と課題(組織側担当者の状況,支援を受ける者の状況,達成状況,課題)を具体的に確認する。もって,組織構造改革・資金獲得の改革をおこなってなされた組織イノベーションが,「地域コミュニティの形成支援とその福祉供給機能」に資しているダイナミクスをかを測る。 【3.結果】 組織構造改革,資金調達スキル改革によるイノベーションによって,1.住民協議会に対応し,とくに家族自立支援(FSS事業)を担当する専門職の配備が可能となったこと,2.組織構造改革により地域担当の専門職と財政部,資産マネジメント部との連携が図りやすくなったことの点を通して,住民協議会の立ち上げが可能となり,FSS事業で同専門職から同伴支援を受ける者の就職率・持ち家率の向上が見られた。 【4.結論】 1990年以前に「賃貸機能」のみであったハウジングオーソリティが, 2000年前後に自己改革をおこなったことを通じて,賃貸事業に加えて,地区住民の支援を現実的に担う器となっていることが具体的諸点をもって明らかとなった。これにより「ハウジングオーソリティ」が,公共住宅政策サービスの提供とともに福祉サービスの提供を同時におこなうこととなっている点,日本の公共住宅政策とは全く異次元の局面を呈していることを示している。

報告番号120

地方都市の伝統的町内はコロナ禍をいかに受け止めているのか?――滋賀県長浜市・長浜曳山祭の2021年の縮小開催を手がかりとして
法政大学 武田俊輔

1.目的 本報告ではコロナ禍が近世以来の日本の地方都市の伝統的な生活共同や社会関係の再生産過程にどのような影響を及ぼしているか、またそれに対し人々がいかに対応しようとしているかについて、滋賀県長浜市の長浜曳山祭とその担い手の町内を手がかりに分析する。 こうした都市祭礼は家と町内の名誉・威信の配分と誇示の場である。と同時に、その外部から人・モノ・資金・技能といった大量の資源を動員・調達して行われ、不特定多数の観客が集まるがゆえにその実施は現状で困難を極める。そのため2020年以降ほぼ中止となっているが、密の回避、外部調達できなくなった資源のやりくり、観客を呼び込まないオンラインの活用など、さまざまな戦術を駆使して再開にこぎつけた例も幾つかある。 長浜曳山祭はその一つであり、2021年4月に縮小開催が行われた。本報告では祭礼の準備から当日の状況、次年度に向けた担い手たちの課題と取り組みを通して、Covid-19をめぐるリスクを地方都市の町内がいかに受け止め、また既存の社会関係を再編成しつつその営みを継承しようとしているか明らかにする。 2.方法 本報告に直接に関係する調査は2020年12月以降にこの祭礼を担う3つの町内(山組)の中心メンバー合計6名、および20年・21年の祭礼全体を取り仕切る総當番という事務局に対してオンライン(先方が希望する場合は対面)で、20年に中止から21年の縮小開催に向けた取り組みや困難をめぐって聞き取りを行った。それをふまえ祭礼直前の4月11日・12日および祭礼が行われた4月13日〜16日に3つの町内について参与観察調査をし、また6月に総當番と全町内の幹部で行われた反省会にも参加している。これにより必要なデータを収集した。 3.結果 家・町内における感染リスクをめぐる意識は分かれる。その中で幾つかの町内は、密を発生させず万全の対策をしていることへの相互信頼と共に、それでもかかるリスクはゼロでないことを許容し、また地域社会における感染者への批判から感染者の家を守ることへの信頼を通じて祭礼を実施した。逆にそれができないと判断した町内は、共同性内部での分断による致命的リスクを回避すべく実施しないことを決断している。また仕事上のリスク回避の必要や経営難に苦しむ自営業者層には無理をさせない形で祭礼は行われた。さらに行政・観光協会や学校、神社から協力をとりつけることで必要な資源の獲得だけでなく、現状において祭礼を行うことについての正当性を地域社会で調達した。加えて観客との距離がとれなかったり外部からの人的資源を必要とする行事を中止し、不特定多数の観客を引き込まないためオンラインのライブ中継を配信した。また今回ならでは可能となった、新たな名誉・威信の配分の場の創出も行われた。 4.結論  こうした伝統的町内とその祭礼がどうコロナ禍を受け止めるかを左右する変数としては、①担い手内部での信頼・寛容、②名誉・威信といった用益の配分の埋め合わせができるか、③内部の人的資源の維持、および外部から調達してきた人的資源を内部で賄える程度、④正当性の調達に関わる外部のアクターとの関係性、⑤流動性への対処が挙げられる。中長期的には、密を伴った場での継承ができない困難や担い手の自営業者の苦境による資金調達の困難、行事の変容、祭礼をめぐるウチ/ソトの境界線の再編が想定される。

報告番号121

地方における企業の高等学校就学支援(その2)――若者の就学支援の現代的意義の一考察
南九州大学  植村秀人

【1.目的】バブル経済崩壊後の長期間にわたる日本経済の停滞は、多くの社会的問題を発生させている。本報告では、家庭の経済的な事情により就職や就学に影響を受けている農村地域の若者世代に着目する。地方都市や農村地域は、少子高齢化の影響もあり経済状況は大都市より苦しい状況にある。この状況下において、家庭の経済的な事情により中学校卒業後の就職や就学が困難となっている若者がいる。一方で、地方においても近年の人手不足の影響は生じている。このような中で、宮崎県都城地域では、地元企業が連携し、若者に就労の場を提供すると同時に、高等学校教育の機会を提供する取り組みが行われている。若者への企業による就労支援と就学支援の取り組みは、戦後の集団就職者における定時制高校の就学など、戦前戦後において数多く事例が存在している。都城市は、宮崎県南部地域の農業を主産業とする市であり、大規模な雇用先は少ない。高校進学率の向上もあり、若者を大量に雇用する場はなく、先行研究のような旧来型の支援は困難である。本研究で取り上げる事例は、複数企業の連携した取り組みであるため現在日本社会における「子どもの貧困問題」と「労働力不足」の問題を解決する策として着目すべきものと考えられる。本事例を研究することで、先行研究とは異なる現代型の若者への就労と就学の支援の特徴を明らかにし、本事例の現代的意義を考える。 【2.方法】戦前戦後の若者の就労状況、集団就職者の就学状況、若者の学習意欲など就労・就学に関する先行研究を整理する。一方で、企業側の支援は、団体の事務局への聞き取り調査を中心とし、宮崎県都城地域における企業による就労・就学支援の内容を明らかにする。そして、両者の比較検討を行い、時代や場所による違いなどを明らかにし、現代的な意義を検討する。 【3.結果】企業の連携による就労と就学の機会の提供は、高い高校進学率や農村地域という環境において、地域の事情にあった形での形態であると考えられる。また、若者に就学の機会を提供することによって彼らに、上級学校への進学や各種資格取得の可能性を高めることになっており、貧困の連鎖といった問題解決にもつながると期待できる。また、企業にとっても、働き手の確保に繋がり、地域社会貢献の活動ともなっている事が明らかとなった。 【4.結論】混迷を深める現代社会において、社会的に取り残される人々への支援の必要性が着目されている。就労や就学が困難性を抱えている若者も同様である。本事例による企業の就労と就学の支援は、現代社会の状況に合致すると同時に、地域社会の実情にも対応しているものと考えられる。そして、企業側の持つ人手不足といった問題も解決するとともに、地域の発展にも寄与する可能性があると考えられる。ただ、現代的な意義は、ある程度考察することが出来たが、実際の成果などについては今後の研究課題としたい。

報告番号122

コロナ禍における地域活動はいかにして持続可能か――高齢者を中心とする体操グループを対象として
東京大学大学院 宮地俊介

【1.目的】 コロナ禍の現在、社会的孤立は、とりわけ高齢者層を中心に大きな社会問題となっている。これを受けて本報告では、コロナ禍において高齢者たちの地域活動がどのように変化したのか、またどのように持続可能となっているのかを、特にその他の地域集団との関係性を踏まえつつ明らかにし、提示する。調査対象としては、高齢者を中心に全国どこでも同じように行われている地域活動としてラジオ体操などの体操グループを選択した。近年、これら体操グループについては、参加者たちの紐帯に注目した調査研究も行われている(外村・土井・安東 2015; 統計研究会 2009)。本研究ではこれら知見も踏まえつつ、特にコロナ禍において、体操グループが町会やその他の趣味グループなどとの関係性にどう組み込まれ、それによって高齢者層の社会的な紐帯が実際にどのように担保されているのか明らかにする。 【2.方法】 文京区内Aグループを中心として、都内複数の体操グループを対象に、報告者両名による約半年間の参与観察およびインタビュー調査を行う。先行研究のほとんどは、対象を一事例に絞り、参加者に対する一律のアンケート調査によって意識の再構成を図るものであった。これに対して本報告では、長期間の参与観察をインタビューと合わせて行うことにより、当事者たちの現場での相互行為や人間関係なども踏まえつつ、参加動機や地域との関わりなどを詳細に明らかにしていく。また、都内複数の事例を対象とすることで、同じ参加者がいくつかの活動に参加している場合の相互関係や、活動どうしの相違点についても検討を行う。 【3.結果】 地域の体操グループには、明確なゲートキーパーや行政による介入・管理が存在せず、活動は参加者たち自身によって自主的に続けられていた。こうした自主性や繋がりの緩やかさは、他の地域活動の参加者の柔軟な受け入れにも貢献していた。体操の場に他の地域活動を通じて形成された繋がりが持ち込まれるだけでなく、コロナによって休止した別の地域活動の参加者がラジオ体操に定期的に参加するようになった事例も観察され、体操グループが地域集団どうしの緩やかな結節点、もしくは集団間のインフォーマルな情報交換の場としても機能していることが示唆された。また、出席や体操の相互観察を通した安否確認・見守りが自然に行われることで、コロナ禍においても健康や予防に十分に配慮したうえで参加者どうしの繋がりを担保することが可能となっていた。 【4.結論】 今回の調査では、非制度的・自然発生的な高齢者の地域活動グループが、特にコロナ禍においては制度的なものも含めた地域集団どうしの結節点として機能しうることが示された。こうした緩やかな地域的繋がりのあり方は、ポスト/ウィズコロナ時代に望ましい地域コミュニティや高齢者どうしの社会的ネットワークを考えるうえでも見逃せない要素となってくる。コミュニティ論・ネットワーク論や老年学の課題とも突き合わせつつ、更に検討を進めていく必要があるだろう。 文献 外村隆士・土井勉・安東直紀,2015,「自然発生的な『つながりの場』の発見──賀茂川河川敷でのラジオ体操会の調査を通して」『関西支部研究発表会講演概要集 第13回』. 統計研究会,2009,『ラジオ体操・みんなの体操とコミュニティの形成(地域結束力)についての調査研究報告書』.

報告番号123

多文化共生社会における包摂性実現に向けた地域日本語教室の役割――茨城県ひたちなか市の事例から
茨城キリスト教大学 勝山紘子

1.目的 本発表の目的は、多文化共生社会における包摂性実現に地域日本語教室が寄与するための課題と可能性を検証することである。 2.研究課題 2006年に総務省が提言した「地域における多文化共生の推進プラン」は、社会経済情勢の変化を受け、2020年9月に地域の日本語教育をより推進する内容へと改定された。そこで新たに取り入れられたのが「誰ひとり取り残さない」をキーワードとするSDGsの基本的理念でもある「包摂性」の概念である。日本に定住する外国人に対してこの包摂性を実現するためには多角的な日本語支援が必要不可欠となる。そのため近年、有資格者である日本語教師による専門的な日本語教育と、ボランティアの地域日本語教室による多文化共生の相互学習という二つの日本語支援のあり方が提唱され、支援する上での役割分担が目指されつつある。しかし日本語教育の場となる日本語学校には、多くの外国人がその学費の高さゆえに通うことを断念するという問題がある。その一方で、地域日本語教室には、ボランティアによる定期開催であるがゆえに集中的かつゼロレベル学習者に対応した指導が難しく、意欲を持続できない学習者が学習成果を出すまでに零れ落ちてしまうという難点がある。結果として双方から排除され、その後もふさわしい日本語学習の機会がないまま、日本語のできない外国人として社会の中で生活することになる人びとが後を絶たない。この排除をいかに防ぎ、すべての外国人に日本語学習の場を提供するかが現状の課題である。本発表では、こうした現状に対する先駆的な実践取組に注目し、課題解決の糸口を探る。 3.研究対象と事例の検証 発表者自身が日本語教師として実践に参加している茨城県ひたちなか市の事例を取り上げる。茨城県では茨城国際交流協会が「地域日本語教育の体制づくりを進めるためのプロジェクト・デザイン」(2021年度~2023年度)を策定し、今年度は県内の地域日本語教室の空白地域の確認を行い、その解消に向けて取り組んでいる。ひたちなか市国際交流協会では2014年に日本語支援プロジェクトを立ち上げ、その中心的な活動の場として日本語支援ボランティアによる「日本語教室ルンルン」を開設した。その対象者は、学費の高い日本語学校に通うことのできる外国人就労者や留学生、日本語学習に関して企業のバックアップを受ける外国人ではなく、配偶者(夫)の日本での就労に伴って来日した妻や、日本語が習得できないまま母国人のコミュニティに属しそこで完結してしまっている外国人など、日本で生活するにもかかわらず日本語学習の機会を得られていない人々である。そして協会は、このボランティア教室での対話的学習をより有効に行うべく、そこに至るための基礎日本語力習得を目的として、日本語教師による有償ではあるが安価の日本語入門講座を開催している。有資格者による言語保障の場を作るには人材確保と財源確保が必須であるが、ボランティアスタッフ内での有資格者育成と地元ロータリークラブからの資金援助が、本講座の実現につながった。 4.結論 ひたちなか市国際交流協会の事例は、有資格者の確保の努力と民間からの財政支援によって言語保障の場が創出され、それにより、包摂性実現に向けた地域日本語教室の多文化交流・相互学習の場としての役割が明確化することを示している。

報告番号124

地域社会における人と猫をめぐるコンフリクトに関する事例研究――社会問題の構築過程の分析から
日本大学 木下征彦

1.目的 本報告の目的は,地域社会における人と猫をめぐるコンフリクトの問題構築過程を分析し,誰にとって何が問題として認識されているか,その問題状況の認識はどのように推移するかを明らかにすることである.報告者は,これまでの本学会報告で,①地域社会における人と猫をめぐるコンフリクトを対象化し,その問題状況としての野良猫問題の構造を分析した上で,②問題解決過程としての地域猫活動の理論的な未整備とそれに由来する課題を析出した.さらに,昨年度は③社会的カテゴリーとしての〈野良猫〉に焦点を当てて野良猫問題の一連の過程を分析した.以上をふまえつつ,本報告では人と猫をめぐるコンフリクトに対して構築主義的アプローチによる分析を行い,社会問題のカテゴリーの検討を通じて,問題状況の当事者とその関係性および争点,それらの推移過程に迫る. 2.方法 まず(1)報告者自身のこれまでの研究成果を含む先行研究のレビューを通じて関連する理論と概念を整理する.さらに,本研究が対象とする人と猫をめぐるコンフリクトとその問題構造を記述の上,基本的な理論枠組と仮説命題を提示する.続いて,(2)報告者がこれまで取り組んできたフィールドワークによって得られた町会レベルの地域社会における複数の事例研究の成果を用いて,主に構築主義的アプローチによってその問題構築過程を詳細に記述・分析する. 以上の作業によって析出したクレイム申し立て活動とその社会問題のカテゴリーを検討することで,地域社会における人と猫をめぐるコンフリクトの社会問題としての特性と,その争点の推移を整理する. 3.結果 (1)については,地域社会における人と猫をめぐるコンフリクトを,人と猫の関係性における動物愛護をめぐる問題群と,人と人の関係性における地域社会に関する問題群として整理した.さらに,問題の背景に文化的・社会関係的要因にもとづく地域住民の猫に対する寛容性/非寛容性という要因を見いだし,コミュニティ論の観点から本研究の理論枠組と仮説命題を示した. (2)については,社会・文化的な理由から事例によって問題構築の過程は異なるものの,野良猫問題が「問題状況」として認識されるのは,主に地域住民から町会や行政に向けられた「野良猫による被害」や「餌やりによる迷惑」というクレイム申し立てが起点であった.また,問題解決過程としての地域猫活動は,被害者や行政担当者,〈専門ボランティア〉などによって「地域社会での問題解決」方法として提案されることで,地域社会における<野良猫>と<地域猫>をめぐる言説を生みだし,問題状況をめぐる議論から課題解決に向けた議論の転機となると同時に,新たなクレイム申し立ての契機ともなることがわかった. 4.結論 以上のことを通じて,地域社会における人と猫をめぐるコンフリクトにおいては,これまで知られてきた〈被害者〉と〈餌やり人〉の関係性における〈野良猫〉への餌やり行為の是非をめぐる争点のほか,当事者らの相互作用によってさらに複数の争点が生じていることがわかった.特に問題解決過程に関わる〈専門ボランティア〉による新たなクレイム申し立てによって生じる地域猫活動の方法論をめぐる争点は,新たな当事者による新たな問題状況の認識と議論を導いている。

報告番号125

日本における障害者就労支援の「能力」観を再考する――COVID-19下のEssential Workersの概念比較から
津田塾大学大学院 濱松若葉

【1.目的】  日本の障害者実雇用率は年々増加しており、数字の上では障害者の就労状況は改善しているといえる。しかし、障害者が働くことを支える法律や支援等があるにも関わらず、現場に目を向けると、社員として雇用され「働いて」いても、合理的配慮が全く必要にならない簡単な仕事ばかりを任せ、最初から障害者を仲間はずれにする、「本質的排除」ともいうべき状況がみられる。これは、障害者を雇うことだけが目的となり、なぜ障害者が仕事をするのかという「仕事の本質性」を見失ってしまった事例がみられるということでもある。この状況は日本が法政策の参考にした、アメリカの障害者就労の内実とは異なっている。アメリカでは仕事の中身を議論し、会社の戦力として働くための支援がどのようなものかを重視する事例がいくつもみられる。つまり、両国の法律は似通っているにも関わらず、障害者就労支援の実態は異なっているといえる。両国の差を考えるにあたって、刮目すべき概念として現れたのが、2020年のCOVID-19 crisis下のEssential Workers(EW)であった。  本報告の目的は、障害者の「本質的排除」を生み出した「能力」観を明らかにし、その「能力」観のもと行われてきた障害者就労支援を再考することにある。 【2.方法】  2020年1月~7月までの期間を対象に、各種メディアの公開資料をもとに日米のEWの定義・運動を比較分析した。抽出した事例をもとに、EWに関する議論の中心概念を整理した。そのうえで、障害者雇用・就労に関する日米の法政策の資料(法律、施行規則、論文、判例、法政策の経緯をまとめている文献等)を分析し、議論となったキーワードをまとめ、両国がどのような面から障害者の「能力」を考えたかを整理した。そして、日本の障害者就労支援についての論文を整理し、どのような力の育成が課題とされてきたかをまとめた。 【3.結果】  EWをめぐる議論を分析すると、アメリカではEWを定義する際、コミュニティを維持するための最低限必要な機能(Essential Functions・EF)の有無を激しく議論していた。日本では、EWの定義が曖昧なまま放置され、EFの議論が不十分だった。  EFの議論は、既に障害者雇用・就労の分野で活発に行われてきた背景があった。アメリカでは障害者の仕事に必要な「能力」を論じる際、EFが論点となっていた。一方、日本ではEFを明確にすることは、障害者を仕事から排除する考え=能力主義に繋がりかねないとして、あえて議論を避けてきた経緯があった。しかし、この「能力」観こそ、障害者が就職するために学ぶべきことを曖昧にし、就職の失敗を本人の「コミュニケーション能力」不足として自己責任に帰す側面を持つものだった。現在の障害者就労支援の主流は、「コミュニケーション能力」の育成を狙いとしたSocial Skill Training(SST)であった。しかし、障害者の「コミュニケーション能力」をどこまでも支えることを合理的配慮とする見方は、障害者就労の現場に戸惑いと負担感を生んでいた。 【4.結論】  日米の障害者就労の内実の差は、労働観の差であり、仕事に必要な「能力」を考える際にEFを特定するか否かの差であった。さらに、日本の障害者就労支援が最も支えてきた「能力」は、障害者の「コミュニケーション能力」だった。SST重視の支援が障害者の「能力」の支えとならず、むしろ、「本質的排除」を生み出した可能性がある。

報告番号126

司法制度改革が弁護士の仕事と家庭におけるジェンダー格差に与えた影響――『2008年調査』と『2019年調査』の比較から
富山大学 中村真由美

【1.目的】司法制度改革により弁護士をめぐる環境は激変したが、その変化は弁護士のジェンダー格差を改善したのだろうか。司法制度改革により、ロースクール制度や新司法試験が導入され、弁護士人口が激増した。たとえば、2007年度には増加数は1098人であるが、新試験合格者が弁護士登録した2008年度には2202人と新規登録者が倍近くに増えている。弁護士人口が増えれば競争は厳しくなると考えられる。そこで、これらの変化が弁護士の仕事と家庭におけるジェンダー格差にどのように影響を与えたのについて検証を行った。2008年と2019年に実施した弁護士男女を対象とした郵送質問紙調査(それぞれ『2008年調査』と『2019年調査』と呼ぶ)の結果を比較することで、司法制度改革(とくに新司法試験導入による弁護士人口の増加)によるインパクトを検証した。 なお、『2008年調査』実施時には新司法試験の卒業生がまだ弁護士登録する前であったため、弁護士人口急増の影響を受ける前の状況を示すデータである。「影響を受ける前」と「影響を受けた後」の2時点の比較をすることで新司法試験導入による弁護士人口の急増による仕事と家庭におけるジェンダー格差へのインパクトを検証することができる。 【2.方法】日本弁護士連合会に所属する弁護士男女に対して郵送調査を実施した(『2008年調査』は日本女性法律家協会の会員に対する全数調査も含む)。日本弁護士連合会のHP上に登録されている弁護士名簿から無作為に抽出し(等間隔抽出法)、調査票を送付した。クロス表分析を実施し、2つの年度において、格差が減少したのかを検証した(大会当日にはさらにOLS等を用いた分析も報告する予定である)。 【3.結果】クロス表分析によれば、40代から50代という中堅世代において、地位(経営者弁護士割合)や所得のジェンダー差が2008年より2019年で拡大していた。一方で、家庭生活においては男性弁護士の共稼ぎ比率が高まったという変化はあるが、基本的に女性が家事育児を担うという構図は変わらない。また、弁護士全般に労働時間が短くなり、所得が低くなっている。 【4.結論】司法制度改革による急激な変化(弁護士人口の急増等)は中堅世代における所得や地位のジェンダー格差を広げている。かつては弁護士人口が少なく、その希少価値ゆえに、女性でも最終的にはほとんどが独立等を経て経営者弁護士になり、高収入を得ることができていた。しかし、弁護士人口が激増したためにそれが難しくなってきたと考えられる。ただ、労働時間の減少や弁護士の働き方の多様化(たとえば任期付き公務員や、企業内弁護士など)、日弁連による育児支援策の拡充等により、ワークライフバランスという意味では改善されている可能性がある。

報告番号127

休暇取得の決定要因と労働市場構造
早稲田大学大学院 瀬戸健太郎

1.目的  本報告の目的は、比較的長期の休暇を取得することができるのは誰か、いかなる理論的枠組で説明可能であるかということを休暇の種類と性別、企業規模、雇用形態に着目して分析を行うものである。既存の研究では賃金や労働時間といった就労条件について分析が蓄積されてきたが、労働政策研究・研修機構(2007)では、仕事の内容、勤務地の次に労働時間や休暇が就職時に重視される条件とされているが、分析は蓄積されていない。そこで本報告では休暇取得を規定する要因について明らかにする。 2.方法  本報告では、大阪商業大学が実施した日本版総合的社会調査(JGSS)の2015年と2016年の合併データを用いる。JGSS-2015/2016を用いるメリットは、性別・雇用形態・企業規模・世帯所得の他、就労時間や職場の雰囲気に関する設問も含まれており、分析に必要な変数を多く含んでいる。休暇についてもカテゴリカルな休暇の性質ごとの違いを明らかにすることができる。分析サンプルは有職者に限定しリストワイズ法により欠測値のある個体を除去、JGSS2016の調査対象年齢にあわせて25歳から49歳に年齢を絞った。 3.結果  分析の結果は次の通りである。第一に企業規模が大きくなるにつれて、比較的長期の休暇は取得しやすくなる。第二に、雇用形態の効果について一様ではないが、正規雇用労働者であるほど休暇取得が難しいという傾向は見いだせないが、職場の非正規雇用者の割合との交互作用項を考慮すると、正規雇用労働者は休暇取得しにくい傾向であることが判明した。第三に、家族ケアや自分の趣味など休暇の種類によって、休暇取得の傾向に若干の差異があり、休暇の種類によって取得に関する規定要因が異なることを示唆する。そして第四に、すべての休暇の種類で共通して、男性の方が休暇取得しにくいという傾向が見いだされた。 4.結論  以上より日本における休暇取得は、労働市場の異質な構造(Doeringer and Piore 1971=2007)や雇用形態による「保障と拘束の交換」(山口 2009)よりもむしろ、男性稼ぎ主モデル(斎藤 2013)による説明が整合的であることが明らかになった。この点で、依然として日本における休暇取得は、雇用形態や企業規模による格差よりも、性別による格差によって説明可能であることを示唆する。 (付記) 日本版General Social Surveys(JGSS)は、大阪商業大学JGSS研究センター(文部科学大臣認定日本版総合的社会調査共同研究拠点)が、大阪商業大学の支援を得て実施している研究プロジェクトである。JGSS-2016は京都大学大学院教育学研究科教育社会学講座と共同で実施した。JGSS-2015/2016は、JSPS科研費JP26245060、JP15H03485、JP24243057、大阪商業大学アミューズメント産業研究所、労働問題に関する調査研究助成金2015年度(岩井八郎ほか)、日本経済研究センター研究奨励金(岩井紀子)の支援を受けた。 文献: Peter.B.Doeringer and Michal.J.Piore,1971, Internal Labor Markets and Manpower Analysis, New York: Routledge. (白木三秀監訳,2007,『内部労働市場とマンパワー分析』早稲田大学出版部.) 労働政策研究・研修機構, 2007, 『若年者の離職理由と職場定着に関する調査』JILPT調査シリーズNo.36. 斎藤修, 2013, 「男性稼ぎ主型モデルの歴史的起源」『日本労働研究雑誌』No.638, 4-16 山口一男, 2009, 『ワークライフバランス』, 日本経済新聞社.

報告番号128

外国人技能実習生の受け入れによる家族農業の活性化の可能性――ベトナム人技能実習生を受け入れたある農家を事例として
ノートルダム清心女子大学 二階堂裕子

1.目的  国内の深刻な労働力不足を背景に、食を支える農業の分野においても、外国人技能実習生の受け入れが拡大の一途を辿っている。また、近年、農業をめぐる世界的な動きとして、食料の安定供給や持続可能な農村社会の実現などを図るため、家族で営む中小規模の農業の役割が再評価されており、家族農業の支援に向けた方策が模索されるようになった。こうした動向をふまえて、本報告では、技能実習生の受け入れによる家族農業の活性化の可能性を検討する。  一般に、家族経営農家による外国人労働者の受け入れでは、その構造的特性によって、農業者による人権侵害や技能実習生の失踪といったトラブルが発生しやすく(軍司 2019)、外国人技能実習制度をめぐる課題のひとつとなっている。そこで本報告では、ベトナム人技能実習生を受け入れている農家をとりあげ、農業者がどのような方針のもとで技能実習生といかなる関係を構築し、それが両者の生活にどのような影響をもたらしているのかを明らかにする。さらに、受け入れの現場において、当事者らが直面する課題を捉えたうえで、今後取り組むべき課題を提示したい。 2.方法  本報告では、技能実習生の受け入れを通じて、環境保全型農業を実践する香川県内の小規模農家Aさん夫婦を事例としてとりあげる。夫婦に対するインタビュー調査のほか、技能実習生の語りも適宜データとして用いながら、彼・彼女らの生活構造を分析する。 3.結果  Aさん夫婦は、環境保全型農業の取り組みによって多忙な日々を送るなか、農業者仲間の勧めにより、技能実習生を受け入れた。彼らとの親密な関係の構築に腐心していたにもかかわらず、これまで2人の技能実習生が突然行方不明になるという事態を経験したことから、改めて彼らとの間に信頼関係を築くための方法を模索するようになった。その結果、夫婦が行き着いた結論は、技能実習生に責任のある作業を任せること、そのために、農産物生産のノウハウのほか、コスト計算やスケジュール管理の方法、さらに環境保全型農業の理念についても丹念に伝授することが欠かせないということである。この過程で、夫婦は技能実習生の母国ベトナムの農業の現状にも関心をよせ、「パートナー」として成長しつつある技能実習生が帰国後に活用できる知識とは何かを考えるようになる。また、これまで日本の農業者自身が後継者の育成に積極的に取り組んでこなかったため、次世代に農業の技術を伝えるという経験をもっていないという課題に気づき、今後、技能実習生を含む若い農業実践者を育成するにあたって、同業者が共助の関係を再構築することが必要であると考えるに至った。Aさんのもとで学んだ技能実習生は、現在母国で環境保全型農業の実践を試みている。 4.結論  本事例が示唆するのは、まず、農業者が技能実習生に対して十分な技能や知識を指導し、責任のある仕事を任せることで、両者の協働性とそれにもとづく信頼関係が構築されうるということである。それによって、家族農業の維持・発展と技能実習生の母国への技能移転の可能性も開ける。また、技能実習生の受け入れが今日の農業をめぐる課題を改めてあぶり出し、農業者が今後進むべき方向性を明確にする契機となったこと、さらに、今後、農業者どうしが連携して、情報交換や技能実習生の受け入れ態勢の整備を進める必要性があることも明らかとなった。

報告番号129

「消費者主権」の系譜学――企業批判の知が企業擁護の知となるとき
東京大学大学院 林凌

【1. 目的】 近年の社会学では、企業活動の変化やそれに伴う労働環境の強化が批判的に言及されてきた。この変化については様々なラベリング(「新自由主義」・「ポストフォーディズム」)がなされてきたが、その主要な特徴として示されてきたのが「消費者主権」という考えの一般化である。消費者が市場内における財の供給に関する決定権を持つべきだという発想は、企業間の競争を正当化するとともに国家による経済統制を批判する論拠を形作った。そしてそれは、企業活動における労働者の決定権を減じるとともに、結果的に企業活動の放埒な拡大を生み出すイデオロギーになっていると批判されてきたのである。 だがこのような既往研究の見地から、近代日本における「消費者主権」という考えの系譜をたどってみると、一つ不可解な事実に突き当たる。それはこうした考えが、当初企業批判の観点より検討され、普及していたという事実である。戦後日本における「消費者主権」を訴える諸言表の多くは、現況の企業活動が消費者の利益を阻害するものであり、その観点から「消費者主権」が達成されるべきであると主張していた。であるならば、「消費者主権」という考えはいかにして企業批判の知から企業活動擁護の知へと転換を遂げたのだろうか。 【2. 方法】 本発表では、この謎を解き明かす作業を通じて、現代社会における「消費者主権」という考えの系譜を描き出すことを目的とする。具体的に検討するのは戦後日本における「消費者主権」言説と、その形成過程に影響を与えたと措定可能な戦間期・戦時期における諸言説である。 【3. 結果】 戦後日本における「消費者主権」言説は、消費者運動や生産性向上運動より発せられたものであったが、この2つの運動は元をたどると戦間期日本における消費組合運動・統制経済論にルーツを求めることが出来る。当時は不況を背景として過小消費に伴う経済縮小が問題化され、消費者の消費が不足していることが経済運営上克服されるべき課題であると捉えられた。そしてこの消費者の消費を損ねている主要因として考えられていたのが、不況下における企業の対応であった。すなわち需要縮小局面において、経営努力を行わずに解雇整理やカルテルによって切り抜けようとした企業の経営方針が、購買力不足を生み出す元凶であると捉えられたのである。よって当時の「消費者」の利益保護を求める議論は、企業批判と国家による経済介入を是とする立場を共有していた。そしてこの立場は、戦後日本における諸運動に通底したものであった。 では、こうした知はいかにして企業活動擁護の知へと転換を遂げたのか。この点を考える上で重要なのは、戦後日本における「消費者主権」言説が、次第に企業活動に取り入れられるようになったという点である。戦後労働運動の高まりを受ける形で、企業経営者は労働者の活動を批判し、それを正当化するためのロジックを編みだすことを求められた。そしてその際に「消費者主権」という考えは、その発想に資する限りにおいて企業活動を正当化することを可能とするものであったがゆえに、積極的に取り入れられたのである。 【 4. 結論】 では、この「消費者主権」の系譜を踏まえるならば、私たちは現代社会における国家と企業と消費者/労働者の関係性をいかに再考することが出来るだろうか。この点については当日議論することとしたい。

報告番号130

再分配政策からみた超高齢社会の包摂への課題
東京大学 白波瀬佐和子

1. 目的  本研究の目的は、公的移転の観点から日本の再分配機能に着目して、超高齢社会の包摂の在り方を考察することにある。日本の再分配機能は医療、年金に傾倒する社会保障制度を背景に、高齢層に大きく偏ることはすでに指摘されているところである。また、日本的福祉社会と評される社会保障制度にあって、家族による第一義的生活保障機能の大きさが指摘される。そこで、本稿では、年齢階層で代表されるライフステージのみならず、世帯構造やコーホートに着目して、再分配機能の実態を検討する。 2. 方法  本分析で用いるデータは厚生労働省が実施する国民生活基礎調査である。ジニ係数や相対的貧困率の算出にあたっては、総所得から社会的移転を除く当初所得と、当初所得に社会的移転を加えて社会的拠出金を差し引いた可処分所得について、世帯人員を平方根で除した等価値を用いる。再分配効果については、当初所得と可処分所得を比較して、以下のとおり再分配効果として検討する。なお本稿では、可処分所得をもって再分配所得とする。 当初所得:稼動所得(雇用者所得+事業所得+農耕・畜産所得+家内労働所得) +非稼働所得(財産所得+仕送り+企業年金・個人年金等+その他) 可処分所得:当初所得+社会保障給付金(公的年金・恩給+雇用保険+その他の社会保障給付費)-(所得税+住民税+固定資産税・都市計画税+自動車税等+社会保険料) 再分配係数=(可処分所得―当初所得)/当初所得 3. 結論 本研究の結論として、2つある。第1に、日本の再分配効果はライフステージの違い(具体的には年齢階層の違い)によって大きく規定され、個々人が所属する世帯構造や氷河期世代と呼ばれる特定コーホートの労働市場における不利さは再分配機能の観点から十分に考慮されているわけではなかった。第2に、急激な人口高齢化は高齢世帯主の女性化を生み、女性世帯主比率の高さは高い貧困率と密接に関係していた。しかし、女性が世帯主となるということが社会保障制度として十分想定されておらず、女性世帯主世帯の経済的困難を十分に考慮した再分配が実現していない。 4. 結論  日本社会は年齢によって整然と想定された人生設計を前提に社会保障制度が設計されてきた。しかしながら、近年、若年、壮年層にあって一人親世帯が増加し、高齢期には一人暮らしや夫婦のみ世帯が増加した。しかしそのような世帯構造の変化は再分配政策の中では十分考慮されているとは言い難い。 超高齢社会の包摂を考える場合、これまでの高齢層にかたよる再分配の在り方を見直し、若年、壮年の経済的困難や女性が世帯を構えることへの経済的障壁を考慮した再分配の在り方を優先して検討すべきことが示唆された。その一方で、今後も進行する人口高齢化にあって、人口比として大きい高齢層の経済格差も無視できず、特に高齢女性の高い貧困率はいまだ深刻である点も確認された。

報告番号131

職業構造の変化と女性の中スキル職
大阪商業大学 佐野和子

【1.目的】 本報告は、2007年以降の職種の構成割合の変化を通して、日本の労働市場の近年の全体像を描き出すことを目的としている。1990年代以降、中レベルの職が減り、高技能・高賃金の職と、低技能・低賃金の職が拡大するという、労働市場の二極化仮説を検討するための研究が、欧米を中心に展開されてきた。これらの職業構造の変化に関する研究には、2つの問いが含まれている。第1は、良い仕事と悪い仕事に就く人々の間に分断が生じているのかという、社会全体の方向性に関するマクロレベルの問題であり、第2は、特定の職の賃金レベルや、その職に就く労働者のスキルレベルがどう変化しているかというミクロレベルの問題である(Oesch 2014)。本報告は、これら2点に関する具体的状況を、公的統計の個票データを用いて明らかにする。これまでの労働市場の二極化をテーマにした研究では、主として職業大分類に基づく分析による検証がなされてきたが、本報告では、より厳密な職業構造の変化を捉えるために、職業小分類の指標を活用する。また分析においては、これまで十分な研究上の関心が払われてこなかった、女性の変化に焦点を当てる。 【2.分析】 統計法第33条に基づき提供を受けた「就業構造基本調査」の2007年と2017年を用いる。職業構造から労働市場の不平等を捉えようとする先行研究では、タスク、賃金、いずれかの指標を用いて職種のレベルを分類するが、本報告はOECD(2019)、 Oesch(2014)に依拠し、賃金レベルによる職種分類を指標とする。分析は以下の2つの段階からなる。 ① 就業構造基本調査2007、2017年度の職業小分類に含まれる職種を、賃金レベルに基づく5分位グループに分類し、2時点間における各グループの雇用の増減(就業者ベース)を検討する。全体の傾向に加え、性別、教育歴、年齢ごとの変化パターンを捉える。また産業別の雇用の増減も併せて検討する。 ② 5分位グループに含まれる具体的な職種に注目する。雇用の増減の大きい職を特定し、それぞれの職に就く労働者の特徴の変化を、特に教育歴の構成比に注目して検討する。 【3.結果】 2000年から2017年の雇用構造の全般的な傾向として、雇用の二極化は進行しておらず、むしろ<中>以下が減少して<中の上>と<上>の賃金レベルの職が拡大している。また、<上>に占める女性の構成比は2017年で27%と、依然として限定的であるものの、2007年に比べると構成比は4ポイント上昇している。教育歴別の傾向として、大卒女性では、<中>の減少と<中の上>の増加に特徴が確認される。 【4.考察】 2007年から2017年の10年間を分析対象とした本分析の結果についてみれば、二極化といえる極端な雇用構造の変化はみられない。近年、情報化の影響による職業構造の変化が大きな問題関心となっているが、女性の変化についてみれば、医療・保健サービス業の拡大による雇用構造の変化がより強く関連している。 <文献> OECD (2019), Under Pressure: The Squeezed Middle Class, Paris: OECD Publishing. Oesch, Daniel(2015), ”Occupational Structure and Labor Market Change in Western Europe since 1990,“ Beramendi, P., Häusermann, S., Kitschelt, H., & Kriesi, H., Eds., The Politics of Advanced Capitalism, Cambridge: Cambridge University Press.

報告番号132

日本社会における生活様式空間と文化資本
上智大学 相澤真一

【1.目的】 本報告では,社会学者ブルデューの『ディスタンクシオン』でなされるベンゼクリ学派の幾何学的アプローチを,日本の社会調査のデータで実践する.本報告によって,生活様式から社会空間を帰納的に描き出す上記のアプローチを,日本の社会調査のデータに再現する.そして,日本社会における生活様式空間の布置を描き出し,そこに果たす文化資本の役割を検討する. 【2.方法】  この幾何学アプローチでは,次の2段階の分析手順を取ることとなる.最初に,人々の生活様式を構成する空間を「多重対応分析」で析出し,次に,その空間に関与する要因を導き出す「補足的変数」と「集中楕円」の技法を使用する.ブルデューはこの幾何学的アプローチから2つの空間を描出した.1つ目は,個人の生活様式の縮約された記述となる「生活様式空間」,2つ目は,生活様式に関与する社会的要因(例えば,収入や学歴,職業等)で表される「社会空間」である.  分析にはNational Representativeなデータセットを用いる.現時点では,社会階層と社会移動全国調査 (The national survey of Social Stratification and social Mobility:以下,SSM)」の最新データとなる2015年版を使用している.2015年SSMの標本抽出法は層化2段無作為抽出法である.調査母集団は日本在住で日本国籍を持つ20歳から79歳の男女となる.調査は2015年1月から7月にかけて全国800地点で実施,有効回収数は7,817,有効回収率は 50.1%である.なお,同様の変数が東京大学社会科学研究所の「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」でも同様の変数があることがわかっているため,当日の報告にはこちらの調査のデータも含めた分析を行う可能性がある. 【3.結果】  既に行った分析によって,生活様式空間の現れについて,資本総量と年齢という社会空間の2次元の尺度で解釈することができた.この結果の析出にとって,補足的変数の使用と,変数の布置への解釈を補足する集中楕円や散布図の解釈は非常に有用であったことも明らかになっている.しかしながら、これはブルデューの『ディスタンクシオン』とは異なる結果であった.『ディスタンクシオン』では,生活様式の布置に対し資本総量と資本構成の2軸が交差して存在する.一方,本分析では,資本構成の代わりに年齢(世代差)という軸が析出された.この結果は,ベネットらの『文化・階級・卓越化』(2009=2017) と,他の幾何学的アプローチで2005年のSSMデータを分析した近藤 (2011) の結果と整合的である.なお,2005年と2015年のSSMデータの間には生活様式の質問項目に違いがあり,前者の方は項目数が多いにもかかわらず,両者は同様の結果を示している. 【4.結論】  以上より,この分析を通じて,日本の社会調査へのブルデューの幾何学的アプローチの適用可能性を示し,同時に,彼の論理を十分に反映させることの難しさとその対処方法を検討する必要性を論じる予定である.

報告番号133

階級と地位の影響――因果関係かセレクションか
東京大学 藤原翔

1.目的 近年の社会階層研究では,階級(class)と地位(status)の区別に注目した分析が行われている(Chan and Goldthorpe 2004, 2007).これまでの研究では,階級は地位よりも経済的有利さや安定性と強く関連し,地位は文化的消費やそれに基づく類型と強く関連することが示されていた.しかし,これらの観察された関連は,出身背景やこれまで受けてきた教育だけでなく,本人の性格や選好などを含めた観察されない異質性によって生じた可能性がある.階級や地位に注目してきた研究者も,その可能性について議論しているものの(Chan and Goldthorpe 2007: 528),分析から検証してはこなかった.そこで,本研究では,他の国と同様に階級や地位が重要な意味を持つ日本においても,階級がライフチャンスと,地位がライフチョイスと関連しているのか,またそれらが因果関係といえるのかどうかを,縦断的調査データを用いて検討する. 2.方法 東京大学社会科学研究所の実施する「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」(東大社研若年・壮年パネル調査)のデータを用いる(2007年から2020年).このパネルデータを用いて,分析には従来の回帰モデルとパネルデータの固定効果モデルを用い,観察されない異質性を考慮するのかしないのかによって,関連がどのように異なるのかについて検討を行なう.従属変数となるのは,(1)経済的安定性や将来の見込み,(2)文化的消費,(3)健康状態と健康行動についての変数である.独立変数にはEGP階級分類と社会的地位のスコア(Fujihara 2020)を用いた.これらは本人の職業的地位をベースに作成された.統制変数として,過剰統制にならないような階級と地位の背景にある変数について,分析モデルに投入している. 3.結果 固定効果モデルの結果から,階級は経済的有利さや見込みに影響することが明らかになった.また,地位は文化的活動と強く関連しているが,観察されない安定した特性をコントロールすると,これらの関連は消えてしまうことが示された.階級と地位は,健康状態,喫煙,飲酒には影響しないが,地位は,運動,バランスのとれた食事,ファーストフードなどの健康行動に影響していることが示された. 4.結論 階級は個人の経済的なライフチャンスに,地位は健康行動に因果的な影響を与えることが示唆された.しかし,観察された関連の多くは,観察されない異質性によって生じていることも示されており,階級と地位と人々の生活の関連をみる上で,観察されない異質性をどのように考えるのかについての重要性が明らかになった. 付記 パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた. 文献  Chan, Tak Wing, and John H. Goldthorpe. 2004. “Is There a Status Order in Contemporary British Society?Evidence from the Occupational Structure of Friendship.” European Sociological Review 20(5):383–401. Chan, Tak Wing, and John H. Goldthorpe. 2007. “Class and Status: The Conceptual Distinction and Its Empirical Relevance.” American Sociological Review 72(4):512–32. Fujihara, Sho. 2020. “Socio-Economic Standing and Social Status in Contemporary Japan: Scale Constructions and Their Applications.” European Sociological Review. 36(4):548–561.

報告番号134

新型コロナウィルス流行期におけるオンラインパネル調査データの分析(1)――世帯収入の変化とその規定因
東北学院大学 神林博史

1. 目的  2020年春頃から各国で顕在化した新型コロナウィルス(以下「コロナ」)の感染拡大は、社会生活のあらゆる範囲に大きな影響を与え続けている。  今回のコロナ問題も含め、外生的ショックが人びとの雇用や収入に与える影響は一様ではなく、社会階層によって異なることが知られている。一般に、社会階層が低い人たちほどショックに対して脆弱であり、収入や社会的地位の低下を経験しやすく、不利な状態に陥ると回復しにくい。他方、社会階層が高い人たちはショックに対して抵抗力があり、不利な状態に陥ったとしても比較的短期間で回復しやすい。  では、現在の日本社会において、コロナ問題の影響は社会階層間でどのように異なっているのだろうか。本研究の目的は、新型コロナの感染拡大が、人びとの雇用や収入、そして意識にどのような影響を与えたのかを明らかにすることである。第一報告では、コロナ流行後の世帯収入の変化とのその規定因について検討する。 2. 方法  本研究では「くらしと社会についてのインターネット継続調査」データを分析する。この調査は、調査会社の保有する調査協力者を対象にオンラインで実施したパネル調査である。コロナ問題が人びとの社会階層と生活に与えた影響を把握することを主な目的とした。対象者は全国の25歳から64歳までの男女で、住民基本台帳年齢別人口を用いて、性別・年齢層・都道府県の人口比に応じて回収数を割りあてた。第1波調査は2020年6月に実施し、3,486人から回答を得た。この後、2020年9月に第2波調査、2020年12月に第3波調査、2021年3月に第4波調査を実施した。計4波の調査すべてに回答した対象者は2,001人で、これが本研究の分析対象となる。 3. 結果  この調査では「前年の同じ月と比較した時の世帯月収の変化」を、2020年2月から2021年3月までの各月について質問した。この回答をもとに推計した2020年の世帯年収変化率(2019年の世帯年収を100とした時の2020年の世帯年収)を従属変数、デモグラフィック変数および第1波時点の社会階層を独立変数とする重回帰分析を行ったところ、以下の結果を得た。(1)全対象者(無職含む)の場合、性別(女性)、婚姻関係(未婚)、従業上の地位(非正規、自営、無職)、2019年の世帯収入(低収入層)が有意な負の効果を持っていた。(2)有職者に限定した場合、上記の変数に加え、一部の産業と離職経験(特に「コロナ離職」)が有意な負の効果を持っていた。 4.結論  以上の分析結果は、「社会階層の低い人たちほど外生的ショックに対して脆弱である」という先行研究の知見を再確認するものである。同時にこの結果は、日本社会にもともと存在していた様々な不平等がコロナ禍の下で持続または増幅していることを示すものといえる。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(19H00609、21H00776)の支援を受けた。SSP2020Wデータの使用については、SSPプロジェクト(http://ssp.hus.osaka-u.ac.jp/)の許可を得た。

報告番号135

新型コロナウィルス流行期におけるオンラインパネル調査データの分析(2)――ウェルビーイングの変化とその階層的差異
一橋大学 数土直紀

本研究 の目的は、2020年から各国で顕在化し、現在もなお継続中の新型コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大が、(COVID-19に実際に感染したかいなかに関係なく)人びとの生活と意識一般にどのような影響を与えたのか、そしてその影響は社会階層間でどのように異なっていたのかを明らかにすることである。その ことによって、 COVID-19の感染拡大に対する脆弱性の背後には社会的格差の問題があり、社会的に弱い立場にあるものほど様々な問題を被りやすいことを指摘する。  本報告では、COVD-19が人びとの生活と意識一般に与えた影響に関連して特に主観的ウェルビーイングとメンタルヘルスの二つに注目し、以下のような三つの仮説を設定した。 仮説1:COVID-19の感染拡大がもたらした経済的苦境は、人びとの主観的ウェルビーイングを低下させ、またメンタルヘルスを悪化させた。 仮説2:COVID-19の感染拡大にともなう主観的ウェルビーイングの低下とメンタルヘルスの悪化は、社会階層的に弱い立場にあるものほど顕著に観察される。 仮説3:COVID-19の感染拡大にともなう主観的ウェルビーイングの低下とメンタルヘルスの悪化は、社会関係資本の弱化を体験したものほど顕著に観察される。  COVID-19が人びとの生活と意識に与えた影響を明らかにするために、本研究では「くらしと社会についてのインターネット継続調査」データをもちいた(調査の詳細については、第一報告要旨を参照のこと)。 分析においては、生活満足感とメンタルヘルスを従属変数とした重回帰モデルをもちいると同時に、固定効果モデルをもちいてCOVID-19の感染流行期に生活満足感とメンタルヘルスの変化を規定していた要因の同定を試みた。  分析の結果、本報告の仮説に関連して以下の知見を得ることができた:(1)回答者の人口学的特性、社会経済的地位、そして観察されない異質性の影響を統制してもなお、COVID-19の感染拡大期に生じた所得の減少は、人びとの生活満足感を有意に低下させ、メンタルヘルスを有意に悪化させている、(2)所得の減少にともなう生活満足感の低下とメンタルヘルスの悪化は、低所得層においてより顕著に観察された、(3)所得の減少にともなう生活満足感の低下とメンタルヘルスの悪化は、社会関係資本の弱化(一般的信頼の低下、孤独感の高まり)と連動しており、その連動は世帯構造(一人暮らしであるか、いなか)とも関連していた。  これらの結果はいずれも本報告の仮説を支持するものであり、この結果から(COVID-19の感染拡大をその一例とする)外生的ショック の影響は人びとに対して平等に及ぶわけではなく、その大きさはその人が所属する社会階層によって異なっていると主張できる。いわばパンデミックの脅威 は、社会的格差の問題を際立たせ、そしてそれを増幅させるような社会的メカニズムの一部を構成している。 謝辞 本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(19H00609、21H00776)の支援を受けた。またSSP2020Wデータの使用については、SSPプロジェクト(http://ssp.hus.osaka-u.ac.jp/)の許可を得た。

報告番号136

コロナ禍は社会意識を変えたか?――2020年3月調査と2021年3月調査の比較分析
大阪大学 吉川徹

【1.目的】 新型コロナウィルス感染拡大防止の目的で実施された様々な政策は、日本社会に大きな影響を与えたとされる。本研究では、社会意識のあり方にかんしてどのような変化がもたらされたのかを、全国調査のデータの分析によって検討する。具体的には、いわゆるコロナ禍による制限や規制、予定変更等が実効化する前の段階(2020年3月)と、ワクチン接種開始により感染収束への道筋が見え始めた段階(2021年3月)の比較を行う。分析枠組みは、第一には、コロナ禍前後で意識項目の回答分布に、「意識の〇〇化」と呼びうる異なりが生じているかをみることである。第二には、コロナ禍前後で社会的属性と社会意識の関係性に、格差拡大、分断の深刻化などとみなしうる異なりの有無をみることである。 【2.方法】 SSPプロジェクトでは、当初2020年に社会階層と社会意識についての全国調査を計画しており、その項目設計のための予備調査として、2020年3月に登録モニターを用いたウェブ調査を実施した。対象は全国の25~64 歳の男女で、目標回収数を3,000とし、都道府県ごとの年代男女セグメント別人口比に応じて回収数を割り当てた。その後、コロナ禍の急な拡大を受けて、その社会的影響をみるパネル設計の調査を設計し、2020年6月から2021年3月までに、同様の対象者設計と項目設計でウェブ法による4波のパネル調査(ウェブ法)を実施した(wave1: 3,500、wave4: 2,427ケース)。 本研究においては、一連のデータセットのうち、2020年3月20日実施のSSP-W2020_1st(以下、コロナ禍前)と、2021年3月18日実施のSSP-W2020_5th(wave4)(以下、コロナ禍継続期)の時点間比較分析を行う。本研究では分析対象を有職者に限り、コロナ禍前2,622ケース、コロナ禍継続期1,852ケースとした。 元来、階層意識調査として設計された調査であるため、継続性のある意識項目は以下の項目に限られる。領域別満⾜度(生活全般、学歴、日本社会、居住地域)、階層帰属意識、主観的健康、心理的苦痛 (K6)、一般的信頼、特定化信頼、社会の将来認識、相補的世界観。 分析としては、第一にコロナ禍前とコロナ禍継続期の、上記意識項目の分布形状の統計的差異を検討する。さらに第二に、性別、年齢、居住都府県、学歴、従業上の地位、所得、家族構成ごとの意識得点差や回答比率の異なりが、2つの時点間で変化しているかを、GLMによる時点間交互作用をみることによって検討する。 【3.結果】 まず2時点間で社会的属性の分布の異なりがないことが確認される。意識分布については、コロナ禍前後で統計的に有意な意識差が生じていたのは、生活全般の満足度はごくわずかに低下しているものの、心理的苦痛(K6)はわずかに改善し、他者への信頼感や将来展望はわずかに向上しているなど、一貫した変化の傾向は見いだせない。  社会的属性と意識項目の関係についても、大きな構造変化は見いだせず、時点差(有意な時点間交互作用)は見いだせない。以上の分析結果の詳細は、配布資料に基づいて当日論じる。 【4.結論】 コロナ禍前とコロナ禍継続期を比較しても、意識項目の分布に大きな異なりはみられない。社会的属性と社会意識の関係性についても、著しく大きな変化は検出されない。以上から、少なくとも本研究の枠組み内では、コロナ禍が日本人の意識構造に大きな影響を及ぼしたと結論づけることはできない。

報告番号137

文部省審議会における「もんじゅ」後続炉選定過程の分析
東京大学 定松淳

【1.目的】  2016年12月、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が日本政府によって決定されたが、その際、立地点である福井県に配慮する形で、もんじゅサイト内に「試験研究炉」を建設する方針を打ち出した。2017年から2020年にかけて文部科学省内の審議会、および委託調査によって、もんじゅ後続炉として出力10MW以下の「中出力炉」を建設する方針が打ち出されている。この試験研究炉は高速炉ではない。これは地域と科学技術政策のハーモナイゼーションと言えるのだろうか。それとも地方自治体による科学技術政策の撹乱と見るべきだろうか。また、反原発の世論はこのプロセスではどのように“処理”されていたと言えるだろうか。分析を通じて、原子力(研究)政策の形成過程を明らかにし、原発政策の硬直性のゆえんについて考察することが本稿の目的である。 【2.方法】  もんじゅ後続炉の選定は、2017年1月から2018年3月まで開催された文部科学省「科学技術・学術審議会」の研究計画・評価分科会における原子力科学技術委員会の「原子力研究開発基盤作業部会」において検討が行われ、その後議論は2019年8月から2020年9月まで開催された同「原子力研究開発・基盤・人材作業部会」に引き継がれた。またこれらに並行して(公財)原子力安全研究協会に「「もんじゅ」サイトを活用した新たな試験研究炉の在り方に関する調査」が委託され、2018年3月、2019年3月、2020年3月に調査報告書が作成されている。本研究では両部会の議事録および報告書を精査し、そこでもんじゅ後続炉としての「中型炉」の選定がどのようにオーソライズされていたか、またそこに福井県行政の意向はどのように反映されていたか/いなかったかを明らかにする。 【3.結果】  両部会では、原子力研究コミュニティ(学界)および原子力利用コミュニティ(産業界)からの意見を集約し、老朽化している京大および近大の研究炉の後継を福井県に設置すること、また材料照射炉の後継炉と中性子ビーム炉の後継炉の必要性が聴取されて、後者をうけてもんじゅ後続炉としては中出力炉が建設されることが選択されていた。また委託調査において設置された有識者会議において、研究者コミュニティからは新型炉を設置したい意向もあったところ、福井県行政の「既存技術に基づく炉」を建設する希望が容れられたことが確認できた。 【4.結論】  「中出力炉」という選択は、原子力研究・利用コミュニティにとっては原子炉研究および中性子科学の基盤維持という機能をもっており、福井県にとってはこれまでの“研究インバウンド”の継続という機能を持っている。しかし、より狭く高速炉研究開発コミュニティからみれば可能性の縮減という機能をもち、より広く社会全体からみれば原子力利用継続の布石という機能を持っていると言えよう。両部会において文科省は、アジェンダを原子力研究・利用コミュニティという範囲に設定することで、福井県とのあいだでの合意を調達することができたと見ることができる。別な見方をすれば、脱原発のような主張はより上位の政策決定レベルでなければ受け入れられることは難しいのであろうことが伺える。

報告番号138

社会的インフラストラクチャーのトランジションを考える――チェンマイ市のモビリティ・システムを事例として
国立研究開発法人 国立環境研究所 青柳みどり

1.はじめに  チェンマイ市は,国連開発計画(UNDP)の援助を受け Chiang Mai Smart Mobility Alliance Network(以下、「アライアンス」とする)を設立し、交通部門における気候変動対策を試みている.我々は,チェンマイ大学の協力を得て,この「アライアンス」の設立,プロジェクトの経過と現時点での帰結をCOVID19の影響も含めて関係者のヒアリングを行った.本報告ではこの「アライアンス」をトランジション理論の立場から議論する. 2.トランジション理論  トランジション理論とは、ギールズら(Geels,2017など)のいう、マルチレベルパースペクティブ(MLP)による、技術革新の社会への浸透と体制への組み込みを指す。社会で使われる技術はさまざまなレベルのものがあるが、気候変動問題への対応という外的な要因(MLPではLandscapeといわれる)で技術革新や社会制度変革の芽(Nicheレベル)が生じる。今回の件でいうと、公共交通機関の導入に代表される交通システムの刷新である。この芽がさまざまな過程を経て成長し、その社会への組み込みがおこなわれる(Regime)。その過程においては、関連する人々のネットワーク化、技術の絶え間ない更新などが起きていく。また、組み込みは、必ずしもうまくいくとは限らず、多くの時間を有する場合もあれば、非常にスムーズに短期間で成功する場合もある。 3.チェンマイ市の「アライアンス」 チェンマイ市においては、アジアの経済成長著しい都市の例にもれず、自動車の増加が著しく、幹線道路は渋滞にあえいでいる。トゥクトゥクと呼ばれる三輪自動車,ソーンタウ(レッド・トラック)が主な人々の移動手段だった.最近は,シェア・カーのアジアでの代表格である Grab(Grab Taxi, Grab Bikeなど)も営業する.本報告で議論の対象とするモビリティ・ネットワークでは,プロジェクト資金を得て、公共の市バス(RTCバス)を導入した.それを軸に既存の交通手段をつないで,MaaSに似た移動システムを実現する計画であった. 4. 結果と結論〜Transitionの現状と評価 ヒアリングの結果,以下の現状と評価が得られた.COVID19前までの状況は、RTCバスはほとんど利用されておらず、ソーンタウは先にGrabとの連携を進めた。Tuk-tukは電動車が一部導入された。そこにCOVID19によるロックダウンが実施され観光客もほぼゼロになったため、RTCバスは運行停止、Grabやソーンタウなどもほとんど動きを止めることとなった。しかし、あらたに自転車を導入する動きがおき、COVID19後の観光客誘致を想定した新たなRTCバス路線も考案されている。インフラのように、関係者も多く費用と時間のかかる問題は、少しずつ進展することになる.「アライアンス」はMLPでいうことのNicheレベルから,Regimeに位置づけられるためには,今後利用者が増加し,連携者が増大していくことになる. (なお、本プロジェクトは、チェンマイ大社会科学部USERユニットとの共同研究である。現地の視点を加えた報告は、また後日行いたいと考えている)

報告番号139

アウトドア・アクティビティに見る社会と自然の境界――アウトドアの社会学のための一試論
千葉商科大学 権永詞

目的・方法  ゲオルグ・ジンメルによれば、境界を破棄する自由を持ちながら、自らを制約する境界を設定していくことは人間の本質である。それは、人間が境界線を引き直し続ける存在であることを意味する。ジンメルが「扉door」のメタファーで表したように、このことはもちろん自然と社会を分ける扉についても妥当するはずだ。だが、あまりにも巨大な建造物へと肥大した現代の都市空間のなかで、人々が「扉の外out-door」へと越境していく機会は限られるようになっている。  では、限られた機会のなかで、人々が経験する自然とは何か、その行為はどのように自然環境との境界線を引き直しているのか。本報告では、現代の人々の生活レベルにおける自然環境の捉え方を、山や海、川といった自然をフィールドとするアウトドア・アクティビティから考察する。アウトドア・アクティビティに着目する理由は、消費文化の変容に伴うアウトドア市場の成長や、自然環境を地方創生の資源としたい地方自治体の立場など、アウトドア・アクティビティへの社会的関心が高まっていることに加え、都市的な生活様式が量的・質的に拡大していくなかで、人々が自然に直接関わる経路が乏しくなっているという事情からである。本報告の理論的背景は環境社会学における生活環境主義や社会的リンク論、人文地理学におけるレンマ論的自然観であり、また、実態把握の試みとしてのフィールドワークから得られた知見が考察の対象となる。 結果・結論  キャンピングやクライミング、トレッキング、サーフィン、スキューバダイビング、スキーなどのアウトドア・アクティビティは、現代社会において人々が自然と直接関わる主要な場であり、その性質からレジャー型、生業型、冒険型の3つに区分される。レジャー型では自然のなかで消費を楽しむことが、生業型では伝統的な自然との関わり方を継承することが、冒険型では自然のリスクに立ち向かっていくことが、それぞれの活動の性質を規定する。これらの性質はアクティビティごとに独立しているわけではなく、同じアクティビティのなかでも重なりあっている。また、レジャー型のアクティビティがより管理・統制されたフィールドを必要とするのに対して、生業型ではフィールドの改変が抑制的であり、冒険型では自然環境への関与を最小限とする保存の観点が強調される。こうした態度の違いは自然の不確実性が孕む危険/リスクへの対し方に関わっている。  高知県室戸市をフィールドとした調査からは、アウトドア・アクティビティの創出や運営にあたっては、地域社会の文化継承やアイデンティティ形成といった「ローカル」の動機を重視する傾向が見られた。一方で、近年は観光資源や環境保護といった「ビジター」を意識した動機が優越するようになっており、生業型や冒険型のレジャー化が進みつつある。これに対して、レジャー型や冒険型においても共生的な観点が重視されるようになるなど、変化の方向は一様ではない。アクティビティを担う人々は、「ローカル」と「ビジター」それぞれの論理に配慮し、時に引き裂かれながら自分たちの活動を意味づけている。  アウトドア・アクティビティという「自然に親しむ」行為は、資本主義、共同体主義、個人主義といった現代社会を貫く複数の価値観の対立と共謀のなかに自然を見出していく体験であるといえる。

報告番号140

アートディレクションと市民参画――新潟市「水と土の芸術祭」市民プロジェクトを事例に
東北大学 越智郁乃

1.目的  この報告は、新潟市水と土の芸術祭(以下、「水土」)を例に、自治体主催の芸術祭におけるアートディレクションという「権力」と市民参画について問うものである。  近年、社会学を中心に社会とアートの関係を問う議論[北田他編2016など]が活発化する。2000年代日本各地で増加した現代芸術祭やアートプロジェクトは「地域アート」とも呼ばれ、社会批判機能の弱さが指摘される。それに対し宮本[2018]は、一見成功した芸術祭で何が生まれ/消費されているのか、地域住民がいかなる役割を担うのかを考察し、アートによるコミュニケーションを通じた新たな環境の創出や、観光の場面における住民自らの主体性の確立を明らかにした。文化人類学を専門とする報告者はこれらの議論を参照しつつ、芸術祭におけるディレクター、住民、美術作家との長期に渡る関係に注目する。市民活動が芸術祭の中でいかに生まれ、発展し、あるいは消えつつあるのかを民族誌的に描き出しながら、市民参画について考察する。 2.方法  新潟市における現地調査として、水土への参与観察、関係者(市の担当部局、芸術祭事務局、参加作家、住民団体)への聞き取り、公文書等の文献調査を行なった(2009-2021年)。 3.結果と結論  トリエンナーレ形式の水土は同じく新潟県で開催される「大地の芸術祭」に会期を合わせ、「大観光交流年」と位置付けられた2009年に当時の市長が開始した政治主導の芸術祭である。初回は北川フラムがアートディレクターに就任、作家を招聘した。全市的な取り組みであるため、作品が置かれなかったいくつかのエリアで「地域イベント」という名称で市民企画がなされたが、当時それはアートプロジェクトとはみなされてない。北川氏の解任により芸術祭の方向性が模索され、「市民プロジェクト」という市民が企画実施するアートプロジェクトが2012年から開始。芸術祭の枠組みで市民団体が自ら企画・制作・展示、つまり市民がキュレーションで、在郷町の歴史や往時の賑わいの記憶がコンセプトになったり、作品の中に折り込まれたりした。しかし、退任を控えた市長が水土2018においてトリエンナーレ形式での芸術祭の終了を宣言。市民プロジェクト助成は継続されたが、場の存続がプロジェクト存続の鍵となっている。適当な空き施設でも老朽化により取り壊れた場合、プロジェクト自体が続かない例がある一方、コミュニティ施設としての機能を持たせて場を存続させ、市以外の助成金も組み込むことで活動を継続、または他地域のアートプロジェクトと連携した例もある。水土2012から始まった市民プロジェクトの市民キュレーションでは、その余地がない「大地の芸術祭」「瀬戸内国際芸術祭」と比較すると、市民と作家、デイレクターとの対等な関係の構築が伺える。新市長は「市民の取り組み」として、トリエンナーレ終了後も助成を継続したが、コロナ禍も重なり、活動は縮小する。以上のことから自治体主催の芸術祭において目的や手段とされがちな「市民の主体的な活動」と、アートディレクターの「強い」ディレクションによる芸術祭の存続は、実際のところ両立が難しいと言える。この様な例を通じて政治とアートの関係を再考したい。 [文献]北田暁大、 神野真吾、竹田恵子編2016『社会の芸術/芸術という社会』フィルムアート社。宮本結佳2018『アートと地域づくりの社会学』昭和堂。

報告番号141

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (1)――Comprehensive Research on Local Contexts of Disaster Recovery2021 Empirical Studies (1)
専修大学 大矢根淳

【1.目的】  本報告は、これを含む7本の一連の報告の冒頭にあたり、続く実証的報告で共有される視角・論点と、それらが構想されてきた経緯について概説する。これら一連の報告は、「大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論篇」につづく「実証篇」という位置づけとなる。 【2.方法(研究枠組みの検討経緯)】  共同研究開始当初、研究者は各々、アクセス可能な複数のフィールドを対象に調査を開始したが、次第にその対象地を類型化しつつ、その総体としての把握に向けて検討を始めた。「津波」/「原発」枠を設け、「津波」に関しては、「リアス」と「平野」についてそれぞれ「市街地」「農漁村」に分けて4類型としてスタートした。  マクロ統計データによる被災地動向が分析(理論篇:浅川報告)され、それらを重ね合わせることで浮上してくる隣接市町の連関(広域都市圏)を基軸に据える必要性が示唆されたこと(実証篇:室井報告)、さらに、そもそもの県単位の復興政策上の哲学の違い自体が指摘され、また、対象となるフィールドのレベル(自治体単位/浜(街)・コミュニティ単位)が整理されぬまま論旨が混在していることが指摘されてきたことを受けて、本報告一連のフィールド・ラインナップが構想されてきた。  そこではまず、岩手と宮城を分け、岩手の中でもメンバー内で知見の豊富な大槌町(その中での安渡と吉里吉里の異同)をまずは措定し、これをフリンジと位置付けることで浮上してくる釜石市を取り上げた。宮城県では仙台市を中心と捉えると、南北に隣接する市町としての東松島市、石巻市、女川町と、その縁に位置する名取市、亘理町・岩沼町が浮上してくる(復興に関するニュース等で取り上げられることの多い陸前高田や大船渡、気仙沼…などは、こうした検討経緯から、この度の一連の報告のフィールド・ラインナップには載っていない)。 【3.結果(諸報告の検討枠組みの概要)】  こうした検討経緯でフィールド・ラインナップが構想されてきたことを踏まえ、理論篇で指摘されてきた「5つの復興評価の視点」(理論篇:黒田報告)をもとに、本部会の一連の報告では、以下の諸点を盛り込み報告内容を組み立ててみた。 ①復興の前提となる「被害構造」について、地域特性を紐解きつつ概説しておく。②震災への対応履歴とともに、被災以前のドラスティックな社会変動への取り組み履歴を押さえておき、③そうした対応履歴を含めて、重層的諸主体の集合的な選択過程に着目してみる。  例えば、どこの市町においても防潮堤建設反対運動(地域社会学的な作為阻止型の住民運動)が観察される傍らで、同時に現実的には、マルチステークホルダーが参画する生活再建・コミュニティ再興の取り組みがモザイク状に組み上げられつつあることもまた具に観察されている。 【4.結論(諸報告検討の行く先は…)】  それらが発動する基盤が醸成されてきた経緯、様々な外部支援を取り込みつつコミュニティ再興の方法論が組み立てられてきた経緯、それらをレジリエンスの基底ととらえ、コンクリートで固めて造り上げられる強靭な社会(という文脈で語られるレジリエンス)という認識を超えたところで、順応的ガバナンス Adaptive governance (理論篇:黒田報告)が構築されつつある各フィールドの実証的研究の事例を紹介・検討していきたいと考えている。

報告番号142

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (2) ――広域都市圏の中心地域における復興過程の特徴 ―岩手県釜石市の事例―
岩手県立大学 吉野英岐

1.目的 本報告は被災地の広域都市圏の1つである釜石・大槌都市圏に着目し、その中心地域である釜石市の震災前の状況と、震災後の復興過程の特徴を明らかにすることで、大規模災害からの復興における地域的最適解の析出を目指す。報告の内容は、震災前、震災後の5年間、震災後5年以降10年目までの3つの時点における釜石市の人口動向、産業の動向、行政施策や復興計画および復興事業の進展、地域集団の動きなどに着目し、震災前後の釜石市と広域都市圏の状況を考察する。 2.方法 分析に用いるデータは、Ⅰ)2000年以降の国勢調査にみる人口動向、Ⅱ)釜石市の人口ビジョンおよび復興関連政策や復興の進捗状況を示す資料、Ⅲ)釜石市における聞き取り調査の結果および、市内の災害公営住宅入居者への調査(2019年実施)の結果などである。 3.結果 (1)災害前 1989年の新日鉄釜石製鉄所(当時)の高炉休止後の釜石市は、人口の流出や高齢化が著しく、まちづくりの面では厳しい状況が続いていた。1993年10月に当時沿岸地区最大のショッピングセンターが大槌町内にオープンしたことも、釜石市の空洞化に拍車をかけることになった。震災前の釜石市は買物品の地域内購入率も低く、産業転換を図りつつも、人口の空洞化現象が見られ、広域都市圏の中心地域としての役割は低下していた。 (2)震災後の5年間 震災後、釜石市はいち早く津波復興拠点整備事業を市内中心部に導入し、既存市街地を生かし、中心部の人口の維持に向けた復興事業に着手した。また、釜石市出身のUターン者や復興関連のIターン者、復興事業従事者の増加などにより、人口の減少を抑えた。大槌町は当時の町長が犠牲になるなど、行政が十分機能しない状況が続いた。被災した旧庁舎の解体や保存をめぐって意見が対立するなど、復興は遅滞していた。こうしたことから広域都市圏の中心は再び釜石市に移ったと考えられる。 (3)震災後5年目以降10年目まで 2015年から2020年(速報値)の釜石市の人口増減数と増減率は、-4706人で-12.8%と減少数、減少率とも大きく落ち込んだ。大槌町は‐746人で-6.3%と、減少数、減少率とも落ち込みが少なかった。釜石市の人口減は復興事業の終了による復興事業従事者等の転出によるものとみられているが、構造的な要因の存在も考えられる。大槌町の人口減少率が低かったことから、人口減少局面ではあるものの広域都市圏全体の人口バランスの回復が始まったと考えられる。 4.結論 東日本大震災からの復興状況は決して一律ではなく、さまざまな差異がある。これまでは復興のスピードが重視されてきたが、地域社会や広域都市圏の持続可能性を高めていくには、インフラの整備の段階から、コミュニティレベルの地域集団の再建や創造、自治体の政策立案遂行能力の向上、広域都市圏全体の再構築という視点の導入が必要である。したがって、復興の地域的最適解はコミュニティレベル、自治体レベル、広域都市圏レベルの相互連関性のなかで考察していくべきである。 付記:JSPS科研費(基盤研究(A) 19H00613(研究代表者:浦野正樹))の研究成果の一部である。

報告番号143

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (3)――「広域都市圏の小規模周辺自治体における被害構造と地域存続に向けた動き ―東日本大震災前後の岩手県大槌町の復興過程より―」
早稲田大学 野坂真

1.目的  岩手県には複数の市町村から成る広域連合や行政事務組合があり、それらの範囲は、住民の通勤圏等と重なることが多い。本報告では、釜石大槌行政事務組合の範囲を「釜石・大槌都市圏」とみなし、その周辺地域としての性格が強い大槌町における震災前後の復興過程を分析する。特に、次の3点に注目する。 (1)震災前の地域存続ビジョンがどのようなものであり、それがどのようなローカルな仕組みによって支えられていたのか。 (2)震災による影響が波及していく中で地域存続ビジョンとそれを支える仕組みがどのように揺らいだのか。 (3)震災から現在までの間に、地域存続ビジョンを支える仕組みがどのように再構築されつつあるか。 なお、市町村内の行政区ごとに復興過程の様相は異なることにも留意する。 2.方法  復興過程を、1)災害前⇒2)緊急避難期⇒3)避難生活期⇒4)仮復旧期⇒5)復興への移行期⇒6)復興期=1)災害前⇒…という各段階において生じる課題と対応の様相、およびそれらが連鎖する様相を分析する。主な分析の対象は、地域住民を主体とし主に地域内で活動する「地域集団」とする。  分析に用いるデータは、Ⅰ)対象地域のドキュメント調査、Ⅱ)地域集団代表者へのヒアリング調査、Ⅲ)報告者らが岩手大学社会学研究室等とともに各年1回共同実施した大槌町仮設住宅入居者調査(2011年~2018年)、大槌町災害公営住宅入居者調査(2016年、2019年)、の結果である。 3.結果 1)災害前  200海里規制等にともなう水産業の苦境とバブル経済崩壊後における地方行財源の急速な縮小に対応するため、「行政と住民との協働により、身の丈にあった地域の成長」を目指す地域存続ビジョンに基づき、複数の地域集団が活動を展開していた。そうした活動は、地域外のアクターも参加しつつ、領域横断的に地域集団同士が連帯することで成り立っていた。 2)緊急避難期~3)避難生活期  しかし、東日本大震災により大きな人的被害を受け、多くの指定避難所が被災し特に被災初期は過酷な生活環境だった。そうして、地域存続ビジョンを支えていた地域集団の調整役や交渉役が多く犠牲となったり、離散することになった。 4)仮復旧期  その後、復興事業メニューや、各領域を専門とする多数の外部支援者が町内に流入してくる。調整役や交渉役の減少により、事業メニューや外部支援者を吟味する力が弱まっていたこともあり、個人や特定の地域集団による個別化した動きが突出して進められるケースが散見された。 5)復興への移行期  その結果、外部支援者が減少し、個々の生活再建も本格化することで地域集団の求心力が弱まっていく復興への移行期では、個別化した動きの調整が困難となり、重要な復興事業や地域集団の活動が継続困難となる事態も起こった。他方、地域集団の活動理念や地域住民の多くで共有できる地域存続ビジョンを再確認し自分なりに表現することで、転機に適応していった地域集団もあった。そうした地域集団には40歳代以下の若手住民が主体となったものも含まれる。 4.結論  東日本大震災の被害が、地域集団の中核メンバーの喪失や離散をきっかけに長期的な地域存続ビジョンの揺らぎを生み出す被害構造、そして活動理念を再確認し状況変化に適応していく動きが見られた。今後、その延長として地域存続ビジョンがいかに再構築されていくか、継続調査が必要である。

報告番号144

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (4)――地方都市圏の混住地域における復興まちづくり体制の変遷ー東松島市野蒜地区・あおい地区の事例からー
国立環境研究所 辻岳史

【1.目的】東日本大震災において甚大な津波被害をうけた仙台湾沿岸地域では、震災前、仙台塩釜港・石巻港の開発、高速交通網の整備がなされ、仙台都市圏・石巻都市圏に労働者を供給する役割を担うため住宅基盤整備が進められた。震災前の仙台湾沿岸地域の社会構造は、漁村・農村の性格を残しつつ、地方都市圏において居住機能を担う混住地域へと変動していた。本報告は仙台湾沿岸地域の混住地域の一つであり、東日本大震災の被災地域である東松島市を事例として、混住地域の経済・社会状況が規定する震災前のコミュニティの構造を確認しつつ、震災前のコミュニティの構造が震災後の地域における震災復興事業(防災集団移転促進事業など)に係る復興まちづくり体制の整備に及ぼした影響を明らかにすることを目的とする。 【2.方法】東松島市は津波により市域の約36%が浸水し、死者・行方不明者数は1152 人を数えた。震災後、防災集団移転促進事業などの住宅基盤整備を円滑に進めたことから、復興のトップランナーと評される地域である。本報告では震災前のコミュニティの構造と、震災後10年間の東松島市における復興まちづくり体制の変遷を自治体(市)・地区の2つのスケールに着目して分析した。対象地区は、甚大な津波被害をうけ、大規模な防災集団移転団地が整備された野蒜地区とあおい地区である。データは自治体編纂の地域史・議会議事録・広報誌・新聞記事等の地域資料のほか、2012年3月以降に報告者らが実施した市各担当課の職員・コミュニティ組織の役員へのインタビュー調査、コミュニティ組織の参与観察から得られた。 【3.結果】東松島市では戦後の住宅基盤整備をはじめとする開発政策を通じて首長・市議会・産業団体・県議会議員の強固な連携体制が構築されていた。また震災前より伝統的な農業集落・漁業集落を基盤として行政区と呼ばれる地縁組織が活動していたが、2005年の市町村合併後、昭和の大合併以前の行政村を基盤とする8地区にまちづくり協議会と呼ばれるコミュニティ組織が整備された。震災前の東松島市行政は自治体内分権・協働政策を積極的に進め、その結果、コミュニティ組織は行政区・まちづくり協議会と多層的に構成されていた。震災後、市行政は国家プロジェクト(環境未来都市・SDGs未来都市)への申請を通じて地域外のステークホルダーとの連携を進め、マンパワーと予算を調達した。同時に、市行政はコミュニティ組織との連携を進め、各地区で震災前に整備されたコミュニティ組織を基盤として復興まちづくり体制を構築しつつ、震災発生後に台頭した新たなコミュニティ組織(復興まちづくり団体など)や地域リーダーを体制に取り込むことに成功した。 【4.結論】震災前に東松島市において進められた開発政策や自治体内分権・協働政策はコミュニティの構造を規定しており、震災前に整備されたコミュニティ組織は復興過程を通じて同市の復興まちづくり体制の中核を占めていた。こうした東松島市の復興まちづくり体制は、復興過程において変化する被災者の生活再建課題に対応しうるものであったと評価できる。ただし現在は、市行政が復興期から平常時への移行を目指して進めている新たなコミュニティ政策の展開、防災集団移転団地にて複雑化する近隣関係を背景に、地区固有の取組や復興まちづくり体制の課題が顕在化しつつある。本報告ではこの点についても議論したい。

報告番号145

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (5)――大都市辺縁部における「妥協」の構築~仙台市南蒲生地区の復興事例から~
明治大学 小林秀行

【1.目的】 災害復興とはある種の「虚構」である。一般に我々は被害の後には災害復興という取り組みが行われ、被災者の生活再建が目指されていくものと期待する。被災者にしても、そのような期待があればこそ、被災という困難な状況下でも生を紡ぎなおすことへの意欲を持つことができる。しかし、法制度の枠組みのもとで展開される災害復興は政治過程の一面を有しており、被災者を含むあらゆる主体がその過程のなかでの妥協を迫られ、その妥協の集合体として災害復興という現実が形成される。本報告は、仙台市沿岸部のある農業地区を事例として、同地区の住民が辿った災害復興の経路を俯瞰的に再整理し、地区としての復興を形成していく際にどのような「妥協」が重ねられていったのかということを明らかにしようとするものである。 【2.方法】 方法としては、2012年から2014年にかけて実施した仙台市沿岸部に位置する南蒲生地区を対象とした観察調査を基礎としつつ、その後の動きを追加的に収集した。 【3.結果】 南蒲生地区は、仙台平野の農業地帯の一部として長く農業を中心とした地域形成が行われてきた。そのため、東日本大震災後においても農業の再生を含む現地再建が当然のこととして期待されていた。しかし、仙台市沿岸部の津波被災地の復興は、震災以前からの新興住宅や仙台港周辺の開発、地下鉄東西線の建設といった方向性の延長線上に位置付けられるものであり、仙台市側から当初提案された方針は、災害危険区域指定のうえでの移転再建であった。この方針に対して、現地再建を期待していた住民側は地区の総意としての反対を表明、町内会の内部に復興の検討部会である「南蒲生復興部」を設置し、地区独自の災害復興計画の策定に取り組んでいくことになる。結論を述べれば、南蒲生地区はその後、危険区域指定対象地の縮小にともなって、大部分の住民が現地再建を行うことが可能となり、復興まちづくりの活動へと移行していくことになる。しかし、依然として移転再建が必要な住民が残されたことは変わらず、また、その後の復興まちづくりの過程においても、幾度かの仙台市との交渉において地区間の公平性などの理由から基本的には住民側の意見が完全に受け入れられることはなかった。だが、同地区においてはこれらに対する継続的な反対などが行われることはなく、その結果のもとでどのようなまちづくりを展開するかの議論がなされていく。地区住民からも、そのような町内会の方向性に対して強い意義はさしはさまれていない。 【4.結論】 上記の理由として、南蒲生地区としての妥協を行う際、同地区では町内全体に公開した集会や報告会を定期的に開催しており、地区住民の納得に配慮したうえでの運営がなされていた点が挙げられる。そのことが、地区における災害復興という「虚構」を維持しながらも、現実的な調整を展開可能とする1つの支えになったものと考えられる。

報告番号146

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (6)――アーバンフリンジにおける土地利用の変化─宮城県亘理町、山元町の事例─
名古屋大学 室井研二

【1. 目的】  宮城県南部の沿岸被災地は仙台を中心とした都市圏に含まれている。本報告ではその中でも仙台都市圏の周辺部に位置する自治体(山元町、亘理町)にフォーカスし、前災害期から続くリージョナルな政治経済的動向と震災後のローカルな復興過程の関連について分析する。 【2. 方法】  2018年に宮城県沿岸被災地の行政区長(5市5町573地区))を対象にコミュニティの復興も関するサーベイ調査を実施した(有効回収率56.5%)。その結果を踏まえ、同地の行政区長を対象にインタビュー調査を実施した。これらの調査データと統計、行政資料、議会議事録等を組み合わせて分析を行った。 【3. 結果】  宮城県南部の沿岸地域では高度成長期に大規模な土地改良事業が実施され、農業用地としての基盤整備が進んだ。しかし、新全総で仙台湾臨海地域が新産都市に指定された後、徐々に仙台市のベッドタウンとしての性格を強め、農業的土地利用と都市的土地利用が混在した混住化地域の様相を帯びるようになった。東日本大震災はこのような地域的文脈において発生した。  震災発生後、政府は大規模な防災集団移転事業を推進した。それは表向きには津波防災を目的とするものであったが、結果的には、居住機能を内陸の既存市街地に集約し、沿岸部は大規模圃場として再編するという土地利用の機能的分化をもたらした。こうした空間変動は「選択と集中」による自治体経営の効率化やTPPを背景とした農業の国際競争力強化といった前災害期の社会動向とも密接に重なり合うものであり、とりわけ都市圏周辺部の自治体ではその実現に向けて積極的な政策的介入が試みられた。しかし他方で、こうした復興政策は被災地の復興ニーズとの間に以下のような軋轢や矛盾をもたらした。 ・過大な災害危険区域指定や大規模な拠点集約型復興事業によって、人口の流出が加速し、自治体内の復興格差が拡大した。 ・防災集団移転事業(都市計画)の実施において既存の農業的土地利用との調整が上手くいかず、宅地造成に遅れが生じ、団地造成後に都市水害が発生した。 ・農業生産の大規模化・効率化が著しく進展した一方で農地の共同管理が滞り、地域的共同性も衰退した。海岸防風林を管理するための社会的基盤も脆弱化した。 【4. 結論】  既往の東日本大震災研究は震災発生後の復興政策・復興過程の局地的な現場検証に偏る傾向があった。しかし震災から10年経った現在、災害復興を前災害期から続く趨勢的変動との関わりで捉えることが重要である。この点に関し、宮城県南部沿岸被災地では、地域特有の農業的土地利用の歴史的沿革と経済・財政政策と連動した国庫依存型復興政策の齟齬が顕在化した。こうした矛盾への着目は復興の地域的最適解を探るための糸口になるものであり、災害研究の社会学への内部化という方法論的課題にとっても重要性をもつものである。

報告番号147

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021実証篇 (7)――大都市周辺における復興過程の地域的差異——宮城県名取市沿岸部の事例
関西大学 内田龍史

【1.目的】  東北地方の中心都市、宮城県仙台市を中心とする「仙台都市圏」の沿岸地域は、2011年3月に発災した東日本大震災により津波が襲来し、甚大な人的・物的被害に見舞われた。仙台市の南に隣接する名取市では、漁港として栄えた閖上地区、仙台空港が立地する下増田地区など27㎢が浸水し、死者954名・行方不明者38名という被害状況である。本報告では、名取市において被害の大きかった閖上地区ならびに下増田地区を事例として、復興の基底となるそれぞれの被災地域の特性、被害構造、東日本大震災の対応履歴について、同一自治体内における復興過程の地域的差異とその要因を描き出したい。 【2.方法】  報告者は、2011年度より名取市内の被災地域の被害状況と復興過程を明らかにするために、現在まで続く長期間にわたるフィールドワークを実施し、名取市民・仮設住宅住民・住宅再建後の住民に対する質問紙調査や、各種ステークホルダーへのヒアリング調査などを重ねてきた。本報告では、それらのフィールドワークによって得られた各種データを用い、閖上地区と下増田地区の復興過程の地域的差異を分析する。 【3.結果】  震災前の閖上地区は、市街化区域として整備され、閖上港を拠点とする漁業・水産加工業で栄えたものの、人口のピークの1955年以降はゆるやかに減少傾向にあり、近年は仙台市近郊という立地条件から職業構成も多様となっていた。相対的に人口規模が大きく多様な住民構成であることは、多数かつ多様なステークホルダーが存在することを意味する。そのため、市の復興計画における住環境整備の合意形成に困難が生じ、結果として他の津波被災地と比較して住環境の復興に大幅な遅れが生じた。他方で名取市下増田地区は、農業を中心とする地域的共同性、まとまりの強さが示唆される産業構成となっており、早期に防災集団移転事業の方針を取りまとめたことから、住環境の復興は他の津波被災地と比較しても相対的に早かった。 【4.結論】  これら復興過程の地域的差異を振り返ってみると、震災前の人口規模や産業構成、地域的共同性のあり方に加え、被災規模やステークホルダーの量的・質的関わりによって規定されていたと考えられる。なお、復興事業の完了が遅れていた閖上地区においても、2019年5月にはまちびらきがおこなわれ、2020年3月30日には市長名での「名取市復興達成宣言」を出すに至っている。名取市の被災地域は自家用車での生活を前提とすれば利便性は高く、特に閖上地区は震災メモリアル公園、震災復興伝承館等に加え、宿泊・温泉等の観光施設なども整備されている。他方で観光客と居住者との折り合いや道路整備などが課題であり、地元住民による自治や近隣関係形成は途上で、コロナ禍による停滞も見られる。また、閖上地区・下増田地区ともに、インフラ整備等のハード面の復興に比して、生活の回復が感じられないとする被災住民に対する対応は依然として課題となっている。

報告番号148

会話におけるステレオタイプの使用――社会心理学的分析からエスノメソドロジー的分析へ
埼玉大学 袁景竜

1.目的 ステレオタイプは社会学の中で、特に社会心理学の分野で上瀬(2002)を代表として、ステレオタイプの形成背景や維持と変容のメカニズムなどの研究成果が挙げられる。その一方、ステレオタイプという社会現象を「個人」単位での認識過程として捉える限界があると高橋 (2017)は指摘した。高橋(2017)は、「ステレオタイプが使用される場の相互作用分析によって、ステレオタイプ使用の社会的条件を解明することが必要」と唱えた。 本文は今まで蓄積された社会心理学の知見と高橋(2017)の観点を踏まえ、エスノメソドロジーの視点から日常会話の中でステレオタイプはどのように使われているかという実践の過程を分析する。このように社会心理学的視点で取り上げられてきたステレオタイプの問題を社会的相互行為の中で捉え直すことで、社会心理学の限界を克服し、ステレオタイプに対する新たなアプローチを提示することに試みる。 2.方法 大学生の男性二人と女性二人の会話の中で、一人の男性が持ち出した「女性が恋愛の話を好む」というステレオタイプにめぐって、二人の女性が異論を提示する実践と、その男性が女性たちの異論に対してさらに説得を続ける実践に注目し、会話の構造とステレオタイプの正当化プロセスという二つの面に分かれて分析を試みる。 ①会話の構造:会話分析の方法で優先構造や会話の連鎖などの分析手段を使って、社会心理学の知見を参照しながら、ステレオタイプは会話の中でどのように使われるかに注目する。 ②ステレオタイプの正当化プロセス:エスノメソドロジーの視点で、ステレオタイプに対する異論と同調の相互行為から、ステレオタイプを他人に納得させる過程の背後にどのようなロジカルなプロセスが含まれているかを探ってみる。 3.結果 ①会話の構造:会話の中でのステレオタイプの使用は、会話参加者たちの同意や非同意による行為連鎖と共に行われる。その過程は個人単位の認識過程ではなく、相互行為によって互いに理解を達成する。また、会話の中で「男性」と「女性」の成員カテゴリーが使用され、言及された事例や経験を一般化する実践が見られた。逆に、「男性」カテゴリーの代表者である解釈の権威を守るため、他の男子学生の異なる意見を特例化し、排除するという「内集団」を均質化する実践が見られた。 ②ステレオタイプの正当化プロセス:個別の事例や個人の経験が会話の対立回避の時に排除されるリスクがあるため、ステレオタイプの呈示側も反対側も会話の中でできるだけ個別の事例や個人の経験を避ける。その代わりに、会話から持ち出されたステレオタイプに含まれるカテゴリーを因数分解のように下位カテゴリーに分解しながら説得を行うプロセスが見出された。例:[女性・恋愛の話が好む]⇒[女性・具体的な恋愛対象の話が好む]/[女性・恋愛の話をする頻度が多い]。 4.結論 本文は社会心理学の知見と相互行為分析と照らし合わせ、ステレオタイプに対する理解の仕方を日常会話の中で捉え直すことで、高橋(2017)が提示した「ステレオタイプ使用の社会的条件を解明」に一つの可能性を示したと考えている。 参考文献:上瀬由美子,2002,『ステレオタイプの社会心理学―偏見の解消を向けて』サイエンス社; 高橋幸,2017,『現代的な「女性」ステレオタイプ』第90回日本社会学会大会報告原稿

報告番号149

試着接客場面に見る衣服と身体との関係性――客の自己像をめぐる相互行為分析
愛知学泉大学 堀田裕子

1.目的  近年,インターネットを通じて衣服を“試着”し購入することが部分的に可能になったが,映像と実際との違いや自己像との不適合などの点で課題は多い.こうした課題への取り組みとして情報技術の向上もさることながら,人びとが実際に衣服をどのように着ているかを理解することが重要だと考える.  本報告の目的は,試着をたんに衣服が身体にフィットするか判別する試みと考えた場合に見落としてしまうものを,実際の試着接客場面から拾い出し,衣服と身体との関係性を探究することである.また,客の自己像をめぐって衣服と身体との関係性を創り出していく,試着接客相互行為の特性についても明らかにしたい. 2.方法  あるセレクトショップで撮影した試着接客の場面をビデオ・エスノグラフィーの手法で記述し分析する.これにより,どのような衣服と身体との関係性が志向されているかを知ることができるとともに,ひとりで試着する際の“他者”との内的対話,すなわち思考も部分的に可視化されると考える.分析の際には,主としてエスノメソドロジーと会話分析および現象学的な観点を用いる. 3.結果  一着の衣服に関して,幾通りもの“変形”と組み合わせが店員によって提案されていた.そして,たとえば試着後に保留されていた衣服がある提案後に購入されることになるように,衣服の魅力は試着の相互行為のなかで,そして客の身体および他の衣服との関係性のなかで創り出されていた.  衣服は陳列されている時,他の衣服との比較および差異が重要な様態で在る(「モードA」).しかし,試着されたとたん,衣服は唯一無二の客の身体との関係性で形づくられる様態へと変化する(「モードB」).「モードB」には,客の体型,肌色,顔,髪型などの身体-物理的側面だけでなく,性別,年齢,職業などの属性も関わる.試着接客において,店員は客の身体性に応じた多様な「モードB」を提案し,客は自己像に合う「モードB」を探求するのである.  試着接客場面に特徴的な相互行為秩序も見出せた.たとえば,店員が提案するたびに客は「あー」と発話していた.これによって客は,直前の提案を新たな自己像の可能性をもたらすものとして受け取りつつ,納得していることを示していると考えられる.  また,試着した衣服に関して客が否定的な言葉(クレーム)を述べる際,店員はその言葉に同意したうえで順接の接続語でつないで表現の転換をする,という話法を用いていた.これを「クレーム説得連鎖」と名付けたい.この連鎖が可能なのは,客の自己像と店員から見た客の自己像との間につねにずれがある(と了解されている)からだと考えられる.だが,こうしたずれこそが新たな自己像の発見や改変の可能性をもたらすと言えよう. 4.結論  重ねる,ぶかぶかで着る,襟を立てる,袖を捲る……私たちは試着の段階で「モードB」を探求し,衣服の“変形”を志向している.そのなかで自己像に合うものを求め,“他者”からの提案によってときに自己像を改変していく.「あー」という発話と「クレーム説得連鎖」は,そうした改変をもたらす契機を示していると思われる.  つまり,試着とは,たんに衣服が身体にフィットするかどうかを判別する試みではなく,身体と衣服とで「モードB」を創り出し,私が思い描く自己像と“他者”が思い描く私の自己像とを調整していくプロセスである.

報告番号150

松本清張のハビトゥスと文学実践
法政大学大学院 山口敬大

1 目的  この報告の目的は,「場の理論」を援用し,松本清張登場以前の「ミステリ場」を再構成したうえで,松本の立場決定とそれを生成したハビトゥスを明らかにすることである. 2 方法  松本についての研究は膨大に存在し,松本の社会的出自と文学実践を結び付けて論じているものもある.しかし,それらは理論的な視座を欠いており,そのことが松本の貧困経験を過剰に強調することにつながっている.本報告では,P.ブルデュー(1992=1995-6)の「場の理論」を援用することで,作品生産に対する外在的な規定力とその実践空間の相対的自律性,行為者のハビトゥスを同時に研究対象とする.松本はミステリを執筆することでベストセラー作家へと躍進していったため,「ミステリ場」の歴史を中心に記述し,文学場についても適宜記述する. 3 結果  戦前において「ミステリ場」は,文学場と市場との緊張関係のなかで形成されていったがゆえに,市場での成功と2つの正統性(トリックの卓越性とリアリティ)を賭け金として成立する場となった.戦時下に抑圧されていたミステリは終戦とともに復興していくことになり,なかでも本格ミステリの隆盛は,横溝正史などの戦前の作家や高木彬光などの新人作家によって担われた.しかし,本格ミステリの隆盛は,ミステリの文学的地位の向上を目指す文学派との対立を再び呼び起こしてしまうが,トリックとリアリティの両立という目標は戦前と変わらず維持された.1950年代になると,ミステリをはじめとする中間文学は,純文学に対する脅威として語られるようになっていく.純文学による中間文学批判から明らかなように,戦後の日本の文学場でも,限定的生産の極と大量生産の極の二項対立が成立していた. 4 結論  上記のような「ミステリ場」と文学場の緊張状態のなかで,登場したのが松本であった.松本は,リアリティを失っている理由により,文学場で正統的な位置を占める純文学とプロレタリア文学,さらに「ミステリ場」における既存のミステリとの差異のなかで自らを位置付け,社会派ミステリという新たな位置を占めた.市場での成功,トリックとリアリティの両立を達成したことにより,松本は「ミステリ場」の覇権を握ることができ,文学的正統性の再定義を繰り返し行うことができた.  松本は,潤沢な文化資本と乏しい経済資本を所有し,地位上昇と生活の両立という中間的なハビトゥスを身体化していたために,上記の文学実践を遂行することができた.しかし,大岡をはじめとする純文学作家のハビトゥスと異なっていたがゆえに,文学実践や「知覚・評価図式」(Bourdieu 1979=1990Ⅰ: 319)の差異が生まれ,貧困のなかで育った松本の社会的出自は過剰なまでに強調された.それゆえに,松本は,正統的な位置を占める純文学作家たちから批判の対象とされたのである. 文献 Bourdieu, Pierre, 1979, La Distinction: Critique sociale du jugement, Paris: Minuit.(石井洋二郎訳,1990,『ディスタンクシヨンⅠ・Ⅱ』藤原書店.) ――――, 1992, Les Règles de l’art:genèse et structure du champ littéraire, Paris: Seuil.(石井洋二郎訳,1995-6,『芸術の規則Ⅰ・Ⅱ』藤原書店.)

報告番号151

フィクション映画における成員カテゴリーの視覚的秩序
明治学院大学 岡沢亮

【1.目的】  私たちの社会生活における視覚的秩序は、どのようにしてつくりあげられているのか。とりわけ、人々の振る舞いを見ているとき、私たちはいかにして彼らが特定の成員カテゴリーのもとで特定の行為をしていると理解できているのか。社会学者のHarvey Sacks (1972)は、(1)観察者が観察対象となる人々やその場面について事前に情報を持たず、(2)かつ観察者が観察対象者に話しかけることもない場面において、観察者がいかなる推論により観察対象者の成員カテゴリーと行為に関する理解を得るのかを問うた。本研究は、この独特の特徴を持つ場面に焦点を当て、かつSacksが当時の技術的制約ゆえに利用しがたかったビデオデータを用いて、成員カテゴリーと視覚的秩序をめぐる探究を経験的に進めるものである。 【2.方法】  上記(1)(2)の特徴を持つ場面として、鑑賞者(観察者)がフィクション映画における登場人物(観察対象者)を観る場面が挙げられる。本研究が用いる具体的なデータは、日本のフィクション映画『アフタースクール』(内田けんじ監督、2008年)である。エスノメソドロジー研究における成員カテゴリー化分析の方法を踏まえ、フィクション映画内の登場人物の相互行為(身体動作や表情などを含む)を分析するとともに、鑑賞者としての分析者が登場人物のカテゴリーを推論する方法について自己省察的に分析する。 【3.結果】  分析の結果明らかになるのは、私たちが観察対象となる映画の登場人物のカテゴリーと行為を理解するにあたって、彼らの間の会話だけでなく、その相互行為が行われる場所、時間、服装、物理的距離など、視覚によって得られる様々な情報とその組み合わせを資源として利用していることである。 【4.結論】  私たちは、全く初見の登場人物による相互行為の映像を観る場合でも、さらには彼らの間で会話がない場面を観る場合でさえも、彼らの場所、服装、物質的環境を観察することで、彼らのカテゴリー関係と行為に関する認識可能な「正しい」記述を生み出すことができる。このようにして私たちは、社会生活における視覚的秩序を作り上げているのである。  なお、とりわけ本研究が扱うフィクション映画において、映画製作に携わる人々は登場人物のカテゴリー関係をめぐる「ミスリード」を行っているのだが、これは鑑賞者が常識的な推論によって「正しい」カテゴリー理解にたどりつけることを前提としている。もし私たちによるカテゴリーの観察が一定の手続きに従っておらず、認識可能に正しいものではないのであれば、製作者側による「実は登場人物はそれらのカテゴリー関係にはない」という暴露は驚きをもたらさず、それゆえミスリードというフィクション特有の仕掛けは成功しないのである。 【文献】 Sacks, H., 1972, “On the Analyzability of Stories by Children,” J. Gumperz and D. Hymes eds., Directions in Sociolinguistics: The Ethnography of Communication, New York: Holt, Reinhart and Winston, 329-45.

報告番号152

小説におけるカテゴリー・行為・出来事の秩序
大阪大学 河村賢

【1.目的】  私たちが小説を読むという実践はいかにして行われているのか。こうした問いは文学理論においても取り組まれてきたものであり、理論家たちは「精通した読者」や「内包された読者」といった概念に訴えることで回答を試みてきた(Fish 1970; Iser 1978)。本研究は、テクストにおいて用いられている表現やカテゴリーに着目しその理解可能性を分析してきたエスノメソドロジーの立場を引き継ぎ、小説という文学テクストを読む実践を分析する。 【2.方法】  Harvey Sacks はかつて、聞き手がある物語に登場する人々のカテゴリーを理解することは、人々がなぜある行為を行ったのかを理解することと同時に行われるのであり、それによって聞き手は表現された出来事同士を順序づけ、理由づけていくのだと論じた(Sacks 1972)。この際聞き手が用いる手がかりは、テクストにおいて文が並べられる順番と、カテゴリーと行為の結びつきについてメンバーが持っている常識的知識の二つである。小説という時間性を持ったテクストを読者がいかにして秩序だったものとして理解しているのかを解明するためには、テクストにおけるこの二つの資源の利用のされ方に着目して分析を行わなくてはならない。本研究ではJ. D. Salingerが書いた複数の小説を題材とすることで、こうした分析を行う。 【3.結果】  分析の結果明らかになったのは、私たちが小説を読むときの理解の仕方は、テクストにおいて示されている人々のカテゴリーや行為についての表現によって導かれていることである。そうした理解の仕方には、カテゴリーも行為も明示されたうえで出来事間の理由関係を文の順番通りに組み立てていくものもあれば、明示されないカテゴリーや行為自体を推論するものもあった。さらにSacks自身は論じていなかったが、文の順番とは異なる形で出来事間の理由・目的関係を把握することが求められるパターンも明確化することもできた。 【4.結論】  私たちが小説というテクストを読む時に行っているのは、出来事を表現する文自体の順番と、カテゴリーや行為に結びついている常識的知識を手がかりとして、出来事の間に秩序をもたらすことであった。本研究が行った具体的な分析は、小説というテクストを理解するにあたっても広範な常識的知識が運用されていることを明らかにした点において、既存の文学理論が論じてきたのとは異なる読者像を提示しているのである。 【文献】 Iser, Wolfgang, 1978, The Act of Reading: A Theory of Aesthetic Response, Baltimore: The Johns Hopkins University Press. Fish, Stanley, 1970, “Literature in the Reader: Affective Stylistics,” New Literacy History 2(1): 123-162. Sacks, H., 1972, “On the Analyzability of Stories by Children,” J. Gumperz and D. Hymes eds., Directions in Sociolinguistics: The Ethnography of Communication, New York: Holt, Reinhart and Winston, 329-45.

報告番号153

ハワード・S・ベッカーの「アート・ワールド」の再検討――日本の工芸世界の社会学的な分析のための一考察
東北大学大学院 松田大弘

【目的】本報告の目的は,ハワード・S・ベッカーによるアート・ワールドとクラフト・ワールドの関係性の分析を批判的に検討し,日本の工芸(クラフト)世界の社会学的な分析について考察することである.アート・ワールド概念は,日本のアート研究においてもしばしば言及されてきた.調査においてとくに注目されるのは,アート作品を一人のアーティストから制作されたものではなく,結果的にアートと指し示された生産物を可能にする規則を通して協同するあらゆる人々の産物として認識し,「……はアートである」と観察する人々を研究者が観察する,という社会的構築物としての認識論である.また概念枠組みにおいてとくに検討されるのは,アート・ワールドに志向する4つのモードである.この概念枠組みで注目すべきは,アート・ワールド分析の射程がアート・ワールドをなんら規則として認識していない領域まで及んでいる,という点といえるだろう.つまり,その分析関心は非常に広大であり,したがってベッカーは,鑑賞性をもつ幅広い領域の生産物を事例に分析を行った.こうしたアート・ワールド分析の射程は,一言でアートとは言い切れない独自の歴史観,美意識観をもつ日本の工芸まで及ぶといえる.しかしこうした認識論が受け入れられている一方で,アート・ワールドとクラフト(工芸)・ワールドとの関係性に関するベッカーの分析は,日本ではほとんど議論されていない.本報告では,ベッカーのアートとクラフトに関する分析の限界を指摘しその分析視点の修正を提起することで,工芸の社会学的な研究の方向性を検討する. 【方法】アート・ワールドとクラフト・ワールドの関係性は,いかにして一方の側が他方の側へ変化するのかを分析することで記述されている.報告者はとくに,クラフトからアートへの変化に関しては,判断基準としての美しさの存在がアーティスト的職人の登場とマイナー・アート・ワールドの発達を示唆していることと,アート・ワールドのメンバーによるクラフト・ワールドにおける有用性のない規則の構築としての「侵略」が分析されていることに注目する.これにより,クラフト・ワールドにおける独自の変動や美しさの判断基準をめぐる行為の可能性がないがしろにされていることを分析する.また,アートからクラフトへの変化に関しては,他の世界によって定義される実際的な有用性が含まれないとするアート・ワールドの前提により,アートの社会的な活動までもがクラフト化へと集約されてしまう可能性を分析する. 【結果】ベッカーのアート・ワールドとクラフト・ワールドの区別とその関係性の分析は,両方の世界を共に貧困にしてしまっており,現代社会のアートの可能性と工芸の実態をおさめきれていない.アート・ワールド分析におけるアートとクラフトに関する概念枠組みは,人々の協同による社会的構築物としてのアート作品という認識論の可能性を弱めてしまっている. 【結論】アートとクラフトの区別は有意ではあるが,鑑賞性をもった生産物をめぐる行為の今日の現状は,アート・クラフト・ワールドと呼べるような,芸術システムの検討の必要性を示唆している. 【参考文献】Becker, Howard S. [1982] 2008, Art Worlds, 25th Anniversary Edition 2008, University of California Press.(後藤将之訳,2016,『アート・ワールド』慶應義塾大学出版会.)

報告番号154

音楽フェスティバルと行政・地域社会――主催者を対象とした質問票調査をもとに
関西国際大学 永井純一

【1.目的】  本報告は、音楽フェスティバルと行政および地域社会の関係を定量的に把握することを目的としている。2000年代以降、国内において音楽フェスティバル(以下フェス)が増加し、ときにそれらは地域振興・地域づくりと関連づけられる。ただし、開催数は多いにもかかわらず芸術祭に比べると、これらに対する学術的な調査はすすんでおらず、経済波及効果に関するいくつかの先行研究を除けば、客観的な評価は確立されていない。その背景には、フェスの多くが民間主導であり行政や地域社会との関係についての議論が十分になされていないことがあるのではないか。  そこで、本報告ではフェス主催者を対象とした質問票調査の分析結果をもとに状況の把握につとめたたうえで論点を整理したい。主な調査項目は、フェスと行政や地域社会の連携状況、フェスの地域社会への貢献(自己評価)の2点である。 【2.方法】  2021年3月15日~5月14日にウェブ調査「音楽フェスティバルと地域社会についてのアンケート調査」をおこなった。2019年に日本で開催された256件のフェスを対象に主催者に調査協力を依頼し、115件の有効回答を得た。このデータをもとにクロス集計や多変量解析のほか、自由回答の分析をおこなう。 【3.結果】  多くのフェスが企業や民間団体だけでなく、市区町村を中心に行政との連絡をとっており、また保健所や消防署をはじめとして多くの公的機関とも連携していることがわかった。経済的な支援は民間による協賛金と寄付金が大きく、補助金や助成金の利用は4割以下となった。その他の支援項目では民間支援はサービスやスキルの提供、公的支援は警備をはじめ運営に関する指導やアドバイスの比率が高い。  地域社会への貢献に関しては、多くの項目で肯定的な回答があった。とりわけ、観光や経済波及効果に関する項目で高い数値となっている。また、関係人口・交流人口の増加にも貢献しているとの回答がある反面、移住者の増加など長期的な影響力についての評価は比較的低く、そもそも意識されていないものも多い。 【4.結論】  上記の結果については、フェスの開催規模が大きいほど、関連する機関や団体は増加し、地域に与える影響力も大きくなる傾向がみられた。  また、今後のフェス開催に関しては、行政による人的支援や評価だけでなく、経済的な支援が必要だと考えるフェスは多く、現状とはやや異なる結果となった。なお、約3割のフェスはコロナ禍以降に行政・自治体との連絡機会が増加しており、多くのフェスは開催にあたって地域社会の理解が重要だと考えていることが明らかになった。 *本研究はJSPS科研費(19K13898)の助成を受けたものである。

報告番号155

音楽空間の社会学的構築――ウェブ調査データの多重対応分析
慶應義塾大学 磯直樹

1.目的  ピエール・ブルデューの社会学は、音楽を対象とした研究にも応用され、様々な批判にもさらされてきた。1990年代から2000年代にかけての欧米諸国の社会学で流行した文化的オムニボア論は、ブルデューから着想を得たPetersonの音楽社会学の研究(Peterson & Simkus 1992)に端を発する。フランスでは、CoulangeonがPetersonの議論を引き継いだ。彼らの議論は、GoldthorpeとChan (2007)らによって、社会階層論と文化的嗜好や文化活動の関係として扱われた。Hennion (2007; 2008)はブルデュー社会学を批判し、音楽の嗜好は所有物ではなくて活動であるとして、独自の音楽社会学を展開した。しかしながら、これらの研究はブルデュー社会学を内在的かつ批判的に受容したわけではなく、ブルデューに議論の着想を得ただけである。  他方で、南田(2001)は、ブルデューの界概念を独自に応用した音楽社会学の研究である。南田が質的分析を行っているのに対し、平石(2016)はブルデュー社会学を計量分析の観点からも受容し、多重対応分析を用いて日本のポピュラー音楽「界」の構造を分析した。『文化・階級・卓越化』(Bennett et al. 2009)など、ヨーロッパには平石のようなアプローチによる音楽社会学の研究には相当な蓄積がある。  本報告では、平石(2016)らの議論を展開し、2018年に東京都民を対象に実施したウェブ調査のデータを用いて多重対応分析を行い、音楽の嗜好に関する分析を行う。このことにより、人びとの音楽への関わりがどのような社会的属性や価値観と結びついているかを明らかにする。 2.方法  ウェブ調査では、音楽に関する好みのほか、美術、読書、映画、テレビ番組などの好み、文化活動への参加頻度、さらに社会階層と社会意識に関する質問項目が含まれている。このデータを用いて多重対応分析を行い、軸を構成する「アクティブ変数」に音楽に関する好みを、軸を構成しない「サプリメンタリ変数」にその他の変数を投入して分析を行った。 3.結果  第1軸は、そもそも音楽を聴くか否かを表している。さらにこの軸は「音楽オムニボア度」にも対応しており、「音楽を聴かない―多ジャンルの音楽を聴く」という軸になっている。 音楽を聴く層の分化を、第2軸と第3軸で見ることができる。第2軸は、ビジュアル系・アイドル・メタルなどの系統に対し、ブラジル音楽・カリブ系音楽・ジャズなどの系統に分かれているが、この2系統は資本量の小大に対応しており、基本的には社会階級に対応していると見ることができる。第3軸は、クラブやライブハウスで聴く音楽に対し、コンサートホールやテレビで聴く音楽に分かれている。東京に多数存在するサブカルチャー音楽ライブ施設に遊びに行くかどうかというライフスタイルを表している。 4.結論  東京では、多ジャンルを好む者の中に文化資本の多い者と少ない者とのあいだの分化が見られると解釈できる。多ジャンルの好みと言っても、学歴や経済資本と対応した関係が観察され、前者のオムニボア性を持つ者は学歴や年収が低い傾向があった。本報告では、これまで日本では行われてこなかった、データを用いた音楽空間の具体的な構築を行い、より適切な音楽空間の構築とは何か、「社会空間テーゼ」と対応した音楽空間とはどのようなものなのかという理論的な論点を前進させる。

報告番号156

ヘリテージをめぐるコミュニケーション――「古墳」は文化財なのか?
甲南女子大学 木村至聖

1.目的 ヘリテージHeritage(「文化遺産」に限定されない「遺産」)とは、初めからヘリテージとして存在するものではない。考古学者のK・ウォルシュは、ある対象が機能的なものから展示・陳列されるものへと変換されるプロセスを〈遺産化〉Heritagizationと呼んだが(Walsh 1992)、今日ユネスコの世界遺産を初めとして様々なものがヘリテージとみなされつつある現状は、こうした視点から社会学的に観察される必要がある。  報告者はこれまでも、産業遺構などそれまではヘリテージではなかったものが、多様なアクター間の相互作用によってヘリテージとして構築される社会的プロセスについて考察してきた(木村 2014; 木村・森久編 2020)。そこでは、関係諸アクターが、それぞれの社会的立場や歴史的経緯によって、特定の意味づけを対象に与えるという枠組みを設定していたが、アクターによる意味づけは決して一枚岩ではなく、他のアクターとの相互作用によっても融通無碍に変化しうる。そこで、今回はヘリテージ(とみなされるもの)をめぐっていかなるコミュニケーションが展開され、それらがどのように交錯しているのかを分析することによって、ヘリテージをめぐる社会的世界の見取り図を検討したい。 2.方法 今回、事例とするのは、2019年に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」(以下「古墳群」)である。この「古墳群」の〈遺産化〉をめぐるコミュニケーションを分析するための資料としては、平成23年から24回にわたり開催されている「推進本部会議」の議事録や各種新聞・関連分野の学術雑誌上の記事や論文を参照する。そこでは、「誰」がどのような主張をしているかだけでなく、その際に依拠しているコミュニケーションのコードが何かということにも注目する。 3.結果と結論 「古墳群」は、文化庁文化審議会によって世界遺産に推薦されたが、その45件49基の構成資産のなかには、国有財産法上、皇室財産として宮内庁が管理している「陵墓」および「陵墓参考地」が数多く含まれている。それらはその性質上、本格的な学術調査が厳しく制限されており、文化財に指定することも難しい。したがって「古墳群」で最大かつ最も知名度が高い「大仙陵古墳(大山古墳)」も、「世界遺産」だが「文化財」ではないということになっているのである。  こうした複雑な状況は、とりわけ真/非真のコードに基づく科学システム、世界遺産登録による観光客の増加を見込む経済システム、陵墓は信仰の対象であるという宗教システム、そしてそれらを調停して世界遺産登録を実現し国際社会での存在感を増そうとする政治システムなどのコミュニケーションが錯綜した結果生み出されたものである。これらの異なるコードを持つ意味システム間で、いかなるコミュニケーションがなされているかについては、データに基づき報告時にあらためて整理して示す予定だが、そのなかでヘリテージというものがいかに超領域的な社会学的テーマであるかが明らかになるはずである。 参考文献 木村至聖,2014,『産業遺産の記憶と表象――「軍艦島」をめぐるポリティクス』京都大学学術出版会. 木村至聖・森久聡編,2020,『社会学で読み解く文化遺産――新しい視点とフィールド』新曜社. Walsh, Kevin, 1992, The Representation of the Past: Museums and Heritage in the Post-Modern World, London: Routledge.

報告番号157

若者たちの差異空間と文化的象徴闘争――2次元オタクと3次元アイドルオタク、正統趣味の関係性
駒澤大学 片岡栄美

1.目的 ブルデューの象徴空間(差異空間)とハビトゥスの理論を用いて、現代の日本の若者たち、とくに大学生の文化的な象徴闘争の実態について、量的調査と質的調査を用いた混合的手法で明らかにすることを目的とする。異なる趣味をもつ若者たちの趣味活動やオタク文化はこれまで単体で、オタクカルチャー等として追及されることが多かったが、差異空間上に若者たちの異なる趣味集団がどのように位置づいているのかは明らかではなかったため、彼らの相対的な位置と関係性を解明する。また学校内での序列意識やアイデンティティ意識等と趣味の関連を明らかにして、若者たちの中で卓越化する趣味や意識、ハビトゥスについても言及する。重要なことは、異なる趣味をもつ集団内の関係性や集団間の関係性を、彼ら自身がどのように語っているかを明らかにすることにより、若者たちの文化的象徴闘争を解明する。 2.方法  質問紙調査として実施した2種類の量的調査とインタビュー調査結果を用いた混合的手法により分析する。量的調査は「日本版ディスタンクシオン研究会」(代表 片岡栄美)による共同調査であり、2018年の全国大学生調査および2019年全国調査(層化2段無作為抽出)からなる。いずれも趣味・文化的活動等に関する量的調査データである。  これらを用いてブルデューのいう差異空間を多重対応分析(MCA)により析出したあと、オタク自認の若者たちの差異空間上の位置関係を把握する。また学校内での地位の序列との関連性や学力等の関連も、同じ文化マップ上で明らかにできるため、若者たちの中の卓越化の問題を解明する。さらにインタビュー調査(2021年実施)により、象徴闘争の実態を語ってもらった。 3.結果  大学生調査を用いた多重対応分析の結果の一部は以下のとおりであり、下記以外については当日発表する。 ①女性では差異空間上に3つの異なる趣味のフラクションが現れた。2次元アニメ・ゲーム系オタクと3次元アイドルオタクが、差異空間上の異なる象限に位置するとともに、正統文化趣味と洋楽ロック、HipHop系の音楽趣味をもつ集団が近い関係として1つのまとまりとして現れた。 ②インタビュー調査の結果、アニメ・ゲーム系2次元オタクたちは、3次元アイドル系が中学・高校時代からクラスの中心として「キラキラした人」として存在すると述べ、自分たちとは異質な集団であったと述べる。しかし2次元オタクたちは、趣味判断については、3次元オタクよりも卓越化しているという強い意識がみられた。 ③オタク自認率との関係、複数趣味をもつ存在の特徴も明らかになった。 ④洋楽ロック系やHipHop愛好者は、上記の2種類のオタクとは異なり、より文化的卓越化した存在として自らを位置付けているとともに、文化的卓越化と同時に学校内での多様な地位も卓越化した位置にあることがわかった。 4.結論  上記の分析結果をもとに、アイドルオタクである3次元オタクとアニメやゲームなどを趣味とする2次元オタク、そして正統趣味をもつオタクたちの象徴闘争を、ブルデューの差異空間として析出できた。さらに量的データのMCA分析から得られる文化マップ(差異空間)と、インタビューからわかる彼らの言説とを対応させ、異なる文化集団間の象徴闘争および関係性について考察を行う。

報告番号158

「対応分析」の見逃されている機能――探索的データ解析(EDA)の重要な構成要素としての「対応分析」(CA)
津田塾大学 藤本一男

「対応分析」(correspondence analysis: CA)は、フランス、オランダ、そして日本と別々に発展してきた歴史がある(Greenacre)。フランスでのこの手法は、Benzécriを中心に発展してきたが、そこでは「データ解析と同義となった」(Clausen)と言われている。  こうした説明は、誤解を招く。一手法にすぎない「対応分析」という手法が、まるですべての統計処理の手法にとって変われるかのような響きを持っている。そして当然にも、そのような使われ方がされているわけではない。  では、「データ解析と同義」というのはなにを意味するのか。それを解く鍵は、探索的データ解析(Exploratory Data Analysis: EDA)(Tukey1962,1977)にある。  Friendly&Meyer2015は、離散データの可視化をテーマにした書籍である。第III部「モデル構築手法」に先立つ第II章が「探索的方法」であり、ここに「2元分割表」「Mosaic Display」と並んで「対応分析(CA)」が位置付けられている。このようなCAの配置は、シンプルCAが2変数までのCA、3変数以上を対象とするCAが多重対応分析(MCA)という対象変数数に基づいたものとは異なっている。  つまり、CAには二つの側面があり、一つは回帰分析などの分析手法と同じように解析手法の一つとしてのCAで、もう一つが、カテゴリカルデータのEDAでデータの概観を取得する「前処理」的なCA、である。前者を狭義のCAとすれば、後者はデータ解析というプロセスに位置付けられた広義のCAと呼ぶことができ、データ解析の重要なピースの一つという意味で「データ解析と同義」と呼ぶことができる。こう位置付けることで、林のTukeyのEDAに対するコメント(林1986)への回答も明らかとなる。 参考文献 Clausen,Sten-Erik,1987,”Applied Correspondence Analysis An Introduction”,SAGE,(訳:藤本一男,2015,『対応分析入門』,オーム社) 林知己夫,1986,「数量化理論のできるまで」『オペレーションズ・リサーチ』vol31,Np12,日本オペレーションズ・リサーチ学会,林知己夫著作集3所収 Friendly.M, Meyer. D,2015, “Discrete Data Analysis with R: Visualization and Modeling Techniques for Categorical and Count Data”,CRC press Greenacre.M.J,2017,”Correspondence Analysis in Practice Third Edition”,CRC press, (訳:藤本一男,2020,『対応分析の理論と実践』,オーム社) Tukey, J. ,1962, “The Future of Data Analysis”.,The Annals of Mathematical Statistics, 33(1), 1-67. Tukey,J1977,”Exploratory Data Analysis”, Addison-Wesley

報告番号159

Schooled Writersの象徴闘争――アメリカの創作科卒業生たちの語りの分析
京都大学大学院 柴田恭亘

【1. 目的】 高等教育機関に設置される文芸創作の専門教育課程「創作科(Creative Writing Program)」は、新人作家を輩出する機関として近年国際的に存在感を増している。このことは、孤高の芸術家として捉えられがちな作家たちもまた、社会的制度の一種である教育機関を通過することによって「作家になる」ようになってきていることを示しており、創作科は文学を巡る文化現象を社会学的に分析する上で重要なファクターになりつつある。しかし、社会学の文脈で創作科に注目が集まることは、創作科が急速に規模拡大してきたことを踏まえれば、それほど多くない。そこで本報告は、創作科の卒業生たちが自らの学生時代の体験をどのように語るかの分析を通して、なぜ創作科が現代の作家たちに与える影響が過小評価されているのかについて考察する。 【2. 方法】  上記の問いを考察するにあたり、本報告ではその歴史の長さ(Myers [1996] 2006)や文学業界に及ぼしている影響の大きさ(McGurl 2009)から見て、当該社会において教育機関として最も浸透していると思われるアメリカの創作科を取り上げる。また、アメリカの大学に設置されている創作科の中で最も歴史が長いアイオワ大学創作科の卒業生を主な対象にしたインタビュー本『We Wanted to Be Writers』(2011)を分析対象にする。同書には1963~1978年に文芸創作修士号(MFA)を取得した27名の卒業生の語りが収録されている(教員としてのみ創作科を経験した2名を除く)。 【3. 結果】 分析の結果、創作科卒業生たちの語りには、①文芸創作をインスピレーションによる神秘的な営みとして語り、創作科への合格体験を自分の才能の証明として想起する傾向と、②創作科を文芸創作に関する教授を行う機関とみなさない、あるいはそのような機関としての創作科の正当性を積極的には認めない傾向が見出された。 【4. 考察】 このような語りの特徴について、P. ブルデューの文化的生産の場の理論を補助線に創作科という場の特徴を把握することを通して考察した。その結果、創作科は経済的・政治的価値に還元されない純粋な芸術として作品を生産・評価する自律化した文化的生産の場としての特質を備えている一方で、教育機関であることにより関係者の芸術生産者としての真正性が認められにくいことが予想された。したがって、創作教育を受けたはずの卒業生たちが文芸創作の教授可能性を否定することを通して「本物の作家」になろうとする傾向にあることが、創作科が現代の作家たちに与える影響が過小評価される要因のひとつになっていると結論付けた。 文献: Bourdieu, Pierre, 1992, Les Règles de l’art: Genèse et structure du champ littéraire, Seuil.(石井洋二郎訳, 1995-6, 『芸術の規則I・II』 藤原書店.) McGurl, Mark, 2009, The Program Era: Postwar Fiction and the Rise of Creative Writing, Cambridge: Harvard UP. Myers, D. G., [1996] 2006, The Elephants Teach: Creative Writing Since 1880, Upper Saddle River: Prentice Hall; Chicago: U of Chicago P. Olsen, Eric and Glenn Schaeffer eds., 2011, We Wanted to Be Writers: Life, Love, and Literature at the Iowa Writers’ Workshop, New York: Skyhorse.

報告番号160

「悪書」はいかに発見されたか?――1950年代の悪書追放運動に注目して
桃山学院大学 大尾侑子

1.目的  本研究の目的は、戦後日本の悪書追放運動において「不良出版」ないし「悪書」という概念が、いかに“発見”されたのかを、1950年代のマスメディア言説に注目し、明らかにすることにある。1970年代の「ハレンチ学園」騒動、1980年代のポルノ自販機撤去運動、また1990年代の有害コミック騒動や2010年前後の「非実在青少年」問題に至るまで、戦後、青少年にとって「有害」とされるメディアの排除をめぐる動きが反復的に起こっている。こうした動きが最初に高揚したのは、1950年代の悪書追放運動である。この運動は、狭義には1955年の春に巻き起こった焚書騒動に象徴される、母の会やPTAなどを中心とした「悪書」排斥の動きを指す。こうした運動については条例をめぐる法学的議論にくわえ、漫画バッシングの歴史を記述したジャーナリズム研究(長岡2010)のほか、有害図書排除における「無垢な子ども」というレトリックに着目した社会構築主義的アプローチ(中河・永井ほか1993; 中河1999; 赤川2012ほか)や、都青少年健全育成条例改正論争を事例としたディベート研究(佐藤 2016)等の成果が存在する。これに対して本研究は、敗戦直後に「悪書」という概念が言説レベルでいかに発見され、それが「社会問題」化されたのかを論じるものである。 2.方法  以上の問題意識のもと、1946年から1960年にかけての新聞、雑誌のほか、「母の会」の記録、国会議事録を分析対象とし、「悪書追放」というアジェンダセッティングが登場する背景、およびそれが正当性を獲得していく背景について検討をおこなった。 3.結果  「悪書」が“発見”された背景には、敗戦直後に生じた「ヒロポン(覚醒剤)」の氾濫と青少年犯罪言説との結びつきが存在した。戦時下に軍需品として大量生産され「眠気と倦怠除去に」の謳い文句で新聞広告の常連であったヒロポンは、敗戦後、闇市を通じて市中へ流出し、多くの中毒者を生んだ。1949年にはヒロポン禍という言葉も登場し、同年10月には常用者の六割が子どもとなり、若年層に実害をもたらしていた。こうした背景のもと「不良出版/悪書」は「覚醒剤」とともに「絶滅すべきもの」(鳩山一郎の発言)という共通のカテゴリーに包含され、少年犯罪を誘発するものとして強調されるなかで“発見”されたことが明らかとなった。 4. 結論  1955年頃、「悪書」や「不良出版」として名指されたのは赤本漫画やエログロ雑誌(カストリ雑誌から夫婦雑誌まで)であった。こうした個別の媒体がテクスト(内容)から遊離したところで「悪書」という新たなカテゴリーに包摂されていく過程は、同時に(しばしば母親による焚書という形で顕在化した)婦人運動を正当化しただけでなく、1964年の都条例制定に至る政府の動きを下支えすることとなったのである。 文献: 赤川学, 2012, 『社会問題の社会学』弘文堂 長岡義幸, 2010, 『マンガはなぜ規制されるのか 「有害」をめぐる半世紀の攻防』平凡社新書 中河伸俊, 1999, 『社会問題の社会学――構築主義アプローチの新展開』世界思想社 中河伸俊・永井良和 編, 1993, 『子どもというレトリック 無垢の誘惑』青弓社 佐藤寿昭, 2016, 「「社会問題」の論争における「リンク・ターン」の特徴と作用」『情報学研究』91: 13-30.

報告番号161

ソーシャルメディアにおける苦情対応の効果――複数の消費者の心理に着目して
法政大学大学院 木暮美菜

【1.目的】ソーシャルメディアにおいてすべての閲覧者に好まれるコミュニケーションを行うことは難しく,しばしばネット炎上の問題が起きている.それにも関わらず我々は「中間領域行動」(Meyrowitz,1985=2003)を行うことでソーシャルメディア上の不特定多数のオーディエンスに好まれることを目指す傾向にある.中間領域行動は,異なる役割(Goffman,1959)を演じて接していたオーディエンスが同一空間に居合わせた場面において,すべてのオーディエンスに好まれるように行う行動のことである.だがすべての閲覧者に好まれるように行う中間領域行動は,ソーシャルメディアにおいて聞き手に好ましく評価されるのか明らかにされておらず,この問いを明らかにすることが本研究の目的である. そこで本研究は中間領域行動の例として,ソーシャルメディアにおいて企業が消費者に謝罪をする苦情対応のコミュニケーションに着目し,企業がソーシャルメディア上の多くの消費者に好まれるように行う苦情対応が,様々な立場の消費者にどのように評価されているのか検証する.ソーシャルメディアにおける企業の苦情対応は,苦情発信者と,企業と苦情発信者のやりとりを閲覧する購買検討中の消費者の両方に好まれることを意識したコミュニケーションであり,中間領域行動であるといえよう.そこで本研究では,ソーシャルメディア上で商品に関する苦情を投稿した消費者に対して企業が返信する場面に着目し,企業のメッセージに対して苦情を発信する消費者,そのやりとりを閲覧している消費者という立場の異なるオーディエンスがそれぞれどのように企業のメッセージを評価しているのかを明らかにする. 【2.方法】企業がソーシャルメディアの苦情に対して苦情対応を行う場面を想定させた3つの心理実験を行い,被験者の心理評価を測定した.実験で得られた結果は二要因の分散分析および共分散構造分析の手法で分析した. 【3.結果】苦情発信者の心理に着目した2つの実験結果より,企業の苦情対応のコミュニケーションは苦情発信者の不満足を解消する結果がみられた.一方で,苦情発信者と企業の苦情対応のやりとりを閲覧者の心理に着目した実験では,企業に対して好感を抱くものの企業の信頼度は低く感じるという結果が見られた. 【4.結論】3つの実験結果より,ソーシャルメディア上の企業は苦情発信者と他のソーシャルメディア閲覧者の双方に好まれることを意識した中間領域行動を行っているものの,万人に好意的に評価されることは難しいことを明らかにした.そしてこの結果に基づいてネット炎上問題が起きる背景について考察し,インターネット上にオープンなコミュニケーションの場が増加する一方で今後も閉鎖的なコミュニケーションツールが支持され続けるという今後のコミュニケーション形態の見通しを示した. 参考文献 Meyrowitz, Joshua., 1985, “No Sense of Place The Impact of Electronic Media on Social Behavior,” Oxford University Press(安川一・高山啓子・上谷香陽 訳,2003,「場所感の喪失 電子メディアが社会的行動に及ぼす影響 上」,新曜社.)

報告番号162

コミュニティカフェにおける活動の定義と主体的参加――仙台市郊外Ⅹ市のコミュニティカフェ事業の事例より
作新学院大学 木村雅史

【1. 目的】  地域の居場所としてのコミュニティカフェの役割を考えたとき、カフェにおける利用者とスタッフの関係をどのように形成していくのかという論点がある。コミュニティカフェのスタッフは利用者の主体的参加をサポートすると同時に、自身も主体的に活動に参加することを期待されている。倉持(2014)は、利用者とスタッフ双方の主体的参加が調和的に成立する場としてコミュニティカフェを位置づけているが、両者の間には一方における主体性の発揮が他方の主体性の発揮を抑制、ないし阻害する矛盾・葛藤関係も存在する。こうした矛盾・葛藤関係が生じる背景には、どのような活動を行う場としてカフェを位置づけ、その定義に沿って利用者とスタッフの関係を形成していくべきかという問題をめぐって、参加者間に見解の相違が存在する場合が多い。こうした活動の定義やその齟齬をめぐる問題は、先行研究では焦点化されてこなかった。このような問題意識から本報告は、仙台市郊外Ⅹ市のコミュニティカフェ事業Ⅹカフェを事例に、スタッフによる活動の定義と実践を通して形成されていく利用者とスタッフの関係性を記述・考察することを目的とする。 【2. 方法】  本報告の方法は、Xカフェを運営しているA・B・C三地区への参与観察と、Xカフェ事業を立ち上げたX市福祉総合支援センター所長x氏、各地区のスタッフ代表(町内会長)、一般スタッフ、一部の利用者へのインタビュー調査である。Xカフェへの参与観察、及び関係者へのインタビュー調査は、2018年3月〜2019年11月の間に行った。 【3. 結果】  A地区は、利用者の主体性重視とスタッフの負担軽減を両立させるため、イベントは行わず、自由なおしゃべりによる社交の場としてカフェを運営していた。あえて既存の地域組織と連携しないことで、団塊世代の人々や日中独居高齢者、孤立しがちな男性高齢者など、既存の地域活動や行政サービス等の支援からこぼれ落ちてしまう人々の居場所づくりが目指されていた。他方で、スタッフは、利用者がおしゃべりを楽しむための黒子として行動を抑制される側面もあった。B地区の運営は、スタッフが腕自慢の昼食を利用者に振る舞ったり、自主企画イベントを行うなど、スタッフが主体性を発揮する場としての意味づけが強く、利用者の受け身化を懸念する声が一部で挙がっていた。C地区では、高齢者サロンで長年代表を務め、運営ノウハウをもつスタッフが、利用者を定着させるための定期的なイベント開催を重視する一方で、民生委員を務めるスタッフは、利用者の定着ではなく、ひきこもり予防のための見守り・傾聴活動の場所としての意義を強調しており、活動の定義やスタッフの振る舞いのあり方をめぐって意見の対立が存在していた。 【4. 結論】  コミュニティカフェは、そこで行われるべき活動を自由に定義できる場であり、利用者とスタッフの関係も自由に定義され得る。そうした自由度の高い環境だからこそ利用者とスタッフ双方の主体的参加に内在する矛盾・葛藤関係が可視化され、活動のなかで問題化されることが明らかになった。 【5. 参考文献】 倉持香苗,2014,『コミュニティカフェと地域社会——支え合う関係を構築するソーシャルワーク実践』明石書店.

報告番号163

インターネット利用は政治的「知識ギャップ」を拡げるか
大阪大学 辻大介

【 1. 目的 】  インターネットの普及が本格化し始めた21世紀初頭、「デジタルデバイド」をめぐる議論のなかで、P.ノリスはネット利用の目的・様態の違いが政治への市民的参与の格差を拡大再生産していく可能性に着目し、それを「民主主義デバイド democratic divide」と呼んだ(Norris 2001)。この観点はその後のネット研究にも引き継がれ、M.プライアは、その機制・過程をおおよそ次のように論じている(Prior 2007)。  インターネットのような、自らの興味関心に応じた選択的情報接触が容易な環境では、政治関心の高い者は政治的なニュースや言論により多く接触する“news-seeker”となり、低い者は娯楽的コンテンツを追い求める“entertainment-seeker”への傾斜を強めていくだろう。そのため、政治に関する「知識ギャップ」(Tichenor et al. 1970)が拡がり、政治参与に積極的なアクティブ層と消極的なアパシー層への二極分化が進む。  こうしたネット時代の「知識ギャップ」仮説の検証は、アメリカを中心に進められてきたが、日本ではいまだ研究事例が少ない。辻(2021)では2019年全国調査データをもとに、その過程の一部を支持する分析結果を提示したが、政治関心・理解の高低がネットでの情報接触の分化を促し、そのことがまた政治関心・理解の差を拡げる、という循環的プロセスの全体については検討できていない。パネル設計のウェブ調査から、この点を検討することが、本報告の目的である。 【 2. 方法 】  [T1]2018年11月、[T2]2019年12月の2時点にわたって、大手ウェブ調査事業者の登録モニター18~66歳(2019年調査時)を対象にウェブ質問紙調査を実施し、T2時点で2902ケースの有効回答を得た。これを分析対象として、T2時点の〈政治関心・理解〉〈ネットでの社会・政治ニュース接触頻度〉〈ネットでのエンタメニュース接触頻度〉を従属変数、T1時点の同3変数を独立変数、性別・学歴・教育年数を統制変数とした、交差遅延効果モデルにより分析を行なった(従属変数を順序プロビットで回帰、誤差項間に相関を仮定)。 【 3. 結果 】  T1の〈政治関心・理解〉はT2の〈社会・政治ニュース接触〉に有意な正の効果を示したが、〈エンタメニュース接触〉にはおおむね有意な効果をもたなかった。一方、T1の〈社会・政治ニュース接触〉はT2の〈政治関心・理解〉に対して正の効果を、T1の〈エンタメニュース接触〉は負の効果を、それぞれ有意に示した。 【 4. 結論 】  これらの分析結果により、ネット利用はもっぱら政治関心・理解の高いユーザにおいて政治的情報への選択的接触を促し、それによってさらに政治関心・理解が高められる可能性――「知識ギャップ」の循環的拡大過程の部分的支持――が示唆された。 《引用文献》 Norris, P., 2001, Digital Divide: Civic Engagement, Information Poverty, and the Internet Worldwide, Cambridge University Press. / Prior, M., 2007, Post-Broadcast Democracy: How Media Choice Increases Inequality in Political Involvement and Polarizes Elections, Cambridge University Press. / Tichenor, P.J. et al., 1970, Mass media flow and differential growth in knowledge, The Public Opinion Quarterly, 34(2): 159-170. / 辻大介, 2021,「ネット社会における世論形成の「分断」」,『マス・コミュニケーション研究』99号(印刷中)

報告番号164

ネット右派の公衆的相互作用――右派ウェブサイトに媒介された話題の共有
東京大学大学院 加藤大樹

【1.目的】 本報告の目的は、右派系のウェブサイトで配信されているコンテンツのトピックを分析し、ネット右派の公衆的な集団形成の特徴を明らかにすることである。インターネット上で右派的なコンテンツの消費や共有、意見交換などをおこなうネット右派に関しては、これまで、成員の属性や特徴(永吉 2019;辻 2017)、また嫌韓や反リベラル市民といったアジェンダの歴史的な形成過程(伊藤 2019)などが明らかになっている。このように、ネット右派という社会集団の内実(集団を構成する人々や言説)については研究が進んでいる一方で、ネット右派が社会集団になる形式、すなわち右派的な人々がオンライン・コミュニケーションを通じて結びつくメカニズムは十分に検討されていない。そこで本報告では、まとめサイトやYouTubeチャンネルがネット右派にとっての「ハブ」になっている点に注目し、タルドの公衆概念(Tarde [1901] 1922=1964)を分析の視座として用いることで、ネット右派の集まりの焦点となっている話題を明らかにする。 【2.方法】 インターネット上では、ハッシュタグやウェブサイトを媒介することで間接的かつ持続的に話題を共有する公衆的な集団形成がしばしばおこなわれる(Caliandro 2018)。そこで本報告では、ネット右派に人気のいくつかのウェブサイトを対象に、配信されているコンテンツのタイトルを収集し、計量テキスト分析によって頻出トピックの抽出や類型化などをおこなう。 【3.結果】 現時点での分析結果は以下の通りである。配信コンテンツは大きく日本の外交関連の話題と国内政治関連の話題に分けられる。外交に関しては、中国、アメリカ、韓国について、各国の政治情勢や問題を紹介・解説するような内容が多い。これまで、ネット右派にとっては韓国が大きな仮想敵として存在すると度々指摘されてきたが、出現頻度として韓国関連のトピックが飛び抜けて多いというわけではなかった。日本国内の話題に関しては、政府の動向の解説や、マスメディアの報道内容や報道姿勢への批判、野党(議員)の問題の指摘などが頻出していた。 【4.結論】 日本にとって存在感の大きい諸外国と、マスメディアや野党といった「反日」的な国内のアクターという、2つの次元の「外集団」に関して定期的に話題を共有することで、ネット右派というナショナリズムに基づく社会集団が形成・維持されていると考えられる。当日はコンテンツの閲覧数などを参照しつつトピックごとの比較もおこなう。 [文献]Caliandro, Alessandro, 2018, “Digital Methods for Ethnography: Analytical Concepts for Ethnographers Exploring Social Media Environments,” Journal of Contemporary Ethnography, 47(5): 551-578. 伊藤昌亮,2019,『ネット右派の歴史社会学』青弓社.永吉希久子,2019,「ネット右翼とは誰か――ネット右翼の規定要因」樋口直人・吉永希久子・松谷満・倉橋耕平・ファビアン・シェーファー・山口智美『ネット右翼とは何か』青弓社.Tarde, Gabriel, [1901] 1922, L’Opinion et la Foule, 5th ed., Paris: Félix Alcan. (=1964,稲葉三千男訳『世論と群集』未來社.)辻大介,2017,「計量調査から見る「ネット右翼」のプロファイル:2007年/2014年ウェブ調査の分析結果をもとに」『年報人間科学』38: 211-224.

報告番号165

「回復/支援」者としての刑務所職員?――「女子依存症回復支援モデル事業」のフィールドワーク①
四天王寺大学 平井秀幸

【1.目的】 2020年4月、薬物事犯者のみを対象として特別なプログラムを提供する「女子依存症回復支援センター」(以下「センター」とする)が、「女子依存症回復支援モデル事業」(以下「モデル事業」とする)の一環としてX刑務所(女子施設)の一角に開設された。センターでは、民間の女性支援NPOが開発に携わり、女性特有の問題に着目した依存症回復支援プログラムが実践されており、受刑者の自主性を重視した処遇がめざされている点で従来の刑務所内薬物事犯者処遇とは異なる特徴を有する。本報告では、センター職員へのインタヴュー・データを手がかりに、刑務所職員がこうした「回復/支援」的な役割を担う際の課題と困難性について考察する。 【2.方法】  コロナ禍において限定されたかたちではあるが、2020年4月から2021年1月にかけて、同一のセンター職員に対するおおむね3回の質問紙調査、および、おおむね2回のZoomでのインタヴュー調査が実施された。本報告では、2020年9月から10月にかけてセンターにおいて発生した受刑者の懲罰事案をめぐるセンター職員の語りを中心に、かれらが上記のようなセンターの特徴をどのように意味づけ、それを実践に移すうえでの課題と困難性をいかなるものと理解していたのかを分析する。 【3.結果】  センターは、薬物事犯者に特化した矯正処遇等を実施している点で象徴的には薬物刑務所のような性格を有するが、構造的にはX刑務所の敷地内の一角に位置し、組織的にもX刑務所の処遇部門のひとつという扱いになっている。また、センターには階級、経験年数、職種、などの各点において多様な職員が存在しており、センターにおける役割も異なる。分析結果は、そうした多様性を反映するものとなった。センター職員が懲罰事案をめぐって示したセンターの特徴および実践上の課題と困難性に関する解釈は、新規のプロジェクトを立ち上げていくことそれ自体に由来するテーマに加えて、X刑務所内のセンター以外の部署や自身と異なる立場・専門性との協働というテーマをめぐっても展開されることとなった。 【4.結論】  深谷ほか(2019)は、刑務所職員文化が時代とともに多様化するなかで、伝統的な職員文化と回復/支援的な文化のあいだで葛藤が生じ、「逸脱的とはみなされない(適当とみなされる)感情がわかりにくくなっている」(155)状況が現れていると指摘する。こうした職員文化間の葛藤は、職員の経験年数、専門性、地域性といった諸変数によって複雑化されることが示唆される。また、職員文化はながく職員および受刑者の生活の質と密接な関係性を有することが指摘されてきた(Crewe et al. 2011)。当日の報告では、分析が有するインプリケーションと限界について、より踏み込んで論じたい。 【文献】 Crewe, B. et al., 2011, “Staff Culture, Use of Authority and Prisoner Quality of Life in Public and Private Sector Prisons,” Australian & New Zealand Journal of Criminology, 44(1): 94–115. 深谷裕ほか,2019,「感情労働者としての刑務官」『立命館法學』386:128-159.

報告番号166

刑務所における「正直になることのできる場」をめぐる相互行為分析――「女子依存症回復支援モデル事業」のフィールドワーク②
立教大学 加藤倫子

1.目的  刑事施設の中で正直になることは難しい。そのことを谷之口(2020)は次のように述べている。 「依存症からの回復の第一歩は、『他者に対しても、自分自身に対しても正直になること』であり、支援者それぞれの支援を行っている環境が、『当事者にとって、素直に自分の気持ちを伝えることができる場であること』である。刑事施設に勤務する者であれば、誰しもが、この『正直になること』、『正直になれる環境を作ること』については、言葉では語ることができないほどの難しさを、身をもって感じているのではないだろうか。依存症からの回復の絶対条件である『正直になることのできる場』を刑事施設内において、いかに構築していくかが極めて重要であるとともに困難な課題であると感じている。」(谷之口 2020: 86)  昨年X刑務所の一角に開設された、薬物事犯者に特化した「回復/支援的」な処遇を行う「女子依存症回復支援センター」(以下「センター」とする)では、刑事施設内で「正直になることのできる場」を構築する取り組みがまさに行われている。本報告では、①拘禁・刑罰執行施設である刑務所において「正直になることのできる場」がどのように構築され、受刑者たちにそれがどのように受け止められているのか、②そこにどのような限界があるのかを明らかにしていく。 2.方法  本報告では、センターにおいて実施されているいくつかのプログラムのうち、「コアプログラム」と呼ばれるグループワークに焦点を当て、そこに参加している受刑者や指導者の相互行為を撮影した録画データを分析する。コアプログラムは、受刑者が「様々な切り口で自己の薬物使用の背景に目を向け、自身を取り巻く環境との相互作用について理解を深めること」(谷之口 2020: 85)がめざされており、本報告の目的に適した分析対象といえる。 3.結果  コアプログラムにおいて受刑者たちは、テキストの内容に沿って、指導者に導かれつつ、自身の薬物使用をめぐる経験を語り、また他の受刑者の語りを聞くことを通じて自らの経験を振り返るということを行っていた。しかし一方で、「自身の経験の、どの部分を、誰に、どこまで話せばいいのかはわからない」といった戸惑いも見せていた。 4.結論  コアプログラムは、他の受刑者の語りを通じて自身の薬物使用の経験を振り返ることができ、その経験を肯定的に受け止められる(少なくとも否定されない)場として構築されていた。これがX刑務所における「正直になることのできる場」のひとつのあり方である。そして、受刑者たちにとってこの場は「言いたいことを言いたいように発言する場」というよりも、「他者の経験を共有することによって生まれる共感の雰囲気を重視した場」として受け止められていた。しかし、このことは先行研究で繰り返し述べられてきた点でもあり、これを踏まえれば、この場は「刑務所で行われるグループワーク」のある種望まれたあり方に収斂しているとも捉えられる。ここに、「正直になることのできる場」の構築における一つの限界があることが示唆される。この点について当日はより詳細に報告する。 【主要文献】 谷之口國江、2020、「札幌刑務支所における『女子依存症回復支援モデル事業』について」『刑政』(3)、78-86.

報告番号167

女子依存症回復支援プログラムの相互行為分析――「女子依存症回復支援モデル事業」のフィールドワーク (3)
小樽商科大学 須永将史

【目的】  本報告は,依存症回復支援プログラムにおける諸実践の相互行為的過程の分析を目的とする.X刑務所における「女子依存症回復支援モデル事業」で実践されるひとつのプログラムをデータとし,当該プログラムのなかで,参与者(支援者および受刑者)が取り交わす相互行為を分析対象とする.とりわけ,プログラムに参加する受刑者が自分自身を説明し,それが支援者によって受け止められる場合,その理解がどのように達成されていくのか,一連のプラクティスを明らかにする. 【方法】  X刑務所内に開設された「女子依存症回復支援センター」でのフィールドワークによって収集したデータを会話分析の手法によって分析する.本報告で扱うデータは,民間の女性支援NPOが編成した「コアプログラム」を撮影したデータである.そのなかでも,NPOの代表がセンター内へ赴き,実際にそこで受刑者たちに対しておこなったものを主な分析の対象とする. 【結果】 プログラムは週に2回あり,一回90分である.受刑者にはテキストが配布され,依存症とはなにか,どのようなトリガーがありうるか,女性であることと依存症にはどのような関係があるのか,といった項目が立てられている.これらの項目をその回のテーマとし,支援者の司会のもと,車座になって話し合う.受刑者は回ごとに,項目に沿った宿題を課され,それをもとに自分自身のこれまでの来歴等を話す.それぞれの場面において,「発話」や「身体的ふるまい」,そして周囲の状況や道具を含む「環境」がどのように参与者によって利用されるのか,支援者と受刑者とのやりとりや受刑者間のやりとりがどのように相互理解を達成していくかを明らかにする. 【結論】  コアプログラムでのやりとりで注目すべきプラクティスは,「定式化」である.ここでの定式化とは,相手が述べたことを要約し,言い換える実践という意味である.経験を説明する際,複数の内容が混在し,要点がうまくつたわらないという事態が生じる.このとき,支援者が適切なタイミングで定式化することで,要点を明示化し,他の参与者が発言しやすくなるということがある.これは,相互理解が,ことばやふるまいを通じたやりとりによって達成される例のひとつといってよいだろう.発表ではこの点を,データを示しつつ述べる. 【文献】 Antaki, Charles, 2008, “Formulations in psychotherapy,” Anssi Peräkylä, Charles Antaki, SannaVehviläinen & Ivan Leudar, eds., Conversation Analisis and Psychotherapy, Cambridge: Cambridge University Press, 26-42. 平井秀幸,2015,『刑務所処遇の社会学――認知行動療法・新自由主義的規律・統治性』世織書房.

報告番号168

犯罪研究とスティグマ――「ゴフマンの呪い」に関する考察
帝京大学 山口毅

【1.目的】  本報告は、犯罪研究におけるE.ゴフマンのスティグマ論の位置価を検討する。ゴフマンは広義の構築主義に属する研究者であり、そのスティグマ概念は「関係を表現する言葉」として提唱された。しかし他方でゴフマンは、スティグマとなる「重大な属性」やアメリカ社会の「共通の価値体系」が存在するとして、対象者のカテゴリーの劣位性を前提として分析していた(構築主義の用語でいうところの「外挿」)。このため、差別の諸事例を取り上げた彼の著作は、同時に差別からの解放を妨げる限界を有するものとして位置づけられてきた。このように、研究者が対象者のカテゴリーの劣位性を前提として分析することによって、当事者への差別に加担しつつその規範的な正当性を顧みない過ちを、本報告は「ゴフマンの呪い」と名づけて検討する。 【2.方法】  マイノリティ研究とは異なり、犯罪研究の領域においては「ゴフマンの呪い」はあまり認知されていないようである。本報告は経験的研究におけるスティグマ概念の用いられ方を事例として取り上げて、犯罪研究のありようを批判的に検討する。その上で、英語圏の犯罪研究の学説史的展開を踏まえることによって、「ゴフマンの呪い」から離脱する方途を探索する。 【3.結果】  日本の社会学一般における質的な経験的研究の隆盛と呼応して、犯罪の領域でも質的研究が活発化している。だがそこでは、対象者のカテゴリーを序列上の劣位に置く正当性を問い直すことなしに、「犯罪者」や「非行少年」等のカテゴリーへのネガティブな意味づけを前提とした経験的研究が行われている。他方で英語圏の犯罪社会学(とりわけその一ジャンルとしての批判的犯罪学)においては、1970年代初頭の「ニュー・クリミノロジー」によって、逸脱は人間の多様性を示すものであり犯罪化すべきでないと主張された。そしてその後の学説史的な展開のなかで、主流派犯罪学による街頭犯罪への焦点化を批判して、ホワイトカラー犯罪・国家犯罪など巨大なハーム(害)をもたらす事象を視野に入れた「ソーシャルハーム」へのアプローチが確立された。このアプローチは、強者のもたらすハームを見逃して弱者のもたらす(多くの場合は必ずしも甚大といえない)ハームに焦点化する刑事司法制度が、その犯罪・非行定義によっていわば「弱い者いじめ」に加担していると警鐘を鳴らすものである。 【4.結論】  批判的犯罪学の潮流は、犯罪研究における「ゴフマンの呪い」からの脱出口を示唆する。「刑法犯」を犯罪とする刑事司法制度の定義をそのまま使わないことが鍵である。もたらされたハームの観点から刑法犯としての犯罪概念を相対化し、刑法犯をより大きなハームの付置の中に位置づけることで、刑事司法制度が設定したカテゴリーの序列への挑戦が可能となる。それは、当事者のカテゴリーを劣位に位置づけることに抗うマイノリティのアイデンティティ・ポリティクスと、近似した営みとなる。

報告番号169

障害者施策に関する一考察――「障害者理解」の観点から
大阪市立大学大学院 野村恭代

【1.目的】  国はこの10年の間,障害者差別解消法の制定,障害者権利条約の批准,地域共生社会の構築に向けた関連法制度の改定など,障害者をめぐる施策を動かしてきた.一方,2020年11月に報告者が実施した全国調査において,依然として全国各地で精神障害者施設をめぐるコンフリクトが発生していることが明らかになった. 本報告では,社会的排除の象徴として表出される障害者施設へのコンフリクトの現状を踏まえ,日本の障害者施策が障害者の社会的包摂にどの程度寄与しているか考察を行う.そのためにまず,コンフリクトとは何かを明確にした後に,精神障害者施設への施設コンフリクトの実態に基づき、この間の障害者施策が住民の障害及び障害者理解にどの程度有効であったのか検証を行う. 【2.方法】  精神障害者施設におけるコンフリクト発生状況は、1978年から1887年では32件,1989年から1998年までは83件であることが過去の調査より明らかにされている.また,2000年~2010年までについては,報告者による全国調査により明らかになった.国の障害者をめぐるさまざまな施策が大きく動いたのは,2011年~2020年の10年間である.そこで,2010年以降の全国的な施設コンフリクトの動向を把握するため,全国調査を実施した. (1)調査対象施設:全国精神障害者地域生活支援協議会(以下,ami)に加入する全施設・事業所 (2)調査方法および調査実施時期:郵送法によりアンケート票を配布,回収.調査期間は2020年11月 (3)回収状況:調査票発送数350票,回収110票,有効回答数110票,有効回収率31.4% 【3.結果】  地域住民からの苦情や反対運動の有無について,「苦情があった」11件,「反対運動があった」2件であり,施設コンフリクトが発生している施設・事業所は13件であった.住民から苦情や反対があった時期は,施設・事業所の開所以前が9件と最も多い結果となった.  苦情や反対の理由(複数回答)は,「利用者への危険視や不安」13件が最も多く,続いて「治安上の不安」(6件),「説明などの手続きが不十分」(4件),「住環境の悪化」「不動産価値が下がる」「事前了解をとっていない」(いずれも3件)であった.具体的には,「建物の周囲に柵を設置してくれ」などの要望のほか,「近所の人から警察に通報された」という回答もあった.苦情や反対運動を受けた13件の中には,開設を断念した施設・事業所も1件確認された. 【4.結論】  今回の調査と筆者が2010年に実施した調査(調査対象:ami,有効回答率55.5%)を単純比較し分析すると,国の障害者施策の動向が住民の意識変化につながったする結論は導き出されない.前回調査においても,施設コンフリクトは全回答の1割程度(26件)発生しており,苦情の内容も「精神障害者への不安」が15件で最多であった.また,苦情や反対を受けた時期も開設前が20件で最多であり,今回の調査と傾向は同じである.国はこの10年,障害者差別解消法を制定するなど,障害者への理解を求める啓発活動も行ってきたため,障害者施設に反対する住民も「建前」としては施設の重要性などを理解しているのかもしれない.しかし、実際に生活圏内に障害者施設ができるとなると,10年前と変わらない割合で反対する住民は存在することが明らかになった.

報告番号170

障害への対処技法と障害文化――障害者の手記の社会学
国立社会保障・人口問題研究所 榊原賢二郎

1 目的  本報告では、障害者が生活の中で用いている方法や技術を、障害文化という概念に還元することなく社会学的に記述することを試みる。障害現象を構成する身体的条件としての損傷とそれに密接に結び付いた生活様式が従来否定的に意味付けられてきたことに対して、肯定的な価値転換を図る中で提起されてきたのが障害文化ないし障害の文化モデルである(石川, 2002)。この点からすると、障害文化という枠組みで語られることは、肯定の基盤としての価値を帯びることになる。これに対して本報告では、障害者は障害に関わる諸問題にいかに対処しているか、それは他者とのいかなる関係に基づいているか、その行為はいかなる帰結をもたらしているかといった視角から記述する。 2 方法  本報告では障害者の手記を分析する。この分析対象は、障害を持つ著者が、日々の生活でどのような制約に直面し、それにどのように対処しているのかを具体的に記述している点で、本報告の目的に合致している。通常この種の情報はインタビュー等の調査により収集されるものであり、その意義は言うまでもない。手記には、編集の手が入っているなどの制約がある一方で、公刊されているため、分析者以外の人も比較的容易に全文を入手できるという長所もある。それは半ばオープンデータであり、分析の検証可能性を担保することができる。障害者の手記は多く出版されているが、その中から、日常的な諸実践の説明に重点を置いていると思われる先天性全盲者の手記一編(河野, 2007)を取り上げる。 3 結果 ・完全に機能している方法(カードの触感や入れ物の工夫で間違えないようにする)の一方、限界がある(がある程度は機能する)方法(音響信号がないところでは車の音を頼りに一人で道路を横断するが「命がけ」でもあり、そのようにできない場所や条件もある)もある。なお後者等に基づいて、対象文献を障害者の手記として同定している。対象規定と知見・結論の関係については報告時に論じる。 ・対処技法は時と共に変化することがある(例: 一時期自動販売機の「ランダム押し」を楽しんでいたが「飽き」た)。 ・障害への対処において他者は両義的でありうる(人波は妨げとなる一方、手がかりにもなる)。 ・個人の工夫の一方、他者からの支援も予め織り込まれている(例: はじめて訪れる場所での道路横断は一人ではしない)。 4 結論  対象文献からは、健常者(晴眼者)であれば使わないような多様な方法や技術を著者が日常的に使用していることが読み取られる。その中には、健常者とは異なるが正常で完全であるといった肯定の言説に乗らないような、有用性とともに限界も有しているような技法も含まれる。こうしたいわば等身大の記述により、障害者の日常生活を肯定可能な範囲に切り縮めずに分析することができる。同時に、障害者が工夫し障害に対処する実践と、それによっても解消されない障壁とを同時に論じることも可能となる。こうして障害社会学は、文化モデル(障害文化)と社会モデルを並置/対置する手前の地点での記述を可能とする。 文献 石川准(2002)「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」石川准・倉本智明編『障害学の主張』明石書店、17-46。 河野泰弘(2007)『視界良好』北大路書房。

報告番号171

介護系NPOにおけるボランティアの参加構造――NPO団体・ボランティア活動者双方への調査から
九州大学大学院 髙嵜浩平

【1.目的】  超高齢社会をむかえた日本社会では、単身世帯や支援を必要とする高齢者の増加への対応にくわえて、高齢者が社会参加・社会的役割を持つことが生きがいや介護予防につながるとして、多様な主体による重層的な生活支援・介護予防サービスの提供体制を構築することが目指されている。ボランティアの参加は、福祉活動の担い手を確保することのみならず、社会参加の機会を提供することで、社会的孤立の防止や生きがいの創出といった役割も期待されている。そこで本報告では、全国の介護系NPO団体とそこで活動するボランティア双方を対象として行った調査票調査の分析から、ボランティア参加の現状と課題を明らかにすることを目的とする。 【2.方法】  介護系NPO団体とそこで活動するボランティア活動者の双方への調査票調査のデータについて分析を行う。調査は認定NPO法人市民福祉団体全国協議会が受託した令和2年度厚生労働省老健事業において行われたものである。NPO団体調査は2020年10月に実施したものであり、430団体に調査票を郵送し、回収率は46.17%であった。また、ボランティア活動者調査は2020年12月に実施したものであり、上記団体調査の回答があった団体のボランティア活動者を中心に、160団体1028名分の調査票を配布し、回収率は39.3%であった。 【3.結果】  まず、介護系NPOへのボランティア参加者の特徴については、男性の参加が少なく、また退職後の高齢者や専業主婦に参加が偏っているという傾向がみられ、男性の参加や若年層の参加に関して今後検討すべき課題があることが示された。  ボランティア参加者の参加経路については、見知った人どうしの既存のネットワーク内からの参加が多数を占めていることが分かった。これは、活動のなかでの信頼関係や継続性といった面でのメリットとなる可能性がある一方で、参加者の減少やボランティア参加を通した社会参加の意義などを考えると、幅広い参加の促進について検討する必要がある。  今回の調査対象団体では謝礼金の支払われる「有償ボランティア」のしくみが広く用いられており、調査でもその有効性について高い支持がみられた。そこで、「有償ボランティア」に対する積極性と団体が求めるボランティア像との関係について分析を行うと、「活動に対する責任感」などの項目と有償性との関連がみられた。これは、高齢者の生活を支える介護系NPOでの活動に求められる継続性や責任という要素が、謝礼金を伴う「有償ボランティア」が用いられる理由となっている可能性として考えられる。 【4.結論】  介護系NPOへのボランティア参加については、男性の参加や若年層の参加に関して検討すべき課題が存在しており、特に見知った人どうしの既存のネットワーク内に参加が限定されがちな現状を踏まえて、ネットワークの外からの幅広い参加促進について検討を深めていく必要がある。さらに、謝礼金を伴う「有償ボランティア」のしくみの活用については、活動のなかで求められる責任感などの要素との関連が示唆された。これは、従来型のボランティア活動とは少し異なった意味を持つ活動として位置づけられる可能性があり、今後さらなる分析が進められる必要がある。

報告番号172

福祉事務所の人員体制と人手不足感に関する分析
株式会社政策基礎研究所 伊藤綾香

1.目的  日本では、要保護者数の増加に伴い、かねてより生活保護業務従事者の業務負担の増大が指摘されてきた。小澤(2017)は、新潟県の福祉事務所で勤務する生活保護の現業員(以下ケースワーカー)および査察指導員を対象とした調査において、ケースワーカーの6割が訪問計画通りに訪問ができていないことを明らかにした。その理由についての自由記述の結果の分析では、「事務処理業務(ケースワーク以外の業務)が多い」ことがあげられている(小澤 2017: 233)。また、厚生労働省による、平成29年度生活困窮者就労準備支援事業費等補助金社会福祉推進事業『自治体の社会福祉行政職員の業務や役割及び組織体制等の実態に関する調査研究報告事業報告書』においても、ケースワーカーの7割が業務量の多さを負担と感じており、なかでも5割以上が「新規申請処理」「ケース記録の作成」といった事務作業を負担と感じていることが報告されている(報告書: 7-8)。  同報告書では、生活保護に関する業務のうち、「債権管理業務(返還金の督促等)」や「医療券の発行、レセプト管理業務」を事務職員が担当している福祉事務所とそうでない事務所は半々ほどと報告されている。それぞれにおいてケースワーカーへの負荷や人手不足感はどのように異なるのだろうか。本報告では福祉事務所の人員体制、特に事務職員の配置状況について、ケースワーカーへの負荷としての残業時間および事務所における人手不足感との関連について明らかにする。 2.方法 全国の福祉事務所1321 ヵ所を対象として実施したアンケート調査(741票(56.1%)回収)によって得られたデータを用いた。ケースワーカーの残業時間の集計値および事務所の人手不足感に関する回答状況を確認したうえで、事務所の人員体制とそれらとの関連について分析した。 3.結果  福祉事務所の人員体制として、非常勤の医療事務担当者の配置数とケースワーカーの残業時間との間に有意な負の相関がみられた。このことは事務作業に人を割り振ることができるために生じたと考えられる。本報告ではこのほか、福祉事務所における人手不足感との関連についても明らかにするが、同様の結果が得られなかった場合、業務時間として表れる負荷のほかに何が事務所における人手不足感を左右しているのかについて考える必要がある。 ※本報告で用いるデータは、令和元年度生活困窮者就労準備支援事業費等補助金(社会福祉推進事業分)「医療扶助の実施方式に関する実態調査及びあり方に関する研究事業」によるものである。 小澤薫、2017「生活保護ケースワーカーの業務と意識 ――新潟における福祉事務所調査の結果から――」『中央大学経済研究所年報』第49号、227-239.

報告番号173

家政婦紹介所によるホームヘルプサービスに関する考察――Consideration of Home Help Service by Housekeeper Employment Agency
尚絅大学短期大学部 佐草智久

1.目的 本研究の目的は、日本における1970年代以降の在宅高齢者福祉政策の歴史研究を敷衍することである。民間職業紹介業者である家政婦紹介所、またそこに登録された家政婦によるサービスは、日本の歴史上、長らく家庭の家事・介護に一定の役割を果たし、女中や派出婦など変遷はあるものの、高度経済成長期以前まで女性の雇用機会の一翼を担ってきた。社会福祉政策の歴史とも深く関係しており、佐草(2017)は日本の在宅高齢者福祉政策が彼女達家政婦の担ってきた対象領域を取り込むことで発展してきたこと、とりわけ1970年代以降、少子高齢化等を背景に家政婦紹介所の求人内容も高齢者介護等が増加したことを論じている。また佐草に加え渋谷(2014)の両氏は、1973年に東京都が「家事援助者雇用費助成事業」として家政婦を活用したホームヘルプサービスを実施したこと、その際都の家庭奉仕員らの反対にあったことを指摘しているが、両氏は事業の詳細にまで触れておらず、自治体が民間団体である家政婦紹介所の活用を図った背景、事業概要や実績、その後の展開等、実態にまで踏み込んだ議論は十分になされていない。そこで、本事業のこれらについて明らかにすることで、介護保険制度実施以前に全国各地で散見された自治体が家政婦紹介所を活用したホームヘルプサービスの動向について論じ、この時期の研究の敷衍を図る。 2.方法  本稿には、新聞記事や行政刊行物、家政婦紹介所の内部資料等の一次資料の分析を用いた。とりわけ今回、筆者は当時全国の紹介所が加盟する業界団体として最大規模を誇った、日本臨床看護家政協会(以下、「臨床」)の総会資料を現存分全て入手した。家政婦紹介所の内部資料には主にこの資料群を利用している。本研究に際し、個人名等はイニシャルにする等、基本的人権や個人情報の保護に努め、研究倫理にも配慮した。 3.結果・結論  家事援助者雇用費助成事業は、当初の計画では都と臨床が協定を結び、「老人ヘルパー派遣事業」として、家政婦紹介所へ事業依託を行い、家庭奉仕員派遣事業の対象に漏れている課税世帯等に対し介護券を支給し、この介護券を介して各紹介所に登録された家政婦による週1回老人宅へのヘルパー派遣を実施することになっていた。この「ヘルパー」という呼称に都の家庭奉仕員が反対し、この事業名で実施することになった。  本事業は日勤券と宿泊券の2種類があった。事業実績も順調に増え、翌年度には初年度の1.5倍に増えている。そしてこのような盛況を受けて、心身障害児世帯、母子世帯など高齢者以外の世帯にも派遣対象を拡大した。これらへの派遣は、当初都ではなく各区市町村の事業として、各自治体と臨床の支部による協定のもと実施された。だが1982年9月家庭奉仕員派遣事業運営要綱改定を契機に、都の事業になった。またこの時本事業は、有償世帯に対象拡大した家庭奉仕員に吸収され、本事業で派遣されていた紹介所登録の家政婦は、引き続き「家庭奉仕員」として、在宅での家事介護労働に従事することで、家庭奉仕員の人員拡大に対応した。このように、介護保険制度以前の東京都では、いち早く在宅福祉の民間委託を行い規模を拡大しており、その中で家政婦は中心的役割を担っていたのである。

報告番号174

アマルティア・センのCapability論と社会関係資本論――セン理論の社会学的アプローチ
東海学園大学 早野禎二

アマルティア・センのCapability論と社会関係資本論‐セン理論の社会学的アプローチ  東海学園大学 早野 禎二   センは、「生活の質」を論じるにあたって、人の存在は多様であり、機会の平等だけでは、本当の平等を意味するものではなく、「自由の平等」という視点が必要になるとする。  センによれば、生活とは「何かをすること(doings)や「ある状態でいること」(beings)という機能の組み合わせからなり、その人が「達成可能な諸機能の組み合わせ」から選べることが潜在的能力Capabilityであるとする。人がさまざまな生活を送る自由は、「福祉を達成する自由」を意味する。センによれば、真の機会の平等は、「達成された福祉」ではなく「福祉を達成する自由」の平等であり、潜在的能力Capabilityに関わってくるものである。 このセンのCapability論を社会学の観点からとらえるとどのように論じることができるであろうか。三重野氏は、センの理論を機能が人びとの相互作用や生活様式から顕在化する過程としてとらえている。報告者は、社会関係資本から機能が派生し、それが潜在的能力Capabilityを高めるという視点から報告をしていきたい。 コールマンは、社会関係資本は、個人間の関係のなかに存在し行為者の何らかの行為を促進するもので、その形態として恩義や義務、情報に対する潜在力、制裁を伴う規範の3つをあげている。報告者は社会関係資本から機能が派生し、潜在的能力Capabilityを高めることができるようになると考える。すなわち、社会関係資本を持つことによって、「達成可能な諸機能の組み合わせ」から選べる自由、すなわち「福祉を達成する自由」を得ることができるようになり、その人の生活の質は高いものになると考える。  例えば、自分の興味のある趣味を深めたいと思っている障害者がセルフヘルプグループに参加して、そのつながりから、その趣味活動を一緒してくれる仲間を見つけたり、情報をもらって、趣味活動をさらに広げていくという例をあげることができる。その人にとってセルフヘルプグループは社会関係資本であり、その関係からさらに社会関係資本を作っていくことによって、選択肢を増やし、Capabilityを高め、自分が望む生活スタイルをしていけるようになる。 報告ではこのような社会関係資本とCapabilityは関連について述べていきたい。上記の点に加えて、社会関係資本からさらに社会関係資本が派生していく過程や社会関係資本と他の資本形態、貨幣資本との比較などを行って、この問題について論じていきたい 参考文献 三重野卓著 「成熟化現象としての『生活の質』-その機能的多様性と福祉問題―」季刊・社会保障研究Vol.24 No3 1988 Amartya Sen “Inequality Reexamined” Oxford University Press , New York 1992 アマルティア・セン著 池本他訳 『不平等の再検討』岩波書店 1999 Coleman,James “Social Capital in the creation of human capital” in American Journal of Sociology 94 1988 ジェームズ・コールマン著 金子淳訳「人的資本の形成における社会関係資本」(野沢慎司編・監訳 『リーディングスネットワーク論 : 家族・コミュニティ・社会関係資本』勁草書房 2006) 早野禎二著「アマルティア・センのCapability論と社会関係資本論」東海学園大学研究紀要  社会科学研究編 第21号 2016

報告番号175

身体文化の習得プロセスにおける意味づけの変化――マレーシアにおけるヨガ指導者を事例として
上智大学 栗原美紀

【1.目的】  本報告の目的は、マレーシア社会におけるヨガ実践の事例を通して、身体文化の受容と習得における当事者の意味づけについて検討することである。 心身の声を聴き、身体的経験の意味を理解することは、健康/病気の枠組みの再考を促し、自律的な健康形成に向けた起点となる(Melucci 1996=2008)。近年、ヨガや禅、マインドフルネス瞑想などといった身体文化は、個人が身体的経験を獲得する手段として療法・健康法的実践の範囲が拡大している。一方で、それらの実践に関わる社会学的先行研究は、理念枠組みに関する議論が中心だった。そこで本報告では、当事者自身が身体文化の実践にどのような意味づけをし、それがどのように健康形成に結び付くのか、考察する。 【2.方法】  本研究では、マレーシア社会のヨガ実践を事例とする。ヨガは今日、個人の心身、また、社会や自然に対するホリスティックなアプローチであるとして、世界各地で実践されるようになった身体文化である。本報告においては、2017年からこれまでインタビュー調査と参与観察を行った約20人のヨガ指導者の中で、示唆的な語りをとりあげて分析していく。マレーシア社会を対象とすることで、ヨガに関する先行研究に指摘されているような、近代西洋的な価値観に対する思想的オルタナティブの側面とは異なる様相が把握可能になると考えられる。 【3.結果】  本調査協力者のほとんどがヨガを始めたきっかけとして、自身の身体的な不調への対処やフィットネスを挙げていた。ヨガの実践によって実際にその効果を感じたことが、実践継続の最初の動機となっている。しかし、実践を続けていく中で、その目的や意味づけが変化していく。例えば、ある指導者は当初、慢性的な鼻炎への対処法としてヨガを始めて効果を得たが、その後のヨガ実践の効果として「なぜ?」を問うようになった、と話している。つまり、ヨガの技法を習熟するにつれ、認識的次元でヨガ実践の意味を考えるようになっている。 【4.結論】  本研究から明らかになったこととして、ヨガを長年継続して実践している人々は、その習得のプロセスの中で、健康形成とヨガ実践の関係について、フィジカルの次元から認識論的な次元に理解を深めている。また、それは当初の実践にそのような意味づけを想定していなくても起こり得る変化であることが伺える。したがって、現代社会におけるヨガをはじめとした身体文化の療法・健康法化について考えるためには、文化の理念的特徴や当事者の断片的な語りのみならず、技法として習得される動的な側面にも着目する必要がある。身体技法の視点から健康理解の形成について検討することが、今後の課題である。 【参考文献】 Melucci, Alberto, 1996, The Playing Self: Person and Meaning in a Planetary System. Cambridge University Press. (=新原道信ほか訳,2008『プレイング・セルフ:惑星社会における人間と意味』ハーベスト社)

報告番号176

セクシュアル・マイノリティが里親・養親になることに対する委託側の態度について――アンケート調査をもとに
静岡大学 白井千晶

【1.目的】 児童相談所および民間養子縁組機関にアンケート調査を実施して、セクシュアル・マイノリティが里親・養親になることに対する委託側の態度について明らかにする。 【2.方法】 日本の全児童相談所および全養子縁組あっせん許可団体に対する郵送・自記式アンケート・悉皆調査 「生殖補助医療・社会的養護によるLGBTの家族形成支援システムの構築」(日本学術振興会、課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業(実社会対応プログラム)、研究テーマ公募型) 研究代表:二宮周平(立命館大学) 調査責任者・実施者:白井千晶(静岡大学/プロジェクトチーム・グループリーダー) 倫理審査:「人を対象とする研究倫理審査」を受審し、承認を得ている(衣笠-人-2019-65/立命館大学) 【3.結果】 • 多くの児童相談所、民間機関が問い合わせや相談を受けている。実際の認定、委託はそれほど多くない。 • 児童相談所の養育里親の認定については、おおむね要件に沿って判断するという態度。 • 児童相談所では、無配偶者の養育里親、性別変更・法律婚夫婦の養子縁組里親の認定、委託の割合が比較的高い。また、親族里親認定がきっかけになったり、同性カップルが養子縁組の要件を満たさないが養育里親のきっかけになったりしている。多様な養育の資源と捉えている。パートナーシップ宣誓制度に基づく。 • 民間機関の養親候補者(登録)については、特別養子縁組を前提にした機関は民法の規定から法律婚カップルに限定。おそらく管外の里親委託や普通養子縁組を含むと推測される機関は、おおむね要件に沿って判断するという態度。 • 民間機関は情報、知識、研修、行政の先導のニーズがある。 【4.結論】 • 児童相談所の委託の障壁は、(1)子どもの同意や理解、(2)子どもの二重のマイノリティ性(事由があって親子分離を経て措置され、非血縁親子であることと、育て親がセクシュアル・マイノリティであること)、(3)親権者の同意。→セクシュアル・マイノリティ特有の課題ではない。児童福祉の課題。 • 民間機関の委託の障壁は、(1)特別養子縁組の要件(法律婚カップルに限定)と同性カップルが法律婚ができないこと、(2)普通養子縁組が子どもの福祉と生みの親のニーズに合致しないことが少なくないこと、(3)新生児委託等、子どもの意思が確認できないこと、(4)子ども、生みの親、養親の三者の福祉を叶える必要。→(1)以外はセクシュアル・マイノリティ特有の課題ではない。児童福祉の課題。 謝辞:調査にご協力下さった機関に感謝申し上げます。 ※本報告にさいし利益相反はありません。

報告番号177

ケア経験がもたらす中長期的な不安と難しさ――離家した元ヤングケアラーの語りから
成蹊大学大学院 長谷川拓人

1. 目的 ヤングケアラーとは, 病気や障がい, 精神的な問題を抱える家族のケアをする18歳未満の子どもである. 家庭内に, ケアやサポートが必要な家族がいるときには, 子どもであっても大人が担うようなケア役割を引き受ける場合がある. ヤングケアラーは, 成長とともに進学や就職, 家族形成, 離家などの人生についての選択をするようになる. しかし, そこで取れる選択の幅は, 家庭の状況に左右されやすく, ケアを担わない子どもと比べると狭くなりやすい. 特に, ヤングケアラーが離家をする際には, ケアの受け手と離れることの罪悪感などの独特な困難が伴うことが指摘されており(Dearden and Becker 2000), そこには, ケアを担ってきたからこその難しさがあるように見える. 本報告では, こうした難しさを抱えながらも離家した元ヤングケアラーに焦点を当て, 語りの分析を行う. ヤングケアラーの持つケア経験は, 離家後にどのような形で現れるのかを明らかにすることが本報告の目的である. 2. 方法 本報告で扱うデータは, 2021年1月から6月にかけて筆者が実施した, 離家経験を持つ4名の元ヤングケアラーに対しておこなったインタビューデータである. インタビューのデータは文字起こしをしてコーディングを行い, その分析から, 「ケアへの思い」「将来への不安」「離家後のケアとの距離」という概念を抽出した. 調査データの扱いにおいては, 匿名化した上で, 学術目的でデータを使用することの許可を受けている. 3. 結果 ヤングケアラーにとって離家は, ケアするタイミングとペースを自発的に選択することを可能にする効果がある. 実際に, ヤングケアラーは, 家を離れた後, それまでケアのためにできなかった趣味, 友達付き合い, アルバイトなどに時間を費やすようになっていた. ケア以外の時間を過ごす一方で, ヤングケアラーは, ケアに関する不安を抱えていた. それは, 主に, ケアのために実家に戻ることへの不安であり, そのほとんどが自身の離職やそれに伴う帰家に向いたものであった. こうした不安を取り除くため, ヤングケアラーは, 帰省したり, 電話による情緒的ケアを自ら行うようになっていた. ヤングケアラーは, 自身の離職や帰家のリスクを軽減させるためには, 定期的に家庭の状況を把握しておくことが大切であると考えていたからである. 4. 結論 以上から, ヤングケアラーが離家した後には, 将来的な自身のケア役割に対する中長期的な不安が伴うことが明らかになった. また, 離家後のケアの対応は, ケア経験を持つからこそ, 何かあったときにケアの受け手の面倒を見なければいけないという思いと, ケアの受け手とは離れて暮らしたいという思いが交錯するところから生まれていることが示唆された. 文献 Dearden, Chris and Saul Becker, 2000, Growing up caring, Youth Work Press for the Leicester, Birmingham.

報告番号178

アトピー性皮膚炎の掻破の経験に関するビデオ・エスノグラフィー分析の試み――
神戸大学大学院 加戸友佳子

“【1.目的】 本報告の目的は,アトピー性皮膚炎の痒みと掻く行動という共有され難い経験が,いかに専門知的説明との関わりを得るかを,当事者と専門家の会話を相互行為論的に分析することによって明らかにすることである.痒みや掻く行動(この二つは必ずしも相伴わないものである)は,アトピー性皮膚炎を特徴付けるものだが,これまで十分な社会学的検討対象となってこなかった.アトピー性皮膚炎に関しての議論は,ステロイド外用剤使用の有無などの「治療選択」の議論に終始してきたのである.近年では医療専門家側が「心理・社会的」問題の一つとして掻く行動を捉えるようになっており,またアディクションとの関連が指摘されるようになっている.だがこの「アディクション」的側面は,精神医学的カテゴリーの借用であり,その妥当性については議論の余地がある.この議論の方向が示しているのは,アトピー性皮膚炎の治療が患者の身体のコントロールの問題であり,患者本人と他者との間の身体に対する認識のずれが,ここで重要な意味を持ってくるということである.
【2.方法】 そこで報告者は,アディクションを専門とする社会学者を交えた,掻く行動についてのディスカッションの場を共同で企画した.その企画について行われたオンラインでのミーティング(オンライン会議システムZoomを使用)の記録が,今回の検討対象とする場面である.アトピー性皮膚炎を患う本人とアディクション専門家が,痒みと掻く行動の経験について語る場面を,ビデオ・エスノグラフィーの手法を用いて分析した.
【3.結果】 当事者と専門家の会話は,前提とする認識枠組みの違いなどから,「噛み合わない」ものと認識されることが多い.本報告において検討対象とした場面も,一見互いが語っている内容が相手に伝わっておらず,多くの沈黙を挟みながらぎこちなく進行し,痒みと掻く行動についての認識の合意には達していないように見える.だが,相互行為の内実を観察すると,理解の不一致と保留を残しながらも,共同で思考するという,会話における目的が達成されていることが確認できる.
【4.結論】 この分析結果が示唆するのは,学術的に意味のある議論が,内容的な理解の不一致を伴っていても可能であるということである.当事者と専門家の会話における「噛み合わない」問題は,専門知の認識枠組みに関わる重要な問題であるが,それがどのような次元で起きているのかを再考する手立てを提供する意義を,この分析結果は持っていると考えられる.
※なお,ビデオ画像の利用等においては,日本社会学会倫理綱領などの諸規定に準拠し,プライバシーや肖像権の侵害等がないことを確認した上で発表を行う.”

報告番号179

医学と社会的宙づり状態――希少疾患65人のそれぞれの物語から
大阪大学 山中浩司

[1.目的]希少疾患患者がその疾患が希少である殊に由来して遭遇する社会的困難は何かを明らかにする。 [2.方法]2012年から2019年にかけて全国で65名のさまざまな希少疾患の患者の聞き取り調査を実施した。聞き取り項目は、診断にいたる経緯、医療との関係、日常生活の問題、就学時の経験、経済状況、就業上の問題、同病あるいは類似の病気の人や当事者団体などとの関係、家族との関係、公的サポート、遺伝についての考えなどである。フォローアップ調査を含めて71回、のべ130時間のインタビューデータについて、疾患の社会的地位に由来する患者の社会的困難がどのようなものであるのかについて主題分析を行った。 [3.結果]分析の結果は、未診断状態がもたらす医学的カテゴリーの不在、診断後に生じる医学的カテゴリーの社会化の失敗、その結果もたらされる社会的カテゴリーの不在、患者の社会生活全般に及ぶ宙づり状態と呼ぶべき影響を示唆した。 [4.結論と考察]こうした分析結果は以下のような考察を導く。多くの疾患が、医学的に認知されている疾患名を持つにもかかわらず、その状態が社会化されないことは、人の苦難の状態は医療化だけでは十分に社会化されないこと、医療化が社会化された疾患を構成するには医学的診断だけでは不十分であることを示唆する。また、医療社会学が想定しているdiseaseとillnessという2つの概念で人の苦難を理解することはsicknessという社会的次元を脱落させる可能性があることを示唆する。 本研究では、65名の経験の物語から、社会的な宙づり状態がどのように生じるのか、診断がその状態に及ぼす影響、医療が社会的カテゴリーに及ぼす影響を分析し、これらの分析から医学的カテゴリーの社会的序列化が何に由来するのかを考察したいと考える。また、これまでいくつかの慢性疾患や遺伝性疾患保因者について議論されてきた「宙づり状態」と希少疾患のそれがどのように異なるのかも合わせて検討したい。 参考文献:Marja‐Liisa Honkasalo (2001) Vicissitudes of pain and suffering: Chronic pain and liminality, Medical Anthropology: Cross-Cultural Studies in Health and Illness, 19(4): 319-353: Jean E. Jackson (2005) , Stigma, liminality, and chronic pain: Mind-body borderlands, American Ethnologist, 32(3): 332-353: Stefan Timmermans and Mara Buchbinder (2010), Patients-in-Waiting: Living between Sickness and Health in the Genomics Era, Journal of Health and Social Behavior, 51(4): 408-423.

報告番号180

パッシングが家族によって行われることの意味――小耳症の当事者である報告者の自己エスノグラフィー
学生 田中裕史

【1. 目的】 本報告は,家族によってパッシング(スティグマの秘匿)が行われていた経験を持つ報告者の自己エスノグラフィーである.報告者は小耳症という先天性の耳介欠損の当事者である.物心がついた時にはすでに家族によって髪は長く伸ばされ,欠損した耳が目立たないように隠されていた.そのため,報告者は自身のスティグマについて自覚した時(11-12歳頃)には,すでにパッシングが行われている状態にあった. こうした状態は,自身のスティグマについて自覚することによって,パッシングなどのアイデンティティ管理が可能になると考えるスティグマ研究の議論ではうまく説明できない.具体的には,家族によって行われたパッシングが持つ意味や,自らの手でアイデンティティ管理を行っているという主体的な感覚を持つに至る過程についてである.本報告はこれらの問いを明らかにしていく. 【2. 方法】 パラダイムは構成主義を採用した.データ採取に関しては以下の手続きをとった.まず,小耳症に関する報告者の経験を履歴書のように箇条書きで書き出し,それぞれの経験ごとに,その時の状況や報告者が考えていたことなどについて,自問自答をして書き出した.最後に,書き出したテクストを文章として繋ぎ合わせ,物語として構成した.データ分析にはSCAT(Steps for Coding and Theorization)を用いた. 【3. 結果】  報告者のアイデンティティ管理には,外見の操作をする次元と,言葉によって情報の操作をする次元とがあった.時期に関しては大きく3つに分けられた.  1つ目は,長髪による耳のパッシングと,タブー視を封じる戦略を組み合わせていた時期である(中学・高校時代).この時期の報告者は,耳をパッシングするという家族の意向に同調していたが,次第にそのことに疑問を抱くようになっていった.  2つ目は,短髪による耳のカミングアウトと,先天性疾患であることの選択的カミングアウトを組み合わせていた時期である(大学3年時).この時期の報告者は,1人暮らしと治療の断念を契機に短髪にし,耳のカミングアウトを行った.  3つ目は,マンバンによる耳の選択的カミングアウトと,研究説明を利用した選択的カミングアウトを組み合わせていた時期である(博士後期課程進学後). 【4. 結論】  まず,家族によって行われたパッシングが持つ意味に関して,外見のパッシングが「家族への同調」を意味し,外見のカミングアウトが「家族からの自立」を意味することがある.さらに,「家族への同調」を意味するパッシングは,家族関係を調整するために利用されることがある.この時,パッシングは家族に向けて行われている.  次に,報告者が抱いた主体的な感覚には2つの段階があった.1つは,家族との関係の中で生じるアイデンティティ管理の意味(「家族への同調」=パッシング/「家族からの自立」=カミングアウト)の範囲内において,主体的な感覚を抱く段階である.この段階で重要視されているのは外見の操作であり,耳のカミングアウトを達成することで,主体的な感覚を抱くようになった.もう1つは,別の枠組み(言葉による情報の操作)において主体的な感覚を抱く段階である.この時には,外見の操作の重要度が低下しており,家族関係の中で生じる意味が相対化されていた.

報告番号181

日本の社会的・文化的状況に即した強かん神話尺度の開発に向けて
静岡大学 横山麻衣

1.目的  近年,性暴力を告発する運動は国際的な盛り上がりを見せている.しかし,日本では,被害について声を挙げた者へのバッシングが顕著で,他の先進諸国とは異なる様相を呈しているとも言われる.そうした被害者非難の背景には,強かん神話があると言われてきた.強かん神話とは,「男性から女性への性的な攻撃を否認・軽視・正当化する,性暴力(の範囲・原因・文脈・結果など)についての記述的/規範的な考え」(Gerger et al. 2007)のことである.本研究の目的は,日本の社会的・文化的状況に即した強かん神話尺度の開発に向けて,現代日本における強かん神話を把握し,欧米諸国で開発されてきた既存の尺度との比較等を通じて,分析・考察を行うことである. 2.方法 大学生を対象に実施した,強かん神話支持についての調査結果の分析と,文献資料やウェブなどの各種媒体で見られる強かん神話の収集・分析を通じ,日本の社会的・文化的状況に即した強かん神話について検討する.大学生を対象にした強かん神話支持についての調査は,所属大学の研究倫理を受け,承認されたものである. 3.結果 大学生を対象にした強かん神話支持についての調査結果では,多くの質問項目について「わからない」という回答が一定数寄せられた.当該調査では,海外で開発された強かん神話尺度を用いたが,回答が難しい質問項目が存在することがわかった.比較可能性という点では,海外で開発された既存の強かん神話尺度を用いることが望ましいが,限界がある.  文献資料やウェブなどの各種媒体で見られる強かん神話の中には,海外で開発されてきた既存の強かん神話で言及されていないものも存在することがわかった. 4.結論 日本の強かん神話やその支持度は,既存の強かん神話尺度では必ずしも把握できず,社会的・文化的状況の相違が影響していると考えられる.実際、性暴力に関する研究や各種制度は,欧米先進諸国に比して,日本は3~40年の遅滞があると言われる.そうした実態を反映した、強かん神話尺度の開発が必要であると思われる. [文献] Gerger, H., Kley, H., Bohner, G., & Siebler, F, 2007, “The Acceptance of Modern Myths About Sexual Aggression Scale–Development and Validation in German and English,” AGGRESSIVE BEHAVIOR, 33: 422–40. 【謝辞】本研究は,日本学術振興会科学研究費補助金・若手研究(21K17986)「日本の状況に即した強かん神話尺度の開発と,強かん神話支持要因の包括的解明」の助成を受けたものである.

報告番号182

ポルノグラフィの女性ファンへのインタビュー調査可能性――日本の女性向けAVの特性と調査現場の相互行為に着目して
東京大学大学院 服部恵典

【1.目的】  近年、単純な悪影響パラダイムを超え、ポルノ消費が行われる複雑なコンテクストを深く理解することへと、ポルノ研究の潮流が変化している(Daskalopoulou and Zanette 2020)。このような関心からポルノ視聴者への質的調査が進められつつあるが、そうした研究はいまだ、ポルノ視聴者の語りがどのような契機で、何を背景に産出されているのかを問う視座に欠けている。つまり、ポルノを楽しんで視聴したという語りは、「語る者の、私的な性的嗜好との関係性が問われかねない危険性」(小林 2007: 147)がある以上、ポルノ視聴者は単に聞けば率直に答えてくれる素朴な存在ではない。  ここで示唆的なのは、日本の女性向けアダルトビデオ(AV)メーカー「SILK LABO」がファン・コミュニティの構築を進めたことで、女性のポルノファンが語りの場を獲得したという指摘である(Hambleton 2016)。しかし、この分析には、語りが産出される要因をファン・コミュニティに還元しすぎているという問題がある。そこで本研究は、日本の女性向けAVを視聴するファンが、いかに語ることを可能にしているのかを、コンテンツの特性と調査現場の相互行為に着目しながら明らかにする。 【2.方法】  女性向けAVを視聴するファン11名への半構造化インタビューを行った。インタビューへの協力者のほとんどは、Twitterを通じて募った。これは第一に、SILK LABO作品を視聴するファンにとって、Twitterはファン活動のための情報資源と同志が集まる重要な場だからである(Hambleton 2016)。そして第二に、筆者が調査以前からTwitterを通じてファンとラポールを築いていたからである。インタビュースクリプトから、インタビュー調査を可能にしていた要因を再帰的に分析した。 【3.結果】  日本の女性向けAVの特性と語りやすさの関係に着目した結果、性的欲望の告白とはややずれた語りの形式が見られた。一例として、あるファンは、好きなAV男優は「大人のおじさま方」だが、女性向けAVに多く出演していた一徹という男優を「あれはまた別格」と語った。  また、インタビュー現場での相互行為に着目した結果、一例として、質問者/調査協力者が男性/女性であることが前景化されたときに語りが滞った場面があった。質問者が「研究者」と自己呈示し直すことで語りが再開された。 【4.結論】  一口に「ポルノ」といっても多様であり、また調査現場は「真空」ではない。ポルノ視聴を支える複雑なコンテクストの分析はたしかに重要であり、取り組まれるべき課題であるが、そのデータのアクセシビリティもまた社会的要因の影響を受けていることを踏まえた研究が求められる。 【参考文献】 Daskalopoulou, Athanasia, and Maria Carolina Zanette, 2020, “Women’s Consumption of Pornography: Pleasure, Contestation, and Empowerment,” Sociology, 54(5): 969-86. Hambleton,Alexandra, 2016, “When Women Watch: The Subversive Potential of Female-Friendly Pornography in Japan,” Porn Studies, 3(4): 427-42. 小林義寛、2007、「ゲーマーはエロと戯れるか?」玉川博章・名藤多香子・小林義寛・岡井崇之・東園子・辻泉『それぞれのファン研究――I am a fan』風塵社、119-53.

報告番号183

ミス・コンテストの何が批判されてきたのか ――第二波フェミニズムによる批判ロジックの理論的整理
武蔵大学 高橋幸

1.目的と方法  戦後日本のミス・コンテスト(以下ミスコンと略記)は、1955年の「ミス日本」開催に始まり、70年代頃から日本各地で開催されるようになった。89年には全国3382都道府県・市町村の80.1%でミスコンが開催されている(堺市女性団体連絡協議会 1989)。これに対し、フェミニズムは70年代後半からミスコン反対運動を開始し、80年代末から90年代初頭にかけてさらなる活発な批判を行ってきた。その結果、90年代中盤から00年代初頭にかけて、地方自治体主催のミスコンは取りやめになったり、主催団体が切り替えられたりした。男女共同参画基本法の制定(1999年)以降、公共的な機関におけるミスコンに対しては一層厳しい目が向けられるようになっている。  しかし、現在でもなおミスコンという制度や形態は存続し、一部では活況を呈している(高橋2021)。そこで、第二波フェミニズムによるミスコン批判のロジックを精査し、現代のミスコン批判への応用可能性を検討する必要がある。本報告は、その第一歩として、女性運動団体の活動記録・資料集ならびにアカデミックな立場からのミスコン論を分析し、批判ロジックの理論的整理を行う。 2.先行研究批判  ミスコン批判の類型的整理をした議論として、西倉実季(2003)がある。西倉は、人権侵害批判、性の商品化批判、性差別批判の3つに整理した。しかし、これは「性の商品化」と「性差別」の論理的な関係が不明瞭であるという問題がある。  西倉は、「性差別」の語を、美をめぐる女性抑圧の問題のみを指し示すものとして限定的に用いており、これによって美をめぐる抑圧のメカニズムを明瞭にできた点は意義がある。しかし、美による女性抑圧の問題の根底にもまたセクシュアリティの権力問題があることを踏まえれば、西倉が一度切り離すことで明瞭化した美による女性抑圧のメカニズムを、再度女性の性的対象化というセクシュアリティをめぐるジェンダー非対称な権力構造の中で捉え直したうえで、ミスコン批判のロジックの類型を再考する必要がある。 3.結果と結論  分析の結果、ミスコンを批判するロジックは、まず、ミスコンという場での具体的な行為や制度を批判するもの(批判ロジック1)と、ミスコンがもたらす社会的影響を批判するものに分けられ、さらに後者は「性的対象化」批判(批判ロジック2)と、「性別らしさ規範の強化」批判(批判ロジック3)から成ることが、明らかとなる。  批判ロジック1で指摘されてきたいくつかの点は、現在のミスコンにおいて制度改善されており、現代ではもはや妥当しなくなったものもある。それに対して、ロジック2、3は、女性の社会的位置の変化によって状況が大きく変わってはいるものの、現在でもなお有効であると考えられる。以上より、現代のミスコンを丁寧に調査・検討し、ロジック2、3の妥当性や修正の必要性について検討することが重要であるという知見が導出される。 【文献】 堺市女性団体連絡協議会, 1989, 『ミス・コンテストNON!=全国3328市町村ミス・コンテスト実態調査資料=わたしたちはなぜミス・コンテストに反対するか』堺市女性団体連絡協議会. 西倉実季, 2003,「ミス・コンテスト批判運動の再検討」『女性学年報』24: 21-40. 高橋幸, 2021, 「「ミスコン」:女性の商品化ではないの? 」『We Learn』804: 14-15.

報告番号184

ジェンダー表現をめぐる広告自主規制基準の国際的潮流と日本の課題 ――差別的表現やジェンダーステレオタイプを生む制度的原因
金沢大学 岩本健良

【1.目的と方法】 近年、CMなど広告における差別的表現やジェンダーステレオタイプ描写が、しばしば多くの批判を招いている。ネット上で「炎上」する事態も生じ、解説もなされている(治部 2018; 武本 2019; 瀬地山 2020)。しかし「なぜ日本で広告炎上が多発しているのか?」に関し、海外との相違も含め、背後にある制度的課題についてはほとんど探求されてこなかった。本研究では、関連する国際団体の資料や調査をもとに、日本の広告関連業界団体における課題を明らかにし、共生社会にふさわしいジェンダー表現への改善に向けた制度構築の必要性を示す。 【2.結果】 a)国際商業会議所(ICC)は「広告宣伝およびマーケティングコミュニケーションコード」を制定し、その第2条(社会的責任)において「マーケティング・コミュニケーションは人間の尊厳を尊重すべきであり、民族または出身国、宗教、ジェンダー、年齢、障害または性的指向に基づく差別を含む、どのような形の差別も扇動すべきでなく、また許容すべきではない。」と明確な指針を示している。ICCは研修組織を設け、受講者に試験も実施している。ヨーロッパ広告基準アライアンス(EASA)によれば、ヨーロッパのすべての広告自主規制組織の基準は、上記の条項をを含み、加えて多くは、ジェンダー描写についての規程を含む。イギリスでは英広告基準協議会(ASA)と広告実践委員会(CAP)が、詳細なガイドラインを策定し、性差別や、有害なジェンダーステレオタイプを助長する広告を禁止している。ICCには「日本委員会」とその事務局があるが、上記コードも資料も翻訳紹介をしていない。 b)国際広告自主規制委員会(ICAS)は、各国の加入組織を対象にした調査報告書『非差別に関する広告基準と実践』を公表(日本のJAROは未加入)。その調査によると、大半の国では、上記のICC基準第2条に基づき、非差別を明記した倫理規定(基準)を持つ。また3/4は、人種、国籍、年齢、障害、ジェンダー、性的指向、宗教に基づく差別を、排除すべきものとして明示している。 c)世界広告主連盟(WFA)は、世界的な広告業界団体であり、広告におけるジェンダー描写や、ダイバーシティ&インクルージョンに関する研修資料を作成し会員に提供している。日本アドバタイザーズ協会 (JAA) はWFAに加盟しているが、WFAの資料翻訳はしていない。 日本国内業界団体規程は、抽象的指針にとどまり、差別的表現やジェンダー描写(ジェンダー表現)についての具体的ルールがほぼなく、規定改訂が滞っている。このため、国内外の格差が広がる構造的課題を抱えている。 【3.結論】 先進国を中心に多くの国では、表現の自由等との兼ね合いもあり、業界団体や民間の自主規制団体が制定する国際基準に準拠(またはそれを拡張)した倫理規則が運用されている。一方で日本はガラパゴス状態であり、企業(特に広告・メディア業界各社)や関連業界団体にとっては、CSR、ESG投資、SDGsといった視点からも、次の点が早急に必要であろう。 (1) 国際的な広告自主規制の倫理基準や研修体制に関する情報キャッチアップ(翻訳・紹介等)と、研修制度の構築 (2) 国内基準の、ICC広告基準第2条に準拠した国際的水準の基準へのアップデート (3) 国際的連携の強化と、人権・ダイバーシティ委員会の創設・機能強化 *本報告はJSPS科研費(20K02584)による研究成果の一部である。

報告番号185

20代女性のセルフ・ナラティブに描かれた日本のジェンダーバイアス ――‐『82年生まれ、キム・ジヨン』を手がかりに‐
常葉大学 福島みのり

1.目的 「世界的にMe Too運動が広がったものの、日本ではなぜ広がらないのか。一方、同じ時期にフェミニズム小説と言われる『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本でもベストセラーになったのはなぜなのか」。本報告は、「日本の女性も日常においては既にジェンダーバイアスに気づいていたのではないか」という問いから、大学生を対象に一つの実践を行った。「彼女たちは日常において様々なジェンダーバイアスを経験してきたものの、その経験を語る適切な言葉を得ることができずモヤモヤ感を抱いてきたのではないか。そのモヤモヤ感に言語を与えてみること」である。以下、『82年生まれ、キム・ジヨン』に描かれた女性のライフコースに沿って、これまでの人生をセルフ・ナラティブとして描き、その自伝を一つのエスノグラフィーとして扱い、分析・考察を行った。 2.方法 静岡所在の大学3年次の科目「世代・ジェンダー論」において、『82年生まれ、キム・ジヨン』を「1982年~1994年(キム・ジヨンの誕生~小学校時代)」、「1995年~2000年(中学・高校)」、「2001年~2011年(大学時代~職場生活)」に分けて読み、「各章の論点」「最も印象に残ったシーンとその理由」「ディスカッションしたい内容」を事前に提出し、授業ではグループごとに各パートについてのディスカッションと質疑応答を行った。最終課題として、2020年度の大学3年生(99年生まれ)に最も多かった氏名「佐藤亜美」のセルフ・ナラティブを「幼少期~高校」「大学~就職」「その後」の3つのパートに分けて執筆した自伝を提出、その内容を分析した。 3.結果 「99年生まれ、佐藤亜美」のセフル・ナラティブからは、彼女らが圧縮化された社会変化の中を歩んできた様相が見られた。地方特有ともいえる家庭内における祖父母の孫に対するケアの構造、父親は外で働き、母親は家事をするというジェンダーによる役割分担とともに、共働き夫婦においても母親のみに課される家事労働の現実など、「大家族・近代家族観を内面化した家庭環境」の中で過ごしてきた。小中高校時代においては、「近代的な規律訓練によるジェンダー化された教育環境」の中で過ごし、「ブラック校則」と呼ばれる教師をはじめとした大人社会から理不尽な対応を強いられる環境で過ごしてきた。大学生活においては、ある程度の自由が保障される環境で過ごしてきたものの、大学3年次からはじまる就職活動では、再度、規律訓練やジェンダー化された日本式の就職活動を内面化する形で活動を行っていた。その点で、彼女たちは前近代・近代の錯綜された家庭・学校環境の中で過ごしてきたといえる。一方、「今後(未来)」についてのセルフ・ナラティブからは、脱近代における流動化された雇用や貧困の危機の中、親世代が歩んできた「近代家族」を望むケースも見られるものの、実現が困難な世代であることも自覚していた。 4. 結論 以上の分析結果から、「ジェンダー化された社会システムにもとづく近代的ライフコース」は今や彼女たちの「ロールモデル」ではなくなりつつあると同時に、ジェンダーレスや男女平等志向が高くみられる。すなわち、脱近代化が脱ジェンダー化をもたらすという点で、祖父母・親世代よりも彼女たちの生は「個人化」の下、より多様化していく様相がみられた。

報告番号186

『グローカル化する若者世界』のその後(1):Twitter愛好者とInstagram愛好者の差異
中央大学 松田美佐

【目的】  本研究の目的は、2020年に東京都杉並区と愛媛県松山市で20歳を対象に行った質問紙調査の結果から、グローバル化とローカル化が同時進行する現代社会における若者文化の実態を明らかにすることにある。この調査は1990年、2005年、2009年、2015年に実施された調査と比較できるよう設計を行い、30年間の若者文化の変容についてとらえることも目的としている。 【2.方法】  2020年調査の詳細は以下のとおりである。 a.調査対象母集団:東京都杉並区と愛媛県松山市に住む20歳の男女 b.標本数:それぞれ1,000人 c.抽出方法:有権者名簿からの層化二段無作為抽出法 d.調査期間:2020年11月2日~11月24日 (のち12月7日まで延長)  e.調査方法:郵送法  f:回収結果:杉並区265人(26.5%)、松山市163人(16.3%)、計428人(21.4%) 比較対象とする調査は、1990年調査は宮台真司を中心とするグループにより関東7都県、関西7府県で大学4年生を対象に行われたものであり、対象数は10,429人、有効回答数は1,548人(14.8%)であった。2005年、2009年調査は松山大学社会調査室、2015年調査はグローバル若者研究会によるもので、いずれも調査対象は杉並区と松山市に在住する20歳それぞれ1,000人、有効回答数は2005年調査が杉並区266人(26.6%)、松山市249人(24.9%)、2009年調査は杉並区308人(30.8%)、松山市250人(25.0%)、2015年調査は杉並区259人(25.9%)、松山市214人(21.4%)であった 【3.結果】  本報告ではコミュニケーション・メディア利用に焦点をあてる。 まず、メディア利用の地域差であるが、2015年には両地域の若者とも最もよく利用するのはLINEであるものの、杉並の若者のほうがメールやFacebook、InstagramといったSNS利用も多く、利用するメディアが分散していた。今回も両地域ともLINEの利用がほぼ100%近く、Eメール利用は杉並のほうが多いものの、TwitterやInstagram、Facebookの利用には差がみられず、TikTokは松山の方が多いという結果となった。  次に、TwitterとInstagramのどちらの利用が多いかで二分し、それぞれの特徴を見たところ、地域、職業、学歴、父母の学歴、文化資本、可処分所得などのデモグラフィック要因では差がなく、性別のみで差がみられた。また、高校時代の部活参加(運動部・文化部×積極参加・消極参加)との関係がみられた。これに加え、当日は両者の趣味やメディア利用状況、友人関係、パーソナリティなどに関する項目との関係性を報告する。 【4.結論】 コミュニケーション・メディア利用の地域差の消失は、連携報告でも紹介される全体的な地域差の消失傾向との関係で、フラット化やグローバル化の観点から包括的な検討が必要である。また、SNSとしてまとめてとらえられがちなTwitterとInstagramの利用の差異は、今日の若者の特徴をより詳細に把握することに役立つだけでなく、メディアのアーキテクチュアとパーソナリティや趣味嗜好との関係性を検討することにもつながると考える。  なお、本研究の一部は、2020年中央大学特定課題研究「若者の趣味をめぐる移動と人間関係」を得て行われたものである。

報告番号187

『グローカル化する若者世界』のその後(2):若者人格類型の再検討
東京医科歯科大学 大倉韻

【1.目的】  宮台(1987)は1985年におこなった調査データを分析し、当時の若者を消費生活と「個人性・対人性・遠隔=社会性」の3領域に対する意識をもとに「ミーハー自信家」「頭の良いニヒリスト」「バンカラ風さわやか人間」「ネクラ的ラガード」「友人よりかかり人間」に分類した。宮台の分析を受けて野村(辻・野村・大倉2016)は2005・2009年の調査データに同様の分析を加え、若者の自信性と社交性のそれぞれから根拠となる要素が抜け落ちていることを発見している。  本報告では宮台と野村の分析を踏まえて、2020年におこなった調査データに同様の分析を加える。そして若者の類型化が現在でも可能か、可能だとすればそれはどのような構造をなしているのかを検討する。 【2.方法】  同部会の松田報告にて説明予定の2020年調査データを用いて、東京都杉並区在住の若者に宮台と同様の分析をおこなった。具体的には因子分析をおこない、得られた因子得点をもとにクラスター化をおこなった。 【3.結果】  因子分析(最尤法、プロマックス回転)の結果、6因子が抽出された。それぞれ第1因子を「自信家リーダー因子」、第2因子を「自分だけサバイブ因子」、第3因子を「SNSが気になるフォロワー因子」、第4因子を「思いやり因子」、第5因子を「独りよがりの没入因子」、第6因子を「おしゃれ・流行因子」と命名した。またクラスター分析によって4クラスターが得られ、同質性の高いものから「薄情者」「SNS疲れ」「シェア好き自信家」「マイペース自信家」と命名した。なお人数の分布はSNS疲れ>シェア好き自信家>薄情者>マイペース自信家、の順で多かった。 【4.結論】  今回の分析では、野村分析で見られた変化からさらに変化が生じているように感じられる。野村は「自信家因子」から自信の根拠となる項目(おしゃれ)が脱落したと述べているが、2020年では趣味が多様化した結果として「自分にだけ理解できる自信の根拠」が生じてきているようであった。また社交性の中核をなしていた友人数の多さは、2020年では「シェア好き自信家」クラスターにのみ強く支持されており、彼らのリーダー気質は友人たちと同様の体験をシェアし続けることにより確認されている様子が伺えた。そして最大多数をなす「SNS疲れ」クラスターでは、自信がなく、自己犠牲的で、悪目立ちを避けようとする性質が確認された。  当日はこれらクラスターと趣味やSNS項目との関連について言及し、さらに愛媛県松山市の若者についての分析結果・また経年変化についても言及する。 文献 宮台真司, 1987, 「現代大学生の消費生活の意味するもの――意識調査をもとにして」『社会心理学評論』第6号(=2010,『システムの社会理論――宮台真司初期思考集成』勁草書房: 3-29). 辻泉・大倉韻・野村勇人, 2016, 「若者文化20年間の『計量的モノグラフ』:『遠隔=社会, 対人性, 個人性』三領域の視点から」『中央大学文学部紀要』(263), pp.43-79.

報告番号188

『グローカル化する若者世界』のその後(3):地元志向の変容と規定要因
中央大学 辻泉

【1.目的】  本報告の目的は、2005・2009・2015・2020年にわたって、地方都市(愛媛県松山市を事例とする)と大都市(同様に東京都杉並区)の比較を目的に行われた実証的な質問紙調査の結果に基づき、若者たちの地元志向の実態について考察することである。  グローバル化とパラレルにローカル化の進展する現在の社会においては、2000年代以降、とりわけ地方都市における若者たちの地元志向といわれる傾向が注目を集めてきており、彼らの生活満足度や地域愛着度は高い傾向にある。  たとえば、本報告で取り上げる調査においても、「現在の生活に満足している」という項目に対して肯定的な回答をしたものの割合は、松山市で54.7%→65.9%→72.8%→69.9%、杉並区でも60.2%→70.8%→76.4%→76.2%(いずれも2005年→2009年→2015年→2020年、以下同様)といずれも増加傾向にあり、各年ごとに見ても、地域差は見られなかった。  同様に、「今、住んでいるまちが好きだ」という項目に対しても、松山市で79.4%→88.8%→83.2%→86.5%、杉並区で83.0%→89.9%→87.6%→90.2%と高い水準で安定し、やはり地域差が見られなかった。  かつてのように、大都市に憧れる上京志向は、もはや多数ではないが、では若者たちが地方都市に満足し愛着を持つとはいかなることなのか。本報告では、若者の地元志向に関するいくつかの先行研究をレビューしながら、さらに実証的な質問紙調査の結果と解釈に基づいて、その実態を明らかにしていく。  【2.方法】  調査全体の概要については、第一報告の通りであるので、ここでは本報告に関連する部分のみを記しておく。本報告が主に用いるのは、地域愛着度や生活満足度などに関する質問項目である。こうした項目を従属変数に、基本属性や、個人性、対人性、社会領域の広範にわたる項目を独立変数に投入して、その規定要因を探ることとする。  また、地方都市の現状を中心に、大都市や、地方都市の過去の状況も適宜、比較対象として分析を深めていくこととする。 【3.結果】  地方都市の地元志向について、主要な先行研究(阿部 2013、貞包 2015、三浦 2004など)が指摘していた、画一化された消費行動やメディア利用に関する変数との関連が示唆された点、およびそうした規定要因が大都市とは異なっていたという点は、興味深い知見といえる。 【4.結論】  大都市と対比することで、地方都市における地元志向の特徴を、さらには経年比較をすることで、その変化を描き出すことが可能となったが、当日はさらに詳細な検討を行う予定である。 <主要参考文献> 阿部真大,2013,『地方にこもる若者たち―都会と田舎の間に出現した新しい社会』朝日新聞出版. 貞包英之,2015,『地方都市を考える―「消費社会」の先端から』花伝社. 辻泉,2010,「地方の若者・都市の若者―愛媛県松山市・東京都杉並区2地点比較調査の結果から」『松山大学論集』松山大学総合研究所,22[1]:443-465. 辻泉,2016,「グローカル化する若者文化(3)―地元志向の現在」第89回日本社会学会大会,自由報告部会報告資料. 三浦展,2004,『ファスト風土化する日本』洋泉社. ※なお、本研究の一部は、2019・2020年度中央大学特定課題研究費「ポピュラー文化研究における理論研究と実証調査研究の体系化」を得て行われたものである。

報告番号189

『グローカル化する若者世界』のその後(4):若者のグローバル意識の規定構造とその変化
東京学芸大学 浅野智彦

1.目的  本報告の目的は、経時的に行われてきた若者対象の調査データをもとにして、彼らのグローバル志向の地域差と変化の有無とを明らかにすることである。用いるデータは、東京都杉並区と愛媛県松山市に在住の20歳の男女を対象として2015年および2020年に行われた調査によって得た。 2.方法  目的変数はグローバル志向を示す得点であり、これは国外における学び、就労、生活などへの態度を尋ねる質問項目から構成した(クロンバックのアルファ:0.84)。分析は、この得点に影響を与えると予想されるいくつかの変数を投入した重回帰分析を用いて行う。  投入する独立変数は、親学歴、本人学歴、暮らし向き、友人数、ソーシャルメディアの利用に関わる変数、外国人との接触など国外経験に関わるもの、地元愛着、日本への誇りである。その他に、統制変数として性別・地域・性格特性・調査年などを投入する。 3.結果 (1)両時点・両地域をプールしたデータについて重回帰分析を行ったところ、時点変数は効果を持たなかった。 (2)時点ごとに両地域をプールしたデータについて重回帰分析を行ったところ、2015年と比較して2020年のモデルの説明力が低下していた(調整済みR2乗値:0.228→0.114)。両時点とも進歩的性格、外国人との挨拶経験、海外渡航経験がグローバル志向得点を有意に押し上げている。他方で、2015年には有意な効果をもたなかった性別(女性ダミー)が2020年には有意な正の効果を持つようになり、2015年には有意な正の効果を持っていたFacebook利用ダミーが効果を持たなくなった。 (3)杉並区について両時点をプールしたデータについて重回帰分析を行ったところ、2020年ダミー変数は効果を持たないことが確認された。時点ごとに重回帰分析を行ったところ、モデルの説明力が大幅に低下している(調整済みR2乗値:0.328→0.118)。2015年にはみられた友人・知人数、Facebook利用、外国人との挨拶経験、海外渡航経験、政治的ナショナルプライドの有意な効果が2020年データにおいては消えており、性格特性の効果が残ったほか、性別があらたに有意な効果を示している。 (4)松山市について両時点をプールしたデータについて重回帰分析を行ったところ、2020年ダミー変数は効果を持たないことが確認された。時点ごとに重回帰分析を行ったところ、モデルの説明力はわずかに上昇している(調整済みR2乗値:0.138→0.163)。2015年データでは母学歴と海外渡航経験が有意な効果を持っていたが、2020年データでは母親学歴の効果が消える一方、大学生であること、進歩的性格が新たに有意な効果を示した。 4.結論  第一に、2015年から2020年にかけてグローバル志向得点の単純な増減はみられなかった(全体的にも地域別にも)。他方で、地域間、時点間でグローバル志向得点の規定構造には違いが見られた。第二に、重回帰分析においてモデルの説明力が下がる傾向が見られた(全体として、また杉並区において)。これはグローバル志向の成り立ちについて別の視点が必要であることを示唆している。第三に、両地域において生じた変化として、杉並区における女性ダミーの効果、松山市においては大学生ダミーの効果をあげることができる。

報告番号190

移民のスキルと準合法性の関係性の考察――日本における外国人留学生を事例に
金沢大学 眞住優助

1.目的 本報告の目的は、日本における留学生を事例として、移民 migrants の人的資本と準合法性 semi-legality (Kubal 2013) の関係性を考察することである。移民がホスト社会において習得する知識や技能は、同国に特有の人的資本として、移民の労働市場への統合に資することは長く知られている。より近年の研究では、一般に低熟練とみなされ、経済的上昇の機会に乏しいと想定されがちな移民でも、人的資本の蓄積を通じて上昇移動を遂げる事例が報告されている(Hagan et al. 2015)。その一方、近年指摘される国際移動に関する経験的動向として、ホスト国が移民に対して設定する法的地位の細分化とそれによる(滞在期間や権利が制限された)不安定な法的地位の増加がある(Goldring et al. 2009; Cook-Martin 2019)。移民の人的資本に関する既存研究は、こうした地位にある移民のスキル習得とそれが移民の統合に対して持ちうる意味を十分に考察しているとはいい難い。本報告は、日本において近年増加する働く外国人留学生を事例にこの問題を探究する。 2.方法 本報告の分析は2つのデータに依拠する。第1に、主たるデータとして、留学生、元留学生および留学生を担当する学校関係者などに対して実施したインタビュー調査の結果を用いる。調査は2018年~2020年2月までのあいだ首都圏を中心に実施した。留学生(元留学生を含む)に対するインタビューでは、キャリア目標のほか、学習状況ならびにアルバイトの就労状況等に関する聞き取りを行った。その他、インタビュー調査を補完するものとして、日本学生支援機構による「私費外国人留学生生活実態調査」など統計データを副次的に用いる。 3.結果 第1に、日本での留学・就労・生活を通じた留学生のスキルの獲得は、労働市場における一程度の経済的機会の向上につながっている。サービス業を中心に、人手不足が顕著な大都市圏のいくつかの産業部門は、留学生に対して豊富な就労機会を提供しており、この状況において留学生は、日本語能力の向上等を通じた就業可能職種の拡大、職場での担当業務の拡大、アルバイト先での就職等を経験している。しかしながら、第2に、留学生として就労可能な時間が制限された状況のもと、スキルの習得は結果として、「不法」就労を促す要因ともなりうる。つまり、準合法的な状況を生起しうる。その契機として、複数のアルバイト先での就労可能性の上昇、アルバイト先の雇用主に対する交渉力の増大、インフォーマルな現金獲得行動などがある。 4.結論 国家による準合法的な状況の発見は、留学生の在留資格の更新不許可という事態につながる可能性がある。このことは、スキルの獲得を契機とする準合法性の創出は、ホスト国への長期的な統合に影響しうることを示唆する。

報告番号191

エスニック・ビジネスのサービスエンカウンターにおける「客」と「店員」の相互行為分析 ――新宿区大久保地区のハラルショップを事例として
立教大学 大野光子

1、目的  本報告で取り上げる新宿区の大久保地区は、エスニシティをテーマとする研究の代表的な調査地の一つである。その嚆矢となった研究に、奥田(1993)の都市社会学におけるエスニシティ研究が挙げられる。以降、都市社会学でのエスニシティ研究は、今日まで盛んに取り組まれてきた。  日本の都市社会学でのエスニシティ研究は、シカゴ学派のパラダイムを色濃く受け、インタヴューや参与観察等の質的調査法を駆使したエスノグラフィックな研究が中心となっている。故にこれらの研究では、地域社会における対象者の生活世界のありのままが詳細に記述され、現代都市の内実やそこに潜んでいた社会構造の一面を明かにしてきたが、一方で、その調査手法の特徴から、対象とする人びとの相互行為のそのままを記述し分析の対象とすることはほとんど行われずにきた。従って、エスニシティ研究において特徴的な地域と捉えられる、例えば大久保地区のような場所で、当事者たちが一体どのような相互関係を持ち、相互行為を営むのかについて、多くの研究は、鮮明であるとは言えず、結果として、地域、社会構造の特質に関してもリジットな説明を与えられない。 以上のような先行研究の弱点を打開すべく、本報告では、新宿区の大久保地区において、ハラルショップのサービスエンカウンターにおける「客」と「店員」の会話を取り上げ、①大久保地区に特徴的な「客」と「店員」の相互行為を明らかにし、②これまで語られてきた大久保地区の特質をより明確なものとして提示することを目的とする。 2、方法  本報告では、報告者が、2020年2月23日から28日の6日間、計12時間、大久保地区のハラルショップの店内にビデオカメラを設置し、主にレジカウンターにおける「客」と「店員」の会話をビデオ録画した内容をデータとして、会話分析の手法を用い、メンバーシップカテゴリー分析(Sacks 1979; Stokoe 2012)を行う。尚、撮影時にはレジカウンターの見やすい場所に、「研究の目的でレジカウンターでの会話が撮影・記録されていること、希望すれば撮影・記録の停止を行うこと」を日英両言語で明記して、調査者の氏名・所属と連絡先を添えた張り紙を貼った。   3、結果  会話の参加者たちがさまざまな記号資源を用いて、「客」と「店員」という対比的なカテゴリー対を構築していることが観察できた。また,カテゴリー使用と共起していたのは、参加者たちによる言語選択であり、来店、商品についての質問、会計、退店の際に、主に日本語、英語、ネパール語が選択されていた。本発表では日本語でのやりとりを分析対象とする。   4、結論  日本語使用が選択された場合、その後、使用言語の切り替えや交渉が行われることはなく、客の退店まで参加者たちは日本語を使用した。店員が第二言語である日本語を用い、客(日本語の母語話者と第二言語話者を含む)と展開するやりとりは、コンビニやファストフード店(Nguyen and Ishitobi 2012)のように淡々とは進行しない。商品の有無や名称を確認したり、郵便物の重量を手で推測したりするなどの行為を通し、大久保に特有の緩やかさやこの地区の話者性が構築されていた。発表では以上の現象を会話の抜粋とともに示す。

報告番号192

社会イノベーションと移民・市民権政策
早稲田大学 樽本英樹

1. 問題の所在 2000年代以降、「イノベーション」(革新) への期待が高まっている。たとえば日本政府は2006年「イノベーション25」という成長のための「長期的戦略指針」を発表し、「イノベーション担当大臣」を設けた。学術的には2000年代半ば以降「イノベーション」をタイトルの一部とした論文が現れている。経済学以外の分野に関する「社会イノベーション」の研究も出てきた。そこで「社会イノベーション」の可能性を考察しよう。近年の移民・市民権政策研究にどのような含意を与えるのだろうか。 2. イノベーションとは 周知のように「イノベーション」は J.A. Schumpeterが『経済発展の理論』(1912) で提唱した考え方である。(a) 質的な新しさがあり、(b) 生産者が消費者側に新しい欲望をつくり出し、(c) 経済内部の諸要素の「新結合」により内発的に生まれる経済発展をいう。 3. 社会イノベーションという発想 Schumpeterの念頭にあったのは経済領域における「イノベーション」である。ところが近年「イノベーション」を非経済領域、特に社会領域に応用しようという動きがある。たとえばMoulaert et.al. は社会イノベーションを「排除・剥奪・疎外・より善き存在の欠如といった諸問題のすべてに対する受け入れ可能で進歩的な解決を見出すこと、また人間の意義ある発展・発達に対して積極的に寄与する諸行為」と定義した (Moulaert et.al. 2013:16)。そこで (a) 質的な新しさ、(b) 行為実施・施策実施側主導、(c) 社会環境の内発的「新結合」 を備えつつ、諸問題の解決や人間の意義ある発展・発達に寄与するかどうかという観点で、文献資料の分析に基づきつつ近年の移民・市民権政策の展開を概観しよう。 4. 二極化もしくは選別化という傾向 2000年代以後の移民・市民権政策において最も指摘される特徴は、二極化もしくは選別化という傾向である。すなわち優遇される「求められる移民」と厳格にされる「避けられる移民」に峻別されているという。前者の典型例は高技能移民である。世界的な獲得競争の中、いくつかの国がポイントシステムで技能を判定し、永住権など滞在条件を緩やかにしている。一方後者の「避けられる移民」には家族移民や庇護申請者がよく当てはまるとされている。1980年代以前の寛容さは消失し、家族の呼び寄せや家族に対する滞在許可の付与には「見習い期間」を設けたり、そもそも認められなかったりする。庇護申請者も2015年ヨーロッパ難民危機などの影響で受け入れられない傾向が強まっている。 5. 考察と結論 このような移民・市民権政策の二極化・選別化には、カナダやオーストラリアで始められたポイントシステムの普及、市民権テスト、「見習い期間」といった「新結合」があると言えるかもしれず、国家という政策実施者主導であり、「質的に新しい」と判断できるかもしれない。しかし、「社会問題への解決」や「人間の意義ある発展」に貢献しているとは言いにくい。むしろ、経済優先・弱者切り捨てといったネオ・リベラリズムや、自国民優先・排外主義的なポピュリズム的ナショナリズムのロジックに従った「ネガティヴ・イノベーション」と名付けるしかない現象であろう。 * 本発表は以下の助成を受けて行われた研究の一部である。JSPS科学研究費・基盤研究(C) (20K02097)、同・基盤研究(B) (7KT0030)、同・基盤研究(B) (20H04430)。

報告番号193

アジア系アメリカ人による反多文化主義――「公正な入試」と人種政治
立命館大学 南川文里

1.目的 アメリカ合衆国における多文化主義政策への反対運動にとって、マイノリティの立場から発信される反多文化主義のメッセージは重要な役割を果たしてきた。マイノリティの背景を持つ反多文化主義者の存在は、反多文化主義を白人優越主義や人種主義と同一視する批判を、表面的なレベルで回避させる。実際、「多文化保守」「黒人保守」と呼ばれる人々は、二言語教育や積極的措置(アファーマティヴ・アクション)に反対する社会運動を推進する象徴的な役割を担った(Dillard 2001; 上坂 2014)。さらに、マイノリティによる反多文化主義は、多様性の実現を社会の共通目標とする多様性規範に矛盾することなく、一部の多文化主義政策に反対することを可能にしてきた(南川 2021)。なかでも、本報告はアジア系アメリカ人による反積極的措置運動に焦点を合わせ、マイノリティによる反多文化主義へのコミットメントが、現代のアメリカ人種政治のあり方をどのように組み換えようとしているのかを議論する。 2.事例と方法 本報告が主に扱うのは、「公正な入試を求める学生連合(SFFA)」という団体が原告となった「SFFA対ハーヴァード大学」裁判(以下SFFA裁判)をめぐる論争である。SFFAは、ハーヴァード大学における「人種やエスニシティを考慮する」入試選考の方法が、アジア系アメリカ人の出願者を差別していると訴えた。SFFAについては、エドワード・ブラム代表が積極的措置廃止を求める裁判を数多く手がけた白人弁護士であったことを挙げ、白人の反多文化主義者がアジア系アメリカ人を「政治的に利用」していると繰り返し批判されてきた。本報告では、このような主張に賛同するアジア系アメリカ人側の論理に注目し、「積極的措置はアジア系に対する差別である」という主張にひそむ、人種政治の動態的な言説編成に焦点を合わせる。主要な資料としては、SFFA裁判資料、裁判に対する各団体による反応と報道資料を用いる。 3.結果と結論 SFFA裁判をめぐる議論において表面化するのは、「アジア系アメリカ人とは誰か」という古くて新しい問いである。「アジア系」のなかでも出身(ルーツ)国、世代、階層に応じて積極的措置に対する態度は異なっている(Lee 2021)。本報告では、SFFA裁判をめぐる動向から、(1)SFFAを支持するアジア系の人々をめぐる表象が、アメリカ人種政治における「モデル・マイノリティ」像を再強化していること、(2)その結果、新型コロナウイルス感染症危機において顕在化した「アジア系に対する差別」を下支えする言説を再生産したこと、(3)21世紀の多文化主義政策を支えてきた多様性規範の限界を示唆したことを指摘する。 おもな参考文献 Dillard, Angela D. 2001. Guess Who’s Coming to Dinner Now? Multicultural Conservativism in America. NY: New York University Press. 上坂昇. 2014.『アメリカの黒人保守思想:反オバマの黒人共和党勢力』明石書店. Lee, Jennifer, 2021. “Asian Americans, Affirmative Action and the Rise in Anti-Asian Hate,” Daedalus, 150 (2): 180-198. 南川文里. 2021.『未完の多文化主義:アメリカにおける人種、国家、多様性』東京大学出版会.

報告番号194

社会的不満が反移民意識に与える影響の検証
新潟医療福祉大学 下窪拓也

【1.目的】  20世紀後期から,欧米諸国では,社会に対する否定的な認識,特に社会に対する不満(以下,社会的不満感)の低下が確認されている.この社会的不満は移民に対する否定的な態度(以下,反移民意識)の規定要因として議論されている.  社会状況の悪化は,生存を重視する価値観を強める.生存を重視する人は内集団内の連帯を強化し,よそ者を排除しようとするため,たとえば移民や外国人に対する否定的な態度を強めると考えられている.つまり,社会に対する不満の増加は,生存を重視する価値観を強めるため,移民に対する否定的な態度を強めるという,媒介関係が想定される.しかし,先行研究ではこの仮説は支持されていない.  本研究は,社会的不満感が反移民意識に与える影響に関する構図を解明するため,問題の原因を帰属する意識と国への自己同一化に注目して,新たな仮説を提唱する.具体的には,生存を重視する個人は自国に強く自己同一化を果たしているため,社会に対する不満感の原因を自集団に帰属するのではなく,外集団である移民をスケープゴートとするため,反移民意識を強めるという仮説である. 【2.方法】  仮説の検証のため,本研究では量的調査データの分析を行う.分析には,欧州社会調査(European Social Survey: ESS)の二次データを使用する.分析にあたって,ESSホームページより2002年度から2018年度の間に収集された調査データの提供を受けた.  従属変数には,移民の増加が自国に与える否定的な影響に関する認識である,反移民意識を用いる.次に,独立変数には,生存を重視する価値観と社会的不満感を用いる  分析の手順は以下の通りである.まず,社会的不満が生存重視の価値観に繋がることを想定する従来の仮説を検証するため,生存重視の価値観を従属変数として,社会的不満との関連を分析する.次に,本研究が提唱する仮説を検証するため,反移民意識を従属変数におき,社会的不満と生存を重視する価値観の交互作用効果を検証する. 【3.結果】  分析の結果,以下のことが示された.まず,生存重視の価値観と社会的不満は負の関連を示した.つまり,社会に満足している人ほど生存を重視する価値観を持つという,従来の仮説とは真逆の結果が示された.次に,社会的不満と生存重視の価値観が反移民意識に与える影響を分析した結果では,生存重視の価値観と社会的不満は共に正の主効果を示し,これらの交互作用効果も正の値を示した.以上の結果から,生存重視の価値観を強く持つ人は,社会的不満が高まる時に,より強く排外意識を示すようになることが示された. 【4.結論】  本研究結果から,社会的不満の低下は,生存重視の価値観を強めるため移民への敵意を強めるのではなく,生存重視の価値観が強い人は,社会的な問題の原因を移民に帰属する傾向が強いため,反移民意識が強まるということが明かになった.本研究の成果は,排外意識発現のメカニズムに対して新たな知見を提供するものである.

報告番号195

アジア地域における搾取のインフラと移住の軌跡――ジェンダーとディスエンパワーメント機能に着目して
ラバル大学/東京学芸大学 巣内尚子

【1.目的】本報告の目的は、グローバルサウスの農村からグローバルノースのジェンダー化された搾取的な労働市場に、諸権利の制限された労働者を水路づけるシステムを「搾取のインフラ」と名付けた上で、搾取のインフラにおける移住の軌跡の中で移住者の力がどうそがれるのか、そこにジェンダーがどう関連するのかを、ベトナムから台湾への移住家事労働、ベトナムから日本への技能実習を比較し明らかにすることである。移住理論の一つ、移住インフラストラクチャー理論(Xiang and Lindquist 2014)は制度、商業、人道、テクノロジー、社会の各側面が相互に関連しつつ移住を促進し、条件づけると説明する。しかし、この理論はジェンダーの視点が欠けている上、移住インフラ形成により移住が「容易に」なったと指摘するなど、グローバルサウスからグローバルノースへの移住労働における債務労働や搾取など移住者の力を弱める事柄が考慮されていない。また受け入れ国ごとの移住政策の差異が移住の軌跡に与える影響も十分議論されていない。このため移住インフラに代わる搾取のインフラという枠組みを立て、ジェンダーの視点を踏まえつつ、搾取のインフラを通じた移住の軌跡と搾取のインフラのディスエンパワーメント機能の現状を明らかにする。 【2. 方法】 使用するデータは、2014年以降実施した移住労働経験を持つベトナム人約170人、ベトナム側の仲介会社(送り出し機関)、政府機関、日本の監理団体、政府機関、支援組織、台湾の支援組織に対する半構造化インタビューのデータである。 【3. 結果】送り出し国ベトナムでは、国策である「労働輸出力」政策、受け入れ国の移民政策、国境をこえる移住産業が関連する「官民連携送り出しモデル」が家事労働者、技能実習生の送り出しに関与している。台湾については、移民政策とケアレジームが交差する中、台湾の雇用主の「好み」にあった婚姻経験のある子どものいるベトナム人農村女性(母親)を短期間の渡航前研修を経て即席の家事・介護労働者として受け入れ、労働法の適用を受けない住み込み家事・介護労働に配置する仕組みが形成されている。日本に関しては、外国人技能実習制度のもと、社会経験が十分ないベトナムの農村出身若年層の男女が軍隊式の渡航前研修により、日本企業の望む従順な労働者として「しつけ」られた上で、日本の労働市場に配置される。この際、男性は建設、女性は縫製のように職種により一定の性差が存在する。また台湾、日本ともに移住労働に際し、債務を背負う。 【4. 結論】 搾取のインフラを通じたベトナムから日本、台湾への移住の軌跡には、移住者をディスエンパワーメントする機能が埋め込まれている。移住者のジェンダーや世代などの属性や諸資本の在り方、渡航前研修、渡航のための債務、受け入れ国における諸権利の制限とが関連しあい、移住労働者の力がそがれている。

報告番号196

社会主義近代化と家族の民主化――毛沢東時代初期における「民主家族」の創出を中心に
京都大学大学院 劉恒宇

【1.目的】 本研究の目的は、毛沢東時代初期における「民主家族」をめぐる言説を再考し、社会主義近代化を前提とする「民主家族」の理念と中華人民共和国が成立する前の「家族改革論」との連続性および異質性を検討し、言説空間で構築された規範としての「社会主義近代家族」の構築過程、その複合的な性格、またはそれが「資本主義近代家族」との異同を明らかにすることを試みる。 【2.方法】 本稿はこうした問題意識に立って、まず清末から民国時代までの「家族改革論」を概観し、それが毛沢東時代の家族にまつわる言説に残したイデオロギー資源を押さえておく。そして、新中国が成立した後の言説空間の再構成を論じ、それに伴って、家族改革に関する言説の社会的意味に生じる変化を論じる。最後は、中国共産党機関紙『人民日報』、中華全国婦女連合会の機関誌『新中国婦女』、1950年に公布された「中華人民共和国婚姻法」を資料として、毛沢東時代初期(1949年~1956年)における「民主家族」にまつわる言説を分析する。 【3.結果】【4.結論】 社会主義体制の形成によって、家族改革論は近代国民国家の将来像を模索するための突破口としての機能を失い、世論の中心から身を引き、政治的な論争やイデオロギーの宣伝に譲位した。新中国が成立される前の、様々な課題とリンクしながら多方面から展開される家族改革論とは対照的に、毛沢東時代における家族にまつわる言説群は中国の社会主義近代化に従属する下位要素として縮小化し、婚姻法関連や女性問題関連の領域に回収されてゆくことになった。こうして、家族にまつわる言説は、新中国が成立される前に形成した様々な領域と繋がる言説のネットワークの崩壊によって、限定された領域に追放された。この時期の家族言説の特徴の一つは、民主主義と結びつけながら大量に生産されるという傾向である。しかし、この時期の「民主家族」は必ずしも小家庭を意味しない。民主家族の核心的な要素は家族構造とは関係なく、男女または親子の間の平等な関係や暴力の根絶、家族成員の協力関係にある。また、封建家族に対抗するため、「民主家族」の情緒性も強調されるが、それは必ずしも資本主義的な近代家族に見られるような情熱な恋愛関係や濃密な排他的な家族愛ではない。「民主家族」言説においては、農民家族をはじめとする下層民衆の家族が主体化され、「和」を中心とした一家団欒の家族像が理想的な家族像とされている。このような家族像では、生産向上を前提とする、家族間の「和睦」「協力」を重視するという社会主義近代家族特有の情緒性が見られる。

報告番号197

炭鉱の記憶の継承をめぐる困難と希望――ある産炭地における取り組みから
東日本国際大学 坂田勝彦

【1.目的】本報告は、ある産炭地における市民活動をもとに、石炭産業の過去がいかに地域社会で記憶されてきたかについて検討する。そして、その記憶を巡って閉山後の地域でいかなる試行錯誤がなされてきたか明らかにすることを目的としている。 【2.方法】本報告では、報告者が2013年以降、佐賀県杵島郡でかつて操業した杵島炭鉱の元労働者や家族、関係者にたいして行ってきたインタビュー調査によるデータと、同炭鉱が立地した佐賀県杵島郡大町町でのフィールドワーク調査によるデータをもとに、上記の研究課題に取り組む。 【3.結果】産業革命のエネルギー源であり、近代以降の日本において財閥資本の根源的蓄積を支えた石炭産業は、1950年代半ば以降、原油や廉価な海外炭との競争に巻き込まれ、慢性的な不況に陥った。このエネルギー革命の下、不採算炭鉱の閉鎖と優良炭鉱の選別とを掲げる「スクラップ・アンド・ビルド」政策が進められ、その結果、石炭産業からは多くの離職者が発生し、地域社会は劇的な変容を被った。 九州屈指の炭鉱であった杵島炭鉱が操業していた佐賀県杵島郡大町町も、そうした産炭地の一つである。19世紀後半から20世紀半ばにかけて同町と炭鉱は発展したが、石炭産業を取り巻く厳しい状況の下、1969年に閉山を迎えた。その間、石炭産業の急激な斜陽化とそれに伴う地域社会の変容は、「戦争」や「敗戦」といった言葉で表現されるほどの危機感と痛みをもって、そこで働き暮らす人々に経験された。そして、閉山の影響は長年に渡って地域社会に深刻な影響を及ぼしている。 本報告が注目するのは、大町町で2005年に発足した「杵島炭鉱変電所跡活用推進会」のこれまでの活動である。同会は、現存する1927年建設の煉瓦造りの建物を活用した、町在住者によるまちづくり団体である。現在町で「大町煉瓦館」という名前で親しまれるようになったその煉瓦造りの建物は、かつて炭鉱の変電所として稼働した施設だった。炭鉱の閉山後、「炭鉱の町」からの転換を図るために炭鉱関連建造物の多くが撤去・撤収されたが、そうした中で残ったこの建物を新たなコミュニティの場所として活用したいというところから、同会の活動は始まった。そして、同会は高度経済成長期に就職や進学のために一度は町を離れ、その後、第二の人生を再び町で歩むことになったメンバーが中心となって始まり、メンバーや活動の幅を広げながらこの20年近く続いている。 地域の中で半ば「忘れられた」場所となっていたその建物を拠点に様々なまちづくりの取り組みを展開する彼らの活動からは、炭鉱の歴史と記憶が地域社会でいかに扱われてきたか、そして、それらを地域の財産として継承することの困難と希望が明らかになる。 【4.結論】石炭産業の歴史と記憶の中には近年、産業遺産として脚光を浴びているものもある。「観光のまなざし」など、産炭地で暮らす各アクターは、様々な社会的視線や炭鉱に対する意味づけを持ち、またそれらがせめぎあう中で、炭鉱の歴史と記憶は産炭地で構成されてきた。そこからは、様々な想いを抱かれている過去をいかに地域社会がその歴史として受け止めることができるかという課題が浮き彫りになる。

報告番号198

1920~30年代の日本における「家庭料理」にかんする検討――調理をめぐるモノや場に着目して
立命館大学大学院 巽美奈子

1, 目的 「家庭料理」とは、女性が担い手とされた家事労働の一つとして、近代以降に発展してきた家族のための食事形態やそれをつくりだす技術である。「家庭料理」をめぐるこれまでの社会学的研究を整理すると次のようにいえる。明治期の日本では、女性のみに家事にかんする教育がおこなわれ、性別役割分業が国家主導で推し進められた。大正期の「生活改善運動」では家事をめぐる性別役割がますます女性に強化された。その後、都市を中心として広がった、近代家族という小集団の一成員として、女性たちは家族の心と身体のケアの担い手となり、「家庭料理」の実践においてもそうした役割を果たそうとした。こうして「家庭料理」とは、女性役割意識の浸潤とともに家族の慰安や健康の管理を動機づけし発展してきたのである。 それが戦後になると、今度は家族間で主婦自らの存在意義を顕示するための道具として「家庭料理」はいかされていると論考される。例えば、社会人類学者の梅棹忠夫は、調理に無駄に時間をかけることをやめない主婦たちの様子を観察し、「家庭料理」には、主婦という役割が必要不可欠であることを家族に認識させる機能があるのだと論じる(梅棹1989=2000)。 こうした役割意識のズレを我々は十分に説明することができない。このことから考えられるのは、「家庭料理」をめぐる戦前の女性たちのありようを、これまで十分捉えてこなかったということである。近代的な繁栄をめざす戦前の日本で、家族という小集団に注視した国家が主導的に性別役割を推し進めてきたその結果のひとつが「家庭料理」とするなら、それと女性との関わりがこれまでいったいどのように進展し定着してきたのかについて検討する必要があろう。 2,方法 本研究では、こうした問題に答えるため、戦前の「家庭料理」の実践に光を当てる。とりわけ「家庭料理」について先駆的に取り組んだ女性たちに注目する。彼女たちは、都市に住む上位中間層にあたる女性たちである。彼女たちが、いつどのようなプロセスを経て自ら「家庭料理」に携わるようになったのか、またそれはどのように実践されたのか、さらには彼女たちがその実践をつうじて家族との関係性のなかでどのような意思をもっていたのかを検討する。 扱う時代としては、家族の食事準備を主体的におこなうことが盛んに唱えられるようになった1920年代から、より幅広くそうした実践が広がる1930年代までを設定した。資料としては、彼女たちを読者ターゲットとしていた『料理の友』などの婦人雑誌を扱う。掲載される料理に関する記事や彼女たちの投稿記事、調理道具や台所などの広告から、析出することを目指す。 3,結果  予想される結果としては、先駆的に彼女たちが、家族のための慰安/健康を動機づけし「家庭料理」を実践した内実が明らかにされる。同時に、調理という実践的特殊性による影響性についても言及される。ここでの特殊性とは、調理が、一定の専門的スキルや専門道具、台所という特殊な場所にて可能となる実践であるということである。こうした特殊性が担い手と家族との関係性にも影響を与え、それが「家庭料理」の進展と定着にも寄与したことが予想される。 4,結論  1920年~1930年代の日本における、妻・母である女性たちの「家庭料理」をめぐる実践的ありようと、調理がもたらす影響性が導き出される。

報告番号199

帝都復興の担い手は誰か ――区画整理における「市民」をめぐる論理に着目して
東京大学大学院 中川雄大

【1.目的】 「市民」とは、戦後社会において自由や平等などの価値観をもつ「私的•公的な自治活動をなしうる自発的な人間型」として構想され、政治参加などが期待されていた(松下 1966)。他方、戦前期の「市民」概念は、行政単位としての「市」に居住するという意味しかもたず、価値中立的な用語として広く理解されている。 だが、実際には近代都市史の諸研究が示すように、1900年代以降の都市化の進展によって都市問題が深刻化すると、都市行政は「市民」の「公共心」を強調することで、彼らによる都市サービスに対する要求を統制しようと試みていた(住友 2005)。 しかし、都市住民は戦後の「市民」概念がそうであったように、自らの主体性を発揮しつつ「市民」概念を運用することはなかったのであろうか。 【2.方法】  これを検討するにあたって本稿が着目するのは、1920年代東京の帝都復興計画において展開された区画整理改善運動である。なぜなら、区画整理改善運動はそれまで都市計画当局などが求めていた規範的「市民」に対して、それを意識しつつ異なる「市民」像を都市住民が明確に提起した、最初期の代表的な事例として考えられるからである。 より具体的には、復興当局が主張する「市民」概念および、それに対抗的に「市民」概念を用いていた改善同盟会と第31地区の実践を、それぞれが発行していたパンフレットから分析する。 【3.結果】 分析の結果、大まかにいって三つの「市民」のあり方を確認することができた。すなわち、①復興当局が主張する、区画整理に従うことで帝都復興に貢献する、国民としての「市民」。②改善同盟会が主張する、帝都復興の担い手たる商工業者・借家人の立場が守られるべきだとする、権利主体としての「市民」。③第31地区が主張する、地域に即した区画整理の代案を提出することによって、「市民奉公」を果たす「市民」である。 【4.結論】  ②の「市民」概念については「批判的公共性」(似田貝 1976)が、③の「市民」概念については「普遍的公共性」(今西 1998)と重なる面を確認することができた。ここから1920年代の区画整理改善運動を再検討することで、そのなかに戦後の社会運動論で議論されてきた「公共性」が、一定程度先駆的に形成されていたことを明らかにした。  他方で、本発表が具体的に示すように、区画整理改善運動における「市民」概念は、行政との垂直的な関係を前提とすることで成立するものでもあった。これらについては、自由や平等という価値観にもとづいて政治参加するという「市民」概念(松下 1966)を逸脱し、当時の都市で許容された「公共性」のなかで、自己の主張を達成するために成立した、独自の主体像を示してもいる。 今西一男,1998,「住民運動による普遍的公共性の構築――区画整理住民運動による「まちづくり」を事例に」『社会学評論』49(2): 221-37. 松下圭一,1966,「『市民』的人間型の現代的可能性」『思想』(504): 16-30. 似田貝香門,1976,「住民運動の理論的課題と展望」松原治郎・似田貝香門編『住民運動の論理――運動の展開過程・課題と展望』学陽書房,331-96. 住友陽文,2005,「近代日本の都市自治論の再生――市民読本が修正する国民社会」山口定・中島茂樹・松葉正文・小関素明編『現代国家と市民社会――21世紀の公共性を求めて』ミネルヴァ書房, 77-97.

報告番号200

聞き取り調査によって地域社会を組み直す――奄美大島打田原集落における生活誌づくりから
北海道大学 金城達也

1 目的  本報告の目的は,報告者らが実践した生活誌づくりに基づき,聞き取り(インタビュー/ヒアリング)を軸にした記録づくりのプロセスが地域社会にどのような影響を及ぼしうるかを考察することである.聞き取り(Interview)は,社会調査の方法であると同時に,聞き手(Interviewer)と語り手(Interviewee)の相互行為であり,「語り」はその中で生成されていく.また,グループ・インタビューなど,複数の人が参加する聞き取りの場においては,語り手同士が相互作用し,個別の聞き取りとは異なる「語り」が引き出される.これらの「語り」を記録していくことが地域社会にとってどのような意義を持つのかを考える. 2 方法  報告者らは,鹿児島県奄美市打田原集落での聞き取り調査に基づき,2021年5月に『打田原の生活誌-やま・さと・うみのいとなみ』(https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/81413)を発行した.打田原集落は人口54人(33世帯),高齢化率は52%の集落である(2021年5月現在).打田原集落には,北から崎原・打田原・鯨浜という3つの地区があり,この3つの地区を合わせてひとつのコミュニティを形成している.  生活誌は,打田原集落の人びとと自然との関係の歴史を中心に記述したものであり,2014年から住民11人(60~90歳代)に対して行った個別のインタビューやグループ・インタビュー,参与観察によって書かれたものである.本報告では,聞き手と語り手,または語り手同士のコミュニケーション行為としての聞き取りが地域社会にとってどのような意義をもつかを明らかにするため,この生活誌づくりのプロセスにおける「語り」や「語りの場」の質的分析を行った. 3 結果  生活誌づくりのプロセスを分析した結果,地域社会に(1)地域(の歴史)の再認識,(2)「自然」の再構築,(3)意図せざる出会いの創出,などの効用が生み出されていることが明らかになった.(1)は,複数の語り手それぞれが異なる経験を語り合う中,双方がたがいの経験を認め合い,地域の歴史を改めて見直していく様子が見られたものである.(2)は,生活誌が「自然―人」関係史を中心としたものとなっているためでもあるが,語り手から過去の「自然」の姿が語られることが多く,聞き取りを通して,地域の「自然」の姿が再構築されていく様子が見られたものである.(3)は,聞き取りの場において,新たな語り手として複数の住民が意図せず加わるということがしばしば見られたものであり,そのことによって住民同士の対話が生まれ,そのことを通して,地域を捉えるための新しい視点が生まれることになった.以上3つは聞き取りの場における相互行為を通して生み出されたものであり,生活誌づくりは,聞き手が情報を記録するだけでなく,語り手たちがたがいの経験を学び合い,地域(の歴史)に対する新たな認識を発見する場となっていたといえる. 4 結論  以上のように,生活誌づくりは,聞き取りという社会調査に基づきながら,聞き手たちが地域社会の歴史や自然とのかかわりを確認し,ときに語り手同士も意見をぶつけ合いながら地域を再認識していくプロセスとなった.聞き取りを軸にした生活誌づくりは,単に地域の歴史を記録するものではなく,地域社会のコミュニケーションの契機となり,その組み直しを促進するための手段になりうる.

報告番号201

「人生問題」はいかなるものとして語られてきたか ――日本近代言論史の概観の試み
東京大学大学院 品治佑吉

1 目的  本報告の目的は,日本の言論史の中で「人生問題」という言葉がいかなるものとして語られてきたかを,戦前日本の言論史を中心に概観することである.  すでに福間(2017)は,太平洋戦後の日本の「人生雑誌」と総称された媒体に着目して,「人生」という言葉が教養主義に対する屈折したあこがれと抱いた非・大学進学層のあいだで,一種の知的逆転戦略のスローガンとしての意義を帯びていたことを明らかにしている.  ひるがえって,明治開国以降の日本の言論史を概観すると,とりわけ19世紀末から20世紀の初頭以降から,「人生問題」ないし「人生観」という用語が頻繁に用いられ始めていることがわかる.そして,この用語を用いる主体は,哲学者,文学者,宗教者といった教養主義的な学生読書文化の担い手として位置づけられてきた論者のみならず,教育実務家,政治家,社会学者などさまざまであった.さらに,そこでの「人生問題」の内実をいかなるものとして捉えているかという点でも,論者の出自や立場による差異があった.にもかかわらず,「人生問題」という言葉は,こうした出自や立場の差異を捨象して,共通の議論の土台をつくるトピックしての役割を果たしていたのである.こうした議論の場の輪郭を,主に戦前日本の言論史に即して素描することが,本報告の目的である. 2 方法  本報告は,上記の目的に即して,「人生問題」を語る主体の知的なバックグラウンドの差異に着目して対象となる論者を選定する.そして,それらの論者がいかなるものとして「人生問題」という言葉を捉えているかを明らかにする. 具体的な対象としては,(1)夏目漱石(1867-1916)や島崎藤村(1872-1943)に代表される世紀転換期の文学者・文芸評論家,(2)倉田百三(1891-1943)に代表される大正期の宗教者・文学者,(3)戸田貞三(1887-1955)や清水幾太郎(1907-1988)に代表される社会学者といった,異なる世代に属し,異なる学術的な背景を持った論者の言説に着目し,その比較を行う. 3 結果  考察の結果,従来の教養主義文化研究が,主に「人生問題」というキーワードを人文系教養人たちの抱えた哲学的問題ないし宗教的求道の課題として捉えてきたのに対し,いわゆる自然主義文学者や社会学者は,「人生問題」をもっぱら家庭生活や職業生活といった社会生活上に生じるトラブルを軸として捉えていることが明らかになった.しかし同時に,これらの論者が,出版媒体上では「人生問題」という言葉を通じてパッケージ化されていることが明らかになった. 4 結論  かくして明らかに知見から示唆されるのが,20世紀日本の言論史の中で「人生問題」という言葉が果していた役割を,(1)個々の論者の思想的立場を明らかにするキーワードとしての役割,(2)特定の社会的のムードを代表するスローガンとしての役割,そして(3)さまざまな論者の立場を包含するトピックとしての役割,という3つに分節化して捉える可能性である.こうした分節化を通じて,日本の言論史の構造をより高い精度で把握するための視座を提供することをめざす. 文献 福間良明,2017,『「働く青年」と教養の戦後史――「人生雑誌」と読者のゆくえ』筑摩書房.

報告番号202

四国遍路記に見る難所の変遷から見えてくること
早稲田大学 河野昌広

【1.目的】  本報告では、江戸時代の四国遍路記および案内本に見られる難所の記述と、現代の四国遍路記に見られる難所の記述を比較することにより、江戸期と現代において難所の変遷が見られることを明らかにするとともに、難所の変遷から見えてくる特徴を明らかにすることを目的とする。 【2.方法】  江戸時代の遍路記および案内本に見られる難所の記述と現代の四国遍路記に見られる難所の記述をテキスト分析によって比較する。用いるテキストは、江戸時代の遍路記および案内本が、澄禅「四国遍路日記」、真念「四国遍礼道指南」、寂本「四国遍礼霊場記」などの6部。現代の四国遍路記がインターネット上に掲載されている歩き遍路の遍路記25部である。現代の遍路記の分析には統計ソフトウェアのKH coderを用いてテキストマイニングを行った。 【3.結果】  江戸時代の遍路記および案内本で特徴的に見られた難所の1点目は山道(坂、峠道)であった。2点目が川であり、3点目が海沿いの道であった。  現代の遍路記で特徴的に見られる難所の1点目は、江戸期と同様、山道(山)であった。その一方で、江戸期に見られた川や海沿いの道は難所として記述されることがない。現代の遍路記で難所として多く記述されるのがトンネルである。また、犬(動物)、まむし、食事、トレイ、納経、足の痛みなどが、苦労することとして記述されている。 【4.結論】  本研究では、江戸時代の四国遍路記および案内本に見られる難所の記述と、現代の四国遍路記に見られる難所の記述には変遷が見られることが明らかになった。  山道(坂、峠道)など昔も今も変わらず難所である箇所もあるが、川や海の道などの難所の記述が消え、一方でトンネルや犬(動物)、まむし、食事、トレイ、納経、足の痛みといった、新しい難所や苦労することに関する記述が出現してきた。  川や海の道が難所の記述から消えた理由は道や治水の整備である。雨などで増水すると行く手を阻む川や、海が荒れると石が飛んできて通行が困難になる海沿いの道は、橋がかけられたり、道が整備されることにより、現代では難所ではなくなってきた。  その一方で、モータリゼーションにより車のための道が整備され、山道がトンネルなどに整備される中で、江戸時代には無かったトンネルが新しい難所として遍路記の記述に登場してきた。トンネルの中には、車の通行に特化しており、そこを歩いて通行するものことがほとんど考慮されていないようなものがある。いわば歩く道と、車のための道とのコンフリクトが生じていると言えるが、これが新しく難所となっている理由である。その他にも、犬(動物)、まむし、食事、トレイ、納経、足の痛みなどが現代的な理由により、難所や苦労することとして記述されることになった。

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