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第94回日本社会学会大会 報告要旨(11月14日(日)9:30~12:30)

報告番号203

もうひとつの「技術と記憶の関係」――モーリス・アルヴァックスの集合的記憶論における「記憶力」概念の再考を通じて
早稲田大学大学院 武内保

【目的】 本報告では、M.アルヴァックスの集合的記憶論における技術と記憶の関係を中心に取り上げ、その理論において「記憶力mémoire」概念が「〔技術を〕利用する、使用する」と言い換えられていることについて検討する。この検討を通して、アルヴァックスが提示する「記憶力」概念における中動態的な側面を指摘するとともに、集合的記憶論を論じる視角として技術と記憶の関係が重要であるという仮説を提示する。 【方法】 アルヴァックスは『記憶の社会的枠組み』において、「記憶力」を⑴他者からの、あるいは他者から受けるかもしれないと自ら想定した問いかけに対して応答するためにだけ用いられるもの、⑵一つあるいは複数の集団の影響のもとに成り立つもの、として定義している。本報告では、このアルヴァックス自身による記憶力の定義を確認し、これまで問われてこなかった前半部分⑴を後半部分⑵とともに検討する。そのために、G.アガンベンらの中動態論の視点を導入しつつ、『集合的記憶』などを参照することによって、集合的記憶論における技術と記憶の関係を提示する。 【結果】 『記憶の社会的枠組み』では、「記憶力」が言語活動との関係から論じられており、“Individual Consciousness and Collective Mind”においては、言語や経済・法・宗教に関する制度などの広義の技術には集団の記憶(力)が内在していると述べられている。さらに、『集合的記憶』において、「記憶力」は言葉や観念といった社会的環境に共通した「道具」を「利用すること」と言い換えられている。以上から本報告では、「使用する」という行為の中動性を指摘したアガンベンの議論を参照しながら、アルヴァックスが「〔技術を〕用いること」と言い換えている「記憶力」の中動態的側面を示す。 そして、アルヴァックスが、博物館・図書館や歴史記述のようなアーカイヴ的・エクリチュール的な技術によって、元々のコンテクストから剥がされ保存された記録的な記憶を記憶としてみなす論理に批判を向けていること、また、集合的記憶論には記憶を伝える技術への視点が欠けているという評価が下されてきたことを確認したうえで、アルヴァックスの記憶理論には、記憶を保存するアーカイヴのような技術の論理ではなく、言語や制度など広義の技術を用いることという「技術と使用」の論理に基づいた技術と記憶の関係が潜在していることを示す。 【結論】 アルヴァックスが「記憶力」を言語などの技術を用いることとして論じている点を中動態論から理解することによって、集合的記憶論を理解するうえでの技術と記憶の関係という視角の重要さがみえてくる。 主要参考文献  Agamben,G.,2014,L’uso dei corpi, Vicenza: Neri Pozza Editore.(上村忠訳,2016,『身体の使用』みすず書房.) Halbwachs,Maurice.,[1925]1994,Les cadres sociaux de la mémoire, Paris: Albin Michel.(鈴木智之訳,2018,『記憶 の社会的枠組み』青弓社.) ――――,1939,“Individual Consciousness and Collective Mind”,The American Journal of Sociology,44(6):812-822. ――――, [1950]1997,La mémoire collective, Paris: Albin Michel.(小関藤一郎訳,1989,『集合的記憶』行路社.)

報告番号204

情報社会における新政治経済学と承認論
首都大学東京 稲葉年計

【1.目的】  現代社会を相対的な貧困率が上昇し,「社会的排除」が問題になる新自由主義社会と,情報社会によるシステム化の両面から捉え,統合的な社会哲学を探求する.  【2.方法】  情報環境(アーキテクチャ)論の整理と拡張からレヴィ=ストロースの『野生の思考』を参照した「コミュニケーションの世界と物理的世界の接近」というモチーフを導入し,物理的世界もコミュニケーションとして捉える思考により,人々が情報システムに接近していく方向性と,一方で公的領域と私的領域の中間的ネットワークを捉えることで,情報社会において人々が共同性へと接近していく方向性とに整理することができる(福嶋 2010: 279-87).すなわち,「情報社会における情報システムへの接近あるいは共同性への接近」という構図である.また,「システムと生活世界」の関係や対立においてハーバーマス=ルーマン論争をふまえ,ホネットの承認論を参照すれば,情報社会における共同性において「承認をめぐる闘争」が1つの規範的な参照点となるだろう.ここにおいて「情報社会における情報システムへの接近あるいは共同性・承認論への接近」という構図が得られる.  また,現代社会においては「社会的排除」が問題となっている.「社会的排除」に対して,短期的に不安定な職に就かせるだけでは長期的な効果は乏しい.このような社会政策には,労働に就かせるというだけではなく「自尊」の感情が持てるなどというような何らかの参照項が必要である.ここでアクセル・ホネットは「承認」という概念において規範あるいは我々の生活形態を理性的なものとする社会存在論を問う(Honneth 2005) . 【3.結果】  以上の情報環境論に対し,さらに新自由主義社会の状況も考慮した「承認」などのフランクフルト学派の理論・思想の刷新についての研究となる.「社会的排除」という概念と同時にもう1つキーワードとなる概念は「物象化」である.それはゲオルク・ルカーチによって語られる,「人間と人間との関わり合い,関係性が物象性という性格」を持つことである.個人が経済システムに翻弄される現象である.これら他によって,新自由主義社会と情報化社会の規範的な理論あるいは社会存在論ないし哲学的人間学としてひとつの見通しの良い答えを得る. 【4.結論】  情報化によりシステム化し,また平板化・断片化した社会では,反動的に本質的な何かを求めるような心性が働いているが,また同時に,新自由主義の下で自由になった一方で「社会的排除」がなされるようになった現代社会という構図が浮かび上がる.このような現代社会において,いかなる「承認」が求められるか,あるいは「承認」という言葉以上の何かが求められるのか,このように統合的な,より全体社会を捉える構図の中でのまとまった規範理論あるいは社会存在論ないし哲学的人間学が求められる(Honneth 2005). 【文献】 福嶋亮大,2010,『神話が考える ネットワーク社会の文化論』青土社. Honneth, Axel, 2005, Verdinglichung : eine anerkennungstheoretische Studie, Suhrkamp, Frankfurt am Main(=辰巳伸知, 宮本真也訳,2011, 『物象化』法政大学出版局 .)

報告番号205

存在論/認識論の視点による対象把握についての一試論
立命館アジア太平洋大学 清家久美

【研究の背景・研究目的・方法】 これまでに研究において実在論的転回とされる新実在論の視点から見る社会学への影響について一定の到達点に至った。新実在論を提唱するガブリエルの主張は①無世界観・包括的世界の否定 ②多元的存在論、意義諸領野 ③科学主義批判・自然主義批判 ④意識の非先行性・思考以前の存在と意識の原初、以上の4つの視点によりまとめることができる。概略すると、彼の文献内に「構築主義」批判をする文章が散見されるが、それはカント哲学の枠組みへの批判であり、社会学における構築主義の批判にはなっていない。しかし言語論的転回以降の影響を受けた社会学の、認識主体の世界の差異化による世界観は、先行的認識主体を前提しない新実在論のそれとは大きく異なる。また、存在するものは意義諸領野に現出し、その存在は端的に性起する直接的な関係であると主張し、しかも意義領野は無数に存在し、それらを包括する統一的な世界は存在しないと説明している。しかしそのような世界観を前提にすると、これまでの社会学の対象把握とはどのように異なるのか、あるいは意義諸領野の現出による存在論を前提することによりいかなる方法論的な提案になるのかについての明示には至っていない。 そこで本発表は、存在論と認識論という社会科学の根本課題の視点を導入することにより、上記した新実在論の社会学への影響をさらに検討することを目的としている。 【考察と結論】 社会学ないし社会科学分野で研究する際に考えるべき根本的課題は「存在論」と「認識論」の問題である [Bryman. A 2016, Grix 2010]。存在論はより根本的な概念であり、私達の知識の対象が存在する・存在しないに関する議論を意味する。そこに2つの立場が存在し、一方は基礎付け主義・客観主義・現実主義であり、対象は認識せずとも客観的に存在する。他方の反基礎付け主義は社会的事象が存在するかどうかは私達の解釈によるという。 認識論のパラダイムとしては、実証主義、批判的実在論、解釈主義が存在し、実証主義は、存在論的には基礎づけ主義に位置づけられる。すなわち私達の知識とは関係なく世界は存在しており、社会現象は客観的に捉えることができると考えるため、自然主義的なアプローチが取られることも多い[野村2017]。解釈主義は実証主義とは対局に位置する。社会は言説的に構築されており、存在論的には反基礎づけ主義に属する。理解社会学、現象学的社会学、そしてシンボリック相互作用論の主に3つの理論に整理され、近年社会学において中心的な態度である社会構築主義は、解釈主義的認識論に位置づけられる。[Bevir and Rhodes 2003]。 ガブリエルの主張は、人間の認識によって世界や社会は構築されず、存在は認識によって左右されないという点で、基礎づけ主義であるとも言うことができ、また自然主義は一つの意味の場として相対化され特権的な位置づけとはならないため、実証主義は批判される。すなわち彼の主張は「存在論的多元主義」と「存在論的実在論」によって特徴づけられる「意義領野の存在論」であり、存在論と認識論の二項対立図式では説明できない。基本的には存在論側に位置づけられ、しかし同時に「意義領野」を検討する際に認識論を含むわけで、それはすでに存在論と認識論の二項対立図式を超克すると結論づけられる。

報告番号206

Biographic Narrative Interpretive Method (BNIM)の概要と展望
CIOL, SoA  ウォーターズめぐみ

目的 本発表は、Narrative Analysisの一例として、翻訳予定の文献の内容およびその後の多方面での発展紹介と、手法の更なる可能性を議論の場に提示する事を意図するものです。 主文献:Wengraf,T (2001) Qualitative Research interviewing: biographic narrative and semi-structured method, Sage Publishing, London, UK
方法 主にBiographic Narrative Interpretive Method (BNIM)の手法と、時系列に沿った主観的体験データの解釈・分析法、及び具体的事例から主観と間主観性の問題に正面から取り組み様々な仮説・理論検証に使われてきた経緯を紹介します。特にBNIMの一部であり柱ともなるSingle Question Inducing Initial Narrative (SQUIN)では、話者の参加による「キューフレーズ」と意味の選択、「間(ま)」の意味を問う作業が行われ、Narrativeの発生段階からより深く踏み込んだアプローチがなされています。
研究の結果 これらの手法はライフヒストリーのインタビューセッションを通じ、個人の経験の進展と時代体験、感情の記憶や主体にとっての意味等を拾い評価分析すると同時に、背景の出来事や社会的コンテクスト、親族や出来事の当事者他の人間関係も抽出・構造化でき、エスノグラフィー研究に役立つとともに、内容をコードとして用いる事で精神医学・カウンセリング他の事例と比較検討できるよう、目的に応じて多層的に、過去20年間発祥地のイギリス内外で使われてきました。EUの各国比較研究プロジェクトSocial strategies in Risk Society (SOSTRIS, 1997-2000)や、十代の妊娠や家庭問題・家族史、学校生活とその後の人生への影響、雇用、友人関係の分析等が挙げられます。
結論 BNIMが使用された研究は、歴史的・社会的・政治的に幅広い主題を扱っています。ジェンダーや世代、社会階級等の多様性を捉え、また特定の体験の把握(家庭内暴力、薬物やアルコール依存症、障害、うつ、若年層の家族のケア体験、社会サービスを受ける経験とその影響、強制中絶、近親者や親友との死別等)基づく臨床的な報告・政策提言等も行ってきました。 更に今後、情報処理技術の進展と併せ、この手法がより一層幅広く役立つ事も期待されると思われます。
なお本発表は、著者のTom Wengraf教授および出版社のご理解と支援を受け行うものです(Wengraf教授はゲスト等としてZOOMセッションに参加可能です。報告は日本語で行う予定ですが、教授が参加できる場合、その部分は英語で行う事になります)。

報告番号207

日本の人口減少,その原因と帰結
札幌市立大学 原俊彦

1.背景・目的  日本の総人口は2008年の1億2808万人をピークに減少期に入り,2015年の国勢調査結果は1億2709万人で,前回調査から5年間で96万人0.8%の減少となった.わずか5年ほどで100万都市一つ分に近い人口が消滅し,人口減少が初めて全国的課題として意識されるようになった。とりわけ、生産年齢人口(15~64歳)は1995年の8,716万人から2015年の7,629万人まで,すでに1,000万人以上(12.5%)減少し,今後も加速する少子高齢化と人口減少の影響が生活実感として理解され始めている。  ここでは日本の人口減少を今後本格化してゆく世界的な人口減少の先行事例として捉え、その原因を歴史的な「第一と第二の人口転換」に求め、その帰結について考察し、長期的な人口減少への対応を検討する。 2. 日本の人口減少  1950年から直近の2018年まで日本の人口動態は自然動態が中心であり、社会動態(国際人口移動による純移動数)の影響は極めて小さい(例外は1972年の沖縄返還)。この自然動態が2007年以降、減少に転じたことにより、日本は長期の人口減少期に入る一方、2012年頃から社会動態(国際人口移動の純移動)が徐々に増加し始め、わずかながらも人口減少を緩和している。さらに、この変化を1873年から2019年までの長期の自然動態(普通出生率・普通死亡率・自然増加率)でみると、多産多死から少産少死へと向かう「第一の人口転換」と、さらに少子高齢化(出産可能年齢の女性の人口減少と死亡リスクの高い高齢人口の増加)が進み、普通出生率と普通死亡率が逆転し自然増加率がマイナスに転じる「第二の人口転換」が確認できる。 3.第一・第二の人口転換の原因  日本の「第一の人口転換」は、明治以降の近代化を契機に社会資本の蓄積が進み、女性の平均寿命が延伸、再生産期間の生残率が50%から100%に近づいたことにより人口置換水準の子ども数が4人から2人まで低下、多産・多子のリスクが高まり、最終的に2子に向けての出生抑制が進んだことが原因となった。これに対し「第二の人口転換」では、結婚・出生タイミングの選択が自由化し、晩婚・晩産化が進み再生産期間の実効性が低下したことに原因があり、結果的に非婚・無子・1子割合が増加し出生力が人口置換水準以下に留まるようになったといえる。 4. 帰結:社会・経済・文化的課題  人口が増加する場合には人口成長自体が社会資本の蓄積・生産の拡大を推進するため問題の解決は比較的容易である(パイの拡大・トリクルダウン)。しかし人口が減少する場合には、人口の縮減自体が社会資本の蓄積を遅らせる一方、社会システムを人口規模の縮減に合わせ再編し続けなければならない(パイの縮小・吸い上げ)。需要の縮減、コストパフォーマンスの低下、不断の生産性の上昇の必要性、労働需要の質的・量的変化、再分配を巡る格差の拡大、自然環境やインフラ環境の維持・更新、国際人口移動への対応、性・年齢・階層・地域間の利害対立の調整、意思決定・合意形成の困難化など、人口減少がもたらす社会・経済・文化的課題は多い。しかし、当面、人口減少は止まらないと考えるべきであり、人口減少を止めることをめざすのではなく、人口減少に社会経済文化システムを適応させてゆくことが求められているといえよう。

報告番号208

リスク回避意識は晩婚化をもたらすのか
早稲田大学 小島宏

山田(2020)は日本の少子化の要因として「将来の生活設計に関するリスク回避の意識」と強い世間体意識と子育てプレッシャーを挙げている。実際、内外のミクロデータの分析によれば、若年者のリスク回避意識が強いと性行動が抑制される傾向がある。しかし、欧米のミクロデータの分析ではリスク回避意識が強いと結婚が促進されることが見いだされているし、日本でも佐藤(2016)や野崎(2007)によりリスク回避意識が強いと結婚が促進される傾向を見いだされている。特に、女性にとって結婚が保険機能をもつためといわれる。リスク回避意識といっても性行動と結婚行動のどの側面についてのリスクかによって効果は異なるように思われる。性行動についても性感染症や妊娠のリスクを回避する意識によって抑制されるかもしれないが、相手との関係性を壊すリスクを回避する意識は逆に促進するかもしれない。また、結婚にしても見合結婚や職縁結婚が減少し、潜在的結婚相手の見えにくい属性を自ら確認しなければならない状況では結婚後のリスクを回避するため、婚前同棲が増加している可能性もある。  そこで、リスク回避意識を表す独立変数を追加して性行動と同棲後婚に関する2つのミクロデータを男女別に再分析することとした。性行動に関するデータは2000年11月から2001年1月にかけて日本性科学情報センター(調査代表:島崎継雄)によって全国各地の大学で実施された「日欧性行動・意識・価値観比較調査」である。同棲後婚に関するデータは謝辞に示した2009年の「結婚と出産に関する調査」である。  性行動調査の2021年日本家族社会学会大会用のCox回帰分析では男子学生で「流行追うの好き」賛意が初交促進効果をもち、女子学生で流行追うの好き」賛意、「結婚は永遠」賛意が初交促進効果をもつことが見いだされ、リスクに関する意識が関係することが示された。その拡張モデルでは、「交際開始直後の男性の性交渉提案への女性の対応」「交際開始直後の女性の性交渉提案に対する男性の対応」で後者についての拒否の予想は男子において初交抑制効果をもち、前者についての拒否は女性において抑制効果をもつが、リスク回避意識を示しているものと思われる。しかし、人間関係のリスクを避けるための消極的承諾は有意な効果をもたなかった。他方、2009年調査では多項ロジットモデルで保険加入の同棲後婚に対する効果を検討した。有配偶男性では夫婦無保険は有意な効果をもたないが、補償額夫10割妻⓪割が結婚を決めてからの同棲に負の効果をもち、6か月以下と18か月以下の同棲に正の効果をもった。有配偶女性では夫婦無保険が同棲後婚全体に正の効果をもった  結局、リスク回避意識は必ずしも性行動や結婚を抑制しないことが示された。この効果は野崎(2007)が結婚について示したように学歴別性比といった人口学的コンテクストよっても異なる可能性がある。近年の米国の研究でも大学生の性行動がキャンパスや学部の性比によって左右されていることが示されているが、本研究と予備的研究でも文学部の男子学生の性行動が抑制され、経済学部の女子学生の性行動が促進されている。 謝辞:二次分析に当たり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブから「第5回結婚・出産に関する調査,2009」(明治安田生活福祉研究所)の個票データの提供を受けました。

報告番号209

農村直系制家族における世帯形成と世代更新の変化――長期追跡研究より
和洋女子大学家政学部 佐藤宏子

【1.目的】 本報告は,農村直系制家族が直系的な世代継承をどのように持続または変化させたかという視点から,1980年代からの世帯形成と世代更新の変容過程を明らかにする. 【2.方法】 日本有数の茶生産地である静岡県藤枝市岡部町朝比奈地域において1982年,93年,2005年,2014年にパネル調査を実施した.分析対象者は82年に30~59歳の有配偶女性で,4時点のパネルデータが完成した239人,239世帯である.本研究では,対象者を「MC1」(1945~54年結婚),「MC2」(1955~64年結婚),「MC3」(1965~79年結婚)に区分した.世帯形成の世帯タイプは,子世代が結婚して対象者世代と同居した「子世代更新」,子世代夫婦に加えて孫が結婚同居した「孫世代更新」,子世代が進学・就職・結婚などによって他出したため「夫婦のみ」または単独世帯へ移行した「更新困難」,同居子が未婚で世代更新が未確定の「更新未確定」に分類した.また,「子世代更新」と「孫世代更新」を合わせて「次世代更新」,総世帯に占める「子世代更新」と「孫世代更新」の合計割合を「次世代更新率」とした. 【3.結果】 (1)2014年の次世代更新率は「MC1」70.1%,「MC2」37.9%,「MC3」26.0%で,「MC1」は「MC2」と「MC3」よりも有意に高いことから,「MC1」では世帯形成における直系的な世代継承が持続しているが,「MC2」と「MC3」では直系的な世代継承を持続することが困難になっている.(2)世帯形成の主要経路は,「MC1」では4時点を通して「子世代更新」を持続した世帯と,93年に「子世代更新」へ移行した世帯が6割弱に達している.一方「MC3」では,4時点を通して「更新未確定」を持続した世帯が最も高率で3分の1を占めている.(3)2014年における「更新未確定」の同居未婚子・最年長者の平均年齢は,「MC1」が58.6歳,「MC2」が49.4歳である.「MC3」の世代更新は停滞しており,2014年の「更新未確定」の大半が「あとつぎの結婚難」に直面し,世代更新が困難な状況になっている.(4)「MC1」では70年代までに7割強の世帯で子世代の結婚が開始されており,「あとつぎの結婚難」の影響をほとんど受けることなく農業経営の次世代への継承と世代更新を実現している.「MC2」は茶生産の最盛期をすぎた80年代後半が子世代の結婚開始のピークであり,「あとつぎの結婚難」の影響を受けた最初のコーホートである.「MC3」は深刻化した「あとつぎの結婚難」のもとで次世代の世帯形成を余儀なくされている.(5)「更新困難」「更新未確定」「次世代更新」を従属変数とし,結婚コーホートなどの13の独立変数とのロジスティック回帰分析を行った.この結果,世代更新を有意に進める要因は[結婚コーホート:MC1](1982,1993,2014),[介護の方法:子どもによる介護](1993),[農業継承期待意識:継がせようと思っている](2005,2014),世代更新を困難にする要因は[夫の出身地:岡部町](1993,2005),[世帯職業:専業農家](1993),[農業継承期待意識:継がせようと思っていない](1993),[長男の同居扶養規範:どちらともいえない](2014)であった. 【4.結論】 茶生産の停滞,あとつぎの結婚難が深刻化した90年代以降も,多くの農家が直系家族による茶生産の継承を志向し続けたために,未婚子が親と同居を続ける「更新未確定」が増加し,直系的な世代継承が困難になるばかりでなく,多様な世帯形成の道筋が抑制された.

報告番号210

夫婦の勢力関係の計量分析
神戸学院大学 永瀬圭

1 目的  日本では1990年代以降、夫婦関係が不安定化していると言われる。それは、経済的な不安定性に加え、女性の結婚後の就業率の上昇やジェンダー平等志向の高まりといった意識(規範)と実態の双方の変化を受け、夫婦の勢力関係が従来に比べて平等化したためとされる(稲葉ほか2016)。しかし、日本における夫婦の勢力関係(夫婦の意思決定のあり方)に関する調査研究は1960~1970年代におこなわれたものが多い。それらには、多変量解析をおこなったものはほとんどなく、意思決定の領域として取り上げているトピックも限られている。そこで、夫婦間の意思決定という側面から詳細な分析をおこないその実態を明確にし、夫婦が対等な関係性を有しているのか、それとも男性優位の関係性であるのかについて検証したいと考えている。  本報告では、夫婦の社会経済的地位のバランスの影響に注目して、夫婦の勢力関係の様相およびその規定要因に関する分析をおこなう。 2 方法  分析には、生命保険文化センターが1994年におこなった「夫婦の生活意識に関する調査」を用いる。本報告では、20~39歳の有配偶者を分析の対象とする。  勢力関係を従属変数、夫婦の学歴と収入の組み合わせを独立変数、分析対象者の教育年数、収入(女性の分析の場合は配偶者の収入)、年齢、子どもの有無を統制変数として、男女別に順序ロジスティック回帰分析をおこなう。勢力関係の指標としては、(1)お出かけ、(2)耐久消費財購入や支出額の大きな買物など日常の生活費以外の支出、(3)不測の事態に備えた家庭の預貯金について、夫婦間の最終決定への影響の大きさを尋ねた項目を用いる。(2)に関しては、現実(誰の影響が大きいか)だけではなく理想(どのように決定するのが良いと思うか)も尋ねているので、理想と現実にずれがあるのかどうかもあわせて検証する。 3 結果  現時点で得られている分析結果は、次のとおりである。まず、お出かけに関しては、夫のほうが学歴が低い場合に最終決定への影響が小さくなること、妻の収入が夫婦の総収入の25%未満の場合に妻の影響が大きくなることが示された。次に、日常生活費以外の支出に関しては、夫のほうが学歴が低い場合に影響が小さくなること、妻の収入が夫婦の総収入の25%以上50%未満の場合に夫の影響が小さくなり、妻の収入が夫婦の総収入の25%未満の場合に妻の影響が大きくなることが示された。さらに、預貯金に関しては、夫婦の学歴が同じ場合に妻の影響が大きくなること、妻の収入が夫婦の総収入の25%未満の場合に夫の影響が小さくなり、妻の収入が夫婦の総収入の50%未満の場合に妻の影響が大きくなることが確認された。 4 結論  現時点での分析の結果からは、夫婦の相対的な社会経済的地位は部分的に最終決定への影響の大きさと関連することが明らかになっている。最終的な分析結果とその解釈については、当日に報告する。 謝辞  二次分析に当たり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブから「夫婦の生活意識に関する調査、1994」(生命保険文化センター)の個票データの提供を受けました。 文献  稲葉昭英・保田時男・田渕六郎・田中重人,2016,「2000年前後の家族動態」稲葉昭英ほか編『日本の家族1999-2009:全国家族調査「NFRJ」による計量社会学』東京大学出版会,3-21.

報告番号211

感覚的活動としてのケアの社会的分有に関する一考察――産後ドゥーラによる「調理」支援を事例に
東京大学大学院 柳田ゆう花

1.目的 近年のケア研究においては、ケアが「世話すること(caring about)」を意味するケアの作業となるためには、ケア提供者がケアの受け手の状況、状態、嗜好、社会関係などを広く感知し(feeling)思考する(thinking)「感覚的活動(sentient activity)」という見えない営為が必須であること、そしてケアの感覚的活動は家庭内では女性に偏重して成されていることが明らかになり、感覚的活動を家庭内でいかに分有するか、また家庭外のケアラーといかに分有し得るかを「社会化」の一途として検証する必要が指摘されている。 本研究は、産後ドゥーラという家庭外のケアラーが「調理」に関してケア依頼者との相互行為の中で行う感覚的活動を分析し、家庭内外での感覚的活動の分有について検討する。産後ドゥーラとは、産前産後の母親を依頼者とし、依頼者の家庭で家事・育児に関するあらゆるニーズを受け持つことが可能な有資格の女性のケアラーである。近年の母親のニーズに見合ってか需要は伸び人手不足の状況で、首都圏では子育て支援政策のもとで利用料金の一部が自治体の助成適用となる自治体も増え、制度化されたケアとしての普及が予測される。 2.方法 本研究は「家事・育児支援サービスの範囲について」と題し、東京都内で自治体の助成対象の産前・産後支援を行っている産後ドゥーラ13名を対象に半構造化インタビュー調査を行い、「調理」に関する語りを抜粋し一次データとした。 3.結果・結論 本調査では、第一にインタビュー対象者13名全員が、母親から最も頻繁に依頼される支援は「調理」と回答し、支援時間外に拡張した一連の相互行為として「調理」をとらえていた。第二に「調理」に関する具体的な感覚的活動としては、「調理」を含めたケアを可能とするためのコミュニケーション的活動(依頼者はどんなコミュニケーションを望むか、健康状態・精神状態、性格、ケア意識についての思案)から始まり、「調理」を可能とするための活動(よく使う台所設備・調理器具、味付け、食物アレルギーについての思案)、献立を決めるための活動(誰がいつ食べ得るか、使用可能な食材・残り物、望まれている買い出し方法、献立の提案の程度についての思案、前日後日あるいは他のケアラーの献立との調整)、実際に調理を行いながらの活動(想定外のケアニーズとの調整)、配膳に関する活動(盛り付け、使用可能な食器、保存方法についての思案)、片付けに関する活動(「綺麗」の基準、支援時間後の台所や食卓の使いやすさへの思案)、そして次回以降のための活動(当日の支援への満足度、次回以降の要望への思案)を一例とする一連の活動の連鎖があった。第三に、産後ドゥーラには、依頼者のニーズを予期し、自身が想起し得るかぎりのケアニーズを充足するための選択肢を思い浮かべ依頼者に提案するこのような感覚的活動を依頼者と協働で行う行為そのものが、依頼者に「寄り添う」重要なケアと位置づけていた。

報告番号212

家族をケアする女性が「病者」になるとき、誰に支えられるのか――乳がんを経験した女性の語りから
立教大学 菅森朝子

【1.目的】本報告は、「母親」「妻」「娘」として家族のケアや家事を行い「私的領域のただ一人の責任者」(牟田 2009:98)とされる中年世代の女性が「病者」になるときに、女性たちは誰に支えられるのかを明らかにするために、中年世代の女性に多い慢性疾患である乳がんを経験した女性の語りに着目して考察する。 【2.方法】乳がん経験した19名の女性に協力を得て、半構造化インタビューを実施し、乳がんが発見されてから現在に至るまでを振り返って語ってもらった。本報告では、そのうち家族との関係に関する語りに着目して分析・考察を行った。 【3.結果】家族との関係では、治療中に夫や子どもが積極的に家事を代わってくれたこと、励ましの言葉をかけてくれたことや「目にみえない配慮」(Strauss 1984 =1987:137)によってアイデンティティが支えられ、ケアされたことが語られた。他方で、病気を経験していない家族に痛みや辛さを共有することは難しく、家族に気づかれないまま家事を要求されることへの不満、女性が家族の「情緒安定の場」(牟田 2009:70)を維持することを優先させて辛さや落ち込みを表出せずに孤立してしまうことが語られた。病者の女性が家族の中でときに強い閉塞状況に追い込まれてしまうことが見えてきた。本研究の語りでは、家族に「ケアされない」ことの語りの直後に同病の女性と家族に「ケアされない」ことを共有することが確認された。思いをぶつけ合い「一緒である」と確認することでストレスが解消され、心が軽くなる。同病の女性との関係について「家族とのいざこざを乗り越えてたどりつくオアシス」と表現する人もいた。 【4.結論】中年世代の女性が「病者」になるときに、家族に支えられることもあるものの、同じような立場を共有する同病の女性に支えられる人は多い。女性たちは、病いによって「閉ざされ」ているだけでなく、家族を情緒面でサポートする役割を持つ「私的領域のただ一人の責任者」であるがゆえの「閉ざされ」た状況に置かれている。そのような中で同病者に出会うことは、二重の意味で「閉ざされ」た状況から「開かれる」経験である。同病の女性同士の親密な支え合いを生み出している。本報告で取り上げる語りは、「主婦役割」を持つ女性の語りが中心になった。多様な家族形態を生きる女性の病いの経験については、追加の調査が必要で今後の課題として残る。 【参考文献】 牟田和恵,2009,「ジェンダー家族のポリティックス――家族と性愛「男女平等」主義を疑う」,牟田和恵編,『家族を超える社会学――新たな生の基盤を求めて』,新曜社,67-89. Strauss,Anselm L,1984,CHRONIC ILLNESS AND THE QUALITY OF LIFE,Saint Louis:Mosby Company.(=1987,南裕子・木下康仁・野嶋佐由美,『慢性疾患を生きる ケアとクオリティオブライフの接点』,医学書院.)

報告番号213

「教育虐待」概念の形成と変化――「教育虐待」概念のループ効果の検討
一橋大学大学院 山岸諒己

【1. 目的】  本研究は、臨床心理士の武田信子らによって形成され新書や新聞を通じて社会に浸透しつつある「教育虐待」概念を、それがどのような背景によって可能になっており、どのように利用されているのか、という点に着目して検討する。 【2. 方法】  本研究は、Hacking (1995, 1999)の「児童虐待」概念の研究、およびその考え方を実際の概念の使用において記述するものとして展開した概念分析(酒井ら 2009, 2016)の方針に立脚する。  データとして用いるのは、武田(2021)やおおた(2019) 等の教育虐待に言及しているテクストである。本研究においては、これらのデータを“テクストを記述する実践”として捉える。 【3. 結果】  かつての“子どもへの残酷な行為”と区別される児童虐待の特徴としてHacking (1995)は①階級差がなく、②究極の悪として扱われ、③性的な行為に関係し、④専門的な対処を要求すること、をあげている。教育虐待は、③以外の特徴をもつものとして形成され現在用いられている。したがって、教育虐待は児童虐待に連続したものとして扱うことができる。 また、「教育虐待」概念は武田らの思惑とは別に、その意味合いを変えて受容され用いられている。これはループ効果 (Hacking 1999; 酒井ら 2009, 2016)と呼ばれる。具体的には、「教育虐待」は当初、日本の教育環境の問題化を狙って発信されたものであったが、それが個々の親や教員に帰責するものとして受容されている。 【4. 結論】  武田(2021)自身が述べるように、「教育虐待」概念は形成時からその考え方の伝播を視野に入れていたが、その帰結として「言葉が独り歩き」し当初の考え方とは異なったものとして受容されることとなる。  そのような受容がされるのは、社会成員の多くがまず思いを馳せがちなのは、特定の人物間(親-子)において生じた(得る)行為であるからなのかもしれない。また、教育虐待に相当する経験を指しかつ強い道徳的な要請を喚起する概念が、私たちの生きる社会にはなかったからなのかもしれない。  「児童虐待」概念と同様に (Hacking 1999)、「教育虐待」概念は、かつて虐待とされなかったことが虐待として記述可能になることで、過去の出来事が虐待として再経験され被害を告発可能になったり、虐待加害者になることを恐れたりすることが可能になるということ等を通して、規範を伴って人びとの社会生活の組み立てに影響を与え得る。そして、概念が変化して受容されるとき、そこにはそのようにその概念を受容する背景があるはずだ。そこに、人びとの社会生活の一側面を捉えるきっかけがあると考える。 主要文献 Hacking, I, 1995, Rewriting the Soul: Multiple Personality and the Social of Memory, Princeton University Press. —-, 1999, The Social Construction of What?, Harvard University Press. おおたとしまさ,2019,『ルポ 教育虐待――毒親と追いつめられる子どもたち』ディスカヴァー・トゥエンティワン. 武田信子,2021,『やりすぎ教育――商品化する子どもたち』ポプラ新書. 酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生編著,2009,『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』ナカニシヤ出版. 酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生・小宮友根編著,2016,『概念分析の社会学2――実践の社会的論理』ナカニシヤ出版.

報告番号214

母子世帯の貧困はなぜ維持されるのか? ――就労をめぐる生活戦略とその帰結に関する質的分析
日本福祉大学 末盛慶

【1.目的】  ひとり親世帯、特に母子世帯の貧困が指摘されて久しい。ひとり親世帯の相対的貧困率は1985年から近年に至るまで5割前後となっている。世界的に見て日本のひとり親は厳しい状況に置かれている。 こうした数字からは、①ひとり親世帯の相対的貧困率はなぜ高いのか、そして②ひとり親世帯の高い相対的貧困率はなぜ維持されるのかという2つの問いを設定することができる。本報告では、後者の問いに焦点をあてる。具体的には、構造化理論、社会的排除に関する概念や理論を援用しながら、以下の研究課題を設定した。①シングルマザーは、所得の確保や向上に際し、どのような構造的制約を受けているのか、②構造的制約の中、所得の確保や向上に向けてシングルマザーはどのような生活戦略をとっているのか、③その生活戦略はどのような帰結を生み出しているのか。 【2.方法】  調査方法は質的調査法である。具体的には、個別インタビュー法を用いた。研究協力者は、中部圏に在住するシングルマザー9 名である。調査時期は、2018年2月から現在までである。本調査は、日本福祉大学「人を対象とする研究」に関する倫理審査委員会の承認を得た上で実施している。 【3.結果】  以下、所得の確保・向上を試みた事例を中心に結果を述べていく。 <シングルマザーの所得の確保・向上を阻む構造的制約>  婚姻中に、夫の意向で仕事を辞めさせられることがあり、自分自身のキャリア形成が制約されている。加えて、離婚に関わるメンタルの消耗があり、すぐ就職活動に向かうエネルギーがない状態になる場合もある。加えて、ひとり親になった時、子育て責任を女性が担うべきという性別役割規範により、自由に求職活動ができない制約を抱えている。 <構造的制約のものでの生活戦略>   構造的な制約の中でも、シングルマザーは様々な生活戦略を繰り出しながら、所得向上を試みている。ある親は、ひとり親対象の就労支援制度を用いて資格を取得し、自治体系病院の医療職(非正規)に就くことができた。その方はさらに常勤職の医療職に転職を試みた。 <生活戦略の帰結>  転職した先の常勤職が原則残業なしの職場で、以前と比べて所得の向上がほとんど見られなかった。ひとり親の就労支援制度を活用し、さらにステップアップして常勤職への就職をかなえた状況であっても、所得の上昇がみられない場合がある。 【4.結論】  シングルマザーが所得を確保し、向上させていくためには、幾重にも重なる構造的制約を乗り越えていかなければならない。そして仮に所得向上に向けて取り組んだとしても、結果的に所得の上昇には結び付かない場合がある。社会学的に言うならば、シングルマザーは自身のエージェンシーを発揮しており、合理的にも行為している。それでも所得は明確な上昇を描いていかない可能性がある。  シングルマザーが所得向上に向けて合理的な生活戦略をとっていても所得が伸びない理由としては、日本の低賃金構造とジェンダー構造の2つを指摘することができる。  本報告における今後の課題としては、所得を向上させるという生活戦略をそもそもとろうとしないシングルマザーに関する分析等があげられる。今後、検討を深めていきたい。

報告番号215

「宗教2世」問題の社会問題化の過程とその背景――宗教・家族・教育・社会の複合的観点から
上越教育大学 塚田穂高

「宗教2世」――特定の信仰・信念を持つ親・家族とその宗教的集団への帰属と影響の元で、幼少期からその教えに基づく教育やしつけなどを受けて育った子ども世代――が抱える生きづらさや悩みといった問題が、急速に社会的注目を集めつつある。ここ数年で「宗教2世」の体験をつづったマンガや書籍類の刊行が相次ぐとともに、ウェブメディアを中心に告白・告発調の記事が目立つようになった。2021年にはNHKで立て続けに3本の関連番組が放映されたのも注目に値する。SNS上では、当事者による大量の発信があり、その悩みを共有するサイトや、自助グループの活動なども見られる。  しかし、「宗教2世」という存在自体は真新しいわけではない。むしろ、現在の日本社会における自覚的信仰者の半数以上、あるいはほとんどが「宗教2世」だと言っても過言ではないだろう。そうした人びとのなかでの「生きづらさ」や「悩み」がクローズアップされ、社会問題化するとはどのようなことであるのか。こうした点への社会学的アプローチの試みは、管見のかぎり十分に行われていない。  よって、本報告では、「宗教2世」問題が社会問題化した過程を追ってその問題の具体像を示すとともに、それをめぐる議論の特性と背景要因について明らかにすることを目的とする。特に、宗教集団の社会的布置をめぐる宗教変動、親子・家族関係と教育における議論の変化、当事者のクレイム申し立てとその社会的受容のあり方などが、この問題の発生・展開において大きな位置を占めていることの解明・分析を主たる課題とする。研究方法としては、文献資料とメディア報道・記事類を用いたコンテンツ分析を行う。  まず、「宗教2世」についての研究史を概観する。主に宗教社会学の領域において、特に新宗教運動の「2世信者」として議論されてきたこと、世代間信仰継承や信仰形成・獲得の過程として捉えられてきたこと、そこには調査方法論上の規定性があったことを示す。  次に、現今の「宗教2世」問題の社会問題化の過程について、その具体相を明らかにする。当事者の声がSNSの普及と利用によって、拡散・拡張され、共有されて展開してきたことを示す。さらにそこから種々のメディアでの発信・取り上げにつながったことを述べる。そしてそこには、問題告発の一定の傾向性、パターン、当事者の属性などがあることを分析する。  続いて、宗教集団の特性と宗教変動の側面を論じる。特定教団の「宗教2世」からの声があがりやすく問題化しやすい状況を踏まえ、「カルト問題」との関連で分析を行う。また、新宗教運動に代表される教団宗教の教勢が停滞・漸減状況にあるなかで、この種の問題が前景化してきた原因を述べる。  さらに、虐待や「毒親」問題などの家族関係についての社会問題化の状況や、学校教育と家庭教育のバランスと役割をめぐる議論の動向にも目を配りながら、「宗教2世」問題を位置づける。  以上の議論の結果、「宗教2世」問題が、こうした諸変動・変化が複合的に絡まり合うなかで生起した社会問題であることが解明される。結論として、本報告のような作業は、この種の問題の社会学的検討の有効性を示すとともに、同問題を単独の原因に帰す(例えば「宗教問題」のみであるかのように)ことの危うさや、社会問題を学的検討対象に取り上げることの社会的影響などについても注意を喚起するものとなるだろう。

報告番号216

近現代日本における家族の食をめぐる語りの変容――新聞記事の分析から
東洋英和女学院大学 野田潤

1.目的 本報告の目的は、近現代日本の家族において「手間をかけた手作りの食」と「愛情」を強く関連付ける解釈枠組がいつ頃成立し、現代に至るまでどう変容してきたかを、新聞記事の通時的分析から検証することである。諸先行研究からは日本の家族の近代化がとりわけ食卓をめぐる論理と密接に絡み合いながら進んできたという歴史的経緯が示されており、本研究はこうした日本特有の家族の近代性についての知見を深める手がかりともなりうる。 2.方法 手作り料理と「愛情」の論理の結びつきを探るため、まずは新聞紙面上の弁当をめぐる語りを通時的に分析した(①)。次に家庭料理の語られ方と、そこで想定されている手間の変化を見るため、新聞紙面上の家庭料理のレシピ記事を通時的に分析した(②)。さらに補完として「食と愛情」「一汁三菜」をめぐる新聞紙面上の語りを通時的に分析した(③)。資料の収集方法はそれぞれ以下の通りである。①については『読売新聞』のオンラインデータベース「ヨミダス歴史館」にてキーワードまたは見出しに「腰弁」「愛妻弁当」「愛情弁当」を含む記事を検索した(1874年~現在)。②は『読売新聞』の婦人・家庭欄に掲載された家庭料理のレシピ・献立記事を分析し、内容や力点のおかれ方の変化を検証した(1915年~現在)。③は「ヨミダス歴史館」でキーワードに「献立+愛・愛情」または「食+愛・愛情」または「一汁三菜」を含む記事を検索した。いずれの分析でも量的な変遷に加えて、語られ方の質的な変化にも注目した。 3.結果 まず①の弁当については、(1)1960年代半ばに「腰弁」という言葉が消え、代わりに「愛妻弁当」という言葉が出現した。(2)従来は家計や衛生・栄養面から語られていた妻の手作り弁当が、1960年代から愛情の論理で語られるようになった。(3)手作り弁当を愛情と結びつける語りは現代まで根強く見られる。次に②の家庭料理のレシピ記事については、(1)新聞紙面上で日常食のレシピが連載され出す大正~戦前期には模範献立がしばしば示されたが、その多くは一汁一菜や一汁二菜、無汁一菜や無汁二菜だった。(2)大正期~1960年代半ばまでは費用・カロリー・蛋白質量が重視され、品数への注目は薄かった。(3)1960年代半ばにカロリーと蛋白質量への言及が消え、料理の質への言及が増えた。(4)1970年代を通じて調理の手間が増大し副菜への注目も増したが費用への言及は消えた。(5)1980~90年代初めにかけて一汁三菜の献立が標準視されるようになった。(6)しかし1990年代半ば以降は時短や省力化への意識が強まっている。また一方で③の家族の日常食と愛情を結びつける語りは1960年代から出現し、現代まで根強い。さらに「一汁三菜」を見出しに含む記事はむしろ1990年代以降に増加する。 4.結論 日本で家族の食と愛情を結びつける解釈枠組は1960~70年代を通じて成立・定着したといえる。分析②に見られる手作り料理の水準の上昇は、こうした愛情言説によって支えられていったとも考えられる。その後、現代では時短や省力化も意識されるが、一方で手作り弁当と愛情の結びつきは根強く、一汁三菜を強調する語りも多い。現代は2種類の矛盾する言説が併存しており、時短や省力化・外注化をめぐる日本の既婚女性の抵抗感や罪悪感は、今後とも残り続ける可能性がある。 【謝辞】本研究はJSPS科研費 20K22169の助成を受けたものです。

報告番号217

東京における都市貧困層の動態(1)――(1)労働過程と貧困化
東京学芸大学 山口恵子

1.目的  グローバルシティ・東京の階層構造・変動は,主に東京23区を対象として,世界都市論などで盛んに論じられてきた(Sassen 2001=2008,園部 2001,町村 2002,上野 2020ほか).また階層構造と空間構造の関係について,東京の社会地区分析(倉沢編 1986,倉沢・浅川編 2004)が行われ,近年ではとりわけ格差と空間の関係について,都心―郊外の「アンダークラス」の空間分布が論じられている(橋本・浅川編 2020).他方で階層下方の都市貧困層については,ホームレス状態や移民に関する多くの実証研究が積み重ねられている.本研究プロジェクトではこれらの先行研究を踏まえつつ,階級,ジェンダー,エスニシティの不平等を架橋した都市貧困の現代的な動態について検討する.本プロジェクトの目的は,東京(圏)において都市貧困がいかに編成されているのか,だれがどのように下降圧力(および底辺停滞)を受けているのか,その過程を明らかにすることである.現代社会における東京の貧困の編成に関して,階級のみならず,ジェンダー,エスニシティの不平等生成の過程を視野に入れた,総合的な都市研究を行う. 2.方法・対象  研究対象は東京(圏)を中心とした貧困層であり,具体的には野宿者層,過去にホームレス状態の経験がある層,生活困窮者層(生活保護受給者等)である.主に2018年9月から一人1~2時間ほどの聞き取り調査を継続的に行っており,現時点までに路上での直接依頼(16ケース),および2つの支援団体からの紹介(11ケース)によって調査協力を得ている.属性の内訳は,性別が男性22人,女性4人,それ以外1人,年齢が30代以下4人,40・50代5人,60代以上18人である.分析では過去の量的・質的調査の結果や統計・資料等を合わせて参照する.本研究プロジェクトでは,労働過程と貧困化,福祉の制度利用と貧困化,住宅・居住経験とジェンダー不平等,「ホームレス」や「不法滞在」に関する政策形成過程の4つの側面からのアプローチを準備しているが,今回の連携報告では前三者について報告を行う. 3.結果・結論  本報告では,労働過程と貧困化に焦点を当てて論じる.調査協力者の多くは低学歴であり,職業の開始時から低位な労働条件である場合が多かった.そして,その後も体の不調や借金,家族・恋人との関係,福祉受給などに左右されつつ,低位な条件の仕事を移りながら生活を営んでいた.労働の履歴を類型的に取り出すと,①低学歴・中高年・男性の職人的履歴,②高学歴・若年層の断片的グレーカラー履歴,③低学歴・若年層の断片的ブルーカラー履歴,④世帯内でのペイドワーク・アンペイドワークの切り替え履歴,が見出せた.日本において人口や企業が集中する東京は,製造業,飲食業,清掃業,流通業などのマニュアル労働のみならず,オフィスワークの需要が多く,ホワイトカラー・グレーカラーの非正規化の規模も大きい.また家族規範の強い日本において,世帯内での権力関係によって労働の状態は大きく左右される.「不安定の制度化」(Castel 2009=2015)が進行するなかで,人々はこうした低位な条件の労働に時々で組み込まれ,生活は困窮していた.なお,当日は都市インフォ―マリティ(Roy 2011)などの概念と関連づけ,さらに論じる予定である. 〔付記〕本報告はJSPS科研費(基盤研究(A):課題番号17H01657)の研究成果の一部である.

報告番号218

東京における都市貧困層の動態(2)――福祉制度の利用は貧困層に何をもたらすか
放送大学 北川由紀彦

1.目的  いわゆる「日本型福祉社会」が1990年代に綻び始め貧困層が野宿者などの形で増加・顕在化して以降,「反貧困」運動(湯浅 2008),2008年の「年越し派遣村」などを梃子として貧困問題が日本社会においても社会問題としてある程度認知されるようになってきたのと並行して,いわゆるホームレス対策や生活困窮者支援制度などの様々な福祉制度が創設・運用されてきた.  生活基盤が脆弱である貧困層にとって福祉制度の利用は大きな意味を持つ.福祉制度は,個人が直面する貧困や社会的排除といった問題を解決ないし軽減することが基本的な目的とされるが,制度そのものが社会的排除を生み出す側面(岩田 2008)も有しており,福祉制度の利用=社会的包摂という単純な図式化はできない.また社会的排除に関する計量研究の分野においては,複数の排除の次元を設定したうえでの社会的排除の総体的な把握などが試みられている(例えば阿部 2007).他方で,貧困層に関する調査研究では,野宿者やホームレス状態経験者,生活保護受給者,婦人保護施設利用者など,分野ごとの調査研究は厚みを増しつつあるが,様々な存在様態をとる貧困層を横断しつつ制度利用の意味について考察する研究は多くはない.  こうした点をふまえたうえで,本報告では,貧困層が利用可能な福祉制度の全体的な概況をおさえたうえで,貧困層にとって福祉制度の利用がどのような変化をもたらすのかについて試論的な考察を行いたい. 2.方法  貧困層が利用可能な福祉制度・施策に関する各種統計データ(利用者数,施設数等の推移)を突き合わせることで貧困層の制度利用状況を素描したうえで,本研究プロジェクトの一環としてホームレス状態の経験者や生活保護受給者等を対象に東京において実施した聞き取り調査のデータを分析する.分析の焦点は,各ケースの制度利用の経路(どのようにして,またどのような制度の利用に至ったのか)と,制度利用の前後で各ケースが直面していた社会的排除の様相がどのように変化したか(さらには制度からどのように離脱した/排除されたか)という点である. 3.結果・結論  個別のケースの福祉制度利用の経過の考察から,(1)各ケースが直面している困難の種別に加えケースの諸属性(国籍,性別,年齢,家族状況等)に応じた制度への振り分けがなされていること,(2)福祉制度の利用がしばしば社会的排除状態の(解消ではなく)変質をもたらしている(例えば,衣食住のような最低限度のニーズが充足されたとしても社会関係からの切断が深まるなど)ことなどが明らかとなった.当日の報告では,それらの様相についてより具体的に提示・考察を行う予定である.なお,本報告における考察は基本的には,2020年からの新型コロナウイルスの感染拡大以前の状況に限定して行う. 〔文献〕 阿部彩,2007,「日本における社会的排除の実態とその要因」『社会保障研究』43(1):27-40. 岩田正美,2008,『社会的排除――参加の欠如・不確かな帰属』有斐閣. 湯浅誠,2008,『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』岩波書店. 〔付記〕本報告はJSPS科研費(基盤研究(A):課題番号17H01657)の研究成果の一部である.

報告番号219

東京における都市貧困層の動態(3)――ジェンダー化された(イン)モビリティの経験
東京都立大学大学院 結城翼

1.目的  都市貧困層が直面する困難の1つとして,ジェントリフィケーション研究において立ち退きが論じられてきた(Elliott-Cooper et al. 2019など).その中で強制的なモビリティ(forced mobility=displacement)だけでなく,強制的なインモビリティ(forced immobility=entrapment)にも目を向ける必要が指摘されてきたが,その蓄積は少なく,これらの経験のジェンダー差についても探求の余地が残されている(De Verteuil 2011).  2000年代以降,東京(圏)の「都心回帰」にかんする研究の一環として若年女性の居住地選択が論じられてきた(由井ほか2017など).しかし,これらの研究は就労している女性を主な対象とし,居住地選択が困難な女性については論じられていない.世帯内単身者の研究においても,ジェンダー差が示唆されつつも,その具体的な諸相は明らかにされていない(平山・川田 2015).  本報告では,2010年代以降の国内の女性の貧困研究を参考にしつつ強制的な(イン)モビリティの実態とそのジェンダー差を考察する. 2.方法  本報告では,本研究プロジェクトのために2018年9月以降行われてきた27人に対するインタビュー調査に加えて,都内の生活困窮者支援団体における2018年10月から2021年3月までの相談記録(941件)を用いるほか,住宅政策や住宅市場,社会保障制度にかんする統計・資料等を参照する.  本報告では都市貧困層のインモビリティの経験と家庭内外での労働や住宅市場および社会保障制度の制約との関連,またこうした経験のジェンダー化された側面を分析する. 3.結果・結論  個別の事例の住宅・居住経験の分析より,(1)出身世帯で直面する困難には男女に共通点がある一方で,世帯内で期待される役割や暴力被害の経験においてジェンダー差が見られた.また,(2)出身世帯を出て不安定な居住状態に陥った場合も,その不安定性の由来や直面するリスクにもジェンダー差が見受けられた.さらに(3)民間賃貸市場に依存する東京圏において,経済的状況だけでなく,利用可能な社会関係資本の差異や生活保護制度の利用の有無によって安定居住の確保への障害にも違いが見られた.  再開発にともなう立ち退きという観点に加えて強制的なインモビリティという観点を導入することによって,居住空間をめぐる困難は経済的条件のみならず,個々人が埋め込まれている社会関係に大きく左右されていること,それゆえにこうした経験がジェンダー化されたものであることが浮き彫りとなる.当日の報告ではこの議論が従来の貧困研究に与える示唆についてさらに論じたい. 〔文献〕 De Verteuil, G., 2011, “Evidence of gentrification-induced displacement among social services in London and Los Angeles,” Urban studies, 48(8), 1563-1580. Elliott-Cooper, A., Hubbard, P., & Lees, L., 2020, “Moving beyond Marcuse: Gentrification, displacement and the violence of un-homing,” Progress in Human Geography, 44(3), 492-509. 平山洋介・川田菜穂子, 2015, 「若年・未婚・低所得層の居住実態について」『日本建築学会計画系論文集』80(716), 2303-2313. 由井義通編, 2012, 『女性就業と生活空間:仕事・子育て・ライフコース』明石書店. 〔付記〕本報告はJSPS科研費(基盤研究(A):課題番号17H01657)の研究成果の一部である.

報告番号220

居住地域の「不利」と「孤独」は都市住民のウェルビーイングに影響するか――名古屋市50学区のマルチレベル分析
椙山女学園大学 木田勇輔

【1.目的】本研究の目的は、都市コミュニティにおいて孤独感を抱える人々が集積することが、住民のウェルビーイングにネガティブな影響を与えることを定量的な分析によって明らかにすることにある。居住地域における不利条件や社会関係資本の集積が住民のウェルビーイングに影響を与えることは、様々な分野において議論されてきた。本研究では先行研究を踏まえて地域の不利の集積に着目するとともに、心理学において注目を集めてきた孤独感の影響を検討する。本研究の関心は地域レベルの変数が個人レベルのウェルビーイングに与える影響にあるため、複数のレベルの変数を同時に扱うことのできるマルチレベル分析を用いる。 【2.方法】名古屋都市圏研究会が2020 年2 月に実施した「名古屋市における地域 のつながりと生活満足度に関する調査」を用いる。市内50学区の30 歳から74 歳を対象として5,000票を配布し2,178票を回収した(回収率43.6%)。分析にあたっては使用する変数に欠損値のない1,887 人のデータを使用する。分析に用いる目的変数は主観的健康観(5段階)であり、主要な説明変数は地域(学区)レベルの不利の集積(国勢調査データより算出)と孤独感の地域平均(UCLA孤独感尺度6項目版を利用)である。Rのordinalパッケージのclmm関数を用い、マルチレベルの順序ロジットモデルによる分析を行った。 【3.結果】不利の集積が進んでいる地域に居住する住民の主観的健康観は、低い傾向があった。孤独感の地域平均が高い地域に居住する住民の主観的健康観もまた低い傾向にあった。これに加えて、不利の集積と孤独感の地域平均との交互作用項を投入したモデルを用いて推定したが、分析の結果として交互作用項と主観的健康観との関連性は確認できなかった。 【4.結論】本研究の結果は、①居住地域における不利の集積が住民の主観的健康観を下げることを確認したともに、②居住地域に孤独感を抱える人が数多く居住していると住民の主観的健康が下がる傾向があることを明らかにした。とりわけ②については先行研究において十分に明らかにされていない点であり、本研究独自の発見であると言える。ただし、孤独感を抱える人々が地域に集積することが、どのように都市の住民の主観的健康を悪化させるのかについてはまだ十分に明らかになっていない。このメカニズムを明らかにすることが今後の大きな課題となる。 【5.付記】本報告は木田・成(2021)の内容を発展させたものである。本研究は科学研究費助成事業(日本学術振興会)19H00614および18H00924による一連の調査研究プロジェクトの成果である。

報告番号221

都市の高齢化がもたらす居住問題
成城大学 山本理奈

【1.目的】現在、日本では都市の高齢化に伴う人口や世帯構成の大きな変化が、「高齢者住宅の不足」や「マイホームの空き家化」といった、深刻な居住問題をもたらすと懸念されている。高齢人口の増加や高齢者のひとり暮らしの増加といった現象は全国に共通する趨勢といえるが、なかでも東京を中心とする大都市圏の特徴は、それがきわめて大規模かつ短期間に生じる点にある。それゆえ本報告では、大都市圏で高齢者の実数が最も多い東京都に主に焦点をあて、高齢単独世帯における住宅の所有形態と立地を分析し、これからの都市住宅政策を考えるうえで必要となる課題を明らかにすることにしたい。 【2.方法】「住宅・土地統計調査」における都道府県編(11埼玉県、12千葉県、13東京都、14神奈川県)の確報集計を対象として二次分析を行う(注1)。 【3.結果】東京都内における65歳以上の高齢者のいる世帯のうち、単独世帯約76万世帯について住宅の所有形態を見ていくと、持ち家が約41万世帯、借家が約35万世帯となっており、「ひとり暮らし」であっても借家よりも持ち家の方が多いことが分かる。つぎに、持ち家を所有する高齢単独世帯の内訳を男女別に見ていくと、男性が34%、女性が66%となっており、女性の割合の方が顕著に高いことがわかる。さらに、年齢別の内訳を見ていくと、男女ともに75歳以上の後期高齢者の世帯がもっとも多くなっており、とくに、女性の後期高齢持家世帯数は、男性の二倍をはるかに超えており、約16.5万世帯に達している。なお、東京圏における、後期高齢単身女性が所有する持ち家の建て方別の内訳を見ていくと、一戸建てが68%と過半数以上を占めており、次いで共同住宅が30%、長屋建てが2%となっている。最も多い類型である一戸建ての立地を見ていくと、特別区部が28%であるのに対し、それ以外の地域が72%となっており、立地は主に郊外に偏っていることがわかる。 【4.結論】以上の結果を通して見えてくるのは、都市の高齢化がもたらす居住問題が、女性の後期高齢持家世帯と密接に関わっている点である。一般に、男女とも70代半ばから徐々に自立度が低下しはじめていくといわれ(注2)、介護などの必要性が高まるのは後期高齢期以降である。そのため、施設や身内の元などへ転居する後期高齢者が増加していけば、「高齢者住宅の不足」及び「マイホームの空き家化」といった問題が深刻化することが予想される。この点は、男女ともにあてはまる事柄ではあるが、高齢単独世帯の男女比のバランスを考慮すると、今後は、後期高齢単身女性の所有する一戸建て住宅が偏在する郊外地域において、都市の高齢化がもたらす居住問題がクリティカルな局面を迎えていくことが懸念される。それゆえ、これからの都市住宅政策を考えるためには、後期高齢単身女性の住まいの現状や問題点を、具体的に把握する必要があるといえよう。 [文献]1)総務統計局『住宅・土地統計調査(2013年)』、確報集計、都道府県編、11埼玉県、12千葉県、13東京都、14神奈川県、第41表および第54表参照。2)秋山弘子「長寿時代の科学と社会の構想」(『科学』第80巻1号、2010年、59-64頁)参照。 [謝辞]本研究は、JSPS科研費(20K02304)及び成城大学特別研究助成による研究成果の一部である。

報告番号222

移動の「個人化」と「シェアリング・モビリティ」――ポストコロナのモビリティ社会を見据えて
法政大学 大原社会問題研究所 根岸海馬

本報告の目的は、モビリティーズ研究の最新の動向にもとづき、現代の「シェアリング・モビリティ」の在り方を論じ、コロナ禍以降のモビリティと社会を見通すものである。  モビリティーズ研究では近年、公共交通機関が担う役割が「シェアリング・モビリティ」として見直されるようになっている。公共交通機関は、人々の移動を支える生活インフラとして社会的な役割を担っているだけではなく、人々の間に「空間」や「経験」の共有を作り出し、「公共」を創造する役割をも果たしている、というのがその主要な議論である。しかし近年では、新自由主義の台頭によって経営の効率化や労使関係の不均衡化が進み、この結果、人々の足としての公共交通機関が衰退しているとの指摘もなされるようになっていた。そうした中で発生したのが、2020年の新型コロナウイルスの世界的感染拡大である。  日本を含めた各国では、新型コロナウイルスの拡大防止のため、各国の政府や自治体は、百貨店や外食店、娯楽・スポーツ施設など人が集まる施設の営業を制限したり、公共交通機関の混雑回避を目的に自宅勤務を推奨したりして人々の移動を減らす試みを行なっている。この状況のなか、人々は自家用車を使用しての移動など、他者と接触しない形での個人的な移動を模索するようになっており、「移動の個人化」が進むようになった。この結果、人々の移動を支えてきた鉄道、バスなどの公共交通機関の事業は、利用者の減少に直面し、人員調整、運行スケジュールの変更、減便、廃路を進めざるを得ない状況に追い込まれつつある。  本報告では、モビリティーズ研究において展開されてきた「公共」に関する議論に注目し、「移動の個人化」と「シェアリング・モビリティ」をキーワードに、ポストコロナ時代におけるモビリティの在り方を検討する。新自由主義経済が拡大する中で発生したコロナ禍は、「シェアリング・モビリティ」の在り方にどのような影響を与えるのだろうか。コロナ禍において進んでいるとされる「移動の個人化」には、どのような特徴が見られるのだろうか。それは、人々の「空間」や「経験」の共有、「公共」の在り方にどのような変容をもたらすのだろうか。本報告では、モビリティーズ研究における他地域の事例に基づいた知見、コロナ禍以前の事例に基づいた知見を敷衍しながら、こうした問いに答えることで、ポストコロナ時代におけるモビリティの在り方を展望する。

報告番号223

トランスローカリティからみる移動・若者・ライフスタイル(1)――研究目的と調査概要
弘前大学 羽渕一代

【1.目的】  本研究の目的は、地方における暮らしの実態をトランスローカリティという観点から説明することにある。本報告は5つの異なるテーマの報告で構成されている。本報告②から⑤までは、北海道と京都府でおこなった地方に生きる「20-30代の若者の暮らしの実態と価値観に関する調査」の結果をもとに報告をおこなう。調査対象者は20歳代から30歳代の若者である。対象者のライフステージは大人期の初期である。彼らのライフスタイルや価値観が地域社会の10~20年後の近い将来を決める。定住するのか移動するのか、結婚の有無などの個人の決定が社会の人口や地域文化の維持と関わるからである。そして報告⑥では、感染症流行の影響を議論する。感染症流行の前後で地方社会は変化するか検討してみたい。 【2.方法】 ここで提唱するトランスローカリティモデルは、人々の移動や地域活動、これに関わる意識を構造的に把握する中範囲の理解モデルのことである。従来、地域社会の研究や地方自治体の人口政策においては、地域が分析単位とされてきた。本研究会では、このような地域の認識からではなく個人を分析単位として地方の社会構造を探究する新しい枠組の構築を目指しトランスローカリティという概念で地域社会を分析する方法を模索している。 トランスローカリティは、これまでトランスナショナリズム論において議論されてきた。主として移民研究において使用されてきた概念である。トランスローカルとは、移民、ホスト社会、出身地域のローカルな実践と経験が複数の場所をつないで相互作用をすることで生成される社会領域を指す(福田、2020)。ローカルとローカルのつながりであるトランスローカルが移民の背景にあり、これをトランスローカリティと定義している。この概念は日本国内の地方を分析する際にも有効である。地方在住の若者も異なるローカルとローカルをつなぎ生活している現実がある。 地方の若者たちのトランスローカルな特性とともに地域社会のバリエーションを描き出していくことも調査の目的としている。なお本報告に続き、定住や移動に関わる意識(成田凌)、地域満足度(井戸聡)、地域・社会活動(岩田考)、政治的態度(竹内陽介)を中心に分析結果を報告する。その際に使用するデータの調査概要は以下のとおりである。 調査概要 調査時期:2020年6月~9月 対象地:北海道オホーツク管内11市町村、札幌市、京都府北部7市町村、京都市 対象年齢:20歳から39歳 調査方法:選挙人名簿(オホーツク・札幌市・京都北部7市町)と住民基本台帳(京都市)を用いた無作為抽出(系統抽出)によるアンケート調査(郵送法と訪問回収法の併用) 最後に、移動に対する感染症流行の影響(平井太郎)を報告し、総括討論にのぞむ予定である。 【3.結果/4.結論】 上記にあげた複数のテーマ、複数データから地方を総合的に分析することで、いくつかの新しい知見が得られている。たとえば、「若者の地元志向」と言われる内実は、条件不利地域への志向ではなく、ある程度都市機能がある地方(中核)都市や政令指定都市への志向である。このような諸知見がトランスローカリティ概念で説明可能かどうか議論していく予定である。

報告番号224

トランスローカリティからみる移動・若者・ライフスタイル(2)――移動パターンと定住意向
東京都立大学大学院 成田凌

【1.目的】 本報告の目的は、地方で暮らす若者の現住地域への定住意向について検討することである。ここでは、人口規模や生活環境により多様で重層的な地方暮らしの若者の姿をとらえるため、三大都市圏/地方中枢拠点都市圏/条件不利地域圏の「3層構造モデル」として地域間格差を分析する視点、および移動パターン(居住歴)や地域移動経験の多様性(地元出身者と転入者の社会的実体の差異)に着目して分析する視点が重要だとした轡田(2017)の議論を参考に、地方をより条件不利が地域な地域(=条件不利地域圏)と比較的都市的な地域(=地方中枢拠点都市圏)に区別したうえで、若者の移動パターンの違い(土着(定住)/Uターン/転入)に着目し、分析をおこなう。 【2.方法】 分析には、トランスローカリティ研究会(代表:羽渕一代)が2020年に実施した「北海道・京都府 20-30代暮らしの実態と価値観に関する調査」のデータを用いる(詳細は羽渕による第1報告を参照)。本報告では、条件不利地域圏(オホーツク、京都北部)と地方中枢拠点都市圏(札幌市、京都市)に区別したうえで、移動パターンや現在住んでいる地域での定住意向について、単純集計および基本属性(年代、性別、学歴、婚姻状態、居住歴)との関連を検討する。 【3.結果/4.結論】 居住パターン(居住歴)については、条件不利地域圏のオホーツクは土着(定住)21.8%、Uターン38.6%、転入39.7%、京都北部は土着(定住)18.4%、Uターン45.5%、転入36.2%だった。地方中枢拠点都市圏の札幌市は土着(定住)24.8%、Uターン22.8%、転入52.4%、京都市は土着(定住)29.2%、Uターン20.6%、転入50.2%だった。ここから、条件不利地域圏(オホーツク、京都北部)では6割程度、地方中枢拠点都市圏(札幌市、京都市)では5割弱が現在住んでいる地域の出身であるということ(4~5割程度は転入層であること)、他の地域で暮らしたことのない土着(定住)層の比率は条件不利地域圏よりも地方中枢拠点都市圏の方が多いこと、条件不利地域圏におけるUターン層の割合が高いこと、の3点が確認できる。基本属性との関連についても条件不利地域圏と地方中枢拠点都市圏で異なる傾向がみられた。条件不利地域圏では学歴と婚姻状態との関連がみられ、大卒・短大卒では土着(定住)層の割合が小さく、既婚者で転入層の割合が高かった。対して地方中枢拠点都市圏では年代と婚姻状態との関連がみられ、20代および未婚者において土着(定住)層の割合が高く、既婚者では転入層の割合が高かった。 また、条件不利地域圏(オホーツク、京都北部)では約6割、地方中枢拠点都市圏(札幌市、京都市)では8割弱が、現在住んでいる地域での定住を希望していた。ただし基本属性との関連については、4地域で共通して移動パターンによる差異が認められた一方、その他の属性では条件不利地域圏/地方中枢都市圏ではなく北海道/京都で異なった傾向がみられた。 【参考文献】 轡田竜蔵,2017,『地方暮らしの幸福と若者』勁草書房. トランスローカリティ研究会(代表:羽渕一代),2021,『北海道・京都 20-30代暮らしの実態と価値観に関する調査報告書(2018-2021年度 科学研究費補助金(基盤研究 B)「トランスローカリティの社会学:条件不利地域と地方中枢拠点都市の生活とキャリア」(課題番号:18H00917)報告書)』弘前大学.

報告番号225

トランスローカリティからみる移動・若者・ライフスタイル(3)――居住についての満足と移動
愛知県立大学 井戸聡

【1.目的】 本報告の目的は、地方に暮らす若者の居住地への満足について、2020年に実施した「北海道・京都府 20-30代暮らしの実態と価値観に関する調査」のデータをもとに検討することにある。本報告では用いるデータを4地域(京都市・京都北部・札幌市・オホーツク管内)から得ている。この4地域は、それぞれ4地域ごとの特徴や違いのほか、京都地域圏(京都市と京都北部)、北海道地域圏(札幌市とオホーツク管内)という地方ごとの2つの地域グループと、地方中枢拠点都市圏(京都市と札幌市)、条件不利地域圏(京都北部とオホーツク)という都市性と条件不利性によって区分される2つの地域グループのあいだでの比較が着目すべき観点となりうる。地方で暮らす若者の居住地への満足の規定要因について、それぞれの地域的特徴ごとのカテゴリーにおいてどのような異同が認められるのかなどについての分析を行う。 【2.方法】 本報告で用いるデータは上述の通り、2020年に実施した「北海道・京都府 20-30代暮らしの実態と価値観に関する調査」(トランスローカリティ研究会(代表:羽渕一代))から得ている。その詳細については第1報告で解説される予定であるが、本報告の内容に関連する特記事項として記すとすれば、地方に暮らす若者の居住についての満足や愛着などの意識や価値観に関わる側面と、居住歴や移動経験、移動の理由、近しい人々の移動経験といったローカリティの多層性・多相性に配慮した設計となっている点が挙げられる。また、上述のように地方性についてもその複層性を基本的共通認識として設計されているので、北海道・京都府という地域の違いのほか、地方中枢拠点都市圏、条件不利地域圏という基軸での比較検討が可能となっている。これに基本属性なども考慮しつつ検討を加える。 【3.結果】 総合的に現在の居住地の現状に満足してるかどうかに関して、条件不利地域圏よりも地方中枢拠点都市圏のほうが肯定回答の割合が高いという回答傾向が京都地域圏と北海道地域圏で共通する。今後も現在の居住地域に住み続けたいかどうかについても、同様の結果であった。地方中枢拠点都市圏のほうが条件不利地域圏よりも居住地に総合的な満足感や将来的な居住の希望を抱く割合が高い。居住地についての満足に影響を与える要因として考えられるものは、基本属性(性別、家族構成、仕事、収入等)のほか、家族やその移動経験、家族や友人との距離、居住に対する積極的理由や地域への愛着などの意識や価値観などがある。 【4.結論】 地方中枢拠点都市圏のほうが条件不利地域圏よりも居住地に総合的な満足感や将来的な居住の希望を抱く割合が高いというのは、トランスローカリティ研究会で行った「青森20-30代住民意識調査」(2018年)や轡田竜蔵(2017)が広島での調査から導出した知見と一致している。ここでは、それに加えて本人や親しい人々の移動経験やその移動理由、基本属性による地域ごとの特徴などの詳細について検討したい。

報告番号226

トランスローカリティからみる移動・若者・ライフスタイル(4)――地域活動や社会活動に参加しないのは誰か
桃山学院大学 岩田考

【1.目的】本報告の目的は、若年層の地域活動や社会活動への参加を阻害する要因を検討することにある。特に、居住地域へのニーズに着目して阻害要因を検討する。2013年に内閣府が実施した「NPO法人に関する世論調査」では、「社会のニーズや課題に対して,市民自らが自主的に集まって取り組むことは大切だと思う」かという質問に肯定的回答をした20-30代は9割を越えている。質問の仕方が異なるため単純には比較できないが、2005年と比べると積極的肯定の割合は高まっている。「まちづくり」など社会的な課題を解決しようとする活動は活発化しているように見える。しかしながら、上記の内閣府の世論調査によれば、NPO法人が行う活動への参加意向は2割程度となっている。そのような活動は、多くの人々を巻き込むことに必ずしも成功しているとはいえないのが現状である。中高年の社会活動への参加に関する国内の文献を検討した茨木(2020ː17)は、その多くが高齢者を対象とし、中年に関する研究が少ないことを指摘している。若年層についても、「居住歴(他地域就学後Uターン)」の重要性を指摘する轡田(2017ː75-78)の研究などがあるものの十分な検討がなされているとはいえない状況にある。なぜ若年層の多くは地域活動や社会活動に参加しないのであろうか。 【2.方法】本報告では、トランスローカリティ研究会(代表:羽渕一代)が、2020年に実施した「北海道・京都府 20-30代 暮らしの実態と価値観に関する調査」のデータを用いる(詳細は羽渕による第1報告を参照)。本報告の分析では、地域活動・社会活動への参加経験(7項目)、地域活動への参加意向、地域にあってほしいもの(16項目)を主に使用する。クロス表による基礎的な分析の後、ロジスティック回帰分析によって地域活動・社会活動への参加要因に関する分析を行う。 【3.結果】7つの地域活動・社会活動のいずれかに「積極的な関わり」を持つ者は多いとはいえない(京都北部28.1%、オホーツク27.8%、京都市26.6%、札幌市21.5%)。また、地域にあってほしいものとして選択率が最も高いのは、「ショッピングモール」(オホーツク66.5%、京都北部64.9%)と「コンビニ」(京都市69.1%、札幌市68.2%)など商業施設である。他方、「まちづくり」の取り組みの典型ともいえる「コミュニティ・スペース」の選択率は低い(オホーツク16.0%、札幌市16.7%、京都北部17.4%、京都市21.9%)。「コミュニティ・スペース」を欲しいと思うかどうかと地域活動・社会活動への「積極的な関わり」をクロス集計すると、京都北部を除く3地域で、欲しいと思っていない者のほうが「積極的な関わり」の割合が低い。また、「コミュニティ・スペース」を欲しいと思うかどうかと、「今後、地域活動に積極的に参加したい」をクロス集計すると、4地域すべてで欲しいと思っていない者のほうが活動への参加意欲が低くなっている。地域活動・社会活動が目指すものと若年層が居住地域に求めるものとの間には齟齬が存在している可能性がある。 【4.結論】活性化しているように見える「まちづくり」などの活動が必ずしも多くの若年層を巻き込むことに成功していない要因の一つは、活動が目指しているものと多くの人々が地域に求めるものとの間の齟齬にある。多くの若年層を巻き込むためには、「まちづくり」などの活動におけるステレオタイプを見直すことが必要と考えられる。

報告番号227

トランスローカリティからみる移動・若者・ライフスタイル(5)――地域別に異なる政治的態度と属性の関連
名古屋大学 竹内陽介

【1.目的】 本報告の目的は若年層の政治関心、および投票参加への積極性と関連する属性変数を、地域別に検討することである。既往研究では投票行動を左右する変数として、居住年数や学歴、職業の他に、都市規模が説明力を持つとされてきた(蒲島 1988)。すなわち都市部と比較して農村部の投票率が高いことが実証されてきた。一方で、都市部と農村部における政治参加に関する差異は徐々に消失していく傾向にあり(三船 2008: 186-194; 蒲島ほか 2020: 177-8)、他の先進国同様、高学歴バイアスが全国的に見られるようになったとされる。以上を踏まえつつ、本報告では20-30代の若年層における政治・社会問題への関心、および選挙への積極性に対する各属性変数の関連を検討する。これに加え、都市規模の異なる4地域(京都市内・京都府北部・札幌市内・オホーツク管内)別に分析するとともに、日本/自治体政治それぞれへの関心と選挙への積極性を分析することを通じて、地方に暮らす若年層の政治意識の実態を検討する。 【2.方法】 本報告は2018-2021年度科学研究費補助金(基盤研究 B)「トランスローカリティの社会学:条件不利地域と地方中枢拠点都市の生活とキャリア」(研究課題番号 18H00917)に基づき、京都府と北海道で行われたアンケート調査の結果(全体回収率32.3%)を使用する。分析では日本政治への満足度、日本/居住地域に対する政治・社会問題への関心、および選挙への参加態度(4件法)を従属変数に、性別、年齢、学歴(大卒/非大卒)、世帯年収、居住年数に加え、地縁組織への参加態度(4件法:以下、地縁参加)を独立変数とする。なお分析は、4地域を層とした3重クロスと相関分析に加え、4地域ごとに独立変数の影響力をはかる重回帰分析を行った。 【3.結果】 4地域別に政治関心、選挙に対する積極性と独立変数の関連を見ていくと、まず日本/地方の政治・社会問題への関心は性別、学歴と強い関連を持っている。また日本/自治体政治選挙への積極性に関しては、オホーツク管内を除き、学歴と関連が強い(0.1%水準で有意)。他方で、地域別に属性変数の関連が異なるものが存在していた。すなわち世帯年収の高さは、京都市内と札幌市内において「日本の政治に満足」することと相関を持つ一方で、京都府北部とオホーツク管内においては「自治体の政治や社会問題に関心を持つ」こと、および「日本/自治体選挙に積極的に参加する」ことと相関を持っていたのである。そこで属性変数に加えて、政治参加への媒介変数と想定される地縁参加を投入して重回帰分析を行ったところ、とりわけ日本/自治体選挙への積極性において、京都市内と札幌市内は学歴、次いで年齢が説明力を持ち、地縁参加は説明力を持たなかった。一方、京都府北部では世帯年収の説明力が消え、地縁参加と学歴が相対的に強い説明力を持っていた。これと異なり、オホーツク管内では最も説明力が高いのは世帯年収であり、次いで学歴と地縁参加という結果となった。 【4.結論】 本分析は地域ごとに政治への関心や参加意欲を持つ層が異なることを示すものである。この解釈には慎重であるべきだが、とりわけ地方の「地方」で、現在もなお若年層において地縁組織を媒介とした政治参加への橋渡し(京都府北部)や、富裕層の政治的な力(オホーツク管内)が見られることを示すものと考えられる。

報告番号228

トランス・ローカリティ、ポスト・コロナにおける
弘前大学 平井太郎

1.目的  2020年5月,東京都は2011年6月以来の社会減を記録し,「コロナ移住」という表現が,ジャーナリズムだけでなく国の政策過程でも用いられるようになった.他方,社会減が東日本大震災直後以来だったことから,当時から語られはじめた「田園回帰」になぞらえる議論もある.「田園回帰」は”lifestyle migration”以上に、特定の人や場との関係性を重視する.そこで本報告では,パンデミック前後の人口移動と,移動とは異なる地域間関係の2つの切り口から,トランス・ローカリティのありように接近する. 2.方法  (1)2019年以降の住民基本台帳移動報告から人口移動パターンを,(2)国土交通省実施「関係人口の実態把握調査」(2019年3万サンプル,2020年15万サンプル・ウェブ調査)の原票から,移動とは異なる地域間関係を分析する. 3.結果  まず,(A)3-4月に東京都など大学・企業が集中する地域への移動は,パンデミック初期の2020年だけでなく常態化後の2021年も見られた.ナショナルな戦後日本の人口移動構造は依然,維持されている.(B)これに対し,東京都で2020年5月-2021年2月累計社会減となったことから,グローバル化後の一極集中構造が揺らいだように見える.しかし大阪府や福岡県,東京都周辺3県,沖縄県で社会増が続いていることから,グローバル化後に再編された国土構造が変化したとするのは早計である.また,高原野菜生産地の長野県川上村や世界的機械メーカーが立地する山梨県忍野村等,外国人技能実習生の比率が高い小規模自治体では,2020年度,大幅な社会減が続いている.これもグローバル化後の国土構造を前提にした,パンデミックの地域社会へのインパクトと見ることができる.(C)他方,長く社会減が続いた北海道や鹿児島県など一部地方県で,パンデミック後,継続的・間歇的な社会増が見られる.市町村でも山梨県山中湖村,千葉県一宮町,長野県大滝村,島根県知夫村などで見られる.こうした移動が「コロナ移住」と一括されている可能性がある.しかしこれら町村にはリゾート,山村,離島などの地理的特性も見られるものの,同じ地理的特性でも社会増に転じていない町村も少なくない.したがってこの移動は,非人称的な社会構造や国土構造以上に,人称的な関係性を背景にしている可能性がある.  次に,移動とは異なる地域間関係は,三大都市圏居住者のうち3万サンプル調査では41.8%が,15万サンプル調査では28.1%が,特定の地域と訪問,消費,就労等,多様なありようで有していた.両調査での差はサンプル・バイアス以上にパンデミックによる影響と考えられる.しかし,こうした関係を持つ人びとの51.7%が関係先への「移住」に前向きであり,先に指摘した人称的な関係性と移住の関連をうかがわせる.さらに関係深化の要因として,移動費用(27.6%)や時間的余裕(18.9%)と同等に価値観の合う仲間(27.2%)が挙げられていることにも注意される. 4.結論  パンデミック後の人口移動は,現代日本における(A)戦後日本の国土構造,(B)グローバル化後に再編された国土構造,(C)人称的な地域間関係といった,複数のトランス・ローカリティの交錯を浮き彫りにしたと言える.とりわけ人称的な地域間関係は政策的に「関係人口」として注視されているだけでなく,個人を分析単位とするというトランス・ローカリティ研究の未踏の沃野として注目すべきである.

報告番号229

日本における女性の就労と学歴同類婚が所得格差に与える影響――ジェンダー化されたライフコースパターンの重要性
プリンストン大学 打越文弥

【1.目的】 世界的な所得格差拡大の背景として、高学歴の女性においてフルタイム雇用が増えたこと、および同類婚の影響があることが指摘されている。しかし、国際比較の観点からみると経験的な知見は一貫していない。近年の研究は、女性の雇用が普遍的になるにつれて、低学歴の女性の就業率も上昇することを通じて、学歴同類婚が所得格差に与える影響がますます弱くなっていることを指摘する研究も存在する。その一方で、既存研究が二重に有利な世帯 (夫婦ともに高学歴のフルタイム労働者) の増加が無視してきたとする研究も存在する。これらの相反する予測を検証するために、本研究では女性の就業がライフステージで大きく異なる日本を事例とした分析を行う。OECD諸国の中で最も女性の就業率が増加してきた国である日本では、学歴同類婚が所得格差に与える影響は近年ほど弱まっていると予想される。実際、日本では長く結婚・出産後に離職した女性が非正規雇用として労働市場に再参入することが、世帯の所得格差を縮小してきた。その一方で、近年では若年層の高学歴カップルを中心に、出産後も正規雇用を続ける女性が増えている。正規雇用同士のカップルの増加は所得格差を拡大させ、さらに女性の正規雇用継続に学歴差があるとすれば、若年層においては女性の就業率が増加していたとしても、学歴同類婚が所得格差に与える影響は大きいかもしれない。この点を検証するため、本研究では3つの年齢層(25-34、35-44、45-54歳)に分けた分析を行う。 【2.方法】 使用するデータは1982年から2017年までの就業構造基本調査である。分析対象は25歳から54歳までの有配偶女性とその配偶者である。女性の雇用は正規、非正規、無業に分類し、男女の学歴は中高卒、短大高専卒、および大卒の三つに分類した。これらグループ別の所得格差をタイル尺度によって記述したのち、反実仮想的な分析(仮に学歴同類婚の分布が1982年のままだったら、2017年の所得格差はどうなっていたか)を行うことで、学歴同類婚が所得格差に与える影響を明らかにする。 【3.結果】 日本では有配偶女性の雇用はどの学歴でも拡大しているが、先行研究の指摘通り、学歴による雇用格差(正規雇用の割合)の増加は、若年層でより顕著であった。反実仮想的な分析の結果、仮に学歴同類婚が減少していなければ、所得格差はより大きくなっていたことが明らかになった。これは有配偶女性の就業に対する学歴格差を統制することで弱められ、特に若年層において顕著だった。しかし、学歴同類婚と女性の就業でみたグループ内の格差が、所得格差の変化の大部分を占めていた。 【4.結論】 以上の分析から、所得格差の上昇に対して学歴同類婚の役割は無視できないものではあるが、同時にその影響は限定的であることが示唆された。 謝辞 本稿で使用した「就業構造基本調査」の個票データは,統計法33条2の規定に基づき総務省統計局より提供を受けた(研究課題番号:JP19H01637)。

報告番号230

なぜ非正規雇用者は結婚しにくいのか――交際段階別にみた所得と仕事の質の役割
学習院大学 麦山亮太

【1.目的】  この数十年、多くの先進諸国で非正規雇用の増加と家族形成行動の変化が相伴って進んだ。日本においては、非正規雇用の増加は晩婚化・非婚化と強く関連している。日本では結婚と出産が強く結びついているために、非正規雇用者の結婚の遅れは少子化とも関わる重要な政策課題となっている。多くの経験的な研究は、非正規雇用者が正規雇用者と比べて結婚しにくいことが繰り返し確認してきた。  しかしながら、そのメカニズムは十分に明らかになっていない。第1に、非正規雇用のどの側面が結婚の遅れをもたらしているのかが明らかでない。とりわけ労働市場における正規/非正規雇用間の格差として繰り返し指摘される所得ならびに仕事の質がもつ影響を検討することは重要である。第2に、非正規雇用が交際関係の形成を遅らせているのか、交際相手がいる者の結婚を遅らせているのかが峻別されていない。これを区別することは、結婚にいたるどの段階に障壁があるのかを明らかにするうえで重要である。  本研究の問いは以下の3つである。第1に、非正規雇用は結婚ならびに交際関係の形成を遅らせるのか?第2に、所得ならびに仕事の質の低さは非正規雇用者の結婚ならびに交際関係の形成の遅れをどの程度説明するのか?第3に、両者の効果は男女でいかに異なるのか? 【2.方法】  分析には2007–2020年東大社研・若年壮年パネル調査を使用する。分析対象は1970–1994年生まれで、各調査時点において未婚の男女である。従属変数は結婚(初婚)への移行、交際なしから交際ありへの移行、交際ありから結婚への移行の3つを用いる。いずれも時点tから時点t+1にかけて上記の変化が起こったか否かを示す2値変数により測定される。独立変数である雇用形態は調査時点または直近の状態により測定される。経済的独立の指標として、個人年収を用いる。仕事の質の指標として、回答者が自身の仕事について回答した項目より作成した仕事の自律性、訓練機会、仕事の安定性の3つの変数を用いる。分析には2項ロジットモデルおよび媒介効果を正確に測定するためKHB法を使用する。 【3.結果】  男女ともに、非正規雇用者は正規雇用者とくらべて結婚へと移行しにくいのみならず、交際へも移行しにくい。この関連は他の変数を統制してもなお確認された。非正規雇用者は正規雇用者と比べて所得ならびに仕事の質が低く、このことが交際ならびに結婚への移行率の格差を説明するとみられる。分析の結果、男女でそれらの説明力はやや異なっていた。男性の場合、正規/非正規雇用間の結婚ならびに交際への移行率の差のうち50–60%程度は所得により、10–20%程度は仕事の質により説明される。他方で女性においては、所得ならびに仕事の質は結婚への移行率の差をほとんど説明しない一方、交際への移行率についてはいずれも説明力を持ち、男性の結果と類似していた。 【4.結論】  本研究では、所得ならびに複数の仕事の質に関する指標を分析に含め、かつ結婚へと至る過程を分けて分析することで、なぜ非正規雇用者が正規雇用者と比べて結婚しにくいのかに関するメカニズムを明らかにした。本分析の結果は、非正規雇用者の所得ならびに仕事の質を高めることは、労働市場における不平等を縮小するのみならず、交際ならびに結婚への移行を可能とし、家族形成の不平等を縮小するであろうことを示唆する。

報告番号231

就業構造基本調査データを用いた雇用形態間所得格差の探索的分析
東京大学 有田伸

【1.目的】  正規雇用と非正規雇用間の格差に代表される雇用形態間格差は,日本社会における重要な格差の1つとして大きな関心を集めてきたが,その実態とメカニズムについては,さらなる検討の余地も残されている.本報告は,「就業構造基本調査」の各年度の個票データを用いて,雇用形態間の所得格差の実態とその変化を,雇用形態間格差の「水準」と雇用形態間での就業者の「分布」の双方に着目し,またそれらが社会の全体的な格差に対して及ぼすインパクトも視野に入れつつ,実証的に検討しようとするものである. 【2.方法】 「就業構造基本調査」の1992年,2002年,2012年の個票データを利用し,調査時点においてフルタイムで働いている就業者の所得の自然対数値を従属変数とし,年齢,学歴,職業,従業上の地位/雇用形態,企業規模,産業を独立変数とする回帰分析を性別(あるいはさらに年齢集団別)に行い,係数推定値の時点間比較を行う.さらに,フルタイム就業者の雇用形態間での分布とその時点間での変化についても同時に確認する.その上で,回帰分析に基づく不平等分解(Regression-Based Inequality Decomposition: RBID)の発想に依拠しつつ,雇用形態間の所得格差の「水準」と雇用形態間での就業者の「分布」のそれぞれの変化が,全体的な格差に与えるインパクトを比較検討する.なお本報告で使用する「就業構造基本調査」の個票データは,統計法第33条の規定に基づき提供を受けたものであり,本報告の分析結果はそれを独自集計したものである. 【3.結果】  分析結果に基づけば,RBIDの発想に依拠し,回帰分析の結果に基づいて算出された「所得予測値中の雇用形態が構成する部分の分散」(いくつかの仮定を置けば所得格差全体に対する雇用形態間格差の寄与分に相当する)は,1992年から2012年の間に男性では数倍程度の上昇を示し,女性の場合も緩やかに上昇している.このような上昇をもたらした要因を探るため,時点間で雇用形態間格差の「水準」は変化せず,雇用形態間での就業者の「分布」のみが変化したと想定した場合と,「分布」は変化せず「水準」のみが変化したと想定した場合のそれぞれに関して,前述の分散を再度算出した結果,「水準」の変化よりも「分布」の変化の方が,寄与分の上昇に一層強く結びついていることが示された. 【4.結論】  以上の分析結果から,この間の雇用形態間の所得格差が全体的な格差にもたらすインパクトの増大は,(特に男性の場合)雇用形態間での格差の「水準」の拡大よりも,非正規雇用の増加という「分布」の変化によって生じている部分が大きいと結論付けられる.このような結論は,サンプル数がきわめて大きい「就業構造基本調査」の個票データを用いることではじめて,確かな形で引き出し得たものと言えよう.

報告番号232

職業生活が幸福度に与える影響の国際比較――アジア型ウェルビーイングと格差・不平等(1)
専修大学 金井雅之

【1.目的】  職業生活上の出来事が幸福度に与える影響がアジアの諸社会でどう異なるかを,日本を含むアジア5ヶ国で実施したインタビュー調査データから検討する.  職業などの階層的地位が幸福度に及ぼす効果は主に量的調査データによって検証されてきたが,アジア諸国では必ずしも結果が一貫していなかった.また近年では幸福/不幸をライフコース上の出来事の連鎖の帰結として理解する見方が強まっているが,パネルデータの蓄積が不十分なアジア諸国では計量的手法による国際比較分析は現時点ではむずかしい. 【2.方法】  そこで,ライフコース上の出来事と幸福度の変化を回顧法でたずねた「ソーシャル・ウェルビーイング・アジア・インタビュー」のデータを分析する.本報告では現時点で利用可能な日本(20名),韓国(24名),モンゴル(12名),インドネシア(24名),ベトナム(12名)のデータを用いる.インタビュー対象者は性別,年齢,居住地域,現在の幸福度がなるべく多様になるように割り付けした.共通質問票に沿って各国研究チームが現地語で,おおむね2時間程度の半構造化インタビューをおこなった.回答者の語りはすべて英語に翻訳され,研究チームで共有されている. 【3.結果】  回答者の職業経歴の特徴は,社会によって大きく異なった.日本と韓国では被雇用の割合が多く,特に韓国では近年の雇用流動化の影響が世代を問わず見られた.一方モンゴル,インドネシア,ベトナムでは自営の割合が高く,中には「修理工->ガソリンスタンド店員->X線技師->物売り」(モンゴル,50歳代男性)や「イスラム学校教師->ドライバー->地区の役職->塗装職人->ホステル経営」(インドネシア,60歳代男性)など,かなり異質な職業を転々とする例も性別を問わず見られた.  職業生活上の出来事が幸福度に与える影響として,第一に自営では事業の成功/失敗が幸福度に大きく影響する傾向がみられた.たとえば,刺繍の販売が好調だったベトナムの男性は「7~8年商売をおこなって大もうけした.100人以上の制作者と取引して高値で転売した」(50歳代,R02)と語った.  第二に,被雇用では昇進や職場の人間関係が幸福度に影響する傾向がみられた.たとえば,ソウル市の管理職だったときに目をかけていた部下が仕事の重圧に耐えかねて辞職した男性は「自分の人生を根本から反省せざるを得なかった」(韓国,50歳代,U03)と語り,教諭として初めて就職した幼稚園で同僚からいじめを受けた女性は「途中で辞めるっていう選択肢は考えられなかったので,その最悪の中で続けるしかなかったというのは不幸,辛かったです」(日本,40歳代,R08)と語った. 【4.結論】  職業生活上の典型的な出来事が幸福に及ぼす影響自体は多くの社会で共通していたが,労働市場の構造に起因する職業生活の重みの違いが,職業生活と幸福度との関係の国ごとの異質性を生み出す一因となっている.ただし,どの社会でも幸福度の変動に占める職業生活上の出来事の影響は,家族との関係など他の要因と比べて大きいとは言えないことにも留意が必要である.今回の知見を踏まえて,代表性のある量的比較調査を実施することが求められるだろう. 【付記】 本研究はJSPS科研費(19H01570)およびROIS-DS-JOINT(028RP2020)の助成を受けたものです.

報告番号233

貧困と幸福感――モンゴルを事例として,アジア型ウェルビーイングと格差・不平等(2)
成蹊大学 小林盾

【1.目的】  この報告の目的は,貧しくても幸せであるときの主観的メカニズム(合理性,意味づけ,ロジック)を検討することで,客観的地位と主観的ウェルビーイングの関係を解明することにある.先行研究によれば,収入,雇用など経済状況が良好だと,幸福感が高い(Layard 2005).しかし,貧困にありながら幸福という「ねじれた」ケースは,未解明のままであった.  ここでは仮説として,経済状況以外の価値観をもつならば,幸せとなりうると想定しよう. 【2.方法】  データとしてソーシャル・ウェルビーイング・アジア・インタビューのうち,モンゴル都市データを用いる.モンゴルは1990年代に民主化し経済自由化したため,格差が急拡大した可能性がある.2019年9月にウランバートルで,半構造化インタビューが12人に実施され,インタビューガイドにそって「現在の幸福感」「もっとも幸せ,不幸だったころ」「幸せ,不幸とは一言で」などを自由に発言してもらった.原則としてインタビュアー1人,記録者1人で,対象者1人あたり平均1時間12分だった.発言のスクリプトが,プロジェクトで英語で共有されている.  分析対象は,筆者が参加した8人のうち,経済状況がとくに悪く貧困下にある2人とする.どちらも50~60代で,中卒,無職,既婚,子ありであった. 【3.結果】  Aさんは60代男性で,工場,農場,警備業などで働いたあとリタイアした.現在の幸福感(カントリルの階段)は0~10のうち4と,(三分位の中間7,8より)低かった.幸せとは「健康で,将来性のある仕事につくこと」であり,不幸とは「失業」を意味する.このように,Aさんにおいては,幸せのイメージがもっぱら経済状況に占められており,幸福感が低かった(ねじれはない).  では,Bさんはどうか.Bさんは50代女性で,まず建設業で働き,離婚後に自営で農業や小売りをした.再婚し,事故のため現在は無職で事故手当てを受給している.現在の幸福感は7と,三分位の中間レベルだった.もっとも不幸な時期は離婚後で,一人で3人の子を養うため「食べるものがない日もあった」という.幸せとは「子がよい生活を送ること」であり,不幸とは「失業,無収入」であった.このように,Bさんは厳しい貧困を経験したが,幸福が家族イメージと結びつき,幸福感は低くなかった(ねじれたケース). 【4.結論】  以上から,Bさんのように経済より(家族といった)別の価値観が優先されるなら,たとえ貧しくても幸せとなることがあった(家族イメージが幸福感を高めることは小林・ホメリヒ 2018と一致する).いわば,家族への思いが貧困への中和剤となっていた.したがって,仮説は支持され,低い客観的地位でも主観的ウェルビーイングが低下しないための1つの条件が示された.  ただし,こうした主観的ロジックは,ともすれば貧困を正当化するために利用されかねない点には,注意するべきだろう. 【文献】 小林盾,カローラ・ホメリヒ,2018,「どのような言葉が人を幸せにするのか:自由回答のテキスト・マイニング分析を用いた混合研究法アプローチ」『ソーシャル・ウェルビーイング研究論集』4:31-47. Layard, R., 2005, Happiness: Lessons from a New Science, Penguin Press. 【付記】  本研究はJSPS科研費(19H01570)およびROIS-DS-JOINT(028RP2020)の助成を受けたものです.

報告番号234

教育格差認識が幸福感に与える影響にかんする日韓比較分析――アジア型ウェルビーイングと格差・不平等(3)
東京大学 大﨑裕子

【1.目的】  本報告では,社会における教育機会の格差に対する認識が幸福感に与える影響について,日本・韓国の比較分析をおこなう.量的分析と質的分析により,教育格差認識の影響に違いをもたらす文脈について考察する. 【2.方法】  まず,Social Well-Being Survey in Asiaの日本(N=11,786),韓国(N=2,000)のデータをもちい,教育格差認識(「大学教育を受ける機会は、貧富の差に関係なく平等に与えられている」への賛否〈0そう思う~10そう思わない〉)と幸福感(11件法)の関連について量的分析をおこなう.次に,Social Well-Being Interview in Asiaの同国データ(日本20名,韓国24名)から,大学進学と幸福/不幸にかんする語りを質的に分析する.最後に,量・質の分析結果を照合する. 【3.結果】  量的分析の結果,日本,韓国の両方で,教育格差認識と幸福感の間に有意な負の関連が確認された(属性やSESを統制).また日本よりも韓国においてやや強い関連がみられた(相関係数は日本-0.115,韓国-0.211,いずれもp<0.001).  これらの関連から教育格差認識が幸福感に与える影響を想定した場合,日本と韓国における影響の違いはどのように説明できるだろうか.インタビュー調査により,ライフコース上の出来事と幸福度の変化を回顧法で尋ねたところ,両国の回答者から,大学進学と幸福/不幸にかんする以下のようなエピソードが語られた.  韓国の回答者からは,大学入学に至るまでの過酷な受験勉強や受験の失敗が,不幸の要因としてしばしば語られた.しかし同時に,そうした困難の末に高い学歴を獲得した喜びと,その先にある職業達成や夢の実現への期待の高まりを,幸福度を大きく上昇させた出来事として語る回答者も複数いた.  一方,日本の回答者による大学進学と幸福/不幸にかかわる語りは,韓国と比べると控えめであった.受験の失敗を不幸のエピソードとして語るものは少なく,受験そのものよりも進路への不安や進学断念が幸福度低下の要因として語られる傾向があった.興味深い点として,韓国の回答者のように,教育達成から職業達成までの過程を幸福度上昇のポジティブ・ストーリーとして語るものはみられなかった.このほか,自身ではなく子どもの進学にかんする安心や不安を幸福/不幸の要因として語るものも複数いた.   【4.結論】  以上の質的分析から,韓国では,幸福と不幸のどちらを語るうえでも,大学進学とその前後の出来事が重要なライフイベントに位置づけられることが明らかとなった.一方日本では,大学進学にかかわる出来事は不幸の要因になり得るものの,幸福の要因としては認識されていなかった.このことから,量的分析で確認された教育格差認識と幸福感の関連にかんする日本と韓国の違いを説明できるかもしれない.つまり,韓国のように教育達成が人生における幸福/不幸を大きく左右する社会では,そのような傾向がそれほど強くない日本社会と比べて,教育達成の機会さえ平等に与えられていないことが,より大きな落胆をもって人々に受け止められているのではないだろうか. 【付記】  本研究はJSPS科研費(19H01570)およびROIS-DS-JOINT(028RP2020)の助成を受けたものです.

報告番号235

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論篇(1)――復興の「地域的最適解」研究の到達点と課題―復興を評価する視点をめぐって
東洋大学 川副早央里

本報告は、科学研究費(基盤研究A)「大規模災害から復興の地域的最適解に関する総合的研究」(研究代表者 浦野正樹)の中間報告として、本研究プロジェクトの中核的概念である「地域的最適解」の視点をめぐる議論とその整理の成果を報告し、現段階における研究プロジェクトの到達点と課題を検討することを目的としている。  本研究プロジェクト全体の目的は、災害復興には地域的最適解があるという仮説命題を実証的な調査研究によって検証し、得られた知見に基づいて、次に予想される大規模災害からの復興の制度設計に関して政策提言を行い、研究成果の社会への還元をグローバルな発信を重視して積極的に行うことである。初年度には、復興を検証する軸として「復興事業の達成度」と「理念的復興の実現度」という尺度を設け、それらを「客観的指標」と「主観的指標」という観点で整理し、社会学的な復興研究の基本的な分析視角を設定した。それにより、本研究における分析枠組みを構成する空間的範域と時期区分を見直し、ミクロ/マクロの重層的な地域レベルと、短期的/長期的時間軸を設定した「地域的最適解」の検討が重要であることを示した。  続く2年度目の取り組みとして注力したことは、主に、復興の「地域的最適解」を評価するための「レジリエンス」「サステイナビリティ」「インクルージョン」「エンパワーメント」「ウェルビーイング」という5つの視点を設定し、調査対象地として選定した複数地域における復興過程・復興状況をその視点で評価・比較し、それぞれの地域における復興の最適解を検証したことである。これらの視点は、津波被災地域と原発事故被災地域を架橋させて復興の地域的最適解を検証するものであり、住民の多様性や長期的時間軸、広域的空間軸をも射程に入れた視点である。  今回は、「大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究 2021」と題した一連の報告で2セッションを設け、それぞれ理論篇と実証篇に分けてこれまでの研究成果を発表する。理論篇セッションでは、上記の5つの視点に関する理論的考察と重層的諸主体の集合的選択過程に関する考察を行う。実証篇セッションでは、理論篇セッションで詳述される5つの視点から、調査対象としている各津波被災地域における復興の地域的最適解を評価した結果を報告する。  今後は、5つの視点を盛り込んだ住民および地域リーダー層ら対象の復興達成度調査の具体化、「復興の地域的最適解」の理論的フレームの精緻化に取り組んでいく予定である。

報告番号236

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論篇 (2)――復興評価の視点に関する理論的考察
椙山女学園大学 黒田由彦

東日本大震災後の復興においては、国が構築した復興レジームを前提として、被災地において基本的に基礎的自治体を単位として復興計画が策定され、それに沿って復興政策が実行され、その結果として復興プロセスが進んだ。 それぞれの地域社会における復興が最適解かどうかを評価するためには、復興評価の視点が必要である。科研メンバーを含めてこれまで社会学者が蓄積してきた復興に関する実証的研究、および災害復興に関する数多くの先行研究の検討の上に立って、次の5つを復興評価の視点として設定した。5つの視点とは、①レジリエンス Resilience、②サステナビリティ Sustainability、③インクルージョン Inclusion、④エンパワーメント Empowerment、⑤ウェルビーイング Well-beingである。 第一にレジリエンスResilienceとは、復興の過程において、当該地域社会が将来起こりうる災害に対してしなやかに対応できる社会的条件をどの程度形成しえるかどうか、ということである。第二にサステナビリティSustainabilityとは、当該地域社会がこの先も安定的に再生産されていくような復興であるかどうか、ということである。第三にインクルージョンInclusionとは、従来社会的に排除されたり見落とされたりしていた、いわゆる社会的弱者、具体的には、女性、子ども、若者、障害者、外国人、旅行者等を社会的に包摂した復興になっているかどうか、ということである。第四にエンパワーメントEmpowermentとは、復興の過程において、高齢者・障害者・女性など社会的弱者を含む当該地域社会の住民が、政治的意思決定に対する影響力(=パワー)をどの程度発揮しえるか、ということである。多様性に開かれたガバナンスが形成されるかどうかと言い換えてもよい。第四にウェルビーイング Well-beingとは、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、満たされた状態(well-being)を実現できているかということである。本研究に即して言えば、復興の過程において当該地域社会の住民が日常的な幸福感(具体的には、福祉・医療サービスの安定的な供給による健康の客観的な維持と安心感、地域社会への社会参加を通じて得られるわれわれ意識等々)をどの程度回復しているか、ということである。 この5つの視点を念頭に置き、それぞれの科研メンバーが自分のフィールドに関して、評価のエビデンス(定量的または定性的)を付して復興評価を行い議論しあうワークショップを実施してみた。その結果浮かび上がってきたのは、5つの視点が復興という集合現象を構成する要素そのものであるということ、またそれら5つの要素の間には相互関係があるということである。災害復興は、複数の重層的諸主体の集合的選択過程(第5および第6報告参照)と捉えることができるが、それを構成する上の5つの要素の間に相乗的な関係性が実現されたときに、当該地域における復興は最適と評価できるのではないか、5つの要素の間に相乗的な関係性が実現され、かつ維持されたとき、そこでは順応的ガバナンス Adaptive governance が構築されているといえるのではないか、以上が現時点でのわれわれの知見の到達点である。

報告番号237

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論篇 (3)――復興の「地域的最適解」研究における包摂とエンパワーメント
静岡大学 池田恵子

【1. 目的】  復興の「地域的最適解」を評価する視点の一部として包摂(インクルージョン)およびエンパワーメントが挙げられている(理論篇2:黒田報告)。本報告は、この2視点を「地域的最適解」の評価要素に統合することの意義を論じ、評価要素としての有効性を高めるために必要な点を整理することを目的とする。 【2. 方法】  主に東日本大震災の被災地や避難先において女性もしくはジェンダー、男女共同参画、マイノリティなどの視点から支援活動を行った人々への聞き取り調査①「東日本大震災における支援活動経験に関する調査」(調査期間:201年6月~2012年6月、40組50名)、②その「後継調査」(調査機関:2019年9月~実施中、①参加した40組50名のうち、参加承諾が得られた人々22組29名)を実施した。  この2調査のインタビュー資料から、支援内容、支援者が指摘する復興期の課題を本科研の研究チームが定義する包摂とエンパワーメントの視点から整理し、復興の「地域的最適解」を評価する際の問題点と可能性を検討する。 【3. 結果】  被災地では時間が経つにつれて立場や性別・年代別の課題が焦点化されて表出している。調査参加者が指摘した課題のうち、包摂に関わる課題(生活困窮・賃金格差、DV/性暴力/離婚、心身の健康問題による孤立、高齢者の孤立・孤独、若年男女の虐待・引きこもり・居場所・性被害・依存症など、震災第二世代の学校適応や心の問題)、エンパワーメントに関わる問題(男女共同参画の進展・後退、復興の議論への女性の関与、セクシュアルマイノリティの存在の認知)は、指摘されたその他の課題(人口の流失:特に若年女性、働く場・雇用、家族の分離、小学校の統廃合・児童数の減少、生活インフラ・子育ての場、帰還・自主避難・住宅・移転先の関係)と深く結びついている。  世代と立場によっては、同じ課題が包摂の課題ともエンパワーメントの課題ともなるような異なる意味合いを合わせ持つ。包摂の課題もエンパワーメントの課題も、災害前から体系だって政策化の議論が十分になされておらず重要性を正当に評価されてこなかった課題と重複することも多い。  被災地には、男女共同参画が進んだ地域(地方議会議員女性議員数の減少、母子関連施設の閉鎖やジェンダー系活動団体の解散、行政の審議会における女性委員割合の減少など)と後退した地域がある(地方議会議員に初めて女性が選出、行政の審議会で若手や女性の人数が増加、地域組織を母体とした自主防災組織への女性の参加)。女性の視点からのいわゆる「市民調査」を実施し、復興に関する情報収集して、記録・発信し、政策提言や学習会を行う女性グループが出てきた地域もある。   【4. 結論】  自治体や国の取り組みや既成の政策分野の統計資料にのみ依拠したのでは、復興における包摂やエンパワーメントに関する情報は限られる。復興の担い手を幅広くとらえる必要がある。災害前の社会や施策における排除や不平等の理解、年代別・性別に細分化されたデータ収集と考察、政策が体系化されていない領域の課題へのアプローチが必要である。

報告番号238

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論編 (4)――マクロ統計データによる東日本大震災被災地の動向
早稲田大学 浅川達人

【目的】 本報告の目的は、東日本大震災被災地が、どのような被害を受け、被災後10年間の復興の歩みの中で、何がどの程度復興しているのかを、各県が刊行している報告書と、マクロ統計データを用いて明らかにすることにある。 【方法】 まずは、岩手県、宮城県、福島県の各県が刊行している報告書に基づいて、被害状況および復興の達成度をまとめた。次に、人口・産業構造・世帯収入についてのマクロ統計データを用いて、これら3県の現況を分析した。人口については、国勢調査の小地域統計を用いて、1980年から2015年までの年齢階層別の人口量を求め、人口量変化の長期トレンドを分析した。次に、震災前後の人口量の変化を分析し、今後の人口量の推計を行なった。最後に、産業構造の変化および世帯収入の変化について分析した。 【結果】 岩手県の報告書によれば、岩手県、宮城県、福島県における建物被害は、全壊が124,900戸、半壊が231,573戸であった。また日本政策投資銀行が試算した推定資本ストックの被害額は、3県合計で約14兆円であり、推定資本ストックの約1割が被害を受けたと報じられた。被災後10年が経過し、3県はそれぞれの復興の歩みを刊行物にまとめている。岩手県と宮城県については、住宅が整備され、生業も徐々に回復してきている段階にあると報じられている。一方、福島県については、2020年7月現在でも約4万人が県内外で避難者として暮らしており、復興が進まない面も残っていることが報じられている。  マクロ統計データを用いて、人口量変化の長期トレンドを岩手県大槌町について分析した結果、1980年時点で二十歳以上だった世代は、その後8〜9割が大槌町で暮らしていたのに対して、1980年時点で二十歳未満だった世代は4〜6割しか大槌町には残っていないことがわかった。この頃から見られた地方を離れ大都市圏に流入するというこのトレンドは、現在でも続いている。 次に、震災前後の人口量の変化を分析し、今後の人口量の推計を行なった。その結果、震災前のトレンドと同じ程度の人口減少が震災後にも生じていたことが示された。ただし、震災後の人口には復興工事の作業員たちも含まれているので、今後は震災前のトレンドを上回る人口減少が起こる可能性がある。 最後に、産業構造の変化および世帯収入の変化について分析した。産業構造については、基幹産業である農林業、漁業、製造業、卸売業・小売業における就業者が減少し、建設業、医療・福祉における就業者が増加した。建設業については、復興工事の終了とともに需要が急速に減少することが予想されるため、今後の労働市場の縮小が懸念される。また、世帯収入について2008年と2018年の平均値を比較すると、−21万円と減収であった。ただし一部には、世帯収入が増加した地域も散見され、それらは復興事業バブルによってもたらされたことが示唆された。 【考察】 このように人口・産業構造・世帯収入について分析した結果、被災後10年の復興過程を経て、持続可能な地域社会が構築されたとは言い難い現況が見られた。

報告番号239

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論編(5)――津波被災地復興における重層的主体の集合的選択過程
尚絅学院大学 田中重好

1. はじめに  本研究は東日本大震災の復興の「最適解」研究の一部である。この報告では、復興の最適解を求めるために、復興を重層的なアクターの集合的な選択過程として捉え、復興過程における重層的なアクター相互の関係構造がどう復興を規定していったのかを明らかにする。ここでは、重層的アクターとして、政府―地方自治体―コミュニティ―個人という4つのアクターに限定する。本報告と次の報告の中から、復興過程におけるアクター間の関係構造を描き、津波被災地と原発被災地の復興過程の異同を比較検討する。 2. 津波被災地における重層的主体の集合的選択過程 日本は中央集権的な行政システム構造をもっている。それは集権的分散システム(神野、2000)ともいわれてきた。大震災の復興においても、その基本構造は変わらない。だが、これまでの災害復興政策と異なる点は、政府から自治体へのメニュー提示し、自治体がその政府が提示した5省40事業なかから選択するという仕組みを作り上げた点である。  こうした仕組みの下で、各自治体は政府が提示した復興事業のなかから、自分たちの地域的実情に照らして一定の選択できた。そのことが、復興の地域的多様性を生み出した。ただし、自治体の選択過程で、①国交省の提示した復興モデルに従ったものが大半であること、②地元負担ゼロという財政制度のために、「歯止めの利かない」復興事業が展開された。その結果、多くの地域では復興事業の長期化、嵩上げ・区画整理後の土地の過剰供給、防災施設の過剰整備という状況を生み出した。また、「弾力的かつきめ細やかに対処できる資金」として導入された復興基金は、地域の創意工夫、地域の特徴を生かした復興を促進したか疑問である。 自治体の復興事業の選択の幅があることが、コミュニティからの要望・提案をする機会を増やし、復興にプラスの作用した地域もみられる。だが、「住民の合意形成」に時間がとられ、さらに、住民間の意見対立が顕在化したために、マイナスに作用したケースも少なくない。さらに、被害が甚大であったことや「みなし仮設」の導入もあって、コミュニティの継続が困難になった地域も少なくない。 被災した住民の選択についても、集団移転、区画整理などによって、元の住民が集団で生活再建に取り組んだ事例も数多くある。だが、集団的な住宅再建を選択した人よりも、個人的に住宅再建するやり方を選択した人の方がはるかに多い。それは、「みなし仮設」の導入、被災者生活支援金の個人給付、がけ地近接等危険住宅移転事業など、選択の個人化を可能にした施策とも関連している。 津波被災地での復興過程における重層的アクターの関係構造は、中央集権的な復興を基本としたものであった。たしかに、自治体の選択の幅は一定程度確保されたが、その自治体の選択も、政府の政策メニューからの選択であり、選択に自主性が発揮されたかは疑問である。コミュティの自主的な選択の事例も少数にとどまる。コミュニティなどをとおしての被災者個人の選好が地域的に取りまとめられなかったために、政策的には優遇された集団移転事業などが用意されたが、集団的な選択よりも、個人的な選択の方が多くなった。

報告番号240

大規模災害からの復興の地域的最適解に関する総合的研究2021理論編(6)――原発被災地復興における重層的主体の集合的選択過程
尚絅学院大学 高木竜輔

1.目的  本報告の目的は二つである。第一に、原発事故被災地における復興過程を、重層的なアクター間の集合的選択過程から説明することである。第二に、田中報告でなされる津波被災地に関する説明を踏まえて、復興過程に関する津波被災地と原発被災地との比較を行うことである。 2.原発被災地復興における重層的主体の集合的選択過程  被災地の復興において政府の施策が決定的に重要であり、それが都道府県以下のアクターの復興のあり方を大きく規定する。それは津波被災地も原発被災地も同じである。ただし、原発被災地においては、避難指示の設定やその解除、原賠審による賠償指針の設定、直轄除染など、国の関与する領域が津波被災地の場合と比較してかなり大きい。帰還政策という政府の方針も、それらに関する権限を政府が一手に握っているために貫徹することができる。  復興の第一義的主体である原発被災自治体は、津波被災地と比較した時に、復興に対して大きな選択肢を持っているわけではない。原発事故被災地の復興状況の違いは、ほぼ避難指示解除のタイミングによって規定される。帰還条件を整備するためにスーパーや病院などの整備が行われているという点で、原発被災市町村が取り得る復興施策に大きな違いはない。  被災地のコミュニティは、広域避難のなかでは行政区などがほとんど機能しておらず、復興に向けたアクターとして機能していない。そのため復興の局面では被災自治体と被災者が直接向き合うことになる。  原発被災地における重層的主体の集合的な政策選択過程を踏まえると、原発避難者はコミュニティを喪失した中で個人(世帯)を単位とした生活再建を余儀なくされている。そのことを大きく規定しているのが賠償である。賠償は、形の上では支援ではないが、実質的には個人(世帯)単位での生活再建を可能とした(被災者の個人化。もちろん、賠償が受けられない被災者は政府の定めたスキームに乗るしかない)。  以上から原発被災地の復興過程における重層的アクターの関係構造は、政府の帰還政策に枠組みに基づく形で被災地自体による偏差は見られない。他方で、帰還政策に乗れない被災者は賠償によって他地区で住宅を個人的に再建することになった。 3.復興過程における津波被災地と原発被災地との比較  津波被災地と比較した時に、原発被災地における復興過程の特徴は五点ある。第一に、被災者の生活再建において復興事業に加えて賠償も大きく影響している。そして第二に、除染や賠償など被災者の生活再建を規定する政策が政府により決められており、そのため第三に、自治体が政策のあり方を決定することがほぼできなかった。このことは津波被災地において政府が政策メニューを提示していたのとは対照的である。第四に原発被災地では広域避難・長期避難のためにコミュニティが機能せず、自治体と被災者との間を調整する役割を果たせなかった。第五に、原発被災者は広域避難と賠償によって強制的に個人化された生活再建を強いられた。とはいえ津波被災地でも個別の住宅再建の割合が多い。このことは、高台移転など既存のコミュニティを基盤とした生活再建も用意された上で、それを選択せずに個別再建していることを意味する。

報告番号241

日本人の対外意識の構造――JGSS-2017G/2018Gを用いた社会的距離のパターン分析
大阪商業大学 金政芸

1.目的  対外意識に関するこれまで研究では、日本人は戦後から一貫してアジア諸国に対してはネガティブなイメージをもち、欧米諸国に対してはポジティブなイメージをもつ傾向が強いことが示されている。現在においても、こうした対外意識をもつ日本人が多いだろう。とはいえ、すべての日本人が同じ対外意識のパターンをもつことはなく、複数の意識パターンが存在するはずである。たとえば、アジアと欧米のいずれに対してもポジティブなイメージをもつ人もいれば、両方に対してネガティブなイメージをもつ人もいるだろう。そこで、本報告では外国人に対する社会的距離を用いて、日本人のもつ対外意識のパターンを抽出し、その規定要因を明らかにする。 2.方法  分析には、同じ調査票を用いて実施されたJGSS-2017GとJGSS-2018Gのデータを用いる。対外意識の指標には、中国、韓国、台湾、東南アジア、ヨーロッパ、北アメリカの出身の人を同僚・隣人・親戚として受け入れることができるかについてたずねた社会的距離の項目を用いる。対外意識のパターン抽出には潜在クラス分析を用い、多項ロジスティック回帰分析で規定要因の分析を行なう。説明変数としては、対象者の属性と外国・外国人との接触経験を用いる。 3.結果  潜在クラス分析から5つの対外意識パターン、すなわち「総寛容型」、「中韓排他型」、「アジア排他型」、「欧米排他型」、「総寛容型」が抽出された。「総寛容型」はいずれの国・地域の人に対しても社会的距離が近く、出身と関係なく寛容的な態度を示す。「中韓排他型」は、中国人と韓国人だけに社会的距離が遠く、排他的である。「アジア排他型」はアジア人に対しては排他的で欧米人に対しては寛容的であり、「欧米排他型」はアジア人には寛容的で欧米人には排他的である。「総排他型」は、いずれに国・地域の人に対しても排他的な態度を示す。各パターンの構成割合は、「総寛容型」が全体の半数を占め、「中韓排他型」、「アジア排他型」、「欧米排他型」はそれぞれ2割前後を占めていた。欧米排他型は1%弱とほとんどいなかった。  構成割合が低い「欧米排他型」を除いて「総寛容型」を基準にして行なった多項ロジスティック回帰分析では、男性と20~39歳の人は「中韓排他型」になりやすく、高等教育を受けた人は「アジア排他型」と「総排他型」になる確率が低かった。また、台湾に訪問した経験があると「中韓排他型」になる確率が高かった。中国人の知り合いがいると「中韓排他型」になりやすく、北アメリカの知り合いがいると「総排他型」になりやすいといった知見が得られた。 4.結論  日本人の対外意識には複数の意識パターンが存在し、それには性別や年齢といった属性だけではなく、外国・外国人との接触経験が影響を与えることが明らかになった。 【謝辞】  日本版General Social Surveys(JGSS)は、大阪商業大学JGSS研究センター(文部科学大臣認定日本版総合的社会調査共同研究拠点)が、大阪商業大学の支援を得て実施している研究プロジェクトである。JGSS-2017G/2018Gは、京都大学大学院教育学研究科教育社会学講座の協力を得て実施し、文部科学省「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業機能強化支援」を受けた。データの整備は、JSPS人文学・社会科学データインフラストラクチャー構築推進事業JPJS00218077184の支援を得た。

報告番号242

環境意識と環境保全行動の関連性分析
福岡工業大学 陳艶艶

1.目的  環境意識と環境配慮行動の関連性に関しては、認知・態度・意向などの意識側面から行動を予測することが従来行われてきている。例えば,人々は行動結果の重要性を認知し,その行動を起こす責任をみずからに帰属すると思うことで,行動すべき義務感が活性化され,これによって利他行動が生じるという規範活性化理論 (Schwartz, 1970 &1977)や態度が好ましければ好ましいほど,主観的規範が強ければ強いほど,行動意図が高まり,それに基づいた行動を取りやすくなるという合理的行為理論 (Fishbein & Ajzen, 1975) などがある.一方,環境に関するする意識の高まりが必ずしも環境保全行動に結びつかなく,「意識」と「行動」には乖離があるという現状も示された (土井,2011).本稿では、調査データの分析に基づいて、環境意識と行動はいったいどのように繋がっているのかを明らかにすることを試みる。 2.方法  本稿では、2016年に東京都で実施した「環境に配慮した意識・行動に関する世論調査」で収集した男性255名,女性264名,計519名データを用い,人々の環境意識及び環境配慮行動を分析する。環境意識について、自由記述の質問「地域環境の保全のために,一般市民が取り組むべき課題についてご意見がありましたら,自由にご記入ください」で計測する。環境配慮行動について、環境保護に関する講演会参加,ボランティア活動,環境保護請願書の署名,環境保護団体への寄付という4つの側面から計測する。 3.結果  環境意識の状況について、アフターコーディングの結果より、最も多くの市民がゴミ分別やリサイクルなどの日常生活における環境保全活動の実施が課題と思っていることがわかった。また、「意識の改革と向上」「多様な環境保全担い手の役割の発揮」もある程度言及された。さらに,「広報,情報提供及び教育の推進」,「経済刺激策やルール遵守」,「無駄しない,もったいない精神の再考」「ボランティア活動や市民活動の推進」も提案された。環境配慮行動の実行状況について、4つの環境保全行動において,8割以上の回答者が実行した経験がないという結果であった.特に,ボランティア活動の参加や環境請願書署名の実行率,わずか1割である.  環境意識と環境配慮行動の関連性について、まず、テキストマイニングの分析結果より、環境講演会参加やボランティア活動実行や環境請願書署名において,「ゴミ」,「リサイクル」,「節電」などの語を言及した回答者が「経験なし」の傾向が強いことがわかった.一方,環境,活動,意識などの語を言及した回答者が公共領域の環境配慮行動を実行した経験ある傾向が示された.また、多重対応分析の結果より、ボランティア活動・市民活動,多様な環境保全担い手の役割,もったいない精神を主張する人々が公共領域の環境配慮行動を実行する傾向がある.最後に、人口統計学的属性の視点から、宗教を持っている人々,家族人数が多い世代,高学歴を有する人々は公共領域の環境配慮行動を実行する傾向が強いことが示された. 4.結論  一連の分析結果から,環境意識と行動には一貫性があることが示唆された一方、宗教の有無、学歴、家族形態などの属性による環境保全行動の特徴も確認できた。

報告番号243

消費と労働の脱成長
豊橋技術科学大学 畑山要介

本報告は、ポスト・フォーディズムにおける労働と消費の関係を、脱成長という観点から現代社会論のなかに位置付ける試みである。  日本において、労働から消費へという議論の端緒となったのは80年代のポストモダン社会批判であった。それは過剰労働や会社人間が問題化されるという背景の中で、有用性には還元されない遊び・余暇の固有の快楽性を捉え返し、日本社会の労働中心性を相対化するものであった。だが90年代以降、批判の求心性は低下する。第一に、雇用および会社人間の相対化が労務コスト節約のための雇用の柔軟化・非正規化を下支えする言説と共振していく。第二に、ライフスタイルの多様化とワーク・ライフ・バランス志向の台頭、および所得の相対的低下のなかで、労働から消費へという批判は人々の実感と乖離していく。  今日、ポストモダンとは異なる仕方で労働と消費が置かれた現実を再記述する必要があるだろう。本稿では、労働文化と消費文化が同種の閉塞性を抱えてきたという観点から、それを脱却しようとする人々(労働者=消費者)のあり方を脱成長論との関係で考察する視座を提示していく。  脱成長(post-growth)は、経済成長とは異なる指標に基づいた経済・生活様式の再編として経済思想や文明論で論じられてきた。消費の観点から脱成長論を展開するケイト・ソパー(2021)は、従来であれば禁欲とされてきたような、大量消費を拒否し環境や社会に配慮する持続可能な消費が、消費者自身においては快楽として体験されているあり方を捉える。持続可能な消費を、そこでは満たされなかった楽しみを充足しようとする「もうひとつの快楽主義」として概念化し、脱成長社会を豊かさの放棄ではなく別様の豊かさを目指す社会として描く。日本社会でも、標準的な生活水準のなかで過剰消費が制度化され、別様の豊かさの可能性は排除されていた。環境や社会への配慮、エシカル消費、ミニマリズム、そして手作りやDIYなどは、既存の消費文化を越えてそれとは異なる快楽を追求する人々のニーズを反映したものと理解できるだろう。  労働文化の閉塞性を脱却しようとする志向も、同種の快楽性のもとで捉えられるのではないだろうか。既存の労働文化の中では所得と地位が指標とされ、働く時間や場所、働き方を自らで決めることはできなかった。だが、ライフスタイルの多様化に伴ってより自由に生活時間を割り当て、生活段階に合わせて柔軟に変えたいというニーズが台頭してきた。フリーランスや地方移住といったワークスタイルは、下降志向としてではなく、既存の労働文化の中では満たされなかった別様の豊かさと快楽性の追求として捉えられるだろう。  外的視点から見れば所得水準や物質的豊かさを低下させているようでも、内的視点から見ればそこには固有の成長や楽しみがある。本稿ではこうした観点から、現代の労働/消費文化の現状を共通した問題のもとで再記述する可能性を提示していく。他方、多様で柔軟なライフスタイルや固有の楽しさの強調は、物質的貧しさや不安定性を補完する言説とならないか常に批判が向けられてきた。脱成長という観点は、こうした批判にどのような示唆を与えるのか、こうした問題についても議論を広げていきたい。 【参考文献】Soper, Kate, 2020, Post-Growth Living: For an Alternative Hedonism, Verso.

報告番号244

「家」はどう描かれたのか――戦後労働者の演劇運動の作品に着目して
公益財団法人日本近代文学館 長島祐基

1. 目的・課題  戦後日本では民主化を背景として戦前的な「家」制度の改革が主張され,両性の平等に基づく新しい家族のあり方が主張された(川島 1950=1970).家族社会学では敗戦を契機とした家族の在り方の変化を捉えるにあたって「現代家族」論と「伝統家族」論が議論の俎上に載せられてきた(千田 1999: 91).しかし,知識人の理念や調査を通じた議論の展開と並んで検討しなければならないのは,戦後の民主化を経験した人々自身が「家」の問題や家族の変化をどのように表現したのかという点である.本報告では当時の人々の表現活動の一つであり,「反封建」が一つのテーマとなった(辻 2015)サークル文化運動,中でも戦後の大阪での演劇運動で創作/上演された作品を扱う.演劇運動の中で「家」がなぜ対象化され,特に戦後の「家」制度の解体がどのようなものとして描かれたのか,1960年代の高度経済成長の中で家族の変化はどのように描かれたのか,「家」の問題は演劇サークルの中でどのように変化していったのかを検討する. 2. 方法・対象  本報告では大阪の演劇サークルの発表の場であり,演劇サークルで創作された劇が定期的に上演され,サークルの相互交流の場となっていた(長島 2020)自立演劇発表会/職場演劇祭で1950年代から1960年代にかけて上演された作品を対象とする.調査方法は上演された劇の戯曲や発表を担ったサークルの資料調査に加え,戯曲執筆者をはじめとするサークル関係者への聞き取りによる.戯曲は演劇関係の各種雑誌に掲載されたものに加え,関西学院大学博物館所蔵の「大阪労演資料」内にあるガリ版刷りの戯曲台本を参照した.戯曲が残されていない作品についても上演記録や執筆者への聞き取りなどから可能な限り内容の復元を試みた. 3. 結果・結論  1950年代の大阪の演劇運動では大阪市職員組合演劇研究会や全損保大阪地協演劇部の手によって「家」の問題を描いた作品が発表された.特に女性が数多く職場にいる損害保険会社の演劇サークルにとって,「家」の問題は女性とサークル活動への参加のしづらさの根幹であると同時に,異なる会社から集まった演劇部のメンバーで劇を作る際の共通の土台であった.  演劇サークルが描いた「家」の姿は戦後の社会変化や家長の死という出来事の中で,戦前的な「家」の在り方が不可能になる中で若手の家族成員の「自立」を描いたものであり,積極的な意味での「家」の解体ではない.特に今後の家族のあり方という点は劇の中では一つの可能性/示唆として描かれるにとどまっていた.1960年代に入ると共働き世帯の問題が描かれる作品が上演された.一方で,女性のサークルの参加しづらさや家族との軋轢はサークル内では1950年代に比べて大きな問題とはならなくなっていった. 文献 川島武宜,1950=1970,『日本社会の家族的構成』日本評論社. 長島祐基,2020,「戦後大阪の演劇運動と労働者の主体形成――大阪府職演劇研究会を中心として」『同時代史研究』13: 38-54. 千田有紀,1999,「家族社会学の問題構成: 「家」概念を中心として」『社会学評論』50(1): 91-104. 辻智子,2015,『繊維女性労働者の生活記録運動――1950年代サークル運動と若者たちの自己形成』北海道大学出版会.

報告番号245

消費志向的な生産活動,あるいは生産志向的な消費活動――余暇活動と仕事
東京都立大学 前田悟志

近年の余暇研究では,職種が余暇活動をどのように規定しているかについての研究が散見される,しかし職務内容の多様な実情を鑑みれば職種名では的確にその関係を捉えられる部分は限定的である.また,本人が自分の職務内容にたいしてどう取り組んでいるかという姿勢も職種名では捉えきれない.諸々の先行研究から見えてくるのは次のことである.仕事の面白さが職務上の不快ストレスを軽減する.面白いと感じられない状態とは人的な希少資源が活かされている状態であるし,またそれは,バートランド・ラッセルによれば幸福度が下がる要因でもある.興味や関心のある活動は Serious leisure とも呼ばれているがそれが職場において充足されているかを問うこと(余暇と仕事の一致度)は,すなわち,その人が職務内容を通してどのような興味・関心を満足させ,また楽しんでいるかを示すことになる.  したがって,本調査の目的は職種名とのつながりではなく,「余暇活動と職務の内容の一致度」と「余暇活動の内容・種類」の関連を確認すること,また,経済的次元以外での生活の質の格差をあきらかにすることである.これは新自由主義的な生産志向の再編成が生産志向と消費志向の境界のあいまい化をもたらしたことと密接に関連している.分析には,2021年度実施の首都圏および名古屋圏での合計4,500件の無作為標本を対象に行った郵送調査から得られたデータセットを使用する.  結果は,仕事と余暇活動内容の一致度が高い人は少数派であったものの,一致度が高い場合は新規の人との交流や,創造性を発揮する機会があるような諸々の活動,自然を感じられる余暇活動などとの関連が確認された.第二に,Serious leisure とも呼ばれる興味・関心を満足させる機会が無い人よりも,ある人の方が,また機会がある人の中では,それが職場外で得られているよりも,職場で機会を得ている方が所得やその他属性をコントロールしてもなお,幸福感が高めであった.加えて言及するならば,余暇活動内容と職務内容の一致度が高い人ほど所得も高い傾向にあった.この他に影響が確認された変数には,性別はもちろんのこと,仕事時間である.仮に余暇活動と一致の高い職務内容についている場合ですら,過ぎたるは及ばざるが如しということなのか,仕事時間は少ない方が良いようであった.  このように職務内容も自分の興味・関心分野と重なり,さらに所得も他の人よりも高い人は大勢とはなっていないものの我が国でも一定数存在することが確認され,経済的な側面以外でのQOLの格差も認められ,また,一致度が高い場合の余暇活動の内容的な傾向も確認された.

報告番号246

初期DIY/日曜大工にみる職人精神と男性性
目白大学 溝尻真也

【1.目的】  日本におけるDIY/日曜大工は、1960年代後半から1970年代にかけて、手づくり趣味のひとつとして定着した。報告者はこれまでの研究で、DIY/日曜大工が、夫や父親が「家族のために」という建前で余暇時間に取り組む、家族主義的な趣味として立ち現れる経緯を論じてきた(溝尻 2018)。  一方、女性向けインテリア雑誌『私の部屋』を検討した神野由紀は、日本における初期DIY/日曜大工が女性行為者にも開かれていた可能性を指摘している。しかしその後、多くの女性行為者はDIYから撤退していった(神野 2018)。その結果、2000年代に入るまで、DIY/日曜大工は男性的なイメージを強く帯びた趣味として位置づけられた。  では、1960年代後半から1970年代にかけてのDIY/日曜大工は、具体的にどのようなイメージで語られていたのだろうか。本研究は、DIY/日曜大工が男性趣味としてのイメージを確立していく時期を対象に、この時期の手づくり雑誌に表象されたDIY/日曜大工イメージを分析し、そこに表象された男性性の有様について検討することを目的としたものである。 【2.方法】  本研究の分析対象は、日本日曜大工クラブの機関誌として1972年5月から1976年9月まで刊行されていた雑誌『月刊手づくり』である。当時の日本日曜大工クラブは最大で4万5千人の会員を獲得しており、日本最大の規模を有するDIY/日曜大工の行為者団体だった(溝尻 2020)。なお会員の大半は男性であったという。  研究の方法としては、現在入手可能な同誌全49冊を対象とし、掲載されているすべての記事を類型化してその傾向を調査した。また特徴的な記事についてその内容を検討し、この時期のDIY/日曜大工に付与されていたイメージを明らかにした。 【3.結果】  この時期の『月刊手づくり』の特徴として、さまざまな日用品の製作方法やDIY/日曜大工を行う上でのノウハウを伝える記事が大半を占めていた点が明らかとなった。また、大工や陶芸家、木工家、染師など、さまざまな男性職人へのインタビュー記事を特徴的に見て取ることができた。さらにこうしたインタビュー記事の内容を読み解くと、その語りには一定のパターンがあり、下積み時代の厳しさと、それを乗り越えて獲得した職人としての誇りや思想、道具に対する思い入れなどが頻繁に語られる傾向があることが分かった。 【4.結論】  これらの調査から、日本における初期DIY/日曜大工のイメージについて考える上で、職人精神(craftsmanship)が重要な役割を担っている点が示唆された。この時期多くの男性たちがDIY/日曜大工を営むようになった背景のひとつに、こうした男性職人に対する肯定的なイメージがあったと考えられる。その意味で初期DIY/日曜大工は、行為者たちが家庭の中で自らの男性性(Domestic Masculinity)を確認する行為であったといえるのではないだろうか。 【参考文献】 神野由紀,2018,「インテリア手芸と工作の時代」『趣味とジェンダー――〈手づくり〉と〈自作〉の近代』青弓社. 溝尻真也,2018,「日曜大工の社会史―男性の手作り趣味と家庭主義」『趣味とジェンダー――〈手づくり〉と〈自作〉の近代』青弓社. 溝尻真也,2020,「1960-70年代日本におけるDIY/日曜大工――松下紀久雄と日本日曜大工クラブの軌跡から」『生活学論叢』36-37,日本生活学会.

報告番号247

マナーはどのようなときに語られるのか――新聞記事出現率の推移に基づく分析
滋賀大学大学院 深尾友理恵

【1.目的】 本報告では、マナーについて語られ、マナーが問題化するのはどのようなときかを明らかにしたい。深尾(2018)では、マナーに関する新聞記事出現率の推移について分析を行ったが、今回新たに2017年以降のデータを追加し、改めて分析を行う。また、新型コロナウイルスが日本で流行する前後のマナーに関する新聞記事出現率についても分析し、その影響を含めて考察する。 【2.方法】 朝日新聞のデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」と読売新聞のデータベース「読売新聞ヨミダス歴史館」を使用し、期間やキーワードを指定して検索した際にヒットする記事の数に着目し、マナーに関する記事がどのようなときに増えるのか、その推移を分析する。ただし、収録内容や紙面の大きさなど、記事の総数の変化を考慮して、ヒットした記事の数そのものではなく、指定した年のキーワードを入力した際にヒットした記事数を、指定した年に収録されている記事の総数で割った「記事の出現率」で分析を行う。なお、言葉の揺らぎを考慮して、本報告では「マナー」と「エチケット」、「作法」、「礼儀」、「礼儀作法」という言葉を同義語として扱った。 【3.結果】 朝日新聞、読売新聞は、それぞれ似たような推移をしていた。どちらもおおよそなだらかな変化をしているものの、2011年には朝日新聞、読売新聞ともにマナーに関する新聞記事の出現率は低下していた。また、全体を通して読売新聞はマナーに関する新聞記事の出現率が低下傾向にあった。2020年については、朝日新聞は前年より増加、読売新聞は前年より減少していた。月ごとの新聞記事出現率を見てみると、読売新聞は4月と9月にマナーに関する新聞記事が増える傾向にあったが、2020年の4月については、前後の月よりもやや減少していた。また、朝日新聞については、2020年の1月と2月はマナーに関する新聞記事が多かったが、2020年の3月以降は減少していた。 【4.結論】 震災などの影響により社会的連帯が強まるときには他者が行う行為に対してマナー違反だと言及することが少なくなり、マナーに言及する新聞記事が減ったと考えられる。このことから、マナーについて語られるかどうかには社会的連帯の強さが影響しており、社会的連帯が弱まるときにはマナーについて語られやすくなるとの仮説が得られた。今後、新聞記事の内容などのデータも使用してさらに詳しく検証したい。 【文献】 深尾友理恵,2018,「マナーの問題化に関する研究―新聞記事出現率の推移に基づく分析―」滋賀大学大学院経済学研究科2017年度修士論文

報告番号248

都市におけるまなざしの研究――歌詞のテキストマイニングを通して
東京大学大学院 小田中悠

【1. 目的】 都市を論じる際に,そこに生きる人々の視線のあり方は一つのトピックとなっている.たとえば,ミシェル・ド・セルトー(1980=2021)は,地上で生を営む歩行者の経験を論じる際に,それと対比させる形で,高所から都市を見下ろす視線に言及している.また,吉原直樹(2013)は,森鴎外と夏目漱石を比較することで,ド・セルトー同様の対比をもって都市の経験を捉えようとしている.  以上のように,都市における人々のまなざしが,高所から見下ろす視線と地上における水平な視線という二項対立で捉えられている.それに対し,本報告では,歌詞の中に現れる表現を手がかりにして,その2つのまなざしとは異なる経験のあり方を析出することを目指す. 【2. 方法】 本報告では,都市が描かれている歌詞に注目する.都市での経験を論じるしかたとして,吉原が行ったような文学作品と同様に,見田(1967)が行ったように歌詞を扱うことができるからである.ただし,本報告では,見田が流行歌を分析の対象としているのに対して,現代ではヒット・ソングは社会を語らないのではないかという指摘(左古 2015)を受け,「都市」,「都会」,「東京」などといった語が含まれた歌詞のみを対象とすることとした. 使用したデータと分析の手法は,報告者らがすでに行った研究と同様である(小田中ほか 2020).すなわち,上述したような語が含まれた歌詞をweb上から収集し,それに対して,Word2vecと呼ばれるディープ・ラーニング・モデルを用いた分析を行っている.これは語の類似関係を探索することができるモデルである. 【3. 結果】  分析の結果,「東京」と類似した意味を持つとされる語として「見上げる」という語が析出された.この結果は,東京という都市のイメージと,「見上げる」という経験が歌詞において結びついていることを意味している. 【4. 結論】  当日は,上述した結果をもとに,都市に関する諸研究と関係づけながら,「見上げる」というまなざしを議論の俎上に載せることの意義を論じる. 【参考文献】 de Certeau, M., 1980, l’invention du Quotidien, I: Arts de Faire, Paris: Union Generale d’Editions.(山田登世子訳,2021,『日常的実践のポイエティーク』筑摩書房.) 見田宗介,1967,『近代日本の心情の歴史 : 流行歌の社会心理史』講談社. 小田中悠・谷公太・吉川侑輝,2020,「歌詞における都市表象のテキストマイニング」三田社会学会大会報告. 左古輝人,2015,「ヒットソング歌詞の変遷 : 1968年から2013年まで」『人文学報』497 (June): 49–85. 吉原直樹,2013,「上からと下から:都市を見る漱石の目,鴎外の目」吉原直樹・近森高明編『都市のリアル』有斐閣,209-225.

報告番号249

日本のアニメ・特撮作品における戦争 ――時系列的・ジャンル横断的比較検討
上越教育大学 小島伸之

1 目的 この報告の目的は,戦後日本における戦争と平和に関する社会的意識の変化について検討するため,アニメ作品及び特撮作品における戦争の描かれ方とその変遷について,戦争の構成要素を抽出して「形態学」的に比較分析を行い、その作品・シリーズ・ジャンルごとの特徴及び時系列的変遷について考察を加えるものである. 2 方法 そこでデータとして,1960 年代から 2010 年年代までに放映されたアニメ作品のうち,戦争・内戦等(架空の戦争等含む)がモチーフ・背景となっている作品をアニメ・特撮・(主として)男性視聴者向け作品・女性視聴者向け作品などジャンル横断的に事例とし、それらの作品における戦争の描かれ方の通史的変遷を分析する.分析方法は,戦争学・軍事学などの知見を参考に戦争に関する要素(戦争の原因・戦争に至る歴史・戦争主体・戦争の形態・組織と個人・戦争終結・大量破壊兵器等)を抽出し、それぞれの作中における諸要素を比較検討することにより、戦争の描かれ方の特徴や史的変遷を質的に分析することを中心とする. 3 先行研究/研究内容/予想される結論 戦後日本のサブカルチャーにおける戦争・闘争の描かれ方については,宮台真司・大塚明子・石原英樹「青少年漫画のコミュニケーション」(宮台真司・大塚明子・石原英樹『増補サブカルチャー神話解体』ちくま文庫,2007),平侑子「スーパー戦隊シリーズにおける「正義」と「悪」の変遷」(『北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院院生論集』,8,2012).鈴木美潮『昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか』(集英社,2015),足立加勇『日本のマンガ・アニメにおける「戦い」の表象』(現代書館,2019),藤津亮太『アニメと戦争』(日本評論社,2021)らに代表されるように、近年研究の蓄積が急速に進みつつある。  報告者も機動戦士ガンダムシリーズにおける戦争観の変遷を事例とした検討を行い,描かれる戦争形態が国家間戦争からそれ以外の形態になり、戦局に対する個人の影響力の増大や対立構図の流動化などの傾向の変化が存在することが明らかにしている(小島伸之「巨大ロボットと戦争―『機動戦士ガンダム』の脱/再神話化―」,池田太臣・木村至誠・小島伸之『巨大ロボットの社会学―戦後日本が生んだ想像力のゆくえ』法律文化社,2019).  それらの成果を踏まえつつ,対立構図・戦いの形態・黒幕的存在・大量破壊兵器・国際的安全保障組織・戦争・紛争の背景・歴史・個人と組織などの描かれ方について,アニメ・特撮作品をジャンル横断的に比較し,時系列ごとに検討することによって,現実世界における戦争形態の変化に応じて,作中の戦争が変化する/しない状況やジャンルごとの戦争表象の特徴が浮かび上がることが予想される。

報告番号250

展覧会の企画における評価がいかに可能になるのか――京都芸術センターの展覧会事業を事例に
京都大学大学院 王勁為

1. 目的 本報告では、文化生産を支援する機構は、いかにして芸術的評価を実現したのか、聞き取り調査を通じて明らかにする。文化生産に関する先行研究は、映画、小説、ポップミュージックなどの大衆文化産業におけるゲートキーパーの仕事に焦点を当て、そこで評価の段階における非確実性の高さがしばしば指摘される。それを対応するため、作品の評価にあたってゲートキーパーは作家の過去の業績、作品のジャンルなどの指標を用い、個人的趣味や専門知識と経験に基づいて判断する。ただ、その専門知識と経験がいかにして蓄積されたのかという問題に、これまでの研究は触れていない。本研究では、作家の制作と発表活動を支援する京都芸術センターの評価活動に着目する。そこでの同時代作家を中心に開催される展覧会を考察し、その展覧会事業の現状と歴史的変化を整理したうえ、支援対象の選択における評価がいかに可能になるのかを検討する。 2. 方法 京都芸術センターの通信紙『明倫通信』、展示会カタログ、チラシなど広報資料の二次資料を利用し、同センターが開館から現在に至るまでの展覧会を整理して、その展覧会事業の歴史的変化を明らかにする。また、同センターのプログラムディレクター、アートコーディネーターなどの職員にインタビューを実施し、展覧会の企画段階で出展作家を選ぶ過程に関して彼らの語りを分析する。 3. 結果 展覧会事業の記録の整理を通してわかったのは、開館初期の数年間(2000-2007)、同センターの展覧会企画は外設の運営委員会か招聘キュレーターかによって担当された。そこでの企画(キュレーション)というのは、主に展覧会テーマの設定、出展アーティストと展示プランの選出などの仕事である。現段階でも、展示現場の設営や作品の制作にあたって同センターは外部機構との連携が多いが、展示プランの審査や作家の選出など企画の部分はセンター内部の職員に担当され、二十年間の蓄積を経て同センターは企画の主体性をもつようになった。インタビューからわかったのは、新人アートコーディネーターが仕事しながら展覧会の運営を学ぶというトレーニングの仕方は一般的である。 また、アートコーディネーターが美術館や画廊めぐりを通じて芸術的専門知識を学ぶ以外、一緒に仕事する作家から、共催事業における外部の企画委員会から展覧会の作り方を勉強することが多い。 4. 結論 企画の中心の一環である作家の選出にあたって、アートコーディネーターの面する制度的非確実性が高い。Chong(2020)の定義によると、制度的非確実性(institutional uncertainty)は、ある仕事に対する共通の規則や仕方がないということである。一方、作家が提出した計画書の内容の曖昧さ、作家本人の仕事の流儀によって展覧会の最後の内容が計画通りにならない可能性が高い、アートコーディネーターが作家を評価するのに、仕事での実践から自分自身の経験や感性に頼るしかない。過去の研究は、芸術に対する評価活動についてその社会性(評価者は評価その行為が自分自身にもたらす影響を配慮する)あるいは戦略性(評価者は芸術場における象徴資本をめぐる競争の中で勝ち抜けるために、特定の作品を意図的に評価する)を注目した。それに対して、本報告はその評価行為の実践性を強調したい。

報告番号251

二次創作者における創造性の持つ両義的意味をめぐって――鬼畜/音MADの創作者へのインタビュー調査から
京都大学大学院 李成蹊

1. 目的 本報告では、二次創作者たちはいかにしてプラットホームの商業化を影響されたのか、聞き取り調査を通じて明らかにする。二次創作は、ファンコミュニティやプラットフォームの利用者の間では一般的に行われており、著作権の有無にかかわらずオリジナルから参照されることが多く、その作品は一般的に小さなサークル内で流通している。YouTubeやFlickr、bilibiliなどのオンラインプラットフォームの登場により、閉鎖的な圏域で流通していた二次創作物が徐々に露出するようになり、二次創作者にとって新たな問題が発生した。本研究では、こうした問題に対して二次創作者たちはどのように対処しているのかについて分析を行う。 2. 方法 本報告は、ベテランの二次創作者を複数回にわたる聞き取りから得たデータを基に検討を行う。オーディエンス·リサーチに関する先行研究は、二次創作という活動をファンたち内部的な活動だけに焦点を絞る傾向がある。本報告では、二次創作物の流通におけるプラットフォームの役割を再考し、二次創作者が自分の創作行為をどのように理解しているのか、創作行為に創造的な側面があるのか、著作権法の制約やプラットフォームの影響を考慮した上で、その創造性をどのように、またどのように合理化できるのかを整理する試みである。 3. 結果 鬼畜/音MADという二次創作物またはN次創作物の創作は明確に外部との境界線を区分しており、主にクラブ形式で組成されており、同じクラブのメンバーが協力してビデオを制作することが多い。核心クラブの行動を観察する過程で、音MADグループは、進化の過程において次第に抵抗の色彩を帯びてきたと本研究は指摘する。また、新しい鬼畜調教グループの拡張は圏内の生態を妨害し、周辺に位置する音MADグループは自身の純潔性を維持するため抵抗性を生み出した。バーミンガム学派が提出する「抵抗」と違って、これは生まれつきの抵抗ではなく、後期の商業の影響が介入した産物だと思われる。 鬼畜/音MADの創作は趣味、娯楽的指向性を持ち、「抵抗性」は明確的に現われず、スタイルの特徴も日々多様化していく。一方、このような鬼畜の亜文化は商業の力とは構造的な対立を呈さず、逆に進化と発展の過程で商業文化から影響を受けており、その発展態勢は更に複雑的多元なものになる。 4. 結論 今回の調査では、大部の二次創作者が、著作権のないオリジナル作品をもとに創作していた。 二次創作者の間では、収益性を支える陣営と、アクセス量と閲覧量に重要視していく陣営に分かれている。今後の研究には、ディズニーのような著作権のあるオリジナルをベースにした二次創作は、より多様で複雑な様相を呈しており、異なるタイプの二次創作者の創作行動を検討することで、そのような二次創作者の行動の合理性や意味を再検討し、原著者の利益を守るために原作者と二次創作者の関係について新たな認識ができるかもしれないということである。

報告番号252

予測的ポリシングに肯定的なのは誰か?――先端技術の受容に関する社会学的研究(1)
日本学術振興会 高艸賢

【1. 目的】近年、警察の治安維持活動においてAI・ビッグデータの利用が盛んに行われている。中でも注目すべきは、AI・ビッグデータを用いた犯罪予測の取り組みである。「予測的ポリシング(predictive policing)」と呼ばれるそうした取り組みでは、膨大なデータ処理によって、犯罪が起こりやすい場所・時間の分析や、将来的に犯罪にかかわる可能性の高い人間の析出、犯罪者の再犯確率の計算などが行われている。しかし多くの知識人は、AIによる既存の差別の助長や貧しい人々にもたらされる不利益という観点から、予測的ポリシングによって公正な社会の実現が阻害されるのではないかという懸念を表明している。  本研究は、日本においてどのような人が予測的ポリシングに肯定的なのかを明らかにする。予測的ポリシングの先進的導入事例は北米が中心であるが、日本においても導入の動きが着々と進んでいる。憲法学者が論じているように、予測的ポリシングの導入・運用を許容するか否か、どこまで許容するかは、最終的には集合的意思決定の問題となる。本研究は予測的ポリシングに対する現在の一般市民の態度を明らかにすることで、予測的ポリシングの導入の是非をめぐる議論への貢献をめざす。 【2. 方法】2020年12月に実施したWeb調査データ(N=5971)を用いて分析を行った。特に、予測的ポリシングに対する態度を5件法で尋ねた質問項目(「犯罪をおかしやすい人をAIによって予測できるようになれば、社会はより良くなると思う」)を従属変数として、重回帰分析を行った。 【3. 結果】上記の質問項目に関して、回答者の約45%が肯定的であったのに対し、約18%が否定的であり、約37%が「どちらともいえない」と回答した。重回帰分析では、世帯収入が多い人、「自己責任」意識(失業状態を個人の努力不足に帰責する意識)が強い人ほど予測的ポリシングに肯定的であり、高学歴層は低学歴層に比べて予測的ポリシングに否定的であった。また、失業状態を社会的不平等に帰責する意識が強い人も、予測的ポリシングに肯定的であった。性別、子どもの有無、AI関連知識の多寡による有意な差は見られなかった。 【4. 結論】予測的ポリシングへの態度は社会経済的地位によって異なるが、収入と学歴では異なる方向に作用する。収入の多い人ほど保守的意識が強く、犯罪の積極的な取締りを求めるが、他方で学歴は保守的意識を弱める方向に作用する。高学歴者のほうがAI関連の知識は多いが、これは予測的ポリシングへの肯定的評価にも否定的評価にも結びついていない。また「自己責任」意識が強い人ほど予測的ポリシングに肯定的であるという点は、予測的ポリシングへの支持が社会的排除の思考と親和的であることを示唆している。既存の言説が懸念していた事態は、そうした排除の思考を有する人々が犯罪予測技術の推進者になることで現実化してしまう可能性がある。 【謝辞】本研究は日本学術振興会(JSPS)科研費20H01582の助成を受けたものである。

報告番号253

情報技術革命とプライバシー観――先端技術の受容に関する社会学的研究 (2)
東京女子大学 赤堀三郎

1 目的  本報告は、JSPS科研費「信用スコアの受容に関する社会学的研究」の成果の一部であり、先端技術に関し、受容意向という側面に注目し、新技術の社会的影響という広範なテーマを扱える社会学理論の創造を目的とする。その一環として、本報告では、科研費で行った量的調査のデータの分析結果の解釈を、プライバシーについての人々の解釈の解釈(「メタ解釈」)として捉えることを試みる。 2 方法  先行研究において、情報通信技術(ICT)の進展にともなって、意識面では個人情報を公開したくないのに、行動面では個人情報を晒してしまっているような事態が多々生じていることを指して、プライバシーパラドックスという言葉が用いられている(Norberg et als. 2007)。この手の事態がパラドックスと呼べるかどうかは別として、パラドクシカルなものとして解釈されているとはいえる。だが、そのような解釈は妥当だろうか。そもそもプライバシーパラドックスといえる事態は存在するのだろうか。こういったことに関しては議論の余地がある。そこで本報告では、情報通信技術にかかわる諸サービスがもたらすプライバシーの問題を「解釈」という側面から考える。すなわち本報告では、「誰が」「どのように」プライバシーの問題を解釈しているのかを問う、ということである。  この問いに答えるにあたって、本報告では、「信用スコアの受容に関する社会学的研究」で行った量的調査のデータを参照する。そして、同データの分析結果の解釈を、プライバシーについての人々の解釈の解釈(「メタ解釈」)として捉え、ここから、先端技術を扱う社会学理論とはいかなるものでありうるかを導き出す。 3 結果  上記調査データの分析から、プライバシー不安という意識とプライバシー開示行動との関係に関して、いくつかの知見が得られた。たとえば次の通り: (1) プライバシー不安のレベルが同等の場合、高学歴者のほうがプライバシー開示行動に積極的になる傾向がある。(2) 男性よりも女性において、プライバシー不安に強く反応し、プライバシー開示行動を控える傾向が強くみられる。 4 結論  上記の結果から、プライバシーという言葉においてさまざまに違った仕方の解釈がなされていると解釈できる。ここから、情報通信技術にかかわる諸サービスの受容において、一見して全体的にプライバシーが守られているかのような形式を装いつつ、ある属性の人々にとってはプライバシーが侵害されるといった事態が起こっているのではないか、などと、いくつかの懸念を提出することができる。  技術の進展にともなって生じる、いまだかつて経験されたことのない状況においては必ず不安が生じるが、この不安を払拭するために、ある種の「解釈のせめぎ合い」が生じている。社会学は、たとえば「プライバシーが危機に瀕する」といった水準の記述に満足するのではなく、プライバシーに関する解釈をめぐっていかなる事態が生じているかといった水準にまでも記述の観点を広げることで、先端技術にかかわる諸問題を扱う独自の視点を得ることができる。 文献 Norberg, Patricia A., Daniel R. Horne and David A. Horne, 2007, “The Privacy Paradox: Personal Information Disclosure Intentions versus Behaviors”, The Journal of Consumer Affairs, 41 (1): 100-126.

報告番号254

手帳とは何か――そのメディア論的考察に向けて
中央大学大学院 岡村志以

【1.目的】一般に手帳は、主に年齢や社会的属性で区別される空間で入手し、さらにその空間内で週や月、年といった単位で時間の区切りを設け、使用者が当該の時空間内で自らの行動を未来に向けて管理するモノである。あるいは、その際に残された記録を、自らの過去の言動を振り返る目的で使う人もいるだろう。  しかし、「手帳」という言葉が指し示すモノは、先に記した合目的に用いられる、つまり、使用者がそこへ書きこんだり入力したりといった何かを働きかける先の物体というだけでない。手帳が使用者に対して何らかの意味を付与したり、使用者が社会と何らかの関係を結ぶために間に入るといった存在意義も内包しているのではないだろうか。そうであれば手帳が、メディア、すなわち社会での媒介物の役割を果たしていると考えられる。さらには、どのようにメディアの役割を果たしているのかまで考える必要がある。  では、メディアとしての手帳を考えるために必要な観点は何か。それを考察するのが本発表の目的である。 【2.方法】検討の方法は、手帳を対象とした社会学的論考を中心にし、さらに歴史学等、周辺領域で重要な観点が含まれる文献の分析を行った。  また、必要に応じて、手帳と類似の特質をもつメディアを挙げ、比較を行った。  具体的には、最初に「手帳」の定義を検討した。  続いて、手帳をメディアとして考えるとはどのようなことかを提示した。さらに、どのような性質を持つメディアであるかの類型化、それに従って援用し得る理論や手帳に関する社会学的な先行研究の整理を試みた。 【3.結果】1点目、「手帳」の定義を行った結果、形態についての特徴(小型のノート)、内容についての特徴(印刷された時間軸に沿って使用する点と、使用者の所属集団の帰属意識を醸成する効果がある点)が挙げられる。  2点目に、手帳が持つ性質と類似したメディアを比較した結果、携帯性が高い、個人性が高い、空間内での管理性の低さ、時間内での管理性の低さ、最後に、形態に左右される可変性の大小、といった特質を指摘できた。  3点目に、手帳がメディア(=個人と社会のインタフェース)として機能する際に、社会と使用者との間でやりとりされるメッセージにそって、管理統制のメディア、自律のメディア、交渉のメディアと3つに分類できた。また、各メッセージについて、管理統制のメディアではフーコーやシベルブシュ、自律のメディアではギデンズ、交渉のメディアではド・セルトー等の論考をそれぞれ援用できると考えられる。 【4.結論】手帳をメディアとしてとらえた際、どのようなメッセージが流通するのかを示す「媒介性」や、モノとしてどのような特徴があるかを示す「媒体性」が指摘できる。前者は「管理性」、「自律性」「交渉性」を、対して後者は「携帯性」「個人性」「空間内での管理性」「時間内での管理性」「可変性」が指摘できる。

報告番号255

「JGSSデータダウンロードシステム」の開発――新しいデータアーカイブの構築について
大阪商業大学 岩井紀子

1.目的  本報告では、大阪商業大学JGSS研究センターが、日本学術振興会の「人文学・社会科学データインフラストラクチャー構築推進事業」の一環として新たに構築したデータアーカイブのシステム「JGSSデータダウンロードシステム(JGSSDDS)」について紹介する。JGSSDDSでは、公開データの学術利用を希望するユーザーが、ウェブ上でデータの利用申請・ダウンロード(無料)・成果物登録・利用報告を行うことができる。同時に本センターは、利用者の研究成果情報から公開データの二次分析研究の広がりの状況を把握できる。 2.方法  JGSS研究センターは、リポジトリサービスであるJAIRO Cloudの新しい基盤ソフトウェアとなるWEKO3の機能を拡張する形で、国立情報学研究所(NII)と共同でJGSSDDSを開発した。データアーカイブの多くは、個人情報保護の観点から条件を満たした利用者のみにデータを公開する制限公開をしている(朝岡ほか 2020)。WEKO2は制限公開に対応していないが、WEKO3に制限公開機能を実装して、JAIRO Cloud上でのJGSSDDS運用を可能にした。 3.結果  利用者は、まずJAIRO Cloudのユーザー登録をする。JGSSDDSにログインし、所属や役職などのプロフィール情報を入力すればデータの利用申請が可能になる。JGSSDDSは「学術認証フェデレーション(GakuNin)」のシングルサインオンにも対応する(2021年9月以降)。 データは、基本的にユーザーの申請を本センターが承認することでダウンロード可能になるが、ユーザーの役職によって申請できるデータが異なる。データの種類と役職によっては、指導教員や保証人の承認が求められる。たとえば、地域ブロック・都道府県データは、学部生の申請が制限されており、大学院生は申請に指導教員と保証人の承認が、一般利用者は保証人の承認が求められる。  ユーザーは、論文などの成果物をJGSSDDSでアップロードして登録できる。年度ごとに求められるデータの利用報告もJGSSDDS上で行い、すでに登録した成果物があれば、それと紐づけて報告することも可能である。 4.結論  JGSSDDSでは、日本版総合的社会調査(JGSS)の単年度データ、累積データ、地域ブロック・都道府県データと、East Asian Social Survey(EASS)のデータが公開される。また、研究データの寄託を受け付けており、寄託データも順次公開する(2021年10月公開)。  これまで本センターでは、JGSSデータを外部のデータアーカイブに寄託してきた。一方、申請時に保証人の署名が必要なJGSSの地域ブロック・都道府県データと、ライフコース調査(LCS)データは本センターから直接公開し、データの利用申請と配布、利用報告・成果物報告を郵送で行ってきた。JGSSDDSの稼働により、公開データの利用に必要な一連の過程を一つのシステム上で行うことができ、データの利用の各手続きがスピードアップし、データ利用の促進にもつながる。さらに、JGSSプロジェクトや他の科研プロジェクトのデータを、チーム内だけで共有して利用するという使い方も可能である。 【文献】 朝岡誠・林正治・藤原一毅・岩井紀子・船守美穂・山地一禎,2020,「汎用的データリポジトリにおける制限公開機能の検討と実装」『情報知識学会誌 』30(2):168-75. 【謝辞】 本報告はJSPS人文学・社会科学データインフラストラクチャー構築推進事業JPJS00218077184の成果である。

報告番号256

オンライン会議の相互行為分析への予備的検討――身体に着目して
神戸大学大学院 若狭優

【1.目的】  本報告は、オンライン会議上で繰り広げられるやりとりを「相互行為」として捉えて分析するうえで考察の対象となる論点を相互行為における身体に着目しながら、既存の研究をレビューすることを通じて析出することを目的としている。コロナ禍において急速に普及したオンライン会議の特徴の一つとして、参与者の身体がディスプレイに表示されているものの、物理的には眼前に存在していないという点が挙げられる。この特徴がオンライン会議の相互行為をどのようなものにしているのかは経験的なデータの分析を通じて明らかにしなければならない。その前に、これまでの対面的相互行為における身体の研究を整理することで、相互行為における身体の役割を一定程度、明らかにすることができるはずである。そこで析出された知見をもとにオンライン会議の相互行為がどのようなものになっているのかを仮説探索的に検討し、経験的なデータの分析のための足がかりとしたい。 【2.方法】  社会学における相互行為論、とりわけ、ゴフマン社会学やエスノメソドロジーの相互行為分析の研究を精読し、そこから身体性にまつわる知見を析出する。そのうえで、オンライン会議の特徴を身体性の視点から考察する。 【3.結果】  ゴフマンによれば、身体とは相互行為場面における「記号搬送媒体」(Goffman 1959=1974)であり、自己呈示の際に重要な役割を担う。同時に、身体は対面的相互行為場面が展開される空間の一定領域を占有する物理的配置としての機能も持つ。そして、この物理的配置が相互行為秩序を達成するための前提条件となっている。例えば、会話の順番交替において、参与者に視線を投げかけることは話し手が次の話し手を選択する技法の一つである。このような実践は相互行為場面のなかに身体が物理的に配置されているからこそ可能になっていると言えよう。 【4.結論】  オンライン会議では、参与者の身体はディスプレイに映し出されている。その点で、身体が持つ記号を搬送する機能は代替されていると言えよう。しかしながら、物理的配置としての身体が持つ機能はどうか。ウェブカメラは参与者の視覚を代替しているものの、「見る」という実践を達成するための視線を代替していない。それはつまり、オンライン会議における「見る」という実践が他とは異なる形で達成されなければならないことを意味している。オンライン会議の相互行為分析は対面的相互行為とは異なる実践の手法を明らかにすることができる可能性を秘めており、身体はそれを推し進めるための一つのポイントとなるだろう。 参考文献 Goffman, Erving, 1959, The Presentation of Self in Everyday Life, New York: Doubleday.(石黒毅訳, 1974,『行為と演技――日常生活における自己呈示』誠信書房.)

報告番号257

家政学部の制度化過程にみる戦後日本における「男女平等」イメージの展開
桃山学院大学 石田あゆう

【1.目的】 戦後、大学での学部として認定された「家政学」は「男女平等」を日本社会において実現するという明確な目的を持つ新しい学問として再出発した。GHQのCIE側の指導もあり、1947年には家政学部が女子大学を中心に認可され、日本家政学会も成立する。日本の家政学の制度化は、「占領下という特殊な状況下、日本国憲法下の新たな社会への出立期だった」(石渡 2020)と指摘される。 大橋廣は戦前の日本女子大学校の家政学部教授であったが、戦後日本初の日本家政学会会長となり、高等教育機関として大学に昇格した日本女子大学の学長となる。大橋は同志社女子、日本女子両専門学校を経て、生物学を専門としシカゴ大学Ph.Dを取得した学歴エリートである。戦前にあっては「女性」だけにふさわしく、戦後は「男女平等」に資するとされた家政学の「転換」を、大橋がどのように捉えたのかを明らかにする。 【2.方法】 女子専門学校の家政学部が高等教育機関となる歴史的過程と、教育者としての大橋廣がとくに同窓会・在校生向けに発した言葉等の内容分析を明らかにし、戦後の「男女平等」が、どのような社会的背景のもと影響力を持ったのか/持ち得なかったのかを考察する。日本女子大学を事例とし、戦前の女子教育と戦後の高等教育化との断絶と連続性を明確化し、戦前戦後の「大卒」女子エリートたちに共有された戦後民主主義社会における「男女平等」イメージの具体化をおこなう。 【3.結果】 大橋は戦後初の初代日本家政学会会長だが、新聞ジャーナリズムを通じ、日本おける戦後の新しい「家政学」の必要性を世に喧伝するようなことはしていない。しかし同窓生、また在校生に対しては別である。大橋廣の言論の社会的影響は極めて限定的である。だが同窓会組織においては重要な人物であり、その日本女子大学卒業生ら女性エリートたちに持ち得た影響力は少なくない。日本女子大学校の創立は1901(明治34)年。数多くの卒業生らを擁しており、そのネットワークを維持するため、桜楓会という同窓会組織も有していた。戦前から同窓会ネットワーク維持に努めており、そのための通信教育事業も試みている。戦後は日本初の家政学部での通信教育を実現させ、同窓会組織の協力のもと家庭科教員の資格取得も可能とした。日本女子大学の家政学と「男女平等」には戦前と戦後の断絶はなく、むしろ一貫性が見出せる。 【4.結論】 女性の大学進学が可能となるも、家政学部の設置については戦前の学問イメージもあり「学の蘊奥が無い」、(家の中の女性が身につける)「雑学」(大橋1947)といった理由で難色が示された。だが一転、家政学部は女子大学を中心に正式に学問となり、「男女平等」に資する学問とされた。その戦前と戦後の断絶は表向きほど単純ではない。大橋廣においては、創立者の成瀬仁蔵が掲げた「女子教育」の理想の実現が見出されており、戦前との一貫性が主張されていた。加えて戦後において「男女平等」というスローガンは明確であったが、教育においていかに可能かという議論は看過されており、その解釈は多様であった。「家政学」は「男女平等」を実現する学問とされたがゆえに、むしろ女性(ジェンダー)化した逆説的側面があると考えられる。 <参考文献> 大橋廣1947「新制大学の性格」『家庭週報』12月号 石渡尊子2020『戦後大学改革と家政学』東京大学出版会

報告番号258

「共生」に関わる歴史教育に関する一考察――南アフリカ共和国の歴史科のナショナルなカリキュラムと試験に焦点をあてて
兵庫教育大学 坂口真康

1.目的  本報告の目的は、南アフリカ共和国(以下、南ア)の歴史科のナショナルなカリキュラムと試験に焦点をあてて、「共生」に関わる歴史教育について考察することである。その背後には、過去に法律によるアパルトヘイト(人種隔離政策)を経験した南アの学校における教育内容の探索を通じて、「共生」に関わる歴史教育を議論する際の参照点を導き出すという狙いがある。 2.方法  本報告では、既存の「共生」に関わる理論を踏まえつつ、南アの歴史科について、2011年に制定された後期中等教育段階(10年生から12年生)のナショナル・カリキュラムとしての「カリキュラムとアセスメント方針の声明(Curriculum and Assessment Policy Statement)」(通称CAPS)とそれに依拠したナショナルな試験(通称「共通の試験」)の記述内容を分析する。 3.結果  本報告では、分析の結果について主に次の3点を提示する。第1に、歴史科のCAPSを通じては、例えば、「人種」概念が社会的に構築されたものであるという点を強調した記述が見られることから、南アの「共生」の議論と実践に深く関わる「人種」カテゴリを自明のものとしてではなく、社会的構築物として捉える視点が提供されているという点を指摘する。第2に、歴史科のCAPSでは、様々な証拠をもとに「過去」を捉え、「歴史」として解釈することが促進されていること――また、それらの証拠が文書に限らず、絵画や歌などを含むことで多様性を促進する傾向が読み取れること――、すなわち、同じ事象(出来事)であっても様々な観点から捉えることができるという視点や、「過去」と「歴史」を切り分け、「歴史」は変化し続けるものであるという視点が組み込まれていることを指摘する。第3に、南アの後期中等教育段階の最終学年(12年生)の成績の内、75%(残りの25%は学校内での評価)を占めるナショナルな試験(「共通の試験」)においては、ナショナル・カリキュラムがCAPSへ完全移行した初年度にあたる2014年度の試験問題から2020年度の試験問題に至るまで、事例等の変更はあるものの、主要なトピックはほとんど変更されていないことを指摘する(試験時間も3時間で変更はない)。また、同試験では人物名等の記憶力を問う設問ではなく、情報源をもとに答えを導き出す設問と特定の議論に対する自分自身の主張を答える設問が設定されている(ともに記述式の回答)ことを提示する。そして、同試験においては、例えばアパルトヘイト体制下に起きた出来事について、「なぜ」や「どのように」といった形式で設問が設定されていることなどから、様々な立場から論じられる「過去」が「歴史」となるという――歴史科のCAPSでも強調されている――観点が反映された形式になっていることが特徴として挙げられることを指摘する。 4.結論  本報告では、上記の分析結果等をもとにして、一国内の過去の制度による被害者と加害者(の子孫)、さらにはグローバル化等により増加した新たな他者の存在をも視野に入れた「共生」に関わる歴史教育を議論する際には、出来事としての「過去」と多様な解釈としての「歴史」を区別する視点や、現代を起点として過去から構築されてきた事象が常時可変するものであるという視点の設定が鍵となり得るという点を、現代の南アの後期中等教育段階の歴史科の教育内容の事例から描き出すことができることを指摘する。

報告番号259

日本社会における「受験浪人」研究の意義とその再考
大阪大学大学院 佐伯厘咲

【1.目的】  日本には、高校卒業後、高等教育機関への進学を目指して、翌年度の入試合格のために受験勉強にひたすら打ちこむ「受験浪人」という存在がよく知られている。その歴史は決して浅くはなく、戦後まもなくも、学校教育段階が「六・三・四・四制」であるとも揶揄されたり、大学入試のみならず、高校入試においても「中学浪人」の問題が取り上げられたりしていた。このように、長年にわたって話題となってきた「受験浪人」ではあるが、どのような人が「受験浪人」を選択し、「受験浪人」をすることの効果がどれほどのものであるのかなど、「受験浪人」について実証的に明らかにされている部分は多くない。少子化で「受験浪人」は減っているとされ、今は注目されることが少ないが、「受験浪人」は高等教育進学において、再チャレンジの機会の不平等ともなりかねない。そこで、「受験浪人」は、相対的に豊かな人ほど選ぶ傾向があるのかどうかについて、検討を行う。 【2.方法】  まず、『学校基本調査』に基づき、受験浪人が日本にどれほど存在してきたのか、時系列でその変化を推計し、受験浪人の実態について確認する。次に、どのような人が受験浪人を選択するのか、多変量解析で検討する。「高校生と母親調査研究会」が2012年に高校2年生であった若者を対象に行った、「高校生と母親調査」のデータを利用する。高校卒業後1年目の進路結果(四大現役進学、受験浪人、その他現役進学、高等教育非進学)を従属変数にとり、社会階層や性別、出身高校ランク、高校時の成績を独立変数とし、多項ロジスティック回帰分析で推定した。 【3.結果】  『学校基本調査』を見ると、受験浪人数(一浪)および、大学入学者数に対する受験浪人(一浪)の割合は、1980年代(1985年:122,203人,29.7%)から、2000年代以降(2000年:95,094人,15.9%、2014年:66,305人,10.9%)にかけて大幅に減少した。しかし、割合に着目すると、約15年間で13.8ポイントのマイナスであったものが、5.0ポイントのマイナスとなっており、減少率が非常に緩やかとなってきている。また、多項ロジスティック回帰分析の結果、四年制大学への現役進学と比較して、受験浪人の進路選択には、性別や母親の職業などが影響していることが明らかとなった。具体的には、女性より男性が、また、母親がブルーカラーに就いている者よりも上級ホワイトカラーに就いている者の方が、受験浪人を選択しやすいことが明らかになった。 【4.結論】  受験浪人自体は最盛期と比して減少しているとはいえ一定数存在し続けており,6万人以上という数は決して少なくない。受験浪人という選択には、出身家庭や性別などの社会的出自が影響しているのであり、浪人を、失敗した受験の再チャレンジ、と捉えると、進学機会が平等ではないことが分かる。一方で、受験浪人には金銭的コストがかかることから、世帯収入の影響が予想されたが、それは有意にならなかった。社会的属性の影響があるにしても、それが経済的資源ではなく、母職の影響である点をどう解釈するかが、今後解き明かすべき課題だと考えられる。

報告番号260

学校における「マイノリティに対する差別・排除」についての日米比較モデルの構築――「人類学的行為選択モデル」を利用して
神戸大学大学院 小川晃生

1.目的と方法  本報告では、「人類学的行為選択モデル」に基づいて、「学校におけるマイノリティに対する差別・排除」についての日米比較モデルを構築する。ここでいう「マイノリティ」は外国人生徒などを中心とする。「人類学的行為選択モデル」は家族人類学者E・トッドの「人類学的基底」概念を報告者が修正したモデルである。トッドによれば、「近代以前の農村における規範の多様性」が「現代社会の価値の多様性」と相関している。例えば、かつての日本社会では「成人した一人の子供と親との同居」が奨励され、他方でイングランドでは近代以前から「成人した子供と親との別居」が奨励されていた。これらのことが「現代日本の権威主義」や「現代イングランドの自由主義」と相関する、とトッドは主張する。「人類学的基底」という言葉は、こうした相関関係を踏まえて「現代社会の深層構造として残るかつての農村規範」のことを指す。  報告者は理論社会学者T・パーソンズが体系化した「パターン変数」を利用して、こうした「人類学的基底」概念を修正した。「パターン変数」は「文化に影響された行為者の主体的行為選択」を五つの対立軸で表現する。つまり報告者が主張する「人類学的行為選択モデル」は、「人類学的基底に影響された行為者の主体的行為選択」を「パターン変数」を利用してモデル化したものである。詳細は『21世紀倫理創生研究』13:40-53に掲載された報告者の論文(小川晃生、2020)などを参照されたい。  「人類学的行為選択モデル」は「人類学的基底」概念や「パターン変数」から以下の2つの特徴を引き継いでいる。1.このモデルは「近代化の程度」から独立した「現代社会の共時的な多様性」を記述している。例えば日本社会の「権威主義」は近代化に伴って消滅すると考えられていない。2.このモデルは主体的行為選択を5つの対立軸に分解することで、研究対象に対する微視的な分析を可能にする。  本報告では、こうした「人類学的行為選択モデル」に基づいて、「学校でのマイノリティに対する差別・排除」を「日米比較」という視点から議論する。そうすることで、学校においてマイノリティが直面しうる「差別・排除」の「日本社会特有の傾向」を可視化する。本報告は第72回関西社会学会大会などで報告した「頭髪指導」についての研究と比べて、「日米比較」という視点が導入されつつ議論がより一般化している。 2.結果と結論  「人類学的行為選択モデル」に基づく「日米比較」として、以下の簡単なモデルを暫定的に提示できる。  日本:無限定性、普遍主義、集合体志向(感情性+所属本位か感情中立性+業績本位)  アメリカ:限定性、普遍主義、自己中心志向(感情中立性+業績本位)  こうした暫定的なモデルを叩き台として、「学校においてマイノリティが直面しうる差別・排除」の「日米比較モデル」を経験的な先行研究を利用しつつより詳細に構築して提示する。結論としては、アメリカと比べて日本社会の方が「近代学校の一般的な特徴」との親和性が強いと指摘できる。こうした「近代化の程度」から独立した日本社会の傾向が、アメリカと傾向が異なる「学校でのマイノリティに対する差別・排除」を生み出すと考えられる。最後になったが、本報告にあたって科学研究費助成事業(研究課題番号:20K22212)の支援を受けている。

報告番号261

社会学ってどうしてこんなにつまらないの?(2)――マンガを活用した社会学教育の実践と課題
三育学院大学 篠原清夫

【1.目的】 2020年日本社会学会のHPに『社会学への誘い-高校生・進路を考えている皆さんへ-』が開設された当時、「18歳人口が減少し続けるなか、社会学の魅力を手軽に知って進路選択を考えてもらうことが重要」(学会事務局2020)とするメールが会員にあり、社会学の魅力を伝える重要性が記されていた。しかし大学の教養教育を含めた社会学教育においても、その魅力を伝えることは容易でない経験をする社会学者は多いと思われ、それは「『社会学ってどうしてこんなにつまらないの?』ときどき、こんな声を聞く。教える方としては頭が痛いところである」(江原由美子1989)という言葉からも推測される。これが記された『ジェンダーの社会学』を用いた教育の試みは、ジェンダーという限定はあるものの身近な題材を社会学的まなざしによって反省させ、社会構造を意識させるねらいを持っており、その中でマンガ『さくらんぼ爆弾』が扱われるなど(山田昌弘1989)、学生・教員の両者にとって新鮮だったことが報告されている(長谷川公一2005)。マンガ作品を積極的に取り入れた社会学書籍は多くはないが、入門書においてマンガの一部が所々に活用されている事例は見受けられる。前回報告ではマンガ作品を用いた社会学入門書等の事例を紹介し、日本学術会議「参照基準 社会学分野」(2014)に沿って分類することを試みた。その結果、分野により活用事例に多寡があることが示されたが、本研究においてはそれらのマンガ作品を活用した社会学教育の実践とその課題について検討することを目的とする。 【2.方法】 マンガ作品が活用されている社会学入門書等の事例を取り上げ分析し、マンガを用いた社会学教育の実践例を踏まえながら「参照基準」の内容に沿ったマンガ活用の可能性と課題について再度検討する。 【3.結果】 マンガ作品を取り上げる社会学入門書・著書の事例を分類した結果、【諸領域】の<相互行為と自我><家族><ジェンダー・セクシュアリティ><医療・福祉・教育><階層・階級・社会的不平等><地域社会・コミュニティ>においてマンガ活用事例が比較的多数あったが、【社会学概念・理論】【社会調査】と<自然環境・科学技術><文化・表象・宗教><メディア・情報・コミュニケーション><社会運動、NPO・NGO><国家・政治・権力と政策提言>において事例が少なかった。またマンガ作品を用いた社会学の教育実践経験から諸々の困難性があることが示された。 【4.結論】 家族、ジェンダー、教育の領域においてマンガ作品を取り上げやすいことが示された。しかし社会学と他の学問分野との相違が明確でない領域では適切な素材を見つけることが難しい特徴があることも明らかになった。教育方法の困難性として、ジェンダーによるマンガ指向の相違や、当該マンガを知らない学生へ配慮しながら内容をいかに説明するかが挙げられる。またマンガが対象になることで授業に親近感を持つ学生がいる一方、授業にマンガが使われるだけで拒否的な反応を示す学生もいるので、マンガ作品を用いる意義について説明する必要もあることが推察された。さらに社会学教育に携わる社会学者がマンガ作品について知っていながら社会学理論と関連させる工夫が求められるので、教材開発の困難さが課題として残る。

報告番号262

学校教育における理科授業のプラン(Suchman)と定式化――小学校理科実験における学習指導要領と学習指導案
北星学園大学 水川喜文

【1.目的】  本報告の目的は、学習指導要領/学習指導案というプラン(Suchman)が、小学校の理科実験という現場においていかに使用され、埋め込まれていくか、教師と生徒の実践をビデオデータやエスノグラフィックな観察をもとに明らかにすることである。 【2.方法】  本研究は、小学校第4学年の「土の透水性」に関連する理科実験を観察し、ビデオデータを分析すると共に、あらかじめ作成された理科学習指導案とその基となる学習指導要領(2017.3)と、実際の授業・実験を対比的に観察することで、その言語の実践的使用に関して考察する。さらに、これらの理科授業のデータを検討することにより、それらがいかなる実践になっているか、エスノメソドロジー研究の定式化、プラン(Suchman)、Cold Science(Atkinson and Delamont(以下A&D))、ローカルな(教育的)秩序などの発想を用いて例証する。 【3.結果】  本研究では、まず、プランとしての指導案、実践の中の指導案という発想のもとで指導案と指導要領に関する考察を行った。例えば、指導案の「主体的に追究」という記述に関して、「主体的に取り組ませるための事象提示」を行い、なにをもって主体的なのかということを見えるようにしていく具体性を観察した。そのことが、実験において生徒が自分で考えることをデザイン/教示することになる。A&Dのcold scienceの発想によれば、教育における実験は、新規の発見をするための実験を行うscienceではなく、既設の発見・結果の導きを評価されるcold scienceとしてなされるとしている。本研究の事象においては、重層的なcold scienceを示していると考えられる。つまり、授業の実験は、指導案を具体性において参照するが、その指導案の先に定式化されるべきものとしての指導要領を指している。指導案というルールの使用は、ルールとして効いているだけではなく、規準である指導要領の評価の対象となる。それは、善悪の規準だけでなく、行為のデザイン、志向性にかかわる。 【4.結論】  これらの分析により、小学校の理科実験において、プラン(Suchman)による定式化はその結果に対してではなく、あらかじめ定式化されたものから逆算して実践が生み出され、秩序付けられていくことが示唆された。生徒の実験がcold scienceとなっていると同時に、教師の現場実践が、指導案のcold scienceとなり、指導案は、指導要領のcold scienceとなっている。実験によって透水性が明らかになることがわかる(それ自体評価)のと同時に、その実践を「主体的」に探求させるべきという規準がそこにあり、それに従っているかどうかの判断が既設の指導案によってなされる。さらにその指導案は、指導要領によってあらかじめ定式化されたものとして、授業(実験)実践が行われた後に(遡及的に)評価されるのである。このように小学校の理科教育実践は、ローカルな教育的秩序をもったものとして現れるのである。 ○本研究はJSPS科研費21K01907「初等・中等教育における「科学技術」の学習─授業における概念の実践学的分析」(基盤研究(C) 代表・中村和生)の助成を受けたものである。

報告番号263

貧困対策の場における市民活動の日常的実践
一橋大学大学院博士後期課程 糸数温子

1.目的  本報告は,市民の参加型動員を前提とした子どもの貧困対策事業の中で活動する支援者について考察する.ミシェル・ド・セルトーが示すように,ひとびとの行う日常的実践には,「『強者』のうちたてた秩序のなかで『弱者』のみせる巧みな業」がある(Certeau 1980=2021).ひとりひとりの支援者も同様に,貧困対策事業において,政治的な要請に従いながらも「なんとかやっていく」技芸として,それぞれが貧困対策と距離を取りつつ,それぞれの思う貧困対策を実現しようとする.そのやり方に注目する. 2.方法  子どもの貧困問題への対策として,子どもの居場所づくりに携わる現場スタッフが自らの活動をどのように語るのかに着目し,彼らの活動課題がいかに制度や政策に埋め込まれているのかを,アクションリサーチの手法を用いて検討した. 分析枠組みは,和泉(2013)のポール・ウィリスとド・セルト―の「抵抗」の文化をめぐる比較検討を参考にした. 本報告では調査対象者として,主に2つの「子どもの居場所」の事例を取り上げる.沖縄を調査対象地としたのは,「沖縄子供の貧困緊急対策事業」(2016年~2021年:内閣府)という特殊な施策によって,市民の動員による社会保障政策の抑制が典型的に見いだせるためである. 3.結果  支援者らは,制度に組み込まれないために多様に技芸を編み出している.例えば,委託事業者である自治体との「協働」の言葉を活用し,行政の下請け化を避ける取り組みや,事業成立をリードすることで自らの価値を反映させようとした経緯,後発の団体と自団体との差異について語る.他方で,参加型市民として動員へ加担していることを自覚してしまうと,政策に埋め込まれることとそこから脱却することの間で葛藤を余儀なくされる. 4.結論  子どもの貧困対策に関わる人々はそれぞれの考える自らの団体の社会的価値を証明すべく,ある時は制度の成立に関わり,ある時は要項を読み解き交渉し,ある時は評価の側面で抵抗を見せる.ド・セルトーのように彼らの「戦術」と捉えるか,ウィリス(1996)が示したように,支配関係の「転覆」ではなく支配関係の枠の中で起きている抵抗として捉えるのか.ブルデューの言うように「支配される側の者が支配のアンチノミーを免れられない」(Bourdieu and Wacquant 1992=2007))再生産構造の一部として支援者のふるまいを捉えるのか.その双方の側面を射程に議論することが重要だ. 文献 Bourdieu, P. and L., Wacquant, 1992, An Invitation to Reflexive Sociology, Paris: The University of California press.(水島和則訳,2007,『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待――ブルデュー,社会学を語る』藤原書店. de Certeau, M., 1980, L’ invention du quotidian, 1, Arts de faire, Paris: U.G.E.(山田登世子, 1987=2021,『日常的実践のポイエティーク』筑摩書房.) Willis, P., 1977/1981, Leaning to Labour: How Working Class Kids get Working Class Jobs, Farnborough, Hants: Saxon House, New York; Columbia University Press. (熊沢誠・山田潤訳,1996,『ハマータウンの野郎ども』筑摩書房.) 和泉浩, 2013,「ミシェル・ド・セルトーとポール・ウィリス――都市と学校における抵抗としての文化と日常的実践」『秋田大学教育文化学部研究紀要人文科学・社会科学部門』 68, 31−60.

報告番号264

「がん経験」を活かすがん患者と社会制度の再帰的関係――「患者」であることを生業とするHさんの事例から――「患者」であることを生業とするHさんの事例から
大正大学大学院 河田純一

1.背景と目的 2006年の「がん対策基本法」成立には、多くのがん患者や家族によるがん医療の向上を求める運動が大きな役割を果たした。これ以降、がんに関する政策決定や治療への意思決定支援、そして医学研究のプランニングや評価にもがん患者が参画するようになった(天野 2019)。だが、がん患者が自らの経験を語り、生かす場は、医学研究や政策決定だけではない。自らのがん経験をもとにした製品開発や、企業での講演活動やコンサルティングなどを業務とする、いわば「がん患者」であることを生業とする人たちがいる。本報告は、そうしたがん患者の一人であるHさん(50代 男性)を事例に、彼がどのように自らの「患者」経験を職業人生に反映し、意味づけてきたのかを再帰的自己論の視座から分析する。そして、「患者」であることを生業とする彼の生き方を可能にした社会の諸制度との再帰的循環について考察することを目的とする。 2.方法 報告者は、2017年より都内のがんサバイバーの交流会に参加し、参与観察および参加者へのインタビュー調査を行ってきた。本報告では、2020年10月に実施したHさんへのインタビューを分析の対象とする。 3.結果 Hさんは、精巣がんと甲状腺がんに加え、生まれついての二分脊椎症という、「3つの病気を持った、身体障害者でありまた患者」である。これらの病気経験と職業人生の関係について、インタビューでは次のように語られていた。1)工学を専攻する大学生の時に精巣がんで入院し、患者視点からの医療機器の改善を志し、製薬企業で研究職に就いた。2)20代半ばの精巣がん再発で人生の有限性を感じ、30代で退職しカフェを開いた。それは、これまでの患者会活動で経験した「人と人をつなぐ」ことを仕事にすることが大きかった。3)そして、自らの患者経験をもとに講演や執筆活動をする事業を立ち上げた。その後、がん対策基本法が「大きなきっかけ」となり大学の倫理委員会や授業に呼ばれ始めた。4)40代後半の甲状腺がん罹患後は、日常的な服薬経験と製薬企業での勤務経験を生かし、主に製薬企業や薬局、薬剤師向けの研修や講演を行っている。これらの仕事が現在の「稼ぎ頭」となっている。 4.結論と考察 Hさんの職業人生は、就職からカフェの経営、現在の事業まで常に自らの病気経験を省みながら形作られてきた。彼の場合、患者経験をもとに講演や執筆、企業研修の講師をするなかでこうした(内的な)自己の再帰的モニタリング(Giddens 1991=2005)が徹底されてきたと考えられる。一方で、がん対策基本法をはじめ、がんに関する政策決定や医療、医学研究に関する制度それ自体が、常にがん患者の声を取り入れる制度的(外的)再帰性を加速させている。こうした諸制度は、その性質上、Hさんのように自らの経験を政策や医学の言葉で提言可能ながん患者を必要とする。さらに、企業も経営的な助言や、企業価値を高める戦略に資するがん患者を求めている。「患者」であることを「ビジネス戦略」に反映するHさんの生き方は、こうした社会の諸制度との再帰的循環の中で達成されているのである。 【文献】天野慎介,2019,「患者の立場から」『癌と化学療法』46(8),1226-29.Giddens, Anthony 1991=2005,秋吉美都・安藤太郎・筒井淳也訳,『モダニティと自己アイデンティティ』ハーベスト社.

報告番号265

医療者はなぜ遺族の求める対応ができないのか――精神障害者遺族と専門職へのインタビュー調査から
県立広島大学 澤田千恵

【1.目的】  アメリカでは「Sorry Works!」という謝罪と情報開示のプログラムを医療機関や保険会社が導入することで、訴訟が大幅に減少したという(Wojcieszak,Saxton and Finkeistein 2010=2011)。このプログラムに取り組むことを通して、医療スタッフ・遺族の双方にとって、心のケアが促進され、医療安全と医療サービスの質が高まるとされている。本研究は、精神障害者遺族と精神科領域の専門職が対等な立場で対話するためのしくみやプログラムについて検討するために、両者へのインタビュー調査を行い、対話を阻む要因を明らかにすることが目的である。 【2.方法】  統合失調症等の精神疾患により治療を受けていた家族を突然死や自死により亡くした遺族3組と、家族会を主宰する家族1名へのインタビューを行った。この調査で得られたデータをもとにインタビューガイドを作成し、精神科医5名、薬剤師1名へのインタビューを行った。所属キャンパスの研究倫理委員会を受審し、承認を得てから調査を実施した。インタビューの内容は対象者の許可を得て録音し、すべて文字に起こした。質的研究方法に基づいてオープンコーディング、コードの類似性に基づくカテゴリー化、全体の解釈という手順で分析した。  【3.結果】  遺族への対応を阻む要因として、〈生物医学モデル〉、〈診療報酬制度〉、〈訴訟対策〉、〈遺族ケアの不在〉があることがわかった。日本の精神科医療は、精神疾患を脳の機能障害と捉えたうえで、薬物を主体とする治療を行っている。診療報酬制度による制約もあり、精神療法などには十分な時間をとることができない。薬の処方については医師の裁量権が強く、医薬品添付文書に基づいた処方が行われていない場合もあった。遺族の語りからは、薬のメリットだけでなくデメリットについての説明が行われていないことや、薬についての対話が十分行われていないことが分かった。薬のもたらす影響を身近で見ている家族が、薬が効いていないと思えることや副作用で本人が苦しんでいることなどについて主治医に伝えても、なかなか対応してもらえていなかった。そのような普段の診療における対応への不満がベースにあり、患者が亡くなった際に、遺族が医療機関に抱く不信感はより強くなっていた。 【4.結論】  患者が亡くなった際の適切な遺族対応とは、存命中の治療における十分な説明や相互理解からスタートしている。患者の死に直面することは、医療者にとっても衝撃的な出来事であり、遺族とともに死を悼んだり、話し合う機会を持ったりすることが必要である。しかし、それらは病院業務として位置づけられておらず、むしろ訴訟対策の文脈で遺族対応がなされているため、遺族の不信感を強め、紛争へと発展していた。家族・遺族と医療者との溝を埋めるためのアドボケーターやメディエーターの効果的な導入を検討することが今後の課題である。 Wojcieszak,Saxton and Finkeistein , Sorry Works!2.0:Disclosure,Apology,and Relationships Prevent Medical Malpractice Claims,AuthorHouse,U.S.2010=前田正一、児玉聡、高島響子訳『ソーリー・ワークス!―医療紛争をなくすための共感の表明・情報開示・謝罪プログラム』医学書院、2011年。

報告番号266

医療システムの確立とその影響について――モンゴル医療を事例として
東京都立大学 包暁蘭

1.目的 本報告の目的は,近代化に伴って,生活に根差した医療により人々の体の健康を見守っていく仕組みはどう変化していくのかを論じることである.事例として中国の内モンゴルにおける伝統医療であるモンゴル医療を取り上げ,現代中国医療保障制度へ組み込まれることによって伝統医療の仕組みがどのように変化するのか、その過程を考察する. 今日では,最先端医療が導入され,医療システムが発達しても地域固有の伝統医療を駆逐することはなく,多くの場合は何らかの共存状態を生むと考えられている(池田 2001).日本の医療も漢方医学から西洋医学へ転換し,漢方医学は「正統派」の地位を追われることとなったが,近年になりまたそうした伝統医療の必要性が指摘されるようになった(佐藤 2014). 2.方法 本報告では,モンゴル医療が中国医療保障制度に組み込まれてきたプロセスを明らかにするため,モンゴル医療の教育,医師の育成に関する文献を用いて医療システムの確立とその影響について考察する.モンゴル医療が,悠久な歴史を持つモンゴル民族特有の健康生活を守る医療体系として利用されてきたことや,モンゴル医療における医師と患者関係については,これまでにも分析されている(包,2017,2019).これらの文献と合わせて,2011年4月から2021年8月の間に内モンゴル自冶区におけるモンゴル医師への聞き取り調査で得られたデータを用いた分析を行う.調査時間は,2019までの調査は現地で行った対象者1人に対し2~5時間であり,2019年以後のデータはインターネットを通じて行ったものである. 3.結果 モンゴル医療は,現代中国医療制度に組み入れられることによって大きく変容した.まず,内モンゴルにおいてはモンゴル医療に従事する医療機関が急速に増加している.このため,中央政府から医療給付が得られ,モンゴル医療の保持・発展に大きく貢献している.モンゴル医療機関の増加により,モンゴル医療はモンゴル民族に特有の医療体系としてだけではなく,より多くの人々がアクセスできる医療分野として成長した.モンゴル医師の育成やモンゴル医療に関する研究も,盛んにおこなわれるようになった. 一方で,医療制度という社会の仕組みによる一方通行の「制度化」で,画一化された医療モデルだけが存続しやすくなり,本来あるべき医師と患者の関係にも影響が及んでいる.本来のモンゴル医師は,母親が子供を守るように,患者の心身をともに治療するものであったのだが,この点の継承が課題となっている. 4.結論 上記のことから,モンゴル医療は元来,現在指摘されるように,患者の生活の質を向上させるような地域包括的な医療システム(猪飼 2010:212-22)であったといえる.つまり,患者一人ひとりの体調を身近で診て治療を行い,患者の日常生活を支える専門家がモンゴル医師であった. 現在,中国の医療政策に組み込まれたことで,モンゴル医療の存続発展は着実におこなわれているが,モンゴル医療の文化的要素は失われつつある.今後は,モンゴル医療の本来ある良い点をもっと生かして発展させることを検討すべきである. 5.文献 池田光穂,2001,『実践の医療人類学―中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』世界思想社. 猪飼周平, 2010, 『病院の世紀の理論』有斐閣.

報告番号267

精神医療における専門性――症例検討会に着目して
一橋大学 河村裕樹

【1.目的】   2019年に心理職が国家資格化され、「領域横断性」を特徴とする公認心理師が新たに設けられたり、2020年度に臨床研修医制度が変更され、すべての臨床研修医が身に着けるべき能力として精神医学の専門性が位置づけられ、精神科での研修が必修化されたりするなど、精神医療においては、専門職に期待される「専門性」の幅をめぐる動きが活発である。しかし既存のエスノメソドロジー・会話分析研究は、「医師であること」やそれぞれの「専門性」が所与ではなく、その都度の文脈にレリヴァントな形で、相互行為において示されるということを明らかにしてきた。そこで本研究は、精神科医や心理士などが自らの専門性に基づいた教示を説得的に呈示する場面に着目し、多職種が協働しながら行う精神医療における専門性を、当人たちの理解に即して記述することを目的とする。 【2.方法】  この目的を達成するために、本人たちが実際に行っていることを、本人たちの志向に即して記述していくエスノメソドロジーの方法論的態度を研究の方針とする。そしてこの方針のもと、精神科医である共同研究者とともに、ある精神科医局で行われている症例検討会での遠隔システムを用いたフィールドワークを複数回実施した。本報告で用いるデータは、その際収集されたフィールドノートである。実施に先立ち、調査先医療機関の倫理委員会に諮り、症例研究という位置づけで、調査の実施について承諾を得ている。 【3.結果】  本報告で着目した症例検討会では、精神科医のほか心理士や研修医が参加し、報告されたケースについて検討が加えられていったが、「専門職のタイプ」が症例検討という活動にレリヴァントとなることもあれば、「女性であること」がレリヴァントになったりしていた。そしてレリヴァントであることの根拠として、症例のこれまでの治療歴や、それを通して明らかになった生活史が参照されたり、日常的な知識や精神医学的・心理学的知識が参照されたりしていた。  これらは、チームで行う精神医療の治療意思決定を調査したBeth Angellらの研究(2016)との対比において、次のことを示しているものといえる。つまり、精神医療が多様な活動から成り立つ中で、本報告はAngellらの研究が明らかにした投薬の意思決定場面におけるワークだけでなく、ある患者をケースとして報告し、複数の専門職がその報告を評価したり、アドバイスを行ったりする場面における協調的なワークを明らかにしたということである。 【4.結論】  制度が変更され、専門性の定義が変わったからといって、それが実際の臨床実践でどのように受け止められ有意味となっているかは必ずしも自明ではない。本報告は、多職種協働という今日的な専門職のあり方が強く要請されている精神医療における専門職同士のやり取りを、本人たちの志向に即して記述することで、専門職に紐付いた専門性が所与ではなく、その都度の文脈にレリヴァントな形で様々に用いられていることとそのやり方を明らかにした。 【参考文献】 Angell B., Bolden G.B., 2016, “Team Work in Action: Building Grounds for Psychiatric Medication Decisions in Assertive Community Treatment,” O’Reilly M., Lester J.N. eds, The Palgrave Handbook of Adult Mental Health, London: Palgrave Macmillan, 371-93.

報告番号268

スウェーデンにおける「SOGI平等」への組みとりくみ――スウェーデン教会との関わりにおいて
四国学院大学 大山治彦

1.目的  本報告の目的は、スウェーデンにおけるSOGIに基づく差別などを解消、すなわち、「SOGI平等」へのとりくみにおける、宗教、とりわけ、キリスト教の扱いについて整理することで、わが国のとりくみへの示唆を得ることである。具体的には、①同性間の法律婚へのスウェーデン教会の対応、②キリスト者のHBTQのNGOである「EKHO」の活動について取り上げる。 2.方法  文献研究と、②のEKHOについては、非構造化面接法よる面接調査を実施した。調査の概要は、次の通りである。調査日時・場所は、2019年9月で、本部事務所であった。なお、調査は、本学会や所属大学の倫理綱領などに従い、実施した。 3.結果と分析  1)同性間の結婚とスウェーデン教会のとりくみ  スウェーデンにおける同性間の法律婚は、2009年、従来の婚姻法典(äktenskapsbalken)を性中立化することで実現した。また、改正された婚姻法典では、同性間の法律婚においても、宗教団体に司婚権を認め、法律婚を、宗教婚(教会婚)でも成立するようにしたのである。これは、スウェーデンにおける同性間の法律婚の大きな特徴となっている。  プロテスタント・ルター派のスウェーデン教会(Svenska kyrkan)は、2009年10月、教会における同性カップルの結婚式の実施を決定し、翌11月から実行した。そのため、スウェーデン教会は、世界の主要な宗教派の中で初めて、同性間の法律婚を承認した教団となった。  スウェーデン教会は、キリスト教の世界では、比較的リベラルな人が多く、現実的だとされている。2007年には、教団に所属する牧師が、同性カップルに対して、宗教的な祝福を与えることを容認した。また、2009年には、世界の主要な宗教派の中で初めて、オープンリー・レズビアンの司教が誕生するなど、カミング・アウトをしている聖職者も数多く存在する。このように、同性カップルの法的保護のみならず、HBTに関するさまざまな問題にも、関わってきた歴史があった。  2)EKHOの活動  「EKHO」(ekumeniska grupperna för kristna hbtq-personer)は、HBTQのキリスト者のための超教派のNGOである。1976年、RFSU(スウェーデン性教育協会)内のグループとして、ストックホルムで設立された。現在、4つの地域組織があり、最大の拠点は1981年に結成されたEKHO・ヨーテボリで、全国組織も置かれている。これは、ヨーテボリのスウェーデン教会がより保守的で、EKHOの活動をより必要としたからだという。  EKHOの活動は、主にスウェーデン教会内での働きかけに重きを置いていた。教会内での差別などの被害を受けたHBTQの人たちへのサポートのほか、「虹の鍵」(Regnbågsnyckln)という、HBTQ認証のような教育コースも提供していた。しかし、他のキリスト教の教派や他の宗教との協働などは進んでいないようであった。 4.結論  わが国では、SOGIの問題において、宗教の影響が大きくないと言われる。しかし、宗教団体の政治的、社会的プレゼンスや、信仰は極めて繊細な問題であることなどを考えると、「SOGI平等」の推進においても、この問題を抜きに考えることは難しい。実際、わが国でも、キリスト教や仏教において、さまざまなとりくみがみられる。スウェーデンにおけるそれは、わが国においても、参考となろう。  ※本報告は、JSPSの科研費(26570018、15K01935、18H00937、18K11911)の助成による研究成果の一部である。

報告番号269

中国におけるカミングアウト及びその支援が意味するもの――支援者の語りから
立命館大学大学院 劉強

1.目的: セクシャルマイノリティにとって,カミングアウトは難しい。特に中国では,一人っ子政策など特殊な事情により,他国とは違った難しさがある。そんな難しいカミングアウトではあるが,自身の性的指向を開示し,自分らしく生きていくための1つの選択肢であることも事実である。そのため,カミングアウトに関する支援が多く行われている。支援はカミングアウトする側とされる側(主にその家族)の双方に提供され,支援団体には多くのボランティアが所属している。 本研究は,中国においてカミングアウト支援を行うボランティアからみるカミングアウトという行為が意味するものを考察するとともに,カミングアウト支援の意味についてもみていく。なお,本研究は研究者の博士論文の一環である。 2.方法: 本研究は,カミングアウト支援を行う団体に所属するボランティア及び団体と連携しているフリーランスのボランティア計12名に半構造化インタビュー調査を行った。COVID-19の影響により,オンラインでのインタビュー調査となった。12名の協力者のうち,セクシャルマイノリティ本人は男性6名,子どもにカミングアウトされた母親5名,父親1名である。主に自分がカミングアウトした/された体験,また自分はどのように支援活動を展開したのかを自由に語ってもらった。個別のインタビューの時間は1~2時間程度,そのうち夫婦がいたため,2名は同時に調査を行った。調査は許可を得て録音した。匿名化した逐語録を分析材料とし,事例―コード・マトリックス分析(佐藤 2008)を参考に分析を行った。なお,本研究は立命館大学における人を対象とする研究倫理審査委員会の承認を得たものである。 3.結果・結論: 今回の調査から,男性同性愛者の場合,親は同性愛者の子どもを持つことが持たれるスティグマより,家族が途絶えることにもつれ/葛藤を抱えると確認できた。特に中国本土で長年にわたり実施された一人っ子政策はその問題をさらに大きくさせている。そのため,代理母による出産などの方法を検討し,家族を存続させる可能性を探る家族もある。その根本的な原因は中国の伝統の「孝文化」の影響の結果だと考えられる。また,子どもは親にセクシャリティを開示する義務があり,親は子どものセクシャリティを知る,そして受け入れる責任があるという考えをも確認できた。それは中国人の家族観と関係があると言えるだろう。このような状況の中,経験者によるカミングアウト支援は子どものカミングアウトを受け入れられない家族に作用し,彼らに“仲間がいる”と認知させることができている。支援は個々の家庭の中に発生したカミングアウトを私的問題とせず,セクシャルマイノリティというコミュニティ共有の問題であるという新たな認識を与えるきっかけにもなっていた。また,支援を受けた人は支援者になるケースもあり,支援の循環が発生していることも確認された。 参考文献: 佐藤郁哉,2008,『質的データ分析法 ― 原理・方法・実践』新曜社.

報告番号270

アメリカ移住女性たちの就業戦略 ――エスニシティ、ジェンダー、学歴・資格の交差
武蔵大学 / カリフォルニア大学バークレー校 中西祐子

【1.目的】 グローバル化する現代社会において人々の社会的移動は国民国家の枠内だけで起きているわけではない。「国境を越えた社会移動」という選択をした移住者たちはその後の職業達成をどのような交渉のもとで可能としていくのであろうか。本発表では、戦後日本社会からアメリカに移住をした女性たちを中心に、著者が2011~2018年の間に行ってきたインタビュー調査から得られた知見を報告する。 彼女たちの移住先での職業達成に影響するであろう背景要因としてまずもって考えられるのがアメリカ社会の中での「日本」というエスニシティや記号が持つ効果である。国際移住者が職を得られる一つの領域にエスニック経済があることは先行研究でも指摘されてきた通りである。「日本出身」であることが、ジャパンタウン内やアメリカ社会で日本語・日本文化を必要とする職業への参入を可能にするのである。しかしながら、第二にジェンダーの問題は見落とせない。彼女たちは仮に日本国内にとどまったとしても「女性」ゆえの就職の困難を経験した可能性は高く、他方、渡米後の職業達成においても同じ出身国の男女移住者に対して異なる要因が作用している可能性がある。さらに考えられるのが、国境を越えることで日本で獲得した学歴・職業資格の有効が失効してしまう可能性である。人々の職業達成は本人の学歴によって相当程度規定される「トラッキング」の効果を受けているが、従来の指摘はあくまでも同一国内で見られてきた現象であり、国境を超えた場合その効果がキャンセルされるという指摘も少なくない。本報告では、女性たちが移住先での職業達成において、どのように自らが持つエスニシティ、ジェンダーそして日米で獲得した学歴・資格を交差させながら就業戦略を練ってきたのかを考察する。 【2.方法】  本報告では報告者が2011年~2018年にかけて米国北カリフォルニア地区で行った戦後日本からアメリカに移住した39名に対する半構造化インタビューを分析する(39名のなかには現地の日本女性を取り巻く環境を聞き取った男性3名も含まれる)。対象者の渡米時期は1950年代から2000年代、調査当時の年齢は30~80歳代であった。 【3.結果】 日米貿易がアメリカに重要であった1980年代までは、移住女性たちが持つ「日本資本」が職業達成にプラスの効果をもっており、日本語ができることを求められたり、日本人相手の仕事に従事するケースが多くみられた。同時に、現地のコミュニティカレッジなどで不動産売買やアカウンティングの資格を得ることはさらなる有利さをもたらしていた。一方、1990年以降は「日本資本」の有効性はほぼ消失し、日本で高学歴・高収入者であってもアメリカの学位・資格が不可欠であった。移住当初は日系経済の中で就職する者も多いが、そこでのジェンダー性に嫌気がさし米系企業に転職したと語る者も見られた。他方、日本で看護師経験を持つ者はアメリカでも比較的容易に職業キャリアの継続が可能になっていた。 【4.結論】 彼女たちの職業達成にはエスニシティ、ジェンダー、学歴・資格に加え、時代性の影響も受けている。また、職業横断的に多く聞かれたのは、アメリカ社会はネットワーク(コネ)社会であり、どこの学校出身か、誰の知り合いかが職を得る際に重要だという語りであった。 ※本研究は科学研究費補助金(研究課題番号:19K02087)の助成を受けている。

報告番号271

アジアのテレビ広告におけるジェンダー役割―――日本・中国・台湾・韓国・タイ・シンガポールの国際比較研究―
京都産業大学 ポンサピタックサンティピヤ

1.目的  本研究の目的は、日本・中国・台湾・韓国・タイ・シンガポールのアジアのテレビコ広告におけるジェンダーと労働役割の現れ方の類似点あるいは相違点を考察することである。そのうえで、テレビ広告におけるジェンダー役割に関する研究に再検討を加え、新たな知見を加えたいと考える。 これまでのテレビ広告におけるジェンダーをめぐる先行研究には、いくつかの問題点がみられる。まず、これまでの先行研究の多くは、アメリカ合衆国を中心に、西欧社会の広告におけるジェンダーを研究したものがほとんどであり、アジア諸国を対象にしたものは、いまだ多くはない。また、従来の広告におけるジェンダー研究においては、当該の社会のジェンダー構造がテレビ広告に直接的に反映されているという観点でとらえるものが目立つ。この点からも、今後、現実のジェンダー構造の反映という単純な図式的見方を超える必要がもとめられていることは明らかだろう。 本研究では、内容分析を中心とした従来の広告研究の立場とは異なり、広告を取り巻く社会的背景として「ジェンダー役割」を位置づけるという、社会学的・文化論的な観点から新たに広告の分析を試みる。 2.方法 2020年8~10月の期間にわたり、アジア六か国において最も視聴率の高い3つのチャンネルで、プライムタイムに放映された番組(9回:金・土・日)から広告サンプルを収集した。そして、ジェンダー役割に関する項目に基づいて、各国の分析したデータをSPSSプログラムで統計分析を行った。 3.分析結果 広告内容分析した結果、まず、すべての国ではナレーターが男性である広告の割合が、女性ナレーターの広告を大きく上回っている。ただし、国とナレーターの性別の間には有意な関係が見られる。また、性別により年齢層の異なる主人公が広告に起用されていることがわかった。つまり、広告に登場する若い女性は、男性よりしばしば多く登場する。 主人公の性別の割合の側面から見れば、広告の中で登場する男性と女性の主人公の割合は違いが見られる。また、主人公の性別と労働役割について、六カ国の広告に見られる働く男性と女性の割合には、有意な関係があることが明らかとなった。  さらに、これらの六つの国のテレビ広告における男性と女性の職種と職業に従事する以外の役割には違いが見られることがわかった。次に、各国のテレビ広告における男女の役割について、男女の違いが見られることが明らかになった。また、テレビ広告における男女の職種についても有意な違いが見られる。そして、男女の職業に従事する以外の役割について違いが見られる。 4.結論 以上のように、アジアの広告におけるジェンダーの配置は、欧米のこれまでの広告におけるジェンダー研究の成果と、ほぼ一致している。たとえば、ナレーターの男女比についても、男性が女性を大きく上回っている。広告で重視されているのは若い女性なのであり、女性は家庭内の役割が多く、男性は、家庭外の役割に従事することが多い。 さらに、これらの六カ国のアジア国々における働く男性と女性の割合、および、男女性の職種と職業に従事する以外の役割には違いが見られることが明らかとなった。一般的な傾向としては、広告に登場する働く男性の割合は女性より高い。そして、テレビ広告に登場する女性は男性より家庭の場面に多く登場し、男性は女性より遊ぶ姿が現れる傾向が見られる。

報告番号272

差別経験を乗り越える――中国農村地域における影に隠された女性のライフストーリーに着目して
東北大学 張羽欣

1.研究目的  1979年、人口増加を抑制するために、中国は「一人っ子政策」を実施した。出生力抑制の効果は認められるが、その一方、「男児選好」の傾向とそれとが結合したことにより、出生時男女比の不均衡を拡大した。それは、女児中絶、遺棄、虐待など、様々な社会問題を生み出した。特に、一人っ子政策に違反し、制限した人数以上の子どもを産むこと、すなわち「計画外出産」は、農村地域において極めて深刻な問題となっている。ところが、多くの場合、第一子目が女児だとしたら、この子を隠してまた子どもを産む。さらに女児が生まれた場合、差別待遇をすることもある。つまり、これらの女の子たちは必ずしも政策違反の「計画外出産の子ども」ではなく、家族の要望ではない「家族計画外出産の子ども」であると考えられる。  まるで影の中に隠されるように、生まれて以来、最も親しいはずの家族から差別されている女たちを本研究では「影に隠された女性」と呼びたい。彼女たちはどんな生活を過ごし、周りの人からどんな影響を得られ、何よりも問題なのは、彼女たち自身がその経験をいかなるものとして捉え、またそれについて語られるのか、ということである。  本報告は、中国農村地域の「影に隠された女性」に対するライフストーリー・インタビューを通して、彼女たちの生活実態のみならず、彼女たちがいかに問題を認知し、いかに自分の経験を語り、どのようにそれを解釈し理解しているのか、またいかに問題経験を乗り越えることができるのかに焦点を合わせ、中国農村地域の女性差別の現状について明確にすることを目的としている。 2.研究方法  本研究は質的研究法による。語りを語り手と聞き手の相互行為の産物として捉える「対話的構築主義」(桜井 2002:9)の立場に立つ、ライフストーリー論を方法論として、ライフストーリー・インタビューを行う。具体的には、中国農村地域において「家族計画外出産」された女性を対象とし、「機縁法」によって、2020年3月から10月までにかけ、計5名の方の協力を得て、個別に対面あるいはオンラインビデオで、一時間半を目安にライフストーリー・インタビューを実施した。 3.結果  分析の結果、中国農村地域において、男尊女卑および男児選好意識が根強く存在し、女児や女性差別問題が今でも深刻であることが改めて示唆された。そして、被害者である女性でも加害者になれるという新たな視角をもたらした。さらに、家父長制社会に抑圧されるのは女性だけではなく、男性もまたそれに縛られていることがわかった。 4.結論  本研究では、「影に隠された女性」の語りにより、中国農村地域における女性差別問題、および女性たちの自己認識を理解することにあたって、ライフストーリー・インタビューという方法論の有効性を示した。  また、女性差別を解消し、男女平等を実現するために、最も重要なのは女性の意識向上である。それを実現するために、最初であっても一番重要なのは「教育」である。従って、提言として、農村の人々に教育の重要性の普及、教師の質的向上と待遇改善、また経済的支援が必要となる。教育レベルの向上は、農村女性にとって、社会的地位の上昇にとっての主要なルートであり、男女平等を実現する鍵の一つでもある。 文献 桜井厚,2002,『インタビューの社会学 ライフストーリーの聞き方』せりか書房.

報告番号273

出生前検査を希望するのはどんな女性か――「出生前検査に関する一般男女の意識調査」から(1)
慶應義塾大学 田中慶子

【1.目的】  2013年から開始されたNIPT(メディアでは新型出生前検査・診断)をきっかけに、出生前検査に関する社会的関心が高まっている。開始当初とくらべ現在の方がNIPTは実質的には「手軽に」受検できるようになり、受検者の数は増加しているといわれている。しかし妊婦やパートナーに対する情報提供やカウンセリングのあり方、そして結果が陽性だった時の対処やその後の支援など多くの課題が指摘されており、多くの妊婦は妊娠中の特定の時期までに決断しなければならない出生前検査を受けるべきか/受けないべきかを悩むことになる。また、社会的には出生前検査は「命の選別」(病気や障害がみつかれば中絶する)のため検査であるいう理解も流布しており、女性にとって出生前検査を受けることの意味が問われている。そこで、この問題の当事者となった/なるであろう女性の中でも、出生前検査を希望するのはどのような女性か、社会経済的属性を明らかにするとともに、出生前検査における「命の選別」(病気や障害がみつかれば中絶)に対する態度との関連を検討する。 【2.方法】 厚生労働科学研究費「出生前検査に関する妊産婦等の意識調査や支援体制構築のための研究(20DA1010)」の一環で、2020年12月に実施したインターネットモニターを対象としたweb調査「出生前検査に関する一般男女の意識調査」を用いる。本報告では、25-44歳一般女性(「妊婦の多い世代」と呼ぶ)、1600名を対象として、出生前検査の受検意向や、胎児に障害等が見つかった場合に妊娠を継続するかといった考え方について、地域、年齢や婚姻や子どもの有無、学歴等、基本属性との関連を計量的に分析するとともに、出生前検査の受検を希望する理由など、同調査内の自由記述の質的データからも補足的な分析を行う。 【3.結果】 「妊娠の多い世代」の女性の中で、出生前検査の受検を希望するのは、全体で「是非受けたい」20.6%、「できれば受けたい」30.8%と、両者をあわせて約半数の女性が受検を希望していた。社会経済的属性との関連をみると、出生前検査を希望するのは、未婚である、妊娠経験がない、実子がいない、学歴が高い、本人や家族に何らかの健康上のリスクがある、出生前検査への関心が高い、「胎児のうちにわかることはすべて知りたい」という女性であった。出生前検査を「是非受けたい」「できれば受けたい」「受けたくない」「わからない」という4つに分類し、多項ロジスティック回帰分析を行って、それぞれの意向を持つ人の特長を明らかにした。詳細な分析結果は当日の報告で示したい。 【4.結論】 出生前検査を希望する女性について、大規模データから記述を行い、婚姻や妊娠経験、学歴、地域性など、その特徴を明らかにした。未婚など妊娠を考える前にある人や、高学歴の人ほど出生前検査を希望している。 【備考】 本研究は厚生労働科学研究費「出生前検査に関する妊産婦等の意識調査や支援体制構築のための研究(20DA1010)」(研究代表者:昭和大学 白土なほ子)の分担研究である。

報告番号274

人工妊娠中絶に対する男性の態度――「出生前検査に関する一般男女の意識調査」から(2)
明治学院大学 菅野摂子

【1.目的】 人工妊娠中絶は刑法堕胎罪において禁止されつつ、母体保護法により一定の条件の下で認められており、配偶者の同意が必要とされている。また、2013年から臨床応用されたNIPT(新型出生前検査)では、検査を受ける前に夫婦揃って遺伝カウンセリングを受けることが推奨されており、NIPTを受検して、最終的に胎児に疾患・障碍があると診断された際、中絶を選択する夫婦もいる。このように、日本の中絶をめぐる意思決定において、私的領域のみならず法制度および医療の場でもパートナーである男性の関与は無視できない。男性の中絶に対する態度をめぐって、女性のパートナーとしての男性という立場から女性を妊娠させる加害者性にかかわる議論は多く見られるが、胎児の父親としての男性という立場、さらには中絶の社会意識を形成する(女性にとっての)他者という立場もある。中絶に対する男性の態度を出生前検査という妊娠期の検査とのかかわりも含めて検討する。 【2.方法】 厚生労働科学研究費「出生前検査に関する妊産婦等の意識調査や支援体制構築のための研究(20DA1010)」の一環で、2020年12月に実施したインターネットモニターを対象としたweb調査「出生前検査に関する一般男女の意識調査」を用いる。本報告では、20-59歳の一般男性1090名を対象として、中絶一般に対する考えについて、地域、年齢、婚姻および子どもの有無、学歴等の基本属性との関連を多項ロジスティック回帰分析によって計量的に分析するとともに、出生前検査への関心や検査を受ける意味、検査を人々が受けるべきかどうか、など出生前検査にかかわる態度との関連を調べ、これらに関連する自由記述からも補足的に検討を加える。 【3.結果】 中絶に対して、全体では「どんな場合でも認められるべき」は22.1%、「条件をつけて、それにあうときに認められるべき」は41.3%であり、中絶を認める意見は6割を上回ったのに対し、「認められない」は2.6%にとどまった。「決められない」は15.5%、「これまでに考えたことがない」は13.7%であった。こうした中絶に対する態度に関連したのは、本人や家族等の身近な人に何らかの健康上のリスクがあるかどうか、であったが、出生前検査を受けることを希望したり、出生前検査を実施する目的に「産むか産まないかの選択ができる」を挙げた人も中絶を認める傾向にあった。基本属性を含む社会経済的要因については大きくなく、「どんな場合でも認められるべき」「条件をつけて、それにあうときに認められるべき」によって異なる影響も見られたため、詳細な分析結果は当日の報告で示す。 【4.結論】 男性の中絶に対する態度に、基本属性を含む社会経済的要因よりも、身近な人の健康上のリスクや出生前検査に対する考えと関連が強いこと示された。出生前検査の受検および中絶の決定における男性の影響に引き続き注目する必要がある。 【備考】 本研究は厚生労働科学研究費「出生前検査に関する妊産婦等の意識調査や支援体制構築のための研究(20DA1010)」(研究代表者:昭和大学 白土なほ子)の分担研究である。

報告番号275

少子化対策とリプロダクティブ・ヘルス/ライツ――ライフプラン教育を中心に
富山大学 斉藤正美

【1.目的】  「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」概念は、1994年カイロ国際人口・開発会議において「女性が政策の対象ではなく主体となる」という視点から提唱され、とりわけ女性が「自分の望まない決定を押しつけられる際の抵抗の概念」として導入された。日本でも2000年に男女共同参画基本計画において、「女性の主体的な避妊のための知識等」、自己の健康を適切に管理するための教育が明記された。しかしその後、少子化関連諸法の制定などにより、リプロダクティブ・ヘルス/ライツをめぐる社会的局面に変化が見られるようになっていく。2013年少子化社会対策大綱に「若者がライフデザイン(プラン)を希望通り構築するため」に、「妊娠や出産などに関する医学的・科学的に正しい知識」を学校教育等で教えることが書き込まれた。筆者の調査によれば、全国の中学・高校・大学等で実施されている「ライフプラン教育」は、異性愛者を前提とし、子を産まない選択肢はなく、「妊娠適齢期」を20−34歳までとし、早い時期での結婚・出産へと誘導するなど、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが存在していないかのような事例が目立った(斉藤2020)。そこで2000年代に少子化対策諸法が制定され、2010年代からは思春期層への教育も含む結婚支援策が少子化対策として着手されるといった社会的な動きと、リプロダクティブ・ヘルス/ライツはどのように関わってきたのか、またライフプラン教育関係者はプロダクティブ・ヘルス/ライツをどのように捉えているのかについて明らかにしたい。 【2.方法】  報告では、1)2000年代以降、保健・医療・人口政策の専門家はリプロダクティブ・ヘルス/ライツをどのように捉えてきたか、その過程を文献調査により明らかにする、2)ライフプラン教育の政策立案過程を遡り、関係者のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの捉え方を検証する、3)自治体の自治体や教育関係者等への聞き取り調査から、ライフプラン教育におけるリプロダクティブ・ヘルス/ライツの捉え方を明らかにする。 【3.結果】  以下の点が判明した。1)保健・医療・人口政策の専門家は、2000年代以降「妊娠・出産の正しい知識の提供」をリプロダクティブ・ヘルスととらえる傾向が見られた。2)高齢出産を懸念し、ライフプラン教育に関与する産婦人科医らは、「妊娠や出産の正しい知識の提供」をリプロダクティブ・ヘルス/ライツと捉えていた。3)ライフプラン教育の関係者の中には、これまでの性教育を避妊などリスク対応中心と批判的に捉え、妊娠の知識啓発こそが必要という認識が見られる一方、結婚や出産に焦点が当たりすぎるためLGBT当事者学生等へのフォローアップが必要などと危惧する学校関係者の声も聞かれた。 【4.結論】  国の少子化対策と相まって、保健・医療・人口政策領域の専門家がリプロダクティブ・ヘルス/ライツ概念に言及する機会が増え、リプロダクティブ・ヘルスに偏った捉え方も目立つ。他方、ライフプラン教育関係者など現場の語りは、セクシュアル・ライツやリプロダクティブ・ライツも含めたセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツの必要性を照射している面も見られるなど複雑である。少子化とリプロダクティブ・ヘルス/ライツ概念に関する議論を深めていきたい。  *本報告は、竹村和子フェミニズム基金による成果の一部である。

報告番号276

母性の支配的言説を反復し、語り直す:認可保育所の乳児保育を利用する女性6名の語りから(1)――乳児を預けるという経験をめぐって
関西学院大学 村田泰子

【1.目的】  日本のフェミニズムは「自然としての母性」の解体を目的として、主として二つの方向性で議論を展開してきた。すなわち、母性という言葉に着目し、それが用いられる社会的・政治的文脈を批判的に検討するものと、妊娠や出産、中絶、子育てなどの具体的な営みに着目し、それらの活動が歴史のなかでどのように行われてきたのかを明らかにするものの二つである(江原由美子2009)。前者の研究潮流において、母性はそのときどきの政治的目的のため一義的に発明・強制される一枚岩な支配構造として対象化されがちであり、そうした支配構造のもとでの諸個人の実践については十分に検討されてこなかった。また近年の新自由主義的な社会状況のもと、子産みや子育てはますます個人として対処すべき課題とみなされ、それらの実践について、支配に対する抵抗もしくは新たな共同性の構築といった観点から考えることが困難な状況が出現している。  こうした現状を受けて、本報告では、乳児保育という、いまだ乳児を育てる方法として市民権を得ているとは言えない子育てのやり方に着目し、その実践をつうじて母性の支配的言説が反復されつつ、部分的に語り直される可能性について考察する。 【2.方法】  2021年1月から3月にかけて、西宮市内の認可保育所の乳児保育(主には0歳、1歳児保育)を利用する女性6名の聞き取り調査を実施した。スノーボールサンプリング方式で調査協力者を募り、非構造化面接法を用いて聞き取りを行った。  調査対象者6名は全員1980年代生まれで 、うち5名が正規職に就いている。学歴は4名が大卒、2名が専門学校卒で、全員配偶者は大卒以上の学歴を持ち、正規職に就いているなど、社会経済的階層はかなり高めの集団である。加えて、5名は近居・同居の祖父母から闊達に育児支援を受けられる状況にある。 【3.結果】  乳児を預けるという経験は、今日、とくに正規雇用の職に就く女性にとっては制度的にサポートされた実践となりつつあるが、その一方で、言説面では未だ十分にサポートされているとは言えない。  現行の育休・保育所制度のもと、ときとして希望していたより早く子どもを預けなければならなかった女性たちは、利用に際し、周囲からの反対や自分自身の不安と向き合いながら新しい語りを創出していた。早期集団保育の利点について、基本的には既存の発達心理学ベースの説明に依拠しつつ、同時に、(近年閉塞性が指摘される専業主婦の子育てと比較して)より早い時期からの社会性の発達の可能性、ならびに母親である自分自身にとっての利点などを付加して語っていた。また理想的な利用開始時期について、月齢ではなく母親である自分自身の納得を軸にした語りを編み出していた。  また、それでもなお残る不安については、母乳育児を再開する、手作りのお弁当を持たせるなど、母性についての既存のフィクションを再動員するかたちで埋め合わせようとしている様子がみられた。 【4.結論】  6名の語りから、乳児を預けるという経験をつうじて、母性の支配的言説がただ単に反復されるだけでなく、部分的に語り直されてもいることがわかった。また個別的に状況に対処しているはずの6名の語りには、一定のパターンならびに共同性への志向性が見出された。

報告番号277

母性の支配的言説を反復し、語り直す:認可保育所の乳児保育を利用する女性6名の語りから(2)――「家族運営」という課題
関西学院大学大学院 坪井優子

【1.目的】  日本のフェミニズムは「自然としての母性」の解体を目的として、主として二つの方向性で議論を展開してきた。すなわち、母性という言葉に着目し、それが用いられる社会的・政治的文脈を批判的に検討するものと、妊娠や出産、中絶、子育てなどの具体的な営みに着目し、それらの活動が歴史のなかでどのように行われてきたのかを明らかにするものの二つである(江原由美子2009)。前者の研究潮流において、母性はそのときどきの政治的目的のため一義的に発明・強制される一枚岩な支配構造として対象化されがちで、そうした支配構造のもとでの諸個人の実践については十分に検討されてこなかった。また近年の新自由主義的な社会状況のもと、子産みや子育てはますます個人として対処すべき課題とみなされ、それらの実践について、支配に対する抵抗もしくは新たな共同性の構築といった観点から考えることが困難な状況が出現している。  こうした現状を受けて、本報告では、乳児保育という、いまだ乳児を育てる方法として市民権を得ているとは言えない子育てのやり方に着目し、その実践をつうじて母性の支配的言説が反復されつつ、部分的に語り直される可能性について考察する。 【2.方法】  2021年1月から3月にかけて、西宮市内の認可保育所の乳児保育(主には0歳、1歳児保育)を利用する女性6名の聞き取り調査を実施した。スノーボールサンプリング方式で参加者を募り、非構造化面接法を用いて聞き取りを行った。  調査対象者は全員1980年代生まれで 、うち5名が正規職に就いている。学歴は4名が大卒、2名が専門学校卒で、全員配偶者は大卒以上の学歴を持ち、正規職に就いているなど、社会経済的階層はかなり高めの集団である。加えて、5名は近居・同居の祖父母から闊達に育児支援を受けられる状況にある。 【3.結果】  彼女たちは、必ずしも積極的に育児と仕事を両立するライフスタイルを選択したわけではない。しかし、彼女たちが共通して語った「選択」がある。それは「専業主婦にはならない」という選択であり、専業主婦の精神的な苦境を参照点に、自らのライフスタイル選択を肯定した。  日常について語りが集中したのは、保育所の送迎をめぐる語りである。子どもと過ごす時間、通勤時間、給与等、様々な選択肢からどの選択が自らの家族にとってベストかを悩み、働き方を調整しながら望ましい送迎の在り方を決定する。また、育児資源としては、夫、両親、義父母という既存の紐帯を可能な限り活用していた。  そんな彼女たちは夫を「一緒に子育てする相棒」として語っている。彼女たちは、夫が父親として自分とは異なる役割を実践することが重要だと言う。そして、家族にとって最適な家事・育児の分担を管理し、家族運営を上手く実践することに充実感を味わう様子がみられた。 【4.結論】  彼女たちの語りは「子育てする母親」と「働く自分」の両立ではなく、「働く母親」の語りであり、母性というものがいかに強固であるかを強く印象付けた。専業主婦のライフスタイルを回避し、夫婦関係も変化をみせる一方、意識や行動は伝統的な母親像を反復している部分も大いにあった。

報告番号278

“#YOUTH: Young people and their Opportunities. Understanding Transitions and
How Decisions are made――”
University of Vienna RalphChan

“Life courses of young people have changed over the past decades. Historical changes and societal developments such as globalisation, post-industrialisation, migration or multiple genders have shaped and influenced life courses. Young people are seen as “vulnerable” because they are the one who are confronted with this new configuration of life phases and moreover are the one experiencing faster changes, more fragmented transitions in their life course. This development has different impacts on the one hand on each individual’s life course (e.g. parenthood, homemaking, educational attainment) and on the other hand, in the transition(s) to adulthood (e.g. school-to-work transition) too. These aspects have a big impact on the individual life projects and influence the decision-making process, for instance, on educational choices like for further education or training.

Career decisions are considered as turning points or critical moments that might have an significant impact in the life course and identity. The decision for further schooling, or education is shaped not only by the individual opportunity structure but is also influenced by the institutional configuration (e.g. educational system). In order to understand the decision-making process regarding educational choices, researchers, policy-makers as well as practitioners have to understand the changes in the life courses of today’s youth, considering the impact of society, its institutions as well as their personal experiences too.

This paper (PhD project) focuses on the interface between youth-education-transition research. The focal point lies on the question of which aspects influence decision and how these decisions are made by young people who are in the school-to-school and school-to-work transition phase. This will be examined from a sociological perspective. One of the traditional questions of sociology is what significant influence society has on society. An “”anchor point”” for developing this PhD project was the idea presented in The odyssey: school to work transitions, serendipity and position in the field (2017) by Atkins. She assumes that serendipity and the position in the field– in Bourdieu’s words the interplay between habitusand the accumulation of capital – play an important role in decision-making. The author mentions two aspects to consider: first the position of the individual in the social field and second the implications of serendipity, because life events or in general the life course is often not predictable. This is interesting because the idea of serendipity is somehow contradictory to the contention that institutional structures besides agency influence the decision-making process and need to be more elaborated.

This project aims to be a collaborative effort. Instead of researching about young people and looking at them simply as research objects, this research will give young people a voice and the opportunity to express their experiences, feelings and thoughts. In other words, this research is not ‘just’ about them, but about walking the path together with them, researching the topic and asking them about their experiences and dreams in relation to the transition from school to school or from school to work. This project therefore examines which aspects influence the decisions especially those critical events. Critical moments, critical junctures or turning points such as moving to another school, divorce of parents or illness are metaphors that are described in the literature as critical events in life courses. Special emphasis is also placed on how personal or structural factors such as institutional support affect educational decisions and life paths of young people. How autonomously can the young person really make decisions or to which extent is the decision related or affected by the social environment? Are decisions related to education made by young people (serendipitous) randomly or rationally? In order to answer this question, four different theoretical perspectives are used. These various theoretical approaches (life-course approach, neo-institutionalism, careership theory and projectivity approach) and empirical instruments have to be seen in a conversation together to get a holistic picture. Thus, to understand the phenomenon of youth transitions, a combination of a macro-micro perspective will be provided. A research framework applying a three-stage research design is developed. With this research design, the researcher aims at uncovering social mechanisms, new risk patterns and the changing nature of the life courses of today’s young people. By using different instruments of qualitative research, data will be analysed (i.e., secondary qualitative data, semi-structured interviews and group discussions) in a comparative manner. Interviews will be conducted with youths and teachers, represented with different gender, social statuses, experience in teaching and work/go to school in different regions in order to provide a deep understanding of youths enrolled in an NMS, how they perceive their future and in order to gain insights of their youth experiences. Thus, the main research question of this PhD project is:
• What are the different factors influencing young people’s decision-making about education and/or training on leaving school in Austria?

Research in Austria on the life course of young people and their educational decisions from a sociological point of view is limited. The overall aim of this doctoral thesis is therefore to provide an understanding of relevant aspects of how the different various factors influence the decision-making process of young people. By linking each concept to another to gain knowledge of youth transitions, and particularly school-to-school or school-to-work transition, it is easier to understand how life courses are influenced by life events and what institutional configurations influence the decision young people about their educational decisions. ”


報告番号279

Child Labour in the informal weaving sector in Addis Ababa, Ethiopia
Organization for Social Science Research in Eastern and Southern Africa – OSSREA Garedew YilmaDesta

“Abstract
Child labor is a widespread and growing phenomenon in today’s world. Though child labor is exists in all parts of the world, the extent of the problem is very high in developing countries. Ethiopia is one of the countries where child labor exists in an extensive scale.
Objectives of the study
The main objectives of the study are to identify causes of child labor; to assess the living and working conditions of working children; study the impact of child labor mainly on children’s health, education, physical wellbeing and psycho-social development and to draw conclusion on the study based on the findings. Thus, the study looks at children who are self-employed and/or working with their parents/employers in the weaving sector in the northern part of Addis Ababa.
Research Questions
This study aims to answer the following main questions. On the basis of this problem formulation I have raised some research questions. In what ways is poverty an underlining cause of child labor? How are the living and working conditions of children in the weaving sector in the study area? What are the physical work hazards, health and psycho-social?
Theoretical perspective
The human capital discourse sees child labor as a result of poverty and aims to equip children with the educational skills that will help improve labor opportunities later on. I have chosen the human capital perspective as a point of departure in this study to see the root causes of child labor. This is because the concepts of poverty and education which are embodied in the human capital perspective provide an insight to analyse the problem under study.
Research methods
I used qualitative research approach in order to generate relevant data as exhaustively as possible on the issue under study. I gathered information pertinent to the study through semi-structured interviews, focus group discussion, and observation. This study has explored detailed information about causes of child labor and its impact on child weavers, working and living conditions of children in the weaving sector in their actual location.
For this study, I was a key instrument in data collection, by approaching informants, asking their consent and conducting the interviews and focus group discussion sessions. In addition to this I was also responsible to transcribe and interpret the data obtained from the field.
Method of Data Collection
The study employs a child focus research, which uses different approaches in a complementary way. For this thesis both primary and secondary data were used. For the purpose of this study semi-structured interview, focused group discussions, and direct observation techniques were used as primary data collection instruments.
Data Analysis
The data collected in the study is qualitative by its nature. Hence, the qualitative data obtained through in depth interviews, key informant interviews and FGD, were first transcribed. Once the data was transcribed, it was then coded. The data was then analyzed, categorized and organized into themes and further sub-themes which emerged through the coding process. The themes which emerged were assigned a specific code accordingly. Then next the data analysed by identifying any reoccurring themes throughout and highlighting any similarities and differences in the data.

Findings of the study
The finding of study indicated that poverty (child trafficking and migration), family breakdown and peer influence, are identified as the major factors that push children to enter in the weaving sector. The study also found out that child labor has negative impact on the children’s health, physical wellbeing, psycho-social development and education. The study recommends that the prime cause that forces children to work in their early age is the wide spread poverty of families. Thus, there is a need to educate parents, employers, community on the methods they need to solve their socio-economic problems.


報告番号280

曖昧な層の計量的可視化――見過ごされてきた「健常者でも障害者でもない人々」
東京大学大学院 百瀬由璃絵

【1.目的】  「グレーゾーン」という言葉を耳にする機会が近年増えている。障害があるとも障害がないとも言えない場合など、白でも黒でもない曖昧な層や事象に対して焦点を当てたい場合に「グレーゾーン」という言葉が用いられている。幼少期から成人後まで、医師の診断が定まらない「傾向がある」人々や障害を診断されても生活や職場への環境適応度によって障害の有無が変化する人々が「グレーゾーン」と呼ばれる(矢野ら, 2015;吉田,2017;堤,2019;堤林ら,2020など)。グレーゾーンの用語が使われていない場合でも、発達障害や精神疾患の「疑いがある」人々が、若年者向けの就労支援の現場で多くの割合を占めていることが指摘されている(宮本,2015)。「グレーゾーン」の言葉が他方で用いられるさなか、障害児・者とは言えないが何かしらの健康上の問題がある人々に関して、計量的にはほとんど明らかにされていない。本研究では、日本社会においてグレーゾーンがどの程度おり、どのような特徴があるのか、日本全国を調査対象としたデータを用いて計量的に明らかにすることを目的とする。 【2.方法】  データは、厚生労働省「生活のしづらさなどに関する調査(全国在宅障害児・者等実態調査),2016」のデータを用いる。何かしらの健康上の問題があるものの障害者福祉制度を利用していない者を「グレーゾーン」とみなし、子ども(18歳未満)、稼働年齢層(在学中を除く18歳以上~60歳未満)、高齢者(60歳以上)にわけて日本社会にどのくらいの割合でグレーゾーンが存在するのか記述する。その後、稼働年齢層に着目し、グレーゾーンの特徴を考察する。 【3.結果】  稼働年齢層に着目すると、グレーゾーンは、障害者手帳所持者よりも発症年齢が遅く、無業者が多い傾向にあり、働いていても自営業の割合が多く、雇用による労働には結びついていない傾向にあった。グレーゾーンが手帳を持たない理由をみると、「手帳を持ちたくない」といった障害者手帳を持つことがスティグマになることを理由としている人々は少なく、「障害の種類や程度が手帳の基準に当てはまらない」人々が多い傾向にあった。 【4.結論】  グレーゾーンの健康上の問題は先天性ではなく後天性である可能性が高く、不利な労働状況にある可能性が高いことが明らかになった。さらに、障害者手帳を持たない理由としてスティグマが生じていることが原因ではなく、知的障害・精神障害・身体障害には分類されない何かしらの健康上の問題があることから障害者手帳を持っていない可能性が示唆された。このことから、これまで見過ごされてきた「健常者でも障害者でもない人々」の不利益に対する施策を今後考えていく必要があるだろう。 【謝辞】  厚生労働省「平成28年 生活のしづらさなどに関する調査(全国在宅障害児・者等実態調査)」のデータの使用にあたり、報告者は東京大学社会科学研究所に籍を有しており、統計法33条の規定に基づき厚生労働省社会・援護局の承認を受けました。厚く御礼申し上げます。

報告番号281

「幼女」のセクシュアリティの再発見 ――中国の刑事司法制度において保護される未成年者同士の恋愛関係
筑波大学大学院 周筱

1 目的  本報告の目的は、未成年者を性的侵害から保護するために、2013年に公布された『四部門意見』という政策意見文を事例に、未成年者同士の恋愛関係が法的に守られ、その保護の根拠として「幼女」の性的同意があることを提示し、未成年者の性にたいする管理を制度上に果たす刑事司法制度における大人中心主義にゆらぎが生じていることを明らかにする。  これまでの研究では、保護のため未成年者のセクシュアリティは抹消され、若者が無垢で無力かつ可傷的で脆弱的に構築されてきた(Angilides 2019)。さらに、制度的場面においては、未成年者が常に「保護」のレトリックに支配され(山田 2020)、とくに性的場面で、その支配が「性的同意能力に制限をかける」(羅 2012:132)ことによって果たされる。それは大人が、子どもが自己の性的同意を語れることを信じていないことを確保するための手段だと考えられる(Foucault 1978=1984:284,285)。  本報告は、中国社会が未成年者の性欲を管理する法制度をつくったものの、法整備のプロセスのなかで「管理しない」未成年者のセクシュアリティが実際に「再発見」されていたことを指摘する。 2 方法  本報告は『四部門意見』ならびにその意見にたいする解釈・説明のテキストの内容分析を行う。 3. 結果 『四部門意見』の第27条では、「14歳以上16歳未満の者は偶に幼女と性行為し、情状が軽微で重大な危害を与えていない場合、犯罪だと思わない」ことが規定された。その規定に該当する2つの条件として、立法者は「幼女の性的同意」と「行為者の年齢相当」を挙げた。未成年者同士の性的場面において、「性的同意能力に制限をかける」という「保護」のレトリックは適応されず、子どもの自己の性的同意にたいする語りが信じられている。ところが、その性的合意にたいする語りへの信用が「年齢相当」(未成年者同士の年齢差が4歳を超えない)のレトリックによって制限されている。すなわち、一方で、未成年者のセクシュアリティが抹消されているだけでなく一部に承認されるようになり、他方で、その承認が「世代間セックス」の要素を排他的に捉えている。 4 結論  上記の分析のよって、中国の刑事司法制度において脱大人中心主義の性格が現れていると同時に、大人中心主義の強化も進んでいることが示唆された。 参考文献 山田智秋,2020,『生きられた経験の社会学』せりや書房. 羅翔,2012,『刑法中的同意制度』法律出版社. Angelides, S. . 2019, The Fear of Child Sexuality: Young People, Sex, and Agency, The University of Chicago Press Foucault,M and Hocquenhem,G and Dane,J t, 1978, Sexual Morality and the Law, (=1984, L.D.Kritzman(ed). Michel Foucault: Politics Philosophy Culture, Routledge, London,271-284

報告番号282

留学経験における自己アイデンティの形成と居場所探しの過程――短期留学者と長期移住者の語りを比較して
 古川千絵

“1. 目的
 本研究では二つの調査(a) 米国に1年程度語学留学をした日本人の若者たちへのインタビュー、b) 語学留学を契機に米国に長期滞在することとなった日本人へのインタビュー)の比較、再分析を行った。これを通して、海外留学及び移住という経験が日本の若者の生き方、自己アイデンティティの形成、自分の居場所を確立する上でどのような役割を担い、意味付けられたのか、それは1年程度滞在した時点と長期に渡って海外生活を送った時点とでどのように異なってくるのかについて明らかにすることを目的とした。

2. 方法
 a)の調査については米国大都市の語学学校の学生(10代から30代)16人にインタビュー(2006年)を行い、そのうち3人については8年後に追跡調査を行った。b)の調査についてはアメリカのいくつかの大都市に住む20代から40代で語学学校またはコミュニティカレッジへの入学を機に米粉kに1年を超えて長期滞在(永住予定を含む)する人々にインタビューを行った(2012年-2015年)。留学の動機、米国での生活とそこでの考え方や生き方の変化、将来の展望についてそれぞれ1時間半程度話を聞き、そのデータをコーディングし、質的な分析を行った。

3. 結果
 既存研究において、留学、特に学位取得を目的としない語学留学は日本国内での就職に向けエンプロアビリティを向上させるための戦略的なもの、あるいは明確な方向性を持たない自分探し的なものとしてネガティブな含意をもってとらえられる傾向にあった。
 しかしインタビュー協力者たちの語りからは、それぞれのバックグラウンドは異なりながらも、自分の生き方を確立し、自分に自信を持った生き方をしていくにはどうすべきか、日々自問自答しもがいていることが見られた。また、特に1年程度滞在予定の協力者にとっては、日本を離れ、新しいチャレンジに取り組み、今後の可能性と向き合う中でそのようなもがきを繰り返し次にどのように進むかを決定していく過程こそが「自分探し」であり留学の最も重要な目的となっていた。多くの協力者がその目的はアメリカ滞在中に達成されたとして留学経験を肯定的に評価していた。そこではエンプロイアビリティへの言及は非常に少なかった。
 追跡調査においても、留学は英語というスキルの向上につながってはいたが、それよりも、自分はどのような人間でどのように生きていきたいかをじっくりと考える期間を持ち、自己のより広い可能性に気づき、自分に自信を持てたということが、自身の人生にとって大きな意味があったと語られた。
 1年を超えた長期滞在、または永住者となったインタビュー協力者については、勉強と仕事の状況、パートナーや家族との関係とその変遷を軸に、将来的に日本に戻る可能性を度々考えながらも米国での生活の中で居場所を探し確立しようと試行錯誤していく過程が見られた。また、生活や居場所を確立していくに従って日本にいずれ帰国するのかどうかも自分一人で自由に選択できるものではなくなっていく傾向も見られた。

4. 結論
 留学経験の意味づけのプロセスは短期の滞在と長期の移住では異なってくる面があるが、いずれにおいてもエンプロイアビリティや「自分探し」期間として単純化できるものではなく、個々の生き方や居場所を探すという文脈において重要かつ肯定的な意味を持つものであることが明らかになった。”


報告番号283

身体加工の実践における自己表現力と安定的な自己形成過程――タトゥーとボディ・ピアスを事例に
上智大学大学院 MICHALOVAZUZANA

【1.目的】 例えばタトゥーやボディ・ピアスなどの身体加工は、この十数年間でファッション的・アート的なニュアンスを帯びる形で若者の間に意識されるようになりつつあるが、未だ社会的に十分には許容されているとは言いきれない。先行研究は、多くの身体加工がアイデンティティの危機に直面しやすい20代に開始されることに注目して、若者のアイデンティティにかかわる問題として扱い、個人主義と消費主義的な視点で捉えてきた。しかしながら、これらの先行研究では、主に「対象化された身体」のみを扱っており、「主体としての身体」に関して十分に考察していない。 そこで、本研究では、身体加工の実践を例に、身体の主体性と対象性を検討する。その際、身体加工が、人々の相互作用的な自己形成過程において、どのような働きをしているのかを明らかにする。人々は逸脱行為としてみなされやすい身体加工をなぜ行うのか、また、彼ら/彼女らのその実践の背後にはどのような意味づけがあるだろうか。本研究では以上の問いを検討するとともに、日本におけるタトゥーやボディ・ピアスの事例を通して、現代的な身体加工の総合的理解にも貢献することを試みる。 【2.方法】 本研究では、主にタトゥーとボディ・ピアスの身体加工実践者のライフヒストリーを対象に半構造化インタビュー(18人、男性10人、女性8人、ほとんど20~30代、40代1人、50代1人)と、タトゥー施術の場における参与観察を行った。 また、基本的な理論的な枠組みとしてミードの自己形成論に依拠しつつ、「身体であること=I」と「身体を持つこと=me」の相互作用的な身体化(embodiment)の過程として自己形成を捉える、身体の中心的な役割(Merleau-Ponty 1964, Crossley 2005, 2006)に注目する。 【3.結果】 対象者18人のうち10人のライフヒストリーのナラティヴから、離婚経験や母子家庭という背景で複雑な自己形成が行なわれているときに、その手助け・手掛かりの手段として身体加工が機能していることがわかった。また、多くの対象者が身体加工に興味を持ったきっかけは、外国や日本のビジュアル系のアーティストの映像やステージでのパフォーマンスであり、そこで身体加工が「豊かな表現力」として用いられていたことであった。対象者にとって、「自由な表現性のあるタトゥー・ピアス」は、自分の内面と外部との乖離に応える表現力を持っていた。こうした身体加工の安定的な自己形成を支える効果は多くの対象者の語りに見られた。 【4.結論】 身体加工がもつ「自分の内面と外部との乖離に応える表現力」と「安定的な自己形成という働き」は、未だネガティブなイメージを付与されている身体加工を実践する一つの魅力である。このような身体加工の実践は、「主体的に身体を媒体として(主体としての身体=I)、他者の視点を取り入れ再解釈する(対象化された身体=me)」、という身体化の相互作用的プロセスである。すなわち、身体加工の実践から示唆される身体の主体性と対象性という二重性(duality)は、従来の個人主義的な視点からの自己完結的ではなく、積極的で間身体的な自己形成によって特徴づけられている。

報告番号284

ホスト社会沖縄と日系人――ラテン文化資本の架橋性~沖縄における南米系日系人と繋がるホスト社会のネットワーク~
沖縄国際大学 崎濱佳代

1.目的  本研究の目的は、南米系日系人を受け入れるホスト社会としての沖縄社会が南米系日系人の持つ架橋性をどのように位置づけ、どのように受け入れているのかを、文化資本に基づくネットワーキング(ホスト社会、出身国社会、他県の南米系日系人社会との繋がり)の視点から精査・分析し、架橋的な社会関係資本が結束的な社会を変えていくプロセスを明らかにすることを目的とする。 2.方法  ホスト社会の側からのまなざし・コミットメントを、実際にラテン文化に親しんでいる個人へのインタビュー調査を通して、ミクロの面から分析・考察する。本報告では、2019年度に行った、実際にラテン文化(サルサダンス)に親しんでいる個人へのインタビュー調査の成果を再分析し、さらに自治体の対応やマスコミのドキュメント分析などの成果も併せて報告する。 ①調査の内容  サルサダンスの学習者に、異文化の学習を通じて得られるネットワークと、意識や行動の変化についての質的調査を行ったものである。  また、ドキュメント分析については、新聞記事の収集の他、市町村の情報公開を求め、その内容を分析する。 ②調査の範囲/対象  調査対象者は、南米系日系人の講師が主宰するサルサダンス教室の生徒を中心とした15人である。調査対象の新聞は、琉球新報、沖縄タイムスの2紙である。調査対象の自治体は、沖縄県、那覇市、沖縄市である。 ③主な調査項目  インタビュー:1)回答者本人についての項目、2)ダンスのネットワークについて、3)ラテン文化、南米系日系人、外国人への意識・行動の変化について、4)自分自身の変化について  ドキュメント分析:「世界のウチナーンチュ大会」に関する施策、沖縄県系人子弟に関する施策、国際交流に関する施策 ④データ収集の方法  半構造化インタビューとドキュメント収集を行った。 3.結果  調査の成果として、異文化学習者は年収や家族構成にかかわらず仕事や家庭以外の空間を多く求めていることが明らかになった。  また、ダンス教室の生徒やバンドのメンバーとして対等で互恵的な関係を結んでいることが明らかになった。ダンス・音楽の「出会い」から協働的活動を経て、高次的な活動へと繋げる信頼関係を築いていると言える。  新聞記事のドキュメント分析においては、全国紙と比較して、交流に関する記事や海外のウチナーンチュコミュニティに関する記事は多く見られるが、南米系日系人が抱える社会問題についての目配りは薄い事が明らかになった。 4.結論  2019年度の調査成果からは、ミクロレベルの沖縄社会において、南米系日系人と彼らのもたらすラテン文化がどのように受け止められているかが明らかになった。  対象者は、レッスンやイベント出演で得られる交流や資質を高く評価しており、サルサダンス以外のラテン文化へも関心が広がる様子が見て取れた。サルサダンスという文化資本がホスト社会と南米系日系人を含む外国人住民との間を架橋する機能を果たしているといえる。 本調査研究は、科研費プロジェクト(18K01998 基盤(C)「ホスト社会沖縄と日系人―ラテン文化資本の架橋性―」)の調査の一環として行われた。

報告番号285

なぜ海外同郷者団体は形成されるのか ――中南米諸国における沖縄県市町村人会の比較事例史研究
東京都立大学大学院 吉田耕平

【1.目的】  本報告では、1899年から1972年における沖縄から中南米への移住史を対象に、各種同郷組織の形成過程を論じる。  19世紀以来、人々の大規模な移動は長らく社会学の関心を集めてきたが、この中で明らかにされてきたのが移住者による組織形成という現象だ(cf. Thomas and Znaniecki 1918-1920 、Park 1922、松本1985、鰺坂2005)。  戦前戦後を通じ、日本から他国への移動・移住史においては、各地に「日本人会」や「◯◯県人会」、「◯◯村同郷会」や「字◯◯郷友会」と呼ばれる組織が設立された。では、どのような種類の団体がどういった経緯で生まれたのだろうか。 【2.方法】  本報告では1972年時点における沖縄県中北部のA村とB村、および南部のC、D、E、F村の出移動・出移住を取り上げる。なお、戦前のあいだA・Bの両村は同一の村だった(戦後に分村する)。  それらの村から中南米諸国――ペルー、アルゼンチン、ブラジル――に辿り着いた人々は、どのような種類の同郷者団体を最初に立ち上げたのか、そして、どのような同郷者団体がその後も活動を続けたのかを調べる。  このために、2011年から2019年にかけて沖縄県内外およびブラジル、アルゼンチンで行った文献調査とインタビュー調査の結果を利用する。 【3.結果】  上記の国々には、戦前の間に「県」単位の組織が現れた。一方、「村」単位の組織形成は、それらと必ずしも歩を同じくしていない。  ペルーでは、1920年台と1930年台に村人会等が生まれた。たとえば、A・B村の村人会(1934年)、C、D、E、F村の村人会(1921年、1919年、1919年、1920年)。  アルゼンチンの場合は、A・B村の組織(1929年)、E村(1960年)とF村(1968年)とばらつきがあり、ブラジルの場合は、非常に遅れてA村単独の組織(1981年)、E村人会(1980年)、F村人会(1978年)が誕生した。  これらと一線を画すパターンとして、A・B村人が隣接村との合同組織を設立した例や(ペルー、1926年)、E村内の字e1と字e2の同郷者団体の例も挙げられる(アルゼンチン、時期不詳)。 【4.結論】  以上のことから、第一に、渡航者がほとんどいなかった場合を別とすれば、国ごとの相違が確認される。国によっては「村」単位の組織も早く立ち上がったが(ペルー)、「村」単位の組織が一様に遅れる国もあった(ブラジル)からである。  第二に、「県」や「村」を単位とする同郷者団体は、唯一の同郷者団体だったわけではない。それらに先んじて、あるいは平行して、複数の「村」出身者や単独の「字」出身者による組織が活動していたのである。  したがって、最初からではなく、渡航者の状況や国ごとの慣行を反映して少しずつ、「県」や「市町村」を単位とする同郷者団体が基本となったことがうかがえる。今後、その背景と影響について考察を深めることが課題である。 【文献】 Thomas, William I. and Florian Znaniecki, 1918-1920, The Polish Peasants in Europe and America, Boston, MA: Richard G. Badger, The Gorham Press. Park, Robert E., 1922, The Immigrant Press and Its Control, New York, NY: Harpers & Brothers. 松本通晴,1985,「都市の同郷団体」『社会学評論』136(1) : 35-47. 鰺坂学,2005,『都市同郷団体の研究』法律文化社.

報告番号286

The Second-Generation Newcomer Chinese Immigrants in Japan――Negotiation and Redefinition of Ethnic Identity
RICE UNIVERSITY 張篠叡

The adoption of China’s economic reform and open-door policy in 1978 has widely opened the door for Chinese people to move across borders. Chinese newcomers have become the largest immigrant group in Japan today: the total number of newcomer Chinese immigrants is 786,830 in 2020, increasing approximately 14.51% over the past decade (Immigration Services Agency of Japan). As the large influx of various Chinese newcomers migrates to Japan, the long-established Chinese group in the nation has faced tremendous and profound social transformation, adding additional layers of the diversity of the original communities (Zhu 2003). Despite its impressive size and heterogeneity, with a few sporadic notable exceptions (Bail 2005; Coates 2019; Liu-Farrer 2012; Nagai 2013; Zhu 2003; Yamashita 2010), relatively less has been written about the contemporary social experiences of newcomer Chinese immigrants, and even less about their children compared to the early waves of the old Chinese immigrants in the prewar period. Capturing the current landscape of new Chinese immigration in Japan requires the inclusion of a broader range of stories and perspectives, particularly from individuals and groups who have rendered “invisible” in the dominant narratives. Drawing on thirty-one in-depth interviews, this study fills this gap by examining how second-generation newcomer Chinese immigrants in Japan engage and negotiate multiple social identities as they transition into adulthood. Using the concept of social identity as a constructive product of interaction and negotiation between internal and external forces (Cerulo 1997), this research sheds light on the shifting processes of identity negotiation regarding Chinese immigrant identity imposed by others around them. The analysis reveals that while respondents tended to internalize the negative images of Chinese immigrants in their childhood, they navigate and redefine their sense of “in-betweenness” by engaging in active identity work as they grow up. Raised in a variety of newcomer Chinese immigrant families in Japan, these immigrant children attach diverse subjective meanings toward their ethnicity in the process of seeking multiple and complex meanings of what it means to be a second-generation newcomer Chinese immigrant in the twenty-first century. Specifically, the attached subjective meanings of the newcomer Chinese immigrant children are broadly divided into four types: (1) Socioeconomic developments of China such as the Beijing Olympics in 2008 as a turning point for attaining positive meanings toward their ethnicity; (2) determination to utilize bilingual fluency as “cultural weapon” to play essential roles of bridging China and Japan as life careers; (3) Exploration of “the third way of belongingness” without confining by the national paradigm of Japan and China; (4) “return migration” by studying abroad to China to understand “real” China. The social experiences of newcomer Chinese immigrant children in Japan have significant implications on fluid ethnic and national boundary formations in local, national, and transnational contexts.

報告番号287

The Sex Trade and the Japanese State: A Cultural, Gendered, and Legal Exploration of Japan’s Anti-Trafficking Strategies
Kansas State University NoëlieFrix

“Human Trafficking has expanded significantly since the end of the Cold War to become one of the most pressing global humanitarian and security crises facing the world in the twenty-first century. One of the greatest barriers to effective counter-trafficking solutions is the assumption that a uniform, global approach can successfully address the problem when, in fact, different countries’ historical, social, economic, and political structures have diversely shaped trafficking patterns. Human trafficking is a culturally-infused problem which exists as much because of human culture as a result of the international system’s flaws and weaknesses. A cultural, gendered analysis can thus help identify the root causes of the failures of anti-trafficking legislation and hence yield important insights into how to remedy legal and policy shortcomings.

Japan, which plays a pivotal role in the sex markets of East and Southeast Asia, provides for a particularly fascinating and consequential case study of the ways regional and domestic approaches to human trafficking are culturally and historically contingent. Though the face of sex trafficking may have changed in tandem with historical circumstances, commonalities persist across the years. Japan’s historical relations to the sex trade and sex trafficking demonstrably contribute to the prevalence and perseverance of harmful practices and attitudes into the twenty-first century. In 2004, the Japanese government crafted its National Action Plan to Combat Trafficking in Persons, which committed it to “make dedicated efforts to consider the requirements and contents for the revision of domestic laws necessary for implementing the Protocol on Trafficking in Persons” (MOFA of Japan 2004, 2). However, cultural and historical factors have inhibited the success of these and subsequent reforms. Though Japan became a signatory to the Protocol to Prevent, Suppress and Punish Trafficking in Persons, Especially Women and Children in 2002, the fact that acceptance was only given in July 2017—fifteen years after Japan signaled its willingness to complete the treaty-making process—brings into question the government’s commitment to the anti-trafficking cause. In their failure to accomplish their stated goals, the 2004 NAP reforms were all but innovative—indeed, the Japanese state has a three-hundred year history of facilitating rather than combatting sex trafficking, and has a habit of amending or passing legislation in the realm of the sex trade that amount to little more than cosmetic changes.

This project seeks to build upon the existing cultural and historical analyses of Japan’s sex trade-related problems by examining how the country’s traditional attitudes towards women, prostitution, human trafficking, race, and international relations continue to influence its anti-trafficking efforts in the post-Cold War era. The research will strive to answer why Japan’s anti-trafficking measures have fallen short, and how Japan’s unique history has influenced gender and international relations and, in turn, the current shape of trafficking patterns and policies. It will further examine how discriminatory attitudes towards gender and race hamper anti-trafficking efforts and will uncover the disadvantages associated with current anti-trafficking strategies. Crucially, a lack of political willingness, fueled by harmful constructs of masculinity, racism, and a peculiarly enduring affinity between the state and sex trade, continue to critically impede the adequate prosecution of human trafficking operations in Japan. Notably, interpreting and handling sex trafficking as a women’s issue has allowed for the maintenance of harmful, preconceived notions about gender roles and obviated authorities from the need to reconsider their flawed prejudices. The persistent stigma against women involved in the sex trade hinders their ability to come forward and report their trafficking, denies them agency, and relegates them to a dichotomous role as either amoral women or victims. As such, important cultural shifts will be essential to the development of successful, effective anti-trafficking measures.

A historical overview of Japan’s official and unofficial involvement in the sex trade and trafficking is critical to setting the stage for post-Cold War patterns, and to allow for a well-rounded grasp of the source of many current issues related to race and gender. An analysis of both historical and modern trafficking (and related) legislation/policies, focusing on the discrepancies between their stated goals and actual outcomes, serves to illustrate their shortcomings and can help us infer the underlying motivations in addressing matters of human trafficking. The critical perspective in trafficking literature and feminist theories of power and international relations provide the theoretical framework for this project, which aims to produce new perspectives on the research questions by taking advantage of critical, intersectional gender theory to reveal the role of social constructions of gender in human trafficking in Japan.”


報告番号288

Muslim Women Seeking Justice in a Legally Pluralist Landscape in India
Indian Institute of Technology, Kanpur Qazi SarahRasheed

“1. Aim
In India, with the change of political leadership at the center, the sanctity of religion based Muslim family law has been contested. This has led to the development of a new sociopolitical discourse which is influenced and shaped by the basic feminist ideals of equal rights for women. In this discourse, Muslim women are portrayed as necessarily suffering from unjust family laws and needing immediate cover and protection from the secular state. In the light of the judicial reform which makes the practice of instant divorce through ‘triple talaq’ among Muslims a punishable offence, this paper discusses that for Muslim women the domain of law is liminal and they choose between multiple legal forums to increase their access to justice. Drawing on the concept of “legal pluralism”, a situation “in which people could choose from among more than one co-existing set of rules” (Beckmann & Turner, 2018:262), this paper also explores how Muslim women approach different alternative forums, and in what ways Muslim women activists are creating an opportunity for the distressed women to resolve their marital disputes more efficiently. Such an examination provides important insights into how Muslim women’s rights activists undertake their pursuit of justice within a complex, legally pluralistic landscape in the area of Muslim family law in India.
2. Methodology
This research paper is based on twelve months of fieldwork carried out in 2015 and 2016 in Lucknow, capital city of the Indian state of Uttar Pradesh. A series of in-depth, open-ended interviews were conducted, to make a sense of the interviewee’s everyday understanding of justice and equality. These interviews, conducted in several sittings with the respondents, provided us sufficient flexibility to approach the participants according to their convenience, while focusing on the same areas of data collection. Participants were interviewed at their homes, and workplaces. All the interviews were conducted mostly in Hindi and Urdu languages as participants were conversant in these languages and were recorded after taking their prior consent. Muslim Women activists were accompanied to different sites such as the homes of women who were obtaining counseling or legal help from them, and police stations where these women had gone for legal or police protection. The mediation sessions were usually conducted at their offices and were closely observed. In addition, many documents were analyzed to obtain relevant documentary evidence of the facticity of statements made by the participants. These documents include the pamphlets and magazines published by different organizations, government reports, and newspaper articles.
3. Findings
Section 89 of the Indian Civil Procedure Code (CPC), allows the parties in dispute to resolve their cases through mediation, reconciliation, and arbitration outside the court. For Muslims, the non-state judicatory bodies which function as an alternate dispute resolution system comprise of the local imam, elders of the community, caste and sect-based panchayats, and darul-qazas (Subramanian, 2008; Vatuk, 2001). A Muslim woman, lacking in education, awareness, money, and facing a troubled or abusive marriage, generally first seeks the help of elders of the family who try to fine-tune the situation. If this fails, the matter is forwarded to the influential “man” from the caste or village for mediation. When these efforts also prove unsuccessful, the issue is taken to the community-based dar-ul-qazas (Vatuk, 2013). Dar-ul-qazas popularly known as shari‘ah courts, are the arbitration councils which help the Indian Muslims to resolve their family issues in accordance with shari‘ah. Dar-ul-qazas are approached by the parties voluntarily and cannot forcibly enforce their orders on them. If the concerned parties are not satisfied with the decision, they are free to move to the civil courts. Mustafa (2018), a renowned jurist of constitutional law, argues that dar-ul-qazas respond to the decline of the civil justice system in recent times. However, despite their merits, dar-ul-qazas have their own limitations which cannot be ignored or neglected. Some scholars (Moore, 1993; Hussain, 2013; Vatuk, 2013) described the community-based resolution system as paternalistic and inconsiderate towards women. Indeed, most of the women that we interviewed believed that dar-ul-qazas are exclusively male dominated and biased against women. They pointed out that dar-ul-qazas rarely have female qazis (judge of a shar’ah court), a situation which jeopardizes their rights to fair treatment in cases involving divorce, maintenance, and domestic violence. The lack of sensitive and effective response to women’s issues has led Muslim women activists to advocate for the inclusion of female qazis in dar-ul-qazas—in a context where they feel there is no organized effort to train and appoint female qazis. They argue that if there are female qazis then there would be greater chances of women getting justice.
For Muslim women in a matrimonial crisis, the civil courts tend to act as the last resort (Holden, 2008; Vatuk, 2013). Several factors discourage Muslim women from reaching out to courts for justice. First, in Indian culture there is a negative connotation attached to intervention by public institutions in one’s private disputes (Lemons, 2010). There is a social stigma attached to a woman resorting to courts and a fear that she might end up facing social disapproval (Basu, 1999). Second, civil court proceedings incur a huge expenditure and usually take a lot of time. In the interviews, eight out of nine women who approached the courts seeking maintenance and/or divorce expressed their dissatisfaction over the functioning of the civil justice system. The Indian legal system is inefficient in addressing the financial needs of divorced/destitute women and their children of all religious communities (Singh, 2013). Furthermore, some of the women interviewed were also skeptical about the court’s ability to provide justice to the poorer litigants and described it as the “domain of the powerful” (Moore, 1993:523). They pointed out that people with more power and greater financial resources have the ability to influence the court’s decisions and win a case, a possibility unavailable to those who lack both of these. The problem of corruption in legal institutions was also highlighted. The general impression among the illiterate women is that courts are corrupt, especially at the lower level.
Having recourse to Muslim women activists has emerged as a viable option for dispute resolution in this regard. The functioning of Muslim women activists differs from the traditional justice forums in certain ways. First, since qazis jurisdiction is limited to the realm of Muslim family law, they cannot intervene in criminal cases. Muslim women activists on the other hand, take recourse to both civil and criminal law in case of need. They are networked with lawyers, other activists, politicians, and liberal Islamic scholars. This helps in strengthening their position in arbitration and counseling. Second, most of the qazis or influential persons within the community are males. In some cases, women hesitate and do not feel comfortable to discuss their intimate problems due to a feeling of “shame” but are quite open to discussing such issues with a woman. Vatuk (2013) writes that this sort of gender congruity facilitates the arbitration process as it provides women a sense of belief of being heard and understood with empathy.
4. Conclusion
The findings of this study suggest that aggrieved Muslim women, especially those belonging to the lower social strata are reluctant to resort to formal legal avenues to resolve their disputes. Instead, they prefer a “softer solution” (Nagaraj, 2010:430) in the form of mediation and arbitration offered by different socio-legal forums operating at the local level. Although alternative sites of adjudication are often marked by power relations, but allow women to negotiate power in families, and communities, hence giving them more rights than state law (Solanki, 2011). Moreover, these forums may be more effective alternatives to the civil courts as they encourage women to resolve their marital or domestic disputes informally, rather than to resort directly to the civil courts which are already over-burdened. While high cost, corruption, long delay, and limited access lead to frustration with existing judicial processes, Muslim women arbitrators can facilitate the achievement of a mutually agreeable outcome while increasing the satisfaction of the disputants at no cost. What we argue here is that contrary to perceptions and popular notions, Muslim women are not without remedy and do not lack agency in family matters, including marriage and divorce. There are many alternatives to traditional litigation which help women in resolving marital disputes without having to endure the rigours of criminal proceedings.
References
Basu, S. (1999). She comes to take her rights: Indian women, property and propriety. Albany: SUNY Albany.
Beckmann, K. and Turner, B. (2018). Legal Pluralism, social theory, and the state. The Journal of Legal Pluralism and Unofficial Law. 50 (3), 255-274.
Holden, L. (2008). Hindu divorce: A legal anthropology. England: Ashgate Publications.
Hussain, S. (2013). Unfolding the reality of Islamic rights of women: Mahrand maintenance rights in India. Pakistan Journal of Women’s Studies. 20 (2), 29-50.
Lemons, K. (2010). At the margins of law: Adjudicating Muslim families in contemporary Delhi. PhD Diss, University of California
Moore, E. P. (1993). Gender, power, and legal pluralism: Rajasthan, India. American Ethnologist. 20 (3), 522-542.
Mustafa, F. (2018). Justice more accessible. The Indian Express. Retrieved from https://indianexpress.com/article/opinion/columns/sharia-courts-muslim-personal-lawboard-aimplb-shariat-act-law-commission-uniform-civil-code-5260892/
Nagaraj, V. (2010). Local and customary forums: Adapting and innovating rules of formal law. Indian Journal of Gender Studies. 17 (3), 429-450.
Singh, k. (2013). Separated and divorced women in India. Economic rights and entitlements. Thousand Oaks: Sage Publications.
Solanki, G. (2011). Adjudication in religious family laws: Cultural accommodation, legal pluralism, and gender equality in India. New Delhi: Cambridge University Press.
Subramaniam, N. (2008). Legal change and gender inequality: Changes in Muslim family law in India. Law and Social Inquiry. 33 (3), 631-672.
Vatuk, S. (2001). Where will she go? What will she do? Paternalism toward women in the administration of Muslim personal law in contemporary India. In Gerald J. Larson (ed.), Religion and personal law in secular India: A call to judgment (pp. 226-248). Bloomington: Indiana University Press.
Vatuk, S. (2013). The “women’s court” in India: An alternative dispute resolution body for women in distress. Journal of Legal Pluralism and Unofficial Law. 45 (1), 76-103.


報告番号289

イスラエル占領地ヨルダン川西岸地区のアメリカ・ユダヤ移民入植者――2000年以降の移民定住を事例に
東京大学大学院 戸澤典子

【1.目的】  現在イスラエル・パレスチナ紛争の構図が複雑化する中、その一端を担うイスラエルの宗教者たちは独特な集団を形成し、アメリカからのユダヤ人(以下、アメリカ・ユダヤ人)はその重要な一角を占めてきた。彼らはアメリカで宗教的・イデオロギー的な思想を形成し、イスラエルの占領地ヨルダン川西岸地区内の入植地に移住したと理解されてきた。しかし、彼らの多くが家族を伴う移住であり、入植地がある占領地はパレスチナ・イスラエル紛争の最前線の点で、アメリカに比べ十分に安全であるとは言い難い。このような入植地に暮らすアメリカ・ユダヤ人の定住は、彼らの宗教的・イデオロギー的な動機だけで説明が可能であるのか。どのような要因が彼らの入植地定住を支えているのか。本発表では、入植地のアメリカ・ユダヤ人の定住要因を明らかにすることを目的とする。  【2.方法】  アメリカ・ユダヤ人の入植地定住の要因を明らかにするため、先行研究がアメリカ・ユダヤ人入植者を「入植者」として強調してきた一方、見過ごしてきた「アメリカからの移民」である点に着眼した。イスラエルに移住するアメリカ・ユダヤ人には、入植地に移住する/入植地の外に移住するの2つのパターンがある。この2つのパターンの移住状況を比較検討することで、入植地のアメリカ・ユダヤ人の定住要因を明らかにできると考えた。方法として、以下3つの資料1)政府・移民機関データ、2)アメリカ・ユダヤ人を支援するNGOsへの聞き取り、3)アメリカ・ユダヤ人入植者へのインタビューから考察した。 【3.結果】  考察の結果、アメリカ・ユダヤ人の入植地定住の要因として、1)宗教教育にかかる低い経済的コストと高い教育の質、2)IT技術発展によるアメリカ労働市場への参入、 3)入植地の「アメリカの飛び地化」が明らかになった。これら3点は、入植地のアメリカ・ユダヤ人コミュニティ内に顕著にみられた。まず宗教教育の経済的コストがアメリカに比べイスラエルは非常に低いだけでなく、一方、質の高い宗教教育が彼らにとって重要な点であった。また入植地のアメリカ・ユダヤ人は、医者、弁護士など高度なスキルを持つ人材も多く、同職種の収入がアメリカの方がより高い点、イスラエル公用語であるヘブライ語の運用レベルが低い点で、IT技術を活用し引き続きアメリカの労働市場に参入する場合があった。アメリカ・ユダヤ人が集住する入植地コミュニティは、彼らがアメリカで享受してきた社会的サービスを入植地でも同様に提供し、アメリカ郊外と変わらない生活様式を廉価に提供していた。   【4.結論】    入植地のアメリカ・ユダヤ人を「移民」として捉え直すことで、彼らの定住要因が、宗教教育、アメリカの労働市場への参入、入植地の「アメリカの飛び地化」が明らかになった。一般の移民では、ホスト社会への社会統合、ホスト国の労働市場への参入、言語が問題となる場合が多い。しかし入植地のアメリカ・ユダヤ人にとって、移民が抱えるこれらの問題は大きなものではない。むしろ、「アメリカの飛び地化」した入植地コミュニティへの移住は、社会統合と言語の問題を緩和し、IT技術発展がアメリカの労働市場参入を可能にする。イスラエルに移住し紛争の最前線にいながらも、アメリカ・ユダヤ人入植者はアメリカと変わらない生活を享受しているのである。

報告番号290

日常経験としての「多文化」 ――公共空間における身体的出会いに焦点をあてて
同志社大学 鈴木赳生

1.目的・方法  さまざまな人種民族的背景をもった人々の対立や共存の問題が「多文化」研究としてテーマ化され、すでに久しい。多文化主義の可能性と限界が盛んに論じられた1980~90年代、排他的ポピュリズムが勢いを増して多文化主義の失敗が宣言されるに至った2000~10年代まで、「多文化」はつねに論争の的であった。だがこの政治性を色濃く帯びた論争史のなかで、「多文化」はしばしば、現実の社会状況から遊離した論争のアイコンとして取沙汰されてきた。  この人目を引く論争の陰にあるのは、日常的に経験される多文化状況に根ざした地道な研究群である。そこでは、異質な人々が「ともに投げ込まれた」(Massey 2005=2014)ポストコロニアルな生活空間においていかに対立・交渉をくり返しともに生きていくか、という「多文化の問い」(Hall 2000)が実地に問われてきた。こうした蓄積こそ経験的多文化研究に活用しうるものだが、未だ十分に精緻なレビューが不足している。本研究プロジェクトはこの状況を受けて、日常経験としての「多文化」をめぐる研究群を分野横断的に拾いあげて整理し、その到達点と課題を明らかにすることを目指す。本報告はその手始めとして、1.多文化都市の公共空間に焦点を当てたAmin(2002)以降の地理学的研究群と、2.それを参照しながら「日常多文化主義」(Wise and Velayutham eds. 2009)として展開されてきた社会学的研究群、というふたつの系譜をたどる。 2.結果・結論  上述のふたつの系譜は、人々が異質な他者とともに生きなければならない現実をいかに引き受けているかを知る糸口として、他者との日常的「出会い」(encounter)に着目し、そこでの接触や交渉を記述しようと試みてきた。だがそこで考察の手がかりとされる「出会い」は、ともすれば定義が曖昧なままブラックボックス化されてしまう。つまり、多文化的日常の出会いとしてさまざまな事例が集められる一方で、それらが概念レベルでどのように意味づけられるのか、いかなる出会いがどのような点で重要なのかといった概念の内実に不透明さが残るのである。  これに対して本報告は、出会いが表象(representation)よりも現前(present)の次元に焦点を当てていることを確認したうえで、その内実を①公共空間/②身体経験という二側面に切り分けて分析的に明確化する。従来の多文化研究はおもに、文化的に形成された人種民族的なカテゴリ/アイデンティティなど、現前を再構成する表象の領域に照準を合わせてきた。これに対して本報告が取りあげる研究群では、現前の領域における、表象的区分のみに還元されない接触・交渉の経験に焦点が置かれる。都市の日常生活の舞台となる①公共空間(公共交通機関、市場・商店、公園、etc.)においては、表象領域では区分されるような他者同士(「入植者」/「先住民」、etc.)が実際に出会い、一定の②身体経験が共有される。この現前領域におけるカテゴリ越境的経験は、表象領域における区分からまったく自由なわけではないが相対的に自律したものとして、異質な他者同士の関係構築の糸口となるのである。

報告番号291

浜松市の日本語教育体制に関する社会学的分析――地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業を対象に
静岡大学 藤岡伸明

【1.目的】  本報告の目的は,浜松市が2019年度から実施している「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」において実施された日本語教育実態調査と,同事業のもとで始動した日本語教育支援プログラムについて分析することにより,浜松市の外国人市民を取り巻く日本語教育体制の現状と今後の課題を明らかにすることである。 【2.方法】  文化庁の「地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業」に採択された浜松市は,2019年度以降,外国人市民(主に日本語学習者),日本語教育支援団体,市内事業所等を対象とする日本語教育実態調査を,浜松国際交流協会の協力のもとで実施した。発表者2名は同事業の実行委員として,一連の調査の設計・集計・分析に携わった。調査結果の一部は調査報告書(浜松市 2020)として発表されているが,紙数の都合で詳細なデータや分析は割愛せざるを得なかった。本報告では,調査報告書に未掲載のデータと分析結果を紹介し,浜松市の日本語教育について多面的に分析する。また,同事業のもとで始動した日本語教育支援プログラム(オンライン日本語教室や企業・行政・NPO等が連携した日本語教育プログラムなど)の実施状況を検証し,今後の課題を考察する。 【3.結果】  外国人市民を対象とする質問紙調査では,「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能において「要支援」とされるレベルの回答者がそれぞれ2割,3割,5割,4割程度おり,日本語教育体制の強化の必要性が改めて浮き彫りになった。本報告では回答者の日本語能力を在留資格,滞在期間,使用場面等に即して詳細に分析する。  日本語教育支援団体を対象とする質問紙調査では,日本語指導者の資格(無資格者が多い)と処遇(無償で支援する指導者が多い)に課題がある一方で,日本語教室が単なる学習の場にとどまらない国際交流の場になっていることなどが明らかになった。本報告では自由記述回答の内容も分析する。  市内事業者調査では,回答事業所の約3割が外国人を雇用しており,外国人を継続的に雇用している事業所の約8割は外国人の雇用にメリットがあると回答していることから,市内事業所の外国人に対する評価は比較的高いと言える。他方,外国人を継続的に雇用している事業所のうち,外国人従業員への日本語研修を奨励している事業所は25%にとどまっていることから,外国人を雇用する事業所の多くが日本語教育に消極的である,あるいは日本語教育を実施できない状況にあることがわかった。本報告では,日本語研修を奨励している事業所の特徴を分析し,企業における日本語教育の推進に必要な要因を明らかにする。  オンライン日本語教室や企業・行政・NPO等が連携した日本語教育支援プログラムは試行錯誤の段階にあるが,本報告ではこれまでの実践の中で蓄積された成功事例や教訓を整理し,今後の課題を考える。 【4.結論】  地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業によって,浜松市の外国人市民を取り巻く日本語教育体制の現状が明らかになり,新たな日本語教育支援プログラムも成果を出しつつある。同市の日本語教育体制をいっそう強化するためには,こうした取り組みを継続することが必要不可欠である。 【5.文献】 浜松市,2020,『浜松市における地域日本語教育の総合的な体制づくり推進事業 地域日本語教育実態調査【調査結果報告書】』

報告番号292

発達障害があるAdult Cross Cultural Kidsの社会関係資本
慶應義塾大学大学院 清藤春香

1.目的  本報告は,Adult Cross Cultural Kids(以下ACCK),すなわち成育過程で2つ以上の国・文化に深く関わった成人のうち(Pollock et al 2017),発達障害がある当事者を対象とする.かれらはしばしば外国とのつながりや,発達上の特性による困難に直面する.その際,どのような他者とのネットワークが,困難の解消に有用かを明らかにする.  「ニューカマー第二世代」および「発達障害者」の各研究では,成人した当事者の,コミュニティ等における主体的な活動が描かれる(下地 2018; 高森 2020).しかし外国のルーツや海外在住経験等の「外国との深いつながり」と発達障害を併せ持つ当事者については,成人への調査が十分行われていない.これはしばしば日本社会で,外国との深いつながりと,発達障害を含む精神障害がスティグマ化されるためではないかと予想する(Shiobara et al 2020; 渋谷 2000).すなわち,医療機関やエスニックコミュニティ,障害者団体等において,国際移動と発達障害が絡み合って起こる困難は表明しにくく,そのために社会関係資本の形成も難しいのではないかと懸念する.このため,成人の当事者の実情を探る. 2.方法  2020年10月から2021年5月まで,SNSを介したスノーボールサンプリングにより,5名の発達障害があるACCKにインタビューを行った. 3.結果  ほとんどの当事者が,まず発達障害に詳しい医師を見つけるまで時間がかかり,信頼できる医師を見つけても,国際移動に関わる悩みは相談していない.また当事者も,しばしば自身の困難の原因が,国際移動か,発達上の特性かを判別できず,他者への相談が難しい.さらにスティグマ化の懸念等から,一方のコミュニティではもう一方の属性を明かさない当事者が散見された. 4.結論  発達障害があるACCKは,自身の属性が両方ともスティグマとみなされうることを認識している.このため,当事者が両方の属性を脱スティグマ化できる社会関係資本を得るには,「国際移動と発達障害」の枠組みで集まる場が必要と考える. 文献 Pollock, David., Ruth E. Van Reken, and Michael V. Pollock, 2017, Third Culture Kids third edition: Growing Up Among Worlds, Boston: Nicholas Brealey Publishing. 渋谷真樹,2000,「マイノリティ集団内部の多様性と力関係――帰国子女教育学級に在籍する『帰国生』らしくない『帰国生』に着目して」『ジェンダー研究』3: 149-62. 下地ローレンス吉孝,2018,『「混血」と「日本人」――ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』青土社. 高森明,2020,「発達障害者の当事者活動・自助グループとは」高森明編著『発達障害者の当事者活動・自助グループの「いま」と「これから」』金子書房,1-11. Shiobara, Yoshikazu., Kohei Kawabata, and Joel Matthews(eds), 2020, Cultural and Social Division in Contemporary Japan: Rethinking Discourses of Inclusion and Exclusion, Abingdon: Routledge.

報告番号293

日本におけるカンボジア・コミュニティの形成とその役割の変容
明治学院大学 長谷部美佳

1.目的 本報告は、日本におけるカンボジア・コミュニティの形成過程について記述し、その役割の変遷を描くことを目的とする。中でも、日本国籍保持者にとってのカンボジア・コミュニティの役割に焦点をあてる。 2.方法 公刊されている在留外国人統計などから、日本に在留するカンボジア人の概要を把握するが、カンボジア・コミュニティの役割については、コミュニティの行事への参加などの参与観察、また日本国籍取得者への聞き取り調査をもとに考察を進める。 3.結果 日本におけるカンボジア・コミュニティの形成は、1980年代から始まる神奈川県への集住を中心にした地理的・空間的コミュニティから始まる。1986年時点で神奈川県内400人規模の在留が確認され、主に神奈川県内の製造業が集積する県央地区を中心に集住が進んだ。一方で、場所に関わらない人的つながりやネットワークをベースとしたコミュニティも併存し、必ずしも地理的近さだけが人的ネットワークを構築しているわけではない。 1980年代当初は、帰国できなくなった留学生や、日本人と結婚して日本に在住していたカンボジア人を中心に自助グループなども形成される。カンボジア難民キャンプで活動していた日本の国際協力団体をはじめとする、日本人との関係構築も早い段階で進んでいく形成されていく。だが、自助グループは、正月行事などを実行するグループはできるものの、どれも団体としての形としては長続きしなかった。そのため、主に日本社会とつながることのできた、第二世代の個人を中心にネットワークが形成される。結果、カンボジア・コミュニティとは、長らく個人と個人のつながり=友人関係を中心としたものとなっていく。その後、1980年代から始まった難民の受け入れは、1990年代半ばに終了するが、それ以降は家族の呼び寄せが始まり、コミュニティの内実も多様化しする。だが「組織」としての自助グループの形成をするということはないまま、個人の繋がりを中心としたネットワークが、カンボジア・コミュニティの中心であり続けた。 カンボジア本国の事情が好転すると、本国に帰国して事業を興す人や、あるいは日本とのトランスナショナルな関係の中で生活する人が現れ、こうした人たちの支援で、2010年代に入ると、複数の寺院が建設される。そのための団体などが組織され、ここが、同じく2010代以降急増する研修生のサポートもするようになる。「カンボジア難民」とその家族を中心としたカンボジア・コミュニティは、更なるニューカマーのカンボジア人を巻き込むものへと変化していき、制度化も進んでいくこととなった。 一方、日本国籍を取る人も一定数輩出される。日本国籍を取得した人の多くが中高年の年齢に差し掛かってくると、コミュニティの役割は、やがて自助から自分のアイデンティティを確認し、自分の子どもたちへの文化を継承するためのもの(ノスタルジックな意味も含みつつ)として機能しているようにみられる。 4.結論 日本のカンボジア・コミュニティは、人口規模は小さいながらも、40年の間に多様化し、ある程度の制度化も進んだ。特に2010年代以降の変化が急速で、その役割も急速に多様化している。

報告番号294

公共図書館における公共圏形成の可能性――新宿区立大久保図書館の多文化サービスを事例に
立教大学大学院 宮澤篤史

【1. 目的】  本報告の目的は、公共図書館が多文化サービスの一環で実施するイベントプログラムにおいて生起する参加者および職員のあいだでのコミュニケーションに着目し、公共図書館における公共圏の形成可能性を検討することである。J. Habermasが提示した市民による討議の空間である公共圏概念は近年、図書館情報学研究で援用されるようになった。図書館における多様な利用者間の交流を公共圏概念に依拠して分析が進められるなかで、多文化社会における討議の空間としての図書館の重要性が指摘されている(Aabø et al. 2010)。つまり、これまで公共圏の議論・実態の双方から「排除」されてきたエスニック・マイノリティにも開かれた公共圏のあり方の模索(中村 2014)が、公共図書館という「場」に着目して行われているのである。しかし、公共図書館は公共圏と同様、民主主義社会の発展に向けた重要な役割をもつにもかかわらず、社会学では公共図書館を対象とした研究自体ほとんど行われていない。以上を踏まえ本報告では、新宿区立大久保図書館の多文化サービスを事例に公共図書館における公共圏の形成可能性について実証的に検討する。 【2. 方法】  大久保図書館では多言語資料の提供や「外国人」「日本人」利用者同士の理解・相互交流を促進する活動を積極的に展開してきた。本報告では、同図書館のイベントプログラムのひとつであるビブリオバトル(本の書評大会)の参与観察(2018.10/2019.10)に基づき考察し、補足として図書館長へのインタビューデータ(2018.11/2020.12)も用いる。 【3. 結果】  Habermas(1990=1994)が示した公共圏の3つの要件(討議/公開性/共通の関心事)に沿ってビブリオバトルでのコミュニケーションのありようを考察した。  まず、「討議」に関して、ビブリオバトルでの本の紹介と質疑応答を通して、「外国人」「日本人」利用者が意見を交換しあうようすが観察された。異なる国・地域の生活様式や言語、ジェンダー観の違いや日本社会の差別の存在の指摘など、様々な意見が交わされるようすは討議の実践と捉えられる。  第二に、「公開性」について、大久保図書館ではイベント参加に制限はなく、貸出利用登録範囲外の人も参加可能である。ビブリオバトルには「外国人」参加者も日本語を用いるというルールがあるものの、これはあくまで日本語習得支援を目的としたものである。  第三に、イベント参加者のもつ「共通の関心事」とは、異なる背景をもつ他者を知り、交流することにあった。 【4. 結論】  多文化サービスで理念上目指されている「外国人」「日本人」利用者の参加、および相互交流は、大久保図書館の実践でも同様にみてとれた。よって、国籍・民族といった参加要件を設定しない同図書館ではエスニック・マイノリティにも開かれた公共圏が形成されうることが示唆された。 参考文献 Aabø, S., R. Audunson, & A. Vårheim, 2010, “How Do Public Libraries Function as Meeting Places?” Library and Information Science Research, 32: 16-26. Habermas, J., 1990, Strukturwandel der Öffentlichkeit, Suhrkamp.(細谷貞雄・山田正行訳,1994,『第二版 公共性の構造転換』未來社.) 中村健吾,2014,「境界線を引きなおして他者を迎え入れる」田中紀行・吉田純編『モダニティの変容と公共圏』京都大学学術出版会,97-121.

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