報告番号295
美的消費の美学的分類と数理的研究
同志社大学大学院 井原 悠至
目的 消費者行動論の中でとりわけ消費の感性や美的側面に着目したのが、美的消費あるいは消費の美学(aesthetic consumption)と呼ばれる分野である。当初は芸術や美術品の鑑賞のみが対象とされていたが徐々にその研究領域は広がり、近年では日常生活におけるあらゆる消費がその対象となっている。 美的消費の研究では実験や質問紙調査を行う実証アプローチとインタビューや参与観察を行い画像などの意味を読み取る解釈アプローチで行われることが多い。一方で理論的アプローチで行われているものは少ない。理論的アプローチで行われた研究としては記号論の枠組みから消費による刺激と反応を分類したものや、これまでの美的消費研究を4つのパースペクティブに分類したもの、五段階の情報処理から芸術鑑賞のプロセスを説明したものがあるがそれほど多いとは言えないのが現状である。 そこで本研究では新たな理論的枠組みを作るとともにその数理化を行うことを目的とする。 方法 美的消費の新たな分類として近代美学的な消費と現代美学的な消費に分けることを提案する。近代美学はカントが主張しているように美的であり快をもたらすものを芸術と定義する。一方で現代美学において芸術は必ずしも美的である必要はないが、解釈を必要とする知的なものであるとされる。アーサー・ダントーは現代美学の視点から芸術とは具象化されて意味を持つものであると定義している。また近代美学における芸術は客観的で普遍的な美を持つが、現代美学では解釈が個々人に委ねられることから主観的なものであるとされている。 本研究では美的消費においてもこのような区分が可能であると主張する。近代美学的な消費とは消費者に快をもたらす消費であると定義する。これは一般的な財・サービスの消費を想定している。対して現代美学的な消費は必ずしも消費者に快をもたらすものではなく、思考や解釈を必要とするような消費であると位置付ける。具体的にはミニマリズムやヴィーガニズム、エシカル消費といった消費を想定している。消費においても美学と同じ区分ができるとする理由は芸術が社会のニーズを鋭くとらえるある種の先駆性を持つと考えるからである。 次に群論を用いてこれらの数理化を行った。精神分析の視野を踏まえて主体を三次元球面S3とし対象を一次元ユニタリ群U(1)=S1、また快楽を積s3s1と定義した。 結果・結論 数理的な帰結として近代美学的な消費の快楽を追求した先に、ダントーの定義するような現代美学的な消費に行き着くという含意が得られた。
報告番号296
エッセイとしての映像
京都大学 原田 麻衣
“2010年代に出現したインスタグラムは、生活における映像の使用に変化をもたらす一要因となった。フィルム・カメラが流通してから各個人においてカメラは個人的な記録を残すための装置として機能し、それは多くの人がカメラの内蔵されたスマートフォン等を手にしている現在に至るまで同様である。しかし、インスタグラムをはじめとする写真・動画共有ソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)により、人々は映像を個人の表現手段として使用することが多くなったように思われる。また、もちろんコミュニケーションの一手段であるSNSと、記録し発信するためのウェブログ(ブログ)を混同してはいけないが、それでも現在ブログとともに、ビデオ・ブログ(Vlog)と呼ばれる形態が見られることには注目すべきだろう。要するに、自分を表現する手段としてカメラが使用され、他者に見られることを想定した映像が作られているのである。
カメラによって撮影された映像作品である映画の世界に目を向ければ、映画が個人的なことを表現する新たな手段になると宣言されたときがあった。1946年に発表されたフランスの批評家・映画監督アレクサンドル・アストリュックの論考「新しいアヴァンギャルドの誕生——カメラ万年筆」である。アストリュックの主張は、映画がエッセイや小説のような「自分の妄執を言い表すことのできる」一つの形式となり、したがって映画監督は、作家が万年筆を使って書くように、カメラで書くようになるということだった。そして確かに、フランスではクリス・マルケルに代表される映画監督たちが「エッセイ・フィルム」と呼ばれることになる作品を生み出した。エッセイ・フィルムの定義は極めて広いが、ここでの「エッセイ」は映画批評家のアンドレ・バザンが書いたとおり文学におけるエッセイと同様の意味で使用され、ドキュメンタリー的映像と主観的なコメントとしてのナレーションを使用したマルケルの『シベリアからの手紙』(1958)のような、主観と客観が同時に存在するような作品を指す。そしてその後、エッセイ・フィルムの形態はジャン=リュック・ゴダールやアニエス・ヴェルダなどヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの作品にもみられることになる。
ここで考えてみたいのは、ヌーヴェル・ヴァーグ前後のフランスにおいてなぜこのような映画の形態が出現し、それがその後の社会にどのような影響をもたらしたのかということである。そしてこのような観点は、個人を表現したものとしてのSNSにおける映像あるいはVlogが氾濫する今日において、映画とは何かという根本的な問いに立ち返ることも繋がるだろう。”
報告番号297
「ドキュメンタリー」作品の育て方:映像芸術とその後方支援について――映像芸術とその後方支援について
映像作家 山國 恭子
目的;演者のひとり山國は、修士論文作成のためフィリピン・インデペンデント映画の現状を明らかにするためにマニラのケソンシティにおいて独立系の映像作家を追いかけてiPhoneを使ってドキュメンタリー作品を作った。そのタイトルは”uli-uli-ulit!:intro”(邦題:うずのなか:序)として2019年にYouTube にて公開した(監督:山國恭子:88分:URL: https://www.youtube.com/watch?v=5VvSbXRzfC4)。本報告は、その制作のプロセスのリフレクシブな反省についての記述と、作品制作を支える独立系の映像作家の育成という文化振興手法について論じる。 方法;(1)映像作品を自主制作した山國による映像制作過程に関する「語り」の内容分析と、それを文化人類学者で共同研究者である池田が、他者のオートエスノグラフィーとして表現し、エスノグラフィー手法における実験的手法の解釈を実践する。(2)シネマラヤ財団による若手作品の発掘、補助金交付システムに焦点をあてて「内面を映すドキュメンタリー」作品の育て方、とりわけ、ドキュメンタリー映像の振興においてインデペンデント系の作家の育成という文化施策と、映像を消費する人々に与える社会的影響について考察する。 結果;(1)オートエスノグラフィー(AE)とは、エスノグラファー(=他者を記述する人)の記述対象が他者に向けられるのみならず、自己と他者の関係を内省的に描写し、かつ自己の心の中に生起する状況的記述に向かうモーメントをも内包する。AEがエクリチュール(書記)可能である理由は、自己についての記述が他者の記述の「後に」生起するからである。映像作品の場合、他者を自己の眼のかわりにカメラがそれを代替する。さらに映像記録には書記が被さる場合がある。映像記録のAEもまた最終的にはエクリチュールにより書記されることを待っている。AEにおける映像はそのような記述を可能にする「外部観察者」であることが明らかになった。(2)アカデミーやカンヌなど世界の著名な映画祭とは異なり、マニラの映画祭が、自主独立系の映像作家を支援することへの人々の関心の高さは、制作者も観客も参加度の高いことで説明がつく。シネマラヤとシネマラヤ財団による若手作品の発掘、補助金交付システムに着目した結果、独立系の映像作家の育成という文化振興手法のユニークさが明らかになった。 結論;従来より映画は社会を映す鑑として捉えられ、撮影技法、映像提示技法、作品論、受容理論などの観点からさまざまに分析されてきた。ところがiPhoneなどのスマートメディアの登場により動画撮影が極めて容易になり、インターネットの動画サイトに映像がリアルタイムでアップロードされるようになると、撮影者の眼の延長と視覚表象の共有という従来のメディア論で指摘された特性に加えて、自撮り手法は、撮影者の心の内面を映し出す芸術表象としての機能を持が前面に出るようになった。メディアを容易に扱い、リアルタイムで自分の作品を紡ぎ出すアジアの若者たちの存在は、「内面を映すドキュメンタリー」さの情報論的な豊穣さであり、かつそれが、若者のアイデンティティ形成に影響を与えるために、映像表象を通しての、若者文化の次なる文化創造を予見させる
報告番号298
文芸が照らし出す霊魂の行方――『遠野物語』『遠野物語拾遺』成立背景を読み解く
石川 公彌子
ちょうど10年前の東日本大震災後には、被災地各地で震災犠牲者の霊が遺族等の親しい人びとの前に現れるという現象が多々報告され、「現代の民話」として伝えられた。そこには、単なる「怪談」の枠を超えた支社と生者の交流が見られたのである。そしてそのような出来事は、約100年前に刊行された『遠野物語』にも収録されていた。死者の行方、とりわけその霊魂の行方を見定めることは、死別の悲しみを乗り越えるために必要な過程にほかならないのである。近代化とは合理化であり、霊魂の行方への関心を抱くことはある意味において「前近代的な」営みであるのかもしれない。しかしながら近代において、なぜ人びとの霊魂の行方への関心が高まり、さまざまな文芸が生み出されたのか。本報告では、柳田國男『遠野物語』(1910年)『遠野物語拾遺』(1935年)の成立背景を読み解くことにより、考察したい。柳田の霊魂観は、談話筆記「幽冥談」(1905年)に詳しい。柳田は幽冥界すなわち「あの世」を司るオホクニヌシによる「死後の審判」を主張した国学者・平田篤胤を評価し、このような幽冥観が人びとに道徳をもたらしていると論じている。そして柳田自身も、このような幽冥観を「出来るものならば信じていたいと思います」と述べる。さらに、同論文中で柳田が厳しく批判したのが井上円了である。明治以降の神社神道形成と機を同じくして妖怪論を展開した井上は「迷信」の打破に精力を傾けた「啓蒙思想家」であり、妖怪の存在は人間の「迷心」がもたらした打破されるべきものであると主張し、近代スピリチュアリズムを徹底的に否定していた。第一次世界大戦での大量の戦没者の存在が契機となり、欧米では近代スピリチュアリズムが流行した。この近代スピリチュアリズムを否定的に紹介したのが井上であるが、井上の主張とは異なり、1910年代以降、日本でも近代スピリチュアリズムが肯定的、希望的なものとして受容されていく。その背景には、日露戦争における戦没者の増大がある。個別的な霊が守護霊となって個々の人間を守護するという近代スピリチュアリズムの思潮は従来の幽冥観や民間信仰とも親和的であったからである。日本においては、とりわけ心霊研究が流行した。心霊現象は実験室での再現が困難であるゆえ、文壇では怪談が流行し、怪談会が頻繁に行われた。怪談会の模様は雑誌に取り上げられ、怪談が掲載・刊行された。泉鏡花、小山内薫、鏑木清方らは怪談会の常連であり、怪談に通じる怪奇趣味とロマンティシズムは泉鏡花の作品の根底に流れ続けていた。そしてなにより、怪談会を通じて柳田が出会ったのが水野葉舟と佐々木喜善である。とりわけ、佐々木は土淵村(現在の岩手県遠野市土淵)出身であり、幼少期から佐々木が祖父に聞かされた民話や妖怪譚を怪談会で披露していた。柳田は佐々木の語りから遠野の話だけを意図的に取り上げ、東京その他の話を切り捨てることにより、喜善の話を「怪談」という枠組みを超えた『遠野物語』として成立させ、さらに同一テーマで収集した資料を収録して『遠野物語拾遺』を刊行した。柳田民俗学を生んだのは、戦争がもたらした死の衝撃とそれに対応しようとした民間信仰の存在だったのである。
報告番号299
現代における「音楽と政治」の数理社会学の構想
東北大学 木村 邦博
【1.目的】 「音楽と政治」は社会学の古典的な主題のひとつである。たとえばアドルノとラザーズフェルドは音楽の享受をめぐり対照的な議論を展開した。アドルノは娯楽型聴取者が多数を占める状況でこの種の人々が支配構造に順応していく傾向を指摘した。ラザーズフェルドは音楽聴取者の意思決定と対人ネットワークからの影響に焦点を当て、「影響の2段の流れ」というマスメディア研究・政治社会学理論を提示した。それぞれの議論には民主主義とファシズムに関する思考の違いも色濃く表れている。しかし他方でそこには彼らがアメリカ移住後にラジオリサーチに関わった経験が反映されている。このプロジェクトの背景にはナチスドイツがプロパガンダにラジオ放送を利用した事実があった。 しかしながら、彼らの議論を現代の状況にそのまま適用しようとするのは無理がある。音楽それ自体の変容は言うまでもなく、音楽聴取をとりまく技術革新とそれに伴う社会変動も大きかったからである。本報告ではこの技術革新と社会変動に注目しながら、「音楽と政治」をめぐり今後期待される数理社会学的研究の構想を論じたい。 【2.方法】 技術革新と社会変動の中で特に次の3点を取り上げ、その観点からあるべき研究を論じる。 第1に、音楽聴取の主体と考えられてきた(単一の自己を持つ)個人という単位が自明のものといえなくなった。個人がウェブ上で複数のサービスを利用し、各サービスでも複数のアカウントを持つことさえ一般的になりつつある現在、多元的自己を前提にし、そのような自己が織りなすネットワークを考えることが必要である。 第2に、音楽家と聴取者という役割分業が解体しつつある。多元的自己の中に、音楽を享受する自己と音楽を制作し発信する自己とが併存することもまれではない。これも音楽制作ソフトや動画サイトなど、技術面での革新によるところが大きい。音楽と政治的メッセージとの関連を考える際、メッセージの送り手と受け手という役割分業を想定することも適切でないだろう。 第3に、聴取・享受のタイミングの制約から解放された。これはコンサートやラジオなどが中心の時代から、レコード・CDの時代を経てサブスクリプションの時代へとメディアが変化したことに伴う。タイミングの同期が政治的儀式にとって重要な要素であるならば、これは政治と音楽の関係にも影響を与えているだろう。 【3.結果】 以上の観点からの考察を経て次のような構想に至った。 まず、アイディアの伝播という側面に注目して、ネットワークを考慮した伝播モデルを核にする。既に音楽などの流行を感染症の拡大になぞらえ、疫学モデルを適用する試みはある。しかし感染症であれば病原体を特定して論じているのに対し、これらの試みでは(「ミーム」概念を用いる研究も含め)個人を単位として特定のジャンルや楽曲などの聴取行動のような「症状」の伝播を論じているものも多く、説明の水準がずれている。 様々な楽曲の中に潜む「病原体」を特定する「ウイルス学」や「免疫学」も同時に構想しなければならない。そのためには音楽理論、音楽の美学などと整合的な形でモデルを展開する必要がある。楽曲と政治的主張との関係も、それを踏まえて論じなければならない。 【4.結論】 この構想にもとづく研究により、社会変動の中での「音楽と政治」に関する理解を深めることができるだろう。
報告番号300
分析哲学に「検閲」の文字なし――芸術と社会の係留点に関する社会学的考察
大阪大学 池田 光穂
目的;バウムガルテンやカントでは、各人の美的判断は個人の真正性の反映であり、社会の秩序などとは独立したものであり、美的趣味判断は共同体(社会)が決めるものではなく、個人により判断されるものであった。美的趣味判断の社会集団における差異は、ブルデュ(1979)が明らかにした通りであるが、彼はそのような境界性が維持されるのは「界」を維持しようとする卓越化をめぐる闘争だと説明する。階級に属する個人の資源としての資本の種類で定義される具体的な趣味判断にそれぞれ家族的類似性の差異が存在するだけだからである。ダントーによると芸術とは具象化された意味や思考であり、それは社会をみる遠近法に他ならないという。新しく生まれつつある芸術(=真正性の美的判断)は、それゆえ社会の変容を予見する。問題は、現今の芸術性がどのように維持されているのか、また社会(の価値判断)はいかなるメカニズムを通して芸術の真正性を保証しようとするのかであり、それを論証するのが本報告の目的である。 方法;社会が芸術の真正性に介入する方法には包摂と排除の二つのやり方があり芸術の真正性と非真正性の間の境界維持に象徴的によくあらわれる排除の方法に着目する。芸術の真正性からの包摂と排除には芸術システム内における真贋の鑑定があるが、それよりも現在のポスト真理の時代と社会を揺るがしている、政治的な作品の排除や、猥褻性の検閲に誰が権限を与えているのかということこそが、芸術が社会の変容を予見する典型例である。そのため社会関与芸術(socially engaged art)の実践と社会的コンフリクト、および個人がSNSで発信する表象への政治的「検閲」とその社会的背景について公開された報道やSNSなどの議論を通して明らかにする。 結果;芸術システムの分析と呼ばれる作業を日本では分析哲学の下位領域として位置付けられた分析美学があり検討が進んでいる。ただし管見の及ぶ範囲では、社会関与芸術領域への政治的関与に関する考察はあるが、政治的な作品の公権力や世論による排除や、猥褻性の検閲についての議論が少ない。まるでNHKの日曜美術館でそれらの問題が取り上げられないのと同様に、忌避による排除メカニズムによって議論が回避されている。キム・ウンソンとキム・ソギョンによる少女像をめぐる国際的世論の議論とSNSにおける女児ヌードの検閲を通した排除などにみられるように、多くのデリケートな問題とはジェンダーイッシューと共通するものが多いと判断された。 結論;本報告が明らかした政治的にデリケートな作品の排除や猥褻性の検閲の社会的効果とは、問題になった作品が「もはや/もともと芸術ではない」という判定がなされ、政治と芸術という保護と被保護の政治的関係を意図的ないしは被意図的に忘却を促すものであることが示唆される。このような境界領域における排除メカニズムは、芸術とは何かという中核領域における議論における非政治的な議論を今後とも担保することに貢献することが予測される。すなわち、芸術が社会の変容を予見するという表現は正確ではなく、芸術から排除するメカニズムの様態こそが来るべき社会の未来像を予見するのである。
報告番号301
日本産業社会学の歴史的回顧からみる産業・労働社会学の21世紀的展望
日本学術振興会 園田 薫
【1.目的】 産業・労働にかかわる諸現象を扱う日本の産業・労働社会学は、労働研究に関する他分野の学問と競合・協働しながら、その学知を深めてきた。しかし近年、産業・労働社会学は調査による新しい事実の発見よりも既存事例の再確認や差異の確認に終始し、ほとんどイノベイティブな結果を得られることなく研究が継続される「停滞」「衰退」状態にあるという評価を受けている。そもそも産業・労働社会学は、経済学や経営学など、他分野の労働研究との緊張関係のなかで自らの固有性を模索してきた歴史がある。社会学が労働研究のなかで独自性を発揮し、この停滞・衰退状況から抜け出すためには、社会科学一般、そして社会学内部に対してどのような貢献ができるのかを、これまでの歩みのなかから今一度考えねばならない。 【2.方法】 そこで本報告は、産業社会学という領域を中心とし、その学問的趨勢に関して歴史的な検討を加える。産業社会学は、隣接する領域社会学との関係のなかで誕生し、1980年代まで強い影響力をもっていた。その一方で、日本労働社会学会などのコミュニティをもつ労働社会学と異なり、産業社会学はリサーチ・コミュニティが現在国内外を見回しても存在しないなどの点で、まさに「衰退した」と理解されうる状況にある。いかにして産業・労働社会学が衰退したのか、今後いかに産業・労働社会学を発展させるべきなのかを考察する端緒として、本報告は産業社会学の行ってきた学問的貢献と知識生産の過程を学説史的に検討する。日本で産業社会学がいかに他の社会学領域との関係のなかで拡大・縮小しながら1つの学問領域を形成してきたのかを分析することで、産業・労働社会学の「衰退」を新たな視座から捉え直し、いかに産業・労働にかかわる社会学への関心を集めることができるのかを再考する契機としたい。また日本国内の学問潮流だけでなく、海外の産業・労働にかかわる社会学の動向を参照することで、日本の文脈に限定せずに労働研究における社会学の可能性を模索していく。 【3.結果】 本報告の要点を簡潔にまとめる。産業社会学は既存分野である職業社会学と労働社会学が協働できるように構想され、さらに時代的・世界的な関心を取り込んで研究対象やマクロ的な分析視角を拡充したために、1970年代に日本の労働研究・社会学内部において存在感を示した。しかし、扱う研究対象とアジェンダを広く設定したがゆえに、それらを統括的に理論化することができず、産業社会学は調査至上主義に傾斜する理論のない空虚な実証学問としてみなされた。そして新たな理論的枠組みと視座を備えた産業・労働にかかわる領域社会学の萌芽・発展とともに、産業社会学として扱ってきた広大な実証分野は解体され、個別の領域社会学へと分化していった。 【4.結論】 かつて巨大な看板として機能していた産業社会学を軸として分析することで、社会学における労働研究の分化が、労働研究における社会学としての理論や立場を見えにくくし、産業・労働社会学が衰退しているという認識を惹起している可能性を提示する。この現状を打破するためには、労働現象を分析する社会学としてのアイデンティティと理論枠組みを再構築すること、そして社会学の一般理論との接合を図って理論的空白を埋めることに、「衰退」した産業社会学の歴史的回顧から導出される今日的価値がある。
報告番号302
「企業コミュニティ」における自衛消防隊――日立製作所を事例に
杏林大学 長谷部 弘道
【1.目的】 本報告の目的は、企業内の自衛消防隊に着目し、地域と企業社会との関係における役割の変化を検討することで、産業・労働社会学において十分に検討されてこなかった、「企業コミュニティ」の構成要素の一つとしての消防隊の機能を明らかにすることにある。 企業内の自衛消防隊の機能は、文字通り、第一義的には私企業の工場資産を災害から防衛することにある。ただ、1955年に調査報告書としてまとめられた日本人文科学会『近代鉱工業と地域社会の展開』では、この消防隊について、特に労務管理面での機能について言及がなされている。その機能とは、従業員の福利や生活の安寧に関わる施策を多数展開することによって、従業員の企業への忠誠と地域共同体への忠誠とが重なり合うような体制を構築し、従業員間における秩序を形成するというものであった。言い換えれば、企業への反抗が、そのまま地域共同体からの排除へとつながるような体制づくりに、消防隊が寄与していたことを意味するものであり、従業員の反抗に際して消防隊は、真っ先に体制の側に立って騒擾鎮圧に貢献することが期待されていた。 該当箇所の執筆を担当した松島静雄は、後に『労務管理の日本的特質と変遷』において、改めてこの消防隊とその機能について言及し、それが企業共同体の規範的性質と結びついた労務管理的性質をもつ施策であることを示したうえで、それが単なる企業側の温情主義ということではなく、むしろ緻密に計算された合理的施策であったことを指摘している。 ところが、その後展開されることとなる日立を対象とした労使関係研究群においても、あるいは企業コミュニティをめぐる社会学的研究においても、こうした企業内自衛消防組織の機能については、議論の俎上に上がってくることはなかった。また、消防というトピックに関する地域コミュニティをめぐる社会学的研究、特に地域消防団と消防行政との関連を歴史的観点から分析する研究群においても、企業組織の内側に存在する自衛消防隊に対しては光が当てられてこなかった。文字通り、企業内の消防隊の存在は、長年にわたり等閑視されてきたのである。 【2.方法】 本報告では、日立製作所の自衛消防隊について、茨城県に立地する各事業所の工場史、および工場幹部追悼文集などに収録された消防隊経験者の回想録を整理し、その機能の変遷をたどるとともに、それらが地域との関わりや経営環境の変化のなかで、どのような機能をもつ存在へと変化したのかを歴史的観点から検討した。 【3.結果】 日立製作所では、1918年7月15日に独立消防隊が結成されて以降、各事業所に消防隊が編成され、今日に至っている。史料整理と分析から、同社の自衛消防隊が経営陣によって設立されるに至った歴史的経緯と、そしてそれらがやがて企業内で定着し、本来の「工場資産の防衛」という機能に加え、先行研究で示された労使関係の補強機能のほか、企業の共同体性を下支えする様々な機能が運営者側によって期待されるようになっていった事実が確認された。 【4.結論】 日立製作所の自衛消防隊は、工場内の規律構築機能、従業員教育機能、地域社会への貢献機能、従業員間のインフォーマルネットワーク形成機能という4つの機能を有し、これらを通じて、企業コミュニティを下支えする存在であることが明らかとなった。
報告番号303
尾高邦雄の職業社会学構想の再検討――脱-労働中心主義の試み
立命館大学 武岡 暢
1. 目的 本報告の目的は、今日の社会学に対して「職業」概念が有する可能性を検討することである。 20世紀後半の日本における労働社会学、産業社会学は、(1)「(大)企業」の(2)「雇用労働」に、その主要な関心を集中させてきた。労働組合や日本的雇用慣行を主題として取り上げるそうした動向は、しかし時代の変化への対応を余儀なくされる。1990年代ごろから社会現象として一般化した「フリーター」や非正規雇用の増大といった趨勢により、日本的雇用慣行の集中的な主題化は容易に自明視されるものではもはやなくなったのである。 さかのぼれば、日本的雇用慣行への注目自体が、戦後日本社会の趨勢をその根拠としていた。であるとすれば、21世紀に入りフリーターや非正規雇用を「多様な働き方」として新たに対象に取り上げる、といった方向性の解決に疑いが生じる。新しい現象を後追い的に主題化する、その繰り返しが学のプログラムとして妥当であろうか。 本報告ではこうした繰り返しを脱け出し、学知に累積性をもたらす方途として「職業」概念が有する可能性について検討する。 2. 方法 職業概念の検討に当たって本報告で素材とするのは尾高邦雄の職業社会学構想である。日本社会学史において職業について最も集中的に探究したのは尾高であった。1941年の著書『職業社会学』では当時の職業研究の主流であった心理学や職業統計のアプローチのみならず、ヴェーバーやデュルケム、ジンメルらの職業論の批判的綜合が試みられている。 3. 結果 まず職業社会学構想に関して確認されなければならないのは、それがその後の尾高によって実質的には放棄されていくアイディアだという点である。尾高自身や後の産業社会学者は必ずしもその軌跡を「放棄」と見なしてはいないが、本報告では職業社会学構想のうちで重要な理念的(ユートピア的)側面や、その理念的性質を有するがゆえの経験的調査研究に対してもつ可能性が、のちに十分には展開されなかったという見方を取る。尾高が選んだのは別の道であった。 尾高が実際に辿った軌跡と、当初の職業社会学が有していた可能性との分岐点として注目されるのが、1940年代に尾高が携わったフィールド調査である。尾高が後年の回想において強い思い入れとともに振り返るこの調査は、しかしすでに同時代に構想されていた職業社会学とはいささかずれた内実を有していた。このずれは職業社会学構想自体のなかにも胚胎されていたものであることに加えて、後に尾高が取り組んでいく産業社会学、労働社会学の実践への予兆でもあった。 4. 結論 このずれを本報告ではヴェーバー召命論の誤った焦点化として捉える。その誤った焦点化によって失われてしまったのは職業社会学構想のなかで本来であればヴェーバーから引き出されることが可能であった含意や、デュルケム、ジンメルらの職業論との創造的な統合のかたちであった。ヴェーバー研究者のあいだで悪名高い尾高のヴェーバー理解は、職業社会学構想の矮小化の重要な契機でもあったのだと言える。本報告では、労働中心主義の広範な影響力から脱出するために、尾高の職業社会学構想再生が有する意義を結論として示唆する。
報告番号304
労働者を通して社会を記述すること――マイケル・ブラウォイの同意生産論再考
長野大学 松永 伸太朗
【1.目的】 本報告では、アメリカの労働社会学者マイケル・ブラウォイが提唱した資本主義的労働過程への「同意」(Burawoy 1979)に着目する議論を取り上げ、職場や労働過程の記述に焦点を置く労働社会学がいかなる仕方で社会を記述しうるのかについて議論する。 労働社会学は、伝統的に労働者意識がもつ封建性・革新性を質的調査法を用いて取り出すという志向をもっていた(松島 1951)。こうした作業は労働者意識から全体社会を捉えるという形で社会学的視点を担保していた。しかし労働者意識に焦点を当てる労働社会学研究の動向は、一見不利な条件を受容する労働者を「特殊な労働者」として扱い、そうした労働者が持つ動機や志向を記述することに留まっているようにも思われる。こうした問題意識のもと、個別の労働者を論じながら社会を記述するとはいかなることなのかについて再考し、労働社会学の社会学的基盤はいかなることかを議論したい。 【2.方法】 ブラウォイの労働過程論についての理論的検討を行う。とくに、一見すると職場における労働者の実践を詳細に描くことに終始しているようにみえる労働過程論において、ブラウォイが「同意」を鍵概念とすることでいかなる意味で労働現場の記述を社会の記述として扱っていたのかに焦点を当てる。 【3.結果】 人類学的方法を参照しつつ自らの労働現場のフィールドワークから得られた知見を考察していたブラウォイは、常に労働現場における相互行為を描くことなどが、いかなる意味で資本主義やポストコロニアニズムといった全体社会的な問題と関連するのかについての理論的な洞察を備えていた。 ブラウォイの「同意」概念は、資本主義的労働過程がもたらす搾取を問題視しないことを指すが、ブラウォイの主眼はそれを告発することではなく、理論的には問題視されてもおかしくない搾取に対して労働者がいかなる論理で問題化しないのかを経験的に解き明かすことにあった。そこでブラウォイは「メイクアウト」という、職場に存在する規則をうまく利用して労働者が自らの関心を満たす実践を参与観察から発見する。このメイクアウトの実際は労働者がひまな日にこっそり作り置きをしておいて忙しい日にそれをあたかもその日に作ったかのように提出するといった一見トリヴィアルなものだが、これこそが資本主義的労働過程を支えている実践だとブラウォイは位置付け、メイクアウトと資本主義の再生産を結びつける形で社会の記述として扱っていた。 【4.結論】 こうした規則と実践の関係、そしてそれらがもつ全体社会との結びつきを捉えようとするブラウォイの視点は、労働社会学の社会学としての基盤を捉えるうえで有力な見方を示している。こうした視点に立つことで、個別の労働者を論じながら社会学的記述を行うことが可能になる。同意の議論においては資本主義の再生産をブラウォイは主題としていたが、より多様な理論的問題と労働現場の規則と実践の関係を捉えていくことによって、ブラウォイの議論はより広範な展開可能性を有している。 参考文献 Burawoy, Michael, 1979, Manufacturing consent. Changes in the labor process under monopoly capitalism. London: University of Chicago Press. 松島静雄,1951,『労働社会学序説』福村書店.
報告番号305
境界としての猫、再び ――ポストヒューマン社会学、プレヒューマン社会学、間の社会学
学習院大学 遠藤 薫
1.目的 東日本大震災・原発事故、そしてまさに現在社会を脅かしているコロナ禍は、動物たちと人間の関係を揺るがしている。前者は、物理的潜勢力によって野生と人工との空間的分割に亀裂を入れた。三陸の切り立った山腹に散乱する壊れた小さな鳥居たち、原発事故によって立ち入り禁止となった市街を侵食する植物、動物たち。一方後者は、人獣共通感染症が引き起こしたパンデミックであり、まさに人間関係、社会関係を内側から突き崩す生体的潜勢力といえる。近年、”Domestication”が注目されている。それはまさに、主に人為的になされてきた、人間と人間以外の生命種の外部化と内部化の過程であった。本論は猫を核として、311以後、COVID-19以後における人間-人間以外の関係構造の捉え直しを行おうとする。 2.方法 野生と人工との境界について考えるとき、猫はまさにうってつけである。日常に最も深く関わっている動物種といえば、犬と猫であろう。だが「犬を飼う」に比べて、「猫を飼う」という言い回しにはぎこちなさがつきまとう。私たちが猫を飼っているのか。猫が私たちを飼っているのか。一度でも猫を飼ったことがれば、誰もそのような疑問を感じるはずである。実際、猫のDomesticationは、人為選択よりも自己家畜化によっており、しかも現在も猫は家畜化以前の特性を保持している。猫を巡る社会学、民俗学、人類学、現代思想における多様な「動物論」を射程に入れつつ、特にコロナ後の人間と社会、環境の問題に新たな光を当てる。 3.結果 コロナ下でペット需要が増加する一方、飼育放棄も増加し、結果として野良猫が増えたとの報告もある。さらに路上の猫をケアしたり、コントロールしたりする活動も、猫たちに餌を与える観光客も激減した。その結果、猫たちは、まさに人間たちの領分のど真ん中で、再野生化しつつある。これは日本だけではなく、世界で起きている。ポストヒューマンへ向けてか、プレヒューマンに向かってか、地球は回っていく。 4.結論 Domesticationによって人間は安定的な食料供給源を手に入れ、定住化し、人口は増大した。「文明」と呼ばれる、人間中心の世界編制が展開していった。その動きは人新世〜大加速と呼ばれる、現在に至る年代において極大化し、いままさに、その転換期を迎えている。この大きな変容の中で、われわれは改めて、〈猫の目〉から見る世界像をも検討する必要があるだろう。 【関連文献】 Derrida, Jacques, 2006, L’ANIMAL QUE DONC JE SUIS, Editions Galilee, Paris.(鵜飼哲訳,2014,『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』筑摩書房) 遠藤薫 2015 「招き猫とは何か−−近世都市伝説と始原神,およびその現代的意義」文化資源学会研究大会報告 遠藤薫,2017,「近世の都市―農村の文化的交差――〈近代〉を準備した江戸の猫ブーム」『学習院大学法学会雑誌』第53巻1号(2017年9月) 遠藤薫 2018 「幕末から維新期における社会変動と大衆の無意識−−招き猫と化け猫」『学習院大学法学会雑誌』54−1号 遠藤薫 2019 「猫神の迷宮−始原伝説と動物信仰の交錯と循環」『学習院大学法学会雑誌』55−1号 遠藤薫,2020,「〈猫聖地〉の地政学的考察」『学習院大学法学会雑誌』第55巻2号 Francis, Richard C., 2015, DOMESTICATED: Evolution in a Man-Made World. (西尾香苗訳,2019,『家畜化という進化』白楊社)
報告番号306
ペット共生社会論に基づいた猫社会学の方法論的視座
大谷大学 徳田 剛
【1.目的】 本報告では、テーマセッションのテーマである猫社会学のスタンスを考える上での理論的源泉の1つとしての「ペット共生社会論」の視点を概説する。なお、「ペット共生社会論」については、過去2回の大会のテーマセッションにおいて取り上げられており、そこでのディスカッションの成果についても適宜参照する。 【2.方法】 ペット共生社会論とは、ペット(飼育・愛玩動物)をめぐる様々な社会問題を動物に関わる多様なアクターの関係やネットワークとして捉えることで、人々の集まりやつながりを主に取り扱う社会学の視座(とりわけ広義の多文化共生社会論)に接続しようとするスタンスを指すものとして報告者は位置づけている。このアプローチでは、「ヒトと動物の関係」を「ヒトとヒトの関係」に置き換えて諸事象を分析・考察し、ペット飼育者と非-飼育者、愛好家と非-愛好家、そして動物にかかる諸課題にコミットする個人や団体などの諸アクターの設定とそれらの関係性を主要な考察対象とするものである。 【3.結果】 本テーマセッションのテーマである猫社会学をこのペット共生社会論と接続させるにあたっては、アクターとしての猫飼い(猫飼育者)の特徴についても押さえておく必要がある。犬の散歩の習慣や狂犬病の予防接種の義務などにより比較的外部者との接触が多く可視的なライフスタイルを持つ犬飼い(犬飼育者)と比較すると、登録制度を持たず室内飼育で完結することの多い猫の飼育においては、他者や何らかの組織・集団との接点が生じにくく、問題ある飼育状況や生活課題の発見・解決が遅れがちになる、といった特徴が見て取れる。 【4.結論】 以上の考察により、現代社会におけるペットの飼育においては、多様なアクターの関係形成や協働とそれによる諸課題の共有や取組みが重要と考えられるが、その際には、単に「ペットを飼育しているか否か」というだけでなく、「どのようなペットを飼育しているか」という点に付随する、ペット飼育者の特性の「違い」にも着目する必要がある。本セッションのテーマにしたがって猫の飼育に特化して論ずるならば、猫の飼育に付随するライフスタイルの特徴や生活ニーズについて周知・共有することとともに、社会関係が希薄になりがちな猫飼いの人たちにとっての社会的プラットフォームの創出や問題発見のための契機をいかに作り出すか、といった課題がとりわけ重要になってくると思われる。他者とのつながりやまなざしを意識することは、問題が生じた場合の社会的解決に道を開くと同時に、飼育にあたってのモラル向上にも資すると考えられるからである。
報告番号307
老いる猫/看取るシステム――猫高齢社会における「看取りへの対応の充実」の検討
ヤマザキ動物看護大学 新島 典子
本報告は、人も猫も高齢化の進む社会において、猫の看取り介護を充実させ、飼い主の重篤なペットロス予防の方途を探る試論である。現代日本の高齢化現象は、人に限ったことではない。猫もまた、獣医療の進歩や飼育様式の変容、栄養価の高いペットフードの改良などにより長寿化が進み、多くの飼い主から家族同様の存在とみなされ、長期に及ぶ終末期ケアへのニーズが生じている。しかし人と猫とでは、社会における看取り介護支援のあり方に大きな違いがある。 人の場合、介護離職や老々介護という言葉に象徴される家族の介護負担増は深刻な問題として認識され、各種の対策が講じられてきた。介護は先が見えず、専門知識も無く仕事や家庭と両立しながら介護を担う家族には、心身の負担が大きい。そこで少なくとも介護者の負担感や孤独感を軽減するため、公的介護保険制度や地域包括ケアシステムが構築され、ケアマネジャーも担当についてくれる。団塊世代が後期高齢者となる2025年には都市部の病床が逼迫し、病院外での看取りのさらなる増加が想定されることから、令和3(2021)年4月施行の介護報酬改定では「看取りへの対応の充実」を目的に介護加算が図られた。実際には介護財源には限りがあることから、必要十分な負担軽減には至らぬものの、家庭内で行う介護に対して他者が介入する公的支援システムが国によって備えられ、このように頻回改訂されている。 ところが猫の場合には、そうした公的支援システムは存在せず、家庭内で行う猫の介護に他者が介入するしくみは、原則存在していない。かかりつけの動物病院がなければ気にかけてくれる専門家もいない。散歩の習慣がある犬の飼い主なら近所に犬友達も作りやすく、困ったときには支え合える。しかし室内飼いの猫飼い主の場合、SNS上ではつながる仲間がいても、現実に頼れる近所の猫友達はさほど多くはないだろう。もちろん、飼い猫が終末期を迎え他界することで飼い主の世帯収入が減るとか生活が破綻する心配などはない。しかし猫の看取り介護は在宅で行うケースが大半で、その負担感は周囲の他者には伝わりにくい。飼い主本人よりも若く弱く小さい飼い猫の看取りには、逆縁的な辛さも加わり、飼い主へのダメージは心身両面で大きい。終末期ケアや看取りの方針決定に際しても、人の場合とは異なり猫の場合には法規制が無く、治療中断も安楽死も飼い主が容易に選べる。猫には意思表示ができぬため、飼い主が自由に方針を決められる分、迷いも後悔も残りやすい。 さらに、散歩のいらない猫は犬より世話が少なく飼いやすいと言われがちであること、犬より入手経路が多い猫は飼育開始へのハードルが低いことから、猫の飼い主には単身者や高齢者も多い。また介護が長期化すると猫飼い主は孤立しがちで、喪失後の悲嘆が長く深く続く例も多いことから、猫に特化した議論の必要性が感じられる。 そこで本報告では、猫高齢社会における猫の看取り対応の充実に向けて、老猫ホームやペット信託など、飼い主が老いる猫を看取るプロセスを外から支え、飼い主の心身の負担を軽減しうる他者の介在事例を挙げ、猫高齢社会における飼い主支援システムを検討しながら、猫社会学の可能性を探りたい。
報告番号308
田代島をめぐる移動と「あてがわれる猫」
東京国際大学 柄本 三代子
1.目的 なにもわざわざ島へ移動しなくても猫はそこらへんにいる。一万年も前から人間と生活をともにしてきたもっとも身近な非ヒトである猫をみるために、わざわざ猫島と称する場へ移動する所業は何に由来するのか。島へ移住した人も巻き込みつつ猫島という再発見がなされ、船に乗って観光客が訪れ島内の観光ルートを歩く。いずれにせよモバイル・フォンが携帯され、加工が施された猫の画像や動画がデジタル状に複製され拡散し、それをみた誰かがまた船にのる。このような相異なる移動の交錯において、もっとも身近な非ヒト(=猫)がいかに人間の行為を規定しているのか、猫島のひとつとされる宮城県石巻市の田代島を中心に考察する。石巻沿岸部かつ人口約40人の田代島をフィールドにするという時点で社会学的には「高齢化」「過疎」「限界集落」「被災地」「復興」「コミュニティ」といった分析枠組みによる検討が期待されるだろう。しかしここでは「猫のもたらす移動」という切り口から考察をすすめ、人間の行為と生活を規定し構成する非ヒト(=猫)、移動、テクノロジーにまず着目することで新たな着眼点を付加することを目的とする。 2.方法 田代島に関する歴史的および学術的調査資料の収集、定住者や観光客に対する島内外での聞き取り調査を含むフィールドワークをおこなった。観光客およびそれ以外の人びとや猫の様子や動きもまた重要な考察の対象となる。SNSやYouTubeを含む(とりわけデジタル・)メディアで、あるいはモノとして、猫がどのように表象されるのかについても検討をおこなった。 3.結果 一日三往復するフェリーであるが、15時半に最終便が島を離れると翌朝9時半の到着まで島は閉ざされる。観光客だけでなく、釣り人、工事作業員、船員、定住者、商人も乗り込む。島へと移動する目的は、服装や持ち物、会話、フェリーに乗り込む時の所作や船内での過ごし方などに具現される。その人にとって猫が何であるか、乗船の時点ですでに決定している。港に到着すると観光客にはさっそく猫のイラストがあてがわれる。観光客に「あてがわれる猫」は、見たいように見たい猫を欲するまなざしの先にあてがわれる猫のことである。いっぽうで島に「いる猫」は、「親猫が子猫を食べることもあり、顔が半分しかない死んだ猫」や「死んだらそこらへんに埋められる猫」(島の住人の語り)だったりもするが、観光客はそんな猫など期待していない。 4.結論 「いる猫」と「あてがわれる猫」とは排他的存在ではない。「いる猫」が、モノやヒトの移動によって「あてがわれる猫」へと変容する。猫島をめぐる移動の交錯を詳細に記述することで、その場その瞬間でひとつの島をめぐるさまざまな人びとの関係をどのように猫が規定しているのかを明らかにする。 文献 山根明弘(2014)『ねこの秘密』文藝春秋、ジョン・アーリ(2007=2015)『モビリティーズ』作品社.
報告番号309
描かれた猫――新聞漫画に注目して
花園大学 秦 美香子
【1.目的】 井上(2016)によれば、ペットを家族の一員とみなして飼育する態度が一般化し始めた時期は、1990年代の終わりから2000年代の初め頃である。また新聞紙上では1960年代後半から「ペットブーム」が注目されるようになり、亡くなったペットを人間のように弔う人々についての記事などが見られる。 新聞漫画の中には、上記の言説に先立ってペットを愛する人々の姿を描く例がある。『夕刊フクニチ』や『朝日新聞』に連載された長谷川町子『サザエさん』には、テレビアニメ版の猫(タマ)のような家族の一員とみなされる猫は登場しないものの、人間に寄り添う、あるいは人間が強い愛情を傾ける対象としての猫が描かれる。そこで本報告では『サザエさん』に描かれる猫を分析し、その描写の変化が社会のペット認識や動物愛護をめぐる意識向上とどう連動しているかを考察する。 【2.方法】 本報告では、『サザエさん』文庫版(長谷川町子、1994、朝日新聞社刊、全45巻)を用いて、全コマの中で猫がどのように描かれているか(人間にどのように扱われているか、猫はどこに視線を向け、どのような姿勢をしているか)を分析する。 本報告では、新聞漫画から読み取ることができる猫観を、作者の個人的な認識と社会で一定程度共有された認識の交わりあったものとして考察する。猫を作品に取り上げる頻度や、その描き方は、作者自身の猫観に大きく左右されるものの、『サザエさん』の猫描写には作品が発表された時代に合わせて変化している部分も見られるためである。とくに新聞漫画では、作品が発表される社会の関心の傾向が勘案されて内容が決定されることも考えられ、表現内容が単に作者個人の感覚のみに基づくとは言い難い。 【3.結果】 分析の結果、とくに連載初期には、猫の描かれ方は(1)(家や魚屋から魚を取って逃げる)泥棒、(2)人を見つめる存在、という2種類に大別できた。とくに(2)については、人のそばに座り、人の暮らしを見守るような視線や姿勢が、作品内容とはほとんど関係なく描かれる例が多かった。そのような猫に対して人の側はしばしば無関心であり、猫は人を一方的に見上げる存在であった。ところが1950年代後半になると、そのような描かれ方は徐々に見られなくなる一方で、猫を愛し、大事なペットとしてかわいがる人物像が描かれるようになる。 猫の表象が変化した1950年代後半頃の作品には、「動物愛護」という文言も登場するようになる。猫のしっぽを紐で縛るといった行為の描写も、この頃以降は姿を消す。動物愛護週間が始まった時期や、とくに新聞紙上で動物愛護が報じられるようになった時期とは一致しないものの、動物に対する道徳観が変化したことが作中での表象の変化にも影響しているのではないかと推測する。 【4.結論】 「人間を見る猫」という関係が「猫を見る人間」という関係に変化した点は、ペットをめぐる意識の変化やペットの「家族化」の萌芽を象徴していることが考えられる。新聞記事本文でペット観の変化が報道されるよりも早く、漫画記事にペット観の変化が暗示されているのではないか。 井上俊、2016「ペットロス――親の死より悲しい」井上俊・永井良和編著『今どきコトバ事情』ミネルヴァ書房、94-97.
報告番号310
「推し」活動としての猫愛好
立命館大学 宮本 直美
[問題意識・目的] 猫ブームと言われるようになって久しい。2017年にはペット飼育数で猫が犬を上回っただけではなく、その数年前からこのブームの勢いを指して「ネコノミクス」という言葉がメディアに頻出するようになった。実際、その経済効果の範囲は幅広く、猫飼育用の直接的なグッズにとどまらず、様々な猫グッズが販売され、本来猫には無関係のファッション雑誌や大衆誌が猫特集を組んで売り上げ部数を伸ばし、猫愛好家のための専門誌も生まれた。日本各地に看板猫や猫の名所が知られるようになると、猫ツーリズムが登場し、猫ツアーが企画され、また旅行専門誌が猫を特集するようにもなった。猫を扱ったドラマや映画、ゲームやアニメもヒットし、猫に無関係なテレビCMや番組にもさりげなく猫を映す例も増加した。今や「猫を出しておけば売れる」とでも言わんばかりである。 このように、今やペットとしてだけではなく、様々な消費の場に猫が登場している。本報告は、猫の経済効果ではなく、その受容の広がりにより、猫とそれを愛好する人間との関わりがどのように変化してきているかを考察するものである。 [方法] 報告者が注目するのは昨今のSNSに見られる猫受容の特徴である。各種SNSに挙げられる猫好きの振る舞いは、エンターテインメントの世界で最近「オタク」に代わって使用されるようになった「推し」に対するそれとかなり近似していると思われる。すなわち、アイドルや俳優、アニメのキャラクター等のファン活動の一形態である。ここでは、様々なサブカルチャーにおける「推し」活動の実例と比較することによって、現在の広範な猫受容を「推し」活として分析する。 [結果] 現在の猫人気という現象は、単にペットとして実在する猫に関わる範囲で捉えきれるものではなく、ある種の型としてパターン化・キャラクター化された猫イメージや猫愛好家の姿にも波及しており、それは猫と人間の関係性にも影響を与えている。猫愛好のパターンとして見られるのは、たとえば「献身」「崇拝」「下僕精神」「保護者精神」といったものであるが、これらは「推し」への一般的スタンスと重なる特徴であり、また他のペット愛好とは異なる側面でもある。そこには実体としての猫を飼育しながら愛好する次元と同時に、猫をキャラクター化して受容する次元を見出すこともできる。ここで言うキャラクターとはアニメ風に視覚的にアイコン化するということではなく、概念的なものである――それはオタクが推しの人物像を自分の勝手なフィルターで作り上げることと同様である。実体でありながらキャラクター化した猫と人間(しばしば下僕という位置づけ)の関係は、以前から存在していたものではあるが、SNSの発信によって改めて可視化され、創造され続け、それがまた猫愛好家同士のコミュニケーション形態をも規定するようになっている。 [結論] 最近のオタク活動あるいは推し活が一つのライフスタイルとして捉えられるように、猫を対象にした推し活動もまた、人間のライフスタイルやコミュニケーションのあり方、ネットワーク形成といった様々な局面に作用している。ネコノミクスの広がりも、こうしたコミュニケーション形態が寄与していると考えられる。
報告番号311
世界関係性の社会学とポスト・ヒューマン社会における猫社会学――ハルトムート・ローザにおける加速する社会と脱加速の孤島
東京大学 出口 剛司
【1. 目的】 本報告の目的は「ポスト・ヒューマン社会」の到来が指摘されるなか、主体と世界との関係を「世界関係性の社会学(Soziologie der Weltbeziehung)」という観点から捉え返すハルトムート・ローザ(Hartmut Rosa)の批判理論を援用しつつ、文明と自然が交錯する社会学の新しい形態として「ねこ社会学」を位置づける。ローザは、『加速(Beschleunigung)』『共鳴(Resonanz)』等の著作で知られる社会学者であり、本報告は、ローザの批判理論をねことひととの共鳴(Resonanz)の関係性に応用することにより、近年のねこブームの意味とそこに見る社会病理について明らかにする。 【2. 方法】 フランクフルト学派批判理論の伝統は、「理性による自然支配」という命題の下、現代社会の諸現象を文明史的視座においてとらえる点にある。こうした歴史哲学的命題は、社会理論の地平においては、歪められた合理性が生み出す社会病理として翻訳され、戦前戦後における反ユダヤ主義批判、戦後の豊かな社会における文化産業論を経て、ネオ・リベラリズム体制化における組織化された自己実現批判へと連なっている。フランクフルト学派理論の意義は、こうした近代及び後期近代における現実的社会現象の意味をつねに理性(ヒューマン)と自然(ポスト・ヒューマン)との関係性から把握し、それらを文明社会総体の基本原理と関連づけつつ明らかにする点にある。 報告ではまず、「理性による自然支配」という命題を、ローザがどのように継承し、発展させたかを明らかにする。さらに人とねことの関係を「主体と主体」あるいは「主体と客体」以前の「世界関係性」の水準から捉えなおす。こうしたひととねこにおける世界関係性の特徴を明確にするために、シンボリック相互作用論におけるシンボル(言語)を用いたコミュニケーションの理論を援用し、言語的コミュニケーションとの差異を通して、ねことひととの関係性の諸様態(さまざまな共鳴関係)を具体的に明らかにする。 【3. 結果及び(暫定的)結論】 本報告の理論的考察より、現代社会におけるねことひととの関係性の場は、ローザの言う脱加速の孤島(Entschleunigungsinseln)と捉えることが可能となる。ローザによれば、こうした脱加速の孤島は、加速社会における超高速静止(rasender Stillstand)ならびに社会の基本原理である加速により生じるオアシスであり、それ自体加速する社会の産物である。さらにそうした場で生成するねことひととの多様な関係性は、共鳴理論を通して詳細に記述可能となる。 現在、ポスト・コロナ、ウィズ・コロナにおける新しい生活様式に注目が集まっているが、そうした生活様式の主要原理の一つがギデンズのいう時間と空間の分離であり、そこから帰結する社会の超加速化である。本報告におけるねことひとの関係性をとおして、現代社会の特徴と人間とポスト・ヒューマン的存在がおりなす関係性を記述する新たな枠組みが提案される。 【参考文献】 Hartmut Rosa, 2005, Beschleunigung: Die Veränderung der Zeitstrukturen in der Moderne, Suhrkamp. ――――, 2019, Resonanz: Eine Soziologie der Weltbeziehung, Suhrkamp. Janet M. Alger & Steve F. Alger, 1997, Beyond Mead: Symbolic Interaction between Humans and Felines, In: Society and Animals. vol. 5, Number 1.
報告番号312
定性的社会科学における歴史と因果関係にかんする方法論的一検討
東京大学大学院 西田 尚輝
1.目的 歴史的事象を扱う社会科学的研究は、因果関係の問題にいかに取り組んでいるのだろうか。本報告は、(a)対象を歴史的に定義し、(b)説明的アプローチ(「なぜ?」の問い)によって、(c)対象の特性を超えた意義を導出しようとする研究群に焦点を合わせ、それらが用いる因果探究の方法をマッピングする。 2.方法 まず、1980年代から現在にいたる理論と方法の発展史を整理し、現在、歴史的社会科学が直面している課題として、「マクロな構造とミクロなアクターの相互作用の具体化」があることを確認する。そして、この課題に対する有力な方法の1つとして、近年提唱された「発生学的アプローチ(Genetic approach)」を検討する。 3.結果 1980-90年代、B.ムーア、T.スコチポルらの比較歴史社会学(Comparative and Historical Sociology)は、比較の視座から、大規模な要因でマクロな社会変動(独裁と民主主義、革命、社会政策)を説明することを試みた。その後、P.ピアソンは、時間にかんする考察を深化させるなかで制度の経路依存性(path dependency)という概念を導入し、ここで歴史的制度論(Historical Institutionalism)のコアが完成した。2000年代、J.ハッカーらの批判を受け、ピアソンとK.テーレンはコアに制度の漸進変化を組み込んだ。2010年代になると、比較歴史分析(Comparative Historical Analysis)の名のもと理論的・方法論的議論が深められていくなかで、制度だけでなくアクターの重要性が再認識された。J.マホニー、G.カポッチャらは、マクロな構造における不確実性の局面で、アクターの選択やエージェンシーがいかに制度を変化させうるかを検討し、A.ベネットらは、アクター・ベースのよりミクロな過程追跡(process tracing)によって、原因が結果に影響を及ぼす具体的メカニズムを分析することを提唱している。こうして現在、マクロな実体間のつながりを、アクターとその相互作用の議論、つまりミクロな議論によっていかに説明するかが課題として浮上している。近年提唱された「発生学的アプローチ」は、この課題に応えるものである。この説明的アプローチは、「なぜ?」という問いに、「どのように?」という問いを通じて答える。研究者は、説明したい結果の「起源」に立ち戻り、ミクロな視点から生成過程を精密かつ鮮明に特定することが目指される。 4.結論 現在、歴史的事象を扱う社会科学的研究において浮上している、マクロな実体間のつながりをミクロな議論で説明するという課題に対し、「発生学的アプローチ」は有効な手段である。
報告番号313
統計史における統治性論の射程――「リベラリズムの統治」の社会学的分析にむけて
明治学院大学 生間 元基
1 目的 この報告の目的は、ミシェル・フーコーによる「リベラリズムの統治」の議論を検討しながら、統計知の歴史を社会学的に分析する上で有効な視座を提示することである。 一九八〇年代の「確率革命」論(Krüger et al eds. 1987)の成果を受け継ぎながら、統計の知識史、社会史、あるいは歴史社会学などと呼べるような研究が、これまで様々に蓄積されてきた。そうした諸研究の着想源として、無視できない影響を陰に陽に与えているのが、フーコーの統治性論である(Foucault 2004a, 2004b)。他分野の研究者が統計史に関心を寄せてきたのも、イアン・ハッキングや重田園江らが、統計史のトピックを統治性論に引きつけて整理・紹介したことによるところが大きい(Hacking 1990, 重田 2003)。 その反面、フーコーを介することで見通しが悪くなっている部分もある。フーコー自身の統治性論は経済学とその前身(富の分析、政治経済学など)を主な分析対象としており、統計学とその前身(政治算術、国情論、十九世紀の道徳統計学など)にはあまり触れていないためである。それゆえ、分析の焦点を統計知の歴史に移した際に、フーコーの統治性論がいかなる効能や限界をもつのかは、改めて検討されねばならない。 2 方法 統計史の一次資料(過去の統計学者が書いた文献など)および二次文献を参照しながら、フーコーの統治性論に理論的な反省を加える。 3 結果 フーコーの統治性論の中で、統計知の歴史を分析する際に有効なのは「リベラリズムの統治」という見方である。「リベラリズムの統治」とは、大まかに言えば、個々人を自由に振る舞わせながらマスとしての人口集団を制御するような種々の統治技法を指す。社会学者がフーコーから引き継ぎうる課題は、こうした統治技法の背後にある社会理論のバリエーションを剔出することである。統計学史やその前史を彩る諸々の理論たちは、かかる課題にとって好適な資料群と言える。 4 結論 歴史上の統計学者たちが提示してきた社会理論には種差がある。例えば、いかなる因果連関を想定するかが異なる。その因果連関の中のどの要素を可変項と見なし、どの要素を不変項と見なすのかも異なる。それと関連して、因果連関の中のどの要素に政策的に介入し、どの要素に介入しないのかも変わってくる。言い換えれば、何を「自由」にしておくのかが変わってくる。 統治技法との関係で統計学の社会理論のバリエーションを捉える作業には、このように、決して自明でも不変でもない「自由」の意味を、裏側から炙り出す効果がある。それが、「リベラリズムの統治」という切口から統計知の歴史に迫ることの認識利得である。 文献 Foucault, Michel, 2004a, Sécurité, territoire, population: cours au Collège de France (1977–1978), Paris: Seuil/Gallimard. ————, 2004b, Naissance de la biopolitique: cours au Collège de France (1978–1979), Paris: Seuil/Gallimard. Hacking, Ian, 1990, The Taming of Chance, Cambridge: Cambridge University Press. Krüger, Lorenz, Lorraine J. Daston, Michael Heidelberger, Gerd Gigerenzer, and Mary S. Morgan, eds., 1987, The Probabilistic Revolution, 2 vols., Cambridge, Mass.; London: MIT Press. 重田園江,2003,『フーコーの穴——統計学と統治の現在』木鐸社.
報告番号314
解釈する記憶――ロシア帝国における暴力の記憶がパレスチナへ転移するとき
東京大学 鶴見 太郎
【1.目的】 社会学では、記憶について自己論および集合的記憶論を中心に議論が蓄積されてきた。いずれにおいても、自己ないし集合が、過去をどのように想起するのかということ、また、物語的な記憶が現在の自己や集合の基盤となっていることが議論されている。つまり、記憶や物語は現在の自己や集合的枠組みに依存し、また翻って、自己や集合的枠組みは記憶や物語によって具現化するということである。しかしながら、過去のある時点に関する記憶が、次の出来事の認識にどのように影響を与えるかという、記憶の経路依存性とでもいうべき問題については十分に議論されてこなかった。歴史学や歴史認識問題研究などにおいても、過去がどう解釈され、記憶として語り継がれるかについてはよく議論されてきたが、そうした客体としての記憶が、今度は次の事象の解釈に影響を与えるという、記憶のいわば主体的側面についてはほとんど問われてこなかったのである。 本報告では、これまでの社会学における(集合的)記憶論を整理したうえで、報告者の専門領域であるロシア帝国に発するシオニズムにおける暴力についての記憶や解釈を事例としながら、歴史社会学の新たな可能性や歴史学との相違について提起する。 【2.方法】 まず、モーリス・アルヴァックスや片桐雅隆、浅野智彦などによる記憶論や物語論を整理する。そこから導き出される命題は、過去のある出来事が、個人や集合において、構造をもった物語として記憶され、それが現在の自己/自集団理解を構成するというものである。この自己/自集団理解は、そこでは自他の境界画定という意味にとどまっているが、本報告は、これを自己を含む社会の理解として拡張する。すなわち、ある記憶を持つことがその保持者のアイデンティティとなるだけでなく、その記憶、とくに物語的に構成されたそれが自己が置かれた社会や他者を理解する際の解釈図式にもなると想定するのである。 事例として、シオニストによるロシア帝国(特に崩壊期)のポグロムの記憶のされ方を精査し、ユダヤ人、ロシア人、ウクライナ人、また当局というアクターがどのように整理されていたかを抽出する。1920年代にパレスチナで生じた反シオニスト暴動に関して、ユダヤ人、アラブ人、イギリス当局がどのように整理されていたかを抽出する。史料としては、シオニスト等によるロシア語やヘブライ語の刊行物を用いる。 【3.結果】 ロシア帝国でのポグロム(=いわれなきユダヤ人迫害)と、20年代のパレスチナでの暴動(=オスマン帝国に代わるイギリス帝国支配下におけるシオニストの移入に対する抵抗)は、歴史的経緯を大きく異にする。ところが、上記で抽出された物語の構造は極めて似通っている。ここから、シオニストがポグロムの記憶をパレスチナでの出来事を解釈する図式としていたと見ることができる。 【4.結論】 歴史社会学においては、ある事象や概念の積み上がり方や変遷の仕方が探求の中心を占めてきた。こうした一続きのことを見る点では歴史学と類似している。しかし、記憶や物語は、切れ目なく積み重なるはずの歴史からすると飛躍と見えることがある。だが、それもまた歴史の形成に影響を与える以上、学問的探求を要求する。そしてそれは、歴史学以上に人々の認識の問題に関心を寄せてきた社会学だからこそ引き受けやすい課題である。
報告番号315
歴史を聞く場に参加する――「慰安婦」サバイバーの証言集会に参加した人々のインタビューから
ヘルシンキ大学 朴 沙羅
歴史社会学には、「歴史学的な社会学」と「社会学的な理論や概念の歴史研究分野への適用」(野上2009:1)という2つの方向があると指摘される。近年では、これに加えて「社会は歴史とどのように向き合ってきたか」を探求する、第3の方向とも言える研究が現れている(野上・小林編2015)。本報告は、これらの歴史(と向き合う)社会学より、ずっと初歩的な問題として、過去について回想する状況を検討する。過去について情報を得る際に、文献であれ音声であれ、あるいは写真や遺構であれ、「この資料は本物か?」という疑問や、その疑問にどのように答えるかという問題は、歴史学においても社会学においても扱われてきた。歴史学では、この問題に答える手段として史料批判が、社会学ではインタビューの方法論が、それぞれ議論され実践されてきた。歴史学者や社会学者は、様々な史資料の伝えることを本当だとわかるためには、あるいはいかなる水準で「本当」なのかわかるためには、どのような情報や手続きが必要なのかと問うてきた。しかし、ある資料を「本当」だとわかるか否かという議論の、もっと手前については、それほど注目されていないのではないだろうか。歴史認識論争では、主に特定の史料や、特定の人物の証言の内容についてその真偽をめぐる議論がなされることが多い。特に、体験の時点から時間がたってから収集される証言について、その内容の真偽を問題化するのは、否定主義の主な方法の1つだと言えよう。しかし、証言や史料の内容の真偽を論じる以前の段階として「ともかくも資料が読めている」「ある人が過去の体験について話す状況が成立している」状態がある。本報告は、この「ある人が過去の体験について話す状況が成立している」状態に焦点を当て、過去について語る場が成立している時、人々は何をしているのかを明らかにしようと試みる。旧日本軍性奴隷問題(いわゆる「従軍慰安婦」問題)のサバイバーの証言を聞く集会を開催してきた人々へのインタビューから、現時点では以下の点を指摘できる。まず、ある出来事(本報告の場合は「慰安婦問題」)が語られる場所に参加するまでのプロセスは、その出来事をどの程度「本当」だとみなすかによって異なり、その認識は世代によって大きく異なる。次に、聞き手は様々な歴史的事実に関する知識を用いて証言や会話をしているにもかかわらず、実際にサバイバーの体験談を聞く際にそれらの知識は軽視される傾向がある。そして、否定主義(「歴史修正主義」)的言説と対峙する際に、この知識と語りのどちらを重視するかが食い違う一方で、どちらの立場の発言も、共通の知識とその変化を前提としている。これらの論点はどれも、「インタビューの方法論」以前の段階で、過去を聞き歴史を知る実践が、それ自体として独立した社会学的探求の対象になることを示している。しばしば歴史的事件の事実性を問題とする否定主義との闘争においてもなお、「この史料が読める」「この場は誰かが過去について語っている状況であるとわかる」という共通の認識を確認することができる。 参考文献 ・野上元, 2009, 「歴史と向き合う社会学-資料と記述をめぐる多様なアプローチにみる可能性-」『年俸社会学論集』巻 22 号 p. 1-9 ・野上元・小林多寿子編, 2015, 『歴史と向き合う社会学-資料・表象・経験』ミネルヴァ書房
報告番号316
奥むめおの婦人運動における組織マネジメント戦略 ――「才媛」の歴史社会学へ向けて
富山県立大学 濱 貴子
【1.目的】 本報告の目的は,戦前から長きにわたって生活に根ざした婦人運動・消費者運動に活躍した奥むめおに注目し,彼女を中心とした運動の成長と持続を支えた組織マネジメント戦略を明らかにすることである. 【2.方法】 本報告で分析に用いたおもな資料は,主婦連合会機関紙『主婦連たより』(1号〔1948(昭和23)年12月〕-478号〔1989(平成元)年6月:奥むめおの主婦連名誉会長就任が報告された号〕)である.各号を通読したうえで,各年度の総会報告から主婦連合会の運動方針,組織構成と役職に就いたメンバーについてデータ化を行った.また,毎月の「運動日誌」についてもデータ化を行った.さらに,活動の特色や活動資金捻出と活動拠点の創出・拡張,それらに対する会員の声についても『主婦連たより』や周年記念誌などからデータを収集した.また,戦前の奥による婦人運動を参照する資料として職業婦人社機関誌『婦人運動』や自伝的資料も適宜参照した.以上のデータを用いて,①組織の成長とマネジメント戦略の変容,②活動資金捻出と活動拠点の創出・拡張について分析を行った. 【3.結果】 分析から次の点が明らかになった.組織の成長とマネジメント戦略の変容については,奥は,戦前における職業婦人社の運営や消費組合活動,婦人セツルメント・働く婦人の家の建設と運営などで培った方法を,戦後,主婦連合会の運営にも発展的に活かしつつ組織化を進めていった.そして,組織の成長とともに「一人一博士」をめざす「部会活動」に軸足を移し消費者運動の幅を広げていった.また,自身の参議院議員としての活動に加え,政府の委員会や地方議会への主婦連役員の進出を拡大させ,部会活動によって得られた知見を国や自治体の政策に反映させるルートを開拓していった. 活動資金捻出と活動拠点の創出・拡張については,会員倍増運動,主婦会館建設・増改築募金,音楽会・観劇会を通じた募金,消費者活動基金等,様々な方法を用いて自前で調達していた.資金の提供元については小口なものから組織的なものまで詳細に機関紙に掲載された. 【4.結論】 奥は,部会活動による「賢い主婦」の育成を基本とし,多くの男性からの支援を調達しながらも,組織的にも資金的にもあくまで「主婦」を運動の主人公とすることよって「主婦が声を上げれば生活はよくなる」ことをメンバーに実感させ,行為主体性を育むことで運動を成長・持続させていった. 近年「女性の活躍促進」が政策的に進められる一方で,日本の政策・方針決定過程における女性指導者の割合は低く,ジェンダーギャップも依然として大きい.本報告では,近現代日本において影響力をもった女性社会的指導者の一人である奥むめおと彼女が率いた「賢い主婦」―多くが結婚式で「才媛」と称されたであろう比較的高学歴の既婚女性たち―の結社の足跡を掘り起こし,歴史社会学的に記述・分析した.本報告は第2波フェミニズム(ウーマン・リブ)の登場以降,あまり顧みられなかった「婦人」たちの結社や運動について,複眼でとらえ,評価する方法論の一つとして学術的に貢献できるとともに,現代の「男女共同参画」の課題と対策を論じるうえで不可欠な先行事例として,ジェンダー平等社会の実現に向け現代日本女性のエンパワーメントに資することをめざすものである.
報告番号317
方法的反省にもとづく「歴史社会学」の探究――報告者の研究を素材として
東洋大学 鈴木 洋仁
【1. 目的】 本報告は、報告者のこれまでの研究について、そのプロセスへの反省にもとづき、「歴史社会学」の実践を検討する。 報告者はこれまで、明治以降の元号について、主として「戦後」という時代区分との対応関係において歴史社会学の方法によってさぐってきた(鈴木2017など)。これらの研究は、歴史学者の本郷和人を指導教員としてなされた。 くわえて最近では、みずからの家系を素材として「三代目」という観点から近代日本における世代と系図をかんがえた(鈴木2021)。 かかるプロセスにおいて、(1)社会学内部において「歴史社会学」として認められうるのか、(2)歴史学の観点において、いかなる「研究」として認められうるのか、という二重の不安を抱えてきた。 こうした状況に鑑み、報告者の研究を素材として、「歴史社会学」の位置づけについて、あらためて考察したい。 【2. 方法】 そのさいに参照するのは、歴史学者へのインタビューである。 報告者への研究指導をおこなった本郷和人を中心に、報告者の研究が、いかなる位置にありうるのか、を聞きとる予定である。ほかに政治史と西洋史を専門とする研究者へのインタビューを計画している。 インタビュー対象者は、いずれも歴史と社会のかかわりを考察してきた研究者であり、また、報告者のこれまでの研究について知見をもっている。 かれらの見解から報告者の研究をかえりみた場合に、「歴史社会学」をどのようにとらえられるのか、という理論的な検証をおこなう。 【3. 結果】 本テーマセッションの趣旨を、報告者なりにつぎのようにいいなおそう。 社会学のがわからの歴史学への片思い、そして、歴史学から社会学への冷淡な扱い、このふたつがすれちがっているのではないか。 他方で同時に、コーディネーターの分析のとおり、日本における「歴史社会学」は、「独自の発展を遂げてきた」。 歴史という変数、とりわけ、「歴史社会学」をとおしてなされる考察は、社会学にとどまるものではなく、歴史学をはじめとした他領域への架け橋となる可能性を持っている。 しかしながら、報告者の研究をめぐる状況に象徴されるように、現在まで、そうした「越境」はさかんになされているとはかならずしもいえない。 【4. 結論】 以上の考察から、本報告では、そうした他領域との「壁」が、「歴史社会学」に特有なものというよりも、社会科学の方法的理解をめぐる認識の差や、現在の社会学の位置づけをめぐるさまざまな認識論的展開にもとづいているものと思料する。 歴史という観点が、日本語圏の社会においていかなる位置づけにあり、また、それが、「歴史社会学」という観点から考察した場合に、どのような議論が可能なのか。本報告および議論をつうじて、おおくの示唆をえられるものと思料する。
報告番号318
クラシック音楽を趣味とすることと,企業内ソーシャルキャピタル形成――文化資本とソーシャルキャピタル
株式会社博報堂 森 泰規
1 目的 この報告の目的は,文化資本とソーシャルキャピタルとの関連性を趣味行動を通じて検討することである。 2 方法 方法選択の経緯:ブルデューはハビトゥス概念を通じて特定の趣向や行動様式は個々人でなく集団として共有され,その方向性を描くとした(Bourdieu 1980=1988)。その一方ソーシャルキャピタル概念の推進者であるとも考えられ(佐藤編 2018)それは経済資本,文化資本とならぶ資本の三形態であるとした(Bourdieu 1986)。とするならば,組織内の勤労者において文化資本を形成することとソーシャルキャピタルを形成することとは連関があるかもしれない。 方法選択時の仮説・具体手法:集合意識の把握としての定量調査を選択する。2020年3月にインターネット調査(日本全国の勤労者3000名 20代から69歳まで)を実施したうち対象者「互酬性」「信頼」にかかわる意識と行動に着眼し,それらと文化資本形成(24個程度の趣味(音楽聴取行動・スポーツ観戦・カラオケ・パチンコなどの娯楽を含む)行動の実態とを比較する。 3 結果 「自組織所属員は,自分のアイデアやリソース,ナレッジを職場内に進んで共有している」(リソース・ナレッジ提供行動)を目的変数とし,24個の趣味活動の経験有無,就労形態(常勤職員かどうか),企業規模(300名以上か未満か),性別を説明変数として二項ロジスティックモデルによる回帰分析を実施した(カイ2乗値136.041,p < .001)した。有意水準5%となった説明変数をp値,オッズ比の順に記載すると,男性ダミー(0.000, 1.423)勤務形態(常勤)(0.000, 1.411),クラシック音楽以外のみ聴いた(クラシック音楽は聴いていない)(0.003, 0.683),家族や友人と,屋外でバーベキューなどの料理をつくる(0.034, 1.295),スポーツをする(0.036, 1.21),クラシック音楽のみ聴いた(クラシック音楽以外は聴いていない)(0.049, 1.449)であった。また年齢はリソースナレッジ提供行動を行う群の方がむしろやや若い傾向であった(ノンパラメトリック検定 p = .045) 4 結論 オッズ比より調査結果は,男性・常勤・クラシック音楽のみを経験する勤労者の方がリソース・ナレッジ提供活動に積極的であることを通じてソーシャルキャピタルを形成しやすいという事実を示唆する。その一方クラシック音楽以外のみを経験する行動はオッズ比で1を下回る。ただし,バーべキューやスポーツといった経験も積極的な傾向との関連性をみせ,ステレオタイプな結論は好ましくない。また今回の調査で聴取していない年収や最終学歴を考慮する必要もある。 文献 Bourdieu, Pierre. 1980. Le Sens Pratique. Paris: Editions de Minuit, 今村仁司,港道隆『実践感覚』(1988) Bourdieu, P. 1986. “The forms of capital” In: Richardson, J., Handbook of Theory and Research for the Sociology of Education. Westport, CT: Greenwood: 241–58. 佐藤嘉倫『ソーシャル・キャピタルと社会』(2018)
報告番号319
ビジュアル・エスノグラフィーと再帰性――理論と実践
立教大学 鈴木 弥香子
【1. 目的】 本報告では、ビジュアル・エスノグラフィーに関する理論的な検討を行う。ビジュアル・エスノグラフィーは主に欧米を中心として近年注目を集めてきたが、日本でもビジュアルメソッドを活用しようという動きは拡大しつつあり、研究対象に関する撮影を行い、その映像をデータや資料として活用する研究は徐々に増えつつある(松尾・根元・小倉編 2018など)。しかしながら、そうした実践が増える一方で、石田 (2009)を除き、日本語でのビジュアル社会学に関する理論的な検討はほとんど存在せず、欧米圏での理論的議論の蓄積についてもほとんど言及がなされていない。 【2. 方法】 英語圏における視覚的メディアを研究や教育において活用しようという動きは、社会学内のみならず、領域横断的な取り組みとして発展してきた(Banks 2001; Hughes ed. 2012; Pink 2001)。この報告ではこうした一連の研究を包括的に考察することで、ビジュアル・エスノグラフィーという方法論の発展過程においてどのような理論的議論が展開されてきたかについて検討する。 【3. 結果】 そうした検討を通して明らかになるのは、このビジュアル・エスノグラフィーという領域横断的なアプローチは、人文学/社会科学的な知の生産のあり方を反省的に考える中で発展してきたということである。その中で、いくつか重視されてきた共通理念が存在し、その一つが再帰性である(Pink 2001, 2006; Rose 2001)。研究のプロセスにおいて構成される非対称的な権力関係や、その関係の中で研究者が一方的に形成する表象に関しての反省から、表象とはコラボレイティブかつ再帰的であるべきで、インフォーマントたちの複数の声を表す必要があると考えられてきたのだ。再帰性がビジュアル・リサーチの基本理念であることを否定する論者はおそらく存在しないが、その一方で、再帰性が研究においてどう実現されるべきか、再帰性の持つ倫理的な意味をどう理解するかについては論者によって意見が異なる(Pink 2006: 35)。本報告では、そうした再帰性に関する様々な議論を紹介したい。 【4. 結論】 再帰性といった、ビジュアル・エスノグラフィーを支える理論的基盤を明らかにすることは、日本におけるビジュアル・メソッドを活用した研究の発展を後押しするだけでなく、研究者とインフォーマントの関係性や社会学的知の生産/発信のあり方を批判的に考える上でも役立つと期待される。 【文献】 Banks, Marcus, 2001, Visual Methods in Social Research, London: Sage. Hughes, Jason, ed., 2012, SAGE Visual Methods, London: SAGE. 石田佐恵子, 2009, 「ムービング・イメージと社会 映像社会学の新たな研究課題をめぐって」『社会学評論』60(1): 7-24. 松尾浩一郎・根元雅也・小倉康嗣編, 2018, 『原爆をまなざすひとびと』新曜社. Pink, Sarah, 2001, Doing Visual Ethnography: images, media and representation in research, London: SAGE. Pink, Sarah, 2006, The Future of Visual Anthropology: Engaging the Senses, London and New York: Routledge. Rose, Gillian, 2001, Visual Methodologies: An introduction to the interpretation of visual methods, London: SAGE. Ruby, Jay, 2000, Picturing Culture: Explorations of Films and Anthropology, Chicago: University of Chicago Press.
報告番号320
生に「死」が内在する経験――ICDとともに生きるわたしのオートエスノグラフィー
慶応義塾大学大学院 野地 洋介
本報告では、致死性不整脈の既往を有し、植込み型除細動器(以下、ICD)を植込む当事者の生きられた経験を考察する。1980年に初めて臨床応用され、1996年に日本で保険適用となったICDは、心臓突然死を防ぐために患者の体内に植込む医療機器である。過去の二次予防患者を対象とした臨床試験においては、それまで主流だった薬物治療と比較し、総死亡率及び不整脈死率いずれにおいてもICD群で有意に低いことが報告されており、治療効果は確立されている。一方で、ICDによる治療はあくまで対症療法であり、不整脈の発生自体を抑えることはできないほか、機器の不適切作動や合併症のリスクも存在する。また、患者の間で抑うつ傾向や心的外傷後ストレス障害が見られるという問題は世界的に指摘されている。なかには、ICD植込み前後で自身の行動が大きく変化した結果、抜去に至ったという事例もあり、生命予後の向上とは別に、生きる主体としての「等身大の回復」のあり方を検討することが求められている。 そこで本研究では、経験の同質性の高い他者との相互行為としてのインタビューを通じて、自己の経験を内側から記述し、回復についての考察を行った。『質的調査ハンドブック』において、エリスはオートエスノグラフィーの執筆には感情的想起を行うことが重要であると指摘しているが、身体性を伴った感情的想起は一人きりでは困難を伴う。また、『当事者研究――等身大の〈わたし〉の発見と回復』において、熊谷は受傷時に本人がもっていた予期をゆるがし、それでいて忘れられない特殊なエピソード記憶のことを「トラウマ記憶」と定義しているが、そうした記憶を自己物語に統合する手段(=回復)の一つとして他者とのコミュニケーションを挙げている。こうした背景から、他者との相互作用を通じて立ち現れる感情を軸に経験の言語化を図り、自身の生きられた経験及び回復を模索する過程を記述した。 アーサー・W・フランクは『からだの知恵に聴く』において、自身の心臓発作の経験を記述している。そこで彼は、その後の生活について「生には死が内在している」と綴りながらも、ある種の「事故」として病気を解釈することで段階的に自由を得ていく。一方で、常にICDという異物を体内に植込む〈わたし〉は、日常的にICDを知覚することで死という破滅的なリスクを経験している。それは、可変的な未来を志向するリスク社会における困難にもつながっていることが明らかになった。同時に、このように困難を含む経験の言語化を図り、社会のなかに自分を記述することそれ自体に「回復」の契機が含まれていることも見えてきた。 参考文献 アーサー・W・フランク. 1996 『からだの知恵に聴く: 人間尊重の医療を求めて』 ノーマン・K. デンジン編. 2006『質的研究ハンドブック3巻: 質的研究資料の収集と解釈』 岡原正幸. 2014 『感情を生きる――パフォーマティブ社会学へ』慶應義塾大学出版会 熊谷晋一郎. 2020『当事者研究――等身大の〈わたし〉の発見と回復』岩波書店
報告番号321
がん寛解後の生きづらさ――AYA世代精巣腫瘍経験者のオートエスノグラフィー
慶応義塾大学大学院 眞部 賢太
1問題の所在 日本のがん対策は生存率向上と慢性疾患化に伴い,サバイバーシップとライフステージに関する目標が導入され,がん対策推進基本計画(第3期)ではこれまで指摘がなかったAYA世代の問題把握と対策の実施が明記された. しかし上記は,診断直後や治療中,EoLなどの療養生活や,働く世代の就労継続や再就職支援が中心であり,AYA世代については,患者の悩みを把握し支援するという観点から,治療や特定のライフイベントに関する医学・心理学的な研究が多く,AYA世代の人生全体を捉える視点は欠けている. AYA世代がん経験者には「治療後の人生を(中略)生きていくことで直面する(中略)悩みを支えるためには,多様で主観的な経験を複数知りたいというニーズ」(平成27‐29年度厚生労働科学研究費補助金(がん対策推進総合研究事業)「総合的な思春期・若年成人(AYA)世代のがん対策の在り方に関する研究」班 2018: 50)がある.AYA世代がん経験者のサバイバーシップ研究には,その「生/ライフ」(小倉 2013: 172)を捉える社会学的研究が必要であろう. 2手法と目的 オートエスノグラフィーを手法に,2011年(当時19歳)に精巣腫瘍に罹患,闘病を経て今日まで寛解を維持している筆者の「実際に体験した現場に生々しく立ち戻り,経験された感情を生き戻し」(岡原 2014: 78),「つぎに,その現場を離れ,感情が高まっているうちに書く」(前掲: 78)ことを自己再帰的かつ内省的に実践し,「生/ライフ」(小倉 2013: 172)を表現する. 目的は「がん経験をどのように捉えているのか」「寛解後の日常生活における経験とがん経験はどのように関連しているか」の2点を表現することを通じて,生きづらさを提示することである. 3結果と結論 がん経験を「負の遺産」と捉えている.入院治療時は苛烈な治療によって「生きる意味はない」という虚無感が中心であったが,寛解に至ると「人生を楽しもう」と未来志向の感情に変化した.しかし,日常生活に戻るにつれ,治療によるままならない身体,定期検査の恐怖等により「生きる意味はない」と虚無感が支配的となった。 日常生活では「治った=元気」等の考えを持つ他者との相互行為により「社会生活を営む上で必要とされる心身を有していない」と感じ,「生きる意味はない」という虚無感が増強した.日常生活を送ることに腐心し,ライフイベントには意図的に距離を置くようになったため,がん経験が「人生の足枷」となっている. 以上より,がん寛解後,ままならない身体経験と,他者との相互行為による否定的な感情経験により,他者と異なる世界と時間軸の中,生きている実感が乏しいという生きづらさが続いていると結論した. 参考文献 平成27‐29年度厚生労働科学研究費補助金(がん対策推進総合研究事業)「総合的な思春期・若年成人(AYA)世代のがん対策のあり方に関する研究」班編,2018,『医療従事者が知っておきたいAYA世代がんサポートガイド』金原出版. 小倉康嗣,2013「生/ライフ——『生き方』を主題化し表現する」藤田結子・北村文編『ワードマップ 現代エスノグラフィー——新しいフィールドワークの理論と実践』新曜社. 岡原正幸,2014「喘息児としての私——感情を生きもどすオートエスノグラフィー」岡原正幸編著『感情を生きる——パフォーマティブ社会学へ』慶應義塾大学出版会.
報告番号322
俳優の演技習得過程におけるエスノグラフィ――劇団俳優養成所をフィールドにして
一橋大学大学院 安達 来愛
【目的】 本報告の目的は、演劇における俳優と研究者という2つの役割を担った報告者《=私》が、自身の研究と実践のフィールドである俳優養成所の研究生らと、どのように関わっていくのかを再帰的に考察することである。これまで社会調査において、調査者自身の属性をいかに研究として反映させるのかは、エスノグラフィーの領域でしばしば議論されてきた。そこでは、「文化」を理解するうえで調査者のポジショナリティを切り離せないことや、調査者との対話や相互関係のなかで「文化」が生成されることが主張されてきた(藤田・北村 2013)。この議論をふまえ本報告では、演劇というアートの場における《私》と調査協力者のコミュニケーションや、自身の葛藤を通して生まれるエンパワーメントについて考えたい。 【方法】 報告者は、7年間の商業演劇での活動を経て、2019年の4月から1年間、B劇団俳優養成所の研究生として所属し、演技実践に携わった。そこで参与観察を実施し、調査協力者である仲間の研究生へ、演技習得と解釈過程についてインタビューを実施した。本報告では、これらを回顧的に記録したものの中から、演技実践とフィールドワークをおこなった。 【結果】 相互行為としてのインタビューを行う際、常に《研究者としての私》と《俳優としての私》が交錯していた。調査の初期の段階では、《俳優としての私》を回避するようなインタビューを実施していたが、研究生として自身の演技実践を積み重ねながら研究生と意見を交わしていくうちに、《俳優としての私》が前面に現れるようになった。そのことにより、調査スタイルは、演技習得過程を調査協力者から聞きとるというものから、ともに演技力の向上を期待する研究生同士の語り合いへと変化した。さらに、演技を磨くために、研究生たちも報告者自身も、日常生活での自身の行為から過去の経験まで、省察し、それを共有するようになった。このように、演技実践者の語りは、自身のライフと重なる自己表現のスタイルへと変容していく結果を得られた。 【結論】 上記のような調査プロセスにおける《私》の葛藤は、まさに演劇というアートの場で起きていることであり、調査プロセスそれ自体が《俳優としての私》のオートエスノグラフィとなっていた。 【参考文献】 藤田結子・北村文編,2013,『現代エスノグラフィー:新しいフィールドワークの理論と実践』新曜社. 岡原正幸編,2020,『アート・ライフ・社会学:エンパワーするアートベース・リサーチ』晃洋書房.
報告番号323
パフォーマンス・オートエスノグラフィとして――パフォーマティブ社会学へ!
慶應義塾大学 岡原 正幸
『家族のファミリズム』(大村・井上編著 1995年 世界思想社)に掲載された私の「家族と感情の自伝〜喘息児としての《私》」が執筆されてから、ほぼ30年の月日が流れた。今や、オートエスノグラフィのこの国における先駆けとして評価されたりもする論考であるが(ちなみに、社会学者としての40年間で、何かと〜の先駆けとして他から語られる私自身であるが、基本的な問題意識はまったく変わっていない)、なぜそのような論考が個人的に、あるいは社会学説的に、自分自身によって求められたのか、そのことをオートエスノグラフィとして表現したいと考えている。 とはいえ、この試みはすでに『感情を生きる パフォーマティブ社会学へ』(岡原編著 2014年 慶應義塾大学出版会)の中に寄せた「喘息児としての私 感情を生きもどすオートエスノグラフィ」として実践されてもいる。「ここに再録しようとしているのは、20年前に僕が書いた(中略)文章である。20年前の僕がさらに遡る数十年前の自分自身をテーマにして、家族や持病をめぐる自分の感情や思いに焦点を当てて書き出したものだ」(『感情を生きる』75頁)。 この論考は再録にとどまらず「今ここにいて思うのは、今から見た50年前というより、その50年前を想起していた20年前の私である。その思いをアートベースのエスノグラフィとして戯曲にする。これはオートエスノグラフィをある時点で書いた私と、そのテキスト化の行為をめぐるオートエスノグラフィとして作品化されている。当事者の自己再帰的な反省行為自体を自己再帰的に当事者がいかに反省するのか、自己言及のパラドックスも射程にした作品である」(112頁) という次第である。となると、再度ループを発動するしか手はないのだろうか。しかしそれは、無限に反復されるループに身を委ねていくような快楽であるよりも、同書のサブタイトル「パフォーマティブ社会学」という視点によって、次々に乗り越えられ、次々に転換されていく舞台という情景に立ち会うことでしか達成されないのかもしれない。 そこで今回のテーマセッションでは、テキスト、映像、朗読、身体動作、声などのメディアを使って、パフォーマティブ社会学実践の枠に立ちつつ、パフォーマンス・エスノグラフィあるいはエスノグラフィック・パフォーマンスアートとして作品を提出する。 参考文献 岡原正幸編著2020『アート・ライフ・社会学 エンパワーするアートベース・リサーチ』 Denzin, Norman K. 2018 Performance Autoethnography. Jones, Kip. 2014 “A Conversation Between Kip Jones and Patricia Leavy: Arts-Based Research, Performative Social Science and Working on the Margins”, Qualitative Report 19(38), pp. 1-7.
報告番号324
相互行為としての接触――短編映像作品『皮膚』をめぐって
慶應義塾大学大学院 プルサコワ ありな
アートの技法を組み合わせた学際的なアプローチとして位置付けられている「アートベース・リサーチ(ABR)」は、アートをどの分野の研究課題においても、研究のどの段階でも、あるいはすべての段階においても用いている新しい研究スタイルである(Leavy, 2015, 2017)。つまり、ABRにおいてはデータの収集、分析、解釈、および/または普及の際にアートを用いることが可能である。また、生まれた美術教育の分野を超えて、ABRは現在、社会学、教育学、心理学といった分野にも幅広く使われており、海外のみならず、日本でもその実践例が現れつつある(岡原, 2020)。 アートがアカデミックな研究にて使われるようになるとどのような結果を期待できるのか。例えば、言葉で表してきれないような体験、つまり語りえなさをアートで表現すること、または客観性を追求せずに不完全な結果をそのまま表現することなど、質的研究における矛盾と、その矛盾を否定せずに向き合うことができるようになる。またはアートの想像力と豊かな感性を用いることで、場所や時代が離れた他者にも近づくことができるようになり、他者をより深く理解できるようになるのである(Barone & Eisner, 2011)。 著者によって制作された短編映像作品『皮膚』(2020)は物理的な皮膚感覚というメタファーを用いて、他者と接触する、あるいは繋がりを失うことを表現することを試みた作品である。人間誰しも持つものではあるが、しばし存在が忘れられているのは私たちの身体である。特にアカデミックな研究成果において研究者の身体が記述にも、表現にも表れず、むしろその存在が隠され続けてきた。しかしながら、特に長期間で聞き取り調査を行う研究者は必ず他者と空間と時間を共有し、そこには必ずお互いの身体が存在するのである。そのため、私たちがどのように他者と繋がることができ、どのように他者との相互理解を達成できるという問題が「身体がない」状態で語られるべきではないと主張したい。 このような背景から、今回の発表においては映像作品『皮膚』を再編集し、物理的にも心理的にも他者と接触することの可能性を探り、オートエスノグラフィー的にアカデミックな研究活動を捉え直すことを目的にする。 【参考文献】 岡原正幸編著、小倉康嗣・澤田唯人・宮下阿子『感情を生きる : パフォーマティブ社会学へ』慶應義塾大学出版会, 2014. 岡原正幸「アートベース・リサーチ なぞる・癒す・パフォーマンス」『法学研究』90 (1), 2017, pp. 119–147. 岡原正幸編著『アート・ライフ・社会学: エンパワーするアートベース・リサーチ』晃洋書房, 2020. Barone, Tom and Eisner, Elliot. 2011, “Arts-based research”, SAGE Publications. Jones, Kip & Hearing, Trevor. 2017, “Film as Research/Research as Film” in “Handbook of Arts-Based Research”, Guilford Publications. Leavy, Patricia. 2015, “Method Meets Arts Second edition: Arts-Based Research Practice.”, The Guilford Press. Leavy, Patricia. 2017, “Handbook of Arts-Based Research”, Guilford Publications.
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