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第95回日本社会学会大会 11/12(土)9:30~12:30 報告要旨

報告番号1

作者の死と市民の映画――自治体PR映画制作のオートエスノグラフィー
東京藝術大学大学院 小田 浩之

<目的・方法>  自治体PR映画の表現の可能性について検討を行いたい。 筆者は2019年に群馬県太田市から市のPR映画を依頼された。2020年に完成するまで、太田市のアイデンティティを模索し、太田市の魅力は映画によってどう描かれるのかを探究しながら制作に取り組んだ。本発表では、作品の視聴と視聴後の省察と対話を通じて、作品がもつ様々な文脈的な意味をクリティカルに解体していきたい。映画という総合芸術の制作アプローチと探究のプロセスを客観的に見つめ直す中で、自治体PR映画の表現の可能性について新たな知の創出を行いたい。  県や市の観光プロモーションビデオというものは以前からあるが、それとはまた別の文脈で、地方創生のツールとして自治体が独自に動画を制作することは近年ではめずらしいことではなくなった。この傾向はYouTubeやSNSでの動画投稿が社会一般に浸透してから、自治体が映像ソフトコンテンツに積極的に関わるということが起こっている。また、自治体が市の魅力を伝える目的で長編映画を企画するケースもみられる。今や自治体が発信する映像は数秒の短いものから、2時間の長編映画まで多岐にわたる。  しかし自治体が制作した映像コンテンツは、観光地やご当地グルメを題材にした「どれも同じようなもの」が多い。中にはキャラクターや、瞬間的なコメディ表現による話題作りのみを目的に制作されたものや、自治体の風土や文化とは無関係なものも少なくない。PR映画においても、典型的なドラマ構造のパターンに当てはめがちだ。どの自治体もなぜこうした「同じようなもの」に表現が萎縮してしまうのであろうか。  中学生を主役にキャストした太田市PR映画『サルビア』は、こうした「よくある」自治体PR映画の否定を出発点とした作品である。『大人は判ってくれない』(トリュフォー監督)のように、子ども社会のパーソナルな物語を描くことで、より大きな世界を語り、普遍を映すことを目指した。  本発表においては、自治体の依頼からはじまった筆者の映画制作の過程をオートエスノグラフィーとして発表する。映画制作という集団制作における監督の個人的経験を客観的に見つめ直し、文化的、社会的、映画学的に結びつけながら、制作過程をクリティカルに振り返りたい。テーマ模索のアイディエーション、制作の中で発見した気づきはどのようにして生まれ、またどのような葛藤を経て、自治体PR映画に結実していったのか、自己省察としてクリエイションの過程を述べる。 <結果・結論>  「よくあるPR映画の否定」を出発点した制作のアプローチは、バザンが言う「岩の映画」的創造に求めた。制作過程で起こった現実にインスピレーションを受けながら、探究的に制作していく方法である。  こうして制作された映画『サルビア』は完成後、複数の海外映画祭で入選・受賞に至り県内で注目された。今年4月から、太田市から生まれた太田市の物語として市のHPで配信もはじまっている。「市という共同体の一員であるということはどういうことか」、この映画を見ることによって、各々の物語を紡いで欲しい。その時に、バルトの言う「作者の死」を持って、市民一人一人の映画として完成する。 参考文献 ロラン・バルト 『物語の構造分析』花輪光訳、みすず書房、1979 アンドレ・バザン 『映画とは何か』野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳、岩波書店、2015

報告番号2

演じる語り――Acted narratives
立命館大学大学院 柴田 惇朗

H・ベッカーは芸術社会学の先駆的著作『アート・ワールド』(1982=2016)において芸術生産を、芸術を可能にする社会的ネットワーク=「アート・ワールド」における協働によって可能となる社会的な営為として定式化した。ベッカーによれば芸術は次のようにつくられる。協働は「規則」、すなわち「使われるべき材料」や「どんな抽象化を用いるべきか」、「材料と抽象化がどんな形式で結び付けられるべきか」といった共通認識によって統制される(ibid:33)。このような規則に基づいてアート・ワールドのアクターたち――アーティスト、サポート人員、その他観客など――は関係し合い、絶え間ない相互行為の中で「芸術」という営みを成立させるのである。特定の芸術実践を研究するためには、その芸術実践を構成するアート・ワールドにおいて協働が誰との間で、どのように、いかなる規則に基づいて行われるかを明らかにする必要がある。 発表者は小劇場演劇をフィールドに調査を行っている。調査を通じて明らかになってきたことは、ある演劇人のアート・ワールドの外延が必ずしも明らかでなく、その内部で行われる相互行為も必ずしもアクセス可能でない、ということである。不明瞭さは「演劇人」としての活動は自劇団での演劇生産にとどまらず、多岐にわたることに由来する。客演、外部演出、裏方での「ヘルプ」などの人的資源の提供、ワークショップ、イベントでの司会などの技能を用いた非アート的活動、劇団活動の延長としてのイベントの実施やグッズの作成、上演場所・機会・資金などの提供者とのやり取りと調整などは、本人以外には正確に把握することが難しいほどに複雑化することがある。また、多くの場合これらの活動は個人的に記録されるか、記録されない。そのため、調査者として協働の現場に居合わせなければ、それらの相互行為の多くはアクセスできない。 本発表はこのような前提の元、演劇人が自身のアート・ワールドを再構成するために用いる「演じる語り」に着目するものである。「演じる語り」とは調査の過程で自発的に、あるいは調査者の要請によって、演技として表出される過去の経験を指す。例えば、演劇人Aが過去に演劇祭のプロデューサーとした会話を、A自身、あるいはプロデューサーの役をとりながら演じること。演劇人(特に俳優としての訓練を積んだもの)はしばしばこの「演じる語り」を用いた相互行為を行う。「演じる語り」は通常の調査においてアクセスできないものをアクセス可能にする。また、経験を「演じる」ことはその経験に解釈や編集を施し再提示することを意味する。これらの特徴によって、「演じる語り」は演劇人の主観的なアート・ワールドを再構成するためのひとつの手がかりとなる。本発表では芸術生産の技法と社会的自己呈示の技法が一体となっている特異性に意識を向けながら、どのように演劇人が自身の参与するアート・ワールドを定義し、そこに登場するアクターと相互行為を取り持っているか、それらの関係にどのような解釈を加え、アート・ワールドにおいて自身をどのように位置づけているかを考察する。

報告番号3

ファッションの新たな社会的世界を現前化<enact>する創造的アプローチ――生きられた経験の記述と対話
慶應義塾大学大学院 龍花 慶子

本発表の目的は、ファッションの新たな社会的世界を現前化<enact>する創造的なアプローチとして、生きられた経験の記述<autoethnography>と対話<duoethnography>の方法を提示することである。加えて、研究のプロセスであり、成果である生きられた経験の記述<autoethnography>を小説作品として提示する。ここでは、本研究の方法がアートか社会学かを議論することが目的ではない。重要なのは、「知識とアートの区別をなくし、『doing』『researching』『making』を融合させ」(Marres et al. eds. 2018: 17)、いかに創造性と想像力を総動員して新たな社会のリアリティを現前化<enact>するのか。さらに、それを作品として公開することで作品と受け手の相互作用を生み出し、わたしたちが住む社会をより良く変える可能性をつくり出していくかである。つまり、研究がいかにパフォーマティブ (Austin 1962; Butler 1990, 1993, 1997; Law and Urry 2004; 岡原 2014)であり得るか、である。  本研究の研究対象は、ファッションの社会的世界である。発表者である「わたし」は、約30年、「ファッションをつくる」実践者として仕事をしてきた。ファッションは、個人の生活実践と経済、社会、文化が複雑に絡み合う交叉点に立ち現れ、加えて全ての人の日常生活にある。一方、現在のファッションは、近代化とともに形成されたファッション産業の仕組から滲み出す「副作用の時代」(Beck 1997: 320)にあり、大量閉店や人員整理をしながらそのあり方を模索する転換期にある。ニュースを賑わす大量生産・消費による環境への負の影響や、労働の搾取等の問題は、成長と効率化を手法とする経済価値産出の追求によるものである。このあくなき経済価値の産出という現在に支配的な思考様式は、ファッションがもたらすゆたかさや、経済価値という文脈において切り捨てられてしまう価値を、意図してあるいは意図せずには別にして、「後背地<hinterland>」(Law 2004: 13)へと押しやっている。このような背景から、ファッションの別の多様な可能性や、新たなリアリティを現前化<enact>し、ファッションを21世紀のリアリティへと組み直す再創造が必要である、と考える。  経験の記述と対話のプロセスを経て起こった「わたし」自身の変化と、現前化<enact>した新たなファッションの社会的世界を表現する作品として小説を位置付け、「フィッティングルーム」と名付けた。「フィッティングルーム」は、もう一つのファッションの姿を表現するメタファーでもある。そこは、人と衣服、人と人、身体と精神の相互採用と対話、対話を可能にする信頼関係、揺れ動く感情、人間の日常生活に内在する創造力、さらにはケアや癒し、エンパワーメントというファッションの別のリアリティが立ち現れ、それらが絡み合い、もう一つのファッションの社会的世界を創り出すのである。  経験の記述と対話という方法と作品の提示が、新たな社会のリアリティを現前化<enact>する創造的なアプローチの一つとして、その可能性が議論され質的研究の方法に寄与できれば幸いである。

報告番号4

時を隔てた声――「ディアクロニー」の社会学のために
大妻女子大学 澤田 唯人

【1.目的】  会いたい人に、会うべきだった人に、会えるはずだった人に、会えない――。コロナが私たちの人生の物語にもたらしたのは、ひとつにはそういうことだった。  私たちはこの事態を半ば強迫的に、オンライン技術を通じた疑似的な対面的身体性によって補完しようとしてきた。「リアルタイム(同時性)」での相互行為に価値が置かれ、まるでそうすることにのみ他者との感情的な交流が宿るという認識が共有されているかのように。  だが、そうなのだろうか。そうした認識のなかで私たちが見失いつつあるのは、全く逆に「ディアクロニー(隔時性)」という、どこか「他者」がいつもすでに絶対的に「時を隔てた」ところにいるのではないか、という非(前)志向的な感覚のほうのようにも思われる(Levinas 1978=1999)。たとえ対面していても、たとえその生身に直接触れてみても、「他者」と〈出会う〉という感覚にいつも志向的に至れるとは限らないからである(対面≠出会い)(cf. 伊藤 2020)。  だとすれば、問われるべきは、私と他者とのあいだにある「隔てられた時」を生きるということのほうなのかもしれない。本報告の目的は、こうした層の経験をめぐる意味を問い直すことにある。 【2.方法】  社会学における相互行為論もまた、「他者」構成の問題を「共在」という同時性における現れを前提としてきたのだとすれば、志向的な対象としては現れないながらも、そこに感受されているような「隔時性」をめぐる〈他者〉経験を問うことは、いかにして可能となるだろうか。本報告では、アートベース・リサーチという方法を採用し、コロナ禍でのある授業実践での経験とその作品化による洞察を試みる。それは、匿名の人間同士が互いに「録音された声」だけを通じて〈出会う〉ということ、同時にそのやりとりなかで今はもう直接的には触れることのできない互いの〈ある日〉をめぐる生と感情に触れようとする営みである。 【3.結果と結論】  隔てられた時のなかで、何かを伝えようとする声が聴こえるとき、その声は、〈私〉にひとつの痕跡/傷痕として差し出される。たとえばそれは、誰かの感情の音として聴こえるかもしれない。「時を隔てて」響く声は、同時的ではないがゆえに痕跡性をやどし、たんに語られている内容を理解する志向を超えて聴かれ、聴いた〈私〉の存在を通じて「証言」しはじめようと迫る。  私たちが、同時性だけでなく、むしろより本来的にはその手前で、隔時性という時間性においても他者と関わっているのだとすれば、この側面を社会学的な他者論や相互行為論のなかにどのように位置づけるべきなのか。また「他者(語り手)」の生を別の誰かに伝えようとする質的社会学の表現のなかにどのように組み込むことができるのか。隔時性をめぐる〈他者〉経験は、〈私〉という主体の同一性を揺るがし、他者にひらかれるような変容をもたらしうるという(Levinas 1978=1999)。だとすれば、アートベースでの社会学により、受け手と語り手が「時を隔てて」出会うことを可能にするひとつの回路もここにあるのかもしれない。 【文献】 伊藤亜紗, 2020, 『手の倫理』講談社. Levinas, E., 1978=1999, 合田正人訳『存在の彼方へ』講談社. 澤田唯人, 2020, 「『かつて、あの人は、ここにいた』――他者の生の痕跡に触れる」岡原正幸編『アート・ライフ・社会学』晃洋書房.

報告番号5

「ダンスと自己変容ーー踊る実践を通して身体の社会性を問い直す」
慶應義塾大学大学院 鈴木 絵美子

【目的】  これまで身体性・場所と社会的規範の関係性に注目した様々な研究が行われてきた。例えばジェンダーの分野では、個人は身体的な性の持つ文化的意味や社会的規範の範囲内で振る舞う傾向がある(Butler, 1990)とされている。この様に、身体に表面化される社会的階層は外側から個人の振る舞いを制限し、既存の規範の再構築を促すように働きかける。この他に身体の置かれる場所も同様に働きく。Foucault (1979) は建築と権力がいかに相互に関連しているかを指摘した。特に学校は囲いや視認性を重視しており、後期資本主義的イデオロギーを反映した、効率的で生産的な管理された身体の構築を促す。従って、学校も外的に個人の振る舞いを制限し、規範や権力の再構築を促していると考えられる。この様に、身体性や場所は外側から個人の振る舞いをコントロールし、社会的規範の再生産に貢献している。  一方Foucaultは”practices of self”という言葉を用い、記述•会話などの行為の実践から個人は主観を構成すると考え、更にそれらの行為は学校などの組織や、社会にある既存の規範により形成されているとする (Taylor, 2010)。つまり、主観は個人が主体的に記述や会話の実践を通して形成するものであるが、同時にこれらは既存の権力関係の影響を受けている。個人は行為の実践において、社会的排除の恐れから、既存の規範を軸に自分自身を位置付ける傾向にある為、主観は既存の権力関係を再生産するような形で構成される。つまり、個人は自分の身体的性別や社会的階級の規範を自主的に実践し、割り当てられた構造を受け入れるように自分自身の立場をとる傾向がある。外的な圧力だけでなく、自主的にも主観を社会的規範に合わせるように制限している。  ダンスは”practices of self”の実践の一つであり (Salgado Llopis, 2010)、ダンス初心者にとって、これまで主体を構築するために利用されてきた社会規範とは異なる社会的文脈や関係のあり方を通して主体を再構成する。つまりダンスの実践は、それまで課せられてきた社会的制約、ルーティーンや表現のモードから自らを解放することに繋がり、主観性の再構築に繋がると考えられる。更に、普段過ごす教室ではない場所でダンスすることで、これまで学校において個人が構築した主体性を超えた主体性が構築されるのではないかと考えられる。  従って、本研究はダンス初心者を対象に、ダンス実践を通して個人が主体性の再構築を行うプロセスを観察することを目的とする。規範や規律がダンスという新たな実践を通じてどの様に変化し、主体性が認知的・身体的にどの様に再構築されるかを探求する。 【方法】 ダンス初心者に9ヶ月間のダンスワークショップを行い、そのプロセスを映像記録とインタビューで考察した。 【結果】 参加者はダンスの実践を通して「実は内在していた自分」に気づき、自己表現の幅を広げることができた。スタジオや川辺でダンスすることで、監視関係や権力関係の変化を促し、参加者は新たな主体性を探求する機会を得ていた。 【結論】 新たな”practices of self”を実践すること、社会的文脈を変えて人と関わり直すことは、それまで課せられていた監視関係や権力関係の構造を崩し、新たな主体性を探る機会を創造することができる。そしてこれは、社会的規範の再生産を問う一つの方法であるのではないかと考えられる。

報告番号6

ダンスと自己変容――踊る実践の撮影と身体のプロジェクション
千葉商科大学 後藤 一樹

新たな社会的自己の可能性に向けて「踊る身体」を投企(project)すること、その過程を撮影し投影(project)しながら自己を再帰的にモニタリングしてつくりかえていくという「プロジェクション」の二重の意味を込めて、《Dance&Self:身体の再帰的プロジェクション》と題したワークショップ形式のプロジェクトを2021年11月より進めてきた。 本プロジェクトでは、慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程の鈴木絵美子さんをラテンダンスの講師としてスタジオに招き、千葉商科大学政策情報学部後藤一樹ゼミナールの学生たち(塚本愛実・後藤優希・増田渚・大井一優・岡澤椋祐を中心としたメンバー、本格的なダンスの未経験者)が彼女とともにダンスを踊る内容のワークショップを、2022年7月までに計11回実施した。 ダンスは、(1)言語によって構造化される主体のあり方とは異なる、身体的・音楽的コミュニケーションを通した(非言語的ディスクールの)実践の一形式であり、また、本ワークショップで取り組んだラテンダンスは、(2)日本社会とは別の文化的・歴史的実践の蓄積から生み出された身体的型であるため、従来の社会的文脈において規律・訓練(discipline)されてきた踊り手(学生)の身体性を大幅に書き換える可能性がある。 踊る実践を通して、踊り手の自己はいかに変容し、それと同時に、彼女・彼らの身体を既定している社会規範やジェンダー規範はいかにして逆照射されるのか。 以上の問いに迫るためには、まず、ダンスの身体表現に見合ったメディアを介して、踊る実践の過程が記録され、思考されなければならない。そのメディアが映像である。「踊る身体ということば」がダイレクトに文字メディアに置き換えられる場合、そのコミュニケーションの意味の多くは捨象されることになるだろう。踊る際の身ぶりや手ぶり、表情や視線、身体のリズムや躍動、声や吐息、空間に響き渡る音楽や環境音、そして踊る身体同士の呼応は、「文字にならないことば」であり、「光と音の運動」として、つまり映像としてならば十全にとらえることができ、第三者とも共有することができる。そこで、ダンスをする学生メンバーが代わる代わるその様子を撮影し、私もサブカメラで彼女・彼らの踊りを撮影した。 次に、「踊る身体」として自己をプロジェクトしていくとどのような変容が起こるのかについて理解するために、2022年4月より本格的に、学生メンバーに対するインタビューを複数回実施した。これは、9か月間に及ぶダンス・ワークショップを通じて、自己のとらえ方や人との関わり方、生活の仕方等がどのように変わったのかを、そのベースにある生活史を含めて聞き取るライフストーリー・インタビューである。インタビュアーの鈴木さんが聞き取った学生メンバーの語りを学生自身が読み解いて加筆修正しながら原稿を作成、私による再インタビューを加えるかたちで録音し、発表用の音声データとした。 以上のような実践および調査で得られた質的データを、学生メンバーとともに編集=省察して映像ドキュメントとしてまとめ、上映=発表する予定である。

報告番号7

新しい食の分野の成立要件は何か?――集合的アイデンティティ・社会的ネットワーク・ ライフコース
大正大学 澤口 恵一

1. 目的 本報告の目的は、国内における飲食産業において新しい分野がどのようにして創出されたのか、先駆的な取り組みを行った小規模飲食店や生産者の事例をもとに、その社会的要件について検討することである。食の世界には変えがたい嗜好や慣習・規制がある。変革が成し遂げられた要件をその障壁とともに明らかにすることが必要である。 2. 方法 さまざまな食の分野において挑戦的な取り組みを行った代表的な人物にインタビューを実施(41人)し、各領域における社会変動について文献リサーチを実施した。分析にあたっては変革を成功させた人物の生育歴、職業キャリア、初期の技能形成、価値観や信念、同業者や支援者たちとのネットワーク、社会変動における促進要因・阻害要因に着目した。本報告では具体的事例として自家製粉蕎麦とクラフトビールの発展に関する事例についてとりあげながら論じていく。 3. 結果 食における変革が定着し持続的な発展をするために必要な要件として、社会学的に注目すべき事項は、同業者の集合的アイデンティティの形成、同業者・関連事業者の社会的ネットワーク、その食に愛着をもつ顧客の集積(その誘因としての時代において支配的なメディアの役割)、そして技術や知識を発展的に継承していく次世代の若者の持続的参入である。蕎麦の領域では機械の導入によって途絶えた手打ちの技術を復興させた人物とその継承者が手打ち蕎麦の技術を確立した。生産者から直接買い付けし自家製粉を行う蕎麦店が現れ、技術を普及するとともに産地の品質向上とブランド化が進んでいった。今日では既成の「うまい」蕎麦の基準に反する熟成蕎麦を出す店や自家栽培を行う店がある。こうした蕎麦店の集客には雑誌やインターネットの記事が重要な役割を果たしている。また、クラフトビールの領域では規制緩和によるブームの後に停滞の時期が続いたものの、大量生産品にはない味わいを求める生産者が品質向上を続け若い技術者が独自の個性的な味わいの製品を作り顧客の支持を拡げている。不遇の時代にも品質やブランド価値の向上を継続していった醸造所が残りアメリカやイギリスの動向を反映したビールが製造された。初期に開業した醸造所で学んだ若手の醸造家が小規模な醸造所を各地で開業し始めている。全国で開催されるイベントや地域内で開催されるフェスは顧客と醸造所とのネットワークの基盤となっている。 4. 結論 食の領域における変革を理解するためには、個人と社会との関係を人生史、産業史、全体社会の変動などの多様な時間軸でとらえることが重要である。その領域に人生を投じる新しい参入者が必要であり、食の変革に必要な技能の形成や継承には場合によっては数世代にわたる時間が必要である。こうした現象を理解するためには社会学の理論があまり重要視してこなかった組織個体群や地理的条件に着目するアプローチが有効である。

報告番号8

骨董趣味の大衆化過程における器の趣味と飲食の相互作用について
大阪経済大学 團 康晃

本報告では、「骨董」趣味と飲食の相互作用について雑誌『茶わん』を事例に検討する。 私たちはふだん食事をする時、多くの場合、食器を用いる。そこで用いられる道具の在り方の背景には食文化やその道具固有の歴史があり、それは民具研究などでも蓄積された知見がある(神崎2017)一方、消費社会の文脈においていかなる食器を選び飲食をするのか、というのは「趣味」の問題でもある。食器は飲食のための道具である以上に、その人の趣味の対象であり、蒐集の対象にもなりうる。そしてしばしば食器は持ち主の趣味の都合で、それが生み出されたときに想定された用途とは異なる用いられ方をすることもある。 こうした食器の用いられ方は、茶道においては「見立て」として古くからみられるものである。一方で、こうした「見立て」が茶道以外で大衆的に広く知られるようになっていったのは、骨董趣味が広く知られ、実践されるようになる明治末以降からだと考えられる。 骨董趣味が人口に膾炙する中、当初こうした器は「鑑賞陶器」と呼ばれ、器としての使用よりもまず美の対象として蒐集され、美術館や博物館に納められることもあった。一方で、骨董趣味が広く知られるようになると、「鑑賞陶器」に収まらず、様々な用途で用いられることも増えていくようになっていった(明治から戦後にかけての工芸とナショナリズムの関係については木田2014)。  本報告ではこの骨董趣味の大衆化過程において骨董趣味の対象としての器を飲食に用いることを例示、推奨するような記述に注目し、こうした「見立て」を器と飲食の相互作用として、その普及過程を明らかにする。その事例を見ていく資料として、雑誌『茶わん』に注目する。この雑誌は明治39年から刊行された『書画骨董雑誌』が改題されたもので、戦後に骨董趣味の雑誌を数多く立ち上げる美術評論家の秦秀雄が関わった雑誌であり、工芸、陶磁史、民藝に関わる多くの知識人(魯山人、奥田誠一、倉橋藤治郎等)の寄稿や地方(戦地含む)の読者の投書(趣味への参加)を見ることができ、骨董趣味の大衆化の嚆矢を描き出す上で極めて貴重な資料である。  本報告では、その中でも特に戦中から戦後の号における投書や相談、また読者へのインストラクションを行う記事に注目し、そのテキスト実践を分析する。分析は、雑誌購読者が増え、骨董趣味が大衆化していく中で、器の蒐集とその飲食への使用の可能性がいかなるものとして描き出されてきたのかを明らかにするものであり、かつ、男性の趣味である骨董趣味が家庭内で実践される際の様々な葛藤を描き出すものとなる。

報告番号9

戦前期日本における牛乳配給事業と栄養科学の関係に関する考察
筑波大学大学院 佐藤 知菜

【目的】本研究は、日本における牛乳利用の「福祉」的展開と牛乳の栄養価に関する知識との結びつきについて検討することを目的としている。明治期日本では、牛乳に経済的価値を生み出す可能性が見出され、次第に牧畜推進が為され、牛乳の経済的供給が構成されていった。しかし、牛乳は栄養価が高いことから、経済的な需給関係とは異なる福祉的配給モデルが模索された(武田 2017)。この福祉的供給は、具体的には、1923年の関東大震災を契機に牛乳配給事業として進められたが、その背景には、大正期に乳幼児の高死亡率や都市の子どもの「身体虚弱」問題があった。関東大震災の復興過程では、牛乳配給事業の「救護」から「児童保護」へという役割変化が生じ(鈴木 2016)、牛乳配給事業を含む児童保護事業は家庭に対する「健康教育」上の意義を主張するようになった(野口 2015)。本研究は、このような事業の展開過程で、牛乳を「最も栄養価値の富んだ安い食品」として位置づける科学的知識がどのように用いられていたかに着目して分析を進める。 【方法】まずは、東京市社会局による関東大震災直後の牛乳配給事業を含む児童保護事業の展開について記述されたものを検討する。また、牛乳に関する科学的知識や児童への牛乳供給に関して議論された資料を検討する。牛乳検査の過程に関するもの、児童に対して生乳がよいか加工品がよいかを検討しているもの、また、試験的な学校での牛乳給食の成績を提示しているものなどである。 【結果】東京市社会局は、関東大震災以前からすでに、イギリスの小児健康相談部を参考として、牛乳配給の準備を進めると共にそれを児童相談所と連携させていくという将来的展望をもっていた(野口 2015)。実際に、関東大震災直後の東京市社会局資料では、牛乳の配給量だけではなく、配給地域や配給対象者の職業などに言及が為されており、牛乳配給事業に対する社会局の将来的な目論見を見ることができる。その上で、栄養価の高さとそれに比べたときの価格の安さを主張して、さらなる価格の低廉化のために、関連業者との関係性の構築を進め、牛乳の供給と需要を拡大するための方策が議論されている。また一方で、学校における牛乳給食に関する資料では、栄養価の高さが学校の就学にどのように役立つかが提示されている。戦前期は、牛乳の栄養価が高いということは認識されていたが、その栄養価の高さがどのように役立つのか、何に効果をもっているのかは、明確ではなく、模索の途中であったことがわかる。 【結論】戦前期の牛乳配給事業を見ると、牛乳の栄養価の高さという知識が、牛乳の栄養価の高さの効果の先を論じるそれぞれの立場の知識と複合的に組み合わされ、事業が展開されてきたことがわかる。栄養に関する知識が独立して受け入れられているのはなく、その他の様々な要素との関係性の中で価値づけられ、用いられていることを明らかにする。 【文献】 野口穂高,2015,『大正末期から昭和初期の東京市における「牛乳配給事業」の研究――「身体虚弱児童」への対応を中心に――』平成27年度「食と教育」学術研究報告書. 鈴木康弘,2016,「第二章 関東大震災後の東京市における牛乳配給事業」石神真悠子ほか『「社会的なもの」としての教育の再考』東京大学学校教育高度化センター. 武田尚子, 2017, 『ミルクと日本人―—近代社会の「元気の源」』中央公論新社.

報告番号10

戦前日本の家庭料理において栄養思想がデザインされるプロセス
立命館大学大学院 巽 美奈子

本研究は、戦前日本における近代家族の基板形成の過程にみる<栄養>の概念の受容について検討する。とりわけその家族の構成員である主婦たちの食事づくりの主体化のプロセスに、<栄養>が取り込まれたこと、さらにそうした実践によってつくられた家庭料理に注目する。  明治期以降、新しい産業が興ると、俸給生活者と呼ばれる人びとが誕生し、都市であらたな家族形態と彼らによる新しい生活スタイルが築かれた。そうした新しい家族は、性別役割分業化のモデルとなり、また彼らは貨幣経済の発展にも寄与した。食生活においては、前近代にみるイエ単位で生産・獲得した食物で生を営むことから一転して、食物を選択し貨幣でそれを購入するようになった。食物の選択が自由になるとひとはその行為に何らかの動機付けをする。例えば、西洋文化称揚のもと、西洋人を模倣し、牛肉を<滋養>によいものとして選択する。白米もまたステータスの一種として、多くの人びとの嗜好の対象となり消費が拡大した。  こうした人びとの自由な消費生活は、明治期末ごろから人口が増大し、食糧において需要と供給のアンバランスが国家の深刻な問題となると、奢侈な生活とみなされ、それを是正しようという国策が図られるようになった。  <栄養>とは、そうした背景のもとで誕生した。国策の一環として大正期に内務省栄養研究所が設立、初代所長に任命された栄養学者佐伯矩は、<栄養>という言葉を広めることで、国民の無駄のない食物消費を目指そうとした。つまり<栄養>とは、人びとの嗜好によって動機付けられた食物消費を、抑制させる思想を内包した、<滋養>とも相対するような概念であった。  こうした<栄養>と人びととの関係はどうであったのか。食物消費への欲求を抑制せんとする<栄養>ははじめ、その選択の自由が可能な多くの人びとから反感をもたれた。ところが、昭和期の総力戦体制期より前には、都市新中間層にあたる女性たちから支持されるようになった。家庭における食事作りの主たる担い手/実践者のあいだで、<栄養>が受け入れられたのである。そうして家族という私的領域において、<栄養>がデザインされた調理実践が展開されていった。  <栄養>が受容され展開されたことは、結果的に家庭/家族における食物消費に、何らかの変化をもたらしたといえる。本研究は<栄養>の受容に至るプロセスを、家族に向けられた調理実践への影響という観点から検討する。<栄養>を受容し、調理実践に至る諸要因として考えられるのが、①第一次大戦期以降の物価高騰を機とした経済的な社会変化、②栄養学の学術的な進展、③都市中間層の重層的な厚み、④近代家族の基板形成、である。これらが調理実践の成果物である「家庭料理」という新しい食の形態と連関して、結果<栄養>が家庭料理にデザインされることが正統化され、家族の中に浸透していったことが予想される。  また家庭料理とは、家族間における媒介物ともいえる。本研究では、そうした家庭料理の特性にも着目し、検討を試みる。すなわち食事というモノやそれをめぐる(調理)実践も分析の対象とする。最後には主婦の手によって<栄養>がデザインされ、家族に消費されることの内実を明らかにしたい。   加えてこのような内容を研究の素材として扱うことの有用性を、「食を論じることの社会学的可能性」と結びつけて論じてみたい。

報告番号11

食物アレルギーのある子どものニーズの構造
和洋女子大学 大日 義晴

【1.目的】 現在の日本社会では、食物アレルギーを「食べて治す」という医学的知識が浸透しつつあり、それに伴って、完全除去を継続しながら自然な耐性の獲得を待つのではなく、アレルゲンを自宅で積極的に子どもに摂取させる機会が広がっている。そのような社会的状況の変化のなかで、食物アレルギーのある子どもを育てるという経験はより複雑になりうる(松木・大日 2022)。本報告では、食物アレルギーの子どものケアをめぐる語りにおいて、子どものニーズはケアラーである母親たちにどのように措定されており、ケアのあり方にどのような変化がもたらされているのか検討をおこなう。 【2.方法】 本報告では、食物アレルギーのある子どもの母親を対象として、報告者らが実施した半構造化面接法によるインタビュー調査から得られた語りの検討をおこなう。調査は、食物アレルギーの子どもと保護者の支援事業を行っているNPO法人Yの協力を得て、食物アレルギーのある子どもの母親20名を対象に実施された。調査の実施期間は2018年10月から2020年2月である。 【3.結果】 母親によって措定される子どものニーズには、質的に異なる3つの特性が見いだされた。第一に、身体的ニーズである。とりわけ学校や保育所をはじめとした公的場面において、誤食が発生する確率を下げることを目的とした、子どもの生存をめぐるニーズが中心を占めていた。第二に、社会的ニーズである。具体的には、子どもにアレルギーがあったとしても他の子どもたちと同様に、食事やイベント等に参加する機会を保障する、包摂をめぐるニーズが示された。 最後に、個人的ニーズである。これは、子ども当人にとっての選好・価値・感情をめぐる個別の欲求であり、身体的・社会的ニーズの実現に向けてその説得力を補うために、母親の語りの中で援用されていた(「みんなと同じがいい」という子どもの語りを援用しつつ、社会的ニーズについて表明する等)。他方で個人的ニーズは、母親が措定するニーズと常に一致するとは限らず、たとえば、子どもの味の好み(「そもそも牛乳の味が苦手」)」や心理的苦痛(「怖い思いをしてまで食べたくない」)は、むしろ、治療継続の重要性の低下を含めたケアの長期的目標の設定に影響を与え、ケアのあり方の再考をもたらしうることが見いだされた。 【4.結論】 身体的・社会的ニーズは、ニーズに対応するケアの獲得を目指し、公的な場面における交渉や異議申し立てについての語りの中で示される。一方、個人的ニーズは、主にケアラーである母親と子どものあいだにおける、ケアのあり方の調整をめぐる語りの中で頻出する。食物アレルギーは、主に母親による食事の管理をもって、子どもの生存を保障することが最優先とされてきた特性ゆえに、子ども本人の個人的ニーズは潜在化しがちであった。しかし、近年における、いわゆる「食べて治す」治療の登場は、治療過程において子どもに大きな負担を生じさせることもあり、子どもの個人的ニーズを顕在化させ、母親がそれらのニーズに注意を向ける機会を大きくし、結果としてあるべきケアのあり方をより複雑化させたと言えるだろう。 文献: 松木洋人・大日義晴, 2022, 「食物アレルギーのある子どもの子育てにおける道徳性の二重化:『食べて直す』という医学的知識は母親に何をもたらすのか」『保健医療社会学論集』 32(2) : 90-100.

報告番号12

部落差別における「現代的レイシズム」の表出――大学生に対する意識調査(2021)を中心に
大阪公立大学 阿久澤 麻里子

差別は変容する。それは差別が「する側」の恣意によって作り変えられるからである。国際人権条約において差別は「人の属性・特性を理由に、区別・排除を行い、人権の享有・行使を妨害すること」と定義されるが、言うまでもなく区別・排除・妨害するのは、差別「する側」(マジョリティ)である。ゆえに差別主義(レイシズム)研究では、マジョリティがどのように差別の言説・手段を作り変えるのかについて焦点をあててきた。そこでは60年代以降、「古典的レイシズム」(生物学的差異・生得的優劣の主張)に代わり、新しいレイシズムが問題化されてきた。例えば、積極的差別是正措置を米国社会の象徴的価値(勤勉・努力・自由・実力主義等)を脅かす政策だと非難し、受益者のマイノリティを「社会的価値を共有できない人びと」とみなしたり、「差別はもう深刻な問題ではないのに、努力もせずに要求ばかり行い、不当な特権を得ている」と攻撃する「象徴的レイシズム」 (Kinder & Sears 1981)、「現代的レイシズム」(McConahay 1986)や、機会の平等と自由を強調し、政策的介入を否定する「レッセフェール・レイシズム」(Bobo 1997)などがある。公民権運動や多文化主義政策により、露骨な差別が社会的非難を受けるようになり、顕著となった。 部落差別においても、各地の自治体が実施する、最近の人権意識調査の自由回答欄に、「特権」「利権」「優遇」といった用語を用いて人権施策を批判し、部落を含むマイノリティを「モラルに反する」と批判し、自らの忌避的態度を正当化するする書き込みが目立つようになった。また、筆者が2020年に高(2015)の手法によって実施した、部落差別に係るツイッター分析においても「現代的レイシズム」に分類される投稿が、一定まとまった。それは、貧しい・こわい・閉鎖的・・・といった、旧来の偏見とは異なる。 そこで2021年に6大学で、主に新入生を対象に意識調査を実施し(n=1537)、部落差別において「現代的レイシズム」言説がどの程度、大学生に浸透しているのか、また、これを支持する背景にある要因は何かを分析することとした。大学生を対象にしたのは、こうした言説が、とりわけ2000年代以降に社会問題化したヘイトスピーチにより、ネット空間に多数発信されたことから、デジタルネイティブ世代の受けた影響が大きいと予測したからである。 結果として、「現代的レイシズム」を支持する態度は大きな割合ではなかったものの、それは、差別解消のための教育やネット規制などの「公的介入」を嫌い、ネット上での誹謗中傷やバッシングを「仕方がない」と受け止め、自己責任を支持する態度と相関していた。すなわち、教育・法・政策を通じ、差別をなくすための社会的・制度的取組みへの支持とは相いれないことがわかった。 Kinder, D. R. & Sears, D.O. [1981] Prejudice and Politics: Symbolic Racism Versus Racial Threats to Good Life. Journal of Personality and `Social Psychology 40(3) McConahay, J. B. [1986] Modern Racism, Ambivalence, and the Modern Racism Scale. Orlando. Academic Press. 高史明 [2015]『レイシズムを解剖する: 在日コリアンへの偏見とインターネット』勁草書房 Bobo, L. et.al. [1997] Laissez-Faire Racism: The Crystallization of a ‘Kindler, Gentler’ Anti-black Ideology. in Racial studies in the 1990’s.Praeger

報告番号13

ポスト特措法時代の被差別部落の実態と転出入
龍谷大学 妻木 進吾

本テーマセッションの趣旨にあるように、同和対策にかかわる一連の特別措置法が2002年に期限切れを迎えて以降、行政等を主体とする被差別部落の実態把握がなされなくなり、実態の不可視化が進行している。そのような中、大阪府・大阪市の被差別部落については、国勢調査データの分析などを通じて把握が試みられており、ポスト特措法時代においても、かねてより指摘されてきた低学歴傾向やホワイトカラー割合の低さ、失業率の高さや非正規雇用率の高さなど就業の不安定さがみられること、また、若年層の転出により少子高齢化が顕著に進行していることなどが明らかにされている。  このように地域としての被差別部落を集計単位とした場合、ポスト特措法時代においても従前からの傾向が引き続き見られる。一方で、特措法時代にあっても地域としての被差別部落に居住する人びとは転出入を通じて大きく入れ替わっていることが指摘されてきた。たとえば、大阪府が実施した生活実態調査による推計では、1990年から2000年の10年間に大阪府の同和地区では、少なくとも人口の26.1%が流出し、9.4%が流入してきたとされている。  本報告は、2000年と2010年の国勢調査・個票データの再集計結果から、特措法終結前後の大阪市の被差別部落の転出入の実態と、転出入が被差別部落の低学歴傾向や就業の不安定さなどの生活実態に及ぼす影響について、転入者像を明らかにすることを通じて描き出してみたい。  同和対策事業の対象地域であった国勢調査の「調査区」を含む「基本単位区」を被差別部落と設定し(旧同和対策事業対象地域外に居住する人びとが含まれることになるが、その割合は3%弱(2010年)である)、被差別部落に居住する人びとの転出入の状況をみると、2000年から2010年間に被差別部落の住民は大きく入れ替わっていることがまず明らかになる。死亡による自然減が比較的少ないと思われる2010年時点の20〜64歳についてみると、転出者数は2000年人口の56.2%であり、この間の転入者数は2010年人口の50.2%に達する。人口の6割近くがここ10年で転出し、5割はここ10年間の転入者である。転出率は2010年時点の30〜44歳、転入率は25〜39歳の世代でとりわけ高く、それぞれ6〜7割強に達する。  報告では、2000年から2010年にかけての転出入の実態、また転入者の特徴をより詳細に描き出していく。もって、今日的な「被差別部落の生活実態」とは何か、部落問題研究に求められる実態把握とは何かについて検討したい。

報告番号14

被差別部落から/への転出と転入
大阪教育大学 齋藤 直子

1990年代から2000年代の大阪において、被差別部落から/への人口の流出入が注目されるようになった。従来から被差別部落の人口移動は生じていたのであるが、この時期において、流出入が「加速した」と推測される事態が起こっていたからである。そのひとつは、90年代に公営住宅に応能応益家賃制度が導入されたため、所得の高い人々の転出が生じたことである。もうひとつは、2002年に国の同和対策に関する一連の法律が終了し、同和向け公営住宅の一般公募が行われるようになり、部落外から、特に低所得層の転入が生じたことである。  従来、被差別部落の実態調査といえば、同和地区内の居住者への量的調査が中心であった。転入者に関しては、これらの調査を通じてその実態把握が可能である。しかし、転出者に関していえば、経年比較を用いて転出者の数を推測する程度にとどまり、転出先がどこであるのか、転出先でどのように暮らしているのかといった実態を明らかにすることはできない。  一連の特別措置法の期限切れ後は、このような実態調査もほとんど行われなくなり、それを補完するものとして国勢調査などの行政データの二次分析がおこなわれるようになった。これらの調査においても、人口の流出入が明らかにされてきた。これらのデータにおいても、転入者に関しては「どこから」転入してきたかを明らかにすることはできるが、転出者が「どこへ」転出していったのかを明らかにすることはできない。  また、質的調査においても、転入者の場合は、被差別部落内に暮らしているのであるから比較的アクセスは容易であったが、転出者の場合、そもそもの把握が困難であった。  転入者の研究よりも遅れているとはいえ、転出者の研究も徐々にみられるようになっている。例えば、先述のような被差別部落の実態調査においても、地域住民に「転出子を出しているか」「何人出しているか」「どこに出ているか」「交流はあるか」といったことを質問することによって、間接的に転出者の状況を把握するといった試みがなされている。  また、質的調査においては、地域住民の紹介を通じて、転出者の聞き取り調査を行うことが可能である。  本報告では、科研費(基盤研究(C) 一般)「被差別部落からの転出者に対するインターネットを介した「新しい」差別に関する研究」(研究代表者 齋藤直子)を用いておこなった被差別部落からの転出者の聞き取り調査を通じて、「部落の外で暮らす」部落出身者の実態やアイデンティティのあり方について、明らかにしていく。

報告番号15

新しい同和問題としての自治活動と住民交流――京都市の同和地区の調査から
公益財団法人世界人権問題研究センター 中川 理季

部落差別の解消を図るために、1969年に同和対策事業特別措置法が施行された。こうした特別措置法による事業は、2002年で打ち切られた。同和問題(部落差別)の解決が一般法の活用によって実現できると考えられたからである。この判断に多大な影響を与えたのが、国の諮問機関であった地域改善対策協議会による、同和問題対策についての答申である。これは全国的な同和地区の実態調査としては最後となった1993年調査のデータをもとに1996年に提出され、今日においても同和問題の見方の前提にされるものである。答申では、生活環境の改善が大幅に進んだ一方で、教育達成、不安定就労等、小規模農業・産業の相対的多さ、差別意識・行為の解消を課題として指摘している。  同和地区は、差別への対抗として上記のような特別対策が打たれたり部落解放運動が展開されたりしてきた地域/アリーナである。その結果、一部に一般地域と異なる諸構造が見られ、それが住民にとって相対的に不利な生活条件を帰結している場合がある。そうした、差別解消のために社会が諸行為を加えた同和地区で生じている、いわば意図されざる不平等というべき不利な生活条件を含むより広義の概念として、本報告では同和問題を用いていきたい。  1993年の実態調査以降、いくつかの研究によって、答申において指摘された課題とは性質の異なる同和問題の存在が指摘/示唆されてきた。それは、文化、貧困、女性差別の3つの側面から整理できる。本報告も、こうした同和問題を明らかにするものであり、それは次の2つである。  1つめは、自治活動である。京都市Y同和地区には、戦後の京都市と部落解放運動団体による被差別部落の統治をめぐる闘争の結果、自治会がほとんど存在しない。この闘争の発端は、被差別部落の「社会問題」を解決するための京都市による介入である。一般地域とは異なりY地区住民だけは自治会をもたない。そして、かれらは自治会を求めており、また、その不在によって実際に不利益を被っている。さらに同市T地区では、Y地区と同様の自治会不在による不利益がみられたのと、設立されたばかりのある自治会がその活動のノウハウの少なさに困難を抱いていた。これらの状態も、京都市と運動団体による被差別部落の統治をめぐる活動によって招かれており、同和問題として捉えられる。  2つめは、住民交流である。全国的にもめずらしく、隣保事業(隣保館を設置して人権・地域福祉事業を展開するもの)が廃止された京都市におけるK地区では、国が同和地区における隣保館に期待してきた住民交流(多様性のある祭り)が開催されてきた。国/社会が差別解消のために必要だと考えていること(住民交流)を、それを保障するもの(隣保事業)がない場合、特定の同和地区だけそのためのコストを負担しなければならない。この事態を同和問題としている。

報告番号16

Family-Related Correlates of Health among Younger British Muslims during the Pandemic
Waseda University KOJIMA Hiroshi

“This study attempts to clarify family-related correlates of health status and health-related behaviors among British Muslims aged 18-39 during the COVID-19 pandemic, applying binomial logit analysis to microdata from a small-scale web survey (N=328) conducted in November 2021, “Survey on Islamic Practices during the pandemic in the UK.”
The survey was designed for the analysis of religion-related correlates of health, but family-related (and internet-related) questions were also included, drawing on my past studies on the dietary integration of the Muslim youths in three European countries (e.g., Kojima 2017). It is also because household (HH) crowding has been shown to have unfavorable effects on COVID-19 mortality among Muslims (relative to Christians) in the UK (e.g., ONS 2020). But quantitative studies of family effects on health among Muslims seem to be rare, possibly due to the concern over Islamophobia.
A preliminary logit analysis of the data set revealed significant effects (relation) of family-related variables on health, but the first set of analyses concentrated on the effects of religion-related variables on self-rated 1) physical and 2) mental health, 3) life satisfaction, 4) vaccine and 5) testing uptake, and 6) infected HH members The basic model (including family related variables such as being married in Islamic and secular ways and HH size of four) fitted relatively well for the mental health of younger Muslims of both sexes, but it did not fit well for other aspects of health. Thus, the following seven family-related variables were added in the second set of analyses: having younger brothers, younger sisters and no siblings, having relatives of three age groups (below 16, 16-24 and 25-64) in the HH, and having key (essential) workers in the HH.
The results of binary logit analysis revealed that the physical health of younger Muslims is positively related to being married and having no siblings among both sexes; it is positively related to having younger brothers, no siblings and children aged below 16 among male Muslims; and it is positively related to being married and negatively related to having relatives aged 16-24 among female Muslims. The mental health of younger Muslims is positively related to being married, HH size of four, and having no siblings and relatives aged 16-64 among both sexes; it is positively related to HH size of four, having younger brothers, no siblings, children aged below 16, and relatives aged 25-64 among male Muslims; and it is positively related to being married and HH size of four among female Muslims. However, life satisfaction is not much related to family-related variables: only being married is positively related among both sexes; it is positively related to being married and having younger sister and no siblings among male Muslims; and no family-related variables are significantly related among female Muslims.
The vaccine uptake is negatively related to having younger brothers and relatives aged 16-24 while it is positively related to having key workers among both sexes. Among male Muslims the uptake is negatively related to being married and positively related to having children aged below 16 and key workers. Among female Muslims the uptake is negatively related to having younger brothers. The testing uptake is negatively related to HH size of four and positively related to having key workers among both sexes. It is negatively related to HH size of four among male Muslims, while it is negatively related to having children aged below 16 and positively related to having key workers among female Muslims. Having infected HH members is negatively related to having younger sisters and no siblings and positively related to having relatives aged 25-64 among both sexes. Among male Muslims it is negatively related to HH size of four and having younger sisters and no sibling while it is positively related to having relatives aged 16-24 and key workers. Among female Muslims it is negatively related to having younger sisters and relatives aged 16-24 while it is positively related to having relatives aged 25-64. Thus, the effects (relation) of having relatives aged 16-24 are in the opposite direction among male and female Muslims.
In sum, family-related correlates have relatively large effects on health status and health-related behaviors among younger British Muslims during the COVID-19 pandemic. They have same or different effects among male and female Muslims, depending on the nature of health status and health-related variables. Their effects also differ by the gender of Muslims. The effects of gender of younger siblings also differ by the gender of Muslims, possibly because sibling relationships are gendered.

Acknowledgements:
The microdata for this study was collected by the Japan Research Center with the JSPS scientific grant (20K00079, PI: H. Kojima). I would like to thank Dr. Islam Uddin (Imam) for the revision of the questionnaire. ”


報告番号17

‘It’s a test from the goddess’:Understanding the lived religion of UK-based Hindu Bengali migrants in the times of COVID-19
Brunel University London MUKHERJEE Utsa

“The COVID-19 pandemic and the lockdown measures instituted by national governments in its wake reconfigured the time-spaces of collective religious activities in significant ways, bringing to the fore key issues around the changing nature of religious practice and the place of digital media in it. This paper focuses on the religious lives and community-based religious festivals of religious minorities in pandemic Britain, through a digital ethnographic study of Hindu Bengali migrants’ ‘hybrid’ Durga Puja festivals organised at the height of the COVID-19 pandemic in the autumn of 2020.
For religious minority migrant communities in contemporary Britain, collective festivals and social-religious networks lie at the heart of the way they negotiate their religious identity in the diaspora and claim recognition from the wider society. In this context, Hindu Bengali migrant communities in Britain coalesce around collective celebration of festivals such as the Durga Puja, which is arguably the biggest festival for this community in South Asia. The five-day autumnal Hindu Bengali festival of Durga Puja pivots around the worship of the goddess Durga and serves as a site for celebrations, social interactions and cultural performances. In recent years, hundreds of Durga Puja festivals are held across the global Bengali diaspora including the UK where the five-day festival is often condensed into a weekend-long affair and several adjustments are made to the festival to make it happen in Britain. These diasporic Durga Puja celebrations have emerged as the fulcrum of the Hindu Bengali social calendar in Britain.
However, the public health restrictions put in place by the UK government in the wake of the COVID-19 pandemic made it impossible for this racialised minority group to celebrate their biggest annual festival in-person as they had done in previous years. In response, some of these groups cancelled their festivals while others staged ‘hybrid’ events where small-scale ritual worship of the goddess Durga were held in private, often in living rooms of organisers, and then livestreamed to community members for free through social media platforms such as Facebook and YouTube. The digital ethnographic study captured the dynamics of these Hindu Bengali migrants’ collective religious life amidst the pandemic through participant observation of these festival livestreams followed by remote interviews with twenty-two Durga Puja organisers from across England, Wales and Scotland.
The paper deploys the sociological lens of ‘lived religion’ (Ammerman 2015) to explore the way Hindu Bengali migrants in Britain dealt with the challenges posed by the COVID-19 pandemic in staging their annual Durga Puja. The study of lived religion breaks away from the preoccupation with official texts, institutions, and experts in the sociological study of religion and instead lays emphasis on how religion is lived out in the everyday practices of ordinary people. The observation and interview data reveal that the UK-based blended Durga Puja festivals of 2020 mark a further development in the ongoing and long-establishment trend of mediatisation of religion among diasporic Hindu Bengalis in Britain rather than being an unprecedented rupture, novelty or indeed a wholly new mode of religiosity. This step-up in the face of a public health emergency resonates with the wider continuum of religious adjustments that characterise diasporic lived religion. Expanding on Smart’s (1987) thesis, the paper contends that diasporas are particularly generative sites for studying the multiple spatialities and temporalities of religious belonging, and ritual continuities and developments during a global pandemic.
In reflecting on the significance of online Durga Puja festivals for diasporic community life, it is also important to take into account the organisers’ social location as mostly middle-class, upper-caste transnational subjects who have economic and social resources at their disposal to facilitate these changes in the way they stage Durga Puja festivals in Britain. Moreover, the pandemic also lent newer connotations and significance to the cult of the goddess Durga, as several participants in the study made references to the Durga mythology which describes the goddess as a boon giver and as a mother figure who protects earthlings from danger. This mythology assumed new meanings, with goddess Durga in the form of mother being worshipped to eradicate the evil that is the COVID-19 pandemic. In these ways, the goddess Durga in these blended Durga Puja festivals was conscripted by UK-based diasporic Hindu Bengalis in their collective fight against COVID-19; drawing on religious mythology to make sense of the current situation and to articulate hope for a post-pandemic future.
Taken together, these empirical insights contribute to wider debates within the sociology of religion in the context of COVID-19 especially with reference to the cultural politics of diasporic lived religion, mediatisation of Hinduism and the way class resources shape Hindu diasporic religiosity. The paper concludes with a call to sociologists studying lived religion among migrant groups to pay due attention to the way social locations implicate diasporic religious practices in the (post)pandemic world while capturing the agency of religious actors in mediatized religious practices.”

報告番号18

Undocumented Migrants under COVID-19:Legitimatization of Human Rights Violation and Abuse of Discretion against Migrants in Japan
Kyoto University HOMMA Tori

“The purpose of the presentation is to demonstrate how the law that criminalizes undocumented migrants legitimizes human rights violation and abuse of discretion against migrants in Japan. My co-researchers and I have visited more than 200 migrant families from April 2020 until now to provide food relief by cooperating with NPO food banks and other organizations. If necessary, we also applied for public financial assistance including compensation for absence from work and emergency funds, and accompanied them to ward offices, police stations, lawyer’s office, and so on. Through this action research, what became clear was that the impact of the COVID-19 was not equal, but varied greatly depending on nationality, age, gender, employment status, and residency status (Asato 2020).
This presentation focuses on two undocumented migrants, John and Peter, whom I built a rapport through this action research. I met them in May 2020 when they and other twelve undocumented migrants had run away from notorious brokers and settled in new place. My co-researchers and I visited them regularly with food and necessities and listened to their stories. In April 2021, however, John and Peter were caught by the immigration and were given provisional release permits, or karihoumen in Japanese, instead of being detained at the detention center. It was because the immigration had given out more provisional release permits to avoid clusters of COVID-19 at the facility (Immigration Services Agency of Japan 2020: 50). Ironically, after they were caught, they gained certain freedoms. Given their official ID on a provisional release permit paper, they could go outside freely without fearing eyes of others. However, people under provisional release permit suffer from severe restrictions. For example, they have restrictions on the place of residence and area of movement, are not allowed to engage in any activities that produce reward or income and are not eligible for any public financial assistance. They are also in a constant fear of possible detention as they are obliged to appear at the immigration on the specific time and date ordered by the immigration. The two cases reveal the consequences of immigration law that penalizes undocumented migrants.
First, as the word “legal production of illegality” (De Genova 2004) denotes, when the immigration law deprives undocumented migrants’ right to existence, anything they do to survive becomes “illegal,” forcing them in a vulnerable position. Both John and Peter needed to pay the rent, utility, and food every month without any income. They were tormented as their savings disappeared. They had no way but to secretly work for survival, but even self-help was “illegal.” What made their situation worse was that during the pandemic, they could not leave Japan even if they wished, due to the border control and the skyrocketing price of flight tickets. John was trapped not only physically but also mentally, which led him to attempt suicide. In Peter’s case, he was exposed to risks as he struggled to be legal. One day, a Japanese man got to know Peter’s situation and suggested Peter to become his adapted child. Wishing to stay legally in Japan, Peter took up the offer; however, he later found that the Japanese was a member of a gang. As a consequence, Peter was put into a world where violence was a daily occurrence, and all money he had earned was taken by his gang father. The gang took advantage of Peter who had already been “illegal” as an undocumented. Therefore, Peter was caught into a multiple layer of “illegality.”
Second, law that criminalizes undocumented migrants legitimized the abuse of discretionary power of immigration officials. The immigration officials threatened undocumented migrants in many ways. Both John and Peter had been always under tremendous pressure because it was in the hands of officials to judge whether to extend provisional release permit or not. One time, John almost gave up appearing at the immigration because he could not afford transportation fee from his house in province to immigration in a distant city. When he arrived at the immigration with all the money he raised, the official told him that he could have been detained if he had not come. In addition, every month, the officials required John to buy flight tickets to the Philippines although the cheapest one-way tickets quadrupled to around 70,000 yen due to the pandemic. They frantically got the tickets with the help of others, but the flights were canceled. Being stuck and impoverished in Japan, John lost his hope. Peter also agonized over officials’ order to buy the tickets. Furthermore, Peter was intimidated by the officials that he was to be detained if he did not take COVID vaccination. Peter’s right to make decision about his own body was violated.
These cases show that current immigration law criminalizes undocumented migrants and justifies injustice; however, as Garcés-Mascareñas (2010) argues, it is necessary “to understand the ‘illegal’ not as an essentialized, generic, and singular object but rather as a legal and political product of a particular historical and national contexts” (p.78). In addition, when we unravel how they became “”illegals,”” there are structural issues involved that do not stem from personal responsibility. John’s arrival in Japan was made possible by human trafficking. Amid economic disparities on a global scale, cheap labor has been accepted in Japan, even through these inhumane means, in order to solve the shortage of human resources. A fair system of international migration is necessary to ensure that the dignity and rights of all people who move internationally are protected.

References
1. Asato, Wako, 2020, “Diverse Welfare Regimes and Foreign Human Resources: 26 New Coronavirus and Employment of Foreign Residents,” Bunkaren-jouhou, (507), 45-49.
2. De-Genova, Nicholas, 2004, “The Legal Production of Mexican/Migrant ‘Illegality’,” Latino Studies, (2), 160-185.
3. Garcés-Mascareñas, Blanca, 2010, “Legal production of illegality in a comparative perspective. The cases of Malaysia and Spain” Asia Europe Journal, (8), 77-89.
4. Immigration Services Agency of Japan “Manual for COVID-19 at the immigration facility” (2020). Last Accessed June 18, 2022. https://www.moj.go.jp/isa/content/001353079.pdf”


報告番号19

Forging solidarities via food:Notes from COVID-19 lockdown in India
University of Delhi DAS Sampurna

“Food shortage was one of the primary concerns during the first wave of COVID-19 lockdown in India, particularly for the marginalized population. Our field survey suggested that families helped each other with whatever limited means to stay alive. There were numerous stories of community foraging and neighbours helping each other with food supplies. Our fundraiser via social media too was successful in providing food packages to the needy. Food became a way to bring communities together both on the ground and virtually. As anthropologist Leslie Dawson (2020) argues, food is more than nutrition. Food is a social phenomenon that is both reflective and informed by social relationships and identities.
This piece looks at how food helps to bring together physical as well online communities together during the COVID-19 lockdown. Food will be seen as performance – particularly as a performance of solidarity. The paper will dwell on the nature of solidarity – that happened on the ground and in the virtual world. Data for this paper will be drawn from my field survey on the impact of lockdown on informal female workers. Conducted in April and May 2020, we surveyed over 200 informal female workers across 11 districts in the northeastern Indian state of Assam. Further, the piece will analyze the role played by social media, originally meant for disseminating the context of our survey, to initiate a food relief fundraiser.
Barabara Kirshenblatt-Gimblett (1999) notes food as performance, underlining three reasons. First, performances require some form of doing. That food is collected or brought, cooked, and served are different ways of doing. Second, performances require some type of behaviour. There were ways in which food needs to be procured, prepared, and consumed highlight the requirement of certain food behaviour. Finally, food moves from backstage to the front stage from procurement to consumption.
Our notes suggested that food was creating solidarity – a performance. Those vulnerable were relying on wealthier neighbours for food as well as community foraging trips. Those behind the screens in social media were using the fundraiser to contribute to food packages. Food was being performed in the manner it involved doing and behaviour of its actants.
I argue that solidarities on the ground and in the virtual world are different in nature. Solidarities on the ground are bonding in nature and those in the virtual world are bridging. Bonding solidarity refers are seen in close relationships in small groups built on trust and may stress obligation at times. Bridging solidarities, on the other hand, emerge in wider networks. A wider network also implies lesser obligation and trust.
In this piece, I have tried to see performances of food critically from a symbolic interactionist perspective. This was based on my association with both the ground survey and the online fundraiser for the informal female workers. I identified the common thread as the performance of solidarity. These performances matter because there is a sense of solidarity that within this convergence of food and performance. There was resilience to manage hunger when the state had failed to provide adequate food to the needy. These performances involving food can bridge demographic and cultural differences – primarily of class. It shows the coming together of privileged classes who can mobilize through internet networks and those who mobilize through the traditional network. It pushes us to look closely at the nature of solidarities arising during COVID-19, which I have termed here as ‘bonding’ and ‘bridging’ solidarities. This is not to say that these two natures of solidarity are mutually exclusive. They are not two distinct forms of solidarity with different strengths and function but are rather best seen as different stages along a spectrum.”

報告番号20

Perceived Fairness or Actual Measure of Housework division Matters? Change in Patterns of Housework Division and Fertility Desire During the COVID-19 Pandemic in Korea
KDI School of Public Policy and Management KWAN Da eun

“Lowest low fertility phenomenon observed in a rising number of developed countries has drawn intensive scholarly attention. Among these, Korea provides particular context with the lowest and longest record of total fertility rate in the world, reporting 0.81 as of 2021, despite more than decade long whole-out efforts by the Korean government to rebound. A plummet in fertility rate in Korea has further proceeded during the COVID-19 Pandemic, throwing an important question whether it’s a temporary effect of the crisis which will be recovered with the end of the Pandemic or it’s a lasting scar that may trigger a substantial demographic shift.
As one of the reasons of postponement or give-up of childbirth, a voluminous study focuses on a skewed division of unpaid house labor between partners and retarded change of gender norms contrary to a rapid increase of female socioeconomic status. A bountiful empirical evidence has been provided on a positive correlation between parity progression and domestic support for housework burden for women. Yet, actual measures of housework division have a limitation in that it is hard to distinguish individuals’ preference, attitude and values. To address this issue, this study focuses on perceived fairness of housework division, rather than the actual measure of it. In particular, during the COVID-19, lockdown and social distancing measures has greatly changed constellation of family and work, and possibly values and perceptions as well, providing a good context to investigate changes in patterns and perceptions on housework division.
This study sets out to answer the following research questions: First, has there been a change in total and relative amount of housework and division between partners during the COVID-19 across varying socioeconomic status? Second, has the change in patterns of housework reshaped fertility desire during the crisis? Third, is there a pronounced effect of perceived fairness of house work division, compared to the actual housework division on fertility desire during the crisis?
To examine patterns of housework division and fertility adjustment, this study uses Survey on Values and Perceptions on Family and Marriage during the COVID-19 in Korea, which are conducted twice at different time points by KDI School of Public Policy and Management. The first round of survey was conducted in February 2021 when the crisis was in peak, and second round is being carried out in June 2022 when the crisis is almost end with social distancing and mask wearing regulations are eased in Korea. Each sample consists of 2,000 respondents aged between 25 and 49, proportionately allotted in terms of age, sex, region, and marital status. To measure a change in fertility desire, respondents are asked to answer whether fertility desire has been changed during the COVID-19. Housework division is measured with questions including actual measure of division of each housework and gender norms. Particularly, in order to measure perceived fairness of housework division, in a second round of survey, respondents are additionally asked to answer whether a total amount of housework has changed during the crisis, whether relative amount of housework, compared to partner, has changed during the Pandemic, and whether respondents feel fair about housework division.
Even though variables of subjective perception and change in patterns of housework division are unavailable at this point since the dataset from the second round of survey is scheduled to come out after June 22, the preliminary analysis result from the first round of survey is as following.
First, increase in time spent at home is found to be negatively associated with fertility desire during the COVID-19 in a whole sample. However, when taking account of gender norms and attitudes, a positive correlation is observed between increase in time spent at home and fertility desire, but only significant among the households with high income level. Second, equal housework division is reported to discourage fertility desire during the crisis in a whole sample, but with power relationship between partners taken into considerations, it is positively associated with fertility desire. Those findings imply a disparity of perceived consequences of the COVID-19 on fertility desire across the varying socioeconomic status, measured with household incomes and wife’s educational level.
As aforementioned, negative association of housework division and fertility desire reflects the confounding effect of one’s own preferences and values. Therefore, this study is expected to contribute to prior studies, first, it will provide an empirical evidence of the prominent role of individuals’ subjective evaluation of fairness in housework division, rather than simply focusing on actual or relative division of housework. Second, the current study can net out the confounding effect of individuals’ preference and attitude in correlation of housework division and parity progress. This will highlight again the significance of subjective perception of fairness in unpaid domestic labor in lowest low fertility phenomenon in Korea. ”

報告番号21

『国際化と市民の政治参加の関する世論調査』の概要と「政治志向類型」の分析――『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』の分析(1)
中京大学 松谷 満

“1 目的・方法
本報告では、第一に『国際化と市民の政治参加に関する世論調査』の概要を説明する。本調査は、2009年から4年ごとに実施されている全国規模の継続調査である。本調査が中心テーマとしてきたのは、外国人に対する意識、ナショナリズム、そして政治意識・政治行動である。2021年調査では、ポピュリズムを重点テーマとした。欧米で開発されたポピュリスト態度尺度などポピュリズムの支持構造を明らかにするための諸変数を盛り込んでいるのが特徴である。
第二に、報告者らが開発した「政治志向類型」の分析を行う。これは政治が何をなすべきか(価値志向)ではなく、どのようになされるべきか(政治のプロセスもしくは様式)に着目したものである。報告者はこの類型のうち、「ポピュリスト志向」がポピュリスト政治家への支持や投票行動を一貫して説明する要因であることを明らかにしている(松谷満,2022,『ポピュリズムの政治社会学――有権者の支持と投票行動』東京大学出版会)。本報告では、この「政治志向類型」の特徴についてあらためて検討する。

2 結果
「政治志向類型」は、「誰が政治をなすべきか」「どのようになすべきか」の二次元を組み合わせて、4つの類型(ポピュリスト、直接民主主義、エリート委任、エリート調整)を構成するものだが、10年以上前に実施した調査と比較すると、直接民主主義志向が大きく減少し、エリート委任志向が大きく増加した。
「政治志向類型」と投票行動(衆院選)との関連をみたところ、ポピュリスト志向は維新の会への投票を促すという関連がみられた。しかし、政治家に対する好感度との関連については、明確な関連は得られなかった。
「政治志向類型」と年齢・学歴との関連も確認した。以前の調査では明確な関連はみられなかったが、50代以下の大卒層でエリート委任志向が増加している。一方、40-50代の非大卒層はポピュリスト志向が強い。

3 結論
「政治志向類型」が有権者の投票行動などの説明要因として一定程度有効であることが確認された。以前の調査との比較において、類型の分布が大きく変化しており、社会階層との関連も生じていた。こうした違いが、時代の変化によるものなのか、対象とした地域の違いによるものなのか、詳細な検討をふまえたうえで当日の報告を行いたい。”


報告番号22

認知図式としてのナショナリズムと政治意識・政治行動の関連分析――『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』の分析(2)
早稲田大学 田辺 俊介

“1 目的
本報告は、ナショナリズムを愛国主義・排外主義・純化主義の3つの下位概念で捉えた上で、その組み合わせによって構成される「認知図式(schema)」と捉えた上で、その図式の類型と政治意識・政治行動の関連構造を明らかにする。具体的には、2009年・2013年・2017年・2021年の4時点データによる時点間分析を行うことで、その関連構造の不変性と可変性を実証的に把握・検討する。

2 方法
2009年と2013年、2017年、2021年の4時点で行った『国際化と市民の政治参加に関する世論調査』のデータを用いる。それらデータに含まれる愛国主義・排外主義・純化主義の指標となる項目群に対して潜在クラス分析を行い認知枠組みとしてのナショナリズムを抽出し、それら類型と政治意識・政治行動の間の関連を分析した。
 
3 結果
 分析の結果、欧米諸国の外国人以外の受入に消極的な「親欧米型」、単一民族国家的な国民観を前提に強い愛国主義と外国人全般への排外主義をもつ「国粋型」、一方外国人受入に比較的肯定的な「リベラル型」などが時代を通じて抽出された。ただし、2009年と2013年以降の間にナショナリズムの類型に一定の変化があり、「中国・韓国」と「それ以外の国」という区分が強まる傾向が示され、その影響からか2009 年には愛国主義を持たないが外国人全般を拒否する「排外型」が、一方それ以降は愛国主義が弱いが特に反中と反韓を特徴とする「反中・韓型」が抽出されるなど、一定の時代差も確認された。また政治意識との関連としては、国粋型は強く、親欧米型も一定の自民党支持傾向が見られた。その一方、特にリベラル型は無党派層や投票しない人が多く、2017年時点では立憲民主党支持者や投票者が一定程度多い傾向があった。しかし、2021年にはその傾向も弱まっていた。つまり、ナショナリズムが政治的な一方の極に強く影響しても、他方にはあまり影響せず、「分極」の対立軸になっていないことが示された。

4 結論
 本分析の結果、認知図式としてのナショナリズムについての一定の時点差とともに、2010年代の日本のナショナリズムの一側面として固定化しつつあることを示唆する結果が示された。また、政治意識や行動との関連としては、時代を超えてほぼ共通した関連構造が示されており、その事が「ポスト民主党政権」期において右(自民党)側にナショナリズムが強く影響しつつ、他方の側の類型の人々は基本的に政治的には不活性な状態にあることが明らかとなった。


報告番号23

排外主義の類型化とその規定要因――『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』の分析(3)
駒澤大学 濱田 国佑

“1.目的
2000年代以降、日本においてナショナリズムの高まりが指摘されており、各種のSNSの普及とともに、いわゆる「ネット右翼」の排外主義的な言動が可視化され、社会問題化することにもなった。
ウェブ調査データを分析した研究によると、「ネット右翼」の割合はそれほど高くないものの、中国・韓国に対する否定的な態度を持つ者はそれなりに多い(永吉 2019)。また、2000年代から2010年代にかけて、とりわけ中国・韓国への排外意識や自国に対する優越感が顕著に強まる一方で、「戦後教育」を見直し、愛国心の涵養を求めるような保守イデオロギーの強さは変化していないとの指摘が見られる(松谷 2020)。
このような先行研究を踏まえると、保守的なイデオロギーはそれほど強くないものの、中国・韓国に対する排外主義者を持つ者がある程度の規模で存在することが想定される。また、従来「日本型排外主義」について、東アジア諸国との歴史的関係が大きな影響を及ぼしていると指摘されてきたが(樋口 2014)、このような歴史的関係に対する認識とは相対的に独立した形で中国・韓国に排外主義的な態度が形成されるようになっているのではないかとも考えられる。
本報告では、2013年と2021年に実施された全国調査のデータを用いて、日本における排外主義的な態度の類型化を行うとともに、その規程要因について検討を行う。

2.方法
分析にあたっては、2013年と2021年に実施された「国際化と市民の政治参加に関する世論調査」のデータを用いる。潜在クラス分析を行い、ナショナリズム(排外主義)の類型化を行うとともに、その規程要因について検討を行う。

3.結果と結論
まず、2013年と2021年のデータを比較してみたところ、愛国主義的であり、かつ排外主義的な者(中国・韓国への排外意識を持つ者)の割合が、2013年から2021年かけて減少する一方、非愛国主義的な排外主義者は増加する傾向が見られた。次に、排外主義の類型の規程要因について検討を行った結果、同じ排外主義者であっても、愛国主義的な排外主義者と非愛国的な排外主義者の規程要因は異なっており、2つの排外主義が異なるメカニズムによって形成されていることが示唆された。詳細な分析結果については、当日発表する。


報告番号24

ナショナリズムと排外主義の関係をイデオロギー認知の観点から再考する――『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』の分析(4)
大阪公立大学 明戸 隆浩

“1 目的
ネーションやエスニシティにかかわる政治・社会意識の研究において、ナショナリズムと排外主義の関係をどう考えるかということは、古くて新しい問題である。日本でもとくに排外主義運動が活発化した2000年代以降後半以降、こうした問題についての議論が盛んに行われてきた。その中で中心的な役割を果たしてきたものの一つが計量的なナショナリズム研究の系譜だが、本報告ではまず、こうした系譜においてナショナリズム・排外主義双方の概念がどのように規定され、またそれをふまえた具体的な指標がどのように設定されてきたのかについて整理する。その上で、『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』のデータに基づいて、ナショナリズムと排外主義の関係をおもにイデオロギー認知の観点からあらためて位置づけなおすことを試みたい。
2 方法
『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』では、ナショナリズムについては「愛国主義」「ナショナル・プライド」「純化主義」の3つ、排外主義については「外国人の増加についての賛否」「外国人の権利についての賛否」「外国人に対する脅威認知」の3つの質問群によって尋ねている。こうしたことは2017年以前の3回の同調査、およびこの間日本で行われた類似の調査でも基本的に共通しているが、2021年調査の特徴は、ここにイデオロギー認知(自身を政治的な「左右」のどこに位置づけるか)についての質問が加わったことである。これによって、ナショナリズムと排外主義の関係をイデオロギー上の位置関係として検討する作業が可能となった。
3 結果
分析によって明らかになった基本的な傾向は、ナショナリズムがイデオロギー認知と強い関連をもつ一方で、排外主義は必ずしもそうではないという点である。ただし同時に重要なことは、ナショナリズム・排外主義いずれについても、その指標として用いられる質問群に含まれる質問の中に、必ずしもそうした基本的な傾向と合致しない動きをするものがあることだ。たとえば「愛国主義」はそれを1つの因子として考えた場合には「右派」自認とのあいだにかなり顕著な関連があるが、その中に含まれる「日本人としての誇り」は、むしろ非イデオロギー的な傾向を示す。あるいは一般に非イデオロギー的な傾向が強い排外主義の中でも、「脅威認知」の代表的質問である「社会保障の増大(に対する脅威認知)」は、かなり明確に「右派」自認との関連が見られる。
4 結論
本報告の要点は(1)ナショナリズムのイデオロギー性および排外主義の非イデオロギー性という基本的傾向を確認しつつ、同時に(2)関連する質問群に含まれる質問のうちそうした一般的傾向とは異なる動きをする指標を指摘するというものである。こうした作業は、今後の研究、とりわけ計量的な分析と具体的な文脈についての質的研究との接合可能性を考える上で、重要な貢献となるだろう。

報告番号25

コロナ感染不安・自由規制支持・自粛規範の規定構造――『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』の分析(5)
関西大学 阪口 祐介

“1.目的
 2020年初頭からの新型コロナウイルスの流行によって、私たちが生きる世界は一変した。多くの国々ではロックダウンや外出禁止といった法的な規制、日本では外出や営業などの自粛要請が行われ、新たな未知のリスクに対する人々の不安が高まった。またパンデミック下において、アジア人へのヘイトクライムやSNS上での外国人嫌悪の表出など、排外主義の高まりが問題化した。このような状況のなかで、本研究の目的は、第一に、新型コロナウイルスへの感染不安・態度のジェンダー・世代・階層差や、政治イデオロギーや価値観との関連性を実証的に明らかにする。第二に、コロナによる影響に関する項目と外国人増加に対する否定的意見の関連性を確認する。

2.方法
 郵送調査が実施された2021年11月は、オミクロン株の爆発前、2回目のワクチン接種率が高止まる時期である。従属変数は以下の通りである。コロナ感染不安「日頃、新型コロナウイルスに感染するのではないかという不安を強く感じる」、感染拡大を防ぐための自由規制支持「新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためには、個人の自由が大きく制限されてもかまわない」、自粛規範「外出自粛要請に従わない人は非難されても当然だ」。これらを従属変数として、独立変数に、性別、年齢、学歴、職業、世帯収入、家族形態、コロナによる影響、左右イデオロギー、政党支持、価値観(平等主義など)などを投入した重回帰分析を行う。また、コロナ感染不安、コロナによる経済悪化認知、コロナの影響による否定的な経験(失業、収入低下など)と、外国人増加に対する否定的態度(治安・秩序が乱れる、働き口が奪われるなど)との関連性を分析する。

3.結果
 コロナ感染不安、自由規制支持、自粛規範については、ジェンダー・世代・階層の効果はほとんど確認できなかった。ただ、低収入層、子どもがいる層で自由規制支持、自粛規範が高い。左右イデオロギーや政党支持は、コロナへの不安・態度に影響を与えない。平等主義といった価値観の影響はあまりない。また、関連性は弱いが、コロナによる経済悪化認知が高いほど、外国人の増加に否定的意見をもつ傾向が確認された。

4.結論
 コロナへの不安・態度は、ジェンダー、年齢、階層、政治イデオロギー、政党支持、価値観とほとんど関連しない。人々は普遍的にコロナ感染への不安をいだき、感染防止のための自由規制を支持し、自粛に従わない人を非難する傾向にある。こうした規定構造は、ジェンダー、年齢、価値観と強く関連する原発リスクへの不安や態度のそれとは大きく異なる。また、アメリカでは、右イデオロギーや共和党・トランプ支持はコロナ感染不安や自由規制支持と負の関連性があることが示されているが、そうした結果とも対照的である。”


報告番号26

東京オリンピック開催賛否の争点――『国際化と市民の政治参加に関する世論調査2021』の分析(6)
新潟医療福祉大学 下窪 拓也

“1. 目的
 2021年7月23日、新型コロナウイルスの感染拡大による1年間の延期の後、東京で2度目の夏季オリンピック競技大会(以下、東京オリンピック)が開催された。緊急事態宣言下の東京で開催された今大会には反対の意を示す人々も一定する存在することが世論調査の結果から明らかにされている。これまで、本大会開催の賛否には新型コロナウイルスへの懸念が支配的な影響を持っていることが前提として考えられてきた。しかしメガスポーツイベント開催の賛否には、感染症の他にも様々な争点が関わるものであり、今一度、東京オリンピック開催への賛成あるいは反対を支持する人々の争点を、冷静な目で見つめなおす必要がある。本研究は、新型コロナウイルスに対する意識、そして、先行研究においてメガスポーツイベントの開催に対する態度との関連が指摘されているナショナリズムと政治的態度に焦点を置き、東京オリンピックへの態度との関連を検証する。
2. 方法
 郵送調査が実施された11月は、東京オリンピックの閉会から約3か月(パラリンピックの閉会からは約2か月)後の時点である。従属変数には「東京オリンピック2020は、開催を中止すべきだった」という質問に対する回答を使用する。独立変数には、新型コロナウイルスへの意識の変数として、新型コロナウイルス感染不安と感染拡大による経済状況の変化を、ナショナリズムの変数として、ナショナル・プライドおよび愛国主義を、最後に政治的態度の変数として、政治的信頼感、政治家への好感度、並びに投票行動を用いる。以上の変数および統制変数を投入した回帰分析を行い、従属変数と独立変数間の関連を検証する。
3. 結果
 まず、新型コロナウイルスへの感染の不安と感染拡大による経済状況の変化は、東京オリンピック開催への態度と統計的に有意な関連を示さなかった。次に、特定のナショナリズムを担う人々が大会の開催に反対していること、安倍晋三への好感度が高い人ほど大会の開催に肯定的であることが示された。そのほか、統制変数の結果から、諸外国に対して肯定的な態度を持つ人と高学歴層は、大会開催への態度が二極化する傾向にあることが示された。
4.結論
 オリンピック開催への態度は、新型コロナウイルス感染への不安や感染拡大により自身が被った経済的影響とは関連を持たない。一方で、開催に肯定的な人は、大会の開催とかかわりの深い特定の政治家への好感度が高く、開催に否定的な人は特定のナショナリズムを担う人々であった。大会の開催に対する態度は、感染症への意識よりも自国や政治に対する態度に強く影響を受けている可能性が示された。

報告番号27

なぜ〈人間〉は産業社会学の問題になるのか①――尾高邦雄による「人間遡及的」の起源
東京大学大学院 井島 大介

【1.目的】 近年日本の社会学において、尾高邦雄の学説に対する注目が集まりつつある(武岡 2022)。特に尾高の「人間遡及的視点」については、産業・労働社会学を労働研究のプラットフォームとすることを提唱する松永・園田・中川編(2022: 8)『21世紀の産業・労働社会学』によって、この分野が受け継ぐべき「最も基礎的な分析概念」としてその重要性が主張されている。しかし、現代の社会学において「人間遡及的視点」からの研究とはどのように行いうるのであろうか。以下三報告では、尾高の「人間遡及」概念の学説史的な検討をとおして、このような研究方針の可能性を明らかにすることを目指す。 第一報告では尾高の学説を検討することで、この「人間遡及的視点」がどのようなものであり、それによって何を目指すものであったのかを明らかにする。 【2.方法】 以上の目的にもとづき、①尾高邦雄による「人間遡及的」という語彙の初出の特定、②尾高による「人間関係」ならびに「人間」という語彙の出現箇所の特定、③それらの語彙の用法を検討するべく文献調査を行った。具体的には、1953年の『産業における人間関係の科学』から1958年の『産業社会学』までの時期の尾高の著作を中心とし、戦前期の職業社会学の議論も参照しつつ、これらの語彙を用いて何が行われていたのかを検討した。尾高が「人間遡及的視点」で独自性を主張した産業社会学は、同時に「産業における人間関係の科学」だと説明されていることから(尾高 [1958] 1963)上記の資料を検討対象とした。 【3.結果】 「人間遡及的」の初出は、ダイヤモンド社から出版された1958年の『産業社会学』であると考えられる。本書にて尾高は、先行研究が示してきた通り産業社会学と他の「産業諸科学」(経営学や産業心理学など)との区別を行おうとしてこの語を用いていた。それは「人間遡及」を説明した「人間関係」をめぐる議論においても同様であった。それらの議論では、特に経済学が想定する「経済人」とは異なる「人間」像を強調することで社会学の独自性を確立することが目指されており、こうした方針に具体像を与えるために人間関係論が積極的に取り入れていた。 【4.結論】 以上の文献調査から尾高の議論における「人間遡及的視点」とは、経済学をはじめとした隣接分野と自らの立場を差別化するためのものであり、そのために採用される人間関係論的アプローチに適用されるものであることがわかった。このような「人間遡及的視点」の現代社会学における可能性の検討は、しかし尾高自身が社会学の独自性を経験的である点によっても主張しており、実際数多くの社会調査を実施していることを踏まえるならば、その構想がいかに経験的調査として具体化したのかという点を踏まえて検討されるべきであろう。第二報告ではこの点を検討する。 松永伸太朗・園田薫・中川宗人編,2022,『21世紀の産業・労働社会学——「働く人間」へのアプローチ』ナカニシヤ出版. 尾高邦雄,1953,『産業における人間関係の科学』有斐閣. 尾高邦雄,[1958] 1963,『産業社会学』ダイヤモンド社. 武岡暢,2022,「尾高邦雄はなぜ職業社会学を維持できなかったか——もうひとつの職業概念に向けて」出口剛司・武田俊輔編,『社会の解読力〈文化編〉——生成する文化からの反照』新曜社.

報告番号28

なぜ〈人間〉は産業社会学の問題になるのか②――尾高邦雄と社会調査
東京大学大学院 宮地 俊介

【1.目的】 尾高邦雄が日本の社会学に果たした貢献は、第一報告で言及したような産業社会学の学説を、実際の社会調査に適用したことにも求められる。本第二報告では、尾高の社会調査における「人間」概念や「人間関係」概念の用法、およびその意義・限界を明らかにする。この作業を通して、『産業社会学』(尾高 [1958] 1963)で掲げられた「人間遡及的」アプローチなるものが、実際にはどのような調査・研究を行うことを意味するのか検討する。 【2.方法】 以上の目的に基づき、①尾高が戦後に行った社会調査——たとえば、川口市の中小工業を対象に行われた『鋳物の町』調査や、四国電力・日本光学などの工場労働者を対象に行われたモラール・帰属意識調査——の調査手法や調査項目を総覧的に確認した。②尾高のテクストを読解することによって、これらの調査手法および調査項目の取捨選択がどのような方法意識に根拠づけられるものであるのかを特定した。③ここまでの作業を踏まえ、「人間」や「人間関係」といった概念が何を説明してきたのか/しえなかったのかを考察した。 【3.結果】 尾高は、先に挙げたような社会調査をいずれも「産業における人間関係と労働者の態度」に関するものとして位置付けている(尾高 1956: 3など)。これらの調査では、労働者の各組織(企業・企業内小集団・労働組合等)やその代表者(経営者・監督者・労働組合幹部等)への帰属意識・態度が「人間関係」として概念化される。このように、尾高は人間関係論ならびにアメリカにおける産業社会学の展開をフォローしていたにもかかわらず、実際の社会調査では社会心理学的な調査手法・調査項目のみを採用していた。 【4.結論】 以上の検討によって、尾高の「人間遡及的」アプローチとは、数量化可能な労働者の帰属意識や態度を抽出する方針であることがわかった。もちろん、尾高がエスノグラフィなど別の調査手法の重要性を否定していたわけではない。だが、少なくとも一連の調査でおもに目指されていたのは、「なんらかのインデックスを設けることによって、ある程度までこれを数量化し、したがって測定することが出来る」、「産業近代化」の「各地域に共通な普遍的側面」を明らかにすることであった。一方で、「本来的に質的・定性的な諸要因からなり、したがって、国際的に共通の尺度を設けて……測定すること」が「困難」な「特殊的側面」については、関心こそ持たれていたものの、実際の調査を通じては明らかにされえなかったと考えられる(尾高 [1958] 1963: 388-9)。 ここまでの知見をうけ、次の第三報告では、なぜ尾高がこのような帰属意識・態度の数量的調査を「人間遡及的」アプローチであると考えたのか検討することが課題となる。 参考文献 尾高邦雄,[1958] 1963,『産業社会学』ダイヤモンド社. 尾高邦雄編,1956,『鋳物の町——産業社会学的研究』有斐閣.

報告番号29

なぜ〈人間〉は産業社会学の問題になるのか③――産業文明における人間の問題
ルーマン・フォーラム 酒井 泰斗

“【1.目的】
松永・園田・中川編(2022: 8)では、1970年代までの産業・労働研究のプラットフォームとなっていた「人間遡及的」視点が、今後の日本の産業・労働研究においても同様に使えると提案されている。しかしプラットフォームを持っていたはずの産業社会学がなぜ一旦は衰退したのか、その理由について著者たちがどう考えているのかは記されていない。
第三報告では、尾高邦雄の産業社会学構想においてなぜ「人間」への遡及が求められたのかを合衆国における人間関係論の学説史を参照しながら確認することで、「人間遡及的」視点を今後ふたたび産業・労働研究のプラットフォームとなしうるかどうかに関する議論への寄与をめざしたい。第一・第二報告で確認したように、尾高の言う「人間遡及的」視点とは、経済学・経営学との差別化意識のもと、モラール・態度測定調査を行う必要性を述べるものであった。では態度測定はいかなる意味で「人間遡及的」なのだろうか。この点を理解するためには、彼が戦後にアメリカから持ち帰ってきた、人間関係論の学説を紐解く作業が必要となる。
【2.方法】
以上の目的に基づき、①合衆国において産業社会学を立ち上げることになったハーバード学派の人間関係論において「産業」と「人間」との概念的連携を支えていた事情を検討し、また②尾高と同時期の日本における人間関係論と産業社会学の受容状況を、特に経営学を中心に確認した。
【3.結果】
尾高邦雄に代表される日本の知識人がアメリカから持ち帰ってきた知見の多くは、ホーソン実験を主導したハーバード学派によってもたらされたものであった。彼らが主たる仮想敵としていたのは当時の自由主義的経済学であり、「費用と効率」という観点では捉えられない、人間の「感情と態度」を測定する必要性を主張していた(吉原 2013)。そのため、彼らは①面接と観察、②ソシオメトリー、③モラール・サーヴェイといった手法を用いることで「人間の感情や態度」を測定しようとしたのである(飯野春樹 1958:68)。こうした課題設定は、当時の急変するアメリカ社会を産業的文明化という見地から捉えることと相即的に成立したものであった。
このビジョンは、社会学における尾高と同時期に、経済学・経営学においても同様に受容された(野田 1953; 田杉 1960)。他方で、当時の経済学・経営学は社会心理学的な調査に進む準備はなく、この点が尾高にとって「産業諸科学」の差別化点として捉えられたと考えられる。
【4.結論】
松永・園田・中川編(2022: 223)が想定するように、「ミクロな行為者に注目する人間遡及的アプローチ」は、特定の研究群に対して何らかの協働のプラットフォームを与えうるのかもしれない。仮にそうだとしてもしかし、このアプローチは、それら諸研究がどの連字符社会学領域に属するものであるかまでは教えてくれない。そうではなくむしろ、「産業社会学」という領域が戦後の一時期において様々な学問を集約するプラットフォーム足り得たのは、「産業」という語で同時代の社会を特徴づけることができるという信憑の方によってであっただろう(産業社会学の衰退が、産業社会論や消費社会論などを通じて「産業」による社会の特徴づけそのものが問い直されるようになった1980年代以降に生じたことは、その傍証ではないだろうか)。もしも産業・労働研究の協働プラットフォームの再構築を行いたいなら、必要なのはこの点に関する再考であったはずだろう。
【参考文献】松永伸太朗・園田薫・中川宗人編,2022,『21世紀の産業・労働社会学——「働く人間」へのアプローチ』ナカニシヤ出版.
吉原正彦, 2013, 『メイヨー=レスリスバーガー:人間関係論』文眞堂.
飯野春樹, 1958, 「人事管理の性格に対する一考察:人間関係論との関連において」經濟論叢 82 (1)
田杉 競, 1960, 『人間関係』ダイヤモンド社.
野田信夫, 1953, 『近代的経営における人間問題:人事管理の中心課題として』ダイヤモンド社.”

報告番号30

準社会は不完全な社会なのか?――売買行為を事例として、富永、高田/鈴木、ウェーバーの学説の評価
神戸学院大学 山本 努

本報告では、売買行為の理解を通して、「社会」の理解が、富永健一、高田保馬(と鈴木栄太郎とM.ウェーバー)でどう違って、どちらが社会の把握として、実り多いか(promisingか、豊穣をもたらしうるか)を考えてみたい。 「社会」という言葉は日本人には難しい言葉である。元々の日本語にはない、翻訳語だからである。英語のsocietyは幕末(慶応2〔1866〕年)の英和辞典では仲間、一致などと訳されている(蔵内1978:3−8)。この訳語は今日からみても味わい深い訳語である。このsociety・仲間・社会をどのように理解するか? 富永は準社会の概念を主に売買を事例に説明するが、この問題を富永の準社会概念の批判を通して検討する。  売買は我々の社会(生活)の重要部分と思うが、富永によれば、これは十全な社会(富永のいう「狭義の社会」)ではない。売買は不完全社会、準社会とされているのである。もしそうだとしたら、社会学は社会の枢要な部分を取り扱わない(取り扱うにしても二義的な位置でしか取り扱わない)学問になる。富永によれば、社会学とは「狭義の社会」の学(富永1986:4)だからである。ここには富永の社会の理解(富永社会学)の歪みがある(と私は思う)。  「狭義の社会」と対比される準社会は富永の『社会学原理』の中では、1章の冒頭(富永 1986:3-8)で説明される重要な対概念である。これは、鈴木栄太郎の『都市社会学原理』の正常生活(人口)と対比される異常人口(生活)を想起させる(鈴木 1969:146−314)。いずれも、彼等の構想した社会学の土台にあって、前者(「狭義の社会」、正常生活(人口))が重要で、後者(準社会、異常人口(生活))の価値は小さい。鈴木のこの対概念は、非常に成功した。鈴木の正常は、異常人口(生活)中心の米国シカゴ派都市社会学に対して、正常人口(生活)中心の日本都市社会学のオリジナリティを示したからである(山本 2019:32−34;2016:91−93)。これに対して、富永の対概念の生産力はどうだろうか。生産力ある概念だろうか? これが本稿の(直接の狭い)問題意識である。 参考文献 蔵内数太(1978)『社会学(蔵内数太著作集:第一巻)』関西学院大学生活共同組合出版会. 鈴木栄太郎(1969)『都市社会学原理(著作集Ⅵ)』未来社. 富永健一(1986)『社会学原理』岩波書店. 山本努(2019)「地域社会学入門/都市研究から」山本努編『地域社会学入門-現代的課題と の関わりで』学文社,1−38. お願い: 本報告は時間の制約ですべてお話しできないかもしれません(その可能性大)。その場合は、下記をご覧下されば、まことに有り難い次第です。 ・山本努(2022:2−19)「地域社会学の必要性」同編『よくわかる地域社会学』ミネルヴァ書房

報告番号31

価値関係とレリヴァンス――ウェーバーとシュッツの価値自由論
日本学術振興会 高艸 賢

1. 目的 社会学を含む社会諸科学は、いかなる価値とも無関係な「没価値的」営為でもなければ、いかなる価値にもコミットしない「価値中立的」営為でもない。このことは、M. ウェーバー以来の社会学者たちが繰り返し確認してきたことにより、いまや社会学におけるひとつの共通見解となっている。しかし、ウェーバーにおいて社会学者がコミットする(非認識的)価値は、調停不可能な「神々の争い」の様相を呈している。価値の多元化が進む現代社会において、社会学的研究が立脚する(非認識的)価値とはいかなるものであるか。この問題に見通しのよい整理を与えることが、本報告の目的である。 2. 方法 上記の目的のため、本報告ではA. シュッツのウェーバー解釈を検討する。シュッツは「意味」「行為」等のウェーバー理解社会学の基礎概念の明確化に取り組んだことで知られているが、ウェーバーの価値関係論と価値自由論に対するシュッツの取り組みはあまり知られていない。そこで、本報告ではE. フェーゲリン宛の書簡(Schütz und Voegelin 2004=2011)での記述を手がかりに、シュッツの価値自由論を明らかにする。 3. 結果 シュッツは価値自由論を再構成するにあたって、社会科学のレリヴァンス構造を「主題的レリヴァンス」「解釈的レリヴァンス」「動機的レリヴァンス」の3つに区分する。主題的レリヴァンスは問いと主題の選定に、解釈的レリヴァンスは研究方法の選定に、動機的レリヴァンスは研究範囲の選定に関係する。解釈的レリヴァンスと動機的レリヴァンスは先行研究との関係で規定されるため、価値自由の領域に属するが、主題的レリヴァンスは人間としての科学者が「知るに値する」ことを選定するという点で価値自由の領域の外に属する。しかし主題的レリヴァンスの選定は間主観的に共有された常識的知識に基づくものであるから、個人の恣意によって行われるものではない。科学的レリヴァンスに関するシュッツの分析は、社会科学的探究の前提をなす間主観的構造を明らかにしたものとして捉えることができる。 4. 結論 社会学が立脚する価値は、間主観的に共有された常識的知識に由来する。常識的知識は社会学者の探究活動にとって構成的な意義を有する。また、常識的知識は社会学的探究の前提条件であるだけでなく、社会学的知識産出を通じて変化しうるものでもある。「神々の争い」という静態的な対立としてではなく、知識の産出・伝達・受容をめぐる不断の過程として考えることで、社会学が立脚する価値の問題に新たな光を当てることができる。

報告番号32

ナチズム下の社会学
甲南大学 田野 大輔

ナチズムの支配のもとで、ドイツの社会学はどんな運命をたどったのだろうか。この時代の社会学は一般に、「停滞期」あるいは「暗黒時代」のイメージで理解されることが多い。ヒトラー政権成立後、多数の有力な社会学者が国外へ亡命し、国内にとどまった者も時勢への迎合を余儀なくされたことで、社会学の学問的発展は大きく阻害されたという見方が支配的である。この「ナチズム下の社会学の不在」という神話は、戦後長らくドイツの社会学界を支配し、社会学史上の空白をもたらしただけでなく、戦後ドイツ社会学の発展をもっぱらアメリカの経験的調査手法の輸入によるものとする、もう一つの神話の普及にも手を貸している。日本の社会学界でも、ナチズム下の社会学には言及を避けるか、ごくわずかな説明で済ませるのが一般的なしきたりになっている。  だが1980年代以降のドイツの社会学史研究は、こうしたイメージを突き崩す新たな事実を掘り起こしている。それによると、ドイツの社会学はナチ政権下で停滞していたわけではなく、まさにこの時代に社会調査にもとづく経験科学としての学問的基盤を強化し、ディシプリンの専門化と制度化を進展させたというのである。ナチスの権力掌握後、多くの有力な社会学者が国外へ逃れ、ドイツ社会学会も事実上の機能停止にいたったが、国内に残った社会学者はその後も公的な委託を受けて様々な領域で社会調査を進め、実質的な研究成果を上げ続けた。ただしこれは、全体主義体制をイデオロギー的に正当化する「ナチ的社会学」が成立したことを意味するわけではない。テンニース、ゾンバルト、フライヤーらに代表されるヴァイマール時代までの精神科学的伝統が重要性を失う一方で、それに代わって前面に出てきたのは、体制が直面する様々な政策課題や社会問題の解決に有益な専門知を提供する、経験的社会調査の学としての社会学であった。  さらに重要なのは、ナチズム下で進展した社会学の経験科学化が、戦後アメリカから流入した調査研究手法と齟齬なく接合し、1950年代以降のドイツ社会学の発展を決定的に方向付けたことである。後述するように、近年の社会学史研究は戦後ドイツの社会学界をリードした個々の社会学者の「褐色の経歴」を洗い出すにとどまらず、ナチ政権期に設立された研究所が戦後大学付属の社会調査機関に改組され、数々の有力な社会学者を輩出する一大研究拠点へ発展した経緯にまで射程を広げており、ドイツ社会学の「連続性テーゼ」が様々な実例によって裏付けられつつある。そこで本報告では、ナチズム下の社会学をめぐる近年の研究動向を概略的に紹介し、日本でほとんど知られていないドイツ社会学の「裏面史」を素描することにしたい。

報告番号33

ガーフィンケルによるグールヴィッチの「意図的な誤読」とはいかなる実践か
山口大学 秋谷 直矩

【1.目的】 ハロルド・ガーフィンケルに対する現象学者アーロン・グールヴィッチが与えた影響の大きさについては1967年の『エスノメソドロジー研究』冒頭で謳われていながらも、その内実については長らく詳らかではなかった。2002年に刊行された『エスノメソドロジーのプログラム』ではガーフィンケル本人によるグールヴィッチの影響とその「意図的な誤読」によるエスノメソドロジーのポリシーの設計についての説明が展開されたものの、それは簡略に過ぎ、それゆえ後続による検討はこれまで十分に蓄積されてこなかった。しかし、ガーフィンケルの未刊行論考やゼミナールの録音記録のいくつかが刊行されるに至り、ガーフィンケルによるグールヴィッチの「意図的な誤読」の内実と方法を検討する土壌が整い、ようやく検討の俎上にあげられるようになった。以上の流れを踏まえ、本発表では、ガーフィンケルによるグールヴィッチの「意図的な誤読」の方法について整理する。そのうえで残された論点を提示し、考察したい。 【2.方法】  ガーフィンケルのテキストを横断的に検討し、グールヴィッチ由来の概念やアイディアを参照している箇所を抽出する。そして、参照先と思われる箇所をグールヴィッチのテキストより同定し、その「意図的な誤読」がいかなる実践であるかを方法的観点より分析する。 【3.考察】  ガーフィンケルがグールヴィッチに言及する時期はおおよそ以下のように区分できる。まず、(a)1952年の博士論文『他者の知覚』までの期間。(b)80年代の科学のエスノメソドロジーに取り組んでいた期間。そして(c)90年代以降のグールヴィッチ『意識の領野』に積極的に言及し、その論理・語彙を用いてエスノメソドロジーを特徴付ける作業が進められた時期、である。この3つの時期の変遷を辿ることで、グールヴィッチを通してガーフィンケルの議論の展開を跡付けることができる。こうした展開を見据えつつ、本発表では(c)に限定して検討する。ガーフィンケルは、グールヴィッチによるゲシュタルト心理学の現象学的再構成の方法を採用したうえで、その際、グールヴィッチがその議論において照準した個人の意識にある「対象(objects)」をデュルケーム的「もの(things)」に置換する。このデュルケーム的「もの」は、ゲシュタルトないしパターンであるとガーフィンケルによって特徴付けられている。以上の「意図的な誤読」により、ガーフィンケルはグールヴィッチの語彙を用いてエスノメソドロジーのポリシーを記述している。ただし、いくつかの例外はある。なお、デュルケーム的「もの」をゲシュタルトないしパターンとして特徴付けている点は先行する取り組みにおいて詳細な検討は与えられていないが、構造機能主義における全体―部分の議論をエスノメソドロジーの課題として捉え直したとみなしうるポイントであり、非常に重要である。 【謝辞】本研究はJSPS科研費21K01901の助成を受けたものです。

報告番号34

Schwartzの価値観理論のその後の展開の方向 ――社会科学の領域における応用研究の創造性/可能性の探究
統計数理研究所 真鍋 一史

Schwartzの価値観理論のその後の展開の方向 ――社会科学の領域における応用研究の創造性/可能性の探究――  統計数理研究所 真鍋一史  統計数理研究所 前田忠彦  北海道大学 清水香基 人びとの価値観は、国際比較調査において、重要なテーマの一つとなってきた。このようなコンテキストにおいて、現代における価値観の二つの理論、一方のR. Inglehartの「ポスト近代化の理論」と他方のS. Schwartzの「基本的な人間の価値観の理論」が世界のアカデミック・コミュニティの注目を集めることになった。本報告では、Schwartzの「価値観理論」とその後の新しい研究の動向に焦点を合わせる。 Schwartzの「価値観理論(1992)」は、10の価値観が1つの円において、原点から出る10本の放射状の直線によって10の扇形に区分されるそれぞれ領域内に1つずつ位置づけられ、さらにその円の外側にもう1つの円心円が描き加えられ、そこに10の価値観を区分する4つの高次の価値観の内容が表示されるという幾何学的な形状で表現された。それは「円環連続体/ヒエラルヒカル構造モデル(circular continuum/hierarchical structural model)と呼ばれる。このモデルは、SchwartzによるRokeach (1973)をはじめとする先行諸研究の渉猟と精査にもとづく「理論的考察」と、L. Guttmanの開発になる「最小空間分析(SSA)」といわれる「統計的技法」との、いわば「知的融合」 の産物としての「創発的理論(emergent theory)」である。一般に、「応用研究」は社会科学の領域において「方法論的な質の向上」(Steenkamp and Baumgartner, 1998, p.88)をもたらすものとされてきたが、Schwartzらの研究事例は、それを越えて、「応用研究」が、このような「創発的理論」を創り出す可能性を持つものであることを示唆している。 このようなSchwartzの「価値観理論」については、その後、Schwartz自身も含めて、E. Davidov、J. Cieciuchらによって、さらなる展開の方向が示されてきた。それは、「円環連続体/ヒエラルヒカル構造モデル」というこの理論に示された2つの側面を、それぞれ新しい「統計的技法」を導入することをとおして、実証的に確認する試みが続けられてきたということである。こうして、前者の側面については、確証的 SSA/確証的MDS 、そして、後者の側面については、二次/高次CFAなどの諸技法による「応用研究」をとおして、Schwartzの「価値観理論」は実証的にも確認されるに到ったのである。 本報告においては、以上のような諸研究の内容を概観するとともに、さらにそれと、R. Inglehartの問題関心との「知的融合」にもとづく新しい理論構築――R. K. Merton (1957=1961) の用語でいうならば、「理論の作り直し」――の方向を提案する。

報告番号35

「国鉄女子労働者調査」(1952)の復元二次分析――計量歴史社会学の実践として
東京大学 前田 一歩

【本研究の背景・方法】  本研究は「国鉄女子労働者調査」(1952)の復元事業を、計量歴史社会学の研究史上に位置づけると同時に、その復元二次分析が、戦後日本の労働研究と、社会学研究に対してもちうる意義について議論することを目的とする。また本報告を通して、社会調査データの復元過程と復元に用いた方法を公開することで、社会調査の復元技法をひろく共有する。  日本において計量歴史社会学的な研究は、2つの方針からなされてきた(佐藤 2007; 相澤ほか 2013; 佐藤ほか 2015)。ひとつは国勢調査や住民台帳など、多くは為政者によって作成された既存の調査・データを利用する計量歴史学の実践と方法を、発展的に引き継いだ研究である。もうひとつは、コンピュータ発達前に実施された調査を発掘しデータ化することで、二次分析研究の土台となるアーカイブの充実を図ると同時に、それを通じて過去のことを解き明かそうとする試みである。  東京大学社会科学研究所が、戦後に実施した労働調査資料と呼ばれる一連の社会調査は、佐藤香(2015)、相澤真一(2013)らを中心にして、データ化が試みられてきた。その成果は、いずれもSSJDAに収録され二次分析が可能な状態になっている。また、これらを分析した成果(渡邊ほか編 2019)も刊行されてきた。  本研究では、これまでの成果を踏まえ、東京大学社会科学研究所が所蔵する「国鉄女子労働者調査」の復元に着手している。本調査は国鉄労働組合婦人部の依頼をうけ、東京大学社会科学研究所の藤田若雄により、1952年に国鉄女子職員全員を対象に実施された。推定回収率は60%強、回収数は6820名であった(労働調査論研究会編 1970)。  復元過程では(1)計量歴史社会学における資料復元方法の体系化、(2)コロナ禍という特殊な状況における作業進捗の効率化に取り組んだ。方法論については、第1に、ID付番の方法を見直し、同時並行作業が可能な体系に整理した。第2に、科学的管理法を参考に作業手順を分解しつつ、IT技術を活用して作業を標準化・体系化・同時並行で進められるようにした。第3に、この種の資料特有の質疑対応について、データベース化することにより、作業手順の改定のブレをなくすと同時に、主たる作業者・監督者が変更されても同じ作業品質を担保できる体制を構築した。 【本研究の意義】  これまで計量歴史社会学における復元方法はともすれば担当者の能力に依存することが大きかったが、上記の方法によりデータ入力の精度を標準的に担保できる方法論の開発にある程度、成功したと言える。また、今回復元に着手しているデータは戦後間もない時期の女子労働に関する個票データという貴重なデータである。調査当時の報告書(国鉄労働組合婦人部編 1954)では、調査費不足のため十分な集計ができなかったことが述べられており、当時の分析手法の限界と相まって、データの多くの側面が分析されないままとなっている。この点で復元二次分析の意義は大きい。女子労働者はこれまで労働市場において、階層化された低位に位置するものと論じられてきた(今井 2020)。他方で、国鉄という労働市場の中核に位置づくセクターでかつ、メンバーシップの強い企業別労働組合において、彼女らはどのように企業や組合にどのような眼差しを向けており、どのように処遇されていたのか。当日の報告でこれらの論点と復元中のデータをもとに論じる。

報告番号36

幾何学的データ解析(GDA)の中で多重対応分析(MCA)と分散分析(ANOVA)の連携を見る
津田塾大学 藤本 一男

対応分析をめぐっては、拙訳書1)2)に続いて、『多重対応分析』3)が刊行され、分析手法として活用する条件が整ったといえる。しかし、この手法のアプローチが社会学会では一般化されている回帰分析などのアプローチとは異なるものであるために、必ずしもわかりやすいものではない。 本報告では、報告者の過去の報告も踏まえて4)、幾何学的データ解析(GDA)の中で、多重対応分析(MCA)と分散分析(ANOVA)の結びつきの実際を説明し、手法の特徴を明らかにしたい。 MCAは、カテゴリカルデータを分析対象する。カテゴリカル変数の分散を最大化する空間を生成し、変数間の関係を最大化する。その際に、空間生成に寄与する変数と、生成された空間に投影されて空間全体に対する影響を分析する変数との区分が行われる。前者をActive変数と呼び、後者をSupplymentary変数と呼ぶ。これが、構造の設計である5)。こうして多重対応分析の結果得られた次元縮減された空間における各個体の座標6)を目的変数として、Supplementary変数を説明変数とする関係を分析する準備が整う。  分析の手法としては、次元(座標軸)ごとに分析、解釈を加えていくことになるが、重要になるのが、MCAの結果生成された座標軸の「意味」である。これは、各軸の生成に寄与した変数カテゴリに注目することによって行われる。つまり目的変数となる軸(複数軸にわたって検討する場合には、ベクトルとして評価する)の意味に対する、Supplementary変数による「効果」を分析することになる。  MCAは、関係論的アプローチである4)、と言われるが7)、その理由は、この分析手順に由来している。 1) Clausen,Sten-Erik,1987,”Applied Correspondence Analysis An Introduction”,SAGE,(訳:藤本一男,2015,『対応分析入門』,オーム社) 2) Greenacre.M.J,2017,”Correspondence Analysis in Practice Third Edition”,CRC press, (訳:藤本一男,2020,『対応分析の理論と実践』,オーム社) 3) Briggite LeRoux, Henry Rouanet,”Multiple Correspondence Analysis”, SAGE (訳:大隈昇・小野裕亮・鳰真紀子,2021,『多重対応分析』オーム社) 4) 2019,2021日本社会学会での報告。「対応分析は〈関係〉をどのように表現するのかーCA/MCAの基本特性と分析フレームワークとしてのGDAー」『津田塾大学紀要』52号,169−184 「日本における「対応分析」受容の現状を踏まえて、 EDA(探索的データ解析)の中に対応分析を位置付け、 新たなデータ解析のアプローチを実現する」『津田塾大学紀要』54号,177 – 193 5)「Supplementary」変数から多重対応分析(MCA)を考える―幾何学的データ解析(GDA)と多重対応分析(MCA)―」『津田塾大学紀要』51号,155 – 167 6) 林知己夫や西里静彦による「数量化手法」と同じである。 7) Rouanet,H.,Ackerman, W., & Le roux,B.,2000,”The geometric analysis of questionaryes: The lesson of Bourdieu’s La Distinction”,Bulletin de Methodologies Sociologique,65,5-18 (本稿は著者たちのWebでも公開されている。また、以下に報告者の仮訳を掲載。https://rpubs.com/kfj419/870954)

報告番号37

社会学・者にとってのアクションリサーチ――W・F・ホワイトの方法論的模索
弘前大学 平井 太郎

アクションリサーチは日本の社会学でも徐々に取り入れられはじめている。だがその際、引照されるのは近年の応用例で、K・レヴィンやP・フレイレといった方法論的な淵源は一瞥されるにとどまる。そこで本報告では、そうした淵源と現在を結ぶ補助線としてW・F・ホワイトの方法論的な模索を引き、アクションリサーチを日本の社会学においてより共有されるべき方法論として提示したい。  アクションリサーチは、(1)知識生産を研究者以外の人びとに開き、それにより(2)研究がかかわる人びとの変容と知識そのものの更新をともに促す方法論である。その意味で、たんなる応用研究(知識生産への研究者以外の人びとの参加なき研究)とも、参加型研究(知識生産への研究者以外の人びとの参加が目的化した研究)とも異なる。こうした(1)参加と(2)現実という2つの志向が兼ね備えられることの重要性は武田(2015)で指摘され、であるなら「参加型アクションリサーチ」という二重の呼称がふさわしいとされることがある。だが、同著で現実志向しかもたないと否定的に評価されるW・F・ホワイトこそ、上記の方法論的な見取図をいち早く掲げた人物に他ならない。  ホワイトは日本では処女作『ストリート・コーナー・ソサエティ』(1943年初版)で知られるが、戦後も長く続いたその研究歴は引照されない。このため、参与観察法の先駆者という方法論的な位置づけやコミュニティ衰退論に対する存続論の主唱者というコミュニティ研究上の定位がなされるにとどまる。しかしホワイトの自意識としては、処女作以来、「参加型アクションリサーチ」や「小集団研究」こそが一貫した方法論に位置づけられていた。  たしかに同時代のParsons and Barber(1948)やBell(1947)、Moore(1947, 1948)では、ホワイトだけでなくその処女作は、上述のレヴィンらとともに、参与観察法やコミュニティ/地域研究という以上に、戦前のハーバード大学で興隆した「人間関係論」や戦後全米の社会学に波及した「産業社会学」の主要な業績に位置づけられていた。現実に、処女作以降のホワイトは、コミュニティや地域概念を批判的に捉え返したうえで、製造業や農業といった職場、工業国の都市にとどまらず地域開発の現場である農村に、対象を拡張していっていた。  ただし、ホワイト自身「アクションリサーチ」を自らの方法論として明示したのが、戦後直後の研究を再編集した1965年まで待たれるように、逡巡とも言うべき複雑な過程を経ている。そうした逡巡を解き「参加型アクションリサーチ」を自らの一貫した方法論として標榜する(1987年以降)きっかけになったと考えられるのが、70年代後半から「偉大な社会」論の文脈で対峙した労働者協同組合や斜陽産業での研究の手応えであり、その手応えを踏まえ、1950年代から進めフレイレと対象を共有する、南米各地での農村研究も自ら再解釈されていた。  以上のホワイトの半世紀に及ぶ研究の軌跡を踏まえると、アクションリサーチは、対象設定をはじめ、研究とその対象をめぐる境界線をたえず問い直す際に導き出される、方法論の1つだと考えられる。それは対象のただなかに研究を位置づける社会学にとって、あらためて参照されるべき方法論であると言えよう。

報告番号38

スティグマを付与される人々へのオンライン会議システムを活用したインタビュー調査の有効性に関する一考察
流通経済大学 市岡 卓

1 目的  本報告の目的は、スティグマを付与される属性を秘匿する人々を対象とするインタビュー調査において、Zoomなどのオンライン会議システムを活用することの有効性について考察することである。本報告を通じ、スティグマを付与される人々を対象とする社会調査の手法としてオンライン会議システムを積極的に位置づけることの可能性を提示する。 2 方法  報告者は、シンガポールにおけるイスラームからの棄教者の社会的包摂の問題に関する研究(以下「棄教者の研究」という。)を行い、本年その成果を論文として公表した。棄教者の研究においては、コロナ禍において調査対象地に渡航して対面インタビューを行うことができなかったため、Zoomによるオンラインインタビューを取り入れた。本報告に係る研究では、棄教者の研究におけるインタビュー過程およびインタビュー手法に関する情報提供者の認識を分析することによって、インタビュー調査においてZoomの活用がどのような効果を発揮したかを検証した。 3 結果  第一に、報告者は、Zoomを活用することで、棄教者であることを秘匿している情報提供者たちと、彼らが家族や職場の人々に知られずにインタビューに応じる場を設定することができた。すなわち、オンライン会議システムの導入により、対面インタビューではアクセスが困難であったであろう情報提供者ともインタビューを行うことが容易になったといえる。第二に、棄教者である情報提供者たちは、対面インタビューができない中で、メールよりもZoomによるインタビューを選好していた。情報提供者は、棄教者としての属性を秘匿したいためにオンライン会議システムを活用しながら仲間同士でコミュニケーションを行っている。このような情報提供者の行動様式は、オンライン会議システムによるインタビューと親和性があり、そのことによって調査を円滑に行うことが可能になったと考えられる。 4 結論  上記の調査結果からは、スティグマを付与される人々に対しオンライン会議システムを活用したインタビュー調査を行うことに一定の有効性が見出せることが示されたと考えられる。一方で、このようなインタビュー手法は、周囲に知られずにオンライン会議ができる環境が確保できない人々に対しては適用できない。すなわち、日常生活の中でプライバシーが確保できずより厳しい環境にある人々が調査対象から漏れ、調査対象の母集団の属性に関わるバイアスが生じると考えられる。オンラインインタビューは、コロナ禍の下での対面インタビューの代替手段として消極的な位置づけがなされている。しかし、本報告は、オンラインインタビューについて、一定の留保条件はあるものの、情報提供者の属性によっては対面のインタビューよりも有効な社会調査の手段になりうるものとして積極的に位置づけることの可能性を提示するものである。 (参考)市岡卓(2022)「イスラームからの棄教者の社会的包摂をめぐる問題 ―多民族・多宗教社会シンガポールの文脈から―」『異文化』第22号、5~32頁。 照山絢子、木村周平、飯田 淳子、堀口 佐知子、春田淳志、濱雄亮、金子 惇、宮地 純一郎、小曽根早知子、後藤亮平(2021)「「ソーシャルディスタンス」の時代のエスノグラフィー -デジタルプラットフォームを活用した調査を事例として-」『白山人類学』第24巻、101~114頁。

報告番号39

個別面接調査における調査員の観察可能な属性が回答に与える影響――自記式調査との比較による検討
金沢大学 小林 大祐

1.目的 調査票調査においては,調査員の人種や年齢そして性別といった「目に見える調査員の特徴」(interviewers’ observable traits)が,回答内容に影響を与えることが報告されてきた(調査員の性別に関しては,Kane and Macaulay 1993; Huddy et al. 1997など)。ただ,その影響が見られるのは,ほとんどの場合,それらの特徴に関わる質問に限られてきた(West and Blom 2017)。この点で,小林・前田(2021)は,調査員の性別の影響が必ずしもジェンダーとは関連しない質問,男性回答者においては,「地域とのつながり」に関連する項目で,女性回答者においては,「日本や社会についての評価」に関連する項目で見られることを報告している。この研究では,自記式モードと他記式モードを併用した調査データを用い,調査員が「男性」,調査員が「女性」,調査員が「いない」という3パターンの比較から,調査員の影響がない場合を基準として,調査員の性別の影響を解釈するという独自のアプローチを取っているが,そこでの分析は,意識変数に対する調査員の性別の主効果と回答者の性別との交互作用効果という3変数の分析に留まっていた。そこで,本研究では他の変数をコントロールしても,この傾向が保持されるかについて検討する。 2.方法 この問題の検証は,統計数理研究所が2012年に実施した「国民性に関する意識動向2012年度調査」のデータの2次分析によって行う。この調査は個別面接法と留置法という2つの調査モードを併用して実施されている。また,調査員の基本属性についての情報を個票データに紐付けて使用することも可能である。これらの特徴から,調査員の影響を,自記式モードを基準として検討することが可能となる。 3.結果と結論 多変量解析の結果,調査員および回答者の他の基本属性変数を考慮しても,男性調査員と男性回答者の組み合わせにおいて,例えば「近所とのつきあいの程度」をより高頻度に回答する等,調査員の性別と回答者の性別の交互作用効果を確認することができた。これらの分析結果からは,必ずしも調査員の属性と関連しないような内容の質問であっても,「目に見える調査員の特徴」が回答に影響を与えている可能性が示唆される。 謝辞 本研究はJSPS科研費20K02110, 22H00070, 19H00609の助成を受けたものです。 文献 Huddy, Leonie et al., 1997, The effect of interviewer gender on the survey response, Political Behavior 19(3) :197 -220. Kane E.W. and Macaulay L.J., 1993, Interviewer gender and gender attitudes, Public Opinion Quarterly 57(1) :1-28. 小林大祐・前田忠彦, 2021, 「調査員が回答内容に与える影響の自記式モードとの比較による検討」, 日本社会学会第94回大会, 日本社会学会(2022年6月18日取得,https://jss-sociology.org/other/20210924post-12090/#8). West, Brady T. and Annelies G. Blom, 2017, Explaining Interviewer Effects: A Research Synthesis, Journal of Survey Statistics and Methodology, Volume 5, Issue 2, June, 175–211.

報告番号40

インターネット利用の不安感と社会調査への回答
奈良大学 吉村 治正

本報告では、郵送調査にウェブ回答オプションを加えてもほとんど回答率が向上しないという奇妙な現象を、インターネットへの不安によるものと仮説を立て、これを検証する。近年、学術研究でもインターネットによる社会調査、いわゆるウェブ調査の利用が急速に進んでいる。だが社会調査法としてのウェブ調査については、まだまだ分かっていないことが多い。たとえば、旧来的な方法(特に郵送法)で社会調査を行う時にウェブでの回答をオプションとして与えると、回答率はほとんど向上せず、むしろ低下する傾向がある。これはウェブ調査のかなり早期の段階で指摘されており、何度も検証実験が行われているが、そのほとんどで同様な結果、つまりウェブでの回答をオプションとして与えても回答率は向上しないという結果が出ている。  報告者は、この現象を社会的交換理論の立場から説明できると考えた。この理論によれば、回答率を高めるために必要なのは、社会的に承認された信頼関係として協力が求められているという印象を調査対象者に認識させることであり、反対に調査者への信頼感を損なうような印象を与えると回答率は低下する。報告者はこの社会的交換理論にしたがい、インターネット上での逸脱的な活動を日常的に目にしている調査対象者は、社会調査の調査者からの依頼状に「インターネットからでも回答できます」という文言を見つけて、そこに調査者に対する疑問を抱き、その結果として回答をやめるのではないかという仮説を立てた。  仮説の検証は、2010年10月に奈良県奈良市で行った地域調査にて行った。この地域調査はコロナ禍の日常生活への影響の測定を目的としたもので、調査対象者を18歳以上75歳以下の日本人として、奈良市の住民基本台帳より無作為に標本抽出を行った。そしてこの調査対象者をランダムに二つに分け、第一のグループには郵送による回答を、第二のグループには郵送もしくはウェブでの回答を求めた。調査の結果、第一のグループの回答率は58.7%、第二のグループの回答率は59.1%と、全く同一になった。つまりウェブでの回答を選択肢として与えても回答率は向上しない。しかも、第二のグループの回答者のうち郵送による回答者とウェブによる回答者の回答を比較すると、わずかに郵送による回答者の方がインターネットへの不安感を強く持っている傾向が明らかになった。  すなわちウェブ回答の利便性にも関わらずウェブ回答での回答が少ないのは、インターネット利用に対する不安感を多少とも調査対象者が抱いているからであり、その不安を強く抱く人ほどウェブ回答を回避したがることが明らかになった。

報告番号41

南洋群島の金融互助――パラオとポンペイを中心に
島根県立大学 恩田 守雄

1.目的  本報告の目的は田植えなどの労力交換のユイ(互酬的行為)、道路補修などの共同作業や共有地(コモンズ)の維持管理のモヤイ(再分配的行為)、冠婚葬祭のテツダイ(支援<援助>的行為)という日本の互助慣行(恩田,2006:2019;Onda,2013:2021)のうち、金銭モヤイとして一定額を拠出し順番に受け取る頼母子や無尽について、南洋群島のパラオとポンペイを比較することである。これは貧困者向けの融資事業ではなく少額出資によりメンバー間で分かち合う仕組みで、Rotating Savings and Credit Associations(ROSCAS)と言われる。日本語では「回転型貯蓄信用講(組織)」とされる。日本(南洋庁)がかつて南洋群島を統治したため、互助慣行の「移出入」にも着目する。 2.方法  上記の目的を達成するため日本と南洋群島の互助関連の文献を精読し、現地調査を2018年8月パラオ、2019年3月ポンペイで行った村落の聞き取り(半構造化インタビュー)から金融互助について分析した。既に韓国(第85回報告)、中国、台湾(第87回報告)を調査し、東アジアの互助慣行として発表したが(第88回報告)、その後フィリピン(第89回報告)、インドネシア(第90回報告)、タイ(第91回報告)、マレーシア(第93回報告)の東南アジアの調査も踏まえ、今回は「日本と南洋群島の互助慣行の比較 」(第92回報告)から金融互助に焦点を当てた知見を紹介したい。 3.結果  パラオとポンペイの互助慣行は日本同様近代化の過程で衰退しているが、村落ではまだ互助行為による絆やつながりが見られる。パラオではムシン(muzing)と呼ばれる小口金融がある。これは日本統治時代に無尽として伝えられたものである。ムシンが日本語とは知らない人がいるほど、地元の言葉として定着している。ポンペイでもムシンという言葉が使われ、パラオ同様日本から「移入」された慣行と言える。特に特質されるのは、ムシンをするだけの資金がない人でもわずかな参加料でビンゴゲームに参加できる点である。この「ビンゴつきムシン」はムシンの受取人が服や雑貨品などの景品を準備し参加料を受け取るが、これもムシンに参加できない者に対する互助関係から捉えることができる。 4.結論  パラオとポンペイの金銭的支援としてムシンは日本人が伝えた無尽で、利息を求めない相互扶助の性格が強い。いずれも東アジアの射幸心の強いものと異なり生活向上のための共済型で、東南アジアのように宗教的な色彩は強くない。それは外来慣行を受け入れた「移入」型の金融互助で、伝統的な互助行為とは言えない。しかし島民は戦後強制互助ではなく共生互助として受け容れ、同化融合しながら土着の慣行としてきた。両地域は共有地がなく共有意識は希薄だが、地域住民の一体感は金融互助に表れている(科学研究費基盤研究C「日本と南洋群島の互助ネットワークの民俗社会学的国際比較研究」20K02091令和2~6年度、研究代表者<個人研究>恩田守雄)。 <参考文献> 恩田守雄、2006『互助社会論』世界思想社。2019『支え合いの社会システム』ミネルヴァ書房。 Onda, Morio. 2013.‘Mutual help networks and social transformation in Japan, ’American Journal of Economics and Sociology,71(3):531-564. 2021. ‘Rotating savings and credit associations as traditional mutual help networks in East Asia, ‘International Journal of Asian Studies,18(1):1-17.

報告番号42

ベトナムにおける食品加工企業の原材料調達の現状と課題
岡山大学大学院 駄田井 久

現在日本では,海外におけるフードバリューチェーン(以下FVC)の構築を通じた食品企業の海外展開が進められている。その中で,海外に進出した日系食品加工業が多数存在しており,進出先の国内で調達した原材料を利用して製品加工し,日本をはじめとした諸外国に製品の輸出を行っている。この様な企業では,自社製品の輸出先の安全基準(農薬残留量,使用化学物質など)をクリアした原材料を安定的に調達することが課題となっている。 ベトナムは世界最大の胡椒生産国であり,海外からの胡椒輸出企業が多く進出している。そこで本研究では,ベトナム国内の日系企業Aを対象として。ベトナム国内なでの胡椒原材料調達の実態と課題を整理する。また,企業Aとベトナムのベトナム国内で原材料用胡椒の買取と販売を行っている,大規模な仲買人(以下トレーダー)の胡椒調達時の意識を比較し,FVC構築に向けた原材料調達体制を検討する。 本研究ではまず,Aの代表1名にインタビュー調査を実施し,ベトナムにおける胡椒流通の現状を把握した。その後,Aの取引先トレーダー2社にアンケート調査を行い,AHP法を用いて胡椒調達時の意識について比較した。 Aは香辛料の製造や販売をしている日本企業のベトナム拠点で,原材料となるベトナム産胡椒を調達し製品に加工後,日本国内の香辛料工場やASEAN諸国やEUのスパイスメーカーに商品を輸出している。Aは,ベトナム国内では,輸出加工企業であり,ベトナムの税法上外国企業とされる。そのために,Aは,農家から直接原材料様の胡椒を購入することは認められていない。そのために,ベトナムからの胡椒輸出の許可を有している,インタビューを実施したトレーダー2社ともう1社から原材料用胡椒を購入している Aの2020年の年間胡椒調達量は2,300トンであり,原材料調達時に15トン/ロットごとにサンプルをとり,残留農薬,異物の有無,水分含有率,比重の検査を行う。残留農薬基準の厳しさは製品輸出国ごとに異なっている。Aは製品輸出先の中で最も基準が厳しいタイの基準クリアしている原材料胡椒のみを購入している。 AHP法をアンケートの結果,A社と比較して取扱い量が多いトレーダーは幅広い品質の胡椒を調達しており,品質に対する意識が低くなってる事が明らかとなった。これは,トレーダーはA社以外にも多くの取引先を有しており,残留農薬基準等を満たさない原材料胡椒はベトナム国内加工企業や基準の緩い国へ出荷でと考えられる。。残留農薬基準の国際的な統一化を進めるとともに,農家との交流などを通じて生産現場から品質に対する意識を改善することで,FVC構築に向けて生産・流通段階から厳しい基準にも対応できる体制を構築する必要がある。

報告番号43

過疎化する都市近郊農村における地域差の分析――兵庫県丹波地域を事例として
大阪市立大学大学院 片桐 勇人

【1. 目的】 現代日本の地方では少子高齢化・人口減少を背景とした過疎化が課題になっている。しかし過疎化の進行は一様ではなく、生活の「都市化」にともなって、条件の不利な集落から不均等に過疎化していくなど、地域差があることが先行研究から明らかにされている(山本 2008: 147-148)。こうした地域差は、大都市が近い農村ではどのように現れるのだろうか。本報告では京阪神都市圏の近郊農村である兵庫県丹波地域をフィールドとし、各集落における過疎化の現状について報告し、地域差の分析をおこなう。 【2. 方法】 2021年、2022年に新たに一部が過疎地域に指定された兵庫県丹波地域(丹波市・丹波篠山市)を対象とする。地域差の分析のために、(1)2021年5月から2022年6月現在までフィールドワーク(地縁組織代表者等への聞き取り調査)をおこない、(2)2020年、2015年国勢調査小地域集計のデータを使用してクラスター分析をおこなった。 【3. 結果】 フィールドワークの結果、丹波地域ではそれぞれの歴史、交通の便の違いなどを背景として、多様な集落(自治会)が存在することが確認された。また、同じ農村的な地域でも、過疎化が進んで地域維持への危機感が強い地域と、そうではない地域があることが確認された。小学校が廃校になった農村的地域では、どの地域も集落維持にたいする強い危機感が見られた。当該地域では、小学校の廃校により、子どもやPTA、学校行事を通じた地域の社会的ネットワークが失われ、もともとの小学校区としての地域のアイデンティティが失われることを危惧する声が聞かれた。若年人口が一定数存在し、小学校が廃校になっていない地域では、集落維持への強い危機感は見られなかった。当該地域のなかでは「黄色い旗」による見守り運動が行われている地域もある。一方で、同じ丹波地域においても調査に入った市街地のある地域では7割が転入者であり、年々人口は増加している。当該地域では地域維持への危機感はまったく見られず、自治会長は、都市的ライフスタイルによるコミュニケーションの希薄さを課題に挙げていた。過疎化が進む農村地域と混住化が進む都市的地域の両方で、小学校の廃校と都市化というように経路は異なるものの、人間関係の希薄化を指摘する声が聞かれた。  上記の結果を受け、クラスター分析をしたところ、一方の極が都市的地域、もう一方の極が農村的地域となるような一次元の分類が抽出された。本研究では、フィールドワークの結果をもとに、都市的地域、農村的地域でまだ過疎化が比較的進んでいない地域、農村地域で過疎化が進んだ地域の3クラスターに分類した。過疎化が進んだ地域の高齢化率の平均は50%に近かった。 【4. 結論】 本研究では、過疎化する都市近郊農村における地域差に着目し、フィールドワークをおこなった。小学校が廃校になった農村地域では、集落維持への強い危機感が見られ、小学校が廃校になっていない農村地域、市街地にはそのような危機感が見られなかった。また国勢調査のクラスター分析の結果、過疎化の進んだ農村地域、比較的進んでいない農村地域、都市的地域のクラスターが析出された。 <引用文献>山本努,2008,「過疎地域 -過疎化の現段階と人口供給」堤マサエ・徳野貞雄・山本努編『地方からの社会学 : 農と古里の再生をもとめて』学文社,142-163.

報告番号44

伝統的生業の観光化を通した漁場利用の再編――三重県鳥羽志摩地域の海女漁の事例から
三重大学 吉村 真衣

【1.目的】農山漁村では地域振興のため、農林漁業など生産活動にかかわる対象に文化的価値を付与し、観光などに活用する事例が全国的に見られる。これらの事例に関する先行研究が積み重ねられてきた一方で、漁村・漁業を対象にした研究、とりわけ地域共用資源としての漁場の管理・利用とのかかわりに注目した研究は蓄積が待たれている。鳥羽志摩の海女漁村では、海女と一緒に観光客が潜る「海女漁体験」が実施されている。海女漁は、採捕の対象となる根付資源が有限であること、潜水に生命の危険をともなうことから、漁場によそ者を入れることが忌避されてきた。この海女漁体験では、観光客だけでなく海女も近隣の他地域から通ってくる。本報告では地域外部の海女および観光客が潜るという新たな漁場利用がなぜ成立したのかを明らかにする。 【2.方法】2018〜2022年にかけて鳥羽志摩地域で実施した聞き取り調査と資料分析が中心である。聞き取り調査は、対象となる漁村の海女やその他漁業者および地域住民、自治体関係者、観光事業者などに行った。 【3.結果】鳥羽志摩の海女漁は、漁村経済を支える漁業としての側面だけでなく、江戸期以降は観光資源としての側面も有してきた。観光形態はショーなど、ローカルな文脈から切り離されて視覚的消費をされるものが中心だった。バブル崩壊にともなう地域資源重視の観光への転換、文化遺産化に象徴される新たな文化的価値付与を背景に、鳥羽志摩での海女にかかわる観光も、生業としての営みとのつながりを示すものへと形態が変化した。観光用の海女小屋で観光客に応対する「海女小屋体験」が中心で、観光客を漁場に近づかせることはなかったが、近年海女が観光客と素潜りをする「海女漁体験」が現れた。この漁場利用の変化には、鳥羽志摩地域の観光開発や文化遺産化の歴史のなかでの観光事業者―海女のネットワーク形成、水産資源を持ち出さず、海に潜るという体験から経済的利益を得る仕組みの構築、水産資源の不安定性に対応しながら海女漁という生業を存続させたいという海女や関係主体に共有された論理、という3点が相互に影響していたことがわかった。 【4.結論】文化遺産に代表される、近年における海女漁への新たな文化的価値の付与は、漁による生産物だけでなく漁の営みそのものが評価される契機となった。そのため「海に潜って獲物を採る」という行為を生産活動としてだけでなく観光などへの利用対象として読み替えることで、海女漁の経済合理性の確保や、水産資源への不安定性への対応が図られている。現在は、観光利用と漁業利用を時間・空間的に分離させ、水産資源以外から経済的利益を得る素潜り体験という仕組みをつくることで、既存の漁場の秩序を維持しながら、外部の人間を漁場に入れるという利用のありかたが成立している。この新たな利用形態が地域社会と漁場の関係に及ぼす影響は今後一層検討していく必要がある。

報告番号45

過疎農村に住む高齢女性が取り結ぶ友人関係の重要性の増大
安田女子大学 野邊 政雄

過疎化と高齢化が進行する農村である岡山県高梁市宇治町と松原町で、1997-98年(初回調査)と2016-17年(第2回調査)に65歳以上80歳未満の高齢女性にパーソナル・ネットワークとソーシャル・サポートに関するサーベイ調査を実施した。本報告の目的は、両調査の結果を比較することによって、パーソナル・ネットワークとソーシャル・サポートがどのように変化したかを明らかにすることである。分析によって、次のようなことが判明した。 (1)初回調査では、高齢女性は主に親族関係と近隣関係を取り結んでおり、高齢女性にとって親族と近隣者が有力なサポート源であった。しかし、高齢女性は友人関係をあまり保有しておらず、友人は有力なサポート源ではなかった。 (2)第2回調査では、初回調査よりも子ども(夫婦)と同居する回答者の割合が減少し、高齢女性の保有する同居家族関係が少なくなっていた。前者では後者よりも「借金」を同居家族に期待できる高齢女性の割合が低かった。このサポート状況を除いて、同居家族にサポートを期待できる高齢女性の割合は両調査の間で有意差がなかった。 (3)第2回調査では、初回調査よりも高齢女性が多くの親族関係を取り結んでいた。相手の居住場所別に見ると、高齢女性は「県外」でより多くの親族関係を保有するようになった。親族にソーシャル・サポートを期待できたり、親族と「交遊」したりした高齢女性の割合は、両調査の間で有意差がなかった。それに加えて、高齢女性が取り結ぶ近隣関係数は両調査の間で有意差がなかった。第2回調査では、初回調査よりも高齢女性が近隣者に「借金」を期待できた。このサポート状況を除けば、近隣者にソーシャル・サポートを期待できたり、近隣者と「交遊」したりした高齢女性の割合は、両調査の間で有意差がなかった。 (4)第2回調査では、初回調査よりも高齢女性が多くの友人関係を取り結んでいた。相手の居住場所別に見ると、高齢女性は「近隣地域」、「市内」、「40キロ以内の県内」でより多くの友人関係を取り結ぶようになった。高齢女性が自動車を運転するようになったなどの理由から、第2回調査ではとくに「市内」での友人関係が多くなっていた。そして、第2回調査では、初回調査よりも高齢女性が多くのサポート状況で友人にソーシャル・サポートを期待できたり、友人と「交遊」をしたりしていた。第2回調査では、高齢女性が初回調査よりも多くの親族関係や友人関係を保有していたこともあって、パーソナル・ネットワークの規模が大きかった。 要するに、1997-98年以降、高齢女性は自らの興味や関心にもとづいて相手を自由に選択し、多くの友人関係を自主的に形成するようになった。そして、友人は豊富なソーシャル・サポートを提供するサポート源としての可能性を有するようになった。

報告番号46

過疎村落における空き家のモラルについての一考察――新潟県佐渡市の村落社会を事例として
神戸大学大学院 土取 俊輝

日本の村落社会は、過疎化、高齢化、人口流出といった社会変動にさらされているといわれる。地方では、若年層を中心とした都市部への人口流出に伴い、空き家が増加しており、その処分や対応をどうするのかが重要な課題として議論されている。1960年代後半に始まった都市化、近代化の影響で、地方の村落共同体は急速に解体され、いわゆる伝統的な社会構造や信仰などもその勢いを弱めていった。そのような状況の中で、離島であるために交通状況が孤立的であり、比較的最近まで伝統的なものが維持されてきたことが報告されてきた新潟県の佐渡島では、故郷を離れて都市に移住した人々が、空き家となった家に仏壇を維持するために通うという現象が観察されている。経済合理主義的に考えれば、家は売却し、仏壇は遺棄もしくは処分しても不思議ではないが、彼らはそうはしない。なぜ、佐渡の人々は空き家と仏壇を維持しているのだろうか。  本報告は、新潟県佐渡市の村落社会における、空き家の仏壇や墓を維持する人々の事例を通して、その背景にある日本の村落社会の空き家に対する人々のモラルについて考察するものである。  日本社会における空き家の問題には、debtの問題が関係している。ここで言うdebtには2つの意味がある。「他者に対して金銭的な支払いの義務を負った状態を意味する」[箕面 2019: 1]経済的な負債と、「日常的な人間関係のなかで他者に対して返礼しなくてはならないと感じている状態を意味する」[箕面 2019: 1]倫理的な負い目である[佐久間 2022: 3]。空き家を維持する、または取り壊す理由について議論するときに、よく言及されるのは、固定資産税や解体費用など、経済的な意味での負債である。しかし、空き家の問題には、経済的な意味での負債だけが関係しているわけではない。日本の村落社会では、家屋敷やそれに付随する位牌、墓は単なるモノではなく、独特のローカルな価値を持つモノである。そのため、単純に経済的な問題だけで、空き家の処遇を決めているわけではない。経済的な意味での負債と、倫理的な意味での負い目の両方が絡まり合い、空き家の維持/解体に影響を与えているのである。言い換えれば、日本の村落社会における空き家の維持という事例を考えるためには、経済的なモラルと倫理的なモラルの両方を考慮する必要があるのである。  本報告では、新潟県佐渡市の村落社会での現地調査で得られたデータに基づいて、調査地の人々が空き家を維持したり、売買したりする際に、どのようなモラルが作用しているのかを報告する。その上で、日本の村落社会において、空き家をめぐる経済的なモラルと倫理的なモラルがどのように絡み合っているのか、分析することを試みるものである。

報告番号47

過疎地域における「朝鮮通信使」の展開と地域社会の受け入れ―――呉市下蒲刈町と瀬戸内市牛窓町を事例にー
天理大学 魯 ゼウォン

1.目的:本報告では、瀬戸内海の港町である呉市下蒲刈町と瀬戸内市牛窓町が「朝鮮通信使」(以下、通信使)の寄港地である歴史に着目し、過疎地域における通信使の展開過程を検証し、通信使の今日的意味を提示することが目的である。ここでいう通信使とは、17世紀から19世紀の間に日本国の要請より朝鮮国が派遣した外交使節団である。近代以降、日韓において通信使は埋もれた歴史となっていたが、1970年代後半、在日コリアン学者や在野研究者を中心に、通信使の資料収集や映像制作が行われた。通信使が日本で最初に立ち寄った長崎県対馬市において、1980年に港まつりのイベントとして通信使行列が登場してから、通信使の立ち寄った地域において再現行列が次々と実施されていった。通信使という日韓交流歴史は、2017年に日韓の民間団体の申請によって、ユネスコ記憶遺産への登録が決定された。これによって、通信使が立ち寄った日韓の各地では、通信使を地域の活性化に活用しようとする動きがみられる。本報告で取り上げる呉市下蒲刈町と瀬戸内市牛窓町は、通信使歴史を地域の活性化に取り入れた過疎地域である。2.方法:報告者は、2021年から呉市下蒲刈市と牛窓町への資料収集を行うと同時に、行政・住民・在日コリアン対象の聴き取り調査を行い、通信使がどういった意味をもつのかを分析した。3.結果:1)呉市下蒲刈町は2020年の時点、人口1,346人、世帯数727世帯、高齢化率52.0%となっている。離島である下蒲刈町は、1970年代に通信使という地域歴史を知るようになり、「歴史・文化の掘り起し」を打ち出した。1980年代、瀬戸内市下蒲刈町は通信使を友好的にもてなした点に着目し、当時の町長は、「朝鮮通信使資料館・御馳走一番館」を開設した。これを皮切りに、下蒲刈町は「ガーデンアイランド」という全島庭園化を推し進め、6つの文化施設群を建立していく。2004年、呉市との合併に先立って、下蒲刈町は、文化施設群を管理する蘭島文化振興財団を立ち上げる。合併後、蘭島文化振興財団は、観光振興策として「通信使再現行列」というイベントを、在日本大韓民国民団広島本部の協力を得て、実施していく。2)瀬戸内市牛窓町は2020年の時点で、人口数5,663人、世帯数2,368世帯、高齢化率46.3%の地域特徴をもつ。戦後、港町の牛窓町は過疎化に直面していき、「日本のエーゲ海・牛窓」というキャッチフレーズを掲げ、観光振興に力を入れていった。こうした中、通信使研究家によって、唐子踊という伝統芸能が通信使に由来することを再発見し、町として「通信使の掘り起こし」を推進していった。その結果、1988年に「朝鮮通信使資料館(現牛窓海遊館)」を開設し、1991年に住民が始めた通信使行列は、長崎県対馬や在日本大韓民国民団岡山本部の協力を得ながら、1992年から町主催の「エーゲ海フェスティバル」のイベントとして実施していった。合併後、通信使行列は民間主導の「瀬戸内牛窓国際交流フェスタ」のイベントとして実施される。4.結論:以上の過疎地域では、通信使の再発見を機に、1)文化施設の開設による観光振興の推進(下蒲刈町)、新たな地域まつりの定着(牛窓町)という地域の活性化が進められていること、2)通信使にゆかりのある地域・都市との交流や在日本大韓民国民団との交流の契機になったことが明らかになった。

報告番号48

社会的企業政策の日韓比較――社会的企業の生態系の日韓比較(1)
東京大学大学院 金 成垣

【1.目的】 日本と韓国では社会的企業についての規模や役割が大きく異なっていることが知られている。その背景には社会的企業にかかわる政策の違いがある。本報告では日韓の間でどのような社会的企業政策の違いがあるのか、またその背景にどのような要因があるのかを検討する。 2000年代後半以降,韓国では,「社会的企業育成法」の制定(07年)、「マウル企業育成事業行政方針」の発表(11年)、「協同組合基本法」の制定(12年)、「自活企業」の導入(12年)など、社会的企業の振興を図るためのさまざまな政策が積極的に進められてきている。これら政策の背景には雇用政策との関連付けがある。 一方で、日本では社会的企業が政策文書や政党の公約などのなかにたびたび登場してきたものの、法制化されたことはない。また、自治体のレベルでも、「東京都ソーシャルファーム条例」(18年)など社会的企業の振興を目的とした条例が整備されることはあったが、実際の活動の広がりは限定的である。その役割も韓国のように雇用政策との結びつきはあまり多くはなく、革新的な社会サービスを生み出すといった側面がより期待されている。 このように韓国と日本で異なる社会的企業への政策が展開され、実際の生態系も性格が異なる背景にはいかなる社会構造的な要因があるのかを示すことが本報告の目的である。 【2.方法】  国際・歴史比較的な視点から,社会的企業とかかわる産業および雇用政策に関する政策文書の分析を行う。また、そのような政策の動向の検討に関して、福祉レジーム論や後発福祉国家論などの先行研究を検討する。 【3.結果】 日韓の間で社会的企業政策の差異をもたらしている要因は大きく以下の2つが考えられる。 第1に、産業構造と労働市場の違いである。「技術・技能節約的発展」という韓国特有の経済発展のパターンとそれによる労働市場の二極化が、韓国に「雇用創出型社会的企業」の広がりをもたらした重要な要因であると考えられる。それに対して,「技術・技能蓄積型発展」を経験した日本では,分厚い中小企業の存在があり、韓国のような雇用創出型の社会的企業の必要性は高くなかった。 第2に、福祉レジームの違いである。韓国では生産主義的な性格を持った社会政策が整備され、その後発性ゆえに社会保障・福祉制度における空白が生じ、社会的企業はそれを埋める役割を果たした。それに対して日本では,韓国と比べると比較的に早く社会保障・福祉制度が整備されたため、社会的企業には既存制度の補完,また既存制度にはない新しい社会サービスの提供の役割が期待されたと考えられる。 【4.結論】 以上のような日韓の違いは、社会的企業をめぐる労働市場や経営理念への差異を生み出す要因となったと考えられる。例えば、韓国と日本では社会起業家の経済活動や社会的目的の実現のためのアプローチは異なっているが、それは韓国と日本の社会的企業の社会的文脈の相違によるものであると考えられる。 また日韓のそれぞれ異なる社会的企業の生態系の性質は異なる政策的課題を産む。例えば、韓国において社会的企業による雇用創出の成果はけっして少なくないものの,雇用の質でみると、労働市場の二極化をさらに深刻化させる恐れがある。一方で、日本では制度外での革新的なサービス提供を志向することで社会的企業の持続性や規模拡大が容易ではないと考えられる。

報告番号49

日韓の社会起業家のキャリアの違い――社会的企業の生態系の日韓比較(2)
目白大学 井口 尚樹

【1.目的】  本報告では、日本と韓国の社会的企業の起業家のキャリアや、団体の将来像に関する考えの違いを、起業家へのインタビュー調査を通じて明らかにする。分析では、両国における、社会的企業支援の制度や労働市場といった構造的条件と関連付け、この違いを説明しようとする。  社会的企業は、社会的価値創出の手法として各国で注目を集めている。一方、各国の起業家支援の制度や、背景にある労働市場の特徴には違いもみられる。例えば韓国では、社会的企業の起業家支援は、若年者の雇用問題への対策としての側面を持ち、比較的大きな規模でなされている。これに対し、若年失業率が低く、勤務先の組織規模による賃金差がより小さい日本では、雇用対策としての側面は比較的弱い。こうした違いは、誰が支援を利用し起業するかや、起業の動機、今後の目標のあり方に影響を与えている可能性がある。 そこで本報告では、起業に至るまでの経緯や動機、これまで利用した支援制度や資源、ソーシャル・セクターに対するイメージ、自身の将来のキャリア・イメージについて、日韓での共通点と違いを明らかにしようとする。 【2.方法】  日本の社会的企業の起業家3名、韓国の起業家4名に、ウェブ会議アプリを利用し、インタビュー調査を行った。仮説検証よりも仮説生成を目的とし、基本的に事前に定めた質問項目に沿い、対象者の語りに応じ質問を追加する、半構造化面接法で行った。なお韓国の対象者のインタビューは、逐次通訳により、質問に対する回答を日本語で確認しながら行った。主な質問項目は、団体の概要、現在の仕事内容、立ち上げの経緯、組織の現状に対する評価、ソーシャル・セクターの特徴についての認知、個人的ネットワークについてであった。 【3.結果】  これまでのインタビューでは、日本の対象者からは、大学在学中などから社会的経済への強い関心があったことや、今後も現在の社会的企業の経営を続ける予定であることなど、比較的一貫的な語りが聞かれた。一方、韓国の対象者からは、社会的経済について知ったのが学卒後であったり、アルバイトなど比較的不安定な職に就いた後で起業したこと、今後は現在の社会的企業以外の組織で働く可能性があることなどが語られた。 【4.結論】 個人属性の違いは踏まえる必要があるものの、日韓の労働市場や典型的ライフコース、政府の創業支援の制度の違いが、社会起業家の動機や将来像の違いに影響するという仮説が得られた。 付記:本研究はトヨタ財団 2018 年度研究助成プログラム(助成番号:D18-R-0122)の研究成果の一部である。

報告番号50

社会起業家の社会関係資本と経営理念の検討――社会的企業の生態系の日韓比較(3)
名古屋大学 福井 康貴

1. 目的 日本と韓国は社会的企業や社会起業家の概念を大陸欧州や米国から受容するという共通点を持ちながらも、日本では社会サービスの供給主体やソーシャル・イノベーションの担い手としての期待が大きい一方、韓国では雇用創出の場としての側面も重視されているという相違点がある。社会的企業関連の法整備は日本よりも韓国が先んじており、政府による社会的企業に対する財政支出規模も韓国は大きい。こうした両国の制度的環境の差異は、日韓の社会起業家が動員する社会関係資本のパターンや社会的価値創出に対する考え方に違いを生じさせている可能性がある。このような問題意識に立ち、本報告では、日韓の社会起業家が市場や行政などのセクターと構築している社会関係資本の分布、および事業活動・社会的価値創出に対する考え方を検討する。 2. データ・方法 2020年、21年に愛知県と東京都で実施した質問紙調査と2022年に韓国のCenter for Social Value Enhancement Studies(CSES)が実施した質問紙調査のデータを用いる。愛知調査の調査対象は東海若手起業塾の修了者であり、東京調査はETIC.の「社会起業塾イニシアティブ」プログラムの修了者を対象に実施された。韓国調査はCSESの’social performance incentive’プログラムに参加した社会的企業を対象として実施した。本報告では、社会起業家の社会ネットワークと社会ネットワークから獲得した資源をリソースジェネレータ方式で尋ねた質問(11のネットワーク・メンバー、11項目の相談・支援)と、事業活動・社会的価値創出に対する考え方を尋ねた質問を分析する。 3. 結果 日韓の社会起業家が動員する資源の数や相談できるセクターの数はほぼ同じであるが、韓国では資源動員やセクターの数が団体規模には依存しない一方で、日本の社会的企業では団体規模が大きくなるにつれて動員できる資源やセクターが増加する傾向がある。最も多くの資源を獲得しているセクターは日韓とも社会セクターと市場セクターである。両国の違いとして韓国では団体規模に関わらず行政との関係が日本と比べて強い点が挙げられる。また日本では、小規模な組織はコミュニティ(家族・親族、地域セクター)から相談・支援を受ける傾向がある一方、大規模な組織は市場や行政との結びつきが強くなる傾向がある。最後に、日本の社会的企業と比べて韓国の社会的企業は、事業活動や社会的価値創出に対して積極的なスタンスをとっており、革新的な手段の使用や、数値化・定量化可能な指標の重視、民主的なガバナンスの重視といった欧米の社会的企業論の理念を受容している割合が高い。規模の大きい団体同士で比較すると、ロビー活動を重視する日本、事業のスケールアップを志向する韓国という違いが見いだされる。この点は、両国の異なる制度的環境に埋め込まれた社会起業家が、異なる形でソーシャル・イノベーションの普及を目指していることを捉えたものとして解釈することができる。 付記:本研究はトヨタ財団 2018 年度研究助成プログラム(助成番号:D18-R-0122)の研究成果の一部である。

報告番号51

米国における「ワークフォース・ローカルガバナンス」のパラダイムシフト的形成とアプローチ――ワシントン州の調査を基に
福山市立大学 前山 総一郎

米国では,地域社会全体を活性化することを具体的アプローチをもって,ビジネス関係者・中小企業・産業関係者を巻き込んで雇用や職業紹介を促進するという,パラダイムシフト的な形で,公共政策的動向が全米の各地域で進展してきている。  長年,最低賃金の引き上げなど就労インセンティブを一定程度提示しつつも「従来の福祉を終焉」させた,クリントン政権で進められた社会政策としての,「福祉から就労へ」(from Welfare to Workfare)政策が,米国の社会政策の転換点である、との理解において日米において捉えられてきた。  他方で新たにR.P. Giloth (2010)の研究などによって,従来の就労者個々人のための人材開発とマッチング支援ではなく,より進化したものとしての地域社会の全体的なニーズと活性化を考慮した全体的なアプローチとして,求職者,求人各団体,産業関係全体を巻き込んで,「面」としての「ワークフォース開発」(workforce development)があらわれているとされる。なおこれは,新たな定義によるワークフォース支援であるともされ, 「福祉から就労へ」政策を乗り越えた事態と捉えられるものにつながる。  連邦レベルの政策「福祉から就労へ」(from Welfare to Workfare)の中で,ないしは就労最優先アプローチの中でどのようなダイナミズムが起きているのだろうか。  本報告では,より進化したものとしての「面としてのワークフォース開発」をおこなう「ワークフォース・ローカルガバナンス」の形成の実態の解明に基礎研究として力点を置く。  具体的には本広告は,第一に,ガバナンスの体制について明らかにすること,そしてそのうえで第二に「面としてのワークフォース開発」特有のアプローチを具体的機関において確認することに力を注ぐ。  様々なセクターのバックアップを受けたワークフォース仲介者が織りなす「ワークフォース・ローカルガバナンス」の形成の実態を,特定の地域(ワシントン州)をベースとして検証する。(ここでは,「州労働関係委員会」という公共政策の文脈で形成された調整体制とともに,労働組合系の支援センターや,ワークセンターなども射程にいれられての体制が確認される。また,とりわけ,米国の事情として,その職業支援体制の中核をなすコミュニティカレッジ(community colleges) の具体的な位置づけを確認する。)  次に,上記と関連して,「面としてのワークフォース開発」特有のアプローチとして取られている手法(求職者と求人団体ともにアドバイス支援サービスをおこなうdual customer approach手法等)を,コミュニティカレッジでの実践をベースに関連する範囲で明らかにする。  以上により,本研究報告が,連邦の政策的提示と,実際のローカルにおける事業実施とにあっての,政策-運用のねじれ(ツイスト)のダイナミズム,特に就労最優先ウェイと人的資本ウェイの附置状況にかかわるダイナミズムを解明することの基礎となると展望している。 (参考)Giloth, R.P.,2010, Workforce development politics: Civic capacity and performance, Temple University Press.

報告番号52

Study on Agricultural Volunteer Program in Japan:A Case of Yachiyo City, Chiba Prefecture
早稲田大学 左 雯敏

In the process of rapid industrialization and urbanization, rural Japan has experienced an exodus of labor and an aging population. With demographic changes, Japanese agriculture has long suffered from a severe labor shortage. As a prescription for these problems, the agricultural volunteer program (AVP) has been active throughout Japan in recent years. AVP not only helps to alleviate labor shortages among farmers, but also allows urban citizens to gain spiritual fulfillment by participating in farm work. The purpose of this paper is to discuss the role of AVP in current Japanese society by conducting a detailed analysis about the function of AVP, based on a fieldwork survey in Yachiyo City, Chiba Prefecture. Yachiyo City, located in northwestern Chiba, is an important agricultural and industrial area in the Tokyo suburban region. In 1999, Yachiyo City started a training program for agricultural volunteers. By 2022, more than 460 agricultural volunteers have been trained, of whom 120 are active at present. Yachiyo Agricultural Exchange Center (YAEC) is responsible for AVP and arranging the 120 agricultural volunteers to 22 farmers in Yachiyo City for practical training. Most volunteers are retirees. They work on the farms one to five times a week without pay, some farmers give them some seasonal agricultural products as a gift. Not a small number of volunteers have engaged in working for a particular farm for decades. Yachiyo City has provided full financial support for AVP and outsourced practical management to YAEC, which is run by a private company being established by local farmers. Behind the emergence of AVP lies a social system unique to Japan, which was formed during the period of rapid economic growth. Japan’s lifetime employment and pension system provide the basic guarantee for the retirees’ life, who make up the majority of agricultural volunteers. The traditional family structure of “men outside, women at home” makes it difficult for some retired men to get used to spending long hours at home with their wives, which is why they join AVP. Most importantly, AVP built a stable communication platform for volunteers from cities and local farmers. Especially older participants rediscovered a sense of spiritual solidarity and belonging to the community. Without this background of the participants, it is impossible to understand why some elderly people have been participating in AVP for more than twenty years. Through the field survey on AVP, the author found that Japanese agriculture has multifaceted socio economic values besides its primary function of food production. It is precisely in the age of post-industrial era, when many people are facing a spiritual crisis, that the spiritual value of agriculture as a way of life is more clearly visible than ever before.

報告番号53

協力雇用主の就労支援実践における境界
岡山県立大学 都島 梨紗

本報告の目的は、犯罪・非行履歴を背景とする就労困難な若者をどのように雇用し、就労継続に至るのかについて、協力雇用主に行ったインタビュー調査を事例として明らかにすることである。  協力雇用主は、「仕事を通じて更生を支える」、「再犯を防止し未来の被害者を減らす“雇用という社会貢献”」(法務省・厚生労働省広報ポスター)であると公に位置づけられている。刑務所出所者等といった、犯罪・非行履歴のある者を積極的に雇用する。保護観察所に定められた方法で登録することがその要件で、主に民間企業が多くを占めている。就労による自立を促進する「ワークファースト・アプローチ」(本田2014)に分類される制度枠組みであるといえる。  ところで、犯罪・非行履歴のある者の雇用機会を支えることは、企業従業員にとっても、その企業が所在する地域社会にとっても、安易に受け入れられるものではないだろう。こと、「貧困や疾病、障害等の負因を抱える者に対してすら、時に排他的、他罰的な視線が注がれること」(高橋,2020)の多い昨今において、社会的に孤立した対象者を率先して雇用する形での「社会貢献」は大手を振ってまかり通るとは言い切れない状況だ。しかしながら他方で、保護観察所への協力雇用主登録企業は右肩上がりで上昇しており、「仕事を通じて更生を支える」という志を持ち、さらに登録という形で意思表示をする企業が増加しているという背景がある。  それでは協力雇用主はなぜ、どのようにして犯罪・非行履歴のある者を率先して雇用しようとしているのだろうか。また、そうした対象者を雇用することによる困難や課題はあるだろうか。本報告では、実際に犯罪・非行履歴のある者を中心に雇用し、就労継続に向けた支援を行う協力雇用主に行ったインタビューをもとに上述の課題に取り組む。  調査を行った協力雇用主は、どの企業も単に就労の場を提供するだけでなく、住み込みで働けるよう住環境も整備していた。確かに、とりわけ矯正施設から出所・出院した対象者にとって住環境の整備とその支援が重要であることは掛川(2020)も指摘するところである。しかしながら一口に住環境整備と言っても、水内(2010)がホームレス支援を通して示したように、複数の支援過程がある。さらに、就労支援の質についても就労による自立を重視するのか、それとも職業訓練や能力形成を重視するのかというように様々な支援のあり方がある。本調査を通して明らかになったのは、働くための生活整備を主軸として、なんとか就労を継続させられるような仕掛けづくりをしていたということだった。例えば、親からの支援が全く得られないケースや過干渉な親への対応など、家族関係の調整から行っている雇用主もいた。ただしこうした支援は、職業訓練や能力形成に直接関わるものではなく、雇用主にとってみれば労働者として戦力になる以前のお膳立てである。以上のような支援は対象者によって無限に支援の幅が増幅し、一企業に過剰な負担を強いているという現状もある。本報告では、協力雇用主の支援実践を通して、就労支援における労働(雇用・就労)と生活(福祉)の境界や再犯予防と就労促進の境界、公/民の境界などについても議論していきたい。 ※字数の都合上、引用文献の書誌情報は当日の報告資料にて掲載します。

報告番号54

軍用地の存在と地域社会(1)――三沢基地・小松基地の集団移転補償事例
大阪経済大学 難波 孝志

【1.目的】  一連の本研究は、軍用地が存在するあるいは軍用地の周辺に位置する地域社会について、事例の比較を行うことを通じて、国家と地方自治体、基礎自治体、そして地域社会の住民諸組織の関係性を、地域社会の権力構造と自治、そして地域の復興・発展という観点から探ることを目的とする。  本報告は、「航空機が飛行場に離着陸するコースの直下に当たる」住宅地の集団移転補償を事例としながら、軍用地との「共存共栄」について、比較の視点で議論する。 【2.方法】  われわれの研究グループは、2019年度から、ドイツ連邦共和国-バンベルク市・ハーナウ市、東京都立川市、神奈川県横須賀市、福岡県北九州市などでの現地調査および自治体等への聴き取り調査を実施し、軍用地が存在する地域社会の国際比較を行ってきた。2020年度以降、新型コロナウィルス禍の影響もあり、基礎自治体、特に首長の意識と自治体の実態に対する量的調査に力点を置いた。本研究では、新たな個別事例として、(1)青森-三沢、石川-小松、(2)沖縄-浦添、(3)長崎-佐世保、(4)京都-舞鶴、京丹後、(5)京都-舞鶴、向日、青森-むつ、(6)沖縄-与那国、宮古島の6つを紹介する。  本報告では、沖縄の軍用地移転を念頭に置きながら、青森県三沢市、石川県小松市における住民の集団移転に至る合意形成、移転前後の字や町内会の維持と運営、移転後の土地の利活用について、関係者への聴き取り調査をもとに分析を行った。 【3.結果】  1987年、三沢市は「基地との共存共栄」の理念を打ち出した。1988年から2010年にかけて、三沢市では5地区(四川目、浜三沢、岡三沢、五川目、天ケ森・砂森地区)、552戸、84.7haの集団移転が完了した。しかし、新型機の導入は、さらに大きな騒音を発生させ、新たな集団移転の必要性を生じさせる。集団移転可否の線引きは、防衛省の騒音コンター(うるささ指数による騒音区域)の見直しによって決定される。浜三沢地区は、2004~2005年の集団移転によって、集落の真ん中を流れる三沢川を境に、半分の世帯が別の地域へ集団移転した。移転後もなお、町内会活動は一緒に行ってきたものの、地域コミュニティ(字の単位)消滅の危機を訴えて、2021年、市に対して残りの半分の世帯の集団移転の陳情を行った。  小松市の移転補償は、さらに長い歴史をもつ。1964年から2020年までに678戸が移転した。特に1970年の浜佐美の移転は、横田基地周辺に次ぐ全国2番目の集団移転だった。その後、鹿小屋、安宅新町、下牧などが続き、2002年に第2次安宅新町の集団移転が完了した。 【4.結論】  沖縄、三沢、小松を、それぞれ米軍専用の軍用地、米軍基地と自衛隊施設の併用軍用地、自衛隊の軍用地の事例として、それぞれの周辺に立地する地域社会の現状に目を向けて調査を実施した。基地との共存共栄を模索し、集団移転補償を実施した本土の地域に対して、一度も集団移転補償の経験のない沖縄との大きな差異が浮き彫りになった。  なお、本報告及び後に続く5報告は、JSPS科研費19H01581の助成を受けた。

報告番号55

軍用地の存在と地域社会(2)――外人住宅および米軍ハウスの地域資源化と活用
関西大学 栄沢 直子

【1.目的】 近年、観光とまちづくりが融合した事象である「観光まちづくり」に取り組む地域が増えている。「観光まちづくり」は、1987年の総合保養地域整備法(リゾート法)施行後のリゾートブームに対するオルタナティブとして始まったエコツーリズム等に対応して1990年代後半から用いられるようになり、用語としての初出は1999年の文献とされる。一方、「観光地域づくり」という用語もほぼ同時期に文献に現れ、国土交通省(2008)は、「地域特性を踏まえた観光戦略に基づき、多様な地域資源を活用し、地域の幅広い関係者が一体となって進める、観光を軸とした良好な地域づくりの取組み」と定義している。 本報告では、「軍用地の存在と地域社会」という共通テーマのもと、基地外軍用施設としての経緯を有する外人住宅および米軍ハウスを「地域資源」に位置づけている沖縄県浦添市と埼玉県入間市を取り上げ、どのような考え方や意味のもと観光まちづくりまたは観光地域づくりを推進しようとしているのかについて検討することを目的とする。 【2.方法】 本報告では文献調査のほか、対象市の担当課、物件を管理する不動産会社等からのヒアリングの内容を精査する。 【3.結果】 外人住宅および米軍ハウスは、「米軍基地外に建てられた軍人軍属用住宅で民間に解放されたもの」を指し、沖縄では「外人住宅」、本土では「米軍ハウス」と呼ばれている。 浦添市では、市の観光振興の指針となる「浦添市観光振興計画」を2018年に策定し、重点的に取組を進めるエリアとして、外人住宅をリノベーションした飲食店等が軒を連ね、多くの観光客を集めている港川ステイツサイドタウンを含む4地区を設定し、経済波及効果の促進を目指している。入間市では、市の魅力を戦略的かつ効果的に市内外にアピールし、観光客や居住者、企業等の誘致・定着を図る「入間市シティセールス戦略プラン」を2016年に策定し、アクションプランとして、「戦後進駐軍ハウスの景観をアレンジしたまちなみ」で知られるジョンソンタウンに倣った米軍ハウスの建築推進と景観創出などを提起している。 【4.結論】 対象市の「地域資源」に位置づけられている港川ステイツサイドタウンとジョンソンタウンはともに、住宅を建設した不動産会社が老朽化による市場価値の低下と空家の増加への対応として住宅の補修とともに非住居機能への転用をはかることで、地域の一体的な再生と独自価値の付与に成功した事例といえる。 2010年代以降、地域の「稼ぐ力」を引き出す「観光地経営」という用語も提起されるようになり、取組みの市場化・収益化と国による管理への組み込みも指摘されるなか、外人住宅および米軍ハウスという「地域資源」を持続的に活用するスキームを、「多様な関係者の合意形成の仕組み」を通じていかに構築できるのかが問われている。

報告番号56

軍⽤地の存在と地域社会(3)――旧軍港都市佐世保市の事例
椙山女学園大学 田村 雅夫

⽬的;  本研究は、他の軍⽤地所在自治体との⽐較を念頭におきながら、旧⽇本軍の軍港地域における軍⽤地転換のプロセスに焦点を当てて、そこから地域社会が与えられた状況の中で⽣活の場としての地域の充実を追求する中で直面している課題を明らかにすることを⽬指す。本報告では戦前に海軍の主要拠点として鎮守府が設置されるなどしていた旧軍港都市地域の中から長崎県佐世保市を取り上げて、旧⽇本軍の軍事施設とその⽤地の転換利⽤の具体的プロセスを検討し、⾃治体や地域住⺠が国との関わりの中で地域社会の充実を⽬指す際に直⾯する重要な課題として地域アイデンティティの形成という地域課題がそこに存在していることを指摘する。 ⽅法  佐世保市は、1886年に⼈⼝約4千であった佐世保村に旧海軍の鎮守府と軍港が設置されて以後、敗戦に⾄るまでは、海外への軍事的進出を⽀える主要軍港市として地域の中核的都市へと急成⻑した都市地域である。しかし終戦間近には戦禍によって市街地は壊滅状態となる。さらに国が敗戦を契機に平和国家を理念に掲げて再出発を誓う中、その理念に沿う平和産業港湾都市という⽬標理念を掲げて、遺産となった旧軍事施設・⽤地を活⽤することによって都市としての再⽣と発展を図ろうとした。この旧軍事施設・⽤地を活⽤しての再⽣と発展を⽬指した佐世保市の戦後から現在に⾄る営みを、各種資料と佐世保市への聞き取り調査をおこなって探った。 結果;  佐世保市の旧軍⽤施設・⽤地を活⽤した再⽣と発展に向けての営みの極めて重要な⼿段 はその出発時期において横須賀市、呉市、舞鶴市とともにその成⽴に尽⼒した旧軍港市転換 法(1950年成⽴)であった。この法律は平和国家の建設という当時の理念⽬標を根拠として作られたものであり、佐世保市が掲げる再⽣発展の⽅向性を強⼒に⽀援するものであった。  しかし、同年勃発した朝鮮戦争、東⻄冷戦という国際状況とその結果としての佐世保港の⽶海軍基地化はこの⽅向性にとって巨⼤な障壁となる。港の主要部分を占拠され⽔域の8割が制限⽔域という現実は、佐世保市の発展にとって⼤きな制限要因となっている。佐世保市は米軍基地用地の「返還転用」要求の形でこの要因の削減撤去を長年模索してきたが、結局、国のアドバイスを受け入れる形で「返還転用」から「移転共存」に要求を変えることによって臨港地区で⼤きな⾯積を占めている前畑弾薬庫の返還が決まった。その跡地利⽤についてすでに市で詳細な利⽤計画プランが作成されているが、実際の移転に向けての動きは始まっておらず、そこには不確定要素とともに様々な課題も⾒出される。 結論; 軍⽤地の転⽤問題に焦点を当てて戦後から今までの佐世保市の軌跡をみると、そこから読み取れる重要な地域課題として、戦後の佐世保市の地域アイデンティティ形成における⽭盾葛藤やゆらぎが指摘できる。その背後には⽇本国家の戦後における国家アイデンティティの問題が伏在している。そしてこれらの問題は、分権型社会への移⾏という報告者の問題意識から捉えるならば、地域社会が国家との関わりの中で地域アイデンティティをどのように独⾃に確⽴してゆくかという極めて基本的で重要な地域課題の存在を象徴的に⽰している。

報告番号57

軍用地の存在と地域社会(4)――北近畿における旧軍用地と住民の関わり
佛教大学大学院 牧野 芳子

軍用地の存在と地域社会(4) ―北近畿における旧軍用地と住民の関わり― Comparative Studies of Local Community located near Military Base Site (4) ―Relationship between former Military Base Site and Local residents in northern Kansai- 佛教大学大学院 牧野 芳子 【1.目的】  本報告では、北近畿における旧軍用地を取り上げる。北近畿では、旧軍港都市舞鶴のレンガ倉庫群のように文化遺産となり現在は観光資源として利活用されている施設や、自衛隊に引き継がれ機能を存続させている軍用地、また福知山市の長田野工業団地のように地域に経済的効果をもたらしている旧軍用地がある。しかし一方で、太平洋戦争期に活用された軍用地・旧軍施設の中には、その後の転用により忘れられ、あるいはあたかも無かったかのようになっているケースがある。それらのうち舞鶴市と京丹後市における旧軍用地が、地元住民によって調査され冊子にまとめられた。ここではそれらの事例をもとに旧軍用地の跡地利用と地元住民の関わりについて考察する。 【2.方法】  舞鶴市等における軍用地転用の研究は、昨年度の大会で杉本久未子によって調査研究報告がなされているが、本報告ではまず、それらを踏まえ京丹後市・福知山市でのフィールドワーク・インタビューを加えて北近畿における軍用地転用の諸相を把握する。さらに、それらのデータと地元住民によって発行された冊子を地域史等の資料と照らし合わせながら検討する。 【3.結果】  舞鶴市では、旧日本海軍第三火薬廠の跡地利用について、地元住民が地元や有識者への聞き取り調査を行い冊子にまとめている。この軍用地は広大な面積に及んだが、現在は企業・舞鶴高専の敷地となったほか、団地や公園となり静かな郊外の佇まいを見せている。だが一方で、利用出来ない旧軍施設は放置され暗く埋もれた状態となっている。舞鶴海軍鎮守府の施設は「近代化遺産」として残すことが可能になったが、悲惨な戦時下の体験や敗戦の記憶につながる戦争遺跡は今後どう残していくかが難しいとのことであった。京丹後市では、旧日本海軍河辺飛行場跡地について、地元住民の有志が地元での聞き取り調査やフィールドワークを行い冊子にまとめており、戦時中この飛行場を利用していた峯山航空隊による戦後の活動との関連も見られる。現在そのほとんどが丹後織物工業組合の敷地となっているが、それ以外に地域に点在する痕跡の情報を丁寧に集めフィールドツアーも行っている。また、この冊子編纂をきっかけに今後地元の地域史編纂の話も出ているという。 【4.結論】  軍用地や軍施設の痕跡を後世に残すことについては抵抗が示される場合もあるという。特に終戦後すぐ返還された軍用地は、平和利用や復興への貢献に活用されたケースが多く、そのため結果として軍用地や軍施設の痕跡がなくなったと言えよう。辛く苦しい体験を忘れたいという心理も理解できる。しかし、現代の地元住民によるこうした地道な取り組みは、自分たちの地元を知り伝えたいという純粋な目的に支えられ、当時地元が目の当たりにした負の記憶を事実として後世に伝えることができている。また、その活動を通して地元への愛着や誇りが再認識され、新たな住民関係構築の契機になるのではないかと考える。

報告番号58

軍用地の存在と地域社会(5)――舞鶴市・福知山市・むつ市での自衛隊への継承
無 杉本 久未子

【1.目的】 戦後の日本社会では、全国各地に存在した旧日本軍用地が公共施設や産業施設として活用されることで地域の住民生活が安定し雇用が維持されてきた。と同時に旧日本軍用地がそのまま自衛隊に引きつがれ防衛関連施設となっているところも多い。近年軍事と社会の相互関係を問う研究が散見されるように、持続可能な地域社会の構成員として自衛隊そのものの存在が大きくなっていることは否めない。本報告では、軍関連施設の立地が地域社会の形成に大きな影響を与えたと考えられる日本海側の3つの自治体を事例として、軍用地の転換、自衛隊への継承が地域社会に何をもたらしているかを比較検討する。あわせて、2022年初頭に実施した量的調査から、自衛隊と自治体や地域社会の関係を探ってみたい。 【2.方法】  先行研究から自衛隊という組織の社会的位置づけや地域社会とのかかわりの変容を整理した。また昨年度報告した舞鶴市に加えて、福知山市とむつ市の事例調査を実施している。そこでは、文献調査や統計資料の分析により、地域の歴史、軍用地としての利用が地域にもたらしたもの、人口推移や産業別就業者数や土地利用の変遷など把握している。さらに、フィールドワークや地元自治体や市民、自衛隊関係者等へのインタビューから自衛隊が地域社会のなかでどのように受容されているのかを把握した。さらに量的調査の分析を進行中である。 【3.結果】  先行研究から、自衛隊は、戦後の独特の出発点が「市民社会のなかの軍隊」という基準の受け入れを必要とし、平和憲法のもとで災害出動などを契機にその社会的位置づけを高めてきたこと確認した。 事例調査からは、軍施設の進出が、地域の近代化=水道施設や鉄道や病院の整備をもたらしており、軍や兵士の利用が地域の産業形成や商業活性化に直結していたことを確認した。その記憶が、自衛隊誘致への動きをもたらしたこと、さらに産業基盤の弱さや進出企業の撤退と相まって地域経済や地域社会活動に占める自衛隊のウエイトが高いことがわかる。自衛隊や施設の観光資源化もみられる。 自衛隊OBや家族の組織が一定の影響力を地域社会で持ち、自衛隊出身の市議会議員が存在する。地域生活においても、自衛隊員やOBがPTAや自治会の重要なメンバーであったり、地域イベントのサポーターや参加者として重要な役割を果たしている。災害面での貢献が自衛隊における人材募集の大きな力となっており、災害出動はもとより、地域防災計画づくりや防災会議を通じて、自治体と自衛隊上層部との交流も行われている。 量的調査では、災害時に自衛隊との連携に取組めている自治体が半数を超えており、自衛隊の募集関連活動にも多くの自治体が取り組んでいることがわかった。   【4.結論】 事例調査をおこなった3市においては、自衛隊は地域の構成員としての地位を確立している。特に海軍のイメージと直結する舞鶴市やむつ市(大湊)では、地域の歴史にかかわり、近代化遺産としての位置づけが強い。福知山市では内陸型工業団地が維持されていることもあり、そのウエイトはやや低いが、それでも日常生活の中に自衛隊員が溶け込んでいる。

報告番号59

軍用地の存在と地域社会(6)――南西諸島への自衛隊配備と地元負担
相愛大学 藤谷 忠昭

【1.目的】  南西諸島への陸上自衛隊駐屯地配備について,地域自治組織の機能を手がかりに,すでに配備が完了した与那国と奄美大島における地域社会への負担を検討する. 【2.方法】  地域社会の核としての地域自治組織に着目し,主に代表者からのヒアリングを基に,地域自治組織の機能的な側面から,基地と地域社会の関係について分析する. 【3.結果】  与那国,宮古島,奄美大島の南西諸島に所在する3島への新たな陸上自衛隊駐屯地配備では,住民間,議会でその賛否について激しく争われ,いまも,その余波が地元に残っていた.一方で,これから配備が予定されている石垣,宮古島の地域では,軍事施設を受け入れるに際しての,さまざまな権益や利害が錯綜していた.地元自治体は,人口対策や経済効果による地域活性化のために,住民の意向を見ながらも,国家の軍事プロジェクトを受け入れる姿勢を見せてきた.また住民の中には,それぞれの利害に応じ,賛成する者もあれば,離島の軍事化に激しく反対する者もあり,いまだ小競り合いが続いているところもあった.こうした自衛隊の施設が配備された自治会などの地域自治組織では,住民間の緊張の中で,伝統行事の継続,新たに赴任した住民としての隊員との融和などに腐心し,日常的にも新たな負担が生じていた.  たとえば,すでに配備が完了した与那国の久部良地区の公民館では,かつての賛否の入り交じる住民を含めて,地域自治活動を行っている.賛否については公には触れないということ,赴任した隊員に,行事に参加するなど住民と交流するようにと声をかけることなどに腐心していた.実際,隊員は,地域の祭などに参加し,活発に活躍をしていた.  同じく配備が完了した奄美大島では,奄美市の大熊町内会は,配備候補地になった時点で,自らの土地の提供について自治体を通じ交渉した.歓迎会を町内で行い,配備後は清掃などの作業を隊員が住民とともに行っている.一方,瀬戸内町の節子区は,隣の集落や街までの道路を整備するよう交渉をした.また,行事に参加を促し,少し異なった形ではあるが古い行事を復活させた.これらの点で,この2つの地域自治組織は,自衛隊の配備を地域の活性化のために,活用するように努めたといえる.  これまで地域自治組織については,さまざまな機能の存在が指摘されてきた.そうした観点から見れば,与那国では,たとえば隊員をも含む住民の統合機能のための役割が,奄美大島の2つの自治会では,たとえば自衛隊との交渉機能のための役割が,新たな形で加わっていた. 【4.結論】  地域自治組織の運営は,ボランティアあるいは少額の手当で担われており,日常業務ですら忙しい.ある側面では,それは地域に住み,組織での役割分担としての労働の提供といえるかもしれない.しかし,自衛隊施設の配備によって,新たな業務が発生し,こなさなければならない.他の地域との比較を踏まえ,その内容をさらに明らかにすることで,地元負担を具体的に解明する必要がある. 文献  藤谷忠昭,2017,「沖縄の地域社会と自衛隊」『相愛大学研究論集』33: 19-32.  ────,2020,「沖縄と自衛隊(6)」『軍用地コンバージョンの国際比較』研究成果報告書 1: 147-180.

報告番号60

東大社研パネル調査と初発の不利とライフコースの関連 ――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(1)
東京大学 石田 浩

【1.目的】  生まれ落ちた家庭環境における経済的・社会的不利と18歳までの障がい・疾患が、その後のライフコースにどのような影響を与え、初期の格差が連鎖・蓄積されていくのか、初発の不利を挽回するチャンスがあるのかを、東京大学社会科学研究所が実施している「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」(Japanese Life Course Panel Surveys)を用いて分析する。 【2.方法】  本研究が使用するデータは「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」(JLPS)である。JLPSの第1波調査は、日本全国に居住する20-34歳(若年パネル調査)と35-40歳(壮年パネル調査)の男女を母集団として対象者を性別・年齢により層化して抽出し、2007年1月から4月にかけて郵送配布・訪問回収方法により実施した。若年調査は3367票(回収率34.5%)、壮年調査は1433票(同40.4%)を回収した。その後対象者を毎年ほぼ同時期に追跡している。本分析では、第14波(2020年)までの調査データを用いる。15歳時の家庭の状況(家の暮らし向き・家庭の雰囲気)、18歳までの生活に支障のある疾患や障がいの有無を独立変数、調査時点での主観的健康度(主観的な健康状態5点尺度)、暮らし向き(5点尺度)、生活満足度(5点尺度)を従属変数、社会・経済的地位、健康行動などを媒介変数とする分析を行う。 【3.結果】  本分析から、15歳時の家庭の状況と18歳までの障がい・疾病経験が、人々が成人した以降の健康度、暮らし向き、生活満足度に対して継続的な影響を与えていることが明らかになった。この影響は媒介変数をコントロールした後にも概ね確認された。さらに家庭環境が不利なグループに焦点を当てて、学歴や社会・経済的地位、健康行動により、ライフコースで継続して不利な状況に留まる確率が異なるかを検討した。分析ではBetween-withinハイブリッドモデルを用い、個人間の違いと個人内の変化の効果を区別した。大学教育を受けることは、家庭環境が不利なグループにおいても、健康度、暮らし向き、生活満足度に対してプラスの効果がみられた。 【4.結論】  育ってきた家庭環境や18歳までの障がい・疾患というライフコースの初期段階で決まる初発の有利さ・不利さは、その後の人々のライフコースに対して継続的に影響を与えている。初期段階での格差は、ライフコースの流れの中でさらに拡大することはないが、縮小するわけでもない。初発の不利をはね返していく決定的な要因があるわけではないが、大学教育を受けることにより不利な状況に留まる確率を下げる傾向があることが明らかになった。 【謝辞】 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)、基盤研究(S)(18103003, 22223005)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた。

報告番号61

世代間支援が若年期のライフイベント経験に及ぼす影響――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(2)
東京大学 俣野 美咲

1.目的 本報告の目的は、親子間での支援の授受が若年期のライフイベント経験に及ぼす影響について検討することにある。近年、先進諸国では、高等教育進学率の上昇や未婚化・晩婚化の進行、若年労働市場の逼迫などの社会状況の変容にともなって、若者の成人期への移行に遅れが生じている。こうした状況の中で、若者の成人期への移行の達成において、親子間での支援のやりとりが重要な要因であることが欧米の先行研究を中心に指摘されている(Scabini et al. 2006など)。一方、国内の先行研究ではこの点に着目した研究はみられない。そこで本報告では、親からの支援・親への支援が成人期への移行過程のライフイベント経験に影響を及ぼすかを検証する。 2.方法 分析に使用するデータは、東京大学社会科学研究所が実施するパネル調査「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」(東大社研パネル調査,若年・壮年パネル調査)のWave1〜15(2007〜2021年)のデータである。分析対象は、40歳未満で少なくとも父母のいずれかが健在のケースであり、t-1期の親から回答者への経済的/非経済的支援の有無、回答者から親への経済的/非経済的支援の有無が、t期の学校の卒業、初職への就職、離家、結婚、第1子出生の経験に及ぼす影響について検討する。 3.結果 分析の結果、親から回答者への経済的支援は結婚イベントの発生に正の影響を及ぼしており、親から回答者への非経済的支援は第1子出生イベントの発生に正の影響を及ぼしていた。一方で、回答者から親への経済的支援や非経済的支援は、離家イベント、結婚イベントの発生に対して負の影響を及ぼすことが示された。 4.結論 親から回答者への支援が離家や結婚、第1子出生といったライフイベントの経験を促すだけではなく、回答者が親へ支援をおこなうことがそれらの経験の妨げになることが明らかになった。親からの支援は出身家庭が豊かであるほど受けやすく、親への支援は出身家庭が豊かでないほど行いやすい(俣野 2021)。このことをふまえると、親子間での支援の授受を通して、若者の成人期への移行過程で出身階層による格差が生じている可能性が示唆される。 【文献】俣野美咲,2021,「若年層の親世帯からの独立プロセスにおける出身階層間格差の解明」武蔵大学大学院人文科学研究科2020年度博士論文. Scabini, E., E. Marta and M. Lanz, 2006, The Transition to Adulthood and Family Relations: An Intergenerational Perspective, Hove: Psychology Press. 【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001,18H05204),基盤研究(S)(18103003, 22223005)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた。

報告番号62

日本の若年層の結婚と交際にみる階層結合の近年の趨勢――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(3)
東京大学 三輪 哲

1.目的  日本の若年層における結婚・交際での階層結合の最新のトレンドを明らかにすることが本研究の目的である.これまでに,さまざまな研究により,階層同類婚が長期的に弱まってきたことが報告されている(三輪 2021など).学歴同類婚にかんしては,既婚だけでなく,無配偶のカップルをも対象にした研究もある(茂木・石田 2019).恋愛結婚が大多数を占める現代においては,結婚前の交際中カップルの分析が,同類婚のトレンドの先行指標として有用であるかもしれない.そこで本研究では,出生コーホートごとに分けて既婚カップルと交際中カップルを比較検討し,階層結合の分析のさらなる拡張をめざして実証研究をおこなう. 2.方法  本研究で用いる資料は,東大社研若年・壮年パネル調査により得られたデータセットである.それらから,2010年時点で23歳以上32歳以下の世代(1977-86年出生)と,2020年時点の23歳以上32歳以下の世代(1987-96年出生)へと分析対象を絞った.  主要な変数は,カップルの学歴である.中学・高校,専門学校,短大・高専,大学,大学院の5カテゴリにまとめ,クロス集計表を作成した.分析では,対数線形モデルを適用する. 3.結果  既婚カップルと交際中カップルの双方において,中学・高校,大学,大学院のカテゴリでそれぞれ強い結びつきがみられた.また,大学院と大学の組み合わせからなる対称的な位置にも結びつきがみられた.そして,これらの基本的な階層結合パターンは,既婚か無配偶かによってほとんど変わらなかった.ただし,既婚カップルでは(女性から見て)下方婚を避ける効果が,交際中カップルでは男性の上方婚を促す効果が局所的にみられるという違いも見出された.  なお,そうした階層結合の構造については,コーホート間での変化は確認されなかった.  結婚あるいは交際相手との出会いのきっかけを限定してさらに分析したところ,学縁による出会いによるカップルはやはり階層結合が強い傾向があることと,インターネットを通した出会いによるカップルはそれが弱い傾向にあることが明らかとなった. 4.結論  当初の予測に反し,既婚カップルの方が階層結合がより強いという知見はみられなかった.結婚や交際における階層結合のコーホート趨勢もみられず,少なくともこの10年にかんしては構造は安定的とみるべきである.新しい出会いのきっかけには階層結合を弱める作用が期待できるものはあるが,それらが必ずしも多数を占めるわけではないゆえに,現時点では顕著な変化を検出することは困難なのかもしれない. 【文献】三輪哲, 2021, 「変わりゆく結婚市場と階層同類婚」中村高康ほか編『シリーズ少子高齢社会の階層構造1 人生初期の階層構造』東京大学出版会: 241-255. 茂木暁・石田浩, 2019, 「結婚への道のり―出会いから交際そして結婚へ」佐藤博樹・石田浩編『格差の蓄積と連鎖2 出会いと結婚』勁草書房: 44-75. 【謝辞】本研究は,日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001,18H05204),基盤研究(S) (18103003, 22223005)の助成を受けたものである.東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては,社会科学研究所研究資金,株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた.パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた.

報告番号63

専門教育は労働市場で有利に働くのか ――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(4)
立教大学 中澤 渉

1.目的  グローバルな競争により,高度な専門性が求められると言われている.複雑化する世の中をリスク社会とよぶことができるが,COVID-19のような非常事態のもとでは,そうした専門性の有無が人生設計における選択の分かれ目になる,つまり特定の専門教育を受けていれば,それを活かせるので雇用が守られる可能性が高いと考えるのは合理性がある.一方で,ある専門教育に特化すると,リスク社会の変動に対応できず,結果的に専門性を活かせず職業上不利に働くかもしれない.あるいは,職務が不明瞭とされる日本の労働市場では,専門教育の有無とその後の職歴に大した関連はないかもしれない.本報告では,この点についてJLPSのパネルデータを用いて検証を行う. 2.方法  有職者を対象に,離職タイミングと学歴を考慮し,離職を①正規職への転職,②非正規職への転職,③無職(失業)に分類し,この3つを競合リスクと見なした離散時間ロジットモデルを男女別に推定する.学歴は男女の偏りがあるので,分布や専門性を考慮しつつ7~8カテゴリーに分類した.なお,学歴と職種や労働環境は一定の関連が予想され,学歴の有意な効果は学歴ごとの職種や労働環境の分布の偏りを反映しているだけかもしれない.そこで,職種や労働環境の変数(以下,就業変数と記す)も統制したモデルの結果も参照する. 3.結果  男性の転職は,学歴と関連がないように見えるが,就業変数で統制すると,正規への転職において高専や理系大卒で,非正規への転職において人文大卒・理系大卒で(いずれも普通科高校・中卒に比して)有意に多い.失業リスクは,(普通科高校・中卒に比して)職業高校卒と,(専門に関わらず)大卒で低いように見えるが,就業変数で統制するとほとんどの効果は消えて,理系大卒のみが有意に低いという結果となった.  女性の正規職への転職は,理系の専門学校・大学で(普通科高校・中卒に比して)多いが,就業変数を入れると理系専門の効果は消える.一方,非正規への転職は,一見学歴と無関係そうだが,就業変数を入れると高学歴で多くなる.失業(無職への移行)は就業変数で統制すると,男性と逆に理系大卒で有意に高くなる. 4.結論  興味深いのは,男性において正規職への転職と失業で全く逆の結果(理系大卒は積極的な転職行動を起こすが,失業リスクは低い)なのに,女性は転職も失業も理系大卒で多いという対照的な結果となった点である.男性の場合,高度な理系知識がセイフティ・ネットとして機能していると考えられるが,女性は必ずしもそう解釈できない.この男女差は,結婚のもたらす意味の男女の違いや,労働市場の男女分離の影響が考えられる.なお,今回の分析ではCOVID-19が有意に離転職行動に影響を与えたと解釈できる結果は見出せていない. 【謝辞】  本研究は,日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001,18H05204),基盤研究(S) (18103003, 22223005)の助成を受けたものである.東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては,社会科学研究所研究資金,株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた.パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた.

報告番号64

日本における短期高等教育学歴と労働市場――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(5)
法政大学 多喜 弘文

1.目的  日本における大卒学歴と職業の結びつきについては、教育拡大による変化を含め、多くの検討がなされてきた。しかし、短期高等教育が労働市場のアウトカムにどのような効果をもっているかについては、これまで十分に検討されていない。  短期大学と高等専門学校に専修学校専門課程(専門学校)を加えるならば、現在の短期高等教育進学率は2割を超える。日本の学歴が埋め込まれている特殊な制度的文脈を踏まえると、これらの機関の利用者およびジェンダー構成に着目した検討が必要である。  そこで、本報告では専門学校を合わせた短期高等教育学歴が、男女の労働市場アウトカムにいかなる効果を持っているのかを明らかにする。その際、日本の労働市場が埋め込まれた文脈を踏まえ、女性については結婚や出産との関わりにも注目する。 2.方法  東京大学社会科学研究所が2007 年から実施するJapanese Life Course Panel Survey (JLPS)のwave1 から2019 年のwave13までのデータを用いて、自然対数変換した時間当たりの賃金を従属変数にハイブリッドモデルによる検討をおこなう。JLPSの調査対象は、2006 年 12 月末に 20 歳から 40 歳であり、高校卒業時に専門学校が制度化されていたコーホートである。本報告ではパネルデータの特性を活かして、現代日本における短期高等教育と労働市場アウトカムの関連を動態的に示す。 3.結果  ハイブリッドモデルを適用した検討により、短期高等教育への投資の効果は男女間で異なっていることが確認された。さらに変数を追加投入したときの係数の変化から、女性では同じ人が専門職についている時に事務職よりも多くの賃金を得ているが、男性では、専門職についたからといって事務職より多くの賃金を得ているとはいえないことや、男性の方が女性よりも大きい企業にいる場合により多くの賃金を得ていることが示された。また、女性のみを対象に追加分析をおこなった結果、専門学校卒の女性において結婚や出産後も他の学歴と比べて無業になりにくい傾向が明らかになった。 4.結論  短期高等教育学歴保持者の特徴として、男性では賃金が高校卒と大きく変わらないが(ただし、短大/高専卒はサンプルサイズが小さいことに注意)、女性の場合は高校卒より15%程度高い賃金を得ており、女性の専門学校卒は、結婚していても子どもがいても、高校卒や短大卒と比べて無業になりにくいことが分かった。  この背景には、日本の雇用慣行と性別で分断された労働市場が存在する。短期高等教育のなかでも専門学校学歴は、職業との結びつきを通じて、内部労働市場による女性のキャリア上の不利を相対的に緩和している可能性がある。  今後、世帯を単位とした分析や賃金に限らない従属変数の設定、職業資格とのかかわりや時代変化を検討していくことが課題である。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(2500000,18H05204)、基盤研究(S)(18103003,22223005)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた。

報告番号65

病める日本の社会的排除メカニズム――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(6)
東京大学大学院 百瀬 由璃絵

【1.目的】 本研究の目的は、成人期の健康を阻害する多次元かつ動態的な社会的排除のメカニズムを、日本全国を対象としたパネルデータを用いて実証的に明らかにすることにある。社会的排除と健康状態との関連は、近年重要な位置を占めている。EU(2000)などの初期の研究では、主観的健康感を社会的排除の指標の一つとみなしていた。しかし、社会的排除の研究において健康が様々な方法で使用されていることから、社会的排除と健康の関係性が理解しづらいと指摘されている(Sacker et al. 2017)。日本においても、健康が社会的排除に与える影響(Abe 2010; 百瀬 2021)の研究や社会的排除が死亡率(Saito 2012)に与える影響の研究がこれまでなされてきた。しかし、日本全国を対象とした研究は少なく、成人期の健康格差と社会的排除の関係性の解明はパネルデータを用いて十分になされているとは言えない。 【2.方法】 データには、東京大学社会科学研究所の「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査(JLPS),2007-2017(wave 1-11)」を使用した。本研究は、心身の不調3項目と、幼少期および成人期の社会的排除との関連に着目したライフコース研究である。特に、社会的側面に関しては、友人関係や家族との関係に着目した。経済的側面に関しては、相対的貧困や物質的剝奪、主観的貧困などの金銭状況に着目した。分析手法としては、二項ロジスティック回帰分析をおこなった。 【3.結果】 分析の結果2つのことが明らかとなった。第1に、幼少期の社会的側面のほうが他の側面(幼少期の経済的側面や成人期の社会的側面・経済的側面)よりも成人期の心身の健康問題に影響を与えていた。具体的には、(1)主観的不健康には、15歳時の家庭の雰囲気の影響が強く、(2)活動制限や抑うつ不安障害には、学校でのいじめ被害の経験の影響が強かった。第2に、成人期において、一時的な社会的・経済的側面(2016年時点)が健康状態(2017年時点)に与える影響と、過去10年間の長期的な社会的・経済的側面(2007-2016年)が健康状態(2017年時点)に与える影響を比較した結果、成人期の健康状態へ影響を与える要因が異なっていた。例えば、メンタルヘルスに関しては、一時的な相対的貧困の影響が確認されたが、長期的な相対的貧困の影響はみられなかった。反対に一時的な物質的剝奪の影響は確認できなかったが、長期的な物質的剝奪の影響はみられた。 【4.結論】 結論として、健康格差を減らすには、幼少期の社会的側面に不利がある大人に対する支援が必要である。さらに、成人期の健康を阻害する社会的排除についてよく知るためには、日本の社会的排除の計量研究においてもパネルデータを使う重要性が明らかとなった。 【謝辞】 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)、基盤研究(S)(18103003, 22223005)、特別研究員奨励費(22J10114)の助成、およびJST次世代研究者挑戦的研究プログラムJPMJSP2108の支援を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた。

報告番号66

労働組合への加入と健康状態――東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(7)
東京大学 石田 賢示

1.目的 本研究の目的は,労働組合への加入と健康状態の関連を,パネル調査データの分析を通じて明らかにすることである.社会科学において,労働組合は労働者を保護し,その福利厚生を向上させるための集合的な資源として考えられ,主要なアウトカムの一つとして健康状態への注目もなされてきた.その目的に照らせば,労働組合に加入していることは健康状態にとって望ましいと予想されるが,国内外の計量分析の知見は必ずしも一貫したものではない.そこで本研究ではパネルデータ分析の手法を用いて,組合への加入状況,健康状態の両方に影響すると考えられる要因などの影響を統制しながら,組合へのメンバーシップが健康状態に影響するのかを検証する. 2.方法 分析にはJLPSのWave4(2010年)からWave14(2020年)までのデータを用い,調査時点で非管理職の正規雇用就業者にサンプルを限定した.アウトカム変数は主観的な健康状態評価とMHI-5の二種類である(共に値が高いほど良好).主要な説明変数は調査時点での労働組合への加入状況であり,非加入を基準として職場の労組への加入,職場以外の労組への加入のダミー変数を用いる.このほか,性別,学歴,配偶状況,職種,業種,従業先規模,1年間での従業先変更の有無,居住地都市規模,居住地都道府県,調査年ダミーをコントロール変数として用いる.分析は男女別に,ランダム効果モデルと固定効果モデルによる推定をおこなう(変数の記述統計は報告時に示す). 3.結果 分析の結果,職場の労働組合への加入が良好な健康状態評価とメンタルヘルスと関連していたのは男性サンプルのみとなった。男性については,ランダム効果モデルでコントロール変数を含めないもの,含めるもの,および固定効果モデル(時変のコントロール変数を含む)のすべてで,職場の労働組合への加入ダミー変数の係数が正に有意であった。一方,女性サンプルでは,労働組合への加入ダミー変数の係数はすべてのモデルで非有意であった。 4.結論 労働組合に加入していることで得られる健康上のベネフィットは条件付きであることが明らかとなった。男女間で労働組合への加入と健康状態の関連が異なる点については,両者のあいだに存在する労働時間の状況,就業環境などをふまえた追加的検討によって,より精緻な説明が可能になると思われる。また,本分析ではサンプルを正規雇用就業者に限定したが,非正規雇用就業者にとって労働組合が存在することの影響などについても,今後検討を進める必要がある。 【謝辞】本研究は,日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究 (25000001,18H05204),基盤研究(S) (18103003, 22223005)の助成を受けたものである.東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては,社会科学研究所研究資金,株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた.パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた.

報告番号67

中小商工業者の組織化とその特徴――家族労働の無償性との関係から
名古屋市立大学大学院 宮下 さおり

【1.目的】 小規模企業・自営業における女性の働き方は、無報酬・低報酬でありかつ労働者としての各種保護を受けないにもかかわらず、政策的にも、学術的にも不問に付されてきた(宮下 2022)。例えば日本の所得税法は家族労働の対価をゼロと規定している。この性差別性に関する本格的な学術的指摘は、ようやく1980年代から税法学者によってなされ始めた。全国女性税理士連盟も税法規定の批判を行ってきた。2016年に国連女性差別撤廃委員会は所得税法の見直しを日本政府に勧告するに至っている。しかし、この動きは専門家主導のものではなく、戦後一貫して行われてきた中小商工業者たちの異議申立て運動を決定的な基盤として見る必要がある。本報告は、中小商工業の諸組織を概観し、運動の展開と制約の構造を指摘し、体制の成り立ちを検討する。 【2.方法】  本報告では、日本の主要な商工団体を取り上げ、その特徴を女性の組織化を含めて歴史的に振り返る。中小企業経営者の組織は多様な目的で結成・維持され、全体像を描くことは難しいものの、一般的に「中小企業四団体」と称されるものとして、日本商工会議所、全国商工会連合会、全国中小企業団体中央会、全国商店街振興組合連合会がある。また、日本の中小企業団体の運動を具体的に論じた大林(2003)は、相当の影響力と継続的な活動をしていることを基準に、これらに加えて中小企業家同友会全国協議会を取り上げている。その他いくつかの文献を加え、主要な団体をその目的・活動や構成員、政府との関係、財源、婦人部・青年部組織の広がりから検討する。 【3.結果】  これらの諸団体は様々な源流を持つが、概観すれば、中小企業基本法下で公的資金が投入されながら公的に全国を網羅する形で拡大してきたものと、そのような公的統制とは距離を置く任意団体とに分けることができる。石井(1996)が指摘したように、日本の中小企業団体は、事業経営者だけではなくその配偶者や子どもをも組織化し、家族ぐるみであることに特徴がある。これは政治的動員力確保のために促進されたという事情もあった。両者はともに多様な政策要望を出してきたが、宮下(2022b)が例示したように、家族労働を無償とする税制に関する運動の展開は異なっている。 【4.結論】 女性家族従業者を基点として考えるならば、こうした組織は彼女たちに接触の機会を与え、連帯の基盤を準備した。同時に、日本において中小企業の組織化が強力に推進されてきたことが、その運動に制約をももたらした可能性がある。 【引用文献】 石井淳蔵(1996)『商人家族と市場社会:もう一つの消費社会論』有斐閣 大林弘道(2003)「日本経済の再生と中小企業運動・序説」『大原社会問題研究所雑誌』No.541 宮下さおり(2022a)『家族経営の労働分析:中小企業における家父長制の構造とジェンダー』ミネルヴァ書房 宮下さおり(2022b)「自営業のジェンダー分析:インフォーマル労働へのアプローチ」東海ジェンダー研究所編『ジェンダー概念の多様化とケア労働』明石書店

報告番号68

在沖縄米軍兵士によるベトナム反戦運動――『Demand for Freedom』にあらわれる政治
滋賀県立大学 大野 光明

【目的】1965年の米軍による北ベトナム爆撃によって、ベトナム戦争は本格化した。1968年1月のテト攻勢による戦況の変化、膨大な軍事費の蓄積、同時進行の反体制運動の急成長などにより、米国内の戦争不支持の世論が高まり、反戦運動も興隆することとなった。反戦運動の重要な一翼を担ったのは徴兵中の若い兵士たちの抵抗運動であった。兵士による反戦運動はアメリカ国内の基地や部隊においてのみならず、国外においても大きく成長した。後者の中心のひとつは日本ならびに沖縄であった。本報告の目的は、当時米軍統治下にあった沖縄における米軍兵士による反戦運動の特徴とその背景を、沖縄の米兵によって発行された反戦新聞『Demand for Freedom』(1970年〜1971年。以下、DFF)を分析することを通じて、明らかにすることである。 【方法】報告者は沖縄県公文書館、立教大学共生社会研究センター、カリフォルニア大学バークレー校バンクロフト・ライブラリーに所蔵されている日本と沖縄における反戦米兵運動の発行物の調査を実施した。本報告では調査によって確認された『DFF』を分析する。『DFF』は嘉手納基地所属の黒人兵が、沖縄の労働運動やアメリカ民間人反戦活動家らの支援を受けて発行した。『DFF』を次の点から分析する。第一に、黒人兵にとっての反戦の動機がどこにあったのかを読み解く。第二に、在沖縄米軍兵士の反戦の運動と思想を、米国と沖縄の運動の諸潮流の交差という視点から考える。そして、第三に『DFF』の執筆、編集、発行のプロセスと体制を文書資料とオーラルヒストリーから分析する。 【結果】第一に、黒人兵のベトナム戦争の戦場経験ならびに軍隊内のレイシズムに基づく被害の経験が、反戦、ひいては反軍の運動と思想の基点となっていることがわかる。第二に、『DFF』には米国内のブラック・パワー運動の影響が色濃く反映されているだけでなく、日本「復帰」直前の沖縄をめぐる情勢や住民の運動についての情報が掲載され、反基地運動やコザ暴動への支持と連帯が表明されるなど、沖縄からの影響も確認できる。米国軍隊を黒人、沖縄の住民、そしてベトナム人への抑圧とレイシズムの装置として横断的にとらえる視点が特徴的である。よって、『DFF』は各地の運動の共鳴や交差の場として読むことができる。そして、第三に、執筆から発行に至るプロセスは、米兵に基地内の政治活動の自由が与えられていなかったことを背景として、基地の外の沖縄の労働運動や米国民間人反戦活動家との共同作業によらざるをえなかった。また、沖縄の外で展開中の各地の兵士運動、それを支援した「ベトナムに平和を!市民連合」などの日本の反戦運動とのネットワークも紙面に反映されている。 【結論】米軍統治下にあった沖縄における米軍兵士による反戦運動には、グローバルなベトナム反戦運動の諸潮流、ならびに、米国・日本・沖縄における多様な運動の諸潮流の交差という特徴を見出すことができる。この背景には、1960年代後半のベトナム反戦運動が各国・地域の政治、経済、社会、文化をめぐる抵抗運動や反体制運動の結節点の一つとしてあったことが考えられる。このような複数の担い手、複数のイシューが交差するグローバルな運動空間のなかに沖縄も含みこまれていたのである。

報告番号69

反貧困運動における戦術革新のプロセス――年越し派遣村の成功体験とプレッシャー
東京大学大学院 森山 洸

【1.目的】本報告の目的は、2000年代後半以降に盛り上がった反貧困運動が、どのように貧困問題をフレーミングし、その解決のためにどのような戦術を用いてきたのかを明らかにすることである。年越し派遣村に代表される反貧困運動は、「大問題としての貧困はこの国にはない」と言われる時代に貧困を可視化したとして、非常に大きな影響を日本社会に与えた運動であった。ただし、ある文脈で作られた運動の画期的な戦術が、むしろその後の運動のありかたを制約した可能性についても考慮する必要がある。そこで、反貧困運動が用いた戦術がいかにして考案され、それがのちの活動にどのような影響を与えたのかについて、現在のコロナ禍での支援活動の取り組みまで視野に入れつつ、社会運動理論を用いて説明する。 【2.方法】反貧困運動において中心的な役割を果たしたと考えられる運動組織である反貧困ネットワークを対象として、その運動の発生から現在にいたるまでの戦術を、インタビューデータと資料を用いて分析する。インタビューは運動が結成される経緯を知る人物などを対象に行い、資料は反貧困ネットワークがブログで行っている活動報告等を検討するほか、反貧困の活動家たちが刊行している多くの著作物を分析に用いる。加えてそれらをニュース報道や政府資料などで補完しつつ、多角的に社会運動とそれを取り巻く文脈について考察していく。 【3.結果】反貧困運動の戦術は、反貧困ネットワークが結成された2007年10月以前における幹部たちの活動の影響を強く受けていた。代表を務めた弁護士の宇都宮健児は、2006年の新貸金業法によって高金利引き下げ運動で一定の成果をあげ、そのノウハウを反貧困運動にも活かしていくことを志向していた。また事務局長を務めたNPO法人自立生活サポートセンター・もやいの湯浅誠は、早くも2000年ごろから、海外で盛り上がっていた反グローバリズム運動を念頭にした社会運動の構想があったことが分かった。彼らは共通してマスコミから注目を集めるための戦術が重要であると考えており、2008年~2009年の年末年始に起きた年越し派遣村はその集大成ともいえる出来事であった。こうして貧困の可視化に成功したという考えが出始める一方で、この成功体験がむしろ運動にとってマスコミからよりいっそう注目を集めなければならないというプレッシャーとして感じられる側面があったことが分かった。それに対し、コロナ禍において反貧困ネットワークがとった戦術は、当事者支援に近づくという、必ずしもマスコミの関心に頼らない方法であったといえる。これにより年越し派遣村のような“画”を再びとらなければならないというプレッシャーから解放され、運動を再活性化して現在にいたったと考えられる。 【4.結論】以上のことから、一度成功した戦術といえど必ずしも運動に良い結果をもたらすとは限らず、文脈によってはその後の運動の活動を制約しうるものであり、むしろその成功体験から抜け出す新たな戦術の考案もしくは改良が、社会運動の動員の再活性化には求められることが示唆される。

報告番号70

1960 年代における社会運動とサブカルチャーの接近――学生運動にとっての漫画雑誌『ガロ』の意味を探って
神戸大学大学院 高岡 聖奈

本研究では、なぜ過激な政治的主張を伴う社会運動が漫画などのサブカルチャーと結びつくのかという問いを追求する。 1990 年代以降、漫画やアニメなどのサブカルチャーを通じて極端な政治的主張を表現する事例が多くみられるようになった。こうした政治と漫画等の結びつきは、とりわけネット右翼研究において注目を集めている。そこでは、漫画やアニメは社会運動の人的動員として、西欧でのスキンヘッズやフーリガンなどのカウンターカルチャーの代替手段となっていること、それが過激な言説の拡散を容易にしていることが指摘されている。一般的に、この漫画やアニメを利用した社会運動の手法は、ネット右翼の時代に特徴的な新しい現象とみなされている。  しかし、上述のような社会運動と漫画などのサブカルチャーとの結びつきは、実際には新左翼の時代、すなわち急進的な学生運動が活発化した 1960 年代末から存在していた。例えば、日航機「よど号」をハイジャックした赤軍派は「我々は明日のジョーである」と宣言していた。当時の大学生をはじめとする若者の漫画熱については、戦後日本の学生運動の代表的な研究者である小熊英二も言及するところである。こうした流行と学生運動との結びつきは、現代に至るサブカルチャーと社会運動との関係性の起源とも呼べる現象である。しかし、この点について先行研究では付随的に言及されるに留まり、十分には検討されてこなかった。そのため、日本の社会運動において「なぜ、どのように漫画やアニメが重要な地位を占めるようになったのか」という点については明らかになっていない。  こうした問題意識を背景に本研究では「青林堂」に注目する。青林堂は 1960 年代に学生運動の象徴となった漫画雑誌『ガロ』(1964~2002)を発行してきた出版社である。創刊当初の『ガロ』の出版意図は、マンガを「脱児童文学」化することにあった。この「脱児童文学」化に伴う残酷な表象が過激過ぎると議論の対象になったものの、出版当初の主な読者は依然、あくまで小中学生であった。しかし、反戦をテーマとした漫画の掲載(1965 年 10 月号)に伴い、編集部が戦争に対する問題意識を示すと、読者投稿欄に学生運動の担い手である大学生が『ガロ』を手に取るようになる。『ガロ』の代表作の「カムイ伝」(白土三平)は「唯物史観の漫画」とも評され、読者投稿欄では若者による活発な議論が行われた。そして、次第に『ガロ』は学生運動の担い手である大学生から熱狂的な支持を受けるようになった。  この過程において、『ガロ』が学生運動の担い手たちにイデオロギー的な共感を呼んだだけでなく、その既存の制度や規範、文化に対抗するという表現手法が、彼ら/彼女らを惹きつけていた事が確認された。また、読者投稿欄がそうした読者のプラットフォームとなり、運動にとって重要な媒体となったことが『ガロ』の地位を一層高めていた事も明らかになった。

報告番号71

B. S. ターナーにおけるヴァルネラビリティと人権――情動、身体、公共性(1)
学習院女子大学 時安 邦治

【1.目的】  本発表は「情動と身体的コミュニケーションが開く公共性――公共圏の再生に向けて」(研究課題番号:20K02169)と題する科学研究費助成事業の研究成果である。  B. S. ターナーは1990年代以降、特に2000年代になってから、「人権の社会学」について積極的に論じている。本発表では、彼の人権理論を「徳の理論」として批判的に読み解き、人間のvulnerability(痛手を負いやすいこと)をキーワードとして、グローバル化時代における人間の共同性の可能性を検討したい。 【2.方法】  ターナーは、生物としての人間が痛手を負いやすい(vulnerable)ことがグローバル化の時代の人権の基礎だと論じる。人間の弱さと人権をめぐる彼の著作、特に『Vulnerability and Human Rights』(The Pennsylvania State University Press, 2006)、さらには『Rights and Virtues』(The Bardwell Press, 2008)所収の諸論文を読解し、彼の「人権の社会学」の輪郭を明らかにする。痛手を負いやすい人間と脆く危うい(precarious)社会制度のという人間の2重の「弱さ」が議論の軸となる。 【3.結果】  人類史とは、痛手を負いやすい人間が蹂躙されてきた血みどろの歴史である。人類は文明化の過程で、人間の条件としての痛手の負いやすさをカバーしようとさまざまな社会制度を構築してきた。しかし、その社会制度さえも完全と言うにはほど遠く、実に脆く危ういものでしかない。1990年代以降も人類は戦禍に苛まれている。また、セクシュアリティ、障碍、生殖、外国人嫌悪などをめぐる諸問題は、人類の身体性の諸条件の書き換えを迫っている。さらに、グローバル化の進展によって、暴力やテロリズムや犯罪などが、それらを統治する機構を欠いたまま拡大しており、痛手を負いやすい人間に新たな受苦(suffering)をもたらしている。  こうした現状を見すえて、ターナーは、われわれは人権に対応する義務、つまり社会制度によって人権を守っていく義務を果たさなければならないと論じる。ここに要請されるのが、グローバル化の時代に即した「徳(virtues)」である。彼は思想史をたどりながら、そうした徳がいかなるものなのか、それは可能であるのかを考察している。 【4.結論】  検討されるべきは、ターナーの言うように「痛手を負いやすい人間」という人間把握が人権擁護の社会制度と結びついて人間の身体的条件を乗り越えていくことにつながるのかという点である。残念ながら、現状においてはターナーの議論は魅力的ではあるが、徳では人間がもつ、暴力や支配への欲望が抑えられるという確証には届いていないと言わざるをえないだろう。他方で、徳の涵養なくしてグローバルな市民社会を適切に統治できるということも難しいだろう。ロシアのウクライナへの侵攻を国連が手をこまねいているしかない状況を見れば、社会制度が実に脆く危ういものであるというターナーの認識は正しい。それゆえ、グローバルに人権を擁護する社会的仕組みが必要なのであり、そのための道徳を守り維持していく徳が要請されている。

報告番号72

災害復興における情動と公共性――情動・身体・公共性(2)
関西学院大学 関 嘉寛

【1.目的】本発表は「情動と身体的コミュニケーションが開く公共性――公共圏の再生に向けて」(研究課題番号:20K02169)と題する科学研究費助成事業の研究成果である。本研究の目的は、被災直後の共同意識に根ざす公共性が、災害復興において新しい公共性を創り出す基盤となりうるのかを検討することである。 災害発生時に、情動にもとづく支え合いを基盤とした共同体意識が生まれてくることがさまざまな研究からあきらかにされている。例えば、足湯という支援活動は、支援者からみれば、身体を介して自己と他者との互換性を実感する契機となる。この互換性は一種の共同意識を生み出す。 しかし、この共同意識は、はかなく、時を経ると解体することもまた知られている。本研究では、新潟県中越地震後の集落復興の変容を共同意識にもとづく公共性から検討する。 【2.方法】2004年に発生した新潟県中越地震によって全集落避難をし、結果として半数以下の世帯しか帰還しなかった被災地での継続的なフィールドワークを通して、災害直後の情動がどのように復興につながる共同意識へと変化していったかを記述する。その記述から、災害復興を基盤とした公共性の変容について考察を加える。 【3.結果】被災直後は同じような心的状態である被災者も、時間とともにその心的状態の変化は分散していく。最初は、「みんなで集落へ帰る」と思っていたが、多くの人は帰らないことが判明する。しかし、集落に残った人びとは、一体感・高揚感が当初あった。 ただ、復興活動となると目標や体制など今までしたことがないことに挑まなければならなかった。そこで外部の研究者やボランティアたちが、彼らと一緒に集落に住む意義を考えていった。 その活動も軌道に乗っていったが、集落では復興活動に対するさまざまな意見が発生した。新たに復興活動という公共性を問う場面が現れた。その際、復興支援員が、集落住民の生活に寄り添い、さまざまな制度的支援や他集落の状況などを考慮しながら、復興活動を支えた。 【4.結論】新潟県中越地震での災害復興期の情動に端を発する公共性を考える上で、情動を公共性へと変換するきっかけが、研究者やボランティアなどの外部からもたらされたということは特徴的である。ただ、その公共性は、不安定なものであり、住民の情動的な意見などによって変容に曝される。その変容期に復興活動を支えたのは、また、集落にとっては外部である復興支援員などであった。彼らは支援制度という集落の外部にある公共性を用いることで、復興活動に新たな公共的な意味を生み出していったのである。

報告番号73

情動と理由のアリーナとしての公共圏――情動・身体・公共性(3)
明治大学 宮本 真也

【1. 目的】 本発表は「情動と身体的コミュニケーションが開く公共性――公共圏の再生に向けて」 (研究課題番号:20K02169)と題する科学研究費助成事業の研究成果である。 公共圏をめぐっては、90年代のN.フレイザーによるJ.ハーバーマスへの批判に代表されるように、そもそも単一の公共圏のみを構想することの困難さや、参加における閉鎖性、排他性が指摘されてきた。また、その社会における世論形成や意思決定のための機能についても、私たちのコミュニケーションの場として広く普及しているSNSの現状を鑑みて、再考が迫られている。本報告では、この不統合と分断の傾向が顕著となりつつある公共圏を、より多義的な相互行為の空間として広く理解し、そこからもう一度、共同の空間としての意味を問い直したい。 【2. 方法】 本発表ではまず、公共圏の捉え方について、その空間を情動、感情のメディアの観点からアプローチする、フックスやヨルゲンセンらの諸研究について検討を加えたい。そのうえで、公共圏における情動と感情の表出、対立、あるいは逸脱行為を、社会的承認の欠如に対する反応としてとらえるW・ハイトマイヤーらの試みを検討する。次にハイトマイヤーらのアプローチが、基本的な部分でA・ホネットと同様に、規範に基づいた当事者たちの変革への希望を読み取り、その実現の見込みがない状況への反応として憤激や暴力の発露をとらえていることを確認する。そして、この「承認をめぐる闘争」をも含むコミュニケーションの場として、再び現代における公共圏の問題点と可能性を考察する。 【3. 結果】 現代においては、公共圏をめぐる熟議と合理性の理論よりも、情動と主観性の復権を目指す理論のほうが、私たちのコミュニケーションの現状を説明できるような観がある。しかし、それでも重要なことは、規範的な理念と現実の次元を区別したうえで、「承認をめぐる闘争」での情動的な、敵対的な表出にも公共圏、あるいは市民共同社会(Zivilgesellschaft)に対する規範的な期待が読み取れることである。市民的(zivil)公共圏をめぐる病理についてこれまでハーバーマスは「再封建化」や「植民地化」といった概念で説明してきたが、私たちがSNSの広がりと共に直面しているのは、彼の仮説によれば、そこでのコミュニケーションの前提の変容に由来するものである。この「政治的公共圏の新たな構造転換」の原因をハーバーマスは、SNSのプラットフォームとしての特性がもたらす公共圏についての認識上の変化に見い出している。 【4. 結論】 公共圏(と私的領域)をめぐるハーバーマスの解釈に照らすと、マスメディアにはSNSのプラットフォームに比べると、民主的公共圏のためにまだわずかに望みが残されているように見える。しかし、公共圏に起きた認識上の変化が包括的であるならば、状況が危機的であることには変わりない。本報告では、最後にこの見込みについて考察してみたい。

報告番号74

美容をめぐるコミュニケーション――情動・身体・公共性(4)
関西大学 谷本 奈穂

【1.目的】 本発表は「情動と身体的コミュニケーションが開く公共性――公共圏の再生に向けて」(研究課題番号:20K02169)と題する科学研究費助成事業の研究成果である。 さて、美容整形のような美容実践は、人々を分断し、外見による競争や差別を助長する面がある一方で、身体や情動を深く関わるものでもある。だが、具体的な美容をめぐるコミュニケーションの中身はよく知られていないので、本発表で中身を明らかにしていきたい。その上で、美容をめぐるコミュニケーションがどのていど公共的な性質を帯びるかを検討していきたい。 【2.方法】 発表者が2003〜2019年にかけて行ってきた質問紙およびインターネットによる調査5回(合計8867名)と、2003〜2021年にかけて行った整形経験者と施術する医師に対するインタビュー調査(合計45名)に加えて、新たにSNSにおける言説のあり方を調査する。SNSについてはウェブ調査とテキストマイニングの双方を行う。そしてそれらすべてを組み合わせて分析する。 【3.結果】 これまで、美容整形の契機として、「個人」と「社会」に焦点が当たっており、劣等感やモテのような「個人の内面」や、その内面をもたらす「社会による影響」「社会の強制力」が議論されてきた。特に社会の強制力については多くの議論が存在する。 だが、美容整形の契機は「個人の内面」や「社会による影響」だけではなく、日常的な「コミュニケーション」を通じて生じていたことが分かった。さらにそのコミュニケーションは、主として女性(ジェンダーに関しては自認による)同士のことが多く、かつ分断された競争的な関係だけではなく、親愛の情のある関係も発見できた。 また美容に関わる情報について、人々は周囲の人間やマスメディアを利用していることが分かった。中でも若い年代は特にSNSなどウェブ情報にアクセスしていることも判明した。特に影響が強いのがInstagramとYouTube、Twitterであった。そしてSNS言説においても、美容整形を実践したり希望したりする人同士の交流が見られた。交流の中身も概ね、友好的なものが多かった。 対面によるコミュニケーションでも、ウェブ上でのコミュニケーションでも、協力し合うような関係性が確認できた。 【4.結論】 美容整形をめぐるコミュニケーションを具体的に明らかにした。そして、それがどの程度公共的な性質を帯びるか、公共性の確立に寄与する可能性があるのかを検討していく。

報告番号75

スポーツでの体罰指導を支える「感情の共同体」――情動・身体・公共性 (5)
関西大学 西山 哲郎

【1.目的】  本発表は「情動と身体的コミュニケーションが開く公共性――公共圏の再生に向けて」(研究課題番号:20K02169)と題する科学研究費助成事業の研究成果である。昨今、情動に関する研究は、現代社会を理解するための一焦点となったようだ。その情動研究に期待されていることのひとつは、SNSが助長した「フィルターバブル」が人々を分断する現状を乗り越えて、多様性への配慮を実現する処方箋かもしれない。とはいえ、現時点でただちにそうした処方箋を入手するのは困難と思われるので、今回は分断の障壁となる情動のメカニズムを具体例から抽出し、理解することを研究の目的とする。 【2.方法】  現代社会において分断をもたらす情動のメカニズムが顕著に現れる例として、スポーツの場にはびこる体罰指導に注目した。日本の体罰指導は1960年代後半の「スポ根」ブーム以降に目立ってきたが、1980年代に入ると次第に批判が強まった。しかし、擁護論が強く主張されたのもその時代であり、現代でも当時の体罰話がYouTube等で好意的に取り上げられている。また、既存の調査から、体罰指導を経験した者は、かなりの割合で体罰指導を支持するようになることが示されていて、選手の保護者側にも体罰指導の支持者が少なくないことがわかっている。体罰指導を経験し、それによって成功したと信じる人々が、ある種の共同体を形成し、外部からの批判を遠ざける構造がそこに存在する。そこで、体罰指導を支持する人々の共同体について、Barbara H. Rosenweinのいう「感情の共同体」論を手掛かりに考察する。その際、SNSが普及するより前、体罰指導に露骨な支持が主張できていた時代の言説を主な資料とした。 【3.結果】  体罰指導を積極的に支持したことで知られる人の言説を取り上げ、そこから体罰と感情に関するセンテンスを抽出、整理した。その結果は、現時点では中間報告になるが、①指導者が「熱い」感情を表出することの意義であったり、②体罰によって他者への畏れを植えつけ、指導者にとって望ましい方向に育つ動機を内在化させる意義を強調するものが目立った。いずれにせよ、そこには情動を偏ったかたちで積極活用する「感情の共同体」があるように思われた。 【4.結論】  日本のスポーツの場にはびこる体罰指導に対しては、特に2013年以降、数多くの論考が示されてきたが、それをなくす効果的な提案ができたとはいえず、現在も解決できていない。そうなってしまうのは、その支持者たちが「善」とするものを理解しようとせず、別の価値観から批判するだけに終わっているからではないか。本報告では、体罰指導を「善」とする「感情の共同体」の作動原理の一端を明らかにすることで、当該共同体に外部と価値観をすり合わせてもらうための糸口を探したい。

報告番号76

日本のアイドルファン文化の中国における現地化の研究――相互行為儀礼連鎖の視点から
甲南女子大学大学院 戴 雨濛

【1.目的】 本報告の目的は、日本のアイドルファン文化の中国における現地化の過程を明らかにすることである。中国のアイドルグループであるSNH48G(SNHは上海のピンイン表記の略、Gは英語のグループの略)は、かつて日本の有名な女性アイドルグループAKB48の海外姉妹グループであった。そして、SNH48Gのファン文化も、ほとんどの部分が、日本のファン文化に由来するものだった。しかし、公式的な提携の終了にともないSNH48Gはオリジナルの楽曲を発表することになり、SNH48Gのファン文化も次第に現地化されていくことになる。 そこで本報告では、日本のアイドルファン文化の中国における現地化の過程を明らかにしたい。その際、日本のファン文化に非常に特徴的でありながら、中国において強い現地化の特徴(言語現地化と内容現地化)を示している「MIX」を事例として取り上げる。「MIX」とは、ファンがアイドルライブの現場で発する掛け声の一種である。調査票調査とインタビュー調査の結果をもとに、「MIX」がどのように現地化されていったかを明らかにしたい。 【2.方法】 中国在住のSNH48Gの中国人ファンに対し、調査票調査と半構造化インタビュー調査を行った。調査票調査は、中国国内のオンラインアンケート調査サイトを用い、2021年8月20日に実施した。次に、2021年8月20日から10月1日まで、SNH48Gのファン15名に対して、半構造化インタビュー調査を行った。そして、その過程の分析には、アメリカの社会学者であるランドル・コリンズの相互行為儀礼連鎖(Interaction Ritual Chains)理論を応用する。 【3.結果】 調査結果にもとづき、現地化の過程を”時間的過程”と”相互行為儀礼連鎖理論を用いた特徴現地化過程”の2つの側面から分析した。 まず、インタビューから収集したデータから、ファン文化の現地化の時間的過程は3つの段階に分けられることがわかった。この3つの段階は、ファン層の変化によって区別される。 つづいて、コリンズの相互行為儀礼連鎖理論を使い、「MIX」の特徴の変化の過程を分析した。AKB48運営との公式的な提携が終わった後、「MIX」を行う相互行為儀礼のシチュエーションが変化した。シチュエーションが変化すれば、相互行為儀礼自身も変化する。この儀礼の変化によって、新しいメンバーシップシンボルが生成し、アイデンティティが再構築され。また、今回行った調査票調査から中国ファンは、「親近感」を求める傾向にあることがわかった。この「親近感」を持つためには、それにふさわしい“感情があるシンボル”が必要である。現地化は、MIXの内容を“感情があるシンボル”に置き換える過程と言える。コリンズは、人間は感情的エネルギーを得るために、相互行為儀礼を行うと主張している。つまり、これらの現地化は「感情的エネルギーを得る」ためのある種の「合理的選択」といえる。 【4.結論】 ファン文化の現地化の時間的過程は3つの段階を提示することができる。そして、特徴の現地化過程は、中国ファンの「感情的エネルギーを得るために」という「合理的」な行動によるものである。加えて、新しいMIX文化は、新しいアイデンティティも反映している。そのため、MIXの現地化は、ファンが選んだ合理的選択の結果であると結論付けた。また、コリンズの相互行為儀礼連鎖理論は、文化の現地化過程を分析するための一つの枠組みになりえることも主張しておきたい。

報告番号77

タトゥー制作過程における間身体性と社会関係
上智大学大学院 MICHALOVA ZUZANA

【1.目的】  タトゥーは「逸脱」や「非行」の象徴として捉えられることが多い。古典的なタトゥー研究においてはタトゥーが持つネガティヴなイメージに注目することが多かった。一方で、1990年代以降「アクセサリー感覚の気軽なファッション」としてタトゥーを入れる若者が増加しており、「他者との差異化の記号」としてのタトゥーに注目する研究も現れた。 しかしながら、これらの研究は、タトゥーを単一的な表象として、もしくは純粋な記号消費としてみなしており、タトゥー制作過程における社会関係を見落としている。タトゥー制作過程においてはその消費者(タトゥーイー)の存在が必要であるため、作品としてのタトゥーとその制作過程(タトゥーイング)を切り離すことができない。本研究では、「制作者」であるタトゥー・アーティストと「消費者」であるタトゥーイーの間に築かれている関係性に注目して、タトゥー制作過程における社会関係について検討する。 【2.方法】 本研究では、タトゥー・アーティストとタトゥーイーへのインタビュー調査と、タトゥー・スタジオでの参与観察を行った。インタビュー対象者であるタトゥーイーは21人で、そのうち6人が同時にタトゥー・アーティストでもある。21人のうち、20代が11人、30代が7人、40代が2人、50代が1人で、男性が12人、女性が8人、ノンバイナリーが1人である。 【3.結果】 対象者たちは、タトゥーに対して次のような考えを持っていることが分かった。タトゥーは、第1に、日本において伝統的にネガティヴなイメージを与えられることが多かった刺青とは異なり、欧米において典型的な「アート性の強い自由な自己表現」として捉えられている。第2に、刺青が全身を覆うものとしてイメージされるのに対して、タトゥーは小さなデザインごとに個性を多面的に表せるものとして捉えられている。以上の2点から、確かに日本においてもタトゥーが「アクセサリー感覚の気軽なファッション」として認知されていると言える。 しかし、タトゥーは制作者と消費者の間での「相互的な関係性」と「経験の共有」、つまり両者の間身体性によって特徴づけられているプロセスにおいてタトゥーが制作されており、純粋な記号としてみなすことは難しい。制作過程の初期段階では、制作者と消費者が一対一の関係を築き、消費者の価値観や美意識などに寄り添いながら、複数回の相談を経て制作者がデザインを決定する。その後タトゥーの施術においては、アーティストの動作に合わせてタトゥーイーが体位を調整するなど、タトゥーイングは制作者と消費者の協働的な作業として行われている。さらに、制作者自身もタトゥーイーであるために、施術の痛み・手術後の達成感・アフターケアの困難などの経験が両者の間で共有されている。

報告番号78

やくざ映画ジャンルの形成
京都産業大学 東 園子

【目的】 日本の映画史において、また戦後の日本の大衆文化において重要なジャンルの一つに、やくざ映画がある。やくざは日本の大衆的な物語に頻出するモチーフの一つであり、日本映画の初期からしばしば題材にされてきたが、ジャンル映画としてのやくざ映画は、東映が1963年より量産した任侠映画に起点を見出すことができる。やくざ映画は男性客を中心に好評を博し、邦画市場を寡占していた大手映画会社の一つである東映の作品の多くを占め、その人気を受けて他社も製作に乗り出し、当時の日本映画界を席巻した。近年、やくざ映画は劇場公開映画としてはあまり作られていないが、ビデオ作品としては数多く製作されており、それを含めて考えると息の長いジャンルといえる。本報告の目的は、そのようなやくざ映画が1960年代に人気ジャンルとして形成された背景を考えることにある。高井昌吏(2009)は、やくざ映画を当時急速に普及したテレビに対する「裏のメディア」と位置づけたが、本報告ではやくざ映画がいかなる意味で「裏」といえるのかについてさらに考察を深める。 【方法】 やくざ映画の作品、ポスター・予告編・映画館主向けに映画の内容や宣伝ポイントを解説したプレスシート等の宣伝資料、映画雑誌の記事、関係者の著作等を分析する。 【結果・結論】 映画会社が女性や年少者の観客をテレビに奪われた時代、アウトローによる暴力を売り物とするやくざ映画は、映画会社がテレビでは見ることができない成人男性向けの企画を模索する中で生み出されたもので、特に深夜興行で人気を博した。主人公には独身者が多く、「やくざ路線」の第一弾として作成された『人生劇場 飛車角』(1963年)では濃厚だった恋愛要素は、その後さほど前面に押し出されなくなる傾向が見られる。やくざ映画ジャンルが始まる少し前から「マイホーム主義」という言葉が流行したが、そのように家庭重視の風潮が強まってきた時代に隆盛したやくざ映画は、テレビが象徴する家庭的なものに対して背を向けるジャンルとして形成されていった面があるのではないかと考えられる。 【文献】 高井昌吏、2009、「「任侠映画」と『あしたのジョー』――「男らしさ」のメディア学」高井昌吏・谷本奈穂編『メディア文化を社会学する――歴史・ジェンダー・ナショナリティ』世界思想社 ※本研究は日本学術振興会科学研究費の助成を受けたものである(JP 17K17858「やくざ映画の分析を通した戦後日本社会における男性イメージの変化の考察」)。

報告番号79

湯浴と副詞化する自己――湯浴の「何であるかの何性」から「どのようであるかの此性」へ
早稲田大学 佐藤 佑紀

【1.目的】 本報告は、湯浴という行動・行為それ自体を対象とし、経験的な観点からその実相の一端を明らかにしようとするものである。日本において温浴は多種多様な形態をともない広くかつ高度に行われ、なかでも湯浴は「風呂」ないし「入浴」として日常の基本的な生活の一部、あるいは「温泉」や「銭湯」などのように社会文化のひとつとされている。人文・社会科学における先行研究の多くはそれらを「風俗史」・「文化史」のなかに位置づけ、建築、清潔・衛生、コミュニティ、余暇や観光などの観点からその意味や位置を問う研究も個別分野において散見される。しかし「湯浴することそれ自体」およびこれと関連する「湯浴する人そのもの」を明確に取り上げ主題化し、その具体的様相について分析し検討を加えた研究はほとんどなく、「湯浴する」とは一体どういうことで、湯浴において「人(自己)」が実際どうなっているのかに関する知見が十分に示されているとはいえない。本報告では、「湯に浸かる」「湯気に触れる」など湯にひたることを自己目的的に享受するという湯浴の側面に着目し、湯という「もの」・物質の働きにも目配りしながら、湯浴と自己との関連についての実相を考察する可能性について検討する。 【2.方法】 「単純な皮膚感覚の遊び」また「『なる』遊び」としての相を湯浴に見出した多田道太郎の言を手がかりに、経験や行動・行為の水準における湯浴への言及がみられる研究について批判的検討を加える。湯浴は、湯/湯浴についての認識や感情に縮減・還元されず、湯があるがままに存在するにまかせること、湯の「肌ざわり」や「熱さの具合」といった動きや変化に身をゆだねることであり、自己の存在そのものが変化にさらされる事象である。またそうした湯浴について、G.ドゥルーズが生成変化として捉え、H.ガーフィンケルがエスノメソドロジーの分析対象として注目した“haecceity=thisness”の概念を用いて分析する。本報告では主にドゥルーズの用法にしたがい、訳語として「此性」を採用する。此性は、個々具体的な物事を、「何性(quiddity)」へと包摂することなく当のその次元において捉え享受する論理構成をとっており、湯/湯浴とは「どういうことか」の実相へとせまる思考をひらく概念となりうる。 【3.結果】 第一に、湯浴に際し湯は、「何であるか(何性)」というその本性や本質を捉え感知されるのではなく、「どのようであるか」の「この感覚(この肌ざわり・この熱さ)(此性)」として経験される事象であること。第二に、湯浴は、湯の示す強度が「副詞的アクセント」として収斂し生み出す此性を捉え感じることであり、それは、日常生活のそこここで看取できる言葉(副詞)として具体的に表現されうる。第三に、湯浴は、湯(変化)に身をゆだね、「どのように」あるいは「どうであるか」の「この副詞的な様態」に自分自身もなってしまう契機であり、湯浴とは自己の生成と変様、言い換えれば自己の「副詞化」の過程と捉えることができる。 【4.結論】 湯浴において、自己は「何であるか」の実体的存在から「どのように」あるいは「どうであるか」の様態としての存在(程度や状態としての副詞的存在)へと変化すること、また湯浴は自己の存在形式の切り換え(名詞・人称 ⇔ 副詞・非人称)を遂行する実践としての意義を持っていることが示唆された。

報告番号80

「探偵小説」専門誌の研究
法政大学大学院 山口 敬大

1 目的  本報告の目的は,「探偵小説」専門誌がジャンルに果たした役割と,読者による「探偵小説」専門誌の利用法を明らかにすることである. 2 方法 『新青年』は戦前における「探偵小説」専門誌の代表として,文学研究では主たる研究対象とされてきた.しかし,『新青年』は純粋な「探偵小説」専門誌ではなかったため,1920年代半ばに「探偵小説」専門誌が相次いで刊行されるにつれ,批評や読者投稿欄には次第に力を入れていかなくなった.つまり,『新青年』はマニアックな「探偵小説」ファン向けの雑誌ではなかったのである.本研究は,ファンによる「探偵小説」の利用法にも焦点化するため,純粋な「探偵小説」専門誌である『ぷろふいる』や『寶石』を主な研究対象に据える. 3 結果  「探偵小説」は1880年代から1910年代にかけて新聞や映画などといったマスメディアに依存しながら発展してきたため,娯楽としての側面が強調され,犯罪誘発要因として語られることもあった(井川 2021).しかし,1920年に『新青年』が刊行されると批評などが掲載されるようになり,「探偵小説」の定義やその正統性について語られるようになった(松田 2019).また,『新青年』は,翻訳を含めた「探偵小説」を読解,評価する土台を読者に供給することでジャンルを知的娯楽として提示し,一部の読者も卓越化を企図しながら「探偵小説」を受容するようになった.  そして,戦前における純粋な「探偵小説」専門誌『ぷろふいる』は「探偵小説」マニアの受け皿となるべく,批評や新人作家の発掘に取り組んだ.また,『ぷろふいる』は読者投稿欄の充実化させ,「探偵小説」の価値やジャンルの正統性について活発な議論を促進した.読者の需要を満たすように,作家や批評家らによる「探偵小説」にとって何が重要であるかをめぐる論争も,『ぷろふいる』で繰り広げられることになった.  戦後にはマニアックな「探偵小説」ファンの受け皿となったのは,雑誌『寶石』であった.『寶石』は,正統的な位置を占めていたサブジャンルを積極的に掲載しただけでなく,このジャンルにおいて初めて職業としての批評家を輩出した.また,『寶石』は民主主義との関連で「探偵小説」を擁護し,読者もそのような論理を積極的に受け入れてジャンルの価値を信奉していった. 4 結論  『新青年』をはじめとする専門誌は,作品の掲載や批評による「探偵小説」の境界画定,新人作家の発掘,正統性の定義とそれを通じたジャンルの擁護,読者の育成など,固有なジャンルとしての「探偵小説」形成に多大な貢献をしたのである.とりわけ,『ぷろふいる』と『寶石』は「探偵小説」マニアの受け皿となって海外ミステリの情報を伝えつつ,ジャンルの価値やジャンル内部の正統性などについての活発な議論を促進した.このような活発な議論が読者によってなされた背景には「探偵小説」を犯罪誘発要因とする言説があり,「探偵小説」を読むことのやましさを払拭したのも「探偵小説」専門誌であった. 文献 井川理,2021,「犯罪・活動写真・探偵小説――ジゴマ騒動と犯罪フィクションをめぐる言説の再配置」大衆文化(24): 18-36. 松田祥平,2019,「再編成される〈探偵小説〉――1923年以前の『新青年』における「高級探偵小説イメージをめぐって」日本近代文学(101): 128-141.

報告番号81

中国のアニメ情報雑誌が果たした役割
早稲田大学大学院 董 鎧源

【1目的】  中国では、1980年に日本のテレビアニメの輸入が始まると、それらを見て育った世代が青年期に達した1990年代末から日本のアニメを対象とした情報雑誌が発行されるようになった。本報告では、中国のアニメ情報雑誌が、日本の青年向けアニメの普及において、どのような役割を果たしたのかについて検討する。 【2方法】  1998年から2013年までに、中国全土で流通したと思われるアニメ情報雑誌はおよそ100誌ある。報告者はこれらの雑誌の全号を収集し分析を試みた。 【3結果】  中国のアニメ情報雑誌が、日本の青年向けアニメの普及において果たした役割は、主に次の3点にまとめられる。  第1に日本のアニメの最新情報の流通において。2000年以降、中国政府は、海外からのアニメ作品の輸入に対する規制を強め、新たな作品の輸入が事実上できなくなった。日本で放送中のアニメの紹介、日本のアニメや声優に関するニュースや日本のアニメに関する批評で構成されていたアニメ情報雑誌は、中国のアニメファンの若者、とりわけ中高生にとっては、日本のアニメの最新情報を得る上でほぼ唯一の手段になった。アニメ情報雑誌には、雑誌社が独自に製作・編集した海賊版のDVD(当初はビデオCD)や音楽CDが付いていた。こうした付録には、本編や予告編の映像、テーマ曲やBGMなどの音楽が収録されており、街中のキオスクやアニメショップで販売された。  第2に、読者共同体の形成において。アニメ情報雑誌は、誌面を媒介したファンとの交流の場を提供した。雑誌には、ハガキが織り込まれており、作品やキャラクター、声優などの人気投票、雑誌についての感想・意見、日本のアニメ・マンガに対する熱い想いなどを雑誌の発行元に送ることができた。編集部は、人気投票の結果を誌面で発表し、寄せられた意見や感想をピックアップして編集者からのコメント付きで載せた。また、コスプレ写真やイラストなども募集され、誌面に掲載された。  第3に、中国のアニメファンを日本旅行に誘ったことにおいて。有名な中国のアニメ情報雑誌『動漫販』では、2004年から日本旅行のツアーを企画し、アニメファンの関心を惹くために、柿崎俊道『聖地巡礼――アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』(キルタイムコミュニケーション、2005年)に掲載された記事の一部を翻訳・転載するとともに、旅行後にはツアーの参加者の旅行記を掲載した。同社の日本ツアーは、日本旅行のビギナー向けに関西や関東の代表的な観光地を巡るものであり、必ずしもアニメファン向けに特化したものではなかったが、「聖地巡礼」というファン用語を中国のアニメファンに最初に紹介した雑誌となった。 【4結論】  2013年に中国政府が青少年に悪影響を与えるものとして、ほとんどのアニメ情報雑誌を停刊させるまで、中国におけるアニメ情報雑誌の時代は約15年続いた。現在、中国は日本のアニメの海外への販売における一大市場となっており、ビリビリ動画やテンセントは、日本のアニメの一部の作品に出資して製作委員会に名前を連ねている。現在中国の若者が、日本のアニメを好んで視聴するのは、作品の輸入が停止していた2000年代に、アニメ情報雑誌が発行され続け、日本のアニメの最新情報が伝えられてきたことが大きい。 【文献】 董鎧源,2020,「ファン活動としてのアニメ『聖地巡礼』――中国のアニメファンの場合」,『社学研論集』35:16-29.

報告番号82

インフラ化したスマホ――モバイル社会の20年(1)
中央大学 松田 美佐

1. 目的  この報告の目的は、携帯電話を中心とするモバイル・メディアの利用実態を明らかにするために2021年におこなった全国調査の結果から、2000~2010年代におけるモバイル・コミュニケーションの変化を明らかにするところにある。2021年調査は、日常生活に深く埋め込まれるようになったモバイル・メディアの利用実態を実証的に把握するだけでなく、2001年、2011年調査と比較可能な質問紙調査とすることで、2000~2010年代のモバイル社会の変容をとらえることを目的としておこなった。 2. 方法 2021年調査として分析する調査研究の詳細は、以下のとおりである。 a.調査対象母集団:日本全国の男女 12-69歳 b.標本数: 2,500人  c.抽出方法:層化二段無作為抽出法(全国200地点) d.調査時期:2021年12月3日~2022年1月17日  e.調査方法:調査員による訪問留置法(12月26日以降は郵送返送とし、1月17日着までを有効とした) f.調査実施委託機関:中央調査社 g.回収結果:有効回答数(率)1,232人(49.3%) 比較対象とする2001年調査は、日本全国の男女12-69歳3,000人を対象に、2001年11月~12月にかけておこなったものである。抽出方法は層化二段無作為抽出法(全国200地点)、調査員による訪問留置法でおこない、有効回収数は1,878人(回収率62.6%)であった。調査結果は、モバイル・コミュニケーション研究会(2002)『携帯電話利用の深化とその影響』(科研費:携帯電話利用の深化とその社会的影響に関する国際比較研究、初年度報告書)を参照。2011年調査は日本全国の男女12-69歳2,500人を対象に、2011年11~12月、抽出方法は層化二段無作為抽出法(全国175地点)、調査員による訪問留置法でおこない、有効回収数は1,452人(回収率58.1%)であった。調査結果は、松田・土橋・辻編『ケータイの2000年代』東京大学出版会、2014年を参照。 3. 結果  この20年でモバイル・メディアは日常生活にさらに不可欠なものとなっている。通話やメッセージ交換、SNS利用といった他者とのコミュニケーションに利用されるのはもちろん、何かを調べたり、暇つぶしをしたりするためのネット利用、時計やカメラ機能などの利用は定着し、さらに電子マネーや電子決済、位置情報といった機能の利用も広がり、モバイル・メディアはいつでもどこでも利用可能な生活インフラとなっている。スマホ・ケータイからのメッセージ送受信の利用率の年齢や性別による差は見られるものの、小さくなっており、電子メールやケータイメールに代わってLINEの利用が一般化している。また、新型コロナウイルス感染症の拡大による影響として、「友人や知人との関係が疎遠になった」と答える人は20-30代に多く、男性より女性に多い傾向が見られた。 4. 結論  「ガラケー」と呼ばれるようになった携帯電話からのインターネット利用端末が活用された2000年代に続き、2010年代はスマートフォンが普及し、さらに日々の生活に欠かせないものとなる一方で、個人それぞれの社会的立場や生活に合わせ、利用されるようにもなっている。当日の発表では、2000年代からの20年間のモバイル・メディア利用の変化・不変化に焦点をあてて、分析・報告する。

報告番号83

高頻度化するモバイル系ネット利用――モバイル社会の20年(2)
法政大学 土橋 臣吾

1.目的  本報告は、ここ20年間のモバイル系ネット利用(携帯電話、スマートフォン経由でのインターネット利用)の動向の検討を通じて、日本におけるデジタル情報化の特徴の一端を明らかにしようとするものである。日本におけるモバイル系ネット利用は、1999年のi-modeのサービス開始以来順調に拡大し、特にスマートフォンの普及以降、PC系ネット利用(パソコン、タブレット型コンピューター経由でのインターネット利用)を凌ぐまでに至っている。モバイル端末からインターネット上の情報やコミュニケーションに随時アクセスする情報行動は、今となっては、完全に日常の光景に溶け込んでいるが、それはあらゆる時と場における、あらゆる情報行動を可能にした点で、この間のメディアをめぐる生活様式の変容を考える上で、きわめて重要な位置を占めている。 2.方法  以上のような問題関心から、本報告では、モバイルコミュニケーション研究会が、2001年、2011年、2021年の3回に渡って実施したモバイル・メディア利用に関する全国調査データを用いて、モバイル系ネット利用の実態を検討する。この調査では、一部の項目を除いて同一の質問文を用いており、経年比較が可能なデータが得られている。本報告では特に、この20年間における、①モバイル系ネットの利用者層および用途の広がり、②利用頻度の急激な上昇、③利用するシチュエーションの変化、④利用場所の変化などについて検討を加える。 3.結果  調査の結果を一言で表現するなら、この20年の間に起きたのは、モバイル系ネット利用の「拡大」と「深化」の同時進行ということになる。つまり、当初は若年層の利用に偏っていたモバイル系ネット利用は、この20年間で、より幅広い年代で活発に使われるメディアとなり、各種情報サービス、アプリケーションの利用率も一部の例外を除いて軒並み拡大する。さらに、この20年間でその利用頻度も急速に上昇し、2001年当時は必ずしも毎日使われるメディアではなかったモバイル系ネットは、2021年には日に何度も繰り返し使う高頻度利用をむしろ当然の前提とするメディア、さらに言えば、自宅や職場など、他のメディアが選択可能な状況でも積極的に利用されるメディアになっていく。総じて言えば、モバイル系ネット利用は、この20年で、利用者層と利用サービスの多様化という形で「拡大」し、状況・場所を問わず為される高頻度利用の定着という形で「深化」したのである。 4.結論  こうした「拡大」と「深化」のプロセスは、モバイル系ネットのメディア特性からすれば、特に意外性のあるものではない。だが、20年というスパンで考えるなら、そのプロセスは、相対的に安定した時間的・空間的な構造を想定できたマスメディア的な情報環境から、そうした構造が溶け出していく流動的な情報環境への移行のプロセスそのものだと見ることができる。当日の報告では、こうした視点からモバイル系ネット利用の展開をあらためて検討する。

報告番号84

マッチングアプリ利用と若者の出会い――モバイル社会の20年 (3)
弘前大学 羽渕 一代

【1.目的】  本報告の目的は、近年利用が増大しているといわれているマッチングアプリの利用を若者の出会い文化の変遷からとらえなおすことにある。メディアは当該社会を写す鏡でもあるため、その利用を相対的に把握するならば現代社会の状況を明確に理解することが可能となる。出会い文化の変遷を確認したうえで、マッチングアプリの利用から、若者の恋愛・性行動のゆくえを検討する。 【2.方法】  本報告ではモバイルメディアの利用実態に関する全国調査のデータを用いる(調査概要については第一報告を参照)。 【3.結果】  調査の結果から、マッチングアプリをよく利用している20代は5.8%であった。これを換算すると、日本全国で約75万人の利用が推定される。喧伝されているような「利用が普及した」とはいえないが、絶対数でみると一定数利用者はいる。また20代と30代の婚活目的で1割程度であった。利用に関して男女差は30代のみ弱い相関あった(男性:女性=15.9%:6.5%)。そもそも「婚活経験なし」との回答が半数を超えているということを確認するならば、結婚に向けたパートナー探しをおこなう人が減っているのである。利用者は、2000年代前半の合コン経験率・メル友経験率からみれば非常に少ないといわざるをえない。日本社会の「草食化」ともいえる事態がメディア利用にも影響を及ぼしている。  日本性教育協会が実施した「青少年の性行動全国調査」の経年比較によれば、恋愛・性行動のパートナーを探す合コンは衰退しており、4割(2000年代前半)から1割弱(現在)まで減っている。これに限らず、テレクラ、メル友なども文化が1990年代後半には存在し、一定の利用経験者がいた。現在では、それらの文化は消失している(羽渕 2021)。加えて、2020年春からパンデミックによりメディアを介したコミュニケーションの可能性や親密性の維持が話題となり、マッチングアプリもにわかに注目が集まった。したがって現在の利用率は低くとも、今後普及する可能性もある。  マッチングアプリはその特性として写真が大きな役割を果たしており、「見た目」で選択するという行動が親密性に影響を及ぼすのではないか、という指摘もある(日本メディア学会シンポジウム、2022)。今後、恋愛・性行動の不活発化に関わり、モバイルメディアを利用した親密性がどのようにありうるのか、議論してみたい。 【参考文献】  羽渕一代2021「出会い文化の変遷――マッチングアプリの利用にいたる途」林雄亮・石川由香里・加藤秀一編『若者の性の現在地-青少年の性行動全国調査と複合的アプローチから考える』勁草書房

報告番号85

「友だちバブル」の崩壊――モバイル社会の20年 (4)
桃山学院大学 岩田 考

【1.目的】  本報告の目的は、メディア利用と友人関係との関連を明らかにすることにある。特に「友だちバブル」の崩壊ともいえる友人関係の拡張傾向の顕著な弱まりを検討する。  これまでメディア利用と友人関係との関連については多くの議論がなされてきた。ケータイやインターネットの利用は、友人数を増加させる一方で対面的な接触を減少させ関係の希薄化を促進するとして批判されてきた。しかし、大規模調査の結果の多くは希薄化を支持するものではなく、状況に応じた関係の使い分けという観点から説明されるようになる(浅野1999、辻1999)。また、携帯電話の利用と選択的志向が関連していることも指摘された(松田2000)。  小川(2021)は、「つながり孤独」のような現象は、希薄化と選択化を排他的なものと見なすこれまでの議論では十分にとらえられないとする。友人関係の「脱埋め込み」(血縁、地縁など外的基準から内的基準への移行)に関する議論(柴田2010)をふまえ、内的基準の構築に伴う不安等によって「再埋め込み化」が生じていると指摘している。このような議論をふまえ、インフラ化したスマホ等のメディア利用が友人関係のあり方とどのように関連しているのかを検討する。 【2.方法】  本報告では、我われの研究会が全国の12歳から69歳を対象として実施したメディアの利用実態に関する3回(2001年、2011年、2021年)の調査データを用いる(第一報告参照)。  まず、友人数と友人とのつきあい方の変化について単純集計から確認する。次に、拡張志向の弱まりを中心に友人間関係とメディア利用との関連について分析を行う。 【3.結果】  今回の調査における最も顕著な友人関係の変化は拡張志向の弱まりである。「今の友人も含めて、さらに友人の輪を広げたい」の肯定率は2001年から20ポイント減少した(50.7%→41.7%→30.7%)。また、身近な友人の数も減少した(7.10人→5.71人→4.48人)。  しかし、希薄化や選択化の傾向に大きな変化はみられない。希薄化傾向に関連した「友人であっても、互いのプライベートに深入りしたくない」や「親友でもすべてをさらけ出すわけではない」に大きな変化はない。また、選択化傾向に関わる「場合に応じて、いろいろな友人とつきあうことが多い」や「話す友人によって、相手に対する自分の性格が変わることがよくある」でも大きな変化はみられない。  ただし、「あなたの友人の多くは互いに知り合いである」の肯定率は14ポイント以上低下しており、同質性の高まりは必ずしもみられない。希薄化や選択化の議論が前提としてきた「友人関係の拡張」は実態とあわなくなっている。しかし、選択化が前提とする「友人関係の多元化」については慎重に検討する必要がある。モバイル・メディアの効用として「考え方や意見が自分と全く違う人と出会える」をあげる割合が高まるなどメディア環境も多元化を促進する状況にある(2011年ケータイ10.9%→2021年スマホ25.3%)。 【4.結論】  今回の結果からは友人関係の拡張志向の顕著な弱まりを指摘できる。この傾向は、「再埋め込み化」(外的基準への回帰)と解釈できる面もある。しかし、同質性が必ずしも高まっていないことからすれば、「脱埋め込み化」された友人関係の変容という観点からも、より詳細に検討される必要がある。

報告番号86

スマホは社会関係資本たりうるか――モバイル社会の20年 (5)
中央大学 辻 泉

【1.目的】  本報告では、スマートフォン(以下、スマホ)に代表されるモバイル・メディアを通したコミュニケーション(モバイル・コミュニケーション)が、十全な社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)たりうるのか、またその涵養を促していると言えるのか、多角的な視点から検討を行う。  社会関係資本とは、日本社会でも2000年代以降注目されてきた概念であり、論者によってやや定義が異なるものの、ここではパットナムの議論を主として参照し、(パーソナル)ネットワーク、(互酬性の)規範、(一般的)信頼といった主要概念からなるものとしてとらえていく(Putnum2000=2006など)。  報告者は、モバイル・コミュニケーション研究会(以下、本研究会)が2011年および2001年に行った全国調査の結果に基づいて検討をしたことがある(辻泉2014)。主な結果として、第一に、(パーソナル)ネットワークや(一般的)信頼について、この期間に減少または低下の傾向がうかがえ、第二に、前者については多少の関連が見られたものの、総じてはモバイル・コミュニケーションが社会関係資本の涵養とはあまり結びついていない可能性が示唆された。その上で、肯定率はかなり低かったものの、オンラインの(一般的)信頼についてはPC利用との関連が見られ、これが旧来の携帯電話とPCの特徴を併せ持ったスマホの普及によって、どのように変わっていくかが検討課題であることが示唆された。 【2.方法】  調査全体の概要は第一報告の通りであり、ここでは本報告に関連する部分のみを記す。本報告が主に用いるのは、社会関係資本に関する質問項目である。日本社会における水平的な(パーソナル)ネットワークを象徴するものとして友人数を用い、それ以外に互酬性の規範や一般的信頼(オフライン/オンライン)といった項目を従属変数に、基本属性およびモバイル・コミュニケーションに関連する項目を独立変数に投入し、その規定要因を探る。最新の2021年調査を中心に、過去の調査との比較も行う。 【3.結果】  社会関係資本に関する項目の中で目立つのは、友人数の減少で(平均値で2001年11.28人→2011年9.42人→2021年8.17人)、遠距離より近距離の友人数が減少している。また互酬性の規範や一般的信頼(オフライン)は変化が見られず、一般的信頼(オンライン)はやや否定率が減少している。 【4.結論】  当日は、こうした実態について基本属性およびモバイル・コミュニケーションに関する項目との関連を中心に詳細な検討を行う。 <主要参考文献> Putnam, Robert D,2000,Bowling alone: The collapse and revival of American community, New York: Simon&Schuster(=2006,柴内康文訳『孤独なボウリング-米国コミュニティの崩壊と再生』柏書房). 辻泉,2014,「ケータイは社会関係資本たりうるか」松田美佐・土橋臣吾・辻泉編『ケータイの2000年代―成熟するモバイル社会』東京大学出版会:225-254. ※本研究は、2020~2022年度科学研究費基盤研究(B)「モバイル化社会の実態解明と将来構想に関する社会学的実証研究」(研究代表者:松田美佐、中央大学教授)による研究成果の一部である。

報告番号87

デジタルデバイド問題再訪――モバイル社会の20年(6)
大阪大学 辻 大介

【 1. 目的 】  ネット社会における格差問題を指す造語として“digital divide”が初めて用いられたのは、1999年のアメリカ商務省の報告書“Falling through the Net”であった。当時問題視されたのは、社会経済階層や人種などによって、ネットへのアクセス手段・環境を有するかに差があること=〈第1のデジタルデバイド〉だったが、普及が進むにつれて、関連分野の研究関心は、社会属性によってネットをどう利用するかに差が生じること=〈第2のデジタルデバイド〉に移っていく(van Deursen & van Dijk 2013)。  そのなかにはネットの利用デバイスに着目した研究もあり、2012年全米調査のデータを分析した Tsetsi & Rains (2017) は、23%がネットへのアクセス手段をもたず、5%はスマートフォン(以下「スマホ」)だけでネットを利用していること、そこに人種や社会経済階層などが依然として関連していること、ネット利用の活発/不活発な層の情報格差をスマホ利用が拡張する面と縮小する面を併せもつこと等を報告している。  日本でもネット利用デバイスがスマホに偏ることによるICT活用スキルの低下を懸念する声があるが、この点に関する実証研究は乏しい。そこで本報告では、[1]ここ20年間におけるデバイス別のネット利用率の変化を概観するとともに、[2]社会属性およびICT活用スキル等との関連を把握することを目的とする。 【 2. 方法 】  モバイル・コミュニケーション研究会が2001年・11年・21年に全国12~69歳を無作為抽出して実施した質問紙調査のデータを用いる。調査概要については第1報告を参照。 【 3. 結果 】  [1] 2001年→11年→21年に、スマホ・携帯電話でのネット利用率は24%→48%→87%と、最近10年間で40ポイント近く増加しているが、パソコンでのネット利用率は39%→59%→64%と伸びが鈍化している。その伸長も50歳代以上の高年層によるところが大きく、40歳代以下ではパソコンによるネット利用率はむしろ減少傾向にある。  [2] 2021年調査データをもとに、パソコンとスマホ両方でのネット利用層(60%)/パソコンのみ(4%)/スマホのみでの利用層(28%)/ネット非利用層(9%)を従属変数とし、社会属性(性・年齢等)を独立変数とした多項プロビット回帰分析を行なったところ、スマホのみでのネット利用層に比べて、パソコン併用層は有意に学歴・世帯年収が高く、非利用層は高年齢・低学歴の傾向がみられた。また、ICT活用スキルを従属変数としたOLS重回帰分析の結果、スマホのみでのネット利用層は、非利用層よりはスキルが高いものの、パソコン併用層よりスキルが低い傾向が有意に認められた。 【 4. 結論 】  今後ネット非利用層がさらに減少したとしても、スマホのみでのネット利用層とパソコン併用層との間に、社会経済階層と連関した第2のデジタルデバイドが存続すると予想される。ただし、それが情報格差やICT活用スキル格差の拡大につながるかには留保を要する面もあり、その点も含めて当日はより詳細な分析結果を報告したい。 《引用文献》 van Deursen, A. & van Dijk, J., 2013, The digital divide shifts to differences in usage, New Media & Society, 16(3), 507-526. / Tsetsi, E. & Rains, S.A., 2017, Smartphone Internet access and use: Extending the digital divide and usage gap, Mobile Media & Communication, 55(3), 239-255.

報告番号88

科学技術研究所における発達障害者のワークプレイスデザイン――ダイバーシティとしての自律的共同実践
新潟青陵大学 海老田 大五朗

1. 目的  本研究の目的は、技術研究所において発達障害者が自律的に働く実践の詳細を明らかにすることである。その中で、従来型の障害者のための仕事の業務切り出しによって雇用を生み出す方法ではない、代替的なやり方とは何かを記述的に提示する。 2. 方法  本研究では、発達障害者が自律的に働く技術研究所において、インタビューと観察を中心に調査を実施した。その際、所属機関の倫理規定に従い、調査対象者に対して研究倫理に関する説明を行い承諾を得た。 3. 結果  科学技術研究所で働く発達障害者たちは、朝のミーティングで指示を受けたあとは自律して仕事を遂行する。彼/彼女らが従事する業務は主に実験の「テストケース」を作るなどの業務である。たとえば、「ある素材は道路舗装のための材料として一定の基準を満たしているか」「ある素材を加工することでどれくらいの強度が得られるのか」というような、実験してデータ収集するための「テストケース」、あるいはこうした実験のための基礎実験のことを指している。  広い研究所の中で、特に時間的ノルマも厳しくない、そして一人で仕事をする時間がほとんどである。たとえば、科学技術研究のためのデータ収集、基礎実験という、ある種の変数を統制するための条件が数多く与えられているワークプレイスである。科学技術研究のためのデータ収集、基礎実験のために使用する道具も厳格に規定されている 。つまり、目的―手段の明確さとしては、科学技術研究の論理によって規定されるに特徴がある。手続きの厳格さとしては、何のためにどのような手段が使われなければならないのかが、あらかじめ設定されていることがある。 4. 結論  これらの仕事は、組織のなかでその人が必要とされるように作業と組織がデザインされている(海老田 2020:1 章と 2 章)。科学技術研究所における知的・発達障害者のワークプレイスデザインが成し遂げられいる。また、これらのワークプレイスにおいては、障害者を含む共同作業のダイバーシティとして、それぞれの作業者にとっては自律的ではあるが、研究所における共同作業としてみてみると共同実践であるという両面が備わっていることが明らかになった。 文献 海老田大五朗, 2020, 『デザインから考える障害者福祉――ミシンと砂時計』ラグーナ出版 水川喜文・秋谷直矩・五十嵐素子編, 2017, 『ワークプレイス・スタディーズ――はたらくことのエスノメソドロジー』ハーベスト社. Luff, P. et al.(eds.), 2000, Workplace Studies, Cambridge University Press. 謝辞 本研究は日本学術振興会科学研究費助成を受けた研究プロジェクト(19H01567; 20K02109; 19K13953; 15K17229)によって達成された研究の一部。

報告番号89

障害者と/が、共に働くワークプレイスのエスノメソドロジー――ダイバーシティにおけるカテゴリー・マネジメント
北星学園大学 水川 喜文

1. 目的  本研究の目的は、多様な人々が共に働くこと、つまりダイバーシティにおける共同作業のうち、障害者と/が共に働くワークプレイスに注目して、エスノメソドロジー的な視点により、その現場におけるローカルな社会秩序がいかに成し遂げられているか明らかにすることである。 2. 方法  本研究では、障害者と/が共に働くワークプレイスとして、ランチ等を提供するカフェ(の厨房)において、ビデオ撮影やインタビューを伴う調査を実施した。その際、所属機関の倫理規定に従い、調査対象者に対して研究倫理に関する説明を行い承諾を得た。 3. 結果  カフェの厨房では、障害のあるスタッフが5~7人程度、健常者のスタッフが4人程度、働いている。その中には、軽中度の自閉症スペクトラム、ダウン症候群などの特性のある人もいる。カフェでは、大皿の料理が複数陳列され、お客がその中から数品選んでランチとして提供される。  ここでの共同作業にはいくつかの特徴が見られた。(1)調理の作業工程が分割される(例:皿洗い担当:分割担当制)のではなく、各人(障害者・健常者スタッフ)が料理を一つずつ担当(例:白だし七味唐揚げの担当)する(2)各人は、ホワイトボードで自分の担当料理を見て、メニュー(レシピ)をファイルから取り出し、料理を作り、盛り付けし、食器洗いをするまでの全工程を担う(全工程担当制)(3)健常者スタッフは、自分の担当料理を行いながら、障害者スタッフの作業をモニターして、必要なときにサポートする。健常者スタッフのサポート担当は、固定化せず、作業の進行に合わせて替わる。  これらは、共同作業におけるワークフローのデザインという点において、次のような特徴がある。(1)料理の全工程担当制によって、各人は全工程を担う調理者としてカテゴリー化される(2)ホワイトボードの担当料理名、料理の工程を示すメニュー(レシピ)が、各人のプラン(Suchman 1987/2007=1999)となり、その過程の行為を可視化し、時系列に位置づける(3)障害者/健常者スタッフの非対称性は、サポートを行う際(のみ)に発露する(それ以外は、同じ調理者)。調理作業の中心には各人のワークフローがあり、アドホックなサポートが可能になる。  このカフェのスタッフは、もともと障害者主体の介助を行う組織の職員であり、障害者の調理作業において、調理の工程の一部を分割して担当する場合、達成感が得にくいと、感じていた。カフェを開業する際、各人がそれぞれ料理を担当する料理の全工程担当制を発案した。 4. 結論  このワークプレイスの共同作業は、すべての成員が一つの料理の全工程を担当することによって、作業工程の見通しの良さを確保するようにデザインされている。そして、各人が同じ調理者としてカテゴリー化され、必要な際にのみアドホックなサポートが行われ、非対称なカテゴリーが発露する。このような共同作業における分担のマネジメントとカテゴリーの配置によってローカルな社会秩序が遂行される。これらは、障害者と/が共に働くというダイバーシティにおけるワークプレイスの代替的方法として例証することができる。 ・本研究は、JSPS科研費(19H01567)「ダイバーシティにおけるワークプレイス研究-多様性の中で、共に働くこと」(基盤研究B, 代表・水川喜文)の助成による

報告番号90

精神科における症例検討会のワークの研究――症例検討会の多層性に着目して
一橋大学 河村 裕樹

【1.目的】 本報告は、領域ごとに多様な位置づけがされている症例検討会(ケースカンファレンス)のなかでも、特に精神科で行われている症例検討会に着目する。そして、「症例について検討すること」が、同時に「アドバイスすること」であったり「職種の異同を示すこと」であったりすることがどのように可能になっているのか、それをすることによって何をしているのかを見通しよく記述する。この作業を通じて、精神科における症例検討会の位置づけや、精神科で多職種が協働するために行われている工夫などを明らかにすることを目的とする。 【2.方法】 この目的を達成するために、(1)複数の医学領域で行われている症例検討会に関する文献をレビューと、(2)ある精神科で行われている症例検討会でフィールドワークを行い、得られたデータをエスノメソドロジーの方法論的態度において分析した。調査にあたり、調査先医療機関の倫理審査を受けている。 【3.結果】 まず文献レビューの結果、看護領域においては、カンファレンスを円滑かつ有効に運用することが課題となるなか、あくまで多数あるカンファレンスの一つとして症例検討会が位置づけられていたこと(川島・杉野 1984)、福祉領域における症例検討会は、事例研究法など対人援助の方法論的な関心と結びつきつつ実践的な指針を示すことに力点が置かれていたこと(岩間 1999)などを明らかにした。他方で精神科における症例検討会についての研究は、症例検討会を治療文化として位置づけたり、精神分析でのスーパービジョンとの違いを強調したりするという特徴があった(鈴木ほか 2003)。このように精神科領域での症例検討会に関する研究は、症例検討会の教育的な側面に着目しているといえるが、「症例を検討すること」がどのように「教育すること」として理解できるのかについては、必ずしも明らかではない。この点を踏まえて、精神科における症例検討会でのフィールドワークで得られたデータを分析すると、職種の違いを利用して直接的な非難を避けつつアドバイスを行ったり、一見すると専門的とは思えないような用語や知識を用いて、症例に対する理解や今後の対処方針についての議論を行ったりしていることなどが明らかとなった。 【4.結論】 文献レビューを通して明らかにした精神科における症例検討会の教育的な側面を検討することを通して、「症例を検討すること」が同時に、「アドバイスすること」であったり「異なる専門性に基づいた見立てを示し合うこと」であったりし、そのことを通して異なる専門性を有する複数の職種が症例についての理解を共有することが可能になっていることを明らかにした。今後の課題は、このような場面の特徴が、いかなる意味で治療文化として理解されたり議論されたりすることと結びつくのかを明らかにすることである。 【参考文献】 川島みどり・杉野元子, 1984, 『看護カンファレンス』医学書院. 岩間伸之, 1999, 『援助を深める事例研究の方法――対人援助のためのケースカンファレンス』ミネルヴァ書房. 鈴木國文ほか, 2003, 「特集 機能するケースカンファレンス」『精神科治療学』星和書店. 本報告は、日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号21K20176)の助成を受けている。

報告番号91

双極性障害患者と縁者が経験する困難についての一考察
関西大学 松元 圭

(目的)  気分障害の一種である双極性障害は、これまで主に医学的視点から研究されてきた。そこでは疾患のメカニズムや治療法の開発などに主眼が置かれていた。近年、当事者による社会生活上の困難への言及が見られるようになってはいるものの、その蓄積は十分なものとは言えない。また、いずれにおいてもその照準は患者に当てられており、縁者がどのように双極性障害を経験しているのかについては明らかにされていない。本報告では、患者だけでなく、縁者も対象とした分析を行うことで、両者が双極性障害によってどのような困難を抱えているのか、そして両者が経験する困難にどのような違いがあるのかを提示する。 (方法)  2021年7月、上記の問題意識に基づき、双極性障害と診断されている患者と、縁者を対象に、困っていることと、求めている情報についてたずねるインターネット調査を実施した。得られた結果は統計的に処理し、回答者の属性と困難の内容の関係について量的な分析を行った。また、自由記述に対してアフターコーディングを行い、QDAソフト用いた比較分析と質的な視点からの内容分析を行った。 (結果)  調査の結果、患者と縁者の合計154名から回答を得た。量的分析では、このうち147名(患者:112、血縁家族:11、非血縁家族:14、恋人:5、友人:5)の回答を分析対象とした。また、質的分析では自由記述への回答があった142名を分析の対象としている。  量的分析の結果、患者と縁者では、困難の量、内容ともに違いがあることが明らかになった。また、軽微な差ではあるものの、罹患年数や婚姻状況による違いも見られた。自由記述に対する質的な分析からは、躁状態におけるトラブルを記述する際の言葉の使用法に差異が見られた。患者は「やらかし」や「癇癪」といった言葉を使用し、具体的な内容を記述することを避ける一方、縁者は具体的な暴力や暴言があったことを記述していた。 (結論)  罹患年数によって困難の内容と多寡に違いがあること、婚姻状況によっても困難の内容と多寡に違いがあることから、双極性障害由来の困難は生物学的な疾患経過のみではなく、罹患年数による対応力の変化や、婚姻といった他者からのサポートなど社会的要因によってもそのあり方を変化させる可能性が示唆された。また自由記述に対する質的な分析では、患者と縁者の間で、躁状態における問題行動を記述する際の言葉の使い方に顕著な違いが見られた。患者は自身の暴言や暴力を抽象的な記述にとどめ、躁の一部であるかのように捉えているのに対し、縁者の記述では具体的な暴力行為が記述され、問題の中心として捉えらえていたことから、同様の問題も患者であるか縁者であるかによって捉え方が大きく異なっていることが示された。こうした記述の質的な差異の背後には、行為の責任が疾患に帰属するものなのか、患者個人に帰属するものなのかといった認識の違いが存在すると考えられる。

報告番号92

知的障害のある人の支援付き一人暮らしに関する支援者・家族の認識とニーズ――具体例冊子作成プロジェクトの結果から
静岡大学 白井 千晶

【1.目的】 知的障害者の支援者、家族(主に親)が、知的障害者が支援付き一人暮らしをすることについて、どのような態度、認識をしているか、感じている課題は何か明らかにする。 【2.方法】 支援つき一人暮らしをしている知的障害者の日常生活を紹介する冊子を作成し、アンケート調査を実施した。 本調査の全体と特徴として、本調査は、支援つき一人暮らしをしている知的障害者3名を取り上げた冊子を配布し、その感想・評価を回答してもらうアクション・リサーチの形式をとった。知的障害のある本人と支援者・家族が読むことを想定して工夫を凝らした。アンケートは、本人用、支援者・家族用の2種を用意した。インタビュー調査も実施した。本報告はこのうち支援者・家族用のアンケート調査結果の一部を報告するものである。 アンケート実施:2022年4月~6月 方法:配布の拠点となる事業所、支援団体等に対してプロジェクトの趣旨と配布協力を依頼して、冊子とアンケートを配布した。回答はインターネットおよび紙媒体で得た。 有効回収 165票(支援者・保護者112、当事者53)配布900(献本贈呈含む) 冊子では、事例3名の紹介、一人暮らしの開始、1日の過ごし方、1週間の過ごし方、部屋の紹介、経済的状況や仕組み、生活を支える支援者、を項目とし、具体的エピソードや動画、制度の説明をした。 【3.結果】 回答者の属性:38.7%が知的障害のある人の母。その他家族が16.0%。ヘルパー、施設職員、相談支援員、その他支援者が45.2%。(属性は複数回答) 回答者の年齢は、40代16.4%。50代33.6%、60代24.5%、70代以上が8.2%と中高年が大半。性別は女性が77.3%。 特に関心が高かった項は、一人暮らしの開始、経済的状況や仕組み、1日の過ごし方だった。 評価のポイントは、イラスト、人物のパターン紹介、具体的な情報、の3点で、より具体的な内容への評価が高かった。 今後知りたい情報は、一人暮らしのトラブル、一人暮らしをしている人の健康・危機管理の回答割合が高く、リスク管理への関心が高いことがわかる。 身近に一人暮らしをしている人がいると回答した人は51.4%、一人暮らしに賛成64.9%、身近な人の一人暮らしに賛成63.6%と、関心と希望の割合は比較的高く、実現状況については半々だった。自由記述では、「家族と生活して生活介護事業所に通所している」「親亡きあとが心配」「知的障害と強度行動障害がありグループホームや入所施設で断られている」など様々な状況が記された。「本人の気持ちや希望次第」「グループホームという選択肢しかないと思っていた」「サポートさえあれば一人暮らしはできる」「ヘルパーが見つからない」「本人と家族が希望するならば望んだ暮らしができることがよい」などの意見があがった。 【4.結論】 知的障害がある人の状況は、本人や家族、地域資源など、多様であるが、情報や選択肢に対するニーズがある。中でも、より具体的な事例やリスク管理、経済的側面に関するニーズが高い。本人が事例や選択肢、イメージをもつことができることも重要である。ヘルパーなど実際に生活をサポートする資源、支援する制度も必要である。 本研究は、東京家政大学の倫理審査の承認を受けている(2021-18)。 本報告は、公益財団法人ひと・健康・未来研究財団 研究助成金による調査研究助成を得た研究成果の一部である。

報告番号93

障害者の自己記述と当事者研究
国立社会保障・人口問題研究所 榊原 賢二郎

本報告では,障害者本人の経験を研究するにあたり,障害者自身が記述した文書をいかに分析しうるのかという点について,当事者研究との関係から方法論的に検討する.  障害者自身による記述(以下ではさしあたって障害者の自己記述と呼ぶ)の中にも,専門知としての性質に強弱がある.障害者自身が自身の経験をデータに,専門知として記述した論文・学術書もある(オートエスノグラフィーなど).これに対して,専門知としての性質を特に打ち出さない一群の資料がある(手記・自伝など).こうした資料は,会話の形式をとっていないため,会話分析のような手法は使えない.こうした資料を扱うには,資料形態への制約が緩められた方法論を使う必要がある.  そうした方法論としては,例えば概念分析の社会学(浦野,2016)や生きられた経験の社会学(山田,2020)がある.前者では,非専門知と専門知の間でのループ効果が重要な位置を占めるが,考察を要するのは非専門知と専門知の境界自体が掘り崩されるように見える時に,分析を行う専門知の側が何をしているのかである.障害者自身が研究としてオートエスノグラフィーを展開する場合は,それ自体を自らの経験を分析する専門知として位置づけることは可能であろう.それより位置づけが曖昧な障害者の自己記述として当事者研究を考えることができる.本報告では,当事者研究と非専門知・専門知の関係を考察し,そこから手記・自伝も含めた障害者の自己記述の分析方法への知見を得ることを目的とする.  精神障害者・発達障害者等が自らの経験・困難を研究という観点から捉え直す当事者研究は,一見すると専門知とは異なる.特に医学を準拠点とすると,医学的知識に大きく依拠し、その概念を援用しつつも、医学そのものではないこともまた明らかである.しかし社会学との関係では,当事者研究における研究という非没入的な観点は,社会学の内部観察的な観察視角と接近してくる.そのため,社会学と当事者研究の関係を明らかにすることには意義がある.  少なくとも一つ指摘しうる差異は,引用という形式と,それが可能にする知の接続のあり方に関わる.社会学も学術として,引用によって,知の相互連関と自己/他者区別を有している.このことにより,当事者研究と社会学で,内部観察的知をどこにどう接続するかが異なってくると考えられる.当事者研究は,ライフヒストリー上の様々なイベントを,診断名も活用しつつ,相互に接続して再解釈することを可能にするが,社会学はそうした再解釈に,異なる文脈で生み出された概念や知見を提供することができる.こうした観点からは,社会学の概念や知見の連関への接続により更なる解釈が可能となる限りにおいて,社会学的な分析は内容面で当事者の経験をアイロニーとして捉える必要は必ずしもないものと考えられる. 浦野茂,2016,「「神経多様性」の戦術」酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生・小宮友根編『概念分析の社会学2』ナカニシヤ出版,7-26. 山田富秋,2020,『生きられた経験の社会学』せりか書房.

報告番号94

ヨガの指導における言語的実践の役割――マレーシア・クアラルンプールのヨガ教室への参与観察から
上智大学 栗原 美紀

【1.報告の目的と問題の所在】  本報告の目的は、ヨガを事例に、「宗教ではないが、宗教的な心身技法」(栗田ほか編2019: 6)の実践の成り立ちについて、指導者による言語的実践に焦点をあてて考察することである。日本の宗教研究では、宗教の周辺にある伝統的身体論や精神的技術について、「オルタナティブな癒しの知」(田邊ほか編1999)や「民間精神療法」(栗田ほか編2019)などとして対象設定を行い、その療法・健康法としての特徴や意義が議論されてきた。しかし、これらの研究は文献研究や歴史研究が主であり、実践の動態に関する検討は不足している。保健医療社会学においては、20世紀終盤以降、健康や身体に対する全人的なアプローチの重要性が指摘され、その具体的実践として上述の技法の活用が期待されている。そこで本報告では、先行研究を継承しながら、ヨガを事例としてその実践の構成を捉えたい。 【2.研究の方法】 ヨガは、「歴史的には、自己の変革を目指して観想を行うものであり、そのための行法と精神的修練をまとめた体系であった」が、20世紀以降、徐々にセラピーとしての用法も広がってきており(Khalsa et al. eds. 2016=2020: xiv)、世界各地で実践者が増加している。本報告では、2017年から断続的に行ってきたマレーシア・クアラルンプールにおけるヨガ教室での参与観察の記録から分析していく。 【3.調査の結果と考察・結論】  ヨガ教室では毎回、身体的実践が中心となる一方、その指導においては、指導者によるいくつかの言語的実践が付随している。それらは、指導者個人あるいはその周囲の人々の体験談の共有、身体的動作に対する指示、ヨガの効用に関する説明、などである。これらの言語的実践は、その場での生徒の具体的な身体運動を促すのみならず、異なる身体状況・能力をもつ生徒が各自のペースで身体技法を習熟させていく工夫としての意味ももつ。また、指導者はその前提として、彼らの役割は生徒に教えこむというよりは、サポートであると認識している。このような役割意識は、森田療法など他の実践と類似すると考えられる。したがって、今後は様々な技法と比較しながら理論的な検討を行い、これらの技法の療法・健康法としての実践について体系的に理解することが課題となる。 【参考文献】 Khalsa, Sat Bir Singh, Lorenzo Cohen, Timothy McCall, and Shirley Telles eds., 2016, The Principles and Practice of Yoga in Health Care, Handspring Publishing Limited. (=新倉直樹監修、2020『医療におけるヨーガ原理と実践』ガイアブックス。) 栗田英彦・塚田穂高・吉永進一編、2019、『近現代日本の民間精神療法:不可視なエネルギーの諸相』国書刊行会。 田邉信太郎・島薗進・弓山達也編、1999、『癒しを生きた人々:近代知のオルタナティブ』専修大学出版局。

報告番号95

大学教員の性的指向・性自認(SOGI)についての知識と態度に関する全国調査報告(1)――性的マイノリティ学生に対する抵抗感と対応についての意識
国立社会保障・人口問題研究所 釜野 さおり

【1. 目的】 日本社会において性的マイノリティの存在が可視化されるなか、大学教員が性的マイノリティの学生からカミングアウトされたり相談されたりする場面も出てきている。教員が性的マイノリティに対してどのような意識をもち、どのような対応をするかは当事者学生のウェルビーイングにも影響を与える。本研究では、教員が性的マイノリティに対してどのような意識をもっているのか、どの程度当事者が周りにいると認識しているのか、当事者学生への対応についてどのように考えるのかについて、大学教員を対象にした調査のデータを用いて分析する。教員の年齢や職位、専門分野などの属性、学生数など所属機関の特徴との関連をみるとともに、アウティングにつながる可能性のある対応についての考えが、抵抗感や身近にいるか否かの認識に関連しているのかを分析する。 【2. 方法】 全国の大学教員を無作為抽出し、教育に携わる職位にある専任教員を対象に郵送配布・郵送回収(ウェブ回答併用)により2021年5月21日〜8月31日に行った「大学教員の性的指向・性自認(SOGI)についての知識と態度に関する全国調査」のデータを用いる(注1)。632校の1792人に配布し、返戻なしの想定受取数は1743、回収数は677であった(回収率38.8%)。まず抵抗感と身近にいるか否かについて「性的マイノリティについての意識2019年全国調査」(注2)の結果と対比させて全体像を捉える。次に抵抗感、身近にいるか否か、性的マイノリティ学生について教員間での情報共有した方がよい〈情報共有〉への賛否、配慮することがないか教員からたずねた方がよい〈配慮要不要質問〉への賛否それぞれについて、教員および所属機関の属性との関連をクロス集計で示す。最後に〈情報共有〉の賛否と〈配慮要不要質問〉の賛否を従属変数としたロジスティック回帰分析を行う。 【3. 結果】 2019年全国調査の大卒回答者に比べると、本調査の教員の方が抵抗感をもつ割合が低く、性的マイノリティが身近にいると認識する割合が高い。ロジスティック回帰分析によると、〈情報共有の賛否〉への賛成は、教授より准教授、学生数が10,000人以上に比べ500〜999人か1000〜4999人の大学所属で多く、また、抵抗感得点が高い方が多い。〈配慮要不要質問〉への賛成は、学生数が10,000人以上の大学より500-999人の大学所属の教員で多く、国立に比べ公立で少なく、教員の専門が理工系に比べ医療系で多いことが示された。 【4. 結論】  大学教員は全国の同世代の大卒層に比べ、性的マイノリティへの抵抗感が低く、当事者が身近にいると認識することも多い。しかし、分析結果から、抵抗感をもたない教員や身近に当事者がいることを認識している教員であっても、アウティングにつながる可能性のある対応をしてしまうこともあり得ることが示唆された。大学においては、性的マイノリティ当事者の存在を認識させたり、抵抗感をなくしたりする取り組みとは別に、アウティングについての理解を深め、性的マイノリティの学生に寄り添うきめ細やかな対応を促すための啓発が必要であることを示している。 注1 JSPS科研費(19K12619)の助成を受けた。 注2 JSPS科研費(18H03652)の助成を受けた。

報告番号96

大学教員の性的指向・性自認(SOGI)についての知識と態度に関する全国調査報告(2)――関心層と無関心層の比較から
中京大学 風間 孝

【1.目的】  大学の教員の性的指向や性自認および性的マイノリティの学生や教職員に関しどのような認識を持っているかを明らかにするために調査を実施した。 【2.方法】  大学に所属する専任教員を対象に無作為抽出をおこない、調査票を632校1792人に郵送した。調査票を受理したのは1743人であり677人から回答があった(回収率38.8%)。調査期間は2021年5月21日〜8月31日である。勤務する大学に性的マイノリティの学生支援のためのガイドラインが「ある」と回答した者は9.5%(n=64)、「ない」26.7%(n=181)、「わからない」61.6%(n=417)、無回答2.2%(n=15)であった。このうち、「ある」または「ない」と答えた層を関心層、「わからない」と答えた層を無関心層として、それぞれの知識や認識等に関して分析をおこなった。 【3.結果】  (1)性の多様性および性的マイノリティを取り巻く状況に関する12項目の質問の内9項目で関心層の正答率が有意に高かった。(2)性的マイノリティ学生のメンタルヘルス・大学生活・就職活動における困難についての認識では5項目中4項目で関心層のほうが困難に遭遇しやすいと答えた割合が有意に高かった。(3)知人、大学の同僚、ゼミの学生、きょうだいが同性愛者あるいはトランスジェンダーだったときの抵抗感を尋ねたところ、8項目中7項目で関心層の抵抗感が弱かった。ゼミに同性愛者の学生がいたら抵抗がある、のみ抵抗感に有意差がみられなかった。(4)同性愛・両性愛の学生、トランスジェンダーの学生と出会ったことがある・そうかもしれない学生に出会ったことがあると答えた割合は、それぞれ関心層48.8%、48.8%、無関心層35.3%、33.6%であり、いずれも関心層のほうが「ある・そうかもしれない学生がいた」と答えた割合が有意に高かった。また同性愛・両性愛の学生、トランスジェンダーの学生からカミングアウトされたり相談を受けたりした経験はそれぞれ関心層14.6%、15.0%、無関心層5.5%、5.5%であり、いずれも関心層のほうが有意に多かった。 (5)関心層と無関心層の間で有意な差が見られたのは6項目中1項目であった。有意な差が見られなかったのは、戸籍の性別はプライバシーだと思う(関心層81.1%、無関心層77.5%)、性的マイノリティの学生がいる場合は教員間で情報共有した方が良い(53.3%、52.7%)、性的マイノリティと思う学生がいたら配慮することがないか教員からたずねたほうがよい(26.3%、28.9%)、女子大学では男性戸籍のトランスジェンダー学生を受け入れた方が良い(73.1%、69.2%)、信仰上の理由で同性愛やトランスジェンダーを否定する学生がいても教員は注意できない(29.5%、34.1%)の5項目である。一方有意な差が見られたのは、大学の多目的トイレは身体障害者のみが使うべきである(3.3%、7.4%)であった。 【4. 結論】  関心層のほうが性の多様性についての知識をもち、性的マイノリティが経験する困難についての理解も深く、学生や同僚が性的マイノリティだったときの抵抗感が弱く、性的マイノリティの学生に出会い、相談を受けていた。一方で、性的マイノリティ学生の接し方についての認識に関しては関心層と無関心層の間で有意な差はほとんど見られないかった。無関心層だけでなく関心層に対してもさらなる啓発の必要性が明らかになった。 なお本研究はJSPS科研費19K12619の助成を受けている。

報告番号97

いかにして性的マイノリティを「地域社会の一員」として主張できるのか――宮城県北部の性的マイノリティ団体「Color Calibrations」を事例として
東北大学大学院 大森 駿之介

【1.目的】日本社会における性的マイノリティの可視化、人権保障、差別解消を目的とする社会的活動は、講演、プライドパレード、映画祭などの多様な形態で行われている。しかし、国内の性的マイノリティは多くの場合、近隣や職場など身近にいる存在として認識されておらず(釜野ほか 2016)、かれらへの「無関心」を前提とした寛容も生じていると指摘される(大坪 2019)。ここで、いかに「身近な存在」として性的マイノリティを認識させるかが重要な課題となっている。しかし外国人、障がい者、ハンセン病回復者などが、職場や施設、自治体等が行う事業を通して地域社会の中で可視化されるのに対し(山田 2012)、性的マイノリティの可視化の場面は限られている。その手段となるパレード、映画祭などは大都市だけではなく地方においても行われつつあるが、開催の時期や場所(主に都市部)が限定される傾向がある。性的マイノリティの不可視化は地方では特に顕著となる課題であるといえる。では、性的マイノリティを可視化し「地域社会の一員」として主張することがいかにして可能になるのか。本研究では、宮城県北部を拠点に性的マイノリティの居場所づくりや啓発活動に取り組む団体「Color Calibrations」(以下CC)に着目し、団体の活動が当該地域の当事者や非当事者にいかなる作用をもたらすのかを検討する。【2.方法】CCの代表者、団体メンバーを対象に、半構造化インタビューを実施した。主に、活動の経験や「県北」というエリアに基づく活動の方法、困難性に関して質問した。加えて、代表者のインタビューが掲載される『東北地方の性的マイノリティ団体活動報告書』も資料として使用した。録音した音声データを文字に起こし、対象者から承諾を得た上で、分析、考察を行った。【3.結果・結論】人口規模の小さい県北部でCCが単独で啓発活動を行う場合、対象となる住民を十分に集めることが難しい。そのためCCは商工会や地域振興会、地域おこし協力隊の事業の中で活動を継続してきた。しかし、反対に地域事業内で活動せざるを得ない事情から、CCは「県北地域にも性的マイノリティが存在する」ことを打ち出すことが可能となっていた。LGBTQに関する問題に必ずしも関心があるとは限らない住民も参加する地域行事において、当該地域に住む当事者の思い、生きづらさを言葉として展示することで地域住民に性的マイノリティを身近な存在として意識させ、さらに地元の飲食店や病院、首長からCCの活動が認知されていくことで、性的マイノリティに理解のある人々が地域に存在することを、当事者に示す作用をもたらしていた。活動を行う上で都合上、地域事業とも接続し活動を行うことで、CCは当該地域に性的マイノリティやLGBTQアライが存在することを可視化し、「性的マイノリティが地域社会の一員」である認識の醸成に寄与していた。 主な参考文献 釜野さおり・石田仁・風間孝・吉仲崇・河口和也,2016,『性的マイノリティについての意識——2015年全国調査報告書』2013年-2016年度科学研究費助成事業調査報告書(25283018),広島修道大学.大坪真利子,2019,「「個人の選択」としてのカミングアウトという困難」『解放社会学会』33: 7-23. 杉浦郁子・前川直哉,2021,『東北地方の性的マイノリティ団体活動報告書』2017年-2022年度科学研究費補助金研究成果報告書(17H00978),東京大学.

報告番号98

福祉制度のシスジェンダリズムを問う
東京都立大学大学院 結城 翼

1.本報告の目的 近年、日本国内でも性的マイノリティに関する社会的関心が高まっているが、生活困窮状態にある性的マイノリティの実態について明らかになっていることは少ない。本報告では、性的マイノリティーーとくにトランスジェンダーやジェンダー・ノンコンフォーミングな人びとーーの福祉制度利用経験について、制度利用時の相互行為およびアイデンティティ提示と、居住空間の構成および分布という観点から検討する。これらの点の検討を通して、現状の福祉制度にいかにしてシスジェンダリズム[cisgenderism](Lenno and Mistler 2014)が埋め込まれているのか、またこのことが性的マイノリティに対してどのような不利益を構造的にもたらしているのかを明らかにする。 2.方法  本報告では2019年9月から2022年3月までの間に実施された半構造化インタビューおよび、東京都内の生活困窮者支援団体に2009年から2021年の間に寄せられた相談事例をデータとして用いている。インタビューについてはこれまで3名に対して実施し、許可が得られた場合にはインタビュー内容を録音した。いずれも性別に違和感を覚えており、生活保護制度等の社会福祉制度利用経験のある人であり、調査時間はそれぞれ90分~120分程度である。支援団体に寄せられた相談事例についてはトランスジェンダーないしジェンダーノンコンフォーミングであることを明示している37ケースを分析の対象に含めている。  3.結果・結論  個別の事例の分析からは、(1)制度利用時の相互行為の局面ではミスジェンダリングやジェンダー・アイデンティティの誤った理解にもとづく支援実践が見られたほか、(2)ジェンダー二元性とジェンダー分離の考え方に基づく居住空間(シェルター等)が提供されることにより、ジェンダー・アイデンティティに適合した居住空間の利用が困難となっていることが明らかとなった。(3)(1)、(2)のいずれについても、ジェンダー・アイデンティティの多様さに即して、経験する困難の性質にも差異が生じていることが明らかとなった。 最後に、本報告では、これらの制度利用上の困難の背景には、個別の支援実践の問題を越えて、制度設計とその運用の歴史的な展開が関連していること、したがって既存の社会福祉制度に内在してきたシスジェンダリズム自体を見直す必要があることを論じる。 〔文献〕 Erica Lennon, Brian J. Mistler, 2014, “Cisgenderism”, Transgender Studies Quarterly 1 (1-2): 63–64.

報告番号99

親密性からの/への疎外――重層的スティグマとともに生きるHIV陽性ゲイ男性のライフヒストリーにみる愛のパラドクス
明治大学 大島 岳

【目的】 HIV陽性者にとっての恋愛など親密性は、最も興味関心のあるテーマであると同時に問題の所在でもある。たとえば、直近の当事者参加型調査研究では、調査の「どのセクションに関心を持ったか」という問いに対し、多い順で健康管理・老後(55%)、恋愛・性の健康(45.5%)、健康状態(38%)と二番目に多かった。その一方で、HIVに関連するスティグマについての設問の中では、スティグマの感じ方について「HIV陽性であることを他の人に話すときはとても用心する」に「そうである」が93%、またスティグマに対する社会からの偏見による行動の自主規制について「HIV陽性であることを周囲に知られないように頑張っている」に「そうである」が65.6%、「HIV陽性であることで、他の人とセックスしたり恋愛関係になったりすることを避けている」が40%であった。以上から、恋愛や性の健康は大きな関心を持ちながらも、日常生活では恋愛を自主規制している陽性者の姿が浮かび上がる。以上の背景のもとに、本報告ではHIV陽性者における親密性の様相について分析・考察を行うことを目的とする。 【方法】 2015年から16年にかけて行なった、HIV陽性者22名のライフヒストリー・インタビュー及び3名の手記や手紙を一次データとし、それを対象に恋愛についての語りや記述を分析の対象とした。分析のために、親密性に関わる諸理論、スティグマやレジリエンス論、シンデミック理論等を参照した。 【結果・考察】 調査協力者のうち、特にHIVだけでなく薬物など依存(症)とともに生きる者は、重層的なスティグマに晒され、シンデミックの影響下でより深刻な生きにくさの問題に取り組んでいた。そのなかで、スティグマの感受主体は、拘束する不自由なみずからを超出し〈尽きなく存在し〉てゆく自由な主体として境界を飛び越えるための手がかりを親密性と共同性に見出していた。たとえ多様なジェンダーやセクシュアリティを特徴とした新宿二丁目などの地区であっても、HIVや薬物依存へのスティグマは依然として障壁となり、親密性を基盤とした居場所を探すことが困難な状況があった。そのなかで、薬物依存からの回復を目指す性的少数者のピアサポートは一つの重要な居場所であり、重要な親密圏として位置づけられていた。その一方で、親密性のうち二者関係を特徴とした「恋愛」に対する希求は高く、ピアサポートの内外で出会いを求め実際につながり試みてきたものの、親密な二者関係がピアサポートの①中で築かれる場合、親密性を高めるために薬物の再使用が生じる可能性があり隠語としてもその現象が共有され、構造的な困難があった。②外で築かれる場合、スティグマが高い障壁だけでなく、かつ再使用した場合のゼロ・トレランス政策による生活への多大な悪影響という構造的な困難があった。ゆえに、性的少数者を取り巻く親密性の形態として、同性パートナーシップ制度など二者関係における恋愛が支配的となる場合、恋愛が大きな位置を占めざるを得ないという意味で恋愛への疎外があるが、そのことによってHIV陽性者はスティグマによる排除を受け恋愛からの疎外が伴うこととなる。このパラドクスに陥らないためには、スティグマそのものを低減し恋愛への障壁を軽減するか、あるいは二者関係を前提とする親密性とは異なる親密性の形態や親密圏そのものの広がりに目を向けることが重要となる。

報告番号100

性別情報の意義と性別欄削除をめぐる動向――LGBTQの人権保障とジェンダー統計の充実の両立をめざして
金沢大学 岩本 健良

1.はじめに  性別は社会調査において、男女の差異や格差、差別の実態を量的に示すために重要な変数である。他方、近年はLGBTQ特にトランスジェンダーの人権保護や差別等防止のため、不要な性別欄を削除する動きが実務で広がっている。そのため、ジェンダー統計の作成・継続について危惧する声もあがっている。第5次男女共同参画基本計画では、ジェンダー統計の充実とあわせ、多様な性への配慮について現状把握と課題の検討が掲げられた。2022年2月には日本学術会議の社会と教育におけるLGBTIの権利保障分科会でこの課題について報告がなされ、4月には内閣府男女共同参画局に「ジェンダー統計の観点からの性別欄検討WG」が発足した。  本報告では、政府や自治体の実務において、(1)性別欄の見直しや削除がどのような背景、方針のもとに行われているか、(2)ジェンダー統計作成の支障となる性別欄削除が行われているかを明らかにし、(3)適切な対応策をレビューし、残された課題を検討する。 2.方法  政府の法令に基づく書式改正における性別欄削除の実態(e-govサイトにおける2017年以降のパブリックコメントでの案に基づく)、性別欄削除の動きに関する政府や自治体の資料、報道をもとに分析・考察した。 3.結果  諸文書のうち、本人に交付する文書はジェンダー統計に基本的に無関係である。また匿名が前提の調査においては、性別欄について配慮や工夫は必要であるが、インフォームドコンセントがベースとなっている。したがって焦点となるのは実名とタグ付けられ業務統計に用いられる文書である。自治体では、印鑑証明書等の性別欄を見直すほか、全庁的な対処として、フローチャートを作成し、判断基準として男女共同参画やジェンダー統計作成を残す条件に含める例が多くみられる。政府が法令で様式を定める文書に関しては、全国市長会は、性同一性障害特例法の制定を受け、「平成16年度国の施策及び予算に関する要望」や、「令和3年地方分権改革に関する提案募集 提案事項」において、一部について性別記載欄の削除」を要望している。 具体的な対処法として次のタイプに整理される。 対処法1 個人の情報は非公開:(例)「立候補届出告示事項」の改正(2020) 対処法2 統計に用いない副次的書類のみ性別欄を削除:(例)「ストーカー行為等の規制等に関する法律施行規則」改正(2021) 対処法3 他の情報による代替(データマッチングも含む):(例)公立高校願書の性別欄 自殺統計、犯罪統計などでは「男女関係」「異性関係」という異性愛が前提のとしたの動機分類カテゴリーが用いられる。国連の犯罪統計では「異性間」に限定した分類名は使われておらず、改正が必要であろう。  4.結論  性別欄を設ける目的や合理性などに応じて、おおむね個々の文書等ごとにていねいに存廃・内容について判断がなされている。しかし方針や知見が共有されていない、LGBTQをカバーする統計調査となっていないものもある、という課題もあり、改善を図るべきである。社会調査のテキストにおいても、性別の設問について留意事項の掲載が望まれる。 (参考資料) 岩本健良 2022.「性別欄とジェンダー統計をめぐる動向と課題」(男女共同参画局ジェンダー統計の観点からの性別欄検討ワーキング・グループ第2回報告資料) https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/wg-seibetsuran/sidai/02.html

報告番号101

難関大学に出願する女性が少ないのはなぜか(1)――学校間比較インタビュー調査の概要と高校生男女の進路の理由づけ
プリンストン大学 打越 文弥

日本の四大進学率の男女差は縮小している一方で、国立大学に在籍する女性の割合はこの20年35%程度で推移しているように、難関大学に在籍する女性の割合は低い傾向が続いている。既存研究は難関大学進学の男女差を指摘する一方、「なぜ男女差があるのか」には必ずしも答えていない。特に、難関大学に女性が少ない傾向がなぜ生じているのかを明らかにできる調査データは限られている。 以上を踏まえ、本研究は複数の進学校(生徒全員が大学進学をする学校と定義)に在籍する高校の高校生・教員を対象としたインタビュー調査から、進路選択が男女で異なるメカニズムを探索的に明らかにするアプローチを取る。具体的には、地理的バランスを踏まえ6県の進学校を2022年7-8月に計15校程度調査する。対象には、自宅から都市部の大学に通える県、あるいは反対に都市部の大学に進学するためには自宅外通学が必要な県、双方が含まれる。対象となる高校の多くは地域の1〜2番手グループに属する高校となる。学校内・学校間・地域間で男女差を比較するアプローチを通じて、四年制大学への進学を希望する高校生男女の中で進路が分かれるメカニズムを解明する。 本報告では、調査の概要について触れたあと、高校三年生の男女がどのような進路希望を抱いているか、どのような理由からそうした希望を持っているのか、特に進路選択と将来の職業・ライフコースの展望との関連を分析する。日本のメリトクラシーに関する既存研究は、日本の選抜制度は学校レベルでの能力別トラッキングを通じて教育アスピレーションが加熱・冷却されるメカニズムの存在を指摘してきた。こうしたトラッキングの中で望ましいとされる大学は、難易度の高い学校になる。そうした大学を卒業すれば、日本では大企業での長期正社員雇用というライフコースが待っている。一方で、大企業正社員モデルには長時間労働や転勤といったワークライフバランスを難しくさせる制約も伴っており、両立志向を持つ人や、企業に属さず自らの専門的なスキルを活かそうとする人、あるいは大企業が存在しない地方に住み続けたいと考えている人にとってはこうした「いい学校、いい会社、いい人生」(竹内 2016:322)という見方は必ずしも支持されないのではないか。本研究では、既存研究が指摘してきたノン・メリトクラティックな進路選択の原理から導かれる理論的な予測が進学校に在籍する高校生男女の語りの中でみられるのかを検討する。

報告番号102

難関大学に出願する女性が少ないのはなぜか(2)――親の質的な教育期待
大阪大学大学院 佐伯 厘咲

【1.目的】2021年度『学校基本調査』によると、四年制大学進学率(過年度高卒者等を含む)は男子が58.1%、女子が51.7%となり、教育年数の観点においては、四年制大学進学機会の男女差が改善傾向にある。しかし、女子が男子と必ずしも同じように四年制大学へ進学できるとは限らない側面が残っている。例えば、東京大学や京都大学の学部学生の男女比が約4:1であるなど、選抜性の高い大学に在籍する女子の比率は低い。また、2014年度『学校基本調査』によると、1年間の浪人を経て四年制大学へ入学した者の割合は、男子が13.9%、女子が7.1%であり、男子の方が浪人を経験しやすい。一方で、女子は一般入試よりも推薦入試を使って大学へ進学する傾向が強い(西丸2015)など、「四年制大学への進学」という観点では同じであっても、どこにどのような方法で進学するのか、大学進学の質的な差異が今もなお残っている。 【2.方法】子どもの教育達成に及ぼす要因の1つに、親の教育期待の高さが挙げられる(Sewell et.al 1970;直井・藤田1978)。子どもの性別によって親の教育期待は異なっており、女子であるよりも男子である方が四年制大学への進学を親は期待しやすいことなどが先行研究で指摘されてきた(片瀬2005;藤原2009;鳶島2020)。このような先行研究では、親の期待を教育年数を用いて測定している。しかし、四年制大学への進学率が半数を超えた近年においては、親の教育期待についても、進学希望先の教育年数という量的特徴に加え、どこの大学をどのように目指すのかという質的な進学希望・出願先の違いに着目し、男女で異なる進路選択が生じる要因を分析する必要がある。そこで、本発表では、親が子どもに対して抱く質的な教育期待を、子どもたちがどのように受け止め、彼(女)らの進路選択にどれほどの影響力を与えているのかについて検討する。 【3.結果】分析に用いるデータは、大学受験を控えた高校3年生とその高校の進路指導教員に対して行ったインタビュー調査データである。これらの高校では卒業生のほぼ全員が四年制大学へ進学するのみならず、難関大学への進学者数も各都道府県内ではトップクラスの高校である。親が自分自身に対してどのような質的教育期待(大学選抜性、専門分野、県外県内、浪人可否など)を抱いていると感じているのかについて、男女で比較した。さらに、この調査では複数地域の高校にインタビューを行っているため、関東首都圏、地方中枢都市圏、その他地域に分類し、親の質的な教育期待とそれに対する子どもの受け止め方について居住地域の効果を絡めて分析を行った。 【4.結論】暫定的な分析の結果、親が性別に基づいて抱く質的な教育期待の違いが、高校生の進路希望・出願先にも影響を及ぼしていることが示唆された。性別役割分業意識などに基づいた親の質的な教育期待の男女差をどのように改善すべきかが、今後の教育機会均等に向けた議論の1つとなるだろう。ただし、親の教育期待は親に直接尋ねているものではなく、高校生の発言から間接的に推定しているという点で、データの制約があることについては留意しておきたい。

報告番号103

難関大学に出願する女性が少ないのはなぜか(3)――公立別学進学校におけるジェンダートラック
東京財団政策研究所 徳安 慧一

日本のメリトクラシーに関する既存研究は、日本の選抜制度は学校レベルでの能力別トラッキングを通じて教育アスピレーションが加熱・冷却されるメカニズムの存在を指摘してきた。同時に、こうした能力別のトラッキングとは別次元にある進学原理の存在も指摘されている。その代表例が中西(1998)によるジェンダートラックである。この理論は、女子的な教育機関(例:女子校)の学校文化によって、女性が男性とは異なる進路(例:短期大学)に水路づけられるメカニズムを指摘する。ジェンダートラックの理論は、なぜ日本では短大が女子向きの進路として存在するかを説明するものとして、長く参照されてきた。しかし、女性の短大進学率は1990年代前半をピークとして減少し続けている一方で、2018年に高校卒業者に占める女性の四大進学率が初めて5割を超えたように、日本でも大学進学における男女の格差はなくなりつつある。他方で、国立大学進学者に占める女性の割合が20年近く35%程度であることが示すように、難関大学に在籍する女性は必ずしも増加しているとは言えない。こうした状況は、進学校という一見すると能力別トラックと適合的な学校機関においても、男女によって進路選択が異なって水路づけられている可能性を示唆している。以上の問題関心を踏まえ、本研究は男女別学が残っている北関東X県の公立進学校4校を対象に、高校の進路指導方針と学校文化がどのようにジェンダートラックを形成しているかを検討する。 分析に用いるデータは各高校の進路指導担当教員と高校三年生への聞き取りデータ、および各学校の歴史をまとめた資料になる。暫定的な分析結果から、これらの進学校は男女の別学を問わず、生徒の進学実績を重視していることがわかった。それでも、卒業生が難関大学に進学している割合は男子校の方が高い。女子校の進路指導担の教員は、高校入学時点では同偏差値帯の男子校と進学実績が離されていることを認知しており、男子校と同じような進路指導体制を築いている。 戦後、各地の占領軍の地方軍政部が公立高校の共学化を指導したが、東西での実施の差は顕著であり(橋本 1992: 303)、1953年には全国の高校の7割が共学制になる中、現在も高校全体の約1割程度の学校が別学校を維持している。とくに東北・北関東では、旧制のナンバースクールにルーツを持つ学校を中心に、公立男女別学高校が存続してきた。別学維持の論点として、受験動向やそれに伴う生徒募集・収入確保をめぐる経営判断が重視される私立校に対し、公立別学校では生徒募集や県財政、「特色ある高校づくり」、学校選択の多様性(別学への自由)が挙げられる。この結果、学校をめぐる教育行政の課題に論点の比重が偏り、ジェンダーの問題が「特色」の一環として教育行政の課題に回収されたり、性別特性論やこれに支えられた異質平等主義が補強されたりしている可能性がある(徳安 2021)。 当日の報告では、以上のような歴史的コンテクストを踏まえて、進路指導方針に違いがないにもかかわらず、進学実績が男女別学によって異なる背景について、男女別学校としての存続を支える学校文化の存在に注目しながら、インタビューデータおよび資料を用いて議論していく。

報告番号104

難関大学に出願する女性が少ないのはなぜか(4)――浪人
東京大学大学院 福島 由依

“1.目的
社会の様々な領域におけるジェンダー平等が目指されるようになる中で、教育分野では高校生の進路選択における男女差に関する研究が蓄積されてきた(中西 1998)。なかでも、進学する大学の選抜度に着目すると、難関大学に進学する女子が少ないことが指摘されてきた反面、女子の難関大学への進学が困難となる背景やメカニズムはこれまで十分に説明されてこなかった。この点、高校3年時の進路選択において浪人を考慮に入れられるか否かは、難関大学の受験を含む高校生の受験戦略に大きな影響を与えることが予想される。加えて、男子にくらべて女子の浪人率は低く、難関大学の志望を検討する段階のみならず、一度受験に失敗した場合に難関大学への再挑戦の機会を得られるかという点においても男女差が見受けられる。そこで、本研究では、浪人選択に着目することを通じて、どのように難関大学への進学の男女差が生まれるのかを検討する。

2.方法
 本研究では、地域差にも考慮して選定した6つの県の進学校に在学する高校生と教員を対象としたインタビュー調査を行う。対象とした高校は、地域の中でもトップクラスの選抜度の高校であり、在学する生徒のほぼ全員が4年制大学に進学する。本稿では高校3年生男女の浪人に対する考え方に違いに焦点を当てる。

3.結果
分析では、進学校に在学する高校3年生の夏時点での進路選択において、男女それぞれの高校生の志望校選択にあたって浪人がいかに考慮されているか/いないかを検討する。その際、特に生徒の浪人選択に影響を与えると考えられる、保護者や教師などの浪人選択に対する態度や、生徒自身と周囲との意見の対立する場面でいかに男女差が現れるかを検討する。加えて、浪人選択においては、家庭の経済状況といった客観的な制約のみならず、生徒本人の主観的な浪人イメージも浪人の忌避につながりうることから、そうした浪人イメージの持ち方の男女差にも着目する。

4.結論
 以上の分析から、進学校の女子生徒が、客観的な制約条件に加えて、周囲の浪人に対する態度やそれらとの折り合いのつけ方や、生徒自身の主観的な意識から浪人を選択しにくいことが、難関大学への進学の男女差が生まれる一因となっているかを議論する。今回対象とした進学校の女子生徒は、相対的に周囲からの教育期待も高く、追加の教育コストも得やすいと考えられる。このように浪人に対する考えの男女差が小さいと考えられる集団においても女子が浪人しにくいメカニズムがあるとすれば、非進学校の女子生徒はさらに浪人を選択しにくいことが示唆される。以上を踏まえ、日本における女子の難関大学への進学の困難にするメカニズムを、浪人という追加の挑戦機会の獲得という点からも議論する。

参考文献
中西祐子,1998,『ジェンダー・トラック――青年期女性の進路形成と教育組織の社会学』 東洋館出版社 .”


報告番号105

高校生の価値志向が性別専攻分離に与える影響の地域差に関する分析
滋賀大学大学院 増井 恵理子

1.目的  男女で異なる専攻を選ぶ傾向を指す性別専攻分離は、性別職域分離など複数の社会的課題の原因となっている。性別専攻分離に関する研究は、これまで規定要因として社会経済的階層や男女の理系科目の能力差、さらに社会心理的要因を扱ってきた。特に社会心理的要因については、進学希望を扱ってきた日本の先行研究において、高校生の価値志向が階層とは独立に影響を及ぼしていると指摘されている点で注目すべき要因であり、性別専攻分離の先行研究においても価値志向の影響が存在することが明らかになってきている.  一方、ベネッセ教育総合研究所の「子どもの生活と学びに関する親子調査」データの基礎的な集計によると、都市部の高校生の方が、非都市部の高校生と比較して理系専攻を選択しやすいことがわかっている。教育達成の垂直分離に対する地方格差は多々分析されてきたが、性別専攻分離における地方格差についての研究はいまだ蓄積が乏しい。本報告では、この地方格差に、高校生の職業志向や家族志向といった価値志向が関連しているのではないかという仮説のもと分析する。 2.分析の枠組みとデータ  先行研究から、現代の高校生が職業志向として安定的自己実現志向、地位達成志向およびチャレンジ志向という3つの志向を持つこと、さらにそれら職業志向と家族志向が男女で異なる構造を持ちながら、専攻選択に影響していることが明らかになっている。今回の分析においても、従属変数には進学する専攻(文系/理系/医療・福祉系/芸術系およびその他)を、独立変数には高校生の価値志向を用いて、都市部と非都市部の層別に多項ロジスティック回帰分析を行い、地域によって価値志向の影響が異なるのかどうかを比較検討する。用いるデータは、ベネッセ教育総合研究所の「子どもの生活と学びに関する親子調査」である。2017年度高3生調査および2018年度高3生調査のデータを合併して分析を行った(サンプルサイズ:952)。 3.結果  地域別の分析により、専攻選択に対する職業志向と家族志向の影響は、都市部と非都市部で異なることが明らかとなった。特に非都市部において、理系専攻や医療・福祉系専攻を選択する場合に、価値志向の影響が大きい。具体的には、非都市部では、チャレンジ志向が強く、地位達成志向や家族志向が弱い場合に、文系専攻ではなく理系専攻を選択し、安定的自己実現志向が強く、地位達成志向と家族志向が弱い場合に、文系専攻ではなく医療・福祉系専攻を選択することがわかった。都市部の分析ではこのような結果とはならず、価値志向が影響していたのは医療・福祉系専攻選択の場合のみであり、さらに専攻選択に家族志向は影響していなかった。

報告番号106

人文社会科学系大学教育の分野別習得度が卒業後の仕事に及ぼす影響――追跡調査データを用いた分析
東京大学大学院教育学研究科 本田 由紀

1.背景と分析課題  日本の人文社会科学系(以下、「文系」と略記)大学教育は、卒業後の仕事内容との関連性(レリバンス)が希薄であると広く認識されてきた。実際に、大卒者の意識調査などでは大学教育が「役に立っていない」との認識が広くみられる(本田編 2018など)。こうした「文系大学教育は役に立たない」という一般的な認識が、文系分野の廃止・縮小といった政治的圧力の背景にあると考えられる。  しかし、こうした認識は、文系の大学教育において具体的にどのような内容が学ばれており、それらの習得度が卒業後の仕事のパフォーマンスとどのように関連しているのかについての詳細な分析に基づいたものではない。  また、「文理融合」や「総合知」の必要性を政府は提唱するようになっており、実際に学際的な教育を掲げる学部も増えているが、いまだ文系の大学教育は基本的に個々の学問分野(経済学、法律学、政治学、社会学、文学、心理学など)に固有の理論、方法論、知識などを基盤として成立していることから、習得内容、習得の度合い、仕事との関連についても分野別に分析される必要がある。  本研究では、大学の最終学年時に実施した調査(専門分野別の習得度項目を含む)と、同じ回答者を卒業後1年目に追跡した調査とを連結することにより、文系大学教育と仕事との関連を詳細に分析することを目的とする。 2.データ  本プロジェクトでは、2019年と2020年に大学最終学年に在学する大学生を対象とした調査を実施し、その回答者を翌年に追跡する調査を実施した。追跡調査への回答者数は1501名である。  最終学年調査においては、言語・文学、哲学、歴史学、法律学、政治学、経済学、経営学、社会学、社会福祉学、心理学という10の専門分野別に、日本学術会議が作成した「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準」に基づいて項目を作成し、各項目に対する習得度を質問している。 3.分析  各分野の項目別習得度およびそれらを集約した習得度を独立変数とし、大学特性(偏差値など)、高校時および大学在学中の行動・意識を統制変数として、大学卒業後の仕事に関する諸変数(勤務先特性、仕事内容、仕事に要するスキル、スキルの充足度、社会意識など)を従属変数とする多変量解析を行う。  主たる仮説は、諸変数を統制した上でも、学問分野別の習得度は仕事上のパフォーマンスを向上させており、各分野内で特に有効な習得項目が存在するということである。また、習得度は仕事のパフォーマンスだけでなく市民としての社会意識(格差や競争の肯定など)とも関連しているが、その方向性は学問分野によって異なることが想定される。  発表当日はこれらの仮説に関して詳細な分析結果を提示する。 ※本研究は科学研究費補助金「大学教育の分野別内容・方法とその職業的アウトカムに関する実証研究」(基盤研究(A)(一般)、2018-2022年度、研究代表者:本田由紀)に基づく研究成果の一環である。

報告番号107

「混血児問題」を当事者はいかに経験してきたか――進駐軍軍人・軍属を父に持つ人びとの生活史に着目して
東京大学大学院 有賀 ゆうアニース

1. 目的 近年,社会学および隣接諸分野において「混血児問題」に関する研究が持続的に発展している.「混血児問題」とは,1940年代後半から50年代前半にかけての日本で進駐軍軍人・軍属と日本人女性の間に多数の子どもが生まれ,人種的差異や実父の不在といった観点からどのように彼らを処遇するべきかが社会問題化した現象である.先行研究は同時代の言説や制度の分析を通じてこの事例を探究してきた(有賀 近刊; 加納 2007; 上田 2018; Koshiro 1999; 下地 2018).そして「単一民族神話」や「優生思想」によって言説や制度が形づくられてきたこと,それにより当事者への差別が正当化・温存されたことが明らかになりつつある.その一方,そうした言説や制度のもとで当事者たちがいかなる生活史を営んできたのか,そして彼らの生活上の実践や経験が彼ら個々人の状況や属性によってどのように異なっていたのかについては充分に明らかにされていない. 本研究は,こうした進駐軍軍人・軍属を父に持つ人々の生活史に焦点を当て,彼らがどのような社会的状況に置かれ,どのような経験や実践を営んできたのかを分析することで,「混血児問題」が当事者個人に及ぼした社会的帰結を明らかにすることをめざす. 2. 方法 文書資料として進駐軍軍人・軍属を父に持つ人々(以下,当事者),当事者の母親,当事者が収容された施設の関係者などの自伝や彼らについての新聞・雑誌記事を扱う.また,口述資料として当事者へのインタビューデータを用いる.これらのデータを基に,属性(性別・人種)や社会的状況(世帯構造や経済状況など)によってどのように当事者が別様に生活史を営んできたのかを分析する.このようにアーカイブ調査とインタビュー調査という異なる調査方法で得たデータを参照することで(Lamont & Swidler 2014: 163ff),「混血児問題」をめぐる制度や言説のあり方だけでなくそれが当事者にもたらした生活史上の帰結にも分析の光を当てることができると考えられる. 3. 結果 エントリー時点での暫定的知見として,単なる人種差別にとどまらず,それを含みこんだ累積的差別(Blank et al. 2004),すなわち,ある個人の生活史上の複数の段階・領域で異なる種類の差別が累積するという現象が観察された.たとえば,親族による人種差別が児童養護施設への収容や実父と実母の離別に結びつき,ひるがえって児童養護施設出身者や母子世帯出身者といった属性が成人後の就労や婚姻をめぐる不利に結びついていた.こうした差別は,翻って,戦後日本に特徴的な教育・福祉・労働の制度的編成(加瀬 1997; 森 2013; 菅山 2011)に結びついていた. 4. 結論 当事者の生活史はこれまで人種差別や優生思想といった観点から主に記述されてきた(上田 2018; 下地 2018).他方,本報告では戦後日本を特徴づける制度的文脈に結びついた累積的差別の現実を照射することにより,「混血児問題」の経過・帰結についてより広い見通しを与えている.また累積的差別はそれが起きる社会の制度的構造やエスニック集団によって異なるパターンをとることが先行研究では報告されているが,本研究の知見は,進駐軍軍人・軍属を父に持つ当事者の経験が戦後日本に特徴的な制度的構造に規定されていたことを示すものである.以上の知見により,本報告は戦後日本に関する社会史的研究やエスニックマイノリティ研究に寄与する.

報告番号108

「ハーフ」の文化社会学に向けて――複数の人種的背景を持つ若者の文化実践についての探索的調査
慶應義塾大学大学院 佐藤 祐菜

1. 目的  グローバル化の進展に伴い、複数の人種・民族的背景を持つ人びと(以下、「ハーフ」と略称)が増加し、彼らの生活や経験に焦点を当てた社会学的研究も発展している。例えば、かれらが日常生活の中で人種的アイデンティティに結びついたいかなる差別を経験しているのか(下地 2018)、自らの人種的アイデンティティをどのように認識し交渉しているのか(Osanami Törngren and Sato 2021; 清水他編 2021)、といった論題が探究されてきた。  しかし、先行研究においては、人種・民族的アイデンティティが、「ハーフ」のライフスタイルにどう結びついているのかという点については、十分に探求されてこなかった。一方、欧米の文化社会学的研究では、メディアコンテンツの受容、ファッションや音楽、メイクやヘアスタイル、食事といった日常的文化実践を通じて、マイノリティがいかに自らのアイデンティティを表現、構築、管理しているのかについての知見が蓄積されつつある。  以上を踏まえ本研究の目的は、人種・民族的アイデンティティと文化実践の結びつきを探索することである。 2. 方法  本研究は、上記課題に取り組むべく、文献レビューと「ハーフ」当事者への探索的インタビュー調査を行った。まず前者については、文化社会学および人種・民族的アイデンティティに関する文献を収集し、その理論的論題を整理した。  後者については、スノーボールサンプリングによって「日本人」と「外国人」の間に生まれたと認識する20-30代の若者に対し、半構造化インタビューを実施した。本人の外国にルーツを持つことに関わる経験・意識と、ライフスタイル(ファッションの選択や趣味など)との関係について尋ねた。  2つの作業を統合し、文献レビューから得られた理論的議題がどのようにインタビュイーの語りに観察可能であるかを探索した。 3. 結果  エントリー時点で得られた暫定的な知見は次のとおりである。第一に、先行研究では、人種・エスニック集団ごとに異なる文化の形態と運用が論じられてきた。しかし本調査の結果からは、特定のエスニック集団への帰属(「アフリカ系」「白人系」であるか等)だけではなく、ファッションやメイク等の文化的趣味・活動が「日本的」か否かがアイデンティティの基準となっていると分かった。また、こうした身体的特徴へのステレオタイプ的基準によって文化的趣味・活動のレパートリーが制約されてもいた。  第二に、当事者のアイデンティティを表現・管理するためだけでなく、社会関係資本につながる資源として文化的趣味・活動が展開されている。とりわけグローバルな規模で流通している特定の音楽ジャンルやファッションへの習熟は、マイノリティ間のみならずマジョリティとの関係の構築にも寄与している。 4. 結論  本報告は探索的調査であり、厳密な概念化や仮説検証を踏まえた本格的な成果は今後の研究を通じて産出される必要がある。先行研究が示唆するようにエスニシティはその他の変数と交差して当事者のライフスタイルを規定するものであるならば(Bennett et al. 2009)、ジェンダー、人種、国籍、世帯構造などの面でより多様な「ハーフ」に接近する必要がある。そうすることで、日本におけるエスニシティ・人種秩序の重要な局面を照射し、文化社会学とエスニシティ論の双方に理論的貢献を果たすことができるだろう。

報告番号109

「日本人/外国人」の二分法と在外邦人の国籍問題
大阪経済法科大学 武田 里子

【目的】戦後日本は多民族帝国から「単一民族国家」へとナショナル・アイデンティティの再編を行ない、「日本人/外国人」の二分法を採用した。植民地出身者から日本国籍を剥奪する際に使ったのが戸籍である。この時に植民地出身者と結婚し外地戸籍に移籍されていた日本人女性の日本国籍も剥奪された。1984年に国籍法が父母両系血統主義に改正され、複数国籍者は推計で100万人を超えているが、政府は国籍法制の最重要課題を重国籍削減とし続けている。この方針の下で外国籍を取得したと同時に当事者の意思を問うことなく日本国籍を剥奪する国籍法11条1項問題にようやく光があたり始めている。日本国籍を剥奪されても「私は日本人だ」と主張する数十万人の在外邦人がいる。日本人とは誰か。国籍法制はその社会の成員をどのように定義づけるかという問題であり、日本社会の今後のあり方と連動する。本報告では、戦後の日本社会を規定してきた「日本人/外国人」の二分法に対する当事者の異議申し立てとそれに対する政府の応答、さらに国民意識とを検討することで、国籍に関する国民的議論の論点を整理する。日本国籍を喪失し「外国人」となった元日本人の存在を外国人政策へと架橋することで、より重層的な議論を進める一助としたい。【方法】2019年に国籍はく奪条項違憲訴訟原告団が実施した在外邦人アンケート回答者497名の分析と、筆者が世話人を務める複数国籍学習会に寄せられた事例、さらに2022年6月13日に福岡地裁に提訴した国籍法違憲訴訟報道に寄せられたコメントについて検討する。【結果】2011年国連調査によれば、加盟196カ国中53%の政府は外国に行きそこの国籍を取得した自国民が何ら制限なく自国の国籍を保持することを容認し、その他19%の政府は外国に行った自国民が自国の国籍を保持することを一定の条件を付して容認している。残り28%の政府が複数国籍を許す規定をもたない。日本は28%に含まれている。複数国籍の容認は「正義と人権への配慮、不可避だという諦観、そして二重シティズンシップの利益はその費用をはるかに上回るという多数意見とが合わさった帰結」(ヨプケ:2013)である。データ分析からは、日本政府が重国籍削減を最優先課題とするのは、実利や合理性とは別の「国体」といった原理主義的な理由であることが浮かび上がる結果となった。【結論】国籍法11条1項の存在を知らずに外国籍を取得している当事者は少なくない。調査を通じて驚いたのは、孫が国籍法11条1項によって日本国籍を剥奪され、始めてこの問題に気づかされたという元最高裁判事に出会ったことである。当事者を「法の不知」だと責めるだけでは済まされない。今日、人びとが進学や就職、結婚などのライフステージの変化にあわせ、居住国を移動することが特別なことではなくなっている。キャリア形成のために移住先の市民権を取得し、日本国籍を喪失した典型例として、「日本人」ノーベル賞受賞者(真鍋淑郎氏、南部陽一郎氏、中村修二氏、カズオ・イシグロ氏)をあげることもできる。誰もが国籍法の当事者になり得る時代を生きている。研究や運動の分野でも「日本人/外国人」の二分法を乗り越えるアプローチが求められているのではないだろうか。在外邦人の存在を移民政策や外国人政策とつなぐことで変化のスピードを多少なりとも加速させたい。

報告番号110

後発的移民受け入れ国における移民の住宅消費パターン――日本における移民の持家取得に着目して
東京大学大学院 金 希相

【1.目的】本報告の目的は、日本における移民の住宅取得を規定する要因を明らかにすることにある。住宅は国際的な移民統合指標の一要素として位置づけられているなど、移民の社会統合における重要な領域である。ところが、どの国においても移民の持家率はホスト社会のマジョリティより低く、エスニック集団間でも持家率の差が存在することが報告されている。このような移民の住宅消費パターンとそれを規定する要因を解明しようとする試みは移民の歴史が長い米国を中心に多く行われ、社会学においても様々な実証研究が蓄積されている。しかし、米国のような多人種・多文化社会では、移民の適応を取り巻く環境や移民受け入れの文脈が日本と大きく異なっている。たとえば人的資本が乏しい移民であっても、豊かな資源や情報をもった同国出身者が多い地域に暮らせば、エスニック・ネットワークの支えによって雇用や住居、教育問題を克服し、社会的・経済的に這い上がっていくことができる(Portes and Rumbaut 2001=2014)。それに対し、日本のような後発的移民受け入れ国(New Immigrant Destinations、NIDs)では、移民の定着初期段階に必要なニーズを把握し対応できる制度的インフラが整備されていない。また、移民受け入れの歴史が浅く、移民の置かれた状況や経験についての理解が不十分であるため、多くの移民は既存の支配的社会秩序に組み込まれていくことになる(Winders 2014)。以上を踏まえて、本報告ではNIDsの枠組みを軸に、持家取得に対する個人・世帯要因と地域要因の影響を検証する。 【2.方法】 分析に使用するデータは2010年の国勢調査のミクロデータである。分析対象は、日本籍のほか、2010年現在で人口が多い上位5カ国(中国、韓国・朝鮮、ブラジル、フィリピン、アメリカ)の世帯主である。各国籍グループの持家取得を規定する要因を明らかにするためにマルチレベル・ロジスティック回帰分析を行う。 【3.結果・結論】現時点での結果は次の通りである。第1に、韓国・朝鮮籍の持家率が41.78%と最も高く、それに次いでアメリカ籍(22.68%)、中国籍(18.68%)、ブラジル籍(10.6%)、フィリピン籍(5.84%)の順に高い。アメリカ籍は5つの外国籍グループのうち、人口規模が最も小さく、5年前に海外に居住していた人の割合が最も高い値(41.50%)を示しているが、持家率は韓国・朝鮮籍に次いで2番目に高い。第2に、住宅所有者の現在の住居における居住期間を確認すると、韓国・朝鮮籍の場合、日本籍と同様、10年以上前に現在の持家を取得した人の割合が約5割を占めているのに対し、他の外国籍グループでは5年以内の世帯が過半数近くを占めている。これは日本における外国籍住民の定住化が2000年以降徐々に進行していることをあらわしている。第3に、持家に対する個人・世帯要因と地域要因の効果は国籍によって異なる傾向がみられた。 【附記】本報告の内容は、一般財団法人住総研(助成番号:2110)およびJSPS科研費特別研究員奨励費(課題番号 22J15021)の助成を受けたものである。また使用された国勢調査の集計・分析結果は統計法(平成19年法律第53号)第33号の2第1項の規定に基づぎ、独立行政法人統計センターから調査票情報の提供を受け、筆者が独自に作成・加工したものである。

報告番号111

ホスト社会沖縄と日系人――ラテン文化資本の架橋性~沖縄における南米系日系人と繋がるホスト社会のネットワーク~
沖縄国際大学 崎濱 佳代

1.目的  本研究の目的は、南米系日系人を受け入れるホスト社会としての沖縄社会が南米系日系人の持つ架橋性をどのように位置づけ、どのように受け入れているのかを、文化資本に基づくネットワーキング(ホスト社会、出身国社会、他県の南米系日系人社会との繋がり)の視点から精査・分析し、架橋的な社会関係資本が結束的な社会を変えていくプロセスを明らかにすることを目的とする。 2.方法  ホスト社会の側からのまなざし・コミットメントを、実際にラテン文化に親しんでいる個人へのインタビュー調査を通して、ミクロの面から分析・考察する。本報告では、2019年度に行った、実際にラテン文化(サルサダンス)に親しんでいる個人へのインタビュー調査の成果を再分析し、さらに第7回世界のウチナーンチュ大会(2022年10月30日~11月3日開催)に関するドキュメント分析などの成果も併せて報告する。 ①調査の内容  サルサダンスの学習者に、異文化の学習を通じて得られるネットワークと、意識や行動の変化についての質的調査を行ったものである。  また、ドキュメント分析については、新聞記事の収集の他、世界のウチナーンチュ大会公式サイトならびに関連イベントの内容を分析する。 ②調査の範囲/対象  調査対象者は、南米系日系人の講師が主宰するサルサダンス教室の生徒を中心とした15人である。調査対象の新聞は、琉球新報、沖縄タイムスの2紙である。調査対象の自治体は、沖縄県、那覇市、沖縄市である。 ③主な調査項目  インタビュー:1)回答者本人についての項目、2)ダンスのネットワークについて、3)ラテン文化、南米系日系人、外国人への意識・行動の変化について、4)自分自身の変化について  ドキュメント分析:「世界のウチナーンチュ大会」に関する施策、沖縄県系人子弟に関する施策、国際交流に関する施策 ④データ収集の方法  半構造化インタビューとドキュメント収集を行った。 3.結果  調査の成果として、異文化学習者は年収や家族構成にかかわらず仕事や家庭以外の空間を多く求めていることが明らかになった。  また、ダンス教室の生徒やバンドのメンバーとして対等で互恵的な関係を結んでいることが明らかになった。ダンス・音楽の「出会い」から協働的活動を経て、高次的な活動へと繋げる信頼関係を築いていると言える。  新聞記事のドキュメント分析においては、全国紙と比較して、交流に関する記事や海外のウチナーンチュコミュニティに関する記事は多く見られるが、南米系日系人が抱える社会問題についての目配りは薄い事が明らかになった。 4.結論  2019年度の調査成果からは、ミクロレベルの沖縄社会において、南米系日系人と彼らのもたらすラテン文化がどのように受け止められているかが明らかになった。  対象者は、レッスンやイベント出演で得られる交流や資質を高く評価しており、サルサダンス以外のラテン文化へも関心が広がる様子が見て取れた。サルサダンスという文化資本がホスト社会と南米系日系人を含む外国人住民との間を架橋する機能を果たしているといえる。 本調査研究は、科研費プロジェクト(18K01998 基盤(C)「ホスト社会沖縄と日系人―ラテン文化資本の架橋性―」)の調査の一環として行われた。

報告番号112

過激主義の社会学的再考
早稲田大学 樽本 英樹

1. 過激主義という問題 どの時代のどの社会でも、過激主義によって社会統合は損なわれうる。特にテロリズムなどの暴力行為は、社会統合への物理的損失のみならず、象徴的損失をも引き起こす。2000年以前においては、1970年前後に学生運動から派生した赤い旅団、Weather Underground、日本赤軍、1980年代後半からパレスチナで生じた第1次インティファーダ、1990年代に日本で現れたオウム真理教などがよく知られているであろう。そして、2001年の合衆国同時多発テロ事件以降に顕著になったのが、イスラム過激主義である。 2. イスラム過激主義という現象 過激主義を「社会の主流から乖離したイデオロギーに基づき、主流から乖離した行為を行うこと」、イスラム過激主義を「イスラム的イデオロギーに基づいた過激主義」と定義しておこう。イスラム過激主義は幅広い内容を持つものの、カリフ制とイスラム法 (Sharia) を社会に確立するというイデオロギーを共有している。そして2015年、西ヨーロッパがイスラム過激主義の舞台になると明確に認識された。前年6月にカリフ制の「イスラム国家」の樹立が宣言された後、 1月にフランス・パリでシャルリ・エブド襲撃事件が起こり、2月にデンマークで表現の集会とユダヤ教の礼拝が襲撃され、11月にパリ同時多発テロ事件が起きた。このような経緯の中で、なぜイスラム過激主義による暴力行為が生じるのかという疑問が一般的にも学術的にも湧き起こってきたのである。 3. 目的合理的パラダイム イスラム過激主義を説明する図式として、まず思いつくのは目的合理的な因果関係であろう。Max Weberは暴力を近代社会への変動のなかで捉えた。近代国家が組織化していく過程で、軍隊が発達し、暴力に関する規律が発展する。その結果、近代社会のおいて暴力は目的のための手段と捉えられるようになる。暴力の目的合理的な視角を踏まえて、Charles Tillyはテロリズムを「資源を引き出し権力を増大させる政治的戦略」と捉えた。このような見解を、「目的合理的パラダイム」と呼んでおこう。 4. 狂信的パラダイム ところが、イスラム過激主義は目的合理的な図式では捉えきれない部分を持っている。カリフ制やイスラム法に基づく国家・社会のヨーロッパにおける創設は「合理的目的」には見えない。また自爆テロを、合理的な目的のための手段と見なすことも難しい。自死することで生まれ変わるとか、名誉を獲得するとか、コミュニティを刷新するなどの個人的ロジックは、E’mile Durkheimの見解を思い出させる。いわゆる未接触民族の儀式で観察されたような、より衝動的かつ感情的で、聖なるものへの接近を可能にし「集合的沸騰」を伴いうる暴力という視角である。これを「狂信的パラダイム」と呼んでおこう。 5. 考察と課題 目的合理的パラダイムか狂信的パラダイムのいずれかに押し込めるだけでは、イスラム過激主義を理解することはできないだろう。行為者が過激主義に至るメカニズムを、それを取り巻く制度の観点を踏まえて追尾し、両者を関係づけることが求められるであろう。 * 本発表は以下の助成を受けて行われた研究の一部である。JSPS科学研究費・基盤研究(C) (研究代表者 樽本英樹 20K02097)、同・基盤研究(B) (研究代表者 樽本英樹 17KT0030)、同・基盤研究(B) (研究代表者 家田修 20H04430)。

報告番号113

移民とナショナリズムをめぐる日本的構図――移民受入れをめぐる3つの論理の変遷
早稲田大学 樋口 直人

1. 問題の所在  日本の移民とナショナリズムについて包括的に検討した試みは、管見の限り存在しない。移民と一口で語れない多様性は、確かに全体の概観を拒む要因となっているが、議論が断片化することにより、以下の点を明らかにできなくなっている。(a)各移民集団とナショナリズムの関係にみられる特徴。(b)(a)を貫いた「移民とナショナリズム」をめぐる日本の特質。この報告の目的は、上記の2点を強く意識する形で関連文献をレビューすることで、移民とナショナリズムの関連を俯瞰的に論じることにある。 2. 分析の視点  レビューに際しては、日本の事例を取り上げた文献の他に、主にヨプケ(Joppke 2005, 2021)の2つの議論により枠組みを構築する。第1は、出自にもとづき特定の集団を優遇する正統性に関する議論で、移民国、ポストコロニアル、ディアスポラという3つの正統化の論理を提示した。第2は、市民権の制限や新自由主義にもとづく権利付与を論じたものである。彼の枠組みをもとに、ナショナリズムと以下の論理がいかにして、特定の集団に対する処遇に結び付いたかを考察する。(1)ポストコロニアル=在日コリアン、(2)ディアスポラ=日系人、(3)ネオリベラル=外国人労働者と高度人材。 3. 4つの移民フローとナショナリズム  各類型をめぐる議論は以下のように要約される。 (1)ポストコロニアルの論理は、解決を先延ばしにされつつも日本では外交関係上の課題として無視できない位置を占めてきた。が、その解決が不十分であることが国際関係におけるポストコロニアリズムとナショナリズムの連動を引き起こし、その国内版=在日コリアンに対する排外主義という問題を自ら招きよせることとなった。 (2)ディアスポラの論理は、絶対的にみるとイスラエルはもちろんドイツよりも弱かったが、相対的には日本で突出した受入れの論理を形成した。しかし、日本が出移民国だった過去が遠ざかるにつれてこの論理は弱体化し、(3)へと吸収されつつある。 (3)日本の制限的な移民政策は、基本的にはナショナリズムの強さで説明できるが、それに部分的に対抗する移民受入れの論理としてネオリベラリズムが台頭するようになった。これは、日系人受入れをめぐる能力主義の導入、高度人材以外の労働者受入れをも正統化する論理となっている。 4.結論 日本におけるそれぞれの論理の特徴をみると、ポストコロニアルは「細く長く」続く一方で、ディアスポラは三世までにおおむね留まる。それに代えてネオリベラルの論理が台頭し、それがナショナリズムをある面で抑制する結果ともなっている。 文献 Joppke, C., 2005, Selecting by Origin: Ethnic Migration in the Liberal State, Cambridge, MA: Harvard University Press. _____, 2021, Neoliberal Nationalism: Immigration and the Rise of the Polulist Right, Cambridge: Cambridge University Press. Mavell, L., 2022, Neoliberal Citizenship: Sacred Markets, Sacrificial Lives, Oxford: Oxford University Press.

報告番号114

Convivial space as a decolonial tool :Inspired by a case study of the Indigenous-led land defense movement
人間文化研究機構 鈴木 赳生

【1. Aim】, 【2. Data&Methods】, 【3. Results】 In the past decade attention to the concept of “conviviality” is on the rise again, this time within the circle of multicultural or intercultural studies. The Journal of Intercultural Studies had a special issue on this concept in 2016, for instance. Having become widely known through Ivan Illich’s Tools for Conviviality ([1973] 1980), the word came into the circle after it was picked up again by Paul Gilroy in his After Empire: Melancholia or Convivial Culture? (2004). Linked to the line of studies which have focused on everyday multicultural encounters in city life rather than on multiculturalism as political ideology (Wise and Velayutham eds. 2009), contemporary rise of interest in conviviality has its own problematique. Inspired by my case study (participant observation and media analysis) of the Indigenous-led land defense movement in the West Coast of Canada, this paper critically intervenes in this vein of arguments. The intervention is twofold. First, my emphasis is on convivial “tools” rather than conviviality per se; that is, what makes it possible for different (sometimes oppositional) beings come together, not the mere fact of being together. As Les Back and Shamser Sinha (2016) make it clear, this emphasis reminds us that convivial world is not something given but a fruit of collective labor supported by tools which facilitate it. In my case, this tool is movement’s camp site as convivial space. Second, I do not limit it only to human interaction. When it is argued in multicultural or intercultural studies, conviviality is largely limited to interaction between human agents. In my case, however, emergent conviviality in the movement’s autonomous space is not only between humans (Indigenous and non-Indigenous people), but also between humans and other-than-humans (animals and plants, water) through acting on / acted by the land. 【4. Conclusion】 In contemporary capitalocene (Moore ed. 2016) or the high age of colonial extractivist capitalism which depends on new “frontier” land where Indigenous peoples have lived, there is rising tension not only between Indigenous and non-Indigenous peoples but also between people who benefit from extractivism and people who do not. This emergent tension cannot be adequately evaluated by traditional way of multicultural thinking which limits its scope to human interaction. By highlighting the convivial space of contemporary land defense movement, this paper argues that it has decolonial potentiality and urges us to take this potentiality seriously. [References] Back, Les and Shamser Sinha, 2016, “Multicultural Conviviality in the Midst of Racism’s Ruins,” Journal of Intercultural Studies, 37(5): 517-532. Gilroy, Paul, 2004, After Empire: Melancholia or Convivial Culture?, London: Routledge. Illich, Ivan, [1973] 1980, Tools for Conviviality, New York: Harper and Row. Moore, Jason W. ed., 2016, Anthropocene or Capitalocene?: Nature, History, and the Crisis of Capitalism, Oakland: PM Press. Wise, Amanda and Selvaraj Velayutham eds., 2009, Everyday Multiculturalism, London: Palgrave Macmillan.

報告番号115

初期テロリズム研究におけるCold War Rationalityの問題
大阪大学 河村 賢

本研究の目的は、1972年のミュンヘンオリンピック事件を機に開始されたランド研究所のテロリズム研究において、テロリストの合理性を理解しようと試みと、そうした存在を武力によって制圧しようとする試みがどのように結びついていたのかを解明することである。RAND研究所のテロリズム研究は、ニクソン政権が設置した対テロリズム諮問委員会(Cabinet Committee to Combat Terrorism: CCCT)からの研究委託を引き受けるかたちで始まった。こうした初期テロリズム研究の試みは、9.11テロ後に本格的に展開された対テロ戦争政策とはまったく異質のものであると理解されることが多い。植民地独立闘争を範例としながら、政治的目的を達成するために暴力を用いるという合理的計算の存在に照準するRAND研究所の姿勢と、テロリストを道徳的な悪として位置付けた上で武力によってそれを殲滅することを目指すという政策の間には、確かに大きな断絶があるように見える。しかしながら、相手を理解しなくてはならないと考えることと、その相手と戦い殲滅しなければならないと考えることは、必ずしも矛盾するわけではない。本研究では特に初期テロリズム研究をリードしたBrian Jenkinsの議論に着目することで、テロリストを理解することと殲滅することの間にあった距離を捉え直す。  ここで導きの糸となるのは、Lorraine DastonやPaul Ericsonらが取り組んできたCold War Rationalityについての共同研究である。RAND研究所は、もともと冷戦期においてアメリカが直面している敵をかなり特殊な形で理解しようと試みていたことで知られている。Dastonらは、Cold War Rationalityという概念を提示した著書のなかで、1960年前後のRAND研究所においては、人々の行動に表れる合理性(rationality)という問題関心が、旧来の理性(reason)からは区別されたものとして浮上したことを論じている。サイバネティクス、心理学、経済学、ゲーム理論といった学際的な領域において生じたこの問題関心は、人間の意思決定を形式化され計算可能な手順によって再現し置き換えることを目指していた。敵を「冷血な計算者」として理解することを試みるCold War Rationalityの概念は、テロリズム研究の実践をいかにして組織していたのか。本研究はこうした視座からJenkinsが1970年代に発表した論文と、その委託元であるCCCTの関連資料群を分析することによって、この問いに取り組む。  結果として明らかになった事実は以下の通りである。Jenkinsはテロリストの行動の背後にある合理性計算を理解することの重要性を論じると同時に、そうした合理的計算に基づいて非戦闘員の保護というルールを敢然と無視するテロリストに対しては、こちらも法執行の枠組みにとらわれることなく武力を用いて対処することが必要だという議論を提示していたことが明らかになった。このように敵の合理性を想定することと、その敵が既存の法やルールを無視して戦争を仕掛けてくるということが、1970年代におけるJenkinsの議論において結びついていたのだとするならば、彼の議論は法の外部において遂行されるものとしての対テロ戦争のむしろ直接的な起源の一つとして改めて位置付け直されなくてはならないということが示された。

報告番号116

敵対関係の歴史社会学に向けて――イデオロギー的分極化とC. Mouffeの民主主義理論
東京大学大学院 安東 慶太

【1.目的】 この報告の目的は、近年グローバル規模で問題化している分極化、つまり左右イデオロギーの対立について、新たな分析枠組みを構築することにある。従来のイデオロギー研究は、主に有権者の投票行動を分析することで、彼らの政策選好が多元的な軸に基づいていることを指摘してきた。それにもかかわらず、近年の分極化は当事者にとって左右の一元的な対立として把握されている。これは単なる客観的な政治の変化ではなく、人々の主観的な認識の次元での分析枠組みの構築が必要なことを示唆している。 これに対して明戸隆浩は、社会学の領域からアイデンティティとしてのイデオロギーという重要な観点を提示している。ただし彼の議論はこの観点をどのようなプロジェクトとして進めていくべきかという点まで踏み込んでいない。本報告ではこの明戸の議論を敷衍し、分極化の解消に寄与できる可能性を持つ具体的な分析枠組みへと結実させることを目指す。 【2.方法】 C. Mouffeの敵対 antagonism 概念を用いて、分極化をとらえ直す。敵対とは、他者の現前によって自己の十全なアイデンティティが損なわれるような関係性であり、政治的なものの本質である。しかし彼女によれば、現代のリベラル派やポスト政治的立場はこうした敵対関係の本質性を認めず、近年勃興している右派ポピュリズムをいかなる共通の土台も共有しない道徳的な「敵」だと考えることで、民主主義の危機を招いている。民主主義の重要な課題は、もし対立に合理的な解決を見いだせなくとも彼らの正当性を承認し、「対抗者」として取り扱うことなのである。本報告ではこうした彼女の議論を土台としつつ、彼女による左派・右派それぞれに対する批判や敵・対抗者という概念の限界を指摘した上で、この限界をN. BobbioやA. Norvalらの政治哲学的な議論を用いて乗り越える。 【3.結果】 第一に、現代の分極化が、左派・右派それぞれが設定している敵対関係に起因することを示す。Mouffeと同様に左右対立を敵対関係と接続したBobbioは、この関係の設定は自身の主張の正当化と表裏一体であることを指摘している。したがって現代の分極化における「敵」関係を検討するためには、左右それぞれによる自身の正当化のための言説を分析する必要がある。 第二に、分極化の解消に向けて、展望のきいた描写 perspicuous representation の獲得が必要であることを示す。これはもともと後期ヴィトゲンシュタインが用いた概念であり、彼は哲学の役割について、この獲得を通して私たちが保持している世界観を見通すことができるようにすることだと述べる。この概念を「敵」から「対抗者」への移行へと適用したNorvalの議論を踏まえて、左右それぞれが持つ世界観に対して展望のきいた描写を与えることが、分極化の解消に寄与する可能性を論じる。 【4.結論】 具体的な分析枠組みとして、左右の敵対関係の歴史社会学を提唱する。ヴィトゲンシュタインは展望のきいた描写の獲得を哲学の役割として論じているが、この議論は「常識をうまく手放す」ものとしての社会学にも親和性がある。中でも歴史の異文化性を通して現在を見る方法としての歴史社会学が、現代社会における左右の「敵」関係を相対化し、左右それぞれが持つ世界観に対して展望のきいた描写を与えてくれることを論じる。

報告番号117

自衛隊発行文書からみる社会への視線――自衛隊創設期のアイデンティティ形成及びベトナム反戦運動に着目して
京都大学大学院 津田 壮章

【1.目的】  本報告は、自衛隊創設期及び、ベトナム反戦運動や70年安保闘争、学生運動等が盛り上がりを見せる1960年代後半に自衛隊が内部でおこなってきた教育を手掛かりとして、「国民の自衛隊」になるための努力の先に「普通の軍隊」をも目指す自衛隊の社会に対する視線を探るものである。それは、自衛隊創設期における自衛隊とは何か、自衛官とは何者かという自己アイデンティティの形成や、治安出動で国民に銃を向ける可能性があった60年安保の緊張感を引き継ぐ時代の、運動と対峙する現場における不満や葛藤を垣間見ることにもつながるものである。 【2.方法】  自衛隊発行文書である資料A(奈良地方連絡部、1955、『精神教育実施計画』)及び資料B(海上幕僚監部調査部、1967、『隊員への接近の手口』)の内容分析を中心とする。 【3.結果】  資料Aは、自衛隊創設期の1955年に、市民に対して募集や広報等をおこなう部署内の教育内容を記すものである。旧軍との差異を示すことや新しい組織アイデンティティの形成を図るために精神教育を重視していた点に加え、良兵良民主義の考え方が引き継がれていることがわかる。  資料Bは、ベトナム反戦運動や70年安保闘争、学生運動等が盛り上がりを見せる1960年代後半に、海上自衛隊員に対しておこなわれた運動への参加呼びかけや情報収集目的での市民からの接触を事例として、その傾向と対策を示した文書である。暴力を伴う過激な運動よりも、自衛隊施設立地自治体に住む人々による情報収集や反戦自衛官への勧誘に危機感を抱いていたことが読み取れる。 【4.結論】  自衛隊発足直後の地方連絡部では、旧軍との差異化を図りながらも、組織アイデンティティの形成に苦慮していたことが資料Aからうかがえる。教育内容には良兵良民主義の考え方がみられるが、志願制となったことで影響力は限定的であったと考えられる。  1960年代後半の自衛隊に批判的な運動団体についての対応では、その団体がその地域の生活基盤と密接に関わっているかが対応の差を分けていた。資料Bで記される危機感には、運動が生活基盤に密接に関与し、継続的に情報を得る手法が使われたことが影響しているのではないだろうか。地域社会に根を張らない「過激な学生運動」ではなく、自衛隊施設のある地域に基盤を持つ住民による運動であったからこそ、危機感を抱くに足る運動となり得たと考えられる。  資料A及び資料Bは自衛隊創設期とベトナム戦争期という時点に自衛隊内の一つの組織で書かれた内容であるため、それだけでは自衛隊全体を全期間にわたって検討することはできない。陸・海・空の違いや部署、地域、書かれた時代等の条件によって内容が異なる可能性があるため、地域社会とのせめぎ合いを示す自衛隊発行文書の更なる調査・発掘を課題としたい。

報告番号118

米軍基地から自衛隊駐屯地へ――東京都・立川における<軍隊と地域社会>の関係をめぐる歴史社会学的考察
神戸学院大学 松田 ヒロ子

近年、軍隊と日本社会の関係性を歴史的に捉えることの重要性が各所で指摘され、日本史研究においては、旧軍と地域社会の関係性を問う研究が次々に発表されている。一方、社会学の領域ではこれまで米軍基地と周辺地域社会の関係に着目した研究が蓄積されてきた。そして近年になって、自衛隊と周辺地域社会の関係に着目する研究も散見されるようになった。だが米軍基地と自衛隊の駐屯地や演習場は日本社会において同じ位相で捉え得るのだろうか。つまり、「軍隊と地域社会の関係を問う」といったとき、在日米軍と自衛隊を一括りに<軍隊>として捉えてよいのだろうか。本報告は、この問いについて検討するために、東京都西部にある立川基地と周辺地域社会を事例として取り上げる。  東京・立川には陸軍航空部隊の拠点として1922年に飛行場が建設され、街は「軍都」として栄えるようになった。終戦後に立川飛行場を接収した在日米軍は、1955年に立川飛行場の拡張を要求した。それに対して周辺地域住民らは砂川基地拡張反対同盟を結成し、いわゆる砂川闘争が始まった。この砂川闘争は、戦後日本における軍隊と社会の関係史のメルクマールとされて注目を集め、多くの論稿が発表されてきた。しかしながら、先行研究は砂川闘争が最盛期を迎えた1950年代半ば〜後半を中心に考察したものが多く、1977年に米軍基地が日本に全面返還されたことで、立川における<軍隊と地域社会>の関係史は決着したかのように記述するものがほとんどである。  だが、立川における軍隊と地域社会の関係史を、米軍基地の日本への返還をもって終了と見做すのは誤りである。なぜなら米軍が基地返還する前から陸上自衛隊が立川基地に派遣隊を派遣し、米軍基地の跡地の一部は、今日に至るまで自衛隊駐屯地として利用されているからである。 本報告では、行政資料や平和運動組織側が残した記録、そして地域住民や平和運動参加当事者に対するインタビュー調査などをもとに、立川の軍事施設と周辺地域社会の関係の変容を明らかにする。「基地の街」とされてきた1950年代から60年代の地域社会は軍隊(在日米軍)とどのような関係にあったのか、また米軍基地の日本返還後の跡地利用について、地域社会では何が議論されたのか考察する。そして、結果として跡地を「広域防災基地」と「昭和記念公園」と「自衛隊駐屯地」に3分割して利用することに決定した経緯を説明する。さらに1970年代末に米軍が完全に撤退した後の、立川における<軍隊と地域社会>の関係性の変容について検討する。

報告番号119

団体を通じた自衛隊と旧軍の連続性――戦友会から自衛隊外郭団体への変化
立命館大学大学院 角田 燎

【1.目的】  戦争体験者の減少により、元兵士たちの集まりである戦友会の多くが解散しているが、一部の戦友会は、元自衛官を会に迎え入れ、自衛隊の外郭団体化することによって現在も活動を継続している。元自衛官が戦友会に参加する中で、旧軍関係者の戦争観や活動をどのように受け止め、団体での活動を行っているのかを解明するのが本報告の目的である。 先行研究では自衛隊と旧軍の人的連続性を指摘されてきた。そうした先行研究に対して、本報告では、戦友会が自衛隊の外郭団体となった事例を取り上げ、旧軍と元自衛官の間で戦争観などの理念的側面と団体の活動がどのように引き継がれているのかを検討するものである。防衛や自衛隊、戦争に関する言説を生み出している自衛隊の外郭団体における自衛隊と旧軍の連続性/非連続性を問うことは、現代日本における戦争観、防衛に関する言説を検討する上で重要である。 【2.方法】  本報告では、事例として陸軍士官の親睦互助団体として発展し、現在は元幹部自衛官を会に迎え入れ活動を続ける偕行社を取り上げる。偕行社の会誌である『偕行』及び関連書籍などの文書資料をもとに分析を行った。 【3.結果】  陸軍士官の親睦互助組織であった偕行社は、多様な軍隊経験を有する会員からなる団体をまとめるために、政治的中立が重視され、戦争に対する批判的視点も持っていた。しかし、1990年代以降「自虐史観」への反発を強め、「大東亜戦争」を肯定するようになる。そして、「英霊」の永続的奉賛を行うために団体を政治化し、後継者として元幹部自衛官を会に迎え入れる。会を政治団体化することは、「自虐史観」の打破を願う戦争体験者にも陸上自衛隊の外郭団体の整備を目論む元自衛官にも許容可能なものであった。  こうして戦争体験者から団体を引き継いだ元自衛官は、戦没者の慰霊顕彰事業及び自衛隊への協力を行なっていく。しかし、旧軍の失敗から教訓を得ようとする元自衛官と「大東亜戦争」を肯定しようとする戦争体験者たちは必ずしも戦争観を共有しているわけではなかった。また、元自衛官たちは、存命の戦争体験者よりも軍事組織での経験は長かったが、年長者の戦争体験者に配慮して、両者が理解可能な議論を行う必要があった。そのため、各地の自衛隊の駐屯地紹介などでは、意識的に往年の旧軍の所在部隊の戦歴等を加えていた。しかし、元自衛官からは記事のレベルが低いという声が上がり、戦争体験者からは自衛隊の専門用語がわからないと言われる状態であった。  自衛隊の外郭団体として本格的に活動を行うために公益財団法人になることを目指し、偕行社の親睦互助団体的側面を削ぎ落とす。公益財団法人化は成功し、自衛隊への支援や防衛に関するシンポジウムを行うようになるが、親睦互助組織だからこそ存在した偕行社の人的ネットワークとしての側面が消失し、団体としての魅力が薄くなっていた。また、他の自衛隊外郭団体との合併等も視野にあったが、団体を戦争体験者から引き継いだ以上、そうした選択肢を取ることはできなかった。 【4.結論】  元自衛官は、戦争体験者から団体を引き継ぎ、自衛隊の外郭団体を整備することに成功したが、その運営や言説に制限がかけられ、団体としての魅力が薄まり会員数の減少が止まらず衰退している状況になっている。

報告番号120

戦争死者慰霊における「先輩-後輩」関係――広島市内の原爆関連慰霊行事の通時的分析
関西学院大学大学院 渡壁 晃

【1.目的】  本報告の目的は、原爆死者慰霊の担い手として第一に考えられる遺族・生存者の数が減少するなかで、被爆地広島における慰霊行事は誰によってどのように受け継がれてきたのか(あるいは受け継がれてこなかったのか)を明らかにすることである。 【2.方法】  本報告では、まず1955年から2015年までの10年ごとの原爆忌前後に行われてきた広島市における原爆関連慰霊行事の数の変化を分析する。データは広島の地方紙『中国新聞』に掲載された原爆関連行事を網羅的に記述した先行研究から慰霊行事を抽出した。その際、慰霊行事を実施主体別に職域集団、学校、宗教、被爆者団体、原水禁運動、その他、不明の7カテゴリに分類した。そして、すべての年代で一定の割合を占めていた職域集団・学校の慰霊行事について、『中国新聞』の記事にあたり、どのような人が参加したのかを把握し、参加者の通時的変化を分析した。 【3.結果】  まず、広島市における原爆関連慰霊行事の数の通時的変化について述べる。  行事数は1955年の10から2015年の38まで一貫して増加傾向にあった。このような慰霊行事数の増加を支えていたのは職域集団と学校の慰霊行事数の増加であった。職域集団の慰霊行事数は1955年に3であったのが、2015年には12にまで増えている。学校の慰霊行事数は1955年に1であったのが、2015年には8にまで増えている。このことから、職域集団と学校の慰霊行事においては世代交代が進んできたと考えられる。以下では、これらの慰霊行事の参加者の変化を分析する。  職域集団と学校の慰霊行事をみると、1955年、1965年には遺族・生存者が中心的な参加者であったのに対して、1975年、1985年には死者の「後輩」にあたる現役職員や現役生徒が参加するようになる。そして、1995年、2005年、2015年には死者の「後輩」が慰霊行事の中心的な参加者となっていった。職域集団と学校の慰霊行事においては、死者の孫やひ孫といった死者と血縁関係にあるものではなく、死者と同じ集団に属しているという関係にある「後輩」が世代交代の担い手となったのである。ここで重要なのは、各企業、各学校にはそれぞれのもつ歴史など固有性があるにもかかわらず、「先輩-後輩」という論理で慰霊行事に参加することが自明のものとして受け入れられるという現象が共通してみられたことである。 【4.結論】  本報告の意義は2点ある。まず、慰霊の担い手として第一に考えられる遺族・生存者が減少しているにもかかわらず、慰霊行事数が増加していることを、量的手法を用いて客観的に明らかにしたことがあげられる。つぎに、原爆慰霊行事における中間集団の重要性を示したことがあげられる。先行研究においては時間の経過とともに死者の属していた集団は解体され、それらの集合的記憶も消え去ることになるため、原爆死者追悼も、より抽象的な社会の集合的記憶や国家の論理に吸収されていく可能性が高いとされていた。しかし、職域集団と学校の慰霊行事における「後輩」の参加からみえてきたのは、死者を死者一般として想起するのではなく、同じ集団に属する「先輩-後輩」という関係で想起するという論理であった。ここに、より抽象的な社会の集合的記憶や国家の論理に回収されない、原爆の社会的な記憶を想起する可能性が見出せるのではないか。

報告番号121

満洲移民の記憶化をめぐる諸問題――黒川開拓団を事例として
社会理論・動態研究所 猪股 祐介

黒川開拓団は岐阜県美濃加茂郡黒川村(現. 白川町)より1941年から43年に129戸、661名が送出された満洲移民である。  「接待」とは、黒川開拓団が1945年8月15日の敗戦後、中国人の「襲撃」や進駐したソ連兵による略奪・強姦、そして食糧不足が重なり、集団自決の瀬戸際に立たされるなか、団幹部により未婚女性10数名をソ連兵の性的相手を強制する見返りに、ソ連軍による治安維持と食糧提供を受けたことを指す。  「接待」の集合的記憶は引揚後、被害女性に対してスティグマを刻印してきた。被害女性は結婚等で差別され、遺族会員から嘲笑を浴びせされ、沈黙を強いられてきた。そのなかにあって1981年刊行の『ああ陶頼昭』(陶頼昭は旧入植地)と同年第1回の訪中団とその記念誌によって、「接待」は遺族会のなかでその犠牲に報いなければならないという認識が共有され、現地で亡くなった4名を祀る乙女の碑が1981年に建立された。しかし乙女の碑は被害女性の許可を得ておらず、彼女らの中には否定的な意見もあった。そして除幕式の前日に何者かによって倒される事態も起こった。  「接待」について、遺族会の外に最初に伝えたのは、槇かほる「満州開拓団:処女たちの凄春」(1983)であった。拙稿「『満洲移民女性』に対する戦時性暴力:単身女性団員の強姦体験から」(2013)が出征兵士の妻を守るために、単身女性が差し出されたことには、ホモソーシャリティが作動していることを明らかにした。  「接待」の記憶が遺族会の外に拡がっていく上で画期をなしたのは、2013年の満蒙開拓平和記念館の講演会での被害女性の証言であった。平井美帆は2016年に「忘れたい凌辱の日々:忘れさせない乙女の哀咽」を発表した。2017年にETV特集『告白:満州開拓団の女たち』が放送された他、さまざまな新聞で度々取り上げられ、「接待」は広く知られることとなった。2022年には平井美帆『ソ連兵に差し出された女たち』が出版された。こうしたマスメディアの報道や拙稿を受けて、遺族会も「接待」の被害女性に報いるために、2018年に乙女の碑碑文を建立した。  上記の「接待」の記憶化については次の3つの問題がある。第一に中国人に対する加害の記憶の忘却である。第二に戦中世代の記憶化と戦後世代の記憶化の断絶である。第三にマスメディアの記憶化が、遺族会の記憶化に順機能と逆機能をもたらす。順機能としては、マスメディアによりそれまで「接待」を知らなかった戦後世代の遺族会会員に伝えるものである。逆機能はマスメディアの同型的な報道が遺族会の記憶の平板化をもたらすこと、そして倫理に欠いた報道・刊行が遺族会の記憶化を機能不全に陥らせることである。後者は平井美帆(2022)の実名発表に顕著である。  これらの問題の検討・考察から導かれる結論としては、次の3つがある。第一に満洲移民の加害を記憶化するために、「接待」に至った「中国人の襲撃」が意味したことを含めて、「接待」を描くことの重要性である。第二に遺族会の中核を担う戦後世代のみが乙女の碑碑文等の記憶化を進めるの戦中世代の記憶化の意義と限界を戦後世代が十分に認識し、その上に自らの記憶化を進めることの重要性である。第三にマスメディアによる編集された記憶に対し、遺族会独自の記憶を保つために、戦中世代と戦後世代が協調して、聞き書き等をもとに記念誌や名簿をを作成する等の運動を持続する重要性である。

報告番号122

「帝都復興」における「復旧」と「復興」の論理
東京大学大学院 中川 雄大

【1.目的】 現在、「復興」概念は、災害前よりもよい状況をもたらすという意味を含んでいる。しかし、もともと「復興」とは、「文芸復興」のように元の状態に戻るという意味であり、必ずしも以前より良くなることを意味しない(吉見 2021)。 ところが関東大震災が生じると、後藤新平は「災害前より良くする」という「復興」概念のもと、大規模な都市計画を進めようとしたのである。しかし、この「復興」という概念は、多くの人にとってなじみがなく、批判の対象ともなるものであった。では、後藤たちはなぜそこまで「復興」概念を重視したのだろうか。 【2.方法】 そのために本発表では主に「復興」をめぐる3つの立場に焦点を当てる。一つが、帝都復興計画を主導した後藤新平である。先行研究では「逸脱的」とさえいえる後藤の「復興」概念の用法がいかにして説得力を有したのかについては十分に議論していない。そもそも後藤はどのようにして、「復興」概念を、本来近しい意味を有していた「復旧」概念と差別化したのだろうか。 これを検討する上で重要となるのが、帝都復興審議会の伊東巳代治らである。後藤は、その計画を帝都復興審議会に諮問する。しかし、この審議会の場で主として伊東らが強硬に「復興」ではなく「復旧」の重要性を唱え、後藤の計画に対して痛烈な批判を及ぼすことになる。では、彼らはなぜ「復旧」を唱えたのだろうか。 もっとも、「復旧」と「復興」を区別し、後者の必要性を主張したのは後藤に限られるわけではない。本発表が着目したいのが、社会政策学者の福田徳三である。先行研究は、福田を後藤と対比させ、「人間の復興」を唱えた福田を高く評価する(山中 2018)。だが、福田と後藤の「復興」観は対立的に捉えられるべきなのだろうか。 本発表では帝都復興審議会の議事録、福田徳三の『復興経済の原理及若干問題』などをもとに、当人たちがどのような前提のもとで「復興」「復旧」概念を参照しているのかについて検討する。 【3.結果】【4.結論】 本報告では、「復興」によって「災害前より良くする」という話法は、単純に「未来」にベクトルを向けたものというより、災害前において改善されるべき問題があったことを指し示していたことを明らかにした。後藤の場合、「帝都復興」は東京を江戸時代の構造をそのまま残した「畸形都市」として捉え、それを「文明都市」に改善することを含意していた。 これに対し、伊東は後藤の「復興」計画が、災害にかこつけて東京市の都市インフラを地方の負担によって進めていることを問題視し、それが人びとの生活再建以上に優先されていることに懸念を表明した。こうした主張は「民心の安定」という価値観に支えられていたのである。 また、福田と後藤の主張も完全に対立していたわけではない。福田は「復旧」論者を批判し、「復興」の価値を問いていたからである。しかし、そのあり方は後藤の構想と異なっていた。福田が構想していた社会政策は、個々人の潜在能力を社会に資するものとなるように行政が介入することを想定していた。都市計画は個々人の能力を支援する手段であっても、それを歪めてまで進められるべきものではなかったのである。 山中茂樹,2018,「理念の変遷からたどる災害復興の系譜学」『災害復興研究』(10): 1-37. 吉見俊哉,2021,『東京復興ならず』中央公論新社.

報告番号123

南方薬用植物をめぐる軍官産学の連携 ――日本学術振興会による調査を事例として
創価大学 小林 和夫

1.目的 本発表の目的は,日本学術振興会第50小委員会(以下,委員会)が1942年4月から8月にかけて実施した南方薬用植物調査(以下,本調査)を事例に,南方占領地の資源獲得をめぐる軍官産学の連携のありようを考察することである.  アジア・太平洋戦争を「資源獲得のための戦争」ととらえ,占領地での経済的収奪や経済変容を論じる研究はきわめて多い.しかし,これらの研究が対象としてきた資源は,石油・石炭などのエネルギー原料をはじめとして,米・砂糖などの農産物,ゴム・ゴム原料などの工業製品といった主要資源・産物であった.これに対して,本発表では,南方占領地で最重要物資の1つとされながら,先行研究ではほとんど言及されてこなかった薬用植物に焦点をあてて,「輸入医薬品補充対策研究」として実施された本調査から,軍官産学の連携のありようを考察する. 2.方法  本発表では,本調査の報告書である「南方薬用植物調査報告」の内容,委員会参加者35名(委員22名・南方調査班3名・文献調査分科会10名)の学歴・学位・高等教育卒業(修了)後の就職先・所属先の移動パターン,東京帝国大学南方科学研究会との交流などを分析し,委員会における軍官産学セクターの連携がいかなるものであったのかを考察する. 3.結果  本調査は,第一次世界大戦以降にみられた日本国内の輸入医薬品の杜絶から「時局下緊急を要する事」が迫られ,厚生省の委託を受けて,陸軍省,ジャワ・スマトラ・マライの軍政当局の後援を得て実施されたものであった.  委員会の委員長は,戦前に東京帝国大学薬学科教授として薬品製造学講座を担当し,戦時中には厚生省日本薬局方調査会長,日本医薬品統制株式会社社長を歴任した慶松勝左衛門が就任した.委員には朝比奈泰彦,近藤平三郎,刈米達夫,緒方章ら戦前・戦中・戦後における日本の生薬学・薬用植物学界,薬剤師界を代表する人物が名を連ねていた.また,産業界からも大日本製薬株式会社,第一製薬株式会社,株式会社田辺五兵衛商店,株式会社武田長兵衛商店,株式会社塩野義商店などの大手製薬会社から技師長が,官界からは,厚生省の薬務課厚生技師,衛生試験所試験所長,技師などが委員として参加していた.  本調査の実査は,海南島での薬用植物調査経験のある津村研究所所長の木村雄四郎を中心に,厚生省衛生試験所技師の黒野吾市,日本生薬統制株式会社取締役の武部勝治が担当した.委員会は官産学のセクターから人員が選ばれ,陸軍が実査を手厚く支援した.委員は22名中20名,調査班は3名中1名,文献調査分科会は10名中4名,全体では35名中24名が薬学,1名が理学の学位を取得していた. 4.結論  委員会の人員構成,委員の学歴・学位・高等教育卒業(修了)後の就職先・所属先の移動パターン,東京帝国大学南方科学研究会との交流などの分析から,① 薬学の専門性を修得した者たちが(軍)官産学の各セクターに配置されていたこと.② 軍官産学の連携は,各セクターの固有性・独自性だけでなく,セクター間のネットワークを可能にした各セクター所属者の学歴・職歴・社会的履歴の参照が必要であること.③ 軍官産学の連携が構築した「科学の体制化」(廣重 1973)によって,南方の薬用植物が学知として前景化し,「もう1つの資源」として認識されていったこと―の3点が明らかになった。

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