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第95回日本社会学会大会11/13(日) 9:30~12:30 報告要旨

報告番号232

家畜化と自己家畜化のあいだ――イエネコと他の家畜およびヒトとの比較
奈良大学 尾上 正人

【1.目的】  家畜化のアナロジーで、我々ヒトを自己家畜化(self-domestication)した動物として捉える研究が近年盛んになってきている。その際、同じく自己家畜化した動物として取り上げられるのが、我々に近い類人猿のボノボであったり、またイエネコであったりする。本報告では、イエネコを自己家畜化した動物と見た場合の他の(自己家畜化しなかった)家畜との違いを明らかにし、さらに、同じく自己家畜化した動物であるヒトとその社交性、またヒトが作った社会を研究する社会学に対する示唆をも展望することを目的とする。 【2.方法】  家畜一般が飼い主であるヒトの意図によって選別・育種されてきたのに対して、自己家畜化とは、そのような飼い主を持たないことにより、あるいは飼い主の意図や行動を離れて(場合によってはそれに反して)、自らの行動により家畜一般とよく似た、体や行動・性格の特性(形質)を身に着けていった過程を指す。それら家畜一般に固有の特性のことを家畜化症候群(domestication syndrome)と総称する。具体的には、脳が小さくなること、耳が垂れること、尾がカールすること、被毛にブチ模様ができること、攻撃性が減って性格がおとなしくなること、周年繁殖になること、オス・メスの体格差(性的二型)が縮小すること、成体の顔の骨格が子どもらしく、いわゆる「かわいく」なること(ぺドモルフォーシス、またはネオテニー)などが挙げられる。  これらの家畜化症候群が、自己家畜化動物とされるイエネコにおいてどの程度見られるかを確認すると同時に、そうした家畜化の過程がネコにおいて、意外にヒトの意図が介在しない形で進行したこと――つまり通常の家畜化ではなく自己家畜化であったこと――をも検証する。 【3.結果】  イヌが典型的・徹底的に家畜化されていった動物であるのに対して、イエネコの家畜化は極めて不徹底なものであった。飼った経験者なら誰でも知っているように、イエネコは飼い主の言うことは聞かず、自由気ままな暮らしをしている一方で、今でも必要ならヒトに頼らなくても自分で狩りをして胃袋を満たし、交尾の相手も自分で見つけることができる。こうした他の家畜との違いは外見にも表れていて、イエネコの品種は多様性に乏しく、骨格も他の野生のネコ科動物とあまり変わっていない。  しかしイエネコは、祖先種(リビアヤマネコ)と同じ野生状態のままでヒトとともに数千年を過ごしてきたのでもない。野生のネコ科動物に比べればぺドモルフォーシスを遂げた「かわいい」表情やしぐさを、誰に強いられたのでもなく自ら発達させてヒトに取り入り、単なるネズミ捕りではない愛玩動物としての地位を確立した。それは家畜化のただの不徹底・野生の残存ではなく、やはり自己家畜化と言えるであろう。 【4.結論】  ヒト独特の社会形成・維持において不可欠の社交性や協力行動は、従来の理論枠組では更新世の過酷な自然環境や、対外戦争の必要が強いたもの(淘汰圧)として捉える傾向が強かった。だが自己家畜化論の一部ではむしろ、ヒトが自ら独自の(まるで飼われているような)安全で安定的な生息域を確立したことなどによる淘汰の弛緩で説明しようとする。イエネコを自己家畜化した動物として観察・研究することは、こうしたヒトの特性の形成事情や社会観の革新にも資するところがあるだろう。

報告番号233

猫表象の文化社会学へ向けて――猫のイメージとジェンダー
立命館大学 宮本 直美

本報告は猫イメージの文化社会学への試論として、その表象を特にジェンダーの観点から分析する。そのイメージは古今東西で多様な特徴を備えてはいるものの、緩やかな共通性を持つ。それは猫がしばしば女として表象されてきたということである。猫に対するイメージの分析は、人間社会に身近な動物への意識と同時に、そこに投影されたジェンダー観をも浮かび上がらせるという点で社会学的考察となる。  猫の表象の事例は創作の場に見出せることが多い。近年は猫の日本史や猫の世界史といった研究が登場しており、猫表象の歴史研究が進展を見せている。それは断片的に残存する資料に基づくという制約を伴う事例ではあるものの、それらの創作物が当時人気を博していたものだという前提を考慮すれば、ある程度社会に流布していたイメージであると推測することも可能だろう。また、一時期の一地域の詳細な分析ではなく、ある程度俯瞰的に見ることで、猫への社会意識を比較分析することもできる。猫に対する視線に注目して日本の近代以前と以後を考察した真辺将之によれば、江戸時代の文芸作品・落語・歌舞伎等の中では猫は魔物・怪猫・妖力を持つ生き物として描かれると共に、芸者の隠喩としても使用されていたという。また、猫のヨーロッパ史を著したK.M.ロジャーズは猫が女性と見なされてきた例を挙げ、特に娼婦と猫の結びつきを明らかにしている。猫を好んだ作家や芸術家のエピソードにも、ミューズとしての猫=女性というメタファーは多く見られる。洋の東西を問わず、猫が男を誘惑する女と重ねられ、擬人化されて語られ、女に対する愛憎を猫という「人間より劣ったもの」と見なした動物に込めたことは、その社会の女性観を表している。  これらの具体的な表象事例の特徴は、猫そのものの生態に由来するものでありながらも、それを人間(女性)に当てはめることから成立していることが分かる。主人に忠実とされる犬が男性と結びつけられていたことも、その表裏として理解できよう。動物と女性の同一視という操作が無意識的に行われてきた江戸から明治の時代の中で、近代的な猫表象のメルクマールとなったのは夏目漱石の『吾輩は猫である』のヒットであった。この小説は、猫が語るという形態である種の擬人化を伴うものの、ステレオタイプ化された女性の隠喩を採用せず、猫を猫そのものとして描写した画期的な事例だったのである。戦後は現実社会における動物への扱いや意識の変化と共に、猫表象の特徴も変化した。保護すべき対象として、さらにはペット、そして家族の一員と見なすようになっている現在では、猫を娼婦のような存在と見なす場はほとんどない。それは動物を動物として尊重する価値観の定着とも言えるが、翻ってみれば、過去の猫イメージは、劣った存在としての動物に劣った存在としての女(娼婦)を同化させていたと考えることができる。

報告番号234

境界としての猫、三たび――ポストヒューマンの時代に「猫と生きる」とはいかなることか
学習院大学 遠藤 薫

1.目的  情報技術の進展にともない、AIやロボットなど新たな「他者」との関係に注目が高まりつつある。一方、これと呼応するように、従来自然の一部とも見なされてきた「動物」にも、改めて自律的な「他者」性が発見され、われわれの世界観を根底から揺るがしつつある。本報告は、このような時代背景と問題意識から、とくに「猫」の境界性に着目しつつ、ポストヒューマンの時代の社会学を構想するものである。 報告者は、上記問題意識にもとづいて2019年から日本社会学会大会で「猫」報告を行ってきたが、本報告では、とくに「犬」との比較において、現代における社会的構築物としての〈猫〉について見当することとする。 人類にとって最も日常的な共棲動物といえば、犬と猫であろう。とはいえ、両者を比較すれば、より人類の生活に深く関わってきたのは犬であり、猫はつねにどこかストレンジャーの面影を宿しつつ、気がつけばそこにいる存在であったといえるかもしれない。しかし、2000年代を過ぎる頃から猫へのメディア的注目が高まりを見せている。一般社団法人ペットフード協会の調査によれば、2013年以降猫の飼育数が犬のそれを超え、差は拡大傾向にあるという。その理由として、近年における生活環境の変化と、猫・犬の生物学的特性との関係もあるだろうが、それ以上に、〈猫〉の社会的イメージが、現代に適合的に構成可能であることが指摘できるのではないか。  たとえば、イギリスの政治哲学者であるジョン・グレイは、「犬」と「猫」をそれぞれタイトルに付した書籍を刊行している。『わらの犬』と『猫に学ぶ』の二冊である。しかしこれらの副題がそれぞれ「地球に君臨する人間」「いかに良く生きるか」であることからも察せられるように、グレイの犬と猫に対する態度はかなり偏っている。同様に、科学史家であるダナ・ハラウェイは、『伴侶種宣言』『犬と人が出会うとき』などを著しているが、それらではほぼ「犬」にしか言及していない(「猫のゆりかご」はでてくる)。一般の動物愛好家においても、しばしば「猫派」「犬派」ということが言われるが、それは何を意味するのか。  このようなある意味素朴な疑問を契機として、ポストヒューマンの時代における、動物-人間-機械の関係の変動について考察したい。 2.方法 検討の方法論としては、動物に関する議論に関する言説分析、Youtubeなどで多くのアクセス数を集めている動画分析、および、報告者が2020年12月および2022年6月に行ったインターネット調査の分析などを行う。 3.結果  報告者が実施した2020年12月調査、2022年6月調査結果によれば、猫飼育者・愛好者と犬飼育者・愛好者はほぼ同数(若干犬派が多い)であり、また双方を兼ねている人も多いことが確認された。一方、動物飼育が生活に癒しをもたらすと感じているが、同時に、肉食禁止には抵抗が強い。こうした結果の社会的含意については、他の調査結果と合わせて、大会時に報告予定である。 4.結論  少なくとも日本において、「猫」がブーム的様相を見せたときが何度かある。幕末期、明治期、昭和初期、第二次世界大戦直後、1980年代、2010年代などである。本報告では、そうした時代変化を後景に見据えつつ、現在から今後へと向かう人びとの意識の動向を展望する。

報告番号235

猫をめぐる意味と社会問題の構築
東京大学 赤川 学

【目的】 猫と人間の関係が最も深化した現代日本において、猫と人間の関係について人々が語るのは、主として以下の2つの場面である。第一に人間が猫をどのような存在と考えるかの個人的な意味づけ、第二に、猫をめぐる社会問題・課題について語る場面である。 本研究は猫に関心を有する約40人のインフォーマントを対象に、2021年9月に実施した半構造化インタビューに基づいて、猫を個人的に意味づける語りと、猫に関する社会問題の語りの特徴とその相互連関を解明する。土台となる先行研究は、ペット家族論(山田昌弘)、動物倫理学(キムリッカ)、猫哲学(ジョン・グレイ)、猫の歴史学(真辺将之)である。 【方法】 「 猫は、あなたにとってどういう存在ですか。」、 「猫に関する社会課題(問題)について、思いつくものはありますか。その課題(問題)について、どのようにお考えですか。」という2つの質問項目に対して、得られた回答(語り)をトランスクリプトとして書き起し、これらの言葉をいくつかのカテゴリーに分類した上で、カテゴリー相互の関係を考察した。 【結果】 1)猫に対する個人的な意味づけは、「」で示した約14のカテゴリーから得られる、5類型(【】で命名)に分類できる。それらは、①猫を人間と同様の存在として「家族」や友人、先生などと「擬人化」し、「大切な存在」と捉える【猫家族】、②猫を「人間とは違う」種族、あるいは人間以上に「自由」な存在として「憧れ」、「多義的」存在と捉える【猫種族】、③猫を話し相手として「コミュニケーション」をとり、飼う責任や無償の愛から、なにか「してあげたい」と感じる【猫への贈与】、④猫は人間を「癒し」、救い、生きる糧として何か「してくれる」存在と捉える【猫からの贈与】、⑤猫は「特別な存在ではな」く、「空気」であり、ときに「ディスコミュニケーション」も発生する【没交渉】である。①と②、③と④は対立し、⑤は独立する。 2)猫に対する社会問題・課題は、「」で示した10のカテゴリーから得られる4類型(【】で命名)に分類できる。それらは①野良猫や飼い主のない猫が「殺処分」「虐待」「飼育放棄」される【人間からの暴力】、②猫が商業化され「ペットショップ」や「ブリーダー」や「猫カフェ」でひどい目にあう【猫の商品化】、③猫を「飼いたいが飼えない」、一緒に出入りできる「居場所がない」など【人間の希望の不充足】、④鳴き声・騒音・糞尿などの「公害」や、害獣となって「生態系破壊」するなど【猫由来の環境問題】である。①と②は人間からの暴力・虐待という点で親しいが、④は猫自体を問題と捉える点で独立する。 【結論】 1)人間との共通性を強調する【猫家族】観は【猫への贈与】へと近接し、人間との差異性を強調する【猫種族論】は【猫からの贈与】や【没交渉】観と親しい位置にある。前者は社会学のペット家族論、後者は動物の倫理・権利論の流れを汲む。 2)人間が原因となって猫に悪影響を与える【人間からの暴力】【猫の商品化】と、猫が原因となって人間や環境に悪影響を与える【猫由来の環境問題】に分離し、しばしば対立する。猫に関する意味の歴史的変容が関わっている可能性が高い。他方【人間の希望の不充足】は、人間社会にもともと存在する格差や分断がより強化されるという論理となる。

報告番号236

ローザ社会理論における時間の問題
十文字学園女子大学 鳥越 信吾

1 目的  本報告の目的は、ドイツの社会学者ハルトムート・ローザが展開する社会理論の特徴を、時間の観点から明らかにすることにある。ローザは、現代社会を「加速」という時間現象から解明しようとする彼のアプローチに見て取れるとおり、時間というトピックに第一級の重要性を置いている。したがって本報告は、ローザ社会理論をその根幹から理解するための必要不可欠な方途として位置づけられる。また、おそらく新型コロナウイルス感染症による近年の大きな社会変動をも射程に入れうるような仕方で現代社会における時間のあり方を総体的に解明しようとするローザのアプローチを検討することは、同時に、時間社会学的な知見を導出しうる可能性ももっている。以上の問題意識のもと、本報告では、ローザ社会理論を、時間社会学の諸研究を引き合いに出しながら検討していくものである。 2 内容  ローザは彼の主著の一つである『加速する社会』のなかで、近代社会を加速社会として、したがって時間構造が根本的に変容していく時代として描き出す(Rosa 2005=2022)。その後、加速がもたらす病理を疎外論の観点から捉え返した上で(Rosa 2013)、この疎外克服の契機を「共鳴Resonanz」に求めていく(Rosa 2016)。本報告は、このなかでも主に――時間についての言及に多くの紙幅が割かれているという理由から――『加速する社会』をとりあげ、必要に応じてローザの他の著作も参照しながら、彼の時間についての議論の特徴を既存の時間社会学との比較にもとづいて取り出していきたい。すなわち、(後期)近代社会の特徴である時間構造の変容について、実際のところローザは何を参照しながらどのように議論を進めていき、その結果何を解明するに至ったのか。そしてこの議論の、時間の社会学的なファインディングスとは何か。こういった問いに一定の回答を与えることがここでの問題である。 文献 Rosa, Hartmut. 2005, Beschleunigung. Die Veränderung der Zeitstrukturen in der Moderne, Frankfurt am Main: Suhrkamp. =2022, 出口剛司監訳『加速する社会――近代における時間構造の変容』福村出版. ――――, 2013, Beschleunigung und Entfremdung. Entwurf einer kritischen Theorie spätmoderner Zeitlichkeit, Frankfurt am Main: Suhrkamp. ――――, 2016, Resonanz. Eine Soziologie der Weltbeziehung, Frankfurt am Main: Suhkamp.

報告番号237

『加速する社会』vs『共鳴する世界』――「時間の社会学」の観点からみたその意義
神戸大学 梅村 麦生

ハルトムート・ローザの『共鳴する世界』(2016=近刊)は、「加速が問題であるとするならば、共鳴はその対処法である」と始まる。本報告は、そのローザの加速理論(2005=2022『加速する社会』)と共鳴理論の意義を、「時間の社会学」の学説史上の展開に位置づけながら、検討することにある。 「時間の社会学」と呼びうる社会学的研究のなかで、とりわけ重視されてきたのが社会的時間の多元性と近代的時間の偶有性である(参照:鳥越信吾,2019「近代的時間と社会学的認識」)。そしてさらに、先駆けとなったピティリム・A・ソローキンやジョルジュ・ギュルヴィッチらの研究にも明らかなように、社会変動への関心がこの分野を駆動してきたとも言える。そこではとりわけ近代的な時間表象や時間意識の成立が近代化の産物かつ近代化を推進するものとして、さらには問題をももたらすものとして、捉えられてきた。  したがって「時間の社会学」の諸研究では、そうした近代の時間意識や時間表象、あるいは近代社会の時間的側面によってもたらされる問題を乗り越えるため、時間についての別様の考え方や、さらにはそれを可能にする社会の別様のあり方が提起されてきた。例えば、見田宗介(真木悠介1981『時間の比較社会学』)は「直線的な時間意識」に対して「現時充足的(コンサマトリー)な時間意識」を、内山節(1993『時間についての十二章』)は「固有時間」に対して「関係的時間」を、あるいはバーバラ・アダム(1998, Timescapes of Modernity)は「産業の時間景観」に対して「地球環境の時間景観」を、そしてジョン・アーリ(2000=2006『社会を越える社会学』)は「瞬間的時間」に対して「氷河の時間」を、それぞれ提起している。  これらの議論を「時間の社会学」史の観点から考えると、近代的な時間概念が空間や他のさまざまな出来事や関係との結びつきを捨象し、より純粋に時間化された概念であったとするならば(参照:N. Luhmann, 1980=2011「複雑性の時間化」)、いわば関係論的な時間概念として、具体的な他者や共同体との、あるいはそこでのさまざまな営みのなかでの、そしてまた多様な自然との、それぞれの関係のなかにあらためて時間を置き直そうとするものである。  しかしそうすると、きわめて異なる人びとや領域のあいだでの、あるいは地球規模での協働や、自然の飼い慣らし、あるいはさまざまな関係や共同体からの個人の自由をも可能にしてきた時計時間に象徴される近代的な時間概念と、そうした関係論的時間概念とは、もし互いに排他的なものでないとするならば、どのように両立しうるものであるのか。  そうした疑問を前に、ローザは加速する社会への対処法として、時間的に逆行させる減速ではなく、そしてあくまで自他が溶け合うのではなく、取り入れ合う関係としての、共鳴関係を提起している。以上、「時間の社会学」の他の議論と比較しつつ、その意義を検討する。

報告番号238

加速のスパイラルにおける疎外された消費――消費社会論としてのローザ理論
群馬大学 伊藤 賢一

H・ローザによる加速/共鳴と世界関係の社会学(2005; 2010; 2016)は、ますます時間に追われて余裕を失っていく現代社会の疎外状況とそのメカニズムを統一的に説明しようとする理論である。ローザは技術的加速、社会変動の加速、生活テンポの加速という3つの次元の加速プロセスが互いに影響を及ぼしつつ増進していき、後期近代に生きる人びとが疎外されていくと論じているが、彼はその中で、疎外された消費、モノや他者との関係について論じており、この理論は消費社会論としての側面も有している。 消費社会論はヴェブレン、リースマン、ボードリヤール、リッツァー、内田隆三、間々田孝夫らが論じているが、多くの場合何らかの批判的視点を伴っており、明確に、あるいは暗黙裡に何らかの「望ましい消費」や「よき生」の概念を含んでいる。ローザの場合、これは「共鳴(Resonaz)」という理念に託されているが、本報告ではこの概念の説得力/妥当性について検討したい。 加速化した後期近代に見られる「疎外」としてローザ(2010)は、(1)空間からの疎外、(2)モノからの疎外、(3)行為からの疎外、(4)時間からの疎外、(5)自己と他者からの疎外、の5つをあげている。上昇・増大の原理が貫く「加速のスパイラル」に巻きこまれているこの社会に生きる私たちは、ダイナミックに変動する状況のなかで、毎日突き付けられるその都度の課題と締め切りに追われて生きざるを得ない。以前の状況に比べると時間・空間から自由になるけれども、同時に親しんでいた環境から強制的に引き剥がされてしまう。慣れ親しんだモノに不具合が生じれば修理するのではなく廃棄される。次々に登場する新しいテクノロジーに適応することを求められ、使える時間に対して理解すべき情報が多すぎるため、たとえば新しいスマホのアプリは内容を確かめることもなく「承認」をクリックせざるをえない。他者との関係についても、個人的な深い関係(=共鳴)を築く時間的余裕がだんだん持てなくなる、と指摘される。こうした指摘は、消費社会批判の文脈に置いてみるととくに目新しいものではないとも言えるが、「消費のための消費」を推進する経済的推進力からのみ説明されるのではなく、「よき生」の理念が人びとに及ぼす影響や、状況の変化に対してよりフレキシブルに対応するようになった社会構造の変動とも連動して論じられていることはローザ理論の特徴であろう。 誰にとっても望ましい社会の理念を提示することは困難であるのと同様に、望ましい消費のあり方を提示することもやはり難しい課題である。この困難な課題に果敢に挑んでいるローザの議論から、われわれは混迷する消費社会論を見通すひとつの重要なビジョンが得られると考えている。 Rosa, Hartmut, 2005, Beschleunigung: Die Veränderung der Zeitstrukturen in der Moderne, Suhrkamp. = 2022, 出口剛司ほか訳, 『加速する社会』, 福村出版. ――― , 2010, Alienation and Acceleration: Toward a Critical theory of Late-Modern Temporality, NSU Press. ――― , 2016, Resonanz: Eine Soziologie der Weltbeziehung, Suhrkamp. = 2022(予定), 出口剛司ほか訳, 『共鳴する世界』, 新泉社. 橋本努(編著), 2021, 『ロスト欲望社会 ― 消費社会の倫理と文化はどこへ向かうのか』, 勁草書房.

報告番号239

アクセル・ホネットと再魔術化を志向する社会哲学
東京都立大学大学院 稲葉 年計

今日の情報社会においてよく生きるための倫理を考える上で情報社会論を参照したとき,ジャン・ボードリヤールが提示するような近代批判や,ポストモダンにおける断片的な世界観ともに,近代を批判した上での,生きる上での確からしさを求める側面がある.  後期の研究においてポストモダン情報社会論を展開しているボードリヤールは,近代の目的論的な線状性に対し,「未開社会」における円環的な過程を対置する.またボードリヤールは,「シミュレーション」という概念を使うことで,オリジナルもコピーも区別のつかない平板化した社会を批判する.また情報社会において,ポストモダンの議論がともになされることもしばしばあり,「大きな物語」の凋落した断片的な世界観が提示される.いずれも,情報社会論において,現代社会においてどのように現実をよりよく生きられるかに関して,近代批判を含みながら問題提起する.  また一方で,経済次元をみたとき,現代社会においては「社会的排除」が問題となっている.「社会的排除」に対して,短期的に不安定な職に就かせるだけでは長期的な効果は乏しい.このような社会政策には,労働に就かせるというだけではなく「自尊」の感情が持てるなどというような何らかの参照項が必要である.ここでアクセル・ホネットは「承認」という概念において生活形態を理性的なものとする社会存在論を問う.  情報社会論は,「管理社会」から情報社会に移行することで 自由な社会が誕生すると思われたところが,反対に,情報社会によって環境(アーキテクチャ)による管理などより巧みな管理に深化した「管理社会」である「監視社会」として語られるようになった文脈がある.経済次元も同様に,「新自由主義」として自由を求めたものの,「格差社会」と呼ばれたり,「社会的排除」が問題視されたりする,自由な社会の陥穽の側面が指摘できる.  情報システムによる一面化や平板化と並行して,ポスト・フォーディズムの経済社会における「社会的排除」が指摘できる自由社会,という現代社会の構図を描くことができる.ここにおいていかなる「承認」あるいは哲学的人間学や社会的存在論を求めることができるかが問われる.  現代社会を相対的な貧困率が上昇し,「社会的排除」が問題になるポスト・フォーディズムの社会と,情報社会によるシステム化の両面から捉え,統合的な社会哲学を探求する.  情報社会による平板化とポスト・フォーディズムによる「社会的排除」が問われ,承認論が求められるにあたり,情報システムへの接近を考慮に入れながら,「再魔術化」論を参照しつつ,承認論を企てたい.つまりは,合理化やシステムの批判の文脈にある「再魔術化」論と承認論を接続させるものとなる.  結論として,情報社会による平板化とポスト・フォーディズムによる「社会的排除」が問われる現代社会で,「承認」などによる社会的存在論を考察するにあたり,「愛情」や「模倣」また「模倣的理性」の概念を重視することで,承認論を,世界や経済の再魔術化と一層に結びつけることができる.

報告番号240

『共鳴』と芸術的公共圏の理論――響く関係の社会学的考察のために
立教大学 片上 平二郎

本報告では、ハルトムート・ローザの「共鳴」論の可能性を、彼の芸術表現や文化表現に関する論述から考察する。自身もオルガン演奏を行うローザは「芸術」を「共鳴圏」を生み出す重要な媒体としてとらえる理論的考察を行うと同時に、論述の細部においても「音楽」を中心とする「芸術」的な比喩を積極的に採用している。「芸術」がつくり出す“響く”関係性に関する社会学理論の展開の中に位置付けることによって見えてくる、ローザの議論の特質があることだろう。  芸術表現は、社会の中に独自のルールや独自の形式に基づいた固有の領域を生み出す。テオドール・W・アドルノはこの自律性を伴った芸術という存在が、現実の社会関係を批判的に写し取りながら、同時にいまだ存在しえない新たな関係性のあり方や全体性のあり方を探るような実験的な「批判的社会モデル」となる可能性を論じた。アドルノにとって、芸術表現とは、単なる趣味や娯楽を意味するもの、もしくは現実逃避のための一時的なユートピアを用意するだけのものではなく、より積極的な「批判的社会理論」の実践的な媒体なのである。  「公共圏」に関する議論においても、芸術や文化表現と「公共圏」の関係についての考察する論考はさまざまなかたちで行われてきた。ユルゲン・ハーバーマスの議論においても「文芸的公共圏」の存在は大きな意味を持っていたし、ハーバーマスに的な公共圏論の限定性を批判し、プロレタリア公共圏についての議論を展開したアレクサンダー・クルーゲは、その批判性を担うメディアとして「映画」を取り上げ、映像作品の制作と社会理論的考察を両軸に置いた活動を行ってきている。近年においても、政治理論家たちの著作の中での「音楽」的な比喩に着目し、「音楽」に内在する社会思想的な可能性を論じるナンシー・S・ラブの『ミュージカル・デモクラシー』や、「演劇」のパフォーマンスによって生み出される「公共圏」を批評的に論じるクリストファー・バルミの『演劇の公共圏』などが刊行されている。「交響圏」という用語によって自らの思考を展開した見田宗介の仕事をこの文脈に置くこともできよう。  アドルノの美学論における「はかなさ」や「ままならなさ」という論点とローザの「共鳴」論は大きく重なる部分を持つが、他方でローザはアドルノ的な前衛性を強く持つ作品やポストモダン的な芸術作品に対しては批判的であることも多く、ポピュラー・ミュージックやヘビーメタル、もじくはシューベルトの古典的な楽曲のような作品の「共鳴」可能性を論じている。このアドルノとの重なりと差異に注目することで、ローザ「共鳴」論の特質について考えてみたい。 参考文献 Adorno, T. W. 1973, Dissonanzen, Suhrkamp. (=1998, 三光長治・高辻知義訳『不協和音』平凡社.) Balme, C. B. 2014, The Theatrical Public Sphere, Cambridge University Press. Love, N. S. 2006, Musical Democracy, State Univ of New York Press. 見田宗介, 2006, 『社会学入門』岩波書店. Negt, O, Kluge, A. 2016, Öffentlichkeit und Erfahrung Steidl GmbH & Co.OHG. Rosa, H. 2016, Resonanz, Suhrkamp.

報告番号241

疎外論としてのローザ共鳴理論の可能性と限界
東海大学 飯島 祐介

【目的】本報告の目的は、ハルトムート・ローザの共鳴理論を疎外論として解釈し、その可能性と限界を考察することにある。ローザは、疎外論の衰退要因を疎外の「反対概念」が明確に規定されなかったことに求め、その「反対概念」として共鳴を位置づける。ローザの共鳴理論は、共鳴という社会学にとっては新奇な概念を論じながら、その実、疎外論という古い理論伝統を継承し、その再構築を企図する。【方法】疎外論の再構築は、ローザ一人の課題ではない。近年、批判理論では、ラーエル・イェギが疎外論の再構築に取り組んでいる。ローザの共鳴理論=疎外論も、こうした批判理論における疎外論のルネサンスのなかにある。そこで、本報告では、(a)批判理論の伝統において、また(b)近年の批判理論において、ローザの共鳴理論=疎外論の可能性はどこにあるかを、そのうえで(c)その限界はどこにあるのかを、考察する。【結果】(a)アドルノとホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』で、自然支配を問題としながら、支配の解消を自然との一体化としては決して考えなかった。支配はその対象からの疎外であるとしても、その疎外の克服を対象との一体化に求めるなら、今度は自己からの疎外をもたらす。『啓蒙の弁証法』は、こうしたパラドクスに陥ることを回避し、その手前にとどまった。ローザは、イェギを踏襲して、「関係喪失の関係」として疎外を規定する。この場合、疎外の克服は関係喪失の解消、つまり関係の形成であり、対象との一体化を意味しない。ローザの共鳴理論=疎外論は、上のパラドクスを解消する試みである。(b)喪失される関係を、イェギが「獲得(Aneignung)」の延長線上で規定するのに対して、ローザは「取り入れ(Anverwandlung)」―「意のままならなさ(Unverfügbarkeit)」を前提とした相互変容の関係―として規定する。「獲得」は対象の「意のままならなさ」を軽視し、対象を取り逃がす可能性がある。「獲得」は、疎外の克服のはずでありながら、逆に対象からの疎外をもたらしうる。喪失される関係を「取り入れ」として規定する、ローザの共鳴理論=疎外論は、このもうひとつのパラドクスを解消する試みである。(c)「取り入れ」は、自然との和解という高度に理想的な状態を想起させる。実際、ローザは、共鳴とよき生との関連を示唆する。しかし、こうした関連の措定は、よき生とあしき生の区別に照準を合わせることで、疎外を視界から遠ざける結果となりうる。疎外は、よき生とあしき生の手前であしき生すらも不可能である状態、生それ自体が困難に陥っている状態を意味するのではないか。そうだとすると、疎外の状態や経験は、よき生とあしき生の区別に照準が合わせられることで、後景に退くと考えられる。【結論】ローザの共鳴理論は、疎外論における二重のパラドクスを解消する試みとなっている。しかし、疎外の状態や経験を視界から遠ざける結果となっている可能性がある。Jaeggi, Rahel, 2005, Entfremdung: Zur Aktualität eines sozialphilosophischen Problems Campus. Rosa, Hartmut, 2016, Resonanz: Eine Soziologie der Weltbeziehung, Suhrkamp.

報告番号242

国家と家族イデオロギー――2つの文化圏を中心として
高野山大学 森本 一彦

本報告は、報告者が序章を担当した『リーディングス アジアの家族と親密圏』第1巻の「家族イデオロギー」を対象としたものである。第1巻は「家族イデオロギー」と「家父長制と父系制」に関する論文を収録している。 本書が対象とする地域は、中国を中心とする儒教文化圏とインドを中心とするヒンズー文化圏を含む。本書に掲載された論文は、両文化圏の特徴としてあげられる家父長制や父系制がどのように形成されたかを示している。 両文化圏の中心である中国とインドは、それぞれ4大文明の一つとして国家を形成したが、それ以前は家父長制や父系制が見られなかったと考えられている。しかし、国家が形成されると、その維持のための装置として儒教やヒンドゥー教というイデオロギーが導入される。その過程で、家父長制や父系制が形成されたと考えられる。国家を維持するためには、女性を統制し、その権限を制限するイデオロギーが必要であったのではないか。 両文化圏の中心である中国とインドに次いで、周辺地域でも国家が形成されると、国家の維持イデオロギーとして儒教やヒンドゥー教が導入される。しかし、周辺地域においての導入は、中国やインドで見られるようなものではなかった。 中国の儒教を導入した日本では、国家の形成は遅く、中国の律令制を導入するのは奈良時代に入ってからであり、儒教も律令制の導入に伴って影響力を持っていったと考えられる。律令制は、中国の権威を借りながら日本国内を支配するための論理として導入されたと考えられるが、中国のままではなく、日本の実態に合うように変更されている。律令制が導入された古代の日本は、父系制ではなく、双系制であった考えられる。その後の日本では、江戸時代に儒教の影響力が増していくが、双系的な親族のあり方は存続していく。 儒教を積極的に導入し、近年までその影響が強かったと言われる韓国でも、儒教が強まるのは16世紀以降の後期李氏王朝であると言われる。それまでは、女性の地位は高く、先祖祭祀における祭祀権も持っていたとされる。日本と同時期に儒教化が進められるが、その度合いは異なっていたことは注目される。 本報告では、本リーディングスに収録された論文を参考にすることで、文化圏の周辺地域では同じ国家維持のイデオロギーが一律に導入さたのではなかったことを示すとともに、仏教など多様なイデオロギーが、時代ごと、階層ごとに影響を与えていたことを指摘したい。

報告番号243

ジェンダー構造のねじれをほどく――アジアの中で日本家族の近代化を考える
神戸大学大学院 平井 晶子

今回『リーディングス アジアの家族と親密圏』を編むことで、インドから日本までという広い視野から、あらためて日本の家族を問い直す機会を得た。そしてインドや中国の父系社会とはちがう日本の家族の有り様、古代から近世にかけての長い時間のなかで父系的・家父長的要素の影響/排除の流れを考えることができた。さらにそれぞれの社会が近代化の波といかに格闘したのか、その軌跡を追うことで日本家族を照射し直すこともきた。とくに本シリーズ第2巻『結婚とケア』では「伝統と新しい展開の現在地」として、その特徴をまとめてみた。  本報告では、すでに提示した結婚とケアにまつわる議論を踏まえた上で、あらたに明治以降の家族の変化をジェンダー構造のねじれという観点から整理することを試みる。具体的には結婚/離婚を例に、何が伝統と見なされ、何が近代的とみなされたのかについての「時代ごと」の特性を取りあげ、ねじれたジェンダー構造とその背景について論じる。明治前半までの日本は離婚率の極めて高い社会であった。日本の結婚は、足入れ婚に代表されるように時間をかけて成立する「プロセスとしての結婚」であり、東南アジアと共通する「しなやかな結婚」(Ochiai 2015)を特徴とする。そこでは処女性が問題になることもなく、離婚(結婚の解消)や再婚への忌避感も見られない。それが一転して離婚が難しい社会へと変貌した。戦後は離婚しないことが「伝統」と見なされ、その前提で結婚が捉えられた。  報告者はこれまで徳川期の家族にアプローチし、近代以前の家族変動を踏まえ、その後の家族を捉え直したいと考えてきた(平井 2008, 2021, Ochiai and Hirai eds., 2022〔予定〕))。今回は新たにアジアのなかの日本という軸を加えることで日本の近代家族の特徴、日本家族の現在地が一層クリアに示せるのではないかと考える。  現代日本ではフェミニズムの議論、ジェンダー構造を問い直す議論が盛んにおこなわれているが、その一方で、ジェンダーギャップが埋まらないという現実が横たわる。アジアとの対比のなかで長期的視野から日本のジェンダー構造を見ることで、私たちの現在地、自画像の捉え直しを試みる。 参考文献 ・平井晶子, 2008, 『日本の家族とライフコース――「家」生成の歴史社会学』ミネルヴァ書房. ・平井晶子, 2021, 「三〇〇年からみる家族人口論序説」『社会学雑誌』38, 6-19. ・Ochiai Emiko, 2015, “Marriage Practice and Trends,” In Quah, Stella R. ed., Routledge Handbook of Families in Asia, Routledge. ・Ochiai Emiko and Hirai Shoko eds., 2022 (予定), Japanizing Japanese Families: Regional Diversity and the Emergence of a National Family Model Through the Eyes of Historical demography, Brill.

報告番号244

韓国における家族と親密圏の特徴
大阪教育大学 小林 和美

家父長制および父系直系家族規範は、韓国社会における家族と親密圏について論じるさい、避けて通ることのできない論点である。リーディングスに収録された韓国社会に関する7つの論稿は、それぞれに、この論点と渡り合っている。  21世紀の韓国家族において、父系直系家族規範は、個々の家族員にどのように経験されているのだろうか。キム・ヘギョンとナムグン・ミョンヒによる論稿「息子家族による老親ケア」は、高齢者へのケアの与え手である息子とその妻だけでなく、ケアの受け手である老親の語りを通して、この問いに答えてくれる。父系直系家族における家族関係—たとえば男児選好や母と息子の関係、舅と嫁の関係—がどのようなものであるのかが、当事者によって生々しく語られる。  それでは、韓国において、家父長制および父系直系家族規範は、いつ、どのようにして確立されたのだろうか。カン・ミョングァンの論稿「烈女の誕生」は、家父長制を内面化し、男性への性的従属を実践する女性が、どのように誕生したのかを解き明かし、「現在われわれが思い描く典型的な朝鮮時代の女性像は、17世紀半ば以降に作られたものである」と主張する。チョン・ジヨンの論稿「朝鮮後期における妾と家族秩序」は、新儒教原則のもと、女性は貞淑であることが求められ、不貞には厳しい罰が下され、貞淑が絶対的な価値であった社会において、士大夫層の男性が妾をもつことがいかにして正当化されたのかを明らかにしている。  1920年代は、植民地朝鮮に「新女性」が登場し、近代的な自由恋愛が主張された時代であった。家父長制が依然として残る植民地下の状況で、こうした主張はどのような過程を辿ったのだろうか。キム・キョンイル「植民地朝鮮における新女性、セクシュアリティ、恋愛」は、この時期の愛と性についての見解を分析し、どの思潮も、性の自由と既存の制度を両立させる方法を打ち出すことはできなかったとする。  韓国の女性運動は、家父長制および父系直系家族規範とどのように対峙してきたのだろうか。ヤン・ヒョンア「韓国家族法における男女平等対『伝統』」は、フェミニストによる法改正の努力が粘り強く続けられた結果実現した1962年、1977年、1989年の3回にわたる家族法改正の過程を分析し、男女平等と対立するものとして位置づけられた「伝統」とは何かを問う必要があると主張する。  1960年代から1970年代の朴正煕政権下において、「伝統」的な家族規範は、どのように変化したのだろうか。キム・ヘギョン「「核家族」をめぐる言説の競合」は、1960年代には、小規模で夫婦を中心とした構造をもつ「核家族」が社会的・経済的発展にともなう近代化の指標として肯定的に理解されていたとする。しかし、1970年代になると、核家族は「老人疎外」や家庭における「主婦の不在」をまねき、家族の崩壊につながると批判された。  最後に、脱家父長制的な世の中をつくっていくためには、どのような実践が可能なのだろうか。キム・ジョンヒ「韓国における核家族の母親の育児とプマシ育児」は、地域の母親たちが共同して保育施設や幼稚園に代わる機能を果たす「プマシ育児」に、その可能性を見出す。近代の核家族のもとで孤立した母親の仕事となった育児を女性が自ら解体して共同体的なものに変え、脱近代的な新しい人間を育てる場となる「プマシ育児」に期待が寄せられている。

報告番号245

「新しいアジア研究の視座を求めて:一読者の立場から」
四国学院大学 関 泰子

落合恵美子・森本一彦・平井晶子編(2022)『リーディングス アジアの家族と親密圏』(有斐閣・全3巻)は、まさに「故きを温めて新しきを知る」読み物である。従来の比較研究の枠組みを越えたアジア社会/文化研究のテキストとなるべき存在である。本報告では、この中で(1)タイにおけるナームサクン導入について書かれたラーマ6世の論文への考察、(2)アジアの家族文化の比較研究、というスケールでの研究に対する問題提起、の2点を目指す。 落合によると「アジアの知的継承財産ともいうべき重要で影響力の大きい論考」を精選し、国境を越えて共有しよう、という壮大な構想(第1巻『家族イデオロギー』p.i)が実を結んだのがこの3巻本であり、アジア諸地域の研究者でも直接目にする機会が少ない古典的な論文がぎっしりと並んでいる。  タイをフィールドとして細々と研究を続けてきた筆者にとって、東南アジアの他地域やインド・中国社会に関する必読の書に目を通すという経験が新鮮であるのはもちろんであるが、多々ある古典的な論文の中から選者が選んだタイの論文についても、筆者にとっては「目から鱗」でしかない。詳細は報告時に述べさせていただくが、例えば第1巻『家族イデオロギー』第5章「家名(ナームサクン)と姓(セー)の比較」は、国王であったラーマ6世ワチラウット王自らが書き記した有名な論文である。しかし、実際に読んでみると、タイ研究において通説となっている「(西欧化を目指した)ラーマ6世がタイ社会に姓(ナームサクン)を持ち込んだ(姓氏法)」という言説の背景は実は非常に複雑であり、ラーマ6世の意図は別にあったのではないかということをうかがわせる。また、第2巻『結婚とケア』におけるターウィット・スックパーニットの「第1章 私の心はあなただけのために−タイの結婚の歴史−」も、発表当時話題となった有名な論文である。こちらはタイの歴史学者がタイ家族や男女規範の伝統をどのように「解釈」したのかがうかがわれる、興味深い論考となっている。  そして第3巻「タイの性愛文化におけるヨバイの伝統−忘れ去るべき情事」はタイの古典「クンチャーン・クンペーン」に始まり、ラーマ5世の姉の密会の話に至るまで、愛する女性の元に通う男たちについての語りである。こうした「クンハ―(ヨバイ)」や「歌垣」といった習俗はタイ研究者にはおなじみであるが、日本文化においても既視感のある習俗ではないだろうか。80年代に日本の古代史研究者の間でタイのこうした家族文化から日本の古代家族を再検討する試みが行われたが、社会学においても、アジアの多様性と共に、日本文化と東南アジア文化の共通性をめぐる、より深い研究が今後行われていくことが期待される。 筆者はかつて落合氏たちと共に、刻一刻と変化し続ける東南アジア社会や家族のあり方について調査を行う機会を得たが、タイ都市部の「近代家族」が日本のそれに似てきているのでは、という感覚を抱いた。しかし、この3巻本に目を通した後では、タイと日本の家族が似ているのは、そもそも伝統的な家族文化に共通点が多々存在していたからなのでは、と思われて興味が尽きない。

報告番号246

「日本は東南アジア」か
京都大学名誉教授・甲南女子大学名誉教授 坪内 良博

“落合恵美子氏の主張するこの一見奇妙な題目に沿って、『リーディングス、アジアの家族と親密圏』の底流にみられる主題の一つを、報告者なりに位置付けてみたい。
アジア人口の大きな部分は中国とインドによって占められ、日本は東南アジアと並んで残余に位置付けられる。中国とインドの核心諸民族における家族や親族はいわゆる「父系的」に制度化され、1000年を遥かに超える時間軸の中で確立した伝統を形成してきた。これに対して日本を含む残余の部分は、双系的(bilateral)とも考えられた緩やかな親族構造を基軸に運営された。父系、双系などの使い古された人類学用語は、制度を固定的なものとして扱う嫌いがあるが、制度というものは可変的で、特に双系と呼ばれるものは、状況に応じた柔軟な適応性を具有している。多様性によって紹介される東南アジアの家族や親族のあり方は、この可塑的な性格と深く結びついている。
日本の『家』制度は、限定的な資源の下で選択された双系的な親族の一つの変形ではないか。さらにこの内部に民俗学で扱われる各種の亜形態が存在するのではないか。双系制の運用形態の独自性を強調しつつ、日本は東南アジア入りが許されるのではないか。「その他」に該当するインド以西のアジアの位置づけは、イスラームの作用を吟味しつつ複雑な解釈が必要となるかもしれない。
東南アジア島嶼部では、イスラームの影響が強く、その法手続きが柔軟な親族のあり方と共鳴して、過去には極めて高い離婚傾向を発生させ、普遍的倫理が強調される近年では、逆にこの宗教の名で離婚を抑制するようになった。このように宗教の影響は大きいが、底流における家族や親密圏のあり方は存続する。
落合のいう「疑似父系化」は、宗教に匹敵する強さで伝播した近代化に伴う西洋的家族理念の父系傾斜の側面を示すものであろうか。近現代は、伝統的な親族関係のあり方が幾分影を残しつつ、男女平等のイデオロギーに沿って双系化の傾向が進行し、さらに極小化の道をたどっているのではないか。
本報告では、上述の視点を確認するとともに、『リーディングス アジアの家族と親密圏』の中の関連論文の位置づけをも試みたい。以下、若干の例を示す。
中国家族の婚姻給付の変化(2巻6章)や韓国家族法における男女平等(3巻20章)は、男女平等の理念を背景に、父系制あるいは疑似父系制から双系制への推移を示唆している。/ベトナムの直系家族の一時的性格(2巻8章)は、屋敷集団などとして発現する複合家族のあり方に近い。/タイ人労働者の祖父母関係(2巻16章)は、双系親族の下での親子関係の強さの延長として捉えられる。/日本民俗学で取り上げられる婚姻予約者階層(2巻5章)の存在は、マレー人・ジャワ人などの結婚初期の高い離婚傾向に対応し、父系的親族組織下では起こりにくい現象かと思われる。/等々。”

報告番号247

『アジアの家族と親密圏』シリーズをどう読むか――家族社会学の講師として
無所属 岡本 朝也

報告者は家族社会学やジェンダー論や社会学を担当する大学、専門学校の非常勤講師として、もっぱら「教育のために使う」という側面から家族社会学の研究結果にアプローチしてきた。講師としての立場からは「アジアの家族」というテーマを扱う意義や必要性は以下の2点にまとめられる。その第一は、日本社会において、「アジア」の存在が大きくなってきたことである。アジアの国や地域との経済的な関係は近年ますます重みを増し、観光や「技能実習」や就労を通じた人的交流も極めて盛んになっている。高等教育においてアジアを含む世界観を提示することが必要となる。第二に、各大学がアジア諸国から留学生の受け入れを積極的に行うようになっていることも重要である。受講生の教育ニーズに充分に応えるためにも、アジアの家族と親密圏に言及することは重要だといえる。 本報告では『リーディングス アジアの家族と親密圏』に収録された論文から講義形式の授業に組み込めるトピックを抽出し、教育への応用の試案を提出する。家族イデオロギーの問題を中心に結婚やケア、セクシャリティにも触れつつ、日本の家族の状況と連結しながら教育する方法を探ってみたい。 報告者は、本シリーズの意義は「アジア人によるアジア家族の研究」の集成という点にあると考える。論文の中には人類学や歴史学の視点を取るものもあるが、いずれも異文化としてではなく、自文化、自社会を記述するという点は共通している。このとき、アジアの家族は近代家族の相対化のための道具であることをやめ、いわば社会学の対象として、それ自体として存在するものとなる。また、論文の筆者たちが欧米に起源をもつ社会科学の視点からの記述を行っていることは、日本でこれらを読む読者の視点を移動させる効果をもつ。それは「欧米および日本」と「アジア」という対比の構図から、「欧米」と「日本およびアジア」という対比の構図への移動である。本シリーズを通じて、日本は改めてアジアの中に位置づけられるともいえるだろう。 しかし、このことはまた、新たな課題をもたらしもする。講義形式の授業においては、多様性をそのまま提示することには困難が伴う。教員は明確化されたストーリーを準備せねばならない。本シリーズの第1巻において編者の森本一彦が要約するように、このストーリーは「①家族イデオロギーが強く影響する以前の多様な伝統的家族の段階、②国家が強調される中で『伝統』という名のもとに家族が画一化される段階、③伝統が崩れる中で民主化・核家族化・個人化などの多様性する段階」(p.10)という構図から構成され、最終的にはポストコロニアリズム的な状況を含む後期近代社会の状況へと接合されるものになろう。だが、この構図は単線的な家族の近代化説と基本的に同じものにもなりうる。理解可能な範囲への要約と多様性の強調を両立させなければならない。また、対象とする範囲をアジアに限定することの正当性も問われねばならない。グローバル化を前提とするならば、オセアニアやアフリカ、大洋州や南アメリカなどの家族を視野に入れない理由は存在しない。これらの課題についても、フロアを含めた多くの参加者の方々との議論の中で方向性を得たいと考えている。

報告番号248

「ソビエト型社会の批判理論」の再文脈化――アラト―『ネオ・マルクス主義から民主的理論へ』を読み返す
明治大学 大畑 裕嗣

【1 目的】 初期フランクフルト学派の批判理論には、当時はあまり問題にされなかった欠落点があった。フランクフルト学派は、ファシズムや西欧資本主義社会に関しては徹底した批判を行ういっぽうで、ソ連など「現存する社会主義社会」に関しては、それほど重点的に批判的分析を行わず、行った場合もその評価はかなり「甘かった」のである。アンドリュー・アラト―の論文集『ネオ・マルクス主義から民主的理論へ』(1993)の第1部「西欧マルクス主義とソビエト型社会」に収められた諸論考は、この欠落点を問題視し、「ソビエト型社会の批判理論」構築の可能性を追求した。1980年代に行われたアラト―のこの理論的作業は中断し、2020年代現在、ほとんど忘れられているようである。かつての中断と現在の忘却には、それぞれ理由があろう。忘却に関して言えば、アラト―が考えていたような「ソビエト型社会」は実体として消滅しており、現存しない社会に関する批判理論は需要がないという見方が根底にあるように思う。しかし、そうだろうか。かりにソビエト型社会が現存しないとしたら、それを批判する理論は無意味なのだろうか。本報告は、この疑問を念頭におきつつ、アラト―が試みつつ中断した「ソビエト型社会の批判理論」の断片を取りだし、1980年代にアラト―が考えていたのとは異なる現在の歴史的文脈において再構成する、つまり「再文脈化」してみることで、その新たな意義を明らかにすることを目的とする。 【2 方法】 前出「西欧マルクス主義とソビエト型社会」所収の諸論考を主要な素材とする文献研究の方法をとる。分析は、A)アラト―による「ソビエト型社会の批判理論」構築の試み、B)アラト―が描いた「ソビエト型社会の批判理論」の文脈、C)「ソビエト型社会の批判理論」の再文脈化という構成をとる。本報告では、B)C)に関わる次の3点を中心に論じる。①ルフォール「スターリンなき全体主義」(1956)とアラト―、➁「ソビエト型社会の批判理論」と市民社会論、③「ソビエト性」の遍在化?――ポピュリズム論との関連において。 【3 結果と結論】 次の3つの知見が導かれる。①アラトーが、コルネリウス・カストリアディスのソ連体制論との関連でごく簡単に言及した、クロード・ルフォールの論議の含意をより深く展開すべきである。近代官僚制が、全体主義下において独裁を正当化し支持する、新たな形態のシステムに転化することをルフォールは示唆した。➁ルフォールによれば、このシステム転化は、官僚的社会において「国家が市民社会となる」ことによって生じる。この点に注目すれば、『ネオ・マルクス主義から民主的理論へ』の第1部「西欧マルクス主義とソビエト型社会」と第2部「市民社会の興隆と民主的理論」の論議を、つまり、「ソビエト型社会の批判理論」と市民社会論とをより緊密で整合的に結びつけることができる。③ソ連東欧革命後の「ソビエト型社会」の外形的変化を超えて、「ソビエト型社会の批判理論」の意義は保持、拡張されうる。それは、1980年代のアラト―はまださほど重視していなかった、ポピュリズムの世界的伸張という文脈の中で、「ソビエト性」の遍在化という難題を問う枠組となっていくだろう。

報告番号249

“結婚しない”と“未婚化する”をつなぐ論理――Becker結婚市場モデルの主意主義的修正
帝京大学 神山 英紀

【1.目的】 未婚化の理由がいまだ明確ではないのは、データ分析が不十分なためでなく、個々の男女の結婚への動機づけと社会全体の結婚数をつなぐ理論的道筋が不明確なためであろう。本報告では、まず、結婚を、男女が長期的協調で共同利益を得る約束と仮定する。その後、似た前提から展開されるG.Beckerの結婚市場モデルを批判的に概観し、規範に基づく「主意主義的決定」をする男女を前提にモデルを再構築する。これにより、社会属性ごとの結婚/独身の利益と結婚数とがどう関連するか示せる。 【2.方法】  G.Beckerは、2種の結婚市場モデル(「一般」と「特殊」)を提示する。まず一般モデルだが、男女各人の独身での生産量と、各組み合わせで結婚した際の生産量を示した「産出行列」を用いる。そこでは、協力ゲーム論でみられる行動原理が想定され、他の組によってブロックされない結婚が実現するとする。このモデルでは、どの結婚が実現するか説明できるが、生じる結婚数は導けない。違和感は、日常でみられる「結婚の安定性」を理論上の「市場均衡」に対応させる点にある。結婚が安定的なのは、そもそも結婚とはそのような約束だからではないか。  次に、特殊モデルは、上で実現する結婚組合せの1つに焦点をあてる。そして、男女それぞれが、結婚の利益の分配比が大きいほど結婚希望者が多い供給曲線を形づくるとする。分配比の要求が低い男女は「早く」結婚し、高い男女は「遅く」結婚する。このモデルにより、男女人口の性比不均衡で未婚化が生じる現象を説明できる。しかし、独身/結婚の生産量が固定され、社会属性や時代によるその変化で結婚数がどう変わるかという問題には答えられない。ここでの「市場」が、現実のどんな状況に対応しているかは明確でない。結婚が「遅い」男女は、一般モデルで提示された行動原理では結婚している一方、有利な分配比を求めて異性と交渉中で独身のようにもみえる。 【3.結果】 上のモデルは、結婚を、2者関係を長期に維持する「約束」とせず、あたかも、結婚の決定を不断に行うようにとらえる。そこで、Beckerモデルの前提、嗜好不変・極大化行動・市場均衡に加え、行為者は、「約束は守られる」規範に基づき―主意主義的に―意思決定するとする。すると、「市場」は、独身者が後に分配される利益をめぐり、多数の異性と交渉しあう結婚の前段階に見出される。そこでは、将来の結婚可能性を複数人に確率的に与えている。このとき、ある社会属性の男女それぞれの結婚意思の期待値が先の特殊モデルでの供給曲線の高さとなる。各社会属性の組ごとに市場は併存し、各市場で男女の結婚意思の期待値は、「重婚」を避けながら同一に近づき、ある数の結婚を成立させる「均衡」へ向かう。 【4.結論】 もし供給曲線の形を、指数曲線を使って具体的に定義するなら、独身/結婚の利益と生成される結婚の数の関係は、社会属性の組ごとに、結婚の利益をM、女性独身者の利益をSf、男性のそれをSm、女性独身人口をNf、男性のそれをNm、生じる結婚数をmとすると、M-(Sf+Sm)=log[NfNm/((Nf-m)(Nm-m))]と表現できる。(参照文献は当日示す。)

報告番号250

廣松渉氏の認識論の批判的再検討――「近代の超克」か? 「マルクスの超克」か?
無所属 藤井 史朗

【1.目的】廣松渉氏の哲学(「物象化論」・「共同主観」・「事的世界観」etc.)は、その固有の哲学的意義とともに、マルクス理論(特に『資本論』)の理解における一つの標準的論理として評価されている。また廣松氏は、単に『資本論』マルクスの論理を固有に抽出したのみならず、戦前からのわが国の「近代の超克」の議論の意義を再検討し、それを認識論の次元において発展的に継承する、という問題意識を貫いている。しかし、マルクス『資本論』の方法において、「近代」の「主客二元論」が超克されたとする廣松氏の結論は、その後のマルクス主義をめぐる事態を反照するときには承服しがたい。本報告では、この廣松哲学について、その背景をなすマルクス理論とともに批判的に再検討し、「主客二元論」は、廣松氏の『マルクス主義の地平』よりも普遍的な基層にあることを示し、「人間・主体」視点再定立の必要を示したい。 【2.方法】分析・評価の視点は以下の4点である。第1に、戦前以来の「近代の超克」議論の批判的継承の意味の考察である。その議論が明治以降の西欧追随の志向を相対化するものであり、アジアや社会主義への潜在的期待を含むものであること、背景をなす西田幾多郎哲学の人間学・実存主義など主体を扱う思想の限界を廣松氏が指摘していること、そしてここでの「近代の超克」が、資本主義批判にまで至っていないことを問題としていることの意味の再検討である。第2に、ウォーラーステインや浅野慎一氏、斎藤幸平氏らが指摘するように、1867年以降のマルクス自身(またレーニン)が、一方では「世界システム」次元から、他方では古い共同体性の維持の次元から、『資本論』の理論射程を超える思考を展開していることとの関係である。第3に、マルクス『資本論』の認識論を規範的モデルとしている廣松氏の「共同主観」を、フッサールの「間主観性」の考察などと比較しつつ、今一度、個体の「ノエシス」の現実から批判的に再考することである。このことは、廣松氏の「物象化論」に関わる、真木悠介(見田宗介)氏の「集列体」概念や、大澤真幸氏の「行為事実性」の認識などへの評価とも連動する。第4に、これらの考察を介して、『資本論』などマルクス理論の背後仮説として存在する全人類的な主体感覚の問題、それに基づく「私的所有」に対するマルクスの二層の批判的把握の問題などを浮き彫りにする。 【3.結論】人類が人為によって創り出して来た矛盾・不平等・差別などの問題の克服に対しては、全人類に責任があるという否定し難い理念がマルクスにはあり、廣松哲学もまたそれを継承している。しかし、その問題に対し、近代社会=ブルジョア社会として、ブルジョアジーのあり方の問題のみに(そして「階級闘争」の問題のみに)収斂させていくマルクス=廣松氏の思考で良いのか、が問われる。ブルジョアジーに顕著に代表されているとはいえ、人間個体の自由な内的生命発露性は、労働者にも自営業者にも通底してある。悪魔的「資本」への従属・呪詛に終始するのではなく、より良い「資本」活用をどのような立場でも追求すべきではないか(「物象化させたまま論」である必要はないのではないか)。そのためには、「近代の超克」ではなく、「マルクスの超克」こそが必要なのではないか。それは「人間=主体」視点の復活であり、あらゆる社会認識に「偶有性」を取り入れる社会学理論の復権でもある。

報告番号251

特権性の否定ーWikipedia社会の自由と秩序について
無所属 藤田 哲司

[目的・手段]: 百科事典として知られるWikipediaは、国家を超えたコミュニティ=トランスナショナルな社会によって作成され、運営されている。本報告ではあまり知られていない、Wikipediaの“社会”としての側面について紹介する。同時に、その社会学的意義について確認していきたい。具体的には、次の記述をご覧いただきたい。「Wikipediaは…ハーバマス主義的合理的ディスコースのプラットフォームの1つの具現化である」(Jemielniak, D. 2014 p.186)。国籍を超えた人々により、1つのテーマに関して長い時間をかけてやりとりをつづける持続的相互作用、指摘されているようなハーバーマス的・対等的・対話的(対話による相互変容に基づく、編集の妥当点の合意形成的)コミュニケーションが、Wikipedia社会では日夜行われている。Wikipediaで行われている記事の作成と編集は、不特定多数へ向けた、永続的な未来へ向かっての“社会学的行為”である。社会学的にみても脱国家社会の自由と秩序の実際という観点からも、重要な研究対象という目でWikipediaを“社会”として捉えていく必要がある。 [結果・結論]: ASA元会長のエリック・オリン・ライトはWikipediaについて、脱市場的関係、平等主義的参加、貢献者間の熟議的相互作用、民主的な統治と民主的な適正化へ向けた裁定 という 4 つの特徴から、“Real Utopia”であると評価している(Wright 2010, pp.194-203)。社会学会会長のこの指摘からみても、Wikipediaが人類社会の未来像、あるべき姿=イデアル(理念)を示しており、Wikipedia社会における自由と秩序の在り方を識ることが、この先の人類の未来型社会像について予見することに繋がると考えることもできよう。 文献: Besten, Matthijs den, Loris Gaio, Alessandro Rossi, Jean-Michel Dalle 2010 Community Management through Meta-Data in Wikipedia. 藤田哲司 2011『権威の社会現象学人はなぜ権威を求めるのか』東信堂 Konieczny, Piotr 2009 Wikipedia: community or social movement? , a journal for and about social movements Volume 1 (2): 212 – 232. Hara, Noriko ,Pnina Shachaf, Khe Foon Hew 2010 Cross‐cultural analysis of the Wikipedia community https://www.academia.edu/resource/work/48410741 Jemielniak, Dariusz 2014 Common Knowledge? an ethnography of Wikipedia, Stanford University Press. Jørgensen, Rikke Frank 2012 Making sense of the German Wikipedia community. MedieKultur 2012, 53, 101-117. Miquel-Ribé, Marc , Cristian Consonni and David Laniado 2022 Community Vital Signs: Measuring Wikipedia Communities’ Sustainable Growth and Renewal. Sustainability 2022, 14, 4705. Mushiba, Mark , Peter Gallert , and Heike Winschiers-Theophilus 2017 On Persuading an OvaHerero Community to join the Wikipedia Community. O’Sullivan, Dan 2012 Wikipedia: a new community of practice?. E-Ciencias de la Información 2012. Ung, Hang and Jean-Michel Dalle 2010 Project management in the Wikipedia community, WikiSym ’10, July 7-9, 2010, Gda´nsk, Poland. Wright, Erik Olin 2010 Envisioning Real Utopias Verso.

報告番号252

危篤のときの対面――その理論的考察
久留米大学 石橋 潔

【1.目的】 対面すること(face to face)には、代替不可能な固有の社会的機能があるのか。ICTが急速に普及し、またコロナ禍を体験する中で、対面であったものを非対面で代替することが広がった。いったい対面でなければならないものは存在するのか。対面的相互作用の社会学はゴフマンが開拓したが、対面することの固有性を充分に示すことが出来ず、未完のままとなっている。この報告では、危篤のときの対面に焦点をあて、そこに固有性があるか考察するものである。 【2.方法】:使用するデータは、官公庁などの既存の統計データ、新聞記事、対人専門職の文献データなどである。 【3.結果】 危篤のときの対面とは、死期の迫った人とその近親者が最後に対面することをいう。この対面をここで取り上げる特徴として二つをあげることができる。一つは、これがもっとも対面の純粋な形を示していると考えるからである。多くの場合の対面は、他の目的と重なって現れる。対面での医療的診療にしろ、学校教育の対面授業にしろ、対面での営業活動にしろ、その行為の目的が存在し、対面すること、そのものが目的ではない。しかし危篤のときの対面は、対面することそれ自体が目的である。しかもその対面は未来のための何かの目的でもなく、また情報伝達や信頼形成などのためにおこなうとは考えにくい。  第二に、この危篤のときの対面は、さまざまな形で社会的に保障されているという点だ。文化的で最低限の生活を保障する生活保護においても、この親族との対面は保証されるものとなっている(「移送費補助」)。また多くの会社などの組織においても忌引きとして規定されている。また人の死期に立ち会う対人援助専門職は、この近親者との対面を保障するように援助することが業務の一つとなっている。 【4.考察】 この対面は、単なる社会規範による文化的形式という以上の性質があるだろう。もしこの対面が社会規範の一つに過ぎないのならば、社会規範が新たに構築されるなかで、他の形式に代わりうる。だがそれは考えにくいのではないか。ではこの対面が他に代替できない固有の機能があるとすればそれは何か。それは表情を交わすという相互作用の特質だろう。表情を交わす相互作用には、間主観的な関係をつくる強い性質がある。そして人対人の感情世界を共振させる強い力がある。しかしその対面の内部で何が起こっているかは、その当事者以外の外部からとらえることの難しいものである。そこでは間主観的な小世界がつくられ、その対面する当時者でないと理解不能な体験と意味が生じていると言えるのではないか。

報告番号253

スティグマの可視性概念の検討
作新学院大学 木村 雅史

【1. 目的】  アーヴィング・ゴフマンの『スティグマの社会学』(Goffman 1963)における重要概念の一つにスティグマの「可視性」がある。可視性とは、ある人間がスティグマをもっていることを他人に告知する手がかりがスティグマそのものにどの程度備わっているのかその程度を指す。『スティグマの社会学』では、パッシングやカヴァリングなど、スティグマの可視性/不可視性を管理・操作するスティグマ者の自己呈示戦略が主題化されている。ただ、相互行為秩序分析の視点からは、そうした自己呈示戦略をスティグマ者に強いている環境要因として対面的相互行為や社会的場面の構造を析出しておくことも重要な作業である。  ゴフマンは、スティグマの可視性とよく混同される三つの概念として、スティグマが知られていること(known-about-ness)、スティグマが目立つこと(obtrusiveness)、スティグマへの焦点(perceived focus)の合わせやすさを挙げ、スティグマの可視性とは別の問題として区別している。ただ、ゴフマンの論述や挙げる事例を検討してみると、この三つの概念は、スティグマの可視性と別の次元にある概念ではなく、スティグマの可視性/不可視性の管理・操作をスティグマ者に強いている環境要因を析出する概念として位置づけることができる。こうした問題意識をふまえ、本報告では、スティグマの可視性概念と、この三つの概念の関連性を検討し、提示することを目的とする。 【2. 方法】  本報告の方法は、ゴフマンの『スティグマの社会学』やその関連文献の読解である。 【3. 結果】  まず、スティグマに関する知識について、状況の参加者間にスティグマに関する知識の不均衡が存在すれば、ある参加者にはスティグマが見えるが、別の参加者にはスティグマが見えないという状況が生じる。ゴフマンは、わずかな身体的な徴候から特定の疾病を見抜く医者の知識の例を挙げている。次に、スティグマが目立つことは、そのスティグマがどの程度、その場の対面的相互行為の流れを阻害するのかという問題として言い換えられている。たとえば、テーブルを囲んだ会議の場面では、車椅子使用者の存在はさほど目立たないが、発声上の障害をもつ参加者の存在は目立ちやすくなる。ただ、場面が変わり、公道を一人で歩いているような場面では両者の目立ちやすさは逆転する。最後に、スティグマへの焦点の合わせやすさは、特定の社会的場面において当のスティグマに焦点が合いやすいのか、合いづらいのかという問題として論じられている。たとえば、身体の見える部分に存在する大きな傷痕は、どんな場面においても比較的焦点が合わされやすく、そこでの対面的相互行為に影響を与えるが、糖尿病であることは焦点になりづらい。このように検討してくると、スティグマに関する知識、スティグマが目立つこと、スティグマへの焦点の合わせやすさの三つの概念は、スティグマの可視性と密接に関連した概念であることがわかる。 【4. 結論】  スティグマに関する知識、スティグマが目立つこと、スティグマへの焦点の合わせやすさの三つの概念は、スティグマの可視性と別の次元にある概念ではなく、スティグマの可視性/不可視性の管理・操作をスティグマ者に強いている環境要因を析出する概念として位置づけることができる。

報告番号254

問いの社会学――問答論的知識社会学の試み
富山大学 佐藤 裕

【1.目的】  問いの基礎理論(入江,2020、佐藤,2022a)に基づいて、知識社会学を問答論の枠組みで再構成できることを示す。 【2.方法】  まず、問いの基礎理論の概要と、それに基づいて考案した問いの類型論を提示する。次に、それらの理論枠組みを用いて、今回の報告は「なぜ」の問いと「どのように」の問いを分析する。最後に分析結果が、社会学という問いに対してどのようなインプリケーションを持つのかを明らかにする。  問いの基礎理論とは、分析哲学における問答論(入江,2020)を足掛かりにして、佐藤が独自に提唱している(佐藤,2022a)理論体系である。その特徴は、「問い」を「答えの集合からの選択」だと見なすことによって、「何が問われているのか」を明確に示し、問いの論理的構造の分析を可能にすることにある。この理論によれば、「問い」は、答えの範囲、答えを選択する基準、問いの条件の3つの要素から成り立っている。例えば「あなたは誰ですか」という問いであれば、「あなた」が問いの条件で、「誰」という言葉から答えの範囲が人物であることと、人物の中から「あなた」に該当する人を選べばよいことが分かる(答えを選択する基準)。  問いの3条件のうち、答えの範囲と答えを選択する基準を表す言葉を「問いの語彙」と呼び、この概念が問いを分析する際のキーワードになる。例えば後で出て来る「なぜ」の問いであれば、「根拠」「理由」などの問いの語彙を用いることによって、それが何を問うているのかを明確に示すことができる。  問いの類型論では「社会的な問い」という概念が重要である。私たち人間は、問いを共有し、共通の答えを得ようとする。例えば学問がそうであるし、集団的な意思決定も「社会的な問い」だ。社会的な問いという概念の導入によって、「主張」や「意見」といった問いの語彙の意味が初めて確定する。また、「根拠」などの推論の問いも、社会的な問いが前提になっている。さらに重要なことは、私たちが共有している「知識」は、すべて社会的に問われた問いに対する(共有された)答えである、ということだ。このような考え方が、知識社会学を問答論の枠組みで再構成できるという主張の根拠であるが、時間の制約からこの報告ではあまり深く追求しない。 【3.結果】  「なぜ」の問いは、推論の問い(根拠または理由)と説明の問い(原因または理由)に分類できる。推論と説明の両方に「理由」が現れる点が、分析のポイントである。  「どのように」の問いは多様であるが、その中の特に重要な問いとして、方法の問いを取り上げる。方法の問いは、説明の問いとは全く異なる系統の問いであり、方法の伝達や方法の評価につながっている。 【4.結論】 社会学は、「原因」と「理由」の二つの説明形式を持つが、より重要なのは「理由」である。 方法の問いは、社会学の主要な問いとしての可能性を持つ(佐藤,2022b)。 【文献』 入江幸男, 2020,『問答の言語哲学』勁草書房 佐藤裕, 2022a,「問いの基礎理論序説」『富山大学人文科学研究』77(報告申込時ではページ未定) 佐藤裕, 2022b,『ルールの科学――方法を評価するための社会学』青弓社(報告申込時では刊行予定)

報告番号255

人口減少対策におけるパラダイム転換の提案
札幌市立大学 原 俊彦

1.背景・目的:2021年現在の日本の総人口(外国人含む)は1億2550万人、前年比64万人減。総人口は11年連続、自然増減のみでは15年連続で人口減少が続いており、減少数も年々増大している。また同年の出生数は81万人、前年比2万9千人減、合計出生率も前年の1.33から1.30へとさらに低下、一方、死亡数は 約144万人で前年比6万7千人と増加している。地域人口の減少も歯止めは掛からず、都道府県別では東京都が26年ぶりに人口減少に転じ、人口増加は沖縄県のみとなった。過去30年以上にわたり、様々な人口減少対策が議論され実施されてきたが、その成果は全く見えて来ない。一方、今や少子高齢化・人口減少は日本専売特許ではなく、すでに世界の大半の国々が直面する課題となっている。これまでの対策は目標設定や政策効果の想定に問題があるといわざるえない。本報告では、現在の人口減少対策の背景にある政策パラダイムを明確化するとともに,原理的に政策効果が期待できない理由を検討し、これに代わる政策パラダイム,政策目標・政策課題について論じる。 2. 現状の人口減少対策の問題点: これまでの基本パラダイムは、現在、直面している人口減少を1970年代中頃から急速に進行した少子高齢化による社会病理現象と捉え背景や原因を究明し、政策介入により人口減少を食い止め定常状態への回復をめざすものである。そのためには自然減の進行を食い止める必要があり、現状の低出生率を希望出生率の1.8人へ、最終的には置換水準の2.08人まで戻すこと、世紀末において総人口1億人を維持することが目標とされている。地域人口については人口移動を転出超過から転入超過に転じることが目指されている(国際人口移動については、近年、海外からの受入を進めているが、明確な移民政策を導入するには至っていない)。政策介入の基本的な考え方としては、たとえば、出生力について、所得・学歴・地域・就業状況などの要因ごとに格差があれば格差の是正や緩和を図ることで出生を促進することが期待されている。しかし各カテゴリー間の格差(オッズ比)は相対的な差を示すものであり、相対格差を解消しても全カテゴリーの平均値は原理的に変化しない。また仮に最も高いカテゴリーに合わせ格差を解消したとしても、そのカテゴリーの出生力がすでに置換水準を大きく下回るものであれば、全体の出生力の回復効果は誤差の範囲に留まるだろう。さらに仮に原因が社会経済的(あるいは階層・地域間)格差(の拡大)にあるとすれば、人口減少対策ではなく、大規模な社会・経済改革・(あるいは国土再開発など)を行い、結果的にその波及効果として出生の回復を期待するべきであり、出生力回復を目的とする政策は本末転倒といわねばならない。 3. 人口減少対策におけるパラダイム転換の提案:新しいパラダイムは、現在、直面している人口減少を、多産多死から少産少死へと向かう歴史的人口転換の最終局面(ポスト人口転換期)において必然的に生起する現象と捉える(社会病理的な現象ではなく、未来に向かう人類史の転換点として前向きに考える)とともに、少なくとも現時点の世代が生きている間は続く(つまり世紀末まで)という現実的な見通しに立ち、少子高齢・人口減少に合わせ社会・経済・政治などのシステムの改善を図ることを提案するものである。Stop the population decline!から Live with the population decline!へ。

報告番号256

成人子と親の居住実態からみる世代間関係
関西学院大学 松川 尚子

1.目的  本報告の目的は、成人子と親の居住関係という側面から、近年における世代間関係の実態と変化を明らかにすることである。夫方親・妻方親との同別居状況に加え、近居・遠居の実態を分析する。  これまで、親と子の居住関係は同居か別居かという二分法でとらえられることが多かった。しかし子ども夫婦など親族と同居している高齢者の割合は減少を続けている。同居が減少していることから、同居か別居かという視点だけでなく、「親/子はどこに住んでいるのか」「誰の近くに住んでいるか」という視点の重要性が増しているといえる。  戦後日本の家族・親族の世代間関係についての研究では、双系化に関する議論がなされている。伝統的な父系優先の親子関係が、夫方妻方どちらとも対等な関係に変化したのかどうかである。本研究では、親子の居住関係という側面から、同別居の区分だけでなく、別居の場合の居住距離も含めて検証する。 2.方法  本報告では、「川崎・神戸・福岡市民生活実態調査」(2019年、選挙人名簿からの無作為抽出、郵送法)および「愛媛・長崎県民生活実態調査」(2017年、選挙人名簿または住民基本台帳からの無作為抽出、郵送法)1)のデータを使用して分析をおこなう。両調査とも、回答者とその配偶者それぞれの親との同別居状況と、別居の場合には居住地を質問している。居住地については、都道府県・市町村のほか、市民生活実態調査では「最寄駅」「最寄バス停」を問うた。それにより、おおよその時間的距離・空間的距離を把握することが可能となった。また県民生活実態調査では、「車で行くと仮定した場合の所要時間」を問うた。これらを用いることで、別居の場合の居住距離について分析をおこなう。 3.結果  まず、同居している割合は少なく、年齢層が低くなるほど同居割合は少なくなる。どちらの親と同居しているのかについては、非都市部で夫方同居のほうが多いが、都市部では妻方同居も同程度みられた。さらに高年齢層で夫方同居が、低年齢層で妻方同居が多いという傾向が都市部・非都市部ともみられた。  別居の場合の親の居住地については、例えば神戸市の場合、夫親・妻親とも7割以上が近畿圏、5割以上が兵庫県内に居住していた(いずれの割合も妻親のほうがやや多い)。別居の親が近畿圏に居住している場合、車での所要時間は夫親・妻親とも30分程度であった。年代別で所要時間に大きな差はなかった。非都市部においては、同一地域圏が9割以上、同県内8割以上、県内でも同一市町内かまたは隣接市町の割合が多い。「同一市町・車で30分以内」と特徴づけることができる。比較的近い範囲に親が居住している実態が明らかになってきたが、さらにどちらの親がより近いのかについても報告をおこなう。 1)両調査とも科学研究費基盤研究(A)「政策形成に貢献し調査困難状況に対応可能な社会調査方法の研究」(研究代表者:大谷信介)の一環として実施された。

報告番号257

福祉レジームと家族――脱家族化論に着目して
京都大学大学院 大木 香菜江

【目的】 本研究は福祉レジーム論と家族をめぐる近年の研究動向を脱家族化論に着目しながら概観する。国家、市場、家族の三つをケア供給源と考え、これらの社会的なケアの配分方法に着目する福祉レジーム論は、「脱商品化」や「階層化」といった指標を用いてケアの社会的配分方法の三類型を提示し、福祉国家比較研究に大きな影響を与えてきた(Esping-Andersen 1990=2001)。その一方で、東アジア諸国が福祉レジームの三類型にうまく適合しないという問題が生じた他、フェミニスト福祉国家論が主張するように福祉レジーム論が福祉国家の役割に着目する一方で、家庭内で生じる家族のケア負担について十分に言及してこなかったことが指摘されてきた。特に家族主義的性質が強いために福祉レジームの三類型とは別の「家族主義福祉レジーム」に位置づけられる東アジアにとって、福祉国家を代替する家族のケア機能の実態把握が目指されてきた。 【方法】  福祉レジーム論と家族をめぐる議論が興隆するなかで台頭した脱家族化論に本研究は着目する。具体的には、1990年代初頭の脱家族化概念に言及する議論、2000年代以降の二つの脱家族化を提唱する「家族主義の多様性論」、2010年代の東アジアを対象とした脱家族化を用いた福祉国家比較研究を概観する。 【結果】 1990年代の脱家族化概念をめぐる議論によると、福祉国家比較研究で度々引用されるEsping-Andersenの脱家族化概念(Esping-Andersen 1999=2000)が女性の労働力化による経済的自立のみを意味する狭義の脱家族化概念であることがわかった。その一方で、1990年代初頭のフェミニスト福祉国家論は家族の構成員全員の自立や、育児や介護といった家族間のケアが当然視される関係性からの自立を想定する広義の脱家族化概念を提示していた。 続く2000年代以降の「家族主義の多様性論」では、福祉レジーム論のように家族のケア負担を軽減する様々な方策や効果を脱家族化の指標とはせずに、「ケアサービス」と「ケア費用」とに脱家族化の方針を分節化して捉えている。 2010年代以降になると東アジアと西欧諸国を対象にした脱家族化指標や類型論を用いた福祉国家比較研究が興隆する。これらの研究は依拠する脱家族化概念によって導出される結果が異なる。狭義の脱家族化概念に依拠する実証研究では、家族政策や制度への公的支出の規模が大きい西欧諸国が東アジアに比べて脱家族化する傾向がみられる。一方で、広義の脱家族化概念に依拠する実証研究では、同じ東アジア諸国であっても異なる位置づけがなされる。例えば、積極的な家族政策を講じる北欧諸国に加えてフランスや韓国がケアサービスも費用も脱家族化させている。また、ドイツや日本がケア費用を保障することで家族による育児や介護の経済的な負担を緩和させて家族によるケアを奨励する一方で、保育所や老人ホームなどのケアサービスの拡充に遅れがみられることがわかっている。 [付記]本研究は松下幸之助記念志財団の研究助成(助成番号19-G08)を受けている。

報告番号258

ケアのアンビバレンス――家族のケアにおける甘受と享受の交錯
一橋大学大学院・日本学術振興会 戸井田 晴美

【1.目的】 本研究は,なぜケアにはケアの甘受と享受というアンビバレンスな状況が存在するのか検討し,その内実を明らかにすることを目的とする.ケアという行為は,自然発生的に営まれるだけではなく,性別役割分業や家族主義などからくる規範意識,就業形態などの社会構造も影響し,ケアをする人(以下,ケアラー)にとって,ケアを甘受せざるを得ない状況が長きに渡り続くこともある.その一方で,自らケアに積極的にかかわり,ケアを享受することもある.これらの状況が著しくあらわれるのは,賃金の得られる施設のケアよりも無償の家族のケアの方であると考え,家族のケアに焦点を絞ることとする.家族が介護に導かれ,「巻き込まれていってしまう」(木下 2019)ことへの着目は,介護の視点を超え,ケアの対象が子どもや障害者の場合においても,重要な示唆になるのではないかと考える.【2.方法】 2019年以降,高齢者介護の家族会,ダブルケアカフェ,ダブルケア勉強会など,ケアに関連するフィールドへの参加,半構造化面接法によるインタビューを中心とした質的調査を実施した.調査協力者42名の語りのうち,顕著な例を本研究の対象として分析した.【3.結果】 子育てや介護も含めて7人のケアの経験を持つAさんは,共働きである長男夫婦に代わり,お金では賄いきれない義理の両親の介護の部分を「専業主婦だから.みんな忙しくてできないし」と語り,妻や専業主婦としての規範意識が影響し,ケアを甘受していた.その一方で,ケアを「自分がやらないとたぶん気持ちが悪い」,「あとで自分が後悔しないためにやってる人が多い」とも語り,「ケアラーのアイデンティティ」(大和 2008)に深い結びつきがあるだけでなく,ケア対象者の他界によって起こるのちの後悔やケアすることで得られる達成感を予測したうえでケアを享受していた.【4.結論】 ケアの甘受については,妻や専業主婦としての規範意識やケアの担い手が家族にいないことなどが理由となり,ケアを受け入れざるを得なくなっていた.そこには,就業形態によって家族のケアの担い手が水面下で選定されていくような構造もあった.他方で,ケアの享受には,後悔や達成感といったものが動機となり,ケアに向かうことが正当化されていた.さらにはケア対象者のためだけでなく,自分のためのケアでもあると捉える直すことで,ケアに向かう気持ちを鼓舞する面も持ち合わせていた.それは,ケア対象者の死の瞬間に傍にいられるかどうかということに価値を置く考えが,人々にいかに根付いているのかということも同時に示していた.このように,家族のケアは,ケアの甘受と享受を交錯させるというアンビバレンスな状況において,目の前のケアに対峙していることが明らかになった.今後の課題は,ケアの享受について,本来甘受であったものを享受として再構築されたものなのか,あるいは本質かという点にまで,もう一段階深く議論を進められるかどうかにある.【文献】 木下衆,2019,『家族はなぜ介護してしまうのか――認知症の社会学』世界思想社. 大和礼子,2008,『生涯ケアラーの誕生――再構築された世代関係―/再構築されないジェンダー関係』学文社.【謝辞】 本研究はJSPS 科研費21J23026の助成を受けたものである.

報告番号259

妻の就業が離婚に及ぼす影響とその時代変化
東京大学大学院 木村 裕貴

【1.目的】  妻の就業は夫婦の離婚リスクにいかなる影響を及ぼすのか.先行研究では,就業により妻の経済的自立が進むため離婚リスクが高まるとする研究もあれば,就業を通じて世帯の経済状況が改善し経済的ストレスが緩和されるため離婚リスクが低くなるとする研究もあり,実証分析の結果は一致していない.こうした中,これまでの研究が妻の就業と離婚リスクの間に時代間で不変のメカニズムを想定していたのに対して,近年の研究では,女性の就業に関する社会規範の変化に伴い妻の就業と離婚リスクの関連が変化する可能性が指摘されている.すなわち,既婚女性の労働力参加が一般的でなかった時代には,妻の就業は役割規範に反し,夫婦関係のコンフリクトさらには離婚につながりやすかったものの,既婚女性の労働力参加が進むにつれてこの関連が弱まるという議論である.しかしながら,日本を対象とした研究では妻の就業と離婚リスクの関連に焦点を当てた研究が限られており,メカニズムや時代変化には検討の余地が残されている.そこで本研究では,1990年代以降意識と行動の両面で既婚女性の就業促進が進む一方で基層的な性別役割分業が持続する日本社会において,妻の就業が離婚リスクに及ぼす影響とその時代変化を明らかにする. 【2.方法】  分析には,消費生活に関するパネル調査(1993–2020年)のデータを用いる.夫婦ともに55歳未満の有配偶女性とその配偶者を分析対象とし,離婚生起をアウトカムとする離散時間ロジットモデルを推定する.注目する説明変数は,女性(妻)の就業状態・雇用形態と労働所得(稼得)である.さらに,時代変化を検討するために,2000年代半ばの前後で2つに分けた結婚コーホートを使用する. 【3.結果】  以下3つの分析結果を得た.(1) 妻の就業は離婚リスクを高める効果をもつ.この効果は結婚コーホート間で概ね安定的である.(2) 妻の就業状態・雇用形態を統制したうえでの稼得の効果には結婚コーホート間で変化がみられる.2000年代前半までに結婚したコーホートでは稼得が離婚リスクに及ぼす効果は正であり,稼得が高いほど離婚リスクが高かった.これに対して2000年代後半以降に結婚したコーホートでは(夫の稼得と同様に)離婚リスクに対して負の効果がみられる.(3) 以上の変化の結果,2000年代後半以降の結婚コーホートでは,妻が就業していて低稼得である場合に最も離婚しやすく,無業である場合と就業していて高稼得の場合に離婚しにくいという「逆U字型」の関係が現出した. 【4.結論】  妻の就業は離婚リスクを高める効果をもち,この効果は時代間で安定的である一方,高稼得層で離婚リスクが低下するという就業者内の変化が示された.これは,性別役割分業が結婚の安定性の基盤として機能し続けている持続の側面と,稼得のもつ意味のジェンダー非対称性が緩和しつつあるという変化の側面の両者を含意する.

報告番号260

サロガシーで用いられた近代家族のメタファーの論証戦略
東京都立大学 佐野 俊幸

サロガシーは代理妊娠を指す。しばしば生殖技術は(も)、近代家族への挑戦となることが指摘されるが、実際にはそのような挑戦は行為者にとって負担が大きいと考えられるから、むしろ近代家族の核組に基づいたメタファーを利用することで自己の行為を正当化する戦略がとられるが愛のほうが多いと考えられる。本研究は、英国ベビー・コットン事件での新聞言説をテクストに、このような論証戦略を、批判的言説分析の手法を用いて跡付けようとするものである。 生殖技術を通じた親成りに対しては、カップル以外の存在が、子を成すための生物学的素材を提供するという場合がある。これが、二親型の家族モデルに対する挑戦となっているという見解があり、たとえばGiddensも親密性の検討の中で、家族像の解放(民主化)の方向への「期待」が表明されている。  だが、そうした異性婚二親型と異なった部分を持つ親成りが、必ずしも「異性婚二親型モデル」を否定しない場合がある。たとえばLewin(1995)はレズビアン・カップルの親成り、あるいは母成りについて、一方では、それが異性婚型の女子パートナーと異なるという点で困難に直面すると指摘しつつ、他方では、母成りが、家父長制下での女地位としての母親地位を提供し、これによって利益を得ていること、そうした自覚から、単なる同性愛者ではなく、それと共に「いわゆる母親となった」という自己像を持っていることに注目している。  考えてみれば、近代家族という構成物は、ある種の「歴史的重み(慣性)」を持っているから、それへの挑戦は容易でないことが推定される。ゆえに言明の上では、一方では、そうした挑戦が抑制され、逆に他方で、この枠内にとどまっている点についての積極的弁明がなされるであろうことが予想される。実際の言説上は、このような近代家族モデルをもとにして、サロガシーの依頼側カップルやサロゲートのカップルに関してメタファーが用いられ、これに基づいてサロガシーの是非に関する論証がなされると考えられる。そこで、対象とするテクストに関して分析は、Neaguやvamn Dijk、van Eemerenなどを参照し、論証におけるメタファーの利用に注目した批判的言説研究の手法を用いる。とくに「三位一体」と称される4つの要素、婚姻‐愛情‐性行動‐生殖の関係をてこに組み立てられたメタファー、例えば「サロガシーは売春である」対「サロガシーは家族愛を支援する」「サロガシーはサロゲートの夫婦愛」といった論証の対決として検討する。

報告番号261

海外で働く日本人女性の就業状況
明星大学 元治 恵子

【1.目的】日本企業のグローバル化の進展にともない、海外で働く日本人は駐在員だけではなく、現地採用者も増加している。「現地採用」に関する研究は、当初「日本人女性」に焦点が当てられていた。その背景には、1990年代半ば以降、海外に職を求め働く日本人女性が増加したことがあった。香港への就職ブームに始まり、続いてシンガポール、アジア諸国へと広がりをみせ、メディアの注目を集めた。バブル崩壊後の就職難や日本企業に見られるジェンダー規範、ライフコースにおける文化的・社会的規範からの脱出がプッシュ要因として指摘された。ブームから四半世紀を経た現在、海外で働く日本人女性は、どのような状況にあるのか、また自分自身のキャリアに関してどのような意識をもっているのかを検討する。【2.方法】先行研究は、インタビュー調査を用いて当事者の主観的意味付けに注目し、マクロな社会構造とミクロな動機の結合を目指したものが多い。本研究では2020年1月に日本国外で就労する50 歳未満(2020年1月時点)の日本人を対象とした(N =1011)「若年・壮年日本人移住者のキャリア移動とライフコース展望に関する縦断調査研究」の調査データを使用する。分析対象は女性回答者のみ(N =634)とした。対象者は、Facebook 上での広告配信、海外就職に関する人材紹介会社の協力を得て、メールや掲示板での協力依頼告知にて募集した。【3.結果】まず、海外への移住理由では、働き方や年齢により①駐在、現地採用者は、海外で働くことや海外への関心が多い②現地採用者、フリーは、ライフイベントにより海外へ③現地採用者は、以前の仕事のストレス、職場の人間関係への不満が多い④20代は、他の世代に比べると、海外への関心、自分探し、仕事・職場に関連する理由が多いなどの違いが見られた。次に、働き方について見ると、現地採用者であっても無期雇用者が半数以上であった。日系企業では現地採用者は事務職や営業職が多く、それ以外の現地採用者では専門職が3割以上であった。日系企業の現地採用者は、職務内容・範囲、責任範囲の定めがある者が、日系企業以外や駐在に比べて少なく、自分の仕事のペースや仕事のやり方を自分で決めたり変えたりすることが出来る者が少なかった。また、駐在や日系企業の現地採用者では、日本人従業員同士で仕事上のコミュニケーションをとることも多い傾向が見られた。【4.結論】アジア就職ブームの際に、キャリアップのためや日本の企業社会への不満から海外就職を目指しているにも関わらず、多くの者は日系企業で現地採用者として働いており、矛盾しているという指摘もあった。現代においても、国際的な経験を積みたい、自分探し、海外への関心から海外で働くことを目指しても、海外進出日系企業の多くが取引先も日系企業であることも多く、日本語や「日本的なもの」を体得している人件費の割安感のある日本人女性の需要の高まりもあり、実際には、日本企業に見られるジェンダー規範、ライフコースにおける文化的・社会的規範からの脱出を成しえている者は多くないことが明らかになった。【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(JP18H00922)の助成を受けたものである。

報告番号262

Women in the IT Sector:Queen Bee and Gender Judo Strategies
HARVEY Valerie

“Women in IT are a minority and the situation is not improving. Data from Statistics Canada from 1991 to 2011 show the engineering sectors do not count many women. The situation is the same in United States and in Japan. While Canada has policies on gender equity and women should be considered as having the right to work in any sector, the reality is quite different. We observe a low presence of women in the IT sector, a well-paid sector that should be of interest, and women continue to be employed in traditionally female, often low-paid, occupations. Bourdieu described in Masculine Domination (1992) the concept of symbolic violence, which is not physical, but expresses itself through communication and environment between two social groups. There is one group which possesses greater social power, and the other is subordinate because of its minority status, related to gender, sexual orientation or ethnic identity. Because of social norms, the way women and men present themselves in working environments obeys invisible rules. Women in a context where they are a minority can face symbolic violence and be “encouraged” to adopt the “right way” to be, to act, to lead.

We thus wanted to understand how women in IT deal with their minority status in this sector. What are the main obstacles minority women in the IT sector face in their day-to-day lives? How do they deal with these? What is it in the IT sector that motivates their work? These are all questions that have interested us and the results help us to better understand the causes of women’s low representation in the IT sector. Our research is based on a qualitative approach, with interviews of women in the IT sector in Québec (Canada).

While we were compiling our result and analyzing them, we noted that a quarter of our panel were immigrated women who came specifically in Canada to work. We found interesting to investigate a little more their answers because they faced other possible difficulties in the IT sector: did they also met challenges not only because they are women, but also because they are immigrants? So we have done an second analysis about their them, especially as the integration of immigrants is an important issue in the Canadian workforce.

The results show that women cannot act as men to be recognized in a male-dominated sector. They are also criticized if they are “too feminine”, as playing a seduction game. Women in a minority environment faced doubts about their expertise, they have to prove that they have not been hired because of quotas put in place, which would have them pass before male candidates. Finally, they must be attentive to their attitude, because they may quickly be accused of being “aggressive” or too emotional. To counter these difficulties, we found that women do use “queen bee” and “gender judo” strategies, and that can be a potential explanation as why so few women are working in IT sector. ”


報告番号263

既婚者の仕事満足度の規定要因――ワーク・ファミリー・コンフリクトに注目して
大阪大学大学院 劉 思良

【1.目的】  本研究は、パネルデータを用いて、どのような要因が既婚者の仕事満足度に影響を与えているのかを探索的に検討する。 【2.方法】  多くの先行研究(Georgellis & Lange 2012; Tavares & Aassve 2013; Turliuc & Buliga 2014)では、仕事領域と生活領域が互いに影響されると指摘している。その中で、1つの研究方向は「ワーク・ファミリー・コンフリクト」(work-family conflict、以下はWFCという。)である。WFCは仕事と家庭の役割分担が両立できない役割間の葛藤を指す。葛藤の方向に従い、「仕事から家庭への葛藤」と「家庭から仕事への葛藤」に分けられる。しかし、葛藤の方向を問わず、いずれでも仕事役割の質と家庭役割の質を低下させる(Higgins et al. 1992)。  本研究は、WFCがどのように仕事領域にある満足感に影響するのかに焦点を当てる。具体的には、(1)帰宅時間と働き方の柔軟性(時間葛藤)は既婚労働者の仕事満足度、(2)「男性は仕事、女性は家事」という内外意識(吉川 2014)と母親役割意識(選択葛藤)は既婚女性労働者の仕事満足度に与える影響を明らかにする。本研究の特徴は、多くの研究に注目される葛藤の方向性ではなく、葛藤の属性からより精緻的に考察する点である。  以上の検証を行うために、2007年から2017年にかけて実施するJLPS若年・壮年パネルデータをもとに考察し、男女分けて、固定効果モデルを用いて分析する。また、既婚かつ有職者のみを分析対象とする。 【3.結果】  分析の結果は以下の通りである。時間葛藤については、帰宅時間が早くなっても、男性の仕事満足に有意な影響を与えなかった。それに対して、柔軟な働き方を利用できると、個人の仕事満足度は高い。男女ともにこの傾向を示した。選択葛藤については、女性の内外意識と母親役割意識が強いほど、仕事満足度は低い。すなわち、短縮された労働時間より、柔軟な働き方は既婚者の仕事満足を向上させる。その上、既婚女性は積極的に労働市場に参入しようとする一方、「男性は仕事、女性は家事」という伝統的な性別役割分業意識を持つことと育児に対する不安は彼女たちの仕事満足度を低下させることがわかった。 【4.結論】  本研究に関する限り、次のような結論にたどり着いた。法定労働時間と時間外労働の規制により、労働時間が短縮された。しかし、労働者の仕事満足を高めるためには、労働時間の短縮だけでは限界がある。労働時間外の時間が十分であれば、その時間を自由に使えることとは限らない。つまり、労働方式の柔軟性という側面に焦点を当てることが重要である。  また、女性は仕事と家庭の両立を求めているが、子育てと引き換えに退職したり、就労が子どもに与える影響を心配したりしている。このことから、女性の就業を促進して、仕事満足度を高めるために、労働時間の短縮と働き方の柔軟化だけでは不十分だと示唆している。「労働者」と「母親」という2つの役割を両立させる支援策が求められている。仕事と家庭に関する支援策が、賃金労働と理想的な家族を前提として作られ、男性に家庭から疎外させられると同時に、女性に職場から遠ざけさせられる。制度と支援策はステレオタイプのような「家庭の理想像」に閉じ込められると、労働の生産性と労働の再生産を阻む始末である。意識の転換とともに、制度と支援策の仕組みを充実させることが必要である。

報告番号264

保育の市場化過程における労働組合活動の諸問題――公立保育所労働組合役員の調査から
桃山学院大学 萩原 久美子

【目的】1980年代以降、福祉国家体制の再構築の一環として、ケアの生産・供給に何らかの市場メカニズムと契約概念を導入することで社会サービスの制度改革が行われてきた(原2008)。日本においても2000年代初頭から本格化した保育制度改革議論を経て2015年の子ども子育て支援新制度のもとで営利企業の参入および市場メカニズムを通じた量的拡大が目指された。その過程で、民間保育市場の条件整備として公立保育所の再編・縮小も進んだ。かつて約6割を占めてきた公立保育所は2020年、約3割にまで減少し、公立保育所では保育士の非正規雇用化が進んだ。それに伴い、公立保育所を中心に構築されてきた労使関係と保育労働当事者のヴォイスチャンネルがそのプレゼンスを縮小させていった(萩原2017、2022)。市場システムから生じる機会の不平等やケアの評価、責任の分配をめぐる構造的不平等の問題はすぐれて政治かつ民主主義的対応を必要とする(Tronto, 2005)。民間保育市場に適合的な労働力への再編が進む今、公立保育所における労働組合活動の現状と課題を明らかにする必要がある。 【方法】全日本自治団体労働組合(自治労)の協力を得て、量的調査を行った。対象は保育施設で働く労働組合役員・役職者である。具体的には各都道府県本部の社会福祉評議会・保育部会またはそれに準じる組織等で活動する地方本部役員(非専従/専従)、保育部会幹事、各特別区市町村の基本単組役員、同基本単組職場委員439人である。調査では労働組合活動の前提として非正規雇用化が進む職場における労働実態について聞いた上で、労働組合活動における制約と課題についての評価をたずねた。調査はWEB調査で、2021年11月18日からから12月22日まで実施した。有効票は255票で、回収率は58.0%である。 【結果】対象となった労働組合の役員・役職者の間では自宅での作業時間をあわせ週約10時間の所定外労働時間が常態化している。国の職員配置の基準が低いために起きる過密労働だけでなく、公立保育所では再編統合を見越して新規採用を行わないため、スキルの求められる業務やマネジメントレベルでの業務の負担がこれら中堅・ベテランクラスの役員・役職者に集中しているためである。労働組合活動における問題として明らかになったのは、第1に、逼迫した労働実態がもたらす時間的資源の枯渇である。第2に、民間保育市場化への政策的圧力のもとで労働組合として保育の質を保証しうる労働条件の確保自体が難しく、役員・役職者が組合員に労働組合としての成果が説明しづらいことからくる労働組合活動への疑念、第三に、半数が今働く自治体は公立保育所の保育士を大切にしていないと感じ、7割が現場の声は反映されないと感じているだけでなく、実際に地方版子ども子育て会議にも労働組合や現場の保育士が参加している割合も半数を切ったことである。 【結論】公共部門の労働組合は、自治体や政府の雇用者としての役割、また労働条件に対する対社会的規制力を最も近距離で集団として発言し、交渉しうる立場にある。しかし、子ども子育て支援新制度の実施過程において、その労働条件と市場の論理により集団的なヴォイスチャンネルを政策的に抑制し、ケアの民主的実践を阻害していると主張する。

報告番号265

外見で差別しているのは誰か――履歴書の顔写真が採用選考の判断に及ぼす影響
立教大学 矢吹 康夫

【1. 目的】  海外では、採用選考時の差別を検証するために、実際の求人に架空の履歴書を応募し、属性によってフィードバックがどのように異なっているのかを比較するフィールド実験が多数実施されてきた(Adamovic 2020)。それらのうち、顔写真を添付した履歴書を使用した実験では、適正・能力が同程度でも、人種・民族・宗教的マイノリティや肥満、魅力的でない外見の応募者が低く評価されることが示されている(矢吹 2020)。  以上から、適正や能力とは関係がないはずの顔写真が採用選考の判断に何らかの影響を及ぼしていることが推測される。そこで本報告では、履歴書の顔写真が、どんな企業のどんな人物の判断に影響しているのかを明らかにすることを目的とする。 【2. 方法】  上記の目的を達成するために、ウェブ調査会社のNTTコムオンラインにモニター登録している企業の人事担当者に架空の履歴書を見せ、個々の応募者が採用プロセスの次の段階に進める可能性を回答させる実験を行った。まず、6〜10枚の顔写真を重ね合わせた平均顔を男女6名ずつ作成した。次に、それらの平均顔をメガネ(男女)、茶髪(男女)、肥満(男女)、アトピー性皮膚炎(女性のみ)、眼瞼下垂(女性のみ)、単純性血管腫(男性のみ)、全頭型脱毛症(男性のみ)に加工し、加工しない特徴なし(男女)を含めた12パターンの顔写真を実験には使用した。  そのうえで、回答者が勤務する会社で新卒で採用した新入社員を最初に配属する最も人数の多い職種に正社員として応募してきたと仮定して、顔写真を添付した履歴書8枚を見せ、各応募者が採用プロセスの次の段階に進める可能性を、非常に低い〜非常に高いの10件法で評価させた。なお、履歴書の閲覧には時間制限を設け、10秒が経過すると回答画面に進むようにした。回答者数は、N=818である。 【3. 結果と結論】  分析の結果、顔写真については、肥満(女性)、茶髪(男性)、全頭型脱毛症(男性)、単純性血管腫(男性)にネガティブな効果が見られた。顔写真の影響は、女性回答者は有意ではなかったのに対して、男性回答者は有意だった。また、応募者を配属予定の職種としては「営業・販売」で、回答者が勤める企業の業種としては「金融・保険・不動産」で上記についてよりネガティブな効果があった。 【4. 参考文献】 Adamovic, Mladen, 2020, “Analyzing Discrimination in Recruitment: A Guide and Best Practices for Resume Studies,” International Journal of Selection and Assessment: 445-64. 矢吹康夫, 2020,「履歴書の写真欄が差別を助長しているたくさんの証拠」ウェジー(https://wezz-y.com/archives/81806, 2022年6月7日閲覧).

報告番号266

職業内タスクと技術水準――ICTとタスク類型に着目した分析
早稲田大学大学院 瀬戸 健太郎

【目的】本稿の目的は近年、研究に盛んに応用されているタスク(Liu and Grunsky 2013)について、ICTとの関係からその「職業内」のシフトについて明らかにする。先行研究の多くは、労働市場マクロでのタスクの推移について明らかにしてきたほか、技術進歩の要因としてICT投資に着目して、タスクのシフトの経年変化を明らかにしてきた。これらの分析は労働市場マクロでの職業構成の変化と、職業内でのタスクのシフトの2つを念頭に置いて分析していると考えられるが、多くの研究(池永 2009;神林 2018)は技術変化によって生じる職業構成の変化、つまり職業の増減について論じており、後者の職業内変化については十分に明らかにされていない。一方、個人内の実行タスクに着目すると、職業の増減は予測ほど生じているわけではない、ということも明らかにされており、職業内のタスク変化に着目する必要性は十分に存在するといえる。そこで本稿は、ICTの使用頻度が職業内でのタスク使用についてどのような変化をもたらすのか、クロスセクション分析によりその端緒を明らかにすることを目的とする。【データと分析方法】そこで本稿は、OECDが2012年に実施した国際成人力調査(PIAAC)の日本版データを用いて、職業を(1)上層ホワイト、(2)下層ホワイト、(3)ブルーカラーに分類して、回帰分析を行った。【結果】本稿の結果は次のように分けられる。(1)第一に、仕事の自律性で見ればICTタスクの使用頻度の高さは、ホワイトカラーでのみ効果がある。(2)第二に、仕事での他者に対する影響力の行使は、どの職業でもICTの使用頻度の高さの効果が認められる。(3)第三に、仕事での学習密度など、タスクの負荷に関する変数では、上層ホワイトにしか効果が認められない。(4)しかしながら、読解タスクなど、ハードスキルを活用するタスクとは言い難いタスクであってもICTの効果は認められ、職業カテゴリー別に能力スコアをコントロールしても確認される。(5)学歴との交互作用も考慮すると、よりいっそう、上層ホワイトに顕著に効果が認められるが、ハードスキルを活用するタスクの低下要因としての効果は確認されない。【考察】以上の結果より、必ずしもICTが一様にタスク変化をもたらすわけではない、ということが言える。タスクは職業の構成要素であるため、一様ではないということは驚くべき結果ではない。他方で、読解や数的処理などハードスキルを活用するタスクであってもICTの効果が見られる。これら、スキル偏向的技術進歩仮説など技術水準の効果について、職業間のみならず、職業内についても着目する必要性があり、職業内変化に着目する有効性が示されたと言える。

報告番号267

新型コロナウイルス流行後のオンラインパネル調査データの分析(1)――パンデミック下における私権制限の賛否
東北学院大学 神林 博史

1. 目的  新型コロナウイルスの感染拡大後に社会的関心を集めた論点の1つが、私権制限である。感染拡大防止のために個人の自由はどこまで制限されるべきか、自由な経済・社会活動と感染拡大のどちらを優先すべきかという問題に、全世界が直面することとなった。日本の場合、ロックダウンに代表される強制力の強い感染対策の実施は法的に困難であり、自粛要請のような強制力の弱い対策に頼らざるを得なかった。このような状況下では、人びとが私権制限を受け入れるか否かが、対策の成否を左右することになる。  では、どのような人が私権制限を支持し、あるいは支持しなかったのだろうか。本報告の目的は、新型コロナウイルス感染拡大下における私権制限に関わる意識を分析し、それがいかなる要因と関連していたかを明らかにすることである。 2. 方法  本研究では「くらしと社会についてのインターネット継続調査」データを分析する。この調査は、調査会社の保有する調査協力者を対象にオンラインで実施しパネル調査である。コロナ問題が人びとの社会階層と生活に与えた影響を把握することを主な目的とした。対象者は全国の25歳から64歳までの男女で、住民基本台帳年齢別人口を用いて、性別・年齢層・都道府県の人口比に応じて回収数を割りあてた。第1波調査は2020年6月(N=3,486)、第2波調査は2020年9月(N=2,845)、第3波調査は2020年12月(N=2,427)、第4波調査は2021年3月(N=2,427)に実施した。  本報告では私権制限の賛否に影響する要因として、生活の困窮度、今後の生活の不安、一般的信頼の3つに注目する。仮説は以下の通りである。仮説1:生活が苦しい人ほど、私権制限に賛成する。仮説2:今後の生活の不安が強い人ほど、私権制限に賛成する。仮説3:一般的信頼が高い人ほど、私権制限に反対する。 3. 結果  私権制限への賛否として「社会のためになる活動は、参加を強制してよい」(5件法)を用いた。賛成率は約15%で、調査時期による変動はほとんどなかった。  各波データを個別に分析した重回帰分析と、固定効果モデルによるパネルデータ分析を行ったところ、仮説1と仮説2はおおむね支持されたものの、仮説3は予想とは逆の結果が得られた。すなわち、一般的信頼が高い人は私権制限に賛成する傾向が確認された。デモグラフィック変数との関連では、有職者および既婚者が私権制限を支持する傾向が観測された。 4.結論  生活の苦しさや不安を感じている人が私権制限への賛成に結びつくことは、コロナ禍における苦境から早く脱したいためと解釈できる。他方、一般的信頼が私権制限に対し正の効果を持つのは、私権制限がファシズムとの関連で論じられる風潮からすると奇妙に思えるかもしれない。しかし、一般的信頼が権威主義と親和的であることは先行研究(たとえば数土 2013)で指摘されており、決して不可解な結果ではない。  SSPW2020Panelデータの私権制限に関する意識にはいくつか注意すべき特徴があり、分析と結果の解釈には慎重な検討が必要である。この点については報告時に詳しく説明する。 謝辞:本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(19H00609、21H00776)の支援を受けた。SSP2020Wデータの使用については、SSPプロジェクト(http://ssp.hus.osaka-u.ac.jp/)の許可を得た。

報告番号268

新型コロナウィルス流行後のオンラインパネル調査データの分析(2)――メンタルヘルス回復期に現れる階層的差異の検討
上智大学 HOMMERICH Carola

1. 目的 新型コロナウィルスの感染が拡大した時期に、階層的に弱い人びとへの経済的インパクトが比較的に大きかったと同時にメンタルヘルスが悪化していたことが明らかになっている(Kanbayashi et al. 2021)。新型コロナウィルスの感染拡大とともに現れたこのような格差は新型コロナウィルスの脅威が弱まることで消えていくのか、それともそのまま残り、固定されてしまうのか、このことは今後の社会のあり方を考えるうえで重要な問題だといえる。本報告は、2021年に実施されたオンラインパネル調査データをもちいて、新型コロナウィルスの脅威が弱まることで人びとのメンタルヘルスがどのように変化し、そしてそこにどのような階層的な差異があったのかを明らかにする。 2. データと方法 本報告でもちいられるデータは、『くらしと社会意識についてのインターネット調査』(SSPW2021-Panel調査、2021年3月~2022年3月、4回実施)である。分析に使用された従属変数は抑うつ傾向を測るK6スコアであり、従属変数は所得階層と社会関係資本である。そのほか、人口学的属性(年齢、性別、家族構成など)及び社会的地位(学歴、雇用形態、職業など)を統制変数としてもちいた。また分析にもちいた手法は、重回帰モデルと固定効果モデルである。重回帰モデルでは主に所得階層と抑うつ傾向との関係が検討され、固定効果モデルでは主に社会関係資本と抑うつ傾向との関係が検討された。 3. 分析結果・考察  分析の結果、2021年3月以降、人びとの抑うつ傾向が弱まっている(人びとのメンタルヘルスが向上している)ことが明らかにされた。そして、このメンタルヘルスの改善傾向は高・中所得者層よりも低所得者層に顕著であった。先の研究で階層的に弱いものの抑うつ傾向が強まっていることが報告されていたことを考慮すると(Kanbayashi et. al 2021)、新型コロナウィルスの感染拡大によって傷つけられたメンタルヘルスは回復途上にあるといえる。しかし、高所得者層と低所得者層のK6スコアの差が縮まったといえ、後者のK6スコアは前者のスコアを統計的に有意に上回っており(=後者のメンタルヘルスは前者のメンタルヘルスよりも低くなっており)、両者の間には依然として大きな違いがある。  また固定効果モデルの分析結果は、政府への信頼、身近な人とのコミュニケーションの頻度、そしてサポートネットワークのサイズの変化が、抑うつ傾向の変化と統計的に有意に連動していたことを明らかにしている。社会関係資本が強まったことによって人びとの抑うつ傾向が弱まり、メンタルヘルスも向上していた。しかし、社会関係資本とメンタルヘルスの関連の仕方が階層的地位ではなく、性別で異なっていることも明らかにされている。社会関係資本がメンタルヘルスに及ぼすポジティブな影響がすべての個人にとって同程度であるわけではないことにも注意する必要がある。 謝辞 本研究は、科学研究費補助金(21H00776、19H00609)による成果の一部である。また、SSPW2021-Panelデータの使用については、SSPプロジェクト(https://ssp.hus.osaka-u.ac.jp/)の許可を得た。 文献 Kanbayashi, H., C. Hommerich, & N. Sudo. 2021. “Impact of COVID-19 Pandemic on Household Income and Mental Well-Being: Evidence from a Panel-Survey in Japan.” Sociological Theory and Methods 36(2): 259-277.

報告番号269

COVID-19に関する意識と行動の変化――JGSS-2021/2022を基に
大阪商業大学 佐々木 尚之

【1.目的】 日本版総合的社会調査(JGSS)の結果に基づいて、COVID-19の影響下における生活意識や行動の変化を明らかにする。COVID-19に関するJGSS-2021の主な結果は、次のとおりである。〇感染不安は、女性、高齢者、製造業と不動産業従事者、経済的不安を抱える人、感染リスクを強く感じている層で強い。〇経済的不安を感じている人が増加した。〇非正規層で仕事量、時間、収入ともに減少した割合が高く、経済的不安を抱える割合も高い。〇経済活動より感染拡大防止を優先すべきが68%を占める。〇COVID-19をめぐる政府の対応への評価は、従事する業種により異なり、経済不安をもつ層で低い(吉野・岩井・佐々木 2021; 岩井・林 2021)。 最近の動向に目を転じると、2021年10月には「丁寧な説明」と「丁寧な対話」を重視する首相にかわり、人々の「コロナ慣れ」が進み、感染不安や政府の感染予防対策への関心が弱まってきた可能性も考えられる。NHK「政治意識月例調査」によると、COVID-19の感染拡大を防ぐための政府の対応への評価は、2021年10月に評価するが58.5%と前月より14.8ポイント増加した。その後は概ね60%前後で維持されており、第6波ピークの2月においても評価するが58%を超えている。5月の同調査によれば、政府に優先して取り組んでほしいのは、経済活動の回復(50.5%)が感染拡大の防止(37.5%)を上回る。 こうした点を鑑み、本報告ではJGSS-2021/2022を用いて、感染不安や感染リスクの認知、政府が優先すべき事項、友人との会食頻度、生活満足度、主観的健康感、仕事と収入への影響、経済的不安などが、1年間でどのように変化したかを明らかにする。 【2.方法】 2021年2月に実施したJGSS-2021と、2022年2月に実施したJGSS-2022を軸として、必要に応じてJGSS累積データを利用する。JGSS-2022では、2021に組み込んだCOVID-19に関する14の設問(感染リスク・不安、予防行動、雇用契約や事業への影響、政策への意見など)は継続し、自粛行動と行動の変化(テレワークや時差出勤など)の設問は落とし、「感染拡大前後での世帯収入の変化」や「ワクチン接種の経験」を追加した。【3.結果と結論】 JGSS-2021は全国440地点で6,600人に、JGSS-2022は400地点で6,000人に留置法で実施し、回収数は3,522ケース(粗回収率:53.4%)と3,145ケース(52.4%)。JGSS-2022の素データは6月末に届き、学会時に分析結果を明らかにする。 【参考文献】 吉野智美・岩井紀子・佐々木尚之, 2021,「新型コロナウイルス感染症による日本人の生活と意識への影響―JGSS-2021調査の結果概要」『第94回日本社会学会大会報告要旨』. 岩井紀子・林萍萍, 2021,「コロナにおける日本人の不安感と政策に対する評価―日本版総合的社会調査 JGSS-2021から」『学術の動向』 26(12), pp18-26. 【謝辞】 日本版General Social Surveys(JGSS)は、大阪商業大学JGSS研究センター(文部科学大臣認定日本版総合的社会調査共同研究拠点)が、大阪商業大学の支援を得て実施している研究プロジェクトである。JGSS-2021/2022は、京都大学大学院教育学研究科教育社会学講座の協力を得て実施し、文部科学省特色ある共同研究拠点の整備の推進事業JPMXP0620335833、JSPS科研費JP20H00089の助成を受けて実施した。データの整備は、JSPS人文学・社会科学データインフラストラクチャー構築推進事業JPJS00218077184の支援を得た。

報告番号270

何を測る対象とし,推定するか――社会階層研究への適用を例に
東京大学 藤原 翔

問題の所在 この20年間で社会科学の方法は大きく変化している.特に因果推論と機械学習を用いた方法的・実証的研究が増加している.ただし,社会学ではこれら方法はまだ十分に生かされていない.これら方法が適用されていたとしても,例えば因果推論については処置がアウトカムにどのように影響するのかという極めて限定された活用しかなされていない.社会学的関心と因果推論の関心や方法がそもそも合致していないという可能性もあるが,単にこれら方法をうまく社会学的研究課題と結びつけた建設的な議論がなされていないことも,ひとつの原因だろう.また,統計モデリングやパラメータ推定が目的となっており,リサーチクエスチョンと対応した推定対象が一体何なのかが不明確である状態で分析が行われいることも別の原因として考えられる.本報告では,因果推論の枠組みから発展した3つの方法を取り上げることによって,既存の方法の見直しも含めた社会学的実証研究の新たな可能性を明らかにする. 方法 検討するのは次の3つの方法である. (1)交互作用や非線形性を組み込んだ因果媒介分析のうち,特に処置によって誘導された媒介・結果変数の交絡変数がある場合でも識別可能な直接効果と間接効果の推定方法および交互作用部分と媒介部分への4つの要素への分解の方法(VanderWeele 2014; Wodtke and Zhou 2020) (2)関心のある処置変数(あるいは独立変数)が複数時点の場合に,これら処置変数の結果に対する因果効果を推定する長期的視点に立った方法(Wodtke et al. 2011) (3)人種,ジェンダー,出身階層による差(disparities)を記述するだけではなく,その差を狭める政策的に実行可能な介入を検討する方法(Lundberg 2022) これらは特に新しい方法というわけではなく,因果推論の枠組みから,既存の方法の問題点を指摘し,それを乗り越えようとするものである.また推定には機械学習の方法が活用されることも多い(Lundberg et al. 2021). 分析 分析には2015年に中学3年生であった生徒と母親(1,854ペア)を追跡した「中学生と母親パネル調査」のデータを用いる(藤原 2016;Fujihara and Tabuchi 2022).(1)については処置を所得,媒介変数を高校の選抜性,結果を教育達成とした因果媒介分析を行う.(2)については,処置を中学3年時と高校2年時の学校外教育(塾・予備校)への参加とし,結果を教育達成とした分析を行う.(3)については,男女による大学進学の差をどのような介入によって縮小することが可能かを検討する. 結論 3つの方法は従来の回帰モデルによる方法とは異なる結果を導く.こうした因果推論に基づく新たな方法によって,単なる精緻化ではなく,社会学的リサーチクエスチョンとより合致した分析が促進されるだろう. 付記 本研究はJP22H00069,JP21K18131,JP21K18448,JP19H00608,JP18H05204の成果である.

報告番号271

階層的地位・階層帰属意識・階層移動が政治意識に与える影響
早稲田大学学術院 コン アラン

1.研究背景・目的 マルクスの、階級が階級意識(対自的階級)を生み出し、それが政治的行動(階級闘争)につながるとの主張は、あまりにも有名であり、階級と階級意識、そして政治的行動は互いに関連するが想定されてきた。一方、階級移動(やそれに関する信念)は、階級闘争を阻害する要因になりうることがマルクスをはじめ他の先行研究から指摘されており、階級的地位・階級意識・政治的行動の関連を考える際、階級移動は重要な要因となりうることが考えられる。しかし、これら関連は、意外に知られておらず、特に日本においては、これら関連を考察した研究が乏しい。そこで本研究においては、 階級・階級意識・政治的行動、そして階級移動の関連を、職業階級・階層帰属意識・政治意識と階層移動の関連に焦点を当てて検証し、古典的理論の総合的理解を試みる。 2. データ・方法 社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)2015年データを用いる。分析対象は20歳から60歳までの男性・女性である。従属変数は、政治意識であり、投票行動に関する設問(投票に行くかどうか)と政治的選好(自民党に対する好感度)を用いる。独立変数は、職業階級(EGP階級分類6階級バージョン)と階層帰属意識(5段階)、階層移動の変数を用いる。階層移動に関しては、客観的階層移動と主観的階層移動の両方の変数を取り上げる。まず、客観的階層移動としては世代間職業移動を用い、主観的階層移動としては、階層移動の展望(昇進可能性)を用いる。分析手法は、Diagonal Reference Model(DRM)と多項ロジスティック回帰分析である。 3. 分析結果  まず、投票行動に対する階層帰属意識・世代間職業移動の影響を、DRM分析を用いて分析した結果、世代間職業下降移動することは、消極的な投票行動に影響していることが示された。一方、階層帰属意識は行動投票に対して正の影響を与えており、共変量(現職・婚姻状態・性別・教育年数)や世代間職業移動の変数をコントロールした上でも、高い階層帰属意識を持つことが積極的な投票参加に寄与していることが明かになった。また、事実としての世代間職業移動のみならず、階層移動の展望といった予想される階層移動も政治的選好に影響を与え、将来上昇移動を果たすと予想する人は、保守政党(自民党)に対して中間以上の好感度を持つ傾向があることが示された。このような結果から、階層的地位のみならず階層意識や階層移動も、政治意識を規定する要因であることが示された。 [注] 本研究は、JSPS科研費特別推進研究事業(課題番号25000001)に伴う成果の一つであり、データの使用にあたっては2015年SSM調査データ管理委員会の許可を得た。

報告番号272

祖父母の文化・経済資源が子どもの教育達成に及ぼす影響――2015年SSM調査のデータをもちいて
専修大学大学院 石橋 挙

【1.目的】祖父母の文化・経済資源が,親世代を超えて,子どもの教育達成に影響をおよぼすのかをあきらかにする.R.Mare(2011)が,二世代を超えた多世代間階層研究の重要性を主張して以来,世界各国で,祖父母が子どもの地位達成に影響を及ぼすのか検証されてきた.これらの先行研究のなかには,祖父母の階層ではなく,祖父母のもつ資源に着目し,祖父母の何が子どもに伝わるのかという具体的なメカニズムに踏み込んだ研究も存在する.先行研究では,特に経済資源(Hallsten and Pfeffer 2017; Møllegaard and Jæger 2015; Warren and Hauser 1997)や文化資源(Deindl and Tieben 2016; Møllegaard and Jæger 2015; Bol and Kalmijn 2016; 荒牧 2019)に着目してきた.こうした祖父母効果を検証することは,家族に起因する不平等の継続性を検証するうえで重要である.これらを踏まえて,本稿では,祖父母の効果と,その具体的なメカニズムを,祖父母の文化資本と経済資本に着目して検証する.【2.方法】使用するデータは,2015年に実施されたSSM調査である.分析対象は,調査対象者の子どもの年齢が22歳以上のケースである.また,本研究では,子どもの学歴を結果変数とするため,子どもを分析単位としてデータを再集計する.系譜によって効果がことなる可能性があるため,調査対象者の性別によって分析サンプルをわける.サンプルサイズは,父方がN=3,585,母方がN=4,582である.従属変数には,子どもの学歴をダミー変数化(短大大卒以上を1,それ以外を0)したものをもちいる.説明変数には,祖父学歴ダミー(後期中等教育以上を1,義務教育を0),祖母学歴ダミー,客体化された文化資本として調査対象者が15歳時に自宅にあった文化財,経済資本として調査対象者が15歳時に自宅にあった所有財の選択個数をもちいる.統制変数には,父母の学歴(短大大卒以上を1,それ以外を0),現在の所有文化財,現在の文化行動,現在の所有財,父職業,子どものきょうだい数,出生年,性別である.分析方法は,クラスタロバスト標準誤差をもちいた2項ロジットモデルをおこなう.また,欠測値がおおいため多重代入法をもちいる.【3.結果】分析結果として,母方祖父母の客体化された文化資本が子どもの教育達成に正の影響を及ぼすことが明らかになった.しかし,父方祖父母の文化資本,父方母方の経済資本は子どもの教育達成に有意な影響を及ぼさなかった.本研究の結果は,日本では,父系を中心とした直系家族によって,財産の相続が行われてきたけれども,母方のほうでは,モノではなく,文化のような無形資源が相続されてきたという可能性を示唆する. 【謝辞】本データ使用にあたっては2015年SSM調査管理委員会の許可を得た.また,2017年2月27日版(バージョン070)のデータを用いた.

報告番号273

包摂からみる信頼に関する検討:世代・ジェンダー間格差に着目して
東京大学 白波瀬 佐和子

1. 目的 社会階層論は、社会における不平等構造を明らかにするために発展し、今のコロナ禍にあって社会の分断が指摘されるなか、マクロな格差構造のメカニズムを明らかにすることに注力してきた。それが今、マクロな構造を生成する個人における格差生成のメカニズムにも研究が発展し、社会学おいて古くから言われてきたマクローミクロリンクの構造について積極的な研究が展開されている。そこでは階層、格差の構造のメカニズムの解明に注目が集まっているが、社会階層論研究の次なるステップとして格差、分断、あるいは不平等の縮小に向けた政策に踏み込んだ次なるステップを検討する時に来ている。DiPrete and Fox-Williams (2021)は、社会学、特に、社会階層論研究にあって政策議論への介入に禁欲的であったことを指摘している。そこで、本研究は、包摂(Inclusion)の概念に着目し、不平等研究のさらなる進展を目指すべく、その第一歩として信頼について実証データを用いた分析を試みる。特に、世代間(年齢階層間)とジェンダー格差に着目して分析を展開する。 2. 方法 本研究は、日本に在住する男女20〜79歳までを対象とした「社会階層と社会移動に関する全国調査」(SSM調査)2015年データと、2010年以来2年ごとに実施している「中高年者の生活実態に関する継続調査」を中心に、実証分析する。横断的に広い年齢層を対象とするSSM調査では、「一般に、たいていの人は信頼できると思いますか」という問い(一般的信頼)に対する、世代間、ジェンダー間の違いを検討する。さらに、2020年1月以降のコロナ禍との関係で、中高年者の信頼度に関する変化について基本的な分析を進める。 3. 結論 一般的な信頼度については、年齢階層間で統計的に有意な違いがあり、若年層の信頼度が低く高齢層の信頼度が高い。男女間では、男性の方が一般的信頼度は全体的に高い傾向にあるが、年齢階層別にみると、若年男性の信頼度は同年齢女性に比べると低いことが確認された。  2020年1月と5月の間で、新型コロナウイルス感染症拡大の初期段階における信頼に関する意識の変化は、男女共に大きな違いは認められなかった。  ごく初期の分析段階ではあるが、次に、人々の信頼度の中身について検討を進める。特にコロナ禍にあって十分注目されてこなかった高齢層にあって、若者に比較して高い信頼度は、政府や社会保障、近隣、家族といった対象を特定化した場合にどのような変化が見られるのか、見られないのかを検討する。

報告番号274

原発被災地で漁業を継続できる理由――福島県浪江町請戸漁港の事例
東北学院大学大学院 庄司 貴俊

1 目的  本報告では,原発被災地域である請戸漁港を事例に,処理水の海洋放出が決まりつつあるにもかかわらず,なにゆえ漁師は撤退を考えることなく当然のように漁業を継続できるのか,その理由を明らかにする.  2011年に発生した福島第一原子力発電所の事故は,多くの人びとから故郷や生業を奪うことになった.本報告が対象とした地域も原発から20km圏内に位置しているため,人びとは避難を余儀なくされた.くわえて,対象地域は津波により壊滅的な被害を受けた.それでも,主な生業である漁業を中心とする形で,人びとは復興に向け活動している.そのようななかで,原発で増え続ける処理水の海洋放出の情報が入った.漁師は「(せっかくここまで来たのに)元に戻りかねない」と強く反対しているが,海洋放出の動きは前に進められている.  注目したいのは,それでも漁師の「ここでこれからも漁業をやっていける」という将来展望が崩れていない点である.事故後,対象地域では放射線や風評被害への懸念など先行きが不透明な状況により,多くの漁師が漁業からの撤退を余儀なくされた.以上を踏まえると,現在の漁師とはこうした苦境を乗り越え,再び「この場所で漁業をやっていく」という将来の展望をもっている人びとと言える.しかし,処理水の海洋放出により再び漁師は先行きが不透明な状況に置かれ,撤退する漁師が現れることが懸念される.  けれども,対象地域では撤退する漁師はいないだけでなく撤退を考える人もいない.その背景には,漁業に関する将来の展望が崩れていないことがあげられる.処理水の海洋放出が現実味を帯びつつあるにもかかわらず,なぜ漁師は撤退を考えることなく当然のように漁業を継続できるのか.本報告では以上の問いを考察する. 2 方法  対象地域の漁業関係者に聴き取りを行い,調査で得た知見をもとに考察する. 3 結果  調査の結果,船が残った漁師は「船がなければやめていた」と船がある限り漁を続ける考えが判明した.一方で,船を失った漁師に目を向けると,船が再建されるまでにそれぞれの漁師で期間に差があった.聞き取りによれば,差は「この場所で漁業をやっていく」という決心の差であり,悩んでいる間は船が残った漁師のサポートをしていたことが分かった. 4 結論  以上から,まず事故後に漁業を再開した漁師にも迷いがあったことが分かる.次に,船を失った人でもサポートという形で漁業に携われていたことが分かる.こうした期間は,同時に何が起こるか分からない状況に慣れる期間だったと考えられる.事故後,魚からの放射線の検知やそれに伴う風評被害や政府の対応など,漁師はいつ何が起きても不思議ではない状況に置かれていた.当初は放射線や風評被害への懸念などは,人びとが漁をやめる理由になっていた.しかし,調査を進めていくなかで,それがやめる理由ではなくなっていることが判明した.すなわち,いつ不測の事態が起きても不思議ではない状況を漁師が内部化できたため,処理水の海洋放出が決まりつつあるなかでも漁業を継続できるのだと考えられる.

報告番号275

なぜ原発避難者は経験を伝え続けるのか
立命館大学大学院 坂本 唯

目的 東京電力福島第一原子力発電所での事故による原子力災害の伝承は、伝承館の設立や語り部による講和などを通じて行われつつある。伝承施設や災害遺構だけでなく、人間の経験や声が災害経験を記憶し、伝える「災害記憶メディア」となる中で、被災者が自己の経験を他者に伝えることで被る負担は大きい。例えば、経験を語ることに生じる痛みとして、出来事を言語化することによる苦痛の追体験や、他者に理解されえない不安、偏見や差別の対象となることなど、様々な社会な負担がつきまとう(清水 2017)。語ることによる負担を負いながらも、なぜ自己の経験を伝え続けるのだろうか。本研究では、原発避難者による避難経験を伝える活動を事例に、原発事故の「語り手になる」とはいかなる経験であるのかについて明らかにする。 方法  本研究では、2019年から実施している原発事故による避難者を対象にしたインタビューデータにもとづいている。報告では福島県からの県外避難者を中心に、避難先での社会的および個人的な負担を負いながらも、原発被災による経験を伝える活動を担う人々を対象とする。活動例をあげると、原発賠償訴訟団の一員としての意見陳述や、地域の学校での講演活動、詩の朗読会など、多くの場合は報酬を伴わない自主的な活動である。それぞれの活動現場での参与観察とともに、原発事故以前と以降の生活変容を捉えるために、個々人のライフヒストリーの聞き取りを行った。インタビュー調査では、所属する研究機関の研究倫理指針を厳守し、調査対象者の同意を得たうえで行った。 結果  対象者Aは、原告団のメンバーとして、避難し続ける理由とその必要性を他者に説得するために自己の経験を伝え続けてきた。また同時に、避難者および地域の支援者が集う会の立ち上げを行ってきた。避難先でのこれらの活動は、新しいコミュニティへの開拓であり、他者に任せる生き方ではなく自身の力で生きていくための実践であった。対象者Bは、当初は講演会の形式で自身の経験を伝えていたが、聞き手と語り手の対話を重視するために朗読会をはじめた。朗読会では、自身の経験にもとづきながら、原発事故後に福島県内にとどまった人々の気持ちを代弁するように行われている。そこでは、避難を決断する際に感じた葛藤や、自己の加害者性を朗読を通して昇華する経験であった。 結論  調査対象者らは自身の伝える活動に対して「さらけ出す」という言葉で表現した。自己の経験を伝える行為は、安全な領域から言葉を発するのではなく、自己開示を伴うものであった。自身の一部を削るようにして伝える実践を行う避難者の姿勢は、自己および他者の経験に対する認識の変化を生み出す可能性をもつ。自己開示を伴った伝える実践は、今後の原発災害の継承のあり方にどのようなインパクトをもたらすのかについて検討の余地がある。 参考文献 清水万由子,2017,「公害経験の継承における課題と可能性」『大原社会問題研究所雑誌』 709: 32-43.

報告番号276

福島県外避難者支援のローカルガバナンスの現状と課題――生活再建支援拠点事業を事例に
早稲田大学 西城戸 誠

【目的・方法】  東日本大震災と福島第一原発事故による避難者に対して、国(復興庁)と福島県は2016年度から「生活再建支援拠点」という官民協働の支援拠点事業を全国26カ所で展開し、2018年度からは避難者の「心のケア訪問事業」を開始した。さらに避難者が多い地域では避難者の訪問を行う「復興支援員事業」など合計5つの支援事業が実施されている。これらの支援事業は省庁内で縦割りに設計され、現場レベルで支援事業は個別に展開されていた。この問題点は、震災後7年半の段階での埼玉県の事例(西城戸・原田, 2019)と震災後10年の段階での新潟県の事例(松井, 2021)で指摘されている。だが他の地域の支援体制の状況は十分に明らかになっていない。  被災者ひとりひとりが抱える個別の課題に寄り添い解決を探る「伴奏型支援」「寄り添い型支援」や、個々の事情に合わせさまざまな分野の専門家が参加し個別の生活再建計画を立て、最終的には平時の既存の福祉や社会保障制度などへと軟着陸させてゆく「災害ケースマネージメント」(菅野, 2021)は、国も重要性を認めている。では、各地の生活再建支援拠点では、このような支援をどのように実施しているのだろうか。またそれらの支援が可能となる要件は何であろうか。本報告では生活再建支援拠点の統括するふくしま連携復興センターと、生活再建支援拠点に対する探索的な聞き取り調査よって、県外避難者支援のガバナンスの現状と課題について考察することを目的とする。調査は現在進行形であり本報告は中間報告としての位置づけである。 【結果・結論】  支援事業の縦割りと支援ガバナンスに関しては、避難者への訪問を行う復興支援員事業と、避難者からの電話相談や情報提供を行う生活再建支援拠点事業の双方を受託し、かつ災害支援の経験が豊かな拠点は支援ガバナンスの問題はないことが見いだせた。また、支援事業の受託団体のメンバーが近しい関係で活動を行う場合や、社会福祉協議会が支援事業に関わっている場合も、避難者個人に寄り添う支援が円滑に進む。一方で、支援事業の受託団体や福島県との定期的な話し合いの場があっても、社会福祉的な支援のノウハウやその指向性がない団体が支援事業を受託しているとそれは容易ではない。ニーズに応じた支援を変えることができる順応性が支援団体に求められるといえる。  また、生活再建支援拠点の中には、臨床心理士と公認心理師などの職能団体の場合、相談員が福祉の専門性を持つ場合、独自に専門家を雇用し相談対応をしている場合がある一方で、こうした専門家がいない拠点もある。それゆえ、全国支部がある日本精神科看護協会による「心のケア訪問事業」が展開された。この心のケア訪問事業による専門家の支援参加によって支援が円滑になった場合もあるが、後発の支援事業であったため、すでに存在する支援と重複し、生活再建支援拠点との連携がうまくいっていない場合もある。  以上の点から、避難者個々の事情に沿ってコーディネートし、支援のガバナンスの責任を持つ主体が重要であることが分かる。その主体は必ずしも地域福祉の主体とされる社会福祉協議会だけでなく、避難者や災害支援の中で構築された支援のネットワークであり、それをどのように地域社会に埋め込むかが継続的な避難者支援の条件となる。だが現時点では限定された地域に限られている。

報告番号277

神恵内村と高レベル放射性廃棄物処分場――泊原発との関連からの一考察
東洋大学 中澤 高師

本研究では,高レベル放射性廃棄物処分場(以下,最終処分場)の文献調査が実施されている神恵内村について,泊原発との関係から考察する.2020年11月,北海道後志管内の寿都町と神恵内村で最終処分場の文献調査が開始された.しかし,両町村で文献調査検討が表面化したのちの内外の反応には違いがみられる(中澤・辰巳 2022).寿都町では町民による反対運動が発生し,現在も継続している.2021年10月の町長選でも反対派の候補が900票を集め接戦となった.これに対し,神恵内村では組織的な反対運動は展開されておらず,2022年2月の村長選でも調査継続を主張する現職村長が圧勝した.また,周辺自治体の姿勢にも温度差がある.寿都町に隣接する島牧村,蘭越町,黒松内町は強く反対しており,「核のごみ拒否条例」を制定していった.一方,神恵内村と隣接する古平町と積丹町は反対の姿勢を示しているものの,泊村など岩宇地域の自治体からは否定的な反応は見られなかった. 本研究では,この相違を泊原発との関係から明らかにしていく.神恵内村は泊原発の隣接自治体の一つである.原子力産業が既に存在する地域に放射性廃棄物が集中する傾向は,原子力オアシス(Blowers 1991)として論じられてきた.フィンランドにおいても,原子力産業への経済的・財政的な依存,原子力への「慣れ」や「理解」が,放射性廃棄物処分場の受容に繋がったことが指摘されている(Kari 2020).日本においては,中澤(2005)が巻町と柏崎市・刈羽村を事例にローカルレジームの変化を論じている.しかし,原発の存在が,神恵内村のような周辺自治体に与える影響と,その最終処分場の受容との関連は明らかになっていない.本研究では,上に挙げた先行研究の知見を踏まえつつ,文献資料調査と関係者への半構造化インタビューによって,神恵内村が文献調査受け入れに至る事情を,泊原発との関わりから明らかにしていく. 神恵内村は,泊原発の隣接自治体ではあるが,当初から泊村,共和町,岩内町とともに北海道電力と安全協定を結び事前了解権をもつ「立地自治体」の一つとされてきた.また,交付金や雇用など原発からの「恩恵」を受けてきた.しかし,泊原発が立地する泊村に比べて,交付金の額は少なく,固定資産税が直接入ってくるわけではないこともあり,財政的にはより困窮している.一方で,神恵内村にとって原子力は身近な存在であり,原子力及び関連産業で働く人もおり,北海道電力による広報活動も行われてきた.このように,財政的に困窮しており,なおかつ泊原発に「地元」として関与してきたという経緯から,原発への「慣れ」や「理解」があるという,いわば原子力オアシスにおける周縁部としての特殊な状況が,文献調査受諾に繋がった可能性がある. 参考文献 Blowers, A., D. Lowry, and B.D. Solomon, 1991, The International Politics of Nuclear Waste, London: Palgrave Macmillan. Kari, M., 2020, “First of Its Kind: Eurajoki as a Nuclear Community and Site for the Final Disposal of Spent Nuclear Fuel”, JYU Dissertations 255, University of Jyväskylä. 中澤秀雄,2005,『住民投票運動とローカルレジーム』ハーベスト社. 中澤高師・辰巳智行,2021,「核のごみ地層処分場の文献調査と地域社会:寿都町と神恵内村の比較から」『環境と公害』51(2) 40-45.

報告番号278

政権担当者の感染症対策への評価が衆議院選挙の投票行動に与えた効果
近畿大学 辻 竜平

【1.目的】  新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対して,今日まで,安倍政権,菅政権,岸田政権の3つの政権が対応してきた.2021年10月4日に岸田政権が成立してからひと月も経たない2021年10月31日に任期満了に伴う衆議院議員選挙が行われた.結果は与党(自民・公明)が293議席を獲得し,依然として465議席の過半数を占めるに至った.  当時,デルタ株による第5波は収束していたが,新型コロナウイルスへの対応は,依然として大きな関心事であった.そこで,安倍政権以降,新型コロナウイルスの対応に当たってきた主だった大臣と専門家会議の座長や分科会の会長に対する評価が,政権与党(自公),革新系野党(立民・共産・れいわ・社民),保守系野党(維新・国民)への投票行動に与えた効果について検討する. 【2.方法】  2021年11月下旬,クロス・マーケティング社のモニターを用いたインターネット調査(CAWI形式)を行った.対象年齢は,15~74歳.設計サンプルサイズは710で,居住地(都市部/地方部)×年齢層(7層)×性別の28カテゴリの人口比に即した割り付けを行った.回収後,10分未満で回答した人を分析対象から除外し,18歳以上の656人を分析対象とした. 【結果と考察】  3つの政権で新型コロナウイルスの対策に当たってきた主だった大臣と感染症対策専門家会議座長,感染症対策分科会会長について5段階評価してもらったところ,測定した12人のうち,評価の平均値が有意に「3(どちらともいえない)」以上あったのは,菅政権下の河野太郎ワクチン接種推進担当大臣と,感染症対策分科会の尾身茂会長のみであった.  新型コロナウイルスの対応に当たってきた政権担当者等への評価について因子分析(因子数を3と固定した最尤法・プロマックス回転)を行ったところ,安倍政権と菅政権(旧政権)下の首相・厚労大臣・新型コロナウイルスやワクチンの担当大臣6人の評価が1因子,岸田政権(現政権)下の首相・厚労大臣・新型コロナウイルスやワクチンの担当大臣4人が1因子,専門家会議座長と分科会会長(専門家)の2人が1因子となった.  続いて,政権与党,革新系野党,保守系野党への投票行動を目的変数,新型コロナウイルスの対応に当たってきた人々への評価に関わる3因子を説明変数,デモグラフィック変数を統制変数としたロジスティック回帰分析を行ったところ,政権与党に投票したのは現政権と旧政権への評価が高い人,年齢の低い人であった.革新系野党に投票したのは,現政権と旧政権(ただし10%水準)への評価が低い人,専門家への評価が高い人,年齢の高い人であった.逆に,正規雇用と比較して自営などは,革新系野党に投票しなかった.保守系野党への投票については,有意な効果を示す変数はなかった.  また,政権与党,革新系野党,保守系野党への投票を目的変数とする多項ロジット分析を行ったが,政権与党を基準としたとき,保守系野党については,有意な違いを示す変数はなかった.  選挙当時,現政権の実績はわずか1ヶ月しかないにも関わらず,政権与党と革新系野党への投票は,現政権への感染症対策への評価の方が,旧政権への評価よりも影響が大きかった.任期満了に伴う選挙であったが,任期中の過去の政権の実績評価よりも現在の政権への評価の方が重要であることが示された.

報告番号279

日本の新型コロナ禍における社会意識と行動に関する社会調査――社会階層と行動の関連に関する計量分析
立教大学 村瀬 洋一

1.目的  新型コロナ感染の拡大から2年以上が経ち、各種の行動制限、人々の社会意識や行動の変化など、社会全体に大きな影響があったが、意識や行動の規定因に関する詳細な研究は少ない。日本社会における感染者数は何度かの波があったが、最近では死者数も少なく、政府による行動制限なども欧米と比べれば少なかった。しかし、自粛といいつつ様々な施策を強制するなど、日本における対策には批判も存在する。本研究は、新型コロナ感染に関する意識や行動の規定因について、社会階層との関連に着目しつつ、独自の統計的社会調査データを分析し、その規定因を解明する。 2.方法  立教大学社会学部が2022年に仙台市と東京都にて実施した「生活と防災についての意識調査」データを用いて計量分析を行う。確率比例抽出法により、東京と仙台市内それぞれにおいて90地点を抽出し、各2700人の20歳以上の個人を対象とした。調査員が対象となるご家庭に封筒を配布し、回収は郵送で行った。回収のために調査員が対象者を訪問することは断念した。仙台市では2022年2月に調査票を配布し6月現在で49%の回収率である。東京都では6月中旬に調査票を配布した。 3.結果  仙台調査の暫定的な集計結果では、「新型コロナウイルスの感染拡大前と、感染拡大後で、あなたの暮らしは変わりましたか」という問に対して「大きく変わった」と「ある程度変わった」を合わせて男性で62%、女性で67%が変わったと答えた。変わったこと(複数回答)としては、経済状況は男性23%女性21%、以下(男性,女性)「家族や友人、パートナーとの関係」(32%,37%)、「働き方」(29,21%)、「自宅での過ごし方や食生活」(42%,50%)、「健康・衛生に対する取り組み」(59%,66%)、「人生設計」(13,10%)、「コミュニケーションの手段」(29,37%)、「政治への関心」(23,22%)、「特に変わったことはない1」(4%,12%)だった。  新型コロナ感染拡大前に比べ、家計の状況はどうなりましたか」という問に対し「やや苦しくなった」と「苦しくなった」を合わせて男女とも30%が苦しくなったと答えた。「変わらない」は男性65%、女性68%だった。新型コロナウイルスの感染については、「親しい友人やよく知っている人が感染した」は男女とも13%、以下(男性,女性)「たまに会う友人や知り合いが感染した」(11%,9%)、「職場の同僚が感染した」(22%,16%)、「親戚が感染した」(7%,7%)、「家族が感染した」(2%,5%)、「自分自身が感染した」(1%,2%)、「知り合いの知り合いが感染したという話しをきいた」(35%,37%)だった。社会意識や行動の変数を被説明変数としたパス解析の結果は当日発表する。 4.結論  東京都調査はまだ回収作業中である。仙台市と東京都の比較や、多変量解析結果は当日発表する。人々の社会的地位や教育年数、階層帰属意識などの、意識や行動に対する効果については、さらに詳細な分析結果を当日発表する。 参考文献 村瀬洋一、立教大学社会学部社会調査グループ編. 2017. 『生活と防災についての社会意識調査報告書―仙台市、福島市、東京都における震災被害と社会階層の関連』立教大学社会学部. 注 本研究は文部科学省科学研究費補助金基盤(C)の助成を受けて実施した。

報告番号280

「ハレ指向」と生活満足度,幸福度との関連について――第5回消費とくらしに関する調査(1)
東京経営短期大学 中溝 一仁

1 目的 世界を見ればまだ貧困にあえぐ国が多くある中で,我が国は相対的には豊かな社会である。しかし,経済的な低迷は長く続き,今後の急激な経済的成長を期待できる状況にはない。こうした中で,日々の暮らしや人生の節目において,働き方や消費活動にメリハリをつけ,選択的に人生を充実させようと考える人が増えてきても不思議ではない。今回は探索的な研究を行うべく「ハレ度」という尺度を作成した。「ハレ」に重きを置く人とそうでない人とで,「働き方/休暇の取り方」や「余暇活動に対する取り組み」などが異なっているのではないか、ひいては生活満足度や幸福度に違いがあるのではないかと考えたのである。 報告者はかつて「日常的余暇活動と生活満足度」の関係について興味・関心を持っていた。その後,高齢者の余暇活動について,そして高齢者の非日常的な余暇活動としての「旅行・観光」について研究活動を行っている(中溝 2018)。この調査の過程で,旅行を頻繁に行う人は「定期的に行われる集団的余暇活動」にあまり参加していないことに気がついた。しかし,話を聞くと彼/彼女らは一様に人生における幸福感が高かったのである(中溝 2022)。そして,今回の「ハレ指向」について焦点を当てたのは,高齢者の「旅行・観光」に関するインタビュー調査の過程で「ハレの日を心待ちにするメンタリティ」というものがあるのではないかと感じたことがきっかけである。このメンタリティは,実際の「ハレの日の活動」とともに,人々の生活満足度や幸福度にどう関わっているのか/関わっていないのか。今回,仮に「ハレ指向」と,生活満足度/幸福度に正の関係が見出されれば,「ハレ度」を上げるための工夫や政策を促進することにより人々の生活満足度や幸福度を高めることができるのではないかと考える。 2 方法 本研究は,2021年10~11月に郵送法によって収集した社会調査(「第5回消費とくらしに関する調査」)のデータを用いている(間々田ほか 2022)。 3 結果  当初「ハレ度」を図る尺度として想定していた質問群は分析の過程でその構成の一部変更を迫られたものの,生活満足度と幸福度においてある一定の関係を見出すことができた。また,日常的な余暇活動の有無とその数,「自由になる金の多少」なども「ハレ指向」に影響があることが認められた。 文献 桜井徳太郎ほか,1984,『ハレ・ケ・ケガレ』青土社. 中溝一仁,2018,「余暇としての『旅』の持つ意味――高齢者の『旅行・観光』に関する質的調査から――」『応用社会学研究』60: 155-170. 中溝一仁,2022,「義務化しにくい余暇としての『旅』――『旅行・観光』に関する質的調査から――」『東京経営短期大学紀要』30: 51-62. 間々田孝夫・廣瀬毅士・藤岡真之・朝倉真粧実・中溝一仁・野尻洋平, 2022, 「多様化する消費文化の問題構成――『第5回消費とくらしに関する調査』の結果をもとに」『応用社会学研究』64: 47-66. 宮田登,1997,『正月とハレの日の民俗学』大和書房.

報告番号281

エシカル消費に対する脱成長意識の影響――第5回消費とくらしに関する調査(2)
豊橋技術科学大学 畑山 要介

1 目的 本報告の目的はエシカル消費と脱成長的な意識の関連について検討することである。エシカル消費は人や社会、環境に配慮する消費とされ、大量生産大量消費とは異なる持続可能な消費のあり方として論じられてきた。一方で、経済成長とは異なる豊かさの指標のもとで社会全体の生産量と消費量を縮小していくべきだとする脱成長という考え方も近年注目されている。両者は、社会や環境に対する負荷の低減という点では共通している。しかし、脱成長を論じる理論の一部からはエシカル消費は経済成長の補完物にすぎないとも批判され、両者の関係は論争の中にある。本報告は脱成長を人々の意識として捉えたうえで、それを大きく2つの志向に区別した。ひとつは企業の経済活動の縮小への志向(degrowth【脱成長志向Ⅰ】)、もうひとつは経済達成とは異なる豊かさへの志向(post-growth【脱成長志向Ⅱ】)である。本報告では、それぞれの志向がエシカル消費にどのように影響を受けているのかを検討していく。 2 方法 本報告では、2021年10月から11月にかけて実施した「第5回消費とくらしに関する調査」の東京圏データ(n=1237)を用いて分析をおこなう。分析ではエシカル消費に関する複数の項目(環境配慮消費、フェアトレード消費、従業員配慮消費、動物保護消費、被災地応援消費)を従属変数とした。また脱成長意識を、社会全体としてGDP増大を不要と考える意識【脱成長志向Ⅰ】と、人並み以上の経済水準の達成(収入増加)よりも楽しく仕事をしたいという意識【脱成長志向Ⅱ】に区別し、それぞれを独立変数とした。分析では、脱成長志向Ⅰがエシカル消費を促進するという仮説(仮説Ⅰ)と脱成長志向Ⅱがエシカル消費を促進するという仮説(仮説Ⅱ)に基づき、社会経済的な属性や指標で統制したうえで重回帰分析をおこなった。 3 結果 分析の結果、脱成長志向Ⅰ(GDP増大不要)はエシカル消費には正の効果を持たず、むしろ「従業員配慮消費」「被災地応援消費」に対しては負の効果さえ見られた。一方、脱成長志向Ⅱ(収入増よりも楽しさ)は「環境配慮消費」「従業員配慮消費」「動物保護消費」に対して正の効果が見られた。 4 結論 仮説の検証の結果、仮説Ⅰは妥当しないことが明らかとなった。エシカル消費は、経済活動全体の縮小への志向と結びついているとは言えないと考えられる。しかし一方で、多くの従属変数では仮説Ⅱが妥当することが明らかとなった。エシカル消費は経済達成とは異なる豊かさの追求への志向とは結びついている側面があると言える。

報告番号282

消費生活のデジタル化とモノに対する態度――第5回消費とくらしに関する調査(3)
文京学院大学 寺島 拓幸

1 目的  今日,消費行動は,ますますスマートフォンやパソコンなどの通信デバイスを使い,デジタル・プラットフォーム上でおこなわれるようになっている。人びとは,ECサイトやフリマアプリで売買し,シェアリングエコノミーを利用して貸借し,動画共有サイトやサブスクリプション型の配信サービスで情報コンテンツを楽しみ,SNSで経験を共有している。このような消費生活は,1990年代後半から徐々に浸透してきたものだが,コロナ禍における「新しい生活様式」への移行によって急速に定着したものである。  消費生活のデジタル化は,従来的な消費のあり方を基礎づけてきたモノの所有感覚や物質主義的価値観などにどのような影響をもたらすだろうか。Bardhi and Eckhardt(2017)は,デジタル化を背景として,「短命的,アクセス・ベース,脱物質化」によって特徴づけられる「リキッド消費」(liquid consumption)が,従来の「永続的,所有権ベース,物質的」な「ソリッド消費」(solid consumption)よりも優勢になることを指摘している。しかし,前者が後者よりも脱物質主義的であるかどうかは議論の余地があるという。  そこで本報告では,消費生活のデジタル化とモノに対する態度との関係性について社会調査データを用いて実証的に検討する。とりわけ,「モノ離れ」や脱物質主義的な態度とのむすびつきに焦点を当てる。 2 方法  東京圏(新宿駅40km圏)に居住する20歳以上70歳未満の個人を対象として2021年10~11月に郵送法によって収集された社会調査データ(計画サンプルサイズ3,300件,回収数1,237件,回収率37.5%)を用いて,モノに対する態度(①愛着,②利用志向,③物欲,④物質主義)と各種デジタル消費(ネット通販,フリマ・アプリ,モノシェア,デリバリー代行,SNS,動画共有サイト,動画配信サービス,音楽配信サービス)の生活必要度との関係性を統計的に分析する。各種デジタル消費の生活必要度(自分の生活にとってどの程度必要か)は,人びとの消費生活のどの面がどの程度デジタル化しているかを測定するための変数であり,尺度を構成して分析に投入される。 3 結果  概して,デジタル消費の生活必要度が高い人ほど,①愛着(モノを長期間かけて使用する態度)は弱く,②利用志向(モノの所有よりも利用を重視する態度)を有する傾向が認められた。同時に,③物欲(ほしいモノが多く存在するという態度)が強く,④物質主義(モノを入手することで幸せが得られるとする態度)的な価値観を有する傾向が認められた。 4 結論  第1に,さまざまなデジタルサービスを活用した生活を送っている人は,モノへの愛着が弱く,所有することに固執しないという「リキッド消費」の特徴がみられた。第2に,そうした生活は,「モノ離れ」的な態度と相関しているのではなく,むしろ物欲の強さや物質主義的価値観とむすびついている傾向が示唆された。 文献 Bardhi, F., and G. M. Eckhardt, 2017, “Liquid Consumption,” Journal of Consumer Research, 44(3): 582-597.

報告番号283

ICT化/デジタル化する消費と主観的幸福感――第5回消費とくらしに関する調査(4)
信州大学 水原 俊博

1 目的 コロナ禍以降,消費のICT化/デジタル化が急速に進展し,おそらくほぼすべての消費類型,すなわち,機能消費,記号消費,文化的消費,社会的消費の様態を変容させ,消費電力量を著しく増大させるといった社会的影響をもたらしている(水原 2021a, 2021b)。そのため,ICT化/デジタル化する各消費類型の特徴を詳しく把握するとともに,それらの意識や行動がどのような社会構造によって規定されるのか,また,本研究の関心としては,それらが主観的幸福感にどのような効果をもたらすのか,検討する必要があるだろう。 こうしたことから,本研究ではICT化/デジタル化する消費を,上述した消費類型に共通してみられる消費対象の購入,入手,アクセス面から捉え,具体的にはECやフリマサイト,シェアサービス,デイバリー代行サービス,SNS,動画・音楽配信サイトなどの利用(必要性認知)が,どのような社会的要因によって規定されるのか,さらに,そうしたICT化/デジタル化する消費が主観的幸福感にどのような効果をもたらすのか,社会調査データを用いて検討したい。 消費のICT化/デジタル化は消費の利便性を向上させ,主観的幸福感に対して正の効果をもたらすことが予想される一方,ICT化/デジタル化する消費は在宅でのテレワーク実施者に顕著な消費行動であり,実空間を移動して実店舗を利用することがない。そのため,ICT化/デジタル化する消費は運動不足などによって健康面に負の効果をもたらし,主観的幸福感に対して間接的に負の効果をもたらすかもしれない(cf. 古郡ほか 2014)。本研究では,健康面に対する負の効果を経由したこうした間接効果について,BMI(自己申告)を変数として投入して検討する。 2 方法 本研究では,2021年10~11月に東京圏(新宿駅40km圏)で20~60代の個人を対象に無作為抽出した標本に対して,郵送法によって収集した社会調査データを用いる(間々田ほか 2022)。 3 結果 データ分析の結果,従来の指摘どおり,主観的幸福感に対して配偶者あり,世帯収入(高)による正の効果がみられ,また,予想したとおり,テレワーク実施はICT化/デジタル化する消費に対して,また,後者は主観的幸福感に対してそれぞれ正の効果をもたらしていた。しかし,ICT化/デジタル化する消費とBMI,BMIと主観的幸福感との間には有意な関連はみられなかった。なお,本報告では,健康関連の変数を加えるなど分析モデルの修正を試みた分析結果とその解釈についても詳述する予定である。 文献 古郡鞆子・松浦司編著, 2014, 『肥満と生活・健康・仕事の格差』日本評論社. 間々田孝夫・廣瀬毅士・藤岡真之・朝倉真粧実・中溝一仁・野尻洋平, 2022, 「多様化する消費文化の問題構成――『第5回消費とくらしに関する調査』の結果をもとに」『応用社会学研究』64: 47-66. 水原俊博, 2021a, 「情報化の進行と消費」間々田孝夫・藤岡真之・水原俊博・寺島拓幸, 『新・消費社会論』有斐閣,156-77. ――――, 2021b, 「消費文化の情報化と社会の持続可能性――新しい生活様式を中心に」『経済社会学会年報』43: 5-14.

報告番号284

文化資本の社会関係資本の転換メカニズムに関する架空SNS実験
東京大学大学院 瀧川 裕貴

かつてP.Bourdieuは趣味や嗜好などの文化資本がいかにして、社会関係資本に転換されるのかという問題提起をおこなった(Bourdieu 1986)。以後、いくつかの文化社会学的研究がこの問題について検討に付している(DiMaggio 1987; Lizardo 2006)。最近、LewisとKaufmanは、Facebookデータの分析を通じて、このテーマをさらに掘り下げ、理論枠組みを整備した(Lewis and Kaufman 2018)。しかし、彼らの議論は観察データに依拠しているため、因果の解明という点では不十分である。そこでこの報告では、設定のリアリズムという点では劣るものの明確な因果的主張が可能な仮想的実験の枠組みでこのテーマについて検討することで文化資本の社会関係資本への転換メカニズムについての知見を深めることとする。  LewisとKaufmanは文化資本の社会関係への転換メカニズムとして「ダイアド転換」「一般化転換/禁止」「文化マッチング」の3つを挙げているが、本報告ではこのうち「ダイアド転換」メカニズムを主に検討する。これは、2人の個人が文化や趣味を共有すればするほど、社会関係を結びやすいというメカニズムについて述べたものである。しかしダイアド転換の因果メカニズムを観察データのみから明らかにすることは難しい。この仮説では、文化や趣味の共有が社会関係の成立に効果を持つという因果の方向性を想定しているが、逆向きの方向性も同様にもっともらしい。例えば、Hiderのバランス理論(Hider 1958)のように友人関係にある2人が相手の影響のもとで相手と同じ趣味を持つようになるといった場合である。また、当然ながら、社会経済的バックグランドの類似性やパーソナリティなどが交絡要因としてはたらく可能性も考えられる。以上の仮説に対して実験的手法を用いることで、因果の方向性と効果をより明確に特定することが期待できる。 この実験では、約6000名のオンライン調査登録パネルを実験参加者としてリクルートした。実験参加者は「Friends Circle」という架空のSNSに参加する場面を想定するように求められる。まず参加者は自分のプロフィールを入力する。プロフィールには趣味欄があり、音楽、映画、読書、アニメ、スポーツの5ジャンルの各ジャンルにつき最大2つの趣味を固有名詞で該当欄に記入する(例:スターウォーズ)。その後、50人分の趣味欄を含む架空のプロフィールが1つずつ提示され、友達申請を行うかどうかを選択するよう求められる。この実験の結果を分析したところ、他者が自分と同じ趣味をもつ場合、友達申請確率が有意に上昇することが明らかになった。これにより、ダイアド転換メカニズムの主張する因果の方向性が実証されたといえる。当日は、その他の転換メカニズムについての分析結果も紹介する予定である。

報告番号285

E・トッドの「人類学的基底」概念の修正に関する一考察――パターン変数の「業績本位」に注目して
神戸大学大学院 小川 晃生

目的/方法  本報告は小川晃生(2018, 2019, 2020, 2022)等で提示された、フランスの研究者E・トッドの「人類学的基底」概念の修正に関する諸研究の一部である。この研究は「人類学的基底」概念に「行為者の主体性」という着想を導入し、「人類学的基底の影響下での行為者の主体的行為選択」を議論しようとするものである。なお、こうした「人類学的基底」概念の修正において報告者はアメリカの理論社会学者T・パーソンズの「主意主義的行為理論」を参照しており、主体的行為選択の記述に「パターン変数」を利用している。  トッドの「人類学的基底」概念は比較文明・社会のための尺度の一つであり、人類学的基底の相異が各社会のイデオロギー・社会動態の相異と相関すると主張する。つまりトッドの議論を修正する上記の研究は「行為者の主体的行為選択の傾向の、人類学的基底に由来する社会ごとの相異」を議論しようとするものであり、この修正によって「人類学的基底」概念が社会学等で利用しやすくなることが期待される。  現段階では上記の研究は特定のテーマに関する経験的な先行研究を引用し整理することで行われている。報告者自身が実施する量的・質的調査を利用することは今後の課題である。すでに報告者はいくつかのテーマに沿って上記の研究を実施してきたが、本報告では「業績本位」をテーマとして選択する。このテーマは学校教育等と親和的であり、報告者は多喜弘文(2020)等の先行研究を参照して報告を行う。 結果/結論  少なくとも「業績本位」というテーマに関して、「人類学的基底の影響下での主体的行為選択」を二項対立的(業績本位―所属本位)に考えることは経験的妥当性を欠いていると考えられる。例えば「日本社会は業績本位的ではない」というような単純化は適切でない。しかしながら、経験的な歴史的過程のある局面だけを切り取れば、部分的な単純化は可能だと考えられる。例えば多喜(2020)は第二次世界大戦後の日本の中等教育システムの特徴をドイツ・アメリカと比較し簡単に整理する。こうした整理を利用することで、例えば日本の人類学的基底の影響下での特定の歴史的局面における「業績本位」の様態を議論できる。最後になったが本報告にあたってJSPS科研費(課題番号:20K22212)の支援を受けている。 文献 小川晃生,2018, 「価値・規範を中心とした社会システム理論の再生のための比較文明学的研究―パーソンズ社会学とトッド人類  学の接続を基調として―」神戸大学大学院博士学位論文 ――――,2019, 「二一世紀におけるトッド的なT・パーソンズ再解釈についての一考察―人類学的基底の表現としてのパターン変  数という文脈に基づいて―」『社会学雑誌』35・36:304-318 ――――,2020, 「パターン変数による人類学的基底の書き換えについての一論考―ゲマインシャフト・ゲゼルシャフト概念を参  照して―」『21世紀倫理創成研究』13:40-53 ――――,2022, 「E・トッドの「人類学的基底」概念の主体的行為選択としての書き換え――「普遍主義」を軸として――」『比  較文化研究』146:15-25 多喜弘文,2020,『学校教育と不平等の比較社会学』ミネルヴァ書房

報告番号286

伴侶動物に対する墓地の成立とその増加――「家族化」を越えた「商品化」の論理に注目して
立命館大学 辻井 敦大

1. 目的  近年、伴侶動物(ペット)は人間の人生のパートナーとみなされつつある。そうした伴侶動物に対する認識の変化から、人間と伴侶動物を一緒に埋葬することが可能な墓や伴侶動物に対する墓地(以下、「動物霊園」)が望まれ、増加している。 本報告の目的は、現代日本において動物霊園が、いかなる論理のもとで成立し、増加したのかを解明することである。  社会学のおける主要な葬送・墓制研究では、墓地の変化を通して家族意識・構造の変化を捉えてきた。こうした葬送・墓制研究と同様に、動物霊園の成立とその増加は、主に少子・高齢化、ならびに伴侶動物の家族化と関連して論じられてきた。これは少子・高齢化と並行してすすむ伴侶動物の家族化の結果として、ペット葬儀や動物霊園などの多様なサービスが用意されるようになったと捉えるものである。  このように先行研究では、人間、伴侶動物を問わず、墓地を家族意識・構造と結びつけて理解してきた。この視点に対して、本報告では、ペット産業や動物霊園に関わる事業者に注目し、いかなる論理のなかで動物霊園が「商品化」され、社会的に広がってきたのかを解明する。そして、ここから伴侶動物の家族化だけでは捉えきれない動物霊園の成立と増加の要因を検討する。 2. 方法  研究方法としては、ペット産業に関する資料・統計、および動物霊園の開発にかかわるコンサルタント・事業者による出版物を分析する。こうした資料は、伴侶動物を「家族」として捉える利用者側とは異なる事業者側の論理を明らかにすることにつながる。 3. 結果と考察  分析結果から、事業者側は1980年代以降のペット・ブーム、住宅事情の変化と伴侶動物の家族化を前提に、動物霊園を「商品化」した点が解明された。しかし、同時に動物霊園が増加してきた背景として、伴侶動物の家族化だけでは捉えきれない次の2つの要因が存在することも明らかになった。  第1の要因は、伴侶動物の火葬を請け負い、動物霊園を管理・運営をする事業者の経営上の安定のために墓や納骨堂が重要な役割を持っていることである。1980年代以降、ペット・ブームと都市部の住宅事情の変化により、伴侶動物の火葬需要が増加してきた。こうした需要に応えるにあたって、事業者は火葬を請け負うことに加えて、固定収入となる管理費が得られる墓や納骨堂の利用を勧めることで経営を安定させようとした。そして、この経営の安定の側面から、伴侶動物に対する墓や納骨堂の利用を推進するために、事業者は動物霊園を「商品化」し、社会に広げようとした。  第2の要因は、2000年代以降に移動式の火葬炉(移動火葬車)が普及したことである。移動火葬車の普及以前では、動物霊園でそれぞれ動物用の火葬炉を設ける必要があり、開業にあたっての初期投資費用が嵩んでいた。しかし、移動火葬車が普及したことにより、それぞれの動物霊園で火葬炉を設ける必要がなくなり、事業者の新規参入が容易になった。そこから、事業者間で過度な競争が起こることで、動物霊園の「商品化」が進展し、形態が多様化した。  以上の事実から、本報告では、伴侶動物の家族化と動物霊園の成立と増加の関係を再検討し、現代日本における人間-動物関係の一側面を社会学的に解明する。

報告番号287

コロナ禍における(陰謀論的)スピリチュアリティの展開
愛知学院大学 伊藤 雅之

C・ウォードとD・ヴォアスは、2011年に発表した論文において、陰謀論とニューエイジ・スピリチュアリティの融合を表現するために「陰謀論的スピリチュアリティ(conspirituality)」という概念を新たに用いた。一見すると、陰謀論者とスピリチュアリティ文化の担い手との間には、大きな溝がある。先行研究によれば、前者は男性が多く、保守的で、一般に悲観的であり、時事問題に強い関心をもつ。後者は女性が多く、リベラルで、楽観的であり、社会問題よりも自己の探求やプライベートな人間関係を重視するからである。しかし両者は、政府や主要メディアなどの権威への疑問、代替医療の重視、既存の社会制度への不信など、いくつかの文化的、社会的特徴において共通点をもつ。以前は一部の人たちによる狂信的信念と捉えられていた陰謀論的スピリチュアリティだが、最近ではYouTubeやTwitterなどのSNSによる情報発信によって、一般の人たちの関心を広く集めるようになってきている。その大きな原因の1つは、コロナ・パンデミックのグローバルな広がりや現在進行中のワクチン接種プログラムにある。  本報告では、おもに欧米諸国を念頭におき、コロナ禍において顕著となった陰謀論とスピリチュアリティ文化の結びつきの実態を究明する。具体的には、ヨガ、気功、アーユルヴェーダなど心身のホリスティックな健康を重視するウェルネス・コミュニティを中心に広がった「パステルQアノン」と呼ばれる文化運動を手がかりとしたい。この運動の担い手たちは、コロナ・パンデミックにともなうワクチン接種の背後には全体主義的な「ディープステート(闇の国家)」の陰謀があると信じ、パンデミックは計画された「プランデミック」であると主張する。そして「大いなる目覚め」というスローガンを掲げ、コロナ・パンデミックを生み出したディープステートの陰謀を暴き、真実をつきとめるという、自己決定権を信奉者に付与する物語(ナラティブ)を提供する。本報告では、ホリスティックな世界観を掲げ、自己の聖性や個人的探求を重視する現代スピリチュアリティ文化は、ときとして主流文化から「逸脱」し、陰謀論に陥るあやうさのあることを論じる。  それと同時に、当該文化運動の展開を逸脱的なものとしてのみ自明視せず、当事者たちの意味形成に着目する文化社会学からの接近を試みる。B・ジャウォルスキーによれば、陰謀論として扱われる多くの言説は、科学への反発とは程遠く、科学的権威の象徴や慣用句を選択的に利用している。言い換えれば、ワクチンを推奨する主流派、ワクチン接種反対派のいずれの物語も、科学対盲信、真実対欺瞞、証拠対仮説などの同じ二項対立を用い、科学、真実、証拠の重要性を強調する。コロナ・パンデミックを契機として急増した陰謀論的スピリチュアリティは、主流文化の側にも存在する欺瞞や盲信について疑問視させる役割を担っていることにも着目しつつ、本報告での議論を展開したい。

報告番号288

「神真都Q」運動の宗教社会学的考察――陰謀論・スピリチュアリティ・メディア
上越教育大学 塚田 穂高

2022年4月、新型コロナウイルスのワクチン接種会場に集団で押し入ったとして、警視庁公安部は「神真都(やまと)Q会」のメンバー4人を現行犯逮捕した。その後、リーダー格の男も逮捕されるなど、逮捕者が続いた。同団体は、「コロナは存在しない」「ワクチンは毒」などと主張してノーマスクでデモを行うことから、「反ワクチン団体」の一つと括られることが多い。そして、長期化するコロナ禍とそれにともなうワクチン接種の社会的勧奨のなかで勃興した「荒唐無稽」な「陰謀論」の流れに位置づけられ、社会不安を反映したものとしばしばみなされる。  しかし、反ワクチンを標榜してSNS上で多様な発信をしたり、デモや街宣をする動きは他にもあるが、わずか半年ほどで全国で計約6千人がデモに参加するまでに急成長し、さらには接種会場を「襲撃」するに至る類例は見当たらない。また、「世界は闇の政府に支配されている」「それを救うのは龍神などの遺伝子を受け継ぐ日本人である」などといった主張や、運動のなかで飛び交う語彙を観察すると、多分に宗教性あるいはスピリチュアルな側面をそなえた運動だと捉えられる。  こうした動向を、従来宗教運動を主要な対象としてきた宗教社会学はどのように分析・考察できるのか。ジャーナリストらによる詳報や社会心理学的な説明の提示は散見されるが、社会学的アプローチの試みは十分に行われていない。よって本報告では、「神真都Q」運動を広義の宗教運動と捉えた上で、その特性を明らかにすることを目指す。その際に、特にその「陰謀論」とスピリチュアリティの接合の側面や、その生成・展開にメディア環境(YouTubeやSNS)が果たした役割について注意を払う。研究方法としては、文字資料・映像資料とメディア報道を主に用いるとともに、関係者らへの聴き取り内容に基づき、分析を行う。  まず、「神真都Q」運動を分析するに際して踏まえるべき研究領域の知見を概観する。主に宗教社会学における(新)宗教運動論の蓄積、拡散宗教論・スピリチュアリティ研究の動向、カルト問題研究などに目を配り、本報告の研究対象がこれらの文脈に位置づけられることを示すとともに、分析視点を整理する。  次に、「神真都Q」運動の展開過程と特徴について記述する。特に中心人物の活動来歴と思想形成に焦点を当て、YouTubeで「バズる」コンテンツを模索するなかで、アメリカの「Qアノン」系言説に行き当たり、それを大枠として採用しつつもさまざまな思想が接合・蓄積されていったことを示す。また、YouTube視聴者などから一種のファンサークル的なゆるやかなネットワークが形成され、それがSNSの活用により拡散・拡張されて「神真都Q」運動につながっていったことを述べる。  その上で、「神真都Q」の「宗教」的特性について思想・実践面から論じる。さまざまなオカルト・スピリチュアル言説がつなぎ合わされたものである点、グローバルな言説と日本人の特殊性の強調が併存している点、メンバーの「宗教」的世界観・心性などについて考察する。  以上の議論の結果、「神真都Q」運動が、同時代の社会情勢とメディア環境に下支えされた、拡散的な「宗教運動」であることが明らかにされる。よって、このような動向への社会的対応も、対象の性質についてのこうした社会学的分析を踏まえたものであるべきことが示唆されよう。

報告番号289

スリランカ系上座仏教寺院における日本人の場所形成
大阪公立大学 岡尾 将秀

近年の日本では、近代以前にはほとんど実践されなかった上座仏教が実践されている。だがその実践の担い手と方法は一様ではなく、大きく二つに分類される。担い手の一つは、近代以前に上座仏教が普及していた南・東南アジア諸国から近年になって日本に来たニューカマーと呼ばれる移民で、その多くが親世代から仏教徒である。彼らは上座仏教を、故国で実践されてきたように、出家者が修行し、指導するためのサンガという組織と在家者が地縁や血縁によって出家者を支援し、出家者から仏教を学習するためのコミュニティが区別されながらも、依存し合って実践する。もう一つの担い手は、ニューカマーを受け入れるホスト国の主流民族である日本人で、本人の意志で上座仏教を実践している人たちである。現時点では、日本人の出家者はあまりに少数でサンガ結成には及ばず、在家者が各自の意志にもとづいて協力し合う「協会」というアソシエーションを結成して、出家者のような修行、経典の学習と在家者としての出家者への支援のすべてを実践している。  このように上座仏教の実践が移民出身国のサンガとコミュニティの規範に従ったものとホスト国民の自発的なアソシエーションのルールに従ったものに分類されることは、オーストラリアでも「民族的なもの」と「西洋的なもの」に分類されていることから、先進国では珍しくないと考えられる。ところがアメリカの大都市ヒューストンの移民の宗教についてのフィールドワークにもとづく社会学的な論考は、移民の宗教がその組織形態をホスト社会で一般的なものに変更しつつ、教義の基本に立ち返るなら、そのコミュニティにホスト社会の市民はもとより当該移民以外の民族も包摂されると論じている。すでに報告者は、上記の協会が日本の非営利組織で一般的なアソシエーションの形態をとりつつ、日本人の参加者が在日スリランカ人の僧侶から、上座仏教の本格的な瞑想指導を受け、本来の経典にもとづく法話を聴き、経典の内容を学習していることを報告した。だが協会には、少数ながらも在日スリランカ人やその他の東南アジア諸国出身の在家者も参加していることについては考察できていない。  本報告では、在日スリランカ人が主導しつつも日本人も協力して富士山麓に設立し、運営してきたスリランカ系上座仏教寺院において、とくに日本人が在日スリランカ人とどのように協力あるいは対立しながら上座仏教を実践するための「場所」を作ってきたかを明らかにする。ここで場所の形成を考察するのは、在日スリランカ人と日本人では、同じ上座仏教を同じ寺院で実践しつつも、それぞれが重視する実践方法が異なり、双方が相互に影響を与え合いながら、双方ともに実践しやすい場所を作っていく必要があるからである。すなわち在日スリランカ人か日本人かいずれか一方の上座仏教の実践方法の形成を考察するだけでは、その条件や結果を含めて説明することができないからである。にもかかわらず今回はとくに日本人の方の在日スリランカ人との場所形成の過程を中心に考察する。というのは報告者自身が日本人として参加しやすい実践活動に参与観察しつつ、主に日本人への聞き取りやインタビューをおこなったため、日本人のほうの動機や意図をよりよく理解しているからである。

報告番号290

いのちの教育はなぜ後退したか――死、スピリチュアリティ、価値観の観点から
東京工業大学 弓山 達也

本報告の目的は、1990年代末に始まり、2005・06年には文科省指定で全国73カ所のモデル校で探求されたいのちの教育が、その後、大きく後退する背景を、いのちの教育に内在する理由から解明するものである。  2020年6月の性犯罪・性暴力対策強化のための関係府省会議を受け、2021年4月、文科省主導の「生命の安全教育」が始まった。性の尊厳は生命尊重の重要な一角をなし、その意味で、この動向もいのちの教育の一環といえる。だが性の尊厳を焦点化したものの、自他の生命尊重や生命そのものへの畏敬の念といった従来のいのちの教育は置き去りにされた感がある。  そもそもいのちの教育は1990年代後半の少年犯罪の深刻化を社会背景に始まった。中教審の「生きる力」路線にともない、2002年から文科省の道徳教育推進事業により、上記のいのちの教育に特化したモデル校もでき、教授法や教材作成の研究活動が続けられた(弓山2018「いのちの教育モデル校の情報集約と公開・活用に向けて」『いのちの教育』3)。この流れは都道府県にバトンタッチされ、その影響は地方文部行政にも及んだ。  かかるいのちの教育を1990年代末から牽引したのは臨床心理学者の近藤卓と小児科医の中村博志で、いのちを近藤は「生」から、中村は「死」からとらえようとした(弓山2018「スピリチュアリティといのちの教育」(堀江編『現代日本の宗教事情』岩波書店)、この他、生死両方からアプローチしようとする教育学の得丸定子がいる)。いのちの教育はデスエデュケーションに由来し、日本でも当初は「死の準備教育」と訳されていたが、日本の現世中心の文化風土のせいか、この用語より「いのちの教育」の方が定着し、学校教育でも「生」からいのちをとらえる方が主流だ。 しかし生命尊重を念頭に置いたいのちの教育が、徐々に安全教育や食育や環境教育に変わり、2011年の東日本大震災後、防災教育が大きくクローズアップされるや、生命尊重のいのちの教育は影を薄めていく。同時に先の「生きる力」路線、いわゆる「ゆとり教育」への批判・反動から学力(多文化教育やIT教育などを含む)重視への揺り戻しもあり、いのちの教育の後退ははっきりとしていく。  いのちの教育が近年大きく後退したのは、かかる教育トレンドの推移や学校現場のゆとりのなさ、新たな教授法や教材開発などが継承されていかない制度上の問題が横たわっている。これと同時に注目しなければならないのは、いのちの教育に内在する現世中心の志向性である。本報告では、いのちの教育の推移、道徳の「特別の教科」化による変化(教科書の副読本への逆行)、教授法や教材開発、教育効果の検証などを検討し、いのちの教育の後退を、そこに内在する現世中心の志向性、言い換えると死のタブー視、スピリチュアリティの次元の捨象、価値観より感情を優先する傾向から解明する。

報告番号291

現代のスピリチュアリティは資本主義にいかに関わるか――スピリチュアリティ当事者へのインタビュー調査から
立教大学大学院 栗栖 瑞季

“【1 目的】
現代的なスピリチュアリティは、1970年代頃に発展したニューエイジ運動の流れを汲み、伝統的な宗教の要素を選択的に取り入れた、超越的な存在・世界観などへの信念や実践の総体である。海外の先行研究において、現代的スピリチュアリティは新自由主義に親和的なものとして論じられてきた。例えばCarrette & King(2005)は、自己啓発などのスピリチュアリティは、企業資本主義における「人間中心の」安全な価値の1つとして役割を果たすのだと主張する。しかし、小池(2007)や島薗(2012)は、自己責任的な言説は伝統的な宗教にも見られるため、それを新自由主義だけには還元できないと論じている。そこで、現代的スピリチュアリティ運動は資本主義に対抗的なのか、促進的なのか、補完的なのかについて、当事者の実証的な調査をもとに論じる必要がある。
【2 方法】
2020年11月から2021年6月にかけて、占い師や霊能者、チャネラーなどといったスピリチュアリティを職業として活動を行う13名にインタビュー調査を実施し、スピリチュアリティに接触する背景や、活動を継続的に行うに至る経緯、意識の変化などについて分析を行った。
【3 結果】
調査から、現代スピリチュアリティの当事者となる背景には、①神秘的・超越的な存在を身近に感じ、②病や死別、被災、家庭の問題などに直面したことを背景として、③自己変容によって諸問題に対処しようとする、ということが明らかになった。活動を行うに至った経緯としては、調査協力者自身が癒されたスピリチュアルな導きを知ることで他者も癒されてほしいという思いがあり、自助的なケアが目指されていた。自己の努力によって困難の克服を目指すようなスピリチュアルの信念はありつつも、海外の先行研究における調査対象とは異なり、経済社会への適応を志向するような活動形態は見られなかった。
【4 結論】
後期近代において宗教が担っていたケアなどの領域が世俗化し、さらに新自由主義のもとで福祉が削減されていったことで、現代的スピリチュアリティは宗教的感情を癒す場となっていると考えられる。その点において、現代日本社会におけるスピリチュアリティは、新自由主義に部分的に補完的な役割を果たす可能性がある。しかし、インタビュー調査において積極的に資本主義へ抵抗したり促進したりするような傾向はほとんどみられず、現代社会におけるスピリチュアリティが資本主義に及ぼす影響は非常に少ないと思われる。
参考文献
Carrette, Jeremy and Richard King, 2005, Selling Spirituality: The Silent Takeover of Religion, London: Routledge.小池靖,2007,『セラピー文化の社会学―ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ』勁草書房.島薗進,2012,『現代宗教とスピリチュアリティ 現代社会学ライブラリー8』弘文堂.”

報告番号292

オンライン空間が若者の心霊観に与える影響
成蹊大学文学部現代社会学科 伊藤 慈晃

目的  近年、SNSを中心として形成されるオンライン空間は個人と社会とを結ぶメディアとして浸透している。心霊現象やそれを解釈することのできる霊能者を中心に形成されてきた心霊番組も、その主な発信の場はテレビからオンライン空間へと移行した。白石祐子、堀江宗正(2020)は定量的な調査から、近年の日本人の死後観は、身近な人の死を契機として形成されるようなポジティブな死後観と、怪談話やスピリチュアリズムからの影響として形成されるがネガティブな死後観があると指摘し、特に、若者については、ネガティブな死後観が中心であることが明らかにされた。  そこで本報告では、若者の心霊観について、特にオンライン空間との関わりから整理した上で、なぜ霊的な存在が恐怖と結び付くのかを明らかにしたい。 方法  本研究では、都内の専門学校に通う若者を対象に半構造化インタビューを行った。調査対象者は特に心霊的なことに興味関心がある者に限定せず、興味が全くないものにも行った。また、対象を特定の集団に絞ったのは、比較的にかよった社会経済的状況下で過ごしてきた人同士を比べることで、差異を明確にできると考えたからである。 結果  インタビューを行った結果、先行研究から示唆される通り、身近な人の死を経験している者の心霊に対する捉え方は穏やかなものであった一方で、身近な人の死を経験していない者は、全く信じていないか、あるいは恐ろしいものという意識が強いということがわかった。特に心霊に対する恐怖を強く感じている人は、日常的に亡くなった人のサイトや動画、あるいは心霊系の動画を視聴しており、自身でもその影響を感じていることが分かった。くわえて、なぜ恐怖を感じるような動画などを視聴するのか、ということの背景には、自身の人生の中で直面している孤独や不安が存在していることが示唆された。 結論  若者の心霊観は、オンライン空間における情報の影響によって、恐怖が強調されていることが分かった。心霊の恐ろしい側面が強調されるということは、今にはじまったことではなく、いわゆるオカルトブームといわれた1970年代以降の長期的な傾向ではある。しかし、オンライン空間ではテレビ霊能者のような存在がおらず、膨大で種々雑多な知識が流通しているという点に違いがある。その結果、心霊観が内省や人生観の変容をもたらすような契機にならず、不安や恐怖が再生産される状況となっていると考えられる。 参考文献 白石祐子、堀江宗正、2020「日本人の死後観-その類型と性差・年代差の検討」『死生学・応用倫理研究』25: 119-41.

報告番号293

高齢者のウェルビーイングと「終活」をめぐる調査研究
東京理科大学 日戸 浩之

【1.目的】 ウェルビーイング(Well-being)は世界保健機関(WHO)の憲章に初めて言葉として登場したとされ、心の豊かな状態である幸福と社会の良好な状態をつくる福祉を合わせた、心と体と社会のよい状態を指すとされている。その状態を示す指標の一つとされる主観的幸福度は50歳代後半以降は年齢の上昇と共に高まるという結果は既存調査で示されているものの、その背景にある要因などはあまり分析が進んでいない状況にある。 そこで、本研究では高齢者のウェルビーイングに着目し、それがどのような状態であるかを明らかにし、さらに高齢者のウェルビーイングを実現するための条件を分析することを目的とする。 さらに最近、話題となっている「終活」(人生の終わりのための活動)への取り組みに注目し、高齢者「ウェルビーイングな状態と終活をめぐる意識との関係も明らかにする。終活とは人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する言葉である。死と向き合う機会に乏しい現代の日本人が死を意識して向き合うきっかけとして、終活を高齢者のウェルビーイングを高めるポジティブな活動と捉える可能性を探る狙いがある。 【2.方法】 NRI社会情報システム株式会社は長年、全国の各自治体にあるシルバー人材センターを情報システムの面から支援を行うとともに、継続的に全国の高齢者3000名を対象にしたインターネット調査を行っている。それに加えてシルバー人材センターに登録した全国の60歳以上の高齢者に郵送アンケート調査を行うサービスを提供しており、本研究ではその方法を活用して約1000名の60歳以上の高齢者を対象に郵送アンケート調査を実施し、これらの調査結果を分析した。 また全国3ヶ所のシルバー人材センターを選び、センターに登録している高齢者を対象としたグループインタビュー調査を実施した。 【3.結果】 ウェルビーイングの状態を測るために尋ねた高齢者の満足度は年齢が高くなるとともに上昇する傾向がみられたが、その中で特にシルバー人材センターの会員として就労している高齢者の生活満足度は高い傾向がみられ、就労などの生きがいの存在が高齢者のウェルビーイングを高めることがアンケート調査から検証された。 また、LINEなどのSNSを活用している高齢者は70歳代において生活満足度が高い傾向がみられ、ICTを活用したコミュニケーションが高齢者のウェルビーイングを高める可能性が指摘できる。 一方、終活を前向きにとらえている意識とウェルビーイングが高い状態との間にも関連性があることが示唆される結果となった。 【4.結論】 高齢者のウェルビーイングを高めるための一つの方策として、高齢者が継続して就労ができることがあげられ、それを支援するシルバー人材センターの意義が改めて確認された。またLINEなどのSNSを活用する高齢者の生活満足度が高いことから、地域においてリアルな活動をサポートするとともに、ICTを活用したコミュニケーションの支援が高齢者のウェルビーイングを高める可能性も指摘することができる。 一方で、死と向き合う機会を形成する「終活」が高齢者の死への準備を促し、結果として高齢者のウェルビーイングにつながる可能性が示唆されたものの、さらに具体的に必要な取り組み等については、今後の研究課題にあげられる。

報告番号294

幸福度指標と日本の地方自治体――活用の現状
北海道大学大学院 小田 和正

1 目的  近年、一国の経済のパフォーマンスを計測するGDP(国内総生産)指標に代替しうる諸指標の研究が国際的に盛んになってきている。その背景には、GDPでは国際的分業の進展や社会関係資本などの可視化しにくい社会的要素、家事労働などのシャドーワーク、あるいは環境的な持続可能性などを測ることができないという問題意識がある。日本国内でも30を超える自治体で、当該地域の「富」や「幸福」を計測するための指標作りや意識調査が独自に進められている。  本報告の目的は、とりわけ環境指標や幸福度指標に関する日本の地方自治体の取り組み、その活用実態を解明し、今後の幸福度指標および環境問題に関するすぐれた取り組みの可能性を探ることにある。諸々の地方自治体の取り組み実態を比較することによって、先駆的な取り組みを明らかにすると同時に、各自治体における市民等が、いかなる資源を用いて地方自治体の政策に影響を及ぼすことができるのかについて検討したい。 2 方法  まず、日本国内で幸福度に関連して何らかの独自の取り組みを行っている地方自治体のうちとくに先進的な取り組みを行っている10の自治体(北海道札幌市、熊本県、福岡県、京都府、滋賀県、兵庫県、宮崎県、岩手県、東京都荒川区、三重県)をピックアップし、その各自治体の担当者に構造化方式によるインタビュー調査を実施した(実施時期:2020年9月~2021年7月)。この調査結果から、各自治体が作成・実施している意識調査や指標がどのような経緯、手続きで採用されたのか、その調査・指標が政策に活かされているか、その調査・指標によって自治体のパフォーマンスはどのように測定されているか、これらの実態を分析した。  第二に、インタビュー調査の対象とした10自治体の地方議会の議事録調査を行った。この議事録調査では、各自治体の取り組みについて各議会でどのように議論され、参照され、評価されているのか、各取り組みにかかわる発言数の年度ごとの推移、発言主体(自治体の首長、その他の政治家、自治体職員など)の分布等について分析を行った。 3 結果  10の地方自治体では、基本的には当該自治体の長期計画で掲げられた理念や方針に沿ってそれぞれの取り組みが実施されており、ほとんどの自治体では、首長の考え、意向によってトップダウン式に推進されていた。各自治体の取り組みの政策への影響については、直接政策と連動しているというよりも、現状把握、課題発見、政策評価、政策立案の参考資料としてデータが活用されているという自治体が多く、「政策への反映」が今後の課題であると明示的に言及する自治体もあった。  議事録調査の結果、議会において具体的な発言がほとんどなされていない自治体がある一方で、議会において一定の議論が継続的になされている自治体(岩手県や荒川区)もあり、この点については一定の差が見られた。 4 結論  インタビュー調査の結果から見えてきたのは、実施・作成している意識調査や指標をいかにして政策へ活かしていくのかという点に多くの自治体が課題を感じているということである。一方で議会における議論状況については、岩手県や荒川区では定期的に調査報告書や分析リポートが公表されており、こうした参照可能な資料の有無が議会での議論につながっていることが示唆された。

報告番号295

子どもの貧困とウェルビーイング――初の全国調査による実態解明
成蹊大学 小林 盾

【1.目的】  この報告は,保護者の貧困が子どものウェルビーイングに影響するのかを検討する.先行研究によると,子どもの貧困はストレスなどウェルビーイングを低下させうる(阿部2008).ただし,日本全体での傾向は分からなかった.  そこで,仮説として,保護者が貧困層にあったりひとり親であったりするほど,また保護者に(生活に不可欠なものを購入できないという)剥奪経験があるほど,子どものウェルビーイングが低いだろうと予想して検討する. 【2.方法】  データとして,量的調査である令和2年度子供の生活状況調査を用いる.子どもの貧困をテーマとした,ランダムサンプリングによる初の全国調査である.内閣府によって実施され,子ども(中学2年生)とその保護者を対象に郵送で送付された(有効回収数は2,715組,有効回収率は54.3%).  従属変数である子どものウェルビーイングは,子ども票で生活満足度を0(まったく満足していない)から10(十分に満足している)で測定した(平均6.89).  独立変数はすべて,保護者票で測定した.等価世帯収入を用いて,貧困線未満を貧困層(標本の12.9%),貧困線以上中央値未満を準貧困層(36.9%)とよぶ.剥奪経験は,過去1年間の食料剥奪経験,衣服剥奪経験を質問した(それぞれ経験ありが11.4%,16.4%).同様に電気料金,ガス料金,水道料金が未払いとなった経験が1つでも該当したら,インフラ剥奪経験ありとする(5.7%). 【3.結果】  まず保護者の収入による違いをみると,中央値以上層では平均7.13だったのが,準貧困層で6.73,貧困層で6.51へと子どもの生活満足度が有意に下がった.保護者の婚姻状態別では,ふたり親で6.94だったのが,ひとり親だと6.48へと生活満足度が有意に低下した.剥奪経験別にみると,食料,衣服,インフラのどれでも,親に過去1年間で剥奪経験があると,子どもの生活満足度が有意に低下した. 【4.結論】  以上から,仮説はどちらも支持された.ここから,保護者の貧困が食料などの剥奪経験をとおして,子どものウェルビーイングを低下させる可能性が示唆された.とくに,これまで見すごされがちだった準貧困層の困難が,明らかになった.  このことは,ただし,けっして当たり前ではない.社会が個人化し,子どもといえど家族の状況から自由にウェルビーイングを形成できて不思議はない.にもかかわらず,保護者の貧困が子どものウェルビーイングを明確に押しさげるという実態が,全国調査によってはじめて解明された.  こども家庭庁の設置準備が進むなか,大人も子どもも幸せであるような社会が期待されていよう. 【文献】 阿部彩,2008,『子どもの貧困:日本の不公平を考える』岩波書店. 小林盾,2021,「総括 子供の貧困の実情と求められる支援:令和2年度子供の生活状況調査からのメッセージ」『令和3年子供の生活状況調査の分析報告書』146-152. 小林盾,2022,「子どもの貧困とウェルビーイング:初の全国調査による実態解明」『成蹊大学文学部紀要』 内閣府,2021,『令和3年子供の生活状況調査の分析報告書』. 【付記】  本研究はJSPS科研費(17K18587)の助成を受けたものです.本研究は,小林(2021)のうち生活満足度にかんする部分をあらためて分析し,小林(2022)として発表されたものです.

報告番号296

オンラインサーベイ実験を用いた貧困観の検討
東京大学大学院/日本学術振興会DC1 田中 祐児

【1.目的】 本報告の目的は、現代日本における貧困への意識を、オンラインサーベイ実験から得られたデータをもとに検討することにある。 昨今、日本の貧困への関心が高まっている。貧困が多いか少ないかという評価は個人によって異なると思われるが、そもそも貧困概念は「あってはならないもの」という価値規範を内包しており(金子 2017)、貧困は低減されることが期待される。 貧困の低減には政策による影響が大きく、貧困政策には人々による貧困への意識の影響が大きい(Lepianka et al. 2009)。このことから人々が貧困に対してどのような意識を持っているのかを明らかにすることは政策実践上重要な課題であるものの、この問題に取り組んだ研究は必ずしも多くはない。貧困への態度を検討することは貧困概念の彫琢にも貢献するとされている(志賀 2016)。そこで本報告では人々による貧困への態度を検討することを目指す。 貧困への態度を扱った日本の研究の多くは、貧困一般への態度を尋ねている。しかしPhelan et al.(1997)などは、ホームレス状態かどうかなど、貧困者の状況によって彼ら/彼女らへの態度が異なることを指摘している。そのため貧困への態度を検討する際には、貧困者の状況を具体的に設定することが必要になる。 このような課題のもと具体的な状況が設定された貧困者を提示し、それへの態度を尋ねている先行研究もあるが、その多くはヨーロッパの事例を扱ったものであり、日本を事例とした研究はほとんどない。そこで本報告では海外の先行研究にならい、貧困者の状況を具体的に設定したうえで、人びとの貧困に対する態度を検討することにしたい。 【2.方法】 本報告ではオンラインサーベイ実験と呼ばれるもののうち、ヴィネット実験を用いる。ヴィネット実験ではヴィネットと呼ばれる短い文章を用意し、それを回答者に読んでもらったあと、ヴィネットへの態度を尋ねる。ヴィネットは全ての回答者で共通ではなくランダム化されている。ランダム化する要素やその中身(要素としての性別や中身としての男性・女性など)は研究者の関心に基づいて決定され、要素や中身の数は自由に決めることができる。通常の社会調査における独立変数が要素の中身であり、従属変数がヴィネットへの態度である。このようなサーベイ実験では処置の割り当てがランダムであることから内的妥当性が高く、処置による因果効果を適切に検証することができる。 以上の手法を用いることにより、貧困者の個別の状況(性別や年齢など)が人々の貧困への態度に与える因果効果を検証することを目指す。 【3.結果】【4.結論】 発表申し込み時点において上述の実験は未実施である。分析結果や結論は当日に報告する。

報告番号297

児童虐待の「要因」と「対応」言説の変容――国会会議録の量的内容分析から
京都大学大学院 相澤 亨祐

“本研究の目的は、日本における児童虐待(以下「虐待」とする)への対応を巡る政策議論を分析し、虐待の「要因」言説および虐待への「対応」言説がどのように変化してきたのかを、量的内容分析の手法を用いて検討することにある。児童に対する虐待は、日本社会において1990年代以降に社会問題化したとされ、2000年の「児童虐待の防止等に関する法律」の制定や度重なる「児童福祉法」の改正などを中心として、対応施策の拡充が進められてきた。こうした状況に対して、社会学における児童虐待研究は主に社会問題の構築主義と呼ばれる視角から蓄積されている。その先駆となった上野加代子は、専門家などによる1990年代の主要な児童虐待言説を分析したうえで、虐待「要因」は経済的問題よりも、「親自身が子ども時代に虐待を受けていたりして愛された経験が乏しいために未熟・攻撃的・依存的である、といった個人の性格上の問題、また夫婦の不和などによる家庭内での孤立といった家族関係の問題であると考えられて」(上野 1996: 113)おり、そのような虐待問題への「対応」手法としてカウンセリング療法などが提示される傾向にあると指摘した。このような上野の指摘は、日本の虐待言説の特徴を表したものとして近年の研究でも参照されている(たとえば、土屋 2014)。本研究では、こうした虐待の「要因」と「対応」言説がどのように変化してきたのかを、特に法制度の制定に大きく影響してきたと思われる国会の議事録を対象に分析し検討する。
 研究方法は、虐待の対応施策に関する国会での議論を、コーディングを用いて量的内容分析を行った。国会の会議録は、「国会会議録検索システム」を用いて1992年から2020年の期間を対象に収集した。
 その結果、1990年代には親自身の被虐待経験や育児不安など親個人の性格・精神衛生上の問題や、孤立など家族関係の問題が「要因」言説の中心であったのに対し、2000年代以降はこうした言説が減少する一方で、貧困などの経済的要因や望まない妊娠などの新しい問題に関する言説の増加が見られた。また、「対応」言説は1990年代から2000年代初頭はカウンセリングや親への教育を重要視する言説が多く見られたのに対し、2000年代後半以降はこうした「対応」言説そのものが大きく減少するという変化が確認された。以上から、日本の国会議事録をデータとした場合も1990年代には虐待「要因」と「対応」言説について上野が指摘していたような傾向が確認された。その一方で、2000年代以降にはそうした傾向が変化し、「要因」言説における経済的要因への着目や、「対応」言説の大幅な減少が見られた。
[参考文献]
上野加代子,1996,『児童虐待の社会学』世界思想社.
土屋敦,2014,『はじき出された子どもたち――社会的養護児童と「家庭」概念の歴史社会学』勁草書房.”

報告番号298

子どもの身体への言及の仕方――「ゲーム脳」の概念分析
一橋大学大学院 山岸 諒己

【1. 目的】  近年の子ども社会学においては,従来の社会構築主義的視点において身体や技術というテーマが切り離されてきたと批判され,異種混淆な視座が求められてきた(Prout 2000, 2005=2017).本研究は,電子メディアが子どもの脳に悪影響を及ぼすと主張するテクストを検討し,以前より身体への着目が社会問題の構築の資源となってきたことを示す.そのことを通して,身体への着目は,社会学上の問題である以前に,社会成員にとっての問題であることを主張する. 【2. 方法】  本研究はエスノメソドロジー・会話分析に影響を受けている概念分析の方針に立脚する.データとして用いるのは,森昭雄(2002)『ゲーム脳の恐怖』や岡田尊司(2005)『脳内汚染』,ダンクリー(2015=2022)『子どものデジタル脳完全回復プログラム』等の,電子ゲームやeメール,インターネット等の電子メディアが子どもの脳に悪影響を及ぼすと主張するテクストであり,脳への言及がどのような手続きの下行われているのかという視点の下分析する. 【3. 結果】  データでは,キレる子ども,社会性や共感性,学力・集中力,子どもの(将来の)稼得能力,発達障害といった子育てをする上での懸念事項が,脳波,前頭前野の活性化の有無,脳内伝達物質といった神経科学にかんする概念を蝶番にして,電子メディアの影響と結びつけられている.こうした手続きで問題化される電子メディアの悪影響は,デジタルデトックスのような対応策とセットで示され,それによって上述の懸念事項に対処可能であることが示唆されている. 【4. 結論】  こうしたレトリックは,「ソーマ的個人」(Rose 2009=2014)の捉え方が子育てにおいて発揮されることを示している.また,このような手続きは,子育ての諸問題に向き合う人びとに電子メディアが悪影響をもたらすという主張に説得力を持たせるために為されている.つまり,身体への言及は「ゲーム脳」という社会問題の構築の指し手になってきたのであり,子どもを論じる際に身体に着目するか否かは,社会学の問題である以前に,社会成員が自らの主張を説得的に組み立てる際の問題なのである.  このことは,子どもと身体を社会学においてどのように論じるかというテーマに,社会成員によるヴァナキュラーな概念の用法に着目するという提案をもたらす. 主要文献 Prout, A. ed., 2000, The Body, Childhood and Society, London: Macmillan. —-, 2005, The Future of Childhood: Towards the Interdiciplinary Study of Children, London: Routledge.(元森絵里子訳, 2017, 『これからの子ども社会学――生物・技術・社会のネットワークとしての「子ども」』新曜社.) Rose, N., 2009, The Politics of Life Itself: Biomedicine, Power, and Subjectivity in the Twenty-First Century, Princeton: Princeton University Press.(檜垣立哉・小倉拓也・佐古仁志・山崎吾郎訳, 2014, 『生そのものの政治学――二十一世紀の生物医学,権力,主体性』法政大学出版局.)

報告番号299

「有害図書類」か、思い出のなかの「ビニ本」か?――有害環境浄化活動担当者による「有害」メディア認識の構成
東京経済大学 大尾 侑子

1.目的  1960年代以降、一部の都道府県では青少年によくないとされる「悪書」や「有害図書類」(書籍や雑誌、VHS、DVD、ゲーム等)の回収運動が行われている。有害図書という対象については法学研究やマンガ・ジャーナリズム史研究、構築主義的アプローチによるレトリック分析やディベート研究の成果が存在するが、他方で有害図書類回収事業に従事する当事者が、いかに「有害なメディア」をめぐる認識を構成しているのかについては十分に論じられていない。そこで本研究は有害図書の回収を行う「白ポスト運動」に従事する担当者にインタビュー調査を実施し、当事者の有害図書類および役割をめぐる意識調査を実施した。 2.方法  悪書追放ボックス(通称:白ポスト)発祥の地である兵庫県尼崎市の有害環境浄化活動に注目し、有害図書類回収に従事する青少年愛護担当者への事前電話調査,質問票送付による「非参与型フィールドワーク」(2019年5月,8月),2020年1月,3月,5月にかけて「参与型フィールドワーク」(佐藤2006)を実施した.本研究では2020年3月に実施した当事者2名(A氏、B氏)への半構造化インタビューのデータを用いる。 3. 結果  調査の結果、以下の点が明らかとなった。第一に、条例の観点から「有害」な媒体を排除する(=「刈り取っていく」)ことを部分的に肯定しつつも、同時に「表現の自由」といったレトリック等を持ち出し、部分的には「大人になっていく段階では必要」という認識を持っていたこと。第二に、青少年愛護担当という役割をめぐる役割葛藤が生じる背景として、当人の「有害図書類」認識が現在時制のみならず、「ビニ本を拾って楽しんだ幼少期の記憶」というライフヒストリーによっても規定されていたことである。 4. 結論  有害図書回収事業担当者の語りからは、当事者が「有害環境浄化」の推進という役割に完全に同化しているわけではなく、活動の社会的な意義や「有害図書類」認識をめぐる葛藤を抱えつつ適度な距離を取りながら活動に従事していたことが分かった。「有害/無害」と白黒つけるのではなく、留保を伴うメディア認識は、その呼称(「有害図書/ビニ本」)に象徴的に現れていた。中河伸俊(1999)は、有害コミックの社会問題化をめぐり、規制推進派(「子どもを有害環境から守る」)/規制反対派(「表現の自由」)の対立に典型的である「レトリックのイディオム」を複数例挙げた。しかし、その後、2010年の「非実在青少年」問題において両陣営は、双方の論拠や価値観を共有しており、必ずしも二項対立図式として捉え得ないことも論じられている(赤川 2012: 130)。今回の調査によって有害環境浄化活動に従事する当事者のなかにも複数のレトリックやせめぎ合いがあり、それが役割距離によって調停されつつ活動が遂行されていることが示唆された。 文献: 赤川学, 2012, 『社会問題の社会学』弘文堂. 中河伸俊, 1999, 『社会問題の社会学―構築主義アプローチの新展開』世界思想社. 佐藤郁哉,2006,『フィールドワーク 書を持って街へ出よう 増訂版』新曜社

報告番号300

伝染病と解釈様式――コレラ禍を事例として
筑波大学大学院 宮前 健太郎

明治期、日本で猛威を振るった伝染病・コレラは凶悪なまでの感染力と致死性を併せ持ち、概算で37万人の死者を出した。一度感染すると患者は激烈な下痢と嘔吐に襲われ、脱水状態により数日で死に至る。急激な脱水症状で肉体が干からびて死にいたる様子は「彼自身のカリカチュア」とも喩えられている[Mcneill 2007:169]。ただしコレラによる多数の死者は伝染病の特性のみによってもたらされたものではない。都市の不潔な衛生状態や人口の密集など社会・文化的要因が被害に拍車をかけたのだ。近代への過渡期に見られる日本、例えば東京における衛生環境は多くの面で荒廃していた。貧民の集住、上下水道の未整備、消毒されずに利用される飲み水、無秩序に排出されるし尿、こういった諸背景は当時の日本社会を、伝染病の絶好の餌食とした。  また、コレラの流行はうわさ話(流言)や一揆、感染を恐れた病院による患者のたらい回し、消毒物品の買い占めなど、多くの弊害を伴った。中でも流言の発出と伝播は当該社会において、広く社会的対処を妨げてきた難敵だ。本報告の目的は明治期コレラ禍をめぐる流言記録の収集を通して、それがどのような背景を現しているか検討することである。過去に大きな被害をもたらした病気を対象に背景や環境、因果を歴史的観点から考察することが社会政策や社会構想の思案に多大に寄与する可能性を秘めていることは、アメリカの医学史研究[Rosenberg 1992]によっても既に指摘されており、日本でも今後精力的に研究を進めていかなければならない。  さて、その「流言」についてであるが、社会心理学者のシブタニは、戦争や災害にまつわる文書記録の詳細な収集整理を通して「曖昧な状況に置かれた者たちが、その状況に有意味な解釈を行おうと尽力する一種の相互行為[Shibutani 1966=1985:訳34]」と定義している。ここでいう有意味な解釈とは、危機状況において素早く身を守るために知識の断片をつなぎ合わせて行われる防衛行動である。本研究では語り手が何らかの自衛行為、例えば避病院襲撃や入院拒否、特定物品の優先的な購入や極端な忌避に及んでいることが確認された場合、それを流言の記録とみなし分析の対象とする。  本研究で流言記録について収集を試みる場合、稀有な存在ではあるが二通りの事例を掬うことができた。まず、小新聞や地方紙がコレラについて伝える際に、衛生事業の妨げになるような発話がどのような内容であったかが僅かに記載されている。例えば、「隔離施設では血や臓器を奪われる」といった解釈は比較的事例が多い。次に、コレラの予防効果にまつわる流言が広がった際に発生した買い占め行動、それによる特定商品の品薄現象を報じる場合がある。それを見ることによって、発端となった流言がどのような内容だったか確認することができた。 Rosenberg, C.E 1992. “Introduction Framing Disease Illness, Society, and History.” Framing Disease Studies in Cultural History.New Brunswick Rutgers University Press:13-26 Shibutani,T.1966 Inprovised News :A Sociological Study of Rumor.Bobbs-Merrill. =1985広井脩・橋本良明・後藤将之(訳)『流言と社会』東京創元社. William,H.Mcneill 1976 Plagues and Peoples.The English Agency.=2007佐々木昭夫(訳)『疫病と世界史 下』中公公論新社.

報告番号301

がんの告知から入院、手術、社会復帰のプロセスにおいて、ひとかどのQOLを維持するための超病倫理学序説――2度のがんで徳を積む当事者のライフストーリーを手掛かりに
近畿大学 前田 益尚

【1.目的】  この報告の目的は、医療の発達と共に、必ずしも死に至る病ではなくなったがんとの向き合い方を、当事者である報告者が改めて探究した結果、1人でも多くのがん患者に、しんどい闘病だけではなく、希望を覚える超病という選択肢を提示することです。 【2.方法】  探究の方法は、当事者による参与観察です。2022年4月26日、地元の基幹病院で生体検査の結果、歯肉がんが認められて告知。その足で、2007年にステージ4に近い下咽頭がんを、声帯を残した上で完璧に切除して下さった執刀医が、現在勤務されている京都府南部の地域基幹病院へ直行。  5月11日入院、12日に緊急手術、27日無事に退院。入院期間17日間。 臨床社会学者として、2度目のがん発病と治療に直面し、乗り越えた軌跡を、まずは先行研究にも値する15年前の闘病記と比較します。  2007年の下咽頭がん治療、約10ヵ月のライフストーリーを体系化した書籍『楽天的闘病論―がんとアルコール依存症、転んでもタダでは起きぬ社会学』2016.における目次を振り返ると、1.病院はテーマパーク 3.治療は、アトラクション 5.リハビリは、バラエティ番組などと原始的な快楽を追求するかのような言動で、がんへの不安を乗り越えた方法論でした。それは、巻き込む周辺多数の幸福を希求できるような高次の功利主義的なアプローチではありません。  対して今回は、2週間超に過ぎない入院期間でしたが、休職はおろか休講もせず、コロナ禍で体得したオンライン授業を活用して、病室においても天職とする教育を継続できたのです。この事実は、巻き込んだ周囲にも幸福をもたらし、アリストテレスが期待したようにひたすら徳(arete)を積む快楽を超えた行為として再評価できるでしょう。 【3.結果】  手術は成功して、左下顎の歯肉がんは根こそぎ切除され、骨はむき出しになり、後遺症は残りましたが、生還。これまでの病歴で得られた成果は、主に3点。 ① 前田の先行研究、アルコール依存症からの回復過程で、再発リスクを最小にするため、節酒や減酒ではなく、断酒を貫徹している経験値。それをがんにも適用し、再発リスクを最小にするため、後遺症を厭わず、患部周辺の完全切除に同意するマネジメント。 ② 入院中も、コロナ禍の経験値を活かし、病棟という環境にも教育現場を適応。 ③ それによって、病院のスタッフからは、ひとかどの人物(etwas, somebody)だと承認された結果は、15年前とは違う倫理的な進歩だとラベリング。 【4.結論】  ヘーゲルの倫理学において、有意義な仕事をすること=承認とするならば、大学教授の天職≒授業だと報告者は考えています。よって、少なくとも研究室に所属するゼミ生への指導継続なくして、倫理的に満たされた入院生活、治療生活は担保されないのでした。  入院患者は、生き残るためだと間違えて利己的になり、病棟スタッフに衣食住の理不尽な要求を突き付けるケースも多いのです。  2週間超の入院において、報告者ががんを乗り越えた行為は、15年を経て、大筋として倫理学の巨人と目されるアリストテレスやヘーゲルが示す最大公約数の倫理観に近づいていると認識しています。その内実を、ひとかどのQOLを維持(超病)できた人間像の1つとして報告する意義があると考えました。

報告番号302

がんの非経験者ががんの活動に関わる動機――広告クリエイターの語りから
立教大学 菅森 朝子

【1.背景】今日では「がんとの共生」という考えのもと、さまざまながんの活動が展開されている。がん患者団体におけるピア・サポート活動やがん啓発、医療者による正しいがん情報の発信、行政によるがん検診の啓発、企業がCSRとして取り組むがんの啓発、学校現場におけるがん教育もある。がんの活動の主たる担い手は、医療者およびがん経験者と言える。しかし、他方で、医療の枠組みに収まらないがんと社会生活に関わる問題に取り組む場合や、社会全体に向けたがんの啓発を行う場合には、医療者やがん経験者以外の立場の人が関与する可能性や必要性があるのではないだろうか。実践に目を向けると、がん経験者でもなく医療者でもない立場の人ががんの活動に関与する取り組みの萌芽はすでにみられる。 【2.目的】本報告は、がんの非経験者の立場でがんの活動に取り組む人に着目し、どのような動機をもって取り組んでいるのかを明らかにすることを目的とする。具体的には、「がんになっても笑顔で過ごせる社会をつくる」ことを目指し、「がん」に対する偏見や間違った認識を変えるために活動する「LAVENDER RING(ラベンダー・リング)」という団体に着目する。担い手は、広告会社と化粧品会社の有志社員である。 【3.方法】がんの非経験者で「LAVENDER RING」発足当時からコアメンバーとして関わっている2名(Bさん・Cさん)の協力を得た。2021年9月-10月に半構造形式のインタビュー調査を実施した。 【4.結果・考察】Bさんは、LAVENDER RING の活動に取り組むにあたって、「がん経験者の話を聴いた者」としての責任や、「父親をがんで亡くした息子」としての心残りをもっていた。加えて、「広告人」であるBさんは、がんの問題ががんのコミュニティの外側に広まらない現状に課題意識をもち、その状況を覆しコミュニティの外側に問題を広めていくことを目標にがんの活動に関与していた。複数の自己はそれぞれに異なる動機をもち、複数の動機が混じり合う形でコミットを深めていた。その結果、「やめられない」状況になっているとBさんは語った。CさんにとってLAVENDER RINGは、お世話になった先輩に恩返ししようと「カジュアルな感覚」で加わった活動であった。しかし、多くのがん経験者に出会いコミュニケーションを重ね、気づきを得て、想像力を駆使することでがんの経験に対する理解と問題意識を深めていった。がんのテーマを入り口に一人ひとりの違いを尊重できる社会に変えていくための企画を生み出している。CさんにとってLAVENDER RINGの活動は、「奉仕」ではなくあくまで「クリエイティブ」な動機に基づくものであった。2名は、自らの人生経験とクリエイターとしての職業上のアイデンティティを持ちながら関わることでがんの活動への動機を高め、コミットを深めていた。

報告番号303

ゲノム医療と社会――ポストゲノム科学の時代における生物医療化論再考
立命館大学大学院 丹上 麻里江

本研究は、ゲノム科学などの進展に伴って近年加速している新たなゲノム医療の実現が、人と社会に与える影響を社会学の視点から分析することを目的とする。特に、ゲノムを解読し、疾病等との関連を解明していくこと自体が第一の目標であった従来のゲノム研究を超えて、今世紀に入り「ポストゲノム」と呼ばれてきた研究段階を背景にもつ今日の(ポスト)ゲノム医療の特性に注目する。そこではゲノム解析で得られた知見をいかに実際の利活用に応用するかが探究されると同時に、疾患等の原因として、先天的な遺伝要因か、あるいは後天的な環境要因かという両極が単純に明確なものではなく、さまざまな要素が複雑に絡み合いながら作用していることの解明が進みつつある。それらの特性から、ゲノム医療の社会実装が、本邦を含む先進諸国を中心に国家戦略として急がれているなかで、ゲノムに象徴される分子レベルの器質的な水準から、いかなる環境でいかに生きるかという社会環境要因まで、倫理的、法的、社会的な規範や意味体系の形成に変容を与え、攪乱要素として作用する側面が検討される。遺伝子レベルでの医療介入を希求する心性、さまざまな帰結を引き受ける主体の価値観や利害関係の多様化といった現象や状況を、今日のゲノム医療の内容分析を通して考察することが求められているといえる。今回の報告では、ゲノム医療の実現が進められるなかで「社会的なもの」がいかに語られてきたかという言説分析を通して、今日のゲノム医療化のダイナミズムを明らかにする。その際に、ゲノム医療の実現が予見されたころに医療社会学を中心に提唱された「生物医療化」に対する議論と照らし合わせることで、初期の遺伝医療の実践と比較して、ポストゲノム研究の時代の医療の新しさと特異性がいかにあるかを描出することを目指す。  戦後、感染症などの急性疾患から、がんなどの慢性疾患への対峙が重要課題となった(米本 1988)医学においては、20世紀後半から分子遺伝学やゲノム科学の知見の導入が進み、その延長線上で今日に至るまで、遺伝の科学との密接な関係性を強化してきた。生物学と医学が融合した生物医学の実践が技術的にも、また倫理的観点からも社会的注目を高め、医療を対象とする社会学においても、人間の実存的側面が医療を通した科学技術によって浸食される様相を捉えて、1980年代の北米や一部の欧州諸国を中心とした医療社会学では生物医療化や遺伝子化などとして理論化されてきた(額賀 2006)経緯がある。遺伝の科学と、その医療応用の可能性によるインパクトは、遺伝情報に基づく差別などの社会的不利益や、高度な個人情報としての機微性を巡る価値観の対立といった、起こり得るさまざまな諸課題として人びとの関心を呼び、遺伝子決定論的な思考やそれに対するアンチテーゼに象徴される思想の水準から、「遺伝子例外主義」と呼ばれた倫理的・政策論的な水準までさまざまレベルで社会意識の形成に作用するものであった。これらの状況を、生物医療化論の再考を通して社会学的に検討し、先端医療の社会的意味を問う理論の刷新可能性を探りたい。

報告番号304

分極化なき類似 ――コロナワクチンに関する動画コメントの分析から
東京工業大学 毛塚 和宏

【1. 目的】  Twitterなどのソーシャルメディアの隆盛に伴い,そうしたプラットフォーム上での政治的分極化やエコーチェンバーが検討されてきた(たとえばBail et al. 2018).しかしながら,インターネット上でソーシャルメディアだけが意見を拡散するメディアとして使われているわけではなく,コメント機能を持った動画メディアもまた重要である(Bessi et al. 2016; Ribeiro et al. 2020).  本報告では,動画共有サイトのYouTubeにおいて,新型コロナウイルスワクチンに関する動画とコメントデータを収集し,ユーザーの持つコメントの傾向に関するホモフィリー(homophily)に着目しながら,ユーザー同士が同じ動画のコメントに現れる共起関係に対してネットワーク形成メカニズムを検討した. 【2. 方法】  本報告ではYouTubeAPIを用いて収集した動画とそこに書かれたコメントを用いて分析を行う.対象となる動画は1) 2020年1月1日から2021年12月31日までに投稿された,2) 「コロナ ワクチン」で検索して得られた,の2条件を満たす.コメントの収集は,2022年2月7日から2022年2月14日までの期間で行った.結果,動画7,182件,コメント844,488件のデータを取得した.  ユーザーの投稿した全てコメントからなるテキストを一つの文書とし,LDA(Latent Dirichlet Allocation)によるトピック抽出を行い,最も比率の高いトピックをそのユーザーの持つトピックとした.  その上で,コメント共起ネットワーク(同じ動画に対してコメントしたユーザー間にエッジをつないだネットワーク)に対してエッジの有無に対するロジスティック回帰分析を行い,コメント数やトピックの同一性といったネットワーク形成メカニズムがどれほど機能しているかを検討した.   【3. 結果】  ユーザー間のネットワークを検討した結果,他のSNSで見られた分極傾向は確認できなかった.むしろ,特定のコメントの傾向を持ったユーザーが相互に密に結合し,その周辺に別のコメントの傾向をもったユーザーが存在するという中心-周縁構造が見られた.  また,トピック抽出の結果,(1)新型ウイルスワクチンの結果に懐疑的なトピック,(2)新型コロナウイルスに他国の関与を疑うトピック,(3)その他のトピックが得られた.  ネットワーク形成メカニズムでは,(1)のトピックを共通して持つユーザー同士は同じ動画に現れやすいというホモフィリーが確認され,(2)のトピックについては逆にホモフィリーが働きにくいことが確認された.また,コメント数が似たユーザー同士も同じ動画に現れやすいという結果が得られた.  【4. 結論】  YouTubeでは,TwitterなどのSNSでの分極化とは異なる状況を呈していることを確認できた.ただし,本研究では「アルゴリズムによる交絡」が生じている可能性がある.YouTubeでは,新型コロナウィルスに関する動画について,事実に反するものは公開停止や削除の措置などを行っていた(YouTube 2021).このような措置は,本来観測できたはずのクラスターを見過ごしてしまった可能性も否定できない.結果の解釈には十分な留意を必要とする.

報告番号305

プライバシー侵害の視点から捉える監視資本主義――近代社会と現代社会のプライバシー意識の違いをもとに
南山大学大学院 蔵本 紗知

1.目的 人々がオンライン上に生み出すデータは,いかに些細な情報でも企業や組織に「行動余剰」として収集され,人々の行動を予測し,管理するための「予測製品」としてマネタイズされている.S・ズボフ(2019=2021)は,このモデルを「監視資本主義」と表した.監視資本主義に関してはプライバシーの侵害を指摘する既存研究が存在する.だが,プライバシー概念の定義は多様であり(榎原1991),既存研究においても理解が異なるため,混乱が生じている.本報告では,既存研究とは異なる視座からプライバシー概念を捉えることで,混乱を解消することを目的とする. 2.方法 既存研究における混乱の原因は,プライバシーを「侵害される側」からの議論のみが行われてきたためだと考えられる.阪本俊生(2009)は,プライバシーを「侵害する側」の視点から捉えている.もともと近代社会では,個人は自らの社会的な自己を自分自身で作り出すことを前提にしていたため,自己の分身(ダブル)が他者により作られることはプライバシーの侵害だとされていた.ところが,現代社会では,情報システムが生産する個人の分身(データ・ダブル)を用いて個々人を管理し,操作することはプライバシー侵害とはみなされなくなり,逆にこの分身こそがプライバシー保護の対象へと移行してきた.すなわち,分身を作ることそのものではなく,分身のねつ造や窃盗,情報漏洩など,分身に対する侵害がプライバシー問題の主要なテーマとなるようになった.このように,プライバシーの侵害にあたる内容の変化から,阪本は,近代社会と現代社会ではプライバシー意識の内的要素が異なることを指摘した. 本報告では,阪本の理論を用い,以下の2点について検討する.⑴既存の監視資本主義批判を,プライバシーを「侵害する側」の視点から捉え,批判が有効であるかどうかを分析する.⑵プライバシー概念を用いた批判を行うには,いかなる議論を行う必要があるか明らかにする. 3.結果 ⑴既存研究では,監視資本主義がプライバシー侵害にあたる根拠として,自己決定権の剥奪や,歪んだアイデンティティの付与などが指摘される.しかし,阪本によると,現代社会における自己情報の生産の場そのものが情報システムに移行していることから,データ・ダブルを用いた個人の管理や操作,アイデンティティの付与はプライバシー侵害とはみなされなくなった.そのため,既存研究における批判は有効ではない. ⑵監視資本主義において,企業は人々をデータ・ダブルからなる「アザー・ワン(生物)」の群れとして扱い,利益を得ている.一方で,近代社会ではそもそも個人のダブルの生産自体が問題とされていた.監視資本主義に抵抗するためには,近代社会のプライバシー観を改めて見直す必要がある. 4.結論 人間が尊厳のある個人として扱われず,生物の群れとして操作される現状に対し,ダブルの生産自体をプライバシー侵害とみなすプライバシー観を再考することが求められる. [文献] 榎原猛編, 1991, 『プライバシー権の総合的研究』, 法律文化社. 阪本俊生, 2009, 『ポスト・プライバシー』, 青弓社. Zuboff, Shoshana, 2019, The Age of surveillance capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power, New York: PublicAffairs.(野中香方子訳, 2021年,『監視資本主義――人類の未来を賭けた闘い』東洋経済新報社.)

報告番号306

加齢女性移民とソーシャルウェルビーイング――農村地域に住むフィリピン人を中心に
東洋大学 ジョハンナ ズルエタ

日本の少子高齢化問題が急速に進んでいると否定できない。これに関して、日本政府が様々な制度的な方法や法律を実施している。高齢化は、先進国の問題と言われ、この現象を解決するために「移民」を受け入れる政策を多くの国が検討している。日本にはこのような政策はまだないが、近年、高技能労働者を、滞在の長期化を前提としない短期間の循環型労働者として、外国人を受け入れている。しかし、ホスト社会における外国人・外国人労働者の多くはその滞在が長期化し、当初は予想しなかった新たな生活を送っている。さらに、近年では国民と同じように、彼ら・彼女らの高齢化が顕著になっている。  本研究では、日本における加齢移民・外国人を対象とする。特に、農村地域に住む80年代後半から90年代前半まで入ってきたフィリピンからの女性たちを取り上げる。これらの女性の多くのが、「農村花嫁」として来日した。現在、日本に滞在するフィリピン人の人口は、外国人の4番目に大きい人口に占めており、在日フィリピン人の人口の半分以上が女性である。本研究は、農村地域におけるフィリピン人女性の事例を取り上げ、フェミニストとトランスナショナルな観点から、加齢(エイジング)、移民とソーシャルウェルビーイングを分析する。また、本発表では、これらの女性の加齢するプロセスと高齢化の経験を考察し、日本に住んでいる加齢の人々として、どのような生活を送るのかを述べる。それに伴う、彼女らのソーシャルウェルビーイングへの意識を探求する。ソーシャルウェルビーイングの社会的・文化的要因に注目を当て、彼女らが自らの高齢化の経験をどのように理解するかを明らかにする。   そこで、データとして、2021年10月から2022年9月に新潟県、山形県、秋田県で行なった聞き取り調査を分析する。2021年10月から12月末に散発的に新潟県長岡市と山形県新庄市で現地調査を行い、2022年5月と6月に新潟県と秋田県秋田市で現地調査を行なった。本研究は継続中のため、本発表は2022年9月まで収集するデータも含む。  今まで分析した研究結果は下記の議論を上げられる。移民の加齢の経験はジェンダー化され、自らが持つ文化的・社会的資本に絡み合っている。これに関連し、移民のソーシャルウェルビーイングには、主観的な要因と他に、社会的ネットワーク、言語・コミュニケーション、在留資格、精神性と宗教、家族の有無も大事な要因である。これからは、日本における移民の高齢化が進み、加齢移民に注目することが必要である。

報告番号307

適正所得認知からみたジェンダー所得格差の正当化――ヴィネット調査による実験的アプローチ
静岡大学 吉田 崇

1 目的  女性の高学歴化や就業継続で縮小傾向にあるとはいえ,依然として日本の男女賃金格差は大きく,OECD諸国のなかでも韓国と並ぶ.男女格差を生む第一の原因は,結婚・出産時の就業継続が依然として困難であることによる.しかし賃金格差に対する認識に関する研究では,人々が必ずしもすべての賃金格差を「不平等」とはとらえていないことが示されている.そこで,本研究では,こうした格差が持続・維持されるメカニズムを解明するために,実際に人びとの得ている所得それ自体でなく,所得に関する人々の認知構造に着目する.すなわち,人々がどの程度の男女格差を適正とみなしているかを測定し,またそうした格差の受容には個人差があるのかを検証することで,男女格差が受容(容認)されているのか,もしそうであるならば何がそうした受容をうながすのかを検討する.  具体的には適正所得に着目し,人々の想定するあるべき格差水準について考える.適正所得とは学歴や職業などさまざまな属性の組み合わせをもつ労働者ごとに,人々が得られるべきと考える所得額を測定したものである.適正所得は,予想所得額ではなく,人々が獲得してしかるべき所得を表しており,そこから人々が考える適切な格差(たとえば男女格差,学歴格差,正規・非正規格差など)の水準を把握することができる.さらに回答者属性から,誰がどのような領域の格差を大きく/小さくあるべきと考えているかを示すことができる. 2 方法  「仕事と働き方」(2018年,2021年に日米韓の3か国で実施したWeb調査)調査を用いる.ここでは性別,学歴など6つの属性を組み合わせた架空就業者(ヴィネット)の適正所得を尋ねている.具体的には,性別,年齢,婚姻,学歴,雇用形態,職業を組み合わせた架空就業者(ヴィネット)を作成し,回答者はそのなかからランダムに提示される16の架空就業者について適正所得を回答する.適正所得に対して各架空就業者をレベル1,回答者をレベル2とするマルチレベル回帰分析の結果から,人々の適正所得および格差認知のありようを明らかにする. 3 結果  各ヴィネット属性とそれ対応する回答者の属性およびヴィネット属性と回答者属性との交互作用を投入したモデルを推定した結果,(1)日本では回答者・女性×ヴィネット・女性の交互作用がマイナスで有意であった.さらに,女性就業者の不利を検証するためにヴィネット女性とヴィネット諸属性との交互作用を検討した結果,(2)日本では女性×年齢(若年)などが有意となった。 4 結論  (1)は女性の方が男女格差を受容する傾向にあることを示唆する.(2)は若年であることの低評価が女性では緩和する,裏返すと,男性・高年の高評価が適正とみなされることを意味する.これらは男女格差や男女格差を生み出す要因でもある長期雇用・年功的処遇が正当化されることを意味し,日本において男女格差を克服することの困難さが改めて浮き彫りとなった. 【付記】本研究はJSPS科研費16H03688,20H00084の助成を受けた.調査の詳しい内容はresearchmapでも公開している(https://researchmap.jp/shinarita/research_projects/24667863).

報告番号308

時間におけるジェンダー不平等の捉え方についての理論的検討
佛教大学 柳下 実

本報告では第一に時間の不平等を検討する際になぜ,時間のさまざまな側面,だれが・いつ・どこで・なにを・どのように・どれくらいしたのかという側面のなかで,「どれくらい」に,すなわち活動の時間の長さに焦点が限定されてきたのか,という問いを検討する.時間の長さに焦点が限定されてきた理由は,近代資本主義社会において市場労働が時間の長さで測定されるようになり,時間の長さが時間を検討するうえで第一義的な重要性を持ったことによる.第二に,なぜ時間の不平等が社会学において十分には検討されてきていないのか,第三になぜジェンダーに焦点が当たってこなかったのかを検討する. 従来までの時間のジェンダー不平等の検討においては,時間のジェンダー不平等を検討する際の「時間」とは市場労働や家事労働に費やす時間の長さであり,時間のジェンダー不平等はしばしば活動に費やす時間の長さのジェンダー不平等と等置されてきた.ここで生じているのは,時間のさまざまな側面,だれが・いつ・どこで・なにを・どのように・どれくらいしたのかという側面のなかで,「どれくらい」に焦点が限定され,他の側面が不可視化・等閑視されている.もちろん研究方針によって,ある側面が強調されたり,されなかったりということは生じるが,こうした各側面は基本的には同等に重要であり,同時に検討されてしかるべきである.それにもかかわらず,なぜ実証的な時間のジェンダー不平等の検討においては,時間の長さのみに偏ってきたのだろうか. 本報告ではなぜ時間のジェンダー不平等の多面的把握が進まず,活動の時間の長さの視点に偏ってきたのかを,3点から把握する.第一に,近代資本主義の発達とともに市場労働が時間の長さで測られるようになり,時間の長さが時間について検討するうえで第一義的な重要性を持ったことである.第二に,近代資本主義社会の時計時間による時間把握を超え,時間について理論的に検討する社会学理論においては,時間による社会統合という時間の社会的機能に焦点を当ててきた.そのため,その社会のなかで,人びとの性別のような属性による時間の不平等や時間による人びとの困難を捉えそこなっている.第三に,ジェンダー不平等について理論的に検討してきた日本の議論においても,近代資本主義社会における時計時間の把握や,社会学理論における時間の捉え方を受け継いでおり,克服できていない.時間の多面的なジェンダー不平等はこうした諸研究領域の不十分な検討により,何重にも不可視化されてきたといえる.

報告番号309

国際開発・人道支援組織が生産する「第三世界」のジェンダー表象
大阪大学大学院 近藤 凜太朗

【1.目的と背景】  本報告は、日本国内で活動する国際協力組織の広報活動を事例として、「第三世界」のジェンダー化された表象の意味作用とそれをめぐるオーディエンスの解釈行為のありようを明らかにするものである。  英語圏の開発研究では、反レイシズム・反植民地主義の立場に立つフェミニズムの議論(Mohanty 1984, Abu-Lughod 2013=2018など)を継承しながら、開発・人道支援にかかわる諸アクターが寄付金広告や出版物等の形態で生産・流通させる「第三世界」表象の批判的なメディア分析が蓄積されてきた。特に近年では、ナイキ財団の「ガール・エフェクト」キャンペーンなど、女子教育への投資を貧困撲滅の解決策として称揚する言説群に注目が集まっている。そこでは、それらの言説群が、女性自身の権利獲得というよりむしろ、地域共同体の生活向上や国家の経済発展のために女性を道具的に動員する主流の開発モデルに依拠していることが論じられてきた(Koffman & Gill 2013, MacDonald 2016など)。だが、現在のところ、それらの言説群に対するオーディエンスの解釈行為の内実は十分に深められているとはいえない。 【2.方法】  本報告では、途上国の女子教育プログラムを推進する国際NGOの代表的事例として、公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパンを取り上げ、そのYouTubeチャンネルにアップロードされた映像群と、そこに視聴者から寄せられた「コメント」群を分析の対象とする。映像に取り上げられた主題(児童婚・早婚、災害、女性性器切除など)、ならびに「コメント」の傾向を内容分析的手続きにしたがって諸項目に分類する作業を行ったうえで、具体的な個々の映像・コメントに即して意味内容の分析を行った。 【3.結果・結論】  視聴者(オーディエンス)による映像に対する「コメント」は、きわめて多様であり、複合的な要素から構成されていた。「第三世界」の女性が置かれた貧困や暴力等の苦境を目にして「日本に生まれた幸福」を噛みしめるもの、「同じ女性」として共感・同一化するもの、「第三世界」の男性の振る舞いに怒りを表明するもの、さらには日本国内の女性差別の現実に目を向けるものまで、様々なタイプの反応が喚起されていた。今後は、これらの多様な解釈行為をふまえたうえで複眼的な表象分析が求められているといえる。 【参考文献】 Abu-Lughod, L. 2013. 鳥山純子・嶺崎寛子訳『ムスリム女性に救援は必要か』書肆心水, 2018. Calkin, S, 2015. “Post-Feminist Spectatorship and the Girl Effect: “Go Ahead, Really Imagine Her”.” Third World Quarterly, 36(4), pp.654-669. Koffman, O., & Gill, R. 2013. “‘The Revolution will be Led by a 12-year-old Girl’: Girl Power and Global Biopolitics.” Feminist Review, 105(1), pp.83-102. MacDonald, K. 2016. “Calls for Educating Girls in the Third World: Futurity, Girls and the ‘Third World Woman’.” Gender, Place & Culture, 23(1), pp.1-17. Mohanty, C. T. 1984. “Under Western Eyes: Feminist Scholarship and Colonial Discourses.” Boundary2, 12(3)/13(1), pp.333-358.

報告番号310

スウェーデンにおける性教育の発展とRFSUの役割
四国学院大学 大山 治彦

1.目的  本報告の目的は、スウェーデンにおける性教育(Sexualundervisning)の発展と、NGOの果す役割について、スウェーデン性教育協会(RFSU)の活動を中心に整理することである。 2.方法  文献研究、およびRFSU役員1名に対し、非構造化面接法よる面接調査を行なった。調査は、2019年9月、ストックホルムのRFSU事務所で実施した。なお、調査は、本学会や所属大学の倫理綱領などに従った。 3.結果と分析  1)RFSUの設立と活動  RFSUは、性教育のための、無党派、非宗教的なNGOである。現在、スウェーデン国内に約20か所の支部がある。1933年、オッテセン-イェンセン(Ottesen-Jensen,E.)らによって設立された。そして、設立の年には、RFSUクリニック(RFSU-kliniken)も設置した。ストックホルムにあるクリニックは、18歳以上を対象に、性感染症の検査や予防接種、避妊やセクシュアリティなどについて、性的健康に関する相談を行なっている。相談サービスは、対面や電話のみならず、専用アプリでも提供する。また、RFSUは、PFSU ABという営利会社を設立し、自社ブランドで、コンドーム、妊娠および排卵の検査や性感染症など検査のキット、性感染症の治療薬のほか、バイブレータなども販売している。その収益は、RFSUの非営利活動を支える資金源となっている。最初の店舗は、1937年に設置されたが、現在、直販については、ネット販売としている。さらに、RFSUは、同じNGOで、HBTQ(LGBT)の全国組織であるRFSL(スウェーデンHBTQの権利のための協会)や、キリスト教徒のHBTQのための団体であるEKHO(HBTQのキリスト者のための超教派協会)の誕生に関わり、その後も、支援や協働することも多い。RFSUは、SNSの活用にも積極的である。YouTubeには500を超える動画がある。  2)基礎学校における性教育とRFSU  スウェーデンにおける性教育の嚆矢となったのは、スウェーデン初の女性医師であるワイデルストローム(Widerström,K.O.)が、1897年に行なった教員向けのセミナーである。そして、1944年に小学校(folkskolan)における性教育の実施が正式に認められ、1955年には性教育は、義務教育において必修化された。さらに、1962年に共生の教育として位置づけられ、2022年の秋学期からは、教科名が「セクシュアリティ、同意、関係」(sexualitet, samtycke och relationer)という。義務教育における性教育の実現や必修化の背景には、オッテセン-イェンセンらが学校で性教育を実施し、その必要性を説くなどの活動が影響をあたえたという。また、RFSUのメンバーが、国などの委員に任命されることもある。 4.結論 スウェーデンにおける性教育には長い歴史があり、義務教育としても、半世紀以上前から、何らかの性教育を行なっている。RFSUは、スウェーデンにおける性教育を推進する上で大きな役割を果たしており、その活動は多岐にわたっている。それはサービスの提供のみならず、また、事業を行なうことで、多くの活動資金も得ていることにも注目に値する。スウェーデンというと、政府などの行政の活動や役割に関心が集まる。しかし、RFSUの活動に見られるように、スウェーデンにおいても、市民活動が果す役割が重要であることが理解できよう。   ※本報告は、JSPSの科研費(26570018、15K01935、18H00937、18K11911)の助成による研究成果の一部である。

報告番号311

アジアのテレビ広告におけるジェンダー役割――日本・中国・台湾・韓国・タイ・シンガポールの国際比較研究
京都産業大学 ポンサピタックサンティ ピヤ

【1.目的】 本研究の目的は、日本・中国・台湾・韓国・タイ・シンガポールのアジアのテレビコ広告におけるジェンダーと労働役割の現れ方の類似点あるいは相違点を考察することである。そのうえで、テレビ広告におけるジェンダー役割に関する研究に再検討を加え、新たな知見を加えたいと考える。 これまでのテレビ広告におけるジェンダーをめぐる先行研究には、いくつかの問題点がみられる。まず、これまでの先行研究の多くは、アメリカ合衆国を中心に、西欧社会の広告におけるジェンダーを研究したものがほとんどであり、アジア諸国を対象にしたものは、いまだ多くはない。また、従来の広告におけるジェンダー研究においては、当該の社会のジェンダー構造がテレビ広告に直接的に反映されているという観点でとらえるものが目立つ。この点からも、今後、現実のジェンダー構造の反映という単純な図式的見方を超える必要がもとめられていることは明らかだろう。 本研究では、内容分析を中心とした従来の広告研究の立場とは異なり、広告を取り巻く社会的背景として「ジェンダー役割」を位置づけるという、社会学的・文化論的な観点から新たに広告の分析を試みる。 【2.方法】 2021年8~10月の期間にわたり、アジア六か国において最も視聴率の高い3つのチャンネルで、プライムタイムに放映された番組(9回:金・土・日)から広告サンプルを収集した。そして、ジェンダー役割に関する項目に基づいて、各国の分析したデータをSPSSプログラムで統計分析を行った。 【3.分析結果】 広告内容分析した結果、まず、すべての国ではナレーターが男性である広告の割合が、女性ナレーターの広告を大きく上回っている。ただし、国とナレーターの性別の間には有意な関係が見られる。また、性別により年齢層の異なる主人公が広告に起用されていることがわかった。つまり、広告に登場する若い女性は、男性よりしばしば多く登場する。 主人公の性別の割合の側面から見れば、広告の中で登場する男性と女性の主人公の割合は違いが見られる。また、主人公の性別と労働役割について、六カ国の広告に見られる働く男性と女性の割合には、有意な関係があることが明らかとなった。 さらに、これらのテレビ広告における男性と女性の職種と職業に従事する以外の役割には違いが見られることがわかった。次に、各国のテレビ広告における男女の役割について、男女の違いが見られることが明らかになった。また、テレビ広告における男女の職種についても有意な違いが見られる。そして、男女の職業に従事する以外の役割について、違いが見られる。 【4.結論】 以上のように、アジアの広告におけるジェンダーの配置は、欧米のこれまでの広告におけるジェンダー研究の成果と、ほぼ一致している。たとえば、ナレーターの男女比についても、男性が女性を大きく上回っている。広告で重視されているのは若い女性なのであり、女性は家庭内の役割が多く、男性は、家庭外の役割に従事することが多い。さらに、これらのアジア国々における働く男性と女性の割合、および、男女性の職種と職業に従事する以外の役割には違いが見られることが明らかとなった。一般的な傾向としては、広告に登場する働く男性の割合は女性より高い。そして、テレビ広告に登場する女性は男性より家庭の場面に多く登場し、男性は女性より遊ぶ姿が現れる傾向が見られる。

報告番号312

刑務所の「中」で、「外」の生活を語る ――「女子依存症回復支援モデル事業」のフィールドワーク④
立教大学 加藤 倫子

1.目的  2020年4月、薬物事犯者のみを対象として特別なプログラムを提供する「女子依存症回復支援センター」(以下「センター」とする)が、「女子依存症回復支援モデル事業」(以下「モデル事業」とする)の一環としてX刑務所(女子施設)の一角に開設された。センターのプログラムにおいては、刑務所に収容される以前や出所後における自らの生活について受刑者たち自身が語る機会がある。回復を支援するというモデル事業やセンターの目的に則り、彼女たちは「外部」について――すなわち刑務所の外ではどのような生活を送っていたのか、そして、そう遠くない将来に刑務所を出てどのような生活を送っていきたいのか――、刑務所の「内部」において語ることを求められるのである。本報告では、刑務所の「中」で受刑者が「外」の生活について語るとはどのようなことなのかを明らかにしていく。 2.方法  センターにおいて実施されているいくつかのプログラムのなかでは、しばしば上記のような「外」の生活が言及される場面がみられる。本報告では、これらのうち、「生活術」等のプログラムに焦点を当て、そこに参加している受刑者や指導者・事業関係者の相互行為を撮影した録画データ、フィールドノーツ等を対象に、総合的に質的分析をおこなう。 3.結果  モデル事業では個々の受刑者がセンターに入所してから出所後の生活に至るまで継続的な支援が念頭に置かれ、センターの処遇では受刑者の出所後の生活を見据えた支援体制が構築されていた。センターのプログラムもそのような目的が踏まえられた上で実施されていた。なかでも、「生活術」では、受刑者が出所後に刑務所の外で送る身近な生活のなかで関心を持つ事柄を中心にテーマを設定し、社会の仕組みや暮らしの質を担保するのに必要となるリソースへのアクセシビリティを向上していくという目的のもと、グループワークが展開されていた。また、センター開設当初には地域支援コーディネーターと呼ばれる外部の事業関係者が「生活術」に参加していた。 4.結論  サイクスは、受刑者は刑務所に収容される際に、収容以前には自明視されていた自由、物品・便宜、異性関係、自律性、安心感といったあらゆる事物を剥ぎ取られると述べている(Sykes 1958=1964)。しかし、センターのプログラムにおいて、受刑者たちは、本来切り離されているはずの「外部」の生活について積極的に語ることを期待され、実際に語ることになった。トピックによっては、グループワークの参加者(指導者・受刑者・事業関係者)間の一体感が生じている場面や、受刑者が語ることをためらったりする場面等も見られた。当日の発表ではさらにデータを示しつつ詳細を述べる。 【主要文献】 Sykes, G., 1958, The Society of Captives: A Study of a Maximum Security Prison., Princeton, NJ: Princeton University Press(=1964, 長谷川永・岩井敬介訳, 『囚人社会』日本評論社).

報告番号313

援助交際からパパ活へ ――何がどう変わったのか?
沖縄大学 圓田 浩二

そもそもパパ活とは何だろうか? パパ活はなぜいけないだろうか?  本報告では、「パパ活」とはどのような行為、行動なのかというという問いを、これまでのパパ活報道、パパ活について書かれた書籍、パパ活を題材にしたドラマやマンガ、小説を題材に、一般の人々が想像するパパ活イメージを明らかにする。また、パパ活の何がいけないとされているかについても議論する。  『パパ活女子』(2021年)では、「パパ活」という言葉は、2016年にパパ活という言葉が生まれたされる(p.5)。しかし、 筆者が援助交際研究中に出会い系サイトから得られた私宛のメッセージ「♀りぃちゃん [退]、18-19歳、那覇市、2011/09/21 0:57、「初めまして(*^o^*)良かったら私のパパになってくれませんか??」」にあるように、パパ活は援助交際活動の活動内容としてすでに存在していた。これが少しイメージを変えることで一般用語として流行したと考えられる。女性側にとって、「お茶:0.3-1、食事:2-3、大人(性行):2-3(万円)」の活動であり、お茶や食事で、高額な金銭が得られるというイメージによって女性の間で「おいしいバイト」として広まったと考えられる。男性側はその先にある大人を行うための、事前必要手続きとなっている。  パパ活は、「就活」や「婚活」、「終活」と同じように、何かのための活動「○活」といった意味で、「パパ」を得るための活動である。性的魅力(若さ、体型、清楚さなど)のある男性にとって性的魅力のある女性が、自分たちと20歳くらい(自分の父親ほど)離れた男性(パパ)から金銭的搾取を行う活動であり、同時に男性は女性に対して性的搾取を行う行為でもある。  パパ活の定義は、中村淳彦によると「①デートして、その見返りに金銭的な援助をしてくれる男性を探すこと、②第三者が関わることなく、自己完結する、③(高校生ではない) 18歳以上」(p.26)としている。「①デートして、その見返りに金銭的な援助をしてくれる男性を探すこと」は、デートの内容に売買春を含めば援助交際と変わらないし、「第三者が関わることなく、自己完結する」ことは「業者」と呼ばれる管理団体が介在していないことを意味しており、これも援助交際と変わらない。「③(高校生ではない) 18歳以上」であることは、高校生などもパパ活をしているので、この年齢制限は意味がない。基本的には、援助交際とパパ活に意味的な差異はない。大きな違いは、コミュニケーション・メディアがテレクラや出会い系サイトから、SNSやパパ活サイトへと変わり、一般男性と女性がさほどリスクを取らず手軽にできるようになったことにある。  筆者が考えるパパ活の定義とは、「性的魅力がある女性たちとの性交を求める男性から、「大人」の関係を提示しながらお茶や食事で金銭を得る行為」と考える。そして、パパ活がいけないとされるのは、女性側が本来「恋愛や結婚」などで使用すべき、その性的魅力を直接的に金銭に置き換えているからである。社会を成り立たせている「愛」という概念を穢しており、それが社会的信念としていかに脆いかを提示しているからである。  発表当日は、パパ活女性たちから得られたインタビューデータを元に、この問題を深く掘り下げる。また、PやPJ、茶飯女、ゾンビ、大人、業者、プロ、セミプロなどのパパ活用語も解説する。

報告番号314

専門用語としての「自己責任」概念は,どのように用いられていたのか.
京都大学大学院 稲葉 渉太

1. 目的 「自己責任」を批判的に検討するテクストにおいて,しばしば自明なものとして,「自己責任」という概念が,個人主義や新自由主義と関わる(あるいは依拠した)ものとして,扱われてきた(その反動として日本文化に内在するものとして「自己責任論」を扱うような研究もある).また,「自己責任論」の解決にあたっては,そうした自明な前提に依拠し,個人主義や新自由主義からいかにして脱却するかが論点とされてきた.他方で,そうした「自己責任」概念と〇〇主義との連関の自明性は,その自明性ゆえに研究者の検討の対象からは外されてきた.本報告では,「自己責任論」を議論するために用いられてきた諸概念と「自己責任」概念との関わり方自体を分析の俎上に戻すことを試みる. 2. 方法 種村剛(2005)は,新聞媒体における「自己責任」という語の使用頻度について分析を行った.そこで種村は,1990年代に見られる「自己責任」概念の使用頻度の高まりに着目した.また種村は,とりわけ,1991年の証券不祥事問題を増加の主な要因として,記事分析を行った.本報告では,種村の使用頻度の研究によって明らかになった,投資の文脈でもともとの「自己責任」概念が使われていたということに着目し,投資の領域において「自己責任」が専門用語としてどのように用いられていたのかについて分析を行う.テクストとして,1986年の「有価証券に係る投資顧問業の規制等に関する法律案」を議題とした国会会議録をデータとして用いることで,投資の領域における専門用語としての「自己責任原則」の用法を確認する. 3. 結果 本報告で検討したテクストにおいて,「自己責任原則」の適用範囲がきわめて限定的であったことが分かった.すなわち,市場の適正化(健全化)にあたって,投資顧問業の必要性が語られており,「自己責任原則」が適用される手前でまず投資者保護の徹底が呼びかけられていた.投資者保護の観点から,投資者が証券投資について合理的な判断を行う基礎が提供されていること,またその合理的な判断を妨げる行為の禁止が自己責任原則の大前提とされていた(神崎 1996).他にも,投資顧問業の対象としての「国民」という言葉では,余剰資産を持った富裕層が想定されていたことも明らかになった. 4. 結論 本報告の分析結果は,個人主義や新自由主義と「自己責任論」との安易な結びつけによる批判の論調に対して,一定の歯止めをかけるものである.新自由主義や個人主義と結びつけて「自己責任論」を批判するという論調は,幅広く展開されているが,そのような論調からは「自己責任論」への有効な批判が展開できていない.むしろ,本報告の結果を踏まえ,専門用語としての「自己責任」概念が一般語の「自己責任」概念として普及・変容する過程を追跡していくことこそ,「自己責任論」を適切に批判していくために必要なステップであろう. 参考文献 種村剛,2005,「『自己責任』の時代ーー1991年の損失補てんを事例として」『自然・人間・社会』38:147-69. 神崎克郎,1996,「自己責任原則と投資者保護のバランス」証券取引法研究会国際部会編『証券取引における自己責任原則と投資者保護』日本証券経済研究所,1-14.

報告番号315

戦時下の渡嘉敷村における日本兵の死 ――戦争の社会病理
岩手大学 麥倉 哲

戦時下の渡嘉敷村における日本兵の死 ―戦争の社会病理5 1 主題 本報告は、太平洋戦争下の沖縄県渡嘉敷村における戦争犠牲死者に関する調査結果を分析したものである。戦時下での多様な死を戦災犠牲死者としてとらえ、一人ひとりの死の検証をするという観点に立つ。これまでの分析から、戦時下における死は多様であり、そこには明白な生命の格差がみられることが明らかとなってきた。 2 対象と方法 東日本大震災発災翌年の2012年1月から戦争体験のある渡嘉敷村民の調査を開始した。2021年までに渡嘉敷村内外で約100名の聞き取りを実施し、関連の資料を収集した。ここでは、聞き取り資料や収集資料から渡嘉敷島における日本兵の死について分析する。 渡嘉敷村関係者の戦災犠牲死は多様であり、①日本兵によって殺された渡嘉敷村民、②朝鮮人軍夫(軍属)の死、③伊江村民の死、④集団自決・第一の玉砕場での死(強制的集団死)、⑤集団自決・第二の玉砕場での死、⑥渡嘉敷で亡くなった日本兵、⑦南洋から引揚げ中に亡くなった渡嘉敷村民、⑧島外戦地で戦死した渡嘉敷村民、⑨渡嘉敷で亡くなった日本軍慰安婦、など多様であるといえる。  この中で、渡嘉敷村で亡くなった日本兵に焦点を当てる。日本兵に絞った戦災犠牲死に絞っても、死の様相は多様である。 3 知見 (1)日本兵の死の多様性  渡嘉敷での日本軍兵士の死の多くは、疾病による死である、次いで戦闘による戦死である。しかし、次に分析するケースも見られた。 (2)日本兵による殺害のケース  日本兵による殺人による死および自殺のである。住民証言によると、終戦間近の時期に、若い兵士が実年の兵士を銃で殺害したというものである。証言したのは、当時の少年の村民であり、軍の活動に協力した村民である。  殺害した兵士は、平素から住民に好感のもたれていた謙虚な若者である。その若者の兵士は、まず、住民からご飯を奪いむさぼり食べた。村の住民のとある、親族で集まり避難小屋に隠しておいた、とっておきの米を食べて、いよいよ明日、山を下りて投降しようという段になっていた。  若い兵士は、とある住民グループの最後の食事の場面を見つけ、住民に銃をつきつけ、米を奪った。それからその兵士は、それまで上司として君臨していて、住民に対しても乱暴な対応をしてきた実年兵士を、銃殺した。そののち、立ち去った。 終戦後、島の人々は、ある浜で、その若い兵士の死後の姿を発見した。兵士は上官を殺害後に浜で自害自決したものと思われる。 (3)陣中日誌における記述  『海上挺進第三戦隊陣中日誌』において、B上官の死は、敵との戦闘により戦死した、A兵士は、行方不明となっている。陣中日誌おいて多くの死の記録の仕方は、戦闘によって戦死したという記録になったと想像される。A兵士を行方不明としたのも、かりにこれを軍務違反として処理すると、B上官の死が戦死でなくなってしまうためだと思われる。 (4)考察  若い兵士の死は、死して虜囚の辱めを受けずという、軍国下の大原則を内面化した兵士の実践でもある。終戦間際に死を覚悟した若い兵士が死の前にしたのは、①親身に接してきた住民から米を奪い、②島の支配に君臨してきた上官を殺害することであった。なぜ、米を奪ったか。とりわけ下級兵士は、飢えていたからである。

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