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第97回日本社会学会大会 11月9日土曜日午前報告要旨

報告番号1

Sociology in the Global South——Trends, Patterns and Features
UNIVERSITY OF KWAZULU-NATAL SOORYAMOORTHY RADHAMANY

While there have been commendable efforts to explore sociology from a global perspective, a noticeable gap remains in the examination of sociology as it pertains to various regions within the Global South. This paper explores the burgeoning field of sociology in the Global South, recognising its significance in providing a comprehensive understanding of sociology from a Global South perspective. By delving into sociological knowledge produced across different regions of the global south, the paper aims to map the landscape of sociology in this context, identifying its distinctive features and trends. Through an analysis of sociological research conducted in various countries of the global south, the paper examines the breadth and depth of sociological knowledge generated in these regions across numerous fields and subfields. It seeks to dissect the characteristics of global sociology, shedding light on prominent, flourishing, declining, and emerging research areas within the discipline. To achieve its objectives, the paper employs scientometric methods, known for their efficacy in studying disciplines’ trajectories of growth, decline, and development over time. Drawing on publication records from reputable sources such as the Web of Science (WoS), the paper analyses valuable metadata including authorship, topics, keywords, publication outlets, and citations. The empirical data for the study spans the period from 2000 to 2018 and encompasses journals and book publications sourced from the WoS database. Through this comprehensive approach, the paper aims to provide insights into the diverse and dynamic landscape of sociology in the global south, offering valuable perspectives for scholars, practitioners, and policymakers alike. The analysis presented in this paper unveils the characteristic features of sociology in the Global South across various dimensions. It delves into research interests, patterns of collaborative and non-collaborative production of sociological knowledge, the primary outlets utilized by sociologists in the Global South to disseminate their research, dominant research areas, trends in flourishing and declining research topics, preferred methodologies employed in research endeavours, departmental affiliations of authors specializing in sociology, and the disciplinary backgrounds of authors stemming from diverse social science fields. Furthermore, the paper examines the interplay between these key variables, elucidating the intricate relationships shaping the landscape of sociology in the Global South. Through a meticulous examination of these dimensions, the paper seeks to provide a comprehensive understanding of the unique contours of sociology in the Global South. It underscores the dynamic interplay of factors influencing the production, dissemination, and evolution of sociological knowledge in this context, thereby contributing to the broader discourse on global sociology.

報告番号2

アバディーン大学時代のマッキーヴァー——スコットランド知識人のディアスポラ
東海大学 高木 俊之

【1.目的】ロバート・M・マッキーヴァー(1882-1970)は、スコットランド出身でエディンバラ大学に学び、1907年に同じスコットランドに位置するアバディーン大学に採用された。1915年にカナダのトロント大学に移り、そこで『コミュニティ』(1917)を出版した。その後、1927年にコロンビア大学と提携するバーナード・カレッジに招聘され、1929年からは大学院政治学研究科の学科長も務めた(MacIver 1968)。1940年にはアメリカ社会学会の会長にも選出され、没後マッキーヴァーは「アメリカの社会学者」として扱われ、そのイギリス・カナダ時代は顧みられていない。 そこで、本研究は、まずアメリカ移住前におけるマッキーヴァーの足跡を明らかにする。そのことを通してマッキーヴァーのイギリス社会学史におけるその意義を再考することを目的とする。 【2.方法】マッキーヴァーの人間関係と人事関係を、未翻訳の『マッキーヴァー自叙伝』(MacIver 1968)、ジョン・ブレワーの論文「『私たちの遺産は私たちの中にある』と抗議しなければならない」(Brewer 2007)と「スコットランド啓蒙とスコットランド思想」(Brewer 2014)などから浮かび上がらせる。 【3.結果】2007年アバディーン大学ではマッキーヴァー就任100周年の記念行事が開催された。そこで当時アバディーン大学の社会学教授だったジョン・ブレワーによって、政治学者ベルナール・ボザンケとの論争や、アバディーン大学を辞してトロント大学に採用される際の真相などマッキーヴァーの逸話が明らかになってきた(Brewer 2007)。 【4.結論】ブレワーによると、マッキーヴァーのカナダ移住はスコットランド人の国際的ディアスポラの一環として、スコットランド社会学の知的移動として強調する価値があり、それはスコットランドの道徳哲学が社会科学に分離していく過程で社会学の出現に貢献したことを意味する(Brewer 2014)。しかし、マッキーヴァーは、コロンビア大学への招聘を受け入れたために、イギリスにおける社会学の系譜につながらなかったのである。 【文献】 MacIver R M.,1968, As a tale that is told : the autobiography of R.M. MacIver, University of Chicago Press. Brewer John D.,2007, “We must protest that our inheritance is within us: Robert Morrison MacIver as sociologist and Scotsman”, Journal of Scottish Thought, Vol 1, No1:1-23. _______________, 2014, The Scottish Enlightenment and Scottish Social Thought c.1725–1915 in Holmwood John & Scott John edited The Palgrave handbook of sociology in Britain, Palgrave Macmillan:3-29.

報告番号3

ハーバーマスにおける人権論はいかに変容したか——人間の尊厳の概念の受容を通して
京都大学大学院 崔 昌幸

【目的】 本報告では、ドイツの代表的知識人ユルゲン・ハーバーマスによる人間の尊厳の概念が、従来「法権利としての人権」を強調していた彼によってどのように受容され、彼の人権論においてどのような変容があったかについて報告する。周知のように、今日の国際社会において、人権を看過することはできない。戦後、1948年の国際連合総会で世界人権宣言が採択されて以降、人権論は隆盛を極めてきた。しかし、この四半世紀を振り返っただけでも、人権をめぐる多くの諸問題があった。近年ではロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるパレスチナ侵攻などによって、しばしば「人権」なる言葉が繰り返し用いられている。よって、こうした数々の人権侵害をめぐる事態を探究することは極めて今日的意義のあるものであるといえる。 【方法】  本報告では、ハーバーマスが対峙してきた今日までの人権をめぐるアクチュアルな諸問題に対して、彼がどのような発言や対処をし、そのなかでどのような論調の変化があったのかを丹念に見ていく。具体的には、1999年、NATOによるコソヴォ空爆に際して、ハーバーマスがそれを擁護した点、ならびにいまだ終わりのみえないロシアによるウクライナ侵攻に際して、ハーバーマスが自らの「立場表明」を行った点、この二点を事例とする。また、そのために、ハーバーマスが「壊れやすい構築物」としての人間の尊厳の概念から何を受容したのかについても検討する。 【結果】  ハーバーマスは、「壊れやすい構築物」としての人間の尊厳の概念の受容によって、その「不可侵性」を受容するとともに、その概念には、法と道徳とをつなぎ合わせる蝶番的機能があるということ、また「法権利としての人権」と「道徳的観点にもとづく人権」の緊張関係において、新たな人権理解の可能性を得るに至った。言い換えれば、彼はたしかに「法権利としての人権」を強調するものの、「道徳的観点にもとづく人権」にも目配りするようになったことが明らかとなったのである。 【結論】  以上のことから、民主的法治国家にあって、ハーバーマスの人権論は、「壊れやすい構築物」としての人間の尊厳の概念の受容によって新たな議論の俎上に載せられたといえる。その議論とは、彼も述べるように、人権と民主主義との関係についてである。つまり、人権は民主主義社会において看過することのできない根本概念であるだけでなく、公共圏において、共通した意思が反映され、初めて実定法上の妥当性を有することとなる権利であることが示唆されるのである。

報告番号4

作田啓一はジンメルをどう読んだか?
神戸学院大学 岡崎 宏樹

[目的] 本報告の目的は、作田啓一がジンメルをどのように解釈したのかを検討することを通じて、作田の価値理論の独自性を明らかにすることにある。 [方法] 本報告では、作田啓一がジンメルについて論じた「ジンメルの価値概念」(作田1968)、『価値の社会学』第1編「社会的価値の理論」(作田1972→2024)、「遊び」(作田1973)、「ロマン主義を超えて――社会学の三つの問題」(作田1980)を考察し、作田のジンメル解釈の特徴を明らかにするとともに、その解釈が作田の価値理論にどのように取り入れられたかを検討する。 [結果] 第一の論点は、一見するとウェーバーの行為論とパーソンズのシステム論の再解釈として構築されたようにみえる作田の「社会的価値の理論」が、ジンメルの価値概念に準拠することで展開している点にある。ジンメルは、『貨幣の哲学』において、価値は行為の選択や交換において生じる「犠牲」や「排除」の代償として獲得される客体の性質であるととらえた。出口剛司は、初期作田社会学の可能性の中心は「価値の問題を交換あるいは選択という行為=相互行為そして身体の内部に位置付け、価値の脱超越化=内在化をはかった点にあるように思われる」と指摘している(出口2024:591)。 第二の論点は、『社会学の根本問題』におけるジンメルの社交論を解釈するなかで、作田が「脱所属と脱自我の遊び」の中に理想の社会が立ち現れる可能性をみている点にある。社交の中での会話は目的性と個人性が排除され、「個人の所属する立場や個人に特有の自我からの主張は一切締め出される」。脱所属と脱自我の立場に身をおく成員は、実生活と自我への執着から離れて自由に交流する。会話の話題が移り変わるなかで、内部の諸要素は「自我という統一のきずなから解き放され、他の単位内の要素と自由に結びつく」。このように「完全な平等の実現」と「隔離化の力であった自我の解体」という二つの条件を満たす社会は、ある意味で、「理想の社会」である、と作田は論じた(作田1973 :94-95)。 [結論] では、第一の論点と第二の論点、二つのジンメル論はどのような関係にあるのだろうか。本報告は、第二の論点は、『価値の社会学』で残された課題、「自由あるいは遊びの世界から価値がどのように形成されるかという問題」を探求する試みであったことを示す。そして、価値の生成という主題をめぐる探求が、ルソー研究を経て、後期作田の〈生成の社会学〉へと深化し、有用志向‐原則志向‐共感志向という三次元の価値理論へと展開したことを明らかにする。 参考文献 岡崎宏樹, 2024,『作田啓一 生成の社会学』京都大学学術出版会 作田啓一, 1968,「ジンメルの価値概念」『ソシオロジ』14 (3) ――――, 1972→2024,『価値の社会学』筑摩書房 ――――, 1973,「遊び」『深層社会の点描』筑摩書房 ――――, 1980,「ロマン主義を超えて――社会学の三つの問題」大江健三郎・中村雄二郎・山口昌男編集代表『叢書 文化の現在11 歓ばしき学問』岩波書店 ――――, 1993,『生成の社会学をめざして――価値観と性格』有斐閣 ジンメル, G., 1979,『社会学の根本問題』岩波書店 ――――, 1999,『貨幣の哲学 新訳版』居安正訳, 白水社 出口剛司, 2024,「解説 作田啓一『価値の社会学』に寄せて」, 作田啓一『価値の社会学』

報告番号5

「現代実在論」の普遍性追求についての社会学的検討
立命館アジア太平洋大学 清家 久美

【研究の背景・研究目的】「不確実性の時代」と呼ばれて早20年が経ち,また2016年には「ポスト真実」がオックスフォード出版社の辞書部門が毎年‘Word of the year’となった.長らく思想・学問界を席巻したポストモダン(ポスト構造主義)の影響を指摘できる.これまで「真実」や「正しさ」,「普遍的なもの」とされてきたものを脱構築し,それらには一切根拠がなく,全てが「差異の戯れ」であるとして相対化を極限まで推し進めたのがポストモダンであるわけだが,それが狭い思想・学問上の動向にとどまらず,広く社会に膾炙した帰結が「ポスト真実」であると言える.すなわち,現代は社会的な不確実性がその特徴とされている.またこうした時代診断は,既に90年代において社会学者達によって予見されていた.A.ギデンズ[1991]は近代の特徴である「再帰性」が急速に進展し,高度化したと指摘する.またそれに連動し,自己は「再帰的プロジェクト」になったという.U.ベック[1997]は現代を個人化社会と呼び,産業社会がもっていた「たしかさ」が崩れていていくことと,もはやそれに頼ることなく新たな「たしかさ」を自分で作り出す必要があるという.さらにZ.バウマン[1996]は,アイデンティティの選択は容易だが,それを確定的に持続させることは難しいと指摘する. このように現代は「真実」が失われた時代であり,人々の実存レベルにおいても不確実性がその特徴とされている.そうした背景において,いくつかの種類の現代実在論が出来した.仮説としては,「現代実在論」は不確実性の時代における普遍性追求の表現と言えるのではないか.事実,現代の実在論は近代以降支配的であったポストモダン思想における相対主義を根本から問い直し,「普遍的なもの」や「絶対的なもの」へと導こうとする新しい思想潮流であり,それらは人間の認識から独立して存在する「実在」を考え,そこに普遍性,絶対性を見出そうとしている.そこで,現代実在論における普遍性について検討した上で,現代実在論が生じた理由をより社会学的に仔細に考察することで今日の時代状況を再定義することを本発表の研究目的とする. 【方法と考察】ポストモダン以降の相対主義の傾向が強い現代社会において,普遍性,絶対性,外部性を含む世界観の希求が現代実在論の出現に関係すると考えられる.社会学においても,言語論的転回以降の構築主義的世界観,ならびに方法論は社会学においてはすでに自明的かつ支配的な考え方となっているが,ラトゥールを筆頭に,それらの限界とその超克を模索する動きは見られるものの,非常に周辺的な位置づけとされ,社会学そのものにあるいは方法論に大きく影響を与えたわけではない.現代実在論の一つである新実在論を提唱したマルクス・ガブリエルの初期思想に焦点を当てることによって,現代社会の世界観や社会学における世界観を批判的に乗り越える可能性を模索する.そこでいう彼の初期思想とは,認識論の限界とその超克のための新実在論への展開である. Gabriel, Markus and Zizek, Slavoj, 2009, Mythology, Madness, and Laughter: Subjectivity in German Idealism, New York/London: Continuum. Gabriel, Markus,2019 The Limits of Epistemology. Cambridge: Polity. ――――2011, Transcendental Ontology: Essays in German Idealism. London: Continuum.

報告番号6

エピジェネティクス研究の時代における〈超越論的なもの〉と自我について
立命館大学大学院 丹上 麻里江

20世紀の終盤を賑わしたヒトゲノムの解読計画は今世紀の初頭には一旦の解読完了が宣言されたが、それから早くも四半世紀が経過しようとしている現在、その後のゲノム科学や生命科学の進展を振り返り、さらには解読計画自体がすでにさらに新たなフェーズにも突入していることも鑑みるならば、21世紀の黎明と重なるようになされたものは現代社会を生きるわれわれにとって、完了宣言というよりもむしろ、新たなエポックの始まりを告げる宣言でもあったかのように思われるほどである。その知見と技術は幅広い分野で実応用が進められ、ひとにたいしても、国民の全ゲノム情報の蓄積や解析作業が推進されたり、医療実践への実装が急がれてきた。しかしもう少し丁寧にみるならば、今世紀以降にポストゲノム研究とも呼ばれてきたフェーズにおいては、あくまでゲノムを中心的で規定的なものとしてとらえる考え方から、かならずしもつねにそうなのではなく、よりさまざまな要素や媒体が関係しあいながら、相互的に作用しあって生命現象を構成しているという理解にシフトしているということ自体は専門家集団の内部においても、また広く一般にもすでにある程度の定着をみせてきた。生物学の分野ではそのことはさらに多様な研究領域を開き、さまざまな観点からの生命にたいするアプローチの可能性が築かれてきたのだが、その外部では、たとえばエピジェネティクス研究と呼ばれる、後天的な影響がゲノムのレベルにも作用しうるという研究にたいする関心が強くもたれてきた。そのことはたんに自然科学の研究にたいしてだけではなく、古来からの西洋哲学上の〈超越論的なもの〉の概念を切り崩すような可能性を孕むものとして検討されたり、ゲノム的な自我のありように変化を及ぼしつつあるような諸相が今日みられてきた。それらの状況を概観しつつ、ポストゲノムの研究とも呼ばれる時代にわれわれの自我はいかなる社会化がされようとしているのかについて考察する。その大目的は今日さまざまな課題を生み、人々を新たな形で差異化する個人の医療等を通した遺伝/ゲノム情報の前景化という事態が人と社会にいかなる変容をもたらすか、その社会学的含意を究明することである。遺伝か環境かに表象される問題を人は有史以来問いてきた。両概念の理念的・実質的意味は、時代や知の体系などを背景に一様ではないが、教育や医療などの諸制度や生の捉え方に関わる重要な観念・用語でもある。とりわけポストゲノム研究以後の時代では生命への理解が複雑さを増し、人の「多様性」の意義の再確認が求められている。今日の社会病理の解明を目指しながら、人の自己把握の問題を社会との関わりの中から明らかにしていく。

報告番号7

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(1)――教育への新自由主義の影響
立正大学 丹治 恭子

【連携報告の概要】社会のなかの多様性の尊重と社会の凝集性の確保の両立を目指す概念である「共生」が政策用語として掲げられた1990年代以降の日本社会を語るうえで、新自由主義は欠くことのできない重要な要素となっている。ウェンディ・ブラウンは、新自由主義があらゆる人間の活動に浸透し、政治と市場の区別を取り払うことで、統治理性として機能していることを指摘している。さらに、この新自由主義的な思考は、競争のプラットフォームとして国民国家を措定する新保守主義的な思考へと結びつく。こうした背景のもとで、2000年代以降の日本にみられるいわゆる「ネオコンとネオリベの結託」は、社会的な凝集性を確保する際の論理として広範囲に用いられることとなった。これらの「共生」をめぐる2000年代以降の日本社会の状況を踏まえ、連携報告「共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2)」では、新自由主義ならびに新保守主義(国民主義)が社会的凝集性の論理として用いられる状況を確認するとともに、多様な個人や集団の「差異」を前提として立ち上がる別なる論理のあり方について検討を行う。 【本報告の目的】2000年代以降、日本の教育政策に導入されるようになった「非認知能力」に着目し、とりわけ幼児教育政策における非認知能力概念の導入の経緯から、経済的な原理が教育政策に浸透していく状況ならびにその背景について提示する。そのうえで、これまで幼児教育において重視されてこなかった教育の外在的目的に注目することで、新自由主義の論理に回収されない教育の可能性や社会的凝集性のあり方について論じる。 【結果①】教育を「人的資本」と捉える眼差しは予てよりあったが、2000年代以降の「非認知能力の育成」の議論の前提には、そうした産業主義的な社会像が入り込んでいることが窺えた。具体的には、非認知能力の育成の効果を提唱する労働経済学・教育経済学の知見には、労働生産性の拡大という経済的な視点が前提とされていた。 【結果②】1980年代以降の日本の幼児教育政策では、子どもの育つ権利に基づく教育の内在的目的を重視する傾向がみられるとともに、それが「幼児教育の独自性」としても位置づけられていた。そうした背景のもとで、「非認知能力の育成」に関する政策への導入において外在的目的の不可視化が生じた結果、OECDの方針や教育経済学が前提とする新自由主義の論理に回収されることとなった。 【結論】新自由主義の論理とは異なる教育の外在的目的の設定については、戦後日本の初期社会科構想の中で描かれた理念や社会像が参考になる。そこでは教育の理念として民主主義の担い手となる市民の育成が掲げられており、その観点からの凝集性の確保がなされていた。

報告番号8

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(2)――門脇厚司における「社会力」論の構図
武蔵野大学 長 創一朗

【目的】本報告の目的は、教育社会学者の門脇厚司が提唱した社会力について、その論の構図を明らかにすることである。近年、マイケル・サンデル(『運も実力のうち』2020=2021)をはじめ、日本においても、メリトクラシーや能力主義は批判的に論じられているが、学校教育の専門・職業教育としての側面は残すという、メリトクラシーの全廃ではない改善方策が提言されている。一方で、メリトクラシー原理に基づく近代産業社会に代わるものとして共生社会を構想し、その社会を実現するうえで教育によって育てる能力として社会力(「人と人がつながり社会を作る力」)を提唱したのが門脇厚司であった。【方法】門脇厚司の著作から社会力が主題となる書籍を対象とした(1999‐2020年13冊)。これらの書籍の内容を整理し、社会力を提唱する門脇の問題関心の推移や社会力と共生社会の論理の展開を記述する。【結果】当初、門脇が社会力を提唱した背景には、1980年代以降の子ども・若者の問題(他者を回避し、人を嫌う傾向)があり、それらを成長過程における多様な他者との相互行為不足による、社会化の異変として捉えていた。そして、動物行動学や進化心理学等の知見を踏まえ、人が先天的にもつ互恵的利他行動のような他者と共同生活をしていく上で重要な行動特性をもととして、人と人とが関係しながら社会を作り、作った社会を運営しつつ、その社会を絶えず作り変えていくために必要な資質や能力を社会力と呼んだ。その後、先進諸国が直面した教育問題への対処として、能力主義の徹底と競争の奨励による教育改革を行うことへの批判のなかで社会力と共生社会が接続する。能力主義や競争は産業社会の発展を目的とした利己的な人間像をベースとしており、互恵利他的な人間の本性とは相反するとし、競い合うメリトクラシーの社会から、助け合うディーセントクラシー(共生)の社会への転換を提示した。そして、共生社会を実現するためにはすべての人々の社会力を強化することが必要であり、意図的な公的教育がすべきことであるとした。【結論】このように門脇は、1980年代以降の子ども・若者の変化を捉えることから議論を始め、近代産業主義やそれが先鋭化した新自由主義における競い合う教育や能力を否定し、共に生きるための能力として社会力を提唱した。また、門脇は両親の学歴の組み合わせによって学力などの能力差が生じることは認めており、人間間に様々な違いがあったとしてもお互いに助け合うことを志向する資質や能力として社会力を提示していた。このことから、門脇厚司における「社会力」論は、人間の多様性の尊重を前提としつつ、子どもの社会力を育てることによって社会的凝集性を確保し、近代産業主義社会の諸問題に対抗しようとしたものとして捉えることができる。

報告番号9

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(3)――メリトクラシーのもとでの多様性の尊重
島根大学 津多 成輔

【背景】近代社会では、すべての人々が平等であり、自己の才能や努力に応じて成功や幸福を追求できることを理想とし、重要視されてきた。特に後発近代国家によくみられる学歴社会では、「受験学力」によってもたらされる学歴が、社会的地位や経済的な豊かさの配分を規定する「業績」となっており、学業成績に基づいたメリトクラシーが機能している。そのもとでの学校教育は子どもたちを公平に扱うことをもって平等とし、その平等な機会を前提として、人々を特定の社会的地位に選別・配分し、一定の結果の不平等を正当化してきた。一方で、メリトクラシーは、原理的に社会経済的に一方に対して優位な立場を、他方に対して劣位な立場をもたらす序列化を伴う点において共生論とも不可分である。 【目的と方法】本報告は学業成績に基づいたメリトクラシーによる社会的凝集性の確保と多様性の尊重の関連について検討することを目的とする。そこで、学業成績に基づいたメリトクラシーの前提となる「機会の平等」の可能性について、まず階層の再生産及び遺伝学の観点から知見を整理する。その上でメリトクラシーのもとでの多様性の尊重の限界について検討する。 【結果①】階層の再生産の観点からは、例えば、全国学力調査におけるテストの平均正答率は、子どもたちを家庭の社会経済的背景(家庭所得、父親学歴、母親学歴を合成した指標)によって4区分した場合に、最も低い層の家庭の子どもと、最も高い層の家庭の子どもとでは20%以上の開きがある教科がある。更に最も低い層の子どもが毎日3時間以上勉強しても、上回ることができていないことが統計的に示されており、階層の再生産が生じる点において学業成績に基づいたメリトクラシーは、自らがそのシステムの前提とする機会の平等を切り崩しつつある。 【結果②】近年の遺伝学の知見によれば、一定の割合で遺伝的要因が学業成績のスコアに影響することが報告されている。もちろん、選抜・配分の指標をどのように設定するか(学歴社会において、何を学業成績と定義するか)、あるいは遺伝子のような先天的な要因がどの程度影響するかは後天的な環境要因も大きく関与していることには留意する必要はある。しかしながら、学歴社会における学業成績、日本でいうならば、共通一次試験、センター試験、共通テストのような一元化された指標においては、少なくとも先天的な要因によって到達可能性は大きく左右されることは確かであろう。つまり、学業成績に基づいたメリトクラシーの前提となる機会の平等の完全な達成は、遺伝学の観点からは達成不可能である。 【結論】新制高校発足時に見られたようなすべての者にひとしく教育を受ける権利があると掲げられた際の「機会の平等」を「教育機会の平等」と解釈するならば、他者と競い合うことによって社会的地位の配分を規定するメリトクラシーの前提となる「機会の平等」は、「競争機会の平等」と解釈できる。「競争機会の平等」は、すべての人々が平等であるという近代社会の理念とも一部が親和的ではあるものの、人々がある指標において等しい存在であることを要求する。一方で、現実的には人々は多様であり、学業成績に基づいたメリトクラシーのように限定された指標のもとでは、その完全な実現は不可能である。この点において、メリトクラシーはその前提においても、多様性の尊重を志向する共生論と相違する。

報告番号10

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(4)――公的な教育機会の保障
立正大学 小山田 建太

【問題の所在】近年では不登校児童生徒の増加などに伴い各自治体がオルタナティブスクールへの公的助成をおこなう動きが散見され、これらの動きには公的な教育機会保障の観点からの意義が見られる一方で、その公的助成を受けたオルタナティブスクールが抱える運営上の課題や葛藤については実証的に明らかにされてこなかった。 【目的】そこで本発表では、茨城県つくば市と認定NPO法人リヴォルヴ学校教育研究所(以下、リヴォルヴ)とが令和2~4年度に運営した公設のフリースクールである「むすびつくば」を報告事例として取り上げて、特に保護者へのヒアリング調査の結果を主として提示する。そしてこれらの調査結果より、多様な子どもたちにとっての公的な教育機会保障の在り方を共生社会論の視角から考察することを目指す。 【結果】同調査結果からは、全ての保護者が「むすびつくば」の良さを多面的に認識する一方で、共通する「むすびつくば」への要望や期待として子ども同士の触れ合いの場を増やしてほしいことや、学習指導をより手厚くサポートしてほしいことが指摘された。しかしながら公設化の影響でリヴォルヴのスタッフが一層多忙化したことも同時に認識され、今後の持続的な運営を不安視する語りや、そのような状況においては「むすびつくば」の「支援の仕方」や「カラー」を明示すべきなのではないかとする語りなども確認された。 【結論1】上記の結果を武井ほか(2022)を踏まえてまとめれば、公的助成のもとで「包摂性」を求められるようになった「むすびつくば」に対して、従来までの「事業性」を強調してほしいとする期待も表れていたといえ、このような点に公設化されたオルタナティブスクールの運営をめぐる原理的な葛藤やジレンマが見出せる。 【結論2】このような原理的な葛藤について、宮本(2017)による共生社会論の枠組みから検討を深めたい。宮本によれば「共生」には「手段としての共生」と「目的としての共生」との2側面が併存するといい、まず「手段としての共生」とは「互恵的利他主義」、すなわち自己の利益を実現するための手段としての共生を指す。そして対する「目的としての共生」とは、「支え合いのなかでの相互承認こそ生活をより意味のあるものにするという見方を重視」するものであり、共生することそのものを目的とする考え方を指す。そして以上の知見を踏まえ本稿では、本事例の運営上の葛藤やジレンマを生じさせた最も重要な要因として、「目的としての共生」の在り方がこの間明文化されてこなかった点を指摘する。 【結論3】次に、上記のような互恵的な共生関係の実現を促す「社会制度」の在り方についても考察を加えたい。本報告事例のような先進性の高い教育実践には、アプリオリな「目的」の存在が自明でない。そしてこのことは、まさに「共生」をゴールでなくプロセスとして捉える必要性を示唆している。すなわちこのような「社会制度」の重要な要件となるのは、当事者がその暫定的なゴールや「目的」を確認し合い、ひいてはそのような共通理解の更新さえも可能とするような対話の機会を定期的に保障することであると論じる。 【参考文献】 宮本太郎,2017,『共生保障――〈支え合い〉の戦略』岩波書店。 岡本智周,2011,「個人化社会で要請される〈共に生きる力〉」岡本智周・田中統治編著『共生と希望の教育学』筑波大学出版会,pp.30-41.

報告番号11

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(5)――「こころとからだの教育」から考える合理的配慮
関東学院大学 麦倉 泰子

【目的と背景】  七生養護学校事件とは、都立七生養護学校において行われていた「こころとからだの学習」に対して、2003年7月に東京都議会において行われた性教育に関する質問を皮切りに、「視察」と称する教育現場への政治的介入が行われたことに端を発する事件である。視察に同行した新聞社による批判的な記事が掲載された後に、東京都教育委員会による教員の大量処分が行われた。これを不当な処分であるとする教員と保護者が原告となって訴訟が行われ、最高裁まで争われた。最終的には、原告の訴えを認める判決が行われたが、その一方で、長期に及んだ裁判の間に日本の学校現場における性教育は大幅に萎縮したとされる。本研究では、七生養護学校事件にかかわる言説を検討し、複数の二元論が存在することに着目した。 【方法】  1つ目の二元論は政治的文脈からの検討である。都議会での「性教育」にかかわる言説を検討すると、「純潔教育」や「性の自己決定」といったキーワードとともに出現しており、性をめぐる保守と革新という軸が存在する。  2つ目は一連の裁判の判決と資料を検討するなかで現れる「教育における管理の強化」に向かう傾向と、「対話に開かれた個別的な教育」をめざそうとする教育現場の対立という軸である。本事件は、公によって何らかの基準を設定し、教育内容の画一化を図ろうとする「公から個へ」の動きと、あくまでに現前する人の個別具体的な必要性に応じて教育内容を創出していこうとする「個から公(共)へ」の動きが相克する中で生じた事件であると位置づけることもできる。その意味では、国際的な方向性として示される包括的性教育も、いかに現前する人の個別性と接続させるのかが問われなければ同じ問題に直面せざるを得ない。対話にもとづいた創意工夫にもとづく教育を行うことが、「公/個」という二元論を超えて、共生につながっていく可能性を開くのである。  3つ目は障害のある人のセクシュアリティに現れる意思と身体の二元論である。「こころとからだの教育」は、障害のある子どもが自身の身体に関する知識を得る機会がないままに成長し、若年での妊娠のリスクや性的な搾取の対象となることを防ぐことが一つの目標とされた。すなわち、身体を自律する意思の形成を支援することをめざしていたと解釈することもできるだろう。その意味で、意思決定支援の要素の一つとしてセクシュアリティを捉える必要性を示唆していると考えられる。 【結果と結論】  本事件は障害者のセクシュアリティに対する教育と支援がどうあるべきかを示したイシューである。対話に基づいた創意工夫によって個別的な方向を示すことを目標とする。さらに、障害者権利条約およびイギリスの知的障害者支援団体Mencapの見解等との比較を行いながら、今後の教育と支援における合理的配慮の在り方について提示する。

報告番号12

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(6)――包括的性教育
早稲田大学 笹野 悦子

【目的と背景】本報告の目的は、日本における包括的性教育の実践とそれを阻害する複数の抵抗的諸勢力を対比的に検討し、そこで図られようとする社会的凝集性の如何を記述することにある。事象の背景は以下のとおり。戦後開始された性教育=純潔教育は70年代80年代に民間団体の先導によって包括的性教育の萌芽が見られ、文部省も90年前後からは包括的性教育の実践が緒に就いた。同時に70年代からは家庭科教育の男女共修を求める市民運動が進められ、90年前後には家庭科の男女共修必修が実現した。教育に男女平等、ジェンダー、セクシュアリティ概念が導入され始めていた。一方で90年代前半から性教育バッシングが始まる。とりわけ1995年東京女性財団のパンフレット「ジェンダー・フリーな教育のために」公刊後は、ジェンダーフリーという曖昧な概念を標的として様々な保守系宗教団体、保守系政治家、マスメディア、フェミニストなどが錯綜して関与する大規模なバックラッシュが広がった。10年以上に及ぶ性教育バッシングを経て日本の性教育実践は委縮し、緒に就いた文科省の包括的性教育も扱われなくなった。2023年国連人権委員会の包括的性教育実施勧告も政府は受け入れを拒絶した。【方法】日本の包括的性教育の運動と実践、2000年代前後の性教育バッシング諸勢力の攻撃、バッシング後の政府の性教育の諸指針の三者を文献調査によって整理、対照し、社会の凝集性の観点から日本における性教育を記述する。【結果と結論】三者の志向する社会的凝集性は次のように観察される。①包括的性教育の実践に見る凝集性は二点に集約できる。一つは従来の本質主義的男女二元論とジェンダー規範を脱却しジェンダー平等に基づくこと。いま一つは、セクシュアリティは人生全般にわたる基本的・普遍的人権であり、関係性、多様性を包含する点である。②性教育バッシングの凝集性の方向は主に二点。一つは、ジェンダーフリー攻撃におけるジェンダーフリーが「男女の性別をなくす」「健全な(伝統的)家族を破壊する」などに類する言説に見られる。ここで守られるのは性別特性論、異性愛主義的家族制度、家父長制であり、性分業に基礎づけられた資本主義に親和的な、当時の文脈で言えば新自由主義的な社会への凝集を志向する。いま一つの「避妊や中絶、性交を肯定的に扱う過激な性教育」という言説では、SRHR(性と生殖に関する健康と権利)の主体としての個人の性的権利が否定される。これらは民主主義に基づく主体的市民の育成を阻害し、新保守主義(国民主義)を志向する。包括的性教育が家父長制的ジェンダー構成の脱却、性的権利の保障による民主主義的社会を目指していたのと対照をなす。③バックラッシュを経て政府は生徒たちを「責任のとれない存在」と規定して包括的性教育の方針を棄却した。希求されるのはバックラッシュ派の守ろうとした前期近代的な本質主義的社会的凝集性である。包括的性教育の実践は、ジェンダーのパフォーマティヴィティ(その都度のふるまいなどの実践によってジェンダーの意味ジェンダーカテゴリが更新されあるいは維持される)およびセクシュアリティの多様性の包摂とSRHRの保障によって、限りなくアトム化する諸個人が、それらを調停しつつ社会を成立させるメタ的な視点からの凝集性を目指しうる。

報告番号13

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(2):社会的凝集性の諸相(7)――沖縄におけるネイションの複数性
明星大学 熊本 博之

【背景】個人化が進んだ現代社会にあって、わかりやすい共通の指標であるネイションは結びつきの根拠として呼び起こされやすい。だが依拠しうるネイションが複数ある場合、自己をどのネイションに位置づけるのかは選択的になる。沖縄の人たちにとってネイションは、日本と琉球ないし沖縄とがあり、報告者が2022年に実施した県民意識調査で自身のナショナルアイデンティティ(NI)を問うた結果は、沖縄人240人(28.2%)、沖縄人で日本人548人(64.3%)、日本人64人(7.5%)となった(「沖縄生まれ」の回答者のみ)。【目的・方法】本報告では、翁長雄志沖縄県知事(当時)が2015年9月21日、国連人権理事会に登壇し、「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。」と口頭声明を発表したことに端を発する先住民族論争を事例に、「多様なネイションの併存」と「単一のネイションへの収斂」とを巡る相剋を描出する。【事例の経緯】論争は『沖縄タイムス』の読者投稿欄「論壇」を舞台に2015年10月から12月にかけて展開された。発端は元那覇市議で財界に身を置くT氏の投書「沖縄 先住民族ではない」である。T氏の主張は「アイヌの人々は先住民族である」という日本政府の公式見解を根拠に、日本における先住民族はアイヌだけであって、「沖縄県民は、誇りあるウチナーンチュとしてのアイデンティティーをもった日本国民であり、『先住民族』ではない」というものだ。これに対し「琉球弧の先住民族会」代表のM氏は、「主権国家建設の際その意思に背き強制的に併合された集団」という先住民族の国際的基準に照らして「琉球民族が『先住民族』という概念に該当することは明らかである」と主張し、さらに「民族的アイデンティティーを持ったまま、日本国民になること」を日本の国法は禁じていないのだから、日本国民であり琉球民族であることも可能だと反論した。ここに『琉球新報』元記者のY氏が「いまなぜ先住民族論か」が問題であるとし、その歴史的背景に「本土による沖縄差別という歴史認識」があることを指摘する形で参戦し、「政府が決めたから沖縄差別はないとか先住民はいないというのは、あまりにも事大主義的だ」とT氏に議論を呼びかける。T氏は応答するも従来の主張を繰り返すだけであり、Y氏が歴史認識こそが重要であることを再度指摘して論争は終わる。【考察】T氏の「日本人」という「単一のネイションへの収斂」を強調する新保守主義(国民主義)的な主張は、普天間基地移設問題を通して露見した、国家に貢献する限りにおいて保護されるべき国民として認めるという新自由主義的な政府の姿勢への応答であろう。2021年には「沖縄の人々を先住民族とする国連勧告の撤回を実現させる沖縄地方議員連盟」も発足するなど、沖縄の保守派は日本ネイションへの依拠を強めつつある。だが沖縄におけるNIの多様性に即すれば1つのネイションのみに依拠した凝集性の確保は期待できず、「日本国民であり琉球民族である」というM氏のあり方や、「いまなぜ先住民族論か」を問いなおすY氏の姿勢こそが求められる。そのことは県民意識調査において「沖縄人で日本人」と答えたハイブリッドアイデンティティ層が他者への寛容性の高さを示したことからも支持される。

報告番号14

ヤングアダルトケアラーの「成人期への移行」と家族
成蹊大学大学院 長谷川 拓人

1. 目的  ヤングアダルトケアラー(Young adult carer)とは、障害や病気のある家族をケアする18歳〜25歳の若者である。ヤングアダルトケアラーの範囲には、18歳未満の子どものケアラーを指す「ヤングケアラー(Young carer)」が18歳を過ぎた後もケアを担い続けるケースと、18歳から20代前半の間にケアを始めたケースの二つが含まれる。これまで先行研究では、ヤングアダルトケアラーや若者ケアラーの進学や就職の断念、学業中断や離職などの経験が描かれてきた(Sempik and Becker 2014; 松崎 2014)。  以上を踏まえ、本報告では、ヤングアダルトケアラーの「成人期への移行」における家族との関わり方に焦点を当てる。自分の人生と家族のケアについて、ヤングアダルトケアラーはどんなニーズを持ち、どうバランスを取ろうとするのかを明らかにすることが本報告の目的である。 2. 方法  分析対象とするのは、2021年3月〜2024年5月の間に筆者が実施した、18歳から25歳の時期に家族のケアを担っていた人の語りである。インタビューデータは、筆者によって文字起こしとクリーニング、匿名化がされている。データの使用については、調査協力者から事前に許可を得ている。 3. 結果・結論  分析から、インフォーマントたちは基本的に、ケアを要する家族をサポートしたいという思いを持っていることがわかった。一方では、見通しの立ちにくいケアに不安を抱えている状況も示唆された。そうした中で、インフォーマントたちはあえて、ケアから一定の距離を取ろうとすることが明らかになった。しかし、実際には、距離のコントロールは簡単でなく、場合によっては大学生活や仕事とケアの両立が立ち行かなくなることも示された。  ヤングアダルトケアラーをめぐる重要な論点は、本来依存する側として捉えられている子どもが自立状態にあり、逆に依存される側というイメージが強い親などの家族が依存状態になっているという、役割の反転にある。ヤングアダルトケアラーは、成人とみなされる年齢であるため、自分自身の選択によって自分の人生を作るという意味での「個人化」の主体として社会からは理解されるものの、これまでの議論が指摘するように、家族に自身より立場の弱い人がいる場合には「選択不可能」「解消困難」な状態に陥り、その家族との関係解消を選ぼうとした場合、それは「棄てる」行為として認識されやすい(山田 2004; 土屋 2013)。本報告では、分析で明らかになったヤングアダルトケアラーとその家族の「距離」の問題を、「ケアの権利」(森川 2008)の視点から考察する。 文献 松崎実穂, 2014, 「メディアにみる「家族を介護する若者」―日本における社会問題化を考える」『Gender and Sexuality』10, 187-201. 森川美絵, 2008, 「ケアする権利/ケアしない権利」上野千鶴子ほか編, 2008, 『家族のケア 家族へのケア』岩波書店, 37-54. Sempik, Joe and Saul Becker, 2014, Young Adult Carers at College and University, Carers Trust, London. 土屋葉, 2013, 「関係を取り結ぶ自由と不自由について―ケアと家族をめぐる逡巡」『支援Vol. 3』生活書院, 14-39. 山田昌弘, 2004, 「家族の個人化」『社会学評論』54(4), 341-354.

報告番号15

戦争寡婦とその子どもたちのライフコース出来事経験——沖縄を事例として
琉球大学 安藤 由美

1.目的  本報告では、沖縄を事例として、戦争寡婦(母親)とその子ども世代のライフコースに対して、夫(父親)との死別がもたらした影響を考察する。かつて報告者は、沖縄で戦争寡婦となった女性たちに、再生産キャリアの短縮化および少子、生殖家族キャリアサイクルの短期化(子どもの自立過程や、既婚子との同居)といった、戦争の長期的影響の一端を見出した。これらの出来事は、親自身の経験だけでなく、子世代のライフコース上の出来事でもある。そこで、本報告は、分析の焦点を、寡婦自身よりも、子どものほうにあてて、そのライフコースの変容を検証する。具体的には、子ども期における(父)親との別れと、その後の寡婦家族で育った経験が、後の教育、職業、家族などのキャリア展開にもたらした影響を量的および質的観察から探る。  上述の報告者の調査によれば、第二次世界大戦期に30歳代であり、すでにほぼ全員が結婚して子どもをもっていた沖縄女性たちのおよそ4分の1が、戦争が原因で夫と死別していた。このような戦争による家族との死別の広範さは、沖縄の特殊事情を反映していると同時に、他方では、戦争の家族・人生への影響を研究するのにふさわしい事例であると考える。 2.方法  本研究では、死別を経験した人びとのライフコースを、次の2種類のデータから記述する。1つは、母親(これを第1世代=G1とよぶ)に対するライフコース調査で得た、彼女自身の夫との死別、およびその後の生殖家族キャリア出来事の経験である。G1データから再構成した、G1とG2のライフコースとをつなぐ要素は、第2世代(G2)の教育程度・結婚及び同居タイミングである。父親喪失の影響は、15歳までに父親(G1の夫)をなくしたかどうかで経験の違いを検討する。  G2へのインタビューについては、3人のG2男性に対して、父親を含む定位家族員との死別出来事、成人期への移行出来事、教育、職業達成、親なり、子の自立出来事経験の記述を通して、ライフコースの構造ならびに主観的イメージなどについて聞き取りを行った結果を報告する。このような研究方法により、本報告で用いるデータは全体として、実の親子関係にあるG1女性とG2からの世代間パネル・データとなっている(現時点で、G2は質的データのみ)。 3.結果 ①戦争未亡人となったG1女性(母親)の生殖家族キャリアのタイミングは、夫との死別により、大きく変形したが、しかしながら、その子ども世代(G2)側の出来事経験をみると、教育達成ならびに成人期への移行タイミングには、父親の早期喪失の影響は明確には認められなかった。 ②夫(父親)を早期に失った家族では、母親が一家の稼ぎ手のリーダーとなり、また子どもを厳しくしつけた(G2の回想から)。 4.結論  G2の教育程度、職業達成や家族形成に、父親喪失の不利な帰結がはっきりとみられなかったのは、父親の有無に依るコーホート内格差を補って余りある家族外の要因(教育環境や労働市場、結婚市場など)がG2コーホート全体を強く規定していたからかもしれない。あるいは、逆に、寡婦となった母親の覚悟や尽力といった人間行為力(Human Agency)が、子どもにとっての不利な条件を乗り越えさせたとも推察される。 本研究はJSPS科研費18K2031の助成を受けたものです。

報告番号16

「子どもをもつこと」をめぐる女性の葛藤とコミュニケーションの変遷——マザリング研究視点からのメディア言説の分析
大阪大学大学院 元橋 利恵

【1.目的】現代日本社会を生きる女性にとって、「子どもをもつこと」は人生を「マネジメント」していく上での一つの課題であり、自らが選択しコントロールすべきことと捉えられるようになっているのではないか。これまでも女性たちは、身体的、経済的、キャリア形成上の状況、環境や自身の人生観との兼ね合いとの間で女性は子どもを産むかどうするのか、調整し、判断してきた。しかし、現代ではその「子どもをもつこと」に関する女性の判断、調整、試行錯誤はより個人化し、孤独な営みとなっているのではないだろうか。先行研究では、女性の生み育ては「産んだ」女性、もしくは不妊治療をめぐる葛藤など子どもをもつことを望んだ女性たちの焦点があてられてきた。近年では、「産まない」女性たちの語りも可視化されつつある。しかし本発表では、「子どもをもつ」「子どもを持たない」のどちらかに二分される以前にある女性たちの思考、葛藤の在り方に焦点をあてる。女性たちは、自身の「子どもをもつこと」「子どもをもつかもしれないこと」のために、いかなる予期行動、準備、投資、葛藤をしている/してきたかを明らかにし、現代社会における女性たちの「子どもをもつこと」をめぐる困難を論じていく。【2.方法】本報告ではリサーチクエスチョンとして、(1)「子どもをもつこと」をめぐる女性たちの葛藤や悩みはどのように変化しているのか、(2)女性たちは、自身の「子どもをもつこと」「子どもをもつかもしれないこと」のために、いかなる予期行動、準備、投資、葛藤をしているのか、(3)その際に、どのような葛藤の在り方が可視化され、またどのような在り方や葛藤が不可視化されているのかを設定した。以上を明らかにするために、女性雑誌における誌面で展開される水平的なコミュニケーションの在り方に着目し、言説分析をおこなった。1990年代~2020年代の20代後半~40代向けの生活雑誌、ファッション雑誌(約10種類)を対象に、大宅壮一文庫のアーカイブを利用し、子どもを「産む」「産まない」をめぐる記事を選定した。【3.結果】「子どもをもつこと」の選択をめぐる記事が登場したのは1990年代以降であり、「産むためには」の試行錯誤が紙面上での経験者の語りの提示によって共有されていた。2020年代には「産まない」選択にフォーカスが当たるようになり、様々な選択をした女性たちの経験、明確な動機の語りが提示される一方で、選択をした過程、あいまいで判断不可能な感情や思いが後景化する傾向がみられた。結果、読者に「あなたはどうするのか」と選択が可能である、選択が至上命題となる言説構造が明らかとなった。【4.結論】子を生み育てるケアの営みをその葛藤から捉えるマザリング研究の視点からは、最終的に子どもをもつことにならなくても、子どもをもつことについて、自身の望みと社会や周囲からの要請やプレッシャーのあいだで揺れ動き、悩む期間もまた、一種のケア的労働であり、女性が担うコストでもあると捉えることができる。本報告の分析からは、雑誌など大衆的なメディアでは「選択後」の語りは明確にみられるが、選択の過程そのものや、選択という志向そのものをとらえ返すような、語りに寄り添う言説は前景化しにくいことが伺われた。本報告では、「子どもをもつこと」をめぐる女性たちのコミュニケーションの現在と共同性の可能性の是非について考察をおこなっていく。

報告番号17

中国における家族モテルと若年層女性のライフコース選択の関連性
同志社大学 劉 宇婷

【1. 目的】本研究の目的は、中国における家族モデルを明らかにしたうえで、若年層女性のライフコース選択との関連性を検討することにある。これまでのライフコース研究では、女性のライフコースと時代効果、社会階層、親の影響との関連性が明らかにされてきたが、家族モデルがライフコースに与える影響は未だ視座として捉えられていない。欧米と日本では、出生率の低下にともなう家族のありようの変化を経験してきたことから、「家族モデル」が重要な研究課題として多く議論されてきた。一方、日本以外の東アジア諸国においては、「圧縮された近代」(compressed modernity)(Chang 2013)という現象によって、20世紀システム(落合 2019)を十分に経験してこなかった。その結果、家族のありようの変動が欧米や日本ほど明確ではなかったため、中国では家族モデルに関する研究が乏しい状況にある。しかし、中国においても家族モデルが女性のライフコース選択に影響を与えていると考えられる。したがって本研究はその関連性について分析し検討する。 【2. 方法】調査は2022年に深圳中為慧数信息咨詢有限公司に委託した。調査会社が保有するネットモニターに対して回答を依頼した。調査対象者は中国の19の大都市に在住する20~34歳の女性である。この調査データを用いて、まずは、構成概念妥当化パラダイムに基づき、中国における「前近代家族モデル」「近代家族モデル」「脱近代家族モデル」尺度を開発した。これらの尺度をもとに、将来の結婚意向、子どもを持つ意向、老親扶養意向と家族モデルの関連性を明らかにするため、3つの家族モデル尺度を個別に投入する回帰モデルと一括に投入する回帰モデルの二項ロジスティック回帰分析を行った。 【3. 結果】結果1:個別に投入した場合、前近代モデル意識と近代家族モデル意識が高いほど、将来の結婚意向、子どもを持つ意向が強かった。反対に、脱近代家族モデル意識が高いほど、結婚意向も子どもを持つ意向も弱かった。また、将来の老親扶養意向と家族モデル意識の関連においては、脱近代家族モデル意識が高いほど、将来社会介護サービスを利用する意向が強かった。一方、前近代モデル意識と近代家族モデル意識が高いほど、家庭内介護をする意向が強い傾向が見られた。老親扶養意向に関するこれらの結果は、自分の親に対しても配偶者の親に対しても同じ傾向となっている。結果2:一括に投入した場合、近代家族モデル意識が高いほど、将来の結婚意向、子どもを持つ意向が強かった。反対に、前近代モデル意識と脱近代家族モデル意識が高いほど、結婚意向と子どもを持つ意向が弱かった。老親扶養は個別投入の分析結果と一致した。 【4. 結論】脱近代社会が進行していくなかで、脱近代家族モデル意識が高い若年層女性が増えていくと考えられる。本研究の分析結果が示したように、脱近代家族モデル意識が高いほど、社会的介護サービスを求めている状況にあり、現代中国では社会的介護保険制度の完備が喫緊の課題となっている。また、3つの家族モデル尺度を一括に投入した結果、前近代家族モデルは結婚意向と子どもを持つ意向に負の効果が出ることにについて、前近代家族モデルにおいて結婚と子どもを持つことは主体的な選択ではない可能性が示唆される。この点についての考察は当日報告する。

報告番号18

出生力低下の特異点はLot-et-Garonneである。——人口転換理論の破綻
帝京大学 池 周一郎

人口転換理論は、近代の社会経済的な発展に依存して、特に死亡率の低下に依存して、時間差の後に出生率が低下したことを仮定していた。しかしこれには合致しない事実が多く、現在ではとうてい正しい仮説と認めることはできない。1972年にA.J. Coale等の ヨーロッパ出生力低下研究プロジェクトの成果であるThe Decline of Fertility in Europe が発表されて以来、その問題性は明白であったにもかかわらず、今日も発展段階論に過ぎない人口転換理論が生きながらえていること自体が驚異である。人口転換理論の問題点は主に以下の諸点である。  近代の人口増の多く(England-Wales, ドイツ、日本、アフリカ諸国等)は、産業化-資本主義テイクオフ時の出生力増に原因がある  Mckeownのテーゼが示すように、天然痘を除けば、近代の死亡率の低下は医療・衛生の発達に起因するのではなく栄養状態の改善(むしろ出生率の低下=夫婦の子ども数の低下)に起因する。  死亡率低下以前及び同時に出生率が低下した国・地域が多くあり、死亡率低下の後の出生率低下という仮説には、反証が多くあること。  人口転換理論の図式(社会の近代化→出生力低下)ではおおよそ説明できない現象があること。  ベルギーのワロン語圏の出生力低下がフラマン語圏の低下より早いこと。  ブルターニュ半島の出生力低下がフランスの中でかなり遅れたこと これら上記の現象は、人口転換理論の枠組みではまったく解決できない。出生力低下の拡散仮説は、これらの問題を統一的に解決することができる。  そもそもCoale等の研究は、消去法によって出生力低下は地理的な拡散過程であることを示唆していたのである。筆者はこれら先行研究の知見を継承し、「夫婦は近傍空間の他の夫婦の出生行動に影響を受けているだけ」と仮定して、拡散過程に反応項をプラスして、空間の夫婦の子ども数に関して反応拡散モデル(偏微分方程式)を2012年に提案した。この偏微分方程式は、ヨーロッパの出生力低下過程と日本の低下過程を統一的に説明し、その始まりの地点と時点を合理的に推定することができる。そしてそれはCoale等の示した実証的・経験的な資料とも合致する。また、上記に指摘した人口転換理論では説明できない諸現象にも合理的な説明を与える。  反応拡散仮説によれば、夫婦の子ども数の低下は、Callender yearで1770~80年頃にフランス南西部のLot-et-Garonneで生じたのである。それが近代の交通の発達とともに全空間に拡がって現在の地球規模での出生力低下が生じているのである。 Shuichirou Ike. A Singularity of Fertility Decline is Lot-et-Garonne. Journal of Mathematical Sociology, (36):137–155, 2012. DOI:10.1080/0022250X.2011.556917.

報告番号19

中国における若者の三人っ子政策に対する受け止め方 ——Weiboの投稿内容に対するテキストマイニングを通して
京都大学大学院 宋 円夢

中国は2016年に40年近く堅持してきた「一人っ子政策」を撤廃し、「二人っ子政策」を導入し、まもなくの2021年に「三人っ子政策」に切り替えた。すなわち、現在の中国では2、3人の子どもの出産が国や社会に推奨されているが、4人以上は相変わらず規制されている。しかしながら、合計特殊出生率が減り続け、2020年はわずか1.3人まで低下しており、1人しか産まなく、多くても2人までと考えている人々、特に20代30代の出産年齢層の若者たちの間では多く存在している。なぜ若者たちが産まなくなっているのかという問題について、今までの先行研究は主に家族や個人の収入、本人の学歴、出産した子どもの性別といった出生意欲の規定要因を盛んに議論している。近年ではさらに、教育費や育児コストの上昇、子どもの世話をする人手の不足、女性の育児役割担当と職場で被っている不利益、住宅値段の高騰、子ども中心の育児観といった出生意欲の低下に拍車をかけている様々な要因が、多くの研究で指摘されている。これらの研究はいずれも、いかにして出生率を上げることが可能かという政府の立場から出発している。しかし、人々、特に出産年齢層の若者は政策転換をどのように理解し対応しているかという重要な問題は、管見の限り十分に議論されていない。したがって、本研究は若者たちが三人っ子政策に対する拒否や受容とその理由を検討することで、彼(女)らの現在の社会環境における子どもの出産・育児に関する考え方の再構築、さらには生殖統制自体に対する認識を分析する。 本研究はWeibo(中国版X)という中国人口の超1/3 の人々、そのなか80%は1990年代以降に生まれた若年層が利用しているSNSを研究対象にしている。三人っ子政策の話題(ハッシュタグ(#)付き)に関する投稿の2,311件の投稿を収集し、それに対してKH Coder 3.Beta.03iというソフトウェアを利用し、テキストマイニングを行なった。 結果として、投稿者の大多数は、子どもの出産、さらには結婚することに消極的な意見を提示した。育児コストや住宅価格の高騰、保育サービスの不足、職場での女性の権利保護の不十分さといった先行研究で検証された要因以外に、特筆すべきなのは様々な社会的リスク、例えば生活ストレスの強さ、就職の難しさ、医療資源の乏しさ、食品の安全問題、競争の激化、いじめやサイバー暴力、コロナウィルスの蔓延などに対する懸念や不安も、多くの投稿で言及されている。そのもとで、子どもを育てることはもはや子どもに西洋の科学的商品やよい衣食住を提供すれば達成できるものではなくなり、むしろ子どもに最善の教育環境、生活環境を提供することに加え、子どもをあらゆる社会的リスクから守るということが極端に強調されている。さらに、一部の投稿者は、一人っ子政策期に受けた迫害を振り返ることで、現在の政策転換は過去にリプロダクティブ・ヘルス/ライツを犠牲にした女性たちに対する裏切りであると批判している。同時に、女性の権利保護および社会的・家庭的地位の上昇という側面から一人っ子政策による低出生率を評価している一方、現在の出生率の向上促進政策は女性の生殖の機能のみに注目し、再び女性差別につながることを危惧している投稿もある。いずれの視点からの議論も生殖統制、人々の身体・生殖に対する公権力の統治に不満を表しており、リプロダクティブ・ライツの保護を要求している。

報告番号20

被災地における長期的人口移動と家族変動——中国四川省を事例として
同志社大学 冷 芸

1、目的 2008年5月12日、中国四川省で甚大な地震が起った。その地震で4600万人が被災し、死者と行方不明者は合わせて8万7000人を超え、住宅倒壊は21万6千棟にのぼった。土砂崩れで広い範囲が埋まり、人的・経済的に極めて大きな被害が発生した。 本報告は、2000年から2020年まで中国で実施された3回の人口センサスの中から四川省に関わるデータを抽出し、震災後の12年間で(1)都市化にともない、四川省の人口がどのように移動したか、(2)人口移動は高齢者の家族形態にどのような影響をあたえたか、(3)その激しい変動の中で、震災という要因はどのような影響を与えたかについて分析する。 2、データ 2000年から2020まで四川省の総人口変動と年齢層別の人口変動とは別に、都市部から離れている県レベルの地域内部の分析は、第5回・第6回・第7回人口センサスの郷、鎮、街道データを用いる。さらに、世帯規模と高齢者のいる世帯に関する分析は、第6回・第7回人口センサスの県データを使った。また、市レベルの分析では、各人口センサスの時間間隔が長いため、2005年と2015年の1%人口サンプリングデータも参考にして分析した。人口センサスのほか、各地域の状況を把握するため、四川省各市・県の年鑑と史志も使った。 3、結果 まず、総人口が減少する一方で、四川省都市部の人口は大幅に増加していること、他方で農村部の人口は著しく減少していることから、四川省では急速な都市化と人口移動が進行していることを確認できた。次に、四川省における世帯規模は全体的に縮小し、高齢者が占める割合は急上昇しているけれども、各地域の高齢者の家族形態の変化と高齢率の変化の違いは捉えづらい。また、震災と人口増加・減少の関連を見ると、全体的に、被災の大きい地域(激甚および大規模被災地)は、人口増加が鈍り、その不利な傾向は10年以上続いている。しかし、地域ごと見ると、被災地と被災地のあいだ、被災地の内部の各地域のあいだでは人口増加と高齢化の進行状況は大きく異なっていることを観察できた。したがって震災が人口減少と高齢化をもたらすとは一概に言えず、地域間のアンバランスが深刻な可能性があると結論づけた。 4、考察 人口移動の方向については、一般的には農村部から都市部への移動を想定しやすい。しかし、中国の場合は、農村部は単純な人口流出ではなく、県城(県庁所在地)と呼ばれ、都市度は低いが、農村部の政治・経済・文化中心として多くの人が集まり、全県人口の3分の1以上を占めているところも多く存在している。農村部全体の人口は大幅に減少すると同時に、県城の規模は急速に拡張しているから、農村部と都市部の二分法のもとで農村部の分析をすることはできない。今後の調査では、農村部を同質的なものとするのではなく、農村部内部の分化に注目するべきだと考えられる。

報告番号21

母子避難を経験した父親の葛藤——職場と家庭の狭間で
岡山大学大学院 出口 杏奈

【目的】  本報告の目的は、東日本大震災・福島第一原発事故による妻子の避難(母子避難)を経験した父親が、母子避難のプロセスにおいて経験した葛藤を明らかにすることである。国内において災害をジェンダー視点で捉える災害とジェンダー研究の蓄積が求められるなか、ジェンダー化された存在としての男性の災害経験・意識に関する研究領域はいまだ発展していない。母子避難に関する研究においても、その研究関心は実際に避難を行った母親の経験・意識に置かれ、父親である男性の経験・意識は見落とされてきた。そこで本稿では、父親が職場という公的領域と家庭という私的領域を横断する存在であることに着目することで、母親とは異なる形での父親の避難過程における葛藤を解明することを試みる。 【方法】  妻子の母子避難を経験した父親(避難元地域:東北・関東)を対象として6人に半構造化インタビューを行った。さらに複数人に追加でインタビューを行う予定である。対象者のなかには、会社員だけでなく、震災当時に自営業・公的支援者等であった父親が含まれている。インタビューの主な内容は、震災前~震災後の生活状況・母子避難過程・中の経験や意識・避難について話した経験の有無である。 【結果】  現時点では2点論点を析出できた。 (1)職場と家庭を横断する存在である父親たちは、職場における事故に対する認識(避難の必要性はない)と家庭内における事故に対する認識(避難の必要性がある)のズレを自覚していた。 (2)自分自身が避難の必要性を強く認識していない父親の場合には、避難の必要性を認識している妻とのズレも同時に経験していた。とくに自らが妻と比較して避難の必要性を強く認識していない場合、避難をするか/しないかについての自主的な判断が求められるなかで、父親たちはどちらの認識も完全に肯定/否定することができず、職場・家庭のどちらにおいても自身の心情について率直に語ることができないという経験を有していた。 【結論】  本研究の結論として、母子避難のプロセスにおいて父親は、家庭と職場における相反する2つの認識の間での葛藤――家庭と職場どちらの認識も完全に肯定/否定することができず、両者の間で引き裂かれる――を経験していたといえる。家庭内で父親のみが職場勤務を行っているケースにおいて、家庭と職場の認識の差を自覚するがゆえに相反する認識の間で葛藤を抱くという経験は、家庭と職場を横断する存在としての男性ならではの経験であると言える。 謝辞:本研究は「2024年国際ジェンダー学会研究活動奨励賞」の助成を受け実施しています。

報告番号22

能登半島地震から「災害と性的マイノリティ」を考える——見えにくい困難を包摂的政策形成にどうつなげるか
金沢大学 岩本 健良

1.研究の目的・方法  ふだん可視化されにくく脆弱な状況に置かれているマイノリティは、災害時にそれが表面化し、一層深刻な状況に陥りやすいことがたびたび指摘されてきた。近年日本で多くの大災害が生じているにもかかわらず、性的マイノリティの困難に関する研究はほとんどない。「令和6年能登半島地震」をふまえ、性的マイノリティに関し、過去の災害時の経験がどう生かされているのか、各種文書や支援団体の資料や情報をもとに、現状と今後の課題について考察する。 2.過去の災害後の取組みと能登半島地震での状況  紛争や災害時の国際的な支援マニュアル『スフィアハンドブック』の中で、「性的マイノリティ(LGBTQI の人びと)」も「安全かつ包摂的な保護対応」が必要な対象として掲げられている。東日本大震災以降、いくつもの性的マイノリティの団体がさまざまな活動を行ってきた。枝野官房長官(当時)に「東日本大地震の被災地におけるセクシュアル・マイノリティへの対応に関する要望書」が提出され、「にじいろ防災ガイド」や「多様な性を生きる人のための防災ガイドブック」が作成された。近年はマスコミによる課題の指摘も増えたが、政府や自治体の地域防災計画等には記載がないか乏しい。同性パートナーシップ制度の有無とは対応にズレもみられる。また『防災士教本』等には「多様性への配慮」の節はあっても、性的マイノリティに関する内容はみられない。  能登半島地震では、被災者からは、緊急避難先にトイレがない、着るものに困る(特に下着)、避難所では雑魚寝でプライバシーがまったくなくトランスジェンダーであると気づかれないか不安、などの困難が寄せられた。また業務で支援に来た方からは、金沢でホルモン注射のできる医療機関の情報が欲しいとの相談も寄せられた。女性の困難と重なる点も多い一方、それ以外の困難もある。過去の災害では全半壊の自宅にとどまらざるを得ない事例もみられた。そもそも性的マイノリティの中には、アウティングのリスクや差別偏見を恐れ、困難を伝えられない人がほとんどであることにも留意が必要である。避難所等では柔軟な対応は一部にとどまり、組織的・制度的ではない。地元の団体の金沢レインボープライドが炊出し支援とあわせ避難所に相談先のポスターを掲示したり、過去の被災地の団体からのアドバイスや情報をもとに要望書を作成し県知事に面談するといった取り組みがなされた。福岡の団体が電話相談を受付けるなど遠隔支援も行われている。 3.結論  性的マイノリティの困難に関し、支援団体サイドでは、過去の被災経験を生かし課題や対処策の明確化、情報の蓄積や連携、アウトリーチの対応も見られる。しかし行政サイドでは立ち遅れた状態にある。支援団体の経験や情報も活用し、政府から都道府県、市区町村、町内会レベルまで、また災害関連NPOや防災コンサルティング企業も、教育啓発も含めた防災体制の見直しや拡充が急務である。  〔参考文献〕 杉浦郁子・前川直哉編 2021.『「地方」と性的マイノリティ: 東北6県のインタビューから』青弓社 山下梓・森あい 2019.「LGBTと防災: 災害リスクの理解とレジリエンス・尊厳」(中央大学連続公開講座「LGBTをめぐる社会の諸相」第3回)

報告番号23

令和6年能登半島地震被災者の将来構想と生活再建の選択——石川県輪島市門前町T地区の事例
東北大学 雁部 那由多

【目的】本報告は、令和6年能登半島地震からの生活再建をめぐって、構想がいかに行われ、どのような要素が重視されているのかを明らかにする。事例地域とする石川県輪島市門前町T地区は、本地震で最大震度7を観測し、200戸以上の住宅が全壊する被害を受けた。平成19年能登半島地震においても大きく被災した地区で、当時の全戸数の約4割が全壊しながら再建と復旧を経験した地域である。現在は輪島市でも特に高齢化の著しい地域であり、高齢化率は約70パーセントに迫る。また、地域の主要な生業は総持寺祖院周辺における商店経営やコメ、ソバ栽培などが挙げられる。本報告は2度目の生活再建に直面する地域住民が将来構想において特に重視する要素や状況に着目し、いかなる社会的環境が作用しているのかを検討する。【方法】報告者は本年1月3日以降、のべ13回28日間にわたって現地調査を行い、継続的な復旧活動への支援と聞き取り調査を行ってきた。本報告では、発災以降6月3日までの10家族に対する聞き取り調査データをもとに分析する。【分析】聞き取り調査では、生活再建の見通しに対して現時点で次の3点が主な要素として重視されていることが明らかとなった。すなわち、①家の将来に関する見通し、②生活と生業の復旧コストに対する計算、③周囲の家々の復旧方針とそのペースである。第一に、家の将来に関する見通しについては、すでに金沢市や首都圏へ他出した子世代の存在がT地区在住の親世代の方針に多大な影響を与えていた。親世代の多くは自らを「終わりの代」と表現し、T地区において子育てや教育をし、より生活に便利な都市部に子世代を送り出すための家は役割を終えていると語る。そのため、17年前の被災では住宅の現地再建に対して必然性があった一方、今回の被災においては住宅を現地再建する積極的な理由が減少し、同時に急ぐ必要もない場合があることが判明した。第二に、生活と生業の復旧コストに対して、に対して「見合わない」ものだと判断する人々もいることが判明した。子世代の他出により、住宅や生業の再建に必要なコストに対して得られる効果が少ない、あるいは効果そのものに意味を見出せないといった見方が吐露された。かかる復旧コストに対して17年前の被災・復旧と同じ意味付けはできず、かかるコストが予測される便益を上回ってしまい生活再建の方針決定を躊躇する現実がうかがえる。第三に、周囲の家々の復旧方針とそのペースが、生活再建構想そのものに大きな影響を与えていたことが判明した。当地区は高齢世帯が大多数を占める。住宅の公費解体が遅延している背景がありつつも、解体撤去や修築・再建に踏み切れない個人の水準の事情として事情として、“周囲の人々がどうするのか”の判断を待っている状況があった。「一人(一世帯)だけ再建しても他が公営住宅に行ったら意味がない」とも語られ、前述の家とは別の水準の視点が生活再建に影響していることが判明した。【結論】本報告は発災から半年間に行われた生活再建構想がいかなる要素で組み立てられ、またどのような問題に直面しているのかを地域住民の語りから明らかにすることを試みた。家としての将来構想は過疎・高齢化や若年世代の他出といった当地の社会的潮流を背景に、17年前の被災時から大きく変化していると考えられ、こうした要素が生活再建で描き出される未来を大きく変化させているのではないだろうか。

報告番号24

新型コロナウイルス感染症のパンデミックに生まれた中国系コミュニティ
長崎大学 賽漢卓娜 

新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、2019年12月から3年余りの間世界中にロックダウンや国境閉鎖など経験、「逃走のできない時代」へなり、現実の(actual)移動が不可能でありながら、想像上(imaginative)の移動が肥大化し、仮想上(virtual)の世界での移動で親密性を担保するようになった。 日本社会において、日本人のコミュニティと移民コミュニティの間には十分なコミュニケーションは無く、それゆえに移民の実態が分からないままに彼らを不安視し、コミュニティ間の分断が一層進むという悪循環が1980年代以降、継続してき」、移民コミュニティは「あくまても運任せ」という面がある(小林 2020)。また、移民のコミュニティは、程度の差はあれどこにでも形成される。問題は、それを単なる自然発生的なプロセスとして捉えてしまうことであり、「コミュニティ」や「ネットワーク」といったものを自明視してしまう姿勢が指摘されている(樋口 2002)。 新型コロナウイルス感染症の脅威は、人種・民族・国籍を超えたものであるが、実際には、罹患を含むその影響は、社会構造的に「弱い」立場に置かれている者により大きく現れる(鈴木 2021)。移民たちは、言語の壁(情報伝達不足)/医療通訳の不足により、自覚症状を感じた時の医療アクセスが問題視されていた。これも、「すでに起こっていたことの重症化」との批判がある(藤原 2023)。 そこで、本報告の関心は、コロナ・パンティミックで現実的な移動ができなくなり、社会構造的に「弱い」立場にある移民へのホスト社会の支援(公助、共助)が限られているなか、エスニック・コミュニティはどのように対応したかに向けている。さらに、「居住の長期化とともにネットワークが形成されている」という単調な結論を繰り返すのではなく、エスニック・ネットワークやコミュニティは、どのような条件の下で形成され、発展の度合いはどのくらいで、どの程度出身地との関連をとっており、社会関係はどのように(再) 構成されているのかなど、コミュニティやネットワークの形成条件や形成過程自体を検討したい。   本報告は、東京を中心に活躍しているD組という中国系移民の救助組織を対象に、組織の形成および発展を通して検討する。D組は、コロナ第1波より罹患した同胞を個別に救助活動を皮切りに、2020年5月より「D組コロナ診療受付グループ」を立ち上げ、第5波に急速に組織化、2021年9月にD組は正式に成立することになった。第5波だけでも535名の中国系移民の罹患者を救助した。第6波以降、コロナ罹患者救助とともに、2月に一般社団法人D在日華人援助協会成立した。自殺救助、行方不明者探し、詐欺被害者救助、海岸貝殻拾いなどの活動を現在まで続いている。

報告番号25

Covid-19に対する政府の対策についての意見——JGSS-2021/2022とEuropean Social Survey 2020-2022を基に
大阪商業大学 岩井 紀子

【目的】2020年から2022年にかけて世界を席巻したCovid-19に対して、世界各国の政府はさまざまな対策―手洗いやマスクの着用など行動変容についての提唱から、国境の閉鎖やロックダウンまで―を講じた。日本では、「緊急事態」を宣言し、「まん延防止など」の重点措置を行うものの、外出の自粛は協力要請で拘束力がなく、個人の自己規制に委ねられ、世界の中では、規制が緩いとされた。一方、欧州は、1年間に全国ロックダウンを3回実施した国(イギリス)、ロックダウンを部分的にしか行わなかった国(スウェーデン)など、政策は国によって異なった。本報告では、①NHKの世論調査の結果を基に感染拡大の波と、政策への評価との関係を考察し、②日本と欧州の政策の内容と推移を比較し、③政府のいくつかの政策―感染拡大防止と経済活動の優先順位、個人の行動のモニタリングとプライバシーの尊重の優先順位、国境封鎖の重要性、移動を制限することの重要性―に対する国民の意識、④および政策全体に対する国民の評価を、日本とヨーロッパ各国で比較する。また、⑤日本政府の政策への評価が人々の属性や意識でどのように異なるかを2021年2月と2022年2月時点で比較する。 【データ】NHK世論調査、JGSS-2021:1-3月実施;3,522人(回収率58.3%)、JGSS-2022:1-2月実施;3,145人(57.5%)、European Social Survey:Round 10 Covid-19 module; 2021年8月~2022年7月実施;20カ国 【結果】①2021年12月の第6波までは、感染拡大直後に政策への評価が下降していたが、2022年8月の第7波以降は、感染拡大と政策への評価の関係性は薄らいだ。②2021年10月には、肯定的な評価が50%を超えた。③欧州各国の政策に対する評価は、各国の調査時期に影響されている。感染拡大のフェーズが国により、また時期により異なるため。④政府に対する評価は、欧州に比べて日本の方が高い。⑤日本政府の政策に対する評価は、感染を恐れている人、経済不安を抱えている人、女性において低い。 【謝辞】日本版 General Social Surveys(JGSS)は、大阪商業大学 JGSS 研究センター(文部科学大臣認定日本版総合的社会調査共同研究拠点)が、大阪商業大学の支援を得て実施している研究プロジェクトである。JGSS-2021HとJGSS-2022Hは、文部科学省特色ある共同研究拠点の整備の推進事業 JPMXP0620335833、JSPS科研費JP20H00089の助成を受け、京都大学大学院教育学研究科教育社会学講座の協力を得て実施した。データの整備は、JSPS人文学・社会科学データインフラストラクチャー構築推進事業JPJS00218077184の支援を得た。

報告番号26

農村女性たちの地域社会を守る活動の展開過程 ——山口県阿武町を事例に
福岡大学 辰己 佳寿子

【1 目的】中山間地域は過疎化・少子高齢化等の影響で地域社会の持続自体が問われるようになった。このような課題に対峙するために農業組合法人を立ち上げて農地を守り営農を促進したり、自治会を介して相互扶助的な活動を継続させたり、新規定住者を受け入れたりと様々な取組が行われている。本報告の目的は、生産・環境・加工・交流面で地域づくりの担い手となっている農事組合法人の女性たちがイージス・アショア配備計画に対して行った反対運動の経緯を考察し、その経験が地域社会の活動にどのような影響を与えているのかを検討する。【2.方法】山口県阿武町U地域を事例として取り上げる。筆者はここで2004年から定点観測を行っている。今回はそれまでの活動を踏まえた上で2017年から2020年のイージス・アショア配備計画に対する反対運動とその後の影響に焦点を当て文献研究や聞き取り調査によって活動の展開過程を考察する。【3. 結果】事例地域では「地域の農地は地域で守る」という目的で1997年1月に農事組合法人が発足した。地域の女性たちは男性たちに背中を押されて同年8月に女性部を発足した。産直活動、豆腐づくり、花の栽培運動や交流活動を行い、1999年からは集落点検を通してビジョンを描き、それらをひとつひとつ実現してきた。2010年には自治会制度を導入して農業以外の側面も地域で助け合う仕組みをつくり、UIターン者も受け入れてきた。「新しい人が参入し後継者が帰ってきたくなる地域づくり」を掲げて活動するなか、2017年、阿武町に隣接する萩市の陸上自衛隊のむつみ演習場が「イージス・アショア(イージス艦に搭載されているレーダーとミサイル発射装置を陸上に配備し相手が発射した弾道ミサイルを大気圏外で迎撃するシステム)」の配備候補地となることが浮上した。20年前には男性に背中を押されて活動を始めた女性たちだったが反対運動においては女性たちが地域内の男性たちや町全体を先導する立場になった。「私たちが声を上げなければ誰が声を上げて地域を守るのか」「安心安全な作物を作りそれを都会に送り出すことも国防だ」などの声が上がり女性たちを中心に署名活動が始まった。2019年2月には「むつみ演習場へのイージス・アショア配備に反対する阿武町民の会」が発足した。一時期は反対派と賛成派で町が二分するという危惧もあったが配備計画は2020年に撤回された。この反対運動が実現したのは長い間農地を守り地域を持続させるために苦楽をともにしてきた協働による社会関係と誇りがあったからである。この経験は女性たちが地域社会の問題に対峙する主体として活躍した証となった。【4. 結論】本報告は、反対運動以前の地域の活動や社会関係等を視野に入れ、中長期的な視点から反対運動を地域活動のひとつとして捉える試みを行った。地域内での実践の蓄積と誇りがあったからこそ、地域外からの働きかけに対する姿勢が明確になったといえる。ゆえに、反対運動終了後に連帯感が強まったり新しい社会関係が生まれたりして地域づくりの一助となっている。反対運動に限らず、対外的な姿勢や対応は持続的な地域社会のあり方を考える上で重要となるため本事例はひとつの示唆となりえる。

報告番号27

過疎地域に暮らす若者たちのライフヒストリーにおけるモビリティの軌跡——韓国慶尚南道南海郡を事例に
東京大学大学院 金 磐石

【背景】 都市・地域社会学の分野において移動する主体による地域社会の再編に関する議論が活発になされている。その中でも特に、地方に住んでいる若者たちの様々な移動に関する議論が複数の論者によってなされてきた。地方の若者たちのモビリティに関する既存の議論は、主に移動という手段を通じて行われる地域活動や生活の営みの次元に焦点を当てている。例えば、都市から地方に移住した若者たちが地域の中でどのような活動を行なっているかを検討したり、過疎地域に住んでいる若者たちが近くの都市に行ってショッピングや余暇を楽しむ局面を分析したりする研究がなされてきた。しかしそれらの議論において移動は生活を営み、ネットワークを広げる「手段」にとどまっており、移動の過程そのものが作り出す多様な経験とつながりに焦点を当てた研究は依然として少ない。 【目的】 モビリティーズ・スタディーズは、移動を単にA地点からB地点への位置変換としてではなく、移動の過程に介在する意味世界や社会的ネットワーク、権力関係に注目する視点をとる。そうした視点から本研究では、過疎地域に住んでいる若者たちの過去から現在に至る移動の軌跡をたどる。まず進学や就職、家族形成のような移行段階と移動の経験がどのようにつながっているかを分析する。第二に、過去お移動の経験と、移動の中で経験した場所に対する記憶が、現在の地域暮らしの決定にどのような影響を及ぼしたのかについて検討する。第三に、過去の移動の経験に比べて現在住んでいる地域と、地域での暮らしをどのように評価しているかを検討する。 【方法】 韓国の南部の島である南海郡の若者たち(移住者と地元出身者を含む)を対象にライフヒストリー調査を行った。特に移住や旅行などの移動の経緯との関連から参加者の人生の軌跡について尋ねた。インタビュー資料をもとに参加者たちの移動歴を整理し、移動の各段階における主要な出来事や経験を整理した。そして収集した資料を「ずっと地元居住・Uターン・Iターン」に分け、それぞれの移動の軌跡を比較した。 【結果】 1)地元出身者の場合、進学や就職を機に他の地域への移動を経験した人が多かった。それは南海郡内に高等教育機関や産業基盤がほとんど存在しないことと関連している。移住者の場合は就職以前の探索期間に移住するか、家族形成の後で子育て環境を理由に移住するパターンが多かった。2)南海に移住した人々の中では、過去から旅行やワーキングホリデーなどの多様な移動を経験したケースが多く、そうした移動するライフスタイルの延長線上から南海への移住をとらえる傾向があった。一方、南海にUターンした地元出身者は、南海に対するノスタルジーとともに、大都市の生活環境の窮屈さに対する懐疑や、就職や仕事がうまくいかなかったという理由で帰郷するパターンが見られた。3)参加者の多くは過去の都市での暮らしの困難さを指摘しながら、現在の南海暮らしに対する満足を表現した。しかしそうした満足感が必ずしも南海での定住意向につながるわけではなく、今後他の地域への移住・移動の可能性を残しておくケースも見られた。

報告番号28

ライフスタイル移住女性たちの地域社会における困難と希望——滋賀県長浜市・旧木之本町の移住者グループを事例として
法政大学 武田 俊輔

1.目的  本報告が明らかにしようとする目的は以下である。都市から農村へのIターン移住を行った女性たちは、移住先でのジェンダーにもとづく不平等、地域社会における女性の位置づけや人びとからのまなざしをめぐる困難をどう感じるのか。そしてそのような困難をやりすごし、あるいは少しずつでも変えていく戦術をいかにつくりあげ、駆使しているのか。  農村への移動にともなってのジェンダー規範をめぐるそれまでとのギャップ、例えば雇用機会、性別役割分業や地域社会における女性の位置づけなどは、特にそれまで都市部で正規雇用とそれなり以上の待遇で働いてきた女性たちに疑問や割り切れなさ、憤りをもたらす。では女性たちはそうした状況にどう向き合い、時にやりすごし、またそれを少しでも変えようと試み、移住した場所を過ごしやすい場として構築しようとするのか。管見の範囲では、従来のIターン移住やライフスタイル移住に関する研究ではこうした観点を中心に据えた分析は案外見当たらない。報告者は山口県祝島へのライフスタイル移住に関して、移住女性が地域で関係性を作りにくいことを論じたものの、単なる指摘にとどまる(Takeda 2020)。  農村女性たちの活動については、女性リーダーや起業家に関する研究(例えば秋津他2007)、また農村女性のパーソナルネットワークの研究もある(原(福与)2009)。ただし移住してきた女性たちは農村の既存の家のメンバーではなく、地域の女性リーダーでもない。また原(福与)は農外からの新規参入者について論じているが、ライフスタイル移住者が必ずしも就農するわけでもない。これらやIターン・ライフスタイル移住に関する研究をふまえつつ、冒頭に挙げた問いについて本報告では答えていく。 2.方法  本報告では、滋賀県長浜市旧木之本町周辺の限界集落に移住した女性たちとその女性たちのグループの活動を手がかりに分析する。旧木之本町は平成の大合併によって2010年に長浜市の一部となった地域であり、長浜市中心市街地までは車で30〜40分程度の地域である。合併当時の人口は約8000人であったが、2023年には約6000人まで人口が減少しており、多くの限界集落を含む。女性たちへのインタビューと女性たちが作成・発信しているZINEやウェブサイト、またその活動の分析を通じて上記の目的を達成する。 3・4.結果・結論  本報告は移住女性たちの移住をめぐる経緯や動機、仕事、家庭等について説明した上で、地域社会で女性たちが向きあうさまざまな困難に対しいかなる戦術を駆使しているかを分析する。特に移住先の女性たちとの間での関係性のシスターフッド的な結びつきや移住先の既婚女性たちとの関係性に注目し、それらを通じてジェンダーにもとづく差別に抗する言葉や、地域社会における新たな居場所を作りだそうとする実践の可能性について考察する。 参考文献 秋津元輝他,2007,『農村ジェンダー:女性と地域への新しいまなざし』昭和堂. 原(福与)珠里,2009,『農村女性のパーソナルネットワーク』農林統計協会. Takeda, Shunsuke,2020,Fluidity in rural Japan: How lifestyle migration and social movements contribute to the preservation of traditional ways of life on Iwaishima, in Manzenreiter, W. et al., Japan’s New Ruralities: Coping with Decline in the Periphery, Routledge:196-211.

報告番号29

地方移住における住宅確保に資するインフォーマルな支援——京丹後市S地区を事例として
神戸学院大学 松村 淳

1.問題の所在 政府が本腰を入れて取り組んでいる「地方創生」の潮流の中で、地方への移住者は、この10年間で増加傾向にある。地方移住希望者にとって住宅の確保は移住にとっての第一歩であるが、それが大きな懸念材料となっている。近年の移住者の中心的な年齢層である20代、30代が取得できる比較的安価な住宅が市場に出回ることは極めて少ない。そのため地方自治体は空き家に着目し、空き家バンク制度などを整備するなど空き家の掘り起こしに尽力している。しかし移住先として人気がある地域では常に空き家不足となっており、多くの移住者が「空き家を待っている」といった状況が生じている。空き家を確保しても適切な改装が必要であり、資金計画から相談に乗ってくれる建築家や工務店の存在も重要であるが移住希望者とのマッチングも簡単ではない。 このように地方都市においては移住者の住宅確保をめぐる問題が移住促進のボトルネックとなっている。本報告では移住者の住宅の確保について、行政が提供するフォーマルな支援の限界を埋め合わせるインフォーマルな支援の実施状況について検討し、その有効性と課題を明らかにすることを目的とする。 2.対象と方法 本報告は京都市最北部に位置する京丹後市のS地区を調査対象地としている。S地区は京丹後市の中でも人気の移住先の一つである。報告者は2021年から京丹後市に入り、継続的に聞き取り調査を実施してきた。京丹後市も他の地方自治体と同様に人口減少が続いており、様々な移住促進のための施策を実施している。しかし、移住先として人気となり、移住者向けの住宅の確保が難しい状況が続いている。 3.結果と考察 京丹後市、とりわけS地区では移住希望者に対して提供できる空き家が不足しており、行政のフォーマルな支援だけでは立ち行かなくなっている。そこで、地元有志が中心となって様々な独自の取り組みを実施している。2022年からは、元区長M氏と現区長T氏、地元の建築家O氏に加えて、東京からの移住者であるS氏の四名が共同出資し、「お試し移住」用のシェアハウスの運営を始めた。 京丹後市でも空き家があるのに借りられない/売ってくれないという、「空き家のジレンマ」とでも呼ぶべき状況が生じている。そうした状況への対応として、空き家の所有者の年齢層に応じた対応を実施している。空き家の所有者は70代以上が最も多いが、そうした年齢層の所有者に対しては同年齢層の元区長が説得に当たるなどしている。移住希望者に自宅を売り渡すことに抵抗を感じる所有者も多いため、住宅の資金計画に精通した建築家O氏が様々なスキームを設定し、所有者と移住希望者双方にメリットのある方法を提案するなどしていることが明らかになった。また懸念材料として、工事費用の高騰や住宅ローン金利の上昇などの課題、さらに2025年に改正される予定の建築基準法により空き家の改装が法的に難しくなる、といった点が挙げられる。

報告番号30

日本社会における地域コミュニティ形成——在住ウイグル人の中心に
公益財団 モラロジー道徳教育財団 アブドゥラシィティ アブドゥラティフ

1985年、初めて来日したウイグル人留学生をきっかけに、日本在住ウイグル人は自分たちのコミュニティを形成し始めました。以来、彼らは地域活動に積極的に参加し、多文化共生の重要性を示してきました。彼らの活動は、ホスト社会である日本の文化と、自身のウイグル文化のニーズを融合させ、相互理解と尊重を基にしたコミュニティづくりに貢献しています。本稿では、そのプロセスと成果について考察します。 1. コミュニティの形成: 日本での生活を始めたウイグル人たちは、相互支援の精神に基づいたコミュニティを形成しました。彼らは地域イベントや集会を通じて、文化的な交流の場を作り出し、ウイグル人としてのアイデンティティを維持し、強化してきました。このプロセスは、異文化間の理解を深める貴重な機会を提供しています。 2. 地域社会への参加: ウイグルコミュニティのメンバーは、日本の伝統的な行事や文化祭、さらには国際交流イベントにも積極的に参加しています。これらの活動を通じて、ウイグル文化を紹介する一方で、日本文化への理解と尊重を深めています。 3. 言語のサポートと文化の紹介: 日本在住のウイグル人は、日本語学習のための支援や通訳サービスを提供し、日本社会でのコミュニケーションの橋渡し役を果たしています。さらに、ウイグル語や文化に関するイベントを企画し、ウイグルの伝統、文化、料理を紹介することで、地域社会における相互理解を促進しています。 4. 教育活動: ウイグルコミュニティは、教育を通じて、ウイグル文化や歴史の理解を深める機会を提供しています。地域の学校や図書館での講座やイベントは、ウイグル人だけでなく、日本人にとっても学びの場となっています。また、若い世代に対しては、ウイグル語や文化を学ぶための教育プログラムを提供し、文化的アイデンティティの維持に努めています。 5. 地域コミュニティの課題: ウイグルコミュニティは、宗教活動の施設、職業訓練、雇用支援、安全対策、そして健康ケアの提供といった課題に直面しています。これらの課題に対処することで、コミュニティメンバーの生活の質を向上させ、より安定した生活基盤を構築することが可能になります。具体的には、ハラール食材の入手の容易さや宗教行事のための場所の提供、職業訓練と就労の機会の拡大、安全で安心して生活できる環境の整備、そして適切な医療サービスへのアクセスなどが求められています。 このような取り組みは、社会全体のニーズを考慮しつつ、日本在住のウイグル人が充実した生活を送るために不可欠です。彼らは、異文化間の架け橋となり、多文化共生のモデルを示しています。これらの活動を通じて、日本社会の多様性を尊重し、異なる文化背景を持つ人々が互いに理解し、支え合うことの重要性が浮き彫りになっています。 日本在住ウイグル人のコミュニティ形成と地域活動は、彼ら自身だけでなく、受け入れる日本社会にも大きな価値をもたらしています。多文化共生の推進は、相互理解と尊重に基づく、より豊かな社会の構築へと繋がります。今後も、彼らの努力と成果は、多様性が尊重され、誰もが調和して生きられる社会への道しるべとなるでしょう。

報告番号31

社会関係資本は地域コミュニティへのただ乗りを抑止する
九州大学 三隅 一人

1.目的 社会関係資本概念の重要性は、それが社会的ジレンマや公共財の解決、とくに見知らぬ他者との協力を促す点にある。その観点から、橋渡し紐帯による一般化された態度の醸成、一般的信頼、一般化された互酬性規範等が着目されてきた。しかしながら、そうした社会関係資本の働きを、社会構造に照準した一貫的な枠組みで捉える実証研究は少ない。とくに一般化された互酬性は、一般的信頼に比して着目度が低い。そこで本研究は、社会関係資本の測定概念を工夫するとともに、社会関係資本を地域コミュニティの分析枠に位置づけることで、上述の枠組みを整える。本報告では、コミュニティ問題をコモンズ問題と重ね合わせ、地域共有物(地域生活に必要な公共財・コモンプール財)の管理のための相互行為がつくる社会システムとして地域コミュニティを捉える。そしてこの観点のもとで、地域共有物管理へのただ乗りをコミュニティの主要課題に定め、その解決に資する社会関係資本の働きを考察する。 2.方法 データは、熊本県熊本市と佐賀県武雄市で報告者が実施した市民意識調査を用いる。熊本調査は2021年9月、熊本市在住20~70歳男女を対象に郵送法で実施し、回収697票(回収率34.9%)であった。武雄調査は2022年2月、武雄市在住20~80歳男女を対象に郵送法で実施し、回収930票(回収率31.0%)であった。 社会関係資本の測定概念の工夫として、一般化された互酬性規範の浸透に関する社会認知を設問した。今この手助けが巡り巡って自分に返ってくる、そういう社会だという認知を、いくつかの質問項目によって聞いた。また、遠い関係の人(弱い橋渡し紐帯)からの手助けが社会構造の恩義の蓄積を生む点に着目し、被助力の経験と記憶を聞いた。  フリーライダーについては、自治会を中心に管理している地域共有物へのただ乗りに分析焦点をおく。自治会フリーライダーは自治会関係の団体参加も活動関与もない人びととし、そのどちらかがあれば貢献者とする。 また、自治会関係以外で、参加している団体数と関与している活動数をみる。これは関係基盤の交差、すなわち人びとの多様な社会参加による社会構造における橋渡し紐帯の生じやすさを指標する。これも社会関係資本(社会ネットワーク)の測定概念の工夫である。  分析に際しての理論仮説は、仮に自治会フリーライダーであっても、社会関係資本の働きで地域共有物管理への一般的な協力態度は高められる、ということである。 3,結果と議論  被説明変数として、6種類のまちづくり取り組みを示して参加意欲を聞いた質問、および、架空の話として災害時の避難所運営に協力するか否かをクロスロード形式で聞いた質問を用いる。いずれも2値変数なので、二項ロジスティック回帰分析を施す。その結果、以下のことを確認した。第一に、熊本でも武雄でも、自治会フリーライダーであることは貢献者に比して、まちづくり参加意欲や避難所運営の協力態度を有意に弱める。第二に、しかしながら、社会関係資本の諸変数を加えると、自治会フリーライダーであることの負の効果は消失する。社会関係資本のうち一貫した促進効果を示すのは、自治会関係以外の関与活動数と互酬性社会認知である。分業と分担による有限責任コミュニティを支える主要な社会関係資本は、協力が巡り巡る社会であるという規範的認知と、実際の社会活動関与を通した関係基盤の交差である。

報告番号32

社会調査に基づく階層研究の課題——「社会階層と社会移動全国調査」2024年プレ調査の基礎分析
東京大学 藤原 翔

【1. 目的】 本研究は社会調査に基づく階層研究の課題を明らかにすることを目的としている.現代日本社会の階層構造を明らかにするために2025年に実施される予定の「社会階層と社会移動全国調査」(Social Stratification and Social Mobility Survey:SSM調査)のプレ調査として,「仕事と生活に関する全国調査」を実施した. 【2. 方法】 調査は4種類に分けられ,関東・近畿・中部都市部36地点の20歳以上79歳以下の540名の日本人を対象とした,従来のSSM調査とほぼ同じ設計の「訪問・留置調査」,全国80地点の20歳から39歳の日本人若年層1,600名を対象とした郵送調査である「若年調査」,20歳以上79歳以下の関西圏のある市40地点に居住する日本人1,600名を対象とした郵送調査である「地域調査」,そして全国80地点の20歳以上79歳以下の外国籍住民1,600名を対象とした「外国籍住民調査」からなる.どの調査も住民基本台帳からの抽出を行い,2024年2月から3月の間に実査を行った.回収率を高めるために,オンライン面接調査やウェブでの回答のオプションを提示したり,多言語の調査票や問い合わせ窓口設置などの工夫を行った. 【3. 結果】 現時点での暫定的な分析によると,回収数(回収率)は「訪問・留置調査」で195名(36.1%),「若年郵送」で612名(38.2%),「地域調査」で610名(38.1%),「外国籍住民調査」で297名(18.6%)であった.「若年郵送」や「地域調査」では女性の回答率が男性よりも高いことが確認された.地点の情報を活用した分析では地域の学歴水準が高いと「訪問・留置調査」では回答率が低くなり,「地域調査」では回答率が高くなる傾向が見られたが,「若年郵送」や「外国籍住民調査」では大きな関連は見られず,また統計的にも有意ではなかった.年齢については「若年郵送」でのみ,年齢が高いと回収率が高くなる傾向が見られた. 【4. 結論】 4つの調査を行う際には様々な工夫を行ったものの,回答率は十分に高くはなく,調査の状況は困難と言わざるを得ない.それでも様々な工夫によるデータ分析からは,日本社会の階層構造や格差・不平等に関する今日的な課題を提示することができる.今回の調査プロジェクトは1時点ではなく,複数時点での調査から,変化の情報を活かした分析を行うことが可能である.その継続調査への意向についての分析や,速報性を高めるために新たに導入した職業の自動コーディングシステムを用いた結果についても報告する. 【付記】 本研究はJSPS科研費JP23H05402の助成を受けた.本データの使用にあたっては2025年SSM調査管理委員会の許可を得た.

報告番号33

高等教育に関する情報提供は教育格差を縮小させるか?
近畿大学 豊永 耕平

【背景】大学進学率が上昇しても、高等教育の進学には出身階層差が生じていることはよく知られている。こうした学歴獲得の不平等は、(1)子どもの学力には階層差があるという社会階層の1次効果と、(2)仮に学力が同じくらいでも、大学進学による便益・費用負担・成功可能性の判断には階層差があり、教育選択にも階層差が生じるという社会階層の2次効果に分けて考えることが有益である(Breen & Goldthorpe 1997など)。けれども既存研究では、いわゆる「効果のある学校論」のように、社会階層の1次効果を縮小する方向性は注目されても(Downey et al. 2022など)、後者の社会階層の2次効果を縮小する方向性は十分には議論されてこなかった。高等教育に関する情報提供によって、大学進学にした場合の便益・費用負担・成功可能性の判断を修正することでも教育格差は縮小しうる(Jackson 2013)。実際に、低階層の人びとの教育選択ほど教師からの情報提供に左右されやすいという指摘もある(Larsen 2023など)。子どもの教育選択を制約するのは保護者であるため、親の教育期待が情報提供によって修正可能なのかを吟味することが求められている。【方法】そこで本報告では、社会階層の2次効果の修正可能性をサーベイ実験から議論する。東京大学社会科学研究所が実施する「暮らしと仕事に関する全国オンライン調査」(SSJDAパネル)に、子どもの教育期待に関する質問文(10件法)を設置し、そこに(a)大学進学した場合の便益、(b)費用負担、(c)成功可能性に関する説明文をランダムに掲載した。こうした実験項目の詳細は当日に説明するが、そのことで高等教育に関する情報提供を受けた保護者の教育期待が修正されるのかどうかを検証した。【結果】分析の結果、情報提供に関する実験項目は保護者の教育期待に生じている階層差をほとんど縮小させなかった。具体的には、保護者の教育期待を従属変数とした重回帰分析からは、学歴が高いほど、世帯収入が高いほど、子どもの大学進学を期待しやすかった。そうした階層変数と、大学に進学した場合の便益に関する情報提供、費用負担に関する情報提供、成功可能性に関する情報提供との交互作用を検証したが、統計的に有意ではなかった。便益の情報提供を受けたからといって低学歴な保護者の教育期待が高まったり、費用負担の情報提供を受けたからといって世帯収入が低い保護者の教育期待が高まったりするわけではなかった。こうした結果は、情報提供によって低階層の人びとを引き上げるような介入には限界があることを示唆する。

報告番号34

包摂に関するウェルビーイングからの検討
東京大学 白波瀬 佐和子

1. 目的 包摂とは、1980年代後半以降、フランス、イギリスといったヨーロッパ諸国を中心に社会的排除(Lenoir 1974)あるいは社会的剥奪(Townsend 1979)の対概念として位置づけられてきた(Levitas and et. al. 2007)。一方、社会学は政策研究から一線を画し、社会的課題の生成メカニズムを明らかにすることに注力が注がれた。しかし、多様なステークホルダーがこぞって持続可能な開発目標(SDGs)に賛同し、様々な関連プロジェクトが進行する中、17の開発目標と掲げられるテーマそれぞれに長きにわたって検討してきた社会学としては積極的に研究貢献すべきである。本研究は、包摂をキー概念に、社会階層論研究の次にくる研究テーマとして位置づけ、政策議論も絡ませながら実証的に分析、検討していく。包摂を社会的不平等研究とどう位置付けて展開していくべきなのか、を大きなリサーチクエッションとし、同研究の初期段階として、包摂の程度を測る指標の一つとして孤独感や幸福感の地域差を確認、検討する。第二点として、幸福感や孤独感が加齢によって変化するのかについて、全国パネル調査を用いて検討する。 2. 方法 本研究では、2つのデータを分析する。一つは、2010年以降2年ごとに実施してきた「中高年者の生活実態に関する継続調査」第7ウェーブまでを活用する。分析対象者は、2022年時点で1,152名の60歳以上の男女とする。本分析では、年齢に加え、配偶関係、仕事の有無、貯蓄額(対数)、個人所得(対数)を独立変数としたパネル分析を進める。もう一つのデータは、2023年1月に岩手県、福島県、三重県、高知県、熊本県、沖縄県に在住する20歳から69歳までの男女各200人を対象に実施したオンライン調査データを用いる。 3. 結論 まず、地域差については、将来への希望として、沖縄住民の高い希望が特徴的であった。沖縄は平均世帯所得が高くなく、失業率も高い一方で、将来への高い希望が意味する者はなにであるのか、さらに検討を進める。一方、孤独感(ここでは孤独死の可能性について質問)については、岩手県の回答が比較的高い結果となった。本分析が依拠したデータは、サンプルサイズが小さいパイロット調査であったので、結果の解釈には注意を要する。経済学ではGDPだけでは総合的な福利厚生の程度を測ることができないと、ここ10年にもわたって議論が展開されており、そこで注目されているのが人々の意識である。社会学としてこのような動向にどう貢献していくべきなのか。議論していく。

報告番号35

上層ミドルクラスの内部分化とジェンダー
滋賀大学 佐野 和子

【目的】 1980年代以降のサービス産業化、高学歴化、ならびにコンピュータ技術の進歩は、労働市場にある仕事のタイプにも変化をもたらした。特に、高度なスキルを必要とする専門的・管理的職業が拡大し、この職業集団内部の異質性が高まっている。本報告は、上層ミドルクラス内部で、異なる特徴を持つ階層集団が分化しつつあるという仮説を検討し、近年の日本の階層構造の特徴を捉えることを目的とする。具体的には、職業階層の上層の水平的異質性を論じる先行研究(Oesch and Rennwald 2018, Oesch 2006; 2022, Pickety 2020)の概念と指標に依拠し、従来の代表的な職業階層分類では一括りにされていた専門的・管理的職業階層を、「専門的技術職」、「社会文化的専門職」、「管理的職業」の3つに区分する。その上で、2015年以降のJGSS累積データを用いて、これらの職業階層集団が、仕事に対する価値観や政治的態度においてどのように異なる特徴を持ち、階層秩序を形成しているのかを検討する。特に、女性の就業拡大により、仕事を持つ女性が職業構造の上位層にどのように階層を形成しつつあるのかに問題関心を当てる 【分析】 分析に用いるデータは、JGSS-2015, 2016, 2017, 2018, 2021Hを合体させたデータである。分析対象は、仕事を持つすべての回答者のうち、職業に関する自由記述が得られたケースである。上層ミドルクラスの水平的区分を捉えるための職業分類として、Oesch(2006, 2022)が提示した職業8区分を用いる。この8分類は、スキルレベルによるタテの2区分と、4つの仕事ロジックに基づく水平的区分からなり、EGP分類では曖昧な位置付けであった対人サービスの仕事志向を持つ職業群を区分することを特徴とする(長松 2021, 佐野 2023)。この職業8分類のうち、スキルレベル上位の「専門的技術職」、「社会文化的専門職」、「管理的職業」が、自営を除く上層ミドルクラスに相当することから、この3区分に分析の焦点を当て、仕事に対する価値観や政治的態度においてどのように異なる特徴を持つのかを検討する。JGSSデータに含まれる仕事モジュールを用いた質問群から作成した指標、ならびに政治的態度に関する変数を従属変数に、職業階層8区分を独立変数とする記述的分析と多変量解析を行い、独立変数としての3つの上層ミドルクラスカテゴリの効果を比較検討し、階層間の対立関係の構造を捉える。 【結果と結論】 探索的な分析の結果、学歴やスキルレベルにおいてほぼ同等の3つの上層職業階層区分のうち、対人サービス系の専門職からなる社会文化的専門職は、社会に役立つ職業であると自認する程度が他の2つの職業集団よりも有意に高く、管理的職業は、報酬への満足度を表すスコアが他の2つよりも有意に高い。専門的技術的専門職は、組織へのロイヤルティが他の3つよりも低い。また自民党支持に対しては、管理的職業と社会文化的専門職の間に有意差が見られるが、性別、年齢を統制すると、この差の大部分が縮小する。職業を持つ女性の間で、同質的な特徴を持つ専門職の階層集団が生じている点が示唆される。

報告番号36

子供の数と年齢が家計資産分布に与える影響——日本の家計調査データに基づく分位点回帰分析
東京大学大学院 張 佳潔

【目的】 本研究の目的は、子供の数と最年長の子供の年齢が家計の総資産、金融資産、純資産の分布に与える影響を明らかにすることである。少子高齢化が進む日本社会において、子供の数や年齢が家計資産の不平等にどのような影響を及ぼすかを理解することは、政策立案や経済分析にとって重要な意義を持つ。 【方法】 本研究では、日本の家計調査データを用いて、子供の数と最年長の子供の年齢が家計資産分布に与える影響を分析した。分析には、再中心化影響関数(Recentered Influence Function, RIF)に基づく無条件分位点回帰モデル(Unconditional Quantile Regression, UQR)を用いた。このモデルにより、資産分布の異なる分位点における説明変数の影響を推定することが可能となる。また、個人の異質性を考慮するために、固定効果(Fixed Effects)モデルを組み合わせた。推定には、総資産、金融資産、純資産の分布の10、25、50、75、90パーセンタイル点を用いた。 【結果】 分析の結果、子供の数は総資産と純資産の分布に有意な影響を与えていることが明らかになった。総資産については、子供の数は全ての分位点で正の影響を与えており、その影響はパーセンタイルが上がるにつれて小さくなる。これは、子供の数の増加は、総資産水準が低い家計により大きな影響を与え、総資産水準が高い家計に与える影響は比較的小さいことを意味する。 一方、純資産については、子供の数は低いパーセンタイル(25%)と高いパーセンタイル(90%)で有意な正の影響を示しているのに対し、中間のパーセンタイル(50%と75%)での影響は有意ではないか、負であることさえある。これは、子供の数が家計の純資産に与える影響は資産水準によって異なる可能性があり、資産分布の両端にある家計により大きな影響を与えることを示唆する。 最年長の子供の年齢については、総資産、純資産の全ての分位点で有意な正の影響が見られた。総資産と金融資産については、その影響は分位点が上がるにつれて大きくなる傾向が見られた。一方、純資産については、最年長の子供の年齢はすべてのパーセンタイルで有意に正の影響を与えるが、その影響の大きさはパーセンタイルによってあまり変化しない。これは、最年長の子供の年齢の増加が、すべての資産水準の家計の純資産にほぼ一貫した影響を与えることを意味する。 【結論】 本研究の結果から、子供の数と最年長の子供の年齢が家計資産の分布に重要な影響を与えていることが明らかになった。子供の数は総資産と純資産の不平等に影響を与えており、その影響は資産水準によって異なっていた。一方、最年長の子供の年齢は全ての資産に対して正の影響を与えており、特に総資産においてその影響は資産水準が高くなるほど大きくなっていた。 これらの結果は、少子高齢化が家計資産の不平等に複雑な影響を及ぼしていることを示唆している。子供の数が少ないことは、資産水準が低い家計の資産蓄積を妨げる可能性がある。一方、子供の年齢が高いことは、特に資産水準が高い家計の資産蓄積を促進する可能性がある。 今後の研究では、子供の数や年齢が家計資産に影響を与えるメカニズムをより詳細に分析することが求められる。また、本研究で用いた分位点回帰モデルを拡張し、子供の数や年齢が資産分布の動学的な変化に与える影響を明らかにすることも重要な課題である。

報告番号37

高齢層の家族形態と経済格差——2015年SSM調査の分析
摂南大学 岩井 八郎

目的:日本の高齢社会は、国際的にみると高齢化が進んだ速さに加え、高齢者の就業率の高さ、および子どもとの同居率の高さを特徴としてきた。しかし高齢者における子どもとの同居率は著しく低下を続け、最近では単独世帯、夫婦のみの世帯、そして親と未婚の子どもが同居する世帯が増加している。また年金制度の拡充によって、働いていない高齢者の経済的地位が向上してきたが、不安定な経済状況のもとで就業を継続する高齢層もまた増加している。高齢層において、就業・不就業、家族形態、経済的地位の関係は、近年どのように変化しているのか。本報告は、2015年SSM調査データを用い、高齢層を就業・不就業、ならびに子ども世代との同居・非同居によって区分して、本人所得と世帯所得の分布を検討し、高齢層における経済格差の現状を明らかにしたい。 背景:すでに2005年までのSSM調査を用いた分析結果を報告してきた。主要な研究成果としては、まず、高齢層の本人所得と世帯所得が1995年から2005年まで低下していた。年金制度によって就業していない高齢層の経済的地位は安定しているが、2000年代になって、60歳代前半に年金支給のある者とない者との間で経済格差が大きくなっていた。第2に、子どもと同居する高齢者の割合が低下してきたが、1995年の子どもとの同居の場合、世帯所得が高く、豊かな生活スタイルとみなすことができた。しかし2005年になって、子ども世代の所得が向上せず、子どもと同居しても世帯所得に大きな上昇はなかった。それは、同居による親世代と子ども世代との相互依存関係が強くなったことを示していた。 分析結果:2015年SSM調査を用いて、同様の分析を行うと以下のような結果が得られる(図は当日紹介)。子どもと同居する不就業層男性(60〜74歳)の本人所得と世帯所得の分布を図示すると、本人所得は300万円未満のところに鋭い山があり、年金額であることがわかる。世帯所得の分布を見ると、300万、500万、ならびに900万以上の3つの山がある。世帯所得が300万と500万のところで山になることは、子どもの年収が低いことをはっきりと示している。また子どもと同居する就業層男性(60〜74歳)の本人所得と世帯所得の分布を図示すると、本人所得の山は、300万〜400万あたりにあるが、世帯所得の山は、500万と900万以上のところにある。500万の山は子どもの所得が200万程度で低く、900万以上の山は子どもの所得がかなり高い。高齢層の子どもとの同居の分析結果をみると、豊かな同居と不安定な経済状況をしのぐ同居とに分かれる傾向が強くあらわれている。大会当日はより詳細な分析結果を紹介する。  謝辞:SSM調査データの利用に当たっては、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブから個票データの提供を受けました。 付記:この研究はJSPS科研費23K02211の助成を受けたものである。

報告番号38

東大社研パネル調査の概要と家庭環境と成人期の達成の関連——東大社研パネル調査(JLPS)データの分析(1)
東京大学 石田 浩

【1.目的】  生まれ落ちた家庭環境における経済的・社会的不利は、その後の成人期の社会経済的アウトカムとどのように関連しているのか、そのメカニズムについて検証する。特に学歴を媒介とした過程について、東京大学社会科学研究所が実施している「東大社研若年・壮年パネル調査」(Japanese Life Course Panel Surveys:JLPS)を用いて分析する。 【2.方法】  本研究が使用するデータは「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」(東大社研若年・壮年パネル調査JLPS)である。JLPSの第1波調査は、日本全国に居住する20-34歳(若年パネル調査)と35-40歳(壮年パネル調査)の男女を母集団として対象者を性別・年齢により層化して抽出し、2007年1月から4月にかけて郵送配布・訪問回収方法により実施した。若年調査は3367票(回収率34.5%)、壮年調査は1433票(同40.4%)を回収した。その後対象者を毎年ほぼ同時期に追跡している。本分析では、第16波(2022年)までの調査データを用いる。15歳時の家庭の状況(家の暮らし向き・家庭の雰囲気)を独立変数、調査時点での暮らし向き(5点尺度)、生活満足度(5点尺度)を従属変数、学歴を媒介変数とする分析を行う。 【3.結果】  本分析から、15歳時の家庭の状況(経済的・社会的環境)は、人々が成人した以降の暮らし向き、生活満足度に対して継続的な影響を与えていることが明らかになった。貧しい家庭に育った個人は、成人期の暮らし向きが平均的に低く、温かくない家庭の出身者は生活満足度が平均的に低い。学歴を媒介とした分析では、家庭環境の直接効果と学歴を通した間接効果、そして学歴による調整効果の3つに着目した分析を行い、この3つのプロセスがあることが確認された。 【4.結論】  15歳までに育ってきた経済的・社会的環境というライフコースの初期段階で決まる初発の有利さ・不利さは、その後の人々のライフコースに対して継続的に影響を与えている。初期段階での格差は、ライフコースの流れの中でさらに拡大することはないが、縮小するわけでもない。大学教育を受けることにより不利な状況に留まる確率を下げる傾向はあるが、初発の不利をはね返していく決定的な要因となっているわけではないことが明らかになった。 【謝辞】 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)、基盤研究(S)(18103003, 22223005)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル調査運営委員会の許可を受けた。

報告番号39

祖父母からの経済的資源の移転が孫の教育に及ぼす影響——東大社研パネル調査の分析(2)
東京大学 俣野 美咲

【1.目的】 近年、世代間移動研究では、親と子どもの2世代のみならず、祖父母や叔父・叔母などの拡大家族の影響にも着目すべきという指摘がなされている(Mare 2011)。こうした学術的潮流を受け、多くの先行研究が、親の学歴を統制してもなお、祖父母の学歴と孫の学歴には関連がみられることを明らかにしてきた(e.g. 荒牧 2012; Chan and Boliver 2013)。 この3世代にわたる学歴の再生産は、祖父母世代から孫世代へと経済的・文化的・社会的な資源が移転されることで生じると先行研究では想定されている(Zeng and Xie 2014; Deindl and Tieben 2017)。しかし、実際にどのようにして祖父母から孫へと資源が移転され、そしてそれが孫の教育にいかに影響を及ぼしているのかは明らかにされていない。そこで本研究は、祖父母からの経済的な資源の移転に着目し、孫の教育に及ぼす影響について検討する。 国内の先行研究では、祖父母と親のいずれも相対的に高い学歴を持つとき、孫も高い学歴を獲得しやすいことが明らかにされている(荒牧 2012)。この知見から、そもそも学歴の高い祖父母ほど、親に孫の教育費の支援をする可能性が高く、さらに親の学歴が高いと、祖父母から受けた支援が孫の教育投資に直結しやすいため、孫が教育達成においてより有利になると推測できる。 【2.方法】 分析に用いるデータは、東京大学社会科学研究所が2007年より継続して実施しているパネル調査「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」(東大社研パネル調査の若年・壮年パネル調査)のWave11〜17(2017年から2023年)データである。分析対象は、高校生以下の子どもが1人以上おり、少なくとも1人の親が健在の回答者である(n=2442)。すなわち、回答者を親世代、回答者の親を祖父母世代、回答者の子どもを孫世代として分析を行う。 【3.結果】 分析の結果、次の2点が示された。第1に、祖父母が高学歴の場合、孫の教育費に関する支援を行う確率が高い。第2に、親が高学歴の場合、祖父母から受けた孫の教育費の支援が孫への教育投資に及ぼす影響がより大きい。 【4.結論】 高い学歴を持つ祖父母は、親世代を介して、孫に経済的資源を移転する。その際、親の学歴が高い場合、親はその資源をより一層孫の教育投資に費やすことができる。結果として、孫は教育達成において有利となる。本研究は、祖父母からの資源の移転が、どのようにして3世代での学歴の再生産を生じさせているかを明らかにした。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)、基盤研究(S)(18103003, 22223005)、若手研究(24K16495)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた。

報告番号40

日韓比較から見た「大人である」ことの条件と意味——東大社研パネル調査(JLPS)の分析(3)
東京大学 新藤 麻里

【1.目的】本研究の目的は,大人の条件意識を指標に,日韓社会における「大人である」ことの意味を明らかにすることにある.大人であることは,個人の人生,社会の中で意味づけられる.昨今では,大人への移行プロセスが多様化しており,同時に移行の不安定性も高まっている.成人期移行の全体像を理解するために,大人の意味を解明する必要がある.条件意識を指標として成人期移行の概念を導出する研究は,欧米を中心に展開されてきた(Arnett 2001).一方,日本や東アジアを対象とする研究は,国内外を通じてほとんどない.そこで,本研究では日韓を対象として大人の条件意識を検討する.【2.方法】資料は,東京大学社会科学研究所の「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査(JLPS)」のWave16(2022年)のデータと,2022年に韓国内で実施したウェブ調査のデータを使用する.分析対象は,1982-87年生まれの短大卒以上の男女とする.主な分析方法は多重対応分析であり,主要な変数は,大人の条件変数(16項目の条件について「大人であるために必要だと思うか」)である.対応分析では,大人の条件変数のみを投入して分析を行い,大人の意味空間を構築する.そのうえで,事後的に社会的属性を追加変数として投入して,関連を検討する.【3.結果】対応分析の結果を2次元にプロットすると,大人の条件変数の布置は日韓で類似していた.空間を形成する第一軸は条件意識度,第二軸は伝統的/非伝統的な家族価値観によって解釈された.家族形成と関連する変数は他と比べて排他的に布置され,第二軸は「結婚」「親なり」「親との対等関係」といった変数が軸の構築に貢献した.社会的属性との関連を見ると,日本では,追加変数との関係は十分に示されなかった.韓国では,性別が第二軸に相関するとうかがえた.補足的に,家族形成関連変数を従属変数に二項ロジスティック回帰分析を行ったところ,韓国では性別や現職,親なり経験が条件意識の持ちやすさに影響を与えた.一方で,日本では「結婚」「親なり」を従属変数とした分析ではモデル自体が非有意であった.【4.結論】日韓社会の大人であることの条件と意味を検討した結果,日韓の大卒壮年が持つ大人の条件意識は類似していることが示され,その背景には伝統的家族価値観があることが示唆された.また,同質性の高い対象内でも,韓国では男性が伝統的家族価値観に基づく条件意識を持つ傾向があると示されたが,日本では属性の違いからは大人の条件意識を持つか否かは十分に説明されない.【文献】Arnett, Jeffrey J., 2001 “Conceptions of the Transition to Adulthood” Journal of Adult Development, 8(2): 133-43. 【謝辞】本研究は,日本学術振興会科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204),基盤研究(S)(18103003, 22223005),若手研究(24K16496)の助成を受けたものである.東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては,社会科学研究所研究資金,株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた.パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた.

報告番号41

将来の生活の見通しと結婚・出産の決断——東大社研パネル調査(JLPS)の分析(4)
立教大学 中澤 渉

1 目的 少子高齢化が進み、日本社会は既に人口減少局面に入っている。社会保障政策が賦課方式に基づいていること、若者の減少は社会の活力やイノベーションの沈滞化につながりかねないという問題意識から、その打開策が模索され続けている。その結果、子育て環境の不十分さがしばしば指摘されてきたが、子どもを設けることはその後の一生に関わる重い決断であることを鑑みれば、今の子育て環境だけでなく、どのような将来設計を描けるかも大きな判断材料となるだろう。日本では結婚と子どもの出生が深く結びついている状況があるため、本発表では、人々の将来の生活における見通しの明るさが結婚行動や第一子出生に結びつくのか(将来の生活に希望があれば、結婚や子の出生に結びつきやすいのか)を離散時間ロジットモデルによって検討する。 2 方法 本発表では、東京大学社会科学研究所が2007年より毎年実施している若年・壮年パネル調査のデータを用いる。毎年尋ねられている「あなたは、将来の自分の仕事や生活に希望がありますか」、「10年後のあなたの暮らし向きは、今よりも良くなると思いますか」において、肯定的な回答が結婚可能性や第一子出生可能性を高めるかを、学歴、従業上の地位、収入(結婚の場合は、これに結婚意向や異性との出会いの機会)を統制した上で検証する。この分析におけるリスクセットは未婚・子なし状態であり、結婚(初婚)や第1子誕生をイベント発生と位置づける。 3 結果 まず上述の2つの意識項目について、リスクセットの対象者の回答は、2007年時点ではいずれも50%超が肯定的回答であった。しかし2023年にはいずれも2割台まで落ち込む。肯定的回答者ほど結婚や第一子を持つ傾向があれば、相対的に否定的回答者がリスクセットに残ることになること、またサンプルの年齢は上昇するため、加齢に伴い人生が定まってくる点で、これらの意識項目が低下するのは不自然ではない。それでも男女とも将来の仕事や生活への希望があるほど、社会経済的要因や結婚意向などを統制しても、結婚や第一子出生チャンスを高めることがわかった。10年後の暮らし向きの予想も同様の有意な影響はあるが、結婚意向を考慮すると有意な影響はなくなった。このことは、結婚意向が10年後の暮らし向きの見込みと強く関連していることを示唆している。 4 結論 学歴、従業上の地位(男性)、収入(男性)自体、結婚や第1子誕生に有意な影響があるが、それらを統制しても、将来見通しに関する意識は独自の影響を持っている。つまり現在の生活環境の改善も重要だが、それらが一過性の支援や政策に留まるものではなく、将来にわたって安心して生活できるという希望的観測がないと、現状のような閉塞感のある社会で少子化の動きはとどめようがないと考えられる。また結婚意欲は、将来(質問紙のワーディング上では10年後)の暮らし向きの改善見込みがあることで高められる可能性がある。 【謝辞】 本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)の助成を受けたものである。

報告番号42

現職の職業階層と精神的健康の関係に対する初職の役割の加齢変化——東大社研パネル調査(JLPS)の分析(5)
立教大学大学院 鳥居 勇気

【1. 目的】本研究では、初職の職業階層が現在の精神的健康に与える影響の加齢変化について、現在の職業階層の影響および世代内階層移動の影響の加齢変化との関連を考慮しつつ明らかにすることを目指す。人生初期の健康格差が加齢とともに拡大・縮小するか、または維持され続けるかについて複数の言説がある(Luo et al. 2023)。同様のことが初職についても当てはまると予想されるが、精神的健康に対する初職の効果の加齢変化が、現在の職業階層と健康の関連にどのように作用するかは明らかにされていない。初職は、現職と健康の交絡要因として働くだけでなく、世代内階層移動による心理的作用とも関連しうる(Präg et al. 2022)。【2. 方法】東大社研若年・壮年パネル調査(JLPS)の2007年から2023年のデータを用いて、男女別に成長曲線モデルを推定した。EGP階級図式をもとに、初職と現職を上層から下層までの各3カテゴリーに分類し、より上の層への移動を上昇移動、下の層への移動を下降移動とした。従属変数はMHI-5とした。【3. 結果】男性の場合、現職を統制する前のモデルでは、初職の職業階層による精神的健康の差は20代から50代を通じて拡大または縮小せずに存在し続けるという結果が得られた。しかし、現職を統制したモデルでは、20代では現職の効果が強く、加齢とともに初職と下降移動の効果が強くなるという結果が得られた。女性の場合は、現職を統制する前のモデルでは初職の階層による差は見られなかった。しかし、現職統制後では、初職の階層は高い方が精神的健康状態は良く、反対に現職の階層は低い方が良いという推定結果が得られた。【4. 結論】本研究は、職業階層と精神的健康の関係を分析するにあたって、現職だけでなく、初職との関係とその加齢変化を考慮に入れることの重要性を示すことができたと言える。とくに、本研究の分析からは、年齢によって初職・現職・階層移動の効果の強さが異なることや、職業階層と精神的健康の関連の仕方が男女で異なることが示された。【文献】Luo, M., L. Lydia, Z. Liu & A. Li, 2023, “Sociodemographic Dynamics and Age Trajectories of Depressive Symptoms among Adults in Mid- and Later Life: A Cohort Perspective,” Aging & Mental Health, 27(1): 18-28. Präg, P., N.-S. Fritsch & L. Richards, 2022, “Intragenerational Social Mobility and Well-being in Great Britain: A Biomarker Approach,” Social Force, 101(2): 665-93.【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)、基盤研究(S)(18103003, 22223005)、特別研究員奨励費(24KJ2064)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた。

報告番号43

雇用形態による処置効果の異質性を考慮した男女間賃金格差の分解——東大社研パネル調査(JLPS)の分析(6)
東北大学 小川 和孝

【1. 目的】 本報告では、男女間賃金格差が生まれる要因を分解し、雇用形態による処置効果の異質性に注目する。先行研究においては、グループによって異なる処置効果の大きさに基づいて処置変数が選択される確率が異なる可能性が十分に考慮されていなかった。処置変数の効果をさらに、グループ間の異質性とグループ内の異質性に分けて考えることで、格差の生まれるより詳細なメカニズムの理解を得ることを目指す。 【2. 方法】 反実仮想的なアプローチを拡張したYu and Elwert(2023)が提案する方法を用いる。この方法は潜在的な従属変数のグループ間格差を、(1)ベースラインの格差、(2)処置変数の分布による格差、(3)平均処置効果の格差、(4)処置効果の大きさに基づく処置変数の選択による格差の4つの要素に分解する。(3)はグループ間の効果の異質性、(4)はグループ内の効果の異質性による寄与と見ることもできる。データには、東大社研パネル調査(JLPS)を使用する。従属変数は時給換算した対数賃金であり、処置変数は典型雇用かどうかを表す二値変数である。また処置変数への選択に影響する共変量として、年齢、学歴、出身家庭に関する変数を考慮した。 【3. 結果】 男女間の賃金格差全体を分解したところ、(1)ベースラインの格差が84.7%、(2)処置変数の分布による格差が34%、(3)平均処置効果の異質性が-22.7%、(4)処置効果に基づく処置変数の選択による格差が4.1%を構成するという結果であり、いずれも5%水準で統計的に有意な結果であった。平均処置効果のグループ間異質性は全体の格差にマイナスに寄与しており、これは女性において典型雇用であることへの賃金へ効果がより大きいことを意味している。他方で、処置効果に基づく処置変数の選択は、男女間の賃金格差を拡大する方向に寄与している。これは女性にくらべて男性は典型雇用へのpositive selectionが働いていることを意味する。 【4. 結論】 反実仮想の枠組みに基づくことでそれぞれの要素は介入的な解釈が可能であり、どのような介入が格差の縮小により有効であるかの手がかりとなりえる。今後の課題として、特定の共変量で条件付けた際の分解も考える。このことによって、たとえば同一学歴内においてのみ、処置変数の分布による格差、平均処置効果の格差、処置効果の大きさに基づく処置変数の選択による格差を取り除かれたという介入状況を想定した結果に拡張してゆく。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金・特別推進研究(18H05204)および基盤研究C(23K02178)の助成を受けたものである。

報告番号44

労働市場の媒介者とキャリアの機会——東大社研パネル調査(JLPS)の分析(7)
東京大学 石田 賢示

1.目的 非正規雇用に代表される有期雇用労働者の増加や、2010年代半ば以降の労働需要の拡大(人手不足)を背景に、若年、壮年期のキャリアにおいて転職を経験する者が増加している。また、実際に転職するかは別として、転職を希望する者も増加している。他方で、長期雇用慣行が根付いてきた日本社会では、転職を通じて地位達成を遂げることが未だ一般的とはいえない。キャリアのなかで転職が身近になる一方、転職後に好条件の仕事を得られるかが不確実であるため、転職者と企業の媒介者(公共・民間の職業紹介機関や社会ネットワークなど)が転職結果に影響を与えることが想定される。そこで本研究では、1年間で勤め先を変えた者(転職者)のなかで、その入職経路のあいだで転職後の賃金水準に差があるのかを、2時点のパネルデータを用いて検証する。 2.方法 分析には、東大社研パネル若年・壮年調査のうち、2008年(Wave2)と2022年(Wave16)のデータを用いる。これらの調査波では、1年間で勤め先が変わった者に対して入職経路を尋ねている。Wave2ではプリコードの複数回答形式であるのに対し、Wave16では自由回答形式で入職経路を尋ねているため、自由回答内容をWave2のプリコードにあわせてアフターコードして分析に用いた。アウトカム変数はWave2およびWave16時点での時間あたり賃金であり、主な独立変数は入職経路である。分析は、転職者にサンプルを限定したうえでOLS推定をおこなうほか、転職経験の有無によるセレクションの影響を考慮するため、ヘックマンモデルによる推定も併用する。 3.結果 入職経路の分布については、Wave2とWave16がプリコード、アフターコードであることから厳密な比較はできないものの、民間の職業紹介機関の利用が2008年から2022年にかけて拡大している。一方、公共職業紹介機関(ハローワーク)の利用割合は低下している。その他の入職経路については、2008年と2022年のあいだで大きな差はみられない。時間あたり賃金をアウトカムとする回帰分析の結果は、広告や雑誌経由での直接応募と比べ、民間の職業紹介機関経由ではより高い賃金の仕事への入職につながっているというものであった。他方、公共職業紹介機関利用の係数は負に有意であった。この結果は、OLS、ヘックマン二段階推定、およびこれらの多重代入法による推定を通じて共通している。民間の職業紹介機関の利用は、男性、高等教育学歴を有する者、あるいは無配偶者の方がしやすい。 4.結論 以上の分析結果は、民間の職業紹介機関に相対的に高賃金の職が集中しやすく、入職経路間で紹介可能な仕事の質に格差が存在することを示唆している。また、市場化される職業紹介サービスにおいて、そのアクセスに格差が生じている可能性もある。今後、転職がより一般的になるとすれば、媒介者のなかでも民間の職業紹介機関による転職者の階層化がより顕在的になるかもしれない。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金・特別推進研究(18H05204)、基盤研究(B)(23H00870)の助成を受けたものである。

報告番号45

ラップ表現とSNSの制度
日本女子大学 北嶋 健治

[はじめに]本報告では、SNS上のラップ・ヒップホップ表現を対象に、その表現の両義性(文化性/逸脱性)に関する概念整理と今日の事例についての検討を行う([目的・方法])。また、この検討を通じて、SNSを制度的な条件とする文化的表現についての考察可能性を示す([結果・結論])。英米圏の研究ではラップ表現に見る両義性が指摘されており、その芸術形式としての自由に対してなされる表現規制や社会統制、あるいはストリートのリリシズムや美学と逸脱性との曖昧な関係性などが議論されている(Charis Kubrin, Jonathan Ilan)。このサブカルチャーを抵抗文化あるいは非行副次文化(Albert K. Cohen, Dick Hebdige)として捉えた場合、ラップ表現に見る逸脱性はむしろそれらの文化への積極的なコミットメントとして見いだされるはずだが、以下で検討されるように、今日の制度・技術はそうした文化的な表現の両義性を抵抗性とは異なる論理において可能にしているように窺える。[目的・方法]1.そこで本報告では、まずラップ・ミュージックの産業化・メディア化・グローバル化に関する先行研究の論点の整理を行い、ラップ表現に生じている文化性・逸脱性の抽象化とそのSNS以降の帰結についての検討を行う。2.また、今日の事例として、主に国外の社会運動論ならびに社会意識論においてラップ・ヒップホップ文化への積極的な言及あるいは参照がなされる状況を確認した上で、SNS上のサブカルチャー表現をめぐる正当性の基準についての考察を行う。[結果・結論]1.社会構造(都市・地域・貧困の問題)を背景とした「ストリートのコード」(Elijah Anderson)あるいは生活経験に基づく特定のラップ表現は、ヒップホップ文化の音楽ジャンルとしての確立とともに産業化・商品化される。また、マスメディア上で物語として大衆化されたラップ表現は、オーディエンスのストリートの文化実践や自己表現へと結びついてく。ストリートとその物語が織り成すこうした循環のプロセスは、逸脱性の「ループ」として捉えられている(Craig Pinkney and Shona Robinson-Edwards)。ただし、さらにグローバル化を経て抽象化されたストリート文化の表現の一部は、SNSにおいてローカルな逸脱性を顕在化させているとの指摘がある(Timothy Lauger and James Densley)。それゆえに、ラップ表現の抽象化された逸脱性は、その現実性をSNSでより正確に反映させている可能性がある。2.また、ストリート文化としてのラップ表現には、一部ではあるが、公共性と相反する主張がなされる場合や、特定の他者に対する偏狭的な態度が含まれる場合、またそれゆえに、その内容に対してマスメディア上で放送規制が敷かれる場合等があった。一方で、今日のラップ表現のいくつかに関しては、ある種の逸脱的表現が政治的な主張の枠組みの中で行われ、マイノリティの社会運動の言説・実践において参照され、またそれらの表現がSNSのレギュレーション(Lawrence Lessig)の下で視聴者と共有されるケースが看取できる。ここで、ラップという文化的表現に見られたかつての逸脱性は、一定の基準の下で肯定されているように見える。以上を踏まえ、さらに本報告では、技術を介して表現の自由と管理を同時に可能にする「制度」(Michalis Lianos)の一つとしてSNSを捉え、今日の文化的/逸脱的な表現をめぐる正当性の基準についての検討を行う。

報告番号46

透明化された文化生産の「現場」——受信拡大装置,ラジオ塔,メディア・インフラ
静岡大学 丸山 友美

【1.目的】 本発表は,ラジオ塔というメディア遺構を通して,放送文化生産の「現場」を捉え直すことを目的にもつ。ラジオ塔は,燈篭のような石塔に受信機とスピーカーを内蔵した街頭のメディアとして1930年に大阪天王寺公園に初めて建設された。それはやがて聴取加入契約を増やしたい日本放送協会の思惑と,世論指導と国論の統一を目指すメディア政策により急速に全国に広がった。本発表は,このラジオ塔が企画・建設され,拡散していった過程を辿り直し,放送事業が聴取者(視聴者)からは「見えない」労働者/事業部門スタッフに依存していることを指摘する。このように本発表は,放送文化生産の「現場」を把握し直し,そこに参加する構成員の範囲を拡張することを試みる。 【2.方法】 ラジオ塔を企画・建設した事業部門のスタッフの活動を知りうる資料を渉猟・閲覧した。具体的には,日本放送協会編纂の放送史をはじめ,日本放送協会関西支部の『事業成績報告書』や関東支部の『関東支部彙報』,ラジオ塔建設を報じた新聞やその寄附を記録した公文書などである。こうしてラジオ塔が発案された経緯やラジオ塔を拡散させた全国施策の存在,事業部門のスタッフの活動や経験知を軽視した国策としてのラジオ塔増設の動きを確認した。 【3.結果】 明らかになったのは,事業部門スタッフの労働は,聴取者の実態を把握する調査力と,それを踏まえ対応策を起案する創造力,建設予定地の地方自治体担当者と交渉するコミュニケーション力などのスキルを駆使してメディア・インフラとしてのラジオ塔を普及させる専門性を要求されるものであったということだ。そうした聴取者からは「見えない」労働者により,放送事業の経営は安定し,放送コンテンツは全国に供給されるようになっていた。 【4.結論】 これまで放送文化生産の「現場」は,J.コールドウェルが論じるように(Caldwell 2008),プロデューサーやディレクターといった番組の方針を決定したり制作費を工面したりするアバブ・ザ・ライン(Above-the-line)の人間と,録音編集やカメラオペレーターなどの番組制作を自らの技能で支えるビロウ・ザ・ライン(Below-the-line)の人間を通して捉えられてきた。だが,こうした議論枠組みは,そこに参加するメンバーをコンテンツ生産に関わる者に限定し,受信者サービスに従事する者やメディア・インフラを建設・整備する者を排除し,放送産業の「「見えない」労働者」(Mayer 2011:2)を生み出してきた。このように不可視化され,無視され,放送文化生産の主体として記述されてこなかった事業部門スタッフの存在を,日本の各地に残るラジオ塔は思い出させてくれるメディア遺構であることがわかった。 参考文献 Caldwell, J., 2008, Production Culture: Industrial Reflexivity and Critical Practice in Film and Television, Duke University Press. Mayer, V., 2011, Below the Line: Producers and Production Studies in the New Television Economy, Duke University Press.

報告番号47

自己論におけるキャラ論の位置——ドラマトゥルギーの視点から
作新学院大学 木村 雅史

【1. 目的】  若者論やコミュニケーション論の分野では、現代的な自己の問題として「キャラ」に関する議論が行われてきた。たとえば、若者における生来的なキャラ観とその背景にある社会化に関するリアリティの欠落、「本当の自分」への探求や自己承認欲求の肥大化を論じた土井隆義の議論(土井 2004, 2009)や、仲間内における対等性の原則と、その原則にしたがって各自が割りふられた役柄を演じるキャラ的関係に潜む暴力性を論じた森真一の議論(森 2009)などがある。このように「キャラ」は、現代的な自己のありようを記述する概念であると同時に、知念渉が<ヤンチャな子ら>による<インキャラ>という言語使用の記述を通して明らかにしたように(知念 2018)、自己や他者の定義実践の資源として実際に人々に使用される言葉でもある。  こうしたキャラに関する議論は、特定の状況内における自己呈示の問題として考えることができ、アーヴィング・ゴフマンのドラマトゥルギーの視点から記述・分析することが可能である。このような問題意識から、本報告では、ドラマトゥルギーの視点がキャラの問題にどのように適用可能なのかを検討することで、自己論におけるキャラの問題の位置やその現代的意義について明らかにすることを目的とする。 【2. 方法】  本報告の方法は、キャラに関する先行研究やゴフマンの自己論、その関連文献の読解である。 【3. 結果】  本報告では、キャラに関する議論と、ゴフマンが『日常生活における自己呈示』(Goffman 1959)で展開している「役柄から外れたコミュニケーション」に関する議論との関連性が示される。「役柄(character)」とは、「活気や強さやその他の立派な特質がパフォーマンスを通じて喚起されるように設計された(中略)人物像」(Goffman 1959: 252)であり、チームパフォーマンスを通して呈示されるものである。チームパフォーマンスの産物だからこそ、役柄に関しては、その呈示作業と同時に、チーム内におけるパフォーマンスの調整や連帯の確認のため、役柄呈示の舞台裏情報に関するやりとりが行われるのであり、ゴフマンはそうしたやりとりを「役柄から外れたコミュニケーション」と定義し、その類型を記述している。キャラも、パフォーマンスを通して呈示されるものであると同時に、そのパフォーマンスの内実や分担のあり方がチーム内のコミュニケーションを通して評価・調整され、その調整作業を通してチーム内の親密性が確認・維持される再帰的な側面をもつことが指摘されている(斎藤 2011)。オーディエンスに向けた役柄呈示とチーム内における「役柄から外れたコミュニケーション」は本来的に矛盾するものであり、その矛盾は注意深く管理されるが、キャラをめぐるコミュニケーションの場合、キャラの呈示とチーム内のキャラ評価・調整をめぐるコミュニケーションはときに矛盾なく、同一の地平で行われるのであり、オーディエンスよりも自分を含めたチーム内メンバーからの評価が強い準拠枠となった自己再帰性の高い自己呈示の類型として位置づけることができる。 【4. 結論】  ドラマトゥルギーの視点から記述・考察すると、キャラの問題は、チーム内メンバーからの評価が強い準拠枠となった自己再帰性の高い自己呈示の問題として位置づけることができ、その点に自己の現代性を見ることができる。

報告番号48

「地元メディア」のコミュニケーション——静岡新聞・水窪支局への聞き取り調査から
静岡文化芸術大学 加藤 裕治

近年、新聞の衰退が叫ばれているが、「地方」において新聞は、依然、重要な情報メディアである。とりわけ、全国紙以上に地方紙(県紙、地域紙)が重要な役割を果たしている。現代日本の政治意識と新聞の関係について論じた金子(2023)は、戦後日本のメディアシステムにおいて、地方では全国紙より地方紙が優勢となった歴史について論じており、2020年の時点でも、47都道府県のうち37都道府県において、新聞の世帯普及率1位を占めているのは、地方紙である。 こうした地方紙の位置付けについては、メディア論、ジャーナリズム論、あるいは記者経験者などから、さまざまに言及されてきた。例えば、全国紙と比較して「下位」に置かれやすい地方紙の位置付けの問題や、逆に「地域密着」や「顔の見える存在」とされ、全国紙と異なる市民との「近さ」が特徴とされてきた。しかしいずれにせよ、地方紙をめぐるこうした議論の背景には、メディアにおける「中央/地方」の問題が、依然として存在していることを示している。メディアにおける「中央/地方」の問題は、これまでもサブカルチャー論(伊奈 1999)の文脈や、放送メディア/「声」のテクノロジーからの視点における「<スタンダード>/<ローカル>」の可変性/相対性の議論(坂田 2005)、また近年のローカル放送研究等を含めて、多様に論じられてきた。 本報告では、こうしたメディアにおける「中央/地方」の視点をもとに、これまで取り上げられることの少なかった地方紙というメディアが、現在、どのように存立しているのかを論じる。具体的には、人口減少地域の中山間地域において地方紙の存在が果たす役割や意味を、「地方の地方」と「地方の中央」という観点から考察したい。 このため今回は、静岡県の地方紙(県紙)である静岡新聞、特に水窪支局の存在と記者の活動に焦点をあて考察を試みる。調査方法としては、静岡新聞の記者への聞き取りに加え、具体的な紙面記事データを用い、下記の点を論じる。①全国紙や放送メディアと異なる、地方紙の支局ネットワークの存在、つまり全国紙とは異なる複数の県内支局の存在は、地方紙が「地域密着」と呼ばれる根拠でもあり、さらに「地方の地方」に存在する中山間地域の支局の役割は、都市部にある総局や支局と異なるものにならざるを得ない。その役割と意味を考察する。②支局記者は、記者(観察者)である同時に住民(当事者)でもある二重性の身体を持たざるを得ない。それが地方紙の情報収集や記事にどのような影響を与えるのか。③支局の存在とそこから発信される「地方の地方」からの記事は、「地方の中央」への単なる情報伝達ではなく、ある種のメッセージ性を帯びているのではないか。 以上の諸点から、地方紙における支局という場と、紙面が果たす複数のコミュニケーションの役割と意味について考察する。またこうした地方のメディア研究を通して、社会学的なメディア論と地域をめぐる社会学との接点についても言及したい。 参考文献:伊奈正人,1999, 『サブカルチャーの社会学』世界思想社. 金子智樹, 2023, 『現代日本の新聞と政治: 地方紙・全国紙と有権者・政治家』東京大学出版会. 坂田謙司, 2005, 『「声」の有線メディア史: 共同聴取から有線放送電話を巡る〈メディアの生涯〉』世界思想社.

報告番号49

商品の情動的価値の提案——新しい物質主義の消費社会論への応用の試み
早稲田大学大学院 皆川 勇太

【1.目的】  本報告の目的は新しい物質主義に基づいた新しい商品の概念の提案である。従来の消費社会論は記号論を理論的基盤としてきたが、記号論の限界を乗り越えようとする動きとして近年では情動理論や新しい物質主義といった潮流が現れている。  情動理論を消費社会論に応用した先行研究としては、難波(2018)が従来のファッションの記号的価値とは異なるものとしてユニクロの衣料品の触覚的価値を論じている。しかし、難波の分析はあくまで具体的な衣料品の分析に重点を置いており、商品全般に適用可能な形での理論的な整理はなされていない。また、Canniford and Bajde編(2016)は新しい物質主義の集合体 assemblage概念を用いて消費の分析を行っている論集だが、彼らの立場と記号論的消費社会論との関係は明らかになっていない。  そこで本報告では上記先行研究の成果も参照しながら、記号論的消費社会論における商品の概念を新しい物質主義のモノの概念と比較することを通して、新たな商品の概念を構想する。本報告は「商品の価値とは何か」という消費社会論の根本的な問いに従来とは異なる回答を与え、消費社会論の理論的刷新を試みるものである。 【2.方法】  ボードリヤールに代表される記号論的消費社会論は、人間相互の差異化のために操作される記号として商品を捉えた。マルクスの資本論における商品の使用価値・交換価値に対して、ボードリヤール(2008)は記号的価値を提起し、消費の対象が商品の物質性ではなく記号性であることを強調している。  一方、新しい物質主義の代表的論者であるベネット(2024)は、人間による意味付けから独立した物質的力能を持つアクタントとしてモノを論じている。この力能は無数のモノたちの集合としての集合体が生み出す力能であり、人間の力能も人間を含む集合体の力能だといわれる。また、そういったモノの間に働いて集合体を作り上げていく力は非人称的な情動作用 affectとして考えられる。モノの情動作用的力能を強調するベネットの立場は、商品=モノを人間に操作される記号として考えたボードリヤールとは対照的である。  本報告ではベネットが論じたモノの力能に注目し、商品の情動的価値の概念を提起する。情動的価値は商品と消費者の間に働く情動作用のうち、使用価値(有用性)や記号的価値(意味)に還元できない部分を指すものとして定義される。情動理論の代表的論者であるMassumi(2002)は情動を主体以前、意味的・記号的な秩序づけ以前の強度として論じているが、それを踏まえると情動的価値とは商品が記号として解釈される前の段階で消費されるものだといえるだろう。本報告では最後に食品という商品のおいしさを例として、情動的価値概念の認識利得を確認する。食品は栄養という使用価値、ブランドや文化的文脈といった記号的価値をもつが、おいしさはそのいずれにも還元できない情動的価値である。 【3.結果および4.結論】  商品の情動的価値の概念は、記号論的消費社会論において見過ごされてきた商品そのものの力能に目を向けることを可能にする。本報告は商品の概念に焦点を絞ったが、消費者や広告の概念も含めた消費社会論全体の情動論的転回が今後の課題となるだろう。

報告番号50

平成時代以降の婚外子イメージの脱スティグマ化 ——婚外子言説の変遷に焦点を当てて
北京外国語大学 呉 江城

日本社会において、婚外子は否定的なイメージとして捉えてきた。平成時代に入ってから、婚外子出生増加と抵抗感減少の現象が生じており、婚外子イメージの脱スティグマ化の胎動を示唆している。これまでの婚外子研究は差別改善問題の論理と実践を解釈したが、婚外子イメージの脱スティグマ化に関する質的考察がない。なお、婚外子のスティグマについては英語圏の考察が多く見られるが、日本社会における脱スティグマ化の過程は明らかにしていない。 本稿の目的は、婚外子言説を切口として、平成以降における婚外子イメージの脱スティグマ化を明らかにすることにある。研究方法としては批判的言説分析の方法論を基づいて「記述」「解釈」「説明」三段階のプロセスに沿って研究分析の枠組みを設定した。研究対象として、『朝日新聞』と『読売新聞』を選定し、新聞記事の抽出にあたってはデータベースを用いて婚外子をさす用語「婚外子」「非嫡出子」「私生児」「非嫡出児」「庶子」「私生子」をキーワードとして検索した。そして、見出しにキーワードが使われた統計248件の新聞記事を分析対象とした。婚外子言説をより体系的された形で分析するために、数量的変化により時期区分を行う。『朝日新聞』『読売新聞』を分析対象とし、キーワード検索により新聞記事を抽出した。 リサーチ・クエスチョンに対する結論としては、まず「記述」において感情分析を行ったことで、婚外子イメージのニュートラル化が定着されたことがわかった。そして、「解釈」において、法律問題中心語りから法律と社会問題討論の両立という言説秩序の変化があった。法律問題をめぐる論争は、人権意識の高揚により区別規定の合理化問題を克服し、改正の主体をめぐる問題のステップに上がった。婚外子差別が日常の社会問題として取り上げられる婚外子の社会問題化によって、否定的イメージが崩れ、脱スティグマのプロセスを終えた。 脱スティグマ化において、影響を与えた要因であるイデオロギーの変容を考察した。1980年代後半から始まる標準的モデルである近代家族の揺らぎと照らし合わせば、連動の関係が見えてくる。家族規範の弱体化を前提とした近代家族の解体のイデオロギーが浸透された結果、個々人の価値観と行動方式の転換を導いた。法律婚を正統なものとみなされる従来の規範を乗り越え、婚外子がしたがって受け入れられるようになった。このように、スティグマに内包された認知構造の再構築によって、脱スティグマが可能となった。

報告番号51

日常生活におけるコミュニケーションから映像を研究化する
新潟大学 原田 健一

日常生活にある映像(写真・動画)を15年にわたり、新潟を中心に町や村の機関・組織・個人と連携・協力し、発掘・調査してきた。集積された映像約20万点は、現在、新潟大学「にいがた地域映像アーカイブデータベース」としてまとめられている。その研究の集大成である『映像メディアの社会文化史』(学文社、2024年)では、これまで研究対象とされてこなかったこれら日常の映像によって、幕末から現在までの約160年の歴史をたどることで、これまで問題化されてこなかった人びと、あるいは人びとのネットワークを探り出し、地域社会と文化のあいまいで複層化したあり方を明らかにしてきた。  これまで、メディア研究、社会学、歴史学、民俗学、映像学などで映像を研究するとき、美術館、博物館、資料館や文書館が蓄積した資料、さらにそれを支える学芸員、アーキビストなどの情報源をもとに調査をしていくのが普通となっている。しかし、これらの機関で蓄積された映像の大半は、写されている対象が明確な標本的な映像、絵葉書のようなものや、映画や放送などのマス・コミュニケーションによる一般解釈コードが付与された映像が大半である。  一方、日常生活の映像は、映像産業によって販促のためのラベリングである「家族アルバム」「ホームムービー」といった用語によって語られ、具体的にその内容を分析することは少ない。こうした研究への批判としてのジェフリー・バッチェンはヴァナキュラー写真論(「スナップ写真 美術史と民族誌的転回」(『写真の理論』月曜社、2017年)として、前近代における民衆的な想像力が近代的なメディアである写真と架橋し、融合することに着目する必要を論じた。しかし、これらの議論においては、写真論として映像一般として議論されることはあっても、こうしたヴァナキュラーなものが現出する、日常生活における地域社会や文化のもつ複雑で錯綜したさまざまな文脈、コミュニケーションのレベルは、必ずしも十分に調査、研究され問われることはなかった。  ロラン・バルトは近代に入り「写す、写される、その映像を見る」、新しい三者の関係(ユニティ)が社会に内挿化されたとする(『明るい部屋』みすず書房、1985年)。 この三者の関係(ユニティ)は、クーリー(『社会組織論』青木書店、1970年)の言うところの社会におけるフェイストゥフェイスを基本とした第一次集団、あるいは、一定の理念や利害関心を共有する第二集団の関係に重ねられ、時に第一次集団と第二次集団とを架橋し、時に各関係をネットワーク化し、蜘蛛の巣のように絡み上げ、これまでとは異なる社会的関係を創り上げ、新たな社会的意味を付与し生成している。日常生活において、映像を現出させる表現する主体たるユニティは、その時その場所の状況に応じて、写すものになったり写されるものになったりしながら、その遊戯的な関係を生み出していく。  残された地域の日常生活の映像をつぶさに見ると、映像はユニティのどこかにプールされ、かたまりごと解釈され分解され、新たに組立直されて再生産することで、地域の文化を生み出していることがみえてくる。そこは、資本主義社会のシステムの成功者である勝者や、その対抗として現れる敗者の物語とは無縁な世界がある。これまで研究対象とされず、削除され忘却されてきた、人びとの生そのものが深い輝きをもってたち現れる場所である。

報告番号52

服装への関心の男女差——多母集団同時分析の適用
法政大学 池田 裕

【1. 目的】本研究の目的は、男性と女性の服装への関心に影響する要因を特定することである。身だしなみを整えることの研究では、男性と女性の比較可能性に関する懸念がある。たとえば、女性用化粧品が男性用化粧品と質的に異なることを考慮すると、女性用化粧品使用の研究が男性を分析から除外するのは少しも不思議でない。そのような研究では、身だしなみを整えることが男女間で比較可能でないと考えられている。他方で、最近の研究の一つは、性別をグループ化変数とする多母集団同時分析を行い、外見管理に対する態度が男女間で十分に比較可能であることを示している。身だしなみを整えることに関して、個人の態度と行動が男女間で比較可能であるかどうかは、依然として重要な経験的問題である。本研究は、性別をグループ化変数とする多母集団同時分析を行い、服装への関心が男女間で十分に比較可能であることを確認したうえで、服装への関心の平均値、分散、独立変数の効果を比較する。特に、本研究は社会的属性の効果に注目する。【2. 方法】分析には、2024年3月に行われた「仕事と身だしなみに関する調査」のデータを使う。この調査は、マイボイスコム株式会社の登録モニターから抽出された20歳から59歳までの人を対象としたインターネット調査である。従属変数は、服装への関心である。独立変数は、年齢、学歴、所得、従業上の地位、会話頻度、BMIである。方法論的には、本研究は性別をグループ化変数とする多母集団同時分析を行う。性別に関しては、回答者が女性であるかどうかを示す二値変数を使う。【3. 結果】服装への関心には部分的強不変性がある。服装への関心の因子が4項目のあいだの相関を説明すると仮定する1因子モデルを使うと、どの項目の因子負荷量にも男女差があるとはいえないし、3項目の切片にも男女差があるとはいえない。これは、測定される関心の意味が男女間で同じであり、測定される関心の平均値が男女間で十分に比較可能であることを示す証拠である。本研究のモデルを使うことによって、服装への関心の男女差に関して、信頼できる結論を出すことができる。第一に、服装への関心の平均値は男性よりも女性で高いが、服装への関心の分散に男女差があるとはいえない。第二に、性別にかかわらず、世帯年収が高い人、会話頻度が高い人、BMIが低い人は、そうでない人よりも服装に関心がある。第三に、男性では年齢が服装への関心と負に関連し、女性では教育年数と無職が服装への関心と正に関連する。【4. 結論】年齢、教育年数、無職の回帰係数には男女差がある。年齢の効果は男性では統計的に有意だが、女性では統計的に有意でない。これは、女性では高齢者が若者と同じ程度に服装に関心があることを示唆する。教育年数の効果は男性では統計的に有意でないが、女性では統計的に有意である。教育年数が長い女性ほど服装に関心があるのは、高い認知能力が外見管理の重要性の理解を深めるからかもしれない。無職の効果は男性では統計的に有意でないが、女性では統計的に有意である。無職の結果として生じる余暇は、女性の服装への関心を高める可能性がある。裏を返せば、女性の正規労働者は服装に関心を持つ余裕がないかもしれない。本研究の結果は、個人が服装に関心を持つには、社会的相互作用の機会だけでなく社会経済的資源も必要であることを示唆する。

報告番号53

中国社会の新左派知識人の言説に関する考察 ——草創期の言説をめぐる
京都大学大学院 張 亮

1.研究背景  21世紀初頭から、ポピュリズムやナショナリズムが欧米社会で台頭し、民族間·国際間の対立や紛争を引き起こし、戦後平和の基盤を脅かしてきた(Wodak 2015, Harris 2021)。一方で、近年、中国社会のナショナリズム化もよく指摘されている(小野寺史郎2023)。動向の原因は、国家による愛国主義的プロパガンダ(江藤2014)と中国の大衆文化の勃興(陳2012)に帰結されるが、「新左派」をはじめとする一部の知識人の動きは見落とされている。  改革開放以降、市場経済体制への移行による格差の拡大に伴い、欧米から輸入された自由主義を批判し、結果の不平等の是正を求めるという、「新左派」と呼ばれる一部の知識人の論調が中国の言説空間において定着し、機会の平等を標榜する自由派との間に激しい論争が展開されてきた(宇野木洋2006)。その後、21世紀に市場体制のもとで中国の高度経済成長の実現により、新左派の主張は立場を失い(公2003)、論壇から退却した。しかし、2010年代から「反西洋中心論」等の議題と、対米·対欧·対日関係においてよりラジカルな外交政策を唱え、ネット空間で再活躍することで、若者層に広く支持されて大きな影響力を与えた。 2.問題意識  なぜ退却した新左派が再び中国の大衆社会に影響を与えたか、また、ナショナリズムの形成に対していかなる役割を果たしたかという問題意識が生じる。その問題意識に基づき、新左派成立初期の言説からそれを解き明かす必要があると考えられる。 3.仮説と研究方法  「新左派」の用語は、1994年に初めて出現した(徐2007)が、それ以前、知識人で影響力を持つ『読書』雑誌への最初の寄稿(1984)から、新左派の言説は存在した。新左派のリーダー、『読書』編集長(1997–2007)の汪暉が1997年に寄稿した記事は新左派と自由派の論戦の口火となった(竟2018)。汪の編集長の就任により、従来は新左派と自由派の論争の場とされた『読書』が次第に新左派の本拠地になったために、新左派は汪によって統合されたといえる。  そのため、仮説として、先に新左派の誕生から変容を「草創期」(1984年の初回寄稿–1997年の論戦の端)とされている。その次に、汪暉・崔之元・甘陽・曠新年・陳燕谷という新左派の5人、及び李慎之・徐友漁・樊綱・茅于軾・劉軍寧という自由派の5人の代表的人物を選び、彼らの『読書』雑誌への寄稿を収集して言説分析を行い、新左派とその対立者でる自由派知識人のそれぞれの主張を把握した後、新左派の言説が定着した過程と自由派の反論を分析する。その上で、特に新左派知識人の言説において潜んでいるナショナリズムの特性に着目していることである。  報告者の修論の研究成果として、すでに1980年代と90年代の中国社会において「西洋中心主義」の興起の歴史的脈絡を明らかにしており、「西洋」に対する認識が論争の議題となった。つまり、自由派知識人は西洋の近代化をモデルにして自由主義的市場経済体制と政治的民主制度を導入すべきだと主張するが、新左派は全般的な西洋化に反対し、独自の路線を探求すべきだと唱えた。修論の結論を加えて、今回の報告はその時代の新左派と自由派知識人のやりとりを全面的に捉えることができる。また、その後の中国における社会的思想の変容をある程度に窺い知れると考えられる。

報告番号54

誰がどのような本を、いつ読むのか——読書志向への文化資本、社会関係資本の影響
関西大学 安田 雪

「誰がどのような本をいつ読むのか」  関西大学社会学部 安田 雪 誰がどのような本を、いつ読むのか。また読書離れの要因は何かを解明する。 読書好きな人と読書嫌いな人を対比し、小学校、中学校、高校時代、大学時代にそれぞれが好む本の共起ネットワークを作成し、その特徴を分析した。 読書の共起ネットワークとは、「●●の本を読む人は△△の本も読む」という、読まれる本どうしのつながりを調査し、可視化したものである。なお、読まれる対象となるデータは日本語の本に限り、洋書は含まれていない。 読書ばなれ、活字離れが進むといわれる現在においても、読書好きは存在し、また読書嫌いも存在する。書店の地理的分布関係も重要な要因である。読書好きな人が読む本と、読書嫌いの人が読む本は明らかに異なっている。なぜ、読書離れが起きるかの理由については、活字が嫌いだからという点があげられる。方法は、社会ネットワーク分析、KH Coderを用いた幸福に関する調査(安田・丁2022, 安田・丁2023)を踏襲し、さらに発展させた。  だが、何故、活字が嫌いかになるのか。この理由を尋ねると、自発的に選書ができない、すなわち、「強制的に本を読まされた」経験が影響していることが明らかになった。活字嫌いと読書嫌いは本質的には異なるが、読書離れが起きる理由には、家庭の文化資本問題があり、身の回りに自然に本があるか否かも大きな影響をもつ。 また、一方で、本人の周囲に「本について話し合う知人、友人、家族がいる」という社会関係資本も、読書好きと読書嫌いをわける大きな要因であることも明らかになった。 それではいかに、本離れ、活字離れを防げるのか。文化資本、社会関係資本による読書への影響を緩和し、より広く知識獲得を子供たちに可能にするための実践活動として、子ども食堂を食開催する群馬県安中市における実践の事例を報告し、読書の共起ネットワークを活用してみる。こども食堂とは湯浅(2019)によれば2012年に名づけられた地域活動である。 参照文献: 安田雪・丁偉偉 (2022) (編) 「コロナをはねかえす地域のつながり力―子こども食堂と商店街の挑戦」 社会システムデザイン実習報告書.2022年度関西大学社会システムデザイン実習. 安田雪・丁偉偉 (2023) (編) 「幸福に関する意識調査について」 社会システムデザイン実習報告書.2023年度関西大学社会学部社会システムデザイン実習. 湯浅誠 (2019) ”こども食堂の過去・未来・現在” 地域福祉研究 No.7,pp.15-27.

報告番号55

食をめぐるオンライン上の言説空間の定量的分析
東京大学大学院 飛松 大騎

【目的】  本報告の目的は,食にまつわるオンライン上の言説空間を探索的に分析し,そこに表出する社会構造と社会学理論との接続可能性を探ることである.食は政治思想,文化的アイデンティティ,倫理規範,美的判断,信仰など多岐にわたる社会的要素と密接に関わっており,それが日々の生活の中で具体的な食選択という形で表現されている.社会学においても,食は注目されており,例えばBourdieu(1979)は社会階層と食生活の関連を指摘している.さらに,食は社会学的に興味深い現象であるだけでなく,グルメレポート,旅行記,レシピブログなどを通じて日常的な言説としても語られやすい特性を持っている.したがって,食に関する言説空間は社会構造を捉えやすいと言える.そこで本研究では,食をめぐるオンライン上の言説を分析し、食に関する社会学的な洞察を得ることを目指す. 【方法】  まず,食に関する言及を含むブログ記事,および記事の投稿者や投稿日時などのメタデータを収集し,大規模なデータセットを構築する.分析枠組みとしては,Chongら(2007)に体系的にまとめたフレーム分析の理論を採用する.フレーム分析の手法は複数提案されているが,その中でもBail(2016)の提案する,構造化トピックモデル(Structural Topic Modeling)を用いた手法を採用する. 【結果】  有機農法,スピリチュアリズム,映像作品,社会貢献活動をはじめとする,様々なトピックがオンライン上の言説空間に登場していることが確認できた.また,これらのトピックは計算可能な形で表現することができ,他の数理手法と接続することで,データセット全体における言説の傾向やパターンをより詳細に分析することが可能となった. 【結論】  食に関する多様な言説が存在することを定量的に示すことができた.また,これらの言説を計算可能な形で表現することに成功し,他の数理手法と接続してより詳細な分析を行うための基盤を整った.これを踏まえ,本報告では,得られた分析結果とその社会学的応用可能性について報告する. 【参考文献】  Bail, Christopher A., 2016, “Cultural Carrying Capacity: Organ Donation Advocacy, Discursive Framing, and Social Media Engagement.” Social Science & Medicine, 165: 280–88.  Bourdieu, Pierre, 1979, La Distinction: Critique Social du Jugement, Minuit.(石井洋二郎訳, 1990,『ディスタンクシオン─社会的判断力批判─』I.II, 藤原書店.)  Chong, Dennis, and James N. Druckman, 2007, “Framing Theory.” Annual Review of Political Science 10(1): 103–26.

報告番号56

分子標的治療の知識と肺がん患者——彼ら彼女らはいかにしてその知識をやりとりしているか
立教大学 齋藤 公子

【背景と目的】  がん医療における分子標的治療とは、がんの発生や進行に直接的な役割を果たすドライバー遺伝子変異に対する薬物治療である。とくに肺がんに対する分子標的治療薬の開発は近年急速に進んでおり、分子標的治療の対象となる遺伝子変異は2023年には9種に上った(日本肺癌学会 2023:108)。  よって治療法選択に臨む肺がん患者は、自身のがんに遺伝子変異があるか、あるとしたらどの種類であるかを知る必要がある。また自身のがんに認められた遺伝子変異に対し、どんな治療薬があるかを知ることも不可欠である。本報告では分子標的治療についてのそうした知識を、肺がん患者たちがいかにしてやりとりしているかを明らかにする。それによって、患者たちはいかにして肺がん医療と向き合っているかを示す。 【方法】  報告者は2016年よりNPO法人肺がん患者の会ワンステップや日本肺がん患者連絡会の活動に参加し、参与観察を行ってきた。またその活動に参加する肺がん患者やその家族にインタビューを実施してきた。本報告ではそれらのフィールドワークで得たデータの一部を検討する。 【結果と考察】  ALK融合遺伝子陽性肺がんと向き合うMさん(50代 女性)は、2012年にⅣ期の診断を受け、自身の肺がんがEGFR遺伝子変異陰性であることを知った。のちにMさんは、ウェブ上で出会った肺がん患者仲間に「ALKはないの?」と尋ねられたことにより、自身の肺がんがALK融合遺伝子陽性であることが、既に判明していたことを知る。  ROS1融合遺伝子陽性肺がんと向き合うAさん(50代 男性)は、2016年にⅢ期の診断を得て手術と抗がん剤治療を受けた。だが2018年には増悪し、不安に駆られたAさんはワンステップで肺がんについて学び始めた。Aさんは、自身の肺がんがEGFR遺伝子変異陰性、ALK融合遺伝子陰性であることを知っていたが、ある勉強会で遺伝子変異はほかにもあるという知識を得て、主治医に他の遺伝子変異についての検査を願い出た。それによりAさんは自身の肺がんがROS1融合遺伝子陽性であることを知った。  一方ワンステップは2023年8月に会のブログで、HER2遺伝子変異陽性肺がんに対する治療薬としてトラスツズマブ デルクステカンが承認されたことを取り上げた。同時にワンステップは、この薬剤の拡大治験に関する情報が同年1月に公開されていたにもかかわらず伝達が遅れたことを謝罪し、患者会としての「責任を果たせなかったことを重く受け止め」ると記した。  Mさん、Aさんの経験からは、患者たちが集まって活動するうちに、分子標的治療についての知識がやりとりされ、自身の肺がんにいかなる遺伝子変異があるかという知識を獲得するきっかけを得る場合があることが分かる。また、ワンステップの発信からは、患者会が、承認前の薬剤による分子標的治療についての知識の伝達を「責任」と認識する場合があることが分かる。  これらの結果から把握できるのは、個々の患者が分子標的治療についての知識を獲得するに至る経緯に医療者の「配慮」が影響している可能性である。その「配慮」により、肺がん患者たちは、ときに分子標的治療についての知識の獲得に困難を経験しつつ、患者集団のなかで知識をやりとりすることによって、自律的に肺がん医療と向き合う。 【文献】 日本肺癌学会編,2023,『患者さんと家族のための肺がんガイドブック2023年版』金原出版.

報告番号57

HPVワクチンの勧奨接種再開をめぐる「boundary work(境界作業)」
産業医科大学 種田 博之

1 目的と分析視点 定期接種A類のHPVワクチンは接種後に起こった有害事象/健康被害の顕在化によって、2013年6月に勧奨接種が一時停止された。その後、約8年の時を経て、2021年11月に解除された。本報告は、厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会――以下、審議会と略記――においてHPVワクチンなどがいかに語られて勧奨接種の再開にいたったのかを、「境界作業(boundary work)」の視点から考察することを目的とする。 境界作業とは科学社会学の知見の一つであり、科学内部で、諸科学間で、あるいは科学と行政などの制度の間で、いかにある事柄の妥当性などの線引き(評価)がなされるのかを捉えるための視点である。審議会は公共政策や科学といった各諸領域の正しい主張が交差する場である。HPVワクチンの勧奨接種再開は、その審議会において当該ワクチン接種のあり方をめぐって様々な主張がせめぎあった結果であると思われる。 2 考察 審議会は、勧奨接種を一時停止した2013年6月以降、ワクチン接種後に起こった有害事象/健康被害の原因を探るべく、動きだした。2014年1月には、有害事象/健康被害の原因として、「機能性身体症状」の可能性を示唆した。2017年4月、疫学調査の結果から、ワクチン接種を受けていない者にも受けた者と同様の多様な症状(有害事象/健康被害)を有する者が一定数存在していることがわかった。その後も、ワクチンと有害事象/健康被害との間に「因果関係を示唆する新しい質の高いエビデンスは報告されていないとし」、機能性身体症状を推した。こうしたことを受けて、審議会の「外」で日本産婦人科学会などの学会が勧奨接種再開を求めるようになった。他方で、審議会の「外」でのもう一つの動きとして、2016年7月、有害事象/健康被害は国と製薬企業を被告として係争化した(弁護団はワクチンを批判している)。いわばワクチン接種の是非ないし勧奨接種再開をめぐって、膠着状況にあった。審議会は再開に向けての出口戦略を探りつつも(HPVワクチンの議論として、有害事象/健康被害の原因ではなく、ワクチンについていかに情報提供するのかに論点が移行している)、なかなか打ちだせなかった。しかしながら、2020年のいわゆるコロナ禍によって、ワクチンをとりまく状況が変化し(その詳細は報告の際に述べる)、2021年11月に再開となった。再開は、まさに境界作業の結果、すなわち科学(疫学)的な正しさによってというよりも、政治(公共政策)などとせめぎあって決められたのである。

報告番号58

トランス医療の診療の場が持つ多義的意味と「専門性」の役割——トランス医療を提供する医療従事者の語りから
東京大学大学院 小西 優実

研究背景: トランスの人々が、医学的な意味での性別移行のために利用する医療(以下、トランス医療)が日本において制度化されたのは1990年代後半であるが、その最初期の研究においては、医学的な「知識」や「常識」のもとで、性別二元制が再生産されることや、それに基づいた医学的実践が行われることが懸念されていた(杉浦 2001a, 2001b)。実際、診断の場がその性別らしさを体現することを要請している(鶴田 2009: 108-125; 吉野 2020)という指摘があった。 一方で、ガイドライン制定から時間が経ち、臨床例の蓄積やそれに伴うガイドライン改訂に伴って、トランス医療はより多様なニーズ、性別違和のありようが想定された形に変化していること(石井 2018: 84-111)が指摘されている。そこで、トランス医療を対象とした2010年代以降の社会学的研究を読み解くと、先行研究の論点はガイドラインレベルおよび臨床現場レベルの実践を通して、診療の場における「性同一性障害」の診断の際に医療者の用いる「正当性」の基準とは具体的にいかなるものかという論点に集中している(例:杉浦 2013; 鶴田 2010a, b)。従ってこれらの先行研究は、医療の「ゲートキーパー」としての判定者という役割による、「価値のある当事者(worthy patients; shuster 2021)」の選別のための判断基準とその帰結に焦点を当てていると理解することができる。しかしながらこうした判断の背景としては、「ゲートキーパー」としての医療者像の遂行としては必ずしも自明しすることはできず、医療者が自らがどのような役割を担っていると考えているかどうかという論点が検討されるべきはずである。しかしながら先行研究においては診療・診断に伴う判断や,それによって生み出されるメカニズム自体については、医療従事者の立場に則して十分な説明がなされていない。 目的・方法: トランス医療の臨床に関わる医療従事者のインタビューデータのテーマ分析を元に、医療従事者たちが、自身の診療プロセスの内実やその意義をどのように価値づけているのかを明らかにする。 結果: 医療従事者たちは、自身の遂行する役割として、医療の提供者や「ゲートキーパー」としての判定者のみならず、医療知識の提供者、およびトランスとして生きるための補助役という複数の側面をあげている。本発表では、それぞれの側面において、医療者の専門性、および医者-患者関係がどのように把握されているかを検証する。

報告番号59

福祉事業所における当事者スタッフ・利用者間の経営的ポジショナリティ——当事者スタッフだった発達障害者のオート・エスノグラフィーを通じて
中央大学大学院/東京大学先端科学技術研究センター社会包摂システム分野 高森 明

(目的) 報告者は2010年代前半に1年間、発達障害者のピアサポート団体が運営していた就労継続支援B型事業所、グループホームに当事者スタッフとして勤務した経験のある発達障害当事者である。当事者であり支援者でもあるという複雑な立ち位置にあった報告者は、在職中に漠然とではあるが、いずれも当事者であるスタッフ・利用者の間に生じる何らかの不可視化された権力・利害関係を認識するに至り、強く葛藤した。本報告においては、報告者自身の経験をデータにして、報告者自身が認識したピアサポート団体が運営する福祉事業所で当事者スタッフと利用者の間に生じる権力・利害関係が何であったのかを明らかにしていきたい。 (方法)  本報告は池田緑の社会学的文脈におけるポジショナリティ(所属する社会的集団や社会的属性がもたらす利害関係にかかわる政治的な位置性)を(所属する社会集団における利害関係に関わる経営的な位置性)と読み替え、分析視覚とした(池,2023,p.1)。方法としては、報告者と同様の葛藤を抱えた支援職経験のある発達障害者と出会うことがなかったため、オート・エスノグラフィーに基づくドキュメント分析を採用した。まず報告者が在職中にSNSのマイページに残した雑感メモを「就労継続B型」、「グループホーム」「障害者福祉」といったキーワードにより検索し、収集した。雑感メモには職業倫理上の理由から、具体的なエピソードは記述していなかったので、雑感メモを読みながら当時のエピソードを想起し、2024年2月7日に『支援職の経験』という回想録を作成し、具体的エピソードを文書化した。分析は、まず雑感メモで在職時にどのような葛藤を経験していたのかを確認しつつ、『支援職の経験』により関連する具体的エピソードを分析するという形で行われた。 (結果)  結論から言えば、報告者が在職時に葛藤していたのは、当事者スタッフ・利用者間に生じた「経営的ポジショナリティ」に由来する権力・利害関係であった。SNSの雑感メモから、は在職時の報告者が当事者スタッフとしての職務として訓練等給付金の請求業務にも関わっていたことが確認できる。しかし、事業所の経営者・当事者スタッフの多くは福祉事業に熱心とは言えず、利用者に支援サービスを提供していないにも関わらず、訓練等給付金を請求していた。また、給付金を維持するために、福祉事業所が利用者の進路変更(就労希望、競合する福祉事業所の利用希望)を妨げるような実践を行っていた。報告者は、事業所における利用者の経営的位置は「給付金を獲得・維持するための手段」であると認識し、自らの経営的位置を「貧困ビジネスの片割れ」と葛藤していた。特に当事者仲間を給付金獲得の手段にすることには強い抵抗感を抱いていたことが確認された。 (結論)  障害当事者による当事者のためのピアサポート的な福祉事業においてこそ、当事者の中でもスタッフと利用者の間には経営的ポジショナリティに基づく権力・利害関係は顕在化してしまうことが明らかにされた。福祉事業所における利用者の経営的ポジショナリティは、差別意識以外の理由で利用者の自由な社会参加の阻害要因となる可能性があるため、今後の分析でも注目していく必要がある。 【主な参考文献】 池田緑,2023,『ポジショナリティ:射程と社会学的系譜』,勁草書房

報告番号60

癒しの技法としてのヨガの有効性——「象徴的リアリティ」と「身体的リアリティ」の関係をめぐる一考察
共愛学園前橋国際大学 栗原 美紀

【研究の目的・背景】  本報告の目的は、ヨガの実践を通じて人々の中に生じる変化の意味について、技の有効性(倉島2007参照)という観点から検討することである。保健医療社会学では、現代に支配的な近代医療の批判的検討を行うと同時に、癒しという概念を用いながら近代医療の周辺で展開される民間療法の実践の様相についても検討してきた(例えば佐藤 2000)。一方で、多様な実践が広がる現代において、人々が特定の技法を選択し身体化させていくプロセスについては、未だ議論の余地が残る。クラインマンによれば、人が癒されるという現象を理解するためには、当事者の生物学的・心理学的リアリティと社会文化的な世界とを結ぶ「象徴的リアリティ」への視点が重要となる(Kleinman 1980=2021)。これを参考にすると、個人の視点から癒しのプロセスを分析するためには、身体への視点が必要である。  そこで本報告では、人が癒されていく動態を捉えるために、従来の癒し研究と身体技法研究とを架橋したい。身体技法研究では、個人の内側で生じる感覚と外側の世界との関係について議論が蓄積されてきた。中でも倉島は、「身体的リアリティ」という言葉を用いて、技の体得によって生じる、身体を基点とした個人の経験的世界の変化を説明している(倉島 2007)。「象徴的リアリティ」と「身体的リアリティ」は異なる研究領域で用いられている概念だが、クラインマンと倉島の議論からは、それらの射程が重なり合っていることが示唆されている。したがって両者を接続することで、癒しの実践の分析枠組みの検討が可能になると考えられる。そこで本報告は、これら2つの概念を接続し、現代における癒しの実践を理論的に検討するための第一段階と位置付け、倉島の議論を参考に技の有効性という観点から、癒しの実践の身体技法的特徴について考察したい。 【研究の方法・考察】  本報告では、ヨガ指導者に対する聞きとり調査の結果を中心分析する。ヨガは現代における癒しの技法として代表的な一例である。報告者は、2017 年より断続的にマレーシアのクアラルンプールとスランゴール州においてヨガの指導・実践に関する調査研究を行ってきた。今回は、ヨガ指導者によって語られた、ヨガの実践による変化の内容を分析対象とし、ヨガの技法としての有効性を検討する。  結果として明らかとなったのは、第一に、指導者たちが語ったヨガ実践に伴う変化は、生物学的・心理学的要素が多いということである。それらの具体的内容は、本人のおかれている状況が異なるゆえに様々であるが、いずれも指導者との相互行為の中で生じていた。第二に、ヨガ指導者たちは実践の継続を通じてヨガの有効性の範囲を広げていく。身体的実践の継続による技法の適応範囲の拡大という論点は、身体技法という視点から癒しのプロセスを捉えるために、今後検討すべき課題となるだろう。 【参考文献】 Kleinman, Arthur, 1980, “Patients and Healers in the Context of Culture: An Exploration of the Borderland between Anthropology, Medicine, and Psychiatry,” Berkeley: University of California Press. (=2021、大橋英寿ほか訳『臨床人類学:文化のなかの病者と治療者』河出書房新社。) 倉島哲、2007『身体技法と社会学的認識』世界思想社。 佐藤純一、2000『文化現象としての癒し:民間医療の現在』メディカ出版。

報告番号61

「調査」は何を可能にしたのか——民生委員制度をめぐる社会調査史
東京大学 堀江 和正

【1.目的】「社会調査」を社会認識の生成プロセスと捉えたとき(佐藤 2011)、その主体は研究者に限られない。本報告では、社会調査の主体としての民生委員に着目する。民生委員制度は厚生労働省(旧厚生省)の委嘱により地域住民が無給で社会福祉に関する相談・援助等にあたる制度である。民生委員の主要な職務には「常に調査を行い、生活状態を審らかにして置くこと」(1948年民生委員法14条)が挙げられており、社会福祉領域において、民生委員は「調査」の主体としての法的位置を与えられていた。民生委員の前身である方面委員の調査活動については、戦前期の貧困調査にかかわる文脈で研究が蓄積されているが、戦後の民生委員の調査活動は焦点化されてこなかった。本報告では、民生委員制度において「調査」の意義と方法がいかに措定され、またその措定のされ方はいかに歴史的に変化したのかを明らかにする。この作業を通じて、福祉国家と「調査」をめぐる論点、および社会調査史への貢献を図る。 【2.方法】民生委員・社会福祉関係者向け刊行物(『社会事業』『月刊福祉』などの福祉専門誌、民生委員向け機関紙の「民生時報」「社会福祉時報」、全社協発行の手引書など)を中心とした資料分析を行う。特に機関紙・手引書は、厚生省・全社協による民生委員への啓蒙媒体としての性質を持っており、民生委員のあり方にかんする公的見解を示すとともに、実際の民生委員の活動にも影響を与えたと考えられる。対象期間は戦後から1980年代までを中心とする。 【3.結果】民生委員に求められた「調査」とは、担当地区の住民の生活状態を地域生活の中で継続的に把握する活動であり、民生委員の主要な職務として一貫してその重要性が強調されていた。地域の実情に明るい住民こそが「調査」の適任者であり、それゆえ民生委員の適任者であるという論理は、福祉専門職でない住民を委嘱するという制度設計の正当性の根拠ともなっていた。日常の「調査」により、住民からの相談に先んじて問題を把握することが、民生委員の理想像であった。他方、現実における民生委員の「調査」の不十分と困難も、繰り返し指摘されていた。「調査」の方法については、おおむね被占領期から1960年代半ばごろまでは、方面委員制度を原型とする、地域における既存の社会関係を活用する方法が推奨されていた。1960年代後半からは、「ねたきり老人」などのテーマを設定した全国一斉調査が民生委員の活動として前景化した。これは従来からの民生委員の日常的な「調査」を活性化しつつ、地域レベル・全国レベルで結果の集計・可視化を図り、ソーシャルアクションにも繋げようとするものだった。また都市化の進行などを背景に、地域における既存の社会関係を活用することよりも、民生委員が新たに地域住民と社会関係を構築していくことの重要性が指摘されるようになった。 【4.結論】民生委員は、理念上は「調査」に適任の主体として想定され、「調査」は民生委員制度のアイデンティティを構成していた。他方、現実の「調査」活動に対しては絶えず課題が示されており、地域社会の変化への適応も含め、方法の模索が続けられた。民生委員制度をめぐって展開された調査論を検討することは、戦後日本の福祉供給体制のなかで民生委員が把握しえた/しえなかった人々の輪郭を読み取ることにもつながる。

報告番号62

ハームの関係的性格に着目したヴァルネラブル調査の反省的分析——「女子依存症回復支援モデル事業」のフィールドワークの中止を事例に
特定非営利活動法人社会理論・動態研究所 平井 秀幸

1. 目的  周縁化され、ヴァルネラブルな位置におかれた人びとを対象とする社会調査(以下、「ヴァルネラブル調査」と表記)は、いかにハームレスとなりうるだろうか。  ケアや支援領域をはじめ、ゲートキーパーを経由したアクセスをほぼ必須の要件とするヴァルネラブル調査は少なくない。加藤・平井(2023)は、そうした調査において「ゲートキーパーがヴァルネラブルの防衛に動機づけられる構造」が強固に存在することを示した。こうした構造の下では、調査者がヴァルネラブルと慎重かつ緊密なコミュニケーションを図りながら調査を進めることが困難となり、結果的にヴァルネラブルに対して様々なハームをもたらしてしまうリスクが生じうる。  本報告では、そうした構造下でのヴァルネラブル調査がよりハームレスとなるための、いわば社会調査のハームリダクションに向けた考察を進めることを目的とする。 2. 方法  報告者らが経験した、トラブルにより中止となったフィールドワーク(FW)を主たる事例とし(加藤・平井 2022)、ハームがいかに同定されていくかのプロセスに着目した経験的な分析を行うとともに、調査上のハームをめぐる調査方法・研究倫理に関する論考等を手がかりに、調査者がハームと向き合うあり方について反省的な考察を行う。  報告者らは、2020年4月より、刑務所(女子施設)において女性に特化した犯罪者処遇プログラムのFWに従事した。プログラムは民間の女性支援NPOが開発したもので、報告者らはそのNPOからの依頼を受けて、刑務所入所中から出所後にかけての受刑者の生活の様子や社会復帰の過程について長期的な追跡調査を計画していた。そこで、まずは調査の前半部分として、刑務所でのFWを開始した。FWは2021年1月まで継続されたが、出所後調査のあり方をめぐってNPO職員から問題指摘が寄せられたことを契機に調査は一時中断され、その後交渉を重ねた結果、2021年5月に調査の大部分の中止が決定した。 3. 結果  ヴァルネラブル調査のすべてがハームフルなものであるとは言えない。それは、中止となった報告者らのFWと同型の調査の中に、必ずしもハームフルとみなされない調査が存在することからも明らかだろう。報告者らのFWにおいても、上述の「ゲートキーパーがヴァルネラブルの防衛に動機づけられる構造」や調査アプローチ、調査倫理に基づく手続き等は調査開始時から変わらずに存在していたにもかかわらず、トラブルが問題化されたのは調査開始後しばらくたってからであり、それがハームとして認識・構成されたのはさらに後になってからであった。 4. 結論  上記のことは、調査におけるハームの産出過程が「関係的なもの」であることを示唆する。社会調査のハームリダクションは、調査倫理の予防的構想とあわせて、こうしたハームの関係的性格に即したかたちで展開される必要があろう。 【主要文献】 加藤 倫子・平井 秀幸,2022,「社会調査はいかに「失敗」に至るのか?──「トラブル」から「中止」に至る調査の過程を開示する──」『札幌学院大学人文学会紀要』111:131-153. —-,2023,「ゲートキーパーは調査者と調査対象者にどのような影響を与えているのか――「女子依存症回復支援モデル事業」のフィールドワークの中止を事例に」第96回日本社会学会大会報告原稿.

報告番号63

グローバリゼーションと「第2の近代」におけるフェミニズムの課題 ——江原由美子著『持続するフェミニズムのために』を参照して
武蔵大学 千田 有紀

1.目的 本報告では、現代のフェミニズムが直面している理論的な課題について検討することを目的とする。その際に江原由美子氏による著作『持続するフェミニズムのために―グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』を参照し、グローバリゼーションと「第二の近代」(ウルリッヒ・ベック)の時代において、フェミニズムが直面している課題について検討する。  江原氏の著作によれば、これまでの第2波フェミニズムは従来の製造業が圧倒的に優位な時代の働き方や家族を前提とし、国民国家単位の福祉を肯定としていたという。そのうえで「第2波フェミニズムは、国民国家単位の経済を前提とした認識上の甘えをもっていたのではないか。『労働力再生産を必須の機能要件とする国家単位の経済』と『近代国民国家の、(近代人権思想・近代平等主義を含む)正義のフレーム』を前提としていたからこそ、国家による労働力再生産機能維持とジェンダー平等の実現を予想したのではないか」(江原2022:204)という疑問を投げかけている。またナンシー・フレイザーによる第2波フェミニズム批判を受けて、フレイザーを批判するとともに、第2波フェミニズムが「ネオリベラリズムによる格差拡大や雇用の流動化に直面しても『文化主義』路線をとり、政治経済的問題に関心を寄せてこなかった」(江原2022:204)ことにも反省的な視点を向けている。 2.方法 本報告では、グローバリゼーションと「第2の近代」において、第2波フェミニズムがどのような意味をもちうるのかについて、江原由美子氏の過去の著作、例えば『ラディカル・フェミニズム再興』(1991年)等における第2波フェミニズムの理論的検討にまで立ち返り、日本における第2波フェミニズムの歴史やありかたについてまず確認する。 3.結果 そのうえで、こうした第2波フェミニズムのありかたの検討を通じて、いまなお私達にもたらされ得る理論的視座を確認し、グローバリゼーションと「第2の近代」におけるフェミニズム理論の課題について再確認する。 4.結論 最終的にはこうしたフェミニズム理論の現代的課題を克服するためには何が必要とされているのかについて検討する。そのなかには、グローバリゼーションや新自由主義などの概念のとらえ返しなどが含まれる。またインターセクショナリティをどのようにとらえるべきなのかについてなど、江原氏の著作を参考としつつ、理論的課題を乗り越える方法について考察する。 参考文献 江原由美子,1991,『ラディカル・フェミニズム再興』勁草書房. 江原由美子,2022, 『持続するフェミニズムのために―グローバリゼーションと「第二の近代」を生き抜く理論へ』,有斐閣.

報告番号64

ケアをめぐる男性の行動と意識の不整合に関する考察 ——欧米諸国における〈葛藤的男性性〉の探究
関西大学 多賀 太

【1.目的】近年の国際的ジェンダー平等政策では,「ケアリング・マスキュリニティ」をキーワードとして,男性のケア行為参加を通したジェンダー平等の促進が目指されているが,そうした効果は限定的との先行研究もある.報告者らは,本報告に先立ち,日本の7歳未満の子どもをもつ父親のデータを用いて,ケアに関わる行為と態度,ジェンダー観,生活の質に関する各指標の相互関係を分析したところ,①〈伝統的タイプ〉(ケア行為の頻度は低くジェンダー観も伝統的),②〈非伝統的タイプ〉(ケア行為の頻度が高くジェンダー観は非伝統的で生活の質も高い)以外に,③〈葛藤的タイプ〉(ケア行為の頻度もケアの態度の程度も高いにもかかわらずジェンダー観が伝統的で生活の質が低い)の存在を確認した(多賀他2023「ケアする男は「男らしい」のか」『家族社会学研究』35(1):7-19).さらに報告者らは,東アジアのデータで同様の分析を行い,ソウル,香港,上海でも〈葛藤的タイプ〉の存在を確認し,このタイプには正規雇用および収入の高い配偶者を持つ男性や若い男性が多いことも明らかにした.では,この〈葛藤的タイプ〉は,欧米諸国にも見られるのか,もし見られるならその属性的特徴も東アジアと共通するのか,そして何が彼らの行動と意識の不整合をもたらすのか.これらの問いの探究が本報告の目的である. 【2.方法】分析には,(公財)笹川平和財団「新しい男性の役割に関する研究会」が実施した「欧米における男性の役割に関する調査」(2019)の男性データ(20~69歳,ベルリン,ローマ,ニューヨーク約1000名ずつ,ノルウェー300名,合計4922名)を使用し,11歳未満の子どもをもつ既婚男性のケースに限定して分析を行った.まず,都市別に,先述の指標を使用したクラスター分析を行い,〈葛藤的タイプ〉の存在の有無を確認した.次に,都市別に,析出されたクラスター種別と諸属性とのクロス集計を行い,〈葛藤的タイプ〉の属性的特徴を明らかにした. 【3.結果】(1) ベルリンでは,東アジアで確認されたのと類似の〈葛藤的タイプ1〉(ケア行為の頻度が高いにもかかわらずジェンダー観が伝統的)と〈葛藤的タイプ2〉(逆に,ケア行為の頻度が低いにもかかわらずジェンダー観は非伝統的)の2群への分化が確認された.(2) ローマでは,ベルリンと類似の〈葛藤的タイプ1〉と〈葛藤的タイプ2〉に加えて,〈非伝統的タイプ〉(各指標で総じて全体平均よりも非伝統的・肯定的)の3群への分化が確認された.(3) ニューヨークでは,〈葛藤的タイプ1〉と〈平均的タイプ〉(全指標でほぼ全体平均に近い)の2群への分化が確認された.(4) ノルウェーでは,特徴的なパターンへの分化は確認されなかった. 【4.結論】東アジアだけでなく欧米でも,ケア行為の頻度が高いにもかかわらずジェンダー観が伝統的な〈葛藤的タイプ1〉の男性の存在が確認された.加えて,ベルリンとローマでは,ケア行為の頻度が低いにもかかわらずジェンダー観が非伝統的な,逆パターンの〈葛藤的タイプ2〉の存在も確認された.当日の報告では,各クラスターの属性的特徴とともに,彼らの行動と意識の不整合を生じさせる社会的背景についても考察を行う. 【謝辞】本研究は,(公財)笹川平和財団から個票データ使用の許可を得ており,JSPS科研費(18H00937, 21K12517)の成果の一部である.

報告番号65

メンズリブ研究に向けて——メンズリブのあゆみをふりかえる
四国学院大学 大山 治彦

【目的】本報告の目的は、1990年代の日本の男性運動の中心であったメンズリブとは、どのような社会運動であったのかを明らかにするために、そのあゆみを、関西の活動を中心にふりかえることである。その際、その前史である、1970年後半から始まった日本の男性運動についてもふれる。 【方法】文献研究、および参与観察で、1980年代後半から現在も継続中である。 【結果】日本の男性運動は、1970年代、マンリブとして誕生した。「男の子育てを考える会」は、1978年4月、東京で発足した。男性運動の元祖というべき存在で、後のグループや活動家に多大な影響をあたえるなど、男性運動の中で、重要な役割を果たしたといえる。「アジアの買売春に反対する男たちの会」は、1988年12月、東京で発足した。①男性のみのグループであったこと、②すべての男性は加害者であると強調したことは、極めて斬新であった。一方、「アジアの買売春に男たちの会・大阪」(1989年7月、大阪で発足)は、男性の加害者性のみに焦点をあてるアプローチに疑問いだき、男らしさによって抑圧され、傷つけられ、苦しんでいるという、自分自身の問題に取り組みたいと考えた。この問題意識がメンズリブの誕生につながった。そして、「メンズリブ研究会」は、1991年4月、大阪で発足した。2か月に1回、大阪と京都と交互で、CR的な例会を開催した。当時は、相互カウンセリングと称していた。例会に参加できるのは、男性のみであった。「メンズセンター」は、1995年10月、大阪で、男性運動の「場」として発足し、日本初の男性センターを、2010年3月まで、大阪市内で運営していた。公的機関と協働して、プロジェクトやイベントなどを実施した。主な活動として、機関誌『メンズネットワーク』の発行、男性運動の全国集会である、「男のフェスティバル」の主催(1996年11月、京都)などがある。「『男』悩みのホットライン」は、1995年11月、大阪で、日本初の男性による男性のための電話相談(男性相談)として発足した。2014年より「全国男性相談研修会」を開催している。そして、2019年11月、一般社団法人日本男性相談フォーラムを設立した。メンズリブの特徴は、①男性の視点を獲得し、それによって、多様な男性問題を発見し、その解決に取り組んだ運動であったこと、②ジェンダーの地平において、フェミニズムと対になりうる、相似した構造を持つ運動であったこと、③ジェンダーの地平において、交差性に自覚的で、それを実践した運動であったこと。④市民運動から市民活動への過渡期の運動であったこと、⑤男性性を、性別役割論的でなく、構築主義的にとらえるようになっていたこと、⑥コーホートやライフ・ステージの違いによって、関心のあるテーマに差異があったこと、⑦SOGIについて、自覚的な動きがみられた運動であったことといえるのでないか。 【今後の課題】今後の研究は、メンズリブ研究の基盤となる、メンズリブ運動に関する資料を発掘、整理、提供し、考察することである。具体的には、①メンズリブ研究会の例会、男のフェスティバル、メンズセンターにおける諸活動などに関する、概要を含む、メンズリブを含む、わが国の男性運動の年表の作成、②ポスターやチラシ、ビラ、ニュースレター、報告書などのグレー・リタラチャーの収集、保存、③メンズリブ関係者への聞き取り調査などである。

報告番号66

脱植民地運動に携わる沖縄出身「本土」在住女性の生活史——フェミニスト・インタビューという試み
九州大学 里村 和歌子

【目的】  0.6%の国土面積の沖縄県に70%もの米軍専用施設が偏在する状況は不公平であり差別であるため、「本土」に沖縄の米軍基地を引き取るべきだと訴える社会運動が2015年以降全国に広がっている。本報告は、沖縄出身者としてこの運動に携わる「本土」在住女性Aさんに焦点を当て、今は亡き1923年生まれのAさんの母親の人生を回想することで沖縄の戦後ジェンダー史と社会的状況、そしてAさんの社会運動への動機をフェミニストインタビューによって探る試みである。目的は、構造的沖縄差別(新崎 1996)と指摘される沖縄を犠牲にして成り立つ戦後日本の社会構造を一人の女性とその母親の人生から描くことである。 【方法】  浦添市B字誌に掲載されているAさんの母親のインタビュ―記録は、沖縄国際大学名誉教授の石原昌家さんとその学生によって聞き取られたインタビューだった。これは1979年代の県史をはじまりとして、県史に関わった石原さんと学生たちが浦添市の全集落で全戸調査を開始し、住民証言の地域史として残ったもののひとつである。  質的フェミニストインタビューは研究者と被調査者の非対称性を反省的にとらえなおす試みとしてその方法論が議論されているが(Herron 2022; Oakley 1998)、本報告でもその手法を採り込みながら、日本社会学においても沖縄を対象として行われてきた生活史インタビューを批判的に継承していく。 【結論】  Aさんへのインタビューによると、Aさんの母親は子どもたちを顧みず仕事を続けてきた母親を憎む気持ちが強かったとふり返っている。そして自らの戦争体験をほとんど子どもたちに伝えたことがなかったという。しかしB字誌には戦時中と戦後に経験した生々しいインタビュー記録が掲載されており、それらに触れることを通し、Aさんの母親のとらえ方に何かしらの変化が起きるのではないかと予想している(この執筆を行っている後、発表の前にもう一度Aさんへのインタビューを行う予定である)。  これまで社会運動に携わる沖縄の女性たちをあつかった先行研究では、フェミニズムと平和運動が結びつけられる傾向にあった(秋林 2012; 阿部 2022)。一方、一部の沖縄の女性たちから、基地を押しつける側の「本土」の女性の立場性についての異議申し立てもなされてきた(知念 2013; 親川 2022)。このような議論を踏まえると、AさんとAさん母親の歴史は、「本土」出身者である報告者がいかに語ることができるのかという大きな問いが残る。しかし、脱植民地運動に携わることで「自分の琉球視点が大きく変わり」、「いまが自らの人生の集大成である」と語る70代のAさんの語り、そしてAさんを通した母親の人生を聞き届けることで、沖縄と日本の構造的差別をあぶり出していく。

報告番号67

女性表象に見る広告表現の変遷——1980年~2019年の『コピー年鑑』を手がかりに
立教大学大学院 森 亜由葉

女性は、広告のなかでどのように描かれてきたのか。女性表象によって、社会的な性別役割の認識はどのように広がり、かつ強化されるのか。本研究は、社会学の手法によって広告のなかの女性表象を分析可能な対象と設定することで、女性表象の意味の形成と変容について明らかにすることを目的とする。 広告は、キャッチコピー・ボディコピーというバーバルと、写真やイラストなどのノンバーバルで構成される。よって、方法論は前者を言説分析、後者を表象分析を採用する。本研究において準拠可能な分析視覚には、赤川(1999)による言説分析およびゴフマン(1979)と上野(1981)による表象分析を挙げる。先行研究には、個別の女性表象の分析や、受け手にもたらすジェンダーの再構成を指摘した研究がある。しかし、女性表象の変遷について分析されたものはない。また、ゴフマン(1979)の方法論を批判・再検討した表象分析は、上野(1981)以来空白である。  対象文献は、東京コピーライターズクラブが1963年から年に一度発行する『コピー年鑑』に掲載された広告である。掲載基準は会員の投票で選出される審査員の投票によって決定される。審査員は広告の送り手だという制約はあるが、一定の代表制があるといえる。本研究が対象とする期間に発行された40冊の『コピー年鑑』に掲載される広告作品の総数は28,516である。この中から女性または女性のボディの一部の写真またはイラスト(上野1981)を用いた広告を分析対象とする。言説分析と表象分析を採用する理由は、広告において「コピーをビジュアル表象が強化しているか」、「コピーをビジュアル表象が緩和しているか」、あるいは逆説の関係にあるかという両側面から分析を行なうためである。  本研究では、ゴフマン(1979)による6項目71分類およびゴフマンを修正補足した上野(1981)による5項目24分類を援用し、分析を行なったうえで項目の批判的検討を行なう。 現在までの研究過程において、明らかになったのは以下の点である。1980~90年代においては「function ranking – male avoiding a female task/役割のランク―性役割」(ゴフマン1979・上野1981)が最多であり、2000年代にかけて「the ritualization of subordination – lying/服従儀礼―横たわる」(ゴフマン1979・上野1981)が最多となる。2010年代には「the family – one parent family/家族―母と子」(ゴフマン1979・上野1981)が最多となる。現段階では、表象分析の過程にあるが、今後は言説分析もあわせて行なうことで、言説の変容過程にも取り組んでいきたい。

報告番号68

初期ストリップショーにおける「わいせつ」取り締まりをめぐる言説分析
東京工業大学 環境・社会理工学院 泉 沙織

1947年に「額縁ショウ」として始まって以来、ストリップは現在に至るまで繰り返し摘発の対象となってきた。他の性的な表象と同様に、「芸術」か「わいせつ」かという二項対立はときに裁判の争点となり(小倉 2022)、特に初期においてはこうした議論がメディアで活発に交わされた。演劇学の分野では、戦前からレヴューの上演を通して身体の西洋近代化を目指した興行師たちが、戦後に導入したストリップが次第に猥雑になっていくなかでGHQの介入により倫理規定を設け、ストリップを「バーレスク」として上演し戦前の西洋近代化への回帰を図ったこと、その後脱衣して焦らすストリップティーズのない「ヌード」を打ち出して日劇ミュージック・ホールを新設したこと、いずれも身体美を必要としたことが明らかにされている(垣沼 2024)。また、当時の一部の踊り子は、ストリップにおいて「芸」を重んじ「芸術」を志向することで観客に客体化されるなかで自らを「主体」として位置づけたと指摘されているが(泉 2022)、「わいせつ」性、ひいては権力との関係において踊り子の「主体」がいかなるものであったのかは検討されていない。【目的】本研究の目的は、ストリッパー/踊り子が警察によって「わいせつ」であるとして取り締まられると同時に、興行師たちの言説戦略に絡めとられ、男性観客というまなざしの権力にも置かれたなかで、いかなる言説実践によって権力との関係において自己を呈示していたのかを明らかにすることである。【方法】1947 年からストリップのブームが一度下火になった1955年ごろまでを中心に新聞・雑誌記事を収集し、劇場関係者・知識人・踊り子の言説分析を行う。適宜、引退以後の踊り子の言説にも着目する。【結果】初期ストリップにおいて、劇場関係者も踊り子も規定に従い、全裸や局部の露出は「わいせつ」と解釈したが、それ以外の部分においては曖昧な見解を有していた。「わいせつ」が悪であることが自明視された一方で、ストリップにおける「エロ」や「エロティシズム」は肯定された。踊り子や知識人の言説では、「エロ」・「エロティシズム」は流動的な概念として提示され、体の美しさに加えて、「芸」によって「低俗」/「上品」、「わいせつ」/「色気」へと変化するものであるとされた。先行研究でも指摘されているとおり、日劇ミュージック・ホールの設立にあたっては、興行師側は動きのあるストリップを「わいせつ」と定義したが、扇で身体を隠して踊るファン・ダンスの名手ヒロセ元美は、日劇ミュージック・ホールに転向し引退して以後も、自身のストリップティーズの「芸」によって警察を欺いたかつての経験を誇り続けた。【結論】初期ストリップにおいては、身体美のみならず、ストリップを「芸術」へと昇華させるための要素である「芸」が「わいせつ」と「非-わいせつ」を線引きすることになる。初期ストリップにおいて「わいせつ」と「芸術」は対極にあるというよりも、「エロティシズム」と「芸」を媒介として地続きであった。興行師の言説戦略に反して、警察に取り締られた経験、すなわち「わいせつ」であるとされた経験を繰り返し誇った踊り子の言説実践の一例は、J.バトラーが「主体化=服従化」の議論において提示したような、「権力の範囲を超出する」(バトラー1997=2019)主体の行為能力(agency)が見出せる好例であるといえるだろう。

報告番号69

月経の経験を語る——シンボリック相互行為論の視点から見る
東北大学大学院 張 羽欣

【1. 目的】  沈黙が月経の歴史を覆い隠している。月経に関する支配的な言説は「話すな」「語るな」というように、月経は女性が隠し、決して口にしないように教えられる経験となる。このように、月経は女性において普遍的に経験されていることでありながら、一方、公的な場面で言及することがしばしば忌避され、いわゆる「公然の秘密」として存在している。この観点からすれば、女性自身の語りの重要性が浮上する。本研究では、シンボリック相互行為論の視点から、インタビューを通して、月経の経験を言語化し可視化することによって、女性たちはどんな経験を持ち、相互行為の諸場面においてそれはどのように解釈し再解釈しているのか、またいかに語りうるのか、さらに月経に伴うシェイミングおよびスティグマがいかに生じたのかを明らかにした上、月経の経験を言語化することの意義を探ることを目的とする。 【2. 方法】  本研究では質的研究法による。具体的には、「月経イメージ」に関するインターネット質問紙調査への参加者の中から、インタビュー調査に協力することができる女性に、改めて筆者の課題関心を開示したうえで、個別に連絡を取っていった。結果、計八名の協力を得ることができ、2023年9月から11月にかけて、オンラインで個別に一時間半を目安としたインタビューを実施した。 【3. 結果】  インタビューから見ると、月経を語る場合、まずは「月経」という言葉自体の語りづらさに直面している。月経に関する婉曲表現が生まれ続けている中、それは恥ずかしくて、公的に語ることができないことと解釈され、女性は暗黙のうちに「月経」という言葉を避け、女性同士の間においても月経の話題を避けることになる。また、月経に伴うシェイミングは、相互行為のなかから生じている。行為者たちは、自分の行動を管理する必要があると共に、常にジェンダー含意に従ってお互いの行動を監視し評価している。月経の場合、言語上では言及してはいけない、身体上では他人(特に男性)に発見してはいけないように行動することが期待され、それに逸脱する時、状況に応じて「説明」が求められる以上に、直ちに嘲笑と非難をもたらす可能性が高い。さらに、女性たちは月経のシェイミングとスティグマを「男性中心主義」と解釈していた。というのも、男性の方が、月経を性および性行為に関連するものとしているからである。 【4. 結論】  月経は女性にとって日常的な経験であるにもかかわらず、月経に対する認識は自然なものでも固有のものでもない。実際、月経をめぐる否定的な見方やスティグマは、女性や女性の身体が男性の身体よりも劣っていると見なされる社会的背景の中で生まれた文化的産物である。月経に対する無知と不可視性は、経血と月経中の女性に対する蔑視と嫌悪を発展させるための肥沃な土壌を作り出している。このような背景において、月経の経験を語ることは決して容易ではない。したがって、今まで月経についての沈黙していた現状を破ること、自分の経験を語る意義は、まさに語ることそれ自体にある。とはいえ、月経の経験の語りから見れば、月経のシェイミングとスティグマが、女性の行為を制限しているとしても、彼女らは規範に従うばかりではない。相互行為において、遂行することもあれば、葛藤や交渉をすることも可能である。

報告番号70

移民女性の向老期とソーシャルウェルビーイングの課題と要因——日本と韓国の農村地域に住むフィリピン人を中心に
東洋大学 ズルエタ ズルエタ

日本と韓国の少子高齢化問題が急速に進んでいることが否定できない。これに関して、両国の政府が様々な制度的な方法や法律を実施している。高齢化は、先進国の問題と言われ、この現象を解決するために「移民」を受け入れる政策を多くの国が検討している。近年、高技能労働者を、滞在の長期化を前提としない短期間の循環型労働者として、外国人を受け入れている。しかし、ホスト社会における外国人・外国人労働者の多くはその滞在が長期化し、当初は予想しなかった新たな生活を送っている。さらに、近年では国民と同じように、彼ら・彼女らの高齢化が顕著になっている。  本発表では、日本と韓国の農村地域における女性移民を対象とし、50 代と60代女性に焦点を当てる。また、本研究では50代から60代を位置づけ、「向老期」と定義する。これらの女性の多くのが、80年代後半から90年代まで「結婚移民」として日本と韓国に移住してきた。本発表は、農村地域におけるフィリピン人女性の事例を取り上げ、フェミニストとトランスナショナルな視点から、向老期(エイジング)、移民とソーシャルウェルビーイングを分析する。また、本発表では、これらの女性の向老期の経験を考察し、両国に住んでいる向老期に位置付けている人々として、どのような生活を送るのかを述べる。それに伴う、彼女らのソーシャルウェルビーイングへの意識を探求する。ソーシャルウェルビーイングの社会的・文化的要因に注目を当て、彼女らが自らの高齢化の経験をどのように理解するかを明らかにする。  そこで、データとして、2021年10月から2024年7月に日本の新潟県、山形県、秋田県で断続的に行なった聞き取り調査を分析する。2021年10月から12月末に散発的に新潟県長岡市と山形県新庄市で現地調査を行い、2022年5月、6月、9月に新潟県と秋田県秋田市で現地調査を行なった。本研究は継続中のため、本発表は2024年9月までのフォローアップ調査からのデータも含む。また、2023年8月から9月に韓国の忠淸南道(Chungcheongnam-do)と全羅北道(Jeollabuk-do)で行われた聞き取り調査も分析する。今まで分析した研究結果は下記の議論を上げられる。移民の向老期の経験はジェンダー化され、自らが持つ文化的・社会的資本に絡み合っている。これに関連し、移民のソーシャルウェルビーイングには、主観的な要因と他に、社会的ネットワーク、言語・コミュニケーション、在留資格、精神性と宗教、家族の有無も大事な要因である。これからは、日本と韓国における移民の高齢化が進み、向老期に位置付けている移民に注目することが必要である。

報告番号71

LGBTの権利はなぜ発展するのか?
京都大学大学院 松井 樹丸

【1.目的】本報告では、各国におけるpro-LGBTな政策の導入を進めてきた要因は何か、という問いについて考察する。過去数十年のうちに、様々な国でLGBTの権利が拡大してきた。その背景として、多くの社会で性的マイノリティへの態度が寛容になってきたということも知られている。しかし、リベラルな政策の導入にはかなりの地域差があり、また必ずしも世論の寛容さと政策の寛容さが強く結びついているわけではない。例えば、中南米や東欧には、世論が同性愛に対してあまり寛容でないのに同性婚が認められてきた国々もある。対照的に、日本の世論は同性愛に対してかなり寛容だが、政策面での進歩は乏しい。本報告では、こうした各国間のLGBT政策の差異をもたらした要因について分析する。【2.方法】被説明変数として、先行研究を参考にしながら、1991年から2022年の期間における各国の「LGBT政策スコア」を作成した。これは、International Lesbian and Gay Associationが出しているレポートを参照し、各国がそれぞれの時点でLGBTに関する12個の重要な項目(同性婚を認めているか、同性愛を認めているか、ジェンダーの変更を認めているかどうか、など)に関してどのような政策をとっているかをスコア化したものだ。説明変数としては、同性愛に対する各国の世論(世界価値観調査より)、民主制や法の支配の強さ、リベラル/非リベラルな国際政府間組織や国際非政府組織のネットワークへの所属、基本的な人権条約へのサインの状況、などを用いた。これらの変数を用いて、縦断型マルチレベル分析を行った。【3.結果】世論がより同性愛に寛容になることとpro-LGBTな政策の導入とは、もちろん強い関係があった。しかし、世論が同性愛に寛容でないにも関わらずLGBT政策スコアが大きく伸びてきたような国々もあった(ハンガリー、コロンビアなど)。国際政府間組織への所属はかなり影響力があり、とりわけ東欧諸国においてはEUに加盟を目指すという政府の方針が、pro-LGBTな政策の(世論に反した)急速な導入を促進したことが示唆された。国際非政府組織のネットワークも強い影響があったが、人権条約の影響力は見られなかった。総じて、西欧諸国のように市民社会が比較的リベラルな国々では、LGBTに対する寛容な世論と安定した民主制がそのまま政策の充実につながった。世論が同性愛に不寛容な国々の場合、法の支配(裁判所の独立性)の強さやリベラルな国際ネットワークとのつながりの強さがpro-LGBTな政策の導入に貢献したと言える。【4.結論】各国におけるpro-LGBTな政策の導入を促進してきた諸要素として、国内世論の寛容さだけでなく、法の支配や国際ネットワークといったものもあることが分かった。ただし、ここではまだグローバルな概観を提示しただけであり、具体的にそれぞれの国での政策の発展や停滞をもたらした要因が何かについては、より詳しく調べなければならない。例えば、日本での政策の発展が遅れていることについてはまだ十分に説明できていない。したがって、本報告の内容は、地域ごと・各国ごとの具体的な諸政策の進展に焦点を当てた歴史社会学的研究によって補完される必要がある。報告者自身も今後そうした研究に取り組むつもりだ。

報告番号72

The Role and Status of Female Cadres during the founding period of the PRC
京都大学大学院 許 逸菲

The Chinese Communist Party (CCP), established in 1921, was initially a predominantly male organization. Although the establishment of the People’s Republic of China (PRC) in 1949 introduced numerous laws emphasizing gender equality, deeply entrenched gender divisions in labor, educational status, and political participation could not be changed overnight. The All-China Women’s Federation (ACWF), founded in 1949 as the leading organization for the Chinese women’s liberation movement, played a pivotal role in this transition. Many leaders of the ACWF were also CCP cadres who exercised their leadership while striving to cultivate more female cadres. Starting in 1949, the ACWF established female cadre training schools across the country and utilized magazines such as “Women of China”, along with books like “How We Became the Directors of Agricultural Co-operatives” to shape the image of the “female cadre”, encouraging more women to become leaders. This study focuses on the teaching materials from female cadre training institutions, as well as magazines and books published by the ACWF, to analyze the discourse surrounding “female cadre” and examine their role and status during the founding period of the PRC. It seeks to answer the following questions: Why did the ACWF dedicate itself to cultivating female cadres? What roles were female cadres expected to play? What did this reflect about the contemporary ideology of women’s liberation? Did the existence of female cadres challenge the male domination in China’s politics? The analysis reveals that although the CCP publicly supported women’s political participation and decision-making on multiple occasions, long-standing prejudices against women made the appointment of female cadres very difficult. The ACWF dedicated itself to cultivating female cadres for two main reasons: firstly, the existence of female cadres had a significant impact, breaking the feudal idea that women were inferior to men; secondly, to ensure that women could truly participate in politics and have more say, thereby gaining more rights for women. To gain widespread acceptance for the appointment of female cadres, the ACWF first positioned them as exemplary models for “promoting women’s participation in labor.” During the early years of the PRC, economic recovery required a large female workforce, and in this process, the ACWF repeatedly emphasized the role of female cadres as models for other women. Additionally, the ACWF advocated that the promotion of laws and policies closely related to women, such as the Marriage Law, maternal and child health, and early childhood education, required the strength of women, thus illustrating the necessity of female cadres in the judiciary, medical, and educational fields. In this process, we can see that the ACWF actively negotiated with the male dominated CCP leadership during this critical period, laying the groundwork in education and public opinion for women’s entry into “male domains”. This reflects the ACWF’s belief that women’s liberation could only be achieved by women themselves. While it did challenge traditional gender norms to some extent, the appointment of female cadres was limited to fields related to “helping women” and did not significantly alter the male-dominated political structure of the CCP.

報告番号73

1990年代少女マンガは少女読者からどのように読まれ,解釈されたか——女性たちが今振り返る,少女マンガの恋愛物語
跡見学園女子大学 西原 麻里

1.目的 本発表は,1990年代の小学生向け少女マンガ雑誌『りぼん』(集英社)と『なかよし』(講談社)を中心に,当時リアルタイムで読んでいた読者たちが雑誌に掲載された恋愛物語をどのように解釈していたかを考察するものである.そのために,90年代当時に実際に『りぼん』や『なかよし』を読んでおり,現在30代後半となった女性たちに対してインタビュー調査をおこなう.恋愛物語に対する解釈のあり様や現在の視点から振り返ったさいの語りを分析することにより,少女主人公の恋愛(異性愛)が成就することが前提の少女マンガ作品において,インタビュイーたちが小学生だった90年代当時は恋愛物語の何を好んで読んでいたか,そして現在の視点から何が問題化されるかを考える. 2.方法と考察  『りぼん』と『なかよし』はともに1955年に創刊し,こんにちまで続く小学生向けの少女マンガ雑誌である.両雑誌は90年代に発行部数が最大となり,数々の有名作品が世に送り出された.展覧会企画などが続々となされていることからも,この当時に発表された作品は現在でも人気を誇っていると考えられる.  少女マンガは恋愛(異性愛)が中心的なモチーフだが,小学生向けである『りぼん』『なかよし』も例外ではない.90年代に発表された両雑誌における人気作品の特徴と傾向を調査したところ(西原 2023a),どちらもほとんどの作品において恋愛(異性愛)が描かれていた.しかし,恋愛や異性との関係の描かれ方や物語の傾向に違いがみられる.『りぼん』では恋愛(異性愛)が主題となることがほとんどで,異性である少年との恋愛が成就しカップルとなるまでのさまざまな出来事が描かれる.一方で『なかよし』でも恋愛(異性愛)は描かれるものの,それ自体が主のテーマとなるというよりも,少女主人公と同性の仲間との友情が展開する傾向にある(西原 2023b).  では,当時リアルタイムで雑誌に接し『りぼん』『なかよし』の最盛期を支えていた読者たちは,作品に描かれる恋愛(異性愛)と友愛のストーリーをどのように捉え,楽しんでいたのだろうか.そして大人になりさまざまなライフイベントを経験し,さらにジェンダーの規範や婚姻等に関する社会的問題にも直面した「今」振り返ると,物語中の恋愛(異性愛)や友愛,ジェンダーの規範はどのように解釈できるだろうか.個別の物語内容に目を向ければ,1990年代の少女マンガでは恋愛(異性愛)の描かれ方がさらに異なることと考えられる.  この発表では当時読んでいた作品の印象や読書経験をインタビュイーに振り返ってもらい,90年代の少女マンガ作品に対する解釈のあり様を報告する.対象者は30代後半の女性で,小学生から中学生のときに『りぼん』『なかよし』を愛読していたという者である.小学生向け少女マンガ作品における恋愛(異性愛)とジェンダー規範の問題について,読書経験の解釈からアプローチする. [文献] 西原麻里,2023a,「少女マンガ雑誌『りぼん』『なかよし』の調査:1990年代における人気作の特徴と傾向」『名古屋短期大学研究紀要』(61):139-146. 西原麻里,2023b,「1990年代少女マンガにおける少女同士の友愛関係:『なかよし』と『りぼん』の分析から」『人間学研究』(21):53-62. 本研究は、JSPS科研費(21K02304)の助成を受けたものである.

報告番号74

マルチレイシャルファミリーが直面する差別と子育て世帯の排外意識
東京大学 百瀬 由璃絵

米国では異人種間の結婚が増加し、日本でも国際結婚が増加している。そのため、多人種(multiracial)または多民族(multiethnic)の子ども達や若者、家族形成に関して理解することの重要性が増している。しかし、日本国籍の両親と外国籍の両親を持つ人々の実態はいまだ統計的に捉えられていない。そのほとんどが歴史的研究かインタービュー調査などの質的研究にとどまっている。本研究では、第1に、マルチレイシャルファミリーが直面している差別を定量的に明らかにした。まず、日本国籍者と結婚した外国籍者が、外国籍者同士の夫婦と比べて差別を認識しているのかを比較した。その際には、子どもの有無により、差別に対する認識が異なるのかを検討した。次に、子育て世帯に限定し、日本国籍者と結婚した外国籍者が、外国籍者同士の夫婦と比べて、自分たちの子どもが学校でいじめを受けていると認識しているのか否かを明らかにした。分析には、サーベイリサーチセンターの「在留外国人に関する調査(2020年、2022年、2023年)」を用いた。その結果、日本国籍者と結婚した外国籍者で子どもがいる場合は、一般的な差別だけでなく労働差別を受けたと認識している傾向にあった。一方で、このグループは、自分の子どもが学校でいじめを受けていると認識している傾向はみられなかった。第2に、本研究では、日本国籍者と結婚した外国籍者が差別を受けやすい場合、その状況をより理解するために、どのような属性の人々が在留外国人の増加に反対しやすいのかを明らかにした。特に、マルチレイシャルファミリーと接する可能性が高い、子育て世帯の排外意識を確認した。分析には、東京大学社会科学研究所の「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査(JLPS)2007-2021年(wave 1-15)」を用いた。その結果、女性や教育年数が短い場合に、外国人の定住に反対する傾向が見られた。これらの結果を考察すると、第1に、日本国籍者と結婚した外国籍者で子どもがいるマルチレイシャルファミリーは、外国籍者同士の夫婦よりも、日本国籍者が多い地域や環境で生活していることが考えられた。特に、日本の子育て世帯において女性や教育年数が短いことが排外意識と関係していることを踏まえると、マルチレイシャルファミリーは外国人に不信感があるグループとより接しやすい居住環境や労働環境にいるのかもしれない。そのため、日本社会に通底する「日本人」と「外国人」とを強力に区分しようとする二分法の力学が影響して、差別を受けやすいことが示唆された。第2に、日本国籍者と結婚した外国籍者には女性が多い。日本ではジェンダーギャップが大きな問題になっているように、マルチレイシャルファミリーは、「外国人」に対する差別と「女性」であることでの差別の二重の差別を受けている可能性がある。これはインターセクショナリティと関連する問題であり、マルチレイシャルファミリーも交差な経験により困難を抱えている可能性が考えられる。

報告番号75

フランスにおけるムスリム移民第2世代の宗教アイデンティティ——イスラモフォビアが広がる社会における宗教実践と生きづらさ
東洋大学 村上 一基

【1.目的】  フランスにおいて、若者の間に広まるイスラーム過激派思想が大きな社会問題のひとつとなって久しい。そのなかで移民第2世代に対しては「テロリスト予備軍」といった否定的なイメージを付与されるなど、イスラームに対する恐怖心や警戒心、さらには第2世代に対する否定的まなざしが年々強まっている。本報告では、このような社会におけるイスラモフォビアのさらなる広がりが、第2世代のアイデンティティ、とりわけ宗教上のアイデンティティにどのような影響を与えたのか、を明らかにする。とりわけ過激化の原因を明らかにするのではなく、「過激化していない」、日常的に宗教を実践するムスリムの若者のフランス社会での経験に焦点をあて、排外主義が広がるなかで社会にどのような帰属意識を持つのかを明らかにしたい。 【2.方法】  本報告では、2017年からパリ郊外の移民の多く住む3つの団地で実施した調査結果を用いる。調査は団地に住むムスリム移民第2世代を中心に、移民第1世代、地域で活動する市民団体、自治体職員などに対してインタビュー調査を行った。 【3.結果】  フランスではイスラームの過激化についての研究が盛んに行われてきたが、その一方で、社会学者の知見に対してはさまざまな批判がなされてきた。近年では2020年10月の中学校教員殺害事件後に、ブランケール国民教育大臣(当時)が「大学にはイスラーム左派(islamo-gauchisme)が流行している」と発言し、それが大きな論争をもたらした。さらに、「共和国原理尊重強化法案」(通称:反分離主義法案) をめぐる政策論争がなされたり、2023年9月には全身覆う「アバヤ」の着用を公立学校で禁止することを教育大臣が表明したりと、イスラームに対する排外主義的なまなざしが社会のみならず、政治や学術界でも強まっており、さまざまな形での「規制」が行われるようになっている。  それに対して、ムスリム移民第2世代は自分たちに対する否定的なまなざしが社会全体に広がっていることによる生きづらさを感じる一方で、日常的な実践を変えることはなく、社会からのまなざしが宗教実践を阻むものではないと感じていた。だが、差別の問題などからフランスで生きづらさを感じる人びとのなかには、他の国に移住する希望などを持つなど、自分たちの育ったフランス社会に帰属意識をもてない人びとも多く見られた。  また自治体や市民団体等のアクターはイスラームについて、重要なテーマであると同時にアプローチの難しい問題だと捉えていた。だが、当事者のなかには、むしろこうした話題をタブーにするのではなく、自分たちのことを理解してもらいたいと考えいる人もおり、認識の違いやズレみられ「対話」の機会が生まれにくくもなっていた。 【4.結論】  新型コロナウィルス感染症は調査対象地域に強く影響を及ぼし、健康問題のみならず、経済的状況や子どもの教育条件などを悪化させ、さらにインフレーションの影響なども加わり、社会的な困難が強まった。地域では文化や宗教よりも社会・経済的な困難が喫緊の課題として認識されるようになっていた。こうしたなか、センセーショナルに取りあげられることはなくとも、社会のなかでイスラームは常に問題とされ続けると同時に、ムスリムの間でも社会のなかでの生きづらさが深く刻まれていた。

報告番号76

難民になるということ——帰属の不確かさと責任主体の不在
千葉大学大学院 小川 玲子

越境する人々に対する分類として用いられている「移民」と「難民」という2つのカテゴリーはこれまで二項対立的に構築されており、研究においても異なる学問体系の中で発展してきた。移民研究は経済動機に基づき自発的に移動する人を対象とし、難民研究は政治的動機に基づき強制的に移動した人々を対象としてきた。移民と難民を二項対立的にとらえる思考は国際機関によっても広く実践されており、移民と難民は本質的に異なる存在であることが強調されてきた。しかし、移動の動機は「完全に自発的」でも「完全に強制的」でもなく、多くの国際移動は<自発-強制>の連続体の中に位置づけられることが指摘されている(Hamlin, 2021)。難民保護のみを強調することは、基本的人権が保障されないために移動を余儀なくされてきた多くの人々の存在を見えなくさせている(Betts, 2013)。 2021年にアフガニスタンで起きたイスラム主義勢力タリバーンによる政変以降、1000名以上のアフガニスタン人が来日しているが、難民認定されたのは2022年の難民認定者202名のうち147名、2023年の難民認定者303名のうちの237名に過ぎない。アフガニスタンからの退避者は全員が政変の影響を受けているものの、多くは就労や就学の在留資格を持つ。本研究では、アフガニスタン人が日本で移民や難民になるまでを①故郷喪失、②国境管理、③定着の課題の3点から論じる。研究方法は、2022年と2023年に行ったオンラインによるアンケート調査及び退避者17名に対する聞き取り調査 (Ogawa et al., 2024)であり、日常的に行ってきた直接支援を通じて得られた実践も参考にする。 アフガニスタンの退避者は移民であれ難民であれ、全員が日本とつながりがある人たちである。しかし、日本語教育の期間が短いため、多くは学歴や職歴と関係のない不安定で低賃金の仕事に従事せざるを得ない。困窮した家計を支えるためにハイティーンの子どもたちも就労しなければならず、貧困と低学歴の連鎖が生じている。「安心・安全」な日本に退避しても将来の生活の展望が見えず、不確かな帰属と受け入れの責任主体の不在の中でもがいている状況である。日本では難民認定率が諸外国に比して極端に低いことに加え、1970年代のインドシナ難民以降、集団で定着した難民がいないことから難民支援制度は不十分なままである。 これまでの日本の難民研究は、国際人権法など法学的観点からの研究や海外の研究が多く、日本で暮らす難民に対する包括的な研究は未だ途上である(久保他、2020)。理論と実践をつなぎ、移民も難民もともに遭遇する社会統合の課題を注視し、当事者が発信を行う機会を提供していくことが求められている。 参考文献: 久保忠行他、2020「序論難民研究の意義と展望」『難民研究ジャーナル』10:2-16. Betts, A., 2013, Survival Migration: Failed Governance and the Crisis of Displacement, Cornell University Press. Hamilin, R. 2021, Crossing: How We Label and React to People on the Move, Stanford University Press. Ogawa, R., Ahmad, Z.H., Akbari, H., 2024, The Experience of Becoming a Refugee: Evacuation and Resettlement of Afghanistan Citizens in Japan, Think Lobby, 2:89-101.

報告番号77

ジャマイカにおける圧倒的なマイノリティとしての白人性構築に関する研究
大妻女子大学 伊藤 みちる

1. 目的 本報告の目的は、旧英領カリブ海地域で最もアフリカ系人口が多いジャマイカにおける白人マイノリティの白人認識の特徴や現状などを明らかにすることである。本報告では特にドイツ系移民の子孫に焦点を当て、人種差別をした・された経験、黒人や混血することに対する嫌悪、白人優越主義、白人であることが有利・不利に働いた事例など、彼らの白人としての経験について、現地でのインタビューの結果を中心に報告する。 2. 方法 ジャマイカでの聞き取り調査は2023年7~8月に①首都キングストン、②モンテゴベイ、③シーフォード・タウンで実施した。対象は本人が白人だと自認し、他者からも白人であると認識されている3世代以上カリブ海地域に住むジャマイカ人である。サンプリング方法はジャマイカ在住邦人とドイツ系ジャマイカ人の政府認定観光ガイドを起点としたスノーボール・サンプリングである。対象者の人数は合計18人であった。 3. 結果 人口の0.8%を占める白人ジャマイカ人は、植民地時代にプランテーション経営で黒人奴隷労働力を搾取して築いた圧倒的な経済力を継承しているとされ、白人特権を振りかざしてジャマイカ社会を牛耳ってきた人種差別主義者だと語られることが多い。しかし今回の調査では、白人であることが辛すぎて自殺を試みた経験を涙ながらに語った者や経済的に困窮していた子ども時代の経験を語った者がいた。その反面、黒人よりも良い機会に恵まれる白人の有利な点を認めた者もいた。そして配偶者が黒人であったり、身体的特徴が白人でもあらゆる人種・民族の混血であったりして、「純血の白人」で白人至上主義や白人優越主義を唱える者には1人も出会わなかった。また零細農家や自動車整備士、漁師や軍人などを職業として質素な生活をする者も少なくなかった。シーフォード・タウンのドイツ系白人ジャマイカ人の中には心身に障がいを持つ者や早世する者が多く、過去に近親婚が進み過ぎたことが原因であるとの認識が共有されていた。 4. 結論と今後の課題 本調査での対象者は、白人であることに対して特別な執着はなく、また黒人との混血に対する嫌悪も示さず、明らかに混血を進めている。本調査では日本人女性である報告者がインタビューを行って上記の結果を得たが、それは白人男性David(2015)が提示する白人ジャマイカ人の姿とは異なる。急速に混血が進みつつある白人ジャマイカ人の生活実態の全体像や深層に接近することが今後の課題である。 文献: Ritter, David. (Director). 2015. German Town: The Lost Story Of Seaford Town, Jamaica [film]. Photomundo International. Robin son-Walcott, Kim. 2009. “Deconstructing Jamaican Whiteness: A Diasporic Voice”. Small Axe 29: 107-116. Thomson, Ian. 2009. The Dead Yard: A story of Modern Jamaica, Faber and Faber Ltd., London. ※本研究はJSPS科研費 JP21K12410の助成を受けたものです。

報告番号78

不動産業者の外国人嫌いは居住セグリゲーションにどう影響するか——RパッケージnetABMによる検証
一橋大学大学院 佐藤 圭一

1. 問題の所在  異なるエスニシティを持つ人々が空間的に分断された形で住む状況は、居住分断segregationとして概念化され、その発生メカニズムと緩和策が、経験的・理論的にさまざまな形で研究されてきた。  居住分断に関する著名な理論的研究として、エージェント・ベースド・モデリング(ABM)の手法を用いたSchelling(1971)は特に有名である。この研究は住民のもつ同族エスニック集団へ指向性が大規模な居住分断を引き起こすことを実証し多くの後続研究(Fossett 2006など)を生み出した。しかしこれらの研究は、総じてエージェントの行動モデルの精緻化に注力する一方で、住宅市場取引のもう一つの重要アクターである大家が、居住分断に与える影響を看過してきた。さまざまなエスニック集団がどのような居住選好を持っているのであれ、実際にその場所に居住できるのかどうかは、大家が当該エスニック集団に部屋を貸すことを許すかどうかにかかっている。大家の役割に着目することで、移民の居住選好と大家の居住者選択との相互作用がもたらす、都市のセグリゲーション進行/緩和の過程を理論的に研究することができる。以上のような問題関心から、本研究はセグリゲーションに関するABMに、大家の選好という変数を導入した形で、セグリゲーションへの影響を分析する。モデル作成にあたっては、日本人と移民の間のセグリゲーションに特に着目する。 2. 日本におけるセグリゲーションと住宅市場  2000年からの過去20年間、日本人と主要国籍集団(中国、フィリピン、ベトナム)との居住セグリゲーションの度合いは、下がっていることが指摘されている(Liang 2024)。ただし、このことは差別的な住宅市場が存在しないことを必ずしも意味しない。もともと、日本がニューカマーを受け入れ始める1980年代ごろは移民に不動産を貸す大家が少なく、差別的な住宅市場として知らされていた。その後、移民への貸し出しに寛容な大家の増加や、エスニックビジネスとしての不動産業者の発達などによって、移民の不動産へのアクセスは容易になったものの、移民への貸し出しを忌避する多くの大家がいまも存在することはよく知られている。本研究の主眼は、そのような大家の存在がセグリゲーションに与える影響を理論的に検証することである。 3. モデル化  住宅市場への大家の影響をモデル化するにあたって、本研究はこれまでの2次元のセル・オートマートンを用いた標準的なセグリゲーションABM研究の枠組みを3次元に拡大する。この3次元目は、大家のもつ土地に立つアパートを表現する。  各アパートはそれぞれの大家が所有するものとする。大家は自身の外国人忌避感(0~1)の度合いに基づき、自身の持つ不動産のうち忌避感に比例した分のアパートを移民貸し出し不可とする。すなわち、この制約のかけられたアパートには移民はアクセスできない。主要なパラメーターとしては以下三つを用いる。 – 大家の数 – 各大家の忌避感の度合いの分布 – 各大家の住宅市場占有率 居住分断の度合いは、非類似度指数dissimilarity indexを用い居住地区レベル、大家レベルでそれぞれ測定する。そのうえで、それぞれの比類似度の比例を計算して大家による居住分断への影響を検証する。なお検証にあたっては、報告者らの開発したRパッケージnetABMを用いる。

報告番号79

「技能移民」カテゴリーの拡大がもたらす不平等の考察——日本の外国人留学生に対する就職促進政策の帰結に着目して
金沢大学 眞住 優助

本報告は(「技能移民」の普遍的定義が欠如するなか)「技能移民」を受入れ国家から技能労働ビザが発給された移民と定義する。そして、国家が技能水準の異なる移民を包含し「技能移民」カテゴリーを拡大するとき、移民のなかでどのような不平等がどのように生起されるのかを考察する。技能移民の社会的構築に関する研究は、ホスト国家が移民政策の策定と実行を通じて恣意的に「技能移民」を選別することを指摘しつつ、その選別が(通常、教育年数で測る)高い技能水準をもつ人々のあいだに、ジェンダー・国籍・人種などにもとづく「技能移民」の認定機会の不平等を生み出すことを明らかにする。ただし、「技能移民」の公的カテゴリーが恣意的な構築物である以上、国家は技能水準が類似する者を排除するだけでなく、技能水準が異なる者たちを同カテゴリーに包摂することもありうる。その場合、どのような不平等がどのようにつくり出されるのかを、日本の外国人留学生に対する就職促進政策とその帰結を事例に考察する。  人口減少と高齢化のもと近年、日本政府は外国人留学生に対する就職促進政策を実施している。主たる方策の1つが就労ビザの発行基準の緩和であり、これを背景に現在、大学/大学院に加えて専修学校専門課程(いわゆる専門学校)を卒業し、在留資格「技術・人文知識・国際業務」(「技人国」)を得て日本で就職する留学生が増加している。結果、「技人国」をもつ移民のなかで日本語能力の差異が拡大している。大学と専門学校に学ぶ留学生のあいだには、総じて日本語能力に差があるためである。本報告は、日本語能力が異なる元留学生の「技人国」カテゴリーへの包摂が生起する不平等を考察する。  本報告は、日本の(大学・専門学校を含む)高等教育機関を卒業後、日本で就労する元留学生に対する半構造化インタビュー調査の結果にもとづく。同調査は2022年から2024年のあいだ、首都圏を中心に中国・ベトナム・ネパールなど複数の国籍の元留学生を対象に報告者が実施した。インタビューでは、就職活動とこれまでの就労経験、在留資格申請・更新の経験、今後の定住の見込み等を尋ねた。  現段階での分析を踏まえ、本報告では「技能移民」集団内における二重の階層化とその形成メカニズムに関する議論を予定する。第一に、移民の労働市場統合に関する既存研究と一致して、ホスト国言語(日本語)能力の差異は、元留学生の労働市場における階層化に連結しており、本調査では就業職種と企業規模の両方の差異が顕著である。第二に、労働市場の階層化は、法的領域に関わる階層化と二つの様式でつながっている。1つ目が官僚機構による移民の一時性の規制である。一般公開されていないものの、出入国在留管理庁『入国・在留審査要領』(情報開示請求に基づき入手)によれば、「技人国」保有者に許可される在留期限の長さは、おもに就業企業の規模によって決定される。本調査でも、相対的に日本語能力が低く規模の小さな企業で働く元留学生は、許可される在留期間が短く、より頻繁なビザ更新が求められている。2つ目が、本報告が呼ぶ「書類上の「技能移民」」に伴う不利な状況である。一般に「非専門/技術的」と判断されうる職種に従事する「技能移民」ほど、この種の地位を獲得する傾向にあるが、この移民には、ビザ更新の不許可や脆弱な地位に起因する搾取など、特有のリスクや負担が存在する。

報告番号80

労働移民と中東湾岸諸国
早稲田大学 樽本 英樹

1. 問題の所在 なぜ移民労働者は国境を越えて流入し続けるのか。なぜ移民労働者は単純労働に従事し続けるのか。これらの問いは基本的なものでありながらも、簡潔な解答を与えることは難しい。本発表は、中東の湾岸アラブ諸国に着目し、方法として歴史的および統計資料を分析し移民労働者の流入および下層滞留の理論的メカニズムを探究する。 2. 中東湾岸諸国の社会構成 ペルシア湾岸のアラブ諸国、いわゆる湾岸諸国は湾岸協力会議 (GCC) 諸国とも呼ばれ、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦 (UAE)、オマーンで構成される。政治的には、特定の家系だけで国家元首が世襲される非民主的な王朝君主制 (dynastic monarchy) 国家であり、クウェートとバーレーン以外では、立法権がなく君主に意見を具申する「諮問議会」しかない。国民の大多数はイスラム教を信仰し、例外はありながらも多数派のスンナ派が多い。 3. マジョリティ化した移民労働者 石油産業の発展で移民労働者の流入が徐々に増加し、1973年の第1次石油危機で石油価格が高騰すると、流入は本格化した。現在までに4つの移民受け入れ期が区別される。当初は近隣アラブ系移民が主だったものの、第2期からはインド亜大陸からなどアジア系が増加していった。全人口に占める移民の割合は2020年時点、オマーンやサウジアラビアは2割から3割であり、バーレーンやカタールでは国民と移民の割合は拮抗し、クウェートやUAEに至っては国民より多い多数派となっている。 4. 移民従属社会の登場 移民労働者は人口構成の多くを占めるにもかかわらず、法的、社会的、経済的地位には圧倒的な劣位である。請負業者や雇用主が身元引き受け人となるカファラ (Kafala) 制度の下、短期契約の「ゲストワーカー」として労働せざるをえない。通常2年から3年の契約期間が終了すると、雇用主と契約更新をするか、転職先を見つける必要がある。また、社会統合の対象とは見なされず、諸権利の付与は厳しく制限され、永住権の取得や帰化はきわめて難しい。一方、国民は優遇されており、たとえば民間に比べ労働条件が格段によい公務員の大多数が国民である。すなわち、国民と移民との間に圧倒的な格差が存在する移民従属社会が成立しているのである。 5.「レンティア国家」という理論メカニズム仮説 中東湾岸諸国において、なぜ移民従属社会が現れ、継続しているのであろうか。その鍵は「レンティア国家体制」である。湾岸諸国は石油輸出により国外から得られる「不労所得」(レント) で国家財政を満たし、国民に医療や教育など公的サービスを無償で提供する。税の徴収に頼らないため国民の意向を配慮しない傾向にある。国民は税負担の必要などないため政治参加の必要性を感じない。一方、石油資源レントをインフラ整備に注ぎ込むことができるので、移民労働者の需要が増大し続ける。石油資源レントの1人あたりの取り分が減らないよう、移民の定住や帰化などへは抵抗し続ける。移民従属社会は、レンティア国家が必然的に生み出す「資源の呪い」(resource curse) であると言えよう。 * 本発表は、福田友子千葉大学准教授との共同研究の成果である。また、以下の助成を受けて行われた。JSPS科学研究費・基盤研究(C) (研究代表者 樽本英樹 20K02097)、同・基盤研究(B) (研究代表者 家田修 20H04430)。

報告番号81

中小企業の外国人ホワイトカラーへのニーズ拡大——在留資格「技術・人文知識・国際業務」の外国人雇用者を中心にして
法政大学 上林 千恵子

1. 目的  本報告では、日本の中小企業における外国人ホワイトカラー、在留資格「技術・人文知識・国際業務」の外国人雇用者のニーズが高まってきているという事実を指摘し、その背景について考察する。中小企業は大企業と比較して一般的には労働条件や福利厚生について劣るために人手不足の影響を大きく受ける。その人手はブルーカラー職種だけではなく、職場の中堅技術者や管理職という職場の中核的人材まで達してきている。ブルーカラー職種については技能実習生と2019年成立した特定技能者によって若干、不足が満たされてきたが、ホワイトカラー職種については、特段の制度変更は見当たらない。高度外国人材に対する優遇措置は、雇用条件が極めて高く設定されているために、普通の中小企業では無縁である。こうした制度の下で、とりわけ地方圏に立地する中小企業では外国人ホワイトカラーである技術者、移民研究の中では技能移民(skilled migrants)と概念化されている専門的技術的分野の外国人雇用者に対するニーズが拡大しており、その実態について調べた。 2. 研究方法 コロナ禍以前の2018年と2019年に実施したベトナム送り出し機関へのヒアリング調査及び日本政策金融公庫総合研究所(2016年)、静岡県(2019年)、出雲市(2022年) が実施した中小企業の外国人雇用に関する調査、長野県上田市、岡山県美作市、島根県出雲市など地方圏の中小企業に対するヒアリング調査をもとに考察した。 3. 結果  企業の人手不足は景気変動によって左右されるが、中小企業の場合は若年労働者減少という構造的な要因によるところが大である。その不足は外国人で補う試みがなされているが、地域差が大きく、全国的にはおよそ2割の中小企業が何らかの形で外国人を雇用しているものの、地方圏の中小製造業では技能実習生以外には雇用する労働者がいない。従来は工業高校卒あるいは高専卒で賄っていた職種に人を充当できない。  そこで在留資格「技術・人文知識・国際業務(略して技人国)」の外国人を雇用する企業が増えた。彼らは高度外国人材という専門職者であるよりも、製造現場のリーダー的役割を期待されている存在である。技人国の人材は技能実習生よりも制度的縛りがきつくないので、トータルに見ると雇用コストは技能実習生を多少上回るに過ぎない。  技人国の外国人雇用者の採用ルートは、送り出し国の大卒者と留学生である。近年は特定の専修学校卒業者に対しても技人国のビザが発給されるようになったので、地方の中小企業でも元留学生の採用者がみられるようになった。海外からの直接採用は採用コストが大きいため、今後は技人国に資格変更をした元留学生の採用が増えることとなろう。  低熟練外国人の雇用確保に対しては、今後は育成就労制度と名称変更となる技能実習制度が存在し、より上位の中間技能レベルを持つ外国人材確保のためには特定技能制度が整備されつつある。現在、その上位の技能レベルに、一定の学歴を前提とする技人国の外国人雇用者が求められるようになり、中小企業においても技能レベル、日本語レベルの異なる階層の外国人が同時に雇用されるという事態が広がりつつある。

報告番号82

外国人労働者の権利拡大をもたらす労働市場と雇用関係の特徴——特定技能で働く外国人の事例を通した検討
東京大学 園田 薫

本報告では、特定技能の在留資格をもつ外国人の雇用が日本企業においていかに運用されているのかを検討しながら、外国人労働者の権利拡大がなされうる労働市場の需給環境と雇用関係の特徴について考察したい。日本の労働市場では正社員を中心とした企業別シティズンシップの論理が機能しており、それに応じて仕事とその対価としての労働条件が不均衡に分配されている。マイノリティとされる人材は、不利な初期条件から企業別シティズンシップの獲得を目指さなくてはならず、構造的に弱い立場に置かれてしまいがちである。国籍の違いは、日本企業で企業別シティズンシップを得るにあたって、様々な不利をもたらすことが指摘されてきた。 昨今の外国人雇用にかかわる法制度の変化によって、日本で働く外国人労働者が有する在留資格の構成割合にも、大きな変化が生じている。とりわけ大きな変化が、2018年度から制度化がなされた、人材確保が困難な状況にある特定産業分野において一定の専門性・技能を有する外国人に与えられる、特定技能の在留資格をもつ外国人労働者の受け入れである。2023年には20万人を超える特定技能の在留資格をもつ外国人が日本で働いており、これまで中心的であった技能実習や技人国の増加率を凌ぐほどの急成長を見せている。技術移転を名目に最低賃金で期限付きの労働を余儀なくされていた技能実習とは異なり、一定以上の専門性を認められたことで、同じような中小企業での賃労働に対しても、異なる労働条件が提起されうる可能性が開かれたといえる。一方で、特定技能の制度化が比較的最近の現象であると同時に、特定技能の在留資格をもつ外国人が爆発的に増加したのは2021年以降のことであるため、特定技能者の労働条件や雇用関係について検討した研究がほとんどない。 こうした状況に鑑みて、特定技能の外国人がいかなる労働条件のもとで働いているのかを、中小企業へのインタビュー調査の結果から考察していく。特に労働不足が深刻である建設業と製造業の事例にフォーカスしながら、企業側での賃金決定や労働条件設定の論理が紡がれているのかを検討したい。調査の結果明らかになってきたのは、同じ特定技能の資格を有する外国人であっても、業種ごとの賃金決定の特徴が異なるために雇用条件が大幅に改善されるかどうかが異なっている可能性である。建設業においては、技能実習から一時帰国し、特定技能として新たに雇用関係を結ぶにあたって、明確な労使交渉が行われた結果、不当に低かった賃金水準は劇的に改善していた。一方、製造業では立場の違いがジョブの違いにほとんど影響せず、同一労働同一賃金の名目のもとで、技能実習生とさほど変わらない賃金や処遇が提示されていた。

報告番号83

正規雇用での移民労働市場における仲介業者の役割正規雇用での移民労働市場における仲介業者の役割——企業調査を用いた検討
東京大学 永吉 希久子

【1.目的】国境を越えた労働力の移動に際し、仲介業者が広く活用されるようになったことはよく知られている。経済社会学の観点を用いた研究では、仲介業者が移住にかかるコストを削減する移住システムとしての機能だけなく、労働市場における商品化や調整の問題を解決する機能ももつと指摘されている。このような労働市場における仲介業者の役割については、派遣労働者など長期雇用を前提としない第二次労働市場について検証されており、正規雇用の労働市場についてはほとんど扱われていない。そこで本報告では、企業を対象とした量的調査をもとに、どのような企業が、どのような期待のもとで、正規雇用での外国人労働者の採用に仲介業者を活用しているのかを検証し、正規雇用の移民労働市場における仲介業者の役割を考察する。【2.方法】本報告では2023年に実施した、企業に対する郵送調査のデータを用いる。外国人を雇用しているとの情報が帝国データバンクのデータベース上で確認できる5000社を対象とし、1475社から有効回答があった(回収率29.5%)。このうち、中途採用での正社員の採用を行っている582社のデータを用いる。中途採用の正規雇用での採用方法として「人材紹介会社」を選択した場合に、仲介業者を活用しているとみなす。仲介業者への期待の一側面として、採用する外国人従業員に求める能力を用いる。複数選択での項目について、カテゴリカル因子分析を行い、職業能力、日本型雇用への適応(長く働く意欲、日本の職場環境への適応、日本語会話能力、協調性)、日本語能力、パーソナリティ(コミュニケーション能力、主体性、協調性)の4つの因子を抽出した。統制変数として、産業と企業規模を用いた。【3.結果】外国人従業員の正社員での中途採用に際して最も用いられているのは社員や知り合いからの紹介(51%)であり、次いで46%の企業に人材紹介会社が選ばれていた。他には、ハローワーク、日本での求人広告、自社のウェブサイト・SNSが多くの企業から活用されていた。次に、人材紹介会社を用いた採用と採用する外国人従業員への期待との関連を多変量解析で確認したところ、日本型雇用への適応を期待している企業ほど、人材紹介会社を活用する傾向にあった。企業規模では従業員数5人以下の小企業よりも中企業・大企業で用いられる傾向も確認された。【4.結論】正規雇用採用における仲介業者の活用は、外国人労働者に高い職業能力を期待する企業ではなく、日本型雇用への適応を期待する企業で用いられる傾向にある。ここから、仲介業者は移転可能性の高い能力を持つ労働者との効率的なマッチングをするために活用されるのではなく、仲介業者による選別・訓練・社会化を通じて、日本人に代わって働くことができる労働者の調達に用いられていることが示唆される。当日は可能であれば一部調査参加企業を対象に実施したインタビュー調査の結果も踏まえて報告を行う。

報告番号84

台湾・日本のベトナム人移住労働者による中途型非正規移住とその動機形成——サバルタン・レジスタンスの第一段階
岐阜大学 巣内 尚子

【1. 目的】日本、台湾では技能実習生や家事労働者など正規の在留資格を持つベトナム人移住労働者が「中途型非正規移住」を行う例がある。本報告は中途型非正規移住をclosed work permit制度下で在留資格を持つ移民が雇用主のところを出て、決められた以外の雇用主の職場で働く非正規移住の一形態として位置づける。移民が在留資格を“あえて”手放しリスクのある中途型非正規移住に入る動機はどのように形成されるのか。また異なる移民政策を持つ台湾、日本でベトナム人移住労働者による中途型非正規移住が同様に生じるのはなぜか。在留資格を持たない移住に関する先行研究においてホスト社会やジェンダー、職種に着目した比較研究が十分行われていない中、本報告は2000~2010年代に日本と台湾での移住労働を経験したベトナム人の女性、男性の事例を取り上げ、ホスト社会、ジェンダー、労働市場とがかかわり、中途型非正規移住の動機がどのように形成されるのかを明らかにする。 【2. 方法】2014~19年に実施した日本と台湾での移住労働経験を持つベトナム人156人への半構造化インタビューのうち、中途型非正規移住の経験を持つ33人のインタビューデータを分析する。33人の内訳は台湾での家事労働経験者8人(すべて女性)、台湾での工場労働経験者(女性3人、男性9人)、日本での技能実習経験者(女性3人、男性10人)。 【3.結果】分析により送り出し地/受け入れ地の社会経済状況、移民政策・制度、移住産業、労働市場、移民のジェンダーや家族状況が関連し中途型非正規移住の動機は形成されることが分かった。第一にベトナム―台湾間、ベトナム―日本間の移住の構造における移民の人種化/非人間化が移民の経済的困難や社会的排除を生じさせ、これが中途型非正規移住の背景となる。さらに中途型非正規移住へ移民が踏み出すことは送り出し地の経済状況やホスト社会での低賃金労働を受けた経済的困難への対応策として「生き残りのための非正規移住(undocumented migration for survival)」と位置づけられる。生き残りのための非正規移住には①労働市場での搾取、劣悪な労働・生活環境、暴力から離れるための「避難のための非正規移住」②移民政策・制度の課題に対応するための「移民政策・制度への服従の拒否としての非正規移住」③送り出し地の家族の事情や世帯内でのジェンダー役割から中途型非正規移住へと至る「家族のための非正規移住」の各類型が存在する。各類型は独立したものでなく、複数の類型が中途型非正規移住の動機形成に関与する例もあった。移住動機形成にはジェンダー、職種、ホスト社会とが関与し、例えば女性家事労働者と縫製部門の女性技能実習生は「女の職場」での長時間労働、搾取、差別が、男性の技能実習生では暴力が避難のための非正規移住の動機形成に関与した。家族のための非正規移住においては「よき母」「よき息子」というジェンダー役割が動機形成に関わった。 【4. 結論】調査対象者は移住の構造における搾取、差別、交差的抑圧に直面した際、リスクを承知で生き残りのための非正規移住へと入った。別の視点からみれば、中途型非正規移住に入ることは移住の構造における搾取、差別、社会的排除、国家の移民政策に対する移民からの拒絶である。その意味で中途型非正規移住の動機形成の過程は移民が移住の構造に抵抗しようとするサバルタンレジ・スタンスの第一段階である。

報告番号85

育児時間の学歴差とその趨勢
東京大学 胡中 孟徳

育児の熱心さや子育てのスタイルに階層的な違いは、とくに学歴差として存在していることは広く知られており、日本でも多くの研究が蓄積されている。しかし、日本におけるこの趨勢がどうであるかという点について、比較可能性が高いかたちで十分に明らかにされているとは言えない。全国規模の量的調査の分析自体が多くないし、例外的に存在する場合でも、指標やサンプルサイズに課題があるため、変化やトレンドについては、十分な検討がなされていない状況にある。 他方で、欧米では長期的な比較可能性が高い生活時間調査を用いることで、育児時間の長期的な増加がかなり明瞭に広くみられる結果であることが示されている。増加の傾向が親の階層的地位によってどのように異なるかについては、学歴を階層指標として、格差が拡大したか大きな変化がないという結果が支配的である。 本報告では、社会生活基本調査を用いることで、1990年代以降の日本における育児時間の階層差がどのように変化したのかを計量的な分析から明らかにする。具体的には、育児時間を被説明変数として、学歴と調査年、その交互作用項を説明変数に含める線形回帰分析のモデルを推定することで、学歴による育児時間の階層差が拡大しているのか否かを分析する。 経験的な分析の結果としては、以下の点を報告する予定である。女性においては、もともと存在していた階層差が全体的な育児時間の増加とともに、2011年に階層差が小さくなることを除いて、全体としてはより大きくなる傾向にあること、男性においては、もともとほとんど育児時間がみられない状況で階層差がなかった状況から、全体的に育児時間が増加するなかで、階層的な違いも大きくなる傾向にあることが現在のところ明らかになっている。とくに2011年から2016年にかけて、高卒の母親の育児時間の増加が停滞する傾向がみられ、1990年代以降の大学進学拡大期に進学していない高卒層においてネガティブセレクションの強まっていると解釈できる結果が得られている。全体として見れば、2010年代に入ってから、子育て行動の時間的側面からは、階層的地位の再生産の強まりの可能性が示唆される結果となっている。 報告当日は以上の議論に加えて、家事時間の趨勢との関連、もしくは夫婦単位での育児時間の趨勢など、より多角的な視点からの分析結果を提示することで、全体的な育児時間の増加と階層性の強まりという結果をより重層的に議論する。

報告番号86

祖父母の学歴による孫の育児時間の違い
専修大学大学院 石橋 挙

【1. 目的】 近年,平均寿命が延伸したことから,祖父母が家族と長く時間を共にすることが増えると想定され,祖父母の役割が家族の中で重要視されているという.こうしたことから,祖父母が持つ家族の中での役割について議論されている.特に階層研究では,祖父母の地位が孫の地位達成に有利に働くメカニズムとして,祖父母と孫が関わることで,祖父母の資源が移転されたり,孫の社会化が促されることが想定されている.しかしながら,これまでの研究では,高学歴祖父母と孫が生きている期間の重複や高学歴祖父母と孫が同居しているかどうかによってこのメカニズムを検証しており,祖父母の学歴によってどれほど孫の育児にかかわるのかは明らかになっていない.そこで本研究では,祖父母が孫の育児に関わる時間が学歴によって異なるのか検討する. 【2. 方法】 使用するデータは,生活時間基本調査A票の2001年,2006年,2011年,2016年である.分析対象は,10歳未満の子どもがいる三世代同居家族である.サンプルサイズは16,681ケースである.従属変数は祖父母の育児時間(単位は分)である.説明変数は祖父母学歴(中学卒,高校卒,高等教育卒)である.統制変数は,祖母ダミー,祖父母年齢(50代以下,60代,70代,80代),調査年,調査実施日が休日かどうか,親世代が共働きかどうか,居住地域が三大都市圏かどうかである.分析方法にはゼロ過剰負の二項分布モデルを用いる.なぜなら,分布の形状を確認すると祖父母の育児時間の85%以上は0分であること,育児をしている場合,育児時間が増えるにつれて育児を行ったと回答する祖父母が減っているからである.このモデルを用いることで,育児をしやすいのは誰か,育児をするとしたら育児時間が長いのは誰なのかを明らかにすることができる.加えて,学歴と調査年との交互作用をとり,育児時間がどのように変化したのかを分析する. 【3. 結果】 分析の結果,祖父よりも祖母,年齢が若い祖父母ほど,学歴が高い祖父母ほど孫の育児に参加する傾向にあることが明らかとなった.調査年によって,祖父母が育児に参加するかどうかに違いはない.また,育児に参加するとしたらどのような祖父母の育児時間が長いのかについては次の通りであった.祖母は育児時間が長いこと,年齢による違いは見られないこと,中学卒よりも高校卒の場合に育児時間が短いことがわかった.さらに,学歴と調査年の交互作用項を追加したところ,2001年かつ高等教育卒の祖父母に比べて,2006年,2011年かつ高等教育卒の祖父母のほうが育児に参加することが明らかとなった. 【4. 結論】 祖父母が高学歴であるほど,祖父母が孫の育児に参加しやすいこと,その傾向は近年ほど高くなっている.また,高学歴祖父母が育児に参加しやすいことを踏まえると,祖父母の資源が育児を通して孫に移転されるかもしれず,このことは,祖父母の地位が孫に影響を及ぼすことの一部を説明しうるかもしれない.

報告番号87

家庭の社会経済的背景と子どもの非認知能力の関連 ——幼少期の育ち方に着目して
東北大学大学院 文学研究科 鐘 婧雯

【1. 目的】本研究の目的は、日本における幼少期の子育てと家庭の社会経済的背景・子どもの非認知能力の関連について、実証的に分析することである。親の社会階層による幼少期の育ち方の差異は、その子どもの発達と学歴達成、また成人後の格差の原因であることが注目されている (Lareau, 2003) 。戦後日本社会では、農村部や労働者階層に「問題のある」しつけが広く存在し、その改善を訴えていくことは大きな社会問題であり、「家庭の民主化」を進める方途でもあった(広田, 1999)。しかしながら、教育機会の平等化や家族の変容とともに、子育てのあり方は多様になっていく。また、日本のデータによると、既存の社会階層論について、子どもの学力や就業状態の関連を分析できたものの、意欲や独自性、コミュニケーション力といった「非認知能力」に関する研究は断片的な考察にとどまっている。よって、本研究では、異なる社会階層による幼少期の育ち方を取り上げ、特に非認知能力との関連に注目した分析を行う。【2. 方法】本研究が使用するデータは、東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所が2015年から実施した「子どもの生活と学びに関する親子調査」である。本調査は、親子の関与に重点的にたずねる内容を設けて、子育ての意識と行動の両面からより多くの情報を取得している。アウトカムについても、OECD(2015=2018)が重要性を指摘する非認知能力に配慮し、より包括的に育ち方の効果を探究できる。ここで、本研究では「家庭内の会話」と「家庭内のルール」に関する質問項目から子育てを分類し、また探索的因子分析を用いて、子どもの非認知能力を検討した。【3. 結果】記述的分析の結果、「父母とも大卒」の家庭に育つ子どもは「父母とも非大卒」の子どもより非認知的能力が高いことが示された。「父大卒・母非大卒」より「父非大卒・母大卒」の子どもが非認知能力が高い結果から、母親の学歴(文化資本)は子どもの発達に大きな影響を与えることが予想できる。子どもの非認知能力を測定するための項目について、2因子解を採用して探索的因子分析を行った。第1因子は自分の責任や判断に関する項目が集まったことから、「自立性」因子と命名した。第2因子は、他者・集団とのかかわりを表す項目が集まったことから、「協調性」因子と命名した。【4. 考察】親の社会階層、特に文化資本が子どもの非認知能力に影響を与えていることが確認されたが、それは子育てを媒介して効果を果たすかを検証する必要がある。また、日本においては子育ての階層差は欧米のように分断されたことを否定し、母学歴に応じたグラデーション状の差異があることを見出している(本田, 2008)。そこで、子育て格差はひとつの階層文化として定着していきつつあるかどうかを議論すべきだといえる。【謝辞】(二次分析)に当たり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブから「子どもの生活と学びに関する親子調査 Wave1~4, 2015-2019」(ベネッセ教育総合研究所)の個票データの提供を受けた。

報告番号88

学力と探究——パネル調査分析から見た形成要因と帰結
東京大学 本田 由紀

1.問題設定  学力格差の要因に関しては、家庭背景をはじめ膨大な調査研究が蓄積されてきた。日本においては、格差が早期に形成され維持・拡大することや、そのメカニズムとして学習時間や学習意欲、学校外教育利用などが重要であることが指摘されてきた(数実 2023、松岡 2019、中西 2017、川口他 2022など)。また学習意欲との関連で、「グリット」や自己概念などのいわゆる「非認知的スキル」と、学力を典型とする「認知的スキル」との関連を検討する分析も増加している(数見 2023、垂見 2022など)。分析手法としては、パネル調査を活用して変数間の双方向的で連鎖的な関係を時系列の中で明らかにする分析が進展している。  他方で、教育現場においては、2017年改訂の学習指導要領のもとで、従来の「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」へとより強化された。また、大学進学率の上昇に伴い、大学入試においては、筆記試験による一般入試による合格者の割合が減少し、推薦・AO入試による合格者が増加している。これらの変化は、従来型の「勉強」「学力」とは様相を異にする、課題設定や情報収集、表現などのスキルが指導され評価されるようになりつつあることを意味する。  こうした研究動向と現状をふまえ、本研究では中等教育の年齢層を対象として、①学力と探究学習への取り組み方を規定する社会階層要因、②学力と探究の相互関係、そして③それらと高校と大学の接続点に位置づく入試形態との関連を検討することを目的とする。 2.データと方法  使用するデータは、東京大学社会科学研究所・ベネッセ教育総合研究所共同研究「子どもの生活と学び」研究プロジェクト(親子パネル調査)のwave1~7および「高校生活と進路に関する調査2022」を接続したデータである(分析対象は後者のデータの回答者の中で四年制大学に進学を予定している者)。データは東京大学社会科学研究所SSJデータアーカイブから提供を受けた。  このデータに対して、出身家庭の文化資本・経済資本および「体験資本」、複数時点の学力、探究学習への取り組み方、そして高校卒業時点において利用した大学入試形態と非認知的スキルとの関連について構造方程式モデリングによる変数間の相互関係の分析を行う。 3.予定される知見  暫定的な分析結果としては、(1)学力と探究への取り組みに影響する出身家庭の資本は異なること、(2)学力と探究への取り組みは時系列においてそれぞれ別々に連鎖的維持強化のプロセスをもち、両者の間の影響関係は希薄であること、(3)高校3年時の学力は進学先大学の入試難易度を高めるが非認知的スキルを直接高めることはなく、逆に探究学習への取り組みは大学の難易度とは関連しないが非認知的スキルを明確に高めることなどが見出された。  この結果は、従来型の「学力」とは異なる、探究という回路を通じた格差の浮上を示唆している。当日の報告では、入試形態や性別との交互作用を含めたモデルによる回帰分析の結果も提示する予定である。

報告番号89

「格差社会」の萌芽期における家庭保育戦略の階層差——就学前児童を持つ家庭に着目して
上智大学大学院 谷脇 真一

【1. 目的】  この報告の目的は、2000年代において保育施設に通う就学前児童を持つ家庭の子育て戦略のあり方や保育施設に期待する役割に着目し、社会階層によるそれらの差異を既存の社会調査の二次分析によって明らかにすることである。  教育の分野において社会階層論に基づく議論は広範に展開されてきたものの、就学前段階の家庭や子どもたちを対象とした議論、特に計量的な手法を用いて知見の一般化を目指すような研究は数少ない。また、2000年代以降、保育制度や仕事と子育ての両立支援政策の進展、母親の就労拡大、そして格差の拡大など、日本の子育て世帯を取り巻く制度的、社会経済的環境は変化し続けた。特に2010年代以降の働く母親の増加と保育の受け皿の拡大は特筆すべきものであり、その社会的、制度的な変化が子育て戦略やその階層差に与えた影響を分析・評価するためには、2000年代の分析が不可欠である。 【2. 方法】  1990年代から2000年代にかけて計3回実施された「子育て生活基本調査(幼児版)」のうち、主に2008年のデータの二次分析を行う。家庭の経済・文化・社会関係資本を示す変数群を独立変数とし、家庭保育の戦略や保育施設にかける期待に関する変数群を従属変数として分析を行い、家庭の社会階層上の位相によって生じる教育戦略や保育施設への期待の差異を、主として重回帰分析やロジスティック回帰分析を用いて明らかにする。なお、当調査において分析の対象となった地域は南関東(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)である。 【3. 結果】  第一に、アネット・ラルーなどの社会学者が示してきた社会階層による子育て戦略の類型を基に分析を行なった。家庭の社会経済的な地位が高位であるほど、絵本や本を読み聞かせたり家事を子どもに手伝わせたりするなど、日常的な遊びや生活の場面を積極的に教育的な場として用いる傾向にあった。また、高階層ほど英語の学習をさせる傾向にあったが、ひらがなや数の学習といった小学校就学に向けた基本的な準備教育を行うかどうかには明確な階層差がなかった。  第二に、社会階層の位相が高いほど親が自らの養育責任を強調し学校などの公教育機関に対する依存度が低いという先行研究に基づき、分析を行なった。家庭の社会階層の位相が高位であるほど、「子どもの進路は親が責任を持って考えるべきである」という意見を支持し、基本的な生活習慣・ルールの習得や認知・非認知的能力の伸長を保育施設に対して期待しない傾向にあった。 【4. 結論】  二次分析の結果は先行研究によって得られた仮説にほぼ一致するものであり、社会階層の位相が高いほど、親は保育施設に依存せず自らの養育責任を強調し、日常的な遊びや生活を用いて家庭をしつけの場として組織する傾向にあった。しかしながら、ひらがなや数の学習といった就学に向けた準備教育には明瞭な階層差を見出すことはできなかった。社会階層の高い親たちは、就学前という特殊な段階において、学校教育に適応するための能力ではなく、基本的な生活習慣やマナー、好奇心や想像力などの非認知的な能力の発達を家庭保育の中で図っていたと考えられる。  2010年代以降に生じた社会経済的、制度的な変動が乳幼児のいる家族の教育戦略にどのような影響をもたらしたのかについては、今後研究を進めていく。

報告番号90

家事を教えるという行為と母親のしつけパターンの検討
東京大学大学院 戸髙 南帆

本研究の目的は、子どもに家事を教えるという行為をしつけの一環として捉え、教える側の母親が、どのようなしつけの方針を取っているかを明らかにすることにある。 子どものしつけについては、しばし階層差の存在が指摘されてきた(広田 1999; 本田2008; Lareau 2011)。子どもが「パーフェクト・チャイルド」となることを目指し、全方位型の教育関心をもつ母親の存在を指摘した広田(1999)によると、高学歴・高階層の親は、子どもの自主性を重視しながらも、実際には厳しく子どもをしつけようとする一方で、低学歴・低階層の親はその逆であり、社会のルールを教えることを重視しながらも、実際には子どもに甘い傾向がある。また、西村(2021)は、高学歴の親は子どもに生活スキルを身につけさせることにより熱心である一方で、子どもの学業面での達成についてより積極的であるという可能性を指摘している。 本研究では、家事を教えることは、他のしつけ項目とどのような関係にあるかについて、具体的なしつけのパターンを見出すことで、家事を教える行為のおかれた文脈を検討する。例えば、家事を教える親は、子育てに全体的に熱心なタイプである可能性や、勉強よりも生活のしつけを重視するタイプなどが考えられる。そのため、家事を教えるという親子のかかわり以外に、母親と子どものかかわりを問う一連の設問のいくつかを用いて、しつけのパターンごとに母親をクラスター化したうえで、クラスターごとに母親のどのような属性がみられるか検討する。 データは、「子どもの生活と学びに関する親子調査」を用いる。この調査は、東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所の共同研究によって2015年度調査から毎年実施されており、小学1年生から高校3年生の子どもとその保護者を対象とし、回収票のほとんどが親子セットでの回答という特徴をもっている。今回は主にWave 1のデータを用いて、小学生をもつ母親に限定して分析を行う。変数については、「あなたのお子様に対するかかわりについて、次のことはどれくらいあてはまりますか」という親子のかかわりを尋ねた変数から、①「料理や掃除のしかたを教える」、②「「自分でできることは自分でしなさい」 と言う」、③「勉強を教える」の3つを主に用いる。非階層的クラスター分析を行い、各ケース間の距離をもとにいくつかのクラスターに分類する。これまでの分析の結果、母親のしつけのタイプは、「自立重視」「家事回避」「勉強回避」「バランス」の4つのクラスターに分類された。当日は、各クラスターの詳細なプロフィールを示しながら、子どもに家事を教えるというしつけが、どのような母親のもとで行われているのか具体的に示す。

報告番号91

日本における近隣単位の教育格差生成メカニズムに関する検討
大阪公立大学 大和 冬樹

【1.目的】 近年、日本においても近隣効果(neighborhood effects)の研究が進展しつつあり、伝統的に社会学の階層・不平等研究の中で焦点が当てられてきた親の学歴や所得といった指標以外にも、居住する近隣が学歴達成に影響を与えていることが指摘されている。これまでの研究では中学生時点での居住近隣は大学進学の有無に対して因果効果を有していることが指摘されているが、具体的に特定の近隣に住まうことでどのように大学進学格差が生じるかについて明らかにするためには、近隣単位の格差生成メカニズムに関するさらなる検討が必要になる。そこで本発表では、既存研究のレビューや、近年蓄積されたパネルデータの分析を通じ、日本において近隣単位の学歴達成の格差を考える上でどのような点に着目すべきで、また今後どのような研究が必要になるのかについて論じる。 【2.方法】 これまでの都市社会学の研究では、貧困が集中する不利な近隣で育つ子どもの学歴達成が抑制される理由が指摘されてきたが、そのメカニズムについての説明は現在のところ、不利な近隣で社会的孤立が発生していることを指摘するものからそうでないものまで幅がある。本発表では、「学校生活と将来に関する親子継続調査」(JLPS-J)のデータをもとに、まずは既存の都市社会学の近隣に関する理論は日本の近隣格差を説明できるのかについて検証する。次に中学から高校への移行期に焦点をあて、中学生と母親は近隣単位で見たときに、大学卒業と高校卒業の経済的便益をどのように認知し、大学進学に対する意欲を持つようになるのか、また学校外教育の利用には近隣がどれほど影響しているのか、そしてそれら認知や意欲、学校外教育の利用は、子どもたちが進学する高校の偏差値にどのように影響しているのかを分析する。 【3.結果・結論】  分析の結果、日本全体で見たときに不利な近隣一般で社会的孤立が発生していることは確認されなかった。次に、不利な近隣と有利な近隣を比較した際に、大学卒業の経済的便益の認知は近隣によってほとんど差がなかった一方、高校卒業の経済的便益を不利な近隣の居住者は相対的に高く評価する傾向があった。そして子どもの進学先の高校の偏差値の規定要因に関しては、子どもと母親の高卒便益の評価や大学進学意欲が、両親の学歴や職業、世帯所得や貯蓄、居住する近隣が立地する自治体の規模や三大都市圏かを考慮した上でも影響を有していることが確認され、また居住近隣の効果も安定して確認された。特に母親が子どもを大学進学させたいと欲するか否かは、居住近隣の特性に強く影響を受けていることが推測された。また、学校外教育の利用に関しても、近隣の特性が影響していることが確認されたが、進学先の高校偏差値に対する影響はほとんど確認されなかった。これら分析結果から、近隣の特性は中学から高校に移行する段階で様々な経路で徐々に親子の意識や進学に関する行動に影響を与えるものと思われる。

報告番号92

学校外教育投資が教育達成に与える影響の分析:階層と居住地域に注目して
慶應義塾大学大学院 北村 友宏

本報告では,日本の子育て格差を生み出す要因の一つとして,学校外教育への投資に着目し,このような投資に社会階層や居住地域が与える影響を明らかにする.現在,日本では塾や予備校などの学校外の教育機関の利用が一般化しており,そのような学校外教育機関の利用に社会階層が影響を与えることが度々報告されている.また,学校外教育の利用が教育達成に影響を与えるという研究も存在する.一方で,教育達成がその後の個人のアウトカムに与える影響に関しては,地域間での差異も指摘されている.例えば,大卒者の平均賃金は都道府県によって異なるという指摘がある.学校外教育の利用をより高い教育達成を得るための一種の投資と考えるならば,学校外教育への投資にこのような地域的な要因が影響を与える可能性が考えられる.しかしながら,居住地域が学校外教育投資に与える影響に関しては,十分な研究の蓄積が行われているとは言い難い.よって,本報告では上述の背景から学校外教育投資に社会階層と居住地域が与える影響について分析を行う.分析には「21世紀出生児縦断調査」を用いた.本報告の分析結果の要約は次の通りとなる.①先行研究同様,社会階層は学校外教育投資に影響を与える.一方で,②社会階層の影響を統制してもなお居住地域が学校外教育投資に与える影響が確認された.③そのような居住地域が学校が教育投資に与える影響は学校外教育機関の利用可能性,例えば都道府県ごとの塾の数など,を統制したうえでもなお有意なものであった.加えて,④居住地域によらず学校外教育投資はその後の個人の教育達成(大学進学の有無など)に影響を与える可能性も確認された.以上より,社会階層や居住地域は学校外教育への投資に影響を与え,このような投資は個人の教育達成に影響を与える可能性がある.つまり,日本では地域間での教育達成の格差が度々指摘されているが,学校外教育への投資はそのような地域間の教育達成の差を生み出す一つの要因と言えるかもしれない.また,本報告の分析結果からは,学校外教育への投資に居住地域が与える影響は単なる学校外教育機関の利用可能性のような単純な要因だけでは説明できない可能性が示唆された.これは,学校外教育機関の利用を一種の投資と考えた場合に,先行研究が指摘するような地域間での教育達成のリターンの差(前述の大卒者の平均賃金の差など)が影響を与えている可能性が指摘できるかもしれない.

報告番号93

ポスト新型ウイルスにおける飼育実践——代々木公園わんわんカーニバル参加者調査結果より
麻布大学 大倉 健宏

1. 3年間にわたる新型ウイルス流行期が過ぎていった。あらゆる次元で混乱と変化と新たな条件のもとでの再編がおこった。本報告では新たな条件のもとでの飼育実践を調査データから報告したいと考える。報告者らは、2021年、22年、23年、24年4月上旬の週末に代々木公園にて実施される「代々木公園わんわんカーニバル」にて、参加者対象の調査を継続的に実施している。この調査では飼い主の属性と、散歩や給餌などの飼育実践について、ペット友人との関係などについて質問した。4回にわたる調査で合計273票の有効回答を得た。21年、22年調査は流行期であり、入場規制や消毒を行ったうえで実施された。23年、24年は入場に関する規制はなくポスト新型ウイルス期と位置付ける。 2. 単純集計結果からは新型ウイルス流行により求められた各種の規制や、行動変容は飼育実践に影響をあたえていることがわかった。ポスト新型ウイルス期にあっては流行期の飼育行動様式や飼育に対する意識に変化がみられた。一方で家庭内での役割分担や給餌などについては、変化がみられた点とみられなかった点がある。21・22年データにおいて相関関係がみられなかった分析について、23年データと比較した。その結果13のケースについて新たな相関関係を見出すことができた。これらは逸脱期としての新型ウイルス流行期と平常時としてのポスト新型ウイルス期への変化である。もちろん先行する条件が後の時間に影響を与えることがあるから、正確な意味での影響を明らかにすることはできない。飼い主の属性等に関する説明変数(住宅所有、家族人数、年収、学歴、性別、年齢)によって、飼育実践(多頭飼い、餌種類、散歩時間、散歩頻度、)を説明した場合に、21・22年データでは見られなかった相関関係があらわれた。同様にペット友人関する内容(ペット友人有無、ペット友人との会話内容)を説明した場合にも新たに相関関係があらわれた。飼育意識(飼育しやすい地域、飼育に必要な施設)を説明した場合にも同様であった。相関関係がみられなくなったケースが逸脱状態からの離脱であれば、それにもかわらず相関関係が確認できたケースは平常の状態への回帰である。飼い主属性等に勤務形態の変化を以外には変化は生じないから、飼い主の行動や社会関係、意識に変化が生じ新たな相関関係があらわれた。 3. 本報告では代々木調査結果の分析を中心に報告を行う。可能な範囲において報告者らが2013年より継続的に実施しているアメリカ調査との比較を行いたいと考えている。

報告番号94

やさしさとかわいさと、<弱さ>のリバース・エンジニアリングと。 ——神経堤細胞仮説にもとづく自己家畜化論の展開
山口大学 高橋 征仁

【1.目的】<やさしさ>と<かわいさ>と犬と猫  昨年度の日本社会学会において、筆者は、現代日本人の自己家畜化現象を<やさしさ>の進化として論じた。その際、遠藤薫先生から<やさしさ>と<かわいさ>の概念的差異やその関係性について質問を受けた。本発表は、そのリプライの試みである。 一般的に言えば、<かわいさ>は未熟さを示す形態的・心理的・行動的特徴を示すのに対して、<やさしさ>はそうした未熟さを許容し、保護・養育しようとする形態的・心理的・行動的特徴であると考えられる(入野屋2009)。これらの2つの形質は、男らしさを排除し、<弱さ>を呈示するコミュニケーションの両端において応答的な関係を形成する。<かわいさ>の呈示は一般的に子どもや女性、ペットが行い、<やさしさ>の呈示は養育者や男性、飼い主が行うことが多い。また同じペットでも、<やさしさ>は大型犬に、<かわいさ>は猫や小型犬により求められる。このように<やさしさ>と<かわいさ>の共通性と対照性を捉えるならば、次に、それぞれの形質がどのようにして共進化し続けているのかが問題になる。 【2.方法】<弱さ>を呈示するコミュニケーションの強さ  C.ダーウィンによる進化論は、19世紀の帝国主義的な時代状況において、適者生存や弱肉強食の論理として誤解されてきた。しかし、ダーウィン自身は雄間競争よりメスの審美眼≒選り好みを強調していたし、形態的にみれば、人類進化も<弱さ>を呈示する方向に向かってきた。小顔や吻部縮小、犬歯小型化、眉弓の低下、肌の露出による顔色や表情筋の提示、眼白による視線の明確化など、サピエンスの形態的特徴は、他のペットと同様、弱さや未成熟を強調している。この点からコミュニケーションの進化を再考する必要がある。 【3.結果】<弱さ>を呈示するコミュニケーションの進化  D.ベリャーエフによるキツネの家畜化実験(Dugatkin&Trut 2017)やB.ヘア&M.トマセロ(2005)による指差しジェスチャーの実験は、<弱さ>を呈示するコミュニケーションの逆説的な強さを示唆している。それは、積極的な依存や服従を通じて、庇護者の側の過剰な意味づけや教育的介入を促進し、「意図の共有」を可能にしたと考えられている。そして、この「意図の共有」こそが、地球上でのサピエンス(とそのペットたち)の飛躍を決定的にした要因であると考えられる。この点からすれば、T.ホッブズが提起した秩序問題―恐怖反応が引き起こす際限のない暴力的闘争―は、人類進化の歴史において、<弱さ>の呈示という逆説的方法によって解決されたことになる。 【4.結論】神経堤細胞仮説からみた<弱さ>のリバース・エンジニアリング  他方、A.ウィルキンスら(2014、2021)が提起している神経堤細胞仮説は、<やさしさ>や<かわいさ>という選択基準が、発生・発達にかかわる神経堤細胞の形質をめぐる人為選択であることを主張している。神経堤細胞の減少は、副腎や交感神経節の縮小によって衝動性を低下させるだけでなく、色素細胞や軟骨細胞、骨芽細胞も減少させ、か細い身体を形成させる。したがって、個々の特徴に対する選り好みは、無意識的かつ逆行的に、自己家畜化プロセスを促進させる。こうした性選択は、父親による継続的な養育投資の不確実性と、父性の不確実性という2種類の配偶選択のリスクを低下させることになる。

報告番号95

なぜ猫は街から姿を消したか? ——ヒト−ネコ−イヌにおける家畜化の相互性:境界としての猫(4)
学習院大学 遠藤 薫

1.問題設定  コロナ禍の頃から、街で猫の姿を見かけなくなった。近所でも、あるいは猫を街の魅力としてアピールしていた街でも、あるいは猫島と呼ばれるような場所でも、猫の数がめっきり少なくなっている印象がある。一方で、相変わらず、「猫ブーム」は続いており、猫に関する写真集やコミック、グッズ類は溢れている。まるで不思議の国のチェシャ猫のように、猫の〈カワイイ〉だけが残って猫の実体は消えてしまったかのようだ。なぜこのようなパラドキシカルな事態が起きているのか。その背景にある、人新世における人間−動物関係の見直しの潮流と、その困難さについて検討する。 2.海外の動き  街から猫が消える動きは、海外でも見られる。例えば最近筆者が訪れたオーストラリア、フランス、台湾などでも、かつては街を闊歩していた猫たちがいなくなっていた。その理由は、一方では猫による他の動物に対する攻撃を防止するためであり、また他方では、動物愛護の観点からの様々な規制によるものである。 3.日本の事例  日本では「猫消滅」の理由は必ずしも明確ではない。しかし、かつては奨励されていた「地域猫」の啓蒙ポスターも見えなくなった。地域で話を聞くと、「猫」をめぐって様々な立場の対立があることがわかる。例えば、猫愛護−猫嫌悪、避妊勧奨−避妊批判、観光促進–オーバーツーリズム批判などである。  コロナ禍は、これらの問題に加えて、地域猫への関与の縮小、猫を媒介にした感染症への警戒なども引き起こしたと考えられる。 4.家畜化と人新世とオフモダン  これらの問題は、よりマクロな枠組みから考えることも重要だろう。猫問題が(良かれ悪しかれ)クローズアップされてきた背景として、「人新世」という認識、すなわち、農耕開始、あるいは近代科学技術の発展によって、人間が自然環境全体に及ぼす影響が過剰となり、生物多様性の衰微、重大な気候変動、人獣感染症の世界的流行など、人類自体の存続が危ぶまれるような状況が発生している、という認識である。この危機を乗り越える方向性の一つとして、従来の人間中心主義から、人間以外の動物、植物、その他の環境を含めた全体システムを考えるべきであるという主張が影響力を保ちつつある。E.O.ウィルソンの「バイオフィリア」を始めとして、ブリュノ・ラトゥールのANT、チャクラバルティ、ダナ・ハラウェイら、多くの議論が活発化している。  こうした中で、「家畜化(domestication)」というプロセスにも関心が高まっている。動物の家畜化、植物の作物化などは、技術による環境の改変とともに、人類による地球システムへの介入であり、人間中心化の重要な道程であった。  本報告で議論の対象とするネコも、イヌとともに、人類にとって極めて身近な「家畜化」動物であることは疑いえない。しかしながら、ネコとイヌでは「家畜化」の様相が異なっており、また同時に、ヒト自身もまた「文明化」という「家畜化」を免れてはいない。また、「家畜化」は、個々の種において独立に起こるものではなく、他種との相互座用のなかで現出するものであるというのが、報告者の主張である。  本報告では、この「家畜化」とくに「ヒト−ネコ−イヌ」間の相互性に着目しつつ、冒頭で設定した問題を解こうとするものである。

報告番号96

猫好きな人の社会的特徴と意味世界——猫好きな人はどのような人で、何を考えているのか
東京大学 赤川 学

【1. 目的】猫社会学は、猫と人間の関係に関する人々の意味や知識の形成意味を質的調査により明らかにすると同時に、猫を好きであることがどのような社会的属性や背景によって影響されるのかを捉えようとする。たとえば報告者は、ここ3年間におよぶ猫に関するインタビュー調査の結果を質的統合法(山浦 2012)により分析することで、猫の魅力が7つの要素に分けられることや(赤川 forthcoming)、人々が猫に与える意味づけはほぼ7種類のカテゴリーに分類できることを示してきた(赤川 2024)。後者は【家族としての猫】、【理想としての猫】、【別種としての猫】、【猫を飼う責任】、【癒やしとしての猫】、【話題中心としての猫】、【無償愛の対象としての猫】の7種類である。 【2.方法】次なる課題として報告者は、20歳以上80歳未満の2000名を、日本国の性別・年代別・地域別で層化したWebモニター調査を、2023年11月に実施した。その結果に基づきながら、以下のリサーチ・クエスチョンへの回答を目指す。なお本報告で論じる社会的属性とは、性別、年代、居住地、婚姻上の地位などの基本的属性に加えて、学歴・職業・収入などの社会階層、文化資本、信頼・互酬性・ネットワークからなる社会関係資本の所有量などを意味する。 (問い1)猫好きな人の社会経済的属性の特徴はなにか。 (問い2)猫の存在をめぐる上記7種類のカテゴリーに「そう思う」と答える人の比率は、社会的属性とどのように関連するか (問い3)猫好きであることと、社会的属性以外の変数は、どのような関連があるか 【3. 結果】予想される結果は、以下の通りである。 (結果1)男性よりも女性の方が、高齢層よりも若年層のほうが猫好きである。 (結果2)男性よりも女性の方が、高齢層よりも若年層のほうが7種類のカテゴリーのほとんどで「そう思う」と答える比率が高い。しかし【別種としての猫】、(猫に対する伝統的見解の一つ)に関しては、高齢層のほうが「そう思う」と答える比率が高い。 (結果3) 社会的属性以外では、子ども数が少ないほど猫好き、孤独を感じないほど猫好きといった相関関係が認められる。ただし因果関係といえるかどうかは検討する必要がある。 【4.結論】猫好きであることや、猫に対する意味づけには、性別、年代別などの社会的属性により差がある。さらに子ども数や孤独などの要素も関連する。 なお当日の報告では、猫社会的属性や猫の存在をめぐる7つのカテゴリーについて、なんらかの統合や縮約が可能かどうかについても検討し、補足的に、猫好きな人と犬好きな人の社会的属性の違いについても触れる予定である。 【5. 文献】 山浦晴男, 2012, 『質的統合法入門』医学書院. 赤川学, forthcoming, 「猫はなぜ可愛いのか?」赤川学編『猫社会学、はじめます』筑摩書房. 赤川学, 2024「なぜ人は猫を飼うのか?第2回 猫という存在Ⅰ」『kotoba』2024年夏号, 集英社.

報告番号97

歴史社会学における史料分析と推論——ドイツ語史料と隠された史実の問題をめぐって
佛教大学 野崎 敏郎

【目的】  報告者は、歴史社会学の成果と課題・困難の所在とを可視化し共有しようとする本セッションのテーマ設定に共鳴するものであり、とりわけ歴史的諸事情から、史料の閲覧が困難であるケースに、歴史社会学はどう対処しうるのか、またいかにして厳密な歴史的考証と史実究明を実現させうるのかを考察する。 【方法】  報告者の方法的視座は、一方では、実証史学の史料分析の手法を用いて、厳密な史料解釈を提供し、一方では、「史料」という形で遺されていない史実を、合理的推論によって復元し、この二つを併せもつことによって、史料分析の表層に留まらない厳密で豊かな歴史社会認識を導出するところに置かれている。  報告者は、これまで、主としてカール・ラートゲン(1856-1921)の日独における研究・教育活動の究明、ドイツの大学問題をめぐるマックス・ヴェーバー(1864-1920)の闘争の実相とその意義の究明を進めてきた。それらは、『カール・ラートゲンの日本社会論と日独の近代化構造に関する研究』(科研報告書、2005年)、『大学人ヴェーバーの軌跡―闘う社会科学者―』(晃洋書房、2011年)、『ヴェーバー『職業としての学問』の研究(完全版)』(晃洋書房、2016年)、「マックス・ヴェーバーにかかわる二つの人事の実相―フライブルク大学移籍とハイデルベルク大学正嘱託教授案件―」(1-4、補遺1および2の6編、『佛教大学社会学部論集』第72-77号、2021-23年)、「アルトホフのラーバント招聘工作―独裁的官僚カリスマの挫折と転機―」(『佛教大学社会学部論集』第78号、2024年)等にまとめている。 【主たる考察内容】  とりわけヴェーバーのフライブルク移籍問題(1893-94年)にかかわる重要史料の多くは、その史料を管理する立場にあったプロイセンの文部官僚フリードリヒ・アルトホフ(1839-1908)らによって意図的に隠滅された。また、マックス・ヴェーバー関連史料群は、戦前期に、マリアンネ・ヴェーバー夫人によってベルリンの公文書館に寄託されたが、第二次世界大戦末期の危機的状況のなかで、この史料群が他の地方へと疎開され、そのまま行方不明になってしまい、今日にいたるまで、われわれ研究者はその史料群の大半を閲覧することができない。こうした歴史的事情から、失われた史料の内容の復元をなすための合理的推論が不可欠である。しかも、近年ドイツで刊行された『マックス・ヴェーバー全集』のなかに、事実誤認が多々見受けられ、また編集の不備もあることから、大学人ヴェーバーの実像は、一般読者にはほとんど気づかれていない。そこで、ベルリン・カールスルーエ等における現地調査によって、史実の解明を進めなくてはならない。 【結論】  本報告では、こうした諸事情・困難に直面しながら、史料分析と合理的推論とを併せもつことによって、厳密・正確な歴史的人物像を究明することが必要かつ可能であることを論じ、その方法的規準を明示する。

報告番号98

平和意識を探る方法——テキストの計量分析と地方紙の質的分析による折衷的アプローチ
関西学院大学大学院 渡壁 晃

【1.目的】  報告者は原爆被爆地の広島と長崎で平和意識がどのように形成されてきたのかについて、テキストの計量分析と地方紙の質的分析の手法を用いた歴史社会学的な研究を行ってきた。本報告では、従来の戦争社会学の研究をレビューし、テキストの計量分析と地方紙の質的分析による折衷的アプローチがもつ歴史社会学的研究の意義と可能性を検討する。 【2.方法】  平和意識とは、平和に関する社会意識のことである。従来の戦争社会学の研究では、①当事者の聞き取りや体験記の分析といった、当事者の体験や思いに迫ろうとする研究、②知識人言説の分析から大衆の意識に迫ろうとする研究、③SSM調査などの社会調査の個票データの計量分析から戦争という現象を理解しようとする研究が行われてきた。これらの研究では、個人に焦点が当てられ、そこから社会を読みとく試みがなされてきた。これは方法論的個人主義の立場に近いだろう。一方、報告者の研究では、当事者や知識人など個々人の考えや体験に還元できない、そして、彼らの意識の総和とは異なるような、一般大衆にゆるやかに共有される戦争や平和についての意識を明らかにすることを目指した。このような対象にアプローチするには、既存のアプローチよりも集合的現象をとらえやすいテキストの計量分析と地方紙の質的分析による折衷的アプローチが有効である。 【3.結果】  このアプローチを理論的に支えるのが、方法論的集合主義の立場から提唱された集合的記憶論である。報告者は、この立場に研究を位置づけたうえで、原爆を想起する際に生じる集合的現象を取り出した。具体的には、平和宣言、原爆関連反戦・反核行事、原爆関連慰霊行事である。平和宣言は、市民の意識を反映した集合的声明という性質を持つし、2種類の行事は、一般大衆がどのように集合的に行動したかを知る手掛かりになる。分析では、まず平和宣言の計量テキスト分析によって議論の見取り図を示し、平和意識を明らかにするための仮説を提示した。つまり、探索的分析を行った。そして、地方紙である『中国新聞』と『長崎新聞』に掲載された行事を分析することで、仮説を検証した。仮説の検証により、平和意識が反戦から反核へ変容したという大きな流れをつかめた。平和宣言の計量テキスト分析で示された「怒りの広島」「祈りの長崎」という地域イメージついては、地方紙の分析により、時間が経つにつれて「怒り」「祈り」といった情念のようなものが弱まっていくというより深い理解が得られた。これらから導かれた大きな結論は「平和意識の遍在化」という一見自明なものであったが、先行研究が指摘した「わかりやすい」「美しい」戦争の語りが現代の大衆に支持される現象について、それがなぜ起こるのかにまで踏み込んで検討することを可能にした点で社会学的意義があると考えた。 【4.結論】  テキストの計量分析と地方紙の質的分析による折衷的アプローチは、平和意識に関する歴史社会学的研究を遂行するうえで、方法論的に大きな意義を有する。一方で、いくつかの批判・議論のポイントがあることもたしかだろう。本報告では、従来の手法と比較することにより、折衷的アプローチの限界を示しつつも、平和意識の歴史社会学的研究を発展させるうえで有効な立場であることを議論したい。

報告番号99

ホモ・アメリカヌス――後期トッドの進化論的転回——家族史のパラダイム転換に向けて
奈良大学 尾上 正人

【1.目的】  2010年代以降に「大転換」(故石崎晴己の評価)を遂げたエマニュエル・トッド(以下、「後期トッド」と称する)の人類家族史を紹介する。そして、後期トッド説がかつての構造主義的な家族類型論から訣別した(文化)進化論の立場表明であること、また古人類学が40年以上前から彫琢してきた核家族形成論とも極めて親和性が高いことを確認し、これら両者に主として依拠した家族史のパラダイム転換を展望する。 【2.方法】  主として、後期トッドの家族史に関する主著である『家族システムの起源 Ⅰ ユーラシア』および『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(英訳名『近代性の系統――石器時代からホモ・アメリカヌスへの人間性の歴史』)、さらにオーウェン・ラヴジョイに代表される古人類学の核家族形成説を参照する。また必要に応じて、家族史に関わる史料や遺跡証拠等を提示する。 【3.結果】  トッド家族史研究の出発点は、留学先の指導者でもあったケンブリッジ・グループの総帥ピーター・ラスレットが提唱していた核家族普遍説への批判と対決、および(当時の)共産主義諸国と外婚制共同体家族の地理的分布が重なるという卓抜な発見であった。そこからフレデリック・ル・プレイの家族3類型論を下敷きにした固定的・共時的な7~8つの家族類型論が提唱されて、彼を有名にする。しかし親友の言語学者ローラン・サガールの批判・提案を容れて「周縁地域の保守性原則」を採用した後期トッドは、構造主義からの大転換、言わば進化論的転回を遂げる。核家族が現生人類(ホモ・サピエンス)の始原的な家族形態であることを強調するこの後期トッドは、まるでかつて反発した師ラスレット(さらにはマードック)の立場に先祖返りしているかのようでもあるが、如上の類型論は農業革命以降の3度の「父系革新」に伴う家族形態の(文化進化論的な)分岐・多様化の中に位置づけ直されることになり、近年の(再)核家族化現象はその部分的な「反転」として説明される。  後期トッド説で非常に興味深いのは、農耕開始以降の世界史において「周縁地域」であった英国(ブリテン島)や東南アジアなどでそれ以前(狩猟採集時代)の家族形態であった核家族が「保守」されていったのみならず、そこに「近代的」な種々の制度や慣行、文化が胚胎していったことの指摘である(これは、ラスレット以外にも同じケンブリッジ・グループのヘイナルやマクファーレンが主張してきたことと符合する)。特に、英国から北米に飛び火した、核家族を擁する資本主義経済に適合的な人間類型は、祖国にあった「(家長)絶対主義」を払拭してホモ・サピエンスの始原的形態に「回帰」した「ホモ・アメリカヌス」と定式化されている。 【4.結論】  約30万年という現生人類史の中では、後期トッドが捉える家族形態の(文化)進化論的な分岐・多様化はごく最近に起きた現象であり、その中の「近代」ということになればほんの一瞬の出来事でしかない。そこに過大とも言える意味づけを行なってきた「近代家族論」は今日ではいわゆるガラパゴス化し、また視野狭窄に陥っているようにも見える。後期トッド説や古人類学の知見などに依拠した、家族史のパラダイム転換が求められている。 C. O. Lovejoy. (1981) “The Origin of Man”, Science 211(4480), pp.341-50.

報告番号100

主婦連合会の主張行動におけるネットワーキングの変容
関西大学 濱 貴子

【目的】戦後日本社会における暮らしやすい社会の実現へ向けた取り組みはどのようなつながりが形成されるなかで進められていったのか。本報告では、戦後長きにわたって生活に根ざした婦人運動・消費者運動を展開してきた主婦連合会に注目し、その主張行動におけるネットワーキングの変容を明らかにすることによってこの問いにアプローチする。 【方法】本報告では、主婦連合会機関紙『主婦連たより』(1号-478号〔奥むめお名誉会長就任報告号〕)の「運動日誌」に記録された活動について、年月日、活動内容、活動主体、活動の場、連携団体・連携者、参加人数をデータ化した。全活動13247件のうち、1201件が主張行動に該当した。このデータを用いて、時期を結成から約10年ごとに4区分したうえで、①活動主体のネットワーキング、②主張内容、③主張行動の働きかけ先のネットワーキングの3つの側面から分析をおこなった。なお、『主婦連たより』記事や周年記念誌などから、主張行動に関する活動内容の詳細を補足した。 【結果】主婦連合会の主張行動は、第3期にピークを迎え、第4期に減退した。行動主体・主張内容・主張行動の働きかけ先を組み合わせて時期ごとに各割合をみた場合、第1期は主婦連単独での「話合」の割合が最も高く、おもに「地域婦人会」「企業・業界団体」「省庁」へ向けて行われていた。次に割合の高かった主婦連単独での「要求」は、約半数が「省庁」に向けたものであった。第2期は主婦連単独での「要求」の割合が最も高くなり、その約4割が第1期と同様「省庁」へ向けたものだったが、「首相・大臣」の割合も高まった。第3期は他団体と連携した「要求」の割合が最も高くなり、おもに「省庁」「首相・大臣」に向けて行われていった。第4期も他団体と連携した「要求」の割合が最も高く、第3期と同様おもに「省庁」に向けたものだったが、第3期に比べその割合は低下し、一方で「国会」の割合が高まった。また、他団体と連携した「話合」「PR」の割合も高まり、「話合」はおもに「企業・業界団体」「政党」「省庁」に向けて、「PR」は「街頭」に向けて行われていった。加えて、「要求」については、全期間を通じてほとんどの働きかけ先に対して「反対」よりも「推進」の割合が顕著に高かった。第4期の「国会」に向けた「要求」のみ「推進」よりも「反対」の割合が高かった。 【結論】主婦連合会の主張行動は、第1期・第2期は初代会長奥むめおの参議院議員という社会的立場を通じて、省庁に向け主婦連が重視する社会課題の解決に向けた推進要求を活発化させ、奥が議員3期目となる第2期には行政の長である首相や各省大臣に向けた直接的な働きかけも増加した。奥の政界引退後、第3期には他団体との連携を拡大・深化させ省庁や首相・大臣へ向けた要求を継続して行っていった。第4期には、社会課題が複雑化するなかで省庁への要求はやや割合が低下した。一方で、幅広い団体と連携し、省庁、企業・業界団体や政党へ向けて社会課題に関する話合の場を持つようになるとともに、多くの団体を取りまとめ国会へ向けて消費税導入反対を要求していった。さらに他団体と連携した街頭活動も活発化させていった。主婦連合会は、主張行動においてその時々に有効な社会関係資本を活用しネットワーキングを組みかえることによって様々な社会課題をアジェンダ化していった。

報告番号101

国家の歴史社会学と現代政治経済学
東京都立大学大学院 稲葉 年計

日本では以前より,マクロ的な視座に立つ歴史社会学が手薄であることが指摘されている.本稿は,そうした歴史社会学の現状に対し,マクロ的な視座に立つ歴史社会学がどのように有効であるか,どのような観点を持ってマクロ的な視座に立つ歴史社会学を導入することが有効かを方法論的に問うものである. 日本の歴史社会学において特徴的なのは,個別の領域を対象とした,あるいは庶民や市民の社会の歴史を対象とする傾向であり,その傾向に対抗する視点を提供してくれるのが国家論や政治学の潮流となる. 「ヴェーバー以後の社会学は,『国家』というテーマを他の学問分野(おそらく政治学)に委ね,自らはもっぱら『社会』に力を傾注してきた感がある.ただ,英語圏の社会学では,1980年代以後こうした状況は大きく変化してきた.チャールズ・ティリー,シーダ・スコチポル,マイケル・マンといった社会学者たちは,社会学に『国家を取り戻す(Bringing the state back in) 』努力を続けてきた」とされながらも,「欧米ではチャールズテリーの国家論は定説と呼ばれるほど有名だがなぜか日本ではほとんど知られていないといった指摘もある(佐藤成基 2014 『国家の社会学』).本報告は,これを現在視点から改めて整理する趣旨もある.  演繹法と帰納法の意義をそれぞれ強調する意味での,「部分」間の関係によって「総体」を構成する弁証法的な歴史社会学,あるいは多次元間の「可能性の連鎖」としての全体性を志向する歴史社会学の方法論的な意義を捉える.質的研究の深掘りと言ってもマニアックな記述であればよいとも限らず,1つとして多次元間領域の分析の可能性を指摘することはできる.  現代政治経済学と歴史社会学との接点に注目すると,現代政治経済学は,規範的視角,「構造と主体」の視角,動態論的視角,因果関係的な視角を深化させた後,質的アプローチや解釈的アプローチの深化も企てようとしている点に,演繹法と帰納法の深化を企ててきた元来の歴史社会学の方法論との接点が見いだせる.近年の歴史社会学が解釈や記述の方法を重視してきたとするならば,一方で現代政治経済学からは,特に規範的視角,「構造と主体」の視角,動態論的視角,因果関係的な視角の参照が期待できる. 特に歴史社会学が現代政治経済学から参照できるものは,規範的視角,「構造と主体」の視角,動態論的視角,因果関係的な視角であり,マクロ的な視座に立つ歴史社会学を企てる上で有効である.また同時に現代政治経済学ならではの質的アプローチ,解釈アプローチを参照することも可能である. 近年の日本の歴史社会学の解釈・記述重視の傾向に,もしも懸念するものがあるとすれば,それは,社会から国家への一方向的な権力の因果分析により問題意識の狭窄化と研究スケールの縮小が問題視された行動論政治学と同様に,方法の一方向化からなる対象の拡大の禁欲などによる,歴史社会学手法の発展の一方向化の可能性だろう.マクロ分析を手放しつつある社会学は,マクロ分析の有効な素材を彫琢してきた政治学をとり入れる有効性を持つ.本稿は,歴史社会学の方法論を,通史的,分野横断的に整理することで,歴史社会学手法の充実を図り,全体性を見出すものである.

報告番号102

なぜ、何を、いかに比較するのか——福祉国家の歴史社会学を事例とした比較実践の自覚的多様化
神戸大学大学院 坂井 晃介

【1. 目的】歴史社会学的研究 において「比較」はいかなる意義・意味を持つのか。1970年代以降のアメリカ歴史社会学では、革命や民主化、資本主義など重大事象の成立要因を特定するために、質的・量的な比較分析の方法的洗練が進められてきた。しかしこうした方法的厳密化と研究アプローチの標準化については、研究実践の記述としても多様な研究アプローチの模索という点でも更なる検討の余地があるとみなされている。本報告はこうした問題意識を引き継ぎつつ、歴史社会学的研究において比較がいかなる理由で、何を対象とし、どのような実践としてなされうるのかを考察する。 【2. 方法】第一に、因果性を志向するアメリカ歴史社会学 における比較の位置付けについて概説する。第二に、日本語圏での研究実践も踏まえながら、社会学的な歴史研究は必ずしも狭義の因果性を志向しない形でも比較研究を進めてきたことを指摘する。第三に2020年代以降、これまでの研究実践上の広がりを総括・批判・再構成する形で比較と因果をめぐる歴史社会学の方法的議論が活発化している状況を整理する。第四に、そうした試みの一事例として、福祉国家の歴史社会学的研究における比較分析の多様化を展望する。 【3. 結果】国家、階級等の構造的カテゴリーや政策等のアウトカムを所与として進められがちな福祉国家研究では、カテゴリー形成そのものの歴史的偶発性や多様性、制度形成にかかわる人々の概念運用への着目など、歴史社会学的研究による貢献が期待できる。そこでは特に、レジーム論的な分類論や政策の因果分析とは区別される「非対称な」比較研究の余地がある。例えば福祉国家はその前身に、より広範な社会的諸問題を強権的に解決する「ポリツァイ国家」を有する場合がある。なかでもドイツや日本の近代福祉国家は、自由主義的な改革を経て「ポリツァイ国家」とは異なる問題解決手段を志向する行政的再編の結果成立したと言える。その点で一部の福祉国家は、警察権力の強制的問題解決と社会的権利の擁護の実現の狭間で、制度的かつ理念的に絶えず揺れ動きながら形成されていった。こうした「ポリツァイ国家から福祉国家へ」という一般的図式の前提になる「警察」「行政」「社会政策」といった制度単位がいかなる経緯で成立したのか、それに対して人々はいかなる意味を付与したのか等について、比較分析はある事例(ドイツ)の記述・説明の条件として他の事例(日本)を参照する際のアプローチとして自覚的に利用しうる。 【4. 結論】歴史社会学における比較は、方法的洗練を通じて因果関係の特定のための有力な手段として利用可能であるとともに、諸制度そのものの構成プロセスを記述したり、それが同時代の人々の問題設定や問題解決をいかに規定してきたのかをより精緻に解明することにも貢献しうる。また単一事例の歴史社会学的研究も、記述・説明の際に動員される理論的前提への反省を通じた比較分析として位置付けられる可能性もある。歴史社会学的研究における比較は、目的、対象のスケール、(非)対称性、方法それぞれにおいて多様でありうるが共存可能であり、これらを反省的にマッピングすることで、社会学のサブディシプリンとして更なる発展が期待できる。

報告番号103

グローバル/ポストコロニアル歴史社会学の射程
専修大学 森 啓輔

【目的・方法】近年英語圏で国際的に展開しているグローバル/ポストコロニアル社会学の試みにおいて、ガルミンダー・K・バンブラ(Gurminder K. Bhambra)やジュリアン・ゴ(Julian Go)、ジョージ・スタインメッツ(George Steinmetz)などが中心となり、帝国と(旧)植民地の関係性が欧米の近代形成において決定的な影響をもつことが歴史社会学的に検証され、論争となっている。日本語圏においても、近代の産物である社会学を構成するカノンの批判的な検証をおこなった『社会学的想像力の検討:連なりあう歴史記述のために』(Bhambra 2013=2007、金友子訳)などが紹介されてきた。また、社会学の基本的概念として帝国と植民地を導入しようとする動きも見られる(Go 2016)。本論では、グローバル/ポストコロニアル社会学が、歴史社会の記述においてどのような特徴を持つのかについて、とりわけバンブラとゴの著作を対象に認識論的な水準において考察する。【結果・結論】イギリス帝国と植民地を研究対象としてきたバンブラは、歴史社会学的な記述戦略である「連なりあう複数の歴史Connected histories」を打ち出した。歴史学者のサンジャイ・スブラフマニヤム(Subrahmanyam 1997)に触発されたこの認識論は、ヴェーバー主義的な比較を軸とした方法論的ナショナリズムと基準としての理念型(Idealtypus)を批判しながら、普遍主義的でもサバルタン化された歴史とも異なる、関係的な歴史記述の可能性を開いている。またグローバル/ポストコロニアル社会学は、ポストコロニアリズムが社会科学においては考察する必要はないとする拒絶や、あるいはポストコロニアリズム自体の懐疑論的な姿勢が社会科学に敵対するものだとして真正面から議論されてこなかった理由を議論する。他方で、ポストコロニアリズムの懐疑主義に対しても批判を投げかけ、社会学がポストコロニアリズムに対して可能な貢献についても主張する(Go 2016)。グローバル/ポストコロニアル社会学が議論の俎上に載せたいのは、社会学の諸々の基本的概念が、近代ヨーロッパ社会内部の経験を対象として鍛え上げられてきた一方で、同時代の構成的外部であった植民地の経験を同時に考察することで、同基本的概念のポストコロニアル的アップデートが可能となることである。このアップデートにより、(旧)植民地の経験も組み入れたより非欧米中心主義的でグローバルな現代の社会変動が記述可能となる。

報告番号104

メディアミックス時代の多層化するマンガ経験 ——『週刊少年ジャンプ』の目次分析から
拓殖大学 池上 賢

【1.背景】報告者は拙稿において、マンガをめぐる状況は、雑誌の衰退が指摘された1990年代半ば以降大きく変容していると指摘した。具体的には、“媒体と流通経路の変化”、 “語る場の拡大”、そして“メディアミックスの拡大”である(池上 2022)。本報告では、この中から特に“メディアミックスの拡大”に注目する。マーク・スタインバーグによれば、1980年代以降、「雑誌を基盤にゲームに代表される新しいメディア形態を重視」し、「メディアをミックスすることが本当に中核になって」おり、「他のメディアとつながっていく必要性がマンガやゲームなどに埋め込まれている」といった特徴を持つ新しいタイプのメディアミックスが、角川書店(現KADOKAWA)にけん引される形で登場した(Steinberg 2015)。【2.目的】スタインバーグの議論は、日本のマンガ文化を考察する上で重要なものである。では、そのようなメディアミックスの形態は、他の出版社も含めたマンガ文化全体においてどの程度の広がりを見せていたのだろうか。本報告では、雑誌が主要な媒体であった1990年代半ばまで圧倒的な部数を誇り、幅広い世代から支持を得ていた『週刊少年ジャンプ』の目次を対象とした分析を行い、メディアミックスの広がりによるマンガ経験の変化について明らかにする。【3.方法】報告者は、1980年から2022年までの『週刊少年ジャンプ』の目次を対象とする調査を行った。まず、該当期間の『週刊少年ジャンプ』について、毎年5冊を抜粋し、目次項目をデータベース化した。その上で、各項目に、連載マンガ、他雑誌やマンガ単行本に関するおしらせ、懸賞/プレゼント企画、作品関連情報/企画、ゲーム情報などのコードを付与し、これを分析した。【4.考察】分析の結果、抽出した号の目次に掲載された項目数は、1980年代では平均171.1項目、1990年代208項目、2000年代254.1項目、2010年代279.9項目、2020年代267項目と増加していた。年ごとの抽出した目次項目に対する割合にも変化が見られた。たとえば、連載マンガは1980年代には、全目次項目に対して48%となっていたのに対して、2020年代には36%まで減少していた。一方、作品に関する情報ページの割合は1980年代には0%であったが、2000年代には13%まで増加し、2020年代には20%まで上昇していた。また、割合はおおむね横ばいで合ったが、同誌にはアニメ情報・ゲーム情報などがコンスタントに掲載されていた。【5.結論】『週刊少年ジャンプ』はマンガ雑誌でありながら、アニメやゲームなどの多様な情報を掲載していたことが明らかになった。また、作品を掲載するだけでなく、関連する解説や情報も充実していることが示された。以上のことから、角川書店がけん引したメディアミックスのスタイルが広がる中で、『週刊少年ジャンプ』もメディアミックスを重視した誌面を展開し、多層性のあるマンガ経験を提供していたことが示された。【文献】池上賢、2022、「マンガ経験のさらなる探求に向けて――読者・読書論を超えて」小山昌宏他編著『マンガ探求13講』水声社. マーク・スタインバーグ,2015,大塚英志監訳・中川譲訳『なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか』KADOKAWA.

報告番号105

「作品」と「メディアミックス」の距離を考える——「スレイヤーズ」ファンの事例から
慶應義塾大学大学院 杉山 怜美

【1.目的】 本報告では,ポピュラー・カルチャーの中でもマンガ・アニメ・ゲーム・ライトノベルなど,特定のテクストを中心に展開される領域と,そのファンの経験に注目する.近年,商業的に広くメディアミックスの手法が採用されているが,その規模が拡大,長期化するにつれて,産業として統一的かつ明示的に特定作品の全体像を提示することが困難になっているように思われる.翻って,メディアミックス環境下においては,作品の輪郭を決定するうえで受け手の影響が強まっているのではないか.こうした問題意識を踏まえて,マンガやアニメなど複数のメディアで展開されている作品のファンを自認する人びとが,自らの愛好対象である「作品」をメディアミックスとの関係においていかに理解しているのか明らかにすることを,本報告の目的とする. 【2.方法】 前述の目的に照らして,その時々のメディア環境の変遷を反映しながら多種多様なメディアミックスがなされてきた「スレイヤーズ」シリーズとそのファンを取り上げる.本作は1990年に神坂一による小説が刊行されて以降,現在まで約35年間にわたってゲーム,マンガ,アニメなどで発表され続けており,今なおファンの活動も活発である.分析にあたっては,「スレイヤーズ」の愛好者15名を対象に2016年および2021~2023年に実施したインタビュー調査のデータのうち,「スレイヤーズ」の魅力を語る際にメディアミックスに直接言及した2名の女性のデータを中心に検討した. 【3.結果】 1人目は,本作の魅力がキャラクターやストーリーといったテクスト内在的な要素にあると述べたうえで,メディアミックスされたいずれの媒体でも一定の成功を収めてきたことを根拠に「すごい作品」だと評した.また,アニメやライトノベルといった単独のジャンルで代表させることへの違和感を表明して,本作はあくまでも「好きな作品」であると語った.2人目は,メディアミックスによって生じた特徴を本作の魅力の中心的要素として挙げた.具体的には,その結果生じたキャラクターの性格などの設定の差異について,自身にとって苦手なものも存在する一方で、「柔軟」さや「味」であると評価していた.加えて,関連する作品すべてを受容してしまうのが「もったいない」ために受容のペースを落とす実践を行っていた.2名に共通して,メディアミックスによって生じた差異を受け入れがたいと感じているファンの存在に言及して,そうした見方に理解を示したうえで,それでも自身にとってメディアミックスは好ましいものだと述べる語り方がみられた. 【4.結論】 メディアミックスを「スレイヤーズ」に不可欠な要素と捉えるか,一部の作品(多くの場合は原作小説)のみに真正性を見出すかは,個々のファンに一任されているという理解が存在していた.また,メディアミックスが大々的に行われたことで,ファンは自らの愛好対象を特定のジャンルやメディアによって名指すことが困難になっている反面,受容の仕方を個々人で調整可能となったことも明らかにできた.メディアミックスが慣例化したことでポピュラー・カルチャーの安定的なジャンル分けが困難となっているのは研究者も同様であり,個別の事例に即して論じる重要性が増していると考えられる.

報告番号106

オーディエンスの実践としての二次創作文化——非営利の問題をめぐって
京都大学大学院 河原 優子

【1.目的】 「二次創作」は、既存の漫画やアニメ作品等のコンテンツのキャラクターや世界観を流用する創作活動の総体であり、日本のポピュラーカルチャーの世界においては、さまざまなファン文化の中で行われている文化実践である。本報告の目的は、本来、情報の受け手である読者が、同時に情報の送り手(作家)として活動する二次創作の実践を、オーディエンス研究の中に位置付け、ファン集団(オーディエンス)が一次著作物(原作)との独特の関係性を担保しながら、メディアや市場と相互作用することで構築される錯綜した世界について検討する。本報告では、二次創作世界の構築の中で特に、非営利をめぐる問題に着目して考察をおこなう。 【2.方法】 2018~2024年のインタビュー調査とオンライン・同人誌即売会における参与観察、およびSNS分析などに基づき、ファン集団内で生成される規範を析出する。とりわけ非営利に関する言説と意識に焦点をあてる。 【3.結果】 二次創作の現場では、非営利をめぐっては、相反する二つの論理が共存・競合した状態が出現し、その対立状態は創発的な規範によって暫定的に統制されている。二次創作で同人誌等の頒布により金銭を受け取る行為は、一般に実費の回収として承認されており、営利目的の販売行為は忌避されている。この論理が作動しているので、実費の生じないオンラインにおいては、二次創作は無料で発表することが原則となっている。これは、一次著作者の経済的利益を守る市場の論理に対して、非営利とすることで、権利侵害という批判を回避していることを意味している。しかし同時に、同人誌即売会等で頒布される同人誌の価格設定にはページ数や装丁等に応じた暗黙の了解があり、二次創作者(作家)の言い値を認める暗黙のルールがある。こうした価格設定のあり方は、実費の回収とは根本的に異質な論理が含まれている。そこにおいては、市場の論理が換骨奪胎されているのである。 【4.結論】 二次創作文化においては、ファン集団は一方で、作品の消費者という立場から、非営利という形式を強調して一次著作者の権利と利益を守る市場の論理を補完する。その一方で、部分的にこれを換骨奪胎して、自らの創作活動の場と利益を確保することを通して自律性を維持する。これは、ある意味で、支配的な構造を自ら再生産すると同時に抵抗している状態とみることもできるが、逆により大きな市場の論理に包摂されるエージェントと見ることもできる。この葛藤状態の中で、その葛藤を生き抜く新たなオーディエンス像が展望できるのである。

報告番号107

フランスにおける「ドラゴンボール世代」のアニメーション視聴の経験とその記憶
関西大学 雪村 まゆみ

フランスは、アニメーション史において、世界初のアニメが制作された国とされ、第二次世界大戦期にはアニメ制作が組織的に行われていたが、戦後はその体制が継続的に維持されたわけではない。フランスの放送事業は、戦後も国家主導で運営されていた期間が長く続き、先進国のなかでもテレビの普及スピードが比較的遅かった。1980年代以降、テレビ局の民営化が進むにつて、広告収入をいかに得るのかということが重要な課題となる。消費社会の到来とともに、女性や子どもの嗜好が意識され、視聴者となりうる存在を発掘していく。アニメのテレビ放映は1972年に開始され、子ども向け番組として、1975年「水曜日の訪問者」、1978年「レクレA2(Récré A2)」に続き、1987年から「クラブ・ドロテ」が始まり、十数年のあいだに日本製アニメが放映される量が増加した。おおむね1980年代初期生まれは、すでに幼少期から日本製アニメのテレビ放映が日常化している世代と特徴づけられ、世界的にも人気を博したドラゴンボールに熱狂した世代といえるため、この世代を「ドラゴンボール世代」とよぶ。本研究では、ドラゴンボール世代のアニメ視聴経験について、フランスの地方都市在住のR氏に聞き取り調査を行い、いかにして当時の子どもたちが日本のアニメに出合い、そして熱狂していったのか、彼らの記憶について考察する。 フランスでは当時、水曜日の午後は学校が休みになるので、それに合わせてアニメ番組が放映されていた。R氏の場合も両親は共働きで、学校から帰宅すると、近くの祖父母の家に預けられ、その家でみて過ごしていた。なかでも「クラブ・ドロテ」に組み込まれていた『ドラゴンボール』はとくに人気で遊びの中に組み入れていた。一方でフランス製のアニメは幼児向けのものが少しあるにすぎず、ほとんど印象に残っていないという。テレビ放送局の民営化によって、フィギュアなどのキャラクターグッズの売り上げと連動するテレビの視聴率が重要となり、子どもたちに人気があるということが新しい価値として認められていく。 アニメの放映量の増加は、ジャパンバッシングに結びつくことになる。視聴している子どもやその親、学校の先生のすべてが批判的に捉えているわけではなく、テレビ放送局の民営化を進めた政党への批判を背景とした極めて政治的な批判にすぎないが、結果として、1990年代はテレビ放映が減少していくこととなる。テレビ放映に取って代わったのがVHSビデオカセットで、テレビでは放映されないビデオのためのオリジナルエピソードを目当てに子どもたちが購入し、「新興市場といえる」VHSビデオ市場は日本アニメによって「飽和状態になった」と指摘されるほどである(Suvilay 2016)。幼少期には日本で制作されたものと意識せずに視聴していた子どもたちも、成長するにつれ、日本のアニメは面白いと認識するようになり、その考え方は今や定着している。 参考文献 Bounthavy Suvilay, 2016, Retour sur les debuts de la vente de cassettes video l’animation en France, Marie Pruvost-Delaspre, 2016, L’Animation Japonaise en France – Réceptions, Diffusions, Réappropriations,L’Harmattan:105-114.

報告番号108

VTuberの社会学的研究はいかにして位置づけられるか──労働社会学的研究を通じて
神戸大学 﨑山 航志

【目的】近年「VTuber(バーチャルYouTuber)」という存在がエンターテインメント領域において存在感を発揮しており、学術の世界でも『VTuberの哲学』(山野 2024)、『VTuber学』(岡本ほか 2024)といった著作の形で研究成果が結実し始めている。ところが、VTuberはメディア論やキャラクター論、ファン研究といった、社会学的分析に資する切り口を多く含んでいながら、学術的な分析視角は美学・哲学的なものに偏っているといえる。本稿では、報告者の関心に従ってVTuberを「労働」の観点から切り出しながら、それを社会学的に/先行研究の中にどのように位置づけていくのがよいかを検討する。

【方法】VTuberとして活動する人々へのインタビュー調査に基づき、彼ら/彼女らの活動にどのような労働上の困難があり、それがどのように意味づけられているのかを考察する。また、VTuber活動を始める/やめることの意味についても考察を試みる。その過程で、批評やコラムの形で散発してきた先行研究を取りまとめるとともに、社会学分野におけるどのような研究が先行研究として参照できるかを検討する。この作業を通じて、社会学的なVTuber研究の学術上の位置付けを明示する。

【結果】VTuberを直接対象として扱った社会学分野の先行研究はほとんど見られないが、アニメーション研究やメディア研究、キャラクター研究に立脚して分析することができる。また、活動者の営為に焦点を当てた分析も可能であると考える。その意味で、VTuberと類似した営みの中に生きる労働者に関する研究が参考になる。近年では、例えばアイドルやバンドマンに焦点を当てた研究がなされている(上岡 2022、野村2023など)。さらに、VTuberを取り巻く産業の観点からも多くの示唆がもたらされる。

【結論】VTuberは、文化現象としてのマクロな観点と、個人の営みレベルのミクロな観点から分析可能であり、この両側面に着目することで先行研究における位置付けを明確にすることができる。VTuberを現代の文化現象として捉えることで、メディア研究等の分野に新たな示唆をもたらすことができ、VTuberを「労働」の観点から描き出すことで、労働社会学分野の蓄積の中に位置づけることができる。

【参考文献】岡本健・山野弘樹・吉川慧編,『VTuber学』岩波書店.上岡磨奈,2022,「アイドルは労働者なのか──『好きなこと』を『やらせてもらっている』という語りから問う」田島悠来編『アイドル・スタディーズ──研究のための視点、問い、方法』明石書店,31-42.野村駿,2023,『バンドマンの社会学』岩波書店.山野弘樹,2024,『VTuberの哲学』春秋社.


日韓1

日韓両社会における分断とナショナリズム――2024年予備調査の分析
中京大学 松谷 満
早稲田大学 田辺 俊介

報告者らは「ナショナリズムと政治意識」に関する日韓国際比較調査を2025年に実施予定である。本報告は、その準備のために実施した2024年予備調査データをもとにしている。この報告では、第一に、日韓両社会におけるナショナリズムが社会のどのような分断を反映しているのかに注目する。具体的には、①内集団への過剰な愛着(愛国心・ナショナルプライド)、②外集団(近隣諸国)への敵対感情(排外主義)がどういった社会層により特徴的にみられるのかを示す。第二に、ナショナリズム下位概念間の連関が両社会で同型なのか、という問いに対して分析結果を示す。これは既存の欧米モデルに対し、日韓の独自性および同型性を検証する試みである。これらの結果をふまえつつ、本調査をより有意義なものとすべく議論を行いたい。

日韓2

韓国における高齢者の差別と排除——20代青年たちによる高齢者認識のフォトボイス
忠南国立大学 キム・ジュヒョン KIM Juhyun 

高齢者に対するイメージは、人生の過程において個人的なレベルのアイデンティティと自尊感情に影響を及ぼすだけでなく、他人との相互作用、他の世代との社会的葛藤、高齢者政策および制度等に広範囲な影響を与えるという点で、意義のあるテーマといえる。本研究では、大学生らの高齢者に対する認識を調査した。高齢者層に対するより正確で率直なイメージを捉えるため、視覚的データ(写真)を分析し、5名の大学生を対象に深層インタビューを実施するフォトボイス技法を使用した。写真、インタビュー、フォーカス・グループ・ディスカッションで出されたテーマは、20代青年たちによる高齢者への否定的な「他者化」、日常の中の「差別と排除」に対する批判的な自覚、「他者化」に慣れていた青年たちの意識の向上といった3点に整理される。青年たちはフォトボイス体験を通じて、日常における多様な形態・程度の高齢者差別・排除を発見した。一方で、青年たちにとっては高齢者に対する肯定的な視角と高齢者の感情を認識する契機となった。研究結果は、青年世代と高齢者世代間の肯定的な相互作用を促進するプログラムと政策を開発・施行することが世代間葛藤と年齢差別の解消に寄与しうることを示唆する。

日韓3

それは一本のビデオテープから始まった——金融被害の輸出と日韓過剰債務者救済活動 2005-2024 
金城学院大学 大山 小夜 

本申請は、日本と韓国における過剰債務を比較検討する。過剰債務とは、金融業者の半ば強引な貸付によって、債務者が返済能力を超えた借金を負い、生活破綻に陥ることである。日本では、1970 年代の石油危機後に顕在化し、現在は貧困問題の一部として扱われている。一方、韓国の過剰債務は、1997 年の IMF 通貨危機以降、貧困問題とほぼ同時に発生した。その一因には、日系貸金業者が韓国に進出し、日本における貸付モデルを“輸出”したことがある(同様の現象は 1980 年代以降の台湾でも生じた)。日本の関係者はあるビデオテープによってその事実を知り、日韓台の過剰債務者自助組織の設立と活動の支援を開始し、いわば解決策の“輸出”を推進してきた。その取組みを最初期から調査してきた申請者は、この間の国際連携とコロナ禍で明らかになった課題と成果から、不可視化された脆弱層の社会的包摂に向けた論点を報告する。以上の現象を、理論的な観点からは「圧縮された近代」の一例として取り上げて考察する。

日韓4

多文化社会における国境づくりと葛藤の極端化——大邱北区のイスラム寺院建立をめぐる葛藤を中心に 
慶北大学 ユク・ジュウォン YUK Joowon

過去20年間、「多文化」言説が活発化し、韓国社会の多文化化は否定できない現実となった。しかし、最近の移住をめぐる世論の地形は、移住と発展の連携(migration-development nexus)を強調する多文化の物語よりも、移住と治安を連携し自国民優先主義を前景化させる反多文化の主張がより支配的であるように見える。本研究は、最近のイエメン難民受入れ論争以降に激化した難民、移住民に対する嫌悪と排除の政治の様相を、「国境づくり(bordering)」の視点から分析する。特に、2021年から現在まで続いている、大邱北区のイスラム寺院建立をめぐる葛藤の事例にあらわれる多様なアクターらの国境づくり実践を分析し、現代韓国社会における移住および人種・文化・宗教的差異をめぐる社会葛藤の特徴を理解しようとするものである。まず、寺院建立に反対する住民たちの国境づくり実践では、空間的分析に焦点を当て、情勢的契機ごとに反対住民たちの国境づくり実践が人種化された所属感の政治と結びつく様相を探る。しかし、本研究はこのような所属感の政治が、少数の「人種主義者」の問題ではなく、国家の移住統治戦略と相互決定関係にあるという観点を取る。イスラム寺院をめぐる葛藤に対し、自治体、警察、大学等の関連機関は、当該問題を「民民葛藤」とみなして介入を避けるが、このような国家の不作為(何もしないことではなく、規範的に期待される一定の作為を行わないこと)も国境づくり実践の一部であるというのが本論文の主張である。最近、このような内部国境化現象は、「国民」と非国民間の階層的な権利言説を活用しながら、国家と「国民」たちの国境づくり実践の相互連携を強化し、国民国家に内在された排他的属性を極大化している。同時に、このような国民主義的な階層化や排除が、人種主義や差別とは無関係なものとして表象されることで、多文化社会において嫌悪を量産し、葛藤を激化させている。
 筆者は、大邱慶北差別禁止法制定連帯、移住労働者人権・労働権実現のための大邱慶北連帯会議、民主社会のための弁護士の会大邱支部、大邱参与連帯等の地域市民社会団体と共に2021年から「大邱北区イスラム寺院問題の平和的解決のための対策委員会」を結成し、活動してきた。2021年、北区庁の寺院建築中止から始まった葛藤の現場で活動しながら、当該問題に関する情報と知識を得て、問題解決のために共同で参加、実践、省察するアクション・リサーチを進めている。アクション・リサーチにおいて研究者は、特定の事件と現場での実践について批判的に省察することで現実の具体的な問題を解決しうる実践的知識の生産を目指し、本論文もその過程の一部である。
 本研究は、国境に関する自然的、物理的な理解を越え、多様な空間へ広がり、市民社会の処々に遍在する国境に関する理解を図る批判的国境研究の観点を取る。また、多様なアクターらの国境づくりを多重的スケールの構造的文脈から探ることで、単に国民国家スケールにとどまっていた国境づくりを多様なスケールから見るだけではなく、多重的スケールで多様なアクターらの国境づくりを「関係論的」視点からアプローチする。寺院建立に反対する住民たちの国境づくり実践が人種化された所属感の政治と結びつく様相を、「トッセ(텃세; 先に定着した者が後続者に行うよそ者扱い)の共感覚的展示」と名付け、分析し、自治体、警察、大学等による国境づくりがこのような所属感の政治の持続に影響を与えていることを明らかにする。さらに、「国民」概念を通じた政治主体化が移住と差異の問題に出会うことで内在された排他性を強く露呈するが、「国民」がもつ普遍主義的な訴求力が相異なる国境づくりアクターらの実践を結びつけ、人種主義と嫌悪の問題を副次的なものとするメカニズムを指摘する。何よりも、退行的な社会現象とされる人種化された所属感の政治が、国家の移住統治戦略下で作動していることを明らかにし、国家が特定の行為と不作為のもとで多文化社会を管理していることを説明する。

報告番号114

寝具小売店の対人販売場面における触覚の商品化
京都府立大学 平本 毅

身体や感覚を扱う社会学領域では、旧来は個体内に閉じた存在として扱われてきた感覚が、現代社会において、いかに社会的な存在として扱われるようになってきているかが取り上げられる。そのテーマのひとつに、現代的な消費文化の下で、人の身体や感覚が消費の対象となっている問題がある。他方でこれをマーケティングの観点からみると、身体や感覚を消費の対象としていくこと(=商品化すること)はマーケティングの目的の一つである市場の創造であり、積極的に推進すべきことである。近年における感覚マーケティング(消費者の感覚を刺激することにより販売を促進するマーケティング)手法の発展は、感覚を社会的な存在に仕立て上げることが、消費社会の中でいかに重視されているかを示している。本研究では、寝具小売店の対人販売場面の録画・録音素材(計14時間40分(約)、75組の接客)をデータとして扱う。寝具小売店では、感覚のうちでもとくに触覚が商品化される(「ふかふかの布団」「寝心地のよい枕」etc.)。しかし、調査を進めるとすぐに、触覚の商品化がそれほど簡単なことではないことに気づく。寝具小売店は専門品を販売しており、高付加価値な商品として触覚を売る必要があるのだが、CMなどの視覚的・聴覚的媒体ではその高付加価値性を十分に伝えることができない。したがって、消費者が実際に触覚を知覚できる対人販売の手法を用いて高付加価値な触覚を商品化する必要があり、小売店における接客が販売の肝になる。だが、売りたい触覚は本来は消費者が就寝している場で知覚するものであるため、対人販売の場面でその感覚を伝えるのは難しい。本研究では寝具小売店の対人販売場面を収録した動画データを対象に会話分析を行い、販売員がどのようにして触覚を商品化しているのか、その販売技法の一端を明らかにする。たとえば下の断片1では、二つの商品の比較が行われている。 【断片1】 01 販売員 : こちらですと,(.)このタイプが(0.2)入って[おります 02 客1 :  [あ::::: 03 (0.2) 04 販売員 : >こう<比べていただくと(0.4)わ[かると 05 客1 : [ちがうのね?= 06 販売員 : =<そ>う>ですねあの<(.)厚さも違いますし, 07  >ま<[点の数が(0.3)全然違うので,.hhあの:(0.3)こちらのほうが= 08 客1 : [たかさ 09 販売員 : =よりあの:か[らだに負荷- 10 客1 : [(ふたん・・) 11 販売員 : 耐圧分散を(.)する(0.3)t特殊なスリットも入ってますので:,  二つの商品の比較により、一方の商品の品質が際立たせられる。また、コ系の指示詞の多用(01, 04, 07行目)が示すように、販売員は頻繁に商品を指示し、また実際に触り、その感覚を消費者と共有しようとする。そして、その感覚の共有と専門的な説明(06, 07, 09, 11行目)を連接させることにより、触覚の高付加価値性を伝えていく。会話分析研究の結果、販売員が比較、触覚の共有、専門的な説明、視覚的・聴覚的情報による触覚の説明といった手段により、寝具小売店において触覚を商品化していっていることが明らかになる。

報告番号115

相互行為のなかの「触知できること・できないこと」——救命救急In-situシミュレーションの事例を手がかりに
玉川大学 黒嶋 智美

【1.目的】 相互行為に参加する中で,参加者の視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚といった人間の知覚が,特定の行為の構成にとって意味を持つものとして立ち現れる事例を扱った研究が蓄積されている(Goodwin, 2018; 前田 2023; Mondada 2022; Nishizaka 2024).こうした研究が共通してデモンストレートしているのは,人間行為の産出において示される,自然言語の習熟(Garfinkel & Sacks 1970)としての知覚のあり様であり,認知的機能としての知覚とは視点が異なる,知覚の社会的性質であると言える.本研究でも,これらの先行研究に倣い,触覚のなかでも,対象物が「触知できること」が前提となる「触れ方」が具体的な相互行為のなかでどのような現象として観察可能になっているのか記述することを目的とする. 【2.方法】 本研究が採用するのは,エスノメソドロジーに方向づけられた会話分析(Sacks 1992)であり,分析データは救命救急センターで行われているIn-situシミュレーション場面である.In-situシミュレーションでは,実際の診療室,器具,機械を用いて,実治療さながらに初期診療のシミュレーションが行われる.患者は頸動脈機能を持つレールダル社のマネキンが使用されるため,頸動脈触知などが,モニターに映し出された波形とともに確認可能となっている.29件の救命救急In-situシミュレーション場面を録音録画し,頸動脈触知がなされているやりとりを抽出して,会話分析の転記方法で書き起こし,分析を行った. 【3.結果】 In-situシミュレーション活動のなかで,本研究が焦点を向けるのは,研修医らが行う頸動脈触知で脈が「触知できること」(または「できないこと」)の行為構成の資源としての性質である.偶発的に展開していく相互行為のなかで「触知できること」は,どのような行為構成の資源となっているのか.Mondada (2022)はチーズ店の店員が客の前でチーズを触ることで商品としての判断の根拠を示すと記述しているが,これと似たような現象が,本データでも観察された.まず,「触知ができること」は,波形診断(例:心室細動)が公的になされる際に,研修医が,波形をモニターで目視しながら,頸動脈の確認を行う際の,波形診断の妥当性を裏付ける資源として扱われる.これとは対照的に,「触知ができないこと」は,しばしば,それが構成部分となっている行為の産出自体を調整する要因として立ち現れる.たとえば,シミュレーション用マネキンの特性を説明する専門医が,頸動脈が触知できることをデモンストレートしようとする際,「触知できないこと」が要因として理解可能なように,発話の産出を中断しつつ,頸動脈触知の位置や角度を変化させ「触知できること」を前提にふるまうことで,目下「触知できないこと」がそうした教示行為の産出を遅延させる要因となるような仕方で達成されていた. 【4.結論】 具体的な相互行為のなかで,「触知できること」(または「できないこと」)は,その場その場でレリバントな行為を構成するための資源となっており,触覚の社会的性質をデモンストレートするものであるといえる.

報告番号116

視覚障害者の歩行訓練における触覚
成城大学 南 保輔

1 目的  触覚を社会学・社会科学の対象としてどのように位置づけることができるか。触覚に照準することで社会科学はなにを得るか。視覚障害者の歩行訓練場面で観察された触覚使用の事例を検討する。 2 方法  単独歩行経験が豊富な視覚障害者の歩行訓練場面録画のマルチモーダル相互行為分析を行った。 3 結果  視覚障害者は,晴眼者と比較して触覚と体性感覚をより積極的に利用している。点字ブロックは視覚障害者を支援する触覚テクノロジーの代表的なものである。点字ブロックの有無あるいは,線状の誘導ブロックと点状の警告ブロックの違いを視覚障害者は足裏で感じる。車が出入りするためにつけられた歩道の斜面は,視覚障害者支援を目的として設けられたものではないが,視覚障害者が活用しているものである。もちろん白杖は,「身体の延長」として触覚で障害物を探査するための触覚テクノロジーである。  歩行訓練においては,視覚障害者が触覚を活用しておこなう上記のような探査と障害物や環境特性の認識を指導の参照点としている。横断歩道の位置を示す点字ブロックは信号待ちをする場所であり,横断方向を知る手がかりとして訓練で活用される。  歩行訓練場面では,歩行訓練士と視覚障害者が身体接触することが頻繁に生じる。手引き歩行では,前を歩く歩行訓練士の肘上を視覚障害者がつかんでガイドとする。進行方向を教示するときに,視覚障害者の両肩を歩行訓練士がつかんで方向を示すこともある。危険なときには身体をつかんで衝突を回避させようとする。  視覚障害者が保持している白杖を歩行訓練士がつかんで操作する(「ガイディッドタッチ」とする)という事例も見られた。白杖の3点タッチの修正版操作のインストラクションや眼前の障害物を体感させるといったものである(Minami et al. 2023)。環境からのフィードバックを感じつつ白杖の操作を歩行訓練士は行うことができる。視覚障害者も「同じ」触覚・体性感覚を持っていると想定することができるものである。ある意味2つの身体が1つとなっていると考えることができる。 4 結論  触覚の「社会性」の3つの様相が見られた。単独歩行では,都市環境のデザインがかかわる。点字ブロックの形状と配置,またその運用の議論に資するものである。手引きとガイディッドタッチの事例は,理解とコミュニケーションにおける触覚のはたらきを示すものである。共通理解と相互主観性について,視覚と聴覚優位のモデルに新たな知見をもたらすものである。ガイディッドタッチは,身体性と自己のかかわりの見直しの契機をもたらす。 引用文献 Minami, Yasusuke, Nisisawa, Hiro Yuki, Okada, Mitsuhiro, and Sakaida, Rui, 2023, “Two Types of Demonstration Through Guided Touch with Cane: Instruction Sequences in Orientation and Mobility Training for a Person with Visual Impairments,” Human Studies, 46(4): 723-56.

報告番号117

触覚はケアの当事者「理解」の手がかりとなるか
追手門学院大学 古川 隆司

訪問入浴サービスで1年ぶりに入浴する高齢者へ語りかけながら湯の中で拘縮した掌を揉み解すと、垢が少しずつ剥がれていく。そうして少し柔らかくなった掌からは握り返すような圧力が介助者に伝わる。また別の高齢者は、移動浴槽に設置したハンモックに体を擦りながら硬化した皮膚の痒みを癒そうとする。これを止めようと差し出した手に、麻痺した上腕で叩こうとする。  以上の私の体験した例は、介護・看護職の教育では非言語のコミュニケーションと解釈するだろう。だが、被介護者の立場に立つとき、対話ではなく自己主張・表現として捉える方が自然である。なぜなら、それが本当に当事者の思っていることか、殊に言語コミュニケーションの取りづらい場合は確信を持てないからである。知的障害者に対しては,われわれから見てかれらの了解困難な振る舞いと出くわしても、それを了解困難としつつも当事者の意思を洞察する手がかりとみなす「本人主義」の支援のあり方が取り組まれている。たとえば、本人がなぜ網目に掌を添わせる感触や小枝を握るのかわからなくても、それを「こだわり」として、その後の接触や関わりから解釈を試みる。触覚はその時、介助者側が本人を理解する手がかりとみなされる。それは同時に,本人から介助者が受け入れられるかどうかの関係構築の過程であり,本人が触覚によって介助者を知覚し,自らの「こだわり」の文脈から受け入れるかどうか確かめていく(のだと,介助者側は期待したい)。  だが、特に高齢者支援においては、被介護者を社会制度としてのケアサービスの利用者として扱うため、非言語コミュニケーションのチャンネルとして触覚を捉え、アセスメントしてサービス計画が立てられる。むろん,ユマニチュードのような認知症者へのスキンシップを重視したアプローチがあり,一定の効果があるとされる。だがこのような取り組みはケアサービスの枠組みで「セラピー」というメニューであり,あくまでもアセスメントの結果提供されるものの一つと扱われるのである。  けれども触覚の社会学として話題提供するとき,介助者が当事者に触れる場合の認識についてずいぶんスタンスや価値観の異なる広がりがある。だとしたら、触覚は、ケアする側に当事者「理解」をどう導いてくれるのかを掘り下げていく契機となる。  ここで私は、当事者理解を対象化としてでなく主体的な相互理解として考える立場をとる。触覚とはその手がかりを示すのではないか、と。

報告番号118

美しきバーカウンターを生きる——ネオクラフトワークにおけるモノとの共在について
近畿大学 関 駿平

【1.目的】  本発表の目的は、オーセンティックバー文化(以下AB)を事例として、モノ(マテリアルとアーキテクチャ)と共存しながら、バーテンダーがいかにバーカウンターの美しさを演出しているのかを明らかにすることである。昨今ではポストフォーディズムを背景として、クリエイティブ産業のなかでも特に、食やホスピタリティの分野の一部の職業が「ネオクラフトワーク」として再評価されているが、その再評価を位置付ける「クール」さを構成する要素については未だ解明が不十分である。  本発表では、そのなかでも特に注目されてこなかったモノと労働者実践の重なりに着目し、「空間の美しさ」を重視するオーセンティックバー文化の労働を捉え、労働者が「モノ」を活用しながらいかに自らの労働空間を演出しているのかを明らかにする。  本発表では広義の物質である「モノ」を、その可動性などの観点からマテリアル/アーキテクチャに分類し分析する建築社会学の視座を援用しながら、ABの店舗空間と労働者であるバーテンダーがいかに共在しつつ「美しさ」を演出しているのかを分析する。 【2.方法】  主に東京都心地域におけるAB店舗を対象として、店舗内のモノの配置を記録するとともに、モノの動きを営業中の参与観察から明らかにした。ABは、店舗の「美しさ」にこだわりが確認できる文化であると同時に、その活動を行う店舗(特にバーカウンター)が小さな空間に限定されているため、本稿の狙いとするモノと労働者の共存実践が必要となる文化であると同時に、観察可能な対象として位置付けられる。 【3.結果】  ABの店内は、バーカウンターを中心として、客に対する身体の移動制限を前提としたアーキテクチャであり、それゆえにABには客にとって不可視の領域が存在する。逆に、ABの店内はバーテンダーが移動しやすいようにデザインされている。これゆえに、その審美性に合わないマテリアルはできるだけ客から隠され、労働者であるバーテンダーによって不可視領域へと移動される。 【4.結論】  上記のように、ABにおいてはアーキテクチャの配置と、そして労働者であるバーテンダーのマテリアルの移動を通して①客と労働者の可視領域の非対称性と②「美しくないマテリアル」の距離化が行われている。ABの「美しさ」揺らぐような状態にあるマテリアルは、アーキテクチャの構造と、マテリアルの移動、そしてバーテンダーの労働によって視覚的に遠ざけられる。このアーキテクチャとマテリアルの配置、移動によって店内の審美性は保ちやすい構造となっている。本発表の知見はABだけでなく、接客業のなかでも客/労働者の距離感が近く、審美性が求められるカウンター商売などへの援用が期待できる。

報告番号119

ボディビルダーらはなぜ、筋肉を鍛え上げることに心血を注ぐのか——ボディビルダーの身を投じる減量実践に着目して
立教大学大学院 堀田 文郎

【1.目的】 ボディビルとは鍛え上げられた筋肉の大きさや美しさを競い合う競技である。このボディビルに関して着目すべきは、ボディビルダーの筋肉に対する専心的な態度に他ならない。先行研究において指摘されてきたように彼らは、徹底的な食事管理とハードなウェイトトレーニングに象徴される禁欲的な生活に身を捧げ、筋肉を鍛え上げることに専心しているのである。本報告の目的は、このようなボディビルダーらを身体彫刻のアーティストとして捉えつつ、「ボディビルダーらはなぜ、筋肉を鍛え上げることに心血を注ぐのか」という問いについて検討することである。特に本報告では、従来のボディビル研究において必ずしも十分に検討されてこなかったボディビルダーの減量実践の内実に着目しつつ検討を行った。 【2.方法】 本研究では以上の目的を達するために、日常的にボディビル実践へと身を投じる20歳代から60歳代の計10名の男性ボディビルダー(ビルダーA~J)を対象に90分程度の半構造化インタビューを実施した。主な質問項目としては、①ボディビルに関する個人史、②自身が身を投じるボディビル実践の内実(特に、減量実践)、③ボディビルという営為の有する意味、が挙げられる。 【3.結果】 本調査でまず看取されたのは、ボディビルダーらが、強烈な痛みやつらさを伴うハードなウェイトトレーニングへと身を投じつつ、自身の食生活を極めて合理的な方法で管理する様相、すなわち、減量によって落とす必要のある体脂肪の重量から、一日あたりに摂取すべきエネルギー量を算出し、それをもとに一回の食事で摂取するタンパク質・炭水化物・脂質の量をグラム単位で管理する、という方法により減量を進めていく様相である。一方で、ボディビルダーらはそのような数量をもとに減量を進めるだけではなく、自身の「感覚」、すなわち、疲労や空腹といった身体感覚、あるいは、減量によってもたらされる情動の起伏といった心的な感覚を頼りに減量実践を調整していき、これにより自身の身体を一つの彫刻的な作品として作り上げていく様相が看取された。ここにおいて着目すべきは、ボディビルダーらが過酷な減量実践に身を投じる中で、身体的な痛みやつらさ、そして身体それ自体についての固有のものの見方を血肉化している、という点である。例えばビルダーFが、「場が変わったら、その人も変わるじゃないですか。やっぱ年収何千億のおじさんは会社にいたら偉くてすごい人かもしれないけど、銭湯にいたらただの裸のおじさんだし。でも、筋肉はどこにいても筋肉じゃないですか。…筋肉は絶対に『在る』し、パンプする感覚とか、痛いっていう感覚とか、きついって感覚も絶対に『在る』じゃないですか」と語るように、ボディビルダーらは過酷な減量実践に身を投じる中で、「痛み」という前言語的かつ直接的な感覚、そして絶対に剥ぎ取られることのない自身の身体にこそ疑いえない「現実性」を確信し、翻って、肩書や年収といった「社会的に作られたもの」に対して「虚構性」を見出すようなものの見方を血肉化しているのである。 【4.結論】 本報告では以上の分析結果を踏まえて、ボディビルダーにとってボディビルとは、身体という疑いえない「現実」へと自身の生活や存在を専心させることで、「虚構」に満ち溢れた社会的世界を生き抜く現代的な身体文化として意味を成しているものと考察した。

報告番号120

AE(アートエンパワメント)概念から見た「アーティスト」の社会的位置——
神戸医療未来大学 兼子 一

1.はじめに——ATAS(Arts Therapy Activity Study)について  福祉や教育など社会の様々な領域で様々なジャンルのアート(以下アーツ)が活用されている。その一つにアーツセラピーがある。アーツセラピーとは、造形、音楽、演劇、舞踊など様々な芸術的方法を用いた心理療法の総称で、基本的には臨床領域で、「治療」を目的として実施される。しかし、健康者、未病者、慢性期(生活期)にある人の健康維持・増進、病気の予防、QOL(生活の質)の向上や、生きづらさの緩和などの支援にも展開している。その支援者の多くは心理療法の専門家と非専門家の中間的な位置に立つフリーランスの活動家である。彼・彼女ら(以下実践者と呼ぶ)を対象とした全国実態調査(2012-14年)を行い、この調査研究チームをATASと命名し、今日まで活動の実態と課題を把握してきた。  ATASでは、治療目的/支援目的でアーツセラピーを分類し、アーティストでもある市井の実践者が、“いま、ここで“、自分が社会的に何をしているのか自己規定できるように、この活動を「エンパワメント型アーツセラピー[EAT]」と名付け、治療目的のアーツセラピー[PAT]と区別した。さらに、EATとセラピー的ワークショップやエンパワー効果のあるアート活動との違いを精緻化するためEATでない活動をアートエンパワメント(AE)に分類した。  現在は、EATの実践者とAEから新規参入を目指すアーティストが、自らがどのような立場で誰を対象に何を提供するのか、そのために何が必要かを自己認識できる方法、そして活動の質を高める自己評価ツールを開発している。 2.アーツ全体、表現すること全体を含めた地図を描く  アーツセラピーでは、アーツを「手段」として活用するため、“Fine Art”として作品を完成させる「目的」はない。しかし現代、“Fine Art”のクリエーター側からセラピー的あるいはエンパワメント的効果を作り手自身や受け手にもたらす活動をいくらでも見いだせる。  そのため、作品としての質を求めるアーツを視野に入れて、アーツ、エンパワメント、セラピーを俯瞰的に捉える必要が出てきた。アーツ自体が多様であり、知識や文化資本が求められる“High Art”もあれば、大衆むけの“Low Art”もある。さらに見方や文脈、場所次第で作品になるものもある。まずアーツをどのように整理するか、この地図作りに適した芸術学的視点が必要となった。 鶴見の「限界芸術論」は、芸術が醸成されてくる名もなき一般庶民の表現を「限界芸術」と名付け、ここに社会を変革する可能性を探ろうとする。「限界芸術」は非専門家によってつくられ、非専門家によって享受されるもので、芸術と生活が浸透し合う広大な領域を形成している。  ATASでは、この限界芸術が生い立ってくる土壌を「すべての表現行為」と定義して、現代アーティストの活動を再配置した。AEは限界芸術領域と重なりエンパワメント性を帯びている表現活動全体を指し、純粋芸術へと転換する活動や作品—例えばアウトサイダー・アート—があることから、純粋芸術と境界を接する領域でもある。  本発表では、このAEでエンパワメント活動をするアーティストの立ち位置を見ることで現代社会における「アーティスト」のあり方、その概念の課題について報告する。

報告番号121

実験音楽の会話分析——パフォーマンス創作過程の相互行為
立教大学 鈴木 南音

本報告は,実験音楽の創作過程を撮影したビデオデータを,会話分析の方法を用いて分析することによって,実験音楽の創作活動が,実際の「アーティスト」たちの間の相互行為のなかで,いかに行なわれているのかを明らかにするものである.  マックス・ヴェーバーの『音楽社会学』での研究をはじめ,音楽はさまざまな形で,社会学の研究対象であり続けてきた.しかしながら,楽器以外の道具や声が用いられ,時として従来は音楽的な現象として扱われなかった現象を音楽的なものとして扱う,実験音楽については,未だ十分明らかにされてこなかった.  現代芸術は,その大きな潮流として,譜面などの既に完成された作品だけでなく,観客との相互行為を含めて芸術作品とする「パフォーマンス的展開」(Fischer-Lichte 2004=2009)を迎えている.このことが,「アーティスト」の創作活動にも多大な影響を与えていることを鑑みるならば,現代社会における音楽について明らかにするためには,そのつどの動的な相互行為のなかで,どのように「パフォーマンス」が組み立てられているのか,このことを明らかにしなければならないだろう.  そこで,本報告では,エスノメソドロジー・会話分析(cf. Schegloff 2007)の方法を使って,実験音楽の創作場面を撮影したビデオデータを分析する.エスノメソドロジー・会話分析の方法を用いて音楽を探求した研究は,デイビット・サドナウの研究(Sudnow 1978=1993)やピーター・ウィークスの研究(ex. Weeks 1990),近年では吉川侑輝の研究(吉川 2023)など,優れた知見が蓄積されつつある.他方,これらは,主として楽器を使った音楽に関する活動の分析にとどまっている.  本研究では,楽器以外の,従来「音楽的」とされてこなかった現象が創作される具体的なフィールドとして,実験音楽の作曲家が,吐息などを使った自身の曲を,聞き手とともに演奏することで実演的に紹介している場面や,作曲家同士が共同作曲のために打ち合わせをしている場面,また,リハーサルのなかで,台詞が書かれたカードを床に配置しながら作曲者とパフォーマー同士が相談している場面など,幅広い場面における相互行為を分析する.  かつてアーヴィング・ゴフマンが「パフォーマンス」と喩えたような,日常生活における相互行為を,経験科学的に分析してきた会話分析の方法を用いて,上述の現代音楽のフィールドにおける相互行為を分析することで,本報告では,「パフォーマンス的展開」以後の,(比喩でない)「パフォーマンス」としての実験音楽が,どのように形作られているのかを検討していきたい.

報告番号122

音楽活動形態による所属の在り方の違い——大人数音楽集団、少人数音楽集団の比較から
ヤマハ株式会社 研究開発統括部 下薗 大樹

多くの音楽ジャンルにおいて、アンサンブルやユニットなどの形式で複数人で音楽活動を行うというのは一般的な音楽活動形態である。複数人で音楽活動を行う場合、個人の志向性を超えて集団としての活動が成り立ち、集団としての活動を自身の個性として取り込むという社会的な営みが存在する。時に集団としての活動は個人のモチベーションを支え、個人では実現し得ないような活動を提供し、集団として所属することの誇りを与えてくれる一方、価値観や目標の不一致により活動の継続を断念することも少なくない。本研究では、音楽活動形態による所属の在り方の違いを、大人数での音楽集団(合唱)、少人数での音楽集団(バンド、DJユニット)に所属するメンバーへのインタビューとそこから得られた仮説に対する質問紙調査によって考察を行う。音楽活動形態による所属の在り方の違いを明らかにすることで、音楽活動形態に応じた円滑で充実した音楽体験を促進するための施策やサービスを検討するための情報を取得することを目的とする。インタビューにあたっては、吉田の集団モデルより「利害」「愛着」「目標」「価値」、集団アイデンティティより「誇り」「成員性」「集団実体性」の尺度を時系列で取得し、各集団における指標の共起関係を相関分析の結果とインタビューの語りより類型化することを試みる。またそこで得られた類型化の仮説の一般化可能性をクラウドソーシングを用いた質問紙調査によって明らかにする。【参考文献】吉田 民人「集団系のモデル構成 -帰納的系理論の骨子-」『社会学評論』14(2), 1963年, pp. 42-73, 108/野村 駿「集団による音楽活動成立の条件 -あるバンドの結成から解散までをたどって-」『ソシオロゴス』45, 2021年, pp.87 – 104/Tajfel, H., “Social Categorization, Social Identity and Social Comparison. In H. Tajfel (Ed.), Differentiation between Social Groups: Studies in the Social Psychology of Intergroup Relations”, London: Academic Press, 1978年, pp. 61-76/尾崎 美喜, 「集団アイデンティティ形成による集団実体化過程モデルの提唱 -マルチレベルの視点から-」『実験社会心理学研究』51(2), 2011年, pp. 130-140

報告番号123

往還するネパール人と教育(1)——高学歴エリートの戦略
昭和女子大学 SIM CHOON KIAT

【目的】 本報告の目的は、高学歴で高収入の在日ネパール人に焦点を絞り、経済力、語学力と情報力の高い彼らの子どもへの教育戦略およびその特徴と課題を考察することである。 【方法】 対象:子どもをもつ30~40代の在日高学歴ネパール人6名 (学士号をもつ1名のIT企業部長以外は全員日本の大学で博士号を取得) 期間:2019年年末(コロナ前)、2023年年末(コロナ5類移行直前) 【結果】 まず、調査対象は①帰国型、②日本定住型、③第三国移住希望型という3つの類型に分けることができ、それぞれの進路選択と教育戦略は以下にまとめられる。 ①帰国型 教育をめぐる競争が世界的に激しくなっていることを認識しているため、長く滞在してきた日本の教育をある程度評価しつつも「マイペース過ぎる」という印象が強く、特に英語教育が非常に遅れていると指摘する。子どもにグローバル人材になってほしいという理由から、日本学校からの途中編入無しに質の高いネパールの私立学校に子どもを最初から通わせるべく、子どもがまだ小さいうちに帰国を選択する。子どもを日本にあるインターナショナルスクールに入学させることも考えられるものの、子どもの文化的アイデンティティ形成を重視するがゆえに帰国を選択する。 ②日本定住型 日本でのキャリアを中断したくなく、また帰国すると専門が活かせないため、日本での定住を選択する。そこで浮上するのが、子どもの言葉の習得とアイデンティティ形成の問題である。子どもの将来のために、日本語か英語、あるいはネパール語か自民族語のどの言語を主軸に教育戦略を練るべきか常に悩んでいる。日本に定住する以上、子どもに日本の文化を身につけさせたい者は日本学校の教育を、子どもをグローバル人材として育てたい者はインターナショナルスクールの教育を、まずは選択する。前者の場合は子どもを英語学習塾にも、後者は公文式プログラムなどを通して子どもの日本語の補強にも力を入れる。加えて、子どもにネパール人としてのルーツを強くもたせるために、オンライン授業以外に、異なる学齢期に日本とネパールを往還しながら、子どもを両国の学校に行かせる親や、日本で通う学校の夏季休暇期間中にネパールのサマースクールに子どもを参加させる親もいる。一方、詳細は報告で述べるが、往還するからこそ、コロナによって子どもへの教育戦略を急遽変更せざるを得ず、その影響を最も大きく受けたのもこの日本定住型である。 ③第三国移住希望型 コロナによって、第三国移住希望型の希望が変わったことも明らかになった。例えば、本来イギリスへの移住を考えていたものの、同国の厳しいロックダウン対策を見て日本の緩いコロナ対応がまだマシだとの判断で日本に帰化した者もいれば、コロナ時に永住者でさえ日本への再入国が困難であったこと、また日本のグローバル化の遅れを痛感して、逆に第三国への移住希望が強まった者もいる。 【結論】 以上から、子どもの教育に対して3つの類型の戦略に共通するのは、多言語グローバル人材の育成を軸としていることがわかる。もっとも、ネパールが多民族国家であるだけに、高学歴エリートといえども、子どもへの教育戦略は多くの葛藤を伴いながら、ギブアンドテイクを迫られる場面も往々にしてあり、そしてその戦略選択と課題はコロナで一層複雑となった。 付記 本研究はJSPS科研費19H01642の助成を受けた。

報告番号124

往還するネパール人と教育(2)——日本語学校を出て親になった人々
福岡教育大学 ハヤシザキ カズヒコ

【1.目的】  本報告では、在日ネパール人の家庭のうち、日本語学校を卒業した人々をもつ家庭を主な対象とし、その教育戦略をさぐる。われわれはネパール人の入国の主なルートを3つとしている。高学歴エリートの留学・就労ルート、日本語学校に留学して、大学や専門学校をへて、卒業後に技人国(技術・人文・国際)ビザを取得して就労するルート、そして技能ビザでシェフとしてカレー屋さんではたらくルートである。そしてそれらの3つのルートに付随した家族滞在での入国ルートがある。在留外国人統計によると留学と技人国ビザの人口は家族滞在とともに増加傾向にあり、今後も技人国ビザのルートの人々は、在日ネパール人の最大グループとなっていくと予想される。方法としては2019年〜2023年に福岡・沖縄およびカトマンドゥでの現地調査でえられたデータをもちいる。 【3.結果】  かれらの多くはまず現地のそして日本の日本語学校にかよい、アルバイトをしながら就学する。そして技人国のビザがとれる職種へと就職していく。観光や貿易が主な業種であるが国際色がうすい職種もありうる。全体的に若年で日本にきてから結婚する場合も特に近年ふえてきている。日本生まれの子どもがおおくなる傾向にあると予測できる。  このグループは将来的にも居住地の選択については日本に定住する意向がつよい。その理由はビザの安定性と日本語を(すくなくとも家族のひとりは)マスターしていることにある。そして超エリートではないが、初期の移住者には高学歴なものもおおく、日本における成功者たちと自助グループを形成したりネパール協会などで活躍する人々もおおい。  しかし、定住志向ではあるが子どもの教育についてはことなる。ネパールのエリート層がそうするように、子どもにはまず英語ができかどうかをもっとも気にかけ、さらにネパールの現地語や民族語をまなばせようとする。さらにネパールの文化や慣習、思考の継承にも関心がつよい。そのため、ネパールに一時帰国させることをおおくの親たちがかんがえるものの、ネパールの学校に適応することには多大な困難がともなう。他方で、家族よびよせで日本にきた、かつてネパールの学校にいたことがある子どものなかには英語がきわめて優れた子どももいる。報告ではいくつかの事例を紹介する。  かれらのなかには、親戚が日本や第三国いる場合もおおい。そして英語圏への進学も家族のいるところを考えることもある。しかし英語圏の進学のためには経済的な問題をクリアしなければならず、技人国ビザで就労する人々にとっては課題である。言語の習得にかんして年齢的な時間制限をクリアするのも簡単ではない。他方でビジネスで成功した人々や都市のエリートはそうした課題をクリアしやすく、それゆえ永住権を取得した人たちには起業を考える人々もいる。 【4.結論】  マルチリンガルで多文化な人間に育てることが目指されるものの、成功のためには財力や時間、ネットワークといった資源が必要である。日本うまれの子どもが日本の学校にかよって第三国に移住できることは例外的である。そして日本の学校が英語の習得というニーズにまったくこたえられておらず、ネパール学校がそのニーズにおうじているが、全国的にはすくない。予測としてはこれから日本への定住や二世・三世の日本人への同化がすすんでいくとかんがえられる。

報告番号125

往還するネパール人と教育(3)——子どもたちの受け皿となる日本の学校
関西大学 山ノ内 裕子

【目的・方法】 大阪では「日本語指導が必要な帰国生徒・外国人生徒入学者選抜試験」の実施校は、外国人生徒受け入れ「枠」をもつことから「枠校」と呼ばれる。また、義務教育を終えずに海外から来日した若者たちにとっては、中学校夜間学級(夜間中学)が受け皿となっている。府内では11校の公立中学校に夜間学級が開設されており、全国最多である。  本報告では、大阪北部地域をフィールドとして、ネパール人生徒が急増する高校の事例として、「枠校」である府立X高校と夜間学級をもつY中学校において、ネパール人生徒がどのように受け入れられているか、そして受け入れに際してどのような課題や困難が存在するのか、両校の担当教員に対して行った聞き取り調査をもとに明らかにする。 【結果】 ◼️府立X高校:生徒の大半が中学校2~3年での来日で、ネパールから「ほぼダイレクト」での入学も少なくない。日本語力においても学力面においても、他の「枠校」では合格が難しい生徒が、交通の不便なX高校へ入学している。ネパールルーツ生の多くが遠距離通学である。特別入学者選抜で他の枠校を不合格になり、一般入学者選抜でX高校に入学した生徒もいる。父親のほとんどが飲食店勤務または飲食店経営であり、多くの生徒がアルバイトをして家計を支えている。教育を重視する家庭がある一方、経済的理由から子の進学に反対するケースもある。進路に関しては、大学進学に加え、自動車系専門学校を希望する生徒もいる。指定校推薦やAO入試での受験が多い。 ◼️Y中学校夜間学級:調査時の2023年春時点で、外国籍生徒は全体の62%を占める。ネパール国籍が最多で、ここ数年では20~30人の在籍となっている。生徒の多くは16歳、17歳でネパールから来日し、週28時間の枠内でホテルや飲食店で働いている。卒業後の進路については、夜間中学卒業後に高校進学を希望する場合は、同市内にある近隣の府立Z高校定時制に進学することが多い。定時制高校は定員割れが続いており、さらに満21歳以上の場合は出願に際して調査書も不要で、小論文と面接のみの選考も可能であるため、夜間中学卒業後の受け皿の一つとなっている。「枠校」への進学は、日中は仕事や育児・家事があることから選択肢になりづらい。府内の夜間中学における日本語教育支援は、日本語指導支援員の派遣が授業準備も含めて週15時間配置にとどまり、現状では日本語教育には限界がある。 【考察】 「日本語指導が必要な帰国生徒・外国人生徒」として、外国ルーツの生徒たちを受け入れる「枠校」では、母語指導や日本語指導を正課の授業として実施している。しかし大学進学に際しては、留学生入試のような特別な「枠」は存在せず、日本人と同じ入試制度で受験に挑むため、彼/彼女たちの進学を支える奨学金制度や進学後の修学支援が必要である。一方、夜間中学は、義務教育を終えていないネパール人の若者たちの受け皿となっている実態があるものの、日本語指導が必要な生徒を受け入れるための制度がない。そのため、夜間中学では教師たちが手探りで日本語指導や進路指導に尽力しており、教師の熱意に依存している現状が見られた。 付記 本研究は JSPS 科研費 19H01642 の助成を受けたものである。

報告番号126

往還するネパール人と教育(4)——現地で見た出稼ぎの子どもの課題
藍野大学 榎井 縁

本報告の目的は、これまで行ってきた日本在住の三つのカテゴリーのネパール人(高学歴エリート、日本語学校出身、カレー屋コック)の教育に関する調査をふまえ、「往還する」視点から、現地ネパールにおいて、日本への出稼ぎに行った/行くネパール人の子どもの課題について明らかにすることである。  2023年3月8日から18日まで、ネパール連邦民主共和国カトマンドゥ市を中心に現地調査を行い、学校関係者、日本での留学経験者、日本で生活し日本の学校からネパールに帰国した子どもなどにインタビューを行った。本報告では、その中でも特に学校教育に焦点を当て、出稼ぎの子どもを受け入れている学校関係者、そして日本で生活し日本の学校からネパールに帰国した子どものインタビューから課題を分析する。 国外で働くネパール人は人口の1割であり、海外からの総金額の国内総生産に占める割合は約3割で世界3位となっている。その希望される移住先はアメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスなどの英語圏、湾岸諸国、日本やマレーシア韓国などのアジアで、日本ではカレー屋のコックが多い。先進諸国への出稼ぎの影響もあり、学歴社会へ移行しつつある中、まず無償の公立学校からEnglish-Mediumの私立学校へ子どもを入れることが目指される(田中2017)。 ネパール西部のカンダキ州バグルン郡は、労働人口の半数近くが日本で暮らしており、そのほとんどがカレー屋のコックである。これまで大阪で行った学校調査の対象も親はバグルン郡並びに隣接地域の出身のカレー屋のコックであった。郡内には出稼ぎの親たちの仕送りで寮併設の私立学校が軒並み設立され、出稼ぎの子どもたちが多く在籍している。首都カトマンズにも、この村出身者が運営する寮併設の私立学校があり、親が日本へ出稼ぎにいっている子どもが全校生徒の4割を占めている。学校運営者からは、親と離れて生活する子どもの、学習意欲や進学意欲のなさ、自己規律性の弱さ、また送金により社会常識から外れるような経済感覚についてなど、肯定的な評価は聞かれなかった。 一方、日本で生まれたり、幼少から生活してきた子どもたちが親の戦略によって小学校、中学校時代にネパールに帰国させられているケースも見られた。今回の調査では、親が経営者や雇用主といった経済的に余裕のある階層であり、ネパール人の規範となる親類や家族とのつながり、ネパール語やネパール文化に馴染みがなくなっていく子どもたちへの危機感や、もともと日本から英語圏などの第三国へ子どもを進学させようという意図の元に、主に母親が子どもを連れて帰り、私立学校に通わせているケースである。 子どもたちへのインタビューからは、両国の特に教育環境の違い、ネパールでの体罰のことや教育施設や器具などが不十分なことへの不満や戸惑い、また、日本で受けてきた英語や数学などのレベルが低いこと、さらに日本ではまったく受けてこなかったネパール語教育の大きな遅れなどに不安を持っている様子も見られた。 これまで日本で行って来た調査と合わせ、ネパールと日本を往還する子どもたちの教育における困難や課題を整理し報告する。

報告番号127

イギリスにおける移民への国家の社会福祉制限強化と対抗運動-地域の移民支援を中心に
同志社大学 米川 尚樹

1. 研究目的 本研究は、イギリスにおいて移民への社会福祉制限が強化されるなか、それに対抗する非正規移民や難民への地域支援がどのように実践され、どのような展望があるか考究する。 2. 方法 2022年6月から7月と2023年の5月から6月にロンドン南部のルイシャム区において移民支援団体などへの聞き取り踏査などのフィールド調査を行った。ルイシャム区における移民支援のNGOで関係者10人,移民4人,地方自治体職員1人に半構造化インタビューを実施した。その他、地域の移民支援や政策の資料も分析の対象とした。 3 分析対象 イギリスでは、移民の地域支援を促すため、聖域都市という市民運動が盛り上がりを見せている。聖域区都市は、もともと2000年代半ばに、非正規移民や難民に対して、住宅、教育などの社会福祉支援を促すチャリティ団体主催の草の根運動が基礎となっている。しかし近年は、中央政府の移民への規制の強化が強まる中、これまでの非正規移民や難民へ移民支援を促すゆるやかとも言える取り組みから、中央政府と対立する変化を見せている。 先行研究では、政府の移民社会福祉制限政策の地域への影響 (Yonekawa 2023)や聖域都市などの一方に着目した研究(Paul 2023, Wyn Edwards and Wisthaler 2023)はあるが、国レベルと地域レベルのせめぎあいの中における移民支援を中心とした観点からは十分に研究が行われてこなかった。本研究では、ロンドンにおいて聖域区を地域全体の政策への発展を試みているルイシャム区の事例を取り上げ明らかにする。 4. 研究結果 (1) 中央政府との対抗する聖域都市戦略と移民支援  移民の保護を定めた聖域区戦略を地域として推し進めている。聖域区戦略には、中央政府の移民社会福祉制限への批判が展開されており、内務省からの職員の区への出向への拒否をするなどの取り組みが定められている。 (2) 在留資格の確認の有無  移民支援団体の裁量により移民の在留資格の有無については聞かない場合や、支援プログラムを作る際に在留資格の有無を聞く必要性がないように必ずしも対象を絞らないという工夫もみられた。また多くの支援団体はリーガル・アドバイザーとの連携していることが分かった。 (3) NGOと地方自治体の連携  聖域区の政策として、地方自治体と支援団体とのルイシャム移民・難民ネットワークが構築されている。ただしネットワークには、国の影響を受ける地方自治体も含まれているため、民間団体との連携を模索する支援団体もあった。 主要参考文献 Paul, O. 2023. Expanding Sanctuary: The City of Sanctuary Movement in London. Critical Sociology, 49, 1307-1321. Wyn Edwards, C. & Wisthaler, V. 2023. The power of symbolic sanctuary: insights from Wales on the limitations and potential of a regional approach to sanctuary. Journal of Ethnic and Migration Studies, 49, 3602-3628. Yonekawa, N. 2023. From Diversity to Super-Diversity- The Impact of Local Neoliberal-Agenda Development on Migration-Related Diversity in the London Borough of Lewisham and the UK. PhD in Sociology University of Warwick (308 pages). (Retrieved June 20, 2024. Available: https://wrap.warwick.ac.uk/185507/).

報告番号128

米国に移住した国際結婚女性の家族実践と文化戦略——日本語・日本食の伝承と老親の世話に着目して
武蔵大学 中西 祐子

1.目的 本研究では戦後日本からアメリカへ移住し国際結婚した女性たちが、自身と異なる国籍を持つ「アメリカ人」の子どもや、日本に暮らす親とどのように対峙しながらトランスナショナルな「家族」を実践し、また、家族内で自身のエスニック・アイデンティティを確立するための戦略をたてているかを考察する。 アメリカの永住権・市民権を獲得する日本人は女性に多く、他のエスニック集団と比べクロス・エスニックな結婚をする割合が高いことが知られている。従来の家族研究は、国民国家の枠の中に形成された家族を想定してきたが、本研究ではグローバル化社会のなかで、国際移住女性たちがどのようにトランスナショナルな家族関係を実践し、どのように自身のエスニック・アイデンティティを次世代に戦略的に伝承しようとしているかに着目する。 2.方法 本報告は、報告者が2011年~2022年にかけて米国北カリフォルニア地区で44名を対象に行った半構造化インタビュー調査を元とするものである。このうち国際結婚の経験があり、家族関係について聞き取りを行った女性28名分のデータを分析した。対象者は全員、日本を出身地とする、日本語を母語としている者である。渡米時期は1950年代から2010年代(70年代以前4名、80年代8人、90年代14人、00年代5人、10年代1名)、インタビュー当時の年齢は30~80歳代であった。 3.結果 母国を離れて国際結婚をした女性たちは、トランスナショナルな家族実践を、Ⅰ.自身の子ども、Ⅱ.自身の親、の二方向の関係性において実践していた。 Ⅰ.「アメリカ人」として育つ子どもに対しては①子どもに日本名をつけ、②子どもに日本語を学ばせ、③日本の子ども向け伝統行事を行い、④家族で日本食を食す、ことを通じて、子どものファミリー・ヒストリーのなかに「日本性」を配置し、次世代への伝承を試みていた。 一方、Ⅱ.母国の親に対しては①子どもを伴い日本に帰国(帰省)し、②母国の親に移住先で生まれた子どもを会わせ、③親が高齢になってからは国際介護や、アメリカに親を呼び寄せる、ことを通じて、自身の国際移住歴を消去するような「親子の親密性」を再構築していた。なお、子どもの日本語学習は、祖父母と孫のつながりを可能にする「接着剤」的機能も持つ。一方で、女性たちは自身の「アメリカ人」の子どもと自分に関しては相対的にドライな親子関係を想定しており、将来の自分への介護を子どもに期待しないなど、自身の親との関係性のなかでは実践していた「親子関係」を、次世代に再生産しない部分もあった。 なお、自身の子どもと親をつなぐ「日本性」が、夫や夫の親との間にコンフリクトを起こすケースも見られた。 4.結論 国際結婚をした女性たちにとって婚姻家庭(ホーム)は、故郷(ホーム)と物理的に離れたところに作られる。しかしながら彼女たちは、夫の姓を名乗る「アメリカ人」の子どもの名前に「日本名」を記録し、夫は時に苦手である日本食の味覚を子どもの舌に記憶させ、自身の「日本ルーツ」を保存していた。一方、自身の老親に対しては過剰すぎるほどの世話役割の義務感を背負っている者がいるにもかかわらず、そうした期待を「アメリカ人」の子どもに対して再生産する者はいなかった。「日本性」は、選択的に次世代に伝承されているのである。 ※本研究は科学研究費補助金(課題番号:22K01888、19K02087)の助成を受けている。

報告番号129

平和の意味に関する理論的・実践的課題の検討——ヒロシマにおける平和活動の事例を手がかりに
武蔵大学 徳久 美生子

(はじめに)   平和の意味をどう考えるかを、理論と実践から問い直すことはできないだろうか。本報告では、ヒロシマの平和活動における平和の意味共有という事例を手がかりに、実践へと結びつく平和概念の構築にどのような課題があるのかを明らかにする。  行政を主な担い手として展開されてきたヒロシマの平和活動は、現在曲がり角に来ている。平和公園内に広島市のピースボランティア以外にガイドを行う団体が2つあるなど、多くの分断も生じている。だがこの分断は、必ずしも平和実現の手段の違いによるものだけではない。より大きな問題は、「平和」それ自体の捉え方の多様性にある。現在「平和」という概念は、戦争がない状態という狭義の意味を超えて多様に捉えられているが、広島市内で展開されている平和活動だけではなく、広島市の取り組みにあっても「平和」という目標自体が問われない。反核だけでは平和の実現とはならないことも十分に議論されているとは言えない。 本報告では、広島市における調査結果と平和概念の検討をもとに、平和に関する議論を深め、平和活動の分断を超えるような理論実践にはどのような課題があるのか明らかにすることで、平和の意味を問いなおす平和概念の構築可能性を明らかにする。 (分析結果) 1. 平和活動における平和の意味共有という課題 これまでに行ってきた参与観察とインタビュー調査の結果から、平和に関わる活動には手段の目的化という問題があり、活動の目的である平和が自明視されていることが明らかになった。したがって平和という目的を共有する上での基盤となる理論実践が必要である。 2. 平和の意味に関わる理論実践における課題  ガルトゥングは、平和を狭義の意味(戦争・紛争などの直接的暴力がない状態)から広義の意味(直接的暴力だけでなく、貧困・差別・格差などの構造的暴力もない状態)へと広げて解釈した。ガルトゥングの平和概念は、平和の意味の多様性を示唆し、構造的暴力も含めた暴力の軽減が平和につながることを明らかにしているが、平和の意味が明確に分類整理されているとは言い難い。 少なくとも平和の意味には、理念、政治課題、イメージ、経験知という意味をめぐる4つの次元があり、4つの次元に共通する人が生きる権利という課題がある。平和に関する議論を深めるためには、①理念としての平和を問い、人が生きる権利という普遍的な問題を問う理論が必要となる。 また②平和の意味の多様性を前提に、戦争がないという狭義の意味と構造的暴力がない状態という広義の意味との間をつなぐ平和概念の構築という課題もある。  この点は③戦争がなければ核兵器は使われないが、戦争がなくとも核兵器は保有される。核兵器が廃絶されても戦争は起こるという、直接的暴力における命題を論理的に分析し核廃絶と平和をめぐる議論に論理的な基盤を提供するという課題にもつながる。 (結論)  平和に関する議論を深め、平和活動の分断を超えるためにも、平和の意味に関する検討を理論実践へとつなげるためには、①理念としての平和を問い、人が生きる権利という普遍的な問題を問う理論の構築、②平和の意味の多様性を前提に、戦争がないという狭義の意味と構造的暴力がない状態という広義の意味との間をつなぐ平和概念の構築、③核兵器と戦争をめぐる命題の分析という課題があることが明らかになった。

報告番号130

特攻の記憶はどのように残されてきたのか——名古屋海軍航空隊神風特別攻撃隊草薙隊を事例として
早稲田大学 筒井 久美子

1.問い 特攻で亡くなった祖父の同級生の足跡をたどる中、彼が所属した名古屋海軍航空隊神風特別攻撃隊草薙隊について、直接知る人にはなかなか出会えないものの、複数の主体が記録を残していることを知った。戦争経験者が鬼籍に入る中、戦争の記憶をいかに継承するかが問われているが、そもそも記憶はどのように残されてきたのか。本報告では、愛知県豊田市浄水町に存在した名古屋海軍航空隊(名空)が編成した神風特別攻撃隊草薙隊(草薙隊)を事例として、特攻の記憶がどのように残されてきたのかを明らかにする。 2.先行研究 本報告の問いはこれまで、特攻出撃基地を事例に明らかにされてきた。知覧では、他者の体験である特攻は、「地域の英霊」を祭る護国神社が「媒介」となり地域の体験として発見され、過疎化対策の一環で観光化された(福間良明2015)。一方、自衛隊によって「繁栄」を維持した鹿屋は特攻の記憶の「語る必要のなさ」と、それが自衛隊管理下にあることによる「語りがたさ」を抱えた(松永智子2015)。知覧や鹿屋とは異なり、特攻編成基地であり自治体の関りが限定的な名空の事例に注目することは、特攻の記憶の残し方の多様性を明らかにすることに繋がる。 3.方法 浄水町自治区保管の資料、郷土史、市報、新聞等の文献調査、関係者への聞き取りを行った。 4.結果 1972年、豊田海友会は草薙隊之碑を建立、『草薙隊之栞』を発行し、以降毎年慰霊祭を開催する。碑の維持保存整備等を目的に豊田市、豊田海友会、浄水町行政区(当時)で草薙隊之碑保存会が設立されたが、自動車産業で「繁栄」していた市は特攻の記憶を「語る必要」がなく、戦後の入植者からなる浄水町には1972年に開拓碑が建立されたが、それは特攻の記憶の「媒介」にはならなかったと考えられる。 一方、草薙隊之碑の趣意碑に刻銘されたのは特攻死者56名と搭乗員戦死者2名のみであったのに対し、1973年の慰霊祭に参加した名空整備員は保存会に特攻出撃時の大事故と整備員の死を訴え合祀要求を行った。1997年、海友会会長の判断もあり整備員1名、搭乗員4名が合祀された。その間、名空生存者は1995年、『名古屋空艦爆隊誌』を発行した。 2000年、高齢化を理由に海友会からの強い要求を受け、浄水町自治区は慰霊祭の共同主催に、2003年からは単独主催となった。一方、2002年、名空生存者は『草薙隊実記』を発行する。2003年、「整備員派遣の事実」、合祀、「慰霊祭の実質的な変化」を理由に、名空生存者、海友会員が編纂委員となり『草薙隊戦記』を発行、指揮官目線で書かれた『草薙隊之栞』が主に搭乗員目線で書き換えられた。 2011年、海友会は「参加するのも漸く」という状況になり、海友会や参加遺族の高齢化、運営資金の枯渇を理由に、2015年を最後に慰霊祭は終了となった。 ただ、慰霊祭終了の翌年から開始された自治区主催健康ウォーキングでは名空の戦跡を巡っている。残された草薙隊の記憶は今後どのように継承されていくのか注目していきたい。 福間良明,2015,「特攻戦跡の発明――知覧航空基地跡と護国神社の相剋」福間良明・山口誠編『知覧の誕生――特攻の記憶はいかに創られてきたのか』柏書房,31-73. 松永智子,2015,「海軍鹿屋航空基地の遺産――特攻をめぐる寡黙さの所以」福間良明・山口誠編『知覧の誕生――特攻の記憶はいかに創られてきたのか』柏書房,208-40.

報告番号131

戦時下の女学生における「戦争」の表象からみた性別役割分業の再編
東北学院大学 片瀬 一男

目的:本報告では、まずアジア・太平洋戦争末期における「特攻(特別攻撃)」が、国内向けのプロパガンダにおいてシンボリックな意味を有した可能性が高いことを示す。次に、宮城学院資料室が公開した戦時下の学徒勤労動員記録のテキスト・マイニングによって、女学生における「特攻」の表象を検討することによって、日本の「近代家族」における性別役割分業は、戦時下では「前線」の兵士と「銃後」の守りという分業へと再編成され、強化されたことを明らかにする。さらに、第一次世界大戦下におけるイギリス軍需産業の女性労働の熟練化政策との比較を通じて、この性別役割分業体制は、戦後の高度経済成長を通じて「男性稼ぎ手モデル」によって、現在まで維持されていったことを示唆する。 データ:本報告で分析する資料は、宮城学院資料室が公表している『多賀城海軍工廠勤労動員の記録』である。この資料は、1944年から45年にかけて多賀城海軍工廠に勤労動員された宮城県内の3つの高等女学校(宮城高女・若柳高女・登米高女)の生徒が、作業の指導にあたった軍属に提出した作業の感想文である。 結果: この『記録』の分析からは、「特攻隊」という語は宮城高女に特有の語であることが分かった。これは「感想文」が書かれた時期が若柳高女・登米高女が1944年12月であったのに対して、宮城高女は45年の5月で、沖縄戦に特攻が組織的に投入され、その「戦果」が新聞で喧伝された時期にあたるからと考えられる。またクラスター分析の結果、「特攻」という語は「精神」と結びつき、「特攻精神」という用法が多いことが分かった。この語も、1945年4月以降の沖縄戦に関してよく新聞紙上で使われた表現であった。また実際に使われている文脈を見ると、戦時下の性別役割分業の再編・強化すなわち「前線」の男子学徒兵と「銃後」で勤労動員された女生徒がともに「特攻精神」で連合軍との決戦に挑むという国家家族観がみられた。 結論:戦時下における性別役割分業の再編・強化と戦後への継承  本報告では、日本の近代家族の性別役割分業が、アジア・太平洋戦争の戦時下では、「前線」の兵士と「銃後」の女学生という形で再編成されることが明らかになった。近代社会は、男性のみに兵役と軍隊教育を課すことで男女の身体を峻別し、「男らしさ」をシンボリックに強化した。これに対して、本格的な機械兵器の投入をもたらした第一次世界大戦において、イギリス軍需省は、「銃後」において兵器を大量生産する体制を構築するために、工場で働くことのなかった女性など未熟練労働者を大量に投入する必要に迫られていたが、そのために生産効率の低下をもたらす「産業疲労」を予防することが重視された。その結果、労働時間の短縮や工場内福祉の向上によって軍需品の効率的生産を追求する一方で、女性労働者の技能訓練の拡大を進め、その訓練プログラムを支援した。  他方、アジア・太平洋戦争下の日本では、女学生という若年労働力を勤労動員という形で軍需産業に取り込んだが、女性労働の活用という点では部分的にとどまった。大多数の既婚女性は家庭にとどまって、将来の戦士を「産む・育てる性」として国策に協力する形となった。こうした企業内労働と社会保障のレジュームは、戦後の高度経済成長期においては、既婚女性のパートタイム労働力としての利用という「男性稼ぎ手モデル」に継承された。

報告番号132

元自衛官の旧軍戦友会への参加と社会活動
立命館大学 角田 燎

【1.目的】  戦争体験者の減少し、元兵士たちの集まりである戦友会の多くが解散する中で、元自衛官が一部の戦友会に参加し、戦没者の慰霊顕彰事業を引き継いでいる。本報告では、戦友会に参加する元自衛官たちがどのような意図・きっかけで戦友会に参加しているのか、戦友会でどのような活動を行なっているのか、戦友会での活動を通じてどのような戦争観が形成されているのかを明らかにする。旧日本軍関係者と退役自衛官の両者は、軍事組織で勤務した経験を共有しているが、それぞれの組織アイデンティティには大きな違いがある。自衛隊は、戦後日本社会の中で、アジア・太平洋戦争を引き起こした旧日本軍との差異化を求められていた。元自衛官はこうした旧日本軍との差異を意識しながら仕事をしてきた。にもかかわらず、彼らは退職後、旧日本軍関係者の組織に参加し、戦没者の慰霊事業を引き継いでいる。また、退役自衛官は、組織で防衛政策に関する政策提言活動や、自衛隊の地位向上を目指す社会運動にも積極的に行うようになっている。先行研究では、社会と自衛隊の関係については論じられてきたものの、そこに旧日本軍や旧日本軍関係者がどのような影響を与えているのか十分に検討されてこなかった。そのため、旧日本軍やその関係者、組織が自衛官のアイデンティティや退職後の活動や発言に与える影響が明らかになっていない。2024年4月には、「陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X (旧ツイッター)の部隊の公式アカウントで戦没者追悼式を紹介する投稿に「大東亜戦争」という用語を使」ったことが、メディアによって問題化されるなど、旧日本軍と自衛隊の関係性が問題化されている。こうした問題に対して、戦友会の「継承」という問題からアプローチするものである。 【2.方法】  旧日本軍関係者によって設立され、現在も活動を続ける戦友会(元陸軍将校・元自衛官の親睦組織陸修偕行社、元海軍士官・元海上自衛官の親睦組織水交会)、戦没者の慰霊顕彰団体(特攻隊慰霊顕彰会、大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会、日本郷友連盟)に参加する元自衛官へのインタビュー調査と戦友会会報などを資料として用いる。 【3.結果】  インタビュー調査および会報の分析によって明らかになったのは以下の点である。①戦友会に参加する元自衛官たちは、自衛官時代の先輩の勧誘によって戦友会に参加している。②彼らは旧軍の戦没者の慰霊を通じて、自衛隊の社会的位置づけの向上を目指している。③元自衛官は、旧日本軍を称賛するだけではなく、その問題点も学ぼうとしていた。 【4.結論】 元自衛官たちは、何かしらの問題意識を持って団体に参加したのではなく、団体に参加し活動する中で、自衛隊や戦没者慰霊の問題を見出していた。つまり、団体での活動をきっかけに自衛隊時代を回顧し、自衛隊などの問題点を見つけ出し、現在の活動を行なっている。

報告番号133

アメリカ兵捕虜第2世代の対日要求と戦後和解コミュニケーション
青山学院大学 前川 志津

戦後80年を迎えようとしている現在においてなお、戦後和解は未完の社会的課題である。寧ろ、2021年に「和解学」の創成を目指した和解学叢書1『和解学の試み』(浅野豊美編・明石書店)が刊行され現在は6刊目を数えるなど、学問としての戦後和解は新たな段階に進んだともいえる。本報告では日本軍アメリカ兵捕虜の歴史を事例に日米戦後和解のコミュニケーションについて考察する。  American Defenders of Bataan and Corregidor Memorial Society(以下、ADBC-MS)は、第二次世界大戦中に日本軍捕虜となったアメリカ兵の子どもたち(第2世代)を中心とした組織である。2011年に捕虜当事者(第1世代)を中心とした前身のAmerican Defenders of Bataan and Corregidor Society(ADBC)からADBC-MSに活動が引き継がれた。組織名にMemorial SocietyとうたわれているようにADBC-MSの活動の中心は捕虜の歴史の継承であるが、歴史の継承と関連した活動のひとつに2010年から開始された日本政府による元捕虜の招聘事業の窓口としての業務がある。ADBC-MSは参加者の募集、選考を行うため、これまで招聘された参加者は全員がADBC-MSで存在が知られた会員たちである。外務省のプレスリリースによると、この事業の目的は「第二次世界大戦時の経験に起因して我が国に対して特別な感情を持つ米国人元戦争捕虜及びその配偶者等を我が国に招聘し,心の和解を促すことを通じて,日米間の相互理解の増進を図ること」であり、この事業の窓口であるADBC-MSおよび参加者は日米戦後和解の準公式なカウンターパートナーといえよう。  コロナ禍の中断をはさんで2023年2月に第12回目の招聘が実施されたのを最後にこの事業は終了した。第2世代の人たちは元捕虜や未亡人の付添人として来日していたが、元捕虜や未亡人の高齢化にともない次第に招聘プログラムの中心となっていった。最後のプログラムで招聘された7名は、全員が第2世代であった。招聘プログラムの参加者はADBC-MS年次大会でプログラムの報告をするのが恒例となっており、2023年2月のプログラム参加者は3ヶ月後、5月の年次大会で報告を行っている。 筆者はこの報告が行われた2023年5月にアメリカで開催されたADBC-MS年次大会でフィールドワークを行った。そこで得られたナラティヴのデータを分析し、2010から2012年のあいだに招聘プログラムとADBC-MS年次大会のフィールドワークで得られた第1世代とナラティヴと比較したところ、日本の歴史教育についての批判的ナラティヴなどが引き継がれながらも自身の思いや感情のナラティヴが増加し、また、新たに歴史の意味づけに関するナラティヴが語られるなどの変化が確認された。以上の知見を踏まえ、第2世代のナラティヴが今後の日米戦後和解のコミュニケーションにもたらしうる変化について考察したい。

報告番号134

彼女たちにとっての「日本」・「台湾」・「中国/中華」——台北州立台北第三高等女学校同窓生のライフストーリーから
高崎経済大学 石井 清輝

【1.目的と方法】本報告の目的は、日本統治下台湾において存在した台北州立台北第三高等女学校の同窓生の中でも、在学中に1945年の終戦を迎えたいわゆる「少国民世代」の5名のライフストーリーを中心に、彼女たちの人生の中で言語、価値観、慣習からなる「日本性」・「台湾性」・「中国性(中華性)」が有した意味を考察することである。同女学校は、主に「台湾人」女性が進学する高等女学校で、台湾社会で階層的に中上位層の子弟が多数入学していた。その中でも、1944年に入学した女性達は、日本の皇民化教育を受けた後、中華民国の教育を受けた狭間の世代として独自の経験を有している。彼女たちはその人生の過程において、「日本」・「台湾」・「中国/中華」とどのように出会ったのか、それらはどのように自己に内部化/自己から外部化されたのか、そこにどのような共通性と差異があるのかを確認し、それらが生み出された要因を考察する。【2.結果】明らかになったのは以下の3点である。①彼女たちにとっては、「日本」は同化すべき対象として自明視されたものであり、家庭、学校教育を通して慣習を除く「日本」(言語、価値観)が身体化されていた。ただし、ここでの「日本」的価値観とは、当時の忠君愛国精神や国家神道ではなく、孝行、誠実、約束の順守などの規範を意味していた。「台湾」については、祖父母との同居、父母の職業、家庭の教育方針などにより、言語、慣習の内部化の度合いにかなりの差異があった。②「日本」を身体化した彼女たちにとって、1945年以後中華民国によりもたらされた「中国/中華」の言語、価値観は完全な「異文化」として、かつ「恐怖」の感情と共に受け止められたことで、忌避、否定すべき対象となり外部化されていった。学校において「中国」を代表する「外省人」教師たちも大きな影響力を持つことはなく、言語習得も必ずしも順調には進まなかった。逆に、「中国/中華」との対照で、「日本」が対抗的な価値を有するようになった。③就業、結婚の後も、「日本」の言語、価値観が基本的に継承され続けた。就業では、男性とは異なり、当時の女性の補助的な職業上の地位では「外省人」と競合しづらく、大きな葛藤は見られなかった。就業体験は全体的に「中国」の言語習得を促しはしたが、価値観の取り込みは見られず、むしろ職業上の交流から「日本」の内部化が強化されるケースも見られた。また結婚は同一階層、同「族群」内を前提としており、文化的な異質性にさらされることは少なかった。ただし、結婚を介して「台湾」、「中国/中華」に向き合わざるをえなくなるケースもあり、そこでは身体化された「日本」と両者との間での葛藤や交渉、受容の過程が見られた。【3.結論】語り手たちは「日本」の言語、価値観を深く内部化しており、それは人生を通して基底的なものであり続けた。その上で、重要な他者の存在、またその出会い方により「台湾」、「中国/中華」の内部化/外部化の度合いの違いが生み出されていた。さらに、彼女たちの人生の語りにおいては、「日本」は身体化されているが故に自己の一部として意識化、対象化されにくいものであるのに対し、「台湾」、「中国/中華」は「日本」との距離を踏まえて意識的、相対的に語られる傾向を有するものであった。

報告番号135

「中国残留婦人」のトラウマを考える——ある女性の死から
東京大学大学院 森川 麗華

本報告は、主に1930年代以降に旧「満洲国」に渡り、当地で敗戦を経験したのちに、中国人男性と「結婚」したことで「残留」したとされている、敗戦当時13歳以上の女性、「中国残留婦人」が抱えたトラウマについて検討するものである。ここでいうトラウマとは、「過去の出来事が現在にもなんらかの精神的影響をもたらしている状態」である(宮地2013:4)。  これまで、「中国残留婦人」や「中国残留孤児」のトラウマについては、「記憶」とセットで論じられてきた。例えば聴き取りの際に、語られない語りがあるゆえんの一つとして、「満洲移民」という経験自体の「悲惨さ」があり、家族を亡くしたという「苦痛」は、「トラウマとして心の奥深くにしまい込まれ」たり、地域をあげて移民を行った場所では、長らく地域の「タブー」として触れられず、「地域のトラウマ」になったという指摘がある(蘭2009:20-22)。また、そのように語られなかった記憶があるゆえに、「満洲開拓の記憶」は、戦後の日本社会で忘れ去られてきたことも提示されている(趙2016:475)。  以上の先行研究では、「中国残留婦人」らや彼女らを取り巻く社会の記憶と、トラウマが不可分であることがよくわかる一方で、「中国残留婦人」であり、かつ一人の女性の経験が、いかにトラウマ化されたのか、そしてそれゆえに、いかに生き延びようとし、もしくは生きることをやめる決意をしたのかについては、考える余白があるように思われる。  本報告では、ある一人の女性の死から、この問題について考えてみたい。ある女性、「中国残留婦人」は、里帰り帰国として一時的に日本に帰国したのだが、その滞在中自ら命を絶った。このことは、当時、「日本人として、日本で死にたかったのだろう」というような、彼女のアイデンティティと望郷の念をつなげて報じられた。真相はわかるはずがないし、本当に報じられた通りかもしれないが、トラウマ反応としての「自殺企図」があった可能性について、一つの考察を行うことは、「中国残留婦人」という大きな存在というよりも、そこに生きた一人の女性の経験を、浮き上がらせる一つの手段となるだろう(中村2018)。 宮地尚子(2013)『トラウマ』岩波新書 蘭信三(2009)「オーラル・ヒストリー実践と歴史との<和解>」『日本オーラル・ヒストリー研究』第5号 趙民彦(2016)『「満洲移民」の歴史と記憶』明石書店 中村江里(2018)『戦争とトラウマ』吉川弘文館

報告番号136

正社員の増加と雇用の質 ——事業所・労働者マッチングデータの分析より
労働政策研究・研修機構 高橋 康二

【1.目的】  マクロ的に見て、バブル経済崩壊後の日本では長期にわたり正社員が減少していたが、2010年代半ばより再び増加し始めている。この趨勢変化をめぐっては、素直に歓迎する声もあれば、正社員の雇用の質が低下・希釈化している可能性を懸念する声もある。本報告では、正社員が増加している事業所とそうでない事業所とで、正社員の雇用の質にどのような違いがあるのかを明らかにする。 【2.方法】  分析に使用するのは、厚生労働省が2019年に実施した「就業形態の多様化に関する総合実態調査」の事業所・労働者マッチングデータである。報告者は、労働政策研究・研修機構のプロジェクト研究の一環として、厚生労働省より同データの個票の提供を受けた。本報告では、事業所調査において過去3年間に正社員が増加したと回答する事業所を識別し、それらの事業所の特徴を確認した上で、それらの事業所で働く正社員の属性、賃金、意識にどのような特徴があるのかを分析する。 【3.結果】  分析の結果、(1)正社員が増加している事業所は大企業に多いこと、(2)正社員が増加している事業所には女性正社員、勤続年数が短い正社員が多いことが示される。そして、(3)正社員が増加している事業所では必ずしも正社員の平均賃金は高くないが、(4)性別、年齢、学歴、職業、勤続年数といった個人属性をコントロールすると、正社員が増加している事業所の方が正社員の賃金が有意に高いことが示される。また、(5)正社員が増加している事業所の正社員は「仕事の内容・やりがい」に関する満足度が有意に高く、(6)その差は賃金をコントロールしても残ることが示される。 【4.結論】  これらの分析結果から、おおむね賃金水準が高い事業所において正社員が増加しているが、正社員が増加している事業所には女性や短期勤続者が多いことから、正社員が増加している事業所の正社員の平均賃金は必ずしも高くならないというメカニズムが見出せる。他方、事業所における正社員の増加は、当該事業所の正社員の仕事意欲に好影響を与えていることが示唆される。2010年代後半という期間におけるミクロレベルの分析によれば、正社員の増加は総じて正社員の雇用の質の改善を伴っている、あるいは、雇用の質が高い事業所において正社員が増加していると結論づけられる。ただし、正社員が増加している事業所における非正社員の増減やそれら非正社員の雇用の質については、引き続き分析していく必要がある。他の期間において同様の傾向が見られるのかも、今後の検証課題である。

報告番号137

アフターコロナにおける就業意識の変化をめぐる調査研究
東京理科大学 日戸 浩之

【1.目的】 日本の就業者が活性化しワークモチベーションを維持して働くための要因はどのようなものであるか。その問いに対して、本研究は時系列で実施している就業者調査の結果をもとに、就労をめぐる価値観、就業者の職務満足度、モチベーションの特徴などを分析することを目的とする。従来の就業者の意識を分析してみると、日本の企業および従業員は一定程度、働き方改革を進めて、安定した就労状況を実現したとみられる一方で、現場での挑戦的な取り組みや自律的なキャリア構築を目指す意欲には乏しい点が指摘できる。コロナ禍を踏まえて働き方の多様化が進む中で、従業員の自律性をさらに高めモチベーションの維持・向上を図るかは、今後の従業員それから企業にとって大きな課題であり、その検討に資することを目指す。 【2.方法】 NRIおよび筆者は全国の正規雇用者3000名を対象にしたインターネット調査(対象者は調査会社に登録したパネルから抽出する)を時系列で実施しており、そのデータを本研究では主に用いる。 【3.結果】 従来の調査結果の分析(日戸浩之「就業意識の変化から見た働き方改革」(知的資産創造、2017年)によると、1997年から2015年までの就業者の意識を時系列で分析したところ、①ワークライフバランスの重視、②安定した生活を求める傾向、③保守的なキャリア形成意向、④低下する会社への帰属・貢献の意識といった特徴がみられた。最新の調査結果と比較すると、概ねこれらの傾向は継続している傾向が確認できているが、加えて「本業以外の仕事ももちたい」といった多様な働き方を模索する傾向が強まっていることが明らかとなった。コロナ禍を経て、テレワークなどの就労形態を経験する人が増加する一方で、近年、Z世代などの若年層を中心に増加しているとみられるギグワーカー(主にインターネット上のプラットフォームを介して、単発の仕事を請け負って働く人)のような働き方が広まっている傾向が背景にあるとみられる。 一方で、会社や仕事よりも自分や家族のことを優先したい意向が継続的に高まる中で、起業意向は低下を続けており、保守的な就業意識の傾向は依然として強まっていることも示された。 【4.結論】 近年、日本の労働力人口の減少、日本の長時間労働の慣習を改善する必要性、多様な働き方や人材を許容するダイバーシティ・マネジメント推進の重視などを背景に、日本で働き方改革を求める動きが活発となっているが、就業意識の面からみると、保守的な傾向が続いていることが明らかとなった。働き方改革の方向性としては、企業中心主義から脱却し、就業者の柔軟な時間の使い方の支援が求められており、中長期的には安定志向を強める就業者に自律的なキャリア構築にチャレンジし、人生100年時代を見据えて何のために働くかを改めて問い直すための環境作りが求められているということができる。コロナ禍を機に多様で自由度の高い働き方の導入が進むことで、その方向性を模索する動きが出てきているものの、まだかなりの時間を要する点が課題として指摘される。 今後、①働き方の多様化が及ぼす影響、②DX、テレワークの導入などが業務効率化とともに働き方に与える影響、③Z世代をはじめとする若年層と他世代とのギャップの分析などが今後の研究課題となる。

報告番号138

女性割合の少ない職場へと至る女性のキャリア選択と職場経験の質(2)——原子力発電・放射線利用をめぐる産業組織における女性エンジニアの経験
株式会社原子力安全システム研究所 藤田 智博

【1.背景・目的】2023年度大会の一般研究報告の続きになる。そこでは、男女間の社会的不平等を帰結しうる性別職域分離や性別専攻分離について、ジェンダー・ステレオタイプ(坂田 2014; 脇田 2021)が機能する限り、是正は難しいこと、また、ジェンダー・ステレオタイプでは、現に女性割合の少ない職場で職務に従事している女性のキャリア選択や職場経験を積極的には説明できないこと、の二点を指摘した。同時に、選好形成と選択という観点を導入し、女性割合が少ないと予想される職務に従事する女性を対象としたインタビュー調査に基づき、いかなる側面から仕事に対して達成感を得ているのかを分析した。それに続く本報告では、キャリア選択に対する意味づけ、職場の性別構成比や本人の性認識と関連させた職場経験の結果を分析する。 【2.方法】先行研究を踏まえつつ、科学技術に関連する職務に従事する女性を対象としたインタビュー調査を計画・実施した。具体的な対象は、原子力発電と放射線利用をめぐる産業組織に所属し、勤続年数が3年以上の女性エンジニアである。質問内容は、現職内容、仕事において頻繁に接する人における女性割合、職歴、本人学業歴、15歳時父職・母職、本人のキャリア選択観、家族歴等である。協力者は機縁法に基づいて募り、7つの産業組織の20歳代から50歳代までの計14人(2023年度一般研究報告時から1名新たに追加)から協力を得た。日程調整の後、30分から90分程度の構造化面接を実施した。 【3.結果】女性エンジニアとしてのキャリア選択をした入職前の要因として、両親ないし親戚・兄弟姉妹との関連、家庭における教育環境、中学校時代の友人関係ネットワーク(女性グループ内部でのネガティブな経験)、中学時代の理数系科目への選好(文系科目・机上・事務職の不得手)、女性職場へのネガティブ・イメージ、職場見学の影響、進路指導教員の影響、職業と紐づいた「手に職」志向と経済要因、進路選択時における将来の見通しやすさ、といった点を指摘することができる。また、入職後の経験として、性別と就職・昇進の有利・不利の関連について、評価が就職と昇進でズレていること、そのズレは企業規模とも関連していることを指摘する。そのような組織間の相違は、職務の委託・受託関係とも対応しているが、とりわけ、受託する側の組織の女性において不本意な経験と結びついている可能性を指摘する。(対処可能であるものの)物理的な力が必要とされる場面において不利を認識する機会があること、組織内要因として、結婚や出産を契機とする周囲の「配慮」が、本人にとって不本意なものとなりうる可能性を指摘する(詳細は発表当日)。 【4.結論】選好形成とキャリア選択において分岐を促しうる要因を時点別に抽出する。要因は、幼少期から入職後にわたり、大きく、家族、学校、本人、経済、産業組織要因に分けられる。それらのうち、家庭環境のような外部からの働きかけ(介入)が難しい要因がある一方、働きかけが可能な要因を指摘することもできる。それゆえ、入職前と入職後を区別したうえで、それぞれの時点と要因に対して、適切なサポートが必要である。入職後はそれに加え、サポートの適切性を判断・修正しうるコミュニケーションとそのためのコミュニケーションの回路が必要であり、とりわけ、企業規模が比較的小さい組織においてこそ、それは当てはまることを述べる。

報告番号139

両立支援と管理職昇進支援のパラドックス——製造業企業でのインタビュー調査から
関西大学 酒井 千絵

本研究は製造業従業員に対するインタビュー調査から、女性管理職の増加を阻む要因、また育児などのケア労働と仕事の両立への障壁を検討するものである。 日本では女性の多くが結婚や育児で退職し、一部が子どもの成長後に非正規雇用で働いてきた。だが、少子高齢化による労働力人口の減少を受けて、政府は育児・介護休業制度を法的に整備し、労働力の不足と少子化の解決を試みてきた。その結果、2010年代には育児休業を取得し、正規雇用の仕事を維持する女性が増加しつつある。また、2022年に男性の育休取得を推進する改正育児・介護休業法も施行された。 他方で、管理職に占める女性の割合は係長級でも20%程度、課長・部長級では1割前後と、国際的にも低い数値に止まる。その理由として女性の昇進志向が低いこと、残業を含む長時間労働が常態化し、育児等のケアを担う女性社員は評価を得にくい定型的な仕事に固定されることが指摘されてきた。また国際比較研究は、各国の制度や仕組みが、女性管理職の増加動向に影響を及ぼしていることを示唆している。 報告者は、2018年から2022年に製造業2社で延べ59名の調査協力者に対し、1時間程度の半構造化面接を行った。調査協力企業はコース別採用を2000年ごろまでに廃止し、性別によらない採用と配属を行っている。また国の制度以上に柔軟な育児休業と短時間勤務制度を運用し、出産後も女性が就労継続可能な制度を整備してきた。男性社員の育休も、全国平均よりも取得率や取得期間が長かった。他方で、女性を対象に研修を行うなどの施策にもかかわらず管理職の女性割合は依然として低く、女性リーダーをどのように育成するのかが課題になっていた。 調査から、主に2000年代から2010年代までに新卒や転職で入社した30代から40代の社員は、出産・育児を経ても就業を継続し、育休後も技術職、専門職として非定型的な仕事に従事しており、1990年前後入社の女性社員とは異なる経験をしていることが分かった。また調査協力者はキャリア構築そのものには高い意欲を持っている一方で、管理職への昇進意欲は相対的に低かった。 この背景には、手厚い両立支援が行われる一方で、残業や長時間労働を是とする働き方自体が維持される職場環境がある。調査協力企業では、育休から復帰した女性社員の多くが、長期にわたり短時間勤務や定時退勤を選択し、就業を継続していた。だが、製品開発を担う中核的な部署ほど時間外業務が前庭となっており、そこで働くチームリーダーや課長などの中間管理職は、自身の担当業務に加え、部下や後輩に適切な業務を与えて育成する役割や業務管理を担うため、労働時間がさらに長くなる傾向がある。その結果、長時間労働ができない育児中社員の昇進意欲は下がり、また中間管理職は現状よりも重い負担を受け入れることで、職場のメンバーとして成長できるという認識を共有していたため、短時間勤務の社員への仕事量を図りかねていた。こうしたデータは、ケア役割を担う社員の就労継続を支援する制度が、逆にリーダー的役割への障壁となり、女性が昇進意欲を持ちにくいというパラドックスを示している。

報告番号140

賃金満足度の高い女性労働者
東京大学大学院 森川 ゆり子

【1.目的】 女性は平均して男性よりも賃金が低いのに,満足しているといわれる(女性労働者の満足度のパラドクスthe Paradox of the Contented Female Worker).例えば非正規など経済的に脆弱な雇用形態にある女性が高い生活満足度を示すことが指摘されており,これらは家庭との両立しやすさ(郭2018),適応的選好形成(山本 2017)などの視点から解釈されている.日本の女性労働者の「賃金」満足度についても同様の現象がみられるだろうか.女性労働者が自身の低賃金に満足するならば,それ以上の賃金を求めにくくなり,不平等が持続することが懸念される(Auspurg 2017)ため,個人収入の満足度の規定要因の性差を分析する. 【2.方法】 SSM2015から,就労年齢にある雇用労働者のサンプルに対し,性別,時間当たり賃金,本人収入をのぞいた世帯賃金,雇用形態など職務に関する特性などを統制し,賃金満足度の性差を分析する.賃金に不満のある女性が,不満のある男性よりも雇用されている確率が低ければ,観察される賃金満足度には偏りが生じるため,Heckman 2段階モデルを適用して,潜在的な自己選択を統制する.このほか他の説明変数なども追加し検討する. 【3.結果】 本データから女性労働者は男性労働者よりも賃金が低いことが確認された.それにもかかわらず,様々な要因を統制しても女性労働者は男性労働者よりも自己賃金に満足している.仕事への満足度を統制しても満足度の性差はみられる.こうした男女差は,配偶者を持つ女性で顕著であった.このほか,女性は労働時間が短いことで自己賃金に満足し,また賃金が上昇することの賃金満足度に与える正の影響は男性よりも小さい. 【4.結論】 配偶者の有無が女性の賃金満足度に影響を及ぼすことは,ドイツにおける先行研究(Pfeifer and Stephan 2019)と整合的であった.この結果について,報告者の他の分析事例を引きながら考察する. 文献 Auspurg, K., T. Hinz, and C. Sauer, 2017, “Why Should Women Get Less? Evidence on the Gender Pay Gap from Multifactorial Survey Experiments,” American Sociological Review 82(1): 179–210. Pfeifer, C., and G. Stephan, 2019, “Why women do not ask: gender differences in fairness perceptions of own wages and subsequent wage growth,” Cambridge Journal of Economics 43(2): 295–310. 郭雲蔚,2018,「生活満足度に対する従業上の地位の影響に見られるジェンダー差の再考 ―雇用の質に着目する―」『2015 年SSM 調査報告書9:意識Ⅱ』69-83. 山本咲子,2017,「ケイパビリティ・アプローチからみた未婚の女性非正規雇用者の生活課題」『日本家政学会誌』68(8): 421-429.

報告番号141

組織における自己啓発のインタビュー調査研究——航空会社社員を事例とした,カッコよさという価値観の発見
成蹊大学大学院 神野 久美子

【1 .目的】 この報告の目的は,なぜ労働者が自己啓発を行うのか,というリサーチクエスチョンを明らかにすることである.自己啓発とは,労働者がキャリア形成を目的とし,自分の意思で就業外の時間を使って,時間,労力,金銭などを自分に投資することをさす.先行研究によれば,労働者と組織が自己啓発の目的を共有すれば,学習効果が高まる.しかし,労働者がどのようなモチベーションで自己啓発をおこなうのかは,未解明なままであった.そのため,「労働者は,収入,職位,従業上の地位の上昇のみをモチベーションとして,自己啓発を行うだろう」という仮説を検証する. 【2 .方法】 大手航空会社A社を事例として,11人に半構造化インタビューをおこなった.インタビューは2021年から2023年に,インタビューガイドを作成のうえ,1人につき原則として複数回実施された.原則として対面だが,オンラインでも実施した.対象者は,自己啓発を行ったことのある正社員とし,職種や性別ができるだけ多様となるようにした.自己啓発した結果キャリア形成を達成した事例として,特徴的な4人を分析する. 【3 .結果】 労働者は,客観的な職業的地位の上昇だけでなく,「カッコよくなりたい」という主観的価値観も自己啓発のモチベーションとなり,カッコよくなりたいから自己啓発することがあった.たとえばBさんは「やっぱり最高位のサービスグレードの方がカッコいいと思うよ」と発言した.カッコよさとは,業務における高い専門性をマスターし,それにふさわしい見た目をもつことである.カッコよさはとくに後輩に認めてもらうことが期待されていた.客室乗務におけるチーフパーサーなどのマネジメント業務にはリーダーシップが必要とされ,他の乗務員の求心力を高めるためには高い専門性を身に付けていることが前提である.つまりカッコよくなるには,他者から認められなくてはならない.そのために専門性の獲得という裏付けが不可欠であり,見た目も整えていた. 【4 .結論】  分析の結果,仮説は支持されなかった.労働者は客観的な基準だけでなく,カッコよさという主観的なものもモチベーションとすることがあった.以上から,労働者は客観的な職業的地位の上昇だけでなく,「カッコよくなりたい」という主観的価値観もモチベーションとして,自己啓発をおこなうことがあった.カッコよさという主観的価値観が自己啓発のモチベーションとなっていることが,この研究ではじめて発見された.

 
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