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第97回日本社会学会大会 11月10日日曜日午前報告要旨

報告番号292

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(1)——論点提示
早稲田大学 岡本 智周

【目的と方法】日本社会における共生概念の含意の変化に着目して、共生社会論にとっての課題の経路を確認する。共生概念を成り立たせるために問われてきた論点とそこでの知見を提示し、そのうえで、連携報告「共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1)(2)」で検討されるべき社会的凝集性に係る論点を提出する。【結果】20世紀後半に社会を語るための言葉となった共生は、1990年代後半から政策的議論においても用いられるようになり、その含意が変化したとされる。従来、個々の権利の擁護と差異の承認による差別の克服を求める言葉であった共生に、「つながりや絆」の要請が加えられたのである。結果として共生なるものは、社会のなかの「多様性の尊重」と社会の「凝集性の確保」を同時に果たそうとする概念となった。両者のあいだに一元的な均衡点を見出すことが共生を論じるうえでの難点となったが、この点に関しては浜田寿美男や川本隆史によって、人間のあり方の省察を踏まえた検討が提出された。すなわち、人間はある位相での排他を別の位相から捉え直すことのできる二重性をもった存在であり、ある事実を遠近法によって捉えることができる。したがって「人間の二重性」や「帰属する社会の多層性」を前提とし、ある位相の社会における排他の事実を、まさに「多様性の尊重」と「社会の凝集性」の双方の観点から思惟することが、共生という行為作用の枢要だとする理解が導かれた。そうした論理を経て、共生とは、「あるもの」と「異なるもの」の関係性を対象化し、両者を隔てる社会的カテゴリ(社会現象を整序する枠組み)それ自体を、今あるものとは別なるものへと組み直す現象だと定義される。もちろんそのようにして新たに組み直された認識枠組みもまた、何らかの排他性を帯びることを避けられないが、その排他の事実を認めつつ、暫定的なものとしての社会的カテゴリの更新を限りなく重ねていくことが、社会的共生のプロセスとなる。【結論1】しかしながら近年、とりわけ企業の組織経営等の文脈で「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)」が語られる際に、「差異」が生起するそもそもの社会的背景が問われないままの状況がみられる。人間の特性が何らかの社会的な差異の根拠として意味づけられるかどうかは、現実的な社会制度のあり様と関連している。そもそもの社会制度の状態を問うことなく、人間の特性に付与された意味が変わらないものだとされれば、「多様性の尊重」はマイノリティをその特性に相応しい(とされた)役割に振り分けるだけの、現状肯定の理屈にほかならなくなる。共生社会をめぐる問題系の確認と展開のために、取り上げられるべき第1の論点がここにある。【結論2】この事態は、政治経済理論としての新自由主義が台頭した結果として整理することができる。この思潮はまた、福祉国家や公共支出の増大に対する反動としての保守主義と結びつく。この「結託」においては、社会の複数の位相を相互に対象化したうえでの凝集性の検討はなされず、人びとは互いの結びつきの基盤として、抽象的な市民社会ではなく、分かりやすい国民社会の位相を自明視する。新自由主義が呼び起こした新保守主義(国民主義)と市民主義との懸隔についても、正確に把握される必要がある。この点が、共生社会をめぐる問題系の確認と展開のために取り上げられるべき論点の第2となる。

報告番号293

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(2)——社会的凝集性の概念
早稲田大学大学院 秋葉 亮

【目的と方法】共生社会論における社会的凝集性の概念がもつ独自性と限界性を、概念史的系譜の解明を通じて、確認し、共生社会をめぐって社会的凝集性を論じる視座の理論的基礎を提示する。 【前提】1990年代後半より、主に行政的要請を通じて、共生概念には個人間のまとまりの確保という問題が付与されてきた。共生社会論は、その問題を、解決すべき行政的課題とするのではなく、「多様性の尊重」という以前からの観点と矛盾しない形で、記述と分析の対象とするために、社会的凝集性の概念を導入した。 【結果1】2000年代の共生社会論において、社会的凝集性の概念は、当時の社会学の一般的な定義であった、社会心理学におけるグループ・ダイナミクスの定義に依拠して、諸個人がもつ集団への帰属意識と定義された。そのような定義により、共生社会論における社会的凝集性は、諸個人の同質性を前提とせずに、価値観の共有や集合的活動への参画によって生じる集団的まとまりを記述・測定可能にする、分析的な概念となった。しかし、集団への帰属意識と定義された社会的凝集性の概念は、集団それ自体を問いなおす契機を内包せず、ゆえに特定集団への帰属を本質化する使用法が可能である。実際、日本国家行政による共生概念の使用においては、国民国家社会の位相で本質化された同質性(人種、言語、文化など)の「維持」や「養成」の根拠として、「社会的凝集性の確保」が掲げられてきた。共生概念に含まれる社会的凝集性の社会心理学的定義は、諸個人の多様性を前提とする共生社会論の主張とは相容れない、諸個人の同質性を目的とする以上の主張にも親和的である。 【結果2】一方、共生社会論における諸個人の多様性と社会的凝集性との結びつきは、社会的凝集性概念の社会的文脈によって可能となっている。2000年代の共生社会論の議論において、社会的凝集性は、統合や連帯と互換的に使用されている。この互換的使用は、E.デュルケムの『社会分業論』(1893)に遡ることができ、ここに、社会的凝集性ひいては共生をめぐる社会学的な系譜が見いだされる。『社会分業論』は、近代西洋社会における個人の自立と社会の連帯との相互依存的深化、換言すれば、個人の多様性と社会的紐帯の両立を問題とした。その際、社会統合の状態を意味する社会的凝集性の原因は、諸個人の社会的類似による機械的連帯にたいする多様な諸個人の分業による有機的連帯の優越という、歴史的な推移をたどると想定された。A.コントやG.ジンメルにも見られる以上の推移の想定によって、社会学が「現代」社会における社会的凝集性を問う際には、多様な諸個人が前提とされる。共生社会論は、その社会学的系譜の参照を通じて、社会的凝集性を個人の多様性と結びつけているのである。他方で、有機的連帯を近代国民社会に固有とみなすデュルケムに顕著なように、社会学も、近代国民社会の位相に限定された多様性と凝集性を対象としてきた。たいして、共生社会論は、近代国民社会において、多様性からも凝集性からも排除されてきた人々(女性、障害者、外国人など)への注目を通じて、その限定を問いなおす。 【結論】共生社会論における社会的凝集性は、心理学的・社会学的意味合いを引き継ぎつつ、複数の社会的位相という観点から、それらを問いなおすことで、独自の限界性をもつ概念となっている。

報告番号294

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(3)——「多文化共生」をめぐる理解
早稲田大学大学院 永島 郁哉

【1.目的】本報告の目的は、「多文化共生」が、いかにして外国人の周縁化や排除を暗に正当化する概念として構築されたのかを明らかにすることである。先行研究ではこれまで、多文化共生という概念がパターナリスティックな意識を内包していることや、この概念の政策への採用が外国人の社会経済的周縁化に貢献してきたことが指摘されてきた。また、多文化共生概念が安全保障言説と結びつくことで、外国人の管理と追放が正当化されているとの指摘もある。だがこうした研究は、多文化共生の理念とその下で行われる政策の実態の間にあるねじれを指摘するに留まっており、多文化共生のいかなる概念構築が外国人の周縁化や排除を可能にしたのかを明らかにしていない。【2.方法】そこで本研究は、多文化共生を政策概念として初めて掲げた、総務省「多文化共生の推進に関する研究会」に着目し、その議事録の言説分析から上記の課題に取り組む。調査対象は、総務省に設置された多文化共生政策に関する研究会・意見交換会(全10回)に関する約300ページに及ぶ議事録/議事概要と、各回の報告書(計約500ページ)、ならびに4つの行政指針である。【3.結果】分析の結果、次のことが明らかになった。第一に、日本人住民と外国人住民の間の軋轢の解決という現実的な要請に対して、研究会が多文化共生概念のもとで「コミュニケーション」の必要性を語るとき、「コミュニケーション」は「対話」ではなく「日本社会のルールや規範の伝達」として理解されていた。これによって、コミュニケーションを通して目指される「対等な関係」の対象は、「規範を内面化し日本文化に同化した外国人」に限定される。第二に、多様性の尊重が「地域社会の経済的活力」のために推進されることで、スキルの高い存在として留学生や外国にルーツのある子どもたちが「望ましい多様性」として承認されていた。これによって、外国人は経済的恩恵の受益者である国民の利益に照らして選別され、排除される。すなわち、同化しない外国人は「対等な関係」には参画できず(周縁化)、日本の(経済的な)「利益」と見なされない外国人は社会から承認されない(排除)。以上のような多文化共生の概念理解は、社会的凝集性を国民国家の水準に限定することに起因していると言える。共生をナショナルな水準でのみ捉えるからこそ、国民文化や規範への同化が至上命令となるし、多様性承認の線引きが「国民の利益」によって左右されるのである。【4.結論】こうした多文化共生理解は、テクノクラートによる行政のあり方から説明できるかもしれない。研究会は、地域社会で生じる問題を地域住民が個別具体的に解決することを促す代わりに、地域社会の軋轢や緊張の解決策や、地域での外国人の位置づけを一元的に決定・通知した。解決策を寄せ集めて提示するという実務的な作業は極めて合理的である一方、こうした官僚主義的なアプローチは既存の秩序体制の維持を志向しやすく、結果として国民国家枠組みを多文化共生概念に宛がうことになった。国民カテゴリを相対化し得たはずの多文化共生概念は、合理的な問題解決を目指す行政の議論のなかで、むしろ国民カテゴリを維持・強化する形で理解されたと言える。

報告番号295

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(4)——「共生」の英語訳
大阪大学 坂口 真康

【1.目的】本報告の目的は,「共生」の英語訳について,種々の訳語の意味づけられ方の相違に着目しつつ考察することである.【2.方法】本報告では,政策文書や先行研究を用いた文献研究に取り組む.それにより,第1に,英語への翻訳を見据えつつ日本(語)の文脈で展開されてきた「共生」概念に関わる議論を整理する.第2に,英語圏における「多様性の尊重」と「社会の凝集性」に関わる議論の変遷を整理する.第3に,社会で現実を生きる人々を想定した概念としての「共生」の英語訳について,既存の議論を踏まえつつ考察する.第4に,英語圏における事例を参照しつつ,第3点目で考察した「共生」の英語訳をより具体的に検討する.【3.結果】本報告では,主に次の4点を提示する.第1に,日本語の「共生」概念に関しては,その独自性から英語訳が困難であることを主張する議論が多方面で展開されてきたことを指摘する.その中で,ローマ字表記により“kyosei”とする動きがある一方で,“coexistence”や“living together”といった英語訳を付与しようとする動きがあることを示す.第2に,英語圏における「多様性の尊重」と「社会の凝集性」に関わる議論として,「同化主義」から「文化的多元主義」,そして「多文化主義」への移行の中で取り上げられてきた論点を整理する.さらに,「多文化主義」の限界が指摘され始めた時期と日本社会における「共生」という言葉の隆盛の時期との重なりを指摘しつつ,グローバル化が進行する現代社会では,「ネイション」ではない形態の社会的凝集性を内包することが「共生」概念には求められていることを提示する.第3に,「ネイション」による排他性を乗り越えようとする議論に「シティズンシップ」等がありながらも,「共生」に着目する理由として,行為者と観察者双方にとって使用が容易である点を示す.その中で,現実の人間社会を生きる行為者の用語としても「共生」を英語訳する際の,英語ではない“kyosei”を用いることによる限界や,生物学用語とされる“symbiosis”,あるいは日常用語からは距離がある“conviviality”を英語訳とすることの留意点について論じる.その上で,「共生」の英語訳の検討を“coexistence”と“living together”に絞りつつも,プロセスとしての「共生」の特徴を際立たせるという観点から,動名詞としての後者の英語訳に着目する.そして第4に,“living together”としての「共生」の英語圏の具体例として,1994年に制度としてのアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃された南アフリカ共和国における行為者と観察者の言説を提示する.その中で,同英語訳としての「共生」では,巨視的観点よりも微視的観点から人間社会の現実が想定されることになるという推論を示す.【4.結論】本報告では最後に,自然科学と人文・社会科学の差異に関する議論を参照しつつ,「共生」の英語訳に取り組む際の留意点について論じる.具体的には,現実の社会を生きる人々に通じる言葉を選び取れるか否かが人間を対象とする学問では重要になることから,現実社会との距離感を見極めつつ,現に「共生」をグローバルな文脈で議論する際に通じる英語訳を模索することが肝要になることを論じる.それと同時に,現実の社会を生きる人々が用いる日常用語を学術的に使用する際の困難さにも注意を払う必要性についても確認する.

報告番号296

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(5)——道徳教育としての初期社会科
高千穂大学 三津田 悠

【1. 目的】本報告の目的は、戦後日本社会において社会的凝集性を確保する仕方をめぐる理念がどのように変容したのかを検討することを遠望しながら、1958年に道徳教育の中心が社会科(初期社会科)から「道徳の時間」(特設道徳)へと転換したことが戦後日本社会に対してどのような意義をもたらしたのかを明らかにすることにある。【2. 方法】初期社会科の中心人物のひとりであった上田薫(1920-2019)の主要著作を分析することを通じて、初期社会科が目指していた道徳教育とはいかなるものであったのか、そしてその教育は、いかなる方途で社会的凝集性を確保することを志向していたのかを明らかにする。これらの作業を通じて、社会科・道徳教育が変容し、初期社会科の理念が失われたことがその後の日本社会にとっていかなる意義をもたらしたのかを明らかにする。【3. 結果】先行研究において「道徳の時間」特設は冷戦下のイデオロギー対立における保守反動の政策として、いわゆる「逆コース」の時代における愛国心教育の強化や社会秩序を志向する「しつけ」が求められた文脈での出来事として説明されることが多かった。他方で、上田の議論にしたがえば、初期社会科から特設道徳への転換においては、児童・生徒の日常生活での経験と問題関心を重視する初期社会科の「経験主義」と、児童・生徒に学問の系統を教え込むことを重視する「系統主義」とが対立していたのであり、道徳教育に特化した時間を独立させ、体系化された徳目を教えることを重視した「道徳の時間」が依拠していたのは、まさに後者の立場であった。しかし、上田によれば、道徳的な行為には知識による認知的なはたらきが内在しており、また、経験主義の社会科が重視していた問題解決のプロセスは必然的に道徳的な側面を備えているがゆえに、社会科と道徳教育とは不可分であった。こうした「知識と道徳の融合」を重視する立場からすれば、知識も道徳も絶対的・安定的なものではあり得ず、したがってあらかじめ体系化したうえで教え込むべきものとして捉えられることはなかった。そうではなく、むしろ児童・生徒が具体的な事例を通じて探究を深めるなかで、あるいはまた自らの経験に照らして反省することをとおして、場合によっては改良する道へと開かれた相対的・動的なものとして捉えられていたのである。【4. 結論】上田の議論を踏まえると、当時の社会状況と初期社会科の変容とを次のように関係づけて捉えることが可能になる。安定した社会秩序を求めて、単一の(すなわち、国民社会の)位相から社会的凝集性を確保しようとする趨勢には、固定化された知識体系を児童・生徒に教え込む「系統主義」の教育が親和的であり、それへの転換が求められた。しかし、初期社会科が見据えていたのは、児童・生徒が生活経験や問題関心と学んだ知識や道徳との「ずれ」を発見し、それを契機に現状を漸進的に改良することへと踏み出す態度の育成であった。道徳教育が社会科から切り離され、初期社会科の理念が失われることに伴って戦後日本社会から失われたのは、社会的凝集性を単一の位相から目指されるべき唯一の結果としてではなく、多様な位相からの反省へと開かれたほかでもあり得る可能性の1つとして、すなわち、社会的凝集性を成員の手によって不断に形成されつつある過程として捉える視角だったのである。

報告番号297

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(6)——新制高校の理念の変容
早稲田大学大学院 池本 紗良

【1.目的】本報告では,社会的凝集性の再検討のため,戦後直後に発足した新制高校の理念を検め,それがいかに変わっていったのかを明らかにしていく.【2.方法】各種の教育行政文書から,1947年に発足した新制高校の元々の理念が,希望する者すべてに機会を平等に保障する全入主義であり,それを支えたのが選抜の原則禁止と小学区制・男女共学制・総合制の高校三原則であったことを確認し,そうした理念・制度が志向されなくなっていった経緯を辿っていく.【3.結果】1950年代初め,文部省が全入主義を断念する理由に持ち出してきたのが,「実情に合わない」というものであった.高校三原則や全入主義は,アメリカの指令によるもので,主権を回復した際には再考すべきとされた.理念そのものよりも,その理念がアメリカ産だったということへの異議から再考が迫られた.それが1960年代前半に,高校三原則は「日教組の用語」だという理由が付せられた.文部省は,新制高校発足以来,「高等学校教育を受ける能力あるものをできるだけ多く入学させることを建前としてきた」として,全入主義を志向してきたことはないと述べた.加えて全入主義は「素朴なそして機械的な教育の機会均等観」だと弾劾され,理念そのものが再審にかけられた.全入主義の理念が「国情」に合わない「機械的」な平等観だとされたとき,その空隙に,歴史や伝統の装いで凝らされた『期待される人間像』が当てはまった.この国家からの要請が凝集性の中核となり,それを軸に後期中等教育が構想されていった.こうした文脈で導入されたのが,国家の持続・価値増大に役立つ人材の振り分けを企図した適格者主義であった.【4.結論】全入主義に裏付けられた高校教育では,地域にいる多様な人びとが,共有する問題を解決しようと凝集することが重視されていた.凝集性は,そのとき・その場にいる人々が生み出すものである以上,前もって定められるものではなく,むしろ生み出す力を養う社会化の場が必須であった.いっぽうで,適格者主義に裏付けられた高校教育では,選抜の場が念頭に置かれ,入学者選抜に用いる「能力」をいかに適切に測るかに関心が集まっていた.そうした立場においては,子どもがその地域の高校に通うということは,機会の不均等に値し,「実情に即しない」という判断になった.この「実情」を,国家が詳言したのが『期待される人間像』だと位置づけられる.ここでは明確に国家の持続・価値増大に役立つ「国民」の育成が謳われており,「国民社会」の位相からの凝集性の確保が志向されたということができる.「国民社会」の位相での凝集性の確保は,多様な人びとが折り合いをつけて凝集性を生み出すよりもコストは低い.子どもが通える範囲に高校を新設し,設備や教員を充実させていくのは費用がかかる.対して,入口に制限をかけ,子どもを振り分けることを前提にすれば,既存の高校で済む.さらに後期中等教育が系統だった教育を,適格者に一斉教授で伝達する場になれば,何を/いかに学ぶかを個々が考えるコストは割かれない.社会的凝集性は,その場の固有の文脈から生み出されるものではなくなり,国家が決めた学校教育によって担保されることになった.あたかも「国民社会」だけが人々が帰属する社会だと想定した教育システムが構想されたのである.

報告番号298

共生社会をめぐる問題系の確認と展開(1):社会的凝集性の再検討(7)――「精神病理学」の衰微と日本社会
早稲田大学 酒井 宏明

【目的・方法】本報告は、知識社会学的観点から、戦後日本の精神医学における基調の変化を分析するものである。日本の精神病理学第二世代の学史的展開とそれ以降にかんして、この形成と盛衰の背後にある社会構造・社会的磁場をも意識し、また臨床実践の在りようについて学知内部での論及にも目を配りながら、議論を展開する。【考察】現代日本社会における精神疾患をとりまく状況にかんしては、その特色・現況を説明する概念が数々ある(「スペクトラム化」「生物医療化」「軽症化」など)。その淵源にあるといえるのが、DSM-Ⅲ(1980)であろう。医療社会学的観点では操作的診断や投薬療法への偏重が論じられることが多いが、1970年代までの精神医療をとりまく状況と関連して再考することも無益ではないかもしれない。反-精神医学の風潮において、精神医学に対しては科学化・医学化の要求も突き付けられていた。なので、DSM-Ⅲの特徴は学派の相違を超えて atheoretical なところにある。木村敏が端的に表現するところの polyglot に対比される Esperanto である。DSM-Ⅲは元来、疫学的観点からの「統計」のためのマニュアルで、これが「症状中心主義」の臨床の場で用いられ「意図せざる帰結」を生み出したとする向きもある(松本雅彦、2015年、『日本の精神医学 この五〇年』)。そして対照的に精神病理学が衰微した。この事態は日本社会における精神医学・精神医療の変質を象徴しており、精神病理学に立脚する専門家のことばは、その衰微にかんして失われたものを嘆くようなペーソスを帯びている。精神病理学第二世代は人文社会科学の分野において多くの読者を長年獲得してきた。それが哲学的・社会理論的・人類学的示唆に富むあまり、本来「精神病理学」なる分野は臨床実践と相即不離であって、彼らの思索は常に精神科「臨床ありき」であったという点が等閑視されてきたのではなかろうか。さらにしばしば指摘されるのは、内因性疾患とされてきたものの臨床像の変化・軽症化と、そもそもの「内因性」概念の瓦解である。かつてこの概念により、器質因・心因に比して、遺伝性の強い精神疾患の誘発因子が状況・環境の側にあることが精緻化され強調された。そのうえで、特定の状況を「病前状況」としやすい「病前性格構造」が形成されているという思考のスタイルが可能になっていた(木村敏、2012年、『臨床哲学講義』)。そこには心理学化とも生物学化とも言い難い独特の位相が看取されていたはずである。【結論】精神病理学第二世代による「症状」ではなく「人間」を診ることで得られる洞察は、眼光紙背に徹してその向こう側の「社会」にまで及ぶ。一方で、今日のパラダイムにおいては「世に棲む」という観念(中井久夫)も「あいだ」という概念(木村敏)もその居場所を失ってしまう。精神病理学第二世代に代表される実践と学知は、個々の患者に徹底的に向き合うことにより、多様性を志向するとともに、社会的凝集性の在りようについても示唆を与えてくれる。個人のアトム化を促進するという点に鑑みれば機能的に等価である心理学化あるいは生物学化の状況において、個人の多様性が目指されることはあっても、その多様性と社会的凝集性とを複眼的に捉えようとする視座は次第に喪失されることになるだろう。社会と精神医学の現況は、合わせ鏡のようになっている。

報告番号299

学習時間に影響する努力有効感の家族構造格差——ひとり親家族とふたり親家族の比較
三重大学大学院 小西 凌

研究目的 2021年流行語大賞において「親ガチャ」というネットスラングがランクインした。この「親ガチャ」には「自分の人生が希望通りいかないとしたら、それはくじ運が悪くて外れを引いてしまったからだ」という含意があり、現代の若者の間では「自分の努力には限界があって、実際の人生の多くの部分が親ガチャで決まる」という将来に対する諦観が生まれ、多くの共感を集めている。土井は、「親ガチャ」流行時から、若者の「自らが主体的に掴み取った属性によってではなく、自分の生まれ落ちた環境や、生まれもった資質、才能といった先天的な属性によって、自分の運命がほぼ決まっている」とする宿命論的人生観の浸透を警鐘していた。 そして、子どもの「生まれ落ちた環境」の一つに、家族構造がある。特に、子どもの貧困率が高い国内では、ひとり親家族、なかでも「母子家庭」を対象にした国内研究は、多くの研究の蓄積がある。子どもの貧困は、制度的・経済的課題から、子ども自身のライフチャンスを大きく制限し、将来に対する展望や意欲向上に、困難が生じているとされる。 以上から「親ガチャ」を指摘する子どもにとって、そういったライフチャンスの制限、将来に対する意欲が湧きづらいのではないかということを本研究の着想とした。そこで、努力有効感(努力すればたいていのことはできる)という指標を援用し、子どもの努力(=学校外学習時間)への影響に、家族構造の差異が確認できるかを明らかにする。 RQ1: ひとり親家族で育った子どもの努力有効感は、ふたり親家族で育った子どもよりも低いのか RQ2: 子どもの努力有効感が学習時間に与える影響は、世帯収入、親の関与を統制しても、ひとり親家族よりもふたり親家族の方が大きいのか 方法 使用するデータは、東京大学社会科学研究所・ベネッセ教育総合研究所が実施した「子どもの生活と学びに関する親子調査2015-2021」の一部である2020年親子調査票を用いて、中高生とその母親3173組のデータを用いる。努力有効感には、調査票内で問われた「努力すればたいていのことはできる」の指標をスコア化(とてもそう思う=4、まあそう思う=3、あまりそう思わない=2、まったくそう思わない=1)した変数を従属変数にし、親の関与、世帯収入、成績、希望進学段階、性別、学齢(中学生、高校生)等を独立変数にした重回帰分析を行った。 分析結果 第一に、2つの家族構造ともに、努力有効感に大きな差異は確認できないが、ふたり親家族の子どもの方が、ひとり親家族の子どもたちに比べて、若干努力有効感が高い割合が大きいことが傾向として示された。第二に、ひとり親で育つことは、「努力が報われる」という観念が、直接学習に結びつかないという、子どもの教育達成における意欲が低下するプロセスの発生がある。そこには努力は報われる観念に結びつきやすい学習を認められる経験が、ひとり親で育つことで少なくなることが考えられる。 以上の結果から、ひとり親で育つ子どもを対象にした学習支援の場は、学習を認める機会の醸成を補うことができるといえるだろう。近年、学習支援事業には、進学支援だけでない、社会的な居場所づくりの役割が重視されつつある。そこには、子ども自身が、学習に対して認められ、努力は報われるという社会に対するポジティブな展望を抱く重要な機能が秘められていたといえる。

報告番号300

成長曲線モデルによる家事分担の軌跡の推定
佛教大学 柳下 実

1. 目的 日本の家事労働研究は,労働時間が家事遂行を説明するとする時間制約説,個々人の持つ資源が影響するとする相対資源説,性役割意識が影響するとするジェンダーイデオロギー説に基づき研究を蓄積してきたが,依然として女性の大きな負担が残る.従来の量的な家事労働研究には大きく三つの流れがある.第一は既婚者の家事分担を横断データで分析したもの,第二は既婚者の家事分担をパネルデータで検討したもの,第三は結婚や離婚,就業の変化が引き起こす影響をパネルデータで検討した研究である.しかし,従来の研究にはいくつかの課題がある. 第一に,家事分担の従来の計量的研究は,さまざまな結婚年数のカップルの分担を同等に扱ってきた.そのため,カップルが同居を始めることで,家事分担が始まり,それが年月を経てどのように変化するのかを検討した研究は非常に少ない.第二に,家事分担の変化するプロセスの検討が不十分であるため,結婚開始時およびその後の不平等が検討できていない.とくに,既婚者のみのパネルデータ分析では,結婚開始時の不平等が見落とされる.実際,日本では,結婚1年目や同居開始時に生じる家事分担がすでに女性に偏っている(福田 2007; 不破・柳下 2020).これは,プロセスとして発展する家事分担が,開始時点で不平等であることを示している.さらに,そうした性別分業的な家事分担は,子どもを持つことで女性の負担を増すような形態をとる(福田 2007).これらの問題意識から,本研究では日本社会における家事分担が結婚からどのように変化するのかを明らかにする. 2. 方法 本研究では東京大学社会科学研究所が2007年から実施する働き方とライフスタイルに関する全国調査(wave 1–17)を用いて,結婚年数によって家事分担がどのように変化するのか検討する.サンプルは1年以下の結婚経過年が観測されたカップルに限定した.観測期間中の再婚は欠損とした.従属変数は妻の家事分担比率である.独立変数は結婚からの経過年数(0–4年,5–9年,10年以上)である.手法はマルチレベルモデルを用い,成長曲線を推定する.時間不変の変数として,回答者が妻か夫か,結婚当時の妻の就業状況・収入・夫もしくは妻の性役割意識を投入する.時間変動の変数として,妻の就業状況・収入・労働時間,6歳未満の子どもの有無,同居子ども数を投入した. 3. 結果 記述統計では0年目から4年目まで家事分担が増加し,5年目から9年目までは微減・微増,10年目以降ではあまり変化はみられなかった.結婚年数のみを投入した成長曲線モデルの結果では,結婚開始時の妻の家事分担率は73.5%であり,結婚開始時から妻に家事分担が偏ることが示された.また,結婚4年目まで妻の家事分担比率が大きくなり,結婚5年目から9年目の係数は有意でなく,10年目以降は若干減少することが示された.また,切片のランダム効果と係数のランダム効果の共分散はマイナスであり,最初に妻に家事分担が偏るカップルでは妻の家事分担は増加しにくいことが示された.統制変数を投入すると結婚0年目から4年目までの係数の半分が説明されるが,係数は有意であった.これらの知見は日本の家事分担のジェンダー不平等を緩和するうえでは,結婚初期に生じる家事分担のジェンダー不平等を検討する重要性が高いことを示唆する.

報告番号301

無償労働からみる高齢期の生活時間におけるジェンダー不平等
東京大学 金 兌恩

1.研究背景及び研究目的  近年、日本の高齢化率は他国に比べて最も高く、2023年9月時点で29.1%となっている。また、日本は高齢化の進行に伴い、働く高齢者も増加している傾向である。総務省の「労働力調査」によると、日本の65歳以上高齢者の就業率は右肩上がりである。特に、2020年の65歳以上高齢者の就業率は50%を越え、日本では高齢者の過半数が働き続けている。  就業は、性別役割分業を検討する上で重要な手掛かりとなる。従来の性別役割分業に関する議論では、就業という軸が必要になるため、主に現役世代を対象として研究が行われてきた。つまり、有償労働との関係を中心に議論されることが多かった(Shelton and John 1996)。 しかし、高齢期は有償労働とは離れる時期であり、高齢期の性別役割分業を議論する際には、もはや有償労働との関係のみでは説明できない。また、日本の場合は、働き続く高齢者が多いため、高齢期になっても性別役割分業が持続される可能性がある。そのため、これからの高齢社会に向けて、性別役割分業の議論を高齢期まで拡張し、高齢期の性別役割分業を再考察する必要がある。  人間は24時間のうち、労働市場で働く時間と家庭の中で家事をする時間を除く自分の余暇時間について自由や選択権を持っている(Brines 1994)。だが、無職の夫婦において高齢女性のみに家事労働が集中しているとしたら、高齢女性は時間使用の自由を失い、時間使用におけるジェンダー不平等があると想定される。  そこで、本研究の目的は、世代間の比較に注目し、高齢期夫婦の家事労働を現役期夫婦の家事労働と比較することで、高齢期の性別役割分業を明らかにすることである。特に高齢者の就業は、家事労働にいかなる影響を及ぼすかを検討する。また、高齢者の就業は、現役世代とは異なると想定されるため、高齢者の就業が及ぼす家事労働への影響が現役世代とどこまで異なるかを明らかにする。 2.研究方法  本研究で使用するデータは、「2015年社会階層と社会移動全国調査(The National Survey of Social Stratification and Social Mobility、以下SSM調査)」である。本調査の調査対象のうち、本研究の分析対象は、65歳以上の高齢者である。特に、配偶者のいる既婚の高齢男女を分析対象とする。本研究で使用する家事労働は、育児、介護を含めた講義での家事労働である。家事労働時間は、平日の家事時間と週末の家事時間を分けてみる。

報告番号302

現代日本における父親の育児行為とジェンダー意識についての一考察——世代による違いに注目して
大阪公立大学 巽 真理子

父親支援策は、現代日本における少子化対策の目玉の一つであり、父親が子育てすることが勧められている。しかし一方で、男性の育児休業(以下、「育休」)取得率は低く、国際的にも問題とされている。ユニセフは、日本では制度的に一番長く育休を取得できるにもかかわらず、父親の1.56%(2017年)しか取得していないことを指摘している(2019, Are the world’s richest countries family friendly?)。なぜ、父親たちは育休を取らないのだろうか。その要因の一つに「上司の無理解」がある。「パタニティ・ハラスメントに関する調査」(日本労働組合総連合会 2014)によると、子どもがいる父親(525名)のうちパタハラをされた11.6%の主な内容は、「子育てのための制度利用を認めてもらえなかった」5.5%、「子育てのために制度利用を申請したら、上司に『育児は母親の役割』『育休をとればキャリアに傷がつく』などと言われた」3.8%となっている。つまり上司に、父親が母親同様に子育てに関わることへの理解があれば、父親の育休取得も進むと考えられ、上司の「父親の子育て」への考え方を明らかにすることは、とても重要である。  企業等で働く子育て世代(20代~30代)の上司の8割以上は男性であり(総務省2023「労働力調査」)、40代以上だと想定される。変化のスピードが早い現代社会では、世代によってジェンダーに関わる経験が異なる。20代~30代の男性は、中学・高校では家庭科は男女共修、結婚する頃には共働きが当たり前となり、ワーク・ライフ・バランスやイクメンが「良いこと」として、政策や企業の施策に取り入れて推進されている。一方で、管理職世代である50代の男性は、中学・高校で家庭科教育を受けておらず、妻が専業主婦である場合も多いため、ワーク・ライフ・バランスや父親の子育てが「良いこと」だと頭では理解していても、実感するのは難しい。このような世代間格差を埋めていくためには、まず、その違いを明らかにすることが必要となる。その際には「父親の子育て」に関わるジェンダー意識への注目が重要である。  そこで本研究では2021年に、20歳~60歳の父親524名を対象とするWebアンケート調査を実施した。対象者の抽出にあたっては、できるだけ各年代が均等になるよう配慮した。本発表では、父親の育児行為とジェンダー意識の関連と、それらの世代による違いに注目して考察する。先にみたパタハラ調査などから考えると、若い世代ほどジェンダー意識が先進的(性別役割分業に否定的)で、子育てにより多く関わっていると考えられる。暫定的な分析では、父親の世代(20代~50代)と育児行為(子どもの世話や遊び、子育てのために休むかどうか)の間には有意な差があり、若い年代ほど子育てに関わっている。他方で、父親のジェンダー意識のうち「母親は育児に専念すべき」と「子育てに男性も関わるべき」は育児行為と強い相関がみられるが、ジェンダー意識については年代による大きな差はみられない。発表当日までにさらに分析・考察を進め、父親の世代ごとの育児行為とジェンダー意識の関連の特徴を示したい。  なお、本研究はJSPS科研費 JP20K13825の助成を受けたものである。

報告番号303

シングルマザーに対する「就労による自立」政策における子育ての社会化の位置付け——積極的選択としてのシングルマザーを想定する社会に向けて
立命館大学大学院 湯谷 菜王子

本報告は2000年代以降の就労による自立を強調する母子福祉政策言説の中で子育ての社会化がどのように語られているかをみることで、母子家庭が今日の日本において多様化する家族のあり方のひとつとしてどれほど想定されているかを検証する。 アメリカのフェミニスト法学者Finemanは「社会現象としてのシングルマザーを、家父長制イデオロギーに抵抗する実践と見なければならない。特にそれが、『意識的な選択』を意味しているという理由において」と述べる(Fineman 1995=2003:148-149)。近代化に伴い成立した近代家父長制・性別役割分業の核家族は家族社会学において「近代家族」と呼ばれ、歴史的相対化の視点をもたらす論考である。ひとり親家庭の特徴は、近代家族では性別で役割分業するとされる稼得責任とケア責任の双方を一人で担う点にある。特に母子家庭は、ジェンダー化されたケアと労働の構造的不平等を被りやすい。よって母子家庭の生活がどれほど充実しているかが「私たちの暮らしと私たちの社会が持続可能かどうかの試金石である」との主張もある(藤原 2009:21)。しかし、日本の母子家庭は、戦後一貫して8割以上が就労しているにも関わらずその多くが貧困の状態であり、多様化する家族の一つの積極的な選択肢としてのシングルマザーであるとはとてもいえない。 母子福祉支援は、戦災死別母子への遺族年金、追って生別母子(離婚や非婚)には児童扶養手当での支援が始まりである。離婚の増加を受け、1985年を境に母子家庭への支援は自立までの一時的な支援として目的が変わり、2000年代以降はより自立という支援理念を強め、今日に至る。「就労による自立」をシングルマザーに求める母子福祉政策に対し軒並み指摘されているのは、すでに多くが就業している日本のシングルマザーとっては、不安定な労働市場へと再投入されているに過ぎないという事実である。家庭内にケアの担い手がいる男性の働き方を前提とした労働構造に問題があることは多々主張されているが、他方で子育ての社会化資源を利用することそのものにスティグマが含まれていることによることについてはどう論考できるだろうか。戦後の「男性稼ぎ手モデル」の時代と比べ女性は労働市場へ進出したが、「ジェンダー化された共稼ぎ型モデル」になったに過ぎず、「ケアは女性の本質的な役割である」という母性活用が形を変えて温存されているとの指摘もある(三浦 2022)。就労支援の強調一辺倒で子育ての社会化が十分に政策アジェンダ化されてこなかったのも、同様に母性活用が温存された結果なのだろうか。本報告では、2000年代の母子福祉改革以降「就労による自立」が焦点化される中で、就労支援と本来両輪であるべきである子育ての社会化について国会・審議会等での議論でどのように触れられているのかその言説を検証し、母子家庭は多様化する家族のひとつとしてどのように想定されているのか論考する。 Fineman, A. Martha. 1995. The Neutered Mother, The Sexual Family. Taylor & Francis Books Inc. (上野千鶴子監訳,2003) 藤原千沙,2009「貧困元年としての1985年——制度が生んだ女性の貧困」『女たちの21世紀』57:19-21. 三浦まり,2022「『ケアの危機』の政治 ——新自由主義的母性の新展開」『年報政治学』2022-6:96-118.

報告番号304

日本における「夫の転勤」が妻の育児孤独感、希望子供数に与える影響——因果媒介分析の4分解法による分析
京都産業大学 藤野 敦子

1.目的  高度成長期に一般化する日本的雇用システムにおいて大企業正社員男性を対象に転勤が頻繁に生じるようになる。同時期に一般化する近代家族と日本的雇用システムが相補的な関係になる中で,多くの企業は,転勤の際の家族帯同を原則とし、企業も企業内福利厚生として社宅を準備していた。妻も企業にコミットし,社員も家族も企業共同体の中に包摂され,この中で夫婦は標準的な,また規範となる2,3人の子供数を持っていたと考えられる。ところが1990年代の景気不振により多くの社宅コミュニティが解体されるとともに,リストラを回避する手段としての転勤,またそれに伴う単身赴任が増加する。個人化の影響もあり,1980年代ごろから少しずつ家族が企業から距離を置き始め,企業も,家庭のことを社員の自己責任とし,家族の領域が不可視にされていく。家族(妻)側も企業へのコミットメントが必要なくなり,ある程度自由を得るものの,転勤により妻が子育てを一手に引き受け,孤独な子育てを強いられるようになってきた。2014年には妻のそのような育児に対し,「ワンオペ育児」という言葉がSNS上で広がるが,現在,転勤族の妻がワンオペ育児になることは宿命のように考えられている。近年,転勤は,妻に孤独な育児を強いることで,転勤族の標準的な子供数を持とうとする妻の行動を揺るがしている可能性がある。そこで本研究では夫の転勤による転勤経験が,妻の育児孤独感を介して,結婚当初の(社会規範的な)希望子供数を持たないリスクを高めているのかどうかを検証することを目的とする。 2.方法  著者が2016年に夫を正社員に持つ子育て世代の有配偶女性3000人を対象に実施したアンケートのデータを用いて,VanderWeele(2014)の反事実モデルに基づく因果媒介分析(Causal Mediation Analysis)を行う。ここで処置変数は女性の夫による転勤経験の有無、反応変数を結婚当初の希望子供数を持たないリスク、媒介変数は育児孤独感としいずれも2値変数である。共変量は夫の状況、家族の変数とし、9変数を入れる。 3.結果 純粋間接効果として,転勤経験女性は,育児孤独感を有意に高めるとともに,転勤経験女性の中で育児孤独感を感じた女性は,希望子供数を修正し,結婚当初の希望子供数を持っていないことが明らかになった。しかし,転勤経験そのもののコントロールされた直接効果としては結婚当初の希望子供数を実現する確率を高めることも明らかとなった。 4.結論 全体として,本データからは直接効果が媒介効果をキャンセルアウトし,転勤経験は,標準的な子供数を持たなくなる「脱近代家族化」を引き起こすような事態にはなっていないことが示された。現在は,転勤が,妻側の育児孤独感を増し,希望する子供数を持てないようにする側面と夫が子どもの教育費等を経済サポートし,妻がより育児や教育等に専念することで希望する子供数を実現させる側面の相矛盾する二つの側面が拮抗している状況だと言えるのかもしれない。 文献 VanderWeele TJ. (2014)A unification of mediation and interaction: a 4-way decomposition. Epidemiology, 25(5):749-61.

報告番号305

交流はあるが援助はしない?——「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の分析(1)
立命館大学 筒井 淳也

日本が他国に類を見ない高齢化に直面する中で、政府は「地域共生社会」を打ち出し、「人と人とのつながりそのものがセーフティネット」というスローガンを掲げている。関連する行政の資料の中では(住民間における)「日常のくらしの中での支え合い」という言葉も使われている。こういった動きの背景には、政府・自治体が公的支出を伸ばせないなか、高齢化に伴う問題解決を地域の自発的活動にシフトさせたいという思惑もあるのだろう。家族の変化と高齢単身世帯の増加に伴って孤立の問題が深刻化していることもまた、「つながり」に注目が集まる別の背景である。 他方で、「つながり」の再構築や問題解決を地域あるいはコミュニティに求めるということの内実については正面から検討されていないように思える。本研究では、中高年者における近隣間の組織化されていない交流と、住民が援助を受ける可能性の関係について、「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の結果から検討する。対象者は日本国内に居住する50歳から79歳の男女で、標本サイズ6千、郵送法で実施し、2545(回収率45.8%、いずれも暫定数)の有効回答を得た。 基本的事実として、まず交流(頻度)や援助(問題が生じたときに誰を頼りにできるか)は、いずれも家族や親族に大きく偏っている。さらに、全体的に性別や婚姻状態に大きく影響される(女性と有配偶で優位)。近所(地域)と機関による援助についてはそういった差が小さいが、近所(地域)との交流頻度についてはやはり女性・有配偶で優位になっている。 次に、交流と援助の間には高い壁が存在することも明らかになった。近所(地域)の人々と交流があるという回答は全体で7割近くあった。そして性別、年齢、婚姻状態などを統制した場合、近所との交流は確かに近所からの援助の可能性をかなり増すことが示された。ただ、全体的に援助を期待できる水準が低いことに違いはない。近所との交流があると回答したケースに限っても、相談や病気・事故の際に援助が期待できると回答があったのは6%程度にすぎない。 サンプソンは、「コミュニティ」に各方面で期待が集まる現状において、単に近隣住民と知り合っていることではなくそれが適切に組織化されていることの重要性を指摘している(Sampson 2004)。交流があることと、それが具体的な援助につながることの壁を突破するには、なんらかの形で活動を組織化することが必要であるのかもしれない。 参考文献 Sampson Robert,2004,”Neighbourhood and Community”, New Economy11(2):106-13. 中田 知生,2020,『高齢期における社会的ネットワーク : ソーシャル・サポートと社会的孤立の構造と変動』明石書店. 小林 江里香,2023,「中高年者の孤立と孤独」『世界』(976):115-24.

報告番号306

退職年齢の希望と想定に違いはあるのか?——「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の分析(2)
成蹊大学 渡邉 大輔

1 目的 本研究の目的は,中高年齢者が退職を希望する年齢と,実際に退職するであろうと想定している年齢にいかなる差異があるかを検証することにある.高齢化が急速に進むなかで,高齢者の就業率は60代前半,後半,70代前半のいずれにおいて男女ともに上昇し続けている.また日本は,高齢期における就業意欲が高いことが知られており,働けるうちは働きたいとする比率も高い.高齢期においても活動的であることが望ましいという規範的な考えと,経済的不安の双方が高齢期の就業意欲を形成していると考えたとき,退職への希望や想定は社会経済的地位によって規定される可能性がある.Hess (2018)は,年金受給開始年齢が上昇する2000年以降のドイツにおいて,退職希望年齢は学歴の高さに比例して高くなるが,実際の退職年齢は学歴に対して高卒を底にするU字型を描く点を示しているが,日本における検証はなされていない.そこで本研究では,2024年の調査データをもちいて,退職希望年齢と実際に退職を想定する年齢の差異とその規定因を検証する. 2 方法・データ データとして2024年1~3月に実施した「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」をもちいた.この調査は,対象者は日本国内に居住する50~79歳の男女であり,計画標本6,000人,郵送法で実施し,暫定値で2,527人の有効回答をえた(有効回答率45.8%).この調査では,健康を維持したとして「何歳まで働きたいですか」(退職希望年齢),「実際に何歳まで働くと思いますか」(退職想定年齢)を問うており,この設問を検証する.独立変数として学歴,従業上の地位,現職,最長職などをもちいた. 3 結果 男女別に集計した結果,退職希望年齢と退職想定年齢は男女ともに差が乏しく,両者には高い相関がみられた.学歴別,従業上の地位別,現職別,最長職別に集計した結果,中卒,自営,現職が農林漁業の退職希望年齢,退職想定年齢が他よりも高くなっていた.中卒は経済的要因によって,自営,農林漁業は定年制度が存在しないという特性と考えられる.また年齢階級が高いほど退職希望年齢,退職想定年齢ともに高く,年齢効果がみられた. 4 議論 海外の先行研究に比べて,日本においては退職希望年齢と退職想定年齢に差があまり見られなかった.またドイツにおいてみられた社会経済的地位による退職想定年齢のU字効果は今回のデータではみられず,むしろ中卒は高卒や高等教育卒に比べて退職希望年齢,退職想定年齢がともに高かった.このことは高齢期の就業が定年制の有無という制度的側面,および,経済的な側面によって規定されている可能性を示唆している.そのため,日本の高齢者の高い就労意欲は,活動への意欲ではなく,不安定な高齢就労層の課題を反映したものである可能性がある. 参考文献 Hess, Moritz, 2018, “Expected and Preferred Retirement Age in Germany,” Zeitschrift für Gerontologie und Geriatrie, 51(1): 98-104. 備考 本研究は文部科学省科研費(20H05804)の成果の一部である.

報告番号307

成人子との関係良好性はどのように決まるのか?——「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の分析(3)
立教大学 李 雯雯

長寿化などの人口学的変化に伴って成人親子関係が長期化し、成人親子関係に関する研究関心が高まっている。従来の成人親子関係研究は、関係が夫方に偏るかどうかを検討する父系規範論(及びその派生理論としての双系化論)、ジェンダーの枠組みに則った妻の親族維持役割(kin keeper)論に大別することができる。   他方で、戦後以来、夫婦家族の情緒的側面に関する研究が蓄積された一方、成人親子研究の活発化は、多かれ少なかれ父系規範論に則った形で展開され、成人親子関係の情緒的側面を独立の課題とする自覚的な探究は意外なほど少ない。夫婦満足度が何よって決められるのかについての分析が多いのに比べて、成人親子関係の満足度(もしくは関係良好度)に注目した研究はごく限られていることは、その裏付けといえよう。  成人親子関係が長期化し、高齢者の感情的福祉の視点からも、成人親子関係の感情的側面に対するさらなる議論が求められるであろう。成人子と親との関係良好度に関する数少ない分析の中で、田中(2006)は実親との関係良好度は性別・配偶状態・学歴と関連していることを明らかにしており、筒井(2011)では、親と別居している場合、ほどほどの金銭的支援を特徴とする「中庸」な関係において、関係良好度が高いことがわかっている。  これらの分析はいずれも、成人子視点からのアプローチであり、関係のもう一つの主体である親世代からみた関係良好性がどのように決められるかは、検討に値する。これに対して、本研究では、中高年者を対象とした「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の結果から検討する。対象者は日本国内に居住する50歳から79歳の男女で、標本サイズ6千、郵送法で実施し、2527の有効回答を得た。  分析の結果、9割以上の高齢者が、成人子との関係を「良好」「どちらかと言えば良好」と評価しており、高齢者が父なのか母なのかによって有意な差が見られなかったが、成人子が娘の場合は関係が有意に良好であることが見られた。また、成人親子間における相互支援が良好な関係性に寄与するかどうかを検討したところ、支援の種類によって、関係性への影響が異なることがわかった。金銭面において、母親はもらう方が関係がより良好であるのに対して、父親はあげる方が関係良好度が高い。家事的な支援においては、母親はしてあげるほうが関係良好度が高い一方、父親はその逆である。コミュニケーションの面においては、相談相手になってあげるのもしてもらうのも、何らかの会話があることが、概して関係を良好な方向に導くことが示された。  以上から、親から見た成人子との関係において男女差が顕著であり、父親と母親が期待している理想な関係像が異なる可能性が示唆された。また、金銭・家事といった物質的・道具的な性質を脱した、より情緒的な側面に近いコミュニケーションの方が、概して関係を良好にすることが示唆された。 参考文献: 田中慶子,2006,「実親との関係良好度評価――NFRJ98-03の比較」澤口恵一・神原文子編『第2回全国家族調査(NFRJ03)第2次報告書No.2――親子,きょうだい,サポートネットワーク』日本家族社会学会全国家族調査委員会,89-100. 筒井淳也,2011,「親との関係良好性はどのように決まるか――NFRJ個票データへのマルチレベル分析の適用――」『社会学評論』62(3):301-318.

報告番号308

介護によって居住地の移動はどのように発生しているか?——「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の分析(4)
東日本国際大学 西野 勇人

【1.目的】本研究では、高齢の親に対する介護経験と、その過程での要介護者の居住場所の変化のあり方について分析する。日本では2000年に介護保険制度が導入されてからも、高齢者介護の場面において家族は最も重要なアクターであり続けている。一方で、高齢者とその家族の状況は時代に応じて変化しており、特に65歳以上における子夫婦との同居率の低下や単身世帯・夫婦のみ世帯の増加、息子の妻による介護の減少といった変化が顕著である。また、高齢者が子夫婦と同居するパターンにおいても、子夫婦の結婚当初からの同居ではなく、当初は親と同居せず、親が高齢になってからの同居が増えている(大和 2017)。これは同時に、当初から同居している子夫婦によって介護が行われることが減り、介護の問題が顕在化した後で、周囲の誰がどのように介護を行うのかが当事者間の交渉によって決まることが増えているともいえる(春日井 2014)。この調整の中で、高齢期における転居も様々な形で発生しているはずである。他国においても、高齢の親の健康状態が悪化した際には親子間の居住距離が縮小しやすくなることや、その居住距離の縮小の度合いには、親子両者の属性や関係性による差があることも確認されている(Reyes & Shang 2024)。本研究は、親子関係のあり方との関連の中で、介護が必要な高齢者の居住場所がどのように選択されてきたかを明らかにする。  【2.方法】中高年向けの質問紙調査である「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」のデータを用いて分析を行う。50歳から79歳までの男女6,000名を層化二段無作為抽出により抽出し、郵送法による質問紙調査を行った。データクリーニング前の段階での回収数は2,745票(回収率45.8%)である。調査票では、これまでの介護経験の有無や、介護を行った時期や相手、介護が始まる前と後での同居の有無や施設利用の有無を尋ねている。この介護の開始前後の居住パターンの変化をアウトカムとして分析を行う。  【3.暫定的な結果】自分の親もしくは配偶者の親に対する介護を行った経験のある回答者のケースにおいては、介護を経験した時期がより最近になるにしたがって、要介護者の最終的な居住場所として施設を挙げる回答者が多く、介護保険が定着するにしたがって、高齢者施設への入所のハードルは下がっていることが示唆された。それに伴って、別居から同居へ移行したパターンはゆるやかに減少していたが、この点についてはデータを更新した上でさらに詳細な分析や解釈が求められる。  【文献】春日井典子, 2014,『新版 介護ライフスタイルの社会学』世界思想社./Reyes, A. M. & Y. Shang, 2024, “Geographic relocation in response to parents’ health shocks: Who moves and how close?,” Journal of Marriage and Family, 86(1): 49–71./大和礼子, 2017,『オトナ親子の同居・近居・援助――夫婦の個人化と性別分業の間』学文社.

報告番号309

「長寿願望」があるのはどのような人か?——「中高年期の家族生活についての全国調査(NFRJ-S23)」の分析(5)
明治学院大学 田中 慶子

【1.目的】  超高齢化社会において、人生「90年」「100年」という期間を想定し、新たな生涯観や加齢観への転換が求められている。本報告では「できることなら100歳まで生きたいと思う」という「長寿願望」がある人の特徴を計量的に明らかにすることを目的とする。  日本国外においては,アメリカ,ドイツ,中国などをはじめとする国々で「長寿願望」に影響する要因を探る調査が進められている。これらの研究で共通しているのは、「長寿願望」(例:100歳まで生きたい)がある人は少なく、その理由は「高齢になると健康でいられなくなるから」「自立できないから」が主として報告されている(Ambrosi-Randić et al. 2018, Donner et al. 2015, Lang et al. 2007, Huohvanainen et al. 2012)。安元・筒井(2023)は、日本における「長寿願望」に影響する要因を検討し、伝統的な家族規範や介護規範、ジェンダー規範を支持する人は(年齢にかかわらず)、長寿を希望する傾向があると報告している。このような要因が長寿願望に影響している可能性については、海外では報告がなく、日本文化特有の可能性があり、日本における長寿願望に影響する要因を丁寧に検討する必要がある。 【2.方法】 2024年に実施した「中高年期の家族生活についての全国調査」(略称:NFRJ-S23)を用いる。令和6年1月末日時点で満50歳以上79歳以下の日本人男女、6,000人を対象として2024年1月~3月(一部、能登半島地震の影響により地点を振替、開始時期を遅らせた)に郵送調査を行った。暫定の完了数は2 ,745、回収率は45.8%となっている。 【3.結果】 「できることなら100歳まで生きたいと思う」か、4段階で評価してもらうと、男性では約4割、女性では約5割が「そう思わない」(希望しない)。「そう思う」と積極的に希望するのは男女とも1割程度であるため、ここでは「そう思わない」か「それ以外」の2値に区分し、以下のような要因との関連を検討した。1)基本属性(年齢・居住地・教育歴・健康状態など)、2)家族状態(配偶者、子どもの有無、世帯人数など)、3)経済状態(就業状態、世帯年収、資産や負債など)、4)家族規範や長寿観  分析の結果、基本属性として、男性では、教育歴と健康状態が、女性では、健康状態のみが有意であった。基本属性を統制すると家族構造や現在の経済状況と長寿希望との関連がみられない。男女ともに家族主義的な規範を支持する人ほど、長寿でも身体的な自由が必要だと思わない人は百寿を希望しているといったことが明らかとなった。なお詳細な分析結果については、当日提示する。 【4.結論】 「長寿願望」に対して男女で規定要因が異なる点があるものの、世代間扶養についての家族規範、長寿に関する意識との関連を確認できた。今後さらに、少子化やジェンダー規範、世代間規範が変化し、高齢期において従来のような家族ケアを期待することは困難となることが予想されるため、家族主義的なケア観を変更しつつ、長生きを希望できるような社会の実現が今後求められる。

報告番号310

世代間居住関係の測定とその効果
神戸学院大学 松川 尚子

1.目的  本報告は、有配偶子と親の世代間居住関係をテーマとする。世代間居住関係は、家族間のサポートの授受や家族生活に影響を与えると考えられており、政府や自治体においても、子育て支援や高齢者の生活支援の方策のひとつとして「家族の住まい方」が着目されている。しかし、「近居」など、別居の場合の詳細な居住実態については、これまで把握されてこなかったのが実態である(松川,2019)。同居率が減少していることを鑑みると、別居の場合の居住状況について、その実態把握が必要だといえる。そのうえで居住関係が本当に効果を有しているのかどうかを検証する必要がある。  本報告の目的は、次の2点である。まず1点目は、どのようにして近居の実態を把握すればよいのか、世代間居住関係の測定方法について検討することである。2点目は、同居や近居といった居住状況の違いが効果を持っているのかどうかを検討することである。具体的には、①育児サポートの頻度、②介護課題の有無、③女性の就業の3点について分析する。分析対象は有配偶者とし、その夫方の親・妻方の親それぞれの実態について分析をおこなう。 2.方法  2019年に実施された「川崎・神戸・福岡市民生活実態調査」(注)のデータを分析する。同別居の区分に居住距離を加えた世代間居住関係を表す変数を作成し、夫親/妻親の居住状況と①親による育児サポート、②親の介護課題の有無、③女性の就業との関連を検討した。 3.結果 ①親による育児サポートについては、親の居住状況と育児サポートの頻度が関連していた。夫親/妻親とも、同居や近居など居住状況が近いほど育児サポートの頻度が高かった。さらに、妻親のサポートの割合が高かった点が特徴的であった。 ②親の介護課題の有無については、男性については居住状況が関連していたが、女性については関連がみられなかった。 ③女性の従業状況については、育児期にあたる末子12歳以下のサンプルを対象に検討をおこなった。親の居住状況と女性の就業に関連はみられなかった。 4.結論  世代間居住関係が与える影響は、その内容によって影響の有無が異なることが示唆された。同居や近居が影響や効果を有している事象があるいっぽうで、影響や効果を与えていないものもあると考えられる。さらに、夫親と妻親がもつ影響の違いについても明らかとなった。「親」とひとまとめにするのではなく、夫側の親なのか妻側の親なのかを区別して分析を進める必要があるだろう。ただし、あくまでも政令指定都市を対象にした調査の結果であるため、非都市部では異なる実態かもしれない。都市度や地域性を考慮した実態把握が必要である。 (注)この調査は、科学研究費基盤研究(A)「政策形成に貢献する新しい社会調査方法の開発」(研究代表者:大谷信介))の一環として実施された。

報告番号311

多様化する地域社会の存続に関する研究(1)コミュニティ・キャピタル概念を用いた分析と考察
岩手県立大学 吉野 英岐

【研究の背景と目的】 東日本大震災後の復興の過程で、被災地では住民の移転や入れ替え、居住区域の改変等が顕著にみられた。地域社会およびその構成要素である地域コミュニティにおける住民層の多様化や流動化、そして復興事業や地域開発等による地理的区画や空間特性の変容や更新は、被災地のみならず、全国各地の地域コミュニティでも生じている。多様化し、流動化する地域コミュニティでは、従来の地理的区画と居住人口という基礎的構成要素に不可逆的な変容が生じ、明確な地理的領域と定住人口を前提とする従来の地域コミュニティの成立が困難になりつつある。その結果、地域コミュニティの持続性の確保が大きな課題となっている。 本研究では、東日本大震災からの復興研究の成果を踏まえて、地域社会および地域コミュニティを把握する新たな概念の適用とアプローチを用いて、多様化し、流動化する地域社会の特徴の把握と、その存続の要因を解明することを目的とする。 【データと方法】 本報告ではこれまでの住民概念やコミュニティ概念を検討し、新たな研究枠組みを構築していくため、新たな概念として、コミュニティ・キャピタルという概念を提起し、それが地域コミュニティの持続性にどのように寄与するのかということを、今日の地域社会および地域コミュニティの状況をもとに検討する。そして、地域社会を類型化し、それぞれの類型におけるコミュニティ・キャピタルのあり方を想定したうえで、実際の事例調査の選定を行う。 【結果】 本報告では地理的区画や空間特性の流動性、居住者の多様性という2つの指標で、類型を設定し、各類型にコミュニティ・キャピタルの布置状況と地域コミュニティの持続性に与える影響を考察した。今回の報告では、「類型A:地理的区画・空間特性の流動性大、居住者の多様性大」として宮城県石巻市の小漁村地域、「類型B:地理的区画・空間特性の流動性大、居住者の多様性小」として東京都文京区の事例、「類型C:地理的区画・空間特性の流動性小、居住者の多様性大」として岡山県美作市の事例、「類型D:地理的区画・空間特性の流動性小、居住者の多様性小」として静岡県浜松市浜名区の事例を選定した。 【考察】  まず、コミュニティ・キャピタルの定義として、有形(無形)共用・共有資源としての性格、ソーシャル・キャピタル(信用・信頼)としての側面、そして、共同行為の存在を構成要素とし、共用・共有資源と社会関係に立脚して実施、あるいは創出されるさまざまな共同行為・協調行動の総体とした。また、現実には従来の共同行為・協調行動の停止や休止がみられる一方で、新しいソーシャル・キャピタルの構築による共同行為・協調行動が創出され、それが地域コミュニティの持続可能性に寄与することも想定されることを確認した。  次いで、それぞれの事例地では地域類型の特性に応じたコミュニティ・キャピタルが存在していること、また、それぞれのコミュニティ・キャピタルには地理的・歴史的・文化的特徴があり、それに応じて利用や活用の方法が異なっていることが明らかになった。

報告番号312

多様化する地域社会の存続に関する研究(2)東日本大震災のリアス小漁村被災地区復興におけるコミュニティ・キャピタルの発現態様——宮城県石巻市小渕浜の事例から
専修大学 大矢根 淳

【研究の背景と目的】  本報告では、東日本大震災の被災地・リアスの小漁村(宮城県石巻市牡鹿半島・小渕浜:「類型A」=地域流動性大×居住者多様性大)の復興への取り組みにおけるコミュニティ・キャピタルの発現態様を考える。  被災地=石巻市は、人口15万、宮城県第二の都市で、①人口・諸機関の集積する市街地(復興都市計画事業・いわゆる既定復興エリア)、②リアスの離半島部の小さな浜、③内陸の新住宅市街地(復興公営住宅団地が多く造成。原義的な地区看護(みまもり)「復興ケースマネジメント」:新たなコミュニティ・キャピタル創成、の展開:大矢根2023)で構成される。 【データと方法】  報告者が1990年代から続けている現地踏査の延長で、本震災復興研究として継続しているフィールドワーク(その契機・経緯と成果は大矢根2023を参照)の知見を紹介する。 【結果】  牡鹿半島の40余りの小漁村のうち、小渕浜では、未だ瓦礫処理も未達のまま(一方で、復興公共土木事業は竣工済:従前居住者層の批判的視線!)、しかしながら、地区住民が口にする方言「らっつね(秩序なく散らかっている/やんちゃ)」(「浜の底力」=resilienceの発現:大矢根・礒部2024)が発揮されて、2024年初夏現在、半島で唯一活気漲る浜(他の多くの浜は、災害危険区域指定で閑散)となっている。その事情・要因を考察した。  高度経済成長・200海里規制で浜の漁は段階的に改編され、一漁師一家は、親戚・近隣の世話になり(世話をし)つつ、常に新たな漁種を模索・体得しながら、浜での厳しい競争下、あくまで漁協体制を尊重しつつも独自勝手に複数魚種の六次産業化を実現してきた。震災時には浜の長老の指示に即応して予定通り船の沖出しを完遂し、震災後は津波で流消失せずに残った個人宅20軒が半年にわたって「班」と呼ぶ私設避難所を運営して被災家族の面倒を見続けた(公的支援は無し)。県道沿いのコンビニ駐車場・ガソリンスタンド・自動車整備工場が機動力の拠点となった。被災者は漁業権を担保するため「通い漁業」・世帯分離に耐えながら営生機会を再構成しつつ、新たな稼ぎ口の獲得に挑んでいる(例えば、海苔→ワカメ養殖から番屋の空時期を利用してキクラゲ農家として兼業、自身で遠征出店販売)。また、被災後10年以上にわたって外部支援(ボランティア、NPO・NGO等/さらには外部資本参画による復興イベント(ISHINOMAKI BUCHI ROCKやReborn-Art Festival等)には批判的に接ししつつも)を強かに絶え間なく取り込みつつ、地区復興に奮闘してきた。  これらが実現した前提基底には、浜の少なからぬ漁師宅がこの半世紀以上、先代に倣って、季節毎・漁閑期に出羽三山(山形)-金華山(石巻)間の古の祈りの東西回廊を辿って湯治に赴き、自覚的に山の知己を保続してきた履歴をもとに、結果的に組み上げられてきた総体的な「支援-受援」の心性・体制があげられる(「結果防災」の醸成←なんでも貪欲に組み込む「らっつね」)。 【考察】  この半世紀、浜で醸成・継承されてきた「らっつね」に基づく「浜の底力」と、それに基づき浜の営生機会・生業空間が再構制されてきた(コミュニティ・キャピタルの創成)ことが確認できた。 【文献】 大矢根淳, 2023, 「復興ヘゲモニー更改=復興ガバナンス ver. 2.0へ」『災害復興研究』, 14 : 21-44. 大矢根淳・礒部慎一, 2024, 「”らっつね”で語られる「浜の底力」の諸相」『専修人間科学論集社会学篇』, 14(2), : 69-79.

報告番号313

多様化する地域社会の存続に関する研究(3)都市における「地域の居場所」継続の取組みから考えるコミュニティ・キャピタル——東京都文京区地域の居場所Hの事例から
跡見学園女子大学 土居 洋平

【研究の背景と目的】  本報告では東京都文京区の「地域の居場所」、とりわけ地域の居場所Hの継続(居場所の維持)に向けた取組みを事例に、コミュニティ・キャピタルが関わる人々にとって、どのような資源として捉えられており、そのことがその活用とどのように結びついているのかを検討する。  ここでいう「地域の居場所」とは、メンバーを限定せず地域に開かれた形の地域活動等の拠点になっているコミュニティ・スペースを指す。こうした「地域の居場所」は、都市部においては、産業構造の転換で使用されなくなったり築年数が経過し借り手が見つかりにくい建物の一室を、家主が運営主体に市場価格より安く提供して開設されることも多い。そこでは、居場所の掲げる活動テーマを軸に人々が集い、新たなつながりが形成され地域課題の解決が図られている。一方で、使用している物件の達替えや維持コスト負担等で継続できなくなるケースもある。こうしたなかで文京区にある地域の居場所Hでは、度々その維持が危機にさらされながらも、関わる人々の支援や支援の仕組みづくりによって危機が乗り越えられてきた。本報告では、この事例から地域の居場所が関わる人々にとってどのように資源として捉えられているのか、また、そのことがこの資源の活用とどのように関係しているのかを検討したい。 【データと方法】  報告者は、2015年から文京区内での地域活動に関わり、「地域の居場所」の活動での参与観察を行うとともに、複数回のインタビュー調査を実施してきた。今回は、こうした参与観察とインタビュー調査をもとに検討を行う。 【結果】  文京区本郷にある地域の居場所Hは、自治体や企業からの補助や飲食の提供等の事業収入等の、ある程度安定した収入を持つ他の地域の居場所と異なり、ここを設立したフリーランスのIT事業者のT氏が自らの資金で開設・運営してきたものである。T氏は、東日本大震災の復興ボランティアへの参加を契機に地域活動に関心を高め、その後、区主催の地域活動の担い手育成事業に参加し、それを契機に地域の居場所Hを開設している。  一方で、維持費についてはT氏個人の資金に依拠していきたこともあり、これまでに二度、継続が困難になったことがあった。しかし、一回目の継続危機(2023年)の際にはT氏のSNS上の呼びかけ後の3日間で多額の寄付が集まり継続が可能となり、また、二回目の継続危機(2024年)の際には、Hの活用可能性について1ケ月ほどの間に5回の会合が開催され、関係者により継続の仕組みが検討され、当面の継続が決まっている。また、こうした継続の危機に際して、関係者が改めてHのコミュニティ・キャピタルの意義を確認し、それに自身が資金を提供するとともにHを軸にした活動を展開するようにもなったのだ。 【考察】 地域の居場所Hの継続危機をきっかけに、そこに関わる人々にとってのHのコミュニティ・キャピタルとしての意義が再確認された。また、その再確認という行為が、コミュニティ・キャピタルの更なる活用へと展開した。 【文献】 土居洋平, 2022, 「コミュニティキャピタルとしての<地域の居場所>の展開・序論」『跡見学園女子大学 観光コミュニティ研究』1: 79-84. 土居洋平, 2024, 「開放的な<関わりの場>の形成と継続-山形県西村山郡西川町大井沢の事例等を踏まえて-」『関東都市学会年報』25: 23-29.

報告番号314

多様化する地域社会の存続に関する研究(4) 中山間地域の外国人技能実習生と地域住民をつなぐコミュニティ・キャピタルの効果——岡山県美作市の事例から
ノートルダム清心女子大学 二階堂 裕子

【研究の背景と目的】  外国人住民の増加とともに、多様な社会的文化的背景の人々が支え合う社会への希求が高まる今日、多文化共生の取り組みが全国で展開されるようになった。一方で、中山間地域において、人口減少と高齢化が加速するなか、外国人技能実習生をはじめとする外国人財の呼び入れが急拡大している。しかし、当該地域では都市部と比べて、多文化共生社会の実現のための自治体施策や市民活動が乏しく、地域間格差が顕在化しているのが現状である。  そこで、本報告では、岡山県美作市を事例として取り上げ、①中山間地域における外国人技能実習生と地域住民をつなぐコミュニティ・キャピタルとして、どのようなものや制度があるのか、②そうしたコミュニティ・キャピタルがいかなる効果を生み出しうるのかについて検討を加える。 【データと方法】  本報告は、2016年より現在まで、美作市の市役所や技能実習生の就労先企業において実施したインタビュー調査や、美作日越友好協会が実施する諸活動への参与観察によって収集した質的な情報を土台として議論を展開する。 【結果】  岡山県美作市は、25,208人(2024年4月末現在)の岡山県内の市の中で最も人口規模が小さい自治体である。同市は、2015年より産業振興政策の一環として、ベトナム人技能実習生の受け入れを推進し、受け入れ体制の整備に取り組んできた。たとえば、市がみまさか商工会との連携により設立した美作日越友好協会は、日越交流サッカー大会や技能実習生のための市内観光ツアーなどの企画を精力的に実施している。こうしたイベントは、技能実習生と地域住民の一時的な関係づくりに終わるきらいがあるものの、回数を重ねることで継続的な関係の構築の可能性がある。  また、市内のY社で就労する技能実習生らの実践は、地域住民や同胞との継続的な関係の構築につながっている点で、注目に値する。Y社の技能実習生の居住地域には、都市部にあるようなベトナム食材店やスーパーマーケットがないので、彼らは住宅のそばに畑を作り、そこで野菜を栽培している。さらに、高齢の近隣住民の畑仕事を手伝うことで、彼らは収穫した野菜の一部を手にすることができる一方、高齢者にとっては作業負担を軽減することができるので、両者にメリットが生まれる。加えて、彼らは週末ごとに近隣の町民グラウンドでサッカーに興じるなかで、他社で就労するベトナム人とも知り合い、エスニックなネットワークを形成しているのである。 【考察】  美作市の取り組みは、多文化共生施策というよりも、商工会、技能実習生とその就労先企業、および市民を巻き込みながら、外国人財に「選ばれ続ける」社会の実現をめざす産業振興施策である。そうした理念のもとで各主体が有機的なつながりを構築できれば、互いのニーズや地域課題の共有化が進む可能性もあるだろう。また、Y社の技能実習生たちは、「畑」での作業を通じて、地域住民との継続的な協働関係を取り結んでいる。また、外国人散住地域において、「町民グラウンド」での「サッカー」は、技能実習生が就労先企業を超えた同胞ネットワークを構築する場となっている。排他的な性格の強い過疎地域において、しかも社会資源(フォーマルサービス)が乏しい環境のなか、彼らは「畑」や「グラウンド」での「サッカー」を通じて、自ら「インフォーマルサポート」の獲得に動いている。

報告番号315

多様化する地域社会の存続に関する研究(5)中山間地域の棚田をめぐるコミュニティ・キャピタルの実相——静岡県浜松市A地区の事例から
静岡文化芸術大学 舩戸 修一

【研究の背景と目的】  本報告では、中山間地域である静岡県浜松市A地区をとりあげ、この地区の中心に位置する「棚田」とかかわる多様なアクターから中山間地域の資源をめぐるコミュニティ・キャピタルの実相を明らかにする。  そもそも棚田は、地理的な条件不利のため、耕作放棄地になりやすいことが指摘されてきた。一方、農村景観や生物多様性の維持など、その「多面的機能」が重視され、日本各地で棚田の保全活動が行われてきた。その具体的な方法としては農作業に関心がある都市住民が耕作活動に参加する「棚田オーナー」制度である。先行研究では、この棚田オーナーに参加する棚田の地権者や都市住民、その関係性などが主に分析されてきた。そこでは棚田オーナー制度におけるアクターは取りあげられるものの、この取り組みに参加していない地元住民やそこから転出した血縁者・地縁者がもつ棚田とのかかわりは注目されてこなかった。  昨今、人口減少や高齢化によって地域の担い手不足が問題化するなか、転出した子どもが実家の農作業や生活を支援するために定期的に帰省していることが指摘されている。そうであるならば、棚田オーナー制度では捉えられない地域住民と棚田とのかかわりが見られると考えられる。このような事実が人口減少や地域の担い手不足するなかで地域社会が存続する可能性を見いだすことも可能である。  本報告で取りあげるA地区の棚田は、1999年に国によって「日本の棚田百選」に指定され、また県からはその景観を称える賞を授与してきた。最近はドラマのロケ現場になり、対外的に観光地としても認知されるようになった。さらに2022年には、国によって「つなぐ棚田遺産」に指定され、現在も保全対象となっている棚田である。しかし、約8haある棚田の半分以上は耕作放棄地になり、現在のA地区耕作者は6世帯であり、地権者の半分以下である。一方、2000年代から移住者による耕作が始まり、「棚田オーナー制度」を取り入れていないものの、数組のA地区外住民による耕作が行われている。 【データと方法】  報告者は、2016年からA地区の棚田において学生とともに米作りに取り組み、棚田保全活動についての参与観察を行ってきた。その際、この活動に関わる人たちに聞き取りや調査票調査を実施してきた。今回の発表では、これまでの調査をもとに検討を行う。 【結果】  A地区は、4集落で構成され、現在68世帯である。そのうち棚田で耕作している世帯は1割であり、全世帯対象とした調査票調査によると棚田への関心は高くはない。また地権者の中でも年々耕作者が減少しつつある。しかし、聞き取り調査では、転出した地権者の子どもが耕作したり、地権者ではないが棚田で耕作する転出した子どもがいる。また耕作は放棄したものの、定期的に棚田周辺の草刈りをする地権者もいる。さらには地権者ではない地元住民や帰省した子どもや孫が棚田を散策する日常も見られている。ここに耕作作業には参加していないが、多世代にわたる棚田とのかかわりを見いだすことできる。 【考察】  これまで棚田は耕作放棄地の解消が求められるため耕作実態や「棚田オーナー」に注目されてきたきらいがある。しかし、A地区では、ほとんどの住民が耕作活動にかかわっていないが、それ以外の形で棚田とかかわり、地域とのつながりを醸成している現実がある。

報告番号316

福岡県糸島市における観光の発展と場のイメージの変遷——旅行ガイドブックおよびSNSにおける表象の動態性
関西学院大学 長友 淳

1.目的  今日の日本において、地元の生活文化を観光資源とした体験型観光やマイクロツーリズムなど、多様な観光形態が各地で進展している。また、観光の多様化は観光と移住の交差領域の拡大をもたらし、観光客と定住者の間の存在である関係人口の増加を目的としたお試し移住施策を行っている自治体も多い。  観光の多様化を捉える上で、観光客が利用するメディア、特にSNSは大きな要素と言える。アニメ聖地巡礼のようなオーディエンスによる観光地化やSNS投稿が契機となった場の意味変容に見られるように、今日の観光の場は動態性に満ちている。従来のホストとゲスト、あるいはメディアの生産者とオーディエンスの二項対立は融解・交差し、観光のまなざしをめぐる相互作用は複雑化している。  以上を踏まえ、本研究は観光イメージが変容した福岡県糸島市を事例として、以下の二点を考察する。第一に、糸島地域の観光および観光イメージの変遷とはいかなるものであったのか。糸島に集合的まなざしが向けられる以前と以後、およびSNS観光の一般化の前後でいかなる相違が見られるか。第二に、糸島の観光イメージの変遷とメディアとの関連性は、いかなる理論的解釈が可能か。以上の二点を論じるにあたり、本研究は糸島の観光の発展について3つの時代区分を設定した上で考察する。 2.方法  本研究は、糸島の観光の発展を1990年代中頃以前・1990年代中頃から2010年代中頃・2010年代中頃以降の3つの区分から捉え、旅行ガイドブック10点およびインスタグラムの糸島関連の投稿136件(無作為抽出)に含まれる写真被写体や見出しの意味内容のコード化・集計を行い、それらの理論的解釈を行った。 3.結果・考察  1990年代中頃以前の糸島は、観光地として認知されていない「生活空間」であり、当時の旅行ガイドブックでは、糸島の掲載は皆無に等しい状況であった。しかし、2010年代前半には、食のブランド化やカキ養殖業の開始・発展によって、糸島は福岡都市圏の日帰りドライブの地として次第に観光の集合的まなざしの対象となった。当時のタウン情報誌などの地域限定型メディアは、海岸やビーチ沿いのカフェを南国・非日常性イメージの記号として「発見」し、限定的ながらもそれらを掲載するようになった。その地域限定的なイメージは、やがて2010年代中頃以降、全国規模の旅行雑誌・テレビ・SNSなどの非地域限定的メディアによって拡大した。糸島の南国・非日常イメージの記号としては、カフェ、ヤシの木ブランコ、移動式カフェ、海鮮丼などが用いられた。これらの南国・非日常的イメージは、SNSという文化生産者とオーディエンスの境界が交錯するメディアによって自己増殖的に拡大し、その過程には、デジタルプラットフォーム上での集合的まなざしの形成(遠藤 2019)およびイメージ自体の行為主体性が作用して場の意味変容(Urry 2007=2015)が生じる様相が見られる。 文献 遠藤英樹,2019,「観光をめぐる「社会空間」としてのデジタル・メディア――メディア研究の移動論的転回」『観光学評論』7(1): 51-65. Urry, John, 2007, Mobilities, Cambridge: Polity Press.(吉原直樹・伊藤嘉高訳,2015,『モビリティーズ――移動の社会学』作品社.)

報告番号317

人口減少時代における各都市圏の構造変容に関する検討
早稲田大学 平原 幸輝

 1990年代以降、東京などの大都市においては、人口流出等に伴う人口減少から、人口流入等に伴う人口増加へと転じるように、「都心回帰」現象が生じてきた。また、2000年代以降は、日本社会全体として、少子高齢化等に伴う人口減少が生じてきている。本分析においては、近年の、日本の都市および都市圏を分析の対象として、その人口動態や、その間に生じてきた社会構造の変容等を捉えることを目指している。  そもそも、本分析にあたり、市区町村等を単位とした地域データの網羅が必要となる。2005年前後には平成の大合併として市町村の合併が進められた。また、単独市制の施行なども多く見られた。本分析にあたっては、それらの変更にそれぞれ対応した上で、2020年10月1日時点の市区町村に統一した地域データを作成し、分析に用いた。これによって、これまでの人口や社会経済指標の推移を捉えることが可能になった。  そうした中で、「国勢調査」等の官庁統計データを用いて、日本の都市および都市圏の人口動態や、その間に生じてきた社会構造の変容を捉える。例えば、東京・大阪・名古屋という、三大都市圏の中心に位置している都市においては、1990年代には人口減少が生じていたに対して、2010年代には人口増加に転じるなど、人口増加が顕著な地域が都心に回帰する状況が生じている。そうした中において、例えば、再開発に伴う「社会階層の上層化」、「子育て層の流入」が生じ、またそれに伴いこれまで見られていた「高齢者が多いという特徴の弱まり」などが、東京・大阪・名古屋では共通して生じてきている。このような都市における共通した変化が確認される一方で、相違点も見られる。例えば、高所得層の多寡については、東京においては東京都心に高所得層が集中する傾向が強まってきたのに対して、名古屋や大阪では同様の傾向は明確には確認されなかった。なお、名古屋圏においては愛知県豊田市などの南東部などに高所得層集中地域がシフトしており、京阪神圏においては大阪や神戸などの中心市に高所得層が多く見られる。また、2020年時点において、東京都心は、人口学でいうところの、人口ボーナスの状態を保っているのに対して、他の多くの都市は人口オーナスの状態になっている。  このように三大都市圏を含む日本の都市および都市圏について、その人口動態や、その間に生じてきた社会構造の変容を捉え、都心回帰の普遍性や、人口減少時代における都市社会の変容の方向性等について、検討を行う。

報告番号318

学園都市の戦後史——神奈川県厚木市と東京都八王子市を事例に
筑波大学 加島 卓

【目的】本研究は戦後日本において学園都市がどのように形成され、いかなる展開を見せたのかを述べるものである。なかでも神奈川県厚木市と東京都八王子市に注目し、それぞれの自治体が大学誘致との関連でいかにまちづくりを構想してきたのかを明らかにする。  先行研究としては、山口廣(編)『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、1987年)、木方十根『「大学町」出現』(河出書房、2010年)、長内敏之『「くにたち大学町」の誕生』(けやき出版、2013年)、三井康壽『筑波研究学園都市論』(鹿島出版会、2015年)、片木篤(編)『私鉄郊外の誕生』(柏書房、2017年)、新倉貴仁(編著)『山の手「成城」の社会史』(青弓社、2020年)などが挙げられる。これらのうち『筑波研究学園都市論』以外は、一橋大学、成城大学、玉川大学と郊外の宅地開発の関係に注目しており、大部分が戦前期の記述である。  これらに対し、本研究は戦後の学園都市に注目する。その理由は戦後の学園都市形成は戦前と事情が異なり、郊外キャンパスの増設という大学経営上の課題が含まれているからである。そしてこの背景には「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律」(1959年〜2002年、通称:工場制限法)があったことが重要である。この法律は工場や大学の大都市集中を規制するもので、これによって多くの大学が第一次ベビーブーム世代の学生増加を見据えて首都圏郊外にキャンパスを増設することになった。  【方法】そこで本研究はこの規制法との関連で数多くの大学が集まった神奈川県厚木市と東京都八王子市に注目し、それぞれの自治体がどのように学園都市計画を進めてきたのかを整理する。厚木市では、特に青山学院大学厚木キャンパスと森の里ニュータウンの関係について述べる。八王子市では、特に中央大学多摩キャンパスと八王子市大学連絡協議会の関係について述べる。使用したデータは大学史、自治体の関連文書、新聞記事などである。  【結果】【結論】調査によって明らかになったのは、学園都市構想にとって複数のインフラ整備が重要な役割を担っていた点である。その一つは旧郵政省が推進していたニューメディアを活用したまちづくり(テレトピア構想などの地域情報化政策)であり、もう一つは「都市モノレールの整備の促進に関する法律」(1972年)の施行後に全国各地で構想されたモノレール(ガイドウェイバス)計画である。とりわけ後者は予算規模が大きく、厚木モノレールは幻の計画に終わり、多摩モノレールはいまだ部分開業の状態である。  インターネット高速回線の普及によって都心キャンパスとの情報格差は大幅に改善されたと言えるが、厚木や八王子といった学園都市にとって最寄り駅から各キャンパスまでの交通アクセスの悪さは、バスの増便だけでは解決することが難しかった(慢性的な交通渋滞)。そしてこれに少子化傾向が重なり、近年は大学の都心回帰が見られ、さらに都心回帰した大学キャンパスの跡地利用も課題になっている。本研究は、こうした学園都市形成からポスト学園都市に至る大学と自治体、そしてインフラ整備の三者関係を検討したものである。

報告番号319

寺院における葬儀を介した関係構築——浄土真宗R寺に注目して
大谷大学 磯部 美紀

【目的】日本における葬儀と仏教の結びつきは、近世に確立した寺檀関係に端を発し、今日まで檀家の葬儀には菩提寺の僧侶が関与してきた。こうした寺院と人々との関係は、世代を超えて特定の地域に人々が定住することにより維持されてきた。よって、人の移動が前提となる社会状況に適しているとは言い難い。では、人口移動が活発な地域において、寺檀関係に包含されない人々と一から関係を築こうとする寺院の実態はいかなるものであろうか。本発表では、寺院が既存の関係を有さない人々と新たに関係を構築していくあり様について、特に葬儀に焦点をあてることで明らかにする。検討にあたっては、首都圏において1990年代から宗教活動を開始した、浄土真宗R寺の事例を取り上げる。 【方法】研究方法は、僧侶・葬祭業者を対象とした質的調査である。具体的には、R寺住職、葬儀社S社員、葬儀社T社員から得たデータを中心に分析を行う。 【結果】浄土真宗R寺の活動拠点を決定するにあたっては、周辺地域に同一宗派の寺院がごく僅かであること、新興住宅地であり特定の寺院との関係を有さない人も一定数見受けられることの2点を重視したことが指摘された。また、寺檀制度に基づく人々との関係を有さない寺院が宗教活動を行っていく上で重要なことは、遺族や近隣住民、葬祭業者からの信頼感を得ることであるとする。ここで言う信頼感とは、宗教施設を構えることにより寺院としての体裁を整えることや、葬儀を依頼された際には遺族に対しても葬祭業者に対しても丁寧に対応すること、また読経や「法話(仏教の立場からの語り)」の技量、僧侶としての人となりによって生み出されるものとして説明された。 【結論】R寺住職の一特徴は、法話という宗教実践を通して、供養に関して浄土真宗は他宗派とは異なる立場をとることに言葉を尽くす点にある。葬儀における僧侶の役割は宗派により異なり、法話の実施状況やその内容は宗派ごとに差のあることが先行研究で指摘されている。浄土真宗の場合、教義との兼ね合いにより僧侶の役割を示すことは他宗派よりも困難である。しかしこの困難さは却って、浄土真宗の僧侶が言葉を尽くすことを通して人々に自らの存在意義を示そうとする契機となり、法話の活用を促してきたと考えられる。また、葬儀の場で行われる法話を重要視する姿勢は、葬儀社社員の声にも表れている。すなわち、一日葬や火葬式(直葬)が広く受容され、葬儀の簡素化が進展している状況下で法話は、儀礼を行うことの意義を伝える手段となることが示唆された。 【付記】本研究は、科学研究費助成事業・研究活動スタート支援(22K20204)の研究助成による。

報告番号320

チームマネージメント分野におけるチーム基盤型学習と課題解決型学習を活用した教育の効果に関する研究
高知県立大学 秋谷 公博

中央教育審議会(2012)の答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」で高等教育における従来の知識伝達型の教育から能動的学習への転換の必要性が指摘されて以来、チーム基盤型学習(以下、TBL)や課題解決型学習(以下、PBL)等によるアクティブラーニングを取り入れた教育が注目を浴びている。2023年に中央教育審議会が取り纏めた「次期教育振興基本計画について(答申)」では、「主体的・対話的で深い学び」の視点から授業改善を行うことの重要性や、他者との協働や課題解決型学習等を通じて深い学習を体験し自ら思考することの重要性も指摘され、大学教育などにおけるアクティブラーニングの充実に取り組むことの重要性が指摘されている(中央教育審議会、2023)。  これらの流れを受けて、近年では大学の講義等においてアクティブラーニングを活用した教育が行われるようになってきているが、TBL及びPBLの両方を教育に取り入れた事例自体が少ないのが実情であり、とりわけチームマネージメント分野において両者を取り入れた教育の効果等について検討した研究はあまり見られない。  上記を踏まえ、本研究ではA県にあるB大学のチームマネージメント関連講義の事例を通して、チームマネージメント分野での教育におけるTBLとPBLの教育効果等について明らかにすることを目的としてアンケート調査を実施した。本研究の取り組みは、チームマネージメント分野の教育に有益な示唆を与えるものであり研究の意義があると考えられる。  本研究から得られた知見として、平均値4点満点でアンケートを実施した全37項目において平均値が3点を超えていることからチームマネージメント関連科目においてTBL及びPBLの教育効果が見られた。とりわけ、①「チーム活動により新たな発想や様々な視点にきづくことができた」(3.94)、②「自分の成長を実感することができた」(3.92)、③「多様な背景の学生とのチームワークを通して普段の講義より視野を広げることができた」(3.90)、④「「振り返りピア評価シート」の作成は講義内容を振り返るのに役立ったか」(3.88)、⑤「チームワーク及びフィールドワークの両方を取り入れた学習は、学習効果や学習意欲を高める効果があった」(3.84)の5項目が上位を占めている。その中で上位3項目は平均値が3.90を超えるほど高く、①発想力の育成、②視野の拡大、③自己の成長に顕著な教育効果が見られた。とりわけ、多様な背景を持った学生とチームで取り組むことで視野の拡大に効果が見られる。加えて、振り返り学習における「振り返りピア評価シート」の作成の重要性やPBLとTBLの双方を講義に取り入れた教育の重要性も明らかとなった。 以上からチームマネージメント分野の教育においてTBLとPBLを取り入れた教育は効果があるものと考えられる。本研究で得られた知見は今後のチームマネージメント分野の教育において、有益な示唆を与えるものと考えられる。 参考引用文献 ・中央教育審議会(2023)「次期教育振興基本計画について(答申)」、〈https://www.mext.go.jp/content/20230308-mxt_soseisk02-000028073_1.pdf〉(2024年6月6日閲覧)。

報告番号321

新しい公共性の構築——日本人の外国人意識から私たちの多文化意識への転換
仙台青葉学院短期大学 小野寺 修

【目的】本発表の目的は、地域における外国人との共生を進めるにあたり、外国人意識を高めるための取り組みについて公共性の観点から多様な可能性を考察することである。外国人意識に関する先行研究は主に2つのタイプに大別できる。1つは政府等の公的機関によるマクロデータを分析するものであり、もう1つは外国人住民が多く暮らしている集住地域における量的調査から知見を得るものである。どちらのタイプにも共通するところは、日本人の排外意識を問題として挙げている点である。その排外意識の根底には、周囲を海に囲まれたなかでこれまで独自の文化や伝統を維持してきた歴史的経緯や外国に対する閉鎖性などがある。日本人の外国人意識という場合、外国人を日本社会から切り離しているところがすでに排外意識のはじまりであるともいえる。日本社会が直面する課題に取り組むためには、日本人と外国人が共に協力し、相互理解と共存を深める努力が必要である。そこで本発表では、公共性という視点から外国人意識を高めるための取り組みについて考察する。【方法】2023年6月から、宮城県石巻市で外国人と接している日本人住民(企業・市役所・中間団体等の担当者)に対して対面での半構造化インタビューを実施してきた。各調査は対象者1名につき1.5~2時間ほど行い、分析にはM-GTAを用いた。石巻市は、2011年3月に発生した東日本大震災において、いわゆる被災3県(岩手・宮城・福島)のすべての自治体の中で死者・行方不明者数が最も多かった。津波によって壊滅的な被害を受けた被災地では深刻な人手不足に陥ったが、街を復興へと導いたのは外国人財の存在が非常に大きい。そこで、石巻に暮らす外国人とかかわる日本人を対象に調査した。【結果】外国人に対する理解や意識を高めるためには、地域住民が公共の担い手として主体的に役割を果たすことが第一であり、行政機関や中間団体による協力も必要となる。石巻だけでなく東北全体が外国人散住地域である。外国人とかかわることに対して、経験の浅さから人知れぬ苦労はあるが、地域住民による取り組みが行政機関や中間団体などを巻き込んで地域社会を創り出している。自己だけでなく他者をも尊重する取り組みが公共の姿である。【結論】これまでの多文化共生については、日本人社会を優先することを前提として、外国人がそのなかに受け入れられるという意味合いが強かった。これからの公共性は、外国人と日本人が共に協力し合い、受け入れる日本人と受け入れられる外国人という互いの領域を越えた新しい公共性であることが求められる。これによって、<日本人の外国人意識>から<私たちの多文化意識>へと意識転換を図ったうえで多文化共生を進めていく必要がある。外国人・日本人双方の地域住民と行政とが協働し、新しい公共の価値が創出される。公共性とは何かという根本的な概念を形成することが課題となる。

報告番号322

多重対応分析/構造化データ解析の原理と研究者視点の介在点——「文化と不平等」調査データの分析(1)
津田塾大学 藤本 一男

本報告に続く3報告における分析では、多重対応分析(MCA)が用いられている。しかし、MCAの基本的な理解は広く共有されている状況にはない。そこで、3報告を吟味していただく前提として以下の点を整理する。 数理的にだれが実行しても同じ結果が得られる領域。MCAのアルゴリズム。 研究者の視点に依存する領域。構造化モデリング。空間生成と解釈。 以下の3報告では、以下の概念、処理が前提的に用いられている。 ・MCAと対応分析CA / 構造化データ解析:空間(社会空間、音楽空間)生成、追加変数 /インタビューデータとの連携 CAが入力とするデータは、2元クロス表であり2変数の分析である。他方、MCAは、個体x変数の多変数が対象とされる。そこから多変量解析に分類されることもある。しかし、MCA、変数列を変数カテゴリ列へと展開し、選択カテゴリに1をたてたindicator matrix(指示行列)への変換し、それに対してCAを行うことで実現される。こうして多変量データは、個体と変数カテゴリの2元表として処理される。CAでは、処理の結果、行変数(個体)の空間と、列変数(変数)カテゴリの空間、そして、両者に共通する座標軸が生成される。CAでは、分析の単位を、行(列)プロファイル、という行(列)比率ベクトルとする。つまり、回答パターンである。これが、関係性に注目する手法と呼ばれる所以である。3報告では空間の生成とそれへの追加変数の射影による空間解釈を行っている。これは、構造化データ解析SDAとして整理されている(Le Roux2010=2021)。ここで、空間生成に寄与する変数をActive変数とよび、空間生成には用いないが、その空間に射影する変数を追加変数と呼ぶ。この変数の区分は、構造化モデリングとよばれ、研究者の分析視点が反映する場面である。追加変数を空間に射影できる原理は、行ポイントと列ポイントの座標が、遷移公式(transition fromura)として提示されている。MCAでは、個体空間を形成している各個体(回答者)の位置は、保持されている。この特性を生かして、インタビュー調査との連携が実現する。「幾何学が量と質の架け橋である」は、多重対応分析による構造化データ解析が、混合研究法の土台になることを宣言している。 今後の課題: 変数空間の分析の発展にむけて 点と差異の分散の技法と分散分析の手法の適用 個体空間の分析の発展にむけて 変数空間の分析では、Active変数であれ追加変数であれ、その平均点の座標に注目している。 しかし、データは、空間的な広がりをもっており、構造化データ解析は、集中楕円という手法や相関比η2の確認をもって個体空間の分析を発展させることができる。 参考文献: LeRoux&Rouanet 2010、”Multile Correspondence Analysis”, SGAE, (訳:大隅・小野・鳰『多重対応分析』2021 オーム社) 計量分析セミナー2023 夏「対応分析/多重対応分析の原理と実際」 https://csrda.iss.u-tokyo.ac.jp/quantitative/seminar/202307061527.html スライド集:https://bit.ly/48HnSjr 本報告は、研究代表:磯直樹、科研費22H00913「現代日本の文化と不平等に関する社会学的研究:社会調査を通じた理論構築」と研究代表:藤本一男、科研費20K02162「データの幾何学的配置に着目したカテゴリカルデータ分析手法の研究」の支援をうけています。

報告番号323

関東地方の社会空間の構築——「文化と不平等」調査データの分析(2)
大阪大学 知念 渉

本報告の目的は、関東地方を対象にした質問紙調査のデータを用いて多重対応分析を行い、関東地方の社会空間を構築することである。ここでいう社会空間とは、P. ブルデューの階級分析に基づくものである。ブルデューは『ディスタンクシオン』(1979=1990)において、質問紙調査、インタビュー調査、雑誌の切り抜きなどの多様な素材の分析を通じて、社会空間と生活様式空間という二つの空間を構築した。簡単に要約するなら、各種資本の量を示す縦軸と、文化資本にウエイトがあるのか経済資本にウエイトがあるのかという資本の構成を示す横軸からなる2次元の空間に、職業や学歴といった社会的位置を示す変数を配置すると同時に(社会空間)、そのなかに具体的に現れてくる生活様式を示す変数を配置した(生活様式空間)。近年、英語圏では、このブルデューの分析を手がかりにして、多重対応分析によって社会空間や生活様式空間を構築する階級分析が蓄積されてきている(Flemmen 2019, Atkinson 2021など)。それらの研究に触発され、日本でも同様の研究が行われてきた(近藤 2011、片岡 2019)。本報告では、これらの研究動向をふまえつつ、「文化と不平等」調査のデータを用いて社会空間を構築する。「文化と不平等」調査は、2023年に行った関東地方在住の20歳から69歳の成人を対象にした郵送調査とその後に行ったインタビュー調査から成る。対象が関東地方在住者に限られるため、本報告で構築される社会空間は「関東地方の社会空間」ということになる。とりわけ本報告で強調したいのは、親から相続される資本の多様性を捉えることの重要性である。これまでの日本の社会空間を分析した研究では、多重対応分析のアクティブ変数として「父親の学歴」や「母親の学歴」といった相続資本を投入する一方、「土地」や「住宅」といった相続資本を分析の対象から除外してきた。それに対して本報告では、「土地」や「住宅」といった相続資本もアクティブ変数に含めた多重対応分析を行う。その結果を参照しながら、一次元性が高いとされてきた日本の社会空間論(近藤 2011)に対して、反論を試みる。SSM2005のデータを使って同様の分析を補足的に行うことによって、その結果が、関東地方を対象にしているからではなく、全国的にも適用できる可能性があることも同時に示したい。そのうえで、ジェンダーや居住地、年齢といった変数を追加変数として社会空間に配置し、社会空間を構築する二つの軸の意味を解釈していく。これは、本報告の後に続く生活様式に関する分析や音楽空間に関する分析を展開する基礎作業でもある。

報告番号324

ライフスタイルとハビトゥス——「文化と不平等」調査データの分析(3)
東京藝術大学 磯 直樹

本報告は、知念渉の報告を受け、東京都市圏の社会空間の上に諸個人を位置づけ、各々のハビトゥスを描くことを目的とする。ピエール・ブルデューは、「階級は実在しない、実在するのは社会空間である」と考えた(Bourdieu 1994=2007: 37)。社会空間は、一定のまとまりがあると考えられる社会(例えば「日本社会」や「フランス社会」)において、人びとの社会的近接性や対立関係を条件づける。他方、個人は社会空間において一つの位置を与えられるが、その客観的位置だけで行為や事象を説明できるわけではない。なぜならば、各々には人生があり、歩んできた人生によって形成されるハビトゥスがあるからである。生活史は、ハビトゥスに刻まれている。  本報告で示す分析は、混合研究法の一種である。クレスウェルによれば、混合研究法の基本は、収斂デザイン、説明的順次デザイン、探索的順次デザインの3種類である(Creswell 2015=2017: 40-46; Cresswell & Clark 2018: 65-92)。この分類に従えば、本研究の混合研究法は説明的順次デザインであり、量的調査の枠組みに質的調査を取り込んでいる。「文化と不平等」調査では、2023年1月に郵送調査を実施し、その回答者のうち41名にインタビュー調査を実施した。本報告では、多重対応分析によって構築された社会空間の上に、多重対応分析の特性を活かし、その41名をプロットする。報告時間の制約があるため、その中から10名を選び、インタビューの分析を行う。調査協力者の語りを通し、各々のハビトゥスを捉えつつ、それが社会空間における位置とどう関わるかを分析する。こうした分析を行う際、社会空間の構築に用いるアクティブ変数だけを用いても解釈に必要な十分な情報が得られない。そのため、社会空間の上にライフスタイル(生活様式)に関わる変数をサプリメンタリ(追加)変数としてプロットし、ライフスタイルとの関連でハビトゥスを解釈する。  その結果として見えてくるのは、調査協力者の語りは、必ずしも社会空間における距離が近いから似ているわけではなく、その距離が遠いから異なるわけでもない、ということである。これがなぜかと言えば、量的調査における測定誤差があるからでもあるが、ハビトゥスに刻まれた歴史が社会空間における位置に条件づけられながら作用しているからである。こうした作用の分析を通して、本報告では「文化と不平等」を社会学的に捉える新たな視座を提示する。

報告番号325

音楽空間と社会空間はどのように関係しうるのか——「文化と不平等」調査データの分析(4)
立命館大学 平石 貴士

本報告の目的は、2023年の関東圏を対象とした「文化と不平等」調査データを用いて、音楽空間と社会空間の関係性について分析することである。社会空間はブルデュー(1979=1990)の議論に基づき、音楽空間は、音楽の消費側の嗜好に関するデータから多重対応分析を用いて構築した空間のことを意味する。この空間を、ベネットらの『文化・階級・卓越化』やSavage and Gayo(2011)は、音楽界と呼んでいたが、本報告は、ルール変更の力学を分析対象として含む概念である「界」を(ベネットらも含めて)考察していないため、「界」とは呼ばず、音楽空間と呼ぶこととする。分析の方法としては、以下の3つの方法を取る。①音楽空間を構築し、社会的属性(学歴、世帯年収、職業、世代、ジェンダー)を追加変数としてプロットする、②社会空間を構築し、音楽の嗜好に関する変数を追加変数としてプロットする、③インタビューを行った41名の調査対象者について、音楽空間および社会空間上にインタビューイーの位置をプロットした上で、特に音楽の嗜好に関連する語りを着目して、報告時間の関係で数名に絞って、それぞれの空間における位置との関係を見ながら、インタビューデータを分析する。分析結果として、音楽空間と社会的属性との関係は、いくつかの軸では対応関係が見られたものの、全体としてはあまり明瞭ではない傾向を持った。一方で、社会空間上に音楽嗜好の回答をプロットする方法のほうが、社会空間と音楽嗜好の関係をより明瞭に見ることができることがわかった。社会空間上に音楽嗜好をプロットすると、資本総量との関係で音楽嗜好の社会的分布にはいくつかのパターンが見られた。資本総量と一致する傾向のあるクラシック、ジャズ、洋楽ポップ、ロックの好みの分布は、社会空間のなかでは上位のヒエラルキーに属する音楽と言える。資本総量が上昇すると嫌悪が増える演歌、アイドル、アニメソング、ヴィジュアル系といったジャンルは、社会空間のなかで下位のヒエラルキーに属する音楽と言える。音楽の好みの多くの分布がこのように資本総量と連関していたものの、ヒップホップなどいくつかの嗜好は、資本総量ではなく、保有する資本の種類の差異に沿って分布しており、資本総量とは別の論理との連関が予想された。インタビューの分析では、2つの空間におけるインタビューイーの位置と語りを、位置(ポジション)、ディスポジション(の体系であるハビトゥス)、ハビトゥスの移調(トランスポジション)というブルデューの概念から考察する。例えば、音楽空間ではアイドルのみに関心があり音楽について不活発という位置となるが、社会空間ではエリート大学の理系大学院を卒業し、東京でSEとして働き、社会空間の資本量では上位に属するというケース、ドイツの音大に留学した者の排他的にクラシック音楽のみを嗜好するケース、こういったインタビューデータが示す社会的軌道を比較することで、構築した空間についての解釈を捉え返すとともに、位置とハビトゥスの関係という視点から語りを分析することを試みる。理論的に提起される問いは、複数の空間が社会に存在するというブルデューの多元論的な理論のなかで、各々の空間は互いにどう影響するのか、文化と階級の関係に関して言えば、日常の文化実践はいかにしてそれぞれの空間への影響を持ちうるのか、ということになるだろう。

報告番号326

信頼はネットワークの形成を促すか?
成蹊大学 内藤 準

【1.目的】  信頼とネットワークはともに社会関係資本の一部に位置づけられ,経験的研究でも正の関連が繰り返し観察されている.そして,その関連はおもに「良いネットワークが他者への信頼を育む」という想定に基づいて分析されてきた(Putnam 1993=2001; 金澤 2016).  その一方,「信頼は協力的な相互行為を可能にし,人びとに新たなつながりをもたらす」という方向の因果関係も理論的に示唆されているが(山岸 1998),十分に経験的に確かめられていない(Schilke et al. 2021).本報告ではこの,「人びとが他者に対して抱く信頼は,彼/女らに新たな社会関係をもたらすか」という残された問いに,経験的データを用いてアプローチする. 【2.方法】  この問いにアプローチする際に方法上の課題となるのは,(1)事前の信頼とその後のネットワークサイズの変動(社会的紐帯の増減)を測定する必要がある,(2)まとまった量の変動を観察する必要がある,という点である.  本報告ではこれらの点を解決するため,組織加入の場面に着目する(Small 2009).とくに,大学新卒就職という制度的セッティングを利用し,組織加入前後を含むWebパネル調査を実施した.この調査設計は「先行する信頼」と「後続するネットワークサイズ」を測定し,前者から後者への効果を識別するためのものである.  なお,一口に信頼といってもさまざまな信頼があり,社会的紐帯もさまざまな種類がある.本報告では,未知の他者一般に対する「一般的信頼」だけでなく,よく知る相手との直接の関係に基づく「直接-特定化信頼」, よく知る他者からの紹介や所属集団に基づいて未知の相手に向けられる「間接-特定化信頼」を扱う.また,社会的紐帯の種類としては,「知り合い」,「手段的サポート」,「情緒的サポート」,「仲の良い相手」を扱う. 【3.結果】  分析の結果,入社前の信頼(一般的信頼,特定化信頼)が高いほど,入社後のネットワークの拡大の仕方が大きいという正の関連が確認された.これは〈信頼→ネットワーク〉という方向での効果を支持するものである.また補助的分析の結果,この信頼とネットワーク拡大の関連は,コミュニケーションへの積極的態度や活発なやりとり,職場での相互行為がうまくいっているといった,相互行為上の要因によることが示唆された. 【4.結論】  従来,ネットワークと信頼については,双方向の因果関係が示唆されてきたものの,実際の経験的研究ではおもに「良好なネットワークが特定化信頼を育み,そこから他者一般への信頼に拡張される」という想定で分析されてきた.本研究が見出した「信頼がネットワークの拡大をもたらす」という知見は,先行研究に残された欠落を埋めるものであるとともに,社会的孤立や階層的不平等といった社会的課題に対しても一定の含意をもつと考えられる. 【付記】本研究は科研費20K02072の助成を受けた研究成果の一部です.

報告番号327

企業における「センス」と文化資本・ハビトゥス
株式会社博報堂コンサルティング 森 泰規

1 目的  この報告の目的は,昨今「企業においては,スキルとセンスの両方が大事」というような言説で語られる「センス」と「文化資本」との関連性について検討することである。 2 方法 昨今,「スキルとセンスはどちらも大切…センスとは,文脈に埋め込まれた,その人に固有の因果論理の総体…引き出しの多さである」(楠木2013)などのように,企業経営や戦略にあたり「センス」の重要性が問う主張がある。筆者はこの「センス」を,その方向性を描くとした主旨に基づき,それが「ある種の文化資本」と呼べるかどうかを検討する。 また。特に集団についていう場合のそれを,ブルデューがハビトゥス概念を通じて特定の趣向や行動様式は個々人でなく集団として共有され,個々人の個性ではなく集団的に機能しうる(Bourdieu 1980=1988)かどうかを検討する 具体的には,勤労者に対する意識調査を通じ,文化資本(所属組織には芸術に対する理解があるか,という認知指標)の認識と本人の地位達成実感との間に連関性があるかを検討する。 3 総括と展望  ブルデューは文化資本を個人の「文化的素養」に時間や労力や金銭を(文化活動,文化財,教養などの形で)投資し,教育達成,職業達成,収入達成などで回収する文化的素養 Bourdieu, P. (1979a = 1990)とし,「身体化された形式,客体化された形式,制度化された形式のもとに存在」Bourdieu(1992=2007)するとした。この検討は「センス」についての説明と類似することから,筆者はブルデューを援用する範囲で「センス」とは文化資本のことではないかと考える。  また調査の結果より,カイ二乗検定・ロジスティック回帰の結果いずれを参照しても,自己組織に文化資本を実感する勤労者は有意に個人年収・世帯年収・主観的幸福度が高く,つまり地位達成実感とも関連性を示した。すなわち所属組織への文化資本(「センス」)評価と本人成果とが関係づけられることを示唆する。   文献 Bourdieu, Pierre. 1980. Le Sens Pratique. Paris: Editions de Minuit, 今村仁司,港道隆『実践感覚』(1988)他 Bourdieu, P. (1979a) La Distinction Critique Sociale du Jugement : Editions de Minuit, Paris. = 石井洋二郎(1990).『ディスタンクシオン――社会判断力批判1・2』藤原書店 Bourdieu & Loic, J. D. (1992). Réponses: pour une anthropologie reflexive :Éditions du Seuil, Paris. =水島和則(2007)『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待 ブルデュー,社会学を語る』藤原書店 楠木建『戦略読書日記』(2013)

報告番号328

精神科<造形教室>で表現すること——自己の変化と他者との相互行為を中心に
京都芸術大学 藤澤 三佳

1 報告の目的 本報告では、2019年から2023年の調査によって、生きづらさを抱えており精神科に通院しながら描いている人々が、どのように表現行為や他者との交流を通じて再び生きる希望を取り戻しているかを考察する。報告するのは東京都八王子高尾にあるH病院<造形教室>(注1)における表現者たち、特に虐待の被害者三名を中心にとりあげる。この<造形教室>において、生きるためのぎりぎりのところで行われる表現の意味と自己の変化、それが他者との交流のなかでなされていることを明らかにすることが目的である。 2 方法 報告者は、2002年以来、H病院<造形教室>(安彦講平氏主催)で描かれた作品の展覧会を開催するなどの関係をもちながら調査研究を行ってきた。(藤澤、2014) 本報告では、2023年までの上記の期間の筆者によるインタビュー調査を中心に報告するが、その他、当事者により書かれた文章を資料とする。 理論的には、J.デューイの著作『経験としての芸術』(1934)には、表現行為や、表現する人と観る人との関係等に関して芸術学的視点ではなく、社会心理学の視点から示唆が含まれており、近しい関係にあったG.H.ミードは、直接芸術について言及している箇所は少ないが、共通した思想のもと、『精神・自我・社会』(1934)のなかで、「I」という、社会的状況を越えていくアクションの創発性を論じているので援用したい。 3 結論・考察 (一) <描き表現すること> 「I」の自由な表現をおこなうことの意味。「I」は言語化や反省以前であるため、表現するなかで体験や記憶も現れやすい。メンバーが繰り返し「絵を描いているうちは生きていることができる」と述べるように、社会の中で「がんじがらめになり」過酷な状況における「表現すること」の重要性。 (二) <新しい表現を可能にするもの> この教室では、表現に対して自由な雰囲気のもとであえて口出しがされていない。このことにより、表現者の変化がおこり(表現者当事者も驚く:「I」の出現)新しい表現が生じ創造的になる。 (三) <自己の変化、新たな表現へ> 描くことは自己を見つめることになるので苦しい行為でもあるが、描かれた表現を言葉でとらえかえして意味づけをおこない、自らの体験について考え、その意味を再構成している。そしてさらに、これらの表現の変化とともに、「自分でも知らなかった新たな自己」を発見する契機となる。 (四) <他者との関係、交流> 表現者のなかには、社会からの包摂がなされていない人もいる。そのなかで、単に描くだけではなく、メンバーとの交流、「合評会」や展示の際のコミュニケーションは、精神的安心感を与える。それが表現を可能とし、また、表現したものへの他者からの共感によって、生きづらさが軽減している。人間が他者との相互作用におけるかかわりをもつ時間の流れのなかで自己表現をおこなうプロセスと、他者がそれに共感する過程の重要性が明らかになった。 (注1)安彦講平氏は、1968年から複数の精神科病院で造形活動を主催してきたが、平川病院造形教室(以下、<造形教室>と略記)では、1995年以来活動が行われている。 参考文献 藤澤三佳『生きづらさと自己表現~アートによってよみがえる「生」』晃洋書房2014. *本報告は令和4~7年度の科学研究費基金助成(22K01867:研究代表者 藤澤三佳)を受けています。

報告番号329

ニーズを主体的に無効化する——「論争中の病」の当事者の経済状況とケアの状況の分析から
静岡文化芸術大学 野島 那津子

【1. 目的】本報告では、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)や線維筋痛症(FM)に代表される「論争中の病」の当事者の生活・就労に関する調査結果の分析から、当事者のニーズを検討する。これまでの「論争中の病」に関する研究では、病いの経験や診断・病むことの意味に比して、経済的な問題やケアの有無・方法・実態については、十分な関心が払われてこなかった。本報告では,「論争中の病」の当事者の経済状況やケアの状況(誰が、どこで、どのようなケアを提供しているのか等)に着目し、具体的なニーズを考察する。【2. 方法】本報告で用いるのは、報告者が2023年10月から2024年2月の間に行ったインタビュー調査のデータである。調査では、おもにME/CFSの患者会から紹介を受けた8名に対して、発症から調査日までの病いの経験、経済的な状況、住環境、ケアの状況等について半構造化形式で幅広く聞き取りを行った。【3. 結果】単身の当事者は、家族と同居している当事者よりも経済的に厳しい状況に置かれていることがわかった。障害年金や生活保護を受給でき(てい)るにしても、支給額の低さから生活の余裕はまったくない。他方、比較的世帯年収の高い当事者の場合、少なくとも調査当時においては、生計に関する不安はみられなかった。こうした当事者間の違いは、制度につながっているか否かではなく、世帯年収という経済的基盤によるところが大きいが、性別役割分業も関係している。比較的世帯年収の高い当事者2名は、定位家族における性別役割分業のもと、母親から身体的・精神的ケアを受け、父親は経済的に家族を支えていた。また、3名の当事者は、生殖家族における性別役割分業によって、経済的なリスクに対応していた。【4. 結論】生殖家族における性別役割分業は、ME/CFS当事者を経済的に保護しうるが、身体的な限界を超える家事労働を求められることもあり、増悪を招く可能性がある。また、比較的経済状況が良く、家族内でケアを行っている場合、当面の生活に大きな支障はないものの、親なき後の生活や就労支援の模索などニーズはつきない。しかし、現状では制度につながることができないため、ケアラーである家族が長生きすることや、与えられた環境でなんとかやっていくしかないというように、主体的な「解決」や納得が図られていた。こうした当事者のニーズが(家族を含めた)当事者自身によって主体的に無効化される事態は、ケアを社会化することが難しいME/CFSの特性と、家族のケアを前提とする障害者福祉制度が絡み合っていることが示唆される。

報告番号330

双極症縁者の経験した困難——2名の縁者の語りから
新潟医療福祉大学 松元 圭

【1.目的】 本報告の目的は、双極症患者との婚姻関係が破綻した縁者の困難に着目し、縁者はいかなる困難を経験したのか、そして、どのような要素が関係の破綻に影響したのかを明らかにすることである。 【2.方法】 本報告では、双極症患者と以前婚姻関係にあり、その後婚姻関係が破綻した30代の男性2名に対して行った半構造化面接によって得られたデータを分析対象とする。インタビューでは、結婚および離婚までの経緯をたずねた後、主に①結婚前と結婚後の変化、②婚姻中に生じた困難、③困難への向き合い方、④相談相手や援助者の有無、の4点についてたずねた。 【3.結果】 結婚前と結婚後では症状の出方あるいは、症状が出た際の縁者の受け取り方に大きな変化が生じていたことが語られ、縁者は双極症に起因する困難に対する見立てが十分でなかった可能性があることが示された。結婚後、縁者は専門書や医師が運営するHPなどから双極症に関する情報を積極的に収集し、疾患理解に務めていたが、患者は「疾患」に対する理解ではなく自身の「病い」に対する理解を求めており、縁者との間で認識の齟齬と衝突が生じていたことも両名から語られた。この他、2名の縁者は自身の困難について相談する他者や援助を求める他者は不在であった。調査協力者の両名とも患者の通院に付き添っていたが医師からの助言等はなく、他者との関係が問題視される障害であるにもかかわらず、家族療法やカップルセラピーの提案もなかったため、縁者は患者との間に生じる困難を一人で抱えていたことが語られた。これに加え、1名の語りでは、患者が躁状態であるにもかかわらず、離婚に対し積極的な介入を行った医師に対して強い不信感を抱いたことが示された。 【4.結論】 既存の縁者研究の多くは、治療者と繋がっている縁者が調査対象となっており、縁者の存在は患者の疾患あるいは病いを受容し、支援する存在として描かれていた。しかし、本調査からは患者の主治医をはじめとする治療者と容易につながることができない縁者の姿や、一人で困難を抱える縁者の姿が浮かび上がった。彼らは決して患者の支援に対し消極的な姿勢をとっていたわけではなく、むしろ積極的な態度を示していた。しかしながら、彼らは患者とともに障害に向き合う者とはみなされず援助の対象にもならなかった。本調査からは、縁者の孤立と治療からの締め出しの延長線上に関係の破綻が生じる可能性が示唆された。

報告番号331

在日外国人高齢者の介護問題について
東京都立大学 包 暁蘭

1目的 本報告の目的は,在日外国人高齢者の介護問題を取り上げ、介護サービスを受けている在日外国人高齢者の実態と問題を明らかにする.日本の留学生の受け入れ政策や人材確保政策によって外国人人口数は1984年の外国人登録者数より2022年時点で4倍近くに増えている.そのため、日本での永住や定住化によって,外国人の高齢化も進み人生の最期を日本で迎える人が増えている.その割合は、65歳以上の在日外国人高齢者人口は19万以上となり、全体の6.6%を占めている.今後その割合がさらに増えることが予想される中、在住外国人高齢者の介護問題が顕著になっている. 2方法 本報告では,2022 年 4 月から 2024 年 6月の間に実際に介護サービスを受けている在日外国人の方の家族と介護サービスを提供している施設側の方、双方へ半構造的調査法による調査データを用いた分析を行う.調査項目は,在日外国人高齢者が介護サービス受けるようになった経緯,そして介護施設入所状況について調査を行った.さらに,施設側に方へ外国人高齢者に対するサービス提供取り巻く諸状況について質問を設定した調査時間は,対象者 1 人に対し2~5 時間であり,介護サービスを利用する家族3名と施設職員2名、計5名である.調査は筆者が対象者の都合に合わせ,職場や自宅で行った. 3考察 対象者の語りより、介護サービスを受ける上でまず言語の壁があげられる.日本で長年在住しているが、日本語が通じない、あるいは認知症の進行により、それまでできていたはずの日本語を忘れてしまい本人の母語に戻ってしまった方もいた.そのため、介護サービスを受ける側も介護サービスを提供する側も意思疎通がうまく出来ず齟齬が生じている.対処方法として、翻訳機や、簡単な日常用語カードを作成している事もあるが、十分ではない.特に高齢者の体調管理、体調の変化についてのコミュニケーションが難しく苦労していた. 4結論 在日外国人高齢者に対する介護実態や介護問題点である.まず、在日外国人の高齢者となると、本来の高齢者の認知症等によるコミュニケーション問題に加えて日本語がわからないため自分の容態を伝えることが難しい.高齢者特有の介護問題と、在日外国人の言語問題が混じり合った問題が生じている.次に、介護サービスを提供側として、適切なサービスを提供出来ず、その家族との間でトラブルも少なくない.このように、介護サービスを利用する上で最善な形でサービスを行なっていくためには、言語の壁を取り除いていく必要がある。解決法として介護通訳や同じく外国人介護人材配置制度を推し進めていくべきである. 文献 愛知県多文化共生推進室,2021,「外国人高齢者に関する実態調査報告書~ともに老い,ともに幸せな老後を暮らすために」 (企画・編集:外国人高齢者と介護の橋渡しプロジェクト) 李錦純・北野尚美・俵志江・菅野裕桂子・エレーラ・ルルデス・李節子著,2018,「介護支援専門員が捉える大阪市における在日外国人の高齢者の介護保険サービス利用状況に関する調査研究」33(1)

報告番号332

単身高齢者世帯の健康状態把握に関する探索的研究——ロボットを介した会話が生活に与える影響
大阪公立大学 野村 恭代

【1.背景】   ここ数年の間、新型コロナウイルスの影響により、特に感染リスクの高い高齢者は外出する機会が激減した。このような状況下において、行政や支援者も高齢者の健康状態や生活状況を把握することは困難であった。先行研究では、他人との接触が少ない人は、接触が多い人に比べて認知症の発症率は8倍であることが示されており、特に、日常生活のなかで家族、親族などの「人」との関わりを直接的にもつことのできない単身高齢者世帯では、このような状況下での認知機能、精神状態、健康面等への影響は深刻であることが予想される。また、以前に実施した生活課題に係る実態調査では、単身高齢者世帯で「将来への不安」が高いことが明らかになっており、コロナ禍を経た現在において、その不安は増幅していることが予測される。 【2.目的】  本研究では、A市との健康まちづくりに関する包括連携協定に基づき、今後も発生するであろう新たな脅威との共存に向けた高齢者の生活状況把握及び生活への支援に向けて、特に人との接点のもちづらい状況にある単身高齢者世帯に焦点をあて、生活状況の把握及び認知機能等の低下を予防するための新たな手法の開発を目指す。具体的には、ロボットに日常生活での活動量を把握するための機能を付加し、コロナ禍において人との直接的接触を避けながら、ロボットという媒体を介して高齢者の健康状態及び生活状況を把握する。 【3.方法】  本研究では、ロボットを媒体として用いる。実施期間は2021年3月~2022年5月、大阪府A市における単身高齢者を対象としてロボット(BOCCO,ユカイ工学(株))を介した会話を1日2回,週3回実施し、2ヶ月間介入した。 【4.倫理的配慮】  本研究調査の結果については、個人名や施設・機関名、特定の地域情報が明らかにならないように配慮し、プライバシー保護のため匿名で調査を実施する。回収データについては、統計的に処理を行い、本研究の目的にのみ使用する。また、研究実施にあたっては、研究内容及び個人情報等の取り扱いに関する説明文書を同封し、同意の得られた調査対象者にのみ回答を依頼した。なお、本調査は、大阪公立大学大学院生活科学研究科内に設置する研究倫理委員会の承認を得て実施した。 【5.結果】  男性(n=10)の年齢は、平均(SD)73.1(8.6)歳、事前調査での時計描画テストの得点は8.1(1.2)、事前調査でのバウムテストの空間使用数は34.5(18.0)であった。女性(n=29)はそれぞれ82.7(6.9)歳、8.8(1.7)、44.3(31.4)であった。男女間で事前-事後-追跡の時間経過の変化に有意差を認め、男性に関しては、空間使用数が事前から事後にかけて増加し(p=0.121, d=0.47)、事後から追跡にかけて有意に低下した(p=0.018, d=0.55)。

報告番号333

「準公式の普通教育」再考
富山大学 高山 龍太郎

教育機会確保法(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律)が2016年12月に成立して、早7年が経とうとしている。この法律は、不登校児童生徒に対して、特例的に「普通教育に相当する教育」(学びの多様化学校[10条]、教育支援センター[11条]、民間施設等[13条])の履修を認める。報告者は、かつて、教育機会確保法が法的根拠を与えたこの「普通教育に相当する教育」を「準公式の普通教育」と概念化し、公式・超公式・非公式の普通教育との相互関係を生態系として捉えることを提案した(日本教育社会学会第73回大会、2021年)。本報告では、その後、準公式の普通教育の領域で起きた出来事を踏まえて、この領域における諸課題を探っていく。  まず、準公式の普通教育の対象となりうる不登校児童生徒の数が急増している。教育機会確保法が施行された2017年度に14万4031人だった不登校児童生徒は、2022年度には29万9048人へ倍増した。そして、準公式の普通教育の充実を目指す公費助成を伴う行政の施策が進みつつある。例えば、国は、全都道府県・政令市に少なくとも1校、学びの多様化学校を設置するという閣議決定を2023年6月に行った。また、地方公共団体が、フリースクール等の民間施設を公認して運営団体へ公費助成を行ったり、民間施設に子どもが通う家庭へ費用の一部を公費助成したりする試みが拡がりつつある(吉田みずえ・古山明男「多様な学びへの経済的支援について──自治体と民間教育施設の連携による実施事例から[第4版]」)。こうした状況は、準公式の普通教育の拡大と制度化が同時進行していると解せる。  本報告で検討する準公式の普通教育の諸課題とは、このような制度化にまつわるものである。特に、学校教育を大幅に規制緩和した準公式の普通教育である民間施設(13条)に多くの課題が見られる。  課題の一つは、教育の機会均等が十分に保障されていない点である。民間施設への公費助成が進みつつあるが、保護者負担の無償化を図るには金額が不十分であり、民間施設を利用できるのは経済的余力のある家庭に限られる。しかしながら、誰でも民間施設へ通えるように公費助成を高額にすると、利益最優先の悪徳業者が準公式の普通教育へ参入しかねない。規制のほとんどない民間施設には、それを防ぐ手立てがない。ここに、個人への機会保障が制度全体を崩壊させかねないというジレンマが生じている。  課題の二つは、普通教育の目的達成の不確実さである。普通教育は、子ども個人の能力を伸ばすだけでなく、社会の担い手を育成することも目的とする(教育基本法第5条)。こうした公共性ゆえに普通教育は無償化・義務化されている。学校教育では、普通教育の目的達成のために、学習指導要領等によって教育すべき内容が決まっている。教育機会確保法の「基本指針」では、再登校を目指す必要はなくなった代わりに、「社会的自立」が準公式の普通教育の目標に据えられた。しかし、その社会的自立の解釈と実現方法は、それぞれの運営者に任されている。こうした現場の自由裁量は、不登校児童生徒の個別ニーズに応えるのに必要だが、普通教育の公共性をないがしろにしかねない。ここには、普通教育の内容をめぐる自由と強制のジレンマがある。  準公式の普通教育を検討することは、個人の自由と社会の存続のための規制の関係について考えることである。

報告番号334

どのような高校生が大学院進学を考えているのか ——大学院進学希望と銘柄大学進学希望に注目して
同志社大学大学院 原 媛

1 目的 本研究の目的は、どのような高校生が大学院進学を希望しているのか、銘柄大学進学希望を持つ生徒と比較しながら検討することである。日本でも中国でも、近年、高等教育の進学率の上昇に伴い、社会では大卒の学歴を持つ者は一般的で、それ自体の労働市場での効果も弱くなっている。そのような状況に対して、中国では、多くの大卒者がさらに大学院に進学し、より高い学歴を得て労働市場での生き残りを図っている。それに対し、日本においては、高学歴を求める行動はほとんど大学レベルで止まり、多くの者がより高い学歴を得るために大学の内部−−学校歴−−に目を向ける。すなわち、銘柄大学進学を目指しているのである。しかし、1990年代以降、政府から大学院の量的整備・拡充に関する一連の答申が出され、さまざまな改革のもと、日本の大学院の規模は急速に拡大していた。その中で、最近の高校生にも大学院進学を視野に入れる者がいるのではないだろうか。そこで、本研究では、高校生の進学希望に注目し、大学院まで進学したいという縦の進学希望と銘柄大学に進学したいという横の進学希望の違いを考察する。 2 方法 本研究では「高校生進路と生活に関する調査」のデータを用いる。本調査は、2022年に兵庫県にある17の高校に在籍する3年生3127人を対象に質問紙調査を実施した。 3 結果と結論 生徒の進学希望を「銘柄(大学)・大学院」「その他(大学)・大学院」「銘柄大学」「その他大学」と「専門・短大」の5カテゴリーに分けて分析したところ、以下の結果が明らかになった。まず、親学歴、家のある本の冊数、中学校時の成績、現在の成績と学習時間について、いずれにおいても、「銘柄・大学院」への進学を希望する生徒は最も高く、次に「銘柄大学」へ、次に「その他・大学院」への進学希望が続く。「下宿して私立大学に進学する場合、家計に与える影響」については「その他・大学院」に進学したい生徒のうち18.9%が「ほとんど影響ない」と回答して割合が最も高い。また、普通科Aに通っているほど「銘柄・大学院」と「銘柄大学」への進学をより希望しやすいが、「その他・大学院」に進学したい生徒は普通科Aには少なく、普通科Bと普通科Cに集中している。つまり、「その他・大学院」への進学を希望する生徒は、経済的余裕があるが、在籍する学校や学業成績は低いのである。また、生徒の進学動機を見ると、大学院へ進学したい生徒が「高度な学問・知識・資格を身につけたい」や「希望する職業に必要だ」という勉学・職業への志向が強いのに対し、「銘柄大学」希望の生徒は「学生生活を楽しみたい」などの志向がより強い。以上の分析から、大学院への進学希望を持つことは職業とリンクしていることがわかる。特に「その他・大学院」の方は、「銘柄・大学院」への進学を希望する生徒よりも職業志向が強い。だが、彼ら/彼女らの在籍する学校のランクや学業成績は低いため、より良い職業につくために、横の高学歴の代わりに縦の高学歴を目指している可能性がある。それについては、職業観と職業希望を加えて当日報告する。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)特別研究員奨励費(JP24KJ2142)、基盤研究(B)( JP 20H01649)の助成を受けたものである。

報告番号335

中国内陸部都市・鎮区・農村における親の教育戦略の差異に関する研究——河南省を例に
金沢大学 任 夢園

本研究は中国河南省の都市/鎮区/農村で生活し,かつ小学校・中学校・高校・専門学校・大学に通っている児童を持つ世帯(各グループ10世帯)を探し,子どもの母親/父親/両親に半構造化インタビューし,農村,鎮区,都市における親の教育戦略の差異とその差異の生じた原因を明らかにすることを目的とする。これを通じて中国農村・鎮区・都市における教育不平等の生じるプロセスや原因をさらに解明したい。   調査対象者について,2023年2月ー4月に筆者は中国に戻り、都市在住の2世帯、鎮区在住の11世帯、農村在住の11世帯の母親/父親/両親を対象に半構造化インタビューを行った。都市在住の調査協力者の数は足りていないため、2024年8月―9月にオンラインで追加の5名の調査協力者に対して半構造化インタビューを行う。インタビュー内容は対象者の了解を得て録音する。録音データを文字化してNVIVOという分析ソフトを用いて分析する。  中国では農村,鎮区,都市の間に教育環境の格差がある。改革開放以降,農村,鎮区,都市の所得格差が急速に拡大している。これとともに,教育の市場化によりペアレントクラシーが急速に進み,子どもの教育において,親はますます自由に選択できようになっている。その結果として,農村,鎮区,都市の子どもの学力と教育達成に格差が生じ,農村児童は常に不利な立場にある。  農村,鎮区,都市の子どもの学力格差と教育達成格差の生成要因について,先行研究は主に家庭の社会経済背景と教育環境の視点から分析されたが,家庭の社会経済背景は直接に子どもの人生達成に影響を与えるのではなく,「媒介」(親の教育戦略)を通じて子どもの将来達成に影響を及ぼしていると考えられる。そのため、その「媒介」を明らかにすることが重要である。その「媒介」の中身を明らかにすることで農村,鎮区,都市の教育格差の形成過程をより理解することができるため,農村,鎮区,都市の親の教育戦略の実態と差異を分析する必要がある。  今までの先行研究を見ると,中国の親の教育戦略に関する研究はいくつかあるが,現段階では殆どの研究は都市に焦点をあてて親の教育戦略を分析している,鎮区,農村の親の教育戦略を分析する研究はほぼない。そのため,本研究は農村,鎮区,都市における親の教育戦略の差異とその差異の生じた原因を明らかにすることで中国農村・鎮区・都市における教育不平等の生じるプロセスや原因をさらに解明するところに研究の意義がある。

報告番号336

Jumping into the rabbit-hole: the secret of Chinese international students completing a degree overseas and outcome stratification
立命館大学 JIAO RAN

This study aims to understand the outcome stratification of Chinese students’ career paths after obtaining overseas degrees. By utilizing the theories of suspension reproduction and elite theory, it listens to how students make their choices and why they make such choices. The study views overseas university campuses as rabbit holes and international students as Alice, considering their overseas experiences as an adventure. The concept of “cultural toolkit” is used, referring to the habitus formed in specific fields carried by Chinese students, including their national culture, family background, and other series, as they jump into the rabbit hole of overseas universities. During this process, they continuously alter their habitus and find their career paths after obtaining overseas degrees. The central task of this study is to understand the intentions behind their career choices and how they make such choices through a follow-up case study of 25 graduates from a research-oriented university in Japan using the hermeneutic method. Additionally, it explains the differentiation mechanism caused by family background or social origin from the perspective of cultural sociology. This study hypothesizes that Chinese students’ move to study abroad is a mode of elite reproduction. It also hypothesizes, based on the rational choice theory, that students have clear plans and careful choices for their career after graduation, and that the family background of Chinese international students indeed influences their career choices. Ultimately, it answers two research questions: whether the differentiation of Chinese students studying abroad belongs to elite reproduction, and how the differentiation of Chinese international students’ outcome stratification is formed. This study focus on studying in Japan is for two reasons. First, the family background of Chinese students studying in Japan are generally similar. Most of these students belong to the middle class. They hope to achieve class mobility through education and shape themselves into the elite class. Therefore, for these students, studying abroad is an investment in terms of human capital. Since it is an investment, can this investment enable them to achieve class mobility? Second, elite research universities in Japan must adhere to their traditions and school values. In other words, the field culture in Japanese universities is completely different from the field culture of international students. Therefore, Chinese international students need to face not only the pressure of class mobility from themselves and their families but also the pressure of how to use the foreign field and habitus. The study’s results show that Chinese international students can be divided into three types based on family background: goal controllers, drifters, and evaders. Goal controllers typically come from superior family backgrounds, where parents guide the path for their children, and students change their habitus under the influence of the local field during their overseas life to achieve their goals. Drifters are those who cannot adapt to overseas university life, and cannot achieve class mobility. Evaders are unwilling to break through cultural barriers and cannot achieve cultural reproduction through education.

報告番号337

Prevalence and Association of Digital Eye Strain with Risk of Social, Emotional and Academic Behavioural issues among School-going Children in Northern India——Digital Eye Strain In Children
Mehr Chand Mahajan DAV College Chandigarh India RANA MINAKSHI

[1.AIM] The mental health impacts of excessive digital use include attention-deficit symptoms and impaired emotional and social intelligence. Due to the recent unprecedented increase in digital learning instructions at the school level, the children might have been exposed to the risk of social, emotional, and academic behavioral issues. The present study examined the association of any risk of social, emotional, and academic behavioral problems among school children with prolonged screen exposure. [2.Methods and Material] A structured and validated questionnaire was transcribed into an online form and conducted on 895 school-going children up to grade 9. The parents filled in the information on their behalf. For Computer Vision Syndrome, a questionnaire based on the frequency and intensity of symptoms was used. The Social, Academic and Emotional Behaviour Risk Screener was used to examine the behavioural issues among children with screen exposure beyond the recommended time duration. Computer Vision Syndrome, social, academic, and emotional at-risk scores were regressed and compared using cumulative percentages. [3.Results] In the present study, 36.3% of children suffered from Computer Vision Syndrome (CVS). The proportion of girls (40.81%) was relatively higher than that of boys (31.79%) in the case of children affected with Computer Vision Syndrome. The majority of the children suffering from CVS were reportedly living in nuclear families. Moreover, both parents were employed in the case of 44.9% of the school-going children in a whole. Importantly, within those suffering from CVS, 53.5% spent 4-6 hours daily on screen and 38.4% spent even more than 6 hours daily on screen. Furthermore, among those affected with CVS; 59.1% and 67.6% had disturbed meals and sleeping patterns respectively. In all 377 (42.2%) were found to be at risk of social behavioral issues and 61.5% of children within them had disturbed meal and sleeping patterns. A total of 636 (71.06%) were found to be at risk of emotional behavioral issues, where the percentage of girls (52.5%) was relatively higher than that of boys (47.5%). However, only 244 (27%) were at risk of academic behavioural issues but in that case percentage was boys (59.4%) was much higher than that of girls (40.6%). The association of Computer Vision Syndrome was found to be significant with the risks of social, academic, and emotional behavior among the children in the binomial logistic models of regression individually. [4.Conclusion] In the digital era, the educational system should restrict screen exposure among children to strengthen children’s resilience, lower their stress levels, and enhance their well-being. Further, awareness for improving holistic well-being in the digital era should be promoted through various platforms.

報告番号338

大学中退者を対象としたライフストーリー研究——当事者の意味づけから「中退」を考える
東京大学大学院 近森 由佳

大学生の中退について,それらの動向を明らかにすることは,学生支援上重要であるとされ,継続的に関連する調査及び研究が実施されてきた.しかしながら,以下のような課題が指摘しうる. 課題1:中退を経験した本人を対象とした質的研究の蓄積はほとんどない.  中退者という研究対象へのアクセス自体が容易でないため(立石・小方 2016),それらの発生状況を大学単位で検証する研究が取り組まれた.これらの研究により大学組織レベルでの対応は可能になる(立石・小方 2016)が,学生本人が中退に至る過程には様々で複合的なセクターや要因が絡むため,大学以外の要素も重要であるにもかかわらず,それらは捨象されてきた.  近年,個人単位での研究も取り組まれている.大学入学以前や大学在学時にある中退の規定要因分析のみならず,中退後のキャリアも視野に入れた研究が行われるなど,分析の観点は多岐にわたっているが,その大半が計量研究である.また,文部科学省は全国の高等教育機関を対象に「学生の修学状況(中退者・休学者)等に関する調査」を継続的に実施しており,該当者の状況について把握が進められている.ただし,学生支援をする必要がある根拠として言及される「経済的困窮」や「学生生活不適応」を超えて「その他」が最も多い理由となる(文部科学省 2022).中退に至るまでにはさまざまな過程を辿ることが推測されるため,統計調査には限界があることが否めない. 課題2:中退を問題の対象とみなす議論に終始している.  中退は否定的側面のみではない(松髙 2016).そして,中退者が増加していることは直ちに社会課題となるわけではない(辰巳 2015).初職の就業形態や賃金など,その後の個人のキャリアに長期に渡って負の影響を及ぼし,社会的損失が大きいことが明らかにされた場合に問題とされる(辰巳 2015).そのような前提があるとしても,実際に行われている研究は,中退によるリスクとは何か,中退をいかに予防するのかという議論に終始する傾向にある.そのため,主に量的調査に基づいた中退の経験自体をも問題とみなしてしまう議論を通じた中退=課題という一面的な視座により,中退が彼らの人生に豊かな意味をもたらしうる点を見落としてきたと考えられる. 本研究は,上記の課題を踏まえ,経験者のインタビューを通じて当事者にとっての大学中退の意味づけを明らかにすることを目的とする.研究方法は,中退者を対象としたライフストーリー調査となる.中退経験を踏まえた人生に対する彼ら自身の意味づけを明らかにするとともに,個人の語りから浮き彫りになる日本の社会構造や社会の眼差しを照射することを目指す.対象者は,申請者の知人及びスノーボールサンプリング形式で知り合った人々とする. <参考文献> 立石慎治・小方直幸,2016,「大学生の退学と留年――その発生メカニズムと抑制可能性」『高等教育研究』19: 123-43./文部科学省,2022,『学生の修学状況(中退者・休学者)等に関する調査【令和3年度末時点】』/松髙由佳,2016,「大学生の不登校に関する要因の検討」『広島文教女子大学心理臨床研究』7: 1-8./辰巳哲子,2015,「大学中退後のキャリアに影響する大学入学以前の経験」リクルートワークス研究所『研究紀要 Works Review』10(1): 1-10.

報告番号339

日米比較意識調査の分析(1)——調査の概要と語の好ましさの比較
金沢大学 轟 亮

1.目的  共同研究「日米若年世代の価値意識の変動を解明する計量社会学研究」を実施している(最終の第4年度)。今回の一連の連携報告では、2023年2月に米国の、2024年1月に日本の若年層(全国、18~39歳)を対象にしたインターネット調査(非確率オンラインパネルによる)の結果を報告する。第2報告では、2022年実施の成人の日米比較調査(18~39歳)のデータを用いている(2022年大会で調査概要を報告)。この第1報告では、上記の若年層調査を用い、社会的な物事の印象(好ましさ)に関する試行的な質問項目を日米で比較する。 2.方法  2023年と2024年に実施した若年層調査(Social Survey on the Beliefs, Behaviors, and Personal Traits of Young Adults、若年世代の価値観と生活に関する調査)は、調査前年末で満18~39歳個人を対象に実施した。共通内容の日本語と英語の調査票を使用した(部分的に異なる項目も設定した)。回収目標数2,800として、American Community Surveyあるいは住民基本台帳の人口をもとに、地域・性別・年齢階級による標本割付を行い、その数を回収目標にして登録モニターから回答を得た。定型的な有効ケースの判断を行い、有効回収数は米国3,147、日本2,906であった。  本報告で分析する項目は「語の印象・イメージ」である。質問文は、「以下の言葉のそれぞれについて、あなたはよい印象をもちますか、それとも悪い印象をもちますか。 Do you have a good or bad impression of each of the following words?」で、14項目の語句(事項)について、7段階での評価をもとめた(1:たいへんよい Very Good、7:たいへん悪い Very Bad の両極のみ選択肢ラベルを付した。またDK選択肢「わからない Don’t know」を設定し、無回答を許容した)。14項目(日本語のみ)は、宇宙開発、福祉、競争、プロ・スポーツ選手、公務員、ジャーナリスト、起業家、民主主義、社会主義、資本主義、国際連合、グローバル企業、労働組合、コミュニティである。 3.結果  DK回答率について留意する必要があるが、有効回答者のみで行った日米比較では、項目によって違いがみられた。平均差の指標としてEtaをみると、宇宙開発には日米の間に有意差はみられなかったが、その他の項目では有意な差が確認された。Etaが.150以上の項目のみを示すと、大きい順に、コミュニティ(.218)、競争(.200)、ジャーナリスト(.171)、起業家(.168)、国際連合(.156)、社会主義(.155)であり、いずれも米国が日本よりもよい印象をもっているという結果であった。この差は、性、年齢、学歴(四大/非四大)、所得の属性を統制してもほぼ同じ大きさでみられた。 4.議論・結論  日米の回答の差異は、文化の違いと語られることから予想できるものもあるが(コミュニティ、競争、起業家)、意外な項目もある(社会主義)。DK回答率も含めて慎重に検討する必要がある。ジャーナリストについては、メディア接触を統制すると印象の差異が少し縮小する。データの許す範囲で、行動傾向等の差異によって印象の差異が生じている可能性を指摘したい。

報告番号340

日米比較意識調査の分析(2)——運と努力と再分配
東京都立大学 伊藤 大将

1 目的  経済的な格差を是正する方法の1つとして、富裕層に課税をし福祉を手厚くする再分配という方法があるが、反対意見が根強くある。経済的な視点から考えると、裕福な人や将来裕福になれると考える人は、自分の損になるため再分配には反対すると予想できる(Bénabou and Ok, 2001)。価値観の視点から考えると、貧しい人が貧しくなった原因は何なのかが、再分配を支持するかしないかに影響を与えると考えられる。例えば、運や生まれ持った環境が収入に大きな影響を与えていると考える人は再配分を支持し、本人の努力による影響が大きいと考える人は、指示しない(Alesina and Giuliano, 2010)。  再分配を支持する人の割合は、欧米圏の国々よりもアジア圏の国々で低く、それにはアジア圏に広く伝わる伝統的な価値観が影響しているという説がある(Chang, 2018)。アジアの人々は、努力をすれば成功できると考えがちで、政府に頼ることを好まない。アジア圏の13か国のデータを比較したChang(2018)の分析結果によると、成功には努力が大切だと考える人や政府に頼るべきではないと考える人は、再配分に反対する傾向が強かった。  これらの視点を踏まえ、本研究ではアジア圏の国々に広く浸透する価値観が再分配の支持に影響を与えるのかどうかを、日本と米国を比較することにより検証する。 2 方法  2021年1月の同時期に日本と米国に居住する18歳から69歳の個人を対象とし、「Withコロナ時代の生活と価値観に関する調査」と題して、非確率オンラインパネルを用いたインターネット調査を実施した。地域、年代、性別で割付を行い、日本で3,236人、米国で3,439人から有効回答を得た。  本分析の従属変数は再分配(政府は豊かな人からの税金を増やしてでも、恵まれない人への福祉を充実させるべきだ)で、独立変数は、運や努力が成功に必要か、メリトクラシー、社会移動のしやすさ、階層帰属意識、世帯収入である。 3 結果  再分配の分布を比較すると、日本のほうが米国よりも再分配に否定的であった。米国と比較すると、日本のほうが裕福な家庭に生まれることが成功するためには必要だと答える傾向があるが、学歴や努力は必要ではないと答える傾向にあった。独立変数間の相関を見ると、米国では成功するために運が必要だと考える人は、努力はあまり必要だと考えていないが、日本では成功には運も努力も両方が必要だと考える傾向にあった。経済的な視点を踏まえた分析では、両国において、階層帰属意識や世帯収入が高い人ほど再分配に否定的な態度を示す傾向にあった。価値観の視点を考慮した分析では、両国において、成功には運の影響が大きいと考える人ほど再分配には賛成だった。しかし、努力に関しては、米国では努力が大切だと思う人ほど再分配に反対だが、日本では再分配に賛成だった。 4 結論  米国と比較し、日本の回答者のほうが努力を重要視するアジア的な価値観を有しているという傾向はみられなかった。本研究結果から示唆されるのは、運や生まれ持った環境、努力(英語ではhard work)の意味が日本と米国では異なるのではないか、ということだった。文化の違いに着目し、考察を行う。

報告番号341

日米比較意識調査の分析(3) ——若年層の階層意識に貸与奨学金の借入残高が与える影響の日米比較
金沢大学 小林 大祐

1.目的  本報告は,日米比較によって若年層の階層意識の規定要因について検討することを目的とする。階層意識の規定要因については,これまでも社会経済的地位変数との関連を中心に多くの研究蓄積がなされてきたが,債務に焦点をあてたものはほとんど無い。しかし,近年若年期にその稼得と比べても多額の債務を抱えるケースは珍しくない。それは,貸与奨学金(学生ローン)による債務である。奨学金制度は,大きく給付型と貸与型に分かれるが,日本では近年貸与型の比率が上回っている。貸与奨学金の拡充は1990年代後半からの4年制大学進学率の上昇に貢献したと評価されるが,その一方で,返済困難層の増大という問題をもたらした。長きにわたる景気低迷のなかで表面化したこの問題は,特にコロナ禍後の経済情勢において深刻化しているといえるであろう。そして,奨学金制度が質量ともに充実している米国においてこの問題はより深刻で,大きな政治的イシューにまでなっているのである。このような貸与奨学金(学生ローン)による債務は,両国の若年層の階層意識にどのような影響を与えているのであろうか。本報告では,貸与奨学金(学生ローン)による債務の有無およびその多寡が,若年層の階層意識に与えている影響について,日米の若年層のデータの分析によって迫る。 2.方法  用いるデータは「若年世代の価値観と生活に関する調査」の2023年米国調査(有効回答数:3,147人)および2024年日本調査(有効回答数:2,906人)である。これらはいずれも,18歳から39歳の調査会社が保有するオンラインパネルを対象者としたweb調査であり,どちらにも貸与奨学金(学生ローン)による借入金の有無,およびその金額についての質問が含まれている。分析では,まず日米での階層意識および貸与奨学金(学生ローン)による借入金残高の分布を比較し,続いて,階層意識の規定要因を重回帰分析などの多変量解析によって探っていく。従属変数は階層意識変数であり,本報告では主に階層帰属意識,生活満足感,主観的幸福感について検討する。独立変数としては,基本属性や社会経済的地位変数に加え,本人の貸与奨学金(学生ローン)の借入残高を,「残高なし」を基準カテゴリとしたダミー変数として投入し,それらの効果を日米間で比較検討する。 3.結果と結論  多変量解析の結果,日本の若年層においては,貸与奨学金(学生ローン)の借入残高が階層意識に与える効果が確認できなかったのに対し,米国の若年層においては,いずれの階層意識に対しても負の効果がみられ,その係数値は借入残高の大きさに概ね比例するものであった。このような日米の傾向の差の背景については,日本に比べて米国において,借入額の水準が多いということや,高等教育を受ける学生のタイプの構成や奨学金制度のあり方の日米での違いが影響している可能性がある。 謝辞 本研究はJSPS科研費23K20641, 22H00070, 23H00062の助成を受けたものです。

報告番号342

日米比較意識調査の分析(4)——若年世代調査におけるサーヴェイ実験比較
お茶の水女子大学 杉野 勇

1.目的  コロナ禍を経た近年,米国内では中国に関する否定的な世論が報道されている。Pew Research Centerの2023年7月27日の24カ国調査の報告書では中国に対してunfavorableな見方をする人の割合が83%,2024年3月18日に行われたGallupの世論調査では成人の41%が米国にとっての最大の敵国をロシアではなく中国と答えている。5月1日に報告されたReuters/Ipsos世論調査では58%の回答者が中国政府はアメリカ世論に影響を及ぼす為にTikTokを利用していると答えた。日本では内閣府が継続的に行っている「外交に関する世論調査」において,中国に対して「親しみを感じない」とする回答が2003年頃から一段と増加傾向にあり,2023年9月には86.7%に達している。このように日米両国において中国に対する悪感情は高まりつつあると想像されるが,若年層では相対的に悪感情が弱いと言われる事もあり,今後の両国の中心となっていく世代において中国への感情が実際にはどうなっているのかを明らかにする事を目的とした。 2.方法  米国では2023年2月,日本では2024年1月にいずれも非確率オンラインパネルを用いて,それぞれ直前の年末時点で満18~39歳の個人を対象としたウェブ調査を行った。有効回答は米国3,147人,日本2,906人であった。非確率オンラインパネルであることを考慮して本報告ではサーヴェイ実験の結果を中心に報告する。両国においての調査時期もほぼ1年ずれている為,単純な分布の比較は控え,それぞれにおけるクロスセクショナルな関連の比較に着目したい。  サーヴェイ実験は,外国からの移民に対する態度と中国からの移民に対する態度の二種類を無作為に割り当てる方法で,「隣に引っ越してきたら気になるか」「犯罪問題は悪化したか」「仕事が奪われたか」「すみにくい国になったか」の4項目について行った。 3.結果  まず単純な比較においては,米国では「移民」と「中国からの移民」のいずれに対する回答も驚くほど似通っており,中国移民に対して特に悪感情を抱いているとは見られなかった。日本では,「犯罪問題」質問を除いては中国移民に対する態度の方が若干悪く,こちらは予想に近かった。  米国調査ではエスニシティや人種についての質問が含まれており,いずれの国の調査でも学歴や年収,階層帰属意識,政党支持を含んでいるので,次にこれらの要因と回答の関連を調べた。  米国においてはエスニシティや人種によって外国移民に対する態度がかなり異なる筈では無いかと予想されたが,幾つか違いは見られたものの,予想したほど大きな傾向の違いは見られなかった。その一方で,学歴や政党支持とこれらの態度には或程度の関連が見られたが,日本では政党支持との関連は見られたが学歴による移民への態度の違いは余り見られなかった。 4.結論  移民に対する否定的な態度には人種やエスニシティとの分かり易い関連は必ずしも見られず,教育程度との関連に日米差が伺われた。政党支持に表される政治的態度との関連は比較的強かったが,日本においては,単純に野党支持者の方が移民に寛容であるとも言いきれない結果となった。

報告番号343

日米比較意識調査の分析(5)——日本と米国の若年世代における異種移植にたいする意識
群馬県立女子大学 歸山 亜紀

1.背景 近年、臓器移植の代替手段として遺伝子改変ブタの臓器を用いる異種移植への注目が集まっている。新しい医療技術は速やかに受容されることもあれば、簡単に受容されないこともある。医療技術の社会的受容には、歴史的背景、過去の経緯、医療制度、患者の存在などの多様な要因が関わり、一般の人たちの意識のあり方もひとつの要因となる。また、異種移植は人間と動物の分類を乱す行為であることから、一般の人びとがもつ価値観も社会的受容に強い影響を及ぼす。さらに、臓器移植の実施件数、臓器提供のプロセス、移植が必要な患者やレシピエントをとりまく環境なども、臓器移植と類似点をもつ異種移植に対する意識に影響を及ぼすことが予想される。 2.目的 日米で異種移植の治療の具体的な選択肢となる世代において、異種移植にたいする意識はどのようなものであるかを明らかにすることを目的とする。さらに、臓器移植に関する状況に差がある日本と米国において、異種移植にたいする意識が異なっているのかも検討する。 3.データと方法 本報告で用いるのは、2023年2月に米国、2024年1月に日本でおこなった18~39歳までの若年層を対象とした非確率オンラインパネルでのウェブ調査(「若年世代の価値観と生活に関する調査」)のデータである。有効回収数は日本2,906、米国3,147であった。 異種移植にたいする意識は、「重い病気で臓器移植が必要な場合、人間ではない動物(例えば、豚)の臓器を移植することは許されるべきだ。/When a person is seriously ill and needs to have an organ replaced, an organ transplantation from a non-human animal (for example, a pig) should be allowed.」という項目に対する回答を、5件法(1. たいへんそう思う、2. そう思う、3. どちらともいえない、4. そう思わない、5. まったくそう思わない/1. Strongly agree、2. Agree、3. Neither agree nor disagree、4. Disagree、5. Strongly disagree)で尋ねることで調べた。この項目を許容度が高いほど値が大きくなるように逆転リコードし、5と4を肯定的態度、3を中間的態度、2と1を否定的態度として集計した。 分析では、日本と米国における異種移植にたいする意識の分布を確認して、受容態度に基本的属性などの要因が及ぼす影響を日本と米国のそれぞれで検討することなどを行った。 4.結果 日本では肯定的態度33.4%、中間的態度42.9%、否定的態度23.8%(中央値3.00、平均値3.11)、米国では肯定的態度46.8%、中間的態度31.8%、否定的態度21.4%(中央値3.00、平均値3.38)であり、日本のほうが許容度がやや低いが統計的に有意ではなかった。性別との関連を分析したところ、日本でも米国でも男性のほうが許容度が高いことがわかった。学歴(非大卒/四大卒)との関連では、米国では四大卒のほうが許容度が高いが、日本では学歴との関連はみられなかった。当日は、ほかの属性変数や意識変数も含めた分析結果を報告する。 *本報告は、JSPS科研費JP 21H00768の助成を受けたものです。

報告番号344

保育の質評価とナラティブ
明星大学 石田 健太郎

本報告では、わが国における幼児教育・保育の質に関する評価研究の動向を検討するとともに、教育を含むこども家庭の領域における「評価」が、誰によって、どのように認識され、位置づけられてきたかについて論じる。OECD2015によれば、幼児教育・保育の質は、「子どもが心身ともに満たされ、より豊かに生きていくことを支える環境や経験」として定義されている。その一方で、幼児教育・保育の質は、社会・文化における保育の機能や方向性の捉え方、価値づけに依存した相対的・多元的なものであり、一元的に定義することができないものと考えられている。また、人口減少社会のより一層の深まりを受け、すでに多くの地域で既存の幼児教育・保育実践が想定していた規模の集団による保育の継続が困難となっている保育所・認定こども園等が出現しており、様々なレベルにおいて、地域における幼児教育・保育サービスの供給体制のあり方の見直しが、現在、急速に進められている。このような状況をふまえ本報告では、幼児教育・保育の質に関する評価研究の動向に関して、まず、文部科学省・厚生労働省・子ども家庭庁に設置された審議会等における保育の質評価をめぐる議論を整理する。その上で、幼児教育・保育のサービス供給体制における、①構造に関する研究、②実施運営の質に関する研究、③プロセスの質に関する研究、④アウトカムの質に関する研究の4つの分類をふまえながら、それぞれ研究動向を検討する。つぎに、これら評価研究の動向をふまえた上で、政策評価と実践研究それぞれが、共通して科学化に基礎づけられた一般的な正当性の確保を行っていること、それとともに評価の政治学をまぬがれえない点を指摘する。その上で、構成主義的な観点から、評価の社会的な構成過程の読解と物語としての評価という研究課題の導出を行い、民主的な対話の資源として様々なアクターによって物語られる評価のバリエーションについて、あらためてその内容や論理に着目しながら、分類する。また、可能ならば、これらの検討を通して、様々なアクターによって産み出されるストーリーが、教育を含むこども家庭の領域における評価を、どのように書き換えていくのか、展望することにしたい。【参考文献】秋田喜代美・古賀松香編著,2022,『世界の保育の質評価』明石書店.グニラ・ダールベリ・ピーター・モス・アラン・ぺラス著・浅井幸子訳,2022,『保育の質を越えて』ミネルヴァ書房.二宮祐子,2022,『保育実践へのナラティヴ・アプローチ』新曜社.

報告番号345

スウェーデンの高齢者福祉の準市場形成と地方自治体
静岡大学 太田 美帆

スウェーデンは普遍的福祉国家の代表的な国であり,第二次世界大戦後,公的に福祉サービスを整備してきた.しかし高齢者福祉分野で民間・非営利セクターによって提供されるサービスの割合は1990年代初頭には2~3%であったが,現在は約2割となっている.本報告の目的は,近年急速にサービス提供の民間委託が進んだスウェーデンの高齢者福祉を取り上げ,超国家的存在であるEUへの加盟によってどのような影響を受けたのか,そこから生じる問題に政府や地方自治体(コミューン)がどのように対応しているのかを考察することである.  1980年代末までスウェーデンの多くのコミューンでは高齢者福祉サービスの提供のために公立の事業所を運営していた.しかし高齢化にともなう財政難,サービス需要の増加,サービス労働者の不足などが予想されており,それに対応する必要があった.また当時,国から地方への過度な規制や硬直的な社会サービスが問題視されていた.そこで1990年代以降は公的事業に市場原理を取り入れることで,住民ニーズに対する即応性を高め,コストを削減することで事業の効率性を高めようとするニュー・パブリック・マネジメント(NPM)の影響を受けて,福祉サービスの準市場が形成された.  高齢者福祉分野では1990年代にサービス提供事業者を入札で決定する動きが出てきて,準市場が形成された.サービスの民間委託が進んだ時期はEU加盟の時期と重なったため,スウェーデンの高齢者福祉サービスの提供は,EU競争政策の影響を受けることになった.準市場の導入時には,利用者の選択によりサービス提供事業者間で競争が起こり,サービスの質が向上すると考えられた.しかし民営化にともなう問題として,労働環境の悪化や企業による委託費の不正受給などが生じている.これらの問題は当初から予想されていたことであり,従来であれば民間委託を行わない理由となっていたはずである.しかしスウェーデン政府がEU加盟国としてEU競争政策に対応する過程で,コミューンには市場中立的な立場で行為する必要が生まれ,結果として高齢者福祉の責任主体であるコミューンはサービスや労働の質を十分にコントロールすることができなくなっていった.  この状況を受けてスウェーデン政府は2つの対応を行っている.1つは数値にもとづく統治であり,コミューンごとのサービス提供状況や利用者の満足度などを共通の指標にもとづいて公開している.もう1つは知識にもとづく統治であり,専門知識にもとづくケアの実践が促されるよう指標を開発し,結果をコミューンごとに公開している.数値および知識にもとづく統治はサービスの質をコントロール手段である.  数値および知識にもとづく統治は,競争法をはじめとする法律など強制力をもつ統治と補完的な関係にある.これらはサービスの質やひいては労働の質を高めるための手段として導入された.しかし実際にはコミューンは準市場形成にともなって調整作業や民間サービス事業者の監督,情報公開のための基礎調査などの新たな仕事が増えており,質と効率性を高めるための方策がコミューンの仕事の質を変えつつある.

報告番号346

ケアマネジャーの業務縮小と負担増大のパラドクス——介護保険制度改定がもたらしたもの
武蔵大学大学院 中林 基子

【1.目的】  本報告では、介護保険制度創設にともない新しい職種として創られたケアマネジャーに着目し、その業務の縮小と負担増大の間にある、パラドキシカルな状況を分析するものである。介護保険制度の改定ごとに、制度上ではケアマネジャーの業務範囲が縮小されていく一方で、その縮小された役割を果たそうとするほどむしろ負担が増大しているというパラドクスが、制度施行から25年後のケアマネジャーの実情にはある。 【2.方法】  ケアマネジャーとは、正式名称を「介護支援専門員」という。その定義は、「要介護者等からの相談に応じ、要介護者等がその心身の状況等に応じて適切な介護サービスを利用できるよう、市町村、サービス提供事業者、介護保険施設等との連絡調整を行う者であって、要介護者等が自立した日常生活を営むのに必要な援助に関する専門的知識及び技術を有するとして介護支援専門員証の交付を受けた者」であるとされている。したがって、ケアマネジャーの業務は、原則として、要介護状態となり要介護認定の申請した被介護高齢者等からの介護サービス利用に関する相談に応じ、必要な介護サービスの調整を行い、要支援・要介護状態と認定された利用者の生活を再構築していくための支援することを目的としている。こうしたケアマネジャーは、介護保険制度創設当初から制度運用の要として位置づけられてきた。  本報告では、介護保険制度施行から25年後のケアマネジャーの負担増大について、業務内容の変遷とあわせてケアマネジャーを対象に実施したインタビューも分析し、ケアマネジャーの置かれた現状と介護保険制度の関係について検討することにしたい。 【3.結果と4.結論】  介護保険制度の歴史は、繰り返される介護報酬改定および介護保険法改正による制度改定と給付適正化による給付抑制の歴史ともいえ、様々な規制が行われてきた。制度上のケアマネジャーの業務範囲も、居宅介護支援(ケアマネジメント)への規制のみならず、ケアマネジメントの対象となる「利用者の範囲」や利用者が活用するすべての介護サービスが規制されていくなかで、制度改定を重ねるごとに、その支援対象の範囲や支援の幅ともいうべき業務範囲が縮小されてきた。しかし、それにもかかわらず、他方では、家族構造や疾病構造の変化による利用者ニーズの複雑化と多様化を背景に、介護サービスの細分化と多様化が進み、ケアマネジャーが業務を遂行する上で更なる緻密さとそれを支える膨大な知識が求められている現状がある。加えて、社会保障構造改革やその他の一体改革の動きにともない、介護保険制度外の他機関や他法など「連携」先が拡がり、その「役割」の範囲が膨張し続けている。すなわち、ケアマネジャーは、業務範囲が縮小して本来であれば負担が軽減されるべきであるにもかかわらず、むしろ縮小したことによってその「役割」範囲が膨張しそのため業務負担が増大している逆説的な状況に置かれているといえる。ケアマネジャーは、繰り返される制度改定がもたらした二重構造のなかに位置づけられており、そのことがケアマネジャーの実践においても二極化を招いていると考えられる。

報告番号347

福祉国家と「過剰人口問題」——戦後日本における移民送出政策と家族計画運動
東京大学大学院 松井 拓海

戦後日本における福祉国家の成立過程において、大きな焦点となったのが、「過剰人口問題」であった。本報告の目的は、この「過剰人口問題」言説が、戦後日本においてどのように構築されてきたのか、そしてその解決として行われてきた人口政策が、福祉国家構想とどのように結びついてきたのかを明らかにすることである。 600万人を超える引揚・復員、ベビーブーム、植民地の喪失を背景に、焦点となったのが、増え続ける労働力人口をいかに吸収することができるのかという問題であった。この「過剰人口問題」解決のため、優生保護法における中絶要件の緩和とともに実施されたのが、南米移民政策と家族計画運動である。 重要なのは、「過剰人口問題」も、他の社会問題と同様に社会的に構築されたものであるという点である。実際、家族計画運動と南米移民政策がピークに達する1950年代半ばには、人口学者たちは日本の「人口転換」は完了しているという認識を示しており、また過剰人口の温床として知られた農村人口もすでに停滞ないし減少傾向にあった。また、移民送出も年100万人をこえる労働力人口の増加にはほとんど効果がないことが、多くの識者に認識されていた。こうしてみると、「過剰人口問題」言説は、その内部にさまざまな矛盾を抱えていたのである。つまり、人口増加が直ちに「過剰」を意味するわけではない。「過剰人口問題」が語られるためには、「適度」と「過剰」の境界を設定し、人口統計に現れる数字を解釈し、ある価値判断に基づいて「問題化」するという、複雑なプロセスが必要であった。 一方で、これまで、「過剰人口問題」言説は戦前において満洲移民政策を正当化するイデオロギーであったと批判されてきた。しかし、戦後の「過剰人口」言説の中心にいた人口学者、経済学者、社会学者、農政学者は戦前から連続しているにもかかわらず、彼らが戦後にどのように「過剰人口」を問題化してきたのか、そして、その言説がどのように統治実践と結びついてきたのかは論じられてこなかった。そこで、本報告では、戦後の「過剰人口問題」言説がどのように構築されてきたを明らかにすることを目指す。 このような分析を通じて、「過剰人口問題」の解決を通じて形成された日本の福祉国家が――単に西欧からの「欠如モデル」とは異なる説明で――どのような統治体制であったのかという問題にアプローチすることができると考えている。例えば、鳩山内閣の『経済自立五ヵ年計画』(1955)では、雇用問題の根本には「人口の過剰特に生産年令人口の急激な増大」があるとしたうえで、経済成長・公共事業を通じた雇用創出と、低所得層・要生活保障階層を対象にした社会保障の強化を図るとともに、「民生雇用」施策として、「家族計画の普及徹底」と「移民」を盛り込んでいる。このように、福祉国家研究においてほとんど分析されてこなかった戦後南米移民政策や家族計画運動は、経済成長と社会保障を両輪とした福祉国家構想の重要な一貫をなしていたのである。

報告番号348

任意後見制度を用いた居住支援に関する社会学的研究
東京大学大学院 税所 真也

目的 本研究の目的は,任意後見制度(事務委任契約および死後事務委任契約を含む)の利用を通して,これまで家族や親族の役割として自明されてきた生活費の管理や支払,入退院,入退所,身元保証,死後の事務手続き等がいかに社会化されているのかを明らかにすることである.任意後見制度により,従来家族や親族に頼らざるを得なかった領域を,地域で支える生活支援の手段とすることが可能になる.最期まで住み慣れた地域で暮らし続けるために,任意後見制度がどのように機能するかを分析するとともに,高齢者の日々の暮らしにおけるケアの調整や管理といったケアの責任にまつわる家族役割が,任意後見制度の利用を通じて,いかに社会化されるのかを検討する.これは,任意後見制度の利用を通した,家族機能の社会的補完に関する研究である. 方法 現行の成年後見制度(法定後見制度および任意後見制度)は介護保険制度の開始にあわせて2000年に導入されたものである.本人の判断能力が不十分になってから利用する法定後見制度に対し,任意後見制度は,本人が判断能力のあるうちに,自ら希望にもとづいて任意後見人になってもらいたい人や法人と公正証書契約を結んでおく制度である.本報告では,この任意後見の担い手として,市民後見をおこなう法人後見も分析対象とする.具体的には互酬性を組織原理とする生活協同組合ワーカーズコレクティブによる支援に着目する.ワーカーズコレクティブによる成年後見事業は,担い手の社会化,さらには,市民後見の可能性を考えるうえで,きわめて重要である.生活協同組合ワーカーズコレクティブにおける支援事例の検討を通じて「限定性」「無限定性」の観点から考察する. 結果 高齢期に家族に頼らずに最期まで尊厳を保ちながら住み慣れた地域で暮らし続けるための具体的な方法として,任意後見のみならず,見守り段階での事務委任契約,亡くなった後の死後事務委任契約,さらには入院時の身元保証等を組み合わせた支援として位置づけ,任意後見制度を居住支援との関連から論じることが可能となることが分かった.また専門職後見にはできないこと,市民後見人だからこそ可能になる支援があることが明らかになった.同時に,市民後見人の支援には無制限になりやすい傾向がある点も浮かび上がらせることができた. 文献 税所真也,2022,「住居をめぐる課題と成年後見業務――成年後見人等による居住環境支援のあり方」『実践成年後見』101: 31-41.

報告番号349

ポスト持ち家社会に向けた居住政策の再編成
東京大学 祐成 保志

岸田内閣が設置した「全世代型社会保障構築会議」は、2022年12月の報告書で「住まい政策を社会保障の重要な課題として位置づけ、そのために必要となる施策を本格的に展開すべき」と提言した。居住保障は「福祉国家のぐらついた柱」と言われるように、社会政策の諸分野のなかでもマージナルなものであり、日本では特にその傾向が強い。同会議の認識は、日本の社会政策の歴史において画期的なものと言える。そこで本報告では、高齢期の居住に関する政府の政策文書をもとに、日本の社会政策における居住の位置づけの変化について考察する。まず前提となる日本の住宅政策の特徴を述べた後、最近40年間を4つの時期に分けて、それぞれの主要なテーマを確認する。  1990年代には、高齢社会の到来を見越して、戦後作られた社会保障制度と住宅政策の大幅な見直しが並行して行われた。家族による介護負担を社会化するための制度の検討が行われるとともに、サービスを組み込んだ住宅の供給が構想された。  2000年代、住宅政策では市場と民間主体の活用が強調された。社会保障では、介護保険制度の機能強化と持続可能性を目指して、地域包括ケアという理念が打ち出され、両者の重なり合うところにサービス付き高齢者向け住宅が制度化された。また、住宅セーフティネット法が制定され、市場で居住を確保することが困難な人に「居住支援」を提供するための枠組みが導入された。  2010年代の社会保障制度改革は、地域完結型の医療、住まいを含む地域包括ケアシステムを改めて強調した。また、居住関連サービスを低所得層に拡大するため、急増する民間の空き家を活用するという発想のもと、住宅セーフティネット法が改正された。「居住支援法人」の指定制度など、対物・対人支援の仕組みが準備された。  2020年代には、地域共生社会という理念との関連で、住まいが社会保障の課題に位置づけられ、住宅セーフティネット法と生活困窮者自立支援法が並行して改正された。その検討の過程で、これらの法が当初想定していなかった「持ち家があっても身寄りがない者」という新たな支援対象のカテゴリーが見出された。  現在、居住支援法人は700団体をこえる。居住支援法人が提供するサービスの内容は多岐にわたるが、成年後見制度(とくに任意後見制度)における後見人等の役割と重なる。居住支援は家族機能の社会的補完というより広範なテーマと結びつけられつつある。社会保障の課題としての住まいの焦点化は、今後予想される「ポスト持ち家社会」というべき流動的な状況において、社会の安定をいかに維持するかという政策立案者の問題意識を示唆している。

報告番号350

「かわいい」のパワー——女装実践者によるメディア・プラットフォーム上の身体・感情・イメージの創造
日本女子大学、国際基督教大学 宮崎 あゆみ

本発表では、女装者・異性装者・男の娘などと呼ばれるソーシャルメディア上のジェンダー実践者の若者たちが、感情に訴えかける身体イメージの創造を通じて、ジェンダー規範への従属化のプロセスにどのように抵抗しているかについて考察を行う。現代社会においては、デジタル・プラットフォームで膨大な数の人々が様々なイメージの創造を通じて、感情や身体のやり取りを行なっている。本研究は、人々の感情や身体とメディアプラットフォームとの関係を明らかにする近年の一連の研究に貢献するものである(例:Kakinami & Namba 2024, Smith & Snider 2019)。  日本における女装や異性装は長い歴史と独自の文化的意味を持っているが(例:三橋2008)、現代メディアにおいては、若者カルチャーに深く影響を及ぼして広く流布しており、その影響は多数の女装・異性装関連の漫画、ブログ、ゲーム、SNSアカウントなどにおいて観察される。これらのプラットフォーム上で、若者実践者たちは、女装・異性装・男の娘などのジェンダーやセクシュアリティに関わる実践が自分にとって何を意味するのか、それが自分のアイデンティティや関係性をどのように形成するのかについて考察しながら、複雑な交渉を行っている(例:Ho 2023, Miyazaki 2023)。  本発表では、女装活動家であり、「かわいさ」のパワーの提唱者であるみーぬの実践を分析する。分析のもとになるデータは、みーぬとの長期的なエスノグラフィック・インタビュー、X(旧Twitter)上にみーぬが載せた写真、動画、コメント、およびみーぬと他のSNS上の重要なジェンダー実践者とのコミュニケーションである。本発表は、みーぬが強力な「かわいい」イメージを実現するために絶えず完璧な表情、メイク、衣装、身体のジェスチャー、記号的な実践を追求していることをつぶさに分析する。みーぬは、このようなイメージを創造することで、人々の深い感情を引き起こし、集団的な癒しの体験を創出できると信じている。したがって、かわいいイメージは、人々が深くつながり、相互身体性(Merleau-Ponty 2013)を体験する親密で力強いプラットフォームを創出するための強力な手段となることが分かる。ミーヌとファンの間の感情的な融合は、メディア・プラットフォームにおいてジェンダーの境界を超えるだけでなく、個人と集団の二項対立をも超える共創が可能であることを示している(Lamarre 2017)。 主な参考文献 Ho, Michelle HS. 2023. From dansō to genderless: mediating queer styles and androgynous bodies in Japan.” Gender in Japanese Popular Culture: Rethinking Masculinities and Femininities. Cham: Springer International Publishing, 29-59. 柿並良佑・難波阿丹(編). 2024. 『情動論への招待:感情と情動のフロンティア』.勁草書房. Lamarre, Thomas. 2017. Platformativity: Media studies, area studies. Asiascape: Digital Asia 4(3): 285-305. Merleau-Ponty, Maurice, et al. 2013. Phenomenology of perception. Routledge. 三橋順子. 2008. 女装と日本人. 講談社現代新書. Miyazaki, Ayumi. 2023. Hybrid Masculinities? Reflexive Accounts of Japanese Youth at University Josō Contests.” Gender in Japanese Popular Culture: Rethinking Masculinities and Femininities. Cham: Springer International Publishing.

報告番号351

教育の市場化と周縁を生きる女性の子どもから大人への移行
京都大学大学院 大久保 遥

近年、通信制高校の生徒数が増加の一途を辿る。その背景には、不登校や中退経験者といった多様な事情がある者を受け入れるセーフティネットの役割を担ってきたからだといわれている。既存の研究は、通信制高校の教育実践からその支援的意義を明らかにしてきたが、当事者の経験に即した学校生活の意味については十分に検討してこなかった。これに対して本報告では、対象者女性の子どもから大人への移行経験を読み解いていく作業を通じて、私立通信制高校が台頭してきたことの意味を探究する。公教育で周縁部におかれた子どもたちにとって、私立通信制高校を経由することの意味は何であろうか。そこからみえてくる、今日の若年女性をとりまく教育と家族の構造を明らかにすること、これが本報告の目的である。  とくに本報告で検討するのが、被虐待・貧困・女性に該当する二名の事例である。彼女たちは、家族関係や学校生活において周縁化され、私立通信制高校を経由して成人期へと移行した者である。通信制高校入学生徒のなかでも、多重の要因から困難を経験してきた女性たちであると仮定する。  分析にあたって参照したい論点は、教育の市場化とケアの視点である。まず、教育の市場化の側面から考えると、高校教育において教育の市場化が推し進められることによって私立通信制高校が急増した。かつて高校教育が排除してきた層を私立通信制高校が積極的に受け入れることで、対象者女性たちは高卒資格を習得し、それぞれ専門学校や短期大学に進学し、就職に結びついていた。そこには、通信制高校が提供する個別的なサポートも、彼女たちの進路実現を後押ししていた要素であった。つぎに、家族内の役割についてケアの側面から考えると、彼女たちは家族からの虐待を経験しつつも、家族に対するケアを担っていた。そして子どもから大人への移行のなかで、家族の家計を支える役割をも担うようになったことがうかがえた。  女の労働権を主張するかつての女性解放運動に対し、それだけでは女は仕事と家庭の二重労働の負担にあえぐだけであると批判がなされてきた。本報告でみてきた女性たちは、娘の立場として子どもから大人になる移行において、母親役割の代理やケアをいっそう引き受けるようになり二重労働の負担を背負う構造におかれていることがかいまみえた。  つまり、通信制高校によって周縁層にいる彼女たちは仕事への移行実現を果たせたといえるが、他方で既存の家族の状況は変わらないため、彼女たちは多重の役割を担う大人へと移行したといえる。以上から、教育とケアの私事化の問題について論じたい。

報告番号352

性的に惹かれることと男らしさの関係性——アセクシュアル男性の語りの分析から
上智大学大学院 関口 麗美

【目的】  本研究では、性的惹かれを他者に抱かない、アセクシュアルを自認する男性の語りから、「男らしさ」に関する期待のまなざしが、当事者男性にどのように受容され、アセクシュアルの自認に影響を及ぼしているのか検討する。アセクシュアルを自認する人の多くは女性であり、男性当事者は一割ほどと割合が少ない。その要因として、男性は、社会生活においては性的な事柄に積極的であると社会の中で捉えられる傾向があり、自身が内面化している規範に内省的になる機会自体が少ないことが指摘されている。本報告では、国内在住のアセクシュアル当事者男性の語りを通して、男性を取り巻く規範がいかに自然視されているか、そしてアセクシュアルの自認が自己のあり方にどのように影響しているのかについて明らかにする。 【方法】 2022年に報告者が行ったアセクシュアルを自認する男性4名への半構造化面接で得たインタビューデータを逐語録化し、分析を行った。質問項目としては、これまでに周囲の持つ価値観に違和感を抱いたエピソードやアセクシュアルの自認に至った経緯、カミングアウトの有無などについて聞き取りを行った。 【結果・結論】 対象者からは、周囲が当たり前のように「好きな人」や「彼女」の有無について尋ねてくるといった、アセクシュアル当事者の多くが所有する周縁化の経験が語られた。これらの語りは、先行研究のなかでも多く言及されている、「正常」ならばすべての人が性的惹かれを他者に抱くとする規範を示す「強制的性愛」(compulsory love)が存在していることを追認する結果となった。さらに、1名の当事者からは、重要な他者にはアセクシュアルであることをきちんと説明するが、そうでない者たちには恋愛や結婚に関して尋ねられた際にも、「今は考えていない」と答えるといった話や、別の当事者からも、アセクシュアルは、「相手が大事だから簡単に性行為はしない」という相手への思いやりを示すものとして解釈しているといった話が挙がった。これらの語りから、アセクシュアルの自認は、強制的性愛や恋愛伴侶規範への異議申し立てのみではなく、他者との関係性構築の実践においても、重要な意味をなすものであると解釈できた。また、今回用いた聞き取りの中では、アセクシュアルの自認を獲得する前後のみならず、恒常的に性別二元論を前提とした社会的規範に葛藤している様子も読み取れた。日本においては、性的経験は異性愛を前提に語られる傾向があり、他者に対する欲望の主体性として自らを省みる際に、異性愛規範と照らし合わせる必要が生じてくるためと考えられる。

報告番号353

ミレニアル世代大学生における同性との性的行為の関連要因
早稲田大学 小島 宏

一昨年から人口・家族関連の学会大会で、「草食化」の先駆けであったミレニアル世代の大学生時代を対象とした、「日欧性行動・意識・価値観比較調査」(2000-01)のミクロデータを用いて各種分析をおこなってきた。この調査では「性被害」に関連する変数が複数あるため、本年6月の比較家族史学会春季大会に向けて、ロジット分析により、大学生の「性暴力」被害(同意年齢以前のものを含む同意のない性的行為)の健康に対する関連を明らかにするための分析を行った。想定外であったが、男女いずれでも同性との性的行為(性交とは限らず、ヘビーキス、ペッティング、抱きしめるなど性的な行為)が健康障害と正の関連をもつことが明らかになった。また、経験割合が男性で9.7%であるのに対し、女性で15.6%もあり、「青少年の性行動全国調査」等の結果より高く、男女差が大きいことが明らかになった。男性の場合は同性からの性被害の可能性が高いが、女性の場合は同性からの性的いじめもありうるし、若年女性ではSOGIが明確でないことにもよると思われるが、高すぎる。そこで性的関心による同性間での相互自慰行為の可能性もあると考えた。 実際、石川(2018)による第5回以降の調査のロジット分析によれば、男女とも同性への性的関心と異性との性的行為が正の効果をもつが、女性では自慰経験も正の効果をもつことが示されている。また、1990年代半ばのフランスにおける青少年の性行動に関する調査の報告書(Lagrange et Lhomond 1997)によれば、他の調査と異なり、男性より女性の方が同性との性的行為の経験割合が高く、女性で同性と性的行為を経験した者は異性と経験した者と比べて、愛情によるとする者が少なく、惹かれ・肉体的欲求や好奇心によるとする者が多いし、14歳以下と17歳での経験割合が高い。そこで比較調査で利用可能な変数を用いたロジット分析により、同性との性的行為の関連要因を示すことにする。 男性のフルモデルの結果によれば、11-13歳母親就業、不同意性的行為あり、ニキビ・口臭の悩みが正の関連をもち、14-18歳大人不在時ポルノ視聴可能、11-14歳友人との性談義なしが負の関連をもつ。女性のフルモデルの結果によれば、14-15歳友人との性談義高頻度、15歳以下性的行為あり、高BMIが正の関連をもち、文学専攻、11-13歳母親就業、11-14歳友人男女半々、14-15歳友人ほぼ同性が負の関連をもつ。女性の縮小モデルでは14-18歳大人不在時ポルノ視聴可能(男性と逆方向)、14-15歳喫煙、現在友人との性談義高頻度が正の関連をもち、都内大学在学、週末親同居が負の関連をもつことも示された。 (謝辞)二次分析に当たり、佐藤龍三郎博士(中央大学経済研究所)から「日欧性行動・意識・価値観比較調査」の個票データ等の提供を受けました。また、本報告の研究の一部については科研費(20K00079)に支援を受けました。記して謝意を示す次第です。

報告番号354

「男性性学」の英語圏の先行研究の翻訳の困難性について——社会的経済的地位の高い男性分析「パパ活現象」の事例から
国立大学法人千葉大学大学院 松本 妃奈子

1. 報告の趣旨:本報告のテーマは、①「男性性学」に関する英語圏の先行研究の翻訳の困難性と、②その先行研究を参照している、現代日本における「パパ活」現象を通じた社会的経済的地位の高い男性の分析についてです。「男性性学」とは、日本における社会学領域では、伊藤先生や多賀先生が活躍されていますが、男性のジェンダー・アイデンティティ・社会的役割などに関する学問分野であり、これを国際的な文脈で理解することの意義と課題について探求します。また、性の非対称のある「パパ活」現象に焦点を当て、その中でも、行為主体者である、「パパ」すなわち、社会的経済的地位の高い男性の行動パターンと動機を明らかにすることを、男性性学の視点から分析しています。 2. 社会学との接続:「男性性学」は、男性が社会でどのように位置付けられ、どのような役割を果たしているのかを探る学問分野です。特に、「パパ活」現象は、「交渉」というプロセスを経て「対価」のやりとりがなされる相互行為であり、単なる売買春と断言することのできない手間のかかるプロセスを経る相互行為であり、「パパ活」現象の広がりが、現代日本における社会的なダイナミクスを反映していると考えています。「パパ活」は<買う側>に圧倒的なジェンダーの非対称性のある現象である一方で、「交渉」というハイコンテキストなコミュニケーション能力を持つ女性しか参入できない側面もあります。そのため、「パパ活」を経済的非対称性による現象や女性を弱者と単純化する議論は早計であると分析します。また、社会的経済的地位の高い男性が、制度化されていない、すなわち社会的ステイタスをおびやかすリスクを背負ってまで「パパ活」に参入するのかという点においても、現代に日本のダイナミスを反映する現象であると捉えています。 3. 報告の学術性 本研究は、質的および量的なデータに基づいて進めています。具体的には、「パパ活」に関与する男性のプロフィール、動機、経済的影響を詳細に分析しています。インタビュー調査および参与観察、量的データの提供を受け、「パパ」の人物像を立体的に捉える試みを行っています。これにより、男性の社会的地位がどのようにして形成され、維持されているのか、そしてそれが「パパ活」にどのように影響しているのかを明らかにします。 4. 主要な論点と結論:この「パパ活」に関する研究の中で、男性性学の理論的枠組みを参照しています。「男性性学」の学術的蓄積は圧倒的に英語圏に厚みがあるため、ほとんどの文献が英語によるものです。その中で、日本語に訳す際に英語にしかない「ニュアンス」をどう表現するのか、という障壁にぶつかります。また同一著者の著書・論文においても、英語でしか出版されていないものもあれば、一部翻訳され出版されているものもあり、訳者の日本語訳を尊重しつつ、執筆を進める作業は二重の困難性を伴います。そのような困難性についての打破の方向性について議論をさせていただきたいです。

報告番号355

気づかなかった被差別経験に関する聞き取り調査の危険性と調査協力者との協働の可能性の模索
北陸先端科学技術大学院大学 元山 琴菜

【1. 目的】  本発表では、被差別経験に関する聞き取り調査において調査者と協力者の関係で生じうる「暴力性」のあり方を明らかにし、その暴力性を踏まえたうえで、差別の低減に向けた両者の恊働の可能性を探りたい。  聞き取り調査は質的調査法の一つであり、人々の語りを通して、人の行動やそれにどのような意味を与えるかを理解するために用いられる。質的調査法は、「社会的・歴史的リアリティ」(桜井 200:28)を可視化すること、これまで社会で不可視化されてきた「声」を聴くこと、ストーリーの共有を通してエンパワーすることができる点において大きな意義があると言える(Liamputtong 2020=2022)。他方で、協力者のプライバシーや生活圏に入り込む行為でもあるため、倫理的問題と常に隣り合わせである。脆弱的な立場にいる人への聞き取りは、特に倫理的配慮が強調される(Liamputtong 2020=2022)。このため、回避すべき行動や規範として制度化されてきた倫理的諸問題を引き起こした場合には、研究者の協力者に対する「暴力」として認知されることとなる。これまでの先行研究では、そういったリスクの可能性やそれらを回避するための方法についての記述は厚いが、それがどのような「暴力」で、具体的にどのような「傷つけ・傷つく」経験を指すかについては言及が少ない。それは、両者の間で生じた「傷」の経験は、語られることが少ないことにも起因していると考えられる。そこで本発表では、聞き取り調査という相互作用の中で生じた「傷」の経験に着目し、その暴力性を認めた上で、その傷とは何か、そして、傷を共有することを通して達成しうる協働の可能性について検証する。 【2. 方法】  捉えづらい差別の在り方として知られる「マイクロアグレッション」に関する聞き取りに協力してくれたレズビアンカップルが調査後に経験した「傷」の語りに着目し、質的調査で生じた暴力性の在り方について考察する。マイクロアグレッションは、発信者側が貶めていることに無自覚であるという特徴をもつため、被害者も気づかないうちに日常的に尊厳が傷つけられる経験をする。調査は差別の解消を目指していることを説明した上で、調査倫理に遵守して進められた。しかしながら、「暴力」や「傷つき」が生じたことが判明し、追加の聞き取りを行った。そこでの「傷」の語りに着目しながら、質的調査の暴力性の在り方を明らかにするとともに協働の可能性について模索する。なお、協力者からは調査を通じて経験した「傷」も踏まえた上で研究に取り組むことで同意を得ている。 【3. 結果】  協力者は、レズビアンであり、女性である二つのマイノリティ属性をもちながら生き抜くために、長年実感する差別に対してあらゆる対処策を講じてきた。それらの対処策は、身の安全のため、異性愛社会になじむ形をとってきた。そんな中、MAに関する調査は、その安全性を脅かす経験となった。しかしながら、彼女たちの2回目の追加調査での語りからは、調査者と協力者が差別という同じ課題に対して、戦略の異なる闘い方をしてきたことによって生じた「傷つき・傷つく」経験であったことが示唆された。結論は、発表で詳細を説明するが、本発表を通して、質的調査法と常に隣り合わせの暴力性を検証・踏まえた上で、差別の低減にむけた調査者と協力者の協働の可能性を見出し、質的研究の意義を再考したい。

報告番号356

非「日本手話」話者のアイデンティティ戦略
立命館大学大学院 種村 光太郎

本報告の目的は、「日本手話」を用いる言語的・文化的少数者としての「ろう者アイデンティティ」に帰属できない「聞こえない人々」のアイデンティティ戦略を明らかにすることで、「ろう者」という言葉/文化がもつ「他者化」について考察することにある。 戦前から現代にかけ、聞こえる人(聴者)は耳の聞こえない人(「ろう者」)に対し、自らの利便性に合わせた「読唇」などのコミュニケーション方法を強いてきた。これを抑圧であるとして、1995年に聞こえない当事者たちは、ろう者ならではの文化やろう者の自然言語としての「日本手話」の存在を主張する「ろう文化宣言」を発表した(市田・木村 1995)。同宣言は、聴者とろう者の関係を「言語的少数者でない/言語的少数者である」という関係性で新しく定義し「ろう者アイデンティティ」の基礎を作った。その後、同宣言は当事者運動や研究に影響を与え、「日本手話」で教育を受ける権利を求める運動(e.g.小嶋 2008)や、「日本手話」を用いる言語・文化的少数者としてのろう者(以下、「日本手話」話者)の実態を明らかにする研究へと展開していった(金澤 2013)。 他方で、マイノリティによるマジョリティ(聴者)への異議申し立ての運動と連動し、日本手話を基盤として「ろう文化」が多義性をはらんだ形で掘り起こされ、その文化が時として戦略的に本質化され語られることになった。その結果、「ろう者アイデンティティ」に馴染めない「ろう者」や「難聴者」(以下、非「日本手話」話者)は、聴者のみならず「ろう者」からも他者化されることになった。 本報告では、生育環境や教育経験等の影響により、「ろう者アイデンティティ」に馴染めない非「日本手話」話者15人に対して実施した半構造化インタビューの結果を踏まえ、彼らがそうした「多重の他者化」をどのように位置づけ、いかなるアイデンティティの戦略を用いるかを分析する。 調査協力者の中には、「日本手話」話者になることで、聞こえないことを肯定的に意味づけようと試みた者たちもいた。だが日本手話や、ろう者集団の文化的なリテラシーを習得していく過程では、ろう者集団の閉鎖性や階層性、主流のろう者からの異化・他者化に直面していた。彼らは、1)「ろう者」という文化やアイデンティティを批判し、「ろう者」カテゴリーの拡張を目指す、2)ろう者でも難聴者でもない第三のアイデンティティを模索する、といった多様な戦略を展開していた。これらの戦略は、移民や在日外国人、交差性をもつマイノリティの研究等で広く指摘されてきたものである。だが、非「日本手話」話者のアイデンティティの戦略は、「聞こえない」という障害の受け入れ方や文化的側面のある「ろう者」という言葉の用いられ方と複雑に絡みあう点に特徴がある。 以上を踏まえ、ろう者というマイノリティの文化運動における他者化のメカニズムを、非「日本手話」話者のアイデンティティ戦略の独自性に照らして検討したい。 【参考文献】 金澤貴之,2013,『手話の社会学――教育現場への手話導入における当事者性をめぐって』生活書院. 木村晴美・市田泰弘,1995,「ろう文化宣言――言語的少数者としてのろう者」『現代思想』23(3): 354-362. 小嶋勇監修・全国ろう児を持つ親の会,2006,『ろう教育が変わる!――日弁連「意見書」とバイリンガル教育への提言』明石書店.

報告番号357

Navigating Stigma: Discrimination, Prejudice, and Racialization of Chinese Immigrants in Japan
ライス大学 張 篠叡

【1. Aim】 Negative attitudes towards Chinese people have increased substantially over the past two decades in Japan. According to a recent global attitude survey by the Pew Research Center (2023), 87% of Japanese people held unfavorable views of China in 2023, nearly doubled from 42% in 2002. Meanwhile, Chinese immigants have become the largest immigrant group in Japan since 2007, accounting for 24.5% of the total immigrant population, followed by Vietnamese and Koreans in 2023. The significant presence of Chinese immigrants in Japan has renewed scholarly interest in their integration process into Japanese society. However, international migration literature on this topic tends to overlook the effects of the negative context of reception on the lives of Chinese immigrants in Japan. To fill this gap, this study investigates the perceived experiences of prejudice and discrimination and their reactive strategies for social inclusion and affinity among Chinese immigrants in Japan. 【2. Data & Methods】 This study draws on 54 in-depth interviews with first- and second-generation Chinese immigrant adults in Japan. By situating the Chinese immigrant experience in Japan within race scholarship, this study examines how the concept of racialization can serve as a useful theoretical tool to understand the dynamics and practices of racialization and racism in Japan. This research moves beyond the traditional white/non-white binary focus of Western race scholarship to explore the mechanisms of racialization in Japan, where there are few phenotypical differences between the dominant group and major racialized minority groups. 【3. Results】 Findings suggest that while some first-generation participants rationalize and even downplay their experiences of discrimination in the host society, many second-generation respondents perceive greater social hostility from the Japanese mainstream and share a sense of racialized othering. Both generations, however, agree that Chinese identity in Japan is stigmatized in various ways due to imposed cultural inferiority and is reified as a category of threat, exacerbated by the sociopolitical climate between Japan and China over the past 20 years. Chinese immigrants are racialized in ways that portray their Chinese identities as cultural outsiders, often stigmatized as foreign, outrageous, and even threatening in the eyes of the Japanese public. Respondents also highlighted the shifting nature of stigma as China has gained political and economic power globally, while Japan has experienced prolonged economic challenges since the 2000s. Moreover, these perceptions of discrimination and resulting identity formations are complicated by factors such as generation, class, and citizenship. 【4. Conclusion】. This study contributes to the existing scholarly knowledge by exploring how racialized conceptions of difference in a non-Western nation-state create uneven terrains of migration for international migrants. The findings underscore the importance of considering the sociopolitical context and its impact on the lived experiences of immigrants, thereby providing a nuanced understanding of the complexities of integration and identity formation in Japan.

報告番号358

移民2世から多人種/多民族者へ?——文献レビューと探索的分析による混血/ハーフ/ミックス研究の回顧と展望
大阪公立大学 有賀 ゆうアニース

1. 目的 近年,社会学と隣接分野において複数の民族的・人種的背景をもつ人々についての研究(以下,ミックス研究)が持続的に発展している(Osanami Törngren et al. 2021).特に北米においてその動向が顕著である(DaCosta 2020).こうした動向は北米以外にも波及しており,日本でもその萌芽的進展が見られる.「混血」「ハーフ」「ミックス」といった対象のカテゴリー化に依拠した研究が増加している(Sato et al. 2023). 他方,特に北米における広範かつ持続的な経験的・理論的進展に比して,日本語圏におけるミックス研究の水準は質量とも十分ではない.また個々の研究のあいだには必ずしも理論的文脈や概念図式が共有されているわけではなく,その分野の累積的発展を展望することが難しい現状がある(c.f. Brubaker 2009). この現状をふまえ本報告では,複数の民族的・人種的背景をもつ人々についての日本における知見や議題を回顧し,その前進のために考慮すべき今後の進路について議論することを目的とする. 2. 方法 日本におけるミックス研究の動向を文献レビューによって整理する.北米における動向を基準として参照しつつ,また適宜量的調査・質的調査データの探索的分析を交えつつ,日本における研究の理論的統合と経験的知見の蓄積のためにどのような概念や視点が有効であるのかを検討する. 3. 結果 本報告では,日本のミックス研究を,「移民2世」としての概念化にもとづく研究,また「多人種」「多民族」としての概念化にもとづく研究に分類し,その現状と課題を議論する. 第一に,「移民2世」の一部・派生形としてのミックスの概念化にもとづく研究では,ハーフ/ミックスは,移民2世の一部として扱われることがある.いじめ被害(中原 2021),教育達成(Ishida 2023; 清水他 2022)といった側面において,ミックスと2世一般の間の共通性が明らかになっている.このかぎりでは,移民2世の一部・派生形としてのミックスの概念化は適切である可能性がある.同時にこの文脈では,「フィリピン系」「パキスタン系」というように,出自のある特定の国の文化的背景との関係でミックスに接近するアプローチ,「移民2.5世」として概念化するアプローチもみられる(e.g. 三浦 2015). 第二に,「多人種」「多民族」としてのミックスの概念化にもとづく研究を取り上げる.多人種研究に定位した質的研究(e.g. Osanami Törngren and Sato 2021),および本報告で試験的に扱う探索的分析からは,移民2世とは異なるアイデンティティおよび同化のあり方が示唆されている(c.f. Alba 2019).このかぎりでは,移民2世の一部・派生形としてではなく,多人種者としての概念化を維持すべきである可能性がある. 4. 結論 以上の探索的検討を踏まえ,今後のミックス研究の方向として,社会化エージェントとしての家族・教育・近隣の探究(Alba 1990),人種・移民集団間の比較(Lee and Bean 2010; Bloemraad 2013),汎エスニック・アイデンティティ(Okamoto 2014)としての「ハーフ」「ミックス」といったラベルへの着目,などの研究課題について議論する.

報告番号359

越境するエスニック文化資本——正統性と架橋性の狭間で交差する南米系日系人と「母県」の人々
沖縄国際大学 崎濱 佳代

1.研究開始当初の背景  1990年の出入国管理法改正以降、多くの南米系日系人が来日し、定住するようになった。  一般的に日本社会において南米系日系人は「外国人」労働者と同じようにみなされており、先行研究でも定住外国人の問題と並列して分析されることが多かった。南米系日系人の労働問題や貧困問題、教育を含めた社会的サービスや地域コミュニティにいかに接続・包摂していくかという問題意識は、住み分け(segregation)の状況を反映したアプローチであったといえよう。  本研究の「問い」では、南米系日系人とホスト社会との関わりとそこで生起する種々の問題を、生活に不可欠な資源の行き交うネットワークへの包摂と排除の営みと位置づけ、「文化資本」と「社会関係資本」の概念を用いて分析する。 2.研究の目的  本研究のフィールドである沖縄県は、かつて日本有数の移民送出県であった。沖縄県におけるホスト社会と日系人との関わりについての社会学的な研究としては、筆者が共同研究者として手掛けた研究である「ホスト社会沖縄と日系人―ラテン文化資本の架橋性―」がある。その研究成果として対象者は南米系日系人のラテン文化をホスト社会に接続してゆく架橋性が示された。  しかし、この研究は南米系日系人の持つ文化資本のうち「他者としての」ラテン文化資本の架橋性についての議論であり、ホスト社会側の沖縄文化資本とのリンクについての議論は不十分である。  以上の背景を踏まえ、本研究では、対象を沖縄県内に在住する南米系日系人に絞り、彼らと沖縄社会をつなげるエスニック・アイデンティティのダイナミズムを分析する。その分析を通して、エスニック・アイデンティティが架橋的な社会関係資本を現出させていくプロセスを明らかにすることを目的とする。 3.研究の方法  本研究の基盤となる令和1~4年度文部科学省科学研究費基盤研究(c)「ホスト社会沖縄と日系人―ラテン文化資本の架橋性―」)(研究代表者:鈴木規之)で示されたのは、ホスト社会の側が南米系日系人である講師側の文化資本であるラテン文化を敬意と好奇心を以て受け取り、自ら沖縄社会における架橋的資本となって自己の価値を高め、それと引き換えに南米系日系人講師をホスト社会に対等に包摂する窓口として機能する仕組みである。この背景には、令和3年総務省社会生活基本調査でも示された沖縄社会の文化への関心の高さがある。  本研究では、南米系日系人とホスト社会である沖縄の人々が共有するとされる「ウチナーンチュ・アイデンティティ」に着目する。日本本土や世界に広がるウチナーンチュ・コミュニティでは、多くの場合エスニック・アイデンティティの拠り所として「エイサー」や、「三線」などの芸能活動を行っている。ホスト社会である沖縄県も、伝統芸能の行動者率は5%ほどと多く、南米系日系人のアマチュア奏者とホスト社会沖縄のアマチュア奏者が交流することも多い。  この観察成果を受けて、本研究では南米系日系人奏者とホスト社会側の伝統芸能学習者(アマチュア奏者)を繋ぐエスニック・アイデンティティのダイナミズムを文化資本の論点から捉えるため実際に沖縄の伝統文化に親しんでいる住民にインタビュー調査を行い、ミクロレベルでの日系人奏者との交流と、日系人と共有するウチナーンチュ・アイデンティティへのアクセスについて分析を行う。

報告番号360

エスニック・メディアの変容と連続性——デジタル時代の移動者の「リアル」はどのように「編集」され、何に接続されていくのか
東京経済大学 町村 敬志

【1.目的】報告の目的は、グローバリゼーションの深化、メディア・エコロジーの劇的変容がエスニック・メディアに及ぼした影響を、事例を通じ解明することにある。エスニック・メディアは「グローバリゼーションの第一の波(1870~1914年)」(世界銀行2002)に起点を見出せる。貧困や政治的宗教的抑圧などに対して越境による打開を求めた移民が、発展する出版資本主義と出会い、異郷(北米)で多数のローカルな遠隔地メディアをつくり出した(Park 1922)。それ以来、エスニック・メディアは、越境や移動に関わる人びとの苦悩や欲望、理想が表出される回路として、移動先社会において移動者の同化・異化両方の作用をもつ媒体・インフラとして、遠隔地ナショナリズムの揺籃として、さらに世代を重ねてもポストコロニアルな心情やマイノリティとしての主張、交錯する軌跡を映し出す鏡として世界規模で展開し、その複合的役割が論じられてきた。  1980年代から展開した「グローバリゼーションの第三の波」は、モノ・ヒト・資本・情報の越境的な移動を通じて、世界の構造と人びとの経験の質を激変させた。国境を越える多様な移動者・移住者は変化の先端に位置するエージェントであり、その声を束ねる多様な媒体はエスニック・メディアやディアスポラ・メディアとして注目されてきた(Riggins 1992)。旧植民地からの移住者に加え、1980年代、新しい移民の流れに組み込まれた日本も例外ではなかった(町村1993;94, 白水1996;2004,イシ1996;2011)。しかし2000年代に入りインターネットの普及とともに移動者のコミュニケーション環境は劇変した(Yu & Matsaganis 2019)。 【2.方法】3つの問いを指摘できる。1)エスニック・メディアはデジタル革命にどう対応したのか。2)エスニック・メディアというフォーマットは有効性を失ったのか。3)移動者・移住者の公論空間はインターネットによって豊かさを増したのか。報告者は、インターネット台頭前の1990年代に、日系ブラジル人、在日コリアンほかを対象にメディア制作者の調査を実施した。では、インターネットの普及とデジタル化、リーマンショック、日本社会の保守化、世代更新などに対し、メディア制作の試みはどう対応したのか。報告者は新旧メディアを収集・閲覧し、制作者に対する聴き取り調査を進めてきた。本報告では、日系ブラジル人・ペルー人1.5世・2世らによるメディア形成(活字、オンライン、ポッドキャストなど)に関し、デジタル化への対応、担い手の生活史を軸に分析する。 【3.結果】移動者にとってメディアとは、自身と出身社会/ホスト社会との多義的関わりがもたらす機会や困難に対応し、またローカル・ナショナル・トランスナショナルを横断して形成される複合的な社会空間を各自が自身の置かれた条件に合わせてカスタマイズするための手段という性格をもつ。こうした状況は過去と比べ基本的に変化はない。しかし双方向性が増す状況においては、送り手・受け手双方のメディアに対する「構え」には変化が生じている。 【4.結論】「編集」行為が汎用性をもつ体験となるなかで、そこには「小さな」公論形成の試みが集積するようになっている。そのことは移住者社会とホスト社会、そして両者の関係をどう変えつつあるのか。この点についてさらに事例分析を進める必要がある。本研究は科学研究費基盤研究(22K01921)の助成による。

報告番号361

不可視的なインターマリッジ家庭における出自表象とその継承 ——―M地区における2家庭2世代の教育実践をめぐる聞き取りから―
武蔵大学 Lim Youngmi

1.研究報告の目的 本報告では、2世代にわたる長期的な追跡調査による在日コリアン女性と日本人男性のインターマリッジ家庭の教育戦略の具体的な検証を通じて、社会関係資本と文化資本を意図的・戦略的に強化させる子育て実践がどのようになされ、次世代の出自の表象・継承にどのような影響をおよぼしたのか、探索的な理論化を試みることを目的とする。 2.調査方法  本報告では、日本人と婚姻した在日コリアン女性2名とその成長したそれぞれの子2名の事例を検証する。親世代のRとN(ともに2024年現在60代)には、1999年に基点時の聞き取りを実施し、追跡調査としての聞き取り(2016年と2023年)、成長し社会人になった子世代(Nの第二子のY、Rの第二子G)への聞き取りを、それぞれ2018年と2023年に実施した。 3.調査結果  国籍は国家との関係を規定し、名前は周囲との日常的な相互作用を大きく規定するが、蓄積されてきた先行研究同様に今日もなお、きわめて恵まれた社会関係資本と文化資本が十分に備わっていたとしても、国籍よりも名前の選択の影響が日常的であるがゆえにはるかに大きい。RもNもマイノリティ側である在日コリアンの出自表象を意図的に強化する戦略をとった。放置しても圧倒的大多数が日本人で日本の国民文化が浸透してしまうこともありRとNの日本人配偶者も子の「日本人性」を最小化することに協力した。RもNも日本の公立校選択で可能な限りの「ぬるま湯」を作るべく、公立小学校に取り出し型民族学級が継続されてきたM地区に、他地域出身のNは学生時代の活動を継続するまま子育て期の居住地としても選択し、Rは他地域へ配偶者の転勤で移ったのち、子どもがまだ小さいうちに配偶者が転職しM地区に戻っている。YとGは幼少時から地域の多文化共生を象徴するイベントに部活が多忙をきわめる中学入学するまで参加を続けた。GもYも現在は日本国籍で、Gは母方Rの姓を名乗り続け、Yは両親の複合姓を学校で名のってきたが、大学進学以降は父方の日本姓のみを名乗る。Yにとって意図せざるパッシングによるきわめて限定的な出自表象となり、制度的な制約に直結する国籍以上に日常生活を規定する名前の選択の影響の著しさが依然として再確認されながらも、出自継承の多面的なありようも示された。 4.結論 日本社会における外国につながるマイノリティの子どもたちをめぐる学校や地域での取り組みには顕著なばらつきがあり、集住地域がもつ持続的な影響力が家庭内実践では不十分な戦略的な教育実践を、地域コミュニティぐるみで支える枠組みがあってなお、出自表象と継承は一様ではない。本報告では、社会関係資本と文化資本の厚みと蓄積がある―換言すれば「レイシャル・リテラシー」すなわち反差別の語彙や対抗ネットワークが強固な2つのインターマリッジ家庭の2世代にわたる出自表象とその変遷を限定的に事例検証したが、社会関係資本や文化資本が異なる事例やジェンダー役割との関連も含むさらなる検証が今後の課題である。

報告番号362

在日ブラジル学校における教育ニーズの多様化 ——保護者の学校選択理由と教員の対応に着目して
椙山女学園大学 金南 咲季

1.目的 日本におけるブラジル学校は、90年代に来日した日系ブラジル人の子弟のための託児所や私塾を前身とし、滞在の長期化に伴う保護者らのニーズを受けて学校として組織化された。その後約30年を経るなかでは単に帰国準備だけでなく、日本の学校に適応できず不就学となった子どもたちの受け皿(宮島・太田 2005)や、トランスナショナルな空間における非連続的・多方向的な進路形成(児島・ハヤシザキ2014)、日本の大学や第三国での進学(Yoshiy 2022)といった多様な教育ニーズがみられるようになっている。しかし、ある学校を舞台として誰がいかなるニーズを有し、それに対して学校や教員がいかに対処しようとしているのかを同時に把握する研究は十分に蓄積されていない。そこで本発表ではブラジル学校X(以下X校)を事例に、1)どのような保護者がいかなる理由で学校を選択しているのかを、保護者の学歴や居住地域、移動展望等との関連に着目して明らかにする。その上で、2)多様化する教育ニーズに対して教員らがいかに対処しているのかを明らかにする。なお本発表では、保護者の教育ニーズを捉えるために、特に「学校選択理由」に着目する。 2.方法 本発表は、追加調査の可能性はあるものの、X校での2023年9月実施の保護者アンケート(400名対象、有効回答数58名)と2024年3月実施の教員インタビュー(校長と主要教員3名)から得たデータ、対象校の基礎資料を用いる。 3.結果 1)多重対応分析を用いて学校選択理由に関するアンケート項目を分析した結果、選択理由の「数」(多/少)と「種類」(母語・母文化継承/日本の学校回避)によって違いがみられた。2)誰がいかなる理由で学校を選択しているのかという問いに迫るため、保護者の学歴や居住地域、移動展望等を追加変数として投入した。その結果、①集住団地に住み、帰国や他国就労の予定がない定住志向の保護者に非大卒層が多くみられ、主に日本の学校を回避する形で学校選択をしていた。一方、②集住団地以外に住み、帰国や他国就労を見据える移動志向の保護者に大卒層が多くみられ、主に母語・母文化継承を目的に学校選択をしていた。3)多様化する教育ニーズへの対応に関する教員の語りからは、学校方針と特定の保護者層のニーズとの不一致から困難が生じている側面が示唆された。具体的には学校側は児童生徒に様々な職業選択の可能性があることを伝え、授業レベルや課題量等も保ちながら日本、ブラジル、第三国での大学進学を後押ししようとしていた。その方針は、主に②に該当する保護者層に親和的であった。それに対して主に①に該当する保護者の中には、日本での定住を前提に保護者と同様の工場労働に就くことを想定しているために、学校方針に疑問を呈する層もみられた。ただしそのなかで、教科の基礎理解の質的保障や加配措置、教員間連携、個別の生徒ニーズの把握と支援、保護者との認識のすり合わせといった工夫がとられていることも明らかとなった。 4.結論 本発表はブラジル学校を多様な教育ニーズがせめぎあう場として捉え、その特徴や背景を、学歴・居住地域・移動展望等の影響を同時に考慮しながら把握する必要性を示した。また、その状況を前に教員たちが限られた資源をもとにいかなる教育実践を編み出しているのかという点も明らかにすることで、ブラジル学校の今日的役割と課題により深く迫っていく重要性も指摘した。

報告番号363

現代リトルトーキョーの設計者——多人種コミュニティと「日本文化」
同志社大学 南川 文里

アメリカ合衆国ロスアンジェルス市のリトルトーキョー地区は、日系アメリカ人の代表的な「エスニック・コミュニティ」として知られている。同地区のランドマークとしては、日系人の歴史展示を行う全米日系人博物館(JANM)や西本願寺ビルなどの歴史的建築物とともに、木造の櫓や瓦屋根などの「日本的」な建築が特徴のショッピング・モールであるジャパニーズ・ビレッジ・プラザ(JVP)が挙げられる。本報告では、1970年代から80年代にかけてのリトルトーキョー再開発のなかで、JVPを設計・経営したコリア系建築家・企業家のデヴィッド・ヒョン(David Hyun)の活動に注目する。 日系エスニック・コミュニティの再開発をめぐる先行研究では、大規模開発を進める日本企業と立ち退きに反対する「草の根」社会運動のあいだの関係に関心が集中してきた(Kurashige 2002; Oda 2019)。そのため、非日系の企業家による「草の根」プロジェクトとしてのJVP事業には十分な関心が払われてこなかった。しかし今日、ラーメンやアニメなどの「日本文化」を体験・消費する場として、リトルトーキョー地区が再び注目されていることを考えれば、「エスニック文化」としての日本を軸としてコミュニティの再定義を図ったヒョンの構想とその活動は、あらためて検証する価値がある。本報告では、地域の多人種化、日本資本の流入、そして都心部のジェントリフィケーションのはざまで、非日系企業家が主導したJVP事業が、日系人にとっての「エスニック文化」をどのように再定義したのかを考える。 D・ヒョンのリトルトーキョーへの関わりは、1970年代初頭の同地区での高層ホテル建設に向けて、日系二世のリーダーらと不動産開発会社アジアメリカ社を設立したことに始まる。「多人種のステークホルダー」という理念を掲げたアジアメリカ社の提案は採択されなかったが、ヒョンは同社を引き継ぐと、1976年には商業施設・オフィス開発の新プロジェクトとしてJVP計画を作成し、ロスアンジェルス市からの採択を受けた。JVPは、「草の根のプロジェクト」として、地域の日系スモールビジネスを中心としたエスニックな事業であることが強調された。ヒョンは、非日系として日系コミュニティ内の差別にも頻繁に言及し、JVP事業が日系人の差別意識を克服し、非日系人と友好的な関係を構築する場であると主張した。一方で、エキゾチックな日本イメージを積極的に採用し、とくに1984年のロスアンジェルス・オリンピック以降は、「国際都市」「交差路都市」の一角として「日本文化」の商品化を担う場となった。ヒョンとJVP事業は、再開発に直面した日系コミュニティの存続の道を切り開くと同時に、多人種都市ロスアンジェルスにおけるエスニックな「観光地」あるいは「日本文化」を経験する場への移行をすすめる契機ともなった。 Lon Kurashige (2002) Japanese American Celebration and Conflict: A History of Ethnic Identity and Festival in Los Angeles, 1934-1990. University of California Press. Meredith Oda (2019) The Gateway to the Pacific: Japanese Americans and the Remaking of San Francisco. University of Chicago Press.

報告番号364

台湾エスニック・ナショナル・アイデンティティのファジィ集合分析
関西学院大学 石田 淳

【1.目的】 本研究は,多元的・多層的な台湾エスニック・ナショナル・アイデンティティの実情を把握するために,集合論的分析を前提とした詳細なウェブ調査を実施し,ファジィ集合分析を応用した分析手法によって分析することを目的とする. 日本による植民地支配から中国国民党政権による遷占,その後の民主化という特異な歴史的展開,そして中国本土との緊張と相互依存からなる地政学的配置をもつ台湾社会において,人々が自らや他者のエスニシティやナショナリティをどのように認識しているかは,民主化以降の政治状況を規定するものとして,また多様化社会におけるアイデンティティの問題として関心を集めてきた. 台湾エスニック・ナショナル・アイデンティティについては,ケーススタディや世論調査や国際比較調査をもとにした計量的研究が多くなされているものの,アイデンティティの多層的な構造に深く迫った研究は多くはない.そこで本研究では,集合論的分析を前提とした詳細なウェブ調査を実施することで,アイデンティティの多元性とその規定要因について記述・分析することを試みる. 【2.方法】 2024年1月と7月(予定)に台湾住民を対象にウェブ調査を実施した.調査では,主要な調査項目として,調査回答者がもつ認知的なアイデンティティ構成の重層性を明らかにするために,回答者の知り合いや親類,父母,そして自己をサンプルとして想起させ,アイデンティフィケーションの対象となるカテゴリーとして,「中国人」,「台湾人」,「漢族」,「中華民族」,「原住民」,「本省人」,「外省人」,「客家人」,「閩南人」を列挙し,それぞれの所属の度合いを11段階の尺度で尋ねるという方法をとった.そのほか,関連するデモグラフィック情報,政治的態度,メディア接触について尋ねた. 【3.結果】 分析ではファジィ集合論の枠組みを用いた.具体的には,所属の度合い尺度をファジィ集合のメンバーシップ関数として扱い,各カテゴリーの特性,カテゴリー間の包含関係を集合論的に分析する.これにより,人々の認識におけるカテゴリーの曖昧さ,カテゴリー間の包含関係(必要条件,十分条件)を詳細に分析することが可能となる.そして,こうしたパターンを生じさせる回答者の属性・社会経済的地位,その他の要因との関連を探る.結果の詳細については当日の発表で詳説する. 【4.結論】 本研究で新たに提案する,ファジィ集合分析による多元的アイデンティティ分析という手法は,台湾エスニック・ナショナル・アイデンティティの問題だけではなく,アイデンティティの多元性を扱う様々な研究の方法論的発展に資するものである.なお,本研究はJSPS科研費 23K01808の助成を受けたものである.

報告番号365

モビリティーズ・スタディーズ/都市社会学
東北大学 吉原 直樹

モビリティーズ・スタディーズは、20世紀後半から世紀転換期の社会理論領域において立ちあらわれた空間論的転回および移動論的転回に符節を合わせて登場してきたものである。それはある意味でグローバル化の進展とともに前景化/可視化するに至ったボーダースタディーズの衣鉢を継ぐものであるが、それじたい、プリゴジンを嚆矢とする複雑性科学を認識構造の中心に据えている点に最大の特徴がある。アーリによると、複雑性科学の中軸をなしているのは非線形的パラダイムであり、そこを通底しているのが諸物の「間/あいだ」とそこから立ち上がる非主体の集合性・関係態、畢竟、「創発/創発的なる」ものを問うというスタンスである(『モビリティーズ』)。このスタンスは空間論的転回から移動論的転回において、グローバル化の進展と国民国家のゆらぎに照準をあわせながら社会の脱領域化/脱場所化から再領域化/再場所化へと視点を移すなかで、空間/場所を分かつとされてきた「境界」、「仕切り」のありようが中心的な論点となってきたことと深く関連している。ここで留意しなければならないのは、以上のような問題構制が近代の知を枠づけてきた「空間/場所と時間」をとらえかえすことから出自していることである。ちなみに、ウォーラースタインは「脱=社会科学」の立論の根拠として(社会学を含めて)従来の社会科学が<時空>を「物理的不変量」、すなわち外生変数と考えられて、「高度に流動的な社会的創造物」として考えられてこなかったことに着目している(『脱=社会科学』)。モビリティーズ・スタディーズは、認識の枠組みから排除されてきた<時空>を社会的な構築物としてとらえたうえで、「間/あいだ」とそこに深く底礎する、ゆらぎ不確定な「創発/創発的なもの」を浮き彫りにしている。  本報告では、モビリティーズ・スタディーズがそうした「創発/創発的なもの」の下位概念として着目するアサンブラージュ、アフォーダンス、ア-ティキュレーションに照準を据え、それらがあるシステムから別のシステムへの分岐点(単なる転換点ではない)を示すとともに脱主体の契機を宿していることを明らかにする。同時に、そうしたものが上からの<共>へのまなざしにさらされて、線形性の機制の罠に陥る蓋然性があることを、都市社会学がターゲットに据えているトランジション・シティ、コミュ二ティ・オン・ザ・ムーブの「いま・ここ」と「これから」を観るなかで検討する(吉原「モビリティーズへの基本的視座」、『都市社会学講義――シカゴ学派からモビリティーズ・スタディーズへ』)。 【参照文献】 アーリ, J., 吉原直樹・伊藤嘉高訳『モビリティーズ――移動の社会学』作品社, 2007年. ウォーラースタイン,I., 本多健吉・高橋章監訳『脱=社会科学』藤原書店,1993年. 吉原直樹「モビリティーズへの基本的視座」(吉原直樹・飯笹佐代子・山岡健次郎編『モビリティーズの社会学』有斐閣)2014年. ____『都市社会学講義――シカゴ学派からモビリティーズ・スタディーズへ』(仮題)筑摩書房, 近刊.

報告番号366

共生・協働の分析枠組みと福祉概念
山梨大学 三重野 卓

[目的・方法]  本報告の目的は、「福祉」に対する社会学的アプローチのために、第一に、福祉社会学の学際性(経済学、政治学、行政学、社会福祉学など)、その固有性、および他の分野との共通性について認識することにある。さらに第二として、福祉社会学の時代性(問題関心の変化への着目)、第三として、その論理(ないしは理論)、分析枠組みの必要性を考慮に入れつつ、今後の方向性を模索することにある。  そのため、三重野編『福祉と協働』(ミネルヴァ書房、2023)、三重野「福祉社会学の到達点と理論的課題」(『福祉社会学研究』第11号、2014)などを参照しつつ、福祉の諸概念(welfare,wellbeing,happiness,quality of life)、および政策基準(価値基準,equality,justice,equity,fairness,efficiency)の検討を行い、さらに現代的課題として注目される共生、協働について福祉の観点から定式化することになる。これらの概念は、実際には相互に関連があるが、その点は十分に認識されていない。 [結果・結論]  ここで、福祉関連概念の詳細(効用、選好、機能的要件、主観的、客観的要因などの検討)は省くが、ケイパビリティ(潜在能力)、およびニーズ(潜在能力の欠損状況)へ注目し、さらに政策基準に関しては、多様性を踏まえた潜在能力の平等(その選択の自由)や、公正として、明白な福祉ニーズ充足の不平等を避け、基礎的、最低限部分のニーズ充足を保障し、負担と給付の関係(公平の概念)に注目する必要がある。  一方、共生(symbiosis,coexistenceなど)の視点として、①多様性、②対話、③許容性、④反差別、➄共感、➅平等、⑦コミュニティ、⑧自立と共同性、➈参加、⑩政策、支援が指摘された。そして、近年、福祉の分野で、地域共生社会が標榜されている。こうした原理と福祉をめぐる政策課題から、福祉政策を再構築する必要がある。協働(collaboration,partnershipなど)の論理については、様々な学問分野で議論されているが、広義には、マクロレベル(レジーム論、福祉ミックス、福祉多元主義、準市場)、狭義には、メゾレベル(官民協働、市民協働、組織内・間協働、地域協働、多機関協働、協働的支援、社会的支援など)があり、そしてミクロレベル(多職種の協働、ニーズのある人との協働、ニーズのあるひと同士の協働など)がある。   共生は、「共に在る、存在する」、そして「生きる」というように存在性、生命に焦点があるのに対して、協働は、各主体(公的部門、民間営利、非営利部門、家族、市民など)が分担し、対立を含みながら、「共に作用する」という点に焦点がある。しかし、両概念とも、「関係性」、「相互作用」という点から現象をシステムとみなすシステム論の立場にあるといえる。システム論は、学問横断的な論理であるが、人々の「関係性」に注目すると、とりわけ社会学的である。実際の共生と協働の関連性については、共に「生きる」と様々な主体の協働がスムーズに作用する側面があるし、各主体の協働により、人々が共生し、福祉が高まる側面も重要である。こうした点の論理化が不可欠になる。そして当該社会において福祉、ないしは「生活の質」の向上とともに、システムの効率性の向上、さらに共生、包摂、平等、公正などの公共価値の制度化が必要になろう。そこでは、社会指標、政策評価の指標による各主体の「対話」が望まれる。

報告番号367

情報概念の検討から社会学のパラダイムを再考する
早稲田大学 伊藤 守

情報とはなにか。この問いに答えるべく情報概念に関する思索が行われてきた。吉田民人、田中一、正村俊之、そして西垣通が、先行研究をふまえ、独自の情報概念を提起している。しかし、これで情報概念に関する探究が「閉じた」というわけではない。さらなる検討が求められていると言えるのではないだろうか。本報告では、その手がかりを、アリストテレスの形相質料という二元論的な概念構成に対する再検討をおこなった科学哲学者のG.シモンドンからJ.ドゥルーズとF.ガタリへと継承された展開に求めたいと考えている。  アリストテレス流の形相質料概念は、「結合体を形成する条件かつ原理としての、「形相なるもの」と「質料なるもの」は、実際に単一の項として、そしてすでに個体化された「原因」として扱われている」とシモンドンは指摘し、批判を加える。つまり、個体化された原子、すでに個体化されてある質料形相、個体化した図形といった、すでに個体化のプロセスを通して出来上がったものを、個体化のプロセスの原因として見なす、という誤りを犯しているというのである。  このアリストテレスの形相質料概念に対して、シモンドンは「質料と形相が差異化するのは、無限に短い瞬間においてではなく、生成の只中においてである。形相はポテンシャル・エネルギーの乗り物ではない。質量は、それが逐一、実現されるエネルギーの乗り物でありうるゆえにのみ、形を与えることができる質料(matière informable)なのである」と指摘する。きわめて重要な指摘である。すなわち、ここで指摘された<informable>という概念が、すでに形をなしたものではなく、<今-まさに-形を与えることができる>プロセスに光を与える概念として提示されているからである。従来の情報を「パタン」として、あるいは「変換されたパタン」として、すでに形をなしたものとして情報を捉えることではなく、生成の位相から情報を捉える視点が打ち出されていると言える。  こうしたあらたな視点は、「心的個体化」においても適応可能である。ここでいう「心的個体化」とは、生命組織が日々準安定状態において個体化の歩みを続ける中で「全体において捉えられた知覚や認識に関して一つの個体化の問題」を考察することである。簡潔に言えば、知覚という問題系である。知覚とはもちろん、視覚・聴覚・触覚等の情報受容である。その知覚の際、情報(の強度)は、「生命の力動性によって方向づけられる主体を前提にする」とシモンドンは強調する。つまり、身体の情動的運動である。この情動的な運動を通して、主体は「対象ではなく、状況が意味をもつようなやり方で、極性をもった世界」を知覚する。すでに述べた、すでにパタン化され、形をなした情報ではなく、あらたな形を生成する情報のプロセスを、知覚においても問題化しているのである。<情報>概念は<情動>と対をなして捉えられていることを看過してはならない。  以上の論点は、オートポイエーシス理論のさらなる理論的展開を後押しするものとであり、現在の社会学的パラダイムに新機軸を提示することにつながる、と考える。

報告番号368

エイジングをめぐる課題に対する現代社会学の継承と発展
愛知県立大学 松宮 朝

本報告は、「現代社会学の継承と発展」と銘打たれたシリーズの一巻、『世代と人口』(金子編著,2024)のなかで展開された議論について、シリーズ全体を視野に入れつつ、特にエイジングをめぐる課題に対して、さらなる展開可能性を探ることを目的としている。現代社会における重要な課題を理解する上で、社会学の遺産をどのように活用することが可能か、そして新たな形で展開していくことが可能かという点について、本巻、そしてシリーズ全体でそれぞれのフィールドから詳細に論じられている。ここでは、これらの知見を踏まえつつ、エイジングをめぐる課題に対する実践的な方法論としての展開可能性に焦点をあてて考えてみたい。 エイジングをめぐっては、社会保障制度などマクロレベルから、個人生活といったミクロレベルに至るまで、幅広い視点から議論されてきた。どのレベルの議論であれ、エイジングの実態を把握し、よりよい条件を考えるために焦点化されてきた概念が、幸福な加齢の条件を探る「サクセスフル・エイジング」といえる。「サクセスフル・エイジング」概念による把握の特徴は、高齢者の幸福を健康などの身体的な状況のような個人レベルの視点だけでなく、それを支えるサポート・ネットワークや社会参加といった社会的条件を重視する点にある。もっとも、高齢期における健康、自立、生産的、社会への貢献といった「サクセスフル・エイジング」概念の要件をめぐっては活発な論争がなされ、いくつか根本的な批判も浴びせられることとなった。「自立」と「生産的」であることを強調し、「自立して生産的」でない高齢者に失敗者という自覚をもたらしてしまう、健康上の理由や経済的な理由でそれを達成できない高齢者に不当な不全感を与える、周囲のサポートよりも自立を選ぶ強迫観念を与えるといった批判が代表的なものだが、この主張と批判の構図を俯瞰してみると、活動理論/離脱理論の論争から引き継がれた二元論の反復とも考えられる。  本報告では、こうした二元論の枠組みではなく、エイジングに関する理論の検討を踏まえ、「社会モデル」としてコミュニティ社会学を応用するという視点から、愛知県の実践事例(孤独死対策、市民農園による社会参加、サードプレイス創出)の分析をもとに、高齢者の生活を支える社会的条件を構築する実践的な方法の獲得を目指している。ここでは、特に高齢者福祉の文脈では見落とされがちだった「商助」の有効性、および「サードプレイス」の議論では十分に位置づけられていない、磯村英一による「第三空間」概念のもつ実践的意義を見出すことになった。いずれも高齢者の生活を理解し、「サクセスフル・エイジング」の社会的条件を探るという、理論的、実践的課題に対して貢献するものであり、「社会学の継承」の重要性が確認される。さらに「社会学の発展」という点では、目前にせまるエイジングをめぐる課題にこたえるために、社会学のコミュニティに関する実践的方法論の蓄積を、批判的なまなざしを織り込みつつ活用していくことの意義を指摘することができる。「サクセスフル・エイジング」の社会的条件に目を向け、高齢者福祉の実践につきまとう様々なジレンマを乗り越え、エイジングをめぐる課題に向き合う、社会学の有効性と可能性を示すものと考えられる。 文献 金子勇編著,2024,『世代と人口』ミネルヴァ書房.

報告番号369

環境と社会運動へのまなざしの交響
尚絅学院大学 長谷川 公一

報告者は、「現代社会学の継承と発展」の『環境と運動』の巻の編者となった。どんな社会的争点についても関連する社会運動がありうるし、さまざまの社会問題が問題視され、争点化されるにあたって社会運動がはたしてきた役割は大きいから、『ジェンダーと運動』『都市と運動』『福祉と運動』というような巻編成も十二分にありうる。しかしながら「現代社会学の継承と発展」というテーマを設定したときに、とりわけ社会運動との関連が強いのは、環境であると言って過言ではない。現代日本だけでなく、国際的にもそう言えるだろう。  『ジェンダーと平等』の平等のようなタイトル後半のキーワードを置き換えて、『環境と平等』『環境と協働』『環境とメディア』のようなタイトルをつくることも論理的には可能だ。しかしいずれも焦点を限定させすぎる印象がある。  環境、運動の両方向から考えても『環境と運動』がしっくりくる。そこには歴史的な根拠もある。  アメリカにおける環境社会学の初期を代表する教科書の第1章で、バトルらはアメリカの環境社会学について、「1960年代後半の環境運動がなかったならば、環境社会学はおそらく出現していなかったであろう」と述べている(Humphery and Buttel 1982=1991)。1970年4月の第1回アースデー運動を頂点とする、1960年代後半から70年代半ばまでの環境運動が、アメリカの環境社会学の母体となったという意味である。  同様に、フェミニズム運動がなかったならば、ジェンダーの社会学はおそらく出現していなかっただろう、とも言いうるだろう。しかし都市社会学や福祉社会学の場合には、運動とはいわば独立に、関連する運動の興隆以前から学問が成立してきた。  ジェンダーの社会学は男性優位の社会へのアンチテーゼ、環境社会学は経済優位の社会へのアンチテーゼという性格が強いが、ともに、1960年代以降に登場してきた比較的新しい領域であり、長い間、社会学のメインストリームからは外れた存在だった。それゆえ学問の成立にとって、学問が存在感を増していくにあたって、関連する運動のはたした役割は大きかったのである。現実の運動は問題の所在を教え、若い研究者や大学院生を鍛え、新たな学問を生みだす孵卵器となったのである。  アメリカにおいてと同様に、日本の環境社会学の成立にあたっても、社会運動と社会運動研究がはたした役割は大きかった。日本ではとくに1960年代以降、公害問題に関する被害者運動、被害者救済運動、大規模開発プロジェクトに対する建設反対運動など、典型的には住民運動という形で、多くの運動が起こった。これらの運動が環境問題や環境運動の研究者を育て、日本における環境社会学の成立を促す孵卵器となった。  公害・環境問題をめぐっては、それぞれの現場で何らかの社会運動や抗議運動が起こるのが通例である。仮に重大な環境問題が存在するにもかかわらず、何らの運動も起こっていなかったとしたら、言論や異議申し立て、抗議行動が抑圧され、運動が封じ込められているとみることができる。  環境社会学における、環境運動の社会学的研究の比重の大きさとは対照的に、環境経済学や環境法学の入門書や教科書において、環境運動が言及されることはほとんどない。運動論的な視座は、環境問題に関する社会科学的な研究の中でも、環境社会学に独自な視点といえる。

報告番号370

テキストマイニング/計量テキスト分析はどのようなデータを用いてきたか——生成AI以降のテキストデータの多様化のために
大阪公立大学大学院 明戸 隆浩

1 背景  テキストマイニングあるいは計量テキスト分析(本報告ではひとまずこの2つを基本的に同じアプローチとして扱う)を用いた研究は日本でもこの20年ほど増加傾向にあるが、近年これらのアプローチが用いる「資源」であるテキストデータに、深刻な問題が生じている。直接のきっかけは2022年秋の2つの出来事で、1つは10月のイーロン・マスクによるTwitter(現X)の買収、これによりTwitterのデータ利用費用が著しく高騰して現在は一般的な研究者にはほぼ利用が無理な状況となった。もう1つは11月のOpenAIによるChatGPTの発表で、これをきっかけに始まった生成AIブームは、それまで(ターゲティング広告に必要な個人情報と比べて)相対的にあまり商業価値のなかったテキストデータをテキスト生成AIの開発に不可欠な「宝の山」に変えた。とくに後者は新聞記事の位置づけの変化にも大きくかかわっており、実際OpenAIはデータ利用をめぐってニューヨークタイムズなど複数の新聞社から裁判を起こされている一方で、ウォールストリートジャーナルやフィナンシャルタイムズなどとの提携を積極的に進めている。 2 目的と方法  以上のような問題関心から、本報告では共有すべき課題を「2022年以降のテキストマイニング/計量テキスト分析における資源の問題」と位置づけ、こうした問題に対応するために必要なデータの多様化のための基礎作業として、これまでのテキストマイニングあるいは計量テキスト分析でどのような種類のテキストデータが用いられてきたのかについて、系統的文献調査(SLR)の方法を援用して検討したい。系統的文献調査とは、論文や書籍のデータベースをもとに特定のテーマについて書かれた論文や書籍を(一部の研究を取り上げるのではなく)網羅的に扱い、検証可能なやり方で整理する方法である。本報告では日本の代表的な論文データベースの1つであるJ-Stageを利用して874件(2024年6月時点)の論文データを抽出した上で、そこで利用されたテキストデータの種類について分析を行った。なおこれはすべて人力でやると作業量にやや無理があるため、OpenAIのGPT-4oを用いて選択式で利用データの種類を抽出させた後、人力でチェック・修正を行った。 3 結果と結論  日本におけるテキストマイニング/計量テキスト分析を用いた論文は2000年代以降一貫して増加傾向にあり、2000年代には10~20本程度だった論文数は、2010年代には30~60本程度になり、2020年代以降は毎年60本以上の論文が出されている。またテキストデータの種類については予備調査としてランダムに100件を抽出して分類を行ったが、アンケートの自由回答をデータとして用いたものが39件ともっとも多く、インタビュー(4件)、SNSデータ(4件)、新聞記事(3件)を大きく引き離す結果となった。一方上記いずれにも分類できないデータを用いたものは29件あったが、そこには行政や企業、NPOなどが出している文書データ、問い合わせや相談、研修などの記録データ、書籍や論文データなどが含まれており、とくにテキストデータの多様化という点で重要な意味をもっている。今回は限られたデータでの検討結果となっているが、直接対象とするJ-Stageデータのさらなる分析に加え、英語論文データベースを利用した英語圏の論文についての同様な作業も含め、引き続き研究を進めたい。

報告番号371

新聞記事の内容分析をめぐる情報環境と社会学
東京大学 塩谷 昌之

戦後の新聞学では、多様な資料を量的に調査する内容分析の方法が導入されてきた。川中康弘は日刊紙の内容を報道、読物、写真、社説、広告に分類し、それぞれが全紙面に占める面積と割合を計算して各紙の特徴を示している(川中 1954)。また社会学では、新聞の身の上相談記事に関する研究群が存在し、見田宗介による不幸の諸類型の分析(見田 1965)や、太郎丸博による1934年、1964年、1994年の投書の比較分析(太郎丸 1999)、中野康人による「朝日新聞記事データ集 学術・研究用」、「読売新聞記事データ集」を活用した計量テキスト分析(中野 2009; 2010)などの蓄積がある。このような研究の継承は、コンピュータの普及、データ集の提供販売、アプリケーションの充実の影響下にあり、情報解析は社会学においても興隆してきた。 さらにインターネットの普及によって、テキスト型データは普遍的な存在となり、これらを収集する技術も確立していく。しかし、クローラやウェブスクレイピングの技術は、2010年の岡崎市立中央図書館の事例のように、ユーザーとサービス提供者とのコンフリクトを引き起こすこともある。情報環境の急激な変化は、情報へのアクセスを管理するAPIの整備や、サービスの利用規約の変更など、常にあらたな秩序を問い直している。近年では生成AIの普及と並行して、著作権法の改正や、文化庁による調査・研究が盛んに行われている。また、情報解析に対する意思表示として、各新聞社のウェブサービス利用規約の変更や、日本新聞協会による声明・見解の発表も相次いでいる。 本報告では、この情報環境の社会的な変化を踏まえて、現行の著作権法の第三十条の四、第三十二条、第四十七条の五などをめぐる議論を整理しながら、社会学における新聞記事の内容分析の意義と態度について再考する。中野はいくつかの制約条件を付した上で、新聞記事の可能性を「現在の社会状況を映す鏡であると同時に、過去の状況を教えてくれる貴重な資料でもある」(中野 2009: 72)と述べている。その重要性を意識しながら、新聞記事の適切な利用について積極的に議論したい。 【参考文献】川中康弘,1954,「内容分析による日刊紙の社曾的責任に關する研究」『新聞学評論』3: 90-100.見田宗介,1965.『現代日本の精神構造』弘文堂.中野康人,2009,「社会調査データとしての新聞記事の可能性――読者投稿欄の計量テキスト分析試論」『関西学院大学先端社会研究所紀要』1: 71-84.――――,2010,「読者投稿の記述的計量テキスト分析――「声」と「気流」」『関西学院大学先端社会研究所紀要』2: 43-57.太郎丸博,1999,「身の上相談記事から見た戦後日本の個人主義化」光華女子大学文学部人間関係学科『変わる社会・変わる生き方』ナカニシヤ出版,69-93.

報告番号372

新聞記事を対象とした諸外国の調査研究の現況
東京都立大学 河野 静香

本研究の目的は、諸外国における新聞記事データベースの利用環境とそれらを活用した調査研究の実態を明らかにし、テキストデータの量的分析に関心をもつ研究者が日本で研究をおこなう際に有用な知見を得ることである。  デジタル化が進展した現代において、日々大量の情報がWeb上で更新され、消費されている。こうした情報をデータとして収集・分析することは、制度的にも技術的にも従来に比べてはるかに容易になった。一方で、知的財産権(知財権)や著作権の観点から、データ利用をどの程度許容するのかについて国内外で議論が続いている。2024年には、日本の内閣府がAIによる学習は知財権の侵害にあたらないとの見解を示し、文化庁はテキストおよびデータマイニングのためのデータ利用を認める方針を示した。  法制度ではテキストデータを対象とした調査研究が認められているものの、事業者側の見解は必ずしもこうした動向と一致しているわけではない。たとえば、一般社団法人日本新聞協会は2023年に日本政府に対し、事業者の権利保護についても議論すべきとの声明を発表している。直近では、2024年2月1日に読売新聞社が従来の「読売新聞オンライン会員利用規約」を「読売新聞オンライン利用規約」に改め、データマイニング、テキストマイニング等のコンピュータによる言語解析行為を禁止することを決定した。このような背景から、各事業者がテキストデータの利用をどの程度まで許容しているか、また、データベースを利用する場合にどのような方法であれば調査が認められるのかなど、新聞記事を対象とする学術研究に関心をもつ研究者にとって重要な関心事となっている。  そこで、本研究では、諸外国のうち、日本よりも先行してデータ利用に関する法制度が整備された米国と欧州におけるテキストデータの利用環境と調査研究の実態を特定する。米国では、著作権者が事業者を訴える事案が発生しているが、学術研究を含む非営利目的の利用についてはフェアユースの観点から保護されることが多い。また、EUでは、「デジタル単一市場における著作権に関する指令」(2019年4月に改定)において、テキストマイニングとデータマイニングに関する新たな規定が設けられ、同じく非営利目的での利用が推進されている。  本研究では、データ利用に関連する米国と欧州の法制度を確認した上で、事業者側がテキストデータの利用をどの程度認めているのかを調査する。さらに各社の利用規約をもとに諸外国における新聞記事の取り扱いを明らかにし、Web上でのデータ取得が認められていない場合にどのような方法で研究をおこなえるのかを検討する。加えて、諸外国の調査研究を分析し、テキストデータの量的分析を日本で実施する際に参考になる具体的なポイントを探る。これにより、諸外国の現況を把握し、テキストデータを用いた日本の学術研究の今後の発展可能性を模索するための機会を得たい。

報告番号373

テキストマイニングを目的とした新聞記事データの利用について
武蔵大学 曹 慶鎬

【1.目的】  コンピュータを利用してテキストデータを処理するテキストマイニングが急速に普及している。インターネット言論の分析等、社会学においてもこれらの技術を用いた研究は珍しいものではなくなっている。一方、素材となるデータに目を向けてみると、これまで幅広い研究に利用されてきたTwitterデータの利用条件の大きな変更など、状況の流動化がみてとれる。このような事情を鑑みると、テキストマイニングの有力な研究素材として新聞記事データの存在感が増すことが考えられる。だが、新聞記事データをテキストマイニングに用いる際には、実際の分析に先立つデータの入手の段階においても留意すべき点がある。そこで本報告ではテキストマイニングを行うことを想定して、新聞記事データを入手して利用する際の実務上の要点について整理する。 【2.方法】  本報告では新聞記事データに接する二つの機会に注目する。一つ目は新聞記事データベースの利用であり、二つ目は新聞社からの新聞記事データの購入である。これらの利用に際して留意すべき点を、新聞記事データの供給元である新聞社の公式資料等に依拠しながら整理していく。新聞記事データベースと新聞記事データは複数の新聞社から提供されているが、主要二社に絞って議論を進める。 【3.結果】  一つ目の新聞記事データベースは大学図書館などを通して容易にアクセスできるだけでなく、強力な検索機能も有することからきわめて利便性の高いものであるが、利用目的と利用形態はデータベース提供者である新聞社によって厳格に定められている。テキストマイニングを想定した新聞記事データベースの利用は、利用規定で明確に禁止されているケースもある。二つ目の新聞記事データの購入であるが、手続きさえ行えば一定期間の新聞記事の「全件」データを分析の素材とすることが可能であるが、利用可能なデータ期間が限られるだけでなく、ある程度まとまった研究予算を確保する必要がある。またデータ購入後に許される利用期間や利用形態についても新聞社毎に異なる。 【4.結論】  新聞記事データはテキストマイニングのきわめて有力な素材と思われるが、その入手と利用に際しては規約の遵守などに十分な注意を払う必要がある。また、今後の研究の発展と新聞記事データの利用の拡大のためには、研究目的での利用形態と新聞社の権利の保護のよりよい着地点を探る必要もあるだろう。 【5.参考文献】 Salganik, Matthew J., Bit by bit: social research in the digital age, Princeton University Press.(瀧川裕貴・常松淳・阪本拓人・大林真也訳,2019,『ビットバイビット-デジタル社会調査入門』有斐閣.)

報告番号374

戦時期警察における警戒・取り締まり対象の時期的変遷に関するテクスト計量分析——『特高月報』「宗教運動の状況」1935-1944
上越教育大学 小島 伸之

1.目的と前提 本報告は、戦時期(1935年-1944年)における特別高等警察の警戒対象・取り締まり対象の時期的変遷について、内務省資料(内務省警保局『特高月報』)を用いて分析した結果を報告するものである。  特別高等警察による宗教運動・宗教団体に対する取り締まりの時期的変遷については、[小島2008]「小島2009」[小島2010]などによって指摘されてきた。1935年、宗教団体が背後にある右翼的政治運動として昭和神聖会を警戒対象と見たことを端緒に、特別高等警察は宗教運動への監視を開始した。同年、皇道大本が摘発され、1936年には扶桑教ひとのみち教団が教団内のセックススキャンダルを契機に摘発されることとなる。特別高等警察による宗教弾圧については、[池田1977][渡辺1979]などが、国体からの距離の際によって説明していたが、天皇・皇室・神話などの「国体」に関する治安維持法違反や不敬罪での取り締まりは全体の中ではわずかであり、その多くは医療妨害や人身惑乱など警察犯処罰令による呪術迷信的宗教の取り締まりであることが明らかになっている。 2.研究方法  以上のような知見を基に、本報告においてはテクスト計量分析の手法を用いて、特高警察による宗教運動・宗教団体に対する注目・警戒・取り締まりの時期的変遷を検証する。テクスト計量分析の手法により、上記の変遷について確認し、より精緻な状況が明らかになることが予想される。『特高月報』「宗教運動の状況」のテクスト計量分析については、その見出しを対象とした試行的分析をすでに行っており、2024年2月2日の国際計読会議(Language Use and Its Symbolic Power, 2024 International Colloque, Social Computation Society Japan, Tokyo Metropolitan University, Tokyo, Japan.)にて報告した結果によれば、従来の検討では可視化されていなかった事実がいくつか浮かび上がってきた。1.宗教団体の中では生長の家が最も注目されていたこと、2.日中戦争/支那事変前後の時期から、キリスト教系団体等への注目が一気に強まること、などである。 3.予測される結果  本報告においては、『特高月報』「宗教運動の状況」について本文を対象とした分析をおこない、注目・警戒・取り締まり教団、取り締まられた行為の種別の時期的変遷の検証に加えて報告の地域的偏差、表現の辛辣度の変化についても報告する。  そのうえで、同時期における宗教団体への警戒・取り締まりに関する新聞記事をいくつか紹介し、現在、急速に研究利用が困難となりつつある新聞記事のテキスト計量分析の必要性と可能性について考えてみたい。 4.文献 池田昭1977『ひとのみち教団不敬事件関係資料集成』三一書房。 小島伸之2008:「特別高等警察による信教自由制限の論理:皇道大本とひとのみち教団「不敬事件」の背後にあるもの」『宗教と社会』第14号、pp.14-86。 小島伸之2009:「信教自由に対する宗教団体法施行の影響」『東洋学研究』第46号、pp.193-205。 小島伸之2010:「自由権・民主制と特別高等警察」『宗教法』第29号、pp.71-98。 渡辺修1979:「ファシズム期の宗教統制―治安維持法の宗教団体への発動をめぐって―」『ファシズム期の国家と社会4 戦時日本の法体制』東京大学出版会、pp.113-163。

報告番号375

全国紙と地方紙の新聞記事データベースの比較
東北学院大学 鈴木 努

1.目的  本報告の目的は、新聞社の提供するオンライン記事データベースの検索において、全国紙と地方紙で結果にどのような違いがあるかを比較することである。全国紙の記事データベースとしては朝日新聞社の朝日新聞クロスサーチや読売新聞社のヨミダスがある。これらのデータベースは収録記事に対する機械的な検索やテキストマイニングを利用規定で禁じているため、社会学的な研究目的であってもテキスト解析の対象とすることはできない。一方、宮城県を中心に東北地方で日刊紙を発行している河北新報社の記事データベースにはそのような禁止規定がなく、機械的な解析が許容されている。本報告では、特定のテーマの記事件数において全国紙(朝日新聞、読売新聞)と地方紙(河北新報)でどのような違いがあるかを調査し、データベースの代替可能性やその限界について考察する。 2.方法  新聞記事データベースの検索には、朝日新聞クロスサーチ、ヨミダス、河北新報データベースを用いる。河北新報データベースが1991年以降の記事を収録していることから、全国紙でも同時期の記事を検索する。社会学的な研究テーマに関連するキーワードの例として「ジェンダー」と「待機児童」のそれぞれを記事の見出しに含む記事を検索し、その結果を比較する。ただし、河北新報については見出しに加えてリード文の冒頭にキーワードを含む記事が一部含まれている。いずれにしても、見出しと記事冒頭に重要な事項を記載するという新聞記事の特徴により、これらのキーワードが内容上重要なものとして扱われている記事を抽出したと考えることができる。こうして3紙について2語のキーワードを検索し、見出しにそれらの語を含む記事総数と年ごとの推移を調べた。 3.結果  記事検索の結果、「ジェンダー」を見出しに含む記事の総数は朝日新聞642件、読売新聞294件、河北新報301件であった。総数としては朝日の件数が突出している。増減の変化を見ると、3紙とも2000年前後に記事件数が増えている。これはジェンダー概念の普及とそれに対する「バックラッシュ」の動きを反映している。特に読売新聞はこの時期「ジェンダーフリー」への言及が増えている。2000年代後半から10年代前半に減少した後、2020年代に入ると「トランスジェンダー」関連などの記事が増える。朝日、河北が年間100件以上の記事を掲載する一方、読売は30件程度にとどまり、全国紙2紙の間でも温度差が見られる。  「待機児童」を見出しに含む記事の総数は、朝日1122件、読売1299件、河北305件と全国紙と地方紙の違いが際立った。ただし、増減の動きは3紙に類似性が見られ、待機児童の社会問題化や選挙の際の公約の報道などを反映していると考えられる。全国紙2紙が大きく件数を増やしたのは2010年代半ばである。これは2016年に「保育園落ちた日本死ね!!!」という記事が匿名ブログに投稿され、国会質疑にも取り上げられたことが影響していると考えられる。河北もこの時期記事数は増えるが、主に県内自治体の状況や施策を扱っている点が特徴である。 4.結論  全国紙2紙と地方紙1紙のデータベース検索により、限られたキーワードについてではあるが以下のことが分かった。社会全体の関心の変化の反映は3紙に共通性が見られが、地方紙の特徴や全国紙間の相違も見られるため、新聞記事データベースには固有性があり相互に代替できない部分がある。

報告番号376

「社会的時間」概念の生成——デュルケームとソローキン&マートンの「断絶」をめぐって
昭和女子大学 鳥越 信吾

報告の概要  本報告の目的は、P. ソローキンおよびR. K. マートンが、E. デュルケームおよびデュルケーム学派の社会的時間論に対してどのような態度決定を図りながら自らの「社会的時間」の概念を彫琢していったのかを解明することにある。  先行研究では、「デュルケーム学派が、時間の社会学の進む道を用意し、その鍵となる理論的パースペクティブを示したこと、このことは疑いえない」(Pronovost 1989: 7)というように、デュルケーム学派が後進の時間の社会学に対して基底的な位置づけにあることが強調されることが通例であった。デュルケーム(学派)とソローキン&マートンの関係もまた、後者が前者の延長上にあるものとして、類似したものとして理解されてきた(Subrt 2015: 335)。デュルケームが『宗教生活の基本形態』で提示した「時間のカテゴリーが表しているのは集団に共通の時間であり、それはいってみれば社会的時間なのである」(Durkheim 1912=2014: 47)というテーゼに依拠するかのようにソローキン&マートンが「社会的時間」論文(Sorokin and Merton 1937)を著しているという事情、ならびに、当該論文が「社会学の分野では、デュルケーム学派のメンバーを除いては、この〔時間という〕根本的なカテゴリーにはほとんど関心が向けられてこなかった」(Sorokin and Merton 1937: 616)というデュルケーム学派に対する高い評価にはじまるという事情もまた、このような理解の成立・維持の一助となっていると考えられる。  しかしながら、デュルケームが『宗教生活の基本形態』において提示し、そしてデュルケーム学派が展開していった時間の「社会的」な理解の仕方は、決してそのままの形でアメリカに渡ったのではない。ソローキン&マートンの「社会的時間」論文を、これに連なる彼らの単独の仕事と突き合わせて検討すれば(Merton 1934; Sorokin 1943)、ソローキンとマートンはデュルケームおよびデュルケーム学派の時間理解に対してかなりの程度批判的に対峙していて、したがって、同じ「社会的時間」という概念を用いているにもかかわらず、その含意は大きく異なっていることが分かる。本報告の目的は、先行研究では見過ごされてきたデュルケーム学派とソローキン&マートンのあいだのこの「断絶」を明らかにすることにある。 文献 Durkheim, E. 1912, Les formes élémentaires de la vie religieuse: le système totèmique en Australie, Alcan.= 2014, 山崎亮訳『宗教生活の基本形態 上』岩波書店. Merton, R. K. 1934, “Recent French Sociology,” Social Forces; a Scientific Medium of Social Study and Interpretation, 12 (4): 537-45. Pronovost, G. 1989, The Sociology of Time, SAGE. Sorokin, P. and Merton, R. K. 1937, “Social Time: A Methodological and Functional Analysis,” American Journal of Sociology, 42(5): 615-629. Sorokin, P. 1943, Sociocultural Causality, Space, Time. Duke University Press. Subrt, J. 2015, “Social Time, Fact or Fiction? Several Considerations on the Topic,” Sociology and Anthropology, 3(7): 335–41.

報告番号377

社会学的システム理論とその時間概念の形式化
立命館大学 高橋 顕也

【1. 目的】本報告は,ニクラス・ルーマンによって展開された社会学的システム理論(SST: Sociological Systems Theory)の基礎的概念,とりわけメディアと形式,時間,およびシステムの公理論的形式化を行う。【2. 方法と3. 結果】本報告のアプローチは,集合論(set theory)に基づく公理論化を採用する。この方法論は,Fararo(2002)によれば「2つの手続きから成り,第1に基本的な存在を集合論的存在として規定したうえで,第2にそのように規定された存在どうしの相互関係への制約として公理を捉える」ものである。本報告は3つの段階から成る。第一に,社会的時間の一般公理系(GAST: the General Axiomatic system of Social Time)と呼ぶべき公理系を,P. A. ソローキンとR. K. マートンによって定式化された社会的時間(social time)の概念枠組みから取り出す。GASTは時間集合[T],後者写像[suc(t)∈T],社会的事実集合[F],出来事写像[e:F→T⇔t=e(f)]から構成される。第二に,SSTの基本概念に含まれるいくつかの特徴的な公理を形式化を通して導き出す。具体的には,メディア集合[Mn],顕在化写像[ap:Mn→M(n∙p)⊆Mn⇔m(n∙p)=ap (mn )],形式集合[∃Fn∀ap (ap∈Fn)],システム集合[Sn],環境集合[∃Cn∀cn (cn∈Cn |cn∉Sn)],システム操作写像[o(n+1):Sn→Sn+Cn]などである。第三に,GASTとSSTの公理系の比較を行い,SSTの時間概念の独自の特徴を明らかにする。【4. 結論】以上の段階を経て,本報告は3つの主要な結論に達した。第一に,公理論化の方法は,メディアと形式,顕在化,システムと環境,自己言及的再生産,出来事,そして時間といったSSTの基本概念を分析する上でも適用可能だということである。第二に,SSTの時間概念はソローキンとマートンによって導入された社会的時間の概念枠組みの特殊事例として解釈でき,それは特徴的な諸公理をGASTに組み入れるかたちで再定式化できるということである。第三に,SSTの時間の捉え方はGASTと比較して4点で特徴的だということであり,1点目に社会的事実としてのシステムの自己言及的再生産[S(n+1)=Sn+{o(n+1) }],2点目に時間メディア[∃Mt∀t (t∈Mt)]と時間形式[∃Ft∀suc(t) (suc(t)∈Ft)]という時間における2つの水準,3点目にシステムと時間を結びつける出来事[en:on→a(p∙n)⇔suc(tn)=en (on )]という概念の導入,4点目に時点化された出来事から成る自己言及的システムが独自の時制構造を構成するという定理[∃En∀en (en∈En)⇔En:Sn→Ft]が挙げられる。

報告番号378

時間をめぐるプラグマティズムの系譜2——跳躍と仮面=ネオ・ペルソナ
慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所 小川(西秋) 葉子

[目的・方法] 報告者は2023年度に開催された日本社会学会第96回大会のテーマセッション「『時間の社会学』と社会学的時間批判」において、「時間をめぐるプラグマティズムの系譜:ジェイムズ、パーク、ゴフマンを中心に」と題し、本発表に先立つ報告をおこなった。これは、2021年度に一橋大学大学院社会学研究科に提出した博士論文「集合的生命前史:グローバライゼーションを<転調>する」を発展させたものである。  これをふまえ、今回の報告ではプラグマティズムにおける3つの時間概念のうち、報告者が「跳躍」と「仮面=ネオ・ペルソナ」と名づけた2局面に焦点をあてる。  その試みを最も際だたせる事例として、ウィリアム・ジェイムズ、ロバート・エズラ・パーク、アーヴィング・ゴフマンらが活躍したのちに、日本で意識や時間について独創的な研究を展開した見田宗介を時間をめぐるプラグマティズムの系譜に位置づけることを試みる。 [結果・結論]  すでに報告者は、見田宗介が1973年に作成した図にウィリアム・ジェイムズが『心理学原理』(1890)『心理学要綱(1892)に掲載した「アソシエーション」をめぐる概念図と共通性がみられることを指摘した(小川[西秋] 2024)。  その後の見田の業績をたどってみると、2018年に「跳躍」をめぐって引用したイギリスの詩人ウィリアム・ワーズワスの詩「虹(The Rainbow, My Heart Leaps Up)」(1802)の一節は、ジョン・デューイが1934年に執筆し、2016年に邦訳が出版された『コモン・フェイス』の本文と解説に同内容の記述がみられる。  さらに、「仮面」あるいは「ネオ=ペルソナ」と報告者が名づけた局面を体現するうえで、見田が「真木悠介」というキャラクターを創造した契機をさぐることとする。この部分では、プラグマティズム全般に影響をあたえたと目されるイギリスの戯曲家ウィリアム・シェイクスピアの作品に幼少期からなじんできたにもかかわらず、なぜ見田がその点を明言しなかったのかを推察する。  上記の2点を解明するうえで、本報告では、博士論文でも言及した、「参与者(Participants)」という因子を提出する(小川[西秋] 2021)。同じ「時代」をともに過ごす人々、すなわち、複数の生命体としての「参与者」が織りなす集合的なコミュニケーション・イベントにおいて、「跳躍」の表記や「仮面=ネオ・ペルソナ」の着脱が実践されるタイミングに注目する。  その結果、時間をめぐるプラグマティズムの系譜に日本の社会学者に連なるあらたな水脈を見出すことができると考える。 <参考文献> 小川(西秋)葉子(2024)「特集:グローバライゼーションと持続可能なメディアのデザインー意識とモビリティーズ2」,『メディア・コミュニケーション』74:1−7. 小川(西秋)葉子(2021)「集合的生命前史:グローバライゼーションを<転調>する」,一橋大学大学院社会学研究科博士学位論文.

報告番号379

バーバラ・アダムの社会的時間論におけるフェミニスト的視点
慶應義塾大学大学院 末田 隼大

時間の社会学において古典とみなされる『時間と社会理論』(1990=1997)において、著者のバーバラ・アダムは自身の社会時間論を、「すべての時間は社会時間である」、「時間は複雑で多面的なものである」、「生活の事実としての時間」という短い命題で端的に表している。これらの命題は、多くの場合、季節などの自然の移ろいも社会時間に含めるという複数的時間論の立場を示したものと解釈される。事実、アダムも時計時間のみに注目する時間の社会学の議論には明確に否定的な立場をとっている。他方で、アダムの著作を読んでいくと、社会生活の中では時計時間が特権的な地位にあり、その重要性を無視することはできないという、いわゆる画一的時間論と解釈される議論も行っている。そのため、アダムの社会時間論を複数的時間論と単純に理解することはできない。上述のシンプルな命題で示されるアダムの社会時間論は、むしろ画一的時間論と複数的時間論の対立図式を超えたものと見なされるのではないか。本報告では、『時間と社会理論』の出版前後のアダムの論文を学説史的に検討することで、上述のシンプルな命題の含意を明らかにすることを試みる。中でも本報告では、フェミニズムと時間研究の関係性を考察した論文に注目したい。アダムは一人のフェミニストとして、フェミニズムの理論と時間の理論の接合を探求した。時間に関連するフェミニズムの議論においては、家事やケアをめぐる時間割り当ての不平等や時間主権における男性の優位性などが論じられることが多いが、アダムはフェミニズムの社会理論の「観点」に関心を向ける。ここでいう「観点」とは、男女などの二元論に基づいて社会生活を理解することへの否定的な立場をとり、日常生活で不可視化されている具体的な経験の複雑さを理解するというものである。時計時間のみに注目する時間研究では、ケアや家事の時間という時計時間に換算され得ない、日常生活の文脈で生きられ、実践される時間は「時間」の枠外に置かれ、不可視化される。それゆえ、自らの日常経験に立ち返り、研究主題を反省的に捉え直すことは時間研究においても重要である。学説史的な検討を通じて、アダムの社会時間論は、反省的検討を通じて、二元論や抽象化、客体化をすることなく、日常生活の文脈における様々な時間を理解するものであるという暫定的な結論が得られる。報告の最後に、他の論者の社会的時間論と比較することで、アダムの社会時間論の時間の社会学における意義を展望したい。 Adam, Barbara, 1900, Time and Social Theory, Oxford: Polity. (=1997, 伊藤誓・磯山甚一訳『時間と社会理論』法政大学出版局.)

報告番号380

近代化期東アジア社会における時間感覚
京都大学 吉 琛佳

本発表では、20世紀半ば以降の近代化プロジェクトの渦中にある東アジア社会における時間経験を考察する。第二次世界大戦と冷戦の混乱から立ち直った以来、日本、韓国、中国などの東アジア社会は、近代化プロジェクト=自社会における近代の実現を最主要目標とされる時代に突入した。この東アジア社会が経験した近代化は、西洋のそれとの異質性のゆえ、社会構成員が持つ時間感覚に独特な特質をもたらした。ペーター・ワーグナーは、ヨーロッパの文脈で議論された「近代」概念が持つ二つの要素、すなわち「歴史的経験」と「理念的説明」の区分を指摘した。両者は関係しあいながらも、それぞれ独自な歴史を持ち、また近代の理念は多くの場合、歴史的経験に対する事後的説明となる。しかし東アジア社会において、これら「歴史的経験」と「理念的説明」の間のへだたりはほとんどなく、一元化された完成品として受容・推進された傾向が見られる。時代的に前後しているにもかかわらず、この共通に経験された近代化プロジェクトにおいて、東アジア諸社会の様相に家族的類似性が生み出している。この類似性は特に、社会の構成員に共有された時間感覚の次元に反映されている。本発表は3カ国の公的言説と社会科学研究の検討を通じて、近代化期東アジアにおける時間感覚の形成と変容を検討する。この変化は総じて3つの段階を経た。(1)近代化プロジェクトの確立初期には、国家主導のもとに開発主義的な経済計画が確立された。それにより、欧米に象徴される「近代社会」と、「封建的」とみなされる自社会が、単線的時間の両端に位置づけられ、線型的な時間感覚は、不均衡な空間感覚と互いに重なっていた。(2)近代化プロジェクトの土着的転回を経験し、自社会の近代化プロセスの特殊性を強調する知識パラダイムが台頭した。アジア諸国の開発主義もまた、より主体性を持つ近代化目標を設定した。その中、「永続的時間」は従来の単線的時間感覚と競合・総合するようになった。すなわち遠い過去の伝統(しばしば「創られた伝統」)は現在へ、さらに未来へ投影するものとして、再び時間感覚に組み込まれた。(3)社会科学がモダニティ批判を課題として取り上げ、公式的言説もまた反省的な要素を取り入れるようになった。時間感覚はますます「現在主義」的な性格を強めていった。現在を承諾された未来の手段とされた感覚は次第に周縁化され、「いま、ここ」が中心的位置を与えられ、現在こそ究極的根拠とされつつある。

報告番号381

LLMと根無し草化するシニフィアン——デジタル時代における意味することと親密性
東京大学大学院 呉 先珍

デジタル化に伴う親密圏の変容をめぐっては、擬人化されたアルゴリズムと親密な関係性をむすぶこと、すなわち、AI技術によって造られた仮想現実およびそれが提示する擬似人間的な表象への没頭が、人間が人間的カウンターパートとのあいだにむすぶ何らかの社会的関係性を代替してしまうことにフォーカスが当てられてきた。 たとえば、Elliott(2022)においては、擬人化されたアルゴリズムとの関係への没頭がナルシシスティックに脆弱化し消耗した自己に帰結する危険性が指摘されている(p. 260)。  しかしながら、AI技術が親密圏にもたらす影響は、擬似人間的な表象のような「顔の見える」危険に限るものではない。本報告は、いわば、親密圏を脅かす「顔の見えない」技術の陥穽への批判的検討を促すことを第一の目的とする。この水面下の脅威は、第3次デジタル革命をもたらした機械学習の台頭を背景とする。機械学習に特化した大規模言語モデル(LLM)は語の出現確率に基づいて異なる語同士の関係を学習することで言語体系そのものへの理解を達成する。そのため、その理解の過程においては、記号接地、すなわち、「ゆるぎない意味の源泉(~それを要素として意味が構成されるもの)」(日髙 2018: 306)として感覚・知覚に媒介される世界の在り方(「地」)に記号を接続させるという意味論的地平が排除される。  このように記号接地を欠いても十全な言語習得・理解ができるLLMは、言語と世界の相互関係についての言語学/言語哲学の従来的な前提を覆す可能性をもつ(鈴木 2024: 140-7)。そこで本報告では、まずLLMの仕組みについて簡単に説明したのち、LLMがいかにして言語の習得・運用、および「意味すること(signification)」をめぐる前提を問い直す可能性を開いているかについてまとめて紹介する。そのうえで、問い直しの対象となっている言語習得・運用、「意味すること」が、親密性の領域においてどのような位置を占めているかを、自己と他者の倫理的な出会いに「意味すること」を見いだすエマニュエル・レヴィナスのパースペクティヴを参照しつつ論じる。そうすることで、LLMの技術的発展を媒介にして導き出される意味と言語への根底的な問いを親密性の領域へ展開できる新たな理論的地平を開く。 文献 Elliott, Anthony, Algorithmic Intimacy: The Digital Revolution in Personal Relationships, Cambridge: Polity. 日髙昇平,2018,「記号接地問題における地とは何か——視覚的物体の同一性の分析」2018 年度日本認知科学会第35 回大会論文集: 306–310. 鈴木貴之,2024,『人工知能の哲学入門』勁草書房.

報告番号382

アーレントの親密圏論とマッチングアプリ
大正大学 河合 恭平

【1. 目的】 親密圏に関する論者の一人としてハンナ・アーレントが挙げられる。この用語は、性愛関係に限定されて論じられることもあるが、彼女の親密圏論を参照する利点は、そうした限定によって定義するのではなく、社会との関係のなかで親密性が占める位置を特定化し、その特徴を提示した点にある。 本報告では、かかるアーレントの親密圏論をデジタル技術上で形成される人間関係に関するいくつかの研究で取り上げられた事例・成果に適用して考察を行うことで、デジタル化が親密圏の形成にもつ意義を提示する。同時に、ギデンズ、バウマンらデジタル化に批判的な見解も含め、親密圏の理論的再検討を行う。 【2. 方法】  第一に、アーレントの親密圏論の特徴を再整理する。そのうえで、第二に、いくつかの事例に適用した考察を行う。主に、SNS上の極端な言動の出現、そして特にマッチングアプリの使用法や利用者の経験、自己呈示、形成された人間関係のあり方を研究事例として取り上げる。 【3. 結果】  アーレントの提示する親密圏の特徴は、「社会的なもの/社会」との対立構図にある。つまりは、社会生活に苦悩、疲弊し、傷ついた人々が反抗し、また退避して、感情的に結びつき合う関係性である。特に、社会で経験された苦悩を共に分かち合う共苦(共感)から成るケースもある。たとえば、表領域で経験した苦悩を、裏領域でわかち合うようなゴフマンの構図は、かかる親密圏の一例として説明することも可能であろう。ただし、親密性が政治的領域に直接に入り込む場合、感情的な憤激として出現してしまう点でアーレントはこれに批判的である。サンスティーンの論じたウェブ上の集団分極化による極端な言動や炎上のいくつかは、この点において説明しうる。この点で、アーレントに基づくならば、デジタル化による親密圏形成には批判的な見解になりやすい。  しかし、デジタル化は親密圏の形成にとってネガティブな側面ばかりとは言い切れない。具体的には、マッチングアプリの使用事例に関する研究成果が挙げられる(Mackee 2016)。たとえば、ゲイ男性向けに普及しているマッチングアプリの多くは性行動の相手探しのための作りとなっており、まさに社会的な偏見を含んでいる。しかし、そうした偏見にうんざりするゲイ男性たちが、他方でヘテロセクシャルの顧客層が主に利用するTinderを逆用することで、そうした偏見から逃れ、反抗するように、脱セクシュアル化され、社会規範的に良識や適切さを求める関係を形成する事例も多く見られるという。他にも、そのような関係形成を支えるようなアプリの使用事例はいくつもある。 【4. 結論】 以上の事例から、デジタル上で獲得された親密圏と捉えることができ、ギデンズらのネガティブな見解とは異なって、アプリに使われているAIまたアルゴリズムこそがそれを支援しうる面もあると考える。他方で、アプリ利用者は、社会規範に則り、追い立てられるようにセルフブランディングした自己呈示をせねばならない面もある。これは、いわば「社会的なもの」に再埋め込みされているとも言える。しかし、親密圏が社会との関係において形成されるものである限り、そのことは親密圏にとって不可避と考えられる。ここに、親密圏は社会に巻き込まれ、さらに社会から逃れて…という絶え間ない関係においてこそ形成されるものだという視点を得ることができる。

報告番号383

社会学理論をアップデートする——アルゴリズム的親密性の場合
東京女子大学 赤堀 三郎

1 目的  本報告では、テーマセッション「デジタル化と親密圏」の問題提起を受け、「アルゴリズム的親密性」「愛のアルゴリズム化」などと言われる諸事象を「より深く」捉えうる社会学理論はどのようなものであるかを探究することを目的とする。換言すれば、デジタル化の趨勢を踏まえて、社会学理論のアップデートをはかる、ということである。 2 方法  本報告で着目するのは「AIマッチング」「AIマッチングシステム」と呼ばれている一連のサービスである。ここでは、マッチングサービスの良し悪しについて問いたいのではない(これについては堀内(2024)ですでに論じられている)。本報告で考察対象とするのは、先行研究がマッチングシステムを考察する際の「社会学的視点」である。すなわち本報告で行うのは、「考察の考察」という意味での「メタ考察」である。  報告者は2022年の本学会大会での口頭発表において、AI時代の社会学への展望として、「人間」からスタートする理論構成の放棄を主張した。要は「決めるのは人間」といった理論的出発点を疑えということである。本報告では、この到達地点を踏まえてさらに先に考察を進める。 3 結果  AIマッチングシステムによる出会いに関して、先行研究では、愛という言葉を用いて考察がなされてきている。そこでは、愛というものが暗黙のうちに、あるいは明示的に、すでに特別視・自明視・実体視されている。  だが愛というものは、社会学の理論的視点を徹底させれば、シンボルもしくはシンボルによって一般化されたコミュニケーション・メディアであって、いつの間にか取り持たれた関係に愛という名がつけられているというだけのことになる。  ルーマン『社会システム』に即して言えば、(いわゆるダブル・コンティンジェンシーのような)テンションがかかっている状態にあるものに対しては、何らかのトリガーがあれば、次々と連鎖反応が起こり、やがて何らかの安定した状態に落ち着く。このアイデアを徹底させれば、出会いや婚活マッチングはトリガーであって、何らかの安定した状態に移行してはじめて愛というシンボルが登場するのだといえよう。  AIマッチングシステムのような「自分で決めない」出会いサービスの登場および浸透によって生じるのは、(よく言われるように)親密関係の淡泊化や稀薄化というよりはむしろ、愛というシンボルの実体のなさの可視化なのである。 4 結論  本報告ではデジタル化の時代にふさわしい社会学理論のアップデートを問うた。答えは「社会学には愛というシンボルからの距離化が必要である」となる。  AIマッチングシステムはどのような変化をもたらすかという問いについてはどうか。自分で決めないという点では、AIマッチングは従来のお見合いと機能的に等価なので、特段新しいものとは言えない。新しい何かが生じるとすれば、出会いや親密性の捉え方(解釈図式)が変わることが期待される(たとえば「自然な」出会いという捉え方など)。 文献 Elliott, Anthony, 2023, Algorithmic Intimacy, Cambridge UK: Polity. 堀内進之介,2024,「出会い系アプリは『純粋な関係性』を棄損するか?――『愛のアルゴリズム化』批判の再考」『東京女子大学社会学年報』12: 1-14. Luhmann, Niklas, 1984, Soziale Systeme, Frankfurt am Main: Suhrkamp.

報告番号384

人間とAI-ロボットの親密な関係性における対等性——社会学的観点からの考察
立教大学 堀内 進之介

1 目的  SF作品には、虐待されるAI-ロボットのイメージが頻繁に登場し、私たちは彼らの痛みや苦しみを容易に想像し、共感する。しかし、現実世界のAIロボットは、まだそのような高度な能力を持っていない。それでも、能力が向上するにつれ、AI-ロボットが道徳的地位を持つかどうかという問題に対する関心が高まってきている。そこで本報告では、関係論的アプローチと行動的同等性アプローチの意義と限界を考察し、AI-ロボットを人間と対等な存在として認めるための条件を、社会学的観点から明らかにしたい。 2 方法  本報告では、AI-ロボットの道徳的地位をめぐる議論を、社会学的関心に照らして検討する。具体的には、人間とAI-ロボットの社会的相互作用や関係性に焦点を当て、それらの存在を人間と対等に扱うための条件を探る。その際、行動的証拠と認知的証拠のどちらを重視すべきかという論点にも注目し、両者の関係性を明らかにする。 3 議論  AI-ロボットの道徳的地位を判断するために、二つのアプローチが提案されている。一つは、AI-ロボットと人間との社会的関係性の中でそれらの地位を捉えようとする関係論的アプローチであり、もう一つは、AI-ロボットの行動が人間と同等の水準に達した場合にそれらに道徳的地位を認めるべきだとする行動的同等性アプローチである。  関係論的アプローチは、人間とAI-ロボットの相互作用のあり方に着目し、それらの存在を社会的行為者として認めるための枠組みを提供する。一方、行動的同等性アプローチは、観察可能な行動の類似性に基づいて、AI-ロボットを人間と対等な存在として扱うことを主張する。  両アプローチは、人間とAI-ロボットの共生のあり方を考える上で重要な視点を提供しているが、前者は認知的証拠を重視しているのに対し、後者は行動的証拠を重視しているという違いがある。認知的証拠は行動的証拠から切り離すことができず、行動的証拠こそがAI-ロボットの道徳的地位を判断する上で最も重要な基準であると考えられる。 4 結論  関係論的アプローチは、人間とAI-ロボットの社会的相互作用に着目し、自己認識のような行動的概念を重視するが、これらの概念の評価・判断には慎重な検討が必要であり、AI-ロボットの能力や性能そのものを十分に考慮していない可能性がある。一方、行動的同等性アプローチは、行動的証拠を重視し、その評価・判断が比較的容易であるという利点を持ち、AI-ロボットの実際の能力や性能を重視するため、それらを人間社会に統合する際の現実的な指針となりうる。  したがって社会学的観点からは、行動的同等性アプローチの方が、AI-ロボットの道徳的地位を判断する上でより有用な枠組みを提供すると言える。このアプローチは、人間とAI-ロボットの関係性を行動的証拠に基づいて実証的に探求する道を開くものであり、社会学がAI-ロボットの道徳的地位をめぐる議論に参与する上で重要な理論的基盤となると考えられる。 参考文献 Gordon, J.-S., & Gunkel, D. J. (2022). Moral status and intelligent robots. The Southern Journal of Philosophy, 60(3), 383-411. Danaher, J. (2021). What matters for moral status: Behavioral or cognitive equivalence? Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics, 30(3), 472-478.

報告番号385

どんな論文が社会学雑誌に掲載されやすいのか?——方法・身分・査読ガチャ
京都大学 太郎丸 博

近年、査読付きの雑誌論文が日本の社会学でも高く評価されるようになり、多くの若手研究者が雑誌に投稿するようになっていると思う。とうぜん査読業務もそれに比例して増え、査読される側はもちろん、査読する側も辛酸をなめさせられることが増えているのではないだろうか。審査される側からすれば、どれぐらいの確率で掲載可になるのか、どんな論文が掲載されやすいのか、といった点は知りたいだろうが、そういった情報を公開している日本の社会学雑誌は管見の限りでは存在しない。米国ではこう言った研究がいくつかあり、例えば、Hargens (1988) によれば、物理学よりも社会学で掲載可になる確率が低いのは、投稿者と審査者、審査者同士の間でのコンセンサスの不在が原因であるという。つまり、評価基準や掲載論文が満たすべき最低限の水準についてコンセンサスがあれば、投稿者は自分の論文が掲載されるかどうか高い精度で予測できるため、掲載される論文だけが投稿され、投稿された論文のほとんどが掲載される。逆にコンセンサスがないと、投稿者は自信があっても、審査者から見たらクオリティが低いといった事態が起きやすくなり、掲載不可が生じやすい、というわけである。こういったコンセンサスの程度の違いは社会学の内部でも起きる可能性がある。Bakanic et al. (1987) によると、American Sociological Review に 1977-1981 に投稿された論文に関しては、質的研究のほうが量的な研究よりも少しだけ掲載確率が低いとされており、その理由としてコンセンサスの弱さが考えられる。 そこで、この研究では、投稿者の性別や身分、研究で用いられている方法論によって、どの程度掲載確率が異なるのか検証する。データは『ソシオロジ』に1997~2024年のあいだに投稿されてきた論文を用いる。現在、データは準備中であるが、161号(2008年)から210号(2024年)に投稿された論文について、わかることを述べる。この間 610本の論文または研究ノートが投稿され、210号までに掲載されたのは、そのうち 262本 (43%) であった。ただし、掲載される確率は年によって波動しているものの、平均的には減少傾向である(年平均で0.7%ポイントずつ減少)。二人の査読者は A, B, C, D, E, F の6段階で論文を評価するが(まれに A or B といった評価もあるので、その場合は両者の平均をとった)、これらに 5~0 という点数をふると、二人の評価の差は平均で 0.80 、差が 2 以上になるケースは全体の 14% であった。 当日はデータをさらに拡充し、詳しい分析結果を報告する。

報告番号386

社会学中央誌・商業誌・教育誌——『新社会学研究』のエートスとその軌跡
甲南大学 栗田 宣義

「透徹なる分析に裏打ちされた有意味な批判ならびに、より良き未来を導く豊かな提言を投げかけることを可能とする、社会学の技術と精神の、普及、告知、称揚、涵養、発展、革新を図る学術誌」を掲げ『新社会学研究』はこの世に誕生した。そのエートスと軌跡を主題にすえ論文投稿の制度的インフラストラクチャーを形成する学術誌のあるべき姿について論じテーマセッション「論文投稿と査読の社会学」の主旨に応える。  中央誌、それは世界規模もしくは各言語圏における当該分野の中心を担い投稿論文を掲載することによって学問水準を維持し広く遍く普及をはかる学術研究誌を意味する。世界的には社会学誌最古の伝統を有するAmerican Journal of Sociology。そしてAmerican Sociological Reviewが有名。個別領域や連字符社会学ではなく全領域を包摂し社会学のメインストリームたりうる存在が中央誌なのだ。中央誌は会費収入で財務が担保された学会誌だけではない。若干の例外則はあるもののAJSはセルスにその存立が支えられた商業誌として世界の社会学アカデミアに厳然と聳え立つ最高峰。惜しくも休刊となった『現代社会学』の後、日本の社会学は商業誌としての中央誌の存在を失った。『新社会学研究』発足のミッションはそこにあった。読者のニーズとセルスに支えられた中央誌かつ商業誌として日本のAJSを目指すことに。  査読誌が「落とす審査」と化すのに対し『新社会学研究』は「育てる審査」を狙った。投稿を篩にかけて「落とす審査」、優良稿をのみを残し若干の査読で改善し掲載するのでは水準の高い論稿を公刊する使命は果たせたとしても、そこに至るまでに育成するもう一つの使命を叶えることが出来ない。潤沢な査読人員を擁した学会誌や会員誌でさえも避けてきた「育てる審査」を『新社会学研究』はあえて選択した。「育てる審査」などは必要ない。社会学教育は各校における担当教員に任せれば良いではないか。そんな声も聞こえそうだ。研究職育成最終関門の一つは博士学位論文。その要件は査読誌に少なくとも2篇掲載もしくは掲載予定があることと内規で定められていることが多い。候補者の劣化を防ぐと云えば聞こえが良いが異論がある。育成において内部教員による資格認定を手放した、いや、自ら放棄したのだ。  教員たちが院生たちの教育に尽力していることは熟知している。自身も数十年にわたりその一翼を担ってきた。しかし査読誌の現場では「育てる審査」ではなく「落とす審査」が横行している。不可と酷評された大学院生とともにその指導教授も右往左往。ならば『新社会学研究』は大学院生や特任助教など投稿者たちに寄り添い彼女ら/彼らを育成する、社会学教育誌を目指そうと考えた。紙幅の都合上梗概はここまでに止めよう。以下「エントリーシートによる一次審査」「エントリー・採択率・掲載率」「ジェンダー・職位・地域」等のトピックを介し当日の報告を進めてゆく。  先行誌当事者による記録文書を当方は浅学非才にも読む機会を得ることが叶わなかった。『新社会学研究』もまたその歴史を閉じたが、ねがいとこころざしを共有するであろう未来の企図に加わる人びとに向けて幾許かの扶けとして資すること信じ本報告を行なう。そのエートスと軌跡がこれからの時代を担う社会学者のマインドに中に必ずや蘇り、再び羽ばたくことを強く信じて。

報告番号387

「会話」としての論文査読プロセス
日本大学 陳 怡禎

本報告は、2024年に出版された『社会学者のための論文投稿と査読のアクションリサーチ』(新曜社)に寄稿した論文に基づき、さたに「査読プロセス」の中に存在している「投稿者と査読者の会話」に着目し、その会話の意義を解明することを目的とする。  具体的に、発表者が投稿者と査読者として「査読のプロセス」に関与した経験から以下の2つの軸に沿って「査読−改稿–再審査」といったプロセスの中での「会話」を示す。  まず「投稿者」としての経験から、具体例をあげながら、「投稿者目線からみた査読のプロセス」を明らかにする。「査読−改稿–再審査」といったプロセスの中での、「目指す論文の方向性」といったビジョンを持つ投稿者は、査読者に異なる「方向性」が求められた際に、どのように査読者を“想像”しながら「会話」を行うのかを考察する。  次に、「査読者」としての経験から、「査読者目線からみた査読のプロセス」を明らかにする。「査読を引き受ける−査読–再査読」といったプロセスの中で、査読者は、投稿者のみならず、編集委員との会話も行っている。つまり、査読者は査読する際に、匿名の投稿者と、雑誌や学会を代表する編集委員の両方を念頭に入れて査読作業を行っていると考えられる。  本報告では、そのような三者のあいだでの「会話」を明らかにする。  本報告を通して、発表者は以下の2つの論点を示したい。 ①査読プロセスの中、投稿者と査読者は、常に「誰」との会話を意識しながら論文を執筆(または査読)している点である。すなわち、投稿者は投稿の初期段階から改稿して再提出するまでの過程の中に、「編集委員会に向けてのプレゼンテーション」から、「査読者との合意を目指した『会話』」へと転換していった。また、投稿者と同様に、匿名的に査読作業を行う査読者も、査読プロセスの中に、実は投稿者を“想像”しながら査読を行っている。さらに査読コメントについて編集委員と議論する際にも、編集委員との合意を目指した「会話」を行い続けていると考えられる。 ②投稿者と査読者とのあいだのコミュニケーションは、社会関係の中にある力関係が発生しているとみられがちである。つまり、投稿者は常に査読者を「正体の見えない威信のある存在」として捉えているかもしれない。しかしながら、実際に「投稿-査読−改稿」という一連のプロセスのなか、査読者と投稿者が語り合いを通して、望まれる論文(査読者側)と目指す論文(投稿者側)の交差する瞬間を互いに探る相互行為だと言えるだろう。

報告番号388

若手研究者にとって「投稿」とはいかなる経験か
日本大学 吉村 さやか

1.目的  近年、「論文投稿と査読の社会学」の確立が目指されつつある。その背景には、社会学教育を学的に論じるニーズの高まりが指摘されている。実際、社会学を学ぶ大学院生がその後、研究機関や大学組織で社会学プロパーの職を得るためには、研究成果の集大成として博士論文を提出し、学位を取得することがほぼ必須とされる。また、学位取得後の就職活動においても、査読付き論文の掲載本数が審査の対象となる。このように、若手研究者のキャリア形成において投稿は、極めて重要な経験となっている。  しかしその反面、彼らが論文投稿をいかなるものとして経験しているのか、その具体的内実は、これまでほとんど語られてこなかった。そこで本報告では、若手研究者への聞き取りを通して、彼らにとって「投稿」とはいかなる経験なのかを明らかにしたい。 2.方法  本調査では、報告者がこれまでの研究、教育活動を通して出会った若手研究者を主な対象とした。彼らは、博士号取得後8年未満で(日本学術振興会で「若手研究者」とされる)、日本各地で職を得ながら、社会学の研究と教育に携わっている人びとである。インタビュー調査は、対面、オンライン(Zoom)で個別に行い、「いま―ここ」に至るまでの、それぞれの投稿経験を丁寧に聞き取った。収集したデータは、自己省察を経由した他者理解を目的として、ライフストーリー調査法、ならびに、オートエスノグラフィ研究の手法を援用しながら詳細に検討した。インタビュー場面では、報告者自身の投稿経験についてもふり返りながら、語り手と聞き手の対話を通して、社会学研究と教育を生業とする当事者の視点から、投稿経験が言語化されるよう試みた。 3.結果  調査より、彼らにとって投稿は今後のキャリアパスを決定づける契機となっていたが、その経験は一様ではなく、研究領域や手法、調査対象、所属機関の特徴やメンターの指導法などにより、まさに多様であった。その一方、彼らが語る投稿経験の内実は、社会学ジャーナルへの投稿のみではないという点で、共通していた。具体的には、指導教授への草稿論文の送付とそれに対する添削やリプライ、所属ゼミや研究会での研究報告と質疑応答、研究仲間とのやりとりだけでなく、論文完成に至るまでに経験されたライフイベント、生活環境の変化や、日常生活上の(些細なことと思われるような)出来事、様々な他者との出会いや相互行為にもとづく経験が多分に含まれていた。若手研究者にとって、投稿論文のイシューを明確化し、それを社会学的に検討、分析するという営みは、アカデミズムの場に限ったものではなく、彼らの日常生活により根ざしたものであった。 4.結論  以上から、若手研究者にとって「投稿」とは、学術雑誌へ論文を投稿するという行為だけではない、より広義なものとして経験されており、且つ、それは多様な他者との相互行為を通じて形成され、日常性に富んだ経験であると結論付けた。

報告番号389

多分野のチャレンジの場としての新社会学研究
白梅学園大学 山本 夏生

社会学とひとくくりにしてもそれぞれの研究者が得意とする分野・研究方法はまさに多岐にわたる。こうした中で私自身は「オリンピックとメディア、ジャーナリズム」をメインテーマに博士論文を執筆していたが、もう片方で自分自身のライフワークとして筋力トレーニングに励む中で、女性が自身や他者の身体に抱くボディイメージの変遷に興味を抱くに至った。女性の身体は年を重ねる中で常に変化していく。「こういう身体でありたい」という思いに至るまでに何に影響されるのか。まして「筋肉女子」を目指すもしくは「筋肉女子」としてSNSで発信するに至るまでにどんな体験を経ているのか。2010年代以降に起きた瘦身ではない身体を目指すというムーブメントの大きな要因となったのがメディアであり社会であり各スポーツブランドが提供した場であったのだが、これを研究・論文としてどのように言語化していこうか研究の枠組みは何になるのか……2016年から博士後期課程に通い始めた私自身の悩みであった。 第一の壁が、どの研究分野として語るのかである。SNS研究でもあり場の研究でもあり、スポーツにもジェンダーにも少なからず接近しているからこそ、発表する的確な場を見つけられずにいた。第二の壁が、研究対象が狭くニッチであるがゆえに先行研究として参考にできるものが少なく、論文化に苦難した点であった。第三の壁が、コロナ禍の産休・育休中という私的な理由だった。Zoomが普及したとはいえ他の先輩たち、先生方とまして博論以外のテーマで論文を書こうとしていることを気軽に相談ができずにいた。 結果的に、こうした悩みを軽やかに超えたのが「新社会学研究」の公募だった。公募の特集テーマは『流行と集合行動の社会学』である。「流行」はまさに筋力トレーニングを、「集合行動」は集団でトレーニングを好む女性たちにマッチすると思い当たり、結果として、「ハッシュタグで広がりつながるトレーニングの『場』の考察:集団トレーニングにハマる一般女性コミュニティのフィールドワーク調査から」というタイトルで私自身初めての査読論文が掲載されるに至った。 当時共有された公募の呼びかけ文には、「タピオカ・ドリンク」や「Instagram」、「Covid-19」の文字がある。若者文化やコロナ禍にも目配りをする“新”社会学研究に賭ける形で応募したが、それは今振り返れば私自身に「社会学を語るには歴史的なことや真面目なことを研究対象にしなければならないし、客観的でなければならないのでは」という固定概念があったからであるとも考えている。この機会に、研究枠組みの決定までの各研究者の葛藤や、当事者研究という社会学の築いてきた研究方法の在り方、難しさ、社会学が包括できる研究の幅広い可能性、研究者としてのキャリアをどのように考えていくのかという視点で、意見交換や討論に参加ができればと考えている。

報告番号390

学会誌と同人誌のあいだ
摂南大学現代社会学部 好井 裕明

本報告は学会誌と同人誌における論文査読の差異やそこに孕まれる問題性について報告者自身の体験をもとに実感も交えて語る予定である。報告者は大学院生時代、『社会学評論』編集事務のアルバイトをしていた。現在のようなシステム化された査読体制はまだできておらず、どのようにすれば、より効率的で効果的な査読が可能なのかが、いわば手探りで探求されていた時期といえる。報告者自身、論文査読に関する作業に携わることで自分自身の論文執筆や研究成果を形にすることについて思い切り勉強になったと感じている。なぜなら投稿されてきた論文と査読委員の先生方からの査読コメントや論文評価をすべて読むことができたからである。多様な論文投稿があるとともに、多様な査読コメントがあった。すばらしい査読コメントに出会うときもあれば、大学院生の私が読んでもこれは、首をかしげてしまうような査読コメントもあった。  その後、私は社会学評論編集委員会で長い間編集業務携わったが、2016年に社会学研究者4名と共に『新社会学研究』(新曜社)という同人誌を立ち上げた。この雑誌は今年(2024年)の第9号で最終号を迎えるが、この間、同人たちは『社会学評論』ではまず実現できないであろう新たな論文査読、論文掲載をめざした。  『社会学評論』という学会誌と『新社会学研究』という同人誌。そこで目指される査読や掲載論文とはどのようなもので、いかなる差異があるだろうか。端的に言えば「落とす査読」と「育てる査読」の違いであり、「学界に通用するスタンダードに見合う論文」であり「独自性や独創性をできるだけ説得的に提示し得るチャレンジングな論文」である。  「学界で通用するスタンダードに見合う論文」とは、個別専門領域での先行研究が的確に整理され、そのうえで自らの調査成果や資料解読の意義や独創性を主張し、新たな知見の可能性を論述するタイプと言えるだろう。他方「独自性や独創性を説得的に提示し得るチャレンジングな論文」とは、新たな社会学研究対象や専門領域の開拓も含め、著者自身が先行研究にある陥穽や先行研究者が見逃していたものに新たに光を当てることができる独自の視座やものの見方を提示し、その独創性を主張するタイプとでもいえるだろう。  もちろん二つのタイプの論文は独立しているのではなく、そこには連続性が確実に存在する。ただ査読のタイプによって、こうした連続性が断ち切られてしまう“危うさ”もまた確実に存在しているのだ。  本報告では、学会誌と同人誌のあいだにある“査読のありよう”について、より詳細に述べたいと考えている。

報告番号391

中国東北型移民の形成——政策、社会変動とネットワーク
Beijing University of Technology 張 龍龍

1.目的  1980年代まで中国東北地域では大規模な海外移住はみられなかった。しかし、1990年代から海外への移住が急増し、とりわけ2000年代にはその移民の送出数から、伝統的な移民送出地に匹敵する地域にまで発展した。東北地域は「新僑郷」とみなされ、そこからの海外への移住は「東北型移民」と呼ばれている。なかでも、日本への移住者がもっとも多い。また2011年時点で日本在住の中国人の約40%を東北出身者が占めていた。本報告は、日本への移住を事例に、中国東北型移民の形成をマクロ水準での政策展開や社会変動と、メゾ水準での地域や中間組織の対応、ミクロ水準での移民ネットワークとを連結しながら明らかにすることを目的としている。 2.方法  本報告では多層的なデータを用いる。具体的には、中国東北側では、東北三省の政府機関、技能実習生を送出する仲介会社、中国人の日本への密航業務に携わっていた「蛇頭」(不法業者)に対して、インタビュー調査を実施した。日本側では、東北出身者の同郷会や総商会、さらに同郷会の紹介経由で8名の移住者にインタビュー調査を実施した。 3.結果  中国東北型移民の形成は、残留日本人家族の日本への移住に淵源をもつ。日本政府は、1981年に残留孤児帰国事業を開始した。1980年代後半、残留孤児家族の国費での移住はピークを迎えた。そして、1990年代には、残留日本人二世家族の呼び寄せ移住が集中的におこなわれた。このような残留日本人家族が親族ネットワークを介して実現させた日本への移住は、東北地域に大きな影響をおよぼし、「海外へ出るなら、まず日本を選ぶ」という風潮が生じた。  1990年代後半から東北地域では産業転換が進み、2000年代前半までに毎年50万人以上の失業者が生じた。失業者たちは怒涛のように東北地域を去っており、そのうち20歳代から40歳代の多くは、日本への移住を選んだ。主要な移住ルートは、技能実習生となることである。中国政府は「労務輸出」(技能実習生送出)を失業者の受け皿のひとつとして位置づけ、2002年に民間企業の労務輸出事業への参入を許可した。地域の中心都市で急増した労務輸出企業は、まず各地で少数の失業者を雇用した。そして、彼らに元の同僚たちの間で労務募集を展開させた。また同時期にはインターネットの利用が普及した。それは失業者同士のネットワークを発達させ、労務募集や日本現場の情報をタイムリーに提供し合うことを可能とした。多くの者は技能実習生としての滞在期間に、今後も日本に留まることができる、あるいはふたたび日本へ移住できるようなネットワークを構築した。その他、不法業者に頼って偽装結婚や偽造ビジネスビザなどで日本への移住を実現したケースも多くみられた。 4.結論  本報告では、日本への移住を事例に、1990年代から2000年代における中国東北型移民の形成過程を解明した。産業転換にともなうリストラの発生、失業者の再配置にむけての労務輸出政策の展開、中間組織にあたる仲介会社の労務輸出や不法業者の移民送出、さらにインターネットの普及による知人・元同僚とのネットワークの発達など、それぞれのアクターが密接に作用し、東北型移民の形成に役割を果たした。東北地域社会はひとつのシステムとして、20歳代から40歳代の労働者階級の人びとを海外へ送出したのである。

報告番号392

韓国の日本就労支援政策と韓国人大卒人材の日本への移動の変化に関する考察
鈴鹿大学 松下 奈美子

韓国政府は自国の若年人材の海外就労を支援する政策を2000年代初頭から継続している。これまでの調査、研究ではおおよそ以下のようなことが明らかになっている。1980年代は日韓の民間企業(機械、電子、半導体など)で人材交流や技術提供等が行われており、1980年代に20代後半~30代で来日し日本で就労していた人材が40代後半~50代前半(韓国での定年)のタイミングで韓国への帰国を検討しつつ、大企業を退職して独立、起業を準備していた。1997年の1997年のIMF通貨危機以降、韓国の若年未就業者が増加、その対策として韓国政府が海外就労支援政策を実施し、それが現在K-Move政策として継続している。韓国の経済危機を受け、韓国での起業ではなく日本で起業することを選んだ韓国人IT技術者たちが日本でIT企業を立ち上げ、韓国国内で海外(日本)就労を希望する人材の雇用の受け皿となっていた。2000年代は、韓国経済の混乱や低迷、日韓の為替格差などの要因により、韓国側からの送り出し圧力が存在した。 しかし、2010年代後半になると日韓の為替格差がなくなり、また日韓の賃金逆転(特に初任給)現象が韓国内で大きく報道されるようになっている。こうした賃金逆転現象に関する言説は韓国から日本への人材の移動にどのような影響を与えているのか。また、近年の韓国の海外就労政策の推移、韓国から日本へ移動する人材像の変化などを、2023年12月に韓国で実施した調査結果をもとに報告を行う。 聞き取り調査の結果、日韓の賃金逆転現象に関する報道は一定程度日本への移動に影響を与えていると考えられる。円高ウォン安だった時期と比べ、日本就職を希望する人数は減少している。これは、表面的な数字(額面上の給与額)によって移動の意思決定を行う層や、賃金以外の部分で日本に魅力を感じておらず、かつ韓国内の熾烈な就職競争を回避したい層=2005年~2008年頃はこの層が多かった)には一定の影響を与えていると思われる。 また、逆説的に日本型雇用の特徴であるポテンシャル採用という新卒採用の仕組みも韓国では好意的に受け止められており、韓国の即戦力採用に向かないタイプの学生にとって、日本のポテンシャル採用はとても相性がいいというのが韓国の送り出し機関担当者らの共通認識であった。 2000年初頭のような理系の優秀層はごく一部を除いて日本での就労を希望する人材は減少している。かつてはソウル大や延世大の学生でさえも日本就職を希望していた時期があったが、現在は韓国の上位大学の学生は韓国内の大企業、米系の大企業を目指している。現在日本就労を希望し、さらに政府のK-Move(海外就労支援政策)を利用して、6か月~8か月の日本語とITスキルを教育機関で学んで日本就職を目指すのは、日本文化が好きで、日本での生活を主たる目的としている層である。

報告番号393

欧州域外国境における域外国出身の非正規移民の増加——モロッコ・スペイン国境を事例として
アイ・シー・ネット株式会社 石灘 早紀

1.目的  本報告は、欧州の域外国境であるモロッコ・スペイン国境に焦点を当て、移民の経由地として知られていた同国境で、域外国であるモロッコ出身の非正規移民が増加した背景を考察することを目的とする。アフリカ大陸北部に位置するスペイン領セウタ、メリリャとモロッコの国境は、1990年代以降、サブサハラ・アフリカや中東諸国を出発して欧州をめざす移民や難民の経由地であり、近年は国境管理の外部化政策が進められている。そのような域外国境で新しい現象としてみられているのが、これまでのサブサハラ・アフリカ出身者のみならず、モロッコ人の非正規移民の増加である。本報告では、国境管理の厳格化がみられる域外国境で、なぜ非正規移民となるモロッコ人が増加したのかを考察する。 2.方法  国境における移民問題の調査・啓発を行うモロッコおよびスペインのアソシエーションへの聞き取り調査や文献調査をもとに、非正規移民となるモロッコ人が増加した背景を分析する。また、国境周辺に暮らすモロッコ人に対する半構造化インタビューもあわせて実施し、モロッコ人移民の抱える課題を聴取した。 3.結果  モロッコ国内における政治的要因の悪化に加え、国境政策の変化が非正規移民となる人びとを生み出していることがわかった。国内では、2016年ごろから始まったヒラク・リーフ運動に対する厳しい弾圧により、民族的マイノリティであるベルベル人の移民が増加した。また、モロッコにおける社会・経済的状況の悪化も大きな要因である。アラブ・バロメーターの調査によれば、国外への移住を考えるモロッコ人の半数が「たとえ必要な書類を持っていなくても」移住することを検討しているという。国境政策の変化として挙げられるのは、それまで国境の周辺住民に認められていた査証免除が撤廃されたことである。2020年3月以前のモロッコ・スペイン国境では、周辺住民に対する査証免除により、家事労働者やインフォーマルな越境貿易の運び屋として、モロッコで暮らしながらスペイン領で働く越境労働者(シャトル移民)が多く存在した。しかし、新型コロナウイルスによる国境閉鎖、およびその後のモロッコ、スペインの政策転換により、越境に際してシェンゲンビザの取得が必要となった。越境ができなくなったために生活の糧を失い、困窮してスペイン領をめざす人びとが増加した。また、国境閉鎖によりスペイン領に閉じ込められた越境労働者もいた。当初数日間といわれていた国境閉鎖が2年に及んだため、その間にパスポートなどの期限が切れた、あるいはモロッコに帰国しても仕事がないなどの理由で、現在もスペイン領に非正規状態で暮らし続ける人びともいる。 4.結論  モロッコ・スペイン国境におけるモロッコ人非正規移民の増加の背景は、国内の政治・社会・経済的状況の悪化という内的要因と、国境政策の変化という外的要因の二つに大きく分けられる。域外国として欧州の影響を強く受ける国にとっては、これらの要因はそれぞれ独立したものではなく、相互に連関しているといえる。国境政策の変化は国境地帯の社会・経済的状況をも変化させ、人びとに移動を志向させる要因となりうる。また、国境政策の変化それ自体が、人びとから有効な書類を剥奪し、非正規状態をつくりだしている。

報告番号394

中国の「頭脳回流」における日本にある華僑華人組織の役割——日本華僑華人博士協会とその活動を例にして
早稲田大学大学院 董 鎧源

【目的】 本報告の目的は、中国人の高度(専門)人材の国際移動(「頭脳回流」)において、日本の華僑華人組織の役割を探究することである。具体的には、「頭脳流出」大国となった中国政府が数多くの華僑華人に対して実施している人材政策を整理する。そして、中国政府(とりわけ地方政府)が日本における人材を「引き戻す」実際の行動を把握することを目指す。 【対象と方法】 本研究の主な対象は、日本で高技術研究と技術開発に従事する中国人博士(会員)および日本大学の博士後期課程に在籍している留学生(準会員)によって構成されている日本華僑華人博士協会(Association of Chinese Doctors in Japan,ACDJ)である。本報告では、この協会をケーススタディとして、組織が運営しているソーシャルメディアとホームページ、マスメディアの報道、協会の内部資料に対する質的な分析を行う。とくに、同協会が行った日中交流活動の開催に焦点を当てる。 【結果】 東京に本部を置く日本華僑華人博士協会は1996年7月に中華人民共和国駐日本国大使館教育処で発足したことが分かった。また、日本華僑華人博士協会が世代交代を迎えている。その世代交代の背景には、1980年代の改革開放以降、日本へ移住した人々「新華僑」が出現し、2000年代以降に中国私費留学生が激増しているという、日本華僑華人社会における「新世代」への変容がある。従来は地縁・血縁・業縁を紐帯に成り立つ伝統的な組織(「宗親会」、「同郷会」、「会館」や「商会」)であったが、現在、日本華僑華人博士協会は華僑華人の「新世代」によって経済利益、政治目的、学術教育などを紐帯として成り立つ「新型華人社団」(奈倉 2018:293)である。同協会は、「創新創業大会」の開催を通して、中国地方政府と在日中国人材とを結びつけさせ、中国人の「頭脳回流」と日中科学技術の協力を促進している。 【結論】 21世紀以降、中国政府は海外の華人組織と送り出し国との関係に重視し、新型の華僑華人組織の設立に積極的に参与している。これらの組織はますます中国の経済と産業の発展および外交目標に貢献している。それにもかかわらず、華僑華人組織と中国地方政府との関わりは強化しつつあり、中国地方政府も、こうした組織への関与を強化している。中国地方都市は経済、科学、技術の進歩に関わる海外華僑華人の活動において重要な拠点となっている。地方レベルの華僑華人に関わる政策は国家政策に従属しているが、実際には地方の間に人材競争も存在している。したがって、日本の華僑華人組織は、中国の地方政府の経済・産業発展における仲介的な役割を果たすようになっている。 【文献】 戴二彪,2012,『新移民と中国の経済発展――頭脳流出から頭脳循環へ』多賀出版. 奈倉京子,2018,『中国系新移民の新たな移動と経験――世代差が照射する中国と移民ネットワークの関わり』明石書店. Els van Dongen,2022,“‘New Migrant’ Organisations and the Chinese Diaspora State(s) in the Twenty-first Century: The Case of Japan,”China Perspectives(4):17-27.

日中1

No Widening Educational Inequality on All-cause Mortality among Japanese Older Adults, 1893-1936


日中2

Impact of Social Support Networks on Elderly Well-Being in East Asia: A Comparative Study of China and Japan


日中3

Gay and disabled but ‘hegemonic’ nonetheless: An exploration of traditionally initiated gay and disabled Xhosa men negotiating masculinity.


日中4

Reimagining Kinship Through Lala Families in Transitional China: Decentering Global Sociology through Queer Asia


日中5

Think the Same but Act in Difference: Introducing the East Asian Mode of Silent Youth Activism


報告番号395

アート・キュレーションと社会学を架橋する——アクション・リサーチの可能性
立命館大学大学院 有馬 恵子

報告者はこれまでアート・キュレーターとして、国内外の多様な背景を持つ人びとと協働し、専門家・研究者の協力を得ながら、事業を取りまとめる経験を積んできた。2000年代は、欧米の芸術祭(2009年ヴェネチア・ビエンナーレなど)、2010年代は日本や東南アジアにおけるパフォーミングアーツ・プロジェクトなどに関わりながら、目的やテーマに沿って主催者や現地の協力者、アーティストとともに企画や運営を行なってきた。 2010年代、とくに東日本大震災後は、かつて経験したことのないテーマに向き合い、これまでの説明言語を超える作品制作の機会が多くなった。たとえば報告者は、2014年から2017年まで福島県の事業として実施したパフォーミング・アーツプロジェクト〈タイムライン〉において、演劇作家、音楽家、写真家、振付家らとともに、中高生を対象としたワークショップを行い、その最後のアウトプットとして作品を制作した。その制作過程では、学校への訪問、登下校中の様子の観察、福島各地のリサーチといった要素を組み合わせるプロセスを重要視した。2016年から2017年に参加した札幌国際芸術祭では、プレ・リサーチとして道内の中高校を訪問し、その後札幌市でのリサーチ、ワークショップなどを経て、作品制作へとつなげていった。 現在、アートプロジェクトの現場においてアクションリサーチは、作品制作のプロセスの一部となっている。報告者は、社会とアートとをつなぐ手法を獲得したいという思いから、2019年に大学院に進学し、インタビューや参与観察といった調査方法と分析方法を学んできた。社会学分野で培われてきた方法を作品制作のプロセスに応用することで、キュレーションは格段に精度が上がった。これまでの社会学の知見を応用したアクションリサーチをキュレーションに組み入れる実践を通して報告者は、アクションリサーチをキュレーションへ反映させるというベクトルには確かな手応えを感じている。しかしながら、これまでアート分野におけるリサーチの状況は、アートマネージメント分野において、課題や状況が共有されているが、社会学分野においては共有されてこなかったように思われる。アクションリサーチという方法は、研究と対象対象との双方向、あるいは成果のフィードバックループによってこそ深まることが期待されるため、本報告では、報告者のこれまでの取り組みを共有し事例を紹介することで、アクションリサーチの可能性を深めるための学術的課題について、広く議論したい。

報告番号396

ルールづくりにおけるアクション・リサーチの意義 ——盲ろう者とのルールづくりの実践を通じて
東京大学 山下 瞬

【1.目的】本報告では、ルールづくりにおけるアクション・リサーチの意義について検討を行う。また、アクション・リサーチにおける「研究者」をルール(仕組みを含む。以下同じ。)を設計する「アーキテクト」と仮定する。そして、当事者としてのニーズを汲み取ることが難しいと考えられている障がい者の課題解決を目的としたルールづくりの実践を通じて、アクション・リサーチを用いることの効用及びその限界について探求を試みる。 【2.方法】報告者は、ルールづくりを専門とする弁護士である。また、講演会や自身のブログなどを通じて市民によるルールづくりの実践をサポートしており、現在大学院で法社会学の観点からルールづくりを研究している。自治体職員時代には、全国で初めて、手話を言語と認める「手話言語条例」の制定に関与し、その後同様の条例が500以上の自治体に波及していく過程を目の当たりにし、当事者のイニシアチブによるルールづくりの有用性を感じた(条例制定の自治体については、一般財団法人全日本ろうあ連盟「手話言語条例マップ」参照)。しかしながら、ルールづくりの過程において、パブリック・コメント制度などの手法は存在するものの、未だ当事者のニーズを十分に汲みとり、それを反映させる手法というものは確立されていないと考えられる。特に、障がい者福祉施策においては、当事者とのコミュニケーションの問題などから、より一層の困難が想定されるところである。その意味において、アクション・リサーチの手法を用いることで、その定義(平井, 2022など)が示すように、当事者である障がい者とアーキテクトが同じ方向を向いて、ともに抱えている閉塞感の打破を目指す過程を通じて、当事者のニーズを汲み取ると同時に効果的なルールの設定を実現する可能性を秘めているのではないか。 そこで、報告者が支援活動を行っている、「盲ろう者」(視覚と聴覚の両方に障がいを有する者をいう。)の支援団体において、「点字ブロックの啓発」という盲ろう者が実際に直面した課題について必要なルールをともに検討する。同時に、報告者が所属する大学院のゼミナールにおいて、将来的にアーキテクトとなる可能性のある学生(主に法学部の学生)に同じ課題を検討してもらう。こうしたアクション・リサーチの実践や当事者と非当事者との検討結果との比較などを通じて、ルールづくりにおけるアクション・リサーチの効用や限界を提示する。 【3.結果】 盲ろう者と学生双方の検討したルールを通じて、ルールづくりにおける当事者性の発揮や限界などを提示する。併せて、盲ろう者とのアクション・リサーチの実践を踏まえて、アーキテクトとして留意すべき事項を提示する。 【4.結論】アクション・リサーチは、アーキテクトと当事者の認識をともに更新する可能性を秘めている手法であり、今後は、ルールづくりの分野においても、同手法の活用の深化が期待される。 【参考文献】平井太郎,2022,『地域でアクションリサーチ』農山漁村文化協会

報告番号397

障害児者のきょうだい支援の実践・啓発に関する研究
北陸学院大学 松本 理沙

“障害のある兄弟姉妹がいる人(以下「きょうだい」と表記)に対する支援の必要性が、実践や研究から明らかになっている。近年のヤングケアラー支援の啓発により、きょうだいの存在は認識されつつある。しかし、きょうだい特有の課題については、ヤングケアラー支援において、きょうだいと他のケアラーと相違点があることを踏まえた上での啓発がほとんどなされていない現状がある。きょうだい支援は、ヤングケアラー・ケアラー支援とは異なる文脈で、独自の発展を遂げてきた。今回の報告では、報告者が共同代表として運営に携わる「北陸きょうだい会」の活動等を踏まえて、きょうだい支援の実践・啓発に関する現状と課題を整理し、その課題解決のためのアクション・リサーチについて検討したい。

 北陸きょうだい会は、これまで、(1)きょうだい同士で対話する場づくり、(2)セミナー・勉強会の開催、(3)他団体とのイベント企画・共催、(4)講師派遣、(5)参加希望者やこれまでの参加者からの要望による企画等を実施してきた。きょうだいにとって安心できる場づくりの実践と、きょうだい支援の啓発の両輪で活動を進め、一定の成果が得られたと考えている。一方で、共同代表の生活状況の変化から、共同代表だけでは運営が困難になり、体制の変更を余儀なくされた。現在は、運営サポーターの方にもご協力頂いている。単発で協力下さるサポーターの方も存在するし、イベントで取り上げるテーマに応じて、サポーターの方以外にも協力を求めることがある。運営に携わるスタッフの生活状況の変化(例として、家族のケア、育児、就職活動、「きょうだい」としての自分から離れる時間の確保等)を踏まえ、無理をしないスタンスを崩さない一方で、実施できていない企画、例えばオンライン開催が主となっており、対面開催の回数が減少していること等は課題となっている。

今後も、他団体とのイベント企画等も行いながら、運営の維持を図るため、地元の石川や全国の支援団体等とも連携しながら、活動していきたいと考えている。しかし、連携することで、時にきょうだい支援の枠組みから外れる可能性が懸念される場合がある。

ヤングケアラー・ケアラー支援の枠組みでは、ケアに焦点が当てられる傾向にあるが、ケア以外のきょうだい特有の課題にも焦点を当て、実践・啓発に引き続き取り組んでいきたい。そのためのアクション・リサーチのあり方について、今回の発表で議論できればと考えている。 ”


報告番号398

シチズンサイエンスとアクションリサーチの合流——市民参加型知的生産の新たな可能性
福岡大学 森田 泰暢

シチズンサイエンスは、オープンサイエンスの進展と相まって、近年注目を集めている。日本においても、第6期科学・技術イノベーション計画にその概念が取り入れられ、市民の科学への参加が期待されている。報告者はその流れを汲んで2021年にシチズンサイエンス研究センターを設立した。シチズンサイエンスに関する代表的な組織であるCitizen Science Associationは、2023年にAssociation for Advancing Participatory Sciencesと名称変更を行い、より「参加型」であることを強調している。 現在、シチズンサイエンスの多くが「貢献型」と呼ばれるデータ収集の部分に市民が関わるケースが大半を占めている。この場合、市民は単なるデータ提供者としての役割に留まり、研究の他のプロセスには関与しない。市民の知的貢献はやや限定的である。 報告者はシチズンサイエンスや地域づくりにアクションリサーチのアプローチで関わる中で、依然としてアクションリサーチという姿勢に強い関心を持っている。アクションリサーチは、知的生産行為そのものの民主化を強調するプロセスである。このアプローチは、市民が科学研究に参加するだけでなく、知的生産を行う文化を醸成する手段としても重要である。シチズンサイエンスとアクションリサーチは、参加とリサーチという点で共通しているが、アクションリサーチは特に自分たちの社会を豊かに保つための知恵や知識の生産プロセスを強調する。 さらに、アクションリサーチのプロセスには、学術的新規性のための知的生産や課題解決のための知的生産に加えて、多様な知的生産行為が含まれる。このような多様性が、市民の知的貢献を広げ、彼らが自分たちの経験や視点を基に新しい知見を生み出すことを可能にする。 本発表では、シチズンサイエンスとアクションリサーチの概念やプロセス等の比較を行う。特に、シチズンサイエンスとアクションリサーチがどのように補完しあい、市民の知的生産を促し、文化醸成に繋がるのかについて議論する。シチズンサイエンスとアクションリサーチの枠組みを超えた新しい知識創造と社会変革の可能性を探る。 総じて、シチズンサイエンスとアクションリサーチの融合は、市民が単なるデータ提供者にとどまらず、知的生産プロセス全体にわたって積極的に関与する機会を提供する。これにより、市民自身が学び、成長し、社会に貢献する力を育むことができる。セッションの議論を通じて、知的生産行為を社会にいかに埋め込み、浮かび上がらせ、促すかを検討しながら、新たな参加型リサーチの姿が浮かび上がることを期待している。

報告番号399

語り継ぐ経験の行方(1)——歴史につらなるオラリティ
立教大学 関 礼子

オラリティ(声)は、ごく個人的な経験を「負の記憶」という社会的・集合的な意味へと転換させる。『戦争は女の顔をしていない』(アレクシェーヴィチ2016)は従軍女性の声のポリフォニーに、「原初の喜び」「人間の生の癒しがたい悲劇性」を描き出した。長い沈黙を経て語られ・聞かれた声が、検閲と自己検閲を経て出版された衝撃は大きく、著者はのちにノーベル文学賞を受賞している。  この衝撃は、かつての日本にもあった。GHQ占領下で禁じられ検閲された(堀場1995)被曝体験、沖縄戦や東京大空襲の体験が手記や聞き書きとしてまとめられるようになった時代、社会は体験者の声に集合的な「負の記憶」を見出してきた。 オラリティは時代のなかに居場所を見出したときに浮かび上がり、社会的文脈に依存しつつ、社会的文脈を変化させながら人びとの近い歴史をつくっていく。注意すべきは、出来事が「負の記憶」となり、語り継ぐ経験としてのポジショナリティを獲得していく過程にも、漏れ落ちていく声があるということである。  近年の例でいえば、福島原発事故の被害者は、しばしば自らの「語る資格」の有無に言及し、沈黙することが散見された。より被害が大きいと見做される避難者には語る資格があるが、相対的に被害が小さい自分には語る資格はない。「私は避難者を代表していない」のである。このことは、出来事と出来事を取り巻く社会の文脈に拘束され、被害者自身も声の真正性の虜になってしまうことがあるということを示している。  出来事の当事者が理不尽、不正義、不誠実に抗うとき、拡声されるオラリティは「闘うオラリティ」である。その声が社会に風穴を開けて社会的文脈を変えたとき、周辺的であるがゆえに零れ落ち、沈黙していた声が、次なる変化を求めて首をもたげる。  共通タイトルを「語り継ぐ経験の行方」とした連続報告で、私たちは、オラリティが社会的文脈を変化させる力や、語り手と聞き手の関係性を形成する力に注目する。報告者は、いずれも『語り継ぐ経験の居場所』(関編2023)の著者であり、戦争、公害、地域開発、そして先住民族(アイヌモシリ)の記憶を紐解きながら、記憶を語り継ぐというが持つ可変性と創発性を捉えてきた。今回の報告では、その成果に基づきつつ、語りに唯一の真正性を求めるのではなく、さまざまな声をand/orでつなげて、語りを拓く可能性と必要性を論じていきたい。 参考文献 アレクシェーヴィチ,スヴェトラーナ、三浦みどり訳2016『戦争は女の顔をしていない』岩波書店。 関礼子編2023『語り継ぐ経験の居場所――排除と構築のオラリティ』新曜社。 堀場清子1995『禁じられた原爆体験』岩波書店。 謝辞:本報告は科研費基盤研究(C)22K01889 の成果である。  

報告番号400

語り継ぐ経験の行方(2)——戦争と移民をめぐるファミリーヒストリーによって構築されるオラリティ
福島大学 廣本 由香

第二次世界大戦の終戦から80年という歳月が経とうとしている。戦争体験者の減少と高齢化による風化とともに、戦争体験やオラリティが儀礼的にくり返し唱えられ、行政的・制度的に組み込まれることで形骸化してしまった一面がある。戦争体験の「正統」な継承が「凡庸化・陳腐化」(米山2005: viii)という事態を招いたことで、オラリティの別の回路が閉ざれ、排除につながってしまったことも否めない。また、博物館・資料館の中で語られる証言・伝承は重要な役割を果たしているが、そうした施設が観光地化されることで、戦争体験やオラリティが刹那的な消費の対象となってしまっている側面もあり、こうした観光化の潮流に抗うことがいっそう難しくなってきているようにも思う。  本報告では、長年、広島県内で反戦・平和活動を続け、大久野島で毒ガス製造の加害-被害の歴史や体験者の証言の継承活動に取り組んできたYさんの移民と戦争をめぐるファミリーヒストリーを取り上げる。具体的には、ハワイ州オアフ島にあるアリゾナ記念館をめぐってハワイで暮らす親族とのあいだで生じた認識のズレによる、Yさんの気づきと自省である。アリゾナ記念館は1941年12月7日の真珠湾攻撃によってパールハーバー港に沈没した戦艦アリゾナの真上に建てられ、亡くなった乗組員を追悼するとともに、真珠湾攻撃自体を記念する慰霊施設となっている。現在も重要な軍事基地であるパールハーバーは戦争の記憶が呼び起こされる場所であり、観光客が多く訪れる人気観光スポットでもある(馬 2016)。この場所をハワイで暮らすYさんの親族はどのように受け止めてきたのか。なぜならば、真珠湾攻撃を引き金に、アメリカは第二次世界大戦に正式に参戦し、ハワイではあらゆることが軍事体制に組み込まれ、ハワイ在住の日本人・日系人は厳しい規制下に置かれ、日系二世は軍による排除と動員に翻弄された。それは戦後のハワイ社会における日系人の市民権や社会的地位、アイデンティティにも深く関わることである。  結論を言えば、アリゾナ記念館という施設からYさんは開戦後に日本人・日系人が置かれた環境や戦後まで続く差別にまで想像が及ばなかった。こうしたアリゾナ記念館を例に、戦争と移民をめぐる歴史文化の「裂け目」をYさんがどのように理解し、どのように問い直し、応答したのかを明らかにする。当然、戦争の歴史には前史があり、戦後史がある。戦争の歴史としては取り上げられないとしても、他の領域のオラリティとして立ち現われたり、重なり合って関係していたりする。それは社会的文脈を変化させ、別のオラリティを構築する可能性を拓くといっていい。 【参考文献】 廣本由香,2023,「現場で交錯する実感と歴史との『連累』――なぜ大久野島を語り継ぐのか」関礼子編『語り継ぐ経験の居場所――排除と構築のオラリティ』新曜社,161-188. 米山リサ,2005,『広島――記憶のポリティクス』岩波書店. 馬暁華,2016,「戦争の記憶と観光文化の創出――ハワイの人気観光スポットを中心に」『英文学会誌』61: 47-72.

報告番号401

語り継ぐ経験の行方(3)——公害被害者の語りを環境運動に生かすことの問題性
中ヶ谷戸オフィス 松村 正治

本報告では、カネミ油症の被害者・支援者による運動の現場から、被害者の語りを環境運動に生かすときの問題性について議論する。 2021年、国はカネミ油症認定患者の子や孫を対象に、世代を超えた被害の実態を明らかにする本格的な調査を初めて実施した。これまでのところ、アンケート回答者の約4割が親世代と同様の倦怠感や皮膚症状などを訴えていること、一般と比較して口唇口蓋裂の発生率が高いこと、男性患者から次世代への影響も疑われることなどが明らかになった。また、次世代被害の実態解明が進むなかで、認定制度において中心的な役割を担っている全国油症治療研究班の班長は、これまで重視されてきた血中ダイオキシン濃度が重要な指標にならないという考えを表明した。つまり、1968年の事件発生から55年以上が経過した現在、カネミ油症の認定制度は根本的な見直しが迫られているのである。 被害者は、黙っていても状況が改善されないので、新たな患者の認定や補償の拡大などを求めて自ら被害の実状を訴える。世間に顔も名前も明かした上で、被害者自身が切々と語る厳しい現実は聴く者の心を動かし、支援者の拡大へとつながることがある。支援者は、その語りの効果を実感しているので、運動の推進のために被害者の声を利用する。被害者もまた、自らの立場性を生かして自身の声をもとに運動を進める。このように被害者と支援者は連携し、絡まり合って運動が展開されている。 もちろん、被害者も支援者も一枚岩ではない。被害者が省庁交渉に当たったり、メディア向けに情報を発信したりするときには意見をまとめる必要があるけれども、それぞれが個人として社会に訴える語りの総体は多様な内容を含む。支援者側は、それらの語りを生かして被害者救済に向けた運動を進めようとするが、目標に向かう戦略・方法に関して考え方が異なる場合は、別々の運動が展開されることになる。それが原因で、支援者同士の関係がぎくしゃくし、被害者は困惑するという事態が見られる。 一方、カネミ油症の原因物質を直接摂取していない次世代被害者は、現行の制度では患者認定される可能性が低く、声を挙げることは差別や偏見にさらされやすくするだけである。実際、未認定の次世代被害者で、顔も名前も明かして語っている人は1人に過ぎない。 それでも、国が次世代被害の実態調査を実施し、多くの認定患者の子や孫たちが被害の実態をアンケートに答えたという事実は、彼/彼女たち同士が現在患っている病気や将来への不安などを率直に語れる場があればよいだろうと推察される。そこで、認定患者らが中心となって、次世代被害者が素性を明かさずに語り合える機会をつくろうとする動きがある。 本報告では、このようなカネミ油症の次世代被害をめぐる現在進行形の現場から、被害者の語りと運動の展開のもつれ合う問題性について議論し、その中で「闘うオラリティ」「支え合うオラリティ」(松村, 2023)という用語の可能性についても考察を深める。 文献 石澤春美・水野玲子(2024)『家族の食卓―カネミ油症事件聞き取り記録集[改訂版]』野兎舎. 松村正治(2023)「公害被害者の語りが生む連帯と分断―カネミ油症事件の事例から」関礼子編『語り継ぐ経験の居場所―排除と構築のオラリティ』新曜社, 17-44.

報告番号402

語り継ぐ経験の行方(4)——語りが拓くレジリエンスの可能性
東北大学 青木 聡子

【目的】語りまたは語るという行為は、人々の間に生じた亀裂や、コミュニティの分断を修復する契機にいかにしてなりうるのか。本報告では、住民運動にともなう地域社会の分断の経験とそれを語る行為に焦点を定め、告発のオラリティが修復のオラリティに展開する可能性を検討する。【方法】具体的には、1963年から2000年にかけて三重県で展開された芦浜原発反対運動の最前線となった、古和浦集落の経験を取り上げ、それについての女性の語りに焦点を定める。芦浜原発反対運動は、三重県・旧紀勢町と旧南島町にまたがる芦浜地区への原発建設計画をめぐって展開され、最終的に同計画を退けた。原発の立地には県知事の同意と、漁業権を有する漁協の同意とが必要であったが、県知事は当初より原発受入れの姿勢を示しており、漁業権を有する二つの漁協(錦漁協、古和浦漁協)のうち、錦漁協が早々に原発受入れを表明していたため、反対運動は古和浦漁協の漁業権を拠り所に展開された。漁協内の意思決定は組合員の多数決に拠っていたため、約200名の組合員一人一人の意向が問われることとなり、古和浦集落は、原発問題をめぐって住民間の激しい対立を経験することとなった。本報告では、芦浜原発反対運動のなかでも、古和浦集落での運動展開やその影響について語り継いできた一人の女性の語りに着目する。彼女は、漁師の夫とともに最後まで古和浦の反対派の先頭に立って闘った。反対運動終了後は、自らの経験を対外的に語り続け、その語りは新聞記事やテレビ番組でも繰り返し取り上げられている。【結果】彼女の語りの分析の結果、明らかになったのは次の3点である。(1)まず、一聴して、反対運動にともなう地域の分断といった、運動のネガティブな側面の開示や、運動の過程で人間らしさを喪失したことへの懺悔として受容されがちな彼女の語りは、実は、被害を訴え、その社会的承認を求める語りと理解できる。このことは、例えば、現地訪問した知事に対して彼女が発した「知事さん、助けて下さい」や「人が死んで喜ぶようなまちに中電がしてしまった」などの発言とあわせて理解することにより明確となる。(2)しかも、「中電が」と言っているように、被害が(原発計画の事業主体である)中部電力によってもたらされたことを告発する語りでもある。この告発は、地域社会の分断が「反対運動のせい」ではなく「原発計画のせい」「中電のせい」であり、かつての賛成派も反対派も対峙すべきは相手方住民ではなく、中部電力であることを示す。(3)最後に、こうした告発のオラリティは、かつての賛成派も反対派ももろともに被害者として連帯し、加害者の中部電力と対峙することを可能にし、人々が対立を乗り越え地域社会の分断を修復する契機になりうる。【考察】本報告から示唆されるのは、語りによって地域社会の被害を可視化することで、①その被害を対外的に訴え加害に対峙するための共同性が住民間に創出され、②互いの困難な経験を共有し受苦者としての連帯が可能になるということ、すなわち語りによるレジリエンスの可能性である。このためには地域内部で語り合うプロセスが必要だが、そこには第三者の介入が有効であり、研究者がその役割を担い得る。【付記】本研究はJSPS科研費24K05223の助成を受けたものである。

報告番号403

語り継ぐ経験の行方(5)——植民地主義的現在と痛みのオラリティ
北海道教育大学 高崎 優子

ルーツを隠さなければならない社会は、決して豊かな社会とは言えない(安田,2022)、本報告では、アイヌ・ルーツをめぐる痛みのオラリティに注目する。2023年2月に内閣府が公表した「アイヌに対する理解度に関する世論調査」の結果では、「アイヌの人々やアイヌ文化に接したこと」が「ある」との回答は21.0%、「ない」が70.5%、「わからない」が8.2%だった。同調査は日本国籍を有する全国の3000人を対象として行われ、うち1602人が回答している。回答者のうち5人に4人がアイヌやアイヌ文化に接したことがない、またはわからない、と答えているこの現状は、日本政府が国民国家の形成過程で、アイヌの土地・言語・信仰・生活文化を徹底的に収奪したことの結果である。こうした植民地主義的過去から歴史的に形成され、今なお生起し続ける痛みのオラリティのひとつに、差別の経験をめぐるオラリティがある。先の調査では、アイヌに対する差別や偏見が「あると思う」との回答は21.3%、「ないと思う」と答えたのは28.7%であり、「わからない」が49.7%という結果であったが、アイヌ・ルーツを持つ人々にとって、差別は過ぎ去った過去ではなく、また、あるかどうか分からないという漠然としたものでもなく、現在も続く確かな状況である。SNSを開けばそこにはヘイトが溢れている。日常的な場面で傷つくこともある。「ない」あるいは「わからない」との回答自体が、自らが差別の標的とはならない、多数派の特権を表している。だがもちろん、痛みのオラリティを紡ぐのは容易なことではない。アイヌが自らの経験を語るとき、最も多いのが沈黙の声であることはしばしば指摘されてきた。その沈黙の理由はさまざまであるが、拙稿(髙﨑,2023)では、そうした幾重もの沈黙の海から出て、自らを差別を語る者として位置づけるアイヌ女性の語りを扱い、彼女が紡ぐオラリティは「応答の要請」であることを論じた。なぜならば、アイヌが抱える痛みは、その痛みをもたらしている多数派社会の問題であるからである。では、こうした「応答の要請」に、発表者もその一員である多数派社会は充分に応えられているだろうか。一方、拙稿で見落としていたのは、沈黙というオラリティの存在である。沈黙がオラリティの不在であるとは限らない。それを教えてくれたのは、また別のアイヌ女性の語りであった。さきに植民地主義的「過去」と書いた。だが、2018年に北海道が「命名150年」の祝典に沸いたように、植民地主義は決して過去のものではなく、現在も続いている。その植民地主義的現在のなかで、痛みは個人化しながら継続している。本報告では、そうした沈黙のオラリティにも注目しながら、痛みのオラリティを生起させるもの、それを阻むもの、そして痛みの応答の現在について考察する。 文献 髙﨑優子(2023)「アイヌ、和人、ポジショナリティ―痛みの応答に向けての試論」関礼子編『語り継ぐ経験の居場所―排除と構築のオラリティ』新曜社, 101-130. 安田菜津紀(2022)『あなたのルーツを教えて下さい』左右社.

報告番号404

フランスのフィリピン人コミュニティの形成と展開——家事労働のニッチを中心に
一橋大学 伊藤 るり

【1.目的】フランスには今日、推計27,000人の比較的小規模のフィリピン人コミュニティがある。1970年代後半、中近東地域で家事労働者として働いていたフィリピン人が、同地の紛争・政変を背景に雇用主がフランスに避難、亡命するに伴って入国し、非正規滞在のまま残留、徐々に家事労働のニッチを核に発展してきたのが、今日のフィリピン人コミュニティと考えられる。フランスは、原則的に移住家事労働者受入れ政策をもたないため、同国での就労をめざすフィリピン人は必然的に非正規滞在となる。大量の非正規滞在者を抱えて拡大してきた同コミュニティについて、Fresnoza-Flotは主としてコミュニティ内部の動態によって説明、検討を加えてきた(2013など)。本報告では、この先行研究を踏まえつつも、新たに、①フランスの家庭雇用の制度化の過程、ならびに②家事労働者のあいだに浸透するグローバルな宗教ネットワークの展開などに着目し、これらの観点から在仏フィリピン人コミュニティの形成と展開の再構成を試みる。 【2.方法】報告者は2009年から19年までの期間、またコロナ禍をはさんで2022年以降、①パリ地域の個人家庭被雇用者組合(フランス民主労働総同盟=CFDT)の労働相談会などでの参与観察と聞き取り、②全国家庭雇用主連盟(FEPEM)に対する聞き取り、③非正規滞在中、ないしその経験のあるフィリピン人家事労働者への個別インタビューなどを断続的に行ってきた。本報告はこれらの聞き取りで得たデータ、ならびにCFDTが保存していた家事労働者組合、ならびにフィリピン人労働者に関する史資料などに基づく。 【3.結果】(1)1970年代後半から80年代前半は、フィリピン人コミュニティが家事労働をニッチとして形成されていく初期にあたるが、同時期には、フランスの家事労働者と使用者の組織化、さらには家庭雇用の制度化が進んだ。フィリピン人非正規滞在家事労働者の正規化への運動は、CFDT内部の移住家事労働者への関心の高まりと呼応するように進んだことが史資料によって明らかになった。(2)1981年に外国人の結社の自由が認められるが、これを契機に活性化するフィリピン人のアソシエーションには既存のカトリック教会系団体のみならず、新興の福音派教会系の団体が多数みられる。後者には、グローバルに展開するメガチャーチが含まれ、フランスの国内アソシエーション以上の機能を果たす。 【4.結論】フィリピン人コミュニティが家事労働をニッチとしてきた以上、これがフランスの家庭雇用の制度化とどのような関連にあるか、また同コミュニティの移住システムにおいてグローバルな宗教ネットワークがどのような働きを果たしているか、これらの検討は、フランスのフィリピン人コミュニティの形成と変化を捉えるうえで新たな論点を提供するだろう。 Fresnoza-Flot, Asuncion, 2013, Mères migrants sans frontières : La dimension invisible de l’immigration philippine en France, Paris : L’Harmattan.

報告番号405

インドネシア人家事労働者帰還民によるキャリア選択 ——バリ島への再移住者の事例から
京都産業大学 澤井 志保

インドネシアは現在、グローバル・ケア・チェーンにおいて重要な役割を果たしており、主に農村部の女性が国際移住家事労働者(transnational migrant domestic workers/MDWs)として国際移住労働に従事している。このタイプの移住の増加により、MDW帰還民が帰還後の現金収入をどのように確保するべきなのかが議論されてきた。先行研究においては、当該帰還民は主にジャワ島の出身地域付近に帰還し、結婚したのちに故郷の村の地域社会をターゲットにして小規模起業を行い、代替収入源を得ていることが明らかになっている。一方で帰還民は、故郷の村で彼女らに対する偏見に遭遇したり、母として、また妻としてのジェンダー役割の押し付けに遭い、主体的なキャリア形成に葛藤を感じてもいた。 本報告では、上述のMDW帰還民のうち、故郷のコミュニティを離れてバリ島に再移住し、新たなキャリア形成を試みる者を取り上げて、ジャワ島にとどまる帰還民との比較検討を行う。 研究手法としては、バリ島に再移住したMDW帰還民に対してスノーボール・サンプリングに基づき、現在の収入源についてのインタビューを行った。そして、グラウンディド・セオリーの手法にてキーワード分析と解釈を実施し、これまでの研究で得たジャワ島に帰還、定住したMDW帰還民についての調査結果との比較を行った。その結果、2点の知見が認められた。第一に、回答者は、国境を越えた労働を通じて培ったスキルを活用してフリーランスの仕事を見つけるためにバリ島に定住していた。第二に、回答者は、グローバル・ノースの消費文化における新たなスキルセットを学び、獲得するためにバリ島を選んでいた。さらに、彼らは香港での国際移住労働を通して賃金やその他の労働条件を交渉する能力を身につけており、これらの能力を活用して、バリ島に在住する外国人のもとで働く機会を実現していた。第三に、回答者は、複数のギグワークを掛け持ちしていた。第四に、彼女らは香港とジャワ島での仕事状況を重荷に感じており、バリ島においてはより良い賃金と短い労働時間、そしてより対等な雇用者との労働関係が実現できると感じていた。 結論として、インドネシアから香港へのMDW帰還民の中には、一度の国際移住でキャリアが完結する者だけではなく、国際移住労働の間に初期のスキルセットを補完し、積極的な自己開発を行ったのちに、二巡目の移住を試みることで、自らの求めるキャリアを実現する例が見て取れた。

報告番号406

Multi-stakeholder Partnership Models of the Climate Mitigation——The Case Studies of the United Kingdom, Australia, Japan and Germany
University of California, Berkeley  横山 恵子

1. 1. Purpose of the study The concept of public and private partnerships (PPPs) has been the dominate analytical framework in social sciences together with the idea of New Public Management and in the context of neoliberalism for the last four decades. Some areas such as the UK health sector have been extensively researched within the conceptual framework. However, neither PPP nor multi-stakeholder analytical frameworks are applied in the context of climate change mitigation and adaptation. In fact, there are not many literature to investigate the patterns of partnership in these areas, although PPPs and multi-disciplinary collaboration tend to be encouraged from national and local governments at the practical level cross-nationally. This study, therefore, explores PPP and multi-stakeholder analytical frameworks in the context of climate change mitigation, in particular seagrass restoration efforts. Seagrass restoration is a Nature-based solution (NbS) for climate change, which captures and stores carbon. The purpose of the study is to clarify the patterns of the partnerships in seagrass restoration activities in four counties: Australia, Germany, Japan and the UK. The principle of the selection of the four countries is the availability of documents and high transparency of their seagrass projects. 2. Method The study employed in-depth case studies method. The study employs the following methods for data collection because they allow efficiency in the process of data collection: (1) documentation; and (2) semi-structured interviews. 3. Result: analysis and interpretation Australia Recreational agencies have historically involved in conservation activities in general in Australia. One of analysed seagrass projects, ‘Seeds for Snapper’ in Western Australia, falls in this category, aiming to promote robust economy and marine-related business. The UK The seagrass restoration of the analysed institution, the University of Plymouth in Plymouth Sound and the Solent is not a British typical charity-led conservation, but rather an European top-down model, funded by the European Union and led by a quango, Natural England. The result of other countries will be reported at the conference. 4. Conclusion The initial analytical framework of the study was the binary of the PPPs. However, the reality is much more complex, requiring the multiple stakeholder analysis, including the third sector, in particular charities at the scaling stage. The patterns of partnerships have changed by stages of the projects in Anglophone cases. The four case studies have commonly initiated by authorities with public funds. However, the third sector, charities, as well as communities in general, tend to involve and become significant agencies later in particular at a scaling stage, as Australian and the UK cases indicate and the German case implies. In this respect, it can be interpreted that the transformation of the top-down to grass-route, multi-agency partnership model is often observed in terms of the seagrass restoration activities. It can be assumed that the lack of awareness on seagrass loss, difficulty to access underwater and rather expensive restoration costs prevent private or community initiatives.

報告番号407

The Long Shadow: Age, Period, and Cohort Effects on Japanese Perceptions Toward China and Russia (2007-2022)
浙江大学 蔡 曾

1. Aim This study examines the trends in Japanese attitudes toward China and Russia. Previous research often attributes these trends to diplomatic events. However, this perspective overlooks the significance of individual subjectivity. In reality, citizens’ attitudes gradually change through political socialization. The Age-Period-Cohort (APC) theory is instrumental in explaining this process. According to this theory, the period effect posits that events occurring at a specific time can simultaneously influence all individuals’ attitudes. Additionally, the age effect suggests that as individuals age, their attitudes change accordingly. Finally, the cohort effect indicates that groups of individuals born around the same time who experience similar historical and social events exhibit distinct attitudes, behaviors, and beliefs. Therefore, this study considers these three effects concurrently to account for the trends in Japanese attitudes. 2. Data & Methods Our analysis utilizes the Pew Research Center’s Global Attitude Survey data from 2007 to 2022. Our datasets include responses from Japanese citizens regarding their favorability toward China and Russia. We employ the Hierarchical Age-Period-Cohort (HAPC) method to address multicollinearity issues. This method allows us to model age, period, and cohort effects hierarchically, introducing random effects separately. Of course, our dependent variable is the perceptions toward China and Russia, measured on a four-point scale (very unfavorable, somewhat unfavorable, somewhat favorable, or very favorable). We divide models into two categories: the empty model, which only concerns age, period, and cohort, and the full model, which contains control variables like gender, educational level, and region of residence. 3. Results First, the age effect indicates that older individuals tend to have more negative views of both countries. Second, the period effect shows significant fluctuations in public sentiment in response to critical diplomatic events. For example, Japanese attitudes toward China improved significantly following visits by prime ministers or presidents and deteriorated after territorial disputes. Attitudes toward Russia also exhibited notable negative shifts following events like the Russia-Ukraine conflict. Last, the cohort effect displays a three-step trend: those generally hold positive attitudes towards both countries, those born during the Cold War hold negative attitudes, and those born after the Cold War tend to keep positive attitudes again. These generational differences align with Japanese people’s level of contact with Chinese and Russians over time. 4. Conclusion Our study highlights the complexity of public attitudes toward neighboring countries, especially emphasizing the importance of demographic structure and individual experiences. The age effect supports existing literature, showing a trend toward conservatism with aging. Period effects illustrate the impact of diplomatic events on short-term public sentiment. Most importantly, cohort effects reveal that generational experiences and collective memories significantly shape long-term attitudes. Furthermore, comparing the cases of China and Russia, it becomes evident that these effects vary in their extent across different countries. These findings suggest that public opinion is not merely a reflection of official politics but is deeply rooted in social changes and personal experiences.

報告番号408

トランプ期以降の米墨交渉と国境政策の「外部化」——北米における重層的境界管理と(イン)モビリティ(1)
亜細亜大学 小井土 彰宏

2017年トランプ政権の発足以来、国境管理をめぐる米―メキシコの関係が根本的に転換したことは周知の事実であろう。だが、両国関係の転換は、2018年のメキシコにおける開発主義的なポピュリスト政権の出現というもう一面を抜きにしては理解できない。 本報告は従来のような合衆国における政策転換の視点からのみこの境界管理の再編成を見ることを越えて、両国の相互交渉とその中でのメキシコ側の戦略の持つ難民の流れに与えた影響について考察していく。移民・難民研究において国境管理の外部化についての研究が展開してきたが、その多くはEUとその外延地域に関してのものであった。本研究は、この視点を本格的に北米における移動規制に関して適用するため、2019年以来メキシコ南部チアパス州のタパチュラ市およびカリフォルニア州国境に接する北部ティファナ市などの境界地帯において、中南米難民当事者・支援者へのフィールドワークと現地専門家への聞き取りを実施した。この調査のファインディングからは、米墨両国の政策相互作用が合衆国国境管理の外部化をもたらすのみならず、それがメキシコ南部国境に加え、その南の中米外延地域や国内においても複数の境界線を生み出すことで、中南米をはじめとするグローバル化しつつある米国に向かう難民の流れを規定していることが明確になってきた。 本報告では現地調査を踏まえて、下記の諸点を明らかにしていく。第1に、トランプ政権によって庇護申請政策の原則から大きく逸脱する政策の転換が図られた上に、パンデミックの到来とともに北部国境地域を通過することを著しく困難にし、結果として多数の難民シェルターが北部諸都市に生み出された。第2に、メキシコの左派ポピュリストのオブラドール政権はトランプの圧力下で当初の意図に反しながら南部国境の管理強化を進めつつも、多様な国々からの拡大する難民の流入に対し、単一の境界線ではなく、複数の自然・社会・政治的境界線を巧みに利用し、彼らの移動の阻止と回路付けにより自らの開発政策に利用してきた。この結果、各地域において異なる難民集団が地域的な労働市場に包摂され、南部地域のインフラ開発に吸収する一方、北部の製造業や商業に活用しつつある。その際、南部国境地帯において選別に与えられる権利がこの労働市場包摂にも大きく影響を与えている。 第3に、トランプとパンデミックによる複合的な強制されたイン・モビリティ状況が、2022年以降転換する中で、急激な移動の拡大によりバイデン政権は国境における難民の対流が膨張を続けることで政策的なジレンマを抱えてきており、国境における構造的な緊張が頂点に達している。 以上に加え大会当日には、2024年夏に計画している調査の結果を踏まえての最新の状況を付加して報告する予定である。

報告番号409

メキシコ難民庇護政策がもたらす権利の差異化と移動の管理——北米における重層的境界管理と(イン)モビリティ(2)
一橋大学大学院 飯尾 真貴子

メキシコは、これまで主にアメリカ合衆国(以下、米国)への最大の移民送り出し国として認識され、米墨間の国際移動とそれが生み出す社会的プロセスに着目する研究が多数生み出されてきた。しかし、とりわけ2000年代以降、米国を目指して北上する中南米他出身移民・難民が拡大するなかで、経由国(transit country)としてのメキシコに着目する研究も増えてきた。このような、複数の国境を超えて北上する人々は、移民規制の厳格化のもとで、排除の対象となる一方で、メキシコ、米国、カナダにおける難民認定制度を通じた庇護の対象にもなってきた。特に、メキシコは2010年代半ばより難民高等弁務官事務所(以下、UNHCR)の支援のもとで難民認定制度を拡大し、単なる移民の通過国ではなく受入国としての側面も強めている。本研究は、こうした中南米他移民・難民に対して、人道的観点から難民庇護政策を拡大するメキシコに着目し、このような政策が、メキシコを経由する移民・難民をめぐってどのようなカテゴリーを生み出し、それによっていかなる権利の差異化が生まれているのか検討する。これらの考察を通じて、メキシコ政府が人道的観点にもとづく難民庇護政策を通じて、いかに人々の移動の管理しようとしているのか明らかにする。  本研究は、主にメキシコの難民庇護申請制度の変遷をめぐる文献調査および2022年と2023年にメキシコの南部国境と北東部を中心に実施したフィールド調査に基づいている。現地の研究者に聞き取りを行い全体像の把握に努めるとともに、メキシコ難民支援局、UNHCRといった関係機関や移民シェルターのNGOを訪問し、主に職員に半構造化インタビューを実施した。また、2週間弱滞在できた支援組織では、参与観察も実施している。  本研究を通じて、中南米他からの移民の流れをめぐり米国から多大なプレッシャーを受けるメキシコはUNHCRの資金提供をうけながら移民の封じ込めと保護を内包した難民庇護政策を実施していることが明らかになった。ただし、このレジームは、メキシコ全土で一律に展開するものではなく、地域の受入れ文脈によってその特徴は大きく異なり、南部国境は難民申請を通じたカテゴリーの振り分けを担う一方で、北東部では、振り分けられた人々を国内移転させ、労働力として包摂する傾向がみられた。また、ローカルな移民シェルターは、国際機関などからの資金投入をうまく利用しながら移民・難民に対する「保護」を実践し、メキシコの難民申請制度に深く関与している。これは、一定の層に対する保護を可能にすると同時に、差異化されたカテゴリーを生み出し、意図しない形で「非合法性illegality」や「不安定性(precarity)」の生成していることが明らかになった。

報告番号410

Gwangju: A City of Symbolic Regime
University of Seoul Wonho Jang

“The urban regime can be defined as an informal coalition of public and private sectors that influence the governance and policy decision in a city. It is a relatively stable coalition composed of local politicians, government officials, business leaders, civil society, and other stakeholders. These regimes differ from other governing bodies in that they are formed not to exert power over other parties but to use their power to accomplish certain objectives and values, such as maintaining status quo, local development, and expanding the opportunities for the lower class.
A symbolic regime is characterized by its emphasis on specific values, narratives, and cultural practices, essentially a system of symbols. These symbols contribute to shaping collective identity and perceptions about society. Gwangju has been regarded as the Mecca of Korean democratization since the May 18th democratic movement in 1980. Because of the unforgettable memory of this movement, citizens and politicians, and even business companies have tried to show their identities with the values of democratization and human rights.
This paper tries to show how the City of Gwangju can be explained in terms of a symbolic urban regime. In doing so, the paper will review the activities of the local government, civil society, and businesses, focusing on their relationship with the values of democratization and human rights.

報告番号411

「国鉄女子労働者調査」の社会学的意義——計量歴史社会学の実践(1)
東京大学 佐藤 香

1. 研究の背景  昨年、日本社会学会におけるテーマセッション「計量歴史社会学の展開」において、東京大学社会科学研究所(以下、東大社研)が所蔵する「戦後労働調査資料」と、この資料にもとづく計量歴史社会学の成果を紹介した。本報告では、そのうち、「国鉄女子労働者調査」(1952)をもちいた研究成果を中心として、報告をおこなう。  この調査は正式名称を「国鉄労働組合婦人部実態調査」といい、1948年度から10年間、国労婦人部長をつとめた丸沢美千代が、東大社研の藤田若雄講師に調査の指導等を依頼して実施された。1952年5月当時の国鉄女子職員約11,000名を対象として6,820人から回答を得た。調査費用が不十分だったため、ごく基本的な集計が報告書(国鉄労働組合1954)にまとめられたが、学術的な分析はおこなわれないまま、調査票原票が保存されてきた。  保存されてきた原票の劣化が著しいことから、東大社研では2022年1月よりデジタル復元事業を開始した。まず「国鉄女子労働者調査」に着手し、写真撮影に始まる一連の作業を進めた。次いで「ソーシャルニーズ調査」の復元をおこなった。こうした復元作業は、新規調査の実施よりも、はるかに大きな労力と時間、費用を要する。後世にデータを残し、保存することに第一義的な意義はあるが、その分析もまた、計量歴史社会学の実践として意義をもつ。 2. 戦争と女性雇用労働者  戦時中、出征した男性労働者の代替として多くの女性が労働市場に参入した。とくに1943年の「国民徴用令」の改正により大きく増加するが、その多くは、終戦とともに離職することになる。国鉄でも11月までに7万人強の女性が離職した。国鉄当局は、依願免職で女性の減員を図りつつ、49,157人の男性を採用している。  戦後の経済的な逼迫のなかで、戦時中に労働市場に「引き出された」女性労働者は、一方では労働市場から退出して家庭に向かい、もう一方では生計を維持するために職場にとどまり続けようとしていた。  とはいえ、この時期、女性が働き続けることは容易ではなかった。国鉄当局は女性の削減を望み、社会全体にも「女性が勤めに出るのは結婚まで」とする意識が強かった。1946年結成の労働組合でも男性が大多数を占め女性の職場を守ることに積極的ではなかった。女性労働者の家族や、女性自身もまた、多くが「女性の居場所は家庭」を受け入れていた。  強いジェンダー規範に加え、低賃金、お茶汲み・掃除などの雑用、性別定年制、降職や退職金割増による退職勧告、休暇制度の不備、社会的な保育施設の欠如など、女性労働者が働き続けるうえでは、さまざまな困難があった。本研究では、これらの困難のなかで働いていた女性たちの姿を多面的にとらえていく。 3. 「女性が働き続ける」ということ  戦後民主主義は高らかに「男女平等」を宣言したが、「働く」ことにおける男女平等は、現在でもまだ実現していない。戦後の約80年をかけて、きわめて緩慢な長い道のりを歩んできたといえる。  近年ようやく、女性が働き続けるためには、職場の条件を整備するだけでは十分ではなく、男性の働きかたや家庭責任についての見直しが必要であることが認識されるようになった。本研究では、「働くことの男女平等」に向けての長い道のりの開始時点の姿をとらえることで、現在の課題についても考察をおこなっていく。

報告番号412

戦前・戦後の国鉄女性労働の社会史研究——計量歴史社会学の実践(2)
九州産業大学 菅沼 明正

1. 研究の背景 戦前から戦後にかけた女性労働者の置かれた立場については、数々の研究が置かれてきた(竹中2012,濱2022,堀川2022など)。しかしながら、鉄道業に従事した女性、とりわけ戦時期に大量に採用され、戦後に離職した/雇用され続けた女性たちについては、社会学や歴史学方面の研究蓄積が多くはない(若林2023)。 2. 方法  国鉄の女性労働について、『鉄道公報』『鉄道統計年報』などの文献および新聞、雑誌記事等を調査し、戦前期から敗戦後の国鉄女性労働の実態の一端を明らかにする。場合によっては国鉄女子労働力調査の二次分析を追加的に行う。 3.結果 鉄道業の女性労働者は「戦時下に大量動員された」というイメージを持たれがちだが、鉄道業で働く女性は一定数いた。ただし、女性の働き方として鉄道業は一般的ではなかった。1920年の第1回国勢調査によれば、当時の女性の就業先で最も多くを占めたのが農業65%、637万人だったのに対し、交通業は0.6%の2万人だったが、そのなかで鉄道業に就く者は5343人(男性140,251人)、軌道業は1075人(男性35,675人)だった。1930年になっても女性の交通業人口は0.7%で、鉄道業に就く者は9693人(男性139,105人)だった。女性労働者全般に占める割合は極めて低く、1930年の女性の働き方としては水産業、鉱業に次ぐ少なさだった。 統計資料等が少ないため国鉄に従事していた女性の実態は未解明の点が多い。1935年刊行の鉄道大臣官房現業調査課編『労務統計』には、1932年における女性職員の身分と職種に関するデータがある。1932年の時点で国鉄には、本省と地方鉄道局を合わせ、7675人の女性労働者がいた(男性労働者190,570人)。男性に比べて判任官と鉄道手が占める割合が低く、国鉄採用の雇員と、現場の作業を担う日給制の傭人が大半を占めていた。女性職員が就いていた職種は34種あるが、そのうち事務員、踏切看手、電話掛、看護婦、客車清掃手が中心を占めていた。当時の6割以上の国鉄女性職員が就いた仕事が事務員、踏切看守、電話掛である。 1930年代半ば以降、国鉄全職員に占める女性の割合は3.5%前後で推移したが、労務調整令を受けて1943年9月23日、14歳から40歳の使用・就職・従業を禁止する職種が示され、国鉄は、各地に教習所を設けて、従来の養成期間を短期化したり、女性代替のために女子駅務科や女子電信科などをつくったりするなどして、人員の再教育や女子教育を行った。1943年に国鉄職員に占める女子職員の割合が11.9%(49,757人)を超え、1944年には22.8%(102,827人)となった。 国鉄が「戦後に女性を不当に解雇した」と早計に評価するには注意が必要である。「女子職員の代替」は一時的という認識が国鉄内に共有されていたためか、国鉄共済組合は定年退職を前提とする退職給付制度を1945年8月に改正し、女子職員の掛金率の低下や退職一時金の増額を決めた。同業他社や他の業界の女性代替と敗戦後の対応について調査することも今後の課題である。 濱貴子(2022)『職業婦人の歴史社会学』晃洋書房 堀川祐里(2022)『戦時期日本の働く女たち ジェンダー平等な労働環境を目指して』晃洋書房 竹中恵美子(2012)『竹中恵美子著作集Ⅱ 戦後女子労働史論』明石書店 禹宗杬(2003)『「身分の取引」と日本の雇用慣行―国鉄の事例分析―』日本経済評論社 若林宣(2023)『女子鉄道員と日本近代』青弓社

報告番号413

戦中・戦後の国鉄女子労働者のキャリア——計量歴史社会学の実践(3)
関西学院大学 渡邊 勉

1. 目的  本報告では、1940~50年代の女性労働者の職業キャリアの特徴を、国鉄女子労働者調査の職歴データから明らかにしていく。第一に調査実施時(1952年)の国鉄女性労働者の職業について記述する。第二に1940~50年代の職業分布、キャリアの特徴を記述する。第三に、戦災、引揚の職歴への影響の有無について検討する。 2. データ  1952年5月におこなわれた国鉄女子労働者調査のデータを分析する。この調査は、国鉄の女性職員11000人を対象とし、6802人(62.0%)の回収数である。調査項目は基本属性に加え、就業状況、職歴、採用経緯、通勤経路、同居人、収入、住居、職場環境、組合などである。今回はこのうち主として基本属性と職歴に関する部分を分析する。 3. 職業の特徴  SSMの小分類から1952年の国鉄女性労働者の職業の分布をみると、電話掛(電話交換手)(45.0%)、看護婦(14.1%)であり、この2つの職業で全体の約6割に達していた。鉄道会社特有の仕事については、駅手等(その他の労務)7.5%、技工(鉄道組立・修理工)5.6%、出札掛等(運輸事務)4.5%、踏切警手等(鉄道員)1.4%と、多くない。52年時には、大半が男性に変わってしまったのかもしれない。次に時系列でみると、戦前は事務職が半数程度を占めていたが、戦争末期になると駅手といった労務が増える。戦後は電話掛が劇的に増えていく。女性の担う仕事の内容が変化していることがわかる。さらに学歴によっても職業分布は異なる。戦前学歴に限ると、高等小学校卒は電話交換手が、女学校卒は事務職が相対的に多い。また国鉄内での異動は1943年から1950年くらいまでが極端に多い。戦中から戦後にかけて多くの配置転換がおこなわれたことがうかがえる。戦災、引揚経験については、戦災あり・引揚あり1.5%、戦災あり・引揚なし11.2%、戦災なし・引揚あり2.2%、戦災なし・引揚なし85.2%であり、経験率に地域差もみられた。戦災経験、引揚経験ともに経験者は戦後失業するリスクが高くなる傾向がみられた。 4. 結論  国鉄における女性の仕事は、いくつかの業務に限られていた。特に戦後女性の職業は限定的であり、それは学歴と関連を持っていた。また戦争の影響も部分的に確認することができた。ただこの結果についてはバイアスを考えなければならない。戦時期、女性鉄道員は劇的に増加していた。1944年には10万人を超えていたが、1952年には1万人程度まで減少していった。つまり戦時期、男性労働力の代替として働いていた女性労働者の大部分が戦後一気に解雇されている。本データの対象者はかなりバイアスを持っている可能性がある。おそらく戦中から働いている女性と戦後から働き始めた女性ではまったく質が異なる可能性がある。さらにキャリアについても、本データから作成できる戦前、戦中の職業分布は当時の職業分布とはまったく異なる。そのため今後は、こうしたバイアスの可能性を考慮した上で、分析、解釈していく必要がある。

報告番号414

国鉄女性労働者の就業継続意識——計量歴史社会学の実践(4)
東京都立大学 石島 健太郎

【問題の所在】従来の労働研究において周縁化された女性労働を主題として戦後労働史を再検討することで、現代にも通底する課題の淵源を見出そうとする試みが蓄積されている。そこでは、相対的に高学歴な女性を対象に、銀行員、電話交換手、教員など職種別の研究がなされ、これらの事例から専業主婦化と労働力化がせめぎ合う時代として高度経済成長期が捉え直されている。一方、非高学歴女性については一部の例外を除いて研究が少なく、また収入の不足ゆえに働き続けざるをえないものとして表象されがちであった。当時の女性労働の全貌を理解するためには、非高学歴女性の就業継続について(あるいは裏を返せば、専業主婦化とそれを支えた性別役割意識の内面化について)、それも収入の問題のみに還元されないかたちで、その実相を明らかにする必要がある。そこで本報告では、多くの現業労働者を含む調査データの二次分析から、非高学歴女性労働者の就業継続がいかに選択されたのかを検討する。 【方法】国鉄女子労働者調査の復元二次分析を行う。調査と復元の過程の詳細は第一報告の要旨を参照されたい。本報告では、若年未婚女性にサンプルを絞り、「いつまでつとめますか」という単一選択式の質問への回答(結婚するまで/子供が出来るまで/子供が一人前になるまで/終身/其他)を従属変数として、年齢や学歴、職種等との関連を検討する。 【結果】探索的なクロス集計によれば、対象となった女性の約半数は結婚時点での退職を考えている一方、妊娠や育児の終了を退職タイミングとして予期する人々も一定数おり、一部には終身での雇用を望んでいる人々もいた。年齢はこの予期に大きく影響し、年を重ねるほど退職タイミングの予期は後ろ倒しになる。最終学歴では、旧制と新制の間に大きな断絶があり、後者に結婚での退職の予期が強いが、後者の中では高学歴者の場合に就業継続の意向がわずかに強まる。職種や支部によっても意向の分布が異なる。親との非同居は結婚での退職意向を抑える。親と同居している場合には、親が有職の場合に結婚での退職意向が増え、とくに親が国鉄職員の場合にその傾向が強い。このほか、当日は多変量解析も含めた詳細な結果を示す。 【結論】専業主婦化と労働力化のせめぎあいは高学歴女性だけのものではなく、またその選択は収入の問題のみに還元されない。データが一国営企業に限られること、とくに調査が復員男性の雇用を守るための女性の大量馘首の後に実施されていることに留保を要するものの、戦後期の非高学歴女性はそれぞれの属性や環境に応じてライフコースの予期を行っていたのである。

報告番号415

社会調査からみる戦後期・巨大公共企業の女性労働者文化——計量歴史社会学の実践として(5)
聖心女子大学 前田 一歩

1. 研究の背景 本研究は、戦後の混乱のなかで日本国有鉄道(以下、国鉄)という巨大公共企業の女性労働者たちの組合活動と労働者文化がいかなる形で存在したのか、計量歴史社会学的に分析を行う。報告者はこれまで、1952年に国鉄労働組合婦人部が、東京大学社会科学研究所に委託して実施した「国鉄労働組合婦人部実態調査」をデジタル化し、コンピュータで分析可能なデータとして整備してきた。本報告は、このデータのうち、組合への要望についての自由記述回答を分析することで、女性労働者たちの組合活動への期待のあり方を探ると同時に、当時の労働者文化についての考察を加えることを目的とする。 西欧のおおくの国々でそうであったように、日本でも第二次世界大戦が女性の労働市場への進出を促進した。国鉄においても、出征した男性に代わる労働力供給源として女性職員が急増し、女学生の勤労動員も行われた。しかし戦後は一転して、復員者や外地からの引揚げにより、大量に増加した男性失業者対策として、この女性労働者を解雇する方針がとられるようになる。解雇を免れて職場に残れた場合も、男性職員からのいやがらせや雑用、配置転換の強要など、女性職員に特有の労働問題が存在した。 2. 研究の目的・方法 本報告では上述の背景のもと国鉄労働組合婦人部が、1952年5月当時、国鉄に在籍したすべての女性労働者を対象に実施した実態調査の復元二次分析を行う。とりわけ「組合への要望」「組合婦人部への要望」の自由記述型の質問について、計量テキスト分析の手法を通して内容分析を実施し、アフターコーディングを通した検討を行う。独立変数としては、学歴や出生コーホート、婚姻状態、職種、入職経路などを用いる。組合全体への要望は、996の回答・13,840語からなり、組合婦人部への要望は1,129の回答・17,627語からなる。 3. 研究の結果 まず計量テキスト分析の結果、組合全体については「夜勤」や「手当」、「昇給」「給与」が頻出し、「処遇改善」についての要望が多くみられることがわかった。組合婦人部に対しても「処遇改善」についての多く要望が見られる一方で、生理休暇や制服貸与に関する要望についての記述が特徴的である。そして「啓蒙」「教養」「講座」「裁縫」「料理」とかかわる記述があり、教養・娯楽に加えて、花嫁修行ともとれる要望が、とくに組合婦人部に対して存在することがわかった。 さらにアフターコーディングで「処遇改善」「組合の情報宣伝」「組合活動への要望」「組合の雰囲気」「文化活動」「意見なし」に分類し、カテゴリカル変数として扱うことで、その出現傾向を探った。その結果、組合に対していかなる要望を持つのかということは、学歴や職種という社内での地位と関連する変数よりも、年齢や婚姻状態というライフコースを示す変数との関連が大きいことが判明した。30代以上かつ既婚者には「処遇改善」とかかわる意見が多いことに反して、若年・未婚者の場合は、処遇改善への期待が少なく、わずかではあるが文化的活動への期待が多く述べられる。また未婚者が文化的活動を求める傾向は、組合婦人部への要望においてより顕著であり、組合本体と比べて婦人部は、女性労働者特有の問題対処に加えて、文化サークル的な役割も担ったと考えられる。

報告番号416

ソーシャル・ニーズとしての高度成長期の教育・保育の行動と意識——計量歴史社会学の実践(6)
上智大学 相澤 真一

1.研究の背景  本報告は、今回の一連の計量歴史社会学の実践のなかでも「念願」であった1964年の「ソーシャル・ニーズ調査」の復元データを用いて、高度成長期の教育・保育の行動と意識に迫る。また、その過程のなかで、復元のなかで生じるデータクリーニング上の問題がどのような形で生じるかを提示し、その対処方法を紹介する。 今回の一連の報告では、東京大学社会科学研究所が所蔵する「戦後労働調査資料」の復元二次分析の結果を報告してきている。本報告は、1964年に神奈川県全県で実施された「社会福祉意識調査」のデータである。この調査は、神奈川県内全域において実施された6024票の回収票からなる調査票である。 2.研究方法・目的  1964年に行われた「社会福祉意識調査」は、1961年から65年で行われた東京大学社会科学研究所と神奈川県民生部とが合同して行った一連の社会調査の一つであり、また、その調査においてある種の転換点を見出せる調査である。東京大学社会科学研究所が所蔵する「労働調査資料」をまとめた『戦後日本の労働調査』では、これらの調査は「貧困・社会保障」として位置付けられている。既にデータが公開されている貧困層の形成(静岡)調査(1953)やボーダー・ライン層調査(1961)などがその一例である。それに対して、第1次貧困、第2次貧困が「解決」したように見える後、まさに社会的に必要なものは何かを、幅広く調査したと見ることができるのが本調査である。特に、就学前教育と義務教育より後の高校以上の教育の質問項目が大変充実しており、貧しさのなかで必要最低限であった義務教育から次の豊かな社会では何が必要なものとなってきているのかを調べた調査と見ることができる。このデータから、当時の教育・保育におけるソーシャル・ニーズが何かを、現代の教育社会学の視角から検討するのが本報告の目的となる。 3.研究の結果  本報告では、上記の目的に基づき、教育・保育についての質問項目の分析を行った。その結果、教育に関する困りごとでは、「窓口に収める金が高い」(該当591ケース中、257ケースが私立高校通学のケース)が非常に高い比率であらわれ、この結果は、他の要因などと比較したロジスティック回帰を行った上でも私立高校通学と「窓口に収める金が高い」の関係としての結果として見られた。一方、子どもの保育についての年齢別分布を作ってみると、4歳で約3割、5歳で約5割が幼稚園に通っている高い比率を示している一方、保育所は相対的に低い割合となることもわかった。  以上より、高校進学がかなり広くいきわたるものの、行くこと自体の負担感が広く見られており、特に、私立高校通学における強い費用負担感が見られた。一方で、未就学児の保育についても幼稚園・保育園で5歳以降はかなりの程度担われるようになってきた拡大過程にあることがわかった。このような新しい「ソーシャル・ニーズ」として高度経済成長期に浮上してきた高校進学、保育などを分析できるのがこのデータの強みである一方、世帯の状態のままのデータから個人のデータを分析することの意義と限界がある。そこで、少なくとも教育のデータについては、世帯員単位でのデータに分解し、世帯員をレベル1、世帯をレベル2とするマルチレベルデータ分析を実施することを検討しており、当日の報告ではこの作業の経過についても報告する予定である。

報告番号417

批判的言説分析を用いたマネジメント言説批判の可能性——正当性はいかに築かれるのか
九州工業大学 井口 尚樹

【問題】本報告では、「新しい資本主義」や「資本主義の第三の精神」として知られるアメリカ合衆国のマネジメントの言説を批判的言説分析のアプローチから検討し、それらの言説の正当性がどのような場のもとで築かれたかを明らかにしようとする。  欧米では1980年代以降、従来の経営を硬直的で従業員のクリエイティビティを引き出せないものとして批判し、市場の変化に迅速に対応できるとともに従業員の新しい発想を取り入れやすい経営を目指すべきとする言説が広まった。例えば、知識経済化、情報化を背景に、水平的な組織構造のもとプロジェクトごとに個人を結びつけ、外的変化に対応するスピードを担保するネットワーク型の経営が提唱された。Boltanski & Chiapello(1999=2013)によれば、それは仕事からの疎外を批判し自律性を要求する芸術家的批判に要求に応えるものとなっており、正当性を担保しやすかったという。他方でそのような文化(「資本主義の第三の精神」)は、資本主義が個人や社会の資源をより利用しやすくしつつ、それらを守るための規制から逃れることを容易にしたとされる。  これらの言説に従えばこのような変化の必要は自明であったようでもあるが、しかしそれはこれらの言説の影響とも考えられ、批判を構想する上では、過去の言説がいかに正当化を達成したか、そしてそこに綻びはないかを検討し直す必要がある。 【方法】批判的言説分析(Critical Discourse Analysis)のアプローチのもと、アメリカ合衆国のHarvard Business Review誌の1990年代の記事を分析する。アメリカ合衆国のマネジメント言説は、特に1990年代以降の経済の好調のもと、経済・経営のグローバル化の参照点として、日本を含めた他国から参照されることが多く、その正当化のあり方をまず検討する必要があると考えられる。 【結果】批判的言説分析は、言説を通じ行為、表象、アイデンティティの構築がいかになされているかを分析する(Chiapello & Fairclough 2002)。この枠組みを用いてマネジメント言説の検討を行う中で、経営学者、経営者、コンサルタント、ジャーナリストがしばしば互いを参照しつつ、相互の言説の正当性を高めるアリーナが成立していることが示された。それを困難にしうるはずの領域間の壁は「再文脈化」により一見解消されていること、一方でそこに正当性の破れや批判の端緒が見出しうることが明らかになった。 【結論】  経営言説の正当性が決して自明なものではない中での、正当性担保に対して、例えば学術研究の基準、あるいは実業界での成功の基準単独ではなく、異なるアクターが相互の言説を「再文脈化」して利用しあうことで、複数の基準を同時に満たしているかのような「見た目」が構築されていることが明らかになった。このキメラ的性格が批判を困難にしている可能性が考えられる。一方で、Harvard Business Reviewという場の特殊性については、他の言説、あるいは他国の言説との比較のもと、さらに検討する必要がある。 Boltanski, L. & E. Chiapello, 1999, Le nouvel esprit du capitalisme, Gallimard.(=2013,三浦直希・海老塚明・川野英二・白鳥義彦・須田文明・立見淳哉訳『資本主義の新たな精神』ナカニシヤ書店.) E. Chiapello & N. Fairclough, 2002, “Understanding the new management ideology” Discourse & Society, 13(2):185-208.

報告番号418

「産業変動」と「生産過程」の文化社会学——声優の職業経験の振り返りに着目して
明星大学 永田 大輔

1はじめに 本報告では文化産業の表現の基盤としての作り手が、彼らが自身のおかれた状況やメディア環境を意味づけ・就業を継続しているのかについてアニメ産業を中心として議論する。こうした視点はそうした人々の職業経験を考えると同時にそれが作り出す表現を考えることにもつながる。  文化産業の担い手は高度な専門的な技能を有することが多い一方で、プロジェクトベースで仕事を請け負うフリーランサーの比率が一般に高い。そうした中で作り手が産業から離れずにキャリアが継続する仕組みが担保されるということは働き方そのもののみではなく作り方の変化とも強く関連する。とりわけアニメ産業とその周辺の産業は一人のキャリア構造が形成されるよりもはるかに短いスパンで変化を経験してきた。  本報告ではそうした生産者の働く構造や生産過程が作られる生産物と相互規定的な性質を持つという点に着目しつつ、メディア史的な視点からその経験を解釈したい。具体的にはアニメ産業の中でも「声優」(今回は特に女性声優を中心に議論する)と呼ばれる仕事に注目し、それが職業として自律すると同時にその自律がゆらぎを抱えていくという点にインタビュー資料やエッセイを中心に用いながら注目する。   2先行研究  声優という職業に関する研究の中で主要なものとして石田の議論と高艸の議論に注目する。石田は女性声優がアニメに声をあてる職業として発展していく際に、アニメで主要登場人物を担うことが多い少年役を女性が自身の仕事にしていくことが重要なきっかけとなったことを議論している。これにより、女性がアニメでできる仕事の幅が広がると同時に声変わりに依存せず少年役を演じられることになり、作品自体の長期化にも寄与したのである。  一方で現在声優の仕事は多様な実践から成り立っている。ファンの視点からの議論であるが、高艸は水樹奈々のファンの間口の多様性に注目している。だがそうした多様性の基盤は同時に働き手の側の経験の多様性を意味するものでもある。 3分析視角  本報告では永田・松永(2022)で展開した産業の変容を担い手である労働者がどのように経験したのかという点である。アニメーターは比較的産業内在的な論理でその仕事の変化が説明することができるが、声優は様々なメディアミックスを横断する存在であり周辺産業の影響を強く受けることとなる。そうした点からいくつかの産業の変容を声優に注目することで複合的に見渡すことが可能となる。 4議論  当日はアニメ産業に加えて二つの周辺産業の変化を中心に検討を行う。具体的にはラジオとゲームという二つの変容が声優の職業の継続にどのような影響を与えることに繋がったのかを議論する。そうした中で声優がアニメの声を演じる専門家からキャラクターを演じる専門家に移行しつつあることを暫定的な議論の方向としそのことの意味を明らかとすることとしたい。 石田美紀,2020,『アニメと声優のメディア史――なぜ女性が少年を演じるのか』青弓社. 高艸賢,2020,「ファン対象の推移からみる水樹奈々ファンの多様性――商品の意味連関とアクセスポイントに着目して」(永田大輔・松永伸太朗『アニメの社会学――アニメファンとアニメ制作者たちの文化産業論』ナカニシヤ出版:52-65). 永田大輔・松永伸太朗,2022,『産業変動の労働社会学――アニメーターの経験史』晃洋書房

報告番号419

芸術の社会的転回とその制度化——アートプロジェクト発展過程の新制度論的社会運動分析
上智大学大学院 松山 雄大

【1.目的】現代美術では「対話」「参加」などの形容詞がつく実践を、芸術の社会的転回と呼ぶ。その例として日本ではしばしば「アートプロジェクト」(以下、AP)が挙げられる。APは、1980年代はクリスト&ジャンヌ=クロードのアンブレラ・プロジェクトや川俣正の作品などプロジェクト形式の活動を指したが、2000年代に地域振興などの政策と結びつき発展した。APの発展過程について、河島伸子の企業や行政による支援などの制度的要因からの説明や、文化運動として発展過程を捉える吉澤弥生の説明がある。しかし、APは芸術運動による脱制度化と公的支援による再制度化の両面を併せ持つことが特徴であり、既存の説明は一面的である。本報告では「APはいかにして形成されたのか」を問いとして、制度的要因による説明と運動論的説明を統合する理論である、ダグ・マッカダムやリチャード・スコットらの新制度論的社会運動分析からAP発展過程の説明を試みることが目的である。1970年代後半からアメリカで生まれた新制度論は、2000年代から社会運動論と新制度論を接続する研究が現れ、社会運動がいかにして新しい産業や制度を形成するのか等の問いを明らかにした。本報告では、組織フィールド概念と制度ロジック概念から、APフィールドの形成とフィールド内のアクターの変化、それに伴う価値や理念の変化に着目しAP発展過程を分析する。 【2.方法】①AP関連書籍およびAPの教育・研究機関「Tokyo Art Research Lab」(以下、TARL)の出版物・アーカイブ資料を基に、1980年代から2010年代までのAP発展過程を分析する。②アーツカウンシル東京の運営する「アートプロジェクト資料検索サイトβ版」に登録されている416プロジェクトについて文献およびウェブ資料の調査を行い、AP実施団体の組織形態の推移を分析する。 【3.結果と結論】1980年代はフィールドアクターとして若手芸術家が中心であり、作家たちは自らの作品をプロジェクトと表現した。これは「脱オブジェクト的なプロジェクト志向」「地域や場所への介入」が特徴の脱制度的芸術表現であった。1990年代は企業メセナ協議会設立や地方自治体の文化予算拡大などを背景に、プロジェクト型の活動が公的支援を受ける。主要アクターとして事業を主導するアートプロデューサーが出現した。2000年代は都市・地域振興政策、市民協働政策と結びつき多様な主体によって実施されAPの実施数が拡大する。主な傾向はトリエンナーレの流行とNPOによる小規模なAPの開催である。組織形態でも、それ以前は任意団体が主流だったが、NPOとトリエンナーレの運営に適合的な実行委員会が、APの主要な組織形態となる。また1990年代から実施されたアートマネジメント教育を受けた現場の実務を担うアートマネージャーが2000年代の主要アクターとなった。制度ロジックとしては市民協働、地域振興が重要になる。2010年代はオリンピックを契機に実施された東京アートポイント計画とそれに伴い設立されたTARLが影響力を持つ。特にTARLは、APの定義や歴史をまとめる書籍の出版を行った。これにより組織フィールドの集合的定義が行われAPフィールドの形成が進む。また2012年に設立したアーツカウンシル東京は東京アートポイント計画の手法を活用し、東日本大震災被災地域が対象の事業を実施した。制度ロジックは、オリンピックに向けた文化事業、アートによる震災復興支援であった。

報告番号420

日本語学科卒業生のナラティヴ——ネットワーク・コミュニティ
熊本大学 佐川 祥予

1.目的  報告者は大学における日本語教育に携わっており、大学卒業後を見据えた教育のあり方について考えている。現在は、特色ある教育プログラムを実施しているタイ国の私立大学日本語学科をフィールドに、卒業生及び教員へのインタビュー調査を実施している。なお、調査協力者である卒業生たちは、大学時代に様々な日本語のプログラムを経験しており、異文化への柔軟性と実践的な日本語力を持ち合わせている人々である。   本報告では、タイ国の日系企業や日本語を使用する職場に勤務している卒業生のライフストーリーを分析し、報告を行う。異文化の環境にある職場で、卒業生たちは、どのような対人スキルや問題解決のストラテジーを用いているのだろうか。特に、他者とのネットワーク構築という観点に着目しながら、実態を明らかにしたい。 2.方法  タイ国の日系企業等に勤務する卒業生へのインタビュー調査を2020年から現在に至るまで、継続して実施している。インタビューでは、職場内外におけるライフストーリーを語ってもらう。身近に起こった日々の出来事や職場でのエピソード等、具体的な話をその時に感じたこと・気づいたこと等を交えながら共有してもらう。ネットワークやコミュニティをキーワードに、グラノヴェター(1995/1998)や、アーリ(2007/2015)、吉原(2011)を参照しながら、卒業生のライフストーリーの分析を行う。  3.結果  ライフストーリーでは、言語や言語の運用に関する事柄も語られていたが、文化的な事柄や対人的なコミュニケーション上の事柄がより多く語られていた。職場内のネットワークを構築していく一方で、職場外でのネットワークづくりを行う姿も見られた。また、今後の自分のキャリアについてプランを描いており、その見通しの中で、現在の自分がどの地点にいるのかを客観的に位置づけていた。 4.結論  異文化の環境にある職場においては、様々な局面で、職場内または職場外のネットワークが活用されており、そのことが状況を円滑にしたり、直面している課題の解決に役立ったりすることがわかった。また、その人がどのようなネットワークを持っているのかということが、コミュニティ間の円滑な移動に影響を与えていることが明らかとなった。さらに、ネットワークの構築過程そのものが、その人にとって意味のある場・出来事であることも見えてきた。当日は、ネットワーク構築やアイデンティティ形成について、コミュニティの境界のゆらぎと関連させながら、報告を行う。  【謝辞】本研究は、JSPS科研費JP 22K13637の助成を受けたものである。

報告番号421

現代中国における葬儀サービスの供給業者にある力関係と「死の扱われ方」
立命館大学大学院 岳 培栄

【1.目的】中国の葬儀に関する研究はこれまで主に葬送儀礼や風俗、葬儀改革をテーマとし、葬儀業界そのものに関する議論はほとんどない。田中(2017)は、一見対極に位置する「死にまつわる」儀礼と「利益を追求する」産業がいかに結びついているかという問いを起点に日本の葬儀における葬儀社と業界団体、および関連業者の複雑な関係と役割を論じた。これに対して中国では、民営の葬儀社だけでなく、公営の殯儀館(ひんぎかん)が重要な役割を担っている。殯儀館は遺体安置設備、葬儀式場、火葬設備を備えた葬儀事業者であり、地方政府の民政部門の管轄下にある公的機関である。火葬等はこの殯儀館しか担えない。ただし一部の地域では、殯儀館が請け負制を採用し、一部の業務を民営葬儀社に委託しており、市場競争や公的介入等において両者は複雑な関係にある。興味深い点は、民営の葬儀社は、国家政策の保護を受ける殯儀館よりも弱い立場に置かれると想定されるが、いくつかの地域では民営の葬儀社が遺族から高い信頼を得ていることである。この信頼は、価格やサービスの質だけでは説明できない。そこで本報告では、中国の公的/民営の事業者間の複雑な力関係を読み解き、各事業者による「死の扱われ方」が地域住民独自の倫理といかに結びついているかを考察することを目的とする。【2.方法】本報告は、2024年1月から6月に実施した参与観察と半構造化的インタビューを基にしている。①中国東部と西部にある殯儀館と葬儀社計7ヶ所を訪れ、参与観察を行った。②葬儀社の経営者4名および殯儀館の責任者2名に対する聞き取り調査を実施した。【3.結果】社会転換期にある中国社会では、葬儀サービスの供給業者の間には異なる力関係モデルが存在した。殯儀館は公的機関としての優位性に加え、価格設定が政府によって厳格に規制されるため安価に適切なサービスを供給しており、一定のプレゼンスを保持していた。ただし、葬儀業界の力関係において弱い立場にある葬儀社が市場で主導的な地位を占めている地域もあった。この地域の人々がなぜ葬儀社に信頼を寄せているかには、以下の二つの理由が示唆された。第一に、葬儀社は地域社会に根ざしており、イベントの開催等を通じて地域住民と緊密な関係を築くことで、住民から親しみやすい存在として認識されている。第二に、現代中国には西洋医学の体系に基づいて遺体を客体化する観念と、中国社会の思想脈絡における感情的かつ倫理的な観念という二つの言説が存在し(潘ら 2023)、殯儀館は前者を重視する傾向にあるのに対し、葬儀社は後者に基づいてサービスを供給している。【4.結論】葬儀サービスの供給業者の間の力関係には、社会転換期における中国の国家施策、業者の市場戦略、地域住民の「死の扱われ方」をめぐる倫理が複雑に絡みあっている。特に中国の現代葬儀業界を理解するうえでは、死の扱いをめぐる近代的/土着の倫理の間の相克を理解する必要があることが示唆された。【参考文献】田中大介,2017,『葬儀業のエスノグラフィ』東京大学出版会.潘天舒・唐沈琦,2023,「孤独的太平間:死亡医学化背景下的遺体意義」『華東師範大学学報(哲学社会科学版)』55(4),pp96-110.【謝辞】本報告はJST次世代研究者挑戦的研究プログラムJPMJSP2101の支援を受けた。

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