MENU
未分類

第97回日本社会学会大会 シンポジウム(1)~(2) 報告要旨

報告番号431

分断修復のための社会調査が抱える矛盾:福島親子調査参加者との13年をふり返って
中京大学 成元哲

“価値観の違いが大きくあり,原発事故後の自分の行動について反省したり後悔している人はいると思う.何がよかったのか,何が正しかったのか分からない状況の中やってきて,今も不安に思っている人だって沢山いると思う.自由に語り合う場なんて存在できない.どこかで心にバリアをして私がした行動は間違いではなかったって信じないと今ここにいることさえつらくなる.

これは,「福島子ども健康プロジェクト」が2013年1月に実施した第1回調査の自由記述欄に書かれた声である.その自由記述欄の見出しには,「今後,小さなお子さんを持つお母様たちが,原発事故や子育てに関する不安を自由に語り合う場を作りたい」というリード文が付されていた.原発事故後,放射能の健康影響をめぐる認識やリスクへの対処行動は家族内,家族間,地域内,地域間によって異なる.家屋の室内や周囲,子どもの居場所や食などにおける放射線量ももちろん重要だが,家族構成や職業,さらには人々の考え方や価値観などによって,その捉え方は様々である.情報が錯綜し,何が正しい情報かわからない状況で,多くの母親は不安を抱えながらも,自分の置かれた環境との間で折り合いをつけながら,除染や避難などリスク対処行動をとった.こうして,同じ地域で子育てをしている母親同士でも,リスク認知と対処行動には大きく開きがあって,気軽に語り合える雰囲気ではなかった.
原発事故がもたらした衝撃は,家族・地域社会のメンバーの間に放射能をめぐる認識のずれやリスクへの対処行動のばらつきを生み,家族や地域コミュニティに深刻なストレスを与える.このことが,集団を取り結ぶつながりを傷つけ,その結果,トラウマを抱えたコミュニティとなった.トラウマを抱えたコミュニティは,意識的にあるいは無意識的に心に蓋をする行為が発生し,コミュニケーションの流れが止まる.それは,コミュニケーションを支える基本的信頼や連帯意識を失ったことにより,互いに情報のやり取りだけでなく,情緒的な交流も失われた状態となることを意味する.
ただ,必ずしも個々人がトラウマを抱え,病んでいるわけではない.傷ついているのは集団を取り結ぶ共同性である.その傷ついた関係性,共同性を,経験を共有する人々が集団で修復する試み,これが分断修復学の試みである.コミュニティの力を使って問題からの回復を促し,人間的な成長を実現しようとするこうしたアプローチは「治療共同体」と呼ばれ,欧米を中心として世界各地で実践されている(坂上 2022: 12).運営組織や制度によって理念,対象者,目的,規模,活動内容や形態はそれぞれ異なるが,参加者がつながりコミュニティを作る.コミュニティこそが個人の回復の手助けをする(アービター他 2020: 135).
これまで福島子ども健康プロジェクトは,追跡調査を進める上で,調査参加者と調査実施者との間で一定の信頼関係を構築し,その信頼関係に基づいた介入研究を多様な切り口で行ってきた.調査結果から参加者の声をまとめた報告書を作成し,その都度,郵送する作業は,信頼関係の構築のためでもあったが,調査参加者に自らの体験を相対化し,再構成する材料を提供する試みでもあった.調査結果については現地で説明会を開催し,説明すると同時に,ストレスマネジメントのプログラムを実施した(2013年9月).調査参加者の声を受けて開発した「ふり返り手帳」によって,原発事故という出来事とそれに続く困難な時期をどのようにのりこえてきたのかについて記録し,ふりかえる試みについては,調査参加者の約2割の参加を得た(2019年,2021年).このふり返り手帳を用いて「語り合いの場ふくしま」という対話の場でワークショップを行っている(2020年~).こうして,3・11の後の経験を共有するピアグループの活動を試みたのだが,そのピア活動の土台となったのが,私たち福島子ども健康プロジェクトの調査という営みである.家族・地域における分断修復の可能性を探る調査が,かえって分断を顕在化させてしまった矛盾を抱えるが,調査者と調査参加者との間の相互作用を通じた調査の意味の更新に,修復的な社会調査の可能性を見いだす.懸案は,地理的に離れた調査者という存在が仲介者となって,同じ地域に居住するピア(同級生の母親)の調査参加者が集う「対話の場」をどう継続的に構築できるかである. ”


報告番号432

生きやすさを模索する学びの場創り 多文化共生教育実践を通して
文教大学 孫美幸

“ダイバーシティ,インクルージョン,インターセクショナリティなどのカタカナ語に対して,よく意見を求められるようになった.多様な人々との関係を含んだ私自身,これまでの仕事,活動等を述べようとしても,それらの言葉はふわっと宙に浮いてしまい,「私の全体」を述べることができない.言葉の表面上の定義ではとらえきれない,多くのことがこぼれ落ちてしまう.地に足のついた実践や研究を積み重ね,それぞれの場所でようやく立ち上がってきた言葉や身振りを丁寧に紡ぎたい.このような思いをもちながら,社会学の外側にいる立場で教育というフィールドを通して以下について述べる.

〇本報告の背景,これまでの実践研究
筆者は学校やNGO,地域との協働による多文化共生教育実践に取り組み,文化やアイデンティティの流動性,複合性に着目して,それらを固定的にとらえる文化本質主義,差別や偏見を生み出す植民地主義を問うことなどを実践に取り入れてきた.ヘイトクライムが続く現況で,実践をどのようにアップデートしていくか検討を重ねている.
鷲田(2023)が言うような「じぶんにはこれまで未知のものだった生き方や価値観,感覚様式に身を開いてゆくこと」が感覚的な基本的身体性として重要である.その上で,岩渕(2021)の指摘,「多様な差異をもつ人たちを同じ社会を構成し作り上げていく市民同士として認識」することや「無意識に埋め込まれてきた<自己-他者>の排他的な関係性の捉え直し」という点を,どのように具体的な仕掛けとして創り出せるのか考えている.

〇大人と子どもが地域を歩き,共生を考える人権学習
中学校の人権学習実践を通して,子どもたちは自分の暮らす地域は豊かで素晴らしい場所だという視点の転換が確実に起こってきた.大人も地域に関して学び,新たな学びを創っていく中で,子どもたちも自分たちの悩みや繊細な感情を吐露しやすくなっていった.その中で生きやすさを模索し,悩みながらも前に進んでいく力としていくことは,これまで筆者が述べてきた「共苦の底から共に生きる方へと歩み出す」, その具体的な方法の一つとなると考える(孫2022).

【参考文献】
岩渕功一編(2021)『青弓社ライブラリー100 多様性との対話 ダイバーシティ推進が見えなくするもの』青弓社
孫美幸(2022)「大陸との交流史や伝承を通した地域へのまなざしの変化 私から変わる「多文化共生」の学びづくり」日本国際理解教育学会研究・実践委員会『2019~21年度研究成果報告書オンライン版 地域論プロジェクト 持続可能な開発/発展と地域の生活・文化・学び』pp.142-156 https://kokusairikai.com/project/ 2024年8月29日最終確認
鷲田清一(2023)「天眼「多様性」の落とし穴」京都新聞2023年5月28日付朝刊 ”


報告番号433

社会学は包摂のために何ができるか:ダイバーシティ,インターセクショナリティと社会学研究
実践女子大学 山根純佳

“社会的包摂をめぐって,多様な生を生きる人々の困難な状況の原因を明らかにし,改善に向け社会実装につなげていくことが求められている.研究者は政策立案において「学識経験者」として,また社会を生きる市民として「ニーズ解釈をめぐる政治」(Fraser 1989)に参入しており,「包摂」をめぐる社会的責任を担っているといえる.ダイバーシティ=多様な生のリアリティを解明と共生の実現,インターセクショナリティをめぐっては,カテゴリーの使用が排除し不可視化する人々の経験に対するリフレクシブな態度が求められている.一方で社会学には「多様な経験」をめぐる多くの研究分野が林立し,自分の研究対象のことはわかるが,それ以外の人々の生については黙る,という当事者主義の弊害や「差異の中でのタコツボ化」「マイノリティ研究とそれ以外の研究の分断」も起きていると考えられる.
しかし,社会学こそ,差別,権力,格差など社会的排除の問題に立ち向かい,「私たちは誰の側に立っているのか(Whose Side Are We on?)」(Becker 1966)という問いに対して挑んできた研究分野である.本報告では,今一度,客観性や価値自由の概念を用いながら,科学としての社会学研究と社会包摂に向けた価値へのコミットは両立であることを論じ,またそれゆえに生じる研究者の社会的責任について考える.
① What 問い+対象の選択
② How 方法論 データの収集
③ Result 分析・解釈 データからカテゴリー,理論を導出
④ Reflection 社会的効果の検証,政策への影響
上記の4つのプロセスのうち①対象選択,④効果の検証において,研究者の価値=ポジショナリティが前面に出てくる.どのようなテーマを選ぶか,誰を研究対象として選ぶかは「価値選択」の問題である(「声なき声」を言語化し脆弱な生を改善したい,マイノリティに悪い効果をもたらした過去の「科学的研究」を批判したい e. g. モイニハンレポート)
一方で,①価値へのコミットから出発した研究が,②調査過程で自分の認識を問い直したり,データの性質や限界を踏まえデータ収集方法を修正することは,研究者の価値評価からの自由(客観性)と対立しない.また③では,当事者にとって不合理なカテゴリーや分析の使用がおこなわれていないか分析カテゴリーを再検討することも同様である.②③は,科学的手続きの一環であり,客観性に向けた実践として位置付けられる.つまり,②③においては科学的合理性についての説明責任を果たしながら,①と④において包摂へのコミットの責任を引き受けうる.
ただし社会的包摂のために,①の対象選択において,もっともめぐまれない人々を対象とせよ,という倫理的要請が導かれるわけではない.たとえば政治的右派やパワーカップルを対象とした研究の発見も,市民社会の分断や女性間の格差という社会構造を可視化し,ひいては対立や格差を乗り越える社会の構想にコミットしうる.こうした⑤関連する研究や事例との対話(引用,参照,討論)は,包摂へのコミットだけでなく,「差異の海の中のタコツボ化」を乗り越えるためにも重要である.また④をめぐっては,過去の研究の社会的効果を検証する(歴史的対話)という責任が含まれる.とはいえ資源や時間の有限性の中で研究者個人ができることには限りがある.共時的,通時的対話は社会学の集合的実践として位置付けられる.”

報告番号434

『非常勤講師職のパラドクス』の後に:若手研究者のキャリア形成をめぐる問題構図の変化
武蔵大学 林 凌

“本発表では、2024年現在の若手研究者を取り巻く状況について、2010年代との比較を通じて検討する。2000年代のロスジェネ論壇の形成以降、人文・社会科学系若手研究者の不遇さは、ワーキングプア問題の一環を構成するものとして、しばしば取り上げられてきた。筆者もまた、この流れに即する形で、2010年代後半以降、いくつかの問題提起的な調査・レポートを執筆してきた。その中で明らかになってきたのは、若手研究者のか細いキャリア形成における、研究業績・教育経験・賃金獲得の両立をめぐる困難(「非常勤講師職のパラドクス」)である。
しかし近年の様々な「大学改革」や、人文・社会科学系大学院志望者数の減少傾向にともない、この問題にもいくつかの変化が見られるようになっている。本発表では個人的経験も踏まえつつ、2007年度以降のJREC-INの公募件数の推移を介してこの変化を概観した後、以下のことを主張したい。すなわち、①若手研究者問題は世代・階層的要因により分節化された形で理解される必要性が強まっていること②ゆえに現在構想されている若手研究者支援が、想定しているような効果を生み出し得ない可能性を、これまで以上に考慮すべきだということ。”

報告番号435

研究者の家族形成に必要な支援とは:別居婚でみえた課題
国立社会保障・人口問題研究所 竹内 麻貴

本報告では,(女性)研究者のキャリアについて家族形成の観点から検討する.日本の女性研究者の割合は一貫して緩やかな上昇傾向にあるが,諸外国に比べると依然として低い水準にある.こうした現状を改善することを目的とした調査・研究は,出産・育児と研究の両立の難しさが,女性研究者のキャリア形成を困難にしていることを指摘してきた.これは裏を返せば,研究キャリアを築くことが,出産・育児を難しくしているということでもある.本報告はこの後者の観点から,(女性)研究者の家族形成の課題と研究組織として整備可能な支援について,既存の関連する調査報告および,コロナ禍で出産をした報告者自身の経験を踏まえながら議論する.支援の具体的な内容としては,①相談窓口ないしはネットワーク構築,②妊娠・出産および不妊治療に関する知識の普及,③オンラインを活用した緊急時の対応,である.

報告番号436

大学改革と若手研究者問題の現代史――「大学院重点化世代」を忘れないため
明治学院大学 石原俊

“「若手研究者問題」「若手研究者支援」は、もちろんのこと、2024年現在の「若手研究者」のみの問題ではない。それは「若手研究者問題/支援の現代史」として捉えられなくてはならない。
 この報告では、1991年の大綱化・大学院重点化から、2004年以降の国公立大学法人化、2023年以降の卓越大制度にいたる、30年間の「大学改革」「大学ガバナンス改革」のなかで、「(若手)研究者問題」がどのような変遷をたどったのかを、政策文書や公開データに基づきつつ振り返る。
 見えてくるのは、次の論点である。第1に、研究者養成政策に関して、院重点化政策の失敗への反省に立たず、弥縫的・場当たり的措置ばかりが繰り返され、昨今では「重点化世代」を事実上放置した「若手優先採用」政策や「若手支援」策さえ散見されるようになったこと。第2に、「大学改革」「大学ガバナンス改革」 の諸弊害(雇用劣化、校務多忙化、ガバナンス悪化、大学の機能分化・構造調整など)が、研究職を目指す若者に対して可視化され、研究職への忌避や研究者の人材不足に帰結してしまったこと。
 日本のアカデミアのなかでも社会学界は、戦後の新制大学体制(国公私立大学体制)における受益者の側に居続けた。だが受益構造に乗っかってきたゆえに、研究者養成政策の失敗や「大学改革」「大学ガバナンス改革」の弊害に対して、社会学界は有効な対応をとれているとはいえない。この状態を放置すれば、日本の社会学界は遠からず、研究者や専門領域の再生産の危機を迎えるだろう。”

Back >>