報告番号1
技術の日常化と社会学的問い――医工連携系研究開発事例を通して
名古屋大学 志水洋人
【目的・方法】本報告の目的は、人々の日常生活をフィールドとした新たなヘルスケア実践と知識を社会学研究の対象とし、社会学の発展に資する視座を提供することにある。報告者が2024年5月から関与する名古屋大学大学院医学系研究科の医工連携系研究室・プロジェクトとその関連言説を題材とする。同研究室は工学・医科学の研究者に報告者を加えた計10名弱が特任職として常勤し、学内外のネットワークを活用し複数の融合研究を推進している。その中で焦点となっているのは、ウェアラブルデバイスなどセンサー・システムを日常生活に「埋め込み」、身体・健康データを継続的に計測・解析・活用する技術開発である。報告者は、偶然や経歴・進路選択が重なり、こうした技術や研究開発に伴う「ELSI」(倫理的・法的・社会的含意)を研究するエスノグラファー・医療社会学者として着任した。本報告が取り上げるのは、この学際的環境の中で報告者が実感した「異なる視点や前提に基づく認識の違い」であり、特に「社会的受容」と「制御」という二つの概念に着目し、これらに対する社会学的な観点から生じる認識の差異を手掛かりに議論を展開する。この議論は、〈日常生活の医療化〉や多様なアクターの〈ナラティブ〉に関する報告者の従来の研究関心とも連関する。【結果・結論】エスノグラフィーのような社会学的手法で、所与の社会実践や知識をその前提から理解・記述しようとする際、認識の差異は考察の深化や新たな視点の契機となる。「社会的受容」概念については、その曖昧さや使い方に対して批判的な議論が展開される一方で、この曖昧さ自体が社会学的記述・分析・コミットメントのツールとして活用できる。関連学会などで「社会的受容」が用いられる場面では、技術開発者が「自身の技術を社会に受け容れさせるには何をしたらよいか」を探るための語彙として使われ、技術のリスクや問題性は不問に付される傾向がある。こうした批判は多くの研究者からも共有されており、「ELSI研究」が「露払い」役を担わされる懸念も強い。しかし「社会的受容」における「社会」や「受容」とは何か、異なる人々がこれらをどのように異なる形で用い、どのようなナラティブを流通させているか、といった問いを社会学的に探究することには、経験的・理論的な意義がある。また、この概念の曖昧さが異分野間の対話を促進する「バウンダリー・オブジェクト」として機能し、コンセンサスなき協働を促進するプラグマティックな価値も認められる(S.L. Star)。個人情報・データの利活用は特定の学問分野の枠組みを超え、協働が不可欠であるため、技術の「社会的受容」が多角的に議論され、有機的に接続されることは極めて重要である。一方、「制御(control)」の概念については,工学研究者が依拠する制御理論と社会学の文脈で連想される「社会的コントロール」のニュアンスとの間に認識の差異が生じる。医工連携プロジェクトでは、人間の健康や身体の働きを「計測」し「制御」することが目指されるが、誰がどのようにそのコントロールの資格や権限を持つのかを問うことは、社会学が担いうる重要な役割である。センサーやIoT技術の発展で技術が日常生活に浸透する一方、社会学は必ずしもそれに応じる理論や経験的研究を充分に蓄積できていない。こうした状況は、技術と社会の関係をめぐる社会学的理解の深化の必要性を示している。
報告番号2
医学研究の研究対象者選定を評価する委員会の実践ルール
上智大学 額賀淑郎
【研究課題と目標】 研究対象者を選ぶことは調査研究において重要な方法である。1970-1980年代のアメリカの医学研究では、子供、マイノリティ、貧困層などの脆弱者集団に対する保護を求める政策が行われた。だが、脆弱者の研究参加は治療に有益なことが多いため、1990年代にアメリカ国立衛生研究所(NIH)の指針が施行され、NIHが助成する臨床研究では脆弱者への配慮だけでなく女性やマイノリティの研究参加が必要となった。その結果、研究対象者の選定(subject selection)の重要性が改めて認識されている。近年、医療社会学や科学社会学においても、脆弱者などの研究対象者の選定は多様性の科学実践として分析されている。だが、どのように委員会組織が研究対象者選定のルールを作成し、どのように委員会がそのルールを用いているのかを分析する研究は、十分に行われているわけではない。本研究の目標は、医学研究プロトコール(研究計画書)における研究対象者の選定を評価する審査委員会、倫理委員会(IRB)、生命倫理委員会の審議録などを分析し、研究対象者選定を評価する実践ルールの特徴を解明することである。実践ルールとは、ある場所で実際に行われる行動基準や優先順位などを示す規則である。【方法】 歴史事例分析を用いて、主に1970-2000年代のアメリカの審査委員会、倫理委員会、生命倫理委員会の出版物や審議録を収集し、文書の内容分析を行った。特に、NIHの遺伝子治療審査委員会の審議録、IRBの事例分析、国家委員会の審議録を解析し、評価の実践ルールを分析モデルとしてまとめた。【結果】 研究対象者選定を評価する委員会活動は三層構造に基づき、審査委員会(研究者主体のピアレビュー)では主に科学評価、倫理委員会では主に倫理評価、特別委員会では主に特別事例のルール規定、という分類になった。それぞれの委員会が研究対象者選定を評価する実践ルールには、①安定した疾病基準を重視する疾病(診断)モデル、②研究対象者の健康を優先する健康(ボランティア)モデル、③脆弱者集団や階層の公正を重視する人口モデルがあった。その実践ルールの特徴は、研究対象者のサンプリングの評価よりも、研究目標や課題に基づく研究デザインの具体基準に注目していることである。特に、科学評価では疾病あるいは健康の客観基準を優先し、倫理評価では疾病基準だけでなく健康基準を考慮し、政策レベルの評価では脆弱者集団の公正基準を重視すると考察できた。【結論】 本研究は、委員会によって異なる評価法を分類し、研究対象者選定を評価する実践ルールの事例を見つけた。先行研究では倫理委員会の評価方法は構造化されていると示唆されていたが、これまで研究対象者選定の内容分析はあまり行われていなかった。本発表では、実践ルールの具体例として疾病、健康、人口を基準とする分析モデルを示す。
報告番号3
ミード、デューイ、トマス理論とアート表現
京都芸術大学 藤澤三佳
本報告の目的は、報告者が2002年以来調査を行ってきた精神科病院のアート表現活動について考察するときに、どのような理論を援用すれば有効であるかを示すことである。方法としては、精神科病院のアート表現について、具体的に調査内容を紹介しながら、下記の理論を援用して考察していきたい。 援用するのは、『経験としての芸術』(1934)を執筆したJ.デューイを始め、創発性についての考察をおこなったG.H.ミード、状況の定義、再定義の議論をおこなったW.I.トマスらである。彼らは20世紀初めに社会心理学の領域を切り開いた。 ミードは同年に出版された『精神・自我・社会』(1934)になかで、芸術についても「芸術的創造をしている芸術家の態度には革新の要素が強調されている」と述べ、「自由、自発性」「創発」概念を重視し、「I」の反応、自己表現の方法こそが、基本的に重要な感情(自尊の念)をもたらすと述べている。さらに「「I」の可能性は、(略)われわれの経験のなかの一番魅力的な部分である。新奇なものが生じ、われわれの一番重要な価値が置かれている。ある意味ではこの自我の実現をこそ、追求し続けていると書いている。これらの記述は、芸術表現について考える際に、フィットする概念を示していると思われる。 次にミードやトマスと非常に深い関係と影響関係をもつデューイは、『経験としての芸術』(1934)のなかで、「アートは、生物に特有な感覚、欲求、衝動、行動の結合を、人間が意識的に、したがって意味の次元で取り戻すことができることの生きた、具体的な証明なのである」と述べている。しかし、アートは自我内部で完成されたものが外へ表現されるという考えをとらずに、芸術の表現活動は、自己と環境とのいずれにもなかったものを両者が得るという、時間的経過における創発的プロセスであることが認識されていることは注目に値する。 アートの表現者と鑑賞者との関係についても、経験の組織化の共有の視点からとらえている。彼は、芸術家と同じく、鑑賞者においても、作者が経験した組織化の過程と、細部においては違っていても、その形式においては同じ組織化が、全体を構成する諸要素の間に行われなければならないとのべる。鑑賞者も彼の興味にしたがって、「再創造」することなしには、事物は芸術作品として知覚されないと考えられている。 表現されたものは、あとから意味づけられたり解釈されたりすることが多く、自己が変容していくことも見られる。そのことによりトマスがいうところの個人的な状況の定義づけが変化し、状況の再定義が起こりうる。 報告では、具体的にH病院作業療法科における表現者や作品の変遷を示しながら、以上の理論の意義や有効性を考察する。 藤澤三佳 『生きづらさの自己表現~アートによってよみがえる「生」』(2014)晃洋書房。
報告番号4
HSP (Highly Sensitive Person) 当事者による「繊細さ」の意味とその内面化過程
立正大学 笹尾珠希
HSP (Highly Sensitive Person) 当事者による「繊細さ」の意味とその内面化過程 立正大学大学院 笹尾珠希 1.目的 本報告は、Highly Sensitive Person(以下HSP)当事者による「自己診断」を通した名付けを軸として、HSPに対する主観的な意味づけのプロセスを明らかにするものである。心理化、心理学化していると言われる現代社会において、個人的な「誰しもが抱えうるトラブル」への「管轄権」を心理学的な専門知が担う「形式」が一般化している。そのような社会において「ブーム下」にあるという心理的概念「HSP」とその当事者は、ブームにまつわる言説や当事者が日々感じる苦悩・違和と、専門家言説という「事実」の狭間にある「グレーゾーン」なカテゴリーである。 そのようなカテゴリーを名乗る具体的な当事者の語りに基づき、HSP当事者がHSPというカテゴリーを通して自身の「気質」やそれにまつわる困難をどのように理解し、意味づけていくのか、その内面化過程を考察する。従来バイオメディカルなカテゴリーと、それにまつわる測定可能な症状を中心に行われてきたHSPの議論を、慢性の苦しみに対する「名付け」であるHSP当事者の「病いの経験」の語りを通して構築される意味や物語の観点から「自己診断」過程に着目してとらえ直す。 2.方法 本研究では、自身の身体的・精神的な「繊細さ」「敏感さ」を、病気ではなく気質であるHSPとして位置づける当事者が慢性的な患いの経験の中で構築する物語を対象とするため、半構造化インタビュー調査を通して得た語りを分析の対象とする。調査協力者は「敏感という悩み」としてのHSPにまつわる経験を反省的に語ることができる人物を機縁法で募集した。データ分析は、得られた語りから当事者の経験を時系順に整理したうえで、契機となる「自己診断」を軸に自己の再構成プロセスに沿って病いの意味づけの変化を追った。 3.結果 得られた語りの分析を通して、HSPの経験が、以前から継続して所有していた困難の経験に対して「自己診断」を通してHSP(とそれに付属する意味)を獲得し、困難の経験を再解釈したうえでHSP当事者として日々の「症状」を位置づけ、「病いの経験」としての個人誌を再構成するプロセスをたどることが明らかになった。その上で当事者はHSPの「繊細さ」をイディオムとして用いることでHSPとしての経験の同質性を強調したり、積極的に自らの困難を「矮小化」する語りを行う。それらは、「語りの譲り渡し」を通してカテゴリーが持つ意味に従順な「病いの語り」の内面化であるというだけではなく、「不当な」診断カテゴリーの取得への要請を拒否することや、カテゴリーの取得に対する「正統性」を「証明」するためのワークとしても解釈可能である。このように、HSPを用いて自己を語る主体による「病いの意味」は、医療言説にふくまれる意味や物語で自らの経験を位置づけるためだけのものではなく、「自己責任」のもと主体的に個人誌の再構成するための「戦略」として位置付け可能なものであるといえる。 4.結論 以上より、HSP当事者は「自己診断」を通してHSPが持つ「病いの意味」を獲得し、自らの困難にまつわる個人誌を自身が望む「方向性」へと再構成するとともに、そのカテゴリーを所有し続けるための「正統性」を示し続ける必要があることが判明した。
報告番号5
EITC(Earned Income Tax Credit)の考察
東京都立大学大学院 稲葉年計
OECDは2004年に発刊した報告書『雇用の概観(Employment Outlook)』で、デンマークの政策をモデルとしてフレキシキュリティの中身を説明している。それは(1)労使の話し合いによる解雇ルールの明確化(労働市場の柔軟化)、(2)一時的な失業を許容できるくらいの手厚い失業給、(3)積極的労働市場政策(公的な職業訓練や職業紹介)という3つの組み合わせを指す。今日では、「ステークホルダー、国際機関、学界の間で、国家は……労働市場の諸制度をフレキシキュリティに適合させるべきだ、というコンセンサスが生まれている」、という(田中 2017: 237-8)。 なぜ労働市場政策が手厚い国と、手薄な国に分かれるのだろうか。なぜグローバルな競争のもとで、新自由主義や「フレキシキュリティ」への収斂が起こらないのだろうか。この分野の研究は錯綜しており、いまだ共通の合意が形成されるにはほど遠い。とはいえ、多くの研究は「ワークフェア」と「アクティベーション」という2つの類型への分岐を指摘している。 「ワークフェア」とは、公的扶助や失業給付といった受動的な給付を削減し、公的福祉に依存していた人びとが自ら労働市場で働くことを条件として、選別的な所得補助を行う政策を指す。積極的労働市場政策への支出は少なく、むしろ教育の市場化を伴う。労働市場の規制緩和によって雇用を拡大させ、就労を強制するタイプの政策である。一方「アクティベーション」とは、就労にインセンティブを与える税制や給付を導入し、手厚い職業教育・生涯教育や就労支援を行い、より普遍的な形で人びとに能力開発の機会を提供することで、よりよい職への移行を支援する政策を指す(田中 2017: 239)。 (「自由選択」型の)具体的な改革としては、以下のようなものがあげられる。正規・非正規の格差に関しては、処遇・賃金の同一原則を定め、労働時間の柔軟化や選択制(労働時間貯蓄制度など)を進める。生活保護・失業給付を減らし、給付付税額控除など就労インセンティブを組み込んだ給付を増やす。同時に積極的労働市場政策や生涯教育を手厚くする。民間非営利団体と協力し、民間企業にとどまらない多様な包摂と支援の場を提供する。家族への支援に関しても、公的保育サービス、非営利団体、保育ママ、民間サービスの選択機会を提供し、選択にあわせたきめ細やかな財政支援を行う、などである。これらの政策を実現するためには、先進諸国と比べて最低水準にとどまっている消費税を引き上げることも必要となるだろう(田中 2017: 276-7)。 本報告は、「自由選択」型の具体的な改革としてのEITC(Earned Income Tax Credit)の考察を行う。 参考文献 田中拓道、2017『福祉政治史――格差に抗するデモクラシー』勁草書房。
報告番号6
弱いコミットメントで紡ぐ住民主体の地域福祉活動――自治体における地域福祉の新たな展開
京都大学大学院 松端祐介
【1目的】現在、厚生労働省は、「地域共生社会の実現」に向けて誰もが住み慣れた地域で暮らし続けられることを政策的に目指している。そこでは、各市町村が小地域(小学校区や中学校区)での住民による地域福祉活動を促進することが期待されている。しかし、自治会や町内会などの小地域での「地域集団」は、弱体化する傾向にある(松宮2022)。そのため従来の地域福祉研究は、小地域での福祉活動に焦点を当ててきたが、それだけでは地域福祉活動の維持が困難であることが指摘されている(石田2015)。一方で、地縁に基づく「地域集団」とは別に、小地域を超えたボランティアグループやNPO等の市民団体の活動が活発化している。人口減少や高齢化に伴う担い手不足や地縁組織の衰退の中では、小地域での活動と、それを超えて展開される活動とがどのように連携しながら、地域福祉活動が展開されていくのかということへの注目が高まっている(高野2024)。 小地域においては、地縁に基づく相互支援意識のなかで、地域集団のリーダー的な役割を担う住民が、行政の関係部局と関わり、活動に強くコミットメントをすることで行政と住民の協働関係が形成されることが指摘されてきた(鈴木2024)。しかし、高齢化・少子化・地域関係の希薄化の中では、小地域での活動に関わる住民に関しても、これまで重視されてきた地域に対する強いコミットメントが認められない場合がある。また、小地域を越えて活動に参加する住民に関しても、居住する近隣地域に対して強いコミットメントを持っていない場合が多い。すなわち、地域への弱いコミットメントで紡がれる活動が生じているのである。だとすれば、こうした住民の弱いコミットメントで紡がれる地域福祉活動はどのような条件で成立するのかという問いが生じてくる。こうした問いに迫ることが本報告の目的である。 【2方法】報告者が2022年より継続的に調査を行っているA市でも、小地域での活動と小地域を超えた活動の双方が展開されている。小地域を越えた活動としてはまず、A市社会福祉協議会は、A市域全体で活動するボランティアグループと積極的に協力関係を築いており、「ボランティア連絡会」を組織している。さらに、A市では孤立死防止等を目的として、社会福祉法に基づく重層的支援体制整備事業を活用し、独自に全戸訪問活動を施策化している。そうした訪問活動は小地域ごとに行われてはいるが、その訪問の担い手を当該の小地域内の住民だけで集めることは困難なため、A市社協が小地域での活動域を越えて活動主体を組織化し、そのうえで住民と専門職が協働して訪問を行っている。本発表では、A市で地域福祉活動に参加する住民への半構造化インタビュー調査や活動への参与観察の結果を踏まえ、検討を行う。 【3結論】住民の弱いコミットメントで紡がれる活動が維持される条件として、①行政による財政的支援も含めた制度的な関与、②社協による地域福祉活動を行う住民への後方的支援、③専門職と住民の協働があることを明らかにする。【参考文献】石田光規, 2015,『つながりづくりの隘路』勁草書房/松宮朝,2022,『かかわりの循環』晃洋書房/ 鈴木美貴, 2024 ,「地域包括ケアの主体としての住民リーダーに関する考察」『福祉社会学研究』21:143-166 /高野和良ら編,2024,『人口減少時代の生活支援論』ミネルヴァ書房.
報告番号7
友子調査を読む――占領期労働モノグラフという「鉱脈」の再採掘にむけて
文京学院大学 岩舘豊
目的・方法 「戦後出発期」における労働モノグラフ群は、「人間の息づかいが聞こえてくる調査」として評価され、豊かな<鉱脈>であることが示されてきた(辻 1991)(小林 2018)。中でも、松島静雄による鉱山労働者の自助的救済組織「友子」の調査(以下、「友子調査」)は、「社会学の労働調査史上、最高峰の水準」(河西 1979)とされている。こうした道案内を一つの頼りとしながら、本報告では、現代社会分析にとって、「友子調査」の視点や方法は、どのような意味を持ち、いかなる継承可能性がありうるのかについて検討したい。 「友子調査」を読むにあたり、本報告では二つの視点を導入する。第一に、「友子調査」が行われた当時の社会状況、とくにGHQによる占領下であることに焦点を合わせたい。GHQは占領下において多くの社会調査を実施しているが、労働者や労働運動は主要なテーマの一つであった。GHQによる調査資料(映像や写真を含む)にもとづいて見えてくる占領下の社会風景の中に「友子調査」を埋め込み直すことで、その調査実践をめぐる社会的な布置連関を明らかにする。第二に、「友子調査」というモノグラフを時間的文脈に再定位させる。「友子調査」は複数のテクストが残されている。1950年の『社会学評論』、1951年『労働社会学序説』、そして1976年『友子の社会学的考察――鉱山労働者の営む共同生活体分析』である。こうした複数のテクストの内容、作品化の経緯、各発表段階における評価などを明らかにし、「友子調査」というモノグラフがどのように生まれ、読まれてきたのかを明らかにしたい。 結果・結論 現時点での結果は、次のようにまとめられる。GHQ資料調査からは、労働運動や親分子分関係に対する膨大な調査が存在し、こうした占領者による調査と松島らの労働調査とが同時に進行していた。「民主化」という占領政策のもと、労働者や労働者組織の「近代化」は重要なテーマであったが、そうした社会情勢において、「前近代的」とされる「友子」や「親分・子分関係」を調査することは、ともすれば「反時代的」であり、調査やその表現において強い緊張関係を内包してきたことが示唆される。本報告の仮説的な結論としては、しかし、こうした強い緊張関係のもとでの調査実践であるからこそ、そのモノグラフが、多義性を含んだ「豊穣さ」を持ったのではないか、と考える。 また、「友子調査」というモノグラフは、1950-51年においては「社会変革」や「近代的民主化の担い手」たる労働者の研究というコンテキストの中で受容される。他方で、1976年以降、友子調査は、先述の河西や辻らによって、労働者による相対的に自律した「生活世界」「共同生活」の解明として読まれていく。こうした複数の読みを可能にしたのは、「友子調査」モノグラフが、社会情勢や理論・イデオロギーの強い緊張関係の中に置かれた調査者による、しかし、複雑な労働者の現実に「心と体」によって迫ろうした調査実践だったからであり、そこからやむにやまれず生まれる豊かな多義性による。こうした点に、社会調査史の<鉱脈>を採掘していくためのヒントがあるように思われる。
報告番号8
「The Japanese Village in Transition」にみる地域の分析方法――一般性と個別性をめぐる課題に焦点をあてて
一橋大学大学院 田村萌
本報告の目的は、GHQ(連合国軍総司令部)により設置された天然資源局(Natural Resources Section)が1950年にまとめた報告書『The Japanese Village in Transition』を手がかりに、地域調査における「一般性」と「個別性」をめぐる分析手法上の課題を検討することにある。 この報告書は、アメリカの社会学者アーサー・レーパーを中心に、CIE(民間情報教育局)のパッシン、日本人研究者である喜多野清一や鈴木栄太郎らの協力のもと、戦後の農地改革が地域に与えた影響を明らかにしようとしたものである。調査は、インテンシブ・インタビューやアティチュード調査、統計資料の分析、調査票の記入、地図作成など、複数の手法を組み合わせて実施された。また、13の異なる村を対象とする多地点調査という点にも大きな特徴があり、個別地域の実態を丹念に把握しながら、日本農村に共通する構造的変化を捉えることが試みられた。しかし、当時参与した日本人研究者は、GHQの占領下で行われ、権力を利用した「最も不適切な手法」と評しており(日本文化人類学会 1953)、その実態は十分に語られてこなかった。他方で、同報告書の記述や調査設計からは、綿密な計画に基づいて調査が遂行されたことがうかがえ、地域調査のあり方の多様性を再考する手がかりを提供するものとも言える。 調査当時すでに古典とされていたリンド夫妻による『ミドゥルタウン』(1929)のように、1つの地域に特化し、生活の諸側面を総合的に記述するモノグラフ型の調査も、当時は有力な手法であったと考えられる。また、調査地域を類型化・典型化することによって、一般性を抽出するというアプローチも想定され得た。これに対してレーパー調査は、複数の地域を対象とし、それぞれの産業構造や生活実態を把握しつつ、そこに共通する社会変化を広域的な視野から描き出そうとした点において、異なる分析志向を持っていたと言える。 本報告では、同報告書が日本の地域のどのような特徴を「一般」とみなし、他方でどのような特徴が「一般」から外されていったのか――すなわち、何が代表とされ、何が捨象されたのか――を検討する。また、地域の「一般性」と「個別性」を描くうえで、上記に述べたような多様な手法がいかに組み合わされたのかについても考察する。それらを通じてレーパーらの調査における分析手法の工夫や限界を問い、今日の我々にもつきまとう「一般性」と「個別性」の課題を再考する手がかりとしたい。 レーパー,アーサー・R,1950『The Japanese Village in Transition』GHQ天然資源局(Natural Resources Section, GHQ)
報告番号9
1950年代の九学会連合共同調査からみる戦後日本の質的調査論――「調査者/被調査者関係」の議論に着目して
東洋学園大学 庄子諒
本報告では、日本の社会学が他の隣接領域と未分化であった時代の調査研究として、1950年代に行われた九学会連合による共同調査に着目する。そして、この共同調査に参加した社会学者の調査経験を検討することをとおして、現在の社会学における質的調査論につらなる論点、とくに「調査者/被調査者関係」にまつわる議論のなかに位置づけなおすことを目的とする。 九学会連合とは、渋沢敬三の主導により、日本社会学会をふくむ人文科学分野9学会によって構成された学術団体である。この九学会連合による成果として、1950・51年の対馬調査を皮切りに断続的に実施された、国内の諸地域を調査対象とした共同現地調査がある。戦後まもない1950年代において、学際的かつ大規模なフィールド調査が実施されることは珍しく、多くの有力研究者が参加するとともに、調査対象となった地元をふくめて社会的関心が非常に高い出来事であった。しかしその後、各分野の専門化の進展などによって、活動は沈滞していった(坂野 2012)。 専門化による変容を遂げていった社会学においても、他分野との協働のもと行われた過去の質的調査を、社会学の質的調査法の形成過程のなかに位置づけることは、十分になされてこなかったのではないか。本報告では、そこから現在の質的調査論へのインプリケーションを探ることを試みたい。 第2回の共同調査である能登調査に参加した社会学者・森岡清美は、戦後まもなく研究キャリアを歩みはじめた世代であり、みずから調査を実践しながら自分なりの調査法を鍛えていたという。そうした時代において、九学会連合共同調査という知的環境は、「重要な他者」との出会いをふくめ、自身の質的調査研究の視点や方法に影響を与えた(桜井 2019)。 こうした社会学者にとっての九学会連合共同調査の経験からみえるのは、いわば、戦後まもない日本の社会学が、他の隣接領域やフィールドとの対話を図りながら、質的調査の視点や方法を各々の現場で手探りに作り上げていた過程ではないだろうか。本報告では、とくに1950年代の九学会連合共同調査が、「調査する側」と「調査される側」の思惑が交錯し、「調査地被害」(宮本常一)をはじめ、その非対称性が露わになる契機でもあったという指摘をふまえ(坂野 2012)、そうした背景のもと、社会学者である調査者と調査協力者との関係性がいかに構築され、それがいかに捉えられてきたのかについて、現在の質的調査論の視座から考察したい。 報告者は、森岡による1950年代の浄土真宗寺院調査が調査される側にもたらした経験や影響についての検討を、当時の調査についての記述や資料、インタビュー調査などをもとに行ったが(庄子 2019)、本報告では、本セッションの趣旨にむけて、その視点を現在の質的調査研究の展開につらなる「調査者/被調査者関係」の議論へと拡大し、新たな継承可能性を掘り起こすことを目指す。 <参考文献> 坂野徹,2012,『フィールドワークの戦後史――宮本常一と九学会連合』吉川弘文館. 桜井厚,2019,「フィールドワークはどのように行われたか――森岡清美の能登真宗教団研究調査の経験から」『一橋社会科学』11(別冊),49-66. 庄子諒,2019,「調査される側にとって森岡清美の調査経験がもたらしたもの――1950年代の浄土真宗寺院調査にかんするリスタディから」『一橋社会科学』11(別冊),81-95.
報告番号10
方法としての「生活史」を架橋する――調査方法のヒストリオグラフィに向けて
一橋大学 根本雅也
本報告は主に1960年代から70年代における生活史を用いた調査研究に焦点を当て、それらのねらいや特徴を検討する。その作業を通じて、本報告は「生活史」という同じ名前を冠する手法の多様性を説明するとともに、それらに共通する要素とは何かをあえて探り、調査方法としての「生活史」の可能性と課題について議論することにしたい。 中野卓の『口述の生活史』(1977年)は日本の社会学における質的調査の可能性を広げた画期的な作品の一つであった。一方、本テーマセッションの趣旨文にも指摘されている通り、「生活史」という方法は『口述の生活史』から始まったわけではない。人びとの生活をまなざす視点と方法は戦前より存在してきたし、「生活史」「ライフ・ヒストリー」という方法を用いた調査研究も『口述の生活史』以前にもあった。 本研究の出発点は「生活史」という方法がはらむ多様性にある。人びとの生活に目を向け、同じ「生活史」という名前を付したとしても、それらの調査の方法やねらい、分析の手法、結果の表現などはそれぞれに異なっている。なぜ同じ名称を用いながらも、「生活史」という方法は多様であったのか(ありえたのか)。なぜ多様な方法でありながらも、同じ名称が用いられたのか。本報告は、同じ名称を持つ調査の方法が多様であること、多様でありながらも同じ名称を持つことの意味について検討する。 上記について具体的に議論していくため、本報告では1960年代から70年代に行われた三つの調査研究を取り上げる。第一に、炭鉱労働者の生活史である。布施鉄治や布施晶子、小林甫といった研究者たち(北大生活社会学研究会)によって取り組まれた夕張調査は、炭鉱労働者の「生活史」「生活史・誌」を探っている。1960年代以降、石炭から石油へのエネルギー革命を背景に、炭鉱の多くは閉山と機械化という合理化が進められていた。こうした状況を時代背景としながら、夕張調査は炭鉱労働者の「労働生活史」「家族生活史」などを検討した(たとえば、小林・中川・岩城 1976)。第二に、石田忠とそのゼミナールによる長崎の原爆被害者調査である。量的手法に通じた石田忠であったが、かれは原爆被害者の手記を検討し、インタビューを重ねる生活史調査に取り組んだ。1960年代から行われた調査の成果は『反原爆』(石田編 1973)『続 反原爆』(石田編 1974)にまとめられている。第三に、中野卓の『口述の生活史』である。明治・大正・昭和を生きた一人である「松代お婆さん」の生が本人の語りを通じて伝えられる。 これら三つの調査研究は同じ「生活史」といえども、様々な点でそれぞれに異なっている。そこで、本報告は、これらの調査研究が「生活史」という手法を選んだ背景やねらい、方法と分析などの特徴を整理するとともに、その差異と共通点について検討する。それを通じて、本報告は生活史という方法の多様性の意味――可能性と課題――について論じることにしたい。
報告番号11
苦しみと向き合う生活史研究の系譜――レジリエンスの社会学に向けて
明治大学 大島岳
1971年に中野卓は柿崎京一と岡山県倉敷市の公害調査に取り掛かり、内海松代(仮名)の強く生きる姿に興味を持ち『口述の生活史』(1974年)としてまとめた。生活史研究の嚆矢とされる本研究の前に、原爆被爆者の生活史をまとめた石田忠『反原爆 : 長崎被爆者の生活史』(1973年)が上梓されていたことは既に指摘されている通りである(大島 2020; 2023)。石田は,被爆者の〈漂流〉から〈抵抗〉への絶望や苦しみから反原爆の思想化として再生に向けたレジリエンスの過程を詳細に捉えている。また浜日出夫が指摘するように、1960年代に集団就職の様相が変化し、「下積みの安価な労働力」として都市下層に組み込まれたN・N(永山則夫)の生活史を資料から研究したのが、見田宗介『まなざしの地獄』(1973年)である(浜 2023)。本研究も,戦後の生活史研究の一つの展開とみなすことができる。ここではレジリエンスを妨げる生の拘束条件としての〈まなざし〉が論考されている。 上記三つの生活史研究は、戦後に「飛躍的な発展を要請され、その中で戦前とは異なる大きな役割を期待されることとなった」(江口編 1990:360)社会調査の一つの形であると言える。原爆被爆者のライフ、公害被害調査、都市貧困研究として分化しつつも、生活史をとおし領域横断的な対話を行うことを可能にし、学際的な社会調査を進めていくために重要な基礎を築きあげたと考えられる。 1976年には水俣病「不知火海総合学術調査」が開始されるが、その端緒を開いたのは石牟礼道子『苦海浄土』(1969年)と民衆史を切り開いた色川大吉との出会いであった。石牟礼の自然と人との関わりという意味での生活史の「きき書き」と、そのままでは歴史の中に埋もれかねない水俣の人びという意味での百年にわたる生活史の「聞き書き」が交差し「総合学術調査」が誕生したのである。この調査を通して、鶴見和子は「内発的発展論」(1976年)を探求し、宗像巌は最激甚被害地の茂原地区において、なぜ住民がいまだに「強靭な復元力」を維持しているのか(宗像1983: 114)について具体的なレジリエンスの機序について明らかにした。 以上のように、苦しみと向き合う生活史研究を辿ると、これらはレジリエンスの社会学における一つの〈鉱脈〉として位置付けることができよう。生活史研究を軸に質的社会調査研究を整理することで、レジリエンスの社会学を切り拓くための手がかりを探求したい。
報告番号12
日本の質的社会調査におけるエスノメソドロジー・会話分析の展開
松山大学 河村裕樹
目的・方法 本報告は、日本に紹介された当時からエスノメソドロジー・会話分析の研究(以下、「EMCA」)に携わってきた研究者に対するインタビュー調査を通して、日本におけるEMCAの展開を、質的調査をベースとした社会学研究の系譜に位置づけることを目的とする。今日までEMCAは、医療や教育などさまざまな社会的場面を対象とする研究領域と関係を取り結びながら、多様な領域に展開してきた。近年では、EMCAの展開を社会学史上に位置づけ、シンボリック相互作用論などとのかかわりを明らかにしようとする研究も行われている。 しかし、アメリカの社会学から広がり、多数の研究を生み出してきたEMCAが、どのような形で日本の社会学に紹介され、現在のような広がりを持つに至ったのかについて、学術的に十分な整理が行われているわけではない。本報告では、EMCAが日本に紹介された当初からその展開を担ってきた幾人かの研究者にインタビューすることで、その当時の社会学研究の動向を踏まえつつ系譜を辿り、他の質的調査研究とのかかわりについても検討していく。EMCAを進めていく上で、多くの研究者がその位置づけに課題を抱えることを踏まえると、日本におけるEMCAの展開を跡づけることは、社会調査史的な意義だけでなく、今後の発展にも寄与することが期待できる。 結果・結論 インタビュー内容や関係資料の検討を通して、大きく二点について見通しを得つつある。一つ目の見通しは、EMCAを日本に紹介する端緒となった論文が執筆された背景と受け止められ方についてである。一定期間、日本の社会学において特有の仕方で受容されることとなったEMCAのはじまりを明らかにすることで、現在へと至る展開の足跡や今後の展開可能性について手がかりを得ることができる。二つ目は、ひろく社会学的な質的調査とEMCAの調査プロジェクトとのかかわりについてである。EMCAが日本の社会学にまだ十分に根付いていない状況において、EMCAの方法論的態度を保ちつつ、具体的な調査プロジェクトを推し進めた際の工夫を共有することで、フィールドとのかかわり方に関する議論に知見を加えることができるかもしれない。 このようにして、EMCAという共通要素を媒介として、多様なバックグラウンドを背景とした研究者たちが、研究対象となるフィールドと社会学研究との固有な事情のもとに、工夫をしながらEMCAを推し進めてきた経緯を整理することで、社会学的な質的調査の系譜のなかに、新たな〈鉱脈〉を掘り起こすことにつながることが期待できる。
報告番号13
たべものと食べることの社会学の試み――「野菜を食べる」ことに注目して
名古屋文理大学 中村麻理
本報告では、「たべもの」を起点として「食べること」を社会学的に考察する。2024年の日本社会学会大会報告要旨「日本の社会学研究における「食」の位置・意味連関——食に関する社会学研究の整理と分析」において、安井は「日本語の『食』は物(Food)も行為(Eating)も包含する多義的な言葉である」と述べている。報告者は、具体的な物(Food)として「野菜」に注目したうえで、「野菜を食べる」という行為の全体像を俯瞰することに挑戦してみたい。 野菜を食べるということは、他の食べ物を食すときとは全く異なる意味を人々にもたらす。厚生労働省が牽引する健康日本21(現在は第3次)では、「『健康寿命の延伸・健康格差の縮小』という大きな目標に向け、『個人』の行動と健康状態の改善、同時に『社会』環境の質の向上を目指」すとしている。「個人の行動と健康状態の改善」は「生活習慣の改善」「生活習慣病(NCDs)の発症予防/重症化予防」「生活機能の維持・向上」の3要素から構成され、「生活習慣の改善」の具体的分野としては「栄養・食生活」「身体活動・運動」「休養・睡眠」「飲酒」「喫煙」「歯・口腔の健康」がある。そのうちの「栄養・食生活」分野では、適正体重の維持、バランスの良い食事、野菜・果物・食塩の摂取量に関する取り組み等が掲げられている。 栄養学的なアプローチでは、野菜摂取量や含有される栄養素について詳しく述べられるが、野菜を食べることの意味はそこにはとどまらない。ひとくくりに野菜と言っても、どこで買う、誰から買う、どのような形態で買う、自分で育てる、どのように調理する、誰と食べるなど、各人が「野菜を食べる」という行為の瞬間に至るまでの道程はまったく異なる。 報告者はこれまで、食生活に関する質的・量的なリサーチに数多く関わってきた。そこで、今回はそれらの調査から「野菜を食べる」ことに関連する結果を抽出し、「たべもの」を起点に「食べること」を分析する食の社会学の方法を模索する。2023年に直売所利用者を対象に行った「野菜摂取に関するアンケート調査」の結果を中心に、「子育て世代の食育調査(保育園の保護者を対象に2018年に実施)」や「漬物アンケート(若者を対象に2024年に実施)」、従業員等の健康に配慮した企業の食育推進事例(農林水産省)や健康経営(経済産業省)に関する資料、『きょうの料理』をはじめとする料理本の野菜特集等のデータも用いる。 2023年実施の直売所調査の結果からは、「価格」「安心安全」「新鮮さ」「地元」「有機」等のキーワードが抽出された。栄養学的な意味を超えて、ひとびとが「野菜を食べる」ことに見出している意味が、ここから明らかになってくる。冷凍野菜やカット野菜など、簡便な食では得られない、食の喜びを求める姿が浮かび上がってくる。他方、若い母親にとって「野菜を食べる」ことは異なった意味をもつ。「子育て世代の食育調査」では、子どもの食生活に関する不安として、「野菜が不足している」と回答した者が最も多く、子どもに野菜を食べさせることは若い親世代にとって、大きなプレッシャーになっていることがわかる。料理本でも「野菜をたっぷり食べるワザ!」等の特集が組まれていることからも読み取れる。報告では、データと事例を積み重ね、物(Food)としての「野菜」とそれを「食べる」ことの社会的布置を示したい。
報告番号14
「分身」としての栄養士――昭和10年代の「栄養食配給所」を事例に
立命館大学 巽美奈子
報告者は、これまで戦前における〈栄養〉の受容過程について明らかにするため、食事実践をめぐるディシプリンを構築した佐伯矩(1876-1959)の栄養学に注目してきた。この栄養学の発展過程には、家庭食と集団食の二つの系譜が見いだされた。 栄養学の創始者であり、内務省栄養研究所初代所長でもある佐伯は、大正11年の研究所開設後すぐは、都市の新中間層の主婦をターゲットとして「栄養献立」をもちいた栄養改善活動を推進していたが、昭和初期に入ると、今度は農村における栄養改善活動(共同炊事)に踏み込んだ。同時に佐伯は、地方の工場で働く労働者の食事を改善するため、自ら養成した栄養士を現地に配置し、集団食としての栄養管理を彼らに担わせた。集団食の一つに「栄養食」という弁当様式での調理実践がある。「栄養食」は「配給所」という施設で製造された。「配給所」は工場敷地内に建てられることもあった。「配給所」では、工員・女工に朝・昼・夕の三食が賄われ、栄養士が「栄養食」の献立の内容を決め、調理とそれに付随する衛生管理を担った。 報告者はこれまで、女性栄養士が佐伯にあてた手紙と女性栄養士を主人公にした当時の小説をもとに、昭和初期に学校給食や工場給食の現場で働く女性栄養士たちの実態を明らかにしてきた(巽2024)。そこでは栄養士という専門家が、下層の人びとの栄養改善のため、単に「栄養献立」作成による調理実践の管理だけでなく、食事者とのさまざまな関わりを密にしていたことを明らかにした。さらに栄養士たちが佐伯のいわば「分身」として栄養学の重要性を広める潜在的な機能を果たしていたことを示唆した。 本報告ではそれに続く研究として、栄養学という知の受容、ひいては〈栄養〉の広がりにおいて、栄養士が果たした役割が大きいとみて、栄養士が実際にどのような実践を展開していたのか、食事者にどのような働きかけを行っていたのか、再び注目する。食事者が栄養学の存在意義を認知するきっかけに、栄養士らが具体的にいかに作用しているのか考えたい。分析には、彼らの「栄養言説」だけでなく、調理や栄養調査など食事者にむけた活動が記録された歴史的資料を用いる。そうして、科学とはかけはなれた「人間関係性」が、栄養学の受容に強く影響することを明らかにしたい。 食べ方をめぐる新しい一つのディシプリンの成立プロセスに、栄養士という専門家がいかに作用するのかを明らかにすることは、食事をめぐる規範形成にいかなる人間関係が影響しているか、さらに言えば、食物消費をめぐるディシプリンの成立プロセスには、佐伯の「分身」としての専門家の誕生とその人的資源が強固に結びついていることを論じることでもある。 また、こうした知見から、専門的な知が人びとのくらしのなかに浸透するためには、専門家と受容者との間の相互的な関係性が重要であるということが強調できる。 【文献】 巽美奈子、2024、「戦前日本の女性栄養士が抱えるジレンマと使命感」『現代風俗研究』24、pp71-80.
報告番号15
食と家庭規範――食事場面の社会的組織化の観点から
立教大学 是永論
玉川大学 黒嶋智美
小樽商科大学 須永将史
拓殖大学 池上賢
東京大学 遠藤智子
本報告は、家庭での食事場面における相互行為の分析を通して、食という活動について、それをとりまく行為の社会的組織化の文脈の中でとらえ直すことを目的としている。 報告者のグループは、ミサワホーム総合研究所との共同研究として、2013年から「生活者行動観察研究プロジェクト」を継続している。この研究では、居住家族間の相互行為を映像に記録し、観察・分析することによって、家庭における生活の実践過程について明らかにするものである。各種の行動について収集されたデータは合わせて約103時間にのぼり、その成果の一部は書物(是永・富田編 2021)としてまとめられている。近年は一部に国立国語研究所による日本語日常会話コーパスデータも導入しながら、家庭での食事場面データの分析について先行研究の整理も含めて検討を重ねている。 食という活動に関して、「食育」と呼ばれることがあるように、特にこどもがいる家庭の場合、食事という場面は、単なる摂食のためだけではなく、食の価値に関する知識のほか、食に関するマナーや、食を共同に行う他者への気遣いなど、社会性を身に付ける場として見なされることがある。その場合「親」たちは、そのような学び(しつけ)としての食事場面に関わる存在となる。本報告では、食事場面の中でも、特に親子間の相互行為を対象に分析することで、親と子それぞれの立場の組織化が、発話や動作のやりとりを通じてどのようになされるのかを、主にエスノメソドロジー・会話分析および成員カテゴリー化分析の視点から明らかにする。 分析においては、食事という活動について独自に見られる規範的な理解が、社会的組織化にどのように関連した形で参照されているかが焦点となる。従来の研究においても、食の道徳性(food morality, Caroniaなど)といった観点から、こうした食事活動における独自の規範が考察されてきたが、相互行為分析の立場からは、こうした規範は、ある文化において一律に内面化されるような規則として扱われるよりも、食事場面における成員の参与枠組みなど、それ自体が家庭における場面の特徴と結びついた(埋め込まれた)形で、行為に参与するものにより志向される対象として取り扱われる。 さらに本研究全体においては、以上のような食に関する家庭規範は、子どもの権限の制限などとして単に行為を拘束するものではなく、その規範を逆手に取って、さまざまな行為を認識可能にするような資源としても位置付けられる。本報告ではその観点から、子どもを含む成員が、食事活動の中で、自らの地位や価値といったものを自主的に追及する可能性についても検討していきたい。
報告番号16
「よい食事」とは何か――台湾と日本の学校給食にみる価値観の構築と制度対応の比較
関西大学 山ノ内裕子
本発表では、「よい食事」という概念がいかに学校教育を中心として構築されているかを、日本と台湾の学校給食に関する比較実践の分析を通じて、人類学的観点から明らかにする。「よい食事」は、健康・栄養や医学的根拠のみならず、宗教、倫理、家庭のケア責任、さらには教育的観点など、多元的な価値体系によって定義されうる。本研究は、これらの価値が学校給食制度のなかでいかに具現化され、制度設計や日常実践に組み込まれているかを検討するものである。 多元文化社会である台湾においては、外国出身の親(新住民)をもつ子どもを「新住民子女(新住民の子ども)」と位置づけ、教育や福祉の領域において包括的かつ柔軟な支援体制を整えている。学校給食においても食の多様性が制度的に保障されており、普通食と素食(菜食)の選択肢が日常的に用意され、子ども自身が選ぶことができる。加えて、自宅からの弁当持参や温蔵設備の整備など、家庭の宗教・文化的背景に応じた柔軟な対応がなされている。手づくりへのこだわりが比較的弱く、道教や仏教の影響を受けた素食文化の浸透や外食慣習の存在も、こうした制度的柔軟性の文化的基盤となっている。 一方、日本の学校給食は、学校給食法(1954年制定、2008年改正)および食育基本法(2005年)を制度的基盤としながら、「共食」や「完食指導」といった同調性重視の実践を色濃く残している。恒吉(1996)が指摘する「一斉共同体主義」と呼ばれる学校文化が、こうした食の場面にも強く反映されている。さらに、上田(2021)が食の社会学と食の倫理学の結節点として「善き食生活」と定義した、近現代日本における食の規範が、栄養バランスや手作り志向を正当化する形で教育実践に再生産されている点も見逃せない。 報告者はこれまで、食物アレルギーやムスリムなど、医学的・宗教的理由から食に制約のある「食マイノリティ」(山ノ内 2022)を対象に、当事者団体での参与観察を含む継続的な人類学的フィールドワークを行ってきた。そこでは、学校給食と同一の献立・見た目・栄養価を再現した「コピー弁当」(山ノ内 2022)によって、他の子どもたちと「共食」することを目指す母親たちの実践がみられた。これは、文化的規範の内面化を通じた自律的選択とも解釈でき、制度的配慮が十分でない中での主体的な対応として位置づけられる。 本報告では、こうした両国の制度的・文化的構造の比較を通じて、「よい食事」が社会的に構築され、その価値がどのように制度に埋め込まれているかを、学校給食におけるさまざまな実践を中心に考察する。 引用文献 上田遥(2021)『食の豊かさ食の貧困:近現代日本における規範と実態』名古屋大学出版会. 恒吉僚子(1996)「多文化共存時代の日本の学校文化」堀尾輝久ほか編『講座学校 第6巻 学校文化という磁場』柏書房. 山ノ内裕子(2022)「学校給食の代わりに『コピー弁当』を作るということ」『国際教育協力論集』25(1): 3–30. 謝辞:本研究はJSPS科研費 18K02321、JP22K02269の助成を受けたものです。
報告番号17
食用油脂の消費に関する分析アプローチの検討
明治学院大学 賴俊輔
報告者は、これまで、インドネシアのパーム油産業について、パーム油の原料となるアブラヤシの末端農家の経営状況や、農家と農園企業の関係、経済の自由化政策とパーム油産業の関係などについて政治経済学的な分析を行ってきた。パーム油のバリューチェーンに即して言うと、この分野の主たる研究の対象は、パーム油産業の上流部に当たる、アブラヤシ農家の経営状況(アブラヤシ果房の中核企業への販売価格、肥料や農薬の使用、農家組合の役割など)および、生産されたパーム原油・精製油の流通動向であった。研究課題として残されているのは、下流部の分析であり、具体的には、調理油としての利用、食品加工部門での利用、化粧品・工業製品としての利用、などパーム油の消費の分析である。パーム油の下流部の研究は、調査対象が企業活動であること、関連統計が整備されていないことから、上流部にくらべて研究が手薄となっているが、近年の食品業界では質・量ともに大きな変化が起きており、パーム油を活用した商品開発の動向については、フォローアップが必要である。パーム油を含む植物油脂の消費に焦点を当てることで、これまで農園企業をはじめとする生産側の問題と認識されてきた環境破壊や労働問題などのプランテーション開発の問題に新しい視点を提供できると思われる。 20世紀の後半以降、世界では脂質の摂取量が増えており、食生活の欧米化に伴う、肥満や生活習慣病の問題が顕在化している。油脂消費の内訳では、動物性油脂の減少の一方で植物性油脂が急増している。植物油脂の食用消費の拡大については、共働き家庭の増加による加工食品の消費増や、外食・中食の普及という生活様式の変化による影響が想起されるが、他方で、近年、油脂に関する味覚・生理学的研究が進んでおり、味覚については、従来の五味に加えて第六の味覚である油味の存在の可能性が示唆され、生理学では、油脂の消費がドーパミンの分泌を促すことが指摘されている。油脂の消費については、社会的・経済的な側面だけでなく、自然科学的な知見を用いて理解することが必要であると考えられる。消費社会論では、広告文化や消費倫理などのアプローチで消費が論じられてきたが、味覚や生理学の観点からのアプローチは まだ十分に検討されていないように思われる。 本報告では、植物油脂の消費がなぜここまで拡大してきたか、という問いを出発点とし、油脂の消費に対して味覚・生理学的なアプローチがどのようにして可能か、検討したい。
報告番号18
クラフト化する食産業における生産者の再生産
大正大学 澤口恵一
食の生産者による実践は、アグリフードシステムの複雑化により消費者にとってますます見えにくいものになっているが、一方で近年、食の世界において「職人による手作りの」製品を求める消費文化が強まっている。国内においても、こうした製品の製造を生業とする小規模事業者が数多くあらわれるようになっている。 しかしながら、食における職人の育成は消費文化の醸成以上に時間を要するプロセスでもあり、新たな食の領域を創出し再生産しつづけるためには、その領域のなかでライフコースを形成する人々が絶えず参入することが不可欠である。食の一領域が確立されていく要件は、技術修得の制度、職能集団としてのアイデンティティ、同業者間のネットワークが構築され時代とともに変化しつづけることが要件となる。 本報告では、これらのうち技術習得の制度化に着目する。具体的な事例として、国内におけるクラフトビール産業の30年史のなかで、醸造技術者がいかにして育成され品質向上が図られてきたのかをとりあげる。使用するデータは報告者が実施した全国の醸造所全数を対象とした質問紙調査、および醸造所経営者や醸造士へのインタビューである。 ビール醸造技術の根幹にあるのは、主として醸造工程の生化学反応の理解、オフフレイバーの見極め、細菌汚染を防ぐ洗浄の徹底、ビアスタイルの理解、出荷・流通過程における劣化対策などである。醸造士は、酵素や酵母の作用は生化学的に説明できなければならないが、糖化や発酵が首尾良く進んでいるかを判断するのは身体的感覚であり、醸造士は製品のスタイルや品質を見極める嗅覚や味覚を陶冶することが求められる。 酒税法の改正により生まれたこの産業は担い手や存立基盤がないままに突如として現れたものであり、同業者の連携によって自生的に生まれたわけではない。醸造士の育成は外部のコンサルタントや海外の技術者によって行われ、初期の醸造士は他業種からの転職や企業内での配置転換によってその職に就いた。 初期に参入した経営母体は多種多様な企業であったが、ある程度の資本力があり生産力をもつ事業者が多かった。業界創生期には個々の事業所の地取り組みによって技術修得が行われたが、2010年代以降は、各種団体や専門機関、醸造研修を事業として行う醸造所といったエージェントが技術習得の場を提供するようになっていった。 技術習得の場にアクセスがしやすくなった結果(参入コストの低下も大きな要因である)、2020年代に入ると自身の望むライフスタイルを実現するための手段として全く異なる異業種からクラフトビール製造に参入する事業者が増加した。新規参入者には家族や友人数人からなる零細事業者が多い。 本報告では、クラフト化する社会における生産者の生産を可能にする要件の一端を記述する。クラフト化する社会はリキッド・モダニティに特徴的な現象のひとつと目すこともできるが、生産者の生産という観点からみると、経路依存的な過程のなかで形成される制度や組織的構造の重要性を再確認することができる。
報告番号19
新中式グルメにおける文化的正統性の創出――都市新中間層のレパートリー実践に関する考察
北京外国語大学 呉江城
近年、中国の都市新中間層のあいだで「新中式(Neo-Chinese)」と呼ばれる様式が飲食、美容、インテリアなど複数の領域において急速に拡大している。この現象は単なる伝統文化の回帰でも、表層的な流行現象でもない。それは、伝統・現代・国際・倫理といった多元的価値が交差し、複雑に組み合わさる中で生み出される、新たな文化的正統性の構築の試みである。本研究は、そのなかでもとりわけ注目される「新中式グルメ」に着目し、ソーシャルメディア・プラットフォーム「小紅書」上において、都市中間層ユーザーがいかにして食文化における正統さを構築し、社会的価値秩序の再編を担っているのかを明らかにすることを目的とする。従来、文化的テストや審美判断はしばしば「高尚/低俗」のヒエラルキー構造において理解されてきたが、今日の中国においては、国家的イデオロギー、グローバル文化の影響、消費主義、健康志向、SNSによる承認文化など多様な要素が重なり合い、価値判断の基準が複層化している。そのなかで中間層のユーザーは、文化的レパートリーを組み合わせながら、流動的な正統性を戦略的に実践している。 理論的枠組みとしては、Swidler(1986)の文化レパートリー論を軸に据え、ブルデューの文化資本論と接続しながら、文化的実践における意味構成のプロセスを分析する。文化レパートリーとは、個人や集団が状況に応じて選択・組合せ可能な価値や象徴的資源の集合であり、それが行為や言説の水準で正統性として立ち上がる過程に注目する。また本研究では、正統性を静的な基準ではなく、ユーザー間の相互作用やプラットフォーム内の可視性によって再帰的に生産される関係的構造と捉える。 調査対象は、小紅書に投稿された「新中式グルメ」に関する人気投稿であり、画像・テキスト・タグ等を含む多モーダル分析を実施した。さらに、ユーザーコメントも分析対象とし、価値の共鳴や異論の調整、テストの主張といった相互評価の動態を考察した。分析の結果、以下のような文化的レパートリーの実践が確認された。①伝統的かつ健康志向的な価値の強調、②和風・中華・欧風を融合させた審美的ハイブリディティによる高級感の演出、③「反浪費」「クリーンな食生活」などに象徴される道徳的正統性の主張、④「打卡(チェックイン)」や「流行グルメ」との差異化を通じて表層的消費文化から自らを区別し、文化的テストを維持しようとする言説の出現である。本研究は、「新中式グルメ」をめぐる都市中間層の実践が、国家的な文化政策(例:文化自信)や商業的アルゴリズム環境の影響を受けつつも、個人のテスト・倫理・生活様式の自己定義を通じて独自の価値秩序を再構築しようとする過程であることを示す。プラットフォーム社会における文化的正統性の編成過程を明らかにすることで、現代中国における中間層の文化実践と社会的秩序形成を理解するための理論的枠組みの再検討に資することを目指す。
報告番号20
フードバンクが提供する「食」の質――食品受渡データの多変量解析からの考察
上智大学大学院 堀部三幸
2000年以降、全国的に食支援が主流化している。たとえば、余剰食品を主に提供するフードバンク、おてらおやつクラブ、こども宅食、そして、調理した食事を提供する子ども食堂、地域食堂、おうち食堂がある。日本においてフードバンクは、2000年頃活動が開始され、2005年4件、2010年26件、2015年67件、2020年204件、2023年252件と年々増加している(消費者庁 2024)。 このうちフードバンクは、「配給可能な食料はあくまでも寄付であり食品の量や種類は変わる上に質を確認できない」(安井 2024: 262)ことが指摘されている。本報告は、フードバンクで提供される食品とその利用状況を実証的に分析し、その実態と課題を明らかにする。 フードバンクの利用をめぐる既存の研究によると、そもそも利用世帯では野菜、たんぱく質(肉・魚)の摂取頻度が低いこと、そして、利用したとしても主食(ご飯・パン)の摂取量は増加しやすいが、たんぱく質の摂取量は増加しにくいことが知られている(村山 2018; 小島ほか 2022)。 これらの先行研究の検証という意味でも、1件のフードバンクの食品受渡データをもとに多変量解析、計量テキスト分析などを行った。また補完的に半構造化インタビューの結果を引用する。分析期間は2014年10月~2023年4月である。分析項目は、約1,600世帯の利用状況、約10年間に渡り提供された食品約38万点である。食品を「飲料」、「菓子」、「介護食」のように分類して提供される食品の傾向性を類型化した。 分析の結果、利用回数が増えるほど、女性単身、女性ひとり親世帯、障がいを有した利用者が増えること、生活が苦しくなった理由では男性は労働、女性は家族が関係していることなどが明らかとなった。提供されている食品は、「非常・防災食」、「パン・シリアル」、「菓子」の順に多かった。提供される食品の傾向性は、①食品パッケージ型、②足が早い型(賞味期限が短い)、③非常・防災食型に類型化された。さらに、女性ひとり親世帯に「非常・防災食」と「菓子」が多く提供される傾向にあることが明らかとなった。 この分析結果から、先行研究で指摘されていたフードバンクによる食品の提供で炭水化物は獲得しやすいが、タンパク質源の獲得は難しいということが確認され。ここから、世帯所得の低さと健康格差の強い相関(イチロー・カワチ&ブルースP.ケネディ 2004)、また、どの時代においても貧困を決定付けるのは、食料などの必需品について自由な選択ができない(Murcott 2019)という保健衛生や貧困に関わる問題群が再参照される。ドイツのフードバンクTafelは、貧困の解消と食品ロス削減を目指す反面、根本的に貧困が改善するわけではない(Lambie-Mumford and Silvasti eds. 2021)という葛藤を抱えており、支援現場で懸念が生じている。本報告では、食支援団体が増加する一方で、市民による食支援の限界が鮮明になってきた点も含めて検討したいと考えているが、詳細は報告当日の資料等を参照されたい。 主な参考文献 Murcott, Anne, 2019, Introducing the Sociology of Food & Eating, London: Bloomsbury Academic. 村山伸子,2018,「生活困窮家庭の子どもの食生活」『地域保健』3月号, 14-7. 安井大輔,2024,「分野別研究動向(フードスタディーズ)」『社会学評論』75(3),255-69.
報告番号21
同窓からの人生形成――長期にわたる学卒コーホートのパネル調査分析(1)
東洋大学 西野理子
本研究は、「からだ・こころ・つながりの発達研究」プロジェクトと称し、1990年代初頭に某大学学部を卒業した学卒コーホートを、彼らが50歳代に至るまで追跡している。 1990年代以降といえば、低迷した経済状況、少子化、労働市場の非正規化が進むなど、「失われた30年」と呼ばれている。バブル崩壊後に就職した氷河期世代が、その後の人生形成に経験した苦境が、社会問題として着目されている。それに対し、本研究の対象者らは、氷河期世代の直前にあたり、首都圏の著名大学を卒業した相対的に恵まれたコーホートである。とはいえ彼らも、「失われた30年」を通して中壮年期のライフコースを形成していったわけである。恵まれた出発点からの岐路を、果たして本当に恵まれていたのかという点の検討も含めて検討し、彼らが時代の影響をどのように受け止め、それに対応して自身のライフコースを形成していったのかを記述していきたい。 本研究は、学卒から50歳代までと35年ほどをカバーしている。といっても、在学中から卒業後までの20歳前後の時点に3回にわたって初回の調査を行い(第1波Wave1:T1~T3)、その後30歳代直前と直後(第2波Wave2:T4・5)をとらえた後、それからさらに20年をおいて50歳代を迎える彼らに追跡調査を行っている(第3波Wave3)。この第3波は2022年(T6)と2024年(T7)にすでに調査を行い、2026年に最後の調査(T8)を予定している。2022年調査では204名から、2024年調査は196名から協力が得られている。 長期にわたる観測から彼らの姿をとらえると、第1に、男性の相当数が安定した職業キャリアを形成した一方で、女性の職業キャリアは多岐にわたっている。男女雇用機会均等法施行後何年もたってから大学を巣立っていった彼らは、男女ともになんらかの仕事に就いた経験があるが、その後のキャリア形成は大きく異なる。第2に、家族形成においても、結婚しない、または結婚が遅く子どもをもっていない女性が相対的に多くとらえられている。学生時代から職業を重視して意欲的に将来に取り組もうとした女性たちが、実際に職業生活を重視するなかで結婚が遅くなり、子どもをもたなかった様子を確かめることができる。男性では、同じように学生時代から職業生活を重視する価値観をもっていても、家族形成への影響はあらわれていない。 小規模なパネル調査ながら、生活のさまざまな領域を観測してきている。本報告では、調査の概況を報告すると同時に、大学卒業時のライフプランニングとその後のライフコース形成との関連をとりあげる。
報告番号22
首都圏大卒者における中高年期に至る社会経済的格差の軌跡――長期にわたる学卒コーホートのパネル調査分析 (2)
立教大学 三輪哲
東京大学大学院 戸髙南帆
本報告は、1990年代初頭に某大学某学部を卒業した学卒コーホートを追跡したパネル調査によって得られたデータから、中高年期に至るまでの人生の軌跡を一元的な指標に縮約しつつその成長曲線を実証的に検討するものである。学部レベルまで統制した条件の下で、出身背景や在学中の要因、あるいは卒業後のライフイベントがどのようにその後の社会経済的地位とかかわることになるのかを検討してゆく。 この研究をおこなうにあたり、2つの社会調査データを利用した。1つは、2015年SSM調査データである。同データには、調査時点における階層的地位や属性の変数と、幸福感・生活満足度・階層帰属意識などの自身の地位や生活を評価するための主観的変数が含まれている。そこで、構造方程式モデル(SEM)を用いて、さまざまな主観的地位を総合化する潜在変数を測定すると同時に、職業・収入・家族形成など人生を通して獲得したさまざまな要素がその潜在変数の規定する構造をとらえる。 もう1つは、「からだ・こころ・つながりの発達研究」プロジェクトが1990年代より断続的に行なっている、長期にわたる学卒コーホートのパネル調査データである。大学在学時に調査を開始し、その後、20代、30代そして50代の時期にも追跡調査がなされている。このデータにより、先の分析で得られた係数を活用して「人生評価の総合指標」の推定を試みる。そして、20代から50代にかけての総合指標の軌跡の平均像や散らばりを記述するとともに、その格差がいつどれくらい拡大したのか、要因解析をおこなう。 人生評価の総合指標の分析より、以下の知見が明らかとなった。第一に、総合指標の平均値は、20代から30代にかけて大きく上昇するが、そこから50代になるとそれほど変わらなかった。前者の上昇トレンドは、収入の上昇や、家族形成などがみられるライフステージであることから、さまざまな面において総合指標の得点に寄与する変化を経験したゆえと思われる。第二に、総合指標の分散をみると、年齢の上昇に伴って単調的に大きくなっていくことがわかった。また、パーセンタイル値を確認すると、低い層での総合評価の値はほとんど変わらないが、高い層ほど急激に上昇していく傾向がみられた。すなわち、総合指標の個体差が拡大するのだが、それは上位層の伸びによってつくられたものであることがわかった。第三に、成長曲線モデルにて総合指標の軌跡をとらえると、50代時点の格差だけでなく、そこに至る前での傾きについても統計的有意な個体差がみられた。しかも、そこにはジェンダー差があり、男性のほうがより傾きが大きいことがわかった。第四に、入学の経路(一般、推薦、附属など)や、出身階層といった入学前の要因により総合指標への影響があるかどうかを検証したが、明確な関連は析出されなかった。 用いた調査データが、某大学某学部に対象者が限定された、かなりの程度同質的な集団だったこともあってか、人生の軌跡にみられる出身背景による格差は観察されなかった。だがそれでも、総合指標の成長曲線には、無視できない明確な個体差があった。ゆえに、卒業後のライフコースの過程のどこで人生の軌跡の分かれ目があったのか、そしてそれがどのような要因で説明されるのか、それらを探索する試みは依然として検討する余地と意義があるといえるだろう。
報告番号23
卒業後の人生を振り返る――長期にわたる学卒コーホートのパネル調査分析(3)
早稲田大学 池岡義孝
本研究は、1991年から1993年の3年間に首都圏の某大学学部を卒業した卒業生を対象に在学中から30歳代前半の2002年まで継続していた調査を、2022年から再開したものである。対象者は50歳代になっている。調査は計量的な分析に適した質問が主なものだが、自由回答の質問も含んでいる。2022年調査(T6)では、質問票の最後に「大学(学部)を卒業してから現在までをふりかえって、思うところを自由にお書きください」という質問を設けた。20年のインターバルを経て50歳代になった自分のもとに送られてきた調査票のこの質問に、対象者はどう回答するだろうか。本報告では、この質問への回答をデータにして、対象者がどのようなことを記述するかを概観し、そのうえで、予想通りの人生ではなかった、困難があってうまくいかなかった等とネガティブに評価されているケースについて、その要因や困難性を分析する。 データは、2022年調査(T6)の回答者204名中、この質問に回答した127名とする。「思うところを自由にお書きください」と質問の限定がゆるやかだったので、回答内容は多岐にわたり、字数も「あっという間だった」という10字に満たないものから、500字を超えるものまでさまざまであった。ライフコースのキャリアや出来事に言及したものが女性で55%弱、男性で40%弱と多かった。男女の違いは、男性では単独で職業キャリアに言及するものが多いのに対して、女性では職業キャリアへの言及も多いが、それと子育てを中心にして、親の介護、配偶者の失業や病気などを含む家族キャリアを関連させて言及するものの方がさらに多いことである。男女とも、意外に多かったのは大学や学部で学んだことや得たもの、そこでの友人との交流や人脈に言及するもので、男性の約40%、女性の約35%を占めていた。大学在学中に開始された調査に久しぶりに回答することで、大学時代がなつかしく思い出されたというバイアスがあったのかもしれない。 卒業後現在までの人生の評価は、多くの場合ポジティブなものであった。さまざまな困難があったとしても、「過ぎてみればすべて意味がある」「自分の選択の結果なので後悔はない」等と、最終的にはポジティブにとらえられている。しかし、少数だが、卒業後現在までの人生をかなり強くネガティブに評価しているケースがある。女性が出産、子育てを機に退職したケースに比較的多く見られ、例えば「正社員でキャリアを築くことなく、子育てと誰にでもできる仕事内容のパートで精一杯だったのが心残り」といった評価である。対象者は男女雇用機会均等法が施行されて以降に就職した世代だが、施行後数年でまだ定着しておらず、就職後すぐにバブル崩壊による景気の後退もあり、出産退職は社会通念として根強かった。さらに、本人や配偶者の重篤な病気や精神的疾患、子どもの障がいや不登校などの問題で困難を抱えたケースもある。また、必ずしもネガティブな評価ばかりというわけではないが、結婚せず未婚であることを後悔する回答も男女ともにあった。当日は、こうした予想とは違っていてネガティブに評価される人生について、さらに具体的な回答を提示して報告することにしたい。
報告番号24
上位大学卒業生男女の結婚過程――長期にわたる学卒コーホートのパネル調査分析(4)
国立社会保障・人口問題研究所 木村裕貴
本報告の目的は,1990年代初頭に某大学学部を卒業した学卒コーホートを追跡したパネル調査により得られたデータを用いて,上位大学卒業生の結婚過程およびその帰結を明らかにすることである.1980年代以降持続している平均初婚年齢の上昇(晩婚化)と50歳時未婚率の上昇(非婚化)を背景に,社会経済的要因が初婚生起の有無およびタイミングにもたらす影響に関する研究が蓄積されてきた.先行研究によれば,男性ではこの間一貫して高学歴層が低学歴層よりも結婚しやすいことが観察されている一方,女性では学歴と結婚の関連が1970年代出生コーホートあたりを境に逆転したことが明らかにされている.すなわち,以前は高学歴女性よりも低学歴女性の方が結婚しやすかった一方,近年ではむしろ低学歴女性よりも高学歴女性の方が結婚しやすいのである.こうした逆転現象は日本以外の先進諸国でも観察されており,マクロなジェンダー関係の変化と関連づけた議論が展開されている.こうした議論の中では,他の欧米諸国に比して性別分業規範が根強いとされる日本において,女性の学歴と結婚の関連がいまだ負の関連であったコーホートの女性が経験する結婚過程は,マクロなジェンダー関係とミクロな個人の結婚の関係を考察するうえで戦略的重要性をもつ.本研究は,主に1960年代後半出生コーホートのうち上位大学卒業生の男女の結婚過程を詳細に記述する. 分析には,「からだ・こころ・つながりの発達研究」プロジェクトが1990年代より断続的に行なっているパネル調査のデータを用いる.本調査は,首都圏のある上位大学の同一学部を1990年代初頭に卒業した男女を,在学中から卒業直後の20歳代前半,30歳前後,そして50歳代前半(2022年・2024年)と追跡している.そのため本調査データは,学歴(上位大卒)と出生コーホート(主に1960年代後半)の2点においてきわめて限定的なサンプルから構成されている点に特徴がある.加えて,初再婚の経験やその時期のみならず未婚者の結婚意思や既婚者の出会いのきっかけなど,結婚過程が詳細にわかるデータとなっている. 基礎的な分析の結果,以下の知見を得た.第一に,男性は50歳代まで未婚にとどまる割合が低く,結婚時期も20歳代後半に集中している一方,女性は50歳代まで未婚にとどまる割合が男性よりも高く,結婚時期も20歳代から30歳代・40歳代まで比較的広く分布している.第二に,男女ともに,最終的に未婚に留まるケースについても20歳代から一貫して結婚意思のない者はごく少数である.第三に,男性と比べて女性にとって大学が重要な出会いのきっかけとなっている.当日は,より詳細な分析結果を報告する.
報告番号25
1960年代後半出生コーホート女性のライフコース実現と受容過程――長期にわたる学卒コーホートのパネル調査分析(5)
早稲田大学 嶋﨑尚子
【目的】戦後日本においてライフコースの制度化と標準化が進行するなかで、新たな方向としてライフコースの個人化、すなわち「個人のみずからの人生に対する統制力が増大する過程」が労働と家族の両領域で生じた。さらに1990年代以降、多様化幻想に私生活志向と内的帰属主義がむすびつき、とりわけ女性には「家族生活と職業生活を個人の責任のもとで組織化すること」が強く要請された。本報告では、この時期に成人期への移行を経験した1960年代後半出生の女性を、「家族生活と職業生活を個人の責任のもとで組織化することを最初に要請されたコーホート」と位置づけ、家族と職業の両立に関する社会的ライコース・パターンが確立していない状況下で、彼女たちが実現した中高年期までのライフコースとその承認・受容の過程を確認する。 【方法・データ】「からだ・こころ・つながりの発達研究」プロジェクトの30年間7時点のパネルデータのうち、学卒(T1)から30代半ば(T5)までを追跡できる新規学卒就業経験女性191名を対象とした。学卒時の両立に関する期待と30代での実現を、期待の構造(「勤続」・「転職」と「離職」)から確認する。その後、30代での期待(T4・T5)の50代移行期(T6・T7)での実現と受容を確認する。 【結果】初職の参入状況は、初期の就業に関する期待の説明変数とはならない。明確なビジョンをもって参入するのではなく、初職の状況に離職・転職の期待が左右された。中年期での期待の実現(T5)を共働き/専業主婦、有子/無子、期待実現/非実現の8組合せと未婚就業、その他の10カテゴリーに整理した。その結果、期待の実現/非実現には、初期の転職経験が効果をもち、その内容は「拡大転職」(正社員への転職)と「縮小転職」(パートへの転職)とで異なる。またT4での自己の受容と有能感が高いグループは、T5での実現度が高いが、配偶者との関係の効果は明確でない。すなわち期待の実現はあくまでも「女性自身の個人の責任のもと」で果たされた。とはいえT5時点でのライフコース実現にいだく感情は、必ずしも肯定的ではなく、困惑を含んでいた。専業主婦グループでは、自己の状態を受容し満足する感情と、社会的疎外感(無力感と排除感)が個人内で共存していた。共働き女性は愛情規範との葛藤を経験した。子育てを優先することによる職業生活での無力感の発生も予測された。他方で未婚グループでは、自己の能力と努力による期待の実現への満足感と合わせて家族役割取得における非実現への焦燥感が表明された。興味深いことに、50代(T7)では、中年期の状態が持続しており、とりわけ共働きグループで顕著であった。 【結論】本対象の大卒女性パネルは、1960年代後半出生コーホート内では、社会的資源に相対的に恵まれているグループである。しかし彼女らであっても、期待するコースの実現は容易でなく、「未婚期のフルタイム就業を家族形成期に継続するか否か」が課題でありつづけた。家族と職業の両立は、中年期までの過程で離職・転職を経て模索されたが、その後50代までは安定的で持続していた。しかし、中年期までに共有されていたライフコースの組織化とその結果として有する集合的感情としての社会的疎外感や葛藤は、高年期への移行時点でも持続している。
報告番号26
大病経験と職業キャリア――長期にわたる学卒コーホートのパネル調査分析(6)
立命館大学 筒井淳也
「仕事との両立」といえば、多くの場合には家事や育児、そして介護と仕事の両立が問題になる。両立を促すための支援制度(育児・介護休業制度、保育制度、短時間勤務制度等)も拡充されてきた。これらの背景には、少子化と高齢化、そして性別分業の緩和があった。 家事・育児・介護は「他者へのケア」と自身の仕事との両立の問題を引き起こしやすいものだが、自分自身が職業キャリアにとっての問題になることもある。2022年の「国民生活基礎調査」では、通院している人の割合は、仕事上重要な立場に就くことが多い50代から上昇が目立つようになっている。 大きな怪我や病気はその例である。怪我や病気の度合いが大きければ、パーソンズによる「病人役割」の概念で想定されているような短期的な休業と回復・復帰のパターンとは違い、慢性的な病や大けが・大病は職業キャリアに影響することもありうる。疫学転換に伴い、長期的な療養が必要な病気も目立つようになっており、厚生労働省は「治療と仕事の両立支援」の制度とガイドラインを設けている。 他方で、治療と仕事の両立については「他者へのケア」の各種制度ほどは整備されておらず、依然として勤め先の企業・事業所の制度や対応に左右される度合いが強い。厚生労働省のガイドラインでは、治療と仕事の両立においては「主治医」「会社・産業医」「両立支援コーディネーター」の「トライアングル型サポート体制の構築」が示されているが、このなかには行政は含まれていない。逆に言えば、理解のある人事労務担当者や産業医などにアクセスできる安定した内部労働市場(典型的は大企業)にいる人たちにとっては、大病がキャリアにそれほど影響しないことも考えられる。「2013 年がん体験者の悩みや負担等に関する実態調査」によれば、仕事を継続できた理由として一番に挙げられているのは家族ではなく職場の理解であった。 本報告では、首都圏某大学学部の卒業生を対象とした長期にわたる学卒コーホートのパネル調査のデータ、特に2022年調査(T6)と2024年調査(T7)のデータを利用して、「大病経験」と職業キャリア、将来のキャリアへの懸念につながっているのかどうかをみていく。分析の結果、大病経験や大病の内容と職業キャリアに関連性は見いだせず、仕事の満足度や有能感といった主観的指標も大病経験には左右されていないことが示された。大病経験があると健康上の悩みを訴える度合いは高くなるが、概して「心配を抱えつつも大きな問題なくキャリアを過ごせている」ケースが目立った。データに含まれている安定したキャリアを持つ人たちにとっては、大きな病気をすることは職業キャリア上なんとか乗りこえられていることが示唆された。
報告番号27
パネル調査にみる中期親子の経済的・非経済的援助行動――東大社研パネル調査プラスの挑戦
桃山学院大学 村上あかね
【1.目的】 家族主義が強い日本では若年・壮年者の家族形成、住宅取得などのライフイベントにあたって親から子どもへの援助が大きな役割を果たしてきた(村上 2023など)。しかし年齢を重ねれば親が子どもからの援助を必要とするようになる。平均寿命が長くなった現代では中期親子関係に注目する意義がますます高まっていることから、本報告ではとくに経済的・非経済的援助行動の実態やその規定要因について検討する。 【2.データと分析対象】 東大社研若年・壮年パネル調査(JLPS)は日本全国に居住する20~40歳の男女を母集団として対象者を無作為に抽出し、2007年にスタートした。このうち親子の経済的・非経済的援助関係に関する詳細な調査項目が調査票に含まれるようになったwave11(2017)からwave18(2024)のデータを用いる。分析対象は既婚男女に限定した。 【3. 結果】 まずwave18(2024)のデータのみを用いて経済的・非経済的援助を区別しない分析を行った。過去1年間に自分または配偶者の両親からなんらかの支援を受けたことがあると答えたのは男性回答者の53.1%、女性回答者の57.9%であった。逆に自分・配偶者の両親になんらかの支援を提供したことがあると答えた回答者は男性60.1%、女性69.3%であった。親子の同居や回答者にとっての子ども(回答者の親にとっての孫)の存在は親から子どもへの援助を引き出す。他方、回答者の親の健康状態の悪さは子ども(回答者)から親への援助を促す。 次に子どもから親への援助の提供についてwave11(2017)とwave18(2024)の2時点の変化を確認すると、「あり→あり」(提供継続)が52.1%、「なし→なし」(非提供継続)が17.8%、「あり→なし」(提供中止)が13.2%、「なし→あり」(提供開始)が16.9%であった。 【4.結論】 中期親子関係では親から子への援助よりも子から親への援助のほうが多い。男性よりも女性のほうがより多く親から援助を受けかつ提供もしていることから「女性の親族関係維持役割」(大和 2017)が依然としてみられる。親子の同居やニーズが影響するなど海外の知見(Cooney & Dykstra 2013)との共通点もあった。過去数年間における子どもから親への援助については継続して提供しているパターンが約5割ともっとも多いものの、援助の提供を止めたケース、開始したケースを合わせるとおよそ3割となり変化もあった。施ほか(2016)が指摘するような家族それぞれの事情に合わせた現代の援助関係の実態をさらに分析し、ライフステージ中盤における家族のダイナミズムを捉えるような調査を実施することが東大社研パネル調査プラス(JLPS+)プロジェクトの今後の挑戦である。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(JP25H00386, JP18H05204, JP25000001, JP22223005, JP18103003)の成果の一つである。
報告番号28
未婚成人女性と同居する親との関係に対する文化的要因の影響に関する検討
明星大学 杉山怜美
【1.目的】 本報告では,1990年代以降に関心が高まってきた未婚成人子の親子関係について,これまで検討が進められてきた経済や生活的な要因の影響に加えて,文化的な要因がいかに関与しているか,子の趣味に着目した研究の可能性を検討する.なお,分析にあたっては未婚成人女性とその母親の関係に特化して論じる.未婚化の趨勢は80年代より顕著となっており,女性については,60年代・70年代コーホートでは「学卒‐就職‐結婚‐出産」という標準的ライフコースの規範や伝統的な結婚観が強く内面化されていたのに対して,80年代コーホートでは結婚への意向が多様化しているほか,経済面での二極化が進んでいることが指摘されている(樋口・田中・中山編 2023).また,未婚女性たちは,同居がもたらす経済的メリットや生活への楽さを重視する一方で,周りからの否定的まなざしに対する後ろめたさを感じてもいる(郭 2021).このように,長期化する親と未婚子(女性)の関係についてマクロレベルでの実態把握や当事者の意識に関する研究が蓄積されてきたが,視点が経済状況や生活水準などに限られており,必需/奢侈でいうところの後者にあたる視点からの分析が不十分であるといえる.そこで本報告においては,趣味や「楽しみ」といった文化的要因から家族関係について考える端緒として,それらが長期的な親子関係に与える影響について明らかにすることを目的とする. 【2.方法】 前述の目的に照らして,報告者が2016年および2021~2023年に15名に対して実施したオタク文化のファンのライフコースに関するインタビュー調査の調査協力者のうち,インタビュー時点で未婚であり,調査時点または数年前まで親と同居していた女性6名を分析対象者として,その語りを分析した.これらの分析対象者は1980年代前後生まれであり,ライフコースや結婚観の多様化が指摘されている世代にあたることから,本報告の主旨と合致していると考えられる. 【3.結果・結論】 分析の結果,ファンとしての意向や関心は親との同居継続や離家の直接的な根拠にはなっておらず,先行研究で指摘されている経済状況や,仕事上の要請,家族成員との情緒的関係などに基づいて判断されていた.ただし,親がファン活動の障害にならないから同居していても問題がない,といったかたちでその判断を補強する役割を果たしていたほか,同居中の親がファン活動に懸念を示した場合には,それが本人にとっていかに重要であるかを説明して,障害を取り除く取り組みを行っていた.こうした交渉・説得は青年期から成人期にかけて断続的に見られ,同居にあたって解決されるべき課題として位置づけられていることが明らかになった.
報告番号29
母子世帯の実親同居に関する規定要因とその心理的ディストレスへの関連
三重大学大学院 小西凌
1.背景と目的 現代日本において、子育て家庭の多様化が進む中、祖父母と同居しながら育児を行う母親の姿が一定数みられるようになっている。とりわけ、離別や死別によりパートナーを失った母子世帯にとって、実親との同居は育児支援や生活補完の手段となりうる。しかし、母子世帯に関する先行研究は、主に経済的困難や就労不安、社会的孤立といった課題に焦点を当てており、実親同居という生活支援構造の違いには十分に注目してこなかった。 また、心理的ディストレスについては、祖父母が育児支援者として関与することで肯定的な効果が期待される。今後は、こうした支援構造が母親の心理面に与える影響をより精緻に捉える必要がある。 本研究は、母子世帯における実親との同居の規定要因を明らかにするとともに、同居が母親の心理的ディストレスにどのように関連するかを定量的に検討する。誰にとって、どのような状況下で実親との同居が有効なのかを明らかにすることは、ひとり親支援政策の多様性と実効性を高めるうえで重要な視点となる。 2.データと方法 本研究では、東京大学社会科学研究所のSSJデータアーカイブを通じて入手した、全国の中学3年生とその保護者を対象とした「親と子の生活意識に関する調査」(2011年、内閣府実施)の個票データを用いた。 3.分析結果 まず、実親との同居の規定要因についてロジスティック回帰分析を行った。従属変数は「実親と同居しているか否か」、主要な独立変数は母親の婚姻歴である。婚姻歴は調査時点の婚姻状態と離別・死別の時期に基づき、①初婚継続、②子どもが0〜6歳時に離別、③7〜15歳時に離別、④死別の4区分でダミー化した。 その結果、離別母子世帯であることが実親との同居に強く関連していた。特に、子どもが0~6歳時に離婚した母親は、初婚継続家庭に比べてオッズ比4.45倍、7~15歳時の離婚でも3.12倍と、いずれも統計的に有意であった。一方、死別の場合はオッズ比2.03とやや高かったが、有意ではなかった。 次に、実親との同居が母親の心理的ディストレスに与える影響を検討するため、重回帰分析を実施した。モデル1では、離別母子世帯であることや実親との同居はいずれもディストレスに対して有意な効果を持たなかった。 しかし、モデル2で交互作用項(離別母子世帯 × 実親同居)を加えると、交互作用の係数は負(B=-0.143)となり、有意水準に達しなかったものの、実親同居が離別母子世帯におけるディストレス軽減に寄与する傾向が見られた。また、この交互作用を導入することで、離別母子世帯(非同居)のディストレス水準が有意に高い傾向を示した(B=0.113)。 5.結論 本研究では、離別母子世帯において実親と同居する傾向が強いこと、またその同居が母親の心理的ディストレスの軽減に一定の寄与を示す可能性があることが明らかとなった。とりわけ、子どもが幼少期に離婚を経験した家庭でその傾向が顕著であった。 こうした結果は、ひとり親支援において、世帯形態だけでなく、実親との同居という生活支援構造に注目する重要性を示唆している。ただし、同居の影響は一様ではなく、今後はその「質」や継続性、母親側の同居への認識を含めた精緻な分析が必要である。本発表では、その前提となる視点や分析のあり方についても意見をいただければ幸いである。
報告番号30
社会主義的近代化推進期における中国女性の労働参与についての研究枠組みの検討
名古屋大学 坂部晶子
本報告では、中国における近代化の期間を、近代化初期(19世紀から1940年代以前)、社会主義的近代化の時期(1940年代~1970年代)、およびそれ以降の改革開放期以降の転形期(1980年代~)として区分する。そのなかで、社会主義的近代化推進期に焦点をあて、新中国成立以降上からのトップダウンで進行していた、中国女性の労働への参加プロセスを考察するための研究枠組みについて検討する。中国における市民的公共性は、国家の枠組みに包摂されたかたちでの人びとの主体的活動という側面をもっているが、このような中国社会の状況を準備したのは、社会主義政策の実施された1950年代から70年代にかけての人びとの動員と社会編成に関連しているとここでは考えている。そのためこの時期の女性の労働への参与プロセスとその評価を分析することは、中国社会における公共性と私的領域の自律性の連関を解明することにもつながっていると想定している。 日本やその他の資本主義社会で一般的な近代家族論が要諦とする、近代化とともに、男性は公共領域、女性は私的領域というかたちでの性別役割分業が進展するという想定が、中国ではあまり当てはまらないと考えられる。中国建国初期の社会主義時代において、政策的に男女双方の労働への参与が推奨され、社会あるいは国家への貢献が期待されていたからである。そのため、社会主義的近代化推進期の中国では、中国では男女の役割分業と女性の社会的領域からの排除という事態がさほど意識されていない。 本報告では、この時期の女性の労働参与について分析している、先行的な研究を取り上げ、それらの研究の理論的枠組みについて検討しておきたい。現在、中国では西洋のフェミニズムやジェンダー研究に影響を受けた分析が増えてきている。家族研究や女性史、ジェンダー論の枠組みでの分析が幅広く展開しつつあるとはいえ、それらは、近代化初期か改革開放以降の転形期を対象とするものが多く、改革開放以前の集団化時代や社会主義的近代化の時期の分析は端緒についたところであると考えられる。ゲイル・ハーシャッターの『記憶とジェンダー――農村女性と中国集団化の歴史』は、欧米の研究者によって集団化の時期の記憶のあり方が分析対象とされたもので、比較的よく取り上げられるものである。さらに、おそらくハーシャッターの研究を受けて中国の研究者による女性労働者研究も展開されている。たとえば、佟新の『異化与抗争――中国女工工作史研究』などがあり、これらの研究の分析視点を抽出することで、社会主義的近代化推進期を政治闘争やイデオロギー論争と切り離して、社会変容の視点からとりあげる枠組みについて検討したい。
報告番号31
友情結婚の語りとイデオロギー――ロマンティックラブに抗する実践の言説分析
神戸大学 白井望人
【1.背景】日本において、男性に惹かれる男性(Men Attracted to Men:以下MAM)のうち、一定数は女性との結婚を選択する(日高 2024)。そしてその結婚は、結婚相手に自らのセクシュアリティを伝えるか、伝えないかによって大まかに二分される。前者のうち、男女双方が事前にセクシュアリティを開示し、原則として性行為を排してなされる結婚は日本において、「友情結婚」などと呼ばれ、近年になってメディアにも取り上げられ始めた(久保田 2022)。こうした結婚に関する研究で日本語圏のものは久保田(2022)のみであり、他には韓国の事例(Cho 2009)や中国の事例(Choi and Luo 2016; Wang 2019)の事例が挙げられる。また、中国ではMAMの夫のセクシュアリティを知らずに結婚した女性が自らを「同妻(tongqi)」と呼び、社会問題となっている(Sun 2024)。Zhu(2018)は「同妻」が既婚MAMを「詐欺師」と批判する言説に注目し、その背後に「愛」やセックス(生殖)を結婚と結びつけ、それが欠乏する場合に「裏切り」や「失望」が発生すると述べる。この批判は「愛」やセックスを介さない友情結婚への批判にも繋がり、先行研究も友情結婚を限定的ではあるが結婚と性愛の関係性を相対化すると評価したり(久保田 2022)、カミングアウトを前提とする西洋的な性的少数者像の、東アジアにおけるオルタナティブとして評価した(Zhu 2018; Wang 2019)。しかし、Zhu(2018)が指摘するように、性的少数者側の多くも性愛と結婚を結びつけるイデオロギーに賛同しており、その一部は友情結婚を批判することがある。一部の先行研究(Cho 2009)は、友情結婚への参入が性的少数者同士の付き合いの障害となる実例を紹介しているが、友情結婚が同性同士の関係にどのような影響を与えるのかはあまり注目されていない。【2.目的・方法】本発表では、友情結婚実践者・友情結婚仲介業者へのインタビューの予備的な調査を行い、その成果を報告する。具体的には、(1)友情結婚仲介業者「カラーズ」(2015-)の公式サイトに掲載されている成婚インタビュー記事、(2)「カラーズ」の運営者へのインタビュー記事、(3)その他の友情結婚実践者のインタビュー記事を収集し、友情結婚を勧めたり、実践したりする語りが友情結婚をどのようなものとして描いているのかを明らかにする。加えて、語られる要素の偏りにも注目し、友情結婚を取り巻く言説の問題点を指摘する。【3.結果】友情結婚を勧めたり、実践したりする言説は先行研究が指摘しているように、ロマンティックラブイデオロギーを解体するラディカルな実践として友情結婚を評価する傾向がある。こうした言説は、(特にマジョリティからなされる)友情結婚を批判する言説へのカウンターとして機能し、友情結婚への心理的な参入障壁を下げることに繋がる。しかし、行為そのものがラディカルだったとしても、(マジョリティ社会や、性的少数者の友人などの)周囲が実際に彼らをどう扱い、かれらがどう対応するかは別の問題である。インターネットなどで見られるこうした言説は、友情結婚当事者がロマンティックラブイデオロギーにどう対応するかを捨象しており、これは今後実施する当事者へのインタビュー調査によって明らかになる予定である。
報告番号32
親が子に行かせたい大学の条件――ヴィネット調査を用いた検討
立教大学 池田岳大
高等教育の進学率が上昇する一方で、依然として出身階層、地域、性別といった社会的背景によって進学機会には格差が見られる。とりわけ日本において顕著なのは、高等教育にかかる私費負担の高さである。私費負担率はOECD諸国の中でも極めて高く、公的支出が相対的に低いことに加え、給付型奨学金が限られ、貸与型が中心であるため、家計への負担は大きい。このような状況のもとでは、子の大学進学に対する親の意思や介入の役割が増すことが予想され、親の進学アスピレーションに注目する意義は大きい。 親の教育アスピレーションや教育投資行動に関しては、教育社会学、家族社会学、社会階層論の分野で多くの研究が蓄積されてきた。たとえば、学校外教育への投資(眞田 2022)や、親の教育期待や教育アスピレーション(片瀬 2005;藤原 2018;荒牧 2016)などがその代表である。これらの研究は親の子に対する大学期待の表れやそれを一部反映した教育に関わる行動、戦略について解明する試みとして重要な貢献をなしている。一方で、親が単に大学に行かせたいか否かだけでなく、「どのような条件の大学に子を進学させたいと考えるのか」という、進学先の選好に焦点を当てた実証研究は少ない。大学進学者の拡大や大学の多様化に伴って、同じ「大卒」であっても、取得されるスキルやブランド力の違いが卒業後のキャリアに大きく影響を与えることが指摘され、大学内部の格差に関する実証的な研究も増えている(平沢 2011;豊永 2018など)。とりわけ重要な要因としては大学が都市部に偏在していることや私立大学が量的に拡大したことを踏まえると、地域移動や学費に関する制約を考慮すること、さらには性別専攻分離の問題を考慮しつ進学先の性差に関する検討も重要といえる。 これらの課題を踏まえ本研究は、web調査モニターを対象としたヴィネット実験を用いて、親が子どもを進学させたいと考える大学の条件を実証的に分析する。今回独自調査を実施し、高校生の子をもつ親に対し、架空の大学に関する情報(専攻分野、授業料、所在地など)が記されたヴィネットカードを提示し、「この大学に子を進学させたいと思うか」を10段階で評価させる。各要素はランダムに提示されるため、親の評価に影響を与える要因を因果的に検討することが可能となる。また、調査では回答者の社会経済的属性や学歴情報も尋ねているため、これらの要因によって重視する大学の特徴がどのように異なるかを分析することが可能となる。
報告番号33
障害をめぐる社会教育活動における参加者の経験――国立市公民館の取り組みに着目して
上智大学大学院 鈴木菖
国立市公民館 井口啓太郎
本報告は、障害者を包摂する社会教育活動について、東京都国立市公民館における「コーヒーハウス」を事例として取り上げ、元参加者へのインタビュー調査を通して、参加者がそこでどのような経験をしたのか、そしてそこでの経験がのちの人生径路に及ぼす影響を明らかにすることを目的とする。それによって、国立市の障害をめぐる活動がどのように展開してきたのかを理解する手がかりとしたい。 国立市では、日本初の知的障害児・者施設である滝乃川学園があると同時に、障害者自立生活センターが設置されており、地域のなかで障害者が地域で当たり前に生活するための権利運動が展開されてきた。だが、国立市においては「障害者運動」ということばだけでは捉えきれない、障害をめぐる動きが展開されてきたことはあまり知られていない。その代表的な例として挙げられるのが、国立市公民館の「コーヒーハウス」の取り組みである。これは1970年代後半に公民館によって若年層を対象とした青年教育事業として開始された活動の総称である。それは「日常的な居場所や活動に障害者も当たり前に参加できる場」として構想され、障害の有無にかかわらず共に働くことができる喫茶コーナーもあわせて設置され、今日までその活動は続いている(井口2025)。 これまでの先行研究では、社会教育学の視点から、「コーヒーハウス」における学習の意義や方法の検討が主に行われてきた(兼松・高橋 1995)。その一方で、「コーヒーハウス」の活動の参加者が、様々な障害者運動が展開される国立という地域で、社会教育活動をどのように経験し、それがその後の彼らの人生径路にどのような影響を与えたのかについては、まだほとんど明らかにされていない。参加者の中にはその後に多様な障害者運動の担い手となっていった者もおり、彼らの経験を明らかにすることは、国立の多様な障害をめぐる運動を包括的に理解する手がかりとなるだろう。 調査方法は、「コーヒーハウス」の元参加者で、その後も国立市において障害をめぐる活動に継続的に関わりのある者5名を対象として半構造化面接法に基づくインタビュー調査を公民館職員と共同で実施した(なお、参加者のうち1名は身体障害者手帳を有している。)。主な質問項目として、「コーヒーハウス」に関わるまでの経緯、関わっていた時の経験、その後の生活やキャリアと「コーヒーハウス」での経験のつながりについてたずねた。その結果、青年期において障害者に対して「ボランティアというよりも対等な関係で関わった」経験や、公民館職員や他の参加者との学習活動が彼らにとって印象的なものとして捉えられていたことなどが語られた。本報告では、上記の参加者の個別的な経験を上位カテゴリーに分類したうえで、彼らの経験の特徴と、その経験が人生径路にもたらす影響について、詳細な分析を紹介したい。
報告番号34
滝乃川学園の現代史――地域支援を展開する入所施設の戦略
高崎経済大学 原田玄機
知的障害者福祉における「脱施設」「地域移行」の流れのなかで、入所施設は批判にさらされ続けてきた。このような批判を引き受けつつも、しかし、そのなかで職員として施設に残り続けて、各種の展開をしてきた人たちがいる。日本で最初の知的障害者福祉施設と言われる滝乃川学園は、それまでの伝統と時代の変化の双方に向き合わなければならなかったはずの存在である。 そこで本報告では、入所施設への疑問が強まるなかで、滝乃川学園はいかなる戦略をとってきたのか、という問いに取り組みたい。入所施設について、どのように批判を受け止め、どのような路線に活路を見出そうとしたのか。グループホームや相談支援といった地域支援を、いかなる意味で、どのような論理で作っていったのか。地域生活や社会福祉基礎構造改革が問題となる1990年前後から、障害者自立支援法・障害者総合支援法が成立・定着する2010年代までを対象として、この点を検討する。 分析の視角は、滝乃川学園にとって、何が準拠点だったのか、という点である。それは、脱施設化・地域移行や社会福祉基礎構造改革といった制度改革、社会福祉法人改革や「経営」、東京都や国立市といった自治体、東京都社会福祉協議会や愛護協会に関係する入所施設、さまざまな障害者運動、日本初という評判、教会・キリスト者や寄付者、職員のやりがいなど、さまざまなものが想定されうる。伝統のある施設にとって準拠点とすべきものは多く、そのなかでも滝乃川学園は、いかなる認識・論理のもとで、戦略的対応をとってきたのかを検討する。 主なデータとしては、法人がこれまで発行してきた資料と、職員への聞き取りを利用する。 滝乃川学園の事例は、必ずしも「運動」と表現されるものではない。ただ、国立やその周辺地域のなかで滝乃川学園は重要な位置を占め続けてきたと想定され、さまざまな障害者運動との相互の影響関係があったはずである。こうした関係を射程に入れることで、国立の障害者の歴史のなかに、滝乃川学園を位置づける。 このような作業を通して、第1に、これまで、ややもすれば過度に称賛もしくは批判されてきた滝乃川学園に正当な位置づけを与えることを目指したい。第2に、戦前を中心になされてきた滝乃川学園ないし知的障害者施設の歴史研究を、現代にまで射程を伸ばすことを試みる。この試みは、従来の知的障害者の歴史研究の蓄積を再検討し、それがもつ意味合いを明確にすることにもつながるものと思われる。
報告番号35
国立地域における「かたつむりの会」の実践
女子栄養大学 深田耕一郎
国立地域における障害者運動をふり返るときに、そのもっとも重要な存在のひとつが「かたつむりの会」であると考えられる。かたつむりの会は、府中療育センター闘争を経て地域に自立した、三井絹子氏と夫の俊明氏(以下、敬称略)によって結成された障害者運動団体であり、国立市にとどまらない、日本の障害者運動の展開に大きな影響を与えた団体である。本報告では、かたつむりの会の実践に着目し、その実践の意味を解釈したい。 ここでは簡単にかたつむりの会の運動展開を記そう。三井絹子は1945(昭和20)年、東京生まれ。生後、高熱が続き、脳性まひが身体に残る。20歳まで家族のもとで暮らしたが、1965(昭和40)年に、家族介護の困難から民間の施設に入所する。1968年に開設されたばかりの東京都立府中療育センターに移される。府中療育センターは医療施設としての性格が強く、抑圧的な管理体制が入所者を苦しめた。数名の入所者がセンターの管理体制に抗議の声をあげる。同じ時期、重度者を別の施設に移す計画が進められたことから、移転への反対運動がおこる。1972(昭和47)年には、その具体的な反対行動として東京都庁の庁舎前にテントを張り、座り込みを行う。そのテント行動を担ったのが三井絹子を中心とした入所者の有志グループだった。有志グループによる座り込みは1年9カ月続き、その間、東京都と複数の交渉を行った。この一連の過程が府中療育センター闘争である。 1974(昭和49)年、闘争は終結したものの、三井にとって生活の拠点はセンターしかなく、闘争後もセンターに戻らざるを得なかった。この頃、男性職員による入浴介助に抗議して、入浴拒否を行っている。また、地域生活を模索して住居探しを実行するが、強烈な差別と偏見にあい、住居探しは困難を極めた。 その後、1975(昭和50)年にセンターを出て、国立市において地域生活を始める。この年の10月に「くにたち・かたつむりの会」を結成、「地域であたり前に生きる」をスローガンに、地域を変革する実践を開始する。1983(昭和58)年には「かたつむりの家」を開設し、家族や施設からの自立を希求する障害者への支援を本格化させる。以後、様々な地域から、かたつむりの会をたよって障害者が集まり、その自立を後押しして行く。 なお、絹子は1969(昭和44)年に三井俊明と出会い、72年に結婚している(もちろん当時、絹子はセンターでの生活を余儀なくされたままだった)。センター退所後、絹子と俊明はふたりでの暮らしをはじめ、1979年に長女を出産。子育てをしながら、かたつむりの会の力強い活動を展開していく。 府中療育センター闘争をへて、地域自立を果たし、その後、地域の実践を展開していく過程は、日本の障害者運動を象徴する過程であり、社会的な文脈に位置づけるならば、ノーマライゼーション運動、脱施設運動、障害者解放=反差別運動として重要な意義を有している。また、今日的な視点から見れば、障害者、女性、貧困といったインターセクショナルな困難状況に置かれた当事者が、自ら言葉を獲得し、自己を回復して行く過程でもあっただろう。「人権」の剥奪状況から、自己の尊厳を奪い返し、生の実践のなかから新たな意味を付与することによって〈人権〉が生成されていったように思われる。当日は、この具体的な内容を、資料や三井へのインタビュー結果に基づいて報告する。
報告番号36
国立市における制度化以前の精神障害者支援――多摩棕櫚亭協会創設者の語りにみる地域支援実践のかたち
東京通信大学 櫛原克哉
東京通信大学 添田雅宏
【1. 目的】 東京23区の西部に位置する多摩地域では、高度経済成長期を中心に民間の精神科病院が相次いで設立され、今日も東京都全体の精神科病床の約7割に相当する約1万4,289床の病床を有している(東京都立多摩総合精神保健福祉センター 2024)。人口当たりの病床数の多さや長期入院、患者への不適切な処遇などの問題が指摘されてきた一方で、多摩地域では精神障害者の退院後の生活支援や就労支援等を行う、草の根的な活動も展開されてきた。特に国立市では、障害者作業所の制度化がなされていく以前の1987年に、精神障害者の共同作業所「棕櫚亭Ⅰ」(現・社会福祉法人多摩棕櫚亭協会(以下、棕櫚亭))が開設され、その後の精神障害者支援の先駆的な役割を果たしてきた歴史がある。本報告では、その活動の歴史を捉えるべく、創設者のうちの一名の語りに焦点を当てて考察する。 【2. 方法】2025年5月に、棕櫚亭を創設し長年活動を牽引してきた前理事長・天野聖子氏に、半構造化面接法によるインタビュー調査を行った。音声はすべて録音し、文字に起こしたものを分析した。 【3. 結果】棕櫚亭設立の原動力には、天野氏が精神科病院で看護師として勤務していた際に目の当たりにした、患者への非人道的な処遇への衝撃があった。病院ではない場での支援の可能性を模索し、仲間とともに作業所の設立を決意したという。活動拠点として国立市を選んだ背景には、「おしゃれ」な雰囲気があったことも語られており、既存の福祉のイメージとは異なる場を構想するうえで、文化的空間の存在も一つの契機となったと考えられる。病院勤務時代には、支援の理念や方針をめぐる支援者間の対立によって職場が分裂・疲弊していく経験もしており、棕櫚亭の組織づくりでは、その反省から意見の違いに対して「降りどころ」を探る姿勢が意識的に育まれていた。 棕櫚亭の支援実践では、支援者/利用者という区分を超えた「一緒に生きる」関係性が根づいていた。利用者は「メンバー」と呼ばれ、組織運営上の目標の共有や、日常的な困りごとへの協働的な対応を通じて、対等性が感じられる関係性が育まれていた。家具や絵画の販売といった独自のバザーも実施され、“福祉らしさ”として期待されがちな活動形式にとらわれない、自由闊達な実践も展開されていた。地域の講演では、メンバーに積極的に登壇してもらうなど、その存在を隠すのではなく、むしろ前面に出すことによって地域との自然な関わりが生まれていった。棕櫚亭は、支援者自身の「弱さ」や「頼ること」も許容される場でもあり、こうした相互性が組織内外で多様な生きづらさを抱えた人々にとっての居場所を形成していた様子もうかがえた。 【4. 結論】天野氏による語りを通じて浮かび上がったのは、障害者作業所制度化以前の時代において、“福祉らしさ”や支援者/非支援者の区分にとらわれず、柔軟で相互的な関係性が試行錯誤の中で育まれてきた地域実践の姿である。精神障害者の支援の場でありながら、それに固定されることなく、支援者自身の生や文化的感性を含めて「一緒に生きる」空間がかたちづくられていたことがうかがえた。このような実践は、いわゆる「運動」として語られることは少ないが、地域に根ざした場づくりの中で、“福祉らしさ”にとらわれない支援のかたちがどのように立ち現れてきたのかを考えるうえで、有効な視座を与えてくれる。
報告番号37
生活困窮世帯の子どもの学習支援における他者との「かかわり」と「捉えかえし」
名古屋市立大学大学院 松村智史
近年、生活困窮世帯の子どもの学習支援が広がり、大学生が多く参加している。大学生は、子どもと年齢が近いこともあり、勉強を教えるだけでなく、子どもの話し相手・相談相手、ロールモデルの役割などが期待され、人手不足に悩む団体の事情もあり、大学生の参加は、肯定的に語られることが多い。 しかし、生活困窮世帯の学習支援において、子ども―大学生の関係は、被支援者―支援者という、一方的で固定的な関係とは異なる。 子どもからみれば、教室に現れる大学生は、支援を職とする社会人の団体職員・スタッフとは全く別の存在である。一体何者なのか、どこからやってきたのか、なぜ教室にいるのか、どこまで自分や家族のことを知っているのか、心を打ち明けて本当に大丈夫なのか、といった疑問を常に感じさせ、団体スタッフと比べると入れ替わりも小さくない、不安定で、よく理解できない、曖昧な他者である。 反対に大学生からみても、漠然と、生活困窮や貧困というイメージはあっても、そのような様子を感じさせない子どもがいるなか、子どもの成育歴や家庭環境、学校の様子については、よくわからない。子どもの思いや様子に注意を払い、関係を探りながら、その時々の関係や態度を模索する。それは、大学生自身が、自分はどのように子どもに関わるべきなのか、自分に何ができるのか、ひいては自分は何者であるのか、ということを常に問い続けることでもある。 すなわち、子ども―大学生の関係は、お互いにその存在が曖昧で、理解できないところが小さくなく、その時々の状況によって関係が揺れ動く、不安定なものである。そのような、他者も自分も、「わからない」ことを引き受けた上で、子ども―大学生が、単なる支援者―支援者という一方的で固定的な関係を超えて、ひとりの人として、お互いに向き合う場が、生活困窮世帯の子どもの学習支援である。 しかし、その営為は、先行研究では明らかになっていない。 この点、参考になるのが、三井さよ(2023)(『知的障害・自閉の人たちと「かかわり」の社会学——多摩とたこの木クラブを研究する』生活書院)の議論である。三井は、ルーマンのコンティンジェンシー論の理論枠組みなどに依拠しつつ、「かかわり」、「捉えかえし」を重ねることで「ともに生きる」ことの意義や、一筋縄ではいかない多様なあり方を描き出している。相手は何を考え、こちらは何をしているのか、多様に掘り下げて考え、相手に働きかけてみて、さらに相手の反応を見てもう一度考える、といった動態を鮮やかに示している。同様のことは、先述のような特性を持つ、生活困窮世帯の学習支援を分析する上でも有益な視座を与えてくれる。 以上のような問題意識や視点を持ちながら、本調査では、多摩地域に位置し、国立市とも近いX市において、生活困窮世帯の学習支援を行うY団体の活動に参加している大学生へのインタビュー調査を行った。Y団体の活動は、福祉のニーズを抱える方へのX市の市民の活動が発展したものであり、本セッションのテーマである国立地域の障害者をめぐる市民運動の系譜に連なるものでもある。 インタビュー調査・分析の結果、生活困窮世帯の学習支援において、大学生が子どもとの「かかわり」、「捉えかえし」を通して、異なる他者と「ともに生きる」、多様な営為が浮かび上がった。
報告番号38
障害者運動の影響の一側面としてのアサーティブトレーニング
滋賀県立大学 中村好孝
本報告の対象は、アサーティブ・トレーニングを行うNPO法人アサーティブジャパン(以下AJ)である。AJは、1999年に国立市に事務所を開設(ただしコロナ禍の2020年に事務所を移転して、現在は住所としては国分寺市)、2004年にNPO法人化し、今日に至っている。AJはアサーティブ・コミュニケーションの研修事業や講師派遣事業を行っているが、その前史から障害者運動と関わりを持ってきた。 AJによれば、アサーティブとは、自分と相手を尊重しながら、自分の要望や提案を誠実に率直に伝えるコミュニケーションの手法である。アサーティブ・トレーニングには、心理学やセラピー的な路線のものもあるが、AJの特徴は人権思想である。そもそも英米の古典的なアサーティブ書(邦題は『自己主張トレーニング』『第四の生き方』)の原題は、それぞれYour Perfect RightとA Woman in Your Own Rightであり、AJは後者の著者アン・ディクソンに影響を受けている。またAJがまとめる「12の権利」には「私には、能力のある対等な人間として、敬意をもってあつかわれる権利がある。」というものがあり、これは障がい者女性にとって大きな意味があったと、AJは位置づけている。 AJがこのように人権思想を土台に置くようになっている一つの大きな要因は、立ち上げ者かつ現在の代表理事である森田汐生が、AJとしての活動が始まる以前から、自立生活する障害者の運動と関わりがあったことである。森田は、当時アサーティブという言葉は知らなかったが、最初に実践としてのアサーティブを見たのはその時のことだったと語っている。そのため、初期のアサーティブ・トレーニングでも障害者と健常者のコミュニケーションなどを扱ってきた。そして、自立生活運動譲りのとも言えるいわば社会運動志向は、企業などへの講師派遣事業が増えた現在でもAJのアイデンティティとして意識されており、そこにはジレンマも見られるように思われる。 運動から影響を受けたことが一つのきっかけとなり、アサーティブ・トレーニングの活動が始まり、そしてそのトレーニングは障がい当事者にも意味のある活動となり、現在では企業研修などの分野に活動を拡げているが、コミュニケーションによって良い社会を作るというアイデンティティをいかに失わないかという課題に取り組んでいる。このようなAJの歴史を振り返ると見えてくるように思われるのは、障害者運動が別の分野にもたらした影響である。
報告番号39
Aro/Ace当事者のカミングアウト経験とその反応――オープン型ウェブ調査「Aro/Ace調査2024」の結果から
大阪大学大学院 三宅大二郎
【目的】 他者に恋愛感情を抱かない「アロマンティック」と他者に性愛感情を抱かない「アセクシュアル」、そして関連する多様なセクシュアリティを「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム」または「Aro/Ace」と総称することがある。性的マイノリティの一つとして捉えられることが多いものの、日本におけるAro/Aceのカミングアウトに関する研究は不足しており、量的調査ではとくに少ない。自身のセクシュアリティを伝えるカミングアウトは、当事者の経験という側面だけでなく、カミングアウトを受けた側がどのように反応するかという相互的なプロセスである。カミングアウトを受けた際の反応は、非当事者が他者に恋愛/性愛感情を抱かないというセクシュアリティやそのアイデンティティに対して、どのような認識をするかを検討する上で重要な指標となりうる。そして、それは社会における恋愛/性愛に対する認識や規範を議論するための示唆を提供すると考えられる。そこで、本報告ではAro/Ace当事者を対象としたオープン型ウェブ調査の結果を用いて、カミングアウトに対する反応を類型化することを目的とする。 【方法】 Aro/Aceの調査・啓発団体As Loopが2024年11月に実施した「アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2024」(n=2,571)を使用する。調査は(1)Aro/Aceを自認している、またはそれに近い、そうかもしれないと思っている、(2)日本語の読み書きをする(国籍、居住地は問わない)、(3)年齢が回答時13歳以上に該当する人を調査対象者として明記した上で、団体サイトやSNS等で周知し、ウェブ上のアンケートフォームを用いて回答を収集した。本報告ではカミングアウト経験の有無、カミングアウトした相手(複数回答)、相手の反応(自由記述)の結果を用いる。相手の反応についてはKJ法(川喜田 1986)により分析した。 【結果】 カミングアウトをしたことが「ある」は63.7%、「ない」は36.3%だった。カミングアウトの相手の回答数上位5つは「学校の友人(同級生、先輩、後輩)」(49.2%)、「インターネットで知った友人」(45.9%)、「母親」(26.5%)、「上記以外の友人」(26.2%)、「パートナーおよび元パートナー」(21.2%)だった。相手の反応は5つの大カテゴリーと40の小カテゴリーにまとめられた。大カテゴリーの内訳は「受容」(70.3%)、「主体的な反応」(17.7%)、「アイデンティティの否定」(21.6%)、「カミングアウトの無力化」(18.4%)、「ネガティブな評価」(4.6%)、「関係性の変化」(1.3%)に分類された。小カテゴリーの分類および結果については当日に報告する。 【考察】 Aro/Ace当事者のカミングアウトに対する反応は、受容の割合が相対的に高いものの、アイデンティティそのものの否定やセクシュアリティに対するネガティブな評価を受けることもあることが示唆された。また、小カテゴリーの分類数から、反応の多様さが明らかになった。報告当日はより詳細な分析結果を提示する予定である。 【文献】 川喜田二郎,1986,『KJ法 : 渾沌をして語らしめる』中央公論社.
報告番号40
2000年代における日本語圏のアセクシュアル用語の未規定性による包摂のあり方――アセクシュアル当事者の語りの分析を通じて
立命館大学大学院 長島史織
目的:他者に対して性的惹かれを経験しないアセクシュアルについて、日本においては、2000年代以降にオンラインを中心に発展してきた歴史がある。しかし、1990年代には「Aセクシュアル」という用語が使用されていたことがあり、性的マイノリティのコミュニティ内にもアセクシュアル当事者が存在していたと考えられる(性意識調査グループ編 1998)。英語圏においては、2000年代には「性的に惹かれるという経験をしない人」(AVEN)という定義に統一されることとなった。同時期に日本でもアセクシュアルの定義をめぐって議論がされたが、2ちゃんねるや個人サイトなどのウェブ上のデータを分析した松浦(2025)によれば、時期によって呼称や意味合いが異なっていたことが指摘されている。本報告では、1990年代および2000年代におけるアセクシュアル・コミュニティの状況を検討し、当時ウェブ上で活動していた当事者らへのインタビューから、アセクシュアルの呼称や意味がどのように用いられ議論されていたかを明らかにすることを目的とする。 方法:2025年に報告者が実施した半構造化インタビューに基づき、1990年代から2000年代にかけてアセクシュアル・コミュニティに関与していたアセクシュアル当事者およびレズビアン・コミュニティに所属していた活動家2名の語りを収集した。インタビューの内容は、性的指向や「アセクシュアル」を知った経緯、自認に至る過程、当時のコミュニティの様子などに関するものである。得られたデータは逐語録化し、分析を行った。 結果:1990年代にレズビアン・コミュニティで活動していた対象者の語りによれば、アセクシュアル当事者がコミュニティ内に存在していた可能性はあったことが示唆された。また、2000年代を中心に活動していた対象者の語りからは、当時、統一された呼称や意味合いは存在せず、個々の当事者が自らの言葉で自己表現し、意味づけを行っていたことが明らかとなった。さらに、英語圏の概念が広まる以前には、「アンセクシュアル」や「ノンセクシュアル」といった日本独自の用語や意味合いが用いられ、多様な在り方が包摂されていた。 考察:1990年代のレズビアン・コミュニティは、女性を性的欲望の主体とみなさない「性の二重規範」への対抗を強く指向しようとしていたため、その裏返しとして、他者への性的惹かれを前提とする「強制的性愛(compulsory love)」の規範が作用していたと考えられる。 一方で、2000年代以降、日本においてアセクシュアル・コミュニティが発展していく中で、mixiやオンライン・コミュニティなどを介して、当事者間では多様な呼称や意味づけがなされていたことが語りから読み取れる。2000年代に当事者によるコミュニティ運営が行われるようになっても、英語圏とは異なり、組織的には展開には至らず、定義自体が揺れていたことが浮かび上がった。報告当日は、これらの語りを通じてアセクシュアルの定義が揺れていた中で、当事者がいかにして自身のセクシュアリティを規定してきたのかを明らかにする。 文献:性意識調査グループ編,1998,『310人の性意識――異性愛者ではない〈女〉たちのアンケート調査』七つ森書館. 松浦優,2025,『アセクシュアルアロマンティック入門――性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち』集英社.
報告番号41
違和なきトランスネスを考える――ノンバイナリー/アセクシュアルから考える身体の物質性
東京大学大学院 佐川魅恵
【目的】1990年代以降登場する英語圏におけるトランスジェンダー運動およびその理論において、「物質性(materiality)」という概念は中心的な理論的位置を占めてきた。なかでもジェイ・プロッサーの著作『第二の皮膚』(1998)は、ジュディス・バトラーによるジェンダーの行為遂行性(performativity)に基づくクィアなトランス像に異議を唱え、身体の物質性を対抗的に位置づけた点で、その後のトランス理論の展開に大きな影響を与えた。プロッサーが依拠する身体の物質性とは、トランスセクシュアルが抱く「間違った身体」という感覚に確固たる基盤を与えるものである。しかしこうした物質性の一次性に基づく訴えは、ゲイル・サラモンが指摘するように、身体がいかにして意識の対象となるのかを捉え損なっている。また、身体違和を伴わず、特定のジェンダー・アイデンティティを持たないトランス/ノンバイナリーの身体経験は、これまでの理論的枠組みの中では十分に位置づけられてこなかった。本報告は、このような問題意識にもとづき、必ずしも身体違和を伴わないトランスの身体に関する語りを分析し、プロッサーが依拠するトランスセクシュアルの自伝的語りとは異なる、かれらに特有の身体の「感じられ方(felt sense)」を明らかにするとともに、それをトランス的身体の一形態として理論的に位置づけることを目的とする。【方法】本報告は、2022年6月から2024年8月にかけて実施した、21名のノンバイナリーを対象としたインタビュー調査に基づいている。分析の焦点となるのは、性別化された身体から距離のある語りである。これは、生物学的身体を自己の内面やジェンダーの指標とはみなさず、社会的に与えられた外部的分類としてのみ把握するような態度を指す。こうした語りは、アセクシュアル的な感覚を有する者に特に多く見られ、本報告ではこれを「宇宙人的身体観」として概念化する。そして、この「宇宙人的身体観」が、物質性に依拠した「間違った身体」という身体の他性の感覚とどのような関係にあるのかを、バトラーの物質性に関する議論を参照しながら検討する。【結論】かれらの語りが示すのは「物質性の不在」であり、自身の身体をジェンダー化されたものとして感じるとき、そこにはすでに身体への特定の感情的投資があることが逆説的に示される。身体違和の不在は必ずしもシス的身体化を意味しない。むしろ、アセクシュアル/ノンバイナリーの語りにおける、性別化された身体に対する感情的投資の欠如は、物質性に基づいたシスともトランスとも異なる、特異な身体のフェルト・センスとして現れる。これは、身体がアイデンティティの真実を語る場であるという、プロッサー的な物質性によって示されるものとは対照的である。これらの語りを理論的に検討することは、身体の他性と同一化の関係、さらにはアセクシュアルの視点から欲望と同一化/主体化の関係を探求する契機となると同時に、シス/トランスという境界そのものを再考する新たな視座を提供するものである。
報告番号42
アロマンティック・アセクシュアルと親密な関係性の構築についての考察――小説『恋せぬふたり』の分析を通じて
上智大学大学院 関口麗美
【1.目的】 現代社会において、性別役割に基づいた行動は、親密な関係性を築くための意志表示の方法として定型化されてきた(高橋 2024)。そのため、恋愛的あるいは性的な惹かれを他者に抱かない、アロマンティック・アセクシュアルを自認する人々が他者と親密な関係を構築する際、異性愛規範は、関係性の形成に困難を生じさせてしまう(佐川 2024)。本報告は、アロマンティック・アセクシュアルを自認する人々による親密な関係性が、異性間の性愛を前提とする社会において、メディア上でいかに表象されているかを考察するものである。 【2.方法】 本研究では、アロマンティック・アセクシュアルの男女が主人公である小説、『恋せぬふたり』(吉田恵里香著、2023年、NHK出版)の内容分析を行った。本作品は、NHK総合で2022年1月10日~3月21日 にかけて全国放送された同名テレビドラマが元になっている。「家族カッコ仮」と名付けられた性愛に基づかない親密な関係性が、どのようなプロセスを経て形成され、登場人物たちによってどのように意味づけられていくのかに着目し分析を行った。 【3.結果】 本作では、主人公の二人が、親密な関係性を築く際に、自分たちにとって何が「相容れない」ものか、すり合わせを行っていく。その際に、周囲のキャラクターとのやりとりを通じて、異性愛関係や既存のジェンダー役割が相対化される。「家族カッコ仮」と名付けられた主人公たちの関係性は、性別役割や異性愛を前提とする規範から距離を置き、一個の人格として互いを尊重し、家事を分担するなどといった、互いをケアしあうものであった。ただし、物語の終盤では、女性主人公が男性の「イエ」を守るような描写が見られたため、家父長制と結びついて、どのようなことがらが再生産されたかについても検討がなされた。 【4.結論】 アロマンティック・アセクシュアルの男女を通じて描かれた親密な関係性は、恋愛/性愛という、異性愛者間での親密さを成立させる概念から解放されたかのように描かれている。その一方で、男女間かつ自立した成人間でのケア関係を成立させ、周囲の異性愛者からの「理解」を得るために、主人公たちは自分たちの関係性に「家族カッコ仮」という名付けをせざるを得なかったともいえる。『恋せぬふたり』は、ロマンティック・ラブ・イデオロギーを前提とした家族観と親密性の限界や、恋愛/性愛を切り離した先での男女の役割の揺らぎを描くことで、現代における「親密性」のあり方を問い直す、思考実験的な作品であった。 【参考文献】佐川魅恵,2024,「親密さの境界を問い直す――アセクシュアルとノンバイナリーからみる『恋愛/友情』の(不)可能性」『現代思想』青土社52(9),78-86./高橋幸・永田夏来編著,2024,『恋愛社会学――多様化する親密な関係に接近する』ナカニシヤ出版./吉田恵里香,2023,『恋せぬふたり』NHK出版.
報告番号43
「周辺」からみる多文化時代の「日本人」アイデンティティ――外国人集住地域における「境界」形成過程と要因
一橋大学大学院 大島隆
日本に住む外国人数は2024年末で370万人を超え、過去最多を更新し続けている。移民の定住化が進み、2世や3世を含め日本の人口が多様化する一方、「日本人」と「外国人」とを区別する二分法はいまなお根強く残るといわれている。特に外国人住民が増えた日本の地域社会においては、受け入れ社会側住民のこうした二分法的な見方が他者化を正当化し、両者の相互行為を限定させる境界の設定につながる場合がある。 「わたしたち」と「かれら」はなぜ区別され、その境界はどのように引かれるのだろうか。本報告は、住民4000人強の過半数が外国籍である埼玉県川口市の大規模団地を事例に、こうした問いへの答えを探るものである。古くから住む日本人住民が、新たに移り住む外国人住民たちを「異質な他者」とみなす傾向に着目し、古参住民たちが境界をつくりだしていく過程とその理由を、住民へのインタビューと長期間の居住を通じた参与観察によって調査した。 古参住民の間には、生活習慣の違いとその原因としての文化的差異を強調することによって、他者化を正当化する傾向がみられる。ここではエスニシティの違いは二分化の原因という側面よりも、二分化のための判断基準として積極的に見出され、使われている側面が大きい。差異を強調し他者化をしていく古参住民たちの意識と行動は、外部からもたらされる「日本人」対「外国人」という二分化された見方や、外国人を潜在的な脅威とみなす言説などによっても、補強あるいは規定されている。 また、団地完成当時から40年以上住む古参住民たちは、地域共同体の成員としての「私たち団地住民」という意識を強く持つ。外国人住民が増えたことに伴い、この「団地住民」というローカルアイデンティティは「日本人」というアインデンティティと一体化し、古参住民の意識における「団地住民」とは、事実上日本人であることが成員資格となっている。 古参住民の中には自分たちが周縁化されていると訴える住民がいる。これは古参住民にとっての地域共同体の成員資格を踏まえたものであり、自分たち古参日本人住民が中心的あるいは優越的地位を保つべきであるという意識と表裏一体となっている。一方で、古参住民の周縁化意識は、日本人住民の多くが若く、団地で様々な活動が行われて活気にあふれていた時代への郷愁と共にしばしば語られる。古参住民への聞き取り調査では、周縁化を意識させる何らかの実体験は、むしろ日本人住民の減少や自身を含めた日本人住民の高齢化によってもたらされており、「外国人住民の増加による日本人住民の周縁化」という当事者たちの言説は、日本の地域社会の衰退という要因を踏まえて検討する必要がある。
報告番号44
「周辺」からみる多文化時代の「日本人」アイデンティティ――「日本人」をめぐる朝鮮半島系の「オールドカマー」移民の語りを事例に
一橋大学大学院 柳川大貴
本発表では、日本による朝鮮半島の植民地化(1910-45年)を背景に日本本土へ渡った朝鮮人を先祖に持つ人々のアイデンティティをめぐる語りから、「日本人」をめぐる意味を検討する。2024年末、在日外国人人口は前年比で10.5パーセント増加し過去最高の376万8,977人を記録するなど(出入国在留管理庁 2025)、近年日本への人の移住が加速している。そうした中、日本に来る移民に着目した研究が数多く蓄積されている。これら日本の移民研究では日本社会の構成員の多様化を背景に「日本人」と呼ばれる人々ですら異なる出自を持つ人々が含まれるなど一枚岩とは言えない状況が指摘されてきた(佐々木・駒井 2016等)。一方、人々が「日本人」をどのように理解し本質的な存在として意味付けるのかに着目されることはなく、「日本人」と「外国人」という二つの異なるカテゴリーを所与のものとする前提が維持されている。そうした先行研究の課題をめぐり本発表では1970年代以降に増加した「ニューカマー」と呼ばれる移民に対し「オールドカマー」と呼ばれる朝鮮半島に出自を持つ人々を事例に検討する。これら朝鮮半島系の「オールドカマー」移民の人々は一般的に「在日朝鮮人」などと呼ばれる。朝鮮半島が日本の植民地とされた戦前には被植民者として、また旧植民地の独立を機に日本国籍を剥奪された戦後には外国籍者として様々な社会的な機会から排除されるなど歴史的に厳しい差別と抑圧に晒されてきた。一方で、1980年代ごろから教育水準や就職・収入面などで「日本人」との社会・経済的な格差が縮まってきたとも指摘され(金・稲月 2000; Higuchi 2016)、近年では構造的に日本社会へ同化した存在となってきた (Lim 2021)。それでは、これらの朝鮮半島に出自を持つ人々にとって「日本人」との社会・経済的な格差の解消は「日本人」との平等を獲得したと認識されているのだろうか。この問いに答えるべく発表者は第2世代から4世代の朝鮮半島系の「オールドカマー」移民の人々とのインタビューを通じ、かれらが「日本人」と「在日朝鮮人(もしくは朝鮮半島に出自を持つもの)」をぞれぞれいかに理解しどのような意味付けをしているのか考察する。本発表の対象である朝鮮半島系の「オールドカマー」移民の人々は韓国・朝鮮・日本籍者を合わせると約100万人に及ぶとも言われ、日本で最古且つ最大規模の移民集団の一つである。そのため、かれらを事例とした検討は今後さらに日本での生活が長期化する「ニューカマー」移民の社会統合を検討する上でも有益な示唆を持ち得ると考えられる。 参考文献 金明秀・稲月正,2000,「在日韓国人の社会移動」高坂健次編『日本の階層システム6階層社会から新しい市民社会へ』東京大学出版会. 佐々木てる・駒井洋,2016,『マルチ・エスニック・ジャパニーズ––〇〇系日本人の変革力』明石書店. Higuchi, Naoto, 2016, “Dynamics of Occupational Status among Koreans in Japan: Analyzing Census Data between 1980 and 2010,” Seoul Journal of Japanese Studies, 2(1): 1-25. Lim, Youngmi, 2021, “The Ethnic is Still Political: Collective Action in the Age of Zainichi Korean Population Decline in Contemporary Japan,” Culture and Empathy, 4(1): 60-81.
報告番号45
「周辺」からみる多文化時代の「日本人」アイデンティティ――日本とフィリピンにルーツを持つ者の帰属意識に関する研究
一橋大学 工藤麗奈クリスティン
“現代日本において、「日本人」と「外国人」という二分法が根強く残るとされる一方、多文化なルーツを持つ人びとが増加し、日本社会の人口構成は着実に変化している。とりわけ「ハーフ」や「ミックス」と呼ばれる人びとの存在はその象徴ともいえるだろう。本発表では、日本とフィリピンにルーツを持つJapanese-Filipino(以下、JF)を対象に、その人びとがどのように自己の出自や「日本らしさ」を捉え、アイデンティティや帰属意識を形成しているのかを探る。
JFの多くは日本人の父とフィリピン人の母を持ち、血統主義をとる日本の国籍法では成人前に日本人の親の認知があれば「日本人」として法律上でみなされる。しかしながら同時に、その人びとの生活状況や社会的位置づけは多岐にわたる。日本で生まれ育った者、フィリピンから来日した者、フィリピンに居住しながら日本の親族を探す者、日本人父親に認知されていない者など、JFの経験は幅広い。
本発表では、JFの語りや経験を通じて、「血縁」や「親族関係」(kin, kinship)がいかに構築され、あるいは拒絶・断絶されるのかを明らかにする。日本の親族との再会や断絶の経験、戸籍や認知の有無、家族との空間的距離の問題は、JFらの「誰とつながっているのか」「どこに帰属するのか」という意識に深く関わっている。また、JFはしばしば日本とフィリピンを行き来し、国境を越えたモビリティやトランスナショナルな社会空間のなかで自己を形成している。こうした傾向は、「日本らしさ」や「家族」の制度的・文化的前提を相対化し、ナショナルな枠組みを捉え直す契機になる。
本発表では、特に、Janet Carsten(2000)の親族関係とは社会的に構築されるものであるという視座から、JFがどのようにして血縁・感情・承認をめぐる関係性を日常のなかで編み直しているのかを描き出す。それは単に「日本人か、フィリピン人か」をめぐるはざまにいる人びとのラベリングの問題ではなく、国籍や認知の有無といった制度的枠組みのなかで、親族が選別され、親族関係が可視化・不可視化されるプロセスであるのと同時に、帰属意識やアイデンティティがいかに再構築されるかを問うものである。加えて、1970年代以降のフィリピンの出移民に占める女性の割合の上昇に伴って性の烙印を押された彼女らとJFがトランスナショナルな社会空間のなかで、スティグマと社会移動を経験する過程も描き出す。
研究方法としては、日本に在住するJFへのインタビュー調査に加えて、自らがJFである著者のオートエスノグラフィーに基づいている。こうした調査を通じて「日本人」「日本らしさ」という語りの前提や限界を可視化し、そこから排除される存在JFの位置付けから、「日本人」を問い直す。
参考文献:
Carsten, Janet. 2000. Cultures of Relatedness: New Approaches to the Study of Kinship. Cambridge University Press.”
報告番号46
「周辺」からみる多文化時代の「日本人」アイデンティティ――中国帰国者における「日本人」「中国人」の境界交渉実践を事例に
一橋大学大学院 山崎哲
中国帰国者にとって、「日本人であること」と「中国人であること」の境界をめぐる意味交渉は世代を越えて引き継がれてきた実践である。中国帰国者とは、日本に永住帰国した中国残留日本人(中国残留孤児・婦人等)とその家族をいう。戦前に旧満洲地域に移動した、または、現地で生まれた日本人のうち、戦後も日本に帰ることができずにそのまま中国に留まることを余儀なくされ、1972年の日中国交正常化を機に日本へ帰国した人々は中国残留日本人と呼ばれる。数十年間に亘る中国残留により、中国語を使用し中国文化とともに生きてきた日本人となったが、日本永住帰国後は「中国では日本人と言われ、日本では中国人と言われる。自分は一体何人なのか」というアイデンティティの混乱が生じることとなった。日本人=日本国籍=日本語=日本文化という図式が強固な日本社会において、中国語を話し、中国文化を生きる日本国籍の「日本人」は中国人と人種化され、他者化されてきたのである。二世らも同様に、「日本人であるのか、中国人であるのか」というアイデンティティの揺らぎに直面することとなった。中国帰国者らにとって、中国帰国者である自己をいかに規定し他者へ示すかという情報および印象管理は、日本社会や他者と自己との関係によって規定される実践となってきたのである。安場淳(2022)が、「帰国者であることを名乗ることは、「限りなく『日本人』であることを求められ、自らもそう志向しながら、限りなく『中国人』に近い存在」であると自ら認めることになる」と指摘するように、中国帰国者は日本人と中国人のはざまを揺れ動きながら生きてきた。このような状況は、三世においても続いている。現在、三世の多くは日本生まれであり、第一言語は日本語、また、日本名を使用する者が多く、外見的な面からも日本人と認識される者が多い。しかしながら、またはそれによりかえって、三世らの「日本人アイデンティティ」に混乱が生じている。日本人として認識され生きてきた自己のうちに中国にルーツを持つ者としての自己規定をいかに行い、それを他者に示していくかの方法がわからず、中国人でもある自己として振る舞うことがためらわれ、沈黙することを選択しているのである(山崎2024)。本報告では、中国帰国者がいかに日本社会において日本人および中国人の境界をめぐる交渉実践を行っているのか、それはどのような要因が作用しているのかについて検討する。これにより、「日本人アイデンティティ」「日本らしさ」を“エスニック・マイノリティ「日本人」”という中国帰国者の経験から改めて検証する。【文献】安場淳(2022)「葛藤から公正な共創へ−中国帰国者の家族史が語り継がれない背景を巡って」『異文化間教育』(55) 12-31./山崎哲(2024)「「見えにくいマイノリティ」の移動をめぐる内的世界を照らす−中国帰国者三・四世のライフヒストリーを手がかりに−」『異文化間教育』(59) 57-76.
報告番号47
「周辺」からみる多文化時代の「日本人」アイデンティティ――ムスリム第二世代の経験から
慶應義塾大学大学院 クレシサラ好美
報告者は、日本に暮らすムスリム第二世代(以下「第二世代」)を研究の対象とする。かれらは、1980年代以降のニューカマー流入を経て形成されたムスリム家庭に生まれ、日本で社会化された子どもたちである。その数は約8万人と推計され、増加傾向にある。顔立ちや肌の色といった外見的差異による排除の経験を重ねることは、他の外国ルーツの子どもたちに共通するが、ムスリム第二世代はそれに加え、宗教的背景による差異を意識する場面が多く、社会からの偏見にも晒されている。 例えば、ムスリムが生活の指針とするイスラームには、食の禁忌や女子の服装規定など、日本にはなじみのないルールがいくつかある。第二世代の多くは給食の代わりに弁当を持参し、打ち上げや修学旅行への参加も難しい。女子は肌の露出を控えるため、制服のスカート丈を極端に長くして、夏でも長袖長丈の体操着を着用する。異性とのかかわりを避けるため、教室の座席を男女が隣り合わないよう要望する家庭もある。いずれも、ムスリムがマジョリティの国では文化や習慣のひとつとして当たり前に実行されている簡単なルールであるため、親世代はこれを子に課すことを当然と考えるが、日本で学校生活を送る第二世代にとっては周りの誰とも異なる行動を強いられることになり、周囲との差異を意識することになる。当然ながら、これを理由としたからかいやいじめも起こりがちで、ムスリム家庭に生まれたことを嘆く者は少なくない。一方社会には、一部の過激な集団とイスラーム全体との混同による偏見が蔓延しており、街中で見知らぬ人に「日本から出ていけ」と叫ばれたり、級友から「爆弾魔」や「テロリスト」と揶揄されたり、ときに配慮のない教員によって逃げ場のない教室で居心地の悪さに耐えなければならないといった経験をするムスリム第二世代は非常に多い。 そうした経験を重ねたムスリム第二世代が、自身がムスリムであることを隠し、またそれを想像されないよう親の出身国を偽るという事例はよくみられるが、自身のルーツを肯定的に受け容れられないことは、「自分とは何者か」という青年期の問いに答えを見つけることを困難にする。さらに、幼い頃から常に周縁化を経験してきたかれらは、「みんなと同じでいたい/日本人になりたい」という同化願望を強く抱えており、家庭で期待される「よきムスリム」としての生き方との狭間で葛藤を繰り返し、アイデンティティの混乱に陥りやすい。ムスリム第二世代もまた将来の日本社会をけん引する一員として健全な発達が期待されていることはいうまでもなく、かれらの孤独や不満を理解する視点が社会に広がっていく必要があるだろう。
報告番号48
ポジショナリティにおける事実性をめぐる問題――ポジショナリティをめぐる社会学的課題(1)
大妻女子大学 池田緑
ポジショナリティは、社会的属性や帰属が固定的な社会集団間に権力関係が存在し、それがそれぞれの集団に属する個人の間の関係に権力作用として現れる様相を捉える概念である。本報告を含めた5報告は、共同研究として実施した日本社会におけるポジショナリティの定量的調査および定性的調査の結果を念頭に、ポジショナリティについての社会学的課題を提起することを目的とするものである。 ポジショナリティを考察する社会的意義は、ポジショナリティによって指し示される社会的位置(集団と個人との社会的結合状態)と、それに伴う集団的利害の布置を明らかにすることによって、それらの社会的な現実を前に、権力関係や不平等を解消するための共通了解・共通認識を形成する基盤を提供することにある。そのような権力と利害についての“事実”の共有によって、ポジショナリティの相違を超えた協働がはじめて可能となるからである。そのような共通了解を欠く場合、しばしばポジショナリティの相違と集団的利害の忘却を原因とする齟齬や係争が発生する。ポジショナリティを明示することは、これらの係争を事前に回避することにも繋がる。 ポジショナリティの相違を超えた共通了解形成のためには、それぞれのポジショナリティと、集団間の権力関係が個人間の関係に投射される権力作用についての“事実”の共有が前提となる。“事実”の共有がなされなければ、共通了解とポジショナリティの相互理解は困難となる。しかし、共同研究として行なった日本社会への定量調査(「日本における社会的多様性に関する意識調査」2019年・2022年)および韓国調査(「韓国社会の社会意識についてのアンケート調査」2023年)からは、集団間の権力関係の実態に対する認識(事実判断)そのものに、ポジショナリティによる偏りや影響が存在する可能性が示唆された。 この認識差は、ジェンダーについての両性間、および沖縄への基地集中をめぐる日本人と沖縄人との間においてみられ、いずれも被抑圧側においては現実の判断が明確に行われている(格差や差別の存在が明確に意識されている)のに対して、抑圧側においては格差や差別の否定や判断留保の傾向が顕著であった。定量的調査における意識項目は中立的回答が増加する傾向はあるが、地域によって回答傾向に有意な差が見られたことは、ポジショナリティの基礎となる事実の解釈において、ポジショナリティの様態と集団的利害の布置によって異なる傾向が存在する可能性を示唆するものであった。 このような相違がなぜ発生するのか、本報告では日本と沖縄の事例、性差の事例を中心に、その機序を考察する社会学的な概念枠組みの検討を行う。それに際して、言説的優位性(江原由美子)とレリヴァンス(シュッツ)の2つの概念を援用し、主にマジョリティ側において、集団間あるいは個人間の権力作用を“事実”として認識する際に、ポジショナリティが自然的態度にどのように影響を与え、生活世界を構成しているのかという観点から検討を行う。それらによって、ポジショナリティによる“事実”の認識の差が、ポジショナリティを超えた共通了解に与える影響について、基礎的な分析枠組みを考えたい。 本報告の元となった研究は、JSPS科学研究費助成事業・基盤研究(B)(課題番号21H00774)による助成を受け行なった。
報告番号49
ポジショナリティの視点からみるジェンダー意識と移民に対する意識――ポジショナリティをめぐる社会学的課題(2)
静岡大学 定松文
ポジショナリティは、社会的属性や帰属が固定的な社会集団間に権力関係が存在し、それがそれぞれの集団に属する個人の間の関係に権力作用として現れる様相を捉える概念である。そのことを踏まえて、2022年日本と2023年韓国において実施した定量調査のデータを比較しながら、ジェンダーに関する意識と外国人との共生に関する意識に関するポジショナリティの相違について提示する。 2025年国際エコノミック・フォーラムのジェンダーギャップ指数において、日本は148カ国中118位、韓国は101位であり、先進国といわれる中でジェンダーに関しては不平等のままである。また、日本も韓国も人口減少と高齢化に直面し、移民を受け入れなければ社会が成り立たなくなりつつある。 2019年の日本での計量調査において、女性の働き方や社会的地位に関する考え方に関しては、男女によって異なる解答が見られ、女性が性別による役割・職業分類を否定するのに対して、男性は性別役割分業に肯定的な傾向がみられた。また、介護に関しては職業としての女性比率は高いものの、介護保険法成立から20年以上がたち、介護を担う当事者として性別を問わなくなっているとわかる。すなわち、介護の社会化および介護という逃れられない被投制(thrownness)がジェンダー平等の認識を生み出しているということが見られた。また、社会的評価のジェンダー差認識は、「現にあるもの」と「あるべきもの」の差を明確に示している。特に職場において男性のほうが優遇されている/評価されていると感じているのは、30代以上の女性はそうだと感じており、男性はそれほど感じていない。男性という優位な立場に立っているマジョリティは、マイノリティの「現におかれている状況」に鈍感であり、「あるべき状態」に無関心にふるまえることを示している。男性は無意識のバイアスをもち、先に挙げたジェンダー不平等な状況を「問題ない」と考える傾向があるということだ。 2022年日本と2023年韓国の計量調査において、ジェンダーに関する設問のいずれにおいても、日本より韓国のほうが性別役割分業感が強く、韓国のほうが男女による人生に差があるとは思っておらず、法によるジェンダー平等政策を肯定する度合いが高かった。外国人に対する意識に関して、日本より韓国のほうが労働者としても住民としても共生することに肯定的であり、外国人の権利保障に関しても保障すべきとする割合が高かった。両国の比較からは、権利意識の差が確認された。単純集計の結果はどのようなポジショナリティによるものなのか、性別、年代、支持政党などのカテゴリーとのクロス表および相関関係分析等から考察する。 本報告の元となった研究は、JSPS科学研究費助成事業・基盤研究(B)(課題番号21H00774)による助成を受け行なったものである。 参考文献 「経験的概念としての「ポジショナリティ」の実証的研究」研究報告書
報告番号50
ポジショナリティの視点からみた DV 被害者と支援者の関係――ポジショナリティをめぐる社会学的課題(3)
東京大学 小川真理子
本報告では、ドメスティック・バイオレンス(以下、「DV」と略す)の被害者(以下、「DV被害者」と記す)と支援者の間の構造的な権力関係が、両者の関係にもたらす影響について、「ポジショナリティ」概念を用いて検証する。ポジショナリティは、社会的属性や帰属が固定的な社会集団間に権力関係が存在し、それがそれぞれの集団に属する個人の間の関係に権力作用として現れる様相を捉える概念である。 DV被害者を支援する過程においては、支援者とDV被害者との間に、齟齬や権力関係が惹起されることを指摘する研究がみられる。フェミニズム研究では、DVが個人的な男女の間における不平等な関係によって維持され、女性を抑圧する序列的な構造を許すような家父長制の中に根付いていると分析されている(Dobash,R.E.&Dobash, R.P.; 1979; Schechter 1982)。それゆえ、多くの支援者は、DV被害者がDV加害者から逃れた後、支援の場で支配/服従関係が起こることがないように、被支援者との対等な関係性を構築することを心がけてきた。DV被害者を先駆的に保護支援してきたシェルター等の支援者は、平等的価値を重視し支援に携わってきたが、シェルター内において支援者と被支援者の間に序列的な関係があることも指摘されており(Ferraro 1983; Rodoriges 1988)、支援の現場にはこうした問題が内包されていることが問題視されてきた。 他方、支援の現場におけるDV被害者と支援者の関係をポジショナリティの視点を通してみると異なる局面が見えてくる。日本のDV被害者支援の現場では、DV防止法の制度的な枠組みにより、行政が中心となり支援を行っている。しかし依然として、総合的な制度の未確立、支援サービスの地域間格差、関係機関間の連携の困難等の課題がある。他方、日本のDV被害者支援をリードしてきたのは民間NGOであり、DV防止法の立法化、改正過程に参入し、制度の外側から異議申し立てをし数々の提言を行ってきた。2024年施行の改正DV防止法においては、民間支援団体との連携を強化する規定が盛り込まれた。民間支援団体は、その経験とノウハウを活かし、民間と行政が対等な関係性を保ちながら連携することが求められている。 本報告における支援者は、公的部門におけるDV被害者支援に携わる職員や相談員、また、民間支援団体のスタッフが該当するが、それぞれのポジショナリティは異なる。DV被害者支援に携わる支援者という集団とDV被害者の関係性をみたとき、両者の間には、「離脱可能性」という困難が立ち現れ、ポジショナリティの問題が出現する。これらについて、DV被害者支援の実態や、役割集団と個人の関係性からも検証していく。 本報告の元となった研究は、JSPS科学研究費助成事業・基盤研究(B)(課題番号21H00774)による助成を受け行なったものである。 参考文献 「経験的概念としての「ポジショナリティ」の実証的研究」研究報告書 https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7198/files/kaken18H00930.pdf
報告番号51
ポジショナリティの視点から考える育児の現状――ポジショナリティをめぐる社会学的課題(4)
大妻女子大学 人間生活文化研究所 仁科薫
本報告の目的は、日本および韓国における育児の現状について計量データに基づき明らかにし、ポジショナリティの視点からその課題について明らかにすることである。 先行研究においては、日本および韓国における育児について、女性の負担が重いことが指摘されてきた。そして、そのことは、解決すべき課題として捉えられ、男性の育児参加の促進による解決が目指されてきている。そうした状況を受けて、本報告では、日本と韓国の育児をめぐる現状について、男性・女性のそれぞれが育児に用いている時間、男性・女性のそれぞれが育児をめぐり抱いている認識の両側面から、両国における育児の現状について明らかにしたい。その上で、ポジショナリティの視点から、両国の育児の現状についてどのような課題があると言えるのかを論じる。 上記目的を達成するため、本報告の元となった研究においては、「ポジショナリティ研究会」(当研究会の詳細については、文末の文献における池田緑による説明を参照のこと)により行われた「日本における社会的多様性に関する意識調査」(2019年ならびに2022年)、ならびに「韓国社会の社会意識についてのアンケート調査」(2023年)の育児時間、育児をめぐる認識に関わるデータを使用し、計量分析を行った。 分析の結果、日本においても、韓国においても、男性よりも女性の方がより長い時間育児に時間をかけていることが明らかとなった。さらに、育児をめぐる認識に関しては、男女で差が出た項目に関して検討すると、日本と韓国のそれぞれで、親の時間の使い方に関わると考えられる項目において差が出ていた。 男性の育児参加が叫ばれ、育児休業制度など、政策面でも改善が進められてきている今日の日本社会・韓国社会であっても、育児に関わる時間は依然として女性の方が長い。そしてそれは育児にどのように関わっている(きた)のか、といった認識面にも影響している。女性の方がより育児を優先する形で自らの時間を使いがちという傾向があるならば、そのことは、育児負担の現状について考察する際には、単なる諸個人・諸家族の選好の結果として捉えるよりも、男性と女性の間のポジショナリティの相違が諸個人・諸家族の選択に影響を及ぼしている可能性に目を向けるべき事を示唆している。さらに、ポジショナリティの相違が諸個人・諸家族の選択に影響を及ぼした結果生じている、女性の低賃金等に関しても、社会課題としてさらなる取り組みが必要であると言える。 本報告の元となった研究は、JSPS科学研究費助成事業・基盤研究(B)(課題番号21H00774)による助成を受け行なったものである。 文献 「経験的概念としての「ポジショナリティ」の実証的研究」研究報告書 https://otsuma.repo.nii.ac.jp/record/7198/files/kaken18H00930.pdf
報告番号52
不平等や差別の認識とポジショナリティ――ポジショナリティをめぐる社会学的課題(5)
福岡教育大学 喜多加実代
本報告では、日本社会への定量調査(「日本における社会的多様性に関する意識調査」2022年)及び韓国調査(「韓国社会の社会意識についてのアンケート調査」2023年)から、不平等や差別の認識やその経験についての項目を取り上げ、ポジショナリティの観点から検討する。 両調査では、東京大学文学部社会学研究室「福祉と公平感に関するアンケート調査」(2005年)調査を参考に、複数の項目について日本社会/韓国社会に不平等や差別があると思うかどうかを問うた。日本調査での結果では、不平等や差別があるとする結果(「大いにある」「少しある」をまとめた回答結果パーセント)が多い順に、所得や資産79.7%、職業78.4%、学歴76.9%、性別75.4%、年齢72.8%、親の社会的地位67.9%、人種・民族・国籍67.9%、心身の障がい64.9%、居住地域59.0%、被差別部落47.7%であった。差別解消法の措置が取られたりヘイトスピーチ等での対象になることが憂慮されたりしている障害、被差別部落、人種・民族・国籍よりも階層格差的な項目の方で差別や不平等があるとする認識が高くなっている。東大社会学研究室の先行調査や韓国調査においても、数値や若干の順序は異なるものの類似の結果であった。数の上でもマイノリティである人々の不平等や差別について「わからない」とする回答が増えることもあるが、その不平等や差別がマジョリティに認識されにくく、認識やその主張の時点で不利が生じてしまう可能性が考えられる。 男女共同参画意識調査やジェンダーに関する調査では、不平等や差別の認識が男女で異なり女性のほうが不平等や差別の認識を有する傾向があることはよく知られている(詳細は第2報告)。この日本・韓国調査では、障がいによる不平等の認識についても、障がいのある回答者で高くなることが確認できた。また、この一連の項目とは別に、日本に沖縄に対する差別があるか、沖縄に対する不平等な政策があるかの認識も尋ね、これも沖縄県民とそれ以外では回答に差が見られる(詳細は第1報告)。他方、階層調査や研究では、むしろ階層的に下位の者が不平等の認識や不公平感を有する結果にならないことが従前から指摘されていた。この両調査の結果も同様であり、所得や資産について収入の低い回答者、職業について非正規やパート回答者、学歴について低学歴の回答者で不平等の認識が高まる傾向は見られない。 そして、人種・民族・国籍、障がい、沖縄に関する不平等の認識は高学歴回答者で高くなる傾向があり、非当事者を特定できる障がい、沖縄の項目では非当事者の高学歴回答者で不平等の認識が高かった。それは教育効果とも考えられようが、その不平等に意識的なのが社会的に有利な層になってもいる。不平等や差別について「知らずにすむ特権」という言い方がなされることがあるが、非当事者としての「特権」と学歴に関する有利性が背反する面があり、不平等や差別の認識で複数の軸が軋轢を生む可能性も考えられる。報告ではその交差を検討したい。 本報告の元となった研究は、JSPS科学研究費助成事業・基盤研究(B)(課題番号21H00774)による助成を受け行なったものである。
報告番号53
メンズリブ研究会の活動とその意義
四国学院大学 大山治彦
佛教大学 大束貢生
【目的】本報告の目的は、1990年代に隆盛したメンズリブ運動の中核であった「メンズリブ研究会」の活動とのその意義を論ずることである。 【方法】文献研究、参与観察、およびメンズリブ運動関係者への聞き取り調査(半構造化面接ほか)。 【倫理的配慮】2024年5月、四国学院大学の研究倫理審査委員会の承認を受けた(四学倫20240001号) 【結果および考察】メンズリブ研究会は、1991年4月、大阪市で発足した任意団体である。関西のフェミニズム周辺にいた男性活動家が参加した。代表はおかず、味沢道明、伊藤公雄、東生春加(大山治彦)、中村彰、水野阿修羅の5人を世話人とし、事務局の役割は一貫して、水野阿修羅が務めた。発足時、会の名称は仮称とされていた。発足の契機は、1989年9月に開催された日本女性学研究会の例会、「討論会 男はフェミニストになれるか?」であった。主な活動は、①例会の開催と、②機関誌『メンズネットワーク』の発行であった。1995年10月、大阪市に開設されたメンズセンター(Men’s Center Japan)の母体となり、その活動の一部となった。そして、2007年半ばにはその活動は事実上終息した。また、日本初の男性による男性のための電話相談(男性相談)である「『男』悩みのホットライン」(1995年11月発足、大阪市)や、男性の非暴力ワークを実施する「メンズサポートルーム」(1988年4月発足)とも密接な関わりがあった。例会は、2か月に1回、大阪と京都と交互に、CR(consciousness-raising、 意識変革)的な例会を開催した。当時は「相互カウンセリング」と称していた。例会には男性のみが参加できた。関誌『メンズネットワーク』は、No.1(1991年5月)から、No.91(2010年3月、号数は合併号を含む)まで発行された。例会の報告やメンバーからの投稿原稿などによって構成された。No.23より特集も設定された。編集者は数度にわたり交代し、その都度紙面構成が刷新され、編集者の個性が反映された。また、一般販売用に値段も設定されていたが、No.6からNo.15、まで、男性300円、女性200円と性別で異なった。メンズリブ研究会の特徴は次のとおりである。①プロ・フェミニズムの男性運動であったこと、②男性のみの会であったこと、③ジェンダー構造における男性の二重性(加害者性と被害者性を併せもつこと)に自覚的で、それを前提に活動したこと、④③を前提に男性を加害者としての位置づける運動ではテーマ化しえない、ジェンダー構造における男性の受ける抑圧性、すなわち男性の生きづらさに関する問題に取り組んだこと、⑤CRを通じて、ジェンダーに敏感な男性の視点を獲得し、フェミニズムと相似形の運動を形成したこと、⑥男性性を、性別役割論的でなく、構築主義的にとらえるようになりつつあったこと、⑦コーホートやライフ・ステージの違いによって関心のあるテーマなどに差異があったこと(いわゆる「親父たちのメンズリブ」と「息子たちのメンズリブ」)、⑧SOGIについて、自覚的な動きがあった運動であったこと、⑨各地のメンズリブ運動の発火点となったこと、⑩伊藤公雄、中村正、大束貢生、大山治彦、多賀太などの西日本の男性学の研究者のネットワークの役割も果たしたことなどである
報告番号54
清潔感ある身体像に関するジェンダー差の考察――雑誌と自己啓発本のテキスト分析を通して
上智大学大学院 MICHALOVAZUZANA
【目的】 近年では、女性に限らず、男性に対しても「清潔感」への要求が高まりつつある。その一例として、2025年1月、資生堂ジャパンが山口市の警察学校(多くの男性生徒が在籍)において、スキンケアおよびメイクの基本を教える「身だしなみの講座」を実施し、そうした知識の必要性を広く訴えた事例が挙げられる。 清潔感のある身体は、消費資本主義が浸透する現代日本社会において、自己身体のケア・レジームの理想であると同時に、コミュニケーションの参加者としても求められる理想像である。まず先行研究を整理した上で、本研究では、清潔感に関して現代日本社会における男女への異なる要求に注目することを目的とする。その中でも特に、清潔感を前提とした多様な身体的な実践が、男性にとっては目的合理的に、女性にとっては価値合理的に実践されているという議論の検証を行う。 【方法】 雑誌記事の抽出には、『大宅壮一文庫 雑誌記事索引検索 Web版』を使用した。対象は1960年代から2000年代に発行された雑誌とし、「清潔感」をフリーワードとして検索を行い、該当する記事を抽出した。分析対象のテキストは、各記事の大見出し、小見出し、および備考欄(キーワード)に設定した部分である。 次に、「清潔感」を扱う自己啓発本の選定においては、国立国会図書館のデータベースで「清潔感」をキーワードに検索し、該当する書籍を特定した。タイトル、表紙のテキスト、書籍の要約および目次からテキストを抽出し、分析対象とした。 雑誌および自己啓発本それぞれについて、想定される読者層を特定し、男性向け・女性向け・その他のカテゴリでラベリングを行った上で、「清潔感」に対する要求とその内容を分析した。 【結果】 今回のテキスト分析において、以下のことが明らかになった。さまざまな場面に応じた専門的な知識を提供する雑誌記事では、女性を主な読者とするものが圧倒的に多かったのに対し、「清潔感」を扱う、より基礎的な内容の自己啓発本の多くは、男性を主な対象としていた。これは、「清潔感のある身体」をつくるための技法が、女性にとっては自己啓発の枠組みを超え、一般に「適切な身体」を構成するものとされ、「女性らしさ」を形づくる要素として長らく社会的に期待されてきたことを反映している。 さらに、女性は男性に比べて、身体の管理方法として「清潔感」を追求する際、より洗練された意識が求められており、「女性として当然」のものとして、すなわち暗黙のうちに「自己と向き合う」機会として、多様なテクニックが紹介されていた。これに対して、美容消費の経験が女性ほど蓄積されていない男性にとっての「清潔感」の追求は、より単純化された内容であり、主に女性とのコミュニケーションや接客業を含む仕事の効率、あるいは一般的な人間関係の改善といった、他者を想定した目的合理的なものとして語られる傾向があった。 以上の結果から、清潔感を前提とした多様な身体的実践は、男性にとっては他者との関係性や社会的機能を意識した目的合理的な実践として、女性にとっては内面の涵養や「女性らしさ」の体現を志向する価値合理的な実践として位置づけられると考えられる。
報告番号55
地方都市におけるキャンパスリブの展開――東北大学生理用品無料設置要求運動の担い手に着目して
東北大学 青木聡子
【目的】日本のウーマンリブ運動(以下、リブ運動と略す)は、1970年の銀座での集会とデモに始まり、1972年設立のリブ新宿センターを拠点に、すなわち東京で生まれ東京を中心に展開されてきた。地方都市でもリブ運動は展開され、とりわけ大学を舞台とするキャンパスリブ運動が各所で展開されたが、それらは東京の運動が波及したものととらえられてきた。これに対して、本報告では東京に先んじて東北大学で取り組まれた、生理用品無料設置要求運動を取り上げる。地方都市で独自に展開されたリブ的な活動が、いかに誕生し、いかなる経過をたどったのか、担い手たちの「その後」も含めて検証し、担い手の運動の意味付けの変容、集合行為フレームの変容、運動の展開過程、これら三者の相互連関を明らかにする。【方法】東北大学生理用品無料設置要求運動は、1973年11月から1976年12月にかけて展開された学生たちによる運動である。学生グループ「女性解放研究会」から独立して発足した生理用品無料設置要求実行委員会(以下、実行委員会と略す)は、教養部のあった川内キャンパスを中心に活動を展開した。男子学生1名を含む10名足らずから成る実行委員会は、学内の女子トイレへの試験的な生理用品無料設置、大学当局との交渉、集会や講演会の開催、アンケートの実施、公開学習会の開催などの多彩な活動を展開したほか、ミニコミ誌『おんな通信』の発行やビラの学内外での配布など積極的な情報発信をおこなった。本報告では、実行委員会のメンバーとして活動していた5名への聞き取り調査の結果と、ミニコミ誌『おんな通信』、各種ビラ、その他発行物などの文書資料から、運動の展開過程と、メンバーたちが自らの運動をいかに意味づけ、どのような意図で何を表出したのかを析出する。【結果】明らかになったのは次の2点である。まず、運動の拠点や結節点がキャンパス内外に存在したという物理的環境が、運動の生成や展開に重要な役割を果たしたことである。具体的には、実行委員会のバックヤード拠点としての大学寮、結節点としての教養部とサークル棟の存在である。実行委員会には仙台市外から進学したメンバーが複数おり、彼女らが入居していた女子学生寮が活動のバックヤードであった。学生寮には、1960年代の学生運動時からの様々な物理的運動資源があり、比較的低コストで活動を展開できた。教養部とサークル棟は、様々な学部の学生の結節点となり、実行委員会には文、法、農、理、工、教育、薬学部からメンバーが集まった。アンケートを実施するにもポスターやビラを貼り出すにも格好の空間であった。次に、運動展開に伴う集合行為フレームの変容である。キャンパス内の女子トイレへの生理用品の無料設置という、具体的な課題に取り組むことから出発した実行委員会は、当初、この課題認識を共有していれば、その他の価値観に相違があっても多様な学生を包摂する運動であった。運動の展開とともに東京のリブ運動に接し、また東京その他からのまなざしを受けるようになると、メンバーたちの運動への意味付けは変化し、実行委員会の活動もリブの価値観をより強く打ち出したものとなっていった。本報告ではこのことによる両義的な効果を指摘し、地方都市におけるキャンパスリブの、運動内外に対する意義について検討する。
報告番号56
戦後の少女向けメディアは同性愛をいかに教えたのか――『女学生の友』『ジュニア文芸』の分析から
京都大学大学院 上村太郎
【1、目的】本発表の目的は、戦後の少女向けのメディアにおいて、女性同性愛が、少女たちにいかなるものとして、いかなる論理のもとで語りかけられたのかを明らかにすることである。女性のジェンダー・セクシュアリティに関する歴史社会学研究は、戦前日本社会は男女別学制度および良妻賢母を規範とする家制度のもと、少女の男女交際が禁じられ、代わりに「仮の同性愛」とみなされる高等女学校での同性間交際が称揚されていたことを明らかにしている。しかし戦後に関する研究では、一方では教育の民主化改革に伴う男女共学化と男女交際の称揚が、他方で「大人の女性同性愛」=「レズビアン」概念の出現と一般雑誌での普及が注目されてきたために、「少女」の「同性愛」という論点は見逃されてきた。したがって本発表では、戦後において同性愛が少女たちにいかに語りかけられたのかを検討することで、戦後日本における少女・女性をめぐるジェンダー規範、および女性同性愛というセクシュアリティの位置づけという2点について、新たな知見を与えたい。【2、対象と方法】本研究で対象とするのは、戦後日本において発行された少女向け雑誌『女学生の友』および『ジュニア文芸』である。『女学生の友』は1950年から1977年まで小学館から発行された月刊の女子中高生向け雑誌であり、少女向けメディアとしては先駆的に、1950年代後半より男女交際や男女の恋愛を扱い始めたことで知られている。また『ジュニア文芸』は1967年から1971年まで、『女学校の友』の別冊からの独立創刊という形で発行された月刊の女子中高生向け雑誌であり、少女向けメディアとしては先駆的に、男女の性愛を扱い始めたことで知られている。いずれも月発行部数20~30万部を誇る戦後の代表的な少女向け雑誌であり、かつ特集記事や読者のお悩み相談を通して、性や愛に関する具体的知識を少女に伝達することに注力していた。本発表ではこれらの雑誌を、特に1960年代に焦点を当てて通読し、少女の同性愛ないし同性交際について語りかける記述を抽出・分析した。【3、結果】1960年代半ばまでの記事では、少女同士が同性愛的な交際関係を持つことは、明るく影のない友情ではないために不自然なものであると論じられ、避けるべきものとして語りかけられていた。一方で1960年代末になるとそれまでの議論に加え、少女の同性愛は性的倒錯としての同性愛とは異なり、異性愛に至る発達段階の一過程であり正常であると心理学的観点から説く記事や、この論理をもとに「自分は『レズビアン』ではないか」と悩む読者に対し「心配しなくてよい」とする相談が現れ始めていた。つまり戦後の少女向けメディアでは、一方で同性愛は従前の社会的抑圧や性的倒錯と結びつけて否定されつつ、他方で同時代の少女が同性愛を経験することに関しては、「発達」という観点からそのセクシュアリティが宙吊りにされ、異性愛への前段階として「無害化」されていた。
報告番号57
中国における女同士の友情に対する意味づけ――オンラインエスノグラフィーを通して
京都大学大学院 張紫萱
女性間の友情は、異性愛関係よりも脆弱で周縁的な関係とみなされてきた。しかし近年では、近年欧米社会やアジア社会で行われたフェミニズム運動により、非婚や非恋愛を支持する言説が現れ、女性たちは、独身を選択することで、異性愛規範と異性愛関係関係に疑問を呈するようになった。異性愛規範や異性愛関係への批判を背景に、女性間の友情が強固な絆として再評価されつつある。こうした動向の中、中国においては、オンライン上で展開される新たなフェミニズム運動を通じて、異性愛規範や、抑圧的な異性愛関係を維持する女性への批判的な言説が広がっていると指摘されている。 一方で、この運動において、実際に中国の女性たちがどのように友情を経験し、意味づけているのかについては、これまで十分に検討されてこなかった。また、友情の成立が異性愛関係の拒否を前提とするようにも見えるが、言説と実践の関係は明確ではない。 本稿は、現代中国における女性間の友情に関する言説と実践、そしてその両者の関連性を明らかにすることを目的とする。中国において、女性が主導する「女性自治区」と評価されるSNS「小紅書」に投稿された212件の友情に関するポストと、10名の投稿者へのインタビューを分析対象とした。 その結果、オンライン上で友情至上主義を支える女性たちは、異性愛規範および抑圧的な異性愛関係を批判する言説を展開していたが、オフラインではむしろ異性愛関係を積極的に実践していたことが明らかとなった。 本稿は分析を通して、女性の友情に対する「脆弱なものから強固なものへ」と捉え直すという流れに、中国女性が直面する構造的な困難を提示した。すなわち、友情は、オンライン上では異性愛に対抗しうるものと見なされているが、オフライン上では依然として異性愛を補完あるいは再生産するものになっている。 オンライン上のこうした友情の再評価は、これまで周縁化されてきた女性間の友情を問い直すものであり、フェミニズム運動における女性間の連帯を強化するという意味において、重要な意義を有すると言える。しかし一方で、この再評価が異性愛関係をもつ女性や。それを友情よりも重視する女性を排除する方向に働く可能性がある。 また、言説と実践の間にある不連続性を、調査対象の女性たち自身は問題視していなかったが、この乖離は。中国のフェミニズム運動が異性愛規範に対して変革を試みる際に、その実効性を制限する可能性を孕んでいると指摘できるかもしれない。
報告番号58
カミングアウトを「しない」不自由について――性的マイノリティ研究に従事する者を中心に
立命館大学大学院 馬浩楠
本報告の目的は、現在日本において性的マイノリティに関する研究を行う、自らを性的マイノリティであると自認する研究者たちが、どのようなカミングアウトの経験を持っているのかについて明かにすることにある。カミングアウトには、「したくなければしなければいい」という自由が常に認められているわけではなく、場合によっては、当事者自身が望まない形でカミングアウトを強いられることもある。そのようなカミングアウト「しない」不自由に、研究者ちたがどのように認識し、対応しているのかについての議論を深めたい。カミングアウトをめぐる議論は主に「政治的運動」と「個人の選択」という2つの文脈で展開されている(大坪 2023)。政治的運動の文脈に位置付けられたカミングアウトは「したくなければしなければいい」ものではなかった。例えば、1980年代のエイズ危機に直面していたアメリカでは、同性愛者の可視化するために、同性愛嫌悪や反同性愛政策を支持する有名人のアウティングが戦略として行われたこともあった(クォンキム 2023)。一方、2000年以後、カミングアウトが脱政治化された時代において、個人の選択としてのカミングアウトに着目する研究は増えてきた(大坪 2023)。その中で、「したければすればいい」ものではなく、したいけれどできないというカミングアウトの不自由に焦点が当てられてきた(大坪 2019)。では、個人の選択としてのカミングアウトは「したくなければしなければいい」ものだと理解していいのだろうか。もしそうでないのなら、カミングアウトを「しない」不自由に対して、人々はどのように対抗できるのか。この問題に応答する試みとして、本発表では、性的マイノリティ研究を行う性的マイノリティ研究者のカミングアウト経験に着目する。性的マイノリティに関する調査研究を行う者であっても、カミングアウトする/しない自由は持つべきである(溝口ほか 2014)。しかし実際のところ、性的マイノリティに関するテーマを選定/公表することが望まないカミングアウトにつながることが多く存在することが指摘されている(隠岐 2017;日本学術会議・法学委員会 2017;森山・能町2023)。このように、カミングアウトが個人の選択として行われたとしても、一部の研究者は「したくなければしなければいい」わけではない状況に自らを位置づけざるをえない。そこで報告者は、文献調査及び機縁法を通じて性的マイノリティに関する研究を行いながら、自身も性的マイノリティである研究者を対象に半構造化インタビューを行い、彼らのカミングアウトの経験について聞き取りを行っている。なお、インタビュー調査の実施期間は2025年6月1日から2025年10月1日であるため、本要旨を提出時点(2025年6月上旬)では具体的な結果・結論が出ていない。当日の報告では、主にインタビューで得たテータを取り上げ、研究者たちは「性的マイノリティに関するテーマを選定することがカミングアウトにつながること」についてどのように認識しているのか、そしてこのカミングアウトを「しない」不自由に対処する具体的な戦略について紹介する。
報告番号59
コロナ禍下において緩和ケア病棟が果たした役割
島根大学 諸岡了介
2020年以降、日本でも拡大した新型コロナ・パンデミックは、医療現場にも甚大な影響を及ぼした。なかでも、身体的ケアだけではなく、社会的・精神的・スピリチュアルな側面を含む「トータルケア」の提供を理念としたホスピス・緩和ケアでは、感染防止対策として実施された面会制限はきわめて重い意味をもつ制約となったと考えられ、SNSなどでは「ホスピス・緩和ケアは壊れた」といった声さえ聞かれた。しかしながら、まさにそうした制限も理由となって、コロナ禍下でのケア実践にかんする実証的な調査研究は少なく、とくには質的な調査に乏しい。本発表は、その一端を少しでも明らかにしようという意図のもとに行ったインタビュー調査の報告である。 調査は、協力を得たある医院にて、パンデミックが拡大した時期に緩和ケア病棟に勤務していた医師・看護師らスタッフ8名を対象に、半構造化インタビューの形式で実施した。 インタビューのなかで語られたコロナ禍に対する対応や負担は、時期によっても変化したというが、多岐にわたっている。患者に対する感染予防、感染した患者への処遇、面会者にかんする応対、スタッフ自身の感染予防といった対応のほかに、感染したスタッフの業務補填、世間から「医療関係者の家族」とみなされる家族にかんする心配、他病棟との方針の調整などである。 ホスピス・緩和ケアがコロナ禍において大きな制限を受けたことは事実であるが、本調査からは、そうした言いかたには尽くせない側面があったことも分かってきた。それは、総合病院のなかにある緩和ケア病棟の場合、より厳格な面会制限を行っていた一般病棟や、緩和ケア病棟を有さない近隣の病院があったなかで、緩和ケア病棟が、終末期の患者が家族と少しでも面会できる、一種の助け舟の役割を果たしたことである。実際、緩和ケア病棟を利用した患者家族の多くは、コロナ禍の困難な状況下にもかかわらず面会機会を設けてくれたことについて、感謝の意を示していたとのことである。 さらに興味ぶかいのは、本調査の対象となったスタッフから、コロナ禍が緩和ケアに否定的な影響を与えたという声は(マスク着用が常態化し、コミュニケーションが妨げられるという指摘を除き)聞かれなかった点である。むしろ、スタッフ間の意識が高まったという感想が複数寄せられた。その背景には、パンデミックという危機的状況の中で、一般病棟とは異なる緩和ケア病棟の理念というものが改めて意識され、具体的なケア実践の中でそれが強く確認されたことがあると考えられる。
報告番号60
健康問題としての障害尺度――障害者に関する社会統計を巡る健康・障害概念の再定位
国立社会保障・人口問題研究所 榊原賢二郎
近年、障害者に関する国際比較可能な統計を整備する取り組みがなされてきた。これについて興味深いことの一つは、障害を健康問題として同定する方針が共有されていることである。欧州の統計では、「あなたには、過去6か月以上にわたって、周りの人が通常おこなっているような活動について、あなた自身の健康上の問題による制限がどの程度ありましたか」という全般的活動制限指標(GALI)が導入され、この設問に肯定的に回答した人が障害者とされる。また、国連に協力している統計家会合であるワシントングループによる質問群は、「次の質問では、あなたがある種の活動をする上での、健康上の問題による困難について伺います」(出典による異同あり)という前文から始まる。こうした健康問題としての障害という把握は、概念枠組みとしては、世界保健機関の国際障害者分類や国際生活機能分類にも見られるものである。しかし、それを調査票に用いるということは、人々の一次理論においても、健康問題としての障害という観念が共有されていることを前提としていることになる。しかし、障害は(活動制限を生じるような)健康問題であるという前提は、障害者の健康増進のような論点を考えると、必ずしも自明ではない。本報告の問いは、健康問題としての障害という観念の統計尺度への適用がいかになされたか、そのことの含意は何かというものである。この点を考察するために、過去資料による経緯の跡付けを行うとともに、理論的検討を加えることがここでの課題である。こうした研究は、健康と病の社会学や社会調査法に関連すると考えられる。 欧州の統計について言えば、GALIの前身は、健康問題と障害を包含関係においていなかった。GALIを社会統計に活用する調査の代表的なものがEU-SILC(一部の国で2003年から実施)という調査である。その前身で、2001年まで実施されていたECHPでは、GALIに相当する質問は、「あなたは、心身の健康問題、病気または障害により、日常的な活動が妨げられていますか」というものであった。ここでは健康問題は障害と並列関係にある。この設問への批判は、▽国際生活機能分類でいうところの、身体構造・身体機能・活動という異なる領域が概念的に混在している▽「障害」という語が中立的な表現ではない▽「活動」の内容を考える準拠点となる年齢等の欠如▽持続期間への言及の欠如(症状固定を要求していない)というものであった。改訂後のGALIはこうした指摘に沿うものであった。この変更により、健康概念は障害に対置され、活動と関連付けられることとなった。その意味では、健康概念は、パーソンズ流に言えば、テレオノミー的に解釈されるに至ったと考えられる。しかしそうした解釈が調査協力者にどの程度共有されているかは、今も検証を要する事項である。
報告番号61
Diet, Disparity, and Depression: Animal-Derived Food Consumption and Psychological Well-being among Older Adults in Urban and Rural China
Beijing Foreign Studies University 司博宇
Introduction As China experiences accelerated population aging, ensuring the psychological well-being of older adults has become an increasingly urgent sociological concern. Depression, a prevalent mental health issue among this population, not only affects individual well-being but also reflects broader social inequalities. While biomedical studies have linked dietary patterns to mental health, the sociological dimensions of dietary inequality—particularly access to animal-derived foods—remain underexplored. This study investigates the association between the consumption of meat (including fish), eggs, and dairy (MED) and depressive symptoms among older Chinese adults, with particular attention to how gender and urban–rural residence intersect to shape this relationship. The analysis contributes to discussions on diversity, equality, and intersectionality, echoing the theme of the 2025 Japan Sociological Society annual meeting. Methods Data were drawn from the 2018 wave of the Chinese Longitudinal Healthy Longevity Survey (CLHLS), a nationally representative survey of individuals aged 65 and above. Depressive symptoms were measured using the CES-D short scale and used as a proxy for psychological well-being. MED consumption was captured through three binary indicators based on frequency of intake—daily or several times per week—summed into a composite score ranging from 0 to 3. The analysis controlled for a comprehensive set of demographic, socioeconomic, and health-related variables: age, gender, marital status, hukou status, education, income sufficiency, social insurance coverage, lifestyle behaviors, self-rated health, life satisfaction, and number of chronic illnesses. Ordinary Least Squares (OLS) regression was used to estimate associations, and subgroup analyses were conducted by gender and residence. Findings Higher MED consumption was significantly associated with lower levels of depressive symptoms, even after adjusting for relevant covariates. Urban residents and men reported more frequent MED intake, reflecting structural advantages in food access. However, the association between MED consumption and fewer depressive symptoms was stronger among rural residents and women—groups that exhibited both lower MED intake and higher depression scores. Discussion These findings reveal that the benefits of MED consumption for mental health are not evenly distributed. Rather, they are shaped by intersecting inequalities of gender and geography. The stronger effects among rural and female respondents suggest that even small improvements in diet may yield greater psychological benefits for socially disadvantaged groups. This highlights the role of structural barriers—such as the hukou system and gendered economic disparities—in shaping nutritional access and mental health outcomes in later life. Conclusion This study contributes to sociological understandings of health inequality by linking dietary patterns to psychological well-being through an intersectional lens. Policies aimed at improving mental health among older adults should address not only individual behaviors but also structural inequities in nutritional access. Attention to gender and urban–rural disparities is essential for designing inclusive, equity-oriented interventions. In a region where population aging is a shared challenge, these findings offer insight into how diversity and inequality intersect to shape health in later life.
報告番号62
相談支援分野に女性が中途参入すること――養成施設の教員へのインタビューから
東京都立大学 若林千夏
【目的】現代日本において、社会福祉の領域は拡大し事業も多様化している。大学時代には社会福祉を専攻しなかったが、社会福祉領域に「中途参入」をして働く者はすでに多い。それにもかかわらず、このことを対象とする先行研究は少ない。本報告は、中年期の大卒女性が、学生時代の専攻や初期キャリアとは異なる社会福祉の資格取得を経て、相談支援の専門職に「中途参入」する現象から、女性労働のありようを検討する研究の一環となる。資格取得について補足すると、相談支援の専門職につながる社会福祉士および精神保健福祉士の資格を得るには、国家試験受験が必須となるが、社会福祉を専攻していない「一般大学」出身者が受験資格を得るには、養成施設の修了が必須となる。報告者は、これらの養成施設を経て、中途参入をおこなった40代~60代の女性のライフコースに着目してインタビューを継続しているが、養成施設の教員や雇用者などの立場から中途参入の様相を描くことも、女性労働研究において重要と考える。本報告での目的は、養成施設で長く指導をおこなってきた男女の教員へのインタビューから、相談支援分野への中途参入の様相を明らかにすることである。また、教員本人のジェンダー意識について検討することも目的とする。【方法】報告者がかつて在籍した2校の養成施設で指導に携わってきた2名の専任教員に、2025年2月および4月、半構造化インタビューを実施した。社会福祉士一般養成施設(通信制)に、開設準備も含め20年近く携わってきた男性教員と、社会福祉士および精神保健福祉士養成施設(夜間および通信制)の専任教員として14年間指導に携わったのち、医療・福祉系大学の教員に転じた女性教員である。2名とも、大学で社会福祉を専攻し、相談支援の専門職として働いた経験をもつ。インタビューでは、他分野から中途参入をして資格取得をめざす者の傾向や、特に女性が中年期から相談支援の仕事を目指すことについて、また社会福祉専攻の学生と養成施設在籍者の違い、資格取得後の働き方について聞いた。面接内では教員本人の職歴やライフイベントについても言及された。現在、インタビューデータの分析をおこなっている。【結果】さまざまな仕事の経験や離職・転職、個々のライフイベントを経た男女が、相談支援分野で働き始めたり、新たに目指す理由もまた多様であった。高学歴で高い所得を得ている・いたにもかかわらず、何らかの形で相談支援の分野に参入しようとする者は、男女問わずいた。男女の在籍者に共通する部分もあるが、女性特有の、長期勤続や再就職のしづらさ、家庭責任といった「働きづらさ」も資格取得の希望にかかわっていた。また女性在籍者は、「支援の当事者性」が強いという指摘もあった。しかし2名の教員は、ジェンダー視点には重きをおかず、性別を問わない在籍者本人の意欲や、相談支援専門職としての適性をみる傾向が強かった。いっぽうで子育て経験は、狭義のケアではない相談支援の仕事に役立つとみていた。そして社会福祉を専攻する大学生と中途参入をする在籍者の大きな違いが認識されていた。6月現在、分析の途中であるため、現段階での考察は不十分であるが、教員の属性による見方の違い、社会福祉専攻の大学生と中途参入者との意識や働き方の差異など、分析を進めれば、さらに深い考察が得られると予測される。
報告番号63
HPVワクチン勧奨接種の一時停止から再開という転換
産業医科大学 種田博之
1 目的 HPVワクチンは2013年4月予防接種法改正にともない勧奨接種の対象になった。その矢先の同年6月、副反応/有害事象が報告されたため、勧奨接種の取り扱いが一時停止となった。その後、一時停止は約9年続き、2021年11月に解除された。それら判断をおこなったのは、厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会――以下、審議会と略記――である。本報告者は昨年度の日本社会学会大会にて、審議会において勧奨接種の再開についてどのように検討されたのかなどにかんして発表した。本報告は、昨年度の報告をふまえ、その延長上に問いを設定する。審議会の議事録を分析すると、2021年10月に唐突に再開にむけての論点が分節している――境界作業(boundary work)がなされている――ことがわかる。本報告は、審議会において勧奨接種の再開という論点がいかにして分節可能となったのかを明らかにする。 2 考察 審議会は、2013年6月第2回会議で勧奨接種の一時停止を、2021年10月第69回会議で再開に向けての論点の分節をうけて同年11月第72回会議で再開を判断した。審議会の第2~72回の会議は大きく4期にわけることができる。第2~10回が第1期である。第1期は、早期の再開を目指して、副反応/有害事象の情報を収集し評価しようとしていた。第2期は第11~31回で、さらに正確な情報の集積(と評価)が必要ということになり、再開について消極的な姿勢に転じた。第3期=第32~68回はその姿勢に拍車がかかり、情報の「集積(評価)」から情報の「提供」に論点が質的に大きく変わった。そして、第4期の第69~72回において再開に向けて再び積極的に動き出した。本報告はこの第4期、とくに第69回会議において審議会で勧奨接種の再開という論点がいかにして分節可能となったのかを考察する。第2期と第3期において再開に対して消極的であったのは、ワクチン接種後に起こった副反応/有害事象が薬害化(2016年7月)し、国も被告――いわゆる加害者として訴えられた――になったからであろう(「公的責任の縮小(手塚洋輔)」)。厚生労働省ならびに審議会は再開に向けての出口戦略を探りつつも、なかなか打ちだせなかった(出口戦略の一環が情報の「提供」である)。しかしながら、2020年のいわゆるコロナ禍によって、ワクチンをとりまく状況が変化した。また、薬害裁判の長期化にともない、副反応/有害事象の被害者に対するまなざしにも変化が生じつつあった。それら詳細は報告の際に述べる。こうした外部状況の劇的な変化が、勧奨接種の再開という論点の分節を可能にしたと考えられる。
報告番号64
紙媒体によるパネル調査をウェブ調査に転換すると何が可能となるのか――東大社研パネル調査プラスの挑戦(1)
東京大学 有田伸
東京大学 鎌田健太郎
東京大学 新藤麻里
1.目的 東大社研パネル調査プラス(JLPS+)プロジェクトは、これまで20年近く実施してきた東大社研若年・壮年パネル調査をウェブ調査に転換し、その利点を活かした新しい形の調査を行いつつ、人々の「人生の歩み」(仕事・家族・社会生活の状況・地位の経歴)とその格差の要因・帰結に関する総合的な研究を行おうとするものである(科学研究費助成事業(基盤研究(S))2025~2029年度)。本報告は、国内外の研究・調査状況をふまえた上で、従来紙の調査票を用いてきたパネル調査をウェブ調査に転換することで何が可能となるのか、そしてウェブ調査への成功的な転換のためには何が課題となるのかを検討することを目的とする。 2.方法 紙の調査票に基づくパネル調査をウェブ調査に転換することの利点として、大きく次の2点があげられる。第1に、論理的に矛盾をはらむ回答を制限することで、事後のクリーニング作業を大幅に縮減できる。第2に、対象者の過去の回答をふまえて、提示する質問を個別に変更したり調整したりすることで、詳細さ、正確さ、一貫性などの面でより望ましい回答を得られる可能性がある。後者はindependent interview (Hill 1994; Jäckle & Eckman 2020)として位置づけられ、過去の回答(たとえば一年前の職業情報)を提示した上で、そこからの変化の有無を尋ねることなどがその例である。このほかにも、前回回答調査の時期を「始点」として提示した上で、そこから調査時点までの履歴を尋ねていくことで、連続的で重複がなく、かつ全体回顧式の調査よりも正確な履歴情報が得られる可能性もある。一部の例外を除いてCAPI調査がほとんど行われてこなかった日本では、これらの利点はこれまで十分に享受されてはおらず、パネル調査をウェブ調査へと転換することでこれらを追求する試みの意義は小さくないであろう。 そのためにも、まずはウェブ調査への転換を成功的に行うことが必要となる。本報告では、東大社研若年・壮年パネル調査の対象者に対して2020年8月から11月に実施したウェブ特別調査の回収状況を検討することで、そのための課題を探る。 3.結果 ウェブ特別調査の回収率は、調査員の訪問を伴う紙媒体での自記式調査(通常調査)のそれよりも、概して十数ポイント低い(詳細は石田(2023)も参照のこと)。ウェブ特別調査の回収率を、同年1月~3月に実施された通常のwave14の回収率(カッコ内)と若年・壮年別に比べてみると、若年は継続サンプルで66.7%(82.2%)、追加サンプルで57.8%(67.8%)であるのに対し、壮年は継続サンプルで62.2%(88.2%)、追加サンプルで59.4%(72.6%)となっている。若年(当時30代前半~40代後半)よりも壮年(当時40代後半~50代前半)の方が回収率の低下幅が大きく、壮年の回収率は、若年と比べてほぼ変わらないか、むしろ低い水準にとどまっている。 4.結論 紙の調査票に基づくパネル調査をウェブ調査に転換することで、享受できる利点は小さくない。ただしそのためには、ウェブ調査転換に伴う回収率の低下をいかに防ぐかが大きな課題となる。このために、回答しやすいウェブ調査画面の開発、プリテストの実施、調査依頼の工夫など、様々な可能性を探っていく必要があるだろう。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(JP25H00386, JP18H05204, JP25000001, JP22223005, JP18103003)の成果の一つである。
報告番号65
調査対象者によるメールアドレス登録の分析――東大社研パネル調査プラスの挑戦(2)
東京大学 石田賢示
1.目的 近年、日本においても確率標本にもとづくウェブ誘導型調査に関する研究が蓄積してきた。ウェブ調査の手法を用いることで、迅速な回答データの生成、回答時の論理矛盾の事前制御、また、各種の実験や調査票の個別化など、冊子の調査票ではできない多くのことが期待できるようになる。また、冊子の調査票と比べて各種費用の効率化も想定されるメリットの一つである。特に、同一個人を複数時点にわたり追跡するパネル調査では全体の費用がきわめておおきく、ウェブ調査手法の採用によりプロジェクトの持続可能性を担保できる可能性がある。他方で、すでに継続しているパネル調査について、回答モードをウェブに転換するうえではさまざまな課題に対処しなければならない。本報告では、対象者との接触機会拡大の鍵となるメールアドレス収集について、既存のパネル調査データを用いて基礎的な分析をおこなう。 2.方法 分析には、東大社研パネル若年・壮年調査(JLPS)データを用いる。アウトカムはメールアドレス情報の提供の有無である。調査に関する案内、連絡の送付を目的として、2025年1-3月実施のWave19終了後に、調査対象者に改めてメールアドレス提供依頼のはがきを送付した。対象者のうち、メールアドレスの提供があった場合を1、なかった場合を0とする二値変数を分析に用いる。独立変数には、性別、Wave19時年齢区分、最終学歴、インターネットの利用状況、回答方法に関する希望(冊子がよい、どちらでもよい、オンラインがよい)、これまでの調査波への協力率を用いる。以上の変数について、クロス集計および二項ロジスティック回帰分析により検討をおこなう。 3.結果 全体として、メールアドレスの登録は44%程度であった。クロス集計では、男性と比べて女性の方がメールアドレス登録しやすい結果となった。年齢区分については、若年の回答者ほど登録しやすい傾向がみられ、50代以降か否かでの差が大きかった。対象者の最終学歴については、大学、大学院では50%程度の登録率であったが、それ以外の学歴では登録率が低く、中卒者、高卒者では20%、30%程度であった。インターネットの利用状況については、以前の回答時に高速インターネット回線があると回答した者は登録しやすいという結果が得られた。回答方法に関する希望については、回答カテゴリのあいだで登録率に差はみられなかった。これまでの調査協力率については、すべてのWaveに回答している者の登録率は56%であったが、それ以外では登録率が大きく低下した。以上について二項ロジスティック回帰分析で検証すると、クロス集計の結果とほぼ同様の結果が得られた。 4.結論 メールアドレス登録には性別、学歴、インターネット環境のあいだで差異が存在する。調査費用効率化のためメールアドレスのみで調査案内等を送付する場合、少なくともこれらの分布の歪みによる回答データの偏りは避けられない。当時に、メールアドレス登録の推進という目的に限っていえば、登録と関連する属性に応じた登録依頼方法を模索することで、偏りをある程度抑えた情報収集が可能となるかもしれない。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(JP25H00386, JP18H05204, JP25000001, JP22223005, JP18103003)の成果の一つである。
報告番号66
ライフコースを通じた個人の文化の変化と安定性――東大社研パネル調査プラスの挑戦(3)
東北大学 小川和孝
【1. 目的】 個人が有する態度、価値観、信念などの文化は社会生活の重要な側面である。このような個人の文化はライフコースを通じてどのように変化しうるのかについて、これまで様々な主張が行われてきた。これまで文化社会学の領域においては、ライフコース初期以降の安定性を強調するモデルと、個人が環境との相互作用を通じて新たな世界観や意味を獲得することを強調するモデルが代表的なものとして挙げられている。日本社会においても、個人の意識や態度の変化に関する研究は蓄積されつつも、文化の様々な側面を同時に扱い、包括的な理解を試みたものは少ない。本報告では個人を追跡したパネルデータを用いて、日本社会におけるライフコースを通じた個人の文化の変化と安定性を検証する。 【2. 方法】 Lersch(2023)の方法に従い、(1)settled disposition model(SDM)、(2)active updating model(AUM)、(3)life course adaptation model(LCAM)という3つを設定する。SDMは、個人の文化がライフコース初期の社会化でおおむね決定し、その後は安定していることを想定する。AUMは、個人の文化がライフコースを通じて持続的に変容すると見なすモデルである。LCAMは、上記2つのモデルの双方の要素を持ち、個人の文化に対するライフコース初期の影響の大きさを認めつつも、ライフコースを通じた持続的な変容、さらには個人間の異なる軌跡を許容するモデルである。分析には、東大社研パネル調査(JLPS)のWave1からWave18データを使用する。個人の文化の測定には、性別役割分業意識、所得格差や防衛など社会意識、人生において重要であると思う価値などの変数を用いた。 【3. 結果】 線形混合モデルにより、上記の3つのモデルに対応した分析を行い、BICを基準としてモデルの適合度を評価した。AUMはラグ変数を用いたモデルの設定が必要となるため、まずラグ変数が利用可能なサンプルで3つのモデルを評価し、AUMが棄却された場合にSDMとLCAMを利用可能な最大のサンプルで比較した。分析の結果、ほとんどの変数においてLCAMの適合がよいことが示された。しかし、「結婚して幸せな家庭生活を送ることの重要度」のように、AUMが支持されるものもあった。 【4. 結論】 分析の結果は、ライフコース初期の社会化の影響を一定程度受けつつも、個人の文化が持続的な変容を経験することを示している。こうした傾向を理解するためには、エージェンシーの概念の実証分析への適用が有用であることが示唆される。また個人の文化は機会や制約の認知として働き、ライフコースにおける不平等を理解する上で重要性が指摘されている。本報告で用いたデータの継続調査を実施する東大社研パネル調査プラス(JLPS+)プロジェクトにおいては、対象者の過去の人生経歴の転機に際しての状況認知や判断・選択理由を把握し、それらに基づく「人生の歩み」の説明を今後目指している。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(JP25H00386, JP18H05204, JP25000001, JP22223005, JP18103003)の成果の一つである。
報告番号67
職業威信の多次元的構造――評価者による異質性と時代的変化の検討
東京大学大学院 那須蘭太郎
1. 背景と目的 本稿は,職業威信について,主に職業に付随する権威性・科学性に着目し,それぞれが職業威信評価にどう影響するかを明らかにする.さらに,その影響が評価者属性によって異質であるか,また時代的に変化しているかどうかを明らかにする. 職業威信については,非常に多くの研究蓄積があるが,その多くは職業威信スコアの開発とそれに関連する研究である.こういった研究群は,職業威信スコアには,社会的・時代的一貫性があることを明らかにしてきた. 一方で近年の研究は,職業威信スコアの序列ではなく,個人レベルの職業威信の形成過程に再着目することによって,職業威信の構造に関する知見を蓄積している.特に,職業威信の形成過程における社会的承認の制度理論を強調する研究群は,職業威信における権威と科学という多次元的構造に着目するとともに,それらにおける評価者属性の異質性を明らかにしてきた.このような研究群は,職業威信の獲得が,社会的承認に依拠していることを強調し,特に科学的・技術的な職業は,職業が持つ知識と結びつくため,高い威信が正当化されやすい一方で,権威的職業は,確かに高い威信と関連はするものの,それ自体が高い威信を正当化する力は弱く,科学的な職業特性がコントロールされれば,その影響は小さくなることを指摘している.さらに,そうした構造は,評価者の社会的地位によって異質である.それは,社会的地位によって,その社会で支配的な地位評価を共有する公式の制度的領域からの距離が異なるためであり,周縁的な地位に置かれる評価者は,支配的な威信構造を支持しない傾向にあることが明らかにされている. 以上のように,近年の職業威信研究は,職業威信における権威性・科学性の異なる働きに着目し,その違いを識別するとともに,評価者属性による異質性を明らかにしてきた.一方で,第1に日本での状況は十分に明らかにされておらず,第2に,このような構造が時代的に安定しているのかどうかが明らかにされていない.職業威信研究の多くは,職業威信の形成が,評価者の触れる様々な情報による影響を受けることを認めており,それが時代的に変化すれば,職業威信評価も時代的に変化することが考えられる.以上をふまえ,本稿では,職業威信における権威性・科学性の影響を明らかにするとともに,評価者属性異質性と時代的変化を検証する. 2. 方法 データには,1975年,1995年のSSM調査の威信票および,2016年に実施された威信調査データを使用する.さらに,O-NETスコアを使用し,各職業の権威性・科学性スコアを作成し,それを威信調査データにマージした. 分析方法にはマルチレベルモデルを使用する.従属変数は職業威信であり,主な独立変数は,評価職業,権威性・科学性スコア,評価者学歴,調査年である.詳細は,大会当日に報告する. 3. 結果 暫定的な分析の結果,権威性と科学性はともに職業威信と正に関連するが,科学性のモデルへの投入により,権威性の効果は減少する.さらに,高学歴者は職業威信を低く評価する傾向にあるものの,権威性・科学性との体系的な関連は確認されなかった.時代的変化については,権威性と職業威信との正の関連が近年弱まっている一方で,科学性と職業威信との正の関連は強まっていることが明らかとなった.詳細な考察については,大会当日に報告する.
報告番号68
ジョブの不平等と男女賃金格差
中央大学 鈴木恭子
日本における男女の賃金格差に大きな影響を及ぼしているのは、正規/非正規雇用の雇用形態間に大きな処遇格差があることと、非正規雇用が女性に偏っていることが組み合わさって生じる格差である。だが一方で、こうした非正規雇用の問題がいくらか改善したとしても、それが男女格差の縮小につながるかは明らかでない。なぜなら正規雇用の内部にも、男女格差が再生産されるさまざまなメカニズムが存在するためである。 正規雇用の内部の処遇格差は、大きく以下の3つに分けて考えられる。ひとつは1)男女が異なる仕事に割り当てられることで生じる格差である。ある仕事は賃金が高く、ある仕事は賃金が低いのだが、賃金の高い仕事に男性が集中しがちである。もうひとつは、2)女性が担当している仕事は、賃金が低くなりがちであるという問題である。これら2つの問題は一見似ているが、前者はallocationの問題であり、後者はvaluationの問題である。さらに、3)あるひとつの仕事の内部で、男性と女性で賃金が異なるという問題もある。 こうした問題を実証的に明らかにするにあたっての大きな課題が、上でのべた「仕事」を具体的にどういう水準で調査するかというものである。これまで日本でも多くの研究においては「職業」を、仕事の内容を示す変数として用いてきた。たしかに、「職業」が伝統的に労働市場を構成する単位となっている欧米社会においては、「職業」変数を用いて賃金格差を議論することは適切であるだろう。しかし、日本においては、労働者は企業内部での異動等を通じてかなりの幅をもって仕事を変えながら(=職業の変化に相当することもある)、処遇は仕事の内容からは幾分独立している等級制度によって決められることが多い。たとえば「事務職」の中には相当に多様な仕事が含まれているのであって、少なくとも企業に雇用されている人々の間では「職業」という変数は後景に退いており、それを仕事の内容をあらわす変数として用いることは難しい。 この課題を克服すべく、本研究においては「ジョブ」の概念に基づいて仕事と賃金を計測したデータを用いて、正規雇用の内部において男女格差がどこで生じているかを明らかにする。その際、とくに日本企業と外資系企業との間の差異に注目する。多くの先行研究では、日本の労働市場における賃金格差は一括りにして論じられてきたが、同じ労働市場・製品市場で競争しているにもかかわらず両者には違いがみられることが予想される。 暫定的な結論として、1)ジョブの単位を非常に細かくとった場合には、ジョブの内部における男女賃金格差は、日本企業も外資系企業でもほとんど見られない。2)しかし、垂直的なポジションに幅のある単位でジョブを定義した場合には、垂直的なアロケーションの差によって男女賃金格差が生じており、その程度は外資系企業よりも日本企業でより大きい。さらに、3)この場合には、賃金水準の高いジョブほど男女格差の程度が大きくなっており、その傾向も日本企業に顕著に見られる。 本稿の結果は、同じ日本社会という競争環境におかれた企業間――同じような社会規範・ジェンダー役割・製品市場・労働市場で競争する企業――においても、企業の国籍で男女賃金格差のあり方が異なることを示しており、したがってその格差の縮小には企業のマネジメントのあり方が大きな意味を持っていることを示唆している。
報告番号69
ブルデューの階級分析と日本社会論――その接合可能性を探る
大阪大学大学院 知念渉
本報告では、P. ブルデューの階級分析にならって日本の社会空間を構築し、その特徴を考察する。『ディスタンクシオン』においてブルデューは、資本の総量という軸と資本の構成という軸を交差させた社会空間・生活様式空間をもとに幾何学的なアプローチによる階級分析を展開した。『ディスタンクシオン』の出版からおよそ半世紀が過ぎたが、その間に、量的データが充実したことに加えて、多重対応分析という手法に対する理解も深まり、それを実装した解析ソフトも開発された。他方で、欧米でも社会階級という考え方と人々の生活実感が乖離し、個人化などという言葉が流行した。このような状況から、ヨーロッパではブルデュー派の階級分析が改めて注目されている(Bennet et al. 2021, Atkinson 2022など)。日本でも、そのような動向をふまえつつ類似の研究が行われている(近藤 2019, 片岡 2019など)。このような研究の蓄積によって、現代日本社会も、資本の総量と資本の構成(すなわち経済資本と文化資本の対立)という観点から、ある程度把握できることが明らかになってきた。本報告は、このような研究潮流を手がかりにしつつ、JGSS2015のデータを用いて、日本の社会空間と生活様式空間の関係性を分析していくが、本報告のオリジナリティは、そうした分析を、小熊英二が『日本社会のしくみ』のなかで展開した大企業型・地元型・残余型という生き方の分類を手がかりに解釈することにある。端的に言えば、文化資本のウエイトが高い層を大企業型、経済資本のウエイトが高い層を地元型と位置付けて社会空間を解釈できるのではないかという問いを軸に、分析を展開する。もし両者を接合することができれば、これまで日本で蓄積されてきた学歴社会論や日本社会論を国際比較の水準にまで抽象化することも可能になるかもしれない。その意味で、本報告の目的は、ブルデューの階級分析を、日本社会論として蓄積されてきた知的鉱脈と接合する可能性を探ることである。【参考文献】Atkinson, W., 2022, The Class Structure of Capitalist Societies, volume2, Routledge. Bennet, T., Carter, D., Gayo, M., Kelly, M. & Noble, G., 2021, Fields, Capitals, Habitus, Routledge. ブルデュー, 1979=2020, 『ディスタンクシオン』藤原書店。近藤博之, 2019「教育費の公私費用負担意識」『教育社会学研究』104, 片岡栄美, 2019『趣味の社会学』青弓社。小熊英二, 2019『日本社会のしくみ』講談社。
報告番号70
市営住宅における社会的不利の集積と集合的効力感――名古屋市緑区のM団地を事例にして
名古屋大学 河村則行
1.研究背景 市営住宅には、高齢者、ひとり親世帯、障がい者、生活保護受給世帯、外国ルーツの住民など、さまざまな困難を抱える人々が集住している。その結果、貧困、疾病、社会的孤立といった多重的な社会的不利が空間的に集積しやすい状況が生じている。 Wilsonの「不利の集中」論やSharkeyの「近隣効果」論が示すように、空間的に集中した社会的不利は住民の生活機会をさらに制約し、貧困の世代間継承を促進する。Sampsonの「集合効力感」論によれば、地域住民が共通の目標(犯罪防止、子どもの生活環境の改善など)に向けて協力し合う能力と期待が、ウェルビーイングなどのアウトカムに影響を及ぼす。 本研究では、名古屋市緑区の大規模市営住宅M団地を事例とし、自治会、NPO、社会福祉法人、医療生協、民生委員、社会福祉協議会などの地域の支援活動の担い手へのインタビュー調査と参加観察を通じ、住民主体の見守り活動支援の実践、その機能と効果を分析する。 2.調査対象地の特徴と分析視点 M団地は名古屋市が造成した最後の大規模市営住宅団地で(1977年~1979年)、約1,252戸の住宅を有する。住民構成は多様性に富み、入居世帯数1083.外国籍入居者数171,収入分1の世帯数816である(2016年時点)。2009年10月から2010年11月にかけて、団地内で4人の孤独死が発生した。これをきっかけに、自治会による「鍵のお預け事業」、サロン活動などさまざまな見守り活動が展開されている。また、草刈り、清掃など共有スペースも整備され、犯罪防止・安全や生活の質向上に影響を与えている。さらに、NPOや児童養護施設、地元中学のOB有志の3つの団体・組織が団地の同じ集会所で子ども食堂を運営しており、この地域連携によって子どもの見守りネットワークを構築している。 この調査では以下の点に着目する。第一に、制度の狭間にある問題(医療と福祉の制度、制度へのアクセス困難など)は何か。第二に、見えにくくなっている生活困難をどのように発見し、支援につなげることができるのか。第三に、地域への信頼関係(集合的効力感)は、どのように構築されるのか。 3.研究の意義 国は「制度の狭間」の問題に対処するために、重層的支援体制整備事業を推進している。しかし、多くの自治体では、従来の制度や専門職による個別支援は機能しているものの、地域づくりの支援の面では十分に機能していない。もちろん住民主体のインフォーマルな支援には限界があるが、公的支援にも限界がある。したがって、公的制度によるフォーマルな支援と住民や地域住民組織によるインフォーマルな支援との連携および多様な主体・組織間の連携における障壁を明らかにし、現場で生じている問題点や支援の課題を検討することは、今後の政策や支援体制のあり方を考えるうえで重要である。 付記;本研究は、科学研究費(課題番号18H00924 23K01769)の成果の一部である。また、名古屋都市圏研究会https://nagoya-city-research.jimdofree.com/での議論から多くの示唆を得ている。
報告番号71
市営住宅団地集会所における「3食堂」の連携とその社会的効果――名古屋市緑区M荘の事例として
名古屋大学大学院 謝卓然
研究背景 子ども食堂は2012年以降、発展を続けており、食事の提供にとどまらず、学習支援、社交の場の提供、地域交流の促進など、多機能化・多様化が進んでいる。一方で、その多くはボランティアに支えられており、人手や物資の不足により活動継続が困難となる事例も増加している。活動頻度が限られているために十分な支援が提供できない、特定のニーズに対応できる専門職が不足している、あるいは本当に支援を必要とする子どもに支援が届かないといった課題が指摘されている。また、子ども食堂の持続可能性などの問題についても度々議論されている 本研究では、名古屋市緑区の市営住宅団地「M荘」の集会所で活動する三つの子ども食堂(以下、「3食堂」)の連携事例に注目し、その社会的効果を検証する。あわせて、開設目的、運営主体、組織方針の異なる「3食堂」がいかにして連携し、そこにどのような意義があるのかを分析する。 調査対象地の特徴 「3食堂」の運営主体は、①児童養護施設(社会福祉法人)、②子どもの権利実現を目指すNPO法人、③地元中学校OBの有志グループである。開催時間や頻度には違いがあるが、いずれも活動場所は市営住宅団地「M荘」の集会所である。 各団体はそれぞれ独自の理念と目的を持ち、活動内容にも違いがみられる。たとえば、NPO法人は「子どもと大人がともにまちをつくる」ことを理念に掲げ、子ども食堂の運営に加え、同じ団地内でプレーパークの設置や学習支援事業を実施している。児童養護施設では、児童心理や栄養の専門職が24時間体制で子どもを見守っており、子ども食堂でもその専門性を活かして、子どもの状態を観察し、必要に応じた支援を行っている。 「3食堂」の連携において特に重要なのが、3か月に1回開催される共同会議である。この会議には、「3食堂」の運営者だけでなく、M荘自治会、民生委員、研究者も参加し、各食堂の活動報告や課題、今後の方向性について情報共有を行っている。この会議を通じて、地域の見守りネットワーク、すなわちセーフティネットの形成が進められている。 分析視点 本研究では、以下の点に着目して分析を行う。 • 「3食堂」それぞれの活動内容、参加者構成とニーズの相違点 • なぜM荘という特定の地域において、子ども食堂の連携が実現できたのか • 「3食堂」の連携が、子ども食堂の持続可能性や地域課題の解決にどのような意義を持つのか 研究意義 近年、子ども食堂の数や活動の幅は拡大しているが、その持続可能性や本来の目的をめぐる課題も指摘されている。子ども食堂は誰のために、何を目的として開設されるのか、それが果たす役割とは何か、今まさに問い直されるべき課題である。単一の主体では、子ども食堂の多様な機能を十分に発揮することが困難であるため、地域の多様な主体が連携して運営することが、今後の重要な方向性といえる。 M荘における「3食堂」の連携事例は、地域の見守り機能の強化、貧困の連鎖の遮断、支援団体間の協働促進といった観点から、地域福祉の発展に資する実践例として重要な示唆を与えるものである。
報告番号72
ヤングケアラーを地域でどう支えるか?――埼玉県ヤングケアラーサポートクラスの取り組みから
成蹊大学 長谷川拓人
1. 目的 ヤングケアラーとは、病気や障害のある家族を日常的に世話する18歳未満の子どものことである。日本では、2020年以降、本格的にヤングケアラーに関する実態調査や支援作りがなされるようになった。現在、日本では、自治体や民間のレベルでさまざまなヤングケアラー支援が整備され始めているが、実際にそうしたサービスをヤングケアラーが利用するケースはまだまだ少なく、ヤングケアラーをどう発見し支援に繋ぐかが課題となっている。しかしながら、必ずしもヤングケアラーが、周囲の大人に「見つけてほしい」、支援に「繋いでほしい」と思っているとは限らず、むしろ、「見つけてほしくない」「繋いでほしくない」からこそ、支援やサポートを利用していない場合もある。そこで、本報告では、埼玉県内の小・中学校、高校で実施されている出張授業「埼玉県ヤングケアラーサポートクラス」の取り組みから、ヤングケアラーを地域で支えていく上で何が意味を持つのかを考察する。 2. 方法 報告者は2021年から2025年にかけて、ヤングケアラーサポートクラスに複数回参加している。本報告では、そうして得た知見や資料、さらには埼玉県ヤングケアラーサポートクラスの関係者のインタビューデータを分析する。 3. 結果と考察 ヤングケアラーサポートクラスでは、主に、1)研究者などの専門家と元ヤングケアラーからの講義、2)講義内容についての生徒同士でのワーク、3)スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、市役所や社会福祉協議会の職員や民生・児童委員、子ども食堂のスタッフといった大人の紹介、がなされる。そのため、出張授業といっても、単に生徒へのヤングケアラーの周知だけでなく、生徒たちにとっては、自分の住む地域にいる信頼できる大人を知るきっかけとなっている。そして同時に、ヤングケアラーサポートクラスは、地域においてヤングケアラー支援に携わっている大人たちがつながる場としても機能している。 こうしたヤングケアラーサポートクラスの取り組みから示唆されるのは、地域の様々なアクターがヤングケアラーと顔の見える関係になることの重要性である。そして、社会学における社会関係資本の議論を踏まえれば、そうした関係を絶えず維持していくことの必要性が示唆される。ヤングケアラーを地域でどう支えるか。そこには、支援体制の整備とヤングケアラーの発見よりも、長期的な信頼の獲得が意味を持つのである。
報告番号73
韓国・釜山市の地域資源としての朝鮮通信使の社会的意味
天理大学 魯ゼウォン
【目的】本報告は、釜山市における朝鮮通信使(以下、通信使)の取り組みを研究対象とする。通信使は17世紀から19世紀の間に朝鮮国から日本に派遣された外交使節団であり、約200年間に12回派遣された。通信使が注目されたのは1990年に訪日した盧泰愚大統領が日本での演説で通信使にふれたからである。それをうけ、通信使の最初の寄港地であった長崎県対馬は通信使が訪日した際の経路沿いの市町に交流をよびかけ、1995年に「朝鮮通信使縁地連絡協議会」(以下、縁地連)を発足した。その一方で、通信使一行の出航港であった釜山市は、2003年に「朝鮮通信使文化事業会」を発足し、2010年には釜山文化財団に通信使事業を移管した。その後、釜山文化財団は、主に「朝鮮通信使祝祭」の開催ならびに縁地連と対馬市・下関市・静岡市等を対象に「韓日文化交流事業」を実施した。 以上の2000年代の釜山市は、通信使を釜山独自の地域資源に位置づけ、釜山市の都市競争力を高める地域祝祭に通信使を取り入れながら、日本との交流拠点都市の特徴をより強めている。釜山市が2000年代に通信使を地域資源としてとりいれたのはなぜだろうか。本報告は、韓国において、1990年代後半に地方自治が復活し、2000年代になると本格的な地方自治の展開に伴う地方大都市の変化という視点から、韓国第二の都市である釜山市が取り組んだ通信使の社会的意味について考察する。 【方法】方法としては、主に釜山文化財団の担当者および朝鮮通信使学会、縁地連の加入自治体(対馬市、静岡市)・市民団体の担当者を対象に資料収集とインダビュー調査を実施した。実施期間は2018年5月、2023年5月と8月である。 【結論】本報告の知見として、第一に、2000年代の釜山市は、民選の市長による「海洋首都21基本計画」(2001年)の推進のもと、1990年代に日本で注目された「通信使」を釜山独自の海洋文化を表す地域資源に位置づけ、市政にとりいれたこと、第二に、釜山市は、都市競争力を高めるため、2003年から「朝鮮通信使」祝祭を釜山市の代表祝祭として開催すると同時に、縁地連の自治体を対象とする「韓日文化交流事業」を実施し、それを通じて、日本との交流拠点都市の特徴をもつようになったこと、第三に、2010年になると、釜山市の通信使の取り組みは地域文化を育成する釜山文化財団(釜山市の傘下団体)に移管され、通信使の現代的交流(芸術・文化交流)である「新朝鮮通信使」を拡大していき、例えば静岡市とは大道芸のアーティストを相互派遣するなど、都市間交流をも進めていることの3つが指摘できよう。 本報告は、1990年代末から2000年代にかけての地方自治の復活・展開により、各々の自治体が独自の地域資源を発掘するという韓国社会の変化が釜山市の地域資源としての通信使の価値を高めたことを示している。
報告番号74
「開発の連鎖」を断ち切るための協働――沖縄県竹富島の住民自治組織とリゾート組織の関係
聖心女子大学 前田一歩
沖縄県八重山郡竹富島は、自然環境と伝統的な町並みから人気の観光地である。2020年の新型コロナウイルス流行まで、観光者数は年々増加の一途を辿っていた。その人気は、本土復帰前後(1970年代)から、住民主体で、自然環境と街並みを保護する活動を展開してきたことによる(福田 1996)。新型コロナ以前には年間100万人強の観光客が入域し、その数は町内の人口に比して約255倍であった。竹富町の人口に対する訪問者の比率は、沖縄県内の離島を有する地域のなかで最も高い(竹富町 2024:3)。竹富町のなかでも最も多くの観光客を集めるのが、本研究の対象となる竹富島であり、町が受け入れる観光客約100万人のうちの半分、50万人を受け入れている。観光資源であり、同時に、島民が古くから守ってきた自然環境・生活環境を保全するために、住民自治組織は、無秩序な観光開発を防ごうと活動してきた。 本報告では、本土復帰直前から「憲章」をつくり景観保存のために住民が主体となって活動してきた竹富町を事例に扱う。とくに2000年代以降に生じた大規模リゾートの開発へと抵抗する過程、およびその「戦略」の変遷について検討する。具体的には、2008〜2012年にかけてなされた星野リゾート問題と、それに続くコンドイリゾート問題(2014年〜)、ピースアイランド温泉リゾート問題(2023年〜)と、3つの開発問題が継起したことに注目する。開発問題が立て続けに起きたことによって、島の住民組織が開発に反対する(あるいは賛成する)ためにもちいるレトリックがいかに展開してきたのかについて、である。 生活環境主義にもとづく研究では、開発問題や公害問題に直面した地元の一枚岩ではなさを前提として、住民説得の際に用いられる「言い分」を捉えることが重要な課題であるとされてきた。これは住民の「立場性の違い」ではなく、立場を超えて通底する歴史や経験を把握しようとする方法と視角である(鳥越 1997;山室 2012)。また、一度受け入れた迷惑施設が、さらなる迷惑施設を呼び寄せるという「不正義の連鎖」(熊本 2021)についての視点を用いて事例を検討する。 分析の結果、激烈な反対運動のすえ開業した「不正義の連鎖」の端緒であるはずの既存リゾート・星のや竹富島を、うまく地域にとりこみながら、新たなリゾート開発を防ごうとする戦略が見られる。「経験」のひとつとして注目するのが「水」をめぐる問題である。自前の水道を持たず、隣接する石垣島から送水管を通している竹富島の島民は、過度な観光開発への反対のレトリックとして1980年代以前から「水不足」をもちいてきた。この点について星野リゾートは、自前の淡水化装置を設けることにより、島の資源への配慮をするとともに、島全体の水不足に備える。このように開発者と住民が、島の歴史や感情を共有することは、より悪い外部アクターを受け入れないための戦略の一例である。 本報告が提示するのは、猛烈な反対運動のすえに開業した「望ましくないリゾート」を、島で育てていくことにより、「良いリゾート」に変えていく試みである。より悪い外部アクターを受け入れないために、既存のリゾート施設を、育てて、共存する態度は、「不正義の連鎖」から抜け出す一つの道筋でもありうる。
報告番号75
校区まちづくり協議会の役割展開――那覇市の事例
関西大学非常勤講師 栄沢直子
【1.目的】 近年、少子高齢化や行財政資源の不足など地域をとりまく環境の変化を背景に、住民自身による地域課題の解決が求められている。とくに共助による解決の主体としての自治会の役割に期待される一方で、全国的に自治会の加入率低下が叫ばれ、量的にも質的にも新たな担い手の確保が急務となっている。さらに本報告の事例である那覇市では自治会の加入率および組織率が極めて低く、その要因として、(共同体型)自治会の凝集性の強さと郷友会の存在が指摘されている(黒田 2013)。こうした状況に対して担当課(まちづくり協働推進課)では、自治会と校区まちづくり協議会(まち協)の「両睨み」の支援を行っており、自治会については151地域(2024年5月現在、加入率14.5%)、まち協については15校区(2025年5月現在)で設立されている。まち協は、2010年に策定された「小学校区単位の新たなコミュニティ施策の展開に関するモデル事業実施指針」のもと与儀・石嶺・銘苅・若狭の4校区を対象とするモデル事業の展開と検証を踏まえ、2022年に策定された「小学校区コミュニティ推進基本方針」では、全市域(36校区)への展開が謳われている。施策化から15年が経過し現下の検証も課題となるなか、既設のまち協では地域課題の解決や新たな担い手の確保に向けてどのような取組が実践されているのだろうか。本報告では、まち協の機能や役割を展望することを目的とする。 【2.方法】 本報告では、市の担当者やまち協の代表者を対象とするヒアリング調査と各種文献資料をもとに分析・考察を行う。 【3.結果】 「地域課題の解決に向けた取組を持続的に実践する組織」である地域運営組織の約2/3が自治会やその連合組織を母体に設立され(総務省 2025)、またその意思決定に自治会は深く関与している(金川ほか 2022)。一方、那覇市のまち協には自治会が参加している校区が多いものの、会長や事務局長など組織運営を主に担う役職に(元)PTA会長や子ども会・児童クラブの代表のほか、各種団体からの選出ではない有志が就くなど、自治会の関与が少ない校区も多い。またまち協が事業の実施主体となるのではなく、プロジェクト支援(地域活動を間接的にサポート)や情報発信(コミュニティFM番組のスポンサー)など、「第三者的な支援機能」(櫻井 2024)に特化している校区もみられる。 【4.結論】 こうした「中間支援機能」に特化している校区では、広く住民が集まる会議(ゆんたく/サロン)も柱に据えており、オンライン開催、朝会にする、地域の逸品(地元銘菓)でもてなすなど、誰もが参加しやすい場づくりを通して、若者や女性など新たな担い手の確保につなげようとしている。地域運営組織の「柔軟な最適化」に向けた中間支援組織の役割に期待されるなかで、那覇市の事例からは、自らその機能を担おうとする取組を確認できた。
報告番号76
街猫たちはどこへ消えたか――猫と犬の死政治:境界としての猫(5)
学習院大学 遠藤薫
目的 昨年の日本社会学会大会報告では、コロナ禍以降、めっきり見かけなくなった(しかし必ずしも一般に意識されていない)街猫(街を歩き回っている猫)の状況と、その背景について、国内外での観察・検討を踏まえつつ、家畜化-脱家畜化、オフモダンの文脈で考察した。 本年の報告では、その後の国内外の状況を継続報告するとともに、戦後日本における「猫の死」「犬の死」の歴史的変容を辿り、動物に対する「死政治」という視座から、その現在位置を検討する。 方法と結果 猫や犬は、飼猫・飼犬として人間の管理下に置かれているものと、野猫・野犬として人間の管理を離れてしまったもの、そしてその中間には放し飼いにされているものや遺棄されたものなどがいる。彼ら・彼女らは、人間たちの定めた「法」によって、さまざまな「保護」の対象となる。。 「保護」が、「野犬狩り」と呼ばれた時期があった。昭和25年(1950年)、GHQの指導により、「狂犬病予防法」が制定された。これにより、狂犬病の予防と野犬の繁殖防止を目的として、予防員が野犬の捕獲を行った。 野犬の管理については、明治期以降、いくつもの規制や法律が施行されているが、「狂犬病予防法」では、予防員による捕獲、撲殺や薬殺が認められている。また、狂犬病予防法の対象には、猫などもその対象とされている。1950年代初頭には、街中で行われる野犬の一斉捕獲(野犬狩り)はしばしば見る光景であった。野犬は恐怖の対象であったが、野犬狩りの光景も恐怖と激しい憐憫を喚起する光景であり、漫画や児童文学でも語られた。同時にそれは、その当時の「浮浪児狩り」とも重なり合っていた。 日本における犬の狂犬病の最後の発生は1956年であったとされる。最後の動物の狂犬病は翌1957年に猫の狂犬病が報告されている。 1973年、議員立法により、「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護管理法)が成立した。動物愛護管理法の対象は、「家庭動物、展示動物、産業動物(畜産動物)、実験動物等の人の飼養に係る動物」である。また、犬・猫については、「都道府県、政令指定都市又は中核市は、犬及び猫の引取りを行うとともに、道路、公園、広場、その他の公共の場所において発見された負傷動物等の収容を行」うと定められている。 一方、野生動物については、2002年に発布された「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」(「鳥獣保護管理法」)があり、その目的は「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化を図り、もって生物の多様性の確保、生活環境の保全及び農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、自然環境の恵沢を享受できる国民生活の確保及び地域社会の健全な発展に資すること」とされている。 結論 これらの法律はいずれも、「人間と動物の共生」をうたうが、同時に、「動物たちにいかなる死を与えるべきか」の指針ともなっている。このような状況について、本報告では、MbembeのNecropolitica(死政治)概念などを援用しつつ整理し、「語りえぬ他者との対話」(遠藤)を通じて、言葉の本来の意味での「人間と動物の共生」の可能性を探りたい。
報告番号77
社会的カテゴリーとしての〈犬〉と〈猫〉をめぐる歴史社会学――アクターネットワーク理論を手がかりに
日本大学 木下征彦
1. 目的 本報告の目的は、社会学のアニマルターン(動物論的展開)に向けた理論的視座の一つとして、アクターネットワーク理論(ANT)の有効性を検討することである。そのために、近現代日本における犬と猫が、人、動物、疾病、法律、言説などの多様なアクター間の相互作用を通じて、いかにして特定の意味を持つ「社会的カテゴリー」として構築されてきたのか、その歴史的変遷の過程について、とりわけANTの「翻訳」概念を手がかりに検討する。 2. 方法 本報告では、ANTを主要な理論枠組みとしつつ、地域社会における人と動物のコンフリクトの記述によって、報告者がこれまで論じてきた社会的カテゴリーとしての〈犬〉と〈猫〉をめぐる交渉・解釈過程を明らかにする。ANTは従前の相互作用論や社会構築主義とは異なり、非人間も現象を構築するアクターとして捉え、それらの連関に注目する点に特徴がある。このアプローチは伝統的な動物観や近代の動物愛護思想等の社会の制度や文化、咬害や狂犬病予防法、そしてそれらをめぐる言説が、どのように人と犬猫の関係を「翻訳」してきたのかを記述することができる。そのため、過去の報告で用いた新聞記事見出しのデータを用いる。質的分析によって犬と猫それぞれの時代的変遷を捉えつつ、共起ネットワーク分析を用いることで、各時代における主なアクターと関係性の変化を可視化する。 3. 結果 犬をめぐるネットワークでは、人、犬、噛害、狂犬病、国家権力と法制度等が主要アクターとなる。特に「狂犬病予防法」という強力な法的アクターは、「公衆衛生」という論理を用いて他のアクターを動員し、「犬は人間が管理すべき存在」として翻訳され、犬の繋留や予防接種が進み、安定したネットワークを構築した。この基盤の上に、1960年代以降「動物愛護」の理念が導入され、管理下の犬は「ペット」として人間に近い存在へと再度翻訳された。一方、猫をめぐるネットワークでは、〈餌やり人〉、〈被害者〉、地域コミュニティ、猫、糞害、ボランティア、動物愛護、行政組織等が主なアクターとなる。ここでは、犬における狂犬病のような、ネットワークの方向性を決定づける強力なアクターが存在しない。そのため「愛護の対象」であり、「生活環境を侵害するアウトサイダー」という二つの翻訳が、それぞれ異なるアクター群に支持されて拮抗し、安定したネットワークの構築、すなわち社会的カテゴリーとしての解釈の一致を見ていない。 4. 結論 ANTは、社会学のアニマルターンにおいて、人と動物の関係史を記述するための有効な視点と方法を提供する。犬の事例は近代国家の管理下における「翻訳」の典型例として、猫の事例は複数のアクターによる解釈が競合し、合意形成が困難な現代的課題として対比的に理解できる。このことは、人と動物の関係が人間による一方的な意味づけだけでなく、病気、動物の行為による咬害や糞害、国家による法制度、動物愛護をめぐる言説などの多様なアクターの連関によって動的に形成されることを示している。
報告番号78
動物福祉をめぐる問題の漫画化
花園大学 秦美香子
本報告では、動物をめぐる問題を描く複数の漫画作品に注目し、そのレトリックを分析する。漫画という形を取って社会問題へのクレイムが申し立てられるとき、そのスタイルやレトリックは、その社会で流通している漫画表現のパターンを組み合わせることで構成されることになる。とくに日本の場合、漫画ジャンルは細分化されており(少年漫画、エッセイ漫画、学習漫画など)、どのような媒体で作品が発表されるかがレトリックの選択可能性を制限する側面もある。 また、漫画にとって「キャラクター(際立った個性や魅力を持つ登場人物)」は最も重要な構成要素の一つであり、キャラクターの「キャラ(個性)」は読者に物語への没入を促したり、共感や反感といった反応を誘導したりする装置として働く。したがって、複数のレトリックを各キャラにそれぞれ結び付けて物語化することで、ひとつのクレイムをめぐる多様なレトリックを同時に読者に提示することもある。 さらに、漫画が商業出版物として発表される場合、商業的な要請がクレイムの発信可能性を決定する。 以上の点から、本報告は、漫画が物語化して提示する社会問題に対するクレイムには、漫画ならではの特徴や限界があるという想定から出発する。その特徴や限界を明らかにし、漫画でクレイムが申し立てられることの意味を検討するのが、本報告の主旨である。 本報告が分析対象とするのは、動物に対する暴力や問題含みの行為を批判的に描いた少年漫画、青年漫画、学習漫画、エッセイ漫画、ウェブ漫画である。 まず、漫画表現という点では、動物の内面描写を用いた被害の提示方法に注目する。漫画に限らず、動物を擬人化し言葉によって被害を訴えさせる手法は、どこか空想的で切迫感のない雰囲気をもたらしてしまう。しかし漫画は、言葉を使わずとも、ビジュアル言語(感情などを示す記号や線など)や構図によって動物の感情を描写し、読者に動物の思いを自ずと読み取らせることも可能である。ただし、被害の深刻さを提示することは、「辛くて読めない」と読者に思わせてしまうリスクもあるため、商業上の視点からバランスがとられることもあり得る。本報告ではこうした点に関する具体的な分析結果を提示する。 次に、視点やレトリックの切り替えに注目する。漫画の中では、問題としての資本主義、人間が動物に向ける愛情と身勝手な都合、「悪」と「正義」の対立など、動物福祉にまつわる様々な側面が物語の要素として利用される。複数の側面が複数のキャラに割り当てられ同時に提示される場合もあるが、どの側面を前景/後景化するか、どの価値観を肯定し、否定するかには、漫画が発表される媒体のジャンルという視点が欠かせないことを述べる。 最後に、漫画を用いた社会問題へのクレイムという本報告の注目する枠組み自体を検討するために、Graphic Medicineを参照しながら考察を述べる。Graphic Medicineとは、いわゆる「医療マンガ」などを通じて医学・医療を批判的に検討する様々な取り組みの総称である。この射程は医学に留まらず、環境学などにも広げられ得ることが示唆されている(Czerwiec et al. 2015=2019: 60-1)。Graphic Medicineは、漫画ならではの現実変革の力に期待する取り組みであるが、これにならえば、本報告は‘Graphic Animal Welfare’の可能性を検討するものともいえるだろう。
報告番号79
真木「動物社会学」の意義と限界――30年後から見た『自我の起原』
奈良大学 尾上正人
【1.目的】 最初の発表から30年以上が経過した真木悠介著『自我の起原——愛とエゴイズムの動物社会学』(The Origin of Speciesに「起原」の字を当てる日本の進化学の慣習・伝統があり明らかにそれへのオマージュだが、残念なことに近年の某真木研究書では一貫して「自我の起源」と誤記されている)の今日的な意義と、克服されるべき限界・問題点について検討する。 【2.方法】 『自我の起原』が採用した「動物社会学」の方法論と参照した知見に関して、今世紀のその後の展開を踏まえつつ妥当性を再検証する。 【3.結果】 『自我の起原』の今日的な意義は何と言っても、社会学者を含む「人文、社会科学者」の間に形成されている「生物社会学に対する過剰な免疫抗体」を払拭して、自ら「動物社会学」と称しているように、生物進化を踏まえたヒトの性質(本性)やその社会の特質の解明を志したことにある。アニマル・ターンの先駆と言えるかもしれない。 しかし、真木自身の問題関心の偏りや時代的な制約などから来る限界も目立つ。まず方法論上、致命的と言わざるを得ないのは、遺伝子・個体・血縁他者・集団…といったいわゆる淘汰のレベルの議論(今日ではマルチレベル淘汰説として精緻化されつつある)を、自我(の出現)やエゴイズムの議論へと横滑りさせていることである。「テレオノミー的な主体化」は遺伝子への反逆(今日では遺伝子-文化共進化論として研究が進む)として語られたが、そもそもテレオノミーとは生物全般が持っている、目的論と区別された適応進化の機構を指す用語であって(ドーキンス以前の、近年邦訳が出たジョージ・ウィリアムズの著作において詳しく展開されている)、真木が考えたような、ヒトを待って初めて現れる新しい特質の謂ではない。 「自我」に関しては今日では意識をめぐる問題として再定式化されて、哲学者や脳科学者の間で活発な議論が行われてきたが、その歴史的「起原」は真木が主張した哺乳類の出現(哺乳類中心主義!…真木風)よりはるか以前の、カンブリア紀に置かれることが多くなっている。また真木がこだわった自我の「かけがえのなさ」は、トマス・ネーゲルの問題提起などを経て意識の「クオリア(質感)」の研究へと進展したように思われる。 もう1つ疑問視せざるを得ないのは、(非血縁)他者や「愛」の扱いである。ドーキンスの「延長された表現型」論(その眼目は本来、他個体に対する利己的な操作・搾取の指摘にあった)の一面的な解釈により、昨今の福岡伸一的な無原則の「利他主義」の誤りに接近している。それは宮沢賢治論との接合に必要だったのかもしれないが、「我」田引水的(利己的!)な歪曲に繋がった。生物が織りなす生態系(「森や草原やコミューン…」)は実際には、生物個体が「〈他者のため〉にもまたつくられてある」と総括するにはあまりにエネルギー収支の無駄が多く、やはり個体(ないし血縁集団)レベルの利己性に貫かれているとしか言いようのないものである。 【4.結論】 『自我の起原』で表された真木の「動物社会学」は、社会学の伝統的な(社会)生物学アレルギー、バイオフォビア(生物学嫌い)の流れに待ったをかけた点では、大きな意義を持つものであった。しかし、淘汰レベルと自我論の混同や、実態にそぐわない「利他的」生命観など、そのままでは保持できない議論も多く、克服が求められる。
報告番号80
動物と人が交わる場でのルール生成――「猫カフェ」をめぐるルールの国際比較
東京国際大学 柄本三代子
ヤマザキ動物看護大学 新島典子
問題 台湾に端を発し、現在のスタイルは日本発祥とも言われる猫カフェは、現在世界各国に存在している。当初は人間が楽しむための「場」であり「猫」であったため、アニマルウェルフェアの観点から猫の処遇に対し批判的な先行研究もあった。しかしその後「開業の際のルール(許認可)」や「入店の際のルール(house rule)」が事細かに定められるに至っている。ルールについては「カフェ」という場の定義に関する各国の文化的背景も含めて考察する必要がある。ひとつの空間を動物と人間が共有する際にどのようなルールが介在しているのかを考察することで、動物との共生のあり方を模索する。猫の処遇も考慮したルールが設定されてもなお、人間の娯楽のための存在であるとの批判は免れない。しかし今日多くの猫カフェが保護猫の譲渡活動も行っている。猫に出会う楽しみのために人間が訪れることが、結果として「不幸な猫」(無残な死に方を強いられる)を減らしているという現実が少なからず評価されるのは、そこにもまたさまざまなルールが必要とされているからではないか。このような様々な「猫カフェ」におけるルールの成立と性質について考察することで、人間と動物が交わる場のあり方について考察する。 n方法 本報告は、日本、アメリカ、香港、ウィーン、イギリスなど世界各地で、2010年から2023年にかけておこなったフィールドワークやインタビュー調査をもとにしている。国内では2010年から東京都や神奈川県内の複数店舗にて、海外では具体的には以下の時期と場所での調査である。ウィーンのCafé Neko(2014)、香港の阿猫地攤(2014)、米国NYのMeow Parlour(2015)、米国CAのCat Town(2019)、ロンドンのLady Dinah’s Cat Café(2023)、Java Wisker’s Cat Café, Marylebone店(2023)、Java Wisker’s Cat Café, White City店(2023)、リバプールのCat Cafe Liverpool(2023)、マン島のManx Cat Café(2023)。 n考察・結論 開店までの許認可には国ごとの差異とハードルの高低が確認できた。その背景にはそもそも「カフェ(喫茶)」をどうとらえてきたか、ということも大きく作用している。例えばメイド「カフェ」やマンガ「喫茶」が存在する日本では、自動販売機による飲み物給仕もめずらしくなく「カフェ」概念の広がりがみられるが、イギリスの「カフェ」ではカップとソーサーが基本というスタイルが強固に保持され、ケーキなどの軽食も供される。このような「カフェ」たりうる空間へのこだわりの違いはもちろん、店内で猫とどう接するのか、というハウスルールと関連していた。 カフェという場の定義だけでなく、人間本位の猫カフェから、猫のウェルフェアも考えたカフェ経営へと変わってきている背景にもルールの変遷が存在する。各国で実働するさまざまなルールの存在の中にも、人間中心主義から動物をも中心に据えようとするアニマルターンの流れが表れてきていることが見て取れる。しかし当該空間内での猫との直接的かかわり方について、本報告が対象とした各国の違いはとくに確認できなかった。すなわち「猫カフェ」は、日本特有の現象として説明可能なのではなく、歴史や文化が異なる地域間でのルールの共通性と、その共通性を有さない(そもそも存在しえない)地域との相違に今後着目する必要があるだろう。 謝辞 本研究はJSPS科研費(22K18550代表・赤川学)の助成を受けている。
報告番号81
ジェンダーのレンズで見る犬飼育
玉川大学 藤田典子
【1、目的】 本報告は、ペット飼育に飼い主のジェンダーがどのように影響しているかについて、都市部在住の犬飼育者を対象とした質的インタビュー調査データを用いて考察する。「日本社会でのケアにおける固定的ジェンダー役割」という視点で犬飼育について研究することで、家族社会学研究とジェンダー研究に貢献したい。 【2、背景】 現代日本の都市部では「家族ペット」(山田 2004)は自明のこととされている。家族の中でも、「子どものように」犬を飼育する飼い主もいる(Fujita 2024)。その犬のケアにおいて、飼い主のジェンダーはどのように影響しているだろうか。猫を対象とした、または犬猫両方を対象にした研究では、女性に見られる特徴が示されている(山田 2022; 遠藤 2023; 赤川 2025)。犬のみを対象とした場合はどうだろうか。 欧米では、ペット飼育(Pet Parenting)研究は、人類学、社会学、動物行動学等の分野で広く取り組まれている(Haraway 2014; Blouin 2015; Volsche 2018; Barina-Silvestri et. al. 2024)。中でも人と犬の関係性についての研究は、犬飼育が人の生活と犬の行動の双方に与える影響を示してきた。ジェンダー視点を取り入れた研究は多くはないが、人と犬とのかかわり方が人のジェンダーで異なることを明らかにしており、さらにその差異が人と犬との関係性にどのように影響しているかを考察している(Prato-Previde et. al. 2004; Volsche and Gray 2016)。 以上の背景から、本研究は、日本の都市部における犬飼育状況のジェンダー分析を行う。 【3、方法】 報告者は2022~23年に、関西にあるA市で、年齢30代から50代の犬飼い主19人(女性16人、男性3人)に対して平均1,5時間の半構造化インタビュー調査を実施した。サンプリングは、まず報告者のSNSを利用して募り、その後スノーボール方式で集めた。インタビューで柱となる質問は、「飼い犬の存在の意味づけ」および「飼い犬の世話の意味づけ」であった。本報告は後者の研究成果である。グラウンデッドセオリーを用いた分析で、犬のケア、すなわち「生を支える活動」(落合 2023)を、誰がなぜ、どのように行っているか、解釈した。 【4、結果】 インタビュー対象者の多くが、「犬の世話」を、「生きるために必要な要求を満たすこと(餌やり・飲み水の交換・散歩・排泄物の処理等)」に加え、「犬との情緒的なつながり」や「犬が幸せな一生を送れること」と意味づけした。後者は飼い主が飼い犬を「甘やかす」(Doi 1982)行動にも表れた。また、「家庭内での主の世話人」は「自分」であると答え、多頭飼育の場合は、夫婦間、あるいは子どもも交えて「主の世話人」を分担していた。この結果から、男性も場合によって主の世話人になり得ることが示された。 一方で、男性が主の世話人である時、犬は中型・大型犬であり、女性がそうである時、犬は小型犬である傾向が見られた。そして後者の場合、犬の年齢にかかわらず、日本の(母による)子育て特有の実践「抱っこ」(Tahhan 2014)が特徴的であった。以上から、犬のケアにおいても、飼い主のジェンダーが影響している点が明らかになった。
報告番号82
ポスト新型ウイルスにおける飼育実践②――アメリカドッグパーク調査結果より
麻布大学 大倉健宏
1.前年度の報告では代々木公園飼い主イベント調査結果を報告した。昨年の報告は新型ウイルス流行期とポスト新型ウイルスでの比較である。この報告は新型ウイルス流行期・逸脱期とポスト新型ウイルス・正常期の比較となる。本報告は2013・14・17・18年に実施した第一次調査(352票)と2023年に実施した調査(130票)の結果を比較することで、正常期としての第一次調査結果とポスト新型ウイルス期・正常期の飼育実践をとりあげる。正常期と正常期の比較を通じて、飼育実践に新たに付け加えられた条件を探りたい。 2.アメリカ調査はニューヨーク市ブルックリン区、サンフランシスコ市、バークレイ市にて実施した。いずれの調査も8月末から9月上旬の同一日程で実施している。ドッグパーク利用者を対象として質問調査を行いデータを集めた。2013・14年調査では紙媒体の調査票を用いた。2017年調査以降は電子調査票クラウドを利用している。 3.本報告ではまずいくつかの単純集計結果比較を行う。新型ウイルス流行により求められた各種の規制や、行動変容は飼育実践に影響をあたえていることがわかった。くわえて第一次アメリカ調査結果と2023年調査結果クロス集計結果を検討する。クロス集計結果の変化を各データにおける変数の組み合わせに注目して変化の条件を示したい。ここでの変数としては、a.飼い主とその家族に関する変数、b.具体的な飼育実践に関する変数、c.好ましくない飼育マナー・飼育に必要な施設に関する意識、d.犬種や犬齢など飼い犬に関する変数、e.ペットを介して連なるペット友人に関する変数を用いる。分析にあたっては、それらの変数が新型ウイルス流行の影響を受けたかについて検討する必要があるだろう。 4.ポスト新型ウイルス期にあっては流行期の飼育行動様式や飼育に対する意識に変化がみられた。一方で家庭内での役割分担や給餌などについては、変化がみられた点とみられなかった点がある。クロス集計結果においては相関関係が、①かわらず見られたもの 有→有、②みられなくなったもの 有→無、③逆の相関がみられたもの 有→逆、④これまでにはみられなかった関係がみられたもの 無→有、というパターンが想定される。①についてはb.飼育実践どうしの変数のケースが含まれる。②についてはa.飼い主に関わる変数で、b.飼育実践に関する変数を説明した場合に、関係がみられなくなった。 5.本報告ではアメリカ調査結果から飼育実践や飼育に関する意識のモデルを提示することとしたい。このモデルについては、昨年度報告した代々木調査結果から得られた変化モデルを示し、それぞれの特徴を示したい。
報告番号83
建設産業における移住労働者の拡大と産業労使関係の変容
法政大学 惠羅さとみ
1.目的・背景 本報告の目的は、建設分野を事例に、移住労働者の拡大がもたらす産業労使関係の変容について明らかにすることである。建設分野は、社会基盤整備に従事するブルーカラー職として、いわゆるエッセンシャルワークに位置付けられながらも、少子高齢化の下で継続して労働力不足に直面してきた。国内労働者の入職者が減少する中、2015年創設の外国人建設就労者受入事業(国交省の時限措置)を通じた外国人建設就労者の受け入れ促進政策を一つの契機として、過去10年間、外国人技能実習制度ならびに特定技能制度を通じた受け入れが大幅に増加してきた。その結果、現在ではこの二つの在留資格(「技能実習」「特定技能」)が建設業で雇用される移住労働者の78%を占めている(厚労省2024年数値)。外国人技能実習制度が中小企業による裾野的な制度活用であったのに対し、外国人建設就労者受入事業および特定技能制度は、所轄省庁である国交省や建設業界団体が参与する施策を通じて、トップダウンで推進されている側面がある。その一方で、産業単一の運営組織や監督機関の創設や産業政策との連携、また育成就労制度の施行に向けた分野別の議論が進む反面、個々の受け入れ企業や労働者の就労生活をめぐる実態的課題は十分に取り組まれているとはいえない現状がある。本報告では、一つの産業の内側を多面的な視点から分析することで、受け入れに伴うフォーマル性とインフォーマル性をめぐって、複数の領域での社会過程がいかに相互関連しているのか、あるいは齟齬を抱えながらも進展しているのかを考察する。 2.方法と分析内容 本研究は、報告者が2022~2024年度に実施した国内の多様な主体に対する質的調査データに基づいている。具体的には、主に首都圏において、建設分野の受け入れの運用に関わる業界単一組織(JAC)、専門工事業者団体(躯体中心)、監理団体(建設特化型および多業種型)、受け入れ企業(中核的企業及び中小零細企業)、技能実習生・特定技能外国人、建設労働組合や支援組織などに対する半構造化インタビューを実施した。これらの調査データの分析に加えて、この間の政府施策に関わる資料や、諸外国の事例を含む建設業の産業労使関係や技能形成システムの特徴を踏まえ、移住労働者の社会的包摂に影響を及ぼす産業労使関係の変容とあり方を考察する。 3.結果と課題 これまで日本の建設労使関係は、重層下請制度と流動的労働市場、インフォーマルな技能形成および処遇システム、そして不可視性と不安定性によって特徴づけられてきた。越境的労働市場の拡大の中で、産別・業種別の集団的取り組みや上からの管理強化が進む反面、度重なる制度の変容に伴い、移住労働者は新たな不確定性・不安定性に直面し、包摂のあり方も様々な水準で分節化しつつある。二極化あるいは格差の拡大の下で、越境的移動はいかに維持可能なのか、また下からの支援活動や社会的取り組みの進展にはどのような意義と課題があるのか、今後検討していく必要がある。
報告番号84
石炭産業における季節夫の移動と労働力調整――本州東部・西部炭田の事例分析
早稲田大学大学院 鈴木崇広
[目的]本報告の目的は、季節夫の農村―炭鉱での反復的移動の実態と炭鉱への定着過程を明らかにし、石炭産業における労働力調整・確保のプロセスを描出することにある。季節夫とは、石炭産業の臨時労働者であり、農村からの出稼ぎ者で占められていた。彼らは主として農閑期(冬期)に炭鉱へと来山し、農繁期に帰村した。一方で炭鉱側も、同時期に暖房用などで石炭需要が増加するため、ピンポイントで労働力を確保することをもくろみ、彼らを積極的に雇用した。両者の利害が合致し継続的に炭鉱に来る季節夫も多く存在した(=反復的移動)。さらに、来山後炭鉱に定着し、坑夫へと転身する者も存在した。季節夫は石炭産業の労働力調整・確保において、重要な位置を占めていた。しかし、従来の炭鉱労働者研究は、彼らを正面から取りあげてこなかった。本報告はこの課題をふまえ、本州東部の常磐炭田ならびに西部の宇部・大嶺炭田の季節夫の移動・定着に焦点をあてる。 [方法]東部については常磐炭砿磐城砿業所の季節夫のプロフィールと経歴を横断・縦断分析し、反復的移動の実態、ならびに炭鉱への定着過程を示す。具体的には、「農村労働移動調査票」(1951年実施)と「採解簿データベース」(同砿業所の労務管理台帳)を用いる。前者の横断分析から、1951年夏期時点での同砿業所へ来山した季節夫58名のプロフィールを明らかにし、ついで彼らの学卒から来山までの職歴を再構成し、パターン化する。つづいて後者のデータベースを用いて、上記58名のうち1952年以降も来山した記録のある者を抽出し、彼らの炭鉱でのその後の職歴推移を追跡する。これらの縦断分析より、季節夫の反復的移動および炭鉱への定着過程を実証する。さらに同時期の常磐炭砿における季節夫の移動と定着を仲介したエージェントの実態を生活史データ(正岡ほか編 2007)から明らかにする。一方で本州西部の宇部・大嶺炭田については、集団来山がみられた特定地域との関係に注目し、季節夫の移動の端緒を明らかにするため、職安関係の文書史料分析を行う。 [結果]農村労働移動調査票の季節夫は、必ずしも全員が農業にのみ従事していたわけでなく、来山までに様々な職歴(鉱工業・兵役経験)を有していた。また、1952年以降は、季節夫としての来山を継続した者と、炭鉱の常用労働者として登用された者の2つのパターンに分かれた。前者はもっぱら農業のみを生業としてきた「反復的移動」者で、出稼ぎを継続していた。一方で後者は、非農業世帯出身、もしくは農業世帯出身であっても他出経験のある者が大半であった。特需ブームのなかで、多くの季節夫が常用労働者として登用、炭鉱に吸収された。その過程は同炭鉱での労働力需給と呼応していた。また宇部・大嶺炭田の季節夫は、元来、島根・広島県から多く来山していたが、1935年前後を境に、新潟県からの来山が主流となった。その発端は、災害で窮迫した農民の働き口を職業紹介所による斡旋であるが、その際、主導役を担った特定人物が存在した。 [結論]季節夫の雇用慣行は、炭鉱側、出稼ぎ者側双方の利害から発生し、炭鉱は、季節夫の採用・解雇、常用労働者への登用を石炭需給に応じて細やかに行うことで、労働力を確保・調整した。こうした形態での季節夫雇用は、主として一般炭を生産する本州2炭田に特徴的であり、高度成長期での「民族大移動」と複線的に持続した。
報告番号85
衰退産業における労働者の子どもの学歴・職業移動――高度成長期の「炭鉱の子ども」に関する事例研究
実践女子大学 笠原良太
1.目的 本論の目的は、高度成長期の衰退産業における労働者家族が、どのように子どもの階層上昇を実現しようとしたのかについて明らかにすることである。高度成長期の大企業ブルーカラー労働者は、企業に付与された家族賃金の物質的基盤のもと、「中流」としての「人並みの生活」を実現し、子どもの教育を介したホワイトカラーへの階層上昇を志向した(木本 2002)。これまで、鉄鋼業(鎌田・鎌田 1983)、自動車産業(木本 1995)など、製造業を中心とする成長産業の大企業ブルーカラー労働者を対象とした研究が蓄積されており、子どもの高卒以上の学歴取得や企業学校を介した同一企業内での「人並みの生活」の実現、階層上昇も可能であったことを明らかにしている。 一方、同時代に急速に衰退した産業において、労働者の子どもの学歴・職業移動はどうだったのか。本報告では、高度成長期に急速に衰退した石炭産業・炭鉱労働者家族を例に、子どもの学歴・職業移動についてみていく。 2.対象・データ 炭鉱労働者の子どもの学歴・職業移動については、夕張(布施編 1983)、尺別(嶋﨑ほか 2020)、常磐(武田1963、正岡ほか 1998-2007)を対象とした研究蓄積がある。これらの対象地域は、それぞれ炭鉱都市、山間の単一産業地域、都市炭鉱という特徴を有する。本研究は、先行研究で収集された調査データを再分析し、鉱員(ブルーカラー)層の子どもの学歴・職業移動の地域間比較を行う。対象は、1940年代後半から50年代前半出生コーホート(1960年代に中学校卒業)である。また、適宜、他の主要な産炭地・炭鉱にも言及しながら、地域・企業ごとの特徴を指摘する。 3.結果 まず、学歴移動について、父親(鉱員)の学歴が低く(義務教育段階)、高校進学機会が普及して子どもの多くが全日制高校に進学したため、上昇移動となった。父母の教育期待(高卒以上)の大きさもこれを促進した。高等教育機関への進学は、鉱員層では限定的だったが、なかには学生寮や奨学金といった会社の制度を活かして進学する者もいた。 つぎに、職業移動について、高卒の男子は、都市部の製造業ブルーカラーに、女子は地元周辺のサービス業(看護師、美容師など)に主に就職した。これも父母の職業期待(男子には技術の習得、女子には手に職をつけること)と合致していた。子どもは、その後のキャリアでホワイトカラーに移動する者もいたが、多くが成長産業・大企業の高卒ブルーカラー労働者として「人並みの生活」を追求した。 一方、夕張をはじめ、炭鉱のビルドアップ、新鉱開発を進めていた産炭地では、企業内養成校(高等鉱業学校、1960年代半ばに設置)を介した男子の炭鉱就職・階層上昇(職員登用)がみられた。女子も炭鉱病院や炭鉱事務所への就職が目立った。 4.暫定的結論 以上のように、高度成長期における炭鉱労働者(鉱員)の子どもの学歴・職業移動は、大手炭鉱が付与する制度や物質的基盤によって可能だった。しかし、衰退産業ゆえに、労働者(父親)の長期雇用は保障されず、父親が炭鉱に残るか、離れるかの選択に、子どもの進路は左右された。当日の報告では、炭鉱労働者家族の生活史を用いて説明する。
報告番号86
国内農村部への地方移住者による地域活性化活動の実践と精神はどのように形成されるか
一橋大学大学院 高橋健太郎
本報告は、地域活性化や地域おこし(以下、活性化活動)に関心のある中山間・農山村地域(以下、農村)地方移住者を対象に、ある活性化活動がどのような社会的・環境的背景の中に生じるのかを探索的に明らかにする研究の中間的報告である。 農村地域における社会・経済の課題が累積するなかで、地域活性化の活動が求められている。しかし活性化活動には絶対的な「正解」はなく、様々な担い手がめいめいに活動を行っている。たとえば、「古民家の改修と活用」「祭りの継承」「農産物のブランド化」などは、性質が異なるがいずれも活性化活動とみなされうる。 一方、活性化活動が重視される反面、具体的にどのような活動が望ましいのかは十分に議論されておらず、むしろ様々な活動が積極的に肯定されてきたきらいがある。そこには、限られた人的・経済的リソースでの活動の効率化や、人々が何を「活性化」として望ましく把握するのかの再考による地域計画の検討の余地がある。 ここで、実際の活性化活動の内容やこれに関する価値観は、その活動主体を取り巻く社会的な背景や環境的な制約に傾向づけられる可能性がある。たとえば、性別や年齢、幼少期の経験、保有する資格やスキル、利用した政策的な支援、人的ネットワーク、経済的状況、などが考えられる。 そこで報告者は、日本国内の地方移住者のうち地域活性化活動に関心のある者を対象として聞き取り調査を行ってきた。地方移住者は地域の活性化活動の主体として政策的に期待されている。聞き取りでは、ライフヒストリー、現在の生活と活動、そして今後の展望の3点を中心として尋ねた。これを通じて、活性化の活動内容とその精神、そしてそれらを方向付ける社会的・環境的な要素の一体的把握を試みている。 なお、国内の地方移住者の価値観や行動様式に関する研究は多いが、上記の関心に沿うものは少ない。農村計画学など計画系の分野では、定住促進や地域住民との調和を目的として彼らの価値観や行動が把握されるが、彼らの具体的な活動とその精神に関してはほとんど論じられない。また、社会学や地理学では移住後の生活を生き方や働き方、居場所感覚の模索と捉える議論が増えているが、活性化活動の内容との接続は見られない。またいずれの文脈でも、移住者のうち活性化に関心を持つ者に特化した研究は限られている。 調査は2025年6月現在で9名に行っていて、今後も継続する。現時点の仮説的発見として、第一に、活性化そのものに関心を持って移住した者は、地域で「何が活性化か」を問い直し、「自分にできることが活性化につながればよい」と考える傾向がある。第二に、前職のスキル等を活かして活性化に取り組む者は、総務省の移住支援策である「地域おこし協力隊」制度を利用した移住後、3年で事業体として独立することが生活上の課題となり、その結果必ずしも当該地域社会を対象としないサービスや製品による事業が選ばれる場合もある。後者はその際、地域での移住者による生活そのものを地域への貢献と認識することがある。 本研究は、地方移住者の働き方を規定する社会的背景への議論に接続されるものである。また、市民社会から政策・学術の領域に至るまで多義的に用いられる「地域活性化」概念とこれにまつわる知識のあり方を措定することを通じて、現代社会における「課題解決」の知識への社会学的分析に経験的な知見を提供しうるものである。
報告番号87
職場の安全・健康の確保と雇用吸収・維持のトレードオフ関係の変容――第2次産業での労災防止政策の実証及び精神的健康保護の制度的課題から
一橋大学大学院 岡本武史
【1.目的】本報告では、「雇用吸収」の場としての職場の確保・維持と、職場における「安全・健康」の確保との関係について、両者がトレードオフを構成するだけでなく、他方の要請にも一定の実効性ある対応が求められるという相互制約的な関係が成立していた可能性を、第2次産業を中心とした作業内容や作業環境に起因する傷病等の危険防止をめぐる政策介入の分析を通じて実証的に検討する。あわせて、近年の精神的健康の保護に関する政策介入では、このような相互制約的な関係が確認されず、「安全・健康」の確保に係る政策介入が強く抑制されている状況が伺われる可能性を考察しつつ、こうした点が示唆する現代の職場の問題構造の変化の可能性について議論する。 【2.方法】「雇用吸収」及び「安全・健康」を概念定義の上、政策介入の「積極性」及び「抑制性」の判断基準を設定し、次の分析を行った。①同時期における「雇用吸収」に向けた政策介入の積極性と「安全・健康」の確保に向けた政策介入の抑制性が観察されることや、②「雇用吸収」に向けた政策介入が先行し、制度蓄積や更新が確認される一方、「安全・健康」の確保に向けた政策介入については制度の見直しや強化見送りなどの状況が確認されることを、法制度の内容や導入の時系列、関連の行政文書・審議会資料等の分析を通じて検証する。③また、「安全・健康」の確保に向けた企業支援が限定的ながらも実効性を持って行われていたことについて、政策支援の重点業種と非重点業種との比較に基づく統計分析を行う。④なお、考察のための前提として、近年の精神的健康の保護を巡る法規制の内容分析を英独の規制との対比しながら行い、その特徴についても示す。 【3.結果】上記分析により以下の結果を得た。①分析基準に基づき、実際に「雇用吸収」に係る政策介入の積極性と「安全・健康」の確保に係る政策介入の抑制性が観察された。②また、「雇用吸収」に係る政策先行と制度蓄積の一方、「安全・健康」に係る政策介入は見直しの議論の中で一定の妥結がなされた状況にあった。③もっとも、製造業等の重点業種に対しては予算措置に基づいた企業支援が存在しており、非重点業種との比較において有意に労働災害の防止の効果が生じていた。④他方、近年の精神的健康を害する事態の防止を巡っては、英独と異なり直接的な防止義務が法制度上設けられておらず、むしろ労働者に一定の「ストレス耐性」を黙示的に前提とするような制度設計になっていた。 【4.結論】 以上の分析結果を踏まえ、少なくとも、作業内容や作業環境に起因する傷病等の危険防止をめぐる政策介入については、「雇用吸収」に係る政策介入とのトレードオフだけでなく相互制約的な関係性が一定程度成立していた。しかしながら、精神的健康を害するリスクの防止については相互制約的な側面を見出すことが制度的にはできない状況になっており、労働者に一定の「ストレス耐性」を前提とすることがこうした制約の必要性を弱めている可能性が伺われた。このことは、職場というものが引き続き生計獲得の基盤として不可欠の場であるにもかかわらず、実際にその場で労働に従事し得る主体が特定の心理的特性や条件を満たす者に限られていく傾向が強まっていることを示唆している可能性がある。
報告番号88
求人広告の性別語彙と賃金期待
東京大学 森川ゆり子
【1.目的】 女性が多く従事する職業は賃金が低く,この傾向は男女間賃金格差の大部分を説明する(Blau and Kahn 2017).この現象は,文化的信念により女性の労働の価値が切り下げられるというDevaluation Theory (England 1992)によって説明されてきた.しかしこれまでの研究では,さまざまな変数を統制したうえで残る「女性比率の効果」を文化的信念の影響と解釈しており,ジェンダーに関する文化的信念は直接測定されていない(England 2011).また賃金は,職業という枠よりも,具体的な職務に基づいて設定されるため,職務に着目する近年の階層論の流れ(Avent-Holt et al. 2020)をふまえれば,Devaluationの議論を職務レベルに拡張できる可能性がある.そこで本研究では,求人広告テキストから自然言語処理を用いて文化的信念を捉えることでDevaluationのメカニズムを直接的に検証し,さらにDevaluationプロセスの適用範囲の職務レベルへの拡張を検討する. 【2.方法】 Study1では労働需要側へのアプローチとして,求人情報サイトAPIから,約15,000件の求人広告を取得し,単語埋め込みモデルを用いて女性的意味合いを持つ語彙の重心を捉えた(Stoltz, Taylor, and Dudley 2025).さらにConcept Mover’s Distance手法(Stoltz and Taylor 2019)を用いて,求人単位のテキストに含まれる女性的意味合いを計量的にスコア化し,給与(時間当たり賃金)に回帰した.またStudy2では労働供給側へのアプローチとして,雇用労働者2000人を対象に,架空の求人情報の賃金の適切性について評価させるサーベイ実験を行った.実験では求人テキストを操作し,女性的意味合いが強い求人テキストと賃金評価の関連を分析した. 【3.結果】 Study1の労働需要側では,女性的文化的意味をもつスキルや職場環境に意味的に近い語彙が用いられる求人は,詳細な職業カテゴリや職業の女性比率を統制しても,賃金の低さと関連することがわかった.またStudy2の労働供給側も,女性的文化的意味をもつスキルや職場環境に意味的に近い語彙が用いられる求人を,高賃金と結びつけないことがわかった. 【4.結論】 労働需要側と供給側の見解の一致は,これらの認識が共有された文化的信念によるものでることを示唆している.また,同一職業内でも,個々の求人広告に付随する女性的な意味合いが低賃金に関連することは,Devaluationメカニズムの理解において,職業レベルの「性別構成比」からタスクレベルの「文化的意味づけ」へ拡張可能性を示唆している.
報告番号89
東アジア5都市における若者の価値観変動と少子化――比較社会学的検討
茨城大学 笹野美佐恵
本発表は、急激な少子化が進行する東アジアの大都市圏における性別役割分業意識や家族形成に対する態度(結婚観や子ども観)に着目し、それらの価値観が若い世代の男女間でどのように変化しているのかを、国際比較の観点から明らかにすることを目的とする。 日韓両国は、OECD加盟38か国の中でも特にジェンダー不平等の水準が高く、男女間の経済格差が大きいことで知られている。OECDの「Gender Wage Gap 2023」によれば、韓国の男女賃金格差は31.2%で38か国中1位、日本も22.1%と4位に位置する。また、世界経済フォーラムの「ジェンダー・ギャップ指数2025」の「経済参加と機会」部門においても、韓国は対象146か国中112位、日本は120位と、いずれも極めて低水準にある。さらに両国は、先進国で唯一、女性の年齢別就業率が「M字型カーブ」を描いており、結婚・出産に伴う離職構造が継続している。このような構造的背景から、両国の少子化は、不平等な性別役割分業や保守的な家族観といった共通項により説明されてきた。 しかし筆者は、「圧縮的近代」を経験した韓国では1986年以降に生まれた若い世代の女性を中心に、価値観に急激な変化が生じており、既存の性別役割に強く反対し、子どもを持つことへの肯定的価値が急速に低下傾向にあることを明らかにしている(笹野, 2021)。一方、日本では韓国ほどの世代間変化は見られず、特に若年女性において家族志向的価値が強まっており、両国の若年女性の間で価値観変化の方向性が対照的であることを確認している(笹野, 2021)。「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査2018」を用いた分析でも、1990年代生まれの韓国女性の間で、価値観がさらに顕著に変化していることが浮き彫りとなった(笹野・李相直, 2024)。さらに「EASS 2016」を用いた研究では、台湾において韓国以上にリベラルな価値観への変化が進行していることも判明した(笹野ほか, 2024)。ただし、すべての価値観が一様にリベラル化しているわけではなく、各国の制度的背景との相互作用により、価値側面ごとに複雑な交錯が見られることも明らかとなっている。 こうした知見を踏まえ本研究では、出生率が急低下している東京・ソウル・北京・台北・シンガポールの5大都市を対象に、価値観の変化を世代・性別ごとに比較分析する。少子化は都市部で顕著なため、全国データよりも都市圏に限定した比較の方が問題の核心に迫るうえで有効である。 本発表では、ソウル大学アジア研究所が2022年に実施した「アジア大都市価値観調査」のうち、対象都市に居住する18~59歳のデータ(10,500人)を用いる。同調査は、家族に関する価値観だけでなく、人生満足度、社会的不信感、相対的剥奪感、不平等感、社会的葛藤など多様な項目を含み、価値体系の多角的比較が可能である。 現段階では、年齢別の性別役割分業意識・結婚観・子ども観のクロス集計を実施済みで、日本を除く4都市では価値観の世代差が大きいことが明らかとなっている。今後は潜在プロファイル分析(LPA)により価値観の類型化を行い、背景要因を解明する。今回は、その分析結果を中心に報告する予定である。
報告番号90
日本における家事・育児に対する公平感認知と出生意欲の関係
京都大学大学院 梁光宇
平等な家事・育児分担が多くの先進国で出生率の回復と関連しているとされる。しかし、日本を含む一部の国では、この関連が顕著ではない。本研究では、ジェンダー公正と出生率の関連がこれらの国で有意ではない原因として、ジェンダー公正の主観的側面が見落とされている点に着目する。具体的には、家事・育児分担に対する公平感の認知が、実際の分担よりも出生意欲と直接結びついているため、実際の分担を統制しても、公平感と出生意欲との間に有意な正の関連があると考えられる。この考えに基づき、女性が家事分担および育児分担をそれぞれ公平だと感じるほど、女性の出生意欲は高まるという二つの仮説を立てる。 これらの仮説を検証するために、日本の2023年度「夫婦の出産意識調査」のデータを用いて重回帰分析を行った。この調査は日本全国を調査範囲とし、クオータ抽出法により47都道府県から均等に63名ずつ既婚者2,961名を抽出して実施された。対象を女性に限定し、分析に使用する変数に欠損値を含む回答をリストワイズ除去した結果、分析対象は1,150名となった。サンプルの代表性を補正するため、令和2年国勢調査の都道府県人口割合に基づくウェイトを適用した。 変数の操作化については、出生意欲を今後の出産意向と出産のタイミングという二つの項目による「3年以内の出産意向」という連続変数、および計画子ども数で測定した。公平感は女性自身の認識に基づく家事・育児分担に対する満足度で測定し、二値変数とした。客観的なジェンダー公正の効果を統制するため、配偶者の家事・育児貢献度を実際の分担の指標として用いた。 その結果、サンプルの代表性を補正しない場合、公平感は計画子ども数には影響を与えなかったが、出生意欲には効果を持つことが示唆された。一方、都道府県人口割合で代表性を補正した場合、公平感が出生意欲に与える効果も確認できなくなる。さらに、補正後のサンプルを用い都市化率別に分析したところ、都市化率が低い地域では、公平感は計画子ども数には影響を与えなかったものの、出生意欲には有意な影響を与えていた。一方、都市化率が高い地域では、公平感が出生意欲に与える効果は確認されなかった。結論として、公平感が出生意欲に与える効果は限定的に支持され、計画子ども数に対する効果は確認されなかった。公平感が計画子ども数に対して有意でない原因として,男性稼ぎ手モデルの慣習の存続が挙げられ、補正後に公平感が出産意向に与える効果が消えた原因として,公平感の異質性が考えられる.総じて、日本では家事・育児分担に対する公平感と出生意欲の正の関連は限定的であり、ジェンダー公正の効果を検証するさらなる研究が求められる。
報告番号91
地方生産年齢女性のソーシャル・キャピタルとリプロダクティブ・ヘルスの関連
関西看護医療大学 西村由実子
関西看護医療大学看護学部看護学科 古川秀敏
畿央大学健康科学部看護医療学科 前田則子
大阪公立大学大学院看護学研究科 和木明日香
神戸医療産業都市推進機構 医療イノベーション推進センター 鍵村達夫
【1.目的】人口の都市への流出と出生率の低下により急速に進む人口減少に対処することは、日本の地方にとって喫緊の課題である。その際、地域全体の社会機能を維持しつつ個々人の希望やウェルビーングが満たされることが重要である。本研究は、兵庫県の淡路島の生産年齢女性において、地域への愛着や人とのつながり(ソーシャル・キャピタル,以下SC)と子どもをもつことに関わる健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ,以下RH)の関連を明らかにすることを目的とする。 【2.方法】2022~2024年にインタビューによる質的調査と構造化質問票による量的調査を組み合わせたミクストメソッズによる横断調査を実施した。質問票調査の対象者は、淡路島内の淡路市・洲本市・南あわじ市の住民基本台帳から系統抽出法で抽出された20~44歳の女性1107名である。質問票の構成は、SC測定尺度であるSC-20と助け合い独自項目、RH言葉認知、理想と現存の子ども数、主観的RH知識、RH意思決定感、RH実践、主観的健康感、主観的RH満足感、妊娠・出産に対する態度を測る既存尺度であるAFCS、および基本属性とした。プレテストでの再テスト法により質問票の安定性を確認した。質問票は郵送で配布し、質問票記入またはオンライン入力により回答を収集した。分析では、RH満足感を結果変数として、基本属性、SC諸項目およびRH諸項目とのクロス集計とロジスティック回帰分析により関連を同定した。本研究は、所属機関の研究倫理委員会で研究計画書の審査・承認を得た後に調査を実施した。 【3.結果】2024年8~9月の質問票調査実施期間に3市の20~44歳女性の1.7%に相当する231名から有効な回答を得た(有効回答率20.9%)。本研究ではSC-20の質問項目に無回答があった5名を除く226名を分析対象とした。クロス集計χ²検定で結果変数であるRH満足感と有意(p<.05)に関連があった項目は、「結婚/パートナー保有経験あり」「SC-20高い」「住むまちの人の距離感近い」「理想の子ども数3人以上」「現存子ども数2人以上」「妊娠出産新生児の健康知識あり」「望まない性行為を断れる」「子どもをもつかどうかの自分の気持ちを周りの人が尊重」「いつ産むか自分の希望で決められる」「自分のからだについてわからない時がある(逆)」「普段から、自分の心とからだの健康維持に努めている」だった。これら11項目および年齢とRH満足感の関連をロジスティック回帰分析したところ、年齢が低いこと(AOR=.930)、現存子ども数が2人以上いること(AOR=2.756)、自分の気持ちを周囲から尊重されていること(AOR=3.383)が有意(p<.05)に関連していた。 【4.結論】西欧の個人主義的価値観に端を発しているRHだが、日本の女性におけるRH満足感が「個人の気持ちが周囲に尊重されていること」と強く関連していたことは示唆的である。インタビューでは、子どもの数や性別に対する周囲からの圧力への葛藤が表現されていた。日本におけるRHの向上には、SCを含む社会的アプローチが必要であると考えられる。
報告番号92
少子化と私立大学縮小
無所属(慶應大学名誉教授) 鹿又伸夫
【1.目的】少子化の帰結の一側面として私立大学の入学定員割れに焦点をあてる。少子化(18歳人口減少)とともに進学率の変化、大学規模、偏差値などが私立大学の定員割れの進行とその地域差にどのように関わっているかを計量的に検討する。定員割れは2020年度以降急速に拡大して、募集停止を公表する大学もあいついでいる。少子化が進み、定員が現状維持であれば、2040年代には全体的な定員充足率が80%程度になるという推計(中央教育審議会大学分科会, 2023年10月)も公表され、私立大学は定員削減、募集停止、大学統合など縮小せざるをえない見通しである。しかし、少子化の進行だけが定員割れ進行に影響しているとは考えにくい。少子化と逆に上昇してきた大学進学率の上昇は定員割れを緩和してきたとされるが、その上昇は2020年以降も持続していて、定員割れの抑止効果を弱めたのかもしれない。他方で、定員割れが見られる大学の特徴として地方の立地があげられていて、高い進学率の都市部とそれにくらべて低い進学率の地方の地域格差をとおして定員割れが地方に集中しているとも推論できる。また、定員割れ大学の他の特徴として、小規模(大学収容定員)と低選抜(低偏差値)も指摘され、都市部の大規模、高偏差値の大学との格差が定員割れの地域差をもたらしているとも推論できる。 【2.データ】 2020年度から24年度入試結果について、大学および学部の入学定員充足率に関するデータ(定員、入学者数、偏差値など)を収集し、これにキャンパス所在県の18歳人口、進学者数、進学時の県間移動者数を追加したデータセットを作成した。欠損処理をした分析対象ケースは、5年間で大学2,762、学部は9,355である。 【3.分析方法】 大学の開設時期と規模、女子大、入試前年の偏差値などとともに、ハイブリッド形式にした少子化に関する①大学キャンパスの所在県の18歳人口、②進学率、③県内大学への純流入者数から、入学定員割れ(充足率95%未満など)を予測するマルチレベル・ロジスティック回帰分析を行った。また、潜在プロファイル分析によって地域分類を行い、地域格差も検討した。 【4.結果】 ①地方で定員割れが生じやすい地域差の一因が大規模で高偏差値の大学が都市部に多いためであることが再確認された。②5年間の18歳人口減少の”変化人数”に対応した定員割れ進行がみられた一方で、進学率が高まった”変化分”とともに定員割れが進んでいた。これは18歳人口の減少人数が大きいのに対して、「進学者数」の変化人数が小さくほぼ横ばいのためであった。③4分類の地域区分を採用し、地域別の定員割れ確率を推計した結果、その確率が小さい方から順に「東京」、「埼玉・神奈川・愛知・大阪」、「北海道・千葉・兵庫・福岡」「その他の県」で、それぞれ2020年から上昇し、地方の方がより上昇していた。⑤5年という短期間に、私立大学定員割れの地域的な偏りは、少子化の影響が人口の地域差そして特徴の異なる大学の地域的偏在によって増幅され、拡大していた。
報告番号93
子どもの認知地図発達と歩行――身体化された思考としての歩くこと
明星大学 石田健太郎
本報告では、子どもが日常生活の中で「歩く」という行為を通して、どのようにして認知地図を形成しながら、身の回りの環境と自己の関係性について理解をしていくのかについて、検討する。ピアジェやエリクソンの理論に基づく心理学や認知科学における研究では、乳幼児期の子どもは、視覚・聴覚・触覚・前庭感覚・固有性感覚など多様な情報の統合や、直感的な数量感覚や形状認識、空間把握といった認知能力を、就学前教育・保育施設での遊びや園外保育としての散歩活動などを通して発達させている。そこでは、具体的な体験の中で、自身の身体を動かしながら「どこにいるか」を感じたり、どういったルールや法則性がそこにはあるのかを、無意識のうちに考えながら、内在的な認知地図を形成していっているという。 こうした発達や学びのプロセスという観点に加えて本報告では、歩行を単なる身体的移動の枠を超えた、文化的規範や都市空間における構成要素との社会的相互作用を通した、社会的歩行として理解することで、子どもが、歩行を通して何を成し遂げているのかを明らかにする。子どもは、家族や保育者といった大人や、子どもと一緒に、地域の公園や街路、学校周辺といった公共空間を歩むことで、安全意識や社会規範を学んでいく。たとえば、まちの中にある様々な道路標識や信号、白線、ポストや図書館、商店、友達の家やよくいく公園といった物理的なランドマークは、子どもたちにとって安全な移動の手がかりとなるだけでなく、社会全体で共有される知識や価値が子どもに内面化される媒介物となっている。つまり、子どもは、自ら主体的に公共空間を歩く経験を通して、集合的記憶や社会的連帯といった社会文化的な価値を自然と育まれていると捉えることができる。 さらに、歩行がもたらす体験は、家族や近隣住民といった身近なコミュニティとの接点を生み、地域資源(例:商店、公園、図書館など)の認識や利用に結びつく。これにより、子どもは自らの生活圏を意識的に把握するだけでなく、地域社会の一員としての自覚や責任感を形成していく。 歩くことは、子ども一人ひとりの認知発達や学習のプロセスであると同時に、地域コミュニティや教育制度、都市空間が、子どもたちの生きる意味世界を形づくるとともに、地域社会を新たに作り出す実践の基盤となっている。 【参考文献】 秋谷直矩・佐藤貴宣・吉村雅樹,2014,「社会的行為としての歩行:歩行訓練における環境構造化実践のエスノメソドロジー研究」『認知科学』21(2),207-275. 藤田勉,1995,「幼稚園児の歩行行動に及ぼす称賛の効果」『行動分析学研究』8巻2号,151-159. 石田淳也・松延毅・中村知嗣・杉本翔平・松延摩也子・本田由衣・藤田清澄・香曽我部琢,2017,「保育者はどのようにして散歩コースを決定しているのか―子ども理解をもとに園外環境を活用する保育者の実践知」『宮城教育大学情報処理センター研究紀要』24,31-38. 石田佳織・宮田まり子・辻谷真知子・宮本雄太・秋田喜代美,2021,「幼稚園・保育所・認定こども園での地域活用の実態に関する全国調査—人口規模の視点からの地域の意義や環境の分析」『日本都市計画学会日本都市計画論文集』56,14-23.
報告番号94
学生に大人の生活術を教える米国の大学の新しい授業「大人入門」に関する社会学的研究
嘉悦大学 経営経済研究所 宇田川拓雄
1.はじめに 近年、大学生を取り巻く環境が急速に変化し、大学で学問を学ぶだけでは社会的に成功するのが難しくなっている。米国では基礎的な生活術が不足し、学業や生活に不安を持つ学生を対象とした「Adulting 101」という授業が作られている。料理洗濯掃除などの日常茶飯事や、金銭、人間関係、健康、時間の管理法など、大人として必要な「生活術(ライフスキル)」を教え、学生の自立と社会的成功を支援するのが目的である。 2.Adulting 101とは何か adultは大人という意味の名詞だが、2010年頃からadultを「大人になる、大人らしく振る舞う」という動詞として使う用法がSNSで若者の間に広まった。米国では若者にとって大学進学は親元を離れて自立を始める重要な機会である。親の過保護により生活術を学ぶ機会が乏しく、学業成績は良いが大人ならできる事柄ができない学生が少なくない。そのままでは学業に支障を来し、大人にならなければ卒業後に社会人として成功するのも難しくなる。「大人になるのは難しい」という意識から手引書が多く作られ、2016年頃に大学に「Adulting 101(以下、大人入門)」の授業が出現した。 3.導入への反対意見と支持の拡がり 大人入門には「生活術は家庭で学ぶもので大学の授業にはふさわしくない、生活術は学問ではないから大学で教えるべきではない」といった反対意見もある。大人入門は選択科目で、自分の生活術が不足していることを自覚している学生が受講している。評判が良く定員がすぐ満員になる。ワシントンポスト紙やロサンゼルスタイムス紙などの大手メディアも好意的に報じており、開設大学が増えている。米国以外のカナダ、英国、ドイツ、オーストラリア、韓国、台湾などでも開かれている。大人入門は大学の授業だけでなく自由参加のワークショップとして大学の図書館、学生サポートセンター、キャリアセンター、同窓会、学生自治会が開催したり、大学生以外を対象として高校、公立図書館、青少年センター、あるいはYMCAのようなNGOもなどもプログラムを提供している。米国社会がこぞって若者の大人教育に乗り出している印象を受ける。 4.好ましい大人への社会化 大人入門は、社会が求める「好ましい大人」が身に付けるべき価値観、社会規範、生活術を若者に修得させる仕組み、つまり社会化の制度と言えよう。急速に変化する現代社会に適応するには伝統的な生活術だけでなくICT、グローバル化、少子高齢化などに対応した新しい生活術も必要である。多様性(DEI)尊重が進む現代において、どのような人物が好ましい大人なのかは社会学における社会化研究の重要な課題となる。 学生の生活術不足は日米に共通する課題と思われるが、日本の大学には大人入門は見当たらない。日本では大学を学問の場とする考え方が強く、学問でない大人入門の導入は難しい。世界経済フォーラム(2016)が指摘する「全ての学生が必要とする21世紀のスキル」は大人入門の教育内容と一致する部分が多い。この考え方は中教審の「高等教育のグランドデザイン答申」(2018)に受け継がれ、日本でも大学において学問教育に加え、態度・技能・心理的資源を活用する「コンピテンシー」の育成が求められている。大人入門は、こうした能力形成の基盤として、また学生の社会的適応を支援する社会化の一環として、日本での導入が検討されるべきではないだろうか。
報告番号95
中学校社会科公民的分野「財政」の授業における「社会的な見方・考え方」の実践
和歌山大学 布川由利
本報告の目的は、中学校社会科公民的分野における「財政」に関わる授業の分析を通して、「社会的な見方・考え方」が個別の授業内容でいかに実践され教えられるかを明らかにすることにある。現行の中学校学習指導要領では、社会的事象に関わる基礎的な知識を基に「社会的な見方・考え方を働かせ」て社会的諸課題について議論し解決方法を模索するために、「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力の基礎」を育成することが目標とされている(文部科学省 2017: 41)。その中で公民的分野における「財政」に関わる内容は、学習指導要領では「B 私たちと経済」のうち「(2)国民の生活と政府の役割」に位置づけられ、財政を通した政府と国民の生活の関わりを学ぶことが求められる。本報告では、中学校における「財政」の単元の授業づくりと実際の授業の分析を通して、教科書の内容の再構成や知識の追加、授業場面における教員と生徒のやりとりから、「効率と公正」や「対立と合意」といった「現代社会の見方・考え方」がいかに個別の社会的課題と結びつけられながら実践されるかを検討する。 本報告で検討するのは、2024年度に国立・公立中学校教員および大学教員による共同研究で行なわれた授業づくりの活動および実際の授業場面の映像データである。この共同研究は、参与する各中学校の所在地域の中学校社会科教育研究会による公民的分野プロジェクトを基に、2016年度に当該研究会と財務省によって開発・実施された授業を発展させるために行なわれた。「財政」単元の授業は3年次の生徒を対象に2025年2月に4~5時間かけて行なわれたが、それまでに研究メンバーおよび財務省関係者によって研修会やミーティングが計9回実施され、また授業実施後にミーティングが1回実施された。本報告ではこれらの研修会・ミーティングで使用された資料および実際の授業場面を分析する。またその際、授業内容の適切性を問うのではなく、Lynch & Macbethが科学実験の授業における「科学的」実践がいかに達成されているかを明らかにしたように(Lynch & Macbeth 1998)、扱われる内容や授業のやり取りを通していかに「社会的な」議論が達成されるかを問う。 分析の結果、次のように授業内容の構成と授業のやり取りを通して「社会的な見方・考え方」が実践されていた。まず各中学校で使用する教科書が異なるなかで、財政に関わる基礎的な事項を教授し各中学校の進度で内容を進め、[高福祉・高負担―低福祉・低負担]という基本軸において、A~Dまでの4つの区分で社会保障と税負担の在り方を分類し、生徒らにどれが望ましいかを検討させるという計画が立てられた。国の歳出・歳入をめぐる諸問題は、社会保障の維持・削減とそのための税負担の増大・軽減という論点に集約され、議論をすることが生徒に求められていた。他方で教員は、財務省から提供された資料を用いて、教科書に記載されていない情報を授業に取り入れ、またそれらをグラフや図、表にすることで、提示された議題について様々な情報を読み解き、それを基に自身の主張を組み立てる、という実践に生徒たちを参与させていた。これらの授業内容の構成や配布資料、授業時のやり取りを通して、「社会的な見方・考え方」は授業の展開のなかで実践され、また教授されていたことがわかった。
報告番号96
学校推薦型・総合型選抜によるアスピレーション抑制効果――メリトクラシーの拡大と高校入学後の挽回
京都大学大学院 遠藤優太
近代の業績主義的選抜は生まれによらない移動を形式上は開放したが、それは裏を返せば、能力そのものによる移動の閉鎖化でもある。メリトクラティックな選抜による移動は「勝者は勝者に、敗者は敗者に」なりやすいトーナメント型をなしており、一度能力なしと判定された者には移動が閉ざされる傾向がある。いっけん移動を開放するようにみえる業績主義も、1度決まった進路からの挽回が難しいというもう1つの閉鎖化を伴っている。 学歴獲得までの進路選択のプロセスはその典型的舞台であり、成績や学校ランクによって進路希望が分岐していくことはよく知られている。学力による進路分化に関するこれまでの研究では、日本の選抜システムは選抜に過去の経歴を利用しないため、敗者復活の余地が大きいとされており、成績が高ければ進路希望も高い、あるいは成績が上昇すれば進路希望も上昇することが明らかにされてきた。 しかし、1990 年代以降の大学進学率の上昇に伴って学校推薦型選抜や総合型選抜といった筆記試 験一発勝負以外の選抜が拡大してきたことで、大学への進学において以前よりも過去の経歴の重要性が増し、高校入学後の挽回が生じにくくなっている可能性がある。そこで本稿では、学校推薦型・総合型選抜で従来の一般選抜と比べて成績に対して進路希望が変動しにくいどうかを検討する。 高校3年間のパネル調査(東京大学社会科学研究所・ベネッセ教育総合研究所『子どもの生活と学びに関する親子調査』)のデータを用いて、非進学/進学および非難関/難関それぞれの面で、1年時~3年時の成績の効果を希望入試方法別に分析した。成績は高1・高2・高3の各時点における学校内成績(学校内での自分の成績の位置を5=「上のほう」から1=「下のほう」までの5点尺度で尋ねた自己評価尺度、5教科平均値)を、希望入試方法は高3時点で大学以上進学を希望する場合に希望する入試方法(単回答)について「一般選抜」「推薦・総合型選抜」「その他・未定」を用いた。また統制変数として性別(男性/女性)、父学歴(高校以下/短大・専門/大学以上)、高校学科(普通科/総合学科/専門学科)、および高校偏差値を投入した。 その結果、⑴大学進学への希望変更は主として推薦・総合型で生じており、そうした進学シフトはもともと高成績を維持している人で生じていること、また⑵一般では過去の成績に関係なく現在の成績が高いほど難関希望になりやすいが、推薦・総合型では過去の成績も高くなければ現在の成績だけでは難関希望に変更しにくいことが示された。このことは、学校推薦型・総合型選抜が高校入学後の挽回をキャンセルするシステムであることを意味しており、それらが一般選抜に代替する形で拡大することで、かつての非進学層を新たに高校入学後もメリトクラティックな選抜に巻き込みつつ、進路を固定化させる可能性を示唆する。
報告番号97
教師対象の調査票調査における課題と留意点に関する一考察
三育学院大学大学院 篠原清夫
【1.背景と目的】 教師調査において母集団やサンプリングが明確でなかったり,回収率が低かったりなど,社会調査としての質が問われる事例が見受けられる.教師の中でも養護教諭調査に焦点化すると調査自体が少なく,以下の課題が見られる.①無作為抽出法によりサンプル抽出した調査が少ない,②一部地域を対象とした調査が多く全国調査は少ない,③養護教諭は全教員数中3.1%(文科省2024)とマイノリティのため回収数自体が少ない,④同一の調査内容でないため経時的な比較が困難である,などである.今回,養護教諭対象の調査機会が得られたため,上記の課題に対応すべく調査を行った.それを事例とし,調査企画から回収までの作業でサンプリング・回収・調査票のありかたなどから,教師調査における課題と留意点を考察する. 【2.方法】 日本全国小・中学校の養護教諭を対象とし,文部科学省の学校コード一覧を用いて廃校・分校を除外,系統抽出法により1,000校のサンプルを抽出,養護教諭宛で2025年3月に無記名による郵送調査を実施した.養護教諭のライフコース把握を念頭に置き,コーホート分析を実施するため調査項目は小島・中村(2004)の全国調査を参考にした.また回収率向上を企図してDillmanら(2014)が提唱するTDM(Tailored Design Method)に近い方法を用いた. 【3.結果】 文科省データを用いて郵送したが調査票未着が9校存在した.宛先不明(2校)は住所を調べ直し,休校(7校)は同地域の学校を無作為抽出,再度調査票を送付した.送付後1週間程度は回収率が伸びたが,その後なだらかになり,2週間後の礼状兼督促はがきの発送後に回収率は再上昇,最終的な回収率は42.1%となった.科研費ロゴマークの有無の影響について実験したが,回収率への影響は確認できなかった. 【4.結論】 督促はがきの効果として回収率1.4倍程度の上昇が確認できたが,小島らの2000年調査(回収率75.4%)と比較すると今回は低回収率であった.1年間の活動状況を明らかにする調査でも年度末に実施するのは望ましくないことが示され,クレームも2件(校長・養護教諭)寄せられた.学校単位で無作為抽出調査を実施する際,文科省データには休校情報がないこと,住所誤記・旧番地のため届かないケースがあったので,都道府県・市町村教育委員会データなどで確認する必要があった.また科研費研究にはロゴマークの使用が推奨されており,対象者への不信感を払拭する効果を期待して,今回半数の依頼状・調査票にロゴマークを印刷し無作為に郵送したが,ロゴマークの有無による回収率に有意差は見られなかった.本調査実施前の研究倫理審査で,校長など施設責任者に対する同意の必要性の指摘がなされ,学校組織や管理職に対する意識等の質問回答にバイアスの懸念が発生するなど,調査企画者と医療系倫理審査員との間に調査倫理に関する見解の相違が見られた. 【文献】 小島秀夫・中村朋子,2004,養護教諭の職業的社会化の研究,茨城大学教育学部紀要(教育科学),53:369-380. Dillman, Don A., Jolene D. Smyth, Leah Melani Christian, 2014, Internet, Phone, Mail, and Mixed-Mode Surveys: The Tailored Design Method (4rh ed). New Jersey: John Wiley & Sans. 【附記】 本研究は日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(20K02566代表者:篠原清夫)の助成を受けた研究成果の一部である.
報告番号98
国家機構としての資格試験の社会的構築――司法試験の制度決定と実施過程を事例として
鹿児島大学 米田憲市
【目的・方法】 選挙と試験は、国家機構において権力を配分する重要な部分を占めている。我が国の選挙については政治学において一定の知見がある一方で、我が国の国家機構を動かす公務員や専門職のほとんどが試験を通じて選抜されるにもかかわらず、その試験についての分析は、その蓄積が薄い、もしくは社会学的な検討に値するレベルでいえば、ないかのように見える。 こうした試験は、国家公務員に注目しただけでもいくつもの種類や職種に対応したものがあり、また、医師国家試験を始めとする専門職に至っては数え切れないほどの試験が存在する。また、国家試験とは別に、民間のさまざまな検定など、能力認定を目的とする試験も存在する。 これらの試験それぞれを社会過程とみなし、構築主義の観点から解体的かつ相互行為的な分析を施し、その動態を明らかにすることから多くの知見や示唆が得られる可能性を示すことが本報告の目的である。 本報告では、そのことを示すための事例として、司法試験に注目する。 【結果・結論】 司法試験は、裁判官、検察官、弁護士という、いわゆる法曹三者になる資格の一部を付与するための試験であり、知らないものはいないというのは言い過ぎかもしれないが、多くの人が認知している試験であり、最難関の国家試験といわれて、現在もそのイメージの中にある。 本報告は、司法試験を社会過程とみなし、構築主義の観点から解体的かつ相互行為的な分析を施し、その動態を明らかにする。 実は司法試験は、戦後の制度開始以来マイナーチェンジと言えるような変更が繰り返されてきた。さらに、1999年に始まった司法制度改革によって生み出された法科大学院を中核とする新しい法曹養成制度により、司法試験はその制度的位置づけが大きく変更された。来年度からは、試験の回答方法として、手書きではなく、CBTが導入されることが決まっており、既にそれへの対応が始まっている。 こうしたプロセスでは、試験実施の現場を焦点に、制度設計や実施のプロセスと受験する側の対応という2重のプロセスが働き、前者は相互作用を踏まえた政治的な過程の様相として、後者は制度が用意する課題に応えるための経済的社会的事情として現れながら、身体的規律を促すものとして働くことを指摘する。 これらが衝突する場としての「試験」の現場をおくことで、試験課題の形成とそれへの対応という試験という社会現象に対する多くの知見や示唆が得られる可能性を示す。
報告番号99
災間社会の災害対応――復興に取り組む団体の活動から
関西学院大学 頼政良太
昨今、災害が頻発化、激甚化、広域化しており、繰り返し災害が襲う時代になっており、常に災害の間(なか)にいるかのような状態になっている。一方では、災害が起きたことを「見なかったこと」にする集合的否認(宮本,2019)や、さらに「見ないこと」にする集合的否定(宮本・頼政,2025)によって、災害対応を日常の中でおこなおうとする「災害の日常化」が進んでいる。こうした対応の中では被災者の問題は見えなくされ、日常に埋没してしまう。他方では、貧困や孤立、制度からの排除といった困難が慢性的に存在し、人々が常に非日常的な生活を送らざるを得ない状態に陥る「日常の災害化」も進んでいる。「災害の日常化」と「日常の災害化」は、いずれも非日常的な状態である災害状態に陥っているにも関わらず、日常の中で問題が埋没してしまうという共通点がある。 災害が襲った時には、日常的な仕組みが機能しなくなってしまい、それらを埋めるためにさまざまな支援がおこなわれるのが災害対応である。しかし、公的な支援は基本的に画一的な支援がおこなわれるため、多様な被災者の支援が出来ない場合もある。そのため、それらの空隙を埋めるようにさまざまなボランティアや市民活動が生まれ、新たな制度の設計や活動主体が生まれてきた(大矢根,2015)。また、災害時には利他的な共同体が生まれ、さまざまな助け合いが見られる(ソルニット,2010)。しかし、こうしたダイナミックな動きは災害後に長続きせず消滅してしまい、問題は日常に埋没することになる。本報告では、こうした日常に埋もれ見えなくなってしまう問題に対して、どのような対応を展望することができるのかを事例をもとに検討する。災害後の救援活動をおこなうために立ち上がり、その後も継続的に活動に取り組む団体へのアクション・リサーチ、および活動団体へのインタビュー調査をもとに、日常に埋没する災害の問題への対応を考察した。それらの活動では、支援という形ではなく、それぞれに参加するボランティアの「できること」をつなぐという形で活動がおこなわれていた。あえて支援という枠組みから抜け出すことによって、日常に埋没したさまざまな課題を解決する糸口を見いだすことが可能になるのである。本報告を通じて新しい災害対応のあり方とともに、災間社会の課題を乗り越える可能性を検討していきたい。 【参考文献】宮本匠(2019). 人口減少社会の災害復興の課題: 集合的否認と両論併記 災害と共生,3(1),11-24. 宮本匠・頼政良太(2025). 「公」の「縮退」後の災害対応は展望可能か : 2024年能登半島地震からいま考えられること 災害と共生,8(1),21-29.大矢根淳(2015).現場で組み上げられる再生のガバナンス 清水展・木村周平(編)新しい人間、新しい社会――復興の物語を再創造する(pp.51-78) レベッカ・ソルニット(2010). 災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか 亜紀書房
報告番号100
地域コミュニティで防災の担い手を多様化する――静岡県における女性防災人材養成の成果と課題
静岡大学 池田恵子
【目的】大災害の度に、集団―こども、若年男女、女性、男性、セクシャルマイノリティなど―に特有の被災が改めて注目され、幅広い多様性に配慮した災害対応が求められるようになった。一方、地域コミュニティの共助の要とされ地縁組織を基盤とする自主防災組織は、意思決定層が退職世代の男性に偏り、高齢化が進んでいる。従来から、高齢者福祉、子育て、環境活動などの地域活動の多くは女性が下支えしてきたが、静岡県では役職に女性がゼロの自主防災組織は半数を占める。被災者の多様性に配慮する要請に応えるには、自主防災組織の担い手を多様化し、自主防災組織のみに依存する状態を脱して幅広い主体間に連携を生み出す必要がある。本報告は、静岡県における女性防災人材養成の成果と課題を、地域コミュニティの防災体制を担う人の多様化と協働関係の創出の観点から考察する。なお、報告者は静岡県内の主な女性防災人材養成事業の企画と実施に関与してきた。 【方法】①県や市町などの女性防災人材養成講座修了生を主な対象とした「静岡県における『災害発生に備える女性』の意識・実態調査」(市民による政策形成プロジェクト、2021年9~10月実施、回答数193、回収率61.3%)、②静岡県全市町を対象とした「避難所開設・運営及びその訓練に関する調査」(静岡大学ジェンダー研究所、2024年10月実施、回答数28、回収率80%)、③静岡県内で防災活動を行う女性たち、地域の自主防災組織役員、住民男女へのインタビュー記録(2017年~2025年)を活用し、女性たちの防災活動や、女性たちと自主防災組織、防災行政、防災・災害対応に関わる官民の組織との関係を考察した。 【結果】東日本大震災以降、防災に関心を持つ女性は増え続けている。女性防災人材養成の事業は、受講した女性たちが、人びとの多様性を前提とした災害リスク認知を高め、リスクを軽減する有効な対処方法を理解することに貢献している。また、対処方法を実行する責任は行政や自主防災組織のみならず自分たち自身にもあるという責任帰属認知も高めた。多様性の視点をもって災害に備える目標意識を形成した女性たちが、それを実践に移す場は、地元の自主防災組織への参画と、女性のみによるテーマ型の活動(地域にこだわらない)の模索の2つに大別できる。地元の自主防災組織への参画を望む女性は多く、役職に就いて防災イベントを実行する女性も珍しくなくなった。一方、「子育て防災」に関心をもつ女性たちのように、自主防災組織とは連携せず、防災行政の支援を受けて県内の同テーマの団体同士でネットワークを形成し、他県の同種のグループと災害時相互支援協定を結ぶに至ったケースもある。その背景には、避難所開設・運営訓練など自主防災組織の役割が強く期待される公式の場面では、主要な意思決定層に多様な人々のニーズまで含めた備えの必要性がまだ十分理解されておらず、関連分野の専門団体との連携がなかなか進まないことが挙げられる。 【考察】防災人材育成の講座を修了した女性たちが自主防災組織には参画できないという時代は終わりつつある。一方、地縁組織とテーマ型の組織の連携がなかなか進まないために、育成された女性防災人材の活躍の場が広がっていかない。自主防災組織とテーマ型の市民団体や専門職団体が自然に連携することはあまり期待できないため、行政の役割が期待される。
報告番号101
一時滞在施設における施設利用者の協力意識と共助推進運営キットに関する研究
東京都市大学 野田由佳
東日本大震災では首都圏で515万人の帰宅困難者が発生し、帰宅困難者への問題意識が向上した。首都直下地震では約800万人(出典:首都直下地震の被害想定と対策について「平成25年12月 中央防災会議首都直下地震対策検討WG」)、南海トラフ巨大地震では約1,060万人(出典:南海トラフ巨大地震の被害想定について「平成24年8月中央防災会議南海トラフ巨大地震対策検討WG」)の帰宅困難者が発生すると想定されている。最も懸念すべき事項は帰宅困難者の駅滞留による群衆雪崩などの二次被害であり、特に一時滞在施設などの帰宅困難者向けの支援施設の確保が急がれている。しかし一時滞在施設への該当公表控えや、従業員の負担や安全確保の難しさが課題としてある。支援者も被災者や帰宅困難である、という認識の浸透率の低さに起因する可能性に着目し、一時滞在施設の運営者と利用者間で協力を促す運営キットの開発を行った。本研究を通して、施設利用者に施設運営者が帰宅困難になり得る認識を広め、一時滞在施設の確保並びに該当公表を促す。
報告番号102
間にいつづけるアクション・リサーチ
弘前大学 平井太郎
“東日本大震災では首都圏で515万人の帰宅困難者が発生し、帰宅困難者への問題意識が向上した。首都直下地震では約800万人(出典:首都直下地震の被害想定と対策について「平成25年12月 中央防災会議首都直下地震対策検討WG」)、南海トラフ巨大地震では約1,060万人(出典:南海トラフ巨大地震の被害想定について「平成24年8月中央防災会議南海トラフ巨大地震対策検討WG」)の帰宅困難者が発生すると想定されている。最も懸念すべき事項は帰宅困難者の駅滞留による群衆雪崩などの二次被害であり、特に一時滞在施設などの帰宅困難者向けの支援施設の確保が急がれている。しかし一時滞在施設への該当公表控えや、従業員の負担や安全確保の難しさが課題としてある。支援者も被災者や帰宅困難である、という認識の浸透率の低さに起因する可能性に着目し、一時滞在施設の運営者と利用者間で協力を促す運営キットの開発を行った。本研究を通して、施設利用者に施設運営者が帰宅困難になり得る認識を広め、一時滞在施設の確保並びに該当公表を促す。
初めに、東京在住者を対象に災害時に利用する施設内でにおける協力意識についてアンケート調査を実施した。帰宅困難者として一時滞在施設などを利用した場合、協力を要請されたらどう感じるか、という質問内容に関しては、「進んで協力する」と「必要があれば協力する」と回答した割合が95.1%と、協力志向傾向が高いことが分かった。また、帰宅困難者受け入れ施設でどのような作業であれば協力したいか、という質問内容に関しては、食糧の配布などの単純作業や物資の運搬、何でも、帰宅困難者の入退所管理などの意見が多かった。反対に、抵抗感がある作業に関しては、清掃作業などの汚れ作業や、危険が伴う作業、他人との接触がある行為や、自他の生命に関わる行為に抵抗を感じるという回答が多く見られた。次に、回答者の本意を汲み取るために、場面想定を交え、回答者が有事の際にとる行動を更に深堀りした。調査により、一時滞在施設内における協力意思には関わる人物との信頼値が重要であることが分かった。回答者は、多くが他の滞在者とのやり取りには抵抗感が強く、運営者とのやり取りの場合は抵抗感が比較的弱いことが分かった。
以上の調査結果を踏まえ、一時滞在施設内における運営者と利用者間で信頼を構築し、共助を推進する運営キットの試作品を開発した。なお運営キットは試作段階であり、実証実験は8,9,10月を目処に随時とり行う。運営キットには、一時滞在施設開設要請を受けた直後から、業務の全体図(A0ポスター紙)と、協力要請カード、メッセージボードの3つで構成される。運営キットの活用想定は、施設内の開けた場所に業務の全体図を設置し、協力が必要な業務が発生した場合に要請カードを全体図に配置する。メッセージボードは利用者と運営者の相互のやり取りを補完する。運営キットにより二段階を経て信頼の構築が期待される。第一段階で、施設運営者が協力要請ができる環境を整え、第二段階では、利用者側からのメッセージである。運営キットを通じた二段階の信頼構築を踏まえ、運営者と利用者間の信頼を構築し、一時滞在施設内の共助を推進する。”
報告番号103
世代における平和博物館への来館過程――わだつみのこえ記念館に着目して
成蹊大学 那波泰輔
1.研究目的 戦争体験者が減少している現代において、戦争に関連した展示をおこない、「戦争体験」の継承を目指す平和博物館の重要性は高まっている。2006年に設立された東京都文京区に所在するわだつみのこえ記念館は、戦没学徒の遺稿集『きけわだつみのこえ』に所収されている遺稿を中心に、戦没学徒の遺稿・遺品を展示している。こうした特徴を持つわだつみのこえ記念館に、人びとはどのような経験を経て来館するのだろうか。これには、世代による『きけわだつみのこえ』への触れ方なども関連していることが考えられる。本報告の目的は、わだつみのこえ記念館への来館者を対象に、世代によってどのようなライフヒストリーを経て、来館にいたったのかを検討する。 2.研究方法 本報告では、わだつみのこえ記念館でのアンケート調査をもとに来館者層の分析をおこなった。それにくわえて、フィールド調査、インタビュー調査を実施した。インタビュー調査では、わだつみのこえ記念館の来館者に半構造化インタビューをおこなった。 3.結果 まず、わだつみのこえ記念館の概要について確認する。わだつみのこえ記念館は本郷の東京大学のそばに立地しており、戦争で亡くなった学生たちの遺稿・遺品が展示されている場所である。次に、アンケート調査の結果を確認したい。来館者数が一番多かった世代は20代であり、東京大学のそばにあることや、入館料が無料であることが20代である学生の来館を促していることが理由として考えられる。また、『きけわだつみのこえ』の読書経験では、60代以上の世代が多く、20代では『きけわだつみのこえ』の読書経験があるものは少なかった。インタビュー調査では、わだつみのこえ記念館の来館者のなかから、Aさん(80代・戦争体験者)、Bさん(60代・非戦争体験者)、Cさん(20代・非戦争体験者)にインタビュー調査を実施した。80代のAさんは『きけわだつみのこえ』の読書経験があり思い入れが強かったことから来館にいたっていた。60代のBさんは母親が『きけわだつみのこえ』について話していたことが印象に残っており、そうした要因から来館していた。両親も非戦争体験者である20代のCさんは、『きけわだつみのこえ』を知らなかったが、平和博物館を巡っていくなかで、わだつみのこえ記念館を知り、来館していた。 4.結論 本報告は、ふたつのことを明らかにした。ひとつは「戦争体験」の有無によってわだつみのこえ記念館への来館過程が異なったことである。戦争体験者は『きけわだつみのこえ』への思い入れが強く、その現物を見たいという感情から来館していた。一方で、非戦争体験者は、『きけわだつみのこえ』への感情は戦争体験者ほど強くはなかった。もうひとつは、非戦争体験者の差異である。親が戦争体験者の場合は、親の『きけわだつみのこえ』への思い入れの強さを看取し、非戦争体験者でも、『きけわだつみのこえ』への関心は高くなった。一方で親が非戦争体験者の場合は、『きけわだつみのこえ』の存在自体を知らないことも生じていた。
報告番号104
国家による戦没者追悼のゆらぎ――千鳥ケ淵戦没者墓苑の創設
広島大学 久保慶子
目的・方法 敗戦後の日本において、戦死者の死の意味づけが曖昧にされる中で、国家による戦没者追悼の中心施設は確立していない。政教分離が問題視される靖国神社に対して、宗教性のない千鳥ヶ淵戦没者墓苑は国家による戦没者追悼の中心施設として期待される存在であったが、その役割を担うことはなかった。 本報告の目的は、千鳥ケ淵戦没者墓苑がなぜ国家による戦没者追悼の中心施設として確立しなかったのか、その理由の一端を明らかにするとともに、その背景として、日本社会における戦没者追悼の位置付けを検討することである。 方法としては、千鳥ケ淵戦没者墓苑の創設に着目し、先行研究を踏まえ、国会答弁や新聞報道に焦点を当てて分析をおこなう。期間はいずれも、千鳥ケ淵戦没者墓苑の構想が出始めた1952年から同墓苑が竣工した1959年までを対象とする。 結果・結論 1952年5月、官民挙げての「全日本無名戦没者合葬墓建設会」(以下、「建設会」)が発足した。その設立趣意書には、欧米各国の無名戦士の墓を例に、外国の使節団も迎えるような大霊園を造営することが書かれている。各宗派の立場を超えて平和を祈念できる場所とし、対象者としては一般戦没者も含む構想であった。しかし1953年12月の閣議決定「「無名戦没者の墓」に関する件」には、「遺族に引き渡すことができない戦没者の遺骨を納めるため、国は、「無名戦没者の墓」を建立する」とされた。先行研究では、この閣議決定における「墓」の性格が「建設会」が示した案より後退したものになっていることから、靖国神社や日本遺族会による強固な抵抗により、「国立追悼施設」を目指した「墓」の位置付けが低下したと指摘されてきた。しかし政府はこの「墓」の創立について、これまで収容した遺骨を納める施設を模索するところから始まったと繰り返し答弁しており、その発端は大規模な「国立追悼施設」ではなく、あくまで遺骨を納める「墓」であったことは明らかである。 また追悼の対象者についてみると、政府は当初の「無名軍人の戦没者」という構想を撤回し、引取り手のない遺骨から、「その地域で戦没した戦没者」へと拡大した。その中には一般邦人も含まれる。この「象徴遺骨」という考え方は、千鳥ケ淵戦没者墓苑が「全戦没者」の追悼施設としての役割を担うことが期待されたものであるが、結果的に収容した遺骨の戦域の戦没者という限定性は拭うことができず、海外戦没者を対象とするものに落ち着いた。 新聞報道をみると、千鳥ケ淵戦没者墓苑の記事は少なく、社会的に大きな関心が抱かれていなかったことを示している。出ている記事も、千鳥ケ淵戦没者墓苑の参拝者が少ないことを指摘したものであり、国民も同墓苑を戦没者追悼の中心施設として認識していなかった。この根底には、社会的に戦没者追悼が注目されていなかったことがあり、敗戦国である日本において、戦死者の死の意味づけが積極的に行われてこなかったことがその一因と考えられる。 千鳥ケ淵戦没者墓苑創立にあたり、靖国神社や日本遺族会の意見は政府の決定に影響を与えてきたことは否めないが、同墓苑自身の創立経緯や性格、さらには国民の無関心といった点から、戦没者追悼施設の中心となることが難しい立場にあったことがわかる。
報告番号105
満州開拓慰霊碑の管理と継承について――岩手県の事例を中心に
岩手県立大学 三須田善暢
満州開拓は時代時代にその意味を問われてきた。今日問われるようになった課題の一つは、その体験と記憶が後継世代へ継承されず、慰霊碑の管理をなしえなくなることである。こうした状況を放置して移民事業の記録・慰霊碑等を朽ちさせてしまうことは大きな損失となろう。 ここでの問題は、一つは記念碑等の「モノ」の維持継承をどうするかという問題であり、もう一つは諸活動の体験・経験という「コト」の継承をどうするかという問題である。前者についていえば、近年問題となっている「墓じまい」とも通底すると考えられる。記念碑等を継承していく「べき」母体としてその当事者の「家(家族)」が前提にできなくなっているのである。さらには、その「家(家族)」事態の存続も危ぶまれている。つまり、問題の背景に「家(家族)」の変容が存していよう。後者に関しては、直接的な体験・経験がない世代への継承如何の問題として、たとえば古くは戦争体験の継承問題や、近年では震災体験をどう伝えるかという問題とも関わってくる。それはさらに、戦争や公害・災害など「負」といわれる遺産と向き合うためのいわゆる「ダークツーリズム」的な動きとも関わってこよう。 本報告では、満州開拓事業の功罪両面を見据えて、どのようにして慰霊碑という「モノ」、および顕彰・啓発活動という「コト」を後継世代へ引き継いでいけるか、現在の困難な状況の背景にあるものは何かといったことを考える。そのうえで、その展望をいかに描けるか、具体的には殉難碑を「負」の文化資源としてとらえることで、将来社会に活かしていく方策を考察したい。 本報告では、岩手県の満州開拓慰霊碑をめぐる経緯を主たる事例とする(部分的に、他自治体の事例も取り扱う予定である)。岩手県では1974年に岩手県雫石町の開拓記念公苑内に、岩手県満州開拓自興会と岩手県拓友連合会会の主導によって「岩手県満州開拓殉難の塔」が設立された。その後、事情により一時撤去された後、2007年に開拓関係者の私有地内(岩手県滝沢市)に移転した。慰霊祭は毎年続けられていいたものの、関係者の高齢化や病気などにより岩手県拓友協会による慰霊祭は2009年で終了した。岩手県拓友協会は自然消滅し、有志が同年「岩手県満州開拓殉難者の霊を守る会」を組織して塔の管理維持と慰霊祭を継承することになった。しかし、東日本大震災での被害や会員の高齢化・物故をうけ、組織の維持と活動の持続が困難となる。2012年には守る会主催の慰霊祭は終了して個人での自主参拝とし、県に維持管理の対応を依頼するなか、現在守る会の会員は10名弱となり自然消滅寸前にある。こうしたなかで報告者の三須田へ2021年に対応への協力が寄せられた。 守る会等関係する諸アクターの生活史や家族の意向を追う中から、上記課題を考える。 参考文献 黒澤勉,2014,『オーラルヒストリー「拓魂」 満州・シベリア・岩手』風詠社. 同,2021,『満州開拓民の悲劇』ツーワンライフ. 黒澤勉・小松靖彦編/堀忠雄著,2022,『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む』文学通信.
報告番号106
八王子空襲を記録する運動と行政
立命館大学大学院 星鉄雲
【1.目的】 本報告の目的は、1970年代に結成される空襲を記録する運動を事例に、運動がどのように行政と連携し、空襲を記録してきたのかを明らかにすることである。近年、戦争体験者から直接体験を聞く機会が減少していることから、文字資料や遺品、遺構などを用いて戦争の記憶がアーカイブされ、研究されるようになっている。本報告では、そのなかでも市民による運動から、特に行政という組織、八王子という場所に着目して、空襲が記録されていく過程を明らかにする。社会運動研究では、資源や機会といった概念を中心に、運動の参加を促す構造的要因の探求と運動参加者のアイデンティティや価値観などを統合した説明が求められる。社会運動の分析は、いつの時代もその時代の社会秩序との関係が探求されてきた。空襲記録運動は、目的達成のための合理的な行為として、または戦略的・戦術的な行為として行政を運動に引き込むこともあった。【2.方法】 本報告では、1979年に結成する「八王子空襲を記録する会(以下、八王子の会)」を起点に、八王子市の行政(教育委員会、郷土資料館)による戦災誌刊行事業と会による体験記刊行の2つの道のりを辿る。そうすることで、同じ「空襲を記録する」という目的を掲げながらも異なる運動として、枠組みをどのように形成したのかを八王子という地域社会、政治などの側面から運動の分化を明らかにすることができる。本報告で分析する資料は、八王子空襲の記録を刊行するために出版された数多くのテキストである。空襲の記録を推進する諸団体の会報をはじめ、行政の広報誌や戦災誌など、雑誌・書籍が対象である。それらのなかには記録することに関心を寄せる市民に向けて状況を伝達するために書かれた内容も含まれている。これらの資料を用いることで、八王子の空襲を記録することを市民は、どのように捉えていたのかを運動と行政の関係に着目しながら明らかにする。【3.結果】 八王子における空襲の記録は、市民の陳情によって行政が市民の代わりに戦災誌を編纂し、刊行した。八王子の会は、行政に記録を任せるのではなく、会としても体験記を収集・刊行すると同時に、行政が市民のために戦災誌を編纂したのかを監視する役割を担っていた。八王子の会が行政を手段として用いて、戦災誌刊行の目的に辿りついたようにもうかがうことができる。しかし、会と行政は体験の聞き書きや書籍の刊行もそれぞれ異なる運動であった。【4.結論】 1970年代後半、他都市において体験記や戦災誌が刊行されるなか、八王子の会においては、資源と機会を獲得するチャンスであったといえる。しかし、記録は市民と行政に分かれて収集されていった。市民による運動は、書籍刊行後も運動を継続できるが、行政による記録は、予算と期間が決められ、戦災誌刊行という終わりが示されていた。八王子の会と行政は、相互に連携するのではなく、会が陳情と監視をすることで、会が刊行した体験記を補うことが行政の戦災誌には求められていた。
報告番号107
占領期日本の風景と日常をめぐる歴史社会学――GHQの写真・映像資料を用いた調査を通して
大正大学 木村豊
文京学院大学 岩舘豊
大正大学 畑山直子
成蹊大学 那波泰輔
【目的・背景・方法】 本報告の目的は、占領期の日本ではどのような社会的風景がつくられており、そのような風景は現在に生きる人びとにどのように受けとめられるのかについて検討することである。 占領期の日本に関してはこれまで歴史学を中心にさまざまな研究がなされてきたが、その多くはGHQ関係資料の中でも主として文章資料にもとづくものであった。その一方で、GHQ関係資料の中には占領期に全国各地で撮影された写真や映像が数多く残されているものの、そうしたビジュアル資料はこれまで補足的に用いられることが多く、それを主たる資料とするような研究はほとんど行われていない。それでも、そうしたビジュアル資料には当時のまち並みやそこで生きる人びとの様子がうつしだされており、そこには、占領期日本の社会的風景を見ることができるように思われる。 そこで、本研究では、GHQの写真・映像資料を主軸に置いて各種の調査を進めてきた。具体的には、①写真・映像の資料調査、②写真・映像が撮影された現地を歩くフィールドワーク調査、③写真・映像を提示しながらのアンケート・インタビュー調査を進めてきた。その中では、占領期を経験した世代の人びとに対してだけでなく、占領期を経験していない世代の人びとに対しても、写真・映像提示型の調査を進めてきた。そして、本研究では、そうした調査を通して得られたデータを「日常性」に注目しながら分析してきた。特に、GHQの写真・映像資料は急速に変化する日本の社会を記録したものであるため、「日常性」の移り変わりに注目することでそうした写真・映像資料を用いた調査のデータを整理・分析しようとしてきた。 本報告では、写真や映像を用いて行う調査の手法について再検討したうえで、GHQの写真・映像資料を用いて東京都の銀座周辺や埼玉県東松山市、山口県宇部市などで行った調査のデータにもとづきながら、占領期日本の風景について考察したい。 【結果・結論】 調査を通して得られた結果は、主に次の3点である。 第一に、GHQの写真・映像資料には、戦争が日常化した風景から占領が日常化した風景への移行を見ることができた。第二に、GHQの写真・映像資料を用いたフィールドワーク調査では、占領期の風景が持続するようにしていまの風景がつくられているのを見ることができた。第三に、GHQの写真・映像資料を用いたアンケート・インタビュー調査では、戦後日本社会の中で広く認識されてきた占領期のイメージを相対化するような回答を得ることができた。 そして、以上の3点から、占領期日本の風景をうつした写真・映像資料は、戦争という日常から占領という日常への移行をうつしだすとともに、現在の日常につながるものをうつしだしており、そうしたビジュアル資料は日常という側面から占領期を捉えなおす語りを誘発するものとなることが示唆された。 また、本報告では、以上のような調査の成果を提示しながら、ビジュアルエリシテーション法を中心に写真や映像を用いて行う調査の可能性についても検討したい。
報告番号108
特攻の記憶はどのように残されてきたのか――第一・第二国分基地を事例として
早稲田大学 筒井久美子
報告者の祖父と彼の小中学校の友人は甲種飛行予科練習生として海軍に入隊、友人は特攻出撃して亡くなり、祖父は生還した。それを知った報告者は祖父の友人の足跡調査を始めた。本報告では、彼が特攻出撃した国分基地(鹿児島県霧島市)を事例として、慰霊碑建立・慰霊祭開催・記録誌編集といった「特攻の記憶」を残す取り組みを誰がどのように行ってきたのか、文献・聞き取り調査を通じて明らかにする。 福間良明ほか編(2015)によると、特攻出撃基地があった知覧では町が過疎化対策の一環で特攻を「観光化」、鹿屋は自衛隊誘致により特攻の「語りがたさ」と「語る必要のなさ」を抱えた。万世では元隊員が主導したことで「慰霊」に固執した。国分基地は第一・第二(以下、一国、二国)に分かれており、町村合併まで取り組みも個別に行われていた。また自治体や元隊員以外にも多様な主体がかかわっている。同基地を事例とすることで、先行研究とは異なる知見が得られると考えられる。 一国があった東国分村は1954年に国分市(当時は町)と合併、ほぼ同時に基地跡に陸上自衛隊が誘致された。1964年、市長と自衛隊幹部の熱意が実り、市が自衛隊正門前に用意した公園に慰霊碑が建立された。一国から出撃した701空の生存者の発意で慰霊祭も開始、市長や自衛隊関係者らが構成する国分基地記念碑保存委員会が主催した。1993年の701空会の閉会を受け、遺族会が結成され、2023年の閉会まで701空会に代わって慰霊祭に関わっていた。2003年には遺族会の発案で、24年間、碑の保存・慰霊祭を主催し2002年に退任した元市長に、慰霊祭の場で感謝状等が贈られた。 他方、二国があった溝辺村は合併を選ばず1959年に単独で溝辺町となり、基地跡に鹿児島空港を誘致した。1979年、海軍OBの役場職員らが中心となり議長を委員長、町長を顧問とした特攻慰霊碑建立委員会を立ち上げ慰霊碑を建立、慰霊祭を開始した。1995年には町長の呼びかけで同じ海軍OBらが記録誌を編集、集まった資料を展示するため、町の施設の一角に展示室も作った。記録誌の編集委員は溝辺町の郷土誌の編集委員でもあった。また、記録誌には町民や周辺の地域住民の挨拶、体験記、詩、短歌等が掲載され、地元出身の航空戦死者等が特攻戦死者とは章をわけて紹介されている。かれらは1997年に慰霊碑に付設された記銘碑にも名が刻まれている。 このように一国は自治体に加え自衛隊、基地生存者、遺族といった人々が「特攻の記憶」を残してきたのに対し、二国は地域住民が「特攻の記憶」を「郷土」の歴史の一環のように扱って残していた。2005年、国分市、溝辺町は1市6町で合併、慰霊祭は国分・溝辺の保存会が合併して主催し、同日午前午後に分かれて合併前のやり方を踏襲して実施している。市として資料館建設や記録誌作成の予定はなく、「観光化」の志向もみられないが、慰霊祭は「後世への継承」や子ども達への「平和教育」という新たな文脈で継続が志向されている。 主要参考文献 岩元喜吉・向井田孜編、1992、『鎮魂 白雲にのりて 君還りませ 特攻基地第二国分の記』十三塚特攻碑保存委員会。 国分基地発進特攻隊員戦没者遺族会発行、2008、『国分基地発進戦没者慰霊祭の記録』。 福間良明・山口誠編、2015、『「知覧」の誕生――特攻の記憶はいかに創られてきたのか』柏書房。
報告番号109
戦後民主主義と元軍人の政治参加――軍人恩給をめぐる運動とその社会的意義
立命館大学 角田燎
【目的】 本発表は、戦後日本において軍人恩給の復活と拡充をめぐる元日本軍兵士たちの政治活動に焦点を当てるものである。具体的には、戦後設立された元兵士たちの団体「軍人恩給全国連合会(軍恩連)」の初期活動に注目し、戦後日本社会において軍人がいかなるかたちで政治に関与し、自らの権利や補償を求めたのかを実証的に明らかにすることを目的とする。従来、戦友会は親睦・慰霊を中心とする非政治的な団体とされてきたが、本報告では、それとは異なる政治的な実践を担った軍恩連の活動を検討することで、元軍人と戦後民主主義の関係を再考する。 【方法】 本研究は、①元軍人によって発行された会報『軍恩』の分析、②先行研究による文献的検討、③当時の新聞報道などを用いた歴史社会学的手法をとる。『軍恩』に記録された活動報告や投稿欄、役員の発言等を通じて、軍恩連の政策要求など、その活動実態を明らかにする。また、恩給制度をめぐる制度史的背景、特に戦前・戦後の文官恩給との比較を通じて、元軍人による主張の正当性や政治的論理を分析する。 【結果】 第一に、軍恩連は軍人恩給の復活にとどまらず、対象者の拡大と支給額の増額を求める活動を展開していた。その方針は曖昧さを残しつつも、既存受給者と未受給者の双方を取り込む戦略として機能し、組織の拡大に成功した。 第二に、軍恩連の主要構成員は戦前の高級軍人であり、彼らは旧軍の階級制を前提とした恩給制度の継続を求めた。このことが「兵士」や一般会員との間に緊張を生み、内部からの批判も見られた。 第三に、彼らは保守政党との連携を通じて政治活動を本格化させ、選挙支援や陳情活動を通じて政策影響力を獲得していった。その過程で、戦前の政治から排除されていた軍人が、「一票の重み」を通じて戦後民主主義に順応していく姿も確認された。 【結論】 本研究は、軍人恩給をめぐる元軍人の運動が、戦後日本における民主主義体制への適応の一形態であったことを明らかにした。彼らの政治活動は、一見すると旧来の軍国主義的回帰に見えるが、実際には戦後の制度的枠組みに沿って進められており、戦後民主主義の中で自らの利益を実現する主体としての軍人像を再構築していた。また、軍人恩給制度をめぐっては、階級格差や対象者の定義、植民地出身者への排除といった問題が顕在化しており、軍恩連の活動は戦後補償の限界や不均衡を示す重要な事例でもある。今後は、地方選挙における軍恩連の影響、1960年代以降の元軍人の歴史認識の変化、他の社会保障制度との関係、そして旧植民地出身者の補償排除問題といった課題を視野に入れ、戦後補償と記憶政治の複層性を引き続き検討していく必要がある。
報告番号110
外国人技能実習制度(1) 外国人技能実習制度を活用したベトナムにおける有機農業の展開可能
岡山大学大学院 駄田井久
本研究は,日本の外国人技能実習制度を通じた人材育成と技術移転の枠組みを活用し,ベトナムにおける有機農業の発展可能性を検討するものである。近年,ベトナムでは健康志向や環境意識の高まりを背景に有機農産物への需要が増加しているが,ベトナム国内の明確な有機認証制度が未整備である。この制度的欠如は,農業経営体と消費者の間に情報の非対称性を生み,市場の効率性や信頼性に影響を及ぼしているとされる。また,技能実習制度による技術移転が実現されていないことが問題とされている。 本研究ではまず,ベトナム国内で有機農産物を生産する農業組合Aに対してインタビュー調査を実施した。農業組合Aは,有機農業の普及による地域活性化を目的として2017年に設立された。2024年時点では,約80戸の農家が組合Aの活動に参加しており,その中で7戸の農家が組合Aに有機農産物を出荷している。農業組合Aでは,認証制度の不在を補うために独自の販売ルートを構築し,慣行農業の農産物との差別化を図っていることが明らかとなった。これは,制度的支援が不十分な中で農業者が自律的に市場構造を形成しようとする動きであり,制度の欠如が取引コストの増大や市場参入障壁の形成につながっていることを示唆している。 次に,ベトナム国内の大学生を対象に消費者アンケート調査を実施し,96の回答を得た(女性71,男性24,その他1)。約83%が“有機”の用語を認識していたが,週1回以上有機農産物を購入しているは約40%,有機農産物の購入場所を知っているは約22%,であった。また,有機農産物に対する購入意向は高い一方で,“有機農産物”の定義や認識には大きなバラツキがあることが判明した。これは,消費者が有機農産物に対して高い支払意思(Willingness to Pay)を持ちながらも,情報の非対称性によりその価値を正確に評価できない状況を反映している。結果として,市場における価格形成や信頼構築が困難となり,潜在的な需要が十分に顕在化していないことを示唆している。 こうした状況を踏まえ,本研究では,日本の外国人技能実習制度に着目し,同制度を通じてベトナム人実習生が日本の有機農業技術や認証制度の運用方法を学び,帰国後にそれをベトナム国内で活用する可能性について考察する。技能実習制度は,単なる労働力供給の枠組みにとどまらず,人的資本の形成と技術移転を通じた経済発展の促進装置としての機能を持つ。特に有機農業のような知識集約型産業においては,人的資源の質が生産性や市場信頼性に直結するため,制度を通じた人材育成の経済的意義は大きい。 本研究は,制度的欠如が市場に与える影響を明らかにするとともに,技能実習制度を活用した人的資本形成と技術移転の可能性を提示することで,ベトナムにおける有機農業の持続的発展に向けた政策的・制度的示唆を提供するものである。
報告番号111
外国人技能実習制度(2)技能実習生が働く職場での共生に関する仮説形成の試み
聖カタリナ大学 大久保元正
【目的】 本報告では、外国人技能実習生を受け入れている中小企業における共生の実態を捉えるための仮説を形成することを目的とする。近年、日本における労働力不足の深刻化に伴い、中小企業においては、外国人技能実習生や特定技能資格者の存在感が大きくなっている。しかし、中小企業における外国人労働者の受け入れに伴って現場に生まれる共生の実態については、十分に解明されていない。その解明にあたっては継続的な調査が必要となるが、今回の報告は、その調査を実施する際の枠組とし、かつ検証の対象ともする仮説を形成することを目指す。 【方法】 まず、仮説形成のための基盤として、Shore et al(2011)および船越(2021)という、ダイバーシティ経営論において提示された図式を用いる。これは、集団に対する個人の帰属感という基準と、集団内での自分らしさの価値という基準をクロスすることで、企業内で多様な人々が参加している状況を4分類(排除、同化、差別化、包摂)した図式である。これに加えて、報告者がインタビュー調査によって得たデータを用いる。これらのインタビューは、技能実習生や特定技能資格者を受け入れている愛媛県や広島県の中小企業に対して行われたものである(ただしいずれも、雇用者側へのインタビューデータのみにとどまる)。そしてこれらの図式やデータを突き合わせることで、より現場の実態に近い、今後の調査に利用可能な図式へ修正することを試みる。 【結果】 上記の図式は、「1つの職場集団における技能実習生の状態」という視角を取るのであれば、企業内の共生の実態を捉えるものとして適用可能ではある。しかし、同じ企業内に外国人労働者が増えてくると、彼・彼女たちにとっての集団が、仕事をともにする集団だけではなく、同じエスニシティの集団も含むことが出てくる。つまり、技能実習生の場合には仕事をともにする集団が1つの職場に2つあることになる。すると例えば、仕事をともにする日本人集団において、その集団における支配的で標準的な雰囲気に従わないために内集団メンバーとして扱われない(個人の帰属感が低い)が、その日本人集団における支配的で標準的な雰囲気とは異なる、同エスニシティ集団の価値観(例:俺たちがいないと仕事が回らないだろう)に沿って動くことで、同エスニシティ集団では内集団メンバーとして扱われる(個人の帰属感が高い)、といったことも考えられる。このように、既存の図式では捉えきれない共生の事態があるということになる。 【結論・考察】 このように、技能実習生が多く在籍する職場では、彼ら・彼女らは2つの図式を同時に経験している可能性がある。それは、職場自体には不満がなくとも、技能実習生間のトラブルが理由で職場を離れることを希望する実習生がいることなどからも分かる。ただ、それらが重なり合うところで技能実習生がどのような感情や葛藤を抱いているのか、技能実習にとって望ましい状態は包摂×包摂が成立している状態だけなのかといったことは、今後の調査で検証していく必要がある。 参考文献 船越多枝、2021、『インクルージョン・マネジメント』白桃書房 Shore,L.M., et al., 2011, Inclusion and diversity in work groups, Journal of Management, 37, 1262-1289.
報告番号112
外国人技能実習制度(3) 祭りのなかの外国人技能実習生と地域社会
ノートルダム清心女子大学 二階堂裕子
【背景と目的】 深刻な労働力不足を背景に、農山漁村においても外国人技能実習生(以下、「技能実習生」)を呼び入れる動きが広がってきた。彼・彼女らは、若年労働者の確保がきわめて困難な過疎化社会において、地域経済を支える貴重な存在となっている。しかし、一般的に技能実習生は地域社会との接点が乏しく、可視化されにくい立場に置かれている。本報告では、地域住民が執り行う祭りに着目する。祭りは、共同作業への関与を通じて住民の一体化をもたらす非日常的な営為であることが指摘されてきた。そこで、過疎地域で継承されてきた祭りが、地域住民と技能実習生の一体化を促す契機となりうるか否かを検討し、当該地域の住民にとって技能実習生とはいかなる存在なのかを考察する。 【方法】 本報告は、2016年11月から2024年9月にかけて計6回実施した愛媛県西予市明浜町での調査と、2024年3月から2024年10月にかけて計3回実施した長崎県新上五島町での調査から得た情報にもとづく。技能実習生と彼・彼女らの就労先事業者、技能実習生の受け入れ機関、および地域住民に対する聴き取り調査と、当該地で行われた祭りでの参与観察によって、質的なデータを収集した。それらを事例に、当該地における社会的経済的背景や祭りの挙行が意味するもの、また、技能実習生や地域住民の祭りへの関わり方などを明らかにする。 【結果】 明浜町狩浜地区で継承されてきた秋季大祭では、地域住民が来客を饗応する「お客」に技能実習生も参加していたが、「牛鬼」や「五つ鹿」などの伝統的な民俗芸能や神輿といった練り物に技能実習生が加わることはなかった。しかし、担い手不足を背景に、技能実習生の同僚である地域外からの日本人移住者は、これらの練り物を支えている。こうした差異が生まれる理由は、技能実習生が「外国人であるから」ではなく、「この地域の住民ではないから」である。実際に、地元の日本人と結婚した元技能実習生のフィリピン人は、「今後もこの地域に住み続ける集落の一員」として認識され、練り物にも参加していた。これに対し、新上五島町P地区では、漁師たちが豊漁と安全を祈願する秋祭りにおいて、まき網漁業に従事するインドネシア人の技能実習生や特定技能者たちが神輿の担ぎ手として活躍していた。P地区では、少子高齢化と若年層の流出により、秋祭りの継続が危ぶまれる事態に陥ったことで、地域住民がそれまで接触機会のなかったインドネシア人の若者に協力を要請したのである。ただし、祭りのなかで奉納される伝統的な神楽の実践者として、彼らが参加することはない。神楽は、新上五島の風土のなかで独自の文化として育まれ、住民の地域アイデンティティ形成に大きな役割を果たしてきた。次世代へ継承されるべきこの伝統芸能の担い手として、技能実習生はその範疇外にあるのだ。 【結論】 祭りの担い手不足による存続の危機に直面したとき、祭りの「現在」を支える存在として、技能実習生への参加要請がなされ、結果として祭りが一体化の契機となる。ただし、祭りの核であり、次世代へ継承されるべき伝統芸能や練り物に、技能実習生は関与できない。なぜなら、地域住民にとって技能実習生は期限付きの労働者であり、祭りの「未来」を支える存在ではないからである。しかし、危機的状況が深刻になるほど、長年の技能修得が不要な祭りの核周辺部への参加に門戸が開かれる。
報告番号113
Liberal Reform of Guest Worker Program: Challenges to Labor Mobility Governance
Harvard University Rosenberg Qiaoyan Li
Although comparative immigration studies position Japan as a negative case due to its restrictive immigration policies, the Japanese government adopted liberal reform to its guest work program—the Technical Intern Training Program (TITP)—in 2018 by creating the Specified Skilled Worker (SSW) program. TITP labor can transition to status under the SSW, which, unlike the TITP, allows workers to change employers, bring family members to Japan, and apply for permanent residence. However, when employer change becomes permissible, how does the migration governance change? How are workers’ situations under the SSW? Once free to change employers, workers tend to choose employers with better conditions, leaving labor vacancies unfilled in jobs lacking competing conditions. As liberal reform brings about potential conflicts, how is the SSW implemented? What are the outcomes? The paper draws on data from a course of 14-month fieldwork in Japan, spanning from 2018 to 2023. I conducted in-depth interviews with 113 migrant workers and nine humanitarian organizations as well as a one-month participant observation at a labor union shelter. I contextualize the creation of the SSW in policymakers’ safety concerns over labor supply in labor migration dynamics in East Asia. Like Japan, Taiwan and South Korea face sociodemographic challenges and rely on Southeast Asia as the major source of migrant labor. Competition for migrant workers is growing as Taiwan and South Korea have proactively liberalized their labor migration policies. I show how the SSW creates a skill-based hierarchical stratification in which different levels of freedom and rights are afforded. Workers are set on a path to devote labor in years to obtain each freedom and right. The SSW program abolishes broker control over labor mobility in permitting employer change. That is, the state withdraws this regulatory power from brokers and transfers it to administrative ministries to oversee status updating and employer change. However, the shift of mobility governance fails in practice to eliminate broker and employer control. The rigid documentation requirements subject workers to the control of their original employers and brokers who withhold required documents for employer change. Administrative ministries erect barriers to change jobs across industries to avoid workers’ overconcentration in certain industries with relatively good conditions (e.g. food industry) and sparseness in others (e.g. agriculture). Consequently, the complicated and prolonged process of changing employers creates varied forms of precarities. The paper demonstrates how the liberal reform shifts labor mobility governance from private brokers to public institutions, with the unfortunate outcome that broker control persists. It illustrates how and why the corresponding freedom to change employers is difficult to obtain on the ground, and how the reform fails to attract adequate labor to meet the labor demand. By demonstrating the substantial discrepancies between intentions of policy reform and outcomes, I point out three major challenges to liberalizing guest worker programs: lifting structural constraints over labor mobility that have been built into guest worker programs; handling the inherent conflict between permitting employer changes and meeting employers’ labor demands; and, regulating employers and brokers to enhance labor protection.
報告番号114
外国人労働者受け入れと労働組合の対応(1)――UAゼンセン2021・2024年外国人雇用調査にみる職種分布
法政大学 上林千恵子
労働調査協議会 長谷川翼
移民受け入れ国の労働組合は、各国で移民受け入れに賛成ではないことが多い。「労働者の連帯」という理念は掲げても、開発途上国から受け入れる移民は自分たち国内労働者の雇用と労働条件を脅かすからである。他方、不利益を被る労働者がたとえ外国人であろうと、援助の手を差し伸べたいという思いもまた組合員リーダーは共有している。 日本の労働組合は労働力人口に占める外国人労働者の比率が他の先進国よりも低かったために、外国人労働者への支援は組合組織全体のテーマというよりも、その都度の駆け込み寺的な役割が強かった。しかし、近年は企業別組合でも外国人労働者を組織化する事例が出てきた。それがUAゼンセンである。 この産業別労働組合は、他の主要産別組織が組合員数を減少させるなかで、珍しく登録人員数を増加させた組織である。その主な要因は、パートタイマ―や派遣などの非正規労働者を短時間組合員として組織化してきた歴史があるからである。そして職場で雇用されている人は組合に加入するというユニオンショップ協定によって、外国人労働者も組合に組織化されている。民間企業の産業別労働組合として現時点では最大規模のUAゼンセンが、2021年、2024年の2度にわたり傘下労働組合に対して外国人労働者の雇用と生活状況に関して調査を実施した。本報告はこの調査を資料としながら、現在、外国人労働者を組織化しているUAゼンセン傘下の労働組合の外国人労働者の実態、労働組合の外国人労働者に対する対応、また外食産業に限定されるが、就労する外国人労働者のキャリア志向について触れたい。併せて、日本の労働組合が今後の外国人労働者、あるいは長期的には移民政策にどのようなスタンスを取るのかについて検討したい。 UAゼンセン傘下には、業種別に分かれた部会があり、その部会ごとに外国人労働者の属性が異なる。外食産業は利用者にもわかる場所で就労しており、企業によっては組織率が高い。また近年は食品スーパーで就労する外国人、技能実習生と特定技能者が急増している。いわゆるコンビニ用の弁当製造や店頭で販売される弁当、総菜を製造する食品製造工である。この惣菜製造業は、夜間勤務や職場環境が暑い、寒いなど条件が悪く、先進国では移民が就労している典型的な産業である。また極めて労働集約型の産業でもある。ここに特定技能者の雇用という形で外国人労働者の雇用増がみられる。 日本社会が高齢化し、男女を問わず高齢単身世帯が増加したこと、また共働き世帯が増加したこと、若年単身者が増加したこと、など日本人のライフスタイルが変化して、中食と言われる弁当・惣菜への需要を生み出し、そこに外国人労働者が集中してきている。外国人労働者が低賃金だけを理由に求められるのではなく、日本人のライフスタイルそのものが彼らを求めるとするならば、今後もその需要は高まることこそあれ減ることはないだろう。若年女性を中心とするこの労働者に労働組合が関与する必要性も高まるだろう。
報告番号115
外国人労働者受け入れと労働組合の対応(2)――UAゼンセン2021・2024年外国人雇用調査にみる雇用・組織化状況の推移
労働調査協議会 長谷川翼
法政大学 上林千恵子
1.目的 日本の労働組合は大企業の正社員を中心としてきたが、一方では非正規労働者の組織化も進んでいる。従来の未組織労働者に対して集団的労使関係を構築する方針の下、積極的にメンバーシップを拡げているのが産業別労働組合のUAゼンセンである。 UAゼンセンは、非正規労働者の組織化を進める中で、結果的に外国人労働者をそのメンバーシップの中に含みこむことになった。外国人労働者の受け入れが進む中、UAゼンセンの加盟組織における外国人労働者の構成はどのように変化し、組織化が進んでいるのか。本報告では、外国人労働者の雇用と組織化状況の変化をおさえた上で、新たな組合員層に対する労働組合としての包摂のあり方を考える際の今後の課題を指摘したい。 2.方法 UAゼンセンが加盟組合(企業)における外国人雇用の実態や課題等を把握することを目的として2021年と2024年に実施した調査を用いる。両調査の回答組織のパネルデータを扱い、この間の日本全体の外国人雇用状況と比較しつつ、労働組合における外国人労働者構成の推移とその特徴を指摘する。 なお、UAゼンセンは各種の業種を束ねる部門ごとに組織化の対象範囲、また組織対象となる外国人労働者の種類が異なる。各部門の特徴は次の通りである。①製造産業部門:組織対象は正社員を主とし、外国人労働者は技能実習生と専門的・技術的分野の在留資格をもついわゆる高度人材の比重が高いが、技能実習生は組合員の対象範囲外となる。②流通部門:組織対象は基幹化したパートタイム労働者を含み、外国人労働者は技能実習と身分に基づく在留資格が中心として、技能実習を含めて組合員の対象内となっている。③総合サービス部門:組織対象はアルバイトにも拡がり、外国人労働者・組合員として留学生の比重が高い。 3.結果 組織単位では、各部門に共通して、新たに外国人労働者を雇用する組織が増え、それに応じて外国人組合員がいる組織も増加している。 従業員数ベースでは、外国人労働者数の増加率は20ポイントを超え、この間の日本全体の推移と同様の傾向を示している。増加要因は、コロナ過以降の技能実習生の増加、そしてスーパーでの飲食料品製造や外食産業(流通部門・総合サービス部門)における特定技能外国人の雇用の進展である。他方、外国人組合員数も増加しているものの従業員数の増加幅を下回っている。これは依然として技能実習生の組織化が進まず、特定技能外国人の組織率の低さが影響している。 4.結論 外国人労働者の組織化は既存のメンバーシップに包摂される形態で従来と変わらず、新たに増加した特定技能外国人に対しては組織化が進んでいない。今後も増え続ける特定技能外国人は、中長期的に日本に滞在する見込みが高く、個別企業の労使関係においても労働条件の改善に取り組む余地は多い。非正規労働者として分類される特定技能外国人に対して、労働組合として従来の雇用形態をベースとしたメンバーシップを超えた特別な対応が求められる。
報告番号116
Between Systems: A Comparative Study of Disability and Long-Term Care Services in Japan, Korea, and Taiwan
Soochow University Yi-Chun Chou
報告番号117
Care Provision in Authoritarian and Democratic Regimes: Ideas, Interests, and Institutions in the Long-Term Care Policy Development in Three Chinese Societies
National Taiwan University Shih-Jiunn Shi
報告番号118
The Paradoxes of Care Ethics: Multi-layered Precarities of Migrant Live-in Care Work in Taiwan
National Dong-Hwa University Li-Fang Liang
報告番号119
The “Egg donation” and women’s choice: How the medical technology changes the perspective of women’s bodies and action in Japan
Meiji Gakuin University Azumi Tsuge
報告番号120
Reorganizing Social Welfare in the Japanese Welfare Regime 2000-2025
Tokyo Online University Koichi Hiraoka
報告番号121
Quantifying Social Capital: A Formal Methodology for the Analysis of Access to Information While on the Move
University of Cambridge Andrew Fallone
報告番号122
Intersecting Mobilities: Rethinking Class, Gender, and Rural–Urban Inequality in Chinese Student Migration to Japan
University of Osaka Rinko Arai
報告番号123
Rewriting Uncertainty: Narratives of Risk and Belonging among Chinese Highly Skilled Migrants in Japan during COVID-19
Ochanomizu University Jie Zhang
報告番号124
Bordered intimacies, queer aspirations: Vietnamese LGBTQ+ students navigating transnational education as affective escape
Duy Tan University Thinh Mai Phuc
報告番号125
社会学の国際化を考える――葛藤と連帯の経験から
大阪大学人間科学研究科 藤阪希海
報告番号126
ラバトで1960年の東京を発表すること――戦後都市の抗議行動と「異邦人」として居合わせたデモ
筑波大学人文社会系 特別研究員(PD) 桐谷詩絵音
報告番号127
Representing Japan Abroad: A British Scholar’s Perspective on Disaster Preparedness and the Internationalisation of Japanese Sociology
熊本大学 アンドリューミッチェル
報告番号128
研究の国際化と計量社会学――中堅研究者の経験から
東京大学 多喜弘文
報告番号129
ファン文化が動かす社会運動――台湾「青鳥運動」と「国会議員大リコール運動」を事例に
奈良女子大学 陳怡禎
本報告は、2024年に台湾で発生した「青鳥運動」と「国会議員大リコール運動」という二つの社会運動に焦点を当て、台湾の若者がいかに自らの日常的な趣味を戦術・戦略として用い、社会運動を実践していたかを考察するものである。 2024年に発生したこれら二つの社会運動は、台湾の政治的局面に大きな変化をもたらした「ひまわり運動」(2014年)を想起させ、「青鳥運動」は「ひまわり運動の再来」と形容されるほどであった。特に、「青鳥運動」の参加者層に対する調査(李ら2024a、2024b)によると、約5割(特に35歳以上の層では約7割)の参加者が、10年前のひまわり運動に参加した経験を有していた。つまり、2024年に起きた「青鳥運動」、さらにその延長線上で行われた「国会議員大リコール運動」には、ひまわり運動を経験した「ひまわり世代」や「ポストひまわり世代」が集結していたことが明らかである。 このように、二つの社会運動は「ひまわり運動」の実践手法を継承しつつ、さらに多くの若者文化やサブカルチャーが活用されているとされる(何 2024)。中でも本報告が特に注目するのは、日常的に何かの「ファン」である参加者たちが、社会運動の場でもファン活動を実践し、その実践を社会運動を推進する戦略として活用している点である。具体的には、本報告は「青鳥運動」および「国会議員大リコール運動」において、参加者によって作り出され共有されたスローガンや創作物に注目し、彼らがどのように自身のファン活動経験、さらにファン活動を実践する際に培った行動規範に基づいて、社会運動の戦術・戦略を練り上げたのかを明らかにする。 本報告は考察を通して以下の二点の知見を得た。ひまわり運動以降の十年間、特に新型コロナウイルスの影響もあり、若者の間で政治や公共的問題への関心が低下し、台湾の社会運動が沈静化していった様子が見られると指摘されている(何 2024)。しかしながら、台湾の社会運動参加者は、「日常的・私的」に享受されているとみなされてきたファン活動を通して培われた知識や行動論理を基準として、「非日常・公的」として認識されている社会運動の既成的規範や規則に変革を与えようとしていると言える。さらに、彼らは社会運動の場において、自らのファン活動に関する言説を共有し、ファンアイデンティティを構築し強化している。また、それを「台湾人アイデンティティ」に重ね合わせ、政治的言説へと転化していると考えられる。
報告番号130
「子ども食堂」言説における諸フレームのせめぎ合い――2012~2024年の資料の分析から
京都大学 豊島伊織
【目的・背景】本報告の目的は、2012年から2024年にかけての「子ども食堂」言説を含む資料群を分析し、その拡大過程における言説上の複雑さ——諸フレームのせめぎ合い——を記述することにある。「子ども食堂」は2012年以降に登場し、2015年ごろからメディアで頻繁に取り上げられるようになり、爆発的に実践が拡大した。中間支援団体の報告によれば、その数は2024年時点で全国10,000か所を超えたとされる。一方で、子ども食堂に対する言説的な位置づけは一様でなく、「(子どもの)貧困対策」として捉えるか否かをはじめ、その存在意義や性格をめぐって多様な議論が展開されてきた。本研究では、こうした複数の言説的フレームがどのように出現し、せめぎ合ってきたのかを資料の分析から明らかにする。 【方法】分析対象は、2012年から2024年にかけての新聞報道、大衆雑誌記事、政策文書、Web上に公開された中間支援団体によるインタビュー記事、ならびに国会図書館検索システムを通じて収集した書籍・文書、Q&Aコミュニティサイトの投稿などである。これらの資料から、「子ども食堂」について語る際にアクター(実践者、運動家、マスメディア、法人、一般市民など)が依拠しているフレームを抽出・整理した。 【結果】2014年にかけて、貧困や孤食を〈地域の子どもの危機〉として認識する複数の実践者たちが、相次いで「子ども食堂」を立ち上げた。この動きは「子どもの貧困」の社会問題化と接続し、豊島区のネットワークを中心に全国へ向けた発信活動が展開された。一方、2015年以降、マスメディアは〈子どもの貧困対策〉というフレームで「子ども食堂」を積極的に報道し、名称を掲げる実践も急増した。こうした中、貧困との結びつきによるスティグマを懸念した活動家らは〈誰でも来られる居場所〉のような抽象度の高いフレームを打ち出し、〈子どもの貧困〉を意識しつつも言説上では後景化を試みた。この過程で、社会貢献を掲げる企業や、居場所づくりを支援する行政・社協等も中間支援団体を介して参入し、活動基盤が拡大した。だが、多様な理念をもつアクターの流入とコロナ禍の困窮への再注目により、複数の相反するフレームが並存する事態が生じた。「子ども食堂」の名のもとに拡張が進む一方で、〈地域の子どもの危機〉や〈子どもの貧困対策〉を基盤とする実践者にとっては、眼前の生活困窮に対する根本的な政策対応の欠如や、助成金頼みのボランタリー活動という現状が課題として認識されていたと考えられる。
報告番号131
越境する社会運動空間とマイノリティのネットワーク――2010年代フランスにおける交差性の政治と実践
東京外国語大学 田邊佳美
フランスでは近年、社会運動空間における主体や争点の交差が顕著になっている。例えば今日、反レイシズムのデモでレインボー・フラッグを掲げ、レイシズム・異性愛規範・家父長制に同時に異議を唱えることは珍しくなく、反レイシズム運動で女性や性的マイノリティが固有のレイシズム経験や論点を提起する場面も見られる。このように、社会運動空間において、交差性/インターセクショナリティの視点はある程度の主流化を遂げた。しかし、ここに至るまでのプロセスは、緊張と対立、排除と抵抗を伴うものだった。本報告では、特に反レイシズム運動・フェミニズム運動・性的マイノリティの運動の越境的な運動空間で共有される理念と実践に着目し、2010年代のフランスの社会運動における交差性の政治と実践を明らかにする。 社会運動における特定のマイノリティ集団の排除の問題は、2010年代半ばまでに個々の運動空間で提起されていた。例えば、フェミニズム運動においては、2012年の国際女性デー・デモから「フェミニスト像に一致しない」として、スカーフ女性・セックスワーカー女性・トランス女性らが言語的・身体的暴力をもって排除されたことを契機に、新たな連合会「全女性のための3月8日」が結成され、2014年には主流派と異なるルートで代替的なデモを同時開催した。この連合会に関わる女性たちは同時に、反レイシズム運動においても、男性中心主義的で女性に固有のレイシズムの経験が周辺化されることに異議を唱え、女性のみで構成された準備委員会を立ち上げ、2015年の大規模な反レイシズムのデモ「尊厳と反人種主義の行進」を実施した。同じ2015年には、これに先立ち、同じネットワークのメンバーが中心となって「夜のプライド」を立ち上げ、政治家や企業の支援を受け、主流の性的マイノリティのお祭りと化したプライド・パレードを、女性・人種マイノリティ・低所得者の性的的マイノリティ当事者を排除するものとして批判した。これらの運動は、マイノリティ集団の内部における権力関係を問題化する理念(交差性、当事者性、反普遍主義、脱植民地主義)と実践(当事者のみのイベントや集会の開催、カウンター・デモの開催)を共有しながら、越境的な運動空間と抵抗のネットワークを形成し、主流派の運動に変化を迫ってきた。本報告では、参与観察と聞き取り調査に基づき、個々の分散した主体がオンライン空間を経由してマイノリティ・ネットワークを形成し、さらに物理的な形で越境的な運動空間を生み出すことへとつなげたプロセスと、その鍵となった交差性の実践(praxis)を明らかにする。
報告番号132
反差別運動における「自己決定」概念の再検討――大仏空の思想/マハラバ村の実践を手がかりに
立命館大学 山口和紀
[課題]今日「自己決定」概念は障害者運動や福祉政策において中核をなす理念として称揚されている。しかしこの理念は、本当に日本の障害者運動の思想的出発点に位置していたのだろうか。むしろ、とりわけ1980年代以前、アメリカの自立生活運動が日本に紹介・受容される以前のラディカルな実践においては、「自らが自らについて決定する」という近代的主体の規範それ自体もまた懐疑の対象であったのではないか。そこで本発表が着目するのは、1960年代に重度障害者の生活共同体「マハラバ村」を主宰した大仏空(おさらぎ・あきら)の思想である。彼は、マハラバ村における実践を通して、日本の障害者運動の先駆けである「青い芝の会」にも思想的影響を与えた人物として知られる。頼尊(2015)は、大仏の理論(いわゆる「マハラバ理論」)を、無条件の平等性を基礎とする日本型社会モデルの源流として位置づけており、そこでは「自らが差別者であり、同時に被差別者である」という〈悪人〉としての自己認識が中心的な役割を果たしているという。しかし、そうであれば、大仏の思想において「より良い選択」をし続けることができず、差別をやめることもできない「人間」を前提とした「社会運動」とはいかなるものでありうるのだろうか。本発表では頼尊(2015)や大仏の宗教思想を論じる山崎(2024)をふまえつつ、大仏が〈悪人〉を前提とする社会運動の像をいかに描いていたのかを検討したい。[目的・方法]大仏空が障害者の「自己決定」を社会運動においてどのようなものと位置づけていたかを、大仏の初期のテクストを対象としながら、分析する。[結果]①大仏はすべての責任を一人で負ってはならないとし、個人の内面を罪責感によって律する規範に抗する構えを示していた。この構えは、主体としての責任を積極的に拒否する「無責任の倫理」と捉えることが可能ではないか。②この倫理は、「悪人になりきる」ことを通じて、あらゆる責任を他者=〈絶対他〉へと委ねる態度を示しており、国家・専門職・家族が(罪責やそれに連なる)「自己決定」によって「他者」を統治するプロセスを逆転させようとする試みと考えられる。③この思想は、先行研究でも述べられれるとおりであるが、「愛と正義の否定」を掲げた青い芝の会の理論へと継承され、単に自己に差別/被差別性が同時に内在化しているという論点を超え、1970年代における障害者運動のラジカルな運動展開を思想的に支えた可能性がある。[考察]こうした「無責任の倫理」は、福祉国家的包摂政策から新自由主義的自己責任論までを貫く「自己決定の要請」を脱臼させ、ケア/管理の境界を攪乱する新たな反差別論へとつながる。<一九六八年>にニューレフトが掲げる「表象=代行主義の否定」論(すが 2003)を踏まえれば、少数者の運動が「自己決定」へと収束していった歴史過程そのものを批判的に読み替え、〈六八年〉を再定位するための理論的資源ともなりうる。[文献]○すが秀美, 2003,「革命的な、あまりに革命的な: 「1968年の革命」史論 」,作品社. 山崎亮, 2024, 「大仏空の宗教思想と 「青い芝」: 自覚と叫びとしての念仏」, 人間科学部紀要, 7. 頼尊恒信, 2015, 「真宗学と障害学: 障害と自立をとらえる新たな視座の構築のために」, 生活書院. ※すがは糸に圭の字。
報告番号133
女性ファンコミュニティにおける排外主義受容過程
成蹊大学 中森聖奈
本発表は、日本の女性が担い手となる排外主義運動について明らかにすることを目的としている。排外主義を主張する運動は2007年の「在日特権を許さない市民の会」結成以降、先鋭化していった。このような問題に対して、樋口直人(2014)は、資源動員論の観点から「不安」による動員論を否定し、東アジアの地政学的な要因と、活動家の政治的社会化過程とインターネットを媒介とした運動への参入を明らかにしている。このような先行研究に対して、鈴木彩加(2019)はジェンダーの視点が不足しているとして、排外主義を含む女性の保守運動の分析を行った。その結果、男性参加者が扱いづらい論点を女性から発言していくという需要や、ケアフェミニズムの主張という点から女性が保守運動に参加することを明らかにした。 このような先行研究に対して、昨今ではファンコミュニティを源流として、陰謀論運動が形成されていき、運動が展開される中で排外言説を主張する女性団体が出現している。彼女たちは、嫌韓・反中以外にもニューカマーの移民に対する排外主義的な主張を行なっている。そのため、樋口の指摘する東アジアの地政学的な要因以外の排外主義が見られる。さらに、もともとファンコミュニティであったため樋口の指摘する運動参入前の政治的社会化過程が行われていないと考えられる。また、男性俳優のファンコミュニティとして女性達が集まり、運動を展開していったという経緯を持つ。そのため、男性参加者が言いにくい言説を補完するための団体とは言えない。加えて、女性参加者たちはケアフェミニズムの主張を行なっているわけではないため、既存の女性の排外主義運動の枠を超えている。 以上のように、現在の女性達を担い手とする排外主義を主張する運動は、既存の排外主義を含む女性の保守運動とは異なる文脈で行われている。そのため、ファンコミュニティがどのように陰謀論運動として結成され、運動を展開していく中で排外主義言説を受容・実践していくメカニズムを明らかにする必要がある。そのため、本研究においては、資源動員論の観点から、ファンコミュニティが運動化する上でどのような人材(活動家)が流入し、運動が展開されていったのかに注目する。具体的には、運動団体のSNS、ブログと、雑誌『創』、インタビューをデータとして運動の展開過程を明らかにする。そして、女性のファンコミュニティが排外主義言説を主張するようになるメカニズムを明らかにする。
報告番号134
歴史社会学と抗議イベント分析の射程
専修大学 森啓輔
【目的・方法】本報告は、日本語圏の歴史社会学ではあまり注目されてきてはいないが、西欧諸国と米国を中心に1990年代以降隆盛してきた内容分析の一種である抗議イベント分析(Protest Event Analysis。以下PEA)の枠組みと現在について、先行研究と文献資料を検討しつつ最新の動向を論じる。PEAは、主として社会運動論における政治過程論と政治社会学の分野で展開してきた(Mueller et al. 2000) 。これは新聞資料や歴史史料を用いながら通時的に抗議イベントを定量的にコーディングすることで、中長期的な社会運動圏の変化を分析することを可能する。日本語圏では野宮大志郎、西城戸誠、山本英弘、和田毅らにより牽引されてきてきたが(Nishikido 2012; Nishikido and Yamamoto 2025; Wada 2012, 2013; 西城戸 2003; 西城戸誠 and 山本英弘 2007; 野宮大志郎 2000) 、主として社会運動論や市民社会論の分野で展開されており、歴史社会学分野ではあまり注目されているとは言い難い。 【結果・結論】PEAは、経験的かつ実証的(empirical and positivist)方法として、新聞データを経年的にコーディングする方法を用いた長期トレンド分析に適しているが、イベントのコーディングの方法の困難や研究コストが高いことが問題とされてきた。他方で英語圏やドイツ語圏では、運動や政治的行為の記述をSVO(O or C)などの文法構成とみなして、生成AIなどを用いて親学習付き機械学習でコーディングする手法が確立してきている(Daphi et al. 2024; Gielens, Sowula, and Leifeld 2025; Haunss et al. 2020; Leifeld and Haunss 2012)。さらには、抗議イベントというコーディング対象を政治的クレーム行為に拡張しながらより広範な世論の変動を分析する政治的クレーム分析(PCA)(Koopmans and Statham 1999) やコア・センテンス分析(CSA)(Kriesi et al. 2012) 、言説ネットワーク分析にこれを応用する研究も現れてきている。他方日本語圏では現在、新聞データの著作権問題があり、機械学習のコストが相対的に高い。このような現状を鑑みつつも、中長期的に発行されているフォーマットが比較的同型の雑誌や公文書など、著作権の問題をクリアできる媒体を対象にしていけば、同様の手法でコーディングコストを低くした分析が可能となるだろう。PEAやPCAは記述統計に基づいた時系列分析だけではなく、因子分析や多次元尺度構成法などの構造と明らかにしようとする方法や、その構造を検定しようとする重回帰分析などの多変量解析法に応用することが可能であり、分析の拡張可能性についてもなし得ることが多くある。
報告番号135
社会運動としての「社会企業」?――香港で働いたインドネシア人家事労働者帰還者の事例から
京都産業大学 澤井志保
2000年以降、グローバル・サウス(GS)からグローバル・ノース(GN)に移動して就労する国際移住家事労働者(MDW)による社会運動が活性化している。そして、先行研究においてはMDWのホスト国での運動参加の意義については多数取り上げられてきたが、MDW運動参加者の出身国への社会的影響に結び付けて長期的に考察する研究は不足している。これを踏まえて本研究者は、香港にて就労し、広義の社会運動グループに参加した経験を持つインドネシア人家事労働者(IDW-HK)帰還者を対象として、回答者が香港での社会運動参加の意義をどのように評価しているかについて質問票調査したところ、大多数の回答者が香港での社会運動の参加を通して広汎な社会資本を獲得したと考えていることが認められた。さらに、回答者の多数が帰還後に起業しており、かつ、海外就労経験のないインドネシア人の起業とはやや違った視角でのビジネスコンテンツを生み出しているということがわかった。このことは、回答者の起業内容がある種の「社会企業」である可能性を示唆している。 これを受けて本報告では、IDW-HK帰還者の起業内容について追加調査の結果を踏まえ、回答者が香港で得た社会資本が、インドネシア帰還後の「社会起業」を生み出しうるのか、またはそうでなければ、どのような別の新たな価値の創造に結びつくのかについて検討する。 研究手法としては、以前の質問票調査とインタビュー調査の回答をテキスト化し、キーワード分析などを重ねて解釈するグラウンディド・セオリーを使用した。 結果としては、回答者の起業内容は、学術的な社会企業の定義には収まりきらない点が多く、香港での社会運動経験が社会企業を生み出しているという結論には至らなかった。しかしながら、海外で得た社会資本を活用しながら起業を行う過程において、回答者はみな、現在の居住地社会における男女の役割分担についての慣習に対して、かなりの軋轢を経験していた。そして彼女らが個人間、家族間そしてコミュニティの中で女性起業者として新たな社会関係を立ち上げる経験が、インドネシア社会における女性の意味、そして国際移住家事労働者帰還者の意味を揺るがせ、刷新している状況が認められた。結論としてこの事例は、GS女性の海外就労時における社会運動参加の経験が、帰還後の起業によって、経済資本に加えて社会資本の獲得を促進し、現地の慣習的なジェンダー関係を変革していく可能性を示したといえる。
報告番号136
スコットランド啓蒙のアメリカ社会学における意義――コロンビア大学の系譜
東海大学 高木俊之
【1.目的】 スコットランド啓蒙とは、18世紀を中心にスコットランドに生じた多彩な知的運動の総称で、アダム・スミス、アダム・ファーガソン、ジョン・ミラーが社会学と関係が深い。ところが、アラン・スウィンジウッドなどの研究(Swingewood 1970)を除いて、イギリス人自身が、それは社会学の起源の一つであることを長く忘れていた。本研究は、スコットランド啓蒙のイギリスでの忘却とアメリカでの導入を概観し、それはアメリカにおいて社会学の底流にあり続けたことを論じる。 【2.方法】 2024年にブダペスト大学のタマス・ドメーター編集によって『スコットランド啓蒙の社会学的遺産』(Demeter 2024)が刊行されたばかりである。2014年には、『パルグレイブ・イギリス社会学ハンドブック』も出版され、その中でジョン・ブレワーが示唆に富む内容を執筆している(Brewer 2014)。こうした文献からスコットランド啓蒙の要素を抽出して、アメリカ社会学における影響を分析する。 【3.結果】 「スコットランド啓蒙」という概念が普及して、スミス、ファーガソン、ミラーを社会学のオリジンとして論ずるようになったのは1970年以降であって、それまでは哲学や歴史学派として論じられてきた。 その中で、ギディングスは「アダム・スミスを社会学者の第一人者とするべき」と主張して、その「同類意識」を自らの理論の中軸においた。マッキーヴァーも、その発想方法に「推測の歴史(conjectural history)」と「4段階説」が見られる以上、スミスやファーガソンの影響下にある。そして、マートンは1936年に「意図した社会的行為の予期せざる結果」を発表した。この「意図した行為の予期しない結果」は、スミスの「見えざる手」の基盤をなすスコットランド啓蒙の発想方法なのである。そしてマートン没後に公刊された「セレンディピティ(serendipity)」の考えにも通じている。 【4.結論】 コロンビア大学社会学科の教授をつとめたギディングス、マッキーヴァー、マートンは、世代を超えてスコットランド啓蒙思想を内に秘め、1894年から1970年代までコロンビア大学社会学科の発展を担ってきたことを結論とする。 【文献】 Brewer John D., 2014, “The Scottish Enlightenment and Scottish Social Thought c.1725–1915” in Holmwood John & Scott John eds, The Palgrave handbook of sociology in Britain, Palgrave Macmillan:3-29. Demeter Tamás ed ,2024, The sociological heritage of the Scottish enlightenment, Edinburgh University Press. Swingewood Alan,1970, Origins of Sociology: The Case of the Scottish Enlightenment, The British Journal of Sociology , Vol. 21, No. 2 :164-180.
報告番号137
いかにして個人は社会を体験するか――ゲオルク・ジンメルの「体験(Erlebnis)」概念を手がかりに
一橋大学大学院 粕谷健太
本報告の目的は、ゲオルク・ジンメルの「体験(Erlebnis)」概念を手がかりに、個人と社会の関係を、相互作用からではなく、「個人(Individuum)」から問うことにある。 ゲオルク・ジンメルによる相互作用の概念は、周知の通り、ジンメルの社会学的認識論の中核をなす。すなわち、ジンメルにとって社会の認識とは相互作用の認識に他ならない。その一方で「個人」は、彼の社会学において、認識の主題ではない。『社会学の根本問題』(1917)では、以下のように述べられている。 「[社会の認識という問題の]原理的解決は究極の具体的存在たる個人に関する知識に求められるべきだと言われるかも知れない。けれども、仔細に考察すると個人というものも決して究極の要素ではない。人間世界の「アトム」ではない。確かに個人という概念が意味するのは殆ど分解不可能な統一体に相違いないけれども、それは一般に認識の主題ではなく、単に体験の主題であるに過ぎない」(Simmel 1917: 65)。 ここでジンメルは、個人から社会を認識しようとする、いわゆる「方法論的個人主義」を明確に退ける一方で、個人を「体験の主題」として位置付ける。本報告では、この「体験」という概念に注目し、社会を個人はどのように「体験」するのかを明らかにする。そして、この「体験」が翻って「社会」の中でいかに位置づけられるかを問う。 この目的のためにまず『社会学』(1908)の「社会はいかにして可能であるかの問題についての補説」の解釈を試みる。 この「補説」は、「相互作用に参与している個々人の意識過程を視座とし、とくにそこでの個人と全体の関係のあり方をアプリオリとして論じようとする」(廳 1995: 255)ものである。本報告では、「補説」に登場する「人格(Persönlichkeit)」概念に着目したい。なぜなら、「人格性は『社会性』と明確に区別されるべき完全に別個のカテゴリー」(廳 1995: 255)であり、「人格」と「体験」は結びつく概念だからである。事実、ジンメルは我々の「人格」が問題になるとき「たとえそれが社会的な先行条件と相互関係から余すところなく説明できるとしても、やはりそれは同時にまた個別的な生のカテゴリーのもとで個人の体験として、しかもどこまでも個人に方向づけられたものとして考察されるべき」(Simmel 1908: 55)と述べる。以上より、ここでは「人格」概念を手引きに、社会がどのように「体験」されるのかを明らかにする。 次いで、『社会分化論』(1890)の第二章「集合的責任」を取り上げる。ここでジンメルは個人が「体験」する「責任」を、個人と社会の関係からアプローチし、個人的ではない集合的責任について論じる。ここでは、「責任」が集団へと拡張されてゆく理路を追いながら、「体験」概念を介して、個人と社会がどのように接続されるのかを明らかにする。 参考文献 廳, 茂, 1995, 『ジンメルにおける人間の科学』, 木鐸社. Simmel, Georg, [1908], 1992, „Soziologie. Untersuchungen über die Formen der Vergesellschaftung“, in Georg Simmel Gesamtausgabe, Bd. 11, Hg., Otthein Rammstedt, Frankfurt am Main: Suhrkamp. ────, [1917] 2015, „Grundfragen der Soziologie“, in Georg Simmel Gesamtausgabe Bd. 16, Hg., Gregor Fitzi und Otthein Rammstedt, Frankfurt: Suhrkamp, 61-149.
報告番号138
社会学への存在論的視点の接合可能性について――社会存在論・新実在論・批判的実在論の比較研究
立命館アジア太平洋大学 清家久美
【1.研究の背景】 社会学は近代社会の制度や構造,実践の諸相を記述,説明する理論を多様に展開してきたが,その多くは存在論的視点について明示的に問うことはほとんどなかったと言いうる.しかし近年,哲学分野ではいくつかの新たな実在論が提出されている.本発表は実在論モデルを社会学に導入し,実在に根ざした理論社会学の構築を検討する. 【2.研究目的】 本研究の目的は,以下の三点にある.第1に,社会存在論,批判的実在論,新実在論の意味の場の存在論という三つの哲学的議論を比較検討し,それぞれが社会的実在性をどのように捉えるかを整理すること.第2にその比較を通じて,構成・因果・意味という三つの観点から研究対象を捉え直すこと.第3に,近代社会学が暗黙に依拠してきた主観中心的枠組みを,存在論的に捉え直すことである. 【3.方法】 次の三つの立場を軸に,社会的実在性に関する理論的比較を行う. (1) 社会存在論(J.Searle,倉田剛):社会的事実は集合的意図や制度的合意によって構成される (2) 批判的実在論(Roy Bhaskar, M.Archer):社会構造は潜在的な因果的力をもつ実在的存在として捉えられる (3) 新実在論(M.Gabriel):対象の実在性は「意味の場」への現れによって規定され,世界は非包括的で多元的である これらを「実在性の基準」「主観との関係」「社会構造の理解」という観点から比較検討する. 【4.考察】 本研究の意義は以下である 第1に「社会的実在性」の基礎を問い直す機会となる.社会存在論は,制度や規範を構成の帰結として明快に示すが,実在性の根拠は主観的合意に依存する.これに対して批判的実在論は,社会構造を因果的に作用する潜在的構造として理論化し,構成主義の限界を超えて変革可能性を含む現実的制約性を強調する.新実在論は,社会的対象が「社会という意味の場」に属することによって実在するという,意味論的な実在性のモデルを提示する.この3つの視点により社会学が前提としてきた「社会の存在とは何か」という問いを,再構成する可能性を持つ. 第2に,主観中心主義の限界を乗り越える視点を提案しうる.近代における社会学は「行為する主体」や「再帰的自己」等の理論的傾向を有す.社会存在論はこの傾向を制度理論に結びつけてきたが,批判的実在論は構造が行為に作用する側面と,行為が構造を再生産・変容する側面を弁証法的に捉え,主観の全能性を否定する.ガブリエルはさらに,人間の意図とは独立して意味の場が対象の実在を規定するという点で,ポスト人間中心主義的な社会理解の可能性を切り開いている. 第3に,構成・因果・意味という3つの概念から検討しうる.社会的対象は,構成されたものであり(社会存在論),因果的に作用するものであり(批判的実在論),意味の場に現れるものである(新実在論).それらを補完的・交差的に理論化することにより,「制度はいかに構成され,いかに人に作用し,いかに意味づけられるのか」という古典的な問いへの回答を提出しうる. 第4に,社会学に存在論を導入する契機となる.本研究は,とりわけガブリエルの「世界なき実在論」により社会を複数の意味の場の重なりと捉える存在論的モデルを提示する.これにより,近代社会の自己意識としての社会学から,意味の多元性を前提とする社会学への模索が可能となる.
報告番号139
作田啓一はウェーバーをどう読んだか?
神戸学院大学 岡崎宏樹
【目的】本報告の目的は、作田啓一のウェーバー解釈の検討を通じて、作田理論の独自性を明らかにすることにある。【方法】作田がウェーバーに言及している著作および参照されたウェーバーの著作を詳細に検討する。【結果】『価値の社会学』(1972年)で、作田は行為を起点に独自の体系理論を展開した。作田によれば、行為の選択原理は〈手段としての有効性〉〈価値の一貫性〉〈欲求充足にとっての適切性〉の3つである。第三の「非合理的」な選択による行為は「反省を経ない直接性」を特徴とし、「ウェーバーの感情的行為」に相当するとされた(作田[1972]2001:5)。一方、エラン・ヴィタールを直感的に汲み取る天才によって「開かれた道徳」は肉体化されるというベルクソンの図式は、「ウェーバーがカリスマの制度化と呼んだものと相互補完的関係にある」とされた(ibid.:78)。『ルソー』(1980年)に至ると作田は、第三の〈欲求充足にとっての適切性〉を〈感情的直接性〉に置き換え、これを〈浸透〉次元――ベルクソンのいう「開いたもの」の次元――に位置づけ、新たな行為論を展開した(作田[1980]2010:119-120)。ここで第三の選択で焦点が当てられているのは、感情一般ではなく、〈浸透志向〉を有する感情、共感価値を志向する一種独特の感情である。作田はこの感情に神秘体験(「神との神秘的な合一」を含める。ここにウェーバー理論との差異が表れているが、その差異はベルクソンとの比較を通じてさらに明確となる。ウェーバーは世界宗教の考察において、神との神秘的な合一による救済方法を拒否する「倫理的預言者」と、その方法によってみずからの救済に至る「範例的預言者」を区別した。「倫理的預言者」は一神教に、「範例的預言者」は汎神論に関係があると考えたウェーバーは、前者に関心を向けて近代の合理化を考察した(『古代ユダヤ教』)。「ウェーバーにとって、近代は目的合理性と価値合理性の結合によってもたらされ、感情性は伝統性と共に近代にさからう要因であった」(作田1993:121)。これに対し、ベルクソンの積極的関心は「神との神秘的な合一の体験」、〈浸透志向〉の経験に向けられ、自己と対象との「同化の思想」が展開された(『宗教と道徳の二源泉』)。ここにベルクソンの思想の「超近代性」があると作田は評価する。【結論】作田啓一の行為論は、ウェーバーの目的合理的行為・価値合理的行為・感情的行為の概念から出発し、ルソーやベルクソンを参照して、感情的行為を〈浸透志向〉の行為と再解釈し、独自の行為理論を展開した。作田の「生成の社会学」の試みは、ウェーバーの近代化論の限界を指摘し、「超近代」の可能性を探求するものであった。ただし、ウェーバーのカリスマ論を精査するならば、〈共感志向〉をめぐる重要な考察を引き出すことも可能であろう。[参考文献]ウェーバー,1962,『古代ユダヤ教』内田芳明訳, みすず書房.岡崎宏樹, 2024,『作田啓一 生成の社会学』京都大学学術出版会.作田啓一,1993,『生成の社会学をめざして――価値観と性格』有斐閣.作田啓一[1980]2010,『ルソー――市民と個人』白水社.作田啓一,[1972]2024,『価値の社会学』筑摩書房.ベルクソン, 1977,『宗教と道徳の二源泉』平山高次訳, 岩波書店.
報告番号140
「人間形成」をめぐる言説の地平・領野――科学言説としての「全体の布置」の描写
岡山県立大学 池田隆英
Ⅰ.目的 「ヒトが人間になる過程」を「人間形成」と言う。この「人間形成」を研究の主題とする学問領域は教育学・保育学が代表格だろう。しかし、こうした理解は単なるイメージであり、教育学・保育学の専売特許ではない。これらの学問領域を、通時・共時の視野で眺めると、新たな姿を見せる。本発表は,こうした問題意識のもと,教育学・保育学の「源流」「展開」を辿る。この作業を通して、「人間形成」をめぐって、「どのように語られてきたのか?」を明らかにする。 Ⅱ.研究の立場・モデル・対象・方法 1.立場・・・理論研究と実証研究は、具体的事象と抽象的説明に対応し、帰納法と演繹法が循環する(Wallace, 1969)。ただし、科学は、「通常科学」である限り、パラダイムの「ルール」は変わらない(Kuhn, 1962)。そこには、一定の「仮説」があり、その「土台」は強固である(Gouldner, 1970)。しかし、その「土台」の再考は科学にとって不可欠である。 2.モデル・・・観念は,認識に閉ざされた虚構(fiction)ではなく,主体(agent)と体制(regime)へと実在化される(Sayor, 1984; 池田,2011)。この制度化の過程には、科学者による研究も関与している(Kitsuse & Specter, 1970; Psathas, 1989)。言説が埋め込まれた制度化の過程を跡づける「言説的制度研究」の重要性がここにある(Schmidt, 2008; 池田 2019)。 3.対象・・・法令や施策の文書,学術や商業の雑誌、専門・一般の書籍などを手がかりに,言説を分析・統合して「全体の布置」を描く。これまで、広義の「子ども」をめぐる概念・論理を後づけてきた。「心理・精神」言説には、「医療化」「愛着研究」「心の理論」「三つ組・連続体」。「人間形成」言説には、「正常/異常」「養成課程」「関連の学問」「文化・文明」。今回は「全体の布置」の描写に焦点を当てる。 4.方法・・・言語は、単なる語彙や規則の「体系」ではなく、能記(表象)と所記(概念)が恣意的に結びついている(Saussure, 1916)。言語を使用する時点で対象の範囲や意味などが限定され、社会事象を十分に理解できてはいない。そのため、言説の「領野」に足を踏み入れ、できる限り「全体」を描く必要がある(Foucault, 1969)。これが言説分析である。 Ⅲ.結果 言説は多様・複雑である。対象とする事象は、自然や社会、物質や生命など、「広さ」や「深さ」がある。「全体の布置」の描写には相応の蓄積と工夫が必要となる。言説研究には、①時代区分、②主題領域、③圏域区分、④全体関連、という要素が盛り込まれ得る(長尾, 1978; 伊東, 1985; 小俣, 2005; 伊東, 2007; 今井, 2009; 茂木, 2016)。教育・保育に関する言説だけでも、通時・共時に様々な事項が含まれている。全てを描くことは困難なため、「代表」「要点」を抽出して配置した。 Ⅳ.結論 「人間形成」をめぐる言説をトレースすると、少なくとも中世から近代にかけて、様々な言説が取り込まれているとわかる。宗教・哲学・科学を源流・背景に、医学・法学・生物学・物理学などを参照・経由しながら、制度、臨床、精神、心理、方法、生物などから成る。これらには、一定の概念・論理があり、そこには先験性・所与性が埋め込まれている。「人間形成」という主題のもとに、理解・解釈・評価・判断がなされ、人々に共有・流布されながら、生活や制度が形作られるのである。
報告番号141
デジタルプラットフォームにおける限界芸術論の再検討
関西学院大学大学院 中山統文
関西学院大学大学院 和藤仁
関西学院大学大学院 下川詩乃
本報告は、鶴見俊輔の「限界芸術論」に依拠し、現代のデジタル環境で生じている創作活動の可能性と、その困難について検討するものである。 鶴見は、芸術を三つの型――専門家が専門家に向けて発信する「純粋芸術」、専門家が一般大衆に向けて発信する「大衆芸術」、そして非専門家が非専門家同士でやりとりする「限界芸術」――に分類し、特に「限界芸術」を、日常生活のなかから自然発生的に立ち上がる、水平的な文化実践であるとし、「純粋芸術」・「大衆芸術」と交流するものとして位置付けた。鶴見は「限界芸術」の例として、祭りや替え歌といった、特別な技能に縛られない自由な表現活動を示している。 従来、こうした実践は、専門家による管理や市場経済の価値観から距離を置いた、生活に根ざした自己表現や日常的な楽しみとして発展し、時に社会や権威への批判・抵抗の手段ともなってきた。 現代においては、インターネットなどのデジタル空間が新たな「祭りの場」となり、個人や集団による多様な創作が常時行われている。こうした環境は、誰もが自由に参加できるという点で、かつての「限界芸術」の特徴を色濃く引き継いでいる。しかし、現在のデジタル空間は、巨大な企業が管理するプラットフォーム上に集約され、作品の投稿や共有が自動的な監視・規制の対象となっている。具体的には、誰でも気軽に発表できるはずの創作活動が、著作権や利用規約の名の下で、事前に機械的に審査され、投稿規制や削除の対象となることが増えている。このような状況下で、「限界芸術」の基軸だった替え歌やアレンジ、引用などの借用表現が難しくなり、個人による創作活動の場が縮小しつつある。また、プラットフォームによる管理が強化されることで、参加の機会や選択肢そのものも制約され、アカウントが停止されるなどして一度排除されると、再び表現の場を得ることは困難となっている。 このため、現代の非専門家による創作は、自由に見えて実際にはきわめて限定的なものとなりつつあり、「できない」「許されない」と感じる経験が拡大している。 本報告は、こうしたデジタル時代の変化を、メディアの形式や社会構造の変化と結び付けながら、「限界芸術」の今日的な意義と可能性を再考する。具体的には、音楽投稿プラットフォームにおける、Future Funkなどの引用・サンプリングを基軸とする音楽ジャンルの投稿をめぐる困難から議論をおこなう。また、このように鶴見俊輔の限界芸術論を現代社会の視点から再検討することで、同理論の社会学的意義とその再評価を目指すものである。