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第98回日本社会学会大会 11月15日土曜日午後報告要旨

報告番号142

生活保護制度に伴うスティグマの再検討――概念の分節化を通して
上智大学 平野寛弥
和洋女子大学 大日義晴

【1.目的】 日本の生活保護制度の大きな問題点はその低い捕捉率にある.その要因のひとつとして,スティグマの影響が指摘されてきた.それゆえ生活保護制度の申請や利用に際して生じるスティグマの経験,スティグマを強化する要因,スティグマがもたらす結果を明らかにすることは,政策的にも有益な含意を導くことにつながるだろう. ところが,生活保護制度に伴うスティグマがどのようなものかについて十分に明らかにされてきたとは言えない.それを象徴的に表すのが,「スティグマ」として扱われる対象の広範さである.恥辱,劣等感,周囲からの差別的なまなざし,利用の忌避,職員からの粗雑な扱いなど,「スティグマ」として扱われてきた事象は多岐に及ぶ.しかしこの概念としての曖昧さは,生活保護制度に伴うスティグマの解明を困難なものにもしている. そこで本報告では,生活保護制度に伴うスティグマの解明の一助とするべく,先行研究の検討に基づき,概念の分節化を試みたい.そのうえで,他の事象,たとえば精神疾患に伴うスティグマなどと比較した場合の独自性についても検討したい. 【2.方法】 スティグマに関する先行研究に依拠しつつ,理論的検討を行う. 【3.結果】 これまでも社会福祉の分野で生活保護制度に伴うスティグマの検討が重ねられてきたが,管見のかぎり,スティグマを静態的な属性に付随する固定的な評価として理解するものが少なくない. しかし,スティグマはむしろ関係的なものであり,ある相互行為の状況に応じた関係性を表す概念と理解されてきた(Goffman 1963=2001).精神疾患に伴うスティグマの先行研究においては,ラベリングに付随するスティグマ化された社会的反応が当人の「経験」を規定する(Scheff 1966)と指摘されているほか,社会化の過程で精神疾患に関する概念が形成され,当人はぞんざいな扱いがなされることを「予期」し,結果的に社会的に排除された状態に自ら陥ることが指摘されている(Link et al. 1989).ここからスティグマを〈位相(phase)〉に応じて「予期」と「経験」の二側面に分節化するという示唆を引き出せる. さらに,近年の福祉給付に伴うスティグマの研究では,ラベリングとそれに付随する否定的なステレオタイプが内面化されて生じる「アイデンティティ・スティグマ」と他者からのぞんざいな扱いにより生じる「処遇のスティグマ(treatment stigma)」に区別し,福祉給付に伴うスティグマの解明を試みているものもある(Stuber & Schlesinger 2006).こちらは,スティグマの生じる〈形態(form)〉に着目した分節化といえよう. 【4.結論】 予期と経験,およびアイデンティティと処遇という二軸に基づいて概念の分節化を行うことで,スティグマの生成・強化過程を動態的に把握することが可能になる.生活保護制度では,職員からの処遇に伴うスティグマの「経験」は,利用者側にアイデンティティおよび処遇に伴うスティグマの「予期」がなくても生じる.つまり同制度では,スティグマを具体的に経験する契機が制度内に構造化されており,その効果は同制度からの排除という形で現れる.これは同制度に伴うスティグマの特徴を示すと同時に,職員による処遇が利用者にどのような「経験」として認識されるかに着目することの重要性を示唆している.

報告番号143

生活保護制度における「処遇のスティグマ」の実際――
和洋女子大学 大日義晴
上智大学 平野寛弥

【1.目的】 日本の生活保護制度の大きな問題点は、その低い捕捉率にあるといえる。捕捉率が低くとどまる要因のひとつとして、スティグマの影響が指摘されてきた。ただし管見の限り、体系的な理論的整理や経験的な調査研究はほとんど行われていない。生活保護制度の申請や受給に際して、どのような事態がスティグマとして抑圧的に経験され、どのような要因がスティグマを強化し、さらにスティグマがどのような結果をもたらすのかを明らかにすることは、わが国の低い捕捉率の要因検討において、有効な政策的含意を導くことにつながるだろう。 本報告では、Stuber & Schlesinger(2006)の枠組みを援用し、スティグマ概念を「アイデンティティ・スティグマ」と「処遇のスティグマ (treatment stigma)」に分節化し分析をおこなう。前者は、否定的なステレオタイプによるレッテル貼りや、それを内面化することへの懸念に関連するスティグマであり、後者は、他者からぞんざいな扱いを受けることへの懸念に関連するスティグマである。とくに、先行研究において十分に検討されてこなかった後者に注目し、処遇のスティグマが実際にどのように経験されているのかを検討する。 【2.方法】 本報告では、生活保護の申請を目的に福祉事務所を訪問した経験のある個人を対象として、筆者らが実施した半構造化面接法によるインタビュー調査から得られた語りを検討する。インタビュー調査は、調査会社を介して協力を得て、(ⅰ)生活保護を申請し、現在受給中である、または過去に受給経験があるケース8名と、(ⅱ)生活保護の受給経験がない7名を対象に、計15名に対してオンラインで実施された。調査の実施期間は、2025年3月から6月である。 【3.結果】 実際に経験された処遇のスティグマの具体的内容として、以下の要素が確認された。(1)屈辱・侮辱(ため口、冷淡な対応、高圧的な言動)、(2)プライバシーの侵害(生活費の内訳提出、生活への介入、自由の制限、過干渉、親族への扶養照会)、(3)疑念・不信(尋問的な対応、不正の前提に立つ対応、病状に対する疑い)、(4)非効率な運用(複数回来所の要請、長時間の待機、代替案の提示なし、たらい回し)、(5)拒絶・制度からの切り離し(申請自体を断念させるような誘導)、(6)アイデンティティ・スティグマとの接続(:「税金で食べている」、「長く続けるものではない」などの言説)。なお、このようなぞんざいな対応は、当事者たちにとって必ずしも事前に予期されていたわけではなく、制度に接触する中で初めて経験され、その結果として職員からの不当な扱いに対する怒り・諦め・落胆といった感情として語られていた。 【4.結論】 既存の研究では、スティグマは「静的な属性(=生活保護を受けていること)に付随する、固定的な社会的評価」として捉えられることが多かった。また、しばしば内面の感情(恥やためらい)と、制度的経験(職員対応や手続き上の困難)が混同された曖昧な用語として用いられてきた。本報告の事例から明らかになったのは、スティグマが単なる「心理的なラベル」ではなく、制度への接近を通じて、制度的・社会的な構造の中でスティグマが生成・強化されるプロセスであるという点である。以上の結果は、スティグマをより多元的かつ動態的な過程として捉える視座を提供するものであるといえるだろう。

報告番号144

戦後神奈川県における貧困障害者の就労――自営と従業先の規模に注目して
東京都立大学 石島健太郎

【1.問題の所在】 本報告では、1960年代の障害者の就労実態を社会調査データの復元二次分析から検討する。1960年に身体障害者雇用促進法が制定され、その後の改正を通じて現今の制度へと徐々に仕組みが整備されていく中、政策や研究の焦点は雇用義務のある、すなわち一定以上の規模をもった企業における雇用に当たってきた。一方で、そこで周縁化された小規模事業所での雇用や自営業は、産業構造の変化の中でその割合を減らしてはいくものの、障害者の就労において一定の割合を占めていた。当時の状況はデータの制約もあってこれまで十分に検討されてこなかったが、こうしたセクターで働いていた障害者の様相を明らかにすることは、20世紀後半の障害者就労政策が結果としてどのような障害者を支援から取りこぼしていたのかを示し、歴史的再検討を与えることを可能にする。本報告は復元社会調査データを用いて、この課題に取り組む。 【2.方法】 「神奈川県における民生基礎調査(ボーダー・ライン層調査)」の復元二次分析による。本調査の対象は1961年の神奈川県に居住した低所得世帯で、分析に用いたのは復元の完了している東半分(横浜、川崎、横須賀、逗子、三浦、大和の各市)である。なお、障害種別については取り扱いに注意を要する個人情報として復元されていなかったため、個別に許可を得て原票画像データからの新規復元を行った。 【3.結果】 対象は貧困層に限定されるものの、本データは当時の調査対象地の障害者の相当程度を包含していると思われる。健常者を含む県全体での分布に比して自営業・内職に従事する障害者は多く、障害者の重要な就労先であったことが窺われるが、健常者に比べると本人のみが従事する零細自営業が多く、障害種別では視覚障害者と肢体不自由者が目立つ。神奈川県東部という土地柄、同時代の全国の障害者に比べると被雇用者・日雇い労働者も多い。聴覚・言語障害者と肢体不自由者で雇用努力義務のある規模の事業所で働いている人が多いのに対し、視覚障害と精神薄弱〔ママ、以下同じ〕者は雇用義務のない規模の事業所で働いている人が多かった。当日は性差や世帯内での位置も含めた詳細も報告したい。 【4.結論】 被雇用と自営のそれぞれで規模に応じた障害種別の偏りがあった。産業構造が変動するなか、とくに零細の自営業者や小規模の被雇用者が不利な立場に置かれやすいとするならば、これまで雇用義務の発生する規模の雇用労働に障害者就労の注目が偏ってきたことは、意図せず障害者内部での階層化・序列化に寄与したといえる。なお、従来の統計に比べると本データでは精神薄弱者の労働力率が低くなっている。これは都市の雇用労働が増えつつある当時の神奈川県東部の情勢を反映しているのかもしれない。この点については、農業人口のいまだ多かった県西部の復元と統合再分析において検証したい。

報告番号145

「混在的なケア」の動態的展開――富山型デイサービスを試みる新規事業者の語りから
杏林大学 三枝七都子

制度の谷間にある人びとの困りごとを受け止め、人脈や手立てを即興的に組み合わせ支える「混在的なケア」は、他の世代や地域でどのように展開可能か。本報告では、「共生型サービス」のモデルとされる富山型デイサービス(以下、富山型)を参照しつつ、同ケアを新たに試みる三名の事業者が、地域や立場に応じて活動を再編するプロセスを検討する。 【1.研究背景】 地域包括ケアシステムの推進に伴い、公的支援が届かない領域が注目されている。制度からこぼれ落ちがちな人や家族に対し、人脈や支援手段を柔軟に組み合わせる「混在的なケア」は各地で草の根的に展開されている。その代表例の一つが富山県の富山型である。1990年代に始まり県の支援を背景に広がったが、現在、担い手の世代交代の時期を迎え、異なる文脈での展開可能性が問われている。 【2.目的】 本研究では、富山型を名乗る新規事業者が、第一世代の活動に触発されつつも富山型をどのように意味づけ、自らの状況に応じて「混在的なケア」を展開しているのかを明らかにする。とりわけ「富山型っぽさ」という感覚的手がかりをもとに、活動が動態的・連鎖的に展開するプロセスを描く。 【3.方法】 本報告は、2024年4月から2025年4月にかけて実施したインタビューおよび参与観察の記録を用いる。対象は、富山県内で過去5年以内に富山型を立ち上げた3名(A氏、B氏、C氏)の事業者である。事業立ち上げの経緯、富山型の理解や取り組みをおこなううえでの工夫と困難について尋ねた。 【4.考察】 いずれの事業者も、自身の経験や地域の文脈に応じて富山型を独自に解釈し、活動を展開していた。30代のA氏は、SNSや子ども食堂を通じて、公的支援につながりにくい若い世代の母親が頼れる場を提供している。定年退職後に事業を始めたB氏は、職員である事業パートナーが民生委員として持つ地域的つながりや広い事業所空間を活かし、家庭問題を抱える子どもの避難先となるなど、個別のニーズに即興的に対応している。一方、C氏の事業所は、名称が地域の既存文脈(寺との関係)を想起させ、地域住民に誤解や先入観を招くなど地域密着が活動の制約となっていた。以上から、「地域」は、即興的ケアを可能にする基盤でありつつ制約にもなりうるという、「混在的なケア」の可能性と課題が浮き彫りになった。 【5.結論】 「混在的なケア」の展開可能性は、単なる方法論の模倣やノウハウの適用にあるのではなく、各担い手が「富山型っぽさ」という曖昧さを抱えつつ、自身の経験や地域の特性や状況に照らして取り組みを即興的に再編成するプロセスそのものにある。すなわち、「混在的なケア」は、担い手の背景や地域との動的な絡み合いのなかで可能性を生むと同時に、地域の文脈が時に活動の制約にもなりうるという矛盾を内包している。

報告番号146

介護保険制度の変遷とケアマネジャー業務の変化――
武蔵大学大学院 中林基子

目的・方法 本報告は、介護保険制度を制度創設から振り返り、その実態の歴史的変化について考察することを目的とする。その際に、新しく創出された職種であるケアマネジャーの業務実践に着目し、介護保険制度の変遷のなかで、ケアマネジャーの業務がどのように変化してきたのかを、筆者自身のケアマネジャーとしての経験と、介護保険制度初期を知るケアマネジャーたちの語りをもとに、歴史的に振り返る。制度初期には介護職のキャリア形成において「到達点」とされていたケアマネジャー職であったが、制度施行から25年後の現在は「なり手不足」が社会問題化されるほどの状況となっている。制度初期を知るケアマネジャーたちが「本当にいい仕事だと思うのよ。でもこれじゃ誰もやる人がいない」と語る状況というのは、いかなるものであろうか。この点を明らかにすることが、介護保険制度の持続可能性を考える上でも重要であろうと思われる。 考察 ケアマネジャーとは、正式名称を「介護支援専門員」といい、その定義は、「要介護者等からの相談に応じ、要介護者等がその心身の状況等に応じて適切な介護サービスを利用できるよう、市町村、サービス提供事業者、介護保険施設等との連絡調整を行う者であって、要介護者等が自立した日常生活を営むのに必要な援助に関する専門的知識及び技術を有するとして介護支援専門員証の交付を受けた者。」であるとされている。したがって、ケアマネジャーは、対人援助職者として、利用者の自宅、すなわち家族による介護と家族以外の人による介護が交差する「場」で、制度が内包する「新しい介護システム」の価値を実践する人たちである。 介護保険制度の歴史は、繰り返される介護報酬改定および介護保険法改正による制度改定と給付適正化による給付抑制の歴史であり、様々な規制が行われてきた。しかし、それにもかかわらず、他方では、家族構造や疾病構造の変化による利用者ニーズの複雑化と多様化を背景に、介護サービスの細分化と多様化が進み、ケアマネジャーが業務を遂行する上で更なる緻密さとそれを支える膨大な知識が求められている現状がある。 調査および考察の結果 7名のケアマネジャーを対象に行ったインタビュー調査からは、制度施行から25年後の現在、繰り返される制度改定により、業務効率化が進められていく中、断片的な関わりから効率的に利用者およびその家族の生活全体を把握しニーズを導き出すための情報を引き出し、利用者やその家族が抱える困難を解消するという、無理難題を差し向けられていることが明らかになった。 本報告では、家族の多様化や複雑化を背景としてより個別的な対応が求められている状況、支援上「気にかけておかなければならない」家族の範囲が拡大していくなかで、ケアマネジャーが重い負担を担えなくなっていることを指摘し、この職種の持続していくためにはなにが必要かについて、今後の展望について論じる。

報告番号147

社会サービス供給における地域への移行(不)可能性に関する検討――市区町村社会福祉協議会調査を中心に
東京大学大学院 仁平典宏

本報告の目的は、社会保障制度からボランタリーセクターへの機能委譲がいかなるリスクをはらんでいるのかという問いの一端を明らかにするために、ボランタリーセンターの脆弱性が地域ごとにどのような形で表れているのか、いかなる地域構造的な条件がその脆弱性を生み出しているのかを全国データの構築と分析を通じて検討し、社会権の保障を共助の領域に委ねることについていかなる困難があるかを概括的に検討することである。 以上の目標を達成するために、市区町村レベルのボランティアセンター・市民活動センターへの質問紙調査を行った。また全国のボランティア数のデータをと地域データとマッチングさせ、人口1000人あたりのボランティア数の規定要因について、総人口、高齢化率、財政力指数、人口一人あたり民生費、第一次産業就業者比率、失業率を独立変数にした重回帰分析を行い、ボランタリーセクターの脆弱性の地域要因分析を行った。 主な知見は以下の通りである。 第一に、自治体ごとの人口あたりのボランティア数は財政力とは連動しておらず、高齢化率が高いほど、失業率が低いほど、人口一人あたり民生費が高いほど、人口1000人あたりのボランティア数が高くなる傾向が見られた。つまり、ボランティアへの参加は意識の問題だけに還元されず、地域経済の安定や自治体レベルの社会保障の充実が、促進要因になっていることが示された。これは理論的には、社会保障制度と活発な市民社会がトレードオフでなく相補的な関係にあることを示唆する。 第二に、ボランティアの必要性を感じつつ不足している活動については移送が圧倒的に高く、孤立、住環境、地域高齢者、障害者、外国人、防災、生活困窮者、女性・母親に関する活動も同様の傾向があった。ボランティアへの需要の充足度の規定要因を分析した結果からは、財政的ゆとりがあるという社会福祉協議会の方がニーズを充足できてるという結果が見られた。これは一点目の論点と同様、社会保障制度と活発な市民社会がトレードオフでなく相補的な関係にあることを示唆する。ただし自治体レベルでの福祉の充実度やそれに伴うボランティア割合の増加がニーズの充足に直結するわけではなく、社会福祉協議会のボランティア事業を支える形での財政支援がない限り、ニーズの充足には結びつかないことが示唆された。 第三に、大多数の社会福祉協議会においてボランティアの世代交代がうまくいっておらず、財政的かつ人的・時間的ゆとりがないという悩みを抱えていることが分かった。ボランティアが集まらない背景には高齢者が賃労働をせざるを得なくなってきたという事情もある。 以上を通じて、公助を共助に委ねることの難しさが包括的に検討した。

報告番号148

キムチがつくる公共圏――食文化を通じた社会運動に関する一考察
北九州市立大学 金汝卿

本発表では、朝鮮民族の伝統的な食文化であるキムチを用いて社会運動が展開される過程に着目し、日本社会において日常的な食文化を媒介にした社会運動がつくりだしてきた公共圏を明らかにすることを目的とする。 キムチは、日本社会において最も入手しやすい朝鮮民族の伝統食品であることは言うまでもない。植民地時代にも日本「内地」でその存在が確認されているが、戦後には「朝鮮漬け」という名称で全国に広まった。また、1975年に発売された「キムチの素」のコマーシャルがきっかけに、「キムチ」という名称が本格的に浸透したことは、先行研究からも明らかになっている。キムチが日本社会で定着していく過程で、かつての「キムチ(ニンニク)臭い」といったヘイトスピーチは周辺化していった。 キムチは、その象徴性と大衆性によって、日本での民族差別の撤廃を訴える場においてもしばしば登場してきた。在日朝鮮人女性が私的空間で継承してきた日常的な文化は、時には日本社会からの要請もあり、公的空間において共生の一手段になってきた。キムチが民族運動に活用され、それが契機になって日本社会の問題として認識され、社会運動へと展開される事例も存在する。伝統的なジェンダー役割分担の影響によって日常生活の中で主に家事を担当してきた女性が社会運動において「食」を用いることは、決して珍しいことではない(Avakian and Haber eds. 2005など)。しかし、こうした運動における「媒介」としての食文化は、周縁的なものとして積極的には注目されてこなかった。 本発表では、2024年7月から2025年3月まで実施したインタビュー調査と参与観察を中心に、民族マイノリティが培ってきた食文化とその権利の向上や反レイシズムを志向する社会運動が結びつき合う事例を検討する。まず、在日朝鮮人2世女性にとってのキムチと運動の記憶からキムチという食べ物が民族運動においてどのような役割を果たしてきたのかを検討する。さらに、法人を設立してキムチを販売し、公的支援のない朝鮮学校を支えようとする近年の民族運動の事例にも注目する。こうした運動は、日本社会において多文化共生を推進、実現しようとする社会運動へと発展していった。その背景には、K-POPをはじめとした韓流文化の人気がある。 本発表では、キムチが日本社会において文化的市民権を獲得していく過程を追跡する。その際、日本人、在日朝鮮人双方にとってのキムチの<意味づけのポリティクス>に注目しながら、それがどのように日本社会のなかで在日朝鮮人のエンパワメントにつながる公共圏を形成していったのかを明らかにする。

報告番号149

地方都市における焼肉の誕生――ホルモン焼きから焼肉へ
愛媛大学 魁生由美子

焼肉とは、下味をつけた肉を卓上の炭火やコンロ等の調理器で焼き、たれをつけて食するスタイルの料理である。焼肉は戦後に始まり、1950年代に外食産業として急速に広がった。その後、1968年、家庭用の焼肉専用調味料が初めて商品化されると一般家庭にも普及し、日本の「国民食」ともいわれるほど大衆化してきた。ただし、よく知られているように、焼肉は在日コリアンが日本に定住化する過程で生み出された食のスタイルである。在日コリアン由来の食文化である焼肉は韓国においても広く普及してきた。焼肉料理については、文化人類学や民俗学、経済学等の研究者により多くの先行研究が蓄積されてきた。焼肉に欠かせない多様な内臓肉は捨てるもの(=関西方言でほるもの)であったから「ホルモン」である、または生理学的な用語を転用し、健康食としてのイメージを強調するために「ホルモン」と命名した等、呼称に関する議論は巷間でもよく耳にするだろう。また、多くの焼肉店の経営者らが一般書籍や講習会を通じて、経営方法や調理の秘訣を公表している。 本報告では、現地での聞き取り調査と各地域の図書館等の資料調査により収集した資料にもとづき、愛媛県において焼肉が誕生し定着した背景、とくに在日コリアンの生業としての焼肉に焦点を当てて考察を行う。現時点ではまだ予備的段階であるが、手掛かりとして愛媛県東部・中部・南部それぞれ地域における中核的な焼肉店に着目し、代表者等に調査協力を依頼し、肉の仕入れ、調理、店舗での提供に関して資料の収集を進めてきた。複数の調査協力者によると、焼肉店という業態以前に、屋台を含む簡素な店舗で内臓肉を焼いて売る、いわゆるホルモン焼きから生業が始まった。内臓肉を処理したのち調味し、ホルモン焼きとして売るためには、まず内臓肉を入手する必要があることはいうまでもない。地域の屠場から内臓肉を入手する方法、そして処理方法と調理の習得等について、聞き取り報告から明らかにする。解放後の在日コリアン1世の地域生活について、中四国地域で2015年に行った現地調査では、愛媛県内での移動の経緯と移動先で生業として行った河川敷での養豚と酒造について聞き取ることができた。それらの成果とも照合しつつ、写真データを含め、今回新たに収集した資料を提示し、それぞれの地域でまずホルモン焼きが商売として成り立ち、後年、焼肉店としてファミリー層に受容されていく過程と、担い手である在日コリアンの生存戦略の変遷に焦点を当てて分析を行う。

報告番号150

キッチンカーを出す――ノンエリート青年の「なんとかやってゆく」世界を支える論理
大阪国際大学 上原健太郎

本研究では、沖縄のノンエリート青年のキッチンカー営業に着目し、自らが生産・加工した食べ物をいかに消費者に届けようと試みているのか、その試みを支えるかれらの論理とはいかなるものかを明らかにする。  そもそもノンエリート青年とは、「『典型的』で『平均的』とされる『日本型雇用』を基盤としたライフコースを展望できない人びと」(高山 2009)を指す。また本研究では、ノンエリート青年研究が提起した「なんとかやってゆく」世界という視点を採用する。ここでいう「なんとかやってゆく」世界とは、「その時点時点でよりよい条件を求める探索」(中西 2009:4)といったノンエリート青年の「戦術」を意味する。筆者は2012年から現在まで、沖縄の那覇都市圏で居酒屋などの飲食サービス業を経営してきた若者集団に対して、継続的に調査を続けてきた。本報告ではかかる若者集団をノンエリート青年と位置づけるが、とくにかれらのキッチンカー営業に焦点を当てて報告する。  まず、「零細サービス業中心の経済構造」を特徴とする沖縄の経済状況は、端的にいって非常に過酷であり、離職率、開業・廃業率、完全失業率が高く、所得水準も極めて低い。こうした厳しい経済的条件のもと、かれらは試行錯誤を繰り返しながらキッチンカー営業を展開してきた。キッチンカーで販売している主な商品は冷凍餃子である。その冷凍餃子は自社工場で生産・加工したもので、その冷凍餃子を沖縄県内の各所で販売し、売上につなげている。雨や台風などの天候に左右されることも多いなか、キッチンカー仲間のネットワークを活用しながら販路を拡大しつつ、「なんとかやってゆく」世界を紡いでいるのが現状である。とくにキッチンカー仲間のネットワークの存在は、音楽祭などの大きなイベントに呼ばれるかどうかを決定づけるという意味で非常に重要であり、大きなイベントで得られる売上金はかれらの営業収益の大部分を占めるため、ネットワークの創造・維持・活用はとても重要な「戦術」となる。  そしてこうしたかれらの試みを支えているのは、「従業員や家族の生活を守る」という論理である。かれらの働き方だけに着目すると、長時間労働、サービス残業、休日出勤など、非常に過酷であり、キッチンカー営業はこうしたハードな働き方によって成り立っているのが現状である。しかしかれらはこうした働き方を「当然のこと」と認識し、キッチンカー仲間のネットワークを活用しながら販路を獲得し、拡大し、収益につなげている。そしてその「なんとかやってゆく」世界は、「従業員や家族の生活を守る」という論理によってかれらのなかで正当化されている。  本報告ではこうした調査結果を踏まえて、「食とマイノリティ」という問題設定に対し、経済社会学および経営社会学の観点からどのような議論を展開しうるかを最後に検討したいと考えている。 中西新太郎,2009,「漂流者から航海者へ――ノンエリート青年の〈労働―生活〉経験を読み直す」中西新太郎・高山智樹編『ノンエリート青年の社会空間――働くこと,生きること,「大人になる」ということ』大槻書店,1-45. 高山智樹,2009,「『ノンエリート青年』という視角とその射程」中西新太郎・高山智樹編『ノンエリート青年の社会空間――働くこと,生きること,「大人になる」ということ』大槻書店,345-401.

報告番号151

日本における外国人農家の萌芽とその発展―東南アジア大陸部出身者に着目して――
近畿大学 人権問題研究所 瀬戸 徐映里奈

日本の近現代史において、差別や排除の対象であった被差別部落出身者や在日朝鮮人は、農地の所有や利用にも障壁を抱えていた。この歴史を踏まえると、1970年代以降、新たな在日外国人(日本国籍取得者を含む)らが農地にどのようにアクセスし、利用してきたのかを明らかにすることは、食の生産に欠かせない土地と移住先の社会への根づきやその帰属を考察するうえで大きな意義を持つ。 本報告の目的は、在日外国人の継続的な農地利用に着目し、その利用がどのような条件のもとに可能になったのか、さらに農地での栽培が耕作者にとってどのような意義をもち、耕作によってどのような社会関係が新たに創出されるのかについて明らかにすることである。そのことから、在日外国人が地域社会の資源にどのようにアクセスしているのかを捉え、地域社会に与える影響について考察する。 土地の所有や利用は、人びとの生活を規定する重要な要素である。なかでも、農地は食料の生産・維持のために不可欠であり、その所有と再分配は重要な社会課題となってきた。日本では敗戦後、農地改革を経て、零細農家も農地を所有できるようになったが、高度経済成長期を迎えると農地は都市開発の対象となり、減少した。政府は、乱雑な開発から食料生産の要である農地を保護するべく、用途地域を指定することで対処してきたが、担い手の少子高齢化と離農が進むなか、遊休農地、耕作放棄地はますます増加し、保全すべき農地でさえ、維持が難しくなっている。こうした農地を活用しようと行政やNPO団体が市民農園を設置し、緑と触れ合い、食料を確保できる場を住民に提供することに取り組んでいる。そこに外国人住民が参与することも珍しいことではなくなってきた。しかし、なかには自ら農地所有者と関係を構築し、交渉の結果、農地の利用を実現したひとも存在している。このことは、技能実習生などの農業労働者や日本の農家と結婚した在日外国人女性とは異なる、在日外国人と農業との結びつきが生じていることを示唆している。 調査の結果、在日外国人による農地利用は、兵庫県・滋賀県・埼玉県・茨城県・鹿児島県奄美市など各地で行われており、そのほとんどは地方都市の近郊部であった。本発表では、特に耕作者のなかでも東南アジア大陸部の出身者に着目し、農地所有者との出会いや利用の交渉、その耕作実態について聞き取りを行った。その結果、農地所有者との出会いは、①職場、②近所づきあい、③食料品店などの経営を通じて発生していた。また、農地で耕作することによって、周辺の他の耕作者・住民から眼差されることになり、そのことが農作業を通したコンフリクトや交流を生み出し、地域社会のなかに外国人住民との新たな接点や共同性が創出されていることを捉えることができた。また、外国人住民たちにとって農地での栽培は、食文化が異なる日本社会において、一般市場では購入が難しい野菜類を安定的に調達、またはコミュニティに供給する手段となっていた。そのために創設した菜園は、出身文化との繋がりを維持する空間でもあり、耕作が単なる食料調達の手段にとどまらないことも明らかになった。在日外国人の農地所有に障壁があるなか、日本人所有者がその利用を在日外国人に開くことによって、在日外国人の農業への参与が実現していたのである。

報告番号152

食料品製造業で働く移民女性の労働と職業生活――ジェンダー、移住、労働の力学をめぐって
独協大学 大野恵理

本報告は近年「食の外部化」の中心となりつつある中食の調理工程を支える移民女性労働者に着目し、移民女性がどのような条件のもとで働き、実際の労働がどのように担われているのかを明らかにすることを目的とする。今や原料の生産から供給を含むフードシステム全体及び「食の外部化」を支える食品製造業は多くの移住労働者によって行われている(飯田・伊藤 2021)。調理労働が外部化された中食は、世帯の構成員やその働き方、消費行動の変化により急速に拡大しており(岩佐 2021)、従来の家事労働の簡略化の一つの方法として需要が高まっている。食料品製造業に関する研究では、従来からその賃金水準の低さや非正規雇用の高さ、さらに女性の占める比率の高さも指摘されてきた。とりわけ中食は女性の非正規雇用労働者が高い割合を占めており、「食の外部化」は世帯内における固定的な性別役割分業の延長線上にある(飯田・伊藤 2021)。また近年では中食食品の調理には多くの外国人留学生や技能実習生が、事実上の「労働者」として就労していることが指摘され始めている。ただし日本のフードシステムを支える移民は、必ずしも留学生や技能実習生という定住を前提としない移民だけではない。すでに日本に定住している移民女性もまた従来から食料品製造業に従事していた。本報告では定住者や永住者などを含めた移民女性が働く状況に焦点を当て、中食の生産・供給においてどのような労働に従事してきた(いる)のかについて実態を明らかにしながら、移民女性がどのようなフードシステムの変化の影響を受けているのかや、留学生や技能実習生とは異なる職業生活について考察する。報告者は2017年から2025年にかけて、日本での就労経験をもつ結婚移民女性に半造化インタビュー調査を行っており、その中でも食料品製造業の中食製造にかかわる移民女性の聞き取りデータを分析した。移民女性は24時間稼働の食料品製造工場等で働いている女性が多く、シフト制によりお弁当や惣菜等の製造ラインで働いている。賃金は低く、工場以外の仕事を複数掛け持ちしながら働いていることが分かった。また工場では、より時給の高く長時間のシフトを選ぶが、身体及び精神面の健康状態の悪化を訴え、自身の不在による家庭生活への悪影響を懸念し、離職する傾向が確認される。そして既に数十年にわたり日本に定住している移民が、家族や仕事とのバランスを考え、あえて中食製造業の仕事を選ぶが、昇給は見込めない状況で働いていることも分かった。このような移民女性の働き方は、現代の日本社会における中食ニーズの拡大や、業界全体としての低賃金労働の問題や家庭内外におけるジェンダー役割が反映されたものといえる。また移民女性は、滞日外国人労働者として想定されている一時的滞在者の不在を埋める「労働力」でもあった。しかし食料品製造業における「バックシステム」から「フロントシステム」への移行や、工場内での昇進や昇給などはほとんど実現されておらず、さらなる検討を要すると考える。 飯田悠哉・伊藤泰郎(2021)「『食の外部化』と外国人労働者-食料品製造業を中心に」伊藤泰郎・崔博憲編著『日本で働く-外国人労働者の視点から』松籟社,97-124、岩佐和幸(2021)「フードビジネスとワーキングプア」冬木勝仁・岩佐和幸・関根佳恵編『アグリビジネスと現代社会』筑波書房,p27-46

報告番号153

フードシステムに従事するマイノリティの健康被害はいかに再生産されるか――園芸農業における外国人労働者を中心に
フェリス女学院大学 飯田悠哉

ボナーノらによれば、近年の世界化したフードシステムの労使関係は、労働の移民化・エスニックマイノリティ化や女性化、それらを通じた雇用のフレキシビリティ化によって特徴づけられる(Bonanno and Cavalcanti 2014)。日本においてもフードシステムへの外国人労働者の集中が顕著で、近年では外国人労働者の4人に1人は食の商品連鎖に連なる産業に携わっている。とくに農業や食品産業では、それぞれの雇用労働者の2割から3割を外国人が占めるに至っているが、これを単に、地方の人口減少による人手不足の帰結と片付けるべきではない。というのも、これらの産業では、労働災害など職業上の健康被害の発生率が外国人労働者にとくに偏って極めて高くなっている状況が窺えるからである。  本報告は質的調査・定点観測にもとづいて技能実習生ら外国人農業労働者の健康被害の社会的要因を探求する。直接的な課題は2010年代に著しく労働の移民化が進んだ園芸農業における雇用農家と農業労働者(日本人季節雇と外国人労働者)との労使関係の秩序変化を、身体をめぐるケアの政治の視座から分析することである。これによって職業上の健康被害の発生・再生産の機序を明らかにしていく。ここで身体をめぐるケアの政治とは、労使それぞれの主体がもつ傷つきやすい身体(可傷的な身体)に対して、その可傷性をどのように利用し、どのようにケアするのか・しないのか、という労使間の「ケア秩序」をめぐって歴史的かつ日常的に争われる政治を指すものとする。とくに、ケアという多層的な営みの中でも、相手の身体状態に「注意」や「配慮」をはらうこと、あるいは注意や配慮の対象から相手の身体を排除することの政治性が決定的な重要性を持つ。  大規模高冷地園芸におけるかねてからの日本人季節雇および外国人技能実習生ら労働者と、雇用農家との労使関係の分析によって、2010年代の労働力の移民化が労使間のケア秩序を変化させたこと、それに伴って、労働者の可傷的身体が雇用主の注意・配慮の範疇からも、また自らとりうる防御行動の可能性からも排除され、被害リスクに対して脆弱化されられてきたことを示す。さらにパンデミック期の農業政策および出入国管理政策の検討から、これら現場で観察された配慮・関心からの移民の身体の排除が国家の政策レベルでも貫かれており、構造的な健康被害に帰結してきたことを確認したい。  このことは翻って、労働の移民化によって達成されたとされる「人手不足の解消」が外国人労働者の脆弱性を利用することによって達成されたと解釈できることを示すことになるし、あるいは移民の「主体性」を強調する議論が、当の主体の身体性を完全に視野から脱落させてきたことを示すことになる。脆弱性を利用した集約化というべき蓄積行動がフードシステムを覆っていたことを踏まえて最後に、2010年代に格差と貧困を深めた日本社会において、外国人労働者が低廉な食の生産を担ってきたことの同時代的な含意へと議論を敷衍する。 Bonanno, Alessandro and Josefa Salete Barbosa Cavalcanti, 2014, Labor Relations in Globalized Food, Emerald Group Publishing.

報告番号154

戦後日本における女性のライフコースの変容――職業経歴の世代間比較による検討
福岡県立大学 黒川すみれ

【目的】本報告では、女性の職業経歴の世代間比較を行い、ライフコースがどのように「多様化」してきたのかを議論する。ライフコースの「多様化」をめぐっては、近代家族に代表されるような、戦後日本に多くの人々が歩んだ「標準的なライフコース」が依然として維持されつつ、それに代わる「周辺的なライフコース」が現れてきたことが、その実態であるとする見解がある(嶋崎 2013)。ライフコースの世代間比較に関する先行研究の多くは、各世代を一つの集団として捉え、状態分布の変化を記述的に比較するアプローチを採っている(例:M字カーブなど)。これにより世代ごとに経験されやすい「標準的」なライフコースの傾向を把握することが可能である一方で、「周辺的」なライフコースの具体的内容やその変化については捉えにくいという限界がある。「多様化」に関する議論を先行研究にもとづいて進めるためには、「標準的」ライフコース以外の、「周辺的」なライフコースの実態およびその変容過程に注目する必要がある。本報告では、集団ではなく個人の経歴に着目し、個人単位のライフコースを計量的手法で記述することによって、周辺的ライフコースがどのように出現してきたのかを明らかにする。 【方法】分析には1985年、1995年、2005年、2015年のSSM調査を統合したデータセットを用いる。まず、出生コーホートごとに個人の職業経歴を系列分析(Sequence Analysis)により記述し、その上でクラスター分析を用いて職歴の類型化を行い、各コーホートにおいてどのような職業経歴パターンが抽出されるのかを比較する。系列分析は履歴データがもつ膨大な情報量を効果的に縮約し、全体的なパターンを可視化する手法である。特に国外においてはライフコース研究に広く応用されてきた方法である。本報告では系列分析の手法を用いて、職業経歴を軸とした女性のライフコースの世代間比較を試みる。 【結果】女性のライフコースは、1930年代生まれまでのコーホートでは「就業経験なし」が主流であり、1940~1960年代生まれでは「専業主婦(再就職を含む)」、1970年代以降の出生コーホートでは「就業継続」が主流となっており、これまでさまざまなデータで確認されてきた傾向と一致する。各コーホートにおいて最も高い比率を占める職歴パターンを「標準的」ライフコースとすると、近年になるにつれ「標準」の比率は低下する。そして、「標準」に代わる「周辺的」ライフコースが出現するが、コーホートによって「周辺」の出現の仕方が異なることが明らかになった。「標準」の代替となる「周辺」そのものの種類が増え、さらにどの「周辺」パターンを歩むかが階層によって異なる可能性がある。戦後日本から現代までの女性のライフコースの多様化は、「標準」の縮小と「周辺」の拡大によって進んできたことが示唆された。 【謝辞】二次分析にあたり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブから「1985年SSM調査,1985」「1995年SSM調査,1995」「2005年SSM日本調査,2005」「2015年SSM日本調査,2015」(2015SSM調査管理委員会)の個票データの提供を受けた。

報告番号155

デュアルキャリアカップルの二体問題(Two-body problem)――
日本女子大学 百瀬由璃絵
福岡県立大学 黒川すみれ

二体問題(Two-body problem)は、家族形成とキャリア両立を行う上でジレンマが生じることを指す。1999年にLaurie McNeilとMarc Sherが物理学の女性研究者に実施したアンケート調査によって問題視された。特に女性物理学者の多くが、科学者と結婚していることから、勤務地の調整が困難になりやすいことが明らかになった。 本研究では、日本における二体問題の現状を実証的に明らかにするために、それぞれの職業生活を重視する可能性が高い専門職同士カップルに注目する。分析に用いたデータは、東京大学社会科学研究所「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」の2007~2023年(Wave1~17)である。分析対象者は、①調査期間中に結婚し、②2023年時点に有配偶であり、③結婚期間が10年以上で、④結婚10年目までの就業情報が少なくとも5年分はあるという条件を満たす者である。 第1に、系列分析により夫婦キャリアパターンを特定したところ、専門職同士カップルがひとつのクラスターとして抽出された。今回の分析対象は1966年~1988年出生コーホートかつ2000年代後半~2010年代前半に結婚したカップルであり、今後もこうしたデュアルキャリア志向のカップルは一定数存在または増加が見込まれる。一方で、夫婦のどちらかが専門職を諦めた場合や、離婚したことで今回は分析対象外となったケースも考えられ、家族形成とキャリア維持にジレンマが生じていた可能性が捨てきれず、二体問題の視点からの検討が有効であることを示唆している。加えて、専門職同士のカップルは、教員同士や医療関係者同士、裁判官同士などと似た職業に就いている傾向があり、米国の初発の研究と同様に、女性が自身の働き方を理解する相手を選んでいる可能性も読み取れた。 第2に、専門職同士カップルが他のカップルとどのように異なるのか、家族構造や家事・育児頻度、収入などに関して比較をおこなった。その結果、専門職同士のカップルは、他のカップルと比べると、平均年齢はあまり変わらないものの、末子の年齢が若く、出産時期が遅れる傾向が見られた。また、専門職同士のカップルは、他のカップルと比べると、夫だけでなく妻の平均教育年数や平均年収が高く、世帯年収も高い可能性があった。この点は、他のカップルと比べると優位にあるが、夫婦間では約200万の年収差があり、男女賃金格差が確認された。 以上をふまえると、日本においても、専門職同士のカップルには「二体問題」によるジレンマが存在しており、家族形成とキャリアの両立には課題があることが確認された。専門職同士のカップルは、出産のタイミングの遅れやどちらかがキャリアを犠牲にするリスクといったジレンマに直面していることが明らかになった。似た職業同士で理解がある関係であっても、この困難は解消されていない可能性が示唆された。さらに、同じ職業同士であっても夫婦に収入格差があることが、家庭内の役割分担やキャリア選択に影響し、女性のキャリア継続を難しくする要因になっていることも考えられる。こうした点からも、今後の政策や支援において二体問題に対する視点を持つことが重要である。

報告番号156

未婚化のなかの夫婦分業の解消と“新規”分業の進行――
帝京大学 神山英紀

【目的】未婚化を説明するさい「結婚」は(1)2人が1組となる(2)持続的関係であるから、それは女性の「選択」の結果ではなく、男女の「約束」とみなしたほうがよい。ところでG. Beckerの定義は(1)を含み、さらに結婚世帯の「産出」が独身男女各世帯の「産出」の計を上回るため人は結婚するとみる。結婚で産出が増す理由の1つに夫婦の分業がある。妻が家事・育児を担い、賃金が高い夫が仕事に専念すれば全体の産出が増し、これを分割すれば夫婦とも未婚時より良くなる。分業は、とりわけ出産を機とする金銭・ケア両面での負担の急増への備えであり、労働市場での女性の排除を背景に一般化したと推察できる。ただ、この定義では、Beckerのいう「産出」すなわち結婚で増える「何か」が要る。この報告では、それを概念化しさらに操作化してデータ分析しその確立を図る。 【方法】Becker理論で世帯は、市場での購入物と時間とから「家事生産物」を産出するが、すると例えば、料理の調理時間と食卓での歓談時間と区別なく、これはこれで我われのいう結婚から遠い。そこで生活時間を、仕事、家事、それら以外(自由時間)に分類してl1、l2、l3とし、賃金率w1、影の価格w2、自由時間の価値w3とすると、未婚男女はそれぞれ、w1l1、w2l2、w3l3を3要素とする効用関数の値を、結婚世帯は男女6要素の値を、それぞれ、合計時間一定という条件下で最大化するよう時間配分すると考えられる。そうして創出される「価値ある事物」の大きさは、w1l1+w2l2+w3l3で示され、ここで“価格”を全て1とすると、諸価値の大きさは単に生活時間の配分として示され『社会生活基本調査』(86年-21年)のデータが利用可能になる。 【結果】まず、差「夫婦計-未婚男女計」は、(1)仕事時間は-から0へほぼ一貫して増加、(2)家事時間は概ね増加で近年やや低下、内訳は「夫-未婚男」では(3)仕事は0から1時間半へほぼ一貫して増加、(4)家事は0から1時間へ一貫して増加、一方「妻-未婚女」は(5)仕事は-3,4時間から-2時間へほぼ一貫して増加、(6)家事は5時間付近を横ばいで近年やや低下となる。男女トータルでは分業解消の過程で未婚・既婚の差はあまり変わらぬと予想できるが、(1)(3)(6)はそれを裏切る。 理解に役立つのは「“妻が家事全般を担当し夫は長時間働く”従来の分業の解消にともない、新たに“夫婦各々が自由時間を取り崩しそれを夫は仕事、妻は家事に回す”いわば“新規の”分業が挿入されていった」という仮説である。そのため女性の仕事時間は確かに増加したが、男性はかつてよりさらに仕事をし(3)、妻の家事時間は“本来は”仕事時間が増えた分減るべきだが、新規分業の家事が加算され変わらない(6)、のではないか。 【結論】Beckerの着想から「男女賃金差縮小で夫婦分業の意味がなくなり結婚の価値が減って未婚化した」と推論できる。しかし、結婚概念を修正し現実の生活時間データを見ると、この過程で、夫婦は、自由時間を「新規分業」に充てていった展開もみえる。“結婚による価値の増分”が時代を通じ減ったかどうかは自由時間の「価格」次第だが、ただ、その減少は「趣味・娯楽」の減少で、2人で1日2時間それは失われた。常識的には、負担の増大という形で、結婚の価値は継続的に減少していったとみてよいのではないか。

報告番号157

ワークライフバランスと合理性――育児中の共働き世帯を対象とした質的研究
常磐大学 及川怜

【背景・目的】 子育て中の労働者にとって、いかに職場での業務を効率よく終わらせ、家事育児に専念できるかが日々の大きな課題となっている。業務を早く終わらせ安心を得たい心理に関しては、認知的完結欲求を用いて説明できる。「認知的完結欲求」 (Kruglanski, 1989)は、「問題に対して確固たる答を求め、あいまいさを嫌う欲求」と定義される(鈴木・桜井,2003; Kruglanski & Webster,1996)。Robertsら(2024)は、実験を行い、人は業務を終わらせることによる安心を得るために、コスト(時間、金)を惜しまずかけることを明らかにした。小さい子どもを育児中の共働き世帯における労働者は、勤務時間内に業務を終わらせることへの強いモチベーションが働く。本研究では、認知的完結欲求に焦点を当て、育児中の労働者が業務を終わらせることによる安心とコストについて検討する。 【方法】 調査方法は、Zoomにて半構造化インタビューを行った。調査対象は、在宅勤務の経験があり、10歳未満児を育児中の共働き世帯とし、日本では8世帯の夫婦(n=16)、韓国では7世帯の夫婦(n=14)を対象に調査を実施した。調査期間は、日本では2024年8月22日~9月8日、韓国では2024年8月9日~8月18日に実施した。 「コスト(時間・金)」と「業務完結による安心」について、労働者の選好を基準に考えると、大きく次のA~Dまでの4つのタイプに分類きる。A. 時間内に終わらせたい×金銭(残業代等の追加の報酬)ほしい「能力を認められて、高収入を得たい」、B. 時間内に終わらせたい×金銭(残業代等の追加報酬)はいらない「プライベートを充実させたい」、C. 時間内に終わらせたくない×金銭(残業代等の追加報酬)がほしい「残業代を稼ぎたい」、D. 時間内に終わらせたくない×金銭(残業代等の追加報酬)はいらない「家に帰りたくない」。本研究では、10歳未満児を育児中の共働き夫婦が、こちらの4つのタイプのどちらに当てはまるかを検証する。 【分析結果】 育児中の共働き世帯における夫婦は、Bタイプ「プライベートを充実させたい」の特徴を持っていた。より多くの報酬(残業代等)を獲得するよりも、業務を終わらせることへの安心を選好し、報酬(残業代等)と安心を取引しているのである。また、一部の世帯では、混合タイプも存在していた。Bタイプ「プライベートを充実させたい」とAタイプ「能力を認められて、高収入を得たい」が混合していることが観察された。 【結論】 子育て世帯においては、効率性の達成が第一目標ではなく、家庭と仕事の両立のために、コスト(時間・金・労力)をかける。 【参考文献】 [1] Kruglanski, A. W. (1989). Lay epistemics and human knowledge: Cognitive and motivational bases. New York: Plenum. [2] Kruglanski, A. W., & Webster, D. M. (1996). Motivated closing of the mind: “Seizing” and “freezing.” Psychological Review, 103(2), 263–283. [3] Roberts, A. R., Imas, A., & Fishbach, A. (2024). Can’t wait to pay: The desire for goal closure increases impatience for costs. Journal of Personality and Social Psychology, 126(6), 1019–1035. [4] 鈴木公基・桜井茂男(2003)「認知的完結欲求尺度の作成と信頼性・妥当性の検討」『心理学研究』74(3), 270-275.

報告番号158

現代日本の父親の子育てと職場・家庭におけるジェンダー規範――世代による違いに注目して
大阪公立大学 巽真理子

父親支援策は、現代日本における少子化対策として重視されている。長年伸び悩んできた男性の育児休業取得率は、2022年秋の育児・介護休業法改正で「産後パパ育児休業(出生時育児休業)」制度などが導入されたのを契機に、2023年度には30.1%まで伸びた。一方で、子育てに関わる父親が増えたことにより「父親の産後うつ」が社会問題となり、その要因として父親の長時間労働が指摘されている(Takehara et al., 2020, Parental psychological distress in the postnatal period in Japan)。父親の長時間労働には、職場のジェンダー規範が影響していると考えられ(巽 2018 『イクメンじゃない父親の子育て』)、これを変えていくためには、特に子育て世代の上司にあたる世代が、父親が母親同様に子育てに関わることを理解することが大切である。 企業等で働く子育て世代(20代~30代)の上司の8割以上は男性である(総務省2023「労働力調査」)。子育て世代にあたる20代~30代の男性は、中学・高校の家庭科は男女共修、共働きやワーク・ライフ・バランスがあたり前である一方で、上司世代である50代の男性は、中学・高校で家庭科教育を受けておらず、妻が専業主婦である場合も多い。そのため、ワーク・ライフ・バランスや父親の子育てが「良いこと」だと頭では理解していても、実感するのは難しいのではないだろうか。このような世代間格差を埋めていくためには、まず、各世代の「父親の子育て」への考え方を明らかにし、その違いを明らかにすることが必要である。 そこで本研究では、2022年に、30歳代と50歳代の父親各7名、計14名を対象とするインタビュー調査を実施した。対象者は、著者が行った「企業等で働く男性の子育て調査」アンケート調査(2021年実施)の回答者から募集し、職場/家庭における周りの人たちとの関わりについて(男性が子育てのために休めるか、男性の子育てに対する上司や妻など周りの理解、ワーク・ライフ・バランス支援策による職場や家庭での変化など)、職場/家庭での自分の行動について(仕事/家庭生活の時間配分など)について質問する、半構造化インタビューを行った。 本発表では、父親が育児休業や子どもの学校行事など、子育てを理由に計画的に休む場合に注目する。父親が休むタイミングや期間について職場での上司等と交渉・調整する場合と、家庭で妻と子育て・家事分担について調整する場合について分析・考察したところ、下記の2点が明らかになった。 ①年代にかかわらず、父親の子育てへの一定の理解は進んでいる。 ②30代の父親が、育児休業取得期間を職場と調整する際に、家庭の事情ではなく、職場の事情(仕事の忙しさや人員不足など)が優先されることが多いことから、職場での一家の稼ぎ主という男らしさの影響が示唆される。 発表当日までにさらに分析・考察を進め、父親の子育てと職場と家庭におけるジェンダー規範の関連について、世代ごとの特徴を示したい。 なお、本研究はJSPS科研費 JP20K13825、JP24K05254の助成を受けたものである。

報告番号159

SNS空間に見る専業主婦とワーママの分断の日米比較――
お茶の水女子大学 山本夏生

子育て世代にとって2025年最大のニュースはキユーピーが20026年8月末をもって育児食の生産・販売終了を決定したことであろう。育児の過程で迎える離乳食作りという新たな戦いにおいて、手作りだけでなく複数の企業の育児食に頼れることは、子育て世代の心の健康を保つことにも繋がっていた。このような子育てに関連するニュースが報じられるとき、SNS上ではしばしばママ垢(子育て中の母親がつぶやくアカウント)界隈でのプチ炎上が起きる。 過去にさかのぼれば、2016年にネット上で発信された「保育園落ちた日本死ね」は、政治の場にネットという匿名空間の子育て世代の声が拾い上げられた瞬間であった。その後SNSでは「#保育園落ちたの私だ」とのハッシュタグと共に保育園の入園選考に落ちた悲痛な声があふれかえった。2016年はフェイクニュース、エコ―チェンバー等、情報空間の大変動が起きた時期であるともいえる。私たちは、SNSというネット空間で様々な情報のやり取りを垣間見ている。X(Twitter)の国内月間アクティブユーザー数(MAU)は6700万人(2024年11月、Gaiax Social media Marketing)とされている。 子育ては幸せでもあり過酷でもある。そうした日々を呟くSNS空間で、幾度となく繰り広げられるのが、専業主婦vsワーママ、子持ち様vsシングル、保育園vs幼稚園、ミルクvs母乳といったテーマであり、特に専業主婦vsワーママの対立は、昨今では、年金「3号問題」について、サラリーマンを夫に持つ専業主婦のぶんの年金をワーママが負担してあげている異常事態、だとする意見が出て炎上したり、PTA活動への参加状況や放置子問題等、様々な社会問題を背景に対立がしばしば起きてきた。 厚生労働省が発表した「令和5年版厚生労働白書-つながり・支え合いのある地域共生社会-」によると、1980年には共働き世帯が614万世帯、専業主婦のいる世帯が1114万世帯だったのが、1991~1996年ころに拮抗するようになり、1997年には共働き世帯のほうが増加、2022年には共働き世帯が1980年時のおよそ2倍となる1262万世帯となり、専業主婦のいる世帯は539万世帯と逆転し、全世帯のおよそ30%近くを占める状況だ。なおアメリカでは15歳未満の子どもを持つ夫婦の専業主婦・主夫率は22.4%(2020年時点)と、日本が近づいている状況といえる。欧米諸国では、Redditという掲示板型ソーシャルニュースサイトでしばしばSAHM(stay at home mom)vs working mom論争が繰り広げられており、こうしたネット上での論争は日本だけのことではないように想定される。 こうしたSNS内でのやり取りは誰でも見られる場所で起きていることから、次の子育て世代も現在の子育て世代が直面する様々な苦労や悲しみを見て、少子化が加速するようなことにも繋がりかねない。だからこそ、SNS上の子育て世代間でどのような対立が起きて、何が社会問題として捉えられ、困っているのかを拾い上げることが必要ではないだろうか。こうした状況は他国ではどのようになっているのか、ぜひディスカッションしながらも、SNSという可視化された声をアカデミズムの世界がどのように拾い上げ、社会に還元していくべきなのか、少子化問題という喫緊の課題と共に、考えてみたい。

報告番号160

人口減少社会における格差拡大の進行過程とその社会的帰結に関する研究――(1)プロジェクトの概要および社会地区分析結果の報告
早稲田大学 浅川達人
早稲田大学 平原幸輝

本報告の目的は、2024年度から2027年度まで科研費の助成を受けて行なっている研究プロジェクトの概要を説明し、社会地区分析の結果析出された地域類型について報告することにある。本プロジェクト「人口減少社会における格差拡大の進行過程とその社会的帰結に関する研究」(基盤研究(A)、研究代表者:浅川達人、課題番号:24H00157)が目指すのは、次の2つの問題を解明することである。第1に大都市部において格差拡大が進行し、アンダークラスをはじめとする貧困層が増大した社会的メカニズムを、三大都市圏に限定せず三大都市圏間およびその周辺に面的に広がる全ての市区町村について、マクロレベルでの職業・産業構造の変化、地域レベルでの社会空間構造の変化、ミクロレベルでの個人の地位達成・社会移動・地域間移動という3つの側面から解明する。 第2に、こうして空間構造が変容した都市の各地域類型に居住する、それぞれの階級・社会階層が直面する問題の構造と解決の方策を明らかにする。それぞれの階級・社会階層は、各々異なる生活上の問題に直面するが、そのあり方は居住する地域の社会空間構造によっても規定される。このように各地域類型に居住し、それぞれいずれかの階級・社会階層に所属する住民が、どのような生活困難に直面し、どのような解決手段が不足しているかを量的調査および質的調査の両面から明らかにすることが、本プロジェクトのもう一つの目的である。 本報告では2020年の国勢調査のメッシュ統計を用いた社会地区分析により、三大都市圏間およびその周辺に面的に広がる全ての市区町村について得られた地域類型について報告する。研究対象範囲は、1次メッシュ63個(標準地域メッシュ:3次メッシュ104,940個)であり、岩手県から広島県までを含む地域である。表章単位には3次メッシュ(標準地域メッシュ)を用いた。緯度と経度から導出されたメッシュは、町村合併などの影響を受けないため、時系列比較を行いやすいという特徴を持つ。データには2020年の国勢調査を用いて、人口、世帯、住宅、労働、教育、通勤通学に関する38の変数を算出し分析に用いた。先行研究と同様に、クラスター分析による社会地区分析に先立って、全変数の相関マトリックスを作成し、相互に相関係数が特に高い(0.7以上)ものは、そのうち1つの変数を選択するという処理を行うこととした。この処理の結果、6変数がクラスター分析からは除外された。クラスター分析にはK-means法を用い、分析には標準化した値を用いた。析出された27クラスターのうち、外れ値を除いた25クラスターについて、各変数の平均値を求めクラスターの特徴を分析し、各クラスターに対する命名を行った。 本報告の後半では、各クラスターの特徴とその地理的分布について報告し、三大都市圏に限定せず三大都市圏間およびその周辺に面的に広がる全ての市区町村の社会空間構造を可視化することを試みる。

報告番号161

人口減少社会における格差拡大の進行過程とその社会的帰結に関する研究――(2) 所得推計結果の報告
早稲田大学 平原幸輝
早稲田大学 浅川達人

本報告の目的は、2024年度から2027年度にかけて実施されている「人口減少社会における格差拡大の進行過程とその社会的帰結に関する研究」(基盤研究A、研究代表者:浅川達人、課題番号:24H00157)と題する研究プロジェクトの一環として行われてきた、市区町村および地域メッシュ単位といった地域単位の所得状況に関する推計を行った分析の結果を報告することである。具体的には、2010年代および2020年代における三大都市圏間およびその周囲に面的に広がるエリアの、所得分布に関する状況を推計し、その変容を捉える。 これまでの社会地図プロジェクトは、東京および東京圏についての知見が蓄積されてきた。また、近年は、京阪神圏や名古屋圏といった他の三大都市圏にも、研究の対象が拡大されてきた。地域における所得分布については、東京圏・京阪神圏・名古屋圏における、個々の年代の、個々の推計モデルを導き、それらに基づく低所得層の空間分布、高所得層の空間分布、所得格差に関する空間構造を示してきた。例えば、高所得層の空間分布について、近年、東京圏では都心への高所得層の集中傾向が生じてきている中で、他の都市圏ではそういった傾向は明白には生じてきていないことなどが指摘されている。 三大都市圏に限定せず、三大都市圏間およびその周辺に面的に広がるエリアを対象とする本研究においては、該当するエリアの全ての市区町村の所得分布に関する状況を明らかにすることを目指し、本研究では統一的な所得推計モデルを導き、それに基づく低所得層の空間分布、高所得層の空間分布、所得格差に関する空間構造を示した。 具体的には、低所得層の多寡については年収200万円未満世帯比率、高所得層の多寡については年収1000万円以上世帯比率、所得格差の大きさについては世帯年収のジニ係数といった指標を、地域における所得分布を表すものとしてそれぞれ用いた。また、2010年代および2020年代のデータをそれぞれ分析することによって、人口減少が日本社会において生じてきた時代の、都市における所得分布の変化を捉えることも目指した。そうした中で、東京圏においては、高所得層の比率が東京都区部で高まっている様子などが捉えられた。加えて、市区町村単位だけでない、地域メッシュ単位というミクロレベルでの空間変容を捉えることや、モデルにおける残差を確認することによって、統一的な所得推計の適合状況について検討することも試みる。

報告番号162

大都市圏の外縁部はいかにしてそのように位置づけられるのか――東京圏の〈限界地〉を手がかりとして
株式会社イーガオ(兼慶應義塾大学非常勤講師) 谷公太

近年、グローバルな政治・経済・社会的プロセスを通じて惑星規模で都市化が進行し、従来の境界を越えて都市的性質が遍在することから、都市を明確に区分された領域として捉えたり、非都市と二項対立的に捉えたりすることへの疑問が投げかけられている。そこで例えば、グローバル・ナショナル・リージョナルなどの複数のスケールの一つとして都市や大都市を垂直に位置づけるアプローチが提案されている。この点からすると、水平的な領域として捉える大都市圏の試みは疑問視されるし、また、その設定において通勤を重要視するイデオロギー性も指摘されており、大都市圏に対するアプローチは何らかの更新を迫られている。 従来、日本の大都市圏については、まずその範囲を画定させる試み(国勢調査、金本・徳岡による「都市雇用圏」など)があるわけだが、同時に、広域的な視点から内部の空間を明らかにしようとする研究も多数存在する(社会地図を描くのがその典型である)。それらが東京圏を対象とする場合、「一都三県」のように行政区画に依拠するか、「50km圏」などの距離基準の同心円モデルを想定するかという二つの傾向が見られる。このとき外縁部について、前者ではその宣言にもかかわらずしばしば外側の自治体を含んでおらず、後者では50〜100km圏の間に振れ幅をもつ操作的定義として範囲を設定してきた。裏を返せば、対象範囲の輪郭を成す外縁部は、問題関心の「外側」として見過ごされ、位置づけの曖昧さが生じているのである。そこで本報告では、この外縁部を大都市圏的な問題設定の〈限界地〉として位置づけ、この曖昧さがいかなる認識や前提によって生じてきたのかを明らかにし、これまで見落とされがちだった外縁部をあえて問う研究の意義を検討する。 以上の目的のため、都市圏の範囲を画定しようとする意図を持つ既存の調査において使用されているのと同じ、国勢調査の「従業地・通学地による常住市区町村15歳以上就業者数及び15歳以上通学者数」を主たる指標として用いて、限界地を分析軸とした集計・地図化を行った。 分析の結果、都心部への就業比率と距離はべき乗則に分布しており、その傾きが変化して水平に近づきロングテールを成すその端緒こそが限界地であった。しかしこの都心部への就業を市区町村毎の比率ではなく絶対数で計測したり、距離圏毎にまとめたりすることで、一都三県の更に外側にある市区町村(後背地)のほうが限界地よりも高い数値を示した。つまり一都三県程度のスケールでは限界地のわずかな範囲を拡大することで、かえってこれらの後背地を捨象している点が強調されることが分かった。また、限界地のみに焦点化した通勤ベクトルの分布から、一部の自治体が就業核として今もなお求心力をもっており、限界地における就業ネットワークは相対的に自律的な様相も確認された。 結論として、限界地を含むかどうかは都市圏中心部の考察にとっては些細な差異であり、取り扱いが難しいからこそ曖昧に位置づけられてきたが、むしろその曖昧さを積極的に活用することが、大都市圏の定義や認識の前提を問い直す契機となる。すなわち、都市的なものを中心から捉えにくい今日においては、限界地を遷移帯のようなものとして捉え、そこにあえて線引きしようとする意志に着目することが、都市と非都市の関係性を再構築する視座に対して貢献を果たすと考えられる。

報告番号163

高度成長期における過密居住と持ち家志向の関連――1970年政府調査の二次分析から
京都大学大学院 佐藤慧

【1. 目的】本報告は、戦後日本社会における持ち家志向(homeownership preference)がどのように形成されたのかという問題を、戦後の都市部で顕著になっていた市民の過密居住の経験から考察するものである。 【2. 問題の所在】住宅を所有すること(homeownership)は、就職や結婚などと並び人生のマイルストーンと目されてきた。しかし近年では、持ち家志向は顕著に低下している。さらに、社会経済的格差や住宅建設による環境破壊の要因になっているとして、批判的検討の対象ともなっている。このように、住宅所有がすでに常識ではなくなりつつあるなかで、ではなぜ住宅所有は戦後社会において普及したのか、という問題が注目を集めるようになっている(平山2020『マイホームの彼方に』, 村上2023『私たちはなぜ家を買うのか』)。既存の理解は大きく分けると2つある。1つはインフレ期待に基づく経済的有利性のためであり、もう1つは政府が公的ローン融資や減税によって持ち家の取得を有利にしたという議論である。このうち、後者の政策要因説が、既往研究の中心的な理解となってきた。ただし、政策の影響を重視する見方は、実態としての持ち家ないし住宅所有者の増加を説明する一方で、社会意識としての持ち家志向が広まった経緯を必ずしも説明しない。戦後日本社会は、「持家が多いだけではなく、人びとのマジョリティが住宅所有に価値があると判断し、持家取得をめざす社会」(平山 2009『持家政策のどこが問題か』: 7)であり、この意味で、社会意識としての持ち家志向の形成も意義のある課題となる。既存の説明にのっとると、持ち家政策の中心機関であった日本政策金融公庫の公的住宅ローン融資の影響が大きいと考えられる。しかし実際には、持ち家志向は公庫が日本の住宅政策の主軸となった1970年以前から高く、1950年には日本の大都市圏においては7割以上の住民によって表明されていた(碓田・住田1991「戦後における日本人の住宅像」)。このことを踏まえると、持ち家志向の形成の説明には他の視点が必要である。 【3. 課題・方法・結果】そこで本報告では、戦後の都市部において過密居住が頻繁に発生していたことに着目し、不快さを伴う過密居住の経験が、世帯分離の手段としての持ち家取得への志向を形成したと考える。この仮説の妥当性を検証するために、1970年に政府が東京と大阪の二大都市圏で行った「都市生活に関する世論調査」の二次分析を行った。その結果、関連すると考えられる諸要因を統制したうえでも、住宅の狭さを感じていた借家人ほど、将来的な持ち家取得への希望を表明する確率が高かったことがわかった。この結果から、人々の日常生活における居住経験が持ち家志向を形作ったと考えることができる。加えて、空襲による住宅の破壊や、引揚・ベビーブームによる住宅需要の増大などの経路で、第二次世界大戦が過密居住の遠因となったことを考えれば、第二次世界大戦が人々の持ち家志向を形成し、今日の社会意識のあり方にまで影響を及ぼしてきたというインプリケーションも導かれる。

報告番号164

夜間経済に「到達」する――日本における<ナイトタイムエコノミー>概念の成立
文京学院大学 山内智瑛

1.目的:イギリスなど西ヨーロッパでは、脱工業化で衰退したインナーシティを再生すべく、1990年代頃から「夜間経済(night-time economy)」政策が進められている。本政策は、バー、クラブ、映画館、劇場など都市部の多様なナイトライフを開発することで、夜間の消費とクリエイティブな人材の企業家主義的活動を促し、それによって昼夜24時間での経済発展やグローバルな都市間競争力の強化を図ろうとするものである。日本では、2010年代前半に発生したクラブの大規模摘発に見るように、ナイトライフは長らく取締りの対象であったが、2015年の風営法改正を経て、観光庁主導の下「ナイトタイムエコノミー」政策が実施されるようになった。ただし、日本の政策は、①欧米豪の富裕層の訪日外国人観光客の消費を誘発するために地域の観光資源を磨き上げ、それによって雇用を増加させ地方創生に役立てる、②行政の意向を中間支援組織がトップダウンに伝える点において、西ヨーロッパとは異なったものとなった。本報告は、従来取締りの対象とされていたナイトライフが、いかにして都市・地域の経済成長のための資源として利用されるようになったのか、換言すれば、日本において<ナイトタイムエコノミー>という概念がいかにして生成したかを明らかにすることを目的とする。 2.方法:研究方法については、インタビュー調査をメインに行った。インフォーマントとしては本政策に関するグローバルな政策学習を行っている「ナイトタイムエコノミー推進協議会(JNEA)」から3名(理事/調査業務担当/コーチング担当)、ナイトタイムエコノミー政策のモデル事業の一つとなった山梨県富士吉田市から3アクター(ふじよしだ定住促進センター/富士吉田市役所(富士山課)/ふじよしだまちづくり公社)を選定した。併せて、行政資料、インフォーマントが執筆した書籍やブログ、インフォーマントのインタビュー記事を用いた資料分析を実施した。 3.結果:アムステルダムやロンドンからの政策学習により、①企業家主義的ライフスタイルを育むために都市中心部を複合的に開発し、都市経済を昼夜の「2倍」にする、②その実現のためには、アクターたちの意見をボトムアップに集約して行政へとつなぐ中間支援的な存在が必要であるとするグローバルな<夜間経済>が組み立てられ、日本に導入された。だが<夜間経済>は、観光庁が政策実施主体となったときに変異する。観光庁はOECDの統計や有識者との対話から、<夜間経済>の第1の意味を、欧米豪の富裕層の訪日外国人観光客の消費を誘発し、地方創生を促進するものへと変質させた。その後、本政策は、観光庁から委託を受けたJNEAによるコーチングという形で地方の現場に埋め込まれる。<夜間経済>の第2の意味は、行政の意向を中間支援組織がトップダウンに伝えることへと変異した。そして政策形成の現場はローカルへと移る。モデル事業の一つである富士吉田市において、本政策は当初、移住者、富士吉田市役所、地方創生交付金などが結びつくアッサンブラージュの中で、移住促進政策としての意味付けをされていたが、そこに観光庁とJNEAが加わることで移住促進とインバウンド観光という2つの意味を重層的に持つ<ナイトタイムエコノミー>が具現化した。

報告番号165

中国におけるシティ・リージョン形成と地方政府――長江デルタ地域都市圏一体化の事例から
福岡県立大学 陸麗君
大阪大学 丸山真央

目的・方法 中国では、経済成長と都市化の進展に伴って、経済圏や生活圏が既存の行政区域を越え出る事態が生じるようになり、2010年代以降、都市圏(city-region)のガバナンスの制度や組織を建設する動きがみられる。こうした都市圏一体化の動き(city-regionalism)は中国に限らず世界各地でみられるが、都市研究では、それぞれの異同とそのメカニズムを明らかにすることに関心が集まっている。そうした研究では、中国の都市圏一体化が、欧米のそれと比べて、国家・中央政府が主導する「国家組織的」「国家企業家主義的」な性格をもつとしばしば指摘される。 本報告では、中国の代表的な大都市圏のひとつであり都市圏の一体的な行政や公共サービスの統合が進められている長江デルタ地域都市圏を事例として、かかる指摘を再検討したい。ここでは特に地方政府に注目する。 用いる資料は、各レベルの政策文書、統計資料のほか、2018年~19年に現地の地方政府、関係機関、大学、研究機関等で実施したインタビューの結果である。2025年9月実施予定の追加調査の結果も含める。 結果・結論 中国国務院が2010年に発表した国土開発計画において、北京・天津などを中心とする都市圏、上海を中心とする長江デルタ、広州・深圳などの珠江デルタの3つが国家レベルの「最適開発区域」とされた。これが長江デルタ地域の都市圏を一体的に管理する制度・機構の発展の出発点になっているのは確かである。 しかし上海市の政策を歴史的に遡ると、上海市主導のもと1980年代から隣接の浙江・江蘇両省などとの行政協力や対外開放経済地帯の構築が構想されたり、1990年代には、都市化の進展に伴って都市域が行政区域を越え出るようになり、域内の都市の会議体が作られたりしてきた。 また地方政府に着目すると、地域に固有のニーズや戦略から都市圏の一体化を志向する動きがみられる。たとえば浙江省嘉興市は、上海市から約100キロと近く、長江デルタ地域都市圏の中で各種交通の要衝に位置する。交通インフラ整備や産業イノベーション政策における地方政府間の協力だけでなく、行政区域を越えた医療保険の一体化は住民ニーズが高いといい、一体化が積極的に推進されている。他方、同じ浙江省内でも、長江デルタ地域都市圏の周縁部に位置する寧波市は、都市圏一体化よりも、一帯一路(特に海のシルクロード)の中に自市を位置づけ、それを生かした港湾を中心とする開発・発展政策を推進している。 以上の事例が示唆するのは次のことである。近年の中国の都市圏一体化が、国家の計画によって中央政府の主導で進められているのは確かであるが、それぞれの地方政府に着目すると、自らの地域の発展をめざして一体化政策を活用しており、事例の2市の対応の違いは地方政府の主体性を示唆するものである。こうしたことからすると、中国の都市圏一体化において地方政府のモメントは決して小さなものではなく、中央と地方の両方の力がかみ合うことでダイナミックに動いていると考えられる。

報告番号166

ローカル・ネットワークの生成と拡張――地域を支え、地域に支えられる団地
獨協大学 岡村圭子

報告者はこれまで、地域(ローカルな)社会におけるネットワーク形成とその広がりについて、郊外の団地および、その団地周辺エリアのひとびとの社会的なつながりを事例として、団地で生まれた文化やコミュニティとはどういったものか、高度経済成長の象徴の一つである団地が、社会のなかでどのように位置づけられてきたか、そして、団地住民たちがどのようなネットワークを形成し育んできたか、というテーマで調査をしてきた(『団地へのまなざし』新泉社、2019年)。 本報告では、これまでの調査をふまえながら、昨今の団地をめぐるネットワーク形成と、団地建て替え後のコミュニティ再生に関する住民の意識について掘り下げて考察したい。 旧住宅公社によって建設された草加松原団地(現、URのコンフォール松原)において、昨夏、久しぶりに大々的に団地まつりが開催された。その際に収集したデータや、開催のために行われたクラウドファンディングのデータ等を参照しながら、本報告では主につぎの点について着目したい。 (1)団地内で行われるさまざまな活動が、団地住民だけではなく、 周辺居住者や、なんらかのかたちで団地に関係する個人・組織を含む、 “ゆるやかな”ネットワークによって成り立っていること (2)団地内の諸活動(ボランティア団体やURによるもの)が、 多世代にわたる周辺住民や隣接する大学の関係者にとっても重要なものになっているということ これらの点を検討することで、つぎのような視点が提起される。 まず、「団地(のひとびと)」という研究対象にアプローチする際、行政区画や制度的な居住地に限定することなく、団地内外に張り巡らされるあらゆる社会的なネットワーク(関係人口も含めて)に着目することの重要性である。つぎに、団地の周辺エリアだけでなく地域全体の暮らしや住環境を支えるポテンシャルが団地には備わっているということである。それはたとえば、あらゆるひとびとに開かれた「第3の場所」としての機能が提供されているという点からも理解できよう。 昨今の昭和レトロブームによって、団地(公団)の人気も復活しつつある。しかし同時に、「地域のお荷物」「孤独死の温床」などのイメージで語られることも多く、実際に、駅から遠く高齢化と建物やインフラの老朽化が進む団地や廃墟寸前の団地も少なくない。それでも、団地を社会学的に研究することによって、今後(あるいは今まさに)わたしたちが直面する社会的な問題を新たな視点で捉え直し、積極的に対処するための方法のヒントが与えられるだろう。

報告番号167

妊娠中及び出産後の者への合理的配慮について――「アセンブリッジ」の観点から
奈良先端科学技術大学院大学 二階堂祐子
奈良先端科学技術大学院大学 得能想平

【目的】本研究は、妊娠中及び出産後の者が遭遇する社会的排除や差別を合理的配慮の不提供として検討するものである。合理的配慮とは、障害者差別解消法や障害者雇用促進法のもとで、行政機関や事業者、事業主が、個々の障害者のニーズに応じて提供する、社会的障壁の除去に向けたルール等の変更を指す。性的マイノリティ、アレルギー食やハラル食などの食マイノリティについては、合理的配慮の不提供として排除や差別を可視化する試みがすでに始められている(加藤 2016)(四方 2022)。また著者らは合理的配慮をアセンブリッジ分析(Feely 2020)を用いて再記述し、ニーズを聴取する側にどのような配慮が必要であるかを論じた(得能・二階堂 2025近刊)。本研究はこうした試みを妊娠中及び出産後の者に接続することを試みる。例えば男女雇用機会均等法の「妊娠中及び出産後の健康管理に関する措置」は、女性労働者の通院時間の確保、勤務時間の変更や勤務の軽減などの「措置」を講じることを事業主に義務付けている。措置であるので一人ひとりの妊娠者の身体状況や環境に応じて柔軟に適用されるというよりも一律に実施される。これらの措置を「障害の社会モデル」の観点から捉え、個々のニーズに応じた社会的障壁の除去へと組み替えることで合理的配慮の枠組みから再編成する(西倉 2016)ことは、障害に限らない包摂の方法としての可能性をもつ。【方法】本研究は、何が個々の妊娠中及び出産後の者のニーズに対応することを困難にしているのか、その具体的な制約をつかむために、大学コミュニティ内における合理的配慮の不提供の事例をアセンブリッジ分析を用いて検討する。当分析を採用することで、身体の通時的な変化、周囲の者の感情、組織の方針やルール、人事配置などを要素として捉えることができ、また、一人ひとりの経験の異なりを描くことができる。大学コミュニティ内の事例は一般社団法人男女共同参画学協会連絡会による「科学技術系専門職の男女共同参画実態調査」(2022)の自由記述欄に示された妊娠・出産に関わる内容を抽出した上で検討を行う。【結果・結論】労働基準法などの規定は妊娠中及び出産後の者の休業を認めるが、休業する期間の経費を含めた負担は個々の研究室に課されるために出産の可能性のある者の雇用が忌避されるといった事例からは、アセンブリッジの階層構造が観察された。法的な措置や規定への対応において、個々の研究室にケアの負担を課すのでなく、組織内のルール変更など公的な仕組みを使って整備することは、社会的障壁の除去のための合理的配慮の提供と位置付けられうる。このように本研究では「妊娠及び出産する身体」に閉じ込められている期間に経験する排除や差別を、物理的環境や社会的環境によって一時的に生起するものとして扱う。この取り組みは特定の文脈で社会的障壁が生成されるさまを検討する一つの例にもなりうる。

報告番号168

「障害の社会モデル」用済み論・再考――
東京理科大学 西倉実季
東京大学大学院 星加良司

近年、「障害の社会モデル」に対する他領域からの関心が高まり、その応用の試みも進展している。一方で、社会モデルを生み出した障害学の領域においては、その限界が指摘され、理論的関心は明らかに減衰してきている。本報告では、こうした社会モデル批判の論理を精査することを通じて、社会モデルの意義と可能性について再検討する。 結論としては、障害学内部で展開されている社会モデル批判は、いずれもその致命的な欠陥を明らかにしたものとはいえず、その意味で社会モデルの命脈は依然として保たれている。代表的な日本の議論について言及すれば、榊原賢二郎は、「構築物としてのディスアビリティ/非構築物としてのインペアメント」という二分法に基づいてディスアビリティ解消の足場を確保しようとする論法は、その二分法的区分の恣意性のために「存在論的詐術」(OG)問題を免れ得ない点で致命的欠陥を抱えていると論難する(榊原 2019)。しかし、そもそも社会モデルはマジョリティによって恣意的に操作される「構築/非構築」の区分を相対化し別様の区分を対抗的に提示するための理論的装置なのだから、社会モデルにとってOG問題は決定的な批判たりえない。また石島健太郎によれば、dis-abilityを探究対象とし、「できる身体/できない身体」という二分法を前提とする社会モデルにおいては、後者に対する否定的価値づけがなされ、障害者へのラベリングが行われると同時に、健常者が考察の埒外に置かれる(石島 2015)。しかし社会モデルは、マジョリティとマイノリティとの間の権力の非対称な配分のもとで後者が置かれている固有の状況こそを否定的に評価し、その改善を要求する概念装置であるため、健常者を対象にしないことは難点とは言えず、障害者へのラベリングを帰結するという批判も当たらない。さらに加藤旭人は、報告者等を含む日本の障害学研究者が社会モデルの認識論的ないし社会構築主義的な側面にのみ注目してきた結果、唯物論を基盤として社会的抑圧としての障害を把握する初期障害学の基本モチーフと理論的可能性を捉え損ねてしまっていると批判する(加藤 2023)。これは、社会モデルに関する認識論の重視と構築主義的解釈とを反唯物論の視座として同一視している点で妥当性を欠くものの、社会モデルが構造的暴力や階級的不均衡を含む歴史的諸条件への批判的眼差しを要請するものであることに着目している点では、有意義な視点を含んでいる。 以上の検討を踏まえ、改めて社会モデルの要諦を整理すれば、障害発生の社会的過程において作動するマジョリティ‐マイノリティ間の不均衡な権力関係に焦点化する認識論的装置であるといえる。このように、その理論的・実践的ポテンシャルを最大化する観点から適切に解釈された社会モデルの認識枠組みは、今後の障害研究の発展のみならず、他の分野の社会学的研究の深化にも寄与しうるものである。 引用文献 石島健太郎, 2015, 「障害学の存立基盤―反優生思想と健常主義批判の比較から」『現代社会学理論研究』9: 41-53. 加藤旭人, 2023, 「障害学における唯物論の再検討―障害のポリティクスをめぐる批判的想像力に向けて」『年報社会学論集』36: 100-111. 榊原賢二郎, 2019, 「障害社会学と障害学」榊原賢二郎編『障害社会学という視座』 新曜社: 152-201.

報告番号169

新自由主義に抗する「社会モデル」の可能性――ハームフルな障害の生政治
日本女子大学 渋谷望

本報告は、新自由主義的な枠組みの中で「障害の社会モデル」がどのように新自由主義に対して促進的に機能してきたのかを検討し、それが新自由主義に対して批判的に機能しうるとすればそれはどのようなものなのかを検討する。  本報告では新自由主義を、たんに公的支出削減(ロールバック)によって小さい政府を目指す統治形態としてだけではなく、同時に、公的支出に様々な条件づけによってメリハリをつけ、「アカウンタブル」なものとしながら、統治されるべき主体への働きかけを志向する統治形態とみなす。フーコーによれば、新自由主義は人口集団をマネージしながら主体の変容を促す生政治である。そこでは主体は、労働者としてではなくむしろスキルアップに自己投資する「アントレプレナー」として位置づけられ、互いの競争を促される。このような新自由主義の理解からすれば、ある種の「社会モデル」は新自由主義と接合し、自立的で有能な身体の増進を自明視するだけでなく、そうした身体への意志を「包摂」の前提とみなす政策として機能する(飯野・星加・西倉2022:2章)。それゆえ本報告は、新自由主義を問い直す社会モデルの可能性を検討する。 具体的には、上述の新自由主義的な「社会モデル」をフーコーの生政治的新自由主議論とエイブリズム批判論の観点から再検討する。  新自由主義は、多様性を称揚するが、「多様性」としての包摂は、アントレプレナーをモデルとする主体を条件とする。包摂されるこの主体は、自己の能力(アビリティ)を高める意志を持つ主体である。しかし、能力増強への執着(そして社会からの促し)には際限がない。他方、この条件を満たさない主体は不可視化され、「死ぬがまま」にされる。この主体化の実現可能性は階級、ジェンダー、セクシュアリティ、人種、あるいは植民地的な支配構造などによってグラデーションがある。  他方、新自由主義は本源的蓄積の暴力によってハームフルな「障害」を製造する側面を持つ。包摂的な社会の言説は、アクセス(あるいは包摂)不足として障害を規定するが、障害のハームの側面――ジャスビール・プアールがdebility(衰弱)と呼ぶ側面――が、社会によって積極的に生産されている点を軽視する傾向がある。新自由主義的な社会モデルは、新自由主義的な資本主義のロジックを前提とするがゆえに、植民地主義や人種資本主義を通じて、ハームの生産を加速させる力となる。したがって、新自由主義に対して批判的に機能する社会モデルがあるとすれば、ハームとしての障害の製造を批判するものでなければならない。 文献: 飯野由里子・星加良司・西倉実季2022『「社会」を扱う新たなモード』生活書院 Puar, Jasbir K., 2017, The Right to Maim: Debility, Capacity, Disability, Duke University Press.

報告番号170

「犯罪」および「能力」の社会モデル――その意義を整理する
帝京大学 山口毅

障害の社会モデルに着想を得て、他領域でも「社会モデル」の名称が使われている。あるいはその名称が使われなくとも、関連する議論が行われている。本報告は犯罪研究と教育研究における「社会モデル」を取り上げて、その意義を整理することを目的とする。  障害の社会モデルは、問題(不利益)の原因を個人にではなく社会に見出す。「インペアメント」と「ディスアビリティ」を区分して、社会の障壁によるディスアビリティを問題化した。インペアメントはおおむね「個人」の側に、ディスアビリティは「社会」の側に割り当てられている。  マクドナルドとピーコックは障害研究と対比させながら、ニュー・クリミノロジー(以降NCと略記)を犯罪研究における社会モデルの嚆矢とする。NCは犯罪を資本主義に対する抵抗とみなして肯定的に評価し、刑事司法による犯罪化こそが問題であると論じた。NCは批判的犯罪学のルーツである。  その後、街頭犯罪が弱者に与える害(ハーム)の等閑視を理由として、NCは批判された。マクドナルドらはその批判を、障害学におけるインペアメントへの再注目とパラレルだとみなす。批判を経由して登場した左派リアリズム犯罪学は、批判的犯罪学に「個人の問題」を再導入した。この経緯を踏まえた整理が必要である。  また星加良司と西倉実季は、精神障害と関わる「ディスオーダーの問題系」として、犯罪の社会モデルの課題を引き受ける。「ディスアビリティの問題系」に比べて社会システムのニーズと対立しやすい点に、固有の困難を見出している。それゆえ、ディスオーダーの性質をより精緻に分析することが必要だという。  彼らの議論を受けて、批判的犯罪学で唱道されてきたハームの観点を用いてディスオーダーの外延を拡大しよう。そうすると、資本主義とそれを支える国家が大規模なディスオーダーの生産者であることがわかる。犯罪化された個人によるハームは通常、それに比べれば小さい。この社会は大規模なディスオーダーを放置してきた。そのようにして社会システムのニーズを相対化する方向に、犯罪の社会モデルの用途を見出しうる。  教育研究においては、「能力の社会モデル」の主張が存在する。だがそれ以前から、竹内章郎の「能力の共同性」論がある。能力の共同性論は障害の社会モデルに影響を受けて形成された。教育研究における能力主義批判はしばしば、竹内を参照している。  竹内は「個体能力」と「能力の共同性」を区分した。それに関連して教育研究の領域においては、個人に帰属する能力(個体能力)を否定できないことが主張されている。つまり誰かに何かの作業をまかせるときには通常、その人のもつ能力が値踏みされているのであり、個体能力の概念が用いられている。これなしに人間の生活は成り立たない。  いま現在、そうした事情を踏まえながら教育研究における能力主義批判が再考されている。そこでは犯罪の領域と同じように、資本主義それ自体を問う方向への展望がある。  以上の主張が障害学において展開された議論とどこまでリンクするかについては、慎重な検討が必要であろう。しかし問題の根本的原因として資本主義を名指し、その克服を目指すという点に関しては、本報告の主張は初期の障害の社会モデルと軌を一にしていると言えるだろう。(引用文献は当日配布資料に掲載)

報告番号171

障害の社会モデルと大麻問題――刑罰とハームについて批判的犯罪学の視点で考える
佛教大学 山本奈生

障害の社会モデルを、違法薬物の使用や依存と関連させることに、どの程度の妥当性があるだろうか。本報告は、「薬物依存者も障害者である」といった、ある状態に対する概念の適合性を論ずるものではない。牧田俊樹によると、精緻な理論を組み立てるよりも、現実に生きており、切実な実存を有する人々にとって「有用性」があるものとして、障害概念や社会モデル、批判的障害学を検討することが望ましいとされる(牧田 2024)。  本報告は、牧田の主張に同意しつつ、障害の社会モデルを、ドラッグ問題と関連させて考えることの「有用性」を検討したい。また障害やドラッグといった概念区分の創出も、不均衡な政治性の中で生ずる事柄だと批判的に考える。 報告では、大麻問題を具体的事例として取り上げる。なぜなら、大麻問題は時代や地域によって医療化、犯罪化、商業化など扱いが異なり、政治や経済のヘゲモニーと関連を有しつつ最大規模の被摘発者を産出してきたものだからだ。   英語圏では「ドラッグ依存は障害か」「ドラッグ依存を、社会モデルとして考える方途があるか」に関する研究や実践は存在する。まずは、先行研究にあるカナダやオーストラリアでの「ドラッグ依存は障害か」をめぐる裁判と世論の事例があげられるだろう。いくつかの研究では、「ドラッグ依存や使用」を障害だと見なしたとしても、徹底した社会モデルによる概念の転換が行われないのであれば、ドラッグ使用者として生きる人々にとって切実なハームの低減に資することは、少ないだろうとされる。医学モデルを保持したままの限定的な「社会モデル」として、例えばハームリダクションの実践が行われるとき、バリアフリーなどに相当するような「社会モデル」が実施されてしまうからである。そうした政策実践は、もっとも弱い立場にある人々が被るハームをやむを得ないものとして劣位に追いやっているとされる(Bunn 2019)。  本報告では、何を違法なものとし、何をディスオーダーとみなすのかという、社会的な概念生成の水準において、常にすでに、不均衡な政治-経済の権力作用が含みこまれていることを批判的に検討する。理論的には、違法性等のカテゴリー生成と、これに対応した刑事司法制度が有する、不均衡な権力作用を批判する地点から思索を開始しなければならないはずだ。こうしたカテゴリー産出をめぐる議論において観客席は存在しないから、どういったハームの問題に取りくむことが「有用」であるのかを登壇者や聴衆と共に考えたい。 文献 Bunn, R., 2019, “Conceptualizing Addiction as Disability in Discrimination Law: A Situated Comparison,” Contemporary Drug Problems, 46(1): 58-77. 星加良司・西倉実季、2025、「障害学と批判的犯罪学の対話」『理論と動態』17: 73-89. 牧田俊樹、2024、『「障害とは何か」という問いを問い直す――「事実」から「有用性」に基づいた障害定義の戦略的・実践的使用へ』生活書院. 山本奈生、2025、「大麻規制によるハームと、抵抗の方途」『理論と動態』17: 57-72.

報告番号172

保育者における身体接触の両義性――
奈良佐保短期大学 中田奈月

日本の保育所保育のガイドラインである保育所保育指針解説によると,スキンシップは心の安定につながること,肌の触れ合いの温かさや心地よさを実感すると,子どもは自ら手を伸ばし,スキンシップを求めることが記される.その一方で,保育所での性暴力被害や不適切保育が問題視され,子どもへの性暴力防止に関する法律が次々と制定されるなど,保育士への目線は一層厳しくなっている.保育者による保育の場における身体接触への懸念は,モラル・パニック(Tobin 1997),リスク社会の産物(MacWilliam and Jones 2005)として議論され,抱っこを求める乳児の欲求に応えたりすることに困難を生じさせ,保育の場はノータッチゾーンになりつつある(Piper & Stronach 2008).先行研究によると,子どもと保育者との身体接触は,プライバシーやセクシュアリティの問題に抵触するため恐怖を伴い,ハラスメントや虐待とされることもある.(Tobin 1997 ; Piper & Stronach 2008).保育者が危惧するのは,物理的な接触が,観察者によって誤解される可能性があることである.ある年齢以上で結婚しておらず,子どもがいない男性はとりわけ疑わしいとみなされる(Piper 2002).身体接触は職業の根幹とも関係するにもかかわらず困難が生じているこの事態を保育者はどう解釈しているのか.2024年から2025年に行った保育所での参与観察やインタビュー調査によって得たデータから分析する. 保育者は,子どもに直接的な指示をするよりも,保育者が意図のもとに間接的に関わることが多いため,保育者の意図が読めない第三者には,行動の意味を解釈できないことがある.子どもの気持ちと保育者による気持ちへの解釈にずれが生じることも,保育者同士で解釈の違いも起こる.また,保育の場は,その場その場で状況が目まぐるしく変わり,それに応じて複数の人々の解釈も複合的に変化する.例えば,子どもを抱っこする行為にしても,前後の文脈がない状態で,子どもが安心感を得るために必要なのか,子どもの動きを制御するためにしているのか,セクシュアルな気持ちからなのか判断するのは難しい.男性保育者から見れば,女性保育者はこの問題に無頓着で,自分ごととしては捉えていないうえ,男性への目線は厳しく,男性が行う保育について,保育の文脈とは別のフレームに当てはめて解釈することもあることを示した. 文献 Tobin, Joseph ed., 1997, The missing discourse of pleasure and desire. Yale University Press. Piper, Heather, and Ian Stronach eds., 2008, “Don’t touch.” The educational story of a panic, London ua. <付記>本研究はJSPS科研費24K15590の助成を受けたものである.

報告番号173

ボクシングジムにおける相互行為――力の可視化
立教大学大学院 藤杏子

【1.背景】触覚という一言によって表される感覚は多様に存在する。たとえば、西阪(2018)は、触覚を「触覚的知覚」「触れられることによる痛みなどの感覚」「運動感覚」と3つに分類した。そのなかでも「身体的実践(スポーツやダンス、楽器の演奏など)を他者に教える」という場面を考えると、「運動感覚」は教えるべきトピックであると同時に、「教えるための活動資源(Lindwall 2012, 西阪 2018)」となりうる。 しかし、このような運動感覚を伴う運動の指導場面は、しばしば「特別な技能」として不可視されてきた(海老田・杉本 2020)。そのため、これまでは量的研究が中心となり、選手の変化を測定可能な指標に置き換え、普遍性を示すといった蓄積が存在する。そして近年では、このような調査結果と現場の乖離が指摘され、現場のリアリティに迫る質的研究の必要性も高まっている。 【2.方法】そのようなメンバーの実践に迫るため、本報告では、人々の用いる実際の方法論に迫るエスノメソドロジーの視点を導入する。エスノメソドロジーにおいては、身体的実践の記述のために「身体的実践が可視化され、分析可能なものとして示される」ような「明示的な場面」(Garfinkel 2002:181)における指導と身体を使ったワークが明らかにされてきた。このような知見を用いながら、本報告では自身の身体を道具を介さずに用いるボクシング競技の練習場面を対象とする。 【3.先行研究】先行研究では、これまでスポーツの教示場面(コーチング)について、不可視とされた運動感覚が、発話や身体の動作など相互行為を通じて共有され、選手とコーチの間で観察可能なものとなると論じられている。特にOkada(2022)は、ボクシングジムでのコーチ-プロ選手の練習中の指示について選手側を単なる聞き手ではなく適切に身体を用いながら指示を形成していることを明らかにしている。  しかし、運動場面の教示についての先行研究ではコーチからの指示や訂正など、修正作業に焦点が向けられている。プロスポーツ選手の場合は修正指示は最も重要な実践であるが、楽しさを求める趣味(宮本 2007)実践においては、指示と同時にその後「どのように評価されるのか」についても着目する必要があるだろう。 【4.目的】そのため、本研究でそこで本研究ではボクシングジムでの指導場面をもとに「良いパンチである」ということをどのように可視化し、コーチ-会員の間で理解可能なものにしているのかを探求する。そして、そこで運動感覚がどのように可視化され、用いられているのかを明らかにすることで、「運動感覚」の記述の方法論的寄与を行うことも目指す。 【5.結果】現在収集しているデータでは、練習場面において肯定的な評価を下す際、単に「良い」と評価するのではなく「ガァン!だね」などの激しくぶつかったオノマトペなどを積極的に用いることと同時に、生徒側もあわせて空中に向かってパンチをしてその重みを表現するねど身体を用いて表現することによって「質量のあるパンチであった」ということを共有するといった実践が見られている。これらに加えて、より評価が時間的に難しい模擬試合や試合場面での実践についても報告する予定である。

報告番号174

触ることの方法――芸術実践のなかでの触覚の会話分析
立教大学 鈴木南音

本報告は,芸術実践のなかでの触ることの分析を通して,相互行為のなかでのさまざまな触覚的な知覚の用いられ方を記述するものである.五感の分類のなかで,一口に「触覚」と呼ばれるような知覚であっても,実践をつぶさに見ていくと,さまざまな「触覚」があることが分かる.たとえば,接触感覚,運動感覚,身体感覚などは,五感のなかでは「触覚」として分類されるものである一方,それぞれ異なる知覚である(cf. 西阪 2018).楽器を触ったときの接触感覚,楽器を演奏するときの身体の動かし方の運動感覚,特定の音を奏でるときの身体の位置に関する身体感覚は,どれも,実践のなかで区別されているものである.本研究は,こうした「触覚」と呼ばれてきた現象を,相互行為の分析を通してつまびらかにすることによって,実践のなかでの触覚に肉薄するものである.  また,ビデオデータを資料とした触覚の社会学的研究の一つの可能性が,どのようなものでありうるのかも,報告を通してデモンストレートしてみたい.触覚と言ったとき,もしかすると,「触覚」は,視覚・聴覚だけを記録できるビデオデータに収めることが困難なものであるかのように思われるかもしれない.しかしながら,日常的な実践を思い起こすと,しばしば私たちは,ほかの人がどのような触覚を感じているのかが,ひと目見ただけで分かる.たとえば,ほかの人が演奏していたギターの弦が切れて,その人の手を傷つけたとき,私たちは,その人が痛みを持っているということが,ひと目見ただけで分かる.あるいは,ほかの人が,歌を歌う直前に,喉を触りながら声のピッチを確かめているとき,喉の感覚を確かめているということも,ひと目見ただけで分かる.そのように考えると,ビデオデータを資料とした触覚の研究を通して,少なくとも,そのような日常的な,「ひと目見て分かる」触覚が,どのようなやり方を通して達成されているのか,このことを明らかにすることはできるはずである.触覚は,日常的な相互行為のなかで,必ずしも個人の皮膚のなかに閉じ込められた私的なブラックボックスとして取り扱われているばかりではない.むしろ,なにがしかの行為をほかの人と形作るための公的なリソースでありうる(cf. Cekaite and Mondada 2020).  以上を導きの糸として,この報告では,芸術実践のなかで,触ることが,相互行為のためのリソースとして用いられているデータを,エスノメソドロジー・会話分析の方法を用いて分析する.そのことを通して,多様な「触覚」の区別された用いられ方についての整理を試みると同時に,触覚が,日常的なやり方を通して参照・構成されていく相互行為的な過程をつまびらかにすることで,「神秘的」と思われがちな,芸術実践のなかの「触覚」を脱神秘化することを試みたい. 文献 西阪仰,2018,「会話分析はどこに向かうのか」平本毅・横森大輔・増田将伸・戸江哲理・城綾実編『会話分析の広がり』ひつじ書房. Cekaite, A., & Mondada, L. (Eds.). 2020. Touch in Social Interaction: Touch, Language, and Body (1st ed.). Routledge.

報告番号175

湯に浸かる身体からひらかれる自己と社会――風俗の社会学を超えて
早稲田大学大学院 佐藤佑紀

本報告は、「湯に浸かる」という行為を、多田道太郎の言明を手がかりに、触覚・生成的な身体実践として再構成することを試みるものである。多田は「風呂の楽しみ」という論考の中で、「ゆあみすることが喜びであり、その喜びがきっかけになって、人と人との親和も生れる」と述べ、日本文化論の観点から「湯に浸かる」行為(ゆあみ)について検討している。他方、『遊びと人間』(R.カイヨワ)訳者解説においては、「単純な皮膚感覚の遊び」としてそれを捉えなおし、「聖なるもの」の支配と束縛の下にあるのではない、「『ただ感動に打たれた状態』を新たに構成する芽を見つけうるだろうという『予見』 をもつばかりである」と述べている。「予見」と自ら言うように、むろん多田は「ゆあみ」に関して思考していたことの全てを語っているわけでも、また知っていたわけでもない。だが別の見方をすれば、ゆあみ=「湯に浸かる」行為と経験をめぐる彼の思索は、彼自身の語りや意識の枠を超え、より広くそれを捉えなおす構想の萌芽をはらんでいるともいえる。このような関心から、本稿は、「湯に浸かる」という行為・経験に注目し、それが新たな自己のあり方(たとえば「喜び」)や社会性/共同性(たとえば「人と人との親和」)を生み出し構成する契機となりうることを、湯と身体(皮膚)との接触そのものへの着目を可能にする「副詞(性)」の視点から明らかにすることを目的とする。  具体的には、まず、湯に浸かる/浴びる行為に関する先行研究を概観したうえで、湯と身体(皮膚)との接触そのものに、新たな自己のあり方や共同性を生み出す契機が潜んでいることを指摘する。つぎに、その接触を捉え論じる糸口として、「副詞(性)」とりわけ様態副詞の特性に言及する。「湯に触れる/触れられる」という湯と身体との触覚的関係を動的プロセスとして捉えるために、「副詞系」(どう-様態-副詞-非人称-アナログ)と「名詞系」(何-実体-名詞-人称-デジタル)という二つの極、対関係を導入する。さらに、銭湯や温泉、自宅風呂などで「湯に浸かる」事例を取り上げ、湯と身体との接触を通じて生じる自己変様や社会的関係の諸相を記述・分析する。  結果として、第一に、多田の思索は、「湯に浸かる」ことが新たな自己や社会のあり方を生み出し構成する契機となりうることを示唆し、湯に浸かる/浴びるという身体実践に即した社会学的思考の可能性を照らし出すものといえる。第二に、「湯に浸かる」という行為は、「副詞系」へと自らの存在をひらくと同時に、社会的属性・役割をもつ自己のあり方、「名詞系」へと立ち返るという双方向の運動を含みもつ身体実践であると考えられる。第三に、「湯に浸かる」という行為は、湯との接触を通じて自己のあり方が変化するだけでなく、新たな社会性(共同性)を生成しうる身体実践であると考えられる。  以上の考察から、多田が予見的に示した「芽」は、「副詞的」な生成の契機として位置づけられる可能性が示唆された。また、「湯に浸かる」ことは自己(心身)と社会を横断する動的なプロセスであり、湯と身体との接触をとおして自己のあり方と社会性(共同性)をともに編成しなおすような、多層的な行為実践としての側面が見出された。以上のような触覚的経験の分析は、「様態」や「副詞(性)」に注目する社会学的思考の可能性をひらくものと考えられた。

報告番号176

自分の身体を「掻く」ことの社会性――
摂南大学 加戸友佳子

【目的・背景】本報告では、皮膚炎の症状としてもよくみられる,自分の身体を「掻く」ことについて,相互行為における表出の様相を検討したい.身体の境界面である皮膚において起こることは,社会のさまざまな「境界」を問い直すものになりうる(Anzieu 1985=1993, 牛山 2019).「掻く」ことの考察から見出されるのは,「自分の身体を自分の意思で制御する」という規範に対する批判である. 「掻く」という身体動作は、これまで人々の関心を「すり抜けて」きたように思われる.それは,この動作のスティグマ性の強さと,相互行為において関心を集めないようにする技術のもとにあったことの両面から,考えることができる.「見えているが,見ていない」動作であるといえるだろう. 「掻き」は「かゆみ」を原因とした不適切な行為として,基本的に病理学的な視点で捉えられることが多い.また,私的な場で隠しながらなされる,とも言われてきた.だがその内実を詳しくみてみると,「掻き」は「かゆみ」を原因として起こるものとは限らない.また,一定の社会性をもった行為として捉えうる動作でもある.例えば「頭を掻く」ことは,ジェスチャーとしての一定の地位を確立しているように思われる. 【方法】今回は会話場面を録画したデータをもとに,「身体を擦る」動作の現れ方の様相,相互行為における機能について考察する. 【考察】同じ動作が,ある時は相互行為におけるディスプレイとして,別の時は相手に言及させない戦略のもとに,存在しているのではないかと考えられ,その違いは発話ターンとの関わりを持っているように思われる.「掻き」からは,大まかに2つの機能を見出すことができると考えられる.一つはコミュニケーション資源としてのそれであり,目の前で掻くことで親密性を示すものである.これはヒト以外の霊長類におけるグルーミングの研究(Wilkinson and Pika 2025)に類似例を見出すことができる.もう一つは,他者の関心を逸らし,言及させないようにする,スティグマのパッシングの方法ともいえる機能である.特に,明示されていると同時に隠されるという戦略は2つ目に現れており,それがいかに可能となっているのかが重要な課題となる. 【文献】Anzieu, D. 1985, Le Moi-peau, Paris: Bordas.(福田素子訳,1993,『皮膚-自我』言叢社.)・牛山美穂,2019,「『痒い感覚を恥ずかしく思うのはなぜか?――文化人類学の視点から」『支援』 (9): 122-9.・Wilkinson, R. and Pika S. 2025, Practices and actions within non-human primate interaction: the social organization of grooming among chimpanzees, Atypical Interaction Conference 2025

報告番号177

国際移動経験と変容するアイデンティティ――ミックスの若者へのインタビュー調査から
大阪公立大学 有賀ゆうアニース

近年,「ハーフ」「ミックス」「ダブル」等と呼ばれる日本人と外国人(外国出身)の両親のもとに生まれた人々(以下,「ミックス」と呼称)の増加に伴い,さまざまなアプローチからのミックス研究が進展している(Sato et al. 2023; 下地 2018).とくにそのアイデンティティのパターンと規定要因,被差別経験とその対処戦略が検証されてきた.こうした研究の進展は日本における移民の多世代にわたる統合,強固なエスノナショナリズムによって特徴づけられる日本のエスニック境界の効果や動向を検証するにあたって重要である(Alba 2020; Liu-Farrer 2020). しかしミックス研究は総じて萌芽的な水準にあり,依然として積み残されている研究課題も多い.そのひとつが,ミックスの人々がルーツをもつ日本と外国の間の国際移動というトピックである(Childs et al. 2021).移民研究ではトランスナショナリズムの観点から,国境を越えた社会的関係や文化的接触が移民の子孫に重要な影響を与えることが議論されてきた(Levitt 2009).他方,ミックスの人々のアイデンティティや被差別経験のあり方は日本社会のエスノナショナリズムという観点から説明されることが多く,一部の例外を除き(Tanu 2019),一国にとどまらないトランスナショナルな社会文化的文脈がかれらの帰属の経験に及ぼす影響は十分に考慮されていない.本報告は,ミックスの若年層へのインタビューデータをもとに,この移動や滞在の経験そのものが主観的アイデンティティや被差別経験にどのような影響を与えるかを検証ことで,この研究課題への貢献を図る. データとして18歳から39歳までの年齢層に属するミックスの人々を対象として2022年以後に行ってきたインタビューデータを用いる.対象者はいずれも調査時点において日本に居住しており,外国滞在経験をもつ人々である.60分〜180分の深層インタビューを実施し,先方の許可のもとに録音と文字起こしを行い分析した. 以下のような暫定的な知見が得られた.第一に,日本ではない側の国への居住・滞在経験は,多くの場合は現地のマジョリティとは異質な集団の成員としての偏見や好奇心に基づく処遇を伴う.これには,「アジア人」等の人種的分類,「日本人」としてのナショナルな分類,「明るい肌」という肌の色による分類などが含まれる.第二に,日本ではない側の国での差別や偏見の経験は,生育国(日本)へのアイデンティフィケーションの強化(Kibria 2002),ナショナルな帰属そのものを相対化するコスモポリタン的視点(Hannerz 1990)の獲得などをもたらしうる.第三に,現地の処遇やその効果は,本人の言語能力や人種的背景によって異なる.たとえば,現地のマジョリティとしてパッシング可能な場合,以上の差別や偏見の経験は相対的に緩和されることもある. 以上の知見をふまえた含意として,第一に,ミックスのアイデンティティや社会文化的統合を理解するにあたって国際移動の経験に着目する重要性が示唆された.第二に,偏見や差別の経験がもたらす効果が属人的要因だけでなく文脈的要因によって影響を受ける点に注目する必要がある.

報告番号178

「ハーフ」概念を超えて――マイノリティ同士のミックスのアイデンティティ形成
東京大学 佐藤祐菜
大阪公立大学 有賀ゆうアニース

【研究の背景と目的】 国際的な人種・エスニシティ研究においては、いわゆる mixed (race) と呼ばれる人々を対象とした研究が進展してきた。日本でも、「ハーフ」や「ダブル」などと称される人々に関する研究が、2010年前後から増加している。これらの研究は、「ハーフ」と呼ばれる人びとが「日本人/外国人」という二分法のもとでいかなる差別や偏見を経験し、どのようにアイデンティティを構築しているのかを問うてきた。 しかし、既存研究の多くは「日本人と外国人の間に生まれた人びと」を主な対象としており、その結果、複数の人種・民族的背景を持ちながらも「日本人の血統」を持たない人々の経験やアイデンティティのあり方は、研究の周縁に置かれがちである。 本研究の目的は、日本社会において「日本人」の血統的ルーツを持たないものの、複数の人種・民族的背景をもつマイノリティ同士のミックスの人びとに着目し、彼らが「日本人性」や「ハーフ性」とどのように交渉しているのかを明らかにすることである。 【方法】 本研究では、両親ともに外国出身または(元)外国籍であり、日本以外の複数のルーツを持つマイノリティ同士のミックス8名に対して、インタビュー調査を実施した。ルーツの組み合わせは、インド/フィリピン、アメリカ/フィリピン、イラン/フィリピン、ペルー/パキスタン、韓国/中国、オーストラリア/アメリカ、インドネシア/フィリピン、アメリカ/韓国である。協力者はいずれも日本で生まれ育った移民2世(もしくはそれ以降)か、10代までに来日した移民1.5世である。 【結果】 暫定的に、以下のような知見が導き出された。第一に、「ハーフ性」は「日本人性」と「外国人性」の中間に位置づけられるものとして捉えられており、その結果、本研究のインタビュー協力者たちは、複数の人種・民族的背景を持ちつつも「日本人の血統」を持たないことにより、「ハーフ」カテゴリーから排除される経験を有している。第二に、他者から「ハーフ」と見なされなくても、彼ら自身は自らのアイデンティティを混淆的なものとして認識することがあり、その際、部分的には「血統」的な基準から距離を取りつつ、「日本」とのつながりを持つ存在として自己を位置づけている。第三に、彼らは「ハーフ」というカテゴリーを戦略的に用いる一方で、そのイメージに対して批判的な態度を取ることもある。 【結論】 複数の人種・民族的背景をもつマイノリティ同士のミックスの人びとは、日本社会における「日本人/ハーフ/外国人」という人種・民族的三分法の枠組みに影響を受けながらも、それを攪乱する存在でもある。彼らのアイデンティティは、「日本人/外国人」という二分法に基づいて「ハーフ」を定義してきた既存研究の限界も示している。また、ルーツ間の比較に重点を置いてきた移民第二世代研究に対しても、その視点の再考を促す可能性を有している。

報告番号179

南米系日系人による沖縄伝統芸能実践の社会学的位置づけについての一考察――
沖縄国際大学 崎濱佳代

本論文のフィールドである沖縄県は、かつて日本有数の移民送出県であった。戦後の困窮期に世界各地の沖縄系移民からの物資・支援を受け、経済発展後は海外の沖縄系日系人組織を支援するなどそのネットワークは現在でも維持されている。沖縄県におけるホスト社会と日系人との関わりについての社会学的な研究としては、安藤由美らによる研究、鈴木規之による研究などがあり、「結束的な」沖縄社会への入り込みにくさの一方、多くの移民を送出してきたことを誇りとする県民感情も存在することが明らかにされた。 新しく着手する研究の特色は、これまでの「沖縄県におけるディアスポラ」研究の知見を踏まえつつ、対象を沖縄県内に在住する南米系日系人に絞り、彼らの出身国の日系人ネットワークと沖縄社会のネットワークとをつなげるダイナミズムを分析する点にある。この視点を用いた先行研究としては、鈴木規之・崎濱佳代による『ホスト社会沖縄と日系人―ラテン文化資本の架橋性―』(平成27~29年度文部科学省科学研究費基盤研究(c)研究成果報告書、2023)がある。同研究では、沖縄に於ける南米系日系人の持つラテン文化資本が架橋的社会関係資本を創出しており、その社会関係資本が南米系日系人にとってはホスト社会適応のための資源を得るネットワークとして、ホスト社会の住民にとっては、自身の資質を高め生活の質を向上する資源として機能していることが明らかになった。その研究のなかで、沖縄系日系人にとってもホスト社会沖縄の住民にとっても、音楽や舞踊といった文化実践が非常に価値のある活動だと位置づけられている様子が散見された。また、沖縄出身の人々がハワイやラテンアメリカ、南洋諸島といった移民先社会で暮らす中で無聊を慰める芸能は生活の大きな支えとなり、演者を母県から呼び寄せたり、母県の側から教師を派遣して手習いを促したりしてきたエピソードは一般的に語り継がれている。ラテンアメリカの移民社会では現在でも民謡大会が人気を博し、大会を制した若者たちが演者を目指して母県に留学するケースも珍しくない。沖縄社会や沖縄出身の県人会でも人気の大衆芸能であるエイサーは、移民社会でもルーツとのつながりを求めて実践され、そしていつしか伝統の型を破り現地文化や現代のポップカルチャーと融合していく。移民社会や県人会も含めた「世界のウチナーンチュ」社会のなかで、沖縄伝統芸能はルーツを共有する証でもあり、異質な文化と出会う場所でもある。 本研究は、この知見から着想し、エイサーや民謡、琉球舞踊といった沖縄伝統芸能に携わる南米系日系人のライフコース研究を通じて、ディアスポラ的なアイデンティティのあり方や文化実践の正統性をめぐる象徴闘争の実際を明らかにすることを目指す。今回の報告では、予備調査として沖縄伝統芸能が移民社会を通じて拡散していく様子を文献資料から明らかにし、その社会学的な位置づけを考察する。

報告番号185

移住ケア労働者のプレカリティとエイジェンシー――日本の介護部門におけるベトナム人労働者の就労実態と抵抗実践
岐阜大学 巣内尚子

【1. 目的】本研究は日本において技能実習生(以下、実習生)をはじめ正規の在留資格を持つベトナム人移住ケア労働のプレカリティ(precarity、不安定さ)がどのように生じ、あるいはどのようなプレカリティが生じるのかを明らかにすることを目的とする。また移住ケア労働者がプレカリティにどう対応するのかを探る。日本の移住ケア労働者については職場でのハラスメント、低賃金、帰国強要といった問題が起きている。正規の移住ケア労働者は在留資格を持ち、労働法規の保護を受ける。にもかかわらず、なぜ移住ケア労働者は不安定な状況に置かれるのか。日本の移住ケア労働者に関する先行研究はホスト社会の視点に立つものが散見されるが、本研究はSunam(2022)によるプレカリティの議論を参照しベトナム―日本間の移住の構造と移住労働者の生きられた経験をとらえ、移住ケア労働者のプレカリティの諸相と移住ケア労働の抵抗実践を明らかにする。 【2. 方法】2024~2025年にベトナム人移住ケア労働者への半構造化インタビューを行った。対象者の出生年、民族、性別、出身地、家族構成、移住労働前の職業と収入、仲介会社へのアクセス方法、渡航前研修の期間・内容、渡航前費用の金額と借入状況、来日後の就労先の状況(居住地、施設の従業員数、勤務時間、仕事内容)等を聞いた。ハラスメントや労働問題など職場での困難とそれに対する対応についても聞いた。 【3.結果】ベトナム人移住ケア労働者は移住の軌跡において経済的プレカリティ、雇用のプレカリティ、在留資格のプレカリティ、人種化されたプレカリティといったプレカリティの諸形態にさらされている。経済的プレカリティは移住労働前の世帯経済、移住の軌跡における債務労働者化、日本での低賃金により形成される。雇用のプレカリティは制度的に実習生の職場移動の自由が制限される中、実習生に対する解雇により生じる。在留資格のプレカリティは解雇に際し次の職場が在留期限内に見つからない場合、在留資格を失い帰国に追い込まれる例である。人種化されたプレカリティは移住ケア労働者が日本人職員、高齢者から外国人であることを理由に差別されることで生じる。日本人雇用主によるハラスメントや私生活への過度な干渉等の事例である。高齢者から実習生へのハラスメントという介護特有の事例もある。この状況に対し移住ケア労働者は公的機関への通報、支援組織へのコンタクト、または現状を受け入れ就労を継続することやより良い在留資格を目指すことなどの実践により抵抗していた。 【4. 結論】 ベトナム人移住ケア労働者のプレカリティは日越の移民政策・制度、労働市場に影響を受け形成される。とくに日本政府の移民政策・制度は移住ケア労働者の諸権利を奪い、これが日本の労働市場の状況と関連し移住ケア労働者のプレカリティを構築する。また移住ケア労働者のプレカリティはケアを提供する高齢者との関係にも影響を受ける。 参考文献:Sunam, Ramesh. 2022. “Infrastructures of Migrant Precarity: Unpacking Precarity through the Lived Experiences of Migrant Workers in Malaysia.” Journal of Ethnic and Migration Studies, May, 1–19.

報告番号186

移民の影響認知と反移民的態度のばらつき――
順天堂大学 下窪拓也

本研究は、移民を受け入れ社会にとっての脅威とみなす脅威認知および利益とみなす利益認知と反移民的態度の関連を検証する。脅威認知は、反移民的態度の規定要因としてながらく議論されてきた。しかし、脅威認知を扱う先行研究に対して、外集団に対する否定的な認識を排他的に取り扱う点が批判されている。こうした批判を基に、脅威認知だけでなく、肯定的な認識である利益認知を踏まえた集団間態度の検討が行われてきた。脅威認知と利益認知は、従来の計量的分析では異なる因子として抽出されている。移民の影響認知に関する二次元性から、脅威と利益の両方を認識する人々の存在が想定される。本研究の目的は、こうした移民の影響に対する相反する認識が、反移民的態度に及ぼす影響を明らかにすることである。脅威と利益の相反する認識が態度に与える影響には、以下の2つの理論的仮説が考えられる。一つは、両価性(ambivalence)の理論であり、この理論に基づけば、相反する認識を持つ場合、移民に対する態度の決定が困難になり、回答が不安定になる。ただし、この理論では、意思決定の際に相反する認識が同程度に考慮されることを想定していると言える。損失回避の理論に従えば、人は利得よりも損失を重視する傾向があるため、たとえ脅威認知と利益認知が拮抗していたとしても、移民への態度の決定には脅威認知が優先され、回答が不安定にならない可能性がある。本研究では、量的調査データの二次分析を通じて、上記の仮説を検証する。 本研究は、2013年度に実施された国際社会調査プログラム(ISSP)のナショナルアイデンティティモジュールの二次分析を行う。従属変数には、定住を目的として来訪する外国人に対する態度を、1「かなり増えた方がよい」から5「かなり減った方がよい」までの5件法で尋ねた項目の回答を使用する。独立変数には、定住を目的として来訪する外国人の増加が受け入れ国にもたらす影響の認識を尋ねる設問の中から、「犯罪発生率が高くなる」、「仕事を奪う」、「文化が損なわれる」への回答を脅威認知の尺度とし、「経済に役立つ」、「新しい考えや文化をもたらし、社会をよくする」への回答を利益認知の尺度として扱う。分析では、脅威認知と利益認知の主効果および交互作用効果を検証する。本研究では、先行研究に倣い従属変数のばらつきを回答の不安定性として定義し、従属変数の平均にくわえ、分散もモデル化する分散不均一回帰分析を行う。分析の結果、反移民的態度の平均値に対して、脅威認知は正の、利益認知は負の統計的に有意な関連を示した。このことから、本分析においても、脅威認知と利益認知が持つ反移民的態度との相反する関連が示された。しかし、分散モデルにおける脅威認知と利益認知の交互作用効果は、統計的に有意な正の効果を示さなかった。結論として、脅威認知と利益認知を同時に強く認識すると回答が不安定になるという傾向は、本分析からは確認されなかった。脅威認知と利益認知は、移民への態度を決定する際には、競合する考慮事項にならない可能性が示唆された。

報告番号187

技能実習生の受け入れルートの形成における国イメージの影響――監理団体調査の結果から
東京大学 永吉希久子

1.目的 本研究の目的は外国人労働者の受け入れルートの形成について、受け入れる企業の側の役割に着目して検証することにある。ある国からある国への労働者の受け入れルートの形成については、国家間の歴史的な関係や、送り出し国側の戦略的な労働者育成に着目した分析がなされてきた。しかし、様々な相手国の中で、どの国からどのような労働者を受け入れるかに関する意思決定を、受け入れ側がどのように行っているのかは十分検証されていない。そこで本報告では、技能実習制度の監理団体を対象にした社会調査データを用いて、受け入れ相手国や、その国から受け入れる労働者の選択にどのような基準が用いられているのかを検証する。 2.方法 調査対象は技能実習制度の許可監理団体(一般/特定)3672団体である。2025年1月23日から3月17日にかけて郵送調査を実施し、1353団体から有効回答を得た(有効回収率37.5%)。調査では最も多く受け入れを行っている国や、その国から受け入れを行っている理由、実習生を募集する際に重視している項目などを尋ねた。 3.結果 ある国からの受け入れを選択した理由として挙げられる割合が高いのは「継続して働いてくれる人材を集めやすい」「送り出し機関の質がよい」「日本の職場に適合的な人材が多い」であり、日本語能力や職業能力、給与水準との適合性を理由とする団体は相対的に少ない。受け入れ産業を統制したうえで、選択理由と最大受け入れ国との関連を分析したところ、日本語能力を重視している団体では、最大の受け入れ国としてインドネシアやミャンマーを選びやすく、ベトナムを選びにくい傾向にあった。また、職業能力を選択基準とした団体では中国やフィリピンから最大の受け入れを行いやすく、ミャンマーからは最大の受け入れを行いにくい傾向がみられた。 さらに、実習生の選抜の際に重視する項目にも、最大受け入れ国による違いがみられ、最大受け入れ国としてベトナムを選んだ団体と比べ、インドネシアやミャンマーを選んだ団体は日本語能力を基準としやすく、フィリピンを選んだ団体は職種の経験を重視しやすく、日本語能力を重視しにくい傾向がみられた。つまり、ある国の優位性と認識されている事柄が、その国からの実習生の選抜にも用いられている。また、フィリピンから最大の受け入れを行っている団体はベトナムから最大の受け入れを行っている団体に比べ性別を重視しにくく、インドネシアからの最大の受け入れを行っている団体は年齢を重視しにくい傾向もみられた。 4.考察 上記の分析の結果は、受け入れ社会の側が各国の労働者に対し異なるイメージを抱いており、それが国レベルでも、個人レベルでも労働者の受け入れの判断に影響を与えていることを示唆している。こうしたイメージが外国人労働者の受け入れルートを形成するとともに、その国からの労働者の受け入れの際の基準にも用いられることで、さらにイメージが強化され、固定化されると考えられる。監理団体がなぜこのようなイメージを抱くにいたったのか、それが特定技能など異なるスキルレベルの労働者の受け入れにも影響するかについて、今後対象となった監理団体へのインタビュー調査を実施することにより明らかにする予定である。 【謝辞】本研究はJSPS科研費 JP23H00871の助成を受けたものです。

報告番号188

大企業では新規学卒女性をどのように採用しているのか――採用におけるジェンダー不平等の解明にむけて
お茶の水女子大学 相川頌子
お茶の水女子大学 斎藤悦子
お茶の水女子大学 吉原公美
お茶の水女子大学 脇田彩

【1.目的】 第5次男女共同参画基本計画(内閣府 2020)では、2030年代に誰もが性別を意識することなく活躍でき、指導的地位にある人々の性別に偏りがないような社会を実現し、2020年代の早期に指導的地位に占める女性の割合を30%程度とすることを目標としている。しかし依然として、課長相当職以上の管理職に占める女性比率は12.7%にすぎず、新規学卒者を採用した企業でも、総合職については「男女とも採用」が56.4%、「男性のみ採用」が30.1%、「女性のみ採用」が13.5%となっている(厚生労働省 2024)。 そこで本研究の目的は、採用プロセスのなかでも採否を決定づける採用面接に焦点を当て、新規学卒女性の採用の実態を明らかにすることである。新規学卒者の採用については、既存研究の多くが労働供給側(求職者側)を対象としており、労働需要側(雇用者側)の実情については十分に解明されてこなかったことから、学術的に貴重な知見である。 【2.方法】 2024年1月~2月に大企業5社に事前アンケート及び半構造化インタビューを実施した。調査対象者は各社の人事担当者、調査場所は各社指定の場所、調査時間は約1時間程度であった。質問項目は①面接の評価基準、②面接の実施形態、③女性の採用比率等である。 【3.結果と考察】 面接の評価基準として「コミュニケーション能力」「論理性」「主体性」「バイタリティ」「積極性」「課題解決能力」「リーダーシップ」等があげられた。これらの基準には、直接的に女性が不利になるものは含まれていない。しかし、「バイタリティ」の基準が長時間勤務や海外出張、海外転勤への対応を意味するのであれば、出産や育児によって休業や短時間勤務を取得する可能性がある女性は、面接での評価が下がることも考えられる。 面接の形態については、3次面接が最終、面接が進むにつれて面接官の職位が上がり、男性の面接官となることが主流であった。5社中2社は、1次面接の面接官の男女比が半々であった。この2社は採用人事計画における新規学卒女性の採用目標と現状のギャップが小さい。人間は、自分と似ている属性を持つ人を肯定的に評価するという心理的バイアスを持つという。したがって、1次面接の面接官の男女比が等しかったことが、目標とする女性採用比率の達成に影響を与えている可能性も示唆された。 新規学卒女性の採用比率については、全ての企業が25%~40%の数値目標を設定していた。具体的には、5社中3社が、新規学卒女性の採用比率の達成に向けて「男女が同レベルであった場合、女性を優先する傾向がある」と回答した。これらの企業に共通していたのは、女性従業員を増やすというトップの強い理念である。一方で、女性の採用数を増加させるために、評価基準を変更したり、別の視点を用いて評価を補うことは行っていないことが確認された。

報告番号189

The Impact of COVID-19 on Employment Status and Social Mobility of Chinese Highly Skilled Workers in Japan――
お茶の水女子大学 張潔

1. Aim This study investigates the multifaceted impact of the COVID-19 pandemic on the employment status and social mobility of Chinese highly skilled workers in Japan. Against the backdrop of Japan’s demographic decline and growing dependence on foreign knowledge labor, the analysis focuses on two core research questions: (1) In what ways did the pandemic affect the employment stability and career development of Chinese highly skilled workers? (2) How did their long-term settlement intentions and perceptions of social mobility shift compared to the pre-pandemic period? Special attention is paid to the role of gender in shaping these experiences and responses. 2. Data & Methods A mixed-methods design was employed, integrating both quantitative and qualitative approaches. Quantitative data gathered during the pandemic on job types, income levels, working conditions, and migration intentions were analyzed to establish overall trends. Between 2020 and 2023, fifty semi-structured interviews were conducted with Chinese professionals residing in metropolitan areas such as Tokyo, Kanagawa, Osaka, and Kobe. Participants held diverse residence statuses (e.g., “Highly Skilled Professional,” “Professor,” “Permanent Resident”) and occupational roles. Each interview, lasting 60–90 minutes, explored five thematic areas: employment stability, adaptation to the Japanese labor market, gendered barriers to career advancement, shifts in settlement intentions, and the use of social and professional networks. 3. Results Findings reveal a dual impact of the pandemic. First, gender disparities in the Japanese labor market were exacerbated. Female respondents reported greater job instability, limited promotion opportunities, and increased challenges in balancing work and domestic responsibilities. These issues contributed to declining trust in Japanese society and reduced willingness to remain in the country long-term. Second, decisions regarding migration and settlement were found to be complex and multi-layered. Participants evaluated a range of practical considerations, including children’s education, spousal employment, long-term career prospects, and socio-economic conditions in both Japan and China. The expansion of remote work was found to have mixed effects—encouraging more equitable household labor division in some cases, while reinforcing traditional gender roles in others. 4. Conclusion The pandemic functioned both as a magnifier of structural inequalities and as a catalyst for shifts in household gender dynamics. Gender emerged as a critical axis shaping labor market outcomes, emotional resilience, and long-term migration decisions. The findings underscore the vulnerability of foreign professionals—especially women—within Japan’s employment structures, while also pointing to potential avenues for institutional and cultural transformation. These insights contribute to ongoing debates on skilled migration, diversity, and gender equity, offering recommendations for policies aimed at fostering a more inclusive and sustainable labor market in Japan.

報告番号190

30代後半独身女性の職場環境とメンタルヘルス不調のプロセス――当事者の語りから見る職場環境の影響
青山学院大学 塚田祐介

【目的】 日本社会における晩婚化・非婚化の進展により、30代後半の独身女性は増加傾向にある。職場のメンタルヘルス研究において、既存研究の多くは「働く女性」を一括りに扱うか、育児と仕事の両立という既婚女性の課題に焦点を当てており、30代後半独身女性が直面する固有の職場環境とメンタルヘルスの課題は見落とされがちである。そこで本研究は、職場環境が30代後半の独身女性のメンタルヘルスに及ぼす影響を、当事者の語りを通じて理解することを目的とする。特に、メンタルヘルス不調に至るプロセスと、それを回避する保護要因を質的に検討する。【方法】 研究参加者は、「高校卒業後の生活と意識に関する調査」に継続参加し、本インタビュー調査にも同意した2023年時点で独身の37-38歳の女性6名である。当該調査プロジェクトで2006年から2023年の間に複数回実施された半構造化インタビューデータを用い、ライフコースの視点による縦断的分析を行った。【結果】 分析対象となった6名のうち4名はメンタルヘルスの不調を経験し休職・退職に至っており、2名は不調を経験していない。分析の結果、メンタルヘルス不調を経験した4名には共通するパターンが確認された。職場環境における構造的な問題として、男性中心の意思決定構造と女性への配慮不足、能力のある女性への業務集中による負荷の偏在、組織内の支援体制の脆弱性、外部環境変化に対する組織的対応の限界が浮かび上がった。これらの要因は相互に関連し合いながら、女性たちの職場適応を困難にし、最終的にメンタルヘルスの悪化につながるプロセスが明らかになった。一方、メンタルヘルス不調を経験しなかった2名からは、異なるパターンが見出された。彼女たちに共通していたのは、職業選択における高い自律性と主体性、個人の価値観と仕事内容の整合性、将来に向けた明確な展望と成長実感であった。これらの要素は相互に補強し合い、職場でのストレス要因に対する耐性を高める保護要因として機能していることが示された。ライフコースの視点からの分析では、キャリアの発達段階や社会的期待の変化が、メンタルヘルスに与える影響の複雑性も明らかになった。【結論】 本研究により、30代後半独身女性のメンタルヘルス不調は個人的要因よりも職場の構造的問題に起因することが明らかになった。特に、男性優位の職場文化が女性の働き方に与える影響は深刻であり、能力主義の歪みによる過重負担と不公平感が問題の根底にある。ライフコース視点からは、キャリア初期から中堅への移行期に問題が顕在化しやすく、累積的なストレスと特定のトリガーイベントの組み合わせで不調に至るプロセスが確認された。職業選択における自律性と仕事の社会的意義がメンタルヘルスの重要な保護要因として機能することも明らかになった。これらの知見は、多様な働き方を選択する女性への支援策検討において重要な示唆を提供する。

報告番号191

When the ‘Patient’ is Exclusively Male: Examining Gender Politics in Emergency Medical Training in Taiwan――
国立清華大学 呉惠如

The emergency medical system, ostensibly neutral and objective, is in fact deeply gendered, with operational standards and regulations premised primarily upon male bodies. In Taiwan, emergency medical care is predominantly administered by fire services. The educational training required for firefighters to qualify as Emergency Medical Technicians (EMTs)—including procedures such as CPR, AED use, 12-lead ECG, auscultation, and patient handling—is exclusively modelled upon male patient scenarios. Female patients are categorised as ‘special cases’ and largely overlooked; their conditions are typically addressed through verbal descriptions alone, without practical simulation exercises. Consequently, in real-life situations involving female patients, male firefighters frequently delegate hands-on treatment to female firefighters or female volunteer EMTs if available. Rather than increasing male firefighters’ proficiency in handling female patients, this practice reinforces a gendered division of labour and highlights disparities in emergency medical care provided to women. This research investigates gendered phenomena within emergency medical training and practice in Hualien, Taiwan, exposing underlying issues of gender politics. The study aims to enhance the quality of emergency care for patients of all genders and promote gender justice. Methodologically, the research utilises in-depth interviews alongside extensive participant observation. Since 2016, I have actively engaged as a volunteer EMT, participating in numerous emergency response scenarios, and have conducted extensive fieldwork within fire services, ambulances, emergency scenes, and hospital emergency rooms. Firefighters from various stations within the Hualien County Fire Department were invited to share their personal experiences, providing valuable first-hand accounts for detailed analysis. Findings indicate a significant deficiency in emergency medical training and education concerning scenarios involving female or non-male patients. The system fundamentally regards men as the universal standard for ‘human’ and ‘patient’, thus marginalising non-male patients in emergency medical contexts. The firefighting service, therefore, is not only gendered in its medical practices but also highly politically charged with regard to gender. It lacks conceptual frameworks inclusive of non-male genders, resulting in policies and educational structures that systematically neglect the experiences and requirements of women and other genders. Consequently, medical care quality for these populations is demonstrably inferior, potentially exacerbating health risks and complicating patient-provider interactions during emergencies. This study emphasises the gender-blind nature of emergency medical care systems, arguing for the incorporation of diverse gender perspectives into firefighter medical training and policies. It advocates for comprehensive consideration of female and gender-diverse patients’ medical needs, proposing specific educational reforms designed to address gender differences proactively rather than through improvised practices. Additionally, the research seeks to stimulate further gender-focused studies in related fields, raising gender awareness among policymakers and ultimately advancing gender justice. Keywords: Fire services, Emergency Medical Services (EMS), Gender education, Gender politics

報告番号192

密室で働くこと――フィリピンの女性英語講師のジェンダー暴力の経験
神戸大学 山下泰幸

【1.目的】 セブ島を中心に、フィリピン国内には民間の英語語学学校が数多く存在している。欧米よりも安価に留学できることや、講師によるマンツーマンでの授業、全寮制のスパルタ教育といった特徴を売りに、日本や韓国から英語学習を目的とした多くの留学生を集めている。この種の語学学校で働くフィリピン人女性英語講師について、ジェンダーの側面から分析する先行研究は、わずかに李定恩によるものを除きほぼ存在しない。李(2025)は短い論考ながら、英語講師のケア労働としての側面や、留学生が英語講師に対して投影する性的なまなざしと植民地主義の関連性について鋭く指摘する。本発表では、当事者の語りを積極的に引用しながらマンツーマン授業におけるジェンダー暴力の経験に焦点を当てる。その際、先行研究において注目されてこなかった、マンツーマン用の個室が大量に並ぶ語学学校の空間的な特殊性について考慮に入れ、女性講師らが固有のリスクをどのように軽減しているかについて分析する。そして留学生との関係性をどのように捉えているのかについて、個人のライフヒストリーと結びつけながら微視的な視点で分析する。 【2.方法】 2024年から2025年にかけて、フィリピン・セブ市内の日本もしくは韓国資本の英語学校で働くフィリピン人の女性講師14人に対して、インタビュー調査を実施した。半構造化された質問項目は、おもにインフォーマントのライフヒストリーと、英語講師としての日常の経験に関するものである。本発表では特に日本資本の学校で働く二十代前半の女性を少数のみ取り上げ、一人ひとりをイメージしやすいようその人生経路を明らかにしながら語りを分析する。 【3.結果と考察】 教員免許を取得しても公立学校への就職が容易ではないフィリピン社会において、英語講師の職は、家族の圧力などを背景に、英語能力の高い大卒女性によって消極的に選択されていた。狭い個室の中で行われるマンツーマンの授業を通して、女性講師の一部は留学生から身体を触られる、暴言を吐かれるなどジェンダー暴力を経験している。講師たちは留学生からハイパーセクシュアル化されたイメージを投影されていることに自覚的である。彼女らは暴力のリスクを低減するために生徒の振る舞いに応じた対策を行っている。日本人や韓国人のマネージャーを必ずしも信用していないため、被害経験を相談することの心理的なハードルは高い。他方で生徒と恋愛関係になる講師も多く、そうした関係性は労働移住のための資本として利用されている。 【参考文献】 李定恩,2025,「『フィリピン人英語講師』はどのようにつくられるか―ジェンダー・人種/エスニシティ・英語・ケアの交差性に着目して」『日本の科学者』60(4),15-20.

報告番号193

環境保全型農業を推進する女性農業者の育成支援制度――オーストリアの先進事例
十文字学園女子大学 大友由紀子
健康科学大学 堤美智
京都女子大学 中道仁美

2024年の国連総会において、2026年が「国際女性農業者年」に定められた。女性は世界の農業労働力の39%を占めており(FAO 2023)、ジェンダー平等と女性のエンパワーメントは、生産的かつ持続可能な食料システムへの移行に不可欠である。とりわけ女性は、小規模農業や地域資源を活かした環境保全型農業に従事することが多く、地球温暖化に伴う気候変動へのレジリエンス強化においても重要な役割を果たしている。 本報告では、環境保全型農業の先進国であり、女性農場経営者が3割を超えるオーストリアの場合より、環境保全型農業を推進する女性農業者の経営参画を可能にするサポートシステムを探る。 オーストリア農業の特徴は、経営規模が小さく(平均23.6ha)、農場の約87%が山岳地域や条件不利地域に立地し、有機栽培の比率が高いことである。EU共通農業政策(CAP)における条件不利地域向けの直接支払い対象農場のうち、22.3%が有機農場であり、この比率はEU加盟国中で最も高い(EU FSS 2020)。1995年のEU加盟準備期以降、農業環境対策(ÖPUL)による補助金が有機農業の普及を後押ししており、現在では有機農産物の輸出国ともなっている。 さらに、女性農場経営者の割合が高い地域では、有機農場の割合も高いという相関が確認されている(BMLRT: Grüner Bericht 2021, 93)。欧州アルプス山系に位置することから、山岳地域の多くはウィンタースポーツの名所であり、夏季には観光地としての需要も高まっている。こうした地域における山岳農業の多面的機能は、観光基盤としての役割も担っており兼業(61%)ならびに多就業経営(Pluriactivity)が広く行われている。とくに、有機農産物の加工販売、アグリツーリズム、教育ファーム、グリーンケアなどの就業部門においては、女性が責任者になっている。農林業以外にも職業資格を持つ女性の潜在能力が持続可能な発展への革新力となっているためである(Oedl-Wieser, 2020)。 こうした農村の女性活躍を支える制度的枠組みとして、農林業者の利益団体であるオーストリア農業会議所(Lk)の役割が大きい。オ-ストリアは第二次世界大戦後、農業会議所を含む4つの主要な経済利益団体と政府との連携体制「社会的パートナーシップ」を土台に経済成長してきた。農林業の自営業者とその家族は農業会議所加盟が義務付けられている。下部組織である女性農業者作業部会と農村継続教育センター(LFi)が連携し、多就業に不可欠な継続教育プログラムや女性リーダー育成事業を展開している。これらの取り組みには、CAPの第2柱にあたる農村開発予算が活用されており、オーストリアの2023–2027年のCAP戦略においては、第2柱予算の実に60%以上が環境関連施策に投入されている。 本研究は、JSPS科研費JP24K05288の助成を受けたものである。

報告番号194

美術実技系学科卒業後の表現活動継続の状況とその性差――
東京大学大学院 井上智晶

これまで,美術分野のアーティストのキャリア形成や活動実態に関する調査分析から,経済的基盤が脆弱な状況で活動継続を試みる若手アーティストの実態が指摘されてきた.一方で,従来の調査では活動を継続することのできアーティストを対象とすることが多く,どのような者が活動を中断・断念するのかは明らかにされてこなかった.2019年に開催された「あいちトリエンナーレ2019」では出展作家の男女比率の平等を目標に掲げ達成したことで話題を呼んだが,その背景には芸術祭における出展作家のジェンダー差と,女性アーティストの出産・育児等と表現活動継続の両立の困難が存在する.美術学部は近年15年ほど女子学生比率が7割り程度で推移する,女性比率の高い分野であるが,国内の芸術祭に出展する表舞台で活躍するアーティストは男性優位であることが指摘されいている.つまり,美術大学卒業後からプロへと至る過程の中で男性よりも多くの女性が姿を消していると推測することが可能である.そのため,どのような者が活動を中断・断念するのか,その性差について検討する必要がある. そこで本表では,2024年7月31日から8月9日にかけて発表者が実施したweb調査「美術実技系学科在籍経験者の表現活動及び生活に関するアンケート」から得られたデータを使用し分析を行う.調査の実施にあたっては東京大学社会科学研究所の倫理審査委員会の承認を得た.調査対象とする美術実技系学科の定義は,絵画/彫刻・立体造形/現代美術/総合造形/版画/工芸/テキスタイル/写真・映像表現/メディアアートに限定する.デザイン・グラフィック,イラスト・漫画,建築,美術教育などの卒業後に専門的な労働と接続するような学科,美学やアートプロデュースなどの理論を主軸とする学科,服飾や実演芸術はスクリーニングの段階で除外する.調査対象者は,美術学部の女子学生比率が5割を超した1989年を起点とし2019年までの間に大学・短期大学・大学院の美術実技系学科に在籍した者に限定し,インターネット調査会社のモニターを通じて募集した.有効回収数は600であるが,大学名の回答から明らかに美術実技系学科が存在しない大学,除外対象の学科のみが存在する大学を回答した者,在籍時期が1989年~2019年ではなかった者等を除外し,418名(男性238名,女性180名)を分析対象とする.分析対象となる者には,性別を「その他」「答えたくない」と回答した者7名が存在したが,今回の分析からは除外する. 美術表現分野の表現活動の形態は多様であるが本分析ではその内容について,①(受注制作ではない)作品の制作,②コンペティションへの応募等含む自主的な展示発表活動,③美術館や画廊・ギャラリー等による招待展示の3つに分類し,3年以上活動しなかった時期を活動休止として定義する.卒業後から最初の活動休止開始年までの時間を対象に,イベントヒストリー分析(生存時間分析)を行い,活動休止に与える要因と性差について検討する.

報告番号195

「地方」における「非異性愛の女性」のアイデンティティ・親密性・コミュニティ――東北地方在住者のライフヒストリーから
東北大学大学院 大森駿之介

本報告では、地方に在住する「非異性愛の女性」(※)たちへのインタビュー調査から、かれらのアイデンティティ形成の過程や、親密性に関わる選択や展望、ほかの「女性」たちとの出会いやコミュニティ活動などの経験を明らかにする。 近年、東京・大阪・名古屋という三大都市圏とは異なる、「地方」に住む性的マイノリティに着目した研究が多く登場している(大森 2023; 河口 2016; 杉浦・前川 2022; 眞野 2025など)。一方、「異性愛ではない女性」(以下「非異性愛の女性」と表記)に焦点化した研究は十分には蓄積されていない。先行研究では、首都圏や大阪在住の女性たちの転居以前における「地方」の経験が語られ(矢島編 1999; 石井 2009)、性的アイデンティティの受容・肯定するコミュニティや情報の少なさから、地方の抑圧的な生活環境が強調されてきた。対して河口は、地方都市における「女性」によるコミュニティ形成の実践を記述したが、地方における2010年以降の経年的な変化や、「女性」たち内部の違いを踏まえた分析には至っていない。 調査方法:2020年中旬~2025年現在までに、主に東北地方に在住する「非異性愛の女性」12名にライフヒストリー・インタビューを行った。機縁法によって主に10代から40代までの、レズビアンやバイセクシュアル、パンセクシュアルを自認する者にアプローチした。 結果:①特に30代から40代の対象者からは、トランス男性とも混合されていた「レズビアン」などの名乗りを引き受ける自体の困難さが語られ、パートナーの選択という局面では、身近な場(学校など)で女性への惹かれや女性の交際を経験するも、「異性愛女性のライフコース」が地域社会の中で期待されてきたことが語られた。対照的に10から20代では、同性の惹かれを自覚にする初期から性的アイデンティティを肯定的に受容し、男性と結婚するべきという規範もほとんど意識されていない。ただパレードの開催やパートナーシップ制度の確立など、地方における社会の変化はありながらも、ある者は同性パートナーとの生活を「東京」などに展望し、女性同士のカップルという目に見えるモデルが「地方」では不在であることを強調していた。 ②「女性」向けのコミュニティは主にある県の中心部に関連して知見が得られた。30代の対象者からは、匿名掲示板やSNSによってつながった者たちによる「オフ会」が盛んだった2010年代以前からC県を中心に性的マイノリティに関連する市民団体が開く交流会や、「女性」向けのバーが増え始める2010年以降の変化が詳細に語られた。バーが開業すると、東北各地から人が集まる現象もみられた。一方、バーなどの安定的な居場所を維持することには難点があること、交流会の継続も属人的な要素が強いこと、また、バーなどがある中心部以外の地域に住む者にとっては長距離の移動が課されること、現在バーに訪れる若年層が少なく特定の年齢層に偏った居場所となっていることなどの限界点も語られた。 ※女性を自認するのに違和や距離を感じつつも、「女性」として生きざるを得ない経験をもっている点、多くが「異性愛ではない女性」というカテゴリーの下でなされるコミュニティに参与している点を考慮し、対象者を「非異性愛の女性」の経験として分析する(この枠組みでの分析には個々の対象者からの許諾をとっている) (参考文献は当日の報告で詳細に提示する)

報告番号196

在日中国人男性同性愛者の生活実態と複合的差別経験―――ウェブ調査に基づく一考察―
早稲田大学大学院 董鎧源

1.目的:本報告はでは、日本に居住する中国人男性同性愛者を対象に、基本属性、カミングアウト状況、恋愛・結婚観、感情状態、移住動機、さらには外国人かつ性的マイノリティとしての被差別経験などに関する定量的データを収集・分析し、その実態を明らかにすることを目的とする。 2.方法:2025年5~6月、在日中国人男性同性愛者を主とするWeChatグループ4つ(計526名)を対象に、中国語によるウェブ調査を実施した。匿名・任意で231件を回収した(回収率43.9%)。うち、「同性のみに性愛感情を抱く(同性愛者)」と回答した男性183名を分析対象とした。 3.結果:回答者は17〜39歳に分布し、東京都(83名)、大阪府(38名)など都市部に集中していた。来日6年未満が45.4%、10年以内が82%を占め、新規移住者が多数であった。在留資格は「技術・人文知識・国際業務」(73名)と「留学」(71名)が多く、大学・大学院在籍/修了者は68.3%で、家庭背景はホワイトカラー層出身が多数だった。 カミングアウト経験では、両親への開示は26.2%(48名)で、そのうち58.3%が受容、41.7%が拒否。中国ではLGBTの友人(72.7%)、異性愛の女性友人(46.4%)への開示が多く、日本では中国人LGBTの友人(73.2%)への開示が最多だった。一方、中国で誰にも開示していない者は32名、日本では28名であった。 「形婚」(異性愛を装った同性同士の結婚)をしている/検討中の者は29.5%(54名)、子どもを持っている/持つ意向のある者は33.9%(62名)。現在パートナーがいる者は60名(32.8%)で、そのうち47名は中国人男性であった。 LGBTを取り巻く社会環境についての日中比較では、7割以上が日本の方が寛容と回答した。性的マイノリティであることが中国離脱の一因となった者は45.4%(83名)であるが、日本に渡航理由としては「お金を稼ぐ」(50.3%)、「教育の追求」(39.9%)、「異なる進学ルートの模索」(39.3%)が多かった。 今後も日本に残る意志を示した者は136名で、その主な理由は「学業・就労の継続」(48.1%)。一方、日本を離れる意志を持つ者は28名で、「理想的な進学先・就職先が見つからなかった」(46.4%)、「生活への適応が難しかった」(35.7%)が理由として挙げられた。 差別経験については、「中国人」として差別を経験した者が68.9%(126名)、「性的マイノリティ」としては29.5%(54名)であった。また、「中国人であることでLGBTとしての差別が軽減された」と感じた者は26.2%、「中国人かつLGBTであることで軽減された」と感じた者は33.9%であり、一部に肯定的な認識もみられた。 4結論:日本在住の中国人男性同性愛者若者が、戦略的なカミングアウトや中国的家族観の継続が見られた。性的マイノリティとしての生きづらさは中国離脱の一因であったが、日本への移動の主因は経済・教育であった。この点は、「セクシュアリティのための移動」ではなく、「セクシュアリティを含み込んだ移動」である。また、「中国人」としての差別が顕著である一方、「LGBTとしての差別」は比較的少なかった。しかし、「中国人であるがゆえに、LGBTとしての差別が緩和されている」との認識を持つ者も一定数存在し、これにより「複合差別」(上野1996)の構造が示唆された。 上野千鶴子,1996,「複合差別論」『差別と共生の社会学』岩波書店.

報告番号197

国家、資本、再生産――ポスト同性婚時代の台湾にみる「クィア家族」の形成とホモキャピタリズム
東京大学 教養学部附属 教養教育高度化機構 福永玄弥

本発表は、同性婚法制化後の台湾社会において、「クィア家族(queer family)」の形成がどのような制度的・経済的条件のもとに(不)可能となっているのかを問い、国家と市場の交錯点に位置する「クィアな再生産(queer reproduction)」を検討する。2019年、台湾はアジアで初めて同性婚を法制化したが、その法整備は民法改正による「婚姻平等」ではなく、特別法に基づくものであった。それゆえ、異性愛カップルと同等の婚姻の権利をすべて同性カップルに保障するものではなく、既存の法制度との間で不整合性が可視化された。とりわけ、生殖/再生産に関する「人工生殖法」(2007年成立)が異性間の既婚カップルにのみ生殖補助技術の利用を認めているため、同性婚が可能になった後も、同性カップルは依然として制度的排除に直面している。 本発表は、こうした制度的障壁を回避するために、レズビアンカップルが非制度的ネットワークを介して国外で精子提供を受けて子をもうけたり、ゲイカップルが国外、特にアメリカなどにおいて高額な費用をかけて「倫理的な代理出産」を依頼して家族を形成してきた実態を検討する。ここでは、クィアな再生産をめぐって国家による排除とグローバル市場による包摂とが同時に作用しているが、本発表において重要なのは、両者がそれぞれ互いに独立しているのではなく、むしろ「共犯的」に機能しているという点である。制度的排除と市場的包摂の二重構造は、性的マイノリティが国家制度による権利の承認を得るのではなく、市場を通じて包摂されるという「ホモキャピタリズム(homocapitalism)」の概念によって理解することが可能となる。 また本発表では、生殖補助技術の倫理的問題や、それをとりまく性/生の金融商品化についても批判的に検討する。とりわけ米国の有色女性のフェミニストたちが提唱してきた「生殖の正義(reproductive justice)」という概念を参照し、クィア家族をとりまく二重構造に抗うための理論的視座を構築する。すなわち、生殖技術へのアクセスや再生産労働を担う当事者の権利保障、クィア家族の承認を含む制度改革の必要性を提示し、市場への依存を超えた包摂の可能性を模索する。 台湾の事例分析を通じて本稿が明らかにするのは、同性婚の法制化だけでは解消されないクィアな再生産をめぐる政治的・経済的課題であり、それに対して批判的に介入するための理論的視座の重要性である。

報告番号198

相互行為の前提としての「性別を持つこと」の用いられ方――会話における性別カテゴリーの言及に注目して
明治学院大学 平安山八広

【1.目的】人々は日々、様々な形でジェンダーに関わる相互行為を行っている。その一断面として、「性別を持つこと」自体が、いかに相互行為的に達成されるかについての研究が蓄積されてきた(Garfinkel, 1967=1987; Kitzinger, 2005; 鶴田幸恵, 2009; 小宮友根, 2011)。人々はほとんどの場合、ある個人が「性別を持つこと」を自明の事実としている。だが上記の研究は、「性別を持つこと」自体が、人々が相互行為を行う一定の「やり方」を通して達成される、社会的規則に関わる事柄であることを明らかにしてきた。例えば「焦点の定まらない相互行為」(Goffman, 1963=1980)、即ちぱっと見の状況において、我々は「常に性別が見てわからなければならない」という性の「視界の秩序」の中で生きており、これに違背すれば社会的な当惑を引き起こす(鶴田幸恵, 2009)。これを避けるためには、常に性別が疑われる状況を避け、端的に(≒ぱっと見て)特定の性別を持つことが分からねばならない(Garfinkel, 1967=1987)。一方で、「焦点の定まった相互行為」(Goffman, 1963=1980)、即ち状況を共にした会話においては、「異性愛者であること」は直接示されることでなく、他の行為のついでとして示される(Kitzinger, 2005)。本発表はこれらの研究を進め、「性別を持つこと」を自明の事実として達成することで、人々は(会話の中で)「何をしているのか」を明らかにすることを目指す。【2.方法】具体的には、性別カテゴリーが会話の中で言及(mention)・使用(use)される場面を整理し、人々が性別カテゴリーを発話することで「何をしているのか」を、エスノメソドロジー・会話分析の手法を用いて解明する。分析データは、国立国語研究所の日常会話コーパス(合計約200時間)と、発表者自ら収録した、様々な会話場面(合計約20時間)の録音・録画データである。【3.結果】現在までの分析を通して、性別カテゴリーは以下のような場合に言及(mention)されることが分かった。①「話」の登場人物の紹介(e.g.「このあいだ駅のホームでぶっ潰れてる女の子がいてさ」)。②.カテゴリーへの一般化(e.g.「女子はサプライズで全員喜ぶから」)。③異性愛中心主義的な会話の前提への挑戦(e.g.「どのような場合でも、同性からの食事の誘いはセクシュアルな意味を持たないのかな?」(平安山, 2025)。①、②のような言及の「やり方」を用いることで人々は、ある「性別を持つこと」をすでに自明な会話の前提とすることが可能となる。一方で、そのように持ち込まれた会話の前提は、「発話者自身の理解」として他の参与者に聞かれるものでもある。それゆえに、①、②のような「やり方」で持ち込まれた、ある「性別を持つこと」に対する疑義は③のように会話の前提への挑戦の形にならざるを得ないのである。【4.結論】本発表はこのような分析を通して、人々が性別カテゴリーに言及(mention)することは、相互行為における「ジェンダー・セクシュアリティにかかわる会話の前提」を人々自身が操作するやり方の一つであることを示す。

報告番号199

「男の生きづらさ」の取り扱いについての論点整理と検討――
一般社団法人 UNLERAN 大谷通高

これまで「男の生きづらさ」の取り扱いを巡って、男性学や男性性研究への批判がなされてきた(たとえば平山2017、澁谷2019など)。「男の生きづらさ」批判として、「男の生きづらさ」は「生きづらさ」ではなく「男性特権」「女性支配」のコストであるとするものがある。「男の生きづらさ」とは、男性の社会的達成や女性支配の挫折や固執に伴う苦しみであり、男性に優位な社会を維持するためのコストであり自縄自縛的なもので、この「男の生きづらさ」を「生きづらさ」として捉えることは、既存の男性優位の社会や性支配・性差別構造の維持・助長・再生産につながりかねないものである。以上の批判は、男性学や男性性研究といった研究領域だけでなく、メンズリブといった運動の領域や、「男性相談」などの臨床の領域においても非常に重要な知見としてある。本発表では、こうした「男の生きづらさ」(を取り扱う男性学や男性性研究)に対する批判やネガティブな評価について臨床の現場でどう考えたらいいか、という問題意識から「男の生きづらさ」の取り扱いをめぐる論点整理を行うことを目的としたい。 たとえば臨床の場面で「毎日夜遅くまで働いてるのに、妻から稼ぎが少ないと文句を言われ、家事もきちんとやってくれない」や「40歳にもなっていまだ非正規雇用で稼ぎも少なく、だから女性はだれも結婚相手として自分を見てくれず、両親からも責められる」といった相談があると仮定して、これを先の「男の生きづらさ」批判の視座からみたとき、共感・受容といった支援的態度は既存の男性優位の社会や性支配・性差別構造の維持・助長・再生産につながりかねないものにもなる。 本報告では、こうした「男の生きづらさ」にかかる臨床場面の問題性について、大山(2018)や澁谷(2001、2019)の知見を手掛かりに、「男の生きづらさ」の具体的な取り扱いについて検討する。たとえば大山(2018)は「メンズリブや男性相談」では男性が受ける抑圧の経験と「加害者性」の両方を取り扱うことになること、澁谷(2019)は「女性/相対的に弱い立場にある男性の邪魔をしない男性の養成」における実践面での課題の遂行のひとつに「男性への加害抑制のよびかけ」などを取り上げている。本報告では、以上のような「男の生きづらさ」の取り扱いに注目し、主として臨床・実践領域に軸をおいて、各領域で論じられている議論が、どのような意味や実践になるのかについて整理・考察を試みるものとしてある。

報告番号200

Navigating Gender Norms through In-person and Online Interviews――A Reflexive Account of Fieldwork among Nepali Migrants in Japan
東京大学大学院 GURUNGBinit

Aim: It has been argued that male researchers and female researchers have different experiences of fieldwork, with male researchers often having limited or no access to female informants due to gender norms that discourage interactions between unacquainted persons of the opposite sexes. In this context, the paper aims to: 1) reflect on my role and positionality as a Nepali male researcher doing fieldwork among Nepali migrants in Japan, 2) analyze my experience of navigating gender norms when approaching Nepali mothers and fathers for in-depth interviews, 3) provide insights into the reproduction of origin-country gender norms among the Nepali migrants, and 4) discuss the broader relevance of online interviews in gender-sensitive research contexts. Data and Methods: The paper is based on my observational data pertaining to gender dynamics among Nepali migrants and analysis of my experience of interviewing Nepali parents – both in person and online – regarding their parenthood-related experiences in the Greater Tokyo Area between March 2023 and April 2024. Apart from using an online survey to enlist female interviewees, I recruited both male and female interviewees through convenience and snowball sampling techniques. Using methodological reflexivity, I interrogate the bias towards in-person interviews embedded in the conventional idea of qualitative research in sociology. Results: The paper shows that gender norms among Nepali migrants in Japan don’t favor married women’s interaction with unknown persons of the opposite sex, such as a male researcher like me. That said, women are positive about participating in interviews to share their parenthood-related experiences. Men, for their part, are generally hesitant to introduce their wives for interviews. In deference to their husbands’ sensitivities, among other reasons, women also prefer to be interviewed online or participate in in-person interviews with someone in their close circles – including their husbands. Remarkably, online interviews with female informants may not go unmonitored by their husbands, as the husbands sometimes stay in the room and listen to the interviews. Nonetheless, online interviews have the advantage of simplifying logistical demands on mothers, whose mobility is particularly constrained due to their primary caregiving responsibilities. Conclusion: Characterizing interviews to be inherently intrusive, sociologist Pierre Bourdieu emphasizes that a researcher should minimize the intrusion through empathy grounded in a firm grasp of the interviewees’ social conditions. This also means that the researcher needs to understand vulnerabilities of the interviewees and ensure that the latter’s vulnerabilities are not reinforced by the interviews themselves. Many Nepali women in Japan are legally dependents of their husbands. They therefore cannot work full-time, which undermines their economic viability. Moreover, most women lack the support of wider kins and social relations while living abroad. A male researcher – native or otherwise – may cause some of them unintended problems by doing, or by insisting on doing, one-on-one in-person interviews. Enabling them to give interview online not only mitigates the risk of harm, but also grants them some agency over the interview process. The paper suggests that researchers may consider online interviews when working with vulnerable informants in gender-sensitive research contexts.

報告番号201

ミソジニーの構造――誰が「男性差別/女性優遇」と考えるのか
武蔵大学 中西祐子

1.目的 「ミソジニー」とは単なる「女嫌い」ではなく、男性の支配下に入らない女性に対して向けられる男性の懲罰感情のことを指す(K.マン(訳2019)。本来、男性の「生きづらさ」は、女性の「生きづらさ」とは決して並列では語れないはずのものであるが(平山2017;澁谷2019)、新自由主義的思想の下では敗者は自己責任論的に語られてしまうのが現代であり、人々は目に見えやすい「かつて自分たちの支配下にあった存在」に恨みの矛先を向けてしまうところがある。 河野(2022)は現代の男性性は、「フェミニズムに応答してみずからの権力性を反省する」ものと、「(ポスト)フェミニズムに反応してみずらの『傷』をめぐる感情をこじらせていく」ものとの二つがあると述べる。また、ミソジニーは男性だけが持つ感情ではなく女性も持つものである(上野2010)。では今日、「女性は優遇されている」あるいは「男性差別がある」というミソジニー感情は、どのような人々によって支えられているのだろうか。本報告の目的は、2019年実施の質問紙調査をもとにこの点を明らかにすることにある。 2.方法 本報告で用いるデータは、2019年10月に東京都文京区と新潟県新潟市の2か所において行われた質問紙調査「社会生活と市民意思に関する調査」(科研費18K01960研究代表者:新潟大学・杉原名穂子、研究分担者5名)で集められたものである。同調査では選挙人名簿を元にした系統抽出法を用いて25~64歳の男女計4059人を抽出し、郵送による配布・回収を行った。有効回答数と回収率は974票(24.2%)であった。内訳は男性392名、女性575名、その他1名、東京455名、新潟518名である。 3.結果 質問紙では、日本社会で女性、男性それぞれがおかれている状況についての回答者の認識を、「深刻な差別問題がある」から「優遇されすぎている」までの4段階で答えてもらった。回答状況を男女別にみると、「女性が優遇されている」と認識している者は女性(25.3%)より男性(45.5%)に多く、「男性差別がある」と認識している者も女性(29.8%)より男性(41.9%)が多かった。 次に、他にどのような属性・特徴を持つ者が、「女性が優遇されている」、「男性差別がある」と答える傾向にあるかを確認した。男性回答者のうち「女性が優遇されている」と考える者は、階層帰属意識が「中の中」と「中の下」の者、政治的「保守」を自認する者に多かった。女性の場合は、政治的「保守」を自認する者、週刊誌やスポーツ新聞を若干読む者に多かった。一方、「男性差別がある」は、特に男性回答者により多くの属性変数との関連性がみられ、非正規雇用者、シングル男性(未婚と離別)、階層帰属意識が下位の者、幸福感が低い者に「男性差別がある」と考える者が多かった。女性回答者は管理職の者、若年層ほど「男性差別がある」と答える者が多かった。 4.結論 ミソジニーの構造は、男女で異なる土壌から生まれてくることが考えられる。また、地方差が見られる項目もあった。それぞれの回答者が過ごす家庭・親族構造や職場、地域社会の差異がその背景にあると考えられる。 ※本研究は科学研究費補助金(課題番号:25K05465、21K01876、18K01960)の助成を受けている。

報告番号202

ネットワークとしての民芸――地域文化を活かす社会関係資本の考察
明治大学 中江桂子

民芸ないし民芸運動は、産業社会批判、生活文化の再発見、身体的な実践(手仕事)の価値への評価など、生活への哲学を主軸として、すでに100年近い歴史をたどってきた文化運動である。そして民芸が、地方に生きる職人たちの作品群と柳を中心とする僅かな民芸の主導者らとを重ね合わせて語られ続けたことは、現在でも変わらない。もちろんその語られ方は、まず民芸の趣旨を伝えるには有効な方法ではある。しかし民芸という文化活動そのものは、職人と思想家の存在のみでは可能ではなく、そのまわりに多くの人びとの関わりがあったことで生かされてきたのである。 民芸をめぐる社会関係資本といえば、柳宗悦・浜田庄司・河合寛次郎らに連なる、大原孫三郎や吉田璋也といった人名がうかぶ。しかしそのようなビッグネームの間に、毛細血管のように広がる、無名の人びとを含む分厚い社会層があったことを忘れるべきではない。本報告では、地方の職人たちと民藝の主要な思想家たちにとどまらず、そのまわりに、柳らの思想に共鳴する資本家たちや都市部の知識人たちはもちろんのこと、地域に生活する人びと、たとえば地方自治体の職員たち、民芸店の店主たち、医者や教師、小さな出版社、茶道・短歌・染色などのサークル、飲食店の店主たちも、運動を支えた社会関係資本にはいるものとして、その動的な関係をとらえ、報告したいと考えている。実際には地域に生きる無名の彼らこそが、地域で頑張る職人たちの日常生活をささえながら、民芸のビッグネームたちの来訪を地域で受け入れ、思想と実践の間をとりもち、彼らの連携を創造し続けてきたといえるだろう。本報告では、山陰地方および長野県にひろがるネットワークを中心に具体的に報告する予定ではあるが、もとよりネットワークは地域を超えて広がっているため、必要に応じてその他の地域における事例も含みたい。さらにネットワークは、いわゆる「民芸」と現在考えられている領域を超えて広がっているため、自然保護運動など、他の社会活動への連携にも触れることになる。 これらの吟味を通じて、文化運動を実現することの社会構造的環境とはなにか、地域の文化的価値の醸成とはなにか、を考える機会になればと考えている。加えて、現在の地域文化活性化を標榜する活動に何らかの示唆があることを望んでいる。 参考:中江桂子「民藝という思想と実践者たちのネットワーク」『明治大学人文科学研究所紀要』2023、をもとにした、発展的な内容となります。

報告番号203

無形文化遺産における担い手の変容に関する考察――「和紙:日本の手漉和紙技術」の事例から
立教大学大学院 趙冠華

1. 目的 現代社会では,工業化・産業化の進展により生活様式が大きく変化し,伝統工芸の担い手不足が深刻化している.無形文化遺産は観光資源として「活用」され,地域住民の参加意欲低下などの問題も見られる(足立 2010).その中で手漉き和紙産業は,需要の減少と職人の高齢化により,衰退と技術断絶の危機にさらされている(近兼 2004). このような状況の中で,無形文化財の保護・継承がどのように維持されているのかを考察することが必要である. 本報告の目的は,2014年にユネスコ無形文化遺産リストに登録された「和紙:日本の手漉和紙技術」(本美濃紙・細川紙・石州和紙)を例に,和紙に携わる人々へのインタビューを通じ,技術の担い手である「職人」に焦点を当て,無形文化財としての和紙における技術継承の現状と,その担い手の変容を明らかにすることである. 2. 方法 報告者は2022年6・8月,2023年2月,2025年6月にかけて,本美濃紙保存会,細川紙技術者協会,石州和紙協同組合に属する職人および自治体職員に対し,計4回のフィールドワークとインタビューを実施した(石州和紙の調査は本要旨執筆時点では未了).本報告は職人たちの語りに着目し,インタビューの結果を分析する. 3. 結果 調査の結果,次の三点が明らかになった. 第一に,継承形態の変化である.従来の家業中心から外部募集への移行が挙げられる.1990年代以降,和紙会館等の設立や研修制度の導入により,女性応募者の増加が見られた. 第二に,「よそ者」による技術継承である.地元出身ではない職人が外部からの応募を通じて定着している例が見られた.一方,細川紙では後継者不足,本美濃紙では観光化と人口減により地域外継承への不安が語られた. 第三に,職人の収入源の変化である.昔の紙販売と文化財修復等に加え,小学校の体験授業や紙漉き体験が主な収入となり,モノだけではなくコトを販売するようになった. 4. 結論 和紙職人の中には,移住や美術への関心を契機に職人となる女性が増加していることが確認された.家庭内の伝統的なジェンダー役割の観点から見ると,多くの女性職人は生計の主たる担い手ではないため,「趣味」志向で職人仕事を選択できる傾向があったと考えられるため,今後,無形文化遺産の研究にジェンダー視点の導入が必要である. 加えて,観光客の増加は注文数および研修生の増加に繋がっている.それは単なる収入増にとどまらず,和紙を制作する機会の増加を通じて,結果的に観光項目の設立は技術継承・精進の機会にもなっている. よって,現在の日本における手漉き和紙技術は,産業として観光や学校教育に依存している同時に,これらを通じて新たな担い手が現れたと言える. 参考文献 近兼敏, 2004, 「手漉和紙の現状と課題——伝統産業の一考察」『経済地理学年報』50:191-2. 足立重和, 2010, 『郡上八幡 伝統を生きる ――地域社会の語りとリアリティ』新曜社. 趙冠華, 2023, 「日中手漉き紙産業における技術継承の特徴と伝統継承の価値に関する比較研究」東洋大学大学院社会学研究科2023年度修士論文. 注: 本報告は筆者の修士論文に加筆したものである.また,石州和紙に関する調査は要旨提出時点で未完了のため,発表時において内容を追加する.

報告番号204

「中国模式」という概念の誕生と拡散――『烏有之郷』のネットユーザーの言説実践に着目し
京都大学大学院 張亮

2004年、アメリカの学者クーパー・ラモは、1980年代末にアメリカ主導のもとで形成された新自由主義的な発展モデル、すなわち「ワシントン・コンセンサス」と対比することで、「北京コンセンサス」という概念を提起した。この概念は、当時中国が実践していた「国家資本主義」や「市場独裁主義」といった政治経済体制を指すものとされ(江口2016:10)、次第に一定の国際的影響力を持つに至った。そしてその後、「中国模式」という言葉を通じて、より包括的な発展路線として言説化されるようになった。 しかしながら、「中国模式」は固定化された概念とは言い難く、常に論争の対象でもある。筆者は、この概念の正当性や合理性を問うのではなく、それがいかに語られ、構築されてきたのかという点に注目する。とりわけ構築主義の立場から、「中国模式」という概念がいかなる社会的実践を通じて形成されてきたのかを明らかにすることを目的とする。 筆者はこれまでに、知識人層における「中国模式」の議論の展開について一定の分析を行ってきたが、大衆社会においてこの概念がどのように受容され、再構築されているかについては未解明であった。そこで本研究では、中国のナショナリズム的立場を持つネット論壇『烏有之郷』の「ネットユーザーのコラム」に寄稿された記事を分析対象に、「中国模式」に関する言説を収集して言説分析を行い、一般ユーザーの間でこの概念がどのように語られているかを考察する。 初歩的な分析結果によれば、一般ネットユーザーによる「中国模式」の議論は、2008年以降に増加しはじめており、これは2005年頃から始まった知識人による議論よりも遅れている。また、知識人による議論は2012年以降ほとんど見られなくなったのに対し、ネットユーザーによる議論は継続しており、特に2020年の新型コロナウイルス流行以降には再び一定の増加が見られた。これは、「中国模式」が単なる学術概念から、大衆社会における一種の「知識」あるいは「コモンセンス」として受容され、日常的前提=合理性として定着しつつあることを示唆している。また、こうした過程は「中国模式」という概念の拡散と「知識化」、さらには既存の権力構造(中国社会の現行の諸制度の合法性)の再生産に関わるものと考えられる。 加えて、ネットユーザーによる言説には、筆者が設定した2つの言説カテゴリ——「称揚的言説」と「反省的言説」——が頻繁に現れ、より強い感情性が特徴として認められる。とりわけ、「中国の特殊性」や「西洋に対する優越性」と結びつけられながら、新自由主義や西洋中心主義への批判として語られている。これは、概念の大衆的言説空間における再構築のあり方を理解する上で重要な示唆を与える。 本研究は、「中国模式」に関する言説が、公共圏と大衆的な世論との間でどのように媒介・伝播されているかを明らかにすることを通じて、現代中国社会におけるナショナリズム的思考の広がりと定着過程を分析するための基礎資料をある程度提供することができると考えられる。

報告番号205

The Cultural Hierarchy of Music in China――Social Stratification, State Influence, and Generational Change
National Taipei University of Technology LIGordon C

【1. Aim】 This study examines the cultural hierarchy of music in contemporary China to understand how musical preferences are socially stratified and shaped by historical, political, and generational forces. Building on cultural sociology, it investigates how music is divided into high and low status forms and how these divisions map onto broader structures of social inequality. Unlike Western cultural hierarchies, which are often defined by stable distinctions between highbrow and mass culture, China’s hierarchy has been transformed by state interventions, political upheavals, and the country’s rapid modernization. By analyzing the cultural status of music, the study offers insight into how legitimacy, distinction, and social boundaries are constructed in the Chinese context. 【2. Data & Methods】 The study is based on an original survey conducted across four major Chinese cities—Beijing, Shanghai, Guangzhou, and Chengdu—with a representative sample of 1,048 respondents. The survey collected data on preferences for 52 music items alongside demographic and socioeconomic indicators. Preferences were analyzed using Multidimensional Item Response Theory (MIRT), a latent trait analysis method that classifies audience taste patterns. This was followed by regression analysis to assess the stratification of each music factor across social groups. The study innovates by applying MIRT to cultural sociology and improving upon genre-based classification systems that do not reflect Chinese audience divisions. 【3. Results】 MIRT reveals six key music categories in China: traditional music, Hong Kong & Taiwan classics, mainstream Chinese pop, selective foreign music, trendy foreign music, and local grassroots music. Traditional music, which once carried highly stratified meanings from elite art to folk culture, is now collectively favored by the educated and serves as a broad marker of cultural sophistication. In contrast, stratification is now most pronounced within popular music. Selective foreign music is preferred by those with high educational capital, while trendy foreign music appeals to younger audiences. Hong Kong and Taiwan classics, once symbols of cosmopolitan status, now distinguish primarily against lower-status groups. Local music—associated with grassroots, ethnic, and political music traditions—is clearly disfavored by both cultural and economic elites. These findings demonstrate how cultural divisions mirror broader class boundaries. 【4. Conclusion】 China’s cultural hierarchy in music is a dynamic outcome of state interventions, market forces, generational change, and enduring social stratification. The study contributes to global cultural sociology by showing how hierarchies evolve differently in non-Western contexts and under strong state influence. In China, cultural legitimacy is historically contingent: traditional music regained prestige through state promotion; foreign and regional music forms rose and fell in status alongside shifts in access, policy, and generational tastes. Education emerges as the strongest predictor of musical preference, while income plays a lesser role. These patterns suggest that cultural distinction in China, though shaped by global influences, remains deeply intertwined with the country’s unique historical and political trajectory.

報告番号206

Assessing Multicultural Awareness and Attitudes in Japan――Development of the JMAAS
西九州大学 園部ニコル

【1. Aim】Japan is experiencing a notable demographic transition marked by a declining birthrate, an aging population, and an increase in foreign residents. In response, various government initiatives have been introduced to promote multicultural coexistence and support the social integration of immigrants. However, the long-term effectiveness of these initiatives depends not only on institutional measures but also on the general public’s understanding and awareness of multicultural coexistence. This study sets forth two objectives: (1) Development of the Japanese Multicultural Awareness and Attitudes Scale (JMAAS) and (2) Identification of factors related to multicultural awareness and attitudes in contemporary Japanese society. 【2.Data and Methods】An anonymous online survey was conducted targeting Japanese nationals residing in Japan using a snowball sampling method via social networking platforms (n = 139). The questionnaire comprised of 21 items, including 7 demographic attributes and 14 awareness and attitude items. Responses were collected using a 5-point Likert scale (1 = strongly disagree, 5 = strongly agree). Statistical analyses were performed using SPSS. A principal component analysis with Varimax rotation was conducted to extract factor structures for the awareness and attitude items. 【3.Results】The principal component analysis identified three sub-dimensions of multicultural awareness: (1)promotion of multicultural coexistence (2) perceived importance of institutional support and (3) recognition of challenges related to immigration and diversity. A final set of 8 items related to multicultural coexistence—such as “Having people from different cultural backgrounds in Japan makes the country better” and “Cultural diversity enriches Japanese society”—were selected to form the JMAAS8 (minimum: 8, maximum: 40, mean: 25.5, standard deviation: 5.2). The reliability coefficient (Cronbach’s α) was 0.836, indicating high reliability. Next, independent sample t-tests and one-way ANOVA were conducted to examine differences in JMAAS8 scores across groups. Results revealed that individuals who support social assistance programs (t(137) = -4.019, p < .001) and local government support measures (t(137) = -4.697, p < .001) scored significantly higher on JMAAS8, confirming its validity as a scale. Based on the data analysis of JMAAS8, although no significant difference was found regarding education level, it was observed that women, individuals with overseas living experience, and those with higher foreign language proficiency scored significantly higher on the JMAAS8. Moreover, these three variables are interrelated, suggesting that personal experiences play an important role in shaping attitudes toward multicultural coexistence. 【4. Conclusion】The findings indicate that both policy support and personal experiences are crucial in fostering multicultural awareness in Japan. JMAAS8 has proven to be a highly reliable measurement tool, and future research will focus on validating the scale with a larger, more diverse sample and investigating the impact of multicultural exposure experiences. These efforts are expected to contribute valuable insights for evidence-based policy recommendations to enhance public support for immigrant integration programs.

報告番号207

Robotic Drawing and Embodiment――Human-machine Collaborative Artistic Practice
Goldsmiths, University of London 玉利智子

The aim of this paper is to explore the dynamics of human-machine interaction by analysing the interdependency relationship between artists, programmers and computational-drawing robots in artistic practices. In this context, artistic practice can be seen as a case which exemplifies processes of human creativity using tacit knowledge, therefore it is ideal research field for analyzing the implications of the intersection between human creativity and machine intervention. The recent proliferation of computer-generated imagery has emerged as a pivotal component of contemporary visual culture. Despite the substantial body of research dedicated to digital creative practices, there remains a lack of critical debate on the relation to the material body. This is because the software environment is inherently disembodied. In this light, by emphasizing the significance of the material body, the paper investigates the interactions between a robot (endowed with a physical body) and humans (artists and programmers). The paper adopts a research design that examines the ‘(dis) embodied process’ underpinning machine (robot) and human artistic collaborations, drawing on two relations schemes: ‘intersubjective relations’ (programmer and artist) and ‘mutual agentic relations’ (programmer and robot; artist and robot). Applying Merleau-Ponty’s philosophy on ‘the body as a general medium for having a world’, the paper focuses on how humans engage in processes of acquiring new meanings and practical knowledge to understand the changing environment through the body, and scrutinizes these processes through the following three key concepts: Mimesis indicates mimicry-based creation of the mutual influences between artists and robots. Affordance (Gibson) helps to understand how artists and programmers accommodate to a given robotic environment. Embodiment reveals the ways that both robots (programmers) and artists mutually master each particular type of environment. The research employed ethnographic field research, along with semi-structured interviews conducted as part of the UKIR (United Kingdom Research and Innovation) funded on-going research project (https://www.doc.gold.ac.uk/eacva/wp/index.php/computer-science-robotics/). The research critically examines four selected residence artists with different cultural and political backgrounds who engaged with different styles and formats of artistic practices. All the artists created their artworks using robots. The aim was to explore how artists are influenced and created new styles by experiencing robotic drawing. Interviews with programmers were also conducted to explore how they affect and be affected by the artists and their artistic practices. Through transcribing and analysing interview data, the paper attempts to analyse how their ‘intersubjective relations’ develop and establish ‘mutual agentic relations’ in the course of the project. The paper concludes by discussing how these processes required not just non-human technical procedures, but also highlighted the crucial role of human agency, perception, self-affectivity and proprioception in the creating a work of machine-human collaborative art.

報告番号208

生活者の「よい企業」の評価にみる象徴闘争――
株式会社博報堂 森泰規

企業についての評価を生活者に問う場合、各種の聴取の例外とはならず、質問の仕方によって得られる反応が変わる。たとえば、「親しい友人や家族に就職することを推奨するか」、「株を購入してみたいか」、というように関与の高い聞き方をする場合と「あなたがある企業を「よい企業」だと判断するのはどのようなことからですか?」というような関与の低い質問をする場合では反応が異なる。 今回の研究では弊社が自社で行う独自調査より上記「よい企業」について判断基準を聴くもの(環境対応に熱心である・寄付など、慈善活動に熱心である・災害時の対応や情報発信が早い・社会における企業の存在価値を明確に発信している・ 従業員の能力開発に熱心である・人種や性別、年齢で昇進を差別しない・文化やスポーツなどの支援に熱心である・都合の悪いことでも隠さず公開している・法律に違反した行為をしない)から最大5個までを選んでいただき、その回答結果と本人背景(世帯年収・個人年収・婚姻形態・年齢)とともに潜在クラス分析を行い、8クラスに区分したところ、特定の本人背景が、特定の企業評価と明確に結びついている傾向を確認した。なお、クラス構成比は順に、19.5%、17.9%、14.8%、13.2%、13.1%、9.6%、8.8%、3.1%である。クラス分類を進めていく過程ではAIC/BICともに8クラスより先に分類を増やしても低下する傾向にあったが、構成比4%を切る群がすでに出ていることから分析効率を優先し、8クラスモデルを選択するものとした。 結果の解釈としては、単に企業への評価は属性ごとに異なる、というのではなく、本人がおかれた属性に応じて、どんな企業を良いとするかという評価を通じ、人はみなブルデューのいう「界」を示しているのではないか、と考える。たとえば第二クラス(構成比17.9%平均年齢44.2歳)は第四クラス(同14.8% 48.3歳)と世帯年収ではほぼ同程度(6-700万円)だが、自身も就労している第二クラスの対象者は、知名度や成長度合いを重視するが、ほぼ配偶者の収入に頼っている第四クラスの対象者はSDGs的な要素を志向している。また第8クラスの対象者はごく少数にして、世帯年収2230万・個人年収1133万・既婚率87.1%といういわゆる「パワーカップル」の様相を呈するが、この階層は社会的意義・経済成長の両方を評価として選ぶ特異な傾向を示し、Field (2017 = 2022)のいう「ブルデューは「文化資本」というメタファを用いながら、特定の文化的嗜好だけが他と比べてより高い地位の獲得に寄与する事実を集団が利用するさまを描き出し、この見解をより強力なものとした」という一節を想起させる。 独自調査出典:2024年実施 東京50キロ圏(約4800名)・関西2府3県主要地域(約1800名)、12から69歳男女 参考文献:Field, J. (2017). Social Capital, 3rd edn (Abingdon) = 2022 ソーシャル・キャピタル(佐藤 智子, 西塚 孝平, 松本 奈々子, 矢野 裕俊)

報告番号209

20世紀日本の世代間学歴移動――父親と母親の影響力は変化したのか
学習院大学 麦山亮太
社会データ構造化センター/統計数理研究所 石橋挙

【1.目的】 出身階層による教育機会の不平等は世代間移動の程度を左右する要素であり、その趨勢は社会学において重要な研究課題であった。ここでの出身階層は主として父親の社会経済的地位により測定されてきたものの、女性の社会経済的地位が向上するなかにあって、その前提は理論的にも経験的にも疑問視されてきた。これを受けて様々な国で父母の両方を出身階層の測定に組み込んだ趨勢分析が行われているものの、結論は一貫していない。また日本において父親と母親の影響力がいかに変化してきているのかを比較する研究はない。そこで本研究では、20世紀生まれの日本の男女を対象として、親学歴によって測定される出身階層と本人の教育達成との関連がいかに変化したのか、また父親学歴と母親学歴とでその趨勢がいかに異なるのかを明らかにする。本分析を通して、この時期の教育機会の不平等の縮小に寄与したのは、母親の経済的地位の向上よりはむしろ、父親の間の経済格差の縮小にあったと論じる。 【2.方法】 1975-2015年社会階層と社会移動調査(SSM)、1983年職業移動と経歴調査、2000-2018年日本版総合的社会調査(JGSS)、2008, 2018年全国家族調査(NFRJ)、2007, 2011, 2019年東大社研パネル調査(JLPS), 2010, 2015年社会階層と社会意識調査(SSP)、2013年教育・社会階層・社会移動全国調査(ESSM)から1926-1995年生まれの男女を抽出したデータ(男性32,369名、女性37,675名)を用いる。Unidiffモデルを適用して、父親と子ども、母親と子どもとの学歴の関連(相対移動)の程度が出生コーホート間でいかに変化したのかを分析する。 【3.結果】 分析の結果は以下のとおりである。第1に、父親の学歴を考慮したうえでも母親の学歴それ自体は教育達成を説明し、教育機会の不平等を測定するうえで無視できない。第2に、母親の学歴を一定としたうえで、父親の学歴と教育達成との関連は1926-35年から1936-45年出生コーホートにかけて大きく減少し、その後横ばいに推移した。第3に、父親の学歴を一定としたうえで、母親の学歴と教育達成との関連に有意な変化は認められなかった。以上の結果は男女いずれにも共通していた。 【4.議論】 ジェンダー経済格差の大きい社会において、父親は主として経済的資源を通じて、母親は主として文化的・教育的資源を通じて子どもの教育達成に働きかける。こうした条件のもとに置かれた日本において、第二次世界大戦中・直後に生じた経済格差の縮小は主として父親の間の階層格差を縮小することで機会の平等化を促したと考えられる。他方、文化的・教育的資源の階層格差はこれらの影響を相対的に受けにくいために、母親の影響力は持続したと考えられる。同時に、母親の影響力が戦前から変化せず存在していたという事実は、現代よりもはるかに女性の社会経済的地位が低かった時期からすでに母親が世代間階層再生産に関与しており、不平等を捉えるうえで、経済的資源の観点のみから出身階層を測定するのは不十分であることを改めて示唆する。

報告番号210

3世代にわたる学歴の再生産――祖父母からの経済的資源の移転に着目して
日本女子大学 俣野美咲
東京大学 石田浩

【1.目的】 近年、世代間移動の研究において、親と子どもの2世代のみならず、祖父母世代やそれ以上の世代を含む複数世代にわたる社会的不平等の再生産を解明する必要性が指摘されている(e.g. Mare 2011)。こうした学術的潮流を受け、多くの先行研究が、祖父母の学歴と孫の学歴の関連について検討し、親の学歴を統制してもなお、両者の間には関連がみられることを明らかにしてきた(e.g. 荒牧 2012; Chan and Boliver 2013)。 3世代にわたって学歴の再生産が生じる背景には、祖父母と孫の直接的な接触を通じた文化的資源の移転や(Zeng and Xie 2014)、必ずしも直接的な接触を必要としない経済的資源の移転があると想定されている(Deindl and Tieben 2017)。しかし、これらのメカニズムの検証は十分になされているとは言えない。 そこで本研究は、祖父母から孫への経済的資源の移転に着目し、3世代にわたる学歴の再生産のメカニズムを検証する。具体的には、(1)祖父母の学歴と孫の学歴に関連はみられるか、(2)祖父母の学歴と孫の学歴の関連は、祖父母からの経済的資源の移転によって媒介されるのかを検討する。 【2.方法】 分析に用いるデータは、東京大学社会科学研究所が2007年より継続して実施している東大社研パネル調査の若年・壮年パネル調査のWave11〜18(2017〜2024年)のデータである。同調査では、回答者自身の情報に加えて、回答者の親、回答者の子の情報についても尋ねている。したがって、回答者の親を「祖父母世代」(G1)、回答者を「親世代」(G2)、回答者の子どもを「孫世代」(G3)として分析を行う。 祖父母からの経済的資源の移転は、回答者が過去1年間に自身の親または配偶者の親から受けた支援のうち「子どもの教育費」を選択していた場合、経済的資源の移転あり、非選択の場合はなしとした。 【3.結果・結論】 分析の結果、次の2点が示された。第1に、祖父母の学歴と孫の学歴には関連がみられ、祖父母の学歴が高いと孫の学歴も高い傾向にある。この関連は、親の学歴を統制してもなおみられ、祖父母の学歴は、親の学歴とは独立して孫の学歴に影響を及ぼしている。また、祖父母の学歴と孫の学歴の関連性の強さは、親の学歴によって異ならない。 第2に、祖父母からの経済的資源の移転は、祖父母の学歴と孫の学歴の関連の一部を説明する。つまり、3世代での学歴の再生産が生じる背景の1つには、祖父母から孫への経済的資源の移転があることが示された。しかし、祖父母からの経済的資源の移転は、祖父母の学歴と孫の学歴の関連を完全に説明するものではなく、経済的資源の移転以外にも、祖父母から孫へと学歴が継承される経路が存在することが示唆される。 【謝辞】本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金・特別推進研究(25000001, 18H05204)、基盤研究(S)(18103003, 22223005)、若手研究(24K16495),基盤研究(B)(25K00704)の助成を受けたものである。東京大学社会科学研究所(東大社研)パネル調査の実施にあたっては、社会科学研究所研究資金、株式会社アウトソーシングからの奨学寄付金を受けた。パネル調査データの使用にあたっては東大社研パネル運営委員会の許可を受けた。

報告番号211

子育てスタイルの階層差とその世代間関連――3世代調査の分析
静岡大学 吉田崇

【1.目的】階層の世代間再生産において、子育てや教育の果たす役割は大きい。ラローは、階級による子育てスタイルが異なり、中流階級で特徴的にみられる意図的養育と労働者階級で特徴的にみられる放任的養育という2類型を提示した(Lareau 2011)。本報告では、子育てスタイルに差を生む要因として、階級・階層要因に加え、自身の受けた養育・教育経験に着目し、その世代間継承について検討する。子育てスタイルの世代間関連を明らかにすることで、階層再生産メカニズムの解明に新たな知見を提供することを目的としている。 【2.方法】本研究では「親子関係についての人生振り返り調査」(以下、3世代調査と呼ぶ)を用いる。本調査は、全国の60-69歳(1950~59年生まれ)の男女とその配偶者を対象として2019-20年に実施された。有効回収数は本人票1,718(回収率38%)で、本人票と配偶者票の両方を回収できたのは1,084票(本人票回収に対して63%)であった(調査の詳細は石田(2000)参照)。本調査は調査対象者本人に加え、親、子の3世代にわたる詳細な社会階層および子育て実践、教育体験の情報を有している。以下では、対象者の親をG1、対象者をG2、対象者の子をG3と表記する。また、G2がG1から受けた教育(教育G1→G2)を第1世代教育、G2がG3に行った教育(教育G2→G3)を第2世代教育と呼んで区別する。本報告では、主に4つの子育て実践(a. 勉強をみてあげること、b. 一緒に遊んだり、運動したりすること、c. 美術館・博物館・図書館などに連れて行くこと、d. しつけのために叩くこと)について取り上げる。なお、第1世代教育ではこれらの項目について父母の区別はつかない。 【3.結果】はじめに、世代ごとに階層と子育て実践の関連を検討した。階層として親学歴と母親の就業区分(フルタイム、パートタイム、無業)を取り上げる。親学歴と子育て実践の関連については、第1・第2世代とも4項目のすべてにおいて有意差がみられた。一方、母の就業と子育て実践の関連については、abについては両世代とも有意差がみられたが、dについては両世代とも有意差がみられなかった。次に、子育て実践の世代間関連を検討したところ、4項目のすべてで比較的高い関連がみられた(ガンマ係数が.374~.541)。さいごに、階層などを統制した重回帰分析を行ったところ、4項目いずれにおいても、階層を統制した上でも自分の受けた子育ての影響がみられた。【4.結論】子育てスタイルそのものが世代間で継承される傾向にあることが示された。世代間階層再生産において、養育・教育経験や家庭要因へ関心を向けた調査・研究の必要性を示唆している。 【文献】石田浩,2020,「「親子関係についての人生振り返り調査」からみた親子関係の世代間連鎖」東京大学社会科学研究所パネル調査プロジェクトディスカッションペーパーシリーズNo.127. 【謝辞】本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金・特別推進研究(18H05204)の助成を受けたものである。

報告番号212

学校経由の就職は本当に平等なのか?――自由応募との比較からみる就業機会の不平等
近畿大学 豊永耕平

〈問題設定〉 本報告の目的は、学校経由の就職(いわゆる制度的連結)は本当に就業機会の不平等を縮小するのかを検証することである。日本の新卒労働市場は、学校が若者の職業移行に関与する「制度的連結」が根強く存在するとされ(Rosenbaum & Kariya 1989など)、既存研究では初職の獲得(石田 2005; 香川 2006; 小川 2021; Ishida 2023)や離職リスク(石田 2014; 中澤 2010)などでおおむね肯定的な効果が報告されてきた。一方、近年では学校経由の就職が機能不全に陥っているという指摘(本田 2005)や、特に高卒市場において自由応募による初職獲得が増えている可能性も指摘されている(堀 2016)。しかし、自由応募と比較して学校経由の就職が、本当に出身階層の初職獲得に対する影響を小さくする仕組みなのかは十分には検証されてこなかった。そこで本報告では、学校経由の就職の「効果」というよりも出身階層との交互作用を問題にし、既存研究が肯定的に評価しがちな学校経由の就職は就業機会の不平等を縮小させるのか、助長するのかという制度的特徴を明らかにする。 〈方法〉 分析には複数の社会調査データを合併した大規模合併データを使用する。具体的には、入職経路や出身階層に関する変数が揃っている「日本版総合的社会調査」(JGSS 2001, 2002, 2009LCS)・「社会階層と社会移動全国調査」(SSM1995, 2005, 2015)・「東大社研 若年・壮年パネル調査」(JLPS 2007, 2011, 2019)・「教育と仕事に関する全国調査」(ESSM 2013)などを使用する。Fujihara & Ishida(2024)を参考に、初職JSEI(Fujihara 2020)に対するOLS回帰分析から、父職JSEIと入職経路の交互作用などを検証する。 〈結果〉 分析の結果、学校経由の就職(制度的連結)は必ずしも階層差を小さくするわけではないことが明らかになった。高卒就職をみると、学校経由の就職の利用は自由応募と比べて出身階層の直接効果を弱めるわけではなかった。むしろ大卒就職をみると、学校経由の就職は自由応募と比べると出身階層の直接効果を拡大させており、就業機会の不平等を助長していることが明らかになった。総じて第三者(学校)が介在しない自由応募の方が出身階層の直接効果が生じにくいことは、校内成績などに基づいた高卒の学校経由の就職と比べるとインフォーマルな要素(教授や先輩の斡旋)が入り込みがちな大卒の学校経由の就職は不平等を助長しやすいことを意味する。このことは、相対的にメリトクラティックな仕組みの方が、求職者の非認知的な特性や第三者からの印象などの要素が入り込みにくいことで就業機会の不平等が生じにくいことを示唆する。

報告番号213

自営業への参入における学歴差の趨勢――従業員の有無に着目した分析
東北大学大学院 西尾知耀

【目的】本報告の目的は、戦後日本社会における自営業への参入に関する学歴差の趨勢を明らかにすることである。特に、従業員の有無によって単独自営業と従業員を有する自営業に自営業者を分類して趨勢を解明する。これにより、自営業者における経済的地位の異質性をより適切に考慮した分析が可能になる。先行研究では低学歴者が自営業に参入しやすい傾向が確認されているが、そのような傾向が近年でも持続しているのかについては十分な検討がなされていない。また、社会階層研究においては自営業が学歴によらない高階層への移動経路だとする指摘が存在するものの、日本社会に関してその直接的な検証は十分に行われていない。そこで本報告では特に従業員の有無に基づいて自営業者を分類した上で、参入の趨勢の学歴差を解明する。【方法】分析には、1965年から2015年までのSSM調査を統合したデータを使用した。男性のみを分析対象とし、職歴データから作成したパーソンイヤーデータを分析に用い、離散時間ロジットモデルによる分析を行った。自営業への参入をイベントとし、従業員の有無によって自営業者を単独自営業と従業員を有する自営業に分け、それぞれへの参入における学歴との関連を検討した。学歴分布の変化に合わせて4つのコホートに分けた上で、分析を行った。【結果】単独自営業に関しては低学歴者が参入しやすい傾向が主に確認されたが、1971年以降の出生コホートに関してはこのような関連は確認されなかった。従業員を有する自営業に関しては戦前、戦後直後の出生コホートでは高学歴者が参入しやすい傾向が確認されていたものの、1956年以降の出生コホートにおいてはそのような関連は確認されなくなった。【結論】単独自営業への参入において学歴差が確認されなくなったことについては、自営業において専門・技術的職業の割合が増加しているという近年の構成変化を反映している可能性がある。あるいは、低学歴者の自営業への参入傾向が中小企業での就業経験を媒介したものだとする知見をふまえると、中小企業での就業経験が自営業への参入にもたらす影響が近年において減少している可能性が示唆される。従業員を有する自営業への参入に関する分析結果は、自営業が学歴によらない高階層への到達経路であるという指摘を支持しない。高学歴者が参入しやすい傾向は、経営管理的な職務を主とすると考えられる従業員を有する自営業への移動においては人的資本の蓄積が重要な役割を果していることを示唆する。その一方で、近年のコホートにおいては参入における学歴差が確認されなかった。従業員を有する自営業においては近年における閉鎖性の高さが副次的な分析から確認されており、本人の教育よりも世代間における継承による有利性が参入において重要になっている可能性がある。

報告番号214

Strategic Adaptation――How Occupational Licensure Mitigates Women’s Marriage, Motherhood, and Migration Penalties in Employment and Wages in Japan
Harvard University 打越文弥
Cornell University Zheng Haowen

先進国では女性の教育達成が著しく進展しているにもかかわらず、男女は依然として異なる職業に就いており、男性が多く従事する職業は、女性が多い職業よりも高収入である傾向が強い。この性別職域分離の構造は、男女間の賃金格差の主要因となっている。過去数十年間にわたり性別職域分離の解消は一定程度進んだが、2000年代以降、その進展は停滞しており、これは多くの先進国に共通する現象である。 この職業分離の停滞に対して、近年注目されているのが、将来のキャリアを見通した上での行動選択、すなわち「将来予期」に基づく戦略的な行動である。女性は、自らが将来的に直面する雇用者からの差別やキャリア中断のリスクを予期し、そうしたリスクの高い職業を回避する傾向がある。また、企業固有の技能ではなく、転職や再就職が可能な「移転可能なスキル(portable skills)」を優先的に選択する傾向も見られる。こうした知見は、職業志向が男女の進路形成の違いを説明するという近年の先行研究とも整合的である。 本研究では、これらの行動を「戦略的適応(strategic adaptation)」という概念で捉える。この理論はもともと、アジア系アメリカ人が差別の少ないキャリアパスを戦略的に選択する過程を説明するものであったが、性別による不平等が構造的に存在する労働市場における女性の選択行動にも適用可能であると考える。本研究では、企業内訓練(OJT)を重視し、企業間移動が極めて低いという特徴を持つ日本の労働市場を事例として検証する。 本研究が特に注目するのが「資格」の役割である。公的に認定され、複数の組織で通用する資格は、キャリア中断を見越す女性にとって有利な条件を備えている。資格取得は主に学校教育を通じて行われるため、企業内訓練よりもアクセスしやすく、若年層が進路を選択する際の明確な道筋にもなりうる。資格職は専門職からサービス関連職まで多岐にわたるが、いずれもスキルの可搬性と要件の透明性という共通の特性を持つ。 本研究では二つの実証分析を行った。第一に、高校生の職業希望を尋ねた調査を用いて、男子生徒よりも女子が、女性生徒の中でもキャリア志向を持つ生徒の方が有資格職を希望する傾向を示した。第二に、資格が結婚・出産・家族都合による移動などのライフイベントに起因するキャリア上の不利益を軽減するかどうかを、縦断データを用いて分析した。分析の結果、資格を有する女性はキャリア中断によるペナルティを受けにくいことが示された。これは、制度的に認められたスキルである資格が、女性にとって不平等な労働市場への戦略的適応手段となりうることを意味する。さらに、本研究は「戦略的適応」という視点が、ジェンダー不平等、職業分離、社会階層の再生産メカニズムを理解するための有効な理論枠組みであることを示唆する。

報告番号215

地域間格差と移動格差――京丹後市と兵庫県における若者調査を中心とした考察
同志社大学 轡田竜蔵

本報告の主題は、人口減少が進行する地方における暮らしと公共性のあり方の多様性に関する仮説を検討することにある。主要な分析データは、2023年7月に京都府京丹後市で、また2024年8~9月に兵庫県内の全市町で実施する若者対象の質問紙調査の結果である。これに加え、筆者が過去10年間に実施した比較可能な他の地方若者調査、さらに2019年以降に京丹後市で継続しているフィールドワークとインタビュー調査の知見も踏まえて考察する。 人口動態の観点から、東京圏と地方圏の構造的格差がしばしば問題とされる。しかし、一口に「地方圏」と言っても、都市インフラや雇用の面でその内部にも明確な構造的格差が存在する。一方で、こうした構造的格差は、必ずしも人々の主観的評価や将来への希望と一致しない点も指摘されてきた。この点に関して、兵庫県若者調査の結果は、地方圏を①京阪神のような大都市圏、②人口20万人以上の拠点都市を中心とする中都市圏、③それらの圏外にあたる過疎地域、という三層に分類して考察することの有効性を示唆している。本報告では、地域間格差を論じる上で重要な焦点となる、客観的な構造的制約の認識と、その中での個人の希望のあり方をいかに分析的に切り分けるかという課題を検討したい。 この三層の格差構造と明確に対応するのが、若者(学生を除く)の居住歴の構成である。筆者は若者を「ずっと地元」層、Uターン層、転入者層に分類して分析してきたが、30代の構成比を見ると、一般に地方の大都市圏では転入者層が、地方の拠点都市圏では「ずっと地元」層が、そして過疎地域ではUターン層がそれぞれマジョリティを占める傾向がある。「ずっと地元」層は、現状認識や将来展望において他の層よりネガティブな傾向が強く、その人間関係や移動範囲は居住地域内に限定されがちである。対照的に、転入者層は居住地域を越えた広域的な生活圏に活動の足場を置くことが多い。複数の質問紙調査データの分析から、若者の意識や行動を規定する要因として、地域間の格差以上に、こうした居住歴に起因する「移動格差」が重要な意味を持つことが示唆される。本報告では、これらの知見を提示する。 こうした地域間格差と移動格差の併存は、地域の公共性のあり方を構想する上での前提条件となる。筆者が主要な調査地としてインタビューを継続している京都府京丹後市は、顕著な人口減少によって地域課題が山積する典型的な過疎地域である。しかしその一方で、Uターン層や転入者層が中心となり、新しい公共性を創造しようとする試みが活発な地域でもある。この事実は、京丹後市の若者を対象とした質問紙調査の結果からも裏付けられる。本報告では、この一見パラドキシカルな状況をいかに解釈すべきか、関連する議論を整理し、考察を加える。

報告番号216

ライフスタイル移住した女性たちにとってのジェンダーをめぐる困難とそれに対する戦術――滋賀県長浜市・旧木之本町に移住した女性たちを事例として
法政大学 武田俊輔

1.目的 本報告が明らかにしようとする目的は以下である。都市から農村へのIターン移住を行った女性たちは、移住先でのジェンダーにもとづく不平等、地域社会における女性の位置づけや人びとからのまなざしをめぐる困難をどう感じるのか。そしてそのような困難をやりすごし、あるいは少しずつでも変えていく戦術をいかにつくりあげ、駆使しているのか。 特にそれまで都市部において正規雇用で悪くない待遇で働いてきた女性たちが村落に移住した際、ジェンダー規範をめぐるそれまでとのギャップ、例えば雇用機会、性別役割分業や地域社会における女性の位置づけなどは、彼女らに疑問や割り切れなさ、憤りをもたらす。では彼女らはそうした状況にどう向き合い、やりすごし、またそれを少しでも変えようと試み、過ごしやすい場をつくりあげようとするのか。管見の範囲では。Iターン移住やライフスタイル移住に関する研究ではこうした点を中心とする分析は案外見当たらない。報告者は山口県祝島へのライフスタイル移住を事例に、移住女性が地域で関係性を作りにくいことを論じたものの、単なる指摘にとどまる(Takeda 2020)。 なお農村における女性たちの活動については、女性リーダーや起業家に関する研究(例えば秋津他2007)や農村女性のパーソナルネットワークの研究がある(原(福与)2009)。ただし移住してきた女性たちは農村の既存のメンバーではなく、地域の女性リーダーでもない。またライフスタイル移住者が必ずしも就農するわけでもない。これらやIターン・ライフスタイル移住の研究をふまえつつ、冒頭の問いについて本報告では考察する。 2.方法 本報告では、滋賀県長浜市旧木之本町に移住した女性たちとその女性たちのグループの活動を手がかりに分析する。旧木之本町は平成の大合併によって長浜市の一部となった地域であり、長浜市中心市街地までは車で3、40分程度である。合併当時の人口は約8000人だったが、2023年には約6000人まで人口が減少しており、多くの限界集落を含む。女性たちへのインタビュー、女性たちが作成・発信しているZINEやウェブサイト、またその活動の分析を通じて分析・考察を行う。 3・4.結果・結論 本報告は女性たちの移住をめぐる経緯や動機、仕事、家庭等について説明した上で、地域社会で女性たちが向きあう困難に対し、いかなる戦術を駆使しているかを論じる。特に移住先の女性たちとの間でのシスターフッド的な関係性や移住者同士の関係性に注目する。それらを通じてジェンダーにもとづく差別に抗する言葉を、そして地域社会において新たな居場所を作りだす実践の可能性について考察する。 ※なお本報告は昨年度の日本社会学会で報告予定だったにもかかわらず、体調不良で取り下げた内容をアップデートしたものである。 参考文献 秋津元輝他,2007,『農村ジェンダー:女性と地域への新しいまなざし』昭和堂. 原(福与)珠里,2009,『農村女性のパーソナルネットワーク』農林統計協会. Takeda, Shunsuke,2020,Fluidity in rural Japan: How lifestyle migration and social movements contribute to the preservation of traditional ways of life on Iwaishima, in Manzenreiter, W. et al., Japan’s New Ruralities: Coping with Decline in the Periphery, Routledge:196-211.

報告番号217

地方大卒ホワイトカラー層のライフコース追跡研究――
大阪大学 吉川徹

地方県が現在直面している人口減少問題の実質的課題は人口社会減にある。その焦点は若年層の進学・就職という契機における他地域への人口流出である。吉川(2001)は、1990~2000年の時期において、18歳から24歳までの追跡調査によって、地方県からの大学進学者がたどる地域移動の経路をローカル・トラックとして整理し、その分析視座を提示した。そこでは、都市流出、Uターン、県内周流という地域移動の類型が示されている。 その後の四半世紀の間に、全国の地方県の人口減少問題への注目がしばしばなされるようになった。そしてその対応策としては、県外からの移住者や、関係人口と呼ばれる地域へのかかわりをもつ人びとの動向に注目が集まることが多い。しかし、地方県において、その行政、産業、サービスの基盤を恒常的に支え、持続可能な社会を成り立たせているのは、若年・壮年の地元出身の大卒ホワイトカラー層である。実態として、そのほとんどは自県で生まれ育った後に高等教育に進学した人びとである。 ところが、現代の地方県の地域社会の研究や地域行政研究においては、地元地域の(高齢)住民、他地域からの関係人口などはステイクホルダーとして注目されるが、地域社会を支えている大卒ホワイトカラー層に注目が集まることは稀であり、いわば「見える化」が十分になされていない状態にある。 本研究では、地方県の社会を構成する人びとのうちで、数においてもその活動量においても主力と目される、地元出身の大卒ホワイトカラー層のライフコースからその実像を記述する。 研究対象は、島根県奥出雲町出身の1974~75生年の高等教育進学者であり、追跡調査期間は1992~2024年の31年間である。研究は2期に分けることができる。第1期は1992~1999年における、県立高校の大学進学クラスの大学進学と初職就職、そしてその後の人生展望をみた追跡調査である。これは『学歴社会のローカル・トラック』(吉川2001)にまとめられている。 新たに実施した第2期の調査は、2023~24年に、48~49歳になった第1期の対象者中、11名の県内在住大卒ホワイトカラー層に対して、その後のライフコースを半構造化インタビューによって問うものである。これにより地域移動や職歴移動の実態、そして想いや希望について、同一対象者から、20代前半と40代後半の四半世紀を隔てた2時点におけるライフヒストリーが得られている。 そこからは地方県を実質的に支えている地元出身の大卒ホワイトカラー層の、職歴、地域移動歴、家族形成、地元や自県への愛着、人生観などを知ることができる。11名の半生の語りを包括的にみることにより、地方県を支え、持続可能性を確保している地元出身の大卒ホワイトカラー層の実像を明らかにし、従来注目されることの少なかった現代日本社会の地方社会の本質的な課題を論じる。

報告番号218

他人とも共在できる開かれた住まいはどのように成立しうるのか――神戸市長田区の多世代型シェアハウス「はっぴーの家ろっけん」を事例として
東京大学 髙瀬詩穂美

【背景・先行研究とその限界】現代日本では世代や属性を問わず暮らしの困難が拡大し、近代家族を基盤とする従来型の共同性だけでは問題解決が難しくなっている。こうした中、先行研究では家族・親族以外の他人と支えあうシェアハウスの可能性が論じられてきたが、その多くは ①身体・精神・経済の状態や規範遵守力などの能力で選別を行う住まいや(選別・規範設定)、②選別せず受容した結果として無秩序に近い場となってしまう住まい(排除・無規範)のいずれかを対象としてきた。しかし、前者では他人との支え合いが必要な状況の人々に対応しておらず、後者では無秩序によって関わり難い場所となってしまう。暮らしの共同性を再編する手掛かりとして着目しているにもかかわらず、その目的が達成されていない状況にある。 【研究概要・目的】以上を踏まえて本研究では、「他者への配慮や規範の遵守が難しい他人」との共在を先行研究と異なる方法で達成していると考えられるシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」を事例に、そうした状況の人々を含めた生活共同体がどのように成り立っているのかを検討した。 【方法論】方法論として、佐藤健二が従来の都市・地域社会学の限界点を乗り越えるための提示した「コミュニティ生態学」の視角を採用した。佐藤は、これまでの研究は制度や意識の調査を重視してきた一方、生活プロセスそのものが紡ぐ組織化された態度や感情、身体の空間性などを見落としてきたと論じている。本研究では佐藤の方法論を取り入れた上で、地域や組織ではなく「住まい」という枠組みをフィールドとし、さらに昨今注目され始めている人々の「流動性」を含めて調査・分析することで新たな知見の開拓を目指した。 【調査対象と方法】同住居は兵庫県神戸市長田区(下町地域)に位置しており、育児から看取り・葬儀まで行う介護付き多世代型シェアハウスである。調査では ①2023年11月から2024年8月まで合計64日間、同住居の共用部や関係施設へ泊まり込みでの参与観察と ②運営者・入居者・訪問者・自治会役員など立場の異なる10名への半構造化インタビューの2つの方法を実施した。以上のデータから、住居を通じて、来客らも含めて内外で構築される生活風景としてエスノグラフィーを記述した。特に、暴力・暴言・ハラスメント・放火・関係者の死など複数の困難な状況が生じる中で、100人前後の主要な関係者と、その場にさらに流動的に出入りする関係性も立場も異なる数えきれない訪問者たちがどのように相互作用することでシェアハウスが維持されているのかを分析した。 【結果・考察】選別・規範設定や排除・無規範と異なり、「動態的受容・多層的対応」と呼べる方法によって、多世代かつ流動的で関係人数の多い状態でもさまざまな人々が共在できるシェアハウスが成立していた。また、その方法を可能にしている社会的な構造として、関係構築の速度や深度を調節する「開放性・閉鎖性のバランス」、困難な事態への対応幅を広げつつ場の透明性を担保する「人々の流動性」、突発的な事態に誰もが各自の方法で対処できるための「役割・対応の柔軟性」の三要素の相互作用が重要となっていた。以上の結果、精神的・経済的・身体的に自立や自律が困難な人々、家族・親族・同輩集団などの共同体に居られなかった人々、出身国の保護を外れた人々などを含め、様々な人々が共在する住まいが維持されていた。

報告番号219

ふるさとワーキングホリデーの課題解決に向けた試論――新潟県南魚沼市の事例分析より
大正大学 金子洋二
一般社団法人愛南魚沼みらい塾 倉田智浩

ふるさとワーキングホリデーは、都市部の若者(大学生や社会人)が長期休暇を利用して地方で働きながら暮らし、地域の生活や文化に触れる国内型ワーキングホリデー制度である。総務省が2016年から導入し、2024年度までに延べ5,979名(2024は66団体858名)が参加し、事後アンケートでは参加者の約9割が満足と回答し、かつ約9割が再訪意欲があると回答している。2024年からはシニア層の参加も促す動きがあり、参加者層は今後多様化していくことが予想される。 参加者は2週間~1か月程度を現地で過ごし、農業・漁業・製造業・観光業などの現場に従事しつつ、地域行事や交流プログラムを通して住民との接点を持つことで、旅行では得られないリアルな地域体験を得ることができる。こうした活動を通して地方の人手不足問題を解消しながら、質の高い交流人口や関係人口の構築、さらには移住の促進につながることが期待されている。 同制度は、地方創生2.0基本構想の5本の柱とされる (1)安心して働き、暮らせる地方の生活環境の創生 (2)東京一極集中のリスクに対応した人や企業の地方分散 (3)付加価値創出型の新しい地方経済の創生 (4)デジタル・新技術の徹底活用 (5)「産官学金労言」の連携など、国民的な機運の向上 の内の(1)(2)(3)を具現化した施策として位置付けることができる。 一見成功裏に展開しているこの制度であるが、事業運営においていくつかの課題も指摘されている。主なものを整理すると、(1)海外でのワーキングホリデーが休暇を主体と捉えているのに対し、本制度は労働色が強く、本来の趣旨との違いを問題視する声がある (2)2週間~1か月程度の短期では、一定の体験は得られるものの、深い地域理解や移住の検討には至りにくい (3)受け入れ準備などの事務負担が重く、成果に結びつけるまでの体制整備が不十分 (4)実績としての定住・関係人口化の割合が低い (5)シニア層の参加による受け入れ準備の複雑化 が挙げられる。 新潟県南魚沼市では2022年度より本制度を導入して2024年度までの3か年度に計170名の参加者を受け入れている。空き家となっていた古民家を改修して受け入れ拠点を整備し、地域の特色を前面に出した農業や観光業を中心とした就労メニューを用意すると共に、地域住民との交流や参加者同士の関係作りに力を入れた結果、これまでに45人がリピート参加し、参加経験者を中心とした22名の大学生スタッフが運営を支え、4人の若者が移住を果たすなど、顕著な成果を示している。本報告では同市の事例分析からワーキングホリデー制度活用の成功モデルを示すと共に、事業運営者の課題解決に資する取り組みのポイントを仮説として提示する。

報告番号220

「捉えがたい」存在としての恒常的な移動生活者――愛媛県「みかんアルバイター事業」における地域とのかかわりを事例に
和歌山大学 鍋倉咲希

【目的】本報告の目的は移住者/観光者にあてはまらない「捉えがたい」存在としての移動生活者と地域社会との関係を読み解くことにある。ここでの移動生活者とは、農業や漁業、観光業に従事しながら国内外を渡り歩く人びとを想定している。時期ごとに仕事を変化させ地域を移動する人びとについては、出稼ぎや季節労働などの事例で民俗学や社会学から研究されてきた。しかし、近年では求人やマッチングを効率的に行えるプラットフォームの展開により、幅広い年齢層の人びとがそうした働き方を気軽に選択するようになっている。これらの移動形態は従来とは異なり、経済的理由だけでなく自己実現を求めるライフスタイル移動の側面をもち、各地での生活は「労働」中心ではなく「労働を観光する」という消費者的要素をもつ。本報告ではこうした特徴を有する移動生活者と地域社会との接点において、いかなる可能性と困難がみられるのかを検討する。関係人口や多拠点居住など、地域社会との断続的なかかわりをもつ移動者に関する議論では、住民やほかの移動者との出会いや交流が、地域への誘因力になるとともに、コミュニティの活性化をよぶことが指摘されてきた。しかし、定住と短期間での観光との中間にある「一時的な滞在者」が地域にとっていかなる存在であるのかについては精査されていない。【対象と方法】以上の問題意識から、事例として愛媛県JAにしうわで1994年から取り組まれている「みかんアルバイター事業」を取り上げる。アルバイターは温州みかん収穫期である11~12月の約40日間、現地に滞在し収穫・運搬等の仕事に従事する。発表者は2024年から市役所、JA、地域住民、アルバイター等に対する聞き取りや質問紙による予備調査を実施し、事業の展開やアルバイターの実態を調査してきた。【結果と結論】アルバイター事業はみかんの収穫期における労働力不足が顕著となった1990年代に真穴地区で開始され、現在に至るまで管内での取り組みや他地域との連携が拡大している。2023年の参加者数は448人にのぼり、アルバイターは農家でのホームステイや行政・JAが管理する合宿施設等に滞在している。作業はほぼ毎日で、1日7時間程度行われる。アルバイターへの質問紙調査によれば、彼ら/彼女らは一年間をかけて各地をまわり、野菜収穫やスキー場・山小屋でのアルバイトに数か月ずつ従事していた。愛媛県では一緒に働く農家やほかのアルバイターとの交流を楽しんでいるという。アルバイターと農家はそうした関係性を互いに「家族」という比喩で肯定的に表現する。しかし、「家族」の関係には困難もある。行政では年に数十日しか使われない住環境を維持することの困難が聞かれた。また、先行研究では移動者に対して観光や食事につれていくなどの「ゲスト」としての「もてなし」が必要になることが指摘されている。ここには「数日間の付き合いではないが、ずっと暮らすわけでもない」存在に対する独特の距離感が読み取れよう。両者の関係性が断続的であるということが、地域社会にとってどのような意味をもつのか。報告では「捉えがたい」存在としての移動生活者に注目し、そうした人びととかかわる地域社会の実像を検討する。

報告番号221

宗教史研究における歴史社会学的実践――近代日本宗教史研究の成果をもとに
立命館アジア太平洋大学 宮部峻

本報告では、日本語圏において宗教史研究の成果がなぜ歴史社会学者に参照されることが少ないのか、宗教を歴史社会学的に扱うことの難しさはどこにあるのか、宗教の歴史社会学における理論的・方法論的課題について近代日本宗教史研究の成果をもとに議論する。  日本語圏の宗教社会学の領域において歴史社会学的研究の成果は一定程度の厚みを持って蓄積されてきた。近代日本を対象とした歴史社会学の系譜を整理した筒井清忠ほか(1996)は、歴史社会学の個別領域として、筒井(1990)で扱われた教育に加えて、家族、宗教、農村、文化の領域を取り上げている。宗教の分野で蓄積されてきた歴史社会学的成果は、日本語圏の歴史社会学の形成に大きく寄与するものと捉えられていた。  もっとも、今日、筒井ほか(1996)で取り上げられた宗教に関する歴史社会学的研究の成果を他分野の歴史社会学者が参照することは少ない。その理由として、宗教社会学の理論的・方法論的課題が挙げられる。  筒井ほか(1996)がすでに指摘しているように、近代日本を対象とした宗教社会学は、宗教学、歴史学、民俗学、民族学など隣接諸領域に依存しながら発展したのに加え、理論的・方法的な自覚化が十分になされずに展開してきた(筒井ほか 1996: 21)。日本における宗教社会学の出自と展開を支えた制度的要因もあって、宗教社会学の理論的・方法論的特徴に関して反省的に自覚化されることも少なく、成果を他分野の社会学者と共有する試みもほとんどなされてこなかった。結果的に宗教を歴史社会学的に研究することの意義について他分野の歴史社会学者と共有することが難しい状況が生じている。  しかし、2020年から2021年にかけて『近代日本宗教史』(島薗ほか編 2020-21)が出版されるなど、2000年代以降、近代日本宗教史研究は大きく進展しており、その中には歴史社会学者が伝統的に扱ってきた論点も多く見られる。  本報告では、2000年代以降の近代日本宗教史研究において歴史社会学的論点を含む研究成果をもとに、宗教の歴史社会学における理論的・方法論的課題、宗教を歴史社会学的に扱うことの意義を示す。宗教の歴史社会学における理論的・方法論的課題については、宗教に関する社会学の理論的前提が宗教を歴史社会学的に扱うことの難しさをもたらしていること、日本における宗教社会学という分野の成立・展開に関わる制度的要因により、宗教社会学の成果を他分野の社会学者と共有することが難しい状況がもたらされたことを示す。宗教を歴史社会学的に扱うことの意義については、宗教史研究の成果には、修養主義・教養主義や日本主義、ファシズム、知識人論といった歴史社会学的論点が含まれているだけでなく、宗教に関する社会学の理論的前提を問い直すことにもつながることを示す。

報告番号222

メディア史は歴史学か、社会学か?――
立教大学 木下浩一

報告者はメディア史を専門とする。メディア史は、歴史学なのか。それとも、社会学なのか。もちろん、いずれの立場もありえるし、いずれかの立場のみを選択する義務もない。しかしながら一方で、二極化しているのも事実である。また、二極化に無自覚であることによる不毛な議論も少なくない。 理念型としてみれば、歴史学と社会学の特徴は以下のようになるだろう。それぞれが価値をおくのは、固有性と普遍性である。言い換えれば、歴史学は差異に着目し、社会学は共通性に着目する。社会学は理論志向であり、歴史学はそうではない。歴史学にとって、歴史は「目的」であり、社会学にとっては「手段」である。 報告者が指摘する「不毛な議論」とは、「固有性と普遍性」の水準での議論である。例えば、「共通点に着目して理論化を目指そう」とする社会学寄りの研究者に対して、歴史学寄りの研究者が「置かれた社会状況が異なる」と指摘する。「固有性と普遍性」という第一水準に留まり、アウフヘーベンされることはない。 現実の社会を研究対象とする社会学においては、対象が置かれた状況や環境が同一であるはずがない。心理学のように実験できるはずもなく、統制下で観察することは不可能だ。状況や環境に目配りは必要であるが、しかしながら一定程度、勇気をもって捨象しなければ、理論化などできようもない。 もちろん報告者は、歴史や歴史学の価値を認めていないわけではない。いずれの地域や時代には、固有の歴史が存在する。歴史学者が叙述した歴史には、一定程度の価値がある。一方で、理論の重要性を強調したい。 中範囲の理論が共有された現在において、理論化を性急に急ぐのは禁物である。しかしながらそれは、理論化を目指さないということではない。社会学に限らず、「科学」であるからには、理論化を一定程度目指す必要があるだろう。 報告者はこれまで、日本の商業教育テレビ、新聞記者などを主な研究対象としてきた。いずれも歴史的アプローチを用いた。メディア研究における系譜でいえば、送り手研究であり、ゲートキーパー研究である。手法的には、雑誌を資料(史料)とした「定点観測」であり、言説分析である。メディア史であるので、メディアやコンテンツ、受け手や制度などにも広く着目する。実際の研究成果としては、歴史学と社会学の中間に位置する。つまり、歴史叙述そのものにも価値を見出すとともに、理論化も重視している。 それらの研究実践を交えつつ、上記の問題意識にしたがって報告を行い、参加者と問題関心を共有し、アウフヘーベンを目指したい。

報告番号223

戦後日本の女性たちによる社会変革に向けた声を育む場の模索――『婦人のこえ(1953-1961)』の分析から
関西大学 濱貴子

【目的】戦後日本社会において女性たちが職場や家庭など身の回りの問題を自分の立場から発言し社会変革を求めていく姿勢を育む場はどのように形成されていったのだろうか。本報告では、左派社会党の女性たちの支援を受けた山川菊栄・菅谷直子が編集に中心的に携わり1953年から1961年まで刊行された雑誌『婦人のこえ』に注目する。中尾(2009)やHama(2024)といった先行研究の課題を整理したうえで、誌面構成、執筆者、活動の変容を中心に分析をおこなうことによってこの問いにアプローチする。 【方法】本報告では、『婦人のこえ』(1号〔創刊〕-96号〔終刊〕)における各号の目次と巻末の活動記録から、記事ジャンル、記事タイトル、執筆者、執筆者経歴(可能な者)、社友、編集委員、活動内容をデータ化した。また、毎年1月号の新年巻頭賀正挨拶の人物と組織についてもデータ化を行った。これらのデータを用いて、記事テーマや執筆者、支援者の推移を把握し、場の特徴を分析するとともに、誌面を読み込み、読者との関係性についても検討を行った。 【結果】『婦人のこえ』は、社会で弱い立場におかれている女性が自由に意見を発表し主婦生活や職場の実態を具体的に語り合ってお互いの協力によって問題の是正を主張できる力をつける場をめざして1953年に創刊された。「婦人のこえ」という投稿欄を設け、読者からの投稿を積極的に掲載するとともに、執筆者にも新進の有力な女性を迎え、誌面を「婦人自からの声で充たしたい」という考えを実現していった。1955年6月号からは座談会も開かれるようになり、考えを述べ合う企画も継続的に持たれていった。一方で、2年目の1955年4月号には誌面を「もっとやさしく」「親しみ易い」ものにしてほしいといった読者からの要望が出されていた。しかし、編集委員は「普通の婦人雑誌や娯楽雑誌のような取つき易さであつては本誌発行の意味がなくなる」と主張し、童話を掲載するという誌面変更にとどまった。その後も雑誌と読者との距離の遠さがしばしば指摘され、「創刊五周年によせて(1958年10月号)」でも「文学や芸術方面の記事を増やしては」「全国的な読者グループを作っては」など読者から紙面刷新に関する多様な提案がなされた。提案をもとに読者懇談会や小説の掲載、読者会、職場見学などの新企画が展開されていったが、経営悪化により1961年9月号をもって『婦人のこえ』は廃刊した。 【結論】廃刊前の1959年7月に開催された第1回読者会において、「「こえ」発行の目的を育てていくこと、そのためのリーダー養成になるような企画を持つ」という方針が示され、1960年7月以降、毎月1回女性史研究会が開催されるようになった。それをきっかけに、廃刊後の1961年9月から『婦人のこえ』のメンバーだった田中寿美子・山川菊栄・菅谷直子を中心に婦人問題の総合研究機関として、公式主義ではなく論理的・実証的であることを重視した婦人問題懇話会が組織され、婦人労働、家庭婦人、女性史・婦人運動、農村婦人、社会保障の5つの分科会で研究が展開されていった。『婦人のこえ』の編集メンバーは幅広い読者との誌面を通じたやりとりは手放すことになったものの、誌面を通じて得た高学歴女性を中心としたネットワークをもとに、女性の地位向上のためのより実践的な研究組織を育んでいった。

報告番号224

ジェンダー広告の歴史社会学――1963 年~1979 年の『コピー年鑑』を手がかりに
立教大学大学院 森亜由葉

【1.目的】1960年~1979年代の広告のなかで女性はどのように描かれてきたのか。 女性表象を消費することによって、社会的な性別役割の認識はどのように変容したのか。本研究の目的は、社会学の手法によって広告のなかの女性表象を分析可能な対象と設定し、その歴史的な変遷を追うことで、近代日本における女性表象の意味の形成と変容について明らかにすることである。【2.方法】東京コピーライターズクラブが年に1回発行する『コピー年鑑』のうち1963年(創刊号)~1979年を分析対象にする。同期間に発行された17冊の広告総掲載数は5,738である。分析単位は広告作品とし、女性表象を取り上げ、バーバルとノンバーバルにおける表象分析を行う。総サンプル数は、1229である。分析枠組みはゴフマン(1979)・上野(1981)に依拠し、『コピー年鑑』に掲載される広告のなかから、女性・女児または子ども、あるいはボディの一部が写っている写真またはイラストを分析対象とする。擬人化されたイラストも含む。写真の解像度が低く性別を判別できないもの、および縦5cm・横5cm以下の写真は除外する。以上の条件に該当する広告にゴフマン(1979)・上野(1981)のコードを付与する。出現頻度の高いコードを確かめ、最頻出コードが変化した時点で帰納的に時期区分する。【3.結果】第1期(1963~1968年)は子どものまなざしを通した〈女〉の広告とした。広告総掲載数は1,274、サンプル数は331だった。最頻出コードは「function ranking-among children」だった。子どもまたは母と子の表象が数多く見られた。バーバルにおいては「ママが選んだママロン肌着はお子さまにぴったり」「お母さまなら無関心でいられない〈話〉」と、母としての表象が見られた。第2期(1969~1973年)は敵を作らない恥ずかしがりやの〈女〉の広告とした。広告総掲載数は1,333、サンプル数は324だった。再頻出コードは「the ritualization of subordination-smile」および「bushfull knee bend」だった。女性表象のなかでも脚を露出するものが多く見られた。上半身の露出は見られなかった。バーバルにおいては「うちの課の“ミス貯金”って誰かしら」「奥さまは足から疲れる」と“控え目”な表現が見られた。第3期(1974~1979年)は肌を見せ、見られる〈女〉の広告とした。広告総掲載数は、2,562、サンプル数は442だった。再頻出コードは「the ritualization of subordination-smile」および「cating posture」だった。上半身を含めた肌を露出する広告が多く見られた。バーバルにおいては「女の胸はバストといい、男の胸はハートと呼ぶ」「ウエストは女らしさのポイントです」など2期と比べ挑戦的な表現が見られた。【4.結論】第1期は性別役割分担、第2期はらしさ固定、第3期は性的対象物と、1963~1979年の間に表象が変化した。第2期・第3期は、ウーマン・リブの勃興や女性差別撤廃条約の批准という時期に該当するが、広告のなかではそうした時代背景が反映されていなかった。80年代以降の女性表象の変化については調査中である。

報告番号225

キャラクターとかかわる/つなぐ/ひきつぐ――声優とキャラクターの関係史
明治学院大学 永田大輔

1メディア文化の中の声優:キャラクター文化と職能の変容 現代のメディア環境では、ヘンリー・ジェンキンズが提唱する「コンヴァージェンス・カルチャー」のように、「ザッパー」的な受け流し型から「ロイヤル」な参加型視聴へと変容し、それにより作品とより深く関与するようになる。この変化はSNSなどの技術革新だけでなく、日本のメディアミックス文化に代表されるような多様で脱中心的なメディア展開に支えられている。本稿では、「声優」がどのようにその変化とかかわったか議論する。 声優はキャラクターと作品世界をつなぐ媒介者であり、単なるアニメを演じる役割を超えた形でその職能を変化している。特に日本のメディアミックスでは、アニメ、ゲーム、ラジオ、ライブイベントなどを横断しながらキャラクターが展開されており、その中核を成す専門職が声優なのである。 2分析資料と分析視角  本報告では声優に関するインタビュー集や声優自身が自らの人生を振り返ったエッセイ・声優に関する雑誌記事などを資料とし、声優自身がどのように自らの職業変化を語ったのかを中心に議論する。 3キャラクターとかかわる 声優の専門性は、かつては俳優の副業的な位置づけだったが、徐々に独自の技術や職能が確立され、マイクワークや声の演技が重視されるようになった。しかし、近年声優の職業の中心がこうしたアニメ中心とした職能から異なる職能にその中心を移行させつつある。 とりわけ近年では、キャラクターとの継続的な関係性が職務の本質に組み込まれつつある。例えば、2クールのテレビアニメと数本の映画にアニメとしては出演しただけだが25年以上同一キャラを演じ続けるといった事態が起こっているのである。声優は単なる「演者」ではなく、キャラクターと共に歳月を重ね、複数メディアを通じてかかわり続ける存在となっているのである。 4キャラクターをつなげる ある時期以降ラジオの出演など声優が表舞台に出る中で声優自身が「キャラクター化」される現象も生まれている。そしてそうした声優のキャラクターと声優が演じるキャラクターが重ねあわされたり距離化されたりがしてきた。近年では一人の声優が演じるキャラクターの数が増える中で声優が複数のキャラクター間をつなぐ役割を果たすケースがある。 5キャラクターを引き継ぐ また、キャラクターと声優の関係性を象徴する「声優交代」は、文化的な出来事として重い意味を持つ。ドラえもんの声優交代のような場面では、キャラクターと声優がどれほど密接に結びついていたかが浮かび上がる一方で新たな声優がそれとどのように付き合うかが求められ、声をめぐる係争の問題があらわになる。 6結論-声か音か言語か 本論で論じた視点は、グローバルなキャラクター文化の問題にも接続する。従来、日本国外で受容されるアニメ文化は、ファンサブや現地の声優文化と接合する形で受容されてきた。自動翻訳の発展により、日本語のまま視聴されることも増え、「声」のオリジナリティが重要視される反面、翻訳声優の役割が縮小し受容先の国でキャラクターの声を聴く機会が減少する可能性がある。 さらに、AI音声合成やボイスバンクなどの技術革新により、声優の「声」が「音」として活用されるようになってきている。これにより、「声」と「音」の関係性、ひいてはキャラクターと声優の関係性そのものが再定義されつつある。

報告番号226

意識のモビリティーズ1 ――ウィリアム・ジェイムズとメディア
慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所 小川(西秋)葉子

[目的・方法]近年のモビリティーズ研究は、人の移動やジェントリフィケーションなどの文脈でなされてきた。しかし、その研究分野の提唱者であるジョン・アーリの指導のもと、申請者がおこなってきた博士論文では、ディスコースと行為の剥離を社会的な変容においてとらえる問題関心が探究されてきた。申請者は、そののち、モビリティーズ研究、およびプラクティスの社会学の起源をアメリカの心理学者・思想家のウィリアム・ジェイムズが提唱した「意識の流れ」にまでさかのぼる試みに取り組んでいる(小川[西秋]・是永・太田 2020)。その過程では、社会学史における歴史をどのようにとらえるかといった問題とその方法論に直面せざるを得ない。小川(西秋)(2021)であきらかにしたように、これまでの社会文化史における先行研究では、トップダウン、ボトムアップ、およびジョン・キーンの民主主義史研究にみられるアブダクションという3つの探索方法がみてとれる。そこに、配役表や地図といった図式的な把握や音楽や調性・スケールについてのジェイムズの考察を発展させて、逆アブダクションという方法を提案したい。[結論・結果]上記の試みは、ジェイムズが愛読していた新聞や定期刊行物などのメディアを精査することによって、その端緒を発見できると考える。そこでは、「天上の聖歌隊と地上の家財道具の一切」という表現がてがかりになるであろう。申請者はすでに、このようなプロセスをアーティファクト(人工物)と知覚を統合し、音響的な側面が知覚を共有化させるae変換と前掲書において命名した。このような意識の流れの生成において前提となるのが、19世紀当時の流行りの文学によって、アダム・スミスやウィリアム・シェイクスピア、ハリエット・ビーチャー・ストウといった環太西洋を席巻した諸論考がジェイムズの思想の流れのコンテクストとなるべく統合されていった時代精神である。以上のような試行によって、ジグムント・バウマンがその共著『文学を称賛して』で提唱した、社会科学と諸芸術の融合という、社会学にとって重要なひとつの契機の検討が可能となるであろう。 [参考文献]小川(西秋)葉子(2021)「集合的生命前史:グローバライゼーションを<転調>する」一橋大学大学院社会学研究科博士学位論文 小川(西秋)葉子・是永論・太田邦史(2020)『モビリティーズのまなざし:ジョン・アーリの思想と実践』丸善出版

報告番号227

復元社会調査データを用いた量的・質的分析の可能性と課題――戦後初期宮城県教員調査の分析事例の検討から
國學院大學 前田麦穂

【1.目的】近年、復元された過去の社会調査データを用いた歴史社会学的研究の刊行が進んでおり、これらは「計量歴史社会学」とも呼ばれる。復元社会調査データを用いた歴史社会学的研究は、個別の研究成果の発表や復元作業などの技術的課題の総括は行われてきたものの、その方法論的規準については模索が続いている。本報告の目的は、こうした復元社会調査データを用いた量的・質的分析が持つ可能性と課題を、報告者が行った実際の分析事例を通して検討することで、方法論的規準の形成に向けた議論を進展させることである。【2.方法】まず、復元社会調査データを用いた分析の可能性と課題について、先行研究で検討されてきた論点を確認する。次に分析事例として、1951~1952年に実施され2010年度に復元された宮城県教員調査のデータの量的・質的分析を示す。このデータを用いるのは、報告者が近現代日本における教師の社会的地位の向上に関心を持ち、先行研究との関係から調査が実施された戦後初期を重視しているためである。そして分析を行う上で上述の可能性と課題がどのように現れるのか、課題についてどのように対処できるかを検討する。【3.結果】復元社会調査データを用いた分析が持つ可能性としては、(1)技術的発展による分析方法の高度化、(2)探索的・モノグラフ的な記述的分析への活用、(3)調査当時の想定の相対化・批判的再検討が可能になること、が指摘されてきた。一方で課題としては、(4)利用可能なデータの制約(特に母集団の想定やサンプルサイズの確保の難しさ)、(5)データや分析結果の解釈において歴史(調査当時の社会)への理解が要求されること、(6)(5)を行う上での方法的規準が未確立であること、が指摘されてきた。特に(2)と(4)、(3)と(5)は可能性と課題とが相互に関連した論点である。これらに対し分析事例からは、(1)調査当時には使用できなかった多変量解析や計量テキスト分析により新たな知見を提示できる、(3)調査当時の社会規範や慣習(特にジェンダーの非対称性に関連するもの)の批判的なとらえ直しが可能となる、という意義が確認できたものの、近現代日本社会という報告者の問題関心との関係においては、(2)限定的地域から全国的状況へ知見を一般化するための推論が必要となる、(4)無作為抽出による社会調査データの分析とは異なる統計的検定の位置づけや、自由記述回答を行っているサンプルの特徴の把握が求められる、(5)分析結果の解釈において別の変数や自由記述回答、当時の社会・地域に関する公的統計など外部の資料を積極的に参照する必要がある、という課題への対処が必要となることがわかった。【4.結論】復元社会調査データの量的・質的分析の意義づけや分析結果の解釈には、対象地域や集団の限定性、現代とは異なる調査当時の社会の常識といった課題への対応が求められる。しかしこれらの課題への対応を通して、分析者は歴史(調査当時の社会)への理解を深め、自身の分析を歴史社会学的研究として更に発展させることが可能となる。今後はこのような理解の深化と分析のプロセスを反省的に記述・蓄積し、分析者が相互に参照可能な形で提示することで、(6)方法論的規準を形成していくことが期待される。

報告番号228

グローバル歴史社会学の独自性と可能性――
法政大学 髙田圭

本報告では、国境を越えた歴史現象を分析する社会学ならではのアプローチを検討する。これまで歴史社会学は、アメリカ、ヨーロッパ、日本など地域ごとに異なる発展を遂げてきた。その中でもっとも制度化が進んだアメリカでは、戦後、国民国家形成の道程を国家間比較の観点から歴史的に分析する比較歴史社会学が注目を集め、社会学の一分野として確立した。しかし、マルクス主義的な視点から因果分析をおこなうマクロ比較歴史社会学は、国民国家形成の分析には適していたものの、21世紀に入ってからはいわゆる歴史社会学の「第三の波」として社会学全般の関心の変化とともに方法論的な乗り越えが試みられてきた。その結果の一つとして生まれたのがグローバル歴史社会学である。国家を分析単位とするそれまでの比較歴史社会学では、国民国家を超える現象については関心が払われてこなかった。グローバル歴史社会学は、こうした歴史社会学の「方法論的ナショナリズム」への批判をきっかけに誕生したと言える。確かに比較歴史社会学との対比で見ればグローバル歴史社会学が提唱された必然性があった。しかし、21世紀からの「グローバル・ターン」は、社会学に限らず広く人文社会科学に影響を及ぼしており、特に歴史学では、グローバル・ヒストリーやトランスナショナル・ヒストリーという大きな潮流を生み出した。また近年では、国民国家そのものを分析するエリア・スタディーズにおいてでさえ「方法論的ナショナリズム」批判の波が押し寄せている。こうしたように広く人文社会科学において「グローバルな転回」が進む中、歴史学のそれに比べると後追いにも感じられるグローバル歴史社会学の固有性はどこにあるのだろうか。「大きな構造・広大なプロセス・壮大な比較(C. Tilly)」を基本とする比較歴史社会学であれば、一次資料の発掘と詳細な歴史記述に主眼を置く歴史学との違いは顕著であった。しかしながら、同じく国家を超える視点を採用する方法論でも、鳥の目で巨視的に世界経済の構造を捉える世界システム論とは違い、具体的な国境を超えた現象に着目するグローバル歴史社会学では、着眼点もまたその歴史的射程もグローバルあるいはトランスナショナル・ヒストリーと重なる部分が多い。グローバル歴史社会学の提唱者たち(J. Goら)は、西洋中心主義的な歴史観を批判し、関係論的な視点から国境を超える歴史現象を捉えることにグローバル歴史社会学のアイデンティティを見いだし、また概念的な抽象化、分析的図式、理論的フレームを採用する点において歴史学とは一線を画すものだと説明する。本報告では、こうしたアプローチが果たしてどのように社会学的になり得るのか、また実際の歴史現象を分析する際にどのように応用可能か、こうした問いに対して歴史学とも交錯する国境を超える社会運動の歴史分析などの例を通じて検証をおこなう。

報告番号229

確率的オンラインパネルの実践 (1)――パネルの維持管理と変遷
お茶の水女子大学 杉野勇

【1 プロジェクト概要】 2023年1-3月に確率的オンラインパネル(Probability-based Online Panel),PbOPSS-23を構築すると同時に第1回調査を実施し,初年度は年間4回,二年目は3回の定期通信を発行した。2024年2-3月に第2回調査,2025年1-3月に第3回調査を行った。丸2年を経過して3年目に入ったパネルの管理・維持作業を中心に概要を述べる。 パネルの管理・維持作業については追跡調査型のパネル研究と大きな違いは無いと思うが,本プロジェクトでは(予算や設備・技術の理由から)Web上の個人アカウント・マイページのようなものはなく,郵送・e-mailでのコンタクトだけである。そして,予算や実施能力の観点から年1回の調査実施にとどまっている。また,オンラインパネルといいつつ,郵送連絡・紙調査票回答希望者が10%前後,言わばMixed Mode Panelとなっているのは異例であろう。 【2 パネル脱落とコンタクト】 設計標本は4,800人,当初のパネル登録者は1,004人(登録率20.9%)であったが,2年余りの間に,電話やe-mailでの拒否・退会連絡が3件,e-mailも住所も不明となっての登録解除が4名あり,2025年3月末時点で997人となっている。e-mail連絡希望者でe-mail通知がaddress unknownで返って来てはいないが実際には全く見ていない登録者や,郵送希望者(もしくはe-mail addressが途中で不明となって郵送対象に切り替わった者)で「宛所に尋ねあたらず」で戻っては来ていないが実際には本人の目に触れていない登録者はいると想像され,そうした潜在的脱落者の捕捉は一つの課題である。 自発的にもしくはこちらからの照会に対して転居の連絡をくれたのは29件。e-mail変更連絡は1件のみ。2025年第3回調査では,郵送資材が戻って来たのでe-mailで問い合わせたが返信が無いのが21件(登録者の2.1%)。これは今後登録解除になる予備軍と考えられる。 【3 毎年の調査への回答状況】 初回パネル登録者の初回有効回答者1001人のうち,毎回ウェブ回答が635人,毎回紙回答が84人・他8人,3回目で脱落がウェブ59人・紙5人・他1人(6.5%),2回目で脱落がウェブ133人・紙4人(災害救助法適用地域は第2回は非実施),2回目に無回答で3回目に復活した人がウェブ64人・紙2人と云う状況である。 パネル登録&第1回調査回答者で第2回調査ユニット無回答の203名中,第3回調査では回答しているのはほぼ1/3の66名(全体の6%強)にのぼる。 【4 今後の試み】 第2回調査の結果,紙回答者はWeb回答者に比べて登録時にウェブサイトや説明動画をよくみていない傾向が強いが,その後の定期通信はとてもよく読んでいる(年齢統制後)。これは関心の強さによるのか,単にe-mailでlinkが送られてくる事と郵便でカラー4頁の印刷物が送られてくる事の違いによるだけなのかは不明である。全員に対して周知度やコミットメントを高める目的と共に,この2群に関心の強さの違いがあるのかどうかを探る為にも,2025年度は定期通信を全員に紙で郵送する計画である。 ※ 本研究はJSPS科研費 JP22H00070の助成を受けたものです。

報告番号230

確率的オンラインパネルの実践 (2)――コロナワクチン接種回数情報を用いた無回答誤差の検討
金沢大学 小林大祐

1.目的 科学研究費プロジェクト「新型コロナ感染症のインパクトを適切に解明する確率的オンラインパネルの開発」(基盤研究(A),研究代表者:杉野勇)では,2022年度に全国の満18~69歳の男女4,800名を無作為抽出し,オンラインパネルへの参加を依頼した。そして,その応諾者を確率的オンラインパネル(PbOPSS-23)とすることで,以降代表性の担保されたサンプルに対して安価かつスピーディに調査を実施することが可能となった。ただし,オンラインパネルへの応諾率は20.9%であり,決して高い水準にあるとはいえない。このため,本オンラインパネルには,無回答誤差による偏りが生じていることも懸念される。このような場合には,母集団の真値が分かっている変数について,標本分布を母集団分布と比較することが望ましい。基本属性変数については既に検証済みであるが(歸山・小林 2023),無回答誤差は,性別や年齢などの基本属性変数の分布として顕れるとは限らない。そこで本報告で用いるのは,COVID-19ワクチン(以下,コロナワクチンと表記)の接種回数の情報である。日本国内におけるコロナワクチン接種の回数は,政府により収集され,その分布は年代や都道府県別に公表されている。そして,本プロジェクトでは,2023年実施の調査において,コロナワクチンの接種回数を尋ねている。本報告では本オンラインパネルにおける接種回数の分布を母集団分布と比較し,その乖離の程度について検討を行う。また,コロナワクチン未接種者が持つ傾向性についても分析結果を述べる。 2.実査の概要 コロナワクチンの接種回数について尋ねている第2回調査は,2024年2月8日から3月10日にかけて実施された。同年1月1日に発災した能登半島地震から間もない日程での実査であったため,同年1月23日時点で確率的オンラインパネル(PbOPSS-23)に登録中の対象1,003名のうち,災害救助法適用地域で本パネル登録者がいた,新潟県,富山県,福井県の登録者を除いた945名を対象としている。回答率は78.4%(WEB:76.7%,紙:94.5%)であった。 3.分析結果とその評価 2023年度調査でのコロナワクチン接種回数の回答分布を,厚生労働省「新型コロナワクチンの接種回数について」の2023年11月7日時点における接種回数の分布と比較した。年齢幅を20~69歳に揃えて比較した結果,未接種者割合については,「新型コロナワクチンの接種回数について」では14.0%であるのに対し,本オンラインパネルでは8.9%とおよそ5ポイント少なかった。一方,3回以上接種している割合では,オンラインパネルで5ポイントほど多くなっていた。これらの結果から,本オンラインパネルにおいては,コロナワクチン未接種者は母集団と比較して過小であり,この層が持つ特徴からは,これが無回答誤差を生んでいる可能性も考慮して分析を進める必要性が示唆される。 謝辞 本研究はJSPS科研費22H00070,25K05481,23H00062,25H00553の助成を受けたものです。 参照文献 歸山亜紀・小林大祐, 2023, 「確率的オンラインパネル構築の試み(2):パネル登録受諾者および郵送モード希望者の分析」『第96回日本社会学会大会報告要旨』.

報告番号231

確率的オンラインパネルの実践 (3)――Webと郵送における自由記述回答の差異に関する探索的検討
亜細亜大学 歸山亜紀

【1. 目的】 本報告の目的は、自由記述形式の設問に対する回答行動およびその内容について、回答者属性や回答モードによる違いを検討することである。特に、異なる回答モード(電子調査票と紙調査票)によって、自由記述の項目回答率や記述量(文字数)、および記述内容に傾向の違いが見られるかを分析する。 【2. データ・方法】 2025年1月9日時点で「無作為オンラインパネル PbOPSS-23」に登録中である997名を対象として「2024年の日本の政治変動と経済生活についてのアンケート」を行った。有効回収数は795(ウェブ回答709、郵送回答86)で有効回収率は79.6%であった。調査票の最後に「2024年は、国内では元日に能登半島地震が、8月に宮崎県日向灘地震が発生し、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が初めて発表されました。9月には能登半島豪雨災害が発生しました。政治に関しては、東京都知事選挙(7月)、自民党総裁選挙(9月)、立憲民主党代表選挙(9月)、兵庫県知事選挙(11月)がありました。国外では、アメリカ合衆国大統領選挙(11月)があり、12月には韓国でユン・ソンニョル大統領が戒厳令を宣布しました。ウクライナ・ロシア戦争、イスラエル・ガザ紛争も継続しています。こうした国内・国際情勢の中、あなたは、これからの日本あるいは世界はどのような社会を目指していくのが良いとお考えでしょうか。お考えがありましたら自由にお書きください。」と尋ね、すべての回答者に対して自由記述形式で回答を求めた。 【3. 結果】 回収調査票795のうち、自由記述に何らかの回答が得られたものは全体で568(71.4%)であった。続いて自由記述の有無や記述量に関して、属性(性別・年齢層)による違いを検討した。自由記述回答記入の有無については、性別(男性/女性)においても年齢層(19-29、 30s、 40s、 50s、 60-71)においても、統計的に有意な差はなかった(性別p=0.369、年齢層p=0.868)。自由記述があるケースに限定して、記述文字数の平均値の差をウェルチのt検定または分散分析で検討したが、性別でも年齢層でも統計的に有意な差は見られなかった(性別p=0.368、年齢層p=0.100)。次に、回答モード(Web/郵送)によって自由記述回答記入の有無や文字数に違いがあるかを検討したが、記入の有無にも文字数にも関連は見られなかった(記入の有無p=0.423、文字数p=0.486)。郵送回答者の多くが50代以上であることをふまえ、50代以上の層に限定した分析も行ったが、回答モードによる自由記述の記入率や文字数に統計的に有意な差は見られなかった(記入の有無p=0.259、文字数p=0.534)。回答モードが自由記述質問に回答するかどうかや回答する文字数に影響している可能性は低いと考えられる。当日は、自由記述の内容にも注目し、回答モードの選好に影響している要因を探る分析についても報告する予定である。 【付記】本報告は、JSPS科研費 JP22H00070、JP23K01751の助成を受けたものです。

報告番号232

確率的オンラインパネルの実践(4)――メディア利用と政治意識の関連
金沢大学 轟亮

【1.報告の目的】 「無作為オンラインパネルPbOPSS-23」の第3回アンケート「2024年の日本の政治変動と経済生活についてのアンケート」(2025年1~3月)の795名の回答を用いて,メディア利用と政治意識の関連について分析する。このアンケートでは,2024年11月の兵庫県知事選挙で,斎藤元彦候補が再選されたことを良かったと思うかを5段階で尋ねた(Q11)。また,ふだんショート動画をどのくらい見るかを7段階で尋ねた(Q7)。この2変数の間には0.24程度の正の相関関係がみられ,ショート動画をみる行動頻度が高いほど,再選を良かったと考えていることがわかる。しばしば指摘されたメディアの影響説に整合的な関係がみられる(ただしあくまでも相関関係)。属性(性別,年齢,教育年数)を統制した重回帰分析でも,0.19程度の正の関連が確認できる。 本報告では,回答者のメディア利用に関して尋ねた複数の質問を分析してその性質を明らかにし,政治意識との関係を示す。社会調査法における意義としては,メディア接触に関する質問項目は紙幅を必要とするため,効率的かつ効果的な項目の検討に資することを目指す。 【2.メディア利用】 時事ニュースを得るための情報源として利用しているものを9項目の複数回答で尋ねた(Q5,利用の有無の2値)。反応率が高いものから順に,8割を超えたのが「インターネットのニュースサイト(Yahoo!ニュースなど)」と「テレビ」,30%台が「LINE,X(旧ツイッター),フェイスブックなどのソーシャルメディア」,「新聞」,20%台が「動画共有・配信サイト(YouTubeなど)」,10%台が「ラジオ」,「インターネットのブログ、ニュースのまとめサイト」,「インターネットの動画ニュース番組(ABEMA NEWSなど)」,10%未満が「雑誌」であった。 Q5で選択したもののなかからもっともよく利用しているもの一つを選んでもらった(Q6)ところ,反応率が高いものから順に,それぞれ35%程度でテレビ,ニュースサイト,10%程度がソーシャルメディア,10%未満~5%が新聞,動画サイトであった。一番利用するメディアのカテゴリーで,Q5の個数を比較したところ,平均値は3前後で有意な差はなく,動画サイトが利用する情報源が少ないという傾向はない。利用メディアのパターンがありそうで,テレビをもっともよく利用する者は,ニュースサイト,そして新聞を利用する。ニュースサイトをもっともよく利用する者は,テレビ,そしてソーシャルメディアあるいは動画サイトを選択している。Q6のカテゴリーでショート動画視聴(Q7)の平均値を比較すると有意差があり,テレビや新聞をもっとも利用する者では低くなっている。メディア利用変数間の関連について,整理して当日示したい。 【3.政治意識との関連】 メディア利用変数と政治意識の関連について,既述の兵庫県知事再選への意見や,複数の政治家好感度に関して,各メディア利用の有無(Q5),ショート動画視聴(Q7)が直接的に効果をもつことを確認している。その様態はやや複雑であるが,当日整理して示したい。当初想定していたよりも,メディア利用のあり方による意識の差異が多くみられることが指摘できる。 【付記】本研究はJSPS科研費22H00070,25K05508の助成を受けたものである。

報告番号233

公開ヤミ統計――2007年新統計法下のミクロデータ二次利用と統計の真実性
東北大学 田中重人

調査対象個別の情報レコードを保持するデータ (ミクロデータ、個票データ、調査票情報などと呼ばれる) の二次利用と、公的統計 (行政機関、地方公共団体、独立行政法人等が作成する統計) が追究すべき真実性との関連について、相反するふたつの意見がある。一方には、個人や団体の秘密やプライバシーにふれる内容をふくむデータが本来の目的以外に流用されるとなれば、それによって不利益を被るのではないかという不安を調査対象者にあたえることになり、協力拒否や虚偽回答を誘発して統計の真実性を毀損する、という意見がある。他方で、ミクロデータが広く使われることで、データの問題点が洗い出されて、統計の真実性を高めることに貢献する、という意見もある。 【統計法の規定】 日本の公的統計は、前者の意見を重視して、ミクロデータの二次利用に関する厳重な制限規定を用意している。統計法 (2007年法律53号で全面改正、2022年最終改正) のミクロデータ提供規定は、現実世界の調査対象者に対応するデータ中の個別のレコードを「識別」できないところまで匿名化処理を進めた「匿名データ」 (統計法36条) と、匿名化がじゅうぶんでないため調査対象者を識別できる可能性の残る調査票情報 (統計法33条、33条の2) の2種類にわかれる。前者は情報を粗くしたり削除したりしている上に、現在までに提供されているデータがすくなく、あまり利用されていない。後者は原情報をかなりよく保持したデータが入手できるので利用件数が多いが、手続きが煩雑で利用上の制限事項が多いため、提供を受ける研究者からの不満がしばしば聞かれる。 【ヤミ統計】 ところが、統計法のこのような規定の対象となるのは、公的統計のうち、「基幹統計」として指定された統計 (現在54件) と、「一般統計調査」のカテゴリーに入る調査で作成される統計だけである。これらに該当しない統計は統計法の管理外なので、しばしば「ヤミ統計」と呼ばれる。事実に関する調査ではない、いわゆる「世論調査」や、不特定多数を対象とする (対象者を個別に指定しない) インターネット調査などが代表的である。このような調査によるデータは統計法の制約を受けないので、上記以外の方法でミクロデータを提供できる。 【二次利用の状況】 この種の統計について包括的な情報収集はおこなわれていないので、どんな統計がどれくらいあってどのようにデータが利用されているか不明である。東京大学社会科学研究所「SSJデータアーカイブ」での寄託者名検索 (2025年6月17日) では、統計法が全面改正された2007年以降、行政機関 (府・省・庁) からのデータ寄託がコンスタントに毎年あることがわかる。内閣府『全国世論調査の概況』に掲載の「政府機関・政府関係機関」による世論調査件数を大きく下回るものの、すくなからぬ研究者がこのような (統計法に基づく匿名データ/調査票情報提供より制限の緩い) かたちで公的統計ミクロデータを利用していることは確かである。そして、最初に述べたふたつの意見に照らすなら、このような状況は、公的統計の真実性に影響をあたえている可能性がある。 本報告では、このようなミクロデータ二次利用の現状を検討し、日本の公的統計制度における品質管理のありかたについて考察する。 (本研究はJSPS科研費 JP24K05302 の助成を受けたものである。詳細は http://tsigeto.info/25x参照)

報告番号234

社会科学における統計的技法の応用研究の方略――MeulemanとBillietの「宗教的関与の研究」の批判的検討を踏まえて
統計数理研究所 真鍋一史

社会科学の領域における統計的技法の応用研究の発展には、じつに目を見はるものがある。その一例がDavidov et al. eds., (2018) Cross-Cultural Analysis: Methods and Applications. Routledgeである。この本は、社会調査のデータ分析の領域における国際比較/文化比較の視座からの、さまざまな統計的技法の応用研究の集大成ともいうべき論文集である。そこにはMeulemanとBillietの「宗教的関与」と題する論文も収録されている。 この論文は、「宗教的関与」というテーマをめぐって、「ヨーロッパ社会調査(ESS)」に参加した25か国について、「礼拝への出席頻度」「祈りの頻度」「自分はどのくらい宗教的かの自己判断」という3つの質問項目への回答のデータ分析に「多集団確証的因子分析(MGCFA)/多集団構造方程式モデル(MGSEM)」と呼ばれる統計的技法を応用することによって、宗教的関与を捉える測定の尺度を構成するとともに、その測定の国際比較/文化比較の可能性を確認した。このような「応用研究」が、「宗教的関与」の実証的研究の「methodologicalな質の向上」(Steenkamp and Baumgartner,1998)を飛躍的に促進したことは間違いない。 しかし、それと同時に、そのような「応用研究」の残された課題というべきものも浮き彫りとなってきた。すでに述べたように、社会科学の研究の発展は、一方のsubstantiveな「理論的考察」と、他方のmethodologicalな「統計的技法」の知的融合によってもたらされる。どちらが多すぎても、少なすぎても実証的研究のさらなる発展は期待できない。このような視座からするならば、MeulemanとBillietの「宗教的関与」の研究の問題は何かというと、それは、そのような先端的な統計的技法に見合う「理論的考察」の準備が十分でないということである。より具体的にいうならば、その中心的な鍵概念である「宗教的関与」に関して、「概念化・操作化・測定」の議論が十分でないという問題である。 そこで、本発表においては、このような問題を乗り越えるべく、つぎのような研究の方略を提案する。MeulemanとBillietはMGCFAをとおして、上述のESSの3つの質問項目から、「宗教的関与」という1つの潜在的な構成概念を推測した。しかし、発表者の「社会認識」からするならば、「個人化/私化」の進展する現代社会にあって、人びとの「宗教意識」は、「教会宗教性」から「信仰の自己確認」へと変化してきており、それに伴って、これら質問諸項目の意味内容も「一次元的なもの」から「多次元的なもの」へと変化してきている。そして、そうだとするならば、「宗教的関与」のこのような多次元化のリアリティを捉えるためには、社会科学の諸領域における人間行動――とくに「関与」と呼ばれる人間行動――をめぐるさまざまなcumulative knowledgeを、広く援用するという方略を提案したい。本発表では、このような方略の具体的な内容について詳細に議論する。

報告番号235

質的調査における「一般化」概念の考察――邦書・英書の質的調査教科書の比較を通じて
京都大学大学院 宋円夢
京都大学 太郎丸博

インタビュー調査、参与観察、ケーススタディをはじめとする質的調査では、量的調査のように大規模なサンプルを収集し、高度に発達した統計的手法を用いて分析することはできない。そのため、限られた調査対象から得られた知見がどの程度一般化できるのかという問いは、長年にわたり議論されてきた。本報告では、質的調査における「一般化」概念の捉え方を明らかにすることを目的として、被引用回数上位の邦書・英書の質的調査教科書をそれぞれ10冊選定し、その一般化に関する記述内容を比較・検討した。 分析の結果、英語圏の教科書では、一般化の可能性や条件、調査手法ごとの立場の違い、代替概念の理論化とその応用方法に関する記述が比較的充実していることが確認された。各教科書の基本的な立場には大きな差異が見られず、いずれも無作為抽出など統計的手法に基づく数量的「一般化」を否定している。ただし、「転用可能性(transferability)」、「厚い記述(thick description)」、「外挿(extrapolation)」といった代替概念を用いて、知見のより広範な応用可能性を重視している。すなわち、調査プロセスや条件に関する具体的な記述を通じて、ほかの研究者による知見の応用可能性や、読者が自身の経験と照らし合わせて共感できるかどうかが、その信頼性の根拠として評価される。また、こうした信頼性を担保するために、トライアンギュレーションなど複数の手法によるデータ収集が推奨されている。 一方、日本語の教科書では、一般化の可否に関する見解にはばらつきが見られ、英語圏のように、代替的な概念や手法を用いて一般性・妥当性・代表性の確保を図る志向は、比較的弱い傾向にある。むしろ、質的調査の限界を明確に認識したうえで、厚い記述や、データ収集から記述に至るまでのプロセスの透明化を通じて、個別ケースの文脈や内在する意味・秩序を解明しようとする姿勢が強く見られる。転用可能性やトライアンギュレーションなど英語圏の観点と重なる記述は一部の教科書に限られ、全体としては一般化を目指すことには慎重、あるいは否定的な立場が目立つ。特に一部の典型的な教科書では、一般化そのものに対して否定的な見解が明示されており、調査者と調査対象者との相互理解には限界があることを前提としつつ、現場における実践や体験、フィールドへの没頭を重視している。つまり、一般化に関する体系的な分類や、それを実現するための手法の論述よりも、実践志向に重きを置く点に、日本語の教科書の特徴が見られる。

報告番号236

エピジェネティック社会学の構想――科学文明の彼方、市民社会における累積的不幸の逓減は可能か
甲南大学 栗田宣義

世界各地各方面での戦火が憂いとなったディストピア的状況である現今、現代文明は、百年単位で回顧し将来を考えるべき岐路を迎えている。だが、諸科学何れの領域においても、この状況、つまり、政治的暴力の究極の姿である国家間紛争のみならず、市民社会における多様な累積的不幸を打開する方策は、未だ見出されていない。そこには個別の領域科学では手に負えない錯綜した問題群が横たわっている。  本研究では社会学を中心に、生物学、心理学、経済学、法学といった自然諸科学、人文学、社会諸科学を代表する個別科学の叡智を結集し、人類社会の未来制御に向けて、分子遺伝的、心理情動的、相互行為的、経済システム的、法制度的な各局面において、ミクロ水準で生成し、マクロ水準で観察され、多元的・交絡的・重層的に累積してゆく市民社会の不幸を逓減除去することを使命とした学問新領域、エピジェネティック社会学(epigenetic sociology)を援用した未来社会工学(future social engineering)を立ち上げることを提唱する(栗田ほか 2025)。これは現代文明の理念的極北つまり目指すべきその最終到達点たる、すべての社会成員を包摂する公正と厚生の実現を図る最終科学を意味する。  従前の人文学や社会諸科学において消極的であった価値付与つまり工学的側面を、本研究では重視する。例えば、犯罪については、被害者救済、再犯抑止、加害者更生とサンクション、法制化を含み、それらが重合した全体効果(systemic outcome)が励起し、はじめて市民社会の不幸逓減という使命が果たされる。認識は実践と結びついて初めてその意義を顕現させる(栗田・向 2023)。オーギュスト・コントが提唱し、市民社会における不幸を可能な限り逓減させることを、その崇高なる使命として19世紀に誕生した社会学を、科学として全うするためには、太古から現今まで、夥しい人命を犠牲にし、幾多の無辜なる人びとの幸福を奪ってきた錯誤行為、逸脱行動、いじめ、性暴力、構造的暴力、貧困、差別排除、犯罪、冤罪被害、民族紛争、政治的暴力、国家間紛争等を滅絶の方向へと制御する手立てを纏め上げる必要がある。多元的・交絡的・重層的に累積してゆく市民社会の不幸は、その発生原因を究明しただけでは、知の営みとしては、些か不十分だ。規範と価値↔相互行為↔身体、もしくは、制度↔集まり↔個人の各水準で、社会漂流(social drift)に陥ることなく、これらの不幸が発生しない/しにくい社会構造へ変更してゆく計画的社会変動(planned social change)をもたらす理論と方法と、その成果を、技術工学として社会実装の手立てを提供するかたちで実現しなければならない。これこそが市民社会の不幸を逓減する企図と使命に導かれ、近未来を創造する未来社会工学の視座だ。本報告では、その根幹をなす、DNAの塩基配列を変えることなく遺伝子発現を制御しうるエピジェネティック社会学に焦点をあて(栗田 近刊)、理論構想を提示する。

報告番号237

知識社会学の復権に向けて――ハイエクの「ネオリベラリズム」使用の変遷を事例として
立命館大学 下村晃平

本報告は、近年再び注目を集めつつある知識社会学的研究の方法論を再検討し、その射程を拡張する試みである。まず、知識社会学は「知識を、それが生み出された歴史的・社会的条件と関連づけて研究する社会学の一分野」であると定義されてきたが、近年は知識の「生産-流通-受容」のプロセスを動態的に追跡する方向へと発展し、「思想の社会学」「翻訳の社会学」「介入の社会学」など多彩な研究群が現れている。これらの研究は、思想が国境や学問領域を越えて循環する具体的メカニズムを解明しようとする点で共通し、ブルデューが提起した「思想の国際的流通の社会的条件」に関する研究プログラムは、その理論的・経験的基盤を提供してきた。もっとも、知識社会学は依然として対象領域の拡散、方法論的ナショナリズム、メタ理論的反省の不足といった課題を抱えており、その克服には他領域との対話が欠かせない。 そこで本報告は、知識社会学的枠組みを用いて経済学者フリードリヒ・ハイエクの「ネオリベラリズム」用語使用の変遷を事例分析する。具体的には、(1)ミクロ:ハイエク個人の知的・政治的戦略、(2)メゾ:モンペルラン協会を中心とするリベラリズム刷新ネットワークの形成と分裂、(3)マクロ:戦間期から戦後にかけての経済危機と冷戦下の思想市場という三層を接続し、1950年代初頭の雑誌論考でハイエクが自称として「ネオリベラリズム」を用いた経緯と、その後シカゴ学派の市場独占容認論の台頭を契機にそれを放棄したプロセスを跡付ける。分析の焦点は、ハイエクが一般誌『オウル』『フリーマン』を活用して「思想の中古販売業者」たる知識人層に働きかける一方、協会内の立場変化に敏感に反応し、自らの言葉を調整した点に置く。これにより、「ネオリベラリズム」というラベルが単なる政策スローガンでも学派名でもなく、集団的運動の自己認識を示す旗印として機能したことを明らかにする。同時に、自称から他称への転換はハイエクらの運動がアウトサイダーから主流派へと位置取りを変えたことを象徴し、同用語の使用法がネオリベラリズムの知的運動内の権力関係を映し出していたことを示す。 以上の検討は、思想家の意図と制度的・社会的条件が交差する場面を精緻に描出し、言葉が社会的効力を帯びる条件を提示する。その上で、本報告は知識社会学が抱える課題に対し、科学社会学(STS)との本格的な対話を提案する。知識社会学がアメリカで発展・解消したのち、その一潮流が科学社会学へ継承されたという学説史上の系譜を踏まえるならば、両者の協働は必然である。とりわけ、ミクロ・メゾ・マクロを往還する分析、専門家集団の自己認識、知識と制度の相互作用といった視角は両分野に共有されており、思想史的素材を扱う本研究は「科学・技術・社会・文明の相互連関」を読み解く上で格好の試金石となる。科学社会学のセッションという場であえて思想史的研究を提示するのは、方法論的共通性を確認すると同時に、科学社会学者の眼から現在の知識社会学的研究がどのように映るのか率直な評価を得たいからである。科学社会学と知識社会学の接続がもたらす新たな地平を、会場での討論を通じて具体化したいと考えている。

報告番号238

大学教員への信頼の専門分野差とその説明要因としての能力評価――
東北学院大学 渡辺健太郎

【目的】科学社会学やPUS(Public Understanding of Science)では、大学教員を含む研究者への信頼に影響する要因として、市民の側の科学的知識や宗教心、政治的態度などに研究上の焦点が当てられてきた。一方で、限定合理性の観点からは、研究者への信頼は、その科学的営みを前提とした市民の側の認識だけではなく、研究者自身の側の要因によっても影響されると考えられる。そこで本報告では、Collins & Evans(2007=2020)やLewis et al.(2023)の専門知解釈の正統性に関する議論を踏まえ、専門分野が大学教員への信頼に与える影響について分析した結果を報告する。 【方法】2024年7月に実施したヴィネット調査のデータを使用した。同調査は、インターネット調査会社のモニターパネルの18歳から59歳の男女3,000名を対象として実施された。このうち、2,243名が2つの大学教員プロフィールについて評価を行った回答データ、すなわち4,486回分の回答データを分析対象とした。従属変数には、プロフィールに示された大学教員への信頼(10段階)を使用した。独立変数には、大学教員の専門分野(人文社会科学/自然科学)、プロフィールに示された大学教員に対する能力評価(10段階)を使用した。そして、切片にランダム効果を仮定したマルチレベル分析を行った。 【結果】分析の結果、以下の2点が明らかになった。第1に、プロフィールに示された大学教員の専門分野が人文社会科学系である場合よりも、自然科学系分野である場合の方が信頼される。第2に、上記の専門分野の効果は、大学教員に対する能力評価によって説明される。 【議論】分析結果から、人文社会科学よりも自然科学分野の大学教員の方が、能力が高いとみなされるために信頼される傾向にあることが示唆された。こうした結果は、分野による「正統な解釈の中心位置」の違いに関する議論や(Collins & Evans 2007=2020; Lewis et al. 2023)、研究者に対するステレオタイプを構成する次元には「能力(competence)」が含まれるという先行研究(Fiske et al. 2002 など)と整合的なものと考えられよう。 【文献】Collins & Evans, 2007, Rethinking Expertise, The University of Chicago Press.(奥田太郎監訳,2020,『専門知を再考する』名古屋大学出版会.)/Lewis, J., A. Bartlett, H. Riesch & N. Stephens, 2023, “Why we need a Public Understanding of Social Science,” Public Understanding of Science, 09636625221141862./Fiske, S.T., Cuddy, A.J., Glick, P., Xu J., 2002, “A model of (often mixed) stereotype content: competence and warmth respectively follow from perceived status and competition,” Journal of Personality and Social Psychology, 82(6):878-902.

報告番号239

審議会をめぐるテクノ・ポピュリズムの台頭――高レベル放射性廃棄物処分政策の事例から
東京電機大学 寿楽浩太
事業構想大学院大学 松本三和夫

【目的】本報告は、科学社会学における「第3の波」論以降の科学と社会の関係をテクノ・ポピュリズムの可能性の台頭と捉え、そのメカニズムを高レベル放射性廃棄物問題に関する審議会の挙動に照らして分析する。とくに、科学社会学の「第3の波」論以降における「参加型への転回」(participatory turn)を支える「参加の単調増加」という想定の行きづまりを背景に、高レベル放射性廃棄物問題がもつ強い不確実性のもとで開催される審議会が、テクノ・ポピュリズムにつながりうることを仮説的に提示したい。 【方法】この仮説は、12年余に及ぶ高レベル放射性廃棄物政策に係る経済産業省審議会への参与観察にもとづく。参与観察は、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故を受けた2010年代の政策の大幅見直し(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針」の改定)に遡る。同見直しのプロセスでは、21回の審議会会合を経て改定が行われ、それらの会合の参与観察を行った。これに対し、直近の2020年代の基本方針改定においては、1回しか審議会は開催されず、かつそれは「関係閣僚会議」での審議承認の後であり、修正の余地がない「報告」であったが、同審議会でも参与観察を行った。 【結果】このような高レベル放射性廃棄物政策に関する審議会の開催回数の激減は形式的な意味にとどまらず、科学と社会の関係に看過できない構造変動が発生していることをものがたる。なぜなら、この間において、行政当局が政策の変更や運用において彼ら自身が打ちだした内容の間での齟齬、矛盾の発生を抱え込む度合いが高まり、それらは審議会に関与する専門家が予め警告あるいは助言を与えていた点ばかりだからである。いまや行政当局は、審議会が与えていたはずの内容の正当性とそれを支える専門的助言には多くを求めず、代わりに行政権力がもたらす政治的な正統性に基礎を置くようになった。後者は政策の内容が専門的見地から当を得たものであるかどうかは担保しない。畢竟、公益が毀損される、つまり立場やセクターを問わず誰しもが損害を蒙る結末を招く可能性は高まらざるを得ない状況である。 【結論】「ポスト真実」社会をめぐるポピュリズムの政治的な事例研究で共有される論点が、反知性主義への接近、ならびに、「事実」よりも「深い真実」を上位におく心的特性だとすると、いまやポピュリズムは権力機構の外、市井の側のみにではなく、なにより行政当局の側に認められる。すなわち、政治的人気を背景に行政当局の裁量を減じようとする「政治主導」の流れの中で、かつての審議会が辛うじて機能を発揮していた、専門的知見に照らした政策の質の担保という役割は失われ、政治的な打算ばかりに影響された質の低い決定を追認するに過ぎなくなっている。この状況は、専門家が審議会で体現するテクノクラシーに代わるという印象が称揚されるのみで、その深刻な逆機能は権力機構の内外を問わず等閑視され続けている。このような行政当局の「内なる」ポピュリズムは、強い不確実性をはらむ高レベル放射性廃棄物問題をめぐる政策の立案、影響過程においてより広汎なテクノ・ポピュリズムとして発現する構造を不断に生みだしつつあるように思われる。 【付記】本報告は,JSPS科研費(課題番号: 20K00277ならびに24K03610)の成果の一部である。

報告番号240

技術の担い手をめぐる相互作用と社会制度――太陽光発電システムを事例として
大正大学 田島恵美

これまで科学技術の成果物(artifact)の形成に関して関連する社会集団に着目しつつ、太陽光発電システムを事例として事例研究を行ってきた。その際は、科学技術の成果物が社会制度に与える影響だけでなく、技術をめぐる社会制度がその後の成果物に与える影響の両面を偏りなく分析することを試みてきた。特に関連する社会集団とその配置が、どのようにしてそれ以降の成果物を生み出すのか、専門性の高い科学技術者の集団以外の集団、たとえば積極的に受容しようとするユーザーの存在が一定の影響を与えるのかということに注目してきた。太陽光発電システムは、一方で、すでに出来上がっている既存の電力システムの中に小規模分散型で不安定な電源をいかに接続するか、すなわち、既存の技術をめぐる体制に対し方向性の異なる異質なものがどのように接合されていくかを示している事例である。他方、太陽光発電システムはその初発の段階から、独自の価値観を持つ小規模ユーザーによって、独自に利用を拡大していこうとする活動が見られていた。そうした動きは技術成果物の受容と利用に関わり、その技術をめぐる社会制度は、制度を利用する多くのユーザーの動向により変更を余儀なくされてきた。一例をあげると、再生可能エネルギー普及のための制度である固定価格買取制度は、これまで太陽光発電を含めた再生可能エネルギーの拡大に寄与してきたが、そこに参入した多くの業者、利用者の行動への対応として、買取価格の切り下げや、FIP(フィードインプレミア)制度の導入など、新たなルールの策定に到っている。また当初の制度の下での急拡大に伴い複数の地域で地域トラブルを引き起こし、その対応として条例の制定など、地域ごとにその拡大に基準を設ける制度が作られていった。こうした制度の修正や新しい制度の創出は太陽光発電システムの形態やその後の発展の方向を規定する要因となりうる。  さらに昨今では、ペロブスカイト太陽電池の実用化に向けた動きや欧州におけるグリーン水素製造拡大戦略など、太陽光発電システムという技術自体の発展とそれに関連する政策・制度はまだ形成の途上にある。  こうした事例から、関連社会集団と制度、このセッションの趣旨で示された用語でいえば、ミクロレベル、メゾレベルに着目してこれまでの知見を整理する。さらに事例を通して、技術システムの形成と関連する社会集団・社会制度を分析する意義と、いまだ形成途上にある技術について現状の関連する社会集団・制度から分析していくことの可能性を示していきたい。

報告番号241

幼児教育におけるジェンダーバイアスに関する研究――保育者と保護者の関係に注目して
お茶の水女子大学 小玉亮子
東京成徳大学 石黒万里子
お茶の水女子大学 黒岩薫
学習院大学 高橋翠
お茶の水女子大学 辻谷真知子

ジェンダーギャップ指数が公表されて以降、今日に至るまで、毎年ジェンダーギャップ指数が報道されるたびに、国際比較の中で日本のジェンダー格差が極めて問題であることは繰り返し指摘されてきた。中でも強調されるのは、政治分野や経済分野におけるジェンダー格差である。もちろん、それらが問題であることは強調されるべきことである。しかし、これに対して、健康や教育に関しては、「世界でもトップクラス」の平等の状況があるとのコメントがなされてきている点は看過できない。教育に関するジェンダーギャップ指数を導き出すデータのうち、大学教育に関しては、政治、経済と同様に、著しいバイアスがあることは広く知られるところでもある(小玉 2024)。しかし、課題は大学だけではなく、教育に関するジェンダーバイアスは未だ解消されてはいない。 本研究は、それらのうち幼児教育における課題について焦点を当てる。先行研究としては、例えば、幼児期の子ども集団を対象とする教育は高度にジェンダー化されていること(石黒 2024、結城 1998)、環境設定において、性別役割分担意識を醸成する実践が行われてきたこと(金子・青野 2008, 神田・河合 2008)、子ども自身も幼児期からジェンダーステレオタイプを構築していること(藤田 2015, 大滝2016)等が明らかにされてきている。 これらの研究を踏まえ、ここ10年ほどでジェンダーをめぐる環境が変容している点を考慮し、2024年度に全国の幼児教育施設の教職員を対象として、質問紙調査を2024年9-11月に実施した。対象は、全国から3012園を多層無作為抽出し、園の教職員に回答を求めた(有効回答は807人)。クアルトリクス社(Qualtrics)の学術調査向けツールCoreXMを用いて、園の実態と実践、子どもの実態、保護者への対応、保育者自身の意識、養成や研修、属性からなる質問項目を作成した。本研究では、これらの項目のうち、保育者と保護者の関係に関するジェンダーバイアスの現状と課題を明らかにすることを目的とした。 その結果、まず、「自分は保護者の性別で態度を変えないように心がけている」について、74.2%の園関係者が肯定している一方で、「保護者は、我が子に対して『男だから』『女だから』という意識を持ちがちである」では、園関係者の約3割が保護者には性別による固定観念があると認識していることが明らかになった。 また、「自分のことよりも子育てを優先すべきだ」について否定する意見は、母親に対しては、40.7%、父親に対しては33.7%。「共働きで子供の具合が悪くなった時」に「母親が看病するべきだ」を否定する意見は58.2%、「父親が看病するべきだ」を否定する意見は、42.3%となっており、同様に、「子供の食事を手作りすべきだ」は母親については57.4%、父親については45.6%が否定している回答であった。さらに、「自園にいる/いないに関わらず、同性カップルの保護者に対して違和感はない」では、39.7%の園関係者が肯定している一方で、「どちらともいえない」が33.2%となり、三分の一の園関係者ではまだ意見が定まっていないことが明らかになった。すなわちジェンダーバイアスの存在は意識されているが、自身がいかに判断するかについては定まっていないことが示唆された。

報告番号242

移民の子どもの学力に関する研究――
同志社大学 中原慧

【目的】移民の子どもの教育について、従前の研究において様々な課題が指摘されてきた。本発表は、そうした課題の一つとして学力に関する課題に着目し、分析を行った結果を報告する。計量的な手法を用いた先行研究において、移民の子どもと日本人の子どもとの間に学力格差が生じていることが明らかにされてきた。一方で、移民の子どもと日本人の子どもとの間の学力格差が、どのような領域において生じているかについては、更なる検討が必要である。本発表は、TIMSS(Trends in International Mathematics and Science Study)と呼ばれる教育に関する国際調査を用いた分析を行う。TIMSSの調査において使用される問題は、「内容領域」と「認知的領域」の2つ領域によって構成されている(国立教育政策研究所編 2021)。それぞれの領域においても、複数の領域に分かれており、認知的領域については、「知識」「応用」「推論」の3つに分かれている(国立教育政策研究所編 2021)。本発表は、TIMSSの分析を通じ、移民の子どもと日本人の子どもとの間における学力格差について、認知的領域に着目した分析の結果を報告する。【方法】本発表は、教育に関する国際調査であるTIMSSの小学校4年生のデータを用い、日本における移民の子どもの学力に関する分析を行う。本発表では、認知的領域内の3つの領域について、分析を行う。また、TIMSSの各年における移民の子どもの人数が少ないため、本発表では、2015年と2019年の調査を統合したデータを用いる。本発表における、移民の子どもとは、「両親のうち最低限いずれか一方が外国出生の子ども」のことを指し、日本人の子どもとは、「両親ともに日本出生の子ども」のことである。また、移民の子どもの出生地を基に、子どもが外国出生の場合を「移民第一世代」とし、子どもが日本出生の場合を「移民第二世代」とする。【結果】分析の結果、第一に、認知的領域の下位領域において、移民第一世代に関する変数について、統計的に有意な負の効果が推定された。ただし、算数の「知識」の領域では、統計的に有意な効果は推定さなかった。つまり、日本人の子どもと比較した場合、移民第一世代の子どもの平均的な学力の水準は低い傾向であることが分かった。第二に、家庭における日本語での会話頻度を統制すると、算数の「応用」の領域において、移民第一世代に関する変数の学力に対する負の効果が統計的に有意ではなくなった。その一方で、算数の「推論」の領域と理科の下位領域においては、移民第一世代に関する変数の学力に対する負の効果は統計的に有意であった。【参考文献】国立教育政策研究所編,2021,『TIMSS2019算数・数学教育/理科教育の国際比較――国際数学・理科教育動向調査の2019年調査報告書』明石書店.

報告番号243

Teaching and Learning regarding ‘Unity in Diversity’ in Society――A Case Study of Life Orientation Textbooks of Lower Secondary Education in the Republic of South Africa
The University of Osaka 坂口真康

【1. Aim】 The aim of this presentation is to discuss teaching and learning regarding ‘unity in diversity’ in society by using a case of Life Orientation textbooks of lower secondary education in the Republic of South Africa (RSA). 【2. Data & Methods】 This presentation analyses and discusses the contents in textbooks for Life Orientation – a compulsory subject in RSA’s lower secondary education level that deals with topics related to ‘unity in diversity’. This presentation explores nine textbooks for the subject for Grades 7–9 (three textbooks for each grade: Life Orientation Today (Maskew Miller Learning), Oxford Successful Life Orientation (Oxford University Press Southern Africa) and Spot on Life Orientation (Maskew Miller Learning). In this presentation, the teaching and learning contents of the subject in the topics of ‘Development of the self in society’, ‘Constitutional rights and responsibilities’ and ‘Health, social and environmental responsibility’ are mainly dealt with. Furthermore, in analysing and discussing the characteristics of the subject, the texts regarding ‘living together / live together’, ‘diversity / diverse’ and ‘unity / unite’ are focused on. In doing so, this presentation explores how these texts are associated with the other texts from the conceptional and phenomenological levels. 【3. Results】 This presentation presents three major findings. First, in terms of the texts regarding ‘living together / live together’, on the conceptional level, texts such as ‘human rights’, ‘respect’, ‘dignity’, ‘safety’, ‘peace’, ‘cultural diversity’ and so on are associated with them. On the conceptual level, the texts such as ‘community’, ‘nation building’ etc. are related to them. Second, concerning the texts regarding ‘diversity / diverse’, on the conceptional level, texts such as ‘living together’, ‘unity’, ‘respect’, ‘dignity’, ‘privacy’, ‘freedom’, ‘culture’, ‘cultural norms and values’, ‘tolerance’, ‘acceptance’ and so forth are associated with them. On the phenomenological level, the texts such as ‘personal’, ‘community’, ‘society’, ‘South African society (South Africa)’, ‘worldwide’, ‘religions’, ‘gender’, ‘languages’, ‘traditions’, ‘ethnic groups’, ‘foods’, ‘clothing’, ‘building styles’ and the like are related to them. Third, about the texts regarding ‘unity / unite’, on the conceptual level, texts such as ‘diversity’, ‘nation building’, ‘peace’ and so on are aligned with them. On the phenomenological level, texts such as ‘African’, ‘South Africa’, ‘country’, ‘community’, ‘people’, ‘South Africans’, ‘schools’, ‘businesses’, ‘public spaces’ etc. are related to them. 【4. Conclusion】 In conclusion, this presentation discusses teaching and learning regarding ‘unity in diversity’ in society by referring to the case of Life Orientation textbooks in lower secondary education (Grades 7–9) in the RSA. Specifically, it points out that concepts such as ‘dignity’, ‘respect’ and ‘safety’ could be considered key aspects when discussing such teaching and learning. Also, it indicates that it may be important to be aware of which layers of society are dealt with in such teaching and learning.

報告番号244

文化的プロセスと象徴的境界からみる進路選択――新たな理論枠組構築の可能性
東京大学 周標

【1.目的】現代社会における価値観や意味付けの多様化に伴い、「文化」を固定的なものではなく、動態的かつ実践的に捉える必要がある。しかし、下流階層家庭の進路選択に関する従来の理論枠組では、文化の動態性を十分に扱うことが難しく、社会構造と個人の選択行動の連関を解明するうえで限界があった。本報告では、下流階層家庭の子どもが学校から職業へ移行する過程における進路選択について、文化の動態性を考察しうる理論枠組を、ミクロ・マクロリンクの視点から構築することを目的とする。【2.方法】具体的には、進路選択研究に向けて、カルチュラル・ソシオロジーにおける「文化的プロセス」と「象徴的境界」という2つの概念に着目する。まず、それぞれの概念を整理し、分析ツールとしての有効性と限界を検討する。次に、ミクロレベルでは、進路選択における個人の具体的な意思決定がどのように文化的プロセスとして形成されるかを考察する。さらにメゾレベルでは、象徴的境界が個人の文化的実践やマクロな社会構造とどのように連関するのかを明らかにする。【3.結果】進路選択の過程は、二層の文化的プロセスとして捉えることができる。一つは、個人の進路選択に至るまでのミクロレベルの文化的プロセスであり、ここでは個人がどのように「文化」を活用し、現実と進路を意味づけるのかが分析可能である(Small et al. 2010)。もう一つは、象徴的境界が媒介するメゾレベルの文化的プロセスであり、個人の実践と社会構造との連関を読み解く鍵となる(Lamont et al. 2015;佐藤 2010)。【4.結論】「文化的プロセス」の導入により、進路選択における行為者の主体性や意味づけの過程を、より精緻かつ動態的に分析することが可能となる。また、「象徴的境界」の概念を通じて、研究者視点を取り入れながら、進路選択に関わる文化的要因をミクロ・マクロリンクの視点から捉えることができる。以上のように、「文化的プロセス」と「象徴的境界」を導入した新たな理論枠組は、下流階層家庭の子どもの進路選択研究に新たな視座を提供し、文化の動態性を取り入れた分析の可能性を十分に示唆するものである。ただし、今後の課題として、文化的要因とメゾレベルの社会環境との具体的な関係性、急速な社会変動や高い流動性を特徴とする社会的文脈への限定性、さらに象徴的境界の具体的な選定方法といった点については、経験的な検討が求められる。【参考文献】佐藤成基,2010,「文化社会学の課題―社会の文化理論へ向けて」『社会志林』56(4): 93-126. Lamont, M. and Pendergrass, S. and Pachucki, M., 2015, “Symbolic boundaries,” International encyclopedia of social and behavioral sciences, 2: 850-855. Small, M. L. and Harding, D. J. and Lamont, M., 2010, “Reconsidering Culture and Poverty,” The ANNALS of the American Academy of Political and Social Science, 629(1): 6-27.

報告番号245

The making of Scientist in School Science Textbooks――A case study of a regional State in India
VFSTR,HYDERABAD NAIKANIRUDDHA

The representation of scientists in school science textbooks is not a neutral or apolitical process; rather, it is deeply embedded in the symbolic and cultural matrix through which society constructs professional aspirations, epistemic authority, and ideals of knowledge production. The figure of the scientist as an epistemic agent and social actor is often framed through hegemonic discourses disseminated via institutions such as schools, media, and literature. These framings are consequential for how students, particularly in formative years, internalize notions of scientific identity, authority, and professional imagination. The present study undertakes a critical sociological content analysis of science textbooks used in government and government-aided schools in Odisha from Class III to Class X, with a specific focus on how the image and social background of scientists are constructed. Drawing on both qualitative and quantitative content analysis methodologies, this inquiry seeks to interrogate the symbolic regimes of inclusion and exclusion operative in these curricular materials. Findings reveal a conspicuous pattern of invisibilization and symbolic marginalization. Textbooks at the primary level (Classes III, IV, and VI) make no mention of scientists or their contributions, signalling a pedagogical delay in introducing students to human agents behind scientific knowledge. When scientists do appear beginning in Class V they are predominantly portrayed as European, male, and located within the Western scientific tradition. This reinforces a masculinized and Eurocentric epistemology, implicitly naturalizing the association of scientific authority with the Global North and with male embodiment. The absence of Indian scientists both historical and contemporary is stark. Except for a singular mention of Satyendra Nath Bose, the textbooks fail to acknowledge luminaries such as C.V. Raman, Homi Bhabha, Hargobind Khurana, and notable figures from Odisha itself. Even more troubling is the complete erasure of female scientists Indian or global thus perpetuating gendered exclusions within the symbolic economy of science. Such omissions not only deny students access to a fuller understanding of scientific development but also foreclose the possibility of identification for students from marginalized locations be it gender, region, or caste. In the context of the National Education Policy (NEP) 2020, which underscores the significance of integrating India’s rich scientific heritage from ancient to modern periods, it becomes imperative to rethink and revise these curricular representations. However, such revisions must be undertaken with scholarly rigor, resisting the populist impulse to conflate mythology with empirically grounded scientific contributions. The challenge before textbook committees in Odisha, therefore, is twofold: to decolonize and democratize the portrayal of scientists by centering original contributions from Indian and subaltern scientists, and to render science education more inclusive by acknowledging the contributions of female scientists and those from the Global South. Such a reimagining of science curricula would not merely diversify representation but also critically challenge the hegemonic epistemologies that have historically structured the domain of science and its pedagogical dissemination.

報告番号246

The role of the Kawasaki Fureaikan in the development of a Japan with less prejudice, discrimination and hate――
法政大学大学院 ROLANDALEXANDRA

During the 2010s an increase of hate speech in Japan occurred with the at the time biggest right-wing movement in Japan, namely Zaitokukai, conducting hate speech demonstrations. This research ascertains how the Kawasaki Fureaikan has developed to become a pivotal actor in the development of the first Japanese anti-hate speech law in 2016. The Kawasaki Fureaikan’s uniqueness lies in the fact that it is the rare result of a social movement that became institutionalized. Despite of this institutionalization, this research will show that the Kawasaki Fureaikan continues to play a pivotal role in the development for a mutually respective community without hate and discrimination. The aim of this research is to contribute to the field of Japanese social studies whilst including a twist with social movement studies. To deepen the understanding of the history of the development of the Kawasaki Fureaikan, primary and secondary literature have been analyzed. Among those are academic publications in English and Japanese as well as primary data in form of books, flyers and other materials. So far, little attention has been paid to the historically unique development of the Kawasaki Fureaikan in the district of Sakuramoto. Therefore, through the lens of institutionalizing social movement theory, new light shall be shed on the politics of the Fureaikan dealing with hate speech. The research findings are threefold: the institutionalization of the Fureaikan and its further achievements are linked to: 1) international treaties and court cases which permitted to reframe the movement’s claims, 2) the special local situation in Kawasaki and political structures becoming more open, 3) the cooperation between state actors and the social movement organisation. The conclusion of this research is that the Kawasaki Fureaikan is a unique case of a social movement, which became institutionalized. Even after its institutionalization, the Fureaikan managed to continue its activism. For example, the institution fosters events to provide opportunities for mutual cultural exchange, and to curb hate speech and discrimination. The unique relationship between the Kawasaki Fureaikan and state actors may be seen as means to push for social transformation. For instance, the close cooperation of the Kawasaki Fureaikan with politicians was one aspect that permitted the enactment of the first national Japanese anti-hate speech law. The institution also played a role in the establishment of the Kawasaki Ordinance. This ordinance is the first in Japan to render hate speech illegal and provide punishments. Further research may focus on the role of coalitions the Kawasaki Fureaikan has within Japan and see how they impact Japanese politics. Keywords: Kawasaki Fureaikan, hate speech, grassroot movements, institutionalizing social movements, Zainichi Koreans.

報告番号247

Building Inclusive Disaster-Resilient Communities in Japan――A Case Study of Kumamoto City
熊本大学 MITCHELLAndrew Neil

Foreign residents in Japan are among the most vulnerable populations in times of disaster. Japan’s disaster preparedness systems were historically developed for a linguistically and culturally homogeneous society. As a result, non-Japanese residents often struggle during emergencies—lacking knowledge about evacuation systems, access to reliable information, and support for religious or cultural needs such as Halal food. Recent disasters, including the 2016 Kumamoto earthquakes and the 2024 Noto Peninsula earthquake, have highlighted these challenges. At the same time, local governments face the complex task of preparing a diverse and ever-changing foreign population for events whose timing and severity are uncertain. Foreign residents’ perceptions of risk are shaped by their home cultures and previous experiences, often leading to disengagement from preparedness efforts. Meanwhile, municipalities are under pressure to adapt standardised disaster protocols to better serve a heterogeneous population. This study examines how these problems have been addressed in Kumamoto City since the 2016 earthquakes. It explores how Kumamoto city has adapted since the earthquakes and how it is delivering disaster training to foreign residents and integrating them into broader community resilience frameworks. Using Niklas Luhmann’s Social Systems Theory, the study understands foreign residents as first-order observers, who view risk through the lens of their own cultural expectations. Organisations in Kumamoto city since the earthquake have switched to become second-order observers who must recognise these differing perspectives and attempt to reduce misunderstanding and risk through culturally intelligible communication. The research is based on participant observation, semi-structured interviews, and survey data collected from 2016 to the present. The author has played a dual role as both researcher and participant in disaster preparedness efforts, gaining access to key foreign-led organisations and municipal partnerships. Key findings show that foreign-led organisations have been crucial in reshaping disaster preparedness in Kumamoto. During the 2016 earthquakes, groups like the Kumamoto Islamic Center (KIC) and the Filipino Organization in Kumamoto (FOK) provided aid and helped disseminate critical information to their members. In the aftermath, international students founded the Kumamoto Earthquake Experience Project (KEEP) to document their experiences and share disaster knowledge. These efforts were later institutionalised through collaboration with Kumamoto International Foundation (KIF), resulting in training and the development of multilingual resources, which has been shared with other cities since. This evolved further with the JICA Kumamoto backed 2023 initiative to create a decentralised disaster-resilient network, later expanded through the Kumamoto Kurasu project. These initiatives not only prepare residents for future disasters but also promote long-term multicultural integration, especially for short to medium term residents. Kumamoto’s case illustrates how bridging the observational gap between foreign residents and municipal authorities—via culturally grounded communication and mutual engagement—can foster inclusive resilience. While replicating this model elsewhere may be difficult without a shared disaster experience, Kumamoto’s approach offers a roadmap: empower foreign-led groups, utilise personal narratives, and build networks that make disaster preparedness intelligible and meaningful to all residents.

報告番号248

Blending In or Standing Out――Navigating Anti-Chinese Discrimination in Japan and the United States
ライス大学 張篠叡

【1. Aim】Since the Covid-19 pandemic, anti-Asian racism has been recognized as a global phenomenon and garnered significant attention worldwide. The study of anti-Asian racism and discrimination has become an increasingly important area of socio-political inquiry, as a growing body of research points to the enduring centrality of racism and the significance of racial boundaries in shaping Asians’ life opportunities and identities. However, much of this growing literature tends to obscure the important role of Sinophobia as one of the central drivers of contemporary anti-Asian racism. While Sinophobia has had a long, complex history across various parts of the world, it has escalated in recent decades, fueled by heightened anxieties over China’s rising global power as a challenge to the existing global order. Additionally, fewer studies engage in cross-national examination of how Chinese people navigate anti-Chinese discrimination across different national contexts. 【2. Data&Methods】To address this gap, this study draws on qualitative analysis of 85 semi-structured, in-depth interviews with first-, 1.5- and second-generation Chinese immigrants in Japan and the United States to examine how they differentially respond to anti-Chinese discrimination. 【3. Results】The findings show that identity negotiation emerges as a key strategic response to Sinophobia but manifests in qualitatively different ways across national contexts. In Japan, many respondents employ passing tactics by downplaying or concealing their Chinese identities, such as using Japanese names or gaining Japanese citizenship to avoid being targeted. A notable exception involves a small group of socioeconomically privileged Chinese immigrants and their descendants who strategically mobilize transnational belonging to reposition themselves beyond the constraints of the Japanese national context. This group selectively draws on resources such as global mobility, foreign education, or elite status to symbolically distance themselves from negative associations with being Chinese and mitigate local stigmatization. In contrast, Chinese respondents in the United States often leverage panethnic identity as a strategic form of resistance against Sinophobia due to the heightened anti-Asian racism and the persistence of “Asian” as a powerful racial marker in American society. Some respondents actively embrace a broader Asian American identity, while others lean on affiliating with other Asian ethnic groups, including Japanese or Vietnamese, intentionally distancing themselves from their Chinese heritage to reduce exposure to anti-Chinese discrimination. This flexible self-identification not only enables Chinese Americans to navigate Sinophobic discrimination but also facilitates broader engagement in resisting anti-Asian racism. In particular, the advocacy for collective Asian American solidarity is salient among respondents in the United States, especially among those adopting Asian American panethnic identity. Yet, such calls for collective action are largely absent from respondents’ narratives in Japan. 【4. Conclusion】Ultimately, this research highlights how distinct national constructions of race, descent, and culture shape the ways Chinese immigrants and their descendants experience racialization and develop context-specific strategies to navigate anti-Chinese discrimination in Japan and the United States.

報告番号249

マジョリティからマイノリティへの移行――現代ドイツにおける改宗ムスリムの経験から
東京大学大学院 和田知之

【目的】本報告は現代ドイツの改宗ムスリムを対象とし、改宗に伴う社会的地位の移行が社会や所属集団に対する当事者らの認識にもたらす影響を記述・分析することを目的とする。同時に、本研究事例をマジョリティからマイノリティへの動態的な移行と捉え、「ポジショナリティ」を巡る議論に新たな理論的視座をもたらすことを目指す。 【背景】西欧におけるイスラームが概して移民と結び付けられる傾向にある中、改宗ムスリムの存在は「イスラーム-移民背景持ち」/「ユダヤ・キリスト教-エスニック・ドイツ人」という言説的な対立図式への反証として1990年代以降研究が進められてきた。改宗ムスリムの多くはユダヤ・キリスト教的な文化環境の中で生まれ育ち、改宗前の時点においてはドイツ社会におけるマジョリティの一部をなしている。しかしながら改宗後は、ドイツならびに西欧において蔓延するイスラモフォビアやスティグマに直面することになる。具体的には、家族・親族・友人からの絶縁、路上での侮辱、メディアや政治家による潜在的な「過激派」予備軍としての表象といったものが報告されている。 【方法】本報告は、2023年8月および2024年9月から2025年8月にかけて現地ドイツで実施した計21名(2025年6月時点)に対するインタビュー調査に基づく。インフォーマントへの接触経路としては、モスク団体からの紹介、現地大学のムスリムOB団体による定期集会での参与観察、報告者個人のネットワークを活用した雪玉式サンプリングが挙げられる。 【結果】男性インフォーマントにおいては、ドイツ社会全体におけるイスラモフォビアの存在を認知しつつも、個人の生活環境の次元では非ムスリム家族との関係性や地域社会について肯定的に回顧する傾向が見受けられた。他方で女性の場合には、インタビュー調査の中でドイツ社会や家族に対する失望や猜疑、およびその契機となった差別体験を吐露する場面が多々見受けられた。一般に男性改宗者の場合には第三者から外見でムスリムと認識される機会はまずなく、したがって差別体験を受けたと回答する者も殆ど見受けられなかった。他方で改宗後にスカーフを着用することを決心した女性改宗者の場合には、ムスリムの所属が可視化されることによって生来ムスリム女性と同様に差別体験を被る機会が生じたと推測される。 【結論】改宗ムスリムは、改宗前のマジョリティの時点では公正または多文化で開放的と捉えていた社会もしくは家族等の所属集団が、改宗後には自身に対して差別者としての相貌を呈してきたり、地域社会の自己理解としての「寛容」が実際には猶予付きであったことを身をもって体感することになる。ただし、これらの認識転換は改宗者において一様に体験されるものではなく、ジェンダーや実践の選択にも左右されるという非対称的な側面を持つ。また、ポジショナリティの議論との接続において本報告の事例は、男性改宗者のように「あたかもマジョリティのままであるかのように振る舞うことは可能なのか」、もしくは「仮に脱改宗・棄教して再度非ムスリムになった場合には、(移民背景持ちの生来ムスリムとは異なり)イスラモフォビアや人種差別から解放されてマジョリティとしての地位を完全に取り戻すことができるのか」という更なる問いをも提起しているといえる。 【謝辞】本研究はJSPS科研費(23KJ0798)の助成を受けたものである。

報告番号250

「居住支援」を再考する――
一橋大学大学院 金井聡

虐待やDVなどの暴力は、被害者の心身に深刻な影響を与えると同時に、人間が安心して生活するための住居を奪うものである。「衣食住」という言葉に示されるように、本来、住居は人間が生存するための基本的な基盤である。その意味で、暴力から逃れてきたサバイバーにとって、安心して日常を過ごせる住居があることは不可欠である。 住居とは、雨露をしのぐための物理的な構築物にとどまらず、人間の生活や社会と切り離せない性質をもっている。建築空間を、人間の生活のあらゆる側面が表象する出来事の「場」としてとらえた今和次郎は、人間と物との相互交渉をとおして生まれる生活空間に注目してとらえて生活学を提唱した(今, 1971)。黒石いずみは、肉体や記憶に刻まれた環境が人間の主体形成にどのような役割を果たしているか、今が重視していたことに言及する。その上で、黒石は、今が「時間」を人間が生活の中で形成するリズムとして、「空間」を人間の動きと物との関係で形成する軌跡や領域として理解していたこと、さらには人間が意志に基づいて世界を形成するときの仲介者として住居をとらえていたことを指摘する(黒石, 2000)。 今らの論考からは、暴力被害などで住居を喪失した人たちへの居住支援において示唆を得ることができる。サバイバーたちが生きのびるための住居が、社会政策として整備されるべきことは言うまでもない。だが、それが「住居」たり得るためには、第三者から提供されたものとしてではなく、本人がその空間との関係を生活の基盤として認識できることが重要である。 東京都内の公園にあるブルーテント村に住み、女性ホームレスの会「ノラ」を主宰するいちむらみさこは、属するべきとされる「社会」や「ホーム」から逃れて、居場所を求めて路上にたどりついた。ブルーテント村では、世の中の主流とされる価値観や生き方に順応しない人たちが、生きのびる力を奪うような暴力や世間への同化の圧力に抵抗しつつ、状況に応じて独自の暮らし方を工夫しながら維持してきた。公園からの追い出しやホームレスへの襲撃があるときには仲間同士で集まり、住人たちが食料や不用品を分け合うなど、さまざまなアイデアを持ち寄って暮らしをつくりだすコミュニティがあるという。同時にいちむらは、「ひとりでいる」ことによって、人や自然、記憶、時間など、あらゆるものと距離やつながりを意識できると述べる(いちむら, 2024)。本報告では、いちむらの実践を手がかりにして、「住む」ことを問いなおしつつ、居住支援のあり方について再考していきたい。 【参考文献】 今和次郎,1971,『生活学 今和次郎集 第5巻』,ドメス出版 黒石いずみ, 2000, 『「建築外」の思考-今和次郎論』,ドメス出版 いちむらみさこ,2024,『ホームレスでいること-見えるものと見えないもののあいだ』,創元社

報告番号251

韓国における1950年代、1980年代生まれのケア経験と世代間関係――「『ライフコースと世代』の再編に関する比較家族史的研究」プロジェクト報告(1)
神戸大学 山根真理
岡山大学 李璟媛
嶺南大学校 洪上旭

本報告は2020~2年度科学研究費の助成を受けたプロジェクトの成果報告の一環として行う。(基盤(B)、課題番号 20H01567、代表 山根真理)2023年から2024年にかけて、韓国、中国、フィリピン、デンマーク、トルコ、日本において、1950年代、1980年代生まれの人々を対象に、リプロダクションとケアの経験に重点をおくライフコースのインタビュー調査を実施した。本報告の目的は、韓国において実施したインタビューデータから、1950年代、1980年代生まれの方々のケアに関する経験を辿り、歴史的・社会的時代とのかかわりで考察することである。 韓国調査はテグ広域市において、2023年2~3月、8月に行った。対象者は1950年代生まれ6人(女性4人、男性2人)、1980年代生まれ8人(女性4人、男性4人)である。対象者の人たちが生まれ育った時、子どもを育てた時のケア関係の概要は以下の通りである。①1950年代生まれの人は1人が助産院、5人が家(母の実家1人)で生まれている。取り上げた人として「産婆」をあげた人2人、親族(父方、母方双方あり)をあげた人4人、不明1人である。1980年代生まれの8人のうち7人が医療機関で医者の介助を受けて生まれている。②本人が就学前に世話した人は、1950年代生まれは、母のみをあげた人は1人、母とそれ以外の人をあげた人は2人、祖母のみをあげた人が2人である。1980年代生まれは、母を単独であげた人が3人、母とそれ以外の人が3人、祖母のみをあげた人が2人である。③1950年代生まれの人の子どもが生まれた場所は一人(長子の時、自宅)を除き全員病院、取り上げた人は一人(長子の時、産婆)を除き、医師である。1980年代生まれの子どものいる6人のうち、全員が病院で医師が取り上げている。5人が退院後、産後調理院というケアの専門機関で過ごしている。④「子どもを主に世話した人」は、1950年代生まれは「子どもの母」をあげた人が1人、5人が祖母をあげている。1980年代生まれの人は「子どもの母」をあげた人が3人、「子どもの母と父」をあげた人が3人である。 報告では介護経験も含めてケアの実態と意味について考察し、日本の名古屋市圏インタビューデータのケア経験分析(山根、2025)とあわせ、比較家族史的含意について議論する。 文献 李璟媛・洪上旭, 2025「韓国における子育て支援政策と世代間関係の変容―『黄昏育児』のゆくえ―」『比較家族史研究』第39号: 11-39. 李璟媛・洪上旭・山根真理, 2024「韓国―1950年代と1980年代生れの子育ての実態と意識の世代間変容―」山根真理編『「ライフコースと世代」の再編に関する比較家族史的研究』(科学研究費研究成果報告書):9-27. 山根真理, 2025「1950年代生まれのケア経験と世代間関係―名古屋市圏インタビューから『家』と『近代家族』を再考する―」『比較家族史研究』第39号:107-130.

報告番号252

トルコにおける1950年代、1980年代生まれの成人期への移行とケア役割の予期――「『ライフコースと世代』の再編に関する比較家族史的研究」プロジェクト報告(2)
名古屋市立大学 安藤究
Çanakkale University Özşen Tolga
Çanakkale University Çelik Melek

本報告は「『ライフコースと世代』の再編に関する比較家族史的研究」プロジェクトの一環として(山根 2025)、トルコの1950年代・80年代生まれの人々の、成人期への移行局面での将来のケア役割の予期について探索的に検討する。 東アジアの家族変動との比較において20世紀後半のトルコが興味深いのは、1)一定の経済成長を達成したあとでも女性の労働力率が低く、2)出生率が漸次的に減少したという点である。1)の女性の労働力率は専業主婦の割合と密接な関係があり、トルコ社会全体としては、1955年から2000年の間に、12歳以上の女性の労働参加率が72%から40%と低下した(Tunalı et al. 2021)。すなわち、経済発展にともなう女性の労働力率の変化が描くとされていたU字型パターンとの間にずれがあった(Dildar 2015)。2)の出生率の変化に関しては、国連年鑑のデータによれば(別府・佐々井 2021)、1960年の出生率は6.54、1970年は5.62、1980年は4.51、1990年は3.39、2000年は2.27というように漸次的に減少し、東アジアの国々のような短期間の急激な出生率の低下は見られなかった。 別の機会に、本報告でも用いる事例調査の結果にもとづいて、ライフコース研究の視点から(特にライフイベント経験のタイミングの主観的認識に留意して)、トルコの1950年代・80年代生まれの人々の、成人期への移行と社会的道筋(social pathways)について検討した(安藤ほか 2025)。その結果、イベント経験のタイミングについての主観的認識に関する特徴が、トルコ共和国誕生以来の世俗主義と宗教勢力の緊張という大きな歴史的文脈のもとで、20世紀後半の義務教育期間をめぐる両勢力の争いと関連していた可能性が浮かび上がった。それとともに、教育を軸とした社会的道筋が高度に年齢分化していなかった点やトルコのメリトクラシーの性格が、上述のトルコの家族変動の特徴とリンクしている可能性も今後の検討課題として示唆された。 本報告は上記の作業に続く検討である。ケアに関して成人期への移行局面での予期(予期的社会化)を分析対象とするのは、個人のライフコース上でのケア行為が、ある社会の歴史的過程のもと、家族・教育・職業領域の出来事の連鎖(軌道: trajectory)やそれらの累積的な影響、及び重要な他者のライフコースとの関係性において経験されるという観点(安藤ほか 2025)にもとづく。 なお、本研究はJSPS科研費JP20H01567(代表 山根真理)の助成を受けた。 【文献】 安藤究, Tolga Özşen and Melek Çelik, 2024, 「トルコにおける1950年代・1980年代生まれのライフコースと成人期への移行 ―社会的道筋・ジェンダー化されたライフコース・歴史的時間」『比較家族史研究』39: 131-157. 別府志海・佐々井司,2021,「主要国における合計特殊出生率および関連指標:1950~2019年」『人口問題研究』77: 266-273. Dildar, Yasemin 2015. “Patriarchal Norms, Religion, and Female Labor Supply: Evidence from Turkey.” World Development, 76: 40-61. Tunalı, İnsan, Murat G. Kırdar and Meltem Dayıoğlu 2021. “Down and up the “U”–A synthetic cohort (panel) analysis of female labor force participation in Turkey, 1988–2013.” World Development, 146: 105609. 山根真理,2025,「特集によせて」『比較家族史研究』39: 4-10.

報告番号253

近代イギリス地方自治と救済資源――ヨーク救貧連合区における院外救済連合の位置づけ
早稲田大学 武田尚子

1 関心の所在:地域固有の救済様式 イギリスでは1834年に「救貧法改正法」が制定され、中央救貧法委員会の強力な権限のもと、救貧連合区を単位に新たな救貧制度が発足した。「救貧法」改正の主目的の一つは「院外救済」の廃止である。改正以前、院外救済数が増加し、救貧財源を圧迫していた。改正法は救済対象をワークハウス入所者に限定し、劣等処遇を原則に救貧財源の使途を厳しく管理した。救済希望者に対する厳格な選別は、貧困状態の救済非該当者を一定数、恒常的に存在させることになった。各地域では民間の救済資源を活用し貧困者に対処した。また、19世紀後半には産業化・都市化が急速に進み、救貧連合区は地域の実情に即して改正法を運用するようになった。つまり、全国一律に「救貧法改正法」が施行されていたが、19世紀末の状況は各地域固有の「救済様式」が機能している状況であった。 ヨーク救貧連合区では1894年に「院外救済連合」が発足した。「院外救済」廃止が目的の1834年法がありながら、なぜ「院外救済連合」の設置を必要としたのだろうか。本報告はヨーク救貧連合区における「院外救済連合」の位置づけ、機能について考察する。 2 地方自治と財源 1834年改正法で規定された救貧税徴収方法は、従前を踏襲し、各教区(のち救貧連合区)単位に不動産を評価・査定し、不動産占有者から徴税した。救貧税はイギリスの地方税の原型である。改正法施行後しばらくは中央救貧法委員会の厳格な管理のもと、救貧税源の使途は救貧行政にのみに限定されていた。改正法施行の翌年、1835年に「都市自治体法」が施行された。現代の都市自治体が幅広い公共領域の行政事務を所管するのとは異なり、都市自治体の権限領域は限定的で、該当の行政に必要な税源・徴税方法は議会の認可を経て決定された。19世紀の産業化によって都市の社会問題は拡大した。新たな課題・領域ごとに特別行政団体が設置され、徴税方法が認可・決定された。 ヨークの場合、「都市自治体法」で認可された「ヨーク・コーポレーション」が中核的自治行政機関である(商工業者・商工業産業基盤を管理)。救貧行政は「ヨーク救貧連合区」救貧委員会が救貧税の徴税・分配を管理した。このほか都市化の進展に即し、衛生行政、教育行政、公道行政などが付加され、領域ごとに特別行政団体が設置されて業務を所管した。しかし、財源の調達方法は限られていた。付加された行政領域の税源は、救貧税を原型にした「地方税」であった。すなわち、救貧税の徴税方法・組織をそのまま活用し、使途を救貧以外の衛生、教育、公道行政などに拡大した。 3 地方行政の統合過程 増加した行政領域を救貧税名目で徴収した地方税で処理するため、増収が課題であった。1894年「地方行政法」制定により、地方自治庁が救貧行政の所管庁になった。同年、ヨーク救貧連合区は課税区域を郊外3区に拡大し増収体制を整えた。しかし、都市中心区と郊外区では地域課題が異なり、業務は複雑化した。「院外救済連合」を設置し、業務の多様化・複雑化に対処した。産業化・都市化で空間的範域は拡大、行政課題は複雑化したが、地方行政は未統合だった。「院外救済連合」設置は近代イギリス地方行政の編成途上における諸問題に対し、各地域がどのように対処したのか、一例を示している。

報告番号254

日本占領期ジャワにおける「南方科学」の制度化――ジャワ科学技術室の調査・研究を事例として
創価大学 小林和夫

本発表の目的は、日本占領期ジャワにおいて展開された「南方科学」と称される科学調査・研究活動を、制度的枠組みとその社会的構造の観点から明らかにすることである。なかでも、本研究は1943年8月1日に設置されたジャワ軍政監部科学技術室(以下、ジャワ科学技術室)の活動を中心に、調査研究の目的、実施体制、人的構成、対象資源の性格などを分析対象とする。「科学の大東亜共栄圏」構想の具現化の一端として、科学知がどのように制度化され、軍政と資源統治に組み込まれていたかを問う点に本研究の意義がある。 方法としては、当該期間に作成・使用された一次史料である「南方軍政調査研究実施要領」、『南方科学委員会記事 第一號』、『南方科学研究輯録 第一輯』、「ジャワ軍政監部科学技術室業務詳報(第一號)」、および「科学技術室規程」「庶務規程」など、当時は極秘扱いだった公文書を主な資料とし、制度的実態と科学知の動員構造をあとづけた。 その結果、ジャワ科学技術室はジャワ島内15の研究機関を統括し、資料統計・民族労務・気象風土・教育衛生・鉱業・商工業・農林水畜・交通動力・財政金融の9分野にわたり調査研究を推進していたことが確認された。なかでも鉱業と農林水畜が重点領域とされ、対象資源は「重要国防資源」「生活必需品」「特殊物資」の三分類に基づいて体系化されていた。キナ、ゴム、チーク材、ニッケル、砂糖などが調査対象に含まれ、軍政が求める物資の確保と一体化した科学的把握がなされていた。また、東京・京都・九州の帝国大学から植物学・林学の研究者が派遣され、制度の中枢に組み込まれていたことから、学術知が軍政と一体となる構造が明示された。 さらに、ジャワ科学技術室の活動は、単に資源の把握にとどまらず、「調査・研究及試験機関長会同」や「中間試験」「技術統計作成」など、科学知の体系化と政策実装に直結する制度的手続きへと組織されていた。これにより、知識は戦略的判断を下すための基盤的な資源や制度的インフラとして位置づけられ、単なる調査・研究のみならず、軍政統治の一環をなす政策科学として運用されていた。 結論として、ジャワにおける南方科学は、制度的に構造化された「知のインフラ」として機能しており、統治と資源動員のための技術となっていたことが明らかになった。ジャワ科学技術室は、科学知を統計・報告・規則に変換し、軍政の政策決定を支える装置として構成されていた。本研究は、占領地における科学の制度構造と軍官産学複合体の実態を照射することにより、科学と制度、知と権力の関係を問い直す歴史社会学的視座の構築に資するものである。

報告番号255

戦後日本を再建する――非都市部におけるブロック建築のポストコロニアル的背景とセルフビルド
明治大学 中川雄大

1. 目的 戦後日本の復興と生活再建を可能にしたのはいかなる物質であったのか。建築分野において、これまで注目されてきたのは都市不燃化運動によるコンクリート建築の導入である。安価に燃えない都市を造る上で重宝されたのが、人の手によって積むことができるコンクリートブロックを用いたブロック建築であったが、さまざまな難点から広く普及することはなかった。 都市部においては、専門的な職人がブロック建築の施工を担当することが前提であったが、非都市部においてブロックはセルフビルドが可能な建材として受容されていく。つまり、都市部と非都市部はブロック建築の普及過程において、まったく異なる軌跡を辿ることになった。では、非都市部におけるセルフビルドのブロック建築はいかにしてその普及が目指され、それはいかなる影響を当該地域にもたらしたのか。 2. 方法 この調査に際しては、開拓地におけるブロック建築の普及に際して中心的な役割を果たした日本開拓協会や勝田千利(東京工業大学教授)、小菅百寿(滋賀県立短期大学教授)らの資料を中心に検討した。加えて、ブロック建築の普及過程においては、建築過程が映像によって記録されており、それらの映像アーカイブ等も適宜参照した。 3. 結果 まず、構法の歴史に注目した場合、非都市部において現地の資材を用いて非熟練労働者によって簡易に建設できる建築構造は満洲における関東軍の建築研究科において開発されたものであり、その知見が戦後のブロック建築においても応用されたものでもあることが判明した。その意味で、戦中・戦後の開拓には建築技術の点において連続性があった。 次にセルフビルドの建設過程に注目すると、「自分たちの手によって建物を建てる」ことが、特有の意味を帯びる場合があることが判明した。なかでも本調査において着目したのが、滋賀県野洲町における公民館建設の事例と、愛知県南設楽郡における戦災孤児の児童養護施設建設の事例である。 前者においては、公民館を建設したいと考えた地域有志がブロック建築の専門家である小菅百寿に依頼し、その指導のもとで地域の人々自らが共同で公民館を建設したものである。重要なのは、その過程が、小野田セメント株式会社、小野田ブロック株式会社を後援として制作された記録映画「みんなでつくる公民館」に記録されていることである。映像は公民館を求める地域の現況、建設のための話し合い、ブロックについての学習、集団での建設作業、竣工式とブロック建築講習会修了証書の授与、新しい公民館の紹介等の場面によって構成されており、公民館の建設が地域の他の住居の改善も促すような波及効果を持つのみならず、民主国家の担い手を生み出していく契機であったことが示されている。 後者においては、児童養護施設が児童たちによるセルフビルドによって建設され、その様子が週刊誌や映画によって記録されていた。これを取材した週刊誌では、戦災孤児たちが自らの手でブロックを作成し、それを積み上げていく過程が記者によって綿密に描写され、読者の同情を得ていくことになる。この記事が反響を得た結果、近隣の自衛隊が出動し、自衛隊との協力によって無事児童養護施設が建設されたことが一種の「美談」として記録されていった。

報告番号256

バーにおける「飲み手」の成立――大正期から昭和前期の言説分析を通して
関東学院大学 高橋一得

2024年、日本標準職業分類において、「オーセンティックバー」は「バー、キャバレー、ナイトクラブ」ではなく、「酒場、ビアホール」と同じ分類に位置づけられた。このことは日本バーテンダー協会の悲願であったと同時に、バーの社会的位置づけの大きな転換となった。それは、オーセンティックバーが「遊興を伴う」酒場ではなくなったからである。我が国おけるバーの歴史を振り返れば、女性が介在する「遊興」をメインとする酒場であったという点を無視することは出来ない。 しかし、日本標準職業分類が再編され、日本オーセンティックバー連盟が創設された現在において、オーセンティックバーは女性の接待を含む「遊興」を除外した酒場として存立していると言える。このことは、オーセンティックバーにおける飲み手を男性に限定しないということへ連なる。 このような点を踏まえたうえで、改めて、オーセンティックバーという言葉が創造される以前のバーにおいて、その飲み手はなぜ男性に限定化されたのか。本報告の問題意識はここにある。分析範囲を日本の酒場にしぼり、バーという空間において、男性が飲み手の主体となっていく過程を検討する。その方法として、大正期から昭和前期の大衆雑誌や文芸批評の言説を分析していく。 大正期から昭和前期の、いわゆる「モボ・モガ」の時代は我が国において、西洋文化が一気に花開いた時代である。都市では「盛り場」がひろまり、女給が給仕する「カフェー」文化も一世を風靡する。この時代は「カフェー」と「バー」が混同されており、その境界線は曖昧であった。であるからこそ、女給が給仕する「カフェー」の飲み手も「バー」の飲み手も男性が想定されているのである。 本報告では、まず現代のオーセンティックバーの捉え方を確認したうえで、オーセンティックバーの飲み手が理念的には男性に限定しないことを確認する。次に、大正期から昭和前期のガイドブックや文芸批評に焦点を当て、その言説を検討しながら、バーでの「飲み手」が男性に限定化されることを明らかにする。最後に、バーの「飲み手」が男性に限定された意味を、現代的視点から再度、捉えなおす。そこにはバーが等しく男性の居場所というだけでなく、アルコールにまつわる言説が容易に男性の論理と結びつけられていることが理解できる。だからこそ、今回の日本標準産業分類におけるオーセンティックバーの位置づけの変化は、単にバーだけの問題に留まらず、酒場やアルコールを取り巻く状況の変化を見出すことが出来るのである。

報告番号257

AI利用組織における働き方の変化の過渡期現象――Global Partnership on AI Future of Work日本調査事例より
同志社大学 藤本昌代

日本では2023年春に生成AIの社会実装ブームが起こり、現在も人々は加速的技術革新に圧倒されている。自動化技術の導入は多くの職場に影響をもたらし、労働者の失業問題に対する議論(Frey and Osborne 2017)や職業ではなく、仕事をタスクに分解し、タスクでの計算ではAIの影響は少ないとする議論(Arntz et al. 2016)、高スキル者と肉体労働者の必要性が高まり、中間のコンピュータ業務のルーチンワークの人々の仕事のAI化、自動化技術化による就業構造二極化説など(Autor and Dorn 2013; 神林 2018)、AIが引き起こす可能性のある労働問題に関する議論も多い。これに対して日本は深刻な労働力不足の中、正規雇用者には失業が起こりにくく、AIによって作業が軽減された場合、他の人手不足のところに人の再配置が行われ、アメリカのような解雇は起こりにくい。ただし、非正規雇用者、フリーランスについては仕事の縮小が観察されており、従業上の地位とAIの影響は出始めている(藤本 2023, 2024,2025; 藤本・池田・郭 2025)。 本研究では、Global Partnership on AI Future of Work ジャパンの藤本チームの2021年~2024年の調査データを中心に、新技術導入時の職場の過渡期の現象を捉えるためにAIの利用のされ方と就業の場での現象を検討している。分析では「労働力不足」の補完、「効率化」、「制度的同型化」として利用されている例を類型化し、AI導入の状況を検討している。「労働力不足」の現場においてAI利用は産業の縮小を食い止める役割を担っている例があり、また後継者不足の現場においては知識・技能の消失前にAIにデータを蓄積し、次世代に継承する努力がなされていた「世代間垂直継承」)。「効率化」目的での利用では過重労働の軽減効果がうかがえる一方で、専門職の仕事の受注減少や仕事の質が変化し、専門性の発揮機会が減少し、AIのオペレーター化しているものが見られた。そこでは、初級者のミスを軽減し、効率よく作業を進めるために、上級者から初級者への技能・知識の共有があり(「レベル間垂直継承」)、また、これまでと異なる技能・知識への展開(「技能・知識の更新・変容」)が観察された。しかしながら、初級者はブラックボックスでAIシステムを使用するため、技能的成長機会は付与されていない。 AI利用の構造的・制度的要因として、AI利用組織は、AIを使わなければならない必然性だけでなく、上位組織からの強い推奨(政府による補助金付き推奨制度など)により使用している例や、クライアントからの短期間の納期の要求に少人数で対応するために使用しなければ対応できないというような上層からのプレッシャーによる例も見られた。そのため、AI利用には産業縮小を食い止めるような必然性や経済的効率目的だけでなく、上層からの要請による下層組織の受け身としての構造的な要素、推奨制度による制度的要素によるものがあると言えよう。

報告番号258

AI・自動化技術の導入による労働者の職務・働き方に及ぼす影響――Global Partnership on AI Future of Work 日本調査事例より
同志社大学 働き方と科学技術研究センター 池田梨恵子

1.目的 本報告は、GPAI FoW日本チームの2023年度の調査をもとに、AI・自動化技術の働く場への導入が労働者・働き方に与える影響を明らかにすることを目的とする。近年、急速に働く場への人工知能(AI)や自動化技術の導入が進む中、これらの技術が労働者の職務や働き方にどのような影響を及ぼすかが注目されている。特にAIや自動化技術の導入によって人が置き換えられることへの懸念が指摘されている(Frey & Osborne 2017)。 日本における職場へのAIの導入に関する実証的な研究はGlobal Partnership on AI(GPAI)という機関のFuture of Work(FoW)の日本チームが2021年度より継続的に行っている。この調査をもとに藤本昌代は日本における企業や自治体などの働く場でのAI利用の目的を(1)「労働力不足」の補完、(2)効率化目的型、(3)社会的同型化の3つに類型化した(藤本 2023)。本報告では、働く場にAI・自動化技術を導入した組織の事例をAI利用の目的3類型に基づいて分類し、各類型においてAI・自動化技術の導入により労働者の職務の変化、AI・自動化技術による代替が起きているのかを検討する。 2.方法・データ GPAI・FoW日本の藤本チームが2023年7月〜12月に行った13組織へのインタビュー調査で得られたデータを分析する。調査は、調査への協力が得られた組織に対し、技術の導入背景、導入したAI・自動化技術の概要、導入後の労働者の職務変化や働き方の変化について、オンライン上で約1時間の半構造化調査を行った。 3.結果 (1)「労働力不足補完」の目的(物流G社):配達量予測AIと荷物に仕分け業務に自動化技術を導入している。結果、短期雇用者でも一定業務が担えるようになり、作業効率が向上した。しかし、様々な形・大型の荷物の仕分けには人手が必要であり、完全な置換ではなく、人間と機械の明確な分業が行われていた。 (2)「効率化」の目的はAIシステムが担う職務内容が必要とする専門性の程度において、2事例を分析する。①専門性の高い業務への導入(製造H社):業務量が多く過剰労働が問題となっていた需給予測業務において、需要予測AIの導入することにより担当者の労働時間の軽減がみられた。しかし、需要予測業務において最終判断は人間が行っている。商品により商習慣が異なるためAIの適用範囲が限定され、専門性を持つ人間が果たす役割が大きい。 ②専門性低い業務への導入(不動産I社):生成AIチャットツールにより、報告書の作成や社内情報の検索などの定型業務が自動化されたが、意思決定や対外対応は人間が担う体制が継続されている。 (3)「社会的同型化」(自治体J組織):交通弱者の支援と公共交通維持のため、過疎地域で乗合タクシーのAI最適化システムを導入している。利用者が多く地域住民の交通手段として活用されている一方、初期導入・運用コストが小規模自治体の財政に負担となっており、公的助成を得ることがサービスの維持に不可欠となっている。 4.結論 AI・自動化技術は人間の職務を全面的に代替するものではなく、人間とAIの協業・分業が行われていた。労働力不足の現場でAI・自動化技術は省人化や生産性向上に役立つ一方で、従来統合されていた技能・知識の細分化やシステムによるブラックボックス化が進み、技能継承が困難になることや・格差拡大の懸念がある。

報告番号259

翻訳業界におけるAI翻訳導入の課題とジレンマ――Global Partnership on AI・Future of Work日本調査事例より
同志社大学 郭文静

近年はAI翻訳の発展により、便利かつ安価な翻訳サービスが利用できるようになった。AI翻訳を利用することで、人力翻訳(人間が行う翻訳)にかかる金銭的コストや時間的コストをともに大幅に低減できる(中澤 2017)。しかし、翻訳業におけるAI翻訳の普及は翻訳者の仕事の淘汰・変容が生じる可能性があると考え、人力翻訳がAIに代替される懸念が広がっている。翻訳者は高度な語学力だけでなく、さまざまな分野における専門知識も求められる。本報告は、AI翻訳の普及が高学歴で専門的な知識やスキルを求められる翻訳者の働き方にどのように影響や変化を及ぼし、従来の労働環境がどのように変化していくのかを明らかにすることである。社会学分野において、技術革新と職業の関係に関する研究は長年取り組まれてきた重要テーマである。そこで、本報告は近年注目を浴びているAIと仕事の関係について、翻訳業に従事する高度な専門性を持つ労働者を対象として、AI翻訳の普及による労働環境や働き方の変化について検討を行う。 本報告で用いる調査データは、2024年度の日本の企業や公的組織でのAIの導入状況とその影響について調査を行うOECD関連の国際機関であるGlobal Partnership on AIの中のFuture of Work日本チーム調査の一環として行ったオンライン・インタビュー調査と、現地訪問で行った半構造化インタビュー調査のものである。報告者が2024年5月から9月にかけて翻訳業を中心に4つの企業(AI翻訳の利用側・開発側)に調査している。分析では、AI翻訳の普及による翻訳業および、翻訳者の働き方の変化に着目し、「翻訳業の働き方」「翻訳会社の業務」「人力翻訳」の観点から各社の特徴を抽出し、まとめる。 分析の結果、AI翻訳の普及によって翻訳業界の働き方が変化しつつあることが明らかになった。業界全体の受注量が減少する中、仕事の質も変化が見られた。具体的には、AI翻訳の進化によって、機械が訳した内容をチェックし編集するというポストエディット(Post Edit、以下PE)業務が新たに発生した。また、翻訳依頼側と翻訳受注側にはPE作業に対する認識のジレンマが存在することが見られた。さらにAIの普及によって専門職としての翻訳者の仕事の量と収入は減少しており、スキルアップや仕事のモチベーションが低下している。ただし、業務の効率化やコストの削減のためのAI翻訳の普及は翻訳業界に避けられない流れである。このように、AI翻訳と人力翻訳の共存にはジレンマが存在している(郭 2025)。 本報告により専門職としての翻訳者の雇用はAI翻訳の進化や普及により大きな影響を受けていることがわかった。このような、AIの発達に伴う翻訳業界の労働環境を整えるためには、翻訳の依頼側、翻訳会社および翻訳者の間での共通認識の構築は不可欠である。また、翻訳業界における専門職が生き残る将来を作るために、翻訳業に注視する社会的雰囲気をつくることが必要であるといえる。したがって、AIの導入による職業の縮小という変容期を捉えることは、今後の新たな技術革新に関する議論に理論的示唆を与えうるのみならず、職業構造の再編を理解する上で社会学的に意義深い課題である。

報告番号260

親密性をプログラムする:会話型AIサービスにおける関係性のデザインと制御――Global Partnership on AI Future of Work 日本調査事例より
同志社大学大学院 王婧瑜

近年、ChatGPTをはじめとする会話型AIサービスの急速な普及により、人工エージェントが人間の生活において果たす役割は大きく変化している。こうしたサービスは、単なる作業補助の枠を超え、対話を通じてユーザーと「感情的なつながりを形成しうる存在」として設計されている。その背景には、技術革新のみならず、家族や地域コミュニティの変容に伴う孤立化の進行、とりわけ高齢者の単身世帯の増加といった社会構造の変化がある。本稿では、会話AIにおける「親密性」の構築をめぐる設計思想と制度化の過程に注目し、インタフェース分析および開発企業へのインタビュー調査を通じて、その構造的特徴を明らかにすることを目的とする。 本研究における調査は、GPAI Future of Workの枠組みのもと、日本国内の会話AIサービスを開発する4社を対象に実施した。その結果、各社のサービスにおいて想定されるAIの役割や機能に応じて、ユーザーとの関係性の前提条件があらかじめ設計段階で定義されており、親密性の構築がインタフェースの設計方針と密接に連動していることが確認された。特に、キャラクターの導入と会話文体の精緻な調整によって構成される「キャラクターに媒介された会話」は、情報伝達手段としてだけでなく、感情的な関係性を生成・維持する装置として機能していると分かった。 こうした関係性の形成は、従来の社会科学が主に想定してきた、普遍的な対人関係を対象とする「親密性」の枠組みとは異なり、技術環境に即して構築される半構造的な場として現れる。ユーザーとAIとの対話は、あらかじめ決定された関係性を再現するものではなく、デザインされたインタフェースや情動的アフォーダンスを介して、経験的に交渉・構築されていく。このように捉えるとき、親密性とは「何であるか」を問う本質主義的対象ではなく、「いかにして経験され、制度化されるか」を問う実践的な分析概念として再定義されることになる。 さらに、調査対象の全サービスに共通していたのは、基本的な機能を無償で提供する一方で、課金によって会話回数の制限解除や特別コンテンツの解放、親愛度の上昇といった設計が導入されていた点である。親密性は、段階的・構造的に拡張される制度的資源として扱われており、その実装はIllouz(2007)が論じる「感情資本主義」の構造と通底する。すなわち、感情の可視化・管理とともに、それが収益化の対象として設計されている枠組みにおいて、親密性は経済的価値と結びついて構成されていることが批判的に考察された。 以上の検討を通じて、本研究が示唆するのは、会話AIを媒介とする関係性が、感情・技術・制度の交差点において、親密性を「プログラム可能な感情装置」として再構成する、一種の文化的実践として捉えうる可能性である。

報告番号261

料理人の技はいかにして身につき、継承されるのか(1)――食をめぐる職人的実践の構造と変容
金沢大学 田邊浩
金沢大学 眞鍋知子

本報告では、料理人をクラフトマン(職人)と位置づけ、そのクラフトマンシップがいかにして獲得され、どのように継承されるのか、またその過程がいかに変容しているのかを社会学的に分析するとともに、これまで実施してきた調査研究プロジェクトの全体構想と成果を紹介する。本研究は、食文化を支える職業的実践としての料理人の営みを、技能の再生産と専門知の交錯という視点から捉え直すことを目的としている。 近年、個食・孤食の進行や地域食文化の衰退が指摘されるなか、飲食店や料理人は食文化の持続性にとって重要な担い手であると同時に、その存在基盤が揺らいでいる。伝統的には、料理人は徒弟制度的な修業を通して技能を身につけてきたが、今日では調理師専門学校などの教育機関による形式的な技能習得が広がり、技能の獲得様式は多様化している。また、合理化・衛生管理・栄養学や食品科学・医学的知見の導入といった近代的専門知が、料理人の実践に新たな影響を与えているかもしれない。 こうした背景のもと、本研究プロジェクトでは以下のような目的と調査構想を設定した。第一に、料理人がいかにして料理の世界に入り、技能を獲得し、自立し、キャリアを形成するのかを明らかにし、その過程を通じてクラフトマンシップの意味を考察する。第二に、徒弟的修業と学校教育という二つの技能伝達経路の差異に着目し、それが技能の性質や職業観にどのような違いをもたらすのかを検討する。第三に、職人的技能と近代的専門知(言説知)との関係性を明らかにし、現代における技能の再編を理解する。第四に、料理人の世界が内包する意味作用や規範構造を分析し、その変容の過程を追跡する。 これらの目的に基づき、以下の五つの調査プロジェクトを実施した。(1)石川県金沢市を中心とする料理人への聞き取り調査、(2)同地域の飲食店約1600軒に対する郵送法による調査票調査(有効回答数418)、(3)全国の調理師養成施設への聞き取り調査、(4)同施設282校への調査票調査(有効回答数92)、(5)日本料理・中華料理・フランス料理といった調理師協会への聞き取り調査である。 その結果、調理師養成施設は基礎的知識の習得に寄与している一方で、現場における実践経験(OJT)が不可欠であるという認識が料理人側では根強いことが確認された。また、従来型の徒弟制度はハラスメント問題等を背景に変容を迫られており、職人的技能の伝達様式そのものが見直されている。さらに、若手料理人の職業意識にも変化がみられ、一流を目指すキャリアだけでなく、安定した雇用や多様な働き方への志向が確認された。 以上の分析を通じて、料理人という職の社会的意味や、料理という実践における知識と技能の構造的な再編過程を明らかにしようと試みた。Sennettの職人論やGiddensの再帰的近代論を手がかりに、現代における技能の変容と専門性の再構築を問い直す本研究は、食文化の持続可能性や職業形成のあり方を考えるうえで、理論的・実証的に重要な意義をもつと考える。 *本研究はJSPS科研費 JP21K01922(「再帰的近代における料理人のクラフトマンシップとその変容に関する社会学的研究」)の助成を受けたものです。

報告番号262

料理人の技はいかにして身につき、継承されるのか(2)――料理人調査のデータ分析から
金沢大学 眞鍋知子
金沢大学 田邊浩

本報告では、料理人の技能習得および技能継承に関する社会学的検討を行うとともに、2025年初頭に実施した「料理人調査」分析結果とそれにもとづく考察を報告する。技能を要する職業の担い手が減少しつつあるなか、料理人というクラフトマン(職人)に注目し、その職人的技がいかにして身につけられ、いかに次世代へと受け継がれるのかを実証的に考察することを目的とする。 従来、料理の技は徒弟的な修業を通じて暗黙知として体得されてきた。近年では調理師養成施設や短期研修、さらには書籍や動画といったメディアを介した独学の比重も増し、料理技術の学び方が多様化している。また、ハラスメント問題や労働環境の変化により、従来の修業モデルが見直されつつある。さらに、料理人を目指す若者の職業観にも変化が見られ、一流を目指すよりも安定を重視する傾向が強まっていると指摘されている。 このような問題関心に基づき、2025年1月に、金沢市内のすべての飲食店(約1600軒)に対し、郵送法による調査票調査を実施した。対象は電話帳に掲載された店舗であり、料理長または調理責任者による回答を求めた。調査では、料理技術の習得経路(修業・学校教育・独学など)、技能の到達までに要する年数、重視する修業スタイル、師弟関係の有無、他者からの影響、さらには弟子育成に際して重視する指導内容や継承の難しさといった、多面的な項目を設けた。 本報告では、調査設計の背景や質問項目の構成、データ分析の結果を紹介し、料理人の技の習得と継承について考察する。料理人の多くが「料理の技」は短期教育や書籍だけでは不十分であり、実地の経験こそが技を磨く鍵であると認識している一方で、調理師養成施設を肯定的に評価する声も少なくないことが確認された。また、技能の習得には平均して数年を要するとの回答が多く、特定の師匠や職場環境の影響を重視する傾向もみられる。 さらに、技術継承については、従来の「見て覚える」方式だけでなく、言語化・体系化された指導への要請が高まっている兆しもうかがえる。加えて、後進の指導においては、技術の伝達だけでなく、精神性や価値観の共有、労働環境や働き方への配慮が必要であるとする記述も寄せられている。こうした多様な声は、料理の技が単なる手技にとどまらず、広範な社会的実践であることを示唆している。 本報告では、料理人の世界における技能の意味と継承の課題について、社会学的視点から再考を促す素材として調査データを活用する可能性を展望する。食文化の継承と職業的専門性の形成が直面する現在的課題に対し、現場から得られた知見を踏まえた考察を提示したい。 *本研究はJSPS科研費 JP21K01922(「再帰的近代における料理人のクラフトマンシップとその変容に関する社会学的研究」)の助成を受けたものです。

報告番号263

組織システム論の系譜とその意義――マネジメントを捉え直す視座
福岡大学 樋口あゆみ

今日ではマネジメントの議論は経済合理性や効率の文脈で語られることが多くなり、それらに対する批判もまた、そうした見方を前提にしているという点で同じ地平に立っている。そこでは組織や協働に関する議論が多様な領域の知を取り入れながら成立してきたという経緯が見過ごされているか、あるいは忘れられている。本報告では、組織を社会システムのひとつとして捉えた組織システム論の系譜に、社会学がどのように影響を与えてきたのかを整理することを通じて、組織のマネジメントを分析する営みが、いかに社会学的でもあるのかを検討する。  具体的には組織論の祖といわれるチェスター・バーナード(Barnard 1938)、近代組織論の基礎を築いたハーバート・サイモン(Simon 1997)、そして組織論と社会学知を結び直したニクラス・ルーマン(Luhmann 2000)のシステム概念が、どのようにタルコット・パーソンズをはじめとして、その他の社会学的な知と紐づけられているかを、それぞれの著作や『組織の社会学』(Tacke and Drepper 2017)をはじめとした、近年の研究を参照することを通じて明らかにしていく。  たとえばバーナードによる「二人以上の人々の意識的に調整された活動や諸力のシステム」(1938)といった組織の定義がある。この定義からも分かるように、組織の議論は、その萌芽期から対象として営利組織に限定することなく、非営利組織や公的行政組織も射程に含まれていた。人々が組織化するのがいかなる理由からであっても、そこにはどのように組織を運営するか、持続的な活動を可能にしていくか、という問題がつねに横たわっているからである。  本研究では、以上のように組織システム論の系譜の一部を紐解くことを通じて、マネジメント概念を経営学や産業界の文脈だけに矮小化させることなく、社会のひとつの制度として組織と、そのマネジメントとを分析する立場を示す。 参考文献 Barnard, Chester I. 1938. The Functions of the Executive. Cambridge, Mass.: Harvard University Press. Luhmann, Niklas. 2000. Organisation und Entscheidung. Wiesbaden: VS Verlag für Sozialwissenschaften. Simon, Herbert. 1997. Administrative Behavior : A Study of Decision-Making Processes in Administrative Organizations. 4th ed. New York: Free Press. Tacke, Veronika, and Thomas Drepper. 2017. Soziologie der Organisation. Wiesbaden: Springer VS Wiesbaden.

報告番号264

高校教員の長時間労働と組織問題――東北地方X県の事例から
慶應義塾大学 園田薫
秋田大学 野村駿
鹿屋体育大学 菊地原守
都留文科大学 小田郁予

本報告では、東北地方X県の県立高校教員に対して全数調査を行なった「働き方改革に関する実践的・実証的研究」のデータ、および学校要覧の情報とX県教育委員会が保有する全高校教員の労働時間データのマッチングデータを用いて、教員の長時間労働問題について組織という観点から考察を加えたい。昨今、教員の長時間労働は社会問題化し、学校における働き方改革の必要性が叫ばれている。この現状への改善案を提示する多くの研究は、義務教育内にある小中学校の教員の長時間労働に着目しながら、労働基準法が適用されているはずの公立学校教員に対しても残業代が支払われない給特法の問題性や、部活動における時間拘束性、教師を聖職とみなす教員個人の職業エートスの観点などから議論を蓄積してきた。しかし、これまでほとんどの研究が、長時間労働を教員の意識または校長のリーダーシップという個人の問題に帰着させるフレーミングを採用しており、それがいかに組織的問題として発生しうるのかという観点が見過ごされてきた。また営利企業を対象とした長時間労働研究と学校教員の長時間労働問題は、同じ「組織」としての根本問題を抱える対象でありながらも、相互に交流がない状況である。 こうした状況に鑑みて、X県の県立高校教員の労働時間がいかに個人的/組織的要因によって規定されているのかを、学校固有の状況およびに質問票調査で得られた個人意識と組織変数を用いて考察していく。調査の結果明らかになってきたのは、以下の3点である。まず、X県教育委員会から提供された出退勤の記録に基づく労働時間(客観的労働時間)と、調査票において本人が申告する実質的な労働時間(主観的労働時間)で、異なる分布の形状が確認された点である。主観的労働時間の方が、客観的労働時間よりも長くなる傾向があり、これは労働時間に含まれる業務内容の見積もりや個人の時間感覚にも起因すると考えられる。次に、客観的/主観的労働時間ごとに、それを規定する要因が異なる点である。客観的労働時間に影響する要因としては、年齢・性別・担任/部活動顧問か否かといった個人要因だけでなく、県内の高校教員が抱くその高校への役割期待、高校ごとの部活動参加率といった組織要因が影響していた。一方で客観的労働時間に影響する要因としては、同様の個人変数が規定要因となっているのに対し、組織要因は統計的に有意な影響を与えていなかった。最後に、マルチレベル分析を用いて客観的/主観的労働時間が、それぞれどの程度個人/組織要因によって規定されているのかを検討したところ、主観的労働時間ではほとんどすべての分散が個人要因で説明されたのに対し、客観的労働時間の全分散のうち約30%が組織要因で説明された点である。以上の分析結果からも、これまで過剰に「個人化」されていた教員の長時間労働問題について、「組織」という企業研究同様の視座から分析を行う認識利得があることが示唆された。

報告番号265

高度成長期日本における経営イデオロギーの一側面――専門雑誌の内容分析を通して
青森公立大学 中川宗人

【目的】日本社会のあり方を規定するものとして、雇用システムの重要性が指摘されてきている(小熊 2017)。本報告では、雇用システムや企業組織のあり方に影響を与えるものとして、経営イデオロギー(Bendix 1974=1980;Guillen 1994)に着目する。日本の企業や雇用システムを特徴づけるものとしてイデオロギーが重要な役割を果たしていることは、戦前期については従来から認識されてきた(間 1964;兵藤 1977;佐口 1991など)。しかし戦後から現在にかけては、雇用システムの構造や実態に関する研究に比べて、経営イデオロギーを扱ったものは必ずしも多くない。だが以下にも述べるように、企業組織においては、管理者の権限の正当性や労働(者)観について理解可能性を提供する経営イデオロギーも重要な機能をもっている。したがって日本的雇用システムの形成期とされる(佐口 2018)高度成長期において、どのような経営イデオロギーが展開していたのかを明らかにすることは、日本的雇用システム、ひいては日本社会の理解を深める意義がある。【方法】経営イデオロギーの分析枠組みとしては、近年の欧米の組織社会学や経営学において、企業を含む社会のなかのマネジメント現象に関して「アイデア」や「イデオロギー」を重要な構成要素として捉えるアプローチが蓄積されている(Sturdy, et al., eds. 2019など)。それらによれば、企業経営は単に財・サービス生産のシステムというだけでなく、それ自体がアイデアを含み込んだ実践となっていること、またマネジメントのアイデアやイデオロギーそのものが、「マネジャリズム」として公共セクターをふくむ社会の諸機能領域に浸透しているとされている。こうした枠組みに依拠した重要な先行研究として、M・ギレン(Guillen, 1994)は戦前から戦後高度成長期にかけてのアメリカ・ドイツ・スペイン・イギリスを対象に、それぞれの社会の企業経営システムのあり方と、代表的な経営イデオロギーである「科学的管理法」「人間関係論」「構造分析論」の変遷過程との関連を専門雑誌の内容分析に基づいて明らかにしている。以上をふまえて本報告では、(1)ギレンの内容分析の方法と知見を整理したうえで、(2)日本における具体的な分析対象としてマネジメントに関する理論・学説を扱った専門雑誌を対象に、創刊から高度経済成長期の終わりまでの期間で、いかなる経営イデオロギーが受容・展開されていたのかを内容分析する。(3)その結果を、ギレンの分析結果と比較することを通じて、戦後の近代産業社会としての日本の固有性と共通性について考察する。【結果と結論】日本との比較においては、同じく戦後に相対的に安定的な労使関係と企業成長を実現したドイツとの相同が論点となる。分析の結果からは、「科学的管理法」の受容については類似性がみられるが、「人間関係論」や「構造分析論」の受容については異なることが明らかになった。このことは、企業経営との関連性だけでなく、社会科学的な理論・理念の社会における位置づけの違いという、科学社会論的な問題とも関わる知見である。本報告は高度成長期の経営イデオロギーの展開について、具体的なデータをもとに明らかにした点に意義がある。他方で、一雑誌の内容分析に限定されているため、今後はより多角的な資料や分析が必要である。付記:本研究はJSPS科研費23K12619の助成を受けたものである。

報告番号266

経営管理の文化技術 ――戦後日本における計算する技術と書く技術をめぐって
成城大学 新倉貴仁

1.目的 技術革新を通じて市場と企業の規模が拡大し、それとともに経営管理managementの知と技術は発達してきた(Yates 1989)。さらに、経営管理の技術は、現代社会の特徴である情報化に深く関わっている(Beniger 1986)。本報告では、日本の戦後から高度成長期までの時期における、経営管理の技術と情報化との関わりを解明することをめざす。 2.方法  近年のメディア研究においてファイルやカード、キャビネットといったモノについての注目が集まりつつある。とりわけ、「文化技術」の視点(縄田篇 2022)は、書くことと計算することといった記号操作の技術を焦点化するものである。  本報告では、1949年に日本事務能率協会から創刊された『事務と経営』の20年間を概括しながら、計算の機械と書くことの機械の交錯を追跡する。『事務と経営』は、ピーター・ドラッカーの来日講演を組織し、毎年のビジネスショウを行うなど、日本における経営学的な知の広がりを追跡するうえでも重要な雑誌であった。  本報告では、オフィスという情報空間のなかでの記号操作と具体的なモノの水準について、計算する機械と書く機械のそれぞれの発達とその関係から、考察していく。 3.結果  1949年から1969年の20年間において、事務機械は急速に発達した。計算する機械に関しては、パンチカード・システムの導入から電子計算機への展開、さらには1964年のIBMのシステム360の登場を通じたプログラミングのテーマの広がりがあった。他方、書く機械をめぐっては、漢字制限や左横書きなどの文書制作、ファイリングシステムの議論を所与としつつ、カナタイプライターの普及や邦文タイプライターの持続的な使用をみることができる。  『事務と経営』において豊富に紹介される事例のなかで浮かび上がることは、帳票とカードというメディアの重要性である。帳票とカードは顧客や業務といったデータを標準化して集計を可能にする。さらに、帳票とカードは、複製され、分配されることを通じて、システムの各部分の業務や機能を接続させていく。もちろん、この時期においてデータの入出力装置は急速に発展し、入出力の装置としてのカードの重要性は後退する。だが、データがデジタルに記述される以前に、モノとして生成、複製されていたデータの水準を見落とすことはできない。 4.結論  戦後から高度成長期の事務機械の展開のなかで見えてくることは、企業や行政の事務が一つの「システム」へと再編成されていくプロセスである。コンピューターはこれらのシステムの個々の機能を代替し収斂するものであるが、この時期のシステムはさまざまな種類の事務機械や人によって構成されていた。とりわけカードや帳票といったメディアが、業務の単位化や情報の複製、伝達において重要な役割を担っていた。ここに、戦後日本の情報化と経営管理技術の一つの特色を見ることができると思われる。 文献 Beniger, James R., 1986, The Control Revolution: Technological and Economic Origins of the Information Society, Harvard University Press. 縄田雄二編,2022,『モノと媒体 (メディア) の人文学――現代ドイツの文化学』岩波書店. Yates, JoAnne, 1989, Control Through Communication: The Rise of System in American Management, The Johns Hopkins University Press.

報告番号267

個人での力の獲得から、協働的な学びへ――2000年代後半以降の日本のマネジメント言説の変遷
九州工業大学 井口尚樹

1.目的 本発表では、2004年から2025年にかけての日本の定期刊行誌の記事の分析を通じ、それまでのマネジメントにどのような課題が認識され対応されようとしたかを、明らかにしようとする。1980年代以降、垂直的な官僚制組織から水平的なネットワークへ、そして個人の自律性の重視といったマネジメントの変化があったとされる。本発表では、この新たなあり方に内在していた課題とその後の乗り越えに向けた方向性を記述し、「資本主義の精神」の「第3の精神」(Boltanski & Chiapello 1999=2007)のその後の展開を捉えようとする。 2.データと方法 「RMS Message」の2004年の創刊から2025年現在までの記事を分析対象とする。「RMS Message」は、人事・マネジメントに関する調査やコンサルティングを手掛ける企業の機関誌である。ほぼ全ての記事が人事・マネジメントに関するものであり、定期的に刊行されている日本の数少ない刊行物の1つである。各号では一定のテーマのもと、関連する経営者、人事担当者、学識者のインタビューや、同社研究開発部門の調査結果が掲載されている。分析は記事の読み込みによる質的な分析を中心として行った。 3.結果  まず2000年代の言説で見られた「戦略」や「育成」から、「成長」や「キャリア」が次第に多く論じられるようになり、組織による画一的な戦略の浸透から個々人の自律性や創造性の発揮や多様性への個別対応へ、といった変化が進展していた。しかし、個人による発揮の度合いのバラつきがあること、そしてそれを外的な働きかけを通じ(ただし「自律性」を損なわない形で)改善する方策の不足も、課題として見られた。またそれは従業員に将来像やそれに達する道筋が不明確な中、自身で成長しキャリアを確立していくことについての不安や孤立感を生じさせるものでもあったと考えられる。これは資本主義の「第3の精神」に内在する課題と考えられる。 2000年代の言説では、リーダーシップは困難な経験の乗り越えを通じ獲得される、などとして、種々の「力」やモチベーションを高めるための具体的な働きかけの方策はあまり語られなかった。これに対し、2014年頃から、学びを促進する具体的な方法や、共同性をキーワードとした種々の方策(例えば早期選抜育成から再び一括研修へ、あるいはオンライン上の同期間の学び合いのプラットフォーム)が多く紹介されるようになっていた。それらは、早期選抜の母集団全体のスキル・モチベーションの底上げや、成長実感が得られないことに伴う離職の防止などを目的に導入されていた。 4.結論  2000年代までの「個人」の自律性あるいは関連する種々のコンピテンシーを強調するあり方については、個人が自律的にそれを獲得できるという前提に課題があり、従業員にも不安を生じさせたとも考えられる。本発表で記述されたのは、マネジメント言説が教育学の成果を取り込み正当性を再獲得する試みである。それは、キャリアが個別化する中での従業員の将来への不安をやわらげるものと考えられる一方で、待遇改善や安定そのものを保証するものではないとも考えられる。 付記:本発表は、科研費23K12623の研究成果の一部である。 Boltanski, Luc & Ève Chiapello, 1999, Le nouvel esprit du capitalisme, Gallimard (Gregory Elliott trans., [2005]2007, The New Spirit of Capitalism Paperback Edition, Verso.)

報告番号268

労働市場の階層的構造と賃金・スキル格差――
関西大学 瀬戸健太郎
東京大学大学院 那須蘭太郎

本報告の目的は、労働市場の階層的構造間の賃金格差を説明する要因として、マネジメントがどの程度、介在しているかを実証的に明らかにする。昇給・昇進機会が多く、抽象的で統合的理解を要求される職務に溢れた第一次労働市場とその逆である周縁的な労働市場である第二次労働市場との間では、賃金決定システムが異なることが指摘されてきた。そこでは、人的資本が賃金に反映されるかどうかという点で、大きな違いがあることが明らかにされており、同じ要因であっても賃金収益率が異なることが明らかにされている(Sakamoto and Chen 1991;石川・出島 1994;鈴木 2018)。ところで、これらの労働市場の間では、必要とされる職務や技能が異なることも強調されるのだが(石川 1989;Gordon, Edwards and Reich 1982)、それでは、このような職務や技能の違いが、労働市場の階層構造間でどれほど賃金格差を生み出すか、例えば勤続年数や職階の違いを強調する男女間賃金格差の研究と、パラレルな構造か否かといったことも十分に明らかではない。職務や技能の分布が異なることに由来するのであれば、それは労働市場全体での構成の問題であるが、同じような職務や技能を発揮しているにもかかわらず、賃金が「過大評価」ないし、「過小評価」されるのであれば、労働市場の階層構造に由来する差別にほかならない。この点を検証するために、本報告では、労働市場の階層的構造間での賃金格差に、マネジメント的要素がどれほど寄与するかを中心に、実証分析を行った。「就業構造基本調査」を用いて、雇用者(勤め先が官公庁を除く)のみに限定し、雇用形態と企業規模で分類したうえで、Oaxaca分解(Oaxaca and Ransom 1994)を行った結果、次の点が明らかになった。(1)労働市場の階層的構造間の賃金格差は属性要因と非属性要因とで、それほど顕著に比率が異なるわけではない。(2)その上で、非属性要因を詳細に検討すると、賃金格差の多くは損失側、つまりより下層の労働市場になるにつれ、賃金規定要因の「過小評価」によって生じており、上層の労働市場における「過大評価」の寄与度はそれほど高くない。(3)この結果に、日本版O-NETを外挿した職業別平均値のマネジメントスキルスコアも、管理職ダミーの寄与率もそれほど高くはない。以上の結果は、先行研究は労働市場の階層構造において、利用される技能の抽象度や汎用性、定型性や企業特殊的熟練といったことを強調するものの、それが実際に賃金格差を説明できる度合いはそれほど高くはないことを明らかにした。

報告番号269

ダイバーシティ・マネジメントをめぐる論理と実践――
国立社会保障・人口問題研究所 吉田航

国内大企業の多くは、DEI推進の旗印のもと、女性をはじめとして、外国人、障害者、高齢者、性的マイノリティなど、何らかの面でマイノリティ性をもつ人びとの雇用と包摂に取り組んでいる。しかし、日本企業がどのような論理のもとで、こうした人びとを「マネージ」しているかは必ずしも明らかではない。アメリカでは公民権法以降、雇用差別禁止の文脈でマイノリティの雇用が進められていたが、 1980年代以降は「企業の競争力向上」というロジックが援用されはじめる(Dobbin 2009)。結果として、個々のマイノリティ性が、企業の利益に資するかどうかで順位づけられる「ダイバーシティの商品化」(Weisshaar et al. 2024)がしばしば起きる。 そこで本研究は、国内大企業におけるマイノリティ雇用をめぐる論理を、企業が公開する統合報告書から明らかにする。現在、大企業の多くは、ダイバーシティ・マネジメントに関わる取り組みを、財務情報とともに統合報告書として企業Webページに公開している。その記述や、掲載されている役員・人事担当者の語りから、マイノリティ雇用の論理を析出・類型化することで、その論理が企業間・マイノリティグループ間でどのように異なるかを示す。たとえば女性は「商品化」の文脈で語られる一方、障害者は法遵守の論理が用いられる傾向にあるといった、個々のマイノリティ性に応じた論理の異同を明らかになることが期待できる。 さらに、各企業が援用する論理が、実際の雇用行動とどのように結びついているかも明らかにする。企業が援用する論理がマイノリティグループの雇用動向に影響する、あるいはマイノリティグループの雇用動向を踏まえてダイバーシティ・マネジメントの論理を構築する、どちらの因果関係も考えられるが、いずれにせよ両者の間には何らかの関連があると予想できる。たとえば、女性雇用を機関投資家への対応と位置づけている企業では、採用段階や従業員一般ではなく、投資家が着目する役員・管理職の女性登用に注力する「ガラスの天井より上の変化」(Mun and Jung 2018)が見られるかもしれない。あるいは、障害者雇用を法令遵守の論理で語る企業では、特例子会社制度を利用する傾向が顕著に見られるかもしれない。統合報告書の分析結果と実際の雇用データを組み合わせることで、こうした論理と実践の関連を明らかにする。 分析対象は国内上場企業のなかでも規模が大きく、有名性も高い数百社であり、2023年度の統合報告書を分析に用いる。雇用データは、東洋経済新報社が年1回調査・公表している「CSRデータ」を利用し、女性・外国人・障害者などの雇用率について分析を行う予定である。

報告番号270

(情報)マネジメントの方法としての「非ゲーム的パッシング」の重要性――実験臨床社会学の必要性
摂南大学 樫田美雄

(1) 「日常生活の(情報)マネジメント」が「企業活動の(情報)マネジメント」よりも重要性において劣っているということはない。「アグネス論文」の中でガーフィンケルが探求した「日常生活の(情報)マネジメント」(「非ゲーム的パッシング」)こそは、ダブルコンティンジェンシー状況の中で意味が創造され、了解されていく基本的構造を社会学的に明らかにしたものだからだ。(「パッシング」には、ゴフマン流の「ゲーム的パッシング」もあるが、本発表ではガーフィンケルが「アグネス論文」で精密に議論を組み立てた「非ゲーム的パッシング」を主要な資源として扱う。両者の区別と位置づけについては、樫田(1991)およびMaynard(1991=樫田訳2019)を見よ) (2) 「アグネス論文」において、「19歳のペニスを持った少女」であるアグネスは、少女時代の自分を語るための「実体験」を持っていなかった。けれども、「彼女」は「あなたの想像のとおりの少女だったわ」と同僚タイピストに述べる方法(「期待への追随」)で、その場をやり過ごすことに成功する。この議論から、「マネジメントの社会学」は大いに学ぶべきである。 (3) ではどのように学ぶのか。「アグネス」が実行した「パッシング」は、ゴフマンの「ゲーム的パッシング」とは異なり、「非ゲーム的パッシング」である。この点が重要である。メイナードの言をかりて解説しよう。「ゲームのルールは最初から知られており、ゲームが完了するまで無傷のままなのである。一方、実生活では、人々は『関連性の織物』(ガーフィンケル、1967:166f.)として、リアルタイムで管理されなければならない。予期していなかった状況や、その場その場の条件(コンティンジェンシー)をともなった、連続的な行為に埋め込まれている」(Maynard,1991=2019:59)、このような「日常生活」をこそ「マネジメントの社会学」は扱うべきなのである。どのようなリスクがあるか予め予想できる状況に対してだけ「マネジメント」という用語を用いるべきではない。 (4)  上記の含意は大きい。つまり、もし、「非ゲーム的パッシング」というものがあるのなら、それは「演繹的推論」に基づいた「合理的パッシング」ではない、ということなのだ。我々が「マネージ」してなんとかかんとか生き抜いているやり方は、「帰納的推論」に基づいた「合理的パッシング」なのだ。そう考えれば、「創造的経営」と「マネジメント」の整合的組み合わせも容易に理解できるようになるだろう。この議論の形、すなわち「推論形式」との関係で「合理性」を思考することについては、樫田・松浦(2025)において簡略に行った。また、そこから派生する議論として、「マネジメントの研究」が「実験・臨床・社会学」と呼ばれる形でなされるべきである、ということも言える(「合理性」というものが「演繹的推論」からなりたっているのなら、実験をしなくても「合理性」を構想することは可能だろうが、「合理性」というものが人々の集合的で習慣的な「帰納的推論」から成り立っているのなら、社会実験が不可欠となるのである)。これらを当日の発表では詳述していきたい。 =文献= Maynard,1991=2019(樫田訳)「ゴフマン、ガーフィンケル、そしてゲーム」in『現象と秩序』10:57-68。

報告番号271

Authoritarian Ecologies and Gendered Exclusions――Populist Crisis Governance in India, Turkey, and the United States
Humboldt-University DevrimEren


報告番号272

Faculty Burnout and Gender Inequity in the Wake of Multiple Crises――A Local Ethnography
Caraga State University JeffersonCuadra


報告番号273

Not so beneficial islanders: the planned/unplanned relocation and embankment politics of the Climate displaced communities of the ‘Global south’――case studies from India
University of Delhi MadhurimaChatterjee


報告番号274

Climate Injustice and Intersectionality――A Study of Displaced Women and Children in Coastal Nigeria
Olabisi Onabanjo University OludeleSolaja


報告番号275

愛知大学(社会学教育委員会副委員長) 樫村愛子


報告番号276

明星大学(社会学教育委員会委員) 元治恵子


報告番号277

神戸学院大学(社会学教育委員会委員) 都村聞人


報告番号278

中京大学(社会学教育委員会委員) 森田次朗


報告番号279

清心中学校・清心女子高等学校 指導教諭(探究推進・地域連携担当) 大前吉史


報告番号280

京都市立塔南・開建高等学校 教諭 村井昂介


報告番号281

原発事故からの復興過程における富岡町民の認識圏・生活圏・構想圏の交錯――(1)研究・調査の概要
高崎経済大学 佐藤彰彦

1.背景と目的 東日本大震災に起因し発生した福島第一原発事故からすでに14年が経過した。2017年春には帰還困難区域を除いて避難指示が解除され、その後10年を目処にこれまで継続されてきた各種支援が終了する。この間、被災地では、移住・定住促進施策の影響等も相まって、帰還・転入した者(転入者)は増加傾向にあるが、未だ帰還や被災地との関わり方などに迷いを抱いている者も少なくない。報告者らは、こうした状況下で被災者らが置かれている実態を把握するため、2023年に原発事故被災地である福島県富岡町の住民を対象に質問紙調査を実施した。 本報告はその後、調査協力を了承いただいた方々を対象に実施したヒアリング調査の分析結果──質問紙調査結果を裏付ける/結果とは異なる事柄──の全体像を示すものである。 2.方法 ①調査概要:2023年に福島県富岡町の住民(個人)を対象に実施した質問紙調査において、追加調査協力を了承頂いた方々へ2024~25年にかけてヒアリング調査を実施した。なお、別途並行して行ってきたヒアリング調査(②に示す「調査対象」別に実施)の結果も必要に応じて補足的に使用した。 ②調査対象: a)帰還者、b)避難者(通い/住民登録)、c)転入者の区分毎に追加調査協力意向者を抽出し、再度の調査依頼を経て承諾頂いた方々。ただし、現時点ではサンプルが限定的なため、今後調査を拡大していく予定。 ③分析の前提(概念整理):各個人の生活行為を通じて認識される「認識圏としての地域社会」(以下「認識圏」)は元来、「生活圏としての地域社会」(以下「生活圏」)と不可分である。他方で、復興/帰還されるべき「構想圏としての地域社会」(以下「構想圏」)が存在し相互に影響を及ぼしてきた──原発事故前、これらは同一空間に重層的に存在していた。「構想圏」は常に被災元地域と結びついており、「生活圏」は居住や就業など被災者の生活に連動して形づくられてきたが、これら2つは空間的にとらえることができる。対して「認識圏」は、避難元や避難先といった空間から遊離しながら多様なかたちで存在し、被災者らの現在の生活や将来に影響を及ぼしている。 ④分析の視座:以上を踏まえ、分析に際しては、a)帰還者、b)避難者(通い/住民登録)、c)転入者それぞれの意識や行動、その変容過程を「認識圏」「生活圏」「構想圏」の交錯の表れとして捉え分析を行う。 3.結果・考察 「生活圏」が変化しても、帰還/避難者のなかには避難元の人間関係や地域との繋がりなどが「認識圏」として存在し続けており、これが彼らの意識や行動に大きな影響を及ぼしてきた。しかしながら長期避難のなかで「認識圏」の作用は明らかに弱くなってきており、そこには加えて、原地復興―移住・定住政策を中心とした「構想圏」の影響が確実に存在する。それは被災者らの生活に作用をもたらし、世代を超えて、あるいは空間を超えて継承/再生産されてきたもの──「認識圏」を作り上げてきたもの──を大きく変えてきている。帰還者に関しては、被災地の地域再生ができていないだけでなく、被災前の「認識圏」との乖離が生活困難となって現れている。また転入者については、現状で満足できる「生活圏」が構築されるには至っておらず、「構想圏」との乖離が現れている。 【謝辞】本研究はJSPS科研費(20H01577(代表:佐藤彰彦)の助成を受けたものである。

報告番号282

原発事故からの復興過程における富岡町民の認識圏・生活圏・構想圏の交錯(2)――帰還者の人間関係と生活課題
尚絅学院大学 高木竜輔

1.目的 福島第一原発事故から14年が経過するなかで、事故被災者をとりまく生活課題は多様化している。本報告で対象とする帰還者についても、帰還できたからといって被災者の生活再建が完了するわけではない。2023年に実施した質問紙調査では、帰還者の生活復興感は避難者と変わらないことが示されている(高木 2024)。なぜ帰還者は自らの生活が復興したと感じることができないのか。 本報告では原発事故で全域避難を強いられた富岡町において、町内に帰還した人へのヒアリング調査をおこない、帰還後の生活とそこにおける課題を明らかにする。 2.方法 本報告で用いるのは、上記質問紙調査においてその後予定している調査依頼に了解していただいた方へのヒアリング調査データである。了解いただいた方の中からこちらの問題関心に即して改めて依頼をおこない、許可を得られた3名の方から話を伺った(60代女性、50代男性、60代女性)。またこの調査とは別にヒアリング調査を行っており、そこで得られた語りも必要に応じて使用することとする。 3.結果 帰町の経緯についていうと2名は事業者であり、双葉郡内での事業が拡大するなかで帰町した。1名は富岡町の慣れ親しんだ生活環境(景色や気候)への想いから帰町を決断した。また生活復興感については、2名が「ほぼ回復した」と回答し、1名が「回復したとは全く感じない」と回答している。 帰町後の生活に関して言うと、買い物や病院など生活環境への不満を口にしている。また、今は車があるため問題ないが、将来的に移動手段を失ったときの生活に不安を感じている。 帰町後の近隣関係についていうと、近所で戻っている人はそれほど多くなく、行政区の活動も事故前まで戻っていない。他方で、旧来の行政区の枠を越えた取り組みも行われている。1名からは行政からの役職依頼が増え、それに対する不満が聞かれた。そのことは行政ならびに行政職員に対する不満として表れている。自らも事業で忙しいのにいろいろな役職が振られること、他方で役場職員がいまも避難先にいること、などである。他方、避難先で構築した富岡町民との関係については、帰還者の一人が帰町後も継続していた。 転入者との関係についていうと、多様である。新たな転入者と距離を取るような人もいれば、趣味のサークルなどで転入者と新たな関係を結ぶ人もいる。 4.考察 調査結果から明らかになったことが2点ある。第一に、転入者を含めた人間関係の再編が生活復興感に影響を与えている。転入者との関係を含めた新たなまちへの向き合い方が復興を感じられない要因になっている可能性がある。 第二に行政区などの中間集団の活動低下が帰還者の生活に影響を与えている。帰還者が少ないことだけでなく、行政と個人の間を媒介する中間集団が機能しておらず、町内における人間関係や賑わいの創出につながっていない。さらに中間集団を担う負担は現役世代に降りかかっており、そのことが町内での生活負担となって現れている。 これらの調査結果からは、帰還者の「生活圏」と「認識圏」との乖離、つまり事故後の生活課題と、事故前の地域社会の生活課題への対応方法とのズレが確認された。今後の被災地の地域再生に向けては、その解消のための取り組みが求められている。 【謝辞】本研究はJSPS科研費(20H01577(代表:佐藤彰彦)の助成を受けたものである。

報告番号283

原発事故からの復興過程における富岡町民の認識圏・生活圏・構想圏の交錯(3)――避難者の「通い」に関する分析
高崎経済大学 横山智樹

1. 目的 原発事故と避難指示によって、「生活圏としての地域社会」は崩壊した。他方、政府は「早期帰還」を掲げ、避難指示を段階的に解除し復興事業を進めてきた。しかし、避難者の一部は、避難先に新たな生活基盤を形成しつつも避難元に残された家屋、農地といった土地・家産との関係を絶つことなく維持管理を続けている。本報告の目的は、こうした避難者がなぜ避難元の土地との関係を維持し続けるのか、その動機や意味を明らかにすることである。 2. 方法 2023年1月に実施した富岡町民を対象とする質問紙調査への協力者の中から、個別に同意を得た避難者5名(80代男性、70代男性①②③、60代男性)を対象にヒアリング調査を行った。 3. 結果 避難者5名の語りを分析した結果、⑴維持管理の継続や家産の継承意向には多様なパターンや葛藤があること、⑵通う目的や内容には時間的な変化が生じていること、の2点が明らかとなった。 まず⑴について、家屋や土地の継承に関する多様な意向の存在と、それに伴う葛藤が確認された。(1-1)既に継承を断念し、家を解体し土地を譲渡した(70代男性①)、(1-2)後継ぎ不在ながらも避難元・避難先双方の土地を活用し、二拠点生活・営農を実践している(70代男性③)、(1-3)避難元・避難先双方に資産を有しつつも、今後の管理や継承の判断がつかない(80代男性、70代男性②、60代男性)などがある。特にパターン(1-3)の葛藤の背景には、自身や親の「老い」によって維持管理が困難であること、帰還困難区域に指定されたことで除染や避難指示解除が進んでいないこと、また家や土地を処分したくても買い手が見つからないことなど、複合的な要因がある。 次に⑵について、避難指示解除前には、避難先から月1〜3回程度通い、農地や屋敷地の草刈り、家屋の見回り等を行っていた。また、同様に通っていた近隣住民と町で情報交換や近況報告を交わすなど、土地や人とのつながりを維持していた。しかし、次第に「老い」による体調面の懸念が生じたことや除染の効果が限定的であったこと、また避難指示が解除されるも自身は帰る判断ができないことから、家屋の再建を断念し、農地を貸し出すなどして他の担い手に委ねるようにもなったのである(80代男性、70代男性①、60代男性)。 4. 考察 将来的な帰還の可能性をつなぐためだった避難元への「通い」は、帰還が断念される中でも部分的に続いている。「通い」の意味が変化していった中で、なぜ避難者は避難元の家産を手放さずに維持管理を続けているのか。 第一に、所有権が残り管理の責任を負い続けているからである。これは先祖代々の土地への思いといった郷愁だけでもなく、また経済合理性だけでも説明できない、社会的な責任だといえる。第二に、生活基盤を避難先に移転し(でき)ていないためである。彼らは「生活圏としての地域社会」の崩壊に直面した避難者という存在だからであり、帰還を断念しつつも「元の生活基盤」を手放す判断はしない、という「宙ぶらりん」(60代男性)な状態を維持しているからである。 避難先と避難元を往還する「通い」は、彼らの「元の生活基盤」が町に未だ残されていることの表れである。そのため避難者の避難、および継続的な「通い」を支える政策的・社会的支援と、「元の生活基盤」を可能な限り原状復旧させることが必要である。

報告番号284

原発事故からの復興過程における富岡町民の認識圏・生活圏・構想圏の交錯(4)――広域避難者の住民登録に関する分析
法政大学大学院 市村高志

1.目的 東京電力福島第一原子力発電所事故により富岡町を含む複数の自治体では、全域避難により「生活圏」など地域社会が崩壊した。政府は「早期帰還」を軸とした復興政策を進めてきた。富岡町住民登録者数は11,132人(2025年6月1日現在)で、そのうち町内居住者は2,650人(約半数が転入者)である。避難者は「原発避難者特別特措法」により、住民票を避難元に留め置くという選択が可能であり、避難先でも医療・福祉と教育に関しては避難先住民と同じように受益することができる。そのことについて総務省は「広域避難者と原発被災自治体の復興に寄与するため」という見解であり、人々は制度的枠組みの中で避難生活を成立させてきた。 本報告では、事故から13年が経過するなかで避難者が避難元自治体(富岡町)の住民票を持ち続ける要因を明らかにする。避難者は富岡町をどのように認識し、生活の中でどのような位置付けととらえて住民票の維持・移動をめぐる意向の視点から考察する。 2. 方法 本研究では、2023年1月に実施した富岡町民を対象とした質問紙調査で「避難者」に該当する者のうちヒアリング調査の承諾が得られた人々を対象としている。性別や年代などを考慮して抽出し、同意が得られた個人を対象に実施したものである。 ヒアリング調査は自由回答形式(非構造化面接法)で行い、主に対象者の生活史、富岡町に所有している(いた)土地との関わり、避難生活の実態等に関する語りを得た。対象者は60代から80代の男性計5名で、2024年8月に自宅等に訪問して実施した。 3. 結果 避難者5名からは「なんで住民票を移さないといけないのか。避難しているのだから当然だ」という共通の認識が語られている。しかし70代男性は富岡町の土地の一部を売却し、避難先に定着しており、現在は「公的支援の終了に合わせて考えている」と語った。他の方は「避難指示解除前で住民票のことを考えられない」が気にしている。ある方は二拠点居住を実践して「帰還することも、しないこともできる」状態を構築してるが、今後の体調によっては避難先に住民票を移すことも考えている。 高齢者ということもあり、“老い”による病気治療や地域福祉との関りから住民票の取り扱いについて“迷い”が生じていた。その中で80代男性も病気治療など他の方と同様の理由があるのだが「もう年だから(住民票は)変えない」と語っていたことが印象的であった。 4. 考察 ヒアリング対象者の5名は住民票を移さない意思を示しているが、同時にそのことに迷い/揺らぎも感じられた。質問紙調査では「住民票に関する意向」の回答でも「移すことを検討」「迷っている」という回答が50.9%である。避難状態の中、住民票の取り扱いに迷う理由は主に“老い”に伴う医療・福祉に関することである。 避難者が無意識的に住民票を移動しないことは、避難元の情報提供などにより、繋がりを感じられ制度的にも避難元と一定の社会的意味がある。しかし、避難先で医療・福祉などの行政サービスや公的支援の終了、社会的規範の重圧を理由に住民票を移すことを検討するという例は多数存在しており、避難元から切り離そうとする作用がある。そのような中でも80代男性の語りは必ずしも”老い”に還元できない要因も見受けられる。その意味も含めて検討してみたい。

報告番号285

原発事故からの復興過程における富岡町民の認識圏・生活圏・構想圏の交錯(5)――転入者の意識と動向
東京都立大学 山本薫子

1. 背景と目的 2011年3月の福島原発事故によって全町避難を余儀なくされた福島県富岡町では、2017年4月に町の大半の地区で避難指示が解除された。これにともなって住民帰還の動きが始まり、2023年4月には特定復興再生拠点区域の避難指示が解除された。富岡町では帰還に加えて移住・定住を促進するための施策も実施されており、避難指示解除後に富岡町に帰還・転入した者(転入者)は増加傾向にある。 2023年に富岡町民に対して実施した質問紙調査の結果のうち、転入者に関して以下の事項を確認した。①富岡町に避難指示解除後に転入した人々の7割近くは仕事をきっかけに富岡町に転入している、②9割以上が現在何らかの形で働いており、「帰還者」「避難者」と比較しても総じて年代が若く、学歴が高く、世帯収入も高い、③町内生活に関する満足度は高いとは言えず、近所付き合いは希薄で、永住意思も低い、④働く場としての位置付けが強く、事故前のような地域コミュニティ形成には課題が残っている。 以上を踏まえ、転入者の意識、動向をより詳細に把握するためにヒアリング調査を2024年、2025年に実施した。その結果から本報告では転入者の意識と動向を明らかにする。 2. 方法 2024年10月から2025年2月に富岡町への転入者計10名(すでに転居した者を含む)へのヒアリング調査を実施した。このうち8名は、2023年に実施した質問紙調査の回答者である。一人あたりのヒアリング時間は60〜90分程度、ヒアリング回数は各1回である。 3. 結果 10名の内訳は、①富岡町で生まれ育ったいわゆるUターン者(3名)、②就労・転勤(原発関係以外)を理由とした転入者(3名)、③原発(廃炉)関係の業務従事を理由とした転入者(2名)、④地域振興・環境保護運動等への関わり及び家族移住等を理由とした転入者(2名)である。特に①は、2023年に実施した質問紙調査の結果(「1. 背景と目的」参照)と合致せず、新規の転入者カテゴリーとして指摘できる。 一方で、②は、高学歴で近所付き合いは希薄であり、調査票調査の結果を裏付ける事例といえる。いずれも都市部からの転入であり、商業施設の不足をはじめとした生活上の不便さ等に関する指摘があった。③は、高学歴で専門・技術職に就いており、近所付き合いは希薄であるなど、調査票調査の結果を裏付ける事例だが、生活満足度・永住意思ともに低くはない。④は地域活動に積極的に関わっており、永住意思は比較的高く、調査票調査の結果では確認できなかった事例と言える。 4. 考察 調査票調査では主たる回答者が流動性の高い転入者(転勤を含む)であったことから、定住ではなく転入の「フロー」と見なしたが、ヒアリング調査ではその反証となる事例も確認された。ヒアリング調査を通じて、調査票調査の結果よりも転入者の意識・動向には幅があることが指摘できる。つまり、調査票調査の結果による推定、及び行政による移住施策での想定よりも幅広い属性、背景を持った人々が転入していると言えよう。

報告番号286

ナショナルなものとしてのダークツーリズム
京都大学 渡壁晃

【1.目的】 近年、日本社会においては、東日本大震災などの甚大な自然災害からの復興や原爆、沖縄戦、都市部への大空襲など第二次世界大戦の集合的な記憶を継承することなどが議論の対象となっている。広島の原爆ドームに象徴されるように被災地・被爆地等、それらの出来事に関わる場所に人を集め、その記憶を伝えていこうというなかで、ダークツーリズムという現象が生じている。本報告では、国内外のダークツーリズム論の展開をレビューしたうえで、各国のダークツーリズム・サイトの事例を検討することで、ダークツーリズムという現象がいかなる限界と可能性をもっているのかを明らかにしたい。 【2.方法】 国内外のダークツーリズム論を整理するうえで、重要な指針となるのが学術誌における議論である。本報告ではまず、日本で刊行されている『観光学評論』と国際的な学術誌Annals of Tourism Researchに掲載されたダークツーリズムに関する論文をレビューする。そして、ダークツーリズムについての実証研究や観光ガイドブックの記述をたよりに、ダークツーリズムという現象がどのような文脈において生じているのかを明らかにする。 【3.結果】 日本のダークツーリズム論においては、「人間の闇の部分を巡る旅」「悲しみ」「学び」が重要な要素となっていた。一方で、英語圏のダークツーリズム論でのダークツーリズムの射程は広く、殺人現場や、戦場、墓地などさまざまな「死に関する場所」に訪れることをダークツーリズムととらえていた。また、研究の視点としては、死を消費するという現代社会の状況に関連づけて分析したり、需要側・供給側に分けてダークツーリズムという現象をとらえる試みがなされていた。そして、国内外のダークツーリズムの事例を検討すると、日本では戦争・災害にその射程が限定されていた。ここからは、日本のナショナルな政治的問題とダークツーリズムが深く関わっていることが読み取れた。また、国外の事例においても、アメリカにおけるアフリカ人墓地や、プランテーションを行っていた家といった奴隷制度に関連する場所や、インドにあるアジア最大級のスラムであるダラヴィスラムなど、その国の社会的・政治的状況やナショナルな歴史に深く関連していることが明らかになった。 【4.結論】 ダークツーリズムが期待されていることのひとつは、対象とする出来事の記憶などを広く観光者に伝えることである。観光が現代において急速に拡大したことを考えれば、今後そうした試みが広く行われることが考えられる。本報告から明らかになったのが、そうした意図をもつダークツーリズムの適用範囲は「ナショナルなもの」に限られるということである。このことからダークツーリズムは際限なく広がっていくのではなく、それぞれの国家の社会状況・歴史と密接に関連しながら展開されていくものと考えられる。

報告番号287

Funeralogy構想におけるSociology of Funeralの役割
専修大学 嶋根克己

Funeralogyとは近年の造語である(Shimane2018)。その由来はFuneral(葬儀)にlogos(学)を付け加えて成り立っており、「葬儀の科学」 (Science of Funeral) あるいは「葬祭学」を意図しており、葬儀・葬祭という人間にのみ固有な現象を学際的に研究することを目的としている。ここでいう葬儀(Funeral)とは、「人の死に伴って行われる儀礼のことであり、…死体の処理に伴う儀礼の体系」(庄司他1999)と定義する。「死」を扱う学問体系としてThanatologyが定着しており、FuneralogyはThanatologyの下位分野をなす。 日本は超高齢多死社会を迎え、世界の人口は82億人を超えている。限られた地球資源をめぐって生者は死者とどのように共存しあうかは今後大きな社会問題となりうる。しかしながら葬儀・葬祭・埋葬を体系的に取り扱う学問領域はなかった。ここにFuneralogyを構想する意義があると考える。そしてFuneralogyは社会的なWell-beingに資するものでなければならない。 Funeralogyの構築にとってSociology of Funeralは重要な位置を占めると考えられる。人類学に比べて、社会学では葬儀に関する関心は薄かったが、近年では多様で有望な研究が登場している。一般的に述べるならば、葬儀という社会現象を扱いながら、近代社会の構造変動分析する視角を提供することになる。葬儀に参加する人びとの変化から家族、親族、地域社会、職場集団などの現代社会の構造変動を読み取ることができる。一次集団が強固な社会においては近隣住民への葬儀の参加度は高いが、近代化が進行した社会では参加度が低減することが確認されている。また葬祭業や遺品整理業など新たな職業が生まれていることも社会の構造変動の結果と考えることができる。 もう一つは機能主義的なアプローチである。遺体の取り扱いや儀礼の内容は地域や時代によって大きく異なっているにもかかわらず、葬儀・葬祭を行わない社会はありえないといいうる。つまり葬儀・葬祭は人間社会にとって普遍的な存在理由を有しているはずなのに、根源的な解明はなされてこなかった。また大規模災害、戦災、COBID-19のような新興感染症によって生じる大量死にたいして、社会はどのように対応していくべきなのかという実践的な課題もSociology of Funeralは解決していかなければならない。 口頭報告では、従来の筆者の研究蓄積を紹介しながらSociology of Funeralが果たすべき可能性について論じていきたい。 K. Shimane, Social bonds with the dead: how funerals transformed in the twentieth and twenty-first centuries, Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 庄司他編1999『福祉社会事典』(弘文堂)

報告番号288

価値観と諸制度の共進化――LGBTに関する諸国の規範形成を事例として
京都大学大学院 松井樹丸

【1.目的】 諸個人の抱く価値観と社会制度との間の関係は、用語を変えながら社会科学の諸分野で繰り返し論じられてきた重要なテーマだ。一方で、モンテスキューからイングルハートに至るまで、人々の価値観が制度を決定づけるのだと論じてきた理論家がいる。他方で、デュルケムやヴェブレン以来、制度の方が諸個人の価値観を形成するのだと主張してきた研究者も多い。さらに、ヴェーバーやミルズのように、価値観と制度の相互作用に注目すべきことを認識していた社会学者もいる。しかし、そうした相互作用に関する中範囲の理論──いかにして価値観の変化が制度の変化をもたらす(または制度の変化が価値観の変化をもたらす)のかという点の解明に役立つ理論──は、発展途上といえる。そこで本報告では、John Meyerら新制度主義の議論を下敷きにしつつ、そこに価値観の概念を組み込み、価値観と制度の相互作用に関する経験的研究に役立つ理論の発展を試みる。 【2.方法】LGBTに関する諸国の政策と価値観の量的データを用いた事例研究を題材にして、以下の問いを検討する。①誰が新たな制度(同性婚の実現など)を形成するのか。②新たな制度はいかにして外部に波及するのか。③外部からやってきた制度は価値観を変えうるか。 【3.結果】①LGBT政策の顕著な発展は、30年ほど前に西欧や北米で始まり、特に豊かで高学歴かつリベラルな人々がその変化を先導した。2000年代中盤までは、諸国民の価値観は、諸国のLGBT政策の充実度の差異を説明する最も強力な変数だった。しかし、中南米や東欧の諸国がLGBT政策を発展させてきた近年では、価値観の説明力は弱まりつつある。むしろ、②リベラルな国際ネットワークや民主制と法の支配の安定度といった変数の方が、LGBT政策の波及において重要になっている。特に一部の東欧諸国では、国際社会に自国の寛容さを示したい政治家たちが、世論に反して戦略的にLGBT政策を導入する現象も見られる。こうした制度の波及の過程においては、しばしば価値観や実践と公式な制度との間の顕著なギャップが見いだされる。最後に、③制度が価値観を変化させるかどうかについては、データが不足しているために分析が不十分になるが、同性婚を認めた台湾のように価値観の急な変化が見られた諸事例では、地政学的な条件の重要性が見いだされる。 【4.結論】以上の議論は政策のグローバルな波及に関するものだが、これをより一般的な制度理論の命題に変換すると、次のようになる──①人々の価値観という環境的要件の変化に対応すべく、一部のパイオニア的諸組織が制度を変化させる。②新たに形成された制度が、価値観の変化への適応という元の文脈を離れて、正当性のあるものとして他の諸組織に受容される。もっとも、その初期においては、外部からやってきた制度が必ずしも人々に内面化されているとは限らない。しかし、③外部からやってきて根付いた諸制度が、人々の価値観を変化させることは可能であり、特にパイオニア的諸組織の陣営に属する強い動機がある場合には、そうした事が起きやすい。したがって、制度の形成には、実質合理的な制度形成という第一段階と、形式合理的な制度形成という第二段階とが見いだされ、前者では価値観が制度を形成し、後者では制度が価値観を作り替える。以上の命題は、制度と価値観の変化に関する経験的研究に応用できるものと思われる。

報告番号289

応答的自由と応答の相関マトリクス(Matrix of Responsive Correlations: Azusa Matrix)による自由概念の再定位――
東京大学大学院 猪又梓

1. 目的  「自由」という概念は、制度的には普遍的価値として位置づけられているが、その実態は多義的であり、個人・集団・社会の各水準において異なる含意を持っている。現状としては、制度、規範、言説においてそれらの区別が明確化されないままにあり、現実の分析および理論の構築のための見通しを悪くしている。本研究の目的は、自由概念を再定位するために、応答理論、および応答理論に基づいた新たな分析枠組みを提示し、その有効性を検証することである。 2. 方法  報告者が提唱する応答理論(Responsive theory)とは、行為や関係の成立を、「差し出し」と「受け取り」の往還的構造として描き出すものである。これは、自由を内在的自由(inner freedom)、外在的自由(outer freedom)、社会的自由(social freedom)、応答的自由(responsive freedom)、さらに創造的自由(creative freedom)へと接続的に捉え直す視点である。内在的自由は差し出しの源泉、外在的自由はその実現の空間と他者との関係調整の条件、社会的自由は外在的自由の制度的側面を担う。そして応答的自由は、それらの自由が他者とともに立ち上がる過程全体を捉える。本報告では、この理論を可視化するため、応答の三要素(関係の射程/保護の方向/差し出しの程度)を三軸に対応させた「応答の相関マトリクス(Matrix of Responsive Correlations: Azusa Matrix)」を用い、自由の理解と実践の具体的位相を示す。 3. 結果  このマトリクスを用いることで、「自由主義」「共同体主義」「権威主義」などのイデオロギー的立場における応答傾向の視覚化が可能となった。たとえば、自由主義においては個人の差し出しを前提とするが、受け取りの保障が希薄である一方、権威主義では保護の方向が強調される代わりに差し出しが限定されるなど、それぞれの体制が応答構造の一部に偏りを持つなどの傾向を視覚的に確認できる。これにより、従来の自由論が見落としてきた関係的次元を明示することが可能となった。 4. 結論  本報告は、自由を制度が保障する静的な権利としてではなく、行為と関係の生成過程として再定義することで、応答的自由という視点の有効性を示す。応答の相関マトリクスは、多元的自由の交錯と主体同士の調整の過程を、理論的かつ実践的に把握する道具となる。また、このマトリクスは、自由概念に限らず、正義・ケア・承認など他の倫理的・社会的概念にも応用可能であり、今後の社会理論構築における汎用的な分析枠組みとして発展する可能性を有している。

報告番号290

外来者を後継者として捉える意味――F. テンニエスによる「客人」概念に着目して
明治学院大学 永岡圭介

1. 問題提起と目的 F. テンニエスの純粋社会学では、「外来者」は他人の家に一過的にしか縁がない故に、共に楽しむ(Mitgenuss)客としては価値がないものとされる。しかし、外来者は畏敬や愛をもって遇せられるにつれて、「客人」として他人の家に関わっているあいだは、主たる身分に近づくものとされる。本報告では、外来者が土地に馴染み根づくことが、客人から担い手あるいは「後継者」への段階的な移行であると仮定する。そのうえで、地方や農村などの地域課題に対する外来者(移住者あるいは帰郷者)の価値を、「客人」の意味あいから考察する。 2. 調査対象と方法 近年、移住・定住促進施策に沿い、移住者(移住を検討する候補者を含む)に向けて、土地の慣習や伝統行事などについてまとめた「集落の教科書」が作成され公開されている。内容に沿って「ルールの強制力と認知の程度」を表している点がこの取り組みのコンセプトである。 このなかで、「改善に向けて検討中(考え中)」を示す内容に着目して、土地の慣習や伝統行事、環境についてどのように検討されて地域課題となっているかを分析し、地方や農村などを活性化するうえでの外来者の価値を考察した。本研究で焦点を当てた「改善に向けて検討中」とされる内容は、外来者との共同体や定住に備えて何らかの手を打つ必要があり、定住者だけでは解決困難な地域課題である。 3. 分析と考察 「集落の教科書」を既に公開している9つの集落(地区)において、合計17件の「改善に向けて検討中」の課題が示されている。それらは、区自治会の会費や役員選出の見直し、訃報の伝達方法や寺環境整備などをめぐる檀家制度と互助制度との線引き、地蔵盆や納涼祭、神事など伝統行事の簡略化や廃止、身近な医療施設の確保や災害時の避難場所と方法など生存にかかわる環境整備、空き家や偉人の生誕地を活かしたまちづくりにも及ぶ。 過疎化によって不足した担い手や参加者を外来者で補足・拡充して伝統行事を維持・存続させるのか、それとも時勢に合わない慣習・慣例を見直して廃止していくのか。また、外来者を誘いながら活性化するにあたって、行事や土地の資源を転用・活用していくのか。ただし、何れもあるのは方向性だけである。 外来者は定住し土地に馴染むことを要求されつつも、主たる担い手、後継者に値しない。他方、外来者はたんに土地の慣習慣例に従うのみならず、定住者とともに地域課題に取り組む担い手でもある。テンニエスによれば、「外来者」は子供と同じように一時的もしくは永続的な奉仕者として扱われ、未完成であり保護される存在である。その意味あいから、帰郷者に代わって、Iターンという移住者が「客人」として迎え入れられて子供の身分に近づくにつれ、土地の担い手であり後継者へと成長していくものと捉えられる。 4. 結論 外来者は、まず「客人」として存在する。しかし、ある特定の土地に継続的に関わる外来者(ライフスタイルとしての関係人口)は、たんに貨幣と引き換えにサービスを受けるだけの一過的な客(交流人口)でもなければ、賃金と引き換えに労働力を提供する被雇用者でもない。外来者は地域に関わりながら定住に向けて、客人から主人としての存在に移行する。

報告番号291

安全メカニズムによる統治から考える福祉国家の現状――福祉国家とポスト福祉国家の狭間はいかに埋められるか
岡山県立大学 中村健太

報告者は、現代社会がミシェル・フーコーのいう安全メカニズムという方法によって統治されていることを明らかにした(中村 2022)。安全メカニズムは統治対象として個体群を設定し、一定の犠牲を念頭に置いて統治を行う。では、安全メカニズムの理論を福祉国家に適用した場合、現代の福祉国家を取り巻く状況はどのように捉えなおせるのか。 分析ではフランスの福祉国家論に焦点を当てる。フランスでは主に、ジャック・ドンズロやピエール・ロザンヴァロンなどが福祉国家を検討してきた。議論によると、1960年代までは個人として十分な財を所有しない人々でも連帯を通して社会に包摂されることで、安定した環境で労働し未来への不安感を除去することができていた。しかし1970年代になると景気の悪化などの影響で、それまでのように保護を必要とする人々を国家が十分に包摂できなくなった。 以上の変遷を踏まえ彼らは現代を、“福祉国家の危機”あるいは“ポスト福祉国家”の時代と位置づける。確かに、必要とする人々に保護が行き届かないなど、現在の福祉国家がおかれた状況は福祉国家の黄金期と比較すると危機的だということができる。 他方で現在も年金制度や生活保護制度が存続しているように、福祉国家的な保護機能が完全に崩壊したわけではない。この、福祉国家的機能が今でも維持されている側面を、“危機”や“ポスト”という文脈から捉えることは難しい。そこで本報告は、不安定だが保護機能が完全になくなったわけではない国家による社会の統治を捉える際に、安全メカニズムの理論が有効であることを示す。 安全メカニズムの統治対象である個体群は正常値と呼ばれる値を有し、統治は正常値が維持されているか否かを基準に行われる。この観点を福祉国家にあてはめた場合、一定の個人が保護から零れ落ちていても、正常値を維持できているならば社会は統治されていると判断されることになる。つまり安全メカニズムは、人口・産業構造の変化などから保護が狭まり、個人化の進展によって連帯が難しくなった不安定な現代社会を統治する際に有効な装置とみなすことが可能である。ここから、福祉国家的保護がかつてほど有効ではなくなったなかで、ばらばらになった個人をまとめるための方法として、個体群という枠組みからの統治が機能しているという知見が導き出される。 以上の議論を踏まえて本報告は、これまでのようには個人を保護できなくなっているが保護がなくなったわけでもない、換言すれば福祉国家でもポスト福祉国家でもない現状を、福祉国家が老朽化した状態という意味をもつ老朽国家と名付ける。そして老朽国家は、個体群を統治対象とする安全メカニズムによって統治されていると結論付ける。 参考文献 中村健太, 2022, 「個体群の統治メカニズム――現代社会の統治を検討するモデルとしてのミシェル・フーコーの安全概念」『社会学評論』73(2): 103-18.

報告番号292

批判的実在論からみた運動行為の記述
同志社大学 鵜飼孝造

新型コロナウィルス感染症の拡大の中で、大学の授業もオンライン中心になり、社会のリアリティは何かということを考えざるを得なかった。感染と発症の因果関係についても、当初は専門家の中でも手探り的な発言が目立った。 社会運動がなぜ起こるのかを分析する場合、それを生む社会構造を特定し、行動の展開を追い、社会的効果を測定する。そこで想定されるのは社会的要因間の因果関係であり、自然科学をモデルにした実証主義である。 「一つ一つ具体的に丁寧に記述する」ことにはいかなる意義があるのだろうか。記述を重ねていけば、因果関係が解明されるのか?事例研究を一般化することはできるのか、記述と計量研究は独立なのか、あるいは補完関係にあるのか。 報告者は、集合行動の歴史社会学から出発し、社会ネットワーク論の視点から、運動参加者が各時点のコンテキストによってつながり方を変えていく様子を記述し、人間・社会的要因に限定しないアクターネットワーク論を応用できないかと試みてきたが、記述と理論は両立可能かなお未解決のままである。 ANTの源流「批判的実在論」を再検討すると、科学哲学者ロイ・バスカーは社会学に多く言及している。社会学には実証主義と解釈学の流れがあるが、自然科学も含めて、客観的データや事実にのみ実在を求めるのではなく、科学者集団の活動の科学性にまで(批判的な)分析を行なわねばならないという。 バスカーは、世界は「開いた系」としてあり、人間の認識からは完全に独立して存在する「自動的な」事象、実証主義も解釈学も及ばない領域があるという。他方、我々の知識は時代や地域の影響も受ける。知識の社会学的側面(知識社会学)を他動的次元として区別する。 実証主義も解釈学も閉じた系の中で特殊を一般化する誤りをおかしており、主意主義と構造主義の二元論も不毛だとバスカーはいう。批判的実在論では、表層的現象を生み出す構造を求めて、より深い階層へと向かっていく。では、開いた系で現れる現象を科学的に探究するにはどうしたらいいのか。 先に社会があるから人間の意図的活動が成り立つ。社会が科学の対象として実在しているからこそ因果作用が起こる。また人間の媒介が不可欠な、批判の学としてしか社会科学は成り立たない(関係主義的社会認識)。社会活動の経験を通じて概念化された社会生活の表層から、それを引き起こすより基底的な社会関係へと分析を向けることが社会科学の力量である(社会活動の転態モデル)と。 社会は活動者たる人間にとって条件であると同時に、自らの再生産の成果としてある(構造の二重性)。また人間の活動は生産であると同時に社会の再生産としてある(実践の二重性)。したがって関係を外的なものとも内的なものとも見るのではなく、常に変化(転態)するものと見なければならない。そこでは一般的な社会学は存在せず、特定の歴史的文脈の中で転態する歴史理論しかあり得ない。 バスカーの科学哲学は半世紀前に生まれた異端だったが、構造と実践の二重性や関係の転態に関する理論は、21世紀に入ってソーシャルメディアが発達する中でリアリティを強めているのではないだろうか。本報告では、コロナ禍から「トランプ2.0」にいたる現象を記述しながら「転態」の深層に迫りたい。 Roy Bhaskar,1979,The Possibility of Naturalism(式部信訳『自然主義の可能性』2006)