現代若者「生きにくさ」に対する、セロトニントランスポーター遺伝子多型5-HTTLPR の効果
〇鹿児島大学 桜井 芳生
鹿児島大学 西谷 篤
奈良大学 尾上 正人
【1. 目的】 科研費研究「文化-ジーン共進化説のミクロ的確認とネットワーク社会学的展開」(挑戦的(開拓)。17H06193000. 20K20281 代表者:桜井芳生)の結果の一部を報告する。日本現代若者を語るさいのキーワードは、「生きにくさ」(生きづらさ)であろう。これについては、おもに、発達障害など心理的な原因をのべるもの、失われた○○年・格差社会など、社会経済的要因を原因とするもの、その絡み合いを原因とするもの、に大別できるように、おもわれる。われわれは、これらが「生きにくさ」の原因でありうることを全く否定しない。しかし、われわれは、当事者の「生きにくさ」意識に、その当事者の遺伝子変数が無視しがたい効果をあたえていることをみいだした。
【2. 方法】 匿名の調査協力者さんたちから採集した遺伝子試料の解析結果と、その方々に回答いただいたスマホアンケートの結果との統計解析をおこなった。スマホアンケートと遺伝子試料ご提供協力者:161人、男性:102人、女性:59人、年齢平均19.17歳(標準偏差1.35) で、あった。
【3. 結果】 「生きにくさ」意識に、その当事者の遺伝子変数が無視しがたい効果をあたえていることをみいだした。「セロトニントランスポーター遺伝子多型」(5-HTTLPR)が、SS型の人ほど、「なにか生きにくい」感じをかんじる(線形重回帰分析による、標準偏回帰係数-.223、有意確率.018)。と同時に、「一ヶ月間で、自由に使えるお金」が少ないほど、「家計収入」が高いひとほど、父学歴が低いひとほど、協調性が低いひとほど、たまに、ゆううつ(憂鬱)になるひとほど、「なにか生きにくい」感じをかんじる。という知見を得た。(当モデルの、調整済み R2 乗の値は、.381であり、有意確率は、.000であった)。
【4. 結論】 「生きにくさ」についての議論は、暗黙には、政策的介入への「含意」ももっているものが大部分とおもわれる。しかし、その政策的含意で、当事者の遺伝子の型をふまえたものがあるのは、しらない。いわゆる「オーダーメイド医療」のように、当事者の遺伝子の型を踏まえた(型の違いに応じた)、「生きにくさ」感覚へのオーダーメイドな政策が構想できるだろう。この「生きにくさ」への「セロトニントランスポーター遺伝子多型」の影響は、現代日本という文脈(文化)に依存している可能性もあるだろう。他の文化圏(国)における調査との比較もつよくのぞまれよう。論理的には「異時代」間比較も望まれよう。
謝辞:前記科研費メンバーの皆さん、鹿児島大学遺伝子実験施設の皆さん、に深く感謝します。
連絡先:yoshiosakuraig@gmail.com
〇奈良大学 尾上 正人
鹿児島大学 桜井 芳生
鹿児島大学 西谷 篤
東京大学 赤川 学
鹿児島大学 安宅 弘司
鹿児島大学 丸田 直子
【1. 目的】 われわれの科研費研究「文化-ジーン共進化説のミクロ的確認とネットワーク社会学的展開」(挑戦的(開拓)。17H06193000. 20K20281 代表者:桜井芳生)の結果の一部を報告する。遺伝子変数が社会行動にいかなる影響をあたえるかを探求する。
【2. 方法】 ニシナやヤマギシら(Nishina et al.2015)を参考に、オキシトシン受容体OXTR遺伝子の一塩基多型(SNP)の一つ「rs53576」のタイプの解析をまずは目指した。実験計画は大学倫理審査委員会の審査済みである。匿名の調査協力者さんたちから採集した遺伝子試料の解析結果と、その方々に回答いただいたスマホアンケートの結果との 相関分析をはじめとする統計解析をおこなった。A大学とB大学、2018年度~19年度のいくつかの授業履修者さんたちが対象プール。スマホアンケートと遺伝子試料ご提供協力者、161 人、男性:102 人、女性:59 人、年齢平均19.17歳、標準偏差1.35 で、あった。 オキシトシン自体はホルモンの一種で、末梢組織においても、中枢神経での神経伝達物質としても、作用する。後者としては、視床下部にあるニューロンから分泌され、下垂体後葉など様々な脳部位に作用し、脳の機能を調節しているとされる。様々なスキンシップにより分泌され、他者への信頼・共感・養育行動のような「向社会性」との関連が指摘されている。オキシトシン受容体(OXTR)遺伝子は第3染色体にあり、そのなかの「rs53576」と呼ばれている一塩基多型(SNP)はOXTR遺伝子の三番目のイントロン上にある。
【3. 結果】 リアルタイムPCR装置(StepOnePlus)で解析を行った。アンケートの回答のほとんどとrs53576の多型は、順序変数とみなすことができると考えられたので、ケンドールのタウ係数(順位相関係数)による相関分析をおこなった。rs53576と、設問「あなたはどれくらいの頻度でスマホでTwitterをしますか」のみが有意な相関をしめした(相関係数:0.214,有意確率(両側):0.030)。他の影響していそうな諸変数で統制しても、依然として、有意であった。
【4. 結論】 分析できた試料数は少ない。広く追試を仰ぎたい。ニシナ、タカギシ、Fermin,イノウエ‐ムラヤマ、タカハシ、サカガミ、ヤマギシたちが、重視した「信頼」「向社会性」への傾向と、G保有者とのあいだにとくに有意な相関がみいだされなかった。回答肢の文言ならびに振られた値より、【AAホモのヒトほど、Twitterをする】となった。興味深い知見と考える。rs53576の多型が、直接ツイッター利用頻度の違いをもたらしているとはかんがえにくく、そこには、生理的機序・心理的機序・社会的環境その他の環境要因が影響していると想定している。さらに多くの試料を得て、これらの変数を含む統合的因果モデルの構築を試みたい。
文献:Nishina, Kuniyuki, Haruto Takagishi, Miho Inoue-Murayama, Hidehiko Takahashi, and Toshio Yamagishi. 2015. “”Polymorphism of the oxytocin receptor gene modulates behavioral and attitudinal trust among men but not women.”” PloS one 10 (10).
連絡先:yoshiosakuraig@gmail.com
北海道大学 平沢 和司
1.目的 「社会調査の困難」が指摘されて久しいなか,回答者の選好に合わせて複数の回答方法(モード)を提供する複合モード化の進展が求められている。本研究では,第一にパソコンに加え,急速に普及したタブレットやスマートフォンの利用可能性を探り,調査モードの組合せがデータ全体の傾向に及ぼす影響を解明すること,第二にコンピュータ支援によって得られる豊富なパラデータを実査運営に効果的に活用して,より多くかつ偏りのない信頼性の高い回答を収集できる調査方法を特定すること,を目的として複数の実験的な調査を計画した。最終的にはこれらの知見を統合して,CASIC(=Computer Assisted Survey Information Collection)型複合モードの実装方法を開発することを目指しているが,おもに第一の目的に関わる2つの調査を2019年末から2020年初頭に実施したので,そこから得られた結果を4つの一連の発表によって報告する。
2.方法 調査対象者の視点に立てば、回答モードは訪問面接・郵送留置・ウェブなどから選択できることが望ましい。他方、調査実施者からすれば,モードによる回収率や回答傾向の違い(社会的望ましさバイアスなどのモード効果)の有無や程度がおおいに気になる。さらに複数のモードを組み合わせた場合,その順序による影響も知りたいところである。そこで本研究では,2種類の調査を実施した。なお,調査内容は人々の日常生活でも関心が高いテーマとして,外国人との共存・異文化接触と国際関係についての社会意識を中心に構成し,「多文化共生社会とライフスタイルに関するアンケート」と称している。 まず第1の「モード比較調査」では,以下の4つのモードを,対象者に対してランダムに割り当てた。すなわちc1:郵送法とウェブ法の同時型(concurrent:調査依頼状とともに紙の調査票を郵送し郵送回収を依頼するが,依頼状に書かれたURLにアクセスすることでウェブ・モードによる回答も可能で,対象者がどちらかを選ぶ),s1:郵送法の後、ウェブ法の逐次型(sequential:まず郵送法で回答を依頼し,未回答者に対しウェブ・モードで回答を依頼),s2:ウェブ法の後、郵送法の逐次型,s3:ウェブ法の後、郵送法,それでも未回収の対象者に対して訪問面接法での回答を依頼する逐次型,である。 第2の「NPOP 1」などは,「モード比較調査」とほとんど同一の調査票(ウェブ回答システム)を用いて同時期に実施した非確率オンラインパネル調査である。
3.結果と結論 「モード比較調査」のそれぞれの回収状況や回収者の構成については第2報告で,「モード比較調査」と「NPOP 1」などの回答傾向の差異については第3報告で,センシティブな内容の質問に関する回答者数の推定については第4報告で、それぞれ報告する。
【謝辞】本研究はJSPS科研費18H03649, 16H03689の助成を受けたものです。
群馬県立女子大学 歸山 亜紀
1.目的 確率標本調査における回収率の低下傾向は、調査データの質にかかわる大きな問題である。この解決策のひとつとして、複数の実査モードを組み合わせる複合モード(mixed-mode)デザインが提案されている(Groves et al.2009)。 複合モードデザインには、実査モードのさまざまな組み合わせ方、それらを同時並行で行うか(concurrent)、逐次的に行うか(sequential)、逐次的の場合には、さらにその順番、も含まれかなり多様なバリエーションが存在することになる。しかし、どのような組み合わせを、どのようなタイミングで、どのような順番で行うと低コストで高い回収率を得られるのか、ユニット無回答バイアスを低減できるか等は、複合モードデザインが多様であるわりには実施数が少なく、じゅうぶんに明らかにされているとは言えない。 そこで本報告では、複合モードのうち、郵送法/ウェブ法、同時型/逐次型の組み合わせによる4つのパターンの回収率や設計標本構成と回答者構成を比較し、検討する。なお、4パターンはそれぞれc1、s1、s2、s3と表記する。詳しくは第1報告を参照されたい。
2.方法 本報告で用いるのは、2020年1月~2月に実施された「多文化共生社会とライフスタイルに関するアンケート」データである。この調査は、東京都(島嶼部を除く)・千葉県・埼玉県・神奈川県・愛知県の満18 歳~69歳(2019年10月末時点)の人びとを母集団とした確率標本調査である。対象者は、上記の4パターンの複合モードにランダムに割り当てられた。サンプルサイズは2,000(c1、s1、s2がそれぞれ600、s3が200)、全体の回収数(率)は798(39.9%)であった。
3.結果と結論 3-1 回答モードと回収率 同時型c1の最終回収率は38.8%で、そのうち郵送回収数151(c1の回答者の64.8%)、ウェブ回収数82(同35.2%)であった。逐次型では、s1で第1モードの郵送215(この時点の回収率35.8%)、第2モードのウェブ28で最終回収率40.5%であり、s2で第1モードのウェブ173(この時点の回収率28.8%)、第2モードの郵送61で最終回収率39.0%、s3では第1モードのウェブ52(この時点の回収率26.0%)、第2モードの郵送で28(同40.0%)、第3モードの訪問依頼郵送回収数が8で最終回収率44.0%であった。回収率全体では、c1、s1、s2ではほとんど差が見られず、s3がやや高い。ただし、s3では調査員が訪問するコストがかかっていること、また回答拒否の意思表示をした比率が高かったことに注意が必要である(c1で0.3% s1で0.8%、s2で1.0%、s3で6.0%)。
3-2 設計標本構成と回答者構成 4パターン全体の設計標本の性別構成は男性51.9%、女性48.1%で、回答者では男性46.6%、女性52.0%、そのほか・無回答1.4%であり、設計標本に比べると回答者の女性比率がやや高い。とくにs3では設計標本の性別構成(男性53.5%、女性46.5%)に比べ、回答者の性別構成(男性43.2%、女性56.8%)で、女性比率がかなり高い。 設計標本の情報として、このほかに年齢と都市規模が利用できる。これらの分析の詳細は当日報告する。
【参考文献】Groves, R. M. et al.,2009, Survey Methodology, 2nd ed., John Wiley and Sons.
【謝辞】本研究はJSPS科研費18H03649、16H03689の助成を受けたものです。
お茶の水女子大学 杉野 勇
1. 目的 “インターネット調査”に対する批判が主に非確率標本であるオンラインパネル(ウェブパネル,登録モニター)の偏りの懸念に根差しているのは周知の通りである。サーヴェイ実験をはじめとしてデータ収集モードとしてのウェブ法にさまざまな利点があることも今ではよく知られているが,安価で迅速,同意調達の問題も殆どなく激しいクレイムが来る心配もないと云う理由で安易に非確率的オンラインパネル(NPOP; Non-Probability Online-Panel)が利用される事への批判が強いのも尤もである。 確率標本とオンラインパネルの比較研究としては,本多則惠と本川明による研究(労働政策研究・研修機構 2005)や大隅昇・前田忠彦(2007, 2008),石田浩ほか(2009)など,日本でも十数年以上の蓄積があるが,ICTやモニター登録を取り巻く状況は絶えず変動している。しばしばNPOP使用の正当化のためにインターネット普及率の上昇などが言及されるが,高齢者でもスマホやインターネットなどを使う人たちが増えたとしてもそれがNPOPの偏りを緩和しているとは限らない。
2. 方法 東京(島嶼部を除く)・千葉・埼玉・神奈川・愛知の満18歳~69歳の男女を母集団とし,主に選挙人名簿から層化二段系統抽出した標本に対して,2020年1月~2月に郵送とウェブのMixed-Modeで実施した「多文化共生社会とライフスタイルに関するアンケート」(PS; Probability Sample)と,殆ど同一の調査票/ウェブ回答システムを用いて同時期に実施したNPOP(NPOP 1とする)を比較する。また,別のNPOP(NPOP 2)を用いて2019年12月に実施したウェブ法調査でも一部の標本設計と質問項目を重複させており,比較可能な層に限定してPS, NPOP1, NPOP 2の比較を行い,NPOP間での異同にも注目する。
3. 結果と結論 PSとNPOPの間で属性や行動,態度の違いなどを検討する事が一般的であるが,手始めに,どの程度の人がNPOPに登録しているのか,どの程度“ウェブ・アンケート”に回答しているか,から比較する。 3つの回答者群の共通範囲は首都圏1都3県18-29歳である。「あなたはウェブアンケート・インターネットアンケートのモニターに登録していますか。」に対して,PSでは約8割が「アンケートモニターには登録していない」。2つのNPOPでは登録数に顕著な違いがあり,複数掛け持ち型が多いNPOPといわば専属型のNPOPと言えた。しかしいずれにおいても回答頻度は6~7割が「毎週5回以上回答している」。NPOPでは回答動機は謝礼目的が5~7割であるがPSにおける登録者は必ずしもそうでも無い。 当日の報告では,PSとNPOP 1について,政治的態度や多文化共生意識についての比較も行う。
石田浩・佐藤香・佐藤博樹・豊田義博・萩原牧子・萩原雅之・本多則惠・前田幸男・三輪哲,2009,『信頼できるインターネット調査法の確立に向けて』東京大学社会科学研究所. 大隅昇・前田忠彦, 2007, 「インターネット調査の抱える課題――実験調査から見えてきたこと(その1)」, 『よろん』100: 58-70. 大隅昇・前田忠彦, 2008, 「インターネット調査の抱える課題――実験調査から見えてきたこと(その1)」, 『よろん』101: 79-94. 労働政策研究・研修機構,2005,『インターネット調査は社会調査に利用できるか――実験調査による検証結果』.
【謝辞】本研究はJSPS科研費18H03649, 16H03689の助成を受けたものです。
金沢大学 小林 大祐
1.目的 調査票調査において,センシティブな内容を質問する場合,測定誤差による回答の偏りは避けて通れない問題である。社会的に望ましい行為や意見は過大に報告され,社会的に望ましくない行為や意見は過小に報告されるという「社会的望ましさ」バイアスは,調査員が介在する他記式モードでより大きくなることが,多くの研究で明らかにされてきた。しかし,調査員の影響が小さい,または無いような自記式調査においても,測定誤差による偏りが生じていないとは限らない。 本報告では,回答の匿名性を高めるテクニックを用いることで,この点の確認を試みる。センシティブな質問についてより正確な回答を得るためには,これまでも様々なテクニックが編み出されてきた(Coutts et al. 2011)。ただし,これらのテクニックのなかには,質問に際して特別な説明が必要なものもあり,どちらかといえば調査員の存在が前提となっていた。アフター・コロナの時代では,自記式調査がより重要なものとなることが予想されるが,調査員による説明が無い中で,このようなテクニックがどの程度適用可能かについては,まだ研究が多いとは言えない。
2.方法 そこで本報告では,東京都(島嶼部を除く)・千葉県・埼玉県・神奈川県・愛知県の満18 歳~69歳の男女を母集団とする,無作為抽出標本に対して,2020年1月~2月に,自記式(mixed-mode)で実施された「多文化共生社会とライフスタイルに関するアンケート」を用いて,ICT(Item Count Technique)を適用した質問を行い,その適用可能性について検討を行った。この方法は,ランダムに割り当てられて2つのサブサンプルの一方には,任意の数の回答選択肢項目で質問を行い,もう一方にはそれらの回答選択肢項目に加え,センシティブな行為や意見についての選択肢項目を1項目追加した質問を行い,それぞれ回答選択肢項目のなかで当てはまる項目の「数」を回答してもらい,その差からセンシティブな項目について「あてはまる」回答者の割合を推定しようというものである。
3.結果と結論 ネットでの書き込みについての質問にこの手法を用い,ネットへの差別的な書き込みを行った割合の推定を行うことができた。ただ,本調査は,ウェブと郵送(一部留置)のモードの組み合わせパターンを実験的に割り当てた特殊な調査であることから,そのパターン別に比較をしたところ,必ずしも一貫した傾向を示しておらず,結論については更に慎重な検討が必要と考えられる。
Coutts,Elisabeth et al., 2011, Sensitive Questions in Online Surveys: Experimental Results for the Randomized Response Technique (RRT) and the Unmatched Count Technique (UCT), Sociological Methods & Research, 40(1):169-193
謝辞 本研究はJSPS科研費18H03649, 20K02110の助成を受けたものです。
農福連携農産物による“エシカル・バリュー(倫理的価値)”の創造可能性
岡山大学大学院 駄田井 久
社会的課題の解決を考慮し,消費活動時にこの様な社会的課題解決に取り組んでいる事業者や商品を消費者が選択する「エシカル消費(倫理的消費)」の重要性が高まってきている。エシカル消費の概念は,1980年代に英国で誕生した。当初,アパルトヘイト政策をとっていた南アフリカの製品や,動物実験を行う化粧品会社などの特定の商品に対して,消費者が拒否することから始まった。その後,2000年代にフェアトレードに代表される倫理的商品に対する認証制度が整い,エシカル消費が広まっていった。フェアトレードの世界全体の市場規模は,2016年時点で約1兆3千万円であるとされている。 EU諸国と比較すると,日本でのエシカル消費の歴史は浅く,2016年に消費者庁が一般消費者を対象にした調査では「エシカル消費(論理的消費)」に関する用語の認知度は10%未満であった。消費者白書(2017)の中で,1)人:障がい者支援につながる商品,2)社会:フェアトレード商品・寄付付きの商品,3)環境:エコ商品、リサイクル製品、資源保護等に関する認証がある商品,4)地域:地産地消、被災地産品,5)動物福祉:エシカルファッションの5項目をエシカル商品とし,消費者庁が中心となり普及・啓発に向けた取組を実施している。日本では,「もったいない」や「おかげさま」,近江商人の「三方よし(売り手よし,買い手よし,世間よし)」といったエシカル消費につながる考え方があり,これからの消費行動の一つとしてエシカル消費が拡大・定着していくことが期待される。 また近年,障がい者等の農業分野での活躍を通じて,自信や生きがいの創出により社会参画を促す取組である農福連携(農業と福祉の連携)が促進されている。農福連携は,農業部門の労働力確保や地域コミュニティの維持といった農業・農村分野と障がい者等の雇用先確保といった福祉分野の双方の課題解決とメリット向上を目的としている。従って,この取り組みによりに生産される農産物は,社会的な課題の解決を目指し“障がい者支援につながる商品”であり,エシカル商品の一種であると考えられる。前述の様に,フェアトレード商品では第3者により認証制度があり,消費者が通常の商品との区別を行うことが容易である。一方で,農福連携で生産される農産物には有機農産物の様な認証制度がなく,一般の農産物との差別化が困難である。また,その市場規模が小さく,消費者の農福連携農産物に対する評価が明らかになっていない。 本研究では,岡山県内福祉事業所が行っている農福連携事業を対象として,本事業により生産されている農産物に対する一般消費者の評価を計測する。評価には,農薬使用の有無,産地,価格,障がい者の関わりの有無の4属性を用いた選択型実験を適用した。また,農福連携による農産物のMWTP(限界支払い意思学)計測結果に基づき,“エシカル・バリュー(倫理的価値)”の創出可能性を検討する。
東日本大震災後のグリーン・ツーリズムの実践と暮らしの折り合い
名古屋工業大学 牧野 友紀
【⒈ 目的】 2015年農林業センサスにおいて,東北地方の農家数,後継者数,農地としての土地利用が加速度的に減少していることが示された.しかし事態は好転せず,2020年の今日においても東北地方の農業はますます困難な状況に追い込まれている.「村おさめ」の不安がよぎるなか,それでも地域の共同生活を維持し続けようと懸命に努力する住民の態度が見られる. こうした農村社会の縮小は,2011年の原子力災害の被害を受けた地域で先鋭化している.福島第一原子力発電所事故は,住民の生活環境を引き裂き理不尽な選択を強いてきた.住民は今もなお「累積的被害」(山川2014, 2019)を被り続けている.しかし,そうしたやるかたない状況の中にあっても,農ある生活を取り戻し,暮らしを維持し続けてきた被災者の奮闘が見出される.本報告は,東日本大震災の被災者が震災後どのようにして農の暮らしを再生してきたのか,グリーン・ツーリズムの実践の考察から明らかにすることを目的とする.
【2. 方法】 本報告では,2013年から実施している福島県南相馬市および福井県鯖江市のインタビュー調査を踏まえて,ケーススタディ手法による分析を行う.南相馬市については,被災後当地で農家民宿を中心としたグリーン・ツーリズムの活動を進める女性たちの取り組みに焦点を当てる.福井県鯖江市については,福島県二本松市で被災し,鯖江市に移住した農業者によるグリーン・ツーリズムの取り組みに注目する.
【3. 結果】 事例における農業者たちは,被災後の「農ある暮らし」とはどのようなものかということを問い,放射能汚染と向き合いながら具体的行動に折り合いをつけるという実践を行っていた.その際,他者との関係行為が大きな意味を持っており,本報告ではそれを3つのサポートとして整理する.第一に,仲間集団によるサポートである.南相馬の事例では仲間の中で問題状況が共有され,本人の意思決定のサポートが行われていた.第二に,被災経験を持つ住民による共感的受容である.福井豪雨による被災経験を持つ住民が当該被災者の移住を共感的に受容していた.最後に,外部者によるサポートである.宿泊者がナレッジとスキルを提供することで,本人たちの見聞が深まり,新たなサービスのきっかけが作られていた.
【4. 結論】 農業者たちは農村空間としての眼差しが向けられるグリーン・ツーリズムの性質を利用して,外部者に提示する「農村らしさ」の内実を再構築したといえる.そうした農村像はいわゆる「消費される農村」というネガティブな農村空間ではなく,震災後自分たちが保持すべき農村像として,眼差しの捉え返しが行われている点に注目すべきである.
文献 山川充夫,2014,「原発復興の視点」福島大学うつくしまふくしま未来支援センター編『福島大学の支援知をもとにしたテキスト災害復興支援学』八朔社. ————,2019,「原発災害復興ジレンマと日本学術会議提言」『地域経済学研究』36:49-64.
〇十文字学園女子大学 大友 由紀子
京都女子大学 中道 仁美
四国大学附属経営情報研究所 大西 広之
1.目的 アルプス山系に位置するオーストリアでは小規模な家族農業が行われており、農場相続に関する「一子相続法」を定め、その世襲を保護している。男子優先の伝統から女子による経営継承は例外的だったが、1995年のEU加盟以降、離農や兼業が進み、農業経営主に占める女性の割合が上昇した。2002-2006年のピーク時には40%を示し、2018年現在は32%である。また、この他に夫婦共同農場も14%(2018年)ある。本研究では、女性の経営参画が進むオーストリアの先進事例より、家族農業に強固なジェンダー非対称性を組み替えるための道筋を考察する。
2.方法 オーストリア連邦機関が2008年に実施した全国女性農業経営主調査によれば、夫の職業は「農外就業」63.4%、「年金生活」18.6%、「死亡」10.8%、「農業」5.4%、「失業」1.8%で、農場所有形態は「夫婦共有」53.5%、「本人の単独所有」30%、「夫の単独所有」10%、「夫以外と共有」4%、「夫以外の単独所有」3%だった。オーストリアでは夫が農外就業したり老齢年金受給年齢に達したりすると、妻が経営主として社会保険料を支払わなければならないことから、女性農業経営主は名義的との見方もある。しかし、女性農業経営主の87.5%が農場を所有していた点に着目したい。女性農業者が農場を所有するプロセスを把握するため、2019年8月26-30日、オーストリアの農業行政を統括する中央農業会議所と、夫婦共同農場の比率が高い高地オーストリア州と低地オーストリア州の農業会議所にてヒアリングを行い、農場相続に関するハンドブック等の資料を収集した。
3.結果 一般にオーストリアの農場相続は、親が老齢年金受給年齢に達する時、公証人または弁護士を介して親子で農場譲渡契約を締結する。親の居住権を土地登記簿に記し、全ての付属品を含む農場全体が子に引き渡される。契約書には親の老後の生活保障をはじめ親夫婦と子夫婦の居住形態等、取決めを記す。家族法・相続法では均分相続が定められているため、相続人は相続を譲歩する兄弟姉妹に対し、農場の承継価額に応じた補償をしなければならない。 この時、子の配偶者が就農していなければ子の個人所有にするが、フルタイムで就農し、自ら投資することもある場合は、子夫婦の共同所有も選択肢になる。しかしその場合、近年の離婚率の上昇により、離婚時の財産分与についても取決めておくことが推奨されている。夫婦共同農場は勧められなくなった。また、もしも子が早逝し、子の配偶者が再婚した場合、再婚相手との子に農場譲渡されないように、その場合は子の実子に譲渡するという合意が勧められている。以前は女性の負担だった老親の生活保障は、介護手当によって子の配偶者の担当ではなくなった。しかし、家族形成のあり方が変化し、女性にとって農場相続のハードルが高まっている。
4.結論 オーストリアの家族農業では家系継承が強調されることから、家族形成のあり方が変化する中、男子による一子相続では、女性の農場相続へのアクセスは制限されるようになった。しかし、「一子相続法」では農林業の職業教育を受けて農場で育った直系卑属が優先されるとあり、農林業を職業選択する女子には道が開けている。オーストリアでもチロル州とケルンテン州では別の州法があり、日本同様に女性農業経営主の割合は僅かで、よりハードルは高い。
*本研究はJSPS科研費JP19K02050の助成を受けたものです。
名古屋大学大学院 江 世君
1. 目的 中国では、2013年から「精準扶貧」という農村貧困者扶助政策が大規模に展開されている。同政策は農村の貧困対策に一定の成果を上げた一方で、「政策の歪曲」(Policy Deviation)が生じていることが数多くの研究者によって明らかにされてきた。しかし、そうした研究の多くは中国の行政機構に着目した政治経済的研究であり、農民のローカルな生活世界に着目した研究は少ない。そこで、本研究では中国農村でのフィールドワークを踏まえて、政策の歪曲が生まれるメカニズムを社会学的に解明することを目指した。
2. 方法 調査対象地に選定したのは、黒竜江省K市の農村である。K市は「国家貧困県」であり、貧困扶助政策が大きな重要性をもつ地域である。2018年7月から8月にかけて、同地で政策担当責任者と村民を対象に聞き取り調査を行った。調査の眼目は、村幹部と村民が貧困扶助政策をどのように認識、評価しているかを明らかにすることであり、それを通して今日の農村における権力関係やガバナンスの実態、農民の生活世界における価値観、責任観、正義観を解明することである。分析においては特にブルデューの「ハビトゥス」概念を援用し、典型的な事例から村幹部、一般村民、貧困者の考え方と振る舞いの背後にある要因を考察し、農村のコミュニティスタディにおける政策の歪曲の要因を検討した。
3. 結果 調査の結果から明らかになったことは、中国政府の農村統治制度の変化と、農民の生活世界の変化のタイムラグである。中華人民共和国の成立以降、農村の社会構造に広範な影響を与える主要な農村改革があったが、これらの改革は国家と農民との関係に急速な変化をもたらす一方で、農村社会で伝統的に存続している「私」という価値観はほぼ変わらなかった。調査対象の村民にとって、貧困扶助政策という現代の福祉政策は、政策対象者の権利というより、国による無償的な恩恵として認識されている傾向がある。更に、村民たちは貧困という問題を貧者の自己責任と見なす傾向があるため、貧困扶助政策の正当性と公正さに疑義を感じている。そこで、村幹部も含めた村民たちは、政策そのものより生活世界で身近に感じる社会的ルールによって、貧困扶助政策の利益配分に関する問題を解決する傾向がある。このプロセスが農村社会における「政策の歪曲」が起こるメカニズムと考えられる。
4. 結論 農村貧困者扶助政策の「歪曲」は、中国の官僚機構に起因するだけでなく、国の制度・政策の変化と農民の生活世界の変化のタイムラグによっても惹起されている面がある。今日では中国でも政策の遂行にあたってガバナンスの観点が重視されているが、その前提として、農民の生活世界の実態的、歴史的理解を深めることが重要である。
早稲田大学 コン アラン
【1.目的】 階層移動の社会構成員に対する影響の検証は、階層移動研究の主要課題のひとつであり、早い段階から階層移動が人々に意識に及ぼす影響に対する議論がみられてきた。しかし、その実証的な検証は、近年において蓄積され始めているため、階層移動が各階層意識にどう影響するかは十分に明らかにされていない。また、移動の効果は出身階層と到達階層の違いにより測定されるため、出身階層と到達階層、そして移動の効果を同時に図ることができないという方法論的な問題がある。これらの効果を分離するためにはDiagonal Reference Model(DRM)を使用する必要がある(Sobel 1980)が、DRMを用いた研究はさらに少ない。本研究ではDRMを用い、世代間階層移動が階層帰属意識と生活満足度に与える影響とその変化を比較の視点から検証する。
【2.方法】分析に用いるのは社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)データである。本研究においては1985・1995・2005・2015データを統合して分析に用いる。分析対象は35歳から59歳までの男性であり、分析手法はDRMである。従属変数は階層帰属意識と生活満足度であり、独立変数は出身階層と到達階層、そして移動を表す変数となる。階層分類はEGP階級分類の6階級バージョンを用いる。共変量はAPC(Age、Period、Cohort)効果を考慮した年齢・年齢二乗・完全失業率・コーホートダミーと、婚姻状態・現職継続期間となる。まず、統合データを用いて世代間階層移動の階層意識に対する全体的な効果をみた後、コーホート別分析を行い、世代間階層移動の効果がどのように変化するかを検証する。
【3.結果】 統合データを用いた分析の結果、階層帰属意識に対しては世代間階層移動の効果が確認されないものの、生活満足度に関しては世代間階層上昇・下降移動がともに負の影響を持つことが確認された。そして階層帰属意識・生活満足度ともに出身階層の影響より到達階層の影響が大きく、階層移動者の階層意識は同じ階層に所属する人と類似していることが確認された。また、コーホート別分析から、階層移動の効果がコーホート別に異なることが確認され、出身階層と到達階層の影響も異なることが確認された。階層帰属意識・生活満足度両方において、若いコーホートほど出身階層の影響を強く受ける傾向が確認される。
【4.結論】 これらの結果により、各階層意識における出身階層と到達階層、そして階層移動の効果は異なり、また、その効果はコーホートにより異なることが明らかとなった。
[文献] Sobel, M. E. (1981). Diagonal mobility models: A substantively motivated class of designs for the analysis of mobility effects. American Sociological Review, 46(6), 893-906.
[注] 本研究は、JSPS科研費特別推進研究事業(課題番号25000001)に伴う成果の一つであり、データの使用にあたっては2015年SSM調査データ管理委員会の許可を得た。
京都大学 太郎丸 博
【1.目的】 日本社会において、肥満度が社会的地位に及ぼす影響について検討する。 欧米では太っていると収入や社会経済的地位が下がる、とする研究成果がいくつかある(Braveman et al. 2009; Haskins & Ransford 1999; Powroznik 2017)。このような現象は、雇い主の差別的な選好によるとも考えられるし、痩せていることが忍耐力や自己管理能力のような人的資本の一種を示すシグナルとして用いられているからだとも考えられるし、職種によっては痩身そのものが人的資本となる場合も考えられよう(Bozoyan & Wolbring 2018)。こういった傾向は特に女性に顕著であると言われており、見る性と見られる性といった男女の非対称性、あるいは性差別に起因すると言われている。 しかしながら、このような肥満と社会的地位の関係を日本で検証した研究は管見の範囲では存在しない。多くの国でこの30年ほどのあいだ平均BMI (Body Mass Index) の上昇が男女ともに見られるのに対して、日本では平均BMIの上昇は男性だけで、女性は上昇していない。つまり、痩身/肥満とジェンダーをめぐる状況は、日本と他の国では違いがある可能性があり、単純の欧米の研究成果を日本に敷衍することは危険であることがわかる。それゆえ、日本のデータを使って肥満度と社会的地位の関係を検証する。
【2.方法】 データは東大社研壮年パネルwave 1-9をもちいる。二次分析に当たり、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センターSSJデータアーカイブから「東大社研・壮年パネル調査(JLPS-M)wave1-9,2007-2015」(東京大学社会科学研究所パネル調査プロジェクト)の個票データの提供を受けた。 男女別に収入と有業ダミーを従属変数として回帰分析を行う(収入に関しては有業者に限定して分析)。20 - BMIを痩身度の指標とする。年齢、学歴、を統制変数とする。
【3.結果】 収入を従属変数とした場合、痩身度の傾きは 男が-3.41、女は0.85で、女性に関しては予測通りの傾きであったが、有意ではなかった。有業ダミーを従属変数とした場合、痩身度の傾きは 0.04 でこれも予測どおりではあったが、やはり有意にはならなかった。
【4.結論】 さらに統制変数を加えたり、多重代入法を用いたりして、分析を工夫した上で、最終的な結論を当日報告する。
【文献】 Bozoyan, C. and T. Wolbring. 2018. “The Weight Wage Penalty: A Mechanism Approach to Discrimination,” European Sociological Review. 34 (3): 254-267. Braveman, P. A., C. Cubbin, S. Egerter, D. R. Williams and E. Pamuk. 2009. “Socioeconomic Disparities in Health in the United States: What the Patterns Tell Us,” American Journal of Public Health. 100 (Suppl 1): S186-S196. Haskins, K. M. and H. E. Ransford. 1999. “The Relationship between Weight and Career Payoffs among Women,” Sociological Forum. 14 (2): 295-318. Powroznik, K. M.. 2017. “Healthism and Weight-Based Discrimination: The Unintended Consequences of Health Promotion in the Workplace,” Work and Occupations. 44 (2): 139-170.
静岡大学 太田 美帆
1 目的 1990年代以降、スウェーデン政府は労働市場の改革を進めてきた。背景には失業率の高まりがある。第二次世界大戦後、スウェーデンでは積極的労働市場政策により失業率を2~4%程度に抑えてきたが、1990年代以降、失業率は6~8%程度で高止まりしている。また従来と比べて長期にわたって失業する人の割合も増えている。そのためスウェーデン政府にとって長期失業者対策は大きな課題であり、1990年代以降、労働市場政策の改革を続けてきた。 その上、近年、移民(主に難民)が増加した。2008-2017年に100万人を受け入れたが、これは人口の約1割に相当する。2019年に出された欧州委員会の勧告によると、スウェーデンでは移民、なかでも女性の労働市場への包摂が課題とされる。 そこで本稿では、まずスウェーデンにおける長期失業者に対する就労支援の現状および、国外生まれの女性の労働市場や労働市場プログラムへの包摂の現状を概観し、1990年代以降の労働市場政策の改革が移民の増加に対応できているのか、政府はどのように対応しようとしているのかを明らかにする。
2 方法 スウェーデンの統計局や省庁による統計資料、報告書、行政文書、研究者による調査報告書や論文など、文献調査にもとづく。
3 結果 2007年に開始された長期失業者を対象とする国の就労支援プログラム「就労および能力開発保障」は、2015年に大きく改革された結果、失業期間によってではなく、本人のニーズに基づいて支援内容を選びやすくなった。またそれまでの支援に対する批判を踏まえ、年齢や学歴や出身地域など失業者の属性ごとに適した支援が提供されるようになった。職業紹介所の資料にもとづき、改革前の2014年と改革後の2018年の「就労および能力開発保障」の参加者を比べると、スウェーデン以外の出身者および教育期間が9年以下の人の割合が高まった。したがって国の長期失業者支援だけでは低学歴の移民への就労支援が不十分であることが分かる。 低学歴の国外生まれの人の就業率(2018年)は、入国後20年が経っても男性が6割、女性が5割であり、高卒以上の国外生まれの人の就業率(2018年)が男女ともに75~80%であるのと比べると、労働市場への統合が困難であることが分かる。また国外生まれの20-64歳の女性のうち、非労働力人口(就業者でも失業者でもない人)は、23.7%にのぼる(2018年)。現状では国外生まれの男性のほうが女性よりも就労に結びつきやすい支援を受けている。したがってこれらの非労働力人口とされる人々(特に女性)が働く意思をもち、就労能力を高めるような支援を行うことが貧困と社会的排除を削減するために有効である。 スウェーデン政府は2010年より労働統合型社会的企業を活用して長期失業者対策を行っている。国の就労支援政策では労働市場に包摂されなかった低学歴の国外生まれの女性の多くは、伝統的な性別役割分業の下で家庭を中心に生活してきた。労働統合型社会的企業は就労支援活動をとおして女性の主体性を育み、言語の学習機会を提供する。
4 結論 スウェーデン政府は、労働統合型社会的企業での就労支援を通して文化的背景の異なる長期失業者の社会および労働市場への包摂を試みている。ニーズの多様化にともない、地域レベルでの就労支援の重要性が高まるであろう。
東京大学 黒川 すみれ
【目的】 本報告の目的は、女性の階層帰属意識の規定要因として、職業キャリアの効果を明らかにすることである。女性のキャリアという視点から検討することは、次の2点において重要と思われる。第一に、女性本人の職業的地位としてのキャリアの可能性を検討することである。これまでの階層研究では、女性本人の職業が階層帰属意識に対して有意な効果を持つ傾向はなく、既婚女性においては世帯や夫の地位で説明されることが多かった。しかし近年では、職業移動という個人内効果に着目したときに、職業の下降移動が女性の階層帰属意識を低めることを明らかにした研究もある。職業移動の経歴を示すキャリアの効果を検証することで、一時点の就業状態では見えてこなかった女性本人の職業がもつ効果を拾い上げることができる。第二に、ある時点の意識は、その時点の状況によってのみ決定させるものではないという指摘に関連する実証的研究への貢献である。先行研究には職業経歴が現在の階層帰属意識に影響を与えることを明らかにしたものがあり、過去の職歴キャリアを考慮することの重要性を示している。本稿では、女性のキャリアによって階層帰属意識を説明することを試みる。
【方法】 女性の職業キャリアを分析に取り入れるためには、キャリアを記述し、変数化する必要がある。本稿では系列データの分析手法であるDynamic Hamming Distance(以下、DHD)を用いて女性のキャリアを記述する。DHDは系列間の距離(非類似度)を求める方法であり、本稿では個人の職歴間で算出した距離をクラスター分析することで、職業キャリアの類型化を行った。従来の研究では結婚時や出産時、現職など分析者が任意に設定した時点の就業状態を繋ぎ合わせて、擬似的にキャリアを記述していた。しかしこの方法では、キャリアの抽出に異なる時点や定義を設定すると類型結果も異なってしまう可能性がある。DHDは職歴情報を全て使用してキャリアを類型化することで、偶発性に左右されないキャリアの記述が可能となっている。DHDにより作成したキャリア変数を用いて、階層帰属意識を被説明変数としたOLS回帰分析を行い、キャリアの効果を検証した。分析には労働政策研究・研修機構が実施した「職業キャリアと働き方に関するアンケート調査」データを使用した。
【結果】 分析の結果、有職女性においては現職(現在の従業の地位と職種)は階層帰属意識に対して有意な効果を持たず、いくつかのキャリアパターンが有意となった。具体的には、ブルーカラー職種の正規一貫型キャリア、ブルーカラー職種の非正規転換型キャリア、ホワイトカラー下層職種の非正規転換型キャリアの3パターンが、階層帰属意識を低める効果をもつ。
【結論】 現職とキャリア変数との比較、有意になったキャリア変数とそうでないキャリア変数との比較から、知見を次のようにまとめられる。第一に、正規雇用から非正規雇用への転換経験がもつ負の効果は、どの職種で転換が行われたかによって効果の表れ方が異なる。第二に、現在の就業状態に至るまでのキャリアパターンが複数存在しており、現職のような一時点の情報ではこうしたキャリアの多様性が区別されないために、現職では有意な効果は見られなかった。第三に、就業継続型と再就職型では「働き方」が大きく異なるため、女性の職業変数を分析に入れる際には両者を区別することが重要である。
法政大学 多喜 弘文
1.目的 本研究では、日本の既婚女性における学歴と就業選択の関連とその変化を検討する。日本でもアメリカなどの国と同様に、女性の高学歴化が進んでおり、ライフコース初期において学歴と収入の間には明確な正の相関がみられる。しかし、他方で日本の女性の就業割合は依然として結婚や育児のタイミングで一度下降し、子どもが一定の年齢に達する段階で再上昇するM字型就労カーブを描いている。学歴が高いほど働かないことによる損失が大きいので、単純に考えると高学歴女性ほど仕事の継続を選択するはずである。しかし、先行研究によると日本ではそのような関連は未だにはっきりと確認されておらず、その理由も十分に明らかではない。本研究では、サンプルサイズの大きい公的統計の個票データを用いることで、様々な要因の影響を切り分けながらその関連と時代変化を詳細に検討する。
2.方法 統計法第33条に基づき提供を受けた就業構造基本調査の個票データを用いた計量分析をおこなう。使用するデータの年度は1979年、1982年、1987年、1992年、1997年、2002年、2007年、2012年、2017年度である。
3.結果 まず、15歳から64歳までの女性の就業率を1歳刻みで年度別に比較すると、女性の就業率がM字型から台形に近づいていることが明瞭に確認された。特に2017年度では就業曲線におけるM字のくぼみがほとんどみられなくなり、ほとんどフラットになっていることが読み取れる。平均就業率は約40年の間に約20%伸びており、最新年度では特に上昇幅が大きい。次に学歴ごとにこれを比較すると、以前は高校卒よりも短大(・高専)卒の就業率の方が低かったのが、90年代後半から2000年代前半に逆転していることがわかった。しかし、これをさらに未婚者と既婚者に分けると、未婚者では80年代からすでに学歴と就業率の正の関連はみられていたが、既婚者では2000年代に入っても、依然としてこれらの間の正の相関ははっきりと確認できないことがわかった(子供の有無などの要因を含めた多変量解析の結果は当日報告する)。
4.結論 1990年代後半以降、日本でも女性において学歴と就業率の間に正の相関がみられるようになっている。しかし、その関連がみられるようになった理由としては、晩婚化や未婚化および少子化の影響が大きい。既婚者の間でも学歴と就業の正の関連はみられるようになりつつあるが、その変化は依然としてはっきりしたものではない。本研究での検討からは、短大(および高専・専門学校)女性の変化に着目する必要性が示唆された。女性の就業については、同時に考慮しなくてはならない重要な要因が複数存在するため、小規模な社会調査では比較に耐えうる回答者数を確保できないことも多い。この点において、世帯を単位とする公的統計データを用いた本研究のような検討は1つの有効なアプローチであると主張できる。
東京大学 白波瀬 佐和子
【1. 目的】 本報告の目的は、親から子へ、子から親への仕送りに着目し、世代間移転の観点から階層構造を検討することにある。移転には大きく2つある。一つは社会保障給付費に代表される社会的移転、そしてもう一つは遺産や仕送りに代表される私的移転である。前者は特に、医療や年金に偏重した我が国の社会保障制度にあって、人口高齢化の影響が社会的移転の大きさに直接跳ね返る。しかし社会保障制度の再分配機能の大きさに着目すると大きく高齢層に偏る一方で、その効果の程度は国際的に小さいことはすでに指摘されている(太田 2006; 白波瀬 2010)。このような高齢層に恩恵が偏る社会的移転は、私的移転への動機づけを引き下げることにも通じる(Harmalin 1997)。一方、移転の方向は上世代と下世代があり、両者はアンバランスである。また、公的移転と私的移転の関係はそれほど単純ではなく、特に最も高齢化した社会の日本にあって私的世代間移転に着目することで、世代間不平等の一側面を明らかにする。本報告では、仕送りに着目して私的移転と公的移転の関係を社会階層論の枠組みから検討することを目的とする。
【2. データと方法】 本研究で主に分析するデータは、厚生労働省が実施する「国民生活基礎調査」である。特に、2004年調査以降の大規模調査(3年ごと)では、別居の親と子への仕送りについて質問している。また、「仕送り」は収入源の1カテゴリーとして把握されており、1980年代半ばから2010年年代半ばまでの長期にわたって所得構成上の置づけを明らかにすることができる。
【3. 結論・考察】 2016年国民生活基調査より、別居する親がいる世帯にあって、親への仕送り有とした割合は全体の6.6%、別居する子どもがいる世帯の中で子への仕送り有とした割合は11.1%であった。私的移転は下世代に偏っている。世帯主年齢が50代、60代に限ると、子への仕送りを実施した世帯主は、それぞれ、12.7%と4.1%であった。可処分所得額と貯蓄額と仕送りとの関係をみると、前者はプラスの有意な効果を呈していたが、貯蓄については世帯主年齢が高くなるとマイナスの効果が確認された。65歳以上世帯主世帯を対象に、仕送り額の規定要因をみてみると、高学歴者や貯蓄額は有意にマイナスの効果を呈し、無職に伴う低い稼働収入は仕送り額とマイナスの関係にあった。 以上、高齢者への仕送りは低階層に認められる経済支援である一方で、全体格差を底上げするには至らない。
東京大学大学院 平島 朝子
【1.目的】 本報告は、障害者の芸術文化活動について、障害者運動の歴史における位置付けを明らかにしようとする研究の一部分を成す。本報告の目的は、とある障害者運動において、芸術文化活動が運動の主な取り組みとして位置付けられていく過程を明らかにすることである。
【2.方法】 <分析対象> 本研究はたんぽぽ運動という障害者運動を事例として取り上げる。これは1973年の奈良県で障害児の母親やその支援者20名ほどが開始した運動である。当初の主訴は、重度とされる身体障害のある子どもたちが養護学校を卒業したあとに、収容施設や家庭内での閉ざされた暮らしを強いられるのではなく、社会とのつながりをもちながら生きていけるようにしていきたいということであった。具体的な取り組みとしては、啓発活動として全国各地を巡るコンサートを行なったり、勉強や学習、地域との交流を可能にするような日中活動の場を築くなどしていた。また同時に、地域に根差した障害者の共同生活の場の建設を目指して募金活動や「福祉債券」の発行などを行なっていた。 このように障害問題に取り組んできたたんぽぽ運動は、1995年からは併せてエイブル・アート・ムーブメントという芸術運動を開始する。このエイブル・アート・ムーブメントは、美術館・民間企業などとのコラボレーションを通じた展覧会を開催してその知名度を高め、また各地で行われていた障害者の芸術文化活動のハブとして機能してきた。行政へのアドボカシーも行ってきたエイブル・アート・ムーブメントは、今日全国的に隆盛している障害者の芸術文化活動のパイオニア的存在であったといえる。 <分析視角> 本報告における作業課題は、たんぽぽ運動が芸術運動に取り組んでいくにあたって、参加者が芸術文化活動に対してどのような意味づけを行ったか、そしてその背後要因を明らかにすることである。このために社会運動の文化的アプローチ(西城戸2008)をとる。 社会運動の文化的アプローチとは、投企されたフレームと運動の文化的基盤の提携という認識の枠組みを用いるものである。運動の文化的基盤とは、集合的記憶、組織文化、集合的アイデンティティからなっており、運動参加者の各々がもつ意味づけを背後から規定しているような共通の基盤である。
【3.結果】 <投企されたフレーム> エイブル・アート・ムーブメントは、あらゆる課題を抱えた社会を癒すために障害者の表現が力を発揮する、というフレームを提案していた。 <運動の文化的基盤> 発表当日は以下の点をデータと主に提示する。 ①運動当初において、コンサートという文化活動を行なったことで参加者が拡大したという集合的記憶があったことと、それに続いてさまざまな文化活動に取り組んでいたという組織文化。 ②運動の起点であった「障害者は収容施設に閉ざされて暮らすものだ」ということへの抵抗という集合的記憶、そしてそういった従来の収容施設と自らを異化する「我々はただの福祉施設ではない」という集合的アイデンティティ。 ③障害をマイナスとのみ見なすような覇権的な価値観の転換の経験があったこと。
【4.結論】 本報告では、障害者の芸術文化活動の歴史において、差別への抵抗と障害に対する価値観の転換という方向性が見られたことが確認できたといえる。
京都大学大学院 崔 昌幸
【1.目的】 本報告では、フランクフルト学派第二世代に属し、いわゆる「システム/生活世界」図式で新しい社会運動を捉えようとするユルゲン・ハーバーマスによる社会運動論の要点とその批判点を踏まえたうえで、ハーバーマスによる新しい社会運動論を再構築する必要性、およびその可能性を提示する。
【2.方法】 上で記した必要性、およびその可能性を提示するための方法として、まずハーバーマスによる新しい社会運動論の要点を整理したうえで、特に、同じく新しい社会運動論者として知られるアルベルト・メルッチによる議論を整理し、これをハーバーマスに対する批判点として捉えたうえで参照する。
【3.結果】 ハーバーマスによる新しい社会運動論の要点を整理した結果、彼の新しい社会運動論は、もっぱら彼の有名なテーゼ「システムによる生活世界の植民地化」に集約されること、および「植民地化」に対する防衛反応としての新しい社会運動を積極的に評価していることが明らかとなった。 しかしながらメルッチによる議論にもとづけば、ハーバーマスが唱える植民地化に対する防衛反応としての新しい社会運動という位置づけは、社会運動参加者の行為者、ならびにその多様性を看過してしまっていると批判することができる。そのうえで、メルッチが言うところの「複合社会(complex society)」、すなわち、情報化の進展に伴った社会における、高密度化された情報のネットワークが張り巡らされ、権力の匿名化と非人格化を招き、そうした情報の流れを秩序立てるコードの範疇に属することになるという社会においては、多種多様な側面を持つ新しい社会運動を位置付け、さらにはそうした社会運動は、あらゆるアクターがひしめき合う偶発的な集合行為であると捉えなおす必要があることが明らかとなった。すなわちメルッチは、社会運動を、ある信念やイデオロギーにもとづいた統一目標にしたがって動く実体とするのではなく、社会運動内部における主体間の関係、ないし社会運動外部との関係といった多種多様な構成要素によって形成され、展開していく「複合的なネットワーク」と捉えたのである。
【4.結論】 メルッチによる新しい社会運動論に関する議論を通して、ハーバーマスによる新しい社会運動論の批判点が明らかになるとともに、今日の社会運動にあっては、システム/生活世界という単純な二項対立だけでは今日の社会運動を説明できえないがために、メルッチによる議論をもとに、特に生活世界に内在する、複合的なネットワークによって支えられた諸アクター(市民社会における各種NPO/NGOや労働組合など)によって形成される/されうる公共圏のダイナミズムまでをも観察することが必要であり、そうした作業を経て初めて、ハーバーマスが提示するシステム/生活世界図式が新しい社会運動を捉えなおすための理論的分析枠組みとして機能すること、すなわちその可能性を提示することができる。
早稲田大学 宮城 佑輔
【1.目的】 EU、東欧そしてアジアの諸地域において極右勢力が躍進しており、彼らを支えるネットワークが形成されている。日本においては2000年代に、ラディカルな<右派>の活動家を中心的な担い手とした右派系社会運動ブームが生じ、彼らの用いるヘイトスピーチが社会問題化した。彼らは通俗的には「ネット右翼」等として総称されるが、その内部には、旧来型の<右翼・民族派>、新興の<右派系市民団体>等、様々な担い手がいる。 両者を含む<右派>の人々は政治運動、社会運動を推進する中で様々な行為を行う。その中で彼らはそれらの行為を「我々の陣営にふさわしくない」ものとして批判したり、逆に「義挙」として推奨したりする。すなわち<右派>の中の細分化されたカテゴリーの中で「自分たちのなすべきことは何か」という一連の価値判断があり、それを支えるいくつかの運動の地場が存在しているのである。従来の研究では、<右派>の内部のこうした差異に基づく運動上の機微が十分に探究されてこなかったため、彼らの織り成すコミュニケーションのうち、多くの局面が見過ごされてきたように思われる。この報告では、活動家たちが緩やかに共有する社会的世界に注目しながら、彼らの運動のダイナミクスを析出していく。
【2.方法】 木村洋二の「聖・俗・遊・乱」モデルを補助線としながら、<右派>活動家の自伝、対談集、そして参与観察で得られたデータ等を参照し、彼らの社会的世界およびそれらの相互作用を記述する。これらの作業によって<右派>における諸世界の様相及び諸世界間を架橋するダイナミクスについて、分析的に明らかにする。こうした試みによって、<右派>として指し示される領域が理論的視点を通して細やかに分節化され、ひいては実りある経験的研究へとつながっていくための基礎的な視点を与えていくことを狙いとしている。
【3.結果】 全体として右派系社会運動を、<聖>(崇高な価値への帰依に関する宗教・思想的次元)、<俗>(政治や経済に関する功利的、現実的次元)、<遊>(芸術や文化に関する遊興的次元)、<乱>(秩序破壊的な混沌の次元)の4つの次元によって構成されるモデルとして分節化した。これにより、従来の研究ではほとんど言及されてこなかった、明治以来運動文化として継承されてきた日本的<右派>の社会的世界について分析的に示した。
【4.結論】 以上の結果から<右派>の内部の相互作用や、運動の担い手の成員性や自己認識の違いを、運動の担い手ベースで明らかにした。特に、しばしば同じ<右派>でカテゴライズされつつも、「天皇尊崇」といったある種の宗教的信念や、それに基づく運動上の儀礼、さらに尊敬すべき「理想的活動家」の系譜等々の運動文化を継承してきた<右翼・民族派>と、それらの運動の歴史や文化を継承せず、「自由」な運動文化を言祝ぐ<右派系・市民団体>の2つの潮流の差異が明らかになった。
日本学術振興会(法政大学) 廣本 由香
【問題設定】 本研究の目的は、沖縄県石垣市の住民投票運動をめぐる若者のコミュニティ実践から、運動のフレーミングについて考えることである。本報告では、フィールド調査から得られたインタビュー・データや文献資料の分析による一考察を報告する。 2015年、沖縄県石垣市では防衛省による南西諸島防衛強化の陸上自衛隊配備計画が持ち上がり、石垣島中部の平得大俣地区が候補地として選定された。平得大俣への配備計画に対して立地・隣接地区の開南・於茂登・嵩田の各公民館は配備反対を表明した。他にも、「石垣島への自衛隊配備を止める住民の会」などが配備計画の中止を訴えた。けれども、石垣市は「国の専権事項」という強行姿勢を崩さず配備計画を進めた。こうした配備計画の賛否を問うため、20代の若者を中心に「石垣市住民投票を求める会」(以下、住民投票の会)が発足し、2018年11月に1ヶ月間の署名活動が行われた。地方自治法では住民投票条例制定の直接請求に必要な署名数は有権者の50分の1であり、石垣市自治基本条例にもとづく請求に必要な署名数は有権者数の4分の1であった。住民投票の会は最終的に14,263筆(市有権者の約37%)の署名簿を市長に提出し、直接請求を行った。しかしながら、翌年2月の市議会で住民投票条例案が否決されたことで、市側は署名効力が消滅したという立場を示した。3月には平得大俣で造成工事が着手された。これに対し、住民投票の会は市を相手に住民投票義務付け訴訟を起こした。裁判は2020年6月の第4回期日で結審し、8月に判決が言い渡される。 このような住民投票の会の活動の中で、若者たちが求めてきたのは「みんなが考えて、意見を出して、話し合える」ことであった。中心メンバーである農業青年たちは「愛とユーモア」(思いやりと人間味)を掲げて「ハルサーズ」を結成し、オリジナル曲「話そうよ」をミニライブで披露したり、地元ラジオで「勝手にラジオ議会」を開設した。その他、「意見しやすい社会」に向けてSNSでコミカルな動画を発信したり、大喜利大会を開催した。若者たちのフレーミングは、運動に「参加すること」「支持すること」(高木 2004)とは異なる位相に、社会について「思考すること」「対話すること」を置いていた。代表の青年が「僕たちがやっている住民投票の運動は自衛隊反対運動と一括りにされがちなんだけど。結果結論ではなくて、それまでに島の人が話し合って決めたこと、過程が大事だと思ってやってる。それまではみんなで話し合う場所や機会がなかったから」(2020年2月11日、インタビュー調査)と語ったように、若者たちは運動への動員以前に傍観者の思考停止や対話を阻む慣習などを憂慮し、問題提起を行っていた。以上のように、本報告では住民投票の会の若者たちによる問題の定義とフレーミングを考察する。
【引用文献】 高木竜輔,2004,「『住民投票』という名の常識へ:社会運動のフレーム抗争」大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』有斐閣.
日本大学 陳 怡禎
【1.目的】 本研究の目的は、東アジア現代社会の若者、いかに「日常的文化実践=趣味」を用いて社会運動について語るか、さらにその語りを用いて社会運動に意味を付与しているかについて考察することである。手かがりとして、2014年に起きた台湾の「ひまわり運動」事例に考察を進める。
【2.方法】 まず、本研究は、台湾の学術研究機関「中央研究院」によって保存されるひまわり運動創作物アーカイブ『318公民運動文物紀錄典藏庫(318 Civil Movement Archive)』をデータとして、ひまわり運動期間に創作された創作物に焦点を当て考察を行う。次に、本研究がとりわけ注目するひまわり運動の特徴は、日常性と祝祭性である。本研究はその特徴に注目し、さらに9名のひまわり運動女性参加者にインタビュー調査を実施する。インタビューデータから、彼女たちはいかに自分自身の日常的趣味を社会運動空間に持ち込んで実践しているか、さらに、その趣味縁を中心に共同性を構築しているかを検討する。
【3.結果】 本研究は、以下のような調査結果を示す。 ひまわり運動の参加者は、「注目」を集めるため、様々な創作物を作り出したが、彼らが求める「注目」とは、海外のまなざしと、運動参加者内部の相互的視線という2種類の「注目」がある。前者に関して、ひまわり運動参加者は特に、「日本」に強く意識することが明らかになった。後者に関しては、実際、ひまわり運動の参加者は、「漫画キャラクターの創作」や「アイドル-ファンゲーム」などの自分自身の「日常的文化実践=趣味」を通して、社会運動について語って意味を付与している。さらに、参加者は運動空間内部において、その語りを交換することによって、共同性を構築している。
【4.結論】 本研究は、台湾ひまわり運動の参加者は、社会運動空間の内部において、遊びとして自分自身の日常的趣味を実践するのではなく、趣味を通して公的空間で共同体を構築していることを解明した。つまり、ひまわり運動の担い手である台湾の若者たちにとって、「趣味を実践すること」とは余暇の時間に消費するという、限られた時間や空間軸の中で行われる受動的な存在ではなく、社会的関係性を創出する能動的な存在である。さらに、本研究は、台湾のひまわり運動参加者が「日本」に強く意識し、「日本」コードを用いて社会運動空間で文化実践していたことを明らかにした。ひまわり運動の担い手である「台湾」の若者は、あえて「日本」を抵抗的コードとして「中国」寄りの政策を取る政府に異議を唱えていることの可能性を提示したい。
岩手県立大学 吉野 英岐
1.目的 2011年に発災した東日本大震災後の復興政策として、自ら住宅を確保することが困難な人々に対して、災害公営住宅が整備されてきた。岩手県では県営と市町村営の両方で2020年3月末時点で内陸部を含む17市町村に5,734戸の災害公営住宅が完成した。災害公営住宅の建設・運営・維持および住宅での生活については、さまざまな課題が指摘されている、本研究では2019年11月に被災3県で実施した災害公営住宅居住者に対する質問紙調査のうち、岩手県分の結果から、災害公営住宅の居住者の復興感や生活意識および生活上の困りごとや近隣関係の実態や課題を明らかにする。
2.方法 本報告では、主に2019年11月に研究チームが実施した被災3県調査のうち、岩手県分の宮古市、釜石市、大船渡市、陸前高田市の災害公営住宅居住者(世帯主)に対する質問紙調査結果を用いる。岩手県内の災害公営住宅のうち上記4市については、2020年3月末時点で宮古市に766戸、釜石市に1,316戸、大船渡市に801戸、陸前高田市に895戸が整備された。このうち調査対象住宅は、都市的生活様式が顕著な市街地区域に建設された3階建以上の鉄筋または鉄骨のコンクリ-ト造の集合住宅で、対象戸数および有効回収数は、宮古市325戸・151戸、釜石市937戸・391戸、大船渡市410戸・140戸、陸前高田市530戸・233戸、合計2,202戸・915戸であった。そして、岩手県庁および当該自治体の担当部署への聞き取り調査の結果を踏まえて、結果の考察と分析を行った。
3.結果 回答者の属性は、男性48.0%、女性52.0%、60歳代以上は75.1%、「無職」が57.5%、単身世帯が49.0%であった。自身の生活の回復に対する意識は、「ほぼ回復した」が28.4%、「ある程度回復した」が41.3%、「あまり回復していない」が22.0%、「まったく回復していない」が8.3%である。団地生活の満足度は「満足している」と「やや満足している」をあわせて70.5%である。市別にみると多い順に、「満足している」は大船渡市27.5%、陸前高田市23.3%、釜石市20.1%、宮古市17.3%、「満足していない」は大船渡市10.9%、釜石市8.2%、陸前高田市7.3%、宮古市3.3%で開きがある。団地生活の困りごとは「誰が入居者かわからない」(53.7%)、「困りごとを相談する相手がいない」(43.6%)、「集合住宅という形式の生活になじめない」(37.3%)などが高い。団地における人間関係については、「交流はない」が12.6%、「顔を知っている程度」が21.2%、団地内行事への参加は「まったく参加していない」が32.7%だった。
4.結論 生活の回復感は宮城県での調査結果と同様、住民の多くは一定の復興感を持っている。一方、「団地生活満足度」は複雑な動きをしている。非都市部の被災者の住宅復興における集合型の災害公営住宅の整備については、これまでの暮らし方とかけ離れた居住様式や近隣関係への適応の面で課題が指摘できる。一方、自治体や支援団体による働きかけが、居住者の生活意識や行動に影響を与えている面も指摘できる。災害公営住宅の居住者に占める単身高齢者の割合が高い点や、被災者に限定しない入居者募集が開始される中、今後の安定的な生活の持続可能性を高めていく復興政策が必要である。
付記:本研究はJSPS科研費(基盤研究(B)17H02594(研究代表:吉野英岐)の研究成果の一部である。
関西大学 内田 龍史
1.目的 2011年に発災した東日本大震災後の復興政策として、被害の大きかった宮城県においても、住まいの再建のために、自ら住宅を確保することが困難な人々に対しては災害公営住宅が整備されてきた。宮城県の災害公営住宅は2019年3月末に全戸完成し、21市町村、312地区、15,823戸が整備されたが、災害公営住宅の建設・運営・維持にあたってはさまざまな課題がある。そこで本研究では、宮城県において災害公営住宅整備戸数の多かった仙台市(3,179戸)、石巻市(4,456戸)、気仙沼市(2,087戸)の3市ならびに宮城県に対する聞き取り調査と、3市の災害公営住宅居住者に対する質問紙調査を実施し、災害公営住宅整備の課題を明らかにすることを目的とした。
2.方法 本報告では、主に2018年9月に研究チーム(吉野・内田・高木)が合同で実施した宮城県・仙台市・石巻市・気仙沼市に対する聞き取り調査、ならびに2019年11月に実施した東日本大震災の被災三県の災害(復興)公営住宅入居者に対する質問紙調査のうち、回答票のなかから宮城県(仙台市・石巻市・気仙沼市)のサンプルを取り出し、分析を試みた。なお、災害公営住宅の選定については、特に住民自治の課題が集積していると考えられる大規模な団地に焦点を当てたため、自治体の建設戸数に比例して2,000戸を3市に割り振り、その戸数を超えるよう大規模な団地から順に選定した。宮城サンプルの対象団地は12団地、1団地の平均戸数は189.5戸である。調査票配付数は3市あわせて2,130戸、有効回収率は34.0%(697票)であった。
3.結果 質問紙調査対象者の属性は、世帯主調査であるとはいえ、60歳代以上で4分の3を、「無職」が6割を、単身世帯が4割を越えている。団地生活の困りごとについては、「誰が入居者かわからない」「困りごとを相談する相手がいない」「集合住宅という形式の生活になじめない」などをあげる割合が高い。団地における人間関係については、「交流はない」「顔を知っている程度」があわせて3分の1程度であり、団地内行事への参加は「まったく参加していない」が4割を越えている。団地生活の満足度については、「満足している」「やや満足している」をあわせて7割程度である。自身の生活の回復に対する意識は、「ほぼ回復した」が3割弱、「ある程度回復した」が4割強だが、「あまり回復していない」が2割程度、「まったく回復していない」も1割弱となっている。
4.結論 自身の生活の回復に対する意識は復興の一つの指標になると思われるが、「ほぼ回復した」と回答した割合は3割弱であるものの、「ある程度回復した」は4割弱であり、住民の多くは一定の復興を感じていると言えよう。そうした復興感を規定する要因として「団地生活満足度」があげられるが、慣れない集合住宅であるがゆえの生活のしづらさが「団地生活満足度」の低さにつながっている。 また、それぞれの自治体の働きかけもあって、団地の自治会はほぼ整備されているが、団地内での居住者間の関係形成は依然として課題であった。災害公営住宅居住者の高齢者割合が高さを考慮すれば、住民組織の持続可能性とともに、そうした組織に変わる支援のあり方も問われるだろう。
付記:本研究はJSPS科研費(基盤研究(B)17H02594(研究代表:吉野英岐)の研究成果の一部である。
尚絅学院大学 高木 竜輔
【1.目的】 2011年に発生した東日本大震災ならびに原発事故から9年が経過した。多くの地域で避難指示が解除され、もとの場所へ帰還する住民も現れつつある。とはいえ、多くの被災者は避難先での生活継続を選択している。避難先に戸建住宅を再建する動きとは別に、避難先に復興公営住宅に入居する被災者もいる。福島県内では避難先に約5000戸の復興公営住宅が整備されている。 本報告では、2019年に被災三県の災害(復興)公営住宅を対象とした質問紙調査のデータを用いて、復興公営住宅の立地場所による居住者の生活実態と意識の違いについて明らかにする。
【2.方法】 東日本大震災の被災三県の災害(復興)公営住宅の入居者の生活実態と復興に関する意識を明らかにする目的で、2019年11月に質問紙調査を実施した(調査代表者:岩手県立大学 吉野英岐)。調査票はポスティングにて配付し、郵送にて調査票を回収した(督促一回)。その結果、2369世帯から回収があり、回収率は36.7%だった。本報告では、回答票のなかから福島県のサンプルを取り出し、分析を試みた。福島サンプルの対象団地は5市、13団地である。平均戸数は188.9である。対象者は727票、有効回収率は34.3%であった。
【3.結果】 属性に関しては、中通りにおいて80代が多く、単身世帯が多い。そして年齢が高く、単身で、世帯年収が低い層において居住意思が高い。入居団地を選択した理由については、南相馬市において「震災前居住地に近い」と回答した割合が多かった。今後の居住意思に関しては中通りにおいて「ずっとこの団地で暮らす」という回答割合が多く、いわきと南相馬において「別の住宅に移る」「迷っている」割合が多い。 団地内の付き合いについては、南相馬市において交流がない人の割合が高く、団地内行事へ参加している割合も低かった。また、居住意思が高い人ほど団地内のつながりを作り、団地内の行事に参加する傾向がある。また、ずっとこの団地で暮らすと回答した人に比べると、別の住宅に移す予定、または迷っている人において主観的復興感が低い、特に後者において低い傾向が見られた。
【4.考察】 原発避難者の場合には避難先での復興公営住宅入居が住宅再建を意味しておらず、その先に元の場所へ帰還したり、避難先に新たに住宅を再建したりする可能性がある。特に40代、50代の比較的若い核家族・三世代家族は、元の場所や避難先で新たに住宅を再建する傾向にある。そのため、避難者は復興公営住宅に入居した後の移動を考慮して入居団地を選択している。その結果、他出の可能性がある人は団地内でつながりを作る意思が低く、そのため団地内におけるつながりづくりにインセンティブを持たない。特に南相馬市においては元の場所に戻る人が多いと推測され、そのことが団地内コミュニティ形成を難しくしている。 また、今後の居住意思と主観的復興感との関係を見ると、別の住居に移る予定、迷っている人において主観的復興感が低い。このことは、彼ら/彼女らにとって復興公営住宅入居が自らの復興を意味していないことを意味する。福島県の復興公営住宅において、異なる立場の人々を巻き込んだコミュニティ形成の難しさがあると思われる。
付記:本研究はJSPS科研費(基盤研究(B)17H02594(研究代表:吉野英岐)の研究成果の一部である。
立教大学 村瀬 洋一
1.目的 将来認識は、人々の行動を規定する重要な要因であることはよく知られている。しかし、社会の将来認識に関する計量分析は少ない。また、将来認識と現状認識の関連や、社会階層との関連も未解明な部分が多い。本研究は、将来認識という社会意識の規定因について、社会階層との関連に着目しつつ、独自の社会調査データを分析し、その規定因を解明する。
2.方法 立教大学が福島大学と東北大学と共同で2014年と2015年に実施した「生活と防災についての意識調査」データを用いて計量分析を行う。福島市では20歳以上の男女、確率比例抽出法により市内の70地点を抽出し(エリアサンプリング)、最終的に2100人の20歳以上の個人を対象とし1452人(回収率69%)の回答を得た。仙台市と東京都でも同様の方法で社会調査を行った。
3.結果 「今後の日本社会は、よい方向へ向かっていく」という問では、福島女性は「そう思う」「どちらかといえばそう思う」を合わせて肯定が19%であり、否定がもっとも多かった。仙台市女性、東京女性は、やや肯定が多い。東京男性は35%であり肯定がもっとも多かった。「今の日本社会は、豊かな人と貧しい人の間の差が大きすぎる」という問では、福島女性は「そう思う」「どちらかといえばそう思う」を合わせて肯定が81%であり、もっとも多かった。仙台市女性、東京女性は、やや肯定が少ない。東京男性は66%であり肯定がもっとも少なかった。 これら社会の将来認識と格差の現状認識と、震災後の政府評価を最終的な被説明変数として、共分散構造分析(SEM)を行った。福島市男性では、階層帰属意識が高く関係的資源を持つほど、将来に肯定的な傾向があった。現状認識や生活満足感や放射能不安感も直接効果を持つ。年齢、教育年数、自営業ダミー、無職ダミー、避難者ダミー変数も間接効果があった。また、階層帰属意識と生活満足感が低く、家族人数が多いほど、現状の貧富の差が大きいと答える傾向があった。福島市女性では、生活満足感と階層帰属意識が高いほど、将来に肯定的な傾向があった。男女とも、社会の現状認識は、将来認識と政府評価を規定している。将来認識も、政府評価の主な規定因の一つだった。男性のみ、階層帰属意識が高いほど、放射能の健康への影響が今後出ないと答える傾向があった。全般的に、階層帰属意識が高いと、将来に肯定的で、政府への評価が高いという規定メカニズムがあった。ただし、関係的資源保有や、放射能不安感や避難者ダミー変数も独自の効果を持つ。
4.結論 社会階層に関する変数と、社会の将来認識や、格差の現状認識は、有意な関連があった。階層が高ければ生活に満足し、それが肯定的な将来認識にもつながっている。また、収入や学歴だけでなく、人間関係保有や居住年数が、社会意識へ影響を与えていたことも新たな知見である。日本社会の特徴を把握するためには、いわゆる転勤族など、流動的な階層と、土着の人々との違いや、自営業や避難者の特徴も考慮することが重要である。
参考文献 村瀬洋一、立教大学社会学部社会調査グループ編. 2017. 『生活と防災についての社会意識調査報告書―仙台市、福島市、東京都における震災被害と社会階層の関連』立教大学社会学部.
注 本研究は文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)26380655(代表村瀬)、立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR)の助成を受けた。
岩手県立大学 鈴木 伸生
1.目的 近年,社会科学を中心に,主観的ウェルビーイングに関する研究が世界的に着目を集めており,そのなかでも,主観的ウェルビーイングの規定要因として,社会ネットワークの正効果に関する実証研究が蓄積されつつある.ところが,災害後においても,その効果が存在するか否かについては,十分に解明されていない.とりわけ,被災者にとって,災害後の主観的ウェルビーイングは,災害前の生活環境状態と比べて,どの水準まで回復(復興)したのかという点も勘案されることが質的研究からも示唆されるため,被災者の主観的ウェルビーイングを捉えるには,生活満足度や幸福感だけでなく,震災後における生活の改善や将来に対するポジティブな見通しなどを含めた,総合的な指標を用いた実証研究が求められる. その代表的な指標として,生活復興感尺度(Tatsuki & Hayashi 2000)がある.この尺度は,阪神・淡路大震災の被災者を対象に実施されたパネル調査において作成されたものであり,生活満足度7項目・震災後における生活充実度の変化7項目・生活改善の見通し1項目の計15項目(各5件法)から成る1つの合成尺度である.この尺度を用いた先行研究には,①パネルデータを用いた研究として,阪神・淡路大震災を事例として,生活復興感とその他の社会意識との関係を共分散構造分析から検討した研究(林 2005)や,東日本大震災を事例として,震災前の社会経済的格差が生活復興感に及ぼす影響について,変化量を考慮した重回帰分析から検討した研究(阿部 2015)がある.他方,②クロスセクションデータを用いた研究には,2010年のパキスタンの洪水を事例として,洪水後における信頼水準の上昇(回顧項目)と洪水後に受領したソーシャル・サポートが生活復興感に及ぼす影響について,重回帰分析から正の相関関係を確認した研究(Akbar & Aldrich 2018)がある.このように,先行研究では,災害後の被災者を対象に,社会ネットワークの生活復興感に対する因果効果を検証した研究は,ほとんどない. それでは,どのような社会ネットワークが災害後の生活復興感を上昇させるのだろうか?これが本稿のリサーチ・クエスチョンである.被災地の復興に対する社会関係資本の影響を検討したAldrich(2012)によると,近隣などの居住地域における豊かな社会関係資本が災害後の復興を早める点が示唆されている.災害後の不便な生活をより快適に過ごすためには,同じ境遇を経験した近隣ネットワークによる情緒的・道具的サポートが,有益であろう.したがって,被災者においては,近隣ネットワークが増えると,生活復興感が上昇するだろう.
2.方法 本稿の分析には,「復興に関する大船渡市民の意識調査」(岩手県立大学総合政策学部震災復興研究会社会調査チーム)データを使用する.母集団は震災9か月後の岩手県大船渡市民(20-79才)であり,標本は選挙人名簿から無作為抽出法によって選ばれた.4時点のバランスパネルデータを用いて,時間不変の観察されない異質性を除去するために,Fixed Effects Modelを採用する.
3.結果 分析の結果,生活復興感の変化に対して,近所:世間話をする人ダミーが正の有意な効果をもっていた.
4.結論 以上の知見は,災害後に近所で世間話をする人(近隣ネットワーク)を作ると,生活復興感が上昇する可能性を示唆している. 【変数と文献情報は当日示す】
立教大学 吉川 侑輝
1 目的 本稿が試みるのは、音楽社会学にかかわるテクストの分析である。より具体的には、あるテクストにおいて音楽を、社会またはそれにかかわる様々なカテゴリーとの関係において提示する社会学者の活動ひとつの在り方を、その編成方法にそくして明らかにする。こうした試みを本稿は、専門的テクストのエスノメソドロジー研究(Watson 2009)の方針においてすすめていく。
2 方法 本稿はピティリム・ソローキンによって著された「音楽社会学(Fluctuation of Ideational, Sensate and Mixed Forms of Music)」(Sorokin 1937=1940, 1941a, 1941b, 1941c)を対象とする。当該テクストはSocial and Cultural Dynamicsにおける第1巻第2部第12章に収録されており、1940年には丸山真男による抄訳が出ている。 当該テクストは、社会学史において「音楽を明確に対象として意識し、しかも観念論的なレベルをこえて、実際の鳴り響く音楽をとりあげた、最初の例」(北川 1993: 10-11)とでも呼ばれうるものであるとされる。しかし当該テクストは、音楽社会学史においても、あるいは、ソローキンの研究においても、わずかな例外を除きおよそ未検討の対象となっている。
3 結果 分析を通じて、テクストの編成者が、音楽を「観念的な(Ideational)」ものと「感覚的な(Sensate)」ものに区別しながらそれらを文化の一部として提示するために利用している方法の一端を、明確にする。
4 結論 本稿の探求を通じて、音楽社会学において利用可能なひとつの実践的方法を明らかにすること(Garfinkel 1967)が目指される。このことは、単にソローキンの方法を明確にするというだけでなく、体系的な方法の不在が指摘される音楽社会学が、その研究方針についての省察を進めるための資源を提供することを可能にする。
文献 Garfinkel, Harold, 1967, Studies in Ethnomethodology, Prentice-Hall. 北川純子、1993、『音のうち・そと』勁草書房。 Sorokin, Pitirim, 1937, “Fluctuation of Ideational, Sensate, and Mixed Forms of Music,” Social and Cultural Dynamics, 4, American Book Company, 531–94.(=丸山真男訳、1940、「音楽社会学」『音楽教育研究』2(12):19-27;1941a、「音楽社会学(2)」『音楽教育研究』3(1):40-51;1941b、「音楽社会学(3)」『音楽教育研究』3(2):28-33;1941c「音楽社会学(4)」『音楽教育研究』3(3):62-69。) Watson, Rod, 2009, Analysing Practical and Professional Texts: A Naturalistic Approach, Ashgate Publishing.
立教大学 片上 平二郎
アドルノの社会分析はあまりに悲観的なものであり、現状の肯定的な可能性を見出すことができない「出口なし」の思想であると語られることが多い。そして、ゆえにアドルノが、社会改革のための実践的な提案を放棄し、“難解”で“重厚”な現代芸術についての「美学」に逃げ込んでしまったという評価もしばしばなされている。本報告においては、このようなアドルノのイメージに対抗して彼の「笑い」論を再考していく。このことを通じて、アドルノ思想の「社会の感性学」的な再評価を行っていきたいと考える。 本報告でまず着目したいのは、『啓蒙の弁証法』のオデュッセウス論の中に登場する「ポセイドンの笑い」についてのエピソードである。美や自然から切り離され、そのことによって暴力的主体と化し、最終的に自己破壊に至るギリシア叙事詩のオデュッセウスの姿に、理性によって抑圧される現代人の在り様を重ね合わせるのがこのパートの主なモチーフであるが、その中に突然、オデュッセウスが怒れる神ポセイドンを笑わせることによって、その怒りを解くというエピソードが語られている。そこで笑いは、暴力的なものからの解放を示唆するものとなっている。この論点はその後に大きく展開されることはないが、『啓蒙の弁証法』の中で数少ない解放につながりうるものとして「笑い」という情動が示されていることは興味深い。 だが同時に、『啓蒙の弁証法』の多くの部分において、「笑い」の否定的な性格が多く語られていることもたしかなことである。「文化産業」は「笑い」を利用して人々を資本主義の中に組み込んでいき、批判精神を奪い取っていく。メディアの中で繰り返される「笑い」は社会矛盾の痛みを忘れさせる装置になるし、弱者に向けられたサディスティックな嘲りの感覚を人々に共有せる装置にもなりもする。「文化産業」論パートの「笑い」論は、同時に同書の「反ユダヤ主義」論のパートにつながるものでもある。そもそも、オデュッセウスのウィットに富んだ知略こそが、他者を欺き、支配する道具でもあったのだ。 このように本報告ではまず『啓蒙の弁証法』の「笑い」に関する両義的な性格を整理していく。そして、後期思想にあたる『美学理論』やサミュエル・ベケットについての評論文などから、その後のアドルノの「笑い」論の展開を確認する。生真面目な印象を与えるアドルノの批判理論は実際のところ、皮肉な軽口のような語り口を採用している部分も多い。アドルノの「笑い」についての感覚に迫っていくことによって、彼の「社会批判」に関する「感性論」的な再考が可能になるものと思われる。そして、その考察から「笑い」によって覆い尽くされた現代社会について考えるための手がかりも得られることだろう。
秋田県立大学 小松田 儀貞
1.目的 近年、アートは美術館やホールのような特定の場から自由になって多様な作品形態や素材を通してわれわれの身近で体験できるものになっている。「**アート」と呼称もさまざまに多様なアートが生まれ、多くの人々がそれらを享受している。実際、全国各地でさまざまな芸術祭やアートプロジェクトが展開され活況を呈してもいる。今日、われわれにとって「アート」は、より日常的なものにもなり、教育や地域振興、また社会的課題との接点も広がるなど、文化芸術全般の社会的な存在感は以前に増して高まっていると言えるだろう。社会と文化芸術(アート)の関係はかつてのあり方から大きく変化し、新しい関係性が生まれているのではないか。文化芸術の多様な展開と利害関係者の拡大をその「内包的/外延的拡大」として捉えるとすれば、それは何が起こっているということなのか、またそれはどういうことを意味するのか。本報告は、この現代的状況を多様な契機を包含する社会とアートの共進化の過程として捉え、その諸相をartification(芸術化・アート化)という視点を通じて考察しようとするものである。
2.方法 報告者は、「社会とアートの共進化的動態とartificationの諸相に関する領域横断的研究」を進める端緒についたばかりである。本報告では、報告者の問題意識を提示すると共にその基盤であるartification論の検討を行う。ここでは主としてHeinich,N. 、Shapiro,R.の議論*を取り上げたい。二人はartificationについて「人、対象、活動の定義と状態の変化を生み出す複合的な作用から生じる、非芸術から芸術への転換の過程」(Heinich et Shapiro 2012)としているが、「アートの生成」の機序を問うこの議論の枠組みと背景(Goodman、Bourdieu等)について検討する。
3.結果 現代社会における「アートの内包的/外延的拡大」および「アートと社会の関係性」を捉える視点の一つとしてartificationの論理の意義は大きいと考えられる。この議論にアートと社会の関係性が孕むさまざまな可能性について多くの示唆が見いだせる。
4.結論 What is art?に対するWhen is art?という問いの優位性がartification論の核心である。この理解の上に立つことで、文化芸術をめぐる現代的状況をより統合的に捉えることが可能になる。ここに「アートの生成」の論理を問う議論として精錬する意義が認められる。これを踏まえて、これを文化社会学・現代社会論の資源としてアートワールド(H.Becker)、芸術界(場)(P.Bourdieu)等の議論と接続する可能性についても考えたい。
【文献】 *Heinich,N. et Shapiro,R.(2012). De l’artification.Enquêtes sur le passage à l’art,他
公益財団法人かすがい市民文化財団 浅井 南
1 目的 本報告の目的は、作家収入のみでは生計を立てることが難しい若手現代美術作家が、どのように生計を立てながら、作品制作活動のための資源を獲得しているのかを明らかにすることである。これまで、アートプロジェクトの現場において、十分な制作費や賃金が支払われない「やりがい搾取」の問題が指摘されてきた(吉澤2015)が、本報告では作品発表の場以外に視点を移し、作家がどのように作家活動を維持しているのかを検討する。
2 方法 本報告では、報告者が2019年5月から実施している、愛知県出身あるいは県内芸術大学出身の若手現代美術作家を対象としたインタビュー調査のデータを用いる。報告者は、2014年4月から現在まで、愛知県内の公立文化施設で美術系事業担当スタッフとして勤務しており、業務を通して現代美術作家の活動状況を観察してきた。また、業務以外でも、県内外のギャラリーや美術館等で行われる展覧会、芸術大学の講義やイベント等に足を運び、参与観察を行った。インタビュー調査は、これまでに面識を持った現代美術作家の中から、20代〜30代の若手作家を対象として、許可を得られた作家に対して個別に行った。
3 結果 現時点で得られている知見は、次のとおりである。 第一に、非正規労働者として就労している作家は、制作時間を確保するための合理的手段として、自ら非正規雇用を選択していた。就労先を選ぶ際は、休みやすさや拘束時間の少なさを重視し、美術業界か否かは重視されていなかった。 第二に、正規労働者として就労している作家は、制作費を確保するための合理的手段として、自ら正規雇用を選択していた。就労先を選ぶ際は、安定した収入が得られるか否かを重視し、美術業界か否かは重視されていなかった。 第三に、芸術大学の契約助手・非常勤講師として就労している作家は、アカデミックポストを目指しているわけではなく、制作場所や制作環境を確保するための合理的手段として芸術大学での就労を選択していた。
4 結論 上記の知見から、若手現代美術作家は制作活動に必要な資源を合理的に獲得するために、個々の活動内容に即して、雇用形態や業界を選択していることが明らかになった。つまり、一般的には不安定に見える就労形態であっても、それは制作活動維持のために作家が自ら戦略的に選び取った不安定さだと言えるだろう。しかしながら、このような選択の結果が、必ずしも資源の獲得に結びつくわけではない。今後の研究では、作家活動を休止した人あるいは作家活動を辞めた人も対象として調査を継続していく。
法政大学大学院 山口 敬大
1 目的 この報告の目的は,「場の理論」を援用することで,ミステリという文学ジャンルが独自の「文化的生産の場」を形成していく過程を明らかにすることである.
2 方法 P.ブルデュー社会学の功績の一つに「場の理論」がある.しかし,日本ではその経験的な蓄積が手薄である.また,社会学的な対象としてミステリを扱う研究も多くはない.本報告では「場の理論」の発展可能性に言及するためにも,文学場のなかで下位場を形成しているが,市場からの相対的自律を含意する「場の理論」とは一見相容れないミステリを研究対象として選択した.ミステリにおける「文化的生産の場」の形成過程とその構造を明らかにするため,日本のミステリの始まりとなる黒岩涙香の翻案小説が掲載された1887年から,「ミステリ場」の審級となる探偵作家クラブ(現在の日本推理作家協会)主催の賞が設立された1948年までを主な対象範囲とする.
3 結果 ブルデューをはじめとする「場の理論」について論じた研究者の著作を参照しながら,「場」の要件を確認した.そのうえで,J.デュボアによる指摘を参照しながら(Dubois 1992=1996),日本でもミステリは文学場の特性を備えた縮小版の「文化的生産の場」(=「ミステリ場」)を構成しつつも,独自の特性を有している可能性があることを示した.そ 理論的な前提を共有したうえで,日本のミステリの歴史を参照し,「ミステリ場」の形成過程を記述した.日本のミステリは黒岩涙香の翻案小説から始まったが,ミステリが大衆の人気を獲得していくにつれ,純文学の文壇から文学として不適格であると批判を浴びた.ミステリは,ミステリ独自の価値を重視し自律性を獲得していく過程,言い換えれば「ミステリ場」の形成過程において文学場とは緊張関係にあった.また,「ミステリ場」が形成されていくにつれて,ミステリとして何が正統であるかも議論されるようになっていく.そして,「ミステリ場」では,市場での成功と2つの正統性(トリックの卓越性=ミステリ独自の価値の追求,リアリティ=文学的価値の追求)が賭け金となっていることを明らかにした.この知見は,主に1935年に生じた甲賀三郎と木々高太郎の論争を考察することで明示された. しかし,日本が戦争体制を強化していくにつれてミステリは検閲され,「ミステリ場」は「場」としての要件を満たせなくなっていく.しかし,戦後には多くの作家がミステリを執筆できるようになり,ミステリ専門誌も発行されていくことになる.そして,1948年には探偵作家クラブ賞が設立され,「ミステリ場」はその自律性を高めていった.
4 結論 以上から,「ミステリ場」は文学場の内部の下位場として,黒岩涙香の翻案小説が掲載された1887年から緩やかに形成されていき,独自の審級を設立した1948年には確立されたと考えられる.また,「ミステリ場」が,文学場や政治的・経済的な規定力との緊張関係のなかで形成されていったがゆえに,市場での成功と2つの正統性(トリックの卓越性とリアリティ)を賭け金として成立する「場」となった.
文献 Dubois, Jacques, 1992, Le Roman Policier ou la Modernité, Paris: Éditions Nathan. (鈴木智之訳,1998,『探偵小説あるいはモデルニテ』法政大学出版局.)
東北学院大学 片瀬 一男
1. 目的:アメリカ大統領選挙などでは、性をめぐる問題(人工妊娠中絶・同性婚の可否など)が争点になることがあるが、日本の選挙では性が争点化されることは少ない。また、アドルノら(Adorno et al 1950[1980])は、同性愛者や性犯罪者への厳罰化を権威主義的攻撃の一次元とみている。他方、日本では、NHK「日本人の意識」調査によって、婚前性交に対する態度が70年代以降、最も変化量の大きかった項目とされながらも、それを他の意識や社会的属性と関連づけて分析されていない。本報告では、この婚前性交に反対する純潔意識を前期近代のキリスト教復興運動から生まれたリスペクタビリティ(市民的価値観)という社会意識とみなし、それが戦後社会でどんな機能をはたしたのか検討する。
2.方法:東京大学社会科学研究所社会調査データアーカイブセンター(SSJDA)より提供を受けたNHK「日本人の意識」調査(1973年~2013年)データのうち、婚前性交に対する態度を中心に分析をおこなう。この調査では、婚前性交に対する態度が①不可=純潔、②婚約可、③愛情可、④無条件可の4段階で尋ねている。NHK放送文化研究所(2020)によれば、70年代以降、婚前性交を肯定する回答が増えているが、それは主としてコーホート効果によるものであるという。なお、この調査データを用いた社会学的分析としては、太郎丸(2016)があり、主としてイングルハート(Ingrehart 1990,1997)の価値変動の図式によって戦後日本の意識変容を分析し、性役割意識やナショナリズムの問題を扱っているが、性意識についての分析はない。
3.結果:まず探索的分析として、婚前性交に対する回答と主要な意識項目との関連をみたところ、関連の強い順に(関連係数はクラメールのV)、「ナショナリズム:日本人への自信」(.188)、「天皇に対する感情」(.187)、「権威・平等:夫の家事手伝い」(.173)「ナショナリズム:日本への貢献意識」(.151)、「支持政党」(.147)などナショナリズムや政治意識との関連が強い。そして、婚前性交に反対するほど、ナショナリズムや自民党を支持し、天皇に親近感をもっていることになる。そこで、もっとも関連の強かった「ナショナリズム:日本人への自信」を従属変数として二項ロジスティック回帰分析をおこなった。その結果、上層ホワイトカラーに比べ下層ホワイトカラー・ブルーカラーであるほど「日本人への自信」が弱く、また1973年に比べ安定成長期にあった1978年から88年ころまでは自信が強くなったがその後の不況期には弱まり、戦前のコーホートに比べ戦後のコーホートで自信が強いことが分かった。また、これらの要因を統制しても、婚前性交に対する態度は日本人への自信というナショナリズムに有意な効果をもち、純潔志向が強いほどナショナリズムが強いことが明らかになった。
4.結論:日本でも純潔意識がナショナリズムと関連することが示唆された。しかし、この態度は伝統-近代という価値意識とも重なり、両者の関係はこの価値意識を先行変数とした擬似相関の可能性もある。その一方で、モッセ(Mosse 1988[1996])はドイツについて、セクシュアリティ(とくにリスペクタビリティ)がナショナリズムに結びついた歴史的経緯を描いている。したがって、日本においてもこの両者の関係から政治意識を検討することは今後の課題となる。
東京大学 定松 淳
【1.目的】 2016年12月、福井県に所在する高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉を日本政府が決定した。2011年の福島事故以降の安全基準の厳格化を受けて廃炉は時間の問題と見る向きもあった一方で、決定の前後において福井県の西川知事(当時)はこの方針に異議を唱え続けていた。しかし外部から見る限り、1995年の事故以来稼働のほとんどなかった「もんじゅ」が大きな雇用や経済効果を地元に生んでいたとは考えにくい。何が福井県行政をこのような動きに駆り立てていたのだろうか。それは、福井県行政が、2005年以降、「エネルギー研究開発拠点化計画」(以下、「拠点化計画」)を推進し、「もんじゅ」をその中核として位置づけてきたからである。本発表では、「拠点化計画」の策定過程・推進過程を分析するとともに、他の原発立地県における平成期(ポスト冷戦期)の動きと比較し、異同とその原因を検討した。
【2. 方法】 インターネット上に公開されている「拠点化計画」の議事録や資料を精査するとともに、それに関連する資料を収集した。また福井県行政に対して聞き取り調査を行った(2018年12月17日)。そのうえで、青森県や福島県における原子力政策の展開についての既存研究との対比を行った。
【3. 結果】 西川福井県知事(2003~2019)が就任したのちに策定された「拠点化計画」においては①安全・安心の確保、②研究開発機能の強化、③人材の育成・交流、④産業の創出・育成の4つが掲げられている。原子力諸施設を利用して、研究開発の拠点を県内に構築するとともに、そこから現地企業への技術移転や産業育成を目指そうとするものであった。計画の実施主体として、福井県行政、県内諸市町村、福井県商工会議所、県内諸大学、若狭湾エネルギー研究センターに加えて、電気事業者(関西電力・日本原電・北陸電力)、核燃料サイクル開発機構(当時)、原子力安全基盤機構(当時)、さらに経産省、文科省が挙げられている。基本的に毎年度1回、「エネルギー研究開発拠点化推進会議」が開催されることとなった。毎年1回、実施主体の代表者が集い、1年間の進捗を報告する。原子力関連施設の設置や、嶺南地域への研究者・技術者の来訪については一定の効果が見られた。このなかで「もんじゅ」は単なる発電施設にとどまらない「研究開発」の拠点として中核的に位置づけられていた。廃炉決定後、福島県行政は新たな研究炉の設置を要求しているが、必ずしも「ナトリウム炉」「増殖炉」にこだわっているわけではない。
【4.結論】 福井県におけるこのような動きは、青森県において科学技術庁との間に確約書を結んだ動き(95年木村知事)や、福島県におけるプルサーマル凍結(93年佐藤知事)と同様の、平成期における地方自治体側からの日本政府の原子力政策に対する働きかけのひとつの現われであるように思われる。“原発を抱きしめた”昭和(戦後)期よりも、主体的・戦略的に原子力政策に関わろうとする地方自治体の傾向が指摘できるのではないか。
東京都西多摩地域の森林ボランティア活動の中核的担い手による社会的意義の語りかた
社会情報大学院大学 富井 久義
1. 目的 本報告の目的は、東京都西多摩地域の森林ボランティア活動の初期の中核的な担い手が活動の社会的意義をどのように語ってきたのかを明らかにすることである。 森林ボランティア活動をめぐる既存研究は、活動がいかなる点で社会あるいは参加する諸個人にとって意味をもつのかに着目してきた(山本信次編 2003; 松村正治 2007)。 これにたいして本報告は、実際には異なる複数の論点をもつ運動群が、時間・空間的に近接によってひとつの集合的現象として経験される集合的経験という概念(濱西栄司 2016)に着想を得て、東京都西多摩地域の森林ボランティア活動を、複数の中核的な担い手の企図による運動ととらえ、中核的な担い手に内在的な視座から、その構想と実践、評価を検討する。
2. 方法 本報告は、東京都西多摩地域の森林ボランティア活動の初期の中核的な担い手のうち、活動の社会的意義をとらえて発信していくことの重要性を語るZさんを事例に取り上げ、社会的意義をどのようにとらえ、発信/回避しようとしてきたのかを検討する。 森林ボランティア活動において、参加者はしばしば、多様なアクターが提起する活動の社会的意義に対する距離を取り、それとは異なる論理で活動に取り組んでいることを表明してきた(富井久義 2017)。 ところが、活動の中核的担い手は、ある場面では社会的意義を語ることに対する距離を表明するにもかかわらず、別の場面ではみずから社会的意義を語っている。 そこで本報告は、とくに社会的意義の語りかたや距離のとりかたに着目することで、Zさんが森林ボランティア活動をどのようなものととらえて実践をおこなってきたのかを明らかにする。
3. 結果 Zさんが活動をつうじて一貫して掲げてきたスローガンは「多様な人びとによる多様な森づくり」だが、多様な人びとによる活動が結果としてどのよう山の現状と課題にたいして影響を及ぼしうるのかという意味での社会的意義を提示することが重要だという認識をもってきた。 また、みずからの手になる範囲での山を対象として、その現状や課題にアプローチするという方針をもっていた。 そのため、「環境保全」や「社会貢献」といった抽象度の高い社会的意義は、あらたな活動者の参加をうながす論理として機能するという限定的な効果こそ認めてはいたが、それをみずから語ることには抵抗感を抱いていた。
4. 結論 Zさんは、みずから携わるローカルな現場での実践に結びついたものとして、森林ボランティア活動の社会的意義を語ろうとしてきた。 このような活動の社会的意義にたいする態度は、Zさんが、東京近郊のネットワーク団体の立ち上げ時に中心的な役割を果たしてきたものの、その団体が全国ネットワークを標榜するようになった後に退任し、再びローカルな団体での活動を中心に据えたという判断に反映されている。
文献 濱西栄司,2016,「サミット・プロテストの全体像とメカニズム」『サミット・プロテスト』新泉社,73–105. 松村正治,2007,「里山ボランティアにかかわる生態学的ポリティクスへの抗い方」『環境社会学研究』13: 143-57. 富井久義,2017,「森林ボランティア活動における社会的意義の語られかた」『環境社会学研究』23: 99–113. 山本信次編,2003,『森林ボランティア論』日本林業調査会.
北海道教育大学 角 一典
【Ⅰ.目的】本報告は、1997年に行われた河川法改正が、河川官僚たちにとってどのような意味を持ったものであったかを、法改正に関わった2人の河川官僚の言説を通して明らかにすることを試みる。
【2.方法】法改正時に建設省河川局内で重要な地位にあった近藤徹と青山俊樹の著作や座談会等での発言を通して、彼らの考える改正河川法の意味を読み解き、主に自然保護団体が考えていた改正河川法の意味との乖離を解明する。
【3.結果】河川官僚にとって、1997年の河川官僚改正は、治水と利水に加えて新たに環境の重視を謳ったことと、流域住民の意見を積極的に取り入れた河川整備計画を策定することを義務付けたという意味において、河川行政の大転換として認識されていた。特に近藤は、河川管理者における、河川管理における生態学的な考え方に対するそれまでの「意識の低さ」を認め、河川法改正がそうした点への配慮を強く意識していることを強調している。背景にあるのは長良川河口堰問題において国民的批判を浴びたことに対する「反省」であった。 他方、河川管理者として最も避けなければならないのが破堤であるという認識に変化はなく、また、各河川における計画策定においてそのベースとなるところの基本高水流量の決定については河川審議会、ひいては河川局の「権限」として維持されており、あくまでも住民との話し合いにおいて決めることは河川設備の配置の問題に限定されるという考えが、言葉の端々に垣間見える。さらには、地球温暖化に起因するといわれる気候変動の時代において、ダムやスーパー堤防のような巨大構造物の必要性はより一層高まっており、「住民の同意を得ながら」整備を進めていく必要について語っている。
【4.結論】特に長良川河口堰問題以降、自然保護団体やダム等の反対運動を中心に、ダムや堰など巨大構造物への依存が強い河川行政には、ゼネコンや高等教育機関などとの「癒着」の疑いなども絡み、厳しい視線が送られてきたが、上記の結果にみられるように、少なくとも2人の元河川官僚の言説からは、依然として巨大構造物の必要性の強さが読み取れる。こうしたことから、自然保護団体等は、改正河川法にある種の幻滅を抱いた。改正河川法による変化の試金石とみなされた淀川流域委員会の審議も、結果として国土交通省がそれを事実上無視する形で河川整備計画を策定してしまったのは、ある種象徴的でもあった。 しかしながら、近年毎年繰り返される堤防の破堤による惨状が示すように、破堤がもたらす人的・物的被害は甚大であり、破堤は起こしてはならないという河川官僚の意識は変えようがないし、否定しがたい事実である。そして、明治期のオランダ技術者に『滝』とまで称された日本の河川の特性や、河川流域の土地が高度に利用されている状態も大きく変えることは難しく、そうした現実を目の前にして、巨大構造物による抜本的な問題解決を志向する河川官僚の考えを一蹴することも難しい。 河川官僚と市民(特に自然保護団体など)との間には、まだまだ深い溝が横たわっていると言わざるを得ない。
日本学術振興会 梅川 由紀
1.目的 本報告の目的は、現代社会において家庭から排出されるごみと人間の関係の特徴を明らかにすることである。具体的に三つの観点に着目して分析を試みた。第一に、ケヴィン・ヘザーリントン(2004)の処分の議論に着想を得て、ごみと人間の関わりを「発生・保管・排除」に分解し、今回は「発生」場面を扱った。なかでも家庭内においてごみの発生確率が高く、腐敗・汚れ・ごみと親和性の高い「台所」に注目した。第二に、現代社会のごみと人間の関係の基礎は高度経済成長期(1955~1973年)に構築されたと考え、高度経済成長期を中心としたごみと人間の関係の変遷から現代社会の特徴を検討した。第三に、ごみと人間の関係を捉えるうえで大きな関連が予想される「感覚(視覚、臭い、肌感覚など)」に注目して分析を試みた。
2.方法 雑誌『主婦の友』の台所関連記事、特に「台所改造」の記事を中心に内容分析を行った。主婦の友を選択した理由は以下三点である。第一に、本誌は中流以下の主婦をターゲットとしており(木村 2010)、時代の平均的な主婦の様子を理解できるため。第二に、主婦の友は実用記事が全体の四分の一を超え(木村 2010)、本調査の主旨と親和性の高い記事が多いため。第三に、1917~2008年まで発行された、社会的に認知度の高い婦人雑誌であるためである。
3.結果 「台所改造」は以下のような感覚的変化として人々に体験されていた。すなわち、視覚的要素として明度や色彩に着目すると、黒い柱や壁に囲まれた「黒く暗い場所」から、タイル張りの「白く明るいピカピカした場所」へ変化していることが分かった。肌感覚として温度や湿度の面に着目すると、「寒くてじめじめした台所」から「暖かく快適な台所」へと変化する様子を読み取ることができた。
4.結論 鳥越晧之(2004)にならって表現するならば、台所の風景は、腐敗・汚れ・ごみと共存する「起伏に富んだ風景」から、一様に清潔さを求める「平面的な風景」へと変化する様子を確認できた。高度経済成長期以前の台所は薄暗く、じめじめした、害虫にあふれた、腐敗のリスクと隣り合わせの風景が多く存在し、人々は汚れやごみと共存しながら生活していた。ところが高度経済成長期に生じた台所改造に伴う変化は、腐敗・汚れ・ごみの存在を「可視化」させ、徹底した排除を目指した。こうして登場する「平面的な風景」は、相対的に多くの対象を不潔な排除対象に位置付け直し、腐敗・汚れ・ごみを風景から「不可視化」しているようにみえる。台所改造は台所という場所を、汚れやごみが「あっても仕方のない場所」から、「あってはいけない場所」へと変化させた。現代社会におけるごみは、家庭内において「生きづらいもの」へと変化する様子を明らかにした。
文献 Hetherington, Kevin, 2004, “Secondhandedness: Consumption, Disposal, and Absent Presence,” Environment and Planning D: Society and Space, 22(1): 157-173. 木村涼子,2010,『<主婦>の誕生――婦人雑誌と女性たちの近代』吉川弘文館. 鳥越晧之,2004,『環境社会学――生活者の立場から考える』東京大学出版会.
付記:本研究はJSPS科研費20J00377の助成を受けたものです。
ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州におけるバイオエネルギー村リーダーの参加動機
長崎大学 保坂 稔
【1.目的】 報告者はこれまでの環境運動関係者に対するインタビュー調査で、「持続可能性」(Nachhaltigkeit)には、ロマン主義、キリスト教などの文化的視点が存在することを見出した。「循環する自然」「創造物の保持」といった内容を持つこれらの文化的視点は、「価値的保守」(Wertkonservative)といった視点から論じられ、ドイツの全国紙Die Zeitでも触れられている。「価値的保守」の意味するところは、たとえば古い建物に対する敬い、あるいは故郷に対する敬いなどであるが、場合によっては宗教的道徳観が関係する場合もある。具体的にいえば、キリスト教でいう「創造物の保持」といった考えである。「循環する自然」といった考え方と関連する「価値的保守」からすれば、循環しない原子力は相容れない存在である。「価値的保守」は、ドイツで反原発の世論が強い一因と考えられる。報告者が見出した視点は、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州(以下BW州と略)の環境運動であるS21反対運動関係者を中心としていた。本報告では、BW州のバイオエネルギー村リーダーを中心に、参加動機に関して独自の視点で解明することを目的とする。
【2.方法】 本報告では、S21反対運動関係者を対象としたインタビュー調査で得た「価値的保守」の視点が、BW州のバイオエネルギー村分析に有効であるかについて検討する。このため、バイオエネルギー村関係者を中心にインタビュー調査を実施した。バイオエネルギー村関係者に対するインタビュー調査は2015年から実施され、村長などのべ100人以上にインタビューを実施した。比較対象としてドイツでもっとも古いバイオエネルギー村であるニーダーザクセン州ユーンデ村でも調査を実施した。
【3.結果】 報告者が実施したバイオエネルギー村関係者に対するインタビュー調査の結果、S21反対運動の分析視点が有効であるという結果が得られた。簡潔にいえば、キリスト教の「創造物の保持」が「価値的保守」といった村の伝統的なあり方を保持するという考え方につながり、バイオエネルギー村の展開に貢献していることが明らかになった。
【4.結論】 これまでのインタビュー調査の結果、ユーンデ村では「新しい社会運動」の視点が、BW州の自然エネルギーの事例では本研究で独特の視点といえる「価値的保守」の視点が有効である傾向が見られ、保守的な地域における環境運動の特徴が明らかになったといえる。BW州のバイオエネルギー村では、宗教と関連を持ちうる「価値的保守」が分析にあたって有効であるという知見を得た。再生可能エネルギー意識の形成要因として、ドイツの保守的な農村では、「創造物の保持」に関係しうる「価値的保守」が大きいと考えられる。
熊本大学 中川 輝彦
1.目的 COVID-19のパンデミックに伴い、私たちは医療の不確実性(uncertainty)を否応なく意識させられている。新興感染症の常としてCOVID-19に関しては、全く何もわからないわけではないが、かといって多くがわかっているわけではない、ましてや治療法が確立されているわけではないという状況にある。このことがもたらす不確実性は、医師による診療のみならず、政策の形成・決定・遂行にも影を落としている。 本報告では、医療の不確実性について、社会学は、何を問い、そして答えてきたのか、また答えられていない問いは何かを検討する。この作業を通じて、医療社会学の課題(のひとつ)を示すことが、本報告の目的である。
2.方法 T.パーソンズとE.ヒューズは、それぞれ別に、しかし同じく1950年代に医療の不確実性に注目した。本報告では(後に医療社会学の古典となる)これらの論考とその後の研究の系譜をたどることで、上記目的の達成をめざす。
3.結果 パーソンズとヒューズは、理論枠組みを異にするが、医療の不確実性に関しては見解をかなりの部分同じくしている。両者とも、医療の不確実性が診療の妨げになると指摘し、それがどのように処理され無害化されるのかに注目している。また医師とそれ以外の人々(ヒューズのいう「素人衆(laymen)」)では不確実性の評価が異なり、素人(衆)は、相対的に不確実性を小さく見積もり、失敗の責めを医師に負わせる傾向があることに注意を促している。 ただし両者の焦点は異なる。パーソンズはどちらかといえば医師の心理的側面に注目し、不確実性のもたらす緊張がどのように処理されているのかに照準する。彼の視点を継承したR.フォックスが、当初、医学生が不確実性の扱いに習熟するプロセスに注目したのは偶然ではない。 これに対してヒューズは、医療プロフェッションと素人衆の関係、特に「失敗のリスク」とそこから派生する「コンフリクトのリスク」——「素人衆」は、医師に対する疑惑を普段から燻らせ、何か(例えば医療事故の報道)をきっかけに集合的怒りの矛先を個々の医師、または医師全体に向ける存在として想定されている——に注目する。しかしこの視点は十分に継承されたわけではない。個々の医師と患者(とその家族)のコンフリクトの研究は珍しくないが、集合体としての医師と素人衆の相互作用は視野の外に置かれがちである。E.フリードソンは、ヒューズの視点を部分的に継承しつつも、素人(衆)の干渉を阻む制度的障壁(彼のいう「組織化された自律」)の存在を分析上の所与とした。彼は(素人衆の一人として)障壁の向こう側の医師の行状を暴露しようとしたのである。 ヒューズやパーソンズがおぼろ気に提示していた視点、すなわち素人衆との相互作用も視野に入れて医師による集合的な不確実性の処理を分析する視点は、その後の研究に引き継がれたとはいいがたい。今日に至るまで、このことは変わっていない。
4.結論 何が課題かは明白である。ではどのようにその課題を遂行・達成するのか。まず必要なのは、改めてヒューズやパーソンズの論考に立ち返り、今後の研究を展開する手がかりを探ることであろう。
追手門学院大学 加藤 源太郎
【1.目的】 リスク概念が社会において広まるにつれて、様々な場面におけるリスクが明示化され、それぞれの場面におけるリスクに対する考え方も多種多様なものになってきたと言える。 本報告では、社会におけるリスク、特に科学技術によってもたらされるリスクが、諸観点においてどのようにとらえられているのか考察し、各領域で分散しているリスクについての議論を俯瞰してとらえることを目的とする。
【2.方法】 (1)ナセヒ(2002)にしたがって①科学技術、②法、③政治、④道徳を取り上げ、それぞれの領域におけるリスクへの対応を見ることで、リスクが各領域でどのようにとらえられているかを示す。その上で、(2)各領域がどのように関連しているかの具体的な例として、政治への変換について考察する。 これらを国内外の文献を使用した理論研究により構成する。
【3.結果】 (1)①科学技術社会論などにおいては、科学技術の問題を市民社会論的に解題しようとするアプローチが主流であるが、科学技術的な観点は、どの領域から見ようとするときにも議論の根底に置かれている。したがって。科学によって解決できないようなリスクが増えたとしても、科学的な説明はますます必要であり、重要になってくるはずである。 ②法による対応は、リスクによる被害者の補償と関係しており、例えば何らかの技術の導入をした者に対して、その責任を明確にすることによって社会におけるリスクをコントロールする機能がある。科学技術が不確実性を介してリスクとつながっていたのに対して、法は不確実なものを流通させなくすることに寄与する。 ③政治による対応は、科学技術の再帰性と関係しており、科学技術自体が不確実性をもたらし、それゆえリスクの源泉になってしまう状況において、特に当該の技術を差し止めようとする圧力として寄与している。また科学技術が科学技術の領域に閉じて存在するようなものではないことから、リスクの問題が政治的争点の道具になりやすいと言える。 ④道徳による対応は、他者の行為に依存せざるを得ない社会の在り方と深く関係していて、分業化された社会的行為とリスクを結ぶものとして機能している。自らの社会的行為の他者への影響を考えてリスクに対応するときには、道徳的に行為をコントロールしていると言うことができる。 (2)科学技術の問題が政治に変換されるとき、政治的な観点から科学技術のリスクが扱われることになるが、社会におけるリスクの対応が、政治的な文脈から評価され、政治文化に影響を受けて構成されることを意味すると言える。
【4.結論】 科学技術に起因するリスクであっても、科学技術による対応は選択肢の一つに過ぎない。社会学において特徴的な「リスク/危険」の区別から帰責への議論は、決定という観点から市民にとって好ましくない決定を回避することでリスクに対応していることがわかる。しかしながら、例えば新型コロナウイルス対策では、何が好ましくないかの議論も不明確なまま、他者による適切なコントロールが期待されていた。各国の対応の評価は政治に変換されていて、批判も科学ではなく政治の文脈でとらえられていたと言える。リスクとは科学技術の領域だけに閉じて存在すると考えるべきではないことからも、リスク対策に王道は存在しないと言える。
立教大学大学院 齋藤 公子
1. 目的 保健医療分野で人々の「つながり」の意義が強調されるようになって久しい。がん医療においては2007年のがん対策基本法施行により、患者・家族向けのがんサロン、ピアサポート、患者会等の開催・支援が推奨されてきた。近年、がん患者たちが集まってする活動はきわめて活発になっている。 そうした状況を背景に、大阪の肺がん患者会グループFは2019年に活動を開始した。本報告はその運営を担うMさん(50代 女性)の経験を焦点化する。2012年にⅣ期肺がんと診断され、肺がん女子会等がん患者たちによる複数の集団活動に参加してきたMさんが、これまでにいかなる「つながり」を築いてきたかを、その語りから明らかにすることが本報告の目的である。
2. 方法 報告者は、2016年より日本の肺がん患者会の連合組織であるJ会の活動を支援し、フィールドワークを行ってきた。その間にMさんと知り合い、2019年と2020年の計2回インタビューにご協力いただいた。
3. 結果 Mさんは診断時以来、継続して薬物治療を受けてきた。告知の際は病状の深刻さに「数カ月先にも、もう自分はいてないって思ってた」という。治療開始当初は周囲に事情を話せず、1年半ほど「引きこもって」いた。だが「しゃべれる仲間がほしい」という思いは切実で、まずはウェブ上で他のがん患者たちと「つながり」始めた。次第に対面での活動が含まれる「つながり」に参加するようになり、それらは(1)がん種を問わない患者会、(2)肺がん女子会、(3)グループF、(4)J会であった。Mさんは(2)と(3)の立ち上げに携わり、その活動の企画・遂行も担っている。 2017年に肺がん女子会を立ち上げる際、Mさんは同世代の肺がん患者女性と協力し、ウェブ上でその活動の「楽しさ」を広めることにより参加者を集めた。その後肺がん女子会は毎月のように開かれたが、あるとき女子会は患者会かどうかを問われる事態となり、MさんらはグループFの立ち上げに着手する。後にグループFはJ会にも参加し、Mさんは全国の肺がん患者会参加者とともに受動喫煙対策推進を訴える活動に取り組んでいる。
4. 結論 病者による集団活動は集団単位で検討されることが多いが、本報告はMさんという個人の経験を焦点化したことで、がん患者たちの「つながり」がいかに展開したかが明らかになった。またMさんの「つながり」をピアサポートが実現する場と捉えるなら、そこにはピアサポートの機能として理解される「情報面」「感情面」の機能が認められた。一方J会は「生物学的市民権」の擁護を目指す活動も手がけている。 くわえて肺がん女子会における「つながり」は、女性たちが自らつくり上げた「選択縁」であり、活動して「楽しい」思いを共有する「女縁」(上野 2008)の一であるとの理解が可能であった。1988年に「女縁」活動を調査した上野千鶴子は、20年後に「女縁」の継承のその時点での不成功を指摘する(上野 2008)。しかし「女縁」は前世代からの継承を経ずとも、たとえば病いの経験を基盤とした肺がん女子会として2010年代後半に結実する。そしてその「女縁」はジェンダーを問わない集団へと展開し、市民権擁護を掲げる社会運動にもつながっていく。Mさんの経験はその経時的な検討により、人々の「つながり」の展開可能性を示唆するものである。
【文献】上野千鶴子編,2008,『「女縁」を生きた女たち』岩波書店.
東京学芸大学 水津 嘉克
1.目的 論者は昨年度の日本社会学会において、「死別」という困難な経験を論じるための分析枠組みを「自己物語」論と「日常生活世界」論を接合し構築することを試みた。今回の発表ではその議論をさらに拡張し、「二人称の死別(死)」という経験をA. シュッツによる“われわれ関係”の概念を用いて理論的に再検討することを試みる。
2.方法 論者は拙著において、「二人称の死別(死)」が、「一人称の死」「三人称の死」とは別様のものとして立ち現れてくることを論じた(水津 2015)。「二人称の死別(死)」は、それを経験するものにとって、その「合致することのない近接性」をもってわれわれに「死」と「死別」を生きていくことを迫るものであった。そのうえでいわゆる「親密性が生まれる場所」≒「家族」≒「二人称の関係」という考え方、そして「その親密性の程度によって悲嘆が生じうる」という二つの前提を、「死別」経験を論じるうえで無批判に導入することへの疑問を提示した。 しかし、そうであるとするならばわれわれにとって特別なあり様を呈する「二人称の死別(死)」は、他の死別経験と(分析的に)どのように区別されるものなのだろうか。 先にも触れたように論者はすでに「死別」経験を、「自己物語」論と「日常生活世界」論の接合をはかる議論の試みを行っており(水津 2019)、今回の報告もその延長線上に位置づけられる。本報告では、まずシュッツが論じるところの「日常生活世界」の内実を確認し、さらにそこに生じる(あるいはその基礎となる)“われわれ関係“という概念との関係性を精査する作業を行なう。シュッツによれば「私はわれわれ関係のなかで共在者を『直接的に』体験している」(Schutz 1976=1991: 50)のであり、「われわれ関係とそこでの他者は、反省的ではなく直接的に体験されている」(同: 55)という意味で、“われわれ関係”にある他者は「日常生活世界」のなかで特別な位置づけを与えられている。 そうであるならば“われわれ関係”にある他者は「自己物語」を根底から支える存在であり、その喪失はわれわれに他の喪失経験とは異なる独特な経験をもたらすのではないだろうか。
3.結果と結論 現時点ではここまで論じたことはあくまでも理論的な仮説にすぎない。しかし、この仮説をより詳細に検討し、さらに質的なデータとすり合わせるならば、「二人称の死・死別」がなぜ他の死や死別と異なる様態を持つのかに関して、詳細な分析を進めていくための理論枠組みを提示することが可能になるだろう。それによって「親密性」や「愛着」などの概念を経由せずに、「二人称の死別(死)」を社会学的な分析の対象として位置づけていくことが可能になると考える。
【参考文献】 Jankélévitch, V. 1966 “LA MORT” =1978 仲沢紀雄(訳)『死』, みすず書房. Schutz, A. 1976 ”Collected Papers Ⅱ: Studies in Social Theory”, =1991 渡部光・那須 壽・西原和久(訳)『アルフレッド・シュッツ著作集 第3巻 社会理論の研究』, マルジュ社. 水津嘉克 2015 「『人称態』による死の類型化再考 ─多様な死・死別のあり方に向き合うために」 有末賢・澤井敦(編著)『死別の社会学』: 144-172,青弓社. [等]
筑波大学大学院 宮前 健太郎
1.目的 2020年現在、日本は世界でも突出した「清潔な国家」であり、その平均寿命や健康寿命、乳幼児死亡率、妊産婦死亡率などは国際標準に照らしても非常に優秀な値を示している。今日、そこに暮らす人々は、「清潔」という基準に対し敏感で、時に強迫的なまでに従順である。 しかし、近代への過渡期に見られる日本、例えば東京における衛生環境は、現代のそれとは対照的であった。貧民の集住や上下水道の未整備、消毒されずに利用される飲み水、無秩序に排出されるし尿、荒廃した都市環境は当時の日本社会を、コレラのような国境を越えて伝播する伝染病の絶好の餌食とした。そして、コレラの流行は在来の漢方医学の地位を大きく低下させ、社会を近代的公衆衛生の整備へと水路づけていった。コレラの流行は「清潔」をめぐる日本社会の分水嶺的な位置を占めており、研究の対象として優れている。本研究の目的はコレラを事例として、当該時期の「清潔」をめぐる知識や言説のやり取りを、医師や細菌学者による啓発、「虎列刺豫防諭解」のような諸制度、学説や制度に対する社会の反応といった複眼的な視座によって捉えることである。
2.方法 コレラをめぐる大衆的な知識、言説の変遷過程について理解するために、当時最も広範に消費されていたメディア、『讀賣新聞』、『朝日新聞』、『毎日新聞』の紙面記録を収集の上、分析した。また、同時期に影響力を持った科学的啓蒙について、医師や細菌学者による書籍、講演・展覧会の記録を参照することで考察した。
3.結果 コレラをめぐる明治の新聞報道の中では、原因や消毒、消臭方法に関する衛生記事の中で、次第に伝染病の構造や実態を語るアクターとしての専門家(医師・細菌学者)が登場するようになった。こうした変化は元々警視局を中心とする、専門家ではない者たちが担っていた伝染病をめぐる語りの主体を、徐々にではあるが専門家の側が回収していく過程であり、後の医学的知識の大衆化の先駆ともいえる変遷であった。ただし、この時代の大衆言説に対する、専門家による知識伝播の影響は限定的であった。
4.結論 明治に入り、医師や細菌学者の側は近世に比して多大な科学的合理性を得た。それは「清潔な社会」の整備を目指し、各種の社会的回路によって盛んに伝播された。しかし清潔な社会の整備を妨げたのは、啓蒙の担い手である専門家の側と、その受容者である一般大衆側の言説の乖離である。その乖離は一般大衆側の思考様式が、近世的な俗説や民間伝承、強権的な警察に対する恐怖の記憶といった諸要素を色濃く継承していたことに由来する。
関西大学大学院 松元 圭
1. 目的 精神障害の一種であり、躁状態とうつ状態を、無症状期を挟みながら繰り返す双極性障害は、現在の医学では完治することはないとされている。しかし、L・デヴィッドソンによれば〈疾患からの完全な回復(recovery from)〉はないものの、〈疾患を抱えながらの回復(recovery in)〉は可能であるとの指摘がある(Davidson et al. 2005)。この、〈疾患を抱えながらの回復(recovery in)〉において重要な要素の1つとなっているのが、コーピングと呼ばれる患者自身による疾患への対処法である(Lazarus & Folkman 1984)。コーピング研究における蓄積の多くは理論的かつ抽象的なものであり、双極性障害患者の具体的なコーピング実践に焦点化したものは非常に少ない。 そこで本発表では、双極性障害患者が実際にどのようなコーピングを行い、効果を感じているのかを、自由記述式アンケート調査の分析を中心に考察する。本発表の目的は、患者が実際に行っているコーピングの具体例を提示することで、研究者のみでなく、患者に対しても資することである。
2. 方法 2017年からセルフレポートを中心とした複数のアンケート調査およびインタビュー調査を実施している双極性Ⅱ型障害患者Xと、2019年から同様の調査を実施している双極性Ⅱ型障害患者Zの2名を中心に数人の双極性障害患者に対し、コーピング実践とその効果に対する主観的評価について、全7問から構成された自由記述式アンケートを2020年1月に実施した。調査の性格上、多数の対象者を得ることはできないものの、こうして得られたデータを患者の生活史的背景に注目するため、これまでに実施したライフヒストリーに関するセルフレポート調査とアンケート調査および補完的インタビュー調査のデータと合わせて、多角的に分析した。
3. 結果 上記のアンケートの内容分析の結果、7つの質問項目から以下(1)コーピング実践のあり方、(2)コーピングに対する効果の主観的評価と副作用、(3)コーピング実践に対する他者の影響、の3点についての知見が得られた。
4. 結論 アンケートと補完的なデータの分析の結果、(1)患者が実践するコーピングは、患者の生活史的背景を色濃く反映するものであること。(2)行為として同じコーピングを行っていても患者によってその意味は異なるものであり、幼少期より形成されたパーソナリティ特性がコーピングに対する評価に関与していること。(3)他者との関係性の質的差異がコーピング実践に大きな影響を与えており、他者との出会いや他者のコーピングへの参与の有無、就職や離職、結婚、出産などを契機としたライフステージの変化によってコーピングも変化すること。以上の3点が明らかになった。
文献 Davidson, L, et al., 2005, “Recovery in Serious Mental Illness : A New Wine or Just a New Bottle?, “Professional Psychology ; Research and Practice (Vol. 36):480-487. Lazarus, R.S., & Folkman, S., 1984, Stress, Appraisal and Coping. New York : Springer.
四国学院大学 大山 治彦
佛教大学 大束 貢生
関西大学 多賀 太
京都大学 伊藤 公雄
1.目的 本報告の目的は、スウェーデンにおけるSOGIに基づく差別などを解消するための取り組みであるHBTQ認証の制度について整理することで、わが国の行政等による政策、施策等への示唆を得ることである。具体的には、(1)NGOであるRFSLによる「HBTQI認証」と、(2)広域自治体のランスティングである、ヴェストラヨータランド・リージョン(以下、ヴェストラヨータランド)による「Hbtq証書」について取り上げる。HBTQ認証は、HBTQ(LGBTQ)の人たちが安心して働けるように労働環境を整備することや、顧客として安心してサービスなどを利用できるよう接遇の改善を図ることに取り組んでいる組織に、その旨の証明書を発行するものである。
2.方法 非構造化面接法よる面接調査を実施した。対象者などについては、次の通りである。 (1)HBTQI認証(RFSL) ①発行者であるRFSLの代表(当時)、②認証を受けた組織2か所(公立医療機関と公立図書館)の担当者 (2)Hbtq証書(ヴェストラヨータランド) 調査日時はいずれも2019年9月で、調査場所は各組織の事務所の所在地であった。なお、調査は、本学会や所属大学の倫理綱領などに従って実施した。
3.結果 1)HBTQI認証(RFSL) RFSLは、HBTQの全国組織(1950年創立)。RFSLのHBTQI認証(HBTQI certifiering)という。RFSLの重要な活動に位置づけられている。認証のプロセスは4つのステップに分かれ、約5か月間あり、その後のフォローアップを含めると、約1年間にわたる取り組みとなる。また、認証には有効期限(3年)がある。そして、アクションプランを策定し、認証後もその取り組みが継続するように、その団体内に中核的なグループを立ち上げる。RFSLの認証は内容的に充実していると評価されている。そのため、料金は高額であるにもかかわらず、官民あわせて、500近い組織が認定を受けている(2019年9月現在)。 2)Hbtq証書(ヴェストラヨータランド) ヴェストラヨータランドのそれは、Hbtq証書(Hbtq-diplomering)といい、「性の健康に関する情報センター」が担当している。認証のプロセスは、講義と実習を含め、6か月を超える。これまで300に近い部署に証書を発行している。RFSLのものと異なり、Hbtq証書は、リージョン内の医療や公衆衛生に関する組織のみを対象としている。 制度誕生の契機は、妊娠中のレズビアン・カップルが産婦人科で受けた差別であったが、現在では、医療機関に対する苦情のほとんどは、トランスジェンダーの人たちに関するものになっているという。認証の担当者は、HBTQのコミュニティと繋がっており、コミュニティからの意見や反応は、制度の運用などに生かされるという。
4.結論 認証取得のプロセスを通じて、職員が自分自身のもつ無意識のヘテロセクシズムなどに気づいたり、組織の運営やサービスのあり方を見直したりしているようである。このように、認証は、組織や職員がSOGIに敏感な視点を獲得し、職場や接遇を改善するきっかけとなっているようである。 わが国においても、トランスジェンダーの人たちを中心に、LGBTQは医療や生涯学習へアクセスが阻害されている。SOGIに敏感な視点を獲得しようとする、HBTQ認証というツールは、わが国の行政等によるSOGIに基づく差別の解消に関する政策、施策等にも参考となろう。
※本報告は、JSPSの科研費(18H00937、18K11911)の助成による研究成果の一部である。
京都産業大学 ポンサピタックサンティ ピヤ
1.はじめに 本研究の目的は、日本・中国・台湾・韓国・タイ・シンガポールのアジアのテレビコ広告におけるジェンダーと労働役割の現れ方の類似点あるいは相違点を考察することである。そのうえで、テレビ広告におけるジェンダー役割に関する研究に再検討を加え、新たな知見を加えたいと考える。 これまでのテレビ広告におけるジェンダーをめぐる先行研究には、いくつかの問題点がみられる。まず、これまでの先行研究の多くは、アメリカ合衆国を中心に、西欧社会の広告におけるジェンダーを研究したものがほとんどであり、アジア諸国を対象にしたものは、いまだ多くはない。また、従来の広告におけるジェンダー研究においては、当該の社会のジェンダー構造がテレビ広告に直接的に反映されているという観点でとらえるものが目立つ。この点からも、今後、現実のジェンダー構造の反映という単純な図式的見方を超える必要がもとめられていることは明らかだろう。 本研究では、内容分析を中心とした従来の広告研究の立場とは異なり、広告を取り巻く社会的背景として「ジェンダー役割」を位置づけるという、社会学的・文化論的な観点から新たに広告の分析を試みる。
2.調査方法 2019年8~10月の期間にわたり、アジア六か国において最も視聴率の高い3つのチャンネルで、プライムタイムに放映された番組から広告サンプルを収集した。そして、ジェンダー役割に関する項目に基づいて、各国の分析したデータをSPSSプログラムで統計分析を行った。
3.分析結果 広告内容分析した結果、まず、すべての国ではナレーターが男性である広告の割合が、女性ナレーターの広告を大きく上回っている。ただし、国とナレーターの性別の間には有意な関係が見られる。また、性別により年齢層の異なる主人公が広告に起用されていることがわかった。つまり、広告に登場する若い女性は、男性よりしばしば多く登場する。 主人公の性別の割合の側面から見れば、広告の中で登場する男性と女性の主人公の割合は違いが見られる。また、主人公の性別と労働役割について、六カ国の広告に見られる働く男性と女性の割合には、有意な関係があることが明らかとなった。 さらに、これらの六つの国のテレビ広告における男性と女性の職種と職業に従事する以外の役割には違いが見られることがわかった。次に、各国のテレビ広告における男女の役割について、男女の違いが見られることが明らかになった。また、テレビ広告における男女の職種についても有意な違いが見られる。そして、男女の職業に従事する以外の役割について、違いが見られる。
4. おわりに 以上のように、アジアの広告におけるジェンダーの配置は、欧米のこれまでの広告におけるジェンダー研究の成果と、ほぼ一致している。たとえば、ナレーターの男女比についても、男性が女性を大きく上回っている。広告で重視されているのは若い女性なのであり、女性は家庭内の役割が多く、男性は、家庭外の役割に従事することが多い。 さらに、これらの六カ国のアジア国々における働く男性と女性の割合、および、男女性の職種と職業に従事する以外の役割には違いが見られることが明らかとなった。一般的な傾向としては、広告に登場する働く男性の割合は女性より高い。そして、テレビ広告に登場する女性は男性より家庭の場面に多く登場し、男性は女性より遊ぶ姿が現れる傾向が見られる。
東京都立大学大学院 柳下 実
【1. 目的】 本研究は、平成18年社会生活基本調査匿名データを用いて、日本社会において誰が育児による睡眠の中断を経験しやすいのか、そして睡眠の中断は短時間睡眠と関連するのかを検証し、日本社会における睡眠のジェンダー不平等を明らかにする。欧米諸国では女性の睡眠時間が男性より長いのに対し、日本は女性の睡眠時間が短い。疫学の知見によれば、日本では男性よりも女性の日中の過度の眠気を感じる率が高く、主観的にも睡眠が十分でないと答えやすい(Doi & Minowa 2003)。国際比較研究の知見によれば、日本の6歳未満の子を持つ母親の77.8%が十分な睡眠を取れていないと回答し、対象となった14か国中で最も悪い(Mindell et al. 2013)。アメリカの先行研究の知見によれば、女性は男性より子どもの世話のために睡眠を中断しやすい(Burgard 2011)。そのため日本社会においても女性が育児による睡眠中断を経験しやすく、結果として短時間睡眠になっている可能性がある。
【2. 方法】 使用するデータは平成18年(2006)社会生活基本調査A票生活時間編匿名データである。従属変数は睡眠の育児による中断と、睡眠の長短(通常 vs 短時間、長時間)である。サンプルは調査対象となった二日間両方に回答した人でかつ59歳以下を分析対象とする。 独立変数は睡眠中断に関しては性別(女性=1)であり、長時間・短時間睡眠については睡眠中断の影響を検討する。統制変数は世帯の末子年齢(0歳、1-2歳、3-5歳、6-9歳)、本人が働いているかどうか、それと女性ダミーとの交互作用項、年齢、世帯年収、部屋数、学歴(基準:高卒以下、短大・高専、大卒以上)、労働時間、育児時間、通勤時間、平日かどうか(平日・土曜・日曜)を統制する。 分析手法は睡眠の中断についてはロジスティック回帰分析を、睡眠の中断が睡眠の長短に与える影響については多項ロジスティック回帰分析を用いる。こうした非線形モデルでは交互作用項を比較するのには限界効果が適切であることが知られており(Long & Mustillo 2018; Mize 2019; Mize et al. 2019)、交互作用の影響については平均限界効果(average marginal effects)とその差から検討する。分析にはStata 16.1を使用した。
【3. 結果】 結果から,全般的に睡眠の中断は女性に多く、育児による睡眠も女性に多い。ロジスティック回帰分析の結果から女性が育児による睡眠の中断を経験しやすく、特に末子年齢が低いほどその傾向が強い。末子年齢1歳未満および1-2歳では女性の方が育児による睡眠中断が有意に経験しやすい。末子年齢が3-5歳以上では有意な差はみられなかった。また育児による睡眠中断が生じると短時間睡眠(6時間半未満)を経験しやすいこともあきらかになった。
【4. 結論】 日本の育児期の女性は、睡眠が中断されやすく、睡眠時間が短いため質・量ともに睡眠不足の状況に置かれていると考えられる。生理的に必要な時間とされる一次活動である睡眠についても、ジェンダー不平等があることが示された。
付記 統計法に基づいて、独立行政法人統計センターから「平成18年 社会生活基本調査」(総務省)に関する匿名データの提供を受け、独自に作成・加工した統計である.
明治学院大学 石田 仁
【1.目的】 近年の複数の社会調査において、同性婚には過半数が賛成し、とりわけ20-30代に賛成の割合が多いことが分かっている。本調査研究では、中高年に焦点をあててウェブ調査を行い、中高年の同性婚への意識とその意識に関連する社会経済属性・行動・意識を明らかにした。
【2.方法】 1社のインターネット調査会社の登録者(国内在住)、40-69歳を対象として2019年12月にモニタ型ウェブ調査を行った。調査は倫理審査委員会の承認を経てから行った。40−54歳の男・女、55-69歳の男・女の、4セル各375名、合計1,500名が本調査で回答するようにスクリーニング調査を設計した。調査名は「男女のあり方と多様性に関する調査」であった。スクリーニング調査とデータ納品の段階で、回答努力の最小限化をしたとみられる回答者(”satisficer”)を除外して、回答データの精度を高めた。 調査項目には、同性婚に対する「賛否」と「見解」が含まれている。「見解」では、例えば肯定的見解として「誰にも平等に、結婚する権利がある」、否定的見解として「生殖に結びつかないから好ましくない」「同性同士の結婚を認めると、別の目的のために精度が悪用されるおそれがある」などを用意した。「見解」は、既存の社会調査において複数回答として尋ねるにとどまっていたものを、今回初めてそれぞれの項目を択一式で尋ねることにした。 得られたデータに対し、2変量の解析を行った。
【3.結果】 「賛否」…1. 同性婚に賛成する割合は7割を超えていた。40代・50代・60代の年齢層別分析では賛否に差が見られなかった。男女別分析では男性より女性に賛成の割合が多かった。最終学歴別分析では大卒に反対者の割合が多かった。2. メディア視聴行動については、ヤフー等のコメント欄、「まとめサイト」、保守系動画サイトを頻繁に訪れる層に同性婚に反対する人々の割合が多かった。3. 意識については、差別を罰則化すると暮らしにくい世の中になる、社会的弱者は弱者としての立場を利用している、という考えに賛同する人々に、同性婚反対者の割合が多かった。 「見解」…1. 結婚する権利は異性・同性にかかわらず平等にあるとする見解に賛同した人々は9割弱いた。同性婚への否定的な見解に賛同する人々の割合はおおむね3-4割にとどまったが、既存の調査よりその割合は多く、調査法の特性が反映された可能性がある。2. 肯定的見解に賛同する人は権威主義的傾向が弱く、また、集団主義的傾向が弱かった。対照的に、否定的見解に賛同する人は権威主義的傾向が強いという結果が見られた。
【4.結論】 本調査は、ウェブモニタに対して行っていること、均等割り付けによるスクリーニングを経ていることから、日本全体の中高年の意識のあり方の縮図であるとする性急な一般化はできないものの、様々な属性・行動・意識が同性婚の賛否や見解に関連していることを明らかにすることができたと考える。なお、学歴やメディア視聴行動と同性婚の賛否との間にみられた関連性は、他の属性によって規定された結果である可能性を持つため、多変量解析も進めていきたい。
上智大学 小森田 龍生
【1. 目的】 本報告では,日本におけるゲイ・バイセクシュアル男性のメンタルヘルスと,いじめ・ハラスメント被害経験との関連を検討する.性的少数者のメンタルヘルス問題について,欧米では多くの研究が展開されているものの,日本国内における調査・研究は少ない.数少ない国内の性的少数者を対象とした研究からは、学齢期のいじめ被害経験や,性的指向のカミングアウト経験が,自殺未遂及びメンタルヘルスの悪化に有意な影響を与えることが指摘されている.しかし、いじめ被害経験からメンタルヘルス悪化にいたるまでのプロセスや,いじめ被害の経験時期の違いによるメンタルヘルスへの影響の仕方の差異等については十分な検討がなされていない.そこで,本報告では2020年に報告者が実施したインターネット調査の結果から,いじめ被害の経験時期(小学校~高校)に注目して,メンタルヘルスとの関連を確認していく.
【2. 方法】 分析対象者は,民間調査会社に登録する20歳~69歳までのモニターのうち,身体的性別(出生届上の性別)を男性と答え,現在の性自認に違和感がなく,性的指向(性愛感情を抱く相手の性別)を男性,もしくは男性と女性の両方と回答した1,668名である.抑うつ感情にかかわる質問(K6)への回答結果を従属変数,学齢期(小学校~高校)のいじめ被害経験を独立変数としてロジスティック回帰分析を行う.
【3. 結果】 分析の結果,抑うつ感情(K6)と学齢期のいじめ被害経験との間には有意な関連が認められた.いじめ被害の経験時期(小学校~高校)ごとの影響に注目すると,高校と中学時のいじめ被害経験がメンタルヘルスの悪化に与える影響がとくに強いことが明らかになった.また,高校時のいじめ被害経験はソーシャルサポート(あるいはヘテロセクシュアルの友人の数)に,中学時のいじめ被害経験は対人劣等感に媒介されて抑うつ感情に影響を与えていることが明らかになった.
【4. 結論】 以上の分析結果から得られる主な示唆は以下の3点である.①学齢期におけるいじめ被害経験は,長期にわたり被害者のメンタルヘルスに影響を与える.②いじめ被害の経験時期によって被害者のメンタルヘルスに与える影響の強さは異なる.③いじめ被害の経験時期によってメタルヘルスに与える影響の仕方も異なる.今後は,ヘテロセクシュアル男性との比較検討,ならびに性的少数者のメンタルヘルス問題への対応策について検討してく計画である.
※本研究はJSPS科研費19J01526「性的少数者のメンタルヘルス悪化のメカニズム―混合研究法による実証的解明―」の成果の一部である.
早稲田大学 樽本 英樹
1. 問題の所在 2016年6月23日の国民投票によって、英国がヨーロッパ連合 (EU) から離脱することが既定路線となった。英国国内の政治状況と新型コロナウイルスの影響により先が見通せないものの、2020年6月現在英国とEUの間では離脱に向けた交渉が継続している。なぜ英国はEU離脱へと向かうことになったのか。本稿は、移民受け入れを考慮しつつ社会的境界の視角からEU離脱にアプローチする。
2. EU離脱をめぐる境界 EU離脱を考察する糸口として、2つの仮説を取りあげよう。ひとつめは、EU離脱は英国の「自分さがし」過程の結果だというものである。もうひとつは、英国を構成するイングランドのナショナリズムが現れた結果だというものである。2つの仮説は相互に重なりつつも、EU離脱の原因を異なる社会的境界の強化に求めている。
3. 「自分さがし」の自分は誰か 「自分さがし」仮説は、入国管理・市民権制度改革から見てEU離脱は「英国人なるもの」の模索の結果だとする (柄谷 2019)。英国は、市民権に関する宣誓、授業、テストを導入し「社会統合可能な者」に帰化を (後に永住許可も) 限定しようとし、ポイントシステムにより技能・能力を持つ「英国に貢献可能な者」のみに入国・滞在許可を与えようとしてきた。さらに、ほぼ半世紀国内で居住してきたウインドラッシュ世代とその子孫にその合法的滞在を証明するよう求め、騒ぎに発展した。 EU離脱に英国の「自分さがし」を読み込むことは可能であろう。しかし、最も問題化したのはEU域内の東欧諸国からの単純労働移民である。すなわち、主要な社会的境界の一つは、英国市民・新英連邦移民と東欧諸国移民との間に設定されている。
4. イングランドのナショナリズム もうひとつの仮説は、EU離脱の原因をイングランドのナショナリズム (English nationalism) に求めるものである。ナショナリズムがヨーロッパ懐疑主義や英語圏 (Anglosphere) 主義と結合し、EU離脱をもたらしたという (Wellings 2019)。 ところが、イングランドとそれ以外という境界設定はEU離脱の説明には十分ではない。第1にEU離脱賛成票は、ロンドン以外のイングランド各地域だけでなくウェールズも過半数を超えており、いずれも過去20年間ほどで所得が相対的に低下した地域である。第2に、賛成派は経済的剥奪・反移民層、欧州懐疑裕福層、中高年労働者階級層に分けられ、「イングランド」の境界を超えている可能性が高い。第3に、イングランド北部など地方では政治疎外のため棄権や小政党に投票していた有権者が既存政治の批判のため賛成票を投じたと推測される。第4に、EU離脱に賛成した旧植民地移民は、比較的新規の東欧移民と自分たちとの間に境界を設定している。
5. 考察と結論 EU離脱を理解するためには、歴史分析および計量分析などにより伝統的な社会階級間の社会的境界が以上のような複数の境界へと分岐し、どの境界が設定・強化された上でEU離脱に賛成したのかといった動態を追尾する必要がある。
早稲田大学 樋口 直人
1.目的 飲食、建設といった世界的にエスニック・ビジネスが盛んな領域から、中古車輸出のような日本独自のものまで、エスニック・ビジネスには多様な形態がある。これらのニッチはどのように形成され、いかなる変化を遂げているのか。本報告の目的は、こうした問いに答えることにより、エスニック・ビジネスを成立させる条件を解明することにある。ニッチの形成については樋口(2012)で、その変容については韓(2010)でサービス産業化として論じられている。報告では、こうした先行研究を発展させる形で、より包括的なエスニック・ビジネスのダイナミズムを明らかにしていきたい。
2.方法 報告では、統計データによりニッチとその変遷を提示し、質的データによりその要因を考察する。そのために、1980-2015年の国勢調査オーダーメード集計を用いる(一部の年次分の調査については、個票データが利用できるようになったものの、90年代以前の状況はカバーできないため、オーダーメード集計で統一する)。そのうち2000年と2015年については、多くの国籍のデータを利用できるが、それ以外の年については8国籍しか利用できないため、両者を組み合わせて全体像と個別の状況を論じることとする。
3.結果 大きく3つの領域について、以下のような知見が得られた。(1)日本の移民労働者受け入れは、製造業優位であることが欧米と比べた時の特徴だが、製造業におけるエスニック・ビジネスは在日コリアンを除いて目立たない。在日コリアンの場合も、高齢層による小規模なものが多く、サービス業のような発展が生じなかった。製造業における社会移動の経路は、移民には開かれていないことになる(これは縫製・食品産業をエスニック・ビジネスが担う欧米とは異なる)。(2)それに対して、飲食や建設はオールドカマーにもニューカマーにも開かれており、自営業への移動が大々的にではないが着実に進んでいる。(3)さらに、貿易を中核とする卸売業が新たなニッチとなっているが、これは日本人企業での就労を介さない点で新たなニッチ開拓といえる。(2)(3)は集団間での差異が大きく、それぞれにニッチが形成される条件が異なるが、これは機会構造と社会関係資本によって説明できる。それに対して、タイ人によるマッサージなど残余的なビジネスは、むしろ人的資本との関連が強い。
4.結論 オールドカマーのビジネスは、先行研究が示唆するよりも変化が緩やかだが、これは現在が自営から雇用者へと移行する過渡期であることに起因する。ニューカマーのビジネスは、集団間の差異が大きいが、これは多くが就労する製造業での人的資本蓄積が自営への道を開かないがゆえに、集団によって異なる機会構造と社会関係資本の影響が大きいゆえと考えられる。他方、人的資本については国籍集団固有の蓄積により、飲食や建設、貿易といった多くの集団が参入するのとは異なるニッチ形成に結び付くこととなる。
文献 韓載香,2010,『「在日企業」の産業経済史--その社会的基盤とダイナミズム』名古屋大学出版会. 樋口直人編,2012,『日本のエスニック・ビジネス』世界思想社.
日本における外国人の 居住地域選択: 1899-1938年データの分析
立教大学 五十嵐 彰
【1.目的】 外国人の増加は地域に好意的/非好意的な影響をもたらすことがわかっている(Charnysh, 2019; Peri, 2012)。そのため外国人の居住地選択、すなわちなぜある国の中で、特定の地域に外国人が多いのかという問いは移民研究において盛んに取り組まれてきた。国内における居住地選択において、多くの先行研究が、既存の外国人人口によって居住地選択がなされるという報告をしている(Aradhya, et al. 2017; Massey, 1998; Reher & Silvestre, 2009)。自身と同じエスニック集団の外国人が多ければ、それだけ情報や援助が得られやすいというのがその理由である。 ではそもそも、その既存の外国人人口はどのように決まっているのだろうか。先行研究の多くは20世紀後半から21世紀など、比較的新しい移民の居住地選択を研究しており、すでに存在するネットワークの影響を免れることができない。他方で明治期の日本においては、1899年まで外国人は特定の地域のみに居住することを許可され、自由に居住地を選択することが出来なかった。本研究では、居住地選択が自由化した1899年から1938年までの日本における外国人の移住行動に着目し、既存の外国人ネットワークの影響を極力排した分析を行う。 外国人の居住地選択に関する要因として、経済、生活の質、gatewayが考えられる。経済は賃金の高さと労働需要を指す。特に後者は、先行研究において産業を分けずに分析されてきたが、外国人が特定の職種に強みを発揮する可能性も考えられる。本研究では当時勃興していた商業、製糸・織物業、海運業に着目し、分析を行う。生活の質は病院数や犯罪率、天気の良さなどがそれにあたる。Gatewayとは、外国人の集住地域を指す。Gatewayは外国人コミュニティの形成を促し、さらなる増加に貢献しているが、他方でこうした地域においては居住地や労働市場が飽和するなどして、Gatewayの呼び寄せ効果は年を経るごとに減少する可能性も指摘されている。
【2.方法】 日本帝国統計年鑑の1898年版から1938年版(第17巻〜58巻)を電子化した。これは外国人統計が取られじめた年から、戦争により統計取得が中断された年を含んでいる。47都道府県の40年分のパネルデータを作成して分析する。従属変数は都道府県別外国人数(1910年以降は韓国人除く)、独立変数は賃金(所得税課税対象の所得額)、製糸工場数、織物販売額、水陸運輸業企業数、商業企業数、病院数、検挙数、降雨量、日照時間、平均気温である。数はすべて1000人あたりとし、円は物価の調整をした上で対数変換している。Gatewayを検討するため、開港開市ダミー(1899年より前に外国人居住許可が降りていた地域)を別モデルとして投入し、年との交互作用をとる。手法は負の二項分布モデルで、県・年固定効果を入れ、独立変数には1期ラグを付けている。
【3.結果】 所属税額、水陸運輸業、日照時間は外国人数に対して正の効果、製糸・商業は負の効果をもっていた。また開港開市ダミーの効果は年を減るごとに減少していた。それ以外は有意な関連が見いだせなかった。
【4.結論】 水陸運輸業という外国人の存在が特に有利に働く産業が盛んであることが外国人の居住地選択に効果をもつことが示された。これは外国人のスキルに応じた居住地選択が移住初期の段階でなされていたことを示すといえる。
首都大学東京 Morais Liliana
University of London Utsa Mukherjee
A significant shift is currently underway within children’s time use patterns in the UK whereby children are increasingly spending their after-school hours in a range of leisure activities for which their parents are devoting a great deal of their time, money and energy (Meroni et al., 2017; The Sutton Trust 2014). This is particularly the case in middle-class families where such leisure activities are seen by parents as a means for the cultivation of children’s talents and skills – all of which contribute towards their educational and career success in the future (Reay, 2017; Lareau, 2011; Nelson, 2010; Vincent and Ball, 2007). This trend signals a shift in the everyday geographies of childhood wherein institutionalisation of children’s lives across adult-supervised spaces – such as school, home and leisure lessons – is matched by a decline in children’s unsupervised outdoor play in the light of growing risk anxieties about children’s safety (see Holloway and Pimlott-Wilson, 2014). These developments within contemporary cultures of childhood and indeed that of parenting in middle-class families, call for a closer investigation into what meanings both parents and children ascribe to these social processes and the identity narratives they construct through leisure. Whilst these questions have been looked into, till now, largely from the perspective of white middle-class parents (see Rollock et al., 2015), we know very little about the cultural politics of children’s leisure within ethnic minority communities in the UK. In addressing this gap, this paper draws upon my PhD study which engaged middle-class British Indian parents (n=18) as well as their 8-to-12-year-old children (n=12) to unpack how social identities play out within the time-spaces of children’s leisure from the perspective of both parents and children.
Creating a cosmopolitan community in the pottery village of Mashiko, Tochigi prefecture
This paper looks at the case of Mashiko, a pottery town in Tochigi prefecture, and the integration of resident Western potters in the artistic and cultural activities developed there. Mashiko became internationally known due to its connections with the Japanese folk crafts movement (mingei), led by philosopher Yanagi Soetsu, potter Shoji Hamada and British potter Bernard Leach, who traveled the West in the 1950s disseminating their ideas about mingei, which were strongly marked the cultural nationalist discourse of Japanese uniqueness despite its hybrid and cosmopolitan character (Kikuchi, 2004). The popularity of Hamada and Leach led to a new generation of Western artists coming to Japan to study in Mashiko from the late 1960s, some of whom established their lives and careers permanently in the small countryside town. This paper highlights the different ways Western resident potters partake in the town’s socio-cultural activities beyond their individual artistic practice.
The paper is based on ethnographic research, qualitative interviews, and semi-directive questionnaires performed between 2013 and 2019. The ethnosociological method of life-story accounts was implemented to collect qualitative and subjective data on the Western potters’ trajectories to Mashiko. A total of fourteen permanent and temporary resident potters from the United States and Europe, who arrived in the town between 1969 and 2016, were interviewed. Furthermore, interviews with the president and vice-chairman of the Mashiko Ceramic Art Association, and vice-director of Mashiko Ceramic Museum, as well as local Japanese potters and residents, were also performed.
Despite its cultural nationalist tone, the mingei movement led by Soetsu, Hamada, and Leach had strong internationalist and cosmopolitan aspirations, succeeding not only in globally spreading the mingei ideas but also drawing potters and artists from around the world to the small countryside city of Mashiko, thus creating an atmosphere of diversity and inclusion. Western potters in Mashiko are perceived as important members of their community, particularly through their ability to create and maintain international artistic networks. Their activities include their participation as volunteer members of the board of directors of the Mashiko Ceramic Art Association, which has been involved in cultural and artistic exchanges between Mashiko, the USA, and Korea, by two Western potters. Furthermore, temporary foreign residents have also been taking up important roles in maintaining and supporting local enterprises, such as the Mashiko Ceramic Club, which counts on foreign volunteers to give classes at their tôgei taiken kyôshitsu, in exchange for a place to practice and accommodation at a century-old kominka.
This paper stresses the appeal of the discourse of Japanese uniqueness in drawing lifestyle and culturally-oriented migrants to Japan, thus subverting its principle by contributing to diversity. However, current Japanese visa categories and requirements do not often accommodate this type of migrant and governmental strategies to attract them to rural areas are still lacking. In this manner, this paper adds to the discussion on the role of culturally-oriented transnational migrants as active agents for social change, internationalization, diversity, and integration in their communities.
ベルギーのムスリム移民二世男性における宗教実践への学校関連要因の影響
早稲田大学 小島 宏
1.はじめに 近年は西欧諸国におけるムスリム移民の社会統合指標の一つとしてのハラール食品消費行動の関連要因を分析し、移民二世の場合は民族や家族関連要因(特に親や本人の民族内婚)や学校関連要因(特にコーラン教室通学経験や学校生徒の出自別構成)の影響が大きいことが複数の個票データの多変量解析から明らかになったが、国や地域によって影響が異なることも示された。しかし、飲食制限以外の宗教実践行動に対する学校関連要因の影響にも興味があるところである。
2.方法 本報告ではベルギー自由大学(VUB)により1994~95年に実施されたモロッコ系・トルコ系男性に対する全国調査、『移動歴と社会移動』(MHSM)調査の個票データを利用する。個票データにロジットモデルを適用して、ムスリム移民二世男性(35歳未満に限定)における宗教実践への学校関連要因の影響を明らかにする。分析対象とする宗教実践としては1)ラマダン中の断食頻度、2)犠牲祭での屠畜経験頻度、3)イード期間中の親族訪問頻度、4)モスク礼拝頻度、5)女性がベールを着用することへの賛否がある。基本モデルの独立変数は高校以上の学歴、小学校と中学校生徒の出自別構成(移民出自が半数以上)とコーラン教室通学であるが、2つの出自別構成の交差項、それぞれとコーラン教室通学との交差項も追加投入する。各種の人口学的、民族的、経済的変数の影響を統制する。
3.結果 2項ロジット分析を用いて各調査の個票データによる比較分析結果によれば、1)ラマダン中の断食頻度に対して学校関連要因は有意な効果をもたないものの、出自別構成の交差項を投入すると中学校の出自別構成が負の効果、出自別構成の交差項が正の効果をもつが、コーラン教室通学と両者の交差項を投入してもいずれも有意にならない。2)犠牲祭での屠畜経験頻度に対してコーラン教室通学が正の効果をもつものの、出自別構成の交差項を入れても有意な効果はないが、中学の出自別構成とコーラン教室通学の交差項が負の効果をもつ。3)イード期間中の親族訪問頻度に対して学校関連要因は有意な効果をもたないが、出自別構成とコーラン教室通学の交差項を入れたときにのみコーラン教室通学が負の効果をもつ。4)モスク礼拝頻度に対して高卒以上の学歴、小学校の出自別構成、コーラン教室通学が正の効果をもち、出自別構成の交差項を入れると小学校の出自別構成が有意でなくなり、出自別構成とコーラン教室通学の交差項を入れても同様である。5)女性がベールを着用することへの賛意に対して高卒以上の学歴が負の効果をもち、コーラン教室通学が正の効果をもち、出自別構成の交差項を入れても変わらないが、出自別構成とコーラン教室通学の交差項をいれるとコーラン教室通学の主効果も有意でなくなることが示された。
4.おわりに 結局、高卒以上の学歴が正の効果をもち、コーラン教室通学が負の効果をもつとは限らず、小中学校の出自別構成によってそれらの効果が異なる可能性が示唆された。
謝辞 本研究は科研費基盤研究(C)「西欧諸国のムスリム・マイノリティの宗教実践に関する宗教人口学的研究」(20K00079、研究代表者:小島宏)の一環としてなされたものである。個票データを提供してくれた Prof. Karel Neels (Antwerp University) と Mr. Johan Surkyn (VUB)に謝意を表する次第である。
東京大学大学院 坂井 晃介
1. 目的 マックス・ウェーバーの「価値自由」というコンセプトは、近代以後の人々による規範的理念である「社会的なものdas Soziale」を「忘却」し、社会学が分析対象を拡張させていく契機となったと考えられている(1)。しかしながらこうした「忘却」以前には、学術的制度が「社会的なもの」をいかに認識・評価し、それを統治実践にどう還元できるかが、多様に構想されていた。そこで本報告では、19世紀を通じて生じていった大衆貧困や労働問題といった新たな「社会的」課題への学術的対応が、どのような政治―学術関係の反省によって生み出されたのか検討する。それにより、「社会的なもの」の忘却/想起という思考自体が、いかなる意味論的な想定によって可能となったのかを明らかにする。
2. 方法 ケーススタディとして、19世紀ドイツにおいて社会問題を学術的に考察することを目指して設立されたドイツ統計学会Verein für deutsche Statistikと、社会政策学会Verein für Socialpolitikという2つの学術団体の形成過程と制度的自己規定を、構成員自身による記述と説明から明らかにする。方法としては、準拠する制度との関係で人々の理念の付置関係を明らかにする意味論分析(2)のアプローチを用い、統治実践と学術の関係が「社会的なもの」をめぐってどのように捉えられていたのかを分析する。
3. 結果 ドイツ統計学会は、統計学が扱う事象が大衆貧困をはじめとした人々の生に関わる「社会的」問題にも見出されるべきだという理念から設立され、そこではデータの解釈が歪められる要因となっていた官庁統計ではなく、学術的素養を持った「真の統計家」によって組織される私的統計の推進が主張された。社会政策学会はこうした問題意識を間接的に引き継ぎつつ、学術の政治性を巡って多くの対抗者からの批判に応答する中で組織的反省を洗練させていった。とりわけ自身の活動範囲を「学術と実践の境界」に見出し、状況を客観的かつ冷静に理解し党派争いに与しない存在として自己規定する姿勢が見出された。
4. 結論 上記2団体においては、「社会的なもの」を統治のための実践知としてではなく、自律的な学術的作動として分析しようとする点が共通して見出された。しかし同時に、自らの主張が統治実践から完全に無関連化されるとみなすのではなく、国家を含めた政治的諸組織が共通して依拠できる知見の産出が標榜されていることが明らかとなった。こうした知見は、19世紀後半のドイツにおいて、学術制度内部における「政治/学術」境界の反省的自己規定が、統治実践と学術的営為の自律性を前提とした両者の相互参照を可能とするものとして見出されていったことを示唆する。「社会的なもの」の社会学的忘却もまた、こうした「政治/学術」境界の学術的自己規定による1つの理念的バリエーションとして理解するべきである。
(1) 市野川容孝,2012,『ヒューマニティーズ 社会学』岩波書店. (2) Luhmann, Niklas, 1980, Gesellschaftsstruktur und Semantik 1, Frankfurt a.M.: Suhrkamp.(徳安彰訳,2011,『社会構造とゼマンティク1』法政大学出版局)
熊谷 有理
0. 主題 社会学においてある研究が”心理学的”または“心理主義的”であるという言葉で形容されるとき、そこには否定的な、さらにいえば軽蔑的なニュアンスが含まれていることが多い。しかし、歴史を辿ってみればわかるように、心理学的な要素は「社会的なもの」をめぐる社会学的思考において重要な役割を担ってきた。A. コントは、フランス革命後の混乱した社会を前に精神(理性)の無力さを突きつけられ、社会の構造化と統一のために共同体の成員たちを結合する共通の信条がなければならないという認識に至った。そして、19世紀末、科学と宗教——理性と感情、合理と非合理——の対立や矛盾がもたらした危機の時代の経験を背景として、社会学者たちは社会的・道徳的な関係性の起源や基礎にある信仰や感情といった宗教的・情緒的なものへと関心を向けた。これら社会学者たちにとって、社会は自らを維持するために人々を特殊な社会関係(契約関係や支配関係など)へと結びつける動機づけを与える心理的な働きをする。そして、その心理的機能を考えるうえで、宗教的・情緒的なものが果たす役割が重要だったのである。
1. 目的 本報告では、「社会的なもの」をめぐる社会学的思考において重要な役割を担ってきた心理学的要素を主題化する、〈社会的なものの心理学〉を展開し、その現在的意義や可能性を指摘する。
2. 方法 一言でいえば、社会学における〈社会的なものの心理学〉を、社会心理学における影響研究の発想と枠組みを用いて、状況論的に展開する。より具体的には、次の2つの課題に取り組む。 (1)宗教や連帯、支配に関するE. デュルケムとM. ウェーバーの論考を、それぞれ〈同調〉と〈革新〉の心理学として整理し、その特徴と方法論上の限界を指摘する(同調と革新とは、個人同士または個人の集団に対する関与の諸形態のうち、他者の信念や集団の共通規範への一致(同調)によって特徴づけられる形態と、他者との差異化、共通規範や伝統の否定、独創的な規範の創出によって特徴づけられる形態のことである)。 (2)社会心理学者S. モスコヴィシの社会的影響研究の検討を通じて、同調と革新の心理学を、知識や社会の確実性/不確実性といった認識論的なトピックに関連づけるとともに、状況論的に展開するためのヒントを得る。
3. 結果 上記の方法の採用(及び課題への取り組み)を通じて、同調と革新を、個人を他者や社会集団に結びつける——支配に従う or 既存の規範を疑うよう動機づける——個体内的なメカニズムによって説明する代わりに、他者との行為やその制度的・規範的環境に対する疑いや確信を生み出す相互行為を通して働く社会的なメカニズムによって説明するための視座を得ることができる。
4. 結論 社会的なものの心理学——特に本報告で提示するような状況論的に再構成されたそれ——は、他者との行為やその環境に対する人々の関与——同調と革新、没頭と距離化、確信と疑い——が生じる社会的相互行為への注目を喚起する。その視角と発想は、再帰性の過剰により特徴づけられる現代社会や、知識と社会の不確実性と無根拠を強調しがちな現在の社会学的実践との関連で、再帰性の過剰にストップをかける社会過程、知識や社会が不確実性と無根拠なものとして人々に現れる社会過程の考察可能性を示唆するため、現在的な意義を持つ。
京都大学大学院 椎名 健人
1.目的 本発表の目的は明治・大正時代の英文学者・上田敏を中心とした師弟関係の性質について、同時代の文学者である夏目漱石との比較を交えながら分析することを通して、同時代の文壇や学生文化における社会関係のあり方を明らかにすることである。
2.方法 師弟関係という視点から分析を行う関係上、本発表は上田が東京帝国大学英文科講師及び京都帝国大学英文科教授であった1903年~1916年を主に分析対象とする。この時期に上田を中心とした師弟関係がいかに築かれ、また決裂していったのかについて、主に弟子の立場から書かれた書簡や随筆をもとに検討する。
3.結果 上田敏と夏目漱石はともに1903年~1907年まで東京帝国大学英文科の講師を務めたアカデミシャンであり、両者とも文壇/ジャーナリズムの界にも属する文化人である。アカデミアのポストないし文壇/ジャーナリズムへの参入を欲する当時の東大生にとって、漱石と上田は比較的アクセスが容易かつ師事することによって自らのキャリアへの利益を期待できる存在であった。1903年~1911年前後に東京帝国大学の学生であった森田草平、鈴木三重吉、和辻哲郎など、現在ではむしろ夏目漱石門下の代表的な文学者、哲学者として知られる人物は、いずれも漱石の門弟となる前後に上田敏と接近し、後に離れている。漱石門弟たちの書簡・随筆を分析すると、漱石は門弟たちの多くにアカデミックポストや(朝日新聞文芸欄に代表される)文壇/ジャーナリズム的活動の場を積極的に斡旋しているのに対し、上田はそのような利益の供与を年少者に対して行う頻度が少ないことが判明した。漱石と上田の師弟関係のあり方を比較すると、漱石が自宅に親しい門弟を毎週木曜日に招き(=木曜会)、パーソナルで濃密な師弟の関係を築くとともにキャリアのサポートを積極的に行ったのに対し、上田は後進との間にも「パンの会」に代表される個人主義的な関係性を志向する傾向が強い。上田との関係性から実利を得ることの出来なかった多くの年少者は上田ではなく漱石を「師」として選び取り、後に「漱石山脈」と言われるネットワークを築き上げていった。
4.結論 1903年~1907年の間「東大の常勤講師かつ文壇/ジャーナリズムに属する文化人」という極めて似通った社会的地位にあった夏目漱石と上田敏の間には、師弟関係の構築の仕方という点において大きな違いが存在した。1903年~1911年前後の文壇や学生文化には後の「大正教養主義」の揺籃となった漱石門下(木曜会)のパーソナルで強固なネットワークの他にも、上田敏を中心とした個人主義的な緩い紐帯が一時期存在した(その代表的存在が『三田文学』・『スバル』系列に属する「パンの会」である)ものの、その関係性はアカデミア、ジャーナリズムのいずれの観点からも年少の参画者(=弟子)に実利が及びにくい構造であったために漱石一門に見られるような力強さをしばしば欠き、結果として極めて一時的なものに終わった。この分析結果からは、明治末期・大正初期の文壇・学生文化の基調を成す社会関係のあり方、すなわちパーソナルで濃密な関係性の中で、種々の利益の受け渡しが行われる社会関係の構造を逆説的に見出すことが出来る。
東京大学大学院 前田 一歩
1. 目的 近代日本において明治後期から大正期にかけては、噴出する都市問題のなかで感化救貧事業と、社会事業が進展する転換期である。この時期の貧困者への救済には、人々の習慣や考えを「善導し良化する」ことで、貧困を予防する教化的な性格があったことが知られている(副田 2018: 354-8)。大正期には「不良少年」が問題として取り上げられ始め、その社会的な原因が研究されると同時に、児童の「不良化」を防ぐ、予防的な取り組みが進められた(作田 2018: 68-71)。1920-30年代には、都市公園においても変化が生じる。この時期は、労働者、すなわち成人を主な利用者として想定し、設計・管理されていた日本の都市公園に、子どもという利用者が明確に位置づけられ始める。 本報告は、公園利用者像の変化を象徴する事業として、東京市における児童遊園の設置と児童指導員の派遣に着目する。本報告は、いかなる背景のもと、児童の遊び方が問題化され、児童用の設備や制度が設けられるにいったのかについて検討すると同時に、そこで行われた指導の様相を明らかにすることを目指す。
2. 方法 本研究では、大正期から昭和戦前・戦中期にかけて東京の公園行政を先導した東京市公園課の井下清(1884-1973)の議論を確認するほか、大正期に東京市社会局が行った『都市公園利用調査』の結果を分析する。また、児童遊園に派遣された児童指導員の回顧録と、児童指導の指南書を分析対象とする。とくに、児童指導員として中心的な役割を担った末田ます(1886-1953)の議論を参照する。
3. 結果 ①東京市は、1920年代以降、交通の高速化や児童教育への関心の高まりから、児童用の遊び場として児童遊園を設置するための議論を始める。②関東大震災後の復興事業を契機にして設置が進んだ児童遊園は、親の目も教師の目も届かない場所、すなわち「不良少年」の温床として危惧され出す。③その結果、児童指導員を派遣する児童指導員事業が展開することになる。東京市の児童指導員事業は、1943年に空襲の激化によって中止され、戦後には規模を大幅に縮小した形で再開されるが、1967年に廃止される。本報告は、貧困者や不良少年を警戒し予防・矯正しようとする教化的な社会政策のなかで、児童遊園においては児童指導が開始されたことを示す。さらに、その指導内容は、児童の自発性と楽しさを優先することを手段としながら、子どもたちの将来的な職業的自立可能性を高めようとするものであったことを提示する。
4. 結論 1970-80年代に始まった、近代社会における「子ども像」の問い直しにおいては、大人による抑圧を批判する立場と、子どもの自発性を称揚しようとする立場が存在する。しかし、後者の子どもの自発性を強調する立場においても、それが大人によって謳われる以上、新たな抑圧となりうるという隘路が指摘されてきた(元森 2020: 9-13)。こうした状況のなか、公園における児童の自由と大人のケア・監視の問題を扱う研究は、大人と子供の非対称性を一時的に失効させる「プレーパーク」の試みに注目してきた(元森 2006)。本報告が提示する、子どもたちの振る舞いや習慣を「善導し良化」しようとする東京市の児童指導員の実践は、子どもの自発性や楽しさを注意深く調整しながら教化を達成していた点において、抑圧と自由という二項対立の隘路をすり抜ける事例として議論される潜在性を持つ。
東京大学大学院 宮部 峻
1.目的 本報告は、真宗大谷派の改革運動を事例として、戦後日本の宗教教団と封建遺制論にみられる社会科学的宗教観の関係を解明することを目的とする。 戦後すぐ、宗教教団に対して、「民主化」を求める声が教団内外から発せられる。社会構造・社会環境の変化に応答する必要性の高まりとともに、宗教教団の改革運動が展開される。同時に、宗教教団の既存の構造にみられる「封建遺制」への批判、とりわけマルクス主義的宗教理解を基盤とする批判の動きが強まっていた。 本報告は、日本の宗教の近代化の過程において、マルクス主義的宗教理解に対する宗教者の応答が果たした役割に着目する。社会科学の宗教批判の受容、応答、実践を通じて宗教教団の近代化が生じた事例が戦後日本の宗教教団の改革運動に認められる。その事例が真宗大谷派の改革運動、同朋会運動である。本報告は、戦後日本の封建遺制論、とりわけマルクス主義者による教団批判に対して改革運動を牽引する宗教者が応答し、教義の再編を行っていくなかで、組織改革の必要性が認識されていったことを、大谷派の改革派の議論から明らかにする。
2.方法 第一に、マルクス主義者の宗教理解を析出するため、宗教教団の封建遺制を指摘した論者たち、とくにマルクス主義的理解にもとづく論者たちの批判を資料から確認する。 第二に、大谷派の改革派の形成過程を明らかにするため、改革派の思想的系譜を、二次資料なども活用しながら確認する。 第三に、マルクス主義者の宗教理解を受容したのち、改革派が教団の課題を宗教思想的にどのように位置付けたのかを示すため、改革派の機関誌を分析する。
3.結果 封建遺制論、とりわけマルクス主義者の宗教理解と改革派の宗教理解とを照らし合わせることで、マルクス主義者が批判した宗教の社会制度的次元を、改革派は否定するのではなく、受容したことがわかった。そのうえで、教義の再編・組織の改革を改革派は進めた。真宗大谷派の場合には、教団の近代化運動は、宗教者による社会科学的宗教観の受容の過程と捉えることができる。
4.結論 信仰の近代化の次元と、組織の近代化の次元が絡み合いながら、真宗大谷派の近代化は進んだ。改革派は、当初、教団内部では異端的地位に近い立場にありながらも、既成の教団から独立することなく、教団内部にとどまりながら、信仰と組織の近代化を模索した。しかし、それにより、教団外部社会との緊張関係は解消される方向に向かったものの、教団内部での対立を生み出すこととなる。社会科学的宗教理解にいかに向き合うかという問題は、教団近代化の過程でくりかえし重要な局面となってきたのである。
文献 森岡清美,[1962]2018,『新版 真宗教団と「家」制度』法蔵館. 日本人文科学会編,1951,『封建遺制』有斐閣. 高木宏夫,2006,『高木宏夫著作集3 天皇制/真宗教団』フクイン.
中央大学大学院 鈴木 将平
【1.目的】 医学生の解剖実習のために、無条件・無報酬で自身の遺体を大学病院などに提供することを「献体」という。本報告では、1950年代なかばから各地で行われてきた遺体提供が、1960年代後半以降、全国的に展開し、医学教育において制度化していく過程を明らかにする。 これまでの先行研究では、「人体」の流通をめぐる制度の歴史的な形成過程が明らかにされてきた(香西 2007)。香西によると、戦後の解剖体の収集は、明治以来の慣習に則り、引き取り手のない「無縁」の遺体を原則としつつ、実態の不明確な「解剖体不足」という言説を背景として、次第に「本人の意志」に基づく遺体の調達が行われてきた。このように、解剖体のドネーションにおいては「不足」という言説が強く働いていたとされる。一方で、当時の「不足」という認識の内実がいかなるものであったのか、また、提供を受ける解剖学者らが「本人の意志」によって提供された遺体をどのように意味づけてきたのかは十分論じられてこなかった。そのため、解剖体をめぐる制度や慣習だけではなく、篤志家団体や医学界の動向からも、献体の制度化の過程を明らかにすることに課題がある。
【2.方法】 本報告では、献体のための全国組織である篤志解剖全国連合会が発足する過程に着目する。全国連合会は、解剖体の収集や広報を行うために1971(昭和46)年に発足し、篤志家団体と大学関係者によって運営されてきた。全国連合会の設立において中心的な役割を担った、東京「白菊会」や愛知「不老会」などの篤志家団体で発行されていた会報のほか、日本解剖学会の『解剖学雑誌』から、全国組織化の過程における解剖学者らによる意味づけを明らかにする。
【3.結果】 1950年代から60年代にかけて、白菊会や不老会といった篤志家団体が各地に発足し、互いに競合する可能性が生じていた。そこで白菊会の代表者から、解剖学会にむけて、全国組織の発足に向けた提案がなされる。篤志家らの申し出に対して、とくに解剖体が著しく不足していた金沢大学の解剖学者らが積極的に関与し、解剖体の収集にかかる問題に加えて、医学的知識や技術の高度化を背景として、当時低迷していた解剖学の研究・教育上の意義を再定義することを意図し、普及活動を行った。1970年代に入ると、本人の意志による遺体を解剖することが、医学生の倫理教育上も効果があるという意味づけが行われるようになり、篤志献体という呼称が定着していく。
【4.結論】 これまで、自発的な遺体提供が医学教育において制度化した理由として、「不足」という言説との関連が取り上げられてきた。しかし、全国組織化の過程にみられるように、「本人の意志」によって提供された遺体を用いることは、実際に解剖体が不足する大学の解剖学者らによって推進されてきた。とくに、医学生の倫理教育上の効果が言及されるようになったことで、自発的な遺体提供は篤志家と解剖学者の双方にとって有意味な行為として新たに意味づけ直され、医学教育において制度化することとなったのである。
東北大学大学院 下窪 拓也
1.目的 本研究の目的は,福祉制度と経済不況が交互作用的に反移民意識に与える影響を明らかにすることである.集団脅威理論は,経済不況の際に移民と経済的資源を巡る競争が悪化すると認識されるため,反移民意識が強まると説明している.こうした経済不況による経済的脅威の高まりは,福祉というセーフティネットによって緩和されることが示唆されてきた. しかし,上記のような福祉と経済不況が反移民意識に与える交互作用的な影響を,社会調査データの二次分析を通じて検証した先行研究では,データの限界からサンプルサイズの小ささなど推定上の課題を多く残すものであった.本研究は,先行研究が抱えている課題を克服し,経済不況と反移民意識の関連に福祉が与える影響について再度検証を行うことを目的とする.本研究では,経済不況が反移民意識に与える影響は,その地域の福祉によって緩和されるという仮説のもと,社会調査データの二次データを用いて,以下の分析を行う.
2.方法 本研究は,移民問題が深刻なヨーロッパ諸国を対象にして行われたEuropean Social Surveyの2008年から2016年のデータを用いた,Time-series Cross-sectional analysisを行う.分析では,従属変数を反移民意識とする.独立変数には,経済不況の指標として各地域の失業者数と,福祉の指標として労働市場政策への支出を用いる.この労働市場政策は,消極的労働市場政策(PLMP)と積極的労働市場政策(ALMP)に焦点を当てて検証を行っていく.先行研究では,集団脅威理論の観点から,ALMPはPLMPよりも反移民意識を抑制する効果を持つことが議論されている.
3.結果 分析の結果,仮説とは反して,失業者数の増減は反移民意識に対して統計的に有意な影響を示さなかった.そして,ALMPへの支出が多い国は反移民意識が低いことが確認されたが,ALMPへの支出の増加自体は,反移民意識を強める効果を持つことが明かになった.最後に,労働市場政策への支出と失業者数の交互作用効果から,ALMPへの支出が多い国で失業者が増加すると,反移民意識が低下することが明かになった.
4.結論 積極的な雇用や職業訓練機会を創出すALMP下では,失業者や移民は潜在的な経済的利益として認識される.従って,ALMPが頑健な社会で経済状況が悪化した際には,移民は経済の立て直しに貢献する労働力として認識されるため,反移民意識が低下するのだと考えられる.失業者数の増減は反移民意識と統計的に有意な関連を示さなかったことや,ALMPの支出の増加は反移民意識を強める一方でPLMPは反移民意識に対して影響を与えない点等,先行研究とは一貫しない結果が確認された.以上のように先行研究と一貫しない結果が得られた原因や,本研究の限界についても議論を行う.
立命館大学大学院 欧陽 珊珊
【1.目的】 本報告の目的は、台湾における障害のある性的マイノリティの当事者活動に着目し、当事者活動はどのように成立し、展開したのかを明らかにする。インターセクショナリティの視点で多重のマイノリティ構造から、クィアと障害の接点を考察する。
【2.方法】 本報告では、2018年7月と2019年2月に台北に拠点をおく当事者グループを訪問し、インタビュー調査をおこなった結果について述べる。当事者団体のリーダーや関連者の語り、当事者活動の内容に関する公開資料などを分析する。
【3.結果】 台湾における障害のある性的マイノリティの当事者活動は、2000年代から始まったと考えられる。はじめのころは、Vincentさんという身体障害を抱える男性同性愛者の個人活動が中心であった。2008年にVincentさんは、中国語で障害を表す「残」とクィア(queer)の訳である「酷児」を合わせた「残酷児」という名称を作って、性的マイノリティを象徴するレインボーカラーの車椅子で第6回台北プライドパレード(Taiwan LGBT Pride)に参加した。そして、プライドパレードでのカミングアウト活動を通じて、「残酷児(英語名称:Disabled+Queer)」である活動団体が結成され、自分たちのコミュニティでの活動だけではなく、他の団体と連携して、多様な活動を展開している。「残酷児」の活動で、台北プライドパレードのバリアフリーが実現され、他の組織も障害のある性的マイノリティに注目した。その後、台湾最大の性的マイノリティ支援団体である台湾LGBTホットラインは、耳が不自由な性的少数者向けの手語サポートや座談会を実施するようになり、精神障害者のある性的少数者の支援活動も展開してきた。
【4.結論】 障害のある性的マイノリティの当事者活動は、異性愛および健常者中心の社会で、性的マイノリティのコミュニティと障害者のコミュニティのいずれからも疎外されていた障害と性的マイノリティが交差した身体を持つ人々が自らの殻を破り、解放を探求するクィア的な試みである。クィアと障害の交差(インターセクション)を焦点に置くことによって、これまでマイノリティの内部におけるさらなるマイノリティに対する差別が自覚され、コミュニティの体制が問い直され、立て直される可能性が示唆された。
謝辞 本研究は日本学術振興会特別研究員奨励費(20J21415)、立命館大学生存学研究所2018年度若手研究者研究力強化型「国際的研究活動」の研究成果の一部である。
外国人の子どもの「発達障害」が見えづらくしたもの、およびその語りづらさ
金 春喜
1.目的 日本に暮らす外国人の子どもの数は増え続けており、2018年末には34万人(20歳未満)に達した。そんな中、「発達障害」と診断され、特別支援学級に通うことになる外国人の子どもも目立ち始めた。外国人の集住地域では「外国人の子どものうち特別支援学級に所属する割合」が日本人の子どもの場合の2倍にも上ると明らかにされている。にもかかわらず、「外国人であること」と「障害児とされること」にまたがるこのテーマの背景や経緯はほとんど検討されてこなかった。本研究は、このテーマをめぐる実話の中で「外国人であること」と「障害児とされること」の論理がいかにたたかって議論の方向転換につながったか、およびその結果として何が見過ごされたかを明らかにする。加えて、このテーマの語りづらさについての試論も展開する。
2.方法 小6と中1の頃にフィリピンから来日し、ほとんど日本語が話せないままで日本の公立校に通い始めたきょうだい2人にかかわった日本人の教員8人、およびフィリピン人の母親と通訳、計10人へのインタビュー調査をした。調査は2018年度に行った。さらに調査者が研究を進める上で受けたとった指摘などもオートエスノグラフィに取り入れ、このテーマが語りづらかった理由の検討につなげる。
3.結果 教員たちは当初、きょうだいの抱える「外国人としての困難」(日本語が十分にできない、日本の高校に進学できる可能性が低い、親が外国人労働者で世帯収入が低いなど)を把握していたが、日本の公立中学校には支援できる方法も資源もなかった。そこで教員たちは「障害児としての支援」(「発達障害」の診断を得て、職業学科のある特別支援学校に進学し、職業訓練を受けて将来の仕事を得るというルート)を選ぶことで、迫る高校進学への対処に代えた。きょうだいの困難が医療化・個人化・「心理学化」されたことで、「外国人としての困難」に対応するすべがないことは不問に付され、社会的な支援を訴える必要性は、ごく自然に薄れていった。この一連の営みはまぎれもなく教員たちの善意で実現したが、外国人の親子にとっては圧力に他ならなかった。だが親子は構造的に弱い立場にあるために、「先生たちの努力に感謝」という温情を示す語彙に言い換えることで、意に反する「発達障害」の検査・診断を受け入れていった。議論のすり替えには、外国人の親子の立場の弱さとその看過も必要不可欠だった。
4.結論 マイノリティをめぐる2つの論理がたたかえば、制度的な支援の充実した側に圧倒的な力が与えられ、他方の論理や制度面の陥穽は隠されていく。「外国人であること」の論理は「障害児とされること」の論理に代わられた。結果、外国人の子どもへの支援にごくわずかな人員や時間を割くのみしか許さず、あくまでも日本人のためのシステムを維持しようとする日本の教育や移民政策の陥穽は見過ごされていった。また、「障害」と「外国人」にまたがるこのテーマは、正統と思われている医学的知見に支えられた対象を持つがゆえ構築主義的な問題関心が伝えづらいというだけでなく、「外国人の子どもに無用なスティグマを与えかねない」とおそれたけん制があり、こうして保護された問題は語り始めることすら容易ではなかった。こういったマイノリティへの「温情」こそが、図らずも問題を忌避し看過し、放置することにまでつながってきたのではないか。
シンガポールのムスリム女性たちの異議申立てにみるジェンダーとマイノリティの交差
法政大学大学院 市岡 卓
1 目的 本報告の目的は、シンガポールのムスリム女性たちによる異議申立ての課題を明らかにすることである。近年では、彼女たちは、ムスリム社会における女性の位置づけ、女性に期待される社会的役割、女性の身体の管理などに関し、積極的に発言し異議を唱えるようになっている。一方で彼女たちは、宗教ではムスリム、民族ではマレー人またはインド人というそれぞれマイノリティの立場にある。彼女たちの取組みの課題を分析することは、ジェンダーとマイノリティが交差する場での女性たちの困難やそれを乗り越えようとする試みの一つの例を示すものとして、大きな意義を有すると考えられる。
2 方法 本研究では、シンガポールのムスリム女性たちの異議申立てが集約されたものとして、2016年と2018年の2回にわたり出版された『プルンプアン』(Pepempuan:マレー語で「女性」の意味。)シリーズに注目する。同シリーズは、これまでタブーとされ語られなかった性と愛やFGM(女性性器切除)をめぐる問題も含め、ムスリム女性たちが自分たちの直面する問題についてまとまって声を上げた初めての試みである。本研究では、シンガポールのムスリム社会の文化、宗教をめぐる状況のほか、多民族・多宗教社会シンガポールにおける民族・宗教的マイノリティに対するステレオタイプ・差別などの社会的背景を踏まえ、『プルンプアン』シリーズへの寄稿者の女性たちの主張を読み解き分析した。
3 結果 『プルンプアン』シリーズの寄稿者の女性たちが取り扱うテーマは、ムスリム社会における女性の問題が中心であるが、シンガポール社会全体の中でのムスリムあるいはマレー人・インド人というマイノリティの問題も含まれる。ムスリム女性たちは、ジェンダーに関わる問題とマイノリティに関わる問題の両方に同時に直面しているのである。従って、彼女たちがマイノリティ社会の中でのジェンダーの問題を告発することが、シンガポール社会全体の視点からみれば、マイノリティに対するステレオタイプや差別を強化するなど、彼女たちの困難が一層増すことにつながる恐れもあるという状況がみられる。
4 結論 シンガポールのムスリム女性たちの異議申立ては、ジェンダーとマイノリティとが交差する場において、自身のコミュニティに対する異議申立てが彼女たちの立場をより困難なものにしかねないというジレンマに直面する。しかし一方で、彼女たちの異議申立てには、イスラームを否定するのではなく、ムスリムとしてのアイデンティティを堅持しながら、イスラームの枠組のなかでジェンダー的公正を追求する面がみられる。こうした彼女たちのスタンスは、マイノリティの民族や宗教の「本質化」を打破し、ジェンダーとマイノリティの交差からくるジレンマを克服する契機ともなりうると考えることができる。
文献 Association of Women for Action and Research (2016) Perempuan: Muslim Women in Singapore Speak Out, Singapore: Association of Women for Action and Research. Association of Women for Action and Research (2018) Growing Up Perempuan, Singapore: Association of Women for Action and Research. 長沢栄治(2017)「研究プロジェクトの紹介」『イスラーム・ジェンダー学の構築に向けて』、長沢栄治編、イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究。
日本学術振興会 山岸 蒼太
1 目的 本発表は、障害者解放運動の中で展開された「豊中3氏就労闘争」(1975-1984年)を経て、豊中市で公務員として働いた視覚障害者Mさんの経験を通じて、健常者とどのように関係を取り結び、働いてきたのかを分析する。Mさんの障害に対する意味づけや同僚との関係性の取り結び方は、健常者との対等な関係があらかじめ存在したところに生まれたものではなく、障害者として健常者社会から排除され、それに対する抵抗の運動を通した経験から生み出されてきたことを明らかにする。 日本の障害者運動研究は、障害者を排除し、不可視化してきた健常者社会の差別性を告発し、障害当事者の主体性を主張した1970年代の障害者解放運動やそれに起源を持つ自立生活運動に依拠して蓄積されてきた。そこでは、働き賃金を得ることと、自立した存在とみなすことを分離し、働けない重度障碍者の存在を認めさせようとしてきた点に特徴がある。しかし、一般的な意味での就労やそこでの健常者との関係性といった点は看過されてきたのではないだろうか。 本発表では、Mさんが仕事を得るまでの運動と、その後の仕事の経験に着目して、健常者との関係を取り結んでいった方法を明らかにする。
2 方法 本研究では、2016年から2018年にかけて合計4回、Mさんにライフヒストリーインタビューを行い、その中で就労闘争を中心とした運動と、公務員としての仕事の経験をめぐる語りを対象に分析した。また、就労闘争について、支援組織の資料や障害者団体の機関紙の記事も用いた。
3 結果 豊中3氏就労闘争は、従来の福祉行政を障害者抜きに行われてきたと批判し、障害者自身が担い手として変革を目指す運動として始められた。運動の過程で、行政側が交渉を一方的に打ち切り、その場から逃亡したり、行政側が障害者には可能な業務がないと主張するなど、Mさんは障害に対する否定的な眼差しを経験していた。 一方で、就職後、Mさんは、担当業務の中で手助けを依頼する場面で、それを相手の「厄介な仕事」を増やすのではなく、むしろ障害のあるMさんの手助けを通して可能になる肯定的な面を強調していた。すなわち、マイナスのものとして顕在化した「障害」を位置づけ直し、プラスの「資源」としてとらえていたと言える。 また、新人職員が着任し、新たに関係性を作る際、Mさんからその職員の仕事の手助けをし、後にMさんが手助けを受けやすい状況を作り出していた。ここでは、新人職員との間で「障害」が顕在化する前に、Mさんの振る舞いによってプラスの面が強調されている。そして、Mさんはそうした工夫を楽しんでいるようにも思われる。
4 結論 Mさんは、仕事の場面で、障害をプラスの「資源」と位置づけ直したり、障害がマイナスのものとして立ち現れる前に、プラスの面を協調していた。それは、障害を否定的にとらえる健常者の「常識」を具体的な文脈の中で位置づけなおし、読みかえていく実践であり、Mさんはそうした工夫を楽しむ視点も持っていた。健常者と関係を取り結ぶ上で、障害を位置づけ直すMさんのこうした工夫や発想は、障害者の排除や差別と闘う就労闘争の経験から生み出されてきたように思われる。つまり、健常者を敵とみなし直接的に抵抗することとも、逆におもねることとも異なる障害者・健常者の関係を作り出す方法を生み出していたと言える。
経済総合分析株式会社 木下 博之
1. 目的 Jhon von Neumann は、数学者である。そして、天才的な科学者として、精力的な政策の提言者として知られた。彼への評価は好悪が入り混じり、論理的に明確なものから煽情的なものまでが入り混じり、才人にもかかわらず一定の像を結んではいない。そこに、流浪の民であるというもう一つの見方を提示し、流浪の民という社会集団を描いていく。
2. 方法 氏の経歴と評価を時系列的に辿りつつ、分類しつつ辿っていく。
3. 結果 氏は、流浪の民である。主に、数学者、経済学者、物理学者、心理学者、コンサルタント、アジテーター、といった社会的役割を果たしてきたものの、どこにも、踏みとどまることはできなかった。氏は、次から次へと別の分野と触れ合い、氏の専攻である数学との隣接分野を生み出していった。人々は当時は、彼を天才であるとか悪魔であるなどと評した。物理学者たちは、数学者である氏を同一専攻の身内であるという錯覚をしていた。そして、社会的にもその評が有力であったといえる。ただし、数学と物理学は異分野である。物理学者たちの氏への人物評は、彼らが主張するほどには客観的なものではなかったといえる。ここに、氏は、科学者であるという以前に、流浪の民であったという見方を提示したい。
4. 結論 氏は、専攻や活動分野を幾度も変えている。その度に、新しい評価を得て実績を紡ぎだしている。私生活においても、結婚と離婚を経験している。幾多の研究チームに参加しつつも、多くの場合は離別に至っている。ここに、流浪の民としての特徴を見出すことができる。離別は、氏の性質自体も変質させていった。離別により生じた氏の空白は、新たな隣接分野との接近により埋められていった。離別と新たな出会いは隣接分野へのものといえども、氏の研究と日常を不連続なものとした。繰り返される離別が、氏への評価を不安定にしている。氏を受け止める隣接分野の人々は、氏の才能や能力と相まって、異分野からやって来た氏を過大に評価する傾向があった。その接触により、確かに成果は上がったのにも関わらず、過大な評価への反動としての過大な失望が繰り返され、評価を不明瞭にしていったのである。コンピュータの父とも言われる氏の、その姿は、科学者という以上にジプシーに見えてくる。氏、そして、流浪の民の行動の奥にあった意欲、ここに焦点を当てていきたい。
参考文献 ノーマン マクレイ, 1998,『フォン・ノイマンの生涯』朝日選書. 水谷 驍, 2006, 『ジプシー 歴史・社会・文化』平凡社.
Fertility Intentions of Having a Second Child among the Floating Population in China
University of Victoria Min Zhou
The floating population makes up a large part of China’s total population, but due to the scarcity of existing research we know very little about its fertility patterns and underlying determinants. The floating population refers to migrants who have resided in the place of destination for at least six months without local household registration status (hukou). There are three major reasons why the fertility of this group is worth studying. First, the floating population has increased over time, rising from 6.57 million in 1982 to 221 million in 2010, and further to 247 million in 2016, accounting for 0.7%, 16.5%, and 18.0%, respectively, of the overall national population. Within the floating population, more than 100 million, termed “the new generation of migrants,” were born after 1980, indicating that a large proportion of the floating population is currently of reproductive age (15-49 years). Second, the floating population has one of the lowest fertility rates in China’s overall population. The total fertility rate of the population in China has experienced a remarkable decline since the 1970s and has been well below replacement since 1990. The rate is even lower for the floating population (0.94), compared with that of people living in rural areas (1.28) or cities (1.01). Third, China’s floating population faces much more socioeconomic challenges than other social groups due to discriminatory policies such as the hukou system. Migrants in China are restricted by their hukou status and encounter far more difficulties than others in accessing social benefits including healthcare, housing, employment opportunities, pension benefits, and school enrolment for their children. Because of these unique hukou-induced disadvantages, this group is distinctive and it is thus necessary to study its fertility patterns in its own right.
With China’s recent loosening of its long-standing one-child policy and implementation of the new two-child policy in 2015, it has drawn much interest from both the academia and the public whether Chinese citizens are actually willing to have a second child. Fertility intentions play an important role in explaining contemporary fertility trends and are a reliable predictor of subsequent fertility behaviour according to the theory of planned behaviour, which is a socio-psychological value expectancy model currently popular among demographers studying fertility. Due to the lack of nationally representative data, it has long been difficult for researchers to examine how various socioeconomic factors affect the fertility intentions of the childbearing-age floating population in China. The 2016 Migrant Dynamics Monitoring Survey (hereafter the 2016 MDMS), administered by the National Health Commission, provides a unique dataset that enables us to analyse, for the first time, how various factors affect the floating population’s intentions to have a second child. This paper contributes to the literature by revealing the socioeconomic correlates of fertility intentions of having a second child in China’s floating population.
Using the high-quality data from the 2016 MDMS, we reveal that despite China’s recent adoption of the universal two-child policy, only 22.2% of migrants of childbearing age intend to have a second child. Some socioeconomic characteristics can explain why some migrants are more inclined to have a second child than others. Our results show that within the floating population, men, younger migrants, more affluent ones, those from minority ethnic groups, individuals migrating from rural areas, those whose first child is a girl, those at the 5th year since the first birth, and those living in economically less developed cities are more likely to express the intention of having a second child.
Moreover, this paper pays special attention to the impact of home ownership on the fertility intention of having a second child. Housing and fertility intentions are interlinked over the life course. Many studies on Western societies have generally identified a positive effect of home ownership on fertility intentions of childbearing-age individuals. Home ownership has long been considered a fertility incentive. However, based on the 2016 MDMS data, we reveal an intriguing negative relationship between home ownership and fertility intentions of having a second child in China’s floating population. Owning a home in the city would actually decrease migrants’ intentions to have a second child. We suggest a proposition about this puzzling correlation between home ownership and lower fertility intentions in China’s floating population. Because of the restrictive hukou system and rapidly rising housing prices in Chinese cities, migrants may face a difficult choice between purchasing a home in the city and having more children. Home ownership and childbearing compete for the limited financial resources of migrants who are socioeconomically disadvantaged in Chinese society.
Does Community Participation in Schools Equalise Learning Achievement?
University of Oxford Mobarak Hossain
Background and research puzzle:
This study seeks to understand the effect of community involvement in school decisions on the inequality in learning achievement by social origins in 10 Sub-Saharan African (SSA) countries. There has been a long debate about whether self-governing educational systems, which results in decreasing educational standardisation, mitigate educational inequalities between students from the advantaged and disadvantaged background. This unresolved quest has especially come into the limelight during the post-Washington Consensus period as development agencies started emphasising on decentralisation reforms in developing countries aiming at socioeconomic development and poverty reduction (Manor, 1999; Weiler, 1990). School autonomy emphasising community involvement in decision-making processes has also increasingly become a prevalent practice in many SSA countries (e.g., Geo-Jaja, 2004; Naidoo, 2002; Winkler & Gershberg, 2003; Yu, 2007).
Advocates argue that installing this management style would empower marginalised parents to participate in the decision-making process (Barrera-Osorio et al., 2009). This would supposedly increase the achievement scores of children from lower social strata. However, this assumption often overlooks contextual elements in society and family environment which may deter individuals from disadvantaged communities to contribute to school decisions at all. Moreover, even research from advanced economies suggests mixed evidence about the inequality effect of localised educational systems as opposed to centralised systems (e.g., Werfhorst & Mijs, 2010; Bukodi et al., 2018).
Evidence is, nonetheless, almost non-existent on low-income countries. This study aims to fill this research gap by examining the effect of the partnership between schools and parents-local community on the learning achievement of students from different social origins using 10 country cases from sub-Saharan Africa (SSA). I define social origins in a multidimensional way considering the economic and educational resources of families as also used in Bukodi and colleagues (2018).
Data, methods and variables:
To investigate this research puzzle, I use Programme for the Analysis of Education Systems (PASEC) data 2014 on the learning achievement of grade 6 students from ten Sub-Saharan African (SSA) countries. Countries are Benin, Burkina Faso, Burundi, Cameroon, Chad, Congo, Côte d’Ivoire, Niger, Senegal and Togo (PASEC, 2015). The number of students is 25,586 from 1,623 schools from these 10 countries with an average of 2,558 students and 162 schools in each country (PASEC, n.d.).
Methods: I use a two-level hierarchical linear model (HML) and run regressions on each country to examine how macro organisational elements at the school level affect students as micro-units from different socioeconomic backgrounds. As noticed in the title and other contexts of the paper, I use the word ‘effect’ solely in the statistical sense and do not intend to establish any causal conclusion, rather a correlation.
Variables: The dependent variable in this study is the learning achievement in maths which is a continuous variable. Maths is chosen as both reading and maths achievement show similar results in the analysis. Besides, reading skill was measured using native languages and thus, maths achievement would be more comparable. Student and school survey weights have been used to run the regressions. The level one key explanatory variable in this study is the social origins of students. Aligning with the theoretical motivation, economic resources of parents are proxied by some wealth indicators in the survey and literacy of parents is used to indicate educational background. The main explanatory variable at level 2 is community involvement or the mutual partnership among local stakeholders through school management committee (SMC) and parents’ association to decide the management and implementation of i) academic, ii) personnel, iii) and financial issues.
Results and conclusion:
Results in HLM regressions show that inequality in learning achievement in the selected SSA countries is mostly driven by school resources rather than family background. Community involvement as an organisational element explains very little or no variance in between school achievement suggesting that it may not help mitigate the inequality in learning achievement. On the other hand, school resources are found to significantly explain between-school variance in almost all countries. Additionally, I find female students score significantly lower than their male counterparts in eight out of ten countries, which does not change even after adding community involvement variables and controlling for school resources. In a nutshell, learning inequality in SSA is mostly triggered by school resources, not community involvement. This study suggests that the local autonomy as an institutional element and reform focus should not be taken for granted as what brings good results in some places may not fit other contexts, especially to positively affect the marginalised people.
References:
Bukodi, E., Eibl, F., Buchholz, S., Marzadro, S., Minello, A., Wahler, S., Blossfeld, H., Erikson, R., & Schizzerotto, A. (2018). Linking the macro to the micro: a multidimensional approach to educational inequalities in four European countries. European societies, 20(1), 26-64.
Geo-Jaja, M. A. (2004). Decentralisation and privatisation of education in Africa: which option for Nigeria?. International Review of Education, 50(3-4), 307-323.
Gershberg, A. I., & Winkler, D. (2004). Education decentralization in Africa: A review of recent policy and practice. Building State Capacity in Africa, 323. Washington, DC.: World Bank.
Manor, J. (1999). The Political Economy of Democratic Decentralization. Washington, DC: The World Bank
Naidoo, J. P. (2002). Education Decentralization in Sub-Saharan Africa–Espoused Theories and Theories in Use. Paper presented at the Annual Meeting of the Comparative and International Education Society (46th, Orlando, FL, March 6-9, 2002).
PASEC. (n.d.). Données: Utilisation et diffusion des données PASEC. Dakar: Programme d’Analyse des Systèmes Educatifs de la CONFEMEN. http://www.pasec.confemen.org/donnees/
PASEC. (2015). PASEC 2014- Education System Performance in Francophone Sub-Saharan Africa: Competencies and Learning Factors in Primary Education. Dakar: Programme d’Analyse des Systèmes Educatifs de la CONFEMEN.
Van de Werfhorst, H. G., & Mijs, J. J. (2010). Achievement inequality and the institutional structure of educational systems: A comparative perspective. Annual review of sociology, 36, 407-428.
Weiler, H. N. (1990). Comparative perspectives on educational decentralization: an exercise in contradiction?. Educational evaluation and policy analysis, 12(4), 433-448.
Yu, G. (2007). Research Project – School Effectiveness and Education Quality in Southern and East Africa. Working Paper No. 12. EdQual RPC.
Communication inequalities in long-term care in British Columbia, Canada
名古屋大学 WAGNER Sarah
Communication inequalities in later life are detrimental to well-being and health, and can exasperate feelings of social isolation particularly among those in nursing homes (Cotterell, Buffel, & Phillipson, 2018; Wister, 2014). Researching the standpoint of the disadvantaged is a significant way to understand the mechanisms of influence in the institutionalization of inequalities (Smith, 2005). However, there remains little understanding on the subjective experience of social isolation in later life (Kobayashi, Cloutier-Fisher, & Roth, 2009; Tuominen & Pirhonen, 2019), and even less from a life course perspective (Weldrick & Grenier, 2018). This paper analyzes nursing home residents’ communication and social practices in respect to their lifelong media attachments and considers the policy contexts that recreate their communication inequalities. My analysis draws on findings from a small-scale, collaborative case study with long-term care residents in Victoria, British Columbia (BC), Canada on their lived experiences of communication and social agency. Research was conducted in November and December 2019 with 12 residents with no or mild cognitive impairments that voluntarily consented to partake in research. Participants represented a minority within a facility that primarily houses individuals with more severe cognitive impairments. Methods involved participant observation (55+ hours) and qualitative interviews (12) with three stages: narration (Jovchelovitch & Bauer, 2007), communicative ecology mapping (Hearn et al., 2009), and a guided indoor tour (Ratzenböck, 2016). In addition, I trace public discourses on active ageing and social participation as presented by the World Health Organization and the national and regional governments in Canada. While the facility offered a range of in-house social activities, most participants found the social ambiance at these events difficult. This group of residents were more interested in engaging with extra-care home socialites and in rebuilding continuity (Atchley, 1989) with their previous social practices and identities. My analysis describes how these residents were challenged to maintain communication media attachments and habitual modes of social and civic engagement due to the lack of individualized support with media technologies and the costliness of in-room cable television, private phone connections, newspaper subscriptions, bus trips and companion services. While the BC government promotes social participation in later life as part of its active ageing framework and provides funding for a wide range of community services targeted at older adults, basic communication media services and transportation costs are not funded in nursing homes. Findings from my discourse review show that BC public discourses on active ageing emphasize individual responsibility and target the young-old. In other contexts, active ageing discourses have been found to reinforce conceptions of ‘old age’ as an undesirable and homogeneous social category (van Dyk et al., 2013; Liang and Luo, 2012). This paper argues that public discourses on ageing in BC operate to invisibilize the diverse communication needs of those in long-term care and, more generally, the civic status of ‘fourth-agers.’ That is, this research underlines the mechanism of active ageing discourses within an elderly care policy framework that fails to deliver pertinent communication services to cognitively intact nursing home residents.
Social network and health inequality: A case study of COVID-19 outbreak in Hong Kong
Caritas Institute of Higher Education Ka Yi Fung
“This study aims at investigating in what way the unequal distribution of health information influence people’s prevention of disease. One of effective way to access information is through our social network. However, this dissemination of information is influenced by the structure of social networks. Some people are connected with people who share different social backgrounds while some have relationship with community members only. Wellman and colleagues (2019) describe the former as networked individuals, and the later as socially bounded. Networked individuals tend to be younger generation and can maneuver resources in their multiple and partial connected social network. Socially bounded are people embedded only in community based network, like neighbourhood network or kinship ties and they tend to be older. The network structures of networked individuals and socially bounded are different. In what way this difference influences their strategies to get health information? Can we suppose networked Individuals access more health information than socially bounded? Will they use various strategies to prevent diseases?
To find out the answers, this study situated in the context of COVID-19 outbreak in Hong Kong. Since the mid-Jan 2020, confirmed cases of COVID-19 has kept increasing. One way to prevent this disease is wearing mask. Thus, price of mask has soared and there was panic buying of mask in Hong Kong. Due to the limited supply in the world, it is difficult to buy masks. People have to queue up overnight outside drugstores for purchasing masks. This study tries to find out how networked individuals and socially bounded access this mask availability information and how their access influence their disease prevention strategies. Data was collected by in-depth interviews with 10 Hong Kong people whose ages range from 20s-70s.
Data show that network individuals and socially bounded have different information access strategies due to the characteristics of masks markets and their network structure. Networked Individuals tend to be younger and have higher digital knowledge. This privilege allows them to have more information on mask availability in the markets and ways to buy masks. Firstly, they will look for information overseas in Hong Kong. In the late Jan, they try to get masks through online platform, such as Amazon JP, Amazon USA, G-Market, Rakuten, and deliver the masks to Hong Kong. Also, chain stores in Hong Kong announce their availability of masks, the number of stocks and price through their facebook pages and some even sold in their online store systems only. Thus, those networked individuals can receive this information online quickly. Second, as network members of networked individuals come from different social backgrounds and have higher digital knowledge, they share masks information via whatsapp, Line and TG groups. Once they have latest information such as large amounts of masks were available in Thailand and Indonesia and how to buy it. They share this information with their classmates, friends, or colleagues and co-ordinate the purchase via instant message apps. Put simply, networked individuals mainly get the information in the virtual world and share information with other network members.
As socially bounded have stronger relationship in the community, they mainly focus on the local market, especially small drugstores in shopping malls, and they also share information with network members. For example, if they find that masks are available right now, they will give their friends, family members or neighbours a call to inform them or directly buy one for them. It is particularly useful for cases of small stores. Later on, in the early Feb, increasing number of Non-Governmental Organisations or private enterprises and merchants purchase very large amount of mask overseas and donate to those in need in different communities. Community members have to line up outside the NGO offices to get a limited number of masks. Though this small amount of mask cannot help a lot, it does solve people’s immediate need. Once Socially bounded get this donation information, again, they will share with their network members.
Compared to networked individuals, socially bounded need to spend more money on the mask purchase and the quality of mask is lower or unqualified. As stated before, socially bounded buy their masks from small drugstores while networked individuals get it online. Networked individuals can compare price. While the price of mask in South Korea, Japan, Thailand and Indonesia keep increasing, a respondent emailed sellers in Italy and Germany for purchasing mask and successfully get 299 boxes of masks from these two places. Though these masks are from European countries, prices are still lower that the Thai and Indonesian masks sold in drugstores in Hong Kong. In other words, networked individuals have more selection and can spend lesser.
Apart from the cost, socially bounded have higher risk of getting unqualified masks which cannot protect users from virus and bacteria. The knowledge of masks standard in fact is not common sense. Without this kind of information, ordinary people do not know how to check the quality of masks. For example, some respondents have reported that they have bought some fake medical masks. Socially bounded seldom search this information online, and have no friend to inform them. Without essential information, socially bounded have higher risk to get unqualified masks which could severely influence their disease prevention.
The case of COVID-19 outbreak in Hong Kong reflect that the unequal distribution of health information affects people’s prevention of disease. The social gradient in health not only happen in health status, but also can be found in disease prevention. With limited digital knowledge and a diverse social network, some people have to pay more to buy masks and result in improper prevention strategies. A community network still can be a safety network to slightly support them. Therefore, in the preparation of disease prevention, community network should not be ignored. Apart from disseminating health information, it is essential to enhance the support ability (the amount of resources and information) of the community network.
City University of Hong Kong Paul Khiatani
In the past three decades, the social identity perspective has been increasingly adopted to explain young people’s involvement in protest activities. While political behaviors do have roots in relevant social identities, in recent years, scholars have called for more attention to the role of the personal identity. Intriguingly, this call has coincided with another burgeoning movement that advocates for the study of private morality in politics. While there have been some attempts at bridging morality and identity in the context of protest, I will argue that available identity-action frameworks fall short of sufficiently conceptualizing the moral personhood and his/her situational (in)action, particularly as situated in an ecology of institutions, resources, and interpersonal relationships. I then discuss the prospects for a novel moral-sociological theoretical framework of protest (non-)participation, with the support of survey and in-depth interview data from university students (including non-participants, first-timers, and veteran activists) in Hong Kong.
Social policy challenges and social entrepreneurship development opportunities
University of Zagreb Danijel Baturina
Croatian welfare state best fits the definition of hybrid welfare regime, comprising attributes of the continental model of social insurance, the communist legacy and recent processes of privatization, individualization and clientelism. The legacy served as an important basis for the development of the welfare state in a postsocialist period marked by frequent and non-consistent reforms guided by a complex range of processes related to economic, political and social transformation. recent development suggests that Croatian policy makers mostly ignored a “productivist” function of the welfare state which resulted in low employment rates, underdeveloped ALMPs and social inclusion measures. The reforms mostly addressed a “protective dimension” bringing numerous pensioners’ population and comprehensive war veterans’ rights (Puljiz 2008).
Existing social systems are increasingly facing problems with sustainability and efficiency, while the welfare state was not adequately redesigned to cope successfully with changing social risks (e.g. indebtedness, atypical working courses, long-term unemployment, workfamily balance, long-term care). The centralized state over regulating development of services and social programs and development of local social programs is not coordinated and planned (Stubbs, Zrinščak, 2012). Generally, public benefit corporations in personal social care services are characterized by trends of marketization and at the same time decreasing subsidies from the state. It can be also said that the framework of financing of TSOs is rather nontransparent, even clientelistic, and discriminatory towards the service users of public benefit corporations in comparison to those in state’s institutions (Bežovan, 2010; Matančević, 2014).
Social enterprises as specific area of practice which is in Croatian relative new phenomena, still in phase of progressive development (Vidović, 2019). Approximately 15 years ago, promotion of social entrepreneurial activity in Croatia began. (Vidović, 2012; Vidović and Baturina, 2016). The unfavourable environment for third sector initiatives are characterized by patron attitudes of the state, and lack of modernization capacities in social policy (Bežovan et al., 2016.b) influenced that social entrepreneurship entered policy and practical agenda rather late.
In the 2013 preparation for development of Strategy for the development of Social Entrepreneurship in the Republic of Croatia for the period of 2015 – 2020 begun which was delivered in 2015 and was key moment for recognition of the social entrepreneurship in Croatian context. The relatively generous resources that the first strategy for the development of social entrepreneurship (2015-2020) foresees, due to the question of the capacity of the administration of funds, but also of the underdeveloped sector, did not have impact on development of the sector (Baturina, 2016, Baturina, 2018). But we witness emergence of new social enterprises, new courses and educational programmes, some social enterprise incubators and accelerators and other financial and support programmes, developed mainly in an intermediary sector (Ferreira et al, 2019; Vidović, 2019).
Goal of this paper is to explore opportunities for social entrepreneurship development in two social policy areas that have importance for social equality in the society: youth unemployment and elderly care.
Youth unemployment is Croatia is ranked fourth in the number of youths in NEET (not in employment, education or training) status. In 2017, 21.4% of the NEET youth population was recorded, while the EU average for 2016 was 17.2% (Eurostat, 2018). But the population has not been addressed and this issue is not framed like a social problem in the Croatian context. Analysis (Tomić et al., 2018, Bedeković, 2017) were concerned with identifying statistic indicators and data on the structure of that population. But NEET’s are a prototype of socially excluded persons and professional work with them is key factor in their possible social integration.
Demographic indicators show that the share of older people in Europe and Croatia has increased, and the degree of demographic ageing (“”deep ageing””) is high. (Nejašmić and Toskic, 2013). Elderly care is recognized as insufficient and burdened with different aspects like lack of services, underdeveloped noninstitutional, regional inequalities (Babić, wo19; Dobrotić, 2018). Long term care characterized by fragmentation, which often leads to inefficiency. There are lot of challenges recognized for improvement of long-term care (Bađun, 2019).
We will present empirical evidence from two policy areas youth employment and elderly care.
Research methodology
First research was conducted within the project Reactivation and integration of marginalized youth – NEET on the labor market, funded by the European Social Fund. The research goal was to identify the main challenges of the NEET population from the perspective of experts and the main challenges of professional work with the NEET population. The research was conducted through focus groups involving young people diverse in socio-demographic characteristics) and interviews with experts from key institutions working with the NEET population (Centers for Social care and the Croatian Employment Service).
Second research was conducted within the project “”Action-oriented research on violence against elderly people in Northern Croatia”” (2017-2018) with the financial support of the Croatian Ministry of Demography, Family, Youth and Social Policy. The research was based on a qualitative approach with five focus groups that were held in cities in northern Croatian counties.
The obtained data in both researches were processed through the framework analysis process that developed in the context of the research of public (social, health, etc.) policies. that is suitable for research in which the goal is to describe and interpret what concerns certain social issues in a specific environment. (Ritchie and Spencer, 1994).
Based on the analysis of the ecosystems for social entrepreneurship in Croatia and Europe(Vidović 2019; Baturina, 2018, Borzaga et al., 2020) and through the context of preliminary typologies of Crotia social enterprises (Vidović and Baturina, 2020) we will highlight potentials of development of social entrepreneurship in these two areas. In the concussion we will give recommendations for welfare state transformations for fostering development of better social services in these areas, thus paving the way of enhancing social equality in the society. We will also discuss the results within the framework of the development of social work and social policies programmes/innovative solutions as well as society potential for improving welfare state outcomes in regarding youth unemployment and elderly care.
アーネスト・バージェスの初期シカゴ学派社会学に対する貢献の再検討
椙山女学園大学 鎌田 大資
【1.目的】 20世紀末から21世紀の始まりの時期、日本でもアメリカ社会学の始原の一角を占める初期シカゴ学派社会学の達成が素描され、若干の書籍も上梓された(宝月誠・中野正大編, 1997,『シカゴ社会学の研究――初期モノグラフを読む』恒星社厚生閣;中野正大、宝月誠編, 2003,『シカゴ学派の社会学』世界思想社など)。その後も、黄金期の前後へと研究対象時期を広げ、深化しつつある研究状況を再検討する。
【2.方法】 特に近年のバージェス博士論文およびシカゴ大学着任まえのオハイオ州でのソーシャル・サーベイの検討結果を踏まえ、シカゴ学派社会学黄金期、さらにそのあとのアメリカ社会学自体の発展期にバージェスやパークがどのようにかかわったのかを考察する。
【3.結果】 A、シカゴ着任前のパークとバージェス パーク(シカゴ着任時には50歳):新聞記者としての活動、ドイツ留学(群衆論)、タスキーギ学園(ウィリアム・トマスとの出会いで社会学へと転向) バージェス(最初の若き社会学者):英文学研究、社会進化に関する博士論文(特に経済的、政治的expert批判から科学的根拠に基づく専門職の要請という文脈に注目)、ソーシャル・サーベイ B、シカゴ大学黄金期(1920年-1935年)における研究指導――グリーン・バイブル、『都市』など著名な研究以外に着目し、彼らが支え維持した研究活動の実態に接近する(特に『ホーボー』『ゴールドコーストとスラム』『タクシー・ダンス・ホール』などの調査体制を再考する) パーク:トマスから引きついだ西海岸での日系人調査、人種関係調査、人種関係尺度の形成(ガットマン尺度の原型)、理論的モデルとしての人種関係周期を構想 バージェス:グループ調査の成果としてのエスノグラフィの指導、仮釈放の成否調査(仮釈放の成否予測からプロファイリング全般に広がる研究分野の開発)、家族研究のための婚約と結婚の成否調査(結婚カウンセラーという職域の開発) C、全米の社会学の発展を促進 パーク:アトランタにてチャールズ・ジョンソンを補佐 バージェス:予測研究の指導(サーストンに学び、ストゥファー、ラザースフェルドと連携、後援)、高齢期研究
【4.結論】 パーク、バージェスの特徴づけ(フィッシャーとストラウスら(1978)の学説史的コメントを参照) パーク:悲観的、批判的(冷笑的)、巨視的 バージェス:楽観的、社会福祉の推進による社会貢献志向、専門職形成志向
M.C.Elmerと戦間期シカゴ社会学におけるsurvey researchの評価
奈良大学 吉村 治正
本報告では、戦間期のシカゴ社会学において数量的社会調査法(survey research)がどのように評価されていたかを、M.C. Elmerという一人の研究者に着目することで検討していく。チャールズ・ブースによって先鞭をつけられた数量的社会調査は20世紀に入り世界各国に広まり、貧困層の存在を明らかにしていった。日本で高野岩三郎の主導した月島調査もこの世界的な潮流に位置づけられるが、同時期のアメリカ社会学は奇妙な動向を示している。つまり1920年代のアメリカ社会学は経験的事実の観察に立脚することを強調していたが、同じ時期に貧困地域の包括的な把握を特徴とする数量的社会調査は社会学の中から急速に姿を消していく。そしてその10年ほど後には、社会意識や態度を主たる争点とし推測統計に立脚する新たな数量的社会調査が急速に台頭し、これが戦後のアメリカ社会学の主潮流となっていく。つまり数量的社会調査の系譜の断絶と社会学の社会科学としての位置づけが同時に進行し、しかもシカゴ社会学はまさにこの時期に黄金期を経験する。したがって戦後のアメリカ社会学の動向を念頭に置くならば、戦間期のシカゴ社会学で数量的社会調査がどのように評価されていたかはきわめて重要な問題となる。 このような問題意識のもとで、報告者が着目したのがManuel Conrad Elmerという研究者である。エルマーは1914年にシカゴ大社会学部より学位を受け、社会統計を導入した地域調査(community survey)を展開し、1930年代には家族社会学に関する先駆的な研究を著している。決して凡庸な研究者ではない。ところが、エルマーはシカゴ大学ではまったく評価されなかった。これは、同じ数量的社会調査を展開していたボガーダスがパークによって高く評価されていたのと対照的である。この理由を調べていた報告者は、当時のシカゴ学派が数量的社会調査法に否定的だったのではなく、エルマーが範としたPittsburgh Survey (1907-08)にシカゴ学派と根本的に相容れないところがあったと考えるに至った。本報告ではエルマーという研究者を軸に、当時シカゴ学派の置かれていた状況ならびにその後の展開について検討したい。
Bulmer, Martin. 1984. The Chicago School of Sociology. The University of Chicago Press. Elmer, Manuel Conrad. 1920. Technique of Social Surveys. Minneapolis, University Printing Co. ——. 1939. Social Research. Prentice Hall.
福井大学 伊藤 勇
1.目的 近年,G.H.ミード再評価の動きが英語圏を中心に再び盛んになっている.そこでは,これまで幾度か行われた再評価以上に,遺された未公刊資料や初期から晩期までの種々の活動記録を掘り起こし,それらと既公刊資料とを総合した検討を通して,改めてミード理論・思想の「今日性」を引き出そうとする志向が強まっている.こうした志向を共有する研究は日本でも少数ながら進められている.本報告では,こうした再評価の動きに触発されて,報告者が最近取り組んでいる「晩期ミードのマクロ社会論の再構成」に向けた読解作業の成果の一端を披露し,批判を仰ぎたい.ここで「マクロ社会論」というのは,1920年代の公刊論文や現行版『精神・自我・社会』の後半部などで,現代社会の当面するマクロな諸課題をめぐってミードが展開した議論である.その議論の道具立て(諸概念)と筋立て(論理構成)の特質を明らかにした上で,それが21世紀の現代社会論に対して有する示唆を引き出したいというのが報告者の問題意識である.
2.対象と着目点 今回の報告で中心的に検討するテクストは,現行版『精神・自我・社会』(Mead,2015[1934])の主たる素材となった2種類の講義記録――1928年講義の速記録(α)と1930年講義の学生ノート(β)――と,関連する1920年代の公刊論文である.特に注目したいのは(α)の速記録である.『精神・自我・社会』は,弟子のモリスがミード晩年の社会心理学の全容を伝えるべく,上記2種の記録をパッチワークして作り上げた「遺著」であるが,「パッチワーク」の中では相当数の語句や文の取捨選択と修正・変更そして叙述順の変更が行われている(Huebner,2015).その結果,現行版では,ミード理解の重要な手がかりとなり得る叙述が隠されたり見え難くなっている箇所が少なくない.報告者の関心から見逃せないのは,(α)の速記録ではかなり鮮明に表明されている晩期ミードの課題意識であり,講義の進行(筋立て)に表れている課題への接近法や扱い方である.
3.結果 上記のような着目から読解を進めると次のような点が明らかになった.第1は,晩期ミードが自身の課題として,自身の社会心理学説(=自我・精神の社会的発生・発達論)の見地をベースにしつつ,「[人間]社会やその社会構造が有する様々な特性に関する追究」をより深めたいと表明したり,この講義で自分が示したかったのは「自我に関する自分の見解が,そこから社会を眺め解釈する方法としていかに価値があるかということだ」と述べていることである.第2に,こうした課題意識と呼応する形で,1928年講義は,前半部で自身の自我・精神論の概要を講じた後は,直ちに人類社会の特性論や現代社会論的な議論が展開される運びになっている(『精神・自我・社会』の構成と最も異なる点である).
4.考察 1920年代以降の公刊論文には,以上のような課題表明と重なり合う発言を含む論文や講義と似た構成を持つ論文が存在する(Mead, 1925, 1930など).このことからも,1928年講義はこの時期のミードの関心の所在と立論の特徴をよく表しているといえよう.では,こうした課題についてミードは実際どのような道具立てと筋立てをもって,何を明らかにし得たのか/し得なかったのか.これについて,ミードが取り上げ論じた具体的問題(戦争論)に即して検討し結びとしたい.【詳しい文献リストは当日配布する】
明星大学 寺田 征也
【1.目的】 本報告は、鶴見俊輔の大衆文化論とG.H.ミードの社会心理学の比較を通じて、ミードの議論の再読可能性を示すことを目指す。 G.H.ミードの生誕150周年と前後して関連するカンファレンスの実施や論集、翻訳集の刊行が続いている(Huebner 2014、Jonas & Huebner 2016、植木 2018)。それに応じるかのように、「21世紀の新たなミード像」の彫琢が求められている。本報告は、こうした潮流に対して、鶴見俊輔という新規な「物差し」を用いてミードの再検討を試みるというアプローチをしていくものである。鶴見はミードをC.S.パースと並んで高評価し、「未来の記号の社会学」の礎石となる議論を展開したと論じる(鶴見 1971)。筆者は、鶴見がミード論を展開したほぼ同時期に著された大衆文化論、特に漫才論と漫画論こそが、かれがミードに見出した「記号の社会学」の展開であったと考える。そこで、鶴見の大衆文化論を整理し、その視角からミードの議論を再検討する。
【2.方法】 鶴見俊輔の『太夫才蔵伝』(1979)、『戦後日本の大衆文化史』(1984)を中心に、かれの大衆文化論を検討する。ミードの議論は『精神・自我・社会』を中心に論じる。
【3.結果】 検討の結果、鶴見とミードの間には記号の意味の共通性と個別性に関する議論があることがわかった。 鶴見は大衆文化論において、漫才師が紋切型のよくあるネタを舞台上で即興で「もじる」ことで記号の意味を組み替えていると論じた。また漫画論では、漫画作品を原型とし、読者たちがらくがきという形態で模倣し「亜流」を生み出す作用を指摘した。つまり、人びとに共有され共通の意味を持った記号を、個々人が翻案することで新たな意味を創造し、その記号の新たな意味が文化を創造する基礎にあると論じた。 ミードに関しては、自己と他者との間に共通の反応を喚起する「有意味シンボル significant symbol」の議論において、反応の共通性と個別性があることが見出された(Mead 1934=1973)。「有意味シンボル」は、しばしば自己の社会性の基盤とされ、新規性の創造は「主我(I)」がもつ創発性に依拠するものと論じられている。しかし、今回の検討を通じて、ミードは記号に対する個々人の反応の中に、他者と共通するものと個別に喚起されるもの、この二側面が既に組み込まれていることが明らかとなった。
【4.結論】 本報告の成果によって、ミードと鶴見俊輔と対比しつつ読解する方途が示された。すなわち、記号の意味の共通性と個別性の問題を両者ともに扱っており、「個別的・私的な反応=記号の意味の創造」が常態的に行われていることが射程に含まれていた。こうした意味の共通性と個別性の問題は、徳川直人(2006)が指摘しているように、既存の理論やモデルに個人的経験からの異議申し立て過程としてミードの議論に組み込まれている。鶴見もまた、「私的な根」に依拠した抵抗を民主主義論やアナキズム論として展開していたが、本報告での議論は、ミードの社会心理学を、鶴見的な運動の議論へと引き寄せて再解釈する可能性を示している。 昨今、SNSなどを通じて個人的経験に依拠した問題提起が大きく広まることも増えているが、鶴見を介することで再展開されるミードの社会心理学・プラグマティズムは、今日的な問題解決活動を捉える枠組みとしても応用可能となるだろう。
成蹊大学 荒井 悠介
【1.目的】本報告の目的は、シカゴ学派社会学のエスノグラフィー手法を現代日本社会の調査に応用し、その可能性を考察することである。本報告では事例として、都市の逸脱的な若者サブカルチャーの出身者たちに着目する。そして、彼らが自らと関わりがあるサブカルチャーの関連産業界に進出した後、どのようにサブカルチャーで獲得した、ピエール・ブルデュー理論における諸資本を経済的な報酬や権力の獲得に活用しているのかを、限界性とともに明らかにしていく。
【2. 方法】 本報告では、「ギャル・ギャル男」と呼ばれる若者サブカルチャーに関わる産業界、「渋谷ファッション業界」を対象とした調査を報告する。本報告では、この産業界の中核を担う、「ギャル・ギャル男」ファッションに身を包みながら渋谷センター街にたむろし、クラブイベントを行っていた逸脱的な若者サブカルチャー集団「イべサー」の出身者たちに着目する。
報告者は、シカゴ学派社会学の都市の逸脱的なサブカルチャー研究の手法を踏襲し、渋谷センター街を縄張りとする集団、およびそのサブカルチャーの界、「渋谷ファッション業界」に対して、当事者として関わりながら、長期に渡る参与観察とインタビューを中心としたエスノグラフィー調査を実施してきた。本報告では2001年より現在までに得られた知見を報告する。
【3. 結果】調査の結果、以下のことが観察された。サブカルチャーの界と、サブカルチャー関連産業界は相同性を持つ。また、サブカルチャーで獲得した、知識やふるまいかた、関係者たちとの人脈、渋谷での威信は、サブカルチャー関連産業界においても、企業の経済的な収入、協力関係の構築、内部での権力獲得に結び付き、文化資本、社会関係資本、象徴資本として活用されている。
そして、これらの資本は、サブカルチャー出身者を「イケてるヒエラルキー」と呼ばれる認識上のヒエラルキーの上位へと導く。しかし一方、サブカルチャー当事者時代からの先輩・後輩関係や、反社会性の強さなどにより決まる権力関係が当事者間では残り、搾取的な労働を強いられる事例が観察された。
また、このサブカルチャーを通じて獲得した資本はその資本を持たない非サブカルチャー出身者との間に派閥と軋轢を生み出す。また、サブカルチャーを通じて獲得した資本とそれを活用した労働の価値は、評価する側の人間がサブカルチャーに関わる文化資本を保持していなければ認識されず、非サブカルチャー出身者の「もともとイケてないから価値がわからない」経営者からは正当な評価を得られないことも観察された。
このようなことから、サブカルチャー界で権力を持ち、若者サブカルチャーを利用して経済資本を獲得して企業経営者になった者以外は、サブカルチャーを通じて獲得した資本を活用しきれず、場合によっては負の効果ももたらすという側面も観察された。
【4. 結論】以上の結果は、サブカルチャーで獲得された諸資本が、サブカルチャー関連産業で経済的な収入や権力の獲得に結びつくものとして一定の機能を果たすのと同時に、資本を持つがゆえの限界性を示すものである。そして、初期シカゴ学派社会学の研究手法が、学派外の社会理論とも結びつき、現代日本社会の研究においても応用可能性を持つことを示唆している。
国際日本文化研究センター ホワニシャン アストギク
1. 目的 この報告の目的は、主として戦前および戦時中における色盲をめぐるジェンダー化された言説を分析することである。現在でも世界諸国で広く使われている「石原式色盲検査表」の創案者石原忍(1879〜1963)が1942年に刊行された『日本人の眼』で指摘しているように、色盲は男性に比して女性には「遥かに少なくて、男子の凡そ十分の一」(60ページ)である。石原はこれに関して「女子は、衣服の色合の選択その他色を取扱ふ場合が多いのであるから、もし色盲が女子に多かったら随分不便なことであらう」(65ページ)といったコメントをしており、女性に色盲が現れなくても、その「素質」があれば男の子孫に伝わることがあると述べている。 そして同時代の優生学、遺伝、「よい結婚」をめぐる言説も、「色盲になりやすい男性」、「色盲の遺伝を伝える女性」という特徴に集中していたとは言えよう。
2. 方法 本研究では、主として1920年代から1940年代の医学書、眼科学書、新聞、女性向けの雑誌などにおける、同時に「大した障害ではない」「職業によって支障が出る」「遺伝を避けた方がよい」などとされていた色盲をめぐる言説を考察したい。色盲の遺伝はどのように紹介されていたのか。その中で、特に「女性によって伝わる遺伝」がどのように語られていたかを見ていきたい。
3. 結果 色盲は男性の方がなりやすい目の状態であるが、戦前・戦時中における優生学的な言説はその「女性から男性に伝わる」といった特徴に集中し、「嫁をもらう時は」、本人が健常に見えても「其父や男の兄弟に色盲がある場合は避けた方が宜しいのである」(庄司1944、75ページ)、「…結婚に先だって配偶者を選ぶより他に途がないのである。…男がいつも特別の注意を払はなければならぬ立場にある」(高田1946、45ページ)などといった語りを形成していた。
4. 結論 「眼」は決して優生学的議論の中心ではなかったが、近視、色盲などといった目の状態がしばしばその観点から語られていた。徳川(2016)も指摘しているように、色盲はしばしば「男性中心主義的観点」から語られており(210ページ)、その伝達の責任は女性に転嫁され、女性の体を優生学的言説の中心にしていたと言えよう。
参考文献 石原忍『日本人の眼』畝傍書房、1942 庄司義治『戦争と眼』金原書店、1944 高田義一郎『完全なる夫婦』コバルト社、1946 徳川直人『色盲差別と語りづらさの社会学:エピファニーと声と耳』生活書院、2016
手束 浩美
本報告の目的は、色覚一般診療における検査・診断・指導によって、色覚多数派の規範が再生産され、色覚少数者の語りが抑圧されてゆく過程を明らかにすることにある。 日本眼科医会は色覚一般診療において、色覚検査、色覚診断、診断後の指導の三本柱からなる診療モデルを推奨している(社団法人日本眼科医会学校保健部 2010)。すなわち、まず色覚検査による色覚の診断が行なわれ、被験者の色覚が正常と異常に二分されたうえで、「異常」と診断された被検者に「診断後の指導」が行なわれる。その指導においては、色覚正常に見分けやすく色覚異常に見分けにくい色の組み合わせが「混同色」、日常生活において混同色の識別や色名の解答に困難を感じる場面が「色誤認」であることが説明される。そうした理解にたって、当事者への指導が行なわれる。色覚異常を自覚し、社会生活において「色誤認」を避け、色以外の情報に基づいて情報を得るようにという内容である。 医学・生理学的な知識に基づいた色覚の説明は必ずしも規範的な意味合いをもたない。しかし、こうした知が、個人の身体特性に問題を帰責する「指導」の根拠とされるとき、それは特定の色覚特性を異常とみなす既存の価値体系の再生産に寄与する。他方、色彩環境の改善や合理的配慮を求める権利についての説明は付随的なものに留まる。結果的に、こうした実践は、色覚少数者に色覚多数派向けに作られた社会への適応努力を強いている。 医療的支援の場面におけるいわゆる「医学モデル」から「社会モデル」への転換は、近年の精神科領域の動向にみることができる。その動向とは、認知や行動の変容を「当事者」よりも「仲間全体」(熊谷 2017: 3)に求める支援技法への転換であり、個人ではなく社会や環境の変化を強調するものである。この転換を色覚診療の場面に当てはめるならば、「色覚少数者に対する自覚の要請」から「色覚多数派の意識変革の要請」への転換が求められている、といえるだろう。 本報告では、まず日本眼科医会の発信する色覚関連情報(医療者向け配布物、スライド資料、等)を取り上げ、色覚検査、診断、診断後の指導の手順を概観する。つぎに、馬場靖人による色覚検査空間におけるまなざしの構造の分析(馬場 2020) と、徳川直人による医療者-患者間の相互行為の分析(徳川 2016)を取り上げ、実際の臨床場面においてなされている対応との比較を行なう。この作業を通して、色覚診療は検査と診断による色覚の規範化(馬場 2020: 52)と、それに続く指導や助言による、当事者の「沈黙」(徳川 2016: 187)を再生産するものであることを明らかにする。その上で、色覚診療の全体を通じて自明なものとみなされている、色覚の「正常/異常」という枠組みそのものが、色覚少数者の主観的な色彩経験についての語りを抑圧し、色覚多数派の意識変革を妨げる一因になっていることを示唆したい。
【参考文献】 熊谷晋一朗,2017年,「みんなの当事者研究」熊谷晋一朗編『臨床心理学増刊第9号』金剛出版. 社団法人日本眼科医会学校保健部編,2010年,「小児に対する色覚一般診療の手引き」『日本の眼科』81(4)付録. 徳川直人,2016年,『色覚差別と語りづらさの社会学――エピファニーと声と耳』生活書院. 馬場靖人,2020年,『〈色盲〉と近代――十九世紀における色彩秩序の再編成』青弓社.
帝京大学 石島 健太郎
【1.目的】 本報告の目的は、色覚異常(少数派色覚、色盲、色弱)の治療を勧める言説が、色覚異常者への差別的処遇の縮小に応じてどのように変化したかを明らかにすることである。多くの場合遺伝的かつ先天的な色覚が治療によって変化することはないことは早くから知られていた。しかし、いまでこそ下火になっているものの、その治療が可能であるとする民間療法・代替医療の言説もまた、かつては存在していた。本報告が注目するのは、そうした言説が、色覚異常を治すべきものであるということをいかに理解可能なかたちで正当化していたのかという点にある。たしかに、色覚検査と進学・就職における制限が強く存在し、またそれが自明視されていた時代には、その不利益を補償する手段として治療が志向されることは不思議ではない。しかし、20世紀後半に社会的な処遇の変更を通じてそうした不利益が縮小していく中で、なおも治療を問題解決の手段の位置に置くには、それを正当化する論理もまた変更を迫られると考えられる。本報告はその変化を追尾する。
【2.方法】 構築主義的言説分析をおこなう。対象とする時期と資料は、色覚異常者への差別的処遇が撤廃に向かっていく1980〜90年代において、色覚異常が治ると主張して民間療法を行っていたクリニックとその関係者が出版した書籍、および同時代の新聞記事である。後者、とりわけ朝日新聞は、色覚異常者への差別的処遇を早くから不当なものとして取り上げ、その撤廃を目指す眼科医の取り組みも記事にしている。こうした動向を外的環境として、前者の言説がどのように変化していったのかを分析する。
【3.結果】 1980年前後に当該のクリニックの関係者が出版した書籍では、色覚異常による不利益は進学・就職における制限に力点が置かれ、同時に色覚異常の治療によってその制限を乗り越えられたとする人々の経験が紹介される。一方、80年代中葉から90年代になると、進学・就職における制限が緩和されていく社会環境を参照する様子が現れる。そして、それらがいまだ途上、あるいは建前であることを述べ、いまだ治療が必要であることを説くと同時に、治療によって得られる利益の強調とは別に、治療をしないことによる不利益(学校でのスティグマ付与、家庭内の不和、「狂った」「異常な」視界それ自体)が強調されるようになる。これら環境調整によって解消されない不利益の指摘によって、治療の正当化が図られていた。
【4.結論】 環境調整が進む中で色覚異常の治療をおこなうことは、色覚異常を逸脱視する論理を前景化することによって支えられていた。これは、環境調整によって障害者の不利益を解消することを目指す障害の社会モデルの発想が広まっている今日において障害の治療を議論する上でも示唆的である。環境調整が進む中で、治療の正当化が環境調整によってなお解消されない不利益に注目することによって行われるのであるならば、環境調整によって治療にともなう苦労なしに治療と同等の利益を得られることをもってその意義を主張する社会モデルもまた、その対抗の論理の更新を迫られることになるだろう。
早稲田大学 馬場 靖人
私たちは極度に多色化した社会のなかに生きている。都市部かそうでないかの区別なく、信号機、案内板、広告、電子メディア、ファッションといったように、日常目につくありとあらゆる空間が色彩であふれかえっている。自然と文化とが混然一体となり、もはやどちらが「自然」の色で、どちらが「人工」の色か区別がつかなくなっているこのような色彩環境のなかで、いわゆる「色盲」の当事者は、色彩にまつわる色覚多数派の規範を内面化したり、あるいはそれに抵抗したりしながら、自らの実践をどのように構造化しているだろうか。 たとえば、色盲当事者である報告者自身が、小学校の図画の授業で絵に色を塗っていた際に、「色がきたない」と教師に耳元でささやかれたことがある(教師は報告者が色盲当事者であることを知らなかった)。報告者はその言葉に衝撃を受け、絵を描くときには、自分が色盲者であることを強く意識せざるを得なくなった(色盲のスティグマ化)。そしてそれ以来、学校で絵に色を塗るときには、絵具のチューブに貼られているラベルに書かれている色名を確認した上で、かならず隣の席の人に絵具のチューブを見せて「これ何色?」と訊ねることを習慣とするようになったのだった。できるだけ(多数派にとって)「きれい」に見える色を塗れるように、報告者自身が多数派の規範(「きれいな色/きたない色」)を進んで内面化すると同時に、「絵に色を塗る」という実践によりその規範を再生産していたわけである。たしかにこれは個人的な経験である。だが果たしてこの経験は報告者に特有のものにすぎないと言い切れるだろうか? この社会が色覚多数派の色覚に合わせて作られている以上、色盲当事者としてその社会のなかに生きていれば、色彩にまつわる多数派の規範と衝突する機会は無数にあるはずだ。したがって、上記の報告者の経験には、報告者だけでなく、同じ社会のなかで生きる色盲当事者のあいだである程度まで共有されている何らかのパターンが含まれている可能性が考えられる。 本報告では、以上のような報告者自身の絵画にまつわる経験から出発し、彩色による色覚検査=矯正法、色盲当事者の画家の絵画作品、文学作品における色盲表象の分析などを通じて、色盲当事者の絵画実践や自己認識の在り方が色覚多数派の規範に合わせて規律化されていくプロセスの構造を明らかにすることを目指す。 特に注目したいのは、規律化における言語の役割である。上記の報告者自身の経験に典型的に認められるように、色盲当事者がひとりきりでいる場面に他者の言語(教師の言葉、絵具チューブのラベルの色名、隣席の人の言葉、等々)が介入してくるとき、その介入により当事者に課される――時にはあからさまな、時には暗黙の――制裁が、いかにして色盲当事者の絵画実践を特定方向へと水路づけ、当事者の自己規定の在り方に影響を及ぼしているだろうか。 以上の問いのもとで本報告では、われわれが自明視して生きているこの世界(特に色彩に関連する世界)が多数派の身体に準拠して作られていること、自分が作ったわけではない世界に投げ込まれている色盲当事者がその世界をどのようにして経験しているか、など、色盲当事者の色彩世界経験の特異性を、絵画実践に即して考察してみたい。
Sustainability transitionを促進するツールとしてのシリアスゲームの有効性と限界
総合地球環境学研究所 太田 和彦
1 目的 本報告の目的は、Sustainability transition(以下、ST)に関わる諸実践を促進するツールとしてのシリアスゲームの貢献のあり方とその有効性の限界を明らかにすることを通じて、STにおけるシリアスゲーム運用の際の方向性を確かなものにするとともに、新たな研究課題を提起することにある。 今日、持続可能性に関わる諸問題は、ある問題への対処が別の問題の要因ともなる、全員が満足する解決策がない、構造が動的で状況を明示化できないなどの特徴を持つ「厄介な問題」(wicked problem)であることが広く認識されている。厄介な問題に対して、問題があたかも存在しないようにふるまったり、一つの手法・文脈を過大評価する取り組みは、思わぬ副作用によって状況を悪化させる可能性が高い。そのため参与者には、①問題の存在に気づき、②その問題を複眼的に理解し、③意見表明・意見交換の場を得るとともに、④試行錯誤を通じてより良いアプローチを模索することが求められる。 これらの必要性を満たす学習ツールとして、シリアスゲーム(以下、SG)が注目されている。SGとは、娯楽性のみを目的とせず、教育や医療、災害対策などの情報提供、体験、注意喚起などを目的としたゲームであり、社会教育手法の一つとして国際的に認知されている。現実の社会問題を反映したゲームをプレイし、その経験をふりかえることで、前述の①~④の必要性に応えることが期待されている。実際に、SDGsをはじめ持続可能性をテーマとしたSGは増加傾向にある。しかし、(A)SGがSTに果たす貢献のあり方と有効性の限界は明確ではなく、(B)SGの既存の分類視角とST研究との関連性は十分に検討されていない。
2 方法 以上の研究課題をふまえ、文献研究を通じて、(A)心理学、実験経済学、教育学などの分野におけるSGの有効性に関する研究蓄積とともに、(B)SGの具体的な諸作品の分類と評価に関する先行研究を、それぞれ横断的に調査した。
3 結果 文献調査の結果、次のことが明らかとなった:(A)SGの果たす積極的役割は、参与者がある問題の気づきにくい特徴を認識し、現状認識や利害関心のさまざまな種類を把握することを助ける点にある。一方、注意すべき陥穽として、SGはあくまでも厄介な問題の一部を特定の観点のもとで還元したものであるため、参与者らによるプレイ経験の検討が重要な役割を持つ。また、(B)あるSG作品が社会・経済・環境の3つの持続可能性のどの側面をどのような組み合わせで表現しているかを基軸とした分類は一定の成果をおさめているが、ST研究における主要なテーマ(権力と政治、社会運動、多様な組織、ライフスタイル、公平性など)と分類の基軸の連関は課題として残されている。
4 結論 以上の結果は、STに関連したSGの運用にあたって、利用者は、自身の取り組む具体的課題のニーズと合致した作品を選択するにとどまらず、作品に表現しきれなかった側面に着目したり、新しいルールやコンポーネントの付加などの改変を含む試行錯誤を通してこそ、現実の問題解決に資する活用ができることを示す。SGの開発は非常に複雑で、コストがかかることをふまえると、現場で埋没していた機会や障壁を可視化・共有するツールとしてSGを使用する場合、むしろ既存のゲームを現場に合わせて改変する方法にこそ着目し、分類することが具体的な活動に寄与すると考えられる。
日本学術振興会(PD) 谷川 彩月
本報告の目的は、抗議運動が地域社会内での変動を引き起こすための社会的条件を明らかにすることである。 これまで抗議運動は、抗議を通じて中心的な社会システムへ影響を及ぼし、その変更を迫る機能をもつと想定されてきた。しかし、地域社会は抗議運動を組織するような「自立的で能動的で強い意志を持った主体」(町村 2004)だけで構成されているわけではないため、地域社会内で社会変動、とくに持続可能性にかかわる「転換」を引き起こすためには、何らかの社会的条件にもとづいた作動が必要となる。これまでの環境社会学では、おもに開発への反対運動を扱った抗議運動研究がなされてきた。しかし、開発への抗議運動が担ってきた役割と地域社会における「転換」の過程で抗議運動が担う役割は質的に異なる。そのため、「転換」における抗議運動の射程を明らかにするためには、開発への抗議運動とは異なる視座からの分析が必要となる。本報告では、環境配慮型農法が地域的に普及した事例から、抗議運動が「転換」を引き起こすためにはどのようなしくみやしかけが必要となるかを明らかにする。調査手法は聞き取り調査および資料分析である。 事例である環境保全米運動は、宮城県仙台市で1991年に起こった農薬散布への抗議運動を地方新聞社である河北新報が連載企画として取り上げたことをきっかけに始まった。連載企画では、市民(消費者)と農協の組合長や専業農家など生産者の対話の場が設けられたが、そこでは農薬使用の是非を議論するのではなく、農薬が使用される社会構造的な理由が探求された。これによって、生産者と消費者が対立的な立場に陥ることが回避され、その成果としてオルタナティヴな流通ネットワークである産直市「朝市・夕市ネットワーク」がつくられた。 1995年の食管法廃止によりコメに本格的な市場原理が導入されるようになると、有機農家を支援するために環境保全米運動が提唱された。環境保全米運動は当初、消費者会員や生協などへの小規模な販売を戦略としていたため、普及の程度も小規模にとどまっていた。しかし、2003年頃から農協の地域ブランド米としての商業的利用を認めたことで県内にひろく普及した。運動組織からすればブランド米としての利用は不本意な解釈でもあったが、いっぽうで農協施策としての利用は環境保全米の地域的普及という目標とは整合的だったため戦略的な妥協が選ばれた。 地域社会の「転換」には、多様な利害関心をもつアクターの協働が必要となる。とくに持続可能性にかかわる問題の場合、その多くは個人の経済的利害と密接に関わっている。こうした問題設定の場合、抗議運動は地域社会における問題提起といった役割をもつ。いっぽうで問題提起の「その後」、つまりどのようなしくみやしかけによって持続可能な地域社会へと「転換」させていくのかといったフェーズで重要となってくるのは、「転換」の鍵を握るアクターの利害関心への戦略的なよりそいである。
〇早稲田大学 大塚 彩美
横浜国立大学 鳴海 大典
1.目的 爆発的な人口の増加、経済成長にともなうエネルギーや土地、水への需要の拡大に代表される「グレートアクセラレーション」の結果として世界的に気候危機の状態があらわになりつつある。この対策として、低/脱炭素社会への移行、すなわちエネルギー・トランジッションが急務となっている。日本政府はその対策のひとつとして「省エネルギーなライフスタイル」の普及を政策課題として挙げている。「省エネルギーなライフスタイル」の明確な定義はないが、技術開発による家電や住宅設備のエネルギー効率の向上といった従来の省エネアプローチや、昨今のより大規模なAIやInternet of Thingsによる最適化推進策からは政府や企業が描く「省エネルギーなライフスタイル」の様相はそのようなスマートシティに住まう生活様式であると推測することは難しくない。 しかしこうした技術開発や市場創出を大目的にした取り組みでは、市民はそれらの制度やシステムによって用意された商品を買うだけの単なる「消費者」に留まり、さらに節約やポイント制度等の外的インセンティブに反応する受動的な立場に置かれがちである。これに対して、筆者らは、人々に価値観やライフスタイルの転換をもたらしたと言われる東日本大震災後の社会において、省エネルギーを推進するライフスタイルの普及を目指す上でライフスタイル概念をより本質から捉えなおして検討する必要があるのではないかとの問題関心に立ち、人々の日常生活における価値観まで踏み込んで人々の省エネ行動やエネルギー消費との関係を検討してきた。本発表では、価値観や意識といった本来ライフスタイルに内包される心理的な要因が人々の省エネルギー行動とエネルギー消費に及ぼす影響からエネルギー・トランジッションにおける価値観の役割を考察する。
2.方法 首都圏4都県から1579件のサンプルを得て検討したウェブ調査結果を主に用いる。価値観分析にはSchwartzの価値理論を基礎に置き、自然や周囲を慮る志向性を示す社会的価値観は省エネ行動を推進する一方で、周囲よりも自己の成長や自由を優先する個人的価値観は省エネにつながりにくいとの仮説を用いた。
3.結果 結果として社会的価値観である[自己超越]は省エネルギー行動意図を高める一方で、実践度には個人的価値観のうち[変化への開放性]が影響していることが明らかになった。またエネルギー消費量への影響は元来影響要因として知られている世帯属性が最も強く、本研究で着目した価値観やエネルギー意識の中でもより内的な動機となる価値観や信念は行動まで影響し得ていないという結果となった。
4.結論 ここからは社会的価値観[自己超越]に加えて、行動に対してオープンで、かつ主体的に考え、行動していく志向[変化への開放性]の醸成が重要であるという環境教育や政策への示唆が得られる。発表では、さらに一般的な世帯においては価値観構造によるモデルは様々な要因によって容易に崩れがちであり、日本人に多い環境に対する価値観優先度が高いことが必ずしも日々の生活行為の全体と結びついておらず、その乖離を埋めることが必要とされていることを本研究の一環として行ったインタビュー結果も用いながら紹介したい。
謝辞 本研究の一部は科学研究費助成事業(課題番号18K18896)により実施された.ここに記して謝意を表する.
生活クラブ生協によるEnergy Tansitionの実践から考える社会学の役割
〇法政大学 西城戸 誠
名古屋大学大学院 丸山 康司
【目的】 「現在の生産と消費のあり方を持続可能な方向に変えるにはどうしたらよいか」というテーマセッションの問いは、Sustainabilityという規範に基づいたものである。Sustainabilityという規範が人びとや社会の外部に抑圧の論理になることを批判するだけでは悲観論や終末論に帰結する。Sustainabilityという規範を上から押しつけるのではなく、実証データの積み重ねから現場に即した規範や倫理を見出し、それと現在世代の欲求にどのように結びつけるのか、現場に「介入」する役割が社会学に期待されているのではないか。 本報告では、評論家・内橋克人が提唱した「FEC自給圏」を実践している生活クラブ生協協同組合によるEnergy Transitionの実践を事例とし、Sustainability Transitionの理論に強く影響を与えているF.Geelsによるsocio-technical transitionの議論の検討と、Energy Transitionに関する実践に対して、社会学の役割について考察することにしたい。
【方法】 本報告のデータは、2011年から実施している、生活クラブ生協の再生可能エネルギー事業に関する聞き取り調査と、参与観察、生活クラブ生協の組合員に対するサーベイ調査のデータを用いる。
【分析・考察】 生活クラブ生協が、風力発電や太陽光発電所を建設しエネルギーの生産、電力自由化に伴う電力小売り業への参入(生活クラブエナジーの設立)によって、エネルギー自給圏の構築を目指している。首都圏の生活クラブが風力発電所を設置した秋田県にかほ市では、地域住民と組合員の交流、立地点農産物の購入による経済的利益の発生、まちづくり基金の設置といったエネルギーとは別の活動が行われ、それゆえ他の再生可能エネルギーとは異なった評価を地元住民から受けている。また、生活クラブ連合会は、生活クラブの米の主力生産地である山形県遊佐町に設置した太陽光発電の利益を用い、同じく生活クラブの食品の生産地である酒田市において、生活クラブの組合員が移住し、地域活動に関わりながら、福祉サービスを受けるという「FEC自給圏」の構想を進めている。 F.Geelsのsocio-technical tansitionを中心概念に据えたSustainability Transitionの理論の骨子は、ニッチな技術開発(ミクロレベル)が、市場・インフラ・産業構造・製作・技術的な知識・技術へのシンボリックな意味付けといったsocio-technical regime(メゾレベル)に影響を与え、それがランドスケープ(マクロレベル)までに移行するというものである(Rohracher, 2018)。従前のSustainability Transitionの研究はシングルイシューの事例研究である。だが、生活クラブ生協の組合員が、再生可能エネルギーを中心に据えた電力を供給する生活クラブエナジーへの契約の切り替えがそれほど進んでいないように、個々の領域での問題意識によるTransitionは限定的ではないか。複数のイシューを架橋することでsocio-technical transitionが進む。そして、社会学的想像力によって一見関係がないと思われる複数のイシューを関連づける実践に資することが社会学の役割だと考えられる。
Rohracher, H., 2018, “Analyzing the Socio-Technical Transformation of Energy Systems”, in Davidson, D.J. and Gross, M. ed. The Oxford Handbook of Energy and Society, Oxford University Press.
東洋大学 村上 一基
【1.目的】 ヨーロッパ、とりわけフランスでは家事・介護労働の職業化が進められ、2000年代中葉からは税控除のインセンティブを与えるなどその振興政策(対人サービス政策)が実施されてきた。これらの職に対しては、フランスでは移民、特に移住女性の仕事というイメージが付与され、実際にこの分野で働く移住女性は多い。本報告では、フランス国内における移住家事労働者がどのようにエスニック化されているのかを明らかにすることを通して、国際社会学としての家事労働者研究の意義と課題を検討する。移住家事労働者のエスニック化はジェンダー、人種・エスニシティ、階級といったさまざまな領域が交差した現象であることを論じ、その作業を通して、移住家事労働者研究の国際社会学への貢献を検討したい。
【2.方法】 本報告は、2009年から2014年まで行った国際移動とジェンダー研究会での共同研究の成果と、その後のフォローアップ調査の結果に基づく。現地調査としては、パリ市および近隣自治体において、対人サービス事業体やコンサルタント会社、自治体の社会福祉センターに対するインタビュー調査を実施するとともに、セーヌ・サン・ドニ県下の対人サービス事業体への質問票調査ならびに回答事業体への補足インタビュー調査を行った。
【3.結果】 「法の下での平等」「単一不可分の共和国」という共和主義の伝統のため、フランスでは、家事労働に限らず、あらゆる職種において労働者の民族出自などを問い、それを議論することは「タブー」とされてきた。しかし、家事労働においては、移住女性のこの職業における適正を「文化」や「エスニシティ」に求めようとする動きがしばしばみられる。雇用主たちは担い手が少ない職業のなかで移住女性を雇用することを正当化するためにこうした表象を用い、さらに政府は、家族移民の職業化の必要性から彼女たちを人手が不足するこれらのセクターで「活用」しようとするなど、家事労働はエスニック化ならびにジェンダー化されている。 さらに、移住女性はフランスにおける階級による都市の分極化を体現する。例えば、パリ市と周辺自治体を特徴付けることのひとつとして、家事サービス利用世帯と労働者の地理的配置の不均衡がある。移住女性の多くは、社会的に恵まれない地域に住むが、彼女たちは仕事のために異なる社会層の人びとが住む区域の家庭へと移動する。エスニック・ブラインドなフランスにおいて、こうした分極化された都市内部の移動は、エスニック化の異なる形態となる。
【4.結論】 フランスの移住家事労働者のエスニック化は、エスニシティ、ジェンダー、階級、都市などさまざまな領域が交差した結果である。フランスにおいて、家事労働者のフォーマル化は、「再生産労働の国際分業」というグローバルなトレンドよりも、フランス独特の歴史的経緯に求められることを伊藤(2020)は明らかにしたが、移住家事労働者はさらにフランス特有の社会問題の交差性(インターセクショナリティ)を体現するものでもある。さらに『家事労働の国際社会学』では、グローバル、リージョナル、ナショナル、ローカル、トランスナショナルといった複数の水準での家事労働をめぐるポリティクスの展開と水準間の相互関係の考察が試みられたが、家事労働者研究は、それぞれの社会における特有の社会問題の枠組みを明らかにするものでもある。
上智大学 牧 陽子
子どもや高齢者、病人など、依存的な他者の世話をするケアという活動への対価がなぜ低いのかは長年、ケア労働研究の関心の一つである(Tronto 1993, 上野 2012など)。だが、ケア労働者はひたすら与えられた環境に甘んじる受け身な存在ではない。ケアを取り巻く制度や諸条件の中で、より良い待遇と賃金を求め、交渉し、実践する主体でもある。 本発表では、移住労働者の家庭雇用が多いフランスを事例に、保育と介護という二つの領域における政策と、地位向上の実践について分析する。フランスの家族/介護政策が形作る在宅保育・介護市場において、ケア労働者たちはどのような実践を行っているのか。また、領域による公的介入やケアのあり方の違いは、ケア労働者の待遇や賃金にどのような影響を及ぼしているのか。移住ケア労働者が特に多いパリと近郊を対象とし、発表者の調査でえられた事例をもとに考察する。現地調査において、保育では認定保育ママと子ども宅で働くナニーに(2014年)、介護については家政婦や介護士等(2018年)、合計22人にインタビューを行った。 保育では、保育ママ、ナニー利用ともに、家族政策により雇用主である親に対して、保育費補助と税控除、雇用主としての社会保険料負担の補助など手厚い支援が存在する。保育ママはこのほか、県による認定制度が存在し、子ども一人当たりの保育料を利用者が支払う制度となっている。一方のナニーには認定制度はなく、多くは2家庭で1人のナニーを雇い、両家庭の計3~4人ほどの子どもを保育するのが一般的である。 パリでは公的制度に裏打ちされた保育ママは、親に対して強い交渉力を発揮し、子ども1人あたり月に1000ユーロ近い保育料の設定により、3人保育で月3000ユーロを得ている人もいた。認定制度がなく、雇用主の力が強いナニーは、4人保育で1700ユーロほどであり、保育ママへの転向を目指す人、転向して保育ママになった人が複数いた。保育子ども数の変化に伴う賃金の増減について、子どもの愛着を強みに交渉する実践もみられた。 なお、フランスの法定最低賃金は月約1200ユーロ、平均賃金は月約2300ユーロである。 介護においては、在宅支援政策によりサービス利用に対して自立手当があるが、資産や収入、要介護度により補助額が異なり、手当を受け取れない人も多い。また、同じように依存的な人に行うケアでも、常時の大人の付き添いを必要とする乳幼児と違い、高齢者介護は多くの場合、必要時に2時間程度の支援で済む。そのため保育労働者の多くがフルタイム労働であるのに対して、介護労働は細切れで移動もあり、毎日3~4件は駆け回らないとフルタイムにできない。 多くの介護労働者が企業やアソシアシオンを介して利用者を見つけ、その給与は時給8~9ユーロ程度と非常に低い。一方で、時間当たり15~20ユーロを得ている移住労働者もいる。彼女らは仲介を通さず、人脈で利用者を開拓し、長年にわたる付き合いで得た信頼と家族のような関係を糧に、月2500~3000ユーロという高い収入を得ていた。 このように、ケア労働者の労働待遇と賃金は、保育か介護か、また政策の在り方により大きく規定される。だが保育においても介護においても、よりよい待遇と賃金を求める交渉と実践を移住ケア労働者たちは行い、時に比較的良い収入を得ることを可能にしている。
香川大学 園部 裕子
1.目的 サブサハラ・アフリカ(SSA)出身者の渡航先は,大陸内に次いで大陸外ではヨーロッパが最も多い(児玉2020; 園部2020)。『家事労働の国際社会学』も対象とするフランスでは,近年,家庭内の家事・育児・介護等を政策的に「対人サービス」部門と位置づけ,旧植民地出身女性を動員している。本報告では,本書に先立つヨーロッパ研究の一環として報告者が行った現地調査から,SSAを中心とする旧植民地出身女性の介護・家事労働の実態を分析する。
2.方法 2009〜2013年にかけて現地調査を行い,パリ市および隣接するセーヌ・サン・ドニ県の関連事業所等と,旧植民地出身の移住女性労働者19人への聞き取りを行った。ケア労働の「職業化」と学歴を必要としない「職業経験認定(VAE)」による資格取得に注目し,移住女性労働者の職業上の地位は上昇ないし安定しうるのかを検討した。
3.結果 聞き取りからは、ケア労働は文化的特性から移民女性向きとされ未就業者を中心に雇用案内が行われていることが分かった。他方で労働者に対する差別への雇用主側の対応などは進んでいない。聞き取り対象者は1名を除き,全員が家族統合や結婚などにより滞在資格またはフランス国籍を取得していたが,非正規滞在も経るなど法的地位は安定していたわけではない。職種は6人が育児13人が介護,雇用形態は7人が失業中,1人が無申告雇用,3人がアソシエーションによる派遣雇用,1人が直接雇用で,うち10人がVAEの準備中,他の7人は市による派遣雇用である。経歴からは,できるだけ安定した雇用と地位を求めて多様な雇用形態を経ているが,経験年数を重ねても最低賃金程度に留まり,頻回の失業を免れないなど,労働条件改善や地位の安定化は難しいことが分かる。
4.結論 送出社会ではおもに10代の少女が家事労働を担っており(Jacquemin 2012)、成人女性にとってケア労働への従事は移住にともなう下方異動である(Anderfurhen 2002; Oso Casas 2002)。SSA出身でも在米のケニア出身移住女性は,出身国における看護師の社会的地位は低いにも関わらず、移住後さらに高等教育を経て看護師資格を取得し働いている(石井2020)。他方でフランス語圏出身女性は中間層出身者もいるものの,移住先でめざす介護資格は中等教育レベルであり,多くの人がめざす公務員職へのアクセスも条件が激しく,ケア労働を通じた経済的・社会的上昇の可能性は限定されている。
文献 石井洋子,2020「アメリカ合衆国東部への国際移動と生存戦略——ケニア出身の女性移民の語りに注目して」児玉由佳編『アフリカ女性の国際移動』,アジア経済研究所,83-123頁. 児玉由佳,2020「アフリカ女性の国際移動」,児玉編前掲書,3-37頁. 園部裕子,2020「サブサハラ・アフリカからフランスへの女性の移動と滞在資格――家族統合/非正規滞在/FGMを理由とする庇護申請を中心に」児玉編前掲書,257-304頁. Anderfurhen, Marie. 2002. « Mobilité professionnelle des domestiques au Brésil (Nordeste): une logique complexe. » Tiers-Monde :265-85. Jacquemin, Mélanie. 2012. ” Petites bonnes” d’Abidjan. Sociologie des filles en service domestique. Paris: L’Harmattan. Oso Casas, Laura 2002. « Stratégies de mobilité sociale des domestiques immigrées en Espagne. » Tiers-Monde: 287-305.
社会人類学高等研究所 浅倉 寛子
メキシコには、220万から240万人の家事労働者がいると言われており、その98%が女性である。この国の家事労働の歴史は長く、スペイン人がアメリカ大陸を征服した植民地時代にまで遡る。その歴史的遺産とも言える、家事労働の定義や雇用者と家事労働者の間に築かれる関係に関する文化そのものが、長年の間、その雇用形態や労働条件の議論が活発化するのを妨げてきたと言える。しかしながら、1980年代以降、先進資本主義経済における福祉国家の後退、女性の就労拡大、新自由主義政策が拡大していく中で、家事・育児・介護を含む再生産労働領域で働く移住労働が拡大していった(伊藤2020)。それに伴い、「国際移動の女性化」が進み、「再生産労働の国際分業」(Parreñas 2001, 2015)が起こり、家事労働が「ドメスティック・イシュー」から「グローバル・イシュー」へと転換していった(伊藤2020年)。こうした状況の中で、2011年国際労働機関(I L O)によって、「家事労働者のためのディーセント・ワーク条約」(Convention concerning decent work for domestic workers = 189号条約)が採択されたが、メキシコがその波に乗るまでには、まだ数年を要した。2018年メキシコ人映画監督、アルフォンソ・クアロンの「R O M Aローマ」−メキシコシティのローマ地区に住む中産階級家族のもとで働く、地方出身先住民移住家事労働女性クレオを取り上げた作品―が、数々の国際映画祭で多くの賞を受賞したことは、記憶に新しいだろう。この映画の世界的反響が、2019年12月にメキシコが189号条約を批准することを後押ししたことは否めない。 こうした家事労働者の権利と労働環境の向上を目指す活動が世界的に活発になり、メキシコも遅ればせながら歩調を合わせていく中、本報告では、女性家事労働者の事例をもとに、なぜメキシコの189号条約批准が遅々として進まなかったのか、そして、これを契機にどのような政策が開始され、それがどのように進展しているかを考察したいと思う。 ここで使用するデータは主に、文献と新聞記事を中心とする。ただし、家事労働者の労働環境や彼女たちの経験を具体的に提示するため、メキシコモンテレイメトロポリタン地区で行った聞き取り調査のデータも織り交ぜて紹介したいと思う。 メキシコでは2019年12月に189号条約が批准される1年前に、メキシコ最高裁判所が、家事労働者が社会保障制度から排除されていることを違法と判決し、その改革をメキシコ保健省に勧告した。それに伴い、家事労働者の社会保険加入を推進するパイロットプログラムが2019年4月から開始されたが、加入者数は依然として少ないことが指摘されている。このことは、雇用者と家事労働者との間に築かれる、単なる雇用関係とは異なる親密な関係、家事労働者を労働者と見なすことへの雇用者側の根強い反発、家事労働者側の制度に関する情報不足、家事労働者の組織化の不十分さなどが要因していると考えられる。 以上のことから、家事労働者たちが自分たちの権利の一つである社会保障制度に加入し、それを利用できるようにするためには、多くの課題が残っていると考えられる。
福岡女子大学 徐 阿貴
【 1 目的 】 日本社会と同様、在日コリアン社会も少子高齢化に直面している。これに関連し2000年代には2つの重要な政策関与があった。ひとつは介護保険の導入であり、利用者の国籍を問わないこの制度によって、歴史的に公的扶助から排除されてきた在日コリアンの社会保障制度への包摂が促進された。また在日コリアン高齢者支援サービスが拡大展開した。2つ目は総連傘下の民族教育機関に対する制度的排除の強化である。少子化対策である高校無償化・就学支援金制度および幼児教育・保育の無償化から、日本でもっとも整備され数も多い外国人教育機関である朝鮮高校と幼稚園が排除された。在日コリアン社会では、介護と次世代育成は女性の無償労働によって支えられてきたが、これらの出来事は、政治的文脈は違えども在日コリアン女性のケア労働とホスト国家との関係を浮き彫りにするものであり、この点について本報告で考察する。
【 2 方法 】 田中宏(2007;2013)は、国籍条項による在日朝鮮人の社会的権利から排除と包摂を、社会保障および民族教育に焦点をあてて論じている。本報告では田中の議論をさらにジェンダー視角から検討することで、家族や世帯という単位において不可視化されてきた、在日コリアン女性の権利や資源へのアクセス制限、および諸権利からの排除によるケア労働負担の問題を明らかにする。そのうえで今日、在日コリアン女性が直面しているミクロレベルのケア労働をマクロ政策と重ねあわせ、関西における高齢者支援施設で働く在日コリアン女性調査を参照し具体的に検討する。
【 3 結果 】 社会的権利からの疎外は再生産労働の負担を増加させたが、在日コリアン女性は地域に密着したネットワークを構築しており、そこでの協働によってある程度の解決をはかってきた。在日コリアン高齢者支援事業の中には民族団体の女性組織が設立基盤となっているところがあり、職員の多くが民族教育を受けた女性である。コリアン高齢者支援サービスの増加は家族介護の社会化を促したが、在日コリアン女性はあらたに作り出された有償介護職に吸収され、ケア労働にとどまっている。
【 4 結論 】 在日コリアン高齢者支援事業は、地域レベルで福祉コミュニティを展開しており、無年金のような国家レベルの歴史的排除に起因する高齢コリアン女性の問題にも取り組んできた。1世女性が多く集う事業所は育児支援を通じて次世代育成の場ともなっている。女性たちの多くは同胞福祉に関わることを誇りに思っているが、その負担は決して小さくない。ニューカマーの高齢化が始まっているが、在日コリアンのケースは、移民の次世代教育やコミュニティ基盤がホスト社会の言語文化と異なる高齢者の支援には不可欠であることも示している。