理化学研究所 関口 卓也
【1.目的】 人工知能の発展に伴い、日常生活の様々な作業や判断が自動化されることが期待される一方で、異なる価値基準に依拠すれば、それに基づく判断がもたらす帰結も異なる場面が考えられる以上、倫理的判断をどのように人工知能にさせるべきかについて熟考することの意義は大きい。このような問題意識のもとに行われた代表的な研究として、自動運転に関する倫理的判断について、様々な種類の場面想定実験を大規模に行なったAwad et al. (2018)が挙げられる。これらの研究は、個人の意見を収集したものであるが、倫理的配慮についての決断が、異なる倫理観を持つ諸個人からなる議論の末に下されることは十分考えられる。本研究は、こうした集団の意思決定場面において、人々の意見形成に影響を与える意思決定状況の特徴や、集団としての結論を下すための手続きへの選好を理解することを主たる目的とする。
【2.方法】 自動運転車が備えるべき倫理的基準に対して異なる意見を持つ複数の個人からなる集団意思決定場面を想定したシナリオを配布した。先行研究に倣い、運転手と歩行者の安全が選択される場面を用いた。社会的選択理論における判断集計論の枠組みを参考にし、シナリオには、異なる手続きを採用すれば異なる結論が導かれ得る状況が描かれており、集団意思決定状況の特徴(議題のフレーミングや論理構造、登場人物の意見とそれに至る動機、およびその分布など)についての4つのバリエーションが存在する。参加者にそのうちの1つをランダムに割り当て、自身と最も近い意見を持つシナリオ内の登場人物や、好ましい手続きについて選択してもらった。
【3.結果】 参加者の意見形成については、どのシナリオにおいても、歩行者の安全を優先する意見がより支持された。ただし、運転手の安全として議題がフレーミングされているときはその割合が低かった。また、手続きについては、シナリオ内の意見分布に対して、運転手の安全の優先が最終的に帰結する手続きが複数あった場合は、全会一致ルールが好まれるのに対して、歩行者の安全の優先が最終的に帰結する手続きが複数あった場合は、全会一致ルールが好まれるか否かはシナリオによって異なることが分かった。また、シナリオ内で少数派に属する意見が結果的に採用される手続きが複数あった場合、少数派の意見の内容によって、それらの手続きへの支持が割れる場合と、偏る場合があることなどがわかった。
【4.結論】 本研究の結果は、集団意思決定状況をどのように定義するかによって、倫理的配慮に関する個人の意見形成や手続き的選好に影響が生じ得ることを示唆しており、異なる倫理観同士のコンフリクトがどのようなときにどの程度生じやすく、どのようにして収拾され得るのかを理解するための一歩になると考えられる。
【文献】 Awad, E. et al. (2018). The Moral Machine experiment. Nature 563, 59–64.
現代中国女性のアダルトグッズに対する態度についてのインタビュー調査
TH株式会社 楊 梓
目的 男権社会である現代社会では,約2億の女性が性欲抑制のため生殖器切除され,性産業においても異性愛女性向け店舗は異性愛男性向け店舗より圧倒的に少ない。性は男権が女性をコントロールする究極の手段だと考えられる。アダルトグッズの使用は女性の主体的な性行為とみられ,それは男権社会に対する大きな挑戦だと筆者が考えている。現代中国女性の就労率は高いが,性に対する態度はまだ保守的だと考えられる。現代中国女性のアダルトグッズに対する態度はどのようであるか。それは社会とどのような関係があり,社会にどう影響するであろうか。
方法 18歳以上の中国人女性をwechat(中国のチャットアプリ)のタイムラインや知人を通して募集し,8名の参加者を得た。60分〜90分の半構造化インタビューを設定し,インタビューガイドに従い,対面,もしくはビデオ通話で行った。中国語の録音記録から日本語の逐語録を作成した。(1)性について(2)マスターベーションについて(3)アダルトグッズについて(4)女性と社会について(5)インタビューを受けた感想の5つの要因をピックアップし,分析表を作成し,何度も逐語録を読み込み,分析を行った。
結果 (1)性について,全員が性に対してポジティブな観念を持っていた。8人中7人は,もともとネガティブな観念を持っていたが,ポジティブなものへと変化した経験を持っていた。 (2)マスターベーションについて,8人の協力者がほぼ全員現在「正常」な「生理的行為」だと考えている。 (3)アダルトグッズについて,筆者の想定より彼女達の持つ情報が非常に豊富であったが,個人差もあった。情報を知るきっかけや方法については,様々あるが,主にオンラインストアおよび商品の「関連おすすめ」,周囲の男性とAVである。アダルトグッズの購入について,これまで使用したアダルトグッズは自分で購入したと述べた協力者は6人で,全員が「これから自分で購入したい」と考えている。アダルトグッズの使用について,8人中7人はアダルトグッズの使用経験があり,6人が性玩具の使用経験がある。アダルトグッズに対する態度について,好奇心を持っているが人の目を気にしている。 (4)女性と社会について,女性の自立は,経済的自立,思想的自立,身体的自立と権利であると協力者が定義し,「自立すべき」と8人の協力者が支持を示した。 (5)インタビューを受けた感想について,8人の協力者は,ほぼ全員,「楽しかった」や「良かった」と感想を述べた。このような話は初めてと述べた協力者も3人いた。自身の考えの整理をしたり,自分への突破口になると3人の協力者が考えている。
結論 研究協力者の性,マスターベーション,アダルトグッズに対する態度が明らかになり,(1)アダルトグッズに対する態度や性観念は過去のネガティブから現在のポジティブに変化し,個人内部の貞操観は減少しながら,社会的対人関係においてはまだ残っている(2)子世代は親世代より,性知識,性観念及び性に関するコミュニケーションに関する成熟が見られる(3)インターネットの発展は女性を解放させる(4)アダルトグッズに対する態度から女性の性の主体性が見られる(5)アダルトグッズ(性の話題)について語れる場がまだなく,女性たちは語りたがっているということがわかった。
神戸女学院大学 景山 佳代子
【1.目的】 内田義彦氏は、西欧からの「輸入」の学として始まった日本の社会科学につきまとう「なにかよそよそしい感じ」を「どうにかぬぐえないか」と考え続け、言語化し続けた社会科学者である。そしてその方法として、私たちの思想の土壌となる日本語から社会科学の「概念」を鍛えあげることを提起し、専門の枠を超え、対談やエッセイといった表現形式をつかって、それを実践した社会科学者でもある。 内田氏は、「日常語」と「専門用語」、「素人」と「専門家」を単に対比させるのではなく、互いの「往還」あるいは「対話」によって、この社会で生きる私たちにとっての「社会科学」を立ち上げていくことを試みていた。本研究の目的は、内田氏のこの問題提起に沿って、社会学の教育現場で、日常語を土台とした社会学的思考の実践がいかにして可能かという、その方法を探ることにある。
【2.方法】 今回、数名の社会学者が共同で社会学のテキストを作成した。日常の生活経験から社会学的思考を鍛えていくために、「学生」にとってごく当たり前に見える生活場面についての「問いかけ」から始めるという方法をとった。そして「学生=素人」の着想や気づきに応答するよう、「教員=専門家」が社会学の概念を鍛え直しながら、日常語に埋もれて見えにくかった社会のある側面を鮮明に捉えていけるようなステップを作っていった。 テキストの執筆者は、「学生=素人」の目から見える日常世界のあり方を念頭において、社会学の概念を選び、それを使うことで、日常世界の見え方がどう変化しうるかという、思考過程の可視化を行った。
【3.結果】 日常の生活経験から出発して、社会学の概念を鍛え直すという試みは、最終的には「問い→事実の提示→概念による気づき→問い→・・・」いう思考サイクルとして、教科書の共同執筆者に共有されたが、そのためには複数回にわたる話し合いが必要であった。またある概念について、自分たちの生活実感や経験に落とし込み、日常の言葉から立ち上げることや、なにより日常生活と社会学概念とのつながりを見出すための「問い」を設定していく作業は専門家であるはずの執筆者たちにとっても決して容易なことではなかった。 しかし、テキスト作成の話し合いを繰り返していくうちに、ある概念によって捉えられる射程が広がりをもち、互いの専門領域を超えた形での社会学的理解が展開できるようにもなっていった。
【4.結論】 社会学をはじめて学ぶ「学生」のためのテキスト作成ではあったが、その過程において執筆者自身が社会学の諸概念を、自分たちの生活経験において考えなおし、その知見を共有するという作業を繰り返すことで、「教員」である執筆者自身の社会学概念の考え方もまた展開していった。 これはもちろん「学生」が社会学的思考を鍛えていくのにも重要な方法となろう。つまりテキストを通じて得られた社会学概念の理解を、自分自身の生活経験に振り返らせ、そこで考えたことを学生同士あるいは教員と共有していくという過程をとり入れていくことが、社会学の専門用語と日常用語を切り離すことなく、社会学的思考を実践するための一つの有効な方法となりうるということである。
帝京大学 コルネーエヴァ スヴェトラーナ
【1.目的】 切腹は源平時代から鎌倉時代に行われたが、徳川時代には武士の自殺方法にとどまらず、刑罰とされた。刑罰的な切腹は一般的に「名誉の死」とみなされている。しかし、何をもって名誉とみなすか、その具体的な要素を挙げることが困難である。そこで本報告では、切腹が何をもって名誉のある死というイメージが定着したかを問題視し、江戸時代の切腹指南書を手がかりに「名誉の死」における名誉の内実について追究することを目的とした。
【2.方法】 先行研究を踏まえた上で、江戸時代に多数流布した切腹の指南書、とりわけ『切腹切紙』(多数の写本が存在)と、『自刃録』(天保11(1840)年成立、『武士道全書』所収)という切腹故実書の内容を調査し、その中から名誉と恥辱(恥)に関する言及を抽出し、分析を試みた。理論枠組みの構築にあたっては、ゴフマンの儀礼論、ジンメル、ウェーバー、デュルケームなどの名誉に関する議論、武士道における名誉と恥辱の議論(桜井庄太郎、池上英子など)に拠った。
【3.結果】 先行研究からは以下の知見を得られた。すなわち、刑罰としての切腹は元々、中国の唐律における「死賜」に通底する刑で、原則としては五位以上の高貴な身分の者に許された自殺形式の特殊な死刑である(井上 〔1940〕1965: 26参照)。そして戦国時代、城兵の命を助けるために城主が切腹するという「代表切腹」のケースが見られるようになり、切腹が名誉の死であるとされたことが確認できた(二木監修 2013: 151参照)。 江戸時代の切腹故実書においては、場所の設営や最後の盃から首を斬る方法まで、江戸時代が進むにつれて、敬意の受容者の対面を重んじる種々の配慮が行われたことが確認できた。儀式について、名誉を与えるよりも恥を避ける意識の働きが優位に立っていたと指摘できる。
【4.結論】 刑罰的な切腹に関していえば、時代が進むにつれて、名誉は敬意の受容者の社会的立場(武士の場合は五位以上という高貴な身分)という元来の枠を越えて、下級武士にも与えられるようになったことがわかった。その反面、名誉を重んじる具体的な方法として、儀式の細かい作法が発達することに伴い、切腹人をはじめ周囲の恥にならないよう、細心の注意が払われるようになったことが指摘できる。 以上のように本研究を通して、ゴフマンの相互作用儀礼論やウェーバー、デュルメーム、バーガーなどの名誉や人格尊厳における議論の再検討に幾分か寄与できるであろう。
主要参考文献 二木謙一監修,2013,『〔図解〕戦国合戦がよくわかる本―武具・組織・戦術から論功行賞まで』PHP研究所. Ikegami, Eiko, 1995, The Taming of the Samurai: Honorific Individualism and the Making of Modern Japan, Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press. (= 2000,森本醇訳『名誉と順応―サムライ精神の歴史社会学』NTT出版.) 井上和夫,〔1940〕1965,『藩法幕府法と維新法』中巻,巌南堂. コルネーエヴァ・スヴェトラーナ,2019年10月,「切腹の形式化について―発生から江戸時代初期頃までを中心として―」『帝京日本文化論集』第26号,pp. 1-42. 桜井圧太郎,1971,『名誉と恥辱――日本の封建社会意識』法政大学出版局.
大妻女子大学 干川 剛史
【1.目的】この報告の目的は.東日本大震災被災地の南三陸町と気仙沼市で参与観察とアンケート調査を継続して実施して東日本大震災発生から長期にわたる復興過程の実態と変化を把握した上で,被災地復興に関わる諸主体間の相互協力信頼関係に基づく関係構造を「デジタル・ネットワーキング・モデル」によって可視化することで被災地復興の現状と課題を解明することである.
【2.方法】 具体的な研究方法は,以下の通りである. 1.南三陸町「福興市」と「さんさん商店街」及び気仙沼市「海の市」の来場者アンケート調査 2.「気仙沼サメの灰干し」加工品の商品化・販路開拓のための「福興市」での各種「灰干し」試験販売による参与観察 3.気仙沼市での「ご当地グルメ」の試作・商品化を目的とした「気仙沼サメの灰干し」料理講習会・検討会による参与観察 上記のアンケート調査と参与観察によって,長期にわたる復興過程の実態と変化を把握した上で 4.「デジタル・ネットワーキング・モデル」によって,被災地復興の課題の解明を行う.
【3.結果】まず,南三陸町の福興市とさんさん商店街及び気仙沼市の気仙沼「海の市」での6回の来場者調査から,被災地の南三陸町と気仙沼市の課題としては,交通基盤の整備と復興事業の進展を前提に,海産物や観光施設とイベントをアピールする各種メディアを活用した集客,若者にとって魅力ある職場と地域づくりが課題であること.そして 筆者と「気仙沼灰干しの会」を中心に構築された(「デジタル・ネットワーキング・モデル」で明示した)関係構造を基盤として,「地域おこし」の専門家の継続的で全面的な協力を得て「ご当地グルメ」づくりを中心とした「地域おこし」を本格的に推し進めていくことが,被災地復興の効果的な方策であること.以上のことが本調査研究から明らかになった.
【4.結論】以上の調査研究を通じて,東日本大震災の被災地の長期にわたる復興過程の実態と変化を把握した上で,被災地復興に関わる諸主体間の相互協力信頼関係に基づく関係構造を「デジタル・ネットワーキング・モデル」によって可視化することで被災地復興の課題を解明することができた.さらに,筆者は,こうした被災地復興の取り組みを対象にして参与観察を中心に研究を継続し,上記の関係構造をさらに拡大することを通じて被災地復興へ貢献して行きたい.
文献 干川剛史,2020,「東日本大震災被災地(気仙沼市及び南三陸町)における復興に関する調査研究」(報告),「人間生活研究」No.30(2020),大妻女子大学人間生活文化研究所,(掲載予定)
関西学院大学 渡邊 勉
1 目的 日本のホワイトカラーの職業経歴の特徴については、これまで長期雇用や新規学卒一括採用といった終身雇用制度を中心に、労働経済学、労働社会学、教育社会学、社会経済史、社会階層論といった領域において、数多くの研究がおこなわれてきた。特に、終身雇用制度がいつからはじまったのかについては、1920年代説、戦中説、1950年代説などいくつかの説があり、はっきりとしておらず、データによる検証も十分におこなわれていない。 本報告では、戦前期の高学歴ホワイトカラーの職業経歴から、長期雇用、終身雇用の萌芽がすでに戦前期に見られたのかについて検討する。
2 データ 本報告では、神戸高商の『学校一覧』の卒業生名簿を利用する。『学校一覧』は毎年刊行され、その中に全卒業生の当該年の就業先が掲載されている。その情報を利用することで、職業経歴データを再構成することができる。具体的に、明治期[1907-09年卒]、大正期[1916-18年卒]、昭和期[1928-30年卒]の卒業生1480名の卒業年から1937年までの職歴が焦点となる。
3 職業経歴の特徴 初職従業先を企業、自営業、その他(教員・官公庁)に分けると、企業への就職が81.0%、91.8%、82.2%と、大正期が特に一般企業への就職が多い。産業を見ると、商社、金融が多いことがわかる。具体的に、三井物産、鈴木商店、三菱合資、住友銀行、伊藤忠、芝川商店などが多い。コーホート別では、昭和期には商社が減少し製造業への就業が増えている。 次に転職率の変化を見る。転職率の特徴は、3つにまとめられる。第一に、就業後の数年間の転職率は高いが次第に低くなっていく。この傾向は、戦後の転職の傾向とも一致している。第二に、明治期、大正期の就業初期での転職率は高いが、昭和期の転職率は低い。第三に、大戦景気の時期に一時的に転職率が高くなる。 次に初職就業先の産業別にカプランマイヤー法により、初職継続年数の変化について検討した。その結果、商社、金融、製造、その他の産業において、明治期と昭和期の継続期間に有意差(5%水準)が認められた。また明治期と大正期の間には有意差は見られなかった。特に商社と金融に関しては、明治・大正期と昭和期の間に有意差があることから、1920年代以降の入職者において終身雇用的な働き方が普及していった可能性が考えられる。
4 初職継続の分析 終身雇用的な働き方の萌芽がいつからはじまったのかを明らかにするために、初職の継続に関する離散時間ロジット分析をおこなった。分析の結果、昭和期になって初職継続の傾向が強くなっていた。このことをもって、終身雇用慣行が普及したとはいえないが、少なくとも高学歴ホワイトカラーにおいて1920年代に入職したコーホートは長期雇用の傾向があらわれてきたことがうかがえる。ただ、本分析は1937年までの職歴を扱っている。日中戦争、アジア・太平洋戦争の影響は37年以降にあらわれるはずである。その影響については本報告ではわからないので今後の課題である。
フィールド調査は何を「問い」にできる/できないのか?-社会調査のパンドラの箱を開ける試み(ラウンドテーブル形式)
近年、フィールド調査をめぐっては、多くの論文やさらには教科書なども刊行され、その特徴をめぐって議論が展開されている。本シンポジウムでは、そうした動向を踏まえつつ、いまだ社会学のフィールド調査が不問にしたままの前提を明るみに出し、来るべき調査研究のありようを考察する。
本シンポジウムの特徴は、ラウンドテーブル形式でおこなう点にある。学会シンポジウムの標準形式(一定の時間を取っての発表→それを受けてのコメント→全体討論)とは異なり、登壇者は司会者からの質問にその場で応答しながら、即興的な議論の場を作り上げることを目指す。登壇者は冒頭にごく短い時間(1人10分)で自身の研究内容を紹介し、残りの時間は議論に使う。
フィールド調査を実際におこなってみればわかるように、最終成果物である論文や本において提出された問いとは別に、その手前に、もうひとつの問いというものが存在する。こうした問いの手前の問いのことを、ここでは「問い」と表記しよう。たとえば、震災後にタクシー運転手が幽霊を乗車させた、という語りを想定しよう。この場合、その語りを社会調査とは関係のないものとして無視することもできる。このとき調査者は、ファンタジー/リアリティという区分をあらかじめ持ち込み、前者に割り振られたものを封印するという態度を取っている。しかしながら、この態度こそを問い直そうとする別の態度もあるだろう。「問い」とは、このように、調査者自身の現実把握のセンサーと密接に関わりながら、研究の方向性と可能性を大きく規定している。この「問い」の領域にこそ、本シンポジウムでは議論の焦点を定めたい。
「問い」の領域を考察することは、そこにおいて何があらかじめ議論を方向づけ、さらに何があらかじめ封印されているのかを知り直すことでもある。こうした「問い」の領域を開示しながら、そこからどのように社会学的に整形された問いが生み出されていくのかについて、ラウンドテーブル形式で協働的に考えていきたい。
「社会学とは何か」「社会学はどこに行くのか」と社会学者が問う.重要な問いかけだと思う.けれども,社会学そのものもまた社会的な存在であるのであれば,社会学に何が期待されているかを考えることも重要なはずだ.「行き先」は社会学者だけで決められるものではない.あるいは,どのような認識・イメージにおいて社会学が批判され,あるいは(時に)軽蔑や冷笑,あるいは(時に)賞賛や羨望されているかについても.
「どこに行くのか」と問うのであれば,鏡に映る自分を見つめるだけではなく,様々な他者の評価を通して自分の姿を見つめ直すことも重要なのではないか.都合の悪い事実も含め,社会学の現状を再考する機会として,「隣接分野からみた社会学」(もしくは「社会学の他者」)を考えてみたい.
報告者には,社会学に隣接している分野の研究者を望み,社会学に対するイメージや批判について端的に問いたい.また一方,コメンテーターには,そうした隣接分野からの批評に応えつつ,社会学の位置について,様々な角度から論じてもらうことを望みたい.そうした応酬のなかで社会学と隣接分野との間にある隠れた・静かな緊張関係を浮かび上がらせ,「社会学とは何か」「社会学はどこに行くのか」についての手がかりが少しでも得られれば良いと考える.
丸田利昌(日本大学・ゲーム理論)
経済学の細目分野も多種多様であるが,私は「ミクロ経済学・ゲーム理論」分野(以下,便宜的に「理論経済学」と記す)で仕事をしている*.理論経済学の「方法論的」性格を省みるとき,社会学への私のまなざしは「冷笑」でも「羨望」でもなく,二重の意味で「期待」を込めたものとなる.
理論経済学が方法論的であるとは,各主体のありかたの経験的確定が外部から調達されるとの想定のもとでそれが働くということだ.「与えられた」限られた予算を家計は各支出項目にいかに振り分けるか.それは「与えられた」効用関数のあり方次第であり,ギャンブル漬けの世帯主にも財布の紐を握る教育ママにも消費者理論は等しく適用され,それぞれに対し異なった消費計画を提案する.「夫唱婦随」の家庭も「専業主夫」の家庭もそれぞれゲームとして定式化でき,ゲーム理論はそれらに等しく適用され,それぞれに対し異なった均衡を導き出すだろう.つまり,各主体の初期条件や目的,主体間の相互依存関係の在り方など,これらをあくまでも与えられた入力としつつ,耐逸脱な状態を出力するのが方法論としての理論経済学だ.ここである社会状態が耐逸脱 (deviation-proof) であるとは,固有の目的を持つ各主体の行動選択の自由とその状態の維持が整合的であることをいう**.
さて,理論経済学はどのように現実の政策形成へかかわってくるのだろうか.この点につき,近年唱道されることの多い「制度設計mechanism design」という考え方に注目したい.これは,与えられた「実現すべき状態」に対し,それを耐逸脱的に実現するような制度(ルール)を具体的に構成せよという政策形成の指針である.この指針にそって,「不本意入学・不本意配属の最小化」という所与の目的に対し「マッチング理論」を応用した「学校選択」「研修医配属」「臓器移植」メカニズムが提案され,それらが社会に「実装」されてきている***.制度設計において理論経済学が担っている役割は,提案された制度が耐逸脱的に目的を達成できるかどうかをテストすることである.その背後には,
(1) 目的達成のための制度に「その穴を突く」機会があるならば目的の達成は期待できないという醒めた認識
がある.また,
(2) 実装されるべく提案される制度は金銭移転を必ずしも伴わない
ことも重要だ.すなわち,「結局は市場による解決なのでしょう?」というお決まりの批判(社会学から経済学へのまなざし?)はもはや通用するとは限らない.
そこで,社会学とのかかわりである.「労働」「階級」「福祉」「医療」「ジェンダー」「エスニシティ」から,「沖縄」「原子力」などまで****,社会学的研究は「経験的事実の確定とその評価」を行っている.評価の背後には,それを可能にする特定の価値体系があり,それがありうる社会諸状態をその望ましさにおいて順序づけている.社会学をこのような研究群としたとき,それは制度設計とどう関係するか.
そのひとつは,協働関係である.各研究には,そのよって立つ価値体系を明確化し,望ましい社会状態を定式化することを期待したい.目指すべきは,「不平等」や「羨望」の最小化なのか,あるいは「自由」や「権利(の実現)」の最大化なのか.議論は「神々の闘争」の様相を帯び,明確な構想を得るのは容易でないかもしれない.だがそうであっても,目標を暫定的に定め,それを実現する政策を探るという態度も重要なのではないだろうか.その際の指針として,制度設計の考え方は有効であると思う.ある社会状態が実現されるべきものとして提示されたとき,まずはその論理整合性が問われなければならない.そのための視点を論点(1)が提供する.社会学的研究群の中から,より良い状態を実現する制度の実装につながるものが現れてくることを期待したい.
だが同時に,社会学は制度設計と緊張関係に立つこともありうる.実装が想定される制度とは,端的にいって数理的に構成されたアルゴリズムである.この意味で,制度設計という研究指針は社会の「アルゴリズム化」を指向するものである.例えていうなら,「随意契約」を「公開入札」で置き換えてゆくことを目指すものだ.だが,社会の中にはその流れに抗して守られるべき領域も存在するかもしれない.論点(2)は,経済学と社会学の距離が一歩縮まったことを意味すると考えられよう.社会学には,新手の「経済学帝国主義」がこの歩みをたどってくることのないようしっかりと監視することをも期待したい.
*したがって,以下はある理論家の idiosyncratic biases をともなった社会学へのまなざしとなる.例えば労働経済学者によるそれはおそらく全く異なったものとなるだろう.
**本報告限定の造語.市場環境における最適行動計画とゲーム環境における均衡行動配置をまとめたもの.
***制度設計という考え方と近年の応用例については,坂井豊貴,2013,『マーケットデザイン: 最先端の実用的な経済学』,筑摩書房,川越 敏司,2015,『マーケット・デザイン ―オークションとマッチングの経済学』,講談社などを参照.これらの著作タイトルにもあるように,このプログラムは「マーケットデザイン」とよばれることが多い.経済学内の実態としては,「マーケットデザイン」と「制度設計」を互換的に用いても特に混乱は生じない.だが,経済学の外に向けて「市場設計」といったのでは,「いまだになんでもお金で解決しようとするのか(相変わらずだな)」と誤解される恐れがある.このプログラムの中核にある経済理論は従来から mechanism design と呼ばれてきたことに鑑み,本報告では「制度設計」とした. なお本稿脱稿にさしかかった2020年10月12日,ノーベル経済学賞がPaul R. MilgromとRobert B. Wilson に授与されることが報じられた.マッチング理論とともに制度設計理論の二本柱をなすオークション理論への貢献が受賞理由である.
****第91回日本社会学会プログラム (https://jss-sociology.org/wp/research/91/index.html) のセッションタイトルから任意に抜き出した.
松澤裕作(慶応義塾大学・歴史学)
1 歴史学と社会科学
「隣接分野からのまなざし」をテーマとする本シンポジウムにおいて、報告者は歴史学という隣接分野に所属する研究者として企画に参加することになる。たしかに報告者は文学部の「日本史学研究室」学部・大学院教育を受け、さらには東京大学史料編纂所という、日本の日本史研究の成立そのものとかかわりを持つ機関(メール2017、松沢2012)で、史料集の編纂という業務に従事した経験を持つ。一方で、2011年以降、2つの大学の経済学部に勤務して現在にいたる。現在の主担当科目は、経済学部の専門科目としての「社会史」である。
このような報告者のキャリアはまったくの偶然か、といえば必ずしもそうではない。19世紀後半に、近世来の古典研究の学知と、ドイツから輸入されたランケ史学の混合物として成立した日本の「国史学」=いわゆる「官学アカデミズム」史学は、明治維新以降の歴史を、「近すぎる過去」として研究の対象としてこなかった(永原2003)。この空白を埋めたのは、主として政治学と経済学、あるいは法学の歴史研究部門であった。政治学においては戦前に吉野作造が、経済学においては山田盛太郎をはじめとする日本資本主義論争の論客たちが、維新前後からその同時代までの歴史記述を試みた。
こうした背景ゆえに、戦後の日本近代史研究で、法学部出身の政治史研究者や、経済学部出身の経済史家は、単に歴史学の「隣接分野」と言って済ませるにはゆかない重みをもって存在していた。たとえば、戦後に刊行された大手出版社の、「日本の歴史」通史シリーズの執筆者を確認してみると、近代史部分で、法学部・経済学部出身者が書き手として入っていないことは、一度もないのである。
2 歴史学と社会学
しかし、事情は最近変化しつつある。第一に、社会科学の方法論のいわゆる「標準化」にともなって、文献史学と、政治学・経済学の一部としての政治史・経済史の間の距離が開いてきた。第二に、そうした政治学、経済学の「退場」を埋めるかのごとく、社会学者による歴史記述が増加してきた。実際、報告者が学部卒業論文の執筆を指導する際、学生が立てたテーマの「先行研究」にあたるものが、『〇〇の歴史社会学』と題する書籍に典型的な、社会学者のものであることは少なくない。再び通史シリーズを引き合いに出せば、岩波新書の「シリーズ日本近現代史」(2006~2009)で、最も新しい時代を扱う巻を担当したのが社会学者(吉見俊哉)であったこと(吉見2009)は、「現代史の書き手としての社会学者」の登場の一つの指標となり得よう。
3 対象との距離と歴史記述
これは一方では、歴史学の側で「社会史」なるものが「政治史」「経済史」と並ぶなんらかのまとまりとして認識され始めたことと無関係ではない(成田2005)。しかし、政治史研究が、広い意味での民主化(政党政治をめぐる諸問題)という枠組みを、また経済史研究が、マルクス主義的な資本主義をめぐる諸問題という枠組みを、出身学部を超えて共有していたのに対して、日本史研究における「社会史」なるものは、何かはっきりした枠組みを有するわけではないし、歴史学者が、『〇〇の歴史社会学』とどのように付き合っていけばよいのかは難問である。
つまらない非難と相互不信の応酬を避けるために、歴史学者の側がおそらく踏まえておくべきは、社会学者はしばしば歴史記述において「その特定の対象についての歴史的実証研究が進められる前提条件の再考もしくは確保」(野上2015)をおこなっていることだと思われる。一例としてあげれば、加島卓は、先行研究そのものが、分析対象のありさまの歴史的変化に伴い発生することを検討する作業を遂行している(加島2014、加島2018)。こうした叙述は、社会学の外側からは「いかにも社会学らしく」見える。しかし、近い過去を扱う際(もしかすると近かろうが遠かろうが原理的には)には、どのような分野からアプローチするに際しても、避けては通れない問題なのではないか。
おもえば私たちが過去の研究に従事できるのは、過去と現在のあいだに挟まる人間が、なんらかの形で、史料を評価選別するなり、出来事を叙述するなりして、過去の情報を現在に伝えたからである。歴史を叙述するためにはその「あいだに挟まった人間の営為」についてどうしても考えなければならないのだし(歴史学では史料の伝来論と呼ばれるものが一定の重みをもつのはそのためだ)、その挟まっている営為のうち、比較的現在に近い部分がいわゆる「先行研究」ということになる。その距離が短くなれば先行研究の成立そのものはより明確に問われねばならなくなる。およそ人間の営為についての、人間による反省的考察というところまで画角を広げて考えれば、歴史学者と社会学者のあいだには、力点の相違があるという程度の問題になってくる、という考え方も成り立つともいえるのではあるまいか。
加島卓(2014)『〈広告制作者〉の歴史社会学』(せりか書房)
加島卓(2018)「メディア史とメディアの歴史社会学」(『マス・コミュニケーション研究』93)
野上元(2015)『社会学が歴史と向き合うために』(野上元・小林多寿子編『歴史と向き合う
社会学』、ミネルヴァ書房)
永原慶二(2003)『20世紀日本の歴史学』(吉川弘文館)
成田龍一(2005)「歴史学の淵から」(『社会学史研究』、27)
松沢裕作(2012)『重野安繹と久米邦武』(山川出版社)
メール、マーガレット(2017)『歴史と国家』(千葉功・松沢裕作訳者代表、東京大学出版会)
吉見俊哉(2009)『シリーズ日本近現代史9 ポスト戦後社会』(岩波新書)
除本理史(大阪市立大学・環境経済学)
1 私自身の立ち位置
私は、学位を経済学で取得しているが、経済学の主要学会(日本社会学会のような)ではあまり活動できておらず、「環境」と名の付く学会で役員をしたりしている(ので、本来、経済学を代表して何かを言う資格はまったくない)。これには2つの理由があり、1つは私の属する学派である「公害研究委員会」が、問題解決重視、学際的研究を掲げてきたこと(ただし、委員会の創設者たちは自分の専攻領域でもきちんと評価されている)、もう1つは、1990年代(ちょうど学部生・院生時代)の地球環境ブームの時に“「環境」という新しいパラダイムが既存の学問を書き換える!”といった勇ましい雰囲気にどっぷりつかってきたこと、である(その後、2000年代後半ぐらいからタコツボ化した印象)。
(参考)公害研究委員会のメンバー・関係者の例: 都留重人(経済学)、宮本憲一(経済学)、宇沢弘文(経済学)、戒能通孝(法学)、宇井純(化学)、原田正純(医学)、飯島伸子(社会学)、長谷川公一(社会学)など。関連の深い団体に「日本環境会議」(JEC) http://www.einap.org/jec/ がある。なお、公害研究委員会(≒岩波書店発行の季刊誌『環境と公害』編集員会)のHPは http://www.einap.org/kogaiken/
2 社会学者との協働
私自身は「環境政策論」を名乗っているが、環境や福祉などの分野ごとに制度・政策をみるのではなく、利用者の観点からそれらの整合性を検討したりすることに関心がある。そうした関心から、社会学者とともに、公害被害者/原発事故被害者のインタビューや質問紙調査を行ってきた。私がよく共同研究をしているのは、主に飯島伸子ゼミ出身の数人の環境社会学者であって、社会学全体について何かを言う資格はまったくないが、私自身のきわめて限定された経験に基づいて、社会学を含む学際的協働の一例を報告することにしたい。
飯島伸子のスタイルは、公害・環境問題の実態をきちんと調査し、そこから帰納的に理論構築をするところにあり、それは公害研究委員会の基本的なスタンスでもある。実態把握という共同作業の領域においては、各自の専攻分野が障害となることはあまりない(と、私自身は感じている)。公害被害者のインタビューや質問紙調査などは、社会学者が得意とするところであり、むしろ基本的なところからいろいろと勉強させていただいた。
一方、「社会学者は制度や政策の話は得意でない」という自己認識をもっている方もおられる。もしこれが正しいとすると、異分野の研究者と協働して、得手・不得手の部分を補いながら、実態把握から制度・政策論へつなげていけばよいので、私自身はなんとなくそのようなことができてきたのではないかと感じている(したがって、理論枠組みから現実を裁断してみせるタイプの研究者との協働は難しい)。
私は経済学にそれほどこだわりがないので、自分が論じたいことに必要であれば、他分野の議論でもつまみぐい的に取り入れるようにしている。多様な利害関係者(加害者、被害者など)の相互作用の結果として、制度・政策が生成されていく動態的プロセスに関心があるため、飯島の「被害構造論」や舩橋晴俊の「解決過程」論を参照して、四日市公害などの事例研究をしたことがある。もちろん専門家からみれば生煮えと映るだろうが、やらないよりいいと思っている。最近では、社会学・歴史学・教育学の研究者とともに、公害資料館をテーマにした科研プロジェクト(19K12464)を進めており、そこでPublic History研究に関心がつながって読み出し、ある重鎮研究者が主宰する毎週金曜夜のオンラインゼミにも参加するようになった(毎回英語の論文を読んでいくのでしんどいが、勉強になる)。
また、Boltanski & Chiapello (1999)のように、社会学と経済学が混ざり合っているような現代資本主義論(「認知資本主義」論とも総称される)からも多くの示唆を得てきた(同僚とともに、フランスの社会学者と共同研究をスタートさせようとあれこれ準備中)。この議論をベースに、水俣「もやい直し」について事例研究的な論文も書いている。
3 「役に立つ」学問か
本シンポの関係者で事前の打ち合わせをした時に、この論点が出た。経済学というより、私たちの学派について述べたい。前述のように、公害研究委員会のスタンスは、問題解決志向なので、役に立たなければダメということになる。「環境研究栄えて、環境滅ぶ」ではいけない、というのが合言葉だ(もちろん、原発事故を防げなかったし、気候危機をストップできているわけでもないといったことはあるが)。とにかく、多分野の研究者だけでなく、現場の住民運動などとも協力して、政策を変えていこうという志向が非常に強いのである(たとえば、四大公害裁判の時代には、研究者として被害者運動に協力するなど、問題解決に貢献してきた歴史がある)。公害研究委員会や日本環境会議に加入している社会学者も、さまざまなアクションに参加していたり、原発事故の被害者集団訴訟で意見書を出したり、専門家証人として尋問を受けたりしている。
加えて、事前打ち合わせでは、ジャーナリズムとの関係という論点も出た。公害研究委員会は、ジャーナリズムの固有の役割――研究者が論文を書くよりも早く、問題を発見し警鐘を鳴らすこと――を高く評価している。それが単なる現場報告にとどまることなく、研究の次元でも新しい課題の提示につながっていくことがある。たとえば、委員会のメンバーであった木原啓吉は、ジャーナリストとして公害・環境問題の報道にたずさわり、のちに大学教員となって、「歴史的環境」を環境問題の一領域として認知させるのに大きな役割を果たした。ジャーナリズム、研究者、住民運動などは、それぞれ固有の役割があり、その違いを尊重しつつ協働することによって問題解決を進めるというのが理想型である(日本環境会議は、研究者だけでなく、実務家、ジャーナリスト、運動団体などがともに参加する枠組みである)。そのため、私の周囲にはメディアで発言することをいとわない人が多い。
研究対象を具体的な事象に設定すれば、単一の学問では論じきれなくなり、領域間の垣根が低くなっていく傾向がある。本来は、そうした学際研究で得られた知見を、各自の専門分野に持ち帰り、何らかの新たな貢献をすることが求められるのだろう。
この点、きちんとできておらず反省するしかないが、1つだけ挙げるとすれば、現在、「認知資本主義」の議論をベースにして、経済学の価値論を再検討するとともに、公害被害地域の再生という1990年代に提起された課題のもつ現代的意義を論じ直すという作業に着手している。
文献
Boltanski, L. & Chiapello, E. (1999) Le Nouvel Esprit du Capitalisme, Gallimard.(=2013、三浦直希ほか訳『資本主義の新たな精神』上・下、ナカニシヤ。)
舩橋晴俊編(2001)『講座 環境社会学 第2巻 加害・被害と解決過程』有斐閣。
宮本憲一・淡路剛久編(2014)『公害・環境研究のパイオニアたち――公害研究委員会の50年』岩波書店。
宮本憲一監修/遠藤宏一・岡田知弘・除本理史編著(2008)『環境再生のまちづくり――四日市から考える政策提言』ミネルヴァ書房。
友澤悠季(2014)『「問い」としての公害――環境社会学者・飯島伸子の思索』勁草書房。
山本泰三編(2016)『認知資本主義――21世紀のポリティカル・エコノミー』ナカニシヤ。
除本理史(2020)「現代資本主義と『地域の価値』―水俣の地域再生を事例として」『地域経済学研究』第38号、1-16頁。
除本理史・佐無田光(2020)『きみのまちに未来はあるか?――「根っこ」から地域をつくる』岩波ジュニア新書。