シンポジウム1概要
文化社会学の快楽と困難――文化社会学会は可能かを問う
文化社会学は,他の(連辞符)社会学と比べても,やや特異な位置づけにある.そのことが,魅力や可能性とも,そして問題点とも,結びついている.本シンポジウムでは,日本の文化社会学について,その来し方をたどり,現状や海外の動向を踏まえ,魅力や可能性,問題点を論じた上で,さらに制度化(大学教育/学会として)という観点から,今後の可能性を展望していくのが目的である.
文化社会学は,比較的新しい学問だが,その位置づけの特異さについては,領域と方法論の固有性を巡って,特に前者に関する困難と可能性を常に抱えてきたといえる.それが他の連辞符社会学との違いでもあり,「日本社会学会的」にいえば,「文化・社会意識」部会の特異さと言ってもよい.
知られるように,文化には広義と狭義のそれがあると言われる.そのつかみどころのなさが,領域の固有性を巡る問題点でもあり,あるいは広がりのある領域としての魅力でもあるものとして,いわば両義性を帯びてきたものとしてとらえられてきた.
かつて,文化社会学≒知識社会学として紹介されていた頃には,どちらかといえば前者に焦点が当てられていたといえるし,「社会意識」という概念も広義の文化に照準しようとしたものだったと言えるだろう.あるいは,文化という概念を深掘りするならば,それは時に,社会を超える広がりを持ったり,近代社会よりも長い歴史を持つこともあり,もっぱら近代社会を対象としてきた社会学からすると,すわりの悪い研究対象に見えなくもなかった.
一方で,今日における狭義の文化,例えば私たちがイメージするようないわゆる(ポピュラーな)文化の研究は,そうした問題点やすわりの悪さとは裏腹に大いに人気がある.学部生の卒論だけでなく,大学院生の修士論文や博士論文のテーマなどを眺めていてもそれは実感されるところだろう.
だがそうした人気とはさらに裏腹に(あるいは上述の問題点,すわりの悪さもあって),こうした文化社会学は,大学教育としても,学会としても,制度化はされていない.学生や院生からすれば,文化社会学はどこで学ぶことができるのか,どこで発表することができるのか,不明確な現状が存在している.
このことは,著名な文化社会学研究者やその研究書などを思い起こしても,制度的に積み重ねられたものや世代的に継承されたもの,というよりは,「スマッシュヒット」的な,あるいはその人限りの名人芸的な,ものが多かったということもできる.
こうした目的と概要を踏まえて,本シンポジウムでは,3名の問題提起者,2名の討論者を予定している.
第一問題提起者には,日本の文化社会学の来し方をお話しいただく.制度化されず,標準テキストもない中で,なかば周縁的に立ち上がってきたその来歴をたどりつつ,一方で,広義の文化を対象とした知識社会学的研究,社会意識論的な研究だけでなく,また他方で,若者文化やメディア文化といったいくつかの狭義の文化を対象とした具体的な研究を積み重ねていく中で,今日に至る日本の文化社会学の基盤が成立してきた過程をお話しいただく.
第二問題提起者には,日本の文化社会学の現状をお話しいただく.依然,制度化はされないまま,一方で狭義の文化に関する研究が大いに人気を博し注目を集める中で,文化社会学的研究を行う際の困難や魅力などを,いくつかの成果に基づいてお話しいただく.
第三問題提起者には,英語圏を中心に,海外の文化社会学の動向をお話しいただく.上記したような論点,すなわち制度化の現状(大学教育/学会)や標準テキストの存在について,最新の情報を交えて,お話しいただく.
これを受けて,第一討論者には,大学教育という観点からの文化社会学の制度化の可能性についてコメントをいただき,さらに第二討論者には,隣接する学会や研究会の状況を踏まえながら,文化社会学の制度化の可能性についてコメントいただく.
当日は,フロアの参加者も交え,さらに活発な議論を行う予定である.
シンポジウム1報告1
文化社会学のおよそ40年をふりかえって
永井良和(関西大学)
1980年代まで、社会学の領域で「文化」を研究することは「主流」とはいえなかった。戦前に刊行された松本潤一郎の『文化社会学原理』を図書館や古書店の書棚に見ることはあっても、たいていのところ文化社会学は簡単な紹介ですまされ、それだけで一冊になる例は稀だった。もちろん、社会学者が文化に関心を寄せなかったわけではなく、思考あるいは調査の対象として個別の文化事象、たとえば多くの人びとに支持される小説や映画の内容、あるいは流行現象などがよくとりあげられた。けれども、文化社会学に特化した専門家がいるというよりは、なにか別の専門をもつ社会学者が文化についても論じていた印象が強く残る。文化を研究するのであれば、文化人類学や民俗学を選ぶべきだとのみかたもあった。
1980年代の後半になってカルチュラル・スタディーズ(文化研究)の考えかたや研究成果が紹介されて以降、文化現象について論じる研究者が増え、成果も蓄積されて一定の存在感を示した。18歳人口の減少という大学がおかれた状況もかかわる。文化の研究ができますよというアピールは受験生の関心を惹きやすく、社会学のセールス・ポイントとして活用された。多くの大学で、文化をあつかう科目がつくられたのもこの時期にあたる。
結果的に、社会学のカリキュラムには文化にかかわる科目がくわえられ、学生は文化社会学のテキストを読み、試験を受けて単位を修得するようになった。大学院に進学し、文化の研究で学位をとって研究職に就く人もあらわれる。社会学は、開拓されつつあったにもかかわらず既成の学問領域のなかに居場所を与えられてこなかった人びとを受けいれた。文化研究は、ジェンダー・スタディーズと同じように、社会学の懐の深さゆえに大学にも場を与えられたといえる。
しかし、この過程は、反面、文化の研究が制度化される道のりでもあった。どの研究領域にも属さない学際的なものとして共有され、あるいは民間学のなかに息づいていた文化に対する関心と調査研究のいとなみ。見かたをかえれば、それらが、社会学によって「侵略」されたといってもよい。大学などに所属し文化について論じる人たちが、在野の研究者の仕事ぶりを学術的ではないと貶めることも、残念ながらあったように記憶する。そういった傲慢な物言いやふるまいも問題だが、さらにこまったことに、特定の理論によって文化が切り刻まれることも行なわれた。ほんらい豊かであるはずの文化現象のうち、一部だけがとりだされ、記述され解釈される。洩れ落ち、取りこぼしたものこそが、文化のなかのたいせつな要素である可能性があるにもかかわらず。
この傾向がもたらす欠点を補い、文化の研究を硬直化から救うためにも、学際的な対話をとおして研究者じしんがたえず自省を怠らないことが求められる。なにより、アカデミズムに属さない人たちと謙虚に向き合う姿勢が欠かせないだろう。
シンポジウム1報告2
文化のフラット化にともなう社会学研究の今日的課題
南田勝也(武蔵大学)
副タイトルに「文化社会学会は可能か」とあるのでその可不可を検討してみたい。
カール・マンハイムは、『文化社会学草稿』で次のように述べている。「ある芸術作品に、原初的なかたちで心を向けているという場合、そこにあるのは、ただ島のような、自己完結的な作品であるに過ぎない。そこでは、作品への態度も、また領域の関数性も、全体として視界から消え失せてしまっている。それに対して、文化に関する社会学的考察の本質は、まさしくこのような、各々の文化形象の関数性を探索するような、非内在的考察になるのである」(Mannheim [1922]1980=1995: 51)。ここでいう「関数性」とは、要するに「関わり」のことである。社会学が行うべきは、人がその文化に関与する関わり方の観察である。
ただし「文化」の語の含意するところは「ある芸術作品」にとどまらない。具体的な社会生活のあらゆる場面に文化的な側面は存在する。世代文化、宗教文化、地域文化など、特定の対象として同定しがたい「集合表象」「社会意識」も研究の対象である。「文化」の語を、人間活動の集合表象をさす言葉の意で用いて、非内在的に考察する方法論をとるというとき、それは「知識社会学」と変わりがない。あるいは単に「社会学」といっても問題ないように思える(南田・辻2008:4、Minamida and Tsuji 2012: 6)。
ダイアナ・クレインは、主要な社会学者が上記のような意味、すなわち「社会生活の暗黙の姿」として「文化」をあつかってきたことに対して、批判的なまなざしを向ける。「現代社会において、“暗黙の文化”を強調するだけでは不完全なのである。今日の文化は、そのほとんどが社会的構成物や生産品としての文化を通じて、いいかえれば記録物文化(recorded culture)――プリント、フィルム、加工物、あるいは最近では電子メディアに記録された文化――を通じて表明され交渉されている。記録物文化の内容を左右する要因を分析するだけでなく、記録物文化の内容と効果を分析することなくして、現代社会における文化の役割を理解することにはならない」(Crane 1994: 2-3)。このようにクレインは、さまざまなタイプの記録物文化(情報、娯楽、科学、技術、法律、教育、芸術)をあつかう「新文化社会学」を提唱した。
上記の論点は、文化には【広義の文化】【狭義の文化】のふたつがあることを指し示している。文化社会学には、集合表象(のうち経済や法や政治や家族や教育などすでに連字符社会学として確立したもの以外)をあつかう領域があり、一方で芸術や芸能やポップカルチャーやサブカルチャーなどをあつかう領域がある。
私自身は(マニアックであることを自覚しつつ)狭義の文化を研究対象としてきたが、学会の組織化については正直難しいものを感じる。すでに広義の文化を研究対象としている人にとっては、それは「社会学」実践の一環であるので、特段のネーミングを必要としないだろう。狭義の文化を研究対象としている人には待ち望まれているかもしれないが、個人的には「狭義の文化の研究を社会学的・体系的に推し進めることの困難」を懸念している。それは(いみじくもクレインが示唆しているように)文化作品がその数を現在進行形で爆発的に増大させており、諸個人が把握・認識できる臨海点を越えていることに起因する。この現象は①美醜や優劣といった評価判断の社会的な共通了解が喪失する、②各地でフラット化が生じる、③「関数性を探索する」といってもファンカルチャー研究くらいしかできない、という帰結を招く。報告当日はこのことについて詳しく述べたい。
Crane, Diana, 1994, “Introduction: The Challenge of the Sociology of Culture to Sociology as a Discipline,” Diana Crane ed., The Sociology of Culture, Blackwell. 1-19.
Mannheim, Karl, [1922]1980=1995,澤井敦訳『文化社会学草稿──思考の構造』学文社.
南田勝也・辻泉,2008,「文化社会学の視座」南田勝也・辻泉編『文化社会学の視座──のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化』ミネルヴァ書房,1-11頁.
Minamida Katsuya and Izumi Tsuji eds., 2012, Pop Culture and the Everyday in Japan: Sociological Perspectives, Trans Pacific Press.
シンポジウム1報告3
文化社会学の制度化の動向――アメリカとイギリスの事例から
藤田結子(明治大学)
本報告は、文化社会学に関わる制度化の動向(大学教育、学会)や使用されるテキストについて、とくに報告者が留学していたアメリカとイギリスの事例について報告する。
アメリカでは、文化に関わる社会学は、sociology of cultureとcultural sociologyに大別することができる。Sociology of cultureは、主に,文学・音楽・絵画・演劇など個別具体的な文化現象を対象とするが、cultural sociologyは社会的現実の意味構成・意味秩序を全般的にあつかう社会学のことである(佐藤2010)。このようなsociology of cultureとcultural sociologyは、department of sociology(社会学科)において、欧米の古典や最近のアメリカ社会学の論文や学術書などを用いて教えられている。
さらにアメリカでは、社会学から発展した実証的なcommunication 研究において(Katz 1987)、日本の「文化社会学」でもよく研究テーマとなっている、テレビ・映画・音楽やインターネット文化などのpopular cultureを対象とした研究や教育が行われている。各大学にあるdepartment of sociologyは学術的かつ小規模である一方で、都市の大学の一部に実践的な職業訓練のコース(ジャーナリズム、映像制作、広告など)を併設した、より規模の大きいschool of communicationが存在する(例 USC, Northwesternなど)。
イギリスにおける文化の社会学的な研究や教育は、department of sociologyよりも、メディアや文化を主要な研究テーマとするdepartment of media and cultural studies(または類似した学科名)で盛んな印象がある。また、イギリスでも、media関連の学科で実践的な職業訓練を提供する大学がある。さらに、sociology, media and cultural studiesのどちらにおいても、イギリスのcultural studiesの古典や論文が授業で扱われている。これらは、アメリカのcommunication研究と同様にpopular cultureを研究テーマとするものであるが、その問題関心から質的方法中心であるという点で異なっている。
以上のdepartmentやschoolの授業やシラバス、それに関連する英語圏の学会(American Sociological Association sociology of culture部門, International Communication Association等)での大学院生の報告テーマ、教員の専門分野などについて、最近の状況を報告する。また、これらと比べて、日本で「文化社会学」に関わる大学教育や学会がどのような特徴を持つのかを検討し、問題提起する。
引用文献
Katz, E. (1987) Communications Research Since Lazarsfeld, Public Opinion Quarterly, 51.
佐藤成基(2010)「文化社会学の課題――社会の文化理論にむけて」『社会志林』 56(4), 93-126.
シンポジウム2概要
「日本人」言説を問い直す
「日本人」とは何だろう。誰が「日本人」なのだろう。法的には日本国籍をもつ人が「日本人」とされ、それ以外が外国人と区別されているのみであるが、一般的な感覚で「日本人」と言う時には、国籍以外の要素も多かれ少なかれ考慮されているのではないだろうか。たとえば、「日本人の国民性は○○である」「私たち日本人は✕✕だ」といったように、「日本人」に言及した語りがマスメディアや日常生活の中で頻繁に見られる。コロナ禍においても感染状況や感染防止にかかわる行動との関連で、「日本人」に言及されることもある。
NHKが実施した第10回「日本人の意識」調査(2018年、16歳以上の国民5,400人対象、2,751人回答)では、「日本人は、他の国民に比べて、きわめてすぐれた素質をもっている」に対し、64.8%が「そう思う」と答えている(そう思わない=26.8%、わからない・無回答=8.4%)。漠然としたイメージに対する回答かもしれないが、「日本人」は相対的に優れていると考える人の方が多いようである。これらの例は、「日本人」を単なる国籍を超えて「本質的」に捉えている風潮の現れとも言えないか。
一方で、外国にルーツを持つ人や外国籍者を含めて「日本人」と捉える考え方も広まりつつある。例えばスポーツ界において、外国にルーツをもつ選手が日本代表としてあるいは日本ナショナルチームでプレイしている現状や、そのアスリート達のファンの存在は、多様化する「日本人」を受け止めている1つの証かもしれない。
このシンポジウムでは、制度的な側面(国籍・戸籍)から、また、大規模調査を中心とした人々の意識の側面から、そして昨今のメディアにおける「日本人論」から、現代の日本社会における「日本人」の定義と境界を検討する。
シンポジウム2報告1
紙の上の『日本人』―戸籍と血統の矛盾
遠藤 正敬(早稲田大学)
「日本人」の定義は何かと問われた時、多くの人は「日本国籍をもつ者」と答えるであろう。
近代国家において国籍は「国民」の法的な資格とされてきた。だが、近代日本国家において「日本人」なるものを画定する規準として力をもったのは、国籍よりも戸籍であった。
「国民」の要素として血縁を重んじた日本では1899年の旧国籍法において血統主義を採用したことで、血統を証明する戸籍が国籍の証明となった。
明治国家において全国統一戸籍として編製された壬申戸籍は、日本に住む者を「日本人」として画定した。これ以降、戸籍に登録された者が「正しき日本人」として承認を受けるという道徳的な意義が称揚された。
そして、明治民法による家制度が成立すると、戸籍は“家の登録簿”となった。家は「日本人」を創出し、また消失させる原理をもつものとなった。旧国籍法では、日本人と外国人との間で婚姻、養子縁組、認知などがあった場合、日本の家(戸籍)に入籍した者は日本国籍となる一方、日本の家(戸籍)を除籍された者は日本国籍を失うとされたのである。
「大日本帝国」においては、植民地出身者はすべて「日本国籍」とされた。だが、戸籍については、内地とは別に植民地固有の戸籍制度が敷かれた。これにより、内地戸籍、台湾戸籍、朝鮮戸籍のいずれに登録されるかが「民族」(内地人、台湾人、朝鮮人)の帰属を意味するという特殊な「民族籍」概念が生まれた。
ただし、前述の家の原理が帝国内でも適用され、婚姻や養子縁組等に基づく戸籍の変動によって「内地人→朝鮮人」「台湾人→内地人」というように民族籍は変換された。こうした戸籍に基づく「民族」の区分が、そのまま戦後の「日本人」の再編、すなわち旧植民地出身者の日本国籍喪失に利用されたわけである。
「日本人」とは、こうした血統的混成を含んだ戸籍の表示に基づいた概念であり、むしろ血統は限りなく擬制に近づくのである。
また一方で、戸籍をもたない「日本人」も常に存在してきた。出生届の未提出や徴兵逃れ目的の戸籍放棄だけでなく、戦災での戸籍焼失により無戸籍となった南米移民や、戦後も長期間消息不明であったため戸籍を抹消された中国帰国者もいる。
無戸籍者は血統上「日本人」でありながら、戸籍の創設ないし回復は至難の業である。その反面、日本で発見された「棄児」は特例として戸籍が与えられ、「日本人」として認定される。戸籍上の「日本人」と血統上の「日本人」は必ずしも一致しないという不条理がここに見出せる。戸籍によって証明される「日本人」なるものは、‟紙の上の「日本人」”なのである。
シンポジウム2報告2
データ(量的調査)から語る『日本人』――人々の抱く「日本人」像の検討
田辺 俊介(早稲田大学)
本報告は人々の抱く「日本人」像を把握するために、一般の人々による「日本人」の定義づけの傾向や類型を、量的社会調査データの分析に基づいて論じるものである。具体的には、1995年・2003年・2013年に行われた国際社会調査 (International Social Survey Program, 以下「ISSP」)と、2009年・2013年・2017年に実施した日本全国調査(『国際化と市民の政治参加に関する世論調査』)という2種類の量的社会調査データを用い、その時系列的変化や属性差、さらに排外主義や政治意識との関連を検討する。
「日本人」像を含む「○○人」像を規定する条件については、理論的に2種類に分けることが可能である。一つ目は、血統(祖先)や出生のような民族・文化的で、不変的・帰属的な条件である。もう一つは、自己定義や法制度忠誠のような市民・政治的で、可変的・業績的な条件である。「民族的ネーション」においては、市民・政治的条件に加えて民族・文化的条件を満たす人が、その国の「真の国民」とみなされやすい。一方「市民的ネーション」では理念的には、民族・文化的条件は不要で、市民・政治的条件のみが「国民」には必要とみなされると想定される。1945年の敗戦によって植民地を失い、多民族帝国としての歴史を忘却した日本では、「民族的ネーション」観に基づく「単一民族(国家)神話」が流通している。そのため、ある人を「日本人」とみなすには、市民・政治的条件だけではなく、民族・文化的両条件も考える人が多数派と予想される。とはいえ近年、急激な外国人人口増加などの社会変動も経験しており、一定の変化が成されている可能性もあるだろう。
分析の結果、自分自身を「日本人」と思う「自己定義」や「国籍」を保持することを「日本人」の条件として必要と考える人は9割に達し、それらはほぼデフォルト条件と見なされていた。また、「出生」や「居住歴」も3分の2ほどの人々が「必要」とみなしており、国籍取得の帰化者や帰国子女を「非日本人的」とみなす言説の認識的背景が示されたといえよう。さらに「祖先」など血統的定義も5割程度が必要と回答しており、いわゆる「単一民族国家の神話」は未だ打破できていない状況にある。とはいえ、「宗教」(神道や仏教)で「日本人」を定義する人は2割弱と少数で、アメリカにおける(キリスト教信仰を重視するか否かという)「宗教的分断」のある国とは異なる状況である。またそれらの回答分布は、ここ20年ほどの間においては明確な時系列的変化も少なく、さらに2つの異なる調査間、あるいは沖縄と本土を比較してもほぼ近似しており、比較的安定的であると考えられる。
続いて属性差について、男女差は軽微だが、学歴差は国籍以外で一定程度あり、比較的高学歴になるほど民族・文化的条件を求めない傾向が示された。また高齢層では、民族・文化的条件を必要と考える割合が若年層と比べて高く、例えば29歳以下と70歳以上では必要と考える割合について、出生で17ポイント、祖先は30ポイント、宗教で27ポイントもの差がある。以上まとめれば「単一民族国家」的な日本人像は、比較すれば高学歴・若年層で弱い傾向であった。さらに、それら回答項目への回答傾向を統計的手法でまとめると、単一民族型、市民・政治型、中庸型の3つの認識枠組みが抽出された。
それら日本人像と排外主義や政治志向との関連を検討した結果、単一民族型は外国人全般増加に反対すると同時に、移民への悪影響認知が強かった。一方で市民・政治型は、外国人全般増加に賛成し、移民増について好影響と評価していた。また単一民族型には強い自民党支持の、市民・政治型には「無党派・無投票」となる傾向が存在し、日本人像と排外主義や政治意識の間には明確な関連が示された。
謝辞 本研究は、科学研究費補助金基盤研究(B)(16H03702)の助成を受けたものである。また本研究で用いた社会調査への回答者の皆様に、この場を借りて改めて謝意を表したい。
シンポジウム2報告3
多様化以降の「日本人」の境界――「ハーフ」や外国にもルーツをもつ人々をめぐる言説編成
ケイン樹里安(昭和女子大学)
「日本人」とは何者なのか。その「枠」のなかには、誰が含まれ、誰が含まれないのだろう。オリンピックを含む、グローバルなスポーツ・イベントに典型的だが、外国に(も)ルーツをもつ選手が日本代表として活躍する現状や、日本に(も)ルーツがあるアスリートが活躍するときに、そこでは「日本人語り」がたびたびなされる。彼らを応援する人々の存在は、「多様化する『日本人』を受け止めている1つの証かもしれない」が、そうだとするならば、その「受け止め」ないしは「境界」の拡張(/収縮)過程を追尾する必要がある。
本報告では、昨今のマスメディアにおける「ハーフ」や外国にもルーツをもつ人々をめぐる言説編成を中心的な分析の対象として取り上げる。なぜならば、それらの言説は、「日本人論」の境界部分をふちどることで、現代の日本社会における「日本人」の定義と境界のありかを示しているからだ。
そもそも、現代であれば「ハーフ」や「外国にルーツをもつ人々」などとカテゴライズされるであろう人々は、歴史を通して、常に「想像の共同体」の周縁に位置づけられ、表象されることで、国民国家としての日本の成立に密接に関わってきた(小熊 1998)。
戦後日本社会における言説編成については、下地ローレンス吉孝によって、以下のように第一期から第四期として整理を行っている。まずは、社会問題としての語りが前景化する第一期(1945~1960年代・「混血児問題」言説の流通)であり、次に、「日本人論」との共振関係にある第二期(70年代~80年代・「ハーフ」言説の流通)、そして、第三期(90~2000年代前半・「ダブル」言説と社会運動)から、文字通り言説の多様化がみられるとされる第四期(2000年代後半~・「ハーフ」言説の多様化)である(下地 2018)。
一方で、多様化と形容された時期も当然ながら相応の時間が経過しているため、「多様化」の内実に迫る研究が待たれている。そこで、本報告では、マスメディアである新聞の言説を基礎として、「多様化」したはずの言説を主たる分析対象として取り上げ、それらの編成にみられる「日本人」なるものの「境界」のありかたが、いかに立ち現れているのかを報告することで、本シンポジウムの問いに応答したい。
参考文献
小熊英二,1998,『〈日本人の境界〉――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』新曜社.
下地ローレンス吉孝,2018『「混血」と「日本人」――ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』青土社.
Back >>